今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年02月20日「一人じゃないよ 私のいのち」と2024年02月21日「憎しみからの解放」の2つの記事を紹介します。
今日は「命の大切さ」についてのお話です。
私たちの周りには、一つとして、
・いらない命
・無駄な命
・軽蔑してもよい命
・尊厳を踏みにじってもよい命
などありません。
私たちは、周りの全ての命と繋がり、生かされ、そして育まれて来ました。
沖縄の音楽の先生、下地なを美さんが、いじめによる苦しみから自殺する子供達を愁い、
子どもたちに歌を通して命の大切さを伝えようと、オリジナルソング「つながるいのち」を作詞作曲されました。
ご紹介します。 転載元
尊い子供達の命の灯が、一¬つでも消えませぬように・・
〜つながる いのち〜 下地なを美
なぜ生まれたの だれもが思うの
ひとり寂しい時 そっと涙ぐむ
あの星の光が 私に言うの
大丈夫 守ってる ひとりじゃないよ
ひとりじゃないよ 私のいのち
今は寂しくても 泣かないで歩こう
つながってきた 私のいのち
大切に守って 明日へとつなごう
ポツンと座わってる 蛍のような
私のこの灯り だれも消さないで
生まれたその訳を 星は知ってる
この世で光りなさい
授けられたの
授けられたの 私の光
今はちっぽけだけど 輝いているんだ
つながってきた 私のいのち
大切に守って 明日へとつなごう
私のこの腕が 私の足が
共に今生きている 支えてくれる
この胸の鼓動が 私に言うの
大丈夫 守ってる ひとりじゃないよ
ひとりじゃないよ つながるいのち
億千万の星 巡って生まれた
つながってきた 私のいのち
大切に守って 明日へとつなごう
ひとりじゃないよ 私のいのち
つながっているんだ 私の明日へ
<転載終了>
いじめが原因で自ら命を断つ子供たちがいます。
いじめは、本人だけでなく、様々な影響を周囲に及ぼします。
そしてその影響力は、長期間にわたります。
大切に大切に育ててきた我が子が、苦しんでいる姿を見る親も、心に深い深い傷を負います。
いじめは、子供たちだけの問題ではなく、大人の間でも発生しています。
いじめや、心ない言葉、悪意、嫉妬、疑心暗鬼、誹謗中傷、そのようなもので、傷つく人が沢山います。
そして何より、いじめた本人もいつか、同じ苦しみを味わう時が来るでしょう。
与えたものが、受け取るもの、私たちの住む宇宙には、その法則があるからです。
つながる いのち・・・
目の前の命を、しっかりと見つめること
・家族、友人、同僚
・好きな人
・嫌いな人
・目の前に立ちはだかる人
・邪魔をする人
・足を引っ張る人
・悪口、陰口を言う人
・意地悪をする人
・疑う人
・私たちを、無条件に信じ、愛してくれる動物たち
・季節ごとに、美しい顔を見せてくれる植物
・春夏秋冬、優しさ、厳しさを見せてくれる自然
・私たちを慈しみ育んでくれる 地球
私たちは、沢山のかけがえのない命に囲まれています。
どれ一つが欠けても、今の私たちには なれませんでした。
みんな尊い、尊い存在です。
大切な命です。
皆さんと、皆さんのご家族が、そして、お友達が、お幸せでありますように。
輝く笑顔でありますように。
「憎しみからの解放」
今日は「どうしたら憎しみを消すことができるか?」と言うお話です。
心の中から憎しみを消さないかぎり、本当の幸せを手に入れられないからです。
よく、「不平不満・愚痴や悪口などは、思ったり口にしたりしない方が良い」と言われますが、それは取りも直さず、自分の中の神さまと繋がり、本当の幸せを掴むことが、自分の力でできるようになるからです。
私たち凡人は、なかなか心の内の、「憎しみ」を消せない時があります。
そしてその結果、現実の生活では様々な艱難苦難に遭遇していきます。
その憎しみの対象は、家族に対してのことがダントツに多いようです。
親や配偶者など。
ですが空海の仰るように、心というのは、生きていても、死んでからも同じ、憎しみや怒りに執着して凝り固まっていたら、天からの光に気づかない。
無意識に拒否する。
だから、死後も成仏できない。
死後も同じ状態のまま、長い長い地獄のような生活を送らなければならない。
すべては本人の心の問題。
が真実のようです。
肉体があろうと、亡くなって肉体が無かろうと、心の状態は変わらない。
死んですぐに仏になるわけではない。
ですので、このことが空海が言う、生きているうちに「幸せ」を掴まなくてどうする?
という「即身成仏」の教えに繋がってきます。
空海は生きているうちに仏になれるんだよ・・ と教えています。
ここで言う仏とは、心の状態が穏やかで平和で幸せと言うことです。
生きているうちに憎しみ、怒り、執着から離れることで、天の光に気付き、幸せになることが出来ると言っているわけです。
もし心が、憎しみ、怒りから離れなければ、死んだ後も、同じ状態が続くと仰っています。
でも、そこには仏の慈悲があります。
生きている間には、いろんな人と接することで、気付きをもらうことが出来ます。
私達は、今こうして生きています。
それぞれが置かれた環境は異なります。
楽しさや、苦労の度合いも人さまざまでしょう。
ですが、私達は色んな個性の人達に囲まれ、
・好きな人に囲まれ、
・嫌いな人に囲まれ、
・人を好きになったり、
・嫌いになったり、
・嫌われたり、
様々な経験を積み重ねていくことで、沢山の気付きを頂くチャンスに恵まれています。
もし、私達が自分の置かれた環境で、その様々な境遇に感謝して、明るく前向きに自分の精一杯の生きざまを示すことができたならば、きっと私達は生きながら 仏の気持ちになれるかもしれません。
生きながら幸せになれるかもしれません。
私達、誰一人も例外なく、その様な恵まれた環境に今置かれています。
例え、苦しく感じる環境であっても、それは実は私達の心にとっては、神さまが準備してくれた素晴らしい環境であるのかもしれません。
最後に空海のお言葉を紹介します。
生きとし生けるもの、すべてに命があり、心がある。
そのことを忘れてはいけないよ。
すべては、一人一人の命の働きから始まるのだ。
難しく考えることはない。
素直に生きて、皆に感謝をしなさい。
そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。
さすれば、道は開くであろう。
空海が生きていた当時の日本で、
仏教は朝廷の強力な推薦もあり民衆の間に広まっていました。
ですが当時の(奈良)仏教は今ではなく、死んだ後の来世の幸せを説くものでした。
ですが空海は、今、生きている今ここで幸せになれると説いたのでした。
そして、その方法こそが、素直に生きて、皆に感謝をしなさい。
そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。
だったのです。
魂が喜ぶとは・・
自分の良心、自分の中の神様が喜ぶこと。
良心に従った生き方です。
皆に感謝とは・・みんなに「ありがとう」と言う事です。
素直に生きて、皆に感謝をすることで、今、この生きているうちに「本当の幸せ」を手に入れることが出来ると、空海は仰っています。
不平、不満、愚痴、悪口も良いでしょう。
・むり、
・どうせ、
・だって
と言い訳や、後ろ向きの言葉を使うのも良いでしょう。
ですが、もしそれに疲れてしまったら、この空海の言葉を思い出してみて下さい。
きっと空海の仰る通り、生きている今、幸せになることが出来るかもしれません。