2022年9月30日金曜日

2835「龍と宇宙人」2022.9.30

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年09月22日の記事を紹介します。


「龍と宇宙人」


今日は閑話休題。

少し不思議系のファンタジックなお話を書きたいと思います。 

龍と宇宙人のお話です。 

大分前に

・龍と友達になる

・龍使いになる 

など、龍をあたかも自分の僕(しもべ)や友達のように扱う題名の本が流行ったことがありました。 

本を読んだことが無いので、内容は分かりませんが、 

龍を自分のために使いこなすなんて、なんだかファンタジックでワクワクするし、

それで不思議系の好きな方々に人気が出たのかもしれません。 

さて今日は「世界に散った龍蛇族よ! この血統の下その超潜在力を結集せよ」から、

シリウスの人々が何故地球に来たのか?

そして龍達との繋がりについて、ご紹介したいと思います。

詳しい情報を知りたい方は是非、→本を読んでみて下さいませ。

<引用開始> 転載元


壮大な宇宙史

おおいぬ座のシリウスBの惑星に高次元的生命体(5次元に近い)

光のように輝くドルフィンに似た人間型生命体(ヒューマノイド)で、が住んでいた。

彼らが住む惑星の属していた恒星がある時期から活動が弱まり始め、

太陽としての機能が低下してきた。

(白色矮星とよばれている、恒星が長大歳月を経たあと進化の最終段階に至った) 

そのため惑星の気温がしだいに低くなり、

このままでは生活を続けることができない状態に陥ってしまった。

協議をした結果、自分たちの住む惑星に見切りをつけて、他の星に移住することになった。 

そうした経緯の中で、移り住む新しい惑星として幾つかの候補が選ばれ、

その中に地球も入っていた。

彼らは3次元的世界での学びを欲したからである。 

地球に向かって派遣された先緯隊の情報では、

当時の地球は未だ彼らが移住するには適した状態ではなく、

およそ140世代を待つ必要があるとのことであった。

しかし、シリウスBの衰退がそれほど長く待てる状況ではなかったので、

建造された超巨大母船α、β、γの3機におよそ100万の生命体を乗せ、

第一陣がシリウスを離れることになった。

彼らの住む惑星には、人間型生命体の他にも彼らを守護するたくさんの龍たちが棲息していたが、そうした龍たちの多くも一緒に旅立つことになった。

彼らは、3次元の地球においても、守護的役割を果たそうとしたからである。

どうやら、現在地球に高次元的存在として棲息している龍たちの一部は、こうしてやってきたものであるようだ。

宇宙船が先ず向かったのはオリオン座。 

そこには、琴座やプレアデスといった進化を遂げた多くの星々から派遣された、

銀河系の星々の進化状態を調査研究する機関があったからである。 

そこで得た新たな情報からも、地球は興味深い星であるが、

まだ移住には時期尚早であることを伝えていた。

オリオン座にある3つの星ミンタカ、アルニラム、アルニタカにも立ち寄ったものの、

いずれも自分たちが理想としている世界とは異なっていたため、

長くとどまることなく離れることにした。


その後に目指したのがプレアデス星団。 

プレアデスにはおよそ1500個の星が集まっているが、

3機の宇宙船はそのうち3つの星に分かれて滞在することになった。 

140世代をそこで過ごすためであった。

その間に彼らが学ばねばならない大事な点は、守護霊として共にシリウスを離れた龍たちとの関係をいかに保ち続けるかという点であった。

シリウスやプレアデスの4次元的世界では彼らは龍とつながることが容易にできたが、

これから先向かう地球は3次元的世界であるため。 

高次元的生命体の龍たちとの個々の関係をどう保ったらよいかが大きな問題となっていたからである。

今までは当たり前のようにお互いの存在を眼で見、肌で感じていた同士であるが、一旦3次元と高次元の世界に分かれてしまったら、3次元的存在のシリウス人からは、龍の存在を確認できなくなってしまうわけであるから大変である。

そこで学んだのが、地球に降り立ったあとも龍との関係を維持するために 

龍たちとコンタクトを取り続け、お世話をする役割を持った人々を育成することであった。

彼らには3次元的存在となっても龍の姿を眼にすることができ、

龍たちと交流し続けることができるようにしておくことが必要であった。

やがて、そうした特別の役割を持った集団が一つの家系として誕生した。 

そしてその流れをくんでいるのが、ワイタハ族の中の「ルカファミリー」と呼ばれる一族であり、そのトップに立つのがファトゥクラという存在であった。

こうした準備をつづけながら140世代を過ごしたあと、いよいよ地球に向かって飛び立つ時が来た。 

プレアデスから太陽系内に入ったあと地球へと向かったが、

金星に立ち寄り、しばらくその4次元世界で過ごした人達もいた。

金星

金星は太陽系の星々の歴史や叡智、絶滅した種などを保存する博物館的な役割を持っているようであるが、途中下車した人々はこうしたものに関心を持った人々であった。

彼らもまた、時を経た後、地球にやって来ることになるのだが、

彼らは同じルカファミリーの中でも「メレ・ルカ(Mere-ruka)」と呼ばれる』存在となった。 

「メ」は金星を表し、「レ」はシリウスの衰退していく太陽であるシリウスBを表している。

つまり、「メル・ルカ」とはシリウスの滅びゆく太陽を離れ、

途中で金星に立ち寄ったルカファミリーという意味になる。

<引用終了>


 

この浅川さんの説明によれば、龍の螺旋形のエネルギーは、

シリウスにもともと住んでいた人間型生命体を守護する高次の存在だったようです。

滅びゆく、彼らが住む惑星の属していた恒星をあとにし、地球にやって来ました。

ですが、この3次元地球では、高次の守護の龍たちと、

だんだんとコンタクトを取ることが出来なくなっていったらしいのです。

あまりに波長、つまり固有振動数に違いがあるためです。

ですが数少ない人達が、その龍の波長を感知し、周りの人々に神として伝えていったのでしょう。

私達地球に住む者も、みな元々は宇宙から地球に来た生命体です。

その中で、シリウスから来た人々が、高次の龍とつながり、

文明の進化、人間性の進化に寄与して行ったのかもしれません。 

こんな高貴な生命体を「龍使いになる」と言って、自分のために。 

個人的な理由で使いこなすなんていうのは、少し??? と思いますが、

そういう意味ではないのかもしれませんね。 

龍は日本始め世界各地で神格化されています。

奈良県の善光寺さんの秘仏「宇賀神(うがじん)」
 

龍神ナーガ(ナーギィ)

中国の神話~伏羲と女媧>人間を創造した神
 

中央に描かれている天川弁才天

またシリウスから来た時に、母船に乗ってやってきたということですから、

要するにUFOに乗ってきたのだと思われます。 

私たちが神さまと、崇め祀っている存在は、

3次元より振動数の高い、高次の領域に住む地球外知的生命体のことかもしれませんね。 

その地球外知的生命体が、原始の時代、私たちの文明をリードし、

また危機的状況の時には隠れて人類を助け、

そして神社にお参りに来た沢山の方の心の声を聞き、よりよい方向に導いて行く・・・ 

そのようなことを、もしなさっているとしたら、その知的生命体は、私たち地球人よりも 

はるかに文明のレベル、知的レベル、倫理レベルが高く、 

まさに神さまに近いところまで魂が進化した生命体かもしれないですね。



2022年9月29日木曜日

2834「戦争、市場の崩壊、食料危機。すべては突然起きる「ように見える」だけなのかも。」2022.9.29

 今回はインディープさんの2022年9月24日

戦争、市場の崩壊、食料危機。すべては突然起きる「ように見える」だけなのかも。ウクライナ侵攻までの14年間を見ていてそう思う - In Deep  の記事を抜粋して紹介します。


言葉をつなぎ合わせる

ここにきて、「第二次世界大戦以来、最大となる世界戦争が近づいている」とする見出しの記事が海外で多くなってきました。

その「時期」も、予想よりも早いという可能性が高くなっています。世界経済フォーラムというのか、ディープステート、というのか、あの方々は「予告してくれる」傾向にあるのですね。この、戦争の拡大ついての予測は後半に書かせていただくとして、まずは、食料危機の予測がこの夏前におこなわれました。

 

これはもう始まってはいますが、食料の問題が本格化するのは、今年の作物の収穫量が正式に各国から発表される秋以降であると共に、すでに進行している極端なエネルギー危機も、食料問題と生産と密接に関係すると見られます。

ヨーロッパには農業大国が多いですが、エネルギー危機がもはや手に負えないレベルとなっていて、来年以降の生産がどうなるかは不透明です (おそらく広範囲で生産が停止されると思われます)。

エネルギーに関しては、もういくつかのヨーロッパの国々は息をしていません。

ベルギーなどは、絶望的な電力危機の中で、「原子炉を閉鎖」という暴挙にも出ていたりと、もう完全なブレインデッド状態です(あるいは完全な悪意か)。 

ベルギーは最近の世論調査で、「国民の 64%がエネルギー料金の支払いができなくなると懸念している」という結果が出ています。

しかしベルギー政府は、「そんなことよりクリーンエネルギー邁進が大事だし」ということで、今後も原子炉を次々と閉鎖するとしています。クリーンエネルギーの可否はともかく、「まずは人の命では?」とは思うのですが、もうお構いなしのようです。

 

現在のヨーロッパには、ロシアからの天然ガスは流れておらず、12月になれば、ロシアからの石油もなくなると見られ(価格の上限設定をした場合、ロシアは一切エネルギーを供給しないと述べているため)、それでも今は中国経由で天然ガスを入手しているようですけれど、それが「止まったら」何もなくなる国も多いのですが、ベルギーにしても、「代替エネルギー獲得の目処はまったく立っていない」のです。まったくの狂気の状態で寒い冬に突き進んでいる。ドイツなども代替のエネルギー入手先は見出されていません。 

このままですと、ヨーロッパは、来年 1月には一般のガス供給ができなくなり、3月には貯蔵が「完全に枯渇」することを国際エネルギー機関が述べています。

国際エネルギー機関(IEA)による欧州のガス貯蔵量の推移の予測

ヨーロッパがこのように悲惨な状況に突き進んでいるのを見ていますと、スウェーデンのメディアが発表した先日の以下の記事にある「米国がヨーロッパを滅亡させようと計画した」ということも再度考えたくもなります。

[記事] [衝撃] 米シンクタンク、ランド研究所から漏洩したとされる文書は「ヨーロッパを滅ぼすことを計画した主体はアメリカである」ことを示す…In Deep 2022年9月18日

 これを報じたスウェーデンの日刊紙であるニヤ・ダグブラデット (Nya Dagbladet)は、その後もこれに関する記事を発表し続けています。

興味深いのは、私も上の記事にある文書の「表紙」を見た時に気づいたのですが、「この文書が誰に宛てられたものか」ということについて、ニヤ・ダグブラデットは、こちらで記事にしています。

米ランド研究所が作成したと報じられた文書の表紙

nyadagbladet.se

ここには以下に宛てられたことが示されています。

・ホワイトハウスの首席補佐官 (WHCS)

・アメリカ国務省 (Dept. of State)

・中央情報局 (CIA)

・アメリカ国家安全保障局 (NSA)

・米国民主党全国委員会(DNC)

国防関係当局とかはなく、共和党関係もないようです。ここに「 CIA 」があります。最近読みましたアメリカのメディア記事で、この CIA と関係する大変興味深いことを拝見しました。そのことを少し書かせていただきます。

 

ウクライナ侵攻までの14年間の道筋

まず、ランド研究所の文書だと報じられていたものの概要には、以下のような部分がありました。

今年 1月に作成されたこの文書は、紛争前にウクライナが追求していた攻撃的な外交政策により、ロシアがウクライナに対して軍事行動を取らざるを得なくなることを認めている。その実際の目的は、すでに準備されていた対ロシア制裁をヨーロッパが広く採用するよう圧力をかけることであったと文書は主張している。 (In Deep) 

