2024年3月31日日曜日

3383「宇宙人と黄泉の国」2024.3.31

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月21日の記事を紹介します。


「宇宙人と黄泉の国」


今、日本では

・レインボーチルドレン、

・宇宙から直接地球に転生してきた子供たち

・神様の意識を持ったまま生まれて来た子供たち

これらの子供たちが、沢山生まれて来ており

その使命を果たすために、

生まれる前の記憶を一旦遮断することなく、意識を維持したまま生まれ変わり

私達に

・神様の摂理と

・高度に発展した宇宙の常識を

伝えてくれるようになりました。

 

もちろん私たち大人の中にも、

・既に生まれる前の記憶を思い出した方や

・今までの地球のやり方を継承し、記憶を封印したまま使命を遂行されている方

もおられますが、

宇宙神に近い神々の計画通り、組織的に神仕組みが行われているようです。 

彼らの伝える情報では

・魂は永遠に存在すること

・肉体は単なる現世(うつしよ)、つまり3次元的な世界を生きるための、一時的な乗り物であること

・肉体が使用できなくなると苦痛なく魂は肉体を離れ、黄泉の国もしくは、(別惑星の)肉体に戻ること

などが当たり前のように前提条件となって伝えられています。

私たちが神さまの世界、つまり黄泉の国と呼ぶ世界のことも

驚くことに、

科学技術のはるかに進歩した地球外知的生命体(宇宙人)は、

理解して、更にそれを科学技術に応用しています。

また今まで私たちが神さまの法則、例えば

・ブッダの教えの神髄は「感謝」、「ありがとう」

・与えたものが受け取るもの

・ブッダの「縁起の法則」 

これらのことも、宇宙人の意識を持った子供たちが教えてくれ、 

宇宙の一般的な法則(常識)として、その応用方法を教えてくれています。

  

つまり私たち人類が、ここ数千年の間、英知の限りを尽くし、知りえた神々の法則は、

地球よりはるかに文明の進んだ宇宙文明では、科学的な事実として常識となり、

宇宙文明の更なる進化に応用されているということです。 

私たち人類は、過去7回文明が滅び、そして再興されてきたと言われています。 

はるかな昔には、私たちも彼らと同じレベルの文明を持っていたかもしれません。

ここ最近では、占星学的に2,160年間続いた「うお座」の時代が

物質文明・発展をけん引してきましたが、

宇宙人が到達している「神さまの科学」つまり「精神文明」の進歩は

置いてきぼりになって来たようです。

ですが「みずがめ座」の時代に入り、

いよいよこの地球も「精神性の復活」の方向へ時代が変わり、それに呼応して神々の神仕組みが動き出し、地球の精神性発達を助ける魂たちも沢山生まれて来ていますので、

彼らが到達した科学レベル、

・神の御業

・生まれ変わり

・時空間の魂での移動

・意図したものが瞬時に現実化

・ソウルファミリーとしての縁

など、今まで地球人が

・私たちの科学とは相いれないもの、

・摩訶不思議なお話

・神様のお話

と神話化してきたことも、精神科学の発達とともに

科学的な真実として受け入れられるかもしれません。

今、神仕組みを実現するために地球に生まれて来た宇宙的な子供たちはこう言います。

・天国、地獄は存在する

・魂は肉体を超えて永遠である

・肉体的な生まれ変わりが存在する

・魂は傷つかない

・魂は同じ時間軸で複数の肉体に意識を置ける

・時間と空間を超えることができる

・神様が存在し、その力は神秘的な力ではなく、自然科学に基づいた力である

・惑星意識(例えば地球意識)が存在する

・宇宙を創造した根源の神様が存在する

・地域地域を統括する神々が存在する

・上記の神々に次元的なレベルの違いがある(人間や宇宙人は3次元)

・すべての意識ある生命体は、意識を共有できるため、瞬時に意思疎通が可能である

つまり、精神性の進歩、魂の浄化(ピュア化)、進化によって

私達人間(宇宙人)も、神々と同じことが可能である。と言うことです。 

 

また進化する魂もあれば、退化の道を行く魂もあります。

それがあまりに極端に進み、悪魔的になり、

宇宙の全生命体にとって有害であると根本の神様が判断した場合、

それらの悪しき魂は、別の宇宙(虚空間?)に閉じ込められ、

こちら側の宇宙に影響を及ぼさないようにさせられる・・とのことです。

まさに地獄の世界のさらに上をいく宇宙です。

このように様々な知識が私たちに開示されてきましたが、

私たちがこの新しい時代を生きていくうえで大切なことは、

やはり、言い尽くされてきた言葉ではありますが、

他に依存する依存心からの脱却、精神性の進歩、魂の浄化(ピュア化)のようです。

全ての現象は、宇宙中の全部が影響し合って起こっています。

そのバランスを取り、維持しているのは根本の神様ですが、

影響し合っている者同士も、お互い様、おかげ様の調和の意識で動いています。

ですからブッダの教えの神髄の感謝の心が大切になってきます。

また意識が物質世界を作っているということは、

今の地球上の科学でもわかってきましたが、

自分の意識が、自分の周りの環境、将来を作っていますから

自分の意識を明るく、前向きにしておくことも大切です。

・まだ起きていないことを心配し過ぎたり

・自分のエゴを無意識に子供や他人に押し付けたり

・お金に執着し過ぎたり

・病気やケガ、障害に意識を集中し過ぎたり

・自分では何もせず、ただ神々や他者に依存

していては、意識の科学が示す結果通り、暗くジメジメした世界に住むことになります。

今の時代を生きている私たちは、

この大きな時代の変換点の目撃者になりたいと、志願してきた魂なのですね。

そしてその意識の科学の通り

如何に自分自身の心を、自立させ、周りと助け合って生きることで

世界の平和が実現するのを目撃する特権を与えられているのかもしれません。






2024年3月30日土曜日

3382「お彼岸に当たり」2024.3.30

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月20日の記事を紹介します。


「お彼岸に当たり」


今日は彼岸の中日 2/20。ご先祖を供養する日です。

ここ最近、「先祖供養」について書かなければ・・と、何者かにせかされていたのですが、

今日は良き日ですし、私も仕事がお休みですので書こうと思います。

日本は、世界でもまれなる国です。

ずっと古より、黄泉の国、神の国、見えない世界を意識し繋がろうとしていた国です。

このような国は外国では見当たりません。

祖霊祭祀や先祖供養と云うものは、縄文時代には既に行われていたそうで、その形跡が残っているそうです。

私が先祖供養を何故、重視してよくここで書いているかと言うと、黄泉の国(神々の住まう国・見えない世界)とのつながりを強化することで、物質的世界に生まれて来ている私たち子孫が、多大なる恩恵を受けることができるからです。

信じない方が多いかもしれませんが、まさに最高の現世利益を受けることができるからです。

今、この生きている物質世界に置いて

・苦しいこと

・悲しいこと

・自分ではそうしようもないこと

を抱えていらっしゃる方、

そして更に

これから自分や家族に訪れるかもしれない大難を小難に、小難を無難に納めたい方は、

是非心を静め、しっかりと読んで実践してみてください。

その功徳は、ご自身だけでなく、ご家族、子孫、そして黄泉の国に帰った先祖までも幸せにし、そして、見守る神々を喜ばせることでしょう。

まずは、前春日大社宮司で、神道の最高位までいかれた葉室頼昭さんのお話をご紹介します。

※少し長いですので、お時間の取れる時、じっくりお読みください。 

<引用開始> 著書「御力」より一部抜粋

 

神を敬い祖先を尊ぶ。祖先を祀ることの大切さ、今、我々が言うところの祖先というのは、

何代か前に初めて今の商売を始めた人だとか、今住んでいるこの地方に住みついた人とか、

何かを始めた人を指しています。

もちろんそれより先に続いている祖先がいるはずなのですが、祖先というと何か現代につながる生活というか、生き方をしてきた人を祖先と感じているのではないでしょうか? 

例えば日本人の祖先と言ったら、

日本人の共生という、自然と一つになるという生き方を始めた人たち。

そして、いわゆる我々が喋っている日本語という言葉を通して、

お互い心が通じ合うようになった人たち。

だから祖先というのは物質的なものではなくて、我々と共通の生活習慣というか、

そういうことを始めた人を日本人の祖先というのではないかと思います。

 

遺伝子学的に言うと、そういう祖先の記憶が我々の遺伝子にも入っているのですから、

それをフルに活用していくということが「いのち」を伝えるということであって、

これが民族が栄えていく本当の道ではないかと思います。

世界には、いろいろな民族が暮らしていますが、日本人のように祖先の祀りを常に行う民族というのは、数少ないのではないかと思います。

それにはさまざまな理由があると思いますが、一つには、やはりこの日本列島というところに、長年住んでいるうちに生まれた自然と共生するという生き方があります。

この共生というのは一緒に生きようというのではなくて、一つになろうという、そういう世界でも稀なる生き方です。 

これが原点になって、そこから神様や祖先に生かされていることに感謝するという生活が育まれてきたと思うのです。

 

外国の宗教、例えばキリスト教であれば、

天に神様がいらっしゃって、その神様が天地のすべてのものを造られたという考えで、

神様は人間とはまったく別の世界におられ、その神様に人間はいろいろなことを願うというのが一般的な宗教の形だと人々は思っています。

しかし日本人はそういう考え方ではなく、「古事記」の一番最初「神代編」に、神様が生って生まれると記されているように、神様もある実在の世界から生まれていらっしゃる。

最初に、天御中主神様の御心というか、知恵というものがまず現れてきて、そこにムスビの神様が現れ、その知恵が結ばれて次から次へといろいろな神様が現れ、そしてイザナギ・イザナミの命ご夫妻の神様が誕生され、そしてたくさんの神様をお産みになった。

この考えは、神様の御心からすべてのものが生まれ、そして神様と人間は全部つながっているということです。

こういうところから神様とも祖先ともつながっているという考えが生まれてきたと思うのです。

すべてがつながっているのですから、あの世で祖先が幸せになってくれなければ、我々もまた幸せにはならない。

当たり前のことですが、そういう考えで昔から日本人というのは祖先の祀りを行って来たのです。

神社で行われているお祭りについても、祖先のお祭りに関わるものが数多く行われています。

神社にはいろいろな神様がお祀りされています。

過去に実在していた方もおられるし、また高天原におられた天の神様もいらっしゃる。

こういう神々もすべてつながっている。

要するに神様と人間は別個のものではないという考えで、そして常に神様をお悦ばせすることを行い、神様と一つになろうということでずっとやっているのが神社の祭りなのです。

これを医学的に見るならば、祖先からの遺伝子というものが我々の体の中に入っている。

お父さん、お母さんと同じ遺伝子がこの体の中に伝わってきているわけです。

考えたらこれは非常に不思議なことで、この遺伝子というものの中には、何もしなくても働く遺伝子もありますが、中にはこちらから働きかけなければ活動しない遺伝子もあります。

ですから、こちらから祖先に感謝するとか、そういうことをしないと働かない遺伝子もあるわけです。

 

つまり、常に祖先の祀りをする。

そうすれば医学的に祖先から受け継いだ遺伝子が目覚め、

その働きによって我々も健康で幸せな生活を送ることができる。

こういう遺伝子という観点から見れば、祖先のお蔭で生かされているということは事実であり、その恩に感謝するということは当たり前のことです。

<引用終了>

 

