2021年6月25日金曜日

2373「それしか起きなかった」2021.6.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月20日記事を紹介します。


「それしか起きなかった」

私たちは、よく後悔します。

・あの時、こうしておけばよかった

・あの時、あんなことをしなければよかった

・あの時、別の道を選べばよかった

それは、今の状況が不満で、不安で納得できない時に、過去のことを悔んでしまいます。

今が幸せいっぱいだったら、後悔などしません。

ですが、その後悔は、神さまの仕組みから見たら、少し違うようです。

さて、今日も、読んでくださる方に、勇気と安心を、感じていただきたくて書いています。

もし勇気が湧いた心、安心した心が得られたら、周りのご家族に、笑顔を向けて下さったら、とっても嬉しいです。

今日は、「人生のシナリオは、決まっている」というテーマなのですが、小林正観さんの講演会の話し言葉の文章が公開されており、とても分かりやすく、心に響くものだったので

ご紹介させていただきます。

<転載開始> 転載元  


一応、簡単な結論を言っておきますと、どうも人間の未来というのは確定的に 決まっているらしい。

私たちは学校教育で、「為せば成る、為さねばならぬ 何事も・・・」、 努力が足りないからできないんだ、自分が目標を持って必死な思いでやれば必ずそういうふうになるんだ。

というふうに教わってきたんですけど、どうもそうじゃないみたいですね。

努力をしてもしなくても同じ結果になるのか、っていうとそれはまたちょっと違うんですけど。

その人が生まれ育った家庭環境で、努力を続けてその通りになるっていう、そういう シナリオを書いて生まれてくる人がいれば、家庭環境によってはまったく努力をしないっていうシナリオを書いて生まれてくる人もいます。

努力をしたらこうなるというシナリオを 書いているか、努力をしないでこうなるという結果を書いているか、というどっちかである。 

すなわち 生まれた瞬間に、もう死ぬときが決まっている、ということです。


 死ぬときが決まっているということは、生まれてから、死ぬまでのシナリオが全部決まっている。

今は過去の集積である  ある投げかけや、動きや行為行動をしなければ、次の動き、行為行動にはならないということ。

自分の 投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくる  という法則があります。 

投げかけたものとは 

・優しい言葉

・勇気の出る言葉

・思いやりのある言葉

・お互いさま、お陰さまの心

・笑顔

その逆に、

・罵詈雑言

・悪口

・疑心暗鬼の心

・自分さえ良ければの心

・憎しみ

様々ありますね。 

その人の今の現実を見たときに、みなさんは過去の姿を推定することができますね。

超能力ではなくて、現在の現象を見ていると、過去の現象を、読みとることができます。  

そして、現状を見ると、過去が推定できますね。現状を見ると、未来が推定できますね。  

そういうふうに因果関係が作られています。

過去の言動を見れば、今の自分が見えてくるし、

今の自分を見れば、未来の自分を予言できます。  

投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくるという、この法則を知るということもまた、生まれる前にシナリオとして準備されていた。 

こういう因果関係を知るというのもシナリオなんですね。 

今日この因果関係を知って、「ついに分かったぞ」という人もいるわけです。 

そうか、 そういうことで自分の人生は成り立ってきたのか、じゃあこれから自分の人生を 

誠実に正直に生きていこうと 決めたときに人生は一転するんです。 


 それじゃ、そう決心したことで昨日までの人生とまったく変わったじゃないか?

シナリオが変わったじゃないか?

ということになるけれども、変わるっていうのは、本人がそう思っているだけで、実は宇宙的にそのシナリオ、つまり、その時、変わる決心をすることも、そのようにシナリオが書かれていただけなんです。  

私はしゃべる立場で、2月9日に皆さんの前でしゃべらなくちゃいけないってことになっていて、吹田の会場でこういう話を聞くはめになっていたというのも、みなさんのシナリオなんです。 

自分が気が付かずに投げかけてきた事の集積として、そういう状況に囲まれているだけです。面白いですよ、その因果関係というものが分かってくると、じゃ今日からこうすれば いいじゃないっていうのが自分の中で分かってきます。

人間のすごく生きやすい 生き方というのを一言で言っておきますと、

誠実に生きるということです。


 馬鹿正直に、愚鈍にっていう言い方もあるんですけど。

これが王道です。 自分の投げかけた結果として、現在がある。今投げかけている結果としての未来があるっていう ことが分かってくると、過去と現在と未来がドミノ倒しのように

一列に因果関係で並んでいるということが分かるんです。

そう考えると、そのドミノ倒しの因果関係の結果として ある時に死を迎える。

ということは、その通過時点であるひとつひとつのことも全部予定通りである

という結論になってしまうんですね。 


 未来的なものというのが、自分が生まれたときから死ぬときまで、過去のことも含めて

未来的なことも含めて、全部シナリオが 書かれているらしいと思ったら、もう過去のことについて何を悔やむ必要もないんです。

人生は今をどう捉えるかの訓練である 

過去のそのときに選んだ選択は、全部シナリオ通りであり、最善のベストの選択であった。

皆さんには受け入れにくい話かも知れませんけど、自分が書いたシナリオで現象が どうも全部起きてくるみたいです。

だから、過去のことについて悔いたり後悔をしたりする意味がない

ということを一応皆さんに言っておきます。

過去のどんなことも、あの時ああすれば

 「ああできたらよかったのに」っていうことは一切ない。

全部そのとおりになっていた、それしか起きなかった、そこしか選択の道はなかった。

そして全部自分がシナリオを書いて 出てきたんだっていうことが解ると、未来的にこんなことが起きるんじゃないか、こんなことが起きたらどうしようって心配することは無意味

だということを申し上げておきます。

今、この瞬間から皆さんは自分の人生に、なんの心配も懸念も持つ必要はありません。 

全部自分がシナリオを書いた。

そしてそのひとつひとつの事件について、自分がどう捉えるかの訓練を今生(こんじょう=この世)でやっている。

捉える訓練の70年、80年なんです。解りますか?  

だから目の前に楽しい思いをして楽しかったというのは、人生の達人からすると初級なんです。

そして、普通に目が見えること、呼吸ができるというような、誰もが喜ばないような、当たり前のことに喜べるようになった人を人生の達人の中級者といいます。

そして、病気だとか 事故だとか、いろんなトラブルだとか艱難辛苦(かんなんしんく=人生でぶつかる困難や苦労) だとか いうようなことに対して、さらにそこに手を合わせて嬉しい幸せ、ありがとうと言える人を人生の達人の上級者と呼びます。 

私たちは自分の人生を自分でシナリオを書いてきているんですよ。その目の前に起きてきた現象についてどう反応し、 どう評価するかってことを死ぬまでにやっていく。

死ぬときまでにこういう話を聞かないで、 つまらないとか悔しいとか、頭にきたとか言いながら死んでいく人がたくさんいるんです。

人口の99.999999%はこういう話を永久に聞かないまま死んでいくんですね。  

過去も未来もない、あるのは今だけ、今日寝て起きたら、いつですか?  

今日寝て起きたら明日って答える人が けっこう多いんですけど。

今日寝て起きたら今日。 今日なんです。

明日って永久に来ません。 実は明日という日は永久に存在しないんですよ。

私たちは、長い時間経過の中で、 明日も明後日も生きているように思うけれども、実は今という時間しか生きていないんです。

四次元的な話をしますけど、私たちの目の前には過去も未来も存在していません。

存在しているのは現在、今この瞬間 瞬間の刹那だけ その刹那の連続しかない。 

だから未来を心配することは無意味だ、過去のことを心配し、悔いることも無意味だということです。

そんな暇があったら、今目の前にいる人を大事にしなさい、ということだけなんです。

人生はものすごくシンプルで、過去のことを心配する、悔やむ。未来のことを 一所懸命どうやって正しい道を選択しようかっていう人は、正しい道を模索しているのかも 知れないけど、そういう生き方ではなくて、今、目の前の事と人を大事にしてゆけばよい。

私たちが考えることは念を入れて生きるっていうことなんです。 

念という文字は、「今」の「心」と書きます。

念じなさい、念じなさい、そうすれば未来は自分の思うとおりになりますと、 自己啓発セミナーなどは教えるんですけど、念じることによって未来が自分の思い通りに なりますかってことは、この念という言葉の中にはまったく存在しません。

なぜそれが言い切れるかっていうと、今の心としか書いていないからです。今、目の前の事と人を大事にすること、それが念を入れるってことです。 簡単なことなんです。

だからさっき言った過去のことの集積として現在がある、その現在が自分にとって 心地よくないのであれば、それを評価論として悔いる暇に、そんなエネルギーと時間と暇があったら、輝く未来をつくるために今、目の前の事と人を大事にする。

私たちは人生をどう生きていくかってことについて、ああだこうだ考えることは全然ない。

今、目の前の事を大事にし、目の前の人を大事にする、それの積み重ねだけ。

それしか私たちはできないということです。それ以外に過去に参加することはできない、

昨日の人を抱きしめることはできない。明日来る女性のことを抱きしめられない。

今、目の前にいるひとだけを抱きしめることができる。 

そういうことです。 人生がこれほどシンプルで楽であることを分かってしまうと、なんにもエネルギーを とられる必要がないから、目の前の事と人とを大事にしていけばいい。

今の心とは、今目の前の人を大事にし、目の前の事を大事にすることです。 


 学校教育の中でも、「がんばれがんばれ、未来を自分の力でつくりあげなさい」って 教えられるけれども、未来のことは考えなくていい、未来のことを考えて心配している暇があったら、今目の前の人と事を大事にするだけ。  

私たちの目の前にある人生というのは、今しかないんですね。

<転載終了>


凄く力強い、勇気が出る言葉ですね。ブッダも同じことを仰っています。

縁起の法則や、刹那の説明に出てきます。

もし、心に響いたら、時々思い出してみてください。

投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくること・・

温かい言葉を投げかければ、温かな言葉をかけられます。

笑顔を向ければ笑顔が帰ってきます。親切にすれば、親切にされます。

傲慢な態度を取れば、傲慢な態度で返されます。


 今、現在の態度、行動を変えれば、必ず未来が変わってきます。

今目の前の人、物を大切に、誠実に生きるということが、一番大切なこと・・


2021年6月24日木曜日

2372「絶対なんとかなる!」2021.6.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月19日の記事を紹介します。


「絶対、なんとかなる!」

私たちは、生きている間、都合よく、良いことばかりが起きて、不幸や悲しみを知らず、

喜びの中で死を迎えたいと思っています。

ですが、それが、本当に永遠の生命「魂」にとって、幸せなことでしょうか?

あの世と、この世の価値観は逆転しているといわれています。 

・この世での苦労

・報われなかった苦労

・誰にも尊敬されない仕事 

など、私たちは目にもくれないし、時には軽蔑したりしますが、あの世の価値観では、それこそが宝の山なのだそうです。 

それでは、今日は斎藤一人さんの言葉をご紹介します。

<引用開始> 引用元 


一人さんはね、昔から、こんなことをずっと考えていたんです。

天は、どういう人の味方をするんだろう?

神様は、どんな人間にチャンスをくれるんだろうか? って。

で、わかったんです。

いばっているヤツ、人のあげ足を取るヤツは、神様にも嫌われるよね。

反対に、心が豊かな人…優しい人とか、笑顔の素敵な人って、神様にも周りの人にも好かれる。

だから私は、このルールに従って生きてきました。

そして、ものすごい成功を手にしたんだよね。

心の豊かさって、太陽みたいなもの。


  そっちへ向かっていけばいいんです。

例えば、東京から大阪に向かいながら北海道に着くことはないように、明るくて暖かいほうへ進んで不幸になることはないんだ。

人をねたむとか、あせってイライラするとか、そういうのは貧しさの表れだよ。

心が貧しくなっているの。

貧しい心は、豊かな心とは真逆だから、現実にますます貧しくなってしまいます。

それよりも、人にいいことがあったら、「おめでとう」って言ってあげたり、どんなに小さなことでも、今ある自分の幸せに感謝したり、できることからすればいいんです。

心が豊かになれば、現実の豊かさもついてくるの。

だから苦しみは消えていくし、お金だってたくさん入ってくるようになるよ。

大丈夫、必ずなんとかなりますからね。


また、お子さんがいるかたは、いつもこんなメッセージを伝えてあげてください。

生きているといろんなことがあるけれど、なにが起きても、絶対なんとかなるからね。

心配しなくて大丈夫だよ

テストの点数が悪くてもいいの。悲観することはありません。

本当ですかって、じゃあお母さんが子どもの頃、テストで100点ばっかり取っていたクラスメイトがどれだけ出世したか見てごらん(笑)。

学校の成績がいいかどうかなんて、将来の幸せにはあまり関係がないんです。

もちろん、勉強が好きな子だったら、勉強が幸せにつながる場合もあるけれど、勉強が嫌いな子に無理やりさせたって、よけい勉強が嫌いになるだけだよね。

人生はなんとかなるから、好きなことやりな。

親御さんがそう言ってあげると、子どもはキラキラ輝き始めるんです。

なんとかなるって信じてる子は、好きなことに夢中になれる。

罪悪感なしに、好きなことに没頭できるんだよね。

そうすると、好きなことでうまく人生を切り開いていっちゃうの。

すごく幸せな人生を送れるんです。

親御さん自身も、そういう姿勢をお子さんに見せてあげてください。親の口癖が「なんとかなる」っていう家の子は、絶対になんとかなると思えるようになります。

<引用終了>

 

一人さんが仰るには、

・心が豊かな人

・優しい人

・笑顔が素敵な人

・今ある小さな小さな幸せを、見つけ感謝する人

このような人は、だんだんと心が美しく、豊かになり現実の豊かさもついてくるのだそうです。

人は時に、生まれる前に立てた計画の通り、人生の半ばで、挫折や、苦労、悲しみ、苦しみ、憎しみそんなものを感じる出来事が起こるかもしれません。

ですが、何が起ころうと、絶対に大丈夫なように、運命は定められています。

生まれる前に、神様と立てた自分の人生設計に「破滅の道」を組み込んで、生まれてくるわけがないからです。

そうであれば、嫌いなことを、無理やり、努力し続けてやるよりも自分の好きなこと、楽しいこと、心が喜ぶことをニコニコ笑顔でして行くほうが、どんなに良いことでしょう。

人生で、苦しい時期もありますが、その環境の中でも、神様を信じ、笑顔と感謝でいれば

きっと人生の目的に合致した道が、必ず開けてくることでしょう。

その時になって、振り返ってみればあの時の、あの苦しみ、悲しみの経験があったからこそ、

今の場所に立つことができたと。

本当の意味での感謝の気持ちが沸き起こり

苦労も、悲しみも、記憶のかなたに消えて行ってしまうことでしょう。

絶対、なんとかなる!

一人さんが仰ることは、きっと本当のことであり、私たちの心に、勇気を与え、

生きる希望をもたらしてくれるものだと思います。

どうか、お幸せに・・



 



2021年6月23日水曜日

2371「青空ひろば」2021.6.23

 今回は立花大敬さんのワンディーメッセージ「青空ひろば」から最近の記事を紹介します。


358 2021.06.15 

もしあなたが<今・ココ・我が身>に落ち着けず、過去や未来や他の場所にフラフラ漂っているとすれば、あなたが住んでいる部屋や家の中も、きっと雑然として乱れているはずです。

あなたが住まう部屋や家は、あなたの魂の状態の「うつし」だからです。

ですから、部屋や家のなかを丁寧に清掃したり整理整頓すると、あなたの魂も整理整頓されて、遊離していた断片の魂もあなたの中の、ふさわしい居場所に復帰することができるようになります。私は、この「整理整頓法」は、自分が自分に落ち着くための、とても有効な精神技法だと思います。


359 2021.06.16 

魂(意識)が過去に分離すると、「後悔」や「怒り」や「自己否定」の念に魂を奪われ、その魂の断片が「今・ココ・自身」の戻って来れなくなります。

魂(意識)が未来に漂うと、「不安」や「恐怖」や「あせり」に魂を奪われ、「今・ココ・自身」に戻って来れなくなります。

魂(意識)が憎んでいる他者や世界に固着して、そこから眼をそらすことが出来なくなると、あなた自身の負の想念を世界や他人に鏡のように映し出して、あなたを敵意を持って取り囲んでいるかのような被害妄想に襲われます。

つまり、人の魂が時間的に過去や未来に、空間的に世界や他人に漂い出すと不幸になり、「今・ココ・自身」にしっかり鎮まると、神としての本来の自分が発動して、生きがいのある幸せな人生を送ることが出来るようになるのです。

そうなれた時に宿る神さまを「アメ(大宇宙)のミナカヌシ(中心者)」といいます。

つまり、過去や未来や世界や他者に魂がフラフラこびり付かなければ、その「今・ココ・自身」が、大宇宙の中心となり、あなたはこの宇宙の主宰者となるのです。


360 2021.06.19 

アップル社の創始者の一人、スティーブン・ポール・ジョブズ氏がスタンフォード大学の卒業式で行った有名な講演の要約です。

人生を正しく生きることは、先を見通せない「点(これが「今・ココ・自身」ですね)」を精一杯生きることなのだ。

私たちには、人生のこれから先がちっとも見通せず、それらの「点」が未来にどう結実するかなんて分かるはずがない!

