ラベル 立花大敬 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 立花大敬 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年6月23日日曜日

1713「運命法則5」2019.6.23

 このUFOの方向転換の方法は、私が前の文章(「運命の三つの法則」)で説明した「運命の転換法」と同じですね。
 まず、坐禅したり、お経を称えたりして、波動レベルを上げて、「慣性」を小さくしておいてから『こうありたい』と意志するのです。そうして地上の波動レベルに戻って来ると、もうすでに「いのちの運び」の軌道は変更されています。

 この「アップ&ダウン法」という運命転換の方法は、使いこなせるようになるまで、坐禅や読経をしっかり自分のものにする必要があります。
 すっかりマスターできると、UFOの場合と同様、瞬時に「アップ&ダウン」して、一気に運命の軌道を修正できるようになります。

 お名前は忘れましたが、ある高徳な禅僧(A老師としておきます)がいらっしゃいました。A老師の檀家の人があわててやって来ました。
「老師大変です。私の隣の家から出火して、私の家にも今にも火が移ろうとしていると電話がありました。何とかなりませんか」
 A老師は弟子に命じました。「コップに水を入れて持ってきなさい」弟子が持って来ると、A老師は、檀家の人の家の方を向いて、コップの水に指をつけて、家に向ってパッパと水をふりかけるジェスチャーをして「これでよし」とおっしゃったそうです。
 すると、その瞬間からなぜか火は一気に下火になって、檀家の人の家は類焼せずにすんだということです。

 檀家の人の家と老師がいらっしゃる処は遠く離れています。また指で散布した水なんてほんのわずかなもので、とても消火できるような分量ではありませんね。それでも火が消えてしまったのはなぜなんでしょう。
 それは、A老師が瞬時に無心になられて(つまり慣性がない世界に入られて)、その世界で消火の動作をされたからです。その世界には質量がないので、したがって距離も時間も大小の分量もありません。
 そういう慣性が生み出すものたちをまったく念頭に置かないで無心に消火の動作をされて、「火が消える」という向きに運命のハンドルを切っておいてから、再び地上世界に戻ってこられたので、その「消火」という意志が瞬時に実現したのです。

 禅に「十里向こうのロウソクの火を消してみよ」という公案があります。
 十里向こうと言われると、距離が意識に上りますね。それが「慣性」になるのです。ですから火が消せません。そんな時は、先ほどのA老師と同じで、距離がない世界に上昇して、その世界で、フッと火を消すという動作をすればいいのです。
 それがこの公案の正解なのです。この「アップ&ダウン法」が使えるようになると、人生での「炎上」も上手に消火できるようになります。

・マンスリー・メッセージ
 自分や人をジャッジしないこと
 いのちの能力への信頼をしっかり保持すること
 ヒーラーは3年たつとヒーリング能力が消えてしまうことがある
 なぜなら経験をつむと病気や患者をジャッジするようになるから

2019年6月22日土曜日

1712「運命法則4」2019.6.22

「UFO飛行術」
 飛行機がとんでいます。その進路を90度変えようとハンドルを切ります。そうすると、この飛行機はしばらく円弧状の曲線軌道を描いてとび、やがて90度角度が違う向きになったところで直進を始める、そういう運動軌道となります。
 進路を変えようと試みても、直ちにその方向に進めるわけではなく、どうしてもしばらく時間がかかってしまいます。これは、飛行機には「質量」つまり「慣性」があり、その分方向転換が難しくなるからでしたね。

 さて、ではUFOの場合はどうでしょうか。 記録映像などで見ると、UFOは瞬時に90度方向転換出来るようです。なぜそんなことが出来るのでしょうか。
 「ニュートンの運動方程式」は、(力)=(質量)×(加速度)でした。急激に方向転換する、つまり(加速度)をはなはだ大きくするためには、(質量)がはなはだ小さくなければなりませんね。90度一気に方向転換するのなら、(質量)はほぼゼロでなければならないはずです。

 しかし、UFOが私たちに観察されているのですから、その機体の波動は、やはり私たちと同じ振動数レベルになっているはずです。ですから、観察できるUFOにも質量(慣性)が発生しているはずで、そうなるとUFOもやはり飛行機と同じように円弧を描いて方向転換するはずなのです。しかし、そうならないで、鋭く直角に一気に方向転換出来るのはいったいなぜなんでしょうか。

