2024年3月23日土曜日

3375「うつと霊」2024.3.23

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月13日「うつと霊」と2024年03月15日「謙虚な心、闇の心」の2つの記事を紹介します。


「うつと霊」

今日はうつ病や、その他の病気について書きたいと思います。

記事の中に霊体のお話も出てきますのでご興味のない方は遠慮なくスルーされてくださいませ。

小林正観さんの うつからの脱出の方法についてご紹介します。

<引用開始> 


『それはうつ病の特徴でもありますが、

私自身も若い頃に二度、そういう経験があったのでよくわかりますし、

ひとごとではありません。』

小林正観さん自身のウツ症状について書いてある一文です。

ウツ病というのは、それを持ち込んでくる霊体があり、それが憑くと発病、離れれば治る。

笑顔や明るい言葉が、ウツの霊体は嫌い。

楽しくなくても【祝福神】(以下の7つの言葉を正観さんはそう名付けた)

・うれしい

・たのしい 

・幸せ

・愛してる

・大好き 

・ありがとう 

・ついてる

を言う。笑顔を作る。

一週間に3000回以上も言い続け、ウツ病が治ったという報告があった。

『宇宙を解説百言葉』より

<引用終了>

 

この病気には、ずいぶん多くの方が悩まされています。

それだけ世の中がすさんできている証拠だと思います。

ご本人はもちろん、ご家族の方も、本当にお辛いですね・・

小林正観さんは、人生好転の方法として、

よく言霊を教えていらっしゃいます。 斎藤ひとりさんもそうですね。

それはきっと、「南無阿弥陀仏」 のように 

一般の私達にとって、簡単でとっつきやすく、そして継続がしやすいからだと思います。

そしてそれらの言葉の秘められた力ももちろんあります。

幸せになる方法を理屈でどうこう説明されても、

なかなかそれを正しく理解して実践する事は難しいですので、 

この言霊の方法は、本当に素晴らしいと思います。

正観さんも若い頃、うつ病だったのだそうです。

そう言えば「置かれた場所で咲きなさい」の渡辺和子さんも、50代でうつ病を発症しました。

ですから、今、この病気にかかって苦しんでいる沢山の皆さん。

決してあきらめる必要はありません。

勇気を持って下さい。 絶対に治りますから。大丈夫です。

正観さんの教えてくれた方法は単純です。

・うれしい

・たのしい 

・幸せ

・愛してる

・大好き 

・ありがとう 

・ついてる

を何度も何度も、繰り返し言うことだけです。

(声に出さなくても結構です。気持ちがこもっていなくても結構です)

宇宙の法則に、似合わないことは起こらないと言うものがあります。

似合わないことは起きない!

だから「うつ」や「パニック障害」が似合わない人になることが、

この病気から脱出する近道なのです。

斎藤ひとりさんはこんなことを言っています。(姿かたちから入るやり方です)

要するに、不幸や苦労が似合わない格好すると、そういうこと(不幸や苦労)は起こらない。

「もっと、しあわせ」になれるよ、ということです。

不幸や苦労が似合わない格好とは何かというと、 

まず明るい色の洋服を着ること。

キラキラ光るアクセサリーを身につけること。

髪にもつやを出し、靴はきちんと磨いたピカピカのものを履くこと。

こういうふうに明るくて華やかで輝きのある恰好をして、

顔がつやつやの人は、どう見ても「しあわせそうだなぁ」としか思えません。

苦労や不幸はまったく似合わないのです。

似合わないことは起きないのですから、幸せな人に変わってきます。

また失恋して落ち込み、死にたいと相談に来た人がいるとします。

そう言う時は、まずは「腹ごしらえをしよう」と餃子の王将に連れて行きます。

そこで、どんどん餃子を頼み、食べさせます。

すると、死にそうな人が、油ギトギトな餃子をほおばる姿は似合いませんから、

その人から「死にたい」という意識は消えていきます。

正観さんの教えてくれた方法

・うれしい

・たのしい 

・幸せ

・愛してる

・大好き 

・ありがとう 

・ついてる

を最初言うのは辛いかもしれません。 

ですが、頑張って続けていけばクセになります。 

そうするといつの間にか病気から脱出している。。 ということです。

病気で苦しんでいる皆さんが、どうか、お幸せになりますように・・・

 



