2024年5月21日火曜日

3434「大きな愛」2024.5.21

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年05月08日の記事を紹介します。


「大きな愛」


今日は病気で苦しい、何故病気になったの?について書きたいと思います。

苦しんでいらっしゃる方の、少しでもお役にたてれば幸いです。 

山元加津子さんという元養護学校の先生と、今はもう亡くなられてしまった、

雪絵ちゃんという生徒さんのお話をご紹介します。

雪絵ちゃんは、天使のような女の子でした。

<転載開始> 山元加津子(かっこちゃん)さんHP

  

今日は私の大切な友達でもある

雪絵ちゃんという女の子のお話をします。

雪絵ちゃんとは、重い病気を抱え、地域の学校に通うのが困難な子どもたちが学ぶ

病弱養護学校で出会いました。 

彼女が抱える病気はMS(多発性硬化症)というもので、脳の障害により、発熱すると目が見えにくくなったり、手足が動きにくくなります。 

発熱が治まれば病状は緩和されるのですが、私はまたいつ再発するかと、いつも不安でした。

しかし雪絵ちゃんはどんなにつらい時でも、自分の力で立ち直ることのできる強いお子さんでした。

そして「MSになって良かった」というのが口癖で 

「車椅子の生活をしているからこそ気付けたことや、多くの人々との出会いがあった」と 

前向きに生きていました。 

私はそんな風に思えるなんて素敵だなと思っていました。

そんな雪絵ちゃんとの日々が続いていたある年末の日、悲しい知らせが届きました。

雪絵ちゃんが、亡くなったということでした。 

私は、雪絵ちゃんの容態がどんなに悪化しても、まさか亡くなることは無いだろうと、

思い込んでいたのでしばらくつらい思いでいっぱいでした。

数日後、私のもとに彼女からの一通の手紙が届きました。 

その一部を紹介します。

「誕生日」

私、今日生まれたの。

一分一秒のくるいもなく、今日、誕生しました。

少しでもずれていたら、今頃 健康だったかもしれない。

今の人生をおくるには、一分一秒のくるいもなく生まれてこなければいけなかったの。

けっこう、これってむずかしいんだよ。

12月の28日、私の大好きで大切で幸せな日、今日生まれてきて大成功。 

Snow(※雪絵ちゃんのペンネーム)に生まれてきて、これまた大成功。


「ありがとう」  雪絵ちゃんの作った詩

ありがとう、私、決めていることがあるの。

この目が物をうつさなくなったら、目に

そしてこの足が動かなくなったら、足に

「ありがとう」って言おうって決めているの。

今まで見えにくい目が、一生懸命見よう、見ようとしてくれて、

私を喜ばせてくれたんだもん。

いっぱいいろんな物、素敵な物見せてくれた。

夜の道も暗いのに、がんばってくれた。

足もそう。

私のために、信じられないほど歩いてくれた。

一緒にいっぱい、いろんなところへ行った。

私を一日でも長く、喜ばせようとして、目も足もがんばってくれた。

なのに、見えなくなったり、歩けなくなったとき

「なんでよー」なんて言っては、あんまりだと思う。

今まで弱い弱い目、足が、どれだけ私を強く強くしてくれたか。

だからちゃんと「ありがとう」って言うの。

大好きな目、足だからこんなに弱いけど大好きだから、

「ありがとう。もういいよ。休もうね」って言ってあげるの。

たぶんだれよりもうーんと疲れていると思うから。

<転載終了>

   

雪絵ちゃんの詩から分るように 、彼女は、敢えて MSという難病に生まれてくるために、

生まれる日、時刻を自分自身で正確に設定して来ました。(星の配置の影響があるからです)

そして、それは成功し、彼女は、生まれる前の決意の通り難病で生まれ、難病で生き、そして、難病のために帰って行きました。  

雪絵ちゃん 、重い病気だったのに 

「私は私に生まれて大正解」 

そう言った、少女  

・辛くは、なかったの?

・苦しくは、なかったの?

・悔しくは、なかったの?

きっと雪絵ちゃんの答えは全部 「いいえ」でしょう。 

彼女は、難病で生まれてくることを決心して来たことで体は不自由で、身体的には きつかったことでしょう。 

寿命も、人よりは短かったことでしょう。 

親御さんに、沢山の心配もかけたことでしょう。

ですが、それでも彼女が病気の身体を選んだのには訳があります。 

人間として生まれるにあたって、意味もなく、目的もなく生まれることなど、神さまが許して下さらないからです。 

きっと、彼女は病気を通じ、沢山の人と出会い、人々の温かさ、思いやり、優しさ、愛、

また逆に偏見、冷たさにも出会ったことでしょう。 

そして彼女は、病気の内にあってさえ、持っていないもの・・・

健康ではないこと、身体が不自由であることに、不平不満を言うのではなく、

わずかでも、自分の持っているもの 

・見える目

・動く足 

に感謝する心が芽生えました。 

普通に生まれ、普通に生きている人なら、もしかしたら、芽生えなかったかもしれない 

「感謝の心」です。

  

私たちは、当たり前に普通に生きていると、「感謝の心」に一度も出会わずに、亡くなってしまう人生を過ごしてしまうかもしれません。 

感謝の心とは、神々と近づく、触れ合う、大切な大切な心です。

私たちは、この心を感謝の心を味わうために、生まれて来た・・

そう言っても過言ではありません。 

そのためであれば、 

例え、

・寿命が短くとも

・身体が弱くとも

・貧困であっても

・偏見にさらされようと

それで、生き、そして元居た光の世界に帰って行くことも、本望なのかもしれませんね。  

最後に、美しい詩を一編、ご紹介します。 

<引用開始>

  


大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと、神に求めたのに、 

謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった

偉大なことができるように健康を求めたのに、 

より良きことをするようにと、病気をたまわった 

幸せになろうと、富を求めたのに、 

賢明であるようにと、貧困を授かった 

世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、 

得意にならないようにと、失敗を授かった 

人生を享受しようとしてあらゆるものを求めたのに、 

あらゆることを喜べるようにと、命を授かった 

求めたものはひとつとして、与えられなかったが、 

願いはすべて聞きとどけられた 

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、

心の中の言い表せない祈りは、すべて叶えられた 

私はもっとも 豊かに祝福されたのだ 

<引用終了> 

病気で、苦しんでいらっしゃる皆さんも、どうか、希望を失わないでください。 

もしかしたら、その御病気も人間として一番大切な、感謝の心を手に入れるために、

御自分自身で選んで生まれて来た道かもしれません。

 


2024年5月20日月曜日

3433「人生の転機の時」2024.5.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年05月09日「神さまの贈り物「ありがとう」」と2024年05月10日「人生の転機の時」の2つの記事を紹介します。


「神さまの贈り物「ありがとう」」


「ありがとう」と言う言葉は日本語にしかない言葉ですが、

この言葉の持つ言霊は、この地球において相当大きな役割、つまりキーワードのようです。

私のブログのタイトルも「いっぷくからのありがとう」です。

さて小学生の神様トキ君が、最高位の造化三神の一柱

高御産巣日(タカミムスヒ)の教えとして(ありがとうについて)伝えてくれています。 

・「ありがとう」を1万回唱えることで、願いが絶対にかなう

・運気が上がる

・悪魔的な存在に対してバリヤーの役割を果たす。弾き飛ばされてしまう

その他には

・愛を沢山周りの人に与え続ける事

・そうすると、もう幸せなことしか起きなくなる

・お金がどんどん入ってくる

 

少し補足します。

神様が3次元地球(現世)に「お金」を作った目的は、

それを使って、みんなに幸せな気持ち、心になって欲しいから。

「愛」の心から作りました。

だから、宇宙の法則の通り、「愛」を他人に与えれば、自分に「愛」が返ってくる。

心の豊かさ、楽しさ、幸福だけでなく

物質的な「愛」の表現である「お金」もめぐり巡って、自分の所に入ってくる。

そのような理屈です。

ですから私たちがお金を使う時、

・物を手に入れる

・美味しいものを食べる

など物質的な目的ではなく、「お金」を使うことで、関係するみんなが 

・喜ぶ

・笑顔になる

・心が豊かになる

・心が綺麗になる

・勇気が出る

・安心する

などのために使うことで、結局は「お金」を「愛」のため、人々の心、魂のために使うことになり、自らを意思を持つ、神さまの作った「お金」も喜んで、仲間を連れて私たちのもとに来ることになります。

また高御産巣日(タカミムスヒ)さまが、

人類に気を付けて欲しいこととして

・人を憎まない事(にくしみ)

・人を恨まない事(うらみ)

これらは神様が一番嫌がること。

・怒ること(いかり)は、一瞬の感情の動きなので、それを引きずらなければ許される

・怒りの後、笑顔にすぐ変えること

このような直接的な神様のお話を伺うと、やはり神様が見ていらっしゃるのは、

私たちの心。

その心が 

・清いか

・明るいか

・自分のやりたいことを自由にやっているか

・心がワクワクしているか

・思いやりがあるか

・愛があるか

全て心の問題だけを見ています。

とかく私たちは神様仏様に

・お金持ちになりたい

・病気を治したい

・良い配偶者に巡り合いたい

・良い学校に入りたい

・良い会社に入りたい

など物質的なことを望みがちです。

また

・霊的なこと

・不思議なこと

・ワクワクすること

・怖面白いこと

などを望みがちです。

ですが神様の視点はそこにはありません。

現実の生活の中での私たちの心の在り方だけを見ています。

そこを間違えず、神さまの望まれる道、人生を歩けば、私たちは必死に歯を食いしばって努力せずとも、幸せな人生を全うできるようです。

きっと、この日本にかつてあったユートピア

縄文時代は、そんな神様と人間が一体となった時代だったと思います。

 



「人生の転機の時」


明日はいよいよ、「先祖供養ツアー」です。

きっと人生の大転換のきっかけとなると思います。

宝徳山稲荷大社の祖霊殿での瞑想と、竹之高地不動社での護摩焚きによる先祖供養で 

神さまと、そしてご先祖に相対することになると思います。

明日の長岡は、27度、晴れの予想です。

いらっしゃる皆さん、お気をつけて来てください。 

またツアー開催に当たり、ご寄付の一部を使わせていただいています。

ご寄付くださった皆様に感謝申し上げます。

   

今さて日は、「人生の転機の時」に、どのような兆候や、前兆があるのか書きたいと思います。

誰でも、人生において、何回かの大変革の時=大変な時が訪れます。

その理由は、私たちが、この世に生まれてきた目的が魂の成長のため、だからです。

どうして、魂の成長のために、苦痛ともいえる、大きな出来事が必要なのでしょうか?

それは、当たり障りのない、幸せだけの人生では、魂はほとんど成長することができないからです。

・苦労なんて嫌だ、

・いつも笑顔で、幸せだけの楽な人生でありたい

そう思っていても、

・苦しみや、

・悲しみ、

・自分ではどうにもならない出来事

などを通じ、魂が磨かれることを、ほとんどの方は、もう気づいていらっしゃると思います。

その大きな目的である「魂の成長」を促すために、一番ベストなタイミングで、

周りの役者が揃えられて、環境も整って「人生の転機」が起きて来ます。

そして、その前兆である現象も、実は起きています。

人生で忘れられないような大きな事件や事故が起きる時、

その出来事は、その後の人生の大きな転機の為に「軌道修正」をするために起こされます。

・病気や事故、怪我による入院

・結婚

・離婚

・リストラ

・子供や配偶者などとの死別

・会社の倒産

などが、例としてあげられます。

転機の時には、こういったことがよく起きるようです。

いわゆるショック療法です。

では、いったい誰が、

私たちの人生に軌道修正を起こすようなカタチで「転機」を起こしてくれるかと言えば

常に、私たちを見守り、一緒に居てくださっている神さまです。

目の前のことしか見えない私たちの知恵をはるかに超えた、英知の塊であり、 

とてつもなく大きな存在が、私たちの人生を正しい方向へ向かわせるために、

私たちに転機となる事件。出来事をもたらしてくれています。 

 

そして、大切なことは私たちの身に、

・何か辛いこと

・何か苦しいこと

・何か悲しいこと

が起きたとしても、それは決して「罰、バチ」ではないということです。

昔からよく「バチが当たる」なんて言いますが、神様は、愛する私たちに、バチなど与えません。

また、過去の私たちの犯した

・判断、決断の誤り

・誤った考え、行動

これらによって、不幸が引き寄せられることもありません。

皆さんの中で、もし物凄く辛い出来事を今まさに経験している方がいましたら、

まずは、その事柄を悲観せず、

「これはきっと自分の近い将来を、より良くする為の軌道修正が行われたのだ」と

解釈して見てください。

人によっては、人生のどん底と思われるような、辛い出来事が起きるかもしれません。

ですが、神様は、必ず、一見、悪いことに見える出来事の後に、幸福を準備してくださっているからです。

その出来事はまさに、神様が幸運を下さるための前準備、

人生の大きな方向転換を図るための吉兆なのですから。

・喜んで、

・笑顔で

・感謝して

受け取ってください。

すぐそこまで幸運が来ている証拠ですから。

私たちは「幸せ」になるためにこの世に生まれてきました。

周りの人々と、おかげ様、お互い様と、助け合い

笑顔で美しい愛を紡ぐために生まれてきました。



2024年5月19日日曜日

3432「愛・感謝が足りない」2024.5.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年05月06日の記事を紹介します。


「愛・感謝が足りない」


今日は神様の意識を持ったまま生まれて来た小学生の男の子、トキ君(山幸彦の魂)のお話をご紹介します。 

この内容も、以前このブログで書いた内容と全く同じなので比較のために一緒に掲載したいと思います。 

トキ君はまだ生まれてから、まだ10年も経っていません。 

そして肉体は子供ですから語彙は少ないのですが、その話す内容は本質的です。 


この中でトキ君は下記のように話しています。(一部補足あり)

・何か問題が降ってきた時、周りのせいにするのではなく、

 自分に何か気づかなければならないことがあったのかな?

