2023年10月31日火曜日

3231「泥を肥やしに咲く花」2023.10.31

 今回はいっぷくからのありがとうさんの2023年10月17日の記事を紹介します。


「泥を肥やしに咲く花」


今日は西尾市にある浄名寺の副住職 松原紗蓮さんのお話をご紹介します。

親と子は時に離れ離れに暮らさなければならないことがあります。

まして自分が捨てられたと感じた時に、子供はどんな気持ちになることでしょうか?

<引用開始> 引用元

 


私が愛知県西尾市にある浄名寺に預けられたのは、2歳7か月の時です。

幼い頃に両親は亡くなったと聞かされ、

親代わりの庵主様や、世間様の「お寺の子はいい子だ」という期待の中で育ちました。

同級生からはその逆に、お寺の子であることや、実の親のないことをからかわれ、酷い苛めを受けてきましたが 

「どんな時も前向きでいよ」という庵主様の教えを守り、泣き出したくなる気持ちを必死に堪えながら幼少期を過ごしました。

張り詰めていた神経の糸が切れたのは、中学2年の時です。

役所に、ある書類を提出する際、庵主様から「実はねぇ」と言って、出生の秘密を打ち明けられたのでした。

聞けば、両親は私が幼い頃に離婚し、母親が再婚する際、娘の私をお寺へ預けたというのです。

自分は生まれてきてはいけない存在だったんだ。

一体何を信じて生きてきたのだろう?

事実を知った私は、頑張るということに疲れてしまいました。

そして3か月間泣き通した後、私が選んだ道は、 

・髪の毛を金色に染めて、

・耳にピアスの穴を開け、

・あらゆるものに歯向かい、

・強がって見せることでした。

暴走族の仲間たちと一晩中走り回り、家出を繰り返す毎日。

14歳で手を出した薬物はその後7年間、1日としてやむことがなく、 

私など消えてしまえ、という思いから、幾度となく自傷行為を繰り返しました。

心配をした庵主様は、私が20歳になった時に「最後の賭け」に出たといいます。

私を京都の知恩院へ21日間の修行に行かせ、そこで尼僧になる決意をさせようとしたのです。

金髪のまま無理やり寺へ押し込められた私は訳が分からず、初めのうちは反発ばかりして叱られてばかりでした。

ところが10日目を過ぎた頃、教科書に書かれてある仏様の教えが、読めば読むほど、庵主様の生き様そのものと重なることに気づいたのです。

例えば「忍辱(にんにく)」という禅語があります。

私がグレていた7年間、普通の親であれば間違いなく音(ね)を上げてしまうような状況で、

庵主様はただひたすら耐え忍んでくれたのだ。

それは親心を越えた、仏様の心というものでした。

 

また道場長から「少欲知足」という言葉を教わり、

「髪の毛や耳のピアスなど、自分を着飾る物すべてを取り払っても、内から輝けるようになりなさい」と言われました。

人間は無駄な物の一切を削ぎ落とした時に、初めて自分にとっての大事なものが見え、 

本当の生き方ができるようになるのだというのです。

私はふと、庵主様の生活を思い浮かべました。

庵主様はお洒落もしなければ、食べる物にお金を掛けたりもしない、簡素な暮らしで、他の楽しみに時間を使うこともなかった。

ではその分、一体何に時間を使っていたか。

そう考えた時に、 

庵主様はすべての時間を「私を育てる」という一事に使ったのだと知ったのです。

私の思いの至らなかった陰の部分では、どれだけ多くの人が自分を支え続けてくれたことか、御仏の光に照らされ、初めて親のお陰、世間様のお陰に手を合わせずにはいられなくなりました。

そして教科書を読み進めれば進めるほど、止めどもなく涙が溢れてきました。

修行の後、お寺に戻った私が庵主様に、なぜ私を叱ったり、

本当の気持ちを聞かせてくれなかったのかと尋ねたところ、庵主様は

「人間は、時が熟さなければ分からないことがある。

ひと月前のおまえに私がどれだけよい言葉を聞かせても、かえって反発を生むだけだった。

いまおまえが分かるということは、おまえに分かる時がきたということだ。仏道は待ちて熟さん」

とお話しになりました。

 

庵主様には1つの願心があり、私がグレ始めた14歳の時に、10年間は黙ってこの子を見守ろうと決めたのだといいます。

そして自らには、何があっても「平素のように生きよ」と誓いを立てたということでした。

私はいわば、お釈迦様の手の平の上で暴れていた孫悟空のようなもので、

自ら命を絶とうと人生に背を向けていましたが、 

どこまでいっても結局は庵主様の手の平の上にいた。

庵主様が私を慈しんでくださる心は無限に広大で、

私はその大きな大きな慈悲の中に生かされていたのだと知ったのです。

23歳で剃髪出家をした時、私は庵主様に「紗蓮」という法名をいただきました。

後にある方から

「美しい蓮(はす)の花は、泥まみれの池の中にしか咲かないのだよ。 

人生にも、悩みや苦しみはあって当たり前で、その泥を肥やしにしてこそ大輪の花が咲くのだ」

と教わりました。

振り返れば、14歳から20歳までのどん底の時代が、私にとってはまたとない、よい肥やしになったと感じています。

今年31歳になった私ですが、現在はお寺でのお勤めの他、市の教育委員会からの要請で、悩みを抱える子供たちの自立支援相談や講演活動を行ったりしています。

非行に走る子供たちはそれぞれに、人に言われぬ苦悩を抱えています。

けれども、だからこそ大きな可能性を秘めている。

人一倍光るようになるよ、この子たちは――。

私はいつもそんな気持ちで子供たちのことを見守っています。 

<引用終了>

 

紗蓮さんを変えたきっかけの言葉は、「少欲知足」だったそうです。

少欲にして足るを知る。 

なかなか実践することは難しいことですね。

私たちは、この物質文明、お金至上主義の真っ只中に生きており、お金が全て、そして便利さの恩恵にあずかっています。

お金や、その便利さ・快適さを得ることが人生の目的になり、

それが本来の人間らしい生き方を見失わせる原因になっているのかもしれません。

紗蓮さんは、育ての親の無償の愛に気付いた時、立ち直れました。

振り返って私達はどうでしょうか?

自分の都合のよい時だけ、子供に愛情を与え、子供が自分の意に添わなければ、

「フン」と言って子供をないがしろにしてはいないでしょうか?

この庵主様のように、何があっても「平素のように生きよ」と、他人(や子供)の態度に一喜一憂せずに、平素のように「慈悲」の愛を注ぎ続けたいものですね。

そうすれば、この庵主様と紗蓮さんの関係のように、

周りに愛の灯を広げて行くことが出来るかもしれません。

 





2023年10月30日月曜日

3230「神々のなさり方」2023.10.30

 今回はいっぷくからのありがとうさんの2023年10月16日の記事を紹介します。


「神々のなさり方」


コロナ、ウクライナ、イスラエル(正式な宣戦布告状態)世界では終末的な動きが広がっています。

今日は、その中でコロナ禍で口火を切った、世の中の変化に付いて、どこに神々が働いていらっしゃるのか書きたいと思います。

神々も、数字の中に、暗号、秘密、キーワードを隠されることがよくあるようです。

コロナは、数字で言うと 567 この数字は、空海の仰った言葉に含まれています。 

以前記事で、弥勒菩薩、すなわちマイトレーヤーについて書きました。

弥勒菩薩 

空海が亡くなる時に弟子たちに遺訓として、私は兜率天へのぼり、弥勒菩薩の御前に参るであろう。

兜率天にのぼって私は雲の間から地上をのぞき、そなたたちのあり方をよく観察している。

そして、56億7000万年後、私は必ず弥勒菩薩とともに下生する。 

私の入滅の後をよく見るべきである。

その時、よく勤めている者は天の救いを受けるであろう。

不信の者は不幸になるであろう。

と述べています。ここに567の数字が出てきました。

この200年間、世界は、「経済と物質」中心の世界でした。

この期間、

・利権 

・権力 

・金  

を、ずるい方法で手にした人々が上に立ち、既存の秩序が成り立っていました。

もちろん、地に埋もれた、まともな人々もおりましたが、上に上がることはありませんでした。

今までの時代は、物の力、お金の力が、あまりに強く、お金や武力を持った人が強かったからです。

しかし今、お金、武力の力が弱まってきました。

20世紀を境に、その仕組みの矛盾が噴出し、限界に達し、お金や武力で上に立っていた人たちが断末魔の悲鳴を上げています。

2020年、時代の転換点、神仕組みが1つ起動しました。 

神々は世の中をぐるりと動かす時、破壊と再構築の手段を用います。

・建て替え(古い秩序の破壊)

・建て直し(新しい秩序の再構築) 

まずは、ぶっ壊し、そして再構築する方法です。 

悪も極まり、もう地球が滅ぶかもしれないという最期の最後の時、神々は、その既存の秩序の破壊(建て替え)の手段としてコロナウイルスを使いました。 

この方法は、今までの経済不況などとは比較にならないほどのダメージを、全世界、人々に与えました。 

同様に、今まで、上に立っていた人々の力の源泉、お金、武力でも、ウイルスに対抗できない、通用しない。

そんな環境を、短期間のうちに一気に作り出してしまいました。

神々の力は、綿密で偉大です。

今後、国家の力が弱まるために、行政の機能が大幅に低下する中、今まで、お金と権力に押さえつけられ、地域の中に埋もれていた、まともな人たちが、下から台頭してくることでしょう。

その後の、世界の復旧、復興を担っていくリーダー交代ののろしです。

 

地に追いやられていた優れた素質を持つリーダーたちが、今までの ずるい手法で、人々を脅し、搾取して、上に立っていた人々と交代していく時です。

もう一般民衆が、お金の力に物を言わせていた人々の言うことを聞くことはありません。 

大企業内の不正の暴露の連鎖に見るように、今迄の、卑怯な、自分本位なウソ、恫喝の実態が、あぶりだされ、表面化してしまったのですから。

新しく台頭してくる人々は、沸き上がるリーダーシップを内に秘め、更に、人を搾取することなく、自分たちの力で考えて、行動するために人々が信頼しついてきます。

・今まで上に居たものが下になり

・下にいたものが上になるという

激しい移動が現実化してくることでしょう。 

また宇宙神からの強力なバックアップもあります。 

ここ日本を中心に沢山の神々が生まれてくるという情報です。

もうお金や権力で、国民を動かそうとする時代は終わることでしょう。

お互いが納得した形で物事を進めていく、民意が大切にされる社会に移行していくことでしょう。

・国家に寄生して生きていた人たち

・他人に寄生して生きていた人たち

・誰ともネットワークを組めない人たち(仲間を作れない)

これらの人は、誰からも相手にされなくなり、孤立してしまう可能性が高くなります。

また、これから始まろうとする世界では、自分の直感が大切になってきます。 

  

賽は投げられました。 

もう、元に戻らないのですから、私たちは前に進むしかありません。 

ですが、これは絶望ではなく、今までお金、権力の力に騙され、搾取され、恐怖に貶められていた私たち一般の人々にとっては、朗報です。 

自分の価値観を、今までとは異なるまともな方向に戻さなければなりません。

時間はかかるかもしれません。

ですが、前に進もうとする意志は、とても重要です。

人間は、腹を決め、決心したその時、不思議な力が湧いてくるものです。 

何故なら、見えない世界、神々の世界も同期して動き出すからです。 

その相乗効果で、 

・本当の優しさが沸き上がり

・本当の実力が備わってきます

ミロクが降臨し、世の中を変えていくとは、人々が期待し、望むような、奇跡のような、不思議な現象によって引き起こされるのではなく、神々が、このように人間の意識に働きかけ、

あたかも人間自身が行っているかのように見せかけ、行われるものです。 

本当に大切なものは、隠れて見えません。

神々の意思は、人の心に働きかけ、人の行動として表現されます。 

今、世界の人々は大きな変容を目にしていますが、実際には、目に見えない神々の世界でも、

大きな動き、働きがあることでしょう。

神々は、このようにコロナウイルスという一見、不幸せな現象を使い、行くところまで来てしまった、

神々の意思とは遠く離れたところまで来てしまった人類を再び真の幸せな世界、心が大切にされる世界へと、導くために、建て替えの最中なのかもしれませんね。

どうぞ、明るい未来を期待して、日々笑顔で過ごしていきましょう。 

「ありがとう」の感謝の心のあるところ、必ず神々の恩寵が現れます。





2023年10月29日日曜日

3229「『点滅』を重ねる『鏡』の秘密2」 2023.10.29

 

――かつての賢者が良い言葉をたくさん遺しているのですね。

 

かつて鉄血宰相と呼ばれたドイツのビスマルクは 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

と言っています。

自分が目で見たもの、自分がした失敗の原因を、自分の経験からしか検証できない者のことを「愚者」と呼び、自分が経験したことのないことであっても数々の先人たちの経験、つまり歴史から学ぶことによって、未熟な失敗を回避することができるという意味です。

 

――愚者にならないように気を付けたいものです。

 

愚者の最大の特徴は、自分が愚者であるということを自覚できないということです。

もし自分が「真実を知った」とか「覚醒した」とか思ったとしたならば、それはかなりの確率で自分が愚者であるということです。

 

