tag:blogger.com,1999:blog-28789960997502779752024-03-19T00:00:33.579+09:00自分で自分を自分する日常のありふれた風景、人間模様、変化を新たな視点で伝えます。
仙台天命塾長 大久保直政 執筆収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comBlogger3166125tag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-37040026470645938612024-03-19T00:00:00.001+09:002024-03-19T00:00:00.132+09:00 3371「マシュー君のメッセージ(207)」2024.3.19<p>今回は玄のリモ農園ダイアリーの2024年3月17日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「マシュー君のメッセージ(207)」</u></b>2024年3月11日 </p><p>玄のリモ農園ダイアリー (<a href="http://moritagen.blogspot.com" target="_blank">moritagen.blogspot.com</a>)</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi_HWBMp6WJwI2n6ByfqDKIMiPqgXmTowZ3vi9US_kKPvlVr_CXA7us3zazp-Om8qPFXFqTXIUaA3PZu-TemzWSGMyYQxW6qyb8rD9tCooUpEWf3pSQB5t8-MjNwsuJiKJd5q4-zTvWAGlwlK-ve7B0OLHjqMmM58pLOvfEqF-go46JpMxyjeI36c0njjMj/s139/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="127" data-original-width="139" height="127" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi_HWBMp6WJwI2n6ByfqDKIMiPqgXmTowZ3vi9US_kKPvlVr_CXA7us3zazp-Om8qPFXFqTXIUaA3PZu-TemzWSGMyYQxW6qyb8rD9tCooUpEWf3pSQB5t8-MjNwsuJiKJd5q4-zTvWAGlwlK-ve7B0OLHjqMmM58pLOvfEqF-go46JpMxyjeI36c0njjMj/s1600/1.png" width="139" /></a></div><br /><p></p><p> 今後起きてくること、ボランティアへの支援、自己愛、ミッション、感情的荷物、普遍的と宇宙的正義</p><p> </p><p>マシューです。この宇宙領域にいるすべての魂から心からのご挨拶をします。私たちは折に触れて、地球上のほとんどの人々に根底から衝撃を与えるであろう、今後の出来事について触れてきました。闇の勢力を取り除くために世界がひっくり返されるという点で、劇的な出来事と考えられる時期があるとすれば、それはあなたたちの目前に迫っている時期です。心底驚かされるようなことが明らかになると同時に、エネルギーの高まりによって古代のポータル(入口)が開かれ、宇宙間の標識としてその位置が固定されるでしょう。</p><p>ボランティアたちが喜んでエネルギーを得られるような普通ではない現象は、地球人類を混乱させ、恐怖を与えるでしょう。この先数カ月、真実が明らかになるにつれ、信じる人もそうでない人も、心を落ち着かせる必要があります。あなたたちには、それらを肩に担えるだけのマインドと身体と精神の強さがあるだけでなく、いわばあなたたち自身がその強さであり、それ以上の存在なのです・・・ただ、自分がそうであると信じるだけでいいのです。</p><p><br /></p><p>それでも、あなたたち自身が文明社会全体を引きあげるわけではありません。天使、指導霊、霊界にいるあなたたちの愛する人たち、宇宙文明社会や地球内部からの魂、宇宙特殊部隊など、神の無数の使者の多くも参加を望んでいます。ほとんどの人は姿を見せませんが、彼らのエネルギーがあなたたちのエネルギーと融合するのを感じ、ともに愛の高い波動の津波を生み出し、人々を安定させる助けとなるでしょう。これからの展開は、地球上のすべての魂にとって人生を変えるものとなるでしょう。そして、その変化は宇宙全体に恩恵をもたらすでしょう。</p><p><br /></p><p>混乱が鎮まり、疲弊した世界が元気を取り戻したとき、第4密度の大掃除が本格的に始まります。その作業のための準備をリストアップするよう求められたら、一番に挙げるのは“自分を愛すること”でしょう。それは虚栄心でもエゴイズムでもなく、自分が人格、性格、才能、スキル、業績を超えたはるかに偉大な存在であることを知ることです・・・あなたたちは創造主の源の愛と光のエネルギーからできたパワフルな多次元の不滅の魂なのです。自己を愛するとは、自分がこの宇宙の至高の存在の切り離せない一部であり、地球上、そしてそれを越えるすべての生命とエネルギー的につながっていることを認めることです。自己を愛するということは、神または女神である自分、ゆるぎない光の中での存在、そして困難で重要な使命における忍耐を尊ぶことです。</p><p><br /></p><p>あなたたちは、地球の人々が闇から解放され、神の分身であり、私たち宇宙ファミリーの一員であることを思い出す助けをすることを選びました。自分たちが何者であるかという生来の意識を呼び起こすには、あなたたちが本来の自分自身を模範として示すことが必要であり、自己愛はそれを確実かつ心地よく行うための前提条件なのです。愛する兄弟姉妹たち、自分自身を愛し、自分自身を尊び、自分自身に親切であってください!</p><p> </p><p>リストの次は、感情的な荷物を取り除くことでしょう。地球の潜在的なエネルギー場では、しっかりしたストリーマー(エネルギーの流れ)とともに、ずっしりとしたクモの巣のような、無数の細長いストリーマーがくっついています。それらの "クモの巣 "を印刷するとしたら、このような文章になるでしょう:「 私は彼らのようにうまくできなかった。もう一回やっても、また失敗に終わるだけだ。私は腹が立ったが、自分のせいでもあるのに彼女を責めるべきではなかった。 彼らは、あの新人に与えた仕事には私がふさわしいことを知っている。それが最後の仕事なら、私は彼に仕返しをするつもりだ。自分のしたことをどうやって償えばいいんだ?」</p><p><br /></p><p>自己不信、怒り、罪悪感、恨み、嫉妬、自責の念など、低い波動エネルギーの感情は、心に大きな重荷となります。もしそのような重荷を背負っているのなら、どうかそれを捨ててください・・・未来を過去に左右されないでほしいのです。償えるところは償い、現実的な目標を設定し、それを達成するためにしっかりとしたステップを踏み、チームのプロジェクトに全力を尽くし、自分の功績を他人と比較せず、僕たちがあなたを愛しているのと同じように、自分自身を愛してください。</p><p><br /></p><p>関連する問題として、ワクチンやその他の義務化に関する偏った意見のために家族内や友人間で生じた分裂は、"パンデミック "の多くの悲しい影響のひとつです。 どうか、地球の歴史のその暗黒の章を、このまま破壊に終わらせないでください。傷を癒し、愛情に満ちた関係を回復するには、いわばコインの両面で許すことが必要です: あなたを傷つけた人を許し、あなたが傷つけた人に心から謝罪し、その傷を与えたあなた自身を許してください。</p><p><br /></p><p>注意深く考え、話すことは、僕たちのリストの上位に入るでしょう。考える、話す、聞く、読む、書くといった言葉は、周波数スペクトルのすべてにわたって波動エネルギーを発生させます。あなたたちが考え、感じ、行動することすべてに言えることですが、あなたたちの決断が、まるで“いいね!”とでも言うかのように、ハートの糸を優しく引っ張るものであれば、その感覚は、その選択が魂の合意に沿ったものであることを確認しているのです。</p><p><br /></p><p>例えば、あなたたちの多くが自然の中にいたり、笑顔や笑いをもたらすことを楽しんでいるのは、それなりの理由があるからです。それらの活動が生み出す軽やかな感情のエネルギーは、あなたたちの使命と一致しており、その高い波動エネルギーは、愛と光のパワーが最も必要とされる世界のどこにでも流れるように、近くにいるすべての人に触れるのです。だからこそ・・そしてそのように・・ただあなたたちが存在することで、地球の人々が目覚め、自分たちの世界を変えようという気持ちになるのを助けているのです。</p><p><br /></p><p>最近、僕の母が "宇宙にはいくつの魂があるのでしょうか?"と僕たちに聞いてほしいと頼まれました。僕たちはこう答えました。「わかりません。でも、もしわかったとして、質問者はその膨大な量を理解できるでしょうか?」</p><p><br /></p><p>深く考え、好奇心を持つことは大いに称賛されるべきですが、その答えを得ることが人生に喜びや興奮を与えたり、人の役に立ったりするのでしょうか?</p><p>僕たちがこのことについて言及するのは、何が最高の自分であるために役立ち、何が何の価値ももたらさないかを知ることは大切だからです。そのことを時々考えてみることは、最高の状態に保つのに役立ちます。</p><p><br /></p><p>「マシューは、“いくつかの国で、彼らの主要人物が何人も処刑された”と言いました。あなたの宇宙領域の魂たちは、個人を死刑にする司法制度への敬意と、すべての生命を尊重し、誰も裁かず、思いやりと共感を感じ、許しを促すスピリチュアルな教えとをどのように調和させるのでしょうか?」</p><p><br /></p><p>僕たちはそれらの制度と教えを調和させようとはせず、むしろ、それぞれが明確に異なる存在として評価します。無条件に僕たちは神聖な教えを尊重しますが、あなたたちの司法制度を尊重することはできません。僕たちは、政治的利益を促進したり、反対勢力を排除するような誤った判決を目にします。民間が運営する刑務所は、取るに足らない違反の個人で埋め尽くされ、誤った弁護のために無実の人が投獄されたり、自由への道を賄賂や恐喝、脅迫で切り開くことができる罪人を守るために投獄されたりしています。このような状況は、今後変わっていくでしょう。</p><p><br /></p><p>上で引用したコメントの中で、処刑の問題を取り上げたいと思います。しばらく前、読者から“合法的な殺人”についての質問があり、僕たちはメッセージで回答しました。お母さん、その回答の該当部分を挿入してください。</p><p><br /></p><p> 人道に対する罪を犯した者が投獄されても、あなたたちの世界の闇を完全に消し去ることはできません。“パンデミック”を計画し実行した個人、性売買や小児性愛に関与した個人、悪魔の儀式に参加した個人、その他の残虐行為を行った個人は、闇の操り人形です。彼らが地球に生きている限り、彼らの思考や感情は最低の波動エネルギーを生み出し続けるでしょう。</p><p><br /></p><p> 波動エネルギーは高くても低くても伝染します。喜びや笑いといった高い波動エネルギーがいかに早く広まるかは容易にわかります。低い波動エネルギーの広がりは、その破壊的な進路を覆すには手遅れになってから初めて気づくのです。だからこそ、闇の勢力は他の宇宙文明社会を消滅させ、惑星全体を消し去ることができたのです。そのパワーが2度にわたってあなたたちの世界の古代文明社会を乗っ取り、ずっと後になって、この惑星を深い第3密度へと転落させることができたのもそのためです。ガイアはそのようなことが再び起こることを望んでいません。 [2022年11月1日]</p><p><br /></p><p>ありがとうございます、お母さん。闇が再び地球に危険なまでに根を張ったとき、神は人命救助の援助を許可されました。光の大量注入、何百万人ものライトワーカーのボランティア、宇宙人特殊部隊は、記念碑的な援助「パッケージ」の一部であり、もう一つの部分は、闇に飲み込まれた個人の肉体的寿命を終わらせることです。</p><p><br /></p><p>第三密度の肉体は一度だけの転生のための乗り物なので、死んだらどうなるかについて話しましょう。その人のエーテル体とその人を唯一無二の存在にしていたもの・・・知性、知識、人格、性格、態度、興味、適性など・・・はすべて、その人の生涯を通じての自由意志による行動のエネルギーと同じエネルギーがあるニルヴァーナのレベルに自動的に引き寄せられます。</p><p><br /></p><p>そのような特定のレベルでの人生は、宇宙の正義と考えられるものの一面であり、もうひとつは、その人が人生において触れたすべての魂の正確な感情を含む生涯の映画であるライフプリントの見直しです。霊界に移行して間もなく行われるこの見直しは、その人の生涯のエネルギーが、親切で思慮深く、親切で思いやりのある性質の反映である人にとっては喜ばしい経験であり、そのレベルでの人生はすばらしいものです。</p><p><br /></p><p>闇の操り人形のエネルギーは、彼らを柔軟で多層的なニルバーナとは別の、何も逃れることができないほど濃密な組成を持つ小さなオーブへと引き寄せます。そこでのライフプリントの見直しは延々と続き、苦悩に満ちたもので、その個人が引き起こした膨大な死と苦しみの犠牲者の生涯の再現となります。</p><p><br /></p><p>光は彼らにとって忌み嫌われるものであるため、救いの恵みとなるきらめきが見えるだけです。もし彼らがそのきらめきを受け入れれば、さらなる光が与えられ、そしてそれが受け入れられれば、ゼロから人生をやり直すのに十分な意識が生まれるまで光が与えられます。その魂は、行動に影響を与える知性や記憶を持たず、本能的に機能する形で肉体を具現化します。その原始的なレベルから、思考し、理性的で、責任感のある個人へと進化するには、何千年もかかるのです。</p><p><br /></p><p>究極の正義は宇宙にあります。創造主は、すべてのその創造物が喜びを感じ、創造的な活動をすることを期待し、創造主もそれを経験することができたと言われています。 そして、最も古い時代のしばらくの間、それが起こりました。その後、ルシファーとその信奉者たちが暴走し、それ以来、彼らの一部は転生するたびに大規模な苦しみ、殺戮、惑星の荒廃を引き起こすことになったのです。</p><p><br /></p><p>彼らは最高神からの神聖な恩寵の申し出を一貫して断っており、彼らを止める唯一の方法は彼らのエネルギーを変換することです。しかし、他のすべての魂と同様に、彼らは創造主の本質を受け継いでおり、創造主だけが、完膚なきまでの悪人となった創造物の密度を処理するのに十分な力を持っています。すべての意識と記憶を消滅させることで彼らのエネルギーを浄化した後、創造主はその愛と光のエッセンスを自分自身に引戻します。</p><p><br /></p><p>完全に公平で中立的な普遍的、宇宙的な司法制度の存在は、あなたたちのスピリチュアルな教えの価値を少しも下げるものではありません。彼らの光は社会をスピリチュアルと意識的レベルで導くのに役立っています。彼らの進歩に伴い、司法制度はすべての人に公平に奉仕するようになり、犯罪行為がなくなるまで投獄は減り続けるでしょう。文明社会が第5密度において繁栄するとき、地球の霊界の独立した一部であった小さなオーブはもはや必要とされなくなり、地球やニルヴァーナから遠く離れていくでしょう。</p><p><br /></p><p>親愛なる皆さん、これからの混乱の向こう側では、地球とその文明社会の未来が輝いています。統一意識が生まれ、地球が愛、喜び、調和、繁栄の波動エネルギーで輝くまで、その進歩は続くでしょう。もしあなたたちが次のステップに進んだとしても、どこにいてもその輝かしい世界を見ることができ、地球ファミリーがそれを顕現させる手助けをしたという壮大な充実感を感じることができるでしょう。</p><p><br /></p><p>この宇宙にいるすべての光の存在が無条件の愛のパワーで、あなたたちに声援とサポートを送っています。</p><p> ____________________</p><p>愛と平和を</p><p>[スージーからのメモ:パナマでの素晴らしい時間を祝福してくれたみなさんに心から感謝します。結婚式にまつわるたくさんのお祭りも、ビーチでのアクティビティも、長年の友人の94歳の誕生日を祝うことも、滞在中すべてが素晴らしかったです!親愛なる家族、特に10人の美しい曾孫たちと一緒にいると、90年という歳月がいかに早く過ぎ去るものかということがよくわかりました。]</p><p>スザンヌ・ワード著</p><p>原文:Matthew’s Messages 訳文責:森田玄</p><p><br /></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-12377078816758149652024-03-18T00:00:00.001+09:002024-03-18T00:00:00.238+09:00 3370「優しさは真実(正義)に勝る」2024.3.18<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月09日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「優しさは真実(正義)に勝る」</u></b></p><p><br /></p><p>今日は、昨年秋に掲載した記事ですが、必要な方がいらっしゃるようなので、 </p><p>少し加筆・修正して掲載いたします。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjG6AlLaYaOUGktCh1ZaUKikEYlBLrHc9ZmRWf30wI7hSZ_-ElwhDT81kvtDP9mJBVcjNyUDv7i-Z6F75cUD_dZKKy7dMdOeZaJVo4-9zvevD2_MX-anPYBY5V2dnGHvQGSJCITa7C8Mb_S7NHzZ9ols3uL6KFmD510NCBT8DlxjEaZINtoNcuW1Te42CU9/s470/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="196" data-original-width="470" height="133" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjG6AlLaYaOUGktCh1ZaUKikEYlBLrHc9ZmRWf30wI7hSZ_-ElwhDT81kvtDP9mJBVcjNyUDv7i-Z6F75cUD_dZKKy7dMdOeZaJVo4-9zvevD2_MX-anPYBY5V2dnGHvQGSJCITa7C8Mb_S7NHzZ9ols3uL6KFmD510NCBT8DlxjEaZINtoNcuW1Te42CU9/s320/1.png" width="320" /></a></div> <p></p><p>私たち人間は弱いものです。</p><p>・正しくありたい</p><p>・優しくしたい</p><p>・笑顔でいたい</p><p>・人の役に立ちたい</p><p>そう願っていても、何時も弱い心が頭をもたげます。 </p><p>また逆に、</p><p>・私は正しい</p><p>・私の言う通りに動け・・</p><p>と、無意識のうちにマウンティングしてしまい、自分勝手な正義感を振り回し、 </p><p>・人を批判し</p><p>・糾弾し</p><p>・追い詰め</p><p>または、感情を外には出さなくとも、心モヤモヤしたり。 </p><p>そして、</p><p>・自分勝手な価値観に沿って、家族を含め、他人を動かそうとします。 </p><p>そして、人がそれに従わないと </p><p>・猛烈に批判を浴びせ</p><p>・憎み</p><p>・足を引っ張り</p><p>・仕返しをしようとします </p><p>または第三者に告げ口し、自分は正しい、相手は間違っているという</p><p>お墨付きを得て、モヤモヤを解消させようとしたりします。 </p><p>また、心弱い私たちは、何が正しいか、分ってはいても、なかなか一歩踏み出せないでいます。</p><p>生きている間は、ずっとその葛藤かもしれません。</p><p>でも諦めないでください。</p><p>みんながそうなんです。</p><p>そこが出発点なんです。</p><p>ブッダがこう仰いました。</p><p>・嘘をつけないような人になっては いけない</p><p>・優しさは真実に勝る</p><p>ブッダの仰りたかったことは、 </p><p>相手を思いやる優しさや、調和の為の嘘は、真実(正義)よりも尊い・・</p><p>と言う事を仰ったのでした。 </p><p>また、こうも仰りました。</p><p><br /></p><p>捨戒の法</p><p>ブッダが仰るには、仏教徒が戒律を破るとき、 </p><p>いま仏教を捨てます、と天に向かって言います。</p><p>そして、酒を飲んだり、戒律を破る。</p><p>その後、また仏門に帰依します、と言って戻れば、それで良いのだよ。</p><p><br /></p><p>ブッダは人間の弱さを知っていました。</p><p>そして温かい目で人間を見ていました。</p><p>過ちを見て、人を切り捨てるようなことはなさいませんでした。</p><p>人を追い詰めることはなさいませんでした。</p><p>ブッダは戒律重視ではなく、優しさ(慈悲)を教えていたからです。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgV8XsbFcZXWCyZhSIzJOhCoIU67WWmoDKlNr_T0a_AzIe2Ml_6swgKlYNjDxqD0WW8ILSN_szmWba5gnkqM_KjpC-OSKbVmTyVcO4VfOrYZBt8vm5jXhxPiEVy0dlqedNgkZ8AXpiQaLocgqkmCpeqkHjfd8ZEmFm_nYxf6VM1VzjJGsmGL2LNwu7cwGt1/s305/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="191" data-original-width="305" height="191" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgV8XsbFcZXWCyZhSIzJOhCoIU67WWmoDKlNr_T0a_AzIe2Ml_6swgKlYNjDxqD0WW8ILSN_szmWba5gnkqM_KjpC-OSKbVmTyVcO4VfOrYZBt8vm5jXhxPiEVy0dlqedNgkZ8AXpiQaLocgqkmCpeqkHjfd8ZEmFm_nYxf6VM1VzjJGsmGL2LNwu7cwGt1/s1600/2.png" width="305" /></a></div> <p></p><p>次に良寛さんのエピソードをご紹介します。 </p><p>良寛さんの甥に、馬之助という放蕩息子がいました。</p><p>良寛の弟の由之は息子の放蕩に困り果てて、兄の良寛さんに説教を依頼します。</p><p>良寛さんは故郷の由之の家に出向き、馬之助の前に座らせられましたが、</p><p>酒を飲んでばかりで、いつまでたっても説教しませんでした。</p><p>とうとう三日目の朝「わしはもう帰る」と言って良寛さんは家を出ようとしました。</p><p>そのとき馬之助の母は馬之助に、良寛の草鞋の紐を結んであげるように言いつけました。</p><p>馬之助は言われるまま草鞋の紐を結び始めますが、それでも良寛さんは黙ったまま。</p><p>と、そのとき馬之助は、自分の首に何かが、落ちてくるのを感じました。</p><p>見上げると、そこには目に一杯涙をためた良寛さんの顔がありました。</p><p>それをきっかけに、たったこれだけの出来事をきっかけに、馬之助の放蕩は、すっかりやんだということです。</p><p>良寛さんは、馬之助の心の</p><p>・苦しさや</p><p>・悲しさや</p><p>・それを放蕩で紛らわせざるをえない 苛立ち</p><p>をただじっと見ていました。</p><p>煩悩だと知りつつも、煩悩に引きずり回されるのが私たち心弱い人間です。</p><p>人間の悲しさ、苦しみは、いつでもそこから生まれてきます。</p><p>悲しみを持った人に、自分勝手な価値観を押し付けたり、くどくどと説教したり、良寛さんは、そのような事はしませんでした。</p><p>ただ馬之助とともに、じっと悲しみ続けるだけでした。</p><p>馬之助の父親の由之や母親は、息子の表面的な損得や、世間体から心配したかもしれません。</p><p>ですが、馬之助の心と、じっと一緒にいてあげたのは、良寛さんでした。 </p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiAyvLnyYqZv7aM7WbnSHg4uycyfCagbwXYyqk0IkpzlkBfVm1TMfwpVZeGFO43yQt8lTCKKPXB06RUPfSue8HdJjszIbgM4XIBo5NM-t48czqEebhguJWx3gXvXHCqQSSlW_-RU9QNNCL1QJg0WtgSyOhsbSxuiHUGuLzYyPCe1FEcjtbbky5NtDhreBj-/s303/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="202" data-original-width="303" height="202" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiAyvLnyYqZv7aM7WbnSHg4uycyfCagbwXYyqk0IkpzlkBfVm1TMfwpVZeGFO43yQt8lTCKKPXB06RUPfSue8HdJjszIbgM4XIBo5NM-t48czqEebhguJWx3gXvXHCqQSSlW_-RU9QNNCL1QJg0WtgSyOhsbSxuiHUGuLzYyPCe1FEcjtbbky5NtDhreBj-/s1600/3.png" width="303" /></a></div><p></p><p>人は弱いものです。</p><p>いくら正しい道を示されても、</p><p>「こうであるべきだ」と正論を教えていただいても、なかなかそう簡単に行きません。</p><p>でも本当はそうしたいのです。心では分かっていますから。</p><p>そして、それが自分には簡単にはできないとわかると、 </p><p>結局あきらめてしまい、また元の苦難の日々に埋もれてしまいます。</p><p>正しい道を示されても何の役にも立ちません。 </p><p>ですが、良寛さんのように心を理解し、心に寄り添い、</p><p>「今のままでも、良いんだよ」と、見守ってくださる人がそばに居れば、 </p><p>私たちは徐々に、光の方向に進んでいけるかもしれません。</p><p>心弱い私たちは、煩悩で、あちこち頭をぶつけながら、人に迷惑かけながら、お世話になりながら、だんだんと、あちこち角が取れて、おかげ様の心が芽生えてくるでしょう。 </p><p>そして、 </p><p>・おかげ様</p><p>・お互い様</p><p>の感謝の心が芽生えた時、その辛く、苦しい経験をしたがゆえに、</p><p>同じような苦しみ、悲しみの中にある人の</p><p>心の内を理解して、良寛さんのように寄り添えるのかもしれませんね。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhfaRnVhIwvcPAYGL04beUkhqd0ZU8_0n9gUdLLFvVsZF455BcVvdr6k9udKT7-Nqmtvtn2JyVFT3oKNWxT0sF_pJnNLHzd1FEKYQIr2IQJHzbwlsCkzutzHftoilxPk5ZvTBa0IM9bn7sQ3i_CPxtc8ULRHBXxxiqmHy8mdIVhMicYH8O0nE7A2EVHTXx6/s265/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="199" data-original-width="265" height="199" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhfaRnVhIwvcPAYGL04beUkhqd0ZU8_0n9gUdLLFvVsZF455BcVvdr6k9udKT7-Nqmtvtn2JyVFT3oKNWxT0sF_pJnNLHzd1FEKYQIr2IQJHzbwlsCkzutzHftoilxPk5ZvTBa0IM9bn7sQ3i_CPxtc8ULRHBXxxiqmHy8mdIVhMicYH8O0nE7A2EVHTXx6/s1600/4.png" width="265" /></a></div><br /><p><br /></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-22659531529947827182024-03-17T00:00:00.001+09:002024-03-17T00:00:00.250+09:003369「神さまを認める」2024.3.17<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月08日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「神さまを認める」</u></b></p><p><br /></p><p>今日のお話は、ご自分だけでなく、ご家族や、親しい人たちまで幸せにする方法です。 </p><p>もし身近に、どうしても助けたい人が居るとして、でも私たち周りの人は、</p><p>その人の運命に介入することができません。</p><p>その方の生まれる前に決めてきた目的や手段に介入することができません。 </p><p>ですが、心配で心配で仕方ない身近な人とは、 </p><p>例えば</p><p>・病気の子供、家族</p><p>・早くに亡くなった子供</p><p>・自然死ではない亡くなり方をした身近な人</p><p>この方々との関わりに置いて、私たち自身が胸を痛めているのであれば、 </p><p>私たちが、押しつぶされそうに胸を痛めること自体も、</p><p>その方の生まれて来た目的達成の手段(必要なこと)であったはずです。 </p><p>では、その目的とは何であったのでしょうか?</p><p>・私たちが残りの人生を嘆き悲しむため?</p><p>・周りや世間、自分の運命を呪うため?</p><p>・いつまでも、めそめそ、下を向き、その場にとどまり続けるため?</p><p>そうではないはずです。</p><p>そんな目的のために、その方は、貴重な、今回の人生を使いたいと思うわけがないからです。</p><p>私たちが、いつまでも、何時までも、その状態にとどまり続ければ、</p><p>苦しい役割を引き受けて生まれて来た、その方の貴重な人生が無駄になってしまいます。 </p><p>神々からも承諾を得てきた目的や手段は、必ず、触れ合う、影響し合う周りの方々の、感情を大きく揺さぶり、心を揺り動かし、逆境や苦難の中で、神々の光を見つけ、前向きに方向転換して欲しいからではないでしょうか?</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjYVa5B9Z8yhzWFzwVjwoJ7CMYd8-J_ra7MWNkgXId41m0tYD265zcpDwEPdgb5InEQ2IyPGbp0M6TOfpou1TsJe0UMFQ6zYkBWl3dEOjrlqfAOM6D08rM0MSFyuyhA5L2lS5KvGDfpZr3F01NQATEhT4QpAKT0JWYDB2kX0wszo72UqpBjUyq97ujN7Iy4/s191/6.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="191" data-original-width="191" height="191" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjYVa5B9Z8yhzWFzwVjwoJ7CMYd8-J_ra7MWNkgXId41m0tYD265zcpDwEPdgb5InEQ2IyPGbp0M6TOfpou1TsJe0UMFQ6zYkBWl3dEOjrlqfAOM6D08rM0MSFyuyhA5L2lS5KvGDfpZr3F01NQATEhT4QpAKT0JWYDB2kX0wszo72UqpBjUyq97ujN7Iy4/s1600/6.png" width="191" /></a></div><br /><p></p><p>私たちが、その方との触れ合いを通じ、苦難の中でも、心の中に神々を見つけた時、その方の、生まれて来た目的は達成され、苦しい人生を選んだことも、報われるのではないでしょうか? </p><p>どんな時も、変われるのは、私たち自身です。 </p><p>私たちが変わることで、その方を含め、関わり合う全ての人たちの大きな目的が達成されます。 </p><p>それでは、私たちがどのように変わったら良いのか? </p><p>お話を始めます。 </p><p>今日は「神さまを認めること」というテーマで、</p><p>元春日大社の宮司であり、かつ医学博士であった葉室頼昭さんのお話をご紹介します。</p><p><引用開始> 引用元 </p><p><br /></p><p>みとめる。この言葉を漢字で書くと「認める」という字になりますが、これでは意味がわかりません。</p><p>「みとめる」とは、本来は「目を留める」ことであって、じっと見つめるということではないかと思います。</p><p>この頃はすべてがスピード化し、無限の情報が瞬時に入ってくるというめまぐるしい世の中となり、何か一つのことをじっと見つめたり、みとめたりということが、だんだんとできなくなってきています。</p><p>その上、すべて理屈・我欲中心の世の中になってしまったため、世の中の本当の姿、神様のお姿というものが、みとめられなくなってしまいました。</p><p>みとめるということは、どうすればできるかと言いますと、</p><p>相手と同じものを自分が持っていないと、みとめることができません。</p><p>例えば、世界的な名画を見ても、こちらに絵の知識や素養がなければ絵の良さが分りません。</p><p>ですから、神様をみとめるということは、</p><p>こちらに神様がなければ神様をみとめるということはできません。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgmJ6KJ0sGA05WvGcIce2D15wh4yOE6COYj2qd_bMbxkavWtUw1wYhoEjG2c0yIC6DOPWCK-OZd7etVHjmzztREVK4F-zQQMdkW7DfGund1VCn8exyE3JWEFURN98XUU2CrhVGm3ct6eolSjasFwUFQeF2qIXZGER3086hYmrPOpaDyzF3uS28Ku8O4yLwW/s252/7.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="173" data-original-width="252" height="173" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgmJ6KJ0sGA05WvGcIce2D15wh4yOE6COYj2qd_bMbxkavWtUw1wYhoEjG2c0yIC6DOPWCK-OZd7etVHjmzztREVK4F-zQQMdkW7DfGund1VCn8exyE3JWEFURN98XUU2CrhVGm3ct6eolSjasFwUFQeF2qIXZGER3086hYmrPOpaDyzF3uS28Ku8O4yLwW/s1600/7.png" width="252" /></a></div> <p></p><p>そのため、昔から祖先達は常に、お祓いということを行なってきました。</p><p>神様が素晴らしい姿に人間をお創りになったのですが、人間は知識を得たために、理屈でモノを考えるようになり、そのため、本来の姿が見えなくなりました。</p><p>これを罪・穢といいます。</p><p>罪とは悪いことをしたという意味ではなく、本来の姿を包み隠してしまうこと。</p><p>また穢とは汚いという意味ではなく、我々を生かしてくださる神様の気を枯らしてしまうことで、これらはすべて理屈・我欲であります。</p><p>ですから、この罪・穢を消してしまえば、本来の神様の姿が現れて神様をみとめることができるのです。</p><p>今の日本人は、すべて理屈でモノを考えるようになりましたので、</p><p>テレビや新聞を始め毎日毎日悪いニュースばかりを報道しています。</p><p>つまり悪いことを認めているのですから、世の中はますます悪くなるのは当たり前です。</p><p>そうではなく、たとえどんな悪い状態が現れても、それを幸せに変えていくということが一番大切なことです。</p><p>例えば病気でも、皆悪いことと考えておりますが、自分の考え方により、病気も幸せに変わっていくことはいくらでもあります。 </p><p>昔からよく言われている一病息災ということは、一つの病気を持ったために、返ってそれが幸せとなり、長生きをしていく人はいくらでもいます。</p><p>昔から言霊といって、言葉には「たましい」があると言われておりますが、</p><p>これも本当のことで、 </p><p>・良い言葉を言えば幸せが、</p><p>・悪い言葉を言えば不幸がやってきます。</p><p>ですから、いくら時代が変わり世の中が変わろうとも、</p><p>そしてどんな厳しいことが現れてこようとも、自分の身体の中に神様をみとめて、</p><p>生かされていることに感謝をするということが一番大切なのです。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjHSRlE8fuQYYH-kAo9bIczhpBl-aH4tyZMVTgUomFbb-8NRcNuMXOB2nWYga0WT29Cx8o-nvqlfUkjOrNeNcXTifHTH7LF_Cete2pTnUIXHsAzDX7JoEvrF-YX25md9i-KmQKLMn-0lRlYiM_MdqDHFDOoc6dpawPzCcmaJ5vBbFyBAdCCl6i6Ise8z9mK/s292/8.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="165" data-original-width="292" height="165" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjHSRlE8fuQYYH-kAo9bIczhpBl-aH4tyZMVTgUomFbb-8NRcNuMXOB2nWYga0WT29Cx8o-nvqlfUkjOrNeNcXTifHTH7LF_Cete2pTnUIXHsAzDX7JoEvrF-YX25md9i-KmQKLMn-0lRlYiM_MdqDHFDOoc6dpawPzCcmaJ5vBbFyBAdCCl6i6Ise8z9mK/s1600/8.png" width="292" /></a></div> <p></p><p>■20ccのミルク</p><p>赤ちゃんの手術の翌日、赤ちゃんが20ccミルクを飲んだとする。</p><p>経験の浅い看護師は、「20ccしかミルクを飲みません。どうしましょう」と言う。</p><p>お母さんが不安に思う。すると赤ちゃんの容体が悪くなる。</p><p>逆に、ベテランの看護師は、「20ccも飲んでくれました。よかったですね」と言う。</p><p>それを聞いてお母さんが安心する。</p><p>すると赤ちゃんが元気になってくる。</p><p>同じ20ccでも、経験の浅い看護師は、一日に何cc飲むかというところから考える。</p><p>そうすると、「20ccしか・・」という言葉になる。</p><p>ところが、ベテランの看護師になると、20cc飲んだということは、回復力が出てきているということで、「20ccも・・」という言葉になる。</p><p>同じ20ccでも見方によって、まるで違ってしまうということですね。</p><p><引用終了></p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi0RAUW3QM3DAQnpMGBb5gJixbZNRvJiWFHNkkv3e6gKRr230GBJIrwoS8_unGXlCqIrZvG98PN_wSebVcTfTNaHPOjb-835R_z-siqwzClimt2zDeoeDt-IZZxrSAcZgMyFEGvGuK-vhF63bEX8lruElTGObjhPSsqqBrpNjHcY8kdJ0AKIT_5_8blgjfu/s297/9.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="199" data-original-width="297" height="199" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi0RAUW3QM3DAQnpMGBb5gJixbZNRvJiWFHNkkv3e6gKRr230GBJIrwoS8_unGXlCqIrZvG98PN_wSebVcTfTNaHPOjb-835R_z-siqwzClimt2zDeoeDt-IZZxrSAcZgMyFEGvGuK-vhF63bEX8lruElTGObjhPSsqqBrpNjHcY8kdJ0AKIT_5_8blgjfu/s1600/9.png" width="297" /></a></div><p></p><p>人間は「徳」を持って、はじめて人間と言えるのかもしれません。</p><p>・神さまや祖先に感謝する。</p><p>・親を敬い大切にする。</p><p>・自分以外の人や世間の幸せを考えて行動する。</p><p>・自然の素晴らしさに感動する。</p><p>「徳」という神様に最も近い性質は、神さまが人間にだけ与えられたものかもしれません。</p><p>私たち人間が生きている短い数十年間</p><p>その間に「徳」を積んで行くということが、神さまと約束してきたことかもしれません。</p><p>人生のいろいろな経験でそれを磨くことによって、 </p><p>私たち人間の真実の徳が現れ、本当の神さまの目的である神さま自身に近づいていきます。</p><p>いかにして徳を磨いて、この世界に現すか?</p><p>それが、神に最も近いものとして作られた人間の定めかもしれません。 </p><p>そして、私たちが日々積み重ねた「徳」は、 自分たちだけでなく、私たちの子や孫、</p><p>さらには、遥かにさかのぼって、何代もの祖先さえも幸せにするといわれています。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjMzVe5IAIXp-Kx_kkyTLrVQVYwtaNkOW2CzxhyphenhyphenFqA7eM-zcxKgboZc8DJA8Ed8YyhVIWMZvTmBI9HUqz9xxGf08OZ1ngA-U82FbOTNZo4_pz8BPYfel7Y96QFDfJEKceyxYPY7qpVggRJMwLzaWF57Di7Q6gb4dLMP10vWz8tEaJuK-M0F4zTUkbsHR4Q4/s284/10.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="213" data-original-width="284" height="213" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjMzVe5IAIXp-Kx_kkyTLrVQVYwtaNkOW2CzxhyphenhyphenFqA7eM-zcxKgboZc8DJA8Ed8YyhVIWMZvTmBI9HUqz9xxGf08OZ1ngA-U82FbOTNZo4_pz8BPYfel7Y96QFDfJEKceyxYPY7qpVggRJMwLzaWF57Di7Q6gb4dLMP10vWz8tEaJuK-M0F4zTUkbsHR4Q4/s1600/10.png" width="284" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div> <p></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-16854303455087690042024-03-16T00:00:00.001+09:002024-03-16T00:00:00.141+09:00 3368「死を選んだ娘」2024.3.16<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月07日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「死を選んだ娘」</u></b></p><p><br /></p><p>私は死んだ。</p><p>自分で死んだ。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhxILt6rWkRivHldufhfHVk4TOXD6Hl7V8VtCeJyvULMuT98Wm8VnQ3pdq_goJjQ-AHQx1DXj2ZiZW569BTAKjZtof5CmbYZ2sZ6HiZ0S1YTPtF_874w1s9c_aMzfa-rocQeACm1m_XqJO0JuFjUXzr4SYF-CvsTSF2cv_f_lxrBNnkXZ9KgfX5w7JTbbmB/s269/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="202" data-original-width="269" height="202" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhxILt6rWkRivHldufhfHVk4TOXD6Hl7V8VtCeJyvULMuT98Wm8VnQ3pdq_goJjQ-AHQx1DXj2ZiZW569BTAKjZtof5CmbYZ2sZ6HiZ0S1YTPtF_874w1s9c_aMzfa-rocQeACm1m_XqJO0JuFjUXzr4SYF-CvsTSF2cv_f_lxrBNnkXZ9KgfX5w7JTbbmB/s1600/1.png" width="269" /></a></div><br /><p></p><p>気づいた時、目の前にかすかな光が見えてきた。</p><p>それはだんだんと大きな光となり、光の塊となった。</p><p>太陽よりも明るいけれど、全然まぶしくない。</p><p>暖かく、優しい思いが伝わってくる。</p><p>気が付けば周りには、沢山の懐かしい人々。 </p><p>笑っている。</p><p>「お帰り」、「お疲れさん」、「頑張ったね」</p><p>沢山のねぎらいの言葉、そしてハグ。</p><p>そう、ここは私がもともと居た場所、そして心の内を何でも話せる気の置けない仲間たち。</p><p>一通り、懐かしい仲間との挨拶が終わると、だんだんとここでの暮らしの記憶が蘇ってきた。</p><p>今終えたばかりの地上での人生をスタートする前、私はこの人たちと、ここで暮らしていた。</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgps0wc5i3u4TtNnpfZwCzlJELpccPiml3e0jm6R2ogUeeS2eZDlJHrXqkHzBTm4Q2bK90ZaIn__M-9kSdhYEcDqkUdli3ZyeVtQe0xJMPfm8Tat0eN3agz72HW6BK-RWo-BHJIV4ou5gXRDqLiEJzYEm0ppQ-GHLiuYlOADVhr4Bvnl3xiZGa-arNBWuxF/s300/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="169" data-original-width="300" height="169" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgps0wc5i3u4TtNnpfZwCzlJELpccPiml3e0jm6R2ogUeeS2eZDlJHrXqkHzBTm4Q2bK90ZaIn__M-9kSdhYEcDqkUdli3ZyeVtQe0xJMPfm8Tat0eN3agz72HW6BK-RWo-BHJIV4ou5gXRDqLiEJzYEm0ppQ-GHLiuYlOADVhr4Bvnl3xiZGa-arNBWuxF/s1600/2.png" width="300" /></a></div><p></p><p>そしてある日、私は生まれ変わりの順番が来たことを天使に告げられたのだ。</p><p>「次の人間としてのイノチ。神様に会う前にテーマを決めておいてくださいね」</p><p>天使は私にそう言って、遥か高次元の神様の国に戻っていった。</p><p>そして、その日が来た。</p><p>神さまとお会いし、今回のイノチのテーマを決め、生まれる環境を決める日だ。</p><p>「テーマは決まりましたか?」</p><p>根源的な光の塊、愛の塊。そうとしか表現のできない存在。</p><p>姿は認識できないけれど、圧倒的な愛と許しの存在が話しかけてくれた。</p><p>「神さま」一瞬で理解できた。</p><p>懐かしい私の魂の故郷。</p><p>遥かなる時間のかなた、宇宙が生まれた時、同時に私はこの神様の光の塊から生まれたのだった。</p><p>「はい、神様。私は今回の地球への転生が、肉体を持ち生まれる最後の転生です。 </p><p>ですから今回の転生の目的は、縁ある人に悲しみの感情を味わっていただくということにしました」</p><p>地球に転生を希望する魂は多い。</p><p>何故なら、そこでは肉体を持ち、</p><p>自分の意志ではどうにもならない不自由な暮らしを強いられるけれど、</p><p>感情を持つことができるからだ。</p><p>感情とは喜怒哀楽、肉体がある時だけ味わえる感覚、経験である。