 自分の中に方向転換しなければならないことがあったのかな?

 と考えられるとすごく楽になる

・何か問題が起きるのは、自分の中に愛(感謝)が足りないから

 その問題に対して、自分が愛(感謝)の気持ちを持っていないから

・その問題に対し、感謝して愛を注げれば解決する

・問題の原因が自分の中にあったことが分かれば、

 人や周りを憎むこともなく、心を汚すこともなく、一番楽に生きられる

・生きていくうえでの問題発生は、自分に愛(感謝)が足りない時に起こる

・自分自身に対する愛(感謝)が足りないと、病気になる

・愛(感謝)を知るために、地球に生まれて来た

・愛とは心をいたわり、癒すこと、休ませてあげること

・言葉も、そのために使う

・そのために行動もする

・自分に対しても、心休まる言葉をかけてあげること

・愛と言う漢字は

 あなた(キミ) 大好きだよ、大丈夫だよ、

 ちゃんと魂も肉体も守ってあげる、だから安心して生命を謳歌してください。

 と言う神さまの愛の手話

・私たちも神様と同じように、この愛の言葉を自分にも、

 そして相手にもかけてあげること  

では、以前書いた記事です。

この中で「感謝」=「愛」と読み替えてください。同じ意味です。 

神々の恩寵を欲しくて

・人は、パワースポットを巡ったり

・力ある異能の人の所に通ったり 

様々、自分以外の外の世界に頼ろうとします。 

ですが、この世、そして黄泉の国でさえ、私達の生きる世界を決めるのは、私たち自身の心の在り方です。 

私たちが、遭遇する、あらゆる問題と思われること・・・

それは、もしかしたら「感謝が足りていないよ」と教えてくれているのかもしれません。 

小林正観さんは、全ての問題の根本原因は、「感謝が足りない事」そうおっしゃっています。 

では正観さんのお話をご紹介します。 

<引用開始> 引用元

  

物事がうまくいかないのは、「感謝」の気持ちが足りないから。

私たちは未熟なので、

・あれが足りない

・これが足りない

と言い続けていますが、

 「本当に必要なものは、既に神さまから与えられている」と考えることができます。

私たちは

・週に1日は休みたい

・月の休みがほしい

・年の休みがほしい

と言います。

でも、人間の臓器は、お休みをしていません。

もちろん、夜も寝ていません。

365日、働き続け、それでも臓器は「月に1回や2回休ませて」とは言いません。

今、こうして生きていられるのは、休まないで動き続けている細胞や臓器のおかげなのに、

そのことに「感謝」をせず、「足りないものばかり」に目を向けています。

私たちは、心臓や、肝臓や、すい臓といった臓器から、沢山のことをしてもらっています。

それなのに、感謝を言ったことはありません。

右手で心に手を当てて、「ありがとう」と思ってみてください。

それだけで、心は元気に、やる気になることでしょう。

ご家族でパン屋さんを営む女性から、相談を受けたことがあります。

「10年間、小さなパン屋をやってきました。今までそれなりに順調だったと思います。 

ただひとつだけ問題があるとすれば、売上が横ばいのままで、なかなか伸びていかないんです。 売り上げを右肩上がりにするには、どうしたらいいのでしょうか?」 

私は、その女性に尋ねました。

「パン屋さんは、朝が早いですよね。

午前4時ころには起きて、パンを焼きはじめるのではないですか?」

「そうです」

「妻を手伝って、夫はそれを10年間、一緒に続けてきてくれたわけですね」

「そうです」

「子どもはいますか?」

「2人います」

「子どもは、お店を手伝ったりしませんか?」

「小学校から帰ってくると、袋詰めなどを手伝ってくれます」

「10年間もやってこられたということは、お客さんにも恵まれているのですよね」

「そうかもしれません」

「では聞きますね。10年間、朝早く起きてパンを焼いてきた夫に、

手を合わせて「ありがとう」と感謝したことはありますか?

仕事を手伝ってくれる子どもたちに、手を合わせて『ありがとう」と

感謝をしたことはありますか?

ずっとパンを買いにきてくださってい るお客様一人ひとりに、

『ありがとう」と感謝をしたことはありますか?」

その女性は「えっ!」と言ったきり、しばらく黙ってしまいました。

・仕事熱心な夫がいる。

・仕事を手伝ってくれる優しい子どもたちがいる。

・いつもパンを買いにきてくれるお客様がいる。

感謝すべきことは山ほどあるのに、そのことに気がつかない。

「売上が上がらない」という一点だけに気持ちを奪われ、

「神様なんとかしてください」 とお願いする。

それは、「神様に宣戦布告している」のと同じことです。

私が神様なら、「感謝をしない人」の味方につくことはないでしょう。

「たくさんの恵みを与えているのに、どうして気がつかないのか。

どうして不足している と思うのか」と、疑問に思ってしまうでしょう。

「物事が思うようにいかない」と感じるとしたら、

それはあなたの「感謝が足りないから」かもしれません。 

<引用終了> 

  

感謝の言葉、「ありがとう」には、本当に凄い力があります。

・ありがとう

・ごちそうさま 

など、相手に感謝の言葉を伝えた途端、相手の方を心から認めたことになり

その言葉を受けた人は 心が満たされて暖かくなり、 

そのまた周りの人に その感謝の光の連鎖を広めることでしょう。  

そしてそれは 宇宙を共鳴しながら巡り巡り、何倍にもなって私たち自身に帰ってきます。 

与えたものが受け取るもの、まさにこの法則の一番理想的な形です。 

ありとあらゆるものに、感謝してみてください。

嬉しいとき、楽しいとき だけでなく

・苦しいとき

・悲しいとき

・悔しいとき 

全ての時に感謝してみてください。

なぜなら、神様は、私たちの今の状況に一ミリも意地悪な状況を埋め込んでいないからです。

小さな小さな出来事、 嫌な出来事さえ、私たちの魂の向上にとって、

繊細で、とても大切な出来事だからこそ、経験させてくれているからです。




2024年5月18日土曜日

3431「マシュー君のメッセージ」2024.5.18

  今回は 玄のリモ農園ダイアリーの2024年5月3日マシュー君のメッセージ(209)の記事を紹介します。 

 玄のリモ農園ダイアリー: マシュー君のメッセージ(209) (moritagen.blogspot.com)

 



報道されている/されていない出来事、行動する愛、偽物とAIクローン、ホワイトハット、気候変動、地球の癒し」

 

マシューです。この宇宙領域のすべての魂から、こころからのご挨拶をします。イスラエルによるハマスへの攻撃、同国とイランによる一触即発の挑発行為、イスラエルとウクライナへの数十億ドル以上の資金と武器供与、急激な反ユダヤ主義などに関する主要メディアの歪曲された報道は、もしこれらの状況が非常に多くの人々を傷つけ、何万人もの命を奪っていないのであれば、ばからしい芝居だと考えることもできるでしょう。やがて真実は、イルミナティがトラウマを引き起こしているこれらの重要な問題や他のすべての問題に関するメディアの歪曲を取り除くでしょう。

 

グローバルな舞台の幕の裏では、ホワイトハットと地球外特殊部隊が闇の拠点を根こそぎに破壊しています。彼らの共同作業によって、第三次世界大戦を引き起こし、さらなるウイルスを解き放とうとするイルミナティの企ては阻止されました。イルミナティのトップと幹部やコロナウイルスによる残虐非道行為の主犯格の逮捕と処刑は、いくつかの国で続けられています。不正に得た財産がイルミナティの手から取り除かれ、抗議者や傭兵への支払い、有力者への賄賂、闇の作戦への資金提供に使われた底なしに近いマネーロンダリングの井戸が枯渇しつつあります。

 

光に向かう進展は確かに喜ばしいことですが、その秘密結社が完全に撲滅されるまで、その傘下にいるさまざまな組織の手先たちが、恐怖、混乱、破壊を引き起こし続けるでしょう。僕たちの情報筋によれば、最も上層部に残っている数人が、ホログラフィックによる宇宙人の地球侵略を策謀しており、WHOにウイルスが急速に蔓延していると嘘をつかせ、ロックダウンとワクチンを義務づけようとしているそうです。

 

そのような可能性から何が起きてくるかは、これからわかることでしょう。でも間違いなく急速に広がっているのは、愛が行動となって現れていることです。関係が断絶していた家族や友人が許し合い、つながりを取り戻しています。地球の美しさと彼女の生命体への豊かな恵みに対する感謝が広がっています。敬う気持ちで動物を扱うことが増えています。住民が地域社会の状況を改善し、世界中の草の根運動が影響力を増しています。個人がより深く考え、魂を探求し、理解と啓示を求めています。これらの心温まる状況や他の多くの状況は、愛のエネルギーの表れです。

 

恐れないでください、愛する魂たち。地球の未来について楽観的になり、地球とつながり、木を抱き、毎日何かに純粋な気持ちで感謝しましょう。

 

「“ホワイトハット "によって処刑された人間のふりをすることで、その人が逃げおおせるとは思えません。死んだ人の家族や友人は、その人が偽者だと知っているのでしょうか?誰がAIのクローンなのかを見分けるのは難しいですが、物腰や話し方、リアクションが怪しいこともあります。オリジナルと偽物の違いを他の人が気づいたらどうなるのでしょう?」  

 

主要メディアは、偽者がやっていることを自信たっぷりに報道することで、視聴者がずっと同じ人物を見ていることに疑いを挟むことさえしないように仕向けてきました。偽者のことを知っている人々は、故人の影響力が続くことを望むディープステートの工作員によって、あえて沈黙したり、買収されたり、脅されたり、暗殺されたりしています。波動の高まりは、視聴者に状況や個人をこれまで以上に注意深く調べるようにさせているので、あなたのような疑問が出てきているのです。このような欺瞞の荷物がいっぱいの荷車がその重みでひっくり返らなければ・・そのような嘘は早晩長つづきはしません・・“ホワイトハット”がそうするでしょう。    

 

ここでひとつ付け加えておきましょう。“ホワイトハット”は、神から秘密の任務を与えられた天使の一団ではありません。国内外の軍や警察の特殊部隊、諜報員、研究者、ジャーナリスト、記者たちは、自分たちがそのような存在であることを知らない多くのボランティアのひとりです。したがって自分がそのような存在であることも認識していません。彼らは、太古に始まり、そしていま終わろうとしている光と闇の戦いを戦っていることを知りません。

   

彼らが知っているのは、邪悪で強力な集団が武力紛争を起こし、経済を操作し、世界中で混乱を引き起こしていることです。それは彼らが自分たちの子や孫に望む世界ではないのです。数十年前、彼らはそれぞれに不正に反対していましたが、時が経つにつれ、その組織のネットワークや非良心的な活動への気づきと、家族の将来に対する不安な気持ちのエネルギーでお互いが惹かれ合っていったのです。自分たちには、小さいながらも自由を求める強力な力になるための知識、 専門的技術、経験があると悟った彼らは、邪悪な組織の基盤を暴き、それを破壊し、そのメンバーを排除し始めました。

 

これらの勇気ある女性や男性たちは、いわば世界の前線で孤独に戦っていますが、彼らには覚醒し、気づきつつある魂たちからなる支援部隊が増えてきています。農業から教師、トラック運転手、科学、建設、音楽に至るまで、あらゆる職業、技術、専門職からなる何百万、何千万もの人々が、ホワイトハットの努力を支える光を生み出しているのです。あなたたちが目覚めさせ、自分たちの世界の暮らしを良くしようと仕向けるために来た地球の人々が、やっと動き始めているのです! 素晴らしいです!   

 

「気候変動による災害から地球を救うために人類が行っていることは、 "少なすぎる、遅すぎる "と主張する報告書を読みました。神が地球の黄金時代を荒廃した地球で迎えさせるとは思いませんが、すでに起きてしまったことは心配です。将来の変化がどれほどの規模になるのか、ご存じですか?」

 

最初に言っておきますが、気候変動は、すべてが見かけ通りではないということの良い例です。長年にわたり、この議論は政府、多国籍企業、科学者たちによって二転三転してきましたが、実際に何が起こっているのかについて、一般に公表されることはなかったのです。           

 

イルミナティは、人口削減や社会的・経済的大混乱を引き起こすための戦争やパンデミックといった事態の発生を、はるか以前から計画しています。過去数十年間、彼らは“地球温暖化”を議論の余地の少ない“気候変動”という言葉に変えて、その破滅的な影響のお膳立てをしてきました。彼らの野心的な世界支配計画の100年にわたる準備の主要な部分は、記録的な高温と低温、激しい嵐やその他の異常気象、壊滅的な地球物理学的現象を技術的に作り出すことです。  

 

“気象戦争”によるこれらの事象は、気候変動による地球の暗い未来に対する恐怖という低い波動エネルギーを生み出し、その一方で“変化を引き起こす者”たちは、彼らの計画の詳細な計画の隙間を埋めているのです。“サバイバル政策”に基づき、小規模農家や地元の農産物市場、小規模食料品店を強制的に排除し、多作用の種子や天然成分を含む殺虫剤や肥料を非合法化することで、食料生産を規制するのです。飲料水はすべてボトル詰めにして販売するというわけです。  

 

悪性の伝染病が食物連鎖の中で動物に感染しているという一連の主張により、最終的に彼らはそれらのすべての種を滅ぼすでしょう。15分や20分の都市にある彼らのスーパーは、研究所で作られたAI設計の肉や、彼らの人工農場で作られた栄養価のない作物を売るでしょう。それらの食品は深刻な健康問題を引き起こし、国民は唯一の医療システムである予防接種と処方薬に強制的に誘導されるでしょう。個人の医療記録、購買記録、コンピューター記録をデジタル銀行口座に自動的に結びつけることで、医療、家賃の支払い、大学の授業料、旅行、法的支援など、彼らが望んだり必要としたりするものを拒否したり認めたりすることができるようになるのです。

