2021年4月30日金曜日

2317「心の毒」2021.4.30

 今回は「いっぷくからのありがとう」の2021年04月22日の記事を紹介します。


「心の毒」

今日は「心の毒を消す方法」です。この方法は、あらゆる場面で効く特効薬のようなものです。それでは、ご紹介します。

<引用開始>


昔、仲の悪い嫁と姑がいました。姑は、病気がちでいつも機嫌が悪く、事あるごとに嫁をいびります。

「うちの嫁は、要領が悪くて、怠け者で・・・」

と、本人に聞こえるようにブツブツと言うだけでなく、近所や親戚にも言いふらします。

夫は、嫁の前では、「お母さんは言い過ぎじゃないか」とは言うものの、病気の母親の前に出ると口答えのできない人です。嫁は姑にいびられる度にいい嫁になろうと努力します。

しかし、いくら努力しても、陰湿ないじめをやめない姑に次第に憎しみを募らせていきます。

遂にはいっそ姑が消えていなくなればよいと思うようになりました。

そこで、あるとき、ある僧に自分の悩みを打ち明けます。するとその僧は、こう言いました。

「そうか、ではお前の望みを叶えてやろう。簡単なことだ。この薬を姑の食事に少しずつ混ぜるのだ。すると、姑の体はだんだん弱まっていき、一月もすると消えてなくなるじゃろう」

嫁は驚きました。「・・・つまり、一月で死ぬということですか?」

僧は平然としていました。

「人は皆、死に向かっておる。いずれ誰でも老衰する。ただそれを早めるだけのことじゃ」

「でも・・・」

「ただし、この薬を使うにあたって一つ条件がある。この薬を入れた食事は多少味が悪くなる。 姑に気持ちよく食べてもらうためには、食事を出すごとに、何でもいいから感謝の言葉を述べるのだ」

「感謝の言葉でございますか?」

嫁は食事に薬を混ぜるよりも、姑に感謝の言葉を口にする方がずっと難しいような気がしました。

家に帰ると、「どこに行っていたのか、お前はいつも帰りが遅い、グズで要領が悪い」などといつものように姑から罵詈雑言を浴びせられました。

嫁は台所に駆け込み涙ながらに、食事の支度にとりかかりました。そして、良心の呵責を覚えながらも、僧からもらった薬を少しだけ混ぜて姑の前に出しました。

さて、何か感謝の言葉を口にしなければなりません。

「お母さん・・・」

「ふん、なんだい、また同じようなおかずか。お前は料理が一向に上達せんの」

「はい、ありがとうございます」

「何?なんだって・・・」

「ありがとうございます」

「どういうことだ」

「わたしは、本当に料理が下手です。ですから、お母さんがわたしの下手な料理でも食べてくださると思うとありがたく思うんです」

姑はちょっと不思議そうな顔をしましたが、黙って料理に箸をつけました。そして、黙々と食べると箸を置く前に一言つぶやきました。

「今日の料理、うまかったぞ」

嫁は驚きました。なぜなら、初めて姑に誉められたからです。

それで積もりに積もった姑に対する憎しみが消えるはずはありません。

嫁は僧が言ったとおり、料理に少しずつ薬を混ぜ、姑に毎回必ず感謝の言葉を言うようにしました。

お母さんに味噌汁の作り方を教えてもらったこと。

お母さんに掃除の仕方を教えてもらったこと。

お母さんに裁縫のコツを教えてもらったこと。

など、自分はまだ十分にできないが感謝しているとくり返し伝えました。

お母さんから言われてきた数々の叱責の言葉も、自分を励ましてくれたと感謝しました。

嫁は始めは心にもない言葉を並べているように思えました。しかし、毎日感謝の言葉を口にする度に、自分の心が次第にほぐれていくのが不思議でした。

そうしているうちに、姑の嫁に対する態度が明らかに変わっていきました。


 嫁を見るときの顔が柔和になってきました。それどころか、陰で、嫁のことを誉めることもありました。

夫には「お前はいい嫁をもらった」と言い、近所や親戚には「うちの嫁はできた女だ」と

自慢するようにもなったのです。

それに応じて、嫁は姑に対する憎しみは薄らいでいきます。それどころか、姑への愛情が湧き上がってくるようになったのです。嫁は、次第に激しい後悔の念が湧き上がります。

わたしは、あの姑を体よく老衰したように見せかけ、毒殺しようとしている。なんという恐ろしいことだ。なんという罪なことだ。いたたまれなくなった嫁は、僧のところ駆け込みます。そして泣きながらに訴えます。

「お坊さま、わたしの間違いでした。わたしは、なんと罪深い女でしょう。どうかどうかお許しください。お坊さま、ともかくお母さんを死なせたくありません。どうかあの毒を消す薬をください。お願いいたします。 お願いいたします」

泣いて頼む嫁に、僧は言いました。

「案じるな。あれはただ海草を粉にしたものだ。毒ではない。毒を消す薬、と申したな。

覚えておきなさい。心の毒は、感謝することで消えるものじゃ。どうやらお前の心にあった毒は、もうすっかり消えてしまったようだな」

<引用終了>


ありがとう、感謝は、本当に私たちの心を清らかにしてくれますね。。

私たちが体験する世界、取り巻く環境、起こってくる事象は全て自分の心の反映と言われています。また、私たちは外界と皮膚を境に区切られた存在ではなく、宇宙の隅々まで、存在するもの全てと繋がっています。右脳はそれを認識していますし、分かっています。

また科学的にも、遠く離れた物体が互いに影響を与え合うというのは、量子論のもっとも基本的な考え方の一つです。

つまり、私たちの心が清められ、感謝の気持ちで満たされたなら、それは、時間、空間を超えて、全宇宙に伝わると言うことです。

心を清める、清浄にするには、感謝することが一番効果的です。

恵まれた環境に居る人にとっては、感謝することは簡単なことかもしれません。ですが、苦しい立場に居る人にとって、感謝することは難しいことですね。

そこで、登場するのが言霊です。

心が変われば行動が変わる。

行動が変われば習慣が変わる。

習慣が変われば人格が変わる。

人格が変われば運命が変わる。

運命が変われば人生が変わる。

心が変わることで、最終的には人生までもが変わってしまうというものです。

私は、これは本当の事だと思います。でも、「心」って、そう簡単に変えられません。

でもご心配なく。「心を変える」前に、もう一つだけできることがあります。

それは、とっても簡単なことで、お金も一切かかりません。

人に迷惑をかけません。人に知られることもありません。

そのやることとは、 言霊を使う事

機械的に出来ますから、ぜひ習慣化して見て下さい。この言霊を使うことで、いつの間にか心が変わってきます。その結果、上に書いたとおり心が変わることで、最終的には人生までもが変わってしまいます。

その言霊は、宇宙最強と言われる言霊「ありがとう」です。

何度も何度も口にするうちに、いつの間にか、感謝の心が芽生えてきます。感謝の心が芽生えれば、もうしめたものです。心が清浄になってきたしるしです。

感謝の心で満たされたなら、宇宙に伝わって行きますから、宇宙中の全てから応援されます。

幸せな道を歩むことができます。

最初は、この言葉さえ、口にするのが苦しいかもしれませんが、どうか機械的でも良いので、しばらく試してみてください。いつの間にか周りの環境が変わってきたことに気づくことと思います。


2021年4月29日木曜日

2316「これからどうすべきか」2021.4.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年04月21日「これからどうすべきか」と2021年04月24日「ブッダの予言-ジャプトーバー」の記事を紹介します。


「これからどうすべきか」

WHOの事務局長はじめ、世界の権威が、たとえコロナが収束しても、世界はコロナ発生前の状態に戻ることはないだろう そう言っています。確かにその通りです。

コロナ前の行き過ぎた状態を強制的に終了させるために、今回の神々による建て替えが起こされたのですから。

  


もう世界が向かう方向は決まっています。大都市に仕事がなくなるのですから、都会への一極集中が終わり、地方に向かって人口の大移動が始まります。もう、アメリカ、フランスなどでは始まっています。

地方ですることと言えば、ロハスな生活。つまり、自然とともに、循環型の持続可能な生き方です。 まさに、日本であれば江戸時代以前のような美しい循環型の社会です。

その中で、主に農業への回帰現象が起こります。 

これから過去に何度か起こったバブル崩壊の時と同じことが起こりますが、それが今回は、大規模に、そして世界同時に、後戻り不可能な破壊力を持って起ってきます。 

そして今回、神々がコロナを手段にしたのは、それが、ものすごいスピードで効果を発揮するからです。あまりにもスピードが速いため、人間側の対処が追いつきません。

そして生物とは言えないような動きをします。ウイルスは、細菌の50分の1程度の大きさ。とても小さく、自分で細胞を持ちません。ウイルスには細胞がないので、他の細胞に入り込んで生きていきます。 

ヒトの体にウイルスが侵入すると、ヒトの細胞の中に入って自分のコピーを作らせ、細胞が破裂してたくさんのウイルスが飛び出し、ほかの細胞に入りこみます。こうして、ウイルスは増殖していきます。(細胞を持たず、DNAつまり自分自身の設計図だけをもっています)

さて、規模は大分違いますが、昭和のバブルが崩壊した時に何が起きたのか?

1989年、株価は確か3万6千円だったかの高値をつけ、そこをピークに下がり続けました。 

でも、まだ誰も、それが恐ろしいバブルの崩壊だとは気づきません。

1991年に、2万3千円まで大幅な下落をしましたが、まだその時点では、全体的なバブル傾向は弾けませんでした。それはまだ、地価が下がっていなかったからです。 

何時の時代もそうです。今のこのコロナの時代さえも同じです。

数年間バブルの毒にどっぷり浸かってしまったバラ色の思考回路では、「株価が下がったのなら、土地で取り戻せばいいじゃないか」というまさにギャンブラーの「パチンコでしくじったから、麻雀で取り返そう」という射幸心(しゃこうしん)という名の、精神的な病にかかっているからです。 

利権に群がり、国民の苦しみなどみじんも考えない官僚や、政治家も、今の利権構造が、永久に続いて欲しいという淡い、そして甘い期待のもと、コロナなんてすぐに収束し、また元の株高で、お金のじゃんじゃん入ってくる世の中が戻ってくる。

そう信じたいのかもしれません。

そういう彼らは今がまさに、バブルの崩壊の時期であり、もう後戻りできないんだと、誰も気づきません。

時代は

・大都会神話の崩壊と、地方への回帰

・人工的なものではなく、大自然、農業の時代へ 

の方向に進もうとしています。

そこまで完全に移行する前には 

・多くの人々の失業

・多くの企業の倒産

・ローンの返済の不能

・食料の枯渇

などが起きるかもしれません。

ですが、みんな立場は同じです。国民の大多数が、苦しんでいるときに一部の人だけが強欲に、お金や財産、家や車などの資産を取り上げる・・なんてことはできないと思います。 

この苦しみがあるから、もう、強制的に世の中が変化せざるを得なくなるのですから。

もしできることなら、

・少しづつの備蓄の積み重ね

・田舎や地方へ活動を移せる可能性はないか?

・少しづつ贅沢な食生活や暮らしから離れ、固定費を減らす努力をしていく

をしていくとよいかもしれません。

ですが、どんなことでもそうですが、人間は結局は、自分の好みの方向を選びます。 

それが、どのような道であっても、自分が好きだからです。波長が合うからです。 

以前、→分かれ道 でも書きましたが、神様の恩寵により、私達全てに「自由意思」が与えられているからです。どちらを選ぶのも自由、どの順序を選ぼうが自由。

私の話を含め、誰かがこう言ったから、あの人が、こう言うからではなく、どうぞ、ご自分の胸に手を置いて、心の声を聞いてみてください。 

・神々が作った流れに任せ、自分自身を変えていくのか?

・それとも、また元のコロナ前の世の中に早く戻って、今まで通りの生活をしたい。そう思うのか? 

決めるのはご自分自身です。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。

 


「ブッダの予言-ジャプトーバー」

令和の時代が始まっています。

・霊性の時代、

・神々と直接的につながる時代

・思いと現実の時間的ギャップがなくなる時代 

様々な良きことの起こる時代になりました。私たち人間は、変化の渦中で生活していると、世の中の変化には、なかなか気づきにくいものです。

ですが世界は、着実に神々の計画通り動いています。

さて今日は、ブッダが亡くなる直前に説いた日本に関する予言をご紹介します。

その内容は沢山の文献に散見されるようですが、小林正観さんのお話からご紹介します。

この内容は正観さんが、2001年、つまり東北大震災発生の10年前に語った内容です。 

<転載開始> 転載元

 

21世紀は、どんな時代になるのでしょうか?

21世紀は架け橋ですね。20世紀と21世紀の。この百年で西洋文明から東洋文明へと価値観が変わって、それがその後3,000年続きます。その礎がこの百年で出来上がります。

ほう、21世紀が東洋の時代と言う人はいますが、3,000年王国ですか?

釈迦が言ったジャプトーバーですね。

自分(釈迦)の教えが、末法の時代になってから五百年ほどたつと、つまり、2,500年後ですね、(釈迦が生まれたのは、紀元前500年頃とすれば、正法が1、000年、像法が1、000年、とすると、西暦1、500年頃から末法の時代ということになるから、その後500年くらいということになると、西暦で言えば21世紀初頭と思われる)

インドのはるか東方にジャプトーバーという国があって、その国で自分の教えや考え方が正しく理解されなおす‥‥。

末法の世に入ったら自分の教え、考え方が正しく伝わらない、と言っているわけです。

それがジャプトーバーという所で、再度認識されなおす‥‥。

ブッダはジャプトーバーについてこう言っています。

・都会に人があふれ

・夜でも明るい光に満ち

・道は広く平らで裸足であるいても傷つかない

・遠く離れても話ができる 

ジャプトーバーとは、もちろん日本ですね?そうです。

その国の人々は争うこと、闘うことが嫌な人たちで、その考えと自分(釈迦)の教えが正しく理解されることが相まって、融合して平和な世界が始まる。そこから3,000年間、平和が続くだろうと釈迦は言ったのです。

その方向での動きはどうですか?

まさにその動き(傾向)がジャプトーバー(日本の事)に出ている‥‥。私はこの33年間の中で初めてこの数年間の手応えを、すごいと思っています。33年間(我が国を)見つめてきたからわかるのですが、全然違います、この2,3年は。日本人の心の有り様というものが、まったくそれ以前とは違う。

お釈迦様の2,500年前の遺言は、本当なんではないでしょうか。

だから私は環境問題とも闘わないし、世の中が悪くなったなんて一言も言わないのです。

そうではなく、3,000年王国に向けての第一歩が、(日本から)始まったと思っています。

我が国の国民性は、疑いなく、「争うこと、闘うこと」が嫌いであり、しかも、インドはるか東方という位置や、ジャプトーバーという国名からして、釈迦の予言は、いかにも、我が国のことを指して言っているように思えるのです。

<転載終了>


皆さんは聖徳太子の17条の憲法をご存知ですか?

第一条、和を以って貴しと爲すの憲法です。西暦604年に作られたものです。

その第10条には、こんなことが書かれています。

心に恨みを抱くな。 顔に憤りを表すな。

人が自分と違うからと言って、怒ってはならない。

人には皆 心があり、心にはそれぞれの想いがある。

自分は聖人ではなく、相手が愚か者でもない。

ともに凡夫なのである。

何が正しくて、何が間違っているか

いったい誰が定める事ができよう。

それゆえ相手が怒ったら、自分の過失を恐れよ。


なんと、こんなに早い時代から、私たち日本人の祖先たちは心をとても大切にしてきました。

ブッダの教え、空海の教えそのものです。 

世界に類を見ないものです。だからこそ、ブッダの予言に出てきたのかもしれません。 

さて以前の記事では、こう書きました。

<引用開始>

 

日本人のDNAに刻まれた特質は、

・どんな相手でも、拒まずに受け入れて、

・自分に取り込み、融合して進化する

・先祖や、死者。敵国の戦没者まで弔い、死後の幸せを願う心(神道の細男の儀式として残っています)

意識する、しないに関わらずこのような魂の特質をDNAに刻まれた日本人に対し、2011年3月11日、神々は東日本大震災を起こしました。 

あの大きな犠牲のもと、日本人の心が変化しました。

私たち日本人の集合的無意識に 

・慈悲(相手の痛みを感じる共感、助け合い)

・優しさ(思いやり) 

・聖なる諦め(自然の力の強大さの前に人間は無力である)

このような心が芽生えました。この大災害は、もともと私たち日本人の持つDNAの特質を、

更に、大きく神々の心に近づける働きをしました。 

<引用終わり>


過去の歴史を見てわかるとおり、変化の渦中にある時、人は全くそれが大変化であるとは気付きません。その時が、変化の起点(エポック)であったとは、後の世の人が指摘することです。

ですから、今21世紀に入ってから19年がたち、令和の時代になりましたが、もしかしたらブッダが言うように、今が後の3千年間続く仏国土、つまり「人間の精神性の復活」のための「建て直し」の時期なのかもしれません。それは、今始まったばかりであり、これから百年かけて、私たちの精神性は目覚め、心の時代であることを確かに確信します。 

そして私たちの2代、3代後の子供たち皆が笑いあい、助けいあい、お陰さまの気持ちで純粋に生きる、随神(かんながら)の生活を送っていることでしょう。

そのためには、私たち人間が、自分たちの力と知恵で、純粋な精神性、心を取り戻さねばなりません。 

今は、建て替え、つまり破壊の時を過ごしていますが、これを耐え忍べば、いよいよ美しき世界への建て直しの時期です。希望を持ち、周りの人々と助け合いながら、笑顔と感謝の気持ちで暮らしていればきっと、その美しき世で暮らすことができるでしょう。


2021年4月28日水曜日

2315「パスポート」2021.4.28

 今回は「シャンティ・フーラ」さんの2021年4月21日の記事を2つ、そこで紹介している2020年10月16日の記事を紹介します。

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/


・「グレートリセット」の推進派が、ワクチン・パスポートを使って、何をしようとしているのか ~これは自由主義社会の終わりです  2021/04/21 竹下雅敏氏からの情報です。

 「グレートリセット」の推進派が、ワクチン・パスポートを使って、何をしようとしているのかを説明しているツイートです。

 “これはワクチンパスを遥かに超えるもので、PayPalアカウントやデジタル通貨との統合が可能であり、どこに行っても地理的に位置を特定し、クレジット履歴やすべての医療履歴をそこに集める事ができます”と言っています。これは、“二層構造の社会であり、基本的に活動家は追放され、継続的に監視されます。これは自由主義社会の終わりです”とあります。

 先の記事で、“拒否した人は、深刻な公衆衛生リスクとみなされ隔離施設に送り込まれる”ということだったように、例えば、今回のコロナ騒ぎで、マスクを拒否したり、ワクチンを拒否したりする人々は、継続的に監視され、最終的には隔離施設に送り込まれることになるのでしょう。FEMA管理下の強制収容所が、世界規模になるというわけです。

 この文脈では、例えば、Qアノンのみなさんは、今でも継続的な監視対象であり、将来は強制収容所が待っているという事になるわけですが、こうしたグローバリストの計画は上手く行かないでしょう。

 ただ、カバールから地球を解放しようと努力している人たち(例えば地球同盟)が、未だに大天使ミカエルだとか、セント・ジャーメインだとか、宇宙人を自分たちの味方だと勘違いしている様では、先が見通せないことも確かです。

 一般人の目覚めはもちろんですが、彼らの目覚めは、早い方が良い。「波動」を見れば、一発でわかるはずなのだが…。(竹下雅敏)

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配信元)Twitter  ワクチン・パスポートについて訳したので<拡散希望>!

