2020年10月31日土曜日

2157「三閉伊一揆4」2020.10.31

一揆支えた自治と協同の力
 そして、もう一つ。目からうろこがとれるという言葉がありますが、私は三閉伊一揆を勉強し、一番感動したのは「自治と協同の力」です。
 弘化四年の一揆のときに、要求書を執筆して捕らえられ、下北半島の突端まで島流しになった安家村俊作という人物がいます。この人は克明な日記をつけています。その中に「家焼失見舞い覚」という記録があります。俊作の家が火事で焼けたときに、村の人がいろんな見舞い物を持ってきた。材木一本、屋根にふく柾(まさ)、茶碗や衣類、ある農民はドブロクを持ってきてくれた。俊作は、家が一軒建つほどの材木や食料を火事見舞としてもらった。村人たちとのそういう付き合い、協同生活が一揆を支えた一番の大きな要因です。それが非常に深く、温かく、強く、醸成されたときに一揆が起きるという思いがします。
 そして、この地域には念仏講、地蔵講、観音講、庚申講、芸能講、伊勢講、熊野講、金刀毘羅講、学習講など、いろいろな講がありました。
 お互いに積み立て貯金をして順番にクジ引きで伊勢参り、金刀毘羅参り、西国巡礼をした。伊勢神宮にお参りした人たちが泊まった常宿があり、そこには当時の宿帳が残っています。六万人分の名簿がありました。当時、南部領の人口は三十万だったから、五人に一人がお伊勢参りをしていた。その中に一揆の指導者たちの名前が入っています。
 三閉伊一揆の指導者たちの会議を南部領内でやったら危ないでしょう。みんなばらばらに出発して、伊勢神宮に集まってそこで作戦会議をやり、意思決定をしたのではないか。彼らは、伊勢参りの途中、江戸ではどうだ、大坂ではどうだと、各地の状況を詳しく見聞し、記録している。
 佐々木健三会長さんから「わが農民連の一番の誇りは、この集会に全国から経験を結集した資料が集まること」といわれましたが、これは非常に大事なことです。たたかうときには客観的、科学的に敵・味方の力関係を分析して、敵の弱いところを攻撃する。絶対に犠牲を出さないようにする。勝利の展望をもってたたかわなくてはならない。勝ち負けはどっちでもいいではだめですね。
 一揆衆は、緻密に科学的に情勢を分析している。そのために彼らは、常に学習をおこたりませんでした。
 
 一揆の指導者となる不可欠の資質は「豊かな人間観と人間像」です。一揆の指導者たちには、非常に魅力的で人間的な人が多いんです。字の上手な人もいる。絵の上手な人もいる。芸達者な人もいる。大酒飲みもいる。武術が達者な人もいる。足が非常に速い人もいる。演説が得意な人もいる。いろんな人々が、さまざまの能力を発揮することが、一揆には必要なのです。
 三閉伊一揆の指導者たちはそれぞれ魅力的で、上は七十五歳から下は十九歳までいた。その代表的な一人が栗林村の三浦命助です。彼は、一揆が終わった数年後に、別件逮捕され、拷問、弾圧されてついに獄死します。彼は獄中記でこんなことを書いている。「人間と田畑を比ぶれば、人間は三千年に一度咲く、優曇華(うどんげ)なり。田畑は石川原のごとし。石川原を惜しみ優曇華を捨てるがごとし。右の通り大誤りをいたしべからじ候」と。もしも家運が困難になったら、財産である田畑、田んぼや畑を売ってもかまわない。しかし、命を捨ててはいかんぞ。人間は三千年に一度咲く優曇華だと。いい言葉でしょう。この人間賛歌こそが一番大事なんです。これが彼が命がけでたたかった原点です。