 

人口操作をする者たちは、広範囲の恐怖と苦しみを引き起こすことで作り出される低い波動エネルギーの中に生きているのです。彼らは闇の勢力の操り人形であり、彼らの生命力を保っているわずかな光以外には、光をまったく失っています。イルミナティ、ディープステート、ワンワールドオーダー、新世界政府、影の政府、ハルザリアン、ネオナチ、ルシフェリアン、サタニスト、カバル、エリートとして知られる彼らは、他のすべての人々を自分たちの玩具かサービスの供給者であり、すべての人は使い捨てだと思っています。

 

悪意に満ちた "気候変動 "計画を推し進めていた彼らは、世界を支配する低波動エネルギーを出し続けられるように、自分たちの施設や自分たち自身を救うことに転換せざるを得なくなったのです。彼らの意図や手段、非人道的な活動について、僕たちがあなたたちに話したのには、それなりの理由があります。非良心的な悪行が知られることで初めて、悪人を処刑する必要性が理解され、受け入れられるからです。 

 

さて、人工テクノロジーによって引き起こされた気象災害や "自然 "災害が終息すれば、ガイアの病的で傷ついた惑星体は癒しを始めることができます。アマゾンの熱帯雨林をはじめとする豊かな森林地帯での森林破壊や森林火災、大気・土壌・水中の有毒汚染物質、化石燃料の採掘は、地球とその生命体の健康に深刻な影響を与えています。これらの状況は改善することが可能であり、また改善されるでしょう。北極の氷の崩壊や氷河の融解は、一部の科学者が予測するような深刻な被害を及ぼすことはないでしょう。でもそれらの地域の変化に適応できない、あるいは移動したくない陸上動物や海洋動物は、本能的に繁殖を止めることを知るでしょう。      

 

フリーエネルギーの導入と何百万本もの樹木の植え替えは、地球全体がエデンの園であった頃の状態に地球が回復するための主要なステップです。地球と呼ばれるようになった“テラ”の始まりは、ゆるやかに起伏する丘と谷を持つ巨大な大陸であり、それ以外は浅く手つかずの自然が残る広大な海だったのです。高度な文明が衰退していく長い時代の前に、火山と陸上のギザギザの山脈を形成し、新しい深さの海底に沿って伸びる、連続的な大異変の最初の長い期間がありました。      

 

未来の気候は、気温が降雪や氷の形成を可能にする山岳地帯や極地を除けば穏やかで、激しい嵐や地震、火山の噴火はないでしょう。あのような壊滅的な出来事は、闇が引き起こすネガティブな要素を解放するために必要だったのです。というのは、ネガティブな要素が地球に蓄積され、生命を脅かすことがないようにするためです。何世紀にもわたるその時代は終わったのです!

 

宇宙ファミリーのテクノロジーと、闇の支配から解放されつつあるあなたたち自身のテクノロジーは、環境破壊を改善し、放射能を中和し、メガトン級のゴミを驚くべき効能とスピードで非物質化することができます。地球が自然のままで、生き生きと美しく、太陽の光を浴びている姿をイメージすれば、あなたたちの思考とイメージのエネルギーは地球の再生を助けるだけでなく、あなたたちの身体の細胞が元々生まれた地球の細胞に、あなたの波動エネルギーのしるしを刻み込むことになります。

 

地球の内部についての一般的な概念は、さまざまな種類の岩石、鉱石、結晶、石油、水、マグマ、天然ガスなどですが、それですべてでは決してありません。それらの天然資源の他に、何千マイルにも及ぶトンネルシステムがあるのです。過去100年の間に建設されたものもありますが、地球の奥深い内部には古代のトンネルがあり、そこにはあなたたちの想像を超えるテクノロジーが存在し、高度に進化した文明社会人たちがささやかな共同体や壮大な都市で暮らしています。地表での暮らしが平和になれば、それらの宇宙ファミリーのメンバーが姿を表し、驚異的なテクノロジーで形成された壮大なトンネルも知られるようになるでしょう。  

 

最愛の地球ファミリー。あなたたちは、創造主がこの宇宙のすべての天体と生命体を共同創造し、統治する神を選んで以来、最も重要な時代のひとつに生きているのです。あなたたちがガイアの人類を目覚めさせ、自分たちが驚異的な故郷を持っていることを発見する手助けをするために選ばれたことは、あなたたちが並外れた魂であることの素晴らしい証(あかし)です!特権を与えられたこと、光栄に思っていること、そして感謝していることを感じとってください!  

この宇宙のすべての光の存在が、無条件の比類ない愛のパワーであなたたちを支えています。

                                  __________________________

 

愛と平和を

 

「スージーからのメモ:息子マイケルのことでお悔やみのメールやカードを送ってくださった方々、ありがとうございました。

      あまりにも多くの若い母親や父親が、子供たちを失って悲しんでいます。医療品がないために、飢えや怪我や病気で死んでいく子供たちを見て、あまりにも多くの親たちが心を痛めています。

      予防可能な死因を食い止める必要性は非常に高いのです。

      私や他の親たちの悲しみは、おそらくそのような助けにはならないでしょう。しかし、ここにいる、あるいは霊界にいる私たちの家族や親愛なる友人たちへの愛はそれをはるかに超えて強力です。

      愛があるからこそ、私たちはこの世界の生命を高める手助けをし続けることができるのです。」

 

スザンヌ・ワード著

原文:Matthew's Messages

訳文責:森田玄

2024年5月17日金曜日

3430「真実が明かされる時」2024.5.17

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年05月05日「真実が明かされる時」と2024年05月07日「おかげさま」 の2つの記事を紹介します。


「真実が明かされる時」


もう数千年も、ある意図を持って隠されてきた真実があります。

そして同じく数千年の時を掛けて、その秘密を明かし、人々を幸せにしようという勢力による努力もなされてきました。

そして、沢山の人々の努力により、その隠された真実が今明かされようとしています。


その隠された真実とは、私達の心の中には神さまがいらっしゃるという事。

それは、誰一人として、例外なくです。

私達の心は、巧妙な手段によって、がんじがらめにされてきました。

キリスト教では、私たちは生まれながらの罪人であると教えられて来ました。

ボロボロになるまでも自分を犠牲にし、他人に尽くしなさいとも教えられました。

自己所有の私の・・と言う言葉が生まれました(縄文の時代には存在しませんでした)

その結果、所有慾が生まれました。

持てる者、持たざる者の違いが生まれました。

それによって、嫉妬心が生まれました。 

嫉妬、やっかみ、ねたみ、ひがみ、焼きもち・・・これらは、心を曇らせます。 

支配と依存の心が生まれました。

自分さえ良ければの心が生まれました。

持たざる者は、常に将来の不安・恐怖を抱くようになりました。

自分の思い通りにならない事、思い通りに動かない人々のことを許せなくなりました。

ですが、私達の心の中には神さまがいます。

良心があります。

その結果、良心と、悪い心の狭間で、葛藤が生まれました。

人を許せないのと同じパワーで、自分自身も許せなくなりました。

私達は生まれながらの罪人と教えられて来たからです。

でも、この数千年の間、その呪縛を取り除く努力も綿密に計画され、実行されてきました。

私達の心の中には「神さま」がいるという事。

心に静かに問いかければ、誰でも内なる神さまの声を聞けること。

時代はもはや、助けてくれる神々や、頼れる師を外に求める時代ではなくなりつつあります。

自分が自分の心のよりどころとなる時代に入ったからです。 

そのよりどころとは、私たちの中に何時もいらっしゃる「神さま」です。

それは、数千年にも渡り隠そうとしようとして来た勢力と、それに抵抗し続けた勢力の

せめぎ合いの時代でした。

それでも今、着実に真実を明らかにし、人々を幸せにしたいという願いが、実現しつつある時代になってきました。

自分の可能性を信じ、自分を受け入れ、人のあるがままを許し、自分のあるがままを許し、 

そして自分を認めていく段階に来ました。

 

それが出来た時、初めて私達は自分自身を愛し、その内なる可能性を信じ、自らの足で

歩み始めることが出来ます。

真の意味で人に優しくすることができます。

私達の心の中には神さまがいます。 

全ての人の中にいます。

自分自身を許し、受入れ、慈しむことが出来た時、 

その「神さま」は輝きを増します。

私達が常に恐怖に苛まれ、 

愛の欠乏を感じ、苛立ち、人を、自分を、許せなくなるのは、その様に仕向けて来た

者達がいたからです。

巧妙でシステマティックな手段でした。

ですがそれと同じく、陰があれば陽があるように、その隠された真実を元のように、

表に出そうと、努力してくれていた命がありました。

私たちは、自分自身を卑下する必要はありません。

イエス自身が仰ったように、私達は一人一人、誰もが尊い存在だからです。

でも、最後の扉は自分で開かなければなりません。

その方法は、非常にシンプルです。

置かれた場所で咲きなさい。

そのように生きることです。

 

私達の中には、宇宙の根本法則である神さまが居らっしゃいます、

それは本当は私達自身であり、私達の良心です。

それに気付き、知ること。

その神さまは全ての私達の属する宇宙の運航、そして身近な出来事、人との出会い、 

別れさえも決めています。

今、自分がいるそのままの場所・環境の中で、全てに感謝して輝き、そして幸せになること。

それこそが、今の時代に生きる人々に求められています。

ブッダの時代から数え、2回目の1,200年ごとのサイクルの中で、今、その段階に入りました。



「おかげさま 」


私たちの心は強力で、広大です。

見える世界、見えない世界を包み込んでいます。 

例え、神様・仏様、能力のあるとされる方が、一瞬にして私たちの境遇を引き上げたとしても、私たちの心が変わらなければ、またすぐに同じ世界に戻ってしまうことでしょう。  

それに引き換え、心の中に感謝の気持ちを持つことができれば

私たちの境遇は一瞬にして変わってしまうことでしょう。 

空海が仰るように生きながら天国に住むものとなります。 

さて今日は、お陰様に付いてご紹介します。

謙虚で優しい気持ちです。

前ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの言葉です。

<引用開始>

 

小さなお子さんの手を引いて、

一人のお母さまが水道工事の現場の傍(そば)を通りかかりました。

暑い夏の昼下がりのことでした。

お母さまは坊やに向かって、 

「おじさんたちが、汗を流して働いてくださるから、坊やは、おいしいお水が飲めるのよ。

ありがとうと言いましょうね」

と話してやりました。

やがてもう一人、同じように幼い子の手を引いて、別の母親が通りかかりました。

「坊や、坊やもいまから一生懸命にお勉強しないと、こういうお仕事をするようになりますよ」 

と言ったというのです。

同じ仕事に対して、こうも違った考えがもてるものでしょうか。

最初の母親は、この日、子どもの心に、労働に対しての、尊敬と感謝の気持ちを育てました。

二番目の母親は、(手をよごす仕事、汗まみれの労働)に対しての、

恐ろしいまでに誤った差別観念を、我が子に植えつけたことになります。

私たちがいま、子どもと一緒にこの場にいたとしたら、どんな会話を交わすことでしょうか。

会話以上に大切なのは、どんな思いを抱いて、働いている人たちの傍を通るかということなのです。

人は、自分がもっていないものを、相手に与えることは出来ません。

感謝の気持ちを子どもたちの心の中に育てたいならば、まず親がふだんから

「ありがとう」という言葉を生活の中で発していることが大切なのです。

近頃の学生たちで気になることの一つは、

いわゆる〈枕詞(まくらことば)〉のようなものを習ってきていないということです。

例えば、「お元気ですか」と尋ねると、「はい、元気です」という答えは返ってきても、 

「おかげさまで元気です」という返事のできる学生が、以前と比べて少なくなりました。

 

遅刻して教室に入ってきた学生が、 

授業の後で、「遅刻しました」と、名前を届けにはきても、

「すみません、遅刻しました」という枕詞がつかないのです。

「お話し中、すませんが」とか、

「夜分(やぶん)、失礼します」という挨拶のできる学生も少なくなりました。

いずれにしても、言葉が貧しくなっています。

そして、それは取りも直さず、心が貧しくなっている証拠なのです。

せめて、「おかげさまで」という言葉と心を、生活の中に復活させましょう。

理屈っぽい人は、「何のおかげですか」と言うかも知れません。

何のおかげでも良いのです。

この表現は、私たちが実は、一人では生きられないこと、

たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れなのです。

見えないものへの感謝なのです。

ところで、本当にありがたいこと、

何でもない時に「おかげさまで」と言うのは比較的に易しいのですが、 

不幸や災難に遭った時はどうしましょう。

そんな時にも、「おかげさまで」と言える自分でありたいと思っています。

ごまかすのではなく、不幸、災難、苦しみをしっかりと受け止めながら、 

「いつか、きっとこの苦しみの〈おかげさまで〉と言える自分になりたい、

ならせてください」と祈る気持ちをもっていたいのです。

<引用終了>

 

子どもは親や教師の「いう通り」にはならないが、「する通り」になる。

そう渡辺さんは仰います。

このたとえ話では、 親の価値観が、子どもの価値観を作る・・ 

ということが良く描かれています。

私たちの日々の何気ない一言、行動を子どもたちは本当によく見ています。

そして、ものすごい早さで吸収していきます。

親だからといって、100%完璧な人間になることは不可能ですが、 

「お手本」になるために、少しだけ意識してみることはできるかもしれませんね。


2024年5月16日木曜日

3429「心が作り出す世界」2024.5.16

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年05月04日の記事を紹介します。


「心が作り出す世界」


今日も、心のお話です。

何故なら、私たちが暮らしているこの世界、環境は、

全て私たちの心が作り出した世界だからです。

本当の幸せになるには、周りを変えるのではなく、私たちの心を変えるしかないからです。

自分では何もせずに、力のある誰かに頼ったり、神々が一瞬で救ってくださるだろうと頼り切ったり、そうしていても、決して幸せになることはなく

全ての幸せのスタートは自分の心が変わることから始まるからです。

お金も、肩書も、家も車も、家族も友人も。

にこやかな関係も、嫉妬の関係も。

そして、よくある疑心暗鬼の関係も。 

全て、私たちの心ひとつで作られています。

さて、私たち物質界に住んでいるものは、全て原子からできています。


原子は、中心の原子核の周りを電子がくるくる回っている構造です。

この原子核をサッカーボールとすると、その周りの電子は、

はるか数キロも離れた先で回っています。

まさに私たちが硬い物質であると思っているものは、実はスカスカです。

中心にある原子核は、陽子と、中性子からできています。 

※これらを結び付けているのが、造化三神である高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)の神々の力

