2021年3月6日土曜日

2262「食糧危機」2021.3.6

 今回は「In Deep」さんの2021年3月4日の記事を紹介します。


気象と災害と国家対策と「中国」により消えていく世界の食糧。そしてアメリカでは慈善家ビル・ゲイツ氏が最大の農地所有者に

 

下町の鄧小平さんが消えた日に

前回の以下の記事の最初に、周辺の飲食店が次々と自主閉店や「無限の休業」状態となっていることに少しふれました。

崩壊する文明の中で考える「ワクチンはそれにとどめを刺すかもしれない」こと

投稿日:2021年3月2日

これらの閉店ラッシュの中で、最も「ああこれは残念な…」と思ったのは、近所で古くからやっている小さなパン屋さんが消えたことでした。店主は、八十代後半くらいだと思いますので、コロナというより他の理由もあるのでしょうけれど、唐突に店内が取り壊されている光景を見て、少なからずショックを受けました。

私は今はずっとグルテンをとらない生活をしているため、パンは数年食べていないのですけれど、以前は、飲んで終電で帰ってきた時などに、よく立ち寄って買っていました。今時の格の高いパン屋さんではなく、コンビーフサンドやジャムサンドなんかも並んでいる昔ながらのパン屋さんです。「終電で帰ってきた時など」と書きましたけれど、このパン屋さんは夜中の 1時くらいでもまだやっているのですね。「全品 50円」などの紙を貼り、毎日売り尽くしをしていました。


以前酔っ払っていた時に、この店主のオジサンと話したことがあります。

「ここは毎日 1時とか過ぎてもやってるじゃないですか。そして、朝も 7時くらいからやってますよね。パンは仕込みもあるだろうし大変なんじゃないですか?」

とききましたら、このようにおっしゃっておられました。

店主「朝は毎日 3時に起きて仕込みしてるよ」

私 「 1時以降に店を閉めて、朝 3時に起きるんですか?」

店主「そうだよ。もう 40年くらいは 2時間以上寝たことないね」

私 「すげー。今おいくつなんですか」

店主「 85」

私 「ひゃあ…」

この話を聞いて、「睡眠に関する健康神話も何とも言えないな」と思いました。

このお店は、お正月やお盆以外は定休日もないですので、40年間ずっと、お店に奥さんと立ち続けて、睡眠は 40年間 2時間。それでとても元気だし、顔色もいいし(中国第二代最高指導者の鄧小平さんと似ています)。

普通の人がこんな生活をすれば、健康的に破綻してしまうでしょうけれど、大丈夫な人は大丈夫。仕事と、店に来るお客さんと話すことが本当に生きがいみたいでした。それと比べれば睡眠なんてこの店主にはどうでもいい。

仮に今から大きな病気になっても、「それは睡眠が足りないからですね」と 90歳間近の人に言うお医者さんもいないでしょうし(今はいそうでコワイですが)。それでも、今回の緊急事態宣言後しばらくしてお店が休業となり、そのまま閉店となってしまいました。シャッターには「四十四年間のご愛顧感謝いたします」と書かれた紙が貼られていました。


このように、高齢者が店主の店は、ものすごいペースで消えていますね。ほとんどが倒産ではなく自主廃業です。こんなことが続けば、そのうち、チェーン店以外で飲食することはできなくなるのではないかという雰囲気さえ漂い始めています。

そんなわけで、個人的な話から始まってしまいましたが、まあしかし、この飲食というジャンルはとにかく今は大変なんですけれど、昨年のパンデミック以来(ややプレッパー気味の私は)食糧の国際価格などをずっと見ているのですが、「いよいよなのかなあ」という感じも出てきています。

今すぐに何がどうということではないですが、新型コロナによる社会情勢も今後どうなるのか不透明ですし(ワクチン後の数カ月で ADE などでさらに混乱する可能性も)、気象も自然災害も激しくこそなれ、作物に理想的な状況はなかなか訪れない感じの年が続いていますし、それは世界中同じです。

私は地元で無農薬栽培をしている農家の方から野菜を定期購入させていただいているのですが、今回そこに入っていたプリントには「天候の影響で、今年は土の状況が良くないです」と書かれてありました。天候と土の状況というのは関係するのですね。

というわけで、最近の世界の食糧価格などを少し見てみます。これらを見ていますと、ほんの少しでも準備というのか、してもいい段階に少しずつ近くなっているかもしれません。

 

中国がもたらすかもしれない食糧危機

食糧の基本的な部分である穀物の世界価格の指標のひとつに「先物相場」というものがあります。主に、小麦、トウモロコシ、大豆などが主流の取り引き商品となっているのですが、2021年になってから、なかなかすごいのです。

小麦やトウモロコシの価格も 2020年以来上昇していますけれど、特に大豆がすごい。以下はシカゴ商品取引所の大豆の先物価格の推移です。

具体的な数字はともかく、なんかすごいことになってきている。

それより以前のリーマンショック前後の 2008年頃とか、2012年頃だとかはもっと高い時期もあったのですけれど、少なくとも過去 8年では最高値となっていることをフィナンシャルタイムズなどは伝えています。

シカゴ商品取引所・大豆先物相場の推移 (2017年8月-2021年3月1日)

 


トウモロコシの国際価格も急激に上昇し続けていて、この最大の理由は、最近の報道によれば「中国が記録的な量の大豆やトウモロコシを海外から買い占めている」ことにより、価格が下がることがなくなっているようです。

以下は、フィナンシャルタイムズの記事からです。

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中国の記録的なトウモロコシ購入の継続により価格の異常な上昇が続くと専門家たちは見ている

中国による記録的な購入により、昨年(2020年)末以来、トウモロコシの価格が高騰しており、農家やアナリストは急騰がどれだけ続くかを考えている。

世界第2位の経済大国である中国からの旺盛な需要が、ここ数カ月の穀物価格の激しい上昇を後押ししている。

中国のトウモロコシ需要が劇的な急増

 


中国は、大豆に関しては、もともと畜産動物の飼料のために常に海外市場に依存してきたが、しかし、中国はこれまでトウモロコシは自給自足できていた。その中での、トウモロコシの輸入の増加は、アナリストやトレーダーたちを驚かせている。

中国が、今年、世界最大のトウモロコシ購入国となり、そして大豆に関しても最大の輸入国になる予定であるため、このセクターの大きな問題は、日本や韓国などの他の主要なトウモロコシ購入者よりも先を行くかどうかだ。

数年前にアフリカ豚熱(アフリカ豚コレラ)の壊滅的な感染流行が、中国の豚の個体数に打撃を与えた後、中国が養豚産業を再建するにつれて、中国のトウモロコシの大量購入が起きている。

それに加えて、環境の問題も重なっている。2020年の中国のトウモロコシの収穫量は、台風と干ばつが、作物の主要な栽培地域である中国北東部の広い範囲を襲ったため、中国政府の公式数値目標の 2億6100万トンよりも 4分の1も少なくなる可能性があると農家やアナリストは考えている。

黒竜江省のトウモロコシ農場の所有者のひとりは、昨年の農場のトウモロコシ生産量は 2019年から 5分の1に減少したと述べた。 (FT 2021/02/21)

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ここまでです。

この大豆やトウモロコシというのは、もちろん人間の重要な食糧ではありますけれど、

「畜産動物の飼料として最重要なもの」でもあるのです。つまり、容易に手に入らなくなってしまうと、畜産動物の飼育が難しくなる。

今年 1月には、日本農業新聞に、「配合飼料高騰 長期化に農家恐々」という記事が掲載されており、動物たちに食べさせる飼料に使われるこれらの穀物価格の急激な上昇が、畜産業には非常に重い問題となっているようです。

それでなくとも、豚熱(かつての豚コレラ)や鳥インフルエンザなどの問題も今では毎年発生しており、さらに、パンデミックの下で、さまざまな飲食店の疲弊による流通の問題も起きていたりと、生産者には大変な状況の方々も多く、今は「農業の根幹の危機」が見えなくもないという感じもしないでもないです。

おそらく、食べることに関しては、今後の私たちは状況に応じてライフスタイルを変えていくしかなくなるのかもしれないですけれど、食糧に関して状況が改善する兆しが見えない上に、これは他の記事で具体的に書かせていただこうと思いますが、気象もさらに荒くなりそうなのです。


以前以下の記事で書かせていただいたことがあります「大きな海流(AMOC と呼ばれる大西洋の海流)の崩壊」が、いよいよ顕著になっていることをドイツ政府の研究機関であるポツダム気候影響研究所が報じていました。

かつて地球に「250年間の寒冷化」をもたらした原因となった「大西洋の海流の崩壊」が正式に確認され、少なくとも欧州と北米は、いつミニ氷河期に突入しても不思議ではない状態に 投稿日:2018年12月1日

上の記事のタイトルには「寒冷化」とありますけれど、この海流が本格的に崩壊、減衰した場合は、そういう単純な話ではなくなりそうで、極端な暖かさと極端な寒さが繰り返されたり、その影響で気象も大変に激しいものとなり続ける可能性が高そうです。

なお、ポツダム気候影響研究所や他によれば、このような海流の状態が確認されたのは、「少なくとも 1600年ぶり」だそうです。

そういうスパンでしか起き得ないような海流の状態による異常気象、あるいはそれと類するものがこれから繰り返される可能性が高くなっています。

今までこのブログで述べることもあった「地球は寒冷化となっていく」というだけのような単純なものでは済まなそうで、死ぬほど暑い夏と、生きられないほど寒くて雪が多い冬をどちらも経験して生きていかなければならないような環境になっていく可能性もあります。


日本に関してはコメあまりの状態も続いていますし、すぐに危機的になることはないでしょうが、今のような状態が今後も続いていくと、先になればなるほど、厳しい状態が出現するかもしれません。

日月神示にありますような「日本の国に食物なくなってしまふぞ。世界中に食べ物なくなってしまふぞ。」というのはまだ先の話でしょうけれど、わりと近いうちに、これまでのように「何でも食べられる」という生活は少しずつ変化していくことは避けられないとは思います。存在しないものはどれだけお金を積んでも手に入らないですからね。

これも今度書かせていただこうと思っていますが、「人為的な食糧供給の変化」も進行しているようです。たとえば、慈善家のビル・ゲイツさんは「食糧の独占」を狙っている可能性があります。

1月に米フォーブスが「アメリカ最大の農地所有者がビル・ゲイツ氏になった」と報じていました。

それと共に、慈善家ゲイツ氏は、遺伝子組み換え作物企業、種子特許、合成食品企業、化学農薬企業、石油化学肥料企業などへの莫大な投資を進めていることも報じられていて、食糧の慈善事業に対してもやる気満々のようです。

これらの人工食糧的な資産が有効に活用されるためには、「自然から生まれる作物や食糧はできるだけ消えたほうがいい」でしょうし。

アメリカの元国務長官のヘンリー・キッシンジャー氏の以下の言葉が今でも伝えられています。

「食糧供給をコントロールできる者が人類をコントロールする」

気象や自然の状況と共に、人為的なさまざまな行動によっても今後の世界の食糧危機は迅速に進行していくと思われます。



2021年3月5日金曜日

2261「発光人」2021.3.5

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年03月01日の記事を紹介します。


光を発する人

ますます、神々の働きが活発で、いろいろな場所で、いろいろな変化が起こっています。

それを感じ取ってらっしゃる方も多いようです。

ですが、あせらなくとも、私たち一般人にとっての王道は、やはり

・心を清らかにすること

・身近な周りの方々と仲良く暮らすこと

・すべての出来事を感謝の気持ちで受け取ること

に尽きるようです。 

さて、今日のテーマは、「光を発する人」ということで小林正観さんの記事をご紹介します。

<引用開始> 引用元

 

「私は、以前は『努力』してきた人間だったのですが、正観さんのお話を聞いて、がんばらない、緩んだ系統の人間になってきました。

こういうタイプの人間が大勢を占めるようになったら、どんな社会になると思いますか」

と言われたことがあります。

 私の答えは、そのように社会全体を評価、評論する癖をやめること。面白いことに、人に対して 「変われ、変われ」と言う人ほど、笑わない、暗い人が多いように思えます。

この質問をなさった方は、コンサルティングをしており、たくさんの企業とかかわるという立場からの、質問ということでした。

「世の中のここが悪いじゃないか、ここが暗いじゃないか、ここが理不尽じゃないか」と、言っている人ほど、暗くなってきて、笑わない。

「暗い社会じゃないか」と問題点を指摘している人ほど、暗くなっているように私には見えるのです。

…世の中を暗い暗いと嘆くより、自ら光って その闇照らせ…

 というのが私自身に言い聞かせている言葉です。

 その人が光だったら、その人の周りには闇はないでしょう。評論する暇があったら、自分が光になること。自分がどう光るかを考えるといい。

 世の中の暗さを指摘して、糾弾している人ほど、笑顔がなく、暗さを投げかけているのかもしれません。早くそれに気づくこと。

「闇」と「光」は、多くの人は50対50の力関係だと思っているかもしれませんが、実はそうではなくて、0対100です。

 「光」が「闇」の中に入っていったら、常に「光」です。逆に、「光」が撤退したとき、

初めて「闇」の世界になります。


50対50の力ではなくて、「光」のほうが常に100の力を持っているのです。ですから、「暗い、暗い」と言っている暇があったら、自分自身が光を放ってその闇の中に入っていけばよい。光が入っていった闇は、どんな闇でも、光るしかありません。


肯定的な言葉をいつも発している人のそばにいると、いつも温かくなる、ということが体験的にわかっています。

「オーラ」という言い方をしてもいいのですが、明るい方向性を持っている人は、物理的にも光っているということです。

「光」という文字は、「人」の頭の上から5方向に光線が発しているという様子がもとになっている象形文字です。「光」の文字のもとになっているものが「人」というのはすごいことです。そして、光を発している人のことを、「明るい」と呼んだ。

 古代の人は、光を発している人と、光を吸収する暗い人とを、見分けることができたらしい。「陰気な」という表現があるのにわざわざ「あの人は暗い」という表現があるのは、実際にその人が「光」を発していなかったということでしょう。

「うれしい、楽しい、幸せ、大好き、ありがとう、愛してる、ツイてる」という肯定的な言葉を口にしている人は、その人がそこにいるだけで光を発する。そしてその光は、暗い人を照らす。 


「私の人生はつらくて、悲しくて、嫌いなことばかりで…」ということばかり言っている人は、「暗い」。

 この人は、周りの光をどんどん吸着してしまい、はたから見ていると、黒いもやの塊が来たように見えるのです。これが、人間が「光」という文字の語源となったいきさつです。

「光」とは、「人」が光ることによって周りの人を照らし、歩いている道を明るく照らしてあげること。

光を発していない人の周りには暗い人が集まり、闇に包まれる。光を発している人の周りには明るい人が集まり、明るさを宇宙に投げかけるのです。

<引用終了>


目の前にいる人にたとえ、その人のことを嫌いでもたとえ、その人から嫌われていようとも

・愛のある言葉

・優しい言葉

・希望や勇気が出る言葉

そのような言葉を笑顔とともにかけていらっしゃる方は、光の人ですね。

光の人になれば、いえ、なろうと決心さえすれば、きっと幸せな人生が待ち受けていることでしょう。

そしてご家族も、みんな笑顔で、お幸せになることでしょう。



2021年3月4日木曜日

2260「泥の花」2021.3.4

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年03月02日の記事を紹介します。


泥を肥やしに咲く花

今日は西尾市にある浄名寺の副住職 松原紗蓮さんのお話をご紹介します。

親と子は時に離れ離れに暮らさなければならないことがあります。まして自分が捨てられたと感じた時に、子供はどんな気持ちになることでしょうか?

<引用開始> 引用元


 私が愛知県西尾市にある浄名寺に預けられたのは、2歳7か月の時です。

幼い頃に両親は亡くなったと聞かされ、親代わりの庵主様や、世間様の「お寺の子はいい子だ」という期待の中で育ちました。

 同級生からはその逆に、お寺の子であることや、実の親のないことをからかわれ、酷い苛めを受けてきましたが「どんな時も前向きでいよ」という庵主様の教えを守り、泣き出したくなる気持ちを必死に堪えながら幼少期を過ごしました。

 張り詰めていた神経の糸が切れたのは、中学2年の時です。役所に、ある書類を提出する際、庵主様から「実はねぇ」と言って、出生の秘密を打ち明けられたのでした。聞けば、両親は私が幼い頃に離婚し、母親が再婚する際、娘の私をお寺へ預けたというのです。

自分は生まれてきてはいけない存在だったんだ。一体何を信じて生きてきたのだろう?

事実を知った私は、頑張るということに疲れてしまいました。

 そして3か月間泣き通した後、私が選んだ道は、髪の毛を金色に染めて、耳にピアスの穴を開け、あらゆるものに歯向かい、強がって見せることでした。

 暴走族の仲間たちと一晩中走り回り、家出を繰り返す毎日。14歳で手を出した薬物はその後7年間、1日としてやむことがなく、私など消えてしまえ、という思いから、幾度となく自傷行為を繰り返しました。

心配をした庵主様は、私が20歳になった時に「最後の賭け」に出たといいます。私を京都の知恩院へ21日間の修行に行かせ、そこで尼僧になる決意をさせようとしたのです。金髪のまま無理やり寺へ押し込められた私は訳が分からず、初めのうちは反発ばかりして叱られてばかりでした。


 ところが10日目を過ぎた頃、教科書に書かれてある仏様の教えが、読めば読むほど、庵主様の生き様そのものと重なることに気づいたのです。

 例えば「忍辱(にんにく)」という禅語があります。

私がグレていた7年間、普通の親であれば間違いなく音(ね)を上げてしまうような状況で、庵主様はただひたすら耐え忍んでくれたのだ。それは親心を越えた、仏様の心というものでした。

また道場長から「少欲知足」という言葉を教わり、「髪の毛や耳のピアスなど、自分を着飾る物すべてを取り払っても、内から輝けるようになりなさい」と言われました。

 人間は無駄な物の一切を削ぎ落とした時に、初めて自分にとっての大事なものが見え、本当の生き方ができるようになるのだというのです。


  私はふと、庵主様の生活を思い浮かべました。庵主様はお洒落もしなければ、食べる物にお金を掛けたりもしない簡素な暮らしで、他の楽しみに時間を使うこともなかった。

 ではその分、一体何に時間を使っていたか。そう考えた時に、庵主様はすべての時間を

「私を育てる」という一事に使ったのだと知ったのです。

 

私の思いの至らなかった陰の部分では、どれだけ多くの人が自分を支え続けてくれたことか、御仏の光に照らされ、初めて親のお陰、世間様のお陰に手を合わせずにはいられなくなりました。そして教科書を読み進めれば進めるほど、止めどもなく涙が溢れてきました。

 修行の後、お寺に戻った私が庵主様に、なぜ私を叱ったり、本当の気持ちを聞かせてくれなかったのかと尋ねたところ、庵主様は

「人間は、時が熟さなければ分からないことがある。

ひと月前のおまえに私がどれだけよい言葉を聞かせても、かえって反発を生むだけだった。

いまおまえが分かるということは、おまえに分かる時がきたということだ。仏道は待ちて熟さん」

とお話しになりました。

 庵主様には1つの願心があり、私がグレ始めた14歳の時に、10年間は黙ってこの子を見守ろうと決めたのだといいます。

 そして自らには、何があっても「平素のように生きよ」と誓いを立てたということでした。

 私はいわば、お釈迦様の手の平の上で暴れていた孫悟空のようなもので、自ら命を絶とうと人生に背を向けていましたが、どこまでいっても結局は庵主様の手の平の上にいた。

 庵主様が私を慈しんでくださる心は無限に広大で、私はその大きな大きな慈悲の中に生かされていたのだと知ったのです。

 

23歳で剃髪出家をした時、私は庵主様に「紗蓮」という法名をいただきました。

後にある方から

「美しい蓮(はす)の花は、泥まみれの池の中にしか咲かないのだよ。

 人生にも、悩みや苦しみはあって当たり前で、

その泥を肥やしにしてこそ大輪の花が咲くのだ」

と教わりました。

 振り返れば、14歳から20歳までのどん底の時代が、私にとってはまたとない、よい肥やしになったと感じています。

 今年31歳になった私ですが、現在はお寺でのお勤めの他、市の教育委員会からの要請で、悩みを抱える子供たちの自立支援相談や講演活動を行ったりしています。

非行に走る子供たちはそれぞれに、人に言われぬ苦悩を抱えています。けれども、だからこそ大きな可能性を秘めている。人一倍光るようになるよ、この子たちは――。

私はいつもそんな気持ちで子供たちのことを見守っています。 

<引用終了>


 紗蓮さんを変えたきっかけの言葉は、「少欲知足」だったそうです。少欲にして足るを知る。なかなか実践することは難しいことですね。私たちは、この物質文明、お金至上主義の真っ只中に生きており、お金が全て、そして便利さの恩恵にあずかっています。

お金や、その便利さ・快適さを得ることが人生の目的になり、それが本来の人間らしい生き方を見失わせる原因になっているのかもしれません。

 紗蓮さんは、育ての親の無償の愛に気付いた時、立ち直れました。振り返って私達はどうでしょうか?