昨日、アメリカの「アンチ・ウォー (Antiwar.com)」というメディアで、レイ・マクガヴァンさん (Ray McGovern)という方が記事を寄稿していました。寄稿文のタイトルは、「ロシアとの戦争のために洗脳されている」というものです。

このレイ・マクガヴァンさんという人は、1960年代に米軍の歩兵/情報将校として勤務した後、 27年間 CIA の分析官をしていたとあります。

記事は非常に長いもので、全部ご紹介することは難しいですが、「米国のメディアはまったく真実を報じていない」として、2008年から今年 2月24日のロシアのウクライナ侵攻までの「道程」を記しています。その最初の部分は以下のように書かれてあります。


9月22日のアンチ・ウォーの記事より

14年前、当時の駐ロシア米国大使 (現 CIA 長官)のウィリアム・バーンズは、ロシアの外相セルゲイ・ラブロフから、ウクライナが NATO のメンバーになれば、ロシアは「介入しなければならないかもしれない」と警告された。

バーンズの 2008年2月1日のモスクワからワシントンへの電報(#182)の件名は 、「 Nyet (ロシア語での「No」) は Nyet を意味する。ロシアの NATO 拡大レッドライン」とある。このように、ワシントンの政策立案者たちは、NATO におけるウクライナの加盟に関するロシアの「レッドライン」について、非常に具体的な言葉で事前に警告されていた。

それにもかかわらず、2008年4月3日にブカレストで開催された NATO 首脳会議は次のように主張した。

「本日、これらの国が NATO のメンバーになることに合意しました」 

この「レッドライン」というのは、「その一線を超えれば、軍事行動に至る可能性がある」という意味で、当時のアメリカの政策立案者たちは、それを「具体的に聞いていた」にも関わらず、「すぐにレッドラインに抵触する行動に出た」ことになります。

平たくいえば、アメリカは、「ロシアの具体的なレッドラインを知った後から、ロシアへの挑発を始めた」と。レッドラインを知らなかったのなら、挑発とはいえないかもしれないですが、「具体的にそれを知っていて行ったのなら挑発」です。

そして、その後も何年間もいろいろなことがあったことが書かれているのですが、2021年12月からロシアが侵攻した 2022年2月27日までの展開を以下のように書いています。


9月22日のアンチ・ウォーの記事より

2021年 12月30日、バイデンとプーチンは、プーチンの緊急要請で電話会談をおこなった。その後のロシア政府の発表文は、「ジョセフ・バイデン氏は、ロシアと米国はヨーロッパと全世界の安定を確保する特別な責任を共有しており、アメリカ政府はウクライナに攻撃的な兵器を配備するつもりはないことを強調した」と述べた。

プーチン大統領の最高外交政策顧問であるユーリ・ウシャコフ氏は、これは、米国と NATO に対する安全保障の提案で、ロシア政府が達成したいと望んでいた目標の 1つでもあると指摘した。

 

2022年 2月12日、ウシャコフ氏は、その日のプーチンとバイデンの電話での会談についてメディアに説明した。「この電話は、12月30日の電話会談のフォローアップのようなものだった」と述べた。ロシア大統領は次のように明らかにした。

「NATO の非拡大に関するロシアのイニシアチブの重要な要素と、また、ウクライナ領土への攻撃兵器システムを配備しないというバイデン大統領の提案は(アメリカの)中央政府に届いていませんでした。 …これらの要件に対して、意味のある応答はありませんでした」

 

2022年 2月 24日、ロシアはウクライナに侵攻した。 

2021年12月の時点では、バイデン大統領は、「ウクライナに兵器を配置しない」と電話会談で確約を述べたのにもかかわらず、2月の電話会談で、「それがまるで守られていなかった」ことをプーチン大統領が知ったということになりそうです。 

要するに、挑発でもあり、「ナメられてもいた」ことになります。もともと世界経済フォーラムの忠実なメンバーだったプーチン大統領のページが、世界経済フォーラムのウェブサイトから「消えた」のは、 2月27日のことでした。こちらの記事でふれています。

このあたりの時期に亀裂が生じた理由は、上の経緯を見ているとわかります。

そして、興味深いことは、ランド研究所の文書とされるものが「 CIA にも宛てられている」のですが、先ほどのアンチ・ウォーの記事の、

 

> 当時の駐ロシア米国大使 (現 CIA 長官)のウィリアム・バーンズは…

でわかりますが、「最初にロシア政府からレッドラインを具体的に聞いたのは、当時の駐ロシア米国大使であり、その人物は今は CIA の長官」だということです。

2008年からの一連の動きの中心にこの人がいる。そして、この CIA 長官であるウィリアム・バーンズさんはバリバリの世界経済フォーラムメンバー。

そして、このように 14年間かかって勃発に至ったこの戦争が、今後拡大することが避けられない状態となりつつあることも示され始めています。

レイ・マクガヴァンさんがアンチ・ウォーに寄稿したこの記事の冒頭は以下のようなものでした。

(レイ・マクガヴァンさんの寄稿文の冒頭)

> ジョー・バイデン大統領に助言する悪霊魔術師の見習いたち (ブリンケン国務長官、サリバン国家安全保障担当補佐官、中国専門家のカート・キャンベル)によって、ウクライナに始まり、おそらく中国にまで拡大する、過去 77年間で最も広い戦争のためにアメリカ人たちを軍事的集結させるのに何の問題もなくなってしまった。これを成し得た主流メディアに万歳だ。 (antiwar)

 

27年間、CIA で分析官をつとめていたマクガヴァンさんから見ると、現在の状況はこのように見えるようです。この「全世界が戦争に巻き込まれる」というフレーズは、現在、実にいろいろと出ていまして、このマクガヴァンさんのように、欧米の政策に批判的な見方をする方々だけではなく出ています。

たとえば、セルビアの大統領であるアレクサンダル・ヴチッチ氏は、ニューヨークでの国連総会で以下のように述べたことが報じられています。

 

(セルビア大統領の国連総会での 9月21日の発言より)

> (ロシアが)特殊軍事作戦の段階を離れ、大規模な武力紛争に近づいていると私は想定しています。今、問題はどこにあるのかということです。

> そして、特定の時間後、おそらく 1か月か 2か月後に、第二次世界大戦以来見られなかった大きな世界紛争に入るかどうかです。

 

なぜ、このセルビアの大統領の発言に注目したのかというと、「この人はディープステート側だから」です。「世界経済フォーラムのメンバーは全員悪いのか?」というと、そうです。そして、彼らは「予告」します。

 

2008年のリーマンショックは、2007年に IMF によって予告されていました。

(2007年4月の米ロイターの報道)

> 米国のサブプライム住宅ローン市場の崩壊が関連市場に広がる可能性があると国際通貨基金 (IMF)は 4月10日に警告した。IMFは、半年ごとの世界金融安定性報告書で、サブプライム市場の落ち込みは、住宅全体の低迷のこの時点で予想よりも急速だと述べた。 (Reuters)

新しいタイプのコロナウイルスによるパンデミックも、世界経済フォーラムによって、発生2ヶ月前に「予告」されています。

[記事] 武漢ウイルスが出現する2ヵ月前、アメリカの科学者が「次に発生するコロナウイルスのパンデミックは《地球上の6500万人を殺す》」というシミュレーションを公表していた  In Deep 2020年1月27日

 

今、予告されているのは、最初のほうに書きました食料と、そして、セルビアの大統領などが言うような世界的な戦争、そして、「リーマン級の市場崩壊の可能性」がフィンランドの経済相などによって伝えられています。 

(9月6日の米国メディアより)

> EU の一部の国では、エネルギーデリバティブ市場の崩壊を回避するために、すでに基金を設立することを決定している。フィンランドとスウェーデンは今週末、電力デリバティブ市場で取引するエネルギー企業を支援する計画を発表し、エネルギー産業と金融システムでの「リーマン」的イベントを回避しようとしている。

> 「これは一種のエネルギー産業のリーマン・ブラザーズの要素を含んでいる」と、フィンランドのミカ・リンティラ経済相は 9月4日、ヨーロッパのエネルギー危機についてコメントした。 (oilprice.com)

ここに、

> 「リーマンブラザーズ」的イベントを回避しようとしている。

とありますが、ヨーロッパのエネルギーの状況は、この頃よりさらに悪化していますので、回避されるかどうかわからないですが、リーマンショックの時もそうでしたけれど、「事前には一般の報道ではほとんど何も伝えられないことが多い」ために、「まるで突然起きたように見える」 ことが多いです。

しかし、ロシアのウクライナ侵攻も、先ほどのように、14年間という長い期間のアメリカによる挑発の結果として動き出したものです。

突然ではありません。

仮に、今後、リーマン的なことが起きても、ランド研究所の文書とされるものに書かれてある通りなら、「突然ではない」ということになります。

長い時間をかけて、ヨーロッパは崩壊へと仕向けられて、そして、今度は、全世界が戦争という状態に突き進む可能性が出てきてしまいました。

もちろん、どこの国でも主流メディアは何も報じないままですので、今度も「突然起きた」ように見えるのかもしれません。戦争も、市場の崩壊も、食料の枯渇も。



2022年9月28日水曜日

2833「お金に困らない生き方」2022.9.28

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年09月21日の記事を紹介します。


「お金に困らない生き方」


ここで良くご紹介しているコノハナサクヤヒメのお子さんで、 

日本神界の高位の魂「山幸彦」(彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))の魂のまま生まれて来た6歳のトキ君の話の中に「お金」の話があります。 

やはり、その話の本質は、エネルギーです。 

以前記事に書いた内容とほぼ一致します。 

少し加筆修正してお届けします。

お金もエネルギーです。 

エネルギーにも沢山の種類があります。

・風や台風などの気圧(西高東低、風は西から東へ吹く)

・位置エネルギー(物を高い所から落とすと、低い所から落とすより衝撃が強い)

・風船(圧縮された空気が入っている、爆発して空気の薄い方向に向けて拡散)

・熱(温度が高い所から熱は低い場所へ移動する) 

共通点は、全て エネルギーは高い所から低い所へ移動する

ということです。

これは、神様が作ってくださった、この宇宙の真実です。 

ですので、お金も同じなのですが、

但しお金に関しては神様がさらに大きな目的を与えたようなのです。 

では、この真理を理解してもらったうえで、以下のブッダの言葉をご覧ください。

托鉢、奉仕、お布施のお話です。

 

ブッダの教えの中に、「托鉢」があります。

托鉢とは笠をかぶったお坊さんが、家々を回ったり、道路の脇に立ち、手に鉢をもって、その中にお布施を頂くというものです。

ブッダは、托鉢に向かう弟子たちに、こう言いました。

お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って、托鉢をしてきなさいと。

弟子たちは、驚きました。

「お金持ちの家から、お布施を頂くのではないのですか?」

ブッダは弟子たちに、こう言ったそうです。

貧しい人たちというのは、今まで、自分が貧しいと思って、他人に対して、施しをしてこなかった人たちである。

それ故に、貧しさから抜け出すことができずにいる。

だから私たちが布施をいただきに行くのは、このような貧しい人たちを、 

その貧しさから救ってあげるためなのだから、貧しい人の家を回って来なさい。

托鉢に金額は関係ありません。

これも宇宙の法則 、「与えるものが、受け取るもの」と同じです。

貧しさから抜け出す最初の一歩は、まず他人が喜ぶことを自分から、先にすることなのかもしれません。

だから托鉢は、お坊様たちが自分たちで食べるものをもらうために行う行為ではありません

「与えるものが受け取るもの」 

この言葉が意味することはひとつ。全ては自分が与えることから始まるということ。

 

人の心に勇気と希望を与えるために、自分から出したとき(つまり、自分のところにその分、虚空が発生した時)宇宙は、同じエネルギーの質を持ったもので、見えない世界からエネルギーの充填を図ろうとするのです。 

