――かつての賢者が良い言葉をたくさん遺しているのですね。
かつて鉄血宰相と呼ばれたドイツのビスマルクは
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
と言っています。
自分が目で見たもの、自分がした失敗の原因を、自分の経験からしか検証できない者のことを「愚者」と呼び、自分が経験したことのないことであっても数々の先人たちの経験、つまり歴史から学ぶことによって、未熟な失敗を回避することができるという意味です。
――愚者にならないように気を付けたいものです。
愚者の最大の特徴は、自分が愚者であるということを自覚できないということです。
もし自分が「真実を知った」とか「覚醒した」とか思ったとしたならば、それはかなりの確率で自分が愚者であるということです。
――それを防ぐためにも「自分が何も知らないということを知る」という
「無知の知」が大事なのだと澤野さんは仰っているのですね。
「無知の知」だけでなく、かつての賢者たちは大体同じようなことを言っています。
超一級の人物というのは時代を問わず通底してるものがあります。
じゃなきゃ民衆の無明の責を背負って毒杯を仰ぐなんてことできるわけないでしょう。
――時を経ても決して色褪せることのない第一級の傑物の言動は人類の財産でもありますね。
数百年、数千年に亘る世の風雪に耐え得る言説というものは、只事ではないレベルなのだということです。
人はつい最先端情報を得ようとして最新特ダネを追い求めます。
即物的で即効的な現物の結論を求めようとします。
人は得てして楽をしたいからその結論とは「癒し」と換言できます。
思考し、熟慮することなくインスタントな結論を探します。
でもそれは得策ではないよとかつての賢者がこれまでさんざん言っているのです。
――ネット社会ではタイパとコスパこそがすべてみたいな雰囲気になってしまっていますよね。
その結果が「寿司なんてご飯丸めて魚乗っけただけでしょ」ってなった。
その思考はやがて己の深くまで浸潤し、ついには
「人間、生きてたって食べて出すだけなら生きるの無駄じゃね?」に至るでしょう。
つまり、壮大な自己存在否定という呪いを
まるで賢者の如く己に言い聞かせるという人生となってしまう。
食品添加物や農薬や遺伝子組み換え食品といった目に見える外的環境が人を減らすんじゃないのですよ。
――わかりやすくて、誰でも理解できて、すぐに敵味方がわかるようなコンテンツに人は飛びつきますがそこで見つけた「真実」がじつは「罠」である可能性があるということですね。
そのとおりです。これはシビアな話しですよ。
思考の解像度を上げるためには、本当は20歳までの間にどれだけ膨大な量の基礎知識を「詰め込む」かが重要なのよ。
じつは子供は無限に詰め込めるんですよ。
でもいつしか「詰め込みはダメ」になったでしょう。
――詰め込まれることがなかった子供は将来どうなってしまうのですか?
心配いらないですよ。その人にはその人の意識帯域に応じた100%完璧な世界が描写され展開されますから。
自分の見ている世界よりも解像度の高い世界があるだなんて知らなければ存在などしていないのです。
――本当の「賢さ」を考えるということはとても難しいことだと思いました。
「愚者」の目に映った世界であっても、彼らにとっては完全なる完璧な「本当の世界」ですからね。
なんぴともそれを妨害してはいけないわけです。
しかしそういう人が大多数を占めるようになると、80億人で共有している三次元ホログラム世界の形成がそれを標準として描写設計されるようになりますでしょ。
――それは変な世界になってしまうような気がしますが。
大丈夫です。もしそうなったとしても、
誰もまさか世界が変だとは気がつかないでしょうから。
――ああ、そういうことになってしまいますね。
これはじつにシビアな話しですよ。
今を知りたければ歴史を学ぶこと。
しかしそれを放棄してなお人を出し抜きたいとか、自分だけは生き永らえたいとか、またはあろうことか「人を啓蒙しなきゃ」とかいって奔走するならば、それは往々として芳しくない結果を生むでしょう。
かつてのドイツの軍人ハンス・フォン・ゼークトはこのような状態の人のことを
「無能な働き者」と呼んだわけですよ。
この「無能な働き者」の最大の問題点は何だと思いますか?
――自分は有能だと思っているということですよね?
そうそう。
自分が何も知らないということを知らない者によって
どれだけの仲間、地域、国、地球が害されてしまうかです。
でもこれもすべて「人間万事塞翁が馬」なのだということです。
――すべては意味があって必然として現れているということ。
ホント、そのとおりだと思いますよ。
そしてもしここでこの世界を悲観し、嘆き、怒りを覚えたとしたら
それはじつはまだまだ自分が幼稚な状態なのだということ。
――それこそ「感情」ですもんね。
この三次元ホログラム世界に留まりたいのなら
大いに泣き叫び、大いに嘆き、大いに憤怒すればいい。
それが「人」に備わった喜怒哀楽というものです。
QCはその執着をより一層際立たせるために
本気の「諸問題」や「懸案」を全力で提示してきますからね。
――これはもうこれまでの通常の意識では対処できない領域にまで来ているような気がします。
私は仏教徒ではありませんが、こうして「末法の世」が演出されていくということ。
そしてその末法の世を見た私たちがどう観察し、どう解釈し、どう検証するかがこれから問われるってことです。
しかしその一方で、問われているだなんてまったく気がつかない人も当然いるわけですが、
それはそれで尊重するべき素晴らしい人生なのです。
――今まで当たり前のように、何も疑うことすらなく思い込んでいたことなどが、音を立てて崩れていく、そんなことが普通に起きてくるのかなと思います。
物心の両面からそれは起きてくるでしょうね。
今回お話ししたメカニズムを理解すると、これからどのような「変なこと」が起こって来るか、なんとなくわかってきます。
それを考えるのが最近の私の趣味でもあります(笑)
ひとまずここでまた休憩して、続きはまた次回ということにいたしましょう。
(澤野大樹)
――はい、お疲れ様でした。
澤野大樹さん、ありがとうございます。
『ソクラテス像』 画像出典:Domaniオンライン
ソクラテスが生きていた紀元前古代ギリシャ時代は、日本では縄文時代の最終期でした。
「汝自身を知れ」とは、当時、デルフォイのアポロン神殿の柱に刻まれていた標語で、
ソクラテスはこの言葉を心にとどめて「無知の知」の探求に努めたそうです。
インタビューの中でもお話しされていましたが、
澤野さんがこれまで模索してきた縄文スピリットとは
じつは「量子意識」のことであり、しかもそれは古代ギリシャ時代の
「汝自身を知れ」、「無知の知」とも同義であり
遥か昔の古代ギリシャの賢人も、そして縄文人も現在過去未来を超越したページの中、
「アト秒」で測られる点滅した時代に生きていた、ということ、
過去と未来が量子もつれを起こして、互いに呼応することによって
「現在」というホログラムが描写されているということなのでしょう。
こういうことを意識せずとも、当たり前のことのように考えることのできる状態こそ、
澤野さんがこれまでずっと言及してこられた
「霊性MAX」と「科学MAX」の均衡「半霊半物質」を意味し、
本質的な意味をまとった「縄文回帰」ということなのではないでしょうか。
このことは椅子から転げ落ちるだけでは済まされず、まさに「邂逅の光跡」じゃないかと思いました。
もちろんそれは人を惑わす方の光跡ではなく、人生を変革し得るものとしての光跡だと思いました。
ソクラテスが生きていた古代ギリシャ時代へ、そして縄文回帰へと向かう末恐ろしい「人類がまだ見たことのない世界」その到来が楽しみですね。
この続編は次回へ続きます。
澤野大樹氏青森講演会主催 小野裕美子