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgSE461ZBCUsXaUwlrmCmXsKUg3MsZJmznaolTHZlu8Ydp2giE-XL-LTfh7KHDq2G02JyIDteQLUmF6qxpw7gOjhSgSztMeYL4hR4LNp52B8onHa3wvNX3Zla9VgsSoW-r9kU273KmiG6XJK0lRIPutCt0E68qPBC0wDOVwEDXx3Y3Mrulxxt8mWh7Gzc4Y/s338/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="177" data-original-width="338" height="168" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgSE461ZBCUsXaUwlrmCmXsKUg3MsZJmznaolTHZlu8Ydp2giE-XL-LTfh7KHDq2G02JyIDteQLUmF6qxpw7gOjhSgSztMeYL4hR4LNp52B8onHa3wvNX3Zla9VgsSoW-r9kU273KmiG6XJK0lRIPutCt0E68qPBC0wDOVwEDXx3Y3Mrulxxt8mWh7Gzc4Y/s320/3.png" width="320" /></a></div> <p></p><p>その感情とは理性的な生命体にとって、不合理で理不尽な判断を下してしまいがちであり、</p><p>幼稚な生体反応であるが、宇宙に住む沢山の生命体があこがれる経験だ。</p><p>なぜなら、その感情こそが、それをバネにして、爆発的なジャンプ力を持って、</p><p>魂の飛躍的な進化を遂げることができるからだ。</p><p>地球より、何億年も文明の進んだ星々では、感情を捨ててしまって久しい星々もあるが、</p><p>更なる集合的な魂の進化のために、時として、地球への転生を組み込んでさえいる。</p><p>何故ならその喜怒哀楽の感情は、</p><p>昇華さえできれば、神々の愛に非常に近い高度な意識の経験をすることができるからだ。</p><p>また喜怒哀楽のうち、今回私の選んだ「悲しみ」の感情は、</p><p>それを乗り越えた時、魂の進化を促進するために、一番効果の高い感情である。</p><p>進化の進んだ魂にしか選べないテーマである。</p><p>それゆえに数えきれない魂の輪廻を経て進化の階段を上ってきた魂にとって、</p><p>この地球上で経験する「悲しみ」の感情、</p><p>そしてそれに包まれた人生は、最後の大きな試練でもある。</p><p>まだ魂のレベルが幼いうちは、</p><p>その「悲しみの人生」を選ぶことを神様は決して許してくれない。</p><p>私は、数多くの地球での転生で、沢山の喜怒哀楽を経験し学んできた。</p><p>「悲しみ」の経験も既に数多く乗り越え、最後の最後、今度は愛する縁のある魂たちに、</p><p>その「悲しみ」を経験してもらう立場になった。</p><p>悲しみを経験してもらうことは、感情の星、地球ではとても辛いことである。</p><p>誰でも愛する人に悲しみなど与えたくないし、誰しも泣いているよりも笑っていたいからだ。</p><p>それでも魂たちは、地球での経験の総仕上げの段階では、</p><p>みな「悲しみの人生」の関門をくぐって、魂の進化の総仕上げをする。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi2RGQLOYgYbgrYH_FdKXAzYoU74eZRpiOsHz-yAGz9fDaAHmSfJAXUsBqbqvBqq11TmwfBc_4JysNWe6q8h_l0ZqYZLzJiY-aYb5PRFzg39WrocG6cH8vrlTgQh4J6pliX3n4L9-NMeUsU4s7333Q6Izr2IsW4rzBXPowR454zeaClaYg6pgX6yH9UubXr/s257/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="171" data-original-width="257" height="171" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi2RGQLOYgYbgrYH_FdKXAzYoU74eZRpiOsHz-yAGz9fDaAHmSfJAXUsBqbqvBqq11TmwfBc_4JysNWe6q8h_l0ZqYZLzJiY-aYb5PRFzg39WrocG6cH8vrlTgQh4J6pliX3n4L9-NMeUsU4s7333Q6Izr2IsW4rzBXPowR454zeaClaYg6pgX6yH9UubXr/s1600/4.png" width="257" /></a></div> <p></p><p>そして私の決意を聞いて神様は仰った。</p><p>「わかりました。それでは、そのテーマを遂行するために最適な、場所と時代、環境を準備しましょう」</p><p>「その悲しみに耐え、魂の糧にできる両親を探しましょう」</p><p>そうして神様が全ての段取りをしてくださった。</p><p>平成時代の日本。仲の良い、まだ若い両親。</p><p>この両親とは、ともに地球上で親子が逆転したり、性別が逆転したり様々であるが、30回ほど一緒に転生を繰り返し家族として暮らしたことがあった。</p><p>彼らもまた、地球卒業の近い進化した魂たちだ。</p><p>家族となる魂たちは、神様を交え、今回の人生のテーマを話し合い、ある時期に私自身が、自らのイノチを絶って、家族に最大限の「悲しみ」の感情が演出されることとなった。</p><p>そういう約束をして、皆で合意し、励まし合って、私は地上に生まれたのだった。</p><p>生まれたばかりの私のイノチ、若い両親はとても喜んでくれた。</p><p>ワクワクした気持ちが赤ん坊の私にも伝わってくる。</p><p>何気ない日々の暮らしを積み重ね、私たちは家族としての時を刻んでいた。</p><p>でも約束の時は、刻々と近づいていた。</p><p>私が自らイノチを絶ち、天に帰る時。</p><p>そのタイムラインをコントロールする神様の御業は完璧だ。</p><p>悪役を引き受けて下さった魂の仲間たちも、自分の役割を魂として、正しく理解している。</p><p>地球での経験では、この崇高な目的は肉体を持つ人間には全てが隠されている。</p><p>何故なら、私たちは魂の進化のために、完璧にその役になり切り演じ切ることで、</p><p>飛躍的な魂の進化が遂げられ、そして地球での「感情」の経験が最大限実を結ぶからだ。</p><p>崇高な目的は隠されている。</p><p>私にも、協力してくれた悪役の仲間たちにも、</p><p>そして最大限の「悲しみ」の感情にさらされる両親たちにも。</p><p>私は死んだ。</p><p>ひとりぼっちで自分で死んだ。</p><p>私は忘れていた、この人生の目的を思い出しながら天に帰って行った。</p><p>果たして両親たちは、この魂の最後の試練に耐えられるのか?</p><p>それとも、悲しみの感情に押しつぶされ、当事者を憎み、世間を憎み、心を閉ざし、</p><p>暗黒の闇の中で残りの人生を過ごすことになるのか?</p><p>私は神様と約束した。</p><p>「神様。私の今回の転生の目的は、</p><p>縁ある人に悲しみの感情を味わっていただくということにしました」</p><p>もし、愛する娘、つまり私の死を通して、一度は大きな「悲しみ」のダメージを受けても、</p><p>人を許し、自分を許し、そのことで魂を深い愛で溢れさせ、 </p><p>人間としての最後の関門をくぐることができるのか?</p><p>そして、その溢れる崇高な愛を、周りの人々に注ぐことができるのか?</p><p>私は、こうして天に戻り、その人生の目的を思い出し、今度は、「悲しみ」を与えた愛する残された両親の、残りの人生の生き方を見守る立場となった。</p><p>神さまの計らいで、二人の感情も自分自身の感情として体験している。</p><p>今、二人には深い悲しみが広がっているけれど、</p><p>時の経過とともに必ずそれを乗り越えて欲しいと願っている。</p><p>魂の約束を果たして欲しいと願っている。</p><p>今や、肉体を持たないけれど、両親が悲しめば、私も辛い。</p><p>喜べば、私も嬉しい。</p><p>両親が人を憎めば、私の心は、血の涙を流す。</p><p>自らの手で、愛する両親の心を憎しみと言う深い闇で満たしてしまったからだ。 </p><p>心の地獄に追い込んでしまう結果となったからだ。</p><p>お父さん、お母さん。</p><p>どうか、この辛い時を乗り越えて、魂の糧としてください。</p><p>私は、どんな時も、あなた方のイノチが尽きるまで側で見守っています。</p><p>同じ気持ちを味わっています。</p><p>このような魂の仕組みを作ってくださった神様に感謝いたします。</p><p>ありがとうございます。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjo8NJspeg_K65wy4gdEwZ1P_zhYr-hNGv0tyv_YSdm1l3vBTz40uXk7A8jqRcys26_GOq6KGrsV3_oI0xbm_JcX3EwBn9yqA5lz0KyLh17U3Ocg3A-cHmuEkoensViLjB1uhRbX5UmBvomNzo1NQTLokyoGYmJUqo2549H30GpfK30ZA0vUHD3mULwJsDq/s278/5.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="197" data-original-width="278" height="197" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjo8NJspeg_K65wy4gdEwZ1P_zhYr-hNGv0tyv_YSdm1l3vBTz40uXk7A8jqRcys26_GOq6KGrsV3_oI0xbm_JcX3EwBn9yqA5lz0KyLh17U3Ocg3A-cHmuEkoensViLjB1uhRbX5UmBvomNzo1NQTLokyoGYmJUqo2549H30GpfK30ZA0vUHD3mULwJsDq/s1600/5.png" width="278" /></a></div> <p></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-17902815805330593492024-03-15T00:00:00.001+09:002024-03-15T00:00:00.253+09:00 3367「神々の恩寵」2024.3.15<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月06日「<u>神々の恩</u>寵」と2024年03月11日「<u>感謝の心</u>」の2つの記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「神々の恩寵」</u></b></p><p>お金や物質など、目に見える物のみを信じ、それを手に入れるために人の心や命までも奪おうとする勢力と、物の後ろに隠れている目に見えない神様の心を大切にしようとする勢力が、今、最後の大きな戦いの最中です。</p><p>神仕組みに従って、ほぼ決着がついたようです。</p><p>時代は確実に変わろうとしています。 </p><p> </p><p>新しい「心の時代」に入るためには、私たち自身の心も、同じように清らかな波動にしておく必要があります。 </p><p>神々を信じ、人の心を、自分と同じように大切に扱うこと。 </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjVTR9gskAVNs0BGlsSuA-EC36agk1TJ6Tr4EJ31SD6BM1AEn6O7oNkimbsvX-5Kxlp_5LBRFzDE_2wLn8oimsNy2_Rg14CyZvyCsxj4gNUYi1fWjR2fgUgOrv4n4hm8FNA15X66Ca_AnDPXbzKe4Uv2Gi37wDnXGbOJ6FtjG1qY9wDxpxsyTiG0IE8RLg_/s275/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="184" data-original-width="275" height="184" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjVTR9gskAVNs0BGlsSuA-EC36agk1TJ6Tr4EJ31SD6BM1AEn6O7oNkimbsvX-5Kxlp_5LBRFzDE_2wLn8oimsNy2_Rg14CyZvyCsxj4gNUYi1fWjR2fgUgOrv4n4hm8FNA15X66Ca_AnDPXbzKe4Uv2Gi37wDnXGbOJ6FtjG1qY9wDxpxsyTiG0IE8RLg_/s1600/1.png" width="275" /></a></div><br />では、今日も新しい時代を明るい心で迎えられるように、心のお話を掲載します。 <p></p><p>「ありがとう」</p><p>そう私たちが言う時、感謝の念と共に、この言葉を口にします。</p><p>また小林正観さんが仰るように、全く感情(感謝の念)を込めなくとも、ただ言葉を発するだけでも良いと言われています。 </p><p>感情を込める、込めないに関わらず、いつの間にか、自然と、無意識に涙のこぼれる時が、訪れるそうです。 </p><p>春日大社の元宮司、葉室頼昭さんの仰るように、 </p><p>神々の恩寵は、いたるところに、平等に注がれているのに、それを受け取れる人、受け取れない人がいる。</p><p>その違いは、「感謝の心」を持つかどうか? </p><p>感謝の心を持つことで、その心を媒介として神々の祝福が、現実化されると仰っています。</p><p>日本には、縄文の古くの時代から、日本人特有の生きざまがありました。 </p><p>フランシスコ・ザビエルなどの時代、世界の中で、日本が発見(再認識)された時、 </p><p>進んだ西洋文明の人々が、驚異と畏敬の念で、日本人の中に発見した生きざまです。</p><p>それは、 </p><p>・自然を敬い、</p><p>・和をを尊び、</p><p>・足ることを知り、</p><p>・平和を愛し、</p><p>・助けあい、</p><p>・お互いさま、お陰さまの気持ちで生きる、 </p><p>まさに 日本の 古神道と言われる生き方です。 </p><p>まさに日本人の生き方そのものが、神道であると言われています。 </p><p>ですから、私たちの心を縛るものは一切ありません。 </p><p>支配し、コントロールしようとする者もありません。 </p><p>私たちの心は、本来の無垢の姿を失わず</p><p>伸びやかに、躍動的で、神々の創造の世界を生きることができます。 </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiM0VrNEp4-1MjE-k4LA-zyC_tvUPLtnYAIjnKB1m2vYibKNvRGHASE6l6Lx-rtcQBHycoZE2fXC7xiC4Ln-SadOUOWT-703H3brXdY9ia8mK5KMO-riUUgzKES6zXOofNRgHWBde3wK2d5CqdLQokQpJ79PfVZvZL8VFi31KrlDREPDiIXfaYBPbfKKAEC/s299/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="203" data-original-width="299" height="203" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiM0VrNEp4-1MjE-k4LA-zyC_tvUPLtnYAIjnKB1m2vYibKNvRGHASE6l6Lx-rtcQBHycoZE2fXC7xiC4Ln-SadOUOWT-703H3brXdY9ia8mK5KMO-riUUgzKES6zXOofNRgHWBde3wK2d5CqdLQokQpJ79PfVZvZL8VFi31KrlDREPDiIXfaYBPbfKKAEC/s1600/2.png" width="299" /></a></div> <p></p><p>私たち日本人は、古くから自然や天候、山、川、動物、植物の中に神々を見出し、 </p><p>・生かされていることに、</p><p>・そして命の恵みを頂くことに </p><p>感謝の思いで日々を生きてきました。 </p><p>・これが無い、あれが無い</p><p>・人に認められたい、愛されたい</p><p>・あれも欲しい、これも欲しい</p><p>・人より上に立ちたい</p><p>・尊敬されたい、一目おかれたい </p><p>そんな意識はこれっぽっちも持ちませんでした。 </p><p>ですが、時代が下るにつれ、ものが溢れ、物質文明が発達し、</p><p>持てる者、持たざるものが生まれ、嫉妬の心が生まれました。 </p><p>欲しいものが手に入らなければ、幼児のように、駄々をこね、拗ねて(すねて)、 </p><p>不平不満、愚痴を外に吐き出します。</p><p>嫉妬します。</p><p>口から吐き出された不平・不満・愚痴、そして、嫉妬と疑心暗鬼の心は、漆黒の渦のエネルギーとなり、ご自分だけでなく、身近な人まで巻き込んで不幸の種となることでしょう。</p><p>これらのエネルギーは時空を超えて滞留し、悪しき出来事の温床となります。 </p><p>逆に、感謝の心、ありがとうの言葉を口にして、助け合い、認め合い、足るを知る心を持ち、 </p><p>笑顔で日々暮らしていくならば、神々のエネルギーで満たされ、物は無くとも、健康ではなくとも、そこには笑顔が絶えず、幸せなエネルギーで満たされることでしょう。 </p><p>ありがとうの言霊 </p><p>この言霊は、その深い意味を知らずとも、それを発する者の周りを、このような神々のエネルギーで満たす力があります。</p><p>不平、不満、愚痴を言う前に、もし嫉妬の心に駆られてしまったら、黒いエネルギーを吐き出す代わりに、まず、感謝の言霊、「ありがとう」を口に出してみてください。 </p><p>最初は、苦痛かもしれません。</p><p>「あ」という言葉も言えないかもしれません。</p><p>ですが、小林正観さんが仰るように、念仏のような、呪文のような言い方でも、最初は構いません。 </p><p>試してみてください。 </p><p>きっと、あきらめさえしなければ、いつかは黒い霧は晴れ、気付けば爽やかな日が差し込み、</p><p>神々の恩寵が現われてくることでしょう。 </p><p>ご自分も、ご家族も笑顔で、お幸せになれるでしょう。 </p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEioBwz8JrA93R0WAoAlnatnvVvxuz5OULzHwoz7OOzwvcuff6P-ADvyrKXoSWhJbj4DsQ78Qxef7zjNm7t5Ok1g5rGlO5LuabLt-MMTsWAMrjIDYE79vg0WU339i5xPAlI-lTxGqDkSH2H234MyXDpIGNjxi8p2rxRcGIpXX_UHOds7lMBG1dZIXO2esFUW/s335/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="189" data-original-width="335" height="181" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEioBwz8JrA93R0WAoAlnatnvVvxuz5OULzHwoz7OOzwvcuff6P-ADvyrKXoSWhJbj4DsQ78Qxef7zjNm7t5Ok1g5rGlO5LuabLt-MMTsWAMrjIDYE79vg0WU339i5xPAlI-lTxGqDkSH2H234MyXDpIGNjxi8p2rxRcGIpXX_UHOds7lMBG1dZIXO2esFUW/s320/3.png" width="320" /></a></div><p></p><p><br /></p><p><br /></p><p><b><u>「感謝の心」</u></b></p><p><br /></p><p>この肉体の最後の時、</p><p>「あぁ、いい人生だったな」ってつぶやいて天に帰りたいと思いませんか? </p><p>いい人生だなと思えるのはどんな人生でしょうか? </p><p>・全くお金に困らない裕福だった人生</p><p>・ずっと健康で健やかだった人生</p><p>・沢山の友人、知人にめぐまれた人生 </p><p>なのでしょうか?</p><p>それとは逆に、「あぁつまらない人生だったな」って言う人生とはどんなでしょうか?</p><p>・貧乏な一生だった</p><p>・病気がちの一生だった</p><p>・ちょっとの親友しかいなかった </p><p>そんな人生でしょうか? </p><p>私は思います。 </p><p>良い人生だったと言えるのは、最後の最後、「ありがとう」と感謝の言葉を残せる人生</p><p>悪い人生だったと思えるのは、心に憎しみや嫉妬、恨みを残したまま逝く人生 </p><p>それは、目に見えるものや、地位や名誉、健康などに依存しません。 </p><p>ただ自分の心の持ちようだけです。 </p><p>心が、肉体の最後を迎える時、どのような状態であったか? </p><p>でもそれは死ぬ時だけに限った話ではありません。 </p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjmeAfiouJtW0bB0gIckqs6OloeuucRBaaVjiJuIkp1hqQ0EEMdMEa4fnn2aUlUBIWM4bnN9_RzrgILKkXKl_7im94xEa3nd0usCcH2kcAKphJd2UwasSDxcvALUyEFoBQkUuII_-3BnrTfPCNLn9zGaymbU0GzPV5XUHH53ayPKU6uZvS_4aA3G8bNpnrx/s277/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="185" data-original-width="277" height="185" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjmeAfiouJtW0bB0gIckqs6OloeuucRBaaVjiJuIkp1hqQ0EEMdMEa4fnn2aUlUBIWM4bnN9_RzrgILKkXKl_7im94xEa3nd0usCcH2kcAKphJd2UwasSDxcvALUyEFoBQkUuII_-3BnrTfPCNLn9zGaymbU0GzPV5XUHH53ayPKU6uZvS_4aA3G8bNpnrx/s1600/4.png" width="277" /></a></div><p></p><p>空海は仰いました。</p><p>「生きているうちに、天国にも地獄にも、生きることができるのだよ」って</p><p>このことを即身成仏と言います。 </p><p>そして死の直前の意識状態は、死後の世界にも大きな影響を与えます。</p><p>肉体が無くなれば、波動の世界。 </p><p>思ったこと、考えたことがすぐさま現実化する世界ですから、</p><p>死の直前の心の状態が、そのまま自分の周りに出現します。 </p><p>私たちは神様と同じように創造する力を与えられているからです。</p><p>タイムラグはありますが、この生きている物質世界でも同じことです。 </p><p>ですから、</p><p>・よりよく生きるとか</p><p>・感謝の人生を送るとか</p><p>・周りの人たちと仲良く助け合って生きていくなど </p><p>そのように生きていきたいならば、自分の心をそのような状態にしておけば、</p><p>自然と、周りが整い、心と同じ状況が出現します。 </p><p>何時までも状況が好転しないのは、 自分の心の中に </p><p>・社会や誰かを憎む心</p><p>・呪う心</p><p>・嫉妬の心 </p><p>などが巣くっていて、何時までも黒い霧、無明が晴れないからです。 </p><p>苦しい状況が現れる時、</p><p>神様は、同じくらいの祝福を、後ろ手に持って用意してくださっています。 </p><p>一旦、自分の置かれている状況を受け入れ、許し</p><p>「ありがとうございます」と感謝の言葉を言うことができた時 </p><p>無明は晴れ、神々の祝福がふんだんに表れてくることでしょう。</p><p>神々の恩寵は、「感謝の心」を媒体とするからです。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiNMmcCMOh8wb7Sjndggi2bDJsjy4utVGo7ytbwBDFz__4lksCzk7c3woQSAPsxRWz0_8eQwJPfq1Z8mbjSothkCsglcwCyQHs5Lwg3vDRCGQUjfWPqQ2qaSPUKpGUuRPbOBWn0flsG03XZyVnOZBsT6_4BtiyAbSZmPYFOy7kB2jE9vO3_3RusBBsUwwie/s246/5.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="246" data-original-width="203" height="246" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiNMmcCMOh8wb7Sjndggi2bDJsjy4utVGo7ytbwBDFz__4lksCzk7c3woQSAPsxRWz0_8eQwJPfq1Z8mbjSothkCsglcwCyQHs5Lwg3vDRCGQUjfWPqQ2qaSPUKpGUuRPbOBWn0flsG03XZyVnOZBsT6_4BtiyAbSZmPYFOy7kB2jE9vO3_3RusBBsUwwie/s1600/5.png" width="203" /></a></div> <p></p><p><br /></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-27631884630458236502024-03-14T08:58:00.003+09:002024-03-14T08:58:34.645+09:00 3366「麻疹ワクチンの歴史に見る『人為的介入の有害性』」2024.3.14<p> 今回はIn Deepさんの2024年03月11日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>麻疹ワクチンの歴史に見る「人為的介入の有害性」</u></b></p><p><a href="https://indeep.jp/basic-harms-of-measles-vaccine/" target="_blank">https://indeep.jp/basic-harms-of-measles-vaccine/</a></p><p><br /></p><p><u>このままでは何百年も続く医療戒厳</u></p><p>スイス・ノバルティス社の元上級医学科学専門家だったユホン・ドン博士の記事は、以前から取り上げさせていただくことがありました。</p><p>mRNA ワクチンの<u>「切断された mRNA 」</u>の問題や、子宮頸がんワクチンなどに含まれている<u>アルミニウムやポリソルベート80(脂質ナノ粒子)の問題</u>については、このドン博士の記事で知った部分が大きいです。</p><p>今日、そのユホン・ドン博士が、「麻疹ワクチンが私たちの自然免疫をどのように変えるか」というタイトルの記事をエポックタイムズに寄稿していました。それをご紹介させていただこうと思います。</p><p>麻疹(はしか)ワクチンについては、日本でも世界でも「麻疹が流行しているからワクチンを打て打て」という報道で満ちているのですが、この単純化した思考にドン博士は警鐘を鳴らしています。</p><p>ドン博士の記事は、後半でご紹介するとして、少し前に以下の記事を書かせていただきました。</p><p><u>麻疹の歴史に見る「ワクチンの威力」。そして、感染症の流行を制御できるのは自然の成り行きだけ、と改めて思う</u></p><p>In Deep 2024年2月13日</p><p>以下のようなグラフなどを示しまして、それらのグラフは、本来なら、どんな感染症でも「自然に終息していく」ことを明確に示しています。</p><p>人口10万人あたりのイングランドの麻疹の死亡数の推移(1838 - 1978年)</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjVXWf4VHDCwZoBxDMSK9okVO2zmbZYwzaGoC2BVVpvCb45n3tfmPZw80hI7S-edulkbndEbwpDdGgNK5FUdk5W-km2eNGP4n4W1EQpZXQ-eERSqppdjoJKJM8Nsw1PUKos_uxARV5zfrcZRwn_MJ_PZQBqcU_GWPMfAQsCeZUhU6QWmXDtiuq_Iu0OoIb_/s478/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="294" data-original-width="478" height="197" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjVXWf4VHDCwZoBxDMSK9okVO2zmbZYwzaGoC2BVVpvCb45n3tfmPZw80hI7S-edulkbndEbwpDdGgNK5FUdk5W-km2eNGP4n4W1EQpZXQ-eERSqppdjoJKJM8Nsw1PUKos_uxARV5zfrcZRwn_MJ_PZQBqcU_GWPMfAQsCeZUhU6QWmXDtiuq_Iu0OoIb_/s320/1.png" width="320" /></a></div><br /> <p></p><p>それでも、世界は「とにかく感染症にはワクチン」という強い信仰で覆い尽くされていまして、それは一般の人と共に「医療従事者に誰よりもそのような医療信仰が強くある」わけです。</p><p>これがどれくらい続いているかというと、実際には何百年ということになるのでしょうけれど、例えば、約 100年前のスペインかぜの時の、世界の「インフル対策」はどうだったかご存じでしょうか。</p><p>以下は、英語版 Wikipedia の「スペインかぜ - 公衆衛生管理」からの抜粋です。</p><p>1918年のスペインかぜの際の公衆衛生管理</p><p>学校、劇場、礼拝所の閉鎖、公共交通機関の制限、大規模な集会の禁止など、社会的距離を保つ措置が導入された。</p><p>マスクの着用は、日本などの一部の場所では一般的になったが、その有効性については議論があり、また、マスク使用への抵抗もあった。</p><p>ワクチンも開発されたが、これらはインフルエンザウイルスではなく細菌に基づいていたため、二次感染にしか役立たなかった。</p><p>さまざまな制限の実際の施行はさまざまだった。ニューヨーク市の保健局長は、地下鉄の混雑を避けるため、時差シフトで会社を開閉するよう企業に命じた。</p><p>Spanish flu</p><p>100年経っても、世界はまったく同じことをやったわけですよ、コロナの際に。</p><p>この同じページには「医療」という項目があります。以下です。</p><p>スペインかぜ - 医療</p><p>ウイルスを治療する抗ウイルス薬も、細菌の二次感染を治療する抗生物質もなかったため、医師たちは、アスピリン、キニーネ、ヒ素、ジギタリス、ストリキニーネ、エプソム塩、ヒマシ油、ヨウ素など、効果の程度が異なるランダムな組み合わせの薬に頼ることになった。</p><p>瀉血、アーユルヴェーダ、漢方などの伝統医学の治療法も適用された。</p><p>Spanish flu</p><p> </p><p>おわかりでしょうが、こんな「医療」をするくらいなら、何にもしないほうがいいことは明らかなんです。おそらく、これらの公衆衛生管理や「医療」が、状況を悪化させたであろうことは想像に難くありません。</p><p>どれだけ凶悪な株であろうと、インフルエンザに「安静」以上の薬はないです。上にありますような、キニーネ、ヒ素、ジギタリス、ストリキニーネ、ヒマシ油…というような、よくわからないながらも、おどろおどろしい「医療」は必要なかったはず。</p><p>今だと、解熱剤にタミフルでしょうかね。</p><p>(参考記事)<u>インフルエンザ患者にタミフルを処方しても入院は減らないという最新のメタ研究</u> BDW 2023年6月14日</p><p>(参考記事)<u>子どもがみんな解熱剤でやられてしまう</u>In Deep 2022年8月27日</p><p><br /></p><p>全部要らない。</p><p>ともかく、100年前から「何もしない」という対策や治療法はまったく取り入れられることがなく、そして、今はさらにそれが拡大しているだけということになっています。</p><p>私自身は、お医者様の数が今の三分の一以下などに減ったとすると、国民の健康状態は非常に良好になっていくと考えていますが、いつかは減るのは減るでしょうけれど(mRNAワクチンの効果で)、それでも、それはずいぶんと先の話であり、現状のような病気ばかりの時代においては、</p><p>「効く効かないは関係なく、何かをする」</p><p>という方法論が続いていくのでしょう。</p><p>しかも、このような方法論は、むしろ「人間を弱くしていく」ことにつながることが、今回ご紹介するドン博士の麻疹ワクチンについての文章でもわかります。</p><p>できる限りのところまでは「自然にまかせる」という方向以外は、真の治療、治癒、というものは成立しないのではないでしょうか。</p><p>人間は結構強いですので、こんな医療信仰の中でも、人々は長生きしたりしていますが、その長生きの方法論自体が不健康だと私は思います。</p><p>早く死ぬとか長生きするとかの問題ではなく(そんなのは本来、個性)、自分の健康と人生を不自然な他者による方法論に身を委ねるというのが不健康だと感じます。</p><p>しかしまあ、こういう主張も、今となってはほとんど通じない社会なのかもしれません。あまりに長く医療信仰の時代が続きすぎました。</p><p>ここから、ユホン・ドン博士の記事ですが、非常に長い記事です。抜粋にしようとしましたが、どこを省いていいのかわからず、結局、全文翻訳になりました。</p><p>麻疹ワクチンが私たちの自然免疫をどのように変えるか</p><p>How Measles Vaccines Alter Our Natural Immunity</p><p>Epoch Times 2024/03/10</p><p>ワクチンは、ウイルスと戦うには抗体が必要であるという理論に基づいて構築されている。しかし、研究によると、抗体は必須のものではなく、免疫力を変化させる可能性さえある。</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh7KjsO4UrhkHcJpauNtyZu4xDgyiy3jE2ZA2FrIoMVZ0BKJqhN-q_JN6lzNDrz6wPtlp6DUO4b6i_WcrBmnfN8Who_dnsizYGthE0kmZ51_RBtGMeAFBZyHMqGgEm5WMVlKSonlbvvh5hfZyujnOQSjA5c0kjvrW3zMcwk1whAQ4RZ6aqxZxpetflbpt7-/s343/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="229" data-original-width="343" height="214" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh7KjsO4UrhkHcJpauNtyZu4xDgyiy3jE2ZA2FrIoMVZ0BKJqhN-q_JN6lzNDrz6wPtlp6DUO4b6i_WcrBmnfN8Who_dnsizYGthE0kmZ51_RBtGMeAFBZyHMqGgEm5WMVlKSonlbvvh5hfZyujnOQSjA5c0kjvrW3zMcwk1whAQ4RZ6aqxZxpetflbpt7-/s320/2.png" width="320" /></a></div><br /><p></p><p>抗体を産生できない子供でも、麻疹から十分に回復することができる。</p><p>麻疹ワクチンは麻疹の蔓延を阻止する役割があると長年言われてきた。はしかの症例発生の原因をワクチン接種率の低さのせいにしている人も少なくない。</p><p>私たちがよく聞くメッセージはシンプルなものだ。「ワクチンのおかげで、私たちは病気から守られている」というものだ。</p><p>しかし、私たちの体は複雑で、ワクチンに常にうまく反応するとは限らない。異物を注入すると悲惨な結果を招く可能性がある。この記事の主な焦点は、麻疹ワクチンの原理と安全性を検討することだ。</p><p> </p><p><u>麻疹は抗体なしでも回復可能</u></p><p>(コロナの)パンデミックは誰もがワクチンの科学を学ぶ機会にもなった。ワクチンは体を刺激して、ウイルスと戦うことができる「抗体」と呼ばれる物質を生成する。</p><p>科学者たちは免疫を測定するために主に抗体に焦点を当てているが、免疫システムは、はるかに複雑なものだ。</p><p>1960年代、 現在、<u>教科書に引用されている研究</u>が、麻疹ウイルスを根絶するには抗体が必要であるという歴史的見解を揺るがした。科学者たちは、抗体を持たない病気の子どもでも麻疹から回復できることに驚いた。</p><p>これらの子どもたちは、抗体を産生できない免疫不全である無ガンマグロブリン血症(遺伝性の免疫不全疾患)として知られる先天性疾患を患っていた。</p><p>驚くべきことに、彼らは他の人々と同じように麻疹から回復した。</p><p>子どもたちは麻疹の典型的な症状を示し、自然免疫を獲得した。</p><p>彼らの血液中に麻疹抗体は検出されなかったが、自然免疫や Tリンパ球機能などの他の免疫機能が損なわれていなかったため、ウイルスを効果的に排除することができた(論文)。</p><p>さらなる分析により、血液中の抗麻疹抗体は病気からの回復や再感染の予防には不必要であることが判明した (論文)。この啓示は、かつて広く受け入れられていたものの根幹に疑問を投げかける。ワクチン産業の基礎となる抗体の不可欠な役割は、麻疹との戦いにおいて私たちが信じ込まされてきたほど重要ではない。</p><p>抗体なしでウイルスを排除できる場合、論理的には抗体は必須ではないということになる。この概念は、有名なオーストリアの哲学者カール・ポパーが示唆したように、論理学の基本原理と一致している。</p><p>つまり、普遍的な記述は、単一の本物の反例によって反証することができるということだ。</p><p>さらに、T リンパ球は、身体が麻疹ウイルス感染と闘う際の適応免疫において一般的な指揮官の役割を果たす。子どもの Tリンパ球が正しく機能していない場合、致命的な麻疹関連疾患を引き起こす可能性があることは驚くべきことではない。</p><p>しかし、報告されているように、T 細胞免疫の刺激におけるワクチンの積極的な役割はわずかであり、<u>有害でさえある可能性がある</u>。</p><p> </p><p><u>私たちの奇跡の免疫システム</u></p><p>私たちの複雑な免疫システムは、分子から細胞まで何層もの複雑な防御層によって昼夜を問わず精力的に働き、ウイルスや細菌から私たちを守っている。この自然免疫は、ワクチン接種の有無に関係なく機能する。</p><p>私たちの奇跡的な免疫システムは、肺、腸、目の中にある平らな細胞の薄い層である上皮表面から始まる、強力な防御の第一線を提供する。</p><p>麻疹ウイルスは主に気道を介して感染する。気道では粘膜上皮細胞が、細胞を抗ウイルス状態にするインターフェロン物質を自動的に分泌することでウイルスのライフサイクルに干渉する。</p><p>他にもさまざまな免疫細胞があり、それぞれがウイルスと戦う独自のスキルを持っている。</p><p>これは興味深い疑問を引き起こす:抗体産生を刺激するように設計された外部麻疹ワクチンの導入は、私たちの複雑な自然免疫防御にどのような影響を与えるのだろうか。</p><p>一部のワクチンが利点よりも多くの問題を引き起こしている可能性はあるのだろうか。</p><p>あるのだとすれば、麻疹ワクチンもおそらくこれに当てはまる。特定のワクチンの問題を紹介する前に、麻疹ワクチンの歴史を簡単に説明し、ワクチンがどのように相互に関連しているかを示す。</p><p> </p><p><u>麻疹ワクチンの歴史</u></p><p>麻疹ウイルスは、RNA ウイルスに特有の高い突然変異率を持っている (論文)。ウイルスの複製プロセスはあまり正確ではなく、エラーを修正するメカニズムが欠けている。つまり、ウイルスが複製するとき、ウイルスはそれ自体の正確なコピーを生成するのではなく、ウイルスの多様なファミリーのように、わずかに異なるバージョンを多数生成する。この状況は急速に変化し、ワクチンの効果が低下する可能性がある。</p><p>1954年、ウイルス学者のジョン・エンダース氏と小児科医のトーマス・ピーブルズ氏は、ヒトの腎臓組織で初めて麻疹ウイルスを培養することに成功した (論文)。デビッド・エドモンストンという名前の 11歳の少年からの麻疹ウイルスは、「エドモンストン株」として知られる最初のワクチン源となった。</p><p>弱毒麻疹ワクチンの最初のバージョンは、エンダース氏による 3年間の研究の成果であり、その中にはヒト腎臓組織培養で 24継代、ヒト羊膜細胞培養で 28継代、鶏の受精卵で 6継代、ニワトリ胚細胞培養で 13継代が含まれている。</p><p>改変されたエドモンストン株は、注射されたサルに強力な抗体反応をもたらしたが、発熱、ウイルス血症、発疹は発生しなかった。</p><p>1963年に、上記のように、不活化 (「死滅」) 麻疹ワクチンと弱毒化生ワクチン (エドモンスト B株) の両方が米国で承認された。</p><p>弱毒化ワクチンでは発熱や発疹が見られる接種者が高頻度に発生したことや、不活化ワクチンでは予防効果がなかったため、両方とも次の2~4年で廃止された。</p><p>1964年、エドモンストンB株をさらに 85継代して得られた生ワクチンでさらに弱毒化された(シュワルツ株)ワクチンがナイジェリアの治験で試験された。</p><p>この試験では「さらに弱毒化した」ワクチンがエドモンストンB株ワクチンよりも優れており、発熱や下痢の症状が大幅に少ないことが確認された。これは米国以外の国でも使用されていた。</p><p>1968年に、別の生ワクチン(エドモンストン・エンダース株)が米国で承認された。このさらに弱毒化した生ワクチンは、おたふく風邪と風疹(MMR)、またはおたふく風邪、風疹、水痘(MMRV)と組み合わせて使用されることが多く、麻疹に使用される主なワクチンとなった。</p><p> </p><p><u>「非定型麻疹」</u></p><p>米国で最初に認可された不活化麻疹ワクチンは、 4年間(1963年から1967年)の使用後に一時的な免疫しか得られず、その後麻疹に感染したワクチン接種を受けた子どもたちが「非定型麻疹」として知られる重度の反応を発症したことが判明し、使用中止となった (論文)。</p><p>これは、ワクチン接種を「最新」に受けていた人も感染する可能性が高いことが判明した新型コロナと非常によく似ている。</p><p>1967年の米国医師会の研究では、以前に不活化麻疹ウイルスワクチンを受けた 10人の子どもが 5~ 6年後に非定型麻疹疾患を経験したと報告された。</p><p>この病気は 2~ 3日間の激しい発熱、頭痛、筋肉痛または腹痛を引き起こした。頭痛の程度によっては、中枢神経系の関与が示唆されることがよくある。</p><p>脳機能障害は、脳波計で電気活動の乱れが認められた患者 1名で示された。ほぼ全員の子どもが浮腫や肺炎などの重篤な合併症を経験した。</p><p>この発疹は、自然の麻疹から発生した発疹とは明らかに異なっていた。</p><p>自然麻疹の発疹は通常、最初に顔に現れ、首、胴体、腕、脚、足に向かって広がるが、非定型麻疹の発疹パターンは通常逆の順序で現れる。</p><p>非定型麻疹では、通常、足首や手首などの遠位端から始まり、手のひらや足の裏を含み、その後体幹に広がり、多くの場合顔面には影響を及ぼさない。</p><p>これらの症状は、注射された麻疹ワクチンに対する急性の播種反応を示唆している。</p><p>症例の中には、ワクチン接種から数年後に重度の非定型麻疹を発症し、肺炎と異常な発疹で入院した 6歳の少女もいた。発疹は、1961年に不活化麻疹ワクチンの筋肉注射が行われた部位と考えられる右臀部に独特の濃度で進行した。</p><p>現在の麻疹ワクチンはもはや不活化ワクチンではなく、生ワクチンであると言う人もいるかもしれない。</p><p>しかし、非定型麻疹の現象から得られる重要な洞察は、ワクチンがウイルスと戦う免疫システムの自然な方法を妨げる可能性があり、それが好ましくない結果を引き起こす可能性があるということだ。</p><p>2018年の研究では、麻疹ワクチン接種を受けた生後 12~ 2 か月の小児に麻疹のリスクが関連していることが示された (論文)。</p><p>その記事ではこれらの画期的な症例の正確な診断は提供されていなかったが、 2006年から 2009年にかけてインドで発生したいくつかの流行では、非定型麻疹の症例も報告されている (論文)。</p><p> </p><p><u>敵か味方か?</u></p><p>ウイルスに曝露された一部の小児に麻疹抗体を投与することは、麻疹の発症を回避することを目的としており、1960年にはすでに報告されていた。当初、このアプローチは成功したように見えた。なぜなら、これらの子どもたちは感染症によく関係する発疹を発症しなかったからだ。</p><p>同様に、弱毒化麻疹ワクチンの最初のバージョンに関連する症状を軽減するために、医師はワクチンに麻疹特異的抗体(免疫グロブリン)を投与することがよくあり、アメリカ疾病管理センターはこれを推奨している。このアプローチにより、発熱や発疹など、生きたウイルスに対する明らかな反応は軽減されたが、潜在的に深刻な結果を引き起こす可能性があった。</p><p>1985年のランセット研究では、 注射された麻疹抗体と予期せぬ長期免疫障害との間に有意な相関があることが示された (論文)。</p><p>麻疹を予防するために、ウイルスに曝露された後に麻疹抗体を受け取った子どももいる。その即時の結果として、麻疹感染の典型的な兆候である発疹は見られなかった。</p><p>しかし、麻疹による発疹がないと、免疫障害が長引くため、成人になってから免疫系障害を引き起こす可能性がある。</p><p>この研究では、麻疹ウイルス感染中に抗体が注射されると、体の自然免疫、特にウイルスを殺す T細胞の能力が妨げられる可能性があると述べられている。</p><p>その結果、ウイルスがより生存しやすくなり、体内に潜んで残り、後で再発したり、さらなる問題を引き起こしたりする可能性がある。著者たちは、麻疹曝露後に免疫グロブリンを使用しないよう警告した。</p><p>関連する可能性のある免疫疾患には、関節炎、エリテマトーデス、多発性硬化症、心膜炎、甲状腺炎、結合組織病、クローン病、脂漏性皮膚疾患、骨変性疾患、および特定の腫瘍が含まれる。</p><p>麻疹の発疹は、体の免疫、特にキラー T細胞免疫が麻疹ウイルスと効果的に戦っていることを示す重要な兆候だ。T細胞免疫は、粘膜障壁を越えて私たちの体に侵入するウイルスと戦うために重要だ。</p><p>同様に、ワクチンで生成された抗体は、私たちの体に害を与えたり、自然免疫を妨害したりする可能性のある免疫反応を引き起こす可能性がある。このような調節不全の免疫は、非定型麻疹やワクチン接種後の関連合併症の一因となる。</p><p> </p><p><u>重篤な脳の問題との潜在的な関連性</u></p><p>麻疹ワクチンに使用されるウイルスのさらに弱毒化されたバージョンも、私たちの脳に影響を与える可能性がある。</p><p>麻疹ウイルスには免疫抑制作用があり、神経系の合併症を引き起こす可能性がある。麻疹感染後の重篤な脳疾患は亜急性硬化性全脳炎 (SSPE)であり、脳脊髄液および血清中に異常に大量の抗麻疹抗体が存在することが特徴だ。</p><p>SSPE は麻疹罹患後数年後に発症する可能性があり、思考、運動に進行性の問題が生じ、最終的には昏睡状態に陥って死に至る。</p><p>1967年以来、麻疹ワクチン接種後の脳関連の問題が報告されている(論文)。その後の調査では、脳組織の炎症である脳炎に焦点が当てられた。</p><p>さまざまな国での遡及分析を含む観察研究では、麻疹ワクチン投与後の脳症または脳炎の症例が報告されている。麻疹ワクチンによる脳症の発生率は、<u>100万回の接種につき約 1~ 11例</u>と計算されている。</p><p>2003年、アルゼンチンの研究者たちは、1998年の麻疹流行時に生後 6~ 10か月で麻疹に感染した 8人の小児グループを研究した。彼らは 1年以内に麻疹ワクチンの初回接種を受けており、その4年後にSSPEを発症した (論文)。</p><p>脳は広範な組織損傷を示し、血液および脳脊髄液中には高い抗麻疹抗体が存在した。脳組織内のこの異常に高い抗体レベルは、潜在的な要因として麻疹ワクチンについてのさらなる調査を正当化する不穏な警報を引き起こす。</p><p>1970年代には、麻疹の自然感染後の SSPE の発症率は小児 100万人当たり 5~ 10人 または 5~ 20人と報告されていた。しかし、21世紀に入り、報告される SSPE 発生率は麻疹症例 100万件あたり 40~ 110件に増加した(論文)。</p><p>研究者たちは、ワクチンへの躊躇が集団免疫の欠如とその後の SSPE を引き起こしていると非難している。しかし、ワクチン接種率の低さだけを SSPE の原因とするのは合理的ではない。SSPE は免疫力の異常を示しており、さまざまな免疫因子によって引き起こされる可能性がある。</p><p>イタリアのプーリア州は、 MMRV (麻疹・風疹・水痘・おたふくかぜ)ワクチンの初回接種後の有害事象を積極的に監視し、1000回の接種当たり 462件の有害事象が見つかり、そのうち 11%が重篤と考えられた (論文)。</p><p>これらの重篤な有害事象のうち、1000回接種あたり 38件は MMRV ワクチンに直接関連していた。これは、イタリア医薬品庁の受動的報告システムによって報告される割合よりも大幅に高い。</p><p> </p><p><u>自閉症との潜在的な関連性</u></p><p>1998年のランセット研究では、消化管の慢性炎症と自閉症を含む退行性発達障害を発症した、以前は健康だった 12人の子どもを調査した。これらの子供たちの両親と医師は、自閉症の発症を麻疹ワクチン接種と関連付けた。</p><p>12人の子供のうち 8人が MMR ワクチン接種を受けていた。MMRワクチン接種から症状発現までの平均期間は 6日で、範囲は 1日から 14日であった。</p><p>この研究には、文書化された病歴と検査室、神経学的、組織学的記録が含まれる。研究者たちは、麻疹ワクチン接種との潜在的な関連性を示唆した。</p><p>興味深いことに、少なくとも 4人の患者で血清抗体レベルが異常だった。著者たちは自己免疫とその疾患との潜在的な関連性について議論し、さらなる研究が行われる必要があると結論づけた。