2023年5月31日水曜日

3078「人としての喜び」2023.5.31

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年05月24日の記事を紹介します。


「人としての喜び」


これから、地球がどんなに変わろうと、美しき心は、全ての障害を超えて、私たちを幸せな世界に運んでくれることでしょう。 

それは、肉体がある間だけではなく、肉体を脱いで、魂の世界に戻った時でさえ裏切らないことでしょう。 

・知識や学歴がなくとも、

・お金や地位などなくとも

・健康でなくとも 

そのような物は、肉体がある間の短い期間の、目的を達成するための道具でしかないのですから、永遠の魂にとって、何の障害にもなりません。 

むしろ、それらに執着し、かさに着て、無意識のうちに、心を汚していくよりも、

無意識のうちに、マウンティングし、人を支配しようとするよりも、 

何も持たなくとも、

馬鹿だと人に蔑まされようとも、

良寛さんのように大愚であって、

心美しき人の方が、どんなに光り輝く魂を持つことでしょう。

さて今日は小林正観さんのお話を、参考にして書きたいと思います。 

それは、平凡な生き方かもしれません。 

誰にも、尊敬もされなければ、注目もされない生き方かもしれません。 

ですが、もしかしたら神々に一番近い生き方かもしれません。

<転載開始> 転載元


まわりの方々に喜ばれる喜びは、自分のことで、自分が喜ぶのとは、比べられないほどの大きさです。

人は、人の間に生きていることからこそ「人間」と呼べます。

人間として生きるということは、自分のためではなく、他に存在する者(物)のために

生きるということ。

人間の身体の中には 37兆個もの細胞があります。

その一つ一つに、個別の意識があります。

体の中に目を向けてみても、肺や心臓、肝臓、腸など自分のためにだけに存在する臓器は

何ひとつありません。

みな体内の、他の臓器や細胞を生かすために働いています。

まさに、ひとつの宇宙が人間の体の中に、凝縮されている、と言っても過言ではありません。

ですので、人は、この世に生れたからには

自分が、いかに目標に向かって歩み、目標を達成するか、ということではなく、

いかに周りに喜ばれる存在になるか、ということがとても大切です。

たとえば頼まれごとをやってあげて、相手がにっこり笑って

「ありがとう」と言ってくれたとき、本当の「人としての喜び」が湧いてきます。

喜ばれることが、人間の最も根源的な幸せです。

人に喜ばれることをしてみましょう。

その時、いちばん楽しくて、幸せなのは実は自分自身なのではないか、

そう思えるに違いありません。

<転載終了>

 

・大きな成功を成し遂げて、人々に尊敬される人

・仕事のバリバリできる人

・平凡な人間だけど、何時もにこにこ笑っていて、困っている人がいれば、

 何はさておき駆けつけて、一緒に悩み、傍に寄りそう人

・仕事は、それほどできないけれど、人の喜びを共に喜び、

 人の悲しみを共に悲しんでくれる人

皆さんは、どちらの生き方が理想ですか?

自分が、何かを人にして差し上げた時に、誰かから、にっこり笑って「ありがとう」って言われると、本当に幸せな気分になれますね。

もしかして、氣難しい顔をして人を寄せ付けないような人も、

何時も、身勝手で、人の上げ足を取っているような人も、

その人の内側の良き部分、神さまの部分を見つけて差し上げて、

「ありがとう」の一言をかけた途端、魔法のように、頑なだった心が溶けだして、

良き人に変わってしまうかもしれません。

私たちは、誰でも本当は、

・人に認めてもらいたいのです。

・「ありがとう」と笑顔を、向けてもらいたいのです。

 

宮沢賢治


最後に、宮沢賢治の「雨にも負けず」をご紹介して終わりにします。


雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなに でくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい

 


2023年5月30日火曜日

3077「心暖かな者」2023.5.30

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年05月21日「心暖かな者」と2023年05月22日「徳を積む意味」の2つの記事を紹介します。


「心暖かな者」


私たちはよく、誰かにこう動いて欲しいとか、、 

自分の都合の良いように、相手が動いてくれることを望みます。 

そして、そうならないと、失敗したのは、うまくいかなかったのは、あの人のせいだと、

相手を恨んだり、憎んだりします。 

ですが、私たちは決して、相手を自分の都合よく動かすことなどできません。

たとえ家族であっても。今日は、小林正観さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 



「もっと言うことを聞く子になって欲しい」とか、

「もっと理解のある親になって欲しい」と言う人、たくさんいると思います。

しかし、相手に変わってもらいたいと言っている間はダメでしょう、

自分が変わらない限りは。

自分が、相手に対して、

・気に入らない

・おまえは間違っている

・ああしなさい、こうしなさい

と言っていたなら、人間関係はどんどん悪くなります。

絶対に話など聞いてはくれません。

人間関係が悪い状態で、あれをこうしろ、これを解決しろと言っても、ダメなのです。

まず、人間関係を作ることでしょう。

親だから偉い、と思うのではなくて、

相手から信頼され、慕われるという関係になったほうが良いと思います。

皆さんが学校で教わってきた解決方法は、自分の考えを、

・いかに論理的に組み立てるかとか、

・いかに説得力を持たせるか

ということだったと思います。

論理と説得力で相手を説き伏せるやり方です。

それで解決できているのならそれでも良いのですが、

もしも行き詰っているとしたなら、解決方法が一つあるのです。

それは、「やわらかな、あたたかい人間関係を作ること」、

そして、その第一歩は、心がこもっていなくてもいいから、

「ありがとう」を言ってしまうこと。

ずーっと「ありがとう」を言って、感謝をし続けていく。

そうすると、人間関係が変わります。

「ありがとう」というのは、その人の「在るがまま」を全部認めてあげるということです。

あなたが人間関係を作りたいと思っている人のことを考えてみてください。

その人が、こっちの方にきたら「ありがとう」と言えるけど、

こっちではなく、向こうへ行ってしまうのなら

「ありがとうとは言えない」ならば、人間関係は作れません。

その人が持っている性格や行動のすべてを含めて、

あなたが、ありがとうと言えるようになれるかどうかです。

人間関係ができてしまうと、個々の問題は問題ではなくなります。

それができていないから、多くのトラブルや問題の解決は、皆、

・どちらが正しいか

・どちらが論理的であるか

・どちらに説得力があるか

という方向に話がいってしまいます。

・正しいことを言えばわかってもらえるとか、

・正義はいつか必ず勝つのだとか、

私たちはそう教えられてきました。

正しいものが強いのではなく、「心優しく温かな方が強い」のです。

人間関係があたたかいものでできていれば、問題がどんどんクリアされていきます。

しかし、人間関係が作られていなければ、

いくら正しいことをこちらが主張しても問題は解決しません。 

<引用終了>

 

正しい者ではなく、心優しく温かな者の方が強い! 

理屈や理論の正しさではなく、温かな気持ちを持つ者が強い・・

温かな気持ちとは、どんな気持ちでしょうか? 

・優しい思いやりの気持ち

・許し合うお互い様の気持ち

・おかげ様の感謝の気持ち 

誰かに笑顔で、「ありがとう」と言われれば、 

心の共鳴現象が起きて、きっと、心が温かくなり、味方になってしまいますね。 

些細なことは気にならなくなり、相手の立場に立って

協調して行こうという気持ちも芽生えてきますね。 

敵だった者が、一瞬で味方に変わります。 

これから地球が向かおうとする、高度に進化した宇宙文明は、 

神々の世界のように、このような温かな心の人たちが生み出す、調和した世界なのでしょう。

地球が精神性を重視する世界に舵を切った今、 

私たちは、個々ひとりひとり、自分の心の赴くままに、 

自分の心の波長に同調する世界に、進んでいくことでしょう。 

あなたはどちらの世界に進みたいですか?

 

 

「徳を積む意味」


このブログでも何度も角度を変えて、徳を積むこと、それも、陰徳を積むこと。 

そして宇宙の法則である、与えたものが、受け取るもの、というお話をしていますが、 

今日は、浜松医科大学名誉教授の高田明和(あきかず)さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

 

何か他人に尽くし、それがその人に感謝されなくても、

私たちの業に貯金されますから、そこから褒美が返ってくるのです。 

運がよくなり、評判がよくなるのです。

これは、他人に嫌なことをした場合も同じです。

私も他人の悪口をいったことがあります。

不思議なことにそれが回り回って、自分の耳に返ってくるのです。

まるで一周回ったかのようです。

そしてその悪口が本人に聞こえたかのような結果になりました。 

その人と私の関係が悪くなったのです。

それが「悪因悪果(あくいんあっか)」です。

このように、人の行い、人の言葉というのは、因縁の渦の中で回り、 

最終的には全て自分に還ってくるのです。 

偶然助かったとか、あれが起こったら大変なことになったのに起こらなかった、 

などと胸をなで下ろした経験はないでしょうか。

一方、その大変なことは別の人には起こっているのです。 

だから、自分にそのことが起こらなかったと安堵するのです。 

じつはこれは、私たちがなした徳の結果がこのように表れたのだと思っています。 

何か他人に尽くした時に、すぐにお礼をいわれ感謝されるのと、 

万一の偶然に、奇跡的に助かるのとどちらがよいでしょうか。 

もちろん後者でしょう。 

このように考えると、自分が他人にしたことが、

他人にはあまり理解されず、感謝もされないけれども、 

徳を積んだおかげで、自分や家族に不運が起きない方が 

はるかに恵まれていると考えないわけにはいきません。

ですから、「恩を仇で返された」などと怒ることはないのです。

恩を与えたその人などはたいしたことはないのです。 

もっと重要なことで、幸運に恵まれた方が どのくらいよいかわかりません。 

何かをする時に相手に感謝を求めるよりも、それが自分の幸せになると考えるべきです。 

<引用終了>

   

宇宙の法則

投げかけたものが返ってくる

投げかけないものは返ってこない。

愛すれば 愛される。

愛さなければ 愛されない。

嫌えば 嫌われる。

嫌わなければ 嫌われない。

裁くものは裁かれる

裁かないものは 裁かれない。

意地悪をすれば、意地悪をされ

蔑(さげす)めば、蔑まされ

罵(ののし)れば、ののしられ

強い言葉を吐き出せば、強い言葉を返される

許すものは 許される。

許さないものは 許されない。

施せば 施される

優しくすれば 優しくされる

笑顔を向ければ、笑顔が帰る

助ければ、助けられる

励ませば、励まされる

勇気を与えれば、勇気づけられる

感謝すれば、感謝される

誰かに何かして欲しいことはありますか?

・優しい言葉をかけて欲しいですか? 

それなら誰かに優しい言葉をかけてください 

・笑顔を見せて欲しいですか? 

それなら誰かに笑顔を見せてください

イエスの語った言葉で一番大切な言葉。。

「イエスの黄金律」と言うものがあります。

そこにはこう書かれています。

 

「自分がしてもらいたいことを、他の人にも、同じようにして あげなさい。」

これは何も独りよがりの善意の押しつけをしなさいと言っているのではありません。

自分の目の前にいる人が、今何を必要としているか、想像力を働かせて察しなさい。

そして、その通りにしてあげなさい。

そう、仰っているのです。 

この中で、何か、ご自分でもできそうなことがありましたか?

ただ、自分がして欲しいことを、周りの人にして差し上げるだけなんです。

自分がして差し上げる相手は、身近に居る、誰でも構いません。

巡り巡って、必ず自分に帰ってくるようになっていますから。

投げかけたものが返ってくる、投げかけないものは返ってこない。



2023年5月29日月曜日

3076「宇宙人と黄泉の国」2023.5.29

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年05月20日の記事を紹介します。


「宇宙人と黄泉の国」


今、日本では

・レインボーチルドレン、

・宇宙から直接地球に転生してきた子供たち

・神様の意識を持ったまま生まれて来た子供たち

これらの子供たちが、沢山生まれて来ており

その使命を果たすために、生まれる前の記憶を一旦遮断することなく、意識を維持したまま生まれ変わり私達に

・神様の摂理と

・高度に発展した宇宙の常識を

伝えてくれるようになりました。 

 

もちろん私たち大人の中にも、 

・既に生まれる前の記憶を思い出した方や

・今までの地球のやり方を継承し、記憶を封印したまま使命を遂行されている方

もおられますが、宇宙神に近い神々の計画通り組織的に神仕組みが行われているようです。

彼らの伝える情報では

・魂は永遠に存在すること

・肉体は単なる現世(うつしよ)、つまり3次元的な世界を生きるための、一時的な乗り物であること

・肉体が使用できなくなると苦痛なく魂は肉体を離れ、黄泉の国もしくは、(別惑星の)肉体に戻ること

などが当たり前のように前提条件となって伝えられています。

私たちが神さまの世界、つまり黄泉の国と呼ぶ世界のことも、

驚くことに、科学技術のはるかに進歩した地球外知的生命体(宇宙人)は、

理解して、更にそれを科学技術に応用しています。

また今まで私たちが神さまの法則、例えば

・ブッダの教えの神髄は「感謝」、「ありがとう」

・与えたものが受け取るもの

・ブッダの「縁起の法則」 

これらのことも、宇宙人の意識を持った子供たちが教えてくれ、宇宙の一般的な法則(常識)として、その応用方法を教えてくれています。

つまり私たち人類が、ここ数千年の間、英知の限りを尽くし、知りえた神々の法則は

地球よりはるかに文明の進んだ宇宙文明では、科学的な事実として常識となり、

宇宙文明の更なる進化に応用されているということです。

  

私たち人類は、過去7回文明が滅び、そして再興されてきたと言われています。 

はるかな昔には、私たちも彼らと同じレベルの文明を持っていたかもしれません。

ここ最近では、占星学的に2,160年間続いた「うお座」の時代が、物質文明・発展をけん引してきましたが、宇宙人が到達している「神さまの科学」つまり「精神文明」の進歩は、

置いてきぼりになって来たようです。

ですが「みずがめ座」の時代に入り、

いよいよこの地球も「精神性の復活」の方向へ時代が変わり、

それに呼応して神々の神仕組みが動き出し、

地球の精神性発達を助ける魂たちも沢山生まれて来ていますので

彼らが到達した科学レベル、

・神の御業

・生まれ変わり

・時空間の魂での移動

・意図したものが瞬時に現実化

・ソウルファミリーとしての縁

など、今まで地球人が

・私たちの科学とは相いれないもの、

・摩訶不思議なお話

・神様のお話

と神話化してきたことも、精神科学の発達とともに

科学的な真実として受け入れられるかもしれません。

今、神仕組みを実現するために地球に生まれて来た宇宙的な子供たちはこう言います。

・天国、地獄は存在する

・魂は肉体を超えて永遠である

・肉体的な生まれ変わりが存在する

・魂は傷つかない

・魂は同じ時間軸で複数の肉体に意識を置ける

・時間と空間を超えることができる

・神様が存在し、その力は神秘的な力ではなく、自然科学に基づいた力である

・惑星意識(例えば地球意識)が存在する

・宇宙を創造した根源の神様が存在する

・地域地域を統括する神々が存在する

・上記の神々に次元的なレベルの違いがある(人間や宇宙人は3次元)