そして波動の法則 足立育朗さんによれば、

この2つの実態は

・中性子 =意識、調和

・陽子 =意志=愛

つまり、原子核というのは、

・意識と感情

・意思と愛

が結びついて構成されているということです。

このため、地球上の全ての存在物は、愛と調和が素になっています。

まさに神さまの作りだした世界です。 

私たちが元居た場所、つまりあの世では、

物質の身体ではなく、光、波動の世界ですから、こんな面倒なことをしなくても、

直接的に神さまの愛のエネルギーを頂けます。 

※小学生の神様トキ君によれば、神々と直接的に話すことも可能なのだそうです。 

 

物質次元では、全ての物質の大本である原子を媒体として、神さまの愛が発動することになります。

でも現在の科学の方向性は、宇宙の全部を「現象」で理解しようとしています。

波動で理解しようとしないために、この地球上の物質と現象を正しく理解できないそうなのです。

私たちの心のはたらきである、

・意識

・感情

・意思

・愛

これらが、「感謝」という接着剤で調和されることで、

心が作り出す世界、つまり私たちの住む世界が一変してしまいます。 

それでは小林正観さんの「努力ゼロの幸福論」というお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元 

 

思い通りにならない、それが「苦」。

その最初の「思い」がなければ、思い通りにならないという現象は起きません。

「苦」は生じません。

つまり、「思い」を持たないこと。

それはどう言うことかというと、目の前で次々と起きる一般的に不幸だといわれている現象に対しても、「ああ、そうなりましたか」と単なる日常の1ページとして、淡々として受け入れていくということです。

病気や事故、愛する人との別れといった、思いがけず、自分の身に起こる出来事を、

人生の一部として受け入れていく。

「何でこんなことが起こったのだろう」という「思い」を持たない。

目の前で起こるすべての現象を、「ああ、そうなりましたか」と受け入れていく、 

ただそれだけです。

家が火事になっても、事故に遭ってケガをしたとしても、

「ああ、そうなりましたか」と受け入れる。

私たちは、「この世に修行にきたわけではなく、ただこの世で起こるいろんな現象を、

人間の肉体を借りて、味わいにきただけ」 だからです。

そんな観音様のような世界観を、自分の人生観に取り込めば良いのです。

「私たちは観音様の化身(けしん)なのだ」

そう思えば、人生はぐっとラクになります。

(中略)

 

正観さんは、同書の中で「努力」についてこう語っています。

「よく誤解されるのですが、私は『絶対に努力をしてはいけない』とか

『頑張ってはいけない』と言っているのではありません。

必死に努力して頑張ることで、達成できることや解決できる問題も、確かにあると考えています。

しかし、自分の努力や頑張りだけでは、どうしても解決できない問題もある。

人生では次から次へと手強い問題が押し寄せる時期もあるでしょう。

そのときは、『自分ひとりでは解決できない』と思い定め、『謙虚』にならざるを得ないのです。

それが、

・努力しない

・頑張らない

・必死にならない 

の本来の意味です。

最終的に私たちができるのは、神さまに『おまかせ』をすることだけ、ということになります。 

おまかせをするとは、目に見えない 4者 

・神

・仏

・聖霊

・守護霊

と、目に見える4者

・友人

・知人

・家族

・自分の身体

に対して、いつも笑顔で『ありがとう』と言いながら、宇宙と周りの全てに感謝の心を捧げて生きていくことです」

世の中には、自分の努力や頑張りだけでは、どうにもならないことが多くあります。

お釈迦様がおっしゃった「生老病死」という4つの苦です。

・生まれること、

・老いること、

・病気にかかること、

・死ぬこと 

の4つは、人間として、免(まぬが)れない苦悩です。

それに、「4つの苦しみ」を加えて、「四苦八苦」といいます。

4つの苦しみとは、

・愛する者との別れ

・嫌な奴や憎んでいる者と会わなければならないこと

・欲しいモノが手に入らないこと

・自分の肉体と精神のコントロールがうまくできないこと 

どうしても避けることのできない、これらの「苦」に遭ったときに必要なのが、

「ああ、そうなりましたか」と、淡々と受け入れること。

この世には、「人間の肉体を借りて、味わいにきた」と思えるなら、生きるのずっとラクになります。

<転載終了>

   

まさに淡々と、起きてきた現象を受け入れて抵抗しないこと。

感謝で受け入れること。 

ただそれだけで、心はラクになり、私たちの実際に住むこの世界も、私たちの心が明るく、清らかになった分、光り輝く、穏やかで優しい世界に変わっていくことでしょう。 

他人が、自分の思い通りに、行動してくれない、自分の価値観にそぐわないことをする、 

そんなことで、イライラするのはやめましょう。 

スーパーの障害者用駐車場に、我が物顔で駐車しようとする人に腹を立てるのはやめましょう。 

人には人の心があります。 

それに従った、住む世界があります。 

私たちは、他人の心を推し量ることはできません。  

私たちが集中しなければならないこと、それは、他人のことではありません。 

まさに私たち自身の心の在り方だけです。

私たちの心が幸せであれば、ご家族も幸せになれます。 

何故なら、私たちの心が作り出した世界に一緒に住み、私たちと共に演じてくれる、

同じプレーヤーだからです。 

私たちの心の在り方こそ、私たちの住む世界を決めているのです。 

私たちが、生まれる前に決めて来た人生のシナリオを信じ、見守ってくださっている内なる神さまを信じ、お任せし、その流れに逆らわず、身を宇宙に委ね、流され起こってくること。

いえ、神さまが、全て良きタイミングで起こしてくださること。

に対して、

・感謝し、歓び

・信じ、安心し

・心から笑い

・楽しめば

内なる神々と繋がり、一瞬一瞬に神々の恩寵を感じることができるでしょう。

とめどもなく起きている。

ミラクルに気付くことでしょう。


2024年5月15日水曜日

3428「神さまの微笑み」2024.5.15

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年05月03日の記事を紹介します。


「神さまの微笑み」


縄文の昔から、日本人は、全ての中に神様を見出してきました。 

私も、特定の宗教には入っていませんが神様の存在を確信しています。 

一方、神様を信じていない方は、全ての判断を、自分一人で下さねばならず、

人生が孤独な闘いですね。

常に不安で、過去を悔やみ、未来に対しては取り越し苦労で

心が休まる暇もないかもしれません。

私は神様を信じているので、やることやったら、後はお任せです。 

その結果がどうなるかは心配しません。

なぜなら、どのような結果が出ようと、その結果は、自分にとって、一番必要なことで、

良きこと、そう、もう決まっていることを、知っているからです。

全ての結果に感謝します。

それだけです。

こんな、努力もしない、心配もしない、ちょっとズボラな生き方・・楽ですよ。

さて、小林正観さんのお話からご紹介します。

<転載開始> 転載元



偉い先生方は、掃除と感謝のことは 言う。

正観さんには そこに笑いが入りました。

笑いの重要性。

正観さんは、こんな説明をしてくださいました。

例えば 子どもがオール1を取ってきた通信簿。 

それを見たとき「なんでこんなに成績が悪いんだ。」 

怒る父親 母親がいると思いますね。どこにでも。

しかしね。「きれいだなあ これ」と笑っちゃう人がいる。

「こんなにきれいに 1をそろえるなんて」と笑った。

あまりにきれいで おもしろくてと。 

もう どうしようもないから。全部1だから。

その、オール1への親の笑い。

正観さんが その意味をこう解いてくださいました。

笑った瞬間というのは実は「その現象を100% 肯定した」ということなんです。 

わかりますか?

笑いとは肯定の一番上の行為なんです。 

首を縦に振るというのも 肯定の一部。

「そうだね。確かにそうだね」と言う。 

肯定の一部。

「笑う」という事は肯定の一番上。

100%受け入れたということ。

それが 笑いの重要な意味なんです。

そして、もうひとつの例を紹介してくださいました

医者から宣告されたとします。

「あなたは がんです」

「がんなんですか~  ガーン」 

がんですと言われたとき 駄洒落一発・・・

「笑ってしまうというのは100%の肯定なんです」

今度は肯定の意味を説明してくださいました。

肯定をするというのは人生の中で、すごく重要なポイントです。

目の前の現象について 笑うということは、目の前の現象について 

100%肯定したということです。

そして目の前の現象をつかさどっているのは3人の方です。

このように「笑い」「肯定」から 本質の話をしてくださいました。

3人とは

・宇宙  と

・地球  と

・神さま  

なんですよ。

 

目の前の現象に対して瞬間的に 笑った という事は、

宇宙と、地球と 神さまへのメッセージです。

あなた方がやっていることは肯定しています。 

とても 気に入って 嬉しいです。

面白いです。 

と言った瞬間が「笑った」ということなんです。

一方で、宇宙、地球、神さま へ、あなた方のやっていることが 気に入らない。

そのメッセージが不平不満。愚痴。泣き言。悪口。文句なんです。

面白くない顔をして「否定した」瞬間なんです。

笑いと肯定が、神さまを味方にする。 

そわか(掃除、笑い、感謝)のひとつなんです。

笑った瞬間 神さまの微笑返しが きっとあります。

そして 肯定にも段階があります。 

その最上級が「笑い」

笑えるかなあ と心配する前に、何にでも肯定してみること。

正観さんは 「そうだね 確かにそうだね」が肯定の一部と言われました。

現象に対する 肯定。

それを 目の前のすべて 人やモノ 

動物 植物 鉱物にまで広げていくこと、肯定、つまり承認をしてみること。

部屋にあるもの。パソコンに 机に、本や本棚 ペンに手帳、かばんにプリンター、エアコン、部屋から見える 草花、野菜、石、空も 夕暮れも 雲も 星も

 

すべてに「そうだね」「そうだね」と認めると、

すべてが「そうだよ」「そうだよ」と肯定が帰ってくる。

自分は 結局 すべての中の ひとつ。

全てを肯定することは、結局 自分で自らを承認して肯定することと同じこと

すべての中に 神さまがいる。

自分にも 神さまがいる。

そうすると日常生活のなかでは、笑いまでいかないまでも 微笑でもOK。

大きい神さま 小さな神さま、遠い神さま 身近な神さま。

特別なとき 思いがけないとき、笑えることが起きてきます。

それには日常の中の ちょっとした微笑が大切。

微笑めば 微笑み返しが。

身近な神さまから必ず起こります。

そのとき気がつくかもしれません。 

「あっ 自分も 小さな神さまかもしれないね」と。

正観さんの「感謝する」ことは、すべての存在を 認めて肯定することと同じこと。

感謝すると 神さまの微笑み返しが起こり、微笑まないと、微笑み返しはありません。

実践あるのみです。

<転載終了>

 

まじめな人ほど深刻になりがちですね。

そして、自分の思うように物事が運ばないと、 

・イライラして怒ったり、

・疑心暗鬼になったり、

・人を恨んだり・・

まるで「笑い」の反対なことをやってしまっています。

自分の思うようになんて、絶対にあり得ないのに・・

今、目の前の状況を「あぁ、そう来ましたか」と全て受け入れて、

笑って感謝していたいものですね。

きっと神様の微笑み返しがありますよ。

もし、配偶者の方が居らっしゃるのであれば、夫婦が笑い合っていれば、どんな 

・苦難も

・苦労も

・貧困も

きっと、楽しく乗り越えられますね。 

より一層、愛と信頼が醸成されて、絆が深まるかもしれません。

目の目に起こってくる、全ての困った現象は、神様が放った矢のように。

真っすぐに私たち自身に、向かって起ってきています。

私たちの心を変えなさい。

今迄の 

・しがらみ、

・クセ

・慣習

・慣れ

・怠惰

・変わることへの恐れ

・プライド 

そこから自由になれるかどうかにかかっています。 

そして、それができた時、私たちの心は、解放され、より一歩、神様に近づき

幸せな人生を、再び歩み始めることでしょう。


2024年5月14日火曜日

3427「ありがとう、ありがとう」2024.5.14

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年05月02日の記事を紹介します。


「ありがとう、ありがとう」


このブログでは、今までの時代のような 

・依存心を煽る(誰かに頼る心)

・依存と支配の関係を創る(無意識の内にも、自分の思い通りに人を動かそうとする)

