2022年1月31日月曜日

2594「国常立尊の復権」2022.1.31

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月23日の記事を紹介します。


「国常立尊の復権」


今日は節分も近いことですし、地球上に初めて現れた神様

国常立尊(クニトコタチノミコト)のお話です。

結美大学の小名木善行先生のお話では

古くから日本のメジャーな正史(せいし)と言えば日本書紀でした。

戦後GHQの敗戦教育で日本人の魂を弱体化するために

神話教育が禁止され、日本書紀も禁止されました。

そのため代わりに戦後は「古事記」が学ばれるようになりました。

日本書紀と古事記はともに8世紀のはじめにまとめられた歴史書です。

「古事記」は、飛鳥時代に天武天皇が、暗記が得意な28歳の側近、稗田阿礼(ひえだのあれ)に命じて、天皇家の歴史である「帝紀(ていき)」と、豪族の神話や伝承である「旧辞(きゅうじ)」を暗記させたといいます。

そして、太安万侶(おおのやすまろ)が稗田阿礼がそらんじる内容を文字に書き起こし完成させました。

それに対し「日本書紀」が用いた資料は、『古事記』と較べはるかに多彩で

「帝紀」「旧辞」のほか、朝廷の記録や個人の手記、中国の史書、さらに朝鮮半島に関しては、「百済記」等も用いられています。

朝廷の日々の記録に基づく記述も増え、記述の信憑性を高めています。

伊勢外宮の祭神は国祖・国常立尊とされています


どのような神話も最初の序文に一番大切なことが書かれています。

日本書紀では序文に下記のことが書いてあります。

・天も地も混とんとして、まだ分かれていない時

・正(明るく清らかなもの、陽気なもの)邪(重くて暗いもの、陰気なもの)が、まだ分かれていない時

・陽気なものは薄くたなびいて行き、天になった

・重く濁ったものは、下に沈んで行って、地になった

そしてここからが重要なのですが、そこに聖なるものとして国常立尊という神が現れた。

世界中どの国でも神様は一点のしみも無い存在であって天に在る者とされ、絶対的に清らかな存在とされていますが、私たちの住むこの日本では全く異なります。 

全き清らかな、そして聖なる天の中ではなく・・

清らかな「天」と、重くて濁った「地」

その両方混ざった場所で、最初の神が生まれた・・とされています。

つまり神様の中にさえ

・清らかな聖なるものと

・重くて濁ったもの

その両方が存在していると、序文で宣言しているのです。

まさに私たち日本人の中に流れている、縄文のDNAそのものの考え方です。

決して、「良き者、悪き者」と二元論で区別し、悪しき者は、征服し切り取り、消滅させよ・・

と言う精神ではなく

悪しき者も、大きな心で抱き参らす・・

という考え方です。


そしてこの序文が意味することは私たちの肉体には心がある。

心は時に様々思い悩んだり苦しむことがある(重く濁る)

肉体は重くて濁った「地」でできている。

重くて濁ったものの中に「心」がある。

だから心も重く濁ってしまうことがある。

それは神様も同じ。神様も両方でできているから。

ですが、その重くて濁った「地」でできた肉体の中には

清らかな聖なるもの、朗らかなものも宿っている・・

肉体と、心と、魂(霊 ヒと読みます)で神様も私たちも成り立っている。

私たちは人間ですから重くて濁ったものがあるため、辛くて落ち込んでしまったり、

心が濁ってしまって、弱ってしまうこともあります。

でも同時に心の中に「清らかな聖なるもの」も存在しています。

落ち込む時ばかりでなく、美しき天使のような温かな心を持つこともできる。

そのような温かな魂(霊)を、全ての人が心の中に持っている・・

そう日本書紀では国常立尊の誕生を基に、後の世の私達に伝えています。

では、節分にまつわる国常立尊のお話をご紹介します。



  

さて豆まきでは、皆さんのお宅ではなんと言いながら撒きますか?

実は、「鬼は内~ 福は内~」が本当は正しいのではないかと言われています。

節分の日は、日本の国祖、国常立尊が世界の艮(うしとら)の方角、 

つまり日本の地に封印された日と言われています。

 

国常立大神(くにとこたちのおおかみ)は、『古事記』においては神世七代の最初に現れた神で、別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対を為し、独神(性別のない神)であり、姿を現さなかったと記されています。

この国常立大神は、地球の原初の頃、地上の修理固成に苦労されていた

「ミロク大神」と「伊邪那岐命」の2神を助ける形で、地上に降臨しました。

国常立大神自身も龍神であったようですが、

他にも数多くの龍神眷属を引き連れてやってきたそうです。

その後も国常立大神は、地球の総司令官として活躍し続けたようですが、

次第にその厳格さゆえに、他の眷属神(八百万神)から不平がもれ始め、 

世界の東北(=艮)の地にあたる、日本列島に封印されてしまう事になります。 

それ以来、国常立大神は、艮の金神、すなわち「祟り神」として恐れられ、

また、疎まれるようにもなり、その存在すらも忘れ去られてしまう事になります。

封印、つまり排除された神とは、まさに戦後、日本が置かれた立場と同じです。

国常立大神の排除の事情は、出口王仁三郎『霊界物語』によれば、以下のようであったようです。


国常立大神の厳格さに嫌気がさした八百万神々や、悪神と化していた盤古大神と大自在天神らによって地上は大変乱れてきました。

そこで国常立尊はやむを得ず、天に向つて救援を要請しました。 

天では

・天照大御神、

・日の大神(いざなぎのみこと)、

・月の大神(いざなみのみこと)、

この三体の大神が、地の高天原に降臨し、

国常立尊の神政および幽政のお手伝いをすることになりました。

国常立尊は畏(おそ)れ謹(つつし)み、三体の大神を迎えました。

しかし地上は国常立尊の神政は勢力を失い、盤古大神および大自在天神の勢力は強く、

ついには国常立尊に対して、御退位を迫る勢いでした。

天の御三体の大神は、 地上の暴悪なる神々に向かって、なだめ、あるいは訓(さと)し、

天則に従うべきことを丁寧に説きたましたが、

時節は悪神に有利であり、いはゆる悪盛んにして、天に勝つ。という状態でした。

 

ここに国常立尊は神議(かむはか)りにはかられて、

髪を抜きとり、手を切りとり、骨を断ち、筋を千切(ちぎ)り、 

手足所(てあしところ)を異(こと)にするやうな惨酷な処刑を甘んじて受けたまいました。

ですが国常立尊は宇宙の大原霊神(おほもとがみ)でしたので、

一旦肉体は四分五裂しても、直ちにもとの肉体に復ってしまうのでした。

暴悪なる神々は、盤古大神と大自在天神とを押し立て、

遮二無二に己の要求を貫徹しようとし、

天の御三体の大神様の御舎(みあらか)まで汚してしまうことになったのです。

その結果、ついに国常立尊に退隠の命令が下ることになりました。


さて天の三体の大神様は、国常立尊は自分の家臣となって居ますが、

元来は国常立尊は大元の祖神であり、

御三体の大神様といえども、国常立尊をご自身で生んだ関係がありますので、

心情としては国常立尊を退隠させることは忍びなかったのです。

  

ですが時節のやむなきを覚り、涙を流しつつ勇気を持って、

しばらくは八百万の神々の進言を、認めることになりました。

その時、天の大神様は、国常立尊に対して後日の再起を、

以心伝心で伝え、国常立尊に退隠をお命じになり、天に帰られました。

その後、盤古大神を擁立する一派と、大自在天神を押立つる一派とは、烈(はげ)しく覇権を争い、ついに盤古大神の党派が勝ち幽政(霊界)の全権を握ることになりました。 

一方、国常立尊は自分の妻神である坤金神(ひつじさるのこんじん)と、

大地の主宰神(金勝要神 きんかつかねのかみ) 

および宰相神(さいしやうがみ)大八洲彦命(おほやしまひこのみこと)、

その他の有力なる神人とともに、わびしく配所(はいしよ)に退去しました。


以上が、国常立尊が艮(うしとら)の地、

つまり日本に封印されたいきさつです。(出口王仁三郎の『霊界物語』より)

そして引退の日、つまり封印された日が、節分です。


国常立尊が封印された後、万神達は国祖の威霊が再び出現するのを恐れ、

七五三縄(しめなわ)を張りめぐらし、

 「煎豆に花が咲くまで出てくるな」と

呪いの言葉を投げかけました。(いった豆から芽が出てくるはずがありません)

さらにその封印の力を強力にするために、節分の日に「鬼は外、福は内」と唱えさせました。 

鬼とはもちろん国常立尊のことです。

節分には、日本中がこの言霊を唱えます。従ってどれほどの威力か測りしれません。 

また節分に炒り豆をまくのには、炒り豆をまいても花など咲くはずもありません。

国常立尊を復活させない「まじない」としての意味があるのだそうです。

ですが、天の三体の大神様は、国常立尊に引退勧告を出すときに、

後日の再起を固く約束されました。

さて、その後日の再起とは何時のことでしょうか?


以前 「3千年王国の始まり」 の記事でも書きましたが、 出口王仁三郎の予言によれば、

2010年より人間の精神性に関する立替え・立直しが始まっています。

ですが神々のやり方は、その最中には、全く私たちが気付かない方法で、進められていきます。

多くの人が期待するような派手で、ドラマチックな、天変地異のようなやり方ではないと思います。

人の心に働きかけるのです。働きかけられた無数の人々は、自らも知らないうちに、有機的に、ジャストなタイミングで、つながります。

あるテーマで集められた人は、同時期に、同じようなことに興味を抱きます。 

また自ら発している波長が同じであるため、同調して集合するわけですが、 

それは、まさに偶然の出会いと思えるかもしれません。

ですが、それは、確実に神々によって計画された出会いです。 

世の中に大きな変化が起こるときは、たくさんのテーマが同時で進行しますから、

テーマごとに人が集めらます。

  

神々の計画に、後ろを向く人もいるでしょう。 

・変化を嫌う人

・心の世界を認めたくない人

・今だけ、金だけ、自分だけの人

ですが、そんな人たちも、類は友を呼ぶ波長の法則により、集まることでしょう。 

まさに変化の時代には、そのような人々を、あぶり出し、目立たさせる効果もあります。 

今、そのような変化が起きています。

   

世の中の変化、全ては、私たち一人一人の心が決めています。 

愛する家族であっても、同じ道を行くとは限りません。 

大きな変化でさえも、その最中、渦中の人には気づきません。

後の世の人が指摘することです。

気付いたら、いつの間にかミロクの世が始まっていた・・ 

そんな形であろうと思います。

決して、どちらの道が良くて、どちらが悪いのではありません。

その人の持つ好みとか嗜好性によって、

進むべき道がドンドン鮮明に分かれて来ているのではないかと思います。

そしてその道は、今までであれば再び交わることもあったけれど、

今の地球での時空間では、もう交わらないのではないかと感じています。

でもそれは悲劇ではなく、自分の好きな道、目的地が鮮明になり、

そこへ向かうがための別れでしかありません。

そして、自分で定めた目的地にちゃんと着くには、

・自分がどうしたいのか?

・何をしたいのか?

・どう生きたいのか?

人に流されず、人に頼らず依存せず。 

自分の信じる道を進む勇気を出してみてください。

私たち一人一人は、神さまに見守られています。

ですから自分の意思・心で決めて進んで行くことができます。

分の人生は人に頼り、決めてもらうのではなく、自分で決めて進んで行かねばなりません。

できるなら、心に張り付いた沢山の灰汁(アク)を少しずつ落とし、

 ピュアな心で、内に居らっしゃる神さまと歩んで行きたいものですね。

 



2022年1月30日日曜日

2593「許し」2022.1.30

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月22日の記事を紹介します。


「許し」


あなたはもしかしたら、 

・子供や家族、

・会社の同僚、

・友人

・すれ違った人々 

の誰かを

「許せない」と思ったことはありませんか?