しかし、その「点」、「点」をしっかり生きていれば、やがてその「点」と「点」が有機的につながってきて、ついにすべての「点」が、「今」の成果につながってくることが分かるだろう。

だから自分を信じて、「今・ココ・自身」の出会いを精一杯生きてゆけば、それでいいんだと卒業して、社会に巣立ってゆこうとしている学生たちにアドバイスしておられるのです。


361 2021.06.20 

ジョブズさんは、自身のこんな例をあげておられます。

ジョブズさんは、両親の経済状態が苦しくなって大学を中退する決心をしました。そうなった時、大学の講義がとても面白くなったと言うのです。

もう単位のことなんか気にする必要がなくなったので、面白そうな講義だけを選んで受けていたら18ケ月も大学に居続けることになってしまったそうです。

友達の部屋の床に寝て、食事は何キロも歩いて、無料提供してくれるヒンズー教の寺院に行かねばならなかったそうなのですが…。

それらの授業のうちの一つに「カリグラフィー(英語の書道、筆法)」がありました。

なぜかその授業が面白くて、英語のさまざまな書体の習字をひたすら繰り返したそうです。

しかし、それが自分の将来にどう生きてくるのかなんて、まったく分からなかったのですが…。

後年、父親のガレージで友達と会社を立ち上げて、パソコンを製作することになった時、その「カリグラフィー」の知識が生きてきて、当時としては画期的な、沢山の書体を取り揃え、文字間隔なども調節できるパソコンが完成しました。

無関係のように見えていた「点」と「点」が見事に結ばれたわけですね。

自分には、自分の人生の全体が見通すことが出来ないはずなのに、どうしてジョブズさんは、このように「点」と「点」を結ぶことができたのでしょうか。

それは、人生のわずか一瞬の「点」をおろそかにせず、過去や未来や世界や他者に魂を奪われず、その一点、一点に「我がいのちの全体重」をしっかり載せて生きて来られたからなのだと思います。

私たちには、人生を見通すことはできませんが、「今・ココ・自身」をしっかり生きていれば、あたかも人生全体を見通していたかのような人生を送れることになるということです。

なぜそうなるのかといえば、あなたの「今・ココ・自身」の上には、常に神様がいらっしゃって(「最高次元のあなた」がいらっしゃると言ってもよい)、その神がすべての時と場所を一目でご覧になっていて、点と点をつないで下さるからです。この神さまを「高見結び(タカミムスビ)の神」と言います。


353 2021.06.09

人の意念にはいのちが宿るのです。

「いのち」とは「意の霊(ち)」で、人が「意」を注いだモノには必ず「いのち」がこもります。

伊勢の遷宮では日本人全員の崇敬と協力したいという純粋な意念が伊勢の神さまに集中するので、その強い意念が伊勢の神さまの「いのち」を二十年に一度、復活させ増幅させることになるのです。つまり、「人によって神の威力が増す」ということがあるのです。

それに、伊勢神宮では、膨大な日々の祈りの行事が定められた作法通りに、心をこめて執り行われています。神官の方たちのそのような敬虔な取り組みの積み重ねも神さまの威力を増す作用となっているのです。


354 2021.06.10 

福岡に小さな神社があります。そこに参拝したとき、霊感を持つある方が「この神社は栄えますよ」とおっしゃいました。

理由を尋ねると、「この神社の神域の波動はとても清浄です。これは、日々の掃除をよっぽど丁寧に心をこめて行わないと、こんなに清らかな波動の神域を保つことはできません。神域がこんな状態なのですから、神前での日々のお勤めもきっと丁寧に滞りなく行われているはずです。そんなであれば、「神力」が増して参拝する人も増えるだろうし、その参拝する多くの人たちの敬虔な意念もさらに「神さまの威力」を増幅させて、ますます人が集まるようになってくるものですよ」とおっしゃいました。

薄汚くさびれた神社の神さまは、たとえ神さまがまだいらっしゃっても、世話する神官もいないし、参拝の人も集まらないしでますます神力が弱くなってゆくものです。そのうち、嫌気がさした神さまは出て行かれます。

そして、薄汚い波動にふさわしい低級霊たちが集まって住むことになるので、そんな神社に参拝すると、ますます運が悪くなってしまいます。

「神さまの威力は、その半分は人の崇敬の念が作り上げてゆくものだ」ということを忘れないようにしましょう


351 2021.06.07 

スエーデンボルグによると、天界には3段階のレベルの世界があって、それぞれの世界に神殿があり、下の世界ほど神殿は堅固で飾りが多く輝かしい「石造り」だそうです。その重厚さと壮麗さを下の天界の住人達は喜び、他のグループの人をその豪華さでひれ伏させようという「勝ち負けの精神」がまだその世界の住人たちには残存しているわけですね。

しかし、上の天界にゆくほど、神殿の造りは軽やかになってゆき、最高天界では、神殿は簡素にすらみえる「木造り」だったと報告しています。低い天界の住人の波動は「石」にふさわしく、高い天界の住人の波動は「木」にふさわしいのだそうです。

この記事を読んだとき、私は『これは伊勢神宮のことじゃないか!』と驚きました。伊勢神宮は最高天界にある神殿の、地上界における「うつし(移し、映し)」なのですね。ですから、伊勢神宮にお参りすると、最高天界の神々にあなたの祈りが届くのです。


352 2021.06.08 

スウェーデンボルグによると、天界と地上界は「相応」の関係があって、天界のあらゆる善きものに相当する「うつし(映し・写し・移し)」のモノが必ず地上界にもあるそうです(ですから、古人は現世のことを「うつし世」と言いました)。

たとえば、地上界の素晴らしい芸術作品は、天上界のそれの「うつし」なのです。

もちろん、天上界にある原作品は、地上界のそれの何万倍もの美しさなのですけれど…。しかし、その二つは「相応」の関係にあって霊的につながっているので、地上界の作品を鑑賞すると、天上界の原作品の波動にもアクセスできるので、鑑賞者の心境次第では、地上界の作品を通して、それに相応する天上界の、何万倍もの素晴らしい作品の「美」を体験することもできるのです。


345 2021.06.01 

伊勢神宮に参拝して新生して以来、何か「大きな流れ」に浮かんで運ばれていっているような感じ(フロー感覚)が、私には常にあります。

それは『こっちに進みなさい』という神のご意志がつくりだしている流れであると思います。

その流れに逆らわず、身を任せて浮かんで運ばれて行けば、驚くほどスムースに事が運び、ピタッピタッとタイミングよく事が解決してゆくのです。

無理・無駄な努力が必要なくなり、心身ともにとても楽になって、最小限の労力で最大限の成果が上がるようになります。

私はこの状態を「神流楽(かんながら)」と呼んでいます。


348 2021.06.04 

<こうすれば願いが叶う>

どうすれば、「神流楽」の状態で生きることができるのでしょうか。思いつくままに箇条書きにしてみました。

(1)神さまと親しくなりましょう。

神社に何度も参拝したり、祝詞を称えたり、古事記を音読したりして、そのひびきに耳を澄ませていると、次第にあなたの心が清められ、神さまの波動を感受しやすくなります。そうすると、神さまは、コトバやイメージ(インスピレーション)を使ってあなたがこれから歩むべき道を教えてくださったり、あるいは外側から「ハッピー・ハプニング(予想外のしあわせな出来事、セレンディピティのこと)」にあなたが出会うように仕向けて下さって、あなたが神の望む方向に自然に進んでゆけるようにして下さいます。

(2)神社参拝では一連の作法を丁寧に行いましょう。

鳥居をくぐる際の礼からはじまって、手水所で手と口をすすぎ、神前での礼と拍手の回数や順序など…、それらの作法(ルーティンワーク)は伝統に従って心をこめて行いましょう。

無心に作法してゆくと、心の乱れが次第におさまって、神さまの波動を感受しやすくなります。そうして、あなたの頑な心がほどけて、神の波動を受け入れることが出来ようになり、その神の波動に共鳴してあなたの心もまた振動するようになったら、もうしめたものです。

あなたの心の振動があなたが住む世界を生み出すのですから、神さまの思し召しの通りの世界環境があなたのまわりに出来始めます。そうして、あなたに無理・無駄なくいのちの可能性を開発してゆけるような、生きがいがある、しあわせな人生が展開しはじめるのです。

(3)眼が釣りあがっているような、絶対に叶えてもらわねばならないと思い詰めているような余裕のない願いは、その思い入れが強すぎる間は叶いません。

もちろん、人は弱いもので、神様はどんな願いを持ち込んで参拝してもいいよとお許しになりますが、参拝を繰り返すうちに、次第に心が静まって『私にはどうなるのが一番いいことなのか結局のところ分かりません。もう神さまに一切をお任せします、御心のままになさってください』という「手放し」の心境に多少でもなれた時にはじめて願いが叶うものなのです。


347 2021.06.03

<チョキ・グー・パー>

ジャンケン大会に参加する機会がありました。その時に、『チョキ→グー→パーの順に出せ』というインスピレーションがやってきて、その指令の通り、機械的に順繰りに出していったら、勝ち続けてついに優勝して商品をもらったということがありました。

なぜ優勝出来たのか考えてみると、『ああ、これは「思いの実現法」についてのメッセージなんだなあ』と気づきました。

まず、「チョキ」で、チョキチョキと過去を切り取ります。思いが実現出来ないのは、過去の失敗体験やつらい経験などに対する「負の感情」が足を引っ張ってゴールまで行かせないという事が多いのです。そのような「負の想念」をチョキチョキと切り取ります。

そして、「グー」で、しっかり目標を握り締めます。集中過程ですね。

最後に、「パー」と手放してやります。 

「グー」の過程は出来るけれど、この「パー」と手放す、忘れることが出来ないと、想いは現実化できません。真面目に努力しているのに、なかなか思うように事が運ばないという方は、この「パー」と手放す、気を逸らせるという事がヘタなのです。


344 2021.05.31

何のために生きていますか。

「自分さえよければそれでいい」という小さな枠の中で生きていると、その枠組みの中のわずかな能力しか使えません。

「自分だけ」という枠組みを超えて、「出来るだけ多くの人をしあわせにしたい」という大きな志を持てば、その大きな志の枠組みの内側に含まれる人たちをしあわせにするために必要なたくさんの能力はすべてあなたのものとして使えるようになります。


340 2021.05.26 

いのちの道行きには、いろんな風景があります。

すばらしい高みにのぼって、神のごとき視界を得る時もあれば、ミミズのごとく大地に這いずりまわって、泥だらけになる時もあります。

それら全部を含めて“自分”なんです。

ある状態の自分を認めて、ある状態の自分を否定するということになれば、自分を半分に切断するということになってしまいます。そうなると“自分”が出血多量で死んでしまいます。

この自分も、あの自分も、全部ひっくるめて、“自分”なのですから、そのすべての自分を認め、許し、受け入れてゆくことが大切なのです。


338 2021.05.24 

『自分をゆるし、人をゆるし…』という五井先生の言葉がありますね。

“許す”とは、“ゆるく”することです。

心をゆるくし、体をゆるくしてゆくと、自然に自分や人が許せるようになってきます。

難しいことを考えたり、工夫したりしないで、ただ坐禅という姿勢をとりさえすれば、勝手に身も心もほどけてきて、自分も人も世界も許せるようになるのですから、本当にありがたいことです。それに他の行法のような副作用はありませんし…。

しかし、目をつり上げてする坐禅は、副作用が生じることがあるので、要注意です。なで肩の、垂れ目の、微笑みの坐禅を目指してください。


337 2021.05.23

身と心をほどくのに一番有効なのは“坐禅”です。

私は坐禅の時、何かに集中したりしません。ただ、何となく坐っているだけです。

心の結ぼれをほどこう、こだわりをやめようとしても、できるもんじゃありません。

そういう努力がますます心の結ぼれを増してしまいます。

ですから、私は坐禅の時は、坐禅という姿勢の力を信じて、ただ坐っています。

坐禅という姿勢は、心をほどき、体をほどく、一番適切な姿勢なんです。

だからこそ、人類は五、六千年も昔から坐禅してきました。

どんな雑念、妄念が次々現れても、それにはかまわず、ただ坐禅という姿勢を信じて、その姿勢に身を任せて坐っておればいいのです。

すこしずつ、すこ~しずつ、心はおだやかになり、身心がほどけてきます。


336 2021.05.22 

人生のいろんな出会い。

その出会いを、いやだと吐き出したり、ガツガツ、まる飲みこみにしないようにしましょう。

しっかり受け入れ、しっかり噛みしめましょう。

味わいが出てくるまで、その出会いから逃げ出さずに、力をこめて噛みしめましょう。

どんな固い出会いでも、どんなにがい出会いでも、噛みに噛んでゆけば、

かならず、いつの日かとろ~り、とろけて味が出てきます。

うまい、うまいと納得して、無理なく腹におさまる日が来ます。

そうすれば、それをエネルギーにして、きっと次の新しい出会いへとスタート出来るのです。


335 2021.05.21 

よく「幼いころの体験のトラウマで、こんな行動をとってしまいます」とか、「前世のこんな因縁で…」とかいう、“いいわけ”をする人がいます。

こんなのはみんなウソです。“今”、この人がひっかかりを作り、コダワリを捨てないから、そのひっかかりやコダワリ通りの現実を創り出しているだけです。

ついでに、そのひっかかりやコダワリにふさわしい過去や前世を引き寄せて“納得”しているだけです。

ですから、“今”を変えると現実はただちに変わります。

心のひっかかりやコダワリを水に流せば、仏(ホドケ)の智慧がただちにはたらきはじめます。


334 2021.05.20 

肉体が古くなればなるほど、能力が衰えれば衰えるほど、わがイノチの本質の“若々しさ”がはっきり観えてきます。

それこそが、私の本当のイノチであり、やがて、肉体という古くなった衣装を脱いで、そのどこまでも若々しく、光いっぱいの世界に、ついに帰ってゆくことになるんだとハッキリして来るのです。


332 2021.05.18

あなたのイノチは何と素晴らしいんでしょう。

どんなことがあってもくじけず、再び前進をはじめる。

そんなたくましく、若々しいあなたのイノチの姿を讃嘆し、礼拝します。

あなたのイノチの運びは何と美しいんでしょう。

あなたにはあなただけのイノチの運び道があります。

その運び道通りにイノチを運べた時、あなたの人生は、最高の美の表現となるのです。


331 2021.05.17

私はお話しをする時も、文章を書く時も、効果を期待したりしません。

ただお話しするだけ…

お話ししたシリから言葉は消えてゆきます。

あとには、ただ青い空が広がっているだけ…

そんなお話しをし、文章を書きたいと願っています。




2021年6月22日火曜日

2370「試練の時」2021.6.22

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月17日「子供が教えてくれた」

と2021年06月18日「試練の時」の2つの記事を紹介します。


「子供が教えてくれた」


今日のお話は、以前ご紹介したこともありますが、最近読者登録くださった皆さんの中にも、

同じようなことで苦しんだり、悩んでいらっしゃる方がいる様でしたので加筆して掲載します。 

小林正観さんが、悟った瞬間と言っても良いお話かもしれません。

日常の何気ない生活の中や、絶望のさ中と思われる時に、神様の導きが行われることがよくあります。神様の奇跡は、決してサーカスのように鳴り物入りで、耳目を集め起きることではないと思います。日常の何気ない生活の中にこそ、神様の様々な奇跡が行われています。

正観さんは、ブッダや、空海の弟子の時もあったそうです。

<引用開始>


30歳のとき結婚しました。結婚後3年間は子供ができませんでした。

33歳のとき、子供を授かりました。

なかなかできなかった子供なので、よろこびの「慶」を命名しようと心待ちに待っていました。

7月14日(パリ祭の日)、その子が生まれました。知恵遅れの障害児でした。 

別室に呼ばれて、私は医師からこのように宣告されることになります。

「この子は先天的な障害児です。手術によっても、薬によっても、リハビリによっても治ることはありません。この子は生まれなかったものと思ってください」・・・。

目の前が真っ白になりました。

「目の前が真っ暗になる」という表現はよく使われますが、実際に体験した者の立場で言うと、真っ黒になるのではなく、真っ白になるようです。

真っ白になった風景が徐々に薄れていき、目の前に再びその宣告をした医師が見えたときは、その医師を含む部屋中の風景がモノクロになっていました。白黒だけのグラデーションの世界です。

それから半年間、私は色の付いていないモノクロの風景を見ることになりました。

一番困ったのは、天気がわからないことでした。

窓の外を眺めても、晴れているのか(空が青色なのか)、曇りなのか、雨なのか、見ただけではわからないのです。季節感もなくなり、花の色、緑の色、木の肌の色、そして人の顔色なども全くわかりません。

半年ほどたった1月16日は休刊日でしたので、私は15日に届いた膨大な付録の部分を読んでいたのです。その記事の一つに、このようなものがありました。

── 新生児の600人に1人は、障害を持つ子供が生まれる。

あなた方も20歳になって、将来結婚をするであろうから、その生まれる子供に障害児が生まれてくる可能性もある。そういうこともあるのだ、ということを知っておきなさい── 

というようなとても短いコラムでした。このコラムを真剣に受け止めた人は少なかったと思います。ただ、私にとっては、この小さなコラムが救いでした。こう思ったのです。


「慶子ちゃん、うちに生まれてきてよかったね。600人に1人、障害児として生まれてくるのであれば、慶子ちゃんは、どこかの家を選んで必ず生まれなければならなかった。

そのときに、小林家の両親を選んだというのは、ものすごく良い選択をしたと思う。

私は障害がある子をいじめたり差別をしたりはしないし、

私の妻もやさしい人だから、いじめたり差別をしたりはしない。

慶子ちゃんは、そういう両親を選んで生まれてきたんだね」

とそう思った瞬間に、半年前に失っていた「色」が戻りました。

風景に色が付いたのです。瞬間の出来事でした。 

半年間、私は苦しんでいました。悩んでいました。なぜなら、生まれた子供を受け入れることができなかったからです。

しかし、そのとき、目の前に乗り越えるべき大きな障害や障壁が立ちふさがっていると思っていたものが、実は 幻 であったということに気が付いたのでした。

私自身が障害や障壁だと思っていた大きなものは、私の認識だけの問題 だったのです。

私が「慶子ちゃん、よかったね」と思えた瞬間に、その問題は消滅していました。

努力や苦労をして乗り越えたのではなく、乗り越えなければならないと思っていた障害や障壁が、その1月16日の瞬間に消滅したのです。

乗り越えたのではありません。乗り越える必要がない状態になったのでした。

生まれてからわずか半年後に、この慶子は私に大きなことを教えてくれました。

悩み・苦しみというのは、実はその目の前の現象を否定し、受け入れないところから生じているのだということを。

私たちが目の前の現象について悩んだり、苦しんだりしているときは、それを受け入れていないということなのです。否定をしているということにほかなりません。

<引用終了>

 

小林正観さんは、この障害を持つお嬢さんの誕生によって、大きな気付きを受け取りました。

まるで神様からの贈り物ですね。ですが正観さんでさえ、その悟りまでに半年を要しました。

苦しみの原因は、それを受け入れていないと言う事。受入さえすれば、一瞬でそれは苦しみではなくなると言う事、これこそが、ブッダの説いた「般若心経」の真髄です。

悩み、苦しみの種に見えた現実を

・受け入れた瞬間、

・感謝できた瞬間

それは、恵みの種に変わったのでした。

この気づきによって、悟りによってどれだけ多くの方が、正観さんの著作や、講演を通じ救われたことでしょうか? 

