2025年8月3日日曜日

3973「縄文スピリッツ」2025.8.3

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年07月27日の記事を紹介します。


「縄文スピリッツ」


今世界を見渡せば、最終戦争のような様相を呈しています。

地球の進化にそぐわないものがあぶり出され、

まさに魂の振り分けが行われているような状況です。 

そのような中で、ますます希望の光となるのが、

神々が地政学的に何万年もかけて育て、

日本人のDNAの中にしっかりと根付いた「縄文スピリッツ」かもしれません。 

物理的な戦力やパワーはなくとも、 

その真の日本人の精神性は、例えば羽生選手の例のように、

世界中の人々の胸を打つものがあります。 

戦後この力を恐れた占領軍の敗戦処理によって、

日本人の精神性は一見、切断されたかのように見えますが、

1万年以上の文化に培われたそのDNAは、そう簡単に破壊することはできません。 

文化は異なっても、同じ神様からの神聖火花を頂いている人類同士、

高い倫理観と、神々とともに生きてきた、その生きざまは、 

世界中の魂の共鳴を起こすのでしょう。

今日はそんな日本人の心に眠る「縄文スピリッツ」のお話です。 

日本人には、はるか縄文の時代から、

1万年以上も続く、ものの考え方の基本があります。

自然を敬い、全ての物にスピリッツ、魂を感じ、

大切にするという、いわゆる古神道の考え方です。 

そこでは、神々はもちろん、死者でさえ敬い、

その幸せを願い、喜んでいただくことこそが、 

生きている私たちの幸せに繋がると信じられてきました。 

このような考え方、生き方こそ、私たち日本人のDNAに息づく尊いものであり、

まさにそのことにより、日本は世界のひな型と言われるようになりました。 

2011年には、神々に近い魂として、破壊の時代の予行演習がなされました。 

今の時代はまさに、 私たちのDNAの中に眠る

縄文のスピリッツの遺伝子をONにする時代が訪れています。

私たちの祖先の縄文の時代は、

1万5千年間も日本で続いた平和な時代でした。 

その時代には、争いの形跡が一切見つかっていません。

争い、いさかい、過度の所有意識が始まったのは、弥生時代からです。

つまり弥生族が大陸から、日本に渡って来てからのことになります。 

どうして縄文人は争いをしなかったのかというと、 

その理由は、

縄文人は外に「神」を作らなかったからでした。

「神」は人それぞれの「自分の中にある」と信じて、

お互いの「神」を尊重しあったからです。

自分の中の「神」が尊重されるには、

相手の中の「神」を尊重しないといけません。

このように、すべての対象のうちにある「神」を尊重しつつ、

自分のうちにある「神」に感謝した時代が縄文時代であり、 

古神道の基本的な考え方でした。

これは、まさに、ブッダグループが、人類の精神性の進化のために、

時を超え、今の時代に、取っている方法論と全く同じです。 

まさに縄文回帰、 

「縄文の心を取り戻せ」のスピリット。 

これこそが、私たちが、私たち一人一人の心の中にこそ、

神さまを見出し、お互いを尊重し認め、

助け合い、お互いさまの気持ちで生きて行く、精神的な支柱となります。 

今の時代に言われている「国常立尊の復権」とは、そう言う意味を持っています。 

地上の変化は、まず目に見えない世界で起こります。

上なる如く、下もまた然り・・です。 

そして神々は、人間の精神性の復活を通じ、この地球を変えて行きますが、 

その変化は、多くの人が期待するような

・派手で、

・ドラマチックな、

・天変地異のような 

やり方ではないと思われます。

大事な物は見えない・・・ 

いつの世でも、やり方は同じです。 

単なる好奇心を満たすような、人目を極端に引く

サーカスを見せるような方法は取りません。 

地味ですが、着実な方法です。 

私たちのハートの中には 

・先祖を大切に思う敬心

・死者の幸せさえも願う優しさ

そして、生きている人々に対する、 

・お互いさま

・お陰さまの心 

相手の個性、尊厳を大切に思う、温かな心、優しい心でありました。 

ただ、明治の文明開化、戦後の敗戦処理によって

その大切な心が強制的に、忘却させられていただけです。

その美しい神のような心を取り戻せば、 

きっと、気付いたら、いつの間にかミロクの世が始まっていた・・  

そのようになっていることでしょう。 

今は、建て替え、つまり破壊の時を過ごしていますが、 

