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2020年8月18日火曜日

2127「経緯」2020.8.18

 8月16日の夕方に大和農場に行って送り火を焚きました。保管していた護摩木を全部焚き上げました。多くのご縁の霊存在がお還りになったようです。お陰様で晴れ晴れしてスッキリと出来ました。火に託す次元変換の様は、見ていて飽きることなく、不思議世界に通じる点事象です。





 両親始め先祖からの綿綿と続く肉体的遺伝子の継承、霊系統の流れの経(たて)糸。ふと思うだけでその始まりは何処から続くのか未知の世界です。経糸として根源体存在から始まる時系列の世界に、緯(よこ)糸は今の時空での織りなすご縁の世界でしょうか。
 そしてこの大和農場、仙台、陸奥、日本の沢山の有縁、無縁の方々が一堂に会してエール交換でしょうか。全てを託されたバトンを担うリレーランナーの私達は、引き続きこの世界の駆け抜けて多くの恵みを頂く、経糸と緯糸を織りなす役割を果たす感恩報謝です。子供の頃、両親の下、お盆を過ごした思い出が蘇りました。

 そして親から受け継いだ教えの以下の言葉が浮かびました。
「御恩徳様、ご勿体のうございます。日日厳しい御照らしの中にお助け頂きありがとうございます。」
 あまり気にせずいましたが、恩徳とは以下の様にあります。
「恩徳 おんとく《「おんどく」とも》
1 恵み。情け。恩恵。
「母の御恩徳七生(しちしゃう)むまれかはりても報じがたく存ずる折節」〈浄・嫗山姥〉
2 仏語。三徳の一。仏が世の人を救おうとしてたれる恵みの徳。」

 御恩徳様とは今を活かして下さる恵み、情け、恩恵、その大元の存在、宇宙根源神と思えます。仏語で三徳がいわれますが、恩徳は如来の徳とあり、他の二つは智徳、断徳です。
「仏教,インド哲学,儒教における3つの徳。
(1) 仏教用語では如来の徳を恩徳,断徳,智徳に,また修行の立場から諸仏の徳を因円徳,果円徳,恩円徳の3つに分ける。
(2) 『涅槃経』の説く大涅槃の不一不異の法身徳,般若徳,解脱徳のこと。
(3) インドのサーンキヤ学派の純質,激質,翳質という3つの根本原質。
(4) 朱子学における智,仁,勇の3つの素質。」
更に仏語の三徳は以下の様に記されています。
「㋐仏果にそなわる三つの徳。衆生に恵みを与える恩徳、煩悩(ぼんのう)を断ち切る断徳、智慧をもって平等に見る智徳。
㋑涅槃(ねはん)の三つの徳。真如としての法身、智慧としての般若(はんにゃ)、煩悩からの離脱としての解脱(げだつ)。」
 両親始め多くの徳があり、縁に生かされ、因縁恩の円徳に生かされる。ありがたい事です。

 17日は福島県南相馬市に真向法体操の指導に出向いて来ました。年に1度8月に伺う恒例行事で8年目でしょうか。20数名の方が参加されましたが、お世話を頂くHさん、Sさんのご縁があればこそののありがたい世界です。とかく生きにくい時代で、社会の劣化も進んでいます。
 懐かしい方にも再会しましたが、2年前に癌で手術をされたとのことです。5キロほど痩せ、弱弱しく寒々としています。良く一念発起して足を運んで下さいました。体温を上げ自然治癒力を発揮出来るように自発磁化の回復力をお伝えしました。
 又、新しきご縁の方も同様に3年ほど前に癌を手術されましたが、その後抗がん剤治療を止めて今ある様で、83歳には見えない頼もしき御仁です。
 膝を痛め歩くのもままならない方もおられました。立つと左右の肩の高さが優に5センチは違います。モデルをお願いして簡単な体操を指導しました。椅子の座り方、立つ方を教えたら直ぐに立ち上がりの要領を得て、にこやかです。やがて姿勢が整い肩の左右差が無くなり、脚の運びがスムーズです。驚きの嬉しき世界ですが、自然の理に従う事で起きる当たり前の事です。その理を、術を知らないだけです。

 老い、病い、暗澹たる中に光を見出し、人は可能を信じられた時、未来が開けます。顔がほころび赤味が戻り、勢いが出てきます。縁して出逢わせて頂き、活かして下さる機縁に感謝です。かれこれ5時間弱の楽しき時間を過ごして帰路に付きました。