慶子ちゃんの誕生によって、絶望の淵にまで落とされていた正観さん、そして半年後の悟り、

そしてそれが開花して、何十万人もの多くの人の心の救いに繋がりました。

それは、全て慶子ちゃんの誕生から始まりました。


  慶子ちゃんが生まれなければ、後に、これほどまでに多くの人の心が救われることはなかったのです。

 


「試練の時」

今朝の天空農園です。 

雲海がかかり、神秘的。まさに神の山の畑です。ここは竹之高地不動社の裏手の山のてっぺんです。

夏至の日には、新嘗祭(にいなめさい)ではありませんが、早朝に神々の恵みに感謝して、お酒や塩、お米、水、果物などをお供えする予定です。

今年も、木花咲耶姫コノハナサクヤ姫の父で伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子。 

山をつかさどる神、大山祇命(おおやまつみのみこと)が現れてくださったことがあるからです。


さて、世の中が大きく変わり、一人一人の心が大切にされる美しい星に生まれ変わろうとしている今、ご自身も試練の時を迎えている方も多くいらっしゃいます。

そして、そこから抜け出すのが、なかなか大変な方もいらっしゃいます。

でもその解決法も心の在り方を説いたブッダの般若心経の中に答えがあります。

同じ現象でも、捉え方次第・・・  

悪くとるのか、良くとるのか、、はたまた感謝を持って受け取るのか。。

自分のこの人生のシナリオは、全部、自分自身で決めて生まれて来た。

従って、私を悩ませる人、悪く言う人、騙す人・・・

全部自分が、その役をその方にお願いしてきました。

さて、身近な例を一つ・・・


「人生はシナリオ(映画)」という考え方で人生の難局を乗り切った方がいます。ロック歌手の矢沢永吉さんです。

20数年前、矢沢さんは身内の詐欺に遭って30億円以上の借金を背負わされました。

矢沢永吉「信じろよ、自分を」

しばらく酒を飲んで落ち込んでいたそうですが、ある日ふと気付かれたそうです。

「これは映画だと思えばいいやって」

「生活保護受けて苦労して広島から夜汽車に乗って上京し、やがて世紀のロックンローラーになる役さ」ってね。 悪くないよね。

「途中詐欺に遭ったりいろいろあるけどまあ楽しんでこいと生まれてきた」

そう考えることにしたそうです。

その後ライブをやりまくって本当に30億円を完済します。凄いですね。

矢沢さんの「リストラされたって、借金を背負ったってそれは役だと思え」という言葉は迫力を感じます。

人生には大なり小なり「まさか」ってことが必ずあります。 

失敗や事故、病気、またはだまされたり裏切られたり。

そして生きている限りいろいろな問題を抱えます。

そんなとき「これは俺の役だ」「人生はシナリオ(映画)だ」と思うと気持ちが楽になり、

いろいろな知恵や行動力が生まれてくるのかもしれません。

あとは目の前の与えられた役を一生懸命こなすだけです。

生きている最中(役をこなしている時)は、解らないかもしれません。

ですが、肉体を去って故郷に帰る時、私たちはきっと思うはずです。

あの時、あんな大変なことがあったから、私の人生はパンチの効いた素晴らしい体験になった。

そして思います。

あぁ、あれは、あの方に頼んでやってもらったことだった。

私の人生劇場を素晴らしいものにするために、汚れ役を引き受けて下さってありがとう。。。

ありがとう、、 私の人生劇場に登場して下さった、

沢山の人達、ありがとう って


2021年6月21日月曜日

2369「地球の旅」2021.6.21

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月15日「地球の旅」と2021年06月16日「個性的な魂たち」の2つの記事を紹介します。


「地球の旅」


クラリオン星から転生してきた小学校4年生の久松奏拓(ひさまつ・そうた)君

彼は、生まれる前の記憶や、故郷の星クラリオン星のこと、神様のことなどを明確に覚えたまま、ここ地球に転生してきました。 

地球人の意識レベルを一気に上げるために最近はこういった星の子供たちが増えてきたようです。


生まれる前の記憶を持つ、沢山の子供たちと同様に彼もこう言います。

・障害を持って生まれてくる。将来の障害を計画して生まれてくること

・それは凄い幸運なこと、喜ばしいこと

・障害を持って生まれてくる確率の方が大分低い

・障害という大変な経験をすることで、物事をいろんな角度から見れるようになったり

・他の人にはできない学びが一杯ある

・わざわざ、その苦労を分かって、それを魂的に楽しむために生まれて来た 

この今世で経験すること、会う人、別れる人、出来事は全て神様と生まれる前に計画してきたことなのだそうです。 

そしてこうも言います。 

生まれる前に立ててきた計画は、生まれた後に、変えることはできない。 

これがどういうことかと言えば、例え自分で経験がしてみたくて立てた計画 

・病気、貧困

・裏切り

・窃盗、殺人

・成功、失敗

・出会い、別れ、死別 

このような経験が、辛くて、苦しくて、、やっぱり計画を変更したい・・ 

そう思っても途中で変更することはできない。投げ出すことはできない。

そういった意味になります。

肉体ではなく、私たちの魂は、永遠に存在する生命体であります。

この魂にとっては、

・生きるも、死ぬも

・殺すも、殺されるも 

人間が思うほど、大きな出来事ではないようです。

魂にとって死はないのですから、一つの経験にしか過ぎないということです。

そのことによって、魂が曇ることもないし傷つくこともない。

だから、魂は、いろんな体験をしてみたいと思うようです。 

その行為を神様も良いとか悪いとか、決してジャッジしません。

このことは、今生まれてきている沢山の高い意識を持ったまま生まれて来ている子供たち共通の認識のようです。

魂にとっては、時間と言う概念さえもありませんから、長い期間とか、短い期間と言うことさえありません。


源信が『往生要集』の中で紹介した地獄のありさまも、魂にとっては、肉体があった時の延長の一つであり、意識がまだ肉体に縛られたまま、信念体系領域に縛られている間に死後、経験する一時の出来事であるのでしょう。

魂が肉体を脱ぐことで、だんだんと肉体に付随していた感情や、信念となってしまった意識が薄れるに従って、徐々に魂としての本来の状態に戻り、どんな出来事も、どんな大きな感情の波も、魂を傷つけることはできない。。

単に魂にとって、未知の領域を経験しただけ。。 

そう気づいてくるのでしょう。

私たちが、今経験している出来事は、色んな感情を伴い、私たちに、まるで襲い掛かってくるかのようです。それは、苦しかったり、辛かったり、悲しかったりするかもしれません。 

ですが、生きている間は逃げることはできません。計画を変更することはできません。

今感じている感情こそ、私たちの本来の姿、魂が、経験して見たくて、その出来事を、自分の人生のタイムラインに埋め込んできた出来事です。

そこには、良いこととか、悪いこととかの区別はありません。

ただ辛く苦しい経験からは、より大きな果実が実ります。魂の飛躍的な向上が見込まれます。

何も辛く苦しいことの起こらない単に平和で、楽しいだけの人生からは、魂にとっては、あまり身になる経験は得ることができません。

ある程度、進化した魂にしか、辛く苦しい経験は与えられません。 

今苦しい経験をなさっている方も、どうぞ勇気を持ってください。

神さまに見込まれたのですから。 

そしてその辛く苦しい経験こそが、私たちの魂を高みに連れて行ってくれるものです。

泣いたり笑ったり、苦しんだり楽しんだりしながら、この宇宙で、唯一感情を味わうことのできる地球の旅を楽しみたいものですね。

 


「個性的な魂たち」


人の気持ちをおもんばかる。想像する。

共感することは、私たち人間にとって本当に大切なことです。

目の前の人は

・何に泣いているのか

・何に苦しんでいるのか

・何に喜んでいるのか 

何千年、何万年も人間と一緒に傍らで過ごしてきた犬や、猫たちにも「共感力」と言うものが存在し、飼い主が、

・悲しんでいる時

・喜んでいる時

・怒っている時

を察知して、寄り添ってくれます。

彼らは人間から発するオーラ(エネルギー)や、瞳から発せられるエネルギーに感応して、気持ちを察するようです。


人の心を感じることは、幾多の生死を繰り返し経験を積み成熟した魂にとって本当に大切なことです。


イエスの黄金律と言われる言葉に

自分がして欲しいと思うことを、相手の方にして差し上げなさい。

この言葉も、相手の心・気持ちを想像する力、感じる能力が成熟してこないとできないことです。

相手の気持ちや都合や立場を何も考えず、自分のやりたいことだけを主張し、押し通そうとすることは、イエスのこの言葉に逆行しています。

永遠の魂に取って、その経てきた経験や、歴史、出身星、内宇宙、外宇宙か? などの違いや、人間として、どれだけ生まれ変わり、経験を積んできたのか?

そのようなことも、この人間の気持ちの感受性に影響します。 

イエスの黄金律は、この地球に置いて、円滑な人間関係、魂の成長にとって必要だから説かれていることですが、そのようなことを目的に地球に生まれて来たわけではない魂にとってはそんなことはどうでもよい話。 

ただ単純に「地球での経験」をしたいだけです。

ですので、どちらが良いとか、悪いとかジャッジすることはできませんが、人間関係の摩擦、すれ違い、誤解、疑心暗鬼、これらには差が出るようです。

出身星団に関しても

プレアデスやシリウス、オリオンなどでも、性格の違いがはっきりと分かれるようです。

また地球での転生が多い方でも、

・動物的な魂の要素の多い方

・植物的な魂の要素の多い方

・人間としての転生回数の多い方、少ない方 

などもいらっしゃり、その魂の特性も、くっきりと分かれるようです。 

魂の経験の方法、順番、時期、期間の長さ、目的などは、全て個人の自由ですから、 そこに優劣はありません。好みの違いだけです。 

ですので、クラリオン星から直接地球に転生してきた高い知性を持つ小学校4年生の久松奏拓(ひさまつ・そうた)君が言うように

好きや嫌いは、あって当たり前、それは単純に波動の違いであって、 

良いとか悪いとか・・高いとか低いとか・・そういう違いは一切ない。 

そういうことのようです。

玉石混合、いろんなレベルの魂の混在する地球、そこでの経験は、辛いことも多いのですが、

もちろん楽しいこともたくさんあります。 

大切なのは、 

・互いの違いを認めること、許すこと

・批判しない事

・拒絶しない事

もし自分と異なる波動であれば、自分の中に受け入れて、無理に合わせようとしなくともよいのです。 

自分を責める必要はありません。

逆に相手に取ったら、自分の言動も、同じように受け取られているのですから。

お互い様です。 


でも 

人間関係の摩擦、すれ違い、誤解、疑心暗鬼、これらが起きた時、どうしたらよいか?

空海が教えてくださった文殊菩薩の知恵には、 

議論はするな 

要するに、意見の相違があったとしても例え議論して、自分の主張を押し通しても、結局は相手の心は納得していないし、変えることはできない。

かえって、相手の心に恨みを残してしまう。だから議論はせず、静かに立ち去れ・・ 

と言うことになります。

 

またブッダは、こう仰っています。 

悪口や虚言を受けた時です。

・反論しない

・心の中に入れない。受け取らない

そうすると、受け取らない、悪口や虚言のエネルギーは、結局発した人のところに戻って、自分に降りかかるだけ。

反論しない事は、負けたことではない。 

そう仰って、実際に実行されています。

 

もしかしたら役に立つかもしれません。頭の片隅にでも置いておいて、損はないかもしれません。

また誰かの悪口を、こそこそ隠れて、他の誰かに伝えることは、自らが相手の方の仏心を見ずして、鬼心しか見ていないということと、更に、善意の誰か(告げ口した相手)に疑心暗鬼の毒を盛ったと同じこと。二重の罪(包身)に繋がります。 

自分が見ている鬼心を、善意の誰かに押し付ける行為です。 

これは神さまの心とは程遠いものです。

 

美しい心は、住む世界さえ、美しいものに変えてしまいます。 

どんな時も、相手の内に仏心を見つけ、感謝の心で、人とのお付き合いをしたいものですね。

  

最後、良寛さんのお話です。

 

相手の悪い面(鬼心)を見ても「気にしない」

更に進んで「気にならない」

更に進化の進んだ人は、「気づかない」 

つまり、自分の意識にすら上りません。

 

大愚であった良寛さんは、きっとこの境地まで達していたかもしれません。

心がピュアで、子供のままの心

人を疑うことを知らない心

純真な瞳

周りにそんな人はいませんか? 

きっと見つかると思います。愚か者に見えるかもしれませんが、もっとも神に近い存在です。

 




2021年6月20日日曜日

2368「病原環境説」2021.6.20


 今回は小澤博樹先生のブログから2017年7月23日「天下分け目の大論争」の記事を紹介します。現代医学の抱える根本問題で現在のコロナ騒動、ワクチンを考える基本的視点になるかと思います。


「天下分け目の大論争」

https://kozawaiin.wordpress.com/2017/07/23/%e5%a4%a9%e4%b8%8b%e5%88%86%e3%81%91%e7%9b%ae%e3%81%ae%e5%a4%a7%e8%ab%96%e4%ba%89/


19世紀のヨーロッパで巻き起こったある医学論争について紹介する。この論争の結末が現代医学における診断や治療法に大きな影響を与えたからだ。

太古の昔から多くの人々は伝染病がなぜ起こるのかという疑問を持ち続けていた。伝染病や感染症に微生物が関係していることが分かったのは、オランダのアントニー・ファン・レーウェンクック(1632~1723)、科学者が歴史上はじめて顕微鏡を発明し、微生物の観察が可能になった1683年以後である。彼は「微生物学の父」と称されていた。1680年にはロンドン王立協会会員となっている。

欧米では、病気は明らかに伝染病であると信じる人々と、疫病は環境の変化、身体内部の乱れによって起こるとする人々との間に論争が起こった。この論争は18世紀に最高潮に達していた。

19世紀に入って、フランスのルイ・パスツール(1822~1895)、生化学者、細菌学者は発酵や腐敗現象はすべて微生物の増殖によるものであることを証明した。また、炭疽菌や結核菌、コレラ菌などを発見したドイツのロベルト・コッホ(1843~1910)、医師、細菌学者は微生物が病気の原因であることを証明するための方法を確立している。彼ら2人は「近代細菌学の開祖」とされている。

日本でも彼らの考え方に賛同して研究を進めた人物がいる。野口英世(1876~1928)細菌学者はアメリカの大学、ロックフェラー医学研究所などに在籍している。黄熱病の研究中ガーナで死亡。

北里柴三郎(1853~1931)医学者、細菌学者はドイツベルリン大学へ留学し、ペスト菌や破傷風の治療法を発見している。


「細菌説」(病原病原体説)、つまり感染症の原因はすべて病原菌にあり、その病原菌を殺せば、感染症は治るとする考え方を提唱したのがパスツールとコッホに代表される医者たちであり、彼らはこの説を1880年代初頭に唱え、西洋医学の基本的な考え方のひとつとして定着させていった。そして現在も現代医学において、この考え方が定説となっている。ただ、当時の彼らは人間の持つ免疫機能についての正しい知見は得られていなかった。しかし、パスツールが死期を迎えた時、「私の細菌学説は間違いであった。細菌を取り巻く環境こそが病気に影響するのだ。」と述懐したと伝えられている。これは次に述べる病原環境説を肯定するものであったが、時すでに遅く「細菌説」は世間に流布されていた。

パスツールの理論と真っ向から対立したのがフランスの医師、化学者、薬学者のアントワーヌ・ベシャン(1816~1908)らによって提唱された環境説(病原環境説)と言う考え方である。その名のとうり病気の原因は環境(体内環境や生活環境)にあるというものである。

ベシャンの他にもドイツの衛生学者、化学者、マックス・フォン・ペッテンコーフェル(1818~1901)とロシアの微生物学者、動物学者イリヤ・イリイチ・メチニコフ(1845~1916)もほぼ同様の趣旨の理論を展開している。


ベシャンは、病気は人体を構成する細胞の中に存在する微生物に起因するとしている。細胞内に生息する微生物は正常時では人体の新陳代謝を助ける機能があるが、人体の健康状態が悪化するとその微生物も病的になる。そして人が死んだり、けがをすると人体を分解する働きを促進する。人体の体内環境の悪化が病気の原因となるのである。

ベシァンはこの細胞内微生物のことをマイクロザイマス(小発酵体)と名付けた。

現代ではフランス系カナダ人の生物学者ガストン・ネサン(1924~)もこの細胞内微生物を発見し、ソマチッドと命名している。

人体の体内環境が酸化し悪化したために免疫機能が低下し病気になるのであり、外敵であるバイ菌が人体内に侵入し感染を起こすのではないということだ。人体の体内環境が悪化したためにバイ菌と呼ばれる微生物が繁殖し、発症させるが、発症の主たる原因はあくまで体内環境の悪化にある。

ペッテンコーフェルとメチニコフは、パスツールの学説に反対し、それを証明するため、学会の会場で人間の死体から培養された大量のコレラ菌を飲んでみせたが、コレラを発症することはなかった。

ペッテンコーフェルとメチニコフが公衆の面前で行ったコレラ菌を飲むという大胆な行為は、このベシャンの学説を彼らが支持していたからである。

なぜパスツールは「病気の原因は外から体内に侵入した細菌である」と言えたのか。それはベシャンが顕微鏡下で体内に微生物が存在する事を発見していたからに他ならない。パスツールは、自分の説を理論固めするために、ベシャンの発見を利用して病気の原因となる細菌は体外から侵入したのだと言い張っただけなのである。


二つの説は、一時的拮抗していた。しかし論争は細菌説派の勝利に終わった。だからこそ、パスツールやコッホは、学校の教科書にも紹介され、子供でも知っているのである。これらの二つの学説のうちどちらが正しいか。西洋医学にとらわれていない第三者的な目から見れば、環境説の方が正しく、細菌説は間違っていると考えるのが妥当である。

環境説が細菌説に敗れたのは、ひとつには「細菌が原因だ」と言った方がよりセンセーショナルであったからだ。そしてまた、病気を細菌のせいにすれば人間の責任ではなくなり、気が楽だという面もある。しかし、一番の理由は、当時その分野を支配管理していた権力者の判断によるものだ。ここにあげた微生物学者や医師、研究者らは大学や研究施設で研究実験を行いその成果を出す。その成果はこれらの施設を管理統轄する権力者たちのもとに集められ、自分たちにとって利益をもたらすものは何かを判断するのである。

そして「細菌説」が選ばれた。「細菌説」を正しいものとすれば、人間の敵である細菌を皆殺しにする薬、抗生物質を使うことができ、金儲けができる。表向きは、金儲けの為ではなく、人間(民衆)を守るためだとうそぶく事が出来る。抗生物質がたとえ人間にとって有害なものであったとしてもだ。


「細菌説」を選んでしまった結果が抗生物質や抗ウィルス剤、予防接種など有害薬の乱用であり、薬剤耐性菌の出現や、ウィルスの変異により強い毒性をもった新しいウィルスの出現などである。この弊害はこれまでも今後も続いていくことであろう。毎年数万人の患者が院内感染という医原病で殺されている。まさに、陰謀である。

抗癌剤や放射線療法、向精神薬、すべての化学薬品はこの陰謀によって今も生産し続けられ人間に投与され続けている。

真実を知らされず医科大学で教えられた。ウソの理論を受け入れ操り人形のごとく、黙々と末端で働く医師や医療関係者たち、そしてだまされ、骨の髄までしぼりとられる患者たち。これが悲しい現実の世界なのである。

もしも、当時の西洋医学が「環境説」を支持していれば現代医学の治療概念は現在のものとは大きく異なったものになっていただろう。そして今日これほどまでの間違いをおこしてはいなかったであろう。「環境説」の方が正しいということは次にあげる例から、全くの門外漢であっても推察できるはずである。


結核という病気の場合、結核菌が肺の中に見いだされるのは確かな事実だ。これは「細菌説」の言うとうりだ。そしてこれに抗生物質を投与すれば、結核菌は抑制されることも事実である。だから結核は結核菌が原因だとされている。しかし、そこにはもっと大切な事実が見落とされている。それは、多くの健常な人々の肺の中にも結核菌が存在しているのにもかかわらず結核症を発症していないという事実だ

結核を発症するのはほんの1%前後ぐらいでしかない。もし腸内に結核菌が存在し、それが人々を100%発病させるのなら結核菌こそが結核の原因だと言える。しかし、わずか1%となれば、それは結核発症の真の原因ではなく、単に可能性としか言えない。それも確率の低い可能性だ。結核も他の感染症も免疫機能が良好で生命力、抵抗力の強い健康体であるのなら、あるいは言い方を変えれば、人体の体内環境が良好に保たれているのなら、結核菌と他の病原体もそこでは繁殖できないし発症もしない。これは環境説を持ち出さないかぎり説明不可能である。また反対に結核の予防注射BCGを接種すればするほど、結核を発症しやすくなることも理解できるであろう。BCGの接種によって人の体内環境は荒廃し、免疫機能も低下するからである。また結核症であるという診断をつけるためにツベルクリン反応をしたり、胸のレントゲン撮影をすることも免疫機能を低下させるためなおさら結核を発症させるリスクは高まる。


牛や羊、ヤギなどの草食動物の腸内には、病原性大腸菌O-157が普通に生息している。これらの動物に抗生物質や他の化学薬品を投与すればする程O-157は増殖する。

これらの薬品によって彼ら家畜の体内環境が汚染されるからである。そしてこれら家畜の肉を人が食した時、食中毒をおこす。

1990年浦和市の幼稚園でおきた病原性大腸菌O-157食中毒事件では、2名の死者を出している。しかしこの時、感染者の30%は全く無症状、60%が下痢のみだった。感染者の10%が溶血性尿毒症候群を合併している。堺市では約5万人の児童が同じ汚染された給食を食べている。O-157病原性大腸菌はこのうち5500名に見つかった。食べた人の約10%がO-157に感染したのだ。この場合もその内の約10名しか入院しなかった。