3/28/2021の放送の重要な部分

ゲスト:ドクター・ナオミ・ウルフ↓ https://t.co/bAs2UBJQTj

— Yurietta (@yurietta3) April 19, 2021 

お招き頂いて嬉しいです。これは言い過ぎではなく、十分に強調して言う事ができませんが、この計画が計画通りに進めば、これは西洋における人間の自由の終わりです。↓

— Yurietta (@yurietta3) April 19, 2021 

ワクチンパスポートは、そのプラットフォームが何をするかを理解していなければ、大丈夫な物のように聞こえます。↓

— Yurietta (@yurietta3) April 19, 2021 

私はハイテク企業のCEOであり、このプラットフォームが何をするのかを理解しています。ワクチンやウイルスの話ではありません。あなたのデータに関わる事です。↓

— Yurietta (@yurietta3) April 19, 2021 

一旦このシステムが導入されれば、あなたはシステムの一部になる事について選択の余地はありません。人々が理解しなければならないのは、他の機能をそのプラットフォームに全く問題なく搭載する事ができると言う事です。↓

— Yurietta (@yurietta3) April 19, 2021

つまり、PayPalアカウントやデジタル通貨との統合が可能なのです。マイクロソフトは既に、支払いプランとの統合を検討しています。ネットワークを吸い上げて、どこに行っても地理的に位置を特定し、クレジット履歴やすべての医療履歴をそこに集める事ができます。

— Yurietta (@yurietta3) April 19, 2021

これは既にイスラエルで起こった事です。そして6ヶ月後、活動家から話を聞きましたが、それは二層構造の社会であり、基本的に活動家は追放され、継続的に監視されます。これは自由主義社会の終わりです。↓

— Yurietta (@yurietta3) April 19, 2021

そして彼らはこれを世界中で展開しようとしています。これはワクチンパスを遥かに超えるもので、強調してもしきれない程です。これは、あなたの人生をオフにするか、オンにするかで、あなたを社会に関わらせるか、疎外するかを決める力を持っています。↓

— Yurietta (@yurietta3) April 19, 2021

最後に言いたいのは、IBMはナチス・ドイツとの恐ろしい歴史を持っていると言う事です。彼らは、ナチスがリストを保持できるように、パンチカードを使ってこの(システムの)前身のようなものを作りました。↓

— Yurietta (@yurietta3) April 19, 2021

素早くユダヤ人を一網打尽にしたり、(その)子孫を一網打尽にしたり、反対派のリーダーを一網打尽にしたりする為の方法です。これは破滅的な事であり、これ以上続ける事は許されません。

— Yurietta (@yurietta3) April 19, 2021



・2016年制作の子供向けアニメ映画「ヘッジホッグス」から見て取れること ~新型コロナウイルスのパンデミックが、グローバリストの「グレートリセット」のために準備されていた  2021/04/21 竹下雅敏氏からの情報です。

 私は、映画、アニメ、ドラマなどを見ないので、中国制作の子供向けアニメ映画「ヘッジホッグス」を当然のことながら、まったく知りません。

 2016年の制作で、呼吸器系ウイルスをテーマにした映画だということです。動画の内容を紹介する記事では、白衣を着たファウチ博士が登場し、「ワクチンを発見しました。…誰もが普通の生活に戻ることができます。」と説明するのだそうです。

 ワクチン・パスポートのことを考慮すると、新型コロナウイルスのパンデミックが、グローバリストの「グレートリセット」のために準備されたことがわかります。

 2020年10月16日の記事で、カナダの情報筋からの情報として、「戦略的計画委員会のロードマップ」を紹介しました。

 このロードマップでは、「世界債務リセット計画」として、ワクチン接種と引き換えに、債務(住宅ローン、クレジットカードや他のローン)を全て免除するということでした。ただし、国民は不動産、財産を一切所有することができなくなるだけでなく、拒否した人は、深刻な公衆衛生リスクとみなされ隔離施設に送り込まれるという計画です。

 こちらの記事に、詳しい内容が書かれていますので、参照してください。(竹下雅敏)


2016 Hedgehog movie PREDICTS virus and ((((MASKS))))🥺配信元)YouTube 20/7/23 

Netflixで配信されている「ヘッジホッグス」という子供向け映画。中国人監督が2016年に公開した映画&人間の呼吸器系ウイルスをテーマにした映画です。

エンディングからの正確な引用。

「ワクチンを発見したことを発表できるのは嬉しいことだ! もう恐怖に怯える必要はありません。みんな普通の生活に戻れます」

文字通り。子供向けの映画です。ワクチンが人類を救うという内容で作られています。これも偶然ですよね?

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中国制作のアニメ映画は、2016年にアメリカの子供たちに、恐ろしいウイルス、マスク、命を救うワクチンのアイデアを紹介しました。

引用元)LeoHohmann.com 21/4/7 

www.DeepL.com/Translator (無料版)で翻訳

(前略) 

『Hedgehogs』は2016年に制作され(中略)… 呼吸器系のウイルスをテーマにしており、登場人物たちはマスクをして恐怖の中で生活しています。(中略) 

あるシーンでは、スコットという若い獣医師がハリネズミのボビーを診療台に鎖でつないで、無理やり未知の医療処置を施す。(中略) 

「今、私が出会ったすべての動物には、GPSロケーターが付いています。つまり、今はこれを使って、動物を追跡することができるのです」と(中略)… 上司に報告するのである。

映画は、ハリネズミとウイルスの関係が明らかになり、素晴らしい新ワクチンによって人々が救われるところで終わる。(中略) 

白衣を着た神出鬼没のファウチ博士が親しげな声で説明する。

「動物はウイルスとは全く関係ありません。また、嬉しいことに、ワクチンを発見しました。もう恐怖に怯える必要はありません。誰もが普通の生活に戻ることができます。」(中略) 

誰もがマスクを脱ぎ捨て、大きな安堵のため息をつきました。(中略) 

「ハリネズミ」のような映画は、このパンデミック(おそらくパンデミックそのものではなく、それに対する各国政府の反応)がかなり前から計画されていたことを示す最新の証拠である。(以下略) 


・COVID-19の変異、または二次ウイルス(COVID-21と呼ばれる)との同時感染は、はるかに高い死亡率と高い感染率を伴う第3の波につながり、サプライチェーンの崩壊からくる大きな経済的不安定が、2021年第2四半期後半に予定されている 

2020/10/16 竹下雅敏氏からの情報です。

 ヘンリー・メイコウ氏はカナダに住む高名な陰謀論研究者ですが、“信頼のおけるカナダの情報筋”からの情報をブログに上げています。ブログに出ている情報筋から提供された「ロードマップ」を、引用元で読んでみることをお勧めします。

 信頼のおけるカナダの情報筋とは、“カナダ自由党の委員会のメンバーで、情報は「戦略的計画委員会(PMOが運営)」からのもの”だということです。

要点は、“COVID-19の変異、または二次ウイルス(COVID-21と呼ばれる)との同時感染は、はるかに高い死亡率と高い感染率を伴う第3の波につながり、サプライチェーンの崩壊からくる大きな経済的不安定が、2021年第2四半期後半に予定されている。ベーシックインカムへ移行し、すべての個人債務(住宅ローン、ローン、クレジットカードなど)の完全な債務救済を提供する。これは「世界債務リセットプログラム」として知られるようになる。ただし、COVID-19およびCOVID-21の予防接種に参加することに同意する必要がある。ワクチンの接種に抵抗する国民は非常に厳しい措置が講じられ、隔離施設に無期限に収容されると同時に全ての財産が没収される”というもの。

 ガーナの大統領とされる人物が「ロックフェラー・ロック・ステップ計画 2010」を暴露したと言うことになっているのですが、上記の計画はロックフェラー財団の作成した書類と基本的に一致します。

 ロックフェラー財団の計画の要点は、“10月,11月には第二の波が到来。政府を信頼しない人々によって反対運動で暴動が更に激しくなり血塗れになる。ロックダウンにより世界的に経済を崩壊させ、食糧難を発生させる。ワクチンを強制。反対する者は、国家の敵とみなす。新しい経済システム「マイクロソフトの暗号通貨060606」を導入。従わないと必需品が得られず罰則を受ける”というもの。

 さて、これらの計画を見ると、時事ブログで予想していた範囲内のものであることが分かります。ベーシックインカムへ移行し、すべての個人債務が免除される「世界債務リセットプログラム」は、チャネリング信奉者が信じているGESARA/NESARAと、どこが違うのでしょう。こちらの動画によれば、GESARAとは「宇宙人との条約」なんだそうです。

 この宇宙人が「光の銀河連邦」に属していることは、皆さん分かりますよね。時事ブログでは「光の銀河連邦」の宇宙人が、ロスチャイルド、ロックフェラーを霊導して来たと指摘しています。この忌まわしき宇宙人たちの幹部は「裏のイルミナティ」に指示を出していた連中です。

 はっきり言えば、「ロックフェラー・ロック・ステップ計画 2010」やカナダの「戦略的計画委員会(PMOが運営)」の計画を実行させているのが「光の銀河連邦」なのです。このことは、妄想でも何でもなく、はっきりとした事実です。霊的に幼い人たちは、こうした邪悪な宇宙人に簡単に騙され利用されたあげくに、使い捨てにされるのです。しかも悪に加担したために、大きなカルマまで背負うことになります。

 騙されている証拠は、カルマによる体調不良であり、時間が経つごとに身体が重くなり苦しみが増してきます。できるだけ早く、こうした状況から脱出し「カルマ軽減の祈り」を使って、宇宙人ではなく、真の「神」に祈って下さい。(竹下雅敏)

コロナ・パンデミックはNWOに向けた準備の一環

引用元)日本や世界や宇宙の動向 20/10/16 

(概要)

10月15日付け(中略) 

6)COVID-19の変異型の第二次ウイルス(COVID-21)をばらまき、第三波を起こす。COVID-21はCOVID-19よりも感染力、致死率共にかなり向上。2021年2月までに行う。(中略) 

9)全ての人にユニバーサル・ベーシック・インカムを付与。2021年第二四半期中頃の予定。

10)サプライチェーンの崩壊、在庫不足が生じ(物不足、食糧危機)、経済的不安定性が増大。2021年第二四半期後半に予定。(中略) 

13)世界的規模の経済崩壊を相殺するために、カナダ連邦政府はカナダ国民の債務(住宅ローン、クレジットカードや他のローン)を全て免除する。その資金はIMFがカナダ政府に提供する。これを世界債務リセット計画と呼ぶ。しかし国民が負う全ての債務を政府が免除する代わりに、国民は不動産、財産を一切所有することができなくなる。さらに国民が債務免除を受ける場合、COVID-19とCOVID-21のワクチンを接種することに合意しなければならない。(中略) 

この計画に参加することを拒否した人は、深刻な公衆衛生リスクとみなされ隔離施設に送り込まれることになります。(中略) 

このようなことがカナダだけでなく全世界で起きることになります。(以下略) 



2021年4月27日火曜日

2314「神さまを味方に」2021.4.27

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年04月20日「神さまを味方に」と2021年04月19日「小欲知足」の記事を紹介します。


神さまを味方に

今日のテーマは「神さまを味方にする」ということで、

小林正観さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 


私たちの人生は、味方を作るためにあるのかもしれない。努力や頑張りは一切しなくてもよいので、出会った人が味方になってくれ、その味方を作っていく作業の中で「あれやってくれ これやってくれ」と言われ、「ハイ分かりました。しょうがないな~」と言ってやる。

そのように、正観さんは空海を模範にしながら、出会った人に、やらされている人生を語りました。実は社会の中で生きるという事は、この事だけかもしれないと思うのです。

出会う人 出会う人に

・惚れられて 

・好かれて 

・頼まれて 

生きていくこと

空海の人生は出会う人 出会う人、人生のターニングポイントに出会う人に

「こうしなさい ああしなさい」そう言われ、その通り 「ハイ分かりました」

その積み重ねの人生でした。

ここを正観さんは、下記のように強調しました。 

人間が 業績を残すとかいうのは、自分が決意する。という必要はないのではないか?

決意をして何かをするって言うのは、凄く安っぽいものかもしれませんよ。

出会う人ごとに「こうしなさい ああしなさい こうしてくれ ああしてくれ」

という事に対して、「ああじゃ、こうじゃ」とつべこべ言わないで「ハイ分かりました」と言って やっていくこと。それで疲れ果てて死んでいく。

人生はこれに尽きるのではないでしょうか。正観さんは、それを文字通り生きた人でした。

「人間関係」はそういうものでしょう。人間の関係は 全て味方つくりの人生です。

ライバル視して、競い合っていく。抜きんでなければという、今迄の学校教育の価値観を、この際なくしてしまうといい。正観さんは、この事を伝えて亡くなりました。

「私たちの人生は 出会う人 出会う人を味方につけていく 作業の積み重ねなんだ」

こう思うと人生は凄く楽しいと。

うつの人は、

・自分にとって楽しいこと何も起きない

・面白いことないか

・毎日面白くない

とよく言います。その方々に言って差し上げたい。

人生は 自分で自分の人生を決める というものではないと そう思ってみたら。どうですかと。

そうすれば、きっと凄く面白い人生になる。人生変わると。言って差し上げたい。

出会う人 出会う人によって、自分の人生が決まっていく。出会う人が何か刺激をくれる。

相手を敵だと思っていると刺激はくれない。敵ではなく、味方だと思って接していると、

「こうしてみたら」や「ああしてみたら」とそれが必ずあります。

なぜなら味方なのですから。

そこで「ハイ分かりました」と素直に信じてやっていくと 面白い人生になります。

人間同士の付き合いを、そのように切り替えてみたらどうでしょうか?

人生は出会いの積み重ねです。その出会いは生まれる前から決まっている。

自分で書いた「出会いのシナリオ」通りです。

昨日までは 人と較べて自分を磨いていって、人より抜きんでなくてはならないと思ってきたが、今日からは全部自分の味方と思って、仲間と思ってやっていく。。。

と人生を切り替えたら、もしかしたら、自分の意思によって、自分の人生を変えたんだ と思うかもしれないですが、 今日から変えるぞと思ったこと自体が、生まれる前から自分で決めてきたシナリオなんです。

今日 この話を聞くこと自体、生まれる前からのシナリオで、聞いて変わるぞと思うことも

シナリオ通り。逆に変わるもんかと思うこともシナリオ通り。出会いはシナリオ通り。

出会った相手を敵にするか、味方にするかで人生変わります。

「味方にする作業こそが人生」と正観さんの最後の伝言でした。

 


私たちが学校で教わってきた、「自分を磨き努力して頑張って、人より上に行かなければならない」という事を今日を限りに捨てる。というのはどうでしょう?

このことも正観さんは、強く何度も仰いました。最後の伝言でした。

<引用終了>


私たちが学校で教わってきた、「自分を磨き努力して頑張って、人より上に行かなければならない」という思い込みを今日を限りに捨てる。これは大変重要な意識の転換です。


 つまり勉強ができるとか、学校で良い成績を取る・・そういうことは人生にあまり関係ない。。

そう仰っているからです。

不登校でも、ODや色々な理由で学校へ行けなくとも、人に好かれる人間になれれば、それだけで、人生大成功です。

私もどちらかと言うと、努力型の人間で、必死に勉強し技術を習得し、仕事をして生きてきました。ですが、今振り返れば、大成する人と言うのは勉強ができるとか、技術が飛びぬけているとか、そんなものではなく、どれだけ人に愛されるキャラクターであるか?

そちらの方が何百倍、何千倍も大切であると実感しています。

お子さんのことでお悩みのお父さん、お母さん、命があるだけでも良しと思ってください。 

そして学校に行かないから駄目だとか、家でダラダラしているから駄目だとか、どうか思わないでお子様を信じて差し上げて下さい。

長い人生の中で、今ほんのひと時、一休みしている時期かもしれません。

大人になるために英気を養っている時期かもしれません。

お子さんのことは心配でしょうが、少し放っておいて、お父さん、お母さんは、ご自分の好きなこと、楽しめることをして、笑顔でいてください。

自分を信じて、お母さんが笑顔でいてくれる。それこそが子供たちにとっての救いではないかと思います。どちらに、どう転ぼうと、それは、子供自身が生まれる前に描いてきたシナリオ通りなのですから。



小欲知足

今日のお話は「小欲知足」ということで、九州のお寺さんのお話をご紹介します。

これから始まる新しい世の中、そしてそこまで行くまでの間の、変化の波の中で、一番大切な心かもしれません。

「小欲知足」とは、欲が少なく、わずかなもので満足すること。 そんな意味です。

一番大切なことは、幸せや満たされた日々の暮らしが当たり前のことではないと言うことです。

<転載開始> 転載元

 

不平というのは不足の心から生まれます。不足の心を持つと心が貧乏になっていきます。

「あれもない、これもない」

「ああしてもらいたかった、こうしてもらいたかった」と。

「小欲知足」という言葉があります。

 小さな欲で足りていることを知ったら、私たちは毎日楽しく生きられると思います。

「あれもない、これもない」と思って生きるのと、

「これだけあれば充分。これだけあればいいじゃないか」と思って生きるのとは、

どちらが楽しい人生か、容易に想像がつくでしょう。

昨年、茨城県に住んでいるTさんという31歳の男性から、「お寺で1日修行をさせてほしい」と電話が掛かってきました。

私の寺は九州ですから、いつもだったら「わざわざ九州まで来なくても、お近くのお寺で修行をしたらどうですか」と言っていたと思います。

でもなぜかその時は、「いいですよ。いらっしゃい」と言ってしまったんですね。

よほど居心地が良かったのか、Tさんは1カ月間も修行されていかれました。

そして朝から晩まで働く中でこんな話をしてくれました。

Tさんは以前、100日かけてお遍路を回ったことがあったそうです。

その道中で、会った人たちから、おまんじゅうや果物、おにぎりをよくもらうようになりました。

宿がなくて困っている時に、「よかったらうちに泊まってください」と言ってもらえたり、

お風呂を貸してもらえたり、本当にありがたいことをたくさんしてもらったそうです。

ある日、Tさんが寺を訪れるとすでに閉門していました。

これではお参りができません。仕方ないので明日の朝一番にお参りしようと思い、Tさんはそのお寺の軒下に寝袋を広げました。 

しばらくするとその寺のご住職が出てこられて、彼に向かってこう言いました。

「いい若者がこんなところで何をしているんだ!

おまえたちのような若者がいるから日本はちっともよくならないんだ。

人の情にすがらずに生きていけ!」

叱られてTさんはそこを立ち退きました。悔しくて涙が出てきました。

「何もあんなに言わなくても」と思ったそうです。

でも彼はふと立ち止まって考え直しました。

「あれはお不動様が教えてくださったのではないか」と。

自分は人の親切がいつの間にか当たり前になっていた。

人から物をもらう時、初めは「ありがたい、ありがたい」と思っていた。

でもいつの間にか、もらえないと「どうしてくれないのか」と思うようになった。

宿に泊めさせてもらえる時も、最初はとても嬉しかった。

でもいつの間にか、寝袋で寝なくてはいけない日は、「どうして今日は野宿なのだろう」と不足の気持ちが出るようになった。

門が閉まっていると、「もうちょっと開けてくれてたらよかったのに」と思うようになった。

そんな私の不平の心を、お不動様がご住職の口を借りて教えてくれたのではないか。

Tさんは次の日の朝、そのお寺にお参りし、ご住職に「ありがとうございました」とお礼を言って帰られたそうです。

何か自分に嫌な事を言う人がいたら、「あぁ、言ってくれてありがとうございます」と思える自分でありたいものですね。 

<転載終了>

 

私たちは、日々の暮らしの中で

・家族がいてくれること

・暮らしを支える仕事があること

・病気でないこと

・目が見えること、音が聞こえること、食べることができること、歩けること

このようなことが当たり前のことと、思いがちです。 

ですが病気をしたり、失業したり、家族を失った時、その当たり前だった暮らしが、どんなに奇跡の連続で保たれ、有難いことであったかを思い知らされます。 

日々の何気ない暮らしは、有難いこと・・その連続で保たれています。

それをしてくださっているのは、私たちの内に居らっしゃる神さまです。

日々の暮らしの中で、小さな小さな「幸せ」探しをしてみませんか?

小さな幸せは、あちこちに沢山あります。

そしてそれに気付けたら、感謝の気持ちが自然に起こってきます。

その感謝の気持ちこそが、私たちが幸せになるための一番大きな秘訣です。 

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。



2021年4月26日月曜日

2313「悪魔も神様」2021.4.26

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年04月18日の記事を紹介します。


悪魔も神様

今日は「悪魔も神様です」と言うお話です。

以前 「星の子供たち」の記事で書きましたが、戦争が好きな神さまや、ウランの神さま。

そして悪魔も神さまであるというお話です。いろんな神さまがいるのですね。

以下、正観さんのお話。引用元の文章に、少し加筆してご紹介します。

<引用開始> 引用元


いわゆる神さまという 神さまは存在するけれど、悪魔という神さまも、実は存在しているんです。

悪魔も神さまなんです。そして いわゆる神さまより悪魔のほうが すごいかもしれない。

いやすごいんです。

緻密で悪魔と解らないようにしながら人々が幸せになることを阻む働きを、これでもかと智慧をめぐらし策を凝らしながら人々を貶めていくんです。

神さまのような崇高な 演出をし信用させ、言うことを聞きながら言うことを聞かせる。

その技術に卓越している 決して悪魔の顔を表には出さない。神さまのような悪魔。

だからこそ悪魔の真骨頂。

悪魔の策略のひとつは、

・人は一所懸命頑張れば高みに行ける。 

・努力しなさい

・競い合いなさい 

・そうして名誉や名声、財力を持てば最高の幸福になれる

・素晴らしい才能を使い自分に鞭打ち 励めば高みに行ける

そう言って 地球上の人間たちは現在の文明を作ってきました。それは紛れもなく悪魔という神の力です。

それを人間たちは 見破ることができないで、悪魔に魅入られ使われる存在(人間)たちに、

使われてきた。利用されてきた。それが実態。

正観さんは このようにして悪魔の存在を遺言として残されました。

私たちは その悪魔が作った価値観や社会の中で、どの方向へ行けば良いのかと、あたふたしている現状です。 


・病気のこと 

・子どものこと 

・経済のこと

・夫婦のこと

・仕事のこと

・将来のこと 

あまりに不透明で 心休まる暇がないですね。

<引用終了>


この「悪魔に魅入られ使われる存在(人間)」という少数の人々が実際に存在しているようです。でも、その存在も、近年だんだんと人々の目の前に明らかにされつつあります。

いかに彼らが私たち人類を、支配してきたのか、どのような計画を遂行してきたのか。

でも私たち日本人にとって、努力することは悪魔のささやきであると言うのは、今まで抱えてきた価値観の大逆転ですね。

幼いころから、家庭でも、学校でも

・努力しなさい

・良い学校に行きなさい

・大きな会社に入りなさい

・より多くの収入を得なさい

など意識に刷り込みされてきたからです。

ですが、その根底に

・現状に満足していない

・不満がある

・文句がある

という心があるということで、その環境を準備してくださった宇宙や神さまに不満や文句を口にしていることと、同じことになるからです。

では、現状に満足することなく、常に上を目指し、努力し続けることは、どうして悪魔のささやきなのでしょうか?