 自分の都合のよい時だけ、子供に愛情を与え、子供が自分の意に添わなければ、「フン」と言って子供をないがしろにしてはいないでしょうか?

この庵主様のように何があっても「平素のように生きよ」と、他人(や子供)の態度に一喜一憂せずに、平素のように「慈悲」の愛を注ぎ続けたいものですね。

 そうすれば、この庵主様と紗蓮さんの関係のように、周りに愛の灯を広げて行くことが出来るかもしれません。


2021年3月3日水曜日

2259「因果を超えて優しさと強さ」2021.3.3


 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月27日の記事「因果を超えて 」と2021年02月28日の記事「優しさと強さ」を紹介します。


因果を超えて

最近は、思考が現実化するのが早くなったといわれます。これは心の状態が、現実に目の前に具現化されるのが早くなったと同じ意味です。

心の状態は、単純ではなく、今世に置いて、自分で意識できることだけではなく、魂は永遠ですから、過去の色んな人生を経てきて、染みついた魂のクセ神我(しんが)を包み隠している、

・包身(ツミ)-本来の光り輝く神様と同じ姿の自分自身を隠してしまうもの

・氣枯(ケガレ)-神様のご神気の枯渇

によって、その種子が、いつ芽を出そうかと潜んでいます。 

何か自分のやったことに対して、自分の思ったことに対して、直ぐに、しっぺ返しや、反応が現れるということは、それだけ、

・現在の地球自体の波動レベルが上がり

・体主霊従から霊主体従の 魂重視の時代に変わりつつあること

・自分自身の、魂の成長が進み、因果律による反応を受け止めても、

今の自分であれば大丈夫、 それを研ぎ石として更に、魂を輝かすことができると神さまが判断して、現象を起こしてくださったからです。

 

自分の魂の進化が進まないうちは、その反応や現象、出来事に耐えられないし、耐えられたとしても、そこから

・何故そうなったのか?

・自分の心のどの部分が、その現象を起こしたのか?

理解することもできないし、そこから教訓を得ることもできないので、現象や反応は、まだ先延ばしにされます。


心の状態が現実化する。これはブッダの説いた因果律、まいた種は刈り取らねばならない・・ と同じことですが、このことは、バチでも何でもありません。

全ては神様の私たち人間に対する深い愛から発生しています。 

現象が現れた、例えそれが、自分にとっては、逃げ出したく、できれば避けて通りたい出来事であったとしても、神様が、それを起こるのを「善し」としたから起きた出来事です。

私たちは、そこから逃げない限り、また一つ、ツミ(包身)を一枚、心から剥がし、光り輝く、もともとの神様の輝きを取り戻すことができます。

しかし、せっかく、神様が、心の状態を現象として見せてくださっても目をそらし、逃げたり、他人のせいにしたり、見なかったことにする、、そうなると、その現象は無駄になってしまいますから、再び、宇宙を巡り、さらに強力になり、再び、機が熟した時に、神様が私たちに運んできてくださることでしょう。

自分にとって嫌な現象が現れた時は、実は大きなチャンスの時です。 

神様が、「今こそ、それに気づいて解消しなさい」そんな時だからです。 

逃げないで、正面から受け止め、受け入れれば、一気に、嫌なことではなく、魂を輝かせてくれる素敵な出来事に変わることでしょう。

 

最初の一歩、受け止める、受け入れると決心することは、「よし、変わろう」と決心することは、大きな勇気がいるかもしれません。

今迄、魂にとって、そこが弱点だったから、現象が起きているのですから。ですが、その時、私たちが決断することができれば、一気に神々の喜びとともに、問題は解決してしまうことでしょう。神々を含め自然界から最高のサポートを得られることでしょう。

この見える世界も、見えない世界も全て私たちの心が作り出しています。その心が、本来の神様と同じ輝きを取り戻せることであるのなら、神々は、どんなことをしても、その大きな私たちの勇気ある決断を後押ししてくださることでしょう。

そして、その決断をした瞬間に私たちの魂の、輝きがまた一段と増します。



優しさと強さ

三浦綾子さんという作家がいました。

 


三浦さんと言えば、人はどのように生きたらいいのか。生涯をかけて問い続けた作家です。

旦那様も、もう亡くなりましたが作家の三浦光世さん。優しい方でした。重病で何年も寝たきりだった三浦綾子さんと結婚されました。

 三浦さんは北海道に生まれ育ち、平成11年、77歳で亡くなりました。デビュー作は『氷点(ひょうてん)』。TV化もされました。

さて、彼女の回想録で、お父さまとの間で、こんなエピソードを語っています。

病床にあった若い三浦さんが、誰かの不正に、大変怒っていました。三浦さんにとってみたら正義の怒りです。自分は正しいのです。

「自分が正しく、相手が間違っている。怒るのはもっともなこと・・」という義憤の念に駆られてのことでしょう。

ですが、それを見たお父様が、「綾子や、そんなに怒るものじゃないよ。誰にも間違えることはあるし、たまたまそうなってしまっただけかもしれないのだから」・・

そう仰ったのです。

要するにお父様は、正義を振りかざした怒りは、たとえ自分が正しかろうと、相手も そして自分も傷つけてしまうから、そう、怒りなさんな・・と言ったのでした。


さて、ブッダが生前こんなことを言いました。嘘をつけないような人になっては いけない優しさは真実に勝るつまり、ブッダの仰りたかったことは相手を思いやる優しさや、調和の為の嘘は、真実よりも尊い・・ と言う事を仰ったのでした。

 同じく、こうも仰りました。

捨戒の法 

ブッダは言った。

戒律を破るとき、仏教を辞めたと言って、戒律に違反した行いをなし、その後もう一度仏門に入ると言って戻って来て良い。

 

この意味は、ブッダが仰るには、仏教徒が戒律を破るとき、いま仏教を捨てます、と天に向かって言います。そして、酒を飲んだり、戒律を破る。その後、また仏門に帰依します、と言って戻れば、それで良いのだよ。

ブッダは人間の弱さを知っていました。そして温かい目で人間を見ていました。決して過ちを見て、人を切り捨てるようなことはなさいませんでした。人を追い詰めることはなさいませんでした。

 ブッダは戒律重視ではなく、優しさ(慈悲)を教えていたからです。

 そして人間の弱さも、ちゃんと理解していました。その弱い人間にこそ、寄り添っていました。人間の過ちを裁くのではなく、慈悲の心で許し、辛抱強く見守っていました。

いくら自分が正しいと思っても、相手が間違っていると解っていても、そのことで相手をやりこめ、追い詰めることは、調和という意味では良くないのかも知れません。

 相手をやり込めた!! そう思っても、必ずそこにひずみが発生します。一見、やり込めて、勝った・・ と思われるような状況になっても、必ず反転します。

自分基準の「正義」は、人にとっても同じ「正義」では決してないからです。


「無名戦士の祈り」にもありました。。

 大きな事を成しとげるために強さを与えて欲しいと神に求めたのに

謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった


強い、弱い、正義、非正義、豊かさと貧困、健康と病弱は一瞬にして反転します。それらを全てひっくるめ、清濁併せ飲み人間としての大きな優しさを、身に着けたいものですね。

 優しさと、強さと同じ意味です。

人に優しくなるためには 自分が、強くならなければならないのかもしれないですね。 




2021年3月2日火曜日

2258「青空ひろば」2021.3.2

 仙台天命塾の名づけ親は立花大敬さんです。私は大敬さんの文章が好きで、毎日のようにその言葉に触れています。

最近のお言葉をワンディーメッセージのブログから幾つか選んで紹介します。

http://aosorahiroba.jugem.jp/


「私は、世間の人のようには、すっきりした人生を歩んで行けませんでした。ウロウロ、オロオロ、右へ行ったり、左に行ったり、あるいは前進、また後退と、よく分からない、道なき道を歩んで来たように思います。時には心を傷つけ、心のびっこをひきながらも、何とか歩いてきました。

でも、ふりかえってみると、一度も生活に困ったことがないのです。三度の御飯が付いてまわってきました。イノチは、そうできているんだ。生きている以上、生かされるんだと、しみじみそう思います。」


「一生のうちに百メートル進めるだけかも知れない。あるいは、千メートル進むかも知れない。それは気にしなくてもいいのです。無限の広がりの中で、百メートルも千メートルも、大した違いはありませんから。

心の傷をいやしてから出発しようなどと思わなくてもいいのです。びっこをひきながらでも、人がなんといっても歩いてゆけばいいのです。それを喜びとすることです。」


「「自分のことで精一杯で、人のことなんか…」という方がいます。それは逆なんですね。

人のために、環境のために、心くばりしてあげる、無理なことはしなくてもいいのですが(『これ以上は今の私には出来ません、ゴメンナサイ』と心の中でおわびしておけばそれでいいのです。過度の義務感、自責の念は禁物です)、出来るだけのことはしてあげる。

そうしてゆくと、自分と他人、自分と世界の間の仕切りが次第にとれてゆくのです。

そうすれば、「こうしたいという思い」が、他の人や世界によく届くようになって、願いが叶うようになるのです。

自分がしあわせになりたければ、まず少しでも人のしあわせのために心くばりしてあげる、人のしあわせを祈ってあげることが大切です。」


「「あなたがあなたに落ち着くことが出来る」ようになると、あなたの周囲の人も、自分が自分に落ち着いて安心できるようになります。

モノもモノ本来の位置(安全で機能を存分に発揮できる位置)に自然に配置されるようになり、人もそれぞれの人にふさわしい役職につくようになり、タイムスケジュールも無理や無駄のない形に落ち着けるようになります。

つまり、「あなたがあなたに落ち着くことが出来る」と、「世界が世界に落ち着くことが出来る」ようになるのです。」


「私たちは、あちらの世界にいましたら、イノチをさえぎる制約がほとんどありません。そこではチャレンジの喜びは薄いのです。ですから、あえてとても制約の多い、三次元の地上グランドに降りてきました。そこでゲームを楽しんでいるのです。

魂が進化している人、チャレンジ精神の旺盛な人ほど、普通の人よりわざと制約を多くして地上にやって来ます。そして、ゲームを面白くしようとするのです」


「人類は「分離の時代」から「融合の時代」に向かおうとしています。

その過程で様々な「仕切り」がほどけてゆきます。

自然界と人間界の「仕切り」、持てる者と持たざる者の「仕切り」、国と国の「仕切り」、意識と潜在意識の「仕切り」など…。

その際に「仕切り」によって押し込められ,虐げられていた方の負のエネルギーが表面に現れて現象化してきます。それが争いや混乱になります。

それを悲観して昔の「分離の状態」に戻ろうなどとしてはなりません。

負のエネルギーは、現象化することによって解消してゆくのですから、その解消が爆発的、破壊的なものとならないように、うまく徐々にほどいてゆかねばなりません。

そうして、負のエネルギーが上手に解消され尽くすと、最後に自と他の間の「仕切り」が取り去られて、「ひとついのち」の「融合の世界」が地上に実現するのです。」


「「業(ごう)」というものがあります。様々な因果関係が絡まり合って、今・ココの私たちのイノチの表れ方に制限や制約が生じてきます。この「イノチの制限・制約」のことを「業」といいます。

鈴木大拙先生は<ヒジは外側には曲がらない>という、人類が持つ「イノチの制限・制約」、つまり人類が持つ「業」に気がついて悟られました。

ヒジが360度、どの角度にも自由に動けるようになるというのが悟りではなくて、ヒジは内側にしか曲がらないという、人類が持つ制限・制約をそのまま受け入れて、そのソコで精一杯生きてゆけるようになったところが「悟り」なのです。

ヒジは外側には曲がりませんが、内側になら曲がります。人間のイノチは、ヒジを曲がる方に曲げつつ、つまり、業のまま、それに逆らわずに働き出しつつ、我が想いを実に巧みに三次元空間に表現してゆきます。制約を制約とせず、むしろ表現のためのテコとして、うまく使いこなしてゆくのです。

このように、業という制約のもとで、それに逆らわず、しかも自由に、豊かにイノチの表現をしてゆく。そのことを学ぶために、私たちはこの地上世界に来ているのです。

スポーツをやって面白いのは、いろんな制約(ルール)があるからです。そんな窮屈な制約の中で許される無数の技を生み出してゆくのです。そして、その技をたくみに組み合わせてゴールという想いの実現を体験してゆくのです。それがスポーツの面白さでしょう。


「孔子さんは弟子たちに、まず『詩経』を学べと指導されました。これは万葉集のように、人の世の喜び、悲しみ、怒りなどを素朴に表現した中国古代の歌集(民謡などを集めたもの)です。

うれしい時はうれしいし、悲しい時はやっぱり悲しい。これが心の豊かさなのです。宇宙いっぱいに広がったと思えば、ポツンと石ころ一つになって、道ばたに転がっています。これがイノチの豊かさなのです。

よく、禅とは喜怒哀楽の感情をなくして悟り澄ますことだと勘違いの方向に修行する人がいますが、それは間違いです。

人や自分の喜びを、悲しみを、怒りを…、すべてそのまま受け入れて、許して、ほどいてゆけるようになるのが、本当の悟りです。

孔子さんは、『詩経三百篇、一言でいえば、思無邪(しむじゃ、無邪気)だね』といっておられます。複雑な、曲がりくねった思いばかりしていれば、イノチの本質からどんどん離れるばかりです。悲しい時は悲しい、嬉しい時は嬉しい、それでいいのです。

この「思無邪」という言葉は『詩経』に出ていて、それは『思無邪、もって馬を行かしめん』という句なんだそうです。馬は乗り手の「心」に敏感に反応しますから、二心(ふたごころ)になっていたり、心が曲がりくねっていたら、あなたの人生軌道もフラフラしたり、逆戻りしたり、あなたの目指す方向になかなかストレートに進んでくれません。心が素直であれば、馬さんはあなたの行きたい処にサッサと運んでくれます。」


「すべての人が、それぞれの人生の一コマである<今・ココ>を生きています。

その<今・ココ>がどんなにつらくても、そこから逃げだそうとせず、真剣に関わってゆく、取り組んでゆくのです。

その人生の一コマを、我が道場とし、修行としてゆくのです。道場は特殊な人の、特殊な場にあるんじゃなく、このように、すべての人の、泣いたり、笑ったり、怒ったり、失望したり…、そんな、各人の<今・ココ>の場こそ道場だったんだと道元さんは気づかれたのです。」

 

2021年3月1日月曜日

2257「陰徳と悪徳」2021.3.1

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2020年11月21日の記事を紹介します。


陰徳と悪徳

先日行われた「妙龍神社の遷宮のご神事」にわざわざ神奈川から参加してくれたレインボーチルドレンのお母様「のの」さんは、こちらに来る途中、シリウスの大きな宇宙母船を目撃したのだそうです。

わたしは以前から自分の出身星が、シリウスだと知っていましたが今回、明確にレインボーちゃんに「シリウス」と言われました。 やはり(笑)シリウスは、地球との距離、約8.6光年。地球に近い恒星です。エジプト文明に深く関わったとされています。

余談ですが、このスフィンクスの見つめる方向それが日本の方向なのだそうです。今はまだ書けない情報も多いのですが、機会が来たら公開したいと思います。

 

さて、今日は、春日大社宮司であった葉室頼昭さんの「神道 いきいきと生きる」より

「陰徳を積む」というお話をご紹介します。

 <引用開始> 引用元


 生物のいのちが続くというのは、

・伝え、

・順応し、

・待つ。

この三つで生物は進化を続け、いのちを伝えています。この伝統を伝えるということ、そしていろいろな厳しい環境に順応し、去っていくのを耐えて待つことが必要なのです。

しかし人間はそれだけではありません。

人間が何のためにこの地球上に生まれたのかということが重要なのです。人間は他の生物とはまったく違った目的で誕生したのだと思います。つまりそれは神の世界を見て、こんなに素晴らしい美の世界だということを表現するために、神様は人間というものを産み出されたのだと私は考えています。

それは人間だけが優れ、他の動物が下等というのではありません。

ただ人間は、この目的のために進化を続けているということです。

そして人間の場合、ただ進化しただけでは、いのちは伝わっていかないのです。

そこに「徳」というものが必要だと私は思っています。とくに日本人はこの徳を積まないと、いのちが子孫に伝わっていかない民族だと思うのです。

しかも陰徳という徳です。この陰徳を積んできた家が今続いているのであって、陰徳を積んでいない家は、いのちというものが続いていないように見受けられるのです。


私は小さい頃よりおふくろから、「陰徳、陰徳」と耳にたこが出来るくらい聞かされて育ちました。

 友だちのために一生懸命にやって、友だちが何も感謝してくれないこともありました。

 その話をすると、「それでいい。それが陰徳です。それが子供に伝わっていくから、それはそれでいい。むしろ感謝されないほうがいい」と言われ、わけもわからず、そんなものなのかなと聞いてきました。

その意味がいまこの年になってようやく分かってきたのです。 

普通、人はこれだけ尽くし世話をしたのだから、感謝してほしいと思うことがよくあります。しかしそうすると、もうそれは陰徳ではなくなってしまうのです。

 感謝や見返りをいっさい求めない。人の喜ぶことをしていれば、それが一番いいのです。

そういうことの積み重ねが陰徳になり、やがて子々孫々にまでその余徳が及んでいくのです。この陰徳と関連して、大きな努力と小さな結果ということも大切なことです。

大きな努力をして小さな結果を望みなさい。この逆をやって小さな努力で大きな結果ばかりをもらっていると、いずれ滅びてしまいます。

例えば、百万円を儲けるために、Aという努力をして百万円儲かるんだったら、その何十倍も大きなBという努力をして、そして百万円を得るようにしなさい。

 そうしたら陰徳で栄える。こういうことなんですね。

 それは努力のわりに儲けが少ない。しかし、そうしたらその分、徳を積んで、続いていくのです。

 この世の中というのは、栄えるというのではなく、続くということが一番大切なことなのです。会社がどんなに儲かっていても、潰れてしまっては元も子もありません。

何ごとも、いかにしたら続くか、ということを第一に考えるべきなのです。

<引用終了>


自分で積んだ徳は、何倍にもなって自分だけではなく、子供や、孫などの子孫、そして時間をさかのぼって、先祖までにも良い影響を及ぼすといわれています。 

人の心は、 

・時間

・空間(距離)

・次元

を全て包括するだけでなく

・見えている世界

・見えない世界

までをも内包する偉大な世界だからです。 


これとは逆の悪徳 これは自分さえよければ、他人はどうなろうと構わないそういった

・今だけ

・金だけ

・自分だけ

の心であり、 俺が俺が・・・私が私が・・・

と感謝や見返りを求め、自分だけが特別扱いされたい意識です。 

これは陰徳とは全く逆の方向性を持っていますから、 自分や子供、孫、子孫、先祖に跳ね返ってくるものも、逆の効果を生み出します。

明治までの日本人は自然体として、この陰徳の心が根付いていたそうです。ですが、文明開化と称し西洋の物質文明、白か黒か?大きいことは良いことだ自然を征服して幸せを手に入れる・・このような思想が入ってきました。 