葉室宮司は、命を懸けて、私たち日本人に先祖供養の大切さを力説くださいました。

私も先祖供養の大切さを知ってから、日々の実践を通じ、どれだけ助けていただいたか、

今までの苦労や苦悩を取り除いていただいたか?数えきれません。

また知人の中には命まで助けていただいたことを、私も目の当たりに見ています。

一緒に先祖供養の祝詞を上げていた、隣に座っていた方の亡くなったご両親が、光の中、神様の道に進んで行かれるのも目撃しました。

どれほど、具体的に大きな助けを頂いたかは、この公の場では言えないことが多いので、

お逢いした方々だけにお話しています。

先祖供養は、何も難しく考える必要はありません。

古く、縄文の時代から私たち日本人のDNAの中に根付いている、神道の奥義は日常生活の中にこそ存在します。

日々の暮らしの中で、ちょっとした時

・先祖に命を繋いでくださったことに感謝すること。

(ご先祖も生きている時、数々の艱難苦難の波の中、様々な感情を味わいながら生き抜いてくださったから、今の私たちがあります)

・ご先祖が、一人残らず、神さまの道を、真っすぐに進めて行けるように祈ること。

・黄泉の国のご先祖と、現世の私たち子孫が笑顔で幸せに暮らしていけるように祈ること

・小さな偶然、ラッキーなことの裏に潜む、神様と先祖の働きに感謝すること

これだけです。  

これを日々の暮らしの中で行っていくだけで、

生きている私たちと、黄泉の国のご先祖、そして神様の関係が深く強化され、

様々な場面で、助けを感じることができるようになることでしょう。

そして、その小さな小さな出来事に感謝することができるようになるでしょう。

感謝の心が芽生えたら、人間界を卒業するのも近いです。

幸せな心の内に、神々や、ご先祖の居る世界、黄泉の国、見えない膨大な世界、私たちが元居た世界に戻ることができることでしょう。

昨年の秋、京都にある葉室宮司のお墓参り(浄住寺)に、

ご親族の方に連れて行っていただきました。 

葉室家は、藤原家と同じ流れの家系ですが、葉室・藤原一族のお墓の門扉に、

葉室宮司の書かれた碑文がありました。

・祖先の祀(まつり)を常に行っている家は、永遠に続き栄える。

・平安の昔より葉室家を護り伝えてこられた祖先の偉大なる業績と深い御恵に感謝し・・・

外周を石積し、土を盛り修復を行う・・

まさに、葉室宮司は、先祖供養を最後まで実践なされ、

そして、神々の国にお帰りになったのでした。



2024年3月29日金曜日

3381「世界の『34億人』が脳卒中、認知症を含む神経疾患を持つか亡くなっている世界で」2024.3.29

 今回はIn Deepさんの2024年3月21日の記事を紹介します。


世界の「34億人」が脳卒中、認知症を含む神経疾患を持つか亡くなっている世界で「愛と正義と誠実によって悪を地球に広める人間たち」への対処を再び思う

https://indeep.jp/for-people-who-spread-evil-through-love/


世界人口の43%が神経疾患

英ガーディアンが医学誌ランセットの研究を取り上げていまして、それによれば、「世界人口の 43%が神経疾患を持っているか、それで亡くなった」ということを取り上げていました。

記事の冒頭は、以下のようなものです。

英ガーディアンより

片頭痛から脳卒中、パーキンソン病、認知症に至る神経疾患は現在、世界中で不健康の主な原因となっており、2021年には 1110万人が死亡していることが研究で明らかになった。

ランセット誌に掲載された研究によると、神経系の障害を抱えて生きる人、または神経系の障害で亡くなる人の数は過去 30年間で劇的に増加し、2021年には世界人口の 43%(34億人)が影響を受けているという。The Guardian

この、

> 世界人口の 43%(34億人)が影響を…

というのは、あまりにも極端な数字なんじゃないかとも思いましたが、よく読みますと、今回の調査での神経疾患には「頭痛」や、あるいは、自閉症など子供の神経発達障害も含まれているとのことです。特に頭痛が多い。

> 2021 年に最も蔓延した神経疾患は緊張性頭痛で約 20億件、片頭痛で約 11億件だった。The Guardian

頭痛と偏頭痛で 31億件ですので、それを引けば、3億人というようなことになりますかね。

いずれにしても、大層な数ですが、これは 2021年までの調査とはいえ、過去 30年の推移ということでの概念であり、「 2021年頃から、脳卒中を含む事例が急増している」というような話ではないです。

つまり、ぶっちゃけいえば、コロナのパンデミックや、その後のコロナワクチンの影響というものと関係した研究ではありません。

しかし、まあ… 2021年から「さらにこれらの神経疾患が増えている」ことは確実だと思われます。

スパイクタンパク質が脳に達することはわかっていますので、それによる影響は避けられないでしょうし、特に「 DNA 汚染」が、確実に血栓による脳卒中を増加させることは、以下の記事で取り上げさせていただいています。難しい概念でしたが。

細胞外DNAは確実に血栓を誘発する原因となり、脳卒中や多臓器不全などのリスクにつながる。…そしてワクチン混入DNAは、細胞外DNAそのものであり…

In Deep 2024年1月24日

神経疾患や心臓関係の疾患が今後も増加し続けていくことは、理屈だけでいえば、もう避けられないと見られます。

そうならないでほしいとは思いますが、医学・科学に関しては、理屈はやはり強いです。

理屈で成立しているものは、現実にもおおむね適用されます。

奇跡等があれば、そういうこともなく済むのかもしれないですが、私はあまり奇跡というものを信じないという以上に、生きてきた中で見聞したのは、「悪い奇跡は起こりやすいけれど、良い奇跡はなかなか起こらない」というこの世の現実でした。

ともかく、ガーディアンの記事をご紹介させていただこうと思いますが、その前に、前回の記事「誠実性が真実への壁に…」に対しての補足というのか、少し書き加えさせていただきます。

 

愛と正義と共に「伝染していく悪」を見た日々

こんなに神経疾患や心臓疾患だらけの世界になった「直近の理由」としては、自然の新型コロナそのものと、そのワクチンがあるとは思います。

とはいえ、自然感染とワクチン曝露を比較すると、一度に大量に体内に注入される mRNA や汚染 DNA の量 (約 2000億と推定される)、あるいは、生産されるスパイクタンパク質の生産量(ワクチンは最大で自然ウイルスの 1000倍の生産)などから考えると、影響としてはワクチンのほうがはるかに高いという結論しか導くことはできないのですが、

「なぜ、こんなことになった?」

ということが、前回の記事で少しふれたことです。

2021年から始まった接種キャンペーンでは、地域で最も誠実で、実直で、そして「正義感にあふれる」人たちが、周囲に熱心に接種を奨励してきました。

当時、東日本のある地方に住んでいる読者様からメールをいただきまして、その町か村では「長老」的な方々がいて、毎日、熱心に人々の家をまわり、「打ったか? 打ってないなら早く打とう」と、すべての住民たちに声をかけていたそうです。

その読者の方が言うには、その長老の方々は、ふだんは(つまり、コロナ前までは)確実に誠実であり、そして「正義感」が強く、何より「村の人たちのことを誰よりも大事にしてきた」人だったそう。

「愛に満ちていた」という表現でもいいのでしょう。

読者様は、

「なんでこんなことになってしまったんでしょうか?」

と、あれは 3年前ほどですかね、そう書かれていました。

どうしてそうなってしまったのかは具体的にはわからないにしても、前回の記事に書いた「誠実さ」、「正直さ」、そして「正義感」が誤った方向に突き進んだ場合にこのようなことになるのだとは思われます。

「愛」という言葉もあります。

愛という言葉は曖昧な概念ながら基本的には良い概念、ポジティブな概念として使われます。

しかし、

「愛と共にワクチン接種を熱心に勧めた」

となると、愛の概念が怪しくなってきます。

勧めている本人は当然、それは愛や良心や正義に基づく正しい行動だと信じて疑いません。

しかし、医学的観点、あるいは統計学上の観点から見れば、

「明らかに人倫にもとる行為」

であったわけです。強制的な命の毀損と関係します。

とはいえ、3年前の当時、医学者以外の人で、mRNA ワクチンの作用機序を知っていた人たちは非常に少ないでしょうし、いたとしても、当時の研究あたりまででわかっていたことは、「スパイクタンパク質自身の有害性」あたりまででした(実はこの一点の有害性で十分なんですが)。

医師の人たちでも、当時は正確な作用機序をあまりよくわかっていなかった方々もいたかもしれません。

機序がわからなくて人々に勧めたのでしたら、単に「無知の誠実」ということで、ご本人もだまされていたことになりますが(とはいえ、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」という概念もありますが)、

「知っていて勧めた」

なら、これは「悪を自分で認識していた」ことになります。

この場合は「悪い」と対処していいのだと思いますが、しかし、実際は大部分の人たちが、それは医師も一般の人も含めて「機序を知らないで勧めた」のがほとんどでしょう。

 

では、「悪が本人に認識されていない場合、それは悪ではないのか」ということが問題になります。 

これに関しては、今後の歴史の中で「あれは悪だった」と語られることになる局面はあるであろうにしても、今はどうなのか。

そういう人たちに対して、どういう感覚で向かえばいいのか。

難しいことですが、私も今もよくわかりません。

他人に対してだけでなく、たとえば、愛を持って自分の子どもに接種を勧めて、その子どもが一生不可逆の障害を負ってしまった。さて、その場合、親は自分自身にどう向かえばいいのか。

 

ワクチンについては、政治家や専門家などが責められることもありますが、専門家はともかく、「当時、政治家でワクチンの作用機序を知っていた人がどれくらいいたのか」というと、

「ほぼゼロだった」と私は考えています。

あるいは、「わかろうと努力した政治家もゼロだった」と思います。

医学がこの世を支配しているわけですが、政治家や社会の上層階級にいる人たちは、誰よりも医学洗脳が進んでいる場合が多いです。医師や医療というものを信奉している。

あるいは医師たち自身たちがそうです。

医師から一般の人々まですべてを貫く「医療の宗教化」は、医療教育でのマインドコントロールから始まる。そしてその歴史

In Deep 2022年11月15日

以下は、大阪府の 65歳以下の医療従事者のワクチン接種率の推移ですが、1、2回目は 99.6%ですからね。統計的にはほぼ 100%の世界です。65歳以上はもっと高いです。

 


BDW

全職種の中で、最もワクチン接種率が高いのが医療従事者でした。そのような医師たちを信奉している政治家たちがどのように行動したのかの想像は難しくありません。

陰謀論以前に、こういう人たちは、大多数が医療マインドコントロールに完全に染まっています。

当時、これらのほとんどの人たち(政治家はすべての人たち)が、mRNA ワクチンを理解もしていないし、理解しようともしないまま、何のしがらみかは知らないですが、とにかく闇雲に推進した。

今後も、出てくるすべての政治家たちが同じでしょう。

表面上でワクチンに反対の主張をする政治家がいたとしても、作用機序を自分で勉強しない限り、「無理解の反対」であるだけです。「無理解での推奨」と、さほど差はないのです。

 

今後、ワクチンではなくとも、何か同じような局面は必ず出てきます。

そして、それが「人命の尊重」のキーワードと共に、また「無理解」の政策が展開される事態が、どんなジャンルにしても(医学だけではなく、経済でも軍事でも)出てくるはずです。

そこでまた「愛と正義感を持つ誠実な人々による周囲への伝播」が始まります。

本来であるなら、今後、阻止されなければならないことです。

しかし、どんな分野でも「無知と共に愛と誠実が襲ってくる」と、人はなかなかそこから逃れることは難しいです。

 