今朝も朝風呂を楽しみましたが、お湯の汚れがいつになく多く、身体を1夜で回復させていただく自然の叡智、肉体機能、能力、環境に感謝です。

2019年12月14日土曜日

1885「真向法全国大会7」2019.12.14

 以上紹介した事象の背景にあるものとして以下のような見解がありますので紹介します。

「琵琶湖と淡路島の形が激似⁉2つの関係にまつわる都市伝説 2019.05.17
 関西地方で存在感を放っているのが琵琶湖と淡路島。それも京都、大阪、神戸のような、人間が作り上げた都市ではなく、自然によって完成したものである。
 琵琶湖は言わずと知れた日本最大の湖である北湖ではほとんど対岸が見えず、海のような景色を楽しむことができる。そして、滋賀はもちろん、京都や大阪の水がめとして機能している。
 一方、淡路島は人口13万人が暮らす自然豊かな島で、食の宝庫として知られる。古くから食の宝庫として知られ、朝廷に食料を貢いでいたという記録がある。また、近年では淡路島たまねぎが有名で、全国シェアは10%近くを誇っている。
 このようにどちらも関西地方を中心に重要な役割を担っているのだが、「湖と島」ということで、一見関係なさそうにも思える。

 ところが、地図を見ると両者の姿がそっくりなことに気づくだろう。琵琶湖から南西方向、京都や大阪方面に地図をたどっていくと淡路島がある。そして淡路島をくるっと一回転させると、なんと琵琶湖とそっくりな形をしていることに気づかされる。湖と島、まさに陰陽のように、ぴったりと島が湖に収まりそうである。
 地図を見ていると、土地同士の形が似ていることは結構多い。例えば四国とオーストラリアとか、九州とアフリカなど、TV番組でもネタにされることもある。しかし、形だけでなく面積まで近い(琵琶湖 669㎢ 淡路島 593㎢)ことを考えると、何らかの因果関係があるのかも知れない。今回は琵琶湖と淡路島に関する都市伝説を調べてみた。

・ダイダラボッチ伝説
 ダイダラボッチとは日本各地で言い伝えが残っている巨人である。山や湖沼を作ったとされる伝説が多く、これは国を作った神への信仰と似た部分がある。
ところで、ダイダラボッチの伝説のひとつに、富士山を作るために近江の土を掘ったというものがある。この伝説がきっかけとなり、近江八幡市と富士宮市は夫婦都市ということになったという。
 自治体に影響を与えるほど有名な伝説であるが、実はこの伝説、作ったのは富士山ではなくて淡路島だっという。なんでも比叡山につまづいて怒ったダイダラボッチが地面を蹴飛ばしたら、琵琶湖がある場所に穴ができて、淡路島に飛んで行ったんだとか。
 確かに体積を考えると、富士山と淡路島、琵琶湖の部分が淡路島になったと考える方が適切なのかも知れない。

・ポルトガル沖への隕石落下説
 これまたダイナミックな説である。ポルトガル沖に落ちた隕石の影響によって、地球の反対側にある琵琶湖の塊がくり貫かれ、淡路島まで飛んで行ったという。
 なぜ塊がくり貫かれたかというと、紀元前に落下した隕石により強烈な波動がマントルを通して琵琶湖に伝わったからだという。波動は地殻を押し上げて、淡路島で吹き飛ばすエネルギーを持っていたんだとか。
 日本から1万km以上離れた場所の隕石が影響しているという夢とロマンが詰まった話題である。ポルトガル沖と琵琶湖の緯度が同じことも、この伝説が生まれるきっかけに一役買ったのだろう。
 
 オカルト、伝承、地殻変動などが合わさったアプローチでとても面白い。信じるか信じないかはあなた次第。話のネタには持ってこいの都市伝説である。しかし、本当に似ている・・」


