今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年01月14日の記事を紹介します。
「分かれ道」
今日は以前お会いした聖者のお話です。 上江洲義秀さんです。
上江洲義秀さんは、既に悟られており、自分の内なる神様と、一体となっています。
もちろん自慢したり、いばったりする方ではないので、ご自分では、そんなことは言いませんが、これを周りから見ると覚醒者・聖者であると見えるわけです。
<引用・加筆開始>
2千年前にイエスは、はっきり説きました。
やがて、幕が二つに引き裂かれる時が来るだろう、と。
その意味は、私たち人類が進む道で、人々の心の状態によって、道が2つに分かれてしまう。
そして一旦別れたら、二度と交わることがない。そんな意味のようです。
日々この地球で生かされ、生活して行くなかで
人の非難、批判ばかりして、目に見える現象(出来事)という結果に振り回され、
落ちていく者(体主霊従)となるのか?
或いは物事の裏に隠された神様の働きを見て、徹底してその神様に集中し、神様そのものを実感し、私達の本質が神様である(霊主体従)と知り、その無限の英知、力を手に入れるのか?
それが幕が二つに引き裂かれるという意味です。
私達の一瞬一瞬の生き方、生活がその実践の場である事を知って下さい。
お金、物質、自分だけが・・・と言う醜い欲望に凝り固まって苦しみながら生きる者となるか?
常に愛そのものとして、神様を感じ、無限の至福、喜びの中に生きるか?
選択はあなた方次第です。
今、ちょうど私達はそこに、その分かれ道に立っているということを知って下さい。
<引用終了>
厳しいお話ですね。
良く聞く「2極化が進んでいる」と言うのと同じ意味です。
日月神示の、神示読んで、タマ早う掃除せよ。
世の建替と申すのは、身魂の建替ざから取り違ひせん様致されよ。
誰によらず改心(洗心)せねばならんぞ。
立て替えと申すのは、神界、幽界、顕界にある今までのことを、綺麗に塵一つ残らぬように
洗濯することぞ。
今度という今度はどこまでも綺麗さっぱりと立て替えするのざぞ。
国常立尊 と同一神ではないかと言われる スサノオ
立て直しと申すのは、世の元の大神様の、御心のままにすることぞ。
御光の世にすることぞ。
てんし様の御稜威輝く御世とすることぞ
と同じ意味かもしれません。
ですが、上江洲義秀さんも、ヒマラヤの聖者たちも、
「こうしなければならない」など決して言いません。
神様の恩寵により、私達全てに「自由意思」が与えられているからです。
・どちらを選ぶのも自由、
・どの順序を選ぼうが自由
時間の長短はあっても、結果的には、最終的には、到達する
精神的な場所(神々の住まうところ)は同じなのですから。
さて、イエスは、どのような気持ちで、この言葉を言ったのでしょうか?
幕が二つに引き裂かれる、そのそれぞれ二つの方向に待ち受ける状況とは何か?
ですが、どうぞ心配なさらないでください。
神様は、私たちが選ぶどちらの側にも必ず居らっしゃいます。
悲観する必要はありません。
進む道を選ぶのは、私達自身です。
分岐して分れてしまった世界。
それは、どういう世界かと言えば、同じ場所、時間に暮らしていても、それぞれの振動数が、かけ離れてしまうため、全く別の次元に暮らしているということ。
もう観ることも触れることも、相手の存在の記憶さえなくなります。
一見悲しいことに見えますが、それは、それぞれの人が
自ら、自分の好きな世界、類は友を呼ぶ、同じ波長の世界に進んで行った結果です。
またそれは、同じく地球についても起こると言われています。
今までのように
・自分さえ良ければ、他人の心など踏みにじってもよい
・人を蹴落としてでも上に立とう
・地位、名誉、資産をとことん増やそう
・誰か、力のある人に、依存して従っていれば良い
そのような世界に固執し、人の心を無視し、物や他人に依存し、執着し続けるのか
それとも、ご自分の心の中の仏性に気付き、他人の心の中にも仏性を見出し、
お互いを
尊重し、
助け合い、
認め合い、
高め合って行く
そんな、関係性に昇華させていくか、、
それによって道は大きく分かれて行きます。
できれば、お互いを尊重し、助け合い、認め合い、高め合って行く世界に進んで行きたいものですね。
もうミロクの時代もスタートを切りました。世の中も精神性の復活の方向に急速に動いています。私たちの行く先は、私たち自身の心が決めることです。
決して他人が判断し、決めてくれることではありません。
あなたは、どちらの世界を目指しますか?
どちらの世界が居心地が良いですか?