 

自分の思い通り(期待していた通り)に、動いてくれないとか、

自分の価値観だけで判断し、 相手の言動を許せず、憎んだり

不平を言ったり、イライラしていませんか? 

自分は正義の道を歩んでいるのに、 相手は割り込みしたり、ぐうたらしたり

自分勝手な行動をして・・と、怒ってはいませんか?

でも、その人も、その人なりに・・・ 

一生懸命に、生きているのかもしれないのです。

私達の見えないところに、ご家族もいて

歯を食いしばって、一生懸命に生きている人かもしれないのです。 

今日のテーマは「許し」です。

 

許すこと

人は 

・許されること、

・そして信頼されること 

そのことで、

どんなに心が救われることでしょう。

許してくれた人から,受け取った大きな愛を、

また自分の周りの人々に、

どんどん広めていくことができるでしょう。


私たちの内に、全員の胸に居らっしゃる神さまは決して罰しません。

根気強く私たちを見守り、そして許し続けています。

それはまるで、放蕩息子の帰りを全力で喜び迎えた父、 神の気持ちと同じです。


私たちは、共に許し、許され、そして、愛し愛されて、生きていく仲間同士です。

 

私たちは、常に振動しています。

私たちだけではありません。存在するもの全てに振動があります。

波動を発しています。これを固有振動数と言います。 

バシャールなどの知的生命体の情報では

私たち人間は、平均値で1秒間に7万6000回

 波長の高い方(意識レベルの高い方)で18万回 

肉体を脱いでしまえば、束縛するものが減りますので、

1秒間に33万3000回位なのだそうです。 

意識状態によって、これは常に変化しています。

  

変化していくことで、波長の法則の通り、 繋がってくる世界も無限に変化します。 

・見える物質的な世界

・一般的な神々の世界、霊的な世界

・心の世界

  

私たちを取り巻く世界は、全て自分の心が映す世界・・

ですので、心の波長が見える世界、取り巻く世界を変えてしまいます。 

龍の姿を見て、お酒や、生卵を要求していると感じる方がいるかもしれません。

その同じ龍を高貴な魂の龍と認識する人もいるかもしれません。 

同じものを見ているようで、心の波長により、繋がる世界、認識できる世界は様々です。

私たち人間は、基本的に神々と同じに作られています。 

ですから、神々が全ての次元に存在するように人間も、無限の波長領域に存在できます。 

また、神々が全ての空間に存在するように人間も全ての空間に、遍満して存在しています。

私たちの現在の波長と、フォーカスしている場所によって 接触できる神々の波長も決まってきます。 

自分自身の信念体系に縛られた時空に生きている人は、地獄的な低い振動数で 

同じ神さまを見ても、自由度の低い、束縛する神々と繋がることでしょう。

 

あなたの神さまは 

・祟りをもたらす神さまですか?

・お金や、物を要求する神さまですか?

・些細なことで、お怒りになる神さまですか?

・無知ゆえの失礼を、許してくれない神様ですか?

人の数だけ、波長の違いがあります。 

人の数だけ、信じる神様の姿、性格が異なります。 

自分が正しくあなたのは、誤り・・ 

そんなことを断言する資格は、、、 

誰にもないのかもしれません。 

私たちの内に居らっしゃる神さまは、許しの神さまです。

イエスは

「何度許せばいいのか?」と質問された時、「7の70倍」と答えています。

  

 私も、そんな許しの、愛の神さまといつも、繋がっていたいと思います。 

あなたは、どんな神さまと繋がっていたいですか?

その神さまは、ご自分の心のありさまの通り、ご自分と同じ波長の神様であることでしょう。



2022年1月29日土曜日

2592「意識の量子化妨害プログラム2」2022.1.29


 ――「牡蠣の燻製オイル漬け」がですか?

 

そう。「牡蠣」とは「貝」であり、貝とは「固く閉じる」ことから、「無口」「黙る」「寡黙」という意味があります。英語でも「He is an oyster of a man」(彼は牡蠣みたいな寡黙な人だ)と使われます。この場合の「牡蠣」は「黙れ」ということを意味します。

つまり昨年のクリスマスあたりに岸田総理から安倍氏へ2つの「最後通牒」がなされたのだということ。ひとつは「年度末3月31日までにアベノマスクの在庫を廃棄処分する」そしてもうひとつは「牡蠣」の暗号「もう黙れ」です。

 

――だから「略して清和会」は慌てたのですね。

 

焦って慌てて取り乱した。だからもうなりふり構わず後先を考えずに行動し始めました。

頭を下げて投了しなきゃいけない場面で将棋盤をひっくり返した。だから新型コロナの感染者が再び急増したのです。

一方で清和会側は必死にコロナを矮小化しようとしていますよね。「略して清和会」の頂点は確かに敗北した。しかし、彼らは絶対にあきらめない。

ならばその頂点は何を思ったか?彼が使役する「bot」に徒党を組ませそして用い、反政府運動、つまり反岸田運動を急ごしらえした。

 

――それが“アレ”だったわけですね。

 

義憤に駆られて二元論の「正義」を振りかざし、勘違いした「覚醒」を手にしてしまって

たとえば得体の知れない「集団瞑想」だとかに身を投じてしまうと魂の「ストレージ空き容量」は彼らに憑依されてしまいます。集団瞑想の目的とはまさにそれだけですから。

そうすると、乗っ取られた人は「bot」となります。

 

――そうやって「bot」化していくのですか?

 

いや、そもそもこの三次元ホログラム世界に生きる人は全員「bot」なのですよ。

「知らない誰かの夢の実現に奔走するだけの有象無象のエキストラbotの群集」ね。

つまり「Anon」たちのことです。

 

――そのことはもう何年も前から澤野さんは言っていましたね。

 

しかし、自分が「bot」なのではないか?と気がつくことができた人はアノマリー化するので、「量子誤り」としてバグとなって救世主化していきます。でもそれは厳密には「誤り」じゃない。その「誤り」はあえて意図的に「Q」が生み出したものです。ホログラム世界の中に生きながら、その世界をアップデートさせるアノマリーが必要なのです。

 

――もはや日本国内の問題ではないですし、地球全体、というか、この次元の世界の存亡に関わる重大な局面であることがわかってきます。

 

最初は「大統領選挙の不正は許さない!」だったのですけどね。ものごとには順序というものがあります。理解を深めていくことによって、だんだんとその本質というものが見えてくるのです。

 

――ということは「トランプ大統領」とは一体どういう存在なのですか?

 

そこですよね!ここから先は二元論に拘泥し固執している人たちにとって受け容れ難いことだけしかありません。できるだけ早期に「意識の量子化」を成し遂げないと、アップデートに対応できなくなります。

 

――アップデートに対応できなくなってしまったらどうなるのですか?

 

だから今「更新プログラム」をインストールしていますでしょ。


(※自粛)

「略して清和会」が慌てていることと、この「次元世界」のアップデートで慌てているのはリンクしているのですよ。自分たちがデリートされるプログラムだと気づいているのです。

だから彼らはそのアップデートを妨害し阻止しなきゃならない。だから「略して清和会」は反政府運動をしなきゃならない。「子供たちを守れ!」って。でもその言葉は「嘘」なのですよ。 

(※自粛)

 

――すべてがひっくり返され逆転させられているのですね。

 

このカラクリを解ける人はいるのかな?

 

――聞いたことありませんよ。

 

ですよね。すべては「Looking Glass」(姿見鏡)、つまり「逆さま」ということです。

でもそうなりますと、このことが「不都合」なこととなってしまう人たちが大勢現れてしまうことになるのです。まさか自分がカバールそのものになっていたと気づいた時、果たしてどうなってしまうというのでしょうか?それは私にもわかりません。

 

――想像できない事態になってしまうかもしれませんね。

 

「日本DS」というのは、バビロン系魔術オカルトスピ勢力のことです。満州人脈もみな同じでしょ。大本と紅卍字会が「万教帰一」で意気投合し、世界の宗教を「統一」しようとしてフグ計画と共に「南ユダ満州国」を作ろうとしたわけです。

 

――でも満州国は終戦と共に消滅しましたよね。

 

満州で失敗したその計画は戦後そのままこの列島に移され、密かに実行されていた。その「残党」がこの現代でもまだバリバリ生きています。

この勢力がこれからアラハバかれていくわけですよ。

つまり日本のスピリチュアル界というものがこれからひっくり返っていくということですよ。

 

――でも彼らはそれを素直に受け容れないですね。

  

10月23日のブログ記事『量子意識と衆院選』の後半をぜひもう一度読んでみてほしいのです。 

まず岸田自民が過半数を獲得し岸田政権が国民から承認されたという形になった場合は、

清和会の敗北にダメ押しが加わるわけですよね。

ということは、コロナはほぼほぼ収束という形になります。

たとえ清和会の議員が当選しようとも、総理大臣が岸田氏であるならば、コロナはほぼほぼ収束という形になっていくでしょう。

ただし、自民党内での下野が彼らにとっての政権交代にカウントされているのであるならば、ここで地震か噴火かそれに準ずる災害の発生が懸念されます。

そして、野党連合が政権を獲得した場合は、清和会は野党連合という姿に形を変えた「スペクター」(実体のない幽霊)となりますので、自民党内で下野したのにも関わらず、それを認めず水面下に潜り、党派を超えて暗躍することが想定されてきます。 

そうなりますと、野党連合による噴飯モノの災害対応に国民を辟易させることによって再び清和会が息を吹き返すためのチャンスと捉えられるでしょうから、地震か噴火かそれに準ずる災害の恐れがあるということ。


・ブログインタビュー『量子意識と衆院選』より

  

――寸分違わず完璧に「予測」されていましたね!これには本当にびっくりです。

 

“彼ら”は国境を持たないグローバリストです。

“彼ら”はかつてニューヨークで「9・11」の狼煙を高らかに上げました。

“彼ら”は地球規模で暗躍する「スペクター」。 

世界は満州関東軍の亡霊「岸一派」と戦っています。そのことを「テロとの戦い」と呼びます。その頂点に君臨してきたある人物、“彼”がこのたび敗北したのです。

 

――だから“彼ら”はこれから世界を舞台に「テロ」を行うということですね。

 

清和会の敗北と同時に衰退するはずの“彼”の力。しかし、彼は最後の最後に、もうダメかというその時に、逆恨み逆ギレ報復をやると思います。国民はすぐに忘れますが、彼は絶対に忘れないのです。だから細心の注意を払わなければならないのです。 

しかし彼は敗北したのです。いずれ力は衰えていくのでしょう。しかし彼はすんなり諦めるようなことはしません。それでも諦めなければならないとなったなら、“彼”はこの日本、日本国民、いや世界を道連れにしようとするでしょう。 

「ボクの思うとおりにならない世界ならぶっ壊してやる」

「ボクを責めるならこの地球ごと焼き払ってやる」 

これが彼のメンタリティです。

 

――ということはトンガと大分は……

 

まさにその「始まり」だと私は見ていますよ。だから、岸田総理は今まさに重責を担っているのだということ。そしてそのことに、ヤハウェがコードシェアしてきています。

世界のカバールDS掃討作戦が成功するか否かは、日本のカバールDSの行く末によって決まるのだということ。

 

――無事に年度末を迎えられるでしょうか?

 

どうなるでしょうかね?「年度末」について言っているのは岸田総理だけじゃないですよ。

ビル・ゲイツ氏はコロナについて同じようなことを言っています。

WHOテドロス氏も同じです。なぜでしょうか?

ビル・ゲイツは「悪魔」だったんじゃなかったですか?

 

――すごいですよね!すべてがひっくり返っていく瞬間ですね!

