2025年6月22日日曜日

3931「精神医学は悪しき状態に戻ってしまった」2025.6.22

今回はInDeepさんの2025年6月10日の記事を紹介します。


「精神医学は周り巡って、結局何世紀も前の悪しき状態に戻ってしまったことを知る」

 精神医学は周り巡って、結局何世紀も前の悪しき状態に戻ってしまったことを知る - In Deep


檻と薬

薬、特にメンタル系の薬について書かせていただくことは多いです。

特にベンゾジアゼピン系の抗不安剤とか、あと、何のために処方しているのか訳が分からない SSRI とかについてが多かったですかね。

数日前、医療系の(精神系の薬剤に批判的な)ウェブサイトで、「精神疾患の治療における3つの段階」というタイトルの記事を読みました。

20世紀になる前あたりまでの何世紀もの間、少なくとも西洋では、

> 何世紀にもわたって、狂人とされた人々は治療も理解もされず、隠蔽された。彼らは癒されるのではなく、隠蔽されたのだ。

という状態が続きましたが、1900年代になり、ジークムント・フロイトやカール・ユングなど多数の人々が登場し、「対話によるセラピー」が一時、隆盛を極めた時期があったのだそうです。

フロイトは、

> 狂気を束縛するのではなく、むしろ発露させたのだ。狂気は肉体の病ではなく、葛藤であり、内なる葛藤の反映であり、吟味し、探求し、理解できるものだと彼は主張した。

という立場でしたが、この対話によるセラピーが主流となった時代があったようです。

しかし、1980年代になると、また「精神医学」がカムバックします。「精神疾患の診断・統計マニュアル」というものが現れ、

「患者の人たちの症状をカテゴライズして、適切な薬物を処方するだけの医学」

に変わっていくのです。

それはその後も、どんどんと拡大し、合理化されていきます。

今では、どんな病気でも 10分程度で診断できて、薬は自動的に処方するような時代ですが、しかし、その記事で最も感銘を受けたのは、以下の下りでした。

> かつて椅子やベッドに縛り付けられていた彼らは、今では生涯にわたる処方薬に縛り付けられている。

そうなんですよ。確かに、今は鎖で縛られることも、檻に入れられることもありません(あるところにはあるのかもしれないですが)。

たとえば、ベンゾジアゼピン系の薬は「簡単にはやめられない」ことについて何度も書きましたが、実質的に、鎖で縛られているのと同じ状態となっているんです。

そして、メンタルの不調を訴える若い人たちは増えるばかりで、小さな子どもに対しても、ADHD 治療薬が処方されている。ADHD 治療薬は、大雑把にいえば、覚醒剤です。

こんな不健全な状態が良いわけはないのですが、それでも、何かが根本的に変化するという兆しは見えません。

ともかく、その記事をご紹介します。

なお、途中で多くの精神科医や心理学者の名前が出てきますが、知らない人は知らなかったですので、ここでは、全部、それぞれに注釈を入れています。

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精神疾患の治療における3つの段階:監禁、会話、薬物療法

The Three Ages of Treating Madness: Confinement, Conversation, Chemicals

Mad in America 2025/06/05


かつては収容所に入れられた

何世紀にもわたって、狂人とされた人々は治療も理解もされず、隠蔽された。彼らは癒されるのではなく、隠蔽されたのだ。

現代の精神科医の先駆者である精神科医たちは、治療ではなく支配のために監禁を監督した。鉄の鎖、拘束衣、瀉血、下剤、発作誘発といった残忍な方法が常套手段だった。

狂気は研究されるのではなく、抑制された。氷風呂、回転椅子、厳格な道徳的規律は、治癒ではなく意志の破壊を目的としていた。治療を装った規律だったのだ。

社会はこれらの人々(精神疾患の人々)を妨害者とみなした。理解するよりも沈黙させる方がましだった。目指したのは洞察ではなく秩序だった。拘束は強められ、体は衰弱し、精神は鈍くなった。すべては支配の名の下に。

