2022年7月31日日曜日

2774「お陰さまの心」2022.7.31

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年07月27日の記事を紹介します。


お陰さまの心


今日のテーマはお陰さまの心です。

本当に、本当に大切なことです。

人間の一生の幸、不幸を左右するほどの力があります。


この「お陰さま」の心は、日本人固有の意識のようで、

英語に正しく翻訳することができないのだそうです。

敢えて言うなら

・Luckily 「ラッキーなことに」

・Fortunately 「幸運なことに」

しかないそうです。

でも、私たちがこの言葉を使う時、そんな薄っぺらい意味では使っていません。 

もっと、温かで、敬虔な、見えない物、神さま、先祖、周りの方がたに

深い感謝の気持ちを含んでいます。 

ここで、上所重助さんの詩をご紹介します。

  

<引用開始> 引用元

 

夏が来ると「冬がいい」と言う

冬が来ると「夏がいい」と言う

太ると「痩せたい」と言い

痩せると「太りたい」と言う

忙しいと「暇になりたい」と言い

暇になると「忙しい方がいい」と言う

自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い

自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う

借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる

金を持てば 古びた女房が邪魔になる

所帯を持てば 親さえも邪魔になる

衣食住は昔に比べりゃ天国だが

上を見て不平不満の明け暮れ

隣を見て愚痴ばかり

どうして自分を見つめないのか

静かに考えてみるがよい

一体自分とは何なのか

親のおかげ

先生のおかげ

世間様のおかげの固まりが自分ではないか

つまらぬ自我妄執を捨てて

得手勝手を慎んだら

世の中はきっと明るくなるだろう

「俺が」、「俺が」を捨てて

「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい

 

<引用終了>

  

御祈願をする時、ふと迷うことがあります。

・開運福寿

にしようか?

・厄災難除 

にするか?

皆さんなら、どちらにしますか? 

・ちょっとぐらい災難に見舞われても、ツキがどんどん入ってくる人生が良いか? 

・大きな幸運が来なくとも、平凡な日々でも平穏無事で暮らせる人生が良いか?

私は、何もなくとも、平穏無事な方を選びました。

病気や事故。

経験したことのある方ならお分かりなように、健康だった時、

何気なく過ごしていた毎日がどれだけ幸せだったか 

気づく人もいることでしょう。

また、どれだけ私たちの肉体が、沢山の細胞やその他の調和・バランスの上に

維持されていたのかに気づく人もいるでしょう。

何かが少し欠けただけで、不調になっただけで、

肉体の健康を維持することができなくなります。

全ての細胞たちが、自分の役割を全うし、調和して働いているが故に、 

私たちは、何気ない日々を送ることができるのです。

その調和を維持しているのは誰ですか?

その設計図を書いたのは誰ですか? 

ダーウィンですか?

勝手に肉体が動いているから、そうなっているのですか?

違います。

全ては神さまが設計し、そしてそれを一瞬一瞬維持してくださっているからです。

病気で入院などすると、それに気付くことができます。 

そして、そこには感謝しかありません。

そういう意味では、病気も事故も意味のあることです。

それを、私たちが生まれる前に、人生のシナリオの中に組み込んでくるのも分かります。

そういった「お陰さまの力」を何も知らず、気付かず、 

おのれ一人の力で生きているという傲慢なまま人生を終えて、 

何の価値があるでしょうか。

 

宇宙の仕組み、神さまの存在、お互いさまで生きていることに気づくこと。

助け合うこと、互いを尊重すること、傲慢にならないこと。

全ての全てに 真心をこめて、優しく接すること。。

このこと以上に、私たちが生まれてきた意味において、

大切なことは無いのかもしれませんね。



2022年7月30日土曜日

2773「あの世の記憶」2022.7.30

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年07月26日「あの世の記憶」と2022年07月28日「お蔭様のお守り」の2つの記事を紹介します。


あの世の記憶


今日は、「あの世の記憶」ということで、

生まれる前の記憶を、覚えていらっしゃる方のお話をご紹介します。

中間世記憶や体内記憶を持つ子供たちは、

産婦人科医で、中間世記憶の研究を永い間されてきた池川明先生の調査では、

子供たちの3割にも上るそうです。 

その記憶も、年齢を重ねるごとに減少していくわけですが、

大人になっても鮮明に持ち続けていらっしゃる人もいます。

歌舞伎役者の市川海老蔵さんも、

ご自身の記憶をNHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」の中で

「僕はだいぶ順番待ちをしていたんだけど、待ってる人たちを追い越して、

自分がこの家に行く!と言って生まれてきた」と語っていました。

もしかしたら、小林麻央さんとの結婚のシナリオを立てていたことも覚えていたかもしれません。 

3割の子供たちが、中間世の記憶を持っているそうですが、 

私たち大人も忘れているだけで、 

もちろん生まれる前に神さまと、

今回の人生のシナリオを立て、両親を選んで生まれて来たことに変わりはありません。

 


また2011年には当時、史上最年少の11歳の少女がメジャーデビューしました。

水谷ゆうさん(11歳のシンガーソングライター)の「いっぱい大好き」という曲です。 

この曲の歌詞は、自分でお母さんを選び、

風船に入って生まれてきたという内容で、 

まさに「中間世の記憶」を歌ったものです。

ご本人もテレビのインタビューで、胎内記憶があると話していたそうです。 

このMV映像には鈴木福くんも登場しています。 

このように、本当は忘れているだけで、 

子供も大人もみんなが生まれる前に、

雲の上で神さまと相談して生まれてきているのです。 

そして、神さまと相談して生まれて来たということは、 

・神さまに生まれることを認められ、

・自分で計画した人生のシナリオが認められ、

・両親となる人たちの同意が得られ、

・人生の重要なポイントで現われ出てくる人々の承諾が得られて

生まれて来たということです。 

神さまが承諾下さったと言うことは、

神さまが人生の全ての時において、 

見守り、祝福し協力くださっていると言うことです。 

誰彼の区別なく、生きている人全員がそうです。 

たとえ今、そのようなことを全く覚えていなくとも、 

たとえ今、苦しみ悲しみのさなかであっても、 

私たちは、今この生きている人生ストーリーを自分で決めて生まれて来ました。 

その目的はただ一つ自分の魂を成長させるためです。

海老蔵さんは、どのような人生ストーリーを歩むために、

順番を代わってもらってまで歌舞伎の家柄に生まれて来たのでしょうか。 

そして裕福な暮らしの中で、小林麻央さんと出会い、

そして悲しい別れの道を選んだのでしょうか。 

同じように私たち一人一人が、独自のドラマを今、演じています。 

そのドラマでは、山や谷があちこちにあり、 

楽しいことも沢山あるけれど、

同じく沢山の苦しみ悲しみも用意されています。

そのような演出があるからこそ、私たちはこの生を、

思う存分、泣いたり笑ったりしながら

楽しむことができるようになっています。 

そして気付けば、魂が少しずつ磨かれて行っています。

有難いことですね。

 

・神さまや、

・私たちの大好きな人、

・私たちの大嫌いな人、

・私たちのことを大嫌いな人 

みんなに感謝ですね。



お蔭様のお守り


子ども達は、親や教師の「いう通り」にはならないが、

「する通り」になる・・・とよく言われます。

私たちの日々の何気ない一言や、行動を子どもたちは本当によく見ていて、

そして、ものすごい早さで吸収していきます。

親だからといって、100%完璧な人間になることは不可能ですが、

少しでも「お手本」になるために、そして子供たちの人生が、幸せになるように

・おかげ様

・お互い様

などの優しい気持ちで、過ごしていきたいものですね。

それでは、今日は有名な「心に響く小さな5つの物語」のうち

公開されているものについてご紹介します。実話です。

<引用開始> 引用元 


若いOLの話である。

彼女の生家は代々の農家。

もの心つく前に母親を亡くした。

だが寂しくはなかった。

父親に可愛がられて育てられたからである。

父は働き者であった。

三ヘクタールの水田と二ヘクタールの畑を耕して立ち働いた。

村のためにも尽くした。

行事や共同作業には骨身を惜しまず、ことがあるとまとめ役に走り回った。

そんな父を彼女は尊敬していた。

親子二人の暮らしは温かさに満ちていた。

彼女が高校三年の十二月だった。

その朝、彼女はいつものように登校し、

それを見送った父はトラクターを運転して野良に出て行った。

そこで悲劇は起こった。

居眠り運転のトレーラーと衝突したのです。

彼女は父が収容された病院に駆け付けた。

苦しい息の下から父は切れ切れに言った。

「これからはお前ひとりになる。すまんなぁ…」

そして、こう続けた。

「いいか、これからは 『おかげさま、おかげさま』 と心で唱えて生きていけ。

そうすると、必ずみんなが助けてくれる。

『おかげさま』をお守りにして生きていけ」

それが父の最後だった。

父からもらった”おかげさま”のお守りは、彼女を裏切らなかった。

親切にしてくれる村人に、

彼女はいつも、「おかげさま」 と心の中で手を合わせた。

彼女のそんな姿に、村人はどこまでも優しかった。

その優しさが彼女を助け、支えた。

父の最後の言葉が、A子さんの心に光りを灯し、その光が、村人の心の光となり、

さらに照り返して、彼女の生きる力になったのだ。

<引用終了>

 

人を動かすのは、人の想いです。 

私たちが、例え口に出さずとも、心の中で 

・ありがとうございます。

・おかげ様

・お互い様 

と、

・優しい気持ち

・謙虚な気持ち

・相手を受け入れる気持ち

でいれば、必ず同じものが、相手から返されます。 

私たち親が、そのような気持ちで日々生活していれば

きっと子供たちも、その背中を見て育つことでしょう。 

「おかげ様」は、 

私たちが実は、一人では生きられないこと、

たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れです。

見えないものへの感謝です。 

私たち、みんなが、この「お陰さまの気持ち」を持って謙虚に生きられたら、 

他人を思いやる優しい気持ちで生きられたら

この世の中からギスギスした雰囲気が消え

春の日差しのように、心地よい、温かな光に包まれることでしょう。

   

そこに住む、みんなの顔が、笑顔で溢れ、笑い合って暮らしていけることでしょう。



2022年7月29日金曜日

2772「人の幸せ」2022.7.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年07月25日の記事を紹介します。


「人の幸せ」


今日のテーマは「人の幸せ」ということで、

日本理化学工業の会長、大山泰弘三のお話をご紹介します。

毎回そうですが、心を純粋にして、

心の罪・穢れ(包身(つみ)、氣枯れ(ケガレ))を祓い、

私たちがもともと持っている、光り輝く神様の心を表に現して、

何者にも、何事にも頼らず依存せず、大地にしっかりと自分の足で立ち、 

真っすぐに神様の光の方向へ進んで頂きたいからです。

 


<引用開始> 引用元 


二人の少女が入社した日のことは、今でもよく覚えています。

きれいに晴れた、暖かい日でした。

二人がタドタドしく挨拶するのを、社員たちは暖かいまなざしで見守っていました。

そして、拍手で二人を迎え入れたのでした。

「私たちがめんどうをみますから」という社員の言葉に嘘はありませんでした。

みなが二人の少女をかわいがり、本当によくめんどうをみてくれました。

彼女たちは、雨の日も風の日も、満員電車に乗って通勤してきます。

そして、単調な仕事に全身全霊で打ち込みます。

どうしても言うことを聞いてくれないときに、

困り果てて「施設に帰すよ」と言うと、泣いて嫌がります。

そんなある日のことです。

私は、とある方の法要のために禅寺を訪れました。

ご祈祷がすみ、食事の席で待っていると、

空いていた隣の座布団に、偶然にもご住職が座られました。

そして、こんな質問が思わず口をついて出ました。

「うちの工場には知的障害をもつ二人の少女が働いています。

施設にいれば楽ができるのに、なぜ工場で働こうとするのでしょうか?」

ご住職は私の目をまっすぐに見つめながら、こうおっしゃったのです。


「人間の幸せは、ものやお金ではありません。

人間の究極の幸せは次の四つです。

・人に愛されること、

・人にほめられること、

・人の役に立つこと、

・人から必要とされること。

愛されること以外の三つの幸せは、働くことによって得られます。

障害をもつ人たちが働こうとするのは、

本当の幸せを求める人間の証(あかし)なのです」

確かにそうだ…。


人は働くことによって、人にほめられ、人の役に立ち、

人から必要とされるからこそ、生きる喜びを感じることができるのだ。

家や施設で保護されているだけでは、この喜びを感じることはできない。

だからこそ、彼らはつらくても、しんどくても、必死になって働こうとするのだ。

働くことが当たり前だった私にとって、この幸せは意識したことすらないものでした。

それがいかにかけがえのないものか、私は、生まれて初めて考えさせられました。

二人の少女が、一心にシールを貼り続ける、その姿。

そして、「ありがとう。助かったよ」と声をかけたときの輝かんばかりの笑顔。

私は、ご住職の言葉によって、その笑顔の意味を教えられたのです。

<引用終了>


ここの会社は、『日本でいちばん大切にしたい会社』という書籍をはじめ、

さまざまなメディアやマスコミなどでも多数紹介されています。

1960年に初めて知的障がい者を雇用してから60年たっています。

今では全従業員の70%以上が知的障がい者でありながら、

ダストレスチョークで、国内シェアNo1を維持している会社だそうです。 


さて、女性ピアニストの野田あすかさんは

幼いころから、広汎性発達障害、解離性障害の障害を持っていました。

それが原因で、いじめ、転校、退学、そして自傷、

パニック、右下肢不自由、左耳感音難聴などで入退院を繰り返してきました。 

ピアノを弾く手がアップされると分かりますが、左手には沢山のリストカットの痕跡。 

彼女の今までの人生、いったいどれだけ、辛いことがあり、いったいどれだけ努力して、

乗り越えようとして来たのでしょうか?  

そして、どれだけの涙を流したのでしょうか? 