2019年12月13日金曜日

1884「真向法全国大会6」2019.12.13

 琵琶湖に関する情報の中で以下の記事は注目です。
「琵琶湖で発生中の大規模「泥・ガス噴出」はプレート移動が要因


 2012年4月11日 14時1分 週プレNEWS
 今年2月、琵琶湖の湖底から「泥やガスの噴出」という奇妙な現象が観測された。それが意味するものとは何か。
 滋賀県琵琶湖環境科学研究センターで水中探査ロボット「淡探」を開発し、湖底調査を続けてきた熊谷道夫氏(現在は立命館大学教授)が次のように解説する。
「私は20年以上前から琵琶湖の湖底環境を調べてきましたが、最初に噴出現象を観測したのは2009年末でした。琵琶湖の北西の1ヵ所で、直径約2mの泥と気体の噴出を見つけたのです。それが1年後の2010年末には9ヵ所に増え、さらに1年がたった今年初めには、数えきれない場所に広がったことを確認しました。それ以降も琵琶湖の水中透視度は低下し続けているので、泥の噴出は一層強まっていると考えられます。しかも、『淡探』で撮影したエリアだけでなく、湖底全域で同じ現象が起きているようなのです」
 浅い川や沼の底では、たまった腐泥からメタンガスがわき上がることは珍しくない。だが今回の観測では、70~100mという、高圧・低温の環境の湖底から泥やガスが噴き出している。
 その原因は?
「琵琶湖は、地殻変動によって400万年前頃に三重県伊賀市の辺りで生まれ、その後、100万から40万年前頃に今の位置へ北上してきました。この移動は、太平洋側から日本列島の下へ潜り続けるフィリピン海プレートが、さらに下のマントル層へ落ち込んでいったからだと考えられます」(熊谷氏)
 このプレート移動運動は、琵琶湖全体の地殻を下へ引き込むだけでなく、東西両方向からも強い力で押し縮めている。この圧力が一定の限界を超えると、湖底の地層内部にたまったガスと地下水が、堆積した泥を巻き込んで噴出する。こうした「ベント(強制排出)」が、特殊な地殻構造の琵琶湖では過去に何度も繰り返されてきたようだと、熊谷氏は説明する。

 プレートの移動運動と聞くと大地震を想起しがちだ。過去、琵琶湖を中心とした近隣地域での大地震には、701年「丹波地震」、1185年「元暦地震」(震源:近江・山城・大和、M7.4)、1662年「寛文地震」(震源:琵琶湖南西部、M7.6)などがあり、いずれもM7、8級。
 今回の泥・ガスの噴出は2009年から確認されており、東日本大震災が直接的な影響を及ぼしたわけではない。だが、活動が活発化するひとつの要因だったとしたら……今後も注意が必要だ。」

更に以下のような記事がありますが原因は不明です。









2019年12月12日木曜日

1883「真向法全国大会5」2019.12.12

 いよいよ乗船です。後部2階のデッキ席を占めて、しめしめです。竹生島を後ろにして離れる船から島の全景を堪能できます。
 暖かい日差しを全身に浴び、航路の後に出来る波紋と島、そして青空、雲の描く点描、遠い本土の山々、それらのコントラストは素晴らしい世界です。島が見えなくなるまで船上で琵琶湖を満喫しました。









 竹生島に関する伝承を紹介します。
「多多美比古命(伊吹山の神)が、姪で浅井岳(現在の金糞岳)の神である浅井姫命と高さを競い、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を切り落とした。その首が琵琶湖に落ちて竹生島が生まれたという。金糞岳(標高1,317m)は滋賀県2位の高峰で、最高峰の伊吹山(標高1,377m)は、竹生島の高さを差し引くと本当は2番目だったというわけである。竹生島神社には浅井姫命も祀られている。 

 坂上田村麻呂伝説のうち坂上田村麻呂の東征譚をモチーフにした御伽草子『田村草子』では、琵琶湖の竹生島の弁財天は田村丸と契りを結んだ鈴鹿御前の化身とされる。御伽草子『鈴鹿草子』でも鈴鹿御前は竹生島弁財天として再誕している。 

 中世には竹生島は西日本の地震に関する聖地とされていた。『渓嵐拾葉集』によれば、竹生島は大地の最も深い場所である金輪際から生え出た金剛宝石の柱であり、仏陀が正覚した時に座していた金剛座である。故に、この地の本来の地主権現は釈迦如来である、としている。また、島には弁の岩屋と呼ばれる龍穴があり、そこから現れる竹生明神という魚龍(大鯰)が島を7巡りするようにとぐろを巻き、尾をくわえて島を鎮めているという。 
 中世には水晶輪の島とされ『平家物語』や『源平盛衰記』などに登場する。『渓嵐拾葉集』では、船で近寄ると「りゃんりゃんと響く」島とされている。」 