</p><p>麻疹ワクチンがワクチン接種を受けた幼い子どもたちに免疫および神経学的合併症を引き起こしたかどうかを判断するには、科学的な議論を促進し、さらなる臨床研究を実施することが不可欠だ。これが真実を見つけ、正確な情報を得る唯一の方法だ。</p><p>このランセット論文は、その科学的価値にもかかわらず、産業界と政府によるメディアの取り込みにより、撤回を余儀なくされた。</p><p>メディアはワクチン接種率の遅れの原因として「信頼性のない」研究を不当に非難した。これは、<u>新型コロナワクチンの論文でも観察されたパターン</u>だ。</p><p> </p><p><u>麻疹ワクチンに対する合理的な反省</u></p><p>医療技術開発の基本原則は「まず害を与えない」ことだ。</p><p>理想的には、私たちは健康へのリスクを最小限に抑えながら、ウイルスに対する免疫システムを強化するワクチンを求めている。私たちは、病気の人を治療するのではなく、病気を予防するために健康な人にワクチンを接種するので、リスクははるかに高くなる。</p><p>安全性と有効性の理想的なバランスを達成しているワクチンはまだないことを認識することが重要だろう。ワクチン開発における広範な研究と進歩にもかかわらず、固有の制限と複雑さを乗り越える必要がある。</p><p>侵入するウイルスと効果的に戦うには、免疫系によって生成される適切なレベルの高品質の抗体が不可欠であり、この事実は広く認識されている。</p><p>しかし、麻疹の場合、ウイルスを殺すために抗体は必須ではなく、不必要に注射された抗体は短期的および長期的に害を及ぼす可能性がある。</p><p>さらに悪いことに、ワクチン接種の原則の誤解や誤用は、ウイルスとの継続的な戦いを大きく脅かす可能性がある。過去 3年間、世界はパンデミックの最中に、実証されていない新しい mRNA 技術が導入され、多くの人々がそれを実験することを余儀なくされるのを目の当たりにしてきた。残念なことに、現在多くの人がこのために、未知の長期的な影響に直面している。</p><p>麻疹ワクチンをめぐる現在の物語は多面的だ。それは病気の予防に役割を果たしてきたが、その有効性は栄養、自然免疫、公衆衛生対策などの他の介入ほど重要ではない可能性がある。</p><p>前述したように、安全性に重大な懸念があることに注意することが重要だ。</p><p>科学界にワクチンに関する懸念を公然と議論する自由がないことが懸念される。</p><p>透明性と説明責任を実現するには、有意義な対話を通じて、検閲されていない科学的証拠を厳格に調査する必要がある。</p><p>人間の免疫システムの複雑さとその複雑な生物学的メカニズムを認識することが最も重要だ。理論的には、ワクチンは免疫システムをサポートするが、その有効性は最終的には内部要因に依存する。</p><p>将来の病原体に備えるには、自然免疫を高める取り組みを含む包括的なアプローチが不可欠だ。</p><p>結論として、ワクチンの安全性と有効性を微妙に理解し、オープンな対話に参加し、情報に基づいた意思決定を行うことが不可欠だ。現在のワクチン接種戦略の限界を認識し、免疫と病気の予防に対する総合的なアプローチを採用することで、刻々と変化する情勢の中で公衆衛生の複雑さをより適切に乗り越えることができるだろう。</p><p><br /></p><p><br /></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-60031550043290666912024-03-13T00:00:00.002+09:002024-03-13T00:00:00.143+09:00 3365「心が変わらなければ」2024.3.13<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月01日「<u>心が変わらなければ</u>」</p><p>と2024年03月05日「<u>美しい魂</u>」の2つの記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「心が変わらなければ」</u></b></p><p><br /></p><p>今日のテーマ「心が変わらなければ」です。</p><p>人は、自分で経験してみないと、他人の苦しみや悲しみなどを、本当の意味で理解できないかもしれません。 </p><p>苦労や悲しみ</p><p>闇を知った瞳でなければ、光を知ることはできないからです。 </p><p> <table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhVRcGqwglGu70v3D-B18855_YwaqC0916G9ZHInot9XgDjhcgEcg5mkJKZF4Gcf0HF0PF9xnV6mpKVP3h306KZ5XkZQ3IswMQIE_I5GS3L1k5VKJEQfwiWNh2y0H2jGe4wP2OtvXc9lr8ulXevYo_FLE8CQGcxLgHl0c6VMceDmeAx3fnr5wOG9gyLF6C8/s238/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="236" data-original-width="238" height="236" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhVRcGqwglGu70v3D-B18855_YwaqC0916G9ZHInot9XgDjhcgEcg5mkJKZF4Gcf0HF0PF9xnV6mpKVP3h306KZ5XkZQ3IswMQIE_I5GS3L1k5VKJEQfwiWNh2y0H2jGe4wP2OtvXc9lr8ulXevYo_FLE8CQGcxLgHl0c6VMceDmeAx3fnr5wOG9gyLF6C8/s1600/1.png" width="238" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="text-align: left;">幼子とマリア 闇を見た瞳</span></td></tr></tbody></table></p><p> </p><p>自分で経験した</p><p>・悲しみ</p><p>・苦しみ</p><p>・孤独</p><p>・不安 </p><p>は、たとえその最中は、苦しくて、切なくて、息をするのも絶え絶えになるほどで、 </p><p>どれだけ布団をかぶって声を押し殺し、涙を流したか、分からないほどかもしれません。</p><p> </p><p>ですが、その経験こそが、</p><p>神さまの恵みかもしれません。 </p><p>しかし、そのような深い意味の分からない私たちは、このような状態の時、とかく安直に </p><p>・神頼み</p><p>・医者頼み</p><p>・薬頼み</p><p>・他人頼み</p><p>・霊能者頼み </p><p>に陥りがちです。 </p><p>手っ取り早く、早く楽になりたいから、自分では何もせず、自分以外の何かに、頼り、依存し、丸投げしがちです。</p><p>ですが、このような苦難は、</p><p>神様が、私たちの魂を輝かせようと、他人の痛みのわかる人間になって欲しいと、</p><p>私達の生まれる前の、私たち自身の計画通りに、起こしてくださった出来事です。 </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgc-hyGJp8j9gb_NOY44RUsO9SHJEQCMFi1PBoXE3nYt052m6QmJgTrP8j2eMcYuQFzWnMca67D1FnVwMnbm_d4jLTfcN7fiHgRWZwyqA7bX3XtsCpWDrVQTqPbgPrFJ__7yLbZknUp277PFroMOGTCF-70wsF1KEiC2mzph3UPvuMKdP5ZX6WVUlnKNLEv/s272/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="194" data-original-width="272" height="194" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgc-hyGJp8j9gb_NOY44RUsO9SHJEQCMFi1PBoXE3nYt052m6QmJgTrP8j2eMcYuQFzWnMca67D1FnVwMnbm_d4jLTfcN7fiHgRWZwyqA7bX3XtsCpWDrVQTqPbgPrFJ__7yLbZknUp277PFroMOGTCF-70wsF1KEiC2mzph3UPvuMKdP5ZX6WVUlnKNLEv/s1600/2.png" width="272" /></a></div> <p></p><p>安直に、そこから逃げ出したとしても、また別の時、形を変え、役者を変えて</p><p>同じ現象が起こります。 </p><p>私たちが気づくまで 何度も何度も、例え、神様や霊的な能力のある人、</p><p>神社でのご祈祷、お祓いなどで、一時改善されたかに見えても、 </p><p>私たちの心が変わらず、以前のままで</p><p>他人依存、執着、憎しみの心のままでは、 </p><p>そこから発せられる波長に引き寄せられて、</p><p>また同じ現象が現れることでしょう。 </p><p>自らの心が変わらない限り</p><p>周りの現象は、根本から解決することはありません。</p><p> </p><p>「天、自ら助くる者を助く」という言葉があります。</p><p>自分自身で、自分の心を見つめなおし、</p><p>一歩一歩、もともとの清浄な心に近づけていくことが幸福への王道だと思います。 </p><p>心がもともとの清浄な状態に戻るまでは、神さまは、沢山の環境を与えてくださいます。</p><p>・病気</p><p>・貧困</p><p>・別れ</p><p>・死</p><p>・裏切り</p><p>・いじめ </p><p>これらを通じ、ボロボロになりながらも、魂は磨かれ、鍛えられ</p><p>ついには、このような環境の中でさえ、感謝の心」が芽生えることができた時、 </p><p>この出来事は役割を終えます。 </p><p>このような環境の中に置かれた時、 </p><p>安直に、</p><p>・誰かに依存するのではなく、</p><p>・丸投げするのではなく、 </p><p>じっくり、その感情を自ら味わった後、 </p><p>神さまは「何故、その環境を今、与えてくださったのか?」</p><p>深く考え、感謝の心に変化させたいものです。 </p><p>感謝の心が芽生えた時、 </p><p>その環境を引き寄せた、心の灰汁(あく)が消滅し、</p><p>神さまからいただいた、もともとの清浄な魂が顔を出してくれることでしょう。 </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhVkp3HNr5q-O4GprxjuQiKOCuM64SqUkWJX5xIOt-zgXMRpx1ZGYCRirnBXorbj7h0CkufdvDY5kTFtrT0hn9wHd7R1H4pc3LxRgC9zmPLQWzxQYK6V1iSDCAu6AshyphenhyphenAQrd5gdb8x3IgRzq_WzpupVwOnOQrmUXB6uGKVUb13GVL64yeQunoe3tEkg1gGm/s312/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="208" data-original-width="312" height="208" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhVkp3HNr5q-O4GprxjuQiKOCuM64SqUkWJX5xIOt-zgXMRpx1ZGYCRirnBXorbj7h0CkufdvDY5kTFtrT0hn9wHd7R1H4pc3LxRgC9zmPLQWzxQYK6V1iSDCAu6AshyphenhyphenAQrd5gdb8x3IgRzq_WzpupVwOnOQrmUXB6uGKVUb13GVL64yeQunoe3tEkg1gGm/s1600/3.png" width="312" /></a></div> <p></p><p><br /></p><p><br /></p><p><b><u>「美しい魂」</u></b></p><p><br /></p><p>諸行無常という言葉があります。</p><p>時は刻々と変化し、この地上にあるものは、一時も同じ状態にあるものはなく、変化を続けています。</p><p>変化の力こそが、この宇宙の進化の推進力となるからです。</p><p>唯一変化しないもの。</p><p>それは神様の真理だけです。</p><p>人間である私たちも、同じ場所に立ち止まってばかりいるわけにはいきません。</p><p>取り巻く環境も変化をするし、家族、友人を含め、人とのつながりも変化していきます。</p><p>出会いがあり、別れが繰り返されます。</p><p>時には死によって強制的な別れがもたらされることもあります。</p><p>数年前まであんなに仲良く一緒にいた人たちが、今ではほとんど接触がなかったり疎遠になったり。</p><p>逆に、昨年まで見ず知らずの人たちが、新しい友人として、存在したり。</p><p>毎週毎週、親しくお付き合いしているかもしれません。</p><p>永遠に続くと思われた家族との幸せ。</p><p>もしかしたら、それも突然の死によって、終わりを告げるかもしれません。</p><p>私たち人間は、深い悲しみやショックを受けると時が止まり、その状態から抜け出せなくなります。</p><p>ひどいときには自分の魂が分割してしまい、その一部を、その時間と空間に置いてきてしまうことさえあります。</p><p>生霊と同じ原理です。</p><p>魂を分裂させた場合、本来のエネルギー100%の状態から、グンと生命エネルギーが減少します。</p><p>そのままの状態では、私たちの魂の属するグループ全体は進化の道を行くことができませんから、必ずいつかどこかでどこかの時間で、私たち自身が分断された魂を集めなおし統合するしかありません。</p><p>深い悲しい出来事は、私たちの魂にショックを与え、生まれて来た目的を一旦ストップさせ、</p><p>長く続く悲しみの中で、まるで明けることのない暗闇の中に放り込まれたような感情を味わうかもしれません。</p><p>そのショックが起きた時と、空間に魂の一部を置いてきてしまうかもしれません。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiouofK1xxVRb3fiKwtlzIGGrEUV2o6BbduBeyGGuSZJu2lpJZwToycCZcv7r-FtK93sg0_8awHlXNcmKbuuzDgSGqX_xUNtmDnybwqgchgdJHjIOO19Nw0-5Mh0-D0TS5TCscDDwz8V3bIKeoei1l44N0tdYcic7tznhxTkIoTgCcOy2mF9AemlLtClpaC/s304/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="228" data-original-width="304" height="228" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiouofK1xxVRb3fiKwtlzIGGrEUV2o6BbduBeyGGuSZJu2lpJZwToycCZcv7r-FtK93sg0_8awHlXNcmKbuuzDgSGqX_xUNtmDnybwqgchgdJHjIOO19Nw0-5Mh0-D0TS5TCscDDwz8V3bIKeoei1l44N0tdYcic7tznhxTkIoTgCcOy2mF9AemlLtClpaC/s1600/4.png" width="304" /></a></div> <p></p><p>ですが、その「深い悲しい出来事」も、本当は、私たちが生まれてくる前に計画してきたことです。</p><p>「深い悲しい出来事」を与えてくださった方々も、私たちの今世の計画に協力するために、</p><p>その計画を手伝い、「深い悲しい出来事」を起こしてくださいました。</p><p>全ては、私たちに「悲しみ」という強い感情を味合わせ、それを契機として、魂の進む方向性を変えるためです。</p><p>そのために、嫌な役回りを引き受けてくださいました。</p><p>もし私たちが、その「深い悲しい出来事」のために魂の進化の停滞を起こし、何時までもいつまでも明けることのない深い暗闇の中の住人でいたとしたら、その嫌な役を敢えて引き受けてくださった方々はどう思うでしょうか?</p><p>それは、</p><p>・早くに亡くなる子供かもしれません。</p><p>・とことん意地悪をしてくる同僚かもしれません。</p><p>本当は、そのような人たちも、光り輝く魂の持ち主でした。</p><p>今世に置いて、約束した役割を果たすために、その輝く魂を一旦封印しているだけです。</p><p>もし、そのお相手の方が、まだ生きていらっしゃるなら、その約束してきた役割が全うされた暁には、本来の光り輝く、美しい魂の輝きを、思う存分に、生きてるうちに現してくださることでしょう。</p><p>もし今、嫌な方が周りに居られるのなら、感謝の気持ちで、今世の役目が早くに全うされるのを祈ることが良いかもしれません。</p><p>役割さえ果たされれば、本来の美しい魂に、そして二人の間にあった本来の美しい友情関係に戻れるからです。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiF0Se4yml5afI9eIDlyE31e6GFufm-w5s5qcmlCkcaW_xlHChKrTKluNuV5q2Ig4Ampe5CaObNZ1VGz9ShaFxcrM4Yct-2mIF8CEnT1nAlUrcvGDVXpSFxug4qWLfQQV0c0xn5PQDxPEY-P-_PvGkCT66vy8RC7hZaki2cQGPRdCSO3fMhWGpUCM5hCESd/s307/5.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="204" data-original-width="307" height="204" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiF0Se4yml5afI9eIDlyE31e6GFufm-w5s5qcmlCkcaW_xlHChKrTKluNuV5q2Ig4Ampe5CaObNZ1VGz9ShaFxcrM4Yct-2mIF8CEnT1nAlUrcvGDVXpSFxug4qWLfQQV0c0xn5PQDxPEY-P-_PvGkCT66vy8RC7hZaki2cQGPRdCSO3fMhWGpUCM5hCESd/s1600/5.png" width="307" /></a></div><br /><br /><p></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-27840682689141372752024-03-12T00:00:00.002+09:002024-03-12T00:00:00.132+09:003364「心に目を向ける」2024.3.12<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月04日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「心に目を向ける」</u></b></p><p><br /></p><p>目には見えない心とは、 </p><p>・神様の心</p><p>・先祖の心</p><p>・そして表には現れない人々の美しき思いやりの心 </p><p>のことです。</p><p>この宇宙は、循環を繰り返し、バランスの上に成長、発展してきました。 </p><p>私たちにとっての身近な循環は</p><p>・生と死、</p><p>・生きている今と、死後の世界(黄泉の国) </p><p>この世に生まれ、死に、黄泉の国に生まれ、再びこの世に生まれ</p><p>先祖のDNAが子孫に引き継がれ、生命を全うする</p><p>などのことです。</p><p>それでは、今日は元春日大社宮司で、日本の草分け的な形成外科医だった、</p><p>葉室頼昭さんのお話をご紹介します。</p><p>古くから日本人の中にあった、美しい心についてです。</p><p><引用開始> 引用元 </p><p><br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhE3kmnKtj0_nhz2VH0nn0EL1RdImgCxSPiz7_Oy4j2tjojT1JFmBF9K-eK72PL2g4hsXCczhGp1SOdTdwqdHETBIt8M18DpWKFrQ4NaaTESsXKY8ApnOzszLRUBAchuAuyQUkAm-p9AhWsl-kZms9oc-Wn6pEbOkeopVEsY1R4-QfkenbT3HjB4GC6D6AH/s327/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="219" data-original-width="327" height="214" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhE3kmnKtj0_nhz2VH0nn0EL1RdImgCxSPiz7_Oy4j2tjojT1JFmBF9K-eK72PL2g4hsXCczhGp1SOdTdwqdHETBIt8M18DpWKFrQ4NaaTESsXKY8ApnOzszLRUBAchuAuyQUkAm-p9AhWsl-kZms9oc-Wn6pEbOkeopVEsY1R4-QfkenbT3HjB4GC6D6AH/s320/1.png" width="320" /></a></div><br /><p></p><p>この世の中のすべてのものは、</p><p>はじめにそれを作ろうという心から生まれています。</p><p>例えば、お茶碗ひとつとっても、それを作ろうという心がはじめになければ</p><p>お茶碗は存在していません。</p><p>この宇宙も150億年前にビックバンという大爆発が起こってできたと言われていますが、</p><p>このビックバンも何もないところから偶然起こるはずがありません。</p><p>これもはじめに宇宙、太陽、地球を作ろうという神様の御心によって</p><p>ビックバンが起こったわけです。</p><p>そしてなぜ神様が地球を作ったかといいますと、</p><p>神の世界を認めて、それを表現できる人間を作ろうという神様の御心があったからです。</p><p>すべての存在は、自分自身を客観的に見ることはできません。</p><p>自分を鏡で映して見たとしても、それは光に反射した自分の像を見ているだけで</p><p>本当の自分を見ることは自分以外の他人でしかできません。</p><p>そのため、人というのは自分で自分を称賛するよりも、</p><p>他人から「立派だ」とか「美しい」と認められて褒められたほうが嬉しいわけです。</p><p>そして神様も自分自身を客観的に見ることはできないので、</p><p>神様自身を認めて、それを表現できる人間を作られたわけです。</p><p>そのことを直感的に知っていた太古の日本人は自分達の願いをお願いするのではなく、 </p><p>ただひたすら神様をお喜ばせするために、真剣におまつりをおこなってきました。</p><p>そのおかげで今でも日本という国が反映しているわけです。</p><p>このように今、こうして宇宙や地球、自分達が存在しているのは</p><p>目に見えない神様の御心のおかげということを常に感じることが大切です。</p><p>現代では外見や結果ばかりを見て、その裏にある心というものを、見ていない人が増えてしまったため、現代のような日本始まって以来の乱れた国となってしまいました。</p><p>スポーツなどでも、メダルが何個取れたとか、勝敗だけを見て判断するのではなく、</p><p>その裏にある、どれだけその舞台に立つまでに</p><p>苦労や挫折があったのかといった選手の「見えない心」に目を向けて称賛するべきです。</p><p>自分が何かを成し遂げたときも、</p><p>「自分が頑張ったからうまくいった」というのは思い違いで、</p><p>実は「神様とご先祖様に守られて、周りの人のおかげで無事にできた」というのが真実です。</p><p>秋の紅葉を見ても、ただ綺麗だなというだけでなく、人間にそのような美しい安らぎを見せてくれている、神様の優しい御心に手を合わせることが人間として大切なことです。</p><p>「自分達が今あるのは神様とご先祖様のおかげ」</p><p>「何かあったら、他人(ひと)様のおかげ」と、</p><p>結果だけでなく、ものごとの後ろにある「見えない心」に目を向けて、感謝することが大切です。</p><p><引用終了></p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiZzVpUC1CIVrqeJQ3Ivst6clGhEAc1iwzpktB5g1nFc8V-uBrfuVOOQghL_Tul9K_gXGsDWHhiqMefBMlnXRu2svfSD9zvKqXUc39wcDWFkrn2Uft5BCr_znVN4unVwY4q3-1SGIJvec6go4nzotD1hyphenhyphenzBojTuxhaYyJCuBvH3H3H3MT05J0SrAplhZvNQ/s338/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="225" data-original-width="338" height="213" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiZzVpUC1CIVrqeJQ3Ivst6clGhEAc1iwzpktB5g1nFc8V-uBrfuVOOQghL_Tul9K_gXGsDWHhiqMefBMlnXRu2svfSD9zvKqXUc39wcDWFkrn2Uft5BCr_znVN4unVwY4q3-1SGIJvec6go4nzotD1hyphenhyphenzBojTuxhaYyJCuBvH3H3H3MT05J0SrAplhZvNQ/s320/2.png" width="320" /></a></div> <p></p><p>致知出版社社長の藤尾秀昭さんが言うには、令和元年、日本は皇紀2679年。</p><p>海に囲まれた小さな島国が、さまざまな試練を経ながら</p><p>高い民度と文化を備え、今日まで発展してきたのはなぜだろうか?</p><p>ということで石巻とギリシャを対比させてお話しています。</p><p>3.11で甚大な被害を被った石巻、そこには港を見下ろす丘に、大きな神社があるそうです。</p><p>そこの神社のお祭りでは、町を挙げて祝っていたそうです。</p><p>神話でおなじみのギリシャ。</p><p>海を祀(まつ)るのはギリシャも日本も同じですが、ギリシャの神ははげ山の中の遺跡と化している。</p><p>しかし、ここ石巻の神社がそうであるように、</p><p>日本の神は豊かな鎮守の森に包まれて社に鎮守し、住民がこぞって祝ってきました。</p><p>古代ギリシャ文化はもはや死んでしまったが、古代日本文化はいまもまさに生きている</p><p>日本の神は豊かな鎮守の森に包まれて社に鎮守し、住民がこぞって祝っている</p><p>この事実が物語るものは、ギリシャ神話は有名だが、神々の系譜は神話の中だけで完結、断絶し、いまに繋がっていない。</p><p>これに対して日本は、天照大神の系譜に繋がる天皇という具体的な(象徴的な)存在を軸に、</p><p>我われの先祖は目に見えないもの、人知を超えたものを畏敬し、尊崇する心を、二千年以上にわたって持ち続けてきた、ということです。</p><p>そして、この民族の魂は今日もなお生き続けている、ということです。</p><p>目に見えないものへの畏敬、尊崇の念は、</p><p>自らを律し、慎む心を育んでいきます。</p><p><引用終了></p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhZpobeAqTo99yl1VOzqn1rRO-qrfZWNdkF7WMte-kWWqjB2rvBzauA3fjzFoXzuHdhYIo5AkzTvqatq1SUVTrjDnIjhCC3_ILScv3Bte9vauS4AwCT0Zlvyip2a6Wc5vyJm0PUMdHebUDjzfYGcfus7IMEmo0eZm6AvxAJ4blupDJ8zfTukdeLYl-I25fM/s329/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="219" data-original-width="329" height="213" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhZpobeAqTo99yl1VOzqn1rRO-qrfZWNdkF7WMte-kWWqjB2rvBzauA3fjzFoXzuHdhYIo5AkzTvqatq1SUVTrjDnIjhCC3_ILScv3Bte9vauS4AwCT0Zlvyip2a6Wc5vyJm0PUMdHebUDjzfYGcfus7IMEmo0eZm6AvxAJ4blupDJ8zfTukdeLYl-I25fM/s320/3.png" width="320" /></a></div> <p></p><p>私たち日本人には古くから </p><p>・神様のおかげ</p><p>・ご先祖のおかげ</p><p>・周りの人々のおかげ</p><p>という謙虚で、美しい感謝の心であふれていました。 </p><p>古くからの日本人の心に根付いていた自然を敬う気持ち、これらのことを古神道(の心)とも言いますが、教祖もないし、教義もない誰も強制などしないし、お布施もない。 </p><p>人の恐怖心を煽って、何かさせようともしない。 </p><p>宗教とはかけ離れたものです。</p><p>明治以降、日本人の心の中から、このような美しい気持ちが薄れてきました。 </p><p>西洋の物質文明(今だけ、金だけ、自分だけ)が入ってきたからです。</p><p>見えない美しい心は否定され、理屈だけの、白か黒か、物質的な成果だけが評価される文明に変えられてしまいました。 </p><p>また戦後のGHQによる戦後教育も美しく、強靭な心を持つ日本人を恐れ、永遠に立ち上がれなくさせるための政策でした。 </p><p>自分の国の文化や文明、歴史を否定した民族の未来は滅びしかありません。 </p><p>私たちは、縄文から延々と続く美しい日本の伝統をことごとく否定され、恥ずべきものとして戦後教育を受けてきました。</p><p>敗戦後、一気に変えられてしまいました。 </p><p>まさに、明治の文明開化に続く、日本存亡の危機の時でした。 </p><p>日本の神々も、この時、大きく動きました。</p><p>日本と、日本人の危機だったからです。 </p><p> <table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjmlDGsST2NwUUngcnnT5KTgwJv68kDO2-oVghLQEMpwLP0fb4s1ns83ppEgimkjtCL6VguonYMEo1XIjMdqhdQLcqDzngA19nCzoyaVgVXyrw09oF7E9RHlTcslqvkeqyTeAOXqcuVCiP0crBpzxpc_yA2HK1NAGaTRi5j-vh62AcdMW1TJPG65wGY0XiS/s384/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="384" data-original-width="288" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjmlDGsST2NwUUngcnnT5KTgwJv68kDO2-oVghLQEMpwLP0fb4s1ns83ppEgimkjtCL6VguonYMEo1XIjMdqhdQLcqDzngA19nCzoyaVgVXyrw09oF7E9RHlTcslqvkeqyTeAOXqcuVCiP0crBpzxpc_yA2HK1NAGaTRi5j-vh62AcdMW1TJPG65wGY0XiS/s320/4.png" width="240" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="text-align: left;">妻戸神社</span></td></tr></tbody></table></p><p> ですが、縄文から1万年以上も培ってきた</p><p>美しい日本人のDNAは、そうやすやすと絶えることはありません。 </p><p>何かのきっかけで、必ず思い出すはずです。 </p><p>・神様のおかげ</p><p>・ご先祖のおかげ</p><p>・周りの人々のおかげ</p><p>という謙虚で、美しい感謝の心。</p><p>その時こそ、神々の計画、今まさに始まった「精神性の復活」の時に </p><p>日本人が貢献できる時かもしれません。</p><p> </p><p><br /></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-87585635528118469612024-03-11T00:00:00.003+09:002024-03-11T00:00:00.130+09:00 3363「お陰さま」2024.3.11<p>今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月03日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「お陰さま」</u></b></p><p><br /></p><p>今日も、ご縁のある皆さんに、生きている今の物質の世界、</p><p>また死後の見えない非物質の世界(黄泉の国)を、幸せに生きる秘訣、 </p><p>心をテーマに書きたいと思います。 </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjBZBiAhDEK_BDkwkruy8CTeRCATbKw-4dxnsrcEIrK9B8GZfPjwYj7wYHDrGIcuNU08l1BabflKZN-eCuF7j98FFv1Mq8mNdcBytDgxjKbinm0pypNbhFt_Go3xJKGcdAriqrAyPB8yoJ3HYZO5HYW5VITSQCHI4FZwMJzSknsCe4oIlgwrgjEyuAL0G_n/s281/1.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="185" data-original-width="281" height="185" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjBZBiAhDEK_BDkwkruy8CTeRCATbKw-4dxnsrcEIrK9B8GZfPjwYj7wYHDrGIcuNU08l1BabflKZN-eCuF7j98FFv1Mq8mNdcBytDgxjKbinm0pypNbhFt_Go3xJKGcdAriqrAyPB8yoJ3HYZO5HYW5VITSQCHI4FZwMJzSknsCe4oIlgwrgjEyuAL0G_n/s1600/1.png" width="281" /></a></div> <p></p><p>私が神社に行って、いつも唱える言葉の1つに、 </p><p>生きとし生けるもの、みんなが、お陰さまの気持ちで、生きられますように・・ </p><p>というのがあります。 </p><p>これには沢山の願いが込められているのですが、 </p><p>生きとし生けるものが</p><p>・お陰さまの、謙虚な気持ちで生きて行けますように</p><p>・助け合って生きて行けますように</p><p>・他人の個性、尊厳を認め、尊重して行けますように</p><p>・心が尊大になりませぬように</p><p>・他人を見下すことがありませんように</p><p>・おごり高ぶることがありませんように</p><p>など様々な意味を込めて、お祈りしています。 </p><p>私たち、みんなが、この「お陰さまの気持ち」を持って謙虚に生きられたら、 </p><p>他人を思いやる優しい気持ちで生きられたら </p><p>この世の中からギスギスした雰囲気が消え </p><p>春の日差しのように、心地よい、温かな光に包まれることでしょう。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgivqQbs8kvnAOTgyRjmlOngd_fapeumKQbIqeky46C_0Zj2crBxgRPXvG-kFI0z6Q_eHDgHjmVmxCVgvzdU1YNbooRwYopPrEHYrHMcIfIKElZBo6X6objrnfcivuuKXO1GswEL3C0h5rNDR7AbjPfFMHk7JvlS-LrU5m_o55ybwob8PJEQ2dZ5_53Hg1b/s358/2.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="150" data-original-width="358" height="134" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgivqQbs8kvnAOTgyRjmlOngd_fapeumKQbIqeky46C_0Zj2crBxgRPXvG-kFI0z6Q_eHDgHjmVmxCVgvzdU1YNbooRwYopPrEHYrHMcIfIKElZBo6X6objrnfcivuuKXO1GswEL3C0h5rNDR7AbjPfFMHk7JvlS-LrU5m_o55ybwob8PJEQ2dZ5_53Hg1b/s320/2.png" width="320" /></a></div> <p></p><p>そこに住む、みんなの顔が、笑顔で溢れ、笑い合って暮らしていけることでしょう。</p><p>そんな、願いを込めて、お祈りしています。</p><p>さて、このお陰さまに関して、とっても良い詩があります。</p><p>上所重助さんと言う方が書いた「おかげさま」という詩です。</p><p>以前も掲載したことがあったのですが、ご紹介します。 </p><p><引用開始> 引用元</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgysWH9Vj69Txqx8eBH1FiQHMOXoyGsNq-d9uipy8LO_OFfFgnxVaF6oJuD3VZA_vcppB_1yaP41k2-m_YvQBZqvMOX4fng60VC8IQ-pikLB9seqi3d-JNpt5fikm0fhyphenhyphenhE-mhXeWznhT3MnGzfek64TYuNYGdQlqDvkJCKdRTO6TMqegof9fa_CPQTvVHH/s236/3.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="236" data-original-width="202" height="236" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgysWH9Vj69Txqx8eBH1FiQHMOXoyGsNq-d9uipy8LO_OFfFgnxVaF6oJuD3VZA_vcppB_1yaP41k2-m_YvQBZqvMOX4fng60VC8IQ-pikLB9seqi3d-JNpt5fikm0fhyphenhyphenhE-mhXeWznhT3MnGzfek64TYuNYGdQlqDvkJCKdRTO6TMqegof9fa_CPQTvVHH/s1600/3.png" width="202" /></a></div> <p></p><p>夏が来ると「冬がいい」と言う</p><p>冬が来ると「夏がいい」と言う</p><p><br /></p><p>太ると「痩せたい」と言い</p><p>痩せると「太りたい」と言う</p><p><br /></p><p>忙しいと「暇になりたい」と言い</p><p>暇になると「忙しい方がいい」と言う</p><p><br /></p><p>自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い</p><p>自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う</p><p> </p><p>借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる</p><p>金を持てば 古びた女房が邪魔になる</p><p>所帯を持てば 親さえも邪魔になる</p><p> </p><p>衣食住は昔に比べりゃ天国だが</p><p>上を見て不平不満の明け暮れ</p><p>隣を見て愚痴ばかり</p><p> </p><p>どうして自分を見つめないのか</p><p>静かに考えてみるがよい</p><p>一体自分とは何なのか</p><p><br /></p><p>親のおかげ</p><p>先生のおかげ</p><p>世間様のおかげの固まりが自分ではないか</p><p><br /></p><p>つまらぬ自我妄執を捨てて</p><p>得手勝手を慎んだら</p><p>世の中はきっと明るくなるだろう</p><p>「俺が」、「俺が」を捨てて</p><p>「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい </p><p><引用終了> </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjppe2McKxrqhZwB_Xok362xab5hNnIgL9O9R_HatcOQ_P31L_erqDComChvMWK9RVb07X1oHwrhsjJ4BDJr7kULLUC4f4GnfpWcCtM3DkWpnrHdfbj4-YgpDtJZpYOuICE7bCdixU6Pr8zR6aM62vuOY0WcvyVzD4q_NiF91XEaBwnN4B1Vz4NuTlfBVu-/s289/4.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="193" data-original-width="289" height="193" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjppe2McKxrqhZwB_Xok362xab5hNnIgL9O9R_HatcOQ_P31L_erqDComChvMWK9RVb07X1oHwrhsjJ4BDJr7kULLUC4f4GnfpWcCtM3DkWpnrHdfbj4-YgpDtJZpYOuICE7bCdixU6Pr8zR6aM62vuOY0WcvyVzD4q_NiF91XEaBwnN4B1Vz4NuTlfBVu-/s1600/4.png" width="289" /></a></div> <p></p><p>本当にその通りですね。 </p><p>私たち人間は結構、我がままです。 </p><p>その我がまま(我欲)が本来の魂の輝きを隠し、罪、穢れとして付着してしまい。 </p><p>運命を暗く、苦しいものにしてしまいます。 </p><p>人生が順調の時は、どうしても、「お陰さま」の気持ちを忘れがちで、</p><p>尊大な心になることもあります。</p><p>そんな時は、もしかしたら他人に対する、優しさを忘れてしまっているかもしれません。 </p><p>自分の思い通りにならなければイライラしてしまうかもしれません。 </p><p>感受性が鈍り、</p><p>すぐそばに居る人の、瞳の奥に隠れた </p><p>・寂しさ</p><p>・悔しさ</p><p>・不安</p><p>・恐怖</p><p>・ひもじさ </p><p>などを見過ごしてしまうかもしれません。 </p><p>もしかしたら</p><p>死別や病気やケガ、急なリストラ、貧困、離別などは、</p><p>神さまが、私たちに大切な「お陰さま」の気持ちを思い出させるために</p><p>起こしていることかもしれませんね。 </p><p>もし、私たちの心が、お陰さまの感受性を持つならば、 自然と感謝の気持ちに溢れ、 </p><p>「ありがとう」の言葉が、口から出てくることでしょう。</p><p>そして、既に、その時は、生きながら、天国を実現している状況です。</p><p>まさに空海の仰った言葉の通りの状態です。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEip-ve6TUL3sALMIr-XvsKMs9it7dOny89MsEjfI4qzXH_4XJF0FfMQKojuM4BmPpb09Zk95p5wHeCGAf4on03cGudmOWWt1RWy2sljO28upOaLzdQmpRx1NZUiXUANrgkJP8SdEBai90yMaS3_mNYgGAgJbOzZOcTTZtmfcZH6MqOEzeCrNt6uNvTKYMW1/s281/5.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="186" data-original-width="281" height="186" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEip-ve6TUL3sALMIr-XvsKMs9it7dOny89MsEjfI4qzXH_4XJF0FfMQKojuM4BmPpb09Zk95p5wHeCGAf4on03cGudmOWWt1RWy2sljO28upOaLzdQmpRx1NZUiXUANrgkJP8SdEBai90yMaS3_mNYgGAgJbOzZOcTTZtmfcZH6MqOEzeCrNt6uNvTKYMW1/s1600/5.png" width="281" /></a></div> <p></p><p>空海は仰いました・・・ </p><p>生きとし生けるもの、すべてに命があり、心がある。</p><p>そのことを忘れてはいけないよ。</p><p>すべては、一人一人の命の働きから始まるのだ。</p><p>難しく考えることはない。</p><p>素直に生きて、皆に感謝をしなさい。</p><p>そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。</p><p>さすれば、道は開くであろう。 </p><p>空海は、そう仰ったのでした。 </p><p>生きながら天国に住む、仏の心になる。 </p><p>これが、空海の説いた即身成仏の意味です。 </p><p>皆で協力し、助け合い、お互いさま、お陰さまの </p><p>謙虚な気持ち、温かな気持ちで仲良く暮らしていきたいものですね。 </p><p>この「お蔭様」の感受性を持つことで、きっと幸せに暮らしていけると思います。 </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj3G7RXxxccLgnkCxoTUxJCskSKu0tvq8kq3cfo8zxWYcalgNpOaUIqmeF9ZTU3PyBB08MiZonDiCbWnCZe97VfZDUvzEjoXMCS6JCEPmVqJj4VIkYk6pt47sfS3I_5dDOZU_zVSsq3ZevGCy2VVqfZBQK5lncHT_-CPGXrA585fmhjgppBuKAAG5cafV4j/s262/6.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="174" data-original-width="262" height="174" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj3G7RXxxccLgnkCxoTUxJCskSKu0tvq8kq3cfo8zxWYcalgNpOaUIqmeF9ZTU3PyBB08MiZonDiCbWnCZe97VfZDUvzEjoXMCS6JCEPmVqJj4VIkYk6pt47sfS3I_5dDOZU_zVSsq3ZevGCy2VVqfZBQK5lncHT_-CPGXrA585fmhjgppBuKAAG5cafV4j/s1600/6.png" width="262" /></a></div><br /><br /><p></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-3658703909124587152024-03-10T00:00:00.001+09:002024-03-10T00:00:00.142+09:00 3362「生きる道」2024.3.10<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月02日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「生きる道」</u></b></p><p><br /></p><p>今日は「努力しない生き方」というお話です。 </p><p>この生き方は、現在の大きな時代の節目のただなかに生きる私たちにとって </p><p>生きる道の方向を指し示してくれています。</p><p>私たちは子供のころから「努力しなければならない」そう教わってきました。 </p><p>しかし、例えば、子供が不登校になったり、病気したりすると、途端に不安に陥り、右往左往してしまいます。</p><p>それはまるで</p><p>・競う</p><p>・争う</p><p>・比べる</p><p>の修羅の世界ですね。</p><p>それに対して、 </p><p>・競わない、</p><p>・比べない、</p><p>・争わない </p><p>生き方と言うのもあります。</p><p>今日は小林正観さんのお嬢様、慶子ちゃんのお話をご紹介します。</p><p>慶子ちゃんは知的障害で生まれてきました。</p><p><引用開始> 引用元</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhj7u-lR-Y13QFimEWwlbmfg0g4psdty2BFq0je59lpwrn6_DGZtbm3hxwiW7zVGzKW1cxUbsBm083wrG1E67RHt35JNifrdqBz0km9jXJofDV-_4pAcUK44eroy4zU2SoTw11bpcoeZVfoluEmSM5uoMD0R1THp2FxDa0KuANEGHvlQD78ynRieL6wG23E/s274/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="179" data-original-width="274" height="179" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhj7u-lR-Y13QFimEWwlbmfg0g4psdty2BFq0je59lpwrn6_DGZtbm3hxwiW7zVGzKW1cxUbsBm083wrG1E67RHt35JNifrdqBz0km9jXJofDV-_4pAcUK44eroy4zU2SoTw11bpcoeZVfoluEmSM5uoMD0R1THp2FxDa0KuANEGHvlQD78ynRieL6wG23E/s1600/1.png" width="274" /></a></div><br /><p></p><p>ニッコリ笑っていてくれるだけで、まわりを温かくし、光を発している知的障害の長女。