この時代、江戸末期から明治にかけて古くからの日本の神々は、日本人の精神に危機感を抱きました。ですので、この時期に沢山の神々の動きがありました。

天理教、金光教、黒住教、大本教、生長の家など、明治になって150年日本は令和の時代を迎えました。

陰徳の心を自然の心として持っていた日本人の精神はもしかしたら、時代の潮流を変えられるかもしれません。今は隠れていても私たちの身体には祖先のDNAが、しっかり組み込まれています。 

心を祓い清め神々に連なる精神を復興していきたいものですね。

そして生きとし生けるもの皆が笑顔で幸せになりたいものですね


2021年2月28日日曜日

2256「天使たち」2021.2.28

 今回は「いっぷくからありがとう」の2021年02月24日の記事を紹介します。


地上に降りた天使たち

今日は病気で生まれた子供たちのお話です。以前書いたこともありましたが、加筆して掲載します。「もう読んだよ」って方は、遠慮なくスルーされてくださいませ。

 

早くに亡くなる子供たちは、とても大切な事を、両親や周りの人々に伝えるという役目を担って生まれてくることが多いようです。

その生きざまは、まるで「地上に降りた天使」のようです。

「おかあさん、もしナオが死んでも暗くなっちゃダメだよ。明るく元気に生きなきゃダメだよ。わかった?」

そんな言葉を残し、9歳でガンで亡くなった山崎直也くんのお話です。

<転載開始> 転載元 


 1992年3月18日、神奈川県に生まれた山崎直也君。お父さんっ子で元気でわんぱく。

どこにでもいるようなごく普通の男の子でした。あの病魔に襲われるまでは…

5歳の直也君を襲った病魔、それはユーイング肉腫と呼ばれる悪性のがんでした。手術で腫瘍は切除されましたが、抗がん剤の副作用に苦しむ日々が続きました。

ユーイング肉腫は10万人に1人と呼ばれる難病。骨のがんのため転移しやすく、再発を防ぐために強い放射線と抗がん剤での治療が必要だったのです。一時は学校に通えるまでに回復しました。しかし、その後も直也君は再発と手術を繰り返します。

 そんな彼をそばでいつも支えていたのは、母親の敏子さんでした。

痛みに耐えながらも一生懸命病と戦う我が子を見て、「代われるなら変わってあげたい」と言っていた敏子さん。

しかし…でも直也はそのたびに力を込めて、『ダメだよ』とかぶりをふり、『ナオでいいんだよ。ナオじゃなきゃ耐えられない。お母さんじゃ無理だよ』きっぱりとそういうのです。

自分が一番苦しいはずの直也君は弱音を吐くどころか、必死でお母さんを気遣って励まそうとしていたのです。

しかし、そんな直也君の頑張りとは裏腹に、病状はさらに悪化。そして2001年6月、がんはついに骨髄に転移してしまいます。それは全身にがんが転移したこと、そしてもうなす術が無いことを意味していました。

 痛みは日を追うごとに激しくなり、それでも生きることを信じて、直也くんは手術を求めます。しかし、もはや医師達にできることはモルヒネを投与して痛みを和らげることだけでした。やがて器官が炎症を起こし気道を圧迫、呼吸困難の発作が直也くんを襲います。

全身を震わせ、身をよじらせて苦しむ息子の姿。母の敏子さんはパニックに陥り、泣きながら主治医を探しました。もうダメかもしれない…

 幸い直也君は持ち直すことができましたが、発作が少し収まった時、医師からの宣告が、

「もってあと半日…」病室に戻って気丈に振る舞おうとする母。

その時、直也君は9歳の少年とは思えない力強い言葉を発したのです。あの日、息苦しさが少し収まってから、直也はこうもいいました。


『おかあさん、さっきナオがあのまま苦しんで死んだら、おかしくなっていたでしょ。

だからナオ、がんばったんだよ。それでも苦しかったけど。

おかあさんがナオのためにしてくれたこと、ナオはちゃんとわかっていたよ。

「先生早く!」って叫んでいたよね。でも安心して。ナオはああいう死に方はしないから。

ナオはおじいさんになるまで生きたいんだ。おじいさんになるまで生きるんだ。

頑張れば、最後は必ず幸せになれるんだ。

苦しいことがあったけど、最後は必ず大丈夫』

命の瀬戸際で、痛みに耐えながらも、直也くんはお母さんを安心させようとしていたのです。

 2001年7月2日、直也君は静かに息を引き取りました。医師の「あと半日」という宣告から、2週間が経っていました。


直也くんが入院中、看護士に言った言葉があります。

「あのね ナオは今死ねないんだよ。お母さんの心の準備が出来ていないから、今はまだ死ねないんだよ」

旅立つには、家族にもう少し時間が必要だということを悟っていたのでしょうか。


 5歳で発病し、その後5度の再発、4度の手術を経て、9歳という短い生涯を閉じた直也君。亡くなった直後は涙を流さなかったという敏子さん。

それは、死の直前に直也くんがこんな言葉を残していたから。

「もしナオが死んでも暗くなっちゃダメだよ。明るく元気に生きなきゃダメだよ。」

「身は滅びても命は永遠だよ」


そして2007年、ある一冊の本が出版されました。

『がんばれば、幸せになれるよ』と題されたこの本は、小児がんと闘った少年が遺した言葉の数々を、母である敏子さんが綴ったもの。

 病床にあっても家族への思いやりを忘れず、辛い治療に耐えながらも生きることを決して諦めなかった9歳の少年。子どもとは思えないほど優しく力強い言葉に、多くの人が心を打たれました。

 母敏子さんの手記は新聞やテレビでも話題になり、全国の人々が直也くんの言葉に勇気と励ましをもらい、「生きるということの大切さ」を教わりました。

 生きることに対する執念、家族への愛情にあふれる直也くんの言葉の数々は、どれも深く心に響きます。

<転載終了>


 本当に、天使のような子供ですね。でも見た目は子供でも、その心は神さまに近い、気高く高貴な魂なのでしょう。

 私たち人間は生まれる前に、人生の全てのストーリーを決めて生まれてくるわけですから、この山崎直也くんも、肉体の状態は辛く苦しいものであっても、それに耐え、生まれて来た目的を達成して光の国に帰ったのだと思います。

 それでは、私たちが生まれる前に、全ての人生に起こる出来事を神さまと共に決めてから生まれて来たということを知って頂くために、中間世記憶(生まれる前の天国での記憶)を持つもう一人の子供のお話をご紹介します。

 理生くんは、2001年8月18日東京生まれ。不整脈のため、34週で緊急帝王切開により誕生。3歳でペースメーカー埋めこみ、10歳でカテーテルアブレーション術をおこなう。

慢性肺疾患、喘息により、9歳まで在宅酸素療法。

<転載開始> 転載元 


「おなかの中にいるとき、心臓がドキドキしちゃったのは、そのほうがおもしろいと思ったから。おなかから出るときは、神さまが『早く出ないと、大きくなれないよ』っていった。

引っ張り出されるだけだから、怖くなかった。痛くなかった。でも、息が苦しくなるのは、決めていなかった。喘息になるのは、決めてきた。だって、治すのが、おもしろいからね。

ママ、ごめんね。」


「赤ちゃんが病気のときは、『苦もあれば、後から楽もある』ということを、神さまが、伝えてくれている。だから、心配しなくていい。大丈夫。赤ちゃんが生まれたおうちには、必ず、楽がある。というか、生きているものには、必ず、楽がある。」


「赤ちゃんは、どのお母さんにするか、どんな体にするか、どんな性格になるか、自分で決めて、生まれてくるのが、ふつうだよ。

ぼくが病気で生まれたのは、病気で生まれる子や、お母さんたちを、励ますため。だから、ママは、ぼくの言葉を、みんなに教えていい。」


「ぼくは、病気だったから、幸せなんだ。ぼくは、病気だったから、心の言葉が話せるんだ。

だから、いつか、心の幸せを配るサンタさんになるんだ。」


「ぼくは、自分が大好きだ。自分の体が、大好きだ。自分の体、ありがとう。」


「生まれる前ね、神さまと約束した。ママといっぱい話すって。」

<転載終了>

 


 私たちは、目的を明確に持ってこの世に生まれてきました。その目的を達成するために、時には重い病気や障害を持って生まれてくることもあります。

早くに亡くなることもあります。

また、時限スイッチのように、ある時期になるとカチっとスイッチが入り、病気などが発症することがあるようです。

それらは辛く厳しい道ですが、全ては自分の魂の成長のため、人の役に立とうと言う崇高な目的のためです。

 そのためには痛いとか、苦しいとか、みじめだとか、哀しいとか、およそ私たち生きている人間が持つ感情は、二の次に置かれるようです。

ですが、そうまでしても、私たち人間の人生には、生き抜いていくに値する、大きな価値があるのかもしれません。

 それが私たちが生まれる前に神さまと交わした、「神様との約束」かもしれませんね。


2021年2月27日土曜日

2255「ミトコンドリア」2021.2.27

 今回は2021年2月25日のIn Deepさんの記事を紹介します。


多くの消毒剤に用いられる第四級アンモニウム塩は、人間の生存に必須の「ミトコンドリア」を殺す

※一流企業と言われているところの製品は免疫力を落とし医者が儲かるように仕向けるようになってますね。医者は根本の治療ではなく対処療法でこれを企業が作る医療関係と企業は持ちつ持たれつの関係になっているから治るものも長引かせるだけ。

<ここは大魔邇さんがこの記事を引用している冒頭のコメントの一部です。>


眼の指定難病の原因が第四級アンモニウム塩の可能性を知り

パンデミックによる「感染抑制のための生活」が世界中で始まってから、そろそろ1年になろうとしています。

この中での過剰な衛生による生活のリスクについては、パンデミック以前から記事にすることもあったのですが、パンデミック以降、決定的になっていまして、そして「それが善行」というような形になってしまい、さらには、それがニューノーマルとして定着してしまおうとしている状態となっています。

私自身は、日本でもマスクや消毒必須などが日常となっていったこの1年、それらについては徹底的に(自分だけの話ですが)抗っています。

このようなことを書くと「変な人」と思われるかもしれないですけれど、その戦争の最初は「手を洗うことを含めて、一切の消毒をしない」という生活から始まりました。3月頃からはじめていますので、もうそろそろ1年になるんですね。

植物いじりとかで土が手についた時などは水で流すこともありますけれど、とにかく洗わない、とにかく消毒をしないことを徹底しています。

「人生で経験したことがないほどバクテリアまみれになってやる」と1年ほど前に誓い、その通りに生きています。それ以来、お風呂もやめました。塩素抜きした水かお湯をかぶるだけです。まあ、一種の実験的生活ではあるのですが、普通だとこんなことは考えないですから、今回のパンデミックは本当にいろいろと行う動機付けとなってくれています。

私は(悪い意味で)意固地ですからね。自分で決めたことを覆すには一生の時間では足りない。

10歳くらいの時、床屋で坊ちゃん刈りにされたことに絶望して、「もう床屋には行かない」と決めて以来、この四十数年、一度も床屋に行っていません。ずっと自分で切っています。

高校の時には、数学かなんかで 10点かなんかの点数だった際に教師に何か言われたので、「もう数学の試験では何もしない」と決めて、高校2年だったか、それ以来、数学はずっと 0点でした。配られたテストを見もしないで座っている。

その後、高校というのは試験で全部 0点でも、学期末に答えを教えてくれる追試があるので落第がないことを知って以来、ほとんどの科目で 0点を貫きました。ただ、小さな妖精が勝手に答案用紙に何か書こうとするのが…(何かの発病も相次ぐのかよ)。

いずれにしましても、心底いやだと思うことに対しては、どうやっても従えないのかもしれません。現在のパンデミック対策に対しても、そのほとんどに同じ気持ちを持っています。

今やその意固地だけがブログを書き続けられている根本なのかもしれません。

 

個人的な話はともかく、今日、ふとしたことで、2017年のある医学論文を見かけまして、それを読んでいるうちに「今の過剰殺菌生活って、細胞自体を殺してんじゃないの?」と思うに至りました。

論文は、眼科系の医学ジャーナルの iOVS というものにあったのですが、タイトルは以下のように難しいものです。

点眼剤防腐剤の塩化ベンザルコニウムはミトコンドリア機能障害を強力に誘発し、レーベル遺伝性視神経症(LHON)変異細胞に優先的に影響を及ぼす

The Eye Drop Preservative Benzalkonium Chloride Potently Induces Mitochondrial Dysfunction and Preferentially Affects LHON Mutant Cells

この「レーベル遺伝性視神経症」というのは、日本では指定難病で、説明では、

> 10~20歳代で両眼性の視力低下で発症し,早期に高度視神経萎縮にいたる予後不良な遺伝性 の視神経疾患とあるもので、治療法もないようですが、この論文は、

「その眼の難病を引き起こしているのは、目薬の添加物の可能性」

であることに言及しているものでした。

論文のタイトルにある「塩化ベンザルコニウム」というのは、今や日本でも世界でも、業務用、家庭用、医療施設で大々的に使われている消毒剤の成分であることが多い「第四級アンモニウム塩」の混合物で、つまり第四級アンモニウム塩と同等というようにお考えになって構わないと思います。

この「第四級アンモニウム塩」は、パンデミック以前に、以下の記事で、 慢性閉塞性肺疾患(COPD)の最大の原因が、この第四級アンモニウム塩を含む殺菌・除菌製品である可能性についての研究記事をご紹介しています。

「タバコではない」 : 慢性閉塞性肺疾患(COPD)の最大の発症要因は「漂白剤と消毒剤」であることが判明。第四級アンモニウム塩を含む除菌製品が私たちの社会を破壊する

投稿日:2019年12月15日

この記事を書いたのは、パンデミック以前の 2019年12月でしたが、この比較的すぐ後から「社会が第四級アンモニウム塩にまみれる」状態となっていきます。

先ほどの論文から概要を抜粋しますと、以下のように書かれてあります。


2017年4月の医学誌より

塩化ベンザルコニウム(BAK)は、最も一般的に使用されている点眼防腐剤だ。塩化ベンザルコニウムは、いわゆるドライアイや線維柱帯変性などの毒性作用に関連しているが、塩化ベンザルコニウムによる眼毒性の根本的な生化学的メカニズムは不明であった。本研究では、塩化ベンザルコニウムの悪影響のメカニズムの基礎を提案する。(略)

結論: 塩化ベンザルコニウムは、ヒト角膜上皮細胞および、薬理学的に適切な濃度でも、レーベル遺伝性視神経症変異を有する細胞のミトコンドリアを阻害し、これが塩化ベンザルコニウムの眼毒性の基礎であることを示唆している。

レーベル遺伝性視神経症の患者、その保因者、そしておそらく原発性開放隅角緑内障患者(眼圧が正常な場合の原因不明の緑内障。緑内障の60-70%を占める)を含むミトコンドリア欠損症の患者では、塩化ベンザルコニウムを含有する点眼薬の処方は避けるべきだと考えられる。 (iovs.arvojournals.org)


「へえ、目薬にも第四級アンモニウム塩が入ってんのか」と初めて知りました。殺菌的な意味合いなのだと思いますが、この中で注目すべきなのは、塩化ベンザルコニウムを含有する点眼薬が、> 細胞のミトコンドリアを阻害という部分です。

どうやら、第四級アンモニウム塩系というのは、この論文では、視神経細胞のミトコンドリアだと思われますが、それを阻害する。

いずれにしましても、「第四級アンモニウム塩系の消毒剤は、ミトコンドリアを直撃している」可能性があるということになりそうなのです。

まさか「目の細胞にだけ影響があるわけではあるまい」と、調べてみましたら、2017年の以下の論文に突き当たりました。

消毒剤の塩化セチルピリジニウムに曝露された細胞株におけるミトコンドリア機能とエストロゲンシグナル伝達の評価

Evaluation of Mitochondrial Function and Estrogen Signaling in Cell Lines Exposed to the Antiseptic Cetylpyridinium Chloride

ここには「塩化セチルピリジニウム」とありますが、Wikipedia では、この塩化セチルピリジニウムというものも、

> 第四級アンモニウム化合物とあり、第四級アンモニウムの系統の物質であることがわかります。この説明によりますと、塩化セチルピリジニウムは、細菌に対しての強い殺菌作用があるために、

> その特性から液体歯磨剤や、口内の殺菌を目的としてトローチとして、あるいは喉の殺菌を目的としたうがい薬など医薬品に利用されている。

ということですので、わりと日常的に暴露している物質だと思われます。

この論文からも抜粋します。


2017年8月の医学論文より

塩化セチルピリジニウムや塩化ベンザルコニウムなどの第四級アンモニウム塩は、練り歯磨き、うがい薬、トローチ剤、のど飴、点鼻薬などの消毒剤や殺生物剤としてよく使用される。

最近の判決では、アメリカ食品医薬品局(FDA)は、特定の製品での塩化セチルピリジニウム(の使用)を禁止し、ヘルスケア、食品、製薬およびクリーニング業界等での使用について、塩化ベンザルコニウムの有効性と安全性プロファイル、一般的には第四級アンモニウム塩に関するより多くのデータを要求した。 (略)

結論: 実験室での、塩化セチルピリジニウムによるミトコンドリア阻害は、ヒトへの暴露に関連する可能性のある濃度でも発生した。

塩化セチルピリジニウム、塩化ベンザルコニウム、ロテノン、およびトリクロサンの抗エストロゲン活性は、それらのミトコンドリア阻害活性に関連している可能性がある。

調査結果は、第四級アンモニウム塩のミトコンドリア阻害および抗エストロゲン作用に関する追加研究の必要性を裏付けている。 (ehp.niehs.nih.gov)


つまり、どうやら、今や日本でも世界でも、どこでも多用されている第四級アンモニウム塩は、「ミトコンドリアに悪い影響を与えている」という可能性があるようです。

この「ミトコンドリア」というものは、細胞の中の器官で、細胞の図としては以下のようなものがわかりやすいかと思います。

細胞の中のミトコンドリア


日本科学未来館

このミトコンドリアというものは、非常に重要で大事なものですが、それについて書くのは私には難しいですので、2016年の WIRED の記事の冒頭をご紹介しておきます。


体内のミトコンドリアを増やして元気になるための3つの方法

あらゆる病気は、細胞内のエネルギー工場・ミトコンドリアの量が足りていないことが原因だと、ミトコンドリア研究の第一人者・太田成男は言う。逆に言えば、ミトコンドリアを増やせばずっと健康でいられるということだ。

人間が、動いたり、考えたり、はたまた恋をしたりすることができるのは、ひとえにエネルギーがあるからだ。そのエネルギーをつくっているのが、「ミトコンドリア」と呼ばれる細胞内小器官である。

「人間を含めた高等生物は、もともとは遺伝子をつくる生物とエネルギーをつくる生物の2つが合体して生まれています。そのエネルギーをつくる生物が、現在のミトコンドリアです。ミトコンドリアがなければ、間違いなくわたしたち人間は存在していないでしょう」

そう話すのは、日本医科大学教授の太田成男。30年以上にわたってミトコンドリアと健康の関係を追い続けてきた、ミトコンドリア研究の第一人者だ。 (wired.jp)


ミトコンドリアは「エネルギーを作る」ために働いてくれているもののようで、この太田教授が言われるように、「ミトコンドリアがなければ、わたしたち人間は存在していないでしょう」という、そのミトコンドリアが、「第四級アンモニウム塩にやられちゃう」ということがわかり始めているということでしょうか。

そして、このような「第四級アンモニウム塩に包囲されている」社会の状況がすぐには変わらないこともご想像いただけると思います。業務でも、家庭でさえも、過剰な殺菌は「ニューノーマル」となりつつあります。