 私たちが住む世界では到底不可能なこのような運動軌道を、UFOは次に説明するような方法で実現させているのです。
 まず、方向を90度変えようと「意志」します。この「意志」が実は(力)なのでしたね。
 私たちが住む世界で、この(意志の力)を加えただけだったら、やはりUFOは円弧状に運動してしまいます。
 そこで、こんな風にするのです。
(1)まず、90度進路を曲げようと「意志」します。
(2)次に、UFOが存在する世界の次元を上昇させます。つまり、坐禅すれば体験できるような、波動が高レベルな世界にUFOを上昇移動させるのです(同じ位置のまま波動レベルだけを変えます)。

 その世界はUFOを操縦している宇宙人たちが本来住んでいる世界です。宇宙人たちは本来生活している世界から地球次元の世界を観察するために波動のレベルをわざと下げてやってきているわけです。

 この高次元の世界では質量はゼロに近くなっていて、「慣性」もほぼ存在しません。ですからこの世界ではUFOの進路を直ちに90度変えることができます。
 このようにUFOの進路をまず変更しておいてから、再び地球次元の世界に下降し出現しますと、そのUFOはすでに90度進路を変更した軌道に乗って飛んでいます。
 この二つの世界間の「上昇→下降」が瞬時に行われるものですから、私たちには一気に方向転換したかのように見えるわけです。


2019年6月21日金曜日

1711「運命法則3」2019.6.21

「でも、いつまでも坐禅しておられるわけではなく、また地上世界に戻ってきてしまうのだから、そうなると心の重荷も再び積み戻されて「いのちの車」が進む向きも、坐禅前と同じに引きもどされてしまうんじゃないですか」と質問する人がいるかも知れませんね。

 ご心配なく、もとに戻ってしまわないのです。坐禅の世界で、ハンドルを回すことが出来、「いのちの車」の進む向きを変更出来ました。「いのちの車」が地上世界に舞い降りてきて、回転している車輪が地面に着くと、この「いのちの車」は、坐禅の世界でハンドルを切った向きに走り始めます。離陸前に地上世界で進んでいた向きに再び引き戻されるということはありません。着地した瞬間に車が向いていた方向にそのまま真っ直ぐ進んでゆきます。地上世界では「慣性」が復活するので、進路をもとの方向に引き戻そうとしても、「慣性」がその邪魔をするのです。

 この場合は、地上世界での大きな「慣性」が、逆にあなたが新しい運命の方向に真っ直ぐ進み続けるための味方になってくれます。
 このように、坐禅したり、お経を称えたりして、少しの時間でもいいから、地上世界から離陸して慣性が小さな世界を体験して、その世界で新しい運命の方向にハンドルを切るという訓練をしておくと、地上世界だけにへばりついて生活している場合よりも運命の改善がはるかに容易になるのです。

 では、坐禅の世界の中でどのように運命のハンドルを切り替えればいいのでしょう。どういう意念のパワーで運命のハンドルを回せばいいのでしょうか。
 ニュートンさんの「物体の運動の物理法則」には三つの法則がありましたね。そのうち「慣性の法則」、「運動の法則」は、「いのちの運びの法則」としても応用できるということが分かりました。まだ取り上げていなかった「作用・反作用の法則」も同様に「いのちの運びの法則」として応用できるのです。
 「作用・反作用の法則」とは、物体Aが物体Bに力を加えると、それと同じ大きさで逆向きの力を物体Aも受けることになるという法則です。
 AさんがB君を10の力でパンチすると、Aさんの手にもやはり10の力の衝撃が与えた力とは逆向きにはたらくということです。「いのちの運びの法則」では、(力)は(意念)でしたから、AさんがB君に対して憎しみの意念を放つと、その憎しみの強さと同じ大きさ の憎しみの念を必ず受けとることになるのです。つまり、「差し出す手が、受け取る手」となるのです。

 この法則から、坐禅の世界で私たちが持つべき「意念」が分かります ね。あなたに何か目指す目標があれば、その目標をしっかり祈り(意宣 いのり)、それを心の中に定着させて、それを波源とする波を世界に発信します。そうすると、あなたの周りにその目標が叶った世界が、Uターンして 帰ってくるのです。 
 あるいは、「しあわせで生きがいのある人生」をおくりたいなら、私が坐禅中に祈っているように、『私にご縁のある皆さんが全員しあわせで生きがいのある人生をおくることが出来ますように』などと祈るといいと思います。