</p><p>ここに人間の価値がある。</p><p>結婚して三年目にやっとできた長女は知的障害児で、努力やがんばることができません。</p><p>二十七になりますが、知能でいうと七歳くらいです。</p><p>日常生活にはなんの問題もありませんが、自分の名前を漢字で書いたり、足し算、引き算をしたりなどはできません。</p><p>しかし、この子は、自分より立場の弱い人、怪我をしている人を見れば、駆け寄って『大丈夫?』と手を貸すような子どもで、教えられることがたくさんありました。</p><p>小学校四年生までは運動会の徒競走が五十メートル、五年生と六年生は百メートルでした。</p><p>長女は小学校五年生まで、徒競走はずっとビリでした。</p><p>染色体の異状により、脳細胞や体の筋肉が普通の人の三分の一くらいしか発達しないため、</p><p>ものを持ったり、走ったり、歩いたりなど、なにかをする能力は三分の一くらいしかありません。</p><p>そのため、走るというより速歩きという感じです。</p><p>小学校六年生のとき、運動会に行く前、なぜか妻がとても楽しそうでした。</p><p>『今日はいつもより楽しそうだね』と言うと、</p><p>妻は『初めて徒競走でビリじゃない姿が見られるかもしれない』という返事。</p><p>どういうことなのかと尋ねたところ、次のような話しでした。</p><p>同級生の女の子が、運動会の一週間前に捻挫をして、包帯ぐるぐる巻いている状態だったそうです。</p><p>誰もが徒競走に出ないだろうと思っていたところ、 </p><p>『どうしても走りたい』と言い、困った先生は、最終組で長女と走らせることに。</p><p>健常児六人+捻挫した子と長女の合計八人で走ることになりました。</p><p>捻挫して、包帯を巻いている子と走ることになり、 </p><p>『長女が生まれて初めてビリではない姿を見られるかもしれない』と言い、</p><p>ニコニコ笑いながら朝、二人で手をつないで出かけて行きました。</p><p>夕方、ニコニコして帰ってきたので、『どうだった?』と尋ねると、</p><p>満面の笑みで、『それがまたビリだったのよね』という答え。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhJN6L6DiTkrE4zss6C_3OUtTP1TQD4HHpwf9hlDPePdZyrb4Fc3HAdAEjq9rVW0OyBQOPvnS4oeWejEQNEnpZMqHxoD8aKWR6VymOiiTrnNwytcoR9Y-wtU45XxGbTTRCXirMlBZN9rXqklAFcC13SAiwicfQ2NBlljWJz3I9XrFvtmMMrfqmKVjvSrFC4/s296/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="197" data-original-width="296" height="197" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhJN6L6DiTkrE4zss6C_3OUtTP1TQD4HHpwf9hlDPePdZyrb4Fc3HAdAEjq9rVW0OyBQOPvnS4oeWejEQNEnpZMqHxoD8aKWR6VymOiiTrnNwytcoR9Y-wtU45XxGbTTRCXirMlBZN9rXqklAFcC13SAiwicfQ2NBlljWJz3I9XrFvtmMMrfqmKVjvSrFC4/s1600/2.png" width="296" /></a></div> <p></p><p>すいぶん楽しそうな顔だったので、経緯を教えてもらいました。</p><p>健常児六人が五十メートルくらいのところを走っているとき、長女は十五メートルくらいの場所を走っていた。</p><p>捻挫をした子は十メートルくらいの地点を走っていたそうです。</p><p>長女は、後ろを振り返り、気にしながら前を走っていたところ、捻挫をした子が『キャッ』と言って転んでしまいました。</p><p>それを見た長女は『大丈夫?』と言って逆走し、その子を助け上げ、肩を支えながら、</p><p>一緒にトコトコと走ります。</p><p>ゴールする、前に捻挫をした子の肩をポンと押し、その子が先にゴールしたと、妻は言いました。</p><p>九十メートルくらいのところで、係のお子さんがゴールテープを取り直して張ったそうです。</p><p>父兄が二千五百人くらい来ていたそうですが、みんな立ち上がり、九十メートルあたりからは拍手をして応援してくて、感動的な光景だったと。</p><p>長女は捻挫した子を助けながら走ったにもかかわらず、最後のところで、自分は先に行かず、</p><p>彼女を先にゴールさせたということです。</p><p>妻が『それでまたビリだったのよねぇ。</p><p>そういう子どもだもんねぇ』と笑顔で言うのを、私は苦笑いして聴いていました。</p><p>しかし、その苦笑いしていた顔が、だんだん真顔に。</p><p>私は、父親から『努力しないやつはバカだ、クズだ』と何十万回と言われ続けて育ちました。</p><p>『どうもそうじゃないみたいだ』と思いながら生きてきたものの、長女の生き方が父親から教わったこととはまったく違い、衝撃を受けました。</p><p>私にとって人生観を根底から覆すような出来事だった。</p><p>そのため、一週間考えました。</p><p>一週間考えて出た結論は『長女の生き方が正しい』というものでした。</p><p>----------------------</p><p>ただ、私の魂がどちらの生き方を喜んでいるかと考えたときに、長女の生き方が本質だと思い、喜んでいる自分がいることに気がつきました。</p><p>----------------------</p><p>私たちは、小・中・高・大学・大学院、会社、社会、家庭というすべてのところで、 </p><p>・努力しないやつはバカだ、クズだ</p><p>・競いあい、比べあい、人より抜きん出ることが立派な人間である</p><p>・負けてはいけない</p><p>・成功しなければならない </p><p>と教えこまれてきました。</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiuZ7POKhOeEnZqC9e-B-vcHFWQt7rwZg2uxHwex8-mgrFiIFp5931eDnYtKR3r4T0XJKx24CVEu4Q-ZRiMe2S4QOkkETTTmMXvJRYFpUW-51igqWADpuP5N3YRtPD_4q5Ho1m0-z3u2OoH7JHhkZ2duwANOH8I9t6GLlV8EWgFDJR-qlNV50MlZQxPEBuZ/s319/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="212" data-original-width="319" height="212" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiuZ7POKhOeEnZqC9e-B-vcHFWQt7rwZg2uxHwex8-mgrFiIFp5931eDnYtKR3r4T0XJKx24CVEu4Q-ZRiMe2S4QOkkETTTmMXvJRYFpUW-51igqWADpuP5N3YRtPD_4q5Ho1m0-z3u2OoH7JHhkZ2duwANOH8I9t6GLlV8EWgFDJR-qlNV50MlZQxPEBuZ/s1600/3.png" width="319" /></a></div><p></p><p>しかし、『人間の価値は、それらとは違うところにある』この新しい価値観を長女が教えてくれたのです。</p><p>長女は、いつもニコニコしていて、私が家に帰ると、眠い目をこすりながら</p><p>『お帰り』と言って玄関先で迎えてくれます。</p><p>いつもニコニコしていて、楽しそうに、幸せそうに暮らしています。</p><p>『努力しないやつはバカだ、クズだ』という価値観とはまったく違い、</p><p>----------------------</p><p>ただそこにいるだけで、まわりの人に幸せを感じさせてくれる存在です。</p><p>----------------------</p><p>この子が笑顔でニコニコしているだけで、まわりをとても温かくし、和やかな空気にします。</p><p>小学校を卒業するとき、校長先生が次のようなコメントを書いてくれました。</p><p>『慶子さんの、笑顔とありがとうという言葉は、学校の中で最高のものでした。</p><p>これほど笑顔とありがとうの言葉が似合う子どもはいなかった』と。</p><p>私は父親から </p><p>・がんばらないヤツはバカだ、クズだ </p><p>と何十万回と言われて育ってきました。 </p><p>長女が生まれてこなければ、ずっとその価値観で過ごしていたでしょう。</p><p>しかし、わが家に知的障害児の子どもが生まれてくれたおかげで、人間の価値は、 </p><p>努力すること、がんばることではない、と教えられました。</p><p>長女は、ニッコリ笑っていてくれているだけで、まわりをとて温かくし、光を発しています。</p><p>ここに人間の価値があると教えに来てくれたのです。</p><p><引用終了></p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi_ACCpZVjkB5MexZHdmVqYlcaCyP-WMksWWYP3yCXCuSlDj7BxYN_A8y8FGHZPFJxpTLRe5ZIvOJ8F4i8X1aHA52wxRMYM1a6bBcSDm9AFo2Q7jmW3OVmLgSpzoRx4aqdMKM1VIKAWHPkNaQe0JEQP-zPJM9ymQ9zTYR8fdQHiosXp-zga0qlzX_9-tFU_/s260/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="208" data-original-width="260" height="208" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi_ACCpZVjkB5MexZHdmVqYlcaCyP-WMksWWYP3yCXCuSlDj7BxYN_A8y8FGHZPFJxpTLRe5ZIvOJ8F4i8X1aHA52wxRMYM1a6bBcSDm9AFo2Q7jmW3OVmLgSpzoRx4aqdMKM1VIKAWHPkNaQe0JEQP-zPJM9ymQ9zTYR8fdQHiosXp-zga0qlzX_9-tFU_/s1600/4.png" width="260" /></a></div> <p></p><p>2つの道のお話でした。</p><p>良い悪い、正しい、間違いと言うことは無いと思うのです。</p><p>人それぞれの人生ですから、ある方は、必死に努力し勝ち抜いて、人より地位や名誉、</p><p>お金を得る道が好きかもしれません。</p><p>ですが、いつも心が追い詰められ、</p><p>・もっともっと努力しなければ</p><p>・努力をやめたらおしまいだ</p><p>・一回失敗したら「負け犬だ」</p><p>などと思ってしまったら、きっと神さまから頂いた純粋な魂が濁ってしまいますね。</p><p>人と競わずとも、いつも精神的に追い詰められて「もっと上へ」と馬車馬のごとく</p><p>精神的にゆとりのない生き方でなくとも、 神さまは私たち全ての人に生きる道を準備してくださっています。</p><p>それは私たちが生まれる前に、神さまと一緒に決めてきた道です。</p><p>私たちは小鳥たちのように、運命の流れに身を任せ、全てに「ありがとう」と</p><p>感謝して生きていれば、上手に生きられるようになっています。</p><p>・お金持ちだから、</p><p>・地位や名誉があるから、</p><p>・大きな外車に乗っているから、</p><p>・広い家に住んでいるから、</p><p>・偏差値の高い学校を出たから・・</p><p>幸せなのではないと思うのです。</p><p>私たちの本当の幸せは、ブッダが説いた般若心経の教えのように、全ての自分に起こってくるコト。</p><p>良いことも悪いことも、肯定して受け入れ、そして感謝することで、得られるのかもしれませんね。</p><p>自分に起こってくる全てのコトは、私たちが生まれる前に神さまと一緒に、私たちの魂の成長のために、一番、必要なものとして、人生の必要な時期に起こるように。 </p><p>自分で人生に組み込んで、この地球に生まれてきたのですから。</p><p><br /></p><p><br /></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-28893640196254891932024-03-09T00:00:00.001+09:002024-03-09T00:00:00.136+09:00 3361「青空ひろば」2024.3.9<p>今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新記事を紹介します。</p><p><br /></p><p>1244 2024.02.29 ~ 1246 2024.03.02</p><p>Q.神前で個人的なお願いをしてはいけないという方がいるのですが?</p><p>A。祈りの究極は、「み心のままに」だというのは確かです。私も少しずつ、そんな心境に近づいていて、そんな心境になると、「神さまの意志の流れ」というものが肌で感じられるようになります。</p><p>そうすると、その「神流」に浮かんで運んでもらえるようになります。ちょっとの努力で、最大効果があがるような行動が出来るようになります。人生の関門が現れるたびに、次々自動ドアとなって開いてゆくような感じになります。フロー感覚といったり、スムージング効果といったりするそうです。私は「神流楽(かんながら)」といっています。</p><p>しかし、人は家族のこと、仕事のこと、人間関係のことなど、悩みが尽きませんし、そんな悩みを解決して下さいとお願いすることを神さまは許してくださっています。ですから、遠慮なく、どんなドロドロした願いでもいいから、神様に頼ってください。祈り、祈り、ひたすら祈るうちに、次第に心が澄み、最後は、「み心のままに」と、少しでも思えるようになった時、その願いは叶うのです。</p><p>ユリ・ゲラーのスプーン曲げの研究家によると、ゲラーが「曲げよう、曲げよう」と強く念じている間は曲がらなくて、念じるのをやめて気を抜いた瞬間からスプーンは曲がり始めるのだそうです。そこまでゆくと、後は気を散らして別のことをしていても、スプーンは自動的に曲がり続けるのだそうです。(完)</p><p><br /></p><p>1240 2024.02.25 ~ 1243 2024.02.28 </p><p>Q.「今・ココ」にイノチを落ち着かせるにはどうすればいいですか?</p><p>A.「アタマ(頭)」は「今・ココ」から漂い出してフラフラしがちですが、「カラダ(身体)」は、決して「今・ココ」から離れることはありません。ですから、「カラダ」に戻る工夫をすればいいわけです。</p><p>よく相撲の力士や水泳の選手が最後の仕切り(スタートの直前)に、「カラダ」をバシバシたたいたりしますが、これも、不安や弱気に意識がフラフラしがちなのを、「カラダ」への強めの刺激で意識を「今・ココ」に引き戻しているのです。思いの雑音が消えて、意識が「今・ココ」にあつまって、目標に向って全力投球出来るようになったら、その人は最高のパフォーマンスで行動できます。</p><p>あなたも、自分なりの「カラダ刺激」を考えて、不安やイライラの気持ちが強くなったなあと気づいたら、その動作をやってみて下さい。</p><p> 私の教え子は、テスト中に時々、右手の二本指で左の手首をトントンたたいていて、「何をしているの?」と尋ねると、「こうするとミスが少なくなるのです」と言っていました。ちなみにこの生徒は東大に進学しました。</p><p>ラグビーの五郎丸選手の、キック前の一連のルーチィンワークが話題になりましたね。これは、メンタルトレーナーと相談して順序だけでなく各動作の秒数まで決まっているのだそうです。このルーチィンワークに意識を集めることによって、無心状態に戻れるようにしているわけですね。(完)</p><p><br /></p><p>1228 2024.02.13 ~ 1239 2024.02.24 (前日の続き)</p><p>サッカーワールドカップの日本の戦いは終わりました(1998年フランス大会のこと)。記者会見における選手たちの笑顔を見れて嬉しく思いました。</p><p>それに、岡田監督ご苦労様でした。修羅道(しゅらどう,勝負の世界)に生きるというのは、なかなかに厳しいことですね。徹底的に非難されて、今度は手のひら返したように名監督と賞賛されて・・・。</p><p>でも、泣いても笑っても、岡田は岡田だ。オカダでオーケーだ、ということなんですね。</p><p>浮いている時も、沈んでいる時も、私はいつも私自身なんですからね。</p><p>一の目が出ても、六の目が出ても、サイコロはサイコロなんです。どんな目が出ようとも、どんな目に会おうと、サイコロの本体自身は揺るぎなくサイコロなんです(私は私,I am that I am. I am here.)。そこに落ち着かなければ、本当の安心はありません。</p><p>サイコロころころ/転がって/ほら一だ/ほら六だ</p><p>うれしい目/ひどい目 でも、それは目じゃない/君は目じゃない</p><p>君はほら/いつでもサイコロ/どこでもサイコウ</p><p><br /></p><p>『断碑(だんぴ)、古路(ころ)に横(よこ)たう』という禅語があります。古びた、苔むした石碑の断片が路傍に横たわっているのです。すっかり破壊されて破片化してしまっているし、苔むしてもいるので、もう文字は読めないんですね。だから、まったく値打ちがないようにみえます。</p><p>しかし、そのように見るのは、それは表面的な『アタマの見方』なんですね。</p><p>永遠無限からの見方、奥ゆかしい『いのちの見方』はまた別です。苔むして、文字が読めなくなればなるほど、侘び寂びてしみじみと美しいということがありますね。</p><p>なぜそんなものが美しいのかというと、断片となり、摩滅すればするほど、作品の全体像が判然せず、刻まれた文章も読めないので、そうであればこそ、『石』という本体だけが、現象のあれこれの姿、文字に誤魔化されることなく、はっきりと見えてくるということがあるからです。</p><p>実は、私は川井信一先生の石像が大好きなのです。どこが気に入っているのかというと、川井先生の作品では、『石』という素材が生かされているからです。</p><p>仏を彫っても、地蔵を彫っても、仏や地蔵が厚かましくしゃしゃり出て、本体の『石』を消し去って、殺してしまっているということがないのです。</p><p>川井先生は、そういう『石』という本質を失わないようにしながら、仏や、人や、石灯篭など・・・、さまざまなものをしっかり表現してくださっています。だから、作品に永久(とわ)な感じがするのですね。 </p><p><br /></p><p>さて、岡田ジャパンの話にもどって、はじめ岡田監督には、日本代表チームはこうあるべきだという全体像、そのためにはこうあるべきだという戦略があったでしょう。</p><p>先ほどの、石の例えで言うと、立派な石像が出来上がっていて(これがあるべき姿)、それには見事な文章が刻まれていた(これが戦略)わけです。</p><p>でも、実際に試してみたら、それはまったく通用しませんでした。これまで培ってきた自信はものの見事に粉砕され、つまり、立派な石像は粉砕されてしまって、岡田ジャパンはちっぽけな断片にすぎないということになってしまいました。</p><p>もうこんな断片にすぎなくなったら、はじめ立てていた戦略の立派な文章も全く読めなくなって、戦うたびに、更に混迷を深めることになってしまいました。</p><p>そうなった時、はじめて監督と選手たちは、真剣に話し合って、ちっぽけな断片にすぎないという、『等身大』の自分たちの実像を認めあい、弱い自分たちという現実を受け入れることが出来ました。これがとても大きかったのですね。つまりは、小さな石ころであるという現実をうけいれて、理想像を放棄し、石の表面の文字(戦略)を消し去ることができたのです(まず、黒板の文字をきれいに消さなければ、次の文字は書けません)。</p><p>さて、では次は「そんな弱い、小さな石ころにすぎない自分たちがどう戦うのか」という話になったのです。</p><p>そうして、今の自分たちに出来る、最善の戦略の文章を、その石の表面に刻むことができたのですね。これが、今回のワールドカップの勝因でした。</p><p>弱い自分たちなんだという現実を、強がり言っていないで素直に受け入れ、こうでなければならないという理想をすっかり放棄して、カラッポになった時、そんな謙虚な者たちには、必ず天の援けがやってくるのです。</p><p><br /></p><p>『人がいらないと捨てた石の断片が、世界を支える土台石になった』</p><p>(聖書より) (完)</p><p><br /></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-59087023113995106762024-03-08T00:00:00.001+09:002024-03-08T00:00:00.148+09:00 3360「心の中の神様」2024.3.8<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年02月29日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><u><b>「心の中の神様」</b></u></p><p><br /></p><p>小学生の神様トキ君の動画で自然は人間界の近未来姿を見せてくれるということで、 </p><p>私たちに近い将来起こるであろうことを、</p><p>自然が先取りして見せてくれるというものがあります。 </p><p><a href="https://youtu.be/Vx8x6WohCks" target="_blank">長野県「神戸の大イチョウ」の神様に呼ばれました!金色に光る神社✨✨今回は新緑が映えるとても素敵な景色でした😌これは、秋の金色に光る・・・輝くときにまた訪れたいです😌✨✨ youtu.be</a></p><p>10分過ぎ当たりです。</p><p> </p><p>この中で、近い将来、強いものはより強くなり、</p><p>弱者と強者の差がますます広がってしまう。</p><p>弱者は、強者によって支配される・・ </p><p>と言うものがありました。 </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg0dGa-5oXvTX_i-lHhr2X9aNLtyOyja68UM1L8ayFu_qPSKZ6KcYhWLWKnSSGB4f0952jTI-sKdJb1vLMbasdre2MP9HQEHA176KhEmewiPFGW8YK-KBRsXe_abJwIAH3dHrRhR58_iVLaz637K7yvzGer1Fv1nq4dZ4xoKD_p8ygwmIv163Th_qGXcT0b/s261/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="195" data-original-width="261" height="195" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg0dGa-5oXvTX_i-lHhr2X9aNLtyOyja68UM1L8ayFu_qPSKZ6KcYhWLWKnSSGB4f0952jTI-sKdJb1vLMbasdre2MP9HQEHA176KhEmewiPFGW8YK-KBRsXe_abJwIAH3dHrRhR58_iVLaz637K7yvzGer1Fv1nq4dZ4xoKD_p8ygwmIv163Th_qGXcT0b/s1600/1.png" width="261" /></a></div> <p></p><p>現在人間界では、マネーが世界をまさに圧巻しようとしています。 </p><p>国際NGO「オックスファム」は、</p><p>世界で1年間に生み出された富(保有資産の増加分)のうち82%を、 </p><p>世界で最も豊かな上位1%の人たちが独占していると発表しました。 </p><p>超エリートが、世界中の富を独占しています。 </p><p>そしてその差は広がり,マネーのためなら悪魔的な所業まで行われています。 </p><p>トキ君の映像では、</p><p>「では、私たちはどうしたらよいか?」という問いに対し、</p><p>「神さまを信じる事」と言っています。 </p><p>私もその通りだと思います。 </p><p>例え世の中の潮流がそのようになろうと</p><p>神様を信じる人々の心は、美しく汚されることがありません。 </p><p>同じ環境に置かれようと、見えない力が、私たちの魂を護ってくれることでしょう。 </p><p>それでは、今日は「心の中の神様」というテーマで書きたいと思います。 </p><p>ここでよく、「私たちの内にいらっしゃる神さま」と書いています。 </p><p>そして、その神さまと一人一人が繋がることで、</p><p>幸せになることができると書いてきました。</p><p>同時に、自分以外の他人の中にも神様がいらっしゃり</p><p>古くからの縄文時代から私達日本人は、自分を大切にして欲しいのと同じく、</p><p>他人の中にいらっしゃる神さまも尊重してきました。 </p><p>その結果、大陸からの影響で、弥生時代が始まるまで、</p><p>この日本では1万5千年にも及ぶ長きに渡り、</p><p>争いの無いユートピアを実現してきました。 </p><p>私たちの内に、神様がいらっしゃる。 </p><p>このことをトキ君も神さまからの通信として話しています。 </p><p><a href="https://youtu.be/7WjWQQv_V-A" target="_blank">神様から降りてきた質問。神様が伝えたかった事とは…⛩この動画が、1人でも多くの方の目に留まり・耳に届き・心に残りますように。 youtu.be</a></p><p>2分頃から</p><p> </p><p>この中で、神様(トキ君=山幸彦)は、こう言っています。 </p><p>人間が生まれる時</p><p>・肉体と</p><p>・その肉体に私たちの魂が宿り</p><p>・これから生まれる一生のうちに行うことを紙に書き、神様に承認していただき</p><p>・更に神様の分け御霊をアンパンマンのように頂いて生まれてくる </p><p>・また神さまの御霊(氣)が入らないと肉体は動かない</p><p>・ひらめきは、神さまからのプレゼント</p><p>・全てひらめき・直感通り、つまり神様の操縦に従っていれば上手く生きられる</p><p>トキ君が神さまからのお知らせとして、上記を語っています。</p><p>私たちの内にはどなたも神様がいらっしゃいます。 </p><p>人間だけでなく、生きとし生けるもの、無機物、気象などの現象にさえ</p><p>神様がいらっしゃいます。 </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg5c96tL86TuJrOeuFx7L2XLsYF6eABoI4xr_fZS3fwpKhDFiDvFSTuXgwq-In4Mn73ak7rap3H0UNMsdN8-YK26y7C9Xl8evYa90R9Eo70lZ812JcyYlospZ0tNT6cyk0XSmwmUzNwIbpDQFzL24iYryqPmriZq_WUaY9aSF0V53rMzUdnN76oIHnDOCfd/s350/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="175" data-original-width="350" height="160" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg5c96tL86TuJrOeuFx7L2XLsYF6eABoI4xr_fZS3fwpKhDFiDvFSTuXgwq-In4Mn73ak7rap3H0UNMsdN8-YK26y7C9Xl8evYa90R9Eo70lZ812JcyYlospZ0tNT6cyk0XSmwmUzNwIbpDQFzL24iYryqPmriZq_WUaY9aSF0V53rMzUdnN76oIHnDOCfd/s320/2.png" width="320" /></a></div> <p></p><p>ただ人間は直接的に神様を体現するために生まれて来ましたから</p><p>その分け御霊の濃度が、他と比べはるかに高いと思われます。 </p><p>私たちの内には神様が居り、神さまが私たちを動かし、様々な経験をさせてくださる。 </p><p>心を動かし、魂を震わす、喜怒哀楽の出来事</p><p>・良きことも</p><p>・悪く見えることも </p><p>そして内なる神様の働きを阻害する要因もあります。 </p><p>それが、自分さえ良ければの我欲です。 </p><p>内なる神さま、心を曇らせ、その輝きを奪い取ります。 </p><p>神さまの操縦が効かなくなります。 </p><p>そのため、このブログでは、 </p><p>・心を洗うこと、</p><p>・心を純粋にすること </p><p>を中心に書いています。</p><p>決して、自分以外の何者かに頼りなさいとは言いません。 </p><p>他人に依存する心も、内なる神々の力をそいでしまうからです。</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi9rLe715pMaynELAs-0e3_PG3ygcgrUe3PAWXQC9lpedHmYlYP6W6nPzqsHZn1gPHeVT4Yf1qlwIh54mV2ucSbnkumCcCIJXsqsH8hURkJoxjBYdOcpo9OeviomUSlds1sunuIBsEmSiRIN-j-Fqv1b_GvAP3MBlsVvZYrhjHRRfbd7FASgvXKStYiVssj/s314/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="233" data-original-width="314" height="233" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi9rLe715pMaynELAs-0e3_PG3ygcgrUe3PAWXQC9lpedHmYlYP6W6nPzqsHZn1gPHeVT4Yf1qlwIh54mV2ucSbnkumCcCIJXsqsH8hURkJoxjBYdOcpo9OeviomUSlds1sunuIBsEmSiRIN-j-Fqv1b_GvAP3MBlsVvZYrhjHRRfbd7FASgvXKStYiVssj/s1600/3.png" width="314" /></a></div><p></p><p>また日本に古来から伝わるお祓いも有効な手段です。</p><p>神々に対する深い信仰と、自分の心を清めたいという 自発的な信念が大切です。</p><p>私達一人一人の中に神様が居らっしゃいます。</p><p>ですから、</p><p>・私達の思いも、</p><p>・過去の歴史も、</p><p>・将来起こることも、</p><p>・行動も</p><p>全て見ていらっしゃいます。 </p><p>そして色んな出来事や、人との出会いや別れを用意したり、</p><p>豊な時や、貧乏のどん底の時を演出して下さり、</p><p>私たちの魂を磨き、輝かせ、私達を神様の所に、連れて行って下さっています。</p><p>そう、しっかりと信じることが出来れば、 </p><p>私達は、どんなに安心して、幸せを感じながら、生きて行くことが出来るでしょうか?</p><p>良い出来事、悪い出来事に見えても、</p><p>それら全部が、神様からのギフトなのですね。 </p><p>時代の大きな変化が加速している今、</p><p>皆様の心が、ご自身の内なる神さまに向かい、 </p><p>共鳴する、全ての生きとし生けるものとの愛と調和の世界に住むことができますように。</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj2PoeeyKa4G5NiH5SkXADJv_h45BbUsDT3ebfz-fdn7BbLrVZSOsTWnNJx92g3XbnXcx7stC_EoGhjQSnKr8TqHCcCMOwSwUMIDRcjSZZpOO66j73rSWVl9LqgQzQiGdCztQCSYMWJf5FUjEcjSavSIyvjL8wwLGpbjttShqF3CpPThyeAi1qBnxKLRmI0/s338/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="221" data-original-width="338" height="209" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj2PoeeyKa4G5NiH5SkXADJv_h45BbUsDT3ebfz-fdn7BbLrVZSOsTWnNJx92g3XbnXcx7stC_EoGhjQSnKr8TqHCcCMOwSwUMIDRcjSZZpOO66j73rSWVl9LqgQzQiGdCztQCSYMWJf5FUjEcjSavSIyvjL8wwLGpbjttShqF3CpPThyeAi1qBnxKLRmI0/s320/4.png" width="320" /></a></div><br /><br /><br /><p></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-66096899516808183582024-03-07T00:00:00.001+09:002024-03-07T00:00:00.290+09:00 3359「おかげ様の人生」2024.3.7<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年02月28日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「おかげ様の人生」</u></b></p><p><br /></p><p>私たちは同時に3つの世界を生きています。</p><p>・見えている世界。今の現実と思っている世界</p><p>・見えない世界。不思議の世界(黄泉の国、霊的な世界)</p><p>・心の世界</p><p>この3つです。 </p><p>そして今まで一番ないがしろにされてきたのが「心の世界」ですが、 </p><p>実は一番重要で、見える世界、見えない世界を変えてしまうほどの力があります。 </p><p>見えない世界は、一見、神秘的で不思議で、ワクワクさせてくれます。</p><p>見えない世界の、神様や龍、精霊、宇宙人など、何だか頼れば、</p><p>大きな力をくれそうな気もします。 </p><p>ですが、私たちの心が変わらなければそれも一時のこと。 </p><p>心を清浄にすること、ピュアにすること、感謝の気持ちで満たすこと、</p><p>このことの方が、何千倍、何万倍、何億倍も価値があり、</p><p>永続的な幸せの世界、神々の世界へ私たちを連れて行ってくれます。 </p><p>見えない世界の力をいくら手に入れようと、ご自分の心の世界の変化にはかないません。 </p><p>ご自分の心を鏡に映したとき、その姿を、まっすぐに見つめることはできますか? </p><p>それでは、今日も心をピュアにするためのお話です。 </p><p>ブッダが悟りを開いたとき、最初に気づいた宇宙の法則があります。</p><p>それが、「縁起(えんぎ)の法則」です。 </p><p>「縁(よ)りて起こる」</p><p>この意味は、自分の人生は、</p><p>・自分以外の、すべてのおかげ、</p><p>・神仏や、まわりのおかげで成り立っている。</p><p>自分の思いで成り立っているものは、何ひとつない。</p><p>人は、自分の思い、力、能力で未来を切り拓(ひら)き、</p><p>人生が変わっていくと思っているので苦悩する。</p><p>人間の苦悩の本質は「縁起」を認めないために起こっている。</p><p>この「悟り」を言い換えて言うと、あなたの努力や才能によって、</p><p>人生が組み立てられていることは一つもない</p><p>あなた以外のすべてが、あなたの人生を決めている</p><p>ということです。 </p><p>それでは、ここで、正法寺住職の青山俊董さんのお話をご紹介します。</p><p><引用開始> 引用元 </p><p> <br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhEw0iCmtSoTtHM5eRHrAiOwPYeYCbVcQVGXmBsiHleJlQDivvEHxdlF3xtsYipXX_XRAImEaPCZIpm44-wdiq0AVv-1Bge8S6TjXY36MaXcmf3UIGYn3htzvnWCnDYfyQRyv2SRF5xvFRryszbsqwOEgLR_2DB-a_myPZqp32TTBWOZGoJw-2OkAmiYOsX/s262/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="261" data-original-width="262" height="261" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhEw0iCmtSoTtHM5eRHrAiOwPYeYCbVcQVGXmBsiHleJlQDivvEHxdlF3xtsYipXX_XRAImEaPCZIpm44-wdiq0AVv-1Bge8S6TjXY36MaXcmf3UIGYn3htzvnWCnDYfyQRyv2SRF5xvFRryszbsqwOEgLR_2DB-a_myPZqp32TTBWOZGoJw-2OkAmiYOsX/s1600/1.png" width="262" /></a></div><br /><p></p><p>京都駅で拾ったタクシーの運転手さんが語りかけてきました。</p><p>「ご出家さんですね。お話をさせていただいてもよろしゅうございますか」と。</p><p>「どうぞ」と私は答えました。</p><p>「私は高校三年生の三学期に両親を亡くしました。</p><p>町会で河豚(ふぐ)を食べに行き、その毒にあたって一晩で亡くなりました。</p><p>いつもなら母親が早く起きてお弁当を作ってくださるはずなのに、</p><p>いつまで経っても音一つしないので、</p><p>“おかしいなあ?”と思って、両親の部屋の戸を開けてみました。</p><p>二人ともさんざん苦しんだ後、息が絶えておりました。</p><p>驚いて電話に走り、親戚の者が駆けつけて葬式は出してくれました。</p><p>借金はありませんでしたが、一銭の貯えもありませんでした。</p><p>私の下に五歳の妹がおりました。</p><p>父が出征しておりましたから、年はなれて妹ができた訳です。</p><p>高校三年の私と五歳の妹では</p><p>家賃がとりたてられないであろうというので、家主が追い出した。</p><p>私は五歳の妹を連れ、最小限度の荷物を持ち、安い六畳一部屋を借りて出ました。</p><p>両親に代わって妹を育てなきゃならないと思って、私は夢中になって働きました。</p><p>朝は新聞配達、昼は勤め、夜はアルバイトとメチャクチャ働いて、</p><p>二十二、三歳のときには、安いアパートを買うほどの金は作りました。</p><p>その間、私は働くことしか考えていませんでしたから、洗濯も炊事も掃除も何もしませんでした。</p><p>五歳の妹がしたことになります。</p><p>妹に勉強机の一つも買ってやりたかったのですが、</p><p>六畳一部屋に食卓と勉強机と二つおくと寝るところがなくなるから、</p><p>妹はかわいそうだけれど食卓を勉強机に兼ねてもらいました。</p><p>狭い家で育ったから妹は整理の名人になり、今、大きな家にご縁をいただいておりますが、</p><p>きれいに整頓されております。</p><p>考えてみましたら私なんか、もし両親が元気でいてくれたら、今ごろ暴走族か突っ張り族か、</p><p>ろくな人間にしかなっていなかったと思います。</p><p>もし両親が死んでくれても、金を残してくれたら今の私はなく、また妹がいなかったら淋しくでぐれていたでしょう。</p><p>両親はいない、金はない、幼い妹がいる。</p><p>私は本気にならざるを得ませんでした。 </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEioq9E56vlydh3rp2YP2NI9g945VJY8wq4wtwhAErx_7xD75CMvYk-ed1PrexN9Gb4EKi5lRTh64Tj-VaDMRHQAbL7IW8mGDAmJ4CoZRjeHOEXMyKAxYyzQxhUHhy6kt04gWpku5F-YP21MV_gBEryBCNteWWWEFIPVWQ-vut7d7vE10x4gsQwf-1Z7HYo6/s304/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="218" data-original-width="304" height="218" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEioq9E56vlydh3rp2YP2NI9g945VJY8wq4wtwhAErx_7xD75CMvYk-ed1PrexN9Gb4EKi5lRTh64Tj-VaDMRHQAbL7IW8mGDAmJ4CoZRjeHOEXMyKAxYyzQxhUHhy6kt04gWpku5F-YP21MV_gBEryBCNteWWWEFIPVWQ-vut7d7vE10x4gsQwf-1Z7HYo6/s1600/2.png" width="304" /></a></div> <p></p><p>私を本気にしてくれ、一人前の大人にしてくれ、男にしてくれたのは、</p><p>・両親が死んでくれたお陰、</p><p>・金を残してくれなかったお陰、</p><p>・家主が追い出してくれたお陰、</p><p>・幼い妹をつけてくれたお陰</p><p>と思い、毎日両親の位牌(いはい)に感謝の線香をあげております。</p><p>何もかも私を一人前の大人にするためのおはからいと感謝しております。</p><p>ただ一つ、妹がよいご縁をいただいて、花嫁衣裳を着たときは泣けました。</p><p>両親に見せたかった。</p><p>わずか三十分ほどの間の話でしたが、どんな立派な方の話よりもすばらしい話を聞くことができ、心から「ありがとう」といって車を降りました。</p><p>お釈迦さまは、この世の中には四種類の人がある、と説かれました。</p><p>・闇から闇へゆく人、</p><p>・闇から光へゆく人、</p><p>・光から闇へゆく人、</p><p>・光から光へゆく人と。</p><p>人生の幸、不幸を、光とか闇という言葉で表現することができるでしょう。</p><p>一般的にいって闇としか思えないことを、</p><p>・両親が死んでくれたお陰、</p><p>・金を残してくれなかったお陰、</p><p>・家主が追い出してくれたお陰、</p><p>・幼い妹をつけてくれたお陰で、</p><p>本気になれた、一人前の大人になれたと </p><p>全部「幸い」と受けとめ、光へと転じているよい例といえましょう。</p><p><引用終了></p><p> </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhOuENQ5atyLgWiRUB9tKxDZkXx7p4id4hNau-wHhTkKTptJunrWeg5HSKNELJMl780d7LI64EaB7f4yi-kIipDFxlPUCSlyAdlJ3mMRxykFOdMZjJ0ouUNAgIRJSH5IcYHMHyq7rs3P2fuv8PMBMibhEfWugonSbvTwzJB4AcxQsuX26UfgYYYWYE_c0Ci/s266/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="178" data-original-width="266" height="178" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhOuENQ5atyLgWiRUB9tKxDZkXx7p4id4hNau-wHhTkKTptJunrWeg5HSKNELJMl780d7LI64EaB7f4yi-kIipDFxlPUCSlyAdlJ3mMRxykFOdMZjJ0ouUNAgIRJSH5IcYHMHyq7rs3P2fuv8PMBMibhEfWugonSbvTwzJB4AcxQsuX26UfgYYYWYE_c0Ci/s1600/3.png" width="266" /></a></div> <p></p><p>私たちは、誰一人、他の誰かのお世話にならず、迷惑もかけず、 生きていける人はいません。</p><p>必ず、どこかの誰かのお世話になり、周りに迷惑を掛けながら生かされています。 </p><p>今の私があるのも、家族をはじめ、友人、職場の仲間 </p><p>・私を好きな人</p><p>・私が好きな人</p><p>・私を嫌いな人</p><p>・私が嫌いな人 </p><p>全てのお陰様で、今の私たちが形成され、ここまでの道のりを連れてこられてきました。 </p><p>辛く苦しい環境、辛く当たる人たちでさえ、今の私になるために、欠かすことができなかったのです。 </p><p>そのすべてのバランスと、タイミングを見計らい</p><p>人を連れてきて、その出来事を起こしてくださったのは、</p><p>私たちの魂の成長のために、常に心を砕いてくださっている神様です。 </p><p>私たちは、出会った人すべての人によって、今の私たちが形成されています。 </p><p>たとえ嫌いな人でも、人生に現れた人達は、全て私たちに経験をくれた人。</p><p>一人でも欠けていたら、今の私はありません。 </p><p>・私が嫌いな人</p><p>・私を嫌いな人 </p><p>そんな嫌われ役を、わざわざ引き受けて生まれてくださった方々です。</p><p>私たちに、苦い経験をさせてくれるために、敢えて苦しい立場を引き受けてくださいました。</p><p>クラリオン星から転生してきた小学生の久松奏拓(ひさまつ・そうた)君も言っていました。</p><p>嫌いな人や苦手な人を無理に 好きになろうとしなくていい。</p><p>良いとか悪いというジャッジもしない事。 </p><p>それは単に波長が違うだけなのだから。</p><p>私たちは、そんな風に思えたら、好きにならなくとも、感謝はできるかもしれませんね。 </p><p>感謝のあるところ、 </p><p>いえ </p><p>感謝のあるところにしか、神々の恩寵は現れることができません。</p><p> </p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-40694215223870711312024-03-06T00:00:00.001+09:002024-03-06T00:00:00.141+09:00 3358「人の幸せ」2024.3.6<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年02月26日「<u>人の幸せ</u>」と2024年02月27日「<u>否定の言葉</u>」の2つの記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「人の幸せ」</u></b></p><p><br /></p><p>今日のテーマは「人の幸せ」ということで、日本理化学工業の会長、大山泰弘三のお話をご紹介します。 </p><p>毎回そうですが、心を純粋にして、心の罪・穢れ(包身(つみ)、氣枯れ(ケガレ))を祓い、</p><p>私たちがもともと持っている、光り輝く神様の心を表に現して、何者にも、何事にも頼らず依存せず、大地にしっかりと自分の足で立ち、真っすぐに神様の光の方向へ進んで頂きたいからです。</p><p><引用開始> 引用元 </p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiQfYT_1pkULZrg-cheEcrckH37kQYkJ9bpJTSWP2r2z0hsDmEW9PxSDVfz824yLJ5JtdOny7z38jw5wQJGvw1x26EwVRT13nbfMEi37Ql4gepIqOdWudr3Xw4QtscH6jAAmrK0m7-UMKPJK1RpkGmShQsANAZ5rUTlcQ5kGqmF9d4-5GxO6VSruDBnaaL_/s359/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="188" data-original-width="359" height="168" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiQfYT_1pkULZrg-cheEcrckH37kQYkJ9bpJTSWP2r2z0hsDmEW9PxSDVfz824yLJ5JtdOny7z38jw5wQJGvw1x26EwVRT13nbfMEi37Ql4gepIqOdWudr3Xw4QtscH6jAAmrK0m7-UMKPJK1RpkGmShQsANAZ5rUTlcQ5kGqmF9d4-5GxO6VSruDBnaaL_/s320/1.png" width="320" /></a></div><p></p><p>二人の少女が入社した日のことは、今でもよく覚えています。</p><p>きれいに晴れた、暖かい日でした。</p><p>二人がタドタドしく挨拶するのを、社員たちは暖かいまなざしで見守っていました。</p><p>そして、拍手で二人を迎え入れたのでした。</p><p>「私たちがめんどうをみますから」という社員の言葉に嘘はありませんでした。</p><p>みなが二人の少女をかわいがり、本当によくめんどうをみてくれました。</p><p>彼女たちは、雨の日も風の日も、満員電車に乗って通勤してきます。</p><p>そして、単調な仕事に全身全霊で打ち込みます。</p><p>どうしても言うことを聞いてくれないときに、困り果てて「施設に帰すよ」と言うと、泣いて嫌がります。