これからも長く続く過剰殺菌社会の中で

第四級アンモニウム塩の「一般性」に関してお知りになりたいのでしたら、楽天でもアマゾンでも何でも、ショッピングサイトなどで、「第四級アンモニウム」等と入れて検索すれば、ズラッと商品が並ぶことでおわかりいただけるかと思います。

ご家庭ではともかく、たとえば外出した先で、スーパーでもイベント会場でも何でもいいですが、消毒剤が置いてある。今でも多くの人びとが、それで手をシュッとやる。その際に、「この成分は何ですか?」と考えることがあるだろうかということです。

業務用、医療現場用として、第四級アンモニウム系の製品は広く普及しています。飲食店でお働きになる方なら、特にチェーンなどでは、毎日の掃除ではほぼ確実に暴露していると思われます。あるいは、医療関係、保健福祉関係、介護関係などでも、かなり多くの局面で暴露しているはずです。

以前、三重大学の今井 奈妙教授と、帝京平成大学の稲津 教久教授の論文を以下の記事でご紹介させていただいたことがありました。

世界中で拡大する大規模な消毒剤の空中散布や、日常的な手の過剰殺菌により、いよいよ人類の健康状況は終末の局面に至ると予測される 投稿日:2020年4月19日

この記事を書いたのは昨年 4月ですから、パンデミックが始まったばかりですが、この後、「この状態がますます本格化していく」ことになります。

その論文から少し抜粋させていただきます。


論文「看護における生活環境汚染の理解とその重要性」より

人体が摂取する様々な物質の割合の 79% は呼吸によるものである。

経口摂取の場合には、嘔吐や、肝臓による解毒作用を期待できるが、吸入曝露の場合は、肺から直接に血中に流入するため、経口摂取で認められる初回通過効果(肝臓での解毒)が回避されてリスクが増大する危険性につながる。(略)

病院では、布製品等の除菌を目的として噴霧式の消臭・除菌剤が使用されていたり、除菌クロスを用いて家具やパソコン類を拭いていたりする。これらの製品には、第 4 級アンモニウム塩が使用され、除菌クロスで室内を清掃すれば、第4級アンモニウム塩が揮発して室内に充満する。(略)


一般的な医療施設では、第4級アンモニウム塩を病室で用いるため、入院患者は、常に第4級アンモニウム塩に曝露し続けることになっている。

つまり、多くの人びとが「知らず知らずのうちに、第四級アンモニウム塩を呼吸から吸入して暴露してしまっている」ということになります。

過去の研究での第四級アンモニウム塩の健康被害としては、マウスへの経口投与において以下のようなことが認められています。

・死亡率増加傾向

・萎縮性肝機能障害

・免疫系への影響

・先天性異常を引き起こす

そして、今回ご紹介しましたように、人間の生存のために最も重要であるもののひとつであるミトコンドリアも攻撃を受けている可能性があることを知りました。

今の社会は、どこに行っても、どこで何をしようと、この「第四級アンモニウム塩の攻撃と暴露」からは逃れにくくなっています。

スーパーなどでは、今でも多くの人たちが手に消毒剤をすり込む光景を見ますが、「今、手につけているものが何であるのか」は多くの方々はあまり考えない。

あるいは飲食店では、お客さんが退出するたびに殺菌消毒するという光景が見られますけれど、先ほどの論文から抜粋しますと、第四級アンモニウム塩を使用したあらゆる除菌製品で 室内を清掃した際に、

> 第4級アンモニウム塩が揮発して室内に充満する。

ことになるわけです。今の社会はどこもこのような状態となっている可能性が高いです。

今のパンデミック対策の中で「三密を避ける」というようなオカルトが語られることがありますが、しかし確かに、消毒剤のあまりにも強い毒性を考えると、「第四級アンモニウム塩が充満した空間を避けるために密空間を避ける」というのは考え方としてアリかもしれません。あるいは過剰に消毒しているような店には近づかないとか。

コロナウイルスはそれほど私たちを殺さないかもしれないですが、第四級アンモニウム塩は、時間の経過と共に私たちの細胞を殺すものとなっていくかもしれません。他にも今後の私たちを殺す可能性のあるものはいろいろとありそうです。


2021年2月26日金曜日

2254「大好きだから」2021.2.26

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月23日の記事を紹介します。


ママが大好きだから

今日は、母と子の絆について書きます。子供たちはみんな、お母さんを助けたいという目的を持って生まれてくるのだそうです。 

<転載開始> 転載元

 

中川直美さん(40)といわれるシンママのお話です。約1年前に離婚し、息子の琉生君(現在5歳)と2人暮らしです。以前から、琉生(るい)君は不思議なことを言うことがありました。

 「ある日、髪の毛にカーラーを巻いていたら、琉ちゃんに『それ、結婚式の時まいてたよね? お空から見てたんだよ』と言われました。

私は普段は髪の毛を巻いたりしなくて、カーラーをつけたのは結婚式の時以来だったので、とても驚きました」

 

中川直美さんと琉生君

そう聞くと、どこか特別な雰囲気の男の子にも聞こえますが、普段は本当に普通の子どもだと直美さんは言います。

「性格は穏やかで優しいですね。保育園ではお友達もたくさんいて、家ではちょっとわがままを言う、そんな感じです」

そんな琉生(るい)君が、今年の初頭にまた不思議な話を始めました。

それは、ちょうど直美さんの2人の祖母が、立て続けに亡くなった直後。直美さんが「さみしいなあ」と呟くと、琉生君は諭すように言いました。

「寂しくなんかないんだよ。お空に戻るだけなんだよ。お空では、赤ちゃんが(この世界に)降りてくる準備をしてるんだよ。だから2人がお空に帰ったら、交代で、2人の赤ちゃんが降りてくるんだ」

 直美さんは、思わず「そうなの? 琉ちゃんもお空にいたの?」と聞き返しました。

「うん、お空にはね、雲がふたつあって、男の子と女の子が分かれて待っていて、神様が一緒に連れておりてくれるんだよ。

僕も生まれる時は、神様に連れてきてもらったんだよ。僕はね、お空に長くいたんだ。

それで、“マイナス1歳”のときにママを決めたんだよ。みんな“マイナス1歳”のときにママを決めるんだ」

「どうしてママを選んだの?」

「ママが大好きだから」


直美さんは、妊娠中に切迫早産と診断され、絶対安静の時期がありました。元々の予定では、出産直前に実家に帰って里帰り出産する予定でしたが、これにより3ヵ月も前に、実家に戻ることになってしまいました。しかし、当初はそんなに長く里帰りすることに対しためらいがありました。

 彼女は物心ついたときから、「実家に対して苦手意識があった」といいます。

「私は長女として生まれたので、いつも『あなたは(長女なのだから)我慢しなさい』と言われていました。妹の方が母に似ていて、自分よりも、かわいがられていると感じていました。そのせいか、私はいつも孤独感を抱えて生きてきたのです。自己肯定感が低くて、自分を否定する気持ちが強かったし、生きる意味も感じてこなかった」

大人になっても直美さんは、自分には価値がないと感じるそうです。“無価値観”に悩まされてきた。しかし、切迫早産という急を要する状況では、赤ちゃんの命がかかっているので、選択の余地はなかったのです。結局は3ヵ月間も実家に身を寄せ、近くの病院で出産しました。

 最初は気が進まなかった長期の里帰りでしたが、予想外の副産物がありました。その3ヵ月の間に、母親と気持ちが通じ合えたのだといいます。

「出産の時も、元旦那さんは出産に立ち会えなかったので、代わりに母がずっと手を握ってくれて、琉ちゃんを産みました」

その時、「琉ちゃんは、お母さんとの関係をよくしてくれるために来てくれたのかな、ありがたいな」と感じたそうです。

 それでも、7年という結婚生活の間、直美さんの無価値観が消えることはありませんでした。しかし、息子との二人暮らしになった今、徐々にその無価値観が和らいできたと感じています。

 職場にも友人にも恵まれ、実家の家族にも支えられ、人生を前向きに捉えられるようになりました。なによりも大きいのは、琉生君の言葉だそうです。

「琉ちゃんは、『ママが大好きだから、ママを選んだ』、と言ってくれました。

ありのままの自分でも、大好きって言ってくれる人が側にいる。おかげで、私は変わることができた。だから琉ちゃんは、私を助けるために、生まれてきてくれたのかなあと今は思います」

<転載終了>


ママが大好きだからママを選んだ・・・生まれてくる子供たちは、本当にお母さんのことが大好きで、お母さんを助けたいお母さんを笑顔にしたいそう思って、お母さんを選んで生まれてくるのだそうです。

確かに、育てている最中は大変かもしれません。夜泣きはするし、言うことを聞きません。

ですが、そのかわいらしい笑顔、その純粋無垢な笑顔一つで、疲れも、何もかも吹っ飛んでしまいますね。 

そして成長していくにつれ、母を助け、心の支え、生きる希望になってくれることでしょう。人間は、自分のためだと、なかなか頑張ることができません。ですが、愛する誰かのためであれば、その人の笑顔、幸せのためであれば、どんなに辛いこと、苦しいことも乗り越えて行くことができます。

そして、母と子で乗り越えて来た歴史は強い強い親子の絆となり、魂に刻みこまれることでしょう。大切な宝となることでしょう。 

子供たちは、ありのままのお母さんの姿を見て、大好きになって、空の上から、お母さんを助けるために生まれて来てくれました。

そしていつか母の笑顔、幸せな姿を感じとればきっと安心して、今度は人のためではなく、

自分のために生きて行けることでしょう。自分の魂磨きに専念できることでしょう。親離れ、子離れの時です。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。




2021年2月25日木曜日

2253「宇宙・鏡の法則」2021.2.25

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月22日の記事「バランスを取ろうとする宇宙」と2021年02月20日の記事「一人さん風「鏡の法則」」の2つを紹介します。


バランスを取ろうとする宇宙

今、アメリカを中心に、世界中で今まで目に見えなかった支配体制が変わろうとしているようです。もちろん、それは私たちにとって良い変化です。

ただ、その丁度変わり目の節目の今は色々なことが同時多発的に起こり、何が真実であるのか、何処に向かおうとしているのか、全体像をつかむことができません。

幸運なことは、その渦中においては、無我夢中で大変な波を乗り越えようとしていることでさえ、気づかないために、がむしゃらに生きている間に、何時のまにか、大波を超えてしまい、大難(たいなん)が去ったことに気づくことでしょう。

この大きな波が静まった時、満を持して準備してきた多くの魂たちが、次の役割を担うために世に出ていくのでしょう。

約500年間も続いた有色人種国家、国民に対する奴隷的な扱い、植民地時代を再び繰り返すわけにはいきません。私たち人類の精神は少しづつ向上を続けやっと今、2010年を境に精神性復活の時代が到来しているからです。

 

では、今日のテーマは「バランスを取ろうとする宇宙」ということで、宇宙の摂理について書いてみます。私たちの精神が再び退化することがありませんように。

全ての人々、それぞれの個性が、認められ、生存を許され大切に優しく扱われますように。。。


人種差別

 かつて、インディアンを皆殺しにして、土地や資源を奪ったように、奴隷として、様々な苦役をさせるために、足を鎖で繋ぎ、アフリカから現地の人を運んで来たように、劣等人種だからと、アジア(ベトナム)で戦争を起こし、利益を得ようとしたり、

人種差別、人が人を差別し、蔑んで良いのだろうか?

人が動物達、生命のあるものを虐待しても良いのだろうか?

私達は知っています。私達が過去 五色の人に、次々と生まれて来たことを。

宮崎県の旧蘇陽町にある幣立神宮所蔵の五色人面。五色人の代表が、日本(霊の元つ国)にあつまり、神に祈りを捧げていたとされています。

黄人  アジア(日本、中国、朝鮮、モンゴル)

赤人  アメリカインディアン、ユダヤ、アラビア、エジプト

青人  北欧、スラブ

白人  ヨーロッパ全般

黒(紫)人  アフリカ、インド、アボリジニ(オーストラリア)

 最も愛する父や母、息子や娘も同じように、色々な人種を経験してきたことを。

石や、岩、植物や動物、そして風や波などに生まれ、生命のダイナミズムを経験したことがあったことを。

たまたま、今、白人で生まれ、自分達だけが優生民族であると勘違いし、残酷な方法で、他の民族の生命や自由を奪ってしまう事は、なんと大きな罪でしょうか?


 宇宙には法則があります。バランスをとることその為、自分が与えたもは、必ず自分で受け取ることになります。良いことも、悪いことも。。

 肌の色で人々を苦しめた人は肌の色で苦しめられることでしょう。それは、誰が行うのでもなく、神様が行うのでもなく、宇宙の法則通り、自分自身でバランスを取るためにそうします。

人は、その様な愚かなことを、何度も何度も繰り返して、そのたびに、少しずつ賢くなっていくのでしょうか?

 宇宙の摂理、それは何処を見ても確認できます。全ては調和し助け合い、自分の役割を果たしています。そこには、人の立場を羨んだり、バカにしたり、自分だけが。。 という気持ちは微塵もありません。

 人間も、本来その様な高貴な心を持つ、生命体では無かったでしょうか?

 私達が出来ること・・それは、動植物を含め、家族や、本当に身近な所で、笑顔や優しさを、広めていくことから始まるのかもしれませんね。

 今日も身近な周りの方々に、優しさと笑顔で接したいものですね。



一人さん風「鏡の法則」

今日は斎藤一人さん風の「鏡の法則」のご紹介です。一人さんのお話は、本質的な宇宙の真理を、誰でもが分かる平易な言葉づかいで教えてくれるところが素晴らしい所です。どうぞ、この優しい説明から宇宙の真理を掴みお幸せになってください。

<引用開始> 引用元 


自分が今世で決めてきた問題からは、絶対に逃れることができません。だからそういう問題から一時的に逃れられたとしても、また別の、本質的に同じ問題が現れたりするんです。

 たとえば、勤めていた会社で人間関係がイヤだからといって辞めると、また別の会社で同じような人間関係の問題が起こったりします。このように人間関係でイヤなことが続くんだとしたら、それは自分の中にそうさせるものがあるんです。 

「上司が私のいじわるをするんです」って言う人も、そのいじわるをされた自分が上司になったときに、同じようなことをやりかねない性格だから、そういうことが起こるんです。

これを「鏡の法則」といいます。

 「自分が好意的に接すれば、相手も好意的に接してくれる」とか、「相手に対して苦手意識や敵対心を持っていると、相手もその人に対して同じような感情を持つ」というのは表面的な話で、「鏡の法則」はもっと内面に深いところまで映しだすことがあるんです。 

たとえば、「威張っている人を見るとすごく腹が立つ」人というのは、自分の心の中に、人の上に立ったときに威張ってしまうという性格があるんです。

 または、自分が威張りたいのを抑えてるから余計に、相手が威張ると腹が立っちゃうんです。


人はみな、“傷”を持って生まれてきます。そして多くの場合、同じ傷を持っている親の元に生まれます。なぜかというと、それは自分の傷に気づくためなんです。

自分が暴力をふるっちゃうような人は、暴力をふるう親の元に生まれます。それで、「これは自分にそういうところがあるからだ」と思えばその傷も治るんだけど、「暴力をふるう親が悪い」って言っていると、それは治りません。

 そしてそういう人は、自分が親になったときに同じことをやるんです。自分の顔にシミがついてるからって、鏡を拭いてもシミは取れません。鏡を替えても取れないんです。 

だから、部長がイヤだからといって会社を辞めても、また次の会社で似たような人が現れるからね。でも鏡を見て、自分の顔の“よごれ”に気づいて取れば綺麗になるように、自分の中にある傷に気づいて治せば、起こる現象も変わってきます。

部長の対応が変わるとか、相手が転勤していなくなるとか、自分が昇進して異動するというようなことが起こるんです。 

それと同じで、自分に起こっている出来事は、自分の傷が投影されたものなんです。だから起こった出来事を他人のせいばかりしていると、いつまでたってもうまくいかないんだよね。

<引用終了>

 

このことを逆の立場から言い換えれば、今の自分を取り巻く環境が、

・自分の心の状態

・心の傷(角のあるところ、弱点)

・心の癖 

を示してくれるということです。

もし、今の状況を改善したいのであれば、自分の心の中の何が、その現象を引き起こしているのか考えてみる必要があります。

・誰か許せない人はいないか?

・憎しみを持っていないか?

・嫉妬心はないか?

・人の幸せを心から喜べるか?

・たとえ自分と異なる価値観でも、相手の個性を認め受け入れているか?

・人より目立とう、上に立とうと、自分と人を比べてばかりいないか?

・意地悪な心はないか? 

私たちは生まれた時は、神様からいただいた無垢の魂のまま光り輝いています。ですが、成長とともに、世の中にもまれるたびに自我の心も芽生え、その美しい心を 包み込み、光を失っていきます。

これを包身(つみ)--身を包んで、神さまのお姿を包んで隠してしまうものということ

そして神様からいただいた清浄な氣を失っていきます。 --氣枯れ(けがれ)

ですが、宇宙の真理が示してくれるごとく、周りの現象が、その心の今の現実を確実に表してくれています。

・日々、周りの方々に、ありがとうと、感謝の気持ちでいれば、

・日々、笑顔で暮らしていれば、

・日々、優しさ、思いやり、おかげ様の気持ちで暮らしていれば、

きっとお幸せになることができるでしょう。



2021年2月24日水曜日

2252「神仕組み」2021.2.24

今回は「いっぷくからありがとう」さの2021年02月21日の記事を紹介します。


神仕組みに気づく

特に神社参拝などに行った時は、アンテナを張り巡らして、外応をキャッチされるのをお勧めします。また、賛否両論ありますが、些細なこと(現象)でも、神々に感謝し、喜ぶことをお勧めしています。それは、そのことを特別扱いとか、威張るとか、自慢するとか、有頂天になるとか、そんな下世話な意味ではありません。

そのあたりのことを小林正観さんが書いていますのでご紹介します。

<引用開始> 引用元

 

偶然を書きためる

神さまの存在は、誰でも感じることは出来ます。正観さんの方法は、ノートに記すことから始まります。

・偶然のようで 偶然に起こった現象。

・偶然じゃないけれど偶然のような面白い現象。

これら偶然を書きためます。

正観さんは、40年で1000件。1年で25個。1ヶ月にすると平均2個ぐらいあったそうです。

・色々な偶然を面白がる。

・その際、他人の評価は気にしない。 

自分が面白いと感じたもの。それが100件以上になったら試してみるといいですよ、と仰いました。

・例えば落ち込んだりした時

・自己嫌悪に陥ったりとか

・嫌味を言われたときなど

ノートを広げてみて、過去の全ての偶然を見てみます。

そうすると、それらは、決して偶然ではなく全て一連の流れとして、起こされている現象であった・・神々の意図を感じることができるからです。

 そうすると「自分は神様に好かれているみたいだ」ということが分かってくるんです。

多くの現象を眺めてみると、自分がどれ程神さまに好かれているか愛されているかということに気づきます。

講演会で、このお話の最中に不思議な現象が発生しました。

「絶対に神さまが嫌っているという結論にはならない」

このフレーズを言ったとき、正観さんの携帯電話が突然鳴ったのです。この電話、機種変更で番号は生きているが、一年前から使っていないものでした。

その電話が、偶然に、「偶然のお話の最中に」、講演会の最中にけたたましくなったのです。

不思議。不思議。神さまの承認の呼び出し音か。このような、「偶然を見つけ、喜ぶ」という態度は、偶然の現象の奥に「恵んでくださっている存在」を見出すこと、感謝することになります。


この時、講演会で、事例を二つ紹介くださいました。

正観さん誕生日11月9日。野口英世も11月9日。

正観さんが新千円札を始めてみた日が11月9日。

お札の顔 野口英世博士は微笑んでいる、かどうかは別として、面白いと楽しむ、ということ。

仙台と盛岡間 車で高速道路 送ってもらう。走っていて偶然にある車のすぐ後についた。その車の ナンバープレート 1259。運転していた人が喜んで教えてくれた。

その瞬間 時計を見ると12時59分。わ~~~おと声をあげた。

 ふたつともだから何? と誰か言っても関係ありません。 

自分だけで、

・随分神さまに愛されているね。

・人生は面白いね。

と、そう感じるだけで結構です。

その結果、神様は、

・面白がる人には どんどん面白がる現象を

・楽しがる人には、どんどん楽しがる現象を

・幸せがるひとには どんどん幸せになる現象 を下さる。 

さらに大事なことは、感謝したがる人には次々に感謝できるような現象を降らせてくれる・・ということです。


 その時、質問がありました。

「神さまに好かれていない人。そのような人はいるんですか?」

すごく重要で、いい質問ですとおっしゃって、正観さんは、こう答えました。

「全員神さまに愛されています。全員です」と強調しました。

実は神さまからもの凄く愛されている人だけが肉体をもらってこの世に人間として生まれている。肉体を持って生まれたい魂が800億。その魂は地上80kmあたりにいるらしいです。その7%くらいの魂が地球に生まれてる。

 その魂、つまり私たちは神さまにお願いして お願いして 頼んで 頼んで生まれさせてもらってきた。神さまから特別扱いで生まれさせてもらった。

 

 その人間がね、愚痴や泣き言ばかり言ってると、地上の魂に「俺に変われ」と言われてしまう。その怨念をかぶってしまうと、どうも寿命に影響が及ぶらしい。

 不機嫌でいると体が壊れやすい。地上の魂の想念が降りかかるのかもしれません。

 喜んで楽しんでいる人は寿命も長く、健康でいやすくなります。


すべての人間は、神さまに好かれている。

  しかし、このことを知ってるか知らないでいるかで、人生変わってしまう。

「神様に好かれている」これを耳にする人は 0. 01%と少なく、地球全体では56万人。日本人では1万人。死ぬまでに、神さまから好かれている。愛されている。この情報を聞くことができる人の数は、たったのこれしかいません。

聞く聞かないで、人生観が変わります。

<引用終了>

 

彌彦神社 一の鳥居 鳥居が浮いているのがわかりますか?