岡山県邑久町におけるO-157集団食中毒の際には、中村教授(東京医大の中村明子客員教授)は感染者の「清潔度」のチェックもあわせて行った。感染者の児童のうち、重症になった1割の子供はすべて神経質で「超清潔志向に育てられた子供たちであった」という。

同じメニューの給食を食べても、全く感染しない人、感染しても症状の出ない人(健康保菌者)、軽い下痢ですむ人、合併症で死の淵をさまよう人などさまざまいることがわかる。

この差はどこから生まれてくるのか。つまり、健康な腸内細菌をもっている人の腸の中では、病原菌が増殖しにくいからだ。またO-157はベロ毒素をだして人を死に追いやることもある。ベロ毒素とは人間が抗生物質を乱用したために、赤痢菌からベロ毒素を出す遺伝子をもらい受けたことに起因いている。


以上のように人の体内環境が良好であるのなら感染症は起こらないか、あるいは起こったとしても重症化はしない。反対に人が常日頃、乱れた食生活をしたりワクチンや抗生物質、化学物質、放射性物質、重金属など有害なものを体内に摂取し、体内環境や腸内環境を破壊すれば、それが原因で感染症が成立する。決して、細菌やウィルスなどが原因ではない。つまり、「環境説」が正しいのである。

では、体内環境や腸内環境を調え、免疫機能を正常化あるいは強化するにはどうしたら良いか。それには、食生活を無農薬有機農法産の食材を使った玄米菜食とすることである。

小澤 博樹




2021年6月19日土曜日

2367「何に感謝するのか」 2021.6.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月14日の記事を紹介します。


「何に感謝するのか」


斎藤一人さんもくどいほど仰っていますが、魂的な視野からいうと、自分に起きるトラブルや問題は「自分の感謝のなさ」を教えてくれるものとして出てきています。。。

そうおっしゃっています。

また神道的には、私たちは「感謝の心」を学ぶために生まれたのだとも言われます。

何故かと言えば、私たちは魂を、進化させ輝かせ、神々に近づこうと、進化の旅を永遠に続けていますが、そのために、人生のタイムラインに沢山の仕掛けイベントを置いておきます。

それらは、喜怒哀楽激しく感情を揺さぶりますが、結局は「感謝の心」を学ぶための仕組みです。

逆のことを言えば、「感謝の心」を得てしまえば、目的は達成されたのですから人生の中に、艱難苦難の起こる必要性は、もうなくなります。従ってそれらは起きないことでしょう。

神様は無駄なことをしないからです。

では、そのような観点から私たち人間の、全ての悩み苦しみに対応できる、共通の解決方法についてのお話です。

神様や自然界、宇宙からのサポートをふんだんに得るためには「感謝」が大切なことなのですが、その具体的な方法を、別の角度からご紹介します。

小林正観さんの著作からです。

<転載開始> 転載元


講演会が終わって、初めて二次会に来たという方が私の右隣に座りました。

そして「質問していいですか?」と私に声をかけてきました。

「実は、今日のお話のように自分はたくさんの幸せを感じ、とても恵まれていて、悩み・苦しみがないのですが、一つだけどうしても超えられない悩みがあります。」

ということでした。

「どんなことですか?」

「実は結婚して十年経つのですけれど、子供ができません。いろいろなことをしているのですが、どうしても子供ができないのです。それだけが悩みで、ずーっと悩んで苦しんでいます。」というお話でした。

「そうですか。結婚して十年経って、子供がほしいを思っているということは、ご主人がとてもいい人で、優しい人なんですよね?」 というふうに問いかけました。

「ほんとうにそうです。とても優しくて、いい夫です」と彼女は答えました。


 「舅姑との関係が悪くて、頭にきて腹を立てるような日々だったら、多分、その家の子供が欲しいとは思わないでしょうから、舅姑との関係のいいのでしょうか?」と、私は問いかけました。

「ほんとうにそうなんです。舅さんも姑さんもとてもいい人で、私は恵まれてほんとうに幸せです」と、彼女は答えました。

「そうですよね」。

親戚の人もみんな、いい人なのではありませんか?」

彼女は答えます。

「ほんとうにそうです。私はほんとうに優しい人たちに囲まれていると思います」という答えでした。

「では、伺いますが、その方たちの一人にでも、手を合わせて感謝をしたことがありますか?自分がどれほど恵まれているかということに、手を合わせて感謝をしたことがありますか?」と聞きました。


 「え?」と小さく声を発した彼女は、わーっと涙を流し、二十分ほど泣き続けました。

私は、その泣いている彼女の耳にこういう言葉を伝えました。

「もし私が神さまだったならば、あなたのその唯一のお願いごと、頼みごとを、絶対聞かないと堅く決意したかもしれない。そして、もし私が神さまの友人であったならば、神さまがこの人のいうことを聞いてあげようと思ってやってきたときに、神さまの目の前に立ちふさがって、この人のいうことを聞いてはいけないと邪魔をするかもしれません」

というふうに申し上げました。


なぜなら、子供ができないことばかりを挙げ連ねて、実はそれ以外に、自分がどれほど恵まれているかということに感謝をしていないのではないのですか。

もし、自分がどれほど恵まれているかということに気が付いたならば、恵まれてないその一点を悩み・苦しみだといって挙げつらうのではなくて、来る日も来る日も、自分が恵まれていることに手を合わせて感謝をしているのではないでしょうか。

そういうことに全然感謝をしないで、ただひたすら、

「これが足りないから、これをよこせ」

「あれが足りないから、あれをよこせ」

と言い続けている人には、神は微笑まないような気がするのです。

自分の思い通りになったら感謝するけれど、思い通りにならない状態では、感謝をしない、

というのはほんとうの感謝ではないのかもしれません。

恵まれているもののほうに目を据えて感謝をする。足りないものだけを挙げつらねて

「神さま、これをください」というのは、ほんとうは、神さまや宇宙に対する冒涜なのかもしれません。

この話にも後日談があります。一年ぶりに彼女が私の前に現れました。

「相談したときに言われたことはショックでした。でも、そのショックは「確かにそう・・・」と思え、体中にしみ込みました。なんと、私は今、妊娠七か月なのです・・・」


みんなの猛烈な拍手。受け入れて「感謝」することを始めたら、なんと授かった・・・

奇蹟はあちこちで起きるのです。

<転載終了>


ここでもやはりポイントは「置かれた場所で咲きなさい」と同じことです。 

何か足りない、何かが無いから不幸だ。と無いもの、与えられていないものに不平不満を言うのではなく、今与えられているものに感謝すること、自分が置かれた環境に感謝すること。

足るを知ること・・それが大切なんだよと教えてくださっています。

私たちを、今の環境に置いて下さったのは神様です。

そしてそれは、私たちが生まれる前に、神様と私たち自身が一緒に決めてきた環境です。

これを摂理と言います。 

苦しくて辛い環境も、決して私たちを苦しめるためだけに神様が用意して下さったわけではありません。その辛い環境、悩み多き環境を経験することで、私たちの魂を引き上げようとしてくださっているからです。

ですので、その悩みは決して永遠に続くものではありません。 破滅への道ではありません。

どうか安心なさってください。そして、置かれた環境、周りに居てくださる方々に感謝してみてください。笑顔を向けてみてください。きっと、それが幸せになるための答えですから。 





2021年6月18日金曜日

2366「仲良し時間」2021.6.18

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月13日の記事を紹介します。


「死者と生者の仲良し時間」


このブログでは、元気はつらつの方へと言うよりは、悩みや苦しみの中で生きる人たち

鬱々とした、生きづらさを感じながら生きる人たち向けに書いています。

昔からの読者の方もいらっしゃれば、その発する波動に呼ばれていらっしゃる方も居ます。

そのような中で感じることは、※共通の波動を感じるのですが。 

・憎しみの心を手放せばよいのに・・

・自分のことばかり考えていないで、自分のことなどすっかり忘れ、身近な周りの人の

 本当の笑顔のために、がむしゃらに動いてみればよいのに・・

そんな風によく思います。そうした途端、一気に自分が幸せになれると思うのです。

まさに日々の考え方、思考の癖を少し変えてみるだけです。

言うは易く行うは難し・・ですが。

さて、ここのブログを読んでくださっている皆さんの中にも、お子様を早くに亡くされた親御さんが沢山いらっしゃいます。私も子を持つ親ですので、お気持ちは、よくわかります。

今日は「死者と生者の仲良し時間」ということで、昨年掲載した記事に加筆・修正してご紹介します。病気で早くに亡くなった、お子さんのお話です。

「仲良し時間」とは、聖心女子大学教授でシスターでもある鈴木秀子さんの著書「死にゆく者からの言葉」に出てくる言葉です。

彼女の「死者と生者の仲良し時間」の本の中に「けんちゃんからの贈り物」という文章が書かれていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 


けんちゃんは6歳で白血病でした。ある日、お母さんの友人がお見舞にきて『死にゆく者からの言葉』 (鈴木秀子さんの著作) という本を渡してくれました。

お母さんは「読んでいるうちに涙が止まらなくなり徹夜して読み上げた時、不思議な力で他人への不信感が払われ、人への信頼感が深まり、自分が変わったと強く感じ、心の底から温かさがあふれてきたそうです。人との繋がりというものを確信をもって感じ初めました。

そこでけんちゃんの担当の3人のお医者さんに、この本を読んでもらいたいとの強い希望を持ちました。

こういう題名の本が医師たちに、どう受け取られるかという懸念もありましたが、それでも先生方にこの本を読んで下さいと手渡すことができました。

しかしどの先生も、その本については言及することはなく、やっぱり読んでくださらなかったのかとちょっとがっかりした気持ちでいました。そして、けんちゃんが亡くなり、遺体は夜の八時ごろ家に帰っていました。誰も訪問する人はなかったのですが、夜10時すぎにその3人のお医者さんがお悔やみに訪れてくださいました。

眠っているように横たわるけんちゃんの傍に、3人の先生たちは黙って座ったまま、けんちゃんを見つめていました。お母さんが、もう終電車の時間じゃないかしらと思った時、一番若い先生が口を開いて話し始めたのです。

「僕とけんちゃんは仲良し時間を持ったんですよ」 

「仲良し時間」とは、鈴木秀子著の「死にゆく者からの言葉」に出てくる言葉です。

死期の近づいた病人が、その死の直前、急に元気を取り戻して、あたかも回復したように思われることがあります。

その間、病人はさりげないかたちで、言い残したり、したいと思ったことを成し遂げたりするのです。

世を去るにあたっての準備の時間、和解し、愛を分かち合う時間、そうした死の前のひとときは、一部の医療関係者の間で、「仲良し時間」と呼ばれています。

亡くなる2週間前の出来事でしたが、けんちゃんは、苦い薬を水で流し込んでいたところでした。

どうしたわけか「けんちゃん、先生のど渇いているんだ」という言葉が、何気なくふと口をついて出ました。けんちゃんは、水のまだいっぱい入ったコップを差し出し、無邪気そのものの顔で、「先生、これ飲めば」といったんです。

その時、けんちゃんに必要なのは、そのコップの水でした。でもけんちゃんは、それを僕にくれようとしたんです」

午前1時をまわっても、先生たちは帰りませんでした。

そこは死者の家というより、まるで心と心が交わる、温かい場所に変わっていました。


そして二人目の先生も仲良し時間を持ったと話し始めました。 

「けんちゃんが亡くなる1週間前のことでしたが、お尻に太い注射をして、「痛いよ、痛いよ」とけんちゃんが訴えるので僕は思わず「ごめん、ごめん」といったんですね」

けんちゃんは笑顔を僕の方に向けて、無邪気で素直な声でこういったんです。

「いいよ、先生、許してあげるよ」

「それを聞いた瞬間、僕は全世界から許されたような気がしました、僕のいままでの人生の中でおかした過ちや愚かさや悲惨な罪でさえ、すべて許されたおもいでした。」


 「そうだ。僕はこの世に生きていることを許されているんだ。自分の存在が許されるということが、どんなに大きな価値をもつことか、まざまざとわかったのです」

お母さんは「この先生も、けんちゃんが言ったことを文字通りに受けとめてくれたんだ。

そして、けんちゃんを一人の病人としてではなく、一人の人間として最後まで付き合ってくれたんだ」と感謝しました。


明け方近くになり、一番年輩の先生がふっと口を開きました。亡くなる前日の午後でした。

けんちゃんに慰めや励ましの言葉は出ず、自分でも予期しないのに、「けんちゃん、先生疲れているんだ」と言ってしまったんです。

けんちゃんは大きな目を見開きましたが、両目に光が差し込むのがありありと感じられました。

息がもう尽きそうなけんちゃんが、必死で体をずらして、長い時間をかけ、ついにベッドの上端にたどりついて、両足と両腕を曲げ、小さく丸まっていました。

けんちゃんのあえいでいた息が静まると、にっこり笑って、大きな目で広く空いたベッドを指し示して、「先生、ここに寝れば」とけんちゃんは声をかけてくれました。


息子を失った悲しみは深いものでしたが、その夫婦は3人の先生に見守られながら、この世での使命を果たし終えた息子が天に帰ったという、不思議な慰めも感じていたのでした。

そうした慰めに気づくと、子供を失った寂しさよりも、自分たちにけんちゃんという子供が、

6年間も預けられたことへの有り難さが、両親の心にわき起こったのでした。

「一人息子をなくして悲しいし寂しいけど、もっと深いところで感謝と喜びを感じています。人生は長さだけでは計れないものですね。けんちゃんは、親である私たちに、人間として一番素晴らしい贈り物をしてくれたと思うのです。最高の親孝行息子でした」

<転載終了>


私も若いころ母を亡くしました。がんでした。病状が悪化し、私たち家族の住む中核都市の大きな病院に転院してきていましたので、毎日顔を出すことができました。

そして亡くなる3日くらい前に行った時、不思議な光景を目にしたのです。

部屋全体が神々しい光に満たされているのです。


 ベッドに座った母は微笑んでいました。それはまるで仏さまのよう。

きっとこれが、死を目前に控えた人の、あの世とこの世の繋がった瞬間かもしれません。

まさに、仲良し時間そのものでした。きっと人間にはそんな瞬間が誰にでもあるのですね。

もうこの状態の時は、無意識の内に死の覚悟はできているのかもしれません。

残された家族は、どんな形でも良いので、何とか死から引き離そうと、沢山のチューブに繋がれるようなこともある延命措置を望むようですが、もう向こうの世界と繋がっている本人はもしかしたらそれを望んでいない人も、多いかもしれません。

例え肉体は死しても、その精神や意識は永遠です。また逢える日もあることでしょう。

私たち残されたものの願いではなく、これから死に向かおうとしている方々の意思を尊重して差し上げたいものです。

数え切れないほどの死にゆく方々の臨終に立ち会った鈴木秀子さんが仰るには、この状態の時には、既に死を受容したうえで、残された人々に感謝の気持ちを伝えたいと願う方々が多いそうです。


そして静かに向こうの世界に帰りたいと思う方が多いそうなのです。

私たちは、死を意識して生きて行くことで、日々の暮らしの中で、身近な人々を、大切にできるのかもしれませんね。




2021年6月17日木曜日

2365「ブッダの見ているもの」 2021.6.17

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月11日「病気を手放さない人

と2021年06月12日「ブッダの見ているもの」の2つの記事を紹介します。


「病気を手放さない人」


今日は「病気を手放さない人」ということで、元春日大社宮司で、形成外科医だった葉室頼昭さんのお話をご紹介します。 

全ての病気がそうだとは申しません。敢えて病気を選んで生まれ、魂の目的を達成しようとする方もいらっしゃるからです。 ですが、お医者様である、葉室さんの仰ることに、当てはまる方も多いのではないかと思い、ご紹介します。

<引用開始> 引用元

 

私はいつも、患者さんの気持ちを神様に対する感謝に向けるようにしています。

それによって、自分の病気のことから、神さまの方に心を向けられ、やがては、病気が良くなっていることに気付くようになるからです。

神社では、神様に「健康にしてください」とご祈祷においでになる方が多いようですが、しかしこんな方は、なかなか神さまのお恵みを受けることができません。なぜなら、「健康にしてください」ということは、自分が病気だと思っている現れだからです。

 <中略>

「神さま、健康にして頂いたありがとうございます」と感謝をするのが、本当のことなのです。心を放てば神さまのお恵みがいただけます。

いつも心に病気をつかんでいる人は、病気になりやすく、逆にすべてを良い方向に考え、感謝をしている人は病気になりにくいのです。

<引用終了>

 

また、病気と感謝の心について、こうも仰っています。

<引用開始> 引用元

 

人間がいちばん嬉しいのは、人に認めてもらうことです。

反対に、一生懸命やっても誰にも認められないというのは悲しいものです。

これはなぜでしょうか?

科学で証明されないものや、目で見えないものは信じないなどと言う人がよくいますが、 

この宇宙には、絶対に、永久に見ることができないものがひとつあります。

それは何かというと、自分自身です。自分という人間は永久に見ることができません。

鏡や写真などに映して見てはいますが、あれはあくまでも影を見ているわけです。

自分はどんな顔をしているのかも分かりません。

自分自身を知ろうと思えば、他人から見てもらうしかないのです。

もしあなたが女性であれば、「きれいですね」「若いですね」と言われれば嬉しいでしょう。

それは、自分では自分のことが分からないからです。

男性は、「素晴らしい」「立派だ」といわれると、ああそうなのかという気がして嬉しくなるでしょう。生き生きした気持ちになると思います。

これと同じで、人間の身体の細胞一つ一つもみんな生きています。

ですから、認めてあげることで、やはり非常に生き生きとしてくるのです。

この体は、生まれてからずっとこの何十年一秒の休みもなく働いてくれています。

この体に生かされているのに、ご主人さまが一向に褒(ほ)めてくれないとなると、細胞も怒ります。もう力が出なくなってしまうのです。

ですから、一つ一つの細胞を、「素晴らしいね」と認めてあげて、感謝してあげる。

これが健康の本当の基本です。

私は、健康のために、感謝の心を込めて毎日、頭から足の先までをなでています。

私は医者で体全体の構造を知っていますから、頭をなでながら、毛髪、皮膚、頭蓋骨、脳と次々に「ありがとう」と感謝していきます。

五十肩という病気があります。

なかなかなおらないので不平をこぼす人がいますが、そんな人に「あなた、肩に感謝したことがありますか」と尋ねると、びっくりするのです。

長い間、ものを持ったり、支えてくれたり、いろいろと働いていてくれているのに、

ご主人さまがちっとも感謝してくれないので、肩の細胞が怒っているのです。

それが五十肩です。

それで、「まず肩に感謝しましょう」といっているのです。感謝するとなおってきます。

これは本当の話です。

<引用終了>

 

これと同じことを、斎藤一人さんや、昭和の魂の巨人、中村天風さんも仰っています。 

要するに「病気という意識を手放す」ということなのですが、でも、「言うは易く行うは難し」かもしれませんね。

簡単に言うと

・病気であることを忘れてしまう

・好きなことに没頭する

などで、病気にフォ-カスしないこと、意識を向けないことです。

意識を向けないことで、病気にエネルギーを与えないようにします。

エネルギーが与えられないもの、つまり誰からも意識されないものは、病気に限らず、存在することができなくなるからです。 

マザーの言葉を思い出します。「愛の反対は、無関心」人も、神様も同じ。 

皆様が内なる神さまに気づき、お幸せになられますように。

 


「ブッダの見ているもの」


私たち平凡な人間には、誰にでも 

・嫌な人

・面倒くさい人

・できればお近づきになりたくない人

などがいらっしゃると思います。 

ブッダが仰った 四苦八苦(しくはっく)の中にも怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うことというものがあります。

果たして、そういう人たちは、生まれながらに私たちの敵になり、私たちの前に立ちはだかる悪人なのでしょうか? 