 「作用・反作用の法則」がはたらくので、人のしあわせを祈れば自分にしあわせが帰ってきますし、人が元気で生きがいのある人生が送れるようにと祈ると、自分にも元気と生きがい、やりがいがある人生が頂けるのです。 

2019年6月20日木曜日

1710「運命法則2」2019.6.20

 坐禅は本当に不思議で有難いものだと思います。イヤイヤ始めた坐禅でも、坐禅という形(印)を体で組み上げさえしたら、ちゃんと「坐禅の世界」が開けます。『ああ有難いなあ。安楽だなあ。これが本来の自分で、世界の本当の姿なんだなあ』としみじみ実感出来ます。
 「坐禅して開ける世界」はそういう安らぎと自己受容の世界です。軽やかで、温かくて、心と体が微妙に細やかに振動していて、その波動の振動数がとても高いのです。

 坐禅の心境のレベルが一段と高くなった際の振動レベルはついに「光」の周波数帯域にまで突入して、自身の身心から四方八方に光を放っているのが分かるようになることさえあります。いつもそうだというのではなく、坐禅はそんな状態を目指して坐るのでもありませんが…。
 坐禅で開けてくる世界に比べると、地上世界での心の波動は荒っぽくて重く、振動数が低いのです。なぜ地上世界での心の振動数が低いのかというと、心が重いからです。
 物理学の方から説明してみましょう。質量が大きな物体と質量が小さな物体があるとします。この二つの物体を叩くと、質量が小さな物体の方が振動数が大きい、つまり高い音が響きますね。それに反して質量が大きな物体を打った際に出る音は振動数が小さな、鈍い、低い音となります。

 実は心は絶えず振動していて、自らが波源となって世界に波を送り出しています。その心が放つ波動が結晶化して次の世界を形成するのです。
 このような「想い→心の振動→世界形成」のメカニズムを研究し、解明したのが、弥勒菩薩(マイトレーヤ)を始祖とする仏教の唯識学派です。
 坐禅中に心が放つ波の振動数が高いというのは、坐禅中は心の重荷がいったん心の荷台から降ろされて、心の質量が小さく、軽くなっているからです。心の質量が小さくなっているので、坐禅中に心が放つ波は高い振動数となっているのです。つまり、坐禅中は、日常の地上世界と比べて「心の質量」が小さくなっているのです。

 実は、ニュートンさんは、物体の運動の物理法則を三つにまとめました。それは、先ほど検討した「慣性の法則」、それから「運動の法則」、「作用・反作用の法則」です。
 「運動の法則」は、「ニュートンの運動方程式」とも呼ばれ、式で書くと、
(力)=(質量)×(加速度)となります。
 (加速度)とは、物体の運動の速さの変化の度合い、あるいは方向転換の度合いの大小を表わします。「いのちの運び(運命)の法則」としては、運命の方向転換が出来る度合いを表わしていますね。
  この運動方程式によると、同じ(力)を加えても、物体の(質量)が 大きいと、(加速度)は小さくなってしまいます。「いのちの運び(運命)の法則」としては、「心の積荷=質量」が大きいほど、運命転換が難しい(加速度が小さくなる)という事を示しています。逆に、「心の積荷」が降ろされて、心が軽やかになると、運命の方向転換が容易になるということも分かりますね。

 「いのちの運び(運命)の法則」における(力)に相当するのは、「意念」です。こうしたいという意志が強いほど、その想いが繰り返されるほど、運命の方向転換に必要な(力)は強くなります。
  坐禅すれば、取りあえずその間だけは、過去から積み重ねてきた心の重荷が荷台から降ろされて、心がサッパリ軽くなるのです。この状態を「無心」といいましたね。
 そうすると、地上世界では(慣性=心の重さ)が(力=運命を変えようとする意志)より大きくて、必死で力を加えても「いのちの車」のハンドルをちっとも回すことが出来ず、運命の方向を変えることが出来なくても、坐禅中は(慣性)が小さくなっているので、同じ(力)でも、軽々とハンドルを切ることができ、「いのちの車」が進む向きを変えることが出来るのです。