その彼女が、自分と同じ障害を持った子供たちのために作った曲

「手紙〜小さいころの私へ〜」の中の歌詞にこんなフレーズがあります。

 

みんなに 喜んでもらうために

いつも がんばっているね

みんなと同じになれるよう がんばって

くやしい思いを しているけど

いくらがんばっても

同じになれないこと 感じてる

この子達も、

周りの誰かに、喜んで欲しい、笑って欲しい

そんな心でいるのです。


手紙~小さいころの私へ~(発達障害のピアニスト野田あすか作詞・作曲・演奏・歌)


美しい心です。

・障害を持っている人たち

・個性が強い人

・自分とは違うと、違和感を覚える人

・ソリが合わないと感じる人

・自分の価値観に合わない人

そんな人たちを無視したり、

いじめたり、批判したり、のけ者にしたり、陰口をたたいたり

私たちも、時折しがちです。

ですが、 

どんな人も、「人から喜ばれると嬉しい」のです。

人から笑顔を向けられるのが嬉しいのです。

人の役に立ちたいと思っているのです。

少しだけでも、そんな心をくみ取り、受け取って 

にっこり笑って、「ありがとう」 

そう伝えてあげたいですね。 

きっと、その優しい気持ちは、二人を包み込み

美しい波動になって、宇宙中にこだますることでしょう。

神々が、ニッコリ微笑んでくださることでしょう。



2022年7月28日木曜日

2771「青空ひろば」2022.7.28

今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。


712 2022.07.04~728 2022.07.21 


古語辞典によると、「しあわせ」は、「為合わせ」なのだそうです。 

「為(し)」は、「『する』という動詞の連用形」で「動作、行為」のことです。 

そして、「合わせ」は、「二つ以上のものがピッタリ寄り添うこと」を示すそうです。 

つまり、「しあわせ(為合わせ)」の第一番目の意味は、 

① 一連の行為が、次々、ピタッ、ピタッと「ツボにハマッテゆく」状態をいうようです。そんな状態になった時、人は「しあわせ」を感じるのですね。 

こんな状態を、「同時性現象」といったり、「スムージング効果」といったりする研究家もいます。 

「同時性現象」というのは、たとえば、『こんなモノがあればいいなあ』と、心の中で思っただけなのに、なぜかすぐにその欲しかったものが手元に届いて驚くというような現象をいいます。 

つまり、「想い」が、ながい時間経過を経ないで、直ちに現実化するような現象を「同時性現象」というのです。 

別にそのモノを手に入れるために計画したり、作戦を練ったりしていたわけではないのに、偶然のようにして、そのモノが手に入ってしまうのです。こういう「偶然のハッピー・ハプニング」のことを、「セレンディピティ」と呼んだりします。

 

白隠さんは、『坐禅和讃』の中で、こんな「同時性現象」のことを「因果一如(いちにょ)の門ひらけ…」と記しておられます。 

つまり、因(想い)と果(現象化)が、時間経過なしに一気にピッタリと寄り添ってひとつになる(一如)のです。 

また、「歌うも舞うも法(のり)の声」ともおっしゃっています。 

何をしても、その動作ふるまいが、まるで太極拳や合気道を舞っているかのように滑らかに円を描いているようで、こうでしかありえないという絶妙の軌道にピッタリはまって動いているなあという実感がするのです。 

その行動にはどこにも無理・無駄がなくて、宇宙の大法の流れにフワッと浮かんで、その「間違いのない大宇宙の意志の流れ」のまま自分は動いているんだと実感出来るのです。神道でいう「神ながら」という状態が実現するのです。そんな時、人は「至上のしあわせ」を体験します。

 

こんな状態を「フロー感覚」、あるいは「ゾーンの入る」などと呼ぶ人もいて、各スポーツ競技の達人達が、自分でも信じられないような、自分の従来の能力を超えた、神がかりのような素晴らしいプレーが出来た時は、必ずそんな「フロー状態」を体験しているのです。

 

「スムージング効果」とは、たとえば、車を運転していて、『ああ、赤信号だ。止まることになるなあ』と思っていたのに、その信号機に到る直前に信号がパッと青に変わって、減速や停止の必要なしに通過出来、そんな状態が信号機ごとに次々続いて起こるというような現象をいいます。 

また、満車で待たされるなあと覚悟していた駐車場で、うまい具合にすぐ空きが出来たり、満員列車なのに、あたかも神さまが私のために取っておいてくれたかのように、一つだけポッカリ空席が出来て、すぐに座れたりするのも「スムージング効果」です。 

仕事の面においても、なぜか次々「空席」のポストが出来て、自分がすぐにそのポストに座ることになり、トントン拍子に昇進・出世してゆくというのも「スムージング効果」です。 

逆に、「ふしあわせな状態」の時は、やることなすことツボにはまらず、ギクシャクしたり、食い違ったり、関係者と利害関係で衝突、争いが起こったりするのです。 


このように、すべての行為において、ピタリ、ピタリとツボにはまり、「同時性現象」、「セレンディピティ」、「フロー感覚」、「スムージング効果」などが次々起こってゆくとき、人は「しあわせ感」を得ます。 

つまり、スラスラ、ピタピタ、スイスイ、ノリノリで生きてゆけている時、人は「しあわせ」を実感するのです。

 

つぎに、「しあわせ(為合わせ)」の二番目に意味は、 

② 共通の目標に向けて、すべての人やモノや現象が一体化して、連帯協力して行動出来ており、自分もその目標達成に向けて大切な役割を果たせている、貢献出来ていると実感出来るとき、人は「しあわせ」を感じるのです。 

つまり、「連帯感」と「貢献感」が実感出来る時、人は「しあわせ」を感じます。 


以前、「ふしあわせ感」、「しあわせ感」とはどういうものなのか、まとめて表にしたことがあります。 

それによると、「ふしあわせ感」は三つに分類され、(貧しい・淋しい・虚しい)でした。そのそれぞれと反対なのが「しあわせ感」で、(豊か・にぎやか・生きがい)です。 

「しあわせ感」を構成する第1要素の「豊か」は、単に財産家であるということではなく、すべての人や世界とつながっている、いのちが通い合っているという感覚のことです。つまり、「いのちの一体感」のことです。 

「しあわせ感」を構成する第2要素の「にぎやか」というのは、どの人も、ともに同じゴールを目指して手を取り合って歩む同志、仲間なんだと自然に思える感覚で、つまり「連帯感」のことです。 

「しあわせ感」を構成する第3要素の「生きがい」とは、その共有する目標に向って、自分が大切な役割を果たしているんだという満足感、充実感のことで、つまり「貢献感」ですね。 

つまり、人は他の人や世界との間で「一体感」、「連帯感」、「貢献感」を実感できる時、「しあわせ」と感じるのです。

その「しあわせの三要素」のうち、一番大切なのは、やはり「いのちの一体感」です。 

この「一体感」の自覚が「連帯感」や「貢献感」を生み出すのです。 

つまり、人は「いのちの一体感」を自覚する度合いが大きいほど、大きなしあわせ人生を送ることが出来るのです。

 

では、どうすれば「いのちの一体感」を自覚できるのでしょう。 

よく、「大敬先生の『ひとついのち』のお話しは納得できて、そうだその通りだと身心に喜びが満ちるのですが、残念ながら『ひとついのち』をなかなか実感出来ないでいます」とおっしゃる方がいます。  

それは当然のことで、人類の魂の進化の現状は、ようやく「個の確立」というステージを終えて、「いのちの共有化」のステージに踏み込んだというところで、今は丁度その二つの時代の端境期で混沌としているわけですから、まだまだ「いのちの一体性」の自覚なんて、そうそう簡単には得られません。 

お釈迦様だって、イエス様だって只今修行中で、まだまだ本当の一体性の自覚を得ておられないのです。 

というのは、現に私がアレコレ迷ったり、悩んだりしています。 

お釈迦様と私は「一体のいのち」なのですから、私の迷いは、実はお釈迦様の迷いでもあるのです。 

ですからお釈迦様が今もなお迷っておられるということで、まだまだお釈迦様も、本当に「いのちの一体性」の悟りを達成しておられないということなのです。 

私が本当に「いのちの一体性」の自覚を得た時、お釈迦様も同時に「いのちの一体性」の悟りを得られることになるのだし、その時、イヌ君もネコさんも、山も川も木々も同時にその悟りを獲得するのです。 

ですから、私たちの「いのちの一体性」の自覚が本物になるのは、まだまだ先のことで、あせることはないのです。


大敬がお話しする「いのちの一体性」の話を聞かれて喜ばれるだけでもすごいことで、それは皆さんが、実は現在の人類の進化の最先端を行っておられる方々なんだということの証拠なのです。

ですから、まず「いのちの一体性」について教えて下さる先生や経典(法華経など)からしっかり学び、アレコレの出来事が起こってもフラフラしない自分になりましょう。

さらに、坐禅をしたり、お経を称えるなどというという行をされると、その行のあいだだけでも、「個」の囲いが薄くなったり、ほどけたりして、身心がずいぶん楽になるという経験をします。

「いのちが楽で、うれしい方が本物なんだ」と納得でき、少しずつ「個の囲い」がほどけた人生を送れるようになります。

そうすると、「同時性現象」や、「スムージング効果」や「フロー状態」などの奇跡(本当は当たり前のことなんですが)のようなものを次第に体験するようになり、さらに「いのちの一体性」が真理だと確信できるようになるのです。


さらに、困っている人やイキモノに救いの手を差し伸べ、足を運ぶという「ふせ布施行」によっても、「個の囲い」を突き破ることができます。 

「布施行」が「いのちの一体性」を培うというのは、人やモノに手を差し伸べ、足を運んだ時に体験する喜びと、大きな開放感と、光いっぱいの感じで確認できるのです。  

以上の三つの行で「いのちの一体性」の自覚を養い、「しあわせ人生への扉」が開けます。 

つまり、「もんぽう聞法行(ひとついのちの教えを聞く)」と「坐禅・どきょう読経行」と「布施行」です。 

無理がない範囲で、少しずつ実践していきましょうね。(完) 



2022年7月27日水曜日

2770「変わろうとしている地球」2022.7.27

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年07月22日「変わろうとしている地球」と2022年07月24日「心が変わらなければ」の2つ記事を紹介します。


「変わろうとしている地球」


日本以外の多くの国々は自然環境が激しい故に

正か偽か?

そのような白黒はっきりさせる二元論を基に自然と闘い、周りの国々と戦い、生きてきました。

それに対し豊かな自然に恵まれた日本では

・思いやりの心

・人を信じる心に溢れ

相手を信じ、相手の中の神々を敬い、和の精神で生きてきました。


それが私たち日本人の縄文からの生き方です。

日本以外の大多数の国々では、このような厳しい環境の中

人々は自然や、敵対する民族との戦いに明け暮れ

憎しみの心、疑心暗鬼の心を育ててきました。

そこから生まれたのが、階級闘争などを

人間の行動原理とする共産主義的な考え方です。

憎しみが心の基本になっています。

この憎しみ、疑心暗鬼を基に構築された人間や社会は

・自分が生きるために

・自分がより安楽な暮らしができるように

過去世界中で、何億人もの人が殺されてきました。

・人を騙したり

・殺してでも自分の利益を追求する

それが正しいことと思って生きています。

それは今でも続いています。

そしてまさに最終的な局面を迎えようとしています。

・憎しみの心が勝つのか

・人々を優しく包み込む「和の精神」が勝つのか

世界は今、悪魔が喜ぶ

・憎しみの心、

・疑心暗鬼の心

・怒りの心

で包み込まれようとしています。

でも、魂の視点に立って、よく考えてみれば

私達が、今この時期の地球を選択して生まれて来たということは

このような状況に、生きている間に直面することを覚悟して生まれて来ています。

私達が生まれてから死ぬまでに辿る道筋や出来事、

これらは全て私たち自身が計画してから生まれて来ているからです。

よくよく考えてみてください。

全てを知って生まれて来た私たちは

このまま地球が、憎しみの炎で焼かれ

地獄に落ちてしまうことを許して良いのでしょうか?

自分では何もせず、ただ傍観していても良いのでしょうか?

「ただ、ぼうっと、見ているだけ」という選択をして生まれて来たのでしょうか?

何も力を持たない、平凡な私たちに今すべきことはないでしょうか?

特別なことをしようと言うことではありません。

全ての生活を犠牲にしてまで、平和のために身を挺して・・とは言いません。

ただ私たちの心を正すこと、清める事

悪魔の常とう手段「憎しみの種」を心に植えない事。

どんなに自分が正しかろう、正義の側に立っていようが、

自分が悪とみなす対象に対して、何時までも憎しみの心を持ち続けることは 

悪魔的な存在が取る常套手段です。

私たち日本人が過去過ごしてきた1万5千年にも及ぶ縄文時代には

・争いが無かったそうです。

・武器も全く出土していないそうです。

それは私たちの祖先たちが、

・憎しみの心を何時までも心の中に貯めておかなかったからです。

・相手の心の中に神様を見出し、相手の人格を尊重したからです。

・和の精神こそ、平和の礎(いしづえ)と知っていたからです。

今、地球が本当に別れ道に差し掛かっています。

全てはお金やモノの問題ではなく、私たちの心の持ち方にかかっています。

・私たちの心を浄化し、正し

・相手を敬い

・お蔭様、お互い様の精神で

助け合って生きていきたいものです。

心の中にたとえ相手が悪に見えても、「憎しみの心」を抱き続けないことです。

今、地球は変わろうとしています。

変わる地球とともに未来に進めるかどうかは、私たちの心ひとつにかかっています。

 



「心が変わらなければ」


今日のテーマ「心が変わらなければ」です。 

人は、自分で経験してみないと他人の苦しみや悲しみなどを、

本当の意味で理解できないかもしれません。 

苦労や悲しみ、闇を知った瞳でなければ、光を知ることはできないからです。 

自分で経験した

・悲しみ

・苦しみ

・孤独

・不安

は、たとえその最中は、苦しくて、切なくて、息をするのも絶え絶えになるほどで、 

どれだけ布団をかぶって声を押し殺し、涙を流したか、分からないほどかもしれません。

ですが、その経験こそが、神さまの恵みかもしれません。 

しかし、そのような深い意味の分からない私たちは、このような状態の時、とかく安直に

・神頼み

・医者頼み

・薬頼み

・他人頼み

・霊能者頼み 

に陥りがちです。 

手っ取り早く、早く楽になりたいから、自分では何もせず、自分以外の何かに頼り、依存し、丸投げしがちです。 

ですが、このような苦難は、

神様が、私たちの魂を輝かせようと、他人の痛みのわかる人間になって欲しいと、 

私達の生まれる前の、私たち自身の計画通りに、起こしてくださった出来事です。

安直に、そこから逃げ出したとしても 、また別の時、形を変え、役者を変えて、

同じ現象が起こります。 

私たちが気づくまで 何度も何度も

例え、神様や霊的な能力のある人、神社でのご祈祷、お祓いなどで、 

一時改善されたかに見えても、 

私たちの心が変わらず、以前のままで他人依存、執着、憎しみの心のままでは、

そこから発せられる波長に引き寄せられて、また同じ現象が現れることでしょう。 

自らの心が変わらない限り、周りの現象は、根本から解決することはありません。

「天、自ら助くる者を助く」という言葉があります。

自分自身で、自分の心を見つめなおし、

一歩一歩、もともとの清浄な心に近づけていくことが、幸福への王道だと思います。 

心がもともとの清浄な状態に戻るまでは、神さまは、沢山の環境を与えてくださいます。

・病気

・貧困

・別れ

・死

・裏切り

・いじめ

これらを通じ、ボロボロになりながらも魂は磨かれ、鍛えられ 

ついには、このような環境の中でさえ「感謝の心」が芽生えることができた時、

この出来事は役割を終えます。 

このような環境の中に置かれた時、

安直に、

・誰かに依存するのではなく、

・丸投げするのではなく、 

じっくり、その感情を自ら味わった後、 

神さまは「何故、その環境を今、与えてくださったのか?」

深く考え、感謝の心に変化させたいものです。

感謝の心が芽生えた時、 

その環境を引き寄せた、心の灰汁(あく)が消滅し、

神さまからいただいた、もともとの清浄な魂が顔を出してくれることでしょう。


2022年7月26日火曜日

2769「良き人、悪しき人」2022.7.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年07月21日の記事を紹介します。


「良き人、悪しき人」


今日は、野口嘉則さんのお話をご紹介します。 

性善説、性悪説のお話です。 

私たちが、どちらに意識を向けるかで、人間関係が劇的に変化することがあります。

<転載開始> 転載元


中学生の女の子の話です。(仮にあきちゃんという名にします)