その時、出したものの何倍ものエネルギーが発生(エネルギーの移動)します。 

これが、お金が移動する際の真理です、 


また同じく空海は、こう言いました。 

私たち悩み多き者たちが、失う苦しみから逃れる為に、次のように「施 (ほどこ)しの行」を説かれました。

むさぼり、惜(お)しむ心に勝てず、人のために財(ざい)を使うことがなければいつも餓(う)える心に苦しむ。

少しの食物も分かちて、甘(あま)さを割(さ)き与えるものはこの苦しみから脱(のが) れることができる。

自分が持つ、お金などの財産に執着する人は、常に失うことを恐れ、心が休まる時がありません。

要するに、生きながら常に心は、戦々恐々とし、地獄に住む者のごとしです。

空海はその地獄から逃れるためには、まず先に、その財を人のために、人が喜ぶことに使いなさいとおっしゃっています。

これも宇宙の法則にのっとった言葉ですね。

「与えたものが受け取るもの」まず、自分から出すのが先です。

それは財産に限らず、笑顔や、優しさ、思いやり、温かな言葉かけなど、みんな同じです。

まず、先に自分から人に、施します。

そうすると、宇宙はきっちりと、巡り巡って同じものを倍返しで、自分に戻してくれるそうです。 

また健康や、幸せもそうです。 

・健康でない時

・いじめにあっている時

・家族で病気の方がいる時

・経済的に苦しい時

人は、自分が幸せではないと思って、他人に対して、笑顔や、やさしさ、思いやりを

施してこなかったかもしれません。。

小学生のトキ君の言葉は、もっと単純明快です。 

人から沢山の「ありがとう」を言ってもらうとお金持ちになる。  です。

つまり他人に施した

・優しさ

・いたわり

・愛

・笑顔

・勇気の出る言葉 

それらは、全て自分から出て他人の心に「神さまの火」を灯し、 

心を震わせ、「ありがとう」という言葉で自分に帰ってきます。

そのエネルギーこそが、豊かさ(言い換えれば人間界のお金)の源泉であるということです。 

 



これを機会に、是非

・不平不満、愚痴、悪口を口にせず

・人の幸福を喜び

・人の悲しみに、ともに涙し

・日々の糧を与えてくださる神々に感謝し

・苦しみや、悲しみの出来事を起こし、魂を磨こうとしてくださる神々に感謝し

・ともに、笑い、泣いてくれる家族や友に感謝し

一日を過ごしてみませんか 

きっと良き運命が始まるスタートの日になるかもしれません。

 

2022年9月27日火曜日

2832「真実が明かされる時」2022.9.27

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年09月19日の記事を紹介します。


「真実が明かされる時」


もう数千年も、ある意図を持って隠されてきた真実があります。

そして同じく数千年の時を掛けて、その秘密を明かし、人々を幸せにしよう

という勢力による 努力もなされてきました。

そして、沢山の人々の努力により,その隠された真実が今明かされようとしています。



その隠された真実とは、私達の心の中には「神さま」がいらっしゃるという事

それは、誰一人として、例外なくです。

私達の心は、巧妙な手段によってがんじがらめにされてきました。

キリスト教では、私たちは生まれながらの罪人であると教えられて来ました。

ボロボロになるまでも自分を犠牲にし、他人に尽くしなさいとも教えられました。

自己所有の「私の・・」と言う言葉が生まれました(縄文の時代には存在しませんでした)

その結果、所有慾が生まれました。

持てる者、持たざる者の違いが生まれました。

それによって、嫉妬心が生まれました。 

嫉妬、やっかみ、ねたみ、ひがみ、焼きもち・・・ 

これらは、心を曇らせます。 

支配と依存の心が生まれました。

自分さえ良ければの心が生まれました。

持たざる者は、常に将来の不安・恐怖を抱くようになりました。

自分の思い通りにならない事、思い通りに動かない人々のことを許せなくなりました。

ですが、私達の心の中には「神さま」がいます。

良心があります。

その結果、良心と、悪い心の狭間で、葛藤が生まれました。

人を許せないのと同じパワーで、自分自身も許せなくなりました。

私達は「生まれながらの罪人」と教えられて来たからです。

でも、この数千年の間、その呪縛を取り除く努力も綿密に計画され、実行されてきました。

私達の心の中には「神さま」がいるという事。

心に静かに問いかければ、誰でも内なる神さまの声を聞けること。

時代はもはや、助けてくれる神々や、頼れる師を外に求める時代ではなくなりつつあります。

自分が自分の心のよりどころとなる時代に入ったからです。 

そのよりどころとは、私たちの中に何時もいらっしゃる「神さま」です。

それは、数千年にも渡り隠そうとしようとして来た勢力と、それに抵抗し続けた勢力の

せめぎ合いの時代でした。

それでも今、着実に真実を明らかにし、人々を幸せにしたいという願いが、実現しつつある時代になってきました。

自分の可能性を信じ、自分を受け入れ、人のあるがままを許し、自分のあるがままを許し、 

そして自分を認めていく段階に来ました。

 

それが出来た時、初めて私達は自分自身を愛し、その内なる可能性を信じ、自らの足で

歩み始めることが出来ます。

真の意味で人に優しくすることができます。

私達の心の中には「神さま」がいます。 

全ての人の中にいます。

自分自身を許し、受入れ、慈しむことが出来た時、その「神さま」は輝きを増します。

私達が常に恐怖に苛まれ、愛の欠乏を感じ、苛立ち、人を、自分を、許せなくなるのは、その様に仕向けて来た者達がいたからです。

巧妙でシステマティックな手段でした。

ですがそれと同じく、陰があれば陽があるように、その隠された真実を元のように表に出そうと、努力してくれていた命がありました。

私たちは、自分自身を卑下する必要はありません。

イエス自身が仰ったように、私達は一人一人、誰もが尊い存在だからです。

でも、最後の扉は自分で開かなければなりません。

その方法は、非常にシンプルです。

置かれた場所で咲きなさい。

そのように生きることです。

私達の中には、宇宙の根本法則である神さまが居らっしゃいます、それは本当は私達自身であり、私達の良心です。

それに気付き、知ること。

その神さまは全ての私達の属する宇宙の運航、そして身近な出来事、人との出会い、 

別れさえも決めています。

今、自分がいるそのままの場所・環境の中で、全てに感謝して輝き、そして幸せになること。

それこそが、今の時代に生きる人々に求められています。

ブッダの時代から数え、2回目の1,200年ごとのサイクルの中で、

今、その段階に入りました。

 


 

2022年9月26日月曜日

2831「神さまの教える諦めの心」2022.9.26

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年09月18日の記事を紹介します。


「神さまの教える諦めの心」


今日は、聖なる諦め、諦めることがゴールであり、スタートであるというお話です。 

このテーマでは、以前から何度も何度も書いていますが、このテーマも、日本神階高位の魂である山幸彦の魂を持つ、6歳のトキ君の情報とピッタリと一致しているため、このことが、神様の真実であることが推認できます。 

私のブログでは、ブッダやイエス、そして日本人の心に伝わる古の神道を情報ソースとして書いていますが、この6歳の子供が、いくら神様の魂を持つとは言え同じ内容を語っていることに驚きます。

既に、沢山の神様の魂が、この日本に転生を始めているそうです。 

本当に「精神性復活の時代」夜明けが近づいて来た様です。 

トキ君の情報は以下です。

一瞬で幸せになれる言葉…皆様に響きますように…人が人として生きていくうえで大切な何かに気付けますよに。これからも私達は皆様の幸せを祈ります😌🙏 youtu.be

約2分くらいから「諦める」についてです。

6歳と幼く語彙が少ないため、5分30秒くらいから違いを身体で表現してくれています。

トキ君は以下のように話しています。 

・諦めるは、ゴールでありスタート

・諦めると、また新たなスタートに立てる

・「諦めない」と言う言葉は、ゴールを自ら遠くへと設定してしまうこと

・諦めた瞬間に心が解放される

・本当に自分がやりたいことであれば、あきらめなくても良いけれど

少しでも嫌な気持ちがあるなら、諦めて新たなスタートに立った方が良い

・諦めると楽になって心が明るくなる

 

・諦めた瞬間に、どんなことでも出来るようになる

・諦めるということは「それでいいんだよ」って言うこと

・諦めないは「それじゃ、ダメ」って言うこと

・諦めるとは 認めるっていう意味

・出来ない自分を諦める

・出来ない相手を諦める

また同じようにブッダと神道のエッセンスより

「諦め」について以前書いた記事がありますので、加筆修正して載せたいと思います。

 

小林正観さんのお話から、ブッダの悟りと、日本に昔からある神道が驚いたことに全く同じ到達点にたどり着いている、について書こうと思います。 

ブッダは2,500年前にこの世の苦しみ、悲しみの原因は、自分の思いどおりにならないこと

と悟りました。

自分の思いどおりにならないことに対して、それに逆らってなんとかしようと するからこそ人は悩み・苦しむのです。

人の苦しみや悲しみは、外から与えられるものではありません。

苦しい・悲しいと思う心、つまり、人の内(心)から苦しみや悲しみが発生しているのです。

だから、お釈迦様は、こうおっしゃっています。

「すべて、受け入れなさい」と。

それは、頑張る生き方ではなく楽に生きる生き方です。

・人に頼って

・人に甘えて

・あるいは人に頼られて

・時には人から甘えられて

自分の思いどおりに、世の中を変えようとしないで

それを受け入れてこころを楽にして生きてゆくこと。

そして、最高の形は、「ありがとう」と、感謝することだったのです。

・水を飲めることに「 ありがとう 」

・息ができることに「 ありがとう 」

・食事できることに「 ありがとう 」

・仕事があることに「 ありがとう 」

・家族がいることに「 ありがとう 」

・友達がいることに「 ありがとう 」

・話ができることに「 ありがとう 」

・歩けることに  「 ありがとう 」

・病気でないことに「 ありがとう 」

・生きていることに「 ありがとう 」 

これは、日本に古くから存在していた古神道と同じ結論です。

感謝の心が神々の恩寵の表れる場となる・・ 

ということです。

 

 日本の神道には

・教義も

・教祖 

もいません。 

だから宗教とは呼ばれません。 

全てのもの、全ての自然現象に神々の意吹きが宿るとして、尊重し、敬う心です。 

このブッダの悟りの神髄に対してきっと反論のある方もいるかもしれません。 

だって実際に

・貧困でお金がなく

・病気で、毎日が苦しい

・友人に裏切られた

・職場にいじめが存在する

・世の中には許せない犯罪者がいる

・憎い

・苦しい

・辛い 

自分が辛いのは

・あいつのせい

・世の中のせい

でもきっとご本人もわかっているはずです。 

自分が辛く、苦しいのは

・憎しみの心があるから

・人のせいにしているから 

ブッダは仰いました。

「すべて、受け入れなさい」(そのことを諦めなさい、許しなさい)

自分の心の状態が現実を作ります。

憎しみの心を抱いていては、次から次へと 憎しみの対象が目の前に現れてくることでしょう。

「これがない、あれもない」と、常に足りない部分ばかりを見ていては、地獄の餓鬼と同じ心になってしまいます。

そもそも神様は私たちが生きていくうえで、必要なものは全部、準備してくださいました。 

そのうえで、私たちを、その場所に置いてくださいました。

「置かれた場所で、咲きなさい」と。神さまが準備してくださったものは

・健康や

・お金

・幸運 

それだけではありません。 

・苦しみ

・悲しみ

・貧困

・病気

も一緒に置いてくださいます。 

それは、その状況が、私たちの魂を磨いて、輝かせてくれるからです。 

本人が超えられないものは、置かれません。 

人よりもつらく、悲しく、苦しい状況は神様に見込まれているからです。 

私たちは、足りないことばかり見つめることをやめ、ゆっくりと、澄んだ心で周りを見渡せば、きっと、本当の幸せを見つけることができるでしょう。 

なぜなら、誠の幸せこそ、神様が私たちに一番、渡したいと願っているものだからです。 

幸せは向こうから勝手にやってくるものではありません。

すでに自分を、山ほど取り囲んでいるものです。

神様が準備してくれていたものです。

それに、気がつけるかどうか。 

ただそれだけの違いのようです。 

そうブッダは、般若心経で教えてくださいました。 

・憎しみの心

・人を蔑む心 

が消えて、

お幸せになられますように。



2022年9月25日日曜日

2830「心の方向転換」2022.9.25

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年09月17日の記事を紹介します。


「心の方向転換」


このブログでよくご紹介する6歳の神様、トキ君のお話。 

驚くべきことに、そのすべてのお話が、自分の心を変える・・と言うお話です。 

決して、どこそこの神様を頼ったり、縋ったり(すがったり)

どこそこにお参りに行きなさい。。何々を身につけなさい。

そんなお話ではありませんでした。 

全てが私達の心が変わることで

苦しみ、悲しみを抜け出し、感謝の内に生きられる・・

そんなお話でした。

 

では、今日も心のお話です。

激動の真っただ中、皆さんの心の方向性は定まったでしょうか? 