2019年6月19日水曜日

1709「運命法則1」2019.6.19

 立花大敬さんの「しあわせ通信219号 」が届きました。先の坐禅会に関連する部分もあります。皆さんにお伝えしたい内容ですので紹介します。

「運命の三つの法則」 
 歳をとると眠りが浅くなって、真夜中に眼が覚めてなかなか眠れなくなってしまうということが増えてきます。心配事を抱えていれば、ますます眠れなくなってしまいますね。
 そんな時は、『どうせ眠れないのだから…』と思い切って坐禅を始めることにしています。 
 取りあえず30分のつもりで坐ります。それが何時間にもなるという時もたまにはあります。納得出来るまで坐禅して再び寝床に入ると、たいていの場合、すぐコトンと寝入ってしまいます。有難いものです、坐禅を習慣にしておいて本当によかったなあと思います。

 坐禅を始めようと決心する前は、『坐るのはイヤだなぁ』と寝床の中でしばらくグズグズしています。特に冬は寒いのでなかなか決断出来ません。 
 なぜ坐禅がなかなか始められないのかというと、地上世界は「慣性」が強くはたらく世界なので、しばらくある状態が続くと、それが習慣性を帯びてしまって、そこから切り換えて別のことを始めるのが困難になってしまうのです。 
 これは物理学の方では「慣性の法則」と呼ばれています。たとえば、ボールが一直線上を転がっているとします。そのボールに力がはたらかなければ、このボールはこれまでの真っ直ぐな軌道を同じ速さのまま、さらに進んでしまいます。進路を右か左に曲げる、あるいは速さを変えるためには、力を加える必要があります。
  質量が小さなボールだと、少しの力でボールの進路を大きく変えることが出来ますが、質量の大きなボールだと、少々力を加えたくらいでは進路を変えることは出来ません。それで、状態が変化するのを妨げる性質、つまり「慣性」は、「質量」に比例するとされています。 

 物体の運動だけではなくて、大きく地上世界における「いのちの運び(運命)」においても、物理法則に相応する「慣性の法則」がはたらいていることが分かります。私の坐禅する前のグズグズなんかは、心理的な「慣性」の一例ですね。
 「物理の法則」の場合は、「慣性」は「質量」に比例しましたが、じゃあ「いのちの運び(運命)の法則」においての「慣性」は何が相応するのでしょうか。実はそれは「心の重さ」なのです。
 「心が重い人」は、質量が大きい物体の場合と同じように、運命の軌道をなかなか変えることが出来ないで、過去の運命の軌道の延長上をそのまま進んでしまいがちになります。「運命は生まれた時から決まっているんだ」などと断言する人は、このような「心の重い人」だけを観察してそのように思い込み、信じ込んでしまっているのです。 

 では、「心が重くなる」のは、どうしてなのでしょうか。それは「つみ」に拠るのです。  「つみ」とは「積み」です。人生で積み上げてきた重苦しいものの多さが、運命の方向の改善にブレーキを掛ける「重荷」となります。これが物理法則の場合の「質量」に相当します。過去に蒙った負の体験が心に残したトラウマやコンプレックス、過去にやってしまった、人や組織に危害を加えてしまった体験などが、心に残存する「重い固まり」になります。この過去というのが、現世のもののみではなく「過去世」という場合もあるのでやっかいです。

 それに加えて、親の過度の期待や先祖から託された遺産などが重荷になってしまうということもあります。過去の成功体験(過去の栄光)が心の重荷になってしまうという場合もあるのです。心にそういう「重荷」がたくさんあればあるほど、運命の方向を変えることが困難になってしまいます。

2019年6月18日火曜日

1708「坐禅会4」2019.6.18

 人類の魂が進化して1つ生命、ユニティーが出来ることが使命です。それは直ぐに出来る事でなくコツコツやることです。それは35世紀に完成するのです。今から1500年後です。私はそう覚悟を決めています。人類も1度滅んでも良いのではないかと思います。全ては意味があって起きているのです。
 グローバリズムは1度否定され、次の国家エゴの後で又変わって行くと思います。私も今は弟子を作る過程に入りました。ですから若い人に期待しています。
 死んでも地上で動けるシステムを作ろうと思います。それをお釈迦様がやっていました。先日、熱海市の船井幸雄会館に行って来ましたが、船井さんは生きて活動していると感じました。ですから自分もそうしようと思っています。
 自分の本能、インスピレーションでやって行きます。私には戦いの使命は無いです。私はユニティーの方向です。

(2)お釈迦様の坐禅
 お釈迦様の坐禅は、最初は戦いの坐禅でした。しかし悟れなかったのです。断念し沐浴し、絶望した時に助けてくれたのです。そこでいのちがほとばしり出て、宇宙と自分が1つになりました。ですから養いの坐禅が本当のものです。以下の流れです。

