2026年6月13日土曜日

4287「10 Days of Darkness」2026.6.13

今回は「宇宙の中心で、愛を叫ぶ」さんの2026年5月21日の記事を紹介します。


「10 Days of  Darkness」

宇宙の中心で、愛を叫ぶ


こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。

 

みなさま、お待たせいたしました。

澤野大樹公式サイトINTUITIONがリニューアルされました。

以下に澤野さんよりメッセージをお届けいたします。

 

突如として閉鎖された公式サイトが、

ようやくリニューアルを伴って復活しました。 

サイトが閉鎖と聞けば、誰もが一大事ということになるかと思います。

ほとんどの人から見て、それは最悪の事態と映るでしょう。

ですがそこは「量子意識」。 

その事態に直面した直近数日の、最悪と思われたことの向こう側には

きっとそれとは違う別の何かがあるのだろうと、

今回はリアルタイムで考えることができました。 

このひとつの経験がすでに大きな進歩であり成長だと思いました。 

長い目で見た場合、これは私に何をもたらすのだろうか? 

公式サイトを設置しているレンタルサーバ会社に、

サイバー攻撃がなされたことから、

始まった今回の出来事。 

そこも含めて、最初からQCが動いていたのだろう。

そう思えてなりません。 

振り返って考えてみれば、たしかに私のサイトも、

些か古いままで置かれていました。 

それで何か不便だったり、機能が不足していたりだったりとかは、

なかったのですが、

そういうことではなく、己の外形を超えたところにある、

多次元的な刷新というものが、

ここへ来て必要になったのかな、と思いました。 

言っている内容や、書いている内容が、

きわめて「合っている」からこそ、起こること。 

ということは、今回の公式サイトの強制的な閉鎖という事象には、

己のまだ与り知ることのない、意味が込められているのだろうなと。

解けない謎はもたらされない。

越えられない峠もない。

だから解けるもんなら、解いてみなさいよ。

こうして私はたしかに解いた。 

青森に現れたあの「蛇の目」も完全なる必然として、

あの日、あの時、あの場所で、きちんと制御されて顕現した。

それを「奇跡だ」と距離を置いてはいけない。

それは遠巻きに展開される世界ではなくて、

今、己と共にあるのだということ。

つまり、距離はない。 

私のサイトは意図せず、強制的に、しかも突如として閉鎖された。

いきなり暗闇になった。

そしてそれは10日間続いた。 

これぞまさに「10 Days of  Darkness」であり、

それはピンポイントで私に起こった。 

旧い「この世」がいよいよ終わるのか。

じゃあそれは「最悪の事態」か?

今ならそれをもっと的確に、判断できるような気がする。

これまでの「intuition」というドメインから、新たに

「tium」へと変わった。

これはたった4文字のアナグラムだ。 

己の無知を自覚することこそが、

最大の知を生むのだということ。 

もっとも小さなものと、もっとも大きなものは、裏と表で繋がっている。

そこに距離はない。

というわけで、

サイトがリニューアルしましたので、よろしくお願いいたします。

澤野大樹

 画像クリックでサイトへジャンプします

新たな時代の始まりを示唆するべく

強制的に産み出されたプラットフォーム,

tium.jp 『知、産む(チウム)』。

サイト自体が脈打つ核を持ち

量子もつれを起こしながら伝説が紡ぎ出されていく、

そんな感覚がわきあがってきます。

澤野氏の論説は、

ジャンルという枠を超えた完全オリジナル。

新しい価値観を手にしていただけたら幸いです。

 

澤野大樹青森講演会主催

小野裕美子


2026年6月12日金曜日

4286「真実が明かされる時」2026.6.12

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月28日の記事を紹介します。


真実が明かされる時」


もう数千年も、ある意図を持って隠されてきた真実があります。

そして同じく数千年の時を掛けて、

その秘密を明かし、人々を幸せにしよう

という勢力による 努力もなされてきました。

そして、沢山の人々の努力により、その隠された真実が

今明かされようとしています。

その隠された真実とは、私達の心の中には

神さまがいらっしゃるという事。

それは、誰一人として、例外なくです。

私達の心は、巧妙な手段によって、がんじがらめにされてきました。

キリスト教では、私たちは、

生まれながらの罪人であると教えられて来ました。

ボロボロになるまでも自分を犠牲にし、

他人に尽くしなさいとも教えられました。

自己所有の、私の・・と言う言葉が生まれました

(縄文の時代には存在しませんでした)

その結果、所有慾が生まれました。

持てる者、持たざる者の違いが生まれました。

それによって、嫉妬心が生まれました。 

嫉妬、やっかみ、ねたみ、ひがみ、焼きもち・・・ 

これらは、心を曇らせます。 

支配と、依存の心が生まれました。

自分さえ良ければの、心が生まれました。

持たざる者は、

常に将来の不安・恐怖を抱くようになりました。

自分の思い通りにならない事、思い通りに動かない人々のことを、

許せなくなりました。

ですが、

私達の心の中には、神さまがいます。

良心があります。

その結果、良心と、悪い心の狭間で、葛藤が生まれました。

人を許せないのと同じパワーで、自分自身も許せなくなりました。

私達は生まれながらの罪人と、教えられて来たからです。

でも、この数千年の間、

その呪縛を取り除く努力も綿密に計画され、実行されてきました。

私達の心の中には「神さま」がいるという事。

心に静かに問いかければ、

 誰でも内なる神さまの声を聞けること。

時代はもはや、助けてくれる神々や、

頼れる師を、外に求める時代ではなくなりつつあります。

自分が自分の心のよりどころ、となる時代に入ったからです。 

そのよりどころとは、私たちの中に、何時もいらっしゃる「神さま」です。

それは、数千年にも渡り、隠そうとしようとして来た勢力と、

それに抵抗し続けた勢力の、せめぎ合いの時代でした。

それでも今、着実に真実を明らかにし、

人々を幸せにしたいという願いが、 

実現しつつある時代になってきました。

自分の可能性を信じ、自分を受け入れ、

人のあるがままを許し、自分のあるがままを許し、 

そして自分を認めていく段階に来ました。

それが出来た時、初めて私達は、

自分自身を愛し、その内なる可能性を信じ、 

自らの足で、歩み始めることが出来ます。 

真の意味で、人に優しくすることができます。

私達の心の中には、神さまがいます。 

全ての人の中にいます。

自分自身を許し、受入れ、慈しむことが出来た時、

その「神さま」は輝きを増します。

私達が常に恐怖に苛まれ、愛の欠乏を感じ、 

苛立ち、人を、自分を、許せなくなるのは、 

その様に仕向けて来た者達がいたからです。

巧妙でシステマティックな手段でした。

ですがそれと同じく、陰があれば、陽があるように、

その隠された真実を、元のように表に出そうと、

努力してくれていた命がありました。

私たちは、自分自身を卑下する必要はありません。

イエス自身が仰ったように、

私達は一人一人、誰もが尊い存在だからです。

でも、最後の扉は自分で開かなければなりません。

その方法は、非常にシンプルです。

置かれた場所で咲きなさい。

そのように生きることです。

私達の中には、宇宙の根本法則である、神さまが居らっしゃいます、

それは本当は私達自身であり、私達の良心です。

それに気付き、知ること。

その神さまは、全ての私達の属する宇宙の運航、 

そして身近な出来事、人との出会い、別れさえも決めています。

今、自分がいる、そのままの場所・環境の中で、

全てに感謝して輝き、そして幸せになること。

それこそが、今の時代に生きる人々に求められています。

ブッダの時代から数え、2回目の1,200年ごとのサイクルの中で、 

今、その段階に入りました。

 


2026年6月11日木曜日

4285「死なないで!」2026.6.11

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月27日の記事を紹介します。


「死なないで!」


周りを見渡してみると、元気はつらつの人もいらっしゃいますが、 

本当に辛そうな方々も沢山いらっしゃいます。

ですが、

・同じく辛そうな環境に囲まれていても、

・同じような苦しい状況に置かれていても、

いつも前向きで明るく、感謝の日々を送っている人も存在します。

その違いは何かと言えば、 

・気持ちの持ち方、

・心の置き所の違いかもしれません。

ブッダは慈悲の人でしたから、

そんな辛そうな人たちを救おうと、般若心経を残してくださいました。

そこには、自分の周りに時々刻々と起きてくるいろんな現象には

「良い・悪い」はないんだよ(=空)