これを耐え忍べば、いよいよ美しき世界への建て直しの時期です。 

希望を持ち、周りの人々と助け合いながら、 

笑顔と感謝の気持ちで暮らしていれば 

きっと、その美しき世で暮らすことができるでしょう。


2025年8月2日土曜日

3972「新しい地球へ」2025.8.2

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年07月24日の記事を紹介します。


「新しい地球へ」


今、本当に世界が混とんとしています。

正しい情報が隠され、プロパガンダが幅を利かせていますから,

真実を見極めるのは困難な時代です。 

今までの古い価値観に生きてきた勢力と,

新しい時代を担う勢力との大きな世代交代の時です。 

それは戦争のように目に見える形だけでなく、目に見えない形、神経戦でもあります。 

・正義の名のもとに他者を非難し攻撃したり

・肌触りの良いワードを使い、人心の分断を図ったり 

恐怖と怒りのエネルギーを増幅させようとします。

そして人々だけでなく、地球も・・・ 

地球が変わろう! 変わろう!としています。

もう少し時がたてば、それが何であったのか、誰の目にも明らかになることでしょう。

私たちが生きている、この地球には、隠されている、重大な事実があります。

それは、私たちの意識が、現実を作る、と言うことです。 

これは、神さまが人間を作った時、はじめから、私たちに与えてくださった能力ですが、

その能力は、人々を支配し、利用しようとする邪悪な意思によって隠されて来ました。 

隠す方法は簡単です。

・私たちに不安と恐怖を植えつけ、

・伸びやかな魂の活動を、阻害するだけです。  

ですが、神々の計画により、今、時の流れが変わり、

霊主体従(れいしゅ、たいじゅう)の世界、心や魂の在り方が重視され、

お金や物や、肩書などは、その次に置かれる、そんな時代になろうとしています。

国常立尊(クニノトコタチノミコト)がけん引すると言われる霊主体従(れいしゅ、たいじゅう)の世界。

地球の創生期には龍蛇族が深く関わったとされますが国常立尊も龍神です。

日本書紀では天地開闢の際、最初に現れた神様とされています。 

そして同時に変わりたくない人々は、新しい世界を拒否して、

旧態依然(きゅうたい-いぜん)として、昔ながらの、

・お金

・地位、名誉、権力

・資産(物、土地、車、家など)

に執着し、恐怖と不安を煽られ

常に戦々恐々とした世界にしがみつこうとする人もいます。

それが彼らのエネルギー源だからです。

「いやだ、いやだ」と言いながらも、

結局は、その世界が、性に合っており、心地よいからです。

魂は永遠です。

そして波長の異なる者は、同じ時間・空間を共有することができません。

ですので、それぞれの波長に合った、地球が準備されているそうです。

あの霊的な巨人、出口王仁三郎によれば、30年周期で行われる建て替え・立て直しで、

今回、神々が目指している変化は、人間の精神性の復活なのだそうです。 

恐怖や不安で、心を縛られるのではなく、安心して、伸び伸びと、、

助け合い、お互いさまで生きて行ける世界、全ては繋がっている、そう理解される世界、

そのような世が来れば、私たちは魂の持つ本来の創造性を発揮し、

必要な時に、必要なものを創造し。利用できる社会になることでしょう。 

それが、本来、私たちが持っている力だからです。

ただ、今はまだ隠されているだけです。

私は知っています。

無意識のうちに、もうその世界を、生きていらっしゃる方もいらっしゃいます。 

その方々は、 

・神さまの前に 真摯な態度です

・まわりの人に 優しくしています

・全ての行動の基準が、人が喜ぶことをする・・になっています 

そういった人々は、神さまを信じていますから、不安や取り越し苦労がありません。

自分を取り巻く状況の変化も、あるがまま、来るがままに任せ、 

それに抵抗したり、悲しんだり、過去を悔んだりしません。

その状況を呪うこともありません。 

淡々と、自分の置かれた状況を受け入れて、生きています。 

何か人より能力が飛びぬけている必要もありません。 

神々の姿が見える必要もありません。

声も聞こえる必要はありません。

神さまの前に平等である私たち人間にとって、そのような能力は、必要ないからです。 

なぜなら、霊的な現象は一般大衆にとって驚き以外の何ものでもなく、

人々はそれを引き起こす人を、

無条件に恐れ、崇(あが)める傾向を強く持っているからです。 

(教祖を頂く、新興宗教のパターンです)