彼らも生まれる前に、神様と、今生の目的を話し合いどうゆう人生を歩むか決めてきたのではないのでしょうか? 

彼らは生まれる前から邪悪な魂だったのでしょうか?

いいえ、それは違います。彼らも、生まれる前に神様の承諾を得て、この世に生を受けました。今生で行う、行動なども、全て神様と相談してきました。ですから決して、疎んじたり、憎んだりして良い存在ではありません。敢えて、憎まれ役を買って出てくれた、尊い魂です。

天国にお互いに帰ってみれば手を取り合って感謝の言葉をかけ合う中です。

かえって、そういう悪役やヒールをあえて引き受ける魂は魂の成熟度が高く、神に近い存在でもあります。


今日は、そんなことが分かるブッダのお話をご紹介します。

 あのブッダでさえ、生前、苦しませる人物がいました。 

・罵詈雑言をあびせ、

・ありもしない悪い噂を広め、

・やること成すこと妨害され、

・時には命さえも奪おうとしました。 

全ては 悔しいという 嫉妬の心から起こされた出来事でした。

さて、この世界は自分の心の反映、写し鏡 

だから、嫌なことや、何か事件に巻き込まれると言う事は、自分の心にその様な「要素」があったから。。そうバッサリ切り捨てるのは、少し考えものです。

ブッダを例にとって、ご紹介します。提婆達多品(だいばだったぼん)第12です。

この品で世尊(ブッダ)は 悪人・女人の成仏について説いています。

<引用開始>


ブッダの従兄には、極悪非道と悪名高い提婆達多(だいばだった)がいました。

この提婆達多の実の弟が、ブッダの従者として知られる阿難(アーナンダ)です。

兄の提婆達多は、仏陀として大衆に、仰ぎ慕われる世尊を、心の底から妬み、恨んで (ねたみ、うらんで) いました。

ブッダの悪口をあちこちで言いふらし、さらには、ブッダの通り道に大きな岩を転がし、怪我させようと企てたり、また暴れ象に酒を飲ませ、ブッダに嗾けしかけ、危険な目にあわせたり、毒をもって殺そうともしました。

また弓を放って殺そうとしたりなど、あらゆる非道な手段でブッダの命を狙った人物です。

でもブッダは、この極悪非道の提婆達多を許し成仏の保証(授記)を与えたのでした。

<引用終了>


同じ釈迦族であった提婆達多は、その中でも知識が豊富で知恵もありました。

ブッダの教団に入団し、活躍していましたが、戒律の甘さを指摘し、それが受け入れられず、

教団から離れて、提婆達多教団を作ったといいます。

また、青年時代にヤショーダラー姫を妻として迎えるために,ブッダと争って、敗れたと言われています。

頭の良い人、能力や才能がある人は、どうしてもこうで、あらねばならない、と考えがちなのでしょうか?そして、自分が正しいと思った道に人も無理やり置こうとします。

そしてそれが、叶わないと分るや、今までの態度が豹変します。


 まるで 可愛さ余って憎さ百倍 の世界です。

このようにブッダでさえも、その生涯において敵のような、立ちはだかる障害となるような人物が現れました。過去に憎しみ殺し合った魂たちが、今度は役割を変えて、助け合う人生ドラマを展開する事もよくあります。

ですから、私達の人生ドラマに現れて来る沢山の出来事には、深い意味があり、一概に遭遇する全ての出来事を「自分の心の反映、写し鏡」と単純に考えることができません。

悪しきごとに見える出来事も、長い年月経ってみれば、それが大切な方向転換のきっかけとなっていることもしばしばあります。

ですから、私達に出来る唯一の事は、周りで起きた出来事に対し、

・不平不満、

・愚痴、

・恨み、

・ねたみ

などの感情を持つのではなく、いえ、持つのは当たり前ですが、持っても、そこから直ぐに心を離し(二の念を持たない)感謝の気持ちに切り替えてしまうのが良い方法かもしれません。 

何故なら全ての出来事は神さまの承諾の元、私たちの魂を研ぎ澄ますために起こされているからです。

これも訓練です。一朝一夕には行きません。何度も何度も失敗しながら、少しずつやって行けば良いのだと思います。人間ですもの、、完璧なんてありえません。

■参考 ブッダ前世物語より

<引用開始>


ブッダの前世と、ある仙人のお話

私(ブッダ)は前世において、ある国の王でありました。

私は、無上の智慧を得たいと願を起こし、布施の行を怠ることなく続けていました。

人に尽くすためには、あらゆる財産も城も家族たちも、自分の身体さえも犠牲にして行いました。ついには、国王の地位を捨て、政治は皇太子に任せて、四方八方に師匠を探し求めておりました。

私は、私に大法を伝える人あるならば、自分は召使いとして仕えようと、本気で考えていました。

ある時、阿私佗仙人(あしだせんにん)という人が 私を訪ねてきました。

道を求めるならば、この私に仕えなさい、最もすぐれた教えを伝えましょう、

と私に説いたのです。

まもなく、私は自らすすんで その仙人の召し仕えになりました。

その仙人の許で、毎日、木の実とり 水汲み 炊事など、日常全般の仕事を1人で行なっていました。

師がお疲れになった時、腰掛けるものがなければ、地べたにうつぶせになって、腰かけにもなりました。私は、そのようにして、その阿私佗仙人に、千年も仕えておりました。

法を聞く喜びで、心は満たされていたので、日常の労働を辛いと思ったことは、けっして ありませんでした。

私には、諸々の衆生を苦から救いたいという願いがあったからこそ、続けることができたのです。

実は、この阿私佗仙人とは、従兄の提婆達多の過去世の身(姿)でありました。

このような過去世の因縁があるので、今、私は、この提婆達多にも授記を与えましょう。

提婆達多は、無量劫(むりょうこう)の長い年月を修行して、仏の境界へ達するでありましょう。そして、天王如来となるでしょう。 

<引用終了>

  

深いお話ですね。自分に起きることは、全て因縁があって起きています。

ブッダは、その苦しめられている当時もきっと、前世、来世、全ての過去、現在、未来を見渡す目で持って、提婆達多の行いを見ていたことでしょう。 

この時のブッダの態度はお経などには残っていないようですが、

悪口を言われた時の態度に関してブッダが取った行動などから類推すると、ブッダはそれらの嫌がらせに一切、反論もせず、逆らわず黙っておられた。 

つまり、悪しき贈り物を受け取らなかったことが予想されます。 

その結果、提婆達多の行動は全て自分自身に帰ってきました。

まさに宇宙の法則与えたものが、受け取る物、という法則の通りです。

提婆達多の最後はこんな風に描かれています。 

10本の指の爪に毒を塗り終わると、「うわーっ」と叫びながらただただブッダのもとへ走っていきます。

やがて祇園精舎におられたブッダを見つけた提婆達多は、「キーッ」と叫びながらブッダに飛びかかり、ひっかき殺そうとしたのです。

ところが、ブッダしか目に入っていなかった提婆達多は、足下の石につまずいて地面に手をついてしまい、爪がはがれて自分の体に毒が回り、体が焦げるように苦しみながら、その場で息絶えてしまいます。それが、提婆達多の最期でした。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。



2021年6月16日水曜日

2364「自己顕示と嫉妬」2021.6.16

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月09日「自己顕示と嫉妬」と

2021年06月10日「イエスの涙」の2つの記事を紹介します。


「自己顕示と嫉妬」


今日は、小林正観さんの「自己顕示と嫉妬」というお話をご紹介します。 

心を汚し、本来持っていた「魂の神様の輝き」を曇らせ運気をどんどん下げていきます。 

そこから発せられるどす黒い波長に引き寄せられて同じような心の人が集まり、ますます泥沼にはまっていくことになります。

<引用開始> 引用元 


人間は、そもそも「たいしたものでない」のに、成長していくにつれて、心の中に「3つの感情」が芽生えてきます。

・自己顕示欲

・復讐心

・嫉妬

です。

この3つは、人からもてはやされて、高い評価を受けるようになった頃に出てきます。これらはすべて「マイナスのエネルギー」であり、神様から嫌われる性質です。

自分のことを「たいしたものだ」と認識したいと思うから、「自己顕示欲」が湧いてきます。

みんなが自分のことを「たいした人だと認めるべきだ」と思っているから、そうならないときに、「嫉妬」が芽生えます。他の人がちやほやされているのを見て、「どうして自分にはそうしないのか」という思いが、「嫉妬」です。

また、人から何か気に入らないことをされたとき、それを「5倍、6倍にして徹底的に嫌がらせをしてやるぞ」と思う気持ちが、「復讐心」です。


先日、高い技術を持った人にお会いしました。その人の実力は、たしかに誰もが認めるところです。しかし、話を聞いていると、「自分がどれほどすごい人か」という話に終始していました。

自分の話ではなく、「技術」の解説をしていたら、聞いている人はさらにその人を尊敬したでしょうし、その人は、さらに「喜ばれる存在」になっていたでしょう。 

ところが、

・雑誌に紹介された

・有名人と知り合いだ

という自慢話が続いたのです。

どれほど「すごい実力」を持った人でも、口から出るのが「自分がどれほどすごい人か」という自己顕示欲、「自分はこんなにすごいんだけど、別の人が評価されているのは許せない」という嫉妬、「いつか見返してやるんだ」という復讐の言葉ばかりなら、誰も話を聞きたいと思いません。

「自己顕示」「復讐心」「嫉妬」の3つの感情を持つ人は、損をしています。

とても、もったいないと思います。

「どれほどすごい人物か」というのは、自分から話さなくても、伝わるものです。

「すごい実力」を持っているのだったら、ただ黙って行動で示せば、誰もが認めてくれるでしょう。 

<引用終了>


この「自己顕示」「復讐心」「嫉妬」という感情は、どなたの心の中にも浮かんでくると思います。ですが、気が付いたら一つづつ、感謝の心で昇華してきたいものですね。 

この3つの感情があると、どんどん美しかった心が曇ってきます。

最終的には真っ黒け。周りの人も、話さなくとも、その気配(氣、オーラ)を感じ、だんだんと離れてしまいます。寄って来るのは、同じ波長、同じ心を持つ人ばかり。 

自分のことを認めて欲しい、尊敬して欲しい、丁寧に扱って欲しい

そんなことを思って、必死になって心を汚さなくとも、神さまは、私たち一人一人が、あるがままの姿であっても居場所を用意してくださっています。

そして、必要な人を周りに配置してくださっています。

神さまを信じ、安心して、周りの人と、お互い様、おかげ様と愛と優しさ、笑顔で接していれば、必ず、自分らしくいるだけで、人々と仲良く、幸せに人生を歩んでいくことができます。

そして、気づいてみれば、いつの間にか人生の目的を達成していることでしょう。 

皆様が内なる神さまに気づき、お幸せになられますように。

 


「イエスの涙」


私の敬愛するイエスは、クリスチャンではありませんでした。

イエスの死後、ペテロを初代教皇としてヴァティカンが中心となりクリスチャンの戒律や聖書の編纂がなされました。その後キリスト教という宗教が世界を圧巻することになります。愛の宗教であるはずが、その宗教ゆえにお互いに憎しみ合い、殺戮の歴史が繰り返されました。

イエス自身はその生前において、排他的であったり、戒律などを定めたわけではなく、

・お互いに愛し合いなさい

・自分がして欲しいことを他人にもして差し上げなさい

と説かれていただけなのだと思います。

これは私の個人的な意見です。

・この2千年間のクリスチャンの歴史、

・何者かに利用されてきた歴史、

・騙され続けてきた純粋な良き人々の歴史

果たして、その歴史は人類の進歩にとって良い流れであったのか?


まずイエス本人の意思、願い、目的

そして彼を地球に使わして下さった父なる神の意思、願い、目的を慮る必要があります。

この究極の愛の精神の持ち主が、

・あなたたちは生まれながらの罪人である(原罪)

・自分の命を犠牲にして友に尽くしなさい

と言われるでしょうか?

私たちクリスチャンで無い者たちが、最も真面目なクリスチャンの方々のオーラから感じる違和感は、この2つではないでしょうか?

この2つ考え方は

・私たちの心に罪悪感を植えつけ

・本来の伸び伸びとした生命の躍動感を奪い去り

・過度の自己犠牲の精神は、人間の自然な本能である「生きる」と矛盾を生みだし

・ゆがんだ優越感、そうでない人たちへの批判、その結果の分離の心

などを生みだします。

その見えない雰囲気に、クリスチャンで無い方々が無意識の拒否反応を示すのではないかと思います。イエスや父なる神が、愛する人間に、このように心が萎縮するようなことを仰るでしょうか?

愛の塊である方々が、そのようなことをなさるはずがありません。

人々の心を萎縮させ、常に不安の中、罪悪感の中に置くことは、何も知らない人民を支配しようとする何者かにとっては好都合です。

その手法はキリスト教だけでなく、お金の力で私たち人類を何世紀も支配してきた一部の人々の手法

・お金が全て、貧困になってしまえば、みじめな暮らし、破滅、死

・人を蹴落としてでも努力して高みに登れ、常に努力し続けよ、まだまだ足りない

と全く同じです。


私たちが生まれた時、この地球に生を受けた時、

・純粋無垢で

・希望と好奇心に満ち

・世界中の見えるもの、見えないものから祝福され

・神さまと約束してきたことを「よし、やるぞ」「みんなと仲良くするぞ」と

イキイキとした生命の躍動感の中に生まれました。

ですが成長するにつれて、人類を支配しようとする者、人間本来の力を目覚めさせたくない者たちの教化の中に置かれました。

大人も、学校も、世間も、もうそのように洗脳されていたからです。

いつの間にか洗脳に染まり、同じ道を行く子供

そして、その洗脳を解くために、ある使命を持って生まれてきた子供

色々な見えない戦いがありました。

愛の人であるイエスや父なる神が、私たち人間を罪悪感の中に身を置かせ、不安の中に、常に渇望感の中に生きよ・・  そう仰ったでしょうか?

明らかに、下記の2つ

・あなたたちは生まれながらの罪人である(原罪)

・自分の命を犠牲にして友に尽くしなさい

は意図をもって、曲解されて伝えられたものだと思います。

イエスは決して「あなたたちは生まれながらの罪人だ」などとは仰らなかったし、

ヨハネによる福音書15章13節の『友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない』の命と日本語に訳された元の英語の「life」と言う言葉も、本来は、 

・命

・生活

・生涯

・一生

という4つの意味が、同時に込められていますから、イエスの仰りたかったことは

友のために人間が出来る、もっとも大きな愛は、友のために、自分の真心を捧げること。

の方がイエスの心を表しているのではないかと思います。

友達が困っていれば、すぐさま何が何でも命を捨てる。

そう決心できた自分に対する自己賛美、自己陶酔

そう決心できずにいる人たちに対する蔑みの心、優越感

そんなものがもし芽生えてきたのなら、イエスの意図したことと、かけ離れたものになってしまうでしょう。


私たちは今、21世紀が始まって20年になりますが、資本主義が、お金の支配の世界が、

 断末魔をあげている世界で暮らしています。

滅び去ろうとしている

・今さえ良ければよい。孫や子供のことなど知らない

・お金だけが全て。人を騙してでもお金を手に入れよう

・自分さえ良ければ、人のことなどどうなってもよい

という「今だけ、金だけ、自分だけ」の世界観に何時までもしがみつこうとしている人も、まだまだいます。

ですが、もうそのような時は終わろうとしています。

これから始まろうとしている世界、

いえ、もう既に変わった世界では、心が第一優先に扱われます。

・人間は本来、心次第で無限の可能性を秘めている

・私たちは、お互いの個性を尊重し、自分も尊重され、生命の躍動の中で何にでもチャレンジできる

・私たち人間は助け合って生きて行くことで、調和して何の心配も憂いもなく生きていける

そのような霊主体従の世界です。

みんなの心が大切であって、お金や、地位や、持ち物の多い少ないではなく、心は何物にも縛られず、生まれながらの、生命の喜びのままに生きて行っても良い世界です。

そして、その世界は、私たち一人一人の心から始まります。

もうイエスが悲しむような長い長い呪縛から解かれる時期かもしれません。


2021年6月15日火曜日

2363「5次元密度」 2021.6.15


 今回は「光の世界に向かって歩く」さんの2021年06月09日の記事を紹介します。

https://ameblo.jp/ms-believe/entry-12679587004.html

マシュー君のメッセージ(06/02)

マシュー・ワードのメッセージ2021年6月2日このステーションにいる全てのソウルから愛をこめて挨拶をします。マシューです。

地球に注ぎ込まれているエネルギーは、地球のアセンションを推し進めると同時に、世界中のバイブレーションを高めています。これは、地球が高度な5次元密度の目的地に到着するまで続きます。高度な5次元密度は、地球という惑星の体を持ったガイアの魂が長い間留まっていた場所で、その間にガイアの体の方はネガティブ性を大量に蓄積し、深い第3次元密度へと螺旋を描いて落下してしまいました。 

光の使者からの情報を読む人たちだけが、地球は着実により高度な天体の領域に上昇していると知っています。また、地球の上昇による産物という認識は一般的にはされていませんが、バイブレーションの上昇には二つの効果があり、これは明らかに分かります。

 

その一つは、時間の経過がどんどん速まっているという感覚です。地球には直線的な時間があります。それは、地球に住み着いた全ての3次元密度の文明が、論理的に機能する為に直線的な時間が必要だったからです。しかしながら、直線的な『時間』の概念は、時間のない連続した時空のエネルギーの場の中に存在しており、その時空では皆さんが過去、現在、未来と認識しているものが連続して同時に起きています。

ある意味、地球は連続した時空に近づきつつあると言えます。しかし、もっと正確に述べると、地球の人たちはエネルギーがどんどん軽くなっていく感覚を、以前よりも時間の経過が速いと解釈しているのです。実際、皆さんの時計やカレンダー上では、時が早く過ぎているように感じます。つまり、ほんの20年前には1週間だったものが、2日に『短縮』されているような状態です。実際、直線的な時間はなくなりつつあるのですが、神の恵みにより、いわばこの宇宙を支配する物理の法則によって、潮の満ち引きや、日の出と日没、それに月の運行などは、皆さんの期待通りに運行するように手配されています。

上昇しているバイブレーションのもう一つの効果は、人の性格や行動が、ポジティブな面でもネガティブな面でも増幅されるという点です。特にネガティブな点については、世界中で起きている殺人や無差別な銃の乱射、大量殺人、偏見に基づく行為、その他の暴力や犯罪が顕著に増えている様にも見えます。


主要メディアは、このような悲しい出来事は報道するのに、高いバイブレーションによるポジティブな出来事はほとんど伝えません。例えば、親切な行為の大いなる増加、思いやりのある行動、敬意ある交流や共同での取り組みなどですが、このような気遣いや行動は高まるバイブレーションと調和する社会の中でどんどん広がっていきます。闇の意図と闇の行動エネルギーは低いバイブレーションを発しますが、低いバイブレーションのものは高いバイブレーションの中では存在できません。ですから、闇に基づいたものは何であっても、そのエネルギーが消滅するまで減少を続け、やがて終わります。