上記のとおり

・神さまに対して宣戦布告しているということ

・常に心の中に渇望感(のどが何時も乾いているような飢餓感)が起こる

・もっともっと、という果てしない欲望と同じです

・そして人と比較し、嫉妬したり、蔑む心が生じます。

ですが、全ての努力を正観さんは否定しているわけではありません。

こう仰っています。努力はしてもいいんです。


でも、渇望感から努力をしている人は気をつけたほうがいい。

これは悪魔さんのなせる業(わざ)、求めて、渇望感があって、足りない、足りないもっと、もっとという「希望、夢、努力」これは気をつけてください。

悪魔さんが

もっと、もっと・・・

まだまだまだ・・・・

これでは、いつまでたっても満たされることはないんですね。

仮に一千万円貯めたら幸せになれる。そう思って一千万円貯めたら1億円持っている人が沢山いるのに気づきます。1億貯める。頑張って、頑張って10億貯めたら忙しくて過労死。

じゃあ努力はしてはいけないんですか? と聞きたくなりますね。

努力はしてもいいのか?

努力はしてもいいんです。

努力は渇望感じゃなくて、心から幸せがあふれている状態。そんな満ち足りた状態で努力をするというのはいいんです。楽しくて、おもしろくて、自分が好きなことを、ちょっと、ちょっとと上乗せして努力する。それはいいんです。そんな人の努力は幸せです。

常に「もっと、もっと」 「人を蹴落としてでも」と心を濁らせて行う努力はやめた方が良いようですね。

それよりも現状、与えられた環境に感謝して、ひたすら今目の前のことを、心をこめて行っていけば幸せになれるようです。

そういえば悪魔のささやきで、私たちがお尻を叩かれるように言われ続けた

・もっと努力せよ

・上を目指せ

・一所懸命に働け

・お金を稼げ

・お金が無ければ、悲惨な人生になるぞ

と言うのは確かに常に不安にさせられ、恐怖からの思考・行動になってしまいますね。

「悪魔に魅入られ使われる存在(人間)」は、このように人々を不安に陥れた上で、努力を強制します。

人々に心休まる時はありません。日々が将来に対する不安との闘いです。

どれほど、このことで心を病んでしまった人が増えてしまったことか?  

どれほど、多くの人が「今だけ、金だけ、自分だけ」の、さもしい心になってしまったことか?

私たちは本来、

・地球に経験を楽しむため、

・魂を純化させて進歩させるためにやってきました。

それは、人々が、

・お互いを尊重し、

・助け合って、

・笑いあって生きて行く道のはずでした。


悪魔の神さまは、あまりにも巧妙でした。私たちは長い間、騙されてきました。

でも、少数ですが気付いていた人たちもいました。気付いた人の中から、立ち上がって下さった人達がいました。お陰で今、地球に来た本当の目的を思い出す人達が徐々に増えてきました。

私たちの内には、どなたの中にも神さまがいらっしゃいます。

神さまは、何時も傍に居り、私たちに必要なものや、必要な人をジャストのタイミングで用意してくださっています。全ては私たちの魂にとって良かれとの思いからです。

私たちは、神さまに感謝し、今の環境に感謝して、目の前の些細なことにも、愛と真心をこめて接していきたいものです。

その生き方は、自然界全ての生命と同じ生き方です。

それが、本当の意味での幸せにつながる道だと思います。



2021年4月25日日曜日

2312「遺伝子治療」2021.4.25

 今回は「シャンティ・フーラ」さんの2021/04/19の記事と、「In Deep 」さんの2021年4月11日の記事を紹介します。 


Ⅰ モデルナ社とファイザー社が開発したmRNAワクチンは、医学的にも法的にもワクチンの定義を満たさず、実際は遺伝子治療薬である! ~億万長者連中が思い描く「NWOの計画」 

2021/04/19 竹下雅敏氏からの情報です。

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?paged=2  シャンティ・フーラ


 読者の方からの情報提供です。モデルナ社とファイザー社が開発したmRNAワクチンは、医学的にも法的にもワクチンの定義を満たさず、実際は遺伝子治療薬であるとのことです。引用元の記事には、ワクチンの定義、遺伝子治療の定義がきちんと書いてあります。

 遺伝子治療とは、“遺伝子を利用して病気の治療や予防を行う実験的な技術であり…病気と闘うために新しい遺伝子を体内に導入するもの”であり、新型コロナウイルスのmRNAワクチンは、まさに遺伝子治療薬だと言えます。

 その遺伝子治療は、“現在、他に治療法がない病気に対してのみ試験が行われている”のですが、新型コロナウイルスに関しては、イベルメクチンやヒドロキシクロロキンなどの他の有効な治療法があるにもかかわらず、安全性も確認されないまま、ワクチンと偽って接種されているのです。

 2つ目の記事では、こうした遺伝子治療をワクチンだと偽る動機は、“損害賠償責任を回避するためではないか”としています。その使用によるいかなる損害に対しても経済的責任を負わないでよいのは、「ワクチン」である場合に限るからだということです。

 “続きはこちらから”は、現状から考察される億万長者連中が思い描く「NWOの計画」を推察したものです。中国共産党の社会信用システムを思い浮かべれば、書かれている内容に同意せざるを得ません。

 彼らは、“地球を、5Gと衛星配置を使用して、デジタル・フェンスで囲まれた刑務所”に作り変え、私たちは、完全な法令厳守が要求され、センサーやAIによって24時間監視される社会になるわけです。社会信用システムによって、ベーシックインカムで個人に配給される通貨に差が出て来るでしょう。世界政府に反抗する者は、通貨の配給を止められます。全てがデジタルで処理される世界なので、デジタル通貨を停止されると、何も物を購入することが出来なくなります。

 こうした社会では、脱落した異端者たちに、食料や物を施すことは違法とされます。アメリカではホームレスは直ちに刑務所に収監され、奴隷労働で搾取される州が現実に存在しています。これが地球規模になるわけです。支配層にとってのバラ色の未来です。

 時事ブログで何度もお伝えしているように、こうした支配層が思い描く未来にはなりません。カルマが正確に返り、人々を地球という刑務所に収監しようとした者たちが、逆に刑務所に入ることになります。(竹下雅敏)

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COVID-19「 ワクチン」は、 遺伝子治療である

引用元)MERCOLA 21/3/16 Dr. Joseph Mercola

Deeple pro翻訳+ チェック修正 by Sho-Momo 

(前略) 

Moderna社とPfizer社が開発したmRNAワクチンは、遺伝子治療薬である。遺伝子治療の定義をすべて満たしているが、ワクチンの定義は一切満たしていない。(中略) 

mRNA「ワクチン」は、SARS-CoV-2のスパイクタンパク質(抗原)を生成する命令を持つmRNAの合成バージョンを細胞に投与し、免疫系を活性化して抗体を生成させるものである。

(中略) 

mRNA「ワクチン」は、医学的および/または法的なワクチンの定義を満たしていない。したがって、それを販売することは、医療行為の広告を規制する法律に違反する欺瞞的行為である。(中略) 

COVID ワクチンの遺伝子治療の特徴とは? (中略) 

「遺伝子治療とは、遺伝子を利用して病気の治療や予防を行う実験的な技術であり(中略)… 病気と闘うために新しい遺伝子を体内に導入する(中略)… この技術にはまだリスクがあり、安全で効果的な治療法であることを確認するために、現在も研究が続けられている。遺伝子治療は現在、他に治療法がない病気に対してのみ試験が行われている...」 

ここで注目すべきは、COVID-19に対しては、非常に有効であることが示されているさまざまな治療法があり、治療法のない病気には該当しない、と言うことである。遺伝子治療は難病に限定されるべきであり、思い切ったリスクを冒すことが必要なのはこのケースだけだと考えられる。(以下略) 

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COVID-19 mRNAの注射は、 法的には ワクチンではない

引用元)MERCOLA 21/2/9 Dr. Joseph Mercola

Deeple pro翻訳+ チェック修正 by Sho-Momo

(前略) 

なぜ彼らは「ワクチン」と呼ぶのか? 

マーティンが指摘したように、ワクチンの定義を一つも満たしていないワクチンはありえない。では、これらの企業、米国の保健機関、アンソニー・ファウチ博士のような公衆衛生担当者は、明らかにワクチンではないのに、これらの遺伝子治療をワクチンだと嘘をついて主張する動機は何なのか? (中略) 

マーティンは、彼らの意図を証明するものがないため、ここでは推測の域を出ない。この実験的な遺伝子治療技術を「ワクチン」と呼ぶのは、そうすることで損害賠償責任を回避するためではないかと推測している。 (中略) 

米国が緊急事態にある限り、PCR検査やCOVID-19「ワクチン」などは緊急使用許可を得て認められている。そして、この緊急使用許可が有効である限り、これらの実験的な遺伝子治療法のメーカーは、その使用によるいかなる損害に対しても経済的責任を負わない。ただし、それが「ワクチン」である場合に限る。(中略) 

つまり、「COVID-19」が緊急事態であるかのような錯覚に陥っているが、実際にはそうではないのだ。政府の指導者たちは、遺伝子治療企業が責任を免れるためのカバーを提供しているのである。(以下略) 

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mRNA Covid-19 の技術は ワクチンではない

引用元)HUMANS ARE FREE 21/1/15  Deeple 翻訳+チェック修正 by Sho-Momo

(前略) 

アリソン・マクダウェル(Alison McDowell )は、最も高い確率で起こる可能性が高い現在のトランスヒューマニスティックなNWOの計画について、以下のように要約している。

(中略) 

「技術的システム(tech-no-logic syatem)内では、完全な法令厳守が要求されます。承認された動作は通貨になり、ブロックチェーンでトークン化され、センサーやAIによって監視されます。彼らは私たちの誰が最も行儀が良く、最も従順であるかを互いに競い合う未来のために、私たちを訓練しています。

 

『成功報酬型』の契約内容を検証するために必要なデータを得るためには、彼らは、私たちの母である地球を、5Gと衛星配置(satellite constellations)を使用して、デジタル・フェンスで囲まれた刑務所(geo-fenced digital prison)として作り変えなければなりません。

(中略) 

億万長者連中が思い描くのは、自由というものが、彼ら自身と彼らの小役人連中と彼らがコントロールするロボットに限定された特権となるような未来です。AIはすでに動きに目を光らせて、あなたの社会的な信用調査も進んでいるので、安心してください。」

 

これは厳しい未来だが、もはや変えられない、というものではない。(中略)…しかし、私たちはまず、これが私たちが進んでいる可能性のある道である、ということを受け入れなければならない。好むと好まざるとにかかわらず、これが現在の軌道である。(以下略) 



Ⅱ「コロナワクチンは大量破壊兵器であり、人類を一掃する可能性がある」:英国の著名医学者の提言を「意味のわからない各国の対策」の中で聞く:2021年4月11日 In Deep

https://indeep.jp/corona-vccines-are-weapons-of-mass-destruction/

(前半省略)

……ふと思えば、新型コロナウイルスのような「本来は比較的安全だった」ものが、そのような破壊的なものになることが考えられる「人為的な可能性の過程」のひとつとして、「ワクチン」があるかもしれないと述べていたのが、元ゲイツ財団のワクチン学者であり、そして、イギリスの医学者であり、ベストセラー作家であるヴァーノン・コールマン博士なのかもしれません。

チンチロリンの話を書いていて、ふと思い出したということもあり、そのイギリスのヴァーノン・コールマン博士が、ウェブサイトに記した文章を掲載させていただきます。

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Covid-19ワクチンは大量破壊兵器であり、人類を一掃する可能性がある

Covid-19 Vaccines Are Weapons of Mass Destruction - and Could Wipe out the Human Race vernoncoleman.org 2021/03/13

ヴァーノン・コールマン博士

悲しいことですが、ワクチンを接種した人の多くを救うには、すでに遅すぎるのではないかと私は心配しています。接種した何千万人の人たちが、次にコロナウイルスと接触したときに多くが死亡してしまうのではないかと懸念しているのです。

これがグローバルエリートたちによって意図されたものだとしても、しかし、エリートたちが気付いていなかったかもしれない深刻な問題があります。

その結果、ワクチンを接種していない人たちも、深刻な危険にさらされていくように見えるのです。それは今や人類の存続にとって非常に現実的な危機であると私は確信しています。

私自身は、長い間、Covid-19ワクチンの危険性について警告してきました。ほぼ 1年前、コロナウイルスのリスクが誇張されている理由の一部は、強制的な予防接種プログラムを推進することであると私は警告していました。

私は何ヶ月もの間、これらの実験用ワクチンは危険であり、多くの致命的な副作用を引き起こす可能性を警告してきました。著名人や多くの医師たちは、ワクチンに対しての安心感を与え続けていますが、これは間違っています。

私は、ワクチンが Covid-19よりも多くの人々を死に至らしめる可能性があることを示唆しましたが、しかし、ワクチン接種を受けた人たちだけではなく、「受けていない何億人もの人々」の死の原因も、またワクチンとなる可能性が高いように思えてきたのです。

私はもともと、ワクチン詐欺の設計者は数百万人の死亡を予測していたと確信していました。しかし、私は今、この詐欺を計画した大量虐殺の推進者たちが行っている事態は、数百万人の死にとどまらず、私たちをアルマゲドンに導いているのではないかと恐れるようになりました。この詐欺を引き起こした悪意のある人々自身が、この実験的ワクチンの危険性を「劇的に過小評価してしまっていた」と考えるようになったのです。

これらのワクチンには3つの大きな問題があります。


最初の問題は、これらの実験的ワクチンがすでに危険であることが証明されていることです。

すでに多くの人たちを殺し、さらに多くの人たちに重篤な有害事象を引き起こしています。その死者数は恐ろしいものですが、ほとんどの当局はこれらはすべて偶然である(ワクチンとは関係ない)と主張しています。

2番目の問題は、病原性プライミングまたはサイトカインストームとして知られる免疫系の問題です(※ この「プライミング」とは ADE と同じような概念で、二度目の感染の際に強い抵抗性反応を起こし、重症化することです)。

ワクチン接種を受けた人たちの免疫系は、将来そのウイルスに接触した場合に劇的な方法で反応するように準備されます。その結果は壊滅的なものになる可能性があります。

これが、次の秋と冬に起こることを私は恐れています。

ワクチンを接種した人たちは、次にコロナウイルスに接触したときに本当に困難な状況に陥る可能性があるのです。免疫システムが過剰反応し、それにより多くの死者が出る可能性が高いと考えられます(※ ADE / 抗体依存性感染増強のことだと思われます)。

2020年10月の医学誌「インターナショナル・ジャーナル・オブ・クリニカル・プラクティス」にそのエビデンスが発表されました。しかし、ワクチン接種を受ける人たちはこの問題について公式に警告されていないのです。

ワクチン接種者に対するインフォームドコンセントはなく、ほとんどの医師もまた(ADEの)リスクを知らないままであると私は思います。

そもそも、人の免疫システムを弱めるものは何でしょうか?

それは、マスクを着用すること、他の人から隔離されること。そして十分な日光が当たらないこと、の3つは明白です。これらはすべて、人間の免疫システムを脆弱にします。

ワクチン接種を受けた人たちに(通常の)コロナウイルスが最も急速に感染が広がる秋から冬以降に、過剰な死亡が発生する可能性があるかもしれません。

発生する病気と死亡の流行の結果として、各政府はおそらく「次の予防接種」の促進を開始するでしょう。突然変異については多くの話があり、急いで準備された変異種に対しての新しいワクチンが製造され、それらは何も知らない著名人たちによって大いに宣伝されるはずです。

その危険性を理解し、これらのワクチンに疑問を持っている医師たちの多くは、おそらく沈黙するでしょう。

このワクチン詐欺の背後にいる人々は、ADEが起こることを知っていたと思われます。秋と冬に(ADEにより)死亡者が増えることを知っていました。彼らは新しい変異種の登場で「ワクチンを刷新する」ことを計画していました。

最終的には、彼らは数ヶ月ごとに、あるいはもっと頻繁に、例えば毎月、予防接種を促進するだろうと思っています。

いつでもエリートは彼ら自身は安全だと思っていたと思われます。彼らはワクチンが何百万人もの死者を出すにしても、彼らエリート自身には害を及ぼさない計画を考案したはずです。

しかし、私は、彼らエリートたちが巨大で重大な間違いを犯したと確信するに至りました。それは次の「 3番目の問題」をもたらす可能性から言えることなのです。これは「彼らもまた予期していない」と思われるのです。

この問題は、著名なワクチンの専門家である、ゲールト・ファンデン・ボッシュ博士によって概説されました。ボッシュ博士は以前、GAVI (ワクチンを世界に推進する同盟)、そしてゲイツ財団と協力していた人物です。

そのため、私はもともと彼の言っていることに懐疑的でした。普通は、ボッシュ博士のような人がワクチン接種に反対するとは考えられない。

しかし、ボッシェ博士は、現在使用されているワクチンは、「このウイルス感染との戦いに使用するのに間違った武器である」と指摘しています。

多数の人たちにワクチンを与えることにより、ウイルスに突然変異を起こし、そのウイルスはより強く、より致命的になるメカニズムを博士は説明しています。

突然変異したウイルスに先んじてワクチンを開発することはできない可能性があるため、新しい突然変異のための新しいワクチンを考案しようとすると、事態はさらに悪化するはずです。そして、予防接種を受けた人たちは現在、変異したウイルスを周囲の人々と共有しているのです。

突然変異はより強くそしてより致命的になっています。

別の問題もあります。通常、私たちの体には、感染症を打ち負かすのに役立つ白血球が含まれています。NK細胞(ナチュラルキラー細胞)と呼ばれる細胞は、侵入した悪い細胞を殺すのに役立ちます。NK細胞がその働きを終えると、私たちに抗体が現れ、混乱を取り除きます。

しかし、ボッシュ博士は、Covid-19ワクチンを接種した人たちは、自然防御と競合する非常に特異的な抗体の産生を引き起こしていると説明しています。ワクチンによって生成された特定の抗体が(防御を)引き継ぐため、ワクチン接種を受けた人々の自然防御システムが抑制されるのです。

これらの特定の抗体、ワクチンによって生成されたものは「永続的」です。

それらは予防接種を受けた人たちの体内に永遠に存在し続けます。

これがもたらす悲惨な結果としては、ワクチンを接種した数千万人から数億人の人たちの自然な免疫システムが、効果的に破壊されるということです。ワクチンを接種した人たちの免疫システムは、彼らの体内で発生するウイルスの変異と戦うことができなくなります。

そして、それらの変異したウイルスがその地域で広がる可能性があるのです。

これが、ワクチンが多くの人々に接種されている地域において、新しいウイルスの変異種が出現した理由だと思われます。

肝心なことは、ワクチンを接種することは、ウイルスに無限に危険となる機会を与えるということだということです。

ワクチン接種を受けたすべての人たちは、彼らの身体が致命的なウイルスを作る実験室になりつつあるため、「その人たち自身が、他の人たちを殺す大量殺戮者になる」可能性があるのです。

新しい突然変異が広がり始めると、ワクチン接種を受けた個人は非常に危険にさらされるでしょう。変異したウイルスは脆弱ではないため、新しいワクチンを接種しても効果はありません。ワクチンを作っている科学者たちは、突然変異するウイルスに先んじることができません。

これらは予見されるべきことでした。

政治家たちとその当局は、新しい突然変異の発生とこれから起こる死の増加について、ワクチンを接種していない人々を非難するでしょう。

しかし、ボッシェ博士が正しいと信じるなら、人類を脅かそうとしているのは予防接種を受けた人たちのほうです。

確かに、これらの脅威は、ワクチン接種を受けた人にとって大きなものでしょう。しかし、それらが放出するウイルスは、元のウイルスよりも危険であるため、ワクチンを接種していない人たちにとっても大きな脅威となるのです。

私たちは今、非常に危険な領域にいます。

この予防接種プログラムを今やめなければ、人類の未来が危機に瀕すると言っても過言ではありません。このような脅威が、グレートリセットを計画していた人たちの念頭にあったのかどうかはわかりません。

時間はもうほとんどありません。私たちは免疫システムを強化する必要があり、皮肉なことですが、予防接種を受けた人たちから遠ざかる必要がある可能性があります。

ボッシェ博士が間違っていてほしいと思います。

そして、私のこのような考え方が間違っていてほしいと心から思います。



2021年4月24日土曜日

2311「灰汁(あく)」2021.4.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年04月15日の「あぶりだされる灰汁(あく)」と2021年04月14日の「持って帰るもの」記事を紹介します。


あぶりだされる灰汁(あく)

コロナウイルスの影響で、人々の心が殺伐としてきており、

・不幸にも感染してしまった本人や家族への嫌がらせ

・医療従事者の子供たちへの差別

・県外ナンバーの車への嫌がらせ

・公園で社会的距離を置き、息抜きをしている親子への怒声

などが起きているようです。


 丁度100年前に起きた大災害、関東大震災の時もひどい事件が起こりました。

大正12年(1923年)の関東大地震によって生じた関東大震災の混乱の中、「混乱に乗じた朝鮮の人たちが凶悪犯罪、暴動などを画策している」のではないかという疑心暗鬼の中、官憲や民間の自警団などにより、多数の朝鮮系日本人や朝鮮人と誤認された人々が殺害された事件です。 

こういう時代、人々の心が極限状態に置かれてくると、心弱い私たちは、そのはけ口を、立場の弱い人に向けがちです。それも「正義感」という誤った、虎の威を借りているためタチが悪いものです。いじめの集団心理状態に近いものがあります。 

このいじめの集団心理状態の中では、自分以外の他人の言葉や、行動に寛容さが足りず、すぐに歪んだ正義感を振りかざしその雰囲気に付和雷同した人々とともに相手をとことんまで、貶めて、再起不能にさせます。

自分さえ良ければ・・の心弱いものをいじめることで、うっぷん晴らしいじめられた人々が悲しみの涙にくれるのを見て歪んだ優越感、薄笑いさえ浮かべます。 

ですが、その姿を、私たちの内にいらっしゃる神さまは見ています。

私たちの心の内にある良心は、果たしてそのうすら笑う姿を見て、喜ぶでしょうか?