</p><p>そんなある日のことです。</p><p>私は、とある方の法要のために禅寺を訪れました。</p><p>ご祈祷がすみ、食事の席で待っていると、空いていた隣の座布団に、偶然にもご住職が座られました。</p><p>そして、こんな質問が思わず口をついて出ました。</p><p>「うちの工場には知的障害をもつ二人の少女が働いています。</p><p>施設にいれば楽ができるのに、なぜ工場で働こうとするのでしょうか?」</p><p>ご住職は私の目をまっすぐに見つめながら、こうおっしゃったのです。</p><p>「人間の幸せは、ものやお金ではありません。</p><p>人間の究極の幸せは次の四つです。</p><p>・人に愛されること、</p><p>・人にほめられること、</p><p>・人の役に立つこと、</p><p>・人から必要とされること。</p><p>愛されること以外の三つの幸せは、働くことによって得られます。</p><p>障害をもつ人たちが働こうとするのは、本当の幸せを求める人間の証(あかし)なのです」</p><p>確かにそうだ…。</p><p>人は働くことによって、人にほめられ、人の役に立ち、人から必要とされるからこそ、生きる喜びを感じることができるのだ。</p><p>家や施設で保護されているだけでは、この喜びを感じることはできない。</p><p>だからこそ、彼らはつらくても、しんどくても、必死になって働こうとするのだ。</p><p>働くことが当たり前だった私にとって、この幸せは意識したことすらないものでした。</p><p>それがいかにかけがえのないものか、私は、生まれて初めて考えさせられました。</p><p>二人の少女が、一心にシールを貼り続ける、その姿。</p><p>そして、「ありがとう。助かったよ」と声をかけたときの輝かんばかりの笑顔。</p><p>私は、ご住職の言葉によって、その笑顔の意味を教えられたのです。</p><p><引用終了></p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgfn-XNG33yD6KTk7hC35rg2iCTdl6MBb5XwgI3T3elNVzmzobT_9Osuqx7XxU9xZCG5q8JFIrwrRhgs8CZgJmL9Hrb5aKGIHwXrqcuyy1poW77KJ4zHL-FgquI7x8PKdSG_8_69W9GSJgQ6Pp_-b_CTp8N_KTn3thSKvj0wVjfWfA8hDmg1Td2G6tKa3Vf/s263/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="196" data-original-width="263" height="196" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgfn-XNG33yD6KTk7hC35rg2iCTdl6MBb5XwgI3T3elNVzmzobT_9Osuqx7XxU9xZCG5q8JFIrwrRhgs8CZgJmL9Hrb5aKGIHwXrqcuyy1poW77KJ4zHL-FgquI7x8PKdSG_8_69W9GSJgQ6Pp_-b_CTp8N_KTn3thSKvj0wVjfWfA8hDmg1Td2G6tKa3Vf/s1600/2.png" width="263" /></a></div> <p></p><p>ここの会社は、『日本でいちばん大切にしたい会社』という書籍をはじめ、</p><p>さまざまなメディアやマスコミなどでも多数紹介されています。</p><p>1960年に初めて知的障がい者を雇用してから60年たっています。</p><p>今では全従業員の70%以上が知的障がい者でありながら、ダストレスチョークで、国内シェアNo1を維持している会社だそうです。</p><p>さて、女性ピアニストの野田あすかさんは</p><p>幼いころから、広汎性発達障害、解離性障害の障害を持っていました。</p><p>それが原因で、いじめ、転校、退学、そして自傷、パニック、右下肢不自由、左耳感音難聴などで入退院を繰り返してきました。</p><p>ピアノを弾く手がアップされると分かりますが、左手には沢山のリストカットの痕跡。 </p><p>彼女の今までの人生、いったいどれだけ、辛いことがあり、いったいどれだけ努力して、</p><p>乗り越えようとして来たのでしょうか? </p><p>そして、どれだけの涙を流したのでしょうか? </p><p>その彼女が、自分と同じ障害を持った子供たちのために作った曲 </p><p>「手紙〜小さいころの私へ〜」の中の歌詞にこんなフレーズがあります。 </p><p> </p><p>みんなに 喜んでもらうために</p><p>いつも がんばっているね</p><p>みんなと同じになれるよう がんばって</p><p>くやしい思いを しているけど</p><p>いくらがんばっても</p><p>同じになれないこと 感じてる</p><p>この子達も、</p><p>周りの誰かに、喜んで欲しい、笑って欲しい</p><p>そんな心でいるのです。</p><p> </p><p>手紙~小さいころの私へ~(発達障害のピアニスト野田あすか作詞・作曲・演奏・歌)</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjsGGYrtCzDq_dCl60lea-xJhfqYXDmFq1wMKOcWKE0vg2LWwnI5vxh6EaYDKxdvpd0vvvrs8I21k5296vtE3I8rJzD1_6bUmEipIIjQtkTBPPoNE-EMLHi6flILEK0guuGt274hOmPYoi9rVHAHLsJ7psjDTxYl1ui03YJBClfMgSAh8nnge_dEoFawgAA/s249/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="166" data-original-width="249" height="166" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjsGGYrtCzDq_dCl60lea-xJhfqYXDmFq1wMKOcWKE0vg2LWwnI5vxh6EaYDKxdvpd0vvvrs8I21k5296vtE3I8rJzD1_6bUmEipIIjQtkTBPPoNE-EMLHi6flILEK0guuGt274hOmPYoi9rVHAHLsJ7psjDTxYl1ui03YJBClfMgSAh8nnge_dEoFawgAA/s1600/3.png" width="249" /></a></div> <p></p><p>美しい心です。</p><p>・障害を持っている人たち</p><p>・個性が強い人</p><p>・自分とは違うと、違和感を覚える人</p><p>・ソリが合わないと感じる人</p><p>・自分の価値観に合わない人</p><p>そんな人たちを無視したり、いじめたり、批判したり、のけ者にしたり、陰口をたたいたり</p><p>私たちも、時折しがちです。</p><p>ですが、どんな人も、「人から喜ばれると嬉しい」のです。 </p><p>人から笑顔を向けられるのが嬉しいのです。 </p><p>人の役に立ちたいと思っているのです。 </p><p>少しだけでも、そんな心をくみ取り、受け取って、にっこり笑って、「ありがとう」、そう伝えてあげたいですね。 </p><p>きっと、その優しい気持ちは、二人を包み込み、美しい波動になって、宇宙中にこだますることでしょう。</p><p>神々が、ニッコリ微笑んでくださることでしょう。</p><p> </p><p> </p><p><b><u>「否定の言葉」</u></b></p><p>今日は、斎藤一人さんのお話です。 </p><p>斎藤一人さんは、もう何度も納税日本一になった人で、現実のビジネスシーンでも成功しているひとです。</p><p>一人さんは、小さなころから、この神さまに教えられてきたそうです。 </p><p>そんなビジネスの第一線に在りながら、ブッダや神さまのお話を分かりやすい言葉で、</p><p>丁寧に教えてくださっています。 </p><p>今日のお話も</p><p>「否定することで、あなたは何か、良いことがあるんですか?」 </p><p>というお話ですが、簡単なようで、できていない人が沢山いらっしゃるように思います。 </p><p>ですが、一人さんが仰るように、</p><p>態度をちょっと変えてみるだけで幸せな人生に変えることができます。 </p><p>それでは、ご紹介します。 </p><p><引用開始> 引用元</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgXedJxytuXCwDt21u15_WDqcmGK-f3waLSgW-UZVNOFqVzQvAHZ-hCC3pJV6_NTYlO5xQ4Iu0-c09qmxEH50ClEoqeukWDGTNOjXDPUvkGdvVoBu5m0eFJEXoraQAogEV2p-cIrNxO34aioMj0nNn5PodGidJPIzPepCLERttf0XmpwuAeUhnW5FT62Umf/s502/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="335" data-original-width="502" height="214" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgXedJxytuXCwDt21u15_WDqcmGK-f3waLSgW-UZVNOFqVzQvAHZ-hCC3pJV6_NTYlO5xQ4Iu0-c09qmxEH50ClEoqeukWDGTNOjXDPUvkGdvVoBu5m0eFJEXoraQAogEV2p-cIrNxO34aioMj0nNn5PodGidJPIzPepCLERttf0XmpwuAeUhnW5FT62Umf/s320/4.png" width="320" /></a></div> <p></p><p>誰かと話しているとね、</p><p>必ず否定論を入れたがる人がいるの。</p><p>“妄想してもいいことが起きません” </p><p>“妄想すると、人から変な人だとか言われますよね?”とか。</p><p>あのね、どうして物事を否定的に言うの?って。</p><p>物事は、どこからでも否定することができるんだよね。</p><p>だけど、否定することで、あなたは、何か良いことが あるんですか?って話なの。</p><p>否定的な角度から話をされると、その場にいるみんなが面白くなくなるんだよね。</p><p>で、俺にやるくらいだから、よそでもやってるよねって。</p><p>だから、人生うまくいかないんだよ。</p><p>人生うまくいかない人って、楽しいシャボン玉みたいなのが飛んでくると、パッと針を刺して壊しちゃうんだよ。</p><p>しかも、そうやって場のムードを壊してるってことに気づいてない。</p><p>みんな幸せになろうって、ピラミッドを一段ずつ積み上げているの。</p><p>楽しいことを積み重ねているんだよね。</p><p>それなのに、脇からそれを壊したらダメだよね。</p><p>あなたはまともなことを言っているように思うかもしれないけど、ムードを壊しちゃってるんだよ。</p><p>そういう人に、魅力がありますかってことなの。</p><p>俺たちのグループは妄想を楽しむ会であって、妄想を否定する会ではないの(笑)。</p><p>だから、質問するんだったら </p><p>“こういうときはどういう妄想をしたらいいですか?”とか、 </p><p>妄想する気があることを前提とした内容にしたほうがいいよね。</p><p>うまくいかないときは、うまくいくまでやればいいんだよ。</p><p>逆上がりでもなんでも同じ。</p><p>そういうことがわかる人が、魅力のある人なんだよ。</p><p><引用終了> </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWYekG17YC-X8ZXyrG8HF7aMaNLhwDwOwOV_yk12Ejs6rvpDvgJlDfYXt1IAYLqEfbomLjYz0kWiPz5JY09JHSf8VgnbV6HYDMJ6RUiw2MIx0IvsGj1SeuYTx8jcU5jwOnzGxmmiHHy_JSD2DZ7QffaOMnfcKI4D7N4CKzU1s6T8CXUYxSHectqfOzwXbw/s390/5.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="203" data-original-width="390" height="167" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWYekG17YC-X8ZXyrG8HF7aMaNLhwDwOwOV_yk12Ejs6rvpDvgJlDfYXt1IAYLqEfbomLjYz0kWiPz5JY09JHSf8VgnbV6HYDMJ6RUiw2MIx0IvsGj1SeuYTx8jcU5jwOnzGxmmiHHy_JSD2DZ7QffaOMnfcKI4D7N4CKzU1s6T8CXUYxSHectqfOzwXbw/s320/5.png" width="320" /></a></div> <p></p><p>人と話す時、必ず、否定語から入る人がいます。 </p><p>・だって・・・</p><p>・いや・・・</p><p>・でも・・・ </p><p>人が、前向きに、希望をもって・・・ </p><p>目をキラキラさせて、夢や、希望、未来を話して、喜びを共有し・・ </p><p>共に幸せになろうとしているのに・・・ </p><p>このような否定から入られると、もう、そこで話は終わってしまいますし、せっかく、共に喜びあおうとしていた人の心まで、暗く、重苦しいものにしてしまいます。 </p><p>そんな経験をした人は、もうその人の前では、夢も希望も語らないことでしょう。</p><p>喜びを分かち合おうとは、しないでしょう。 </p><p>ますます、その人の周りには</p><p>眉間にしわを寄せた、重苦しい雰囲気の人しか集まらなくなることでしょう。</p><p>ですが、もし、否定ではなく受容、つまり、肯定して認め、一緒に希望や夢を、笑顔で語り合ってくれたなら、話した人も、百倍も元気になって、本当に夢も叶ってしまうかもしれません。</p><p>神さまは、笑顔や、希望、明るさ、助け合い、受容、許し、そのような雰囲気が大好きですから、神さまからも強力なバックアップがあることでしょう。</p><p>そして、共に喜びあった二人には、お互いの心の中に、 大切な大切な何かが生まれることでしょう。 </p><p>その何かは、私たちが死んだ後も、天国に持って帰ることができる。</p><p>そして、地球に生まれたがっている全ての生命体が、欲しいと願っている物・・ </p><p>愛 </p><p>を手に入れることができるでしょう。 </p><p>一人さんが仰っているように、ちょっと、方向性を変えるだけ</p><p>否定から、 </p><p>同意、肯定、受容や許し、共感、笑顔に変えてみるだけで、 </p><p>一気に幸せになることができます。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhNZffqTpKhLoOX88TqgmdmrN0S7Gtdqz7_uY5WtzVIVJ12ZKuta9ksIRuVM0-3-Ra9-qzDVZKpLTAUWPopvprvXUb4e9ZbhLiF4vHDYL0t97KLsASg05QohaCTdMZalrnxGennnbvQwYF8w2kjDWftC6A5rqC452XrtQQw_qm8wsKsEK-PgZnhxj8vBXWB/s271/6.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="208" data-original-width="271" height="208" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhNZffqTpKhLoOX88TqgmdmrN0S7Gtdqz7_uY5WtzVIVJ12ZKuta9ksIRuVM0-3-Ra9-qzDVZKpLTAUWPopvprvXUb4e9ZbhLiF4vHDYL0t97KLsASg05QohaCTdMZalrnxGennnbvQwYF8w2kjDWftC6A5rqC452XrtQQw_qm8wsKsEK-PgZnhxj8vBXWB/s1600/6.png" width="271" /></a></div><p><br /></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-26591778167465025792024-03-05T00:00:00.001+09:002024-03-05T00:00:00.141+09:00 3357「死はすぐそこに」2024.3.5<p> 今回はいっぷくからのありがとう」さんの2024年02月25日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「死はすぐそこに」</u></b></p><p><br /></p><p>ここ数年、地球の波動が上がっているためか、</p><p>・覚醒した・・という方</p><p>・地球に来た目的を思い出した方 </p><p>が急激に増えているようです。 </p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjJKD8vcFCy_u0YKozdoe3RRj1nvPQ6aleeOT8IVYD7BqjEizVFMlVWQAwdmEochNkWeA9z0tr9aLmHs8voQh-MX6OGkn0tOMNosq9qvWoQCKLlkYK3OZrLpv40RGz9znyjq6Rf1KRhyZ203KaP6IaOp_i2sHNb8r44DxC1eKy-c9CGZw478207CTr2RZkM/s317/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="179" data-original-width="317" height="179" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjJKD8vcFCy_u0YKozdoe3RRj1nvPQ6aleeOT8IVYD7BqjEizVFMlVWQAwdmEochNkWeA9z0tr9aLmHs8voQh-MX6OGkn0tOMNosq9qvWoQCKLlkYK3OZrLpv40RGz9znyjq6Rf1KRhyZ203KaP6IaOp_i2sHNb8r44DxC1eKy-c9CGZw478207CTr2RZkM/s1600/4.png" width="317" /></a></div><p></p><p>出来れば、その思い出した英知を自分のためだけではなく、人々の幸せのために使っていただけたら、世の中は、もっと幸せになれるかもしれません。</p><p>2,500年前の梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と同じです。 </p><p>2,500年前、ブッダが悟りを開いた時</p><p>自分が覚った真理を説いても、欲望に支配された人々は理解できないだろうと、 </p><p>一人安楽な悟りの世界に安住してしまおうと、ブッダが思っていた時、 </p><p>梵天(ブラフマン)が現れて、人々の幸せのために、悟った法を説くよう要請しました。</p><p>この梵天の要請を「梵天勧請」といいます。</p><p>さて今日は、27歳でガンで亡くなった若い女性の手紙をご紹介します。 </p><p>死が目前に迫った時、私たちは何を思うのか? </p><p>死は、私たちに平等に必ずやってきます。 </p><p>そしてそれはいつ来るのか誰にも分かりません。</p><p>健康で、朝「行ってきます」と笑顔で出かけた人が、突然帰らぬ人となるかもしれません。 </p><p>では、ご紹介します。 </p><p><転載開始> 転載元 </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiXt7AujvWIA93DmiedxCsq7zQl14Z_Rt0q5Gs6V-EZtA6rp0p2hC-Wt_RklogAqO3HzxxAreN8EYssL9UqswaGzpxdhDHRvedvolvCChjp7eR5dNT8vCm6lIS6Rd0HQBu-jCmphaFVjZdbyOq1Vx8Gwnnh4aSZBuz7ngzT-W66IM0cxPBFT2Km-yG6bhTh/s326/5.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="213" data-original-width="326" height="209" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiXt7AujvWIA93DmiedxCsq7zQl14Z_Rt0q5Gs6V-EZtA6rp0p2hC-Wt_RklogAqO3HzxxAreN8EYssL9UqswaGzpxdhDHRvedvolvCChjp7eR5dNT8vCm6lIS6Rd0HQBu-jCmphaFVjZdbyOq1Vx8Gwnnh4aSZBuz7ngzT-W66IM0cxPBFT2Km-yG6bhTh/s320/5.png" width="320" /></a></div> <p></p><p>26歳という若さで、死と向き合い始めるというのは、少し珍しいことかもしれません。</p><p>多くの人はこのことに目を背けて生きているからです。</p><p>毎日は、当たり前のように過ぎていきます。</p><p>まるでそれがずっと続くかのように。</p><p>私もいつか歳を重ね、シワができ、白髪になることを想像していました。たくさんの子どもに囲まれ、愛に溢れた家庭を築くことをいつも考えていました。</p><p>でも人生は儚く、貴重で、予想できないものです。</p><p>毎日を生きることは、与えられた権利ではなく、贈り物なのです。</p><p>私は27歳です。</p><p>まだこの人生を終わらせたくない。</p><p>私は今とても幸せだからです。</p><p>でも、もう私にはコントロールすることはできません。</p><p>私はただみんなに、些細なことを、あまり心配しないで欲しいのです。</p><p>そして覚えておいて下さい。 </p><p>最後にはみんな同じ運命が待っているということを。</p><p>だからあなたの時間を、価値のある素晴らしいと感じることに使って欲しいのです。</p><p>嫌だと思うことはしなくていいのです。</p><p>些細なことには寛大な心でいてください。</p><p>もちろんイライラすることはあると思いますが、ずっと引きずらないでください。</p><p>そのようなことで、周り人々の人生に、悪い影響を与えないようにしてください。</p><p>イライラしてしまう時は外に出て深呼吸をして、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで下さい。</p><p>そして空の青さを、木々の緑を見てください。 </p><p>それはとても美しいものです。</p><p>考えてみてください。</p><p>呼吸ができること、その素晴らしさを。</p><p>もしかしたら今日、渋滞につかまってしまったかもしれませんね。</p><p>あなたの愛おしい赤ちゃんが泣きわめくせいで、よく眠れなかったかもしれません。</p><p>美容師があなたの髪を短く切りすぎたかもしれないし、変えたばかりのネイルが欠けていたかもしれません。</p><p>自分の容姿が気に入らない人もいるかもしれません。</p><p>でもそれらのことは些細なことです。</p><p>あなたが人生の終わりを迎える時、そんなことは考えないでしょう。 </p><p>人生全体で見れば、それらのことは本当にどうでもいいことです。</p><p>私の身体は日を追うごとに、どんどん痩せ細っていきますが、私の願いは、</p><p>・もう一度だけ、家族と誕生日を過ごしたい</p><p>・もう一度だけ、クリスマスを迎えたい</p><p>・もう一度だけ、パートナーと過ごしたい</p><p>それだけです。</p><p>たったもう一度だけでいいから。</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEio1rPC5o0crt9MBsv3FdAMAyouJ0uK5o_bXpenOm5ZG3o9raHO_gjHAnmQboGLZnhYW9Re6P9ETVwlrytyKjWwOLCaVdvoj3OVELHQiZufwv0G6aBLuscu0z7E-wO4SLjyDTIrhvaIxKuXJnG1i3dUu_1UDsGEM-XZCUhB9VQp-8fOPbyX86a2gcTeJjX4/s294/6.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="195" data-original-width="294" height="195" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEio1rPC5o0crt9MBsv3FdAMAyouJ0uK5o_bXpenOm5ZG3o9raHO_gjHAnmQboGLZnhYW9Re6P9ETVwlrytyKjWwOLCaVdvoj3OVELHQiZufwv0G6aBLuscu0z7E-wO4SLjyDTIrhvaIxKuXJnG1i3dUu_1UDsGEM-XZCUhB9VQp-8fOPbyX86a2gcTeJjX4/s1600/6.png" width="294" /></a></div><p></p><p>仕事がどれだけ大変だったかなどの不満を訴える人がいますが、</p><p>まずは身体が満足に動くことに感謝してください。</p><p>たとえ理想の体型でなかったとしても、健康でいられること、身体が機能すること、</p><p>それだけで素晴らしいことなのです。</p><p>食べ過ぎに注意して、適度に運動をし、新鮮な食事で十分な栄養を与えてください。</p><p>そして、お互いを助け合いましょう。</p><p>与えて、与えて、与えるのです。</p><p>他者に与えることで得られる幸せは、この上ないものです。</p><p>私ももっとそれをしたかった。</p><p>病気になってから、多くの人が私をサポートしてくれました。</p><p>とても返しきれるものではありません。</p><p>そのことを私は一生忘れないでしょう。</p><p>あなたが死ぬときに、お金を持っていても なんの意味もありません。</p><p>自分の服を買う代わりに、誰かのためにそのお金を使いましょう。</p><p>あなたが同じ服を着ていても、誰も気にしません。</p><p>何より大切な人を食事に連れていったり、贈り物をすることは気持ちの良いことです。</p><p>その際に、大切に想っているという気持ちを伝えましょう。</p><p>自分のためにお金を使う際は、モノではなく経験に使いましょう。</p><p>ビーチに行って足を水につけ、つま先で砂を掘り、顔を海水につけてください。</p><p>自然を感じてください。</p><p>携帯の画面ばかり見るのではなく、ただその瞬間を楽しむようにしてください。</p><p>人生とは画面を通して生きることではないし、完璧な写真を撮ることでもありません。 </p><p>大切な人との、血の通う時間を大切にしてください。</p><p>早起きをして、鳥のさえずりに耳をすまし、朝日の美しい色を眺めるのです。</p><p>音楽を聴いてください。音楽はセラピーです。</p><p>犬を抱きしめてください。</p><p>携帯を置いて、友達と話をしましょう。</p><p>旅をしたいならしましょう。</p><p>生きるために働いてください、 </p><p>働くために生きてはいけません。</p><p>心が幸せに感じることをしてください。</p><p>ケーキだって食べていいのです。 </p><p>何の罪悪感も要りません。</p><p>やりたくないことには、やりたくないと言いましょう。</p><p>他の人が考える理想の人生にプレッシャーを感じなくても大丈夫です。</p><p>平凡な人生を望んでも全く構いません。</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhIMZvNnchjE_65Qw628CkyGYbxuZMzB5cHEwPqP8191nOPTQydp7qUUqIR_TCnTkR7HPdDVLpy4lqaWv552dRZGzSAJe4wiz3Fpm9uf7kMsZekiadL4oeTEM53NFbdoro0DRYKVvJop0UPiSIMIZxfvVPyEP3oQsDw-Smxh6T381SYnVppgFf1aYhhxiF1/s265/7.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="199" data-original-width="265" height="199" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhIMZvNnchjE_65Qw628CkyGYbxuZMzB5cHEwPqP8191nOPTQydp7qUUqIR_TCnTkR7HPdDVLpy4lqaWv552dRZGzSAJe4wiz3Fpm9uf7kMsZekiadL4oeTEM53NFbdoro0DRYKVvJop0UPiSIMIZxfvVPyEP3oQsDw-Smxh6T381SYnVppgFf1aYhhxiF1/s1600/7.png" width="265" /></a></div><p></p><p>愛する人に、毎日愛を込めて、愛していると伝えましょう。</p><p>そして覚えていてください。</p><p>もし何かが、あなたを不幸にさせたとしても、</p><p>あなたにはそれを愛など他のパワーに変える力を持っています。</p><p>この地球であとどれくらい生きられるか分からないのだから、</p><p>そのようなことで時間を無駄にしてはいけません。</p><p>多くの人が同じことを言っていますが、これ以上の真実はないと思います。</p><p>これは一人の若い女性からの人生のアドバイスです。 </p><p>覚えていてくれても、忘れても構いません。</p><p>それでは、また会う日まで。</p><p><転載終了></p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhL1G4OYLUNVPKbQTSaQeQs0sfwmO9wljYFGWvZUueu1w8xDwLh_VW2reZhHPBZUuJ9566JDsK7nOsYDPkAS57Yd99ePjD-Nq1umFxLwPxgPHTjcf8Q77xx2FPs5jE6FKeVPgX_uCTTAkilcGnRYZrXeshpBRbzCMRwsiUCAX5OUjoQlIDyqYWW5XLNOw82/s291/8.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="183" data-original-width="291" height="183" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhL1G4OYLUNVPKbQTSaQeQs0sfwmO9wljYFGWvZUueu1w8xDwLh_VW2reZhHPBZUuJ9566JDsK7nOsYDPkAS57Yd99ePjD-Nq1umFxLwPxgPHTjcf8Q77xx2FPs5jE6FKeVPgX_uCTTAkilcGnRYZrXeshpBRbzCMRwsiUCAX5OUjoQlIDyqYWW5XLNOw82/s1600/8.png" width="291" /></a></div><p></p><p>今目の前に居る人、配偶者、子供、家族、友人、彼らとも、いつか「さよなら」する時が来ます。 </p><p>この地球では、永遠に続く関係性は無いからです。 </p><p>もしかしたら、何か些細なことで、わだかまりを持っているかもしれません。 </p><p>ですが、死と言う別れを前にした時、そんな些細なことが、 </p><p>・心を通い合わせること</p><p>・感謝すること</p><p>に何の支障があるでしょうか? </p><p>出会ってくれてありがとう。</p><p>喜びも悲しみも、苦しみも、沢山の経験をありがとう。</p><p>そう伝えたくなるのではないでしょうか?</p><p>もう直接、肉体のあるその方に、伝えるチャンスは永遠にないのですから。 </p><p>この亡くなった彼女の最後の願いは </p><p>・もう一度だけ、家族と誕生日を過ごしたい</p><p>・もう一度だけ、クリスマスを迎えたい</p><p>・もう一度だけ、パートナーと過ごしたい</p><p>でした。</p><p>これら全ての願いは、物ではありませんでした。 </p><p>身を飾る、肩書、地位、名誉、プライドではありませんでした。 </p><p>全てが、大切な人との、思いやり溢れる魂の交わり、経験を望んでいたのです。</p><p>別れは、突然にやってきます。</p><p>私たちの目の前の人たちは、私たちにとって一番大切な人々です。 </p><p>ですから神さまの采配で、近くに置かれたのです。 </p><p>いつ死が私たちを引き裂いても悔いのないように、どうか目の前の方を愛し、大切になさってください。 </p><p>出会ってくれたことに感謝してください。 </p><p>そのように心を合わせることのできた人とのご縁は、きっと死を超えて、永遠の絆となるからです。</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgyTFww61vE6lWILqp7MK7L8Nz6vLRs8VGVFogbOOV5yC2X9m_IUcepxBIc29LXU4IB-fEnKFtjgk0Xd5MgzrC5qvV1DY0CGQ4G5ir96Cw7jDRyXG3wqUdH_0r34Bz-k7ksd7Sgg0_DN6UBZ1uCIv4n2iaKqnhCIlpVcrKZE40DPxI4h1AUkR1oJgNathNm/s318/9.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="211" data-original-width="318" height="211" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgyTFww61vE6lWILqp7MK7L8Nz6vLRs8VGVFogbOOV5yC2X9m_IUcepxBIc29LXU4IB-fEnKFtjgk0Xd5MgzrC5qvV1DY0CGQ4G5ir96Cw7jDRyXG3wqUdH_0r34Bz-k7ksd7Sgg0_DN6UBZ1uCIv4n2iaKqnhCIlpVcrKZE40DPxI4h1AUkR1oJgNathNm/s1600/9.png" width="318" /></a></div><br /><br /><br /><br /><br /><br /><p></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-48832149305952927552024-03-04T00:00:00.001+09:002024-03-04T00:00:00.255+09:00 3356「過剰な消毒と子どもの免疫と、そして先天異常の関係」2024.3.4<p> 今回はIn Deepさんの2024年2月18日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「過剰な消毒と子どもの免疫と、そして先天異常の関係。そして、第四級アンモニウム塩は「全環境」に循環、蓄積される」</u></b></p><p><a href="https://indeep.jp/qac-kills-them/" target="_blank">過剰な消毒と子どもの免疫と先天異常の関係。そして、消毒剤成分の第四級アンモニウム塩は「全環境」に循環、蓄積される - In Deep</a></p><p><br /></p><p><u>子どもたちの免役状態が不安定な理由のひとつが</u></p><p>日本も含めて、今の主要国では「免役を含めた子どものさまざまな状態がおかしい」ということがあります。日本でも今、インフルエンザやいろいろな呼吸感染症などで<u> 6000校以上が、休校あるいは学校閉鎖になっている</u>ことが報じられています。</p><p>インフルエンザの報告数は、以下の東京のデータでは過去 5年で最大となっています。</p><p>2009年からの東京都のインフルエンザの定点医療機関当たり患者報告数</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhs3AW5kXvxcVg19zW9aw8NHwFEMmKPU_voZxgg752fOX4Qnd4BuNnwEnto55qkMBrimVQoZGck3HtfrMF4SfhgAFaVHJY6ZJ70qdeULN3Nd9D_eqOj6rdWBCdWj6MfVhF1xNO49Fx1_VyVGJc31tMrv3MR_Ag-rDP-8XEsgJbs6dtZCiOduxjimw5Evdnk/s311/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="222" data-original-width="311" height="222" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhs3AW5kXvxcVg19zW9aw8NHwFEMmKPU_voZxgg752fOX4Qnd4BuNnwEnto55qkMBrimVQoZGck3HtfrMF4SfhgAFaVHJY6ZJ70qdeULN3Nd9D_eqOj6rdWBCdWj6MfVhF1xNO49Fx1_VyVGJc31tMrv3MR_Ag-rDP-8XEsgJbs6dtZCiOduxjimw5Evdnk/s1600/1.png" width="311" /></a><span style="text-align: left;">東京都感染症情報センター</span></div><p>少し前に、フィンランドで小さな子どもたちの、小児ガンを含むさまざまな疾患や先天異常が極端に増えていることを書きました。</p><p>[記事]<u>日本でもフィンランドのようなことが子どもたちに起きているのだろうか…。仮に永続的な免疫抑制の影響だとすると、子どもたちの未来は?</u></p><p>In Deep 2024年2月11日</p><p>フィンランドでは、2023年後半から先天異常で生まれる赤ちゃんの数が急増しています。</p><p>フィンランドで先天奇形で生まれた赤ちゃんの数の推移</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiRVA_t6p-vzx1GwURb0FZ02w-JQsdbIEgz6bXe6dVrBY8keyh1dN8JpNePRDQiAWBgO6ZlLhc2m6GDSW2rsyGQuE5Wc29f6nwRkvyfseejZWNXtIp9OxKXAnXdYtvnGbCb5NYLFORVtjrRLtVXeJDTkDWXKi2n4mILAWu7J_YcnIs80BEUL08UX4RlCGfT/s390/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="289" data-original-width="390" height="237" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiRVA_t6p-vzx1GwURb0FZ02w-JQsdbIEgz6bXe6dVrBY8keyh1dN8JpNePRDQiAWBgO6ZlLhc2m6GDSW2rsyGQuE5Wc29f6nwRkvyfseejZWNXtIp9OxKXAnXdYtvnGbCb5NYLFORVtjrRLtVXeJDTkDWXKi2n4mILAWu7J_YcnIs80BEUL08UX4RlCGfT/s320/2.png" width="320" /></a><span style="text-align: left;"> Ilkka Rauvola</span></div><p></p><p>上の記事では、この 2〜 3年の間に生まれた赤ちゃんについては、お母さんの「ワクチン接種歴」と子どもの免疫抑制が関係ある可能性もあるかもしれないというようなことを書きました。</p><p>しかし冷静に考えてみれば、ワクチンにご登場願わなくとも、「先天的な異常」については、あることでも説明できそうなことに気づきました。</p><p>それは、このパンデミックの期間に、消毒剤として広く使われてきた第四級アンモニウム塩です。</p><p>今でも、アマゾンでも楽天でも「第四級アンモニウム塩」で検索しますと、数多くの消毒剤、クリーナー、ウェットティッシュなどの製品が示されることがわかります。</p><p>この第四級アンモニウム塩の「凶悪性」については、コロナ以前から、たびたび書くことがありました。</p><p>そして、パンデミックになって以来、全国的に、場合によっては、学校や幼稚園などの施設などでも、このようなものが使われ続けてきた可能性もあり(手の消毒用に使われなくとも、清掃などに使われている可能性が高いです)、さすがに、第四級アンモニウム塩は、3年だの 4年だのの期間、日常でふれるようなものではないということから、ややうんざりしていました。</p><p>もちろん、第四級アンモニウム塩以外の消毒剤もたくさんあるでしょうけれど、問題は、たとえば、学校でもスーパーでも公共施設でも、多くの場合は「詰め替えの容器」に消毒剤が入っているので、使う人にしてみれば、</p><p>「そこに何が入っているのかはわからない」</p><p>ことになります。</p><p>そういう何かわからないものを無造作にスーパーの店頭などで、自分の子どもの手にシュッシュッやっている親たちを見ていますと、何とも切ない気分になったものですが、しかし、今でもスーパーなどには置いてありますからね。</p><p>何かわからない液体を毎日、手に付着させる。あるいは自分の赤ちゃんの手につける。</p><p>勇気がある人たちといえばそれまでですが、私は、そんなことは怖くてできません。</p><p>しかし、これらの影響を最も受けるのは「子ども」であり、もっと言えば、「赤ちゃん」です。</p><p>以下の記事には、第四級アンモニウム塩が「先天性異常と神経の欠損」を誘発することを示した研究を取り上げています。</p><p>[記事]<u>消毒剤に使われる第四級アンモニウム塩は、通常の使用でも「先天性異常と神経の欠損」を誘発する。実験では異常は二世代にわたり続いた</u> In Deep 2023年5月16日</p><p> </p><p>その研究を取り上げていた記事から抜粋しますが、なかなかすごいですよ。「自分は使用しなくとも、部屋で第四級アンモニウム塩が使用されただけで、同じ部屋にいたマウスの先天性欠損率が増加した」のです。</p><p>つまり、親がシュッシュッと、自分の手に第四級アンモニウム塩を吹きかけたとき、そこに赤ちゃんがいれば、「すでに影響を受けている」わけです。</p><p>少し抜粋します。2017年の論文です。</p><p>記事「消毒剤はマウスの赤ちゃんに先天性欠損症を引き起こす」より</p><p>マウスを使った新しい研究によると、家庭、ホテル、病院で使用される一般的な消毒剤が胎児の先天異常を引き起こすことがわかった。</p><p>場合によっては、この化学薬品が置いてある同じ部屋にいるだけで、マウスの先天異常が増加するのに十分だった。</p><p>研究では、マウスに直接投与する必要さえなかった。部屋で消毒剤を使用しただけで、先天性欠損率の増加につながった。そして、多くの人々が「これらの化学物質に毎日さらされているのです」と研究者は付け加えた。</p><p>第四級アンモニウム化合物または「クワット」と呼ばれるこの化学物質は、細菌やウイルスを効果的に洗浄するため、ホテルや病院だけでなく家庭でも使用される洗浄製品や消毒剤によく使用されている。第四級アンモニウム化合物は、一部の洗濯洗剤、プール用トリートメント、包装された農産物の食品保存料、シャンプーやコンディショナーなどのパーソナルケア製品にも含まれている。</p><p>研究者たちは、2種類の一般的な第四級アンモニウム化合物に曝露したオスとメスのマウスは、曝露していないマウスに比べて先天異常の発生率がはるかに高い子を産むことを発見した。</p><p>この欠損は「曝露停止後も 2世代続いた」と著者たちは書いている。</p><p>この研究では、クリーナーを通常量で使用するだけで、先天性欠損症を引き起こすのに十分だった。おそらく最も驚くべきことは、マウスに直接投与する必要さえなく、室内で第四級アンモニウム化合物を含む消毒剤を使用するだけで先天性欠損率の増加につながったことだ。</p><p>研究者たちが部屋で消毒剤を使用する前は、1,000個に 1個の胚に神経管欠損があった。部屋で化学物質が使用された後、先天性欠損症は最大 15%増加した。EHN.org 2017/07/15</p><p>ここまでです。</p><p>> 室内で第四級アンモニウム化合物を含む消毒剤を使用するだけで先天性欠損率の増加につながった…</p><p>とありますように、室内で第四級アンモニウム化合物を含む消毒剤を使用するだけで、同じ空間にいる人々が影響を受けるわけです。</p><p>そして、</p><p>> この欠損は「曝露停止後も 2世代続いた」…と、「遺伝性」があるようなんですね。</p><p> </p><p>こういう第四級アンモニウム塩のようなものが空気中に蔓延している空間で、この 3年、4年を多くの赤ちゃんや小さな子どもたちが過ごした。</p><p>もちろん、妊娠している女性の方々も、そういう環境で過ごした。</p><p>その期間が 3年、4年となって、影響が出ないほうがおかしいとも思えます。実際には、この 2〜 3年で生まれた赤ちゃんたちには、非常に微細な「先天性欠損」を持つ子どもたちが多いと思います。</p><p>その影響は、成長につれて明らかになると思いますが、ワクチンもそうですが、</p><p>「常識的に、妊婦さんや赤ちゃんにやってはいけないことがある」</p><p>わけで、ワクチンも、まあそうでしょうし、マスクも、まあそうでしょうが、この過剰に第四級アンモニウム塩に満ちている空間で過ごす、ということもまた、「やってはいけないこと」のひとつです。</p><p>過去の研究での第四級アンモニウム塩の健康被害としては、マウスへの経口投与において以下のようなことが認められています。</p><p>・死亡率増加傾向</p><p>・萎縮性肝機能障害</p><p>・免疫系への影響</p><p>・先天性異常を引き起こす</p><p>これについては、以下の記事にあります。</p><p>[記事]<u>多くの消毒剤に用いられる第四級アンモニウム塩は、人間の生存に必須の「ミトコンドリア」を殺す</u> In Deep 2021年2月24日</p><p>この記事を書いた時は、まだ日本ではワクチン接種が始まっていない時でしたので、コロナ対策の問題の焦点が「マスク」と「消毒」にあてられていた頃でした。</p><p>その頃は、コロナ対策と呼ばれて全国的に展開されたことの「すべて」が、悪い方に向かっていることを感じ続けていた時でした。</p><p>その一部ではなく、すべてです。</p><p>「効果がある、ない」の世界ではなく、単純に、全部体に悪いのです。</p><p> </p><p>なお、上に並べました第四級アンモニウム塩の健康被害のリストに、</p><p>・免疫系への影響 という項目があります。</p><p>これについては、2023年5月に発表された研究で詳しく取り上げられています。論文は以下です。</p><p>第四級アンモニウム化合物: 新たな懸念の化学種</p><p>Quaternary Ammonium Compounds: A Chemical Class of Emerging Concern</p><p> </p><p>論文の項目は膨大で、健康への影響、皮膚への影響、呼吸器への影響、免疫への影響、生殖と発育への影響、発達への影響などがありますが、ここでは、「免疫」と「発達」の項目をご紹介します。</p><p>実際の論文では、いくつかの種類のものを比較しているのですが、その分類が非常に細かくなっていて、名称も BAC C12 とか DADMAC C12:C12 とかとなっていて、むしろわかりにくくなりますので、ここでは、「第四級アンモニウム化合物」と一括して表記させていただきます。</p><p>太字の強調はこちらでしています。</p><p><u>免疫効果</u></p><p>ヒトにおける第四級アンモニウム化合物曝露に対する免疫反応を調査したパイロット研究では、参加者の 80%に第四級アンモニウム化合物の血中残留があり、炎症性サイトカイン濃度が用量依存的に増加していることが報告された。</p><p>この炎症の増加の臨床的重要性はまだ解明されていないが、この研究の一部の個体の血液には、動物実験での副作用に関連するレベルの第四級アンモニウム化合物が含まれていた。</p><p>アブデルハミド氏らは、154匹の、自己免疫マウスモデルにおける第四級アンモニウム化合物への周囲曝露を評価した。</p><p>自己免疫マウスモデルを使用して、全身性エリテマトーデスのモデルを使用し、自然免疫および適応免疫のマーカーを含むいくつかの免疫エンドポイントを評価した。</p><p>著者たちは、このモデルにおける第四級アンモニウム化合物曝露は自己免疫マーカーを悪化させるのではなく、自己免疫の兆候を軽減することを発見した。</p><p>しかし、他の測定されたマーカーは、自然免疫の細胞である好中球が自己反応性 T細胞の増殖を妨げたり、T細胞のアポトーシスを悪化させたりする可能性があることを示した。</p><p>このモデルの好中球は、敗血症を経験する患者によく見られる表現型を有しており、他の所見と組み合わせることで、アブデルハミド氏らは研究結果を導いた。</p><p>このモデルでは第四級アンモニウム化合物曝露が免疫抑制的であると結論付けている。</p><p>PMC</p><p>ここまでです。</p><p>> 第四級アンモニウム化合物曝露が免疫抑制的である</p><p>と書かれており、免疫状態を悪くするようです。</p><p>しかし、この実験にしたところで、「 3年も 4年も続けてやったものではない」わけで、短時間の曝露でもこのような結果なんですよ。</p><p>こっちは、3年も 4年もです。</p><p>それで、赤ちゃんや小さな子どもの免疫力の低下が起きないと考えるのは無理があります。</p><p>発達にも影響があるようです。