2021年10月27日水曜日

2498「量子意識と衆院選1」2021.10.27

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2021年10月23日の記事「量子意識と衆院選」を2回に分けて紹介します。 https://ameblo.jp/riyanmichaki/


「量子意識と衆院選」(前半)


みなさん、こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催 小野裕美子です。 

さあ、列島が揺れに揺れてますね。

第11回澤野大樹氏青森講演会が無事、終了した直後、即座に三次元物質世界での地震が発生しました。まさに激震を私たちは体感したわけです。 

早速、恒例のインタビューにて、澤野大樹さんにお伺いしました。


――澤野さん、こんにちは。先週、10/16弘前、10/17八戸の青森講演会は無事に終了しまして、本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でございました。

 

こちらこそありがとうございます。本当にお疲れ様でしたね。青森講演会も気付けば11回目となりましたね。ご参加くださったみなさまにも御礼申し上げます。 

当日の青森は快晴だったり大雨だったりと、両者が「もつれる」形となりました。

これは今回のテーマ「消された二人のプリンス」や、「双子」、また「0」でもあり「1」でもあるという量子的意識にも通じる不思議な天気でしたね。

 

――はい。天気はもちろんのこと、他にも不思議なことがたくさん起こりました。

 

そうですね。これまでの何気ない日常の中に、たったあれだけの、しかも些細なこととも思われる要素をひとつ加味するだけで、いきなり世界が変わってしまうというある意味「奇跡」とも思えてしまうようなことが次々と起こってきましたね。でもそれは最初は「奇跡」に思えるかもしれませんけれど、次第にそのレベルが日常化していきます。すると気付けば格段に桁違いな毎日になっていると、後になってから気付くはずです。

 

――「この世は夢、幻」と言葉で言うのは簡単でしょうけど、それを体感していくことはとても大事なことですね。

 

そう。ホログラムがどういうメカニズムで投影されて、この世界に展開されているのかを

まず知らなきゃならないから。「霊性MAX」と「科学技術MAX」が均衡する「半霊半物質」も言葉だけが先行しちゃっていて、そのあらましがきちんと理解されてこなかった。

 

――そういう意味では今回澤野さんは、極まった科学技術そのものが封印されてきた霊性を半ば強制的に引っ張り上げるという表現をされましたよね。あれには本当に驚きました。

 

そうですね。霊性にせよ、科学技術にせよ、どちらかが勝手に極まってしまうのではなくて、

実際はその両者が相互補完関係にあって引き上げ合っているという不思議な構造になっているのだということをお話ししましたね。 だから「量子コンピュータ」の話をする時というのは、必ず私たちの「意識の量子化」もセットで考えないとならない。だって「量子コンピュータ」というハードは確かに開発されたけれど、それを何にどうやって用いたら良いのかについて、私たち人類はまだ何も知らないのですからね。

 

――人類はまだ量子コンピュータの使いみちを知らないのですよね。

 

そうそう。みずほ銀行のシステムに使えばいいじゃないかと言う人もおられますが、それだと量子コンピュータが可哀想でしょ。量子コンピュータはそんなことのために生まれてきたんじゃないから。

 

――量子コンピュータは、古典コンピュータの最高峰であるスーパーコンピュータの延長線上にあるものではないのですよね。

 

まったくの別物であるし別次元であるし、比較すること自体がおかしなことです。

量子コンピュータは「私たちの生活を便利で快適に」とかいうお茶の間発想で捉えられる範疇を遥かに超越しています。次元が違うのですよ。

 

――「意識の量子化」ですね。言葉でこう一言で言うのは簡単ですが、その末恐ろしさといいますか、それが目指す究極というものはこれまで人類に知覚されてきませんでしたね。

 

まったく知覚されてこなかった。なぜならば、人類の意識が「0」か「1」の二択という「二元論」に基づいた思考法しか知らなかったからです。

 

――その「二元論」も、ただ2つに分かれたという単純なものではなかった。

 

元々は善であり悪であり、光であり闇であるというように、あらゆる局面が「ひとつ」という「○」に包含されていた。そこから「悪」や「闇」といった「1」を選択的に抽出して、