実際、皆さんは“高いバイブレーション”の効果をより身近に感じています・・・つまり、これが体や心や精神に及ぼす影響の事です。私たちからのメッセージを最近読み始めた人たちの為に、そして昔から読んでいる人たちには、過去に読んだものを思い出してもらう為にも、この件に関して何度も述べてきたメッセージの中のいくつかを列挙するように、母に依頼しました。お母さんありがとう。

 

[ November 20, 2017:(http://www.galacticchannelings.com/japon/matthew20-11-17.html)とJanuary 14, 2019:(http://www.galacticchannelings.com/japon/matthew14-01-19.html)のメッセージには、症状の詳細とそれを解消する方法。

July 4, 2013:(http://moritagen.blogspot.com/2013/07/blog-post_6.html)のメッセージには、役に立つ食べ物と記憶の『喪失』が述べられている ]


つぎに、主要メディアが特に避けているもう一つの出来事は、『パンデミック』に反発する件に関する全てのものです。反発に関する報道はせず、その代わりに主要メディアは、新型コロナと戦うには世界中で人々にワクチンを接種する以外にない、なぜなら、そうする事が科学的だからだ!と強調する『専門家』を取材したものを取り上げます。

いやいや、それは科学的ではなく、科学に反しています!人の体には強い免疫の仕組みがあり、自然に自らを治療する機能があります。そうした仕組みと協和出来ない異物を体内に入れる事は、自然治癒の機能を阻害し、健康問題を引き起こしたり、死をもたらしたりします。

 

様々な医療の専門家から発せられる情報が相反するのはなぜか、という質問に答えます。

テレビに出る専門家は、外出しなければならない場合は、マスクをして、ソーシャルディスタンスを取り、コロナのテストをし、テストが陰性であってもワクチンの接種をするよう伝えます。

インターネット内のビデオを通じて語る専門家は、そのようにする事が実は健康を害しているとし、その理由を語っています。

イルミナティ、陰の政府、秘密結社など、様々な呼び方をされている組織体は、悪意を持った秘密社会の事ですが、彼らが主要メディアをコントロールしており、彼らが『専門家』を選び、メディアでしゃべらせたり、このような『専門家』が作成した報告書を報道しているのです。

彼らは世界保健機関(WHO)や大手医療関係会社をコントロールしています。アメリカでは、アメリカ疾病予防管理センターやアメリカ国立衛生研究所、それにアメリカ食品医薬品局を含む医療機関の傘下にある全ての機関を、彼らはコントロールしています。

これらの機関やその他の機関のスポークスパーソン(広報担当者)自身も、イルミナティである可能性もあります。イルミナティでないとしても、コロナ関連の製品や機器の販売で大きな利益を上げている企業に投資をしていて、そこから利益を得ているのかもしれません。彼らは、ワイロをもらったり、脅迫されたり、あるいは殺害される恐れから『パンデミック』関連の大掛かりな嘘に加担しているのかもしれません。また、職業上での脅迫や、医療関連の免許をはく奪される事を恐れたり、中には命の危険を感じている人たちもいるかもしれません。効果があり、安価で、体に無害の治療法は、闇の存在たちによって厳密に禁じられ、このような治療をあえて行った医療従事者に対して、イルミナティはこのような非道な行為を実際に行いました。


イルミナティはまた、医学校や看護学校での教科過程も作成しているので、そこの卒業生たちの多くは教えられた通りの事、つまり手術をし、化学薬品や放射線を使用し、薬剤を処方したりするのです。卒業生は教えられた事を信じます。つまり、自然療法はその有効性を科学的に立証されていないので、役に立たず、ワクチンは命を救ってくれるものだと実際に信じているのです。彼らは学んだ事を新型コロナ感染症にも適用し、医学の指針をきちんと守り、ワクチンの接種は公衆衛生にとって不可欠であると信じ込んでいます。

イルミナティの食指が医療企業全体に伸びているなどという事を知らなくて、以前は主要メディアの報道を信じていたという人たちも、今は疑問を持ち始めています:医師たちの中には、単純な治療法で新型コロナ感染者の治療を成功させているのに、その方法が禁止されるのは何故なのか? 専門家たちの中には、マスクをすると通常の呼吸機能が損なわれ、免疫性を弱め、逆に様々な病気に感染しやすくなると言っているのに、強制的にマスクをさせられるのは何故なのか? さらに、マスクは酸素が脳に届くのを阻止します。特に、幼い子供たちの脳は急速に発達しているので、脳細胞に損傷を与えるリスクが高まります。病院の職員は、他の原因で死亡した人たちもコロナの死亡者リストに入れるように言われているのは何故なのか? ワクチンが安全なものならば、多くの国の医療関係の人たちが、ワクチンの危険な効果について忠告しているのは何故なのか?

 

イルミナティは、『パンデミック』に関する真実をインターネット上で見つけ次第、それを除去するかもしれませんが、このような情報を伝える動画や記事を見た人たちが、情報を拡散するのを止める事はできません。

今回の件で、人々が強制的に行動を制限された為に、憂うつになったり、自殺したり、アルコールに依存したり、家庭内暴力や他の暴力が増加した事も知られています。また会社が破産したり、家計がひっ迫状態になったり、休校の為に学生たちの精神状態も傷ついています。人々は当然の事ながら、「このような制限の何が人の為になっているの?」と疑問視しています。

 

ワクチンの接種を拒否する人の数が増えていくにつれ、イルミナティは地域社会の指導者や国の指導者たちに、接種させろ!と圧力をかけています。あなた自身や愛する人たちを守ってください!ある国では、ワクチン接種を拒否する人たちの人生がかなり困難になっていますし、外国に旅行する人たちのほとんどは、出国/入国の許可を得る為にワクチンを接種した証明書を見せなければなりません。この様な事に対して、忍耐も限度になってきているばかりでなく、『コロナに感染する』事を恐れること自体にもへきえきしています。マスクをせずに集会をしたり、学校を再開したり、生き残った小企業の人たちがビジネスを再開する国が次々と増えています。

ワクチンに関して皆さんが心配している事は理解できますし、それは正当な事です。私たちには、その心配を取り除く事はできませんが、心配を和らげさせてください。遺伝子を変えてしまう組織や5Gテクノロジーと相互作用を起こすようプログラムされたナノチップは、遠隔操作が可能なロボット人間を作る目的でワクチン溶液の中に入れられています。しかし、神の許可によって、コロナウイルスの毒性を低めて、イルミナティが意図した数十億人の死を防いでくれたETの特殊部隊の科学者たちは、ナノチップのプログラムを消却したり、溶液中の組織の有効性を可能な限り減少させました。それでもまだ、免疫性が弱まっていた多くの人たちは死亡したり、『ワクチン』と呼ばれているけど、実際はイルミナティによる遺伝子組み換えの実験からの重大な悪影響を受けています。

 

そして、ワクチンを接種された人から出る空中浮遊微粒子が、ワクチン未接種の人に与える影響の問題があります。確かに、その影響はありますが、それはあなたが思っているほど重大な事ではありません。微粒子の活性は弱まっているので、空中で活力を保つ期間は非常に短いのです。もし、人がこの微粒子の影響を受けた場合、それはあなたが既に認知している、あるいはまだ認知していない自分の身体の問題、たとえば、ホルモンや化学物質のアンバランスや電気経路のショートを引き起こす、低代謝、血行障害、栄養失調、それにいくつかの持病が重なって起きる大なり小なりの悪影響を悪化させるという事があります。ですから、私たちは出来るだけ多くの水を飲む事を勧めます。身体に十分水分補給する事は、解毒作用に役立ったり、エネルギーの流れをスムーズにする事で、毒が蓄積する場所を発生させないようにします。そして太陽光を浴びる事は、身体や心や精神にとっていつでも有益です。

 

私たちはまた、ある専門家たちが唱える以下の主張は、真実かどうかという質問を受けました。それは、「ウイルスは変異し続けるので、コロナ感染症はなくならないというのは本当ですか?」という質問です。

安心してください。『変異し続ける』というのは、恐怖感を植え付ける為の策略で、コロナウイルスが存在し続ける事はありません!この宇宙に存在する全てのものと同様に、インフルエンザの一種であるこの病気もエネルギーなので、その存続は、そこにエネルギーを注ぎ続けるかどうかによって決まります。

 

イルミナティが作り出した『パンデミック』が必要とするエネルギーを供給するには、人々がコロナに感染するのではないかと思う“恐怖感が生み出すエネルギー”が必要です。でも、今この恐怖感は低下しています。イルミナティはこのエネルギーを得る為に、人々に、この病気のことを考え、恐れてもらう必要があるのです。でも、人々の思いは今、以前の状態に近い状況を取り戻したいという事の方に向けられています。イルミナティは人々に強いストレスを与えて、そのストレスが免疫性を弱め、健康障害を起こしやすい身体にする必要があるのですが、人々はかつて奪われた自由意志を取り戻し、ストレスのレベルは低下しています。

さらに言いますと、ウイルスに操作を加えて感染症にするという闇の意図のせいで、新型コロナ感染症のエネルギーのバイブレーションは最も低い幅にあります。地球のバイブレーションは上昇し続けているので、バイブレーションが低いものはすべて、地球の高いバイブレーションに抑圧されてしまいます。なぜなら、前述したように、非常に高いものと非常に低いものが共存する事はできないからです。

 

コロナ感染症のように広く蔓延したものに対して、それを世界中で終わりにする手伝いなど自分には出来ないと思っている皆さん、「そんな事はありません!絶対にできますよ!」

これまで伝えてきたメッセージの中で、『パンデミック』に関連した情報に皆さんのエネルギーを注がないように主張してきましたが、ここで再びその主張を繰り返します。

では、どうして今回私たちは、この件に大きなエネルギーを費やしたのでしょうか?

「意図」というものには、それ自身にエネルギーの流れがあり、それには良いものとかそうでないものが付着しています。今回の真実と激励を提供するという私たちの「意図」は、良い付着物であり、これは私たちの愛する兄弟姉妹である皆さんの為に、無条件の愛と共に提供されています。

 

その他に、以前お話しした事を皆さんに思い出して頂ければと思います。皆さんは、ただ創造主の根源の純粋な愛の光のエネルギーであり続ける事で、世界に向けて、大宇宙で最も強力な力を放射しているのです。皆さんの思いや感情のひとつひとつが祈りなのです。そして祈りは強力です。ですから、未来に向けてポジティブで楽観的な事を思い、感じてください。

話された言葉も、書かれた言葉も、言葉には力があります。ですから皆さんが使う言葉は、気を付けて賢く選んでください。

笑顔や笑い、寛容性、感謝、同情、共感、それに全ての小さな親切な行為などが、バイブレーションを非常に高めます。そして、物事を頭の中で視覚化する事も強力です。群衆が楽しいお祝いの席で踊っている、子供たちが嬉しそうに動物たちと遊んでいる姿を視覚化してください。地球が輝かしい金色がかった白い光の中に浸っているのを視覚化してください。清純な水があり、傷つけられた土地ではなく森林が茂り、今は砂漠の土地に作物が育っている様子、見渡す限り花が咲いている野原、公害が全くない空気のある地球を想像してください。

 

上記したすべては「愛を行動に移す」行為であり、人々がお互いに、自然と調和して暮らす平和な世界への鍵は「愛」なのです。親愛なる皆さん、愛は皆さん自身から始まります。私たちが皆さんを愛するように、どうか、皆さんも自身を愛してください!

皆さんが断固たる決意を持って、地球の文明が自身のためや他の世代のために欲している世界を創造するための手伝いをしている皆さんを、全ての光の存在は尊敬しています。

そして無条件の愛を持って、皆さんの歩みの一歩一歩をサポートします。

_______________________

愛と平和 スザンヌワード

訳:誉田 http://www.galacticchannelings.com/english/matthew02-06-21.php




2021年6月14日月曜日

2362「地獄に住む人」 2021.6.14

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月08日の記事を紹介します。


地獄に住む人」


今日は、1年ほど前に書いた記事ですが、占星術の大家マドモアゼル愛さんのお話をご紹介します。そのお話の内容は、空海の「即身成仏」の内容を、切り口を変えて、分かりやすく説明してくださっています。  

少し過激な単語を使われていらっしゃいますので、なじみのある単語に置き換えて、ご紹介します。

 

<引用開始> 引用元

 

人は死んでから地獄に行くのでしょうか?違うと思います。 

人は生きている時にすでに地獄に行くのです。

もちろん、すべての人がそうではありませんが、生きている時に、既に地獄に住んでいなければ死んでも地獄にはいかないはずです。

天国も同じでしょう。生きている時が天国でなければ、死んでも天国に行けるわけではありません。

これはすべてに共通した法則です。今幸福でない人が未来に幸福になることはできません。

将来幸福になりたいと願うのは人情ですが、法則的には今幸福でない限り未来も幸福ではないのです。要するに今と未来の関係です。

未来を作るのは今ですから、今が変わらなければ物事は永遠に変わりません。

人が不幸のどん底にいたとしましょう。不幸だ不幸だと思っている状態が長期不幸です。

普通は相当な不幸が襲っても、時には気分が変わったり、感情が変化したり、考えが変わることがあります。

それなのに、

・変化を拒否して、かたくなに気分を変えない、、、

・かたくなに考えを変えない、、、

・かたくなに感情を変えない、、、、

これが不幸が続く原因です。

恨みや怒りを変えない、、、、

何があってもそれを維持し続ける、、、

それが地獄に住むということです。 

人は生きていながら、こうして地獄の世界に、足を踏み入れていくわけです。

何でこんな話しをまだ夏でもないのに始めるかと言うと、けっこう地獄に住んでいる人が多いことに気づいたからです。 

何かにこだわり、それをかたくなに変えようとしないまま生きている人は、少なからず地獄の状態になっています。

そして生きる現場のリアリティよりも、現実と異なる幻想の思いこみのウエイトの方が重いとき、私たちは段々と地獄に住むようになります。


  この世は変化こそが取りえであり、変化が大きい恵まれた世界です。

この世に理不尽なことが多すぎるのは困りものかもしれませんが、その分、色々な変化のチャンスに恵まれた、可能性に満ちた世界なのです。 

本当は悪いことも良いことも含めた変化こそが、私たちの世界からのプレゼントであり宝物です。

・天候の変化、

・四季の変化、

・環境の変化、

・人間関係の変化、

・訪れる事柄の変化、

・肉体の変化、

・感情の変化、

・考えの変化、

・意識の変化

など、様々な変化に充ち溢れています。

そして変化を受け入れることで過去を流し去っていきます。

変化を受け入れさえすれば、過去が人を苦しめることは基本的になくなります。

また変化があれば、必ずそこにはエネルギー現象がありますので、変化=エネルギーとなるわけです。

生きながら地獄に住む人は、エネルギーが少ないのです。

地獄に住む人は変化にエネルギーがあるなどとは認めず、物にしか、また過去への思いにしかエネルギーがないと思っています。地獄に住む人の考えは、凄く現実的なんです。

だから死んでもこの世に関わるのです。 現実的だからです。物や過去が好きなんです。

肉体を持たないお化けにやられたのでしょう。

お化けはエネルギーを欲しがるので、バッテリーはごちそうだったのかもしれません。

地獄に住む人は変化を拒否しているので、慢性的にエネルギー不足に陥っています。

ですので、外界からエネルギーを得ることを考えた結果、電気を好んだり、人からエネルギーを奪おうとするのかもしれません。

一緒にいるとやけに疲れる、エネルギーを奪われる、、、という経験は誰にでもあると思いますが、それはその相手が変化を認めない人の場合に多いはずです。 

相手ばかりでなく、こちらも変化を認めなければ、お互いで地獄合戦になりますので、恨みや怒りが増幅します。

変化を認めず、双方が変化なしで物事を解決しようとする時、私たちは地獄合戦の、恨みあいに入っていくのです。

どちらの我を通すのではなく、お互いに変化することで問題解決に導くことがエネルギーワークとなりますので、そうすれば物事は必ず発展します。

取り決めだけの、事務的やりくりで平成は30年やってきましたので、エネルギーを失っているわけです。

おそらく令和の時代は、変化にとんだ時代になるでしょう。

私たちの生き方も、

変化を受け入れることで、

自ら変化に身を置くことで、

エネルギーを得ることを考えたいと思います。

・四季を愛でる、、、

・一日の自然現象の変化に喜びを見出す、、、

・季節の食べ物の変化を味わう、、、

地球は変化によって、エネルギー現象を起こしていますので、

それを見たり味わうことが、文化として定着してきたわけです。

生きながら地獄に住む人には  四季も 夕日の美しさも 鳥のさえずりもありません。 

ただ自身の思いの世界があるだけ。 

変化したら自分がいなくなることを恐れているのでしょうか。

いなくなれば大きな世界に入るわけで、肉体が無くなる変化を最終的には人は受け入れるわけです。(生きながら地獄に住んでいた人は、それを拒否します)

生れたら死ぬのはセットです。


 死の変化を受け入れることが、永遠の世界の入り口に私たちを導いてくれるわけですが、

せめて生きている間にも、変化多き人生を歩み、地獄的な生き方から自由でいたいものです。

変化多き人生とは、何も激動の人生であるというのとは違います。

変化を受け入れる姿勢で生きることです。変化を楽しめるということです。

変化がエネルギーであることを認めず、物にエネルギーがあるとする今の科学の限界を、

私たちの心だけでも越えて行かねばならない時代に来ている気がします。

 

<引用終了>

この地球は行動の星と呼ばれています。自分自身で、一歩踏み出すことで、様々な波紋が、宇宙に解き放たれます。

そして、その波長をキャッチした、共振した人が、必ず現れ、発信者である、私の人生に変化がもたらされます。運命は人が運んでくるとは、その事です。

・誰かがやってくれるだろう

・誰かが助けてくれるだろう

・棚からぼた餅的なことが起きるだろう

の心では、そのような依存の心では、決して運命は変わりません。

ご自分の心を、静かに見つめてみてください。

・私は不幸だ

・私は貧困だ

・私は重い病気だ

・私に友達はいない

・周りはみんな敵だ

・みんな私の不幸を望んでいる

・私をだまそうとしている人がいる 

そんな風に、かたくなに思ってはいませんか?

そのような考えを手放さない限り何時までも「地獄に住む人」から抜け出せないことでしょう。何時までも、頑なに恨みを心に抱いていては、その頑なで、重い心ゆえに、肉体を去る時には、天に上ることはできないでしょう。 そのような状態では、肉体の死後も行先は、もう決まっています。

一度、一回だけでも、一切、そのような心を忘れてみませんか?

そして、私は、もともと

・心あたたかく

・みんなで助け合い

・お互い様と、人の個性も受け入れ

・おかげ様と、みんなに感謝して

そして

・人をだまさず

・疑わず

・恨まず

・さげすまさず、

・不平不満を言わず

そんな風に生まれ、そして生きてきた。

そして、それはこれからも変わらずそんな人間だったと、、、 

思い直し、生きなおしてみませんか? 