作業療法や鎮静といった、いわゆる人道的な治療法でさえ、治癒というよりも服従を強制するためのものだった。狂気が謎のまま残されたのは、それが理解できないからではなく、誰も耳を傾けようとしなかったからだ。

 

そしてフロイトが登場した

ジークムント・フロイト (オーストリアの心理学者、精神科医 / 1856- 1939年)は、考えられないようなことを成し遂げた。狂気を束縛するのではなく、むしろ発露させたのだ。

狂気は肉体の病ではなく、葛藤であり、内なる葛藤の反映であり、吟味し、探求し、理解できるものだと彼は主張した。これは(その主張が)正しかったからではなく、拘束と罰に頼る統制方法に真っ向から挑んだからこそ、革新的な考えだったのだ。

フロイトは、苦しみには意味があり、症状は除去すべき欠陥ではなく、より深い心理的葛藤を反映していると提唱した。

狂気は初めて、沈黙を破るものではなく、解き明かすべきメッセージであると解釈された。フロイトは狂気を理解すべきものとして再定義し、人間の苦しみへの新たなアプローチを提示した。

 

聴くことの黄金時代

歴史上、トークセラピーが短期間で隆盛を極めた時期があった。フロイトは夢を深く掘り下げ、カール・ユング (スイスの精神科医・心理学者 / 1875 - 1961年)はアーキタイプ (元型)を解明し、カール・ロジャーズ (米国の臨床心理学者 / 1902 - 1987年)は無条件の肯定的評価を提唱した。

B・F・スキナー (米国の心理学者で行動分析学の創始者 / 1904 - 1990年)のような行動主義者は条件付けに焦点を当て、ヴァージニア・サティア (米国の心理療法家 / 1916年 - 1988年)は家族間のコミュニケーションの重要性を強調した。

アブラハム・マズロー (米国の心理学者 / 1908 - 1970年)は自己実現理論を提唱し、フリッツ・パールズ (ドイツ系ユダヤ人の精神科医 / 1893 - 1970年)はゲシュタルト療法を創始し、ジェイ・ヘイリー (米国の心理療法家 / 1923 - 2007年)は戦略的家族療法の先駆者となった。

それぞれが独自の視点を持ち込み、精神的苦痛への理解と治療法を再構築した。この変革期には、他にも多くの人々が貢献した。

理論が衝突し、視点がぶつかり合い、狂気は孤立から探求へと移行した。トークセラピーは自己反省の場を創出し、人々が苦しみに押しつぶされるのではなく、自らの苦しみを理解することを可能にした。

ここにおいて、人間の苦悩は、制御するものではなく、初めて探求すべきものとして捉えられたのである。

新たな声が台頭するにつれて、精神医学は脇に追いやられた。

傾聴し、探求し、理解することを選んだセラピストたちは、精神医学の権威に直接的に異議を唱えた。抑制や無視に頼るのではなく、対話こそが癒しの手段となった。

一時期、対話は監禁に取って代わり、人間の苦しみを理解し、対処するための、より思いやりのあるアプローチとなった。

しかし、この変化は長くは続かなかった。

 

苦しみの再パッケージ:精神医学の復活

20世紀半ばまでに、精神医学はアイデンティティの危機に直面した。精神病院時代は終わりを迎え、トークセラピーが盛んになっていた。

心理学者が話し合いを主導し、セラピストが治療を指導し、保険会社さえもが渋々ながら資金提供をしていた。かつて精神疾患の権威と同義であった精神医学は、診断よりも対話を重視する世界において、自らの存在意義を見出そうと苦闘した。

1980年、精神医学は DSM-III (精神疾患の診断・統計マニュアル)で精神的苦痛の再定義を行い、カムバックを果たした。これは単なるアップデートではなく、パラダイムシフトだった。

