2021年10月31日日曜日

2502「死を超えて」2021.10.31

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年10月25日の記事を紹介します。


「死を超えて」

今日のテーマは、死についてです。

近しい方を亡くされて、喪失感の中に、居られる方もいらっしゃるかもしれません。 

もっとこうしてあげればよかった・・ そう自分を責めている方も、いるかもしれません。

自分にできる精一杯やったと、爽やかな達成感を味わって、いらっしゃる方もいるかもしれません。

今日は、肉体の寿命は尽きて亡くなろうとも、

・魂は死なない、

・永遠である

といことをご紹介します。

それを知っているか知らないかで、人生の価値が、まるっきり変わって来るからです。

まずは同名の著書を持つ元東京大学 医学部部長、矢作直樹さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元


死は考え過ぎるといけませんが、時々、それを思うことで「豊かな生」を手に入れることができます。それ以前の自分と、それ以降の自分による対話がそこにあります。

長いのか短いのかわかりませんが、いわゆる人生という旅の中において、自分のお役目も励みながら、あるいはお役目を探しながら、感謝しつつ日々を全うする。

そのうちにゴールがやって来るという人生で、必要なのは「幸福感」でしょう。

誰もが避けられない、死というイベントを意識することで、限られた時間の中で、豊かな生に向かって歩こうとする、私たちの幸福感は、そんなところから滲(にじ)み出て来ます。

さらにそこで大切なのは、「人は死なない」という事実を知ることです。

今回の生で授かった肉体は滅びますが、私たちの魂は死ぬことがありません。

まずはそこに気づくこと。

そうでないと唯物論者のように現世利益にしがみついて、単に死を怖がることになります。

この先もまだ数えきれないほど生まれ変わるというのに、今の生の、利益にしがみつくなんて、これほどバカバカしいことはありません。

その仕組みがわかると、滲み出た幸福感の中にまた会えるという感情が生まれ始めます。

他界した、大事な人や、愛しい人とはあちらの世界で会えるし、次回の転生後も(前の生のことは覚えていませんが)違う役割で会えるでしょう。

そもそも大事な人や愛しい人は、いつも私たちの、すぐそばにいます。私たちが死を迎える日、つまり現世を卒業するその日まで彼らは優しい眼差しで、見守ってくれているのです。

その仕組みを踏まえると、残りの人生を、心配する必要がなくなります。

対人関係やお金の問題など、いろいろなストレスを抱えているにせよ、それも今回の人生において、自分の「課題」がそういう形で出ているだけの話です。

解決できないレベルの課題は絶対にやって来ません。必ず解決のための糸口があります。

その糸口を探すことこそ、人生における最上の学びなのです。

臨死体験というテーマでも、この20年くらいの間に実にさまざまな立場の方々が、講演や著書でその体験談を発表しています。

 

脳神経外科の世界的権威である医師エベン・アレグザンダー(元ハーバード大学メディカルスクール准教授)が自らの臨死体験を著書にまとめた本もベストセラーになりました(脳神経外科医が見た死後の世界・早川書房刊)。

向こうの世界の様子が、詳細に描かれているのが興味深い点です。

レイモンド・ムーディやエリザベス・キュープラー・ロスなど、多くの実績を持つ欧米の医師たちが死後世界の実相を克明に語る向きは、海の向こうではかなり増えています。

しかし、私たちの住む日本ではそうした情報自体をまだオカルトと忌避する風潮が強いのも残念ながら事実です。

なぜ私がそんな突飛なことをここで言うのか?

理由は簡単です。人間は知らないことへの対処がこの世で一番怖いからです。

・知らないこと、

・知らない人、

・知らない世界、

・知らない作法、

・知らない手続き、

・知らない知識…

私たちが常に怖がり、不信感を持つのは「未知のもの」です。

逆にそれらがわかると心の中にある恐怖心は消え去るのです。

<引用終了>


今回の生で授かった肉体は滅びますが、私たちの魂は死ぬことがありません。

と矢作さんは仰います。

また、矢作さんは、「寿命とは、この世で魂を磨く期間」と言っています。我々がこの世に生を受けた目的は、魂を磨き、少しでも多くのお役目を果たして、あの世に行くこと。

・人の役に立ち、

・人から必要とされる人となること。

・人に喜ばれる人になること。

(病気や寝たきりになって人のお世話になることも、相手の方に「人の世話をする」という体験の機会を与えている 立派な役割です。)

だから、

・辛いこと、

・困難なこと、

・嫌なこと、

・面倒なことは、

この人生において、自分の魂を磨くための、大事な砥石(といし)。

多くの人は、沢山の悩みや悲しみ、苦しみの中で人生を送られていることだと思います。

でもそれは、それらの環境が私達の魂を、強くしてくれるからです。

そして、それは乗り越えられない試練は決して与えられない。と言うことと、肉体の死を持って、終わると言う意味でもあります。それはどういうことかと言えば、今の苦しい環境も、せいぜい死ぬまでの事。 そしてそれは、自分の魂を磨くためにあると言うこと。

時に、もう投げ出したくなるような、人間関係、家族関係経済的な貧困、人々の差別、中傷、ねたみ にさらされるかもしれません。ですが、それは永遠に続くものではありません。

私達は、あと何年、何十年生きているか解りませんが、それで終わりになります。

決して、その環境を投げ出さず、自分の精一杯の誠意と愛と思いやりを持って、過ごして生きたいものです。

先に亡くなった方々は、今頃どうしているでしょうか?

このブログでも、沢山の臨死体験例をご紹介してきましたが、肉体という 振動数の低い状態から、魂という、振動数の高い状態に移行すると、そこには、時間の概念も、空間の概念も無くなるのだそうです。

拘束の多い、物理的な地球と異なり、一瞬にして、意識した時代へ行け、意識した場所へ移動できるのだそうです。そして、その状態こそが、私たちが肉体を持ち、暮らしている時間より、はるかに長い時を過ごす場所であり、実在界とも呼ばれます。

また、類は友を呼ぶ。。つまり「波長の法則」と呼ばれるものが、より鮮明に機能するため

波長の異なる者同士は、交わることができません。亡くなった方々は、同種の波長を持つ

ソウルメイト達に囲まれ、ねぎらいの言葉をかけられていることでしょう。

  

また、この地球上で経験したこと、 

・思ったこと、

・感じたこと、

・感情の爆発など 

全ては貴重な体験とされ、ソウルグループに共有され、宝となるのだそうです。 

それは、私たちが、

・良きこと

・悪しきこと

と、常に区別しますが、一切のジャッジ抜きで、全ての経験が大切な宝になるのだそうです。

だから、あちらに戻った時に、経験したこと、つまり「既知」(いろんな未知のことを経験して知った)というお土産を持ってきたが故に、大歓迎で迎えられます。

きっと、お父さん、お母さん、先に亡くなった子供たち、友人や、かわいがっていたペット達も笑顔で 迎えてくれることでしょう。 

そして、再び霊的な生活に、フォーカスされた暮らしが始まります。 

ですから、死とは決して悲しいものではなく、通過点でしかありません。生きていた今よりも、もっと幸せになるために、帰って行きます。 

死は、この地球で経験した、豊かな宝を仲間たちの元へと持ち帰る最後の扉です。 そして、その扉の向こうには、隠し事など一切できない、心と心、波長の同じ、親しい仲間たちが待っています。

   

残された私たちは、戻られた方々が、後ろ髪引かれることの無いように自分たち自身の、生きる目的をにこにこ笑いながら、経験して行きたいものですね。

 

 

そして私たちも、向こうに戻った時、笑顔で、ご挨拶したいものですね。 

地球では、お世話になりました。泣いたり笑ったり沢山の経験をさせていただきました。

ありがとうございました って。



2021年10月30日土曜日

2501「天国からの手紙」 2021.10.30

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年10月23日の記事を紹介します。


「天国からの手紙」


私たちの魂は、永遠に存在します。 

肉体を持たず、死によっても、人と人と、深い魂の交流を持った魂同士を引き離すことはできません。死は時に、人々を悲しみのどん底に引きづりこみますが、決して、私たちを引き裂くことはできません。

私たちは、生きている間悲しみや喜びを通じ魂のダイナミズムを経験し、そして深い魂の繋がりを結んでいきます。


このブログの読者の中には、早くにお子さんを亡くされた方も多くいらっしゃいます。 

今日はイノチの尊さについてのお話をご紹介します。 

この中には、死産に関するお話も含まれています。

興味のない方、気分が悪くなる方こういうお話はタブーと思ってらっしゃる方は、どうぞ、スルーなさってください。

 

関根雅(まさし)さん、麻紀さん夫婦の子どもは、出産予定日に突然、お腹の中で亡くなりました。

娘に「椿」という名前をつけて見送った後は、深い悲しみの中で自分たちを責め続ける日々を過ごしていたそうです。

そんな夫婦を救ったのは、「わたしが あなたを選びました」という本の著者である産婦人科医、鮫島浩二さんとの出会。

自分たちを親として選んでくれたはずの子が、なぜ、うまれてくることができなかったのか? その問いに対して、鮫島医師は...?