二元論対立構造に支配された「この世界」が創出された。

このエピソードというか、事象が、ソロモン王のモレク崇拝として象徴されていたり、または、ダ・ヴィンチが描いた絵画『岩窟の聖母』が、ルーブル版と、ナショナル・ギャラリー版の2種類あることや、さらにその絵の中に描かれた「赤ん坊」が、まるで双子のように

2人描かれているところで象徴されていますよね。

片方は洗礼者ヨハネで、もう片方はイエス・キリストです。でもルーブル版とナショナル・ギャラリー版では、その赤ちゃんも左右で入れ替えられてますよね。

『岩窟の聖母』では2人の赤ちゃんは並列に描かれています。しかも2種類の絵でその立場も入れ替えられています。しかしその後のキリスト教ではどうなりましたか?

「たった一人のスーパースター現人神」であるイエス・キリストだけが特筆されてフィーチュアされていますでしょ。

ダ・ヴィンチは「0であり1」という「もつれ」をすでに示唆していた。しかし、それを公言することは許されなかったでしょ。そして実際にそのもつれは消され、封印され、「1」というイエス・キリストだけが偶像化された。

 

――天地がひっくり返るお話しですよね!ダ・ヴィンチが絵画に残したメッセージは、当初の推理よりも遥かに深いことを意味していたのですね。

 

まさにそのとおり。そのダ・ヴィンチのメッセージを私たち人類は表面的になぞることはできたかもしれませんが、その深意について知覚できなかった。そのメッセージはこの世のものではなかったからです。まあこれは次回「第12回」の内容になるかもしれません。

 

――澤野さんはよく「物事には順序というものがある」と仰っています。ダ・ヴィンチのメッセージの秘密にしても、一つひとつ謎を紐解いていくことによってしか到達できないのかもしれませんね。

 

本当にそう思いますよ。稚拙な推理から始まって、でもそれは不可欠なのね。そうやって少しずつ積み重ねていって、だんだんと見えてくる。これは本当に不思議なことで、昨日までまったくわからなかったことが、今日になって突然わかるようになってくる。

すると、昨日までの自分の考え方がいかに幼稚だったかがわかる。でもその幼稚さを経なければ今日の発見はあり得なかった。つまり、全部必要だったということ。

 

――「意識の量子化」について仔細に言及されるのは宇宙初の試みとも言えるかもしれませんね。

 

まあ学問としての「量子脳理論」とかは以前から存在しています。ただいかんせんあまりにも難解すぎて一般的じゃない。私が今回、申し上げたのは、スピリチュアル分野からアプローチした「量子意識」(Quantum consciousness)だと思います。ただし、できる限り平易な表現を心掛けました。

 

――「意識の量子化」について澤野さんがこれだけ熱心に探求されることの理由はどこにありますか?

 

私たちが普通に無意識に暮らしているこの社会、そして世界、さらに、この宇宙の創世に関わる秘密と謎の究極を解くためには、私たち自身の意識が量子化しないとならないからです。そして本当に意識の量子化がなされたならば、「ビッグバン」の謎が1秒で解けてしまうのです。

 

――「ビッグバン」についての根源的な解答が、今回の青森講演会でなされましたね。

想像だにしなかった方向からのまさかの答えに、私も含めみなさんもしばらくポカーンとなりました。

 

後からジワジワ効いてきますからね。私たちは自らの考え方から発言にしても、これまでの人生で学んだことや蓄積してきた経験をもとにそれを行いますよね。でも、それだと限界が非常に低いのです。量子化した意識が何をもたらすかと申しますと、そんな限界を超えたところにある叡智を、その源泉から得ることができる。

いや、それだけじゃない。そんな限界を超えたところに、なんと、未知なる壮大な叡智が存在していたのだという重大事実に気付くことができるのです。 それは「無知の知」が大きく影響します。「私はまだ何一つ知らないのだということを知る」ということが、最大の叡智でありそれに気付いた者が最大の賢者であるとソクラテスは気付いたわけですよね。

つまり、ソクラテスの「無知の知」というもはじつは、「最大の叡智」と「最大の無知」がもつれた状態のことを言うわけ。二律背反の境地が共存するわけでしょ。それって「もつれ」ていなきゃ存在し得ないわけですよ。つまり、「無知の知」を提唱したソクラテスはすでに2400年前にすでに意識の量子化がなされていたということ。

