2020年4月4日土曜日

1997「不思議体験4」2020.4.4

 日赤病院に入院している時も落ち着きなく歩いていた「たけひと」少年でした。大病院が好きです。4歳の時の入院の記憶が楽しすぎたのです。私は看護婦さんにとても可愛がられました。そして看護婦さんが大好きで、私は看護婦さんと結婚すると言っていました。大病院の大廊下が好きで、誰もいない夜中など廊下を匍匐前進して遊んでいました。廊下がすべるのが好きだったのです。それも過去生の記憶に繋がる事だったのです。

 5歳の時に東北町、昔の上北町ですが、中学2年まで祖父母の所に預けられていました。その時、家の前でダンプが急ブレーキで止まったのです。私が家から飛び出して車に轢かれたのです。運転手が真っ青な顔で出てきました。すると私は車の下から出てきて走って行ったのです。私は全く無傷でした。しかし運転手は人にドーンとぶつかり、轢いた感覚があったと言います。この事があり祖母はもう私は危なくて預かれないと断ってきました。
 この事が原因で祖母はPTSD(心的外傷後ストレス障害)になっていました。

 そして別な親戚に預けられました。小学校高学年の頃の青森では星が綺麗に見えました。10才の頃ですが、屋根で寝て星を見た時、天の川銀河の中の1つの星が動き始めました。こちらに向かってきて進んできてピカッーと光ったのです。そして私が気が付いたら朝になっていました。その時、何があったのか分かりませんでした。しかし後で記憶が蘇えったのですが。

 12歳の時の事です。私は海釣りが好きでした。おじさんと一緒に磯釣りに行き、テトラポットでアイナメを狙っていました。強い風が吹いて来ました。叔父さんを出し抜こうと進んで行くうちに足を滑らせ転び、テトラポットに吸い込まれてしまいました。
 しかし後ろから誰かが引っ張ってくれ、引き戻してくれたのです。知らないおじさんだと思ったのですが、そのおじさんは周りに居なかったのです。後で叔父の所に戻り、誰かここを通らなかったかと聞いたのですが、誰も来なかったと言います。
 大きな霊体験でした。「危ない、気を付けないと!」と言われたのです。これも含めて、何度となく私は死んでいるはずでした。

 小学校の時は私は兎に角、問題児でした。切れるととことん行ってしまうのです。クラスで番を張っているのが居て、そいつの事が嫌いでした。ドッチボールの時に敵方になりました。相手には子分が何人もいます。ある時に腹が立って、ドッジボールでボールを投げたら、相手の顔に見事に顔面にヒットしたのです。当然取れると思ったのですが、変な受け方をしてもろにヒットしてしまいました。それから皆に仲間外れにされました。

 下級生を足蹴にした時に、何故か顔に当たり口を切る怪我をさせてしまいました。傷害事件となり小学校で問題になってしまいました。母親もその小学校の教師をしていて、その子供の学年担当だったのです。しかし母親にも父親にも何も言われなかったのです。そして反省しました。「私は生涯、人には危害を加えない」と誓いました。

 その様にして、小学校5年生の時に社会性を学びました。その事がきっかけで、周りが手のひらを返して、私を避けました。そして学校中から疎遠されたのです。そういう時に、私に声を掛けて来れた人がいました。かれは記憶に残る学年で1番の悪者でした。彼が唯一慰め?の言葉をかけてくれました。