とっても素敵な女性に話を聞かせていただきました。

今年3月に産まれた「椿」ちゃん。2660グラムで、出産予定日に産まれました。

でも、椿ちゃんは、産声をあげることはありませんでした。

待ちに待っていたこの日に、お空に帰ってしまったのです。

妊娠中は何の問題もなく、ママの麻紀さんもだんなさまも おなかの赤ちゃんに話しかけたり、歌を歌ってあげたり。。。

毎日、順調に大きくなっていく椿ちゃんと、本当に、幸せな時間を過ごしていたそうです。

ところが。。。予定日の朝、目が覚めると、胎動がなく、不安な思いで病院にいくと、既に心音がなく、亡くなってしまっていました。

トツキトウカの間、時にはポンッ、ポンッ、とおなかを蹴ったりしながら、小さな体で一生懸命生きていた命。

その、もうすぐ会える!と楽しみに思っていた命が、突然その鼓動を止めてしまったのです。。。。

原因は今でも分かっていません。

椿ちゃんの心音が止まっていることを聞いた麻紀さんは、半狂乱のようになり、

「おなかから出してしまったら、椿と一緒にいられなくなる。。絶対おなかから出したくない」そう、叫んでいたそうです。

しかし、だんなさまの 

「きれいなまま早く出してあげよう」という言葉で、翌日、椿ちゃんを出産されたようです。

陣痛をおこして、助産師さんに支えられながら、だんなさまも立ち会った8時間の出産。

産声をあげることも、目をあけることもなかったけれど、かわいいベビー服に包まれた、

2660gの椿ちゃんを抱いている麻紀さんは、本当にきれいで、とても幸せそうでした。

しかし、その後の2ヶ月は、病院を責めたり、自分を責めたり。。。

誰かに責められるのではないかという気持ちにもなり、家にひきこもり、泣いてばかりの毎日だったそうです。

ところが、ある日、天国の郵便局からこんな素敵なお手紙が届きました。


~天国郵便局より~

おとうさん、おかあさんへ

おとうさん おかあさん 悲しい思いをさせてごめんなさい。

天国を出発する前、神様から「お父さんたちと一緒にいる時間は短いですよ。それでも行きますか?」と聞かれたとき、本当にショックで、悩みました。

 

しかし、あなたたちの仲睦まじい姿を見て、地上に降りる決心をしました。

たとえあなたたちに悲しい思いをさせても、たとえ一緒にいる時間は短くてもあなたたちの子どもに数えられたかったからです。そして私の夢はかなえられました。

おかあさん、わたしは確かにあなたの胎から生まれましたよね?

おとうさん、わたしは確かにあなたの血を受け継いでいますよね?

わたしは永遠にあなたたちの子どもです。そのことを、わたしは誇りに思います。

いまわたしは、あなたたちと共に過ごした、短いけれども楽しかった日々に思いを馴せ、 

わたしに続き、あなたたちの家族になりたいという きょうだいたちにあなたたちのことを自慢する日々です。

わたしは親戚のみんなといっしょに元気にしていますので、もうこれ以上悲しまないでください。そして心から、「わたしの選びは、正しかった」と言わせてください。

泣きたくなったとき、空を見上げてみてください。わたしたちの姿が見えますよね。

ゆっくり体調を整え、まだかなあ?と愚痴っている きょうだいたちを迎えに来てください。

わたしは永遠にあなたたちの子どもです。そのことを私は誇りに思っています。

つばきより


手紙は、耐えられない気持ちを訴え、支えてくれた、さめじまボンディングクリニックの

鮫島浩二先生からでした。

鮫島先生は、妊娠中にも愛読し、勇気づけられた書籍「わたしがあなたを選びました」の著者でもあります。

 

そして、泣いてすごす麻紀さんに、だんなさまも、

「椿は自分の命を一生懸命全うしたよ。姿は見えなくなってしまったけれど、これからは3人で生きていこう。おなかにきてくれたことに感謝しよう。

ママにさせてくれたこと、パパにさせてくれたことに、ありがとうって伝えよう」

そう言ってくれたそうです。

まだ、幸せそうな妊婦さんを見たりすると、つらい気持ちが出てきてしまうこともあるそうです。でも、椿ちゃんがおなかにきてくれて、教えてくれたこともたくさんあるとおっしゃっていました。

そして、椿ちゃんのためにも、様々なことに感謝をしながら笑って生きていきたい、とおっしゃっていました。


今の日本の制度では、死産をしてしまった赤ちゃんは戸籍にも残されません。

流産も死産も、タブーに感じられることが多いのか、あまりその存在を語られることもありません。その数は、私たちが想像しているよりもはるかに多いのに。。

 

現在、流産は全体の約15%、そして、死産は約3%の確率で起きていると言われています。

椿ちゃんのように、母体に理由があるわけでも、赤ちゃんに原因があるわけでもなく、 

お空に帰ってしまう命も存在します。

でも、椿ちゃんが、麻紀さんたちご夫婦と存在しているように、たとえおなかの中で亡くなってしまう命も、出生後どんなに早く亡くなってしまった命も、その命は短かったかもしれないけれど、この世に誕生したんだ、と思います。

そして、大きなメッセージを私たちに伝えるために来てくれたんだと、思います。


映画「うまれる」では、誕生死も「うまれる」ことの一つとして考え、扱っていきます。

以上 映画 うまれる HPより 引用させていただきました。

妊娠・出産・育児、流産・死産、不妊、障害などは、とっても神秘的な、生命の営みの一つです。

短い寿命や、障害を負う事を承知で生まれてくる魂には、そのことによって、両親や周りの人々に大きな衝撃、直感、人生転換のきっかけを与える役割がある方が多いそうです。

生命の神秘ですね。

なんだか私達に関わる全ての人達に 「ありがとう」って言いたくなりませんか?

笑い(笑顔)と感謝は 本当に大切ですね。

神様は、きっとその笑顔と感謝の気持ちさえ生きている間に持てれば天国に帰った時に 

「よくやったね」って褒めてくれるような気がします。

  



2021年10月29日金曜日

2500「聖なるあきらめ」2021.10.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年10月21日「聖なるあきらめ」

2021年10月24日「家の北側をゆっくり歩きなさい」の2つの記事を紹介します。


「聖なるあきらめ」


風の時代に入ったのだとか。 

物質中心の「地の時代」から、いよいよ「心の時代」の本格的な幕開けです。 

では今日も、見える世界、見えない世界を包括する一番大切な、心の世界をいかにピュアにするかと言うテーマのお話です。 

元聖心女子大学教授でシスターの鈴木秀子さんの「聖なるあきらめ」が人を成熟させるという本の中に、“聖なるあきらめ” という言葉が出てきます。


「聖なるあきらめ」という言葉は、単なる「あきらめ」とは違い、自分の身の丈を知る

ということを指します。 

決して投げやりな言葉ではなく、自分に与えられた現状を受け入れることこそ、全ての問題解決につながると言うものです。

彼女はクリスチャンですが、まさにブッダの般若心経と同じことを仰っています。

よく言われる 

・あるがままに

・そのままで良いんだよ 

に通ずるものがあるかもしれません。 

私達は「あきらめ」と聞くと、なんとなくマイナスなイメージがあります。 

子供の頃から、親にも学校でも、「あきらめずに最後までやり通すこと」 

そう繰り返し教えられて来ました。

ですが、いくら一所懸命に頑張ろうと

・全然認めてもらえない

・お金がもっと欲しい

・名の通った会社や学校に入りたい

・あの人は、お礼もしてくれない

・子供が言うことを聞いてくれない

・上司は私の気持ちをわかってくれない

・病気がなかなか治らない

私達には、日々そんな不満があるかもしれません。

でも、そのことは本当に不幸だと言えるのでしょうか?

鈴木秀子さんは、そう問いかけます。


鈴木さんは、こう仰います。

「あきらめる」には「諦める」だけでなく、2つの意味があります。 

・1つは「諦める」「断念する」というイメージが強いかもしれませんが、 

「執着しない」という大切な意味

・もう1つは「明らめる」。 馴染みのない表現かもしれませんが、元々は仏教用語で、 

「物事を明らかにする」という意味

 

私たちが、自力ではどうこうできない、まさに「神さまの領域」のことは、あれこれ悩まず、考えず、その事実をそのまま受け入れてしまったら 、心は、執着から離れ、晴れ晴れと、清らかになり、全てのことが、うまく回り始めることでしょう。

どんなに一見不幸に見える出来事でも、事実を、感謝の心で受け入れれば、外見、健康、お金、人間関係など、今現在は不幸だと思うことも、実はそうでもないことに、段々と気付いてきます。聖なるあきらめは、自分も周りも幸せにする行為、賢く気持ちを切り替えていく行為であり、人間としての成熟に欠かせない行為なのだそうです。 

私たちは、とかく

・あの時、こうすればよかった

・もう少し努力していれば

・別の選択をしていれば

など、いつまでも、 過去の事実を悔み、今の事態に執着してしまいがちです。  

ですので、心が、そこに縛り付けられて離れることがありません。 

だからいつまでも苦しむことになります。

 

鈴木さんが仰るように「聖なる諦め」の気持ちを持つことができたら、

そして執着から離れることができたら、どんなに幸せになることができるでしょう。 

まさに、全てを受け入れる、般若心経の教えの真髄です。

  



「家の北側をゆっくり歩きなさい」


今日の新潟は久しぶりの良いお天気でした。 

竹之高地不動社裏手の天空農園に畑仕事にみんなで行ってきました。ここの畑も、沢山の皆さんからご寄付を頂き大変助かっております。感謝申し上げます。ありがとうございます。

大量の サトイモが収穫できました。これも本日、フードバンクを通じ、子供食堂、食に困っている世帯へご寄付させていただきました。コロナの影響で、食べれないご家庭が増えてきているそうです。 ここ天空農園でできた野菜は、全て無農薬野菜です。

生態系も豊富で、今日はサンショウウオの赤ちゃんが、サトイモ畑で遊んでいました。

  

さて、今日は迫登茂子さんの「愛の詩」という詩集からです。 

 

迫登茂子(さこ・ともこ)さんは、どこにでもいらっしゃるようなおばあちゃんでした。

彼女は20年ほど前に不思議な体験をしました。

そのときの印象を彼女はこう書いています。 

「上から光が一杯入ってきた。はみ出した光で全身が包まれた! 私は変わった!」

以来、彼女の身のまわりに不思議な出来事が続き、天理教の中山みきさん、大本教の出口なおさんのように、不思議な人生を送るようになりました。

  