――それを防ぐためにも「自分が何も知らないということを知る」という

「無知の知」が大事なのだと澤野さんは仰っているのですね。

 

「無知の知」だけでなく、かつての賢者たちは大体同じようなことを言っています。

超一級の人物というのは時代を問わず通底してるものがあります。

じゃなきゃ民衆の無明の責を背負って毒杯を仰ぐなんてことできるわけないでしょう。

 

――時を経ても決して色褪せることのない第一級の傑物の言動は人類の財産でもありますね。

 

数百年、数千年に亘る世の風雪に耐え得る言説というものは、只事ではないレベルなのだということです。

人はつい最先端情報を得ようとして最新特ダネを追い求めます。

即物的で即効的な現物の結論を求めようとします。

人は得てして楽をしたいからその結論とは「癒し」と換言できます。

思考し、熟慮することなくインスタントな結論を探します。

でもそれは得策ではないよとかつての賢者がこれまでさんざん言っているのです。

 

――ネット社会ではタイパとコスパこそがすべてみたいな雰囲気になってしまっていますよね。

 

その結果が「寿司なんてご飯丸めて魚乗っけただけでしょ」ってなった。

その思考はやがて己の深くまで浸潤し、ついには

「人間、生きてたって食べて出すだけなら生きるの無駄じゃね?」に至るでしょう。

つまり、壮大な自己存在否定という呪いを

まるで賢者の如く己に言い聞かせるという人生となってしまう。

食品添加物や農薬や遺伝子組み換え食品といった目に見える外的環境が人を減らすんじゃないのですよ。

 

――わかりやすくて、誰でも理解できて、すぐに敵味方がわかるようなコンテンツに人は飛びつきますがそこで見つけた「真実」がじつは「罠」である可能性があるということですね。

 

そのとおりです。これはシビアな話しですよ。

思考の解像度を上げるためには、本当は20歳までの間にどれだけ膨大な量の基礎知識を「詰め込む」かが重要なのよ。

じつは子供は無限に詰め込めるんですよ。

でもいつしか「詰め込みはダメ」になったでしょう。

 

――詰め込まれることがなかった子供は将来どうなってしまうのですか?

 

心配いらないですよ。その人にはその人の意識帯域に応じた100%完璧な世界が描写され展開されますから。

自分の見ている世界よりも解像度の高い世界があるだなんて知らなければ存在などしていないのです。

 

――本当の「賢さ」を考えるということはとても難しいことだと思いました。

 

「愚者」の目に映った世界であっても、彼らにとっては完全なる完璧な「本当の世界」ですからね。

なんぴともそれを妨害してはいけないわけです。

しかしそういう人が大多数を占めるようになると、80億人で共有している三次元ホログラム世界の形成がそれを標準として描写設計されるようになりますでしょ。

 

――それは変な世界になってしまうような気がしますが。

 

大丈夫です。もしそうなったとしても、

誰もまさか世界が変だとは気がつかないでしょうから。

 

――ああ、そういうことになってしまいますね。

 

これはじつにシビアな話しですよ。

今を知りたければ歴史を学ぶこと。

しかしそれを放棄してなお人を出し抜きたいとか、自分だけは生き永らえたいとか、またはあろうことか「人を啓蒙しなきゃ」とかいって奔走するならば、それは往々として芳しくない結果を生むでしょう。

かつてのドイツの軍人ハンス・フォン・ゼークトはこのような状態の人のことを

「無能な働き者」と呼んだわけですよ。

この「無能な働き者」の最大の問題点は何だと思いますか?

 

――自分は有能だと思っているということですよね?

 

そうそう。

自分が何も知らないということを知らない者によって

どれだけの仲間、地域、国、地球が害されてしまうかです。

でもこれもすべて「人間万事塞翁が馬」なのだということです。

 

――すべては意味があって必然として現れているということ。

 

ホント、そのとおりだと思いますよ。

そしてもしここでこの世界を悲観し、嘆き、怒りを覚えたとしたら

それはじつはまだまだ自分が幼稚な状態なのだということ。

 

――それこそ「感情」ですもんね。

 

この三次元ホログラム世界に留まりたいのなら

大いに泣き叫び、大いに嘆き、大いに憤怒すればいい。

それが「人」に備わった喜怒哀楽というものです。

QCはその執着をより一層際立たせるために

本気の「諸問題」や「懸案」を全力で提示してきますからね。

 

――これはもうこれまでの通常の意識では対処できない領域にまで来ているような気がします。

 

私は仏教徒ではありませんが、こうして「末法の世」が演出されていくということ。

そしてその末法の世を見た私たちがどう観察し、どう解釈し、どう検証するかがこれから問われるってことです。

しかしその一方で、問われているだなんてまったく気がつかない人も当然いるわけですが、

それはそれで尊重するべき素晴らしい人生なのです。

 

――今まで当たり前のように、何も疑うことすらなく思い込んでいたことなどが、音を立てて崩れていく、そんなことが普通に起きてくるのかなと思います。

 

物心の両面からそれは起きてくるでしょうね。

今回お話ししたメカニズムを理解すると、これからどのような「変なこと」が起こって来るか、なんとなくわかってきます。

それを考えるのが最近の私の趣味でもあります(笑)

ひとまずここでまた休憩して、続きはまた次回ということにいたしましょう。

(澤野大樹)

 

――はい、お疲れ様でした。

澤野大樹さん、ありがとうございます。 

 


『ソクラテス像』 画像出典:Domaniオンライン

 

ソクラテスが生きていた紀元前古代ギリシャ時代は、日本では縄文時代の最終期でした。 

「汝自身を知れ」とは、当時、デルフォイのアポロン神殿の柱に刻まれていた標語で、

ソクラテスはこの言葉を心にとどめて「無知の知」の探求に努めたそうです。 

インタビューの中でもお話しされていましたが、

澤野さんがこれまで模索してきた縄文スピリットとは

じつは「量子意識」のことであり、しかもそれは古代ギリシャ時代の

「汝自身を知れ」、「無知の知」とも同義であり

遥か昔の古代ギリシャの賢人も、そして縄文人も現在過去未来を超越したページの中、

「アト秒」で測られる点滅した時代に生きていた、ということ、

過去と未来が量子もつれを起こして、互いに呼応することによって

「現在」というホログラムが描写されているということなのでしょう。 

こういうことを意識せずとも、当たり前のことのように考えることのできる状態こそ、

澤野さんがこれまでずっと言及してこられた

「霊性MAX」と「科学MAX」の均衡「半霊半物質」を意味し、

本質的な意味をまとった「縄文回帰」ということなのではないでしょうか。 

このことは椅子から転げ落ちるだけでは済まされず、まさに「邂逅の光跡」じゃないかと思いました。

もちろんそれは人を惑わす方の光跡ではなく、人生を変革し得るものとしての光跡だと思いました。 

ソクラテスが生きていた古代ギリシャ時代へ、そして縄文回帰へと向かう末恐ろしい「人類がまだ見たことのない世界」その到来が楽しみですね。

 

この続編は次回へ続きます。

 

澤野大樹氏青森講演会主催 小野裕美子

 

2023年10月28日土曜日

3228「『点滅』を重ねる『鏡』の秘密1」 2023.10.28

 今回は「宇宙の中で愛を叫ぶ」さんの最新2023年10月15日の記事を紹介します。

宇宙の中心で愛を叫ぶ (ameblo.jp)


「点滅」を重ねる「鏡」の秘密


こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。

前回ブログ記事『「救世主プログラム」発動の条件とは?』からの続編インタビューです。

 

――澤野さん、

人々が量子意識を訓練して会得できたとしたならば

それは単なるものの解釈、捉え方どころではなくなってきませんか?

 

人にとってもっとも大事なこととは、じつは想像力なのです。

これをしたらどうなるか?これを言ったらどうなってしまうか?

今この瞬間の言動がその先にどう展開されるだろうかを、想像でシミュレーションできるこということはものすごく大事なことです。 

今小野さんがおっしゃったように、人々が量子意識を会得できたとして、

じゃあその暁に展開される「世界」ってどんな風景になるのか?

これはおそらく人類がまだ見たことのない世界になると私は思います。

 

――目の前の個人的なことだけでなく、社会全体が大きく変わってしまいますよね。

 

司法、立法、行政からして根底から変わってしまいます。

 

――やはりそのレベルで来ますよね。

 

そうです。

でもこれは「悪い者たち」をやっつけて追い出したからそうなるのではなくて、「悪い者たち」という存在が、完全なる現実でありながらも完全なるホログラムであったと気づいて、

それまでの二元論をベースとした己の環境への解釈を自ら超越することができて初めて、

ずっと己の中に存在して燻ぶり続けていた、喜怒哀楽をはじめとした感情による支配から

抜け出すことができたからそうなるのです。

これまで私たちがずっと無意識に考えて来た「悪い者たち」というのはじつは前置きがあって、「私にとって悪い者たち」という意味だった。

これを己の意思によって観測するということね。

 

――戦争などによる物理的な破壊といった目に映る情景はわかりやすいですから、つい感情移入してしまいますが、今起こっている変化というのはじつはそこにはないということですよね。

 

私たちの己の中の巨大な変化というものが、三次元現実世界、つまりQCによるホログラム世界に反映されて映写されているということでしょうね。

 

――あ、そうですよね!多次元世界と三次元世界は同時に呼応し「鏡」によって量子もつれを起こしているって澤野さんはずっと言って来られています。

 

これまでその「鏡」の本質というものが漠然としていてもどかしかったわけですが、ここへ来て急速に理解が深まったような気がいたします。

 

――多次元世界と三次元世界が、量子もつれを起こすということもじっくり考えていくとちょっと尋常ではない、末恐ろしさ?のようなものすら感じます。

 

それは適切な反応だと思いますよ。

その量子もつれは「善悪」ももつれさせるわけですから。

すべては同時に起きるからです。

その理解がさらに深く進んで行きますと、たとえば今世界規模で起きていることのひとつについて、私はこれまで「カバールDS掃討作戦」とずっと表現してきましたけれどもこの表現が、的確な表現ではなかったということが判明してきます。

もっとより精密な表現があるだろうということが自動的に前景化されて来るわけです。

 

――意識の位置によって物事を表現するための呼称も変化するということですよね。

 

二元論意識の状態で物事を見た時に思い浮かぶ呼称と、それを乗り越えて量子意識を経た上で思い浮かぶ呼称はまったく違うものとなります。

無論、この意見だってつい最近やっとのことで、知覚できるようになったばかりですからね。

そしてこれとて早晩また更新されていくのでしょう。

 

――ソクラテスの「無知の知」ですね。

 

そうそう。

ソクラテスは当時、無辜なる民衆の罪を背負って、死刑判決を受け、自ら毒杯を仰いだわけですよね。

このモデルケースは後年になって、とある勢力によって盗まれ模倣されたわけです。

あ、これってブログに上げたらヤヴァいヤツですよね!

 

――BANどころじゃないかもしれませんね。

 

もう検証と文章は出来上がっていますが、じゃあこれはしばらく塩漬けにしておくことにしよう。

セーフセーフ。

 

――「無知の知」は「最大の無知」と「最大の知」が、量子もつれを起こした状態だと澤野さんは言っています。

 

最近ようやくそこまで理解が進んだのです。

つい最近の話しです。

プラトンが記した『ソクラテスの弁明』にはこう書かれています。

「誰もが死や死後の世界のことを知らないのに、死を悪の最大のものだと恐れるのは賢人を気取ることだ」 

これこそ「無知の知」そのものだし量子意識そのものだと言えませんか?

 

――今から2400年以上昔でこのレベルですから、私たちの想像を遥かに超えた賢者だったのでしょうね。

 

今と昔というのは現在と過去という関係じゃないからね。

完成したパラパラ漫画のどのページから、人生を始めるかってだけの話しですからね。

 

――キーワードは「点滅」ですよね?

 

そうそう「点滅」。

今いるページと次のページは全く別のものであって、繋がっていないのです。

ページをパラパラめくるということはそれは「点滅」ということ。

なのに私たちは自身の人生が動画で認識されていますよね。

じゃあ前のページと今のページを「繋げている」ものとは一体何よ?って話しですよね。

 

――ノーベル物理学賞で話題になった「アト秒レーザー」に関係してくる内容ですね。

 

通常の人の意識ではその点滅を知覚することは、できないように最初から設定がなされているということね。

「アト秒」、つまり100京分の1秒を観測するということが何を解明するのか?