あきちゃんが小さいころにお母さんが亡くなり、

まもなくお父さんが再婚して、新しいお母さんがやってきました。

そして、その新しいお母さんは、あきちゃんにイジワルをしてくるようになったのです。

そのお母さんは、あきちゃんが話しかけても聞こえないふりをしたり、

あきちゃんのおやつを横取りして食べたり、

あきちゃんに向かって「あなたなんか可愛くない」と言ってきたり・・・

そんな生活が続き、あきちゃんは中学生になりました。

あいかわらず、お母さんからのイジワルは続いたそうです。

そしてあきちゃんには、悩みが一つありました。

それは、中学生になってもおねしょが治らないことです。

ある日、あきちゃんの友だちが家に遊びに来ました。

すると、友だちに向かってお母さんが、こう言ったのです。 

「あきちゃんったら、中学生にもなって、おねしょをするんですよ。」

あきちゃんは顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしました。

あきちゃんは心の中で叫びました。 

「あの継母(ままはは)のせいで、私の人生はメチャクチャだ。

本当のお母さん、どうして死んでしまったの?」

ところが、その後あきちゃんは、本を読み、考え方が変わり始めました。

自分のことを“被害者”だと思い込んでいることに気づいたのです。

「私はいつも、『あの継母のせいで、自分の人生はメチャクチャだ』と心の中でつぶやくばかりで、継母との関係をよくするための行動を何もしていなかった!」

そう思ったのです。

読んだ本の中に、次のような言葉が書いてあったそうです。

「よい人間関係を築くには、感謝の言葉を伝えよう。

相手からの見返りをいっさい期待せず、ひたすら感謝を行動で表そう」

そこで、継母に感謝できることを探したら、たくさん出てきたそうです。

・毎日、ご飯を作ってくれている

・おねしょした布団を干していてくれる

・病気になったときは病院に付き添って行ってくれた 

などなど

「私は、継母のイジワルなところばかりに固執していたけど、

私がここまで育ってこれたのは、継母のおかげだ。

私は、継母が家に来たころから、

亡くなった母親と比べて、継母の悪い点ばかり数えていた。

私こそ、最初から継母を『お母さん』として認めていなかった。

よし、まずは感謝の気持ちを表そう!」

あきちゃんは、そう決意しました。

仕事の関係でお父さんの帰りが遅いので、

夕食はいつも、お母さんと二人きりで食べていました。

その日の夕食を終えると、

「お母さん、おいしいご飯をありがとう。いつもありがとう。」と言って、母親の背に回りました。

肩こり症のお母さんの肩をもんであげようとしたのです。

するとお母さんが、「何するの、気持ち悪い。あなたに触られたら、よけい肩がこるよ。」と言って、あきちゃんの手を振り払ったのです。

あきちゃんは、次の日も夕食後に、「お母さん、ありがとう。」と言って肩をももうとしました。

すると今度は、お母さんの肘でっぽうが飛んできました。

あきちゃんは、3日目も夕食後に「いつもありがとう」と言って、お母さんの背に回りました。

「何の魂胆があるの?気持ち悪いからやめなさい」と、やはり肘でっぽうが飛んでました。

あきちゃんは4日目も、5日目も、6日目も続けました。

毎回、肘でっぽうで拒否されました。

「相手からの見返りを期待せず、

ひたすら感謝を行動で表そう」という言葉が、あきちゃんの支えでした。

そして7日目。いつものように夕食後、

「お母さん、いつもありがとう」と言ってお母さんの背に回ったら、

その日はお母さんがじっとしていました。

そこで心を込めて肩をもんでいたら、

しばらくして、お母さんの肩が小きざみに震え始めたのです。

どうしたんだろう?と思って、お母さんの顔をのぞきこんでみたら、

お母さんの目から大粒の涙がポタポタと落ち始めました。

まもなくお母さんは「ウワーッ」と泣きながらあきちゃんに向かって、こう言ったのです。

「ごめんなさい!お母さんが悪かった!ほんとにごめんなさい!」

お母さんは、しばらく泣き続けた後、

あきちゃんのことをギュッと抱きしめてくれたそうです。

その日から、お母さんはイジワルをしなくなりました。 

優しいお母さんに変わったのです。

そしてその日から、あきちゃんがおねしょをすることもなくなりました。

以上です。

 


イジワルに見えるお母さんの奥には、愛に満ちた優しいお母さんがいたのですね。

このあきちゃんさんのように、肘でっぽうを喰らっても感謝の行動を取り続けるためには、「人間は本来、愛に満ちた素晴らしい存在だ!」という“ものの見方”が必要です。

いわゆる“性善説”ですね。

「今はイジワルをするお母さんでも、

お母さんの本質は、愛に満ちているんだ!」という信念を持って接し続ければ、 

いずれはお母さんの“愛”を引き出すことができるのですね。

逆に、「このお母さんは、心底イジワルだ。どうしようもない。」

という信念をもって接すればどうでしょうか?

私たちが相手に対して、どんな“ものの見方”をするかということは、

相手との関係に大きな影響を与えるのです。

相手の中の「愛」や「優しさ」や「本質」を信じ続けることができたら、

つまり、“性善説”で相手を見ることをし続けたら、

相手の愛や優しさを引き出すことができるのです。

さて、このあきちゃんさんの話には、もう一つ大事なポイントがあると思います。

それは、「相手からの見返りを期待せずに、感謝を行動で表す」ということです。

もしあきちゃんさんが、お母さんからの見返りを期待していたら、

肘でっぽうをしてくるお母さんを受け入れることはできなかったと思います。

相手からの見返りを目的にするのではなく、

・相手を喜ばせること

・相手に感謝の気持ちを伝えること

を目的にしてこそ、行動し続けることができ、

ついには、相手の愛を引き出すことができるのです。

ここで大切なのは、善悪の判断をしないことです。

「私は、『感謝の言葉を伝える』という“善いこと”をしているのに、

相手は肘でっぽうを返してくるなんて! 

どう考えても相手が悪い!」などと、善悪の判断をし始めると、

常に相手を裁くようになってしまいます。

 「善いか悪いか」「正しいか間違っているか」の二元論で物事を考え始めると、

自分が正しくて相手が間違っているように思えてきます。 

そして、人の判断基準はそれぞれに違いますから、皆が「自分が正しい」と信じるようになり、「正しさ」と「正しさ」の戦いが始まるのです。

ですから、善悪二元論という“ものの見方”をしていることに、

まず気づく必要があります。

エデンの楽園に住んでいたアダムとイブが、

なぜ楽園にいることができなくなったか、ご存知でしょう。

蛇にそそのかされ「善悪の知識の木」の実を食べてしまったからですね。

以前、「鏡の法則」を読んだ友人から、次のような質問をされたことがあります。

「人生が、自分の心を映し出した鏡だというのはわかる。

だけど、すごく心が清く正しいのに、ツキのない人生を歩んでいる人がいるのはなぜ?

清く正しい心の持ち主なら、もっと豊かな素晴らしい人生を送ってもいいと思うんだけど。」

清く正しい心の持ち主にもいろいろなタイプがあるとは思いますが、 

「自分が清く正しいがゆえに、人の悪が許せない」というタイプの人がいますね。

正義感が強すぎて、悪を憎み、悪に対して怒っている人です。

心の底で人を裁いていると、自分が裁かれるような人生になってしまうんですね。

私たちは、「善悪の知識の木」の実を、一度吐き出す必要がありそうです。

・善いか悪いか

・白か黒か

という二元論ではなく、多様性を受け入れるだけの“ファジーさ(曖昧さ)”が大切です。


さて、もう一つあきちゃんさんに関連して、おねしょの話です。

おねしょの原因もいろいろあるとは思いますが、

悲しみを我慢していることが、おねしょの原因になることがあります。

本来、悲しい時は、思いっきり泣くのが一番です。

涙がかれるまで泣くと、少し楽になることが多いはずです。

しかし、あきちゃんさんのように中学生になると、泣くのを我慢するようになります。

あるいはあきちゃんさんは、小さいころから泣くのを我慢していたのかもしれません。

すると、涙で悲しみを洗い流す代わりに、おねしょとなって流れ出ることがあるのです。

つまり、おねしょによって悲しみを流そうとしているのですね。

ですから、子どもが心の底から安心できたり、子どもの悲しみが癒されたりしたことで、

その子のおねしょが治ったという例は、枚挙にいとまがありません。

<転載終了>

 

家族の間で、憎しみ合うことは、非常に多いそうです。

親子や家族の間なら、甘えが許されると勘違いし、

相手に対し、自分の未熟な幼児性を振りかざすからです。 

ですが、家族というのは、神様が私たちの魂を輝かせるために準備してくださった

一番身近で、最小の単位です。 

家族を通じ、魂を磨き、輝かすことができます。

近すぎる関係ゆえに、時には憎しみ合うこともあるかもしれません。 

ですが、憎しみの心が、私たちの中にある限り自分を含め、誰も幸せにできません。

・憎しみ合うのはやめましょう

・好きになりましょう

そう言っても無理かもしれません。

ですが、あきちゃんがやったように感謝の種を見つけることならできるかもしれません。

・毎日、ご飯を作ってくれている

・おねしょした布団を干していてくれる

・病気になったときは病院に付き添って行ってくれた

私たちは、「感謝の心」さえ、芽生えれば、幸せになれます。 

神さまの恩寵が、これでもかと降り注がれます。 

幸せになるには、今置かれた環境の中で、小さな小さな「感謝の種」を見つけることが

スタートとなるかもしれません。

 


2022年7月25日月曜日

2768「死後直後の問い」2022.7.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年07月20日の記事を紹介します。


「死後直後の問い」

今日のテーマは、私たちが亡くなった直後の問いについてです。 

私たちはこの世界を楽しむために生まれて来たのだそうです。

決して、苦しむためでも、悲しむためでもありません。 

・貧困

・リストラ

・離婚

・事故、病気

・別れ、死別

それらは単に生まれる前に自分で決めてきた、この世の舞台装置でしかありません。 

その舞台の中で、いかに楽しい人生を送れるか? 

今私たちは、そのような中、地上で生活しています。

今日は以前書いた記事ですが、

山幸彦(ニニギノミコトの子 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))

の魂を持つ、6歳のトキ君の情報と

ピッタリと一致しているため、加筆修正して掲載します。

この記事は、産婦人科医の池川明先生のお話からなのですが、 

全く出所が違うのに神さまの意識を持つ6才の男の子から、

全く同じ情報がもたらされるとは 

驚きと言うか、真実であると判断するしかありません。

このお話の中で、天国のレベル6と7の間には、大きな隔たりがあるということですが、

6までは、あまり空間的、次元的な移動の自由がない

束縛されたコミュニティに属している 

7以降は、空間的にも次元的にも移動の自由があり

ほとんど束縛が無い状態・・ と言うことだと思います。 

まずは、池川先生のお話です。

<引用開始> 引用元 


臨死体験をされた方々の複数の体験によると、

死後に閻魔様(えんまさま)から聞かれるのは、次の2つのことだけなのだそうです。

・陰徳(いんとく)を積んだか?(人知れず、他人のために役に立ったか?)

・自分の人生を楽しんだか?

池川先生によると、この2つの質問の真意について、

「自分の人生を楽しんだか?」という質問については、

「身勝手に、自分ひとりで快楽を得たか」というものではなく、

「人に感謝され、認められて、自己肯定出来て楽しかったか?」

ということではないかと。

そして、「陰徳を積んだか?」という質問においても、

「自分が一生懸命生きていることで、結果的に知らぬ間に人が助かったか?」

ということではないか、と語られています。

この陰徳を積む、という行為の例として、こんなお話が紹介されていました。


(「ぼくが生まれてきたわけ」より 一部抜粋)

ある小学生が、学校から帰るとき、

荷物をたくさんもった同級生とぶつかって、その荷物を落とさせてしまった、と。

その同級生は、同じクラスの子だけれど、ほとんど話したことがない子で、

その小学生は荷物を一緒に拾いながら、「君、どうしたの?」と声をかけた、と。

すると、「家にかえるところだ」と言うので、

ふと、「じゃあ、うちで遊んでいかない?」と誘ったそうなのです。

で、その同級生は家へ来て、テレビゲームをやって帰っていった。

それで、ずっと後になって、荷物を持っていたその子が、誘った子に、

「君はぼくの命を救ってくれたんだ」と言ったそうなのです。

何でかと言うと、あのとき、荷物をたくさん持っていたのは、

自殺しようと思っていたからだ、と。

自分が自殺して、学校の机に自分の荷物が残っていたら、

次に座る子が迷惑すると思って、それで全部片付けて、

荷物を全部持って帰っているときに、君とぶつかったんだ、と。

君とは話したことがなかったけれど、

君が声をかけてくれて、君とテレビゲームをしたら、楽しかった。

それで死ぬのを踏みとどまったんだ。

この場合、お礼を言われたほうは、助けたっていう意識はないんですよね。

ただ、ぶつかったから荷物を拾ってあげて、ふとゲームに誘った。

おそらく、こういうのが陰徳なんだと思う、と本の中では語られていました。

良かれと思って自分がした行為が、必ずしもその人のためになっているとは限りません。

そのようなことは、世の中によくありますよね。

ここがなかなか難しいところです。

相手を尊重して、よくよく自問自答してから、

手を差し伸べるべきかを決めることが重要です。

つまり、人の役に立たなきゃ!と思って、誰かを助けてあげることを目的にするのではなく、結局は、自分が一生懸命に生きる!  

お天道様に恥じない生き方をする!

ということに尽きるのはないか、と池川先生はおっしゃっていました。


<引用終了>

私たちが、この肉体を脱いで、天に帰る時にされる質問は、たった2つ

・陰徳を積んだか?

・自分の人生を楽しんだか?

なのだそうです。

山幸彦の魂を持つトキ君が言うには 

閻魔様に質問されるのは2つ

・あなたは人に優しくしましたか?

 (=陰徳を積んだか? と同じ)

・いっぱいあそびましたか?

 (=自分の人生を楽しんだか? と同じ) 

驚くことに、池川先生と全く同じです。

そうであれば、今の今

生きている間から、そのことを意識して生きていれば、

閻魔さまにも、褒めてもらえるかもしれません。

閻魔さまは、よく怖い鬼のように描かれていますが、

実際は光そのものの神様だそうです。

また池上先生は、多くの生まれる前の記憶を持つ子供たちのお話から、

こうも仰っています。 

病気や障害を持った多くの子どもたちから集めたお話から解釈するに、 

たぶん、「自分がつらい思いをして、それを乗りこえたときに、

魂はそれを“楽しい”と喜ぶ。 

そしてつらい思いをしたからこそ、

同じようにつらい思いをしている人の役に立つことができる」からだろう、と思います。


 

つまり、ずっと幸せかつ平穏に過ごしているだけの人は、他人の心に寄りそえないし、

魂も、実は「それで楽しい」とは思わないようなのです。

つらさのただ中にある人は、実は、

同じようなつらさを経験したことのある人の助言しか、真剣には聞かないものです。

なので、そのためにもつらい経験をする必要がある、

苦労する必要があるのかな、とも思います。

実は、子どもたちに聞いた、空の上で暮らす魂の日常は、

すごく穏やかで、平和で、幸せなのだそうです。

着るものにも、食べるものにも困らない世界で、食べようと思えば、いくらでも食べられて、ダイエットの必要もない、すごく良いところなのだそうです。

ですので、この世に生まれてくる魂たちは、

“非日常”を求めて…まさにアミューズメントパークに来るような感覚で、

この世に生まれてくるようなのです。

楽園から楽園に移動しても“非日常”は感じられないので…

それでこの世は、制限が多く、つらいことも多い世界なのでしょう。

そういった意味では、この制約の星、地球での、病気や障害など辛く、悲しい経験も、

・陰徳を積んだか?

・自分の人生を楽しんだか?