つまり神の意思の取り継ぎをするようになったのです。

取り継ぎの内容は、天変地異から友人たちの悩み事にまで及び、その真実性、正確さには、誰もがびっくりしたそうです。

普通、神様の取次などと言えば、おどろおどろしい霊能者を想像しがちですが、実は笑顔のまぶしい、素敵な家庭のおばさんのような方だそうです。

この方の側にいると、鎧や裃を脱ぎ捨て素直になれて、心が安らぐからだそうです。

   

家の北側をゆっくり歩きなさい

どうぞ、心を静かにして、目立たないけれど、懸命に生きていらっしゃる方々を思い浮かべてお読みください。

では、迫登茂子さんの「愛の詩」という詩集からです。

 

家の北側を ゆっくり歩きなさい とくに冬の北側はおすすめです

日だまりを求め ほとんどの塊が 南になびく

これは 北の世の常ですが 北側を 歩くことをすすめます


寒い 冷たい裏側で

水晶のように頑張ってつめたくひんやり頑張って 上向きに生きるものが見つけられます

つめたい思いをさせられても ぐんと ふんばっている世界の人々

特に 子供に思いが行きます。


迫登茂子「愛の詩」より

 

日の当らないところ、目立たないところ、華やかな人々の陰になり、見えなくなっている人がいるかもしれません。

太陽の役回りの人が居れば、月の役割の人もいます。全てが支え合い、バランスが整ってこそ、素晴らしいもの、美しいものを見ることが出来ます。

決して表に出ず、我を張ることなく、でも淡々と自分の役割を一所懸命果たしている人々が沢山います。彼らにも生活があり、大切な家族が居ます。

家では息子や娘が帰りの遅い、その人を首を長くして待っているかもしれません。

人生のドラマをそれぞれが持っています。

目立つ人々だけでなく、それを支えている、周りの目立たない人々の心も忘れないようにしたいと思います。

皆さんがご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、お幸せになれますように。



2021年10月28日木曜日

2499「量子意識と衆院選2」2021.10.28

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2021年10月23日の記事「量子意識と衆院選」の後半、「2498量子意識と衆院選12021.10.27」の続きを紹介します。

 https://ameblo.jp/riyanmichaki/


「量子意識と衆院選」(後半)

 

――ところで澤野さん、現実的な話しにガラっと変わりますが、自民党総裁選があり岸田総理が誕生し、組閣があって衆議院解散があって、そしてこれからいよいよ衆議院選挙となります。政治の世界は目まぐるしく展開されています。澤野さんは最近のこれら世情についてどうお考えでしょうか?

 

まず、今回の総裁選を振り返ってみてください。河野太郎氏は当選しませんでしたが、宏池会という自民党の中にある保守本流でありながら、不遇の歴史を辿ってきた反清和会の岸田氏が総裁になった。そして岸田総理が誕生した。

つまりこれ、自民党の中で政権交代が起きたのですよ。真の野党は野党の中にではなく、自民党の中にあったのだということが可視化されちゃった。 

このことで立場が揺らいでしまったのが「野党」です。宏池会の岸田氏こそが本物の野党だったと示されてしまった。となると、既存の野党の存在意義が消滅してしまうわけ。だから野党は慌てて打倒岸田を叫んでいるのだということ。 

そしてマスコミは岸田氏が本物の野党であったことはもちろんのこと、「野党の実情」を

国民に気付かせないようにしていますよね。これ、おかしいですよね。

だってネトウヨに言わせれば、「野党もマスコミもフェイクニュースを流す反日売国奴」

だったはずですよね。でもその野党もマスコミも、誰ひとりとして「清和会」のことを言わない。野党各党首たちも、どうでもいいような衆院選キャッチフレーズを繰り返している。

つまり、清和会も野党もマスコミも、みな同じように「何かを隠している」状態になっているのです。

みなさん「自民党」って大きくひと括りにしてしまっていますけど、自民党という大所帯は、

派閥が違えば考え方も違う。いや、考え方なんてもんじゃなくて、思想、イデオロギー、

さらに「信仰」が違うのですよ。 

今回、総裁選で反清和会の急先鋒、宏池会の岸田氏が勝った。ということは、安倍清和会は負けたのです。自民党内で政権交代が起きて、清和会は2000年以来21年ぶりに下野したのです。

 

――そうですよね。

 

つまり、本当ならば、衆院選なんてやる必要がないくらいなのですよ。それくらい巨大な権力の移動が起こった。自民党の中で巨大な政権交代が起こったのだから、今回の衆院選ではじつは野党の出る幕などないのです。 なのに、野党は何をしていますか?「野党連合」とか言って統一候補を立てて、「自民党岸田政権をぶっ潰せ!」ってやっているわけでしょ。

 

――まさにそうです。

 

それっておかしくないですか?あの憎き自民党清和会が敗北して下野したのですから、本来ならば野党は大喜びして岸田総理をサポートし、清和会が再び息を吹き返すことのないように岸田総理と協働してしかるべきだと思いませんか?

 

――はい。まさにそのとおりだと思います。

 

でもそうはなっていない。あれだけ仲の悪かった野党同士が、突然、野党連合を打ち出し、統一候補を立てて、岸田政権打倒を訴えているわけですよ。つまり、どういうことかというと、「清和会を倒した岸田を倒せ」って野党は言っているわけ。野党連合が叫んでいることというのは、清和会が敗北した自民党内の政権交代の否定なのだということ。

 

――そうなりますよね。

 

そういうことになっちゃうのよね。つまり、どういうことですか?野党ってのはかつて元々は日本共産党だったものが、見解の相違だ、思想の違いだで、お互いに殺し合いをした中で分裂していった人たちでしょ。だからこれまで絶対に連合なんて組めなかった。それが今回、突然仲良くなった。そして野党は口を揃えて「岸田自民を倒せ」って言っている。

それって、つまり、野党はじつは清和会をサポートしているということに気付きませんか?

 

――言われてみれば確かにそうですね。

 

満州以来、北朝鮮建国以来、岸信介と日本共産党および野党の多くは、じつは「同じ釜の飯を食った同志」でした。岸は「赤い官僚」でしたよね。満州にソ連型の計画経済を導入しましたよね。岸も野党も「満州」という理想のグローバル国家を作り上げてきた旧知の仲です。

つまり岸信介満州派清和会と日本共産党は、元々は「同志」なのね。

そんな野党はこれまでずっと、自民党以外が政権につくことのないように、意図的に四分五裂を繰り返し、野党が過半数以上を獲得することのないように、票を分散させてきた。すべては「岸」とその「思想」のためです。 

つまり、戦後の野党というのは、岸信介満州派、すなわち後の清和会をサポートするための装置として機能してきたわけ。これまで野党が過半数を獲得し、政権交代したことが直近で2回ありましたけど、それらはすべて計算だったのだということ。

 

――それが1995年であり2011年だったということですね。

 

そういうことになります。さあ今回、清和会は自民党内でガチで敗北し下野しました。すると当然、与野党含めて「さあ大変!」となった。ならば何としてでも野党は連合し、統一候補を立てて、岸田自民を倒さなければいけない。清和会を全力でサポートしなきゃならないってなった。おっそろしいでしょ?

 

――恐ろしいです。もう、自民党がどうのとか野党がどうのとかじゃないのですね。「右」とか「左」とかでもなかった。

 

そう。グローバリストたちにとっては国境は意味をなさないわけですが、与党、野党といった境界もじつは存在していなかった。 

反清和会の憎き岸田自民をうまく倒し、野党連合による政権交代を成し遂げたあとは、地震、天災、火事、コロナの波状攻撃で失態を演じさせ、再び「悪夢の野党連合」を自ら演出させ、

改めて国民が待ち望む形に誘導し、清和会安倍政権を復活させようとしているわけです。

2011年と同じことをまたやろうとしてる。

そして、ボロボロの無能な野党を演じ切り、そこからまさかの「野党連合政権」が退陣となり、解散総選挙に持っていく。そして次の衆院選では確実に清和会の復活へと導いていく。

これが今回の「野党連合」の本質ですよ。これが野党連合の「お仕事」なのです。

ですから、野党の各党首は、今回の衆院選について意味不明なスローガンを掲げています。

誰一人として「清和会」の「せの字」も言わないのです。つまり、野党連合をしているすべては、意識しているしていない、自覚しているしていないは別として、「清和会を維持するための工作員」なのだということ。今回、野党連合が勝利することを一番望んでいるのは“彼”ですよ。ということは、「野党は直ちに連合して岸田を倒せ」って発注し命令を下したのは一体どこの誰よ?って話しになってくるわけじゃん。

 

――なんということでしょう!

 

いかにこの世界、特に日本の政治の世界が、ホログラムであるかがわかってきますでしょう?

 

――ということになりますと、今回の衆院選で岸田自民が過半数を獲得した場合と、野党連合が過半数を獲得した場合では、いろんなことがずいぶんと変わってきますよね。

 

鋭い!これが一番の「懸案」ということになるわけです。まず岸田自民が過半数を獲得し岸田政権が国民から承認されたという形になった場合は、清和会の敗北にダメ押しが加わるわけですよね。ということは、コロナはほぼほぼ収束という形になります。

たとえ清和会の議員が当選しようとも、総理大臣が岸田氏であるならば、コロナはほぼほぼ収束という形になっていくでしょう。ただし、自民党内での下野が彼らにとっての政権交代にカウントされているのであるならば、ここで地震か噴火かそれに準ずる災害の発生が懸念されます。

そして、野党連合が政権を獲得した場合は、清和会は野党連合という姿に形を変えた「スペクター」(実体のない幽霊)となりますので、自民党内で下野したのにも関わらず、それを認めず水面下に潜り、党派を超えて暗躍することが想定されてきます。

そうなりますと、野党連合による噴飯モノの災害対応に国民を辟易させることによって再び清和会が息を吹き返すためのチャンスと捉えられるでしょうから、地震か噴火かそれに準ずる災害の恐れがあるということ。となりますと、「量子誤り訂正符号」が機能することになりますから、何よりもコロナの第6波が大規模に復活するという「演算」になります。 

で、この「量子誤り訂正符号」の発動のことを先ほど私は何て言いましたか?