 

みんなこの幻想ホログラム世界の中に、いろんな役目があっていろんな役柄で登場する

botのプログラムですよね。

 

――もはや「善」とか「悪」の対立ではない世界に入っていますよね。二元論という古いコードの世界は終わったのですね。

 

完全に終わりましたね。今、善悪の対立を前面に出して人々を煽っているのは、古いコードの世界を死守したい勢力であり、アップデートされた新たな世界を拒否し妨害するプログラムだということ。

でもその妨害プログラムは「Q」から出されてるのです。ここが重要なところですね。でもそのアップデートはどうやら成功しそうな雰囲気はありますね。

 

――成功するといいですね!

 

さすがに今回は失敗できないですからね。

 

――そうですね。久しぶりのインタビューでしたが刺激的で衝撃的で本当に驚きました。

澤野さん、ありがとうございました!

 

こちらこそありがとうございました。インタビューが遅れてしまってすみませんでした。 

あ、あと申し遅れましたが「12番原稿」が完成しております。

 

――完成しましたか!まさに渾身作ですよね!

 

長い旅路でした。完成して本当によかったです。

(澤野大樹)

 

今回もまた、お見事としかいいようがない完璧だった澤野氏の予測。

そして新たな所見。さらに驚くべきは全ては逆の「Looking Glass」。

彼の一歩一歩着実に積み重ねられた百戦錬磨の経験から導き出される『予測』は、もはや誰にも真似できない。そのすごさたるや、己を極限まで打ちのめされるレベル。

まさしく、物事の深淵の底までおし極めた成熟した意識あってこその見解だと思います。 

画像出典:マトリックスレザレクションズ予告より

お陰様で、青森講演会は第13回目を迎えようとしております。思えば、大激震の渦中をひたすらに突き進み、その流れの中を澤野氏と共に駆け抜けてきたような気がしております。

みなさまとも多くを学び、時代の軌跡をこうして刻み続けているということは、何よりの歓びであり、希望です。

世界的に先駆けて霊的意味を成すこの日本に生まれ、時代のアップデートの只中に生き、

こうしてみなさまより機会を賜りましたことに深く感謝申し上げますとともに、2022年が素晴らしい年でありますよう心から願っております。

待望の最新活字版原稿⑫をお届けする機会が到来いたしました。

タイトルは、『Entanglement』(エンタングルメント)

かつて、これほどまでに「量子もつれ」を解き明かし、「量子コンピュータ」の本質を

見事に『種明かし』した文書は存在したでしょうか。まさに、天衣無縫の極みです。

人の意識をアップデートするための『量子誤り訂正符号プログラム』であり「ひとつ」(〇)に戻すためのプロセスが提言されたドキュメントです。 

その内容は衝撃的過ぎるがゆえに、例外なく興奮し、欣喜雀躍して椅子から転げ落ちるだけでは足りず、悶絶しながら絶叫することでしょう。 

しかし、そこには完全なるヤハウェセキュリティシステムが搭載されています。 

『無知の知』と同様に、「私は無知の知を知ってしまった」と無知の知を前に無知の知を曲解し全能感を持って全知を誇りたくなる罠がかけられているのです。 

縄文スピリットはサイレントマジョリティー、サイレント(寡黙)なのです。 

意識を量子化させ、縄文スピリットを会得していないければヤハウェシステム領域には簡単に介入できないという自然なセキュリティがかかっています。 

元は「ひとつ」(〇)弥生南ユダとて、じつは無意識で「ひとつ」に戻りたいのです。

彼らこそが最も「戻りたい」と、そして、本物を切望しているとも言えます。 

、ゆえに「略して清和会」が存在しているからこその、この世界のアップデートであると思います。そしてこの世とはまさしく「良い」であり「悪い」でもあり、両者がもつれた「量子もつれ」の世界です。それはまさに「量子コンピュータ」なのです。

最新活字版原稿⑫のお申し込みは

こちらからご用命ください。

講演会でもアナウンスしていますが、活字版原稿の内容はネタバレNGです。

SNSやYoutube等にその内容をアップロード、引用・転載することはご遠慮ください。

 

第13回青森講演会は、県による感染予防強化対策要請を受け受付を終了いたしました。

あしからずご了承ください。 

澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子




2022年1月28日金曜日

2591「意識の量子化妨害プログラム1」2022.1.28

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2022年1月25日「意識の量子化妨害プログラム」の記事を2回に分けて紹介します。

https://ameblo.jp/riyanmichaki/


「意識の量子化妨害プログラム」


みなさん、こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。

新年が始まって早々、世の中はますます混迷を極めています。

ブログインタビューも間が空きましたが、これも、有難き『塞翁が馬』であり、このような世相の背景には、見紛うことなき完璧なヤハウェシステムが稼働していると、そう身をもって実感した次第です。 

さて、

――澤野さん、こんにちは。

前回のインタビューは11月9日でしたから、もう2ヶ月以上も経ってしまいました。

 

お久しぶりです、こんにちは。本当にあっという間ですよね。私としてはそんなに間を空けたという感覚はないのですが。

 

――年末はかなり精力的に動いていらっしゃいましたよね。

 

11月末から5時間講演会が5週連続でした。ずっと「bot」の話をしてきましたよね。年末は本当にギリギリまで仕事をしていました。年末は12月26日の名古屋が最後となって、

2021年40回目の新幹線で帰京しました。しかも関が原での大雪の影響で、車体下部に付着した雪の除去作業を豊橋駅で行うための順番待ちで、三河安城駅にのぞみ号が臨時停車をするというきわめてレアな体験ができて最高でしたよ。 

去年、盛岡駅で雪の影響でこまち号の到着が大幅に遅れて、増結できないまま、はやぶさ号だけで単独発車したのに匹敵するくらい貴重な体験でしたよ。

「うわー!こまち置いて行くんだ!」

「なんて無慈悲な…はやぶさ、なんておそろしい子…!」って。

 

――それ最後『ガラスの仮面』ですよね?

 

そう…、白目が光りながら。

 

――アクシデントを楽しむタイプですね(笑)

 

毎回アクシデントしか起きませんからね。一番エキサイティングだったのは、去年、東北地方の地震で東北新幹線がトンネル内で緊急停車した時ですよ。

地震発生から約3秒で非常ブレーキがかかり、非常停止距離はおよそ4000メートル。突然バチッ!て停電して照明が落ちて猛烈な非常ブレーキがかかってトンネル内で停車しました。完全にブラックアウト状態でしたよ。何も見えない真っ暗になった。最高速度からの停電と非常ブレーキってホント、聞いたことのない音がするんですよ。次の停車駅は「きさらぎ駅」ってアナウンスされたらどうしようかと思いましたよ。ただでさえ新幹線はオバケが出ますからね。緊急停車が「坂野坂トンネル」じゃなくてよかったです。

 

――澤野さんは鉄道が好きなのですか?

 

いいえ、目の前の瞬間を楽しんでいるだけです。

 

――この前「E5系じゃなくてH5系に乗れた!」って喜んでいましたよ。

 

そうでしたっけ?

 

――そうでしたよ。

 

ぐぬぬ・・・

 

――怒涛の年末はかなりお疲れになったのではないですか?

 

それはかなりありますよ。12月半ばの時点で「閃輝暗点」(せんきあんてん)が現れてしまいましたから、ああこれはマズいかもなと思いましたよ。

 

――「閃輝暗点」ですか?

 

レーザー光を当てたスワロフスキーのように輝く蛇がとぐろを巻くかのようにキラキラギラギラとうねりながら回転するんですよ。これはすごく綺麗だから見とれて感動するくらいなのですけど、パソコンの画面がそれに覆われて視界全体がキラキラギラギラになってしまう。そして多くの場合、閃輝暗点が見えちゃったらヤバいってことになる。

芥川龍之介の小説『歯車』がそれですよね。肩は凝るわ、腰は痛いわ、足はつるわ、まさに満身創痍でしたね。というわけで、年末年始はおいとまいただきました。

 

――さて、澤野さんはこれまでずっと日本のDSとは清和会であって、昨年の自民党総裁選、

衆院選と続く中でその清和会は完全に敗北したと仰っていました。総裁選で岸田氏が勝利してから4ヶ月ほど経ちますがいかがでしょうか?

 

自民党清和会が敗北したのは事実ですよね。これほど巨大な出来事は近年なかったというくらい巨大な出来事でした。2000年の「加藤の乱」以来、21年に亘ってこの日本を、我が物顔で好き勝手に改変してきた清和会の権力体制が、一般国民にはその実情を悟られないまま終焉しました。

 

――ほとんど誰も清和会が敗北したなんて言っていませんよね。

 

そこなのですよね。よほどのタブーなのかわかりませんが誰も言いませんね。反カバールDSを自称するネット上のインフルエンサーたちも、不思議なことにこの清和会の敗北については口をつぐむだけでなく、あえてこのことを避けて、人々の関心を別の話題に向けることに傾注しているようにも思えてしまいます。

 

――敗北したのにもかかわらずまだ何かを忖度しているということですか?

 

自民党清和会の本丸はきちんと敗北したのですよ。だから総裁選、衆院選の後、新型コロナの感染者数は限りなくゼロになりましたでしょ。でもね、清和会というのはじつに裾野が広いのです。裾野が広いというか奥が深く根も深いのですよ。私は「清和会」と一言で申し上げておりますが、それは彼らの本質を的確に表現すると長すぎてしまうので、略して「清和会」としているだけです。

 

――「略して清和会」ですか。

 

そりゃあもう、ソロモン王の時代からソロモン王南ユダ2部族バビロン捕囚と続き、バビロンからあらゆる魔術オカルトの要素を身に纏い、日本では弥生農耕徐福秦唐衆空海高野山と続き、その先はブログ記事に書くことはできませんが、100個以上の肩書きがあってからの最終的に「清和会」となるのです。ものすごく長い表記になってしまいますから、略して「清和会」としているなのです。

 

――ということは澤野さんが言う「清和会」とは、単に自民党内のいち派閥だけを意味しているのではないのですね。

 

そのとおりです。最終的に「清和会」となっていますが、基本的に彼らは「オカルト魔術スピリチュアル勢力」です。しかもその100個以上の肩書きの別々の勢力と思われるものが、

じつはすべて繋がって連携しているのです。私はそれらの総体を清和会と呼び、そしてその「略して清和会」こそが「日本DS」であると言っています。

 

――「日本DS」の本質はきちんと理解したいです。

 

ネット上のインフルエンサーたちは「略して清和会」のことを無視していませんか?それは、インフルエンサーたちの多くが日本DS」側のスポークスマンだからではないですか?

 

――トランプ氏を応援し最新情報を伝えているのに、なぜか一言も「略して清和会」に触れないだけでなく、わざと別の話題を振って人々の興味の矛先を変えようとしている人たちが確かにいますよね。その人たちはじつは「日本DS」側の人たちだということになりますよね。

 

そうです。インフルエンサーの役割っていうのは、日本のDSの正体を誤魔化し見えなくすることです。直近で言えば、「清和会が敗北した」ということを徹底的に隠すために、その他のどうでもいい「陰謀論」をジャブジャブ提供しました。「清和会が敗北した」という事実を隠蔽できるのならば、何でもいいのですよ。宇宙人のチャネリングでも霊言でも何でも。

 

――清和会系のスピがあるわけですね?

 

戦後の日本のスピは基本的には大本ベースですからね。「略して清和会」の人たちは基本的にバビロン系魔術オカルトスピ勢力ですから。それがネトウヨ系スピを統括しています。

簡単に言えば「日月神示系スピ改憲派」とか、私は「味スタ系」と呼んでいますけど。あとは「ニューソート引き寄せMLMマモン系」でしょう。どちらも出どころはバビロンですね。

 

――どうして彼らはそこまでして「日本DS」の存在を隠して誤魔化さなければならないのですか?