上記を達成するために、とても重要な環境なのかもしれません。

 

またもぅ一つ、トキ君の情報として重要なことがあります。 

私たちが、「人のために・・」と我慢をして自分のワクワクを殺し 

自己犠牲ばかりしていることを神さまは「善し」としない・・と言うことです。

私たちは「人のために」、「良かれ」と我慢して自己犠牲を行い、 

そんな自分を自己賛美をしがちですが、

自己犠牲の精神は、地獄行の要素でもあるのだそうです。 

私たちが生まれる時地上で何をするか?何を楽しんでくるか?

神さまと約束してきます。

神さまも「楽しんでおいで」と送り出してくれました。 

そうであるのに・・・

自分の楽しみを我慢し、押し殺し、やりたいこともせずに地上の人生を終わることを、 

神さまは決して 正しいこと とか、良いこととは見てくれないということです。

全く逆の評価を下されます。

私たちは周りの人たちと仲良く助け合い、

そして楽しむためにこの地上に降りてきたからです。 

私たちが、ニコニコして生きていることが神さまは一番嬉しいからです。

皆さんの心が、どんな時でも、感謝の気持ちで満たされ、 

神々の恩寵を受け取れますように。



2022年7月24日日曜日

2767「謙虚な心、闇の心」2022.7.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年07月16日「無明の霧」と2022年07月19日「謙虚な心、闇の心」の2つの記事を紹介します。


無明の霧」

まだ無明の中(自分の中の神様と繋がらない)に生きていると、

何処かの誰かのために、「させていただく」ということを 

何だか損をした、と考える人もいるかもしれませんが、 

物質的なことしか見ていなければ 

・お金を出すだけで損をした

・自分のためではないのに労力かけて、時間をかけて損をした

そう思うかもしれませんが

ですが、

・時が至り

・機が熟し

無明の霧が晴れた世界に足を踏み入れた人にとって

全ての生命体は、繋がって一つであり

他人のためにしたことは

自分のためにしたこと

一見、他人にために

損をしたように見えることであっても

時と場所を変え、

必ず自分に帰ってくること

それも何倍にもなって帰ってくること

それは、 

・良いことも

・悪いことも(いじわる、悪口、不平不満、裏切り) 

同じように 自分に帰ってくること

神々が全て見ていらっしゃること

その神々は、私たちの内にいらっしゃること


人知れず

良きことをすれば、 

神々が喜び

内なる自分自身も喜ぶこと 

心が喜びと平安に包まれること

その幸せは、自分だけでなく

家族や、子供たち、子孫 

そして既に亡くなった祖先にまで影響すること 

宇宙にこだますること

  

無明の霧の中から抜け出すことができた人にとって

このことは当たり前のことであり、

その法則の中で生きています。 

全ての生命体は、繋がっており

本当は一つであること 

これは、ブッダの時代から言われています。 

仏教が日本に入ってきた時から

高僧たちや、親鸞や空海などを通じ

述べられてきた真実です。

  

いま、世界は「精神性の復活」の時代を迎え 

神仕組みにより、

私たちのエネルギーは再び、内側

つまり自分自身の心に向けられる時代になってきました。

多くの方々の無明が取り払われようとしています。 

「させていただく」精神は 

身近に、そして簡単に

私たちの心を、神々に近づけてくれます。 

損をするどころか 

何倍もの幸福を連れて

私たちのところに戻ってきます。

  

皆様が、ご自分の心の内にいらっしゃる神さまに気づかれて 

お幸せになれますように

 


「謙虚な心、闇の心」


今日は仏陀(釈尊)の弟子のなかで、一番頭が悪く、愚かだといわれていた、

周利槃特(しゅりはんどく、チューダ・パンタカ)という人のお話をします。

私たちは、日々の生活の中で 

・何かと自慢し、マウンティングを取ろうとしたり

・陰で人の悪口を言い、相対的に自分は優れた者と認められたいと思ったり

・他人の話にすぐ口をはさみ、「自分は、自分は」と認められたがったり

・凄い人と知り合いだと自慢したり

・人の幸せを喜ばず、陰で足を引っ張ろうとしたり

無意識のうち、強い自我に心に闇を広げる者もいます。 

私たちだれもが、心のクセや条件反射で

同じような悪魔の意識に支配される時もあります。 

生きている間は肉体に付随する感情や生存本能があるため

どんな聖人君子であっても、それは免れないことかもしれません。 

ですが、ふと、そのことに気づいた時、

直ぐに方向転換をしないと、ビッシリと罪穢れに覆われてしまいます。 

それでは、一番愚かな弟子だったチューダ・パンタカのお話です。

<引用開始> 引用元


仏陀(釈尊)の弟子のなかで、一番頭が悪く、愚かだといわれていたのが、

この周利槃特(しゅりはんどく、チューダ・パンタカ)という人です。

どのくらい愚かだったかというと、

ときどき自分の名前すら忘れてしまうほど、頭が悪かったそうです。

周りの弟子達からバカにされていた周利槃特は、あまりの自分の

愚かさを嘆いて、仏弟子をやめようと思って仏陀のもとを訪れます。

「仏陀よ、私はあまりに愚かなので、もうここにはいられません・・・」

その時、仏陀が彼にこう言います・・・

「自分を愚かだと知っている者は愚かではない、

自分を賢いと思い上がっている者が、本当の愚か者である」

すっかり弟子をやめようと思っていた槃特は一瞬キョトンとします。

そして、仏陀はこう続けます・・・

「おまえの一番大好きなことはなんだね?」

槃特は、「はい、私はそうじが好きです」とこたえました。

「そうか、おまえは多くのことを憶えられないようだから、

その大好きなそうじをしながら、このように唱えるがよい」

「塵を払い、垢を除かん」(ちりをはらい、あかをのぞかん)

「はい、それなら、私にもできそうです!」

「そうか、ではがんばるのだよ・・・」

仏陀にそういわれて、嬉しくなった槃特は、たまに忘れそうになりながらも、

「塵を払わん、垢を除かん」(ちりをはらわん、あかをのぞかん)

と唱えながら、箒をもってそうじをしていきます。

一年、二年、五年、十年、二十年と、ひたすらにやっていきます・・・

その姿勢に、始めはバカにしていた他の弟子達も、

次第に彼に一目を置くようになります。

やがては、仏陀からいわれたことを、ただ黙々と、直向きに、

淡々とやり続けるその姿に、槃特を心から尊敬するようになりました。

そして、ついに槃特は、

仏教でいうところの「阿羅漢(アラカン)」の境地に到達します。

「阿羅漢」とは、反省修行をおこなって、心の汚れや曇りを落とし、

第一段階の悟りを得ることです。

ある日、釈尊は、大衆を前にしてこう言いました。

「悟りを開くということは、なにもたくさん覚えることでは決してない。

たとえわずかなことでも、徹底して行うことが大切なのだ。」

「見よ。周利槃特は箒で掃除することに徹底して、

ついに悟りを開いたではないか!・・・」

<引用終了>


イエスもこう仰いました。

あなたがたの中で、人よりも偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。

あなたがたの中で、人の先に立ちたいと思う者は、皆の僕(しもべ)になりなさい。

   

私が、私がと、何が何でも人に注目され、尊敬を得たいと思うよりも、

・謙虚な人、

・進んで人々のために奉仕しようとする者

・決して目立って表に立とうとはせず、人知れず縁の下の力持ちに徹しようとする者

神様は全部見ていらっしゃいますから、

そんな人を愛するのではないでしょうか?

そんな人に、まず幸せになって欲しいと思うのではないでしょうか?

もう心の時代、物ではなく、一人一人の心が大切にされる時代に入っています。 

悪しき心は誰にでもあります。

ですが、それに気づいた時、心から反省し、改めようとするのか? 

それとも、楽な道、つまり、今まで通り見て見ぬふりをして、やり過ごすのか? 

道は分かれ、行きつく先は全く異なる場所となります。

   

私たちの心こそが、生きる世界を構築し、

その世界を天国にも、地獄にさえも変えてしまいます。

 



2022年7月23日土曜日

2766「青空ひろば」2022.7.23

今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。


711 2022.07.03 

総務部長であった時、中学3年の学年通信の巻頭言に「山よ、来い!」というタイトルの文章を書きました。以下がその文章です。 

                                                          

たしか夏目漱石の『行人』であったと思うのですが、マホメットの逸話が載っていました。 

マホメットは街の人たちに「山を招き寄せてみせる」と宣言します。 

町の広場にその光景を見ようと多くの人が集まってきます。 

マホメットは山に向かって立ち、「山よ来い」と手招きします。…山は動きません。 

二度、三度と「山よ来い」を繰り返したのですが、山はついに動きませんでした。 

マホメットはしばらく山に向かって呆然と立ちすくんでいましたが、やがてニコッとほほえんでいいました。 

「そうか、山は来ぬか。しからば我が行こう」 

そうして、あっけにとられている観衆を残して、スタスタ山に向かって歩いていったそうです。 

私の人生の師であった角倉志朗先生(故人、天皇陛下の侍従、東大法学部をトップで卒業されたそうです)は、この話を取り上げて言われました。 

「さて立花君、マホメットのこの山へ向かって歩き始めた第一歩こそイスラム教が世界宗教に成長するスタートの第一歩であったことが分かるかな。この時、マホメットは何を悟ったのか分かるかな」 

さて、皆さんはこの問いに答えられるでしょうか。 

『山』は、友達です、先生です。お父さん、お母さんです。学校です、社会です、世界です。 

『山』は自分の思うとおりに動いてくれません。自分のことを特別に気にかけ接近してきてくれません。悲しくなりますし、腹が立ちます。 

そんな時どうしますか。 

『山』にこっちを向かせようと、お祈りし、呪文を唱えますか。あるいは、『山』が悪い、『山』が憎いとワラ人形(山人形?)に釘をガンガン打ち付けますか。 

もし、マホメットがそんなレベルの人だったら、決してイスラム教は世界宗教にはならなかったでしょう。そんなレベルの人は、みんな「自分」の立場に固執し、そこから離れられない人なのです。 

『山』が動かなかったら、自分の方から行ってみたらどうでしょう。自分の方から「コンニチワ!」と出ていってみたらどうでしょう。 

「どうして、僕が先に言わなければならないんだ、『山』が先に動くべきだ」などとこだわる人は、さっき行ったように、「自分」の立場に固執し、そこから離れられない人なのです。 

『山』が近づいても、自分が近づいても、実は同じことじゃないでしょうか。大切なのは、お互いが親しくなる、仲良くなる、分かり合えるという事だけじゃないでしょうか。 

どんな状況でも、自分という立場をサッと忘れて、「コンニチワ!」と出ていける人はもう「自分」の立場に固執する事から自由です。そんな人はきっと、自・他を越え、損得を越え、国境を越えて自由に活躍できる世界人に成長することでしょう。 


710 2022.07.02

大乗仏教の悟りは、「ひとついのちの自覚」です。すべての人や動植物や山や川(「万類」と呼んでおきましょう)が、実はみんな「私」だったんだと悟るのです。 

そして、大乗仏教の学び(修行)とは、その「ひとついのちの悟り」を、地上に現実化してゆく過程のことです。

この世に一人でも、万類がひとつでも苦悩したり、正常でない状態になっていたら、「私」は、まだ本当の「ひとついのちの悟り」を得ていないのです。 

ですから、地上の万類がしあわせになるまで、私は何度でも地上世界に戻ってきて、私の車にすべての人や存在(万類)を収容して平和と融合の世界へと運びます、という誓いを立てるのです。

そんな誓いを立てた方が「大乗菩薩(ぼさつ)」です。万類を全員収容して運ぶのですから、「大きな乗物」でなければなりませんね。だから「大乗」なのです。 

以下は、宮沢賢治さんの言葉です。この文章に大乗仏教のエッセンスが詰まっています。 

○ 世界がぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。 

○ 新たな時代は、世界が「一の意識になり、生物となる」方向にある。 

(「農民芸術概論綱要」より) 


709 2022.07.01 

僕が僕で あることが 世界の根っこだ 

ブッダも イエスも その根っこから 

生え出した 花であり 実なのだ 


706 2022.06.28 ~708 2022.06.30

道元さんは「妙法蓮華経」をお経の王様とおっしゃって大切にされました。そして、なくなられる時も、法華経の一節(如来神力品)を称えながらなくなられました。

この「妙法蓮華経」のエッセンスは、このお経の経題に示されています。

私たちひとりひとりは、大宇宙に咲いた「イノチの花々」です。

一つとして同じ「イノチの花」はない、別々の個性を持った花々なのです。

そして、それぞれが代われるものがない、唯一絶対の美しさを持つ存在です。

これが「妙法」です。「妙」は美しいと言う意味、「法」は個々のイノチのことをいいます。

それらの花々は別々に見えますが、実は蓮華なのです。 

つまり、連なる花々なのです。 

「蓮」という漢字はクサカンムリ(植物をあらわす)と「連」から構成されていますね。 

つまり、これらの宇宙に咲いたイノチの花々は、連結した、ひとついのちとしてつながった花々なのです。

蓮の花が水面にたくさん咲いています。 

別々のところで咲いているので、別々のイノチのように見えます。しかし、実はそうではなくて、水面下には茎が伸びていて、それらの茎は、みんな水底のひとつの蓮根とつながっている「ひとついのち」なのです。 

そのように、大宇宙に咲き出した、それぞれの個性で美しく輝く花々も、実は「ひとついのち」の根っこから伸びて生まれ、今もなお、その根っこから養分をもらって咲きほっているわけです。 

このように、「妙法蓮華経」とは、「ひとついのち」から現れて、「ひとつのいのち」として生き、やがて成長、進化をとげて、「ひとついのち」に合流、融合してゆく、そんなイノチの真の姿を、ドラマで、たとえ話で示そうと試みているお経なのです。


705 2022.06.26

すべてのイノチは、より大きくなろう、より高く伸びようという根本衝動のベクトルを持っていて、その矢印の方向に進んでいます。 

その歩みの軌道は別々で違っているように見えますが、実はすべてのイノチの歩みは同一点に集まりつつあるのです。 

そして、時を経て、必ず「ひとついのち」に合流、融合する時が来ます。 

私たちはもともと「ひとついのち」だったのですが、進化への衝動の要求に従って、個々のイノチに分かれて現れてきたのです。 

個々のイノチが徐々に成長し、より大きくなって、ついに再び「ひとついのち」に帰ってゆくのです。出発点より一層進化した「ひとついのち」として…。 



2022年7月22日金曜日

2765「今生きているということ」2022.7.22

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年07月18日の記事を紹介します。


「今生きているということ」


今日は小児病棟の子供たちのお話です。 

私たちは肉体をもって生きている間は、日々起きる

・人との出会い別れ

・辛いこと、苦しいこと

・嬉しいこと、楽しいこと

何故、それが起きているのか分かりません。 

何故、私だけこんな苦しい運命なのか?