神様は、様々なところにいらっしゃり様々な形で私たちにアプローチしてくださっています。それを感じ取り、喜び感謝して受け取るか。偶然とかたずけて、無視するか?

 放っておけばよいものを神様に感謝して些細な出来事を喜ぶ人を、馬鹿にし、否定し、せっかく、神様と絆を深めようとしている人たちの心を神さまから引きはがしてしまうのか?人それぞれです。

 ですが、些細なことに神さまの息吹を感じ感謝して喜ぶ人は、きっと生涯、幸せに生きていくことでしょう。

偶然とかたずけて、現実は厳しいもの、苦しいものと眉間にしわを寄せている生きる人は

もしかしたら、神々の手を自らはねのけてしまっているかもレません。



  



2021年2月23日火曜日

2251「ダブルの損」2021.2.23

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月19日の記事を紹介します。


ダブルの損

自分の心が、少しづつピュアになってくるとそれに伴い、自分の周りの景色も少しづつ変わってきます。

・付き合う友人、職場の人、出会う人がみんな優しい

・いろいろなタイミングがベストな関係でマッチしてくる

・必要な時に、必要な人に出会う 

心とはそれほどに重要です。

もともと私たちは生まれて来たときはピュアな心(魂)でした。まさに神様から頂いた神聖な火花のままです。ですが、成長するにつれ、様々な経験を経て色んな我欲にまみれ、心を曇らしてしまうことが多くあります。

それも、心を輝かせるための 研ぎ石の役割を果たしてくれるのですが、気づいたときには心の穢れを祓い、元の清浄な心に戻さなくてはなりません。

泥の中に置いて、綺麗な花を咲かせるのは至難の業ですが、神様は、私たちにぴったりの環境の中に、私たちを置いてくださっています。その中で、自分なりの花を咲かせる・・

私たちは天国から地上に降りてくる時にみんな、そう神様と約束して生まれて来ました。

今日は「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な元ノートルダム清心女子大学の学長、渡辺和子さんのお話をご紹介します。 

是非、心にとめて実践なさってみてください。きっとお幸せになれますから。

 <引用開始> 引用元


 許すということは、損をすることなのかもしれないと思う。だから、難しいのだ。

もう40年も前のことだけれども、周囲の人たちの無理解に腹を立て、不機嫌だった私に、一つの詩が与えられた。


もしあなたが、誰かに期待したほほえみが得られなかったら

不愉快になる代わりに あなたの方からほほえみかけてごらんなさい

実際、ほほえみを忘れた人ほどあなたからのそれを必要としている人はいないのだから


貰(もら)えるはずのものが貰えなかっただけでも「損した」と思うのに、こちらがそれを与えるなんて、これでは“ダブルの損”だと、私はその時思ったものである。

ところが、やがて気づかされたのは、ダブルに損をすると「得(とく)になる」ということだった。

“シングルの損”だけにしておくと、残るのは、腹立たしさや口惜(くや)しさだけであり、

折あらば仕返しをと考える自分だけである。

ところが思い切ってダブルに損をすると、そこには、ほめてやりたい自分が残り、「よか

った」という満足感が残るから不思議だ。

ダブルの損を実行するのは、決して易しいことではない。まず、相手の立場になる心のゆとり。「相手こそ、私の欲しいものを私以上に必要としているのだ」と考えることができるこのゆとりは、自分中心に生きている限りは生まれない。それは一つの“許し”である。

次に、自分を大切にする決心。相手の出方に左右されず、自分は自分であり続けようという強い意志とプライドが、ダブルの損を可能にしてくれる。

売り言葉に買い言葉的言動をしてしまった後の惨めな思いを、誰しも少なからず経験しているのではないだろうか。

 かくて、自分の生活を大切にしたいなら、相手を許さないといけない。許すことによって、自分が相手の束縛から解放されるからである。

 夫の裏切り行為に苦しみ抜いた一人の人が、その苦しみから立ち直った時にいった言葉が忘れられない。

「傷つけた相手を許すことによって、自立が可能になりました」

許すということは易しいことではない。しかし、許すことによって、私たちは相手の支配から自由になり、自立をかち得るのだ。

 かけがいのない自分の時間を、他人の支配に任せていては、もったいない。時間の使い方は生命の使い方なのだから。相手がどのようであっても、自分は“美しく話す”ということは、大変な勇気が要る時がある。

しかし、それを実行しない限り、美しい言葉を相手から聞くことはできないのだ。

求めるものを与える時、そこには主体性がもたらす豊かな人生が生まれる。

許すこと、損することを惜しんではならない。

 <引用終了>

 

相手の方を許さない限り私達も誰かから許されることはありません。だから、心が重く苦しくなるのです。

私たちはよく〇〇してあげたのに・・ の「のに」という言葉を使います。

善意でしてあげたことなのに、感謝されないとか、気づいてくれないとか。

何だか、感謝の見返りを求める、押し売りみたいですね。

自分がかけた

・優しい言葉

・思いやり 

それらに対して、感謝の反応がないと私たちは、途端に、「仏」が「鬼」の心に変わってしまいます。

ですが、渡辺さんが仰るように大切なことは、相手の反応ではなく、そのような行動をすることのできた、自分の心かもしれません。また憎しみの心を何時までも抱えている人は、なかなか幸せになることができないようです。

・ぞんざいな時間を使うと、ぞんざいな人生が残り

・丁寧な時間を使うと、丁寧な人生が残り

・愛のこもった時間を使うと、愛に溢れた人生が残り

・憎しみのこもった時間を使うと、憎しみが人生が残ります。

自分の普段の心がけ一つで、自分の人生をいかようにも変えてゆくことができます。

相手に、何かしてもらえなかった(1つ目の損)そんな時こそ、自分の方から、して差し上げる(2つ目の損)この2つの損を積み重ねることで、計り知れない徳が積まれ、きっと

自分の人生だけでなく、子供たちやご家族、そして先祖の方々まで、光に照らされることでしょう。 

このダブルの損、試してみませんか?きっとお幸せになれますよ。

 




 

2021年2月22日月曜日

2250「心の夜明け」2021.2.22

 今回は木の花ファミリーの「いさどんジジイブログ」の2021年2月9日の記事を紹介します。


人の心の夜明けです ~124年ぶりの立春正月の日に、マツリの精神と共に

木の花ファミリーでは毎年立春前に「富士浅間木の花祭り」を開催します。祭りを通し、一年間の穢れを祓い清め、生まれ清まった新たな心で農事暦の始まりである立春正月を祝います。この立春正月祭の場で、ジイジは以下のように語りました。

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立春正月、明けましておめでとうございます。

今日は、富士浅間木の花祭りの締め括りとなる立春正月祭であり、農の新たな一年の始まりの日でもあります。例年、立春正月は2月4日ですが、今年は2月3日で、それは124年ぶりだそうです。人間は美しく生きると、124歳まで生きるという話を聞いたことがあります。現代の日本の平均寿命が約80歳ということは、まだ修行が足りないということでしょうね。

神の一息は、吸って60年、吐いて60年、合わせて120年と言います。この124年という期間とほぼ同じサイクルです。宇宙的には、太陽系の中で太陽の次に大きな質量を持つ木星が太陽を1周する周期が、12年です。その次に大きな土星の周期は30年で、木星と土星は、太陽と一直線に並ぶ「結び」の会合を60年ごとに持ちます。それが2回で120年です。120年と124年の4年の誤差は、宇宙の遊びと言えるでしょう。さらに、冥王星の周期は248年で、ちょうど124年の2倍です。これは、天体の「トキ」の話です。

今回の立春が124年ぶりというのは、一体どういうことなのでしょう。天体が時を刻むことは、地球が1年365日をかけて太陽を回ることに示されます。しかし、ぴったり365日ではありません。1日も24時間と言いますが、ぴったり24時間ではありません。そこには常に誤差があり、その誤差を調整するために、今回は124年ぶりの立春となったのです。つまり、そこには遊びがあるのです。

これにはどんな意味があるのだろうと考えた時に、その遊んでいたものをもう一度元の位置に戻し、襟を正していきなさい、という意味でもあるのだと思いました。

124年前というと、明治30年です。先ほど祭主が祝詞を奏上しましたが、その中の「大天主太神(おおもとすめおおみかみ)」とは、艮の金神のことです。神の一息が120年であるとしたら、大本の出口なおさんに神様がかかり「この世の中をたて直す」と宣言をされてからちょうど一息を経て、いよいよ始まるぞ、という時に来たのだろうと思います。そこで、富士浅間木の花祭りは今年で九回目を迎え、転がり出て(コ)、いよいよこれから十、次の「統合(ト)」へ向けての生活が始まります。

花祭りの起源は、700年前とも800年前とも云われます。ちょうどその頃、日本では封建時代が始まりました。戦乱の時代の始まりです。人の土地を奪い、支配することが成功者であると称えられたのです。そして江戸時代を経て、明治になり開国をすると富国強兵を打ち出し、また他者の土地へ侵略することを始め、その結果大きな戦争をすることになりました。世界中がそのような時代でした。その大戦が終わり、75年が経ちました。

年が明け、2021年の始まりにあたり世の中を見渡してみれば、新型コロナウィルスが蔓延し、人々は不自由な生活を送っています。そこにはたくさんのメッセージが隠れていることを思うと、やはり「襟を正していけ」ということだと思うのです。身の回りに起こる小さな物事をよく観て、自らのことだけではなく、世の中全体の在り方を振り返り、正して行け、という区切りのメッセージが、今年の立春正月には示されているのだろうと思いました。

「マツリ」の精神とは、ある特定の日を特別な一日として神様と接するのではありません。神とは、「カ」即ち宇宙最極小微粒子が、「ミ」即ち満つっている状態、つまり、すべての現象宇宙に顕れている物理性と、その背後にある仕組みのことを指して呼ぶのです。ご利益を求め「いいことが起きますように」と怠け心で願いをかけるものではなく、日々の生き方を正し、道理の通った生き方をすることにより、災難のない豊かで調和的な世界を創ることになるのですから、ご利益は私たち自身の生き方にかかっているということです。なぜなら、私たち自身も「カ」が満つって現象化した、宇宙の法則の顕れそのものだからです。

この祭りを一年に一度行うのは、そのことを襟を正して考え直し、祭りが終わってからも一年を通してその精神を生きなさい、ということです。そして一年が経ったら、その結果を祭りに顕し、そこから自らの姿勢を振り返り、また新たな心で次の新しい一年へ向かいなさい、ということです。ということは、マツリとは特定の一日を示すことではなく、一年中マツリなさい、と示されているのです。

そもそもマツリとは、政(マツリゴト)と言い、世の中を運営することです。そこでは、私人ではなく公人として一年を生き、自らが生きたことが世の中に良い形で反映されることを目的としているのです。それが本当の人の在り方です。

今の世の中は「自分さえ良ければいい」どころか、皆でこぞって地球の仕組みを乱し、環境破壊による温暖化のような問題を引き起こし、さらに人間の間では争いが絶えません。現代の日本には戦争がないと言われますが、莫大なお金が軍事費に費やされています。そして日本の産業は、世界の他の国々で行われている戦争の軍備に貢献しています。まだまだ争いの種を創り続けている人間の営みを考えると、124年の区切りをもって襟を正せと示されていることは、本当のことだと思うのです。一年365日をマツリの精神で生きるということは、それが普通になれば、何も特定の日に襟を正す必要はなくなるでしょう。そういった心が人々の中に芽生えれば、世の中は必ず豊かで平和な世界になります。

私たちは、この世界に生まれました。生まれる時は、天から降りてくると言います。作物は土から芽吹いてきますね。その土から芽吹いてくるものは、太陽の光が注ぎ、その循環の仕組みの中で育ち、私たちに土のエネルギーが与えられるようになっています。土のエネルギーとは、地球神である金神様のエネルギーですから、私たちは金神様のエネルギーをいただき、生きることを与えられているのです。そしてそれにふさわしい生き方をした時に、私たちは誇りをもって次へと旅立つことになり、天へ昇っていくのです。

天に昇ると、次にまた役割ができた時に降りてきます。ところが、この世の仕組みに囚われ、上を見ずに「何かいいものは落ちてないか」と下ばかりを見ている者は、魂になっても天に昇ることができません。そのような魂がたくさんいます。人間だけではなく、人間の営みの犠牲となった他の生き物の魂まで天に昇れなくなっているのです。そのような心の乱れ、魂の汚れが、この世の中の混乱を創っています。

だからこそ、そのことに気付き、世の中を美しくする。自分が生きた結果、世の中が美しくなる。お陰様で自分は世界を美しくすることに少しは役に立てた、と自らに合格をあげられるようになった時に、誇りをもって天に昇っていけるのです。体という質量をこの世界の自然循環の中にお返しし、囚われのない心であれば、魂は軽いですから自ずと天へ昇っていくのです。

しかし、昇れない魂もいます。それは、人間が自我を与えられ、心を美しくしてこの世界の循環に貢献する役割をいただいてきたのに、そういったことを忘れ、怠っているからです。今また、新たな124年の節目が来ました。そして、金神様は乱れた世の中を正すと言って出てこられました。僕もこれまで、一体いつになったら本当の世直しが始まるのだろう、もう命が続かない、と思っていましたが、いよいよそういう時が来たのです。

先日、富士浅間木の花祭りの祭事を行い、その締めくくりとなる神返しの神事を行った際、僕は祭主にある注文をしました。祭事の前には、神寄せの神事を行いました。しかし祭事を行うのに、神様に「降りてきてください」と言うのはおかしい。なぜなら、神様はそもそも、いつでも万物に遍満しておられるのです。それを、今日だけ降りてきてくださいと言うのはおかしいでしょう。この世界のすべてが神の物理性の顕れであるのに、降りてきてくださいと言うことは、日頃神様と共にある意識がないということです。さらに、祭事の後に「ありがとうございました。どうぞお帰りください」と神返しをするようでは、一日だけ一緒にいて、残りの364日は神様と共に生きていないということになります。

ですから僕は祭主に、神返しをすることはやめましょうと提案しました。これまでは、どこでも同じことをやっていました。それは、神というこの世界の物理性の中に遍満し、常に私たちと共にある存在から、人々の心が離れていたからです。この124年の区切りをもって、私たちはそのことを意識し、毎日を生きていきます。

そうすると、宗教はなくなるでしょう。都合の良い時だけご利益を願うことはなくなり、毎日の物理性の中で、そこに循環している尊い仕組みのもとに自らが生かされていることを感じ、その意識で、この世界を運営していく側になるのです。それは「大学に合格しますように」とか「宝くじに当たりますように」といった自分の都合で願いをかけることとは違います。

現代の人々は、神社で2回手を叩きます。本当は4回叩くものですが、それを半分だけやるということは、本当の半分、つまり、ご利益だけが欲しいということになります。なぜ本当は4回叩くのでしょうか。2本の手で4回叩くと、合わせて八つになります。それは八方が安定する、即ち本来すべきことをきちんと行い、道理に適った利益をいただいて、幸せに生きていくということです。四(し)を合わせるのですから、しあわせです。

こういったことが、僕の中に浮かんできます。その時に、これは夜明けだ、と思いました。何の夜明けかというと、天体の区切りの夜明けでもありますが、人の心の夜明けです。

夜明けには何をしますか?そう、目を覚ましますね。目を覚ますと言っても、この肉の目は毎日覚めています。そこで覚めるのは、心の目です。これからの時代は、人の心の目が覚めるのです。

その時が来たのだと思うと、たくさん話がしたくなります。しかし地上には地上の都合がありますから、そういうわけにはいきません。今日という節目をもって私たちは先へ進みますが、これからは心の目を覚まし、その目覚めた状態で毎日を送るようにしたいものだと思います。

今、気持ちはとても晴れやかです。その割には(涙をぬぐいながら)雨が降っていますけどね。この不可思議な人生をいただき、これは一体何なのだろうと思いながら生きてきましたが、いよいよ扉が開いたことを今年は特に感じます。扉が開き、目覚めた人たちは、その大事を生き切ることです。

今日は、去年植えた桑の木の剪定をしました。苗木をとるために、「とり木」と言って枝の一部を土の中に埋めて上から抑え、そこから根を出させるようにしていたのですが、今日掘り起こしてみたら、まったく根が出ていませんでした(笑)。そこで思ったのは、予定が外れたということではなく、自分の思いが必ず叶うとは限らないからこそ、叶わなかった時には次のことを考える。そうすると、頭を使い、智恵が湧く。桑の木に根が出ていなければ、枝を切って挿し木にすれば苗は取れるのですから、何も問題はないのです。(実はその次の日に別の種類の桑の木のとり木を掘り起こしてみたら、根がたくさん出ていて、これについては予定通りでした。笑)

何かが起きた時に、予定が狂ったと捉えるとがっかりして嫌になりますが、そうではなく、そこから違ったことを考えるきっかけと捉えると、どんなことでも新しい取り組みを始めるチャンスとして生かすことができます。生きるとはそういうことです。そうやって私たちは育てられているのです。

天体の動きと共に、世の中は確実に時代を刻んでいます。すべての現象はトキ軸を柱として巡っていきます。ただ欲のままに生き、ストレスを溜めてそれを解消するために暴飲暴食をし経済を大きくするなど、余計なことをたくさん行って体の中に矛盾を溜め込み、病気になるような生き方が、世の中には蔓延しています。今の世の中は豊かになったはずなのに矛盾だらけで、問題だけがどんどん膨らんでいくのです。

そういった無駄を行わず、本当に必要なことを相応しく行い、皆がシンプルな豊かさで生きれば、地球の資源を無駄遣いすることもなくなるでしょう。そうすると、いろいろなことが好循環になります。今は好循環ではないのです。それが好循環に転じた時、いよいよ宇宙の星々が何億年も何百億年も運営されてきたのと同じように、地球にも無限の世界が生まれることでしょう。

今日は、私たちがそのことに目覚める区切りの日です。124年ぶりのメッセージを受け取り、心はとても晴れやかです。しかし一人で晴れやかになっていても仕方ありません。皆で和やかにそういった日々を送り、世の中へ広げていきましょう。世の中がどんどん難しくなっていくようなことでは、本当に求められるマツリの精神で生きることとは違うのです。だからこそ気付いた者たちは、それをやり切る。その動きは小さいですが、その響きはこれから、世界中どころか宇宙中へと響き渡ることでしょう。

僕は今、宇宙の響きをいただいてこの話をしています。それは、天地一体の世界を築くということです。我々は太陽の光をいただいて命があるのですから、まず始めに天があります。その光を受けて地上に食べ物ができ、それをいただいて、その循環の中で地球に命が表現されるのです。その物理性を本当の豊かさとして顕す、その自覚をもっていきたいと思っています。

今から、お神酒で乾杯をします。ここのお神酒はアルコール度数がありません。それは、お酒で酔っ払っていくのではなく、飲む点滴と言われるほど滋養のあるお神酒をいただき、本当に健康で豊かに、そして正気で、時代を生きていこうということです。正気でなければ、本当は創れないのです。

「カ」が満つって(ミ)現象化することを神と言います。人間も、他のどんなものも、「カ」が満つって存在しています。我々がめでたいと思う心も、乾杯をしてお神酒を飲むことも、すべては「カ」が満つった現象がそれを味わっているということであり、味わうことで神様と直会(なおらい)をしているのです。

立春正月を迎え、これから新たな農の一年が始まります。124年ぶりの地球規模の新しい門出を祝い、魂からの目覚めとして日々を生きていくことを、皆さん、どうぞよろしくお願いします。おめでとうございます。乾杯!