また、このような状況をあえて作り出し、人々が苦しみ、悲しむ中、陰で大小さまざまな利権に群がり

・今だけ  ・金だけ  ・自分だけ 

そのような人々も存在します。

ですが私たちの本当の心は、きっと、いじめられた人以上の苦しみ、悲しみの涙にむせんでいるのではないでしょうか?

このような心では、これから始まろうとする「皆の心が大切にされる世の中」とは、全く正反対です。まさに、大きな時代の変化の中で今、不必要となった感情、心が、あぶりだされています。 

地球は、それを「早く捨てなさい」と言ってあぶりだして、見せてくれているのですが、今までの思考パターンや、時代の変化に乗れない人々はその精神性の低い状態から、なかなか離れることができないようです。 

これから間近に来ようとする世界は、

・優しさ、

・真心、

・愛情、

・笑顔、

・お互いさま、

・お陰さま

そのような心が大切にされる世の中です。

変わることのできない魂は地球の変化に付いていけず、自分の波長に合う場所へと移動せざる得なくなることでしょう。

それは、パラレルであったり、次元が異なる世界であったり他の惑星であったりすることでしょう。

宇宙には波長の法則がありますから、同種の波長の中でしか生きていけないからです。 

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。



持って帰るもの

みずがめ座の時代に入り、今まで隠されてきた真実である霊主体従の時代、つまり、人間の心で思ったことが、この物理的な次元でも、現実化するスピードが、非常に早まる時代になりました。

物やお金が絶対の価値を持つ時代から、情報やネットワーク、コミュニケーションなど

・目に見えないもの

・物質ではないもの

が大切にされる社会に変容しようとしています。 

また、この時代は、宇宙の法則与えたものが、受け取るものの法則が、あまり時間差なく

目の前に現れる時代でもあります。 

常に

・優しさ、

・真心、

・愛情、

・笑顔、

・お互いさま、

・お陰さま

を心がけようとしている人にとっては、物凄い朗報です。 

その心を相手に対して出した良き思いが、倍のパワーで、神さまの恩寵も伴って同じ物が、時間を置かずに、自分自身に帰ってくるからです。

さて今日は、作家、故三浦綾子さんの「氷点」「続・氷点」からご紹介します。

一生を終えて後に残るのは、我々が集めたものではなくて、我々が与えたもの。あくせくして集めた金や財産は、誰の心にも残らない。 

しかし

・かくれた施し、

・真実な忠告、

・あたたかい励ましの言葉

などは、いつまでも残るのだ。

これに対して、故ノートルダム清心学園理事長渡辺和子さんは、こう仰います。

一生の終りに残るものは集めたものだと思いがちである。方々に旅行して集めためずらしい品、買ったもの、預金通帳に集めた金、土地、建物。しかしながら、人はこれらのものを、持って死ぬことはできない。

お棺の中に入れたとしても焼けて灰になるものばかりであり、そうでなければ、遺品として他の人に分けられるものでしかない。

その人が、死後も「自分のもの」と呼べるもの、その人とともに永遠に残るものは、生存中に与えたもの、つまり愛なのだ。

この愛と呼ばれる目に見えないもの、レントゲンで写しても決して映らないもの、手術をしても解剖してもメスに触れえないものこそ、人生を生かす大切なものなのである。

<引用終了>


私達は肉体が亡くなっても、その精神、魂は生き続けます。どちらかと言えば、そちらの方が本物の生とも言えます。私達が人間として生まれることは大変なことなのだそうです。

それこそ、文字通り、「有難し」なのだそうです。

沢山の生命体が人間として生まれてきたがっているそうです。それは、人間としてしか味わえない、何物にも代えがたい経験が出来るからです。

そうまでして、はかない人生を通じ、元居た世界(天国)に戻る時、私達が、そこへ持って帰れるものは・・我々が集めたものではなくて、我々が与えたもの愛 なのだそうです。

皆さん、愛 を感じたことはありますか?お一人お一人、その感覚は違うものかもしれません。ですが日常の生活の中に、いくらでも、その種は潜んでいるものですね。。

愛を感じた時、胸がじんわり、そして自然に両手が合わさります。

 1508年、友情と感謝の心で制作された「祈りの手」

相手に対する 

・優しさ

・思いやり

・受容(そのままを受け入れる)

・寛容

・愛情

そしてそこから生まれる

・助け合いの心

・お互いさまの心

そんなものが大切なのかもしれないですね。

そこから育まれた愛は永遠の宝として、肉体無き後も魂に刻まれることでしょう。

愛に溢れた心で、世の中を見渡してみれば、全ての営みが調和しており、いたるところに神々の恩寵を見ることができるでしょう。すると、もう感謝の心しか湧いてこなくなることでしょう。 

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。それが自分の身を助けることに繋がります。



2021年4月23日金曜日

2310「理不尽」 2021.4.23

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年04月17日の「諦めないで、理不尽な時」と2021年04月16日の「不幸は感謝のかくし味」の記事を紹介します。


諦めないで、理不尽な時


今日は「理不尽」のお話です。もしかしたら、それは、大きな大きなチャンスお訪れの時かもしれません。特に、心が清められ、準備ができた人に起こりやすいことです。


皆さんの中には、今現在回りから、ひどい仕打ちを受けたり、理不尽なことをされていらっしゃる方は居られませんか?

そう言う時と言うのは、集中して、厄介なこと、嫌なことが続くものです。もしかしたら、そういう時期は、「リセット」の時期かもしれません。

一旦、今までの人生の方向性について立ち止まり、向きを変えるための思索の時間(考えをめぐらす時間)を持つために、神さまから強制的にリセットがかかっているのかも知れません。それゆえに「理不尽の炎」の中に投げ込まれているのでしょう。

自分の今まで持っていた価値観の大転換を図るため強制的なリセットです。こういう時、その(理不尽に見えて)起きて来る沢山の現象は、自分ではどうしようも無い事、つまり、人間側の問題ではなく、「神様の領域」のことです。

ですので、その事に対して不平、不満、愚痴、ねたみ、そねみ、うらみ、後悔、嫉妬などしないことにこしたことはありません。

ですが、生きている本人にとっては、あまりに辛く、神様に「どうにかして」と思うかもしれませんね。人間ですもの・・・

そういう時は、もう言霊で乗り切るしかありません。ただひたすら、最強の言霊、「ありがとう」を言い続ける・・そうすると不思議と、朝に苦しかった理不尽なことが、夕方には解決しています。全く気にならなくなるのです。

こういう時期は、誰にも訪れるものです。そして、しばらくは続くものです。また翌日には、次の別な理不尽なことが起きてきます。その繰り返し。私も経験がありますので良く分かります。


そんな最中に読んだ小林正観さんの本の一節をご紹介します。

<引用開始>


「理不尽」とは、神様から見込まれたということ。そして「自分が成長しているという証明」。

「理不尽」とは、こちらの側に落ち度がないのに、一方的にひどいことを言われた、されたこと。「だんだんと理不尽度が増していき、それでも文句を言わずにいると、神様は「合格」と判を押してくれるのだそうです。

理不尽度10で文句を言わずにいると、理不尽度20の現象が起き、だんだんと増していって、最後は理不尽度100%の現象が起こります。」

五戒(不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句)を言っているあいだは理不尽なことは起こりません。(まだ、神さまに、成長の時期ではないと思われているからです)

最後の理不尽度100%の現象の時も五戒を言わずに受け入れていくと、神様から合格の判をいただけて、人生がラクに楽しくなってくるのだそうです。理不尽度の高い現象が起きたときは、大きなステップアップが約束されているらしいのです。 

ですので、その時に

・文句や愚痴を言わないこと、

・戦わないこと、

・争わないことが

大切らしいのです。

<引用終了>

 

そう正観さんは仰っています。

正観さんの言う神さまに見込まれた人というのは、きっと五戒(不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句)を思わない、言わない人という意味です。

ですので、多くの人が「神さまに見込まれた人」になります。私の周りにも五戒を守っている人は沢山いらっしゃいます。そして皆さん、お幸せです。

さて理不尽なことが起きると、その人にどのような事が起きるのでしょうか?

まず、一番大きな事は、

・自分の力ではどうする事も出来ないという「あきらめ」(諦観-あきらめ、悟って超然とすること。)

・その結果、鼻っ柱の強かった人のお鼻はポキンと折られます。

・目に見えない大いなる何かの存在を、意識するようになります。

これだけでも大きな魂の成長。意味があることです。

時に人は、自分自身の力を過信し、

・人に迷惑をかけないように生きていきたい

・人の役に立つ人間になりたい

と思います。ですが、病気をしたり、挫折の苦しみを味わうと、 

「助け合い」

「お互い様」

こそが本来の人間の生きる道ではないのかと思えてくるのです。

誰一人として他人の世話なしに生きることはできません。

農家の方が作った野菜を、運送業者の方々が運んで下さり、お店の人が販売してくれる。

それらを頂き、それらの生命を頂いて私たちは生きていくことが出来ます。

他の人の世話にならずに、誰一人生きていけません。

ですので、「人に迷惑をかけないように生きていきたい。」というのは、少し傲慢な考え方かもしれませんね。

この染みついた考え方を矯正する為に、今世では病気になったり事故に会ったりと、色々な苦しい事象が自分のタイムラインに埋め込まれることでしょう。

理不尽な出来事。自分ではどうしようもない大きな辛く悲しい出来事にも、きっとそんな意味があるのかもしれません。

何故なら神様は無駄なことは一切なさいませんし、常に私達の真の幸せを考えて下さっているのですから。

外にあるもの、見えるものはすべて自分の心の世界を映し出す鏡。

人は理不尽な体験をすると他人を責めたり、周囲の環境に不満を抱いたりしがち。

でもそれらは皆、私達の心の反映にすぎず、不満の矛先を他人や環境に向けることは見当違いかもしれません。

きっとそんな時は、自分の心を顧みる丁度良い時が訪れたのですね。神様に感謝する時です。

その後に、大きな大きなギフトが用意されているからです。



不幸は感謝のかくし味


連日の怒涛のコロナウイルスの騒動で、色んな所で、いろんな人の人間の本性が、デフォルメされ、わかりやすく 、くっきりと炙り出されています。まざまざと、その人の人間性と、霊性をこれでもかと、世間にさらしています。見ている人たちは、だんだんと、どれが嘘で、どれが真実か気づいてきます。人間の本質を見抜き始めました。

さて今日は「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な渡辺和子さんの言葉をご紹介します。

不幸は感謝のかくし味 そのような意味のお話です。転載するに当たって、解り易くするために、ところどころ意訳し補足してあります。

<転載開始> 転載元


私どもの大学(ノートルダム清心学園)の正面玄関に、プロテスタントの牧師、河野進さんが書いてくださった、一つの小さな詩がかけられております。


天にまします父よ どんな不幸を吸っても 

吐く息は感謝でありますように すべては恵みの呼吸ですから


学生でいるあいだは不幸の息をあまり吸わせないように、先生たちが配慮をいたします。 

しかしながら、卒業をして、その正面玄関を背にして出ていけば、その先にある職場、結婚生活、社会には、往々にして思いもかけないような不幸がたくさん漂っている空気が待ち構えています。生きていくためには、その空気を吸わなければなりません。

思わぬ不幸を吸い込んでしまったとしても、それをそのままで、吐き出す人になってほしくない。さらに増幅して、大きな不幸にしてほかの人に吐きかけるような人になってほしくない。それを感謝に変えて吐き出す人、それがある意味で本当に強い人であり、本当に優しい人だと思います。

他の人が吸う空気を汚さない、その強さと、他の人を思いやる優しさを学生たちに身につけて欲しいと願っています。しかしながら、それは決して、簡単なことではありません。

私たちが生きていくうえで、この不幸の息をどうしても吸い込んでしまうとしたら、人のせいにしないで、むしろその不幸を自分の中で感謝に変えていく。

そしてそれは、真珠がつくられていくのと同じプロセスだと私は思うのです。

真珠貝というものは、自分にとってあまり望ましくない異物が入ってきたときに、それをいやがって吐き出してしまわないで、その異物の刺激により分泌される液で、異物そのものを軟らかく、そして固く包んでいきます。それを繰り返し大きくなったものが、真珠になるのです。

同じように、私も自分の生活の中に入り込んでくる異物、不幸を受けとめて、私しかつくれない真珠を自分の一生涯をかけてつくっていきたいと思っています。

苦しいこと、いやなこと、私たちにとってマイナスの価値しか持たないもの、それは必ずしも悪いものではありません。それがなかったら、真珠がつくれないのです。それがなかったら、感謝の息が吐き出せないのです。

そう思うときに、もしかすると、私たちの生活の中にいやなもの、苦しいこと、そういうものがあっても、それを受けとめて自分なりに、自分しかつくれない真珠に変えていける、

そのことを、ありがたいと思って生きなければいけないのかもしれないと思います。

毎日の忙しい生活の中で、私たちが木を切る手を休めて斧を見つめるということは、ふだん気づかない、しかしながら身の回りにたくさん転がっているありがたいものを、ありがたいと気づくゆとりを持つ、ということかもしれないと思います。

<転載終了>

 

幸運は不幸な顔をしてやってくる。そう言われるように、往々にして、いえ、全ての不幸、苦難、病気、別離は私たちの心を強くしてくれます。たとえ一時、悲嘆の涙にくれようと。

そのような時こそ、神さまは、私たちをいつも以上に気にかけ、見つめてくださっています。

そして、私たちが、涙も枯れ果て、その苦難を受け入れて、前を向いた途端、待っていましたとばかりに、幸せのシャワーを浴びせてくださいます。

それは、神さまの用意してくださった、試練を自分の力で、受け入れることができたからです。そうなれば、その結末が、どちらに進もうと、関係ありません。 どちらであろうと行きつく先は魂の幸せです。

  


せっかく 神さまが、幸福をくださろうとして、先に不幸に見える出来事を与えてくださっても、そこから目をそらし、何かモノや人に依存し、頼り逃げてばかりいたら、せっかく用意してくださっていた神さまの祝福を受け取ることができません。

泣いても、叫んでも、そして例え運命を呪う言葉を吐こうとも、そんなことは神さまに取ったらどうでもよいことです。「レ・ミゼラブル」はそんな映画です。

神さまが見ていらっしゃるのは、それをちゃんと自分のこことして受け止めたか?

受け入れたか・・・だけです。そんな経験ができるのも、そこが、神さまが私たちを置いて下さった場所だからです。 

神さまが私たちを置いて下さった場所では、いろんなことが起こります。笑いあり、涙あり、

現実はドラマチックで、ダイナミックに過ぎて行きます。

そこで私たちは、希望に胸を躍らせたり、時には絶望の淵に沈むかもしれませんが、その醍醐味を味わうために、ここに生まれてきました。

  


そのような沢山の経験と、感情を味わい、私たちは、もと来た世界に戻ります。形ある物を持って帰ることはできませんが、何物にも代えがたい経験は、持って帰ることができます。

そして神さまの用意してくださった、一見 苦しみに見える経験こそが、私たちの魂を練り上げてくれます。 

そしていつか、だれでも、きっとどんな不幸を吸っても、吐く息は感謝でありますように

そうなることができることでしょう。全ての経験を、感謝に変えることができた時、私たちは、もう二度と肉体を持ってこの地球に、生まれる必要はないのかもしれません。

「感謝」という行為こそ、私たち人間が神さまから与えて頂いた、最高の行為です。 

皆様が感謝の内に、日々を過ごすことができますように。


2021年4月22日木曜日

2309「優しい世界に」2021.4.22

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年04月13日の記事を紹介します


優しい世界に

コロナの影響は、まだ数年と続きそうですが、それでも、その先に、「一人一人の心が大切にされる優しい社会」が待っているとなれば、何とか希望の灯を消さず、耐え忍べます。

  


その後の社会では、アメリカでも中国でもEUでもなく、日本がリーダシップをとるのではないかと言われています。

それは、日本人の中に眠っているDNAです。

・法的な禁止措置を取らず、都市封鎖を行わないまでも外出の自粛に従う国民性

・東日本大震災(今回の予行演習)の悲惨な状況の中、規律を守り、助け合い、譲り合う多くの人々 

まさに和をもって尊しとする、争わず、敵対するものでさえ、包み込もうとする大きな大きな心を持つ日本人の特性が注目されています。

世界的なパンデミックという大きな災害が通り過ぎた世界で、世界中が、その優しい心を求めるのではないか?

何だかほっとして、生まれて来た目的をやっと少し思い出すのではないか? 

そんな気がします。 まさに日本人冥利に尽きますね(笑)

さて今日は「優しい世界に」というテーマです。

マザーテレサが、よく引用していた聖書の中のイエスの言葉を紹介します。

 

あなたたちは、 

・わたしが飢えていたときに食べさせ、

・のどが渇いていたときに飲ませ、

・旅をしていたときに宿を貸し、 

・裸のときに着せ、

・病気のときに見舞い、

・牢にいたときに訪ねてくれた

すると義人たちは答えて、

主よ、いつ 私たちはあなたの

・飢えているときに食べさせ、

・渇いているときに飲ませ、

・旅のときに宿らせ、

・裸だったときに服をあげ、

・病気のときや牢に入られたときに見舞ったでしょうか? 