 アタマの努力の坐禅→尼連禅河(ナイランジャナー)で沐浴→スジャータからヨーグルトを恵まれる→菩提樹のもとで坐る→悟り(内側からありがとうございます。あふれ出す生命力が自他の囲いを突き破り宇宙全体にいのちの奔流が届く)を開く。
 お釈迦様の坐禅のお姿(ガンダーラの仏像)→「微笑」と「なで方」と「許し」の坐禅

(3)坐禅の標準形
 脚→結跏趺坐  手→法界定印  眼→半眼  呼吸→ゆったり
 インドと中国で手印が違います。インドでは左手が下です。左手は不浄なものとされます。
 中国の陰陽の卦があります。陽が下で陰が上でエネルギーは陽から上に陰から下に流れるので良いですが、逆だと交わらない。だから右手を下にして左手を上に組みます。
 密教はインドから来ているので逆の組み方です。
 呼吸はゆったり。
 何かあるから嬉しい。ただ存在するだけで嬉しい。
坐禅で何かを達成しようと思わないのですが、坐禅をすると叶うのです。波動が細やかになり、こうしたいと思う。そして地上に戻ってくると叶う。ドラマが勝手に展開するのです。
以下が功徳です。

(4)坐禅の功徳
<身心の有り難さ>
① 坐禅をすれば、無上の身心の悦楽を体験する。何かの対象があって嬉しいというのではなく、対象無しにただ嬉しい。ここに存在しているだけで嬉しいという最高レベルの悦楽が体験出来る。
② 坐禅すれば、身心が柔軟になり、呼吸や動作がなめらかに、スムーズに出来るようになる。円相を描くような感じで行動出来る。日常生活でも、このスムージング効果が持続出来る様になる。
③ 坐禅をすれば、身心の固まりがほどけ柔軟になり、いのちの充電が出来て、健康を維持できるようになる。
④ 坐禅をすれば、身心の結ぼれがほどけるので、よく眠れるようになる。

<処世上の有り難さ>
① 坐禅をすれば、問題なんて本来なかったのだと気づく。すると、「問題なし」をゴールとするドラマが現実世界に展開して、その問題が消滅するか、解決してしまう。
② 坐禅を習慣にすると、アタマを押しのけて「本能」が表に現れてきて、自分にあると 思わなかった能力が発揮出来て驚くことが多くなる。自分に自信が持てるようになる。自分の能力に限界を設けなくなる。
③ 坐禅してカラッポになった心と体に「こうしたい」という希望を伝えると、直ちに現実化することが多くなる。
④ 坐禅すれば、自分が自分であることに自信を持てるようになる。そうすると、自分が最高に輝く事が出来る「役割」が果たせる環境に、おのずと運ばれていく。

 あっという間のありがたい坐禅会でした。毎月開催されますが貴重な学びの機会です。

2019年6月17日月曜日

1707「坐禅会3」2019.6.17

・自分をそのまま認め、受け入れ、許し、愛するように仕向けてくれる。
 他者(世界)をそのまま認め、受け入れ、許し、愛するように仕向けてくれます。そうすると自己否定をしなくなります。
 許すとは緩くすることです。そうするとほどけて来ます。液が頭から流れてくるのです。実際にエンドルフィンが出る事で身体がほどけて来ます。でもそれには薬物の様な副作用はありません。
 老いると眠りが浅くなります。目が覚めたら、夜中に起きて坐禅を30分します。坐っていると時間が短く感じます。その後、納得してまた寝床に入るとすっと寝られます。

・私達はどこから来て、どこを目指しているか教えてくれます。
 金平糖大作戦があります。私達は進化過程を経ている1つ生命なのです。金平糖の角のそれぞれが伸びて行く事、そして共通部分が増えて行くのです。ですから焦る必要はありません。

・あなたがあなたを生きていることの貴重さ、尊さを教えてくれます。
 それで生きている意味が分かります。そこで成長していくことが、存在していることが、貴いありがたいことと分かるのです。
 禅の公案で「犬に仏性ありや無しや」があります。大乗の教えでは、仏性があるというが、無いのです。ありのままで犬である事が仏だ、と小乗では言います。皆それぞれが仏で貴い事が分かります。なぜそうか説明出来ないのですが、金平糖では説明が出来ます。
 自分が自分であること、精一杯生きるのです。生命が尽きるまで生きれば良いのです。そして金平糖の角が少し大きくなれば良いのです。それが仏なのです。