それを、

・良いことだ、

・悪いことだと

判断(色をつける)しているのは、自分の心ひとつなんだよ。

辛く見える現象でも、神様からの贈り物と、

感謝して受け取れば、それは幸せとなるし、 

不平不満で受け取れば、それは苦痛になる。。

そう教えてくださいました。  

そして人間の人生というのは、どのような時でも

感謝が大切なのだよと教えてくださいました。  

それこそが、人間を辛さから解放してくれる妙薬だと・・

さて今日は 「死なないで」ということで、斎藤一人さんの言葉をご紹介します。

<引用開始> 引用元

今から、『天使の翼』っていう話をします。

人は誰でも、一人に一人づつ、

エンジェル(エンゼル)がついてるんだよ、って話です。

日本でいうと守護霊さんっていうだけど、外国の人はエンジェルって言うんだけど、 

誰でも人は幸せになるために、一人に一人づつ、エンジェルがついているんだよ。

今、ものすごい苦労している人もいると思います。

つらい思いしている人もいると思います。

人間って自分の運命を、天国にいるときに決めてきて、 

こういう運勢で自分は生きますって神様にいうと、

神様は、それだとちょっと荷が重いんじゃないかい?って言うんだけど、

「大丈夫です、それでも私は幸せになります」って、神様に約束してきます。

それで出てくるんですけど、ほんとにつらい修行を背負ってる人もいるんです。

ところが、人間っていうのは

トータルすると、絶対に元がとれるようになってるんです。

だから苦労した人って、死にたくなっちゃうことあるかわからんないけど、

死なないでください。

あなたが苦労した分、絶対に人は幸せになれるようにできてるんです。

それで、早く幸せになれるコツってあります。

人間関係でつらいこともあります。

ほんとにそういう時は、 

・あなたに嫌なことする人、

・悪いことする人、 

もう無視してください。

それより、 

・あなたを守ってくれるお母さんとか、

・お父さんとか、

・近所の人とか。

で、もしそういう人が、私はひとりもいないんだっつったら、 

自分を守ってくれてる、自分にはエンジェルがついててくれてるんだ、って。

翼があるエンジェルがついててくれてるんだって、信じてください。

そして、今を乗り切ってください。

今苦しくて死にたいことがあるかもわかんないけど、死なないでください。

私なんて死んだって、誰も悲しまないっていうけど、神様が悲しみます。

あなたについてるエンジェルが悲しみます。

そして、今話してる私が悲しみます。

あなたは。かけがえのない人です。

そして、かけがえのない命です。

これから、あなたと出会う大勢の人がいます。

これからの出会いは、本当にすばらしい出会いです。

明日を信じてください。

そして、あなたを導いてくれる、エンジェルを信じて下さい。

あなたに羽根はないかもわからないけど、あなたに付き添ってるエンジェルには、

翼があります。

そして、あなたを必ず導いてくれます。

どうもありがとうございます。

<引用終了>

一人さんは、こうも仰っています。

神様が与えること(出来事)で、ツイてないことはひとつもない

要するに、自分の周りで起きていることは、

神様が起こしているわけですから、そこには悪いことなど一つもない。 

全部が全部、自分へのギフトであるということです。

ですから、もし死にたくなるような辛いことがあるのなら、

この言葉を思い出してみてください。

「もしこのトラブルがツイてることなら、どんな展開になるのだろう?」

「この問題は自分に、何に気付いてほしくて、起こっているのだろうか?」

そう考えていると、 

・時間が解決するか、

・ひょんな人の言葉がヒントになって解決するか、

・別の変化が起きて、その問題自体が自然消滅するか。。

様々な方法で解決していきます。

神様は、私たちを破滅するために、

その現象を起こしているわけではないのですから・・

だって、 

「神が与えること(出来事)で、ツイてないことはひとつもない」のですから。。

どうぞ、あきらめず、神様を信じてください。 

本当にホントに、神様っていらっしゃるんですよ。 

すぐそばに・・・

どうしても心が落ち着かないときには、

言霊を何百回、何千回と唱えてもよいでしょう。

不安な心が収まるまで、

ひたすら「ありがとう、ありがとう、ありがとう」・・

心の中だけでも、口に出してもどちらでも構いません。

この「ありがとう」の言霊は、宇宙最強と言われていますから、 

必ず心が落ち着き、またこの言葉を、思い出すことができるでしょう。

「神様が与えること(出来事)で、ツイてないことはひとつもない」

神さまの恩寵は、必ず「感謝の心」を媒体にして現れます。 

感謝の心を持つ人を、神様が見捨てるはずがないからです。

だから、何度でも言いますが、私たちは大丈夫なようにできていて、

そのように運命づけられて、この世に送り出されてきました。

それは、私たちだけでなく、子供たちや、ご家族たちでさえも。

私たちが心配して取り越し苦労などする必要はありません。 

彼らにも、彼らの神さまがおり、

大丈夫なように常に支えていられるのですから。。

どうか、希望とともに、「ありがとう」という、感謝の気持ちでお過ごし下さい。

私たちの周りで起きている、あらゆる問題と見える事象も、解決方法は、 

このようにブッダの教え、般若心経に書いてあったんです。

今日、その事を知ったのですから、 

今、この瞬間から幸せが、どんどん列をなして、押し寄せてくれることでしょう。 

前世に置いて、ブッダ、そして空海の弟子だった

小林正観さんが、幸せになるための「3秒」の方法を教えてくださっています。 

● 1秒目…過去のすべての出来事を受け入れること

● 2秒目…現在のすべての出来事を受け入れること

● 3秒目…未来のすべての出来事を受け入れること 

これで終わりです。 

自分に起きたことや、これから起きることは、すべて自分が成長するために、 

必要なことだったと、思うこと、感じること。 

そのように目の前の状況を受け入れれば、感謝できれば、 

悩みも苦しみもなくなって、ラクに生きることができるでしょう。

実際に、目の前の苦労、悲しみは、全て、私たちの魂を輝かせるために、

神さまが起こしてくださっていることだからです。 

不幸の後には、必ず幸運が来ることになっています。

宇宙はバランスを取ろうと、常にエネルギーが動いているからです。


2026年6月10日水曜日

4284「神さまの微笑み」2026.6.10

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月26日の記事を紹介します。


「神さまの微笑み」


縄文の昔から、日本人は、全ての中に神様を見出してきました。

(八百万の神) 

私も、特定の宗教には入っていませんが、神様の存在を確信しています。 

一方、神様を信じていない方は、

全ての判断を、自分一人で下さねばならず、人生が孤独な闘いですね。 

常に不安で、過去を悔やみ、未来に対しては取り越し苦労で、

心が休まる暇もないかもしれません。

私は神様を信じているので、やることやったら、後はお任せです。

その結果がどうなるかは心配しません。

なぜなら、どのような結果が出ようと、

その結果は、自分にとって、一番必要なことで、良きこと。 

そう、もうすでに決まっていることを、知っているからです。

全ての結果に感謝します。 

それだけです。

こんな、努力もしない、心配もしない、ちょっとズボラな生き方・・楽ですよ。

さて、小林正観さんのお話からご紹介します。

<転載開始> 転載元

偉い先生方は、掃除と感謝のことは 言う。

正観さんには そこに笑いが入りました。

笑いの重要性。

正観さんは、こんな説明をしてくださいました。

例えば 子どもがオール1を取ってきた通信簿。 

それを見たとき 

「なんでこんなに成績が悪いんだ。」

怒る父親 母親がいると思いますね。どこにでも。

しかしね。「きれいだなあ これ」と笑っちゃう人がいる。

「こんなにきれいに 1をそろえるなんて」と

笑った。あまりにきれいで、おもしろくてと。 

もう どうしようもないから。全部1だから。

その、オール1への親の笑い。

正観さんが その意味をこう解いてくださいました。

笑った瞬間というのは実は  

「その現象を100% 肯定した」ということなんです。 

わかりますか?