 さて無事に下船し長浜駅から仙台に戻りました。車中、観光船の中で見つけたパンフレットを読みましたが、琵琶湖は古の支配者にとって魅力的な地であったようです。 
「織田信長と琵琶湖」、「明智光秀と琵琶湖」、そして「琵琶湖を見つめた戦国の女性達」です。来年のNHKの大河ドラマは明智光秀がテーマのようで、滋賀県が舞台です。現在、放映されているNHK朝ドラの「スカーレット」も信楽焼きがテーマで滋賀県です。真向法全国大会で祝辞を頂いた滋賀県副知事様からもこの事が話題に出ました。滋賀県は琵琶湖以外にも多くの観光名所があり京都、奈良を含めて周遊コースになっています。

 少し脇道にそれて琵琶湖を少し探ってみました。一般的には以下のように記されています。
「琵琶湖は滋賀県の日本最大の湖です。縄文時代の丸木舟も発掘されており、古代から海上交通路として利用されていたようです。
 10万年とも言われる琵琶湖の歴史の中で、生物たちは独自の固有種が多様に確認されています。119本の周辺の河川が流れ込んでいることからも、人間を含めた生き物たちにとって大切な水のハブと言えます。
 かつての発掘調査で、海底に神社跡が発見されました。そこから、1185年に発生した津波の被害が確認されています。」

「琵琶湖が形成された時期は、約400万年~600万年前で、現在の三重県伊賀市平田に地殻変動によってできた構造湖であった(大山田湖)。湖は次第に北へ移動し、現在から約100 - 40万年前、比良山系によって止められる形で現在の琵琶湖の位置に至ったという。大山田湖以前、現在の琵琶湖の位置には山(古琵琶湖山脈)があり、鈴鹿山脈は未だ隆起せず、今日の琵琶湖東南部の河川は伊勢湾へ流れていた。それを裏付けるように、鈴鹿山脈の主要な地質は礫岩である。また、琵琶湖に流入する最大の川で、東南に位置する野洲川は、当時西方ではなく、東方へ流れていたという。なお、琵琶湖は世界の湖の中でも、バイカル湖やタンガニーカ湖に次いで成立が古い古代湖であると考えられている。 
 西岸には、琵琶湖西岸断層帯が東北-南西方向に延び、断層帯北部の最新活動時期は約2800年前から約2400年前頃とされ、活動時には断層の西側が東側に対して相対的に2mから5m程度隆起した可能性がある。断層帯南部の最新活動時期は1185年(元暦2年)の文治地震であった可能性があり、活動時には断層の西側が東側に対して相対的に6mから8m程度隆起した可能性があるとされている。地震に伴う地すべりなどで水没した琵琶湖湖底遺跡が100以上存在する。」

 上記の一般論とは離れて、琵琶湖の地形は淡路島に良く似ています。地球のその造形活動に興味がわきます。

2019年12月11日水曜日

1882「真向法全国大会4」2019.12.11

 観光船に乗りいよいよ出航です。30分間のクルーズですが最高の天気です。デッキ席はいっぱいで1階の席でゆったり船旅を楽しみました。
 無事に着岸して名所めぐりです。狭い境内はさほど時間を要せず観光できます。帰りの船は85分後の予定ですので気ままにのんびり楽しみました。


 まずは宝厳寺本堂の弁財天堂です。
「宝厳寺(ほうごんじ)は、聖武天皇の夢枕に立った天照大神(あまてらすおおみかみ)のお告げにより建立されました。神社の神様の指示で、お寺を建てるという面白い展開です。
神亀元年(724年)、聖武天皇が行基をつかわし、創設させたのが始まりとされます。」
 本堂では十善戒の教えが頒布されていました。
 本堂脇に国の重要文化財の五重石塔があります。


 国宝の唐門は改修工事中でしたが船廊下を通り都久夫須神社本殿に向かいます。その社殿は重厚な作りです。

「都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ=竹生島神社)の本殿は国宝です。豊臣秀吉が天皇をお迎えするにあたり、伏見城内最高の建物を神殿として寄進したものです。
竹生島神社でお祭りしている神様は「市杵島比売命」(いちきしまひめのみこと)をはじめとする4柱。市杵島比売命は水をつかさどる神様で、仏教でいうところの「弁財天」に当たります。竹生島神社では、開運厄除け、交通安全、財施、商売繁盛、縁結びなどのご利益が頂けます。」