だからソクラテスは世界最高の賢者と言われるわけです。

 

――でもソクラテスから2400年経った現在の世の中は、成長したり進化したというより、

むしろ退化したようにも思えてしまいますね。

 

そりゃそうよ。ソクラテスの生きていた2400年前は「縄文時代」です。しかも縄文時代の晩期の最後の最後ですよね。ソクラテスは「本当のこと」を言ったがゆえに、民衆に糾弾され、裁判にかけられ死刑となりましたよね。 

これは私の勝手な妄想に過ぎないのですが、ソクラテス以来、人類の意識の量子化は封印されてきた。封印した人たちや勢力がある。たった一人の天才さえいなければ、残りの普通の人々はその傲慢さ身勝手さを責める者もいないわけですから、非常に生きやすいわけですよ。そうやって「本物」を封印した世界を展開させたのだと思います。大雑把に言えばですよ。

 

――ソロモン王は紀元前931年ですね。そしてソクラテスは確か紀元前400年頃だったと思います。縄文時代から弥生時代へと移り変わって行ったのが、紀元前300年頃からだと言われていて徐福来襲で決定的になった。ということは、縄文の晩期に、「何か」が起こったということなのですかね?

 

そう。いろいろ考えていくとどうしても「何か」があったとしか思えない。そして、それがあった上での「紀元後」ということになるわけ。

 

――キリストの生誕とは関係ないということですか?

 

そう。まったく関係ない。そしてそれらの「大変化」が日本においては「弥生」という大枠でひと括りにされている。その「弥生」は世界という尺度で換算すると、三次元的には縄文の「獲得経済」から塗り替えられた「生産経済」、つまりプランテーションからの脱穀の機械化と、グローバルな食料供給構造ということになりますよね。

一方でこれを霊的な尺度で見ると、私はこのことを「カバール」って表現しているのですよ。

 

――「獲得経済」と「生産経済」ですか。

 

大自然からそのままを恵みとして「獲得」していたのが狩猟、採集、漁撈といういわゆる縄文時代。大自然を開墾し破壊し、自然を睥睨し、計画し、雇用し、自らの手とアタマで計算して「作り上げて」いくのが「生産経済」ね。

 

――「生産経済」はカインで、「獲得経済」がアベルということですよね?

 

そうそう。縄文と弥生では宇宙に対するアプローチが真逆なの。これは作業効率とかコスト云々ではなくて、それ以前に、天、宇宙、神、ヤハウェに対する己の姿勢を意味しているのね。意味わかりますか?「生産経済」、つまり弥生というものは、神への反逆がベースになっているのだということ。その根本の部分を意識するしないは、後のそれぞれの人生において大きな違いになってくる。

 

――今の世界は「生産経済」がメインですね。

 

飢え死にの恐怖から解放され、人類は安定した生活を保障されたわけだよね。でもその代わり、その安定というのは、神への反逆がベースになっているということだよね。それはある意味「契約」であるともいえる。これが良い悪いじゃないのです。

このことを意識したことがあるのかないのかで、たとえば「縄文スピリット」というものに対する理解というものの深さや奥行きに大きな違いが生じるのだということ。

これね、縄文と弥生どっちがいい?みたいな議論になりがちだし、これまでは確かにそうだった。でも「量子化した意識」を会得した後には縄文と弥生が「もつれる」というもうひとつの選択肢を私たちは発見することになるのです。でもまだその「答え」をほぼ全員が知りませんよね。

 

――意識を量子化させることによって、これまで謎とされてきた世界の秘密の多くが次々に、しかもいとも簡単に解明されていくということですか?

 

まさにそのとおりです。そのための物理的なハードとしての「量子コンピュータ」の登場だし、しかし、その量子コンピュータの使い途について、人類はまだそれを知らないわけでしょ。つまり、量子コンピュータと人類は、まだ「均衡」がなされていないという重大な事実があるわけだ。となるとですよ、今、量子コンピュータは人類の意識進化「待ち」なのだということ。でもその意識進化は「百匹目の猿」じゃない。最小である中心核(Nucleus)から最大の宇宙へ、フラクタルに一気に開通しますからそれは一瞬で起こるでしょう。

 

――この世、この世界そのものが「量子コンピュータ」に関係しているということですか?