主は答えました

まことに私は言う。あなたたちが私の兄弟である、これらの小さな人々の一人にしたことは、

つまり私にしてくれたことである(『マタイによる福音書』第25章)

 

私たちが、小さな人々に行った優しく、愛のこもった 善意の行為は、全て、神さまに対して行った行為であるとイエスは言われたのです。 

小さき人とは、社会的に立場の弱い人のことです。

・心身や精神の病気の人

・飢えている人

・苦しんでいる人

・貧しい人

・泣いている人

・困っている人

・孤独な人

などのことです。


さて、ここで山元加津子先生(元 石川県立小松瀬領養護学校教諭)とその教え子の きいちゃんのお話をご紹介します。

きいちゃんという女の子は、手足が不自由でした。そして、いつもうつむきがちの、どちらかというと、暗い感じのするお子さんでした。

そのきいちゃんが、ある日とてもうれしそうな顔で、「山元先生」と言って職員室に飛び込んできてくれたのです。

「お姉さんが結婚するのよ、今度私、結婚式出るのよ。ねえ、結婚式ってどんななの、私どんな洋服着ようかな」と、とてもうれしそうでした。

「そう、良かったね」と、私もうれしくなりました。

ところが、それから一週間もしないころ、今度はきいちゃんが教室で泣いている姿を見つけたのです。

「きいちゃんどうして泣いているの」と聞くと、

「お母さんが、結婚式に出ないでって言うの。 私のことが恥ずかしいのよ。お姉ちゃんばっかり可愛いんだわ。 私なんか産まなきゃ良かったのに」

とそう言って泣いているのです。

きいちゃんのお母さんは、お姉さんのことばかり可愛がるような方ではありません。 

どちらかというと、かえってきいちゃんのことをいつも可愛がっておられて、目の中に入れても痛くないと思っておられるような方でした。

けれど、もしかしたら、きいちゃんが結婚式に出ることで、例えば障害のある子が生まれるんじゃないかと思われたり、お姉さんが肩身の狭い思いをするんじゃないかというようなことをお母さんが考えられたのかなと、私は思ったりしていました。

きいちゃんに何と言ってあげていいかわかりませんでしたが、ただ、結婚式のプレゼントを一緒に作ろうかと言ったのです。

お金がなかったので、安い晒(さら)しの生地を買ってきて、きいちゃんと一緒にそれを夕日の色に染めたのです。それでお姉さんに浴衣を縫ってあげようと提案しました。

でもきいちゃんは手が不自由なので、きっとうまく縫えないだろうなと思っていました。

けれど一針でも二針でもいいし、ミシンもあるし、私もお手伝いしてもいいからと思っていました。けれどきいちゃんは頑張りました。

最初は手に血豆をいっぱい作って、血をたくさん流しながら練習しました。一所懸命に、ほとんど一人で仕上げたのです。

中村久子さん
ヘレンケラーが来日した際に、 口だけで日本人形を縫い上げました。

とても素敵な浴衣になったので、お姉さんのところに急いで送りました。するとお姉さんから電話がかかってきて、きいちゃんだけでなく、私も結婚式に出てくださいと言うのです。

お母さんの気持ちを考えてどうしようかと思いましたが、お母さんに伺うと、 

「それがあの子の気持ちですから出てやってください」とおっしゃるので、出ることにしました。お姉さんはとても綺麗で、幸せそうでした。 

でも、きいちゃんの姿を見て、何かひそひそお話をする方がおられるので、私は、きいちゃんはどう思っているだろう、来ないほうが良かったんだろうかと思っていました。

そんなときにお色直しから扉を開けて出てこられたお姉さんは、驚いたことに、きいちゃんが縫った あの浴衣を着ていました。

一生に一度、あれも着たいこれも着たいと思う披露宴に、きいちゃんの浴衣を着てくださったのです。そして、お姉さんは旦那さんとなられる方とマイクの前に立たれ、私ときいちゃんをそばに呼んで次のようなお話をされたのです。

「この浴衣は私の妹が縫ってくれました。私の妹は小さいときに高い熱が出て、手足が不自由です。でもこんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。高校生でこんな素敵な浴衣が縫える人は、いったい何人いるでしょうか。

妹は小さいときに病気になって、家族から離れて生活しなければなりませんでした。私のことを恨んでるんじゃないかと思ったこともありました。でもそうじゃなくて、私のためにこんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。

私はこれから妹のことを、大切に、誇りに思って生きていこうと思います」

会場から大きな大きな拍手が沸きました。きいちゃんもとてもうれしそうでした。

お姉さんは、それまで何もできない子という思いできいちゃんを見ていたそうです。

でもそうじゃないとわかったときに、きいちゃんはきいちゃんとして生まれて、きいちゃんとして生きてきた。

これからもきいちゃんとして生きていくのに、もしここで隠すようなことがあったら、きいちゃんの人生はどんなに淋しいものになるんだろう。

 


この子はこの子でいいんだ、それが素敵なんだということを皆さんの前で話されたのです。

きいちゃんはそのことがあってから、とても明るくなりました。そして「私は和裁を習いたい」と言って、和裁を一生の仕事に選んだのです。

<引用終了>


お姉さん、そして旦那様、 みんな素敵な方ですね。きっと心から信頼しあえるご家庭を築いていくことでしょう。きいちゃん。優しい家族のもとに生まれて来てよかったね。

昔は、よくありました。障害がある子どもが生まれると、家の恥とし、ずっと座敷牢なようなところに隔離し、死ぬまで人前に出さない。存在そのものを なかったことにすることが。

なんて悲しいことでしょうか。障害を持って生まれてきたことは、恥ずかしいことなのでしょうか?人に隠さなければならないことでしょうか?

障害を持って生まれたからと、一生 外にも出さず、狭い部屋で、飼い殺しのように過ごさせてよいものでしょうか?

私たちはどうでしょうか?障害を持つ人や、弱き人、貧しい人に偏見は無いでしょうか?

避けたり、見なかったことにしてはいないでしょうか?普通と違う、自分と違うと言う理由で、無視しては いないでしょうか?

マザーは愛の反対は、憎しみではなく無関心ですと言いました。

イエスは言いました。

あなたたちが私の兄弟である、これらの小さな人々の一人にしたことは、私にしてくれたことである心の中に、温かな愛はありますか?

お互いさま、お陰さまの、神さまの心は曇ってはいませんか? 

皆さんは優しいお気持ちを、持っていらっしゃいますか?

人を許す、広い心を、持っていらっしゃいますか?

全てのもの、ヒトを幸福に導く、感謝の心を、持っていらっしゃいますか?




2021年4月21日水曜日

2308「王の帰還」2021.4.21

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2021年4月9日の記事を紹介します。 


澤野大樹氏青森講演2Daysを終えてのインタビュー

https://ameblo.jp/riyanmichaki/


こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。 

お陰様で、第8回、弘前と八戸にて開催された青森2Days講演会は無事に幕を閉じました。

今回の第8回は、前回の第7回からの続編的な内容となりました。

第8回ともなると、実に奥深く、その内容を理解するには、もはや多次元的視座を備え、

覚悟を決めて挑まなければ到底「風」に吹き飛ばされてしまうレベルのものでした。

私個人としてはそう感じたわけですが、受講されたみなさんがとても素敵な笑顔で帰られていたのが印象的で、お忙しい中、青森のみならず、遠方よりお越しくださいましたみなさまには、感謝の気持ちで一杯なのでございます。ありがとうございました。

 

――早速ですが澤野さん、先日は青森講演会2Daysお疲れ様でした。「第8回目」となりましたがいかがでしたか? 

 

本当にお疲れ様でした。まず無事に青森に辿り着けたことを神に感謝します。いつもの通り、弘前と八戸では少し内容が変わりましたね。

その時々、そしていらしてくださったみなさんの表情や雰囲気を感じながら、少しずつお話する内容が変化することがとても面白いことだと思いました。たくさんのみなさまにご参加いただき、本当に気持ちよく講演させていただきました。ありがとうございました!

 

――さてようやく青森⑧活字版が発売となります。今回は事前に講演会のタイトルは

出されませんでしたね。

 

基本的にはタイトルはあまり気にしていないのです。でも、いつからかなんか一度タイトル付けちゃったものだから、先に掲げないといけないような雰囲気になってしまったので、

事前に付けることもありますが、基本的にタイトルはあまり気にしないでください。

その時々でもっとも適切な内容が調整されます。

 

――今回は講演会終了後に正式にタイトルを付けましたよね。

 

そうですね。今回の「第8回」は前日までに原稿を執筆しながら、自分でも結論がわからないままでした。次の行でどうなっていくのか自分でもハラハラして書きました。

結局、『王の帰還』というタイトルがもっとも相応しいと思いました。

 

――ロード・オブ・ザ・リングの最終章と同じタイトルですよね。

 

そうそう。これはじつは深くてね。

 

――深い?

 

「一つの指輪」を「ソロモン王の指輪」と仮定するといろんなことが想起されてきます。

その指輪を「滅びの山」に捨てに行くのがホビット族のフロドなら、それを虎視眈々と狙いながらも道案内として同行するゴラムも元々はホビット族のスメアゴルだった。

ゴラムだって元は純粋なホビット族だった。スメアゴルの友人のデアゴルが、たまたま偶然、川の中で「一つの指輪」を見つけてしまった。

スメアゴルはその「一つの指輪」の魔力に魅せられてしまい、デアゴルを殺してしまった。

ここからスメアゴルはまさに鬼化してゴラムへと変貌してしまった。この瞬間にホビットはいわば分裂したわけでしょ。ゴラムという巨大な象徴が、ホビットから分離し鬼と化した。そして「この物語は、純粋なホビットと、鬼化したホビットによる「一つの指輪」を巡る相克ですよね。

これって、北イスラエル王国10部族と、南ユダ王国2部族による「ソロモン王の指輪」を巡る因縁の相克と非常に似ていると勝手に想像しているのです。

 

――確かに古代ヘブライの歴史とシンクロしているように思えます。

 

トールキン自身はもちろんそんなことはアナウンスしていないでしょうけど、私個人としては関係しているとしか思えないのです。

 

――その流れから『王の帰還』というタイトルになったのですか?

 

活字版原稿を全部書き終えて、さあではタイトルはどうしようかな、と思ったときに、もはやこれ以外には無いなとすぐに決まったのです。ですので、タイトルが決まったのは講演会の直前でした。

 

――実際に講演会に主催者として参加しましたが、まさに『王の帰還』というタイトルは

ピッタリだと思いましたよ。

 

そう言っていただけると嬉しいです。

 

――ひと言に「王」と言ってもいろいろありますね。

 

そうなのです。「王」もじつはフラクタルなのだということが、今回の講演会において最重要な部分となりました。

 

――フラクタルな「王」、このことは本当に想像の範疇を超えてきました。

 

それは私も同じ気持ちなのです。私は結末を知らずに執筆していますから、最後にいつも「こうなるのか!」とか「そう来たか!」とかひとりで欣喜雀躍しているのです。

 

――それはかなり独特な執筆方法ですよね?

 

だと思います。

 

――どのような状態で執筆されているのですか?

 

精緻なディテールと明後日からの直観を、共存させて成立させなきゃならないから、私に求められる態度というものは、とにかくリラックスすることと、「受け容れ態勢」を整えることですね。あとは自動化されていますので、私はキーボードをパチパチ打つだけです。

 

――資料を仔細に調べたりする物理的なことと、そこに直観をまとわせることとの間にどのように整合性をつけるのでしょうか?

 

資料集めやデータ調べなどは、じつはきわめて枝葉末節な三次元物質世界での「作業」です。

一番大切なことは三次元には存在しません。一番大切なこととは、「宇宙に対して謙虚である」ということです。つまり「無知の知」です。この両者が均衡して初めて「アラハバキ」を成すことができます。

 

――「無知の知」は澤野さんは講演会でもいつも言っていることですね。

 

もう8億回くらい言っていると思います。「己がまだ何も知らないのだということを知る」

これが無知の知です。この無知の知を阻害するものやことが眼前に現れたならば、想定し得る以上の「返り討ちシステム」を発動させてもかまわないと言い切れてしまうほどこの無知の知だけは死守しなきゃならない。

 

――ソクラテス以来、2400年以上の月日が流れましたが、「無知の知」は現代でももっとも難しい心的態度であるかもしれませんね。

 

そうそう。人は何かを知るとそれを誇りたくなるし、他人に言いたくなるし、自分には何か特別な優位性が備わっているのだと誤解するようになりますよね。

 

――今回の講演会でもそのようなお話をされましたよね。

 

ノイジー・マイノリティの本質と、侵略と憑依がきわめて近似しているというところですね。

 

――ラスト1時間は本当に椅子から転げ落ちそうになりました。

 

だって話をしている私がそうなのですから。

 

――「マスクに関する4つのステップ」も斬新でしたね。

 

あれには私も驚きました。「マスク」にはそれぞれの意識解像度の度合いによって、4段階の意味があるというお話でした。

一番浅い「第一階層」に位置する者にとっては、「マスク」とは「抵抗し戦うもの」と映ります。しかし「第4階層」に位置する者にとっては、想像もつかないまったく別の意味として存在している。

このような深層領域での意味については、どこをどれだけ調べても見つけることはできないものです。私はその部分にこそ注力していきたいのです。

 

――「宇宙」というものに対する認識が、ここへ来てかなり大規模に変化してくように思えます。

 

この「ひとつ」の地上世界を共有する77億人ですが、そこに展開される「世界」は77億通りある。この「世界」とは「宇宙」と同義でありますし、その根底は「ひとつ」として融合していますので、いわゆる「地球」と便宜上呼ばれているこの星において、人類の宇宙は「ひとつ」しかないのです。これはつまり「地球人類専用宇宙」ということです。

 

――でもそこに「入れてはいけない存在」を召還していたのですよね。

 

そう。つまりこの地球人類専用の宇宙の秩序を乱した存在がいたね。

 

――それによってこの世界に何か変化が起きましたか?

 

それが原因で古代イスラエル統一王国が「北」と「南」に分裂させられてしまった。

 

――その分裂にはどのような意味があったのですか?

 

「南」は宇宙そのものからペナルティを食らったということ。

 

――ペナルティとはどういうことですか?

 

わかりやすく「ペナルティ」と言いましたが、このペナルティを受けたその後の彼らのことは、「ヤハウェから呪われた人々」と表現した方が適切です。

 

――「呪われた」と受動的ですが?

 

そうそう。厳密に言えば、ヤハウェは理由もなしに呪うようなことなどするわけない。

そもそも呪われるに値する行為をしたから呪われたわけだよね。でも彼らはそのことを絶対に表に出したくないし、まだそのことを知らない人たちにはバレたくない。だから「呪われた」と被害者を装う必要が生じた。

 

――「呪われた」ということの本当の理由が、じつは自分たちの側にあったということが、

彼らにとって思わぬ秘密として巨大化していったということでしょうか?

 

その「呪い」は、信仰上の云々とかいうレベルではなくて、この地球人類専用宇宙を消滅しかねない大惨事を招来したかもしれない重大な規約違反だったわけですよ。今でも彼らは欧州で「CERN」とかでかつてと同じことを繰り返そうとしていますでしょ。

(※「CERN」=大型ハドロン衝突型加速器)

 

――むしろ開き直ったと言った方が良いですか?

 

低層四次元から召還した「人口」がある程度の数に達したのだろうと思います。だから強気になって油断したのかもしれません。

 

――彼らは科学技術の粋を集めて一体何をしているのでしょうか?

 

いやいや、そもそも魔術に普遍性と再現性をもたせるための研究のことを「科学」と呼んできたわけですし、それは現在でもまったく変わらないことですよ。

パラケルススのホムンクルスは、現在では「iPS細胞」として連綿と引き継がれています。

 

――現代のバビロン系魔術師はスーツを着て教育テレビに出演しているということですね。

 

そうそう。つまりこの世界において最優先されるファースト・オピニオンというものは、

そんな科学者たちによる「エビデンス」だということだね。

 

――話は戻りますが、彼らが自ら背負ってしまったその「呪い」というものは、もうどうしたって取り返しが付かないレベルだということですよね?

 

そのとおりです。いくら謝ったところで時すでに遅しとなった。彼らは祖国を失い彷徨うだけの流浪の民となった。

 

――それが結果として人様の国に憑依するという技術を鍛えたということですね?

 

そうなんだよね。しかしそれだけじゃない。彼らは人様の国に憑依しただけでなく、自らが受けたその「呪い」という、到底解決することのできない呪縛を糊塗するために、その国の国民、あるいは全人類に対して、自分たちがやってきたことと同じことを踏襲させて、それこそその「呪われた所以」に加担させ、片棒を担がせようとしたわけだよね。

 

――知らず知らずのうちに共犯関係にさせられていたということですか?

 

それこそが「ノイジー・マイノリティ」たちが、これまで全世界でやってきたことだった。

だから彼らは世界を頽廃(たいはい)させようと躍起になった。

 

――でもそうは問屋が卸さなかった。

 

そうそう。今回、そんなノイジー・マイノリティたちの世界覇権構造が、トランプ大統領勢力によって破壊されたというわけだ。

 

――トランプさんによって破壊されたもののその根幹とはどの部分でしょうか?

 

この根幹というのはつまり、「地球人類専用宇宙」以外からのアクセスを遮断したということ。次元の扉が破壊され、閉じられたということですね。

しかもそれが二度と開くことのないように。これまで彼らが蓋をし封印してきたことと同じように、今度は彼らが封印されることとなった。

 

――その「破壊」とは物理的なものでしたか?それとも霊的で多次元的なものだったのでしょうか?

 

両方だと思いますよ。「ひとつ」であるヤハウェという「宇宙」を乱し、「新しい神」としての偶像を創造し、この世界に君臨してきた彼らの前途は断たれた。彼らが構築したのは人類の霊的な支配が先だったから。

 

――その結果、一般の私たちへの影響はどうなりますでしょうか?

 

彼らが創作した「新しい神」の登場によって、私たちも「ひとつ」から引き離され、この世の神とは違う「偶像」を拝まされてきましたよね。でもそれが終わったということです。

ということは、これから「元のひとつ」に回帰するということです。

それは決して「新しいもの」じゃない。ただ私たちが忘れてしまっていただけです。

それを私たちが思い出すにあたって、かなり大きな心理的影響は当然あります。

その回帰に至る道程において、いろいろな「宇宙情報」というものが開示されていかなきゃならないということですね。 本来ならば知っていて当たり前の情報だったのです。でもそれらは厳重に封印されてきました。

これから開示されていくであろう「宇宙情報」のまず第一とは、「宇宙とは何か?」から始まるものと私は思います。それはこれまで蓄積してきたあらゆる「最新情報」とは明らかに異なる内容となるでしょう。

多くの人たちがそれを聞いて、違和感を覚えるだろうし、これまで確立してきたはずだと

思い込んできた自己の大部分が否定されていくようなことになります。

そこで怒って不機嫌になり、それらの情報を受容することを拒否する人も多く出るでしょう。自分で規定した誇らしげな自己を超越してしまう部分には目を瞑るか、あるいは見なかったことにするしかないからです。

それはきわめて個人的な葛藤を生むはずです。しかもそれはかなり激烈で苛烈な葛藤となります。眼前の懸案というものが、内在自己、つまり「みかん」の投影によるホログラムだったということを認めるということには大変な勇気が必要だからです。 

そんな激烈で苛烈な内在自己での葛藤の中に、カバールDS掃討作戦が含まれているのだということ。それを認める勇気の発露を阻害するものが、それまで長い年月をかけて本人が固着させてきた自尊心、プライドということになります。

自尊心やプライドというものは、自らの狭窄なアタマで作り上げられたじつは「物質」ですから、押し寄せる夥しい量の多次元世界情報に対して、もはや均衡を図ることができなくなってしまうのです。

そうなった場合は、その者は、そんな己を守るためにと、多次元領域との接続を自らキャンセルする選択をするでしょう。

 

――大変なことになっていくのですね。カバールDS掃討作戦を他人事のように眺めて、これから自動的に次の時代へ移行できると思ったらそれは違うのだということなのですね。

 

ことスピリチュアルの世界においては、77億人いたら77億個の宇宙、世界があるんです。

つまり「仲良しクラブ」が成り立たない。この世で孤独死以外で亡くなった人はひとりもいないのです。生きている間は「みんなと一緒」と付和雷同してきても、死ぬ時は誰も決して

一緒には死んでくれない。このことをしっかり認識しておく必要はありますよ。

 

――さていよいよ青森講演会「活字版⑧」がリリースされますね。

 

あっという間の「第8回」となりました。この活字版には、これから私たちが体験していく

「666の時代」の本質が述べられていますよね。私たちのきわめて身近にありながらも、

それらの多くは明治維新以降に創作されたファンタジーであり、すなわち虚構であったことを紐解きながら、しかしそこにですらヤハウェはコードシェアしていたということがわかります。ぜひご活用いただければ嬉しく思います。まもなく「王の帰還」が起こります。

その瞬間を見逃さないように!!

 

――澤野さん、ありがとうございました!