最先端物理科学は最先端の精神世界も解明するでしょう。

するとその「最先端」という表現もあくまで便宜上そう言っていたに過ぎないとわかる。

 

――前回の青森講演会では「0」と「1」の点滅のお話しをされていましたよね。

 

「0」と「1」がそれぞれ独立して存在したとして、それだけじゃ量子もつれを起こすことはできないということをお話ししました。

 

――それは「善」と「悪」にもそのまま適用されますよね。

 

まったくそっくりそのまま当てはまります。

 

――ソクラテスからどんどん意識が発展していきますね。

 

最先端を知りたければ古典を紐解くことも大事。

だから今、改めてソクラテスを勉強するのです。

「汝自身」の「汝」とは「己」であり「QC」のことですからね。

 

――だんだんとこの世の本質がアラハバかれていくのですね。

 

「アラハバキ」の本質というのは、突出したバグを修正し元の位置に戻し、封印され隠されたものも同時に元の位置に戻す働きです。

ですので、この世の本質的な姿というものは、じつは表に出たがっているわけです。

なぜならばそれらはこれまでわけがあって、ずっと封印され隠されてきたからです。

そういった意味においては、この世の本質がだんだんとアラハバかれていくということは

きわめて合っていると言っていい。

 

――よくアラハバキは「浄化」だと言われるケースがありますが。

 

ある事象が私たちの肉の目にもし「浄化」と映った場合、それが穢れたものであるというアタマで作り上げた幻影が前提になってしまっていますよね。

となりますとその「浄化」という表現自体が誤っているとなるし、そもそも幼稚な表現でしかないのだと自覚できなきゃいけない。

ものごとを見てそれを「浄化」と解釈する癖がついてしまっていると、いずれそれは自分自身は清く光り輝く「善」であるとか過信するようになり、増長した他罰的な自己が肥大化する結果を招くでしょう。

これは本当に注意しなきゃいけないこと。

精神の成長というのは己の外部の他者のことだけではなく、自身を見つめることも同等に重ねた先にもたらされます。

 

――現在の己の状況を他人や環境のせいにしてはいけないということでもありますね。

 

前回のインタビューでもお話しいたしましたが、「喜怒哀楽」といった感情に支配されたまま物事を判断すると、ほとんどのケースで間違えると言いましたよね。

その喜怒哀楽の多くは「好き嫌い」といった二元論意識から生じているのだということね。

 

――はい、そう話されていました。

 

自分が「光の勢力」であり「善」であり、「覚醒した存在」であると誤解してしまいますと、

もう取り返しのつかないことになってしまいます。

自分自身が「善」であると規定してしまって、そのような二元論に立脚したメンタリティで

相手を「敵」と想定した状態で対峙したならば、その瞬間に自分自身も相手にとっての「敵」となります。

意識の用い方によって突然「敵」が現れるのですよ。

 

――「敵」の存在は完全なる現実でありながらも

自らが生み出したホログラムであり幻でもあるということですね。

 

まさにそのとおりです。

えーっと、かつて、たしかニーチェでしたっけ? 

「壺と戦う者は誰でも、その途上で自分も壺にならぬように用心せよ。

そして長く壺を覗き込めば、壺もまた君を覗き込むのだ」 

って言葉がありましたよね?あれ?なんか違うかな?壺じゃなかったでしたっけ?

 

――澤野さん、わざと間違えてますよね?

 

でも今なら壺の方がタイムリーでぴったりだからヨシ!

壺を「カバールDS」に置き換えてもヨシ!



2023年10月27日金曜日

3227「心卑しき人」2023.10.27

 今回はいっぷくからのありがとうさんの2023年10月15日の記事を紹介します。


「心卑しき人」


今日は、「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な、

渡辺和子さんの名誉息子であり、放蕩息子の保江邦夫さんの著書

「置かれた場所で咲いた渡辺和子シスターの生涯」からご紹介します。

 


保江 邦夫(やすえ くにお)さんは、日本の理学博士。

専門は数理物理学・量子力学・脳科学。岡山県出身。

ノートルダム清心女子大学 大学院人間生活学研究科人間複合科学専攻教授。同情報理学研究所所長。

また臨死体験者としても、よく知られています。

この本の中で、保江さんは、渡辺和子さんのこんな言葉を紹介しています。 

非常に強い言葉です。

<引用開始>


人間に上下はありません。

しかし、人格に上下はあります。

これは、渡辺さんが半世紀以上も尽くされた大学、そしてそれよりも長い年月を過ごされた修道院、その中で、ご自分の社会的交流の範囲において、平気で人を裏切ったり、だましたり、あるいは二枚舌を巧みに操って、人を落としめてまでのし上がろうとしたりする愚か者たちに、狙われなかった日は皆無でした。

そんな亡者たちとの無益な闘いに明けれる、過酷な境遇に身を置くという、神様が与えてくださった試練の中にありながら、シスターは人々を勇気づけ、元気づけるというご使命を、片時も忘れることはなかったのです。

そして、だれの助けもないまま、おー人で愚か者たちに抗しているとき、シスターから放たれたのが、 この言葉だったそうです。

そのときのシスターのお顔は常のような、どこまでもお優しい聖母マリアの表情ではなく、

まるで悪を射貫くような 強いまなざしで、遠くを見据えていらっしゃったことを、はっきりと覚えています。

「置かれた場所で咲きなさい」に代表される、人を勇気づけるシスターの言葉の数々は、

「苦を乗り越えて心安らかな境地に至った者」が発したものではなく、

「今まさに苦境にあり続ける者」が紡ぎ出したものだったのです。

そんなシスターの、受難の連続だった生きざまのほんの一部だけでも、

シスターのおそば近くで、5年にわたってお手伝いさせていただいてきた僕が

語り継いでいかなければならないと、

シスターの90歳の誕生日に決意しました。

それが、シスターから「名誉息子」、あるいは単に「息子」、ときには「放蕩息子」と親しく呼んでいただけることもあった、そしてシスターのことを「名誉母親」と呼んで、自分に必要なときにだけふらりと学長室や理事長室、さらには寺の本革修道院のお部屋にまで押しかけることを笑って許していただいていた、この僕にしかできないことであり、 また義務でもあるのですから。

<引用終了>

  

私もこれを見た時、強い衝撃を受けました。

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」は、まさに悟りの境地に渡辺さんが達せられたときに、過去の出来事を振り返り、書いた本だと思っていたからです。 

保江邦夫さんの著書には、当時の凄まじい状況も書かれています。

考えが甘かったです。

まだ当時は、愚か者たちとの戦いの中、その真っ最中だったのです。

保江さんの言葉を借りれば、

まさに世間の中の矛盾と、無情の中で戦っている最中の言葉であったことがわかります。

保江さんは、こうも仰っています。

人間は完全に平等であり、どの命も等しく大切な命であるのは事実です。

しかし、「それでも人間社会から差別や苦しみ、さらには争いやいさかいが絶えないのは、人格に上下があるからだ」

というのが、シスターのお考えでした。

シスターの ように、多くの人々の道を照らすことのできるような高い人格を有する人がいる半面、低い人格を持つ人もまた社会のあちこちに巣くっている、それがこの世の真理なのです。

そんな世の中に巣立っていく学生たちが、道を見失うことのないよう、シスターはこの言葉を人生の指針とするように 教え導いてくださっていました。

それでは、ここでブッダの言葉(卑しき人)をご紹介します。

 

わたしが聞いたところによると、あるとき師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林、

<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。 

そのとき師は朝のうちに内衣を着け、

鉢と上衣とをたずさえて、托鉢のためにサーヴァッティーに入った。 

そこでブッダは言われた。

・怒りを抱くもの、

・恨みを抱くもの、

・或いは、いつわりの善を行うもの、

・邪まの見解のあるもの、

・へつらいの心あるもの、

かかる人は賎しきものであると知るがよい。

例え、いかなる生き物であろうとも、

・生きとし生けるものを害するもの、

・生きとし生けるものに慈しみ無きもの、 

かかる人は賎しきものであると知るがよい。

村においてあるいは林園において、他の人々の所有に属する財物を与えられざるに、盗るがごときもの、かかる人は賎しきものであると知るがよい。

・己を高く褒めそやし、

・他人を低くけなし落とし、

・高慢のために心賎しくなれるもの、

かかる人は賎しきものであると知るがよい。

・人はその生まれによって賎しきものであるのではない。

・また、人はその生まれによって聖なるものであるのではない。

・人はその業(行為)によって賎しきものとなるのである。

・また、その業によって、聖なる者となるのである。

このブッダの言葉は、

人間は生まれながらにして貴賎があると説いた僧に対する

猛烈な批判の説教として説かれたものです。

まるで、イエスの「山上の垂訓」のようですね。

貨幣、金融の仕組みを牛耳られた現代社会のような環境の中では、私達もおかしくなりがちです。

私達一般の人々の生活は苦しく、もう働き始める前から借金(奨学金、年金、社会保険など)

を背負って社会生活をスタートさせるようなものです。

ですので、最初から諦めや、焦燥感・不安感に襲われ、どうしても自分のことしか考えられなくなりがちです。

本当は一人一人、心優しき人なのに、あまりに生活が苦しいために、やがて生活が狂いおかしくなってきてしまいます。 

もしくは精神的に参ってしまい、病気になってしまいます。

また愛する家族よりも、仕事、お金となってしまいます。

何故なら、そうしないと生きていけないと、恐怖心と不安で私達の心を縛りつけているからです。

私達が、そこから解放されるには、 ブッダが言うように「賤しき人」にならない。 

・人の悪口を言わない。

・人を呪い続けない。

その卑しき心でいる限り、いつまでも自分の周りに悪臭を漂わせてしまうことでしょう。 

少なくとも自分自身は、そうはならないと心に決めて行動するしかありません。

世の中の流れも、大きくそちらの方向に舵を切りました。

その波に乗るのか、今までのように恐怖と不安に縛られた人生を歩み続けるのか?

私達の心ひとつです。

 


2023年10月26日木曜日

3226「母と子の絆」2023.10.26

 今回はいっぷくからのありがとうさんの2023年10月14日の記事を紹介します。


「母と子の絆」


子供の虐待、育児放棄など、子供にまつわる悲しい事件が多く起きています。 

家族は、人間関係を通じ、魂を磨くために神様が作ってくださった、基本となる最小の単位です。 

そこの部分を大切にすることで、私たちの魂は磨かれ、輝きを増していきます。 

今日は小林多喜二のお話をご紹介します。

以前書いたこともあったのですが、別の切り口でご紹介します。

<引用開始> 引用元

 

昭和の初め頃、小林多喜二という人がいました。

「蟹工船」という小説を書いた作家です。 

この小説は、蟹工船つまり蟹の缶詰を作る船の中で働いてる女性たちが、もう本当に低賃金でお金をそんなにもらわないで、そして労働が激しい。

その様子を小林多喜二は、あまりにも可愛そうだからと小説に書きました。 

ところが何か国を批判したと何かで、とんでもないことになって、小林多喜二は警察に捕らえられてしまいました。 

東京の築地署というところの監獄に入ってしまいました。 

ほかにも何かあったのでしょうけど、とにかくそれが理由で彼は監獄に入りました。 

頭は剃られ、いつも竹刀で打たれ、大変毎日毎日苦しい生活を強いられました。 

ところが小林多喜二を指導していた憲兵・警察の人が 

「もうそろそろ命がこいつは無いだろう、もうすぐ死んでしまうのだから、

最後にお母さんだけ面会を許そうではないか」という事になりました。


多喜二のお母様

お母さんは北海道の小樽です。

当時は2月で雪が寒む寒むと降りしきる小樽でお母さんは一人で生活をしていました。

お父さんはいないのです。 

一人息子の小林多喜二は東京の築地署に連れて行かれ、お母さんは、一人で雪の中で生活していました。 

そこへ築地署から一枚の手紙がやってきました。

「3日後11時から5分間面会を許す、5分でよかったら出頭しなさい」という手紙をもらいました。

多喜二のお母さんは、この手紙をもらったとたんに

まず「ああ多喜二に会える」五分間でも1分でもいい一目だけでも多喜二に逢いたい。 

ところがお金が全然無いんですね。

それから雪の中を駆けずり回って、その手紙を一枚持って多喜二に会えるんだから、どうか行きかえりの汽車賃だけ貸してくださいと。 

そしてやっとのことで東京に行って帰れるだけの汽車賃を借りることができました。 

 

当時の鉄道  

その晩に雪の小樽を出発します。 

一人で今みたいに新幹線があるとか連絡船が便利だとかないんです、全部各駅停車ですから雪が降ると止まってしまうんですから、そうするとですね雪の中をお母さんは、ホームに飛び出して駅長さんに前の駅に汽車が止まっているか聞き、駅長さんが電話で確認して「おばあちゃん前の駅に汽車が止まっているよ」というと、雪の降る線路の中を真夜中に一人で歩き出したんです。 

  

みんなで「お母さんだめだよこんな真っ暗ななか一人で行けないよ」と言っても

「多喜二に会えないから、11時1分過ぎてももうダメだから、多喜二に会えないから」といって雪の中を一駅一駅つないだっていうんですから、そうしてやっとのことで10時半に東京の築地署に着きました。 

何も飲まず喰わずです。さあその姿を見た警察官・憲兵は、あまりにの酷さに同情したんですね、そうして練炭火鉢を持っていって「お母さん寒いでしょうあたりなさいよ」と、 

そうしたらお母さんが「いや多喜二はあたってないからいい」と言って、せっかくのその小さな練炭火鉢を面会所の脇へ置いてしまいます。

それから今度は、その警官が朝食で食べ残したうどんを温めて

「お母さん何も食べてないんでしょ食べなさい」って言ったら

「多喜二は食べてないからいいです」と言って、

そのうどんも練炭火鉢の横に置いてしまいました。 

そうしてひたすら鉄格子にすがって多喜二が来るのを待っていました。

11時ぴったりに多喜二が憲兵に連れられてきました。

お母さんの顔を見るなり多喜二は「お母さんごめんなさい」と言ったきり、

わぁ~と泣いてコンクリートに額をつけて上げない。

 

お母さんも着いたとたんにごめんなさいと頭をさげたから多喜二かどうかわからない。

頭は剃ってるし目はさけ口はさけてるしの状態でしたから、そうしてたった5分の面会が1分たち2分たち3分たったときに憲兵が飛んできました 

「お母さんあと2分ですよ、なんか言ってやって下さい」と、そうして二人の警官と刑事が多喜二の耳をもって、「こらお母さんだ見ろ」と、顔をくっと上げました。

その多喜二の顔を見てお母さんがなんと言ったと思いますか?