そのように、自分の運命を呪い社会を憎むかもしれません。 

ですが、どんな出来事も、環境も、全ては、私たちをよくするために起こっています。 

正確には魂を輝かせるために起こっています。

様々な出来事を経験し、私たちは少しづつ、学び、魂を覆う無明の闇を取り払い 

元々あった美しい魂の輝きを取り戻します。 

美しい心は、自分自身を平穏にさせ、幸せと感謝の心を感じさせてくれることでしょう。

心に輝きを取り戻した魂は自分だけでなく、取り巻く人々、 

更には、既に亡くなった人々さえ神さまの光で包み込むことができます。 

私たちが触れ合うことのできる生きとし生けるものの幸せは、 

私たちの心の浄化から始まります。

<引用開始> 引用元

  


7年前、小児科の末期がん患者の病棟に演奏をしに行った時のことです。

学校のある卒業生の方から

「病院にいる子供たちに、あなたたちの天使の歌声を聴かせてあげてもらえないか」

とお話があり、私も「ぜひ」と言って受けさせていただいたんです。

病院には全員ブレザーを着ていったのですが、黒っぽい服では威圧感があるからと、

その場で上着を脱がされて、全身に消毒液をかけられました。

寒い時期だったんですが、扉を開けると、物凄く暑くて、狭い部屋だったんです。

目の前には、本当にこの子がもうがんなんだろうか、と思うような赤ちゃんから、

放射線で髪の毛がぼさぼさになってしまっている子、

頬全体が陥没して顔が半分ない子だとか、

もうそれは、見ただけでも体に震えがくるようなひどい状態の子たちがたくさん……。

その子たちの前で、私たちは部屋の隅っこのほうにへばり付くように立ちました。

敷かれたホットカーペットの上には、お母さん方も座っていたり、

廊下にはドクターや看護師さんの姿も見えました。

私は壁の一番端に行って、指揮棒を振ったんですが、もう涙が止まらなくて、本当に……。

私の目の前で、お母さんが乳飲み子をギューッと抱えながら、

涙をポロポロ零すんですよね。

あぁ、自分の子はこんなに大きくまで育つことができないんだ、とか、

いろいろ思われたんじゃないかと思うんですが、看護師さんもドクターも皆泣いていらして、泣いていなかったのは、当のがんの子供たちだけで。

私も我慢しなくちゃ、と思うんですが、もう悲しくて悲しくて、

生徒たちも涙をポロポロ零しながら、でも必死に笑顔をつくって、一所懸命歌って。

そしたら歌が終わった後に、髪の毛のない子や顔の陥没した子たちが 

「お姉ちゃんたち、どうして泣いてるの」って言うんです。

看護師さんが 「あなたたちがあんまり一所懸命聴いてくれるから、

お姉ちゃんたち感動しちゃったのよ。楽しかった?」 と尋ねました。

するとその中の一人が

「凄く楽しかったぁ。大きくなったらお姉ちゃんと一緒に歌いたい」

って、もう私、本当に胸が張り裂けそうで…。

その時に、心から、あぁ歌は素晴らしいと思いましたし、いま生きていて、

自分のできることを一所懸命やることが、

どんなに大切なことかを凄く強く感じました。

その帰りの電車の中で、ある生徒が 「先生、あんなに皆を悲しませちゃって、

私たちが合唱をしに行ったことは本当によかったんだろうか?」 と言ったんです。

何しろあの場にいた大人たちがあまりにも涙を流していましたから。

その時に私は 「うん、よかったんだよ。 

たぶん、お母さんも、病院の先生も、看護師さんも、

皆悲しくて、もう泣きたくて、泣きたくてね。 

でも、いま一所懸命生きている子たちの前で泣けないでしょ?

それを、あなたたちの歌で感動したふりをしてね、

思いっきり泣くことができたからよかったのよ。

明日からまた笑顔で頑張っていけると思う」と言ったんです。

すると生徒が「そうか。じゃあ私たちの歌で少しは楽になったのかな?」

と言うから 「そうよ。そして歌を聴いていた子たちが『お姉ちゃんと一緒に歌いたい』と言った。

生きよう、って。 

いや、生きるということは分からないかもしれないし、

もしかしたら一か月後には命がない体かもしれないけれど、

少しでも希望を持って生きようとしたということは、素晴らしいことだから」

と話して、お互いに感動しながら学校に戻ったことがあるんです。

私は、生きているということは、自分一人がここに存在して、

ただ呼吸をしているのではなく、いろいろな人と出会って、

怒ったり、笑ったり、悲しんだり、苦しみを分かち合ったりして、 

相手の心や周りにいる人たちの心を、

ちゃんと感じられることではないかと思うんです。

私が慰問演奏に行った時に、「いまを大切に生きなければ」と強く思ったのは、

幼くして亡くなってしまう子たちもいるんだから頑張って生きよう、という思いではなくて、あの時、あの部屋の中で、それぞれの人の心がうごめいていたんですね。

無邪気に喜んでいる子供や、日頃泣けない家族の人たち……、

そういう、たくさんの思いが満ち溢れている中に入ったから、 

あぁ、ちゃんと生きていかなくちゃ、

神様から与えられたこの命を、大切にしなくちゃいけないと感じたのだと思うんです。

谷川俊太郎さんの詩に

「生きているということ

 いま生きているということ  

 泣けるということ 

 笑えるということ 

 怒れるということ」

という言葉がありますが、本当にそんな思いですね。

そうやって、いろいろな人の思いを感じられることで、

人間は生きている価値が生まれてくるものだと思います。 

<引用終了>

 

この子達にとって 

・病気だとか

・苦しいだとか

・もうすぐ亡くなるとか

そういったものは一切関係ないのですね。 

どんな状況であろうと、それに拘り、執着して苦しむことなく

ただ、今目の前のことを楽しみ、喜び 

精一杯生命の喜びを表現することが彼らにとっての生きている証なのですね。

例え肉体を持つ時間は短かろうと、神聖な生命の火を輝かせることの方が 

彼らにとって、価値のある事なのですね。 

天国から真っすぐ両親のもとにやって来て、

そしてこの地球で、生命の喜びを十分に表現し、味わって 

また真っすぐに神様のもとに帰って行くのですね。

そこには

・かわいそうとか

・悲しいとか 

そういった感情は一切なさそうです。

肉体としての命は一瞬ですが、私たちの魂は永遠です。 

この地球で色んな人に出会い、悲しみも喜びも苦しみも楽しみも 

沢山経験し、魂を輝かせるのですね。 

目に見えるものしか信じられない私たちにはわからなくとも

永遠の魂の視点から見たら、神さまの視点から見たら

・良いとか悪いとか

・正しいとか間違っているとか 

そんなジャッジは全く必要のないことかもしれません。 

全部が大切な経験として魂に刻み付けられるのですから。



2022年7月21日木曜日

2764「家族になった訳」2022.7.21

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年07月17日の記事を紹介します。


「家族になった訳」


世界で一番大切な人なのに・・・ 

家族って、どうしてこんなにも難しいものなのでしょうか?

本当のホンネでは、愛し、愛されているのに

誰よりも家族のことを深く、愛しているのに・・ 

憎しみ合う人たちも多い・・・

今日はそんなテーマです。

結婚するまでは、他人同志だった二人。

・生活感、

・価値観、

・金銭感覚、

・物事の受け取り方も

まるで違う者同士。

結婚し、家庭を作り、お互いに同じ方向を見つめ、協力し、助け合い、 

貧しい中でも工夫して、小さな幸せを見つけ、笑いながら幸せに暮らして行きたい。

子供が生まれれば、二人で協力し、慈しんで育てたい。

お互いに歳をとり、白髪になり、元居た世界に帰るまで・・

そう思っていたのに、実際は

家族だから苦しめ合っている そんな現実が、なんと多いことか。

家族だから、期待や要求をぶつけ、干渉し、支配しようとする。

家族だから、罵り、傷つけ、暴力を振るう。

家族だから、残酷さや支配欲、身勝手さをさらけ出す。

ブッダは2500年前に、家族が抱える悩みの中に、業という大きな理由を見つけました。

ブッダが生きていた時代にお弟子さんだった小林正観さんが 

家族について次のように仰っています。

 

<引用開始>


みなさんは、家族は長く一緒にいて、自分の主張をし合うことが仲よしの証拠、

だと思っているところがあります。でも、私はそのように、家族をとらえていません。

家族とは、他人に対して言わなくてすむ、わがままを、

目の前の家族という名の特別な存在に対しても言わないという 

訓練の場なのだと考えています。

あることを他人から言われたときに、その他人に対しては

腹を立てたり、怒ったり、怒鳴ったり、いら立ったりしない。

ところが、同じ言葉を夫や妻、子どもから言われたら、

ものすごく激昂(げきこう)して、

腹を立てて、怒って、怒鳴りまくってしまうという人はいませんか?

実は結構いるのですが、そういいう性質を幼児性といいます。

つまり、この人には甘えていい、という特別な感情を持っているわけです。

もしここで、踏みとどまることができるなら、

その人は忍耐力というのを持っているわけです

自分で自分の感情が、制御できているんですね。

それが、ある人との関係では制御できて、コントロールできるのに、 

別の人との関係ではコントロールできないというのは、

制御ができないのではなくて、制御をしないのです。

家族だから、妻だから、夫だからという理由で制御しないのは、甘えているという意味で

それを幼児性といいます。

結婚というのは、幼児性の克服のための訓練の場なのです。

そこのところに気がつかない限り、

多分穏やかな家庭生活というのを得ることはできません。

家族というのは、わがままを言い合うために存在するのではなく、 

わがままを言えるような人間関係が目の前にあって、 

それでもなおかつ、そのわがままを言わないために存在するのです。

言わないということは大人になるということです。

この話をしたらある人がこう言いました。

「それではストレスをどこで発散するんだ」と。

もう一度いいます。

家庭というのはストレスを発散する場ではありません。

幼児性でわがままを振りまきたくなる状況設定をされているのが家庭。

そこで自分がいかに幼児性を振りまかないで、それを克服していくかということ。

これは業(ごう)というものですけれど、その業の克服のために、 

家庭というものが存在するのです。

家庭というところは、人間が成長する場所なのですね。

幼児性というものを克服するために家庭が存在するということがわかってくると、

子どもとの関係、親と子の関係というものも見えてきます。

実は親が子どもを育てているのではなくて、 子どもが親を育てにきている

ということに気がつきます。

結婚した時に、自分だけのわがままで生きてきた人生から、相手が一人増えるわけです。

妻や夫という名の家族が。

そして、子どもができたときにはもう一人別な存在が、できてきます。

妻や夫や子どもが自分の思いどおりにならなかったりすると、 感情をかき乱されます。

そのときに、どんなことがあってもいら立たないということの訓練の場として、

実は家庭というものが存在する。

ですから、家庭はわがままを言うところではないし、ストレスを発散する場ではないのです。

<引用終了>

 

日常の生活の中で幼児性を目にする機会は良くあります。

・上司が部下に怒鳴る

・妻に暴言を吐き、暴力を振るう

・年配者が若者に暴言を吐く

・飲食店や小売店で、「お金を払っているから私はお客だ」と威張ったり、

 怒鳴ったり、いら立ったりする

相手がいなくとも、こんな「幼児性」もあります。

・いつも自分だけが我慢している(すれば良い)と思っている、言っている

・ちょっとしたことに不平不満を感じ、ため息をつく、愚痴を言う

・いじける

そういう人には、すべて幼児性があります。

どんなに偉そうなことを言おうと、我慢ができなくて、

わがままで自分さえよければいいという、 甘えが抜けない。

それはまるで幼児と一緒です。

幼児性のある人は、わがままを振りまきたくなる状況設定をされている場、 

つまり家庭では、自己をコントロールすることが難しくなります。

幼児性があるから、ものすごく激昂(げきこう)し、腹を立てて怒ったり、

怒鳴りまくってしまいます。

でも、正観さんが仰るように、その家庭の中でこそ、 

その幼児性に気付き、そして穏やかな気持ちでいられるよう、

自分自身で、コントロールできるようになりたいものです。

家庭だからこそ、その自分の幼児性がデフォルメされて表現されています。

それに早く気付けるように・・

自分の中の、幼児性に気付けるように・・・

そしてお互いに同じ方向を見つめ、協力し助け合い、 

貧しい中でも工夫して、小さな幸せを見つけ、笑いながら

みんな、仲良く幸せに暮らして行きたいですね。

それが、家族と言う単位を作った、神さまの優しい、計らい、目的なのですから。

 





2022年7月20日水曜日

2763「感謝と自我」2022.7.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年07月15日の記事を紹介します。


「感謝と自我」


感謝の言葉、「ありがとう」 

この言葉を絶えず使うことで、 

・ご自分に沢山の幸運が訪れ

・物事がスムーズに運び

・悪意あるものから守られる 

のだそうです。 

この言葉の持つ霊的な波動は英語の「サンキュー」などと異なり

独自の高い波動を持ち、日本特有のものなのだそうです。 

では、今日は、幸せになる方法を書いてみたいと思います。

ブッダの教えの真髄は、 感謝の心 

小林正観さんは、そう悟り、それを講演会で語ったのだそうです。 →参考元 

それは、私たち日本人の心に根付いている日本神道でも同じです。  感謝の心です。

ブッダの教えの根本は感謝すること 

そう、お話した正観さんは

その日 ホテルに入って夜一人の時、何故か 止めどなく涙が溢れたのだそうです。

この涙はなんだろう?

正観さんらしく。 全ての行動を時間を巻き戻しながら点検したのだそうです。 

その結果、講演会でブッダの教えの基本は、「感謝すること」と、お話したことを思い出しました。

それからです。 

正観さんが、「ありがとう・感謝」の検証を始めたのは・・ 

正観さんは当時、年に数回、決まった日に宇宙から、 

人類にとって重要なメッセージを受け取っていたのですが、 

この講演会での波動・意識が宇宙に届いたんでしょう。 

だから宇宙から、その通りですよと涙が流れたらしいのです。 

正観さんは、学生時代、霊的な巨人、高橋信次さんから 

ブッダの弟子であった過去を教えてもらっていました。

ですので、現代において、 ブッダの教えの真髄を世に広めるご縁があったのでしょう。 

また、小林正観さんから悟りを得た人と称された 

波動の法則で有名な、足立育朗さんが講演会で 

感謝することの波動的な意味を説明しておられました。

人間の自我と欲  

自分だけは・・・という思いの波動、振動波は

波が高く、大きい。つまり低い。波動が粗い。

しかし、そこで感謝の心を起こすと

自我と欲の、山の波に対し感謝の波は、逆の相 

つまり、谷となって覆いかぶさるそうなのです。


つまり 山を谷で、相殺し ゼロカウント、フラットな精妙な波に変えてしまう。 

感謝の心は。干渉波となって働く

という事ですと仰いました。

感謝の波動は、自我や欲望の、荒々しい波動に干渉して

精妙な波動にしてしまうと言うことです。

神さまの波動は、精妙(波の高さが小さく)で、振動数が非常に高い

そう言われています。

ですから、

・自分だけは、、

・俺が俺が、

・私は私は、

・どうして私だけ、、、

などの自我や欲望を持っていたとしても、例え波動の荒い心であったとしても、 

そこに感謝の気持ちが起きてくると、一瞬で神さまの波動に近づけると言うことです。

  