これらの「無知による悪」に私たちはどう対応すればいいのか。 

それはわかりません。

わかりませんが、私たちは「私たち自身」を研ぎ澄ませるしかないです。

前回の記事に書きました悪の特性である「ダークトライアド」でさえ研ぎ澄ます必要があるのかもしれません。

たとえば、悪魔という存在は「感情を理解できず、現実と事実しか見ない」とされていますが、それに倣うことも必要です。

コロナワクチン下の世界で自分たちを守るために必要であったのは、まったく感情や心情や協調ではありませんでした。事実と現実と数値だけでした。

冷たい響きに聞こえるかもしれないですが、今後の社会では「愛に満ちた無知の正義」を私たちは振り払うべきです。

時代的に、そろそろサバイバルの本格的な時期もそう遠くもないあたりにさしかかっているともいえなくもないかもしれない時期に、もはや、曖昧な感覚は不要なのかもしれません。

事実の中に、たまに奇跡は起きるかもしれないですが、その奇跡もよく調べて見ると、単に見逃していた事実や理論が働いただけということもあります。

そんなわけで、訳のわからないことを長く書いてしまいましたが、ガーディアンの記事です。今の世界の現状がよく示されている数値が並びます。

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神経学的状態が世界中での不健康の主な原因であることが研究で判明

Neurological conditions now leading cause of ill-health worldwide, finds study

The Guardian 2024/03/14

脳卒中などの疾患を抱えて生きている人、またはそれによって亡くなっている人の数は 34億人に劇的に増加しており、これは世界人口の 43%に相当する。


片頭痛から脳卒中、パーキンソン病、認知症に至る神経疾患は現在、世界中で不健康の主な原因となっており、2021年には 1110万人が死亡していることが研究で明らかになった。

ランセット誌に掲載された研究によると、神経系の障害を抱えて生きる人、または神経系の障害で亡くなる人の数は過去 30年間で劇的に増加し、2021年には世界人口の 43%( 34億人)が影響を受けたという。

「世界の疾病、傷害、および危険因子の負担」調査の分析では、37の神経疾患によって引き起こされる障害、病気、早死の総量が、1990年に失われた健康寿命の約 3億 7,500万から 2021年には、4億4,300万へと 18% 以上増加したことが示唆された。

研究者たちは、この増加は世界人口の増加と平均寿命の延長に加え、環境、代謝、ライフスタイルの危険因子(それぞれ汚染、肥満、食事など)への曝露の増加によるものだと述べている。

英国ブレインリサーチ(Brain Research UK) の統計によると、英国では 6人に 1人が何らかの神経学的疾患を抱えており、260万人が外傷性脳損傷または脳卒中の影響を受けながら生きている。

英国には認知症患者が 94万4,000人以上おり、その数は 2030年までに 100万人以上に増加すると予想されている。

世界的に見て、脳卒中が最も大きな負担を伴う疾患だった。その他の主な原因としては、髄膜炎、てんかん、アルツハイマー病、その他の認知症、新生児の脳損傷、妊娠 37週以前に生まれた赤ちゃんの神経合併症、糖尿病、自閉症、神経系のガンによって引き起こされる神経損傷などが挙げられる。

2021年に最も蔓延した神経疾患は緊張性頭痛で約 20億件、片頭痛で約 11億件だった。

調査の対象となった最も急速に増加している症状は糖尿病による神経損傷で、同時期の 2型糖尿病の急増を反映し、世界で 5番目に疾患負担が高いとランク付けされている。

この研究では、自閉症などの神経発達障害や子どもの神経障害が初めて調査され、2021年に世界中で失われた健康寿命 8,000万(全体の約 5分の 1)をこれらが占めていることが判明した。

研究者たちは、神経疾患による死亡と健康喪失の 80%が低・中所得国で発生しているという世界的な健康格差を強調した。サハラ以南アフリカの西部および中央部の最も経済状況の悪い地域では、健康不良、障害、早期死亡による死亡率と損失年数が世界平均の 5倍高かった。

この研究は、一部の神経学的疾患の発症リスクを軽減するための予防措置の重要性を浮き彫りにし、最も重要なのは、心臓の鼓動時の動脈圧を測定する最高血圧を下げることだ。これらの対策により、脳卒中による病気、障害、早死の 84%を防ぐことができる可能性があることが判明した。

アルツハイマーズ・リサーチ UK の研究責任者であるリア・マーサリーン博士は、「これらの数字は本当に憂慮すべきことであり、緊急の行動の必要性を強調していいます。それがなければ、認知症は世界中で何百万もの人々の生活を破壊し続けることになるでしょう。ここ英国では、それは NHS (国民保健サービス)にさらに大きな負担をかけることを意味します」

脳卒中協会の最高責任者であるジュリエット・ブーヴェリー氏は、以下のように述べた。

「脳卒中などの神経疾患が現在、世界中で病気や障害の主な原因となっているとの報道は、非常に憂慮すべきことです。英国だけでも、毎年 10万件以上の脳卒中が発生し、脳卒中生存者は 130万人を超えており、その数は増加する一方です」

「脳卒中は多くの人とその家族、友人に壊滅的な影響を与えますが、経済的にも社会に多大な影響を与えます。来年までに NHS の脳卒中の平均コストは 430億ポンド(約 8兆3000億円)に上昇し、2035年までに 750億ポンド (約 14兆5000億円)に増加する可能性があります」

「そして生産性の低下が起こります。4人に 1人の労働年齢の人々が脳卒中を起こし、支援がなければ生産性が低下します。脳卒中生存者を職場に復帰させると、英国は生産性の損失で年間 13億ポンド(約 2500億円)のコストがかかると見込んでいます」



 

2024年3月28日木曜日

3380「死後直後の問い」2024.3.28

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月19日の記事を紹介します。


「死後直後の問い」


今日のテーマは、私たちが亡くなった直後の問いについてです。 

私たちはこの世界を楽しむために生まれて来たのだそうです。 

決して、苦しむためでも、悲しむためでもありません。 

・貧困

・リストラ

・離婚

・事故、病気

・別れ、死別

それらは単に生まれる前に自分で決めてきた,この世の舞台装置でしかありません。 

その舞台の中で、感情の波にもまれながらも、いかに楽しい人生を送れるか? 

今私たちは、そのような中、地上で生活しています。 

今日は以前書いた記事ですが、 

山幸彦(ニニギノミコトの子 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))の魂を持つ、小学生の神様トキ君の情報とピッタリと一致しているため、加筆修正して掲載します。 

この記事は、産婦人科医の池川明先生のお話からなのですが、全く出所が違うのに神さまの意識を持つ6才の男の子から、全く同じ情報がもたらされるとは驚きと言うか、真実であると判断するしかありません。 

このお話の中で、天国のレベル

6と7の間には、大きな隔たりがあるということですが、 

6までは、あまり空間的、次元的な移動の自由がない束縛されたコミュニティに属している 

7以降は、空間的にも次元的にも移動の自由がありほとんど束縛が無い状態・・ 

と言うことだと思います。 

まずは、池川先生のお話です。

<引用開始> 引用元 

 


臨死体験をされた方々の複数の体験によると、

死後に閻魔様(えんまさま)から聞かれるのは、次の2つのことだけなのだそうです。

・陰徳(いんとく)を積んだか?(人知れず、他人のために役に立ったか?)

・自分の人生を楽しんだか?

池川先生によると、この2つの質問の真意について、

「自分の人生を楽しんだか?」という質問については、

「身勝手に、自分ひとりで快楽を得たか」というものではなく、

「人に感謝され、認められて、自己肯定出来て楽しかったか?」ということではないかと。

そして、「陰徳を積んだか?」という質問においても、

「自分が一生懸命生きていることで、

結果的に知らぬ間に人が助かったか?」ということではないか、と語られています。

この陰徳を積む、という行為の例として、こんなお話が紹介されていました。

(「ぼくが生まれてきたわけ」より 一部抜粋)

ある小学生が、学校から帰るとき、

荷物をたくさんもった同級生とぶつかって、その荷物を落とさせてしまった、と。

その同級生は、同じクラスの子だけれど、ほとんど話したことがない子で、

その小学生は荷物を一緒に拾いながら、「君、どうしたの?」と声をかけた、と。

すると、「家にかえるところだ」と言うので、

ふと、「じゃあ、うちで遊んでいかない?」と誘ったそうなのです。

で、その同級生は家へ来て、テレビゲームをやって帰っていった。

それで、ずっと後になって、荷物を持っていたその子が、誘った子に、

「君はぼくの命を救ってくれたんだ」と言ったそうなのです。

何でかと言うと、あのとき、荷物をたくさん持っていたのは、

自殺しようと思っていたからだ、と。

自分が自殺して、学校の机に自分の荷物が残っていたら、次に座る子が迷惑すると思って、それで全部片付けて、荷物を全部持って帰っているときに、君とぶつかったんだ、と。

君とは話したことがなかったけれど、

君が声をかけてくれて、君とテレビゲームをしたら、楽しかった。

それで死ぬのを踏みとどまったんだ。

この場合、お礼を言われたほうは、助けたっていう意識はないんですよね。

ただ、ぶつかったから荷物を拾ってあげて、ふとゲームに誘った。

おそらく、こういうのが陰徳なんだと思う、と本の中では語られていました。

良かれと思って自分がした行為が、必ずしもその人のためになっているとは限りません。

そのようなことは、世の中によくありますよね。

ここがなかなか難しいところです。

相手を尊重して、よくよく自問自答してから、手を差し伸べるべきかを決めることが重要です。

つまり、人の役に立たなきゃ!と思って、誰かを助けてあげることを目的にするのではなく、

結局は、自分が一生懸命に生きる!  

お天道様に恥じない生き方をする!

ということに尽きるのはないか、と池川先生はおっしゃっていました。

<引用終了>

 

私たちが、この肉体を脱いで、天に帰る時にされる質問は、たった2つ

・陰徳を積んだか?

・自分の人生を楽しんだか?

なのだそうです。

山幸彦の魂を持つトキ君が言うには,閻魔様に質問されるのは2つ 

・あなたは人に優しくしましたか? (=陰徳を積んだか? と同じ)

・いっぱいあそびましたか? (=自分の人生を楽しんだか? と同じ) 

驚くことに、池川先生と全く同じです。

そうであれば、今の今,生きている間から、そのことを意識して生きていれば、閻魔さまにも、褒めてもらえるかもしれません。

閻魔さまは、よく怖い鬼のように描かれていますが、実際は光そのものの神様だそうです。

また池上先生は、多くの生まれる前の記憶を持つ子供たちのお話から、こうも仰っています。

病気や障害を持った,多くの子どもたちから集めたお話から解釈するに、たぶん、「自分がつらい思いをして、それを乗りこえたときに、魂はそれを“楽しい”と喜ぶ。

そしてつらい思いをしたからこそ、

同じようにつらい思いをしている人の役に立つことができる」からだろう、と思います。

つまり、ずっと幸せかつ平穏に過ごしているだけの人は、他人の心に寄りそえないし、

魂も、実は「それで楽しい」とは思わないようなのです。

つらさのただ中にある人は、

実は、同じようなつらさを経験したことのある人の助言しか、真剣には聞かないものです。

なので、そのためにもつらい経験をする必要がある、苦労する必要があるのかな、とも思います。 

実は、子どもたちに聞いた、空の上で暮らす魂の日常は、すごく穏やかで、平和で、幸せなのだそうです。

着るものにも、食べるものにも困らない世界で、食べようと思えば、いくらでも食べられて、

ダイエットの必要もない、すごく良いところなのだそうです。 

ですので、この世に生まれてくる魂たちは、“非日常”を求めて…まさにアミューズメントパークに来るような感覚で、この世に生まれてくるようなのです。

楽園から楽園に移動しても“非日常”は感じられないので… 

それでこの世は、制限が多く、つらいことも多い世界なのでしょう。

そういった意味では、この制約の星、地球での、病気や障害など、辛く、悲しい経験も、

・陰徳を積んだか?