笑いとは肯定の一番上の行為なんです。 

首を縦に振るというのも 肯定の一部。

「そうだね。確かにそうだね」と言う。 

肯定の一部。

「笑う」という事は肯定の一番上。

100%受け入れたということ。

それが 笑いの重要な意味なんです。

そして、もうひとつの例を紹介してくださいました。

医者から宣告されたとします。

「あなたは がんです」

「がんなんですか~  ガーン」 

がんですと言われたとき 駄洒落一発・・・

「笑ってしまうというのは100%の肯定なんです」

今度は肯定の意味を説明してくださいました。

肯定をするというのは人生の中で、すごく重要なポイントです。

目の前の現象について 笑うということは、目の前の現象について、 

100%肯定したということです。

そして目の前の現象をつかさどっているのは、3人の方です。

このように「笑い」「肯定」から 本質の話をしてくださいました。

3人とは

・宇宙  と

・地球  と

・神さま  

なんですよ。

目の前の現象に対して、 

瞬間的に 笑った という事は、宇宙と、地球と 神さまへのメッセージです。

あなた方がやっていることは、肯定しています。 

とても 気に入って 嬉しいです。

面白いです。 

と言った瞬間が「笑った」ということなんです。

一方で、宇宙、地球、神さま へ、あなた方のやっていることが 気に入らない。

そのメッセージが、不平不満。愚痴。泣き言。悪口。文句なんです。

面白くない顔をして「否定した」瞬間なんです。

笑いと肯定が、神さまを味方にする。 

そわか(掃除、笑い、感謝)のひとつなんです。

笑った瞬間 神さまの微笑返しが きっとあります。

そして 肯定にも段階があります。 

その最上級が「笑い」、笑えるかなあ と心配する前に、何にでも肯定してみること。

正観さんは 

「そうだね 確かにそうだね」が肯定の一部と言われました。

現象に対する 肯定。

それを 目の前のすべて 人やモノ 動物 植物 鉱物にまで広げていくこと。

肯定、つまり承認をしてみること。

部屋にあるもの。パソコンに 机に、本や本棚 ペンに手帳、

かばんにプリンター、エアコン、部屋から見える 草花、野菜、石、 

空も 夕暮れも 雲も 星も

すべてに、「そうだね」「そうだね」と認めると、 

すべてが「そうだよ」「そうだよ」と肯定が帰ってくる。

自分は 結局 すべての中の ひとつ。

全てを肯定することは、

結局 自分で自らを承認して肯定することと同じこと

すべての中に 神さまがいる。

自分にも 神さまがいる。

そうすると日常生活のなかでは、笑いまでいかないまでも 微笑でもOK。

大きい神さま 小さな神さま、遠い神さま 身近な神さま。

特別なとき 思いがけないとき 、笑えることが起きてきます。

それには日常の中の ちょっとした微笑が大切。

微笑めば 微笑み返しが。

身近な神さまから必ず起こります。

そのとき気がつくかもしれません。

「あっ 自分も 小さな神さまかもしれないね」と。

正観さんの「感謝する」ことは、すべての存在を 認めて肯定することと同じこと。

感謝すると 神さまの微笑み返しが起こり、微笑まないと、微笑み返しはありません。

実践あるのみです。

<転載終了>

まじめな人ほど深刻になりがちですね。

そして、自分の思うように物事が運ばないと、 

・イライラして怒ったり、

・疑心暗鬼になったり、

・人を恨んだり・・

まるで「笑い」の反対なことをやってしまっています。

自分の思うようになんて、絶対にあり得ないのに・・

今、目の前の状況を 

「あぁ、そう来ましたか」と全て受け入れて、笑って感謝していたいものですね。

きっと神様の微笑み返しがありますよ。

もし、配偶者の方が居らっしゃるのであれば、夫婦が笑い合っていれば

どんな

・苦難も

・苦労も

・貧困も

きっと、楽しく乗り越えられますね。 

より一層、愛と信頼が醸成されて、絆が深まるかもしれません。

目の目に起こってくる、全ての困った現象は、神様が放った矢のように。。 

真っすぐに私たち自身に、向かって起ってきています。

私たちの心を変えなさい。 

今迄の 

・しがらみ、

・クセ

・慣習

・慣れ

・怠惰

・変わることへの恐れ

・プライド 

そこから自由になれるかどうかにかかっています。

そして、それができた時、私たちの心は、解放され、より一歩、神様に近づき、

幸せな人生を、再び歩み始めることでしょう。


2026年6月9日火曜日

4283「幸せの種」2026.6.9

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月25日の記事を紹介します。


「幸せの種」


今日は「幸せは見つけるもの」というテーマで、小林正観さんのお話をご紹介します。 

<転載開始> 転載元 

生れてからずっと目が見えいない人は、

「1秒でもいい、いや0.1秒でもいいから、親の顔を見てみたい」

「結婚した相手の顔を見てみたい」

「子どもの顔を見てみたい」

と思いながら生きているそうです。

私たちは、0.1秒どころか、生まれてこのかた、

目が見えないことなどないにもかかわらず、

目が見えるということに対して、感謝することなどまずありません。

それどころか、

・あれが欲しい

・これが欲しい

・あれをよこせ

・これをよこせ 

と現状に対して、不満ばかり口にしています。

私たちは小さい頃から、足りないものをリストアップして、

それを手にいれなければ幸せになれない、と教え込まれています。 

そのように洗脳されているのです。

それを、「夢と希望に満ちあふれた生活」といいます。

それに対して、私は「夢と希望もない生活」を送っています。

夢も希望もない代わりに、悩みも苦しみも煩悩(ぼんのう)もありません。

私は酒もタバコも麻雀も、娯楽といわれるものは何もしませんし、

休みもほとんどありません。 

「何が楽しくて生きているのですか?」 

と、ときどき尋ねられることがありますが、

「ただ幸せをかみしめて」生きている。

「自分がいかに恵まれているか」 

「自分がいかに幸せか」

「自分がいかにありがたい状況に生きているか」

ということに気づいたら、 

「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の 

「五戒」など口から出てきません。

願いがかなったら、望んだものが手に入ったら感謝する、というのは、 

本当の感謝ではありません。

何も要求することなく、不平不満を言うこともなく、 

いま目の前にあるものを、ありがたく味わう。

それこそが、本当の「感謝」なのです。

人は、自分がいかに、幸せな状況のなかで生きているかに気がつきません。

海で泳いでる魚は、海を見ることができません。

それで「自分も海をみてみたい」と思い、

釣り人が垂れている釣り糸にガブリ!とかぶりつくのです。

すると海の上に引っ張り上げられる。

それで初めて、魚は海というものを見ることができるのです。

釣り上げられた魚が「私」なら、釣り上げた人とは「神さま」。

釣り上げられた状態は何かといえば、「事故、災難」。

海とは、「幸せ」そのものです。 

神さまに「幸せというものを見せてください」と言うと、 

神さまは「わかりました」と言って、災難や事故というものを起こして、

私たちを釣り上げてくれます。

かぜをひいて、丸1日何も食べられなかったら、 

かぜが治ったときに食べた1杯のおかゆが、とてつもなくおいしく感じられるでしょう。

元気いっぱいで毎日おいしいごちそうばかり食べていたら、

おかゆのおいしさは、なかなかわからないでしょう。

では、かぜで丸1日食べられなかったことは、はたして不幸なことだったのでしょうか?

そうとはいえないでしょう。

その体験があったから、おかゆのおいしさ(幸せ)を味わうことができたのです。 

私たちが「幸せ」を感じるためには、

その前には、一般的に「つらい、苦しい、大変」といわれる状況が起こるようです。

そういう構造になっている。

そのことに気づいたら、私たちは

・つらいこと、

・苦しいこと、

・大変なこと 

に遭遇したときも、一喜一憂せずに、平静な心でいられるかもしれません。

<転載終了>

私は大分、正観さんが仰るような生き方をするようになりました。

無理して頑張るとかはしません。

人から頼まれるとか、自然の流れで、する羽目になってしまったことを

するようにしています。

なぜならそれが神さまの意思であり、神さまが引いて下さった、

良きレールだと思うからです。

流れに身を任せています。

そして、ちょっとしたことに「小さな幸せ」を見つけようと思っています。

でも世の中には、ちょっと自分にイヤなことがあっただけで 

「最悪だ!」って言う生き方をする方もいらっしゃいます。

・幸せの種を見つけるのが上手で、いつも感謝の人生を送る人

・足りないもの、悪いところを見つけるのが上手で、いつも不平不満を口にする人

たったこの方向性の違いだけで、幸福度がだいぶ異なります。

天国か地獄かです。

同じような境遇、出来事に囲まれていても、感謝の人の周りは、

光が溢れ、笑顔に囲まれていることでしょう。

不平不満の人の周りは、同じように暗い顔をした人に囲まれていることでしょう。

人生が楽しくない人、うまくいってない人は、もしかしたら、幸せも成功も、 

「見つけるもの」だとは思っていなくて、 

「与えられる」か「偶然入ってくる」ものだと思っているのかもしれません。

チャンスも「来るもの」だと思っていて、

「見つけるもの」だと思っていないのかもしれません。

ですが、感謝して笑顔で生きている方には、

きっと神さまの恵みもふんだんに現われることでしょう。

今世の中は、夜明け前の暗闇の中、

どんどん、どんどん人々の心が、不安と恐怖に向けられて行っています。

また、

・病気やケガ

・貧困

・リストラ

・介護

など、非常に困難な状況に置かれている方も居るかもしれません。

ですが、どうぞ安心なさってください。

勇気を持ってください。

神々を信じ、感謝の心で生きている人を、神様は決して見捨てません。 

見ていらっしゃいます。

今は世の中の変動の時期ではありますが、それは、良き世を作るための変化です。 

今の状況も、神様が私たちに必要だからこそ、その環境の中に置いてくださいました。 

その深い理由を、生きている最中は知る故はありません。 

ですが、ご自分の内にいらっしゃる神さまを、どうぞ、信じてください。 

目には見えなくとも、本当にいらっしゃいます。

心を澄ましていれば、いつかお声を聞くこともできるでしょう。

永遠に続く私たちの魂の道筋の中で、 

私たちは、ほんの一瞬、地球に立ち寄り、経験をさせていただいています。 

それが終われば、再び自由度の低い肉体を脱ぎ、魂の世界に帰っていきます。 

私たちが、今ここ、置かれた環境の中でできることは、 

精一杯自分なりの、花を咲かせることだけです。

その花は、人によって様々です。 

道端に咲くような可憐な花も、美しい大輪の花もあるでしょう。 

ですが、どの花も、神様にとっては美しく、愛おしい花。

どのような環境であろうと、私たちの感謝の心は、

神々が恩寵を表すために大切な媒体です。


2026年6月8日月曜日

4282「青空ひろば」2026.6.8

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新記事を紹介します。


1749 2026.05.14 ~1451 2026.05.16 

Q3.「いのちの可能性」を追求する上で、心得ておくべき事がありますか。

A.

・失敗を恐れないこと。失敗を重ねなければ成長はありません。勇気を持って「マルでダメ夫」の人生(小さなマルをいっぱい稼ぐけれど、死んだ時に見返してみると、そんな小マルで大きな×を描いている)ではなく、「ダメでマル夫」(いっぱい失敗するけれど、一生を振り返ると、その×で大きなマルを描いた人生だったと分かる)を選び取ろう。

・背伸びしないこと。自分の今持っている武器で最高の勝負をすることを目指そう。

結果の成否は知ったことでない。

・人類の魂の進化の潮流を知って、それに逆らわない正しい人生目標は持とう。

「分離」の方向の目標はあなたをエゴの殻に閉じ込めてしまう(「いのちの可能性」をますます狭めてしまう)。

「融合」の方向の目標はあなたの「いのちの可能性」をますます広げてくれる(誓願を立てることの大切さ)。

・「いのちの可能性」の追求は一生で完成出来ない。「一生1ミリ前進」です。

転生があることを知り、転生の意義を知っておくこと。

飯田史彦先生やキューブラー・ロスさんの著作を読んでおこう。転生があることを知ると、ムダなあせりがなくなって、今・ココにどっしり腰を据えて課題に取り組んでゆけるようになる。


Q1.菩薩(ぼさつ)とはどんな存在ですか?

A.菩薩とは、大乗仏教が生み出した「理想的人間像」です。

地上世界に一人(一つ)でも、苦悩している存在がいる間は、私一人だけが悟りの彼岸(ひがん:安らぎの向こう岸)に渡るようなことはしない。何度でも地上世界に転生して、最後に残った苦悩する存在が無事彼岸に渡りきったのを見届けてから、私は最後に悟りの彼岸に渡ることにしようという誓願(誓い)を立てた存在のことを菩薩と呼びます。


Q2.「菩薩」がなぜそんなハードな誓願を立てる必要があったのでしょう、その理由がもう一つすっきりしません。私にはとてもそんな誓いは立てられそうもありません。

A.