 

「日本DS」が「世界DS」の中心でありトップだからですよ。かつての古代イスラエル王国の、北イスラエル王国10部族も、南ユダ王国2部族も回りまわって巡りめぐってこの列島に凝縮されているのです。

 

――澤野さんはずっとそう言い続けていますね。世界のDSの中のひとつが日本のDSなのではなくて、日本のDSが世界の中心であり中枢であるということですか?

 

古代イスラエル王国がこの列島に凝縮されているのですから、中心であり中枢ということになってしまうのですよ。

 

――私たちが通常考えている「日本」と、その奥深くに蠢くもうひとつの「日本」が違うということですか。

 

彼らは「スペクター」ですからね。彼らには国境もないし組織の実体もない。変幻自在に姿かたちを変え、いつでもどこにでも存在します。正体を隠して水面下でヒソヒソと内輪の秘密会議ばかりしています。

 

――なぜそんなことをするのでしょうか?

 

彼らには「奇跡」は起きないからです。大いなる「ひとつ」から断絶した彼らには、本当の意味での「奇跡」が起きないのです。だから自分で演出しなければならない。まあかつて自分たちの意志でそのような選択をしたわけですから。

 

――彼らは「人身掌握」のテクニックを使っていませんか?

 

もちろん使っていますよ。バビロン由来の詭弁、詐術、催眠術を駆使して日本の一般人を「その気にさせること」など赤子の手を捻るが如くよ。そうやって明治維新以降のこの「日本」の虚構と幻想世界を維持管理してきたわけだよね。

 

――でも私たちがそのことに一度でも気づいてさえしてしまえば、それらはその瞬間から砂上の楼閣となりますよね。

 

バベルの塔は砂の上に建っていたわけだ。無垢の人を騙すことなど簡単なことなのだと思います。彼らはそうやって数千年に亘って世界中を彷徨ってきました。そのことに気づくためには、何かを待っているだけじゃダメ。それはもう膨大な勉強が必要になります。

 

――付け焼刃では通用しないということですね。

 

そう。「清和会」ひとつとっても、その本質をきちんと理解するためには年単位の猛烈な勉強が必要。

 

――上辺の「単語」だけなぞってもダメだということですね。

 

毎日のホンの小さなことの積み重ねが後々生きてきます。ある日、ある瞬間に突然「覚醒した」とかするとかは無いの。もしあったとしたらそれは勘違いです。またその勘違いの「覚醒」を肯定しそそのかす者がいたならば、その人は「覚醒」を妨害するプログラムであり

カバールそのものだということ。

 

――でも多くの人たちが「覚醒した」と言っています。

 

悲劇が進行しているということだね。

 

――今、日本では何が起こっているのでしょうか?

 

勘違いしたニセの「覚醒者」を増やすことによって本当の覚醒に辿り着けないようにしてる。

 

――彼らは徒党を組んで反政府デモをやっていますよね。

 

徒党を組むことに何も疑問を抱かない時点で、彼らは完全なる「bot」なのですよ。マスクを外してもbotはbotなのですよ。問題はマスクじゃない。岸田政権になってから急に「反政府デモ」が計画された。つまり、そのデモを企画した本体はどこにあると思いますか?

 

――「略して清和会」ですよね!

 

そのとおり。このようにして「略して清和会」は、人の良心を利用し、逆転させ、カバールDSに対峙しようとする無垢な者たちを、カバールDSの走狗、またはそのものとするのですよ。

 

――なぜ今そのような事態になってしまっているのですか?

 

もう彼らには時間がないのでしょう。

 

――時間がない!?

 

12月22日に岸田総理および厚生労働省がきちんと言いましたよね。大量の余剰在庫を抱えた「アベノマスク」を、2022年の3月31日までに廃棄処分するって。

 

――言いましたね!

 

あれは「暗号」なの。「アベノマスク」という大量不良在庫、つまり「残党」を、年度末までに完全に処分しますよ、という暗号ね。

 

――うわっ!

 

この報道がなされた直後から、「マスク入手が困難だったあの時期のアベノマスク配布は本当に助かりました」というネット投稿が溢れましたね。つまり、やはりまだ末端の「残党」が残っているわけです。

 

――そういうことになりますか。

 

そして翌日12月23日に、岸田総理は安倍氏と「年末のごあいさつ」として、25分間会談しましたね。そこで岸田総理は安倍氏に、岸田氏の地元名産「牡蠣の燻製オイル漬け」を手土産にプレゼントしました。これも「暗号」なのですよ。

(明日に続く)


2022年1月27日木曜日

2590「心を受け取る」2022.1.27

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年01月21日の記事を紹介します。


「心を受け取る」


見えない世界に精通し、不思議な能力を持っている。 

そのような力に頼ることよりも、自分自身の心の浄化、純化が、どれほど大切なことか。 

そちらの方が遥かに永続的で、真の力を発揮することか。



自らの心を清める事、感謝の心で過ごすことが、どれだけ宇宙神を喜ばせ、

大きな助けを引き出すことができるのか。 

様々な情報をどのような角度から見ても、結論はそうなります。 

力あると吹聴する他人に依存するのではなく、自らの心を洗うこと・・・

では、今日もその最強の方法である心の浄化についてのお話です。

神々による建て替え、

人々による建て直し

今行われている進化の方向性は、一人一人の精神性が大切にされる世界への移行 

それは、

・誰か悟った人によって起こされるのではなく

・霊的な力がある人によって起こされるのではなく

・有名な前世を持つ人によって起こされるのではなく 

私達一人一人の心の変化によってなされます。 

私達の心が、今までまとっていた

・罪(包身)

・穢れ(氣枯れ)

を祓い落し、 

本来の輝きを取り戻し、他人や物に依存することなく、自分の力で、しっかりと大地に根を張り、身近な周りの人たちと認め合い、笑い合い、助けい合い、生きていくことで、実現される社会です。 

大本の神様からいただいた心・魂にはその力が宿っています。

それでは、今日も心の罪、穢れを祓い、美しい心を取り戻すためのお話です。 

今日のお話は「心を受け取る」ということで、ある方の思い出話をご紹介します。

田舎者の父と息子の大学卒業にあたってのお話です。 

お父様は田舎者で、また裕福ではありませんでしたが、

まじめで、実直で、子供を心から愛しておられた方でした。

<引用開始> 引用元


三月は卒業式のシーズンである。

卒業式といえば、私には忘れられない父との思い出がある。

私の大学の卒業式に出席するため、それまで天草をほとんど離なれたことのなかった田舎者の父が、一人で博多までやってきたのである。

私は驚いた。父は下宿の私の部屋に泊まった。

 

卒業式の朝、父は大学の門の前で立ち止まり、じっと門を見つめたまま、しばらく動こうとはしなかった。

学部ごとの謝恩会の席で、父と私は一箱の折り詰め弁当を分け合って食べた。

そして、一合ビンの日本酒を、交互につぎ合って飲んだ。 

父は実に嬉しそうであった。

私はその時の父の嬉しそうな顔を、今でも忘れることができない。

卒業式のあとで、私達は親友二人と共に、大濠公園に行った。

親友達とも、その日でお別れであった。

私は公園のベンチに座って、その親友達との別れを惜しんだのであった。

父は少し離れてなぜか寂しそうに、私達を眺めていた。

翌日、父は黙って天草に帰って行った。

しかし、その時の父のなぜか寂しそうな姿が、長い間ずっと、私の心の中から離れなかった。

その父が四年前に亡くなった。

亡くなる一年ほど前に、入院して寝たきりになった父が、ベッドの中で、私の手をしっかりと握って言ったのである。

「お前の卒業式の日あの公園での悔しさは、今でも忘れん。

金がなくて皆にジュースを買って、飲ませることもできんかった。

本当にすまんかったな。

おれは悔しくて、帰りの汽車の中で、涙が止まらんかった」

父は三十数年もの間、その時のことを、悔やみ続けていたのである。

  

私はその時、八十八歳の父の心の風景をはっきりと見た。

そして、卒業式の日の大濠公園での、あの父の寂しそうな姿を、

三十六年たって、初めて理解できたのであった。

私は仏壇にかざった父の写真を、しみじみと見ながら

「気にするなよ、おやじ」とあらためて呼びかけている。

<引用終了>


お父さんは、息子さんが大学に入学し、とても嬉しかったのでしょうね。

自慢の息子さんですね。

そして「卒業式」

お父さんは、どんなに晴れやかな気持ち、誇らしい気持ちで上京なさったことでしょう。

貧しい農村の暮らしでは、大学に行かせるのにどれだけ苦労したことか、想像に難くありません。

そのお父様が、36年間、ずっと引きづっていた気持ち 

晴れやかな門出の日に、

息子が友人たちと別れを惜しんでいるとき、 

親として1本のジュースも買ってあげられなかった。。

・その悔しい気持ち、

・情けない気持ち

・息子や、友人たちに、すまない気持ち

胸が締め付けられます。 

ですが、ここで、もし状況が異なり 

家庭が裕福で、何の苦労も無く、息子さんを大学に通わせることができ、 

友人たちの別れの際には、惜しげもなく、高価な飲み物を渡したとしたらどうでしょうか?

きっと、このような、胸を打つ経験はできなかったことでしょう。

このように強い愛情を感じることもなかったでしょう。 

息子さんは、深い深い父の愛に、気づくことも感謝する気持ちも起きなかったことでしょう。

魂に刻み付けられる心と心の交流、

地上でしか味わえない、魂の震えを感じることもできなかったことでしょう。

  

このように、私たち人間は、周りの方々と、日々織りなす経験を通じ、、 

時には喜び、時には涙を流しながら、深い深い経験を積んでいます。 

もし、何の苦しみも、悲しみも無ければ、地上を離れる時に、

薄っぺらな、心の片隅にも残らない、つまらない人生でしかなくなることでしょう。

きっと、楽な人生ではあったけれど、深く後悔することでしょう。

私たちは、神様に似せて創られました。 

この地上で、

・物ではなく、

・幸福だけを選り好みするのではなく、 

相手を思いやる美しい温かな心を、受け取るために、 その温かなものを、周りの人々と、循環させるために ここ地球に生まれてきました。

  



2022年1月26日水曜日

2589「神さまの氣」2022.1.26

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年01月20日記事を紹介します。


「神さまの氣」


このブログもお蔭様で、日々沢山の皆さんから読んでいただいています。

出来れば一つでも実践していただき、お幸せになっていただきたいと思います。 

また、大変申し訳なく思うのですが現在コメントやメッセージを通じた個人的なご質問や、ご相談にはお答えできない状態です。 

コメントに、お返事できないこともあります。

また、誹謗中傷を意図するコメントは削除することもあります。

エネルギーを、記事を書くことに専念したいと思うからです。 

私も普段はIT関係の仕事をしており、仕事の合間に、こうやってブログを書いています。

お金儲けのためではありません。ライフワークとして、個人として書いています。 

本当に申し訳ありませんが、ご承知いただけるとありがたいです。


さて今日は、神様の氣についてです。 

大抵の神社では、お守りやお札に、そこの神社の神様の氣を入れてお配りしていると思います。 

そして年月が経ち、ご自分で氣が抜けてきたと感じたら、お札やお守りを神社の古札入れなどに納めに行くと思います。

神社では、それをお焚き上げなどして、神様に元の神の世界にお戻りいただきます。

そうすると、お守りや、お札は、単なる物質になりますから焼却したりします。

ですから、例えば霊峰八海山の山開きのご神事などでは、終わった後 

「神さまにお戻りいただきました」と宣言がなされます。 

また、誤解されやすいこととして、御守りやお札に神様ご自身が籠っており、普段は沈黙し、いざという時に目を覚まして活動をする・・

というイメージではなく、神さまの氣に入っていただいたお札やお守りは、その神さまの依り代、直通電話のような働きをしており、神々は、もちろん、普段から人々のために、あらゆる場所、次元で自由闊達に働いているのですが、いざという時、必要に応じに、その電話を通じ、その場所、その人の所へいらっしゃるというイメージの方が的を得ているように思います。※個人的な意見です。 

もちろん高位の神様は、どの場所、どの次元にも存在できますので、意識を向けるだけで、そこに移動できるようですが、氣を宿した依り代があると、より感度が上がり、通じやすくなるのではないかと思います。

  

次元が上がるにつれ、一時に同時に意識をフォーカスできる数が増え、たとえば、一説では、イエスの場合、同時に1万か所、意識を分散できるとのこと。

要するに、同時に自分の分身が1万か所で行動できるということです。 

神様に降りていただくということは、春日大社 元宮司の葉室頼昭さんによれば、古式にのっとって、祝詞を上げたりご神事を行うことで、本当に神様がご降臨されるとのこと。 

要するにテクニカルと言うことです。

その方法(技術)さえ正しければ、神職の方の人間性に、あまり左右されません。 

本来は、清く正しい心の持ち主の神職の方がご神事を行ってくださればよいのですが、 

同じ人間ですから、神職の方と言えど様々いらっしゃいます。

時には私たち一般人のように、欲望から様々な事件を起こし、新聞沙汰になる方もいらっしゃいます。 

生きている間は分け隔てなく、どなたも心を清らかに保つために精進が必要ですね。 

・心を振り返ること

・感謝の心を持つこと

・おかげ様、お互い様で、許しあうこと 

大切なことです。 

どうやってそれを見分けるのか? 