ですが、その関係性こそが、依存と執着であり、今、地球という惑星が求めている、

伸びやかな魂、自立した魂とは正反対のものだからです。 

私たちが、神さまを感じるとは、周りの、普通の人々の、行動や言葉の中に、 

見えない神さまを感じる感受性を持つことこそ、 

本当に「神を見る」ということに他ならないからです。 

家族や、友人や、同僚の言葉やしぐさ、行動の中に・・ 

優しさや、思いやり、愛情を感じられたのなら・・ 

その時こそ、そこに、神さまを見た時です。 

神さまは、どこか、遠くの空の彼方に居らっしゃるのではありません。 

何気ない日々の暮らしの中にこそ、神さまは現われ、たちに宇宙の奥義、

調和された、世界の美しさを示してくださっています。

神さまは、一部の選ばれた人にだけ、現われるのではありません。 

生きている私たちは全員、神さまの前に平等に愛されています。 

私たち全員の中に神さまはいらっしゃいます。

私たちが身近に接する、 

・病気の人

・年老いた人

・子供たち

・苦悩の涙にくれている人

・罪びと

・貧困の人

全ての人の中に居らっしゃいます。 

それらの人の 口、そして行動で、私たちに、神さまの存在を示してくださっています。

もし、周りの方々の中に、神々の姿を見つけることが難しいのなら、、

まずは、ご自分の心の中を、「ありがとう」の感謝の心で満たしてみてください。

類は友を呼ぶ、波長の法則の通り、同じ波長の人が周りに集まってくることでしょう。 

もし、感謝の気持ちを持つことも、難しいのでしたら、言霊を使ってみてください。 

それは、ありがとう という言葉です。

感情を込める必要はありません。

ただ呪文のように唱え続けてください。 

それは、いつか実を結ぶ時が来ます。

涙ひとつ流れる時が来ます。

その時こそ、感謝の心を持つ時が来たことを教えてくれます。 

私たちの意識が、現実を作る、この真実をご自分の身体を使って実験してみてください。

この思い通りにならない地球で、その真実を、身を持って経験すること以上に 

大切なことは無いからです。 

私たちは平等です。 

自分たちの置かれた場所で、今、身近な周りに居らっしゃる方々に自分のできる範囲で、

優しさと、思いやり、そして笑顔を向けること、たったこれだけですが、

神々は、きっと私たちに、そうして欲しい

お互いさま、お陰さまで、助け合って、仲良く生きて欲しいと 

願っていると思うのです。 


2025年8月1日金曜日

3971「青空ひろば」2025.8.1

 今回は立花大敬さんの「大敬ワンデーメッセージ「青空ひろば」」の最新の内容を紹介します。


1515 2025.07.13 

<大悲心陀羅尼(だいひしん だらに)> 千手千眼観音さまのお経。シヴァ神の異名がたくさん本文に出てくるので、シヴァ神が仏教に取り入れられたのが千手観音だとされている。よって、とてもパワフルで、霊障や業障を打ち砕いて下さるお経。 

大悲心陀羅尼

ナムカラタンノウ。トラヤーヤー。ナムオリヤー。ボリョキーチー シフラーヤー。

フジサトボーヤー。モコサトボーヤー。モーコー キャールニキャーヤー。エン。

サーハラハーエー シュタンノウトンシャー。ナムシキリー トイモー。オリヤー。

ボリョキーチー。シフラー。リントウボー。ナームーノーラー。キンジーキーリー。

モーコーホードー。シャーミーサーボー。オートー ジョーシューベン。

オーシューイン。サーボー サートー。ノーモーボーギャー。モーハーテーチョー。

トージートー。エン。オーボーリョーキー。ルーギャーチー。キャーラーチー。

イーキリモーコー。フジサトー。サーボーサーボー。モーラ-モーラ-。

モーキーモーキー。リートーイン クーリョークーリョー。

ケーモー トーリョートーリョー。ホジャーヤーチー。モーコーホジャーヤーチー。

トーラートーラー。チリニー。シフラーヤー。シャーローシャーロー。

モーモーハーモーラー。ホーチーリー。イーキーイーキー。シーノーシーノー。

オラサン フラシャーリー。ハーザーハーザン。フラシャーヤー。

クーリョークーリョー。モーラークーリョークーリョー。

キーリーシャーローシャーロー。シーリーシーリー。スーリョースーリョー。

フジヤー。フジヤー。フドヤーフドヤー。ミーチリヤー。ノラキンジー。

チリシュニノー。ホヤモノ。ソモコー。シドヤー。ソモコー。モコシドヤー。

ソモコー。シドユーキー。シフラーヤー。ソモコー。ノラキンジー。ソモコー。

モーラーノーラー。ソモコー。シラスー オモギャーヤー。ソモコー。

ソボモコ シドヤー。ソモコー。シャキラー オシドーヤー。ソモコー。

ホドモギャ シドヤー。ソモコー。ノラキンジー ハーギャラヤー。ソモコー。

モーホリシンギャラヤー。ソモコー。

ナムカラタンノウ トラヤーヤー。ナムオリヤー。ボリョキーチー。シフラーヤー。ソモコー。シテドーモドラー。ホドヤー。ソーモーコー。

<大悲心陀羅尼 現代意訳>

(経題)大慈悲心をお持ちである千手千眼観音菩薩の出動をお願いする陀羅尼 

(本文)仏法僧の三宝に帰依します。聖観自在菩薩、大菩薩、大悲尊に帰依します。 

 充満する恐れのただ中にあって、彼の尊に帰依すれば、聖観音が出現して救って下さいます。

 青孔雀尊よ。あなたに帰依します。

 私はあなたが心の奥に秘めておられる「本源の願い」に身を投げ入れます。 

 その「本願」は、衆生にしあわせをもたらし、祝福をもたらし、鬼神にも打ち勝つ勇気を与えようという願いです。 

 すべての生類の生きる道を浄化しようという願いです。 

 おお、衆生を慈しみたまう尊よ。愛したまう智慧の尊よ。世間を超越したもう尊よ。

 いざ、いざ、衆生を載せ運びたまえ。大菩薩よ護りたまえ。守護したまえ。絶えず注意深く見守りたまえ。必要な智慧を授けたまえ。よく見まもり智慧をたまえ。私たちの悪業を消滅させたまえ、消し去りたまえ。私たちを正しい道に引き戻したまえ。導きたまえ 

 魔障に打ち勝つ尊よ。大勝利の尊よ。真理を受け保たせたまえ。受持させたまえ。

 受持自在尊よ。奮起したまえ。奮起させたまえ。

 塵垢解脱尊よ。無垢解脱尊よ。我がもとにおいで下さい。

 塵垢解脱尊よ。無垢解脱尊よ。おいで下さい。私たちのもとにおいで下さい。

 世自在尊よ。貪欲の海の毒を飲み尽くしたまえ。怒りの毒の炎を吹き消したまえ。愚痴動揺の毒の覆いを取り去りたまえ。

 世自在尊を恐るべし、恐るべし、もろもろの塵垢どもよ。恐怖せよ、恐怖せよ、塵垢の悪神どもよ。速やかに去れ。 

 世界創造主神よ。発動したまえ。出動したまえ。濁世に止まりたまえ、止まりたまえ。

汚れた地上世界に甘露を注ぎ癒したまえ。注ぎ潤したまえ。悟りを得させたまえ。目覚めさせたまえ。速やかに悟りを成就させたまえ。 

 慈しみの心に満ちた青孔雀尊よ。私たちの汚れた愛欲を粉砕したまえ。粉砕する勇気をたまえ。

 神力発動、達成めでたし。大神力出動、達成めでたし。 

 成就禅定自在尊に祝福あれ。青孔雀尊に祝福あれ。猪の顔を持つ尊に祝福あれ。獅子の顔の尊に祝福あれ。蓮華を手にする尊に祝福あれ。投輪を持って戦う尊に祝福あれ。ホラ貝の音で衆生を目覚めさせる尊に祝福あれ。大きな棍棒を持つ尊に祝福あれ。黒色悪神に打ち勝つ尊に祝福あれ。虎の皮を着る尊に祝福あれ。 

