今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月20日の記事を紹介します。
「お彼岸に当たり」
今日は彼岸の中日 2/20。ご先祖を供養する日です。
ここ最近、「先祖供養」について書かなければ・・と、何者かにせかされていたのですが、
今日は良き日ですし、私も仕事がお休みですので書こうと思います。
日本は、世界でもまれなる国です。
ずっと古より、黄泉の国、神の国、見えない世界を意識し繋がろうとしていた国です。
このような国は外国では見当たりません。
祖霊祭祀や先祖供養と云うものは、縄文時代には既に行われていたそうで、その形跡が残っているそうです。
私が先祖供養を何故、重視してよくここで書いているかと言うと、黄泉の国(神々の住まう国・見えない世界)とのつながりを強化することで、物質的世界に生まれて来ている私たち子孫が、多大なる恩恵を受けることができるからです。
信じない方が多いかもしれませんが、まさに最高の現世利益を受けることができるからです。
今、この生きている物質世界に置いて
・苦しいこと
・悲しいこと
・自分ではそうしようもないこと
を抱えていらっしゃる方、
そして更に
これから自分や家族に訪れるかもしれない大難を小難に、小難を無難に納めたい方は、
是非心を静め、しっかりと読んで実践してみてください。
その功徳は、ご自身だけでなく、ご家族、子孫、そして黄泉の国に帰った先祖までも幸せにし、そして、見守る神々を喜ばせることでしょう。
まずは、前春日大社宮司で、神道の最高位までいかれた葉室頼昭さんのお話をご紹介します。
※少し長いですので、お時間の取れる時、じっくりお読みください。
<引用開始> 著書「御力」より一部抜粋
神を敬い祖先を尊ぶ。祖先を祀ることの大切さ、今、我々が言うところの祖先というのは、
何代か前に初めて今の商売を始めた人だとか、今住んでいるこの地方に住みついた人とか、
何かを始めた人を指しています。
もちろんそれより先に続いている祖先がいるはずなのですが、祖先というと何か現代につながる生活というか、生き方をしてきた人を祖先と感じているのではないでしょうか?
例えば日本人の祖先と言ったら、
日本人の共生という、自然と一つになるという生き方を始めた人たち。
そして、いわゆる我々が喋っている日本語という言葉を通して、
お互い心が通じ合うようになった人たち。
だから祖先というのは物質的なものではなくて、我々と共通の生活習慣というか、
そういうことを始めた人を日本人の祖先というのではないかと思います。
遺伝子学的に言うと、そういう祖先の記憶が我々の遺伝子にも入っているのですから、
それをフルに活用していくということが「いのち」を伝えるということであって、
これが民族が栄えていく本当の道ではないかと思います。
世界には、いろいろな民族が暮らしていますが、日本人のように祖先の祀りを常に行う民族というのは、数少ないのではないかと思います。
それにはさまざまな理由があると思いますが、一つには、やはりこの日本列島というところに、長年住んでいるうちに生まれた自然と共生するという生き方があります。
この共生というのは一緒に生きようというのではなくて、一つになろうという、そういう世界でも稀なる生き方です。
これが原点になって、そこから神様や祖先に生かされていることに感謝するという生活が育まれてきたと思うのです。
外国の宗教、例えばキリスト教であれば、
天に神様がいらっしゃって、その神様が天地のすべてのものを造られたという考えで、
神様は人間とはまったく別の世界におられ、その神様に人間はいろいろなことを願うというのが一般的な宗教の形だと人々は思っています。
しかし日本人はそういう考え方ではなく、「古事記」の一番最初「神代編」に、神様が生って生まれると記されているように、神様もある実在の世界から生まれていらっしゃる。
最初に、天御中主神様の御心というか、知恵というものがまず現れてきて、そこにムスビの神様が現れ、その知恵が結ばれて次から次へといろいろな神様が現れ、そしてイザナギ・イザナミの命ご夫妻の神様が誕生され、そしてたくさんの神様をお産みになった。