私たちは辛い時、苦しい時、悲しい時、

その場から去りたくて、一気に状況を変えたくて、 

・藁をも すがる思いで、

・神頼みしたり

・人に頼ったり

・高価なものに頼ったり 

しがちです。 

そのような波動の状態である時、そのようなオーラを外界に発生させている時 

それに呼応して、 

・同じ波動を発生させている、(類は友を呼ぶの)同類の人たち

・その状況を利用して、食い物にしようとする人たち 

肉体のある者、肉体を脱いだ者 

それぞれが、波動をキャッチして、お互いが吸い寄せられてきます。 

食い物にしようとする人たちとは・・ 

一見、「他人依存的な人」とは、正反対ですが、 

波動的には同種(山と谷が逆さまなだけ)ですので、 

依存的な人には、

・同じく依存的な人と

・逆に依存的な人を支配、コントロールしようとする人

の2種が引き寄せられることになります。

・傷をなめ合ったり

・自分の同質のグループに引き入れたり

・高価なものを買わせたり

することが多いようです。 

このような状態の時、人は 

・冷静な判断ができず、

・普段なら騙されないような甘言に騙されたり

・言われるがままに、高価なものを買わされたり

・普段なら、意気投合しないような方と、仲間になったり

しがちです。 

これは結構、強力な「引き寄せ」です。

私たち人間は、決して強い人ばかりではないので、 

心弱くなった時には、どうしても、強い人や、神様、物にすがりがちです。 

ですが、そのような時、同じ波動を持つ者を引き寄せ始めていると・・・ 

頭の片隅にでも、置いておくとよいかもしれません。

そうすれば、何時か、はっと、我に返って気づく時も来るでしょう。

 

私たちの身の回りで起こる

・辛いこと

・苦しいこと

・悲しいこと 

は全て神様が起こしてくださっています。

神さまの承諾なしに、起こる出来事は、どんな些細なことでさえ、存在しません。 

全ての

・辛いこと ・苦しいこと ・悲しいこと 

は、神様が私たちに心の方向転換を促す時に起こります。

どんなに、人や物、神様に頼って一見状況が好転したかに見えても、 

私たち自身の心が変わらなければ、

また同じ出来事や現象が、形を変えて起きてくるだけです。

・今あるもの、持っているもので満足しているか?

・それらに感謝の心を持っているか?

感謝の気持ちを持つ心は、美しいです。

光り輝いています。 

感謝の気持ちが足りない時、神様は、強制的に方向転換させてくださるために、

色んな出来事を起こしてくださるようです。 

感謝の心は、神様とのホットラインのようなものです。

神様と直結します。 

そこを通じ、神様の恩寵が現れます。 

感謝の心が芽生えた時、 

神様が意図した通り、目的は達成されます。 

その結果、役割を終えた(辛く悲しい)出来事は、

記憶のかなたに、消えてゆくことでしょう。

そして魂の段階が、一つ上がり、

また新たな世界が眼前に広がってくることでしょう。 

その世界は、確かに・・・ 

今見ている世界よりも、 

・暖かく

・優しく

・愛に溢れ

・笑顔に溢れた 

美しい世界であることでしょう。 

感謝の心は幸せになるために一番大切な心です。



2022年9月24日土曜日

2829「人間が本当に進化するために」2022.9.24

 今回は「木の花ファミリー」のいさどんの「ジジイのブログ」から2022年9月6日「人間が本当に進化するために」と2022年9月10日「いずれまた あなたのもとへ」の2つの記事を紹介します。


「人間が本当に進化するために」

僕は30歳の時に、お釈迦様に出会いました。

30歳の12月26日に、ふと気が付くと、頭の上に黒い男の人の姿がありました。それは、お釈迦様でした。以来9年間、僕はお釈迦様から心の学びを頂いてきました。

最初の2年間は、泣いて暮らしました。それは自分を否定していく道だったからです。自分の中に、ああしたい、こうしたい、という自我の欲求が湧いてくる。でもお釈迦様が説かれることの方が、自分の中から湧き出す思いよりもはるかに優れている。ならばその優れた方を選ぶしかない。

そうして自分の思いを否定していくうちに、まるで自分が消えて無くなってしまうかのような淋しさに苛まれ、そのように未熟な自分が情けなくて涙を流し、それでもその自らの思いを超える、より優れた方、より道理の通った方を選び、歩み続けました。

そして9年が過ぎたある日、お釈迦様は「私の役割は終わりました」と、僕のもとを去られました。その時僕は、自分はまだ未熟であなた無しでは歩むことができません、行かないでくださいと懇願しましたが、お釈迦様は「あなたは十分に育っています。歩んでみなさい。歩めるから」と言い、天へ昇っていかれました。そう言われたら、自らの思いを否定し、その命に従うのが僕の常の姿勢です。ならば私は歩みます、と心に決め、自分はもう霊的な存在と対話することはないのだろうと思っていると、その直後に、日の本の神様が現れ「これからは我がそなたを守護する」と言われたのです。


*ジイジの霊的な歩みについては、「木の花記~金神様の巻」でご紹介していますので、より詳しく知りたい方はそちらをご覧ください。

その後、僕を守護する神様は七度替わられました。そして最後に現れたのが、「あってあるもの、なきてなきもの」です。

日の本の神様に出会ってからの1年間、僕は神界というものの多様性を学んできました。そしてある時、故郷の氏神様である滝神社の262段の階段を降り、実家に向かって歩き出したところで、上に何ものかがいることに気付きました。その日は快晴で、空は高く澄み渡っていました。僕はその何ものかに向かい、「どなた様ですか」と尋ねました。神々様には皆名前が付いていたので、僕は新しい神様に出会う度に名前を聞くことが癖になっていたのです。しかしその上にいる何ものかは、何も答えませんでした。そこで僕はもう一度「どなた様ですか?」と尋ねました。するとその存在からは、こう返事が返ってきたのです。

「名などない。」

僕は、困ったなと思いました。名のない存在をどのように認識したらいいのだろう?そう思っていると、その存在からは続けてこう返ってきました。

「我は、あってあるもの、なきてなきもの。」

そう言われても、僕にはさっぱり意味が分かりませんでした。その時僕は40歳か41歳。富士山麓へ移住する前のことです。

その後富士山麓で木の花ファミリーを創立し、人々の心の目覚めを促す活動を続けながら、その暮らしは常に「あってあるもの、なきてなきもの」と共にありました。そして19年が過ぎたある時、縁あってカタカムナに出会いました。そこで「ある世界」と「ない世界」という、この世界の構造を解き明かす概念に出会った時に、初めて「あってあるもの、なきてなきもの」が何であるかの裏付けを得たのです。

この世界は「カタチサキ」、つまり、物理的肉体を持って現象世界を生きる私たちは、まず物理性であるカタチから物事を認識します。それが「あってあるもの」です。そしてその奥に、その物理的現象世界を成り立たせる、根源的な世界が存在します。それが「なきてなきもの」の座する場です。

カタカムナに出会い、僕は初めて、あの時自分のもとに現れた存在は宇宙の実体そのものだったのだということを理解しました。それは、人間のように名を持ち、特定の意志表示をするものではなく、この世界の全て ——— 「ある世界」だけでなく、その奥にある「ない世界」までも含めた、この世界の実体を示されたのです。

出会った時にはさっぱり意味が分からなくても、分からないからと否定するのではなく、そのままを頂いて、歩んでいくと、その歩んでいった先に解答が出ます。そしてこの姿勢は、行き詰った現代の物理学を新しい世界へと導きます。

現代科学は、物理的な現象をもって証明できることだけを真実とする、現象一辺倒の世界です。しかし、現象だけでは解決できないのがこの世界です。私たちは一人ひとりにそれぞれのオーラがあり、響きがあります。そして心があります。そういったことをどう捉えるのか。科学の世界の人々も、アインシュタインがそうであったように気付いてはいるのですが、結局は物理的に立証できることだけを真実としなければ、怪しい世界がいくらでも広がって秩序が取れないのです。

だからこそ、もっと広い世界から、世界の実体を捉える必要があります。対向発生という仕組みから世界を捉えていけば、もっとこの世界の成り立ちが理解できるはずです。しかし、広い世界ではなく、自分の見えるところから探求していくと、自分が見えること、自分が理解できることのみを真実としてしまうのです。そうすると、限界が生まれます。自分の度量によって見える世界は違ってくるのに、見えないものを無しにしてしまったら、その先へ進むことはできないのです。

多くの人は、自らの心のキャパシティを超えるものを認めない傾向があります。そうすると、人間が進化しません。物理化学の世界は、その分野としては進化したかもしれませんが、人間の本当の進化を妨げています。そういったことを、物理化学の世界の人々は、理解しなければなりません。

自らの価値観を取り払うことによって、新たな価値観が入ってきます。排泄せずに、食べ続けることができますか?息を吐かずに、吸い続けることができますか?それと同じことです。

この当たり前の事実が通用しないのが現代の世の中です。それが人間の限界を作っています。人間がその自我の枠を越えた時に、本当の進化が始まるのです。

 


「いずれまた あなたのもとへ」

私はいつも意識があなたの方を向いていることに気付きます。それは、私がこの世界に存在することの原点を感じるからであります。そのあなたを感ずる私の力は微妙なものであります。私が肉体的意識をセンサーにして生きれば、あなたの存在を感じることは難しいものですが、たびたび意識の隙間からあなたの存在する世界にセンサーがアクセスすることがありますので、存在を感じるのです。

私はあなたの存在を感じたとき、不思議な気持ちになります。それは私の存在する世界で、どのように喜びを発掘しようと思っても得られないものです。そのあなたのおいでになるほうに意識を向け、あなたの存在の息吹を感じたとき、なにかしら言いようのないすべてのふるさとのように感じられる響きの世界があることを感じ、私が存在するこの現象世界で得られるであろう喜びのすべてを超越した満足が、そこにあることに気付くのであります。

ですから、私は時々この世界にいることを空しく思い、そしてあなたの方に旅立つことを望むのであります。どちらにしても、あなたのもとから来た私にとっては、いずれまたあなたのもとへ還るのですから、私は十分に満足なのです。

毎日、瞬間瞬間の時の旅を留まることなく永遠に歩んでいますが、この永遠は私個人の体感する枠の中では有限なのです。私はそのことがわかっているので、永遠に続くように思われるこの現象世界の中にいても、至福の心を持ち続けることを可能にするのです。

私は赤子のように物理的なすべてを取り去って裸になり、霊的にすべてのこだわりを取り去り魂だけになったとき、この境地に浸ることの喜びに至るのです。

 



2022年9月23日金曜日

2828「神さまと繋がること」2022.9.23

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年09月16日の記事を紹介します。


「神さまと繋がること」


この夜明け前の一番暗い時、ヨハネの黙示録の中で示されている、第7のラッパの音が鳴り響く世の中で生きていて、一番心強いことは、やはり神様とともに生きることではないでしょうか。