 

こちらこそありがとうございました!(澤野大樹)

  

日本一の美しさを誇る弘前公園の桜は、例年より早く、4/19頃開花だそうです。

ちなみに弘前は現在、雪が降っております。。

さて、澤野氏がずっと伝えていることは、大切なのは基礎(はじまり)ということです。

これからの「元に戻る世界」とは、今までの延長線上にはないまったく違う世の中が展開されていきます。

澤野氏が解く「ひとつ」とはワンネスでも統合でもなく、「宇宙」も、お空に繰り広げられる宇宙ではないということ。

「ひとつ」にしろ「宇宙」にしろ、「古代ヘブライ」、「縄文」、「アラハバキ」「右と左」も

ひとつでも自分都合で勘違いし、自分に合致するものだけをチョイスして「答え合わせができた」などと我田引水してまうと、「風の時代」の突風にいとも簡単に吹き飛ばされてしまう、それだけ、シビアでセンシティブな内容だということです。

 

青森第⑧回活字版原稿の受付開始のゴーサインが澤野氏から出されましたが、澤野氏が話されていた通り、活字版原稿は、澤野氏のエネルギーそのものです。満身創痍、命懸けで

情報を執筆されておられます。学校の教科書は回し読みなどしませんよね。一人一冊です。

活字版は、決して、コピーや、回し読みなどされませぬよう、宇宙の叡智である唯一無二の

エネルギーが半減されませぬよう、内容もSNSやブログ、ネットなどで公開なさいませぬようお願いいたします。

 

講演会や活字版原稿の内容を澤野氏の名前を伏せて自分のものとし、グループなり、セミナーで話す、許可なくコピーして配る、という人がかつておられたそうです。(最近もありました)そのような行為は盛大に『見えない請求書』が届けられることとなりましょう。

『見えない請求書』に関しましては、澤野氏は2008年に『アレテー』というタイトルで

講演をされたことがあります。(DVDは完売終了)

それだけで3時間講義ができてしまうそうですので、近々、お話してくださるかもしれませんが。

大切なこととは何でしょう。よほどの注意を払ってでないと、気が付かぬうちに、無意識のうちに不本意にも澤野氏の言説の真逆の方向に行ってしまうケースが少なからずあります。

これは当の本人さえ気づくことが難しいのです。

「私はまだ何も知ってなどいないことを知る」この「無知の知」をしつこいほど念頭においておかないと、いとも簡単に真逆になってしまいます。

 『親方思いの主倒し』ということになりませぬよう、どうか、よろしくお願いいたします。

『宇宙の叡智は「無知の知」にしか降りてこない』これを肝に銘じていきたいものです。


2021年4月20日火曜日

2307「神さまとの約束」2021.4.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年04月11日「神さまとの約束」と2021年04月12日「神々が目指す社会」の記事を紹介します。


「神さまとの約束」

今日は、「如何に自分の魂を輝かせるか?」簡単な例でご紹介します。

私たちを取り巻く現実は私たちの心が作り出しています。

私たちの心が清らかで温かければ清らかで温かな心の人々に囲まれ幸せに暮らせることでしょう。

私たちの心が濁り自分さえ良ければ・・ の心であれば、同じような心の人が集まり、殺伐として心が落ち着かない辛い世界に生きることになるでしょう。 

今日は、その大切な心を清めるためのお話です。 

日々の地道な積み重ねが、私たちの魂を輝かせてくれます。私たちは生まれるとき、神さまから魂をいただきました。みんなその魂を、自分の真ん中においています。 

私のブログではよく「神さま」という言葉が出てきますが、それは宗教的な意味ではなく、例えば 

・サムシンググレートでも

・ハイヤーセルフでも

・アメノミナカヌシでも

・宇宙の意思でも構いません。

要するにすべての生命体の源の意味として使っています。

さて今日は 醍醐千里さんという、二人の子どもを持つ中学校の先生のお話です。

何気ない日常の生活の中で私たちは、沢山の分かれ道に遭遇します。

私たちの心を美しく保つことは、何処かの誰かがしてくれることではありません。 

神様がしてくれることでもありません。

沢山の神社仏閣を回っているから大丈夫でもありません。

大金を払ってヒーリングしてもらったから大丈夫でもありません。

前世、有名な人だったから大丈夫でもありません。

全ては、今生きている、私たちの日々の心掛けにかかっています。

<引用開始>


魂は磨けば磨くほど光ります。 漢字の練習を一生懸命しました。魂は昨日より光ります。 

電車でおじいさんに席をゆずりました。 魂は昨日より光ります。 

弟におやつをあげました。 魂は昨日より光ります。 

今日はごめんねが言えました。 魂は昨日より光ります。 

あの人にありがとうが言えました。 魂は昨日より光ります。 

頑張ることや、誰かや何かに優しくすることは、魂を磨きます。 

けれど頑張ることや、優しくすることだけではなく、

楽しいこと、うれしいことも、 魂を光らせることが分かりました。 

友だちと楽しく大笑い。 魂は昨日より光ります。 

誕生日のプレゼント。 魂は昨日より光ります。 

楽しいことやうれしいことも魂を磨くと知って、 私はなんだかホッとしました。 

ある日、掃除をさぼって友だちと遊びました。 

友だちと楽しく大笑い。 けれどその日、自分の中の魂を見て驚きました。

あんなに楽しく笑ったあとだったのに、 魂は光るどころか曇っているのです。 

ある日、友だちからネックレスをもらいました。 お店から盗ってきたネックレスだと言います。欲しかったものなので、 よく考えもせずにそれを受け取りました。 

その夜、魂を見てみたら、その日もまた魂は、 昨日より曇っていました。 

ある日、一人が言いました。 「ねぇ、あの子、気に入らないよね?」

あっという間に、その子はひとりぼっちになりました。 

私は、その子をひとりぼっちにさせる側にいました。

その輪の中で私には、急に仲間が増えました。

新しくできた仲間とともに、 おもしろおかしく過ごしました。 

そんな日々を送る中、 私は久し振りに、自分の中の魂を見てみました。 

私の魂は真っ黒になっていました。 

私は、自分の魂の色を見て、 とても恐ろしくなりました。 

楽しいこと、うれしいことの中にも、 魂をくもらせること、 魂を濁らせることもあると分かりました。 

楽しいこと、うれしいことには、 2種類あると分かったので、これからは、 気をつけていかなければならないと思いました。 

毎日魂を磨き、 毎日魂の様子を見ているうちに、私は不思議なことに気がつきました。 

磨いたつもりのない日でも、 魂の輝きが、増しているときがあるのです。 

そういう日の一日を振り返ってみると、 その日は、きれいな花を見たり、美しい夕焼けを見たり、 そういう日だったことが分かってきました。 

映画を見たり、本を読んだり、音楽を聴いたり。 そういうことでも魂を、磨くことができるのです。 

楽しいことやうれしいこと、 目にした景色や、聞こえてくるメロディ、あたたかな言葉。 

その日その日のなんでもないことも、 私の魂を磨き続けてくれたのです。 

できるだけ魂を光らせようと、毎日を送っていましたが、 ある日、私は少しだけ疲れてしまいました。 

夢の中で私は、神様に会いました。 夢の中で私は、神様に聞いてみました。 

神様、私はいつまで魂を磨けばいいのですか。 私の魂は、いつ完璧に美しくなるのですか。 

神様は言いました。 あなたは、あなたの最後のひと呼吸まで、 魂を磨き続けなさい。 

みんなその約束をして、地上に生まれているのですよ。 

でも、神様、磨き終わらないうちに、 最後のひと呼吸がきたら、 どうすればよいのですか。 

心配しなくて大丈夫。あなたの魂は、最後のひと呼吸のとき、 必ず、最高の光を放ちます。 

神様、私にはその自信がないのです。 

あなたは、毎日魂を磨いています。 だから大丈夫。 

最後のひと呼吸のとき、 魂はそれまでで一番美しい姿を見せてくれます。

何も心配いりませんよ。あなたの魂は毎日、昨日より輝きを増しているのです。 

ときどき、自分の魂を、離れたところから見てごらんなさい。

あなたの魂があなたの体を越えて、 まわりに光を与えていることにも、 気づくことができるでしょう。 このごろでは、あなたの魂の輝きで、 道を明るくする人も増えてきました。 

さぁ、戻って、魂を磨いてきなさい。 毎日を楽しくうれしく感謝の気持ちで送るのですよ。 

そうするとあなたの魂は、キラキラと光を強くしていきます。 

あなたがここに来るのは、まだまだずっとずっと先。あなたの人生を、楽しんでいらっしゃい。 あなたがどんなに素晴らしい魂を持って、ここに帰ってくるか、私はそれを楽しみにしています。 

目が覚めた私は、 それまで気づかなかったことに気づきました。 

昨日より今日。 今日より明日。 私の魂は輝きを増し続け、毎日新しく生まれ変わります。 

そして必ず、その日の魂が1番光る魂。 

魂を磨くという 少しの努力、優しい気持ち、そして うれしいこと、楽しいこと。 

日々の中に散りばめられた美しいもの。 

神様との約束を思い出したので、私は、なんにも心配しないで、毎日を送っていくことができそうです。 

なんにも心配しなくても、 私の魂は、昨日より光ります。 光り続けます。

<引用終了>


醍醐先生は、新米教師の頃は、生徒との関係も、授業もうまく行かず、朝起きるのも、教室のドアを開けるのもつらくなってしまったといいます。

29歳で二人の子の母となり、二度の育児休暇中に母親業に徹することで、教員の在りかたに親としての視点が持てるようになり、その結果学校での姿勢も少しずつ変わっていきました。その頃から、奇跡が訪れるようになったそうです。

行事やクラスのトラブルに、大どんでん返しのミラクルが起こり、うまくいくようになった。

教員だった両親が教えてくれた言葉、

・正しいと思うことを貫く姿勢

・自分の心を磨くこと

この二つを胸に、がむしゃらに突き進んだのだそうです。

私たちは、みんな生まれてくる時に神様と約束してきました。

「最後のひと呼吸まで、魂を磨き続けます」って。。


「神々が目指す社会」

コロナウイルスという手段を使い、神々が何をなさろうとしているか?

今日は、具体的に私たちの暮らしがどのような方向に向かうのか、書きたいと思います。

世界中ロックダウンした国も多くなってきました。これは要するに外出禁止令です。

収縮から離散へ、一つの統一社会から、個々の社会へ

つまりヨーロッパなどはEU構築時の理想とは正反対のバラバラな状況になってきました。

日本でも同じようなことが起きています。その結果、何が起きるかと言えば、

■家庭においては

・今まで社畜のように働いていた両親が家にいる

・子供たちも学校に行けなくなり家にいる

・家族と過ごす時間が、濃密なものとなる

■社会においては

・外国人入出国禁止

・世界的なサプライチェーンの崩壊

・産業の海外進出の停止

・留学等での海外渡航の停止

この結果、社会構造的には、今までの金の亡者たちが音頭を取って進めていた、金儲けのためのグローバリズムは、停止し、皆の意識が、自分の国に向けられます。

具体的には、もっと小さな単位、住んでいる地方に向けられます。

家庭においては、今までバラバラだった家族が、強制的に物理的に一つにまとめられていきます。

もちろん、その息苦しさから、イライラしたりDVに走ってしまう人もいるでしょうが、それが収まるのも時間の問題です。

結局は、その事態を受け入れるしかないのですから、人は自ら崩壊の道を選ぶほど、まだ愚かではありません。 

いままでの、この200年間進められてきた、「経済と物質」中心の世界は、 

・金融資本主義社会、

・お金がすべての社会、

・お金や武力の力で人を支配しようとする社会

これらは、全て恐怖で人を支配しようとするものでした。 

お金が無ければ、破滅するという恐怖から、私達は今まで、上へ上へと、人を押しのけてでも、良い学校、良い会社に入り、お金を沢山稼ぐことが良いことであるかのように教えられてきました。

自分さえよければよい、お金さえ儲かれば、人のことなど構わない。

仕事のできないものは排除せよ

効率主義、能力主義、

極限まで人件費を削る企業体質

人件費を減らすため正社員を減らし、自己責任の元、非正規労働者を増やす政策

国民には真実を何も知らせず、利権の為に、広く浅く、生かさず殺さず税金をむしり取る政策

ですが、今まさに起こっていることは、これらと決別し、真っ向から逆の道に進めようとさせる動きです。精神性の復活に向けて、大きな時代のうねりが始まりました。 

神々は、コロナウイルスのパンデミック化という、たった一つの手段を使い、その大きなうねりを起こし、一人一人の心が大切にされる「精神性の復活」の時代へ舵を切ったのです。

 

今までとは逆の道とは・・・ 

・家族が、顔を合わせ仲良く暮らす

 (今までは家族を犠牲にしてまで仕事をしていました)

・利益を求め、外へ外へと出ていき、弱い外国から搾取する時代が終わり

 地域コミュニティーが活気を取り戻し、一人一人が地域を大切にする

・悲しみ、聖なる諦めを経験した私たちは、 共感力が高まり、人に優しくなれる

 (今までは、自分さえ良ければ、人はどうでも好い世の中でした)

・生きるために、必然的に人と助け合う心が芽生える

 (今までは、人をだまし、搾取し、自分だけが良い思いをしようとする人が大半でした)

まさに、神々が作ろとしている世の中です。

そこまで行きつくには、もう少し時間がかかるかもしれません。

まだ、コロナウイルスの持つ「金」の特性、「悲しみ」や「ウツ」。 

それらを味わい、意識の方向性が、心の内側に向き、悲しみの本質である、「慈しみ」、「慈悲」の心を味わう必要があるからです。

ですが、その方向性さえしっかりと持っていれば、

決して失望することも、あきらめることも、自暴自棄になる必要はありません。


神々が行うことに、破滅や絶望など決してないからです。

どんな状況が来ようと、笑顔と感謝で受け入れて、流れに任せていれば、いつの間にか、世の中が変わり、(実際には、人々の心が変わるのですが)美しき世の中になることでしょう。 

どうぞ、笑っていてくださいね。

 


2021年4月19日月曜日

2306「ミロクの世」2021.4.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年04月09日「今世界で起きていること」と2021年04月10日「ミロクの世の仕事」を紹介します。


「今世界で起きていること」


昨年から始まったコロナによるパンデミック、世界がこのように、一気に変わってしまうことを予想していた人がいたでしょうか?

変化は突然起こり、私たちは渦中に巻き込まれ、 一気に強制的に変化させられました。

生活も、仕事も、ライフスタイルも子供も大人も、お年寄りも・・

果たして、コロナウイルスが収束した後に、 私たちはまた元の生活に戻れるでしょうか? たぶん、もう後戻りできません。

何故なら、収束した後、私たちは一種の正気に戻るからです。

収束した後気づくのは、あのままの時代が続いていたら私たちは、どのような悲惨な状況まで落ちていたか?

トコトンまで行ってしまっていたのではないか?

もしかしたら人間の良心を失っていたかもしれない。そんなことだと思うのです。

何故なら、コロナウイルスが発生する前までの世界、「経済と物質」中心の世界は、

・金融資本主義社会、

・お金がすべての社会、

・お金や武力の力で人を支配しようとする社会

恐怖で人を支配しようとする動きが究極のところまで来ていたからです。


コロナウイルスが収束した時、夜明けの時、このパンデミック発生前に、私たちが、どのような悲惨な状況に直面していたのか? 気づく時が必ず訪れます。 

神々の計画(許し)で、コロナウイルスが世界中に蔓延した。

今まで名前も聞いたことがないし、想像すらしていなかった事件。

その結果が、

・今までの生活

・社会の状況を一変

ごく一部の権力者や、金の亡者のために99%の人々が、恐怖心にしばられ、疲労困憊(ひろうこんぱい)している時もうこれ以上、生きていけない、耐えられないという時に、神々の許しを得て、コロナウイルスが発生しました。

その結果、表面上は、あらゆるもの、既成概念の破壊が起こりました。それもごく短時間の間に、一気に起こりました。まさに国常立尊、弥勒菩薩の降臨のようです。

 

これが終わったとき覚醒した私たちは、誰もがコロナウイルス発生前の、あんな時代に戻りたいなどと思わないことでしょう。


今までは、一番大切な命を削り、お金のため、利益のために働いていた異常な時代だった。

そう気づいたとき、新たな時代、命を守る時代が始まります。

もう、

・お金のために眠らずに働く時代

・お金のために人を蹴落とす時代 

そんな時代は、神々の建て替えにより強制終了させられました。

後戻りはしません。

命を守る時代

・自分の命

・家族の命

・身近な周りの命

・生きとし生きるものの命

命を大切にする時代が始まります。 


夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。 

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。



「ミロクの世の仕事」


テレビを付ければ、ひっきりなしにパンデミックの話題ばかり。

外出の自粛要請が出ているため、どこへも出られず、友人とも会えず、ますます、うつうつとした気持ちになり、ストレスが溜まってらっしゃる方も多いと思います。

ですが、せっかく家にいらっしゃるのなら、今まで・・・

・何を一番大切に思ってきたのか?

・家族に優しくしてきたか?笑顔を向けてきたか?

少し振り返って見るのも良いかもしれませんね。

神々は、今までの人類の方向性を強制的に変えるために建て替えを行ったのですから。

さて今日は、建て替え後の、ミロクの世の初期段階でどのような仕事や活動が主流となっていくのか?考えてみたいと思います。


今までの

・お金のために眠らずに働く時代

・お金のために人を蹴落とす時代

そんな時代は、神々の建て替えにより強制終了させられました。後戻りはしません。

神々が目指す、これからの世界は、命を守る時代

・自分の命

・家族の命

・身近な周りの命

・生きとし生きるものの命

命を大切にする時代が始まります。

またこれからは、今までの世界を股にかけて、金儲けするグローバリズムや、大資本の会社の時代ではなく自分の住む地域、地方の時代になります。


例えば

■今迄の大資本のフランチャイズ的な全国画一的な(同じような)サービス。

■同一規格のものを大量生産し、コストを下げ、マスコミを動員し、印象操作し大量に販売。

■相手の心の見えない、機械的な温かみの無い商取引

は無くなっていくことでしょう。 

逆に昔ながらの近所の商店、気心の知れた店主サザエさんの三河屋さんのような地域の要望にきめ細かにお答えする御用達(ごようたし)まさにお金をあまりかけない、顔の見える、心の通う、仕事、サービスが求められることでしょう。

また、弱い立場の人を守るための仕事やサービスも流行ってくることでしょう。

何故なら今迄の社会の風潮、物やお金が最優先そっちの方が、人間や心よりもっと大切。

そんな時代では、弱者切り捨ての風潮が世の中全体に蔓延し、その結果、社会を不安定化させてきたからです。 

もし私が 

・リストラに会って、職を失ったらどうしよう

・病気になって入院したら、どうやって暮らしていけるのか?

・病気の家族が居たら、肩身の狭い思いをしなければならないの?