それは、小林正観さんが仰っていたのですが、その方の、まわりにいる人たちを見ればいい。

まわりにいる人たちが、笑顔で幸せそうで、楽しそうに過ごしているか? 

良き人は、見た目は普通の格好をしています。

そして、まわりには、笑顔で、幸せそうな人たちがいっぱいいます。

とてもいい仲間に囲まれている。

一方で、悪しき心の残る人は、過度に荘厳(そうごん)で、重々しく、威厳に満ちた姿、形、格好をしている人が多い。

そしてまわりには、笑顔で幸せそうな人はいない。

どこか不幸そうで、悲しく、まったく笑顔のない人たちに囲まれている。

とのこと。

確かにそうかもしれません。 

このお話は、占い師の方について仰っていたのですが、神職の方も同じだと思います。

  

さて神様の氣 、私たちの意識も同じ働きができます。 

意識を物や人に宿すこと、飛ばしたりも同じことです。

生霊とか、誰かに見られている気配がする・・振り返ったら誰かがこちらを見ていた。

これらは、意識のエネルギーが飛んだと言ことです。

また意識は、時間、空間の制約を受けませんから、自分自身の過去や未来に飛ばすこともできます。 

子供のころ、車に轢かれそうになった。 

どこからか「あぶない」という大きな声が聞こえ、助かった。 

何十年かして大人になった時、夢を見た。

子供が車に轢かれそうになっているのを見て思わず声をかけてしまった。 

よく考えたら、その姿は、子供のころの自分だった・・など 

基本的には善意の神々は、この意識の力を、人々をお救いくださるために使っています。 

有難いですね。 

私達も感謝の心、人を思いやる気持ちなどで、周りにいらっしゃる方を、幸せなエネルギーで包み込むことも可能です。 

また、その逆もしかり。

  

ですが、波長の法則、類は友を呼ぶの通り、自分の出すエネルギーと同質のものを自分に引き寄せますから、良き方向に、その力を使いたいものですね。

 



2022年1月25日火曜日

2588「人と神々を繋ぐご先祖さま」2022.1.25

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年01月19日の記事を紹介します。


「人と神々を繋ぐご先祖さま」


6歳の神様トキ君の動画の中で、

生きている私たち人間の願いを神様に届けてくださっているのはご先祖様 

というお話があります。

私も昨年秋、このことに関して記事を書いていました。 

何処かのどなたかのお役に立ちそうなので、加筆して掲載します。 

先祖供養は、私達生きている人間の心・身体を健康にするために、非常に大きな力を発揮してくれます。 

・心身に不調のある方

は しっかり読んで、どうぞ実行なさってみてください。



先祖供養と言うと皆さん、どれだけ重要なことかピンとこないかもしれませんが、私達と、神々を結ぶために、非常に重要な役割をなさってくださっているのがご先祖なので、そこの関係性をクリアにする先祖供養には大きな意味が在ります。

まずは、実際に起こった事実からご紹介します。

 

皆さんは、イエスのこんな逸話をご存知ですか?

イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。

弟子たちがイエスに尋ねた。

「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。

本人ですか。それとも、両親ですか。」

イエスはお答えになった。

「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。

神のみ業がこの人に現れるためである。 

そして神々の力を借り、目を癒され、見える様になさいました。

当時、ユダヤ人の間では、障害をもって生まれたり、大きな苦難に見舞われた人は、本人か両親、先祖が罪を犯したためだと考えられていました。

そしてその人は周りの人たちから、冷たい目で見られるとともに、自分もみじめになるのでした。

生まれつきのことなのに・・

自分ではどうすることもできないのに・・

ですが、イエスは明確に言ったのでした。

本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。

神のみ業がこの人に現れるためである。

これと同じことが、生命にかかわることが先日 竹之高地不動社の裏手の神の山で起こりました。 

神の山のてっぺんにある天空農園への道すがらです。

天空農園 夏至の日の日の出
 
天空農園からの景色

先日、天空農園の女性の車が路肩から外れ、崖から転落しそうになってSTOPしました。  

右側は急峻な崖です(落ちたら大けがするかもしれません)。左は山。

運転していた方は、考え事をしたり、よそ見をしていたわけではないそうです。 

それなのに、通り慣れた道で、脱輪。

 

皆さん この状態で、車が崖から落ちない・・と言うことが信じられるでしょうか?

完全に物理法則から逸脱しています。 

幸いケガもしませんでした。 

ですが、この写真、物理的にあり得ないような状態で止まっているように見えませんか?

普通なら崖から転がり落ちていても不思議ではありません。 そんな態勢で止まっています。


そして、その後 分かった真実があります。

この時、お不動様が助けてくださったんです。

つまり神々の奇跡が起こるためのお膳立てだったのです。

そして、お不動様だけでなく、お不動様の待従の、 

・セイタカ童子

・コンガラ童子 

も手伝ってくださり、車を止めてくださったのだそうです。 

左の前後の車輪が、まるで道路をかき込むように、咥えこんでいるのはそのせいです。 

今回のこの脱輪は、この事故が起こる日の朝から先達には、お知らせがあったのだそうです。

この事故は一見不幸に見える出来事を通して、

まさに お不動様が、日ごろから、加護してくださっていることと。

いざという時に、目に見える形で助けてくださることを、

一般の私達でもわかる形で見せてくださった出来事でした。

神々の栄光を表すために路肩を外した女性に役割が与えられ、

事件(悲劇)が起こり、神々の力が発揮され、全てが無事に収まりました。 

残ったのは感謝の心です。 

ありがとうございました。

いつもありがとうございます。

その後、危険防止のために、ロープが張られました。 

そして、神様からのお知らせでわかった事実があります。

それは、この事故、命の危険に際して、この女性の既に亡くなったお父様の働きがあったのです。

見えない世界、つまり黄泉の国のお父様が、この命の危険に際し、お不動様に彼女の助命を求めてくださったのです。 

そして神々が動いてくださいました。

 

以前、宝徳様の神職の女性が「先祖供養」について話してくださったことがあります。

それは、私達生きている者と、神さまの間に、ずらっとご先祖がいらっしゃる。

つまり、神さまと生きている私たちを繋いでくださっているのが、ご先祖。

先祖供養をすることで、私たちまで命を繋いでくださったことに対する感謝を伝え、

(どんなにか、苦労を重ね、喜び悲しみを経験し、生き抜いてくださったことでしょう) 

そして、神様と私たちの、その道の間にいらっしゃるご先祖。

どなたも、神の光の道からそれないように、

真っすぐに神様の方向へ進めるように足元を照らすように、お祈りするのが、先祖供養です。

そう教えていただいたことがあります。

先祖の方々が、連綿と繋がり、神様と繋がってくださっているために 、私達生きている人間と神々とが繋がることができます。 

間にはご先祖がいらっしゃいます。 

何か命の危険や、危機が迫った時、人間側ではいかんともしがたい事態が起こった時、

先祖の方々が、神様にその「危機」伝えてくださいます。

  

私達から神様まで繋がる長い長い道 

その間にいらっしゃる先祖の方々が

一人でも

・誤った道にいらしたり

・日の当たらない場所にいらっしゃると 

この私達--神様のラインが途切れてしまいます。

日ごろから「先祖供養」を行い、ご先祖に「感謝」の念を送ることで 

黄泉の国にいらっしゃるご先祖の足元が神さまの光で照らされ 

真っすぐと神様へと続く道に戻ることができます。

  

先祖供養とはこのように、決して迷信や、抹香臭い古めかしいしきたりではなく、現実世界、そして黄泉の国までもまたぎ、私達と、神様をしっかりと結びつけるために非常に重要な役割があります。

   

元春日大社宮司で、日本の形成外科の草分けだった葉室頼昭さんによれば、

縄文の時代、古き日本に伝わる神道では

・感謝の心

・先祖供養

この2つが最重要なものとして語られています。

皆さんも是非、普段から、ご先祖をしのび、感謝の心を向けてみてください。 

きっと黄泉の国にいらっしゃる皆さんが喜んでくださり、そして、いざという時に、

私達と神々をつないでくださることでしょう。



2022年1月24日月曜日

2587「宇宙からの助け」2022.1.24

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月18日の記事を紹介します。


「宇宙からの助け」


一昨年からの感染症の影響で、世の中のあちこちで、重苦しい空気が張り詰めています。

緊張の糸が張り詰めた時、エネルギーが限界を超えて集まった時、

必ずそれは爆発することによって緊張が解かれ、次のステージが始まります。 

マスコミや国、その他見えざる権力者による(恐怖をあおる)情報操作もあるかもしれませんが、風評、噂、恐怖感からとはいえ、現実に客足が減り、経済が回らず、倒産、強制解雇など、悲惨な境遇に置かれていらっしゃる方もおります。 

こんな時、何にすがったら良いのか? 

・能力を持っていると吹聴する他人か?

・国や権力か?

・神仏か? 