・すべての意識ある生命体は、意識を共有できるため、瞬時に意思疎通が可能である

つまり、精神性の進歩、魂の浄化(ピュア化)、進化によって、

私達人間(宇宙人)も、神々と同じことが可能である。と言うことです。

 

また進化する魂もあれば、退化の道を行く魂もあります。

それがあまりに極端に進み、悪魔的になり、

宇宙の全生命体にとって有害であると根本の神様が判断した場合、

それらの悪しき魂は、別の宇宙(虚空間?)に閉じ込められ、

こちら側の宇宙に影響を及ぼさないようにさせられる・・とのことです。

まさに地獄の世界のさらに上をいく宇宙です。

このように様々な知識が私たちに開示されてきましたが、

私たちがこの新しい時代を生きていくうえで大切なことは、

やはり、言い尽くされてきた言葉ではありますが、

他に依存する依存心からの脱却、精神性の進歩、魂の浄化(ピュア化)のようです。

全ての現象は、宇宙中の全部が影響し合って起こっています。

そのバランスを取り、維持しているのは根本の神様ですが、影響し合っている者同士も、

お互い様、おかげ様の調和の意識で動いています。

ですからブッダの教えの神髄の感謝の心が大切になってきます。

また意識が物質世界を作っているということは

今の地球上の科学でもわかってきましたが、

自分の意識が、自分の周りの環境、将来を作っていますから

自分の意識を明るく、前向きにしておくことも大切です。

・まだ起きていないことを心配し過ぎたり

・自分のエゴを無意識に子供や他人に押し付けたり

・お金に執着し過ぎたり

・病気やケガ、障害に意識を集中し過ぎたり

・自分では何もせず、ただ神々や他者に依存していては、意識の科学が示す結果通り

暗くジメジメした世界に住むことになります。

今の時代を生きている私たちは、この大きな時代の変換点の目撃者になりたいと、志願してきた魂なのですね。

そしてその意識の科学の通り、

如何に自分自身の心を、自立させ、周りと助け合って生きることで、

世界の平和が実現するのを目撃する特権を与えられているのかもしれません。

 






2023年5月28日日曜日

3075「お金に困らない生き方」2023.5.28

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年05月19日の記事を紹介します。


「お金に困らない生き方」


ここで良くご紹介しているコノハナサクヤヒメのお子さんで、日本神界の高位の魂「山幸彦」(彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))の魂のまま生まれて来た小学生のトキ君の話の中に「お金」の話があります。 

やはり、その話の本質は、エネルギーです。 

以前ここで書いた記事と内容がほぼ一致しています。 

少し加筆修正してお届けします。


お金もエネルギーです。 

エネルギーにも沢山の種類があります。 

・風や台風などの気圧(西高東低、風は西から東へ吹く)

・位置エネルギー(物を高い所から落とすと、低い所から落とすより衝撃が強い)

・風船(圧縮された空気が入っている、爆発して空気の薄い方向に向けて拡散)

・熱(温度が高い所から熱は低い場所へ移動する) 

共通点は、全て、エネルギーは高い所から低い所へ移動する、 ということです。

これは、神様が作ってくださった、この宇宙の真実です。 

ですので、お金も同じなのですが、但しお金に関しては神様がさらに大きな目的を与えたようなのです。

では、この真理を理解してもらったうえで、以下のブッダの言葉をご覧ください。

托鉢、奉仕、お布施のお話です。 

ブッダの教えの中に、「托鉢」があります。

托鉢とは笠をかぶったお坊さんが、家々を回ったり、道路の脇に立ち、手に鉢をもって、その中にお布施を頂くというものです。

ブッダは、托鉢に向かう弟子たちに、こう言いました。

お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って、托鉢をしてきなさいと。

弟子たちは、驚きました。 

「お金持ちの家から、お布施を頂くのではないのですか?」

ブッダは弟子たちに、こう言ったそうです。

貧しい人たちというのは、今まで、自分が貧しいと思って、他人に対して、施しをしてこなかった人たちである。

それ故に、貧しさから抜け出すことができずにいる。 

だから私たちが布施をいただきに行くのは、このような貧しい人たちを、その貧しさから救ってあげるためなのだから、貧しい人の家を回って来なさい。

托鉢に金額は関係ありません。

これも宇宙の法則、 与えるものが、受け取るもの 、と同じです。

貧しさから抜け出す最初の一歩は、まず他人が喜ぶことを自分から、先にすることなのかもしれません。

だから托鉢は、お坊様たちが自分たちで食べるものを、もらうために行う行為ではありません。

「与えるものが受け取るもの」この言葉が意味することはひとつ。

全ては、自分が与えることから始まるということ。

 

人の心に勇気と希望を与えるために、自分から出したとき(つまり、自分のところにその分、虚空が発生した時)宇宙は、同じエネルギーの質を持ったもので、見えない世界からエネルギーの充填を図ろうとするのです。 

その時、出したものの何倍ものエネルギーが発生(エネルギーの移動)します。 

これが、お金が移動する際の真理です、 

また同じく空海は、こう言いました。 

私たち悩み多き者たちが、失う苦しみから逃れる為に、次のように「施 (ほどこ)しの行」を説かれました。

むさぼり、惜(お)しむ心に勝てず、人のために財(ざい)を使うことがなければ、いつも餓(う)える心に苦しむ。

少しの食物も分かちて、甘(あま)さを割(さ)き与えるものは、この苦しみから脱(のが) れることができる。

自分が持つ、お金などの財産に執着する人は、常に失うことを恐れ、心が休まる時がありません。

要するに、生きながら常に心は、戦々恐々とし、地獄に住む者のごとしです。

空海はその地獄から逃れるためには、まず先に、その財を人のために、人が喜ぶことに使いなさいとおっしゃっています。 

これも宇宙の法則にのっとった言葉ですね。

「与えたものが受け取るもの」まず、自分から出すのが先です。

それは財産に限らず、笑顔や、優しさ、思いやり、温かな言葉かけなど、みんな同じです。

まず、先に自分から人に、施します。

そうすると、宇宙はきっちりと、巡り巡って同じものを倍返しで、自分に戻してくれるそうです。 

また健康や、幸せもそうです。

・健康でない時

・いじめにあっている時

・家族で病気の方がいる時

・経済的に苦しい時

人は、自分が幸せではないと思って、他人に対して、笑顔や、やさしさ、思いやりを

施してこなかったかもしれません。。

小学生のトキ君の言葉は、もっと単純明快です。 

人から沢山の「ありがとう」を言ってもらうとお金持ちになる。  です。

つまり他人に施した 

・優しさ

・いたわり

・愛

・笑顔

・勇気の出る言葉

それらは、全て自分から出て他人の心に「神さまの火」を灯し、心を震わせ、「ありがとう」という言葉で自分に帰ってきます。

そのエネルギーこそが、豊かさ(言い換えれば人間界のお金)の源泉であるということです。

  

これを機会に、是非 

・不平不満、愚痴、悪口を口にせず

・人の幸福を喜び

・人の悲しみに、ともに涙し 

・日々の糧を与えてくださる神々に感謝し

・苦しみや、悲しみの出来事を起こし、魂を磨こうとしてくださる神々に感謝し

・ともに、笑い、泣いてくれる家族や友に感謝し 

一日を過ごしてみませんか、きっと良き運命が始まるスタートの日になるかもしれません。



 

2023年5月27日土曜日

3074「人類は悪魔に負けてしまったのだろうか?」2023.5.27

 今回はIn Deepさんの2023年5月18日の記事を紹介します。


「人類は悪魔に負けてしまったのだろうか?シュタイナー氏が述べていた「闇の精霊たちとの戦争」の現在の状況を冷静に考えてみる」

人類は悪魔に負けてしまったのだろうか?シュタイナー氏が述べていた「闇の精霊たちとの戦争」の現在の状況を冷静に考えてみる - In Deep


「もう終わっちゃったのかな」…「まだ始まってもいねえよ」

先日、夕食のときに、戸棚から DVD がふいに落ちてきて、拾ってみると、北野武監督の『キッズ・リターン』(1996年)でした。

ケースがなく、DVD メディアそのものが本棚から落ちてくるという管理の悪さを物語る出来事でしたが、この映画は、北野武監督の映画の中で私が一番好きなものです。

ごはんを食べながら、一家で見たのですが、この映画のラストの台詞を久しぶりに聞きました。

「オレたちもう終わっちゃったのかな?」

「バカヤロ、まだ始まっちゃいねえよ」

 

最近この、「オレたちもう終わっちゃったのかな?」の、「オレたち」を「人類」に置き換えて考えることがあったこともあり、考えました。

どこかに「人類は悪魔との戦争に負けた」という思いがあることを否定することが難しい時があります。

これは、ワクチン接種キャンペーンが行われていた渦中よりも、それが基本的に終わった今となって、さらに強く感じます。

 

昨日、なんとなく見ていた海外のサイトに、「シュタイナーとブラッド・デーモンズ」というタイトルの記事があり、ブラッド・デーモンズ (Blood Demons)をどう訳せばいいのかわからないので、カタカナにしていますが、シュタイナーの専門家「ではない方」が、100年以上前の、シュタイナーのスイスでの講義について長く書かれていました。

これは、1917年10月に、スイスのドルナッハで行われた一連の講義で、『闇の精霊の堕落』という議題がついたものでした。

以下の記事で取り上げたことがあります。まだ日本でコロナワクチン接種が始まる前にもかかわらず、私自身がすでに絶望している様子がわかる記事です。

[記事] コロナとそのワクチンが世界を席巻する勝利の日に立ち尽くしたりして

 In Deep 2021年2月23日

 

ここでは、100年前に、悪魔的存在は「ワクチンを用いて人類から霊性を剥奪するだろう」とシュタイナーさんが述べていた部分を抜粋しています。 

(1917年10月27日のシュタイナー氏の講義より)

> ワクチンは、人びとがまだ非常に若いときに、その魂から精神性へのすべての傾向を取り去ることになるでしょう。そして、これは生きている身体を介して行われます。

> …そして、ワクチンは彼らに免疫をもたらすと共に、霊的生活に関連した「唯物論者の目には愚かな傾向」にうつる精神性を発達させないようにするでしょう。

 

また、以下の記事では、同じ一連のシュタイナーさんの講義で、「金融業と報道メディアによる人類の管理体制の確立」についても述べていた部分を抜粋しています。

[記事] 講義「闇の精霊の堕落」で知る100年前も今も報道によるコントロール体制は同じだという既視感ワールド In Deep 2021年8月15日

 

シュタイナーさんが述べていたことは、すでに「オカルトの範疇の出来事ではない」ことは、この現実の中で認識されている方も多いと思われます。

このまま進めば、本来の人類は消えていくことになります。

 

今後、この現在のあらゆる唯物論的な「体制」が「崩壊」しなければ、悪魔の勝ちであり、私のようなイケメン(ここでその言葉が出るか)は退散するしかないでしょう。

思えば、私は、何だか夢のように(悪夢を多く含んで、ですが)人生を送ってきましたが、完全に唯物論に支配された社会では生きられなさそうです。

Oh! 退散か…太田胃散か…(こんなこと考えていないでいいから)。 

ともかく、そのシュタイナー専門家ではない方の文章は、なかなかよかったですので、翻訳したいと思います。

適時、太字で強調させていただいています。 

________________________________________

シュタイナーとブラッド・デーモンズ

STEINER & THE BLOOD DEMONS  wakingtimes.com 2023/04/20

人類は霊的な攻撃を受けているのだろうか。ルドルフ・シュタイナーが、1世紀以上前に「ワクチン」が人類の敗北への伝達システムになるだろうと述べ、そのことについて警告していたというのは本当なのだろうか。

多くの人にとって、新型コロナウイルス感染症に対する世界中の政府の過度に権威主義的な対応は、より深く、より邪悪な原動力であることを示していた。

しかし、奇妙に見えるのは政府だけではない。過去 2年間、私たちは社会の幅広い層の人々が自分たちの自由に対する厳しい攻撃におとなしく服従し、その多くがその攻撃を激しく擁護するのを目撃してきた。

同様に、かつては個人の自由と経済的自律の綱領を掲げて活動していた政治家や政党が、ほぼ一夜にして横暴な管理狂に変わり、私たちの生活のあらゆる側面を細かく管理しようとするのを私たちは見てきた。どうしてこんなことが起こったのだろうか。

最近、「集団形成精神病」という言葉を誰もが口にするようになった。

これは、多数の人々が自主的に脱個性化のプロセスを経て、集団心理が形成される心理現象として定義されている。個性を失った人々に影響を与える思考形態は、その伝染性の性質により、ニュース番組、ソーシャルメディア、仲間同士の交流などのポジティブなフィードバックループによって触媒され、山火事のように人口全体に広がった。以前は、これは群衆心理、または、より平たく言えば群衆の狂気と呼ばれていた。

 

心理学: 科学からオカルトまで

過去数年間の出来事を経験したとしても、さほど驚かなかったかもしれない人物として、ほぼ一世紀前に亡くなったオーストリアの秘教哲学者で神秘主義者のルドルフ・シュタイナーがいるだろう。

シュタイナーは生涯を通じて数多くの本を執筆し、その理論について何千回もの講演を行い、建築から教育、農業から養蜂に至るまで、さまざまな分野に多大な貢献をした。

彼の非常に独自で、時には物議を醸す洞察と手法は、人間の無限の可能性の存在を強調する人智学として知られる精神的な運動の創設につながった。

一部の難解な思想家たちとは異なり、シュタイナーは唯物論的科学の重要性を認識していた。しかし、それは、現実の単なる一側面として見ることが重要であり、理想的には神秘的経験によって得られた、彼が「精神的科学」と呼んだものと組み合わせる必要があると主張した。

科学者たちが物質的領域を超えた洞察を得るとき、ブレークスルーが起こることがよくある。

たとえば、絡み合った 2匹の蛇が登場する夢の中で DNA の二重らせん形状を発見したとされるジェームズ・ワトソンの有名なケースだ。同様に、ドミトリ・メンデレーエフは、「すべての元素が必要な位置に収まる表」という夢をもとに周期表を作成した。これらの事例は、すべての科学的発見が論理的な推論と実験の結果であるわけではないことを示している。