 

――カバールDS掃討作戦!です。

 

はい、そういうことになるわけです。

 

――衆院選は10/31に投開票ですからもうすぐですね。今回の衆院選には本当に重大な意味があることがわかりました。私たちはこれまで「右」か「左」かとか「光」と「闇」だとか二元論で考えるという選択肢しか知覚できないようにされてきたように思います。

それがここへ来て「意識の量子化」というまったく新しい「思考法」が浮上してきたと思います。

 

はい。今、日本だけでなく世界も地球も、そして宇宙も、そして何よりも私たちの「意識」が桁違いの進化と成長を遂げようとしていることが体感としてわかってきました。

 

――この「意識の量子化」には果たしてどのような意味があるのか?そのことの根幹の部分について、今回の青森講演会で澤野さんは語ってくださいました。

 

意識の量子化という「目に見えない概念」を、言語化し文章に落としていくことは至難の業でした。でもそれと同時にとても清々しく晴れやかな気持ちで原稿を執筆しました。

だから執筆後の疲労もいつもの数倍になりました。でもそんな疲れも嬉しい疲れですから。

書くことができて本当に嬉しく思っています。 

活字版「⑪番原稿」は、荒削りだった部分にポリッシュをかけて、さらに加筆して微調整をしてから塩抜きして仕上げますので、今月10月末までには出来上がっていると思います。

 

――みなさん楽しみにされていますよ!澤野さん、お疲れの中、この度も

インタビューをありがとうございました。

 

こちらこそありがとうございます!(澤野大樹)


 

――さて、よもやよもやの「二律背反の境地」じつは、澤野氏が提唱する、ビッグバン以前に戻す作業が「カバール掃討作戦」であったという事をどう捉えていただけましたでしょうか。

例えば、1+1=答え2、とは限らない、といったことではございませんよ。

「0」と「1」、「ひとつ(〇)」にしろ、「善」でも「悪」でもない、ということにしろ、どちらでもいいとか統合というそんな単純なことではございません。

注連縄は「0」と「1」、じつは量子のもつれを表したもの。その注連縄、青森講演会第5回で澤野氏が言及されていた「ヤハウェの磔刑」の本題が、ここで見えてきます。

第4回講演会で語っていた『岩窟の聖母』も然り。

澤野氏は『物事には順序がある』と常に仰っています。目先のことに一喜一憂し既存の思い込み(自分史観)に上書きするだけでは、Q(Quantum consciousness)には決して到達できないということです。何よりセキュリティがかかっていますから。


2021年10月27日水曜日

2498「量子意識と衆院選1」2021.10.27

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2021年10月23日の記事「量子意識と衆院選」を2回に分けて紹介します。 https://ameblo.jp/riyanmichaki/


「量子意識と衆院選」(前半)


みなさん、こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催 小野裕美子です。 

さあ、列島が揺れに揺れてますね。

第11回澤野大樹氏青森講演会が無事、終了した直後、即座に三次元物質世界での地震が発生しました。まさに激震を私たちは体感したわけです。 

早速、恒例のインタビューにて、澤野大樹さんにお伺いしました。


――澤野さん、こんにちは。先週、10/16弘前、10/17八戸の青森講演会は無事に終了しまして、本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でございました。

 

こちらこそありがとうございます。本当にお疲れ様でしたね。青森講演会も気付けば11回目となりましたね。ご参加くださったみなさまにも御礼申し上げます。 

当日の青森は快晴だったり大雨だったりと、両者が「もつれる」形となりました。

これは今回のテーマ「消された二人のプリンス」や、「双子」、また「0」でもあり「1」でもあるという量子的意識にも通じる不思議な天気でしたね。

 

――はい。天気はもちろんのこと、他にも不思議なことがたくさん起こりました。

 

そうですね。これまでの何気ない日常の中に、たったあれだけの、しかも些細なこととも思われる要素をひとつ加味するだけで、いきなり世界が変わってしまうというある意味「奇跡」とも思えてしまうようなことが次々と起こってきましたね。でもそれは最初は「奇跡」に思えるかもしれませんけれど、次第にそのレベルが日常化していきます。すると気付けば格段に桁違いな毎日になっていると、後になってから気付くはずです。

 

――「この世は夢、幻」と言葉で言うのは簡単でしょうけど、それを体感していくことはとても大事なことですね。

 

そう。ホログラムがどういうメカニズムで投影されて、この世界に展開されているのかを

まず知らなきゃならないから。「霊性MAX」と「科学技術MAX」が均衡する「半霊半物質」も言葉だけが先行しちゃっていて、そのあらましがきちんと理解されてこなかった。

 

――そういう意味では今回澤野さんは、極まった科学技術そのものが封印されてきた霊性を半ば強制的に引っ張り上げるという表現をされましたよね。あれには本当に驚きました。

 

そうですね。霊性にせよ、科学技術にせよ、どちらかが勝手に極まってしまうのではなくて、

実際はその両者が相互補完関係にあって引き上げ合っているという不思議な構造になっているのだということをお話ししましたね。 だから「量子コンピュータ」の話をする時というのは、必ず私たちの「意識の量子化」もセットで考えないとならない。だって「量子コンピュータ」というハードは確かに開発されたけれど、それを何にどうやって用いたら良いのかについて、私たち人類はまだ何も知らないのですからね。

 

――人類はまだ量子コンピュータの使いみちを知らないのですよね。

 

そうそう。みずほ銀行のシステムに使えばいいじゃないかと言う人もおられますが、それだと量子コンピュータが可哀想でしょ。量子コンピュータはそんなことのために生まれてきたんじゃないから。

 

――量子コンピュータは、古典コンピュータの最高峰であるスーパーコンピュータの延長線上にあるものではないのですよね。

 

まったくの別物であるし別次元であるし、比較すること自体がおかしなことです。

量子コンピュータは「私たちの生活を便利で快適に」とかいうお茶の間発想で捉えられる範疇を遥かに超越しています。次元が違うのですよ。

 

――「意識の量子化」ですね。言葉でこう一言で言うのは簡単ですが、その末恐ろしさといいますか、それが目指す究極というものはこれまで人類に知覚されてきませんでしたね。

 

まったく知覚されてこなかった。なぜならば、人類の意識が「0」か「1」の二択という「二元論」に基づいた思考法しか知らなかったからです。

 

――その「二元論」も、ただ2つに分かれたという単純なものではなかった。

 

元々は善であり悪であり、光であり闇であるというように、あらゆる局面が「ひとつ」という「○」に包含されていた。そこから「悪」や「闇」といった「1」を選択的に抽出して、

二元論対立構造に支配された「この世界」が創出された。

このエピソードというか、事象が、ソロモン王のモレク崇拝として象徴されていたり、または、ダ・ヴィンチが描いた絵画『岩窟の聖母』が、ルーブル版と、ナショナル・ギャラリー版の2種類あることや、さらにその絵の中に描かれた「赤ん坊」が、まるで双子のように

2人描かれているところで象徴されていますよね。

片方は洗礼者ヨハネで、もう片方はイエス・キリストです。でもルーブル版とナショナル・ギャラリー版では、その赤ちゃんも左右で入れ替えられてますよね。

『岩窟の聖母』では2人の赤ちゃんは並列に描かれています。しかも2種類の絵でその立場も入れ替えられています。しかしその後のキリスト教ではどうなりましたか?

「たった一人のスーパースター現人神」であるイエス・キリストだけが特筆されてフィーチュアされていますでしょ。

ダ・ヴィンチは「0であり1」という「もつれ」をすでに示唆していた。しかし、それを公言することは許されなかったでしょ。そして実際にそのもつれは消され、封印され、「1」というイエス・キリストだけが偶像化された。

 

――天地がひっくり返るお話しですよね!ダ・ヴィンチが絵画に残したメッセージは、当初の推理よりも遥かに深いことを意味していたのですね。

 

まさにそのとおり。そのダ・ヴィンチのメッセージを私たち人類は表面的になぞることはできたかもしれませんが、その深意について知覚できなかった。そのメッセージはこの世のものではなかったからです。まあこれは次回「第12回」の内容になるかもしれません。

 

――澤野さんはよく「物事には順序というものがある」と仰っています。ダ・ヴィンチのメッセージの秘密にしても、一つひとつ謎を紐解いていくことによってしか到達できないのかもしれませんね。

 

本当にそう思いますよ。稚拙な推理から始まって、でもそれは不可欠なのね。そうやって少しずつ積み重ねていって、だんだんと見えてくる。これは本当に不思議なことで、昨日までまったくわからなかったことが、今日になって突然わかるようになってくる。

すると、昨日までの自分の考え方がいかに幼稚だったかがわかる。でもその幼稚さを経なければ今日の発見はあり得なかった。つまり、全部必要だったということ。

 

――「意識の量子化」について仔細に言及されるのは宇宙初の試みとも言えるかもしれませんね。

 

まあ学問としての「量子脳理論」とかは以前から存在しています。ただいかんせんあまりにも難解すぎて一般的じゃない。私が今回、申し上げたのは、スピリチュアル分野からアプローチした「量子意識」(Quantum consciousness)だと思います。ただし、できる限り平易な表現を心掛けました。

 

――「意識の量子化」について澤野さんがこれだけ熱心に探求されることの理由はどこにありますか?