これは、画期的なことです。 

「ありがとう」 という言葉、これは言霊として

宇宙一のパワーがあると言われています。

その理由がここにあったのです。

心が伴わなくとも、言葉だけでも、威力を発揮すると言われていますが、 

これに心まで伴ってくれば、どれほどのパワーを発揮するか、

計り知れないものがあります。

感謝の思いが強ければ 自我だらけで、負の環境、苦しみの環境しか

生み出さなかった心が、 

波動の逆転現象を起こし神々の波動に近付き、

良きものを引き寄せ、天国のような美しい環境を作り出すと言うことです。

感謝の心さえ持てれば、 悪しき出来事に見えることさえ  

 一瞬で、その出来事を神さまからのプレゼントに変えてしまいます。  

もし 何に、どう感謝して良いのか、どうしてもわからない時は、 

ひとまず 、ありがとうの言霊を繰り返してみてください。 

口に出しても、心の中ででも構いません。 

感謝の心は、神さまの恩寵を、 この世界に現実化する媒体です。  

感謝の心が神さまの恩寵を現実化します。 

また過去にご縁のあった方々の お顔を思い出し 

お一人、お一人に、ありがとうを投げかけてみてください。  

人の思いと言うのは時間と空間の制約を受けません。 

必ず、相手に届きます。

出会って下さった方は、良きも悪きも  

全て私たちの生まれてきた目的を遂行するのに必要な方々でした。  

生まれてくる前に、お互いに約束してきた方でした。 

その方々にお一人お一人、感謝の言葉をかけてみてください。 

そうすることで、今までの経験が辛かった経験さえ、

一瞬で、宝石の体験に変えてしまいます。 

過去を一瞬で感謝の体験に変容できたのなら 

今現在の環境に対しても、同じことができるはずです。 

過去・現在に関して受け取る体験を全て、感謝の体験、ありがとうと言えるなら、 

もう未来には、幸せな出来事しか起きないことでしょう。

例え、同じ境遇に置かれても、そこを天国だと感じ、幸せを噛みしめ、 

神さまの心、感謝の心で満たされることでしょう。 

これが空海の説いた即身成仏の、本当の意味です。

空海は、悩み苦しむ私たちに、こう教えてくださいました。 

生きとし生けるもの、すべてに命があり、心がある。

そのことを忘れてはいけないよ。

すべては、一人一人の命の働きから始まるのだ。

難しく考えることはない。

素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。

さすれば、道は開くであろう。

 是非、お試しください。

 


2022年7月19日火曜日

2762「神道のこころ」2022.7.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年07月14日の記事を紹介します。


「神道のこころ」


今日は、日本神道の最高位、「浄階」まで達せられました、

春日大社元宮司で、かつ日本の形成外科の草分けだった医師 葉室頼昭さんのお話です。

神様と人間の関係について分かりやすく説明くださっています。 

葉室さんが仰るには、日本の神道(古神道)は宗教ではありません。

教祖も、教義も存在しません。

拘束もありません。

お金の強制徴収もありません。


神道は、古くからの日本人のDNAに根ついた、

・自然を敬う心

・周りと協調、調和しようとする和の心

・お互い様、おかげ様の心

そのようなものを大切にしている、日本人特有の尊い心根です。

葉室さんによれば、

神さまは願いごとなどしなくても、ちゃんと叶えてくださる。

他の国で見られるように、必死になって自分の願いごとを祈っている姿とは異なり、

神道では

神さまを喜ばせる、感謝する

ということが祈りとなります。

こちらから頼まなければ、

神様はやってくれない・・・というのは、神さまを冒涜すること。

神さまというのは全部知っておられるんです。

だから、神さまを認め、喜んでいただいたら充分なんです。

そうしたら、神さまはこちらに出てきて、お恵みをくださる。

ということだそうです。

また、浦島太郎の昔話を例として、こんなことも教えてくださっています。

 <引用開始>


海の底は、生みの底、生命が生まれるもとの世界です。

つまり竜宮城とは、我々が生まれてくる前にいる、神様の世界、祖先がおられる世界、

あの世とか黄泉の国といわれるものもそうですが、

そういう、見えないけれども実在している世界のことだと思います。

そこは時間もなく、悩みや苦しみ、心配事のない

すばらしい神様の世界だということです。

その世界から、我々は生まれ出てくるのですから、

本来人間は、悩みも苦しみもないすばらしい姿なのです。

それなのに、この世の中には病気や悩みや苦しみ、心配事などいっぱいあります。

これは我々が、 実在する神様の世界を忘れて、

自分の我欲の心をもって暮らしているために、

本当の世界が見えなくなって、悩みや苦しみが現れてくるのです。

浦島太郎も、おとひめ様の言われたことを信じていれば よかったのに、

玉手箱を開けたいと思う自分の欲に負けてしまったために、

約束を破って玉手箱を開 けたとたんに、老いという悩みを持つ老人になってしまった。 

では、どうすれば、この世の中で、

生まれたときの素晴らしい姿のままで生きていけるのでしょう。

そのために、日本人は昔から「祓い」といって、

体についた罪穢れを常に祓うことを行ってきました。

あまりご存じないかもしれませんが、

全国の神社では、毎年6月と12月の末に「大祓い」という神道の儀式を行っています。

そこで、知らず知らずのうちに身についた罪穢れをお祓いするのです。

ここでいう罪とは、悪いことをしたという罪ではなく、

すばらしい人間本来の姿を、包み隠してしまうものです。

穢れとは、汚いということではなくて、

我々が神様からいただいている「氣」を枯らしてしまうもののことです。

これらは私たちの我欲から出てくるものです。

この罪穢れがあると、人が本来持っている神様の素晴らしい姿が見えなくなり、

悩みや苦しみが出てくるというマイナスの作用を持っています。

それを逆のプラスの作用があるもの、

神様のお言葉である祝詞や、生命力にあふれた清らかな水に接して、

罪穢れを消してしまおうというのが、日本人の「祓い」という考え方なのです。

<引用終了>

 

私たちは神社やお寺さんに行って、 

・あれをしてくれ、

・これをしてくれ

・病気を治してくれ

・裕福にしてくれ 

などいろいろ神さまに注文をします。 

ご祈祷料や、お布施など、沢山のお金を支払えば

ここまでしたんだから、「さぁ、願いをかなえて・・」などと思うかもしれません。 

ですが、葉室さんが仰るには 

神様を喜ばせること、感謝することが大切なのだそうです。

神様を喜ばせるために、昔であれば、

夏には村人が神社に集まって仲良くお祭りをやったり、舞を奉納したりしていました。 

純粋な心の人々が、神の前で、仲良く集ってくれるのが、 

神々にとって、何よりうれしいからです。 

自分を慕ってくれる(感謝してくれる)人々が 

みんなで笑顔で助け合って、仲良く暮らす姿を見ることほど、

嬉しいことはないのではないでしょうか。 

このような、人間側の美しき心に神々の心が動かないわけがありません。 

自分では何もせず、ただ、お金を包み、 

・あれをしてくれ、

・これをしてくれ

・病気を治してくれ

・裕福にしてくれ 

では、葉室宮司が教えてくださった

神々と人間の 美しき関係性からは程遠いことになってしまいます。

  

宇宙の法則に与えたものが、受け取るものと言うものがあります。

喜びと感謝を神々に、お渡しすれば

必ず何倍にもなって、同じ波動を持つものを受け取ることでしょう。

逆に、自分の我欲の心をもって生きていれば、 

葉室さんが仰るように、浦島太郎と同じものを受け取ることになるでしょう。 

もうすでに時の重力が動き出し心が大切にされる地球に生まれ変わろうとしています。 

昔ながらの依存、執着の心から、脱却する時期かもしれません。 

神々だけの力だけでなく、 

私たち人間側からの純朴な感謝の心こそが、神々の大きなパワーとなります。

 



2022年7月18日月曜日

2761「心の感度」2022.7.18

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年07月13日の記事を紹介します。


「心の感度」


私たちは、3つの世界の中で同時に生きています。

・見える世界(物理的な次元)

・見えない世界(黄泉の国)

・心の世界

一番大きくて、全てを包括し、大事なのが心の世界です。

心の世界こそが、見える世界、見えない世界を包括した世界の現実を作り出します。

ですので、ご自分の心の浄化こそが、全ての根本であり、

永遠に続く幸福を作り出すことができます。 

目に見える、物に執着したり、

目に見えない霊的な物ばかりに心をフォーカスさせるよりも、 

まずは、自分の心の洗濯こそが、重要だと思います。 

私たち人間は「考える葦である」などと言われます。 

ただ、毎日を、食べて寝て、暮らしているわけではありません。

生活するため、生きるためだけに働いているわけではありません。


生きている間に様々な事件が起こります。 

様々な人との出会いと別れがあります。 

誰かと友達になります。

長く続く友達もいれば、あっという間に分かれる人もいます。

愛や友情を交わし合う人もいれば、憎しみ、罵り合う人もいます。 

それは全てこの世で、いろんな経験をして、いろんな感情を味わうためです。 

子供たちに対する大規模なアンケート調査でも明らかなように 

これらの出来事は全て生まれる前に、もう決めてから出てきます。

ですので、乗り越えられない試練や苦難は絶対に設定してきません。 

全ての目的が、その経験を通じ、魂の豊さを経験するためです。 

心の感度を上げるためです。

さて、今日は。そのような観点から「卒業式」にまつわるお話をご紹介します。

子どもたちの”いじめ”が深刻な社会問題になり、国会でも取り上げられる昨今、 

心温まるお話しです。

<引用開始>


小松まり子さんというお母さんがおられて、その方のお子さんの足が不自由で、

小学校の六年間、車椅子で通っていたんです。

六年間・・車椅子の後押しをしたのは、近所の子どもたちでした。  

毎日当番を決めて、登下校の後押しをしたのです。  

来年から中学・・みんなと同じ中学に行けると思ったら・・ 

教育委員会から 

お宅のお子さんは体が不自由だから 設備の整った肢体不自由児の中学校に

転校してください」って言われたのです。

ご両親は納得されたのですが、友達は納得しませんでした。 

六年間一緒に通ったんだから、中学も一緒でいたい・・ 

署名運動までして嘆願した。 

エレベーターが無くても、トイレに1人で入れなくても、

 僕らがいます・・  車椅子を担いででもやります」って言うんです。  

そんな約束までして・・また三年間、一緒に中学に通ったのです。

三年生の最後の日・・卒業式の日に、一緒に卒業したかったのですが、 

身体不自由なうえに弱かったものですから  

風邪を引いて卒業式に出られなくなったのです。

いつものように迎えに来た友達に、

ベランダから「九年間ありがとう!」とお礼を言った。 

『じゃ・・お前の卒業証書貰ってきてやるよ』と、友達は登校していった。

お父さんも「今日は早く帰るから・・一緒に卒業を祝おう」と言って出かけた。

お昼にチャイムが鳴ったので、お母さんがドアを開けたら・・ 

お父さんではなかったんですね。

卒業式を終えられた校長先生が、 

卒業証書を、わざわさ息子さんのために持ってこられ・・ 

各学年で担任をされた先生方も・・  

小学校からズ~と車椅子を押してくれた生徒たちも・・ 

一緒に来てくれたのです。

校長先生は 

『お子さんのお部屋で、卒業式をやらせてください・・』 とおっゃった。  

みんな部屋に集まった・・ 

お子さんを前に、校長先生が卒業証書を読んでくれた。

先生方は「よく頑張ったね!」と握手し 友達は、周りを囲んで校歌を歌ってくれた。

お子さんは、車椅子に座って証書を握りしめ、泣いていました。 

お父さんもお母さんも、涙が溢れて止まりませんでした。 

お父さんは、部屋のみんなに、 喉を詰まらせながら、お礼を言いました。

『息子は・・

皆さんの心温まる援助のお蔭で、無事小学校と中学校の両方を卒業できました・・ 

何を学んだかは 本人に聞かないと分かりませんが・・ 

人から受ける優しさほど、人の心を豊かにしてくれるものはない・・  

ということを学んでくれたら、それだけで十分です』

NHKふれあいトークより

<引用終了>


家の実家は、もう何十年も前に衰退してしまいましたが、着物の町でした。

父も小さいながらも、着物の染め物工場をやっていました。

私が中学卒業する頃、私と同級だった特別支援学級に通っていた男の子が、 

卒業と同時に家の染め物工場で働くことになりました。

彼の障害は身体の方ではなく、勉強が少し人より遅れると言う障害でした。

(でも、やっぱり心は凄く純粋!!)

父は、その同級生を雇って仕事を教えることになりました。

私はというと、まだ働くどころか、親の脛かじりの高校生です。

今となっては、父がどういう気持ちだったのかは解りません。 

そんな父を尊敬しています。 

九年間、車椅子を押し続けてもらった少年。

少年のお父様が言うように、何事にも変えられないほどの素晴らしい体験を通して、 

それまで以上に優しく思いやりある人生に変わられたと思います。

ですが、

もしかしたら  

それ以上に 「心の豊かさ」を手にいれたのは 

九年間 車椅子を押し続けた同級生たちかもしれないですね。。

お互い様、お陰様。

有難いことですね。

こんな仕組み、こんな経験をさせて下さる、

全てをディレクションしてくださった神様に感謝です。 

私たちは、こんな風に、色んな出来事、いろんな人との、出会い、別れを通じ

魂を震わせ、良いことも悪いことも様々な経験を通じ、

人を思いやる心の感度を上げて、魂を輝かせているのかもしれませんね。 

 



2022年7月17日日曜日

2760「たった1人で世界は変わる」2022.7.17

 今回はIn Deepさんの2022年7月11日の記事を紹介します。


「 たった1人で世界は変わる」

 https://indeep.jp/the-only-one/

たった1人

先日のメルマガでは、7月5日に、南米ウルグアイの裁判官が、ファイザー社関係者たちと、ウルグアイ政府の当局者たちに、

コロナワクチンに関するすべての資料をただちに提出しなさい

という裁判所命令を出したことについてご紹介しました。

その裁判所文書はこちらにあります。スペイン語です。

全 16項目からなる裁判所命令の「項目 1」は、以下のように始まるものでした。

 

(1)あなたがた(ウルグアイ政府当局者とファイザー関係者)が署名、所有、あるいは、保存している、いわゆる抗コロナウイルスワクチンの「購入契約、および関連する交渉契約のすべての完全で未編集の認証済みコピーを提出せよ」 

提出期限は、48時間後でしたので、現地時間の 7月7日午前 9時が期限となっていました。ファイザー社が要請に応じたかどうかの報道は今のところありません。

この裁判所文書で感銘を受けたのは、このウルグアイの裁判官が、「ファイザー社ワクチンについて、あらゆる情報を吟味して作成している」ことでした。

背後に何らかの科学者などの研究グループがあるのかもしれないですし、そのあたりはわからないのですが、もっとも感銘を受けたのは、

ファイザー社ワクチンに、ロットによる内容物の偏りがあるかどうかを期限までに説明せよ」 

という項目があることでした。以下のような文言です。

(4)これらの、 いわゆるワクチンと呼ばれているものが、異なるバッチまたは異なるロットで分配されているかどうかを説明せよ。そして、それが事実かどうかを明確にせよ。事実なら、どのような理由で、どのような基準に基づいて、それぞれが異なる人口グループに提供されているのかを述べよ。

各ロットの内容が多様であるかどうかを説明せよ。そして、どのように、そして誰のためにそれらを区別できるのかを説明せよ。異なるロットの存在が実際に判明した場合、司法専門家の検査のために、我々は適切に分離されたそれぞれのワクチン用量を要求することになる」 

そして、このウルグアイの裁判官は、「ファイザー社ワクチンには、以下の異なるバージョンがあるのではないか」と詰問しています。

・mRNA が含まれるワクチン(あるいは、mRNA が含まれないワクチン)

・酸化グラフェンが含まれるワクチン(あるいは、酸化グラフェンが含まれないワクチン)

・ナノテクノロジー要素が含まれるワクチン(あるいは、ナノテクノロジー要素が含まれないワクチン)