神社に向かって右側に白巳大神が祭られていて蛇が両側にお守りしています。


海に向かって龍神拝所があります。こちらは両側に龍が鎮座しています。かわら投げがあり、たくさんの方々が願いを込めて瓦を投げていますが中々難しいです。




 巡りを終えて船着き場に戻りました。まだ出航時間まで時間がありますのでお茶屋さんでおでん等を頂き暫しくつろぎタイムです。
 乗船時間まじかになり列をなして待ちますが、なんと大勢の外国の方々がいます。それも西洋系の白人の方がほとんどです。地中海の島に来たような錯覚を抱いてしまう光景で驚きでした。京都、奈良の名所に飽き足らずにこの地をまで足を延ばして来るのです。日本人もあまり訪れないエネルギースポットですが確かに魅力的なところです。


 桟橋からの海の景色は天空に抜ける青さ、まぶしい太陽の輝き、湖面にきらめく光の放射、心地よい風、全てが自然のエネルギーに満ち満ちています。委ねる中に身体も寸胴の様にエネルギーの筒になっていく感じで心身が充足していきます。


2019年12月10日火曜日

1881「真向法全国大会3」2019.12.10

 翌日は快晴の天気に恵まれました。6時半からおはよう真向法です。30分ほどの体操指導の後、佐藤津一副会長から閉会の挨拶があり、全ては終了しました。和やかな中に、同行同修の真向法愛好家の面々が全国から参集され、初期の目標は達成できたようです。本部事務局の皆さんのご苦労が皆さんの笑顔でのお別れに繋がりました。数々のお世話、ありがとうございました。
 
 私は朝食を頂いた後は1か所寄り道をして仙台に帰りました。寄り道は琵琶湖に浮かぶ竹生島です。以前に何度か訪れていますが、久しぶりに弁財天、龍神様にお会いしたくなりました。
 琵琶湖は滋賀県の面積の1/6を占める日本最大の湖です。竹生島は琵琶湖の北ですので
大津からはかなりの距離です。大津から長浜まで電車で、そこから観光船です。駅から10分ほど歩きますが船は沢山の乗客が列をなして乗船待ちです。
 

 竹生島の名称ですが、「神を斎(いつ)く島」から「つくぶすま」に転じ、最終的に「竹生島」となりました。島は以下のように紹介されています。
「沖合約6kmに浮かぶ周囲2kmあまりの小島で、宝厳寺と都久夫須麻神社が祀られています。宝厳寺の本尊は弁才天と千手観音。弁才天は安芸の宮島、相模の江島とともに日本三弁天に数えられています。また、中世以来西国三十三所観音霊場の三十番札所として多くの参詣客で賑わっています。
 宝厳寺の唐門は秀吉の大坂城の唯一の遺構と伝わり、都久夫須麻神社の本殿とともに国宝に指定されています。近年は琵琶湖第一のパワースポットとして注目を集めています。「深緑竹生島の沈影」として琵琶湖八景の一つ。」

 島全体が花崗岩の一枚岩からなり、切り立った岩壁で囲まれているのが特徴です。更に湖底遺跡があり、以下のように記されています。
「北側の対岸である葛籠尾崎の沿岸や竹生島との間には湖底遺跡(葛籠尾崎湖底遺跡)がある。最大で水深70mほどの湖底から、漁師の網に引っ掛かるなどして約140点もの土師器・須恵器や土器が、ほぼ原形をとどめたまま引き揚げられている。これらの製作年代は縄文時代早期から弥生時代、さらに中世まで幅広い時代に及ぶと考えられている。遺跡の形成過程については、津波などで集落が水没した、船が沈んだ、祭祀として沈められたなど諸説ある。水深や水流に阻まれ人間による潜水調査には限界があるため、ロボットによる探査が計画されている。このような遺跡は世界でも類がなく、沈積原因は今なお大きな謎に包まれている。」