(※) ドミトリ・メンデレーエフは元素周期表を作成したロシアの科学者です。 

実際、幼少の頃から神秘的な洞察を受けていたシュタイナーは、その透視能力を磨き、従来とは異なる情報源から得た情報が、時折の閃き以上のものとなった。

彼の探求は、客観的な超感覚的知覚を獲得するための方法の確立となった。シュタイナーは、霊的領域で壮大な戦いが繰り広げられており、正面から取り組まなければ人類に悲惨な結果をもたらすと信じていたため、これが最も重要な課題であると考えた。

 

闇の精霊たち

人類の将来の運命についての彼の最も明確な警告は、スイスのドルナッハで生涯の終わりに向けて行われた一連の講演の中で発せられた。

これらの講義は、『闇の精霊の堕落』という本に再録されている。

シュタイナーを批判する人たちは、彼の散文は先導的で、講義は蛇行し、概念を理解するのが難しいと述べることが多いが、科学的唯物論への執着が引っ張られることなく自由に統治できるようにした場合に、人類を待ち受ける運命については、シュタイナーは驚くほど明快で率直だった。

これは、講義『闇の精霊の堕落』シリーズの最後の 2つの講義 (第 13回と第 14回) で最も明確に示されている。これらの講義は、それぞれ「 堕落した精霊の世界 未来への影響」と題されている。

シュタイナーは、19世紀初頭に、目に見えない戦いが起こり、 特定の「闇の精霊たち」が敗れたと主張している。これらの霊は天上の領域から正式に追放され、より物質的な存在の平面、つまりここに投げ落とされた。シュタイナーはこれが起きた 1879年の秋について驚くほど正確に述べている。

これらの新しく到着した精霊たちは、すでにここにいた精霊たち、つまり堕落に関連した神話の時代から人類とともに存在し、人類に影響を与えてきた精霊たちに加わった。

これらの悪霊が人間社会に浸透するには時間がかかることを考えると、彼らの悪影響が第一次世界大戦という形で人間社会に現れたのは 1914年になってからだった。この悲惨な出来事の原因は未だに歴史家たちからは世俗的な問題となっている。

 

ルシファーとアーリマン

シュタイナーによれば、アーリマン(古代ペルシャのゾロアスター教徒によって最初に特定された悪魔)とルシファーは何千年も人類をハッキングしており、ルシファーは私たちをより霊的にし、より多くの自由意志を与えることを意図した「光をもたらす者」であり、アーリマンはその逆で、私たちをより物質主義的で快楽的にすることを目的としてコントロールする。

単純化して言えば、ルシファーは上昇する影響力であり、アーリマンは下降する影響力だ。

なぜ彼らはこれを行う必要があるのだろうか? まあ、それは私たちには分からないことであるだけだ。

何が天使と悪魔を動かすのか、私たち人間の頭では理解するのは難しい。しかし、シュタイナーによると、霊界で周期的な戦いが起こるたびに、新たな増援部隊が物質界に放り込まれ、すでにここにいる者たちと力を合わせる傾向があるという。

シュタイナーは、アーリマン(悪魔)が現在優位に立っていると語った。シュタイナーはアーリマンと個人的に仲が良く、幻視で彼の顔を見ることがあった。実際、シュタイナーは亡くなる時もまだその似姿を木から彫っていた。

  


シュタイナーが彫ったアーリマンの彫刻 

アーリマンの主な目的は、人類をいかなる霊性も欠いた純粋に物質主義的な状態に引きずり込み、私たちの魂とつながりたいという衝動さえ取り除くことのようだ。

その攻撃方法は、科学技術を利用し、この議題を押し進めるために権力と影響力のある人々の心を掌握することによって行われるだろう。これらのコントロールされた人々は、科学者、政治家、宗教指導者、または何らかの影響力を持つ人物である可能性がある。

彼らに悪魔の力が働く。これらの人々自身も、貪欲や権力への欲望など、あまりにも人間的な欠点に目がくらんでいて、何が起こっているのかを認識するための基本的な認識を欠いている可能性があるとシュタイナーは言う。

 

新しい時代の新しい宗教

この権力掌握の背景には、無神論の台頭と科学と進歩の崇拝があった。現在、私たちは純粋に唯物論的な観点がすべての創造物の唯一の説明として提示されている状況にある。無神論は一部の人にとって事実上の宗教となっている。

一方、ネイティブな精神性の豊かな伝統は脇に追いやられ、無神論の足元に押しつぶされてきた。人、動物、そしてすべての生命は同じように冷たい目で見られる。

今では、それらはすべて、悪用できるタンパク質や遺伝コードの単なる入れ物にすぎない。

この劇の終盤は、精神と光が消え去った荒涼としたモノクロの世界として描かれ、そこでは心も精神も壊れた人間が群れをなして実験動物のように監視されている。

このシナリオがどのように促進されているかが今はわかる。

ハイテク企業の CEO たちは、私たちの脳内に含まれる「データ」をマイクロチップにアップロードするという形で永遠の命というニンジンをぶら下げて、そして、それは、ほとんど聖人か菩薩のようにみなされている。

同時に、政治家、企業科学者、公務員、経済学者たちは、物質経済という巨大な組織が円滑に機能するようにする任務を負ったテクノクラートのエンジニアとみなされている。

自由意志? それは、AI を利用したアルゴリズム (今では、人間よりも人間のことをよく知っている)が脱出速度に達すれば、人間の自由意志は不要になるというのが暗黙の前提だ。

この段階では、人間の命には本質的な価値はなくなり、シュタイナーがその瞬間を待っていると警告した悪魔の軍隊によって、私たちのかつての殻は占領されることになるだろう。

 

血液の中に

ルドルフ・シュタイナーは人類を最終的に敗北させるための供給システムとなるワクチンが登場すると予言したという人たちがいる。地球上のほぼ全員に遺伝子編集治療を施すという過去 2年間の秘密の取り組みを考えると、彼の先見の明は驚くべきもののように思えるが、それはどれほど真実なのだろうか。

驚くべきことに、シュタイナーは、この(遺伝子の)乗っ取りが起こる物理的プロセスについて、彼自身の基準から見て、驚くほど明確だった。

彼は『闇の精霊の堕落』の最終講義で 、天使、悪魔、大天使などの存在が住む霊的世界は、人間の血の中にあると述べている。彼はこれを文字通り意味して、次のように述べた。

「大天使も天使も、いわば血の中に住処を持っていました。確かに、血液は化学者が単に分析するだけのものではありません。それは高次元の世界からの存在の居住地でもあります」

そのためにシュタイナーは、その伝達メカニズムは、私たちの体に直接注射されるワクチンの形になるだろうと推測した。

「将来的に、ワクチンは、人びとがまだ非常に若いときに、その魂から精神性へのすべての傾向を取り去ることになるでしょう。…そして、ワクチンは彼らに免疫をもたらすと共に、霊的生活に関連した「唯物論者の目には愚かな傾向」にうつる精神性を発達させないようにするでしょう」

 

シュタイナーは続けて、この「ワクチン」は霊界からのあらゆるコミュニケーションを遮断するものであり、常に人類の進歩と人類の達成を助けることを目的とする「光の霊」からのメッセージや衝動が伝わらないという運命に陥ることを意味すると述べている。

ワクチンは、かつて私たちに伝えられたポジティブな衝動を永久に締め出し、代わりに不運な犠牲者たちは、破壊的な源から来る衝動のみを受け取ることができるようになる。今日では、メディア、教育システム、さらには、確立された宗教にさえ破壊的な源が含まれると想像できる。

シュタイナーは、大きな混乱が起こり、アーリマン勢力が人々の考えをひっくり返し、裏返しにするだろうと述べている。かつて善良で良識的だったものはすべて邪悪で狂気のように見える一方、かつて狂気で悪だと考えられていたものはすべて良識的で善として現れるだろう。

 

イカゲーム: ウェティコからマトリックスまで

このような話は信じられないもので、とうの昔に亡くなった神秘家のとりとめのない話のように聞こえるだろうか?

多くの人たちは、間違いなく、それは事実であり、世界を襲っている心霊現象にはもっと現実的でもっともらしい説明があると言うだろう。結局のところ、シュタイナーは比喩的に語ったのかもしれないと推論する人もいるかもしれない。

それにもかかわらず、シュタイナーがほのめかした現象は、ネイティブアメリカンのウェティコの概念と驚くほどの類似点を持っている。

(※) ウエティコとはネイティブアメリカンの言葉で「人喰い」を意味する言葉。

 

著者のポール・レヴィはこれについて詳しく書き、これを「魂の伝染性の精神霊的病気であり、巨大な規模の集団精神病を介して現在世界舞台で集団的に演じられている精神の寄生虫」と定義している。

シャーマニックなテクニックを使って内なる領域にアクセスする植物療法士のエマ・ファレル氏は、彼女や同じ分野の他の人々が、まさに霊的な寄生虫の大群を目撃していることに気づいた。

過去 2年間、人々に執着していた実体は、あたかも水門が開いてそこから流れ込んできたかのようだったという。

ファレル氏によれば、これらの実体にはあらゆる形や大きさがあるが、非常に一般的で認識可能なものが 2つあり、そのうちの 1つはイカに似ているという。彼女によると、これらのイカのような存在は、無防備な人々に執着し、私たちの間に分裂と不和を引き起こすことで彼らの精神的なエネルギーを収穫している。

このイカの原型が過去数年にわたって人間の意識の中に移行し、特に大衆文化を通じて明らかになってきたのを私たちが見てきたのと同じくらい、これは興味深いと感じた。

タコやイカに似た生き物の夢を見たと多くの人が報告しており、ピーター・ヤンコウスキー氏などの芸術家もこれらの幻覚を絵に描いている。

確かに、 映画『マトリックス』で人間を制御し、そのエネルギーを採取する極悪な機械は ロボットのイカのように見えるが、2021年の Netflix シリーズの興業トップの 1つの番組は、 人間の本性が本質的に野蛮であると仮定する、厳しく暴力的なサバイバルスリラーである「イカゲーム」だった。

Netflix の 2021年のヒットシリーズ『イカ ゲーム』は、人間の本性が本質的に野蛮であると主張する厳しく暴力的なサバイバルスリラーだ。

2003年の映画『マトリックス レボリューションズ』に登場するイカのようなロボットを描いている。 

さらに、H.P. ラヴクラフトの深海からの恐怖を描いた超自然的な物語の人気が再燃していることにより、このごつごつしたケーキに触手のような層がさらに加わっている。

(※) ラヴクラフトは、20世紀初頭のアメリカの小説家。怪奇小説・幻想小説の先駆者の一人。

 

正気に戻る道

イカやタコの元型が人間の意識に現れるということは、シュタイナーが私たちに警告したことなのだろうか?

私たちの血液の中には、私たちがほとんど知らないナノ粒子が含まれていると言われている物質を私たちに注入するという富裕層のテクノクラートの強迫観念の原因となる霊的な存在が本当に存在するだろうか?

そして、これは、ポール・レヴィによって概説されたウェティコの精神スピリチュアルな病気 や、代替メディアで議論されている「集団形成精神病」の概念とどのように一致するのだろうか?

おそらく真実はこれらの概念の結びつきのどこかにあり、現在世界中で蔓延しているこの苦しみの様子についての深い探究をやめるべきではないという暗黙の示唆を伴っているのかもしれない。そうすることによってのみ、私たちはそれに反撃するために必要なツールや武器を見つけることができると予想される。

あるいは、シュタイナーが私たちに警告したアーリマンの悪魔、 ポール・レヴィが書いたウェティコの心に寄生する寄生虫、そして大衆文化を通じて私たちの集合意識に蠢く触手のような実体が、すべて同じチームでプレーしているのかもしれない。

もしそうなら、 私たちのチームはどのようなものなのだろうか?

そして、どうすればこのゲームに勝つことができるだろうか?

おそらくこの戦いは、人類発展のこの岐路において必要なものであり、これらの「闇の精霊」を倒すことで、人類はより高いレベルに進むことができるのかもしれない。

いずれにせよ、先ほどほのめかした古い格言を思い出してみると…人は群衆の中で発狂することもあるかもしれないが、ひとりひとりに「正気に戻る道」は残されている。

________________________________________

 

ここまでです。

ここで締めようと思っていたのですが、この記事の最初のほうに、

> たとえば、絡み合った 2匹の蛇が登場する夢の中で DNA の二重らせん形状を発見したとされるジェームズ・ワトソンの有名なケースだ。同様に、ドミトリ・メンデレーエフは、「すべての元素が必要な位置に収まる表」という夢をもとに周期表を作成した。

 

という部分があったのが気になりました。

ジェームズ・ワトソンさんは、DNA 分子の二重らせん構造を発見したとされる人物で、ドミトリ・メンデレーエフさんは、元素周期表を作成した人です。

どちらも科学上の大きな偉業ですけれど、

「どっちもキッカケは夢だったん?」

ということに興味が湧き、調べてみますと、そうだったようですね。

ドミトリ・メンデレーエフさんについては、英語版の Wikipedia に、以下のようにあります。

(ドミトリ・メンデレーエフ - Wikipedia より)

> 1869年の2月17日、元素の原子量とその化学的特性との関係について考えていたメンデレーエフは、そのまま眠りに落ちてしまった。

> 居眠りの最中、彼は夢の中で、すべての元素が原子量の順に並んだ表を見た。目を覚ました彼は即座にその表を紙に書いた。彼はこの表から、元素を原子量の順に並べると化学的特性が周期的に繰り返されるという発想を思い付いた。 Dmitrij Ivanovich Mendelejev

 

ジェームズ・ワトソンさんに関しては、米ヒューストン大学のブログ記事に、以下のようにありました。

(米ヒューストン大学の記事より)

> フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンは、DNA二重らせんの着想によりノーベル賞を受賞した。ワトソンにとって、その洞察は二匹の蛇が螺旋を描きながら絡み合っている夢から得たものだと聞いた。 uh.edu

 

あと、このヒューストン大学の記事によれば、「ミシン」も、夢で見たことが元になって開発されたものだそうです。これも英語版の Wikipedia にありました。

(エリアス・ハウ - Wikipedia)

> ある日、ハウは野蛮な見知らぬ国の王のためにミシンを作らされる夢を見た。王は彼に24時間の猶予を与え、それまでにミシンを作って縫い終わらないと処刑されるのである。

> ハウはがんばってミシンを作ろうとしたが完成できず、連行される。

> そのとき、兵士たちが持っている槍の穂先に穴が空いていた。これだ、と気付いたとき目が覚めたという。朝の4時だった。彼は急いで先端に穴のある針を作り、それ以降は順調に設計が進んだという。 Elias Howe

 