神様と生きる 

そうは言っても、ピンとこない方も多いかもしれません。 

ですが、もともと私たちは、神さまから魂の一部を頂いて生まれてきました。 

元春日大社宮司で、高名な形成外科医であった葉室頼昭さんのご著書を基にして書きたいと思います。 

はじめのはじめ、至高の神の意志がありました。 

神さまは自分のご意思を実行に移すために、150億年前、ビッグバンを起こし、全てが始まりました。 

古事記によれば宇宙で一番はじめに現れた神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。 

ですが、すぐにお隠れになりました。

その後まもなく現れたのが 

・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)

・神産巣日神(かみむすひのかみ) 

やはり同じようにすぐに姿を隠してしまいました。

この3柱の神を造化三神(ぞうけさんしん)と呼びます。 

むすひのかみ達は、以前記事にも書きましたが、量子力学で言われる「弱い力」、つまり

中間子、素粒子を結びつける力です。 

日本の湯川博士が発見しました。

この力が存在したために、原始ができ、分子になり、物質が生まれました。 

つまり、この宇宙に存在する物すべてに原子よりももっと小さなレベルで、神々が宿っているということになります。

もちろん私たちの中にも至高の神さまがいらっしゃいます。

私たちの考えていること、過去、現在、未来、全て見渡して、私たちとともにいらしてくれます。 

葉室元宮司が仰るには、神さまの意図、つまり至高の神が宇宙を創造した目的は 外側から、神さま自身の 真・善・美を見て味わい、知ること。 

内側からでは、自分自身を見ること、知ること、感じることができないからです。 

そのため、宇宙神から頂いた、魂、生命を使い、枝分かれした生命体たちは、

様々なことを経験し、味わい、知ります。

その経験、知識を集めて、再び私たちは、宇宙神の元に戻ります。 

ですから、私たちが経験すること、感じること、思うこと・・それに善悪はありません。

全てが経験として蓄積されるからです。


ですから私たちは、人の行動、言葉の一面だけを切り取り、受け取って、良い、悪い のジャッジをすることはできません。

その経験も、宇宙・創造神にとっては必要な経験だからです。 

色んな宇宙、星々、そして3次元、4次元、5次元・・ いろんな次元で、宇宙神から生み出された沢山の魂たちが経験を積んでいます。

ですが、その中でも地球と言う私たちの惑星、それも3次元の世界は生まれ変わり、つまり魂たちが経験するために、肉体をまとい、生まれてくる場所として大変人気が高く、倍率が高いようです。 

何故なら私たちには 肉体をまとっている間、感情を持つことができるからです。

この地球は、「宇宙一感情レベルが高い星」なのだそうです。 

感情と言うのは対象に対して抱く気持ちのこと。 

喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖など。 

また周りの人々の心に 

・寄り添う力、

・感じ取る力

・同じ気持ちを味わう力 

つまり共感力も、この感情があるからです。

人生80年、生きていると様々な出来事が起こります。(自分で生まれる前に計画してきたことです) 

それらを経験するたびに私たちの感情が大きく揺さぶられます。

私の人生、どちらかと言えば、辛いこと、悲しいこと、苦しいことが多かった。 

そう思う方もいらっしゃるかもしれません。 

ですが、その経験をしてきたうえでの、今現在の私たちです。 

経験値から言えば、今日の私は、過去一番最高の私です。

その経験も、生まれてこなければできませんでした。

辛く苦しみの暗闇の中で、出会った、誰かのほんの小さな優しさ、温かさ、思いやり、

心に沁みませんでしたか? 

苦しんだ経験があるから、同じ苦しみの中にいる人たちの心が分かるようになったのではないですか? 

それって、魂にとったら、大飛躍です。 

輝きがぐんと増しました。 

※その経験を求めて、宇宙中から生命体が集まります。 

 

本当の優しさは、その何倍もの苦しみや悲しみを乗り越えてきたからこそ身に付いたものではなかったでしょうか? 

それとも今の苦しい環境を、人のせいにしてそこから逃れたいがゆえに、憎み、ののしり、恨み続けるのでしょうか? 

私たちの内にいらっしゃり、常に一緒に歩んでくださっている神さまが望むことは、 

私たち人間たちが、いろんな経験を通じ

・素直な心で

・互いを思いやり、助けいあい、

・お互いさま、お陰さまの気持ちで仲良く笑顔で暮らしていく   

そんな身近で平凡なことではないでしょうか。 

それこそが、神々が私たち人間に、一番望んでいらっしゃる心ではないかと思うのです。 

だからこそ、宇宙神は、私たちの心の浄化を一番の喜びとされるのではないかと思います。 

私たちの心の霧が晴れ、神々しい光が差し込んだ時、宇宙神は、小躍りして喜んでくださると思います。 

自分の周りに居てくれた人たち、家族、友人、同僚、そんな人たちに感謝と、祈りにも似た気持ちで接することができれば、神々は喜び、今度はそこで、その場において私たちと、神々の 美しいエネルギー交換がなされることでしょう。 

その時、私たちはきっと気付くはずです。  

・私が好きな人も

・私が嫌いな人も

・私を好きな人も

・私を嫌いな人も 

みんな、みんな大切な人だったと。

かけがえのない人だったと。 

溢れる感謝の気持ちと共に。 

私たちは、人の 嫉妬、やっかみ、悪意には鈍感でも構いません。

ですが、人の優しさ、温かさ、思いやり、愛情には敏感でありたいものです。 

なぜなら、そこには 必ず神さまがいらっしゃるからです。 

心の浄化が始まった時、神々の喜びとともに、大いなる幸せも続々と現れることでしょう。

何故なら、人の心の浄化こそが神々のなさる最大の奇跡だからです。

2022年9月22日木曜日

2827「シリウスと瀬織津姫」2022.9.22

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年09月15日の記事を紹介します。


「シリウスと瀬織津姫」


今日は、大祓祝詞に出てこられる瀬織津姫について書いてみたいと思います。

瀬織津姫は、

・水の神様

・滝の神様

・龍の神様

と言われていますが、記紀(古事記・日本書紀)に名前はでてきません。 

古の時代、藤原氏の祖先、つまり中臣氏(代々 祭祀を司っていた家系)のどなたかに神々が降りて伝えられたという、「大祓祝詞」に出てくる祓戸四柱神の一人です。 

祓戸四神とは、 

①瀬織津比咩(せおりつひめ)  → 禍事・罪・穢れを川から海へ流す

②速開都比咩(はやあきつひめ) → 海に流した禍事・罪・穢れを飲み込む

③氣吹戸主(いぶきどぬし)   → 速開津比咩が飲み込んだ禍事・罪・穢れを根の国底の国に吹放つ

④速佐須良比咩(はやさすらひめ)→ 根の国・底の国の禍事・罪・穢れを神々の清らかなエネルギーに変換して地上へ戻す

つまり罪穢れを、決して滅ぼし消し去る(西洋の思想)のではなく 

縄文の心(古来 日本の心)の通り、

例え悪であっても、一旦受け入れて、黄泉の国を通じ循環させ、

清らかなエネルギーに変えてしまうのが祓戸四柱神です。

まさに私たちに日本人の和の精神(縄文の心)です。

西暦700年代、日本書紀や、古事記などの成立に伴い、

日本古来の神様であった、「瀬織津姫」は封印(記載から除外)され、

力を矮小化されて伝えられてきました。

歴史は常に時の権力者によって書き換えられます。


瀬織津姫が封印されてきた理由は、

一説では、女帝の持統天皇即位の正当性を示すために

伊勢神宮に祭られていた天照大神を男神から女神に性別変更したため、

男神の天照大神と並祭されてきた瀬織津姫が邪魔になった。。。

ですが、その信ぴょう性はもちろん、今となっては推測の域を出ないものです。

「瀬織津姫」は日本では

・菊理媛神、

・ミズハノメノミコト、

・市杵島姫命、

・弁財天 

等の水の神や熊野権現が瀬織津姫と同一神とされています。

はっきり判っているだけでも500近くある瀬織津姫を祀る神社の他、

全国で3000社以上ある熊野神社や、白山神社、厳島神社 等、 

知らないうちに祭神がすり替えられた神社を含めると、

この女神が1300年前までどれほどの大神であったかが窺われます。

水の神様であり龍神様でもある瀬織津姫には浄化し、祓い清める働きがあります


以下の記事の元ソースは、

「坂本政道 ベールを脱いだ日本古代史 高次意識トートが語る」からで、

知恵の神トートからの情報です。(詳しくは、そちらをご覧ください)

 

瀬織津姫は、沢山の別名があります。 観音菩薩、白山姫、アラハバキ、。。。

シリウスからの、日本古来の姫様です。

が、天武天皇の時代に多くの神々と一緒に封印されていたそうです。十一面観音の形による封印

封印したことを詫びる供養が今でも行われています。

東大寺二月堂の修二会で、752年以来毎年続いています。

正式名称を「十一面悔過法(じゅういちめんけかほう)といいます。

2千年前に大和族(アマテラス族)が渡来してきた時、 

彼らはネガティブなオリオン系宇宙人と交流していたため、

三輪山一帯に侵入した時に、オリオン人はシリウス人(龍型宇宙人)を封印したそうです。

 

オリオン星人は好戦的で攻撃的な性格を持っています。

正確には、封印と言うよりも自ら三輪山に身を隠した・・と言う方が正しいかもしれません。

ですが、その封印が、数年前に解かれたそうです。

それはこの坂本さんのトート情報だけでなく、全く別の情報ソースである浅川嘉富さん著作の「龍蛇族直系の日本人よ!」にも記載されています。 

神界から直接地球にやってきた少年の話として・・・

 

「六甲比命大善神」と書かれた看板とご神体の巨石。瀬織津姫の墓と呼ばれている巨石。

古代、縄文の時代より、私たちと関わりのあった、シリウス系の龍の神々が自由になれた・・ 

今起きている国常立命の復権と同じく。

と言う事は、これから新しいミロクの世の出現が期待されます。

ですが、それはダライラマが言うように決して 神々任せではなく、

私たち一人一人の行動があってこその事だと思います。

私たちが今できることは何か?

それは、きっと

・見えない力ある人に頼ったり、

・有名な神社・仏閣、神々に頼ったり

・不思議な現象・能力に頼ったりするのではなく、

自分の心の持ち方の問題だと思います。

・一歩一歩、心の塵を祓い

・感謝の気持ちで日々を過ごし、

・身近な周りの方々と、お互い様、おかげ様の優しい気持ちで生きていく。

これらを日々一つづつ行動に移して行けば、 

今も見守り続けてくださっている縄文の神々と協力して

地に足の着いた方法で、

美しい世界を作ることが出来るかもしれません。



2022年9月21日水曜日

2826「地球の最も大切なルール」2022.9.21

今回は「いっぷくからありがとう」の2022年09月14日の記事を紹介します。


「地球の最も大切なルール」


本日、福岡の方からご寄付を頂きました。

浄財として、世の中のために使わせていただきます。

ありがとうございます。感謝いたします。 

今日も、真の幸せになるための王道、心の浄化について書きたいと思います。

実際に実践されてお幸せになられた方からも、多くのお礼のメッセージや近況を頂いています。 

私たちは

・何処かの霊的な力が凄いと自尊する他人や

・目に見えない不思議な世界

・ご利益があるという有名な神社や神様に頼らなくとも、 

ご自分の心を浄化をすることで、 

自分の足でしっかりと、置かれた場所に立ち、人生を実り多いものとし、 

更に宇宙の根源神に直接つながるために書きたいと思います。

自分では何もせず、何とかしてくれるだろうと期待だけを膨らませ、

丸投げで、まるっきり依存していては、 

自分の魂の自立はおろか、輝かすこともできないからです。

神様は、「自ら助くるものを助く」です。


さて今日は神様(山幸彦)の意識のまま生まれて来た6歳のトキ君のお話です。

トキ君の魂の母は、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)

父は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)