このウルグアイの裁判官は、「このように様々な偏りがあることは事実なのか!」と詰問し、そして、

「それが事実であるならば、なぜそのような所業が必要なのか説明せい!」

と述べているのです。


この裁判官は、文書からも「とても怒っている」ことがわかるのですが、桃太郎侍的な非常に強い態度が伺えます。

ひとつ、人の世の生き血をすすり……

ふたつ、不埒な悪行三昧……

みっつ、醜い浮世の鬼を、退治てくれよう、ウルグアイ

(まあ、フルではいいから)

こういう感じの裁判官命令が出ていたのですが、感動しましたのは、これは、ウルグアイ司法当局全体の意志ではなく、

「ウルグアイのたった 1人の裁判官による判断であり、命令である」

ということでした。

ウルグアイ行政訴訟裁判所の、アレハンドロ・レカレイ (Alejandro Recarey)裁判官という方なんですが、この方 1人でこの命令を決断したのです。

しかし、1人とはいえ、このレカレイ裁判官は、正式な行政訴訟裁判所の裁判官であるわけで、米国企業であるファイザー社に対して法的強制力があるかどうかはわからないですが、少なくとも、ウルグアイの政府当局者たちには法的な拘束力があるはずです。


そして、アメリカでも、

「たった 1人の裁判官の登場」

が、ファイザー社ワクチンのすべての開示に結びつくことになっています。

今年 2月のことです。

現在、アメリカでは非常に速いペースで、ファイザー社ワクチンの機密文書が、次々と開示されていますが、これは、米テキサス州北部地区連邦地方裁判所のマーク・ピットマン(Mark Pittman)連邦裁判官によって出された命令でした。

この場合も、「たった 1人」によるものでした。

その裁判所命令は、アメリカに在籍するファイザー社を法的に拘束する力を十分に持っており、今のような機密書類の開示に至ったのです。

その経緯は書いたことがなかったですが、先日のメルマガに書きました記事から、少し抜粋します。

米国の裁判官がFDAにファイザーCOVID-19文書を提出するよう要求した

U.S. Judge Requires FDA to Turn Over Pfizer COVID-19 Documents

theepochtimes.com

2022年2月2日、米連邦裁判官は、ファイザーの COVID-19 ワクチンの承認に関連する40万ページ近くの文書の裁判所命令による公開を延期するというアメリカ食品医薬品局 (FDA)の要求を「却下」し、文書の開示を命じた(裁判所命令文書)。

判決は、2021年8月に「透明性のための公衆衛生および医療専門家(PHMPT) 」によって提出された情報公開法(FOIA)の要求から始まった訴訟の一部だった。

「透明性のための公衆衛生および医療専門家」は、ハーバード大学、エール大学、UCLA などの機関の 30人を超える医療および公衆衛生の専門家と科学者たちのグループであり FDA が情報公開要求を拒否した後、2021年9月に FDA に対して訴訟を起こした。

その要請の中で、「透明性のための公衆衛生および医療専門家」は FDA に、安全性と有効性のデータ、副作用の報告、有効成分と不活性成分のリストなど、「ファイザーワクチンのすべてのデータと情報」を公開するよう要請した。

しかし、FDA は、編集を処理するのに十分なスタッフがいないと主張し、月に500ページしか処理できないと主張した。これは、書類が約 75年間、開示されないことを意味する。

しかし連邦裁判所は、裁判所命令で、FDA の主張を拒否し、代わりに 1月31日までに 12,000ページの文書を開示し、その後は月に 55,000ページを追加で開示するように要求した。

この裁判所命令の結果としてのファイザー社文書の開示以来、リリースされた何万もの文書は 、ファイザー社ワクチンの承認を正当化するために米国の規制当局によって使用されるデータについて深刻な疑問を投げかけている。


当初、アメリカ食品医薬品局は、「人手が少なくてですね、開示までに 75年かかるんですよ…」というようなことを述べていたのです。

それに対して、テキサス州のマーク・ピットマン連邦裁判官は、

「ユー・マザーファッカー! ガッデム・サノバビッチ!」

と述べ(そんなこと言ってねえだろ)……まあ、ともかく、FDA の言い分を、

「決然と却下した」のですね。

ピットマン米テキサス州北部地区連邦地方連邦裁判官は、

「そんな言い分通るわけねえだろ、ボケが。まずは 1万2000ページ。それから毎月 5万5000ページ開示しろ、クソが!」

と述べたのです(だから、述べてねえだろ)。

ここでもこの響きが。 

ひとつ、人の世の生き血をすすり……

ふたつ、不埒な悪行三昧……

みっつ、醜い浮世の鬼を、退治てくれよう、テキサス州

(まあ、いいから)

ともかく、このピットマン連邦裁判官のこの命令で、ファイザー社ワクチンの実態が現在どんどん明らかになっているのです。

これも、「たった 1人」のお陰でした。


もしかすると、ウルグアイでの裁判所命令次第では、

「ロットによる内容の差異の真相」が、そのうち明らかになるかもしれません。

もともと、mRNA 濃度に著しい偏りがあることは、2021年の時点でわかっていまして、医学誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナルが最初に問題視したのですが、それ以上に、「有害事象が報告されているロットが極端に偏っている」ことが、米国 CDC のワクチン有害事象報告 (VAERS)から明らかになってきました。以下の記事の後半にあります。 

[記事] 願望の実現  In Deep 2022年1月9日 


しかし、ウルグアイの裁判官が述べていたことは、「 mRNA 濃度の差異を超えている話」なのです。mRNA バージョン、酸化グラフェン・バージョン、そしてナノテクノロジー・バージョンが混在している可能性がある。

ウルグアイの裁判官は、

「なぜ、そのようなことをしたのか述べよ」と言っているわけです。

まあ……平たく言いますと、「人々は実験されていた」ということだと思いますが、何の実験なのかは皆目見当がつきません。 

私は、調べる対象として、 mRNA が生産するスパイクタンパク質の有毒性だけに焦点を合わせていたこともあり、酸化グラフェンとかナノテクノロジーに真剣に向きあったことはなかったです。

というのも、酸化グラフェンもナノテクノロジーも、すでに実際の医療に使われているものであり、「スパイクタンパク質だけが医療の世界に唐突に出てきた存在だった

ということもあります。

1年くらい前の以下の記事などで、酸化グラフェンやナノテクノロジーについて少しふれたことがあるくらいです。 

[記事] 合成遺伝子と磁気を用いた「外部からの生物の感情のコントロール」に関する論文から「磁石のつく世界」という迷宮に入りこんでしまいました

 In Deep 2021年6月13日

 

まあ、このあたりの話はともかく、「たった 1人」が出てくるか出てこないかで、世界はずいぶんと違ってくるのだと思います。 

ちなみに、世界保健機関の顧問、国連職員、英国諜報機関のメンバー、米軍関係者、ファイザーの元副社長、ノーベル医学賞受賞者などによるアメリカの「コロナ調査委員会」という組織は現在、「大陪審の準備」を進めていることが伝えられています。

大陪審というのは、一般市民から選ばれた陪審員で構成される「犯罪を起訴するか否かを決定する機関」のことです。

また、これらの動きとは別に、半年くらい前に以下の記事で書きましたような専門家たちによる「国際裁判への動き」も止まっているわけではないようです。 

[記事] ハーグ国際刑事裁判所に「ワクチンを含むコロナ規制」に対してニュルンベルク綱領違反およびローマ規程違反の国際犯罪としての刑事調査の申し立てがなされる…

 In Deep 2022年2月9日

 

これらに、現在のファイザー社の機密文書開示が大いに後押ししてくれるものだと確信しています。

そして、ワクチンに対してだけではなく、「このパンデミック全体に対する人道的犯罪への追求」も行われているようで、こちらは簡単なことではないですが、

「何らかの 1人」が出てくることによって、世界は少し変わるかもしれません。

ちなみに、このような話を書いているのは、こういうエライ人たちの出現を待つ、という話ではなく、「誰でも、たった1人の存在になることができる」という話です。

人により、それはいろいろな分野にわたるとは思います。

さきほどのような大仰な話ではなくとも、たとえば、「赤ちゃんのお母さん」なら、その子を守る筆頭は、そのお母さんなわけで、赤ちゃんにとっては「たった 1人」です。

そういう基準からの話です。

先ほどの方々は、裁判官であるから、あのような命令が出せたわけであって、それぞれの方にそれぞれの「その人だけのこと」がたくさんあり得ます。

 

日本では、まずは「マスクからの脱却」ですかねえ。

ダイアモンド・オンラインの 7月11日の記事で「「今後もマスクを着用」派は89%!」という記事のタイトルなどを見ましても、深刻だなあと思います。

なお、今なおマスクをしている人々が多い理由として、

「人目が気になるから」

「同調的圧力」

などが挙げられることがありますが、それぞれ人によるとはいえ、もうそれを超えています。

最初は同調圧力だったのかもしれないですが、今では、日本においては、

「集団メンタル疾患の域に突入している」と思われます。

構造的には、PTSD (心的外傷後ストレス障害)の発症メカニズムと似ていると私は思っていますが、これは今回の話から逸脱しますので、別の機会にしたいと思いますけれど、 PTSD は、現在の医学では、脳の、

・扁桃体

・海馬

・前頭前野

に影響を与えるとされていますが(論文)、皮肉なことに、マスク着用の行為そのものが、それぞれの部位に日々、圧迫をかけているということもあり、マスクを続けている限り、今の状況は長引くことになると思われ、あるいは、

「永遠の自主的マスク社会」というものにつながってしまう可能性もあります。

扁桃体とマスクの関係については、もう 2年くらい前の記事ですが、以下の記事になどにもあります。 

[記事] パニック障害の人はできるだけ「マスクを避けたほうが望ましい」医学的理由。そして私は、子どもや若者たちの胸腺が萎縮した病的な社会の出現を懸念している

 In Deep 2020年8月4日

 

このマスク社会が、集団疾患が原因である以上は、たとえば、PTSD の方やパニック障害の方に、口先で、「もう大丈夫ですよ」と言ってもなんの解決にもならないように、「もうマスクはしなくてもいいんですよ」と言っても通じないのです。

専門的な治療プロクラムが必要な段階に入っていると思います。

長引けば長引くほど治りにくくなる。

この集団マスク疾患についても、日本でどなたか、その呪縛を解く方法論や解決策を具体的に示されてくださる方が出てくることを祈っています。

今のままでは、国民全体の、特に小さな子どもたちの認知能力と言語能力が大変なことになったままの状態が続いてしまいます。いわゆる「亡国」に結びつきます。

[記事] そしてマスクは残った……。これによる脳力と認知力の低下は乳幼児だけではないことが最近のドイツの調査で判明。小学校高学年の読解力の低下が壊滅的に

 In Deep 2022年3月27日

 

ワクチンの強い毒性のあるロットは、せいぜい 0.5%かもしれないですが、マスクの有害性は、小さな子どもには 100%です。

まずは、親なり先生なりが、「たった 1人の人」になってくれればと。

いずれにしましても、コロナワクチンのキャンペーンに関しては、時期はわからなくても、終わるものとなりつつあるようです。


2022年7月16日土曜日

2759「究極の選択」2022.7.16

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年07月12日の記事を紹介します。


「究極の選択」


今日は神様から示された究極の選択についてです。 

ブッダによれば、私たちの悩み事、苦難の多くの原因は

自分に起こってきた出来事を

・受け入れたくない

・認めたくない 

という気持ちから、抵抗し、逃げ出し、そしてそれができない、無駄だとわかると 

・不平不満、愚痴、文句

を言い、ますます人生を暗くしてしまうことに起因しているようです。

ですが、本当の真実は

・その出来事は神様が起こしてくださったことであり

・その目的は、その出来事を通じ、私たちの魂を磨くため

・そしてますます幸せな段階へと、私たちを進ませるためのもの

そういうものだということです。 

すべては、その出来事を、 

・認め

・受け入れ

・その新たな環境の中(おかれた場所)で、

 小さな幸せを見つけ、

・笑顔で感謝の気持ちをもつこと

そうした途端周りの環境は、一切変化がないのに、

一瞬にして、神々に祝福され天国に住む者に変化します。 

小林正観さんのお子様、慶子ちゃん。 

生れながらに心臓に穴があき、

脳にも障害を持って生まれたお子様のお話をお読みください。


<引用開始>


正観さんは、変わった紹介方法すると、 

・ブッダの弟子

・そして空海の弟子

・プレアデス星団から地球に来ました 

そのような人です。

ですが、もう亡くなってしまいました。

その正観さんは、30歳で結婚し、

3年目にして、やっと待ち望んだお子さんが生まれたそうです。

待ち望んだ子ということで、お名前は「慶子」と付けました。

 

ですが、知的障害と、染色体異常であったため

筋力が、人の半分しかありませんでした。 

その娘さんについて、正観さんが次のように書いています。

彼女は、普通の子供よりも筋力が足りないため、早く走ることができません。

運動会の徒競争に出ると,

1位はおろか、2位になることも、3位になることもありません。 

いつも「ビリ」でした。

忘れもしません。彼女が小学校6年のときです。

運動会の前に、足を捻挫してしまった友だちがいました。 

長女は、その友だちと一緒に走ることになっていたため、 

友だちには悪いのですが・・・・

 

「はじめてビリじゃないかも知れない」と、妻は期待していたようです。

運動会を終え、妻はいつも以上にニコニコしながら帰ってきました。

長女がビリから抜け出したのかと思いきや、

「今回も、やはりビリだった」というのです。ところが妻は、

今回もビリだったことを嘆くどころか、ニコニコと嬉しそうにしていました。

徒競争が始まると、長女は、足を捻挫した友だちのことを何度も振り返り、

気にかけながら走っていたそうです。

自分がゴールすることよりも、自分がビリから抜け出すことよりも, 

ケガをした友だちのことが心配だったのでしょう。

友だちは足をかばうあまり、転んでしまいました。 

すると長女は走るのをやめ、友だちのもとに駆け寄り、手を引き、起き上がらせ、 

2人で一緒に走り出したそうです。

2人の姿を見て、生徒も,父兄も立ち上がり2人に大きな声援を送りました。

そして、いよいよゴールのとき、長女は、友だちの肩をポンと押して、 

自分より先に友だちをゴールさせたというのです。

この話を聞いたとき、私は気がつきました。

人生の目的は

競い合ったり、比べたり、争ったりするものでも、努力したり、頑張ったりして 

「1位になる」ためにあるのではない。

人生の目的は、 「喜ばれる存在になることである」

私はこのことを、長女に教わりました。

そして娘は、そのことを教えてくれるために、私たち夫婦の子供になったのだと、 

妻の話を聞き終え、私は そう気がついたのです。

<引用終了>


さて究極の選択はここからです。

正観さんご夫婦が50歳の頃、この慶子ちゃんが生まれて15年位した頃、

お二人でこんな会話があったそうです。

ひとつは、もし神さまが、白い粒でお薬のようなものを差し出して

夫婦二人で決めなさいと 言われたとします。

この粒を飲めば この障害のある子が治り、

普通の子のように、健康で元気になることが出来る。 

そう言われたら、そのお薬を飲みますか? どうしますか?  