「これだ」じゃねえだろ、とは思いますが、結構、発明っていうのは、夢の由来が多いんですね。

私自身も、かつては、ブログ記事は夢由来がわりと多かったです。

私本人としては、特にオカルト的なものとはとらえておらず、自分の内部にあるにも関わらず、表層的な思想に出てこないものが夢の中で出てくるのだろうなと思っています。

とはいえ、「夢」に関しては、「脳と夢との関係」についての他の私の考え方もありますが、それは今回の話とややズレることですので、今回はふれないでおきたいと思います。

ともかく、100年前のシュタイナーさんから見ての未来、そして、私たちから見る現在の状況だと思われることをご紹介させていただきました。


2023年5月26日金曜日

3073「良き人、悪しき人」2023.5.26

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年05月18日の記事を紹介します。


「良き人、悪しき人」


今日は、野口嘉則さんのお話をご紹介します。 

性善説、性悪説のお話です。

私たちが、どちらに意識を向けるかで、人間関係が劇的に変化することがあります。

<転載開始> 転載元


中学生の女の子の話です。(仮にあきちゃんという名にします)

あきちゃんが小さいころにお母さんが亡くなり、まもなくお父さんが再婚して、新しいお母さんがやってきました。

そして、その新しいお母さんは、あきちゃんにイジワルをしてくるようになったのです。

そのお母さんは、あきちゃんが話しかけても聞こえないふりをしたり、あきちゃんのおやつを横取りして食べたり、あきちゃんに向かって「あなたなんか可愛くない」と言ってきたり・・・

そんな生活が続き、あきちゃんは中学生になりました。

あいかわらず、お母さんからのイジワルは続いたそうです。

そしてあきちゃんには、悩みが一つありました。

それは、中学生になってもおねしょが治らないことです。

ある日、あきちゃんの友だちが家に遊びに来ました。

すると、友だちに向かってお母さんが、こう言ったのです。 

「あきちゃんったら、中学生にもなって、おねしょをするんですよ。」

あきちゃんは顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしました。

あきちゃんは心の中で叫びました。 

「あの継母(ままはは)のせいで、私の人生はメチャクチャだ。

本当のお母さん、どうして死んでしまったの?」

ところが、その後あきちゃんは、本を読み、考え方が変わり始めました。

自分のことを“被害者”だと思い込んでいることに気づいたのです。

「私はいつも、『あの継母のせいで、自分の人生はメチャクチャだ』と心の中でつぶやくばかりで、継母との関係をよくするための行動を何もしていなかった!」

そう思ったのです。

読んだ本の中に、次のような言葉が書いてあったそうです。 

「よい人間関係を築くには、感謝の言葉を伝えよう。

相手からの見返りをいっさい期待せず、ひたすら感謝を行動で表そう」

そこで、継母に感謝できることを探したら、たくさん出てきたそうです。

・毎日、ご飯を作ってくれている

・おねしょした布団を干していてくれる

・病気になったときは病院に付き添って行ってくれた 

などなど

「私は、継母のイジワルなところばかりに固執していたけど、私がここまで育ってこれたのは、継母のおかげだ。

私は、継母が家に来たころから、亡くなった母親と比べて、継母の悪い点ばかり数えていた。

私こそ、最初から継母を『お母さん』として認めていなかった。

よし、まずは感謝の気持ちを表そう!」

あきちゃんは、そう決意しました。

仕事の関係でお父さんの帰りが遅いので、夕食はいつも、お母さんと二人きりで食べていました。

その日の夕食を終えると、「お母さん、おいしいご飯をありがとう。いつもありがとう。」と言って、母親の背に回りました。

肩こり症のお母さんの肩をもんであげようとしたのです。

するとお母さんが、「何するの、気持ち悪い。あなたに触られたら、よけい肩がこるよ。」と言って、あきちゃんの手を振り払ったのです。

あきちゃんは、次の日も夕食後に、「お母さん、ありがとう。」と言って肩をももうとしました。

すると今度は、お母さんの肘でっぽうが飛んできました。

あきちゃんは、3日目も夕食後に「いつもありがとう」と言って、お母さんの背に回りました。

「何の魂胆があるの?気持ち悪いからやめなさい」と、やはり肘でっぽうが飛んでました。

あきちゃんは4日目も、5日目も、6日目も続けました。

毎回、肘でっぽうで拒否されました。

「相手からの見返りを期待せず、ひたすら感謝を行動で表そう」という言葉が、あきちゃんの支えでした。

そして7日目。いつものように夕食後、「お母さん、いつもありがとう」と言ってお母さんの背に回ったら、その日はお母さんがじっとしていました。

そこで心を込めて肩をもんでいたら、しばらくして、お母さんの肩が小きざみに震え始めたのです。

どうしたんだろう?と思って、お母さんの顔をのぞきこんでみたら、お母さんの目から大粒の涙がポタポタと落ち始めました。

まもなくお母さんは「ウワーッ」と泣きながらあきちゃんに向かって、こう言ったのです。

「ごめんなさい!お母さんが悪かった!ほんとにごめんなさい!」

お母さんは、しばらく泣き続けた後、あきちゃんのことをギュッと抱きしめてくれたそうです。 

その日から、お母さんはイジワルをしなくなりました。 

優しいお母さんに変わったのです。

そしてその日から、あきちゃんがおねしょをすることもなくなりました。

以上です。

イジワルに見えるお母さんの奥には、愛に満ちた優しいお母さんがいたのですね。

このあきちゃんさんのように、肘でっぽうを喰らっても感謝の行動を取り続けるためには、

「人間は本来、愛に満ちた素晴らしい存在だ!」という“ものの見方”が必要です。

いわゆる“性善説”ですね。

「今はイジワルをするお母さんでも、お母さんの本質は、愛に満ちているんだ!」という信念を持って接し続ければ、いずれはお母さんの“愛”を引き出すことができるのですね。

逆に、「このお母さんは、心底イジワルだ。どうしようもない。」

という信念をもって接すればどうでしょうか?

私たちが相手に対して、どんな“ものの見方”をするかということは、相手との関係に大きな影響を与えるのです。

相手の中の「愛」や「優しさ」や「本質」を信じ続けることができたら、つまり、“性善説”で相手を見ることをし続けたら、相手の愛や優しさを引き出すことができるのです。

さて、このあきちゃんさんの話には、もう一つ大事なポイントがあると思います。

それは、「相手からの見返りを期待せずに、感謝を行動で表す」ということです。

もしあきちゃんさんが、お母さんからの見返りを期待していたら、肘でっぽうをしてくるお母さんを受け入れることはできなかったと思います。

相手からの見返りを目的にするのではなく、 

・相手を喜ばせること

・相手に感謝の気持ちを伝えること 

を目的にしてこそ、行動し続けることができ、ついには、相手の愛を引き出すことができるのです。

ここで大切なのは、善悪の判断をしないことです。

「私は、『感謝の言葉を伝える』という“善いこと”をしているのに、相手は肘でっぽうを返してくるなんて! 

どう考えても相手が悪い!」などと、善悪の判断をし始めると、常に相手を裁くようになってしまいます。 

「善いか悪いか」「正しいか間違っているか」の二元論で物事を考え始めると、自分が正しくて相手が間違っているように思えてきます。

  

そして、人の判断基準はそれぞれに違いますから、皆が「自分が正しい」と信じるようになり、「正しさ」と「正しさ」の戦いが始まるのです。

ですから、善悪二元論という“ものの見方”をしていることに、まず気づく必要があります。

エデンの楽園に住んでいたアダムとイブが、なぜ楽園にいることができなくなったか、ご存知でしょう。

蛇にそそのかされ「善悪の知識の木」の実を食べてしまったからですね。

以前、「鏡の法則」を読んだ友人から、次のような質問をされたことがあります。

「人生が、自分の心を映し出した鏡だというのはわかる。

だけど、すごく心が清く正しいのに、ツキのない人生を歩んでいる人がいるのはなぜ?

清く正しい心の持ち主なら、もっと豊かな素晴らしい人生を送ってもいいと思うんだけど。」

清く正しい心の持ち主にもいろいろなタイプがあるとは思いますが、

「自分が清く正しいがゆえに、人の悪が許せない」というタイプの人がいますね。

正義感が強すぎて、悪を憎み、悪に対して怒っている人です。

心の底で人を裁いていると、自分が裁かれるような人生になってしまうんですね。

私たちは、「善悪の知識の木」の実を、一度吐き出す必要がありそうです。

・善いか悪いか

・白か黒か 

という二元論ではなく、多様性を受け入れるだけの“ファジーさ(曖昧さ)”が大切です。

さて、もう一つあきちゃんさんに関連して、おねしょの話です。

おねしょの原因もいろいろあるとは思いますが、悲しみを我慢していることが、おねしょの原因になることがあります。

本来、悲しい時は、思いっきり泣くのが一番です。 

涙がかれるまで泣くと、少し楽になることが多いはずです。

しかし、あきちゃんさんのように中学生になると、泣くのを我慢するようになります。

あるいはあきちゃんさんは、小さいころから泣くのを我慢していたのかもしれません。

すると、涙で悲しみを洗い流す代わりに、おねしょとなって流れ出ることがあるのです。

つまり、おねしょによって悲しみを流そうとしているのですね。

ですから、子どもが心の底から安心できたり、子どもの悲しみが癒されたりしたことで、

その子のおねしょが治ったという例は、枚挙にいとまがありません。

<転載終了>

 

家族の間で、憎しみ合うことは、非常に多いそうです。 

親子や家族の間なら、甘えが許されると勘違いし、相手に対し、自分の未熟な幼児性を振りかざすからです。 

ですが、家族というのは、神様が私たちの魂を輝かせるために準備してくださった一番身近で、最小の単位です。 

家族を通じ、魂を磨き、輝かすことができます。 

近すぎる関係ゆえに、時には憎しみ合うこともあるかもしれません。 

ですが、憎しみの心が、私たちの中にある限り自分を含め、誰も幸せにできません。 

・憎しみ合うのはやめましょう

・好きになりましょう

そう言っても無理かもしれません。

ですが、あきちゃんがやったように感謝の種を見つけることならできるかもしれません。 

・毎日、ご飯を作ってくれている

・おねしょした布団を干していてくれる

・病気になったときは病院に付き添って行ってくれた

私たちは、「感謝の心」さえ、芽生えれば、幸せになれます。

神さまの恩寵が、これでもかと降り注がれます。 

幸せになるには、今置かれた環境の中で、小さな小さな「感謝の種」を見つけることが

スタートとなるかもしれません。


2023年5月25日木曜日

3072「悪の神様のやり方」2023.5.25

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年05月17日の記事を紹介します。


「悪の神様のやり方」


皆さんは、ブッダやイエス、空海などが

心に「憎しみ」や「うらみ」を持っていたと思われますか?

憎しみや恨みの心は、心を縛り、重くし地獄へと誘います。

この方々は怒ることはあっても、それを引きずらず、直ぐに切り替えて、清浄な心であったと推察されます。 

憎しみや恨みの心は、私たちの魂を神々から引き離し、

私達を心から愛し、慈しんでくださっている神々を悲しませます。 

今、世界は夜明け前の混沌とした時代を迎え戦争や、つい最近も暗殺などが起こっています。

それらを見て憎しみの心を持ったり、自業自得と留飲を下げたり・・ 

そのような心根を持つことは「悪の神様」の思うつぼです。 

その憎しみの心を持つ人の姿を見る周りの人たちも、自分の心までも、チクチクと痛みが伝染してしまうことでしょう。 

では小林正観さんのお話をご紹介します。 

悲惨な犯罪も、理不尽な仕打ちもすべて、神さまの承諾の下で起きている。

つまり事件や戦争、理不尽な出来事などに、敵意や憎しみを抱くことは、「さらなる犯罪を呼ぶだけ」ではないかと言う内容です。

<転載開始> 転載元



私は学生時代から「唯物論者」なので、神や仏を前提としては、ものを考えていません。 

しかしこれまでの研究の成果として、神も仏も、守護霊も精霊も、存在する、のではないかと思うようになりました。

そして、世の中に起きている、どのようなことも、すべて神の承諾のないことは起きない。 

という結論に、到達することになりました。

一般の人が言う、 

・悲惨な出来事や

・不幸な出来事も、

・ものすごく大きな「悲劇」というものも、 

すべて「神の承諾」の下で起きているのではないか、と思うようになったのです。

繰り返して言っておきますが、私は今も唯物論者です。 

かなりガチガチの唯物論者であり、現象がその事実を証明しないかぎり、信じません。

しかし、いろいろな現象を何千、何万と見つめてきた結果、神というものが存在するのではないかと思うようになってきました。 

そして、世の中に起きるすべてのことは、私たちの感覚では「良い」とか「悪い」というとらえ方ができたとしても、神の承諾を受けていないものはない、という結論にならざるを得ませんでした。

神が私たちに求めているのは、その現象について、悲惨であるとか不幸であるとか、評価・評論をすることではないように思えます。 

神が私たちに求めているもの、宇宙が私たちに求めているものは、おそらく次のようなことなのです。

一般的に「ひどい」とか「悲惨だ」と言われる事件が起きた時、その報道を1億人の人がニュースで見たとします。 

そして、人々がその犯人について

・ひどい奴だ。

・許せない。

・絶対に死刑にしろ。

・報復をしてもかまわないんだ。

・世界中を探し出して、その人間を殺すべきだ 

と言って、敵意と憎しみの塊になったとします。

そのとき、上空から見下ろしていて喜ぶのは誰でしょうか?