</p><p><br /></p><p><u>発達への影響</u></p><p>第四級アンモニウム化合物を含む市販の洗浄製品に曝露すると、マウスの胚の発育が損なわれ、神経管欠損 (NTD) が引き起こされ、胚死亡が増加した。</p><p>この影響は、飼育室の洗浄に使用される第四級アンモニウム化合物を含む市販の洗浄製品、または市販製品と同様に配合された精製された第四級アンモニウム化合物の混合物に周囲環境で曝露された妊娠マウスでも同様だった。</p><p>神経管欠損は、曝露のタイミング (継続的、繁殖前期間、または神経管閉鎖に対する胚の脆弱性の期間)に関係なく、また曝露されたのが、オス親であるかメス親であるかに関係なく観察された。</p><p>同腹子中の胚の最大 20%が影響を受け、これはマウス系統のバックグラウンド率の 1000倍だった。個々の胚の異なる神経管閉鎖部位に複数の欠損が時折見られた。</p><p>神経管欠損は通常致死性ではないが、曝露により初期胚死(吸収)と後期胎児死亡の両方が増加したことから、この混合物が発達中の神経系以上に影響を与える可能性があることが示唆されている。</p><p>別の研究では、最高用量で子供の体重が減少する限定的な発育毒性が報告されたが、同腹子の数には影響はなかった。この研究では、マウスではなく、ラットを使用している。</p><p>PMC</p><p>これは、お腹の中の赤ちゃんの発達のことですが、生まれた後の赤ちゃんや、小さな子どもの場合でも、同じような神経的な影響を受ける可能性は高いかもしれません。</p><p>この論文には「第四級アンモニウム化合物が、環境中にも広がる」ことについても書かれています。</p><p>以下は論文にあるイラストですが、この 3、4年の環境への広がり方は、ものすごかったのではないでしょうか。日本語化しています。</p><p>第四級アンモニウム化合物が私たちの身体に入る経路</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjKt9uKEn6g30Tq8GMKsXZnx339p24reqIfZGKN0_pPFuIEopp_6Cr2VXE_BIGVNA7UciqXRDz7ykgFgXuLkIGM06oiFsG4Jr1jIh617FYqn844_JwGy1r0GJcEch5bjU_5XdFX6swtfRpXCzOiY61xZ7EVx0KTfiPiNog0r1GtVaEch8P0I7aUIkPwbYsm/s554/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="430" data-original-width="554" height="248" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjKt9uKEn6g30Tq8GMKsXZnx339p24reqIfZGKN0_pPFuIEopp_6Cr2VXE_BIGVNA7UciqXRDz7ykgFgXuLkIGM06oiFsG4Jr1jIh617FYqn844_JwGy1r0GJcEch5bjU_5XdFX6swtfRpXCzOiY61xZ7EVx0KTfiPiNog0r1GtVaEch8P0I7aUIkPwbYsm/s320/3.png" width="320" /></a></div> <p></p><p>日本は、パンデミックの前から、もともと過剰な衛生状態が問題だった国です。「 99%除菌」などという非常識なフレーズが日常になっていたわけで、それだけでも良い状態ではないのに、そこに「毎日の消毒」が加わってしまったということです。</p><p> </p><p>なお、コロナ対策として行われた多くのことに関して、全体的にあてはまるキーワードがあります。</p><p>「不可逆的な子どもへの影響」という言葉がそうです。</p><p>元に戻らない影響が多すぎるのです。</p><p>あれだけ消毒剤にまみれていれば、肺もダメージを受けているでしょうし、腸内細菌を含む常在菌もマイナスの影響を受けていると思います。</p><p>ロクなことをやってこなかったわけです。</p><p>肺に関しては以下の記事にあります。コロナ前の記事です。</p><p>[記事]<u>「タバコではない」 : 慢性閉塞性肺疾患(COPD)の最大の発症要因は「漂白剤と消毒剤」であることが判明。第四級アンモニウム塩を含む除菌製品が私たちの社会を破壊する</u> In Deep 2019年12月15日</p><p> </p><p>昨年の今頃も、ヨーロッパなどで、A群レンサ球菌の症例数が、唐突に急増していたことがありました。</p><p>デンマークの2018年から2023年1月までのA群溶血性レンサ球菌の年代別の症例数の推移</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgZ3w_5UNq-X4fxshv5tNqL44U4mdJaeVsr01b8791GXLSMEsFS7rWEqVjlSpt76GOfW2mK-iVK9JTmX_wbtZz4_I1LeuzpuPngL2SO7lG8AkxE2v-v0zS5R_afhGEWClDPo3yWygK-8jSxQGNbmDuef8qsmGRVBYmNmieLIwKFmpeoUzlwvcF2Rqy1cD5C/s432/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="286" data-original-width="432" height="212" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgZ3w_5UNq-X4fxshv5tNqL44U4mdJaeVsr01b8791GXLSMEsFS7rWEqVjlSpt76GOfW2mK-iVK9JTmX_wbtZz4_I1LeuzpuPngL2SO7lG8AkxE2v-v0zS5R_afhGEWClDPo3yWygK-8jSxQGNbmDuef8qsmGRVBYmNmieLIwKFmpeoUzlwvcF2Rqy1cD5C/s320/4.png" width="320" /></a><span style="text-align: left;">スタテンス血清研究所</span></div><p></p><p>これを見て、ちょうど 1年くらい前にも今回と同じような感じの記事を書かせていただいたことがあります。</p><p>[記事]<u>消毒という名の兵器の「結果」が子どもたちに出てきてしまっている</u></p><p>In Deep 2023年1月25日</p><p> </p><p>ワクチンの外部曝露等を含めた相乗効果の部分は多々あるだろうとはいえ、消毒剤の乱用なんていう馬鹿げた日常は即事停止するべきです。</p><p>しかし、消毒「信仰」は一般の人たちに強く根付いていますので、なかなか消えることはないのでしょうね。</p><p>マスクにしても消毒にしても、今の日本はカルト信仰に包まれています。</p><p><br /></p><p><br /></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-46007999085281978472024-03-03T00:00:00.001+09:002024-03-03T00:00:00.247+09:00 3355「神仕組みに気づく」2024.3.3<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年02月24日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「神仕組みに気づく」</u></b></p><p><br /></p><p>神様はどなたの中にもいらっしゃいます。</p><p>そして私達を護ったり導いたり、生まれる前に決めてきたシナリオ通りのことが、ジャストなタイミングで起こるように調整したり、様々な働きをしてくださっています。 </p><p>小学生の神様トキ君が言うように、いつも、どんな時でもニコニコと、感謝の気持ちでいれば、神様はスムーズに神仕組みをなさってくださいます。 </p><p>その時は、ヒラメキや、直感を信じ、心がワクワク、喜ぶ方向へ進んでいくだけです。 </p><p>また神様を信じてさえいれば、今日のお話のように神仕組みの片りんに気づくこともできます。 </p><p>特に神社参拝などに行った時は、アンテナを張り巡らして、外応をキャッチされるのをお勧めします。 </p><p>また、賛否両論ありますが、些細なこと(現象)でも、神々に感謝し、喜ぶことをお勧めしています。 </p><p>それは、そのことを 特別扱いとか、威張るとか、自慢するとか、有頂天になるとか、そんな下世話な意味ではありません。 </p><p>そのあたりのことを小林正観さんが</p><p>書いていますのでご紹介します。 </p><p><引用開始> 引用元</p><p><br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEizTlkqL2gBMSOUnH1_zELvq1ZE6nOP8IvJVj3jcm8H_Z8dGFb8fj1shAjMVZiuGbvbJdX2Qfvbp6sLvMtsN-1EVnSrweGhRZn7DV5t6NYnI6Jp8uN7nvUIzVbJ1SDXUQddSONzVkQKAsu1B3_8vlicUezDE6ptEQYJsxh3GyDr-V6txdv23_mEZ6ziBmgR/s227/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="143" data-original-width="227" height="143" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEizTlkqL2gBMSOUnH1_zELvq1ZE6nOP8IvJVj3jcm8H_Z8dGFb8fj1shAjMVZiuGbvbJdX2Qfvbp6sLvMtsN-1EVnSrweGhRZn7DV5t6NYnI6Jp8uN7nvUIzVbJ1SDXUQddSONzVkQKAsu1B3_8vlicUezDE6ptEQYJsxh3GyDr-V6txdv23_mEZ6ziBmgR/s1600/1.png" width="227" /></a></div><br /><p></p><p>偶然を書きためる、神さまの存在は、誰でも感じることは出来ます。</p><p>正観さんの方法は、ノートに記すことから始まります。</p><p>・偶然のようで 偶然に起こった現象。</p><p>・偶然じゃないけれど偶然のような面白い現象。 </p><p>これら偶然を書きためます。</p><p>正観さんは、40年で1000件。</p><p>1年で25個。1ヶ月にすると平均2個ぐらいあったそうです。</p><p>・色々な偶然を面白がる。</p><p>・その際、他人の評価は気にしない。 </p><p>自分が面白いと感じたもの。</p><p>それが100件以上になったら試してみるといいですよ、と仰いました。</p><p>・例えば落ち込んだりした時</p><p>・自己嫌悪に陥ったりとか</p><p>・嫌味を言われたときなど</p><p>ノートを広げてみて、過去の全ての偶然を見てみます。 </p><p>そうすると、それらは、決して偶然ではなく、全て一連の流れとして、起こされている現象であった・・ </p><p>神々の意図を感じることができるからです。</p><p>そうすると「自分は神様に好かれているみたいだ」ということが分かってくるんです。</p><p>多くの現象を眺めてみると、自分がどれ程神さまに好かれているか、愛されているかということに気づきます。</p><p>講演会で、このお話の最中に不思議な現象が発生しました。</p><p>「絶対に神さまが嫌っているという結論にはならない」 </p><p>このフレーズを言ったとき、正観さんの携帯電話が突然鳴ったのです。</p><p>この電話、機種変更で番号は生きているが、一年前から使っていないものでした。 </p><p>その電話が、偶然に、「偶然のお話の最中に」、講演会の最中にけたたましくなったのです。 </p><p>不思議。不思議。神さまの承認の呼び出し音か。</p><p>このような、「偶然を見つけ、喜ぶ」という態度は、 </p><p>偶然の現象の奥に「恵んでくださっている存在」を見出すこと、感謝することになります。</p><p>この時、講演会で、事例を二つ紹介くださいました。</p><p>正観さん誕生日11月9日。野口英世も11月9日。</p><p>正観さんが新千円札を始めてみた日が11月9日。</p><p>お札の顔 野口英世博士は微笑んでいる、</p><p>かどうかは別として、面白いと楽しむ、ということ。</p><p>仙台と盛岡間 車で高速道路 送ってもらう。</p><p>走っていて偶然にある車のすぐ後についた。</p><p>その車の ナンバープレート 1259。</p><p>運転していた人が喜んで教えてくれた。</p><p>その瞬間 時計を見ると12時59分。</p><p>わ~~~おと声をあげた。</p><p>ふたつともだから何? と誰か言っても関係ありません。</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhmwjpQofLcXKasUZ-YB_FHTywSzkbkBvd3xIhfVXl5UPUSsmDuFU6FphuFQGSJqujinDidcEX95O3Bbz7_5SMlUCZV6j-S7LIeFnYyp-1iW1eeTjlMVydx3eSJwsRoSPX1INp1BdIB_CnlJbnErtmI1qpTpAOcTfNcLBY0ZH_MhdQr12u6udZ0oCwSEqde/s199/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="149" data-original-width="199" height="149" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhmwjpQofLcXKasUZ-YB_FHTywSzkbkBvd3xIhfVXl5UPUSsmDuFU6FphuFQGSJqujinDidcEX95O3Bbz7_5SMlUCZV6j-S7LIeFnYyp-1iW1eeTjlMVydx3eSJwsRoSPX1INp1BdIB_CnlJbnErtmI1qpTpAOcTfNcLBY0ZH_MhdQr12u6udZ0oCwSEqde/s1600/2.png" width="199" /></a></div><p></p><p>自分だけで、</p><p>・随分神さまに愛されているね。</p><p>・人生は面白いね。 </p><p>と、そう感じるだけで結構です。</p><p>その結果、神様は、</p><p>・面白がる人には どんどん面白がる現象を</p><p>・楽しがる人には、どんどん楽しがる現象を</p><p>・幸せがるひとには どんどん幸せになる現象 を下さる。 </p><p>さらに大事なことは、感謝したがる人には</p><p>次々に感謝できるような現象を降らせてくれる・・ということです。</p><p>その時、質問がありました。</p><p>「神さまに好かれていない人。そのような人はいるんですか?」</p><p>すごく重要で、いい質問ですとおっしゃって、正観さんは、こう答えました。 </p><p>「全員神さまに愛されています。全員です」と強調しました。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjIzzprv4qnW9sbHhXOKJuBaShIi6AOCS3Q8f-zTsWgJ8O5qwuZsv-u_EwVIdPDLpTef5rEJNoql7-1EuG2m16z6TdiZI_RdXif-1rE2b6_U2hWNqOG_0iKWNvgV38blOQ62Q_iVb3KE3D89Wupt33t1w0f2GPmuG1BQ5oOm-2iaYP7QXvRzk_zN70UFk0q/s225/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="159" data-original-width="225" height="159" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjIzzprv4qnW9sbHhXOKJuBaShIi6AOCS3Q8f-zTsWgJ8O5qwuZsv-u_EwVIdPDLpTef5rEJNoql7-1EuG2m16z6TdiZI_RdXif-1rE2b6_U2hWNqOG_0iKWNvgV38blOQ62Q_iVb3KE3D89Wupt33t1w0f2GPmuG1BQ5oOm-2iaYP7QXvRzk_zN70UFk0q/s1600/3.png" width="225" /></a></div> <p></p><p>実は神さまからもの凄く愛されている人だけが</p><p>肉体をもらってこの世に人間として生まれている。</p><p>肉体を持って生まれたい魂が800億。</p><p>その魂は地上80kmあたりにいるらしいです。</p><p>その7%くらいの魂が地球に生まれてる。</p><p>その魂、つまり私たちは神さまにお願いして お願いして 頼んで 頼んで</p><p>生まれさせてもらってきた。</p><p>神さまから特別扱いで生まれさせてもらった。</p><p>その人間がね愚痴や泣き言ばかり言ってると地上の魂に「俺に変われ」と言われてしまう。 </p><p>その怨念をかぶってしまうと、どうも寿命に影響が及ぶらしい</p><p>不機嫌でいると体が壊れやすい。</p><p>地上の魂の想念が降りかかるのかもしれません。</p><p>喜んで楽しんでいる人は寿命も長く、健康でいやすくなります。</p><p>すべての人間は、神さまに好かれている。 </p><p>しかし、このことを知ってるか、知らないでいるかで、人生変わってしまう。 </p><p>「神様に好かれている」 </p><p>これを耳にする人は 0. 01%と少なく、地球全体では56万人。</p><p>日本人では1万人。</p><p>死ぬまでに、神さまから好かれている。愛されている。</p><p>この情報を聞くことができる人の数は、たったのこれしかいません。</p><p>聞く聞かないで、人生観が変わります。</p><p><引用終了></p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgu4m_eJPXnWnOAeGRGBHf4t2MKmOZMrSflWaVuqsG69mMQ1mgVmbytUu9H96ovRXFayXFcpViq_wG2sTNSKbLhgOUTM_sUq4vhniqp6UlHqvVI5whh9Nh_xE9SAH3kq3pEguWk7EzIyGa-KPZMzLjGAkEn4hnFmb08eShbptWpwfZFTYswuoc9PnZhquOR/s242/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="163" data-original-width="242" height="163" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgu4m_eJPXnWnOAeGRGBHf4t2MKmOZMrSflWaVuqsG69mMQ1mgVmbytUu9H96ovRXFayXFcpViq_wG2sTNSKbLhgOUTM_sUq4vhniqp6UlHqvVI5whh9Nh_xE9SAH3kq3pEguWk7EzIyGa-KPZMzLjGAkEn4hnFmb08eShbptWpwfZFTYswuoc9PnZhquOR/s1600/4.png" width="242" /></a></div> <p></p><p>神様は、様々なところにいらっしゃり</p><p>様々な形で私たちにアプローチしてくださっています。 </p><p>それを感じ取り、喜び感謝して受け取るか。</p><p>偶然とかたずけて、無視するか? </p><p>放っておけばよいものを</p><p>神様に感謝して些細な出来事を喜ぶ人を、馬鹿にし、否定し </p><p>せっかく、神様と絆を深めようとしている人たちの心を</p><p>神さまから引きはがしてしまうのか? </p><p>人それぞれです。 </p><p>ですが、些細なことに神さまの息吹を感じ</p><p>感謝して喜ぶ人は、きっと生涯、幸せに生きていくことでしょう。 </p><p>偶然とかたずけて、現実は厳しいもの、苦しいものと</p><p>眉間にしわを寄せている生きる人は </p><p>もしかしたら、神々の手を</p><p>自らはねのけてしまっているかもれません。 </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg2zVmpeOk02oB9XJrhOngivccaGOMPuGTtYBkVNtChJ3AReAziuTzb78Bg394c9LihhB36EoZiSs2cvW00YK-2apNDXhtZya_5mneoBvZucgN-aW09sbhW6SfUisA-EUKwqmUbD7r20OIpg3BaPsAbcrCJLnBZG32Jv493dK7Z3KTdHZIfPmFkxcKMs9Y2/s266/5.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="177" data-original-width="266" height="177" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg2zVmpeOk02oB9XJrhOngivccaGOMPuGTtYBkVNtChJ3AReAziuTzb78Bg394c9LihhB36EoZiSs2cvW00YK-2apNDXhtZya_5mneoBvZucgN-aW09sbhW6SfUisA-EUKwqmUbD7r20OIpg3BaPsAbcrCJLnBZG32Jv493dK7Z3KTdHZIfPmFkxcKMs9Y2/s1600/5.png" width="266" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br /><p></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-17686379905469169072024-03-02T00:00:00.000+09:002024-03-02T00:00:00.258+09:00 3354「一人じゃないよ 私のいのち」2024.3.2<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年02月20日「<u>一人じゃないよ 私のいのち</u>」と2024年02月21日「<u>憎しみからの解放</u>」の2つの記事を紹介します。</p><p><br /></p><b>
「<u>一人じゃないよ 私のいのち</u>」
</b><p><br /></p><p>今日は「命の大切さ」についてのお話です。</p><p>私たちの周りには、一つとして、</p><p>・いらない命</p><p>・無駄な命</p><p>・軽蔑してもよい命</p><p>・尊厳を踏みにじってもよい命</p><p>などありません。 </p><p>私たちは、周りの全ての命と繋がり、生かされ、そして育まれて来ました。 </p><p>沖縄の音楽の先生、下地なを美さんが、いじめによる苦しみから自殺する子供達を愁い、 </p><p>子どもたちに歌を通して命の大切さを伝えようと、オリジナルソング「つながるいのち」を作詞作曲されました。</p><p>ご紹介します。 転載元</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhBvvGa8j3IWSRo2FxLQ3HhyT-EqOZjqbcSGCoIRnmcNTSqEtoQCsACcpFPAlP3RG3cH767jPmDe-7JESenIK1bfquzCKUuzxwY_6A1fS0PMAJFuudMe9W__WsRnN4y3LaAe-KqI1gB4xxVvj8PjgVDytTTy1qSiz7kMGxzc-zM2f-PH1uT-UZJp057iobv/s355/1.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="178" data-original-width="355" height="160" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhBvvGa8j3IWSRo2FxLQ3HhyT-EqOZjqbcSGCoIRnmcNTSqEtoQCsACcpFPAlP3RG3cH767jPmDe-7JESenIK1bfquzCKUuzxwY_6A1fS0PMAJFuudMe9W__WsRnN4y3LaAe-KqI1gB4xxVvj8PjgVDytTTy1qSiz7kMGxzc-zM2f-PH1uT-UZJp057iobv/s320/1.png" width="320" /></a></div><br /><p></p><p>尊い子供達の命の灯が、一¬つでも消えませぬように・・</p><p>〜つながる いのち〜 下地なを美</p><p><br /></p><p>なぜ生まれたの だれもが思うの</p><p>ひとり寂しい時 そっと涙ぐむ</p><p>あの星の光が 私に言うの</p><p>大丈夫 守ってる ひとりじゃないよ</p><p>ひとりじゃないよ 私のいのち </p><p>今は寂しくても 泣かないで歩こう</p><p>つながってきた 私のいのち</p><p>大切に守って 明日へとつなごう</p><p>ポツンと座わってる 蛍のような</p><p>私のこの灯り だれも消さないで</p><p>生まれたその訳を 星は知ってる</p><p>この世で光りなさい </p><p>授けられたの</p><p>授けられたの 私の光</p><p>今はちっぽけだけど 輝いているんだ</p><p>つながってきた 私のいのち</p><p>大切に守って 明日へとつなごう</p><p>私のこの腕が 私の足が</p><p>共に今生きている 支えてくれる</p><p>この胸の鼓動が 私に言うの</p><p>大丈夫 守ってる ひとりじゃないよ</p><p>ひとりじゃないよ つながるいのち </p><p>億千万の星 巡って生まれた</p><p>つながってきた 私のいのち</p><p>大切に守って 明日へとつなごう</p><p>ひとりじゃないよ 私のいのち </p><p>つながっているんだ 私の明日へ</p><p><転載終了></p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiNMrW8kQOwIdhTHn9z3XQjr0cgxXPz1_Mq_P6rI7yndNAsVdl_DzEdRS574vM5Po9Tid_u7Ox9utgYYGoLMqCrh6rg29yuwFNxoDwgBgk9krRfTY0ioQg4aDJgbL90JPiE224YzyLRzWUGE5vu1GZdG19BoBlRaELVCZGLJ2PiHmh_jPRUDX6-qMoxutmu/s296/2.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="197" data-original-width="296" height="197" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiNMrW8kQOwIdhTHn9z3XQjr0cgxXPz1_Mq_P6rI7yndNAsVdl_DzEdRS574vM5Po9Tid_u7Ox9utgYYGoLMqCrh6rg29yuwFNxoDwgBgk9krRfTY0ioQg4aDJgbL90JPiE224YzyLRzWUGE5vu1GZdG19BoBlRaELVCZGLJ2PiHmh_jPRUDX6-qMoxutmu/s1600/2.png" width="296" /></a></div><p></p><p>いじめが原因で自ら命を断つ子供たちがいます。</p><p>いじめは、本人だけでなく、様々な影響を周囲に及ぼします。 </p><p>そしてその影響力は、長期間にわたります。</p><p>大切に大切に育ててきた我が子が、苦しんでいる姿を見る親も、心に深い深い傷を負います。</p><p>いじめは、子供たちだけの問題ではなく、大人の間でも発生しています。</p><p>いじめや、心ない言葉、悪意、嫉妬、疑心暗鬼、誹謗中傷、そのようなもので、傷つく人が沢山います。</p><p>そして何より、いじめた本人もいつか、同じ苦しみを味わう時が来るでしょう。 </p><p>与えたものが、受け取るもの、私たちの住む宇宙には、その法則があるからです。</p><p>つながる いのち・・・</p><p>目の前の命を、しっかりと見つめること</p><p>・家族、友人、同僚</p><p>・好きな人</p><p>・嫌いな人 </p><p>・目の前に立ちはだかる人</p><p>・邪魔をする人</p><p>・足を引っ張る人</p><p>・悪口、陰口を言う人</p><p>・意地悪をする人</p><p>・疑う人</p><p>・私たちを、無条件に信じ、愛してくれる動物たち</p><p>・季節ごとに、美しい顔を見せてくれる植物 </p><p>・春夏秋冬、優しさ、厳しさを見せてくれる自然 </p><p>・私たちを慈しみ育んでくれる 地球 </p><p>私たちは、沢山のかけがえのない命に囲まれています。</p><p>どれ一つが欠けても、今の私たちには なれませんでした。</p><p>みんな尊い、尊い存在です。 </p><p>大切な命です。</p><p>皆さんと、皆さんのご家族が、そして、お友達が、お幸せでありますように。 </p><p>輝く笑顔でありますように。</p><p><br /></p><p><br /></p><p><b><u>「憎しみからの解放」</u></b></p><p><br /></p><p>今日は「どうしたら憎しみを消すことができるか?」と言うお話です。 </p><p>心の中から憎しみを消さないかぎり、本当の幸せを手に入れられないからです。</p><p>よく、「不平不満・愚痴や悪口などは、思ったり口にしたりしない方が良い」と言われますが、それは取りも直さず、自分の中の神さまと繋がり、本当の幸せを掴むことが、自分の力でできるようになるからです。</p><p>私たち凡人は、なかなか心の内の、「憎しみ」を消せない時があります。 </p><p>そしてその結果、現実の生活では様々な艱難苦難に遭遇していきます。</p><p>その憎しみの対象は、家族に対してのことがダントツに多いようです。</p><p>親や配偶者など。</p><p>ですが空海の仰るように、心というのは、生きていても、死んでからも同じ、憎しみや怒りに執着して凝り固まっていたら、天からの光に気づかない。</p><p>無意識に拒否する。</p><p>だから、死後も成仏できない。</p><p>死後も同じ状態のまま、長い長い地獄のような生活を送らなければならない。 </p><p>すべては本人の心の問題。</p><p>が真実のようです。 </p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhhLCVFEVoyCXFHEDDW33EggAQnsqwuOt0quLAjCvrn6X3fwA6g6tS7bHgtcbBdi4U1_wSx-hRsLFRrpt2zplG2dUo4EJpA5qdxn92tkoSEiy04OoW6_I-i7fojKLGft1bPNyVqhviHh9ruQEsPogFTPfjj8jwQdchE_MoB3BlgBcv3VRr3Egv78Od8MaTD/s252/3.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="252" data-original-width="194" height="252" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhhLCVFEVoyCXFHEDDW33EggAQnsqwuOt0quLAjCvrn6X3fwA6g6tS7bHgtcbBdi4U1_wSx-hRsLFRrpt2zplG2dUo4EJpA5qdxn92tkoSEiy04OoW6_I-i7fojKLGft1bPNyVqhviHh9ruQEsPogFTPfjj8jwQdchE_MoB3BlgBcv3VRr3Egv78Od8MaTD/s1600/3.png" width="194" /></a></div><p></p><p>肉体があろうと、亡くなって肉体が無かろうと、心の状態は変わらない。 </p><p>死んですぐに仏になるわけではない。</p><p>ですので、このことが空海が言う、生きているうちに「幸せ」を掴まなくてどうする? </p><p>という「即身成仏」の教えに繋がってきます。</p><p>空海は生きているうちに仏になれるんだよ・・ と教えています。</p><p>ここで言う仏とは、心の状態が穏やかで平和で幸せと言うことです。</p><p>生きているうちに憎しみ、怒り、執着から離れることで、天の光に気付き、幸せになることが出来ると言っているわけです。</p><p>もし心が、憎しみ、怒りから離れなければ、死んだ後も、同じ状態が続くと仰っています。</p><p>でも、そこには仏の慈悲があります。</p><p>生きている間には、いろんな人と接することで、気付きをもらうことが出来ます。</p><p>私達は、今こうして生きています。</p><p>それぞれが置かれた環境は異なります。 </p><p>楽しさや、苦労の度合いも人さまざまでしょう。</p><p>ですが、私達は色んな個性の人達に囲まれ、</p><p>・好きな人に囲まれ、</p><p>・嫌いな人に囲まれ、 </p><p>・人を好きになったり、</p><p>・嫌いになったり、</p><p>・嫌われたり、 </p><p>様々な経験を積み重ねていくことで、沢山の気付きを頂くチャンスに恵まれています。</p><p>もし、私達が自分の置かれた環境で、その様々な境遇に感謝して、明るく前向きに自分の精一杯の生きざまを示すことができたならば、きっと私達は生きながら 仏の気持ちになれるかもしれません。</p><p>生きながら幸せになれるかもしれません。</p><p>私達、誰一人も例外なく、その様な恵まれた環境に今置かれています。</p><p>例え、苦しく感じる環境であっても、それは実は私達の心にとっては、神さまが準備してくれた素晴らしい環境であるのかもしれません。</p><p>最後に空海のお言葉を紹介します。</p><p><br /></p><p>生きとし生けるもの、すべてに命があり、心がある。</p><p>そのことを忘れてはいけないよ。</p><p>すべては、一人一人の命の働きから始まるのだ。</p><p>難しく考えることはない。</p><p>素直に生きて、皆に感謝をしなさい。</p><p>そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。</p><p>さすれば、道は開くであろう。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjIyAcG2xIlQiR2hHQdF7eqB1KSkcw5yUfNr13iq577PAGxIAXEYfI81eCMxIPGT5fq_cA81IVVXEvZE6PoY6HcWD-Vz12qVY5xIXL57v9UbShgXo8SA7HnPUtsu-5Y-Ug2xReST0Q84CG8akdBiBJChYJYxPytIjWzeprqjJx-vzFXwPDZ1725LvJSkklk/s294/4.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="183" data-original-width="294" height="183" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjIyAcG2xIlQiR2hHQdF7eqB1KSkcw5yUfNr13iq577PAGxIAXEYfI81eCMxIPGT5fq_cA81IVVXEvZE6PoY6HcWD-Vz12qVY5xIXL57v9UbShgXo8SA7HnPUtsu-5Y-Ug2xReST0Q84CG8akdBiBJChYJYxPytIjWzeprqjJx-vzFXwPDZ1725LvJSkklk/s1600/4.png" width="294" /></a></div> <p></p><p>空海が生きていた当時の日本で、</p><p>仏教は朝廷の強力な推薦もあり民衆の間に広まっていました。 </p><p>ですが当時の(奈良)仏教は今ではなく、死んだ後の来世の幸せを説くものでした。</p><p>ですが空海は、今、生きている今ここで幸せになれると説いたのでした。</p><p>そして、その方法こそが、素直に生きて、皆に感謝をしなさい。</p><p>そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。 </p><p>だったのです。</p><p>魂が喜ぶとは・・</p><p>自分の良心、自分の中の神様が喜ぶこと。</p><p>良心に従った生き方です。</p><p>皆に感謝とは・・みんなに「ありがとう」と言う事です。</p><p>素直に生きて、皆に感謝をすることで、今、この生きているうちに「本当の幸せ」を手に入れることが出来ると、空海は仰っています。</p><p>不平、不満、愚痴、悪口も良いでしょう。</p><p>・むり、</p><p>・どうせ、</p><p>・だって </p><p>と言い訳や、後ろ向きの言葉を使うのも良いでしょう。</p><p>ですが、もしそれに疲れてしまったら、この空海の言葉を思い出してみて下さい。</p><p>きっと空海の仰る通り、生きている今、幸せになることが出来るかもしれません。</p><p><br /></p><p><br /></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-17213037483221666152024-03-01T00:00:00.001+09:002024-03-01T00:00:00.265+09:003353「家族になった訳」2024.3.1<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年02月19日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「家族になった訳」</u></b></p><p><br /></p><p>世界で一番大切な人なのに・・・</p><p>家族って、どうしてこんなにも難しいものなのでしょうか? </p><p>本当のホンネでは、愛し、愛されているのに誰よりも家族のことを深く、愛しているのに・・</p><p>憎しみ合う人たちも多い・・・今日はそんなテーマです。</p><p>結婚するまでは、他人同志だった二人。</p><p>・生活感、</p><p>・価値観、</p><p>・金銭感覚、</p><p>・物事の受け取り方も </p><p>まるで違う者同士。</p><p>結婚し、家庭を作り、お互いに同じ方向を見つめ、協力し、助け合い、</p><p>貧しい中でも工夫して、小さな幸せを見つけ、笑いながら幸せに暮らして行きたい。</p><p>子供が生まれれば、二人で協力し、慈しんで育てたい。</p><p>お互いに歳をとり、白髪になり、元居た世界に帰るまで・・</p><p>そう思っていたのに、実際は、家族だから苦しめ合っている。</p><p>そんな現実が、なんと多いことか。</p><p>家族だから、期待や要求をぶつけ、干渉し、支配しようとする。</p><p>家族だから、罵り、傷つけ、暴力を振るう。</p><p>家族だから、残酷さや支配欲、身勝手さをさらけ出す。</p><p>ブッダは2500年前に、家族が抱える悩みの中に、業という大きな理由を見つけました。</p><p>ブッダが生きていた時代にお弟子さんだった小林正観さんが、家族について次のように仰っています。</p><p><引用開始></p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg8SKQUVQS7KbGf8PhLwNP7PmI6CdUeEZIH_rzv0LzK3_WKJ_ImicVGqbxRS2FuE5kaKB5GufGvRj5PjlrUOUcEC8-4w3h4HGRFpV3kturbjIylQQ4lxbFoqp3fhDbNNAfHGzDn2JtAZAGhyphenhyphenM_rHl7sRYSp5_FKRKbe8LHJ-YrO405izSHppSovxAHsOTbo/s308/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="209" data-original-width="308" height="209" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg8SKQUVQS7KbGf8PhLwNP7PmI6CdUeEZIH_rzv0LzK3_WKJ_ImicVGqbxRS2FuE5kaKB5GufGvRj5PjlrUOUcEC8-4w3h4HGRFpV3kturbjIylQQ4lxbFoqp3fhDbNNAfHGzDn2JtAZAGhyphenhyphenM_rHl7sRYSp5_FKRKbe8LHJ-YrO405izSHppSovxAHsOTbo/s1600/1.png" width="308" /></a></div> <p></p><p>みなさんは、家族は長く一緒にいて、自分の主張をし合うことが仲よしの証拠だと思っているところがあります。</p><p>でも、私はそのように、家族をとらえていません。</p><p>家族とは、他人に対して言わなくてすむ、わがままを、目の前の家族という名の特別な存在に対しても言わないという訓練の場なのだと考えています。</p><p>あることを他人から言われたときに、その他人に対しては,</p><p>腹を立てたり、怒ったり、怒鳴ったり、いら立ったりしない。</p><p>ところが、同じ言葉を夫や妻、子どもから言われたら、ものすごく激昂(げきこう)して、</p><p>腹を立てて、怒って、怒鳴りまくってしまうという人はいませんか?</p><p>実は結構いるのですが、そういいう性質を幼児性といいます。</p><p>つまり、この人には甘えていいという特別な感情を持っているわけです。</p><p>もしここで、踏みとどまることができるなら、その人は忍耐力というのを持っているわけです。</p><p>自分で自分の感情が、制御できているんですね。</p><p>それが、ある人との関係では制御できて、コントロールできるのに、別の人との関係では</p><p>コントロールできないというのは、制御ができないのではなくて、制御をしないのです。</p><p>家族だから、妻だから、夫だからという理由で制御しないのは、甘えているという意味で,</p><p>それを幼児性といいます。</p><p>結婚というのは、幼児性の克服のための訓練の場なのです。</p><p>そこのところに気がつかない限り、多分、穏やかな家庭生活というのを得ることはできません。</p><p>家族というのは、わがままを言い合うために存在するのではなく、わがままを言えるような</p><p>人間関係が目の前にあって、それでもなおかつ そのわがままを言わないために存在するのです。</p><p>言わないということは大人になるということです。</p><p>この話をしたらある人がこう言いました。</p><p>「それではストレスをどこで発散するんだ」と。</p><p>もう一度いいます。</p><p>家庭というのはストレスを発散する場ではありません。</p><p>幼児性でわがままを振りまきたくなる状況設定をされているのが家庭。</p><p>そこで自分がいかに幼児性を振りまかないで、それを克服していくかということ。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhYP5912RgVzePhPv8W5GHdjzCKK1HlNt5SH_UBrFMmAcc4C-q74DKwIYLiFPJO1krWBMvvqof6z169LyDCB9UkNliSKbMxybj0JdNiBOhXBy1gMxz1slHxY2hrRX-FYn_IxfMbEz4pv0UJpCpjv5MC6QeqlPLGk6qXzRi-YGgmLndTSqUK0XNeSYmg7nkl/s252/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="252" data-original-width="194" height="252" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhYP5912RgVzePhPv8W5GHdjzCKK1HlNt5SH_UBrFMmAcc4C-q74DKwIYLiFPJO1krWBMvvqof6z169LyDCB9UkNliSKbMxybj0JdNiBOhXBy1gMxz1slHxY2hrRX-FYn_IxfMbEz4pv0UJpCpjv5MC6QeqlPLGk6qXzRi-YGgmLndTSqUK0XNeSYmg7nkl/s1600/2.png" width="194" /></a></div> <p></p><p>これは業(ごう)というものですけれど、その業の克服のために、家庭というものが存在するのです。</p><p>家庭というところは、人間が成長する場所なのですね。</p><p>幼児性というものを克服するために、家庭が存在するということがわかってくると、子どもとの関係、親と子の関係というものも見えてきます。</p><p>実は親が子どもを育てているのではなくて、子どもが親を育てにきているということに気がつきます。</p><p>結婚した時に、自分だけのわがままで生きてきた人生から、相手が一人増えるわけです。</p><p>妻や夫という名の家族が。</p><p>そして、子どもができたときには、もう一人別な存在が、できてきます。 </p><p>妻や夫や子どもが自分の思いどおりにならなかったりすると、感情をかき乱されます。</p><p>そのときに、どんなことがあってもいら立たない、ということの訓練の場として、実は家庭というものが存在する。</p><p>ですから、家庭はわがままを言うところではないし、ストレスを発散する場ではないのです。</p><p><引用終了></p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjOapZ4vJcuHQPvCPiqlrD0KQY7lvBM_J6-1v2Aqtbk4YgW9ExoNypnHmE2WuKKq1mPpjTs-b06trDgSua4LmgyKqMKK8-paayuqzJc2rArwnVZpEIeipd10DOgZAGvMmVPxkNalEIWOEfSu_MT38cdDLFbHPBJLYDFzxZYwZODP9yoobA0qfuqZgGh9ZOI/s297/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="223" data-original-width="297" height="223" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjOapZ4vJcuHQPvCPiqlrD0KQY7lvBM_J6-1v2Aqtbk4YgW9ExoNypnHmE2WuKKq1mPpjTs-b06trDgSua4LmgyKqMKK8-paayuqzJc2rArwnVZpEIeipd10DOgZAGvMmVPxkNalEIWOEfSu_MT38cdDLFbHPBJLYDFzxZYwZODP9yoobA0qfuqZgGh9ZOI/s1600/3.png" width="297" /></a></div><p></p><p>日常の生活の中で幼児性を目にする機会は良くあります。</p><p>・上司が部下に怒鳴る</p><p>・妻に暴言を吐き、暴力を振るう</p><p>・年配者が若者に暴言を吐く</p><p>・飲食店や小売店で、「お金を払っているから私はお客だ」と威張ったり、</p><p> 怒鳴ったり、いら立ったりする</p><p>相手がいなくとも、こんな「幼児性」もあります。</p><p>・いつも自分だけが我慢している(すれば良い)と思っている、言っている</p><p>・ちょっとしたことに不平不満を感じ、ため息をつく、愚痴を言う</p><p>・いじける</p><p>そういう人には、すべて幼児性があります。</p><p>どんなに偉そうなことを言おうと、我慢ができなくて、わがままで自分さえよければいいという、甘えが抜けない。</p><p>それはまるで幼児と一緒です。</p><p>幼児性のある人は、わがままを振りまきたくなる状況設定をされている場、つまり家庭では、</p><p>自己をコントロールすることが難しくなります。</p><p>幼児性があるから、ものすごく激昂(げきこう)し、腹を立てて怒ったり、怒鳴りまくってしまいます。</p><p>でも、正観さんが仰るように、その家庭の中でこそ、その幼児性に気付き、そして穏やかな気持ちでいられるよう、自分自身で、コントロールできるようになりたいものです。</p><p>家庭だからこそ、その自分の幼児性がデフォルメされて表現されています。</p><p>それに早く気付けるように・・</p><p>自分の中の、幼児性に気付けるように・・・</p><p>そしてお互いに同じ方向を見つめ、協力し助け合い、貧しい中でも工夫して、小さな幸せを見つけ、笑いながら みんな、仲良く幸せに暮らして行きたいですね。</p><p>それが、家族と言う単位を作った神さまの優しい、計らい、目的なのですから。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhNGT8XQ9C-46R6fMD17c-6Y6jkpdDWtEdF8Qz7rzvsVgSPLAu5QAZG5m1Yeufu8kOKf71dPmgzW8XBlhQ-vh8KRWBVdXldsl0bsFtaa_M05M5y9fQjfcHdobFAYLK8TwFmpURaPvUpokA78ccxhqe-_3RZPnGiuuDaBhaXP_AL-khFK5onYz-Os4IEyUk_/s354/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="221" data-original-width="354" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhNGT8XQ9C-46R6fMD17c-6Y6jkpdDWtEdF8Qz7rzvsVgSPLAu5QAZG5m1Yeufu8kOKf71dPmgzW8XBlhQ-vh8KRWBVdXldsl0bsFtaa_M05M5y9fQjfcHdobFAYLK8TwFmpURaPvUpokA78ccxhqe-_3RZPnGiuuDaBhaXP_AL-khFK5onYz-Os4IEyUk_/s320/4.png" width="320" /></a></div><p></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-66313627648578272762024-02-29T00:00:00.001+09:002024-02-29T00:00:00.133+09:003352「最後のプレゼント」2024.2.29<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年02月17日「<u>最後のプレゼント</u>」と2024年02月18日「<u>小さな思いやり</u>」の2つの記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「最後のプレゼント」</u></b></p><p>私たち親は自分に子供が生まれた時、この子がどうか幸せに生きられますように、</p><p>そう願いました。 </p><p>そして自分が先に天に帰るときも、きっと、残されたこの子が、幸せに生きられますように、</p><p>そう願うのだと思います。 </p><p>子供が悲しみの涙を流していれば、自分の命に代えても守りたいと願うかもしれません。 </p><p>誰でも、何時かは天に帰るわけですが、今日は、沢山の読者の方々のためにも、子供にとって、親の死の持つ意味を、書いてみたいと思います。 </p><p>どうか、残されたご家族が、最後の親の愛を知り明るく健やかに暮らしていけますように。 </p><p>そうして暮らしていくことこそ、周りの人々と仲良く笑顔で暮らしていくことこそ、私たちを愛し、慈しんでくれた、親たちの一番の願いだからです。 </p><p>皆さんは、親が子供たちに最後に残してくださる、最大のプレゼントは何だと思われますか? </p><p>家や車や、莫大な財産ではありません。 </p><p>それは、死です。 </p><p>「人は必ず死ぬ」このことは、誰でも知っている、当たり前のことです。</p><p>しかしそれは、現実に経験してみないうちは、にわか知識にすぎません。</p><p>親が死ぬときに、人は初めて本当に「死ぬのはどういうことか」 </p><p>切実な現実を痛烈に知って、私たちは「死」を学ぶことができます。</p><p>・人生は本当に有限なものだった。</p><p>・自分もいつかは死んでいく。</p><p>・この限られた人生を、何に使えば良いのか?</p><p>・何をしたら死に臨んでも満足がいくのか? </p><p>鉄拳「振り子」 父と母の人生の物語です。 是非ご覧ください!!</p><p>目の前の親の死を、経験させていただくことで、様々な思いが、頭を巡り、 </p><p>深く、自分自身のこととして考えることができます。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhbu083s4jXxDWK-CkIfgo5iQw5R375rqoKbwZ13MrREECzp1F_vIKjj4BeRaDMV6uoAXs2Y6X82GEK0paMTBgTmZ26GBXDxDm_W96r0s-8n9dgo5LS0ak5zG4mxdwBGiQql2IgaiISjTG1bid2nzvDx5mCpqqBrTUy4OSTivmwwULUVg0cerDQDawAZh4J/s227/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="144" data-original-width="227" height="144" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhbu083s4jXxDWK-CkIfgo5iQw5R375rqoKbwZ13MrREECzp1F_vIKjj4BeRaDMV6uoAXs2Y6X82GEK0paMTBgTmZ26GBXDxDm_W96r0s-8n9dgo5LS0ak5zG4mxdwBGiQql2IgaiISjTG1bid2nzvDx5mCpqqBrTUy4OSTivmwwULUVg0cerDQDawAZh4J/s1600/2.png" width="227" /></a></div><br /><p></p><p>また親の死ではなくとも、動物が好きなご家庭では・・・(参考元)</p><p>・子供が産まれたら、一匹の犬を飼おう。</p><p>・子供は犬と共に大きくなり、いろんな思い出を作るだろう。</p><p>・家族の一員であるペットは、子供たちに大切なことを沢山教えてくれる。</p><p>・彼らが少年少女になった時、犬は歳を重ね、やがてこの世を去っていく。</p><p>・その死をもって、子供たちに最後の教えを伝えるだろう。</p><p>・命を終えてゆくことで、共に生きて過ごした日々がかけがえのないものになる。</p><p>・終わりを知ることで、輝き出す命。</p><p>・ペットの死は、大切なペットからの、最後にして最大の、子供たちへのプレゼントである。</p><p>生前、死後を通じ、何百万、何千万人もの人々の魂を救った親鸞聖人は</p><p>4歳の時にお父さんを亡くされ、8歳の時にお母さんを亡くされています。</p><p>聖人は「波瀾万丈」という言葉がふさわしい一生を送られた方ですが、</p><p>まさに人生のスタートから激しい波が、聖人に襲いかかりました。</p><p>松若丸(のちの親鸞聖人)は、ついさっきまで温かい手で自分の頬をなで、</p><p>優しい目で語りかけてくれていたお母さんが、</p><p>たちまち目が閉じ、顔から血の気が引き、手は冷たくなり、帰らぬ人となっていった現実に</p><p>なんてあっけなく「死」はやってくるんだろう、と世の無常に愕然とされるのでした。</p><p>その時、松若丸は8歳ですから</p><p>・お父さん、どこ行ったんだろう。</p><p>・お母さん、どこへ行ったんだろう。</p><p>・お父さんに会いたい。</p><p>・お母さんに会いたい</p><p>とどんなに思われたでしょうか。</p><p>松若丸がさらに考え込まれたのは、自身の行く末でした。</p><p>お父さんが死に、お母さんが死んだ。</p><p>次に死ぬのは自分の番だ。</p><p>いったい自分は死んだらどこへ行くんだろう。</p><p>真剣に我が身の死んだ先を考え込まれ、真っ暗な未来に驚かれるのでした。</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhgD6zUw_ZM1w6IJaGvH3nd7AVDAmBNod4NyodPyZ8o7S3MQLKcYkqDcmkxSHCaH3MpK4t1IST2RTYRSgKhs4wUpPTSXAOPc3hiViDFobj6FdWdgBU-tO2w97OTq_f9YBW6dOH1ps-dCF4ESF_jjrnOy8ryVt91jwNDcwJBWwjfDWKG_Hb-D7pdsCn51Jpn/s205/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="154" data-original-width="205" height="154" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhgD6zUw_ZM1w6IJaGvH3nd7AVDAmBNod4NyodPyZ8o7S3MQLKcYkqDcmkxSHCaH3MpK4t1IST2RTYRSgKhs4wUpPTSXAOPc3hiViDFobj6FdWdgBU-tO2w97OTq_f9YBW6dOH1ps-dCF4ESF_jjrnOy8ryVt91jwNDcwJBWwjfDWKG_Hb-D7pdsCn51Jpn/s1600/3.png" width="205" /></a></div><p></p><p>世の中には</p><p>・父親が死んでも、</p><p>・母親が死んでも、</p><p>・夫が死んで見せても、</p><p>・妻が死んで見せても、</p><p>・子供が先に死んで見せても、</p><p>すべて他人事と受け流し、自分はまだまだ死なないと頑として思い込み、</p><p>自分自身の確実な行く末に、目を向け、深く考える人は少ないものです。</p><p>ですが、松若丸は違いました。</p><p>両親の死を縁とし、我が身の生死の一大事に驚き、なんとしてもこの大問題を解決したいと、比叡山の慈鎮和尚の門を叩かれたのです。</p><p>この時、のちの親鸞聖人は、わずか 9歳でした。</p><p>私たちは、このように死から学ぶことが、大変多くあります。</p><p>時には、その後の人生を大きく転換させてしまう力さえあります。</p><p>親が子供たちに最後に残してくださる贈り物。</p><p>決して無駄にはできないものですね。 </p><p>皆さんには、お子様はいらっしゃいますか?</p><p>いない方は、ご両親はご健在ですか?</p><p>私たち親は自分に子供が生まれた時、この子がどうか幸せに生きられますように、</p><p>そう願いました。</p><p>そしてきっと、自分が天に帰るときも、</p><p>残されたこの子がどうか、幸せに生きられますように、そう願うのだと思います。</p><p>親と子、深い愛の絆で結ばれています。</p><p>私たちは、生まれる前に、お互いの魂同士で約束してきました。 </p><p>「家族になろうね」って。</p><p>人は必ず死を迎えます。</p><p>親の勝手な希望、価値観、プライド、世間体で、 </p><p>子供たちが、可憐な「スミレの花」を咲かせようと、この世に生まれて来たのに、</p><p>華やかな「バラの花」になれと、無理強いはしていませんか? </p><p>私たちが嫌いな、あの人も、深く深く愛してくださった親御さんがいらっしゃいます。 </p><p>愛する子供もいらっしゃるかもしれません。 </p><p>世界中の人たちが、優しさと愛で包まれますように・・ </p><p>悲しみの涙を流す人が一人でも減りますように。</p><p> </p><p> </p><p><b><u>「小さな思いやり」</u></b></p><p><br /></p><p>神様が、神さま自身を知るために、神様に似せて作った人間の本能には</p><p>「人から喜ばれると嬉しい」というものがあるそうです。</p><p>この本能は、人間に与えられた本能であると同時に神さまの性質でもあります。 </p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEia0r2UXjLpf81rTNg-IKwb7jIhfAcj1FLYuXhZYys8RqT00bp6r2tQzyJAoPXwJOL9MJGYsS0icbbw8_ahyphenhyphenTHvXgDAHldQijoP5IznEWeFgd0IhYTHTgulNxp6jhnxIltWkPnjjJDxTVBkgL6g1GFpouNPXd6UTFqmMnRVGAOoc2-oKTtxqE8X3rEG5Q32/s256/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="170" data-original-width="256" height="170" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEia0r2UXjLpf81rTNg-IKwb7jIhfAcj1FLYuXhZYys8RqT00bp6r2tQzyJAoPXwJOL9MJGYsS0icbbw8_ahyphenhyphenTHvXgDAHldQijoP5IznEWeFgd0IhYTHTgulNxp6jhnxIltWkPnjjJDxTVBkgL6g1GFpouNPXd6UTFqmMnRVGAOoc2-oKTtxqE8X3rEG5Q32/s1600/4.png" width="256" /></a></div><p></p><p>ですので、ちょっとしたことに、笑顔で喜び、感謝する人は、相当、得な性格です。 </p><p>誰からも、愛され、みんなが味方になって、助けてあげたくなってしまいます。 </p><p>きっと神様も同じ気持ちです。</p><p>宇宙の仕組みや、神さまの行動の原則などが分かってくると、</p><p>日々の何気ない生活でさえ、楽しくなってきます。 </p><p>ありとあらゆるところに、神さまの働きを感じることができるからです。 </p><p>いつも傍に居ることが分かるからです。 </p><p>また、偶然が起きた場合も、</p><p>「どうせ偶然でしょ」とすまし顔で、冷たくあしらわず、</p><p>「まぁ凄い、面白いね」と素直に子供のように喜んでいれば、</p><p>神さまは、なおさら沢山の偶然を見せてくださいます。</p><p>神さまの声は、誰かの口を通してくることもよくあります。</p><p>また外応と言って </p><p>・小川のせせらぎの音や、</p><p>・子供たちの笑い声、</p><p>・そよ風なども、 </p><p>神さまが私たちにプレゼントしてくださっているものです。 </p><p>そのように繊細な心で、神さまの働きを感じられるようになると、</p><p>もう全てのもの、事に感謝しかありません。 </p><p>神さまの働きに気付き、人が喜び、感謝すればするほど、</p><p>神さまは私たちの身近で、良きことを起こしてくださいます。 </p><p>ひすいこうたろうさんの記事 (喜び上手な人には運がやってくる)に、</p><p>こんなことが書いてありました。意訳します。 </p><p><引用開始></p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjBZjP2vbDZ4up0nLLvhqU4q0qkrgpT9UcDE-lT1kYPo1JAtfjHpepDyAdxFjbkI6E1eJyvJaoj4EIrG5PMMv9gsMNvMSnt1P74S9OMsN-YOspKDnRBRDvGEXGnKaWcfpd29j41ASnbv79d3sWWokHZexg7EyrotUM0v6sDidMSrCYva8-OYxLkGwPnfwMj/s240/5.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="180" data-original-width="240" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjBZjP2vbDZ4up0nLLvhqU4q0qkrgpT9UcDE-lT1kYPo1JAtfjHpepDyAdxFjbkI6E1eJyvJaoj4EIrG5PMMv9gsMNvMSnt1P74S9OMsN-YOspKDnRBRDvGEXGnKaWcfpd29j41ASnbv79d3sWWokHZexg7EyrotUM0v6sDidMSrCYva8-OYxLkGwPnfwMj/s1600/5.png" width="240" /></a></div><p></p><p>もし神様がいるとしたら、小さな幸せや、ささいなことでも、喜んでくれる人のために、働こうか、もっと喜ぶことをしてやろうかと思うのではないでしょうか?</p><p>それとは逆に全てを偶然と片付け、神様が、ちっぽけな自分(や、レベルの低いあなた)のために、特別なことをしてくださるはずがないではないか。 </p><p>そのように、偏った自己卑下(自分を低く低く見ること)や、他人卑下(他人を・・・)をして神様が、小さな幸せを見せてくださっても、ブスッとしてる人。 </p><p>頑な(かたくな)に、敢えて心を動かそうとしない人、どちらに神様は微笑むでしょうか? </p><p><引用終了> </p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEglejEVP6fClPe7qKYnUZP3HUQjosVTul7SmTojHz_Ny5i9AT9OoiZw6m6WKrAKsZl_vHyRnziShZDbeZdSvgSRaaVPQfc-DXulEUlYEZolSNmxzj3Exy7xWAEGPy_hyphenhyphenyQsIsHVVCFOKOjLTE2h7-PSOiBdLKDG7IaUrEkqAObrSqEzkLhBoFSrSAoZIAgj/s265/6.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="149" data-original-width="265" height="149" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEglejEVP6fClPe7qKYnUZP3HUQjosVTul7SmTojHz_Ny5i9AT9OoiZw6m6WKrAKsZl_vHyRnziShZDbeZdSvgSRaaVPQfc-DXulEUlYEZolSNmxzj3Exy7xWAEGPy_hyphenhyphenyQsIsHVVCFOKOjLTE2h7-PSOiBdLKDG7IaUrEkqAObrSqEzkLhBoFSrSAoZIAgj/s1600/6.png" width="265" /></a></div><p></p><p>耳をすませて見て下さい、注意深く、周りを見渡してみてください。</p><p>あちこちに、神様からの贈り物があることに気づくでしょう。</p><p>また、いつもと違う 何かに気づいたなら、悪い予兆などとは考えず、 </p><p>是非それを 良き予兆と解釈して、よろこび、神様に感謝してみてください。</p><p>きっと ますます、恩寵に気付きやすくなると同時に</p><p>幸せが、雪だるまのように、どんどんと膨らんでくることでしょう。</p><p>感謝の種が増えてくることでしょう。</p><p>一見不幸に見える </p><p>・死別</p><p>・病気</p><p>・事故</p><p>・貧困</p><p>などでさえ、私たちの魂を磨き、</p><p>光り輝かせる、研ぎ石の役割として神様が与えてくださったものです。 </p><p>私たちが、その出来事を </p><p>・どのように受け取るか?</p><p>・どのような意味を与えるか? </p><p>その違いだけで、天と地ほどの違いが出てきます。 </p><p>・小さな親切</p><p>・小さな思いやり</p><p>・小さな優しさ </p><p>を感知できる感受性を持ち、 </p><p>喜び、感謝できる心を持ちたいものですね。 </p><p>私たちの周りには、気づかないだけで、それらが沢山 散らばっています。</p><p><br /></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-47484756484772690772024-02-28T00:00:00.001+09:002024-02-28T00:00:00.132+09:00 3351「人類進化がおおむね止まった今」2024.2.28<p> 今回はIn Deepさんの2024年2月15日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「人類進化がおおむね止まった今、嘘が「人類の共通の潜在意識へ流入」することから始まる新たな悪の時代」</u></b></p><p><a href="https://indeep.jp/new-era-of-evil-begins-with-lies/" target="_blank">https://indeep.jp/new-era-of-evil-begins-with-lies/</a></p><p><br /></p><p><u>進化の停止</u></p><p>今回の本題とは関係のない話ですが、先日の記事「<u>麻疹の歴史に見る…</u>」の後半では、成り行きで書いている途中で、</p><p>「今生きている人類は、数百年前の人類より感染症に強い」</p><p>と何となく書きました。遺伝子の進化の観点からです。</p><p>ウイルスが変異して生き残っていくように、人類の遺伝子も「生き残っていくため」に進化(変異)し続けているはずで、自然の状態の中では、それは良い方向に向かうはずだ(った)と。</p><p>これは、少し前の記事「<u>…プリオン病による民族絶滅の関係</u>」などでふれていた、プリオン病の発症を防ぐ突然変異を人類(日本人以外)が獲得したことなどもそうです。</p><p>他にも、進化というのかどうかはともかく、単純な話として、「人類の寿命の伸張」があります。</p><p>少なくとも主要国の寿命の大幅な伸張は、めざましいものでした。以下は、「人類の寿命伸長:過去・現在・未来」という論文の冒頭からの抜粋です。</p><p><br /></p><p><u>人類の寿命伸長:過去・現在・未来</u></p><p>過去数世紀にかけて実現した大幅な寿命伸長は、人類が成し遂げた最も偉大な成果ではないだろうか。</p><p>人類史初期の平均寿命がおそらく 20~ 35年であったのに対し、1900年には先進国の寿命は 40~ 50年程度まで延びている。</p><p>それから100年強を過ぎ、世界の中でも最も健康水準が高い国々の寿命は約 80年となった。このように、人類の平均寿命伸長の約半分は 20世紀に達成されたものである。</p><p>ipss.go.jp</p><p><br /></p><p>この論文では、寿命が延びた理由として、大きく「乳幼児の死亡率の低下」や「高齢者の死亡率の低下」などを挙げています。</p><p>まあしかし、最大の要因は「栄養状況の改善」だと私は思います。食料事情がよくなるだけで人は死ににくくなるというのは、ある程度は事実かと。</p><p>あと、住宅事情ですね。暑いほうはともかく、冬に室内が寒いと大幅に死亡率が上がります。以下は、寒さによる死亡数(青)と暑さによる死亡数(赤)の統計グラフです。致死率を上げるのは、圧倒的に「寒さ」です。</p><p>各国の人口10万人あたりの寒さによる死亡数(青)と暑さによる死亡数(赤)</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgu3EFh4Vc6361UgeXtRi3KvSw70Qd_4JPKePciDceghRZTrp1grom-hcn-6jJfNrYY1Ls1pmRCiW53XQ_E9y3NBiOY_rlSHeE7m7lb2dS-OIMoQKHmsJGrwVw3xXwlSNxH8jyE9Qb0ge1En758bM35IiISz7YHh8qUntV7rgCIbuTsOe_iucSq0h9-ARUX/s643/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="615" data-original-width="643" height="306" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgu3EFh4Vc6361UgeXtRi3KvSw70Qd_4JPKePciDceghRZTrp1grom-hcn-6jJfNrYY1Ls1pmRCiW53XQ_E9y3NBiOY_rlSHeE7m7lb2dS-OIMoQKHmsJGrwVw3xXwlSNxH8jyE9Qb0ge1En758bM35IiISz7YHh8qUntV7rgCIbuTsOe_iucSq0h9-ARUX/s320/1.png" width="320" /></a></div><br /><p></p><p>このグラフは、最初は医学誌ランセットに掲載されたものですが、「統計の印象操作」が行われた状態で出されていたもので、それを修正したものです。詳しくは以下にあります。これなども、今回の後半で取り上げます「ウソの喧伝」と関係するものかもしれません。</p><p>[記事]<u>ランセットに掲載された「暑さで死亡する率」と「寒さで死亡する率」を比較したグラフから見る統計のイリュージョンが普遍化したこの社会</u> In Deep 2023年7月29日</p><p><br /></p><p>栄養に話を戻しますと、特に子どもや若者では、「胸腺」という、免疫に重要な器官が感染症や病気の予防に大きな役割を果たしますが、この胸腺の成長に必要なのは「タンパク質」ですので、タンパク質の摂取状況の改善だけで、若い人たちが病気で亡くなることが少なくなる。</p><p>以下は、ドイツのヤコブ・ゼーガル博士の著作からです。</p><p>> マクファーレン(免疫の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞したウイルス学者)は、栄養不良で最初に損傷を受ける器官は胸腺であることを強調している。胸腺は、体内のT細胞(重要な免疫細胞)の供給源である。免疫防御力の弱まるあらゆるものによって、致死的な臨床的エイズの始まりが促進される。</p><p> </p><p>昨年の「<u>コロナはすでに HIV 化している模様…</u>」という記事の中で、このことにふれていますが、今のような病気の時代では食料危機などによる「栄養不足」は、子どもにとっては致命的です。</p><p>それはともかく、さまざまな要因で人類の寿命は飛躍的に伸びました。この 100年ほどだけでも倍近くになりました。</p><p>これが「人類にとって良いことだったかどうか」というと、毎日病院に通う高齢者の数や、介護で疲弊する人々の数の多さを見ていると明らかで、</p><p>「それほど良いことではなかった」とは思います。</p><p>もちろん、何もせずとも元気で健康な人がいつまでも生きるのは素晴らしいことでしょうが、むりやり生きさせられている人が多い現状は、とても人類の進化とは思えない部分もあります。</p><p>しかし、いずれにしても、2021年から始まった大々的な感染症予防対策(マスク、ワクチン、消毒全部含む)により、この「寿命」のほうも頭打ちし、低下に転じていくことになるはずです。というか、すでにそうなっています。</p><p>さまざまな感染症に対応して進化してきた遺伝子の進化も「おそらく停止した」と思われます。</p><p>この「遺伝子の自然な状態の破壊」というものの影響は、おそらく信じられないほど大きなものになると思いますけれど、将来の人類がこれを乗り越えられるのかどうかは不明です。</p><p> </p><p>まあ…このようなことになってしまった「理由」については、それを仕掛けて広めた人たちだけではなく、受け入れてしまった側にもあるとは思っています。</p><p>ワクチン接種が始まる前ですが、2021年に、「悪の本質は《システムを無批判に受け入れること》」だというドイツ人女性哲学者の言葉などを以下でご紹介したことがあります。</p><p>[記事]<u>…全体主義を追ったドイツ人女性哲学者の言葉。それは、いつの時代でも「悪の本質は《システムを無批判に受け入れること》</u>」 In Deep 2021年2月10日</p><p> </p><p>このような「悪」というようなことを考えていて思い出しましたのが、カール・ユングが、</p><p>「悪に対処する上で最も決定的に重要なステップの1つは、悪に対する想像力を発達させること」だと述べていたことでした。</p><p>チベット仏教の修験者ポール・レヴィ氏の文章より</p><p><br /></p><p>ユングによれば、悪に対処する上で最も決定的に重要なステップの1つは、「悪に対する想像力」とユングが呼ぶものをそれぞれの人たちが発達させることだ。</p><p>潜在的に悪として存在し得ることが可能で、適切な状況下で私たち自身もそうなる可能性のある悪を想像できない場合、私たちは自分自身を、他の悪の手に委ねるしかなくなる。</p><p>悪が私たちの想像力の範囲を逃れるならば、それは私たちの想像力の中で、そして私たちの具体的な生活の両方で、私たちに対する支配を指示し、強制し、そして確立するだろう。</p><p>私たちの悪への想像力は、悪に対処することを助けることができるものであるため、悪(の立場側)は人の想像力を抑制し、最終的に破壊しようとするだろう。</p><p>私たちが悪に対処するための次のステップ、つまりユングの言葉で言うと、「何に対抗するか」は、私たちの世界の闇が、私たちそれぞれの自分の内にあるものが何かを明らかにしていることを認識することだ。</p><p>ewagora.ca</p><p>何だか難しい言い回しですが、簡単に書けば、「誰の中にも悪はある。まず、その自身の悪を認識して、そして、想像力でその悪の概念を拡げる」というようなことのようで、それにより、</p><p>「仕向けられた悪が、自分の想像内にあるのなら、その悪に対処できる」</p><p>ということですかね。</p><p>私は、根が悪い人間ですので、パンデミックが始まったときには、この「悪に対する想像力」が非常に活発に働きました。悪魔的なまでに「登場するであろう悪」を想像し続けました。それが役に立ったかどうかはわからないですが、今のところまでは「想像を超えた悪は起きていない」です。すべて想像した範囲内の悪でした。</p><p>上の全文は、以下の記事の後半にあります。</p><p>[記事]<u>狂い咲きのユリを見ながら「人類の進化を阻害された今だからこそ悪を想像しろ」とますます思う</u> In Deep 2021年8月24日</p><p> </p><p>このような「悪への想像力」は、こういう時代には大切だと思います。</p><p>良い時代に生きているなら良い観念だけを持つことで十分ですが、悪い時代に生きている時には、良い観念だけでは対抗しきれない局面が出てくる可能性が高いです。</p><p>今回は、アドリアナ・コウリアスさんという方の文章の一部をご紹介させて締めさせていただこうと思います。「嘘の力」というタイトルの文章で、その一部です。</p><p> </p><p><u>人々の精神的基盤に侵入する「ウソ」</u></p><p>これは、ルドルフ・シュタイナー氏の講義を引用して、「ウソが精神の根底の部分、あるいは精神の共有する部分に侵入する」ことについて書いています。アストラル世界とか悪魔とかの言葉が出てくるので、オカルト的に感じられるかもしれないですか、私としては、もっと単純に、</p><p>「ウソが容易に人々に浸透し、それが社会通念となり得るメカニズム」</p><p>というように解釈しました。</p><p>以前、記事に書きました以下のような感じでしょうか。</p><p>> 何度もウソにだまされるだけではなく、「自分に対してもウソを強制しはじめた」のが今の社会なのだと思ったりもします。</p><p>[記事]<u>永遠に周囲と「自分」にウソをつきながら滅亡していく現世人</u></p><p>In Deep 2023年12月14日</p><p> </p><p>そして、それが「共通の概念」となっていく。</p><p>現在の世界を広く覆っているさまざまな唯物論化の方向性がウソと共に進めば、「人類の精神的な進化も停止していく」とも思います。</p><p>人間の精神性はすでにずいぶん脆弱になっているとも感じますが、衰退がさらに加速する。</p><p>それでも、現実には、これからもさまざまな媒体から発信される数多くのウソが、人々の心に浸透していくことは続くのだと思います。 </p><p>なお、ご紹介する文章には、「アストラル世界」という言葉が何度か出てくるのですが、私には詳しくは説明できないですので、Wikipeida の説明をご紹介するに留めます。</p><p>アストラル体とは、神智学の体系では、精神活動における感情を主に司る、身体の精妙なる部分である。</p><p><u>アストラル体</u></p><p>また、この記事では、シュタイナーの講義からの引用が非常に長いですので、抜粋という形にさせていただきます。</p><p>ここからです。</p><p><br /></p><p><u>「嘘の力」</u> Il Potere della Menzogna liberopensare.com 2024/02/04</p><p>ルドルフ・シュタイナーは、以下のように語った。</p><p>私たちが何らかの感情を経験するとき、喜びや恐怖が私たちの魂を通過するとき、それは何よりもまず私たちの魂の中での出来事です。しかしそれだけではありません。</p><p>もし人がこの側面を透視的に調べることができれば、恐怖や喜びの瞬間に、アストラル世界に入る光の流れのように、何かが自分から発せられていることに気づくことができます。しかし、それは意味や方向性なしに入るのではなく、むしろアストラル世界からの存在へと向かう道をたどるため、私たちの中に感覚が閃くことによって、私たちはアストラル世界からの存在とのつながりに入ります。</p><p>…人々は皆、アストラル界の単一の存在と接触しており、私たちはこれをアストラル界の存在と考えることができます。中心、点焦点として、そこから光線が発せられ、考慮されるすべての人々に届きます。</p><p>…同様に、勇気、慈悲、復讐などの概念にもアストラル体が存在します。したがって、アストラル界には人間の性質、つまり魂の内容となる実体が存在します。</p><p>…その結果、一種のアストラルネットワークが多数の人々に広がります。同じ法概念を持つ私たち全員が、法制度と呼べるアストラル体の中に組み込まれています。勇気や大胆さなどの同じ概念を持つ私たち全員は、法則、勇気、大胆さを実体とする同じアストラル存在とつながっているのです。しかし、これは私たち一人一人をある種の電流の集合体にすることにもなります。</p><p>…私たちは皆、アストラル界からの流れの合流点なのです。</p><p>1908年10月19日</p><p><br /></p><p>この奥義は人間をコントロールしたい者が利用できるものでもある。</p><p>一定数の人間を下層のアストラル世界 (下層と高層の 2 つのアストラル世界がある) の存在と関連付けたいとする。それらには、彼らの心にある考えを植え付けるだけで十分なのだ。</p><p>悪魔のような存在であれば、この存在に関連する特定の嘘を見つけることができる。</p><p>そのような目的を持った人によって作られた嘘は、多くの人々に入り込み、現実とは異なる想像を生み出す思考形態となる。</p><p>これらの想像力は今やアストラル世界に入り、そこに流れ込み、嘘が関係している存在を見つける。オカルティストたちは、魔術師がどの兆候がどの存在を呼び出すかを知っているのと同じように、どの嘘がどの存在に関係しているかを正確に知っている。</p><p>嘘は常に、破壊的な悪魔のような存在に向かって流れる。</p><p>人々が無意識のうちに嘘を自分の魂の中に受け入れると、同じことをした他の人たちに加わり、同じ嘘を受け入れ、それを信じたすべての人が互いにつながり、その特定の嘘につながるようになる。</p><p>政治家、経済学者、ジャーナリストたちが毎日どれだけの嘘をつき、どれだけの想像力が嘘に基づいているかを考えてみると、世界の進化を特定の方向に導きたいと願う存在による、人間と霊界の特定の悪魔を結びつける非常に幅広いネットワークがあることになる。</p><p>「アラビアのロレンス」と呼ばれた人物は、未来になって初めて理解される男だったと言われている。</p><p>その未来は今だ。</p><p>彼はアラブ世界に国家を与えるという約束のもと、イギリスのためにアラブの部族を団結させることに携わった。ロレンスは事件の後になって初めて、白人英語圏の裏切り、偽善と傲慢、蜘蛛の巣のように張り巡らされた嘘に気づき、真実を明らかにしようとして命を落とした。</p><p>彼は失敗し、おそらく殺害されたのだろうが、イギリス諜報機関によっての多くの嘘のせいで、私たちは決して知ることはできない。</p><p>さて、ロレンスから 100年以上経った今でも、霊的世界全体に広まり、異常な数の人々を悪魔のような民族魂に結集させた嘘は、まだ終わっていないことを意味している。</p><p>これらの嘘は、私たちが今日見ている世界、つまり嘘を「食べる」ことが貪欲な饗宴となった世界の原因となっている。</p><p>しかし、親愛なる友人の皆さん、嘘に含まれる霊的な悪魔を「食べる」ことにはカルマがあることを思い出させてほしい。</p><p>「嘘だとは知らなかった!」は通じない。</p><p><br /></p><p>以下もシュタイナーの言葉だ。</p><p>私たちの時代を振り返ってみると、人生の真剣さを失わないために、現代人が習慣的に良心の中に抱えているものが、内的に真実で現実的なものからどれほど遠いものであるかを忘れてはなりません。</p><p>私たちが今日発音する言葉がどれだけ真実からかけ離れているかという感覚さえも、多くの場合、私たちの同時代の人々では広範に失われ、人間の魂からの真実の初歩的な逃避が置き換えられてしまったと言えるでしょう。 </p><p>このフレーズを最も特徴づけるものは何でしょうか? それは、人々が自分の口から出た言葉を真実の源と内部的に結び付けずに話すという事実によって特徴付けられます。</p><p>過去 4年、5年、6年の間に、世界の一般的な虚偽が暴露されて何が達成されたかを見てください。このようにして、世界の真の現実からの逸脱が大きくなったことを疑うことはできないでしょう。それは普通の文脈につながり、何も対抗策を講じなければ、さらに多くの文脈につながるでしょう。そして、この虚偽への耽溺や虚偽への傾向が、現代ほど繁栄したことはありません。</p><p>…しかし、口を開いた人たちに、発言の理由を真剣に検討し、検討する前に発言を控えるよう強いる良心的な真実の感覚は、どれほど少ないことでしょう。</p><p>ある人について、「彼は善意で嘘をついた」と言うだけでは十分ではなくなる時代が必ず来るはずです。むしろ、人間が真実の究明に対して最も強い責任を感じ、たとえ自分が誠意を持って事実と異なることを言ったことがわかったとしても、それを行うことはできないという時代が来るに違いありません。</p><p>…時代の重大さに直面してこそ、私たちはそれは何なのかを学ばなければなりません。</p><p>1919年9月12日</p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-58099488889277862502024-02-27T00:00:00.001+09:002024-02-27T00:00:00.176+09:00 3350「恵を頂く方法」2024.2.27<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年02月14日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「恵を頂く方法」</u></b></p><p><br /></p><p>不幸の後には、必ず幸運が訪れる・・</p><p>これは、宇宙がバランスを取ろうとするからです。 </p><p>また美輪 明宏(みわ あきひろ)さんなどは、</p><p>このことを「正負の法則」などと呼んだりしていられます。 </p><p>ですが、このことをなかなか実感できない方も大勢居られるようです。 </p><p>今日は、神々の仕組みの面から、日本の形成外科医の草分け的なお医者様であり、</p><p>また有名な春日大社の元宮司、葉室頼昭さんの「神道のこころ」という本から、</p><p>それがどうして起こるのか、ご紹介します。 </p><p>この内容以前も書きましたので既にお読みになった方は、スルーされてください。 </p><p>神さまから恵みを頂くための、神道的なアプローチです。</p><p><引用開始> 引用元</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiqEu4PZcQ8FWGkzk21-NUGkQpV4GXGrK2El6YOG1qmP_A8Bmx9wWvJv3MkSC7hqyXMjUPexNKluChTgAfl9fmogybf4JwvTYL-tPzxMXl5b6PR_U_yl24jNXKUQgw4Sf_EdmddoNWvt99rV01ejAF1zt9xQnN-Edz_17cC0E5CeOGBCyqX4xpF6pE8QxBK/s334/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="224" data-original-width="334" height="215" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiqEu4PZcQ8FWGkzk21-NUGkQpV4GXGrK2El6YOG1qmP_A8Bmx9wWvJv3MkSC7hqyXMjUPexNKluChTgAfl9fmogybf4JwvTYL-tPzxMXl5b6PR_U_yl24jNXKUQgw4Sf_EdmddoNWvt99rV01ejAF1zt9xQnN-Edz_17cC0E5CeOGBCyqX4xpF6pE8QxBK/s320/1.png" width="320" /></a></div> <p></p><p>神のお恵みはみんな平等にいただいている。</p><p>でも、ある人は不幸になり、ある人は幸せになる。</p><p>なぜか、感謝ですよ。</p><p>神の波動は感謝しなければ、お恵みとなって出てこないんです。</p><p>だから宇宙の仕組みが科学でわかったら、宗教がわかると説明している。</p><p>お陽さまは、明るくて暖かいとみんな思っているでしょ、これが間違いです。 </p><p>太陽の光は、暖かくもなければ、明るくもない。</p><p>それが証拠に太陽がここにあって、地球があって、太陽の光が地球まできているわけでしょう。</p><p>太陽の光が明るくて暖かいんだったら、太陽と地球の間の宇宙空間は明るくて暖かいはずです。</p><p>ところが、ここは真っ暗で、冷たい。 </p><p>なぜかということです。</p><p>地球の周りに空気があるからです。</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjm7vMqeOOTr-1yBgP7dLsx1YKICvSlAVb_4ezVfZmswehpGCuimKkRDQVTSsLhvnczu1PXxzuF-Yl56Ncsm5C93U6hIvlhWdvbGWsxxS6vwxSHxuo1URXbWBaOIzDTOFxKy9wnhBpPr4Srq3Q7GBrSuizZLpacz-shNTUA7BQVy_uZW0Sy9UXzhQV5MLxJ/s279/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="190" data-original-width="279" height="190" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjm7vMqeOOTr-1yBgP7dLsx1YKICvSlAVb_4ezVfZmswehpGCuimKkRDQVTSsLhvnczu1PXxzuF-Yl56Ncsm5C93U6hIvlhWdvbGWsxxS6vwxSHxuo1URXbWBaOIzDTOFxKy9wnhBpPr4Srq3Q7GBrSuizZLpacz-shNTUA7BQVy_uZW0Sy9UXzhQV5MLxJ/s1600/2.png" width="279" /></a></div><p></p><p>空気で反射すると光と熱が出てくる。</p><p>反射しなければ光も熱も出てこない。</p><p>空気がなかったら明るくも何ともない、これと感謝は同じことですよと言っているんです。</p><p>反射したら光と熱が出るということがわかったら、感謝したら、神のお恵みが出てくる、 </p><p>ということがわかるわけでしょう。</p><p>これは本当のことだから、だから人間も感謝しなさいと言うことです。</p><p>そうしたら神からいただいているエネルギーが出てきますよ。</p><p><引用終了></p><p><br /></p><p>神さまの光は、みんなに平等に降り注いでいるけれど、幸、不幸の違いが出てくるのは、 </p><p>「感謝の心」を持っているか、どうかの違いなのだそうです。</p><p>そして感謝に関しては、こうも仰っています。</p><p><引用開始> 引用元</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgML6H6AoqW9KxPDGf8fzIcBKDftroDQkRlm5EbqCyDlPEsxLlmrItS-8pnlCmNC4w1fMf1ae5rtdzLpxdsksDKak4hTmF5OmwMYwJ_wkPqB4jVZUJIV5ea31WtzHhMehIH4q3qstHSez6H-7akPps0FDWbtAWZ7viDVrHk_F_TFL2LFS6yyUAx_0W9Sxa5/s275/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="183" data-original-width="275" height="183" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgML6H6AoqW9KxPDGf8fzIcBKDftroDQkRlm5EbqCyDlPEsxLlmrItS-8pnlCmNC4w1fMf1ae5rtdzLpxdsksDKak4hTmF5OmwMYwJ_wkPqB4jVZUJIV5ea31WtzHhMehIH4q3qstHSez6H-7akPps0FDWbtAWZ7viDVrHk_F_TFL2LFS6yyUAx_0W9Sxa5/s1600/3.png" width="275" /></a></div> <p></p><p>感謝もいまは間違っています。 </p><p>神さまにお願いして、お恵みがいただけたら感謝する。 </p><p>これは感謝とは違う。</p><p>これは取引です。 </p><p>これだけお賽銭をあげるから、その代わり神さま、子どもを入学させてくださいという取引ですね。 </p><p>入学したらありがとうございますという。</p><p>これは感謝でもなんでもないんですね。 </p><p>感謝には理屈はいらない。 </p><p>神さま、ありがとうございますといって、神さまと波長を合わせたら、子どもが入学するということなんです。</p><p>入学したから感謝するのではないんです。 </p><p>感謝したら入学するということなんです。 </p><p>世の中は逆さをやっているんですね。</p><p>太陽の光は空気によって反射して、初めて光と熱が出るわけでしょう。 </p><p>反射しなかったら光も熱も出ない。</p><p>感謝しなかったら全然神さまは出てこられないんです。</p><p>だから反射と感謝とは同じだと言っているんです。</p><p>入学させてもらったら感謝しようかと。 </p><p>そんなふうに宇宙の仕組みはなっていない。 </p><p>反射しなければ出ないんですよ。 </p><p>感謝しなければ出ない。</p><p>だから感謝しなさいと。</p><p>そうすると何に感謝するんですか、と言う人がいるんですね。 </p><p>何にと言うときには、もう感謝ではない。 </p><p>それは取引です。</p><p>理屈なしに、ありがとうございますと、言えたときが本当の感謝です。 </p><p>そうすると神のお恵みが現れてくる。 </p><p>これが本当のことです。 </p><p>だからよく健康に感謝する。 </p><p>健康でありがとうございました。 </p><p>それは結構なんですよ。 </p><p>でも、そういう人に限って病気になったら感謝しない。</p><p>たとえばお祈りで、自分の病気を、神さま、治してくださいと。</p><p>ところがお祈りしても、さっぱりよくなりませんという人がいます。</p><p>それは治らないですよ。 </p><p>私を健康にしてくださいということは、私は病気ですと言っているようなものです。</p><p>自分は病気だから健康にしてくださいと言うわけでしょう。</p><p>神さまに、私は病気ですと言っているんだから、そうかとそのとおりに病気になってしまう。</p><p>だからどんなに病気でも、健康でありがとうございますと言いなさいというんです。</p><p>そうしたら健康が来る。 </p><p>病気を治してくださいということは、私は病気ですと神さまに訴えていることですからね。</p><p><引用終了></p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgrBNbpQV6XHrHJpurYCM0CVhr7Od7US4v9jvQ0yNs_rKLg2sPGz5eobJ7eMAwot2gWNIeKPU-ucM7f5U2u4yWzdfajf_3X8j4gGPK4X8FZtazEJwfzQANYHmo8iu7K0QRK0Loqo20G7wWFDYTS010tV4sQctdkKrQYBQoIPY57KGaK-Rc6UhWQNs-r_efY/s235/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="176" data-original-width="235" height="176" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgrBNbpQV6XHrHJpurYCM0CVhr7Od7US4v9jvQ0yNs_rKLg2sPGz5eobJ7eMAwot2gWNIeKPU-ucM7f5U2u4yWzdfajf_3X8j4gGPK4X8FZtazEJwfzQANYHmo8iu7K0QRK0Loqo20G7wWFDYTS010tV4sQctdkKrQYBQoIPY57KGaK-Rc6UhWQNs-r_efY/s1600/4.png" width="235" /></a></div><p></p><p>葉室頼昭さんは、死の淵に会った時に、生き方を変えるような、神さまによる、不思議な経験がありました。</p><p>それは、浪人時代の過酷な受験勉強がたたり、肺結核になった時のことです。</p><p>ある日、大量の喀血をし担当の医師から死の宣告を受け、両親の待つ東京に帰ることになりました。</p><p>まだ寝台車というものがなく、席を四つとってそこに戸板を敷き、寝かされて東京まで帰りました。 </p><p>「僕はそのとき、すべての我欲というものが消えていたんです。 </p><p>医者になりたいだとか、生きたいという思いもまったくありませんでした」</p><p>そのとき、ある人が退屈しのぎにと一冊の本を葉室さんに手渡しました。</p><p>この本が葉室さんに神秘体験をもたらすキッカケとなりました。</p><p>「そこには『人は生かされて生きている』ということがえんえんと書いてあったんです」 </p><p>死を目の前にして無我になっていた葉室さんは、その本を読んで感激のあまり泣いて泣いて涙が止まらなかったそうです。</p><p>そうして汽車の中でずっと泣き続け、東京駅に着いたときには立ち上がる体力もまったくないはずなのにホームに一人で立ち上がっていました。</p><p>その後十日間ほど、その本の中に紹介してあった本を全部購入し、無我夢中で読んみました。</p><p>すると不思議なことに葉室さんの体力がみるみる回復し、奇跡のように重度の結核が全て消えうせてしまったのだそうです。</p><p>「そのとき僕は神を見たというか、神の存在を身をもって感じたんです」 </p><p>死ぬとばかり思っていたところを、神さまに救われた葉室さんは医学部にもどり、 </p><p>何か人様のお役に立ちたいと思ったのだそうです。</p><p>当時は結核で亡くなる方が沢山いました。