 歴史的には
「古来、信仰の対象となった島で神の棲む島とも言われ、奈良時代に行基上人が四天王像を安置したのが竹生島信仰の始まりと伝わる。南部には都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺(西国三十三所三十番)がある。竹生島神社は、明治の神仏分離令に際して弁才天社から改称した。竹生島は神仏一体の聖地であったことから、分離の際には少なからず混乱があったようである。ちなみに、竹生島弁才天は江島神社 (神奈川県 江の島)・ 厳島神社 (広島県 厳島)と並んで日本三大弁天のひとつに数えられる。
 戦国期には、近江国小谷城主であった浅井久政(浅井長政の父)が、長政への家督委譲を目論む家臣団によって一時的にこの島に幽閉され、隠居生活を強要された。琵琶湖沿岸を本拠地とした織田信長が参詣したことが記録されているほか、宝厳寺は豊臣秀吉とのゆかりが深い。
 近代には宗教家の大石凝真素美が琵琶湖の竹生島は人類発祥の地であると主張した(『大石凝真素美全集』1923年、国華社)。」

2019年12月9日月曜日

1880「真向法全国大会2」2019.12.9

 15時に大会は開始されました。最初に私から開会宣言です。事務局から挨拶めいたことは無しで、宣言だけでという事でしたのでお役目はあっという間に終了です。
 最近の全国大会の写真撮影は宮城真向法体操会の仲間のSさんが担当していますが、あまりに直ぐに終わったのでシャッターチャンスを逃したとぼやいていました。ですから機関紙「健体康心」の写真はうつむいていますが、記念講演を行われた平軍二先生から後日いただいた写真は正面を見ているグッドな写りでした。




 主催者を代表して吉崎会長が挨拶をされました。前段を省略し後半の部分を紹介します。
「さて、本大会は私にとりまして皆様方に初めてお目にかかりご挨拶させて頂きます機会でもございます。長年真向法の普及、発展に人生をかけて尽くしてこられ、真向法の顔でもあられました佐藤良彦会長のご退任により、後任をおおせつかりました。
 私の任務は、これまで積み重ねてこられました事を踏襲しながら、多様化する時代の流れの中で会員の皆様方のご意見を充分に踏まえながら前進させて行く事にあろうかと存じます。どうか前進の為の忌憚なきご意見とご支援ご協力を賜りますように説にお願い申し上げます。
 この大会のテーマは「つながる つなげる」を掲げております。真向法の心は永遠であります。この心を多くの方と共有しつなげていく事が大切です。どうかこの大会が意義あるものとなりますように心からお願い申し上げご挨拶といたします。ありがとうございます。」

 来賓祝辞は滋賀県副知事の西嶋栄治様、株式会社毎日放送最高顧問の山本雅弘様のお二方に頂きました。
 記念講演は公益財団法人日本野鳥の会元評議員の平軍二先生で演題は「生きる力を・・野鳥と真向法から」です。そのお話しの内容を簡単に紹介します。
 平先生は81才で真向法5段、教師で真向法を愛好されています。結婚と同時に新潟に勤務し、直ぐに20才台半ばで腎臓病を患い1年半ほど入院加療しました。大学病院では新薬の投与で副作用が多発、ようやく退院し養生しながら職場復帰をします。
 当時の腎臓対策は「塩分を少なく」、「体を動かせ、しかし過激な運動をするな」の2点でした。新潟から大阪本社に転勤し、先ず歩き始めました。やがて公園で野鳥に出逢います。徐々に元気になり、程なくして大阪万博が開催されました。その跡地が万博公園として森となり植物、野鳥の宝庫になります。やがて野鳥観察に魅入られて行きます。健康のためのウオーキングと鳥に魅せられて気が付いたら野鳥観察40年間、万博探鳥会35年間続けてきていました。
 奥様が昭和59年10月朝日新聞の天声人語で真向法を知り、やがて真向法教室に通われます。その奥様の影響で平先生も真向法を始めます。やがて奥様は指導者として真向法教室を始め、夫婦で健康を確立してこられています。
 新幹線500系の車両のデザインはカワセミの嘴が参考になったというエピソードは初めて聞きました。その他、夫婦そろって真向法研修全国大会には19年連続参加されているとのことです。これは驚きです。平先生ご夫妻は大阪在住で元会長の牧野直隆先生、現会長の吉崎幸孝先生のお弟子さんです。野鳥観察の趣味を生きがいとし真向法を通して元気仲良し夫婦です。