・自分の人生を楽しんだか?

上記を達成するために、とても重要な環境なのかもしれません。

  

またもぅ一つ、トキ君の情報として重要なことがあります。

私たちが、「人のために・・」と我慢をして、自分のワクワクを殺し、自己犠牲ばかりしていることを、神さまは「善し」としない・・と言うことです。 

私たちは「人のために」、「良かれ」と我慢して自己犠牲を行い、そんな自分を自己賛美をしがちですが、自己犠牲の精神は、地獄行の要素でもあるのだそうです。 

私たちが生まれる時、地上で何をするか?

何を楽しんでくるか?

神さまと約束してきます。 

神さまも「楽しんでおいで」と送り出してくれました。 

そうであるのに・・・

自分の楽しみを我慢し、押し殺し、やりたいこともせずに、地上の人生を終わることを、

神さまは決して 正しいこと とか、良いこととは見てくれないということです。

全く逆の評価を下されます。 

私たちは周りの人たちと仲良く助け合い、そして楽しむためにこの地上に降りてきたからです。 

私たちが、ニコニコして生きていることが神さまは一番嬉しいからです。 

皆さんの心が、どんな時でも、感謝の気持ちで満たされ、神々の恩寵を受け取れますように。



2024年3月27日水曜日

3379「人としての喜び」2024.3.27

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月18日の記事を紹介します。


「人としての喜び」


これから、地球がどんなに変わろうと、美しき心は、

全ての障害を超えて、私たちを幸せな世界に運んでくれることでしょう。 

それは、肉体がある間だけではなく、肉体を脱いで、

魂の世界に戻った時でさえ裏切らないことでしょう。 

・知識や学歴がなくとも、

・お金や地位などなくとも

・健康でなくとも 

そのような物は、肉体がある間の短い期間の、

目的を達成するための道具でしかないのですから、

永遠の魂にとって、何の障害にもなりません。 

むしろ、それらに執着し、かさに着て、

無意識のうちに、心を汚していくよりも、

無意識のうちに、マウンティングし、人を支配しようとするよりも、

何も持たなくとも、馬鹿だと人に蔑まされようとも、

良寛さんのように大愚であって、心美しき人の方が、

どんなに光り輝く魂を持つことでしょう。

さて今日は小林正観さんのお話を、参考にして書きたいと思います。 

それは、平凡な生き方かもしれません。 

誰にも、尊敬もされなければ、注目もされない生き方かもしれません。

ですが、もしかしたら神々に一番近い生き方かもしれません。

<転載開始> 転載元

 

まわりの方々に喜ばれる喜びは、自分のことで、

自分が喜ぶのとは、比べられないほどの大きさです。

人は、人の間に生きていることからこそ「人間」と呼べます。

人間として生きると

いうことは、自分のためではなく、他に存在する者(物)のために、

生きるということ。

人間の身体の中には 37兆個もの細胞があります。

その一つ一つに、個別の意識があります。

体の中に目を向けてみても、

肺や心臓、肝臓、腸など自分のためにだけに存在する臓器は、何ひとつありません。

みな体内の、他の臓器や細胞を生かすために働いています。

まさに、ひとつの宇宙が人間の体の中に、凝縮されている、

と言っても過言ではありません。

ですので、人は、この世に生れたからには自分が、

いかに目標に向かって歩み、目標を達成するか、

ということではなく、いかに周りに喜ばれる存在になるか、

ということがとても大切です。

たとえば頼まれごとをやってあげて、

相手がにっこり笑って「ありがとう」と言ってくれたとき、

本当の「人としての喜び」が湧いてきます。

喜ばれることが、人間の最も根源的な幸せです。

人に喜ばれることをしてみましょう。

その時、いちばん楽しくて、幸せなのは実は自分自身なのではないか、

そう思えるに違いありません。

<転載終了>


・大きな成功を成し遂げて、人々に尊敬される人

・仕事のバリバリできる人

・平凡な人間だけど、何時もにこにこ笑っていて、困っている人がいれば、

 何はさておき駆けつけて、一緒に悩み、傍に寄りそう人

・仕事は、それほどできないけれど、人の喜びを共に喜び、

 人の悲しみを共に悲しんでくれる人

皆さんは、どちらの生き方が理想ですか?

自分が、何かを人にして差し上げた時に、

誰かから、にっこり笑って「ありがとう」って言われると、

本当に幸せな気分になれますね。

もしかして、氣難しい顔をして、人を寄せ付けないような人も、

何時も、身勝手で、人の上げ足を取っているような人も、

その人の内側の良き部分、神さまの部分を見つけて差し上げて、

「ありがとう」の一言をかけた途端、

魔法のように、頑なだった心が溶けだして、良き人に変わってしまうかもしれません。

私たちは、誰でも本当は、

・人に認めてもらいたいのです。

・「ありがとう」と笑顔を、向けてもらいたいのです。

 

宮沢賢治


最後に、宮沢賢治の「雨にも負けず」をご紹介して終わりにします。


雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

 

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなに でくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい


 

2024年3月26日火曜日

3378「陰(黄泉)の時代の到来」2024.3.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月17日の記事を紹介します。


「陰(黄泉)の時代の到来」


言葉の世界だけでなく、この現実の世界でも、

実際に実感できるほどに、「心の時代」になって来ました。 

この時代には希望があります。

私たちの心そのものが大切にされる時代。

物や、肩書など目に見える物ではなく、見えない物に価値が置かれる時代。 

今まで隠し通せた悪事が白日の下にさらされる時代、そんな時代がもう始まっています。

その世界では、

・心の美しい人は、ますます幸せな環境に恵まれ

・自分さえ良ければの我欲にまみれた人は、同じような我欲の人々に囲まれ

ますます、心の反映が現実となってくることでしょう。 

 

今私たちが幸せの渦中にあろうと、魂を磨くために、苦難の中にあろうと、 

どのような状況であろうと、お釈迦様(神さま)の掌の上の出来事です。

どんな時も、神々は一緒に居てくださっています。 

「苦の後に楽が来る」という法則の通り、

常にどちらか一方しか起こらないということはありません。 

常に両者の間で反転を繰り返し、人生は進んでいきます。 

一時たりとも固定された現実などありません。 

どうぞ、希望をもって日々をお過ごしください。

世の中は、既に希望の時代を迎えているのですから。 

安住紳一郎アナの司会で毎週土曜に放送されている

「情報7daysニュースキャスター」に、出演されていた

明治大学教授 齋藤 孝さんは、その著作の中で、こう仰っています。


今、超能力の研究では、人が念じたことは

テレパシーのように通じることが証明されつつあります。

だとすると、念じたり、思い込んだりする力が、

自分を元気にしたり、反対に具合を悪くする可能性もあります。

自分に何かがとりついて、元気がなくなったと思うのなら、

お祓いという行為も無意味とは言えません。(終わり)


今迄、うお座の時代には、見えない世界の真実は

非科学的と排除されてきましたが、みずがめ座の時代に入り 

非科学的といわれていたことが、どんどん科学でも証明され始めてきました。 

今迄の二元性の世の中では

・善と悪

・陰と陽

・光と闇

・ポジティブとネガティブ

・生と死 

など2つの相反するものに分けて物事を理解してきました。

  

そして私たちは、どちらかと言えば

光とか善とか陽などの方を良しとして、他方を悪いものと考えてきましたが 

神さまの目から見たら、どちらも全く同じ価値なのだそうです。

どちらが上で、どちらが下などないのだそうです。 

どちらも大切なもの 

  

たとえば、陰の世界、つまり見えない世界、黄泉の世界は、

物事の創造の根源の世界であり、意識の世界です。 

陽の世界である、見える世界にあるものは、全て陰の世界で作り出されました。

 

また私たちは今まで、自分の能力、力、権威を、隠れて姿を現さない誰かに譲ってきました。

ですがみずがめ座の時代の到来とともに、その時代は終わり、これからは自分自身の霊的な尊厳、能力、力を回復して、自分自身の権威を自分のものとして回復する時です。

支配の時代と言われる魚座の時代(2160年かけて移動)

解放の時代と言われる水瓶座の時代(今始まった時代)

今迄は隠れた支配者にとって都合の良い時代でした。

・人と違うことをよしとしない文化

・非寛容な社会(すぐにキレル、正義感の押し付け)

・自分の価値観から外れる人への非難中傷

・経済的な利益を得ることを、全ての行動の動機とした世界

私たちは、このような、本来あるべき伸び伸びとした個性を認めない 

画一的な概念と価値観を外部から強要されてきました。 

そのため、本来の自由な創造性を抑圧されてきました。

不自由な生き方を強要されてきた時代を生きてきました。

日本では、令和の時代が始まり、新しい陛下が即位されました。

天皇陛下。

その一番大切なお仕事は、ご神事を行うことです。 

陛下が日本で一番の神主と言われるゆえんです。 

一般の人はご存知ありませんが、陛下のご神事は過酷を極めます。

そして日本の国民のために自らを犠牲にする覚悟で行われています。

特に陛下に即位された徳仁(なるひと)天皇は、

その人間性と、ご覚悟、霊的な力が並外れているといわれています。 

令和に入り、陰と陽のうち、陰が力を増す時代になりました。

世界中見渡してもこの力と非常に縁の深い日本の時代の到来です。 

陰の世界、つまり黄泉の国は、見えない世界、物事が創造される、生みだされる世界です。 

そしてみずがめ座の時代は風の時代ですから、その変化のスピードは速く、 陰の世界(黄泉の世界)で作られたものは、時を待たずして、見える世界、つまり陽の世界に現れてくることでしょう。

 

陰の世界は決して忌み嫌う世界ではありません。

混沌とした中に、創造が行われる世界です。

また同時に陰が力を増す時代は、スサノオ、大国主命、国常立尊(クニノトコタチノミコト)などの国津神が力を増す時代でもあります。 

国津神は、黄泉の世界を抱擁し包み込む神々ですから。 

私たちは、丁度時代の変わり目、2000年に一回の変わり目の時期に遭遇しています。 

その大きな変化の目撃者になろうとしています。 

またその時代のうねりを、自分の意識の力で体験できる時代に遭遇しています。 

陽の世界は、陰の世界から生まれますが、 

陰の世界は、私たちの意識によって作られる世界だからです。 

つまり私たちの心が、陰の世界に反映し、この見える世界に実体を伴って現れてきます。 

心の世界が、見える世界、見えない世界を包括する、ゆえんでもあります。

心の持ち方が、ますます現実世界に現れる時代となりました。 

目に見える世の中は、いまだ暗闇の中ですが、着々と変わりつつあります。 

良い時代になりましたね。 

皆様が、ご自分の内にいらっしゃる神さまに気づき、お幸せになりますように。





2024年3月25日月曜日

3377「動物と人間の関わり」2024.3.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月16日の記事を紹介します。


「動物と人間の関わり」


今日は、犬や猫など動物と人間との関わりについてです。

うちにも犬2匹、ネコ1匹います。(ネコは生後間もなく保護したねこです)

下記の映像で小学生の神様(山幸彦)トキ君がお話しています。

動物のお話は、3分20秒くらいからです。 

この中でこんなお話がありました。(一部補足含む)

 