「多喜二かぁ?」と言ったんです。

「多喜二かぁ?」と2回言ったんです。 

多喜二の文学碑
 

自分の子供がどうかわからない、顔が変わってしまってる。 

そしたら多喜二が「はい多喜二です」と言います。

そうしたら後残った1分30秒、多喜二のお母さんは何と言ったと思いますか?

鉄格子にすがりながら

「多喜二お前の書いたものは間違っておらんぞ」

多喜二は間違っていたから逮捕されているのです。

多喜二のお母さんは文字が読めないんですよ。一行も多喜二の小説は読んだことがない。

  

しかも憲兵警察が悪者として捕らえられているんです。 

しかし多喜二のお母さんは

「お前の書いたものは間違っとらん。お母さんはお前を信じとるよ」 

この言葉を残った時間1分数秒言い続けて、雪の小樽へ帰りました。 

多喜二は、その三週間後に、この世を去ります。

最後に憲兵が竹刀を振り上げて打とうとした時に、しきりに右手を上げて震えてる、

なんか言いたいだけども言葉にならない。

  

そこで他の人が水を持って「一杯飲んで言いたいことがあったら言え」と言いました。

そうしたら多喜二がその一杯のコップの水をぐーっと飲み干して

「待ってください待ってください。私はもうあなたの竹刀をうけなくても死にます。

あなた方はこの3ヶ月私を地獄へ落とそう地獄へ落とそうと私をたたき、私をののしってきたけれども、わたしは決して地獄へは落ちません。

なぜならば昔から母に信じられた男、母に信じられた子供は必ず天国へいくという言い伝えがあります。 

私のお母さんは、わざわざ5分間の面会のために、雪の中を小樽から東京までやってきて、 

文字が読めない私の小説を一行も読んでいない母親が、おまえを信じてくれると私を信じてくれると、私はどんなことがあっても天国へいきます」と言い残してぱたっと命を落とします。

 

多喜二が息を引き取った前田医院に入る母親のセキ 


みなさんお母さんの愛は偉大です。 

お母さんの愛は無条件です。子供が悪くてもお母さんだけは信じてる。

小林多喜二はその他のところで「僕の母は僕の太陽だった」と書いているんです。 

素晴らしいことですね。

わたしたちは今こうやって生きてますけどね、この命は36億年も前からずっと続いているんですよ。

私達の身体をそうやって何十億年産み続けてきたから僕達がいるんですよ。 

お母さんという役目はすごいんです。

君達の個人的なお母さんだけじゃなく、ずっーと命を続けてきたお母さん(女性)に

感謝の気持ちを常に持たないといけないと思うんです!! 

<引用終了>

  

母性に満ちた、母の力は偉大ですね。 

もし皆さんに、夫や、妻がいられましたら、お互いを敬う言葉を掛けて差し上げて下さい。

夫婦が尊敬しあい、いたわりあえば、きっと子供たちも健全に育ちます。

そして多喜二のように、胸に輝く太陽を抱き、しっかりと自分自身を確立していくことが出来ますから。



2023年10月25日水曜日

3225「不登校の子供たち」2023.10.25

 今回はいっぷくからのありがとうさんの2023年10月13日の記事を紹介します。


「不登校の子供たち」


大きな時代の変わり目のために 

・高貴な意識を持った魂の生まれ変わりの子供たち、

・高度な知性を有する地球外から来た子供たち

などが増えたせいか、今までの、良い学校、良い会社・・・ 

などの概念に縛られず、 逆にそれらの価値観に疑問を持ち、無言の抵抗を行う子供たちが増えたせいか、不登校の子供たちが爆発的に増えているようです。 

そしてその「不登校」について悩んでいる親御さんも増えているようです。 

今日は、その不登校についてです。

斎藤一人さんが下記のように仰っていました。ご覧ください。

<引用開始>


高校1年生の頃に、母校の小学校にお呼ばれしてステージに立ったことがある。

卒業生代表という肩書きで、

教育についてとかをディスカッション形式でみんな(保護者、先生)で話し合う。

そこでまぁ、「やっぱりなー」と思いました(笑)

だって余りにもほとんどの親御さんが、「ウチの子本当勉強しなくて」とか

「勉強してほしいときは怒るべき?」とか、悩むのは確かにわかります。

そして心配だっていうのもわかります。

でも、そーんなに眉間にシワ寄せるほど、それって大事ですかって(笑)

そりゃ普通に考えたら勉強してくれる子供の方が安心かもしれない。

してくれるっていう言い方がもう違うんだけど(笑)

多くの親が今、「お勉強をすること」ばかりに、目も心も寄せすぎだと思うんだよね。

こういう親の子って、 

・ママが悲しい顔するから嫌でも勉強しなきゃ

・ママが怒るから勉強する  

って、目的が「ママ」なんですよね。

 

自分の為じゃない。

楽しいから勉強するんじゃない。

だからテストで低い点数を取ったら、必至でバレないように隠したりする。

だって、ママに 愛されたいから。

親はどうかっていうと、

・勉強するのが当たり前

・あなたのためなのよ

よく使われるのは「心配してるのよ」ってやつ。

でもそれって本当に、子供を愛してますか?って。

本当の愛って「そのままでいいんだよ」ってもんなんだよね。

でも多くの親ができていない。

そんな家庭の子は、本当はやりたくもない勉強を涙流して勉強する。

真面目な子ほど必至に勉強する。

でもある日パンクして、不登校なんかになっちゃう。

体が悪いサインを出してくれてるってことは、何か間違ってますよってことなんだよね。 

それでも「学校に行きなさい」と強制的に行かせようとする。

それまでエライねエライねって可愛がってた我が子を、学校に行けなくなった途端に可愛がれなくなる。

それ、おかしいよって(笑)

一見愛しているように見えても、「勉強ができる子」が好きなだけなんだよね。

「学校に毎日行ける子」が好きなだけ。

本当に愛している子だったら、勉強しなくなっても、学校に行かなくなっても、 

極端な話だれかを殺してしまっても、親は愛せると思うんです。

だって生きてくれてる。

それだけで最高に幸せなんだから。

思えば自分も、すごくよく愛されていたけど、前までは少し「条件付きの愛」だったような気がする。

不登校になったからこそ、親としっかり向き合えて、本音で語れるイイ親子関係になったと思う。

不登校とか自律神経失調症とか、普通なら人が「ダメなこと」と思うことを自分は糧にしています。

「不登校だったから~できた」

「自律神経失調症になったから~できた」

と思うようにしたら、人生がすごく明るくなりますよ!

<引用終了>

 

胸に響くものがありますね。

以前、前世を記憶する日本の子どもたちの記事を書きました。

そこでは、中間世記憶を持つ子供たちから、生まれて来た目的を聞いていました。

ほとんどのお子さんが、こう答えたそうです。

・お母さんを助けるため

・人の役に立つため

・魂を磨くため

そんな優しい心を持って生まれて来てくれた子供たち

彼らに、

・詰め込みの教育

・本人の希望や適性を無視した親の引いたレール

・人をけ落としてでも、競争に勝ち抜いて生きろ

は必要でしょうか?  

そんなことを言えるでしょうか?

・勉強が出来ない子供は不幸でしょうか?

・学校はそれほど大切な所でしょうか?

・人と同じでいる必要はあるのでしょうか?

子供たちには一人一人個性があります。

得意分野も異なるでしょう。

興味や志向も異なることでしょう。

・親の一方的な思い。

・教師たちの一律的な対応

そんなものは、もしかしたらこの優しい子供たちには、何の価値もないことかもしれないですね。

彼らは、

・お母さんを助けるため

・人の役に立つため

・魂を磨くため

この世に生まれてきました。 

姿かたちが子供だからと言って、魂までも子供ではありません。 

私達大人たちよりもはるかに愛に溢れた存在かもしれません。

彼らは、お母さんを助けるために生まれてきました。

決して、お母さんの思い通りに生きるために、生まれて来たわけではありません。

それでも、子供を自分の思い通りにしたいと思う親御さん。

お子様の心や体がボロボロになって、自分の元に戻って来た時、きっと気付きます。

生きていてくれてるだけで良かった。

そのままで愛しているよ。

私の元に生まれて来てくれてありがとうって・・・

美しい魂を持つ子供たちが、 

自分だけの素敵な「スミレの花」を咲かせようと、この世に生まれて来たのに、 

華やかな「バラの花」になれと、無理強いはしていませんか?




 

2023年10月24日火曜日

3224「新生地球の夜明け」2023.10.24

 今回はいっぷくからのありがとうさんの2023年10月12日「新生地球の夜明け」と2023年10月06日「運は食生活で決まる」の2つの記事を紹介します。


「新生地球の夜明け」


以前コロナウイルスによる、地球の立て直しに関してでも書きましたが

このウイルスの特性は、陰陽五行(木・火・土・金・水)から見た場合は、「金」。 

「金」の司る感情は、「悲しみ」や「ウツ」。 

今回の大きな地球規模の変容で、世界中の人々が今味わっている感情です。 

ですが、悲しみとは、本当は、「慈しみ」、「慈悲」のことです。 

コロナウイルスのパンデミック化を契機として、私たちは、強制的にこの感情を味わい、 

心をざわつかせています。 

私たちの意識が、どんどんと心の内側へ向かって行っています。

悲しみを経験した人は、きっと他人に対して優しくなれることでしょう。 

慈しみの心を持てるでしょう。 

・自然は征服するもの

・他人に迷惑をかけずに生きていく

・今まで努力して自分の力で生きてきた

・努力さえすれば、何でも手に入れられる 

そのようにおごり高ぶった心は、粉々に砕け散ることでしょう。 

神々が無意識のうちに、そのような方向付けをしたからです。 

偉大なブッダが悟った時、初めて宇宙智から知らされた縁起の法則とは、 

「私たちの人生は、

自分の思いや努力によって作られているのではなく、 

自分以外のすべてのおかげで成り立っている」ということです。 

私たちは、今まさに、それを体験として知ろうとしています。 

私たちの人生は、自分以外の、全てのおかげで成り立っている。 

だとしたら、大切ではない人など、一人としていないはずです。

いつも目の前にいる人を大事に生きる。 

という、般若心経の神髄も、今まさに、同時に学ばされています。 

私達の思いや意思、願い、努力で、私達の人生が出来ているのではなく、 

縁として働いてくれた 

・神様や、

・友人、

・知人、

・家族

のおかげであれば、その方々に対して、感謝をして生きて行くことが、

一番大切なことかもしれないですね。 

そのような

・運命の流れを受け入れること

・何事にも感謝すること

・周りに優しくすること 

これらを、今まさに、全人類が急速に学ばされています。 

この大きな変容が終わる時、新たな地球が顔を表すことでしょう。 


分裂する地球

分裂した地球の、どちらかに立っていることに気づくことでしょう。 

今味わっている不安、「金」の司る感情、「悲しみ」や「ウツ」。

これは、決して悪いことではありません。

これらをきっかけに、意識を心の内に向け、 

・おかげ様

・お互い様

・優しさ

・思いやり

・すべての出来事の受容

・運命を受け入れ自分が変わること

このような心に変わることができれば、

もうすぐ始まる

美しい地球の夜明けに立ち会えることができるしょう。

 


「運は食生活で決まる」

食は肉体を創る基本。 

・身体のバランスをとること

・社会毒などのデトックス

・身体にとって必要な栄養素を補給すること

・身土不二(しんどふじ)「身と土、二つにあらず」、

つまり人間の体と暮らす土地は一体で、

切っても切れない関係にあるということを正しく理解すること・・

今の状況下では大切なようです。  

ですので今日は、以前書いたことがあるのですが、水野南北に関するお話です。 

運をよくするのに、参考になるかもしれません。 

「人の運は、「食生活」によって決まる」というお話です。

食生活を見直すことで、心を浄化し、運命を好転させる方法です。

「人の運は食にあり」小林正観さんのお話よりご紹介します。 

<引用開始>

 