それは「悪魔」という存在でしょう。 

私たちが、憎しみのエネルギー、恐怖のエネルギーで、心を満たし、汚すことを望む存在です。

「悪魔」は、人々が仲よしで、お互いに笑顔で、となり合った人を助け、温かい空気の中で、ともに生きていく、そういうことを大変に嫌います。 

 

敵意と憎しみのあるところにだけ悪魔は住むことができるからです。

それに対して、「自分ができることは、まわりにしてさしあげよう」とか

「できるかぎり人に喜ばれる存在になろう」という心を持っている人間が増えると、 

悪魔は住むところがなくなって、とても困ります。

ですから、悪魔は、 

・多くの人々の敵意や

・憎しみの感情が芽生えるように、

いつも願っています。 

1億人の人が、その事件の犯人を許せないと思い、敵意と憎しみをかき立てられたとしたら、

上空で微笑んでいるのは、悪魔という人でしょう。

一方、神という名の存在の方は、大変悲しい思いをしていると思います。 

もし逆に、1億人の人がその事件を見聞きして、こう考えたらどうでしょう。

『私』の心の中の敵意や憎しみの延長線上に、この犯罪や出来事が存在する。 

『私』が敵意や憎しみを持っていることは、この人たちが、社会に対して、敵意や憎しみを発散させ、事件を起こしたことと、同じ意味である。

もしこの人たちが、敵意や憎しみを実際に世の中で発散したことについて、自分が否定的に思うのならば(こういうことがあってはならない、あってほしくないと思うのであれば)、 

まず自分の心の中から敵意や憎しみを取り去ること。

1億人の人が、こういうふうに考えたとき、その出来事が起きたことに大きな、貴重な

意味があったといえます。

多くの人が自分の心の中の、敵意や憎しみを、見つめ直すことができたなら、

「私のメッセージが理解されて嬉しい」と神様はニッコリ微笑むのかもしれません。

<転載終了>

 

最近は本当に目を覆いたくなるような出来事が、世界中で起こっています。

・人種差別による憎しみの連鎖

・宗教紛争

・親子間の殺人

悲惨な事件や、被害者やそのご家族があまりにもかわいそうな内容であればあるほど、 

私たちはその犯人を憎みます。

死刑を望む人もいるでしょう。

「罪を憎んで人を憎まず」という耳触りのよい言葉もありますが、やはり「憎しみ」を肯定していますから、そこには神様の要素が全くありません。

立派な人、努力して自分を律している人、まじめな人ほど、人の不正や怠惰な言動が、許せないかもしれません。

憎しみを抱き続けるかもしれません。

「私はこんなに頑張っているのに、あの人は何?」

でも神様は、はたして、そのようなことを仰るでしょうか?

神様は全ての全てを、受け入れ、寛大な目で見守り、魂が更生する機会を辛抱強く、

待っていてくださるのではないでしょうか?

憎しみや、恐怖、疑心暗鬼、貪欲からは同じものしか生まれません。

信頼からは、愛が生まれます。

どんなに過酷な状況であろうと、魂までは傷つけることはできません。

神様が悪魔の存在を許し、その悲惨に見える状況を承諾したのであれば、大きな大きな教訓として、私たちの心を見つめなおすキッカケとしてまた大きな犠牲を覚悟で、憎しみの対象となることを承知で、生まれてきてくださった、役割を持った魂たちに対し、「感謝」を持って受け入れたいと思います。

それこそが、神様が人間の、近視眼的な目から見れば、理不尽に見えることが起こることを

許していらっしゃる理由であろうと思います。

憎しみの心がある限り幸せになることはできません。


2023年5月24日水曜日

3071「優しい人」2023.5.24

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年05月15日の記事を紹介します。


「優しい人」


私たちは肉体を脱いで、元居た世界に戻る時、この一生の間に起きた出来事を、 

その時の感情まで交えながら、いえ自分だけでなく、交わった周りの人々の感情まで含めて、

走馬灯のように再体験するそうです。

その時、私たちは、自分の一生をどう総括するのでしょうか?

・自分のことばかり考えて、人を思いやる気持ちが皆無だった

・苦しみ、悲しみを、社会や周りの人のせいばかりにして、憎しみの心に満ちていた

・大きなことはできなかったけれど、周りの人と笑顔で仲良くやって来た 

死の床についた時、どう思えるのが幸せでしょうか? 

それは、日々の平凡な暮らしの中で私たちが、どう生きているかにかかってきます。 

今の私たちの心が、どのような状態であるかにかかってきます。

さて、今日は欽ちゃんこと、萩本欽一さんのお話をご紹介します。

華やかなTVの世界と異なり、欽ちゃんは子供のころより貧困に苦しんできました。

だからこそ、人の痛み、気持ちがわかる人になったのかもしれませんね。

<引用開始> 引用元

 

東北の被災地へは、何度か行きました。

何人かの人に直接話も聞いたんだけど、僕がいちばん感動したのは

津波で流されてきた女性を助けた父ちゃんの話。

この父ちゃんの家はたまたま高台で、二階にいたら津波が玄関先まで押し寄せてきたんだって。

その流れを見ていたら、女の人がぷかぷか流されてきたので「こりゃ大変だ!」っていうんで、あわててホースを持ってきて投げた。

投げるほうもつかむほうもうまかったんだろうな、女の人はそのホースにつかまって、父ちゃんに救助された。

父ちゃんは津波の水が引くまで女の人を家で休ませて、それから家に帰したって言うの。

すごいドラマなのに、お父ちゃん、さらっと言うんだよね。

だから僕、聞いてみたの。

「お父ちゃんに命を助けられた女の人は、どういうお礼を言って帰ったの?」

そしたらお父ちゃんの答えがまたすごかった。

「な~んも言わんよ。ただ黙ってぎゅっと俺に抱きついた」

へぇ~っ、と思ったね。

女の人って、本当に「幸せ!」って思ったときは、抱きつくんだね。

「ありがとう」の上は、「ぎゅっと抱きつく」ってことを、僕は東北のお父さんから学びました。

また、別の学校を卒業したばかりの青年。

この家にも「こんにちは!」っていきなり訪ねたら、お母さんが出てきたので、息子さんがファンレターをくれたことを話して、「これ、お見舞金です」って、渡そうとしたの。

そうしたらこのお母さんはこう言いました。

「こんなことを言っては被害にあわれたほかの方に失礼だし、大きな声では言えないんですけど、うちは震災のおかげで幸せになっちゃったんです」

えっ?どういう意味なんだろうと思って聞くと、

「地震があったとき、息子は会社の寮に住んでいて、私は家で一人暮らしをしていたんです。

幸い無事でしたが、家は壊れてしまってね。

そうしたら会社の方が、

『こういうときはお母さんも一人では心細いでしょうから、息子さんと一緒に住みなさい』って、私も寮に住めるよう、特別な計らいをしてくれました。

だから欽ちゃん、私たち幸せなんです。

このお見舞金は受け取れません」そう言われて、僕は考えた。

「わかった、じゃあ見舞金じゃなくてパーティ代ということにします。

だから、息子さんと一緒に食事にでも行ってください」

「そうですか。じゃあ久しぶりに息子と食事に行きます」

お母さん、今度は受け取ってくれました。

家がなくなった悲しさより、

息子と一緒に住むこの幸せをかみしめていたお母さん、素敵だったな。

会社も粋なことをするよね。

つらいときって、みんな優しいことを考えるね。



僕が訪ねた中で、唯一元の家に住んでいるご夫婦から聞いた話も素敵でした。

20坪ぐらいのこぢんまりした家で、旦那がこう言うんです。

「つぶれなかったんです、うちだけ。

ご近所の家は大変な被害にあったのに、このうちはひびが入っただけで、あとはなんともない。

小さな家だったからよかったんです。

家が小さくてよかったねって、家内とも話してます」

私たちは被害に遭ってないし、今でも幸せなのでお見舞金は受け取れない。

このご主人はきっぱりこう言って、とうとうお金を受け取ってくれませんでした。

こういう人のとこには、僕が行ったあとで運の神様が訪ねているんじゃないかな。

みんなつらい思いをしているかと思ったら、みんなそれぞれの幸せをつかんでました。

すごいなぁ。

僕のほうがみんなから勇気をもらってきたんです。

<引用終了>

欽ちゃんのおっしゃる通り、私たちは、自分自身が苦しく、辛い経験をすることで、

同じような人の痛みや苦しみを、

・感じる心

・おもんばかる心

・優しい思いやりの心

が沸き上がります。

人生において、一度も挫折を味わったこともなく全てが順調で、健康にも、お金にも、友人にも、才能にも恵まれてきた人はきっと、人の心の痛みを感じ取る力が鈍いかもしれません。

ですが、私たちが生まれてきた、第一の目的は、心を磨くためです。

心をきれいにするためです。

・お金を儲けるためでも

・大きな仕事を成し遂げるためでも

・おいしいものをたくさん食べるためでも

・友達と享楽にふけるためでもありません。

美しい心ですから 恵まれた環境に生まれ、そのまま、何の苦労もなく、楽に生きた人生で、

魂を磨くことができなければ、何のために生まれてきたのかわかりません。

 

凛とした美しさ

逆に

・辛い経験

・苦しい経験

を経たことで

・優しい気持ち

・お互い様の気持ち

・おかげ様の気持ち

・感謝の気持ち

が芽生えたのならば、神々の計画が、大成功したということです。

この美しい心こそ、この感謝の心こそ私たちが、地球転生を待ち望み手に入れたかった、最高のものだからです。

どうぞ、今苦境に置かれている皆さん、勇気を出してください。

・苦労の後、

・苦しみの後

・悲しみの後

そこには、神様が大きな大きな恩寵を用意して待ってくださっていますから。

苦しいときも、悲しいときも一人ではありません。

傍らで、私たちを見守り、励まし、ともに歩もうとしてくださっている、

私たちの神様がついてくださっているのですから。

 

2023年5月23日火曜日

3070「破滅の連鎖。そして社会の消失」2023.5.23

 今回はIn Deepさんの2023年05月15日の記事を紹介します。

「破滅の連鎖。そして社会の消失」

 https://indeep.jp/doom-loops-everywhere/

 


社会が最終的に消滅する過程を私たちは見ている

最近、アメリカの金融専門家のチャールズ・ヒュー・スミスさんの記事に、「破滅の連鎖が増殖中」というのがありました。以下に翻訳しています。

(記事) [破滅の連鎖が増殖中]というチャールズ・ヒュー・スミスさんの記事 (2023/05/15)

 

ひとつの目立たない破滅が次から次へと連鎖し、どんどん大きな破滅へとつらなっていくというようなことを、まあ、理論的というよりは、情緒的に書かれていました。

この記事の中に、以下のような部分がありました。

 

(チャールズ・ヒュー・スミスさんの記事より)

> おそらく、イタリアや日本の村で 1ドルまたは名目額で住宅を所有できるというメディアの報道を見たことがあるだろう。

> たとえば、「なぜ日本は 800万戸の住宅を無料で配っているのか」という報告がある。

> 魅力的な村にある 1ドルの家に関するこれらの陽気な説明からは、そもそも村を空洞化させる破滅のループを生み出したすべての現実が取り残されている。

この「なぜ日本は 800万戸の住宅を無料で配っているのか」というのは、YouTube のこちらの動画がリンクされていたものでした。

以下の画面から始まる動画でした。

「アサゴの美しい山に面したこの家は無料だ」 PolyMatter

 

「日本の ASAGO ってどこだ?」と思い調べましたら、兵庫県の朝来市という町でした。

市のページを見ましたら、確かに「空き家バンク」というページがあり、無料なのかどうかは不明ですが、空き家バンクというものがあるのだなあと。

 

チャールズ・ヒュー・スミスさんは、さらに以下のように続けます。 

(チャールズ・ヒュー・スミスさんの記事より)

> 遠隔地であること、仕事がないこと、年金受給者の高齢化が進んでいること、高価な改修が必要な老朽化した時代遅れの住宅、そのような不動産の価値の下落などだ。

> 人口の減少で郵便局が閉鎖され、入学者数の減少で小学校が閉校になったら、村は滅びる運命にある。

> 子どものいる家族が引っ越して人口はさらに減り、地元の寺院や教会の司祭、地元のカフェ等を支えるのに必要な基準を下回る。

> 破滅の連鎖を逆転させるのは難しい。

 

「こんな市や村、日本にどのくらいあるのだろう」と思います。

そして、ヒュー・スミスさんが書かれている通り、

> 破滅の連鎖を逆転させるのは難しい。

というのは事実でしょう。

どんなウルトラCもそこにはあり得ません。

もちろん、これは、日本だけに限った話ではなく、主要国全体で起きていることなのでしょうが、お隣の韓国などは、数字として過激です。

(報道) 超少子化の韓国、5年で保育園10,000カ所近く廃業 (KOREA WAVE 2023/05/10)

先ほどの、ヒュー・スミスさんの「破滅の連鎖を逆転させるのは難しい」という言葉を思い出しますと、以下のループがすぐに思い浮かびます。

 

保育園の減少 → 数年後に幼稚園・小学校の減少 → 数年後に中学校や高校の減少 → 数年後に大学や専門学校の減少 → 労働人口の減少 → 人類の絶滅(突然、飛躍するのかよ) 

絶滅はともかく、韓国の最新の出生率の 0.78人は極端だといえ、日本も、1.3などとなっていて、それほど違いのあるものでもありません。

 

……2019年頃に、人口知能に対して、「さあ、どうすれば、これから人類を減らせる?」と質問すれば、

「さらに出生率を下げればいいべ」 (北海道弁の AI かよ)

と答えたはずです。

「その方法は?」と質問すれば、 

「シンシチンとヒト絨毛性ゴナドトロピンと ACE2 を攻撃すればいいべ」

 

と AI は答えたかもしれません。

[参考記事] ワクチンによる不妊と流産をめぐるシンシチンとヒト絨毛性ゴナドトロピン探究の旅は続く In Deep 2021年7月4日

[参考記事] ターゲットは女性… In Deep 2023年5月9日

 

まあ、これは余談でしたが、いずれにしても、もう出生率が再度上昇する可能性は、ほぼ断たれたように見えます。

これは、「人口の維持の不可能性」に関する根本的な問題ですが、しかし、そういうことではなくとも、

「破滅への下地」

は、この数十年で確実に成長したことを、私たちは見ています。

パンデミックもワクチンも関係なく、私たちは突き進んでいました。 

 

日本の社会が衰退した理由

私は、日本の北のほうにある…あまり認知度が高くない場所ですので、名前をご存じない方も多いかと思いますが、北海道という土地で生まれました(結構知られていると思うぞ)。

私の生まれたのは人口 7万人ほどの町ですが、東京に出てくる頃までは、それなりに「徒歩圏内」に、たとえば、個人経営のスーパーがあったり、それなりに商店があったり、また、

「町が最も活性化している場所は、駅の周辺だった」ということがありました。

まだ、車社会が本格化していなかった頃のことです。 

東京に出てきたのは 1980年代の初めですが、「たまに、帰省するたびに、それらがなくなっていく」のを目の当たりにしていました。 

スーパーもデパートも基本的にはなくなり、いつしか、「買い物は郊外にある大型ショッピングモールで」ということになり、日用品はコンビニで、ということになっていきました。

現在の北海道は徹底した車社会ですので、アメリカ型のショッピングスタイルになるのは不思議ではありません。

しかし、「その大型ショッピングモールがなくなったらどうする?」ということに、数十年前から破滅の予感を感じていました。 

もちろん、今はそれらの大型ショッピングモールはまだあります。

 