イノチは一体なのですから、自分ひとりだけが他のイノチたちを押しのけて悟ってしあわせになるということは本当は不可能なのです。私の分身たちがまだ解放されていないのですから。この世に一人でも苦しんでいる人(モノ)がいる間は、私はまだ悟っていなくて、安らぎの世界に住むことは出来ないんです。

だから、私はこの地上世界(娑婆世界)に何度も転生して、救済活動に従事するし、ついに最後の一人まで救済し尽くした時に、私はついに本当の悟りを開き(仏となる)、また同時にすべての生あるものたちも悟りをひらく(仏となる)のです。(完)



1747 2026.05.12 ~1746 2026.05.10 

Q1.何のために生きているのでしょう?

A.人は自らの「いのちの可能性」を広げてゆくために生きています。

「いのちの可能性」を広げるとは、「より高くなりたい、よりいのちの領域を広げたい」という意志・本能(いのちの根源意志)に従う行為です。

なぜ、人にはそのような成長意欲があるのかというと、あなたがあなたの人生を精一杯生きて、成功したり、失敗したり、泣いたり、笑ったり、たくさんの学びをします。そうすると、あなたの学びは「人類全体の魂(神)」に送り届けられ、「人類全体の魂」を進化成長させることになるのです。

あなたのような人生を生き、あなたのような学びが出来るのは、宇宙広しといえども、あなたしかいません。だから、あなたがあなたの人生を生き切ることは、とても貴重で、尊いことなのです。


Q2.「いのちの可能性」はどのようにして開発されてゆくのですか?

A.

・若い時は、自分の「いのちの可能性」をガムシャラに追求すればいいのです。

・やがて能力の限界に気づき、人とともに協力しあって生きることの大切さに気づくようになります。

・「差し出せば、帰ってくるものなんだ」という「お風呂の原理」を悟ります(二宮尊徳翁)。

・「いのちの一体性」を悟り、自分は人で、人は自分なのだから、自分の能力でやれるだけのgive を精一杯やってゆけばいい。自分ができないことはもうひとりの自分(他者)がきっとうまくやってくれるのだからという、イノチの本能にたいする「安心感・信頼感」が自然と湧き出します。「ヒトツイノチ(イノチの一体性に気が付く)・ヒトツのイノチの原理(全体でヒトリなのだから、私は私が担当する役割を精一杯やればいいのだと気付く)」を悟るのです。


Q1.「いのちの足腰」を鍛えるとはどういうことでしょう?

A.「いのちの足腰」が弱いと、人生の坂道をたくましく登り切ってゆけません。人生のはるかに遠い目的地までたどり付けません。

Q2.では、「いのちの足腰」を鍛えるにはどうすればいいのでしょう?

A.「徳を積む」ことによって「いのちの運び」が堂々としてたくましくなります。

Q3.「徳」とは何でしょう?

A.徳(グナ)とは、「現世で使用出来る心のエネルギー」のことです。

「心」には「波羅蜜多性(ハラミッタ性:想いを自動的に現実化する性質)」があるのです。丁度、タクシーのようなもので、行き先さえ告げておけば、後は眠っていても、目的地に到達できるのです。心にはそういう目的地到達の自動性があります。

徳が高いと、心の「波羅蜜多性」が強くなり(タクシーの燃料が大量)、想いが実現しやすくなるのです。

徳エネルギーは一気に貯まりません。時間をかけてゆっくり貯めてゆかねばならなりません。


Q4.「徳」を積む(心のエネルギーを蓄える)にはどうすればいいのですか?

A.徳を積むには、他者に対する見返りを求めない善行(布施(ダーナ)行)を実践しなければなりません。


Q5.「徳」を積むには、具体的にはどんな善行をすればいいのですか?

A. <布施行(ダーナ行)の種類> は、『出雲記伝』(バンクシア・ブックス)に詳しく述べているのでお読みください。

財施(ざいせ:貧しい人や困窮している人にお金や物品を提供する行為)

法施(ほっせ:人の心の傷を癒し、安心させてあげ、元気を取り戻してもらうような真理の教えを説く。自分が真理を体得して他の人に説く。また、自分がまだ真理を説けない場合は、師の教えを人に解説する。人に師の教えを紹介する。師のお話の録音を聞いてもらう。師が書かれた本を人にプレゼントして読んでもらう。師の本を印刷出版する(印施ともいうなど)。

無畏施(むいせ:人に安心を提供する) 観音様は「施無畏者(せむいしゃ」 と呼ばれている。

身施(しんせ:カラダでやるダーナ行、ボランティアなど)

和顔施(わがんせ:笑顔で人に接する)

愛語施(あいごせ:思いやりのある言葉で人に接する)

座施(ざせ:職や結婚相手を紹介してあげる。真理が説かれる法座に連れていって座らせてあげる。人やモノを本来のあるべき位置に戻してあげるのも座施)

随喜施(ずいきせ:ともに喜んであげる)


Q6.なぜ「徳」(善行=布施行)を積めば、心のエネルギーが増加するのでしょう?

A. 人のために手を差し出し、足を運べば、「自我の狭い囲い」が破れます。「自我の囲い」が破れれば、他の人や世界と生き通しとなります。そうすると、「自我の囲い」が邪魔して流入出来なかった世界全体の徳エネルギーがあなたに流入できるようになります。また、囲いがないので、世界全体にあなたの想いがよく届くようになります。


Q7.「徳」を積む上で、さらに心得ておくべき事柄がありますか?

A.

① 一過性の徳積みだけでなく、ご縁が出来たところで、粘り強く長い時間かけて掘り下げて善行を続けてゆくことも、出来ればしていった方がいいのです。

② 徳を積むには時間がかかるから、若いときから実践しておいたほうがいいです。しかし、歳をとっていても、そこから躊躇せず、その時から徳積みをスタートするべきです。というのは、徳積みは一生ものでなく、多生の渡るものなのだからです。(完)


2026年6月7日日曜日

4281「神さまにお任せ」2026.6.7

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月24日の記事を紹介します。


「神さまにお任せ」


今日のテーマです。

このブログで、よく 「神さまにお任せ」すると書きますが、 

その具体的な意味を,、小林正観さんが書いていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 

■ 宇宙に自分の運命を委ねる

私は 

・事故に遭うこと、

・病気になること、

・死ぬこと、

・仕事に関すること、

・財産に関すること

など全て

・宇宙任せ

・神任せ 

にしています。

「好きにしてください」という状態なのです。

あるところで、ある示唆や、暗示的偶然の重なりが必ずあります。

その示唆に対し抵抗しない。

「こうしてみたら」という宇宙的示唆を感じたらその通りにする。

生き方、仕事、全て、私はそういう「流れ」が感じられたとき、

それが宇宙からの示唆だと思い、その示唆を指針としてきました。

宇宙からの「示唆」を素直に受け、

自分の好き・嫌いなどという感情や価値基準は二の次にします。

「偶然」的なことが二つ以上重なったなら、

きっとそこには何か宇宙的意志があるに違いない、それに素直に従う。

シンクロニティ、意味のある偶然

流れに乗り、そのままイカダで下って行くのです。

「宇宙的意志」が感じられたらそう動く。

「引っ張られる」という感覚でもあります。

宇宙に自分の運命や運勢を委ねてしまう。

宇宙的流れがどちらを示唆しているかだけを考える。

そしてそれに従って動く。

私はイカダを浮かべているだけです。

■ 災難を避ける方法

良寛和尚がある人から「災難を避ける方法」を尋ねられたとき、

こう書き送ったと言われています。

 「災難に遭うときは遠慮なく災難に遭いなさい

  病気になるときは遠慮なく病気になりなさい

  死ぬときは、遠慮なく死になさい

  それが災難を避ける最良の方法」

災難も病気も死も、宇宙が色濃く関っているに違いないのです。

そういう分野のことは、

「宇宙」や「神」にお任せしてしまう。

委ねてしまおうというわけです。

生きることが間違いなく楽になります。

■ 宇宙の声を聞く

今の職場をやめたいとか、今の人との結婚をどうしようとか、 

そうした問題に苦しんでいるときは、よく耳を澄まし、よく目を見開くと、 

いくつかの現象が同じ方向を示しているものです。

その「宇宙の声」が分かり始めると楽しい。

さらに、素直に受け入れるほど、

宇宙はどんどん「示唆」をくれるようになります。

自分の運命や運勢は「宇宙」に委ねてしまう。 

・生きること、

・死ぬこと、

・老いること、

・病気すること(生老病死の「四苦」 

・愛別離苦、(愛する人と別れる苦しみ)

・怨憎会苦、(怨んだり憎んだりしている人とも会わなければならない苦しみ)

・求不得苦、(求めているものが得られないことから生じる苦しみ)

・五陰盛苦(肉体を持つが故の苦しみ) 