そう決心した途端、人生は180度変わり、神々も、周りの人々もあたたかな心で受け入れてくれることでしょう。 

そして、生きながら天国に住む人に生まれ変わることでしょう。



2021年6月13日日曜日

2361「私の天命」 2021.6.13

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月07日の記事を紹介します。


「私の天命」


今日は、自分の天命の見つけ方について書きたいと思います。

小林正観さんは著書の中でこう仰っています。


五戒を守り、頼まれごとをこなしていくうちにある方向で自分が使われていることに気がつくんですが、それが使命、天命というものです。

天命、使命に出会ってからの人生というのは、すごく、楽しいものですから、なるべく早くそこのところに到達することをお勧めします。

頼まれごとをニコニコと笑顔でこなしていく人生が一番早く使命、天命を知る方法です。

また、頼まれごとは、3つに1つは有料になるようです。

頼まれごとを淡々と受け入れることで、お金にも困らずに、天命、使命に出会って楽しい人生を過ごせるようです。


その具体例をご紹介します。「人の心に灯をともすHP」より抜粋

<引用開始>


・不平不満、

・愚痴、泣き言、

・悪口、文句、

・辛い、悲しい、

・嫌だ、嫌いだ、

・疲れた 

という言葉を言わなくなって、三ヵ月から半年位経つと、突然に頼まれごとが始まります。

頼まれごとがきたら、基本的には全部引き受けます。頼まれごとは「適当」にやることをお勧めします。「適当に」というのは、『適度に』ということです。

「引き受けたからには、いい仕事をしなくてはいけない」と気負わずに、そのときの加減で 

「良い加減」でニコニコと取り組んでいけばいいのです。 

頼まれごとを引き受けて行くと、三年くらい経ち、 ある方向性でこき使われていることに気がつきます。

「どうもこういうことをするために、この世に生まれてきたみたいだ」というように、自分の“使命”がわかる瞬間があります。それを「立命」の瞬間といいます。

自分の好きなこと、嫌いなことをより分けていると、なかなか自分の所に面白いことは起こらないようなのです。

宇宙の仕組みに、「自我+お任(まか)せ=百」という方程式があります。

自我が三十パーセントだと、お任せが七十パーセント。

自我がゼロパーセントだと、お任せが百パーセントという仕組みになっています。

私は、頼まれごとを、好き嫌いで選ぶのではなく、三つ目の選択をしています。

それは、「ただ、淡々と生きる」という生き方です。

頼まれごとを、自分の評価、論評を入れずに淡々とこなしていく。

あれがしたい、これがしたい、という自我や目標があったら、そこにたどり着くために、努力しなくてはいけません。また、努力しても叶わないこともあるでしょう。

ただ、頼まれごとをして淡々と生きていくと、何を頼まれるかわかりません。

自分が想像しなかった方向へどんどん流れていくこともあり、考えていたときよりも、はるかに楽しいことが起こっていくようなのです。

頼まれごとがあるということ自体が、人間としてとても幸せなことなのです。


 「ヒトは一人で生きているとヒト。人の間で生きることが人間」

死ぬまでに人間として何をするのか、何のためにこの世に生を受けたのか?

それは、「いかに人の間で喜ばれる存在だったか」を残すことなのでしょう。

業績や実績を残すことではありません。

自分の身の回りの人(家族・友人・知人)から、「あなたに○○をしてもらって良かった」と言ってもらえること。

さらに向上すると、「あなたがそばにいてくれて良かった」というレベルになります。

そばにいるだけで、その人が自分を明るくして、心を温めてくれることを「仁」と呼びます。

「人が二人(あなたのそばにいつもいます)」という意味です。

「人に対して何かをする」という段階からさらにもう一歩踏み出し、相手が、「あなたのそばにいる、ととても幸せ」と言ってくれるようになったら「仁」の領域に入ります。


本当に喜ばれる存在という人は、何かをしてあげて喜ばれるレベルで留まるのではなく、 

その人がそこに居るだけでホッと和むような人になることらしいのです。

頼まごとをすべて引き受けなくてはいけないのかと聞かれることがありますので、断ってもいい頼まれごとを書いておきます。


「お金を貸してほしい」というときは、自分ではなくお金に用事があるということですから、

断っても構いません。

ただし、次の条件によって変わってきます。お金に余裕があるときに、借金の頼まれごとを断ったとします。貸したほうが、自己嫌悪が少ないのなら貸してあげる。自分の生活を犠牲にしてまで貸すと、自己嫌悪が大きくなります。

「私」のレベルが変わると、自己嫌悪のレベルも変わります。

また、百キログラムの荷物を持ってほしいなど、物理的に無理なものや、単なる数合わせの場合、先約がある場合も断っても構いません。


 PTAなど、今までやってことのないような頼まれごとがあります。

その場合はこのように判断するといいでしょう。

今までに経験したことのないものは、引き受けた結果としての自己嫌悪を味わったことがないので自己嫌悪は「ゼロパーセント」になります。引き受けないときの自己嫌悪は「五パーセントくらい」あるかもしれないので、このような場合は引き受けるほうを選ぶということです。

これが一期目になり、二期目を引き受けるときには、改めて自己嫌悪が少ないほうを選ぶといいでしょう。

基本的に、自分の中で自己嫌悪を量ると答えが出てきます。

まだやったことがないのであれば、引き受けたほうが良いかもしれません。

自分ではできないと勝手に判断して断ることを「傲慢(ごうまん)」と言います。

基本的に、できない頼まれごとは来ません。

「一度断ってしまうと、三年間頼まれごとが来なくなる」という宇宙法則もありますので、

自分の能力を自分で量らないほうがいいようです。

<引用終了>


正観さんは、ブッダの悟った内容を、誰でも解るように、平易な言葉や、具体的な例を示して教えてくれています。

本当に私達の人生と言うのは、 

・気張らずとも、

・努力しなくとも、

・宇宙の采配に任せ、

・流れに乗っていれば、 

どんどんと、生まれて来た目的を達成できるように出来ているようです。

このことを知ってから、私は来た頼み事や、仕事はほとんど断らなくなりました。

今は解らなくとも、いつかそれが必要だったことが解るからです。


私達、それぞれの内に居らっしゃる神様はムダな出来事など一つも起こしませんし、 その出来事も一番良いタイミングで起こして下さっています。必要なことが、ベストなタイミングでもたらされます。それは、神様が私達を成長させようとして下さっているからです。

貴方は、もう天命を見つけましたか?

それとも、まだ見ぬ どこか遠くの「凄い使命」を待ち焦がれ、日々を過ごされますか?




2021年6月12日土曜日

2360「物語を生きる」2021.6.12

今回は木の花ファミリーのジジイのブログ2021年5月25日と木の花ファミリー通信2021年春分号「2030年、地球は限界へ」の2つの記事を紹介します。

 https://konohana-family.org/2021/03/20/105/


「誰もがオリジナルな物語を生きている」 ジジイのブログ


世の中が今のように複雑になり、先の見えない社会構造を呈していることを考えてみると、その社会を構成している人の資質は、特徴がなく、どの人も金に縛られ情報に溺れているように見られます。そういった現代人を眺めていく中で、最近特に確信を持ってきたことがあります。それは、人それぞれの特徴や個性というものは、必ずその人だけしか持ち合わせていない、オリジナルな物語だということです。

人の特徴は、何度も輪廻を繰り返してきたそれまでの魂の旅によって決定されます。現世の出発から現在に至るまでも、それぞれがオリジナルな旅をしてしてきており、同じ旅はないのです。それがその人の人生において、物事が行き詰っていくような流れを持っているのか、それとも、より解放され、何か新たなものを生み出していく(質的転換の「ナ」)ものとなるのかは、その人が自らの使い方に気づいたか気づかなかったかによります。

使い方に気づいていない人というのは、自らの個性や特徴が、認識から外れている状態で出ているということです。その状態の人は、個性や特徴が癖性分として表現されることになり、何か問題を起こしては「あ、またやった」「またやってしまった」「どうしてこれを繰り返すのだろう」「いやになってしまう」「もう生きているのもいやだ」というような発想にまで落ち込んでいくことになります。この状態では、心や人生そのものが重いのです。

しかし、笑いが治療になるとも言います。それは、気持ちが軽くなるからです。笑い飛ばして、問題ごとを吹き飛ばすというのでしょうか。そうすることで、自分がどういった癖性分を持ち合わせているかが客観的にわかってきます。すると「この自分の癖性分も、実は使い方次第で有効だね」と気付き始め、自分の使い勝手をマスターする道が始まるのです。そうして目覚めの扉が開き出すと、それが連鎖し、人生において出会う出来事が面白くなってくるのです。反対に、ネガティブになっていると「またこうなるんじゃないか」と悪い結果を想定し、そもそも「なる」「ならない」に関係なく、物事が壊れていくとか、行き詰っていくような方向に独断的に考えていくわけです。

そこで一番大事なことは、その人が何を語り、どんな行動をしているかよりも、その人が発している響きなのです。よい響きを発している人は、極端なことを言えば、その人がそこにいるだけで、その場の流れが整い、調和的な場になっていくものです。昔、木の花メンバーの資格という話をしたことがあるのですが、木の花のメンバーである資質は、まず初めに全体のために生きようとする人であることです。それは自らの願望を後に回してでも、全体のために生きようとすることで、それは同時に、その人自身の価値も上がることになります。そこで重く行き詰っていく人は、必ず自らのことを優先するような考えを持っているのです。そういった人は、重い響きを放っていることで、全体に対しネガティブな結果をもたらすことになります。自らがそういった人であることは、本当は悲しいことであり、全体が健康に保たれていくためには改めなければいけないことなのに、それに「気づけない」「改められない」のは、その人の持っている目線、目覚めの位置が、どこにあるかなのです。

現代人が持っている豊かさや自由などの価値観の根底にあるものは、そういった全体性を優先するのではなく、個人を優先し、全体性の調和を乱していくものです。今、世界中に広がる人間のそういった資質に気づけている人は、皆無と言っていいでしょう。身近な話ですが、毎日アルコールがないと生きていけない人は、その段階の価値に目覚めているということも言えるのです。そのため、いつもお酒のことが基準になって頭が回っている状態になってしまいます。そういうことは、お酒に限らずいくらでもあります。お金のことにしか興味がない人もいます。そのように人を虜にする興味はいろいろあるのです。

今、自らがどこの目線に価値を一番に置き、生きているのかを、現状の出来事と照らし合わせてみることです。その自らの生き方の結果が、今のこの状態を創っています。生きるとは、そういった自分物語を歩んでいることであり、自らに染み付いた癖性分を客観的に捉え、変換し、個性として表現していけば、人生を豊かに花開かせることも、先の見えない世の中の次の扉を開けることもできるのです。



「2030年、地球は限界へ」木の花ファミリー通信2021年春分号


この10年のあなたの行動が未来を決める

新型ウィルスの拡散により、世界中で緊急事態宣言が出されることが当たり前の時代となりました。人々はこの事態が一日も早く収束することを願い、ウィルスの撲滅に向け様々な取り組みを行っています。しかし、そもそもウィルスがなくとも、世界は今、緊急事態の真っただ中にあります。

最新の科学は、地球の環境が既に飽和状態に達していることを明らかにしています。温暖化に環境汚染、食料難の深刻化や資源の枯渇、人口爆発と高齢化、さらには人知を凌駕するAIの台頭など、日本を始めとする一部の先進国が豊かな暮らしを享受する一方で、地球全土で環境の荒廃が確実に進み、このまま行けば2030年には限界に達し、歯止めの利かない破滅への道が始まることが、様々な研究データから予測されています。 

今、地球生命の未来を左右する10年が始まりました。

私たちが直面しているのは、待ったなしの現実です。

今、地球上における人類の文明はピークを迎え、このままの状態でこれから先も発展し続けるかのような麻痺した考えを、やめなければならない時が来ています。

過去を振り返れば、人間の活動が自らを絶滅に追いやったことが、これまでの文明の歴史の中でたくさんありました。現代の大量生産・大量消費社会を築いた資本主義文明は、長い地球の歴史から見ればほんの一瞬とも言える、たった300年足らずのものです。内なるセンサーを研ぎ澄ませ、時代の潮流を感じ、この現代文明の先に大きな暗い影のあることに気付いたならば、その気付きを新たな時代の扉を開ける指針とし、自己変革へと向かわなければなりません。


人々の本音

2020年、世界の平均気温は過去最高水準を記録しました。気温の上昇によって降水量が増加し、各地で洪水や台風の巨大化が起き、その復旧に莫大な費用が必要となりました。充分な費用がない貧しい国では、復旧もままならない状態が続いています。その一方で、温暖化により大気の流れが変動し、北極圏の冷気が南へ押し出され、記録的な寒波となる地域もありました。

気候が不安定になったことで、世界各地でこれまでと同じように作物を育てることがどんどん難しくなっています。豊かな国は飽食にふけり、たくさんの肉を食べます。一方で、その肉となる家畜の餌として大量の穀物が消費され、貧しい国は充分な食糧を確保できず、現在地球上の9人に1人が飢餓状態にあります。私たちは土や水や太陽によって作物を育て、自然から食べ物をいただいて生きていますが、現代はそういった自然の恵みよりも、人工の世界が生み出すお金の力の方が、はるかに存在感が大きくなりました。

現在の地球上の人間の暮らしは、生きる上でのあらゆることに経済が絡んでいます。文明の発祥以来、人間は不自由なことがより便利になるように、食べられなかったものが食べられるようにと、それまで自然界になかったものを人工的に造り出すようになりました。それは確かに便利なことでしたが、その便利さ故に、今度はそれがないと居られないようになり、元々のもっとシンプルで良かったはずのものを失っていきました。そして、お金があることが豊かさであり幸せであると思い、お金がすべての問題を解決してくれると考え、どんどん経済の虜となっていったのです。

世界中で温暖化対策の必要性が叫ばれながら、何故なかなか進まないのかというと、人々の本音は、経済の方が大事だからです。温暖化は止めたい。排出物も減らしたい。でも経済は止めたくない。つまり、問題の原因は自分たちの生き方にあるけれど、その生き方を変えたくないということです。


お金で回る社会

現代は、お金がないと生きていけない社会になりました。人々はお金がないと不安になり、互いに競争し、お金を奪い合っています。しかし、お金は社会の血液です。体の中で血液が隅々にまで行きわたらず特定の場所で滞れば、全身が病気になるように、お金が社会の隅々まで循環せず一部に留まっている現代社会は、まさに病気の状態であると言えます。

経済とは本来、社会が円滑に営まれていくための手段であるべきものです。けれども現代の経済は、お金を得ることが最優先となり、社会をより豊かで円滑にするためのものとはなっていません。人々は、みんなが豊かで健康になるためのものよりも、お金になるためのものを作るようになりました。

食べ物は私たちの命をつなぐものですが、利益や効率を優先して生産される現代の食べ物は、食べることで体を蝕むようなものがたくさんあります。そして社会に病気が蔓延した結果、その病気を生んだ自らの生き方を見直すのではなく、医療で症状を治して解決するようになりました。こうして医療は一大産業となり、高度な技術が発展して人々の平均寿命は延びましたが、同時に人々は、命に対する覚悟を失っていきました。

医療が今日ほど発達していなかった時代には、人はいつでも自らの命に対する覚悟を持っていました。しかし現代は、自然界ではとうに寿命を全うしているような状態でも、医療に頼って命を永らえ、年を取れば介護が必要になることが当たり前の世の中となりました。すると今度は、介護施設が増え始めるのです。人が病むことや老いることさえもが、常にどこかでビジネスの餌になっているのです。

この経済の在り方を根底から覆し、本当に社会を健全にするためのものに変えなければなりません。それは、私たち自身の生き方を変えるということです。


自分は正しい?

生き方を変えるとは、どういうことでしょう。

最新の科学は、人間がこの10年間に生き方を転換しなければ、既に飽和状態にある地球の環境は2030年に臨界点に達し、破滅への暴走が始まり止められなくなることを予測しています。世界中の人々がその対策を協議し、刻一刻と迫りくる危機を感じながら、その危機の原因が自分自身にあるとは見ていません。それは、人々の考え方が大局的ではないからです。なぜ大局的でないかと言えば、生きることの目的が、個人の願望を叶えることばかりに向いてきたからです。

多くの人々が、この危機をどう乗り越えるべきかをそれぞれの立場から語り、誰もが一生懸命です。そういった人々は、優秀であるからこそ他を批判し、また他からも批判を受ける立場にあります。しかしそこで共通しているのは、どの人も自分を振り返らないということです。

人間はこれまで、問題ごとに出会う度に、その問題を生み出した自らの生き方を振り返るのではなく、新しい技術や社会の仕組みを変えることで解決を図ってきました。例えば交通事故に出会えば、事故に遭わないようにと交通システムを変え、車の性能が悪いと言って車を改善します。その事故を起こす人間の性能を改善するのではなく、仕組みや道具を改善することで解決してきたのです。

それが目覚ましい成果を上げてきたことで、そうすることが良いこととなり、自分を変えずに仕組みや道具を変える偏った癖がつき、自らの問題点はそのままで振り返らなくても良い社会となりました。その根底にあるのは、自分のしていることを正しいこととしたい心です。

しかし、そもそも私たちは、自分たちの考えの延長線上に、本当の正しさを導き出せるでしょうか。

歴史を振り返ってみてわかるのは、その時代にはその時代の正しさがあり、みんなが「これが正しい」と思って生きてきたということです。戦国時代には他人の領地を力ずくで奪うことが正しいことであり、大戦中にはお国のために命を捧げることが正しいことでした。しかし時代が進めば、その正しかったことが間違いとなり、その間違いを改善して次へ進むということを人類は繰り返してきました。そうして、より良くなるために、より良くなるためにと繰り返してきた結果、今究極の行き詰まりに到達しているとしたら、私たちは自分の考えでより良くしようとすること自体を手放す時に来ています。


今、するべきこと

この世界には、時代の潮流が常に流れています。

近代の人間社会は、地球の危機的状況をエネルギッシュに訴えつつも、その一方で、同じような手法やエネルギーを使い、経済の拡大を続けるという矛盾を表現してきました。そして、いよいよ自分たちの力ではどうにも解決できないところまで来て初めて、人々は現実に目を向け始めました。それは、これほどの現象をもらうところまで行かなければ、人間は生き方を変えないということであると同時に、何かそこに、人間の力を超えた大いなる時代の潮流が流れていることを感じることもできるのです。

地球上の歴史は、個々の人間の意志によるものではなく、宇宙の大いなる流れから生じる時代の潮流によって紡がれています。人間がどれほど現状に危機感を抱き、自分は正しいことをしているつもりで環境の改善を声高に訴えても、その動きが宇宙の流れと連動していなければ、それはただ自分の正しさを主張して思いを叶えようとする、これまでの人間がしてきたことと同じものになってしまうのです。

ならば、私たちは今、何をするべきでしょう。それはまず、自らを振り返ることです。

地球の現状を築いてきた自らの生き方を振り返り、その自らを正しいものとしていた心の奥を振り返る。そして自らの命が何によって支えられ、その存在が世界の中でどのように成り立っているのかを振り返る。それは、世界観を広げるということです。

世界観が広がると、自分は自分の力で生きているのではなく、この世界の仕組みの中で生かされていることが観えてきます。その時、人は謙虚になります。その謙虚な心で、自分たちはどう生きたら良いかということを、自らを生かす何ものかに問うようになった時、その大いなる何ものかは、私たちが進むべき道を常に示してくれていたことに気付くでしょう。それは、自分で正しい答えを導き出そうとしているうちは、わからないことです。


人間が最も理解できないこと

自分が思う正しさを手放し、宇宙の流れと連動して生きるようになると、物事は驚くほどスムーズに進むようになります。すると、人生を歩む上でのエネルギーは少なくて済むようになります。人々は今、電気自動車や代替エネルギーを開発し、何とか温室効果ガスを削減しようとしていますが、もっと人々の心が通い合い、物事が効率よく進むようになれば、そもそもエネルギーの消費量はずっと少なくて済むのです。

私たちは皆、地球というひとつの星に暮らしています。そこにある大地も、水も、空気も、風も、そして太陽も、みんなでひとつのものを共有しています。それがぐるぐるとどんな存在の元にも循環し、ひとつの生態系を築いています。アフリカで起きることも、アマゾンで起きることも、北極や南極で起きることも、みんな地球というひとつの体で起きていることであり、私たちみんなの責任なのです。

ですから、地球のどこかに問題が起きれば、みんなでどうしたら良いかを考え、力を合わせます。経済も、そのために使われるべきなのです。世界は問題ごとで溢れかえり、その一つひとつに対処しようとすれば途方に暮れてしまうかもしれませんが、その無数にある問題ごとの元はすべて、ひとつのことから始まっています。それは、国家も、人々も、自分のことしか考えていないということです。その根本の心を振り返り、ひとつの問題を地球規模のこととして捉え、みんなで力を合わせて取り組んだ時、そのひとつの問題の解決が、全体の解決へとつながっていくことでしょう。それが今、人間が最もできないことです。

本当に価値のある人生とは、他の生命や世の中の健康に貢献することです。自分が生きた結果、人が幸せになり、世の中がより豊かになる。これ以上現実から目を背けることは許されない地球の危機的状況をもって、私たちは今、自らの生き方を大転換させるチャンスとしての10年間を歩み始めたのです。

 

あなたはこれから、どちらの方向に進みますか?