 

私たちが普通に無意識に暮らしているこの社会、そして世界、さらに、この宇宙の創世に関わる秘密と謎の究極を解くためには、私たち自身の意識が量子化しないとならないからです。そして本当に意識の量子化がなされたならば、「ビッグバン」の謎が1秒で解けてしまうのです。

 

――「ビッグバン」についての根源的な解答が、今回の青森講演会でなされましたね。

想像だにしなかった方向からのまさかの答えに、私も含めみなさんもしばらくポカーンとなりました。

 

後からジワジワ効いてきますからね。私たちは自らの考え方から発言にしても、これまでの人生で学んだことや蓄積してきた経験をもとにそれを行いますよね。でも、それだと限界が非常に低いのです。量子化した意識が何をもたらすかと申しますと、そんな限界を超えたところにある叡智を、その源泉から得ることができる。

いや、それだけじゃない。そんな限界を超えたところに、なんと、未知なる壮大な叡智が存在していたのだという重大事実に気付くことができるのです。 それは「無知の知」が大きく影響します。「私はまだ何一つ知らないのだということを知る」ということが、最大の叡智でありそれに気付いた者が最大の賢者であるとソクラテスは気付いたわけですよね。

つまり、ソクラテスの「無知の知」というもはじつは、「最大の叡智」と「最大の無知」がもつれた状態のことを言うわけ。二律背反の境地が共存するわけでしょ。それって「もつれ」ていなきゃ存在し得ないわけですよ。つまり、「無知の知」を提唱したソクラテスはすでに2400年前にすでに意識の量子化がなされていたということ。

だからソクラテスは世界最高の賢者と言われるわけです。

 

――でもソクラテスから2400年経った現在の世の中は、成長したり進化したというより、

むしろ退化したようにも思えてしまいますね。

 

そりゃそうよ。ソクラテスの生きていた2400年前は「縄文時代」です。しかも縄文時代の晩期の最後の最後ですよね。ソクラテスは「本当のこと」を言ったがゆえに、民衆に糾弾され、裁判にかけられ死刑となりましたよね。 

これは私の勝手な妄想に過ぎないのですが、ソクラテス以来、人類の意識の量子化は封印されてきた。封印した人たちや勢力がある。たった一人の天才さえいなければ、残りの普通の人々はその傲慢さ身勝手さを責める者もいないわけですから、非常に生きやすいわけですよ。そうやって「本物」を封印した世界を展開させたのだと思います。大雑把に言えばですよ。

 

――ソロモン王は紀元前931年ですね。そしてソクラテスは確か紀元前400年頃だったと思います。縄文時代から弥生時代へと移り変わって行ったのが、紀元前300年頃からだと言われていて徐福来襲で決定的になった。ということは、縄文の晩期に、「何か」が起こったということなのですかね?

 

そう。いろいろ考えていくとどうしても「何か」があったとしか思えない。そして、それがあった上での「紀元後」ということになるわけ。

 

――キリストの生誕とは関係ないということですか?

 

そう。まったく関係ない。そしてそれらの「大変化」が日本においては「弥生」という大枠でひと括りにされている。その「弥生」は世界という尺度で換算すると、三次元的には縄文の「獲得経済」から塗り替えられた「生産経済」、つまりプランテーションからの脱穀の機械化と、グローバルな食料供給構造ということになりますよね。

一方でこれを霊的な尺度で見ると、私はこのことを「カバール」って表現しているのですよ。

 

――「獲得経済」と「生産経済」ですか。

 

大自然からそのままを恵みとして「獲得」していたのが狩猟、採集、漁撈といういわゆる縄文時代。大自然を開墾し破壊し、自然を睥睨し、計画し、雇用し、自らの手とアタマで計算して「作り上げて」いくのが「生産経済」ね。

 

――「生産経済」はカインで、「獲得経済」がアベルということですよね?

 

そうそう。縄文と弥生では宇宙に対するアプローチが真逆なの。これは作業効率とかコスト云々ではなくて、それ以前に、天、宇宙、神、ヤハウェに対する己の姿勢を意味しているのね。意味わかりますか?「生産経済」、つまり弥生というものは、神への反逆がベースになっているのだということ。その根本の部分を意識するしないは、後のそれぞれの人生において大きな違いになってくる。

 

――今の世界は「生産経済」がメインですね。

 

飢え死にの恐怖から解放され、人類は安定した生活を保障されたわけだよね。でもその代わり、その安定というのは、神への反逆がベースになっているということだよね。それはある意味「契約」であるともいえる。これが良い悪いじゃないのです。

このことを意識したことがあるのかないのかで、たとえば「縄文スピリット」というものに対する理解というものの深さや奥行きに大きな違いが生じるのだということ。

これね、縄文と弥生どっちがいい?みたいな議論になりがちだし、これまでは確かにそうだった。でも「量子化した意識」を会得した後には縄文と弥生が「もつれる」というもうひとつの選択肢を私たちは発見することになるのです。でもまだその「答え」をほぼ全員が知りませんよね。

 

――意識を量子化させることによって、これまで謎とされてきた世界の秘密の多くが次々に、しかもいとも簡単に解明されていくということですか?

 

まさにそのとおりです。そのための物理的なハードとしての「量子コンピュータ」の登場だし、しかし、その量子コンピュータの使い途について、人類はまだそれを知らないわけでしょ。つまり、量子コンピュータと人類は、まだ「均衡」がなされていないという重大な事実があるわけだ。となるとですよ、今、量子コンピュータは人類の意識進化「待ち」なのだということ。でもその意識進化は「百匹目の猿」じゃない。最小である中心核(Nucleus)から最大の宇宙へ、フラクタルに一気に開通しますからそれは一瞬で起こるでしょう。

 

――この世、この世界そのものが「量子コンピュータ」に関係しているということですか?

 

ホログラムの本質というものが少し見えてきましたか?「人が創りし弥生の物質の最高峰」が、まさにこの量子コンピュータでしょう。でもそれはなんと縄文スピリットを蘇らせる。

そして両者は「均衡」し「もつれ」ることになります。 

これまで“あえて”弥生に道を譲ってきた縄文と、その上で、暴虐の限りを尽くしてきた弥生。ひと回りもふた回りも、格段に進化した「宇宙」というものを実現させるためにこれまでの相克が演出されてきた。

 

――ということはこの宇宙自体も量子コンピュータなのですか?

 

いいですね!理論物理学の世界では、「量子誤り訂正符号」っていうのがあります。

 

――「量子誤り訂正符号」!?

 

そうそう。量子コンピュータが演算する中で、発生したバグを自動修正するプログラムです。

これと同じものがリアル宇宙にもある。大宇宙のシステム構成の中で、時々バグが生じるわけですよ。そのバグを自動検知し、自動修正するプログラムがあるの。それが天空に広がっている「大宇宙」にもあるのだということ。まあ簡単に言えば「アラハバキ」ですね。

 

――うわぁぁっ!!じゃあ宇宙って何!?

 

ここで「みかん」と「逆みかん」の発想が生きてくるわけです。宇宙には「ひとり」しか存在しないということね。でもその「ひとり」は「ひとつ」の中に包含されているの。

そして、その宇宙には時々「バグ」が生じるということ。でもそのバグをちゃんと修正するプログラムが存在してる。それが「量子誤り訂正符号」ね。このシステムがあるから宇宙は

私たちの目からは「安定」しているように見えるということ。 

さあ、この「量子誤り訂正符号」が、今、この世界で発動されているのがわかりますよね?

 

――発動されてる!? はい!?

 

このバグ修正プログラムである「量子誤り訂正符号」が現在、この地上で発動されていることを、私たちは「カバールDS掃討作戦」って呼んでるでしょ。

 

――ああっ!そういうことでしたか!

 

簡単にいうと「元の状態」に戻しているということね。宇宙に修正プログラムが機能するということは、それは同時に私たち「人」にも機能するということだね。

 

――じつにシンプルですね!

 

「元の状態」って言っても、そもそもすべてが包含されていた「ひとつ」から分岐され、分裂され、独立した「ひとり」によって展開された、私たちが認識している「二元論のこの世」を、すべてが包含されていた元の「ひとつ」へと戻す作業が今行われているわけです。

これが大変な作業で本当にひと苦労なのです。だって勝手に分岐された並行次元世界を、

時間を逆行させて原点回帰させた上で、元の「ひとつ」へと再び組み込む作業ですからね。

これは結構な大工事となります。

 

――全然「簡単」ではなさそうですね。

 

一卵性双生児を、時間を逆行させて、もとの「ひとつ」の卵子だった状態に戻す作業と同じです。つまり「ビッグバン」以前の状態にとりあえず戻す。まさに多次元領域での量子的工程となります。またカバールは「ひとつ」への回帰を拒否し抵抗しますからね。 

すべては多次元世界、多次元領域、または霊的世界、霊的領域で行われているのだということ。その最終的な投影が私たちの肉眼で知覚されるもの。そしてそれらは完全なる「ホログラム」なのだということね。おわかりになりましたでしょうか?