についての全てです。

実は、「宇宙」に委ねるとは言っても、その宇宙が示してくれる環境は全て、

自分が生まれる前に設計し、用意していたものなのです。

ですから、自分にとって悪いようにはなっていないのです。

■ 病気に感謝

ある合宿で、難病の人六人を含む、十八人が集まりました。

その合宿は、結果的にその六人を中心とした

「難病者合宿会」のようになりました。

私が感動したのは、六人が六人とも

「病気になったことに感謝している」ということでした。

「感謝」は観念論ではなく、非常に具体的なものです。

「世の中に、人のことを親身に考え、徹底的に親切で温かく、

思いやりがあり、限りなく優しい、そういう人たちがたくさん居て、

自分たちを待っている」ことに気が付かせてもらったというのです。

それらの人に会いに行き、知りあいになり、仲良く付き合い、

さらに人間を取り巻いている「精神世界」や「宇宙」の奥深さ、

面白さ、楽しさもを知ることができたのだそうです。

「もし病気にならなければ一生こういう素晴らしい世界や

人が存在することを知らなかっただろう」と口を揃えて言うのです。

挫折や困難や障害や病気を持つ人、直面する人、問題を抱えている人は、 

もしかしたらそのおかげで、

普通の人生だったら簡単には出会えないような素晴らしいものに、

たくさん接することができるのかもしれません。

死に至る病気にさえ「感謝」する心境に、人間はなれるのです。

・優しいまなざし

・思いやりある言葉

・温かい笑顔 

のお陰で。

<転載終了>

宇宙の仕組みや、

神さまの行動の原則などが分かってくると、楽しくなってきます。 

ありとあらゆるところに、神さまの働きを感じることができるからです。 

いつも傍に居てくださることが分かるからです。 

また、偶然が起きた場合も、「どうせ偶然でしょ」と冷たくあしらわず、 

「まぁ凄い、面白いね」と素直に喜んでいれば、

神さまはなおさら沢山の偶然を見せてくださいます。 

また神さまの声は、誰かの口を通してくることもあります。 

小川のせせらぎの音や、子供たちの笑い声、そよ風なども、

神さまが私たちにプレゼントしてくださっているものです。 

そのように繊細な心で、神さまの働きを感じられるようになると、

もう全てのもの、事に感謝しかありません。

神さまの働きに気付き、人が感謝すればするほど、神さまは私たちの身近で、 

良きことを起こしてくださいます。 

自分で、頑張って努力して、どうこうしようとか、人をどうにかしようとか、、 

そんなこと、もうどうでもよくなります。 

今、現在、自分の居る場所で、

全ては調和し、全ては充足し、満たされているのですから、

何かが足りないとか、これが無いからとか、 そんなことは一切ありません。 

神さまは、私たちの置かれている状況を、熟知していらっしゃいますから、 

必要なものは全て、既に、周りに用意されています。 

それに不足を感じたり、不満を感じるのは、私たちの我がままです。

今居る場所、環境、状態で満足し、

感謝していれば、全てはうまく回るようにできています。

それこそが、「置かれた場所で咲きなさい」と仰る神さまに、

感謝をこめて報いる方法です。 

私たちは、一人一人生まれて来た目的があります。

その目的は、生きているうちに明かされることはありませんが、

「神さまの流れに任せ」ていれば、自然に達成されるようになっています。

素直で、優しい気持ち、お互いさまの気持ちで、

ニコニコ生きていれば、きっと素晴らしい人生になることでしょう。 


2026年6月6日土曜日

4280「地球の住人」2026.6.6 

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月23日の記事を紹介します。


「地球の住人」


私たちはこの地球に生まれてきました。 

そして泣いたり笑ったり、苦しんだり、楽しんだり、色々な感情を心で味わいます。 

自分で味わうだけでなく、家族や友人と感情を分かち合ったりします。

また心の進化が進んだ人は

神様と感情を分かち合い、魂の交流を図ります。

神々はこの行為を深く喜んでくださいます。

それほど私たち人間を慈しみ、愛しているからです。 

私たちは、誰もが永遠の命を持っています。

なぜなら私たちの魂は、神様から頂いたものなので、

神様と同じく、私たちの命には始まりも終りもありません。

地球ができてから45億年。

私たちは、そのずっと前から存在してきました。

観測によれば、

この宇宙はおよそ138億年前にビッグバンにより誕生しました。

また、私たちの宇宙の外にも

無数の別宇宙が存在していると言われています。

そこでは、私たちとは全く異なる自然法則、

価値観の世界が展開されているのだとか。。

ですが、少なくとも私たちのこの宇宙では、 

「愛こそが全て」という共通の価値観が成立するようです。

神様は愛そのもの。

全ての現象の根底には愛が流れている。

憎しみさえも、愛の変形である・・  

と言われています。

私たち永遠のイノチある生命体は、

もちろん地球が存在する前から存在していました。

ですので、厳密な意味では、地球ネイティブな人は存在せず、

全ての人の故郷は 、別の星ぼしにあるとも言えます。

地球での学び、これは大変人気があり、

なかなか転生させて頂けないようですが、つかの間の学びが終われば、 

また故郷の星に帰って行くのでしょう。

私たちは、この永遠とも言える長い時の中で、大変な確率で出会い、 

そしてお互い感情をぶつけ合い、愛し、愛され、憎み憎まれて 

この星の生を終わりにします。

時には同じ星から来た仲間たちと、出会うこともあるでしょう。

私たちには産んでくれた両親がおり、慈しみ育ててくれた誰かがいます。

共に学びあった友がおり、憎しみ合った誰かもいるかもしれません。

ですが、私たちには確実に地球を離れ、星に帰って行く日が訪れます。

愛する人たちに、いつかは「さよなら」を言う日が訪れます。

君と僕、本当は今まで、離れたことなどなかったんだ。

全ては幻想に過ぎなかった。

魔法のメガネが、そう見せていただけだったんだ 。

僕は、小さな頃から星空を見上げるのが好きだった。

何故だかわからないんだけど。

きっと星は何でも知っている、星が教えてくれる「愛」を 、

小さな子供の僕は知っていたんだと思う。

今やっとわかったことがあるよ。

全ては今この時を迎えるための準備だったんだってこと。

今、この瞬間をともに生きる、大切な仲間たちの「愛」に囲まれて 、

僕たちはずっと一緒だったんだってこと。

離れたことなど一度だってなかったこと。

今、それがわかる

このハートがドキドキして教えているから、

今まで一人ぼっちだったことなんか、本当は一度もなかったこと。

ただ、僕の目には、何かヴェールが掛かっていたから 、

ちょっとの間、迷子になっていただけだったんだ。

何故かわからないのに溢れてくる涙 、

迷子だった僕を見つけてくれた母が、抱きしめてくれた時の「涙」に似ている。

本当はみんな何でも知っている。

ただ、思い出すキッカケを、探しているだけなんだ。

何故、ここで生きているのか、何をしにここに来たのか 、

本当はハートは何でも知っている。 

それは、何かしなくちゃいけないとか、使命とか、そんな大それたものじゃなくって 、

自分のハートを信じてあげること。

ただそれだけなんだ。

そして、今できること。

ハートが動かしてくれること。

今、目の前に居る人と、分かち合うことをすればいいだけのこと。

同じ愛からできた仲間を、愛するだけのこと。

それは、ちゃんとハートが教えてくれるから。

ドキドキしたら、それはOKのサインだから。

溢れる涙は、本当にそれでいいんだよっていう印だから。

今、僕達は全てのものと繋がろうとしている。 

今までの人生、全ての出来事 、すべての出逢いが 、

今、僕をここに連れて来てくれたこと。

今の僕を創ってくれたもの 。

何一つ、どれ一つ、誰一人 欠けてはならなかったこと。

今、僕はみんなと繋がろうとしている。

宇宙の愛と繋がろうとしている。 

やっとこの星の住人、本当の自分として、生き始めようとしているんだ。

古代ハワイ&ポリネシアに伝わっていた、「フナ(HUNA)」の叡智。

「フナ」とは、「隠された、秘密の」と言う意味を持つハワイ語で、 

古代ハワイ&ポリネシアの、

「カフナ」と呼ばれるシャーマン達が使っている秘法の総称です。

ハワイの教師サージ・キングは、カフナの歴史を次のように述べています。

「アトランティス大陸が現れる遥か昔のある時、 

現在プレアデスとして知られている星団から、 

或る人種(存在)がこの太陽系にやってきました。

殆どの聖人(存在達は)、今日ムー伝説で知られる、

太平洋にあった大陸に住み着きました。

彼等は自分たちをムー人と名乗りましたが、

他の人達は彼等を【秘密の力を持つ人】という意味の、 

マナフナ、又は、メネフネと呼びました・・・

ムー(レムリア)では

かなり高度の文明が発達していたそうですので、 

プレアデス星団からの

叡智を引き継いでいるかもしれませんね。


2026年6月5日金曜日

4279「現実を変える想いの力」2026.6.5

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月22日の記事を紹介します。


「現実を変える想いの力」


今日は、人間の持つ「想いの力」がどれほど強いものか、書きたいと思います。 

人間の「想い」は非常に強いものです。 

・生きている間であれば、無意識のうちに「生霊(意識)」も飛ばせます。

・肉体に変化を生じさせることもできます。 

それでは、まず一例を、元春日大社の宮司

葉室 頼昭さんの、ご著書「心を癒し自然に生きる」よりご紹介します。 

葉室 頼昭さんは、日本での形成外科医の草分け的な存在でした。

<引用開始>

あるとき一人のお母さんが小学校四、五年生の男の子を連れて来た。 

見たら、男の子のおでこに、ひどい傷あとが残っている。

診察をして、「心配いりません。 きれいになりますよ」と言いました。

それなのに、そのお母さんがその傷をいちいち説明するんですね。

上から一ミリぐらいのところが膨れているとか、

そこから曲がって二、三ミリしたら赤くなっているとか、

上から下まで全部説明して、「これがきれいになりますか」と聞かれるから、

今度は「きれいになりません」と答えました。

「いま先生はきれいになると言われたではないですか」と言うのですが、

お母さんがそんなに子どもの傷に心を集中していたら、 

絶対にきれいにならない。

またお母さんの 「念」が、傷を出しますよと言いました。

なぜお母さんがそこまで固執するのかというと、

その子どもが赤ちゃんのとき、お母さんが持っていた剃刀か何かで、

誤って赤ちゃんのおでこを切ってしまったんですね。

それを思い続けていままで来たから、

その傷から目を離すということができなかったのです。

「どうしたらきれいになりますか」と言うから、 