「謙虚な心、闇の心」


今日は仏陀(釈尊)の弟子のなかで、一番頭が悪く、愚かだといわれていた、

周利槃特(しゅりはんどく、チューダ・パンタカ)という人のお話をします。

私たちは、日々の生活の中で

・何かと自慢し、マウンティングを取ろうとしたり

・陰で人の悪口を言い、相対的に自分は優れた者と認められたいと思ったり

・他人の話にすぐ口をはさみ、「自分は、自分は」と認められたがったり

・凄い人と知り合いだと自慢したり

・人の幸せを喜ばず、陰で足を引っ張ろうとしたり 

無意識のうち、強い自我に

心に闇を広げる者もいます。 

私たちだれもが、心のクセや条件反射で、同じような悪魔の意識に支配される時もあります。

生きている間は肉体に付随する感情や生存本能があるため、どんな聖人君子であっても、それは免れないことかもしれません。

ですが、ふと、そのことに気づいた時、直ぐに方向転換をしないと、ビッシリと罪穢れに覆われてしまいます。 

それでは、一番愚かな弟子だったチューダ・パンタカのお話です。

<引用開始> 引用元

 

仏陀(釈尊)の弟子のなかで、一番頭が悪く、愚かだといわれていたのが、

この周利槃特(しゅりはんどく、チューダ・パンタカ)という人です。

どのくらい愚かだったかというと、

ときどき自分の名前すら忘れてしまうほど、頭が悪かったそうです。

周りの弟子達からバカにされていた周利槃特は、あまりの自分の

愚かさを嘆いて、仏弟子をやめようと思って仏陀のもとを訪れます。

「仏陀よ、私はあまりに愚かなので、もうここにはいられません・・・」

その時、仏陀が彼にこう言います・・・

「自分を愚かだと知っている者は愚かではない、自分を賢いと思い上がっている者が、本当の愚か者である」

すっかり弟子をやめようと思っていた槃特は一瞬キョトンとします。

そして、仏陀はこう続けます・・・

「おまえの一番大好きなことはなんだね?」

槃特は、「はい、私はそうじが好きです」とこたえました。

「そうか、おまえは多くのことを憶えられないようだから、その大好きなそうじをしながら、このように唱えるがよい」

「塵を払い、垢を除かん」(ちりをはらい、あかをのぞかん)

「はい、それなら、私にもできそうです!」

「そうか、ではがんばるのだよ・・・」

仏陀にそういわれて、嬉しくなった槃特は、たまに忘れそうになりながらも、

「塵を払わん、垢を除かん」(ちりをはらわん、あかをのぞかん)

と唱えながら、箒をもってそうじをしていきます。

一年、二年、五年、十年、二十年と、ひたすらにやっていきます・・・

その姿勢に、始めはバカにしていた他の弟子達も、次第に彼に一目を置くようになります。

やがては、仏陀からいわれたことを、ただ黙々と、直向きに、淡々とやり続けるその姿に、槃特を心から尊敬するようになりました。

そして、ついに槃特は、仏教でいうところの「阿羅漢(アラカン)」の境地に到達します。

「阿羅漢」とは、反省修行をおこなって、心の汚れや曇りを落とし、第一段階の悟りを得ることです。

ある日、釈尊は、大衆を前にしてこう言いました。

「悟りを開くということは、なにもたくさん覚えることでは決してない。

たとえわずかなことでも、徹底して行うことが大切なのだ。」

「見よ。周利槃特は箒で掃除することに徹底して、ついに悟りを開いたではないか!・・・」 

<引用終了>

  

イエスもこう仰いました。 

あなたがたの中で、人よりも偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。

あなたがたの中で、人の先に立ちたいと思う者は、皆の僕(しもべ)になりなさい。 

私が、私がと、何が何でも人に注目され、尊敬を得たいと思うよりも、 

・謙虚な人、

・進んで人々のために奉仕しようとする者

・決して目立って表に立とうとはせず、人知れず縁の下の力持ちに徹しようとする者

神様は全部見ていらっしゃいますから、そんな人を愛するのではないでしょうか? 

そんな人に、まず幸せになって欲しいと思うのではないでしょうか?

もう心の時代、物ではなく、一人一人の心が大切にされる時代に入っています。

悪しき心は誰にでもあります。

ですが、それに気づいた時、心から反省し、改めようとするのか? 

それとも、楽な道、つまり、今まで通り見て見ぬふりをして、やり過ごすのか? 

道は分かれ、行きつく先は全く異なる場所となります。 

自我の限りを尽くした人々の地球はこうなるかもしれません。

私たちの心こそが、生きる世界を構築し、その世界を天国にも、地獄にさえも変えてしまいます。