 

――とても難解ですがわかりました。

 

このことの詳細が活字版「⑪番原稿」に書かれています。

 

――そうですね。記念すべき「量子原稿」ということになりますね。

 

だからタイトルは『量子文書』(りょうし・もんじょ)にしました。

 

――現実的な内容を伴いつつもスピリチュアルであるという「もつれ」がテーマになっていますからまさに「量子」なのですね。

 

「人」の精神世界が新たな領域へと入った瞬間ですね。そういった意味では、今回の青森講演会はすごく良かったと思います。

 

――桁違いの新たな領域に入ったような気がします。

 

ホントそうですよね。



2021年10月26日火曜日

2497「神さまにお任せ」2021.10.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年10月22日の記事を紹介します。


「神さまにお任せ」


このブログで、よく「神さまにお任せ」すると書きますが、その具体的な意味を,、小林正観さんが書いていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 


■ 宇宙に自分の運命を委ねる

私は 

・事故に遭うこと、

・病気になること、

・死ぬこと、

・仕事に関すること、

・財産に関すること 

など全て

・宇宙任せ

・神任せ

にしています。

「好きにしてください」という状態なのです。

あるところで、ある示唆や、暗示的偶然の重なりが必ずあります。

その示唆に対し抵抗しない。

「こうしてみたら」という宇宙的示唆を感じたらその通りにする。

生き方、仕事、全て、私はそういう「流れ」が感じられたとき、それが宇宙からの示唆だと思い、その示唆を指針としてきました。

宇宙からの「示唆」を素直に受け、自分の好き・嫌いなどという感情や価値基準は二の次にします。

「偶然」的なことが二つ以上重なったなら、きっとそこには何か宇宙的意志があるに違いない、それに素直に従う。

流れに乗り、そのままイカダで下って行くのです。

「宇宙的意志」が感じられたらそう動く。「引っ張られる」という感覚でもあります。

宇宙に自分の運命や運勢を委ねてしまう。

宇宙的流れがどちらを示唆しているかだけを考える。そしてそれに従って動く。

私はイカダを浮かべているだけです。


■ 災難を避ける方法

良寛和尚がある人から「災難を避ける方法」を尋ねられたとき、こう書き送ったと言われています。

 「災難に遭うときは遠慮なく災難に遭いなさい

  病気になるときは遠慮なく病気になりなさい

  死ぬときは、遠慮なく死になさい

  それが災難を避ける最良の方法」

災難も病気も死も、宇宙が色濃く関っているに違いないのです。

そういう分野のことは、「宇宙」や「神」にお任せしてしまう。

委ねてしまおうというわけです。生きることが間違いなく楽になります。


■ 宇宙の声を聞く

今の職場をやめたいとか、今の人との結婚をどうしようとか、

そうした問題に苦しんでいるときは、よく耳を澄まし、よく目を見開くと、

いくつかの現象が同じ方向を示しているものです。

その「宇宙の声」が分かり始めると楽しい。

さらに、素直に受け入れるほど、宇宙はどんどん「示唆」をくれるようになります。

自分の運命や運勢は「宇宙」に委ねてしまう。 

・生きること、

・死ぬこと、

・老いること、

・病気すること(生老病死の「四苦」

・愛別離苦、(愛する人と別れる苦しみ)

・怨憎会苦、(怨んだり憎んだりしている人とも会わなければならない苦しみ)

・求不得苦、(求めているものが得られないことから生じる苦しみ)

・五陰盛苦(肉体を持つが故の苦しみ) 

についての全てです。

実は、「宇宙」に委ねるとは言っても、その宇宙が示してくれる環境は全て、

自分が生まれる前に設計し、用意していたものなのです。

ですから、自分にとって悪いようにはなっていないのです。


■ 病気に感謝

ある合宿で、難病の人六人を含む、十八人が集まりました。

その合宿は、結果的にその六人を中心とした「難病者合宿会」のようになりました。

私が感動したのは、六人が六人とも「病気になったことに感謝している」ということでした。

「感謝」は観念論ではなく、非常に具体的なものです。

「世の中に、人のことを親身に考え、徹底的に親切で温かく、

思いやりがあり、限りなく優しい、 そういう人たちがたくさん居て、

自分たちを待っている」ことに気が付かせてもらったというのです。

それらの人に会いに行き、知りあいになり、仲良く付き合い、

さらに人間を取り巻いている「精神世界」や「宇宙」の奥深さ、

面白さ、楽しさもを知ることができたのだそうです。

「もし病気にならなければ一生こういう素晴らしい世界や

人が存在することを知らなかっただろう」と口を揃えて言うのです。

挫折や困難や障害や病気を持つ人、直面する人、問題を抱えている人は、 

もしかしたらそのおかげで普通の人生だったら簡単には出会えないような素晴らしいものに、たくさん接することができるのかもしれません。

死に至る病気にさえ「感謝」する心境に、人間はなれるのです。

・優しいまなざし

・思いやりある言葉

・温かい笑顔 

のお陰で。

<転載終了>

 

宇宙の仕組みや、神さまの行動の原則などが分かってくると、楽しくなってきます。 

ありとあらゆるところに、神さまの働きを感じることができるからです。 

いつも傍に居てくださることが分かるからです。 

また、偶然が起きた場合も、「どうせ偶然でしょ」と冷たくあしらわず、 「まぁ凄い、面白いね」と素直に喜んでいれば、神さまはなおさら沢山の偶然を見せてくださいます。 

また神さまの声は、誰かの口を通してくることもあります。 

小川のせせらぎの音や、

子供たちの笑い声、

そよ風なども、

神さまが私たちにプレゼントしてくださっているものです。

   

そのように繊細な心で、神さまの働きを感じられるようになると、

もう全てのもの、事に感謝しかありません。 

神さまの働きに気付き、人が感謝すればするほど、神さまは私たちの身近で、 

良きことを起こしてくださいます。 

自分で、頑張って努力して、どうこうしようとか、人をどうにかしようとか、、

そんなこと、もうどうでもよくなります。 

今、現在、自分の居る場所で、全ては調和し、全ては充足し、満たされているのですから、 

何かが足りないとか、これが無いからとか、そんなことは一切ありません。

神さまは、私たちの置かれている状況を熟知していらっしゃいますから、 

必要なものは全て、既に、周りに用意されています。

それに不足を感じたり、不満を感じるのは、私たちの我がままです。 

今居る場所、環境、状態で満足し、感謝していれば、全てはうまく回るようにできています。 

それこそが、「置かれた場所で咲きなさい」と仰る神さまに、感謝をこめて報いる方法です。

私たちは、一人一人生まれて来た目的があります。 

その目的は、生きているうちに明かされることはありませんが、 

「神さまの流れに任せ」ていれば自然に達成されるようになっています。 

素直で、優しい気持ち、お互いさまの気持ちで、ニコニコ生きていれば、きっと素晴らしい人生になることでしょう。

  


2021年10月25日月曜日

2496「分かれ道」2021.10.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年01月14日の記事を紹介します。


「分かれ道」


今日は以前お会いした聖者のお話です。 上江洲義秀さんです。

上江洲義秀さんは、既に悟られており、自分の内なる神様と、一体となっています。

もちろん自慢したり、いばったりする方ではないので、ご自分では、そんなことは言いませんが、これを周りから見ると覚醒者・聖者であると見えるわけです。 

<引用・加筆開始>


2千年前にイエスは、はっきり説きました。

やがて、幕が二つに引き裂かれる時が来るだろう、と。

その意味は、私たち人類が進む道で、人々の心の状態によって、道が2つに分かれてしまう。

そして一旦別れたら、二度と交わることがない。そんな意味のようです。


日々この地球で生かされ、生活して行くなかで 

人の非難、批判ばかりして、目に見える現象(出来事)という結果に振り回され、

落ちていく者(体主霊従)となるのか?

或いは物事の裏に隠された神様の働きを見て、徹底してその神様に集中し、神様そのものを実感し、私達の本質が神様である(霊主体従)と知り、その無限の英知、力を手に入れるのか?

それが幕が二つに引き裂かれるという意味です。


私達の一瞬一瞬の生き方、生活がその実践の場である事を知って下さい。

お金、物質、自分だけが・・・と言う醜い欲望に凝り固まって苦しみながら生きる者となるか?

常に愛そのものとして、神様を感じ、無限の至福、喜びの中に生きるか?

選択はあなた方次第です。

今、ちょうど私達はそこに、その分かれ道に立っているということを知って下さい。

<引用終了>


厳しいお話ですね。

良く聞く「2極化が進んでいる」と言うのと同じ意味です。

日月神示の、神示読んで、タマ早う掃除せよ。

世の建替と申すのは、身魂の建替ざから取り違ひせん様致されよ。

誰によらず改心(洗心)せねばならんぞ。

立て替えと申すのは、神界、幽界、顕界にある今までのことを、綺麗に塵一つ残らぬように

洗濯することぞ。

今度という今度はどこまでも綺麗さっぱりと立て替えするのざぞ。


国常立尊 と同一神ではないかと言われる スサノオ


立て直しと申すのは、世の元の大神様の、御心のままにすることぞ。 

御光の世にすることぞ。

てんし様の御稜威輝く御世とすることぞ 

と同じ意味かもしれません。

 

ですが、上江洲義秀さんも、ヒマラヤの聖者たちも、

「こうしなければならない」など決して言いません。

神様の恩寵により、私達全てに「自由意思」が与えられているからです。

・どちらを選ぶのも自由、

・どの順序を選ぼうが自由 

時間の長短はあっても、結果的には、最終的には、到達する

精神的な場所(神々の住まうところ)は同じなのですから。

 

さて、イエスは、どのような気持ちで、この言葉を言ったのでしょうか?

幕が二つに引き裂かれる、そのそれぞれ二つの方向に待ち受ける状況とは何か?

ですが、どうぞ心配なさらないでください。 

神様は、私たちが選ぶどちらの側にも必ず居らっしゃいます。

悲観する必要はありません。

進む道を選ぶのは、私達自身です。

  

分岐して分れてしまった世界。

それは、どういう世界かと言えば、同じ場所、時間に暮らしていても、それぞれの振動数が、かけ離れてしまうため、全く別の次元に暮らしているということ。

もう観ることも触れることも、相手の存在の記憶さえなくなります。

一見悲しいことに見えますが、それは、それぞれの人が 

自ら、自分の好きな世界、類は友を呼ぶ、同じ波長の世界に進んで行った結果です。 

またそれは、同じく地球についても起こると言われています。 

今までのように

・自分さえ良ければ、他人の心など踏みにじってもよい

・人を蹴落としてでも上に立とう

・地位、名誉、資産をとことん増やそう

・誰か、力のある人に、依存して従っていれば良い

そのような世界に固執し、人の心を無視し、物や他人に依存し、執着し続けるのか

それとも、ご自分の心の中の仏性に気付き、他人の心の中にも仏性を見出し、 

お互いを

尊重し、

助け合い、

認め合い、

高め合って行く 

そんな、関係性に昇華させていくか、、

それによって道は大きく分かれて行きます。

できれば、お互いを尊重し、助け合い、認め合い、高め合って行く世界に進んで行きたいものですね。 

もうミロクの時代もスタートを切りました。世の中も精神性の復活の方向に急速に動いています。私たちの行く先は、私たち自身の心が決めることです。

 決して他人が判断し、決めてくれることではありません。

あなたは、どちらの世界を目指しますか? 