2021年6月11日金曜日

2359「神さまの恩寵」2021.6.11

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月06日の記事を紹介します。


「神さまの恩寵」


今日は、突然「天空農園」での畑活になりました。




神の山、天に一番近い天空農園の空は、今日もエネルギーに満ち溢れていました。

農作業の合間のお山でのランチも楽しいひと時です。 

ここでみんなで活動しているともちろん「神の山」と言う場のエネルギーもありますが、 

心が洗われ、自然と笑顔になり笑い声に溢れてきます。 

ここでは、みんなが、周りを思いやり温かな心で接しています。 

と言うことは、幸せになる下地が自然と身についてくるということです。

関わってくださる、全部の皆さんに幸せになっていただきたいと思っています。 

 

さて、今日のテーマです。

 よく聞く言葉があります。

・願いが叶ったら、感謝する

・気持ちが落ち着いたら、感謝する

・生活に余裕ができたら、感謝する

ですが、これは、宇宙の法則とはまったく逆のことをおっしゃっています。 

宇宙の法則とは与えたものが、受け取るものということです。 

まず自分から、何かを出さなければなりません。

出したものと同質のものが、巡り巡って自分に何倍にも帰ってきますから幸せになりたいのであれば・・感謝の人生を送りたいのであれば・・

まず自分から他人に対し優しさや、思いやりのある言葉かけ、笑顔、感謝を、出さねばなりません。 

そうやって初めて自分に返ってきます。何かを得たら、素晴らしい環境になったら感謝する

そんな気持ちを元春日大社宮司の葉室 賴昭さんは、「それは、取引だ」と、排除なさっています。

 与えられているものに・・・何もない平凡な日々に、感謝しよう

そんなお話です。 

あなたは他人や、モノ、動植物、自然、神様に感謝することはありますか?

一日に何回「ありがとう」と口になさいますか?

今日は何人の方に、笑顔を向けましたか?

私たちが生きていく上で遭遇する、悩みや苦しみ。そこから解放される手段を、ブッダは2,500年前に「般若心経」の中で教えてくださいました。

それは「感謝の心」です。ブッダは人間として生きていく上での全ての悩み苦しみの、共通の解決方法を、「般若心経」に残してくださいました。

「般若心経」はブッダの弟子の一人、シャーリプトラに、観音菩薩が教えを説くという設定で全文が構成されています。

では、小林正観さんの講演会でのお話をご紹介します。


<転載開始> 転載元


講演会が終わったところで、本にサインをする場合があります。

その時は百二十名ぐらいの講演参加者でしたが、半分の六十名ほどの人が本にサインが欲しいということで並びました。

三十人ほどのところに、「質問していいですか?」という女性が立っていました。年齢は四十歳ぐらいでしょうか。質問の内容はこういうものでした。


実は私は看護師をしています。

夫は長距離トラックの運転手で、毎晩出かけて行って、夜はいません。そして、自分は夜勤も嫌がらず引き受けてやっているので、週に二回、子供たち三人だけの夜があります。

最近のニュースを見ていると、子供たち三人をおいていく時に、何か事件や事故があるのではないか、変な人間が侵入してきたらどうしようか、火事が起きたらどうしようか・・・

そういうことばかりを考えて、夫婦二人で話し合い、どちらかが仕事を辞めた方がいいのではないかと話しています。けれども、住宅ローンを返さなければいけないという事情もあって、簡単に二人とも辞めることができません。悩んで苦しんで、いつも夫と話し合っているのですが、どうしたらいいでしょうかという質問でした。

私はこのように聞きました。

「一年に五十三週ありますね。 週に二日、子供たち三人だけの夜があるということは、 

一年を通していえば百六日になりますが、子供たち三人だけの夜は百日を超えていますか?」と聞きました。「超えています」と答えが返りました。

「では、二年だと二百日を超えますが、 二百日を超えていますか?」「超えています」

「では、三年だと三百日を超えていますが 三百日を超えていますか?」と聞きました。

「三百日も超えていると思います」と答えが返ってきました。

「それでは伺いますが、 その無事に過ごせた一日だけにでも、 安全に何事もなく過ぎてくれてありがとうと、手を合わせて、感謝したことがありますか?」

と問いかけました。

十秒ほど黙っていましたが、この方は、そこからどわーっとすごい涙を流して、泣き始めました。二十分ほども そこで立ったまま泣いていたでしょうか。

私はその間に残り三十人ほどの本のサインを済ませ、それがちょうど終わったころに、彼女がやっと話ができる状態になって口を開きました。

「ほんとうに一度も感謝したことがありませんでした。 心配ばかりをして、無事に過ごしてきた日に一日たりとも、 一度たりとも感謝したことがありませんでした。

 今日、帰って宇宙に、地球に、いろいろな方に感謝をするとともに、子供たちを思いっ切り抱きしめてあげます」

と語りました。 泣いてはいましたが、明るい笑顔でした。

この話には後日談があります。

半年ほど経ってまた同じところで講演会があったのですが、「先日はありがとうございました」と言って、その方がお見えになりました。

その後、毎日毎日、感謝をして、何事もないことに手を合わせてお礼を言っているそうですが、何事もなくほんとうに平穏無事に毎日が過ぎていっている。ありがたい。

何かが変わったわけではないのに、状況がなにも変わったわけではないのに、

心が平穏になり、穏やかで豊かで幸せである、ということを話にきてくれました。

<転載終了>


このことに気づいたお母さんは、もう大丈夫ですね。

宇宙からのパワー、神様からの恩寵を手に入れる方法を知りましたから。 何かが叶ったら、感謝する、ではなく、

本当の感謝は、何も起きないことに感謝なのかもしれません。

何も起きないで淡々と穏やかに過ぎていく日々、実はこれが物凄いことなのだということに気がつくこと。

不安 恐れ 懸念 心配事というのは、私たちのために、常に沢山の恩寵を施し、時間やタイミングを調整し、様々とやって下さっている神様に対して、それに気付くことなく、感謝することなく、それどころか文句を言っているのと同じことです。

また、まだ起こってもいない未来に対し、心配し取り越し苦労することも、同じことかもしれません。

いま何事もなく 淡々と過ぎている時間というのは 何も起きていない ということではなく、神様が全てを調整し、全ての出会い別れをセッティングし、そのうえでそれがうまく動いているが故の「無事なことが起きている」の連続かもしれないのです。

この奇跡の連続、とめどもない神様の恩寵の連続、これこそが、感謝の源泉です。

そのことに気づき、感謝することができれば、宇宙からのサポートの100%を享受することができます。

正観さんは、これこそが 本当の感謝の本質と仰っています。

何かを頑張って、努力して手に入れることが感謝ではなくて、今、穏やかに穏やかに暮らしていることが、本当の感謝の源なのだそうです。

悩み、苦しみの生活の中でも、ふと穏やかな時が流れることもあるのではないでしょうか?

そんなひと時もあるのですから、「置かれた場所で咲きなさい」と言われるように、その環境の中で感謝の心を身につけることは、本当に大切なことではないかと思います。

何よりもご自身の幸せのために・・

感謝の心は、幸せになるために、どうしても必要な心です。

夜明けは近いです。 

もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。


2021年6月10日木曜日

2358「神さまの承諾」 2021.6.10

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月04日「病気と事故」と2021年06月05日「神さまの承諾」の2つの記事を紹介します。


「病気と事故」

私たちは肉体的な制約のない「意識」だけの世界からこの地球の3次元の世界に生まれてきました。生まれてくる際には、永遠の魂の持っている記憶を全て、いったん白紙にされ、忘れさせられて生まれてきます。

この不自由な物理的な世界で肉体があるがゆえに、霊的な生命体の時には無かった「感情」を味わい、様々な縁ある人々とも、まるで「初めまして」と一から関係を構築していきます。

そして、地球での生活の中には様々な、イベントが埋め込まれています。

楽しいことだけではありません

・別れや死別

・裏切り、意地悪

・憎しみ、嫉妬

・悲しみ、苦しみ

様々な人々の、様々な感情の中で翻弄されながらも、自分なりの花を咲かせようと私たちは懸命に生きていきます。

何故なら、そのような経験はこの地球の3次元の世界、短い一生の間にしか味わえない、

貴重な 魂を磨く機会だからです。 

私たちはこの置かれた世界で、この置かれた立場で、どう生きていくか?

それが、問われています。

送り出してくださった神様そして、多くの故郷の星の同胞たちが見守っています。


  ですが、そうであるにも関わらず、あまりにも見えない世界、霊の世界、下世話な言葉で言えば「お化けの世界」のみを重要視し過ぎて、実際の目に見える日々の生活、そして身近な周りの人々との優しさや、思いやりの愛の交換を忘れてしまっては本末転倒になってしまうかもしれません。何のために、ここ物質地球に来たのかわかりません。

ここは物質次元の地球です。

さて今日のテーマは「病気と事故」 

生まれてくる前に、自分で決めてきたシナリオ通り、人生が進むのであれば、私たちを苦しめる、貧困や病気、事故の意味とは何でしょうか?

世の中に一つも無駄なことはないと言われます。

神さまは決して私たちを苦しめ、悲しませるためだけに、物事を起こすわけではありません。

全ての自分に降りかかる出来事は「空」、すなわちニュートラルである。

そこに良い、悪い。 幸、不幸の色を付けるのは、自分の心である。。

そうブッダは般若心経の中で教えてくださいました。 

一般的にいう「不幸」の代表として病気と事故があります。 

そして、病気をした人は、「より優しく」なり、事故に遭った人は、「より謙虚に」なります。

「どうして、自分だけが不幸な目に遭わなくちゃならないんだ」と言う人もいれば、

病気や事故のおかげで、心が清められたと、感謝する人もいます。 


 私たちの日常生活の中の、幸せ、不幸せは、こういうもののとらえ方の違いによって成り立っています。

目の前の現象は、もともとニュートラル(中立)で、なんの意味づけもされていないのに、 

私たちが勝手に評価・論評を加えているということです。 

すべては自分の私たちの心が決めています。 

それでは、ここで小林正観さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 


私たちは、20世紀的な価値観から、そろそろ抜け出してよい時期に来ているのではないでしょうか。

20世紀的な価値観とは

・競うこと

・比べること

・争うこと

を基礎とする価値観。


そうではなく、21世紀は、

・競わないこと

・比べないこと

・争わないこと

を基礎とする価値観。そうできないものでしょうか。

それは、戦うことではなく、自分が楽しいと思えるような(この瞬間だけでなく、未来にわたって継続できるような、楽しい) 生き方をするということにほかなりません。

自分の生活の中で

・他人と比べない

・世間と比べない

ということが身についたら、生きることが、どれほど楽になるかわかりません。

今まで、相対評価というのが、人の価値観をずっと形成してきて、それにまったく疑問をはさまないで私たちは生きてきました。

・競争すること、

・比べること、

・争うこと

を教えられてきましたから、「優しさ」をたくさん持っている人ほど、心の奥底で「何かが違う」と叫んでいるわけです。

その心の叫びとは裏腹に、表面の部分では、猛烈に争って、戦って、いい成績を収めたという、その乖離が激しい人ほど、往々にして病気を招くという例が多いように思います。 

それは、その人自身が優しいがゆえに、自らが元の姿に戻るためのシナリオを、生まれる前に書いてきているのでしょう。

 「自分の力ですべてやってきたんだ」という驕り、高ぶりが強くなったとき、病気という形をとって、本来の謙虚さに立ち戻るシナリオが働くのではないでしょうか。

人は、病気や事故によって、より優しく、より謙虚になり、その結果、競争原理というものを捨て、これまで体験した すべてのことに「ありがとう」と言えるようになるようです。

<引用終了>


今自分の目の前に起きている悩み、苦しみ、偏見、貧困、差別、病気、ケガは、自分にとって何をもたらそうとしているのか?

それを経験することで、私たちの魂は、何を得ることができるのか?

それは、その現象の表面だけの辛さを見て不平不満、愚痴、悪口を言っている間は、決して気づくことがないでしょう。

そこに隠された神様の意図を、感じ取れた時、その現象は、役割を終えて、いつの間にか消滅し、記憶のかなたに消えていくことでしょう。

皆様が内なる神さまに気づき、お幸せになられますように。



「神さまの承諾」


今日は、事故や事件で亡くなってしまう場合も、生まれる前に決めたシナリオ通りの人生なのか?と言うことで、小林正観さんのお話をご紹介します。

また、自分に対しての、意地悪や陰口、揚げ足取りのような理不尽な行動も同じです。

悲惨な犯罪も、理不尽な仕打ちもすべて、神さまの承諾の下で起きている。

つまり事件や戦争、理不尽な出来事などに、敵意や憎しみを抱くことは、「さらなる犯罪を呼ぶだけ」ではないかと言う内容です。

これは、『100%幸せな1%の人々』の本に書いてある内容です。

<転載開始> 転載元


私は学生時代から「唯物論者」なので、神や仏を前提としては、ものを考えていません。 

しかしこれまでの研究の成果として、神も仏も、守護霊も精霊も、存在する、のではないかと思うようになりました。

そして、世の中に起きている、どのようなことも、すべて神の承諾のないことは起きない、

という結論に、到達することになりました。

一般の人が言う、「悲惨な」出来事や「不幸な」出来事も、ものすごく大きな「悲劇」というものも、すべて「神の承諾」の下で起きているのではないか、と思うようになったのです。

繰り返して言っておきますが、私は今も唯物論者です。 かなりガチガチの唯物論者であり、

現象がその事実を証明しないかぎり、信じません。

しかし、いろいろな現象を何千、何万と見つめてきた結果、神というものが存在するのではないかと思うようになってきました。

そして、世の中に起きるすべてのことは、私たちの感覚では「良い」とか「悪い」というとらえ方ができたとしても、神の承諾を受けていないものはない、という結論にならざるを得ませんでした。

神が私たちに求めているのは、その現象について、悲惨であるとか不幸であるとか評価・評論をすることではないように思えます。

神が私たちに求めているもの、宇宙が私たちに求めているものは、おそらく次のようなことなのです。

一般的に「ひどい」とか「悲惨だ」と言われる事件が起きた時、その報道を1億人の人がニュースで見たとします。

そして、人々がその犯人について 

・ひどい奴だ。

・許せない。

・絶対に死刑にしろ。

・報復をしてもかまわないんだ。

・世界中を探し出して、その人間を殺すべきだ

と言って、敵意と憎しみの塊になったとします。

そのとき、上空から見下ろしていて喜ぶのは誰でしょうか?

それは「悪魔」という存在でしょう。

私たちが、憎しみのエネルギー、恐怖のエネルギーで、心を満たし、汚すことを望む存在です。

「悪魔」は、人々が仲よしで、お互いに笑顔で、となり合った人を助け、温かい空気の中で、ともに生きていく、そういうことを大変に嫌います。

敵意と憎しみのあるところにだけ悪魔は住むことができるからです。

それに対して、

「自分ができることは、まわりにしてさしあげよう」とか

 「できるかぎり人に喜ばれる存在になろう」

という心を持っている人間が増えると、悪魔は住むところがなくなって、とても困ります。

ですから、悪魔は、

・多くの人々の敵意や

・憎しみの感情が芽生えるように、 

いつも願っています。

1億人の人が、その事件の犯人を許せないと思い、敵意と憎しみをかき立てられたとしたら、

上空で微笑んでいるのは、悪魔という人でしょう。

一方、神という名の存在の方は、大変悲しい思いをしていると思います。

もし逆に、1億人の人がその事件を見聞きして、こう考えたらどうでしょう。

『私』の心の中の敵意や憎しみの延長線上に、この犯罪や出来事が存在する。 

『私』が敵意や憎しみを持っていることは、この人たちが、社会に対して、

敵意や憎しみを発散させ、事件を起こしたことと、同じ意味である。

もしこの人たちが、敵意や憎しみを実際に世の中で発散したことについて、自分が否定的に思うのならば(こういうことがあってはならない、あってほしくないと思うのであれば)、

まず自分の心の中から敵意や憎しみを取り去ること

1億人の人が、こういうふうに考えたとき、その出来事が起きたことに大きな、貴重な

意味があったといえます。

多くの人が自分の心の中の、敵意や憎しみを、見つめ直すことができたなら、

「私のメッセージが理解されて嬉しい」と神様はニッコリ微笑むのかもしれません。

<転載終了>


最近は本当に目を覆いたくなるような出来事が、世界中で起こっています。

・人種差別による憎しみの連鎖

・宗教紛争

・親子間の殺人

悲惨な事件や、被害者やそのご家族があまりにもかわいそうな内容であればあるほど、

私たちはその犯人を憎みます。死刑を望む人もいるでしょう。


「罪を憎んで人を憎まず」という耳触りのよい言葉もありますが、やはり「憎しみ」を肯定していますから、そこには神様の要素が全くありません。

立派な人、努力して自分を律している人、まじめな人ほど、

人の不正や怠惰な言動が、許せないかもしれません。

憎しみを抱き続けるかもしれません。

「私はこんなに頑張っているのに、あの人は何?」

でも神様は、はたして、そのようなことを仰るでしょうか?

神様は全ての全てを、受け入れ、寛大な目で見守り、魂が更生する機会を辛抱強く、待っていてくださるのではないでしょうか?

憎しみや、恐怖、疑心暗鬼、貪欲からは同じものしか生まれません。

信頼からは、愛が生まれます。

どんなに過酷な状況であろうと、魂までは傷つけることはできません。

神様が悪魔の存在を許し、その悲惨に見える状況を承諾したのであれば、大きな大きな教訓として、私たちの心を見つめなおすキッカケとして、また大きな犠牲を覚悟で、憎しみの対象となることを承知で、生まれてきてくださった、役割を持った魂たちに対し、「感謝」を持って受け入れたいと思います。

それこそが、神様が人間の、近視眼的な目から見れば、

理不尽に見えることが起こることを許していらっしゃる理由であろうと思います。