・文句を言ったり、頼ってばかりいて、周りの現実を見ようとしない 

そのような風潮から脱却し、新たな心の時代に入りやすくするために、 

できるだけ

・不思議話でワクワクさせて人をひきつけたり

・圧倒的な見えない力を持つ存在をちらつかせたり

・今までの組織としての宗教がそうであったように、アメとムチを使ったり

そのようなことから遠ざかり、神様が置いてくださった、自らの置かれた場所で、

しっかり立ち、自分の心を見つめ、自身の中の神様と直接的に、

そして強固に繋がっていただくために、主に心の問題を中心に書いています。 


その方法論は、ここでよく引用させていただく

・日本神道の最高峰まで行かれた、医師で春日大社宮司であった葉室頼昭さん

・小林正観さん、斎藤一人さん

・小学生の神様(山幸彦の魂)トキ君

・クラリオン星から直接転生してきたレインボーチルドレンの小学生のそうたくん 

など、同じ考えの方々のお話を紹介したり、 

その本質をかみ砕いて引用させて頂いたりしながら行っています。 

ですので、

・ワクワクする、見えない世界の不思議話

・自分は何もせず、何も変わらずとも、大きな力を持つ、何者かが一気に世の中を変えてくれる物語 

が好きな方々にとっては退屈なものかもしれません。 

ですが、上記の方々、いえそれだけでなく、

イエスやブッダ、空海など、全ての高貴な魂たちが、

人々を依存させる、不思議なパワーではなく、

自らの心の(浄化)問題をまず第一としています。 

ですので、今日も退屈かもしれませんが、

神々と直接つながるために、心のお話を書きたいと思います。 

地球の周波数が変わったことで、

・思ったことがすぐに現実化しやすいということと、

・類は友を呼ぶの法則がより鮮明に機能しているようです。 

より一層、私たちの心の状態が問われています。 

・美しい心

・思いやりのある心

・我欲(自分だけがの欲望)が少ない心 

が問われています。 

自分の心の状態が真っすぐに 

・同じ現実を引き寄せ

・同じ意識(心)を持った人を引き寄せ

より一層、その心の状態がデフォルメされて

私たちの周りに展開されていくからです。 

さて今日は、ご縁のある方に、

私たちの未来と、そして死後の行先を決める美しい心についてのお話です。 

知的障害の兄を持つ

小さな弟君と、そのお母様のお話です。実話です。 

<引用開始> 引用元

  

一人のお母さんから、とても大切なことを教えられた経験があります。   

そのお宅の最初に生まれた男の子は、高熱を出し、知的障害を起こしてしまいました。

次に生まれた弟が二歳のときです。   

ようやく口がきけるようになったその弟がお兄ちゃんに向かって、こう言いました。

「お兄ちゃんなんて バカじゃないか」

お母さんは、はっとしました。

それだけは、言ってほしくなかった言葉だったからです。 

そのとき、お母さんは、いったんは弟を叱ろうと考えましたが、思いなおしました。   

弟にお兄ちゃんを、いたわる気持ちが芽生え、育ってくるまで、

長い時間がかかるだろうけど、それまで待ってみよう。

その日から、お母さんは、弟が兄に向かって言った言葉を、

自分が耳にした限り、毎日克明にノートにつけていきました。  

そして一年たち、二年たち・・・

しかし、相変わらず弟は、「お兄ちゃんのバカ」としか言いません。  

お母さんはなんべんも諦めかけ、叱って、無理やり弟の態度を改めさせようとしました 

しかし、もう少し、もう少し・・・と、根気よくノートをつけ続けました。

弟が幼稚園に入った年の七夕の日、

偶然、近所の子どもや親戚の人たちが家に集まりました。 

人があまりたくさん来たために興奮したのか、

お兄ちゃんがみんなの頭をボカボカとぶちはじめました。

みんなは 「やめなさい」 と言いたかったのですが、

そういう子であることを知っていましたから、言い出しかねていました。   

そのとき、弟が飛び出してきて、お兄ちゃんに向かって言いました。  

「お兄ちゃん、ぶつならぼくだけぶってちょうだい。

ぼく、痛いって言わないよ」   

お母さんは長いこと、その言葉を待っていました。

その晩、お母さんはノートに書きました。  

「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・」   

ほとんど無意識のうちに、ノートの終わりのページまで

鉛筆でぎっしり、「ありがとう」を書き連ねました。

人間が本当に感動したときの言葉は、こういうものです。 

<引用終了> 

 

弟君に、優しい気持ちが芽生えたのも、嬉しいことですが、 

このお母さんも、

一時の感情に任せ、叱って、態度を改めようとはせず、

優しい心が自発的に芽生えるのを待ったということも凄いことですね。

目に見えない時代も変わりました。

優しさを無理強いされても、一時はしぶしぶ従っても、そうしてしまっては、

かえって、一生、本当の心からの優しさや、愛は育たなかったかもしれません。 

  

・最初に生まれた男の子が高熱を出し、知的障害を起こしたこと。

・このお母さんのもとに生まれたこと

・縁がつながり、この弟君が生まれたこと

・幼いながら、数々の葛藤のなか、優しさと愛をはぐくんだこと 

全部繋がっています。 

私たちは、この地球に生まれ、あらかじめ設定してきた環境を準備し、

そこに飛び込んで数々のドラマを演じています。 

周りの役者の方もお願いしてきました。 

それは全て、身近な周りの人々とともに、この美しい地球で

愛のハーモニーを奏でるためです。

2024年5月13日月曜日

3426「青空ひろば」2024.5.13

  今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。


1276 2024.04.03 ~ 1297 2024.05.09

Q.人生の目的はなんでしょうか?

A.いのちの可能性を出来る限り伸ばすこと。いのちの領域を出来る限り広げることです(この意志は、すべての人に「根本意志」として内蔵されている)。

Q.ヒトはなぜ「根本意志」を共有し、また個別の「役割意志」を内蔵しているのでしょうか? 

A.本来一体のイノチ(人類の魂)で、人体にさまざまな役割を持つ臓器が存在するように、人類全体のイノチが成長するために、各人がそれぞれ別々の役割、使命を与えられています。それが「役割意志」です。

Q.人生の目的を果たすために必要なことは?

A.

① 自己制約の囲い(自己イメージ・世界イメージ)を解き放つ、突破(拡大)することです

② そして、突破(拡大)に必要な生命エネルギーをたくわえることです

Q.イノチの充電をするには?

A.ファン・マトゥス「お前が限界を突破し飛躍するためには「いのちのエネルギー」をしっかり蓄えねばいかん」

弟子「どうやったら「いのちのエネルギー」の充電が出来るんだい」

師「<しないこと>で貯めるんだ。人間は<すること>でいのちをどんどん消耗してゆくのさ」

・すること→世界を固定化する。突破できない壁を強化することになる。

・しないこと→世界を軽くする、世界を柔らかくする、ほどく(解体する)

A.私たちのする坐禅は「しないこと」

(参考文献)『呪師となる-イクストランへの道-』カルロス・カスタネダ(二見書房) 

道元禅師のことば「不思善、不思悪(アタマで判断せず)、念想観の測量をやめ(アタマに暴走させず)、作仏を図ることなかれ(いい坐禅をしようなんてアタマで思わないで、ただ、身ひとつで坐りなさい)」

・「しないこと」→「アタマ」でいのちをコントロールしょうとすることをやめ、「カラダ」だけになって坐ること。そうすると、いのちが自ずと充電される。また、おのずと従来の世界と自分(自己イメージ・世界イメージ)が脱落する(「身心脱落(しんしんだつらく))。

・坐禅は「しないこと」。「アタマ」はいつも何かしていたいので途方にくれるがそれでいい。ただ「カラダ」で坐っていればいい。

ファン・マトゥス(師)が、弟子のノートをに放り投げる。探し出せと命じる→師は弟子に「しないこと」をやれと命じる。弟子は何となく立ち上がってノートのもとに一直線に行き、ノートを手にして戻ってきた。

(なぜそんなことができたのですか?)「しないこと」によって、自己制約の囲いを薄くし、生命エネルギーを充電すると、制約の囲いを破って「身」が勝手に適切な動きをしてくれるのです。

弟子がファン・マトゥスの体の強さに感心した時、「人は一度あるレベルの自分の力を得れば、運動とかどんな種類の訓練も不要になる。なぜなら、完全無欠の形をとるのに必要なことは『しないこと』をするだけでいいんだから」

(なぜ?)「しないこと」によっていのちのエネルギーを充電すると、制約の囲いを破って身が勝手に動いて元気にしてくれる

カラッポからだはいいからだ/こんなにシャープに動くのも/こんなにたくみに動くのも カラ(空)のカラダであるからだ/カラッポからだはたから(宝)のからだ

Q.自己制約の束縛を脱するには?

A.ファン・マトゥス「自分とか世界なんていうものは、みんな解釈、ひとつの見方なんだ。子供のころからそんな見方を大人から繰り返し教え込まれていて、ついに「その世界のメンバー」になっちまったんだ。そんな自分や世界を一度止めにゃあならんのだ」

→「世界を止める」=「自己イメージ、世界イメージ」を脱落させる(身心脱落) 


ファン・マトゥスが教える「世界(自己イメージ、世界イメージ)を止める」ための方法

① 履歴を消す

・自分の履歴(過去の歩みの記憶)が自分の未来を縛る

・人に履歴を知られると、人の偏見があなたの現在、未来を縛ってしまう

・本当は、刻々死んで、刻々新生している(刹那消滅=持続している世界、自己なんて本当はないんだ) 

② 一本足打法(今・ココ)を生きる

ファン・マトゥス「人生の歩み方には二つの道しかない。すべてのモノゴトを確かでリアルなものとして、しっかり計画をたてて決めた道を歩んでゆくのが一つ。わしはそんな人生にゃアキアキしている。何の魅力も感じない。もうひとつの道は、人生には何も確実なものなんてない。前にも後にも道なんてない。そしてなにもかも不確実で見通せない世界に住みながら、そこにつま先立ち(一本足)しているように油断せずにいるさ。何でも知っているというようにふるまうよりは、どのヤブにウサギやコヨーテが隠れているか知らないでゾクゾク・ワクワクしているほうがずっと素晴らしい人生だと思わないかい。そこから見るとすべての出来事が神秘的でいきいき輝いて美しいんだ」

僕の前に道はない 僕の後ろにも道はない/僕の一歩が道となり 次の一歩が道となる/

僕が道だ 僕が道だ

③ 型にはまらない生活をする

・生活のパターン(ルーチィンワーク)を少し変えてみよう

「おまえの連続性(ルーチィン)は、お前を幸福にも力強くもしない」

型にはまらない生活をすると、六感の「感性」が研ぎ澄まされる。直感力が働くようになる。

④ 自尊心を捨てる

・自分だけが特別だと思えば、世界や他人と切り離されたちっぽけな自分でしか生きられない。

「おまえが、自分は世界中で一番大事なものだなどと思っとるかぎり、まわりの世界を本当に理解することは出来ない。おまえは目隠しされた馬みたいなもんだ。あらゆるものから切り離された自分しか見えんのだ」

・植物に話しかける訓練(それが好きだという気持ちとそれが自分と平等なんだという気持ちで会話する)

⑤ 死を仲間とする

・死はいつもわしらの左側、腕を伸ばせば届くところにいる

・死にアドバイスを求める

「それが自分の最後の戦いだと知っとるときの行為は力強い。自分がしとることが、地上での最後の戦いになるかも知れないと充分承知してやると、そこには焼き尽くすほどの幸福感が届く」

自分(大敬)の音声を聴いていて分かったのですが、とても能弁とは言えませんね。ボソボソ、トツトツと、たどたどしい語り口ですね。

でも、それがいい。「先生のお話しを聞いているとなんだかとてもホッと安心できます」という人もいらっしゃるんですね。不思議だなあと思います。

ある若い弟子が友達の運転でどこかに向っていて、その弟子が、ある精神世界の有名な先生のお話しを録音したものを流したのだそうです。

すると、その友達は「やめて!それを聴いていると運転に集中出来なくなる」と言ったのだそうです。

それで、ストップして、しばらくして大敬の話を流したのだそうです。すると、その友達は「ああ、これなら大丈夫。運転の邪魔にならない」と言ったそうです。

面白いですね。何が違うのでしょう。

恐らく、この有名な精神世界の先生のお話が入るアタマの場所と、運転に使うアタマの場所が一緒なので、お互いに邪魔をするのでしょうね。

大敬の話は、アタマには入らないようです。アタマを素通りして、イノチの内側にそのまま届くので、アタマの邪魔はしないのだと思います。

ということは、大敬の話はアタマの肥やし(勉強)にはならないということかも知れません。でも不思議ですね。大敬が学校の先生をやっていた時は、大敬が教えると生徒の成績がとても上がったものなのです。

だから、大敬は教科書の内容だけを教えていたのではなく、「安心」も一緒に教えていたのだと思います。「安心」さえ出来たら、人は勝手に伸びてゆくように出来ているのだと思います。

坐禅会で大敬がお話しすると、よくコクリコクリしている方がいます。

そんな方は頑なで人の話が素直に聞けないという人であったり、アタマが働きすぎて、大敬の話をアタマで処理しようとしてしまう人だったりするので、神様がそんな方はいったん眠らせて、アタマが過剰に働かないようにして、イノチの奥底まで大敬のコトバの響きを届かせようとしておられるのだと思います。

だから私(大敬)は居眠りされている人がいらっしゃると、シメシメと思います。

「立花大敬オーディオ・ライブラリー」(パンローリング社)を池田光さんや西端努斗夢さんの尽力で第1巻から50巻まで出してくださっているのですが、「先生のCDを夜眠りながら聴くことにしています。そうするとよく眠れるのです」とおっしゃる方も結構いらっしゃいます。

睡眠薬に頼られるより、大敬のCDで眠れるんだったらその方がいいし、本人のアタマは意識がなくても、大敬の「安心の響き」はしっかりイノチの奥まで届いていて、そこにしっかり種子として植え込まれるので、いざ必要な時にしっかり発動してくれるのですから、こんな睡眠学習もなかなか有効なのです。(完)


1274 2024.04.01 ~ 1275 2024.04.02

Q.神々が「ヒト」を地上世界の降ろした目的は?