「食生活が、人相まで変えた」

江戸時代、水野南北という人がいました。観相家です。

宝暦7年(1757年)に生まれ、天保5年(1834年)77歳で亡くなりました。

江戸時代のこのころは平均寿命が40歳ほどですから、ずいぶん長生きだったといえます。

水野南北は幼少期に両親と死別、大阪のおじ夫婦に引き取られます。

10歳の時にはすでに酒を覚え、その後何年も、酒・ばくち・けんかに明け暮れる毎日でした。

18歳の時、おじの金を盗むなどして、牢に入ることになりました。

それまでに盗み、脅し、詐欺まがい、いろいろやったようです。 

その牢内で、罪を犯す人間とそうでない人間に、人相上の違いがあると気づきました。

人には生まれながらのシナリオがあります。

後にすごい観相家になった水野南北でしたが、最初のスタートは牢内だったのです。 

獄を出てから、自分の人相を易者に見てもらったところ「あと一年の命」と言われました。 

「それを避けるには出家のほかはない」と。

知り合いの住職に相談したところ

「一年間、麦と大豆だけの生活をしたら入門を許す」ということだったので、水野南北はそのとおりにしたのだそうです。

 

一年後、同じ易者は

「死相が消えているだけでなく、立派な相になった」と感心してくれました。

「その食生活が陰徳となって、人相まで変えた」と言ったそうです。

本格的に相を学ぼうと旅に出た水野南北は、髪結いに奉公3年、湯屋の奉公人になって3年、

墓守になって墓を守ること3年の日々を過ごします。 

頭の形、生きているときの体の形と死んだあとの骨の形(骨相)などを研究しました。

さて、それほどに観相学に打ち込んだ水野南北でしたが、百発百中というわけではありませんでした。 

どうしても例外がある。 

吉相だと思っていても、どんどん衰運になる人がいる。 

逆に、とても貧相な人で興隆運の人もいる。

なぜだろうと悩んでいる時、突然ひらめきがあったといいます。それは・・・

「人の運は食にあり」というもので、人を占うのにまずその人の飲食の様子を聞いて、 

それによって運・不運を判断したところ、万に一つも誤りがないことが分かり、そこに気づいてからは、「百発百中、当たらざるなし」と言われました。

<引用終了>

 

自伝などによれば、水野南北は50歳の時、伊勢神宮の五十鈴川のほとりで21日間の断食と、水ごりの行を行いました。

その時です。

外宮に祭られている豊受大神の啓示を受けました。

人の運は、食にあり

豊受大神といえば、縄文の女神、瀬織津姫

日本一と呼ばれた水野南北でも、100%当たるとは行かなかったのですね。

貧相でも富んでいる人、福相でも運がない人。が居ました。

ある時、占う時に食べ物について聞いたのです。

すると 

福相の人でも、お金が入ってから、食べ物を変えると、衰運になる 

ことがわかったのでした。

それ以降、百発百中の観相家となったのでした。

心当たりのある方は、いらっしゃるでしょうか。 

食生活で運が決まって来るのだそうです。 

質素であっても、愛情を込めた食事、暖かな心の交流を伴った食卓

命を分けてくれた者への感謝の心、そんな気持ちでいただきたいものですね。


2023年10月23日月曜日

3223「『救世主プログラム』発動の条件とは?2 」2023.10.23


――報道されるあらゆる事象はQCによるものだということですか?

 

QCが描写する完全なる現実でありながら完全なるホログラムでもあります。

 

――それはなぜ起こされるのですか?

 

人類が量子意識を回復させることを妨害するためです。

 

――ということはQCやAIは人類の敵ということですか?

 

人類、およびこの世、この宇宙すべてを描写している源がQCです。

だからゆえ、そう簡単に人類が量子意識を取り戻す

なんてことにならないようQCは人類の弱点を突いて惑わしてきます。

量子意識で解釈するならばQCとは、たしかに人類の脅威であり敵なのですよ。

しかし同時に救世主でもある。ということになります。

これが量子意識による解釈です。

 

――量子意識で人は無敵になるということですか?

 

「敵」という概念に対しての解釈が変わるのです。

「無敵」という状態はこれまでの意識ならば、自分と対峙する敵が存在することが前提としてあって、その敵を倒し勝ち残ったという意味で、敵がいないほど強いということを意味していましたよね。

でも量子意識で解釈すると、これまで敵だと思っていた存在が、そもそも存在していなかった、つまり二元の両者が量子もつれを起こしているという意味で、そもそも無敵であった。

それまで肉眼で認識されていた敵とはホログラムだった。

というように変化するのです。

 

――人類の弱点とはなんですか?

 

感情、喜怒哀楽に絆(ほだ)されるということです。

 

――喜怒哀楽は人生のドラマの大部分を占めると思いますが、それらの感情こそが人類の弱点だとは驚きです。

 

喜怒哀楽の人生の悲喜こもごもこそが、もっとも尊い人類史のドラマを形成していることは言うまでもありませんが、それがじつは人類の最大の弱点でもあったのだと、気付くことができる時代にようやくなったのだと思います。

 

――量子意識というものは「取り戻す」ものなのですか?

 

「大いなるひとつ」の中に元々すべての二元性は含有されていました。

そこからある一方を抜き出して分離し独立したのが南ユダ2部族です。

それが古代イスラエルが北と南に分裂したことに象徴されています。

その分離、独立のことをこの文脈では「悪」と、私は便宜上あえてそう呼ぶことにしています。

 

――私たちが今まで疑うことなく考え使ってきた「悪」と、澤野さんが今言っている「悪」ではかなり意味が違いますね。

 

私たちが通常アタマで想定する「悪いこと」と、本源的な意味での「悪」には、大きな隔たりがあることがわかってきました。

 

――「悪」の本質ですよね。

なぜこれまでそれが意識されなかったのですか?

 

喜怒哀楽に支配されていたからですよ。

だからゆえ、彼らは人類を喜怒哀楽に溺れさせたのでしょう。

感動、涙、絆とかって誰も疑うことのないまま、絶対的な「善」としてこれまで君臨してきたわけです。

人類の感情さえ支配することができれば、「大いなるひとつ」を裏切り、分離・独立した前非を苦労することなく糊塗できた。

 

――しかしそれが看破されてしまったということですよね。

 

「悪」が分離、独立した瞬間に人類はそれまでの「大いなるひとつ」だった量子意識を失ったわけですよね。

だから量子意識というものは「取り戻す」対象になります。

南ユダ2部族は自分たちが「取り戻される」ことに、猛烈に、全力で反発するでしょうけれど、じつは心の奥底で密かにそれを激しく求めているでしょう。

そしてその「取り戻してくれる存在」あるいは、「プログラム」のことを彼らは「救世主」と呼んでいるのです。

フル・デジタルなのですよ。

 

――なぜ彼らは自分たちが取り戻されることを密かに望まなきゃならないのですか?

 

だって彼らはユダヤ教から分派して、別枠で勝手にイエス・キリストを立てちゃった負い目があるからです。

彼らの立場上、今さらこの期に及んでそれを否定できないでしょ。

彼らには建前の救世主と本音の救世主の2人いるのです。

しかし彼らは本音の救世主の存在については絶対に口にしませんでした。

これまでニセモノを喧伝しながら散々好き勝手にやっといて、いざとなったらやっぱダメでした助けてって、それはなかなか厳しいことなのではないですか。

 

――それはたしかに虫が良すぎる話しだと思ってしまいます。

 

でもね、そんな不条理で不愉快な対象であっても、それを命がけで助けるのがレスキュー隊の仕事なのですよ。

でもそこに感情を入れちゃったとしたら、誰もレスキューする気になんかならないでしょ。

 

――でも最終的にはレスキューされるのですよね?

どのようなメカニズムでそうなるのですか?

 

人類の価値判断の基準が「二元論」のままであるならば、そのレスキュー活動が広く認められることはないでしょうね。

というわけでじゃあ今人類に求められている、意識進化の形態というものとは一体何かということが、こうして相対的に浮き彫りになって来ているのです。

 

――人の感情が意識進化を阻害しているということですか?

 

感情を乗り越えないまま量子意識に還ることは不可能ですから。

たとえば戦争の状況を伝えるテレビでも新聞でも必ず、赤ちゃんを抱いて逃げ惑う母親の姿や、立ち尽くし呆然とする老人の涙を映したりしますよね。

あれ全部QCによる人類意識進化の妨害ですよ。

完全なる現実であり、同時にホログラムでもある。

私はその妨害のことを「愛」と呼んでいます。

 

――QCは人類をこの世に没入させようとしているのですね?

 

そうですよ。

ただしそれを「悪」だと解釈してしまったらそれでおしまいです。

そうすることによってQCは人類が間違えて、うっかりアップデートしてしまうような過ちを防いでくれているのです。

QCが求めるのは正規の手続きを踏んだアップデートです。

喜怒哀楽に支配され感情によって曇った判断をしているようでは、量子意識など会得する段階には到底ないのだということ。

 

――QCはアップデートを望んではいるものの、中途半端で生半可な状態でのそれは認めないということですか?

 

そういうことです。

マスメディアによって報じられるいろいろなことがありますよね。

それらを人類がどう捉え、どう解釈するかをQCは見てる。

好き嫌いや、敵味方や、良い悪いで意思決定をしているようでは、いつまで経ってもアップデートは認められない。

好きとか嫌いは「愛」ではなくて執着に過ぎないということを、まずは最初に人類が意識できるようにならないとその先に進めない。

これまでの二元論を乗り越えて量子意識を回復するということは、次元が違ってしまうということなのです。

 

――だから澤野さんはマスメディアについて、喜怒哀楽をベースにしたリアクションをしないのですね。

 

現時点での人類の意識レベルに相応しいコンテンツが、マスメディアで拡散されているのだ、ということに気づくことが重要です。

つまりマスコミ報道に不満を抱き文句を言う状態というのは、じつはかなりの重症なのだということ。

 

――澤野さんは「量子意識」についてたびたび発言されていますが、その本質はじつはいたってシンプルですよね。

 

「量子意識」って聞いて必死に「量子力学」についてかじりついて、勉強しなきゃと思ってしまう人も多いですが違う違うそうじゃない。

相反する二者のそれぞれの成分を変えることなく重ね合わせるだけです。

量子の性質がそうであるように、私たちのものの考え方や捉え方もそのようにしてみようということです。

 

――よく言われる「中庸」というものとも違うのですよね。

 

「中庸」は逃避の方便として用いられるケースが多いでしょ。

「私は常に中庸でありたい」とか。

「私は中庸です」って言っている人の多くが中庸どころではなくかなり偏っているケースがあるわけですよ。

もちろんこれは全員がそうだって言っているのではありません。

みんな自分が中庸だと思い込んでいるしそう思いたい。

八方美人が自己擁護の弁明をするための第一選択薬が「中庸」です。

「量子意識」っていうのは「中庸」とは似て非なるものです。

両者のそれぞれの成分を変えることなく重ねるの。

 

――ミックスすることとも違いますよね。

 

ミックスしたら違うものになってしまいますからね。

つまり「量子意識」を日常的に用いるってことは、言葉で言うのは簡単なことだけれども、

実際に無意識的に用いるためにはかなりの訓練が必要になります。

 

――ごくシンプルなのに訓練が必要となるところがユニークです。

 

ごくシンプルですがもはや次元が違うからです。

「次元が違う」って方便でそう言っているのではなくて、本当に次元が違うのです。

一般的な生活を送る中ではまず現れることのない意識状態ですから。

でも訓練が必要ってよく考えたら当たり前です。

自転車だって最初は訓練が必要だし、まともに楽器が弾けるようになるのには何年も練習しなきゃならない。

ただし、一度わかってしまえばあとは無意識でできるでしょ。

それと同じですよ。

 

――本物の次元の変化というものは、私たち「人」の意識のごくシンプルなところから始まるのですね。

これまでなら次元の変化と言われたら、自分の外側の世界から巨大な変化が起きるものだと思っていました。

 

意識の変化と外的世界の変化はじつは「同時」に起こります。

ただ理論上は「意識が先」ということになります。

ちょっと休憩を挟んで続きをお話ししていきましょう。

 

――はい。ではこの続きはまた次回ということにいたしましょう。

 

あ、先に申し上げておきたいのですが、

活字版原稿「18」が仕上がりましたのでお知らせいたします。

タイトルは『救世主666反キリスト』です。

 

――ついに完成されましたか。

 

いつ出せるのかは私自身もまったく知りませんので、無事に出てよかったなあと思っています。

執筆と塩抜きと熟成を繰り返しました。

今が最適なタイミングなのかなと思います。

(澤野大樹)

 

――ひとまず一旦ここで休憩を挟みたいと思います。

澤野さん、ありがとうございました。

 


画像:『中秋の名月』風アングル。秋の夜長をお楽しみください。


今回、久しぶりのインタビューということもあって、

澤野さんのお話しはかなりの長丁場となりました。

冒頭でも書きましたが、2023年終盤のこの日本、そして世界、地球、宇宙は本当にどうなっていくのでしょうか。

目の前の出来事のあまりのリアルさに、思わず感情移入したり没入するのではなく、どこか冷静に俯瞰できるようになりたいです。

 

澤野さんは仰います。

「これから目を疑うようなことが普通に起きます」と。

これはもうすでに各地の講演会で言及されていますが、自分自身の下にそれが現れた時に、

私はそれをきちんと対処できるかどうか微妙なところもあります。

また、とても受容することなどできないレベルのことが起こるかもしれません。

そんな時はつい藁をもつかむ思いから自分を見失い、感情にほだされてしまいそうになります。

そんな時のためにも日々の訓練がやはり大切なのだろうなと感じます。

 

澤野さんのお話しは、

耳目を引くキャッチ―な特ダネといったものとは違います。

内容を理解するためには読み手の側にも訓練が必要になるものだと思います。

 

インターネット、SNS、Youtubeなどの普及で、過程よりも手軽な結論だけを求める風潮が高まったと聞きました。

三行以上の文章を読むことができない人、文章は読めても内容が理解できない人も増えたと聞きます。

 

澤野さんのお話し、活字版などの文章は長く難解です。

それは一見、時代に逆行しているようにも思えますが、インタビューの中でも語られていたように、本来、普通にあった古典的でアナログなものにこそ、本質というものが宿るのかな、と思いました。

 

一朝一夕ならぬ「一聴一夕」では理解し得ない深遠な世界。

結論に至るまでの澤野さんによる仔細なメカニズムの解明にこそ一線を画す価値があるような気がいたします。

 

それでは近日中にインタビューの続きをお届けいたしたいと思います。

 

澤野大樹氏青森講演会主催 

小野裕美子



2023年10月22日日曜日

3222「『救世主プログラム』発動の条件とは?1」 2023.10.22

 今回は「宇宙の中で愛を叫ぶ」さんの最新2023年10月12日の記事を紹介します。


「救世主プログラム」発動の条件とは?