神さまが犬や猫に与えた役割

犬の役割

・人を護るため

・人に愛を与えるため

・心配や不安を抱いて生活していると犬も共感力が強いため、心が苦しくなる・悲しくなる

ネコの役割

・人間の邪気(悪い氣)を吸い取ってしまう

・しっかりとこの仕事をさせてあげると、彼らにとってそれが一番の幸せ

・その結果、すぐに天国に行けたり、すぐに生まれ変われたりする 

犬や猫など人間のそば近くで生きる動物たちは、かなり進化の階段を上っているそうです。


まだ進化の低い段階の動物たちは決して人間とは交わることがないのだそうです。

そして幸運にも人間のそば近くで生きることのできた動物たちで、更に人間から深い愛を受けた生命体は急激に進化の段階が進むことができるそうです。

 

最終的には人間として生まれてきます。 

またトキ君のお話にあったネコは飼っている人(家族)の邪気を吸い取る・・ 

この言い回しは非常に日本的で日本古来の縄文の神様の意識です。

(やはり節々にトキ君が日本神界の行為の神様の生まれ変わりであることが伺えます) 

つまり大祓祝詞(おおはらいのりと)の中に書いてありますように、決して邪気・悪を消滅させてしまうのではなく、抱き参らせ、浄化し、清いエネルギーに変換・浄化してしまうという、美しくも優しい、縄文の精神です。 

家にも犬とネコがいます。

何だか愛おしくなってきますね。 

さて、以前「動物の進化の過程」について記事を書きました。 

以下掲載します。

  

今日は死についてのお話です。

死と言うと、それは私達肉体がある者から見ると、 

・もの凄く違う世界への旅立ち、

・忌み嫌うべきもの・・ 

と思いがちですが、決してそうではありません。

今世の目的を終わらせ、神様から借りていた肉体をお返しし、本来の魂の存在に戻り、次の進化の階段を進むだけです。

ですので身近な人の死に対し、残された人達が、何時までも何時までも、悲しんで引きずる事は良いことではないと言われます。

その残された者の強い思いは、強力なエネルギーを持ちますので、やっと予定通りの肉体での生活を終わらせ、進化の道を進もうとする魂を引き留め縛り付け、何時までもここ3次元の世界から離れることが出来ない状態にさせてしまいます。 

それ程人の想いは強いものです。

それがよくわかる例を1つご紹介します。

東洋の叡智であるヨガを西洋に初めて伝えた偉大な伝道師として広く世界に知られているヨガナンダのお話です。

ヨガナンダがインドに作った全寮制の学校での出来事です。 

(ヨガとは神との一致を意味する単語です。

一般的な体操のヨガは、神と一致するための技法のひとつです)

<引用開始>

 

ランチ(ヨガナンダが20代前半にインドに設立した学校)には、

われわれの自由に使用できる10ヘクタールほどの肥沃な土地があった。 

われわれはそこに、果物や野菜を栽培し、また、そこで戸外の作業を楽しんだ。 

動物もたくさん飼っていたが、中でも一匹の子鹿は、生徒たちからたいそうかわいがられていた。 

私もこの子鹿が好きで、夜は自分の部屋に寝かせたくいだった。

明け方の光が射し込んで来ると、

この子鹿は、ちょこちょこと私のベットに歩み寄って来て、朝の愛撫を求めた。

ある日、私は用事で町へ出かけた。 

そのため、私はいつもよりも早めに子鹿に餌をやって、

子供たちには、私が帰るまでは子鹿に何もやってはいけないと言い付けておいた。

 

ところが、生徒の一人が私の言い付けを忘れて、ミルクをしこたま飲ませてしまった。 

夕方私が帰ると、生徒たちが悲しい知らせを持って駆け寄って来た。

『子鹿が、ミルクを飲みすぎて死にそうなんです!』

死んだようにぐったりした子鹿をひざの上にのせて、私は涙とともに、

神に

子鹿の命を助けたまえ

と祈った。 

2、3時間すると、子鹿は目を開いて立ち上がり、力なく歩きはじめた。学校じゅうの者が歓声をあげた。

しかしその夜、私は忘れることのできない深い教訓を与えられた。 

私は夜中の2時ごろまで子鹿のそばに起きていたが、

そのうちにうとうとと眠ってしまった。 

すると夢まくらに子鹿が現れて、私にこう言った。

『あなたが引き止めるので、私は行くに行けません。

お願いですから、どうか私を行かせてください』

『よし、よし』私は夢の中で答えた。

私はすぐに目をさまして叫んだ。

『おい、みんな、子鹿が死んでしまうよ!』

子供たちは私のそばに走って来た。

私は、部屋のすみの子鹿のところに駆け寄った。 

子鹿は最後の力を振りしぼって、つまずきながら私の方に歩み寄ると、ついに力尽きて、私の足もとに倒れて息が絶えた。 

 

この子鹿は、動物たちを支配するカルマによって、今ちょうど鹿としての生涯を終えて、

より高等な動物に進化する時期に来ていたのである。 

ところが、私の愛着(これは利己的なものであったと、あとで気づいたのであるが)と、熱心な祈りのために、子鹿は今の状態から離れることができず、その魂が解放を求めてあがいていたのである。

子鹿の魂は、私の理解ある許しを得ずに私のもとを去ることができなかったので、

夢まくらに現れて嘆願した。 

そして、私の承諾を得るとすぐに旅立って行ったのである。

悲しみは消えた。神は、その子らであるわれわれが、万物を、神ご自身の一部として愛することを欲しておられるが、また、死によってすべてが終わってしまうわけではないことを、

理解するように望んでおられる、ということを私はあらためて悟った。 

無知な人は、死を、

自分と愛する人々を永久に隔ててしまう越えることのできない壁、とのみ思っている。 

しかし、万物を神の現われとして愛することを知っている執着のない人たちは、

死とは、その愛するものが再び喜びに満ちた最高のいこいの場所である、

神のふところに戻るだけだ、ということを理解しているのである。

<引用終了>

 

生まれて来た以上、どんな人も動物も、命あるものは死を迎えます。

それは遅かれ早かれ時間の問題です。

ですが、その死は神様が許したこと、 

本人の潜在意識が生まれる前に計画してきたことです。

愛する人の死は本当に辛いものです。

死と言う肉体との別れが来た時、その悲しみを味わったら、

最後はありがとうと感謝で送ってあげるのが良いですね。

その人は既に死と言う境界を通過して、大きな進化の階段をのぼろうとしているのですから。

肉体をまとう期間は短く、そして有限ですが、魂は永遠で、そして不滅です。

私達、人間、動物、植物、全てのものは霊的な魂を持ち、常に神様へ向かう進化の道程の中に居ます。

死は、その一瞬の通過点にしかすぎません。




2024年3月24日日曜日

3376「青空ひろば」2024.3.24

 今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


1260 2024.03.17 

いのちが順当に成長していれば、「ギクシャク、ハラハラ」と「サラサラ、スイスイ」の時期が交互にやってくる。右足・左足、交互の一歩、一歩で前進できるようなものだ。


1261 2024.03.18 ~ 1263 2024.03.20 

沢庵禅師が柳生宗矩(むねのり)に与えた書『不動智神妙録(ふどうち しんみょうろく)』より

<不動智>とは、「不動と申しても、石か木のように動かないという意味ではありません。向こうへも、左へも、右へも、十方八方へ、身心が動きたいように動きながら、ちっとも止まらない心を『不動智』といいます。物一目見て、その心を止めないのを不動といいます」

<千手観音>も、「一つの手に心が止まってしまえば、他の手は皆用に立ちません。どの手にも心を止めないから、すべての手が皆用に立つのです」

「とかく、心の置き処はありません。どこであっても、一箇所に心を置いてしまえば、余(ほか)の方への働きが皆欠けてしまいます」

「臍(へそ)の下に押し込めて余所へ心をやらないというは、レベルの低い段階の稽古の位(くらい)です。臍の下に押し込んで余所にやるまいとすれば、やるまいと思う心に、心を取られて、先の用に欠けて、殊の外不自由になってしまいます」

「『では、心をどこに置けばいいのですか』

我(沢庵禅師)答えていわく『どこにも心を置かなければ、心は我身いっぱいに行きわたりて、全体に伸び広がってあるので、手が必要な時は、手の用を叶え、足が必要な時は、足の用を叶え、目が必要な時には、目の用を叶え、その必要な部署に心が行きわたって存在しているので、その時、その時、その場所、その場所の働きに叶うのです』」 (完)


1255 2024.03.11 ~ 1259 2024.03.15

Q.転生は本当にあるのでしょうか?

A.フォン・カラヤンは、魂の不滅、転生を信じていました。自分のいのちの中心には、「素晴らしい音楽を追求・創造してゆきたい」という強く、激しい、揺るぎない意志が存在している。こんなにも強く激しい意志が、肉体がなくなったぐらいで消滅するはずがないではないかと語っておられました。

「魂」というボールの中心点には、いのちの「根本意志」が存在していて、それは『どこまでも、大きくなろう、より高く成長してゆこう』という意志です。この意志はどのいのちにも共有されているので、「共有(根本)意志」ともいいます。その外側の層に、その人が今生で担う「役割意志」の層があります。その二つの意志が、その意志実現のために使用する乗物、「心の体」、「肉の体」を、二つに意志層の外側の層に持っているのです。

地上世界で亡くなると、「肉の体」は消滅しますが、それより内側の三層の魂は残り、地上での生の総括と反省が終わると、次の地上人生のあらすじを描いて、再び「肉の身」をまとって降臨します。さらに学習をすすめ、より高く、より大きく成長するために…。 永遠生命の自覚とは、その根本意志の強さ、激しさ、揺るぎなさに気づくということです。人生にはいろんなことがあります、泣いても笑っても、怒っていても、悲しんでいても、どんな時も魂の「方位磁針」は、「限りない成長進化」を指して不動です。

「好雪片々(こうせつへんぺん)、別処(べっしょ)に落ちず」という禅語があります。雪が降り続いています。雪の一片(ひとひら)、一片、風に任せて取りとめのない、ばらばらの方向に落ちてゆくように見えるけれど、実は、どの一片にも同じ力(重力)が常にはたらいているのです。この重力に相当するのが、「根本(共有)意志」ですね。

人だけでなく、植物にもこの「根本(共有)意志」が、人よりも純粋な形ではたらいています。樹や花と対面して心をかよわせると、魂の永遠性の神秘について教えてくれます。『無門関(むもんかん)』の「庭前柏樹子(ていぜんはくじゅし)」という公案は、この根本(共有)意志をテーマにした問題です。

しかし、地上では自覚できなくても、あっちの世界にゆくと、誰でもそのこと(魂の永遠性)が自明のことなので、今生で悟ってやろうなどとあせる必要はありません。(完)


1250 2024.03.06 ~ 1252 2024.03.08

(方角や風水などに過度に神経質になっている人に) 

風水を気にされる前に、もっと大切なことがあります。それは、あなたがいま住んでいらっしゃるお家を愛して、大切に、大切にお世話してあげることです。

そのように、慈しみの念をこめて大切に扱ったモノには愛念がこもり、やがていのちが宿り、今度は、そのモノがあなたを護ってくれるようになります。「トイレの神さま」が、はじめからいらっしゃるわけではなく、丁寧にお世話したトイレには、そのあなたの愛念が籠って、ついにあなたを護る神さまとなるのです。

そのように、モノをお世話してゆくと、『このモノは、ここに置いてあげたほうがいいなあ』、『ここをこう改造してあげるともっと輝くなあ』と自然に分かるようになります。モノが適切な位置を教えてくれます。そうすると、自然に風水の法則に則った配置が整ってゆくのです。

風水の法則をあまり神経質に守ろうとすると、不安の念がドンドン大きくなって、その不安の念が不幸を引き寄せるということがあります。気をつけて下さい。


1253 2024.03.09 ~ 1254 2024.03.10

Q.「イノチ」と「魂」の違いが分かりません。

A.「いのち」は「意の霊」で、「意」は「意識」、「霊」は「霊体」のことで、そのカラダには2種類あって「心の体」と「肉の体」です。「いのち」は、このように三層構造(意識と心体と身体)で、古事記の冒頭の造化三神は、この「いのち」の三層構造を示しています。