しかし、先ほどの、 

保育園の減少 → 数年後に幼稚園・小学校の減少 → 数年後に中学校や高校の減少 → 数年後に大学や専門学校の減少 → 労働人口の減少 

の「労働人口」を、「購買人口」に置き換えれば、いつまで耐えられるものかはわかりません。

北海道の私の生まれた町も、やはり極端な高齢化の中にあります。

加齢と共に人々の購買そのものは減少していきます。

不採算店となった店舗をいつまでも放置してくれるような大企業は存在しません。

 

少し違う話かもしれないですが、もう 7、8年前の記事で、「車社会が日本に廃墟を増やした」と以下の記事の中盤以降で書いています。

[記事] 車に滅ぼされた日本 : 認識されなくなった光景の中に広がる復活の目処のない果てしない廃墟に囲まれた国で In Deep 2016年7月15日

この記事で書いたのですが、帰省した際に久しぶりに駅周辺の、以前、繁華街だったあたり、などを歩いたのですが、

「あまりのシャッター街化に驚いた」ということがありました。 

そして、その後も「人々に認識されない場所は、そのまま認識されずに、一方的に、廃墟化が進む」ということになっています。

 

子どもが生まれた後、帰省すると、要するに私の父母から見れば、孫ということになるのですが、やはりどこかに一緒に行きたがります。

「よし、〇〇〇に行こう」

と父親が言い、そして、そこに車で行くのですが、それは、家から車で何時間もかかるような「建設された観光地」ばかりなのです。

私の実家の家から歩いて 1分のところに公園があり、10分も歩けば大層な自然環境があるのです。

しかし、徒歩圏内で行けるところなど「全員が無視」します。

「建設された観光地、喧伝された観光地以外は遊びに行くところではない」のです。 

少なくとも、北海道の一部の地域が徹底的に寂れた原因はここにあります。

家からちょっと出たところにある美しさ、楽しさ、気楽さを追求しなくなっために、「近所は事実上の廃墟環境」となっていきました。多くの人が暮らしていますが、あれは、廃墟です。

 

これらは、あくまで私の生まれた町の話ですが、現在のように徹底的な廃墟化に至るまで、本格的な車社会が到来してから、たった 30年ほどでした。

では、次の 30年はどうなるかというと、

「完全に消滅する」という段階に入ると思われます。日本という広い範囲のことではなく、あくまで、私の生まれた町の話です。

破滅の連鎖とは、身近でいえば、こういうことだと認識します。

 

先ほどの 2016年の車社会について書いたブログ記事には、「復活は現世ではおそらく不可能」というセクションがあり、文章の締めは以下のようになってました。

> これらはまったく悪くはないけれど、結果として日本は滅んだと。

> これから滅びる、のではなく、すでに滅んだと。

> 少なくとも現世では誰にも立て直しはできません。

> 無数の小さな共同体の集まりだった美しい日本の文明の構造は死にました。

 

チャールズ・ヒュー・スミスさんは、先ほどの「破滅の連鎖」を以下のような文章で締めていました。

> 私たちは皆、床が崩壊するまで素晴らしいふりをすることができる。

> その時点で自己満足はパニックに取って代わるが、運命を現実的に逆転させるには遅すぎる。

今、この「床の崩壊」が始まっています。

ごく普通の話として、10年経てば、今の高齢者の大部分が、この世には存在しなくなります。20年先なら、ほぼいなくなります。

出生率が急激に上昇するという夢のような話はあり得ません。

 

このあたりが床が突き抜ける転機なのかもしれません。

 

パンデミックやワクチン接種キャンペーンは、それをやや後押ししたかもしれないですが、最大の要因ではないです。

ワクチンキャンペーンがなくとも、床はいつかは必ず崩壊する方向に向かっていました。

そして、これは私感でしかないですが、社会のエネルギーそのものが消失しつつあるように感じています。再生のエネルギーも社会にあまりないように思います。

[記事] 2021年以来、人間のエネルギーは変わってしまったのだろうか

 In Deep 2022年10月9日

チャールズ・ヒュー・スミスさんといえば、以下の記事の内容と直接関係があるわけでないのですが、その文章に納得した記事を翻訳したことがありました。

[記事]異端が排除される狂気の時代に、カナダの新しいT4作戦による大量死を眺め見て、さてそれをどう感じるか(何も感じなかったりして) In Deep 2022年12月21日

 

以下は抜粋で、このように書かれていました。

チャールズ・ヒュー・スミス「大いなる狂気が大地を席巻している」より

狂気そのものを目の当たりにする者には、ただ 1つの逃げ道しかない。地に潜り、世間の注目から消え去り、自立し、迫り来る嵐を隅々まで乗り切ることだ。

大いなる狂気が大地を席巻している。貪欲、信憑性、信念、不平等、大げさ、無謀、詐欺、腐敗、傲慢、プライド、行き過ぎ、独善、そして、自分の意見の正しさへの傲慢な自信に際限がなくなっている。

極端さの愚かさが合理性を疲れさせているとしても、極端さはますます極端になるだけになっている。

架空の罪が、無実の人たちに有罪判決を下すためにどこからともなく呼び起こされ、最もひどい詐欺と腐敗の罪を犯した人物たちが救世主として称賛されている。

常に盲目であることが楽観主義として歓迎され、テクノロジーの偽りの神々への信頼が神聖化され、テクノクラートの神権政治に懐疑的な人々は取り返しのつかない異教徒として十字架にはりつけられる。

魔女狩りと見世物裁判は日常茶飯事であり、提唱された路線に耐えられない者たちは執拗に粛清され、カルトの失敗をひそかに恐れるもろい真の信者たちは健全な懐疑論を大罪として非難する。

有毒な傲慢、独善、憤慨、権利、恨み、のこの窒息する雰囲気の中で、 謙虚さを持つ者は敗者であり、慎重さを持つ者は敗者であり、注意深い者は敗者であり、懐疑的に調べる者たちは敗者に属する。  A Great Madness Sweeps the Land

 

これは、パンデミック時の社会の状況を書いているわけですが、あそこまで露骨だった抑圧を、多くの人が今「許している」。

驚くべきことです。それはともかくとしても、それ以前の数十年で培われた「破滅への種子」は、その中で育ち続けており、何十年も経たずに完結に向かう可能性があります。

 

最近、英デイリーメールで、スケールの大きな話ではないですが、「破滅の連鎖」というキーワードを彷彿させる報道を読みました。

現在のアメリカでは、

「 76の郡で、人々がアクセスできる食料品店がない」ということになっているそうです。

アメリカ農務省の「店舗へのアクセスがない」とされる定義は、

・都市部で 1.6キロメートル以内に食料を扱う店舗がない

・地方では 25キロメートル以内に食料を扱う店舗がない

場所だそうで、それが、全米に 76郡あると。

全米で 1880万人が、食料を購入することが大変な状況になっているというのだそうです。

では、この問題が解決されるかというと、「しない」としか言えません。

アメリカでは、「病院も次々と閉鎖」されています。

(記事) [アメリカの地方の病院の 43%が赤字、 453の病院が閉鎖の危機に瀕している]という報道 (2023/02/11)

 

アメリカでは、地方を中心に、物も買えない、医療もないという地域が増えているのですが、そのデイリーメールの食料購入困難者の報道をご紹介して締めさせていただきます。

これは、「アメリカが」という話でご紹介するのではないです。

日本の地方もじきに同じになるという話です。

________________________________________

食の砂漠 - 米国の76郡に食料品店が1軒もないことが明らかに

REVEALED: America’s food deserts - the 76 counties in the US that don’t have a SINGLE grocery store

Daily Mail 2023/05/14

アメリカ全土には食料品店が 1軒も存在しない郡が 76あり、その家族たちは手頃な価格で栄養価の高い食べ物を手に入れることができていない。

米国農務省 (USDA)の最新のデータによると、いわゆる「食の砂漠」のうち 34郡が中西部と中央平原地帯にある。

国勢調査と同時に収集されたデータによると、テキサス州、カンザス州、ネブラスカ州、ノースダコタ州などの州には、地元に店舗が存在しない郡が最も多く含まれていることが示されている。

コンビニエンスストアはデータに含まれていないが、スーパーマーケット、食料品店、デリカテッセンスタイルの店がデータで示されている。

こうした食の砂漠は、主に低所得者層や農村部のコミュニティに影響を与えている。シャッターが閉まった店舗は、人々が新鮮で健康的な農産物をほとんど、またはまったく手に入れることができないことを意味し、包装された食品や高度に加工された食品を購入することを余儀なくされている。

食の砂漠に関しては、州によって明確に分かれている。食砂漠郡が最も多いのはテキサス州の 11郡で、ネブラスカ州が 9郡、カンザス州が7郡、ジョージア州が 7郡、ノースダコタ州が 6郡となっている。

たとえば、カリフォルニア州のアルパイン郡は、州内で食料品店のない唯一の郡であり、ユタ州のリッチ郡も同様だ。

フロリダ州では、すべての郡に食料品店があるが、フロリダ州グレイズには 1軒しか残っていない。

テキサス州はアラスカ州に次いで国内で 2番目に大きな州で、大部分が地方であるため、店舗へのアクセスが劣悪な地域が存在する可能性が高くなる。

農務省は、健康的な食品へのアクセスが難しいことについて、「スーパーマーケット、大型食料品店から遠く離れていること」と定義している。

分類は地域の種類によって異なるが、「遠い」とは、都市部では 1.6キロメートル以上、地方では 25キロメートル以上まで行かないと食料品店舗ない場所として定義される。

この指標によると、食料品店に行くのに苦労している人たちはアメリカ全土で推定 1,880万人となり、人口の約 6.1パーセントに相当する。

取り残された地域の多くは交通手段が限られた地方で、小売業者は家計の収入で食料販売店を存続させることができないと懸念している。

かつては商売が繁盛していたであろう多くの田舎町では、地元の食料品店は過去のものとなっている。

カンザス州立大学の農村食料品イニシアチブのプログラムリーダーであるリアル・カーバー氏は、米ナショナル・パブリック・ラジオに対し、農村地域では数十年にわたり人口が減少しており、企業が存続することが困難になっているとして以下のように語った。

「小さな町が、さらに小さくなるにつれて、食料品店の売上が減少したことを意味しています」

データによると、2008年から 2018年の間にカンザス州の地方部で 105軒の食料品店が閉店し、そのうちの半分では新しい店舗が開店していない。

対照的に、格安店が乱立している地方の町もある。

ケンタッキー州東部の小さな村であるオリーブ・ヒルは、1ドルショップ (100円ショップ)が乱立していることで有名だ。人口わずか 1,424人の村に、1ドルショップが 6軒あり、そのほとんどが過去数年に建てられたものだ。

人口1,424人にすぎないこの村に 6店の 1ドルショップがある。

 

2022 年の調査によると、過去 10年間で 1ドルショップは、アメリカの家計支出に占める割合で最も急速に成長している食品小売店であり、農村部の成長は 2倍以上となっている。

アメリカの 1ドルショップ市場は、ダラー・ゼネラル社とダラー・ツリー社という 2大企業が独占している。両チェーンを合わせると全米で 35,000店舗以上を運営しており、これは全米のマクドナルドとウォルマートの店舗数の合計を超えている。

しかし批評家たちは、1ドルショップでの食品の利便性と手頃な価格が、高カロリーの超加工食品に偏った食品の健康上の懸念によって相殺されるのではないかと懸念している。

また、ウォルマートやアマゾンなどの数十億ドル規模のチェーンからの圧力を受けて、多くの小規模店舗も潰れつつある。

国内最大手のスーパーマーケットであるクローガーとアルバートソンズは、合併の危機に瀕している。

リアル・カーバー氏は、ナショナル・パブリック・ラジオに対し、「こうした独立系の小さな町の店には、都市部にあるいくつかの大きなチェーン店ほどの購買力はない」と語った。地元の店舗へのアクセスの欠如は、アメリカ全体で食糧不安に対する懸念を増大させるだけだと述べる。

3月に発表された調査によると、米国の成人の 4分の 1がまともな食事をするのに苦労しているという。

止まらないインフレとパンデミックによる給付金の終了が何百万もの家庭の家計を圧迫する中、家計をやりくりするためにフードバンクやクレジットカードに頼らざるを得なくなる世帯が増えている。

調査会社アーバン・インスティチュート社の調査によると、2022年末時点で回答者の 24.6パーセントが食糧不安を抱えていた。常に十分な食料を食卓に並べることができなかったという。2021年末時点では、この数値は 20パーセントだった。

しかし、大手企業に足止めされた一部の地域社会は、店舗閉鎖に反対して闘っている。

サークルC・マーケットは、人口わずか 167人の町、ネブラスカ州コーディのコーディ・キルゴア学区によって運営されている。

教師兼店舗マネージャーのリズ・レイブンスクロフト氏は、次のように語った。

「私たちの店は、コミュニティにとって不可欠な存在です。次に近い食料品店は、ここから東へ 60キロ先です。もう 1つの最も近い食料品店は、西に車で 1時間移動しなければなりません」

このストアは、いくつかの国家機関の援助と農務省からの補助金を受けて 2008年にスタートした。農務省は、地域社会が地元および地域の食料システムを拡大し、経済を強化するための支援を提供していると述べている。


2023年5月22日月曜日

3069「健康になりたかったら」2023.5.22

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年05月14日の「健康になりたかったら」と2023年05月16日「ほんとの愛」の2つの記事を紹介します。


「健康になりたかったら」


今日は健康について、私達日本人が古来から持っているDNA

縄文の時代から続く古神道の立場から書きたいと思います。 

驚くことに小学生で山幸彦の魂を持つトキ君のお話と、やはり全く同じです。 

「健康になりたかったら」というテーマです。

尊敬する葉室頼昭さんの言葉からご紹介します。

葉室頼昭さんは、もともと形成外科医でしたが医師として仕事をしながら神職の資格を取り、最後は奈良・春日大社の宮司をも務めたという異色の経歴の持ち主です。 

しかも、日本の形成外科の草分け的な存在として、多くの奇形を持つお子さんの顔を傷つけることなく再生させるなど、温かな愛情を持って、立派なお仕事をしました。

また、東洋医学を尊重し、それを上手く治療方法の中に導入していました。 

葉室さん、医学博士でしたが、西洋的な知識だけでなく、ご専門の東洋医学、そして晩年

神職の最高峰まで上り詰めた神道の知識により、彼の健康法は、簡単に言うとこうなります。

「東洋医学において、どうやったら健康になるかというのは、西洋医学でいう健康法とは全然違うことです。 

ジョギングをしたら健康になるとか、こんな食べ物を食べたら健康になるとかいうことではなくて、全くそんなこととは違って、宇宙の仕組みから見てどうやったら健康になるかということです。 

 

だからまず第一に、生かされているということに感謝しなさい。 

自分で生きていると思うから病気するんですよ。

(中略)

だから病気は鍼を刺したり、手術をしたら、それでいいというのではない。 

まず神さま、祖先に感謝しなさい。 

(中略)

人間の体はただのモノじゃないんだから、手術したら勝手に治るかというと、治らないんです。 

治すだけの力が出てこなければ治らないでしょう。

栄養を取ったってだめです。 

やはり全てのものの根本となる感謝によって、 

・宇宙からもらっている、

・祖先からもらっている 

エネルギーを出さなければ、本当には治りません。」 

誤解してはいけないのは、「病気を治したかったら、宇宙や祖先に感謝しろ」と

言っているのではない、ということ。

それは「取り引き」であって、

真の謙虚さ、本物の感謝ではない。

病気を治すため、ではなく、自分が生きていること自体に感謝すること、

そうすれば、自分を生かしめているものに対する感謝の念が、自ずからあふれ出てくるし、

そうすれば結果として、人生がよくなっていくものなのだ、と葉室さんは仰います。 

私たち日本人にとって、神道とは、宗教ではありません。 

日本人の美しき心そのものです。 

教祖もいません、教義もありません。 

心を縛る者もいません。 

依存させる者もいません。

私たち日本人は、古来から神様も祖先も、そして我々も一つに繋がっているという考え方をします。 

日本人は神様を信じるというより、神様を敬う民族でした。 

最高のもの、最上のものを神さまに捧げるという、素晴らしい敬神のこころを、日本の民族は持っていました。

 

貧しき時代には、最高のものを神様に奉納、捧げるということは大変だったことでしょう。でも、それを行ってきたところに日本人の純粋さ、神を敬う心がありました。

戦後、そのような心を徹底的に破壊するために、様々な試みがなされ 

「神さま」と言っただけで、毛嫌いされる、そんな世の中になりました。 

日本人の精神的な支柱を破壊する工作が効を奏した結果です。 

ですが、神さまを敬う心、自然を敬う心そしてひいては人々を敬い、

・お陰さま

・お互いさま

そんな気持ちで生きて来た、古来からの日本人の純粋な心を、私たち日本人は、知らなければいけないし、そして、未来を担う子供たちに伝えていかなければいけない大切な心、真心だと思います。

日本人は、西洋のように白か黒か? 