 記念講演会の後は真向法実技指導、段級審査が行われました。1度部屋に入りましたが、部屋からの琵琶湖の景色は素晴らしいの一言です。


 そして懇親会です。私は主テーブルでご来賓の方々の応対です。オープニングセレモニーは和楽器演奏集団「独楽」の太鼓の演奏です。吉崎会長は乾杯の後、50テーブルのすべてをお酌して参加者の皆さんにご挨拶されました。感謝と労い、これからのお願いでしょうが頭が下がります。
 私は平先生ご夫妻、山本毎日放送最高顧問、毎日新聞グループホールディング会長の朝比奈隆氏などと歓談です。朝比奈会長は真向法を実践されていて、現在は真向法協会の理事をされています。朝比奈会長の隣席でその道の貴重なお話しを伺える恩恵を楽しめました。



 各支部会の余興はセミプロの腕前ですが、中締めは朝比奈会長でお開きとなりました。
 二次会は宮城から参加の仲間と部屋で琵琶湖の夜景を眺望しながら酒を飲み干し久々の懇親会になりました。

 翌朝の日の出の琵琶湖の景色もまた格別です。

2019年12月8日日曜日

1880「真向法全国大会1」2019.12.8

 長野であった生体エネルギー秋期セミナーの翌日から第46回真向法研修全国大会が滋賀県大津市のびわ湖大津プリンスホテルで開催されました。私は長野から直行して参加してきました。
 長野県東御市の秋期セミナー会場から当初は北陸新幹線を利用して金沢経由で京都に向かう計画でいました。しかし、台風19号の被害で長野市の新幹線車両基地が千曲川の氾濫で水没して車両10編成が使用不能になり、長野以北は運行停止になりました。数日前から間引き運転で再開しましたが、金沢経由は断念しました。
 しかし、東御市の会場近くの田中駅からのしなの鉄道で上田市まで行くのですが、やはり千曲川に掛かる橋が流された影響で、田中と上田区間が運行停止になっています。止む負えず、タクシーで上田駅まで向かう事になりました。そこからは中央西線で名古屋に出て新幹線で京都、乗り換えで大津に向かいました。
 今年度から公益社団法人真向法協会の執行理事副会長に私が就任した事でお役を頂きました。開会宣言を発する役ですが、諸々の来賓の方々の接遇が主たる任務です。

 大津駅からタクシーで会場に向かいましたが、琵琶湖の湖畔に聳え立つびわ湖大津プリンスホテルはひと際目を惹きます。快晴の琵琶湖は海のように大きく光り輝いています。今回は台風の影響もあり参加者は予定より少なく600名弱となりましたが全国各地から同行同好の面々が元気に参集下さいました。

 第46回真向法研修全国大会に主題は「つながる つなげる」です。
 「こうして年一度、わたしたち真向法仲間が一堂に会し、健体康心の輪(絆)が「つながる」事を確認する。
 真向法は人々を繋ぎ、心を通わせ永劫不変の価値を未来の期待に「つなげる」事を使命とする。
 以って、長寿社会・健体康心の社会構造に貢献しようとするものである。」

 さらに基調は「友だちいっぱい 夢いっぱい」
 基本理念と目標
1、真向法に親しみ、健康な体と心をつくりましょう
2、真向法を楽しみ、明るい生活をおくりましょう
3、真向法を愛し、友情と触れ合いの和を広げましょう
4、真向法を通して、活気ある豊かな地域社会を創りましょう

 真向法では健康を健体康心と捉えます。健やかな身体と康らかな心の両面があり健康と言うのです。その健康を獲得してえられる目標は明るく豊かな生活、友との和、活気ある地域社会の創生です。その土台を日々の真向法体操の自習が担うのです。

 今回は長年真向法の普及に努めてきた前会長の佐藤良彦先生が退任され、それを受けて吉崎幸孝新会長が執行責任者として執り行う最初の全国大会です。内容も簡素化しています。1日目は例年通りの内容ですが、昨年まで行っていた2日目の午前中の研修を取り止め、おはよう真向法を行い閉会で、朝食後解散となりました。毎年、全国各地で開催される全国大会は観光旅行とセットで、それが楽しみで皆さん参加しますので、そのニーズに応える形です。

 佐藤前会長は直前に風邪をひかれて急遽参加できなくなりました。久しぶりにお会いできることを楽しみにしていましたが残念な事です。前日に佐藤先生から電話を頂きその旨お聞きしましたが長年の緊張がほどけて隙間に風邪が入られたのでしょう。会場でも佐藤先生をお尋ねになる方々が沢山でした。