2021年2月21日日曜日

2249「許しと幸せ」2021.2.21


 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月15日の記事「許し」と2021年02月16日の「当たり前の中の幸せ」の2つを紹介します。


許し

もしかしたら、子供や家族、会社の同僚、友人の誰かを「許せない」と思ったりしていませんか?

自分の思い通り(期待していた通り)に、動いてくれないとか、自分の価値観だけで判断し、相手の言動を許せず、憎んだり不平を言ったり、イライラしていませんか? 

でも、でもその人も、彼女なりに・・・一生懸命に、生きているのではないですか?

私達の見えないところにご家族もいて歯を食いしばって、一生懸命に生きている人ではないですか?

今日のテーマは「許し」です。許すこと

人は 

・許されること、

・そして信頼されること 

そのことで、どんなに心が救われることでしょう。許してくれた人から受け取った大きな愛を、また周りの人々にどんどん広めていくことができるでしょう。 

私たちの内に、全員の胸に居らっしゃる神さまは決して罰しません。根気強く私たちを見守り、そして許し続けています。

 それはまるで、放蕩息子の帰りを全力で喜び迎えた父、神の気持ちと同じです。私たちは、共に許し、許されそして、愛し愛されて生きていく仲間同士です。

私たちは、常に振動しています。私たちだけではありません。存在するもの全てに振動があります。波動を発しています。これを固有振動数と言います。 

バシャールなどの知的生命体の情報では私たち人間は、平均値で1秒間に7万6000回、波長の高い方(意識レベルの高い方)で18万回。肉体を脱いでしまえば、束縛するものが減りますので、1秒間に33万3000回位なのだそうです。

意識状態によって、これは常に変化しています。変化していくことで、波長の法則の通り、

繋がってくる世界も無限に変化します。

・見える物質的な世界

・一般的な神々の世界、霊的な世界

・心の世界

私たちを取り巻く世界は、全て自分の心が映す世界・・ですので、心の波長が見える世界、取り巻く世界を変えてしまいます。 

龍の姿を見て、お酒や、生卵を要求していると感じる方がいるかもしれません。 その同じ龍を高貴な魂の龍と認識する人もいるかもしれません。

同じものを見ているようで、心の波長により、繋がる世界、認識できる世界は様々です。

私たち人間は、基本的に神々と同じに作られています。ですから、神々が全ての次元に存在するように人間も、無限の波長領域に存在できます。

また、神々が全ての空間に存在するように人間も全ての空間に、遍満して存在しています。 私たちの現在の波長と、フォーカスしている場所によって接触できる神々の波長も決まってきます。

自分自身の信念体系に縛られた時空に生きている人は、地獄的な低い振動数で同じ神さまを見ても、自由度の低い、束縛する神々と繋がることでしょう。

あなたの神さまは

・祟りをもたらす神さまですか?

・お金や、物を要求する神さまですか?

・些細なことで、お怒りになる神さまですか?

・無知ゆえの失礼を、許してくれない神様ですか? 

人の数だけ、波長の言違いがあります。人の数だけ、信じる神様の姿、性格が異なります。 

自分が正しくあなたのは、誤り・・そんなことを断言する資格は、、、誰にもないのかもしれません。私たちの内に居らっしゃる神さまは許しの神さまです。

イエスは「何度許せばいいのか?」と質問された時、「7の70倍」と答えています。私も、そんな許しの、愛の神さまといつも、繋がっていたいと思います。 

あなたは、どんな神さまと繋がっていたいですか?

その神さまは、ご自分の心のありさまの通り、同じ波長の神様であることでしょう。

神界から来た 言向命(ことむけのみこと) 相曽誠治さん(佐藤愛子さんの私の遺言より)


当たり前の中の幸せ

今日は「当たり前の中の幸せ」と言うことで前ノートルダム清心女子大学の学長だった

渡辺和子さんの、卒業式でのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 


 今日は、今から数年前、同じこの日、同じこの記念館を巣立っていった一人の卒業生の言葉を皆さんへのはなむけの言葉にしたいと思います。その人は、在学中、健康そのものの人でした。それが卒業後まもなく、病気になって入院し、非常に苦しみ悩んだのですけれども、やがて快方に向かった折に、一通の手紙を書いてくれました。その中に、こう書いてあったのです。

「ようやく外出許可がいただけました。久しぶりに地面を踏んだ時は、感激でした。

今の私には、当たり前が輝いてみえます」

 この手紙を読んで、私は、病気がよくなったことが嬉しかったとともに、病気という十字架が、この人を、ここまで成長させて、この言葉を書かせたことを、たいへん嬉しく思いました。

 当たり前が輝いてみえる。そして、この人から、幸せの秘訣を教えてもらったように思ったのです。私たち一人ひとりは、幸せになりたいと願っています。

 今日、ここに集まってくださった方たちは、あなた方一人ひとりが、一生の間、幸せに生きてほしいと、願っていてくださいます。

 幸せの条件には、いろいろあって、人それぞれに違うかも知れません。ですけれども、共通して言えることは、自分が愛するもの、価値あるものに取り囲まれて、心が満たされている状態といっていいでしょう。

 ですから、幸せを願う人たちは、

・たやすく愛せる人を探し、

・やりがいのある仕事を求め、

・そして、すてきなもの、

・すばらしいもので、

自分のまわりを囲みたいと願っています。今日の日本は、この種の幸せをあおるかのように、

そして、それを満たすに十分な、物質的な豊かさと、過激といっていいほどの刺激と情報に溢れています。お金さえ出せば、欲しい物がほとんどすべて手に入る世の中です。

 では、それらを手に入れた人たちがみんな幸せなのかというと、必ずしもそうではありません。なぜでしょう。

 星の王子さまが答えを出しています。

「地球上のみんなは、特急列車に乗り込むけど、いまではもう、なにを探しているのか、わからなくなっている。だからみんなは そわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ…」

「おなじ一つの庭で、バラの花を五千もつくっているけど、…自分たちがなにが欲しいのか、

わらからずにいるんだ」。

 そして続けていうんです。

「だけど、探しているものは、たった一つのバラの花のなかにだって、少しの水にだって、あるんだがなあ…」

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」

 今から約千三百年まえにつくられた日本の一番古い歌集『万葉集』の中に、一つの歌が収められています。


信濃(しなの)なる千曲(ちくま)の川のさざれ石も君し踏みてば玉と拾はむ


 たぶん、うら若い一人の乙女が、自分の愛する人、夫、恋人を送り出した後、“その人が踏んだ石だと思えば、私には玉と思えるのです”とうたった一首です。

 なにが、この当たり前の、どこにでもある石を、輝く玉に変えたのか、それはこの乙女の心に宿る愛する心、いとおしむ気持ちだったろうと思います。この人は何カラットかするダイヤモンドでなくても、愛する人が踏みしめたその石を、玉と抱いて幸せな人です。

 そして、私たちは、幸せの原点というものを、ここに見ることができます。

<引用終了>

 

今日の日本は、

・物質的で、派手な物

・目立つ物

・過激な物

を、如何にも魅力的なものと錯覚させお金さえあれば手にすることができる。

・お金を稼げ

・お金が全て

・お金さえあれば、何でもできる

・人がうらやんでくれる 

そんなことを、煽っているように見えます。

その宣伝、戦略に多くの人が乗せられそれが本当の幸せと錯覚し、 

・今だけ

・金だけ

・自分だけ

そんな心になってしまっているのかもしれません。お金が無ければ不安になり、執着し、何かに必死に頼ろうとします。でも、執着すればするほど、追い求めれば、求めるほどそれは、どんどん遠ざかって行きます。そして心は疲れ、諦めと、厭世観(えんせかん)にさいなまされ、いつかは、純粋だった心を閉ざしてしまうことでしょう。

元々、私たちの幸せとは、何処にあったのでしょうか?

どこか遠くにあったのでしょうか?

お金や、物、地位や名誉にあったのでしょうか?

それを手に入れたら、幸せになれるのでしょうか?

もしかしたら、私たちの幸せは元々、私たちの心の中にあって、それに私たちが気付いてくれるのをずっと待っていたのかもしれないですね。

大切な物は、見えない・・それが、本当のことかもしれませんね。



 

2021年2月20日土曜日

2248「新生活様式」2021.2.20

 今回は「Jのあっちもこっちも」さんの2021年02月18日の記事を紹介します。


本間真二郎先生 『新しい生活様式の定着は人間の終わりを意味します』

 https://ameblo.jp/j-out-sider-zzz/entry-12657513002.html

新しい生活様式の定着は人間の終わりを意味します

https://m.facebook.com/shinjiro.homma

 2019年の末に新型コロナウイルス(以下新型コロナ)が登場してから、インフルエンザの発生は見られなくなっており、今シーズンは例年の1/1000程にまで激減しています。

 この理由として、手洗いやマスクの徹底などの「新しい生活様式」によるものという意見が多く見られます。他にも様々なものが考えられます。例えば、渡航制限により海外からのインフルエンザの持ち込みが少ない、新型コロナによる感染干渉、患者の受診控え、病院で検査をしていない(厚労省から病院に通達が出ています)・・・などです。

 しかし、2020年はインフルエンザだけではなく、あらゆる感染症が激減していることをご存知でしょうか?

 日本の国立感染症研究所は様々な「感染症の発生動向調査」の結果を毎週、感染症週報として発表しています。 

 一年の最後の週(第52、53週)には、一年間の週ごとの発生数をここ10年間で比較したグラフが見られます。

 図1〜図6をご覧ください。太い赤線が2020年になります。

図1


図2

図3

図4

図5

図6

 2020年は、突発性発疹と細菌性髄膜炎を除くあらゆる感染症が例年よりものすごく少なくなっています。

 重要なのは、この結果を一般の人だけでなく、多くの医師や専門家までが歓迎していることです。つまり、これは「人同士の距離を保つ、マスクや手洗いを徹底している素晴らしい成果」であるとか「私たちは今までなんという不潔な生活をして来たのか」というものです。

 誰もが、なるべく感染症にはかからない方がいいし、もちろん人にもうつさない方がいいと考えると思います。しかし、私は、感染症を含めた物事の結果は、短期と長期とではまったく違うと考えており、むしろそのことを専門家の誰も指摘しないことをとても危惧しています。

 

理由を以下に説明します。

 私たちの暮らしている生活環境(空気、水、土や家の中も)は、おびただしい種類と数の微生物(菌やウイルス)で覆い尽くされています。ほとんどの微生物は私たちと共存することも、感染症を起こしたりもしませんが、あらゆる生物や地球環境の維持に必要なものです。

 私たちは、これらの中で自分と共存する腸内細菌などの微生物(ウイルスなども含みますがここでは常在菌とします)を遺伝による相性や免疫力により選んで取り込んでいます。


 生まれる前の胎児は無菌です。常在菌の獲得は、まずはお産の時に母の膣内、腸内、皮膚の細菌を受け継ぎます。その後は、家族や身の回りの菌を取り入れていきます。

 次に免疫力ですが、赤ちゃんでも自分自身の基本的な免疫力はもっています。しかし、自然免疫はすぐに働けますが、強力な獲得免疫は記憶がなく、すぐには動けない状態です。 

 そこで、抵抗力(抗体)を母から胎児期に受け継いでおり、これを母子免疫と言います。これは1歳程で無くなり、その後は自分の免疫力を発達させていきます。

 母が持つ常在菌は、生きて来た環境と生活の結果であり、母乳中の抗体も、いままで接触したあらゆる微生物に対する記憶の集大成のようなものです。これらは赤ちゃんが母と同じ環境(微生物などの)で生きるのに最適な常在菌と免疫のセットになるのです。

 これらをベースにして、赤ちゃんは何でも口に物を入れるなど、身の回りにある菌を避けたりしないで、むしろ積極的に取り入れていきます。そして、自分と共生できる菌を取り込んだものが常在菌になります。3歳頃までに確立される常在菌(とくに腸内細菌)が生涯の健康を決めているとも言われています。

 

一方、どうしても共生できない病原菌などは免疫力で排除することになります。この時に、免疫力が過不足なく働けば、身体は健全な状態に保たれます。

 免疫は「働く」ことと「調節できる」ことの両方が大切です。免疫が働かなければ、感染症を防げませんが、逆に強く働きすぎると、自分自身も攻撃し病気を引き起こします。この免疫が適切に調節できないことが、アレルギーや自己免疫疾患、生活習慣病、癌、鬱、発達障害など急増している現代病の最も根本的な原因なのです。


 大切なのは、免疫系は生まれてからずっと自分の近くにどのような微生物がいるのかを取り込みながら確認していることです。免疫系が適切に働くためには、これらの菌と常にやりとりをして、共生するのか、排除するのか、どの程度働くかなどの調節を練習する必要があるのです。

 つまり、免疫の調節には、幼少期のできるだけ早い時期から積極的に微生物と触れ合うこと、腸内細菌などの常在菌を整えることが最も大切なことになります。ワクチンで免疫をつければ良い、と考える人もいらっしゃるかもしれませんが、自ら免疫の調節機能を自然に獲得していくことと、人工的に(ワクチンなどで)免疫をつけることとは全く次元の違うことなのです(ここでは詳しく説明しません)。


 何かの病原体に感染した時に、感染するのか?発症するのか?軽症か重症か?死亡するのか?合併症や後遺症が出るのか?・・・なども、病原体ではなく、むしろそれぞれの人が持つ免疫力により決まります。

 しかし、新型コロナ登場後の新しい生活様式により、あらゆる感染症が減少しており、これは、病気を引き起こす微生物だけではなく、私たちが日常生活により当たり前に触れたり、人とうつし合ったりしている微生物との接触が激減していることを示しているのです。

 かつての産業革命(1760年代くらい)までの社会では、微生物による感染症は人類の最大の脅威でした。ですから、あらゆる方法で微生物を排除しようとする動きは、人類の歴史の必然であったとも言えます。

 さらに現代では、生活における除菌や抗菌の徹底だけでなく、どのような軽い感染症でも防ぐことが良いとされています。VPD(Vaccine-Preventable disease:ワクチンで防げる病気)という言葉があります。これは、ワクチンで予防できるものは、どんな感染症でも可能な限り予防しようという西洋医学の一般的な考えです。


 これらの根底には「感染症にかかることは悪いことである」という考えがあります。もちろん重症な感染症は様々な手段で対策をとることが必要になりますが、軽いものも含めてすべての感染症を防いだり、必要以上にあらゆる菌を排除したり、他人との接触を避けることは本当に良いことでしょうか?

 そしてその影響は、免疫系の発達過程にある子ども達が最も大きいことに加え、孫や未来の子孫達にまで及びます。

 今後長期化・定着していきつつある「新しい生活様式」。感染対策やワクチンを始め、これらの是非に関して、今後人々の考え方は二極化していくでしょう。


 大切なのは、どちらが正しいかどうかではなく、一人一人が「自分はどうしたいか、どう生きたいか」を考えることです。そして、その考えを、人に強要したり、排除したりするのではなく、それぞれの考えを尊重しあえる新たな社会の仕組みづくりが早急に必要になるでしょう。




2021年2月19日金曜日

2247「ワシントンメッセージ」2021.2.19

 今回は2021年02月17日の「Jのあっちもこっちも」さんの「緊急拡散 重要なワシントン・メッセージ」の記事を紹介します。


【第103弾】 2/3以来の重要なワシントンメッセージです 2021/2/16 20:45

今日のテーマ 2/3以来の重要なワシントン・メッセージです。

 たった今、重要メッセージが届きましたので、さっそく皆様にご紹介させて頂きます。

 

 石川様、冬も終わりに近づき、春が近くに感じる時期になりました。地上は草木が冬の間に蓄えた活力で芽を出す時期となり、動物たちは元気に活動できる時期がやってくると同時に、われわれ人間も本来の自分自身に立ち返れる時がやってきました。

 2月3日以来となりますが、今回も短い内容ですが、今地上で起きている大切なお話をさせていただきます。

 

①まず先日福島で起きた地震の件ですが、あれは人工的なものでした。海岸線近くの浅い10kmほどの震源としての大地震はもう起きませんが、少し皆さまは驚いたと思います。

 閃光が走った場合は人工由来ですが、今回も3回走りましたので、ディープステート(以下「DS」)が我々の作戦に対して、起こしてしまったことです。予告されていましたし、大きくはならないと思いましたが、想像より少し大きかったのでお伝えします。

 日本におけるDSの後始末は、2月4日までにほぼほぼ終わりました。今回はこれに対する抵抗でした。

 

閃光は走るの様子

地震発生時、福島市の様子【福島・宮城南部で震度6強】地震発生時の福島市の映像です。13日午後11時7分ごろ、福島県の中通りと浜通り、宮城県南部で最大震度6強を観測する非常に強い地震がありました。気象庁によりますと、震源地は福島県沖で、震源の深さは55キロ。地震の規模はマグニチュード7.3と推定されています。震度6強を観測したのは、福島県の相馬市、国見町、新地町、...


   https://www.youtube.com/watch?v=uCK9tTv5JGw


②次にワクチンの件です。我々関係者は、今出来ているCOVID-19用のワクチンは使いません。このワクチンにはナノ・テクノロジーが混入されていて、摂取することにより、DSのマインド・コントロール下に入り、自分自身の自我や意識を欠落させます。

 世界中の政府関係者は、メディアを使い情報操作しながら、記憶をコントロールし、「今起きていることが本当かどうか」の判断を自由自在にコントロールできるようにします。

勿論、ワクチンを打つ打たないは個人の自由な判断になります。すべては個々人の自由意思ですが、このウィルスは本当にメディアや政府関係者が伝えるほど危険なものなのでしょうか? インフルエンザの昨年の統計や死者の数と比べてみてください。

 さらに、このウィルスは、我々西洋人をターゲットに作られていて、あなた方東洋人と白人の死亡率の違いは明らかです。メディアや政府は、人類が自由意思を持ち、それを取り戻そうとすることに、目覚めることを恐れています

 

②’このウィルスは、アメリカの大統領選挙を自分たちの思い通りにするための戦略で作られました。現在、ある種族がこのウィルスを無害化するために、彼らの科学で操作し始めてくれています。

 このウィルスは、身体に入った時にそれぞれの因子がバラバラになって活動し、身体の中で悪さをしますが、それらの繋がっている手が取れずに、無害化する方法を彼らの科学力で操作するようにしてくれました。