 三宝に帰依したてまつる。聖観自在尊に帰依したてまつる。真言句成就のために祥福あれ。 大悲心陀羅尼。


1514 2025.07.12 

<摩訶般若波羅蜜多心経>玄奘三蔵(孫悟空の三蔵法師のモデルになった方)は、中国からインドへの往復の旅路で、困難に遭遇するたびに、このお経を称えて切り抜けることが出来たと、人々に称えるように勧められた。

 

摩訶般若波羅蜜多心経  

觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。

舍利子。色不異空。空不異色。色卽是空。空卽是色。受想行識。亦復如是。

舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨。不增不減。

是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界。乃至無意識界。

無無明亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。

無智亦無得。以無所得故。

菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罜礙。無罜礙故。無有恐怖。遠離一切顚倒夢想。

究竟涅槃。三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。

故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒。是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。眞實不虚。

故說般若波羅蜜多咒。卽說咒曰。

羯諦 羯諦 波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提娑婆訶。

般若心經。


<般若心経 現代意訳>

(経題)優れた能力と智慧と、想いを形にする自動性を保有している「心」によって、願いを叶えるための方法を伝授する経 

(本文)観音菩薩は、「想い」と「心」と「世界」の相互循環システムである「五蘊」の存在を発見し、また、その循環は改変可能である、つまり運命は変えられる、という「観自在の悟り」を得て、一切の苦悩から解放された。

 舎利弗よ。これから観音菩薩が得られた「観自在の悟り」について説こう。 

 まず、世界はナイのだと知れ。ナイからこそ、「心」の内容を変えることによって、どんな世界でも、自在に現実化することが出来るのである。

舎利弗よ。本当は何もありはしないのだ。すべてはスクリーンに映った「光」の戯れに過ぎず、本当にアルのは、君のイノチの本質である「光」だけなのだ。

 生まれ、生き、死ぬる、というのは時空のスクリーン上の映像で、本当にあるのは、そんな映像を描き出している、君の永遠生命である「光」だけなのである。

 罪も汚れも、現象として現れた映像なのであるから、スクリーンにこびりついて、いつまでも離れないなどということはない。「心」から懺悔さえすれば、すぐ罪汚れがない、真っ新な、光り輝く世界に誕生出来るのである。

 また、1円玉の映像と1億円の札束、スクリーンに描き出す手間は同じだ。実はどちらもゼロ円、ありはしないのだから、1億円貯めようと「心」に決めたら、1億円を手に入れた映像を君の世界に描き出すことが出来る。それが難しいのは、君の難しいとする想いが「心」に根付いていて、その実現を妨げているからだ。

 次に、世界は固く重いものであるという見方が、錯覚にすぎないということに観音菩薩は気づき、実はすべてが「音・響き・波動」なのだと知る「観音の悟り」を得られた。

 君が固く・重く・冷たい世界に住むのも、実は君が、君の「心」を、そんな「本音」で響かせていて、その響きが、固く・重く・冷たい世界

を、生み出しているのだ。

 観音菩薩はさらに、何も思っていない時でも「心」が絶えずふるえていることに気づいた。

 宇宙に遍満している「響き」があって、その「響き」に共振して「心」がふるえているのであった。 

 この宇宙に遍満する「響き」は、私たちを慈愛であたため、希望の光明でつつみこみ、魂の進化の道の歩みを促し、自分が自分であることに自信を持たせ、自分本来の輝きを発揮して生きるよう、勇気づけてくれる「祝福の響き」であった。

 さて、観音菩薩は、さらにその「祝福の響き」の音源を探り、ついに発見することが出来た。その「祝福の響き」の音源は、菩提樹の元で私(釈迦如来)が悟りを開いた時に叫んだ言葉であった。  

 その言葉はこうだ。「羯諦(着いた)羯諦(着いた)波羅羯諦(魂の進化のゴールに着いた)波羅僧羯諦(魂の進化のゴールに私だけでなくみんなで一緒に到達した)。菩提娑婆訶(素晴らしい達成よ、ありがたし)」

この歓喜と祝福の響きが私(シャカムニ仏)の「心」をふるわせ、その波動は時空を超えてすべての世界に送り届けられた。そして、「心」の性能である「言葉を現実化する自動性」によって、すべての人が魂の進化課程を修了する日まで作用し続けるのである。

 だから、君たちはこの「祝福の響き」の導きを信じ、その「響き」に身を任せて、人生の大道を、喜び勇んで歩んでゆけばいいのだ。


1513 2025.07.11 

<延命十句観音経> 白隠禅師が天神さまの委託を受けて弘められたお経

観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄

朝念観世音 暮念観世音 念念従心起 念念不離心 

<延命十句観音経 現代意訳>

(経題)イノチの可能性を伸ばしてくださるお経

(本文)