と話したそうです。

すると奥さまは はっきりと「今のままがいい」と答えられたそうです。

もうひとつは、3人目の子どもができたとして、

事前に知恵遅れであることが分かったとします。 

「それでも産みますか?」

という質問、選択です。

奥さまは即答した と言います。

「そのまま 喜んで産む」

そしてお二人して、この慶子ちゃんが、

15年経って 本当に可愛いと思っていることが心の底から分かったそうです。

生まれた直後は大変 悲しい思いなど、さまざまあったけれど、 

結局全ては、15年経って見れば 

「ニュートラル」であったと。 

良いも悪いもなかったのだと。

 

障害を持って生まれたのが悪いわけでもなく、

それを受け入れて、不平不満、愚痴を言わず、 

一緒に暮らし、時を経て見れば、決してそれは悪いことではなく、 

むしろ素晴らしい体験をさせてくれた 

と言うことが解ったのだそうです。


「人生の読み替え 遅くない」 

全ての現象はニュートラルだから、 

必ず、そしていつでも、不平不満、愚痴を言うことを止め、 

静かにそのことに感謝する「読み替え」は必ず出来る。

正観さん そして奥さま。 

慶子ちゃんのことが可愛くて可愛くて仕方ないと、仰います。

幸福も不幸も 自分が決めること。 

そのことを、この慶子ちゃんが教えてくれたのだそうです。

もし、貴方が同じ立場だったら、どちらを選択しますか?

今の目の前の苦労が一気に無くなって、安楽に暮らせる薬を飲みますか?

私たちは、生まれる前に、今世で、 

・いつ何が起きるか、

・いつ誰と出会い、いつ分かれるか

・健康な身体か、病弱な身体かを選び

神さまと相談し、承諾を得て、生まれてきました。 

天国で神さまと 設定した、人生で起こる全ての出来事は、 

私たちの魂を、より進化させ、神さまに近付くため という目的を持っています。 

ですので、全ての出来事に意味があります。

全ての出来事が、寸分の狂いもなく起きるように、神さまがはからってくれています。 

ですので、私たちは、その流れに乗ってさえいれば、

・ああ、しなければならない

・もっと努力しなければならない

そんなことを全く考えずとも、ただ、目の前に起きて来たことに、感謝し、

愛を込めて、行うだけで流れに乗ることができます。 

なぜなら、神さまのみわざは、どの人にも平等に降り注いでいるのですが、 

そのみわざ、神さまの祝福が現れるには、 

人間側の「感謝の心」がどうしても必要だからです。 

ですので、人生に現れてくる、様々な出来事に「感謝の心」で、接している限り、 

私たちは、揉まれ揉まれながらも、魂の輝きが増し、

結局は幸せな岸辺に、たどり着くようになっています。

でも、それでも、 あなたは

今の目の前の苦労が一気に無くなって、安楽に暮らせる薬を飲みますか?




2022年7月15日金曜日

2758「ドイツの現在の「破綻」の状況を日本もそのうち経験する?」2022.7.15

 今回はIn Deepさんの2022年7月10日の記事を紹介します。


街灯は消され、レジャーも消え、お湯も配給制、薬もない…ついでに医者もいない…。ドイツの現在の「破綻」の状況を日本もそのうち経験する?

 https://indeep.jp/germanys-miserable-now/


何もないドイツ

いろいろなものが田舎にないことを嘆いている歌を歌っていたのは、吉幾三さんでしたかね。今日のゼロヘッジで報じられていたドイツの現況はそんなようなこととあまり変わらない感じのものでした。なんにもない、のです。

 

(記事)「社会の平和が大きな危機に瀕している」:エネルギー危機が経済を麻痺させるにつれて、ドイツは静かに閉鎖している

(省略)

この記事で説明、リンクされていた報道などから、「今のドイツ」がどんなことになっているかをご紹介したいと思います。

「今のドイツ」と書きましたけれど、これは、秋以降の多くのヨーロッパに広がる可能性のある話であると共に、もう少し拡大して考えれば、「対ロシア制裁に関わっている西側諸国すべて」に拡大する可能性のある話でもあり得ます。

ドイツの現在の危機的状況は、単純に、「この1年間の電気料金の推移」を見るだけでもわかります。以下は、昨年 7月から今年 7月までのドイツの電気料金の推移です。

ドイツの電気料金の推移


 zerohedge.com

これは天然ガスの不足などによるものですが、ガス不足でどんなことが起きているかといいますと、例えば、「家庭でお湯も自由には出せなく」なりました。

「お湯」が配給制となり、冬の暖房シーズンの最高暖房温度は「 17℃まで」と警告が出たのです。

これは、7月8日のゼロヘッジの記事が、ドイツの報道を引用していたものですが、ドイツで 2番目に大きな都市であるハンブルグで、給湯と暖房の制限が当局から警告されました。記事には以下のようにあります。

ハンブルク当局者は、エネルギー危機の中で、住民が給湯配給の準備をするように告げる

ドイツで2番目に大きな都市は、エネルギー危機が悪化するにつれて、お湯の給湯の制限を検討している。

ハンブルクの環境上院議員イェンス・ケルスタン氏 は、 ドイツの新聞ヴェルト・アム・ゾンタークに、「深刻なガス不足の中で、緊急時にのみ温水を利用できるようにした」と語った。

ケルスタン氏はまた、ドイツの日刊紙ハンブルガー・アベンドブラットと話し、 「私たちはほとんどの人が認識しているよりもはるかに深刻な危機に瀕している」と警告した。

彼はハンブルクの住民たちに、シャワー時間を短縮し、省エネシャワーヘッドを設置し、最大の電力節約のためにサーモスタットを近代化するように依頼した。

「今(天然ガスを)貯蓄できればできるほど貯蔵タンクの備蓄量が増え、冬の状況は良くなるだろう」とケルスタン氏は付け加え、冬のシーズンに先立ってより多くの天然ガスを貯蔵できるように、国民は電力を節約する必要があると述べた。

zerohedge.com

 

正確にいえば、「 1日の限られた時間帯にだけお湯を使うことができる」ということのようです。

さらには、この秋からの暖房シーズンについての「室内気温」にも当局は、言及していまして、以下のように報じられています。

現在、ドイツ最大の家主は、秋に暖房シーズンが始まると、午後 11時から午前 6時までの間は、17°Cまでしか暖房熱を上げることができないとテナントに警告している。 (zerohedge.com)

 

お湯も好きに出せない、冬には「室温は 17℃まで」と決められる。

ドイツは、こういうことになっているようなのですが、フィナンシャルタイムズ紙によると、エネルギー不足の影響は、オフィス、レジャーセンターまで広がり、そして、現在ドイツは街灯を暗くしており、プールも閉鎖していると報じられています。

ドイツはロシアの燃料供給の危機に対処するために外灯を暗くしている

ドイツは、貿易から職場、レジャーセンター、住宅への電力危機の印象が広がり始めているため、お湯が配給となり、外灯を暗くし、プールを閉鎖している。

ロシアが最終月にドイツへの供給を大幅に削減することによって引き起こされた燃料費の大幅な増加は、1973年の石油ショック以来、ヨーロッパ最大のドイツの経済システムを最悪の電力危機に陥れた。

「状況は劇的を超えています」とドイツの住宅企業連盟の責任者であるアクセル・ゲダシュコ氏は述べる。「今、ドイツの社会的平和は大きな危機に瀕しています」

ウクライナでのロシアの紛争をめぐる緊張が高まる中、専門家たちは事態がさらに悪化するのではないかと懸念している。

ロシア政府は 7月11日に、ドイツへの主要なパイプラインであるノルドストリーム1を、予定されている通り、メンテナンスのために 10日間閉鎖する。

ベルリンの多くの人々が、パイプラインは決して再開されないのではないかと心配している。

newsncr.com

先ほど書きました現在のドイツの状況は、まだロシアから天然ガスが、パイプライン経由で来ていた時の話ですので、この報道にある「パイプラインは決して再開されないのではないかと心配している」というようなことが、仮にあれば、

もっと事態は悪化する」と見られます。

1年で6倍くらいに値上がりした電気料金がさらに上昇するかもしれないですし、暖房や温水の制限はさらに厳しくなるかもしれません。レジャー施設などに関しては、「ロックダウンと同様の長期の閉鎖」に陥る可能性があるかもしれません。

 

「なあ……あんたら何やってんだよ……」と、つくづく思います。

対ロシア制裁からたった3ヶ月で、現代のドイツ建国史上、見たことも聞いたこともないような苦境に陥っている。たった3ヶ月ですよ。あと半年したらどうなるかと。

ドイツの報道では、現在、ドイツでは、「薪ストーブ」の需要がかつてないほどになっているのだそうです。しかし、現実的には、木材も価格上昇の影響を受けている上に、石油やガスと異なり、薪ストーブは煙突などいろいろと設備が必要ですので、コストがさらに上昇すると書かれていました。

現在のドイツの首相は、ミスター・ヘイグ氏ことオラフ・ショルツ氏という方で、彼は世界経済フォーラムのメンバーですが、苦しくなっていますね。

ヨーロッパの世界経済フォーラムの指導者では、英国のボリス・ジョンソン首相が辞任しましたが、その直後に、やはり世界経済フォーラムの若きリーダー出身のエストニアの女性首相も辞任しました。

 

[記事] 次々消えていく世界経済フォーラムの指導者たち。ジョンソン英首相に続き、エストニアの女性首相も辞任へ  地球の記録 2022年7月10日

 

エストニアの首相の辞任の理由は、英国とは異なりますが、

国会で支持閣僚が一気に去っていき、辞任せざるを得なくなった

という点では同じです。

ドイツの首相も厳しい感じですね。まあ、世界経済フォーラムの話はいいとして、予想をはるかに上回る「制裁の超ブーメラン」がドイツの経済と生活を殺し始めています。

対ロシア制裁が始まって、すぐに、「これにより西側の一般の人々に死の危険が迫っている」と感じました。以下の 3月の記事で少しふれています。

 

[記事] アメリカの異常な孤立を見て思う、日本を含めた「対ロシア制裁国」の劇的な人口減少の原因は、戦争よりも凍死や餓死によるものになっていくのではという懸念

 In Deep 2022年3月10日

 

そして、4月のこちらの記事では、カナダのグローバル・リサーチの記事をご紹介していますが、そのタイトルは「西側の制裁の真のターゲットは、果たしてロシアなのか」というものでした。

この作者は、対ロシア制裁の目的は、「わざと西側に貧困と絶望をもたらし、グレートリセットの議題を進めるためなのではないか」と勘ぐっています。

まあ、そのあたりは、私にはわからないですが、ミスにしても故意にしても、このドイツの状況は、もうそう簡単には元には戻ることはできない感じです。

最近はドイツの報道をよく見るのですが、対ロシア制裁のブーメランとはまた別の話として、「いろいろと大変」のようなのです。少しご紹介します。

 

深刻な薬不足と医療従事者不足

薬不足は、日本でもかなりそうなのですが、それと比較にならない薬不足がドイツで起きていることが報じられています。

それも「風邪薬や鎮痛剤といった、非常に一般的な薬が不足している」ようなのです。

以下は、7月6日のドイツ国内の報道からの抜粋です。

鎮痛剤が少なくなってきている:あなたがするべきこと

現在、ドイツの薬局ではさまざまな医薬品が不足しており、薬剤師たちは将来を見据えている。

鎮痛剤が不足している

薬不足では、特に鎮痛剤が影響を受けているが、たとえば、現在、同じ有効成分を使用する子供用の解熱シロップはほとんどない。不足は有効性分のイブプロフェンだけでなくパラセタモールにも影響を及ぼしている。

そして、有効成分のキシロメタゾリンが不足しているため、秋に向けて、おそらく子供に投与する点鼻薬にも影響を与えると見られる。製薬大手のテバは、子供用の鼻スプレーの冬の在庫をキャンセルした。

メーカーは、「残念ながら、現在、製品をいつ再配達できるかについての情報を提供することはできません」と述べた。

antenne.de

このドイツの薬不足の原因は、ロシア制裁ではなく、中国やインドなどからの原材料調達の問題だそうで、ドイツには著名な製薬企業が数々あるにも関わらず、原材料がなく「製薬会社が医薬品を製造することができない」状況なのだそう。

この報道は、

必要な薬を在庫しておくことをお勧めする。

で締めくくられています。

別の報道では、「ドイツでは、すでに多くの風邪薬が入手できなくなっている」と報じています。 

それと共に、現在のドイツにはもうひとつ大きな問題があり、これは、対ロシア制裁とも原材料の調達困難などともまったく関係ないですけれど、

医療従事者の間にコロナが爆発的に流行していて、医療が危機的な状況にある」

ようなのです。

以下の記事などで、取りあげています。

 

[記事] ドイツで「完全にワクチン接種された医師と看護師」の間でコロナ感染状況が爆発的となり、医療従事者不足に。医療崩壊の危機が迫る 地球の記録 2022年7月6日

 

これはドイツ各地で起きていることのようですが、特に、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン大学病院(UKSH)という著名な大病院では、

コロナ感染で、200人以上の看護師と 70人の医師を配置できなくなっている

ということのようです。

その後の報道として、医療スタッフたちに間でのコロナ感染の大流行のために、「集中治療室(ICU)がまともに稼働できなくなっている」ことが昨日報じられていました。

以下に翻訳したものがあります。

(報道) ドイツの医療従事者のコロナ感染拡大により「多くの集中治療室が稼働できない」状態に (2022/07/09)

 

その記事にあるマップを見ますと、地区によっては「集中資料室の稼働が、ほぼ 0%」という場所も散見されます。

ドイツでは、医師や看護師などを含めて、医療従事者たちには 2回のワクチン接種が義務化されていて、つまり「 2回ワクチンを接種した人たちに感染の爆発が起きている」ということになります。

これも日本でも起こり得ることかもしれないですね。何しろ、現時点での日本のコロナ感染の主流は、数の上では「 2回接種者が主流」となっています。

以下は、7月7日の東京の新たなコロナ感染確認の「ワクチン接種 / 未接種」の区分ですが、以下のようになっていました。

この日の東京の全体の感染確認数は、8,529人です。

・ワクチン 2回接種 5,416人

・ワクチン未接種  1,611人

 

実際は、2回接種をした割合が 7割、8割とありますので(これが真実の数かどうかは定かではないですが)、そこから考えて計算しますと、決してワクチン 2回接種者のほうが感染しやすいということではなく、「おおむね同じ」ということになります。

しかし、2回接種者のほうが社会には多いと考えますと、今後の新たなパンデミックは、 

数の上ではワクチン 2回(あるいは 3回)接種者主流のパンデミック」 

ということになっていきそうです。

そして、ここには多くの医療従事者も含まれるでしょうから、ドイツと同じようなことになり得る可能性はあるのかもしれません。そうはならないことを願っています。

というのも、「ドイツでは、コロナ以外の通常の緊急医療にも支障が出ている」からです。緊急手術などができなくなっている事例が出ていることが報じられています。 

いずれにしましても今のドイツは「あらゆるものが消失して閉鎖されている」ようです。

 

しかし、今回の記事は、当然ながら「ドイツのことを心配しているわけではない」です。

そうではなく、今のドイツの状況が広く、特にエネルギーと食料の乏しい西側の主要国に広く拡大していくのではないかという話です。

ドイツはエネルギーはなくとも、農業国ではありますので、そう簡単に「飢餓」という概念は出てこないでしょうが、食料生産さえ乏しい主要国はたくさんあります。

本当に「何にもなくなる」という時が……それが、今年なのか来年なのか、2025年なのかはわからないですが、迫っているのかもしれません。

それにしても、ドイツの医薬品不足は結構ショックな話で、子どもの点鼻薬もないらしいですから、すでに医薬品不足が進行している日本の場合、必要な医薬品は、ある程度は備えておかれるのもいいかと思います。

今年が物質的に普通の生活を送ることができる最後の頃なのかもしれないですね。