2020年11月1日日曜日

2158「いい日始まり」2020.11.1

 今日は11月1日で111の「いいひ」です。昨日は10月2度めの満月が綺麗に見る事が出来ました。世の中はハロウィンと魔的な祭りに興じていたようですが、1夜明けて、穏やかな秋晴れの朝を迎える事が出来ました。
 はせくらみゆきさんの日めくりカレンダーの最新版をあいようしていますが、11月1日、111の数霊、お言葉を紹介します。

「11」:「あるがまま」。あるがままに生きる。わたしらしく生きる。
 自分自身にフィットしているということ。それ以上に心地のよいものはありません。誰かや何かになる必要はないのです。自分が最も笑顔になって、のびのぼしている状態とはどんな状態ですか?自分自身に誠実でいましょう。
 11の意味:スタートを示す数霊。踏み出すのは「今」であることを告げている。また、パートナーとの関係性、バランスを示し、同じぞろ目の数が増えれば、増える程、グループや組織全体へと拡大していく。

「1」 :「和らぎの心」。なごやか、朗らか、かろやかににっこり笑って、元気にいこう
 天と地、人と人、人とモノ、自然・・・様々なものと調和させながら、最高最善なものを生み出そうとする力。それが「和」です。くちびるに微笑みを、心には和らぎの気持ちを持って、元気に過ごしていきましょうね。
 1の意味:物語の始まり、最初の響き、統合、唯一無二、あらゆるものの基礎、根本を示している。

「111」の意味。:天と地を繋ぐ橋渡しとなる数霊、音霊そのものを表し、思念がやがて成就していく様を評す。111は宇宙からの呼び声です。波紋の様に拡がり行く数と音のメッセージに耳を傾け、心に響いた部分から発信して見ましょう。

 今日の良き日はテンメイ農場の収穫祭です。良き日の善き仲間の集いです。楽しい笑顔が各地より集います。多くの自然の恵みに感謝です。
 閑話休題。慈しみ、培いの場について家族、縁者、血の繋がりの無い仲間での学び事を記した記事を紹介します。

家族になった訳
 世界で一番大切な人なのに・・・家族って、どうしてこんなにも難しいものなのでしょうか?本当のホンネでは、愛し、愛されているのに誰よりも家族のことを深く、愛しているのに・・ 憎しみ合う人たちも多い・・・今日はそんなテーマです。
 結婚するまでは、他人同志だった二人。
生活感、価値観、金銭感覚、物事の受け取り方もまるで違う者同士。
結婚し、家庭を作り、お互いに同じ方向を見つめ、協力し、助け合い、貧しい中でも工夫して、小さな幸せを見つけ、笑いながら幸せに暮らして行きたい。
子供が生まれれば、二人で協力し、慈しんで育てたい.お互いに歳をとり、白髪になり、元の世界に変えるまで
・・そう思っていたのに、実際は家族だから苦しめ合っているそんな現実が、なんと多いことか。
家族だから、期待や要求をぶつけ、干渉し、支配しようとする。
家族だから、罵り、傷つけ、暴力を振るう。家族だから、残酷さや支配欲、身勝手さをさらけ出す。

 ブッダは2500年前に、家族が抱える悩みの中に、業という大きな理由を見つけました。
ブッダが生きていた時代にお弟子さんだった小林正観さんが家族について次のように仰っています。
<引用開始>
 みなさんは、家族は長く一緒にいて自分の主張をし合うことが仲よしの証拠だと思っているところがあります。
でも、私はそのように、家族をとらえていません。家族とは、他人に対して言わなくてすむ、わがままを、目の前の家族という名の特別な存在に対しても言わないという訓練の場なのだと考えています。
あることを他人から言われたときに、その他人に対しては腹を立てたり、怒ったり、怒鳴ったり、いら立ったりしない。ところが、同じ言葉を夫や妻、子どもから言われたら、ものすごく激昂(げきこう)して、腹を立てて、怒って、怒鳴りまくってしまうという人はいませんか?

 実は結構いるのですが、そういいう性質を幼児性といいます。
つまり、この人には甘えていいという特別な感情を持っているわけです。もしここで、踏みとどまることができるなら、その人は忍耐力というのを持っているわけです。自分で自分の感情が、制御できているんですね。
 それが、ある人との関係では制御できて、コントロールできるのに、別の人との関係ではコントロールできないというのは、制御ができないのではなくて、制御をしないのです。
家族だから、妻だから、夫だからという理由で制御しないのは、甘えているという意味でそれを幼児性といいます。
 結婚というのは、幼児性の克服のための訓練の場なのです。そこのところに気がつかない限り、多分穏やかな家庭生活というのを得ることはできません。
家族というのは、わがままを言い合うために存在するのではなく、わがままを言えるような人間関係が目の前にあって、それでもなおかつそのわがままを言わないために存在するのです。
言わないということは大人になるということです。この話をしたらある人がこう言いました。
「それではストレスをどこで発散するんだ」と。もう一度いいます。
家庭というのはストレスを発散する場ではありません。幼児性でわがままを振りまきたくなる状況設定をされているのが家庭。
そこで自分がいかに幼児性を振りまかないで、それを克服していくかということ。

 これは業(ごう)というものですけれど、その業の克服のために、家庭というものが存在するのです。家庭というところは、人間が成長する場所なのですね。幼児性というものを克服するために家庭が存在するということがわかってくると、子どもとの関係、親と子の関係というものも見えてきます。
 実は親が子どもを育てているのではなくて、子どもが親を育てにきているということに気がつきます。結婚した時に、自分だけのわがままで生きてきた人生から相手が一人増えるわけです。
妻や夫という名の家族が。そして、子どもができたときにはもう一人別な存在が、できてきます。
妻や夫や子どもが自分の思いどおりにならなかったりすると、感情をかき乱されます。
そのときに、どんなことがあってもいら立たないということの訓練の場として、実は家庭というものが存在する。
ですから、家庭はわがままを言うところではないし、ストレスを発散する場ではないのです。
<引用終了>

 日常の生活の中で幼児性を目にする機会は良くあります。
・上司が部下に怒鳴る
・妻に暴言を吐き、暴力を振るう
・年配者が若者に暴言を吐く
・飲食店や小売店で、「お金を払っているから私はお客だ」と威張ったり、怒鳴ったり、いら立ったりする

 相手がいなくとも、こんな「幼児性」もあります。
・いつも自分だけが我慢している(すれば良い)と思っている、言っている
・ちょっとしたことに不平不満を感じ、ため息をつく、愚痴を言う
・いじける

 そういう人には、すべて幼児性があります。どんなに偉そうなことを言おうと、我慢ができなくて、わがままで自分さえよければいいという、甘えが抜けない。それはまるで幼児と一緒です。
幼児性のある人は、わがままを振りまきたくなる状況設定をされている場、つまり家庭では、自己をコントロールすることが難しくなります。
幼児性があるから、ものすごく激昂(げきこう)し、腹を立てて怒ったり、怒鳴りまくってしまいます。
でも、正観さんが仰るように、その家庭の中でこそ、その幼児性に気付き、そして穏やかな気持ちでいられるよう、自分自身で、コントロールできるようになりたいものです。
 家庭だからこそ、その自分の幼児性がデフォルメされて表現されています。それに早く気付けるように・・自分の中の、幼児性に気付けるように・・・そしてお互いに同じ方向を見つめ、協力し助け合い、貧しい中でも工夫して、小さな幸せを見つけ、笑いながらみんな、仲良く幸せに暮らして行きたいですね。それが、家族と言う単位を作った神さまの優しい、計らい、目的なのですから。」

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