そして奥さんは 海神の娘、豊玉毘売命(トヨタマヒメノミコト)です。 

トキ君は、6歳ではありますが、

日々神々と交信するとともに、夜の就寝中は、天界に戻ってお仕事をしています。

その仕事は主に

地獄、天国、人間界に渡る、魂の生まれ変わりの管理です。

また地上界では 

・お祓い

・縁結び 

です。

人間としては、まだ6歳なので、話の語嚢(ごのう)は少ないのですが、 

宇宙の本質を突いたことを話します。

 

その内容はこのブログで書いていることと、非常に共通することも多く 

今日は、読んでくださる皆さんの幸せに、ダイレクトに繋がる内容を書きたいと思います。 

神さまは、馬鹿みたいに素直な人が好きです。

もしこれを信じてくださるなら、是非、馬鹿の一つ覚えのように実行してみてください。  

私は経験から、この内容が真実であると知っています。 

人の幸せを願うと、幸せになれる

地球のルールで最も大切な事 

1000倍返しのルール

なんでも1000倍になって帰ってくるルール

この宇宙で一番強いのは、優しさ・愛

・人の幸せを願うこと

・嫌いな人の幸せを願うこと

自分の口から出た言葉が1000倍になって帰ってくる

 

今の自分の状態は、

過去の自分の口から出た言葉が現実化しているだけ。

・目の前の問題

・目の前の人間関係

これを1つの壁だと思ってください。

そこに自分から1つボールを投げたら、それが1000個のボールとして自分に帰ってきます。

毎日「ありがとう」というと、「ありがとう」が1000倍になって帰ってきます。

「ありがとう」という言葉は、地球で願いを叶える大切なカギ。

※他人から「ありがとう」を頂くほど、物理的に豊かになっていきます。

 

そして、「ありがとう」を更に超えた言葉こそ

「幸せになれ」

・自分を傷つける人

・自分に嫌な思いをさせる人

「あームカつく。何でそんなひどいことを言うの?」

と思った後、

「幸せになれ!」

と怒りのままで良いので、叫んでみてください。

(ここで、面白いのが本当に心の中で「幸せになれ」と思っていなくてもいいんです)

 

口に出して言ってしまえば・・・

1000倍! 幸せが返ってきます。

これが地球のルールです。

このルールを知ってしまったら、もう悪い言葉は言えなくなります。

1000個、帰ってきて欲しいことしか、言えなくなります。

もしこのことを信じてくださるなら、これを馬鹿のようにやってみてください。

神さまは馬鹿正直な人間が大好きです。

皆さんは目の前の壁に、どんなボールを投げますか?

・うらみ、つらみ、憎しみの言葉ですか?

それとも

・「幸せになれ!」

ですか?

  



2022年9月20日火曜日

2825「大峠を越えるために」2022.9.20

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年09月13日の記事を紹介します。


「大峠を越えるために」


江戸後期から明治にかけて一斉に日本で起こった霊的な磁場、鼓動。 

そこでは、人類にとっての大峠、時代がぐれんとひっくり返る、 

など近未来に対して様々な予言が語られています。

 

それらはもちろん神の国、言い換えればアセンション後の地球 

などの到来を意味していますが、

その前に、夜明け前の一番暗い時代のことも語られています。 

その辛く、苦しい時代を乗り越えられるのは、改心(洗心)した魂なのだとか。。 

そのために強く私たちに「改心」を迫っています。

改心した人とは、要するに心の罪、穢れを祓い、ピュアな心の持ち主のことです。 

さて今日も、心の洗濯。

美しき心を取り戻すために書きたいと思います。

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」に、こんなことが書いてあります。

神様がお植えになったところで咲きなさい。 

咲くということは仕方がないとあきらめるのではなく、

笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです。

あなたは、

・体調が悪いから

・思ったように物事が進まないから

・ムシャクシャするから

と、仏頂面で人に相対していませんか?

それを見た人、そばに居る人は 

そのイライラした波長が伝わるため、ドンと気分が落ち込んでしまいます。

自分の都合で、周りを不幸にして良い権利は、誰にもありません。 

渡邉さんは、36歳で図らずもノートルダム清心学園の学長を任され、右も左もわからず、不平不満ばかり口にしていた時に、宣教師の方から頂いた言葉だそうです。

渡辺和子さんと言えば、今では「置かれた場所で咲きなさい」で、大変有名な方ですが、

そのような天使のような人でさえ、若い頃は、私達と同じく不平不満の塊だったのですね。

そして更に50代でうつ病を発症しますから、

彼女が今知られているように天使のような心になるまでにはまだ時が必要でした。

いくら修道院で修行してきたからとて、まだ若く経験が無ければ仕方のなかったことかもしれません。

当時は、慣れない仕事や、周りのやっかみもあり、置かれた場所に不平不満だらけ。

他人の出方で、幸せになったり、不幸せになったりと、環境の奴隷だったそうです。

私達もよくやりますね。

誰かが、仏頂面してた 

→ 私に何か文句があるの? 

→ 私も 仏頂面してやれ、無視してやれ

誰かが、挨拶しても返してくれない 

→ 私が嫌いなの? 

→ フン。私も嫌い。悪口流してやる。

笑顔、あいさつ、仏頂面は伝染します。

でも、もしかしたら、相手の人は、体調が悪かっただけかもしれません。

朝出かける時に、たまたま家族とケンカしたのかもしれません。

また逆に どなたかが、笑顔で話しかけて来てくれると、 

一遍で好きになって味方になってしまいます。

 

まさに渡辺さんが言うように「環境の奴隷」です。

人間として生まれたからには、どんな場所に神様が置いて下さろうと、環境の主人となり、自分の花を咲かせたいものですね。

咲くということは、この宣教師の方が言うように、仕方がないとあきらめるのではなく、

笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのですね。 

私たちは、よく口にします。

・お金が貯まってから

・時間が出来てから

また次のようなこともよく言います。

・あの人のように、お金持ちの家に生まれていたら

・あの人のように、美しかったら

・あの人のように、健康だったら

・あの人のように、能力があったら

そして、最後は、必ず、どうせ私なんか。。。

私たちの神様は、うっかりミスをして、私をこんな環境に、生まれ付かせたのでしょうか?

それともシスターが言うように いまの環境に私が生きているのは、

自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神さまが、

あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明するためでしょうか?

花の使命は咲くことにあります。 

他の花と比べて、優劣を競うことでもなければ、どこに置かれるか、でもなく、 

自分しか咲かせられない花を、一番美しく咲かせることにあります。 

誰かと比べる必要もありません。 

人は、それぞれ、生まれて来た目的があります。 

それは、生まれる前に決めて来たことです。

その目的に従って

・経済状態

・健康状態

・家族状況

・容姿

・性格

全てを神さまと共にカスタマイズして、生まれてきました。 

だから、全ての人が、全部違う環境に置かれています。 

自分にとって、自分の魂を輝かせるために、 今の環境は最適なものだからです。 

嬉しいこと、楽しいこともそうですが、 それよりも、辛さ、悲しさ、苦しさ

そんなものが、私たちの心の砥石となり 

もともと、ダイヤモンドのように輝いていた

私たちの美しい魂を、再び見せてくれるものだからです。 

私たちの心が全て決めます。

心が変わらない限り、現実は変わりません。

心にこそ、全ての初動のエネルギーがあるからです。

心と意識が、私たちの生きる現実を作っているからです。

  

・温かな優しい心

・周りの方々を慈しむ心、

・出しゃばらず、そっと見守る愛の心

・助け合い、調和していこうとする「お陰さまの心」

今まで生かし、育ててくださった人々、友人への感謝の心でお過ごしください。



皆さんが

ご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、お幸せになれますように。


2022年9月19日月曜日

2824「青空ひろば2」2022.9.19

今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。

769 2022.09.04 ~778 2022.09.13 


<『老子』解説> 

老子に『無為にして化す』という、老子全体のエッセンスのような一文があります。 

『無為』とは、<為すことが無い>ということですね。 

そして、『化す』とは、<変化させる>ということです。 

現象世界では、何の手出しもしないのに、いつの間にか、環境や運命をどんどん好転させてしまうという人物を老子は理想とします。 

というのは、手出しすれば目立つのです。目立てば敵も現われるのです。ですから、周りの環境に融けこんで目立たず、人にも気づかれず、知られず、思うとおりに人や環境を変化させてしまっていた、というのが、最高の想いの実現法なのです。

 

なぜ、そんなことが可能なのでしょうか。 

自分の心に有るものが、自分の世界や運命に現われてくるのでしたね。

つまり、<心が先で、形は後>なのです。 

心に描かれた想いは、早晩、形の世界に現われてきます。自動的にそうなるのです。 

ですから、自分の想いは当然のこと実現するのだと信じて、何の疑いの念も心に兆すことがない人は、何もしなくても、必ず想いを実現させてしまいます。 

疑いの念も、心に描かれる想い(反対想念)なのですから、自分が不可能と思えば、実現しないし、実現は困難だとおもえば、実現が困難になったり、実現までずいぶん時間がかかったりするわけです。

現象世界のアレコレを気にして、それを変えようと手出し、足だしして悪あがきするということがあります。困った現象に気を取られてしまって、心にその困った現象を描き出し、心を、困った現象に占領されてしまったのです。

そうすると、心に描かれたものが、形の世界に現われるのですから、その人は、その困った現象の再生産を繰り返し、困難をますます拡大させてしまうことになってしまうのです。


キツネさんの話を覚えていますか。 

昔、弟子の指導に誤りがあったお坊さんが、キツネに生まれ変わってしまったのです。それが、辛くて辛くて、キツネから脱出したいと思い、そのための努力をするのですが、どうしても脱出できず、ついに五百回、キツネに転生を続けているというのです。 

それで、百丈という禅僧のもとに救いを求めてやってきたのです。 

それに対して、百丈さんは、「因果歴然だ。お前はキツネから脱出できん」と、断言します。 それで、キツネさんは覚悟を決めます。『もうキツネから抜け出そうなどと思うまい。精一杯キツネを生きてみよう』 そう心が定まった途端に、このキツネはキツネの境遇から抜け出すことが出来たのだそうです。 

つまり、キツネがいやだ、キツネから抜け出したいと、思い続けるということは、その嫌なキツネを心に描き続けることなのです。そして、心に描いたものが形の世界に現われるのですから、ずっと、キツネの境遇とキツネが体験する世界の拡大再生産を、五百生の間、続けることになったのです。 

しかし、キツネから脱出することを諦めた瞬間に、もはや、キツネを心に描かなくなったので、キツネの思いが無い心は、たちまちのうちに、キツネでない身と世界を、現象させたのです。


では、『老子』の冒頭の一節の読解から始めましょう。

ここは、様々の訓読みがされ、それによって解釈も色々です。

私には伊福部隆彦先生の訓読みが一番ピッタリくるので、それを採用させて頂きます(『無と人間』近畿大学出版局)。

『道の道たるべきは、常(かわら)ざるの道にあらず。名の名たるべきは常(かわら)ざるの名にあらず』

『道』とは、<いのちが人生でたどる道>のことです。つまり、運命のことですね。

それは、『常(かわら)ざるの道にあらず』、つまり、<変更できないということはない>というのです。つまり、運命は確定しているのではなく、いくらでも自由に変更可能なんだというのです。

次ぎの『名』とは、名前のあるもの、つまり、<現象世界のアレコレのモノゴト>のことです。

これも、変化させることが可能なんです。たとえば、「不幸」という名のモノゴトを「幸せ」に変更したり、身に付いた「失敗者」のラベルを「成功者」のラベルに張り替えたりすることも出来るのですよというのです。


『「無」は天地の始めに名づけ、「有」は万物の母に名づく』

そのように、人生の軌道を修正したり、現象世界に書き込まれたモノゴトの名前を変更したりするのは、どうすれば出来るのでしょうか。

それには、まずこれまでの人生の軌道をアリと見、その延長上の軌道の未来しかありえないと思う、そんな思い込みをリセットしなければなりません。

この世のアレコレは、本当はアルのではなくて、黒板に描かれた絵や文字(名前)なのです。それが、私たちには、いかにもがっしりした、固くて変形できない現実のように感じられているのです。