しかし、「いのち」という言葉は、構造を示すには都合がいいのですが静的な感じがするので、いのちのダイナミックな作用、転進進化の方向性などを示すには、コロコロ転がる、ドンドン成長し大きくなってゆく「タマ」で象徴した方がいいわけです。そこで、「タマシヒ(魂)」という言葉を使います。「シヒ」は、「進化のゴールをめざす激しい(シ)、霊的エネルギー(ヒ)」のことです。(完)


1247 2024.03.03  ~ 1249 2024.03.05

Q.瞑想と坐禅の違いを教えてください。

A.「瞑想」は、イメージしたり、集中したりする努力があります。その分「アタマ」がはたらいているのです。また、その「アタマ」の努力には合格があったり、不合格があったりします。思うように瞑想出来ないとイライラ自分を責めたり、不合格だと落ち込んだりしがちです。

「坐禅」は、坐禅の姿勢をとってただ坐るだけでいいのです。「カラダ」で坐るので、「アタマ」で坐るのではありません。ですから、「いい坐禅」、「悪い坐禅」という区別はありません。ただ「坐禅」という姿勢をとるだけです。

「坐禅しても雑念だらけで…」とおっしゃる方がいますが、雑念とおっしゃるのは、それがいけないと自分勝手に判断しておられるわけですね。一時間先に起こることも、千メートルで起こっていることもさっぱり分からない程度の、そんな性能が悪い「アタマ」の判断を信用してはいけません。そんなお粗末な「アタマ」をしばらくお休みにして、ただ「カラダ」に任せて坐ろうというのです。

それだけで、不思議なことには心が休まり、日常生活で消耗していたイノチが自然と充電されてゆきます。なぜか人生が好転してゆきます。なぜそうなるのかは分かりませんが、人類は六千年も前から、カラダを坐禅の形に組んで坐ってきました。効果がない姿勢なら今に伝わっているはずがありませんね。(完)


2024年3月23日土曜日

3375「うつと霊」2024.3.23

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月13日「うつと霊」と2024年03月15日「謙虚な心、闇の心」の2つの記事を紹介します。


「うつと霊」

今日はうつ病や、その他の病気について書きたいと思います。

記事の中に霊体のお話も出てきますのでご興味のない方は遠慮なくスルーされてくださいませ。

小林正観さんの うつからの脱出の方法についてご紹介します。

<引用開始> 


『それはうつ病の特徴でもありますが、

私自身も若い頃に二度、そういう経験があったのでよくわかりますし、

ひとごとではありません。』

小林正観さん自身のウツ症状について書いてある一文です。

ウツ病というのは、それを持ち込んでくる霊体があり、それが憑くと発病、離れれば治る。

笑顔や明るい言葉が、ウツの霊体は嫌い。

楽しくなくても【祝福神】(以下の7つの言葉を正観さんはそう名付けた)

・うれしい

・たのしい 

・幸せ

・愛してる

・大好き 

・ありがとう 

・ついてる

を言う。笑顔を作る。

一週間に3000回以上も言い続け、ウツ病が治ったという報告があった。

『宇宙を解説百言葉』より

<引用終了>

 

この病気には、ずいぶん多くの方が悩まされています。

それだけ世の中がすさんできている証拠だと思います。

ご本人はもちろん、ご家族の方も、本当にお辛いですね・・

小林正観さんは、人生好転の方法として、

よく言霊を教えていらっしゃいます。 斎藤ひとりさんもそうですね。

それはきっと、「南無阿弥陀仏」 のように 

一般の私達にとって、簡単でとっつきやすく、そして継続がしやすいからだと思います。

そしてそれらの言葉の秘められた力ももちろんあります。

幸せになる方法を理屈でどうこう説明されても、

なかなかそれを正しく理解して実践する事は難しいですので、 

この言霊の方法は、本当に素晴らしいと思います。

正観さんも若い頃、うつ病だったのだそうです。

そう言えば「置かれた場所で咲きなさい」の渡辺和子さんも、50代でうつ病を発症しました。

ですから、今、この病気にかかって苦しんでいる沢山の皆さん。

決してあきらめる必要はありません。

勇気を持って下さい。 絶対に治りますから。大丈夫です。

正観さんの教えてくれた方法は単純です。

・うれしい

・たのしい 

・幸せ

・愛してる

・大好き 

・ありがとう 

・ついてる

を何度も何度も、繰り返し言うことだけです。

(声に出さなくても結構です。気持ちがこもっていなくても結構です)

宇宙の法則に、似合わないことは起こらないと言うものがあります。

似合わないことは起きない!

だから「うつ」や「パニック障害」が似合わない人になることが、

この病気から脱出する近道なのです。

斎藤ひとりさんはこんなことを言っています。(姿かたちから入るやり方です)

要するに、不幸や苦労が似合わない格好すると、そういうこと(不幸や苦労)は起こらない。

「もっと、しあわせ」になれるよ、ということです。

不幸や苦労が似合わない格好とは何かというと、 

まず明るい色の洋服を着ること。

キラキラ光るアクセサリーを身につけること。

髪にもつやを出し、靴はきちんと磨いたピカピカのものを履くこと。

こういうふうに明るくて華やかで輝きのある恰好をして、

顔がつやつやの人は、どう見ても「しあわせそうだなぁ」としか思えません。

苦労や不幸はまったく似合わないのです。

似合わないことは起きないのですから、幸せな人に変わってきます。

また失恋して落ち込み、死にたいと相談に来た人がいるとします。

そう言う時は、まずは「腹ごしらえをしよう」と餃子の王将に連れて行きます。

そこで、どんどん餃子を頼み、食べさせます。

すると、死にそうな人が、油ギトギトな餃子をほおばる姿は似合いませんから、

その人から「死にたい」という意識は消えていきます。

正観さんの教えてくれた方法

・うれしい

・たのしい 

・幸せ

・愛してる

・大好き 

・ありがとう 

・ついてる

を最初言うのは辛いかもしれません。 

ですが、頑張って続けていけばクセになります。 

そうするといつの間にか病気から脱出している。。 ということです。

病気で苦しんでいる皆さんが、どうか、お幸せになりますように・・・

 



「謙虚な心、闇の心」


今日は仏陀(釈尊)の弟子のなかで、一番頭が悪く、愚かだといわれていた、

周利槃特(しゅりはんどく、チューダ・パンタカ)という人のお話をします。

私たちは、日々の生活の中で

・何かと自慢し、マウンティングを取ろうとしたり

・陰で人の悪口を言い、相対的に自分は優れた者と認められたいと思ったり

・他人の話にすぐ口をはさみ、「自分は、自分は」と認められたがったり

・凄い人と知り合いだと自慢したり

・人の幸せを喜ばず、陰で足を引っ張ろうとしたり 

無意識のうち、強い自我に

心に闇を広げる者もいます。 

私たちだれもが、心のクセや条件反射で、同じような悪魔の意識に支配される時もあります。

生きている間は肉体に付随する感情や生存本能があるため、どんな聖人君子であっても、それは免れないことかもしれません。

ですが、ふと、そのことに気づいた時、直ぐに方向転換をしないと、ビッシリと罪穢れに覆われてしまいます。 

それでは、一番愚かな弟子だったチューダ・パンタカのお話です。

<引用開始> 引用元

 

仏陀(釈尊)の弟子のなかで、一番頭が悪く、愚かだといわれていたのが、

この周利槃特(しゅりはんどく、チューダ・パンタカ)という人です。

どのくらい愚かだったかというと、

ときどき自分の名前すら忘れてしまうほど、頭が悪かったそうです。

周りの弟子達からバカにされていた周利槃特は、あまりの自分の

愚かさを嘆いて、仏弟子をやめようと思って仏陀のもとを訪れます。

「仏陀よ、私はあまりに愚かなので、もうここにはいられません・・・」

その時、仏陀が彼にこう言います・・・

「自分を愚かだと知っている者は愚かではない、自分を賢いと思い上がっている者が、本当の愚か者である」

すっかり弟子をやめようと思っていた槃特は一瞬キョトンとします。

そして、仏陀はこう続けます・・・

「おまえの一番大好きなことはなんだね?」

槃特は、「はい、私はそうじが好きです」とこたえました。

「そうか、おまえは多くのことを憶えられないようだから、その大好きなそうじをしながら、このように唱えるがよい」

「塵を払い、垢を除かん」(ちりをはらい、あかをのぞかん)

「はい、それなら、私にもできそうです!」

「そうか、ではがんばるのだよ・・・」

仏陀にそういわれて、嬉しくなった槃特は、たまに忘れそうになりながらも、

「塵を払わん、垢を除かん」(ちりをはらわん、あかをのぞかん)

と唱えながら、箒をもってそうじをしていきます。

一年、二年、五年、十年、二十年と、ひたすらにやっていきます・・・

その姿勢に、始めはバカにしていた他の弟子達も、次第に彼に一目を置くようになります。

やがては、仏陀からいわれたことを、ただ黙々と、直向きに、淡々とやり続けるその姿に、槃特を心から尊敬するようになりました。

そして、ついに槃特は、仏教でいうところの「阿羅漢(アラカン)」の境地に到達します。

「阿羅漢」とは、反省修行をおこなって、心の汚れや曇りを落とし、第一段階の悟りを得ることです。

ある日、釈尊は、大衆を前にしてこう言いました。

「悟りを開くということは、なにもたくさん覚えることでは決してない。

たとえわずかなことでも、徹底して行うことが大切なのだ。」

「見よ。周利槃特は箒で掃除することに徹底して、ついに悟りを開いたではないか!・・・」 

<引用終了>

  

イエスもこう仰いました。 

あなたがたの中で、人よりも偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。

あなたがたの中で、人の先に立ちたいと思う者は、皆の僕(しもべ)になりなさい。 

私が、私がと、何が何でも人に注目され、尊敬を得たいと思うよりも、 

・謙虚な人、

・進んで人々のために奉仕しようとする者

・決して目立って表に立とうとはせず、人知れず縁の下の力持ちに徹しようとする者

神様は全部見ていらっしゃいますから、そんな人を愛するのではないでしょうか? 

そんな人に、まず幸せになって欲しいと思うのではないでしょうか?

もう心の時代、物ではなく、一人一人の心が大切にされる時代に入っています。

悪しき心は誰にでもあります。

ですが、それに気づいた時、心から反省し、改めようとするのか? 

それとも、楽な道、つまり、今まで通り見て見ぬふりをして、やり過ごすのか? 