何かに頼りたい気持ちは、人間なら誰しもあります。 

ですが、こんな状況の中でも、宇宙の法則は、きっちりと正確に働いています。


それは、与えたものが受け取るもの、という法則です。 

投げかけたものが返ってくる、

投げかけないものは返ってこない。

・愛すれば 愛される。

・愛さなければ 愛されない。


・嫌えば 嫌われる。

・嫌わなければ 嫌われない。


・裁くものは裁かれる

・裁かないものは 裁かれない。


・意地悪をすれば、意地悪をされ


・蔑(さげす)めば、蔑まされ

・罵(ののし)れば、ののしられ


・強い言葉を吐き出せば、

・強い言葉を返される

 

・許すものは 許される。

・許さないものは 許されない。


・施せば 施される


・優しくすれば 優しくされる

・笑顔を向ければ、笑顔が帰る


・助ければ、助けられる

・励ませば、励まされる


・勇気を与えれば、勇気づけられる

・感謝すれば、感謝される

  

ですから、もし普段から 

・人を愛し

・人を許し

・人に施し

・人に優しくし

・人に笑顔を向け

・人を助け

・人を励まし

・人に勇気を与え

・人に感謝していれば 

宇宙の法則が正確に働き、 

自分が 

・困っているとき

・絶望の淵にある時

・失業してしまった時

・病気になった時

・一人ぼっちになってしまった時

  

何らかの助けが巡ってくることでしょう。

それは、本当に不思議なめぐりあわせで起こります。 

想いもよらない方法で訪れます。 

ですがそれは、決して偶然ではなく、棚からぼた餅でもなく、

自分がしてきたことが、宇宙を巡り巡って、自分にとって、最適な時に帰ってきただけです。

そしてそれは必ず人が運んできます。 

思いもよらぬ人から助けが入ります。 

それは神々だけが知る、有機的な人間のネットワークを介して、 

神々が、ほんのちょっと、関係する人たちの心に、

一瞬のヒラメキのような働きかけを与えることによって動き出します。

関係する人々は、それが神々から来たことには気づきません。 

意識することもありません。

何故自分がそのように動いているのかさえ、考えません。

   

ですが結果として、それらがうまくネットワークとして結合して繋がり、 

私たちのもとに「与えたものが受け取るもの」という果報を運んできます。

ですから、私たちは普段から、人に優しく接していれば・・・ 

その人、一人一人の心を大切にしていれば、 

必ず、どんな状況からも助け出されることでしょう。 

どうぞ、安心して笑顔でお過ごしください。 

それが神々が作ってくださった宇宙の法則なのですから。

 


2022年1月23日日曜日

2586「不登校の子供たち」2022.1.23

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月17日の記事を紹介します。


「不登校の子供たち」


大学入試が始まり、次は卒業式と、子供たちの学校に関する様々なことが変化する時期です。

そして「不登校」について悩んでいる親御さんも爆発的に増えているようです。

それだけ、世の中がワサワサとざわついているのか、純粋な魂を持つ子供たちが増えてきたのか、理由は様々だと思います。

今日は、そのい不登校についてです。

斎藤一人さんが下記のように仰っていました。ご覧ください。


<引用開始>


高校1年生の頃に、母校の小学校にお呼ばれしてステージに立ったことがある。

卒業生代表という肩書きで、教育についてとかをディスカッション形式でみんな(保護者、先生)で話し合う。

そこでまぁ、「やっぱりなー」と思いました(笑)

だって余りにもほとんどの親御さんが、「ウチの子本当勉強しなくて」とか「勉強してほしいときは怒るべき?」とか、悩むのは確かにわかります。

そして心配だっていうのもわかります。

でも、そーんなに眉間にシワ寄せるほどそれって大事ですかって(笑)

そりゃ普通に考えたら勉強してくれる子供の方が安心かもしれない。

してくれるっていう言い方がもう違うんだけど(笑)

多くの親が今、「お勉強をすること」ばかりに、目も心も寄せすぎだと思うんだよね。

こういう親の子って、

・ママが悲しい顔するから嫌でも勉強しなきゃ

・ママが怒るから勉強する   

って、目的が「ママ」なんですよね。

自分の為じゃない。 

楽しいから勉強するんじゃない。

だからテストで低い点数を取ったら、必至でバレないように隠したりする。

だって、ママに 愛されたいから。

親はどうかっていうと、

・勉強するのが当たり前

・あなたのためなのよ

よく使われるのは「心配してるのよ」ってやつ。

でもそれって本当に、子供を愛してますか?って。

本当の愛って「そのままでいいんだよ」ってもんなんだよね。

でも多くの親ができていない。

そんな家庭の子は、本当はやりたくもない勉強を涙流して勉強する。

真面目な子ほど必至に勉強する。でもある日パンクして、不登校なんかになっちゃう。

体が悪いサインを出してくれてるってことは、何か間違ってますよってことなんだよね。 

それでも「学校に行きなさい」と強制的に行かせようとする。

それまでエライねエライねって可愛がってた我が子を、学校に行けなくなった途端に可愛がれなくなる。

それ、おかしいよって(笑)

一見愛しているように見えても、「勉強ができる子」が好きなだけなんだよね。

「学校に毎日行ける子」が好きなだけ。

本当に愛している子だったら、勉強しなくなっても、学校に行かなくなっても、 

極端な話だれかを殺してしまっても、親は愛せると思うんです。

だって生きてくれてる。それだけで最高に幸せなんだから。

思えば自分も、すごくよく愛されていたけど、前までは少し「条件付きの愛」だったような気がする。

不登校になったからこそ、親としっかり向き合えて、本音で語れるイイ親子関係になったと思う。

不登校とか自律神経失調症とか、普通なら人が「ダメなこと」と思うことを自分は糧にしています。

「不登校だったから~できた」

「自律神経失調症になったから~できた」

と思うようにしたら、人生がすごく明るくなりますよ!

 


<引用終了>


胸に響くものがありますね。以前、前世を記憶する日本の子どもたちの記事を書きました。

そこでは、中間世記憶を持つ子供たちから、生まれて来た目的を聞いていました。

ほとんどのお子さんが、こう答えたそうです。

・お母さんを助けるため

・人の役に立つため

・魂を磨くため

そんな優しい心を持って生まれて来てくれた子供たち

彼らに、

・詰め込みの教育

・本人の希望や適性を無視した親の引いたレール

・人をけ落としてでも、競争に勝ち抜いて生きろ

は必要でしょうか? 

そんなことを言えるでしょうか?

・勉強が出来ない子供は不幸でしょうか?

・学校はそれほど大切な所でしょうか?

・人と同じでいる必要はあるのでしょうか?

子供たちには一人一人個性があります。

得意分野も異なるでしょう。興味や志向も異なることでしょう。

親の一方的な思い。

教師たちの一律的な対応

そんなものは、もしかしたらこの優しい子供たちには、糞くらへかもしれないですね。

彼らは、

・お母さんを助けるため

・人の役に立つため

・魂を磨くため

この世に生まれてきました。 

姿かたちが子供だからと言って、魂までも子供ではありません。

私達大人たちよりもはるかに愛に溢れた存在かもしれません。

彼らは、お母さんを助けるために生まれてきました。

決して、お母さんの思い通りに生きるために生まれて来たわけではありません。

それでも、子供を自分の思い通りにしたいと思う親御さん。

お子様の心や体がボロボロになって、自分の元に戻って来た時、きっと気付きます。

生きていてくれてるだけで良かった。

そのままで愛しているよ。

私の元に生まれて来てくれてありがとうって・・・

美しい魂を持つ子供たちが、 

自分だけの素敵な「スミレの花」を咲かせようと、この世に生まれて来たのに、

 華やかな「バラの花」になれと、無理強いはしていませんか?





2022年1月22日土曜日

2585「生まれて来てくれてありがとう」2022.1.22

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月16日の記事を紹介します。


「生まれて来てくれてありがとう」


一昨年のコロナ発生以来、世界では人々の価値観が、がらりと変わりました。 

確かに大きく私たちの無意識の価値観が変わりました。 

今迄私たちは、「経済至上主義」の大義名分のもと、

・お金が全て

・お金が無ければ破滅する

・人よりお金を稼げ

など、常に恐怖心を動機として生きてきました。 

ですが、今時代は変わろうとしています。 

精神性の復活の時代、「心の時代」が到来しています。 

天国と同じ価値観で、優しく温かな心の持ち主が、人々から尊敬され、重きを置かれる世の中です。 

もしかしたら、その「優しく温かな心」の持ち主の皆さんは 

過去、沢山の悔し涙、悲しみの涙を流し、それを乗り越えて来た方かもしれません。 

悲しみ、苦しみは、心を輝かせてくれる研ぎ石だからです。 

人類の歴史が始まって以来、人々の平等化や既成権力からの解放は、 

それを許さない(国常立尊はじめ)神々による力強い衝撃の出来事で始まりました。 

要するに、神々による建て替え(破壊)です。



今の時代では、2010年を境に始まりました。 

建て替えの方法は4つです。

・大量動員戦争

・変革的革命

・国家の破綻

・致死的伝染病の大流行 

これらは、「平等化の四騎士」と呼ばれます。

過去のペスト、コレラ、結核なども、大きな犠牲のもとに、人々の知恵と行動によって(立て直し)人類の平等化が、飛躍的に推進されました。 

今は、まさに強制的な平等化が進展中です。 そして、その方向性が心の純化です。 

精神の豊かさ、おかげ様、お互い様の優しい心を目指す方々にとっては希望の年の始まりです。遅すぎることはありません。心の洗濯を、お勧めします。

 

さて今日は子供たちのお話です。 

幼少期の、親の虐待、ネグレクトは、子供の心に、様々な傷跡を残します。 

私の地元の養護施設に行って伺ったところ、施設長が仰るには、半数以上の子供が 「発達障害」なのだそうです。悲しいことです。 

ですが、子供の涙と共に、虐待を行う、親御さんの心からも、声にならない声、助けて!

そんな声が、聞こえてきそうです。

  

今日は、以前ご紹介した記事ですが、子供と親の、関わりについて書いた記事です。

加筆して、ご紹介します。

また、転載する記事は、「死産」について書かれた内容ですので、ご興味のない方、その他の方は、どうぞ、スルーなさってください。 

子供たちは、生まれる前に母親を選び、母親を助けたいという目的を持って生まれてくるそうです。

今日はお子さんとの間で、悩んでいらっしゃるお母さん向けの内容です。 

助産師として33年、2,600人以上の赤ちゃんの出産に立ち会ってきた内田美智子さんのお話です。 

<転載開始> 転載元

 

赤ちゃんの夜泣きに感謝しないさい。

自分の目の前に子どもがいるという状況を、当たり前だと思わないでほしいんです。 

自分が子どもを授かったこと、子どもが「ママ、大好き」と言ってまとわりついてくることは、奇跡と奇跡が重なり合って、そこに存在するのだと知ってほしいと思うんですね。 

そのことを知らせるために、私は死産をした一人のお母さんの話をするんです。

そのお母さんは、出産予定日の前日に、胎動がないというので来院されました。 

急いでエコーで調べたら、すでに赤ちゃんの心臓は止まっていました。 

胎内で亡くなった赤ちゃんは、異物に変わります。

早く出さないとお母さんの体に異常が起こってきます。

でも、産んでもなんの喜びもない赤ちゃんを産むのは大変なことなんです。 

普段なら私たち助産師は、陣痛が5時間でも10時間でも、ずっと付き合ってお母さんの腰をさすって、「頑張りぃ。元気な赤ちゃんに会えるから頑張りぃ」と励ましますが、 

死産をするお母さんにはかける言葉がありません。 

赤ちゃんが元気に生まれてきた時の分娩室は賑やかですが、死産のときは本当に静かです。

しーんとした中に、お母さんの泣く声だけが響くんですよ。

そのお母さんは分娩室で胸に抱いた後、「一晩抱っこして寝ていいですか」と言いました。 

明日には、お葬式をしないといけない。

せめて今晩一晩だけでも抱っこしていたいというのです。 

私たちは「いいですよ」と言って、赤ちゃんにきれいな服を着せて、お母さんの部屋に連れていきました。 

その日の夜、看護師が様子を見に行くと、お母さんは月明かりに照らされてベッドの上に座り、子どもを抱いていました。 

「大丈夫ですか」と声をかけると、 

「いまね、この子におっぱいあげていたんですよ」と答えました。 

よく見ると、お母さんはじわっと零れてくるお乳を指で掬って、赤ちゃんの口元まで運んでいたのです。 

死産であっても、胎盤が外れた瞬間に、ホルモンの働きでお乳が出始めます。

  

死産したお母さんの場合、お乳が張らないような薬を飲ませて止めますが、すぐには止まりません。 

そのお母さんも、赤ちゃんを抱いていたらじわっとお乳が滲んできたので、それを飲ませようとしていたのです。 飲ませてあげたかったのでしょうね・・・ 

死産の子であっても、お母さんにとって子どもは宝物なんです。 

生きている子ならなおさらです。

一晩中泣きやまなかったりすると「ああ、うるさいな」と思うかもしれませんが、それこそ母親にとって最高に幸せなことなんですよ。

母親学級で、こういう話をすると、涙を流すお母さんがたくさんいます。 

でも、その涙は浄化の涙で、自分に授かった命を慈しもうという気持ちに変わります。 

「そんな辛い思いをしながら 子どもを産む人がいるのなら私も頑張ろう」

「お乳を飲ませるのは幸せなことなんだな」と

前向きになって、母性のスイッチが入るんですね。 

<転載終了>

  

私は男なので、母性本能はありませんが、子供たちを慈しむ気持ちはよくわかります。 

・どれだけ大変で苦労しようと

・どれだけ心配をかけられようと

・どれだけ、心をざわつかせられようと 

やっぱり、時がたち、振り返ってみれば、人生にとって、かけがえのない、宝石のような時間です。 

「私たちに、こんな未熟な私たちに・・親のまねごとをさせてくれて、ありがとう」 

そんな感謝の気持ちが沸き起こります。 思い出は尽きません。

でも、私たちは、子供たちが、学校に上がるようになり、大きくなれば、反抗期も始まり、 

そんな慈しんで大切に育てた記憶も忘れ去ってしまいます。 

目の前の、反抗や、問題ばかりが気になり、自分の思い通りに、子供がならないことに

悩み苦しんだりもします。 

不登校にでもなれば、もう目の前が真っ暗になります。 病気になってもそうですね。

どうして家だけ? 