しかし、その現実は、本当は黒板上の文字や絵にすぎなくて、いざとなれば、黒板消しでサッと消し去ることができるものなのです。

では、人生の軌道を変えたり、我が人生の名前を書き換えたりするにはどうすればいいのでしょうか。

それには、まず黒板に、これまでに描かれた文字や絵を黒板消しで消して、スッキリした無地の黒板を復活させることが必要です。

『無』、つまり無地の黒板にこそ、あなたの新しい人生と、新しい名前が書き込まれるのです。これまでの人生の軌道、名前を残したまま、その上に新生のあなたを描くことはできません。

つまり、無地こそが、あなたの新しい天地の始めなのです。これが、『「無」は天地の始めに名づけ』です。

また、この黒板上には、あなたがこれから歩むの人生のすべてを、克明に綴る必要はありません。たとえば簡単に「私はしあわせ」と書き込んでおけば、その言葉の実現をゴールとするような時空のドラマが自動的に展開しはじめて、形の世界に実現するのです。

それが、『「有」は万物の母に名づく』です。私の想いの実現法の理論で説明すると、心という黒板に描かれたイメージなり、言葉なりを、心が時空のスクリーン上のドラマに仕立てて実現させるわけです。

この心の黒板に文字やイメージが書き込まれた状態が『有』で、それが種子となって、形が育つのです。


『故に常に「無」は以って其の妙を観んと欲し、常に「有」はそのおわりを観んと欲す』

この文章は、なかなか大したものですね。

まず、イノチというものを「無」と「有」の二つの状態から成り立っていると捉えます。

そして、「無」の状態は自動的に「有」の状態を生み出そうとし、「有」の状態は自動的に「無」に復帰しょうとするのだとします。

この「有」と「無」の相互作用こそがイノチの働きの本質なんだというのです。


『故に常に「無」は以って其の妙を観んと欲し』の『妙』とは、<形の世界の絶妙の創造物>です。形の世界での表現(身体表現や芸術表現、仕事での見事な捌きなど)は、その人の「無(心)状態」が、深ければ深いほど絶妙のものとなります。

たとえば、野球選手は決勝のタイムリーを打ったり、逆転サヨナラホームランを打ったとき、「無心でバットを振りました」などとよくコメントしますね。

そして、『これまでは、打とう、打とうという気持ち(有心)が強すぎて打てませんでした』などと言います。

つまり、心の「無」状態が深ければ深いほど、最高の「有」の状態が創造できるのです。

道元さんは『前後際断』という言葉で、この「無」の状態を説明しています。

『前』とは未来です。『打とう、打とう』という気持ちが強すぎるのは、未来にイノチの重心が傾いてしまって、行動の自由を失っている状態です。

『後』とは、過去の栄光や、逆に打てなかった記憶にイノチの重心が傾いて行動の自由が奪われている状態です。

『際断』とは、<切断>のことで、未来と過去を断ち切ったら、後は今・ココしか残りませんね。その今・ココにイノチの重心がしっかり落ち着くと、初めて行動の自由が得られるのです。そこで、初めて、その人に可能な最高の身体表現が可能になるのです。

形の世界に表現されたモノゴトが「有」です。

そして、すでに形(有)となったモノは、実はもう無いのです。形の世界に表現された途端に、そのモノゴトは「無」の状態に復帰しているのです。(完)



2022年9月18日日曜日

2823「青空ひろば」2022.9.18

今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。

756 2022.08.22 ~768 2022.09.03 


<老子名言集その1> 

「道」は、中が空(うつ)ろになっている器のようなものだ。 

見たところ何もあるように見えないが、しかもこれを用いて尽きるところがない。 

あるいはまた、深い淵のようなものである。 

何ものでも入り来るものを蔵しながら、しかも何ももっていないようで、

その底がはかられぬ。 

それはまた、万物の湧き出て来る大きな根とでも言うか。

しかもその存在たるや、他に接して、決して自ら鋭いところをあらわさぬ。 

また外界の紛乱にまきこまれぬ。外の光に和して異光を放つことがない。

塵に埋もれて己独り清いという顔をしない(和光同塵)。 

まったく周囲と一体となって、異色というものを立てぬ。従ってまるで存在しないように見える。 

このように存在するのが真の道であり、聖人の道である。

そしてこの道は誰が発明したとか、誰が生んだとか言うことが出来ぬ。

それは天地より先から、無の彼方から出ているところのものである。 



<老子名言集その2>

三十本の輻(ふく,スポークのこと)が、車輪の中心に集まる。

しかし、車が車としてのはたらきを為すのはそのその木の部分そのものではなくて、心棒を入れる穴の部分があるからである。

粘土をこねて、容器をつくる。

それが土器としての用を為すのは、土の部分そのものではなく、その空虚の部分があるからである。

窓をこしらえて部屋をつくるが、その部屋が部屋としての用を為すのは、その空虚なところがあるからである。



<老子名言集その3> 

予見することは道の輝かしさであるかも知れない。

だが、愚行のはじめでもある。 

だから、大丈夫たるものが身をおくのは、しっかりした厚みの上であって、薄っぺらな(外殻)にではない。 

果実(実のあるもの)に身をおくのであって、花びら(飾り立てたはなやかさ)にではない。まことに、アノコト(外見や予見に従うこと)を斥けて、コノコト(今・ココの私)をとるべきである。 



<老子名言集その4> 

天の門が開いたり閉じたりするときに、雌(という受身)の態度をとりつづけられるか。 

(心を)国土のすみずみまでゆきわたらせて、しかも何の手出しもせずにいられるか。 

(ものを)生み出し、それらを養い、それらを生み出してもわがものだと主張せず、それらをはたらかせても決してそれらにもたれかからず、その長となってもそれらをあやつることをしない。これを「玄徳」という。 



<老子名言集その5>

聖人は(物を)たくわえない。

何もかも他人のために出し尽くして、自分はさらに所有物が増し、何もかも他人に与えて、自分はさらに豊かである。



<老子名言集その6>

人が生まれるときには柔らかで弱々しく、死ぬときには堅くてこわばっている。

草や木が生きているあいだは柔らかでしなやかであり、死んだときは、くだけやすくかわいている。

だから、堅くてこわばっているのは死の仲間であり、柔らかで弱々しいのが生の仲間である。



<老子名言集その6>

人が生まれるときには柔らかで弱々しく、死ぬときには堅くてこわばっている。

草や木が生きているあいだは柔らかでしなやかであり、死んだときは、くだけやすくかわいている。

だから、堅くてこわばっているのは死の仲間であり、柔らかで弱々しいのが生の仲間である。



<老子名言集その7>

天の道は、争わないで勝ち、ものもいわないで応えることにすぐれているし、招かれないでも進んでやってくるし、のろのろしているようで謀りごとをうまくたてるものだ。

天の網はひろくて大きい。目は粗いが、逃がすことはない。



<老子名言集その8> 

大河(揚子江)や海が幾百の川や谷の王である理由は、(この二つが)すぐれて低い地位にあるからだ。

・・・それゆえに人民の上にあること(統治者になること)を望むならば、そのことばを低くしなければならない。

人民の先頭に立つ(指導者になろう)と望むなら、一身をかれらのあとにおかなければならない。 



<老子名言集その9> 

天下を勝ち取るのは、手出しをしないことによってである。 

どうしてそうだと知るかといえば、コレ(「今・ココ・私」に落ち着くことが出来れば、そのコレが宇宙の中心、宇宙を持ち上げるテコの支点)によってである。 



<老子名言集その10>

知っているものは、しゃべらない。しゃべるものは、知っていない。 

穴(感覚器官)をふさぎ、門(理知のはたらき)を閉ざす。

(こうして)すべてのもつれは解きほぐされ、すべての激しい様子はなだめられ、すべての塵は(はらい除かれ)なめらかになる。これが神秘な「同一」(玄同)とよばれる。



<老子名言集その11> 

学問をするときは、日ごとに(学んだことが)増してゆく。 

「道」を行うときには、日ごとに(することを)減らしてゆく。 

減らしたうえにまた減らしていって、最後に何もしないことにゆきつく。 

この何もしないことによってこそ、すべてのことがなされるのだ。

天下を勝ち取るものは、いつでも(よけいな)手出しをしないことによって取るのである。 



<老子名言集その12>

高い「徳」のある人は、何も行動しないでしかも何事もなされないということがない。


2022年9月17日土曜日

2822「人としての喜び」2022.9.17

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年09月11日の記事を紹介します。


「人としての喜び」


これから、地球がどんなに変わろうと、美しき心は、全ての障害を超えて、私たちを幸せな世界に運んでくれることでしょう。 

それは、肉体がある間だけではなく、肉体を脱いで、魂の世界に戻った時でさえ裏切らないことでしょう。 

・知識や学歴がなくとも、

・お金や地位などなくとも

・健康でなくとも 

そのような物は、肉体がある間、目的を達成するための道具でしかないのですから 

永遠の魂にとって、何の障害にもなりません。

むしろ、それらに執着し、かさに着て、無意識のうちに、心を汚していくよりも、

無意識のうちに、マウンティングし、人を支配しようとするよりも、

何も持たなくとも、馬鹿だと人に蔑まされようとも、 良寛さんのように大愚であって、

心美しき人の方が、どんなに光り輝く魂を持つことでしょう。 

さて今日は小林正観さんのお話を、参考にして書きたいと思います。 

それは、平凡な生き方かもしれません。 

誰にも、尊敬もされなければ、注目もされない生き方かもしれません。 

ですが、もしかしたら神々に一番近い生き方かもしれません。

<転載開始> 転載元


まわりの方々に喜ばれる喜びは、自分のことで、自分が喜ぶのとは

比べられないほどの大きさです。

人は、人の間に生きていることからこそ「人間」と呼べます。

人間として生きるということは、自分のためではなく、他に存在する者(物)のために、

生きるということ。

人間の身体の中には 37兆個もの細胞があります。

その一つ一つに、個別の意識があります。

体の中に目を向けてみても、肺や心臓、肝臓、腸など自分のためにだけに存在する臓器は

何ひとつありません。

みな体内の、他の臓器や細胞を生かすために働いています。

まさに、ひとつの宇宙が人間の体の中に、凝縮されている

と言っても過言ではありません。

ですので、人は、この世に生れたからには自分が、いかに目標に向かって歩み、目標を達成するか、ということではなく、いかに周りに喜ばれる存在になるか、ということがとても大切です。

たとえば頼まれごとをやってあげて、相手がにっこり笑って

「ありがとう」と言ってくれたとき、本当の「人としての喜び」が湧いてきます。

喜ばれることが、人間の最も根源的な幸せです。

人に喜ばれることをしてみましょう。

その時、いちばん楽しくて、幸せなのは実は自分自身なのではないか、

そう思えるに違いありません。

<転載終了>


・大きな成功を成し遂げて、人々に尊敬される人

・仕事のバリバリできる人

・平凡な人間だけど、何時もにこにこ笑っていて、困っている人がいれば、

 何はさておき駆けつけて、一緒に悩み、傍に寄りそう人

・仕事は、それほどできないけれど、人の喜びを共に喜び、

 人の悲しみを共に悲しんでくれる人

皆さんは、どちらの生き方が理想ですか?