道は分かれ、行きつく先は全く異なる場所となります。 

自我の限りを尽くした人々の地球はこうなるかもしれません。

私たちの心こそが、生きる世界を構築し、その世界を天国にも、地獄にさえも変えてしまいます。

 






2024年3月22日金曜日

3374「3つの世界」2024.3.22

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月12日の記事を紹介します。


「3つの世界」


私たちは、3つの世界を同時に生きています。 

・目に見えるこの世界

・目には見えない神仏や、霊、不可思議な世界

・心の世界 

 

以前私の学生時代、毎日一緒に吐くまで飲んだくれてた悪友、

今は大学の科学の教授が、言っていました。 

「この宇宙の98%はダークマターでできていて、目には見えない」 

エネルギー的、物理的には、目に見えない世界の方が相当大きな世界のようです。 

「スピが好き」という人は、「目に見えない世界」が好きという人が多いのかもしれません。 

目には見えない世界は、ちょっと怖いところもあるけれど、なんだか不思議で、 

ワクワクし、もしかしたらパワースポットやお札や、神仏の不思議なエネルギーで、

自分も幸せになれるかもしれない・・

そう思えるのかもしれません。 

少女のころに好きだった「本当にあった怖い話」その世界のまま大人になったのかもしれません。 

ですが、それも純粋に興味の対象、趣味の世界であれば良いのですが、 

もし万一、何か自分とは別の力に頼る気持ちがあれば、 

他者の力で幸せをつかみたい・・・  

そんな依存心のかたまり的な世界になってしまうかもしれません。 

それは結局、「自分さえ良ければ」の世界に繋がります。 

それはまさに旧態依然の、進歩の無い世界、精神の地獄の入り口かもしれません。 

また目に見える世界しか信じていない方は、神さまを信じていないのかもしれません。 

神さまは目に見えませんから。

そうすると、生きて行く上で遭遇する色んな出来事 例えば 

・生まれる

・人との出会い・別れ

・結婚、子供、家族・不仲・登校拒否・いじめ

・就職、会社でのいじめ、嫌がらせ、パワハラ、セクハラ

・ケガ・病気・事故

・貧乏な時期、裕福な時期

・幸せな時期、苦汁をなめる時期

・ケンカする時、仲良くする時

・怒る、イライラするキッカケ、タイミング

・死ぬ時

などが全て偶然に発生しており、これらに全部自分一人の力や

知恵だけで対処しなければならない・・ 

という非常に困難で孤独な立場に置かれます。

その結果、未来に対する不安でいっぱいとなり、うつ状態になりやすくなります。 

そして、最後の「心の世界」 

それは、見える世界の向こうには見えない世界が確かにある。 

でもそれだけじゃないはずだ。 

他の力に頼ることで何でもできてしまう。

一見万能のように見える「見えない世界」。 

でもその「見えない世界」の向こう側に、いつしか気持ちが向くようになり、 

心が成熟し、「見えない世界」だけに頼ることに、虚しさが芽生えた時、

意識し始める世界かもしれません。

私は思います。

個人的な思いです。

単なる主観的なことです。 

万人に当てはまるものではありません。

それは「心の世界」こそが私たちの目の前に広がる3つの世界で 一番大きな海であり、 

他の2つの世界を軽々飲みこんでしまうほどの広大な世界。 

  

その宇宙をも包み込むような大きな世界は、実は私たち一人一人の心の中にあった。 

そう思うのです。 

ですから、私たちの心が変わることで全てが変わります。 

宇宙の全てが変わります。 

見えない世界に頼り、霊的なパワーで、一見変わったように見えるかもしれません。 

ですが例え神仏や宇宙的なエネルギーであっても、その人の根本までを変えることはできません。 

神さまがこの宇宙を作った時、同時に作り終わった世界を知るために、ご自分の霊的火花を、

全宇宙空間、そして全波動的次元に飛び立たせました。 

それが私たちです。

神が作り出した美しい宇宙で、沢山の物を見て、経験を重ね、そして戻って来なさい。 

そしてその経験を報告しなさい。

そんな願いが込められていました。  

ですから私たちは今、この宇宙の空間で、自分の波動的な次元で沢山の経験をしています。 

・嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと、辛いこと

・美しい愛、友情

・裏切り 

様々な経験を積んでいる最中です。 

その最中に神様が、人間の浅はかな限られた願いによって、望まれたからと、 

一瞬にしてパワーを与え、そこから拾い上げる・・ 

そんなことが起きるわけがないからです。 

この最後の「心の世界」。 

きっとこれこそが、私たちが一番大切にしなければならない世界です。

私たちの心の中、この一番広大な世界「心の世界」には神さまがいらっしゃいます。 

どなたの中にもいらっしゃいます。 

ですから、全ての全てを、 その神さまと相談し、進んでいくことが一番安心で、良いことではないかと思います。 

そこに至るには、見える世界も経験し、見えない霊的な世界も経験し、試行錯誤の迷路を通る必要があるかもしれません。

ですが最後の最後、私たちは心の中の神さまに出会い、そして「本当は自分も神さま」だったと気付く時がやってきます。 

それが、イエスやブッダ、そして現代ではヒマラヤやチベットの聖者たちが教えている道です。 

この世界ではエネルギーは実際は見える物ではなく、見えないものから得られていると言われています。 

つまり無・静寂(=黄泉の国)の中にこそ、次に行動するための爆発的なエネルギーが秘められています。

  

そしてそのエネルギーの方向性を決めるのが、私たちの心、意識です。 

心の世界です。 

静寂の中にエネルギーがあります。

もし今、沢山の大変なこと、辛いことがあった方、悔し涙を流されている方も 

どうぞ、安心してください。

親しかった方と別れてしまった方もどうぞ安心してください。 

ぽっかりとギャップができれば、宇宙は、作用反作用の絶対的な法則の元、 

新たなエネルギーをそこに吹き込むからです。

そのエネルギーの質は、私たちの心、意識が決めています。

どうぞ、温かな優しい心、周りの方々を慈しむ心、出しゃばらず、そっと見守る愛の心、

助け合い、調和していこうとする「お陰さまの心」

今まで生かし、育ててくださった人々、友人への感謝の心でお過ごしください。 

未来の世界は今の惰性でも、延長でもありません。 

私たちの今の心が決めることです。 

皆さんがご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、お幸せになれますように。

 





2024年3月21日木曜日

3373「感謝の心」2024.3.21

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月11日「感謝の心」と2024年03月14日「最後に残る言葉」の2つの記事を紹介します。


「感謝の心」


この肉体の最後の時、

「あぁ、いい人生だったな」ってつぶやいて天に帰りたいと思いませんか? 

いい人生だなと思えるのはどんな人生でしょうか? 

・全くお金に困らない裕福だった人生

・ずっと健康で健やかだった人生

・沢山の友人、知人にめぐまれた人生 

なのでしょうか?



それとは逆に、「あぁつまらない人生だったな」って言う人生とはどんなでしょうか?

・貧乏な一生だった

・病気がちの一生だった

・ちょっとの親友しかいなかった 

そんな人生でしょうか? 

私は思います。 

良い人生だったと言えるのは、最後の最後、「ありがとう」と感謝の言葉を残せる人生

悪い人生だったと思えるのは、心に憎しみや嫉妬、恨みを残したまま逝く人生 

それは、目に見えるものや、地位や名誉、健康などに依存しません。 

ただ自分の心の持ちようだけです。 

心が、肉体の最後を迎える時、どのような状態であったか? 

でもそれは死ぬ時だけに限った話ではありません。 

空海は仰いました。

「生きているうちに、天国にも地獄にも、生きることができるのだよ」って

このことを即身成仏と言います。 

そして死の直前の意識状態は、死後の世界にも大きな影響を与えます。

肉体が無くなれば、波動の世界。 

思ったこと、考えたことがすぐさま現実化する世界ですから、

死の直前の心の状態が、そのまま自分の周りに出現します。 

私たちは神様と同じように創造する力を与えられているからです。

タイムラグはありますが、この生きている物質世界でも同じことです。 

ですから、

・よりよく生きるとか

・感謝の人生を送るとか

・周りの人たちと仲良く助け合って生きていくなど 

そのように生きていきたいならば、自分の心をそのような状態にしておけば、

自然と、周りが整い、心と同じ状況が出現します。 

何時までも状況が好転しないのは、 自分の心の中に 

・社会や誰かを憎む心

・呪う心

・嫉妬の心 

などが巣くっていて、何時までも黒い霧、無明が晴れないからです。 

苦しい状況が現れる時、

神様は、同じくらいの祝福を、後ろ手に持って用意してくださっています。 

一旦、自分の置かれている状況を受け入れ、許し

「ありがとうございます」と感謝の言葉を言うことができた時 

無明は晴れ、神々の祝福がふんだんに表れてくることでしょう。

神々の恩寵は、「感謝の心」を媒体とするからです。

  



「最後に残る言葉」


今日もご縁のある方々に「心を洗う」お話をご紹介します。 

ほぼ毎日、心についていろんな角度から書いています。 

もう何年も前から書いています。 

実際に素直に実践されて、幸せになられた方も沢山いらっしゃいます。

ワクワク、ドキドキするような不思議話ではないので、退屈になって、ご縁が切れてしまう方もいらっしゃいます。 

現在、地球自体が精神性復活の時代に入っていますから、魂の向かう方向性が異なれば、 

自然と離れ、逆に方向性が同じなら、魂の共鳴現象が起こり必ず交わることになるでしょう。

ますます、その傾向が強まりつつあります。 

自分の好み、嗜好、信じる次元と空間、パラレルに進むだけです。

今日も、大切なテーマです。 

ブッダの教えの神髄も日本人の心に古代から刻まれた神道も 

その根本は感謝の心です。

全く別の角度から、宇宙の真理にアプローチした結果

たどり着いたのが感謝の心です。 

では、感謝の心の大切さについて、春日大社の元宮司、そして日本の形成外科医の草分けであった葉室頼昭さんの言葉から紹介します。 

<引用開始> 神道 感謝のこころより

  

そこに、そうしたモノがあると、思い念じることから現れてくることを「認める」といいます。 

それがどんなものであれ、認めたことが現実に現れるというのは本当のことだと昔から信じられてきました。 

人はいろいろなことで悩みますが、これも自分の中でそれを認めるからでてくるのであって、認めなかったら出てくるはずがありません。

例えば、何でもない人ががん検診を受けて、「私はがんなんだ」と思っていると、本当にがんになってしまうようなものです。 

何かにすがりたい一心で、神社にお参りに来られる方があります。 

その方々に、私は、神様とご先祖に感謝を捧げてお祀りすることをお勧めしています。

すると、損得勘定なしに無我になってご先祖を認めて感謝する方は、そのお力が直接、体の中に入って、みんな良くなっていきます。 

「生かされる」ということです。

医学的には、ぼちぼち治るということはありません。

病気は、治るものではなく、瞬間的に消えるものなのです。

病気が消えないのは、その人が少しでも病気を認めているからなのです。 

ですから、病気で悩んでいる方には「健康にして頂いてありがとうと感謝してください」と言います。 

自分の病気を治してくださいと願ったり、それを言葉に出して言うのは、自分が病気であることを認め、それを治して欲しいという我欲ですから、言葉通りに病気が出てきてしまいます。

自分が認めているのでは、どうすることも出来ません。

ですから、「病気」ではなく「神様、ご先祖様」を認めたらよいのです。 

けれど、中には頑固な人がいます。

「私はお医者さんにこう言われた。医学ではこうなんだ」と言い張って、こちらが何を言っても譲らない人です。

そういう風に自分中心の視点から判断し、不平不満や悪いことばかりを口に出して認めていると、それが現実になって出てくるのです。 

「神様ありがとうございます」と口にすれば、神様を認めることで、神様からのお恵みが授かります。 

ただし、それは毎日しなければなりません。 

今日は認めたけれど、あとは一ヶ月後に認めようなどということはありません。

われわれは毎日生きているのですから、毎日認めることが大切なのです。 

<引用終了>

  

私も実際に体験し、自分自身で実証していることも沢山ありますが、あまり公の場で公開するのも差しさわりがありますので、具体的な実例はお会いした方だけにお話しています。 

またそのエッセンスはこうしてブログで書き続けようと思っています。

何かにすがりたい一心・・・

私たちは、何か辛いこと、悲しいこと、苦しいことが起こると、そこから抜け出したくて、

力のありそうな誰かに頼ったり、縋(すがったり)ったりします。 

私達人間は心弱い者ですから、それも致し方ありません。 

そうすることで、一時だけ好転したかに見えることもあるかもしれません。 

ですが、それは一瞬だけです。

何故なら、私たちを取り巻く現実は、私たちの心が作り出しているものだからです。 

私たちの心が変わらなければ周りの現実も変わりません。 

たとえ神様仏様であろうと、私たち自身の心が変わらなければ助けることができません。

それに気づかず、いえ、気づこうとせずに、一生を終える方も居ることでしょう。 

ですが、それも「その方法、考え方では、上手くいかない」という学びを、一生かけて学んでいることなので、周りは口出しできません。 

例え、家族であっても・・神々の恩寵は、私たちの感謝の心を媒体として現れます。 

感謝の心は、良い時だけ感謝する、、と言うことではありません。

逆境の中に置かれてさえ、私達を見守り、魂の成長を願ってくださる内なる神さまに、感謝することこそ大切なことです。 

最後に一つのエピソードをご紹介して終わります。

  

あるおばあさんが認知症になり、言葉もだんだん忘れていったそうです。 

そして最後に残ったのは三つの言葉だけ・・・ 

その内の1つが「ありがとう」だったということです。 

皆さんは、もし、ご自分が同じ立場だったら、最後に残るのは、どんな言葉ですか? 