 それらは少し時間がかかりますが、徐々に地球上が無害化されたウィルスが増えていっている段階です。そろそろ医学的に、次のようなそのような無害化ウィルスを摘出したニュースが入ってくると思います。

 ワクチンを使うか使わないかは、何度もお伝えしますが、個人の自由ですので、それぞれの考え方で決めてください。

 

③次に、マザーアースに関してお伝えします。地球そのものである母なる大地の意識は、昨年復活しました。長い間意識がクローズさせられていましたが、我々の動きと連動して、意識が復活しました。彼女の身体である地上を浄化させる動きが始まっています

 それはどのようなことが起きているかと言いますと、地軸を反転させる動きに入っています。それにより自らを浄化させる作用を生み出すために、2023年までに、地上の人類のために、ゆったりとした動きをしてくれますが、その後どのような動きになるかわかりません。彼女がどう動くか、大いなる意思は全て任せています。これも地上の次元上昇にとって必要なことです。

 

④次に、前回多くの有益な特許が開放されるとお伝えしました。

それは、GESARA/NESARAの一環として順次開放されます。再度お伝えしますが、地上の人類がそれらの有益なものを善としてのみ使用できる精神性を身につけなければ、それぞれが解放されないものもあります

 まず、放射能や重金属などで汚染された地上を綺麗にすることは最も必要なことなので、すぐにそれらの技術は開放されていきます。現在の医療制度や医師たちとの兼ね合いもあり、10年以上解放されない特許もあります。 

 ただし、人類全体が5次元にアセンションが早まればそれらは早く解放されるでしょう。すべては自分たちの意識や自分自身の精神性を早く高められるかにかかっています。その為、GESARAを行います。お金の支配から早く解放され、自分自身の本来の存在を理解するために、善の富の分配が行われます。

 

④’生活するために働くのではなく、地上に生まれた本来の意味を再発見するためにお金から解放されるのです。ただ、お金が好きな人はもっと働けば稼げばよいのです。生活する必要な富は本来人類はみな平等に生まれたときから持っています。人間として、生まれた本来の意味を思い出してください。みんなどこから来たのでしょうか?なぜ地球に今、生まれたのでしょうか?この転換期を目の当たりにしたくて体験したくて、地上のこの時代を選んで生まれました。みんなこの時代に地球上に自分の足で立ち、自分の意思で動くためにここにやってきたのです。 

 誰かに依存して待つだけの為や、不平不満をただいうために生きているのではなく、自分自身もその転換期に喜んで参加するために来たのです。思い出してください。自分自身はかけがえのない唯一無二な存在であり、光そのものであることを。

 この地上が愛と光と平和に包まれる時期が目の前に訪れました。デクラスがもう少しで発表されます。昨年の11月から地球上の精神性はデクラスを行っても良いというサインが出ています。 

 なるべく多くの人類が一緒に新しい時代に行きたいと思い、あらゆることが行われました。中国もいよいよ共産国としての国家を放棄することが約束されました。少し時間がかかりましたが、一緒に次の時代に移る仲間が増えてきたことをここにお伝えします。

 

④”大きなうねりは大手のマスメディアには残念ながらまだ何も出ません。デクラスにより多くの機密解除が行われます。ケネディー以降からトランプ大統領までの変遷、今までの金融システムで一部のファミリーだけが巨額な富を得てきたこと、今回の大統領選挙で行われた不正とそれらはどのような海外の国が関わったのか、すべて明らかになります。

 そして、量子コンピューターによるすべての金融システムが稼働します。この金融システムに使われている技術は、地球上のみのテクノロジーではありません。彼らとの関りも近いうちに発表されます。皆様はあまり驚かないかもしれませんが、多くの方々は本来の歴史を知った時、驚きと恐怖に身動きが取れなくなるでしょう。

 何か月もの間に、今までになかったことが次々と起こります。その時に大きな存在としてこれを聞いてくれている皆さまがいます。この大いなる神の意志で行われていることは誰にも止められませんし、止まりません。安心してください。まず近いうちに行われます。話を聴いてくれてありがとうございます。

 

 以上、重要なワシントンメッセージでございました。そしてまた以上石川新一郎でございます。本日も長時間こんな深夜に関わらず最後までご視聴頂きまして、心より感謝を申し上げる次第でございます。本当にありがとうございます。

 

マザーアースの目覚め(ポールシフトにより大陸は変形します)

 

 上記メッセージを整理すると、、、

① 2/13、福島で起きた地震の件は、DSが抵抗するための地震であった。

② コロナワクチンはナノ・テクノロジーで意識をコントロール。接種は自由意思で。

②' ウィルスは大統領選挙に合わせて作られた。いまに無害ウィルスが検出される。

③ マザーアースの目覚めと、地軸移動。2023年までは、人類のためにゆっくり。

④ 有益な特許の開放。GESARAと、地上の浄化技術は優先される。精神性次第。

④’ 特許開放で、本来の人の暮らしへ。中国も共産国を放棄が決定。

④” 不正が全て明らかに。異星人の関与も。一般の人は頭が真っ白に。

 

地球温暖化は嘘、地軸変動(ポールシフト)が答え



  地軸変動なども前からお伝えしてきました。地球温暖化ではなく、ポールシフトです。すべては、大日月地神示が言う「神の一厘のしくみ」、計画通りです。それらがこれから、実際に目の前に顕れてきます。



2021年2月18日木曜日

2246「想定内」2021.2.18

 今回の2月13日の地震について澤野大樹さんのお話を紹介します。青森講演会を主催している小野さんの「宇宙の中心で愛を叫ぶ」2021年2月16日の記事です。

https://ameblo.jp/riyanmichaki/


澤野大樹氏青森講演会直前インタビュー 2021-02-16

みなさん、こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催 小野裕美子です。

2021年2月13日。2011年3月11日東日本大震災から10年。またしても、『あの日』を彷彿とさせる巨大地震が東北を揺さぶりました。青森講演会第⑦回開催直前に。今回の震災は、前回の「想定外」とは違い、「想定内」ともいえるものなのではないでしょうか。

被災された地域のみなさまには心からのお見舞いを申し上げます。

今回のインタビューは、いつもの【序文】に代えてのインタビューです。世の中の起こることすべてに意味がある」と考えると、青森講演会前に起こった震災に『神仕組』というものが絡んでいるのではないかと、そう感じずにはいられません。


今回もどうぞ、よろしくお願いいたします。 

――澤野さん、

まもなく青森講演会第7回目(20日弘前、21日八戸)です。澤野さんの青森講演会前には必ず何か起きていますが、今回も東北地方で大きな地震がありました。巷では本当に様々な憶測が飛び交っているようですが、澤野さんはこの地震についてどう思われましたか?

 

ひとつ必ず心に留めておかなければならないことがあります。それは、トランプさんは今回の掃討作戦に際しては、一般市民を犠牲にするようなことは絶対にやらないということです。それが例え日本のDSの難攻不落の要塞であったとしても、それを掃討するためのミッションにおいて一般市民の犠牲が伴う可能性のある作戦行動は絶対にやらないということです。

 

――ということは、今回の地震はトランプさん側による掃討作戦ではないということですか?

 

そうです。しかしここで「※」が付きます。「※ただしこの地震自体に限っては」ということになります。

 

――例えば、この地震は福島にあるとされるカバールDSの地下基地が爆破されたことに

よるものだとか言われていますよね。

 

これまで世界中で起こされてきたテロ(爆破、爆発、火災、暴動)はすべてカバールDSによって人為的にコントロールされてきました。最近わかってきたのはそのテロの中に「天災」(気象、地震、噴火)なども含まれていたのだということでしょ。

もちろんこれまでも薄々わかっていたことですが、それがそのメカニズムと動機の解明を伴って、確信に変わったということでしょう。

そして今回の東北の地震を目の当たりにして、多くの人がその仔細なあらましまではわからずとも、確実に「怪しい」というところまではもはや普通に認識されるようにまでなりました。

 

――これまでの世界での掃討作戦を見てきたからこそ、日本でのこの地震に対しても

その背景を考えるようになったということですね。世の中の事象にはウラがあると気がつけるだけの素地ができたといえますね。

 

トランプさん側が行っているカバールDS掃討作戦の模様は、見ているとじつにシリアスなことはもちろんなのですが、どこか意図的に底抜けのユーモアが忍ばされていることがわかります。ホワイトハウスの執務室の壁紙が違っていたり、壁に隙間があったり、ペンを逆さに持っていたり、ボロボロで汚く傷だらけの大統領専用車「ビースト」から降りてきたり、

飛行機のタラップでつまづいたり、エンジンから煙が噴射されたり。明らかにエアフォースワンではないコールサインを映したり。

 

――あれはわざとやっているのですよね?

 

おそらく最終的にはバイデン氏の頭上にタライが落ちてくると思います。まあこれは「ショー」でもあるわけですから、随所にジョークのポイントが意図的に散りばめられているわけです。つまり、観客はポップコーンを食べながらショーを純粋に楽しむことに徹することができた。しかし今回の東北の地震は違いました。明確に具体的に一般市民に被害が発生し、

幸いなことにひとりも亡くなるようなことにはなりませんでしたが、人命に関わるような事態であったことは確かですよね。

 

――確かに「ショー」の範疇を超えていました。

 

今回の「震度6強」のように、インフラが破壊されたり人命に関わるようなミッションは

トランプさんたちは決して行いません。トランプさんたちは常に「安心・安全」ですから。

もしあるとしても短期的な「停電」か「ネットの遮断」くらいでしょう。東北新幹線が電柱の倒壊によって運休になったりしていますよね。このように一般市民に影響を与えるような物理的破壊は、つまりこれはトランプさんサイドが提供している「ショー」ではない。

 

――つまり、地震はカバールDSによるもの?

 

これは明らかに日本国内カバールDSによる抵抗の表れであり、この地震によって「何か」を糊塗する必要に迫られてのことです。ということは、今回の「地震」はカバールDS側によるものだとわかります。しかしそれで話は終わりではありません。

 

――どういうことですか?

 

日本のカバールDSたちは日本国民の精神を支配しています。なぜならばカバールDSは「オカルトそのもの」でもあるからです。これまで日本各地の地脈を調べ上げ、龍脈のポータルに「杭」(くい)を打ち、その動きを止めてきました。最近世界中で「モノリス」が抜かれて地上に現れていますよね。

 

――モノリスが「杭」だという発想はありませんでした。

 

カバールDSの人たちは、自分たちこそが誰よりもオカルトであるのに、一般市民がオカルトを語ると「またオカルト陰謀論か」と馬鹿にすることによって、一般市民が誤ってオカルトの真髄に立ち入ることを予防してきました。それは徹底されていて、ただ一瞥するだけであっても許されませんでした。

だからこれまで日本のスピリチュアルというものは、毒にも薬にもならない表層をなぞっただけで、一生続けてもまったく成長すらないという徒労の牢獄をループさせられてきました。それは制御されてきたものです。

つまり私たちの「精神」「心」にもじつは杭が打たれていたのですよ。本来なら自然に行われていたはずの意識の拡大や心の器の拡大を知らない誰かによってこっそりと制御され抑制されていたのです。しかしそんな時代はもう終わりました。

 

――あらゆる「封印」が解除されているのですね。

 

先日のミャンマーの件に始まり、トランプ勢力によるアジア方面、そして日本のDSに対する大規模な掃討作戦が行われることになりました。このことを彼らは事前に察知したわけですよ。そしてその作戦は「停電」とともに、夜遅くに実行される。

 

――やたらと「夜間の外出自粛」と言っていたのはじつはこのことだったのかもしれませんね。

 

そう。裏の裏の裏がこれだった。しかしまだわかりませんよ。そのまたさらに裏がこれから明らかになってくるかもしれませんから。

 

――もはや人智を遥かに超えたシナリオですね。

 

日本のカバールDSは世界のDSのいわば頂点です。ですから日本は最後の最後まで取って置かれていた。そして今回ようやくいよいよ日本の番となった。しかし、彼らはそれを最後の最後まで抵抗し続けるのです。なぜならば、彼らにはこれまで支配者として君臨してきた強烈なプライドがありますよね。そんな自分たちがまさか掃討作戦の粛清対象になっているだなんて、そんな無様な姿を晒すわけにはいかない。そしてもしかしたら抵抗すればまだ助かる道はあるかもしれない。彼らはそう思っていたはずです。

そんな矢先に、トランプさん勢力による日本カバールDS掃討作戦開始の知らせが入ったのでしょう。彼らは諜報と情報通信の達人ですから、日本で行われる掃討作戦の詳細な時刻や概要を掴んでいた。このまま黙ってそれを受け入れるだけの器は彼らにはない。

 

――混乱してパニック状態に陥ったのかもしれませんね。

 

ある日突然、全国各地で大規模な停電が起こったとするならば、何も知らない一般国民でも「あれ?」と思ってしまいますし、誰もがその「理由」を問い始めてしまうでしょう。

それはマズイ。これまで自分たちが仕掛けてきた幻想世界、虚構世界のカラクリが人々に勘付かれてしまう。なぜ全国で突然停電が発生するのかについての合理的な答えを彼らは用意できていなかった。

カバールDSたちはこの期に及んでもまだ己のメンツと、日本人に仕掛けてきたマインドコントロールの維持、つまり「保身」を最優先にしているのです。また、「もしかしたらうまく誤魔化せるかもしれない」と、すでに決まった運命からの逃避として一縷の望みを夢想したりもしていたのでしょう。

あともうひとつ。カバールDSとしては、東京オリンピックを森氏の失言を原因として中止にするなんてことは絶対にできない。ならば、誰もがその中止に納得するだけの「理由」を創造する必要に迫られた。

この大きな2つの要因を満たすものとは何か?こうして今回、東北で大地震となったわけです。すべての証拠を隠滅しながら彼らは日本国民を、世界を、地球を道連れにしようとします。断末魔の叫びを上げながら。私はこのやり方は今回が初めてではないと思いますよ。

このようなやり方のことを私は「ヒロシマ・ナガサキ方式」と呼んでいます。

 

――これはもう「大統領選挙」どころの話じゃありませんね。人類の存亡がかかった史上最大の戦争が起こっているのですね。

 

そうそう。でもこの戦争は多次元的に行われていますから、見える人と見えない人がいます。

カバールDSが仕掛けた東北の地脈のポータルとは、本来はこの地球に元々備わっていた自然そのものの力なのです。彼らは苦し紛れにそのようなポータルを自己都合に用いてしまった。

ソロモン王が従えた72柱の悪魔のうち、第2番目の「アガレス公爵」(Agares)は、地震を起こすことができる悪魔だといわれています。じゃあそのアガレス公爵を使役することできる「ソロモン王の指輪」を所持している主は今誰よ?って話になってきますよね。

しかしその究極のエゴイズムによって、彼らがこれまでずっと封印してきた究極のこの地球の力、つまり大自然の「本音」の部分を目覚めさせてしまったということになります。

これこそが、「闇の陰謀はヤハウェの神仕組とコードシェアしてくる」ということです。

この戦争はおもに多次元世界で行われているものです。ですので通常の人にはなかなか知覚できないところで行われています。でも人類の存亡に関わる重大事でありますから、その顛末をきちんと人類に提示して見せなければなりませんよね。

だからトランプさんたちは、その多次元的顛末を、三次元現実世界に変換しデチューンして「ショー」として、見せてくれているわけです。

 

――ということは、オカルトの世界がじつは現実で、私たちが「現実の世界」だと思っていた世界が虚構だったということですか?

 

そうそう。だから、多次元世界で起きているこの戦争を、私たちが知覚できるようになるということはじつは霊的覚醒を伴うのよ。トランプさんたちの本当の目的とはじつはここにあるわけ。今回の青森講演会ではそのあたりをじっくりとお話できたらと思っています。

あ、そうそう。2020年4月に行われた青森講演会「第3回」で私はこう申し上げていました。去年の4月ですからね!(※個人名はイニシャルにしておきます)


もし、本気で新型コロナウイルスを止めたいと考えるのであれば、2020年東京五輪は、延期ではなく「中止」とすれば良いのです。もし中止にすれば遅くとも今年中には終息すると思います。

でも、そんなことを彼らが決断するわけがないのです。彼らは何としてでも意地でも五輪を延期してでも開催したいわけでしょ。となると、A政権が存在している限り、そして、

五輪開催を延長したらしただけ新型コロナも一緒に延長されていくということです。

では結局どうなるのかと申しますと、一年延長したとしても、結局「中止」となることが予想されます。つまり、ダラダラと新型コロナがずっと蔓延したままとなりそのまま五輪も結局中止となるでしょう。

で、そうなった時に、“彼”はすべてを誤魔化し目を逸らすために、日本のどこかで巨大な地震か何かもしくはそれに匹敵するようなものを用意すると思います。

どの道、今の日本および世界は「禁断のパンドラの箱」を開けてしまったのです。

自分の能力では制御できないものを後先考えずに開けてしまったのです。

 

ね、ハンパないでしょう?この続きは次回青森でお話いたします。

ぜひみなさん、青森講演会でお会いいたしましょう!


――澤野さん、ありがとうございました!青森講演会を楽しみにしています!

