2013年6月17日月曜日

216「古の世界3」2013,6,15

 6月1,2日の「宮沢賢治、遠野物語と縄文の世界の旅」で訪れた今回の地には私は何度も訪れているところです。これまでの視点は縄文、弥生、大和、蝦夷、坂上、アテルイでしたがそこに宮沢賢治と遠野物語を加えてみました。
 賢治は1896年8月に生まれ1933年9月に逝去しています。遠野物語は遠野市の佐々木喜善氏が語る民話を柳田国男がまとめて出版されたのが1910年です。今から丁度100年ほど前の世界です。果たして今から100年前、そして400年、800年、1200年前の世界は如何でしたでしょうか。
 100年前は、1912年、中華民国成立・清朝滅亡、金日成誕生(主体元年)、タイタニック号沈没、明治天皇崩御・元号が明治から大正へ、1913年は徳川慶喜死去。
 400年前は、1611年伊達正宗慶長三陸大地震、1613年支倉常長慶長欧州使節団、キリスト禁止令。
 800年前は1189年義経死亡、1192年源頼朝鎌倉幕府征夷大将軍、1206年チンギス・カン(成吉思汗)がモンゴル統一、1211年チンギス・カンが金王朝と開戦、1227年死去。
 1200年前 805年最澄帰国、806年空海帰国 811年坂上田村麻呂死去
 
 同じ地でそこで織りなされる営みは当然、複層で色々な物語が交差して行きます。今回の訪問先ではそれらの一コマにふとしたことから源義経の新たな視点に気付きました。
 遠野の続石で弁慶が係っているとありましたが、この岩手県平泉に栄えた藤原三代の100年の栄華、そして義経北帰行伝説です。そこには平泉から遠野、宮古、八戸、十三湊、竜飛から蝦夷地北海道に渡り、やがてモンゴルでチンギス・カンとして日本で成し得なかったことを実現したという大ロマンがあります。旅から帰って関係する書籍を5、6冊程読み、インターネットで調べてみました。その真偽は定かでありませんが私には義経は平泉で自害してはいないように思えます。
 義経は兄の頼朝の挙兵に呼応して平泉の藤原氏の元を離れて馳せ参じ、たった1年ほどで驚くべき戦果を挙げて平家を滅ぼす大功績を上げます。しかし頼朝に嫌疑をかけられてやがて敵対し頼朝に殺害され?、平泉藤原氏も滅ぼされることになります。同族内での内紛です。武家集団が常に内に持つ遺伝子的な動きなのでしょう。骨肉相争う世界です。
 
 平家を滅ぼした源氏との争いですがは元をたどれば、源氏も平家も皇族から臣籍に降下して生まれた氏族(清和源氏や桓武平氏)で武士集団ですから、時の権力に利用され、お互い出世、利権、権力闘争で争いを繰り広げて武門の棟梁の位置を争奪しあう関係になって行きます。
 奥州の地で起きた前九年(1051年〜1062年)の役は安倍氏から清原氏へ支配は移り、後三年の役(1083年〜1087年)で清原氏から奥州藤原氏へ権力は移行して行きます。保元(1156年)・平治の乱(1160年)などで平清盛が実権を握ります。しかし、驕れるものも久しからずで、やがて義経の登場で頼朝が平家を滅ぼして鎌倉幕府が成立します。
 そもそも陸奥の安倍氏はその源は、神武天皇に殺された畿内の王、長脛彦の兄安日彦をその始祖とする説があります。又7世紀中央の豪族、将軍の阿倍 比羅夫が日本海側を北に航海して蝦夷を服属させましたがその流れ、はたまた大和朝廷に従った蝦夷(俘囚)とも言われます。いずれにしても蝦夷の世界を征服、融合するなかで実権を握り支配して行った氏族です。津軽を治めた津軽安東・安藤氏のその末裔の秋田氏、更にはで今の安倍晋三総理もその後継との事です。しかしルーツは諸説あり断定が難しく、特に権力を握った者が自分の都合の良いように家系図を作る事、ある権威にあやかり自己を正統化するのは歴史の常です。
 
 しかし平清盛が実権を握ってから以下の流れで平家と源氏が交互に時の政権を担っていきます。平清盛(平家)→源頼朝(源氏)→北条(平家)→足利(源氏)→織田(平家)→徳川(源氏)。滅んだ側も再起を図るという図式なのでしょうか。はたまた違う次元の意図が現れているのでしょうか。
 源氏は白旗、平家は赤旗が旗印で運動会は白組、赤組で争われ、日本の国旗は白地に赤丸で源氏平家を一つにした印です。
 徳川幕府が大政奉還した後は天皇が実権を掌握し明治から大正、昭和、終戦を経て象徴天皇になり平成に推移していますが果たして如何様な仕組みで実権が執行されているのでしょうか。その事は又別の機会に触れるとして義経伝説に戻ります。
 
 三上輝夫氏の事を高橋五郎氏の著書で読んでいましたので義経の事が頭にあり、今回の旅で陸奥の地での更なる点が繋がった感じです。三上氏は昭和天皇の国師を務め、義経の生まれ変わりとして激動の時代の日本と全世界の平和のため、日本国をモデル国家にするための神業を実行する天命を頂いた方です。
 義経の魂が800年の年月を経て三上氏に転生したようですが、その間に同じく義経の生まれ変わりが楠正成だったようです。三上氏は義経が大陸に渡りチンギス・カンとして理想郷を作る事を目指してモンゴルで活躍したということを認めています。新井白石、林羅山や水戸光圀、シーボルト等は義経がチンギス・カンだったと述べていますが、学門の世界では否定されています。それも又、世の常ですが。
 チンギス・カンの旗は九個の房飾りを付けた白旗。義経の仮名は九郎判官です。チンギス・カンと義経を同一視させる物証に付いては、長年にわたり現地を調査した小谷部全一郎氏の著書にはかなり詳しい内容が記されています。義経の目指した理想郷がモンゴルで成され、頼朝から始まった時代の改革者としての武家社会の理想が徳川で結実したともいえます。しかし明治維新、第二次大戦後の日本は果たして如何なる理想の国を目指していたのか曖昧としてあります。激動の昭和の時代を国師として導いた三上氏は義経の霊統としての理想を如何に捉えていたのか。
 
 宮沢賢治の世界は次元を超えた世界からのメッセージの表現です。彼の繰り広げた陸奥岩手での創造実践の世界、義経の武家としての理想の世界、アテルイの営んでいた蝦夷の自然と融和一体化していたであろう世界、それぞれに示された人間社会の理想世界の雛形が豊かな自然資源を持つ北の地であったようです。それがイーハトーブです。共通の理想の実現を目指す霊団、霊統の流れがあり、今もその働きかけが何らかの役割を果たせる人間を介して行われているのでしょう。
 
 人間は宇宙自然を豊かに、生成発展する為の管理者の役割が与えられ、万物の霊長と称されていますが、古の世界では有るレベルでのバランスが成されていたようです。そこにはムー、レムリアの太古の時代の善き精神性が、この地に継承されて古き魂に遺伝子的に宿って営まれていたのでしょう。 
 今の時代は大きな変換の時です。過去から未来の時間軸の今、私達がどのような選択をしてこの世界を構築して行くのか、破壊の極に進む今の時代を進化、大調和に向かう意識に生きる事が必要なようです。
 陸奥の地のエネルギーは先人の叡智、無形の天意への気付きを促す媒体情報を秘めた世界でした。今回、私のいのちがその地で遭遇した世界は、更なる意識の旅へのスイッチオンが成されたようです。賢治さん、義経さんの想念エネルギーが今甦ります。

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