ですが、子供たちが生まれて来た時のことを少し、思い出してみてください。

お母さんは、命がけで子供を産みます。

初めて赤ちゃんを抱っこした時のお気持ちを覚えていらっしゃいますか? 

赤ちゃんに、おっぱいを上げた時の気持ちは、いかがだったでしょうか? 

本当は、今がどんな形(病気だとか 反抗的とか 不登校とか)であろうと、生きていてくれるだけで感謝ですね。

私たちの生きて行く道には、沢山の出来事が用意されて、置かれています。 

その一つ一つは、決して楽しいだけのものではありません。

ましては家族の間には、感情を伴う様々な出来事が準備されています。 

私たちは、ひとつひとつ、笑ったり泣いたり、怒ったり、喧嘩したりしながら乗り越えて行きます。

その経験の積み重ね、その歴史こそが、本当の家族を作ってくれます。

家族一人一人を、大切にしたいものです。 

憎たらしくなったら、生まれた時のこと、その時の喜びと幸福感を思い出してみてください。

その子が亡くなってしまったら・・・、想像してみてください。

きっと「生きていてくれるだけで幸せ」って思えるかもしれませんね。

 



2022年1月21日金曜日

2584「青空ひろば」2022.1.21

今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最近の記事を紹介します。

538 2021.12.23 から562 2022.01.17です。


562 2022.01.17 

好意の念を注いで大切に扱ったモノは、それがどんなものでも、あなたの「お守り」となります。


561 2022.01.16 

まじめで、努力家なのにもうひとつ伸びないという人は、ホッと気をぬいたり、

気を別の方向にそらせたりする、そんなスキマの時間をつくるのがヘタなのです。


5602022.01.15 

「時は味方」です。

どんな苦悩の固まりも「時」がやがて「溶き」去ってくれるのです。

「時」はあなたを幸せに導いてくださる「温かい味方」なのだということを

忘れないでください。


559 2022.01.14

数量の大小なんて本当はありはしない。

十円玉を手に入れるのと、一億円を手に入れるのと同じ手間だ。

難しいという「想い」が、一億円がやってくるのを拒絶しているだけだ。


558 2022.01.13 

いのちの充電をしよう。 機が熟する時が必ず来ると信じて。  


557 2022.01.12 

憎めば 憎む相手に しばられて あなたの運が 開けません

許せば 憎む相手から 解放されて あなたの運が 開けます


556 2022.01.11

まこと、まごころが人を動かし、世界を変えるのです。

術や策におぼれる人は、末永く栄えることができません。


555 2022.01.10

しあわせな人を見て、そのしあわせを貶(けな)す人には、

しあわせは決して近寄ってきません。

しあわせな人を見て、そのしあわせを喜べる人にしあわせは訪れるのです。


554 2022.01.09 

しあわせは感染します。

しあわせになるための一番手っ取り早い方法は、しあわせな人と親しくなることです。 


553 2022.01.08 

「ひとついのち」に気づけば、必要な時に必要なモノが、自ずと流れ込んできます。

そのことを、まずあなたが実証しなければ、人類が恐怖心から富を貯め込んで止まず、

格差社会を増幅してゆく、そんな悪循環をくい止めることは出来ません。

「ひとついのち」に気づけば、必要な時に必要なモノが自ずと流れ込んできます。

そのことを、まずあなたが実証しなければ、人類が恐怖心から富を貯め込んで止まず、

格差社会を増幅してゆく、そんな悪循環をくい止めることは出来ません。


552 2022.01.07 

先は遠いので、あせらなくてもいいけれど、着実に一歩ずつ前進しましょう。

苦しい時は、強がらずに、仲間に頼ってもいいんですよ。

そのための「禅の会の仲間・しあわせ通信の仲間・坐禅会運動の仲間」なのですから。

この地上世界に生まれて来た以上、みんなクセ者、大したことはない。ドングリの背比べなのです。


551 2022.01.06 

努力して 努力して そして 最後は 神さまにお任せ


550 2022.01.05

自分の人生の過去とも すこしずつ 仲直りできるように なりましょう


549 2022.01.04 

世界のために 私が動き出せば 私のために 世界が動き出す


548 2022.01.03 

刻々宇宙消滅し 刻々宇宙新生す

天地創造の原点は 常に今・ココの君にある

君が決めれば 次の宇宙が決まるのだ

いやいや、そんな簡単なものではない

宇宙はとても大きなもの 重いものなんだから などというな

「重い」のは、君の「思い」だけだ


547 2022.01.02 

心に太陽を懐いて 謙虚でありさえすれば

自分も人も 国や世界でさえも しあわせに出来るのです


546 2022.01.01

時が来れば 必要な人に出会い 必要なモノがやって来る

あせればあせるほど 時が逃げる

来たる時を信じて 心安らかに待とう


545 2021.12.31

あるとき、怪物の夢を見ました

怖くて逃げると ドンドン大きくなって 追いかけてきました

壁まで追いつめられて ついに開き直って 向かって行ったところ

怪物は後退して ドンドン小さくなりました

最後はコオロギになって ヨタヨタ逃げてゆきました


544 2021.12.30 

ご飯たべたら 食器を洗え 疲れ切ったら コロンと眠れ

後先(あとさき)見るな 人生は流れ作業 今があるだけ


543 2021.12.29 

誰も君を 縛ってなんかいない

君の思いが 君を縛っているのです


542 2021.12.28 

自分が忘れていたこと 間違っていたこと いろんな人が教えてくれる

何と有難いことだろう そう素直に感謝できる人が

宇宙全体を味方に できる人なのです


541 2021.12.27 

うまく描こうと思うな へたくそでも 自分の絵を描こう

そんな絵こそが 人の共感を得て 感動される絵となるのだ


540 2021.12.26 

解けない課題は ありません

成長するためにふさわしいと 自ら引き寄せた 課題なのですから


539 2021.12.25 

心配せんかて 時がきたら 東の空に お日さんが昇るがな


538 2021.12.23 

決まったものは ひとつもない 自分で決めつけて しばられるだけ



2022年1月20日木曜日

2583「運は食生活で決まる」2022.1.20

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月15日の記事を紹介します。


「運は食生活で決まる」


今日はお祓いで竹之高地不動社に行ったところ、新しい年に入り、どんどん食に関して、

色んな人を介して「食」に関する情報が集中しだしているとのこと。 

食は肉体を創る基本ですから 

・身体のバランスをとること

・社会毒などのデトックス

・身体にとって必要な栄養素を補給すること

・身土不二(しんどふじ)「身と土、二つにあらず」、

 つまり人間の体と暮らす土地は一体で、切っても切れない関係にあるということを正しく理解すること 

今の状況下で大切なようです。




ですので今日は、以前書いたことがあるのですが、水野南北に関するお話です。 

運をよくするのに、参考になるかもしれません。

「人の運は、「食生活」によって決まる」というお話です。

食生活を見直すことで、心を浄化し、運命を好転させる方法です。

「人の運は食にあり」小林正観さんのお話よりご紹介します。

<引用開始>


「食生活が、人相まで変えた」、江戸時代、水野南北という人がいました。観相家です。

宝暦7年(1757年)に生まれ、天保5年(1834年)77歳で亡くなりました。

江戸時代のこのころは平均寿命が40歳ほどですから、ずいぶん長生きだったといえます。

水野南北は幼少期に両親と死別、大阪のおじ夫婦に引き取られます。

10歳の時にはすでに酒を覚え、その後何年も、酒・ばくち・けんかに明け暮れる毎日でした。

18歳の時、おじの金を盗むなどして、牢に入ることになりました。

それまでに盗み、脅し、詐欺まがい、いろいろやったようです。 

その牢内で、罪を犯す人間とそうでない人間に、人相上の違いがあると気づきました。

人には生まれながらのシナリオがあります。

後にすごい観相家になった水野南北でしたが、最初のスタートは牢内だったのです。

 獄を出てから、自分の人相を易者に見てもらったところ「あと一年の命」と言われました。 

「それを避けるには出家のほかはない」と。

 

知り合いの住職に相談したところ 

「一年間、麦と大豆だけの生活をしたら入門を許す」ということだったので、 

水野南北はそのとおりにしたのだそうです。

一年後、同じ易者は

「死相が消えているだけでなく、立派な相になった」と感心してくれました。  

「その食生活が陰徳となって、人相まで変えた」と言ったそうです。

本格的に相を学ぼうと旅に出た水野南北は、髪結いに奉公3年、湯屋の奉公人になって3年、

墓守になって墓を守ること3年の日々を過ごします。

頭の形、生きているときの体の形と死んだあとの骨の形(骨相)などを研究しました。

 

さて、それほどに観相学に打ち込んだ水野南北でしたが、百発百中というわけではありませんでした。

どうしても例外がある。吉相だと思っていても、どんどん衰運になる人がいる。 逆に、とても貧相な人で興隆運の人もいる。

なぜだろうと悩んでいる時、突然ひらめきがあったといいます。それは・・・

「人の運は食にあり」というもので、人を占うのにまずその人の飲食の様子を聞いて、それによって運・不運を判断したところ、万に一つも誤りがないことが分かり、そこに気づいてからは、「百発百中、当たらざるなし」と言われました。

<引用終了>


自伝などによれば、水野南北は50歳の時、伊勢神宮の五十鈴川のほとりで21日間の断食と、水ごりの行を行いました。

その時です。外宮に祭られている豊受大神の啓示を受けました。

「人の運は、食にあり」

豊受大神といえば、縄文の女神、瀬織津姫。

日本一と呼ばれた水野南北でも、100%当たるとは行かなかったのですね。

貧相でも富んでいる人、福相でも運がない人。が居ました。

ある時、占う時に食べ物について聞いたのです。

すると、福相の人でも、お金が入ってから、食べ物を変えると、衰運になることがわかったのでした。

それ以降、百発百中の観相家となったのでした。

心当たりのある方は、いらっしゃるでしょうか。食生活で運が決まって来るのだそうです。 

質素であっても、愛情を込めた食事。

暖かな心の交流を伴った食卓。

命を分けてくれた者への感謝の心、そんな気持ちでいただきたいものですね。


2022年1月19日水曜日

2582「大変化の時を生きる」2022.1.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月14日の記事を紹介します。