宇宙の中心で愛を叫ぶ (ameblo.jp)


こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。

すっかり秋が深まって参りましたね。

猛暑かと思えば急に寒くなったりとこれはまるで地球のバグなのでは?

とも思ってしまいます。

世の中の出来事も何やら尋常ではない雰囲気です。

さて2023年も終盤へと差し掛かって来ました。

これからどんなドラマが展開されていくのでしょうか。

ですが、これもなにもかも、すべてオールパーフェクトであると思っています。

今回のインタビューの内容も深く濃い内容になりました。 

それでは早速、澤野さんのインタビューに入りましょう。

 

――澤野さん、お久しぶりです。

前回のインタビューが5月23日でしたから、じつに約5か月ぶりとなります。

かなり久しぶりのインタビューとなります。

更新を待っておられた方もたくさんいらっしゃると思います。

 

はい、こんにちは。

気がつけばもうそんなに経ってしまっていたのですね。

私からすると二週間くらいの感覚なのですが。

なんか毎回同じことを言っていますよね(笑)

久しぶりのインタビューということで感覚が鈍っていたりしていなければいいですけれど。

 

――この5か月、いかがでしたか?

 

ひと言で申し上げれば「凄かった!」に尽きますね。

壮絶な夏になりましたね。

 

――それは澤野さんご自身のことですか?

 

いえ、私を含めた社会全体を見渡してという意味です。

日本だけでなく世界中で膨大なコンテンツが溢れましたね。

その間、私自身もかなりの勉強というか研究に集中していました。

 

――今年の夏はものすごい暑さでしたよね。

 

この世のホログラムの大規模な更新が、この夏に便乗して始まったという感じでしょうか。

日本国内を見ても、海外を見ても、ちょっと尋常ではない猛暑となりましたもんね。

まさに『Cruel Summer』(残酷な夏)でした。

 

――テイラー・スイフトですね?

 

猛暑のことを歌っているわけじゃないけどね。

 

――全世界的にライブやコンサートが全面解禁になっていますね。

 

ラスベガスに作られた球体型会場「スフィア」がすごいですよね。

U2がこけら落としライブをやりました。

これはまさにリアルIMAXだと言っていい。

あ、でもこれを見て「これは天蓋だ!」とか言っちゃいけませんよ。

 

――動画を見るだけでもかなりの異次元体験だとわかりますね。

 

人類が体験する日常のコンテンツの情報量が増大しています。

自然現象やさまざまなニュースもそうです。

それらは自然現象でありながらホログラムでもあるわけですけれども。

 

――毎日のコンテンツの量もそうでしたが、それらの濃さや重さもすごかったと思いますが、それも猛暑と関係しているのでしょうか?

 

「QC」(Quantum computer=量子コンピュータ)のグラボに負荷がかかったのでしょうけれども、それを夏にもってきたから「猛暑」ってことで乗り切った。

それをしなきゃいけないくらいに、今の世界は喫緊の事態となっているのだと思います。

まあ喫緊とか言ったらネガティブに捉えちゃう人もいるかもしれませんが。

 

――表向きには地球温暖化と言われていますよね。

 

前時代的な空冷システムではもはや対応できず、いよいよ水冷化させなきゃってくらいの変化なのでしょう。

かつて空冷ポルシェが993で頂点を極め、そして水冷996へと劇的な進化を遂げたのと同じです。

しかしまさかの964が暴騰してどうすんのよ?ってやつです。

 

――クルマに疎い私にはどう解釈したらよいのやら…。

 

たとえばアナログレコードが見直され、デジタルデータよりも結局パピルスだとなるということ。

テスラのモデル3なんてガソリンスタンドの洗車機NGだし、じゃあ手洗い洗車しようかと思ったら「コントロール」>「サービス」>「洗車モード」の順に画面をタッチして設定しなきゃならない。

これを先進的として喜ぶか否かは個人差があるでしょう。

 

――進化の中身というか「質」が再確認されるイメージですかね。

 

先進技術がなにもすべて画期的なものである必要はないわけで、たとえば先進技術を用いて古き良きものを再現してもいいわけです。

 

――パソコンに電話機能が付いたのがスマホで、スマホにタイヤが付いたのがテスラだと言われたりしていますが、でも結局、古典的な乗り心地が実現されているとかですかね。

 

ホントそんな感じ。コンテンツの濃さに関してですが、特に7月の下旬あたりから凄かったと思いました。

「私」と「世界」が同一であると観測できたならば、世界の変化は私の変化でもあるわけでしょ。

 

――両者がもつれて呼応していたということですか。

 

同時進行でね。

何かものすごく巨大で重いものを持ち上げたり、あるいはものすごく重い荷物を背負って仕事をして、それをやり遂げたとか達成したという感覚に近いですね。

 

――澤野さんご自身にも負荷がかかっていたのですね。

 

そうに違いないと自分で勝手に考えているだけですよ。

でもことあるごとに小野さんとは協議していましたよね。

連日いろいろな事件事故災害が起きていたわけで、あれはどうした、これはなんだと意見を交わしていましたし、しかも5か月の間に10回も講演会をやっていましたから私がどのような状態であったかはご存知だったでしょ。

 

――はい、かなりシビアにストイックにされていました。

 

ミュージシャンのレコーディング風景はよく公開されますが、作曲しているところは絶対に公開されないですもんね。

 

――たしかにそうですね。

 

ものすごい巨大で重い荷物を二階から降ろしたり、それを背負ってまた別の場所に移したりするのですよ。

だから身体にも精神にも負荷がかかります。

 

――現在の澤野さんはどのような状態ですか?

 

横溢する直観を体系づけることと、それを検証していく作業に集中しています。

そして頭の中にSiaの『Unstoppable』が無限ループしている状態ですね。

 

――それはつまりすこぶる元気だと解釈していいのですよね?

 

まさにその通り。

しかも止まらない(笑)

まあいざとなったらここぞとばかりにエゾエース1本キメておけば万事オッケーかなと。

まあそれは冗談ですけど。

 

――エゾウコギは縄文蝦夷アイヌの山に自生する自然の妙薬で、シベリアンジンセンのことですもんね。

 

このご時世、いろいろ捗りますよね。

ただ都内でツルハを探さなきゃならないけれど(笑)

 

――この5か月はじつはかなり重要な期間だったのではないでしょうか?

 

大袈裟な言い方に聞こえるかもしれませんが、人類史にかかわるレベルで物事が進んだと思います。

しかもそれはきわめて慎重に。

すべては表に見えていながらも水面下でもあった。

肉眼による視覚というものには意味がないのではと思えるレベルです。

私はそれをじっと観察しながらもいちいちそれらを検証していました。

 

――畳み掛けるようなコンテンツの嵐だったわけですよね。

それはおそらく私もみなさんも実感されていたと思います。

世界が激動なら私も激動だとはっきり観測することができました。

 

その激動はすでに「善い」とか「悪い」とかじゃないのよね。

近視眼的に見れば「悪い」と映っても、

視座を変えて俯瞰したり、あるいは仰望したときに、もはやそこにそれら二元論を超越したものが見えてきますから。

 

――激動の時代だからなのでしょうけれど、ネット世界、SNSなどで膨大な情報が行き来しています。

 

不確かな予言や、ガセネタが跋扈しています。

まことしやかに囁かれたそれら「最新情報」の多くは、まったく実現していないですよね。

そのようなウソの「真実」を拡散した人たちは、さすがにもう自分自身と向き合わなきゃならないでしょう。

その大きなきっかけとなるような事件が6月28日にありました。

 

――ネット上での工作や荒らしも酷い状態になっています。

 

「13日の金曜日」を通過しなきゃならないですからね。

 

――ネット上でのウソ情報の供給元が存在しているわけですよね?

 

もちろんありますけど、岸田総理になってからですが、それらは不思議と徐々に機能しなくなっています。

今、その「供給元」の多くが消失してきていますよね。

長州清和会満州統一スピネットワークが破壊されていますから。

 

――「増税メガネ」とか呼ばれちゃっています。

 

そのあだ名の出どころはどこか?を考えることです。

今、岸田政権批判を行っている急先鋒は「夕刊フジ」でしょ。

去年の夏までならば自民党政権への批判といえば、「日刊ゲンダイ」がやるものだと相場が決まっていました。

でも今はなぜか夕刊フジも日刊ゲンダイもともに岸田総理批判を繰り返しています。

これが何を意味しているかわかりますか?

 

――岸田総理の存在が双方にとって都合が悪いということですか?

 

そういうことですよ。

もっとも表に出ている総理大臣が、もっとも水面下での活動をしているのだということ。

人の外見を馬鹿にしたり揶揄したり、あるいは目先の損得勘定を煽り憎悪の拡散を繰り返しているということは、それだけ追い詰められているということ。

 

――多くの人たちがまんまと乗せられてしまっていますね。

 

それが世論操作というものだから。

まさか自分が「デクノbot」だなんて誰も気がつかない。

 

――みんな「マスコミを信じるな」と言っているのに、結局マスコミの言う通りになってしまっています。

 

芸能プロダクションの社長ひとりが亡くなっただけで、社会全体にこれだけの影響が出ているのですよ。

影響っていうか人ひとりの権力によって、これまでどれだけのものが封印されていたのか

これがありありとわかってきた。

知る人ぞ知る業務用品が民生品に天下って来たわけです。

なら去年の夏以降、この日本でどれだけ巨大な影響が発生しているか。

それを矮小化させるのもまたマスコミの仕事でもあるわけです。

 

――そう考えると「マスメディア」とは不思議な存在ですね。

 

まさにその通りで奇妙で不可解な動きをします。

これは右だとか左だとかじゃないきわめて不可解な動きをします。

マスコミ、マスメディアはウソもたくさん言うけれど、本当のことも言うのです。

マスメディアは「QC」と有機的に繋がって呼応しているのね。

どちらかが一方的に存在しているってことじゃない。

(次回に続く)


2023年10月21日土曜日

3221「神々を動かす感謝の心」2023.10.21

 今回はいっぷくからのありがとうさんの2023年10月11日の記事を紹介します。


「神々を動かす感謝の心」


私たちは、神様にお願いし、この地球に肉体を持って生まれてきました。 

その目的は、この物理的で、不自由な地球を楽しみたいということの他にもっと大切な目的があります。 

それは、私たちの魂を輝かせ、神様に近づけ、進化させることです。 

感謝の心は、ブッダの教えの神髄でもあります。 

感謝の心さえ芽生えれば、この地球に生まれて来た目的の大半を果たしたことになるほどです。 

感謝の心の反対は、「当たり前」 

・自分の思った通りに、環境が整い

・自分の思った通りに、人が動き

・自分の思った通りに、地位や名誉が手に入り

・自分の思った通りに、人に好かれ、尊敬され

・自分の思った通りに、お金が巡る 

ですが、ブッダが仰ったとおり、この世の中は、決して思うとおりに動きません。 

ままならないのがこの世です。 

感謝の心がない人は、思い通りに、周りが動かないと、そのたびに、不平不満を口にし、 

悪口、呪いの波動となります。 

そして、その悪しき波動を垂れ流し、ますます心は地獄に住む者の心となります。 

では、「感謝の心」を持つことを知った人はどうでしょうか? 