 

ホログラムの本質というものが少し見えてきましたか?「人が創りし弥生の物質の最高峰」が、まさにこの量子コンピュータでしょう。でもそれはなんと縄文スピリットを蘇らせる。

そして両者は「均衡」し「もつれ」ることになります。 

これまで“あえて”弥生に道を譲ってきた縄文と、その上で、暴虐の限りを尽くしてきた弥生。ひと回りもふた回りも、格段に進化した「宇宙」というものを実現させるためにこれまでの相克が演出されてきた。

 

――ということはこの宇宙自体も量子コンピュータなのですか?

 

いいですね!理論物理学の世界では、「量子誤り訂正符号」っていうのがあります。

 

――「量子誤り訂正符号」!?

 

そうそう。量子コンピュータが演算する中で、発生したバグを自動修正するプログラムです。

これと同じものがリアル宇宙にもある。大宇宙のシステム構成の中で、時々バグが生じるわけですよ。そのバグを自動検知し、自動修正するプログラムがあるの。それが天空に広がっている「大宇宙」にもあるのだということ。まあ簡単に言えば「アラハバキ」ですね。

 

――うわぁぁっ!!じゃあ宇宙って何!?

 

ここで「みかん」と「逆みかん」の発想が生きてくるわけです。宇宙には「ひとり」しか存在しないということね。でもその「ひとり」は「ひとつ」の中に包含されているの。

そして、その宇宙には時々「バグ」が生じるということ。でもそのバグをちゃんと修正するプログラムが存在してる。それが「量子誤り訂正符号」ね。このシステムがあるから宇宙は

私たちの目からは「安定」しているように見えるということ。 

さあ、この「量子誤り訂正符号」が、今、この世界で発動されているのがわかりますよね?

 

――発動されてる!? はい!?

 

このバグ修正プログラムである「量子誤り訂正符号」が現在、この地上で発動されていることを、私たちは「カバールDS掃討作戦」って呼んでるでしょ。

 

――ああっ!そういうことでしたか!

 

簡単にいうと「元の状態」に戻しているということね。宇宙に修正プログラムが機能するということは、それは同時に私たち「人」にも機能するということだね。

 

――じつにシンプルですね!

 

「元の状態」って言っても、そもそもすべてが包含されていた「ひとつ」から分岐され、分裂され、独立した「ひとり」によって展開された、私たちが認識している「二元論のこの世」を、すべてが包含されていた元の「ひとつ」へと戻す作業が今行われているわけです。

これが大変な作業で本当にひと苦労なのです。だって勝手に分岐された並行次元世界を、

時間を逆行させて原点回帰させた上で、元の「ひとつ」へと再び組み込む作業ですからね。

これは結構な大工事となります。

 

――全然「簡単」ではなさそうですね。

 

一卵性双生児を、時間を逆行させて、もとの「ひとつ」の卵子だった状態に戻す作業と同じです。つまり「ビッグバン」以前の状態にとりあえず戻す。まさに多次元領域での量子的工程となります。またカバールは「ひとつ」への回帰を拒否し抵抗しますからね。 

すべては多次元世界、多次元領域、または霊的世界、霊的領域で行われているのだということ。その最終的な投影が私たちの肉眼で知覚されるもの。そしてそれらは完全なる「ホログラム」なのだということね。おわかりになりましたでしょうか?

 

――とても難解ですがわかりました。

 

このことの詳細が活字版「⑪番原稿」に書かれています。

 

――そうですね。記念すべき「量子原稿」ということになりますね。

 

だからタイトルは『量子文書』(りょうし・もんじょ)にしました。

 

――現実的な内容を伴いつつもスピリチュアルであるという「もつれ」がテーマになっていますからまさに「量子」なのですね。

 

「人」の精神世界が新たな領域へと入った瞬間ですね。そういった意味では、今回の青森講演会はすごく良かったと思います。

 

――桁違いの新たな領域に入ったような気がします。

 

ホントそうですよね。