そんな不安と、恐怖が常に 誰の心にもあったからです。


ミロクの世の初めの仕事、サービスとしては、弱者や弱い立場の人を、守り、安心させるところから大きな仕事となることが予想されます。

できるだけお金を掛けず、スタートし、

・手間暇かけて

・どうやったら利用者が笑顔になるか知恵を出して

・真心を込め 

そんな地域に根差したサービスや仕事は、神々の意にかなっています。

時代の流れに乗っていますから、大きな奇跡が起き、成功することでしょう。

そのようなことは、今までの大企業、大きなフランチャイズ、画一的なサービスを大規模に展開してきた、お金持ちたちには到底できない仕事です。 

時間のある方は、是非考えてみてください。

ワクワクして、いつの間にか、お顔がニコニコしていることでしょう(笑)

そんな心が豊かに暮らせる社会の実現はもうすぐそこまで来ています。

 




2021年4月18日日曜日

2305「神さまにお任せ」2021.4.18

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年04月08日の記事を紹介します。


神さまにお任せ

いま世界中で蔓延している、コロナウイルス。これによって引き起こされた現象は、不安で悲惨な物であっても、全ては神々の手による、世の中の建て替えです。

その先の未来には、明るく美しい景色が広がっています。


全て、神々のなさるに任せ、私たちにできることは笑顔で感謝の心で、周りの身近な方々と

助け合って生きていく・・ それだけです。

さて、ブログで、よく 「神さまにお任せ」すると書きますが、その具体的な意味を小林正観さんが書いていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 


■ 宇宙に自分の運命を委ねる

私は

・事故に遭うこと、

・病気になること、

・死ぬこと、

・仕事に関すること、

・財産に関すること

など全て

・宇宙任せ

・神任せ

にしています。「好きにしてください」という状態なのです。あるところで、ある示唆や、暗示的偶然の重なりが必ずあります。その示唆に対し抵抗しない。

「こうしてみたら」という宇宙的示唆を感じたらその通りにする。生き方、仕事、全て、私はそういう「流れ」が感じられたとき、それが宇宙からの示唆だと思い、その示唆を指針としてきました。

宇宙からの「示唆」を素直に受け、自分の好き・嫌いなどという感情や価値基準は二の次にします。「偶然」的なことが二つ以上重なったなら、きっとそこには何か宇宙的意志があるに違いない、それに素直に従う。

シンクロニティ、意味のある偶然

流れに乗り、そのままイカダで下って行くのです。「宇宙的意志」が感じられたらそう動く。

「引っ張られる」という感覚でもあります。宇宙に自分の運命や運勢を委ねてしまう。

宇宙的流れがどちらを示唆しているかだけを考える。そしてそれに従って動く。私はイカダを浮かべているだけです。

■ 災難を避ける方法

良寛和尚がある人から「災難を避ける方法」を尋ねられたとき、こう書き送ったと言われています。

・災難に遭うときは遠慮なく災難に遭いなさい

・病気になるときは遠慮なく病気になりなさい

・死ぬときは、遠慮なく死になさい 

それが災難を避ける最良の方法

災難も病気も死も、宇宙が色濃く関っているに違いないのです。そういう分野のことは、

「宇宙」や「神」にお任せしてしまう。委ねてしまおうというわけです。

生きることが間違いなく楽になります。

■ 宇宙の声を聞く

今の職場をやめたいとか、今の人との結婚をどうしようとか、そうした問題に苦しんでいるときは、よく耳を澄まし、よく目を見開くと、いくつかの現象が同じ方向を示しているものです。

その「宇宙の声」が分かり始めると楽しい。さらに、素直に受け入れるほど、宇宙はどんどん「示唆」をくれるようになります。自分の運命や運勢は「宇宙」に委ねてしまう。

・生きること、

・死ぬこと、

・老いること、

・病気すること(生老病死の「四苦」

・愛別離苦、

・怨憎会苦、

・求不得苦、

・五陰盛苦(この四つを加え「八苦」) 

についての全てです。

実は、「宇宙」に委ねるとは言っても、その宇宙が示してくれる環境は全て、自分が生まれる前に設計し、用意していたものなのです。ですから、自分にとって悪いようにはなっていないのです。

■ 病気に感謝

ある合宿で、難病の人六人を含む十八人が集まりました。その合宿は、結果的にその六人を中心とした「難病者合宿会」のようになりました。

私が感動したのは、六人が六人とも「病気になったことに感謝している」ということでした。

「感謝」は観念論ではなく、非常に具体的なものです。

世の中に、 

・人のことを親身に考え、

・徹底的に親切で温かく、

・思いやりがあり、

・限りなく優しい、

・そういう人たちがたくさん居て、

・自分たちを待っている

ことに気が付かせてもらったというのです。

それらの人に会いに行き、知りあいになり、仲良く付き合い、さらに人間を取り巻いている

「精神世界」や「宇宙」の奥深さ、面白さ、楽しさもを知ることができたのだそうです。

「もし病気にならなければ一生こういう素晴らしい世界や人が存在することを知らなかっただろう」と口を揃えて言うのです。

挫折や困難や障害や病気を持つ人、直面する人、問題を抱えている人は、もしかしたらそのおかげで普通の人生だったら簡単には出会えないような素晴らしいものに、たくさん接することができるのかもしれません。

死に至る病気にさえ「感謝」する心境に、人間はなれるのです。

・優しいまなざし

・思いやりある言葉

・温かい笑顔 

のお陰で。

<転載終了>

 

宇宙の仕組みや、神さまの行動の原則などが分かってくると、楽しくなってきます。

ありとあらゆるところに、神さまの働きを感じることができるからです。 

いつも傍に居ることが分かるからです。

また、偶然が起きた場合も、「どうせ偶然でしょ」と冷たくあしらわず、「まぁ凄い、面白いね」と素直に喜んでいれば、神さまはなおさら沢山の偶然を見せてくださいます。 

また神さまの声は、誰かの口を通してくることもあります。

・小川のせせらぎの音や、

・子供たちの笑い声、

・そよ風なども、

神さまが私たちにプレゼントしてくださっているものです。そのように繊細な心で、神さまの働きを感じられるようになると、もう全てのもの、事に感謝しかありません。

神さまの働きに気付き、人が感謝すればするほど、神さまは私たちの身近で、良きことを起こしてくださいます。

自分で、頑張って努力して、どうこうしようとか、人をどうにかしようとか、そんなこと、もうどうでもよくなります。

今、現在、自分の居る場所で、全ては調和し、全ては充足し、満たされているのですから、

何かが足りないとか、これが無いからとか、そんなことは一切ありません。

神さまは、私たちの置かれている状況を熟知していらっしゃいますから、必要なものは全て、

既に周りに用意されています。

それに不足を感じたり、不満を感じるのは、私たちの我がままです。今居る場所、環境、状態で満足し、感謝していれば、全てはうまく回るようにできています。それこそが、「置かれた場所で咲きなさい」と仰る神さまに、感謝をこめて報いる方法です。 

私たちは、一人一人生まれて来た目的があります。


その目的は、生きているうちに明かされることはありませんが、「神さまの流れに任せ」ていれば自然に達成されるようになっています。

・素直で、

・優しい気持ち、

・お互いさまの気持ちで、

・ニコニコ生きていれば、

きっと素晴らしい人生になることでしょう。


2021年4月17日土曜日

2304「無知の知2」2021.4.17

さて。いかがだったでしょうか。かなり深いですよ。「無知の知」に始まり、時間のことに繋がり、命(生死)の価値、愚鈍な「覚醒」という勘違いについてまで。「ひとつ」に関しても、これまでハンドラーたちによって歪曲され伝えられてきていました。 

これはヤハウェ「666」愛の叡智、囚われ封印されてきた縄文、津軽蝦夷、日高見国、そして北イスラエルの民の魂そのものの叫びとも言えます。

多くの人は、「私はこれだけ知っている」と誇り、無明なる人々を救ってやらねば、と、自らがまるで「覚者」になったかのように、「拡散」に奔走します。このような状態について澤野さんは、「もっとも唾棄すべき無知の極み」だと仰います。「無知の知」の対義語が「全知の無知」「全知の無知」とは、自分が神にでもなったかのように、全能を誇ってしまうこと。自分は覚者である、私は神である、私は覚醒した、などと恥ずかしげもなく自らが高慢に語ること。 

前回の青森講演会では、人はいとも簡単にダークサイド(鬼)の誘惑に負け、奈落の底まで堕とされてしまう、堕ちたことさえ本人は気が付かず、うっかり鬼と契約させられてしまい、

鬼の片棒を担いていることすら気が付かず、さらには、神通力でも授かったかのような奇跡や眩いばかりの「神」の皮を被った「女神」「天使」と見紛うてしまう化け物の実態というものを体験させられ、さらに、あまりにも奇跡的に順調にことが運ぶが故に、嬉々として調子に乗ってしまい、堕ちていることすら本人は気が付かずに全能を誇ってしまう、ということを、おさらいしました。

私たちが一旦、澤野情報に足を踏み入れたならば、必ずといっていいほどアラハバかれていきます。アラハバキは一定のものではなく、人の数だけあります。その人が心の奥底に秘めて封印している、あらゆるものが表に表出してきます。しかもそれらは意図せずに顕れてきます。隠し切れなくなった「わだかまり」が「解放のカタルシス」というものを求めて表に出てくるのです。

多くの方がこれまで持っていた既存の思い込みや通念、そして「こうあるべきだ」という願望に立脚した個人的な意向や、感情ベースで積み重ねられてきたものがことごとくアラハバかれていきます。「自分だけは大丈夫」といった思い込みこそが一番厄介だと仰います。

アラハバキの作用の本質とは、「建前世界(三次元物質)の破壊」と同時に「伏在し封印されてきた世界(多次元世界)を引き上げる」こと。逆もまたしかり。

突出したどちらか一方を抑制し、封印されたどちらか一方を引き上げる均衡の働きのことを「アラハバキ」といいます。そしてその「アラハバキ」こそが本当の「愛」そのものでもあると仰います。 

つまり、均衡をもたらすアラハバキの作用のことを「愛」と言います。「愛」とは惚れた腫れたのメイクラブのことではありません。「愛」には「感情」が存在しません。感情を加味した時点でそれは「執着」へと姿を変えます。

世に起こる激烈、そして苛烈な事象も、一部の領域にある視座から観察すれば、それは紛れもない「愛」そのものであるということになります。そしてそれは「個人」の中でも起こるのです。すべてはフラクタルで呼応しますから。

そこには巷間で流布されているような通年としての「愛」と表現されるいわゆる「優しさ」という感情や、喜怒哀楽は全く関係がないということ。私たちはこの「愛」によってどれだけの気づきや発見や学びがあったかわかりません。

逆に同じ「愛」でも、こちらが望まないことを「愛」という美名の下に、相手の立場を考えず良かれと思ってすること、わざとこちらが嫌がることをして自分に気を向けさせようとするような一方的な「愛」とやらは、決して、断じて「愛」ではありません。この古い「愛」を唱えてきた現代までのグローバリズムは間もなく終焉を迎えると澤野さんは仰います。(次へ続く)


虚構の三次元は終わり多次元的「本音」の世界へ(前回からの続き)

https://ameblo.jp/riyanmichaki/entry-12660696877.html


ひとつ前の記事『私の中の「666ヤハウェ」の浮上は無知の知と共に』

 こちらより続きます。

 

縄文時代は「霊性はMAX」でしたが、「科学技術はゼロ」でしたね。

現在は、「科学技術はMAX」ですが、「霊性はほぼゼロ」へと貶められてしまっていますね。

つまり、私たちはまだ経験したことのない境地がひとつあるのです。それは、「霊性MAX」でありながら「科学技術もMAX」という境地です。霊性と科学技術が高次元で均衡する世界です。多次元世界と三次元世界が均衡するという世界のことです。

霊性と科学技術が50:50で均衡している境地です。このことを私は「半霊半物質」と言っています。「半霊半物質」って透明人間になるとか半透明になる世界のことではありません。まだ私たちが見たことも経験したこともない世界があるのです。 

さて、グローバリズムとは何であるのか。それは、グローバリズムというものの根源にあるのは、南ユダ弥生のメンタリティです。わかりやすく言うと、たとえば、見ず知らずの相手、与り知らない相手の人生に入り、相手の記憶に侵入していくというやり方です。

「この人とどうしても仕事がしたい」

「この先生とどうしてもコラボしたい」

「この人と何とかして知り合いたい」

このように願うことはよくあることでそして通常の範囲内であればとても良いことです。 

そして、ならば、それを実現するために自分を成長させ、憧れのその相手に見合ったレベルにまで己を成長させ引き上げていく作業を行っていく。

これが人が人として成長していくための王道中の王道でしょうし、そうあるべきでしょう。

しかし、こういう王道作業を「非合理的」であり「めんどくさい」と考える人もいるのです。

ならば、「人工的にシンクロニシティを演出して強引に関係を構築した方が、遥かに早いし、労力もかからない、合理的だ」という考え方です。こういう人に捕まってしまったら大変なのです。

彼らは結局自分の利益のことしか考えていませんから、あの憧れの先生とコラボをやったとしても、その上澄みをすべて持っていくだけなのです。

つまり、「あの人と仕事がしたい」というのは方便であり、つまるところ、相手の持っている「富」のエネルギーを吸い尽くし、己の利としたいというのが本音でしょう。

これを世界規模でやっているのがグローバリストでしょう。

本当の偶然、本当の運命があるならば大いに結構なのですよ。しかし、そういうのはなかなか起こらない。でも、関係は持ちたい。我慢できない。ならば、強引に関係性をクリエイトしてしまえば良いではないか、と。

すべて計算した上で、偶然を装って近づき、シンクロニシティを「演出」していくやり方です。これは良いことではありません。なぜならば、相手はそのことを知らず、本当に運命の出会いであると信じてしまっているのですから。

これは詐術であり騙しです。人の心をそうやって人工的に操作しようとするということは、人を人と思っていないということですよね。ならばそのようなことをする人とは絶対に付き合ってはならないのです。 

このやり方をかつての縄文は弥生にやられたのです。これは完全に侵略者グローバリストの手口でありメンタリティです。この手口は乗っ取りであり、侵略であり、もっと的確に表現しますとそれはじつは憑依のことです。(澤野大樹)

 

憑依に関することも、第⑦回講演会でお話をしてくださいました。

グローバリズムとは弥生南ユダ侵略者メンタリティ、乗っ取り思想そのもの。やらなくともいいことをし、聞いてもいないことを言い、こちらが何もせずとも聞かずとも自らの本質が

自然に炙り出されてしまうというのは、アラハバキの作用です。

澤野さんが説く「アラハバキ(愛)」はこれほどまで深い意味があります。

病気も「愛」そのものなのです。病は、その原因を精査することなく、単なる「悪」として治してはいけない。


澤野氏が以前伝えてくださった、大切なこと。

己と向き合わないと、病気の根本的な治療にはならないということです。「病」は、己と向き合うために、おしえてくれる大切な気づき。「自己と向き合うため」に、わざわざやってきてくれた「愛」そのもの。「病」は感謝しかないものなのです。

病気にでもならないと、しっかり自己と向き合う機会はないだろうからと病気さんの方からからわざわざ出向いてくれて現れてくれた。まさに「無料エマージェンシーサービス」です。 

ですので、「病気」をその原因を精査し、きちんと向き合うことなく、邪魔で厄介なものとして扱って三次元的な医療で物理的に「処理」してはならないのです。

もちろん、お医者さんによる治療は行うべきです。でも、それだけじゃダメなんです。病気にはちゃんと「原因」がある。まさかと思うような原因があります。

その人の一番弱いところ、思い癖、思考の偏り、固執した感情、執着、恨み、後悔、劣等感、自己喪失感、こういったことが長期間続くと「病気」になって現れます。「病気」とは、そんな心の不安定さを知らせてくれて、気づきを促すためにやってきます。だから、病気になったら、まずは感謝しかないのです。

その無償の自己犠牲の愛を「厄介者」として消したら大変なカルマを生みます。物理的な治療だけをしても、また病はやってきてしまいます。本当の「原因」が解決してないからです。

本当は、人は自らの病気の原因について、静かに内省し、徹底的に自分と向き合わなきゃならない。それは激烈な時間となります。これまでずっと無視してきたこと、目を背けてきたことと向き合わなきゃならない。

己の顕在意識がどれほどまでに本質的な自己を破壊してきたかについて、全人生を賭けて向き合わなきゃならない。そのために病気(がん)は現れてくれた愛そのものなのです。

よって、病は敵じゃないのです。 「がん」とはじつは自分自身の「本音」なのです。

今まで気づかなくてごめんなさいと謝り続けても足りないくらいの無償の愛。

それを放棄し、無視し、病気を「悪」とし、いち早く、一刻も早く治療を行うことは、広義において「自己」への冒涜。それは「宇宙」(ヤハウェ)への背信行為だと、そう澤野氏は伝えてくださいました。

 

「自分を冒涜すると、自分は自らを消滅させようと動き出します。」

澤野氏がお伝えする厳しくも愛溢れるアラハバキの叡智。「己と向き合うこと」

講演会の中で印象的だったのは、巷間言われている『風の時代に突入しました~♪』などと、

今、浮かれている場合ではない、と。

風の時代が到来した今だからこそ、自分としっかり向き合い、自己を確立しないとあっという間に吹き飛ばされてしまう、本当の「風の時代」とは、そういう意味なのだ、ということです。

 

これから、目を覆いたくなるような耳をふさぎたくなるような見たくなかった、知らんぷりして蓋をしていた自分自身が炙り出され、嫌でも自己と向き合わなければいけないような「耳の痛い話」がたくさん目の前に具現化されることでしょう。 

しかし、恐れることはありません。目の前に現れた事象は紛れもない自分自身なのですから、どうか今度ばかりは誤魔化さず、スルーせず、しっかりと今まで蔑ろにしてきた自分をいたわり、ちゃんと向き合ってあげてください。

間違っても、逆ギレしてはいけませんよ。ほんの一瞬で風に吹き飛ばされてしまいます。

これまで蓄積してきた「負債」を、全部チャラでキャンセルして次の時代へ行きたいものですが、それだと「話のスジ」が通らないのです。

 

次のステージ、次の世界に行くということはなかなか一筋縄ではいかないということ。

三次元でも多次元でも泣きたくなるようなアラハバキという「愛」を通過してからの

「ミロク(666)の世」がやってくる。これは確かに素晴らしい未来を予感させますが、オートマティックな「オイシイ話」ではないのです。 

自分を成長させたいと願うのなら、「己と向き合う」のみ。ということは、これからの「スピリチュアル」という分野こそが、もっとも巨大な変革を迫られるということ。

これまで世界人類の精神を支配してきたバビロン系スピリチュアルが終わるということ。

じゃあスピリチュアルはすべて終わるのでしょうか?それは違います。悪魔崇拝でもない、モレク崇拝でもない、偶像崇拝でもない、侵略でもない、乗っ取りでもない、憑依でもない、

これまでずっと隠され封印されてきた「宇宙」(ヤハウェ)と「ひとつ」という「本物のスピリチュアル」が浮上してきます。

間違っても「鬼の下働き」などさせられませぬよう、善かれと思って図らずもバビロン系に加担せぬよう。鬼はその人の一番弱いところにつけ込んで「血鬼術」を仕掛けてきます。

ぜひみなさん「本物」を取り戻していきましょう。

どうか、この大切なメッセージに今一度、耳を傾けてくだされば幸いです。



2021年4月16日金曜日

2303「無知の知1」2021.4.16

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2021年03月06日を紹介します


私の中の「666ヤハウェ」の浮上は「無知の知」と共に

https://ameblo.jp/riyanmichaki/entry-12660028157.html


こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。

みなさん、「鬼が仏の早変わり」という諺(ことわざ)をご存知でしょうか。

鬼滅ワンフーの私といたしましてはスルーできない言葉ですよ。

どういう意味かと申しますと、「陰では鬼のような振舞いをする凶悪な人が、普段はシレーっと仏の皮を被って、人前では善人ぶっている」ということを表す諺です。

そんなことを踏まえまして。

さて、鬼才カリスマ講師、澤野大樹(さわの・たいじゅ)さんの座右の銘のひとつに「無知の知」があります。「無知の知」は、今から2400年も昔に、ソクラテスが提唱した哲学です。 

「私はまだ何も知らないのだということを知る」または、「自分がまだ何も知らないのだということを知れ」これが「無知の知」です。

この「無知の知」については、講演会でも何度も学んで参りました。大切なことですので、今回、澤野氏が過去の文章に大幅に加筆する形で文章を書き下ろしてくださいました。

(2回に分けてお届けいたします。)

 

人の世の常として、人は何かを知った時、何かに気づいた時、優越感や全能感を抱いてしまいます。「私は真実を知ってしまった」「私は気づいてしまった」「私は覚醒した」と。

すると人々はそれを他者との優位性と勘違いし、それを武器として、「私たち選ばれた賢者たちだけがこの真実を共有しているのだ」と、きわめて傲慢になっていきます。 

このような精神状態について、私はそれを「全知の無知」、つまり「私はすべてを知ってしまったのだと過信してしまう無知さ」と表現しています。

この「全知の無知」はいわば無敵状態を作り出します。それまでの謙虚な姿勢は失せ、半ば躁状態となり“ハイ”となります。

私はこれまでそのような人をたくさん見てきました。「全知の無知」は人をただちに増上慢にさせる魔力を持っています。多くの知識を得ることは非常に大切なことですし、人格形成や人徳の陶冶(とうや)には欠かせないことです。

何か特別なひとつの事実に気づいたり知ったとき、「私がこの事実をみんなに広めなくては!」と、使命感に駆られることもあるかと思います。本源的にはそれはそれで悪いことではないのでしょう。しかしそこには「罠」が標準装備されています。「罠」というと聞こえが悪いですが、正確に申し上げるならばヤハウェによる「セキュリティ」なのです。

そんな「セキュリティ」(罠)は、三次元物質的な「知識の増大」に際して、もれなくセットとしてぴったり付随してきます。 

知識とか叡智とか直観とかひらめきとかというものは、じつはその者の「人格形成を伴った知識や学識の総量」に均衡し見合ったものしかもたらされないのです。

剣道をやったことの無い人に、知られざる剣道の極意の裏技はもたらされませんし、ギターに触ったことの無い人に、スウィープピッキングの真髄はもたらされませんよね。 

何千回、何万回と反復継続を繰り返し、下積みを繰り返したのちに、さらにその分野での才能がある程度あった場合にそういった極意というものはふと自然に舞い降りるものであって、インスタントに、机上の理論からは決して会得できない。

そしてここで重要なのは、そのようにしてもたらされた「極意」というものは、じつは本人は気づかない場合が多いわけです。多くは他者から指摘されて初めて気づくものです。

世界トップクラスのギタリストへの雑誌インタビューなどでそういったことが時々見受けられます。

インタビュアーが、「どうやったらそのような音が出せるのか解説してもらえませんか」と質問すると、困惑した表情で、「え!?これは何か特別なの?普通に弾いただけなんだけど」「無意識で弾いたからどうやってとか聞かれてもわからないや」ここの部分なのですよね。

まだ初心者の人や、素人や部外者や一般の人から見れば、それは驚愕すべき技術であったり表現であったりするものが、当の本人はまったくもって無意識でそれをやっていたりします。でもその無意識でできてしまうというのは、その人に才能がありさらにそのことを寝食を忘れて、無限回数の反復練習をした結果なのですよね。

ここで重要なのは、「寝る間を惜しんで」ではなく「寝食を忘れて」というところです。

そこに血の滲む「努力」など皆無であったということなのです。本人は楽しくて時間を忘れて夢中になってやっていただけなのです。

やりたくないことを力を込めて苦しみながら耐えながらやるというのが「努力」です。努力量と才能の開花にはさしたる相関関係はありません。才能のある者が夢中になって時間を忘れて、楽しくて楽しくてしかたがない数千時間をいかに経たか、これがその分野でトップになるならないの違いでしょう。

つまり私が何を言いたいのかと申しますと、これらを経ずに「一日でギターの達人になれる裏技」とやらを得て、そして舞い上がって「私はすべてを知ってしまった」と思ったら、

それは壮大な勘違いであるということなのですね。 

物事にはじつは「近道」というものはないんです。でもじつは近道はあるんです。でもその「近道」というものは、気の遠くなるようなほどの反復継続の訓練、練習を延々と繰り返した人「だけ」にもたらされるのです。

「楽」をするための画期的な発見というものは、傍から見たら「死ぬほどの努力」と映るであろう、しかし本人には楽しいその恍惚の時間というものをどれだけ過ごしてきたか、これにかかっているのだと思います。 

自分が夢中になったことと、秘められた才能が合致するかしないかは、それは「運命」としかいえないでしょう。しかしそれを万に一つでも合致させてしまうこともじつは才能の中に含まれているのです。


 人の寿命を「100年」だと仮定しましょう。生後1日の赤ちゃんはそのたった1日が「100年」分なのです。そしてその後、人生を生きていく中で、いわゆる「1日」というものが

希釈されていくんです。だから物事を習得するのであれば、とにかくできるだけ若いうちが望ましいわけです。

人生100年ということは3万6500日です。生後1日の赤ちゃんは「3万6500分の3万6500日」です。エナジー満タンフルパワーですよ。そこからカウントダウンしていくんです。

そして100歳になると1日は「3万6500分の1日」となるのです。1日の「濃さ」がまるで違うのですよ。これはじつに重大なことを意味しているのです。

これは逆に言えば、生後1日で亡くなった赤ちゃんと、100歳で亡くなった人は、じつはまったく等価値、同量の「生命」(いのち)をまっとうしていたのだ、ということになります。

「ひとつ」の生命はすべての人に平等にあり、その価値は時間の長短とは無関係だということになります。人の生き死に、そしてその価値、意味というものは、人生の物理的な「長短」で測るものではありません。

わが子を幼くして亡くした人もたくさんおられるでしょう。でも、その子が生まれてくれたおかげでどれだけ幸せを感じ、どれだけ考えさせられ、どれだけ人生が変わったか?