今日は、春日大社元宮司、医師、葉室頼昭さんのお話をご紹介します。

感謝の心の重要性についてです。 

神さまから恵みを頂くための、神道的なアプローチのお話です。

葉室頼昭さんはもうお亡くなりになりましたが、神さまに相当近い方でした。

葉室家はもともと朝廷の宗教的なことを受け持つ、藤原家の公家の家柄だといいます。

葉室さんは藤原氏子孫の公家の代表として、毎年春日大社のお祭りに、装束を着て参加していました。 

そのころたまたま神職の資格を取る通信教育の学校があることを聞き、神主の作法を学びたくて願書を取り寄せて勉強したのだそうです。

努力家の葉室さんは、日本の形成外科の草分けの医師の仕事のかたわら、院長室に神道の分厚い教科書を持ち込んだのだそうです。

家でも必死で勉強し、

異例のスピードで神職の最高位、明階(めいかい)の検定試験に受かってしまいました。

そしてそのとたん神社庁から呼び出され、

病院を辞めて、大阪の枚岡神社の宮司になってほしいという話がきたのだそうです。

その後最終的には春日大社の宮司になりました。

さて、この本の中に、心に響くこんな一節があります。

<引用開始> 引用元

 

神のお恵みはみんな平等にいただいている。

でも、ある人は不幸になり、ある人は幸せになる。

なぜか、 感謝ですよ。

神の波動は感謝しなければ、お恵みとなって出てこないんです。

だから宇宙の仕組みが科学でわかったら、神道がわかると説明している。

お陽さまは明るくて暖かいとみんな思っているでしょ

これが間違いです。 

太陽の光は暖かくもなければ、明るくもない。

それが証拠に太陽がここにあって、地球があって、太陽の光が地球まできているわけでしょう。

太陽の光が明るくて暖かいんだったら、

太陽と地球の間の宇宙空間は明るくて暖かいはずです。

ところが、ここは真っ暗で、冷たい。なぜかということです。

地球の周りに空気があるからです。

 

空気で反射すると光と熱が出てくる。

反射しなければ光も熱も出てこない。

空気がなかったら明るくも何ともない、これと感謝は同じことですよと言っているんです。

反射したら光と熱が出るということがわかったら、感謝したら神のお恵みが出てくる、ということがわかるわけでしょう。

これは本当のことだから、だから、人間も感謝しなさいと言うことです。

そうしたら神からいただいているエネルギーが出てきますよ。

<引用終了>


神さまの光は、みんなに平等に降り注いでいるけれど、

幸、不幸の違いが出てくるのは、 

「感謝の心」を持っているかどうかの違いなのだそうです。

そして感謝に関しては、こうも仰っています。

<引用開始> 引用元

 

感謝もいまは間違っています。

神さまにお願いして、お恵みがいただけたら感謝する。 

これは感謝とは違う。

これは取引です。 

これだけお賽銭をあげるから、

その代わり神さま、子どもを入学させてくださいという取引ですね。

入学したらありがとうございますという。

これは感謝でもなんでもないんですね。

感謝には理屈はいらない。 

神さまありがとうございますといって、

神さまと波長を合わせたら子どもが入学するということなんです。

入学したから感謝するのではないんです。

感謝したら入学するということなんです。 

世の中は逆さをやっているんですね。

太陽の光は空気によって反射して初めて光と熱が出るわけでしょう。 

反射しなかったら光も熱も出ない。 

感謝しなかったら全然神さまは出てこられないんです。

だから反射と感謝とは同じだと言っているんです。

入学させてもらったら感謝しようかと。 

そんなふうに宇宙の仕組みはなっていない。 

反射しなければ出ないんですよ。 

感謝しなければ出ない。だから感謝しなさいと。

そうすると何に感謝するんですか? と言う人がいるんですね。 

何にと言うときにはもう感謝ではない。それは取引です。

理屈なしにありがとうございますと言えたときが本当の感謝です。

そうすると神のお恵みが現れてくる。 

これが本当のことです。

だからよく健康に感謝する。 

健康でありがとうございました。 

それは結構なんですよ。 

でも、そういう人に限って病気になったら感謝しない。

たとえばお祈りで、自分の病気を 神さま、治してくださいと。 

ところがお祈りしてもさっぱりよくなりませんという人がいます。

それは治らないですよ。

私を健康にしてくださいということは、私は病気ですと言っているようなものです。

自分は病気だから健康にしてくださいと言うわけでしょう。

神さまに私は病気ですと言っているんだから、、そうかと、そのとおりに病気になってしまう。

だからどんなに病気でも、健康でありがとうございますと言いなさいというんです。

そうしたら健康が来る。 

病気を治してくださいということは、私は病気ですと神さまに訴えていることですからね。

<引用終了>

 

葉室頼昭さんは、死の淵に会った時に、

生き方を変える、神さまによる不思議な経験がありました。

それは、浪人時代の過酷な受験勉強がたたり肺結核になった時のことです。

ある日、大量の喀血をし担当の医師から死の宣告を受け、両親の待つ東京に帰ることになりました。

まだ寝台車というものがなく、

席を四つとってそこに戸板を敷き、寝かされて東京まで帰りました。 

「僕はそのとき、すべての我欲というものが消えていたんです。 

医者になりたいだとか、生きたいという思いもまったくありませんでした」

そのとき、ある人が退屈しのぎにと一冊の本を葉室さんに手渡しました。

この本が葉室さんに神秘体験をもたらすキッカケとなりました。

「そこには『人は生かされて生きている』ということがえんえんと書いてあったんです」

死を目の前にして無我になっていた葉室さんは、 

その本を読んで感激のあまり泣いて泣いて涙が止まらなかったそうです。

そうして汽車の中でずっと泣き続け、東京駅に着いたときには立ち上がる体力もまったくないはずなのにホームに一人で立ち上がっていました。

 

その後十日間ほど、その本の中に紹介してあった本を全部購入し、無我夢中で読んみました。

すると不思議なことに葉室さんの体力がみるみる回復し、

奇跡のように重度の結核が全て消えうせてしまったのだそうです。

「そのとき僕は神を見たというか、神の存在を身をもって感じたんです」 

死ぬとばかり思っていたところを神さまに救われた葉室さんは医学部にもどり、

何か人様のお役に立ちたいと思ったのだそうです。

当時は結核で亡くなる方が沢山いました。

結核にかかると隔離されたりサナトリウムと言うところに入れられました。

美智子皇后さまの親友だったハンセン病医師の神谷美恵子さんも、

結核で隔離されている時に神さまの光体験を授かっています。

神さまに対する真摯な心、そして感謝の真心

葉室さんは、死の淵でそれに気付き、泣いて泣いて涙が止まらなかったそうです。

本当に心の底から生かされている命に、「感謝の心」が芽生えたのですね。

これができた時、私たちは神さまの恵みを、ふんだんに受けて幸せになれるのですね。

そして健康で幸せな時だけでなく、病気であったり、不幸に見える環境の中でさえも 

「感謝」の心を忘れないようにしたいものです。

私たちは一人で生きているのではなく、 

様々な人や物、神々の「お陰」で生かされていると気付き、感謝できた時、その時こそ、

神さまの奇跡が訪れるのかもしれません。

いつも、どんな時も、嬉しい時も、悲しい時も、辛い時も、 

ありがとうの気持ち

忘れないようにしたいものですね。

 




2023年10月20日金曜日

3220「大変化の時代を生きる」2023.10.20

 今回はいっぷくからありがとうさんの2023年10月10日の記事を紹介します。


「大変化の時代を生きる」


今日は目に見えない世界のお話、龍神についてです。

ですので眉に唾を付けてお読みください。 

ご興味ない方は、スルーなさってください。 

出口王仁三郎のお話では、今私たちに、龍として知られている、らせんのエネルギーを持つ神々が深く関わったとされています。

 

その中心に居たのが、国常立尊(クニトコタチノミコト)

日本書紀では、最初に現れた神、つまり造化三神とされています。

国常立大神は、地球の原初の頃、 

地上の修理固成に苦労されていた

「ミロク大神」と「伊邪那岐命」の2神を助ける形で、地上に降臨しました。

浅川嘉富さんの調査では、龍系のグループに属する宇宙人には、 

プレアデス人やシリウス人のほか、グレイ系のゼータレクチル人などもいたそうです。

これらの星々は、現在地球に転生してきている多くの方々の出身星でもあります。

国常立尊のエネルギー体は日本列島ほどの大きさで、金色の龍体であったと言われています。

さて2千年前に大和族(アマテラス族)が大陸から日本に渡来してきた時、

彼ら大和一族はネガティブなオリオン系宇宙人と交流していたため、

三輪山一帯に侵入した時、シリウス人(龍型宇宙人)を封印したそうです。

(坂本政道 ベールを脱いだ日本古代史 高次意識トートが語る より)

オリオン星人は好戦的で攻撃的な性格を持っています。

正確には、封印と言うよりも自ら三輪山に身を隠した・・

と言う方が正しいかもしれません。

 

三輪山

ですが、その封印が、数年前に解かれたそうです。

それはこのトートの情報だけでなく、全く別の情報ソースである浅川嘉富さん著作の

「龍蛇族直系の日本人よ!」にも同じことが記載されています。

多分、それは2011年の東北大震災を契機としているのではないかと思われます。 

霊的巨人、出口王仁三郎の建て替え・建て直しの予言に通じます。

国常立尊のエネルギー体(龍のエネルギー)は、もともと大国常立尊と呼ばれていました。 

そして 丑寅の方角(東北の方角)に長い間封印されて来ました。

現身になった時、国常立尊と呼ばれるそうです。

出口王仁三郎によれば、世界は、次第に地上の人間たちの欲望とエゴにまみれ、

地球環境破壊などを起すようになってきた時、この世の「立て替え」のために、荒神である国常立尊の力が再び必要とされる。

とされています。

また著名な経済アナリスト 藤原直哉さんの出口王仁三郎の予言研究によれば、

世界は30年ごとの波で、変化を繰り返し、神々の御心を成就されてきた。

直近の30年は、2010年から始まり、まずは神々による「建て替え」つまり破壊が行われる。

と言われます。

そして 2011年の東北大震災が、

その破壊(神々による建て替え)に当たるのではないかと言うことです。

そして次に起こるのは「立て直し」

これは人間の力による、

真の心の復興(人の心が一番に重視される霊主体従の世界)のことです。

これは、「キリストの御霊」を持った、神の現身が担当することになっているようですが、

意識が神々の方向に向いた、私たち一人一人が重要な働きをすることでしょう。

能力あるどこかの誰かに頼り切り、依存する心では、今までと何も変わりませんから、神々の意図する世界とは波長が合いません。 

私たち一人一人が主役です。

 

そもそも過去にも、この龍神、国常立尊が大きな動きをされた時がありました。

今から150年ほど前です。

つまり、清国がイギリスにアヘン(麻薬)漬けにされ、アヘン戦争が起こり、アジア、アフリカが、ヨーロッパ列強の覇権争いにさらされ、奴隷的な植民地獲得競争が行われていた時です。

日本では、

・強大な軍事力、

・そして(江戸の純粋な人々の心には片鱗もなかった)悪魔的な悪だくみ、

を初めて日本人が目にした時代、つまり明治維新の時です。

この時、縄文から続く、神々に連なる日本人の精神の危機を察知した縄文の神々が

日本のあちこちで行動を起こしました。

その中心に居たのが龍神 国常立尊です。

徳川時代末期より、日本列島では神霊的な異変が各地で起こり始めました。

黒住・天理・金光・大本などの一連の霊的な動きが一気に加速されました。

・神は実在すること

・日本は古代より神国であったこと。

・このまま世界の潮流に飲まれては、日本の心は滅び、ひいては世界も滅ぶこと

これは日本だけを特別扱いしているわけではありません。

(どなたも数多くの転生の中で世界各地に生まれているからです)

ここ数年、世界中でも様々な動きがありました。

特に一昨年からは世界が一変してしまうかのような出来事が起きています。

日本国内でも、悪や不正義がはびこり、昔から日本人が持っていた純朴な心

調和の心、全体として幸せになろうとする美しい心が無くなりかけています。

同時にそれらの灰汁(アク)が、あぶりだされ、白日の下にさらされてきつつあります。

龍神の働きも活発化して来ました。

今は夜明け前の暗闇の中にいるようですが、もうすぐ夜明けが来る気配もしています。

ですが、それはダライラマが言うように神々や人任せではなく、

私たち一人一人の行動があってこその事だと思います。

私たちが今できることは何か?

それを考えて、一つづつ行動に移して行けば、常に見守り続けてくださっている国常立尊はじめ、縄文の神々と協力して、美しい世界を作ることが出来るかもしれません。

神々任せではいけません。

そして確実に言えることは、私達、今の時代を生きる人たちは、この神々の起こす大きな宇宙的な変化を目撃するために、自ら進んでこの時代と地球を選んで生まれて来たということです。

私たちの心の浄化が望まれています。

 



2023年10月19日木曜日

3219「ブッダの予言-ジャプトーバー」2023.10.19

 今回はいっぷくからのありがとうさんの2023年10月09日の記事を紹介します。


「ブッダの予言-ジャプトーバー」


連休中、伊勢神宮に行ってきました。 

さて、負のエネルギーを得るために

・世界中の人々を恐怖と不安に陥れる悪魔的な存在や、

・巨万の富を得て、そして維持するために 

残虐な憎悪のエネルギーで世界を動かそうとする存在たち。 

心優しき人々は虐げられ、

今日に至るまで、それら存在の計画がうまく進行しているように見えますが、

ここ数十年の動きは、まさに神様の仕組みが動きだしているように見えます。

沢山の異なるレインボーチルドレンからもたらされる複数の星々からの情報や、

まさに神様の意識を持ったまま生まれた子供たちからの情報、そして今日ご紹介するブッダの予言では、神の世を創る原動力となって動くのは私たち日本人のようです。 

※それは日本人だけが偉いのではなく、今世日本人として生まれた役割です。

ですが、私たちがその役割を担おうにも、 

・今までのように他人依存的な思考を打破しない事には

・恐怖と不安に縛られていては

・神様を心の底から信じていなくては 

私たち自身も、そのような存在の操り人形のまま終わってしまいます。 

他人の思考のままに、無意識に動かされるロボットのままです。 

では、今日のお話です。

令和の時代が始まっています。 

・霊性の時代、

・神々と直接的につながる時代

・思いと現実の時間的ギャップがなくなる時代 

様々な良きことの起こる時代になりました。 

私たち人間は、変化の渦中で生活していると、世の中の変化には、なかなか気づきにくいものです。

ですが世界は、着実に神々の計画通り動いています。

さて今日は、ブッダが亡くなる直前に説いた、日本に関する予言をご紹介します。 

その内容は沢山の文献に散見されるようですが、小林正観さんのお話からご紹介します。 

この内容は正観さんが、2001年、つまり東北大震災発生の10年前に語った内容です。 

<転載開始> 

 

21世紀は、どんな時代になるのでしょうか?