お母さんが傷のことをいっさい考えない、

忘れると言うのなら手術をしてもいいけれども、

そうでなかったらきれいにならないから手術をしないと言いました。

そうしたら、そのお母さんが「今日からいっさい傷のことを言いません」と言うので、

手術をして、その傷はきれいに治りました。

それからも十日か半月に一回ずつ通院して、一年がたちました。

ところがなんと、前と同じ傷がおでこに現われてきたのです。

手術する前と全く同じ傷です。 

へこみから赤みかみから、まったく同じ傷ができていた。

こちらが寒気がするほどです。 

「やっぱりお母さんは、その傷が忘れられなかったのです。

手術したおかげできれいになった。そこまではいいんです。

ところが、「先生、ちょっと待ってください。

上から五ミリぐらいのちょっと赤いのは大丈夫ですか」と、

すぐにまた言い出した。

それから一年間、来るたびに言い続けていました。

そして一年たったら、まったく同じ傷が現われてきたんです。

それは確かに、自分の手で手術をして、間違いなくそのときに全部取ってきれいになっ ています。

でも、またその傷が出てきた。単に傷あとが目立ってきたということではない。 

前と同じ傷が出てきた。

いかに母親のこころが、

子どもに影響するかということを、目の当たりにさせられました。 

<引用終了>

葉室 頼昭さんの手術は、神様とともに行っていました。

土台は、あらゆるものに対する「感謝の心」です。

これにより、世界でも例をみないほど、後に残らない

みんなが幸せになる手術を行っていました。 

この例は、母の強い思いが、子供に現実の傷跡として現れたという例です。

私たち人間の想いの力は強く、それは、強い想いであればあるほど、

持続すればするほど、現実世界(3次元の世界)に現れやすくなります。 

それは、私たち人間が神さまと同じ力を与えられているからです。 

またアメリカの心理学研究チームが

「典型的な二重人格の青年を発見した」と報告したことがあります。

「二重人格」とは、一人の人間に異なる二つの人格が生まれるケースです。

この青年の場合、通常のA人格のときはオレンジにアレルギーがあり、

別のB人格になるとアレルギー症状がサッと消えるという現象がわかりました。

「病気」は「人格」と連動していて、「心が健康」であれば、

「体も健康」だということが実験で証明されました。 

私たちが、考えたこと、意識したことは、

そこにエネルギーが供給されることと同じことです。 

どんどん、エネルギーが流入し、現実化しやすくなります。 

五体不満足の著者「乙武洋匡」さんが、

「じゃがいも」のような手と足しかなく生まれた時(著作の記述通り)、

1ヶ月遅れの母子対面の時、

病院の医師や看護婦、周りの人々が手足のない息子を見て、

母が卒倒するのではないかと心配していましたが、

お母さんは、開口一番「まあかわいい」と言ったそうです。

その後もお母さんは、彼の無いもの(手、足)に意識を向けることなく、

彼の全部をひっくるめて愛してくれました。 

母が、無いもの(手足)に、何時までも執着し、悔み

意識を向け、落ち込んでいたら、きっと母子ともに暗い人生を歩んでいたかもしれません。 

子供が心配だ、心配だと、何時までも、取り越し苦労をし、心を乱していたら、 

そこにエネルギーが流入し、きっとそれが、現実化することでしょう。

このことは小学生の神様トキ君も同じことを言っています。

意識の力は強大です。  

これは私たちの意識の科学でもあるのですが、

私たちが何か意識するだけで、そこにエネルギーが流れ込みます。 

(私たちは本来、神さまと同じ力を持っていますから、神さまと同じことが起こるのです。)

例えば、人の悪いところが気になり意識していると、 

本当は小さな小さなことなのに、過大に悪しきことが評価され、 

自分にはその悪い面しか見えなくなります。

相手も、そう思われていることに、無意識に気付いていますから、 

自分のことを「悪」と観ている人の前では、

「悪」、もしくはさらにパワーをもらい、「極悪」としてふるまってしまうのです。 

その極悪人と言う役目を、私たちの無意識から、受け取ったからです。

ですから、悪しきことには、意識を向けないことが大切なのです。

これを「悪」ではなく、どこか良いところを探し、相手の「良き心」を意識すれば、 

これと逆の現象が起こり、良き部分に、エネルギーが流れ込み、 

その人は、天使のような慈悲の人となることでしょう。

ですから、私たちが、どの部分に意識を向けているか?

それはとても大切なことです。 

私たちの心を 

・いつも穏やかにしておくこと、

・感謝の気持ちで満たしておくこと。

人は、 

・自分のことを「良き人」と見てくれる人に対し、

・自分のことを信頼してくれる人に対し、

・自分に感謝してくれる人に対し、

どのような極悪人であろうと、善人にしか、なれなくなるのです。

これは、人に限ったことだけではありません。 

神様が作ってくださった被造物、全てに当てはまることです。

どのような人、物、状況に対しても、病気、ケガもですね。。

感謝し、受容(受け入れる)していれば、 

悪しきことは、忘れ、良きことに意識を置いておけば

それだけで、神様は良きように計らってくださることでしょう。


2026年6月4日木曜日

4278「心が作り出す現実」2026.6.4

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月21日の記事を紹介します。


「心が作り出す現実」


今日は斎藤一人さんの「上手くいかない訳」です。 

自分の人生を作っているのは、自分の心。 

決して、

・偶然に今の不幸な境遇になった

・棚からぼた餅で幸運を手に入れた

訳ではありません。

自分の心の中にあるものが現実化して、目の前に現れています。 

そのことを心から腑に落とせれば、 

どんな時でも、

幸せになる方法を手に入れたということと同じです。

<転載開始> 転載元 

不幸そうな人をよく見てみるとね、そういう人って、

愚痴や泣き言、人の悪口を言っていることが多いんです。  

例えばお茶は、水に茶葉が入っているよね。

煎(い)れる前に茶葉を抜いたら、ただの水にしかならない。 

何が言いたいんですかっていえば、

物には必ず構成要素があるということです。 

お茶には、水と茶葉という構成要素がある。 

それと同じように、あなたに今起きていることは、

そういう構成要素が心にあるからなんだよ。 

嫌なことばっかり起きるんだとしたら、

・自分の中に悪口っていう要素があるんじゃないかな、

・愚痴の要素があるんじゃないかな。

そう考えてみて。

悪口は、人のことを言うこと。 

愚痴は、自分の弱音。

うまくいかない人ってね、ほとんどは悪口とか愚痴とかの要素があるからだよ。 

愚痴とか悪口とかってね、絶対に言わないつもりになっても、つい言っちゃうんです。

でもね、言わないぞって決めたら、必ず減っていきます。 

それを繰り返してると、ちょっとずつ分が変わってくる。

自分の構成要素が変わってくるんだよね。 

で、自分が変わると、世の中って見事に変わっちゃうんですよ。 

一人さんってね、ものすごく幸せなんです。 

商売だって、バブルも何も関係ない。

バブルのときも景気はよかったけど、バブルがはじけても景気がいいんだよ。 

リーマンショックだって、私には関係ないの。 

なぜかって言うと、私は人の悪口って言わないし、国の悪口も言わない。

アメリカのせいだとも言わないんです。

そういう人には、普通とは違う現象が起きてくるんだよね。 

もし家の中で家族が愚痴や文句ばかり言っていたとしても、

自分は言わないようにすればいい。

一緒になって言っても、世の中が自分の思う通りになるわけじゃないし、

生活がよくなるわけでもないからね。 

むしろ、言えば言うほど状況は悪くなるだけです。

だったら、相手が何を言っても、

自分は言わないことに挑戦してみようって思うこ とだよ。

人生を変えたかったら、何か別のことをしなきゃ。 

今までと同じことをしながら別の人生を望んでも、それは無理だよ。

愚痴とか悪口とか泣き言を言いながら、

幸せな人生を欲しがっても絶対にできないんです。

あり得ないよ。 

だって、愚痴とか文句を言ってること自体、もう不幸なんだから。

まずは、それを やめることだよね。

そう思って、愚痴とか悪口をやめることに挑戦してごらん。 

筋肉質になりたかったら、筋トレとか体操をしなきゃいけない。

それと同じで、部屋でゴロゴロしながら筋肉質になりたいって、それは無理なんです。

会社に行ってると愚痴が出るって言うんだったら、会社を辞めたっていい。 

ご主人の悪口がやめられないんだったら、別れちゃえばいいんだよ。

ただね、人や環境のせいにして愚痴や悪口がやめられない人って、

往々にして、会社を辞めても、旦那と別れても言い続けてるもんだよ(笑)。

<転載終了>

一人さんが仰るように、

愚痴や泣き言、人の悪口を言っている人は、 

・笑顔が無いし、

・いつも不幸を背負い

・ついてない事ばかり起こる人生を歩む

人が多いようです。

それに対し、

・笑顔で

・「ありがとう」の言葉を口にし

・いつも周りに感謝している人は 

幸せで、温かで優しい人々に囲まれていることが多いようです。 

愚痴や、泣き言、悪口を言わない・・・ 

と言うことは簡単そうに見えて、癖になっていますから、

何度も、繰り返し、失敗し、

決心し尚す必要があるかもしれません。 

ですが、その努力の恩恵は、

計り知れない幸せになって自分に帰ってきます。 

自分の回りで起こって来る出来事は、

全て自分の心、発した言葉から起こって来ます。

「自分の発する言葉」とは、

普段私達が考えていること・・ということです。

つまり今、私達の置かれている環境は、 

私達の意識に丁度良いもので囲まれていると言うことです。

ですから、

・甲斐性の無い夫も、

・いつもガミガミと文句を言っている妻も、

・言うことを聞かない反抗的な子供も、

・怒鳴ってばかりいる上司も、 

全ては、今の自分に丁度良いから、存在していると言うことです。

もし、幸せな、落ち着いた、

思いやりのある環境の中で生きて行きたいなら・・・

「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」と

言い続けていると、 

「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」

仲間が集まってきます。

このような言霊を使うことにより、自分自身がまとう波動と言うか、

オーラというか、雰囲気を変えて行くことで、

それにふさわしい(丁度良い)未来が作られていきます。

貴方は普段、どのような言葉が多いですか?

不平・不満・愚痴・悪口・陰口・恨み・ねたみ・そねみ などの言葉ですか?

それとも

嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる 

などの言葉ですか?