それだけでもうその子は100年を生きたことと同じなのです。ならばその子は親なんかとっくに追い抜いて、100年の人生をあっという間に駆け抜けた「先輩」なんですよ。ならばいつまでも死んだ子の年を数えて嘆き続けちゃいけない。その子はじつは先駆者であり先輩なのですよ。


また、楽器や舞踊といった伝統芸能には「稽古始め」「習い事始め」がありますね。それは「6歳6月6日」(666)とされています。

言語が安定し、自我意識が定着してくるその時から、まさに「稽古始め」とされているわけです。だから小学校の入学も6歳からとされています。

誰もが共通して持っている「ひとつの人生」というもの。これが一般的には「時間」で解釈されています。長生きすることだけが美徳であり、早世することは悪徳であるとする奇妙で偏った考え方がこの世の中の通念として蔓延っています。

つまり「時間」というのは幻想に過ぎず、本当はその生命の持っている質であり、量であり、コンテンツにこそ意味があったのだということ。しかしこのようなことを隠蔽し封印してきた者たちがいます。彼らは人々に「時間」という幻想で拘束してきました。本来、時間というものは本人の意識の持ちようによって、いかようにもすることができるのです。

最高に楽しいコンサートの2時間はあっという間に過ぎ去ります。しかし、違反者免停講習の2時間は死ぬほどの苦痛になります。どちらも同じ2時間です。

つまり「時間」など、本人の意識の持ち様如何によって、長くもなれば短くもなるのです。

時計の針の動きと私の意識の中の時間は、じつは関係がなかったということに気づくことが重要です。しかし私たちはそれにずっと縛られてきました。「計器」が定めた時間に従わされてきたわけです。


この世の人類の意識を支配、そして操作するということは、じつは「時間」を支配し、操作するということなのです。相対的な時間を絶対的なものとして信じ込まされてきたのです。 だからカバールDSは、私たちにこう言ってきました。

「人生は一度きりだから、楽しまなきゃ損だぞ」

「刹那な毎日を送れ」

「おまえはひとりだ、寂しいひとりだ」

「人生の深い意義など考えるだけ無駄だぞ」

「来世なんか無いぞ、だからとにかく楽しめ」

「死ぬまで消費しろ」

「隣のヤツと自分を見比べろ」

「目先の損得だけで動け」

「神なんかいないぞ、どんどん堕落して楽しめ」

「死んだら損だぞ、長生きこそが最上の価値だ」

「人生の意味など無い、肉体の生き長らえにだけ傾注しろ」

「死ぬまでの間に勝ち組になることだけが美徳だ」

「来世などという不確実なものを考慮などするな!」

「堕落しろ!放蕩に耽(ふけ)ろ!」

こうして私たちは目に見えぬ敵との無為無益な戦いをずっと強いられてきたわけです。しかも「限られた時間」という枠内でですよ。


さて、ここで言う「堕落」とは何だと思いますか?この「堕落」こそが「全知の無知」のことなのです。

自らの無知を忘れさせ、己の全能性を過信し誇らせること。「限られた時間」というのは

時間の信任性に裏打ちされた「ムラ社会」のことで、私たちはその外に存在している「ハラ(原=大自然)の世界」を知らされることなく誰もが苦難の人生が当たり前だと思わされてきました。 

自己を誇らせ「私はすべて知っている」と、自信を持たせた。しかしそれはカバールが仕掛けた罠だった。「私はすべてを知ってしまった」と思った瞬間に、大宇宙、ヤハウェから注がれていた叡智は、すべてストップしてしまうからです。

ヤハウェからすれば、「あ、もういいのね、はいわかりましたさよなら」ということです。

これは自らヤハウェとの接続を解除することであり、ヤハウェから己を自ら切り離すことです。こうして自らヤハウェと決別した存在のことを「自分」(自ら分かれた)といいます。これを「ひとつから分かれた」といいます。

かつてこの作業をやってヤハウェから呪われてしまったのが南ユダバビロン系カバールたちです。大宇宙であり己自身でもあるヤハウェを、自ら否定し「新しい神」を創造してしまった。つまり「自分」を創造した。ひとつであるヤハウェとは違う「自分」を創造した。その自分とは「偶像」そのものだった。

彼らはその一件があって以来、地球上の全人類にも同じ境遇を味わわせるために、人々の堕落、つまり「全知の無知」を行き渡らせるための工作活動を繰り広げてきました。

「堕落」というのは「ヤハウェからの訣別」のことです。 つまり、「私はすべてを知ってしまいました、という無知さ」であり、だからゆえ、「私が神(ヤハウェ)に代わってこの世を統べるべきである」という、神、宇宙への冒涜を美徳とするようになったわけです。

だから、「カバール」とみなさん簡単に言われておりますが、カバールを語るためには相当深い学びと理解が必要なのです。

人の前で「10」を話すためには「100」知らなきゃならない。でも「1」しか知らないのに「10」に背伸びしてしまうと、それはじつはバレバレになっているのだということです。

「100」知っている人が話す「10」と、「1」しか知らない人が背伸びして話す「10」は、同じ「10」ではないのです。

物事の習得に「一朝一夕」というものは存在しません。もしそれがあると思ったらそれは間違いです。武道の習得の90%は「雑巾がけ」です。「なんでいつまでも雑巾がけなんですか?

早く技を教えてください」--このような「全知の無知」の有象無象の無礼者にはなってはいけません。

 

先日、八戸講演会での話しの脱線で、「逆みかん」の話をしましたがまさにそのとおりで、

「内側に有限に閉じた宇宙」である「私」と、「外側に無限に開放された宇宙」である

「私の外側の環境世界」が、同時に多次元的に複合されて共存しているのが私たちが生きているこの「世界」の本当の姿です。

そんな「私」が宇宙(ヤハウェ)に対して「謙虚」であること。「謙虚」であることとは「無知の知」のことです。「私はまだ何も知らないんだ、ということを知る」ということです。

これは己に対して、そして己を取り巻くすべての世界に対して、謙虚であるということです。

この「謙虚」というものは、日常の中でお人好しに立ち居振舞うことではなく、己を卑下し低く徹することでもなく、他人におべんちゃらを並べることでもありません。 

「宇宙」に対して素直で純粋で謙虚であるということです。人から嫌われ、友達もひとりもいないような人でも、じつは宇宙に対しては謙虚であるという人はいるのです。「虚心坦懐」という表現もされますが、そのような者はこの社会では多くは生き難いはずです。 

有史以来、この世界というものは、そのような本当の意味で謙虚な者が排除され、異端であるとされて排除されてきました。だって「無知の知」を提唱したあのソクラテスですら、

それが発端となって、毒を飲まされて殺されたのですから。

宇宙に対して、そして、ヤハウェに対して謙虚であり続けた者が命を落とさざるを得ないような世の中がこれまで続いてきました。でも、そんな時代は終わりました。これまで世の表舞台に出ることすら許されず、排除され、その存在を封印されてきたサイレント・マジョリティが胸を張って堂々と生きることができる時代になりました。

これまでの時代は、「あなたは右ですか? それとも左ですか?」と選択を迫られました。

しかし、それは虚構の世界だとわかったのです。私たちは右でも左でもなかった。私たちは「下」に封印されていた。

宇宙に対して謙虚に生きること。そして、それが当たり前となる世が来ること。これは、

これまで歴史から抹消され、いなかったことにされてきた無数の「報われなかった魂」たちを呼び起こします。もはや操作された「右か左か」の「多数決」などという幻想システムは機能しない。これからはそこに、封印されていた無数の名も無き、声無き声の魂たち、サイレント・マジョリティたちが呼応し、さらにヤハウェがそこに感応することになります。

目の前にあるはずのこの三次元現実世界には、無限の多次元世界がすでに私たちと同時にいるのだ、という不思議な状態になっているのです。そんな時代に生きるとき、必要となるのは、最新情報でも特ダネ情報でも先取り情報でも、裏情報でもありません。私たち自身がヤハウェそのものであり、すべては最初から「ひとつ」だったというきわめてシンプルなことを発見していくことです。それを発見するためには、何よりも「謙虚さ」しかありません。

もし「私はついに覚醒した」と思ったとしたならば、それは何かの勘違いか、うっかりしただけです。「私は覚醒した」というセリフというのは、「あなたは覚醒からもっとも遠いところにいます」ということを知らせる最大のメッセージなのです。

そのメッセージを自らの口から発しているということは、つまり、あなたの中の内在のヤハウェからの愛そのものなのです。何かを「知った」ということは、次の「まだ知らない世界」への入り口なのです。それは無限に続いていくことになります。つまり、あなたや私の「知った」という気持ちとは、「※現時点では」という注意書きがじつは加わるのです。

「謙虚」とは何か?それは己の達成度、成長度、熟達度などを勝手に己自身で「規定」したり決めたりしないということ。自己の状況に「リミッター」をかけないということ。無限の宇宙に対して副交感神経を優位にすること。身を委ねること。それでいながら「下積み」を夢中で反復継続すること。

「いつまでたっても私はまだ何もわかっちゃいない」ということを無意識に普通に思い続けること。これはできそうでなかなかできない。学校でもまず教えてもらうことはできない。

この他にも決定的なことはあるのだけれども、それはネットでは書かないことが適切だと思います。

(澤野大樹)

 


2021年4月15日木曜日

2302「因果応報・縄文スピリッツ」2021.4.15

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年04月05日「因果応報」と2021年04月07日「縄文スピリッツ」の記事を紹介します。


「因果応報」

21世紀に入ってから、ずっと日本は「一億総いじめ社会」などと言われ

・不寛容な社会

・殺伐とした社会

・陰湿な社会 

が出現していました。

それが、2011年の東日本大震災、そして今現在起きている「コロナウイルス」をきっかけとして、この冷酷な心が、少しづつ溶け始めています。大きな犠牲のもと、神々がそう仕向けたのです。 

このいじめ社会の中では、自分以外の他人の言葉や、行動に寛容さが足りず、すぐに歪んだ正義感を振りかざし、その雰囲気に付和雷同した人々とともに相手をとことんまで、貶めて、再起不能にさせます。 

非難する側は必ず「正義」を振りかざします。正義感を隠れ蓑に他人を傷つけて、楽しむ心理があるのかもしれません。

今日は、人から悪口や、イヤミを言われた時どうすればよいか?

斎藤一人さんが非常に簡潔に、優しい言葉で大切なことを仰っていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 


人間関係の問題は、いろいろあるんですけれど、「これだけ覚えておけばいいですよ」というものがあるんです。これだけ覚えておけば、いろいろな問題があるなかの8割は大丈夫。

解決するんです。

この世の中には“嫌なヤツ”っているでしょう?イヤミを言ったり、いばったりする

“嫌なヤツ”がどこに行ってもいるんですけれど、それをやめさせようとしちゃいけないんです。「復讐するは我にあり」じゃないけれど、復讐は人間がすることではないのです。

悪いことをした人には必ず、神さま(自分自身の良心)によって、同じように悪い報いがくる。だから、ことのなりゆきは、天の神さまにお任せするんです。

そして…ここが大事なところですよ、いいですか。

「やられたらやり返せ!」って、その“嫌なヤツ”の悪口を言っていると、今度は言った人に、悪い報いがきてしまうんです。

自分の畑にピーマンをまいたからピーマンがなる。自分の畑に、自分で麦をまけば、麦がなる。そして、自分がまいたものを、自分が刈り取るんです。隣の人が唐辛子をまいていても、唐辛子を収穫するのは隣の人であって、あなたではありません。

 


それと同じで、あなたがイヤミなことを言われた場合、悪いことが起きるのは、あなたではありません。あなたにイヤミなことを言った、その人間です。つまり、放っておいても、

勝手に相手は痛い目をみるようになっているのです。

それを、あなたがもし「イヤミを言われて嫌な想いをさせられたんだから、こっちも、あの人にイヤミをお返ししてやるんだ」という気持ちでいると、あなたから、“居心地のよくない”ムード(波動)が出てきます。それではあなたに、人も、運も、お金も、近寄ってきてくれません。それどころか、自分が望まない、嫌なことを招き寄せてしまうんですよ。

だから、復讐しようとしちゃいけないのです。復讐はあなたの仕事ではありません。

神さまの仕事です。

<転載終了>


よく人の悪口を言う人がいます。また現在のようにネットが普及してくると、SNSで人の悪口や非難をする人も目にします。もしかしたら、相手がいないところで、自分の周りの人に、悪口を吹聴している人もいるかもしれません。

そして、それに対して、反応してしまい、今度は自分が同じようにやり返す方もいます。

ですが、それらの行為は、一人さんが仰るように、やめた方が良いかもしれません。

今度は言った相手ではなく、仕返しをした自分自身が同じ土俵に立ち、同じような嫌な波動をまとい、自分自身の人生に不幸を引き寄せてしまうからです。

やられたからやり返す。そうしなければ、自分は正しく生きているのに、何だか負けた気になってくる。やられ損にはなりたくない。

それらの心では、必ず相手と同じ波長をまとってしまいます。

私たちの住む世界は、自分の心の状態が現実を作りますから、その汚れた心と同じ現実が

自分の周りに現れてくることでしょう。

ですから例え悪口やイヤミを言われたとしても、それを心に留めず、受け流し、受け取らなければ良いことです。

もし目の前で言われたのなら、ニッコリ笑って「ご忠告ありがとうございます。感謝します」と言って、離れたら、また元のようにご自分の信念に基づき行動すれば良いだけです。

ブッダもこのような時、静かに反論せず、受け取らなければ良い・・ そう仰っています。

人から根拠なき悪口やイヤミ、陰口を言われることは日常茶飯事ですので、一人さんの仰っる方法を実践するだけで、かなり楽に生きられるかもしれませんね。

さて、みなさん、世界中に巻き起こっているパンデミックの嵐の中心をざわつかせていらっしゃる方も多いかと思います。 

この言葉ご存知ですか?「断じて行えば、鬼神も之を避く」 断固とした態度で行えば、鬼神でさえ、その勢いに気(け)おされて避けて行く。と言うことです。

私は、これを「ありがとう」の言葉を常に口にして、感謝の心で生きている人のことだと思います。 

「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にする人に対して、 どんな人が、

・蔑み(さげすみ)、

・陥れ(おとしいれ)

・危害を加え

・足を引っ張る

ことができるでしょうか?

また、神々が破滅の運命にひきづりこもうとするでしょうか?

これから先に、何が起こるのか誰もが不安ですが、感謝の気持ちでいる限り、どのような運命に置かれようと、必ず助けが来ることでしょう。

神々がなさることに安心して身をゆだね、身近な周りの方々と笑顔と思いやり、お互い様の気持ちで生きていきたいものですね。

14世紀、今で言うところの「最初のグローバル化」と呼ばれる時代、シルクロードを旅する商人たちが、中国からもたらしたペストは、最初イタリアとフランスを襲い、続いてイギリスに到達して、全ヨーロッパに広がりました。

ヨーロッパの人口の半分がその過程で死亡していますが、感染症の深刻な流行がもたらした予想外の結果として、社会が激変し、ルネサンスが起こりました。

特に西ヨーロッパでは、ペストによる労働力不足が、封建秩序を強制終了させました。

この大災害を乗り越えた後、世界は今までとは全く違う景色を見るのかもしれません。



「縄文スピリッツ」

日本人には、はるか縄文の時代から、1万年以上も続く、ものの考え方の基本があります。

自然を敬い、全ての物にスピリット、魂を感じ大切にするという、いわゆる古神道の考え方です。そこでは、神々はもちろん、死者でさえ敬い、その幸せを願い、喜んでいただくことこそが、生きている私たちの幸せに繋がると信じられてきました。

このような考え方、生き方こそ、私たち日本人のDNAに息づく尊いものであり、まさに、そのことにより日本は世界のひな型と言われるようになりました。

今回、神々に近い魂として、破壊の時代の予行演習がなされました。今の時代はまさに、私たちのDNAの中に眠る縄文のスピリッツの遺伝子をONにする時代が訪れています。

  


私たちの祖先の縄文の時代は、1万5千年間も日本で続いた平和な時代でした。その時代には、争いの形跡が一切見つかっていません。争い、いさかい、過度の所有意識が始まったのは弥生時代からです。つまり弥生族が大陸から日本に渡って来てからのことになります。 

どうして縄文人は争いをしなかったのかというと、その理由は、縄文人は外に「神」を作らなかったからでした。「神」は人それぞれの「自分の中にある」と信じて、お互いの「神」を尊重しあったからです。

自分の中の「神」が尊重されるには、相手の中の「神」を尊重しないといけません。

このように、すべての対象のうちにある「神」を尊重しつつ、自分のうちにある「神」に感謝した時代が縄文時代であり、古神道の基本的な考え方でした。

これは、まさにブッダグループが、人類の精神性の進化のために時を超え、今の時代に、取っている方法論と全く同じです。

まさに縄文回帰、「縄文の心を取り戻せ」のスピリット。 これこそが、私たちが、私たち一人一人の心の中にこそ神さまを見出し、お互いを尊重し認め助け合い、お互いさまの気持ちで生きて行く精神的な支柱となります。

今の時代に言われている「国常立尊の復権」とはそう言う意味を持っています。

地上の変化は、まず目に見えない世界で起こります。上なる如く、下もまた然り・・です。 

そして神々は、人間の精神性の復活を通じ、この地球を変えて行きますが、その変化は、多くの人が期待するような

・派手で、

・ドラマチックな、

・天変地異のような

やり方ではないと思われます。大事な物は見えない・・・いつの世でも、やり方は同じです。

単なる好奇心を満たすような、人目を極端に引くサーカスを見せるような方法は取りません。地味ですが、着実な方法です。

私たちのハートの中には

・先祖を大切に思う敬心

・死者の幸せさえも願う優しさ

そして、生きている人々に対する、

・お互いさま

・お陰さまの心

相手の個性、尊厳を大切に思う温かな心、優しい心でありました。ただ、明治の文明開化、戦後の敗戦処理によってその大切な心が強制的に、忘却させられていただけです。

  


その美しい神のような心を取り戻せば、きっと、気付いたら、いつの間にかミロクの世が始まっていた・・ そのようになっていることでしょう。

 

今は、建て替え、つまり破壊の時を過ごしていますが、これを耐え忍べば、いよいよ美しき世界への建て直しの時期です。希望を持ち、周りの人々と助け合いながら、笑顔と感謝の気持ちで暮らしていればきっと、その美しき世で暮らすことができるでしょう。