「大変化の時を生きる」


今日は目に見えない世界のお話、龍神についてです。 

ですので眉に唾を付けてお読みください。 

ご興味ない方は、スルーなさってください。


地球の創成期

出口王仁三郎のお話では、今私たちに、龍として知られている、らせんのエネルギーを持つ

神々が深く関わったとされています。

 

らせん

らせんエネルギーの神々 創造の神、伏羲と女娲

ナーガ・ラージャ

その中心に居たのが、国常立尊(クニトコタチノミコト)日本書紀では、最初に現れた神とされています。

国常立大神は、地球の原初の頃、地上の修理固成に苦労されていた「ミロク大神」と「伊邪那岐命」の2神を助ける形で、地上に降臨しました。

浅川嘉富さんの調査では、龍系のグループに属する宇宙人には、プレアデス人やシリウス人のほか、グレイ系のゼータレクチル人などもいたそうです。

これらの星々は現在地球に転生してきている方々の多くの出身星でもあります。

国常立尊のエネルギー体は日本列島ほどの大きさで、金色の龍体であったと言われています。

 

さて2千年前に大和族(アマテラス族)が大陸から日本に渡来してきた時、彼ら大和一族はネガティブなオリオン系宇宙人と交流していたため、三輪山一帯に侵入した時に、シリウス人(龍型宇宙人)を封印したそうです。

(坂本政道 ベールを脱いだ日本古代史 高次意識トートが語る より)

オリオン星人は好戦的で攻撃的な性格を持っています。

正確には、封印と言うよりも自ら三輪山に身を隠した・・と言う方が正しいかもしれません。

三輪山
 

ですが、その封印が、数年前に解かれたそうです。

それはこのトートの情報だけでなく、全く別の情報ソースである浅川嘉富さん著作の

「龍蛇族直系の日本人よ!」にも記載されています。

多分、それは2011年の東北大震災を契機としているのではないかと思われます。

国常立尊のエネルギー体(龍のエネルギー)は、もともと大国常立尊と呼ばれていました。

そして 丑寅の方角(東北の方角)に長い間封印されて来ました。 

現身になった時、国常立尊と呼ばれるそうです。

日本の誇る霊的な巨人、出口王仁三郎によれば、世界は、次第に地上の人間たちの欲望とエゴにまみれ、地球環境破壊などを起すようになってきた時、この世の「立て替え」のために、荒神である国常立尊の力が再び必要とされる。とされています。 

また著名な経済アナリスト 藤原直哉さんの出口王仁三郎の予言研究によれば、世界は30年ごとの波で、変化を繰り返し、神々の御心を成就されてきた。

直近の30年は、2010年から始まり、まずは神々による「建て替え」 つまり破壊が行われる。と言われます。

そして 2011年の東北大震災が、その破壊に当たるのではないかと言うことです。

そして次に起こるのは「立て直し」

これは人間の力による、真の心の復興(人の心が一番に重視される霊主体従の世界)のことです。

これは、「キリストの御霊」を持った、神の現身が担当することになっているようですが、

意識が神々の方向に向いた私たち一人一人が重要な働きをすることでしょう。

能力ある誰かに頼り切り、依存する心では、今までと何も変わりませんから、神々の意図する世界とは波長が合いません。 

私たち一人一人が主役です。

そもそも過去にも、この龍神、国常立尊が大きな動きをされた時がありました。

今から150年ほど前です。

つまり、清国がイギリスにアヘン(麻薬)漬けにされ、アヘン戦争が起こり、アジア、アフリカが、ヨーロッパ列強の覇権争いにさらされ、奴隷的な植民地獲得競争が行われていた時です。

日本では、

・強大な軍事力、

・そして(江戸の純粋な人々の心には片鱗もなかった)悪魔的な悪だくみ、

を初めて日本人が目にした時代、つまり明治維新の時です。

この時、縄文から続く、神々に連なる日本人の精神の危機を察知した縄文の神々が、日本のあちこちで行動を起こしました。

その中心に居たのが龍神 国常立尊です。

徳川時代末期より、日本列島では神霊的な異変が各地で起こり始めました。

黒住・天理・金光・大本などの一連の霊的な動きが一気に加速されました。

神は実在すること、日本は古代より神国であったこと。

このまま世界の潮流に飲まれては、日本の心は滅び、ひいては世界も滅ぶこと。

これは日本だけを特別扱いしているわけではありません。

(どなたも数多くの転生の中で世界各地に生まれているからです)

ここ数年、世界中でも様々な動きがありました。

特に一昨年からは世界が一変してしまうかのような出来事が起きています。

日本国内でも、悪や不正義がはびこり、昔から日本人が持っていた純朴な心、調和の心、全体として幸せになろうとする美しい心が無くなりかけています。

同時にそれらの灰汁(アク)が、あぶりだされ、白日の下にさらされてきつつあります。

龍神の働きも活発化して来ました。

今は夜明け前の暗闇の中にいるようですが、もうすぐ夜明けが来る気配もしています。

ですが、それはダライラマが言うように、神々や人任せではなく、私たち一人一人の行動があってこその事だと思います。

私たちが今できることは何か?

それを考えて、一つづつ行動に移して行けば、常に見守り続けてくださっている、国常立尊はじめ、縄文の神々と協力して、美しい世界を作ることが出来るかもしれません。 

神々任せではいけません。

そして確実に言えることは、私達、今の時代を生きる人たちは、この神々の起こす大きな宇宙的な変化を目撃するために、自ら進んでこの時代と地球を選んで生まれて来たということです。

私たちの心の浄化が望まれています。

  

 



2022年1月18日火曜日

2581「現実が変わらぬなら」2022.1.18

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月13日の記事を紹介します。


「現実が変わらぬなら」


悪魔的な心は誰の心の中にも、多かれ少なかれ存在していますが、人間の欲望、自我の心は

宇宙神から自由意志を与えられているために、その心は、神の心にもなれるし、残酷な悪魔の心にもなれます。


自分だけでなく、自分の我欲のために人までも陥れ、その精神を堕落させ、悪魔的なものに

してしまうような人や組織、動きも実際に存在します。

近年は、人間性の劣化が非常に激しく

・自分さえ良ければ

・今さえ良ければ

・お金さえ儲ければ

という人々も増えてきたと言われています。

また恐怖感に縛られて無意識に、そちらの方向へ進もうとする者もいます。

九分九厘、もうだめかと言う時に、神々の大どんでん返しがあるとも言われますが、神々も私たちを助けたくとも、私たち自身の心にその準備が整っていなければ出来ません。

神々でさえも、私たちの自由意志を尊重するからです。

私たちは自分では何もせず、ただ他人や、大きな力に頼り依存してしまうのではなく、

自らの心を純粋にする必要があります。

自らの足で、しっかりと大地に立つ必要があります。

そのためには、一人一人がご自身の中にいらっしゃる神さまと繋がる必要があります。

感謝の気持ちを持つことで、周りの人々と

・思いやりを持って

・お互いの違いを許し

・助け合い

・励まし合い

・笑顔で

・ともに生きていく

必要があります。

その時に、神々の大どんでん返しは

・その心を純粋にした人たち

・依存の心を捨て、自ら進もうという人たち

に対し、大きな恩寵となって降り注がれることでしょう。

 

心を清め、内なる神々と繋がるということは、今の時代、それほど大切なことだからです。

では、今日は「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な渡辺和子さんの言葉をご紹介します。 

<転載開始> 転載元


女子学生たちと五十年以上接していて気がつくことは、この年頃の人たちの多くが、愛に必要なのは、すばらしい対象に出会うことだと考えていることです。

それも決して間違いではないのですが、その対象が「すばらしさ」を失った時(病気やケガ、挫折)にも、果たして愛し続けることができるかどうか、ここに「愛の本質」が問われています。

・健康だった相手が病気になってしまった時も、

・前途を嘱望(しょくぼう)されていた相手が挫折にあった時にも、 

その人を愛し続けることができるかどうかは、私たちが自分の中に、「愛する力」を養い育てているかどうかに、かかっているのです。

ふだんからピアノの練習もせずに、立派なピアノを見つけさえすれば、上手に弾けると思ったり、絵を描く練習もせずに、ひたすら美しい景色を探している人にも似て、ふだんから「愛する」練習をしないで、素敵な人との出会いを待っていては、いけないのです。

愛する力を育てるためには、まず私たちが毎日の生活の中で「当たり前」と考えていることや、人、物を「有り難い」と、感謝の気持ちで受けとめることが大切です。

マイナスの価値しかないと思えることや、不幸、災難、苦しみにさえも意味を見出して、

これまた「有り難い」と感謝できる時、私たちは愛すべきものを随所(ずいしょ)に持ち、 

愛し難い人さえも、その人の存在そのものの価値を認める、愛深く幸せな人間になれるのです。

<転載終了>


何か素晴らしいものさえ手に入れれば、きっと自分は幸せになれる。

殆どの人がそう思っています。

安直で、自分では何もせず、おいしい果実だけを得ようとする、依存の心です。

これは、生きていく姿勢そのものに直結しています。

・子供の成績が良ければ、愛する

・子供が不登校になったから、愛さない

・何か手に入れたら、感謝する

・何かしてもらったら、仲良くする

全部が、

・自分の思い通りに人が動けば、愛する

・自分の思い通りに動かなければ、嫌う

・先に何かを得たら、何かする

・自分から、親切や優しさを出すと損をする

そのような意識です。

まるで地獄の亡者のようですね。

そこには、

・自分は礼儀正しく

・言葉きれいで、

・正義の側に立ち

・悪を糾弾しており

・自分は報われるべき存在で

・その権利がある

・大事にされて、あたりまえ

そのような心が底流にあります。 

ですがこの地球は、そのようにできてはいません。

生老病死、四苦八苦。

まさに思うようにならないのが、この世の中です。 

希望を持って結婚しても、就職しても、子育てをしても、 

「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。

 

「何か素晴らしいものさえ手に入れれば、自分は幸せになれる。」

 

そのように、他に依存するように考えていた人たちは、そこで挫折し、苦しみにとらわれることでしょう。 

愛する家族に対する熱も冷め、もしかしたら苦痛や憎しみの対象に変わるかもしれません。

これらは、人のせいではなく、全て自分の心の持ち方、物事のとらえ方の問題です。

渡辺和子さんは仰います。

「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきても、そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をして欲しいのです。

どうしても咲けない時もあります。

雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。

その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。

次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。

いい出会いにするためには、自分が出会いを大切にして育てなければなりません。

思い通りにならないことを経験した時、心にポッカリ開いた穴から、これまで見えなかったものが見えてくることがあります。

希望には叶わないものもありますが、大切なのは心に希望を持ち続けること。

相手を信頼するのは98%にし、あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておくこと。

「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練に感謝すること。

私たちは、神さまが置いて下さったこの場所で、たとえ辛く苦しくとも、幸せを見つけることが出来ます。

神さまは、「そこで幸せを見つけるのですよ」と、私たちをその場所に置いて下さいました。

辛い日々は、必ず笑える日につながっています。 

目の前の現実は変えられません。

ですが、その起きている現象には、本当は「良い」も「悪い」もないのです。

全てニュートラルの形で現象は起こっています。 

そこに「良いこと」とか「悪いこと」と色を付けるのは私たちの心の捉え方だけです。 

そして実際は起きている現象全て、私たちの魂の成長のために、目の前に現れてくれています。

  

私たちが、それに気付き感謝して受け入れた途端、その現象は、もはや役割を終えたわけですから、目の前から消え、記憶のかなたに忘れ去られてしまうでしょう。

私たちの人生はその事の繰り返しです。 

ですから、どんなことが目の前に起きても、心配せず、しっかり受け入れて、感謝しニコニコ笑っていれば、それで良いのです。 

それがブッダが教えてくださった「般若心経」の真髄です。

  

ご縁のある方に届きますように。