 

Seal of solomon(ソロモン王の紋章)

  


 

「ソロモン王」のことは、第②講演会で話されていたことですし、活字版原稿にも詳しく記されています。そして、今一度お手元の青森講演会第③回活字版原稿も御覧いただきたい。

途轍もないことが書かれてありました。 

これ以上はここでは申し上げられませんが、以前2011年に、澤野氏は311を「見えない請求書が届いた」という表現をされました。今回も、「見えない請求書」の差出人は誰か、

「生と死は同価値」ということにどう目を向けるかで、世界の見え方が変わってまいります。

青森講演会第⑦回、今回もどうぞご期待ください。みなさまのご来場を心よりお待ちしております。


※青森講演会は2月20日、21日です。小野さんのサイトで確認ください。

仙台講演会は3月14日です。講演会案内は直前公開しますが参加申し込みは受け付けています。仙台天命塾HPで確認ください。


2021年2月17日水曜日

2245「受け入れる」2021.2.17

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月10日の記事を紹介します。


まるごと受け入れる

このブログでは、元気で悩みも無く、明るく暮らしていらっしゃる方へと言うよりも、

どちらかというと、日々の暮らしに疲れ、悩み苦しみ、涙を流していらっしゃる方に向けて書くことが多いです。できれば悩みや苦しみから解放されて、心から笑って頂きたいからです。そのヒントとなればと、今日もブッダのお話からご紹介します。


 ブッダは2500年前に、人間の生というものは「苦」に満ちていると悟りました。ブッダが悟った「苦」とは世の中は自分の思いどおりにならないという意味でした。

災難の中に居ることが「苦」ではありません。「この世は『苦』に満ちている」という言葉の本当の意味は、結局は自分だけの問題だということになります。

何故なら、どなたも自分の思い通りにならない現実に対して、自分の心が苦痛を感じているからです。外からやってくる不幸や悲劇は存在しません。それらには良いこと・悪いことという色が全くついていません。全てが内側、つまり自分の心・思い、受け取り方の問題だったとブッダは気付きました。

 ブッダは思いどおりにしたいという「執着」を持たなければ、人間は全ての「苦」から解放されることに気づいたのでした。そしてブッダは全ての煩悩から自由になり、悟りを開きました。

 私たちの悩みの多くは、実は自分自身のことではなくて、他人が自分の思う通りに振る舞わないことから発生していると言われます。多くの人は自分の価値観の中に、相手を連れてこようとして苦しみます。

でも、その人の良いところも悪いところも全部踏まえた上で、そのまま全て、まるごと受け入れてしまえば何の問題・悩みも無くなります。

 自分の価値観を、人にまで押しつけようとした時に、実は自分自身が一番苦しみます。

人や物事・起こっている現実を自分の思う通りに変えようとせず

・お金と仕事の問題は、「掃除」をしていれば無くなってしまう。

・体と健康の問題は、「笑って」いればいい。

・人間関係は、感謝、「ありがとう」を言っていればいい。

 それだけで私たちは幸せに暮らしていけるように神さまが、この世の中を作ってくださっています。

 神さまが好む人間の行為ベスト3は、

・掃除

・笑い

・感謝

の3つなのだそうです。

 神さまは掃除をする人が好き、笑顔や笑い声が好き、感謝する人が好きらしいのです。

「掃除」と「感謝」は、いわゆる善行。ここに「笑い」が入ってくるのは、実は「笑い」は「肯定」を意味しているからです。「笑い」とは、目の前に起きている現象に対する肯定であり、受け入れることです。

 それは目の前の現象(嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと)を起こしてくださっている地球や宇宙や神さまに対し、「ありがとう」と肯定したという意味になります。

 神さまにとって「肯定された」ということは、自分のしたことを「喜ばれた」ということになります。

 小林正観さんが仰るには、神さまは喜ばれると嬉しくてやる気になって、応援支援をしようと思うみたいなので、肯定的な人には、どんどん味方をしてくれるようになるそうです。

私たちは子供のころから、「手に入っていないもの」を挙げ、「それを手に入れることが幸せ」という風に教えこまれて来ました。

 またビジネス社会でもそうですね。売り上げ目標を高く掲げ、ムダを極力省き全てのエネルギーをそこに注ぎ込みます。また「努力しなければダメ」「頑張らないとクズ」と教えられても来ました。


 一方、

・既に沢山のものをいただいている

・既に充分恵まれている

との考え方に至った人たちもいます。

これは現状(嬉しいことも、苦しいことも、悲しいことも)を肯定して、「喜びながら」

「幸せを感じながら」「感謝しながら」生きるという生き方です。神さまや宇宙に、今既に十分与えられていると言う「小欲知足」の生き方です。  

強く願えば叶う、努力すれば必ず現実を変えられる。宣伝や営業努力の結果でものが売れる・・そのような方法論はもう古いのかもしれません。神さまの意思や働きを否定した傲慢な考え方かもしれません。

神々の計画では、21世紀は「精神性の復活の時代」、「心の時代」になって来ています。

21世紀は、いかに宇宙を味方にするか?周りと調和していくのか?そう考える方が時代の潮流のようです。

・人に喜ばれるように生きていくこと。

・「頼まれごと」をひたすら実直な、愚直な、誠実な心で行っていくこと。

・目の前の現象をまるごと感謝して受け入れること。

・自分が社会的に成功するとか、

・お金持ちになるとか、

・商品が売れるとか、広まるとかということは、

ブッダが言うように、全て本人の力ではありません。すべて神さまや、宇宙、そして周囲の人・ご縁のおかげです。→縁起の法則と言います。

ブッダは般若心経でそう教えてくださいました。


自分の努力や力ではなく、全てが目に見えない神さまや、宇宙、人様のご縁のおかげということがわかったら、あとはただ感謝、「ありがとう」と言うだけですね。

何故なら、その現象は、私たちの魂を磨き、美しく輝かせるために起きていることだからです。それが、ブッダは2500年前に悟った人間の生というものは「苦」に満ちている・・

その苦しみの世界において、真の幸せを掴む道なのかもしれません。


  泥の中から咲くハスの花ように、私たちも、この世界において、置かれた場所で、

美しい花を咲かすことが、きっと誰にでもできるのです。

  

2021年2月16日火曜日

2244「災難」2021.2.16

 2021年2月13日深夜、地震がありました。大きな揺れで目覚めて起きましたが、かなり激しい揺れが長く続きました。以下の様に報道されています。

「土曜日13日(2021年2月)の深夜、福島、宮城県を襲った最大震度6強の地震は、気象庁は発表ではなんと10年前の東日本大震災の「余震」だという。政府の地震調査委員会は、東日本大震災の余震が「あと10年間は続く」という見解だ。

  地震は13日午後11時7分に発生、震源は福島沖で、10年前の震源より南西寄りで陸に近く、深さ55キロ、マグニチュード7.3だった。東日本大震災はM9.0だったが、今回は「かなり強く、長い間揺れた」という声が多く、北海道から中国地方まで広範囲に揺れた。停電は、横浜市や千葉県内など首都圏も含めて約95万戸に広がった。体が感じる揺れとしては今回の地震は1分40秒間で、東日本大震災の3分40秒間よりも短かった。東北新幹線の全線復旧には10日間ほどかかる見込みだ。」


 今回の地震では私の部屋がかなり散乱しました。部屋の本が落ち、植物の鉢、石の置物がひっくり返り、本箱は20センチ強移動して足の踏み場が無い状態でした。10年前の311地震の時よりは軽度でしたが、夜が明けて後で気が付いたのですが窓ガラスも外れて壊れていました。

 地震後直ぐに片付け始めましたが、丸々1日掛かりの作業で他の部屋も含めて、未だ完了出来ていません。生じた被害について思いも湧かず、起きたんだという感じで淡々と目の前の作業を行いました。月曜日朝には私の部屋はどうにか様になりましたが、窓は板で打ち付けです。パソコンも明けずにいましたが、なぜか日曜日午後に気が付いたら10年近く愛用している携帯電話、ガラケーが無反応で画面が真っ黒です。

 壊れた家電製品を買いに日が暮れてから電気屋さんに出向き、閉店間際のドコモショップでガラケー携帯を購入し、充実した1日になりました。前日はほとんど眠っていませんでしたので日曜日は熟睡です。


 後で調べたら今回の地震は自然災害ではなさそうです。地震が発生する前に停電が起きていたり、発生後直ぐに津波の発生はないとアナウンスがあったり、23時8分地震発生1分後の23時9分に総理大臣官邸の危機管理センターに対策室を設置しているのです。さも地震が起きる事を分かっていた風です。311東日本大震災の余震というのですが今後10年も余震が起きる可能性があるというのです。そもそもプレートテクトニクス理論は仮説でありその説明には疑問です。

 更に地震発生時の発光の映像に遭遇しました。「(真)日本の黒い霧」の2021年2月14日の記事の1部分を抜粋して紹介します。

http://adoi.hatenablog.com/

 

画像1:地震に伴う発光現象(NHKのライブ放送から)

画像2:発光現象は次々と(ツイートより、NHKライブ放送録画)

「画像2は上から時系列で並べています。1分以内に次々と発光が起きているのが分かるでしょう。最初の画像はビルの手前が明るくなっていることより、カメラ後方で発光現象が起きていることを示しています。

これを専門用語で地震光と言うそうですが、最近頻発している火球とも見紛う明るさです。しかもこんなツイートまで。本当に自然現象なのでしょうか?」


 このサイトの2019年8月5日 の「宮城でまた地震-地震は人為的に起こされる」記事に更に地震への見解を述べていて、最後に以下の様に纏めています。

「以上より、私の結論はこうなります。今も昔も、全ての地震は人工的である と。そして、次に問題となるのは、ミニ震源を揺らすメカニズムと、中世の大地震など科学史的な観点による状況の説明です。これらについては現在解明中であり、近々その詳細をお伝えできるかもしれません。

 * * *

 先の東日本大震災はもちろんのこと、100年近く前の関東大震災も人為により行われたと私は見ています。来るぞ来るぞと警告が続いている東南海地震も、やはりボタンのスイッチを押さなければやってくるような地震ではないでしょう。地震への恐怖が莫大な公共投資・民間投資を生み、実際に大地震がくれば多くの犠牲者を生むとともに、巨大な建設需要が転がり込みます。現在の東京も、大地震があったおかげで大規模な区画整理ができたことを忘れてはなりません。

 この地震発生メカニズムと制御テクノロジーを理解したとき、私たち日本人は地震の恐怖から完全解放されるのだと思います。最近になってそのメカニズムの一端が見えてきたこと、また、それに干渉する術が少しずつ分かってきました。全面解放の日は意外と近いのではないかと予想してます。」

https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/d41ddcc428df737affaf0300f1c6a64d


 コロナ感染の蔓延で東京オリンピックの開催は中止の様に思っていましたが、森元会長の失言問題で2月12日に辞任が決まり、地震も起きていよいよ開催は中止でしょう。今回の地震で90万戸が停電とのことですが、最近は米国大統領選挙絡みなのか世界各地で停電後に何かが行われているようです。日本でも何かが進行しているのでしょうか。

 私が災難で思う言葉は良寛さんの災難除けの法です。以下紹介します。


【良寛の言葉】災難に遭う時節には災難に遭うがよく候

地震や台風、大雪に噴火。

個人の力などでは到底太刀打ちすることのできない圧倒的強大な自然の力の前に、人は何ができるのか。どれだけ頭をひねって予防に努めても、自然災害を完全に防ぐことなどできないという不可避性に、災害の恐ろしさを思わずにはいられない。

天災とはよくいったもので、要するにそれは人間が制御することのできない「天」の範疇に属するものであるということなのだろう。端的に、「天」は「人」の範疇を超えている。

そんな災害が起きるたびに、ふと思い出す言葉がある。

災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」江戸時代の禅僧、良寛和尚の言葉である。

天に対する人の対応の妙を簡潔に述べた、なかなか考えさせられる言葉だ。

この言葉は、良寛和尚が知人の山田杜皐へ送った手紙に記されたものなのだが、それにはこんなエピソードがある。

三条地震

1828年12月。良寛和尚が71歳の時、新潟県三条市付近で大地震が発生した。のちに三条地震と呼ばれる大地震である。被害の全容は全潰12000軒以上、死者1500名以上。火災によって焼失した家屋も相当な件数にのぼったという。そんな三条市のすぐ南に位置する長岡市に、良寛和尚の父親が生まれた与板という町がある。

 ここには良寛と親しい間柄にある知人が何人もいたが、とりわけ酒造業を営んでいた山田杜皐は良寛和尚を「蛍」とあだ名でよぶほどの仲の良い間柄であった。

三条地震が発生したとき、杜皐が暮らす与板もやはり甚大な被害に見舞われた。しかも悲しいことに、杜皐はこの地震で子どもを亡くしてしまった。しかし杜皐は、そうした自分たちの被害もさることながら、同じく被害に遭ったであろう良寛が無事でいるかを心配に思い、良寛に見舞いの手紙を送った。手紙を受け取った良寛は、幸いにも無事だった。そこで自分が無事であることを伝えるため、すぐに杜皐へ返信の手紙を送るのだが、その末尾に添えられたのが上記の「災難に遭う時節には……」の言葉なのである。

ちなみに、手紙の前半は次のようになっている。 

「地震は信に大変に候。野僧草庵は何事もなく、親類中死人もなくめでたく存じ候。

うちつけに死なば死なずに永らえて かかる憂きめを見るがわびしさ」

地震に遭った杜皐の境遇を憐れみ、自分は無事でいることを伝え、そして歌を一首したためた。

 人生を生きながらえてきてしまったことで、人々が悲しみに打ちひしがれる姿も多く目にすることとなった。やるせない思いでいる。

 そんな意味合いだろうか。そしてこのあとに件の言葉が続く。

「しかし災難に遭う時節には災難に遭うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候

是はこれ災難をのがるる妙法にて候 かしこ 良寛」


非情か?

この言葉を読んで、「なんて冷たい言葉だ」と感じた人はきっと少なくないと思う。おそらくは「人間、誰だって災難に遭うもんだ」と、なんだか突き放すような、「しょうがない」「どうしようもない」という雰囲気の言葉に読み取れてしまうからだろう。

 そりゃ間違ったことは言ってないけど、正しいことを言えばいいってもんでもないでしょ、と、デリカシーに欠ける言葉だと感じる人もいるかもしれない。

正直なところ、実際に災害に遭った方々にこの言葉を伝えるのは難しいと思う。

「災難に遭えばいい」と聞こえてしまう言葉は、たとえそこにどのような意図が含まれているにせよ、相手を傷つける可能性を有してしまっていると考えたほうがいい。

 すでに信頼関係が構築されている間柄だとか、言葉を理解してもらえる土壌が整備された状態であれば伝わるかもしれないが、そうでなければ軽はずみに口にするべき言葉ではないように思う。 

ただそれでも、もし自分が災害に遭ったときには、きっとこの良寛和尚の言葉を杖にして生きるのではないかと私は思っている。万人に受け入れられる言葉ではないかもしれないが、少なくとも私はこの言葉を酷だとは思わない。

 人が抱く「苦」という感情の真実を言っているからだ。災難から逃れるための真実、災難に苦悩しない真実、厭うことで苦悩が生じるという、苦悩の真実を示した言葉であるからだ。


災難が災難になるとき

災難が降りかかるときは、降りかかるしかない。死が免れないのなら、死を受け入れるしかない。そうした現実を認めたくない、受け入れたくないと思い、現実を「厭う」という感情から、人の苦悩ははじまる。それが仏教における「苦」の理解の第一歩である。

災難を受け入れたくないと思うことで、「地震」は「災難」と認識される。災難を受け入れることで、地震は「災難」から「地震」へと本来の姿に戻る。たとえ地震から逃れる方法がないとしても、災難から逃れる方法はあるのだ。良寛和尚が言うように、災難に遭うときは災難に遭う。すでに災難に遭ってしまっているのに、遭いたくないと思ってしまうことで苦悩が生じるのなら、遭ってしまった災難を受け入れよう。災難とは、それを災難と受け取ったときに生じるものであって、地震を災難と認識しなければ地震は災難にはなりえない。

だから、災害によって家を「壊された」と恨むのではなく、災害によって「壊れた」と、ただありのままに受け取ろうというのが良寛和尚の言いたい姿勢なのではないか。

 良寛和尚の言う「災難から逃れる妙法」とは、天の事柄である「地震」を、人の事柄である「災難」にしない認識方法なのだと私は思う。

一読すると冷たいように感じられる言葉かもしれないが、なにも良寛和尚は後世に残そうとか、万人に伝えようなどと思って手紙にこの言葉を書いたのではない。


相手が杜皐だから書いたのだ

言葉の真意を理解してもらえる間柄であるとの信頼関係があったからこその言葉なのだ

と受け取るべきではないか。時に「デリカシーに欠けた手紙のやりとり」と批判されること

さえある言葉であるが、こうしたやりとりができる2人の間柄を、私はほとんど羨ましいと

さえ思う。」

https://www.zen-essay.com/entry/sainan


 最後に私の部屋の災難後と復活後の写真を紹介します。






2021年2月14日日曜日

2243「繋がること」2021.2.14

 2月11日は仙台テンメイの恒例の味噌作り会でした。子供たちも含め25名ほど集まり、楽しく、賑やかに、和気あいあい出来ました。130キロの味噌の最後の仕上げは総出で混ぜ合わせます。最後の皆さんと一緒の情報処理で、後は各自5キロずつ樽に仕込み各自の環境で熟成です。1年後が楽しみです。






 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月12日の記事を紹介します。


神さまと繋がること

この夜明け前の一番暗い時、ヨハネの黙示録の中で示されている、第7のラッパの音が鳴り響く世の中で生きていて一番心強いことは、やはり神様とともに生きることではないでしょうか。神様と生きるそうは言っても、ピンとこない方も多いかもしれません。ですが、もともと私たちは神さまから魂の一部を頂いて生まれてきました。

元春日大社宮司で、高名な形成外科医であった葉室頼昭さんのご著書を基にして書きたいと思います。

 

はじめのはじめ至高の神の意志がありました。神さまは自分のご意思を実行に移すために150億年前、ビッグバンを起こし、全てが始まりました。 

古事記によれば宇宙で一番はじめに現れた神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。ですが、すぐにお隠れになりました。その後まもなく現れたのが

・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)

・神産巣日神(かみむすひのかみ)

やはり同じようにすぐに姿を隠してしまいました。この3柱の神を造化三神(ぞうけさんしん)と呼びます。 

  むすひのかみ達は、以前記事にも書きましたが量子力学で言われる「弱い力」、つまり中間子、素粒子を結びつける力です。湯川博士が発見しました。

この力が存在したために、原子ができ、分子になり、物質が生まれました。つまり、この宇宙に存在する物すべてに原子よりももっと小さなレベルで、神々が宿っているということになります。もちろん私たちの中にも至高の神さまがいらっしゃいます。

私たちの考えていること過去、現在、未来、全て見渡して私たちとともにいらしてくれます。葉室元宮司が仰るには、神さまの意図、つまり至高の神が宇宙を創造した目的は外側から、神さま自身の 真・善・美を見て味わい、知ること。内側からでは、自分自身を見ること、知ること、感じることができないからです。 

そのため、宇宙神から頂いた、魂、生命を使い枝分かれした生命体たちは、様々なことを経験し、味わい、知ります。その経験、知識を集めて再び私たちは、宇宙神の元に戻ります。

ですから、私たちが経験すること感じること、思うこと・・それに善悪はありません。

全てが経験として蓄積されるからです。 

ですから私たちは、人の行動、言葉の片面だけを切り取り、受け取って良い、悪い のジャッジをすることはできません。その経験も、宇宙神にとっては必要な経験だからです。

色んな宇宙、星々そして3次元、4次元、5次元・・ いろんな次元で、宇宙神から生み出された沢山の魂たちが経験を積んでいます。

ですが、その中でも地球と言う私たちの惑星、それも3次元の世界は生まれ変わり、つまり魂たちが経験するために肉体をまとい、生まれてくる場所として大変人気が高く、倍率が高いようです。何故なら私たちには 肉体をまとっている間、感情を持つことができるからです。感情と言うのは対象に対して抱く気持ちのこと。喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖など。

人生80年生きていると様々な出来事が起こります。(自分で生まれる前に計画してきたことです)それらを経験するたびに私たちの感情が大きく揺さぶられます。

私の人生、どちらかと言えば辛いこと、悲しいこと、苦しいことが多かった。そう思う方もいらっしゃるかもしれません。ですが、その経験をしてきたうえでの今現在の私たちです。

経験値から言えば、今日の私は、過去一番の私です。

その経験も、生まれてこなければできませんでした。辛く苦しみの暗闇の中で、出会った、誰かのほんの小さな優しさ、温かさ、思いやり心に沁みませんでしたか? 苦しんだ経験があるから同じ苦しみの中にいる人たちの心が分かるようになったのではないですか?それって、魂にとったら、大飛躍です。輝きがぐんと増しました。

本当の優しさはその何倍もの苦しみや悲しみを乗り越えてきたからこそ身に付いたものではなかったでしょうか?

それとも今の苦しい環境を、人のせいにしてそこから逃れたいがゆえに、憎み、ののしり、恨み続けるのでしょうか? 私たちの内にいらっしゃり、常に一緒に歩んでくださっている神さまが望むことは、私たち人間たちが、いろんな経験を通じ

・素直な心で

・互いを思いやり、助けいあい、

・お互いさま、お陰さまの気持ちで仲良く笑顔で暮らしていく  

そんな平凡なことではないでしょうか。 

それこそが、神々が私たち人間に、一番望んでいらっしゃる心ではないかと思うのです。

だからこそ、宇宙神は、私たちの心の浄化を一番の喜びとされるのではないかと思います。

私たちの心の霧が晴れ、神々しい光が差し込んだ時、宇宙神は、小躍りして喜んでくださると思います。 

自分の周りに居てくれた人たち家族、友人、同僚そんな人たちに感謝と、祈りにも似た気持ちで接することができれば、神々は喜び、今度はそこで、その場において私たちと、神々のエネルギー交換がなされることでしょう。 

その時、私たちはきっと気付くはずです。 

・私が好きな人も

・私が嫌いな人も

・私を好きな人も

・私を嫌いな人も

みんな、みんな大切な人だったと。かけがえのない人だったと。溢れる感謝の気持ちと共に。私たちは、人の 嫉妬、やっかみ、悪意には鈍感でも構いません。ですが、人の優しさ、温かさ、思いやり、愛情には敏感でありたいものです。なぜなら、そこには神さまがいらっしゃるからです。 

心の浄化が始まった時、神々の喜びとともに、大いなる幸せも続々と現れることでしょう。

何故なら、人の心の浄化こそが神々のなさる最大の奇跡だからです。