観音さま!よろしくお願いします。 

私たちは仏さまの子供です。

出会う人、出会うモノ、すべて仏さまの子供たちです。 

私たちは仏さまの子供なのですから、永遠であり、喜びそのものであり、宇宙いっぱいであり、決して汚れることがない、そんな光の存在です。

観音さまは、私たちが本来「光の存在」であることに目覚させようと、たえず導いてくださっています。 

朝から晩まで観音さまの愛の光にくるまれ、あったかい御心の中に寝起きしています。

どんなことがあっても、観音さまは決して私たちを見捨てたりなさいません。

常に私たちの成長を見護ってくださっています。

観音さま、ありがとうございます。


1512 2025.07.09 

<お経を称えましょう>

① 延命十句観音経…イノチの可能性を延ばすお経(寿命を延ばす、進学、 就職、束縛からの解放、身心の病の治癒など)天神さま、白隠禅師

② 般若心経…目標を達成するためのお経

(以上2経の参考文献)『劇的に運が良くなるお経』(カドカワ)

③ (だいひしん だらに)…霊障・業障をはらうお経    

  (参考音源)音声CD <イノチをひらく お経の響き> (THD)


2025年7月31日木曜日

3970「地上の星」2025.7.31

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年07月23日の記事を紹介します。


「地上の星」


日本中あちこちに神社があります。 

そして、その一つ一つは光を放ち、かつては、地上の星となっていました。 

小さな村々では、神聖な場所、氣の良い所に、神社が立てられ、

村人たちの心のよりどころとなってきました。

何かあれば、みんなで神社に集まり、お祭りしたり、盆踊りをしたり、 

神社(産土様)を中心に、村人の心は繋がっていました。

その村のコミュニティの結束のために、神社は心のよりどころとなっていました。

また宇宙を起源とする「神々」と称される知的生命体も、 古の時代から、地球を訪れ、

石や岩、または山全体などをヨリシロとして、その神輝を放っていたと思われます。 

つまり、地上の星となって輝いていました。 

これは夢物語ではなく、かつて、アポロ14号の宇宙飛行士エドガー・ミッチェル氏が

宇宙から地球を眺めたときに「1か所ものすごく光って見える場所があった」と言って、 

その緯度・経度を計測してみたそうです。

その場所は御岩神社(茨木県日立市)だったそうです。 

神様のパワーは、人々の敬虔な祈り、神様と関わりあおうとする人間の氣によって、

維持され、増幅されていきます。

神様だけのパワーで、神社の光が維持されているわけではありません。

必ず人間側からの関わりが必要です。 

ですから、人間側から、神様へ 

・意識を向けること

・真心を尽くすこと

・感謝の気持ちを表すこと 

それは、とっても大切なことです。

ですが神々も、人間に忘れ去られた時、誰も見向きもしなくなった時、

かつて光を放っていた神社であっても、光を失い、

そこに居らっしゃった神様の氣も、枯れて消滅してしまいます。 

数年前、弥彦神社のご妻神、熟穂屋姫命から、そのお話を伺ったことがあります。   

神々からのアプローチは、どなたにも等しく、平等に降り注いでいます。 

それは、ご自分で、見ようとしなければ見えないし、聞こうとしなければ聞こえません。神さまと、触れ合おうとしなければ、決して感じることができない繊細なものです。 

神社や仏閣に行った時

・風

・水の流れ、せせらぎ

・雲

・お日様

・人々の笑い声

・虫

・動物

・花、植物、木々のざわめき

・虹 

に神経を集中させてみてください。 

神さまは、お優しい方ですから、何らかの気付きを与えてくださると思います。 

・それを無視するか、

・偶然であると片づけるか

・バカバカしいと思うのか?

ご自分の自由です。 

ですが、神さまの働きは、自分で、触れ合おう、感じようとしなければ、

決して感じることができないものです。

妻戸神社で聞きなれない言葉を聞いたことがあります。

「人々の信仰、記憶が続く限り、神々は存在する」

※これはエネルギー的な存在の事を言っています。

人々の記憶が無くなり、信仰するものが誰もいなくなったらどうなるのか?

「その時 消滅する」

エネルギー不変の法則と言うものがあります。

それとどのように整合性が取れるのかは解りません。

ただ、最近の研究ではエネルギーは無から生じ、そして無に帰ると言われています、

その無に帰ると言う事かも知れません。 

その真の意味は元々の大神様のいらっしゃる世界に戻ることかもしれません。

また、出口王仁三郎の霊界物語では、この逆パターンが描かれています。

つまり、八岐大蛇や金毛九尾の狐などと言った悪役の魂は、

元々は、人々の、不平不満悪口、恐怖、怒り、

などその様なエネルギーが段々と凝り固まって発生し、力を得て来たと。。

その反対に、人々の熱い信仰と真心、神様に通じる思いが、

こう言った神々に大きなエネルギーを与えて行ったのかもしれません。

そして、そのエネルギーの源泉が無くなった時のことを

「消滅」と言う言葉であらわしたのかもしれません。

その時「消滅」という言葉がでたので、

ちょっとショックで、人間についてお聞きしました。

私達、人間の場合はどうなるのでしょうか?