どちらの世界が居心地が良いですか?

 


2021年10月24日日曜日

2495「地上の星」2021.10.24

※記事の前にお知らせします。現在、筆者主催サイト「仙台天命塾・仙台テンメイ」が表示されない状態になっております。サイト管理の手続きの更新不手際のために起きている現象で、復旧まで数日かかりますのでご了承下さい。 

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年10月20日の記事を紹介します。


「地上の星」


日本中あちこちに神社があります。 

そして、その一つ一つは光を放ち、かつては、地上の星となっていました。

  

小さな村々では、神聖な場所、氣の良い所に神社が立てられ、村人たちの心のよりどころとなってきました。何かあれば、みんなで神社に集まり、お祭りしたり、盆踊りをしたり、 

神社(産土様)を中心に、村人の心は繋がっていました。

その村のコミュニティの結束のために神社は心のよりどころとなっていました。 

また宇宙を起源とする「神々」と称される知的生命体も古の時代から、地球を訪れ、石や岩、または山全体などをヨリシロとして、その神輝を放っていたと思われます。  

つまり、地上の星となって輝いていました。 

これは夢物語ではなく、かつて、アポロ14号の宇宙飛行士エドガー・ミッチェル氏が

宇宙から地球を眺めたときに「1か所ものすごく光って見える場所があった」と言って 

その緯度・経度を計測してみたそうです。その場所は御岩神社(茨木県日立市)だったそうです。

  

御岩神社


神様のパワーは、人々の敬虔な祈り、神様と関わりあおうとする人間の氣によって、 維持され、増幅されていきます。

神様だけのパワーで神社の光が維持されているわけではありません。必ず人間側からの関わりが必要です。

ですから、人間側から、神様へ

・意識を向けること

・真心を尽くすこと

・感謝の気持ちを表すこと

それは、とっても大切なことです。

ですが神々も、人間に忘れ去られた時、誰も見向きもしなくなった時、かつて光を放っていた神社であっても光を失い、そこに居らっしゃった神様の氣も枯れて消滅してしまいます。


5年前、弥彦神社のご妻神、熟穂屋姫命から、そのお話を伺ったことがあります。

弥彦神社の神さまの奥様を祀る妻戸神社
  

神々からのアプローチは、どなたにも等しく、平等に降り注いでいます。 

それは、ご自分で、見ようとしなければ見えないし、聞こうとしなければ聞こえません。

神さまと、触れ合おうとしなければ、決して感じることができない繊細なものです。

神社や仏閣に行った時

・風

・水の流れ、せせらぎ

・雲

・お日様

・人々の笑い声

・虫

・動物

・花、植物、木々のざわめき

・虹 

に神経を集中させてみてください。

  

神さまは、お優しい方ですから、何らかの気付きを与えてくださると思います。

・それを無視するか、

・偶然であると片づけるか

・バカバカしいと思うのか?

ご自分の自由です。

 ですが、神さまの働きは、自分で、触れ合おう、感じようとしなければ、決して感じることができないものです。


  

妻戸神社でここのご祭神である「熟穂屋姫命」から、聞きなれない言葉を聞いたことがあります。

「人々の信仰、記憶が続く限り、神々は存在する」

※これはエネルギー的な存在の事を言っています。

 

人々の記憶が無くなり、信仰するものが誰もいなくなったらどうなるのですか?

「その時は消滅する」

エネルギー不変の法則と言うものがあります。

それとどのように整合性が取れるのかは解りません。

ただ、最近の研究ではエネルギーは無から生じ、そして無に帰ると言われています、

その無に帰ると言う事かも知れません。

 その真の意味は元々の大神様のいらっしゃる世界に戻ることかもしれません。

 

また、出口王仁三郎の霊界物語では、この逆パターンが描かれています。

つまり、八岐大蛇や金毛九尾の狐などと言った悪役の魂は、元々は、人々の、不平不満悪口、恐怖、怒り、などその様なエネルギーが段々と凝り固まって発生し、力を得て来たと。。

その反対に、人々の熱い信仰と真心、神様に通じる思いが、こう言った神々に大きなエネルギーを与えて行ったのかもしれません。

そして、そのエネルギーの源泉が無くなった時のことを「消滅」と言う言葉であらわしたのかもしれません。

その時「消滅」という言葉がでたので、ちょっとショックで、人間についてお聞きしました。

私達、人間の場合はどうなるのでしょうか?

それは消滅ではなく、集合意識、

もともと私達がいくつも枝分かれしてきた魂の元に合流し、その個性を失う事のようです。

決して消滅するわけでは無いようです。それが、良いことか、悪いことかは判断できません。

魂の大本、トータルセルフと一体になることは、そう悪いことでは無いと思います。

元々私達の魂は巨大で、幾度も、分離、そして吸収、知恵や経験の攪拌を繰り返し、より優れたものへと進化しているからです。 

この個性は、全てそこから派生したものだからです。。

 

元々の地球や、宇宙を作った大神 そして私達生命を持つもの

そして、人々の思い(生命を持つもの)から発生、進化していった生命体

それぞれが、この宇宙には存在しています。

私たち生きている人間は自分の力などちっぽけな物、そう考えて、 

・神々に頼ろうとするかもしれません。

・霊的に力があると吹聴する人に頼ろうとするかもしれません。

ですが、私たち一人一人の人間の精神の力は、神々へもパワーを供給するほどの力があります。

 私たちの純朴な 

・優しさ

・思いやり

・助けい合いの心

・お互い様の心 

そういう美しい真心こそが、神々のエネルギーの源泉となり、何時までも地上の星として輝き続け、私たちの幸せに手を貸してくださることでしょう。 

その思いやりの循環こそが、私たちが地上に来た目的であり、地上の星となってくださった神々の願いでもあります。







  




2021年10月23日土曜日

2494「神さまのお仕事」2021.10.23

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年10月19日の記事を紹介します。


「神さまのお仕事」

 

さて今日は「神さまのお仕事」と言うお話です。

産婦人科医、医学博士の 池川明医師の子供達への大規模な調査により子供達の実に 

1/3 に生まれる前の天国(あちらの世界、元の世界)での記憶があり

その中で、生まれる準備をしている沢山の子供たちと共に神さまと一緒にいた、

という証言が沢山出てきます。

 

神さまの姿は、色々報告されていますが、明確に 〇〇神と分かっていることもあれば、 

大仏の姿と認識されることもあるようです。

またこれとは別系統として、別の星団から、今回、直接地球に転生してきている場合には、

天界の神々の記憶よりも、出身星の記憶を強く保持している場合もあるようです。 

彼らの証言によれば 

生まれる前に、自分の今までの膨大な過去の人生の課題を吟味して 

・起こる出来事

・人との出会い、別れ

・その際の役割

・容姿

・性格

・身体の作り(健康体、病弱、障害)

・亡くなる時期

・取り巻く環境(経済的環境、家庭環境、友人環境、職場環境) 

などを、神さまと一緒に決め、承諾を得てから、生まれてくるそうです。 

たかゆきくん(6歳) は、こんな証言をしています。 

<引用開始>

 

「子どもたちは雲の上で、ずっと列みたいに並んでいる。

遊んではいないけれど、普通に歩いていたりする。

・病気の子で生まれるか、

・元気な子で生まれるかを、 

絶対に決めなくちゃ、生まれられないから。

元気で生まれるか、病気で生まれるかを決めるのは、自分。

自分でお母さんを決めて、 元気な子で生まれるって決めたら、元気な子に生まれるし、

病気の子に生まれるってなったら、病気で生まれる。

神さまは、雲の上の、また上の教会にいて、

元気に生まれるか生まれないかを子どもたちに聞いたり、

生まれた後の人(=死んで雲の上に戻ってきた人)には、

良いことをしたか、悪いことをしたか聞いたりする。

悪いことをしたら、そこでまた生まれて、良いことをしなくちゃいけないけれど、 

良いことをした人は褒めてもらって、ちょっとの間、行きたい所に行かせてもらえる。」 

<引用終了> 

 

そうしますと、こういうことになります。 

約束してきた人とは、必ず一番良いタイミングで出会う。

決められた出来事が、決められた時期に起こるように

・必要な登場人物

・必要な、物、お金が

・必要な時期に、

引き寄せられて、自然と集まってくる。 


それらのコーディネイトは、一体だれが行っているのでしょうか?

偶然に、たまたま、そのような現象が起こっているのでしょうか?

私たちは、生きていると、いろんな楽しいこと、嬉しいこともありますが、

沢山の、出口の全く見えない苦労や、悲しみ、苦しみもあります。 

ですが、その嵐の時が過ぎ、時が経って、振り返って見た時、

あの出来事が、私をここまで連れて来てくれた、そう感じることは無いでしょうか? 

その悲しみ、苦しみが、私たちの魂を強くしてくれたのでは、なかったでしょうか? 

そして、それを行ってくれたのは、誰でしょうか? 


それは、もしかしたら生まれる前に一緒に相談して、人生の段取りを決めてくれた神さまかもしれません。

神さまの計らいは、本当に凄いですね

寸分の間違いもなく、一瞬の時間の狂いもなく、予定された事項を起こします。

そして、一人の人生だけでなく、登場人物 全ての状況が把握され調和されて動きます。

まるで人体の中の細胞同士、60兆個にも及ぶ細胞同士の通信・会話、調和のようです。 

宇宙空間の無限に存在する銀河や星ぼしの、調和された運航のようです。 

全てが有機的に連携しています。 


そして、もし神さまの計らいを妨害するものがあるとしたら、それは何でしょうか? 