A.大祓詞には「豊葦原(創造力が旺盛で)の水穂(ゆたかで潤いのある)の国を、安国(やすらかで)と、平けく(平等な国家となるよう)知ろしめせ(努めなさい)と、事依さし奉りき(委託された)」とあります。

日本(世界人類)を高天原の「うつし(映し、写し、移し)」の国にしなさい、というのが私たちに与えられた天命(命 ミコト)なのです。

地上世界の神は「ヒト」が使命を果たすためのサポーター(同行二人)です。(完)


1272 2024.03.30  ~ 1273 2024.03.31

「白隠禅師坐禅和讃(はくいんぜんじ ざぜんわさん)」より

「因果一如(いんがいちにょ)の門ひらけ」:そう思えばそうなる

「無二無三の道なほし」:ゴールが同じと知れば最適の道が歩める  

「無相の相を相として」:どんな形の器にもぴったり収まる

「行も帰るも餘所ならず」:いつでもどこでも宇宙の中心にいる

「無念の念を念として」:カラッポだから次々いい案が浮かぶ

「謡ふも舞ふも法の聲」:いつもどこでも「神流楽(かんながら)」 

「三昧無礙(さんまい むげ)の空ひろく」:三昧=「万物一体」、無礙=「障害物なし」   

「四智圓明の月さえん」

「四智(しち)」とは

(1)大円鏡智:「いのちはひとつなり」と知る智慧

(2)平等性智:「どのいのちも上下、尊卑がなく平等に尊い存在だ」と知る智慧

(3)妙観察智:平等だけれど一様ではなく、それぞれ異なった特長や使命をもっているのだ」と知る智慧

(4)成所作智:「以上の三つの智慧をその場、その時、その人にあわせて一番適切な行動がとれる」という智慧(完)


1264 2024.03.21  ~ 1271 2024.03.29

黒住宗忠公のお言葉

(1)おそれながら、ご自身をご自身と思われず、天地のものと思われれば、ただありがたいばかりになります。

(2)お心に歳をよらせず、万事天地自然にうち任せて、いつまでも「子供の心」を離れず、形のことはお忘れになって、お暮らしになれば、自然とおかげは現われましょう。

(3)行くも帰るも生も死も天地。

(4)何事も何事も、一切天にお任せなされれば、まことに不思議とうまく参るものです。

(5)「形は病気に任せ、心は天照大御神と一体という心になりなさい。心だけがまずさっぱり平癒されたら、形も自然と治ってしまうでしょう」と話しましたところ、不思議なるかな、26年の病がその場でお治りになって、まことに夢のようです。

(6)大難と思っていたことも、天命のままにお任せしていれば、結局は有難いことだったんだとなることがよくございます。ここを考えると、「難有り」が「有り難し」なのです。

(7)心ひとつ開け(ひらけ)ますと、一つも苦しみはありません。何につけても楽しく、ありがたいことばかりです。

(8)みな天のなさることですから、何事も勤まらないということはございません。(完)


1261 2024.03.18 ~ 1263 2024.03.20

沢庵禅師が柳生宗矩(むねのり)に与えた書『不動智神妙録(ふどうち しんみょうろく)』より

<不動智>とは、「不動と申しても、石か木のように動かないという意味ではありません。向こうへも、左へも、右へも、十方八方へ、身心が動きたいように動きながら、ちっとも止まらない心を『不動智』といいます。物一目見て、その心を止めないのを不動といいます」

<千手観音>も、「一つの手に心が止まってしまえば、他の手は皆用に立ちません。どの手にも心を止めないから、すべての手が皆用に立つのです」

「とかく、心の置き処はありません。どこであっても、一箇所に心を置いてしまえば、余(ほか)の方への働きが皆欠けてしまいます」

「臍(へそ)の下に押し込めて余所へ心をやらないというは、レベルの低い段階の稽古の位(くらい)です。臍の下に押し込んで余所にやるまいとすれば、やるまいと思う心に、心を取られて、先の用に欠けて、殊の外不自由になってしまいます」

「『では、心をどこに置けばいいのですか』

我(沢庵禅師)答えていわく『どこにも心を置かなければ、心は我身いっぱいに行きわたりて、全体に伸び広がってあるので、手が必要な時は、手の用を叶え、足が必要な時は、足の用を叶え、目が必要な時には、目の用を叶え、その必要な部署に心が行きわたって存在しているので、その時、その時、その場所、その場所の働きに叶うのです』」 (完)



2024年5月12日日曜日

3425「心の方向転換」2025.5.12

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年04月30日の記事を紹介します。


「心の方向転換」


地球が変わろうとする過渡期、

混沌の世の中で、あまりに多くの方が人生の中で苦しみを感じていらっしゃるようです。 

今日は全ての悩み・苦しみに通じる内容を書いてみたいと思います。 

以前紹介したものですが、加筆・修正して掲載します。 

 

祓戸四神の一柱 祓い浄めの女神、瀬織津姫

  

このブログでよくご紹介する小学生の神様(木花咲耶姫の子供、山幸彦)、トキ君のお話。

驚くべきことに、幸せな人生を送るための秘訣は、 

そのすべてが、自分の心を変える・・と言うことです。 

決して、どこそこの神様を頼ったり、縋ったり(すがったり)

どこそこにお参りに行きなさい。 

見えない力を持つと自ら吹聴して回る能力者に頼りなさい。 

何処かの誰かが何かをしてくれるから待っていなさい。 

そんなお話ではありません。 

全てが私達の心が変わることで、苦しみ、悲しみを抜け出し、感謝の内に生きられる・・ 

そんなお話でした。 

 

私たちの身の回りで起こる 

・辛いこと

・苦しいこと

・悲しいこと 

は全て神様が起こしてくださっています。

神さまの承諾なしに、起こる出来事は、どんな些細なことでさえ、存在しません。

大事なことですので、もぅ一度言います。

神さまの承諾なしには、どんな現象も起こりません。 

全ての

・辛いこと ・苦しいこと ・悲しいこと 

は、神様が私たちに心の方向転換を促す時に起こります。 

どんなに、人や物、神様に頼って、一見状況が好転したかに見えても、 

私たち自身の心が変わらなければ、

また同じ出来事や現象が、形を変えてやって来るだけです。

・今あるもの、持っているもので満足しているか?

・それらに感謝の心を持っているか? 

感謝の気持ちを持つ心は、美しいです。

光り輝いています。 

全てのことに対して感謝の心を持つとは、全ての出来事を許す、承認するということです。

一見どんなに嫌な出来事、苦しみ、悲しみが来ようと、

「あぁ、そう来ましたか」と、神様が起こしてくださった現象を認め、笑顔で受け取ること。

笑顔が出るということは、「認めた」と言うことです。 

もし笑顔が出来なければ、泣き顔でも構いません。 

但し、心の中で「ありがとうございます。ありがとうございます」と

念仏のように、この宇宙最強の言霊を繰り返してください。

 

また過去の出来事だけでなく、

・過去の自分のしてきたこと

・今の自分がしていること

・将来の自分がすること 

この3つも全て許して、認めてあげてください。

自分自身を愛しんでください。 

決して、その行動は間違っていなかったからです。

全ては神様から承認されて起きています。

自分自身が生まれる前に、計画してきた出来事、判断、結果です。 

それらの出来事があったからこそ、今の自分が形成されました。

もし一つでも、起きなかったり、違う判断、行動をしていたら

今の私たちには到達していません。 

今の私たちは、過去で一番優れた自分自身です。 

過去の赤面するような行動も、全ては今日のために、敢えて経験してきたことです。 

ご自分を認め、許してあげてください。

少しでも過去を悔いるような感情が生じたら、

その出来事があったから、今、私はこの場所まで来れたと・・ 

誇らしく思ってください。 

そして一瞬で、頭を楽しい未来に切り替えてください。

一瞬で、気持ちを切り替え忘れてください。

同じく、気になる家族、心配な家族。自分以外の人。

その方々の生き方も 認め、許してください。 

その状況は、彼ら自身が望み、今経験していることです。

例え未来に、失敗や苦労、悲しみが見えていたとしても

それを魂は、その経験したいからこそ、

彼らの人生のタイムラインに、自分でその出来事を計画してきました。 

例え家族であろうと、口出しはできません。 

唯一出来ることは、彼らの生まれて来た目的、心願が成就しますように

温かな優しい気持ちで祈るだけです。 

心願が成就すれば、その辛く見える経験も、生まれる前の目的を達成したわけですから、

記憶のかなたに消え去っていくことでしょう。 

魂にとって、貴重な経験となり、喜びとなることでしょう。

  

私たちに感謝の気持ちが足りない時、神様は、強制的に方向転換させてくださるために、

色んな出来事を起こしてくださいます。 

感謝の心は、神様とのホットラインのようなものです。 

神様と直結します。 

そこを通じ、神様の恩寵が現れます。 

感謝の心が芽生えた時、神様が意図した通り、目的は達成されます。 

その結果、役割を終えた(辛く悲しい)出来事は、自然と消えてゆくことでしょう。

または、全く苦しみと思えなくなることでしょう。 

そして魂の段階が、一つ上がり、また新たな世界が眼前に広がってくることでしょう。 

その世界は、確かに・・・ 

今見ている世界よりも、

・暖かく

・優しく

・愛に溢れ

・笑顔に溢れた 

美しい世界であることでしょう。 

感謝の心は幸せになるために一番大切な心です。 

どうぞ、希望を失わず、どんな時でも、笑顔を絶やさず、神様を信じてみてください。 

ありがとうの気持ちを持ってみてください。 

きっと霧が晴れるように、穏やかな世界が広がっていくことでしょう。


2024年5月11日土曜日

3424「大峠を越えるために」2024.5.11

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年04月29日の記事を紹介します。


「大峠を越えるために」


江戸後期から明治にかけて一斉に日本で起こった霊的な磁場、鼓動。 

そこでは 

人類にとっての大峠 

時代がぐれんとひっくり返る 

など近未来に対して様々な予言が語られていました。

それはもちろん神の国

言い換えればアセンション後の地球

などの到来を意味していますが、

その前に、夜明け前の一番暗い時代のことも語られています。 

その辛く、苦しい時代を乗り越えられるのは、改心(洗心)した魂なのだとか。。 

そのために強く私たちに「改心」(心をきれいにすること)を迫っています。 

改心した人とは、要するに心の罪、穢れを祓い、ピュアな心の持ち主のことです。 

決して、どこかの誰かが行動してくれることで、

私たちの幸せが訪れるわけではありません。 

そのような他人依存的なな姿勢は、昔ながらの、宗教的な依存心を増大させるだけで、

魂の退化に繋がります。 

 

さて今日も、心の洗濯。 

美しき心を取り戻すために書きたいと思います。 

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」に、こんなことが書いてあります。

神様がお植えになったところで咲きなさい。

咲くということは仕方がないとあきらめるのではなく、

笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです。

あなたは、

・体調が悪いから

・思ったように物事が進まないから

・ムシャクシャするから 

と、仏頂面で人に相対していませんか?

それを見た人、そばに居る人は、

そのイライラした波長が伝わるため、ドンと気分が落ち込んでしまいます。 

自分の都合で、周りを不幸にして良い権利は、誰にもありません。 

渡辺さんは、36歳で図らずもノートルダム清心学園の学長を任され、

右も左もわからず、不平不満ばかり口にしていた時に、 

宣教師の方から頂いた言葉だそうです。

渡辺和子さんと言えば、今では「置かれた場所で咲きなさい」で、大変有名な方ですが、 

そのような天使のような人でさえ、若い頃は、私達と同じく不平不満の塊だったのですね。

そして更に50代でうつ病を発症しますから、

彼女が今知られているように天使のような心になるまでにはまだ時が必要でした。

いくら修道院で修行してきたからとて、

まだ若く経験が無ければ仕方のなかったことかもしれません。

当時は、慣れない仕事や、周りのやっかみもあり、置かれた場所に不平不満だらけ。

他人の出方(態度)で、幸せになったり、不幸せになったりと、環境の奴隷だったそうです。

私達もよくやりますね。

誰かが、仏頂面してた 

→ 私に何か文句があるの? 

→ 私も 仏頂面してやれ、無視してやれ

誰かが、挨拶しても返してくれない 

→ 私が嫌いなの? 

→ フン。私も嫌い。悪口流してやる。

笑顔、あいさつ、仏頂面は伝染します。

 

でも、もしかしたら、相手の人は、体調が悪かっただけかもしれません。

朝出かける時に、たまたま家族とケンカしたのかもしれません。

また逆に どなたかが、笑顔で話しかけて来てくれると、 

一遍で好きになって味方になってしまいます。

まさに渡辺さんが言うように「環境の奴隷」です。

人間として生まれたからには、どんな場所に神様が置いて下さろうと、

環境の主人となり、自分の花を咲かせたいものですね。

咲くということは、この宣教師の方が言うように、仕方がないとあきらめるのではなく、

笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのですね。

私たちは、よく口にします。

・お金が貯まってから

・時間が出来てから

また次のようなこともよく言います。

・あの人のように、お金持ちの家に生まれていたら

・あの人のように、美しかったら

・あの人のように、健康だったら

・あの人のように、能力があったら

そして、最後は、必ず

どうせ私なんか。。。

 

私たちの神様は、うっかりミスをして、私をこんな環境に、生まれ付かせたのでしょうか?

それともシスターが言うように 

いまの環境に私が生きているのは、自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神さまが、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明するためでしょうか?