それは消滅ではなく、集合意識、もともと私達がいくつも枝分かれしてきた魂の元に合流し、その個性を失う事のようです。

決して消滅するわけでは無いようです。

それが、良いことか、悪いことかは判断できません。

魂の大本、トータルセルフと一体になることは、そう悪いことでは無いと思います。

元々私達の魂は巨大で、幾度も、分離、そして吸収、知恵や経験の攪拌をl繰り返し、

より優れたものへと進化しているからです。 

この個性は、全てそこから派生したものだからです。。

元々の地球や、宇宙を作った大神、そして私達生命を持つもの、

そして、人々の思い(生命を持つもの)から発生、進化していった生命体、

それぞれが、この宇宙には存在しています。

私たち生きている人間は、自分の力などちっぽけな物、そう考えて、 

・神々に頼ろうとするかもしれません。

・霊的に力があると吹聴する人に頼ろうとするかもしれません。 

ですが、私たち一人一人の人間の精神の力は、

神々へもパワーを供給するほどの力があります。

私たちの純朴な 

・優しさ

・思いやり

・助けい合いの心

・お互い様の心 

そういう美しい真心こそが、神々のエネルギーの源泉となり、

何時までも地上の星として輝き続け、私たちの幸せに手を貸してくださることでしょう。

その思いやりの循環こそが、私たちが地上に来た目的であり、 

地上の星となってくださった神々の願いでもあります。



2025年7月30日水曜日

3969「因果を超えて」2025.7.30

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年07月21日の記事を紹介します。


「因果を超えて」


イエスもブッダも空海も、過去の沢山の偉人達も、 

そして最近では神仕組みの元、 

・宇宙から直接来た魂や

・神々の意識のまま生まれて来た子供たちも

その全ての方々が、霊的な不思議な現象のことではなく、

地味ですが、心の持ち方について語っています。 

人々の心を整えることで、

そこから地球を良き星にしようとしています。 

全てのことが、私たち自身の心から始まります。 

決して、どこかの誰かが、 

何かをしてくれることにより、自分の運命が好転するわけではありません。 

依存する心は、却って魂の退化を招きます。 

そして最近はますます思考が現実化するのが早くなったようです。 

これは心の状態が、現実に目の前に具現化されるのが早くなったと同じ意味です。 

自分が意識するしないに関わらず、心の中の情報が、現実化します。 

ですから、テレビや本、最近ではSNSなど

自分がどのような好みで、それらの情報に触れているかによって 

否応なく、それが現実の世界で具現化して出てきます。 

ですから自分が触れる情報にも、よく注意が必要です。 

逆に言えば、 

自分の心に無いことは、

現象として発生しない・・・ と言うことになります。 

愛や、優しさや、思いやりも。 

また心の状態は、単純ではなく、

今世に置いて、自分で意識できることだけではなく、

魂は永遠ですから、

過去の色んな人生を経てきて、染みついた魂のクセ

神我(しんが)を包み隠している、

・包身(ツミ)-本来の光り輝く神様と同じ姿の自分自身を隠してしまうもの

・氣枯(ケガレ)-神様のご神気の枯渇

によって、その種子が、いつ芽を出そうかと潜んでいます。 

何か自分のやったことに対して、自分の思ったことに対して

直ぐに、しっぺ返しや、反応が現れるということは、 

それだけ、 

・現在の地球自体の波動レベルが上がり

・体主霊従から霊主体従の 魂重視の時代に変わりつつあること

・自分自身の、魂の成長が進み、因果律による反応を受け止めても、

 今の自分であれば大丈夫、 それを研ぎ石として更に、魂を輝かすことができると 

 神さまが判断して、現象を起こしてくださったからです。 

自分の魂の進化が進まないうちは、

その反応や現象、出来事に耐えられないし、 

耐えられたとしても、そこから 

・何故そうなったのか?

・自分の心のどの部分が、その現象を起こしたのか?

