今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年06月15日の記事を紹介します。
「信仰心」
信仰心を持たない人に神様の恩寵は、決して現れはしないでしょう。
神様やご先祖が助けてくださったことに対し
それを神様のおかげ、ご先祖様のおかげと信じ、感謝できない人、
そのような人に、神様の恩寵は現れはしないでしょう。
例え最初にそれが現れたとしても
もしそれを受け取った人がそれを単なる偶然とか、
自分がツイていただけなどと思っていたのでは
もう次から神様は手を差し伸べて下さらないでしょう。
逆にしっかりとした信仰心を持ち、神様やご先祖を信じている方々は
神様の恩寵に気づき、そしてそれに感謝することができるでしょう。
何故ならそのような時、私たちと神さま・ご先祖の間に共鳴が起こり
現象が起こりやすくなるからです。
竹之高地不動社で起きる様々な神さまの奇跡について書いた本に書いたのですが、
以前不動社で、埼玉県から大先達がいつもいらしてくださり「神降ろし」のご神事が行われる時期がありました。
そこで神様・お不動様が、直接様々な身体的なアドバイスや、
その症状に効く薬草などをアドバイスをしてくださっていたことがあります。
そこでやはり、アドバイスを受けた方のその後の人生にも
大きな枝分かれがあります。
神様の言ったことを信じ、感謝して受け取り
実行し続ける方には、非常に大きな効果が現れました。
一般的に直らないと言われる病が癒されたのです。
逆にそれを信じることなく、
一顧だにしない人にとっては、何の価値もありませんでした。
心身が癒されることもなかったのです。
「信じるものは救われる」
この言葉をこのような時にも使えるのかもしれません。
神様やご先祖を信じること。
その存在を信じ、その方々の活躍を信じるということ。
それは黄泉の国のことではありますが、
そういったことを信じて初めて信仰心が芽生えます。
神様やご先祖のことを信じていない人たちは
・全ての出来事は偶然
・死んだら全て終わり
・私たちは自分の力だけで生きている
・誰の世話にもなっていない
・見えない世界の力など借りてはいない
そう思っているのかもしれません。
そのような人たちは神様や先祖にまで繋がった
深い深い絆を持っていないために、
精神的には根無し草のような生活を送るのかもしれません。
それは非常に孤独でそして傲慢な生き方です。
世界中で一番長く続き、ユートピアを実現していた
日本の縄文時代では、様々な場所で祭祀場の跡が見つかってます。
つまり彼らは、神様や亡くなった先祖の霊を信じ生きており、
自分たちと深く繋がり合って生きているのだということを実感して生きていました。
それが当たり前だったのです。
その結果世界にもまれな、一万四千年も続いたユートピアの世界
縄文時代、つまり神々の国をここ日本で形作ったのです。
生きてる私たちが神々やご先祖の人たち、
つまり黄泉の国の方々と断絶してしまっては、
正しく生きることができませんし、
その場限りの人生になってしまうことでしょう。
その人生は、神々の助けやご先祖の助けもなく、
孤独で生まれ生きて死んでいくだけです。
神々やご先祖の存在を信じ、敬い
その働きに感謝すること。
その信仰心は、
今まさに変わろうとしている地球を生きようとする者にとって、
一番重要なカギになってくると思われます。