花の使命は咲くことにあります。 

他の花と比べて、優劣を競うことでもなければ、どこに置かれるか、でもなく、 

自分しか咲かせられない花を一番美しく咲かせることにあります。 

誰かと比べる必要もありません。 

人は、それぞれ生まれて来た目的があります。 

それは、生まれる前に決めて来たことです。 

その目的に従って 

・経済状態

・健康状態

・家族状況

・容姿

・性格 

全てを神さまと共に、カスタマイズして、生まれてきました。 

だから、全ての人が、全部違う環境に置かれています。

自分にとって、自分の魂を輝かせるために 今の環境は最適なものだからです。 

嬉しいこと、楽しいこともそうですが、 

それよりも、辛さ、悲しさ、苦しさ

そんなものが、私たちの心の砥石となり、

もともとダイヤモンドのように輝いていた。 

私たちの美しい魂を、再び見せてくれるものだからです。

私たちの心が全て決めます。

心が変わらない限り、現実は変わりません。 

心にこそ、全ての初動のエネルギーがあるからです。 

心と意識が、私たちの生きる現実を作っているからです。  

・温かな優しい心

・周りの方々を慈しむ心、

・出しゃばらず、そっと見守る愛の心

・助け合い、調和していこうとする「お陰さまの心」 

今まで生かし、育ててくださった人々、友人への感謝の心でお過ごしください。  

皆さんが

ご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、お幸せになれますように。

 


2024年5月10日金曜日

3423「幸せな家庭のために」2024.5.10

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年04月28日の記事を紹介します。


「幸せな家庭のために」


今日は、非常にシンプルなことですが、習慣化することで偉大な力を発揮してくれる

言葉についてです。 

当たり前のことですが、 

・私たちが日常的に使う言葉、

・無意識のうちに使う言葉、

・癖になってしまった口癖 

などによって、 

・私たちの運命や、

・将来のこと、

・家族の健康、

・家族の幸せなど、

全てが大きく左右されます。

そんなことは普段考えたこともない人が殆どかもしれません。

でも、その事を頭に入れたうえで 

周りの

・健康的なご家族、

・病気がちのご家族 

のことを見てみてください。

きっと当てはまることが多いかもしれません。

神様が「一番大切にする人」として家族を作ってくださいました。

その家族を幸せにすることが 

私達人間が一番にしなければならないことです。

それでは、

・幸せになりたい方、

・ご家族も幸せにしたい方のために 

小林正観さんのお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元


「嬉しい」「楽しい」と笑顔で言い続けると、それを言う人、聞く人どちらも元気になる

日常で 

・つらい

・悲しい

・苦しい

・悔しい 

と言い続けると、それを言う人も聞く人もどんどん元気を奪われます。

1年365日、言い続け、聞き続けたとしましょう。

それが3年、5年続いたとしたらどうでしょう。 

ものすごい量の「気力」を奪います。

結果として、その家には多分「不幸」が集中するでしょう。 

「気力」も「体力」も「精神力」も「集中力」もすべて奪われる。 

家族全体から奪われるのですから、 

・病気になる、

・風邪をひきやすくなる、

・集中力を欠き接触事故を起こしたり、

・不用意な発言をして人を傷つけたり、

そういうことも増えます。

気力だけの問題ではありません。

自分で自分に繰り返し 

・つらい

・悲しい

・悔しい

・苦しい

・つまらない

・サイアク 

と言い聞かせ続けると、

 「生きているのがそんなにつらいなら死んじゃいましょう」と、

体自身が反応し、ガン細胞を増殖させ、故障や病気を進行させます。

体自身がそういう指令系統を持っているのです。

それを「悪い霊が憑いている」などと言う人がいますが、私はそうではないと思います。 

お祓いはいりません。 

 

家の中で飛び交う言葉には 

「元気を取る言葉」や「怒り顔」をなるべく出さないことです。

毎日 

・嬉しい

・楽しい

・おもしろい

・幸せ 

と笑顔で言い続けたら、それを言う人、聞く人どちらも、どんどん元気になります。

風邪をひくことが少なくなり、ひいても熱が出にくい、早く治るようになります。

(免疫力や基礎体力が強化されるということです)。 

「バカは風邪ひかない」という言葉を、このようなことを知った上で解釈すると、

まったく違う「真実」に気がつくでしょう。

毎日、 

・嬉しい

・楽しいと

笑顔で、人を憎んだり恨んだりせずに言い続けている人は、 

「お前には苦労がないのか」と言われます。 

まさに「バカ」そのものです。

けれども、「バカは風邪ひかない」のです。

それが真実であり、事実。

長寿の人に「長生きの秘訣は?」と聞くと、必ず入っているのが

「くよくよしない」ということ。 

毎日「嬉しい」「楽しい」と言い続けていると、風邪はひかないし、

長生きもする(体があまり傷まない)のです。

ついでにもう1つつけ加えておきましょう。 

ある人がケガをしたときのこと。

リハビリで何度か通ううち、ある先生から 

「できないことばかりを挙げないで、できることを考えて、挙げてください」と言われたそうです。

考えてみたらできることの方が圧倒的に多いのに、 

「できないことばかり挙げていた」というのです。

ケガをしたときだけでなく、日常的にも 

・あれができない

・これができない 

と言ってしまいがち。 

でも、たとえば足を捻挫したとしても、テレビは見られるし、食事もできる。 

手紙もかけるし、電話でおしゃべりもできる。

よく考えてみると、1万できていたことが、9900になっただけで 

「できること」の方が圧倒的に多いのです。 

そういう事実に気づき、それを理解し「できること」を強化し延長するようにしたら、 

今までとはまったく違う速さで体が治り始めたとのことでした。

「楽天的に生きる」ことは、体自身の要請でもあるようです。

<転載終了>

 

日常使う言葉は本当に大切ですね。

それが運命までも左右してしまうからです。 

ずっと以前、日本国中で大ブームになったことがあります。

工学博士の五日市剛 (いつかいち つよし)さんが、ツキを呼ぶ「魔法の言葉」という本です。

沢山の類似本が日本全国で、溢れかえりました。

五日市さんが、イスラエルでおばあさんに教えてもらったこと・・・

・悪いことがおきたときは「ありがとう」

・いいことが起きたときは「感謝します」

たったこれだけの実践で、ご本人の運命が、大好転したとか

これを、自分で小冊子にして知人達に配ったら、それを見て実践した人たちの

運命も、大きく良い方向に転換してれしまったのだそうです。

その言葉の力、

「言霊(ことだま)」のパワーは素晴らしく、計り知れない力があるようです。

この言葉のパワーを知って実践して成功した有名人も数知れず

・原辰徳監督

・アントニオ猪木さん

・柴田章吾さん

・石川遼さん

みんな、五日市さんの、このお話を知って

それを実行し、沢山の幸運が訪れた方たちなのだそうです。

皆さんも、ちょっと意識して、普段使う言葉を変えてみませんか? 

きっと、ご本人だけでなくご家庭にも、幸福が訪れることでしょう。

 

2024年5月9日木曜日

3422「一番大切な人」2024.5.9

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年04月27日の記事を紹介します。


「一番大切な人」


今日は「今、目の前にいる人、目の前にあることが一番重要」

ということで、小林正観さんのお話をご紹介します。 

私たちはこの世界に降りてくる時に

・魂の永遠の記憶も

・神様との交わりも

・人生の目的も

・自分で計画してきた人生のシナリオも 

全て一旦リセットして、忘れてこの地球に来ました。 

それはまるでシナリオの見えない劇の主人公を演じているかのようです。 

ですが、その進行役を神様がやってくださり 

必要なタイミングで人との出会いや別れ、事件を起こしてくださいます。

全てを見通す力を、一時的に失っている私たちにできることは 

ただ、今目の前にいる家族や人々、動物や植物たちに丁寧に誠意を持って、

愛を込めてお付き合いしていくだけです。

<転載開始> 転載元

 


私たちの周りで起きているすべての現象、

人生のあらゆる出来事に、

・重要なこと、重要でないこと

・大きいこと、小さなこと

の区別は、実はありません。

というのは「小さいこと」の定義を言ってくださいと言われても、

誰も答えられないからです。

何らかの現象について、そのときは、小さいこと、些細なことと思っていても、 

それがなければ、今の自分はなかった、

ということを考えたら、(大きいこと・小さいこと)の区別は、つきません。

このことを、実際にあった状況を取り上げて説明しましょう。

私が出た高校の同級生の一人が、大学にも行かず、就職もしないで、

とりあえずアルバイ トとして、晴海のイベント会場でコーラの販売をしていました。

そのとき、コーラ売り場の前をアメリカ人の夫婦が通りかかり、

70歳ぐらいの歳のご主人が足を滑らせて倒れてしまいました。

彼は自分の売り場の前ですから、走り寄って助け起こし、ケガの手当てをしたりとか

いろいろ世話してあげたそうです。

そしたら、「あなたのような親切な人に、初めて会った」と、その夫婦は大変感激し、 

「実は、私たちは結婚して40年も経ちますが、子どもがいないのです。あなたさえよければ、 私たちの養子になりませんか」と言われました。

彼としては、別にほかにすることもなかったから

「わかりました。いいですよ」ということで、アメリカに渡り、その夫婦の養子になりました。

彼はそこで英語を覚え、大学にも行かせてもらい、卒業してからは企業買収の専門家になりました。

今は日本に戻り、その分野で大手の外資系企業の社長をやっています。

コーラの販売をしていた、その前で人が滑った、その人を助けてあげた、 

これらはすべて小さいことのように見えますが、結果としては小さいことではありません。

因果関係がわかったときには、一つひとつがものすごく重要で

大変な出来事だったと、気 がつくでしょう。

優先順位とか、出来事の大きい小さい、とかの区別がないことを、さらにわかりやすく説明します。

人生はドミノ倒しだと思ってください。

ドミノ倒しの如く、人は連続した瞬間を生き、最後の一個がパタッと倒れて、人生を終えます。

これらのドミノは、すべて同じ材質で、同じ厚さで、同じ形状です。

大きい小さいは ありません。

重さも全部一緒。

それが一個ずつ、ただ淡々と倒れていくだけです。

自分の目の前に現れる人が、小学生であろうが、中学生であろうが、大人であろうが、大会社の社長であろうが、出会う人は全部一緒です。

それを一緒だと思えるかどうかに、その人の人間性が表れます。

社会的な地位や権力といったものを背負ってるかいないかで人を見るのは、 

まだ自分の中で本質的なものが形成されていないからです。

出会うすべての人、どんなに些細に見える行為も、人生を成り立たせるうえでは、どれも必要不可欠なことであり、 

ドミノの一個一個が同じ価値だということに気がつくと、何も怖くなくなります。

人生で最も大事なのは、今、目の前にいる人だけです。

一人ひとりをきちんと受けとめていくことで、その後の人生を組み立てていける、ということです。

この一個一個のドミノ、それ自体が結果であり、次のドミノを倒す原因になっています。

倒れた「私」が、また次のドミノを倒していく。

今、目の前にいる人を大事にすることが、私の未来をつくっていくのです。

人生は、その繰り返しのように思えます。

<転載終了>

 

仕事などだと、よく優先順位を付けて、仕事をテキパキこなすのが優秀なビジネスマン

などと言われ、もてはやされたりします。

ビジネス書なども飛ぶように売れているようです。 

また、私たちはよく人を 

・身なり

・地位、肩書

・所有している資産(お金、家、車)

・健康か病弱か

・頭の回転が速いか遅いか

・器量が良いか悪いか

など、見た目だけで判断して、態度を変えがちです。 

ですが正観さんが仰るには、どんなに些細に見えることであっても、自分の身に起こってきたことは、大きい,、小さいの区別は存在せず、必ず次のステップへの礎(いしずえ)となってくれるもの だと言うことです。

優先順位が無いのですから、来た順番に対処していくことになります。 

また今、目の前の人が一番大事なのですから、誰彼と区別せず、例え子供であっても、

丁寧に誠意を持って、愛を込めてお付き合いしたいものです。 

結局、その時の私たちの取った態度が、

次の人生の大きな波(ステップ)が来る時に、それが 

・良きものか、悪しきものか

・楽しいものか、苦しいものか

・心を明るくするものか、暗くするものか 

を決めるからです。 

ですから私たちは、将来のことを心配したりせず、過去をクヨクヨと、いつまでも悩んでいず、何か判断を間違えて、不幸な人生を選んでしまうのではないかと取り越し苦労などせずに。 

今、目の間に居る人や、コトだけに集中し、良心に恥ずかしくない行動さえしているだけで、

ずいぶんと楽に、そして楽しい人生を送れるようです。

後は、神さまが良きにはからって下さいます。

2024年5月8日水曜日

3421「医療宗教によるこの誤謬の歴史」2024.5.8

 今回はIn Deepさんの2024年4月27日の記事を紹介します。


「医療宗教によるこの誤謬の歴史は、どこかでたださないと、人類が滅びるまでの何世代も何世紀も続いてしまう」

医療宗教によるこの誤謬の歴史は、どこかでたださないと、人類が滅びるまでの何世代も何世紀も続いてしまう - In Deep


人類が一丸となり定着させてきた「過ち」を覆すことの難しさ

コロナのパンデミックが始まる以前から、私はこのブログを書く中で、科学や医学が、「あまりに誤謬にあやどられている」ことを知っていきました。

最近、アメリカのブラウンストーン研究所の代表であるジェフリー・タッカーという方の記事を読みました。

そのタイトルは、「世界を支配する誤謬」というものでした。

この「誤謬」というのは難しい言葉ですが、非常に簡単に書けば、「誤った推論」というような意味です。つまり、物事の帰結として間違ったところに行き着いた理論。

そういう意味では、虚偽とか似非というような言葉とは違い、誤謬という言葉には、確信的に過ちに突き進むというようなニュアンスがあります。

意図的に「間違った概念」を推し進めるということではなく、人間が自ら導いた推論として間違ったところに着地して、それが定着する。

ちなみに、この誤謬という言葉は「ごびゅう」と読むのですが、かつて私はずっと「ごじゅう」と思い込んでいました。こういうささやかな誤謬も、誤謬という言葉自体が教えてくれたりします(面倒くさい書き方だこと)。

今回は、タッカーさんのその記事をご紹介させていただこうと思いますが、そういえば、この方のブラウンストーン研究所といえば、前回の「この社会の最大の殺人集団は何か?…」でご紹介させていただいた、元コクラン代表のピーター・ゲッチェ氏の論文も、ブラウンストーン研究所のサイトに掲載されたものでした。