理解することもできないし、

そこから教訓を得ることもできないので、 

現象や反応は、まだ先延ばしにされます。 

心の状態が現実化する。 

これはブッダの説いた因果律、

まいた種は刈り取らねばならない・・ と同じことですが、 

このことは、バチでも何でもありません。

全ては神様の私たち人間に対する深い愛から発生しています。 

現象が現れた

例えそれが、自分にとっては、逃げ出したく、

できれば避けて通りたい出来事であったとしても

神様が、それを起こるのを「善し」としたから起きた出来事です。 

私たちは、そこから逃げない限り、

また一つ、ツミ(包身)を一枚、心から剥がし、 

光り輝く、もともとの神様の輝きを取り戻すことができます。 

しかし、せっかく、神様が、心の状態を現象として見せてくださっても

目をそらし、逃げたり、他人のせいにしたり、見なかったことにする、、 

そうなると、その現象は無駄になってしまいますから、 

再び、宇宙を巡り、さらに強力になり、 

再び、機が熟した時に、神様が私たちに運んできてくださることでしょう。 

自分にとって嫌な現象が現れた時は、実は大きなチャンスの時です。 

神様が、「今こそ、それに気づいて解消しなさい」

そんな時だからです。 

逃げないで、正面から受け止め、受け入れれば、 

一気に、嫌なことではなく、

魂を輝かせてくれる素敵な出来事に変わることでしょう。 

最初の一歩、

受け止める、受け入れると決心することは、

「よし、変わろう」と決心することは、

大きな勇気がいるかもしれません。 

今迄、魂にとって、そこが弱点だったから、

現象が起きているのですから。 

ですが、その時、私たちが決断することができれば、

一気に神々の喜びとともに、問題は解決してしまうことでしょう。 

神々を含め自然界から最高のサポートを得られることでしょう。

この見える世界も、見えない世界も全て

私たちの心が作り出しています。

その心が、本来の神様と同じ輝きを取り戻せることであるのなら、

神々は、どんなことをしても、

その大きな私たちの勇気ある決断を、

後押ししてくださることでしょう。

そして、その決断をした瞬間に

私たちの魂の、輝きがまた一段と増します。


2025年7月29日火曜日

3968「地獄について」2025.7.29

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年07月20日の記事を紹介します。


「地獄について」


暑い日が続いています。

夏ですので、今日は地獄について書きたいと思います。

魂の巨人、出口王仁三郎が表した「霊界物語」からご紹介します。 

出口王仁三郎の説く地獄は、

魂の浄化と成長のための場として描かれ、

仏教や神道の地獄観を基盤にしつつ、

独自の楽観的で包括的な解釈が加えられています。

地獄は暗闇や試練の場として恐ろしい側面を持ちながらも、

魂が悔い改めを通じて最終的に救済される可能性が強調されており、

単なる罰の場ではなく、霊的進化の一段階として位置づけられています。

絶望ではなく、必ず最後には誰でもが魂が浄化されて救われるという

希望が描かれています。


■地獄の具体例とエピソード

・暗黒の世界:

 罪深い魂が送られる暗闇の地獄では、光が一切届かず、

 孤独と恐怖に苛まれる様子が描かれます。

・試練の場:特定の罪(例えば強欲や暴力)に対応した地獄では、

 魂がその罪を象徴する試練を受ける。

 例えば、強欲な者は果てしない欲望の追求を強いられ、満たされない苦しみを味わう。

・指導者の存在:地獄には、魂を導く霊的な存在や神々が登場し、

 苦しむ魂に悔い改めや成長の機会を与える場面も見られます。


■地獄の描写

地獄は、物質界とは異なる霊的な次元に存在し、

そこで魂は自身の行いを振り返り、

苦しみを通じて浄化されるプロセスを経験します。

具体的な描写としては、

・暗闇に閉ざされた世界、

・極端な寒さや暑さ、

・精神的な苦痛を与える幻影や試練

・血の池

・針山 

出口王仁三郎は、地獄を単なる恐怖の場ではなく、

魂が自らの誤りを認識し、成長するための場として捉えています。

そのため、地獄での苦しみは一時的であり、永遠に続くものではないとされています。

以上が、王仁三郎が見てきた地獄の姿です。

神様は優しく、慈悲深い方ですから、神様が地獄を創ったり、

死後私たちをそこに落とすわけではありません。 

私たちの心の中には良心があります。

それは私たちの心の中にいらっしゃる神様と言い換えても同じことです。

分け御霊(わけみたま)とも言います。

神様は私たちに自由意志を与えられていらっしゃいますので、

私たちが何を考え、何をしようとを止めるようなことはなさいません。

しかし私たちの良心も、神様の性質である、愛や平和、調和。

そこから発生する、思いやり助け合い、お互い様、お陰様などの感謝の心などは、

もちろん持っていますので、

・私たちが何かした時

・何か言ったり行動したりした時

心の中の良心に照らし、もしそれがすれているのであれば、

心の中に葛藤が生じ、痛みが生じます。

もし、両親とかけ離れた言動をすれば、自分自身を許せない・・

そのような感情が起こってきます。

そのような自分の良心に反するような言動をした時に起こる心の中の葛藤は、

私たちが気づかないうちに、

どんどんどんどん私たちを苦しめてきます。

その結果、生きているうちに幸せでない状態、つまりいつも不安だったり、

自分自身を許せないなどのような地獄のような心持ちになり、

その結果、自分の周りにもそのようなひどい現象が出てきます。

空海がおっしゃるように、

即身成仏、 

つまり生きている間に私たちは成仏、

天国にも地獄にも行くことができますので、

生きているうちに、心の状態により

・天国に住むもの

・地獄に住むもの

と別れてしまいます。 

良心に反する言動した場合には、

もう生きている間から地獄に住むものとなってしまいます。

その結果、死後肉体を脱いだ後 、私たちは心つまり魂だけの状態となりますが、

そうなった時 私たちの心の状態が、そのまま周りに現実化してきます。

もし私たちが生きながらもうすでに地獄に住んでいたならば、

亡くなったらすぐに、もっともっとリアルで現実的で苦しく、暗い、

地獄の世界に直行してしまうでしょう。

それは神様が罰として私たちに与えることではなく、

私たち自身が自らの心の状態にマッチした世界に、

自ら進んで行きます。

そしてその世界は私たち自身の心が作り出した世界です。

ご自分の心を振り返ってみてください。

あなたの今の心の状態はどうでしょうか?

・今現在地獄に住んでいますか?

・それでも天国に住んでいますか?