この考えは、神様の御心からすべてのものが生まれ、そして神様と人間は全部つながっているということです。
こういうところから神様とも祖先ともつながっているという考えが生まれてきたと思うのです。
すべてがつながっているのですから、あの世で祖先が幸せになってくれなければ、我々もまた幸せにはならない。
当たり前のことですが、そういう考えで昔から日本人というのは祖先の祀りを行って来たのです。
神社で行われているお祭りについても、祖先のお祭りに関わるものが数多く行われています。
神社にはいろいろな神様がお祀りされています。
過去に実在していた方もおられるし、また高天原におられた天の神様もいらっしゃる。
こういう神々もすべてつながっている。
要するに神様と人間は別個のものではないという考えで、そして常に神様をお悦ばせすることを行い、神様と一つになろうということでずっとやっているのが神社の祭りなのです。
これを医学的に見るならば、祖先からの遺伝子というものが我々の体の中に入っている。
お父さん、お母さんと同じ遺伝子がこの体の中に伝わってきているわけです。
考えたらこれは非常に不思議なことで、この遺伝子というものの中には、何もしなくても働く遺伝子もありますが、中にはこちらから働きかけなければ活動しない遺伝子もあります。
ですから、こちらから祖先に感謝するとか、そういうことをしないと働かない遺伝子もあるわけです。
つまり、常に祖先の祀りをする。
そうすれば医学的に祖先から受け継いだ遺伝子が目覚め、
その働きによって我々も健康で幸せな生活を送ることができる。
こういう遺伝子という観点から見れば、祖先のお蔭で生かされているということは事実であり、その恩に感謝するということは当たり前のことです。
<引用終了>
葉室宮司は、命を懸けて、私たち日本人に先祖供養の大切さを力説くださいました。
私も先祖供養の大切さを知ってから、日々の実践を通じ、どれだけ助けていただいたか、
今までの苦労や苦悩を取り除いていただいたか?数えきれません。
また知人の中には命まで助けていただいたことを、私も目の当たりに見ています。
一緒に先祖供養の祝詞を上げていた、隣に座っていた方の亡くなったご両親が、光の中、神様の道に進んで行かれるのも目撃しました。
どれほど、具体的に大きな助けを頂いたかは、この公の場では言えないことが多いので、
お逢いした方々だけにお話しています。
先祖供養は、何も難しく考える必要はありません。
古く、縄文の時代から私たち日本人のDNAの中に根付いている、神道の奥義は日常生活の中にこそ存在します。
日々の暮らしの中で、ちょっとした時
・先祖に命を繋いでくださったことに感謝すること。
(ご先祖も生きている時、数々の艱難苦難の波の中、様々な感情を味わいながら生き抜いてくださったから、今の私たちがあります)
・ご先祖が、一人残らず、神さまの道を、真っすぐに進めて行けるように祈ること。
・黄泉の国のご先祖と、現世の私たち子孫が笑顔で幸せに暮らしていけるように祈ること
・小さな偶然、ラッキーなことの裏に潜む、神様と先祖の働きに感謝すること
これだけです。
これを日々の暮らしの中で行っていくだけで、
生きている私たちと、黄泉の国のご先祖、そして神様の関係が深く強化され、
様々な場面で、助けを感じることができるようになることでしょう。
そして、その小さな小さな出来事に感謝することができるようになるでしょう。
感謝の心が芽生えたら、人間界を卒業するのも近いです。
幸せな心の内に、神々や、ご先祖の居る世界、黄泉の国、見えない膨大な世界、私たちが元居た世界に戻ることができることでしょう。
昨年の秋、京都にある葉室宮司のお墓参り(浄住寺)に、
ご親族の方に連れて行っていただきました。
葉室家は、藤原家と同じ流れの家系ですが、葉室・藤原一族のお墓の門扉に、
葉室宮司の書かれた碑文がありました。
・祖先の祀(まつり)を常に行っている家は、永遠に続き栄える。
・平安の昔より葉室家を護り伝えてこられた祖先の偉大なる業績と深い御恵に感謝し・・・
外周を石積し、土を盛り修復を行う・・
まさに、葉室宮司は、先祖供養を最後まで実践なされ、
そして、神々の国にお帰りになったのでした。