きっと、普段一番 口にしている言葉なのでしょうね。

多くの方の最後を看取ってきた医師が、次のように語っています。

私達の人生の終わりの時は、私達がどのように歩んで来たかにかかっている。 

普段から感謝の心で歩んでいる人は、最後の時になっても感謝の心がでてくる。

しかし、いつも恨み・つらみを持っているなら、終わりもそのようになっていく。 

そして、その終わりは黄泉の国でも、続きの同じ世界を自分で作ってしまうことでしょう。 

つまり 死を境に人間の思考、住む環境は変わらないということです。

ここでも、心の浄化の重要性が良くわかります。

 

2024年3月20日水曜日

3372「一途な心」2024.3.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月10日の記事を紹介します。


「一途な心」


世界で性善説の心を持つ国は、ほとんどありませんが、

日本人は、そのような心で縄文の昔より生きてきました。 

優しい心、和の精神です。 

それに対しほとんどの世界各国は性悪説

つまり人は、放っておけば悪いことをする。悪い心を持つ・・ 

猜疑心と対立・闘争の精神です。

そのような意識で、世界は長い歴史を刻んできました。 

この違いは非常に大きく、現在世界は戦争状態にありますが、

見えない世界、つまり意識の世界では、見えない心を大切にする 霊主体従(日本の心)と、

お金を中心とした唯物主義の、体主霊従の心との戦いでもあります。 

大和心(やまとごころ)と漢意(からごころ)の戦いと言っても良いかもしれません。 

今、時代の大きな変換点にいるわけですが、意識の世界の戦いにおいて、

その中心に置かれることは、日本人の定めかもしれません。 

 

太陽神ラー


かつて世界は太陽信仰の時代でした。 

日本で太陽神と言えば天照大神。

太陽は東から登ります。 

東の最果ては、日本列島です。 

 

逆さ地図と呼ばれているもの 

多くの民族が、太陽神へのあこがれから東の果てである日本を目指しました。

その中には、もちろんユダヤの民も含まれていました。 

その証拠として、日本でもユダヤ人とみられる埴輪が多数発掘されています。

高い帽子、伸びた髭、豊かなもみあげをもつユダヤ人埴輪。 

聖徳太子の時代、彼らは秦氏一族として大陸から渡って来て活躍したようです。 

その中の秦 河勝(はた の かわかつ)は、

秦氏の族長的な人物であり、聖徳太子に強く影響を与えた人物とされています。 

日本の文明の発展によく尽くし、日本人の中に溶け込みました。

私も以前、秦氏の末裔の秦さんと仕事をしたことがありますが、非常に賢く有能な方でした。 

神々によって作られた日本人の縄文のDNAは、この才能あふれる秦氏一族までも、

日本と言う国で和合してしまったのです。

このようなDNAが私たちの中に脈々と息づいています。 

時間はそれから千数百年たち、物質文明の頂点、欲望の頂点を極めた文明が音を立てて崩れ、私たち一人一人の心が大切にされる時代に移行しようとしています。 

その最中に於いて、今非常に困難な時を私たちは過ごしています。

この過去の悪徳の時代を終わらせ、神々の光の時代に変えるのは、もしかしたら私達平凡な日本人が持つDNAかもしれません。 

私達一般の人ができることは、 

・自分自身や周りの人の心を大切にすること、

・周りの人に思いやりを持つこと

・自分の足で立ち、自立しようとすること 

そのような心の持ちようです。 

さて本題に入ります。

 

私たち日本には、素晴らしい文明があります。

それは、古い古い時代。 

4つのプレートがぶつかり合う場所に置かれ、氷河期の終了とともに、大陸から列島が分かれ、山や川など美しい自然とともにはぐくまれた日本人の心です。

  

まさに、この日本の心をはぐくむために、神々が意図した地政学上の雄大な変化です。 

私たちの日本人の心は、全ての物の中に神々を見出し、感謝と尊敬。

お互い様、おかげ様の心を培い、助け合って生きてきました。 

まさに神々の世界の顕現です。

ですが、時代が下るとともに、西洋文明の流入、戦後の敗戦処理 

それらによって日本人の尊厳は粉々に打ち砕かれました。 

ですが、私たちの心の見えないところでは、

何千年もかけて、神々や祖先によって受け継がれてきた気質やDNAが存在しています。 

今、精神性の復活の時代が幕を開けましたが、2つに分かれようとするこの地球に置いて、

この日本人の良き心を復活させることは非常に重要なことだと思います。 

 

分裂する地球

それは、

・力のある誰かによってなされることではなく

・神々に頼っていれば何とかなることではなく

・素晴らしい過去世を持つ人が何かをしてくれるわけではありません。

私たち一人一人が、日々の生活を送る中で

我欲によって引き起こされる罪や穢れを祓おうという意思を持ち

感謝と、思いやりの心をもって生きることこそが大切なことです。

美しい地球、そこに住むみんなの幸せは

そんな平凡な人々、つまり私たちの心の中から始まります。 

今日は雑宝蔵経という仏教経典の中のお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

 

とある場所に、神様の御神体でもあります山の中腹に、大きな鎮守の森がありました。その鎮守の森には、たくさんの動物たちが、仲よく平和に暮らしておりました。

そこに、ある日、一羽のオウムがエサを探し求め道に迷い、鎮守の森に紛れ込んでしまいました。

つまり、迷子になってしまったのです。

オウムはなんとか鎮守の森から外に出ようと飛び回りましたが、自分がどこにいるのかもさっぱり解りません。 

 

そうしている内に、とうとう日が暮れてあたりが暗くなってきてしまいました。

オウムはとても心配で不安に思いながら、自分の家の方向さえも解らず途方にくれていたのです。

日がどんどん沈み、あたりも暗くなるにつれオウムの気持ちも寂しく、しょんぼりしていた時、鎮守の森のさらに奥深くから鳥や獣などの動物がさくさん出て来ました。 

すると、その動物たちは、「ねぇねぇオウム君、君は道を間違えてしまったのだよ。

オウム君の家までは、ここからずっと遠いところだから今からでは帰れないよ。

明日僕たちが送って行ってあげるから、今夜は僕たちの家にとまりなよ」ととても親切にしてくれました。 

オウムも優しい動物たちの言葉と不安な気持ちでいたことから、動物たちの家に泊めてもらうことにしました。

動物たちは「きっと、オウム君は道に迷い、不安で寂しい気持ちになっているに違いない」

「だから今夜は、オウム君がちゃんと寝るまでは皆で順番にオウム君の側にいてあげよう」

と動物たち皆で話し合い決まりました。

「ここに木の実があるから、お腹いっぱい食べてね。あそこにはとても美味しい水があるよ」

「何も心配いらないから安心してね」と動物たちはオウムにたくさん声を掛けあっていました。

オウムもすっかり動物たちの優しさに慣れて、とうとうくたびれて寝てしまいました。

その様子を観ていた動物たちも夜中にオウムが起きて悲しまないようにと、

皆でオウムの回りをぐるりと囲むように一緒に寝てくれました。

翌朝、空は晴天です。朝日に照らされながら、オウムは鎮守の森の動物たちに賑やかに送り出され、オウムが家に帰れるところまで一緒に付き添ってくれました。

そうして、無事に自分の家に着くことが出来ました。

家に着いたオウムは、あの山にいる動物たちの優しさが嬉しくてたまりません。

仲間の動物たちにも昨夜の話を自慢げにたくさんしていました。

そんなある日、優しくしてくれた動物たちの山の方を見ると、

親切に優しくしてくれた動物たちの山からたくさんの煙が立ち上っています。

オウムは驚いて、急いで動物たちが暮らしている山の方へ飛んで行くと、なんと!山が大火事になっているのです。

 

オウムはいてもたってもいられません。

そこでオウムは、すぐさま川に飛び込み、自分の全身を濡らしては飛び立ちました。

しかし、川から山火事の場所に着く手前で、ほとんど体から水が落ちてしまい

山の上空で体を振っても2.3滴しか水が落ちません。

でも、オウムは諦めようともしません。

なんども何度もオウムは川に飛び込んでは自分の身体を濡らし、燃えさかる山に飛び立ち火事の上空で体を振って2.3滴の水を落としています。

その時、近くの木立でオウムの様子を見ていた他の鳥たちが、オウムを嘲笑います。

「オウム君、君が運んでいる水であの山火事を本当に消せると思っているのか?」

「無駄なことは止めな」

「そんなことをしたってくたびれるだけだよ」

などと言いながらオウムを皆で笑っています。

この時オウムは、自分を嘲笑う鳥たちに言い放ちます。

「確かに、僕の運んでいる水は僅かです」

「あの山の火事は消えないかもしれない」

「だけど、僕が鎮守の森で迷って、困っている時に、僕に親切にしてくれた友達が、あの山にいるんです」

「僕を助けてくれた友達が苦しんでいると思うと、僕はいてもたってもいられない」

「だから、僕は絶対に止めない。僕は水を運び続ける!」

と言って一生懸命に水を運んでいます。 

すると突然、さっきまで晴天だった空が曇りだし、大粒の雨が降って来ました。もの凄い大雨です。

オウムもビックリして茫然としていると、その大雨のおかげで山火事はたちまち消えていました。

<引用終了>

 

似たようなお話に「ハチドリのひとしずく」というお話がありますね。

大切なのは、今、自分が出来ることは何かを考え、どんなに人から馬鹿にされ、蔑まれようと、それを実行する勇気なのかもしれません。

・物語の中に登場してくる鎮守の森の動物たちの親切さ

・困っているオウムに対する優しさ

・なんら見返りを求めず、自らオウムに積極的に話し掛けてくる動物たち

私たちの日常生活の中でも同じような光景があります。

一生懸命に努力している人を、努力をしない人が

・得にもならないことをよくやるな

・そんなことしても無理だ

そう言います。

でも困っている人を見て、その心情をくみ取れる繊細な感受性を持ち、

居てもたってもいられずに、「助けたい」と云うただ一心で、

純粋な心で行動する人たちも確かに存在します。

そのような心根を神々が放っておくはずがありません。

どんなに困難に見えることであっても

その心根が「人を助けたい」という純粋で一途な気持ちであれば、

その決心をしたとたんに、一気に周りの次元が上昇し、

周りの状況が協調して助けに回って動き出すことでしょう。

それをサポートオブネーチャー、神仕組みの発動と言います。

全ては、私たちの心にかかっています。

静かな場所で、自分の心を見つめなおし、内観してみれば

自分の心は、今 どちらの方向に向かっているかすぐにわかります。