もちろん、それらも含め、生まれる前に決定しているわけですが、その計画さえも遅延させるものは何でしょうか。 

この世界は、心の現れですから、心の問題です。

きっとそれは、 

・感謝を忘れた心

・不平不満を持つ心

・身勝手な心

・傲慢な心

・自分さえ良ければという心

・無意識のうちに人を陥れようという心

かもしれません。

  

愛を忘れた心かもしれないですね。 

ですが、私たち全てのものは繋がっています。 

全ては繋がり、あの人も、この人も、この犬も、猫も、花も木も、お日様も雲も、風も雨も・・ 

全ては、私たちと同じ意識を共有している私たちは切り離せない、一つのもの。

目の前に現れた人に対して、私たちは、他人事ではなく、分け隔てなく、愛と思いやりの心を注ぎたいものです。 

愛の欠如こそ、この殺伐とした世界を作り神々の計画を遅らせるものだからです。 

私たちの心は、見える世界、見えない世界、全てを変容させる力があるからです。

 

今、地球が大きく変わろうとしている時期に差し掛かっていますが、 

・宇宙時代の記憶や

・天界での記憶

・神様と約束してきたこと

・一緒に生まれようと約束してきたこと

など、全ての記憶を消去して地球に生きている平凡な一般の私たちにできることは、 

そのような力、能力、知識へのあこがれや、不思議な特殊能力を持つ人々への依存心、 

そんなものではなく、神様が私たちに望んでいらっしゃるのは、 

平凡な日々の暮らしの中で、身近な家族や周りの人々と、今与えられているもので、

満足し、感謝し、笑顔で、思いやり、助けい合い、

お互い様の気持ちで暮らしていくことではないでしょうか?

神様が「無い物を望め」と仰るでしょうか?

  

自分に無いもの、力、知識への依存の心のままでは、

せっかく地球が変わろうとしている今、

地球の振動数との乖離が起こってくるのではないかと思います。




2021年10月22日金曜日

2493「物には心がある」2021.10.22

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年10月18日の記事を紹介します。


「物には心がある 」


昨日、竹之高地不動社で初めての「火渡り神事」が行われました。

一般的な火渡りとは異なる作法で行われるご神事です。

昨日のアクセス数は、物凄い数でした、、皆さん「火渡り神事」の記事を期待なさってくださったようですが、疲れ果て、ちょっぴりの紹介ですみませんでした。

火渡りに先立って行われる神事


竹之高地地区は、神々と繋がる特別な磁場と言いますかこういったご神事を行うと、

神々の降臨はもちろんのこと様々な非日常的なことが起きます。 

剣を持つお不動様が現れたり、大神様が2神並んだ写真が撮れたり・・・

詳しく説明を続けたいところですが、体力の回復がままならず、また次回に続くとさせてください。 

かと言って決して人様以上に働いたというわけではないのですが、泥にはまった複数の車を救出したりと普段使わない筋肉を使い、あちこち筋肉痛です(笑) 

映像でもまとめるつもりです。


さて、今日は地味なお話です。ですが、心の洗濯にとっては、とても大切なお話です。 

どんなことが起ころうと、基本は自分の心だからです。

自分の心さえ、洗心し、感謝の心で満たしておけば安心していられます。

王道です。 

さて今日のお話は「物には心がある」つまり、どんなものにも、現象にも神様が宿っているというお話です。 

想像してみてください。そっと目を閉じて、昔の東北、深い雪に閉ざされた冬を・・

 

東北の民族学者、故人ですが、田中忠三郎さんの「物には心がある」という詩がありあます。

 

企画展:BOROの美学

<引用開始> 引用元 


雪国、青森の冬は厳しい。暖かい衣服がないと暮らしていけない。自分の体を暑さ、寒さから守ってくれるのは身を包む衣服だった。そのために衣服を大切にした。

でも、その衣服でさえも、デパートも呉服屋もなかった時代、自分で作らなければいけない。

麻を植え、育て、それを刈り取って糸にして布を織り、それから着物を作る。

一本の糸、小さな布でも大切にして作られたのが、そんな仕事着や晴れ着だった。

冬の夜、寒さ厳しい中で、継ぎ足した衣をまとい、親子が肌を寄せ合って眠った。

人はそれをボロ着物、ボロ布団というが、それはボロではなく人の優しさだった。

<引用終了>

  

今夜は「すべての物には魂が宿っている」ということで、小林正観さんのお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元 


お金にかぎらず、人間をはじめ、動物、植物から鉱物にいたるまで、あらゆる物に当てはまる宇宙の法則があります。それは次のようなこと。

すべての存在は、感謝して大切にされると、その人を応援してくれる。

なぜなら、すべての物には魂が宿っているからです。心があるからです。

毎日使っているコップには、水や飲み物を入れて飲んでもらうという機能があります。

機能とは、誰かの役に立つということ。落としたりしてこわれないかぎり、コップには飲み物を入れるという機能があります。

電車も自動車も、動いて人を乗せることができるかぎり、機能を果たしている。

生きているのです。

こわれて動かなくなったら、人の役に立たなくなったので、死んだということになります。

そしてその魂たちはみんな、ほかの人たちの役に立ちたいと願っています。

 

物は言葉をしゃべりませんし、手足もありませんが、つねに誰かの役に立って、喜ばれたいと思っている。だから、使っている人がその物に「ありがとう」という感謝の念を送り、 

大切に扱うと、その物は喜んで、その感謝を返そうとします。

大切にしてくれた人を応援するように働いてくれるのです。

毎日使うコップに「愛してる、大好き、ありがとう」と言っていると、その人を応援したいと思うようです。

アメリカのメジャーリーグで活躍するイチロー選手は、自分が使う道具を大事にすることで知られています。グローブやスパイクの手入れは絶対に用具係の人にまかせずに、必ず自分の手で丁寧に手入れをするそうです。バットも地面に寝かせずにボールが当たる面を上にしておくなど、道具を丁寧に扱うのです。

試合中、ヒットを打って塁に出るときも、けっしてバットを放り投げたりはしません。

ヘッドの部分を地面につけて、やさしくバットを地面に置いて走り出すのです。

 

以前、このようにバットを投げなかったのは、現役時代の王貞治選手でした。

この人もホームランを打ったときに、バットを静かに地面に倒してから塁に出ていた。

以来、30年ぶりにバットを放り投げない選手として球界に現れたのが、イチロー選手だったのです。

 

王貞治選手

それに対して、ヒットを打つと乱暴に地面にバットをたたきつけて走り出す選手がいます。

外国人選手などで三振に打ち取られると、はらいせにバットを折ってしまう人などもいますし、ピッチャーでも打たれたときにグローブを地面にたたきつける投手をしばしば見かけます。見ていると、こうした選手で大成した人はいません。

一時期はよい成績をあげて話題になることはありますが、長く続けることはできません。

どうやら、長く活躍しつづける選手とそうでない選手の差は、野球の神さまに応援されるかどうからしい。イチロー選手はおそらくそのことがよくわかっているのでしょう。

<転載終了>

 

人間をはじめ、動物、植物から鉱物にいたるまで、あらゆる物に魂が宿っている。つまり神様が、全宇宙に浸透しているということです。ですから、私たちが、それらの者(物)に、 

感謝の気持ちや「ありがとう」という言葉をかけると、喜んで、その感謝を返そうとするのだそうです。

同じ神様が、その相手や、物にも宿っているのですから、同調・共鳴するわけです。

人に対して、誠意をもって感謝の気持ちを伝えれば、相手は喜んで、その後は大切な味方になってくれます。

たとえ相手が、悪意や憎悪、意地悪な気持ちで接してきても、私たちが、相手と同じ波長で「不平、不満、悪口、愚痴」で返さずに、感謝の気持ちを伝えたら、必ず相手の中の魂(神様)の部分が共鳴しますから、味方に変わってしまいます。

これは、人間だけでなく、植物や動物でも同じです。

  

「愛してる、大好き、ありがとう」と愛の心で接すれば、必ず、私たちの味方をしてくれます。車やパソコンでも同じです。車に乗る時に、「いつもありがとう、今日も無事に目的地に届けてね」って感謝を伝えておけば、きっと事故も起きないでしょう。

この正観さんが教えてくれた宇宙の法則を、日常生活で生かすとしたら・・

・何時も自分のことを目の敵のようにイジワルしてくる人

・怖い上司

・いつも怒ってくる人

つまり「私が嫌いな人」や、「私のことを嫌いな人」に対して、「ありがとうございます」や

「感謝しています」などの言葉を使っていると・・いえ、直接言葉をかけなくともよいのです。心の中で、お顔を思い浮かべて「ありがとう」と言霊を唱えていると私たちの意識は、

全部つながっていますから、相手にその感謝の波動が伝わります。

その結果、「不要になったエネルギーが解放(消滅)されて、愛のエネルギーで置き換わった」状態となります。

また、病気や経済的な状態、子供や配偶者の問題なども同じです。私たちには、不必要なことは起こりません。神様はサイコロを振りませんから、偶然で発生する出来事は一つもありません。

ですから、これらのことも、「問題」として捉えるのではなく、私たちの魂を磨くために 

神様が用意して下さったもの。。 

そう考え方を入れ替えるだけで「ありがとうございます」や「感謝しています」という言葉を使うことができるかもしれません。

  

最初は、この言葉を出すのが苦しいかもしれません。

ですが、最初の苦しさだけ、そこだけを乗り越えてみてください。必ず、自然を含め宇宙が味方をしてくれるようになります。サポートオブネーチャーを実感することができます。

物、そして人には心があります。

 どなたの中にも、どんなものにも、神さまが住んでいらっしゃいます。

  

縄文の古代から、戦前までの日本人は、みな、この事実を知っていました。 

この尊い精神基盤を、破壊し、日本人を弱体化させようという邪悪な意思が動き出すまでは。

どなたの中にも神様はいらっしゃいます。人の悪しきところ(鬼心)には目をつむり、良きところ(仏心)だけを見つめてみてください。 

良きところがエネルギーを得て、きっと、神様が姿を現してくださいますから。