・あなたの身心をホドキます。
 人間の不健康は心と体に固まりがあるからです。心に固まりがあると体に変調を来たして、固まりが出来ます。そこに何か意味があるのです。その意味を解いていくのですが、しかし1つ1つしていてはキリが無いです。ですから坐禅で暖まり、固まりが溶けて行く方が良いのです。
 心に刻まれた事が現実化します。自分が信じ込んで現実化しているのです。

・疲れ切ったあなたの「いのちの充電」をしてくれます。
 いのちの充電になります。疲れていても坐禅をすると変わります。波動が細やかな世界へ行きます。

・あなたのいのちが一層輝くのにふさわしい位置にあなたを運んでくれます。
 自分を許せて、1番良い所が出てきて、自分にふさわしい場へ移れる様になります。
 劣等感を刺激する言葉が心に刻まれる傾向が強いです。生徒はちょっとしたことでも褒めるようにしています。良い所だけ見て、言葉で表現して上げるのです。声掛けし、あらゆるチャンスを活かして褒めるのです。喜びの可能、自信を付ける方向にするのです。
 何もしない時間が大事です。坐禅の時間を増やすことです。

 人間は自分が強すぎるとお任せが出来ないです。神様にお任せしていきます。自力はダメです。ピンポイントに変えたいことは延命十句観音経が良いです。
 全体として幸せな、成功人生には坐禅が良いです。何かをしたり、変えるには大きなものに頼ることが必要で、それにはお経を唱えることが良いです。

 温の言霊は眠って良いです。意識の壁が高い人は眠らせると心の底まで言葉が入ります。本を音読すると心の内側に入ります。

2019年6月16日日曜日

1706「坐禅会2」2019.6.16


(1) 大敬の坐禅にはどんな特徴があるのでしょうか?
まず大敬の坐禅のお話しをします。
・アタマを手放して坐ります。
 アタマには集中・イメージ・念ずる・目標追求の努力の働きがありますがそれを捨てるのです。日常生活では頭を働かせすぎです。頭を信じずに手放して坐るのです。これから先の事、離れた所の事は私達には分からないのです。本能で生きられるようにするのです。

・カラダで坐ります。
 カラダ主導になれば、自然に「今・ココ」に戻れます。悩みは過去や未来にアタマがフラフラ漂い出して発生します。
 過去、今、未来の今の時軸と1つになる。そうすると時軸が出来るとここから過去、未来へアクセス出来る。今ここにいると最善の行動がとれるのです。
 鎮魂です。「あめのうずめのみこと」が天照の命が鬱になり岩戸に引き籠った時に「みすまる」の珠を振る儀式をしました。
「み」は1つにまとめる事。「す」は身体の事です。身体の断片が過去、未来に飛び出して分散するとエネルギーが弱くなるので、身体に集めて来るのです。
 桶に乗って棒でポンポンと突く。刺激を与えるのです。箱に天皇の服を入れて揺することで、暗闇でゆさぶるとしょんぼりした生命を復活させられるのです。肉体に刺激を与えると魂の断片が戻って来ます。これが鬱を直す方法なのです。
 大地、芝に寝かせて転がすと身体に意識が戻り治せる。

 野口体操があります。野口三千三さんによって始められた体操ですが、これで戦争で負けて精神が損なわれた時に身体を叩いて魂を復活させたのです。
 鏡を見ること。天照に見せたように自霊拝をするのです。鏡に写った自分を神として崇める。写る自分が鬱のへなへなの自分を見て、その奥にある素晴らしい自分を崇める。嫌でしょうがない自分を肯定するのです。否定すると魂の断片が出て行くので、これで良しと肯定するとここに居ても良いという事で戻って来るのです。それが自霊拝です。
 そのことが古事記に書いてある。心理学の智慧の凄さがあります。
 坐禅をしたら魂の断片が戻って来るのです。辛かった過去等が全部生きて来るのでありがたいです。

・全身で組む印契(ムードラ)です。
 契:割符、契り・誓い・約束
 法界定印:宇宙全体とぴったり一つになる全身印(ひとついのち)、宇宙全体を愛し、法要する全身印
 全身で組むム-ドラです。それで何かと1つになるのです。法界(ほっかい)とは宇宙全体のことを言います。そことぴたっと1つになれるのでありがたいのです。全身が印です。手の組むのも、身体全体も法界定印と言うのです。手を組むと生命線が強く、深くなり寿命が延びるのです。ですから手相が変わる工夫をして線を伸ばせば良いです。