21世紀は架け橋ですね。

20世紀と21世紀の。 

この百年で西洋文明から東洋文明へと価値観が変わって、それがその後3,000年続きます。

その礎がこの百年で出来上がります。

ほう、21世紀が東洋の時代と言う人はいますが、3,000年王国ですか?

釈迦が言ったジャプトーバーですね。

自分(釈迦)の教えが、末法の時代になってから五百年ほどたつと、 

つまり、2,500年後ですね、

(釈迦が生まれたのは、紀元前500年頃とすれば、 

正法が1、000年、像法が1、000年、とすると、

西暦1、500年頃から末法の時代ということになるから、

その後500年くらいということになると、西暦で言えば21世紀初頭と思われる) 

インドのはるか東方にジャプトーバーという国があって、

その国で自分の教えや考え方が正しく理解されなおす‥‥。 

末法の世に入ったら自分の教え、考え方が正しく伝わらない、と言っているわけです。 

それがジャプトーバーという所で、再度認識されなおす‥‥。 

ブッダはジャプトーバーについてこう言っています。

・都会に人があふれ

・夜でも明るい光に満ち

・道は広く平らで裸足であるいても傷つかない

・遠く離れても話ができる

ジャプトーバーとは、もちろん日本ですね? 

そうです。その国の人々は争うこと、闘うことが嫌な人たちで、 

その考えと自分(釈迦)の教えが正しく理解されることが相まって、

融合して平和な世界が始まる。 

そこから3,000年間、平和が続くだろうと釈迦は言ったのです。 

その方向での動きはどうですか?

まさにその動き(傾向)がジャプトーバー(日本の事)に出ている‥‥。 

私はこの33年間の中で初めてこの数年間の手応えを、すごいと思っています。

33年間(我が国を)見つめてきたからわかるのですが、全然違います、この2,3年は。

日本人の心の有り様というものが、まったくそれ以前とは違う。 

お釈迦様の2,500年前の遺言は、本当なんではないでしょうか。

だから私は環境問題とも闘わないし、世の中が悪くなったなんて一言も言わないのです。 

そうではなく、3,000年王国に向けての第一歩が、(日本から)始まったと思っています。  

我が国の国民性は、疑いなく、「争うこと、闘うこと」が嫌いであり、

しかも、インドはるか東方という位置や、ジャプトーバーという国名からして、

釈迦の予言は、いかにも、我が国のことを指して言っているように思えるのです。 

<転載終了>

   

皆さんは聖徳太子の17条の憲法をご存知ですか? 

第1条、和を以って貴しと爲す 

の憲法です。西暦604年に作られたものです。 

その第10条には、こんなことが書かれています。

心に恨みを抱くな。 顔に憤りを表すな。

人が自分と違うからと言って、怒ってはならない。

人には皆 心があり、心にはそれぞれの想いがある。

自分は聖人ではなく、相手が愚か者でもない。

ともに凡夫なのである。

何が正しくて、何が間違っているか

いったい誰が定める事ができよう。

それゆえ相手が怒ったら、自分の過失を恐れよ。

なんと、こんなに早い時代から、私たち日本人の祖先たちは心をとても大切にしてきました。

ブッダの教え、空海の教えそのものです。 

世界に類を見ないものです。

だからこそ、ブッダの予言に出てきたのかもしれません。

また私たちの住む日本は、レインボーチルドレンのそうた君が言うには、

この広い宇宙中で数えきれないほどの星々がある中で、

たった2つしかない、ユートピアの一つなのだそうです。

日本が存在するから、この地球が保たれ、愛の星と言われるのだそうです。

私たちの中に流れる縄文のDNAは人を疑うことを良しとしません。 

まず最初に、相手の中の神様(良心)を信じて接します。 

相手を騙してまで、自分の利益を守ろうとはしません。

和を持って尊しとなすの精神が、誰にも根付いています。 

それに比べると日本以外の国では、「アリババと40人の盗賊」にあるように、 

人のものを奪ってでも、自らの利益を追求することは、悪いことだとは考えないようです。 

ブッダの予言には、そのような日本人の美しい気質も関係しているかもしれません。 

このような性格は、古事記や日本書紀などにもよく表れています。

さて以前の記事では、こう書きました。 

<引用開始>

  

日本人のDNAに刻まれた特質は、

・どんな相手でも、拒まずに受け入れて、

・自分に取り込み、融合して進化する

・先祖や、死者。敵国の戦没者まで弔い、

 死後の幸せを願う心(神道の細男の儀式として残っています)

意識する、しないに関わらず、このような魂の特質をDNAに刻まれた日本人に対し、 

2011年3月11日、神々は東日本大震災を起こしました。 

あの大きな犠牲のもと、日本人の心が変化しました。 

私たち日本人の集合的無意識に  

・慈悲(相手の痛みを感じる共感、助け合い)

・優しさ(思いやり) 

・聖なる諦め(自然の力の強大さの前に人間は無力である) 

このような心が芽生えました。 

この大災害は、もともと私たち日本人の持つDNAの特質を、

更に、大きく神々の心に近づける働きをしました。 

<引用終わり>

  

過去の歴史を見てわかるとおり、変化の渦中にある時、

人は全くそれが大変化であるとは気付きません。 

その時が、変化の起点(エポック)であったとは、後の世の人が指摘することです。 

ですから、今21世紀に入ってから20数年がたち、令和の時代に入っていますが、 

もしかしたらブッダが言うように、今が後の3千年間続く仏国土、 

つまり「人間の精神性の復活」のための「建て直し」の時期なのかもしれません。 

それは、今始まったばかりであり、これから百年かけて、私たちの精神性は目覚め、

心の時代であることを確かに確信します。 

そして私たちの2代、3代後の子供たち皆が笑いあい、助けいあい、お陰さまの気持ちで純粋に生きる、随神(かんながら)の生活を送っていることでしょう。

そのためには、私たち人間が、自分たちの力と知恵で、純粋な精神性、心を取り戻さねばなりません。 

今は、建て替え、つまり破壊の時を過ごしていますが、

これを耐え忍べば、いよいよ美しき世界への建て直しの時期です。 

希望を持ち、周りの人々と助け合いながら、笑顔と感謝の気持ちで暮らしていれば 

きっと、その美しき世で暮らすことができるでしょう。

 



2023年10月18日水曜日

3218「願い事が全部叶う神社」2023.10.18

 今回はいっぷくからのありがとうさんの2023年10月05日の記事を紹介します。


「願い事が全部叶う神社」


今日は、家族についてです。 

神様が作ってくださった人間の一番小さな単位です。 

まずマザーテレサの平和に関する言葉をご紹介します。



1923年に撮影された少女時代のマザーテレサ(左)。

世界平和のために私たちは何をしたらいいですか?

という問いに対し、彼女はこう言ったのです。

すぐにお国にお帰りなさい。

家に帰って家族を大切にしなさい。

どういう意味かお分かりでしょうか?

正義の旗を振りかざし、世界の平和の為にと大きなことをする必要はありません。

無理をしてまで、まだ見も知らぬ人々のために尽くそう・・などと思う必要もありません。

一番身近な家族さえも大切にできなければ、他人に愛を与えることはできません。

だから、まず家族を愛しなさい

そうマザーは仰ったのでした。

そして次にご紹介するのが町田宗鳳さんの言葉です。

町田先生は東京外国語大学教授をされています。

14歳で出家した後、お寺で20年間修行。

34歳のときに寺を離れて渡米。 

そして博士号を取られて、米国の一流大学の助教授になられ、日本に帰られて大学の教授をされているという、とても珍しい経歴をお持ちの方です。

<転載開始> 転載元


さてここで、わざわざ本書を買って読んで下さった奇特な読者に、お礼の意味で、秘密情報を流すことにします。 

たまたま図書館で借りて読んでいる人にも、この際、出血サービスで教えてしましょう。

それは、日本一ご利益のある神社がどこにあるかという、とっておきの情報です。 

私は一応、プロの宗教学者ですから、そういう世界の情報通なのです。

そのありがたい神社にお参りすれば、七福神の福徳がいっぺんにもらえます。 

進学であれ、縁談であれ、金もうけであれ、願ったことが、全部叶うのです。と聞けば、ぜひ行ってみたいでしょう。

で、その神社がどこにあるかって?

じつは、あなたの家庭が、そうなんです。

お伊勢さんやお稲荷さんにお参りをするよりも、霊験あらたかです。

あなたの家族の一人ひとりに、心の中でかしわ手を打って、頭を下げれば、

福徳円満、家内安全、健康増進、五穀豊穣、子孫繁栄、まちがいなしです。

家族を大切にすることから、すべてが始まります。

あらゆる幸運を呼び寄せてくれるのは、家族なのです。

家族がバラバラなのに、有名神社で賽銭をいくら気前よく張り込んでも、ご利益はありません。

<転載終了>

 

確かにその通りですね。

私たちの内には、どなたも神さまがいらっしゃいます。

本当は、わざわざ遠くの有名どころの神社やお寺まで出かけ、お賽銭を奮発してお参りに行く必要はありません。

神さまとつながろうと意識すれば、どなたでも直ぐに繋がれます。

そして、どうして私たちは家族を作るのか?

喧嘩したり、憎しみ合ったりしながら、どうして人生の長い時間を共に過ごすのか?

家族間の殺人事件は物凄い数なのだそうです。

それだけ家族は近しい関係であるので、甘えももちろん出ますが、感情ももつれればすさまじい憎しみにつながるのでしょう。

それなのに、どうして私たちは家族というものを作るのでしょうか?

家族。これは神さまが定めた人間の最小の構成単位ですね。

私たちは 

・家族だから、期待や要求をぶつけ、干渉し、支配しようとする。

・家族だから、罵り、傷つけ、暴力を振るう。

・家族だから、残酷さや支配欲、身勝手さをさらけ出す。

ブッダは家族についてこう悟られました。

家族とは、他人に対して言わなくてすむわがままを、目の前の家族という名の特別な存在に対しても言わないという訓練の場。

あることを他人から言われたときに、その他人に対しては腹を立てたり、怒ったり、怒鳴ったり、いら立ったりしない。

ところが、同じ言葉を夫や妻、子どもから言われたら、ものすごく激昂(げきこう)して、腹を立てて、怒って、怒鳴りまくってしまう。

家族だから、妻だから、夫だからという理由で制御しないのは、甘えているという意味でそれを幼児性といいます。

結婚というのは、幼児性の克服のための訓練の場なのです。

そこのところに気がつかない限り、多分穏やかな家庭生活というのを得ることはできません。

家族というのは、わがままを言い合うために存在するのではなく、わがままを言えるような人間関係が目の前にあって、それでなおかつそのわがままを言わないために存在するのです。

 

そして、その幼児性を克服したうえで、マザーや、町田先生が仰るように

・家族に対しての感謝の心

・幸せにしてあげたいという心 

が芽生えたらどうなるでしょうか?

それこそ、私たちが今世、人間として生まれてきた目的の全てを達成したと同じ意味かもしれません。

神さまが一番喜んでくださることかもしれません。

つまり、家族を大切にすることは、

心を清め、神さまに近付く一番身近な方法だったということです。

ですから、神さまは、私たちに家族という仲間。 

魂を磨き合う仲間を与えてくれたのかもしれませんね。

・皆さんは、ご家族を大切になさっていますか?

・笑顔を向けていますか?

・いつも勇気づける言葉をかけていますか?

・いつも肯定して差し上げていますか?

それとも 

・まだ憎しみが心の中に淀んでいますか?

・許せないでいますか?

もしかしたら許せない、そのご家族の方も、 

本当は仲好しの関係で生まれてきたかったのかもしれません。

でも、お互いの魂を磨き合うため 

敢えて、悪役である「憎まれ役」の役割を引き受けてくださったのかもしれません。

  

人生の長い時間を共に過ごす家族、大切にしたいものですね。 

関係性の、全ての理由、喜びも悲しみも

全ての理由は、肉体を脱いだ後、必ずわかります。