フロイトとその後継者たちが苦痛を意味のある闘争と捉えていたのに対し、精神医学はそれを症状、行動、そして何よりも障害のチェックリストとして再構築したのだ。

悲しみはもはや探求すべきものではなく、大うつ病性障害(MDD)となった。

落ち着きのなさはもはや波乱に満ちた幼少期や学校制度への不適応の副産物ではなく、注意欠陥・多動性障害(ADHD)となった。

人間の苦しみの混沌はカテゴリー分けされ、それぞれに適した薬理学的解決策が提示された。

それは効率性の勝利だった。

 

精神医学の新たな利益への道

DSM-III は単なる診断マニュアルではなく、 ビジネスモデルとなった。

精神医学は、苦痛を病状とみなすことで、保険業界と足並みを揃えた。対話療法は時間と費用がかかる一方、薬物療法は迅速かつ保険適用が可能だった。

保険会社が精神医学の新しい枠組みを受け入れたのは、メンタルヘルスを診断コードと処方箋という形で保険適用可能なものに簡素化したためだ。

かつて専門職としての無関係さに直面していた精神科医は、再び注目を集めるようになった。もはや精神病院の番人ではなく、彼らは神経化学の最高司祭として自らを位置づけ直した。

かつてロボトミー手術や電気ショック療法を擁護していた精神科医たちが、よりクリーンで受け入れやすい制御方法を見出したのだ。

 

精神医学の勝利:傾聴の終焉

乗っ取りは急速に進んだ。

対話セッションは縮小され、症状の管理に縮小された。精神分析は過去の遺物となり、疑似科学として退けられた。

かつてフロイトの最大のライバルであった行動主義者でさえ、脇に追いやられ、彼らの認知行動療法は薬物療法と併用される場合のみ容認された。人間の苦しみは、もはや探求すべきものではなく、沈黙させるべきものとなった。

精神医学は合理的だった。

処方箋で数週間で症状を鎮められるのに、なぜ何年もトラウマを解き明かす必要があるのか? と。

意味そのものが無意味だとみなされているのに、なぜ意味を探し求める必要があるのか? と。

かつてフロイトは苦しみを解読すべき謎と表現した。精神医学は、チェックリストと白衣を用いて、苦しみを是正すべき化学的不均衡として捉え直した。治療はもはや患者の物語ではなく、化学反応を調整することへと変わった。

保険会社は新しいモデルを受け入れた。セラピーには時間と労力、そして高額な費用をかけて耳を傾けてくれる専門家が必要だった。

薬は処方箋と 15分の診察だけで済むようになった。より迅速で安価になり、請求も容易になった。診断はコードに、処方箋は解決策に、そして患者ケアは取引へと変化した。保険がこの変化を後押ししたことで、精神医学は治癒ではなく効率性によって優位性を確立した。

市場は語り、利益は対話ではなく沈黙の中で繁栄するようになった。

 

処方薬が新しい檻になった

1990年代までに、精神医学は二度目の征服を果たした。

精神病院の壁は崩れ去ったが、その機能は存続した。かつて狂人は閉じ込められていたが、今では服従を強いられるほどの薬物治療が施されている。

かつて椅子やベッドに縛り付けられていた彼らは、今では生涯にわたる処方薬に縛り付けられている。支配は消滅したのではなく、より受け入れやすい形へと変化しただけなのだ。

しかし、患者はどうだろうか?