この前回の記事のタイトルにつけました「この社会の最大の殺人集団は何か」ということについて、私は「医師」というニュアンスで書いてしまいましたが、

「誤謬の歴史の中で築かれた認識であるため、悪意でも詐欺でもない」

のです。

まったく悪意ではない。

ただ、誤っているだけなのです。その誤謬を医療従事者たちは強く信じている。

何百年も続く医療信仰の中で、今現在、「教理」として定着している医療介入にしても予防医学にしても、やはり誤謬に他ならない。

そして、この「医学の誤謬」は、これまで続いた年月を考えますと、何もしなければ、これからも長く長く続くのです。

予防医学の歴史を考えればわかります。

たとえば、イギリスで天然痘の予防接種が始まったのは、今から 170年前の 1853年です。

天然痘ワクチンが云々ではなく、世界では今も「予防医学としてのワクチン」説が主流であり、それが覆る気配もありません。

実際には、あらゆる予防接種の歴史がお笑いに近いグラフを示してはいるのですが、医学への忠誠と信仰心の前では、そんなグラフも目に入ることはありません。

1838年〜1978年の人口10万人あたりの英国の麻疹の死亡数の推移



麻疹ワクチンの歴史に見る「人為的介入の有害性」 In Deep 2024年3月10日

 

この予防医学信仰も、悪意でも詐欺でもなく、単に「誤謬」です。

その間違いをただせる機会を失ってしまった結果、予防医学としてのワクチンは 200年近く続いており、このままだと今後も続くでしょう。

今後 100年でも 200年でも。

最近の医学での過程において、ADE (抗体依存性感染増強)や抗原原罪という致命的な欠陥が研究で明らかになってきても、現代予防医学の牙城は揺るぎません。

そして、ついには、私たちは、この期間の間に「世界で数十億人が同じものを接種する」という歴史上で見たこともない「誤謬の頂点」を見ました。

これと同じようなことが今後も何度か起きた場合、さすがにそれは人類の存亡に関わることのような気はするのです。

しかし、これらは、人間みずからが導きだした誤った推論であることもあり、自然の流れでは、誤謬を訂正することは難しい。

何でもそうです。

コロナのパンデミック中を思い出してください。

 

街中でみんながみんな、消毒剤で手を洗っている(誤謬 ← ただし一部は無思考)。

99%がマスクを着用していたあの光景(誤謬 ← これも一部は無思考)。

 

私にとっては、誤謬というより狂気の光景でしたが、しかし、ほとんどの人は「それで正しい」と思っている。無知や不勉強の人たちも数多くいただろうとはいえ、そうでもないような人も従っていた。

本来なら、それなりの教育も受けているであろう人たちが、すんなり、あのカルト宗教にはまってしまっていました。

あの頃の光景を見ていて、私はよく「ガイアナの人民寺院みたい」と思っていました。人民寺院では、日頃から信者たちと「集団自死」の練習を繰り返していて、ある日「本番となった」のでした。毒入りのジュースを飲んで自決する練習です。

それについては、「カルトを超えて」という 2022年の記事に書いています。

ここで私はこう書いていました。

2022年8月23日の In Deep より

…ここにある「いつも不気味さに包まれている感じ」は、その後のワクチン展開の中で、さらに激しくなりました。

洗脳 → 服従……という毎日メディアを通しておこなわれ続けたこの繰り返しを見て、何とも重い気分になっていたものですが、しかし、この方法論は、

「ガイアナの人民寺院で行われていたことと同じ」でもありました。

人民寺院では、その「自決の決行の日」をホワイトナイト、と命名し、毎晩のように、その本番の「練習」を全員で続けていました。1978年11月18日、その練習は本番へと移行し、人民寺院にいた信者たちは全員死亡しました。

ワクチン展開の中で、その光景を見続けている中で、日々、「世界中が人民寺院か…」とつぶやきながら、私は自身が完全にマイノリティとなったことにも気づいていました。「カルトを信じることができない」マイノリティです。

indeep.jp

 

まあ、私のこの見方のほうこそ、当時としては、社会一般から見れば、明らかに「私のほうが狂気に見える」ものだったと思います。

そして、2020年からの狂気の世界が社会で展開された最大の理由が、先ほど書きました、

「社会全体に定着している医学と科学の誤謬」なのです。

その誤った観念を「宗教的な団結心」で、司祭(医療者)と信者(患者や一般の人たち)が守り抜いているのが現在です。

考えてみてほしいですが、「ガンには抗ガン剤」。

この誤謬でどれほどの人々が苦しみと共に消えてしまったか。しかし、このガンには抗ガン剤という誤謬に疑問を抱く人の数は、今でも少数派だと思います。

 

これだけではなく、あらゆる医学に同じような誤謬が定着してしまっている。

放置しておけば、何十年どころか何百年も続きます。おそらくは人類が滅亡するまで続きます。

では、どうすれば、誤謬から解放されるのか。

それは社会を変革することによってでは解決しません。

「自分が変わる」しかないのです。

「自分は変わった」と自分自身で思う人が増えていけば、それでいいのです。外部に表明する必要などもありません。

社会全体の話ではなく、すべて自分自身の話です。

社会は「その自分というひとりひとりで構成されている」のですから。

そんなわけで、ちょっと話がややこしくなりましたので、このあたりで、ジェフリー・タッカーさんの記事をご紹介します。

この方は、文章の書き方が、おそらく英語の世界では粋というような感じの書き回しが多いのですが、場合により、日本語ではちょっと意味が通りにくいところもありますので、適度に意訳しています。

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世界を支配する誤謬

The Fallacy That Rules the World  Jeffrey A. Tucker 2024/04/23


賢い人は誤りを避けることを知っている。

それらの 1つは、前後即因果の誤謬(前後関係を因果関係だと思ってしまうこと)として知られている。ラテン語で「この後に、それゆえにこれがあるから」という意味だ。

典型的な例は、ニワトリと日の出に関するものだ。毎朝、太陽が昇る前に、オンドリは狂ったように鳴き、周りのみんなを起こす。その直後、地平線に光が見え始める。他に何も知らず、これが起こるのを何度も見ていたなら、ニワトリが太陽を昇らせていると結論付けるかもしれない。

もちろん、これはテスト可能だ。そのオンドリを殺して何が起こるか見てみるという手がある。それでも、まだ太陽は昇る。

しかし、ここでふと思う。この一羽のオンドリが死んだという事実だけでは、この世のすべてのオンドリがいなくなったわけではない。どこかのオンドリが鳴き、太陽を昇らせているかもしれないのだ。つまり、このちょっとした実験は理論を反証するものではない。

この難問を解く方法はあるのか。ニワトリが太陽を制御していると確信している人たちがいるとするなら、おそらく「そうではない」と納得させる方法は存在しないのかもしれない。

もちろん、このような例は笑い話にできるたぐいの話だが、なぜ、人はそんなに愚かになることができるのだろうか?

実際、この基本的な誤謬は、あらゆる時代、あらゆる場所、あらゆる主題のあらゆる科学に影響を与えている。何かが起こり、その後何かが規則的に起こることを示す規則的なパターンは因果関係を意味するという仮定は、人間の思考に組み込まれているものであり、それは今も、そしてこれからも同じだ。

しかし、それは誤謬であり、必ずしも真実ではないことも意味する。それでも、真剣な調査が必要であれば、それは真実である可能性が出る。そしてそこに本当の問題が潜んでいる。何が原因なのかを解明する必要があるが、しかし、原因物質と偶然の物質を区別することは、すべての思考において最大の問題なのだ。

知る必要性は、合理的な生き物であることの意味に組み込まれているが、私たち自身ではどうすることもできない。だからこそ、この誤謬はどこにでも根強く残っている。

有名なマラリアの例もある。

かつてはマラリアは夜間に悪化すると考えられていたため、夜間の冷気が原因であるという説が有力であった。これはジョークではない。しかし、本当の理由は夕方になると「蚊」が出てくる。それが真犯人だった。しかし、誤った理論に基づいた悪い理論により、多くの人たちがそれを理解することをできなかった。

そして、なんと今の時代の、つまり私たちは新型コロナウイルス感染症の影響でも、同じ誤謬に圧倒された。疑似科学が圧倒的していた。私たちは来る日も来る日も、この種の疑似科学が世界中に大量に投棄されるのを目にした。

たとえば、ある州は、集会を禁止する強制措置をとったためにウイルスの蔓延を抑制し、その州の感染者数は減少した…とか。

しかし、これらの要因はまったく無関係である可能性がある。感染症に関する適切なデータがまったくない可能性もある。

これらは(正確かどうかにかかわらず)テストの対象となり、母集団レベルでは完全に間違っている可能性がある。たとえデータが正しかったとしても、感染者数が少ないのは、天候や事前の免疫、あるいは我々が考慮していない何かが原因である可能性がある。

私は早い段階で、これらの驚くべき新型コロナの感染者数と死亡者数のリアルタイムのグラフを見て、現実への窓があると信じたことを覚えている。

データが極めて不正確であり、検査、報告、その他多くの要因の影響を受けることを理解せずに、「ほら、アリゾナ州は集団免疫を達成した」というようなことを投稿されたことも何度かあった。それらは、データさえも疑わしいものであり、誤分類が蔓延していた。

そしてここでも、前後即因果の誤謬が皆を非常に苦しめた。しかし、私たちの社会のほとんどはそれに同調してしまった。

あまりにおかしなことになったので、疾病管理予防センターの官僚を含む人々が、マスクをすることでウイルスの蔓延を防ぐなどのおかしな理論を作り上げ始めたが、その理論(マスクが感染症を防ぐ)は、科学で長い間、真実ではないことが証明されていた。

事態はさらにクレイジーになっていった。マスクなしで座ることはできるが、歩いたり立ったりするとウイルスが蔓延するため、その場合はマスクを着用する必要がある…というようなことが言われ始めるようになった。

まったくどうかしている!

ワクチン接種後も同様だった。数え切れないほどの有名人がソーシャルメディアで新型コロナに感染したことを公表したが、ワクチンのおかげで軽症で済んだと述べ始めた。

しかし、彼らがそれ(ワクチンを打ったので軽症で済んだという理屈)の真実を知る方法はまったくないのだ。しかし、彼らは自分たちがワクチンを接種したことが自分たちの新型コロナの症状を軽度にしたと確信していた。

ここに至れば、それはもう単に信仰の問題だった。

時間が経つにつれて、ワクチン接種の増加が感染の増加と関連していることを示す多くの研究に遭遇した。一方がもう一方を引き起こしたのだろうか。それは語るのは難しい問題だ。

しかし、過去数年間の膨大な数のワクチン研究がこの問題の影響を受けている。特に厄介なのは、「健康なユーザーバイアス」の問題だ。

つまり、ワクチン接種を受けた人は他の面でもより服従し、従順になる傾向があるということだ。これは、当初は、新型コロナワクチン接種によって健康上の成果が向上しているように見えたことを意味するが、 しかし、実際にはこのバイアスによるものだった。

これは後の研究で明らかになったが、しかし、ランダムノイズから原因と結果を識別するという問題は依然として残っている。

医学の分野は長い間この問題に取り組んできた。患者に出血させる習慣(瀉血)が 19世紀に至るまで何世紀にもわたって続いていたことを私たちは残念に思う。

どうして彼らはそこまで愚かだったのだろうか? 彼らは、病気は血液中の悪い体液によって引き起こされるので、血液を排出する必要があるという理論を持っていた。その後、彼らは患者の状態が良くなったのを観察した。しかし、患者は出血させずに、さらに早く良くなったかもしれないのだ。

最終的にそのことが間違いだと気づくまでには何世紀もかかった。多くの非対症療法医学関係者は長い間この問題について叫び続けてたが、彼らは変人として無視された。それは、瀉血が最も専門的な名声を持つ人々によって支持された従来の慣習だったからだ。

この誤謬が働いているのを一度見ると、それを無視することはできない。誤謬は医学のいたるところにあるが、経済学、健康、園芸、法律、社会学、そしてすべての物理世界の科学にも誤謬がある。

問題のある誤謬が今日の膨大な政治を動かしている。既存の経済状況すべてを既存の大統領のせいにする傾向があるが、本当の原因はさらに遡る必要がある可能性がある。それでも、ほぼすべての議論は同じ方針に従う。

私たちは今、そのような誤った考えを、誤っていると考えるのではなく、「私たちはその誤謬を超えた」と自画自賛している。彼らは過去の迷信に満ちた時代に属しているのと同様なのだ。それは全くナンセンスなことだ。

おそらく私たちは今、これまで以上にこの誤謬に悩まされているだろう。特定の時点で人々が信頼し信じているものは何であれ、周囲にあるあらゆる病気を治す鍵として人々が認識しているものもそうだ。

たとえば、医薬品だ。今日、人々は医薬品を信じている。問題が何であれ、研究室で作成された新しい薬で解決できると信じている。

その結果、多くの証拠が乏しいにもかかわらず、私たちは社会全体としてこれらに染まっている。たとえば、精神科薬の効果を調べれば調べるほど、それらが実際の問題を改善するかどうか、また実際に問題を悪化させる可能性があるかどうか、またその程度が明らかになっている。

抗生物質についても同様だ。現在、すべての親が小児耳感染症に対してアモキシシリンを使用している。しかし、私の祖母は、耳に温めたミネラルオイルを塗り、従来の薬を完全に避けることを誓っていた。

抗生物質の使用の有無にかかわらず、子どもたちにハーブオイルを摂取させた場合をランダム化するという 2003年の研究を発見するのに、ほんの数分しかかからなかった。

研究の結果は「差はなかった」だった。

医薬品からの影響は大きい。私たちは医薬品や対症療法の戦略に執着しすぎているため、より効果がある膨大な自然療法やホメオパシーの手法を見落としている可能性がある。

1つの解決策に固執し、それに固執し続けると、人間の心は他の可能性のある、より良い解決策について創造的になることができなくなる。何世代にもわたって、誤った考えが日々を支配することもある。

私たちはニワトリと太陽、瀉血と病気について笑い飛ばすことができるが、今日の世界で私たちは何度もこれらの誤った考えを犯しているのに、私たちの独断的な執着によって、今も数多くある誤謬を見ることができなくなっているのだろうか。