神さまを信じるとか、信じないかという民族ではなく、神さまを敬う、一体となろうとする民族だからです。 

あなたの心、血はそのような古き良き祖先たち、私たちを生み、育ててくださった人々の

純粋なDNAを受け継いでいますか?

 


「ほんとの愛」


今日は、私たち人間が、誤解しがちな「愛」についてです。 

私たちは、「愛」と、「執着」、「依存」をごっちゃにしがちです。 

ですが、それは全く違うものです。 

一方は、 (愛)魂を自由にし、軽くしてくれますが、 

もう一方は、(執着、依存)魂を縛り、どんどん活力を奪ってしまいます。 

地球が霊的に分裂しようとする今、この違いは決定的です。 

ですが、もちろん、個人の好みによって、ご自分の進むべき道を選べばよいだけです。 

良い悪いはありません。

  

自分が幸せになるのは、他の人次第・・ 

それは、

・子供であったり

・妻であったり

・夫であったり

・何かのリーダーであったり 

常に、自分の内面(内に居らっしゃる神さま)ではなく、相手の方にフォーカスしている状態。 

あの人が、、あの人が、、あの人が。。

の他人への依存の状態 

例えば、子供が対象であれば 

・子供が元気で

・成績がよく

・運動能力があって

・優しく、親切で

・友達に囲まれていれば・・ 

私は、幸せ・・   子供を愛している。 

そうでない状態の時には 

私は、悲しく、幸せにはなれない。

子供は、悩みの種。うっとおしい存在

でも、それは、本当の愛ではないし、依存と執着の対象でしかありません。 

何物にも依存せず、執着せず、自分で考え、判断し、自分の道を、自分で歩み出そうとする人。 

逆に、何事も、執着する人の視点に置き換え、そこから見た景色、フィルターを通し、 

判断を委ね、手放し、依存し、執着する人。 

この魂の方向性の違いは決定的です。

自分以外の他人は、決して本当の意味で、私たちを救ってはくれません。 

魂は永遠です。 

そして「愛」は宇宙で一番、高いエネルギーを持っています。 

この魂の向かう方向性の違いは波長の違いを生みます。 

波長の違うものは、混じり合うことがありません。 

ですから、今の時代、地球が分裂し、それぞれの人々が住むにふさわしい、地球が用意されていると言われています。 

ブッダやイエス、空海など人間の進化に寄与してきた進化した魂たちは、長い時を経ながら、様々に人類にアプローチしてきました。 

その目的は、人類の精神性の向上です。 

精神、つまり魂の波長を繊細にすることです。 

神々の波長に近付けるためです。

私たちは、誕生と死を繰り返し、様々な経験を積み、様々な感情を味わってきました。

それは、全て精神性の向上のためです。

  

そのために、縁ある魂達に頼み、様々な役割を演じてもらっています。 

・病気がちの子供

・意地悪、パワハラ、モラハラをする上司

・モラルの破たんした配偶者 

そのような境遇を通じ、私たちは、段々と、魂の自由を勝ち取ってきました。 

魂は、本来、神さまと同じく、自由闊達で活き活きとして、創造性に富み 、幸せで、 

自分の周りの状況に左右されません。 

人生は夢幻のごとく・・とは、そのような意味です。 

祓い清めるとは、魂の本来の状態を、表すことです。 

全ては、見える世界も、見えない世界も、私たちの、心が作り出す世界だからです。 

私たちの中には、どなたにも神さまがいらっしゃいます。 

神さまと、普段から会話することは大切なことです。

ご自分の中の神さまを信じ、自分の足で、しっかりと大地を踏みしめ立ち上がり

周りに居る人に、優しさや、思いやり、笑顔を向けて差し上げたいですね。

 






2023年5月21日日曜日

3068「死を超えて」2023.5.21

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年05月12日の記事を紹介します。


「死を超えて」


今日のテーマは、死についてです。 

近しい方を亡くされて、喪失感の中に、居られる方もいらっしゃるかもしれません。 

もっとこうしてあげればよかった・・ そう自分を責めている方も、いるかもしれません。 

自分にできる精一杯やったと、爽やかな達成感を味わって、いらっしゃる方もいるかもしれません。 

今日は、肉体の寿命は尽きて亡くなろうとも、

・魂は死なない、

・永遠である 

といことをご紹介します。

それを知っているか知らないかで、人生の価値が、まるっきり変わって来るからです。

まずは同名の著書を持つ元東京大学 医学部部長、矢作直樹さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元



死は考え過ぎるといけませんが、時々、それを思うことで「豊かな生」を手に入れることができます。

それ以前の自分と、それ以降の自分による対話がそこにあります。

長いのか短いのかわかりませんが、いわゆる人生という旅の中において、

自分のお役目も励みながら、あるいはお役目を探しながら、感謝しつつ日々を全うする。

そのうちにゴールがやって来るという人生で、必要なのは「幸福感」でしょう。

誰もが避けられない、死というイベントを意識することで、限られた時間の中で、豊かな生に向かって歩こうとする、私たちの幸福感は、そんなところから滲(にじ)み出て来ます。

さらにそこで大切なのは、「人は死なない」という事実を知ることです。

今回の生で授かった肉体は滅びますが、

私たちの魂は死ぬことがありません。

まずはそこに気づくこと。

そうでないと唯物論者のように現世利益にしがみついて、単に死を怖がることになります。

この先も、まだ数えきれないほど生まれ変わるというのに、今の生の、利益にしがみつくなんて、これほどバカバカしいことはありません。

その仕組みがわかると、滲み出た幸福感の中にまた会える、という感情が生まれ始めます。

他界した、大事な人や、愛しい人とはあちらの世界で会えるし、次回の転生後も(前の生のことは覚えていませんが)違う役割で会えるでしょう。

そもそも大事な人や愛しい人は、いつも私たちの、すぐそばにいます。 

私たちが死を迎える日、つまり現世を卒業するその日まで、彼らは優しい眼差しで、見守ってくれているのです。

その仕組みを踏まえると、残りの人生を、心配する必要がなくなります。

対人関係やお金の問題など、いろいろなストレスを抱えているにせよ、それも今回の人生において、自分の「課題」がそういう形で出ているだけの話です。

解決できないレベルの課題は絶対にやって来ません。

必ず解決のための糸口があります。

その糸口を探すことこそ、人生における最上の学びなのです。

臨死体験というテーマでも、この20年くらいの間に実にさまざまな立場の方々が、 

講演や著書でその体験談を発表しています。

 

脳神経外科の世界的権威である医師エベン・アレグザンダー(元ハーバード大学メディカルスクール准教授)が自らの臨死体験を著書にまとめた本もベストセラーになりました(脳神経外科医が見た死後の世界・早川書房刊)。

向こうの世界の様子が、詳細に描かれているのが興味深い点です。

レイモンド・ムーディやエリザベス・キュープラー・ロスなど、多くの実績を持つ欧米の医師たちが、死後世界の実相を克明に語る向きは、海の向こうではかなり増えています。

しかし、私たちの住む日本では、そうした情報自体をまだオカルトと忌避する風潮が強いのも残念ながら事実です。

なぜ私がそんな突飛なことをここで言うのか?

理由は簡単です。

人間は知らないことへの対処がこの世で一番怖いからです。

・知らないこと、

・知らない人、

・知らない世界、

・知らない作法、

・知らない手続き、

・知らない知識…

私たちが常に怖がり、不信感を持つのは「未知のもの」です。

逆にそれらがわかると心の中にある恐怖心は消え去るのです。

<引用終了>

 

今回の生で授かった肉体は滅びますが、私たちの魂は死ぬことがありません。

と矢作さんは仰います。

また、矢作さんは、 「寿命とは、この世で魂を磨く期間」と言っています。

我々がこの世に生を受けた目的は、魂を磨き、少しでも多くのお役目を果たして、

あの世に行くこと。

・人の役に立ち、

・人から必要とされる人となること。

・人に喜ばれる人になること。

(病気や寝たきりになって人のお世話になることも、相手の方に「人の世話をする」という体験の機会を与えている 立派な役割です。)

だから、

・辛いこと、

・困難なこと、

・嫌なこと、

・面倒なことは、 

この人生において、自分の魂を磨くための、大事な砥石(といし)。

多くの人は、沢山の悩みや悲しみ、苦しみの中で人生を送られていることだと思います。

でもそれは、それらの環境が私達の魂を、強くしてくれるからです。

そして、それは乗り越えられない試練は決して与えられない。  

と言うことと、肉体の死を持って、終わる、と言う意味でもあります。

それはどういうことかと言えば、今の苦しい環境も、せいぜい死ぬまでの事。 

そしてそれは、自分の魂を磨くためにあると言うこと。

時に、もう投げ出したくなるような、人間関係、家族関係、経済的な貧困、人々の差別、 

中傷、ねたみ にさらされるかもしれません。

ですが、それは永遠に続くものではありません。

私達は、あと何年、何十年生きているか解りませんが、それで終わりになります。

決して、その環境を投げ出さず、自分の精一杯の誠意と愛と思いやりを持って、

過ごして生きたいものです。

先に亡くなった方々は、今頃どうしているでしょうか? 

このブログでも、沢山の臨死体験例をご紹介してきましたが、肉体という 振動数の低い状態から、魂という、振動数の高い状態に移行すると、そこには、時間の概念も、空間の概念も無くなるのだそうです。 

拘束の多い、物理的な地球と異なり、一瞬にして、意識した時代へ行け、意識した場所へ移動できるのだそうです。 

そして、その状態こそが、私たちが肉体を持ち、暮らしている時間より、はるかに長い時を過ごす場所であり、実在界とも呼ばれます。

 

また、類は友を呼ぶ。。

つまり「波長の法則」と呼ばれるものが、より鮮明に機能するため、波長の異なる者同士は、交わることができません。 

亡くなった方々は、同種の波長を持つソウルメイト達に囲まれ、ねぎらいの言葉をかけられていることでしょう。

また、この地球上で経験したこと、

・思ったこと、

・感じたこと、

・感情の爆発など 

全ては貴重な体験とされ、ソウルグループに共有され、宝となるのだそうです。 

それは、私たちが、 

・良きこと

・悪しきこと 

と、常に区別しますが、一切のジャッジ抜きで、全ての経験が大切な宝になるのだそうです。

だから、あちらに戻った時に、経験したこと、つまり「既知」(いろんな未知のことを経験して知った)というお土産を持ってきたが故に、大歓迎で迎えられます。

きっと、お父さん、お母さん、先に亡くなった子供たち、友人や、かわいがっていたペット達も、笑顔で 迎えてくれることでしょう。 

そして、再び霊的な生活に、フォーカスされた暮らしが始まります。 

ですから、死とは決して悲しいものではなく、通過点でしかありません。 

生きていた今よりも、もっと幸せになるために、帰って行きます。 

死は、この地球で経験した、豊かな宝を仲間たちの元へと持ち帰る最後の扉です。

そして、その扉の向こうには、隠し事など一切できない、心と心、波長の同じ、親しい仲間たちが待っています。

  

残された私たちは、戻られた方々が、後ろ髪引かれることの無いように

自分たち自身の、生きる目的をにこにこ笑いながら、経験して行きたいものですね。 

そして、私たちも、向こうに戻った時、笑顔で、ご挨拶したいものですね。 

地球では、お世話になりました。 

泣いたり笑ったり沢山の経験をさせていただきました。 

ありがとうございました って。


2023年5月20日土曜日

3067「天国からの手紙」2023.5.20

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年05月11日の記事を紹介します。


「天国からの手紙」


私たちの魂は、永遠に存在します。 

肉体を持たず、死によっても、人と人と、深い魂の交流を持った魂同士を引き離すことはできません。 

死は時に、人々を悲しみのどん底に引きづりこみますが、決して、私たちを引き裂くことはできません。 

私たちは、生きている間、悲しみや喜びを通じ、魂のダイナミズムを経験し、そして深い魂の繋がりを結んでいきます。 

  

このブログの読者の中には、早くにお子さんを亡くされた方も多くいらっしゃいます。

今日はイノチの尊さについてのお話をご紹介します。 

この中には、死産に関するお話も含まれています。 

興味のない方、気分が悪くなる方こういうお話はタブーと思ってらっしゃる方は 、どうぞ、スルーなさってください。 

関根雅(まさし)さん、麻紀さん夫婦の子どもは、出産予定日に突然、お腹の中で亡くなりました。

娘に「椿」という名前をつけて見送った後は、深い悲しみの中で自分たちを責め続ける日々を過ごしていたそうです。

そんな夫婦を救ったのは、「わたしが あなたを選びました」という本の著者である産婦人科医、鮫島浩二さんとの出会。

自分たちを親として選んでくれたはずの子が、なぜ、うまれてくることができなかったのか?  