地獄に住むとは、

自分の良心つまり私たちの中にいらっしゃる、

神様の心と離れてしまっている言動をしていることによって、

・自分自身が許せなくなり

・良心との乖離が生まれ

・自分自身が許せなくなり

・常に不安で

・心の呵責に悩まされ

今まさに地獄に住んでいるということです。

生きている間に このようにブッダ達が教えてくださった、

真理、真実に触れる機会もなかった、縁の無い方々もいらっしゃるでしょう。

これ読んでくださってる方々の中にも、 

心当たりがある方もいらっしゃる かもしれません。

人は誰でも年を取ったり、

病気や事故かあれば、肉体を離れ、黄泉の世界に移行します。

肉体を脱いだ後、私たちが行く世界を決めているのは、

今の私たちの心の状態です。

もし万が一、地獄の方に進んでしまったなら、思い出してみてください。

慈悲深いブッダはそこから抜け出す方法も教えてくださっています。

それは感謝の心を持つことです。

ありがとうという感謝の心を持った瞬間に天から光が差し込みます。

周りの地獄の景色がだんだんと薄れていきます。

ありがとうの心が進んでくれば、

だんだんだんだんと周りの霧が晴れ

そして天から手を差し伸べてくださる誰かの姿が見えてくるでしょう。 

地獄の経験も、決して私たちを破滅の淵に追いやるものではなく、

魂の浄化のために、神様の承諾の元、

物事は進んでいきます。

感謝の心は、こんな所でも、

大きな力を発揮してくれます。


2025年7月28日月曜日

3967「因果を超えて」2025.7.28

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年07月21日の記事を紹介します。


「因果を超えて」


イエスもブッダも空海も、過去の沢山の偉人達も、 

そして最近では神仕組みの元、 

・宇宙から直接来た魂や

・神々の意識のまま生まれて来た子供たちも

その全ての方々が、霊的な不思議な現象のことではなく、

地味ですが、心の持ち方について語っています。 

人々の心を整えることで、

そこから地球を良き星にしようとしています。 

全てのことが、私たち自身の心から始まります。 

決して、どこかの誰かが、 

何かをしてくれることにより、自分の運命が好転するわけではありません。 

依存する心は、返って魂の退化を招きます。 

そして最近はますます思考が現実化するのが早くなったようです。 

これは心の状態が、現実に目の前に具現化されるのが早くなったと同じ意味です。 

自分が意識するしないに関わらず、心の中の情報が、現実化します。 

ですから、テレビや本、最近ではSNSなど

自分がどのような好みで、それらの情報に触れているかによって 

否応なく、それが現実の世界で具現化して出てきます。 

ですから自分が触れる情報にも、よく注意が必要です。 

逆に言えば、 

自分の心に無いことは、

現象として発生しない・・・ と言うことになります。 

愛や、優しさや、思いやりも。 

また心の状態は、単純ではなく、

今世に置いて、自分で意識できることだけではなく、

魂は永遠ですから、

過去の色んな人生を経てきて、染みついた魂のクセ

神我(しんが)を包み隠している、

・包身(ツミ)-本来の光り輝く神様と同じ姿の自分自身を隠してしまうもの

・氣枯(ケガレ)-神様のご神気の枯渇

によって、その種子が、いつ芽を出そうかと潜んでいます。 

何か自分のやったことに対して、自分の思ったことに対して

直ぐに、しっぺ返しや、反応が現れるということは、 

それだけ、 

・現在の地球自体の波動レベルが上がり

・体主霊従から霊主体従の 魂重視の時代に変わりつつあること

・自分自身の、魂の成長が進み、因果律による反応を受け止めても、

 今の自分であれば大丈夫、 それを研ぎ石として更に、魂を輝かすことができると 

 神さまが判断して、現象を起こしてくださったからです。 

自分の魂の進化が進まないうちは、

その反応や現象、出来事に耐えられないし、 

耐えられたとしても、そこから 

・何故そうなったのか?

・自分の心のどの部分が、その現象を起こしたのか?

理解することもできないし、

そこから教訓を得ることもできないので、 

現象や反応は、まだ先延ばしにされます。 

心の状態が現実化する。 

これはブッダの説いた因果律、

まいた種は刈り取らねばならない・・ と同じことですが、 

このことは、バチでも何でもありません。

全ては神様の私たち人間に対する深い愛から発生しています。 

現象が現れた

例えそれが、自分にとっては、逃げ出したく、

できれば避けて通りたい出来事であったとしても

神様が、それを起こるのを「善し」としたから起きた出来事です。 

私たちは、そこから逃げない限り、

また一つ、ツミ(包身)を一枚、心から剥がし、 

光り輝く、もともとの神様の輝きを取り戻すことができます。 

しかし、せっかく、神様が、心の状態を現象として見せてくださっても

目をそらし、逃げたり、他人のせいにしたり、見なかったことにする、、 

そうなると、その現象は無駄になってしまいますから、 

再び、宇宙を巡り、さらに強力になり、 

再び、機が熟した時に、神様が私たちに運んできてくださることでしょう。 

自分にとって嫌な現象が現れた時は、実は大きなチャンスの時です。 

神様が、「今こそ、それに気づいて解消しなさい」

そんな時だからです。 

逃げないで、正面から受け止め、受け入れれば、 

一気に、嫌なことではなく、

魂を輝かせてくれる素敵な出来事に変わることでしょう。 

最初の一歩、

受け止める、受け入れると決心することは、

「よし、変わろう」と決心することは、

大きな勇気がいるかもしれません。 

今迄、魂にとって、そこが弱点だったから、

現象が起きているのですから。 

ですが、その時、私たちが決断することができれば、

一気に神々の喜びとともに、問題は解決してしまうことでしょう。 

神々を含め自然界から最高のサポートを得られることでしょう。

この見える世界も、見えない世界も全て

私たちの心が作り出しています。

その心が、本来の神様と同じ輝きを取り戻せることであるのなら、

神々は、どんなことをしても、

その大きな私たちの勇気ある決断を、

後押ししてくださることでしょう。

そして、その決断をした瞬間に

私たちの魂の、輝きがまた一段と増します。