 そして、この三浦命助の言葉が深い意味を持っていることは、嘉永一揆の際、一揆の指導者だった田野畑村の多助が、勝利する数日前に「衆民のため死ぬる事は元より覚悟のことなれば、今更命惜しみ申すべきや」と語っていることと合わせて考えるとよくわかります。
 仙台に数カ月間も滞在していると、一揆の指導者といえども不安がつのり、家族のもとに帰りたくなる。そこが正念場なんですね。そのときに多助が仲間を前にしていうんです。とにかく四十九カ条全部を通して、「一人も処分をしない」という証文を取り付けて、完全勝利の保障ができなければ、俺たちは帰ってはだめなんだ。一カ条でも半端にして帰ったら、前と同じように南部藩はご破算にする。せっかくここまできたのに、俺たちを送り出した家族たちや仲間たちのためにならないだけでなくて、「後世の物笑いになる」と。
 「衆民のため死ぬる事は元より覚悟のこと」は特攻隊精神ではないのです。田野畑村多助がいったのは、たたかいの指導者としての誉れ、プライドです。「俺たちは人間なんだ。人間としての誇りのためにたたかう。そのための命なんだ。命を大事にするために命を捨てることもある」といったのです。この時に、「俺も命は惜しくない」と賛同した命助が、家族への遺言状に「田畑を叩き売っても、命を捨ててはならぬ。命を惜しめ」と書いているのです。
 
今、三閉伊一揆から何を受け継ぐのか
 三閉伊一揆は、わが国における民主主義と自治の伝統の輝かしい金字塔だと思います。この一揆の教訓から学ぶ一番大きなものは、人間の生命の大切さ、心の豊かさです。今、このことが問われている時代ではないでしょうか。生産人民が、生産者の自覚と誇りを全国民と共有するときです。
 本当に安全な人々の命の肥やしになる食べ物を生産する。その仕事に誇りを持ってやる。それは農民だけのたたかいではなく、労働者も企業経営者も、学校の教師も母親たちも、全国民が共同する国民的な運動にしていく必要があるし、その可能性があると思います。
 みなさんが、食糧と農業をめぐる現在の日本と世界の状況をダイナミックにリアルに分析して、豊かで楽しく、ゆかいな希望にみちた、たたかいの展望を解明し、実践されることをご期待申し上げます。」
http://www.nouminren.ne.jp/dat/200209/2002091610.htm 

 資料館の館長さんでしょう年配の老紳士が応対して説明下さいました。短時間の訪問ですので15分ほどの三閉伊一揆の紹介映画を鑑賞し、補足の説明を聞く中に皆さんは全く知らなかった史実に触れる事と成りました。
 今回参加している盛岡市で弁護士として活躍されるSさんもこの三閉伊一揆を初めて知り驚きを隠せません。盛岡市で高校まで育ち教育される中でこの一揆の事は全く教わることなかったと言います。
 何かを事を成す為のリーダーの素養によるのでしょうが、事実を教え伝え、その手段、技術、能力を育み、連携をとる為の準備、そして継承していく、後世へのバトンタッチを含め10数年、20最終的に20年を要しています。全ての継続的発展には精神性、人間性、人生観が根幹をなします。そして天の支援です。
 丁度江戸末期、黒船来襲の時、明治維新前夜に起きた一揆は近代日本への幕開けと言っても良いものでしょう。今、令和の御代になり相似的な世相を感じます。


 これだけ沢山の来館者は稀な事でしょう。私は何度か拝観し、ここに息づく精神性は貴重なものと感銘を受けていました。館長さんは私達を見送りながら目に涙して来館を喜んで下さっていました。ツアー最後の皆さんの旅の感想の中でも多くの方からこの史実を知った事、これから自分に何が必要としているのか、考えるきっかけになった様です。
 館長さんから筒に入った安堵状の原本コピーを特別にと頂きました。バスまで見送りに来てくださり、手を振って頭を下げて送り出して下さいました。ありがたきご縁です。
 直ぐにこの立派な筒を神人さんに差し上げました。中をご覧になりましたが、筒を開けた瞬間にメッセージが来たようです。それは以下のお言葉でした。

「機は熟した。偽りなく 世の踏み換え。
 心ひとつ、幾ばくかの同志の想い。
 国の在り様、人の世の心、皆の心。
    いい村の定志」
 
 定志という方がこの地の異次元存在との間に入り言葉にして伝えてくれた様だといいます。興味のある方はじっくり時間をかけて訪れてみてください。