自分が、何かを人にして差し上げた時に、誰かから、にっこり笑って「ありがとう」って言われると、本当に幸せな気分になれますね。

もしかして、氣難しい顔をして人を寄せ付けないような人も、

何時も、身勝手で、人の上げ足を取っているような人も、

その人の内側の良き部分、神さまの部分を見つけて差し上げて、

「ありがとう」の一言をかけた途端、

魔法のように、頑なだった心が溶けだして、良き人に変わってしまうかもしれません。

私たちは、誰でも本当は、

・人に認めてもらいたいのです。

・「ありがとう」と笑顔を、向けてもらいたいのです。


最後に、宮沢賢治の「雨にも負けず」をご紹介して終わりにします。


雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

 

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き 

みんなに でくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい

 

 

宮沢賢治


2022年9月16日金曜日

2821「現実が変わらぬなら」2022.9.16

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年09月10日の記事を紹介します。


「現実が変わらぬなら」


悪魔的な心は誰の心の中にも、多かれ少なかれ存在していますが、

人間の欲望、自我の心は宇宙神から自由意志を与えられているために、

その心は、神の心にもなれるし、残酷な悪魔の心にもなれます。

自分だけでなく、自分の我欲のために人までも陥れ、その精神を堕落させ、悪魔的なものに

してしまうような人や組織、動きも実際に存在します。 

それを無意識にやってしまう人も大勢います。

近年は、人間性の劣化が非常に激しく

・自分さえ良ければ

・今さえ良ければ

・お金さえ儲ければ

という人々も増えてきたと言われています。

また恐怖感に縛られて、無意識に、そちらの方向へ進もうとする者もいます。

九分九厘、もうだめかと言う時に、神々の大どんでん返しがあるとも言われますが、

神々も私たちを助けたくとも、私たち自身の心にその準備が整っていなければ出来ません。

神々でさえも、私たちの自由意志を尊重するからです。

 

私たちは自分では何もせず、ただ他人や、大きな力や神々に頼り自分では何もせず、依存してしまうのではなく、自らの意志で心を純粋にする必要があります。 

誰か(他人や神々)に寄りかかり、頼り切るのではなく、自分の足で、しっかりと大地に立つ必要があります。

そのためには、一人一人が、ご自身の中にいらっしゃる神さまと繋がる必要があります。

感謝の気持ちを持つことで、周りの人々と

・思いやりを持って

・お互いの違いを許し

・助け合い

・励まし合い

・笑顔で

・ともに生きていく

必要があります。

その時に、神々の大どんでん返しは

・その心を純粋にした人たち

・依存の心を捨て、自ら進もうという人たち

に対し、大きな恩寵となって降り注がれることでしょう。 

美しい波動に変わろうとしている地球とともに進んで行けることでしょう。

心を清め、内なる神々と繋がるということは、今の時代、それほど大切なことだからです。

では、今日は「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な渡辺和子さんの言葉をご紹介します。 

<転載開始> 転載元


女子学生たちと五十年以上接していて気がつくことは、この年頃の人たちの多くが、

愛に必要なのは、すばらしい対象に出会うことだと考えていることです。

それも決して間違いではないのですが、 その対象が「すばらしさ」を失った時(病気やケガ、挫折)にも、果たして愛し続けることができるかどうか、ここに「愛の本質」が問われています。

・健康だった相手が病気になってしまった時も、

・前途を嘱望(しょくぼう)されていた相手が挫折にあった時にも、

その人を愛し続けることができるかどうかは、私たちが自分の中に、「愛する力」を養い育てているかどうかに、かかっているのです。

ふだんからピアノの練習もせずに、立派なピアノを見つけさえすれば、上手に弾けると思ったり、絵を描く練習もせずに、ひたすら美しい景色を探している人にも似て、ふだんから「愛する」練習をしないで、素敵な人との出会いを待っていては、いけないのです。

愛する力を育てるためには、まず私たちが毎日の生活の中で「当たり前」と考えていることや、人、物を「有り難い」と、感謝の気持ちで受けとめることが大切です。

マイナスの価値しかないと思えることや、不幸、災難、苦しみにさえも意味を見出して、 

これまた「有り難い」と感謝できる時、私たちは愛すべきものを随所(ずいしょ)に持ち、

愛し難い人さえも、その人の存在そのものの価値を認める、愛深く幸せな人間になれるのです。

 

<転載終了>


何か素晴らしいものさえ手に入れれば、きっと自分は幸せになれる。 

殆どの人がそう思っています。

安直で、自分では何もせず、おいしい果実だけを得ようとする、依存の心です。 

これは、生きていく姿勢そのものに直結しています。

・子供の成績が良ければ、愛する

・子供が不登校になったから、愛さない

・何か手に入れたら、感謝する

・何かしてもらったら、仲良くする

全部が、

・自分の思い通りに人が動けば、愛する

・自分の思い通りに動かなければ、嫌う

・先に何かを得たら、何かする

・自分から、親切や優しさを出すと損をする

そのような意識です。

まるで地獄の亡者のようですね。

 

そこには、

・自分は礼儀正しく

・言葉きれいで、

・正義の側に立ち

・悪を糾弾しており

・自分は報われるべき存在で

・その権利がある

・大事にされて、あたりまえ

そのような心が底流にあります。 

ですがこの地球は、そのようにできてはいません。 

生老病死、四苦八苦。 

まさに思うようにならないのが、この世の中です。 

希望を持って結婚しても、

就職しても、

子育てをしても、 

「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。

「何か素晴らしいものさえ手に入れれば、自分は幸せになれる。」 

そのように、他に依存するように考えていた人たちは、そこで挫折し、苦しみにとらわれることでしょう。 

愛する家族に対する熱も冷め、もしかしたら苦痛や憎しみの対象に変わるかもしれません。

これらは、人のせいではなく、全て自分の心の持ち方、物事のとらえ方の問題です。

 

渡辺和子さんは仰います。 

「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきても、

 そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をして欲しいのです。

どうしても咲けない時もあります。

雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。

その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。

次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。

いい出会いにするためには、自分が出会いを大切にして育てなければなりません。

思い通りにならないことを経験した時、心にポッカリ開いた穴から、

これまで見えなかったものが見えてくることがあります。

希望には叶わないものもありますが、大切なのは心に希望を持ち続けること。

相手を信頼するのは98%にし、あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておくこと。

「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練に感謝すること。

私たちは、神さまが置いて下さったこの場所で、たとえ辛く苦しくとも、幸せを見つけることが出来ます。 

神さまは、「その場所で幸せを見つけるのですよ」と、私たちを、今の場所に置いて下さいました。

辛い日々は、必ず笑える日につながっています。 

目の前の現実は変えられません。

ですが、その起きている現象には、本当は「良い」も「悪い」もないのです。 

全てニュートラルの形で現象は起こっています。 

そこに「良いこと」とか「悪いこと」と色を付けるのは私たちの心の捉え方だけです。 

そして実際は起きている現象全て、私たちの魂の成長のために、目の前に現れてくれています。 

私たちが、それに気付き感謝して受け入れた途端、その現象は、もはや役割を終えたわけですから、目の前から消え、記憶のかなたに忘れ去られてしまうでしょう。 

私たちの人生はその事の繰り返しです。 

ですから、どんなことが目の前に起きても、心配せず、しっかり受け入れて、感謝しニコニコ笑っていれば、それで良いのです。 

それがブッダが教えてくださった「般若心経」の真髄です。

 


ご縁のある方に届きますように。


2022年9月15日木曜日

2820「地上の星」2022.9.15

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年09月09日の記事を紹介します。


「地上の星」


日本中あちこちに神社があります。

そして、その一つ一つは光を放ち、かつては、地上の星となっていました。 

小さな村々では、神聖な場所、氣の良い所に神社が立てられ、村人たちの心のよりどころとなってきました。

何かあれば、みんなで神社に集まり、お祭りしたり、盆踊りをしたり、神社(産土様)を中心に、村人の心は繋がっていました。

その村のコミュニティの結束のために神社は心のよりどころとなっていました。 

また宇宙を起源とする「神々」と称される知的生命体も古の時代から、地球を訪れ、 

石や岩、または山全体などをヨリシロとして、その神輝を放っていたと思われます。  

つまり、地上の星となって輝いていました。 

これは夢物語ではなく、かつて、アポロ14号の宇宙飛行士エドガー・ミッチェル氏が

宇宙から地球を眺めたときに「1か所ものすごく光って見える場所があった」と言って 

その緯度・経度を計測してみたそうです。

その場所は御岩神社(茨木県日立市)だったそうです。

御岩神社
  

神様のパワーは、人々の敬虔な祈り、神様と関わりあおうとする人間の氣によって、 

維持され、増幅されていきます。

神様だけのパワーで神社の光が維持されているわけではありません。

必ず人間側からの関わりが必要です。 

ですから、人間側から、神様へ

・意識を向けること

・真心を尽くすこと

・感謝の気持ちを表すこと 

それは、とっても大切なことです。

ですが神々も、人間に忘れ去られた時、誰も見向きもしなくなった時、かつて光を放っていた神社であっても光を失い、そこに居らっしゃった神様の氣も枯れて消滅してしまいます。


数年前、弥彦神社のご妻神、熟穂屋姫命から、そのお話を伺ったことがあります。

神々からのアプローチは、どなたにも等しく、平等に降り注いでいます。

それは、ご自分で見ようとしなければ見えないし、聞こうとしなければ聞こえません。 

  

弥彦神社の神さまの奥様を祀る妻戸神社

神さまと、触れ合おうとしなければ、決して感じることができない繊細なものです。 

神社や仏閣に行った時

・風

・水の流れ、せせらぎ

・雲

・お日様

・人々の笑い声

・虫

・動物

・花、植物、木々のざわめき

・虹 

に神経を集中させてみてください。

 

神さまは、お優しい方ですから、何らかの気付きを与えてくださると思います。 

・それを無視するか、

・偶然であると片づけるか

・バカバカしいと思うのか?

ご自分の自由です。 

ですが、神さまの働きは、自分で、触れ合おう、感じようとしなければ、決して感じることができないものです。

 妻戸神社で聞きなれない言葉を聞いたことがあります。

「人々の信仰、記憶が続く限り、神々は存在する」

※これはエネルギー的な存在の事を言っています。

 

人々の記憶が無くなり、信仰するものが誰もいなくなったらどうなるのか?

「その時は消滅する」

エネルギー不変の法則と言うものがあります。

それとどのように整合性が取れるのかは解りません。

ただ、最近の研究ではエネルギーは無から生じ、そして無に帰ると言われています、

その無に帰ると言う事かも知れません。

その真の意味は元々の大神様のいらっしゃる世界に戻ることかもしれません。


また、出口王仁三郎の霊界物語では、この逆パターンが描かれています。

つまり、八岐大蛇や金毛九尾の狐などと言った悪役の魂は、元々は、人々の、不平不満悪口、恐怖、怒り、などその様なエネルギーが段々と凝り固まって発生し、力を得て来たと。。

その反対に、人々の熱い信仰と真心、神様に通じる思いが、こう言った神々に大きなエネルギーを与えて行ったのかもしれません。

そして、そのエネルギーの源泉が無くなった時のことを「消滅」と言う言葉であらわしたのかもしれません。

  

妻戸神社の狛犬

その時「消滅」という言葉がでたので、ちょっとショックで、人間についてお聞きしました。

私達、人間の場合はどうなるのでしょうか?

それは消滅ではなく、集合意識、もともと私達がいくつも枝分かれしてきた魂の元に合流し、その個性を失う事のようです。

決して消滅するわけでは無いようです。

それが、良いことか、悪いことかは判断できません。

魂の大本、トータルセルフと一体になることは、そう悪いことでは無いと思います。

元々私達の魂は巨大で、幾度も、分離、そして吸収、知恵や経験の攪拌をl繰り返し、

より優れたものへと進化しているからです。

この個性は、全てそこから派生したものだからです。。

元々の地球や、宇宙を作った大神

そして私達生命を持つもの

そして、人々の思い(生命を持つもの)から発生、進化していった生命体

それぞれが、この宇宙には存在しています。

 

私たち生きている人間は自分の力などちっぽけな物

そう考えて、

・神々に頼ろうとするかもしれません。

・霊的に力があると吹聴する人に頼ろうとするかもしれません。 

ですが、私たち一人一人の人間の精神の力は、

神々へもパワーを供給するほどの力があります。 

私たちの純朴な

・優しさ

・思いやり

・助けい合いの心

・お互い様の心 

そういう美しい真心こそが、神々のエネルギーの源泉となり、何時までも地上の星として輝き続け、 私たちの幸せに手を貸してくださることでしょう。

その思いやりの循環こそが、私たちが地上に来た目的であり、地上の星となってくださった神々の願いでもあります。