</p><p>結核にかかると隔離されたり、サナトリウムと言うところに入れられました。</p><p>美智子皇后さまの親友だったハンセン病医師の神谷美恵子さんも、結核で隔離されている時に、神さまの光体験を授かっています。</p><p>神さまに対する真摯な心、そして感謝の真心。</p><p>葉室さんは、死の淵でそれに気付き、泣いて泣いて涙が止まらなかったそうです。</p><p>本当に心の底から生かされている命に、「感謝の心」が芽生えたのですね。</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg4ff0G85VsAqFOweF1vixovqXuwXquKcncMcqoDRfJWYwn9QyWVl0UiFLO8LKBeFr8TkHaOJJP5zKH31YB1H4-lmy04H7zecBSHKuVeVmlmriF2bcbP6_Xkk42VVRyi_tV7eHIRQKtZwNTXkv-3QA9xTx27TeqOJubjF5oGcjgr2AmA4lGrUp5L1LV1U3v/s271/5.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="180" data-original-width="271" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg4ff0G85VsAqFOweF1vixovqXuwXquKcncMcqoDRfJWYwn9QyWVl0UiFLO8LKBeFr8TkHaOJJP5zKH31YB1H4-lmy04H7zecBSHKuVeVmlmriF2bcbP6_Xkk42VVRyi_tV7eHIRQKtZwNTXkv-3QA9xTx27TeqOJubjF5oGcjgr2AmA4lGrUp5L1LV1U3v/s1600/5.png" width="271" /></a></div><p></p><p>これができた時、私たちは神さまの恵みをふんだんに受けて、幸せになれるのですね。</p><p>そして健康で幸せな時だけでなく、病気であったり、不幸に見える環境の中でさえも </p><p>「感謝」の心を忘れないようにしたいものです。</p><p>私たちは一人で生きているのではなく、様々な人や物、神々の「お陰」で生かされていると気付き、感謝できた時、その時こそ、神さまの奇跡が訪れるのかもしれません。</p><p>いつも、どんな時も嬉しい時も、悲しい時も、辛い時も、ありがとうの気持ちを忘れないようにしたいものですね。 </p><p>自分の置かれた環境に対して、不平・不満・愚痴・悪口ばかりを言い、心がひねくれ、ささくれだっていては、せっかく、これから良きことが宇宙の法則の通り、起ころうとしても、 </p><p>それは、決して起こらないでしょう。 </p><p>自分自身の心が無意識のうちに拒絶しているからです。</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgRDzX-6HCvTYVHFtgD6tDb1KQAgZtcEJpdrLPAWwTHakb_5fdzqM6dZnIv9uCzq3H6hResNKXQwERPN7teMtUnnwGujWmLj-N5qf1XjsQKtfgeF4gPqHIq0qZ_lb1g1No-EnBMcBTm5lBhY0FFUr6yKPDL2c6sJ1_cYflz0EmdgjIQQSVCoH6gVpmQdaor/s255/6.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="191" data-original-width="255" height="191" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgRDzX-6HCvTYVHFtgD6tDb1KQAgZtcEJpdrLPAWwTHakb_5fdzqM6dZnIv9uCzq3H6hResNKXQwERPN7teMtUnnwGujWmLj-N5qf1XjsQKtfgeF4gPqHIq0qZ_lb1g1No-EnBMcBTm5lBhY0FFUr6yKPDL2c6sJ1_cYflz0EmdgjIQQSVCoH6gVpmQdaor/s1600/6.png" width="255" /></a></div><br /><br /><br /><p></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-69088246467482488432024-02-26T00:00:00.001+09:002024-02-26T00:00:00.250+09:00 3349「苦しみの終わる時」2024.2.26<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年02月13日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「苦しみの終わる時」</u></b></p><p><br /></p><p>この世の中は、幸せ、Happyな人ばかりではありません。 </p><p>・病気やケガで苦しんでいる人もいます。</p><p>・孤独に苦しんでいる人もいます。</p><p>・嫉妬や、悔しさ、恨みで苦しんでいる人もいます。 </p><p>今日は、心の問題で苦しんでいらっしゃる方に書きたいと思います。 </p><p>でも、その辛さが、何が原因かが分っており、そして、そこから抜け出したいと</p><p>真剣に思っていらっしゃる方は幸いです。 </p><p>もうその辛く苦しい道のりの、半分以上を越えたのと同じだからです。 </p><p>あとは、ちょっとだけ、心の方向を変えるだけで、ご自分の中に居らっしゃる神さまが、 </p><p>背中を押してくださることでしょう。 </p><p>私たちの周りで起こる現象は、それを引き起こす種が、心の中に無ければ、決して起こりません。 </p><p>ブッダが仰るように、この宇宙は「因果律」が支配しているからです。 </p><p>「因果律」は、血も涙もない、冷たい法則ではありません。</p><p>この宇宙を作られた神々は愛そのもの、慈悲そのものだからです。 </p><p>・その現象が現れた時</p><p> 病気、ケガ、事故、出会い、別れ、いさかい </p><p>・心に動揺が起こった時 </p><p> 嫉妬(うらやましい)、憎しみ(にくい)、殺意、悔しい、失敗しろ、悲しめ、苦しめ </p><p>そんな時は、心の中に存在していた、その縁となった種が実を結び、現実の世界に現れた時です。 </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiF6dXBLZyXmk_R_ooT7JRepbj2ZbAgQX0YCT-dROsH999BI12mhkWfg0HaPd10nULl3sRTQH8VaEI9IyignzgtUSRcNhVSnRvpE_pgcODbLv1q5MmqWbeWbwyfPaTBBCFP_Gfy4hzEGSIHrjGWaV1VOWRvfW1BKUbogSx1nFspCE4NwR9N-Q0HqmV41ide/s339/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="191" data-original-width="339" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiF6dXBLZyXmk_R_ooT7JRepbj2ZbAgQX0YCT-dROsH999BI12mhkWfg0HaPd10nULl3sRTQH8VaEI9IyignzgtUSRcNhVSnRvpE_pgcODbLv1q5MmqWbeWbwyfPaTBBCFP_Gfy4hzEGSIHrjGWaV1VOWRvfW1BKUbogSx1nFspCE4NwR9N-Q0HqmV41ide/s320/1.png" width="320" /></a></div><br /><p></p><p>その時に、自分の心の中に、その感情が湧き起こったことを認め、</p><p>その感情を味わい、苦しみ</p><p>そして、その後に、もし、そこから抜け出したいとそう思ったのなら、もう、それは、 </p><p>その因(原因)となった種が、燃え尽きもう二度と悪さをしない。 </p><p>そのような時の到来です。</p><p>夜明けのチャンスです。 </p><p>内なる神さまは、その時が来るのを待っていたのですから・・ </p><p>全ての出来事は私たちの心が作り出しています。 </p><p>偶然に発生する出来事は、この世に一つとしてありません。 </p><p>神さまはサイコロを振りません。</p><p>無駄なことは、なさいません。</p><p>もし、このチャンス到来の時に、意識を変えず、心の向きを変えず、今までのように</p><p>・不平</p><p>・不満</p><p>・愚痴</p><p>・悪口</p><p>を口にし、運命を呪っていたのなら、</p><p>また時期をずらして、同じ出来事が、自分の身に降りかかってくるでしょう。 </p><p>因が解消されないからです。 </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjE8nO6aQwySGGNrNGfayinYluZy-CtFMMrpzq9uORl1y4hOqdWberxvYFdhW_Wou9NJjabK905dh4D3qnvO3AEQNPstUkbOQen4cjbHAm1yZ2CXrOvdBtjISU85wbmgb-4eCXLgnTb7kTmlqkIs6HxPZfIAi19ddZyv2kG4MQZjp8Weyp72FiQyIjAUsnj/s241/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="241" data-original-width="241" height="241" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjE8nO6aQwySGGNrNGfayinYluZy-CtFMMrpzq9uORl1y4hOqdWberxvYFdhW_Wou9NJjabK905dh4D3qnvO3AEQNPstUkbOQen4cjbHAm1yZ2CXrOvdBtjISU85wbmgb-4eCXLgnTb7kTmlqkIs6HxPZfIAi19ddZyv2kG4MQZjp8Weyp72FiQyIjAUsnj/s1600/2.png" width="241" /></a></div> <p></p><p>その2度目の出来事は、1度目よりも、更に大きなインパクトをもたらすと言われています。</p><p>でも、それも仕方のないことかもしれません。 </p><p>何故なら、私たちの多くは、目の前の出来事に対して、 </p><p>・状況を改善したい</p><p>・願いが叶えばいいのに</p><p>という夢や希望を持って、思いどおりにならない物事をリストアップしがちだからです。 </p><p>それは、学校教育や、家庭環境に置いて、親や学校の先生から、</p><p>・リストアップした希望を、思いどおりにすることこそが幸せだ</p><p>・現状に甘んじることなく、夢や希望や望みや願いを語りなさい</p><p>・努力し、競争に打ち勝ち、願望を実現しなさい </p><p>そう、教わってきたからです。 </p><p>そのように国民を競争社会に置くことで、得をする邪悪な勢力があったからです。 </p><p>日本には、かつて縄文時代と言うものがありました。 </p><p>競争や、争いが一切なく、皆が助け合い、お互いさま、お陰さまで暮らしていた1万年間です。 </p><p>世界に類をみません。</p><p>ユートピアの世界でした。</p><p>私たちは、DNAの中に、その魂を宿しています。 </p><p>幸せな人生には、競争は不要です。 </p><p>人と比べることも必要ありません。 </p><p>そして、夢や希望さえも不要です。 </p><p>なぜなら、私の人生で起きることは、病気であれ事故であれ、人との出会い、別れ、軋轢(葛藤)、100%、今の自分に必要だから起きていることだからです。 </p><p>・自分が、今与えられているもの</p><p>・今持っているものに対し、 </p><p>感謝の気持ちを持つこと 「嬉しい、楽しい」「あぁ幸せ」と言って、</p><p>苦しみではなく、今ある幸せを数え上げてみること。</p><p>「ありがとう」と口に出して感謝してみること。</p><p>そうすればきっと、今の自分が膨大な数の、幸せに囲まれていることに気づきます。</p><p>幸せとは、</p><p>求めて求めて何かを手に入れることでなく、</p><p>今、目の前に存在する出来事について、「私」が「幸せだ」と思うこと。感じること。</p><p>そうブッダは般若心経の中で教えてくださいました。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg484zPZXUca8YhxheYI0yjK8Glcq9Om8WW3i0sjJ0lZgL02hPFVY4Y4dr_s7jB_wLvffkk1BFxBoMGbxhI6a_sG0D8S7OmOXbnzeQ7n_olobmNSnYCUDOwGJ-UwNpwKHzU6yq95QUVCZ_mGXnM9wl1QMhJhra5MiHbbG7T-njZRx085hDJv5PV6oCcnO_0/s308/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="205" data-original-width="308" height="205" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg484zPZXUca8YhxheYI0yjK8Glcq9Om8WW3i0sjJ0lZgL02hPFVY4Y4dr_s7jB_wLvffkk1BFxBoMGbxhI6a_sG0D8S7OmOXbnzeQ7n_olobmNSnYCUDOwGJ-UwNpwKHzU6yq95QUVCZ_mGXnM9wl1QMhJhra5MiHbbG7T-njZRx085hDJv5PV6oCcnO_0/s1600/3.png" width="308" /></a></div> <p></p><p>自分を、貶める誰かを好きになること、愛すること、それは、難しいかもしれません。 </p><p>ですが、感謝することはできるのではありませんか? </p><p>その相手の方の態度によって </p><p>・何か気付きはありませんでしたか? </p><p>・何かの感情を味わうことは、ありませんでしたか? </p><p>・自分の心の中に、同じ素質が、潜んでいることに気付かせては、くれませんでしたか?</p><p>何故なら、その人も、生まれる前に、神さまのみ前でその役割を演じることを、お互いに合意したうえで、生まれ、そして出会い、約束通り、その役を演じてくださっているからです。 </p><p>完全なる悪意の塊の魂は、生まれる以前に神さまからのOKが出ませんから</p><p>この世に存在して居ません。 </p><p>その人に対する 、憎しみ、羨み、その心から抜け出すために今、その時が訪れました。 </p><p>許すことを学ぶ時、そして感謝の心を学ぶ時が来ました。 </p><p>感謝の気持ちが、心を満たした時、心の中のあちこちにこびりついていた 悪因の多くは、 </p><p>燃え尽くされることでしょう。 </p><p>そして、空いたスペースには、宇宙の法則通り聖なる神々の美しいエネルギーが、流れ込んでくることでしょう。 </p><p>好きになること、愛することは、難しくとも、感謝することはできます。 </p><p>もし、それさえもむずかしければ、その時は、伝家の宝刀、言霊を使ってください。 </p><p>「ありがとう、ありがとう、ありがとう」気持ちがこもって無くても結構です。</p><p>心の中だけでも結構です。 </p><p>言霊が威力を発揮してくれることでしょう。 </p><p>そして、神々が微笑んでくださることでしょう。 </p><p>ご自分のお顔から、笑みが、こぼれ落ちることでしょう。 </p><p>それを見た周りの方がたも、本当の幸せを手に入れることができるでしょう。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiyvVFqxzuhNJUc5hC937AZKVC09RoL31ge6Ld1v7MyEqL-9bDmcJJMB9cR1kkWSjwZDB90y88tNbg957F0WJVXhRzJLDA7HH299Io168TvPVmOmyQ2F77-tFlPwi-gAVhDbk5FTsbY5Gbflct9l3js7cUy0sBrpiv4UfBlTCXH-Q7CeO7Kg3xSl5ANNG6s/s351/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="219" data-original-width="351" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiyvVFqxzuhNJUc5hC937AZKVC09RoL31ge6Ld1v7MyEqL-9bDmcJJMB9cR1kkWSjwZDB90y88tNbg957F0WJVXhRzJLDA7HH299Io168TvPVmOmyQ2F77-tFlPwi-gAVhDbk5FTsbY5Gbflct9l3js7cUy0sBrpiv4UfBlTCXH-Q7CeO7Kg3xSl5ANNG6s/s320/4.png" width="320" /></a></div><br /><p></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-7620423267576850502024-02-25T00:00:00.001+09:002024-02-25T00:00:00.159+09:003348「運がいい人」2024.2.25<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年02月12日の記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「運がいい人」</u></b></p><p><br /></p><p>今日は、斎藤一人さんのお話です。 </p><p>「運がいい人になるには」というテーマです。 </p><p><引用開始> 引用元</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi1SJ5HRhAwqvxkJa6M8KFI7J9wU1jA3flGql093NHaPcZl_r1Ujvcc1Gn1lHIw2NJILFI-F5h-vpx_iOZsJn1yoxrPwFdryWQAw-w5xakdDzhJPIgCPFvBmx9nE0ROYA9Oz2wiXGIJ7wIq3K4WhKT38vPghciXIFYKiuLEDJoljJfkphrJ4i5Cms7IvMzS/s332/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="221" data-original-width="332" height="213" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi1SJ5HRhAwqvxkJa6M8KFI7J9wU1jA3flGql093NHaPcZl_r1Ujvcc1Gn1lHIw2NJILFI-F5h-vpx_iOZsJn1yoxrPwFdryWQAw-w5xakdDzhJPIgCPFvBmx9nE0ROYA9Oz2wiXGIJ7wIq3K4WhKT38vPghciXIFYKiuLEDJoljJfkphrJ4i5Cms7IvMzS/s320/1.png" width="320" /></a></div><br /><p></p><p>舛岡はなえさんの「斎藤一人 人生ぜんぶハッピーラッキー」の中から、</p><p>ひとつの面白いエピソードをご紹介します。</p><p>舛岡さんは、あるとき前から疑問に思っていたことを一人さんに尋ねます。</p><p>それは、「すごくいい人で幸せだった人が、</p><p>あるときから、幸せでなくなるのはなぜですか?」ということです。 </p><p>一人さんは、「理由はひとつ、</p><p>でも、この話を信じてくれる人は、10000人に1人もいればいいほうなんだよね」</p><p>などと言って教えてくれます。</p><p>なんだと思いますか? </p><p>「いい人で幸せだった人が、幸せでなくなるのは、</p><p>自分が神様に愛されているって思っていないからなんだ。 </p><p>本当は、人はみな神様に愛されているのにね・・・」 </p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiM6xoIEitWgW8xwU0A4ZjwaHLUy0kUCJEzyXytxFhmG0qaJQTkhzGUX5jXUfDHYjyXuJVcWyoBj3ddzT9QRLYVMU9DqFb-fVhRsARQum_VRxbKJ_Dgpj5ipZkjFYKRCncZN3ZNG7sVOvFuG-sfVL0DnxqRs7GJ84dbhC7NRicM-YFtu_jO3haofE8pJiIl/s310/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="224" data-original-width="310" height="224" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiM6xoIEitWgW8xwU0A4ZjwaHLUy0kUCJEzyXytxFhmG0qaJQTkhzGUX5jXUfDHYjyXuJVcWyoBj3ddzT9QRLYVMU9DqFb-fVhRsARQum_VRxbKJ_Dgpj5ipZkjFYKRCncZN3ZNG7sVOvFuG-sfVL0DnxqRs7GJ84dbhC7NRicM-YFtu_jO3haofE8pJiIl/s1600/2.png" width="310" /></a></div><p></p><p>普通の人は、何か問題があると、 </p><p>・あれが悪い、これが悪い、と悲観的になりがちです。</p><p>・お前が悪い、あいつが悪い、と誰かを責めてしまいます。</p><p>・自分は不幸だなぁ、運が悪いんだと思い込みます。 </p><p>でも、神様から愛されていると思っている人は、 </p><p>何か問題があっても、落ち込むほど悲観的にならないし、</p><p>誰かを責めることもまずありません。 </p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgyF3sMN0D98iS9FsRwY8KpBXiPmJJY1zQlKwwQS7V49cbP4QRS0xoNf7eu5LODl5WlRxV1oDu_OkSfT5JHmVMUR7nKh09TMzYw98v4nSljuN4biJExGAhBzNffsbBL4ZbPMAUCA_YKPuIfOQuy0iU3bvwuZbgLfuIp6FUs6i2L2aF6lrGYLHzhZmmRK0nP/s277/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="277" data-original-width="277" height="277" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgyF3sMN0D98iS9FsRwY8KpBXiPmJJY1zQlKwwQS7V49cbP4QRS0xoNf7eu5LODl5WlRxV1oDu_OkSfT5JHmVMUR7nKh09TMzYw98v4nSljuN4biJExGAhBzNffsbBL4ZbPMAUCA_YKPuIfOQuy0iU3bvwuZbgLfuIp6FUs6i2L2aF6lrGYLHzhZmmRK0nP/s1600/3.png" width="277" /></a></div><p></p><p>もちろん、その人にも何らかの問題は必ず起こります。 </p><p>ただ、それは神様からの試練だと受け止めるんですよね。 </p><p>それは、</p><p>・必ず乗り越えられるし、</p><p>・乗り越えれば必ずもっとよくなる。</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgE-bEDlTO-21XuPxT-lFGjuJz_UqsWvTY7L6-9tpKZqEoV1C9NmV7GKM7g5erucUbp4DO9mi2ShUP-5C-UBCY9PQR_WNwDbCUWJm7S8eMxcI7QNyCxZaWWyjQ5wd9g2mysKiSTYj-zvzczAMwIviRnYheaIft19CGnpHP2PAeiyUYov6KlvEMVn-vgkXfb/s333/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="249" data-original-width="333" height="239" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgE-bEDlTO-21XuPxT-lFGjuJz_UqsWvTY7L6-9tpKZqEoV1C9NmV7GKM7g5erucUbp4DO9mi2ShUP-5C-UBCY9PQR_WNwDbCUWJm7S8eMxcI7QNyCxZaWWyjQ5wd9g2mysKiSTYj-zvzczAMwIviRnYheaIft19CGnpHP2PAeiyUYov6KlvEMVn-vgkXfb/s320/4.png" width="320" /></a></div><p></p><p>神様はそんな試練を与えてくれたんだって思うわけです。</p><p>だって、神様から愛されているんですから・・・ </p><p>神様が自分に嫌がらせをするわけがないんです。 </p><p> </p><p>神様が自分を成長させてくれるために</p><p>試練を与えてくださったのだから、むしろ感謝します。 </p><p>さて、あなたも何かいま、問題をもっていますか?</p><p>問題を持っていない人なんて普通いないと思います。 </p><p>ただ、その問題を </p><p>・悪いものだとネガティブに考えているか、</p><p>・その問題でよくなれるとポジティブに考えているか </p><p>の違いがあると思います。</p><p>繰り返しますが、「自分は神様から愛されている、</p><p>だからその与えられた問題を通して、もっとよくなれる」と考える人は、</p><p>多少辛いことがあっても、自分は不幸だとか、運が悪いとは考えないんです。</p><p>むしろ、神様から愛されている自分は、今もこれからもずっと運がいいんだと思っています。</p><p>あなたもぜひ、自分は神様から愛されていると感じられる、</p><p>10000人に1人の人になって下さい。</p><p>次の言葉は一人さんが、舛岡はなえさんに教えた、運が良くなる言葉です。 </p><p>何か問題があったときは、この言葉を何度も唱えるといいそうです。</p><p>「これでよくなる。だからよくなる。さらによくなる。」 </p><p>たったこれだけです。試してみるといいですよ。 </p><p><引用終了></p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhYiPMAjDgMrTYCnpr3vguIptkZXOZIrzkYeu8l62xSRmfZsVhf_qFGNgoVBtKECrjdPvuUBOSSrSpDo_XOHPGh9zl1Dp5Q1qC_WtOPVjkKM1VD5r3b-lcJ8tH_EbIjpinMnmNatwUCQ-PvcmbrNKUjIumSzy4d_f1B38yXM4wgZr6z5olSK6bMCFRwFPif/s280/5.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="210" data-original-width="280" height="210" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhYiPMAjDgMrTYCnpr3vguIptkZXOZIrzkYeu8l62xSRmfZsVhf_qFGNgoVBtKECrjdPvuUBOSSrSpDo_XOHPGh9zl1Dp5Q1qC_WtOPVjkKM1VD5r3b-lcJ8tH_EbIjpinMnmNatwUCQ-PvcmbrNKUjIumSzy4d_f1B38yXM4wgZr6z5olSK6bMCFRwFPif/s1600/5.png" width="280" /></a></div><p></p><p>斎藤一人さんは、いつもわかりやすい言葉で真理を伝えてくれています。 </p><p>私たちが、今この世に生まれてきている以上、 </p><p>誰一人、神様の承諾なしに、生まれませんから、</p><p>皆が一人残らず神さまに愛され、祝福されています。 </p><p>「幸せになるんだよ」と地球に送り出されました。 </p><p>天国にいる時、神様と一緒に考えた幸せとは </p><p>・大きな家に住むことでも</p><p>・大金持ちになることでも</p><p>・美しい容姿になることでも</p><p>・病気一つしない健康な身体になることでも </p><p>ありませんでした。 </p><p>かえって、その逆の環境に身を投じ </p><p>・真の心の幸せ、</p><p>・美しい心</p><p>・人々との、優しさ、思いやりの交流 </p><p>を手に入れることだったかもしれません。 </p><p>なぜなら、 </p><p>艱難、苦難、孤独、逆境こそが、私たちの魂を磨き、輝かせてくれるからです。 </p><p>それらを通じ、「感謝の心」を芽生えさせた時、私たちは、真の意味で、神様に喜ばれ、</p><p>天の国に迎え入れられることでしょう。</p><p><br /></p><p>無名戦士の詩より、ご紹介します。</p><p> </p><p>大きな事を成し遂げるために、</p><p><br /></p><p>力を与えてほしいと神に求めたのに</p><p>謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった</p><p><br /></p><p>偉大なことができるように健康を求めたのに、</p><p>よりよきことをするようにと、病気をたまわった</p><p><br /></p><p>幸せになろうと、富を求めたのに、</p><p>賢明であるようにと、貧困を授かった</p><p><br /></p><p>世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、</p><p>得意にならないようにと、失敗を授かった</p><p><br /></p><p>求めたものはひとつとして、与えられなかったが、</p><p>願いはすべて聞きとどけられた</p><p><br /></p><p>神の意にそわぬものであるにもかかわらず、</p><p><br /></p><p>心の中の言いあらわせない祈りは、</p><p>すべてかなえられた</p><p><br /></p><p>私はもっとも豊かに祝福されたのだ</p><p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgf8p8bEifOPW4hY0Aja4GYXoTAyjqK8jxu6OeiDn-MABg_juo3CRA2h6mE13ybsyEgoncHjx264WM3fbHX3bhc9QmqgAHENDTPpIaUOfxa3UB9BHl1nn5zF1vclNWzB2pWLWyfTBEnISTxTQTTQu-eYdpzeox3w4tL8LyYUZpGPLrajDpjxofTMClDeTar/s313/6.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="209" data-original-width="313" height="209" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgf8p8bEifOPW4hY0Aja4GYXoTAyjqK8jxu6OeiDn-MABg_juo3CRA2h6mE13ybsyEgoncHjx264WM3fbHX3bhc9QmqgAHENDTPpIaUOfxa3UB9BHl1nn5zF1vclNWzB2pWLWyfTBEnISTxTQTTQu-eYdpzeox3w4tL8LyYUZpGPLrajDpjxofTMClDeTar/s1600/6.png" width="313" /></a></div><p></p><p><br /></p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2878996099750277975.post-10706453504831718492024-02-24T00:00:00.001+09:002024-02-24T00:00:00.134+09:003347「徳を積む意味」2024.2.24<p> 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年02月11日の「<u>徳を積む意味</u>」と2024年02月15日の「<u>最強の言葉</u>」の2つの記事を紹介します。</p><p><br /></p><p><b><u>「徳を積む意味」</u></b></p><p><br /></p><p>このブログでも何度も角度を変えて、徳を積むこと、それも、陰徳を積むこと。 </p><p>そして宇宙の法則である、与えたものが、受け取るもの、というお話をしていますが、</p><p>今日は、浜松医科大学名誉教授の高田明和(あきかず)さんのお話をご紹介します。</p><p><引用開始> 引用元 </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgfbBoqG5Iz8QpzQUfcFp5-nXvk2NnfaNVYfvs3qu6BwBGpJZbh8DSWOdtS5VBKXZyVLx_-Q_RL3L8vX3JUd4lxtvNd8b30vJj_gQbmazAnBPK6U8soqL_YuI2eN5KM7J8f6L1_Jct7qFOb3z2Z-YvHPjGjqHvD6zJ4-lNjuIoVJPVlnkxKp2sykNSvr1QJ/s278/2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="185" data-original-width="278" height="185" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgfbBoqG5Iz8QpzQUfcFp5-nXvk2NnfaNVYfvs3qu6BwBGpJZbh8DSWOdtS5VBKXZyVLx_-Q_RL3L8vX3JUd4lxtvNd8b30vJj_gQbmazAnBPK6U8soqL_YuI2eN5KM7J8f6L1_Jct7qFOb3z2Z-YvHPjGjqHvD6zJ4-lNjuIoVJPVlnkxKp2sykNSvr1QJ/s1600/2.png" width="278" /></a></div><br /><p></p><p>何か他人に尽くし、それがその人に感謝されなくても、</p><p>私たちの業に貯金されますから、そこから褒美が返ってくるのです。 </p><p>運がよくなり、評判がよくなるのです。</p><p>これは、他人に嫌なことをした場合も同じです。</p><p>私も他人の悪口をいったことがあります。</p><p>不思議なことにそれが回り回って、自分の耳に返ってくるのです。</p><p>まるで一周回ったかのようです。</p><p>そしてその悪口が本人に聞こえたかのような結果になりました。 </p><p>その人と私の関係が悪くなったのです。</p><p>それが「悪因悪果(あくいんあっか)」です。</p><p>このように、人の行い、人の言葉というのは、因縁の渦の中で回り、 </p><p>最終的には全て自分に還ってくるのです。 </p><p>偶然助かったとか、</p><p>あれが起こったら大変なことになったのに起こらなかった、 </p><p>などと胸をなで下ろした経験はないでしょうか。</p><p>一方、その大変なことは別の人には起こっているのです。</p><p>だから、自分にそのことが起こらなかったと安堵するのです。</p><p>じつはこれは、私たちがなした徳の結果がこのように表れたのだと思っています。 </p><p>何か他人に尽くした時に、すぐにお礼をいわれ感謝されるのと、 </p><p>万一の偶然に、奇跡的に助かるのとどちらがよいでしょうか。</p><p>もちろん後者でしょう。</p><p>このように考えると、自分が他人にしたことが、</p><p>他人にはあまり理解されず、感謝もされないけれども、 </p><p>徳を積んだおかげで、自分や家族に不運が起きない方が </p><p>はるかに恵まれていると考えないわけにはいきません。</p><p>ですから、「恩を仇で返された」などと怒ることはないのです。</p><p>恩を与えたその人などはたいしたことはないのです。 </p><p>もっと重要なことで、幸運に恵まれた方が どのくらいよいかわかりません。</p><p>何かをする時に相手に感謝を求めるよりも、それが自分の幸せになると考えるべきです。 </p><p><引用終了></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhIVL4W3twZxSLWi1RCehAlhcZVdcRuJNd4BPyB7CTnYmCF7u9RDwkLXH8salHkzfW2BMF0AtZiaVDwDBg9n-YgUjYYcuY6DTHQ2og_R2v5IEbwBdzLm0N9UFFR0p2-qSQhRsv0KhRUAXxje-V-BH5oUOkmvGDx3V63sIUgf297BCq54VSCk1kbFhOkvFI9/s323/3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="211" data-original-width="323" height="209" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhIVL4W3twZxSLWi1RCehAlhcZVdcRuJNd4BPyB7CTnYmCF7u9RDwkLXH8salHkzfW2BMF0AtZiaVDwDBg9n-YgUjYYcuY6DTHQ2og_R2v5IEbwBdzLm0N9UFFR0p2-qSQhRsv0KhRUAXxje-V-BH5oUOkmvGDx3V63sIUgf297BCq54VSCk1kbFhOkvFI9/s320/3.png" width="320" /></a></div><p></p><p> </p><p>宇宙の法則</p><p>投げかけたものが返ってくる</p><p>投げかけないものは返ってこない。</p><p>愛すれば 愛される。</p><p>愛さなければ 愛されない。</p><p>嫌えば 嫌われる。</p><p>嫌わなければ 嫌われない。</p><p>裁くものは裁かれる</p><p>裁かないものは 裁かれない。</p><p>意地悪をすれば、意地悪をされ</p><p>蔑(さげす)めば、蔑まされ</p><p>罵(ののし)れば、ののしられ</p><p>強い言葉を吐き出せば、強い言葉を返される </p><p>許すものは 許される。</p><p>許さないものは 許されない。</p><p>施せば 施される</p><p>優しくすれば 優しくされる</p><p>笑顔を向ければ、笑顔が帰る</p><p>助ければ、助けられる</p><p>励ませば、励まされる</p><p>勇気を与えれば、勇気づけられる</p><p>感謝すれば、感謝される </p><p>誰かに何かして欲しいことはありますか?</p><p>・優しい言葉をかけて欲しいですか? </p><p>それなら誰かに優しい言葉をかけてください</p><p>・笑顔を見せて欲しいですか? </p><p>それなら誰かに笑顔を見せてください</p><p>イエスの語った言葉で一番大切な言葉。。</p><p>「イエスの黄金律」と言うものがあります。</p><p>そこにはこう書かれています。</p><p><br /></p><p>「自分がしてもらいたいことを、 </p><p>他の人にも、同じようにして あげなさい。」</p><p><br /></p><p>これは何も独りよがりの善意の押しつけをしなさいと、言っているのではありません。</p><p>自分の目の前にいる人が、今何を必要としているか、想像力を働かせて察しなさい。</p><p>そして、その通りにしてあげなさい。</p><p>そう、仰っているのです。</p><p>この中で、何か、ご自分でも、できそうなことがありましたか?</p><p>ただ、自分がして欲しいことを、</p><p>周りの人にして差し上げるだけなんです。</p><p>自分がして差し上げる相手は、身近に居る、誰でも構いません。</p><p>巡り巡って必ず自分に帰ってくるようになっていますから。</p><p>投げかけたものが返ってくる、投げかけないものは返ってこない。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiWCHmyMyIrQgJYG-WXqSxyiD1ScholKa4TxTijY89afGatwF3_W4Hobhl8P873q0wje4mgCRPcOHQh_vPysCraJSuB18VqGa5hiSROhLqTqMxBDZhxDJ3MXPyKNZMXU4XcNB9Yz2BhwXfhhgomyEqL2EdTmcsULdbUfwx5_11mPCeo2n0ayu-wnC0y4Nxp/s292/4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="165" data-original-width="292" height="165" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiWCHmyMyIrQgJYG-WXqSxyiD1ScholKa4TxTijY89afGatwF3_W4Hobhl8P873q0wje4mgCRPcOHQh_vPysCraJSuB18VqGa5hiSROhLqTqMxBDZhxDJ3MXPyKNZMXU4XcNB9Yz2BhwXfhhgomyEqL2EdTmcsULdbUfwx5_11mPCeo2n0ayu-wnC0y4Nxp/s1600/4.png" width="292" /></a></div> <p></p><p> </p><p><b><u>「最強の言葉」</u></b></p><p><br /></p><p>皆さん、この言葉ご存知ですか?</p><p>「断じて行えば、鬼神も之を避く」 </p><p>断固とした態度で行えば、鬼神でさえ、その勢いに気(け)おされて避けて行く。 </p><p>と言うことだそうです。 </p><p>私は、これを「ありがとう」の言葉を常に口にして、</p><p>感謝の心で生きている人のことだと思います。 </p><p>「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にする人に対して、</p><p>どんな人が、</p><p>・蔑み(さげすみ)、</p><p>・陥れ(おとしいれ)</p><p>・危害を加え</p><p>・足を引っ張る</p><p>ことができるでしょうか? </p><p>それでは、歴史研究家の 河合敦さんのエッセイをご紹介します。</p><p><引用開始> 引用元</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjlStTSupkJFEAY8m0V9Sg94L3eNfxegROrDkqBNeaP0m3NAJmvnPMkq5WXGWZbE3lRctyPNXnq7ZrXOGc3zTp9grqDZsLLOGUcWh08tXAjCksO6qeWX7BhnN41X7JL42oWSA4_eFsfQvEeCyC4SgRRketwQXFAiNfNoPkUZkctfKmZiALF_9hAc74SwiVv/s243/5.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="162" data-original-width="243" height="162" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjlStTSupkJFEAY8m0V9Sg94L3eNfxegROrDkqBNeaP0m3NAJmvnPMkq5WXGWZbE3lRctyPNXnq7ZrXOGc3zTp9grqDZsLLOGUcWh08tXAjCksO6qeWX7BhnN41X7JL42oWSA4_eFsfQvEeCyC4SgRRketwQXFAiNfNoPkUZkctfKmZiALF_9hAc74SwiVv/s1600/5.png" width="243" /></a></div> <p></p><p>赴任先は知的障がいを持った生徒が通う養護学校で、僕が初めて受け持った子供たちとの出来事です。</p><p>その日、子供たち10人、担当の先生3人で、小田原に遠足に行きました。</p><p>お昼になり、昼食を食べるお店を探したのですが、どこも13人の団体は入れず、</p><p>ようやくあるお店お蕎麦屋さんに入ることができました。</p><p>2階の座敷に通され、女性の店員さんが注文を取りに来ました。</p><p>ところがメニューに写真がありません。 </p><p>子供達は言葉が喋れなかったり、字が読めなかったりするので、僕が一つひとつ説明していたら、その店員さんは忙しかったんでしょうね、プイと下へ降りちゃったんです。</p><p>僕はその態度にすごく腹が立ちました。</p><p>ようやく注文が決まり、別の店員さんに頼みました。</p><p>待っている間、僕たちは畳の座敷にそのまま座らされていたので、</p><p>座布団はないかなと押し入れを開けたら、ありました。</p><p>僕はそれを出して配り始めました。</p><p>そしたら最初の店員さんが血相を変えてやってきて、「これは使わないでください!」と私からひったくり、</p><p>別の場所から持ってきた座布団を投げつけるような乱暴さで生徒たちに配り始めたのです。</p><p>さすがに僕はブチ切れて、一言、言ってやろうと口を開きかけたその時、</p><p>座布団を受け取った勇太(仮名)が「おばさん、ありがとう」と言ったんです。</p><p>そしたらほかの子供たちもみんな「ありがとう」「ありがとう」と言い始め、 </p><p>言葉が出ない子は手を合わせて頭を下げたのです。</p><p>その光景を見た時、僕はもうグッときてしまいました。 </p><p>すると、その店員さんは人が変わったように急に優しくなったんです。</p><p>それまで忙しくて心に余裕がなかったんでしょうね。</p><p>13年後、勇太が亡くなったことを知らせるお母さんからの手紙が来ました。</p><p>その中に、葬式に参列された方のコラムが同封されていました。</p><p>その方は、13年前に僕が書いたエッセーのことに触れた後、こう綴っていました。</p><p>『・・・勇太が発した「ありがとう」の一言で、食堂の店員も河合先生も、 </p><p>その場にいた皆が、とても和やかな気分になったという。感動した。</p><p>そうか、勇太はそんなこともしたのか、と。</p><p>そこに知的障がい者たちの素晴らしさを見た。</p><p>白木の棺の横に大書きしてあった「ありがとう」の意味もよくわかった。</p><p>息を引き取る直前、何か言いたそうだったので、</p><p>お母さんが「ありがとう、なの?」と聞いたら、勇太は頷いたそうだ。</p><p>勇太は心から「ありがとう」と言える若者だったのだ」</p><p>それを読んで僕は涙が止まりませんでした。</p><p>僕の書いたエッセーがずっと彼の家族の支えになっていたんです。</p><p>彼は30年という短い生涯を終えたわけですが、</p><p>「ありがとう」という言葉は、これからも彼の家族を支えていくと思います。</p><p><引用終了></p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgcjxksn2-VB-lPfT5GSzqXo1NuxTpRnviQ9wkF7xT1xrWbgOh4d_FyswN1-QtJMk-dj3wyPKY-7ioxiriWoEHsq5ehVCBfs40dkVs02OLcMIvkegWLLr2U3TdFcoy6CA8gdRDFgc0Rdc4awdj8MCns-Wk3Vuse83_a2JA5nXMNjQnJ7XOgzzOgWo30BBZH/s224/6.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="149" data-original-width="224" height="149" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgcjxksn2-VB-lPfT5GSzqXo1NuxTpRnviQ9wkF7xT1xrWbgOh4d_FyswN1-QtJMk-dj3wyPKY-7ioxiriWoEHsq5ehVCBfs40dkVs02OLcMIvkegWLLr2U3TdFcoy6CA8gdRDFgc0Rdc4awdj8MCns-Wk3Vuse83_a2JA5nXMNjQnJ7XOgzzOgWo30BBZH/s1600/6.png" width="224" /></a></div> <p></p><p>どんなに敵意むき出しの人であろうと、自分に向けた「ありがとう」という言葉に</p><p>心を動かされない人はありません。 </p><p>神さまは、人間の本能の中に </p><p>・ありがとうと言われると(感謝されると)、嬉しい </p><p>という仕組みを入れてくださっているからです。 </p><p>感謝の心、「ありがとう」の言葉は、 </p><p>自分の心も安定させ、不安を払しょくしてくれます。 </p><p>安心感をもたらしてくれます。 </p><p>何故なら、その言霊の生み出す、波動空間に自分自身が包まれ、 </p><p>無意識の内に </p><p>神さまと </p><p>・仲良くなった</p><p>・融合した(一体化した)</p><p>・神さまに愛されている</p><p>・宇宙が味方してくれている </p><p>そう気付くからです。 </p><p>皆様が、内なる神さまに気づき、お幸せになりますように。 </p><p><br /></p><p><br /></p><p> </p>収穫祭http://www.blogger.com/profile/02875167000039502555noreply@blogger.com