その貴方の発した言葉は、 

・回りを元気にしますか、

・勇気づけますか、

・笑顔にしますか?

それとも、

その言葉を聞いた、周りの人は、

・暗く、重苦しい気持ちになりますか?


2026年6月3日水曜日

4277「青空ひろば」2026.6.3

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新記事を紹介します。


1741 2026.05.04

Q.癒しの主要条件は?

A.

<『癒しのメッセージ』リチャード・カールソン他編(春秋社)より>

(1)いのちの能力に対する信頼

(2)よきヒーラーは、自分を愛し、許す

(3)判断しない(既成の範疇に患者を押し込もうとしない)

(4)子供に見習おう。オープンマインド、常に可能性に対して心を開いていること。


1740 2026.05.03

レイチェル・ナオミ・リーメン「私の患者のなかには、生死の境をさまよった人が何人かいます。そのうちの一人の女性は、生きる目的は医者や母親になることでもなければ、創造的になることでも、スマートになることでも、あるいは金持ちになることでもない。賢く成長し、他人をもっと愛せるようになることだ、という悟りを開いて死地から帰還した、と話してくれました。すべてがここに言いつくされています」

(註)「レイチェル・ナオミ・リーメン」:コモンウイール健康・疾病研究所の創立者、所長。カリフォルニア州ポリナスのコモンウイール・ガン救済プログラムの共同創設者。


1739 2026.05.02 

どの人も/精一杯の人生を/おくっています

 どの人も/その人にしか歩めぬ人生を/歩んでいます

 どの人も/宇宙でたった一人の/貴重な存在なのです

 どの人も/本当はひとつに/結ばれているのです

 どの人も/きっと「ひとついのち」に/帰り着くのです    

 AさんもB君も/実は君なんだから/Aさんにできることは

Aさんに任せ/B君にできることは/B君に任せて

 君は心置きなく/「君」していればいいんだよ


1738 2026.04.30 

スタンフォード大学病院の集中看護育児室の責任者であったマーシャル・クラウス氏が一つの実験を行いました。

乳児たちを二手に分けて、半数の乳児にはこれまで通りの看護を与え、別の半数の乳児には数時間おきに15分間、タッチングをする、というものです。

指で、小さな乳児の背骨をさするのです。その結果、タッチングを受けた乳児のほうが生存率が高いということが分かりました。

タッピング・タッチという技法があります。


1737 2026.04.29

キューブラー・ロス「私はOKじゃない、あなたもOKじゃない。でもそれでOKなの!」

カール・ロジャーズがカウンセリングを始める前に自分に言い聞かせること『私は完全じゃないが充分な存在なんだ(私が私であることで充分なのだ)』

自分がありのままの自分であることを受け入れ、そこに落ち着く→そこから「癒し」の過程がスタートするのです。これを「存在の癒し」と言います。


1736 2026.04.28

Q.坐禅にはどんな功徳(効能)があるのですか?

A.

 <身心の有り難さ>

① 坐禅すれば、無上の身心の悦楽を体験する。何かの対象があって嬉しいというのではなく、対象なしにただ嬉しい、ここに存在しているだけで嬉しいという最高レベルの悦楽が体験できる。

② 坐禅すれば、身心が柔軟になり、呼吸や動作がなめらかに、スムースにできるようになる。円相を描くような感じで行動できる。日常生活でも、このスムージング効果が持続できるようになる。

③ 坐禅すれば、身心の固まりがほどけ柔軟になり、いのちの充電ができて、健康を維持できるようになる。

④ 坐禅すれば、身心の結ぼれがほどけるので、よく眠れるようになる。

   

<処世上の有り難さ>

① 坐禅すれば、問題なんて本来なかったのだと気づく。すると、「問題なし」をゴールとするドラマが現実世界に展開して、その問題が消滅するか、解決してしまう。

② 坐禅を習慣にすると、アタマを押しのけて「本能」が表に現れてきて、自分にあると思わなかった能力が発揮できて驚くことが多くなる。自分に自信が持てるようになる。自分の能力に限界を設けなくなる。

③ 坐禅してカラッポになった心と体に「こうしたい」という希望を伝えると、直ちに現実化することが多くなる。

④ 坐禅すれば、自分が自分であることに自信が持てるようになる。そうすると、自分が最高に輝くことができる「役割」が果たせる環境に、おのずと運ばれてゆく。


1735 2026.04.27

Q.お釈迦様の坐禅はどんな坐禅だったのでしょう?

A.

お釈迦様は骨と皮になるまで苦行を積まれましたが、ついに悟りは開けませんでした。それで、自分に絶望して、修行を断念されました。それを見て、共に修行していた仲間は落伍者だと軽蔑して去っていってしまいました。自分に絶望し、また友も失って、まったくの孤独になり、過去の一切を洗い流したいと、尼連禅河(ニレンゼンガ)で沐浴されました。


沐浴したあと、体力が尽きてしまって、岸で倒れていました。そこにスジャータという少女がやってきてヨーグルトを恵んでくれました。それで、少し体力が回復して、匍うようにして菩提樹のもとにたどり着き、坐りました。

もう修行は断念していたので、悟るために坐るというような坐りではなく、ただホーッとしてなんとなく坐っただけです。すると、なぜか内側からあふれ出す生命力が自他の囲いを突き破り宇宙全体にまでいのちの奔流が届きました。ついに悟りが開けたのです。

お釈迦様の悟りはどういうものであったか、坐禅しておられるガンダーラの仏像のお姿から知ることが出来ます。静かに微笑んでおられ、なで肩で坐っておられます。それを礼拝しただけで、私は大きな「許し」を頂いた気持ちになります。

お釈迦様の坐禅は、どん底の孤独から立ち上がった「温かい許しの坐禅」なのです。


1730 2026.04.19 ~1734 2026.04.26

Q.大敬先生の坐禅にはどんな特長があるのでしょうか?

A.

・大敬の坐禅は、アタマを手放して坐ります→アタマで坐っている人は必ず眼がつり上がって、肩を怒らせて坐っています。大敬の坐禅は、なで肩で垂れ目です。 

・大敬の坐禅は、カラダで坐ります。

 (註)カラダに戻って坐れば、自然に「今・ココ」に戻れます。カラダは「今・ココ」にしか居れないからです。悩みは過去や未来にアタマがフラフラ漂い出して発生するのです。だから、アタマを手放して、カラダで坐るようにします。


 ・大敬の坐禅は、全身で組む印契(ムードラ)です。坐禅の姿そのものが、宇宙全体とピッタリひとつになるという全身印なのです。 宇宙全体を愛し、抱擁する全身印です。

・大敬の坐禅には、良し悪し、合格不合格はありません。アタマの判断はニセモノです。いい時も悪い時も「そういう時もある」と受け流してただ坐りましょう。


・大敬の坐禅は、自分をそのまま認め、受け入れ、許し、愛するように導いてくれます。

・大敬の坐禅は、他者(世界)をそのまま認め、受け入れ、許し、愛するように導いて仕向けてくれます。


・大敬の坐禅は、私たちはどこから来て、どこを目指しているか教えてくれます。私たちは「一」から来て「一」に帰るのです。その懐かしい故郷が分かります。

・大敬の坐禅は、あなたがあなたを生きていることの貴重さ、尊さを教えてくれます。あなたがあなたを精一杯生き切ることによって、全体の生命(人類の魂、神)のために最大の貢献をしたことになるのだということが分かります。


・大敬の坐禅は、あなたの身心をホドキます→「ほどけた」人が「ほとけさま」です。

・大敬の坐禅は、疲れきったあなたを温めて「いのちの充電」をしてくれます。

・大敬の坐禅は、あなたのいのちが一層輝くのにふさわしい位置にあなたを運んでくれます。


2026年6月2日火曜日

4276「神さまの教える諦めの心」2026.6.2

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月20日の記事を紹介します。


「神さまの教える諦めの心」


今日は、聖なる諦め、 諦めることがゴールであり、スタートであるというお話です。 

このテーマでは、以前から何度も何度も書いていますが、

このテーマも、日本神界 高位の魂である、

山幸彦の魂を持つ、小学生のトキ君の情報とピッタリと一致しているため、 

このことが、神様の真実であることが推認できます。 

私のブログでは、ブッダやイエス、そして日本人の心に伝わる、

古の神道を情報ソースとして書いていますが、

この小学生の子供が、いくら神様の魂を持つとは言え、

同じ内容を語っていることに驚きます。 

既に、沢山の神様の魂が、この日本に転生を始めているそうです。 

本当に「精神性復活の時代」夜明けが近づいて来た様です。

トキ君は以下のように話しています。

・諦めるは、ゴールでありスタート

・諦めると、また新たなスタートに立てる

・「諦めない」と言う言葉は、ゴールを自ら遠くへと設定してしまうこと

・諦めた瞬間に心が解放される

・本当に自分がやりたいことであれば、あきらめなくても良いけれど

少しでも嫌な気持ちがあるなら、諦めて新たなスタートに立った方が良い

・諦めると楽になって心が明るくなる

・諦めた瞬間に、どんなことでも出来るようになる

・諦めるということは「それでいいんだよ」って言うこと

・諦めないは「それじゃ、ダメ」って言うこと

・諦めるとは 認めるっていう意味

・出来ない自分を諦める

・出来ない相手を諦める

また同じようにブッダと神道のエッセンスより

「諦め」について以前書いた記事がありますので、加筆修正して載せたいと思います。

小林正観さんのお話から、

ブッダの悟りと、日本に昔からある神道が、驚いたことに全く同じ到達点にたどり着いている

について書こうと思います。

 