その問いに対して、鮫島医師は...?

とっても素敵な女性に話を聞かせていただきました。

今年3月に産まれた「椿」ちゃん。

2660グラムで、出産予定日に産まれました。

でも、椿ちゃんは、産声をあげることはありませんでした。

待ちに待っていたこの日に、お空に帰ってしまったのです。

妊娠中は何の問題もなく、ママの麻紀さんもだんなさまも、おなかの赤ちゃんに話しかけたり、歌を歌ってあげたり。。。

毎日、順調に大きくなっていく椿ちゃんと、本当に、幸せな時間を過ごしていたそうです。

ところが。。。

予定日の朝、目が覚めると、胎動がなく、不安な思いで病院にいくと、既に心音がなく、

亡くなってしまっていました。

トツキトウカの間、時にはポンッ、ポンッ、とおなかを蹴ったりしながら、小さな体で一生懸命生きていた命。

その、もうすぐ会える!と楽しみに思っていた命が、突然その鼓動を止めてしまったのです。。。。原因は今でも分かっていません。

椿ちゃんの心音が止まっていることを聞いた麻紀さんは、半狂乱のようになり、

「おなかから出してしまったら、椿と一緒にいられなくなる。。絶対おなかから出したくない」そう、叫んでいたそうです。

しかし、だんなさまの 「きれいなまま早く出してあげよう」という言葉で、翌日、椿ちゃんを出産されたようです。

陣痛をおこして、助産師さんに支えられながら、だんなさまも立ち会った8時間の出産。

産声をあげることも、目をあけることもなかったけれど、かわいいベビー服に包まれた、 

2660gの椿ちゃんを抱いている麻紀さんは、本当にきれいで、とても幸せそうでした。

しかし、その後の2ヶ月は、病院を責めたり、自分を責めたり。。。

誰かに責められるのではないかという気持ちにもなり、家にひきこもり、泣いてばかりの毎日だったそうです。

ところが、ある日、天国の郵便局からこんな素敵なお手紙が届きました。

 

~天国郵便局より~

おとうさん、おかあさんへ

おとうさん おかあさん 悲しい思いをさせてごめんなさい。

天国を出発する前、神様から

「お父さんたちと一緒にいる時間は短いですよ。それでも行きますか?」

と聞かれたとき、本当にショックで、悩みました。

しかし、あなたたちの仲睦まじい姿を見て、地上に降りる決心をしました。

たとえあなたたちに悲しい思いをさせても、たとえ一緒にいる時間は短くても 

あなたたちの子どもに数えられたかったからです。

そして私の夢はかなえられました。

おかあさん、わたしは確かにあなたの胎から生まれましたよね?

おとうさん、わたしは確かにあなたの血を受け継いでいますよね?

わたしは永遠にあなたたちの子どもです。

そのことを、わたしは誇りに思います。

いまわたしは、あなたたちと共に過ごした、短いけれども楽しかった日々に思いを馴せ、 

わたしに続き、あなたたちの家族になりたいというきょうだいたちにあなたたちのことを自慢する日々です。

わたしは親戚のみんなといっしょに元気にしていますので、もうこれ以上悲しまないでください。

そして心から、「わたしの選びは、正しかった」と言わせてください。

泣きたくなったとき、空を見上げてみてください。

わたしたちの姿が見えますよね。

ゆっくり体調を整え、まだかなあ?と愚痴っているきょうだいたちを迎えに来てください。

わたしは永遠にあなたたちの子どもです。

そのことを私は誇りに思っています。

つばきより


手紙は、耐えられない気持ちを訴え、支えてくれた、さめじまボンディングクリニックの

鮫島浩二先生からでした。

鮫島先生は、妊娠中にも愛読し、勇気づけられた書籍「わたしがあなたを選びました」の著者でもあります。

 

そして、泣いてすごす麻紀さんに、だんなさまも、

「椿は自分の命を一生懸命全うしたよ。

姿は見えなくなってしまったけれど、これからは3人で生きていこう。

おなかにきてくれたことに感謝しよう。

ママにさせてくれたこと、パパにさせてくれたことに、ありがとうって伝えよう」

そう言ってくれたそうです。

まだ、幸せそうな妊婦さんを見たりすると、つらい気持ちが出てきてしまうこともあるそうです。

でも、椿ちゃんがおなかにきてくれて、教えてくれたこともたくさんあるとおっしゃっていました。

そして、椿ちゃんのためにも、様々なことに感謝をしながら笑って生きていきたい、とおっしゃっていました。

今の日本の制度では、死産をしてしまった赤ちゃんは戸籍にも残されません。

流産も死産も、タブーに感じられることが多いのか、あまりその存在を語られることもありません。

その数は、私たちが想像しているよりもはるかに多いのに。。

現在、流産は全体の約15%、そして、死産は約3%の確率で起きていると言われています。

椿ちゃんのように、母体に理由があるわけでも、赤ちゃんに原因があるわけでもなく、 

お空に帰ってしまう命も存在します。

でも、椿ちゃんが、麻紀さんたちご夫婦と存在しているように、たとえおなかの中で亡くなってしまう命も、出生後どんなに早く亡くなってしまった命も、その命は短かったかもしれないけれど、この世に誕生したんだ、と思います。

そして、大きなメッセージを私たちに伝えるために来てくれたんだと、思います。

映画「うまれる」では、誕生死も「うまれる」ことの一つとして考え、扱っていきます。

以上 映画 うまれる HPより 引用させていただきました。

 

妊娠・出産・育児、流産・死産、不妊、障害などは、とっても神秘的な、生命の営みの一つです。

短い寿命や、障害を負う事を承知で生まれてくる魂には、そのことによって、両親や周りの人々に大きな衝撃、直感、人生転換のきっかけを与える役割がある方が多いそうです。

生命の神秘ですね。

なんだか私達に関わる全ての人達に「ありがとう」って言いたくなりませんか?

笑い(笑顔)と感謝は本当に大切ですね。

神様は、きっとその笑顔と感謝の気持ちさえ生きている間に持てれば天国に帰った時に 

「よくやったね」って褒めてくれるような気がします。


2023年5月19日金曜日

3066「光の連鎖」2023.5.19

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年05月10日の記事を紹介します。


「光の連鎖」


現在、神仕組みの元、世界は確実に神々の導く方向に変わりつつあります。 

希望の灯も、あちこちにともり始めました。 

神々の起こした「建て替え」(創造のための破壊)も、

その後に続く「精神性復活の時代」という希望に繋がると思えば 

この困難な世の中においても心に希望の灯をともし続けることができます。 

神々のなさる奇跡は依存的な方々が安易に期待されているような

・目に見える形でも

・目を見張る派手な物でも

・一瞬に救い上げることも

しません。

目に見えない形で、人々の心を少しづつ良き方向に変えながら徐々に進められます。


一見して分かるものでもありませんし、ましてはその変化の渦中にあっては、

気づく人もほとんどいません。

ですが、根本の神々(宇宙神)の計画に狂いはありません。 

ベストなタイミングで、必要な人の心の中に小さな変化が起こり、

それが同時並行的に沢山の人々の心の中で発生し、その変化が有機的に繋がることで、

偶然が重なりながらも、あたかも私たち自身が事をなしているような錯覚の中で、

人々の手による「立て直し」が進行します。 

全ては神々の掌の上での出来事です。

日本人の古来から持っている縄文の心は、世界にとって希望の良心なのだそうです。 

この世界の良心の日本人の心が徐々に変わり、世界に浸透し、ひいては地球規模にまで伝播します。 

何も いますぐに

・世界を救うために活動してください 

と現実の生活からかけ離れたことを神々は望んではいらっしゃいません。

ですが私達平凡な人間でも、できることがあります。

今日はそんなお話です。

  

人々の心の変化から始まる精神性復活の大きな神々の計画に・・・ 

地球が変わろうとしている歴史的な瞬間を、手助けするように、沢山の高貴な魂たちも生まれています。 

レインボーチルドレンたちの情報では

・宇宙神

・惑星意識(地球の意識)

・地球の神々

・地域の神々

というヒエラルキーがあるようですから、この大切な計画も、そのうちの惑星意識に呼応しているのかもしれません。 

では、身近な私たちの心の変化が、どのように世界の平和、地球の平和に繋がっていくのか、

「恩送り」のお話をご紹介します。

・宇宙のお話

・神々のお話、

・次元のお話 

色々ありますが、肉体をまとい3次元の地球を経験している私たちにとって一番大切なのは、そう言った他人による不思議現象に頼ることではなく、やはり自らの心を磨くことが、第一に必要なことだからです。 

光の連鎖、すべてはその一言から始まりました。

ある日、小さな女の子がおつかいに行き、そこで野菜を買いました。

女の子は、レジのおばさんに笑顔で「ありがとう」と言いました。

おばさんは、何だかちょっと嬉しくなりました。

そして、次の男のお客さんに思わず「そのネクタイ似合っていますね」と声をかけました。

男性は少し恥ずかしそうに「ありがとう」と言いました。

ネクタイを褒めてもらった男性は何だか嬉しくなって、そのネクタイをくれた奥さんにお花を買って帰ることにしました。

男性は家へ帰ると「いつもありがとう」と言って、奥さんにお花をプレゼントしました。

「わぁ、どうもありがとう」そう言って奥さんは、とっても喜んでくれました。

嬉しくなった奥さんは、子供におこづかいをあげることにしました。

「わぁい、お母さんありがとう」そう言って、子供は大喜びしました。

おこづかいをもらった子供は、嬉しくなって、飼っている犬においしいエサを買ってあげることにしました。

「わん、わん」そう言って犬は、大喜びでしっぽを振りました。

そのしっぽの揺れで、飛んできたたんぽぽの種が大空高く舞い上がりました。

そしてそのたんぽぽは遠く離れたある画家の家の庭に落ちました。

春が来て、たんぽぽはきれいに咲きました。

「わあ、きれいだなあ、そうだこのたんぽぽの絵を描こう」

そう言って、画家はたんぽぽの絵を描きました。

 

すると、何とその絵が大きなコンクールで優勝したのです。 

画家は沢山の賞金を手にしました。 

そして、その賞金を全て寄付しました。

その寄付されたお金は、貧しい国に学校を建設する費用に使われました。

その学校をある貧しい少年が卒業しました。

少年は、とても勉強ができたので、そのまま進学してお医者様になりました。

お医者さんになったかつての少年は、ある日、難病の老人に出会います。

その病気はまだ原因がわからず、沢山の人が死んでいました。

「何としてでも、このおじいさんを助けたい!」

そう思ったお医者さんは、特効薬の研究をはじめました。

そして、とうとうその薬が完成したのです。

おじいさんは、その薬のおかげで無事助かりました。

「ありがとう、本当にありがとう」そう言っておじいさんは、

涙を流しながらお医者さんにお礼を言いました。

すべてはあの日、少女が「ありがとう」と言ったことからはじまりました。

ほんの些細な一言が、後々に、多くの人々に喜びを与えることがあります。

どうか目の前の人に、小さな喜びを伝えてください。

それはいつか、誰かの命を救うことになるかもしれないのですから。

※この文章はぐるぐるさんの元ネタを若干修正して掲載しています 

以上です。

   

ここに神さまのやり方が顕著に示されています。 

神さまの、私たち人間に対するアプローチ方法です。 

神さまは、誰もが驚くサーカスのように、びっくりする奇跡的な、大きな出来事で、 

人間を幸せに導くのではありません。

神さまは、誰の心の中にもいらっしゃいます。 

神さまは、人間の心の中で、 

・活性化され

・光を放ち、

人と人との絆、思いやりの連鎖を通じ私たちに幸せをもたらします。

神さま自身は、決して表に出ようとしません。 

あくまで、誰にも気づかれないように、人々の心をちょっとだけ変化させていくことで、 

その連鎖、有機的な繋がりによって、世の中に変化をもたらします。

誰にも気づかれず、自然な形で、私たちの心の中で変化を起こします。 

・お互いさま

・お陰さま 

その優しさと、思いやりの中で、相手の立場、個性、やり方を受容し、認め、それが、私たちの行動として現れ、愛の連鎖を起こすのです。 

それは、あたかも、その本人達の自発的な行動と、思われがちですが、全ては、私たちの内に居らっしゃる神さまの働きです。 

このような、美しい人と人との営みを目にした時、常に神さまを意識し、神さまの気持ちに寄り添って生きようとしている人は必ず、必ず氣づくことでしょう。 

「あっ、神さまを見た」と、、

 

私たち、普通の人、心弱き人は神社仏閣に、お願い事をしに行きます。

優しい神様は、それらの事情を全てわかった上で、そして個人的な願い事など清濁併せ飲んだ上で・・・叶えて良い願い事、それは、私たちの因果律を乱さず、私たちの魂の進化に対して、悪影響を及ぼさない場合のみ、そして、更にそれを叶えることによって、神さまの意図した、良き心の変化が見込める場合のみ、願いを聞いてくださり、

それをきっかけとして、神様の方を向いていただく。

そして、その後に神々に対する信仰心を養い、謙虚な心、お陰さまの心を 養い、

同胞である、同じ人間同士で、お互いさまの気持ちを起こし、 結果として、私たちの心を、清浄にして神様と繋がりやすくする。

そして、その先では、

・どこかの外に存在する神さま、

・願い事を叶えてくださる神さまではなく、 

私たち自身の心の内に、いつも居らっしゃり、私たちを見守り、共に歩んでくださっている

内なる神さま(良心)と繋がって欲しい・・

内なる神さまと、繋がり、日々、神さまを意識して生きて行くことで、

本当の、本当の幸せを掴んでほしい

・誰かに与えられる幸せではなく、

・誰かに頼って生きるのではなく、 

自分の足でしっかりと大地に立ち、内なる神さまと繋がり、幸せになって欲しい。。 

それが、神々のなさり方ではないかと思います。 

今、時代が変わろうとしています。 

もう、その大きなエネルギーの回転は誰にも止められません。

全ては、神々の計画通り、人間の精神性の復活の方向に向かっています。 

心の時代です。

 

何かを見たり、聞いたりすることで、 

・悪しきもの

・醜い心

・嫉妬

・揚げ足取り

・誤ったプライド、優越感

・疑心暗鬼

・マウンティングしようとする心 

などを、心に取り込まず、心を 

・美しいもの

・優しいもの

・思いやりのあるもの

・愛のあるもの 

に集中したいものですね。

心にあるものは、必ず、何時か現象として現実化しますから。 

目の前に現れてきます。