・良し悪し、合格不合格はありません
 他の坐禅は悟る為にしているのですが、悟りは出来ていないです。皆不合格です。その劣等感でお坊さんはしているのです。雑念は世の中に無いですし、頭で判断しなくて良いのです。いろんな時があるのは頭です。ただ身体で坐ることです。

2019年6月15日土曜日

1705「坐禅会1」2019.6.15

 2019年5月18日に立花大敬さんの東京坐禅会がありました。大敬さんは天命塾の名付け親で20数年来のご縁です。これまでは福岡の禅の会を中心に坐禅を指導してきています。昨年から京都でも坐禅の会を始められ、今年はいよいよ東京での開催となりました。
 是非とも参加したいと思い駆け参じてきました。直ぐに定員に達するほどで待ち焦がれた方々が参加していました。でも、大敬さんに初めてお会いする初参加の方も半数は居られたようですが会場は満席です。
 大敬さんの「しあわせ通信」は素晴らしいものです。創刊当時からの愛読者で、心豊かなゆったりした自然な生き方を気づかせて下さるもので、大敬さんは物書きの御用を頂く達人です。
 坐禅会の様子を紹介します。前半はお話し、坐禅、質疑応答で3時間の会でした。

「大敬の坐禅入門」
 坐禅を覚えてもらう事がとても大事です。坐禅をやっていたら人生が変わります。
 私は色々な占いの方などに42歳でいのちが終わると言われていました。でもこの様に生き続けて来ました。坐禅をして諸々のバランスを取って生きて来れました。不思議な事ですが、坐禅を続けていると運命が変わります。

 お経の「延命十句観音経」で病が治った人がいます。人の為にお経をあげると良いです。それがやがて自分に戻ってきます。それは徳を積んだ事になります。私達には自分の中から変わる為の実践が必要です。それは自分がすることが大事で、他の方からやってもらっても続かないものです。
 私は19歳から坐禅を始めました。最初の師は内山興正先生で、曹洞宗の道元さんの流れの方です。その後にお坊さんではありませんが角倉羅窓先生で、臨在禅を教えて頂きました。角倉先生は国家公務員で天皇陛下の侍従をされた方です。その後に渡辺玄道先生で、黄檗宗の方です。禅宗の3つの宗派、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗の先生方に学ばせて頂きました。

 皆ありがたい先生でしたが自分にぴったりしていなかったのです。何かが違うのです。それらの禅は戦の坐禅なのです。しかしこの禅をすると身体を壊します。何々をしなければならない、と言う目的追求で意志が強く、身体が頑強な人に向いています。しかし私には無理です。それで胃潰瘍になり肝臓を悪くしました。

 私の坐禅は「養いの坐禅」です。自分の生命をほどいて健康にして行く。そして元気になると自然に良い動きが出来ます。先ずは自分の固まりをほどいて行くのです。そして自分を温めて行くと自然にふさわしい仕事が出来る様になります。
 ですから大敬の「養いの坐禅」をお勧めします。これは許せて、受け入れて行くものです。

 私は今年の3月まで高校の先生をしていました。65歳で退職しましたが、その後は常勤講師、非常勤講師で5年間教えました。昨年は非常勤講師ですが、高校3年を教えましたが、きつかったです。もう教えきれないと思いました。私の高校は昨年東大に50人合格しましたが全国8位の進学校です。卒業生にホリエモンや孫正義さんなどがいます。
 今年の4月にフリーになりました。しかし家内が膝の手術をすることで2か月入院という事になり、私が家事をすることになりました。初めてのことです。
 生きているという事は自分が出来ない事を出来る事にして拡げて行く事、それが喜びです。人間には偉そうな話しをしていますが、生命の領域が広がって嬉しいです。
 お陰様で2か月の予定が2週間で退院出来ました。実は早く退院できる様にと、お経を一生懸命に上げていたのです。でも病んでいる時は謙虚だった家内がうるさ型に戻ってしまいました。
 東京は色んな所から集まって来られるのでこれから東京の坐禅会を定着して行こうと思っています。是迄の福岡と京都の3か所を中心にしようと思っています。