安堵感を得た人もいれば、落ち着きを取り戻し、これまでとは違う方法で活動できるようになった人もいただろう。また、つかの間の安らぎ、圧倒的な感情からの解放を経験した人もいただろう。

しかし、多くの人は、苦しみが治療されたのではなく、ただ鈍くなっただけだと気づいた。薬は問題を解決したのではなく、むしろ抑制ボタンを押していたのだ。感情的な痛みは麻痺したが、同時に、喜び、モチベーション、そして明晰さも麻痺した。

これらの薬剤が無気力、体重増加、興奮、思考力の低下を引き起こすと新たな処方薬が追加され、そこに、さらに新たな処方薬が追加される。

多剤併用療法 (複数の薬剤を併用する薬物療法)が新たな常態となり、それぞれが以前の薬剤の効果を打ち消すように設計された薬剤の微妙なバランスが保たれるようになった。

医師たちは抑制に頼る代わりに、精神安定剤、興奮剤、鎮痛剤、幻覚剤といった様々な薬剤を混ぜ合わせた薬に頼るようになっていった。新しい薬剤が登場するたびに治療はエスカレートし、当初は症状管理として始まったものが、調整と予期せぬ結果の終わりのないサイクルへと変化していった。

2000年代初頭までに、精神科薬の使用は急増した。アメリカ人の成人のほぼ 5人に 1人が 抗うつ薬を処方されていた。何百万人もの子どもたちが、一世代前には専門文献にも存在しなかった疾患 (ADHDのこと)と診断された。これは公衆衛生上の危機ではなく、精神科マーケティングの勝利だった。

 

感情の医療化:精神医学はいかにして人生を病気に変えたのか

この変化の結果は甚大なものだった。

感情はもはや経験ではなく、症状となった。内気さは障害となり、悲しみは病理となり、幼少期のエネルギーは医学的な問題とみなされた。人生の自然な激動は、一連の化学物質の欠乏として捉え直され、それぞれが是正を必要とした。

セラピストの役割も変化した。かつては人間の苦しみに意味を見出そうとしていた彼らは、症状の管理者へと成り下がり、標準化された手順とエビデンスに基づいたプロトコルを通して患者を導く役割を担うようになった。

探索的なアプローチは効率性へと変わり、時間、存在、好奇心は、結果の尺度とチェックリストに取って代わられた。セラピストはもはや患者の人生を理解することではなく、診断を管理することが求められるようになった。彼らの仕事は、傾聴や考察ではなく、調整と服従へと変わった。

精神医学の台頭がもたらした最大の犠牲の一つは、知的多様性の喪失だった。

かつて心理学は思想の戦場だった。フロイト派はユング派と論争し、実存主義者は行動主義者と衝突し、人文主義者はそれらすべてに挑んだ。

しかし、精神医学のモデルにはそのような議論の余地はなかった。中心となる理論家も、壮大な理論も、人間の経験に関する包括的な物語も存在せず、あるのは神経伝達物質、処方ガイドライン、そして保険コードだけだった。

一世紀前、フロイトは苦しみを精神病院から引き出し、対話へと移した。

彼は痛みを、聞く価値のあるメッセージとして捉えた。しかし、精神医学は権力への近道を掴んだ。対話よりも薬の方が早く、実存的危機よりも診断の方が明快だった。

意味は効率性のために脇に追いやられた。精神医学はただ戻ってきたのではなく、支配権を握った。今回はつないでおく鎖は不要だった。拘束衣は飲み込まれ、沈黙は受け入れられ、そして精神医学は勝利した。

臨床的な効率性によって、精神医学では、雑然とした会話は診断コードに、意味は分子に置き換えられた。かつては時間と共感と思考を必要としていたものが、今では処方箋を出すだけで済むようになった。

精神医学が魂を標準化しようとした試みは、決定的な空虚感を深めた。

精神医学が人間の苦悩を分類しようとすればするほど、人々は本質的な何かの不在を感じた。この反抗は過激派からではなく、ごく普通の人々から生まれている。現在、沈黙に疲弊した人々、そして存在の力を思い出すセラピストたちが、対話を取り戻しつつある。

沈黙を拒む声が高まっている。精神医学はもはや耳を傾けなくなったかもしれないが、世界はそうではない。闘いは再び始まった。力ではなく、対話によって。

もう一度話し合う時間が来ている。