ブッダは2,500年前に、この世の苦しみ、悲しみの原因は、

自分の思いどおりにならないこと、

と悟りました。

自分の思いどおりにならないことに対して、それに逆らって、

なんとかしようと するからこそ、人は悩み・苦しむのです。

人の苦しみや悲しみは、外から与えられる、ものではありません。

苦しい・悲しいと思う心、つまり、人の内(心)から、

苦しみや悲しみが発生しているのです。

だから、お釈迦様は、こうおっしゃっています。

「すべて、受け入れなさい」と。

それは、頑張る生き方ではなく、楽に生きる生き方です。

・人に頼って

・人に甘えて

・あるいは人に頼られて

・時には人から甘えられて

自分の思いどおりに、世の中を変えようとしないで、

それを受け入れて、こころを楽にして生きてゆくこと。

そして、最高の形は、「ありがとう」と、感謝することだったのです。

・水を飲めることに「 ありがとう 」

・息ができることに「 ありがとう 」

・食事できることに「 ありがとう 」

・仕事があることに「 ありがとう 」

・家族がいることに「 ありがとう 」

・友達がいることに「 ありがとう 」

・話ができることに「 ありがとう 」

・歩けることに  「 ありがとう 」

・病気でないことに「 ありがとう 」

・生きていることに「 ありがとう 」 

これは、日本に古くから存在していた、古神道と同じ結論です。 

感謝の心が、神々の恩寵の表れる場となる・・

ということです。

 日本の神道には

・教義も

・教祖 

もいません。 

だから宗教とは呼ばれません。 

全てのもの、全ての自然現象に、神々の意吹きが宿るとして、尊重し、敬う心です。 

このブッダの悟りの神髄に対して、きっと反論のある方もいるかもしれません。

だって実際に

・貧困でお金がなく

・病気で、毎日が苦しい

・友人に裏切られた

・職場にいじめが存在する

・世の中には許せない犯罪者がいる

・憎い

・苦しい

・辛い 

自分が辛いのは

・あいつのせい

・世の中のせい 

でもきっと、ご本人もわかっているはずです。

自分が辛く、苦しいのは 

・憎しみの心があるから

・人のせいにしているから

ブッダは仰いました。

「すべて、受け入れなさい」(そのことを諦めなさい、許しなさい) 

自分の心の状態が、現実を作ります。 

憎しみの心を抱いていては、

次から次へと 憎しみの対象が目の前に現れてくることでしょう。 

「これがない、あれもない」と、常に足りない部分ばかりを見ていては、 

地獄の餓鬼と同じ心になってしまいます。 

そもそも神様は 

私たちが生きていくうえで、必要なものは、全部、準備してくださいました。

そのうえで、私たちを、その場所に置いてくださいました。

「置かれた場所で、咲きなさい」と。 

神さまが準備してくださったものは 

・健康や

・お金

・幸運

それだけではありません。 

・苦しみ

・悲しみ

・貧困

・病気 

も一緒に置いてくださいます。 

それは、その状況が、私たちの魂を磨いて、輝かせてくれるからです。 

本人が超えられないものは、置かれません。 

人よりもつらく、悲しく、苦しい状況は、神様に見込まれているからです。 

私たちは、足りないことばかり見つめることをやめ、 

ゆっくりと、澄んだ心で周りを見渡せば、

きっと、本当の幸せを見つけることができるでしょう。

なぜなら、誠の幸せこそ、神様が私たちに、

一番、渡したいと願っているものだからです。

幸せは、向こうから勝手にやってくる、ものではありません。

すでに自分を、山ほど取り囲んでいるものです。

神様が準備してくれていたものです。

それに、気がつけるかどうか。

ただそれだけの違いのようです。

そうブッダは、般若心経で教えてくださいました。

・憎しみの心

・人を蔑む心 

が消えて、お幸せになられますように。


2026年6月1日月曜日

4275「神様の通り道」2026.6.1

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月19日の記事を紹介します。


「神様の通り道」


神社や仏閣。

私達一般の人間は、願いを聞いて欲しくてよく参拝します。

霊験あらたか、ご利益があると聞けば、全国あちこちに出かけます。

願いが良く叶う

そういった神社・仏閣には、 もしかしたら、

力のある神さまや、仏様がいらっしゃるのかもしれません。

噂が噂を呼び、ますます人が押しかけ

・病気を治して欲しい

・お金に困らないようにして欲しい

・家内が穏やかで円満であって欲しい

・良縁に恵まれ、幸せになりたい

そのような人間の欲望が渦巻くのかもしれません。 

ですが、神様の存在とは、

私達人間の、願いや欲を叶えるためにいらっしゃるのでしょうか? 

人が集まり、人気が出れば

そこに関係する人間側の、神職や職員の意識や環境も変わり、 

それによって、本人の心にとって

非常に危うい、驕りなどの状況が起こりやすくなります。 

身近な例で例えるなら、車、 

排気量の大きな、かっこ良い高級な車に乗った途端、

車ではなく、まるで自分という人間が強くなったと勘違いし、 

尊大で傍若無人な運転を繰り返す・・ 

神社、仏閣の場合なら、そのお力は、

神様や仏様の御業であり、そこに関係する人間の力ではありません。 

また、ヒーラーや、施術師の方。

効果が高く、有名になり、人気が出てきた方は、

もしかしたら、それは、神々の力ではなく、「自分の力」である。 

そう思われるかもしれません。 

ですが、そのように自己過信が強ければ強いほど、

多くの治療をすると、自分が疲れてくるのだそうです。 

小林正観さんが言われるには、

人より抜きんでた能力を、自分の、自分だけの力と誤解していると、

エネルギーに限界があるが、その力は、自分ではなく、天の力。

自分自身は、単にそれを媒介しているに過ぎない。 

そのような謙虚な心の持ち主は、

決して疲れることがなく、ますます人々に幸福をもたらすのだそうです。 

いくら他にはない、ご利益や、治癒効果があろうと・・ 

それが、自分の力、「俺が俺が」、、の心でいては、 

何時しかその尊い神々の力も、色あせてしまうことでしょう。 

そのことを2千年前に、イエスは仰っていました。 

ご紹介します。

イエスは数多くの転生と、経験と試練を重ね、

私達の内にいらっしゃる神様と一体となりました。

イエスが生まれたその時代は、まだ人類の波動は低く、 

多くの人々は肉体だけの意識。

生殖、物欲、自己が生き残ること・・・などの、

肉体的な感覚に囚われていた(フォーカスしていた)時代でした。

ブッダが悟った時と同様に、

イエスも悟りを開くと同時に肉体を離れ

魂(霊)として人類を助け導くことも可能でしたが、 

幻想に囚われ、自分を傷つけ、敵味方でも傷つけ合う人々を、 

この物質次元の地球に於いて、助けることを選択しました。

その方法は、

愛を、愛だけが全てであることを説き、神様とは愛であることを伝え、

どんな困難な時にも、ただ ご自分の生き方を通して、

愛を示して歩きました。

イエスがこの地上で行った数々の奇跡。

その奇跡の目的とメッセージは全て・・・、

あなたが目覚めれば、私と同じこと(奇跡)ができる。

私(イエス)よりも、もっと偉大なこと(奇跡)が出来る。

ということでした。

つまりイエスだけでなく、私たちも等しく神の子、 

神そのものであると 教えてくれたのでした。

また、私自身(イエスのこと)は無力である。

全ての奇跡は、神が行うものである。

と仰ったのです。

つまり、イエス自身は無力であるが、 

・全ての良きこと、

・美しきこと、

・真理の実現、

・奇跡

・思いやり

・優しさ

・愛

・癒し

は、全て神様の力によって起こっている。 

そう謙虚に仰ったのです。

これは、今のような世の中にとっては、

強烈なアンチテーゼになるかもしれません。 

・私が、○○してあげる。

・私が、○○した。

・私が、○○しよう。 

そのように、その方々は、確かに力がある人かもしれませんが、

その力の源泉は、私、自分、個人の能力であると、過信して吹聴してしまっては、

イエスの取った謙虚な態度と正反対です。

とかく人は

・成功している時、

・人気がある時、

・お金がある時 

全部、自分の力で勝ち取ったと誤解しがちです。 

有頂天になりがちです。 

それが神々の力から来ているとは認めません。

ですが、イエスは

・自分が人に行う優しさ、親切も

・創造性あふれる仕事も

・奇跡も

全ての良きことは、神様の御技が現れたもの。 

自分自身の力ではない。 

単に自分は、神様の力の通り道になっただけ。 

そう仰ったのです。 

それが本当の真実だからです。

そのように自覚していれば、 

・天狗になって人を見下したり、

・人と比べたり、

・自分の知識をひけらかしたり

・人を支配したり

・力や能力を自慢したり 

する必要は無いかもしれませんね。

人生の晴れ(ハレ)の時も、嵐の時も、奢らず悲観せず、

全てに感謝し、笑顔で、周りの人々と仲良くして行けば、

きっとそれだけで、いいのですね。

私達人間は・・・

全て、神様が私達の魂が成長するようにと、 

細かなところまで取り計らってくれますから。

大丈夫です。

俺が俺が、私が、私が・・・

そのような高慢な心こそ、神さまの眼前においては、穢れかもしれません。

今や、嘘が付けない時代になりました。 

ミロクの世、精神性の復活の時代の始まりとともに、 

・今だけ

・金だけ

・自分だけ

の考え方で行動している人々は、どんどん、あぶりだされ、

多くの人に、その思想、行動が知れることとなりました。

たとえウソを並び立て、詭弁を弄し、責任を人に なすり付け、

逃げようとしても、力の源泉である内なる神々は見ています。

その醜い姿を

・自分の愛する子供たち、自分を信頼してくれる子供たち

・産んでくださったお母さん

・慈しみ育ててくれた家族

・故郷の友人たち

この人たちに、胸を張って見せられるでしょうか? 

・あなたたちの父である私の姿、

・生んでくださり、慈しみ育てていただいた、あなたの息子である私の姿 

を、どうぞ見てください。 

しっかりと目を見つめ、

そのように言うことはできるでしょうか?