2021年5月31日月曜日

2348「欲張りな人間」2021.5.31

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年05月25日の記事を紹介します。


「欲張りな人間」


今日は昼休み、仕事の合間に山道の階段作りをしてきました。

素人なのでへたくそですが、通る方々の安全を願いながら、、重労働してきました(笑)

人間は弱いので、何か困ったことが起きたり、苦境に立たされれば

・神様仏様に頼ったり

・高額な詐欺に付け込まれたり

・お金に糸目もつけず、「力があるぞ」と宣伝する人に頼ったり

とにかく自分ではなく自分の内にいらっしゃる神さまではなく、外にある、他人や、物に頼り、自分の欲望を満たそうとします。

その欲には限りがなく、いつの間にか 支配-依存の 力関係のとりこになったり、ますます、心の中に広がる黒い闇に気づきません。 

ご利益を求め、殺到する参拝者、集まるお金、うなるお金、何時しか、神様に対する崇敬の念を忘れ、自我の心が、極端にまで拡大し、神の力を、己の力と誤解する人々


  神々は、そんな人間臭いドラマをどのようにご覧になっていらっしゃるのでしょうか?

 

・願い事が叶います

・商売が繁盛します

・病気が治ります

・学校に受かります

 

そう喧伝されれば、藁にもすがりたい私たちは、いっぺんに飛びつくことでしょう。 

もしかしたら、見えない何者かの力によって一時は、願いがかなったかに思える時期もあるかもしれません。ですが、それも長続きはしないでしょう。 

私たちのそのような状況は私たちが生まれてくる前に設定してきた状況であり、人のせいではありません。

何故、そのようなことを仕込んできたかと言えば、そのことを経験することで、私たちの魂が磨かれ、より一層 輝きを増し、神々に近づけるからです。

それなのに、その貴重な経験を嫌だからと、お金をかけ、人に頼り、すっとばし、一瞬だけ状況を変えてもらっても、私たちの心はちっとも変わらず、輝きもせず、かえって依存の心が、闇のように広がり、氣枯れたもの(神さまの純粋な気が覆われてしまったもの)に魂が覆われてしまうことでしょう。

魂の視点神々の視点から見て道を外れているからです。 

神様は、私たちの魂を輝かせるために「そこで自分なりの花を咲かせるのですよ」

そう言って、今の状況に私たちを置いてくださいました。


  奇跡とは華々しいサーカスのように人々を驚かせ、一瞬のうちに私たちを救い出してくれる・・・そういったものではないと思うのです。 

奇跡とは、私たちが、自分の置かれた立場で、一所懸命前向きに周りや神々に感謝しながら

笑顔で、しっかりと生きていくこと身近な周りの方々の心の中に 

・温かな優しさ

・思いやり

そんな神様の心を見つけた時

そして、それを感じ取った自分、自分の中の神様に気づいた時、神々は、私たちの心に奇跡が起きた・・そうお思いになるのかもしれません。 

人々の耳目を集める

・どんな凄いことをしようと

・どんな技や知識を身に着けようと

・どんなに地位や名声を手に入れようと

・どんなに経済的に成功しようとも

心の中に 神々を見つける奇跡にはかないません。

神様は、私たちの魂を輝かせるために 

「そこで自分なりの花を咲かせるのですよ」

そう言って、今の状況に私たちを置いてくださいました。

まさにそんな風に生きていらっしゃる

奄美のお母さん、brillianceofmindゆめさんをご紹介して終わりにしたいと思います。

神々が常に気にかけ、そして愛されている方です。

https://ameblo.jp/brillianceofmind/entry-12676341961.html



「ココロの洗濯しませんか」2021-05-25

こちらまでお越しいただきありがとうございます。

今日タイトルにしたのは、大好きないっぷくさんのブログ「ココロの洗濯しませんか」。

いっぷくさんのブログに出会い、私の心にまとわりついていたいろんなものが涙と共に流れ落ちました。最初の頃は、毎日大号泣。今も心が洗われ続けてます。

こうしなさい、こうしなければいけない、正解、不正解、何か や 誰かを求める、お金が必要、何かに入る、そういうものはありません。

ただ、自分の置かれた場所(環境)で、自分が感じたものを、感じたまま日々実践し続けるだけです。

実践しても、やっぱり私にはできない、私には無理だよ、そういう感情に押し戻されるチカラが大きくて、、、時には、あの出来事は私に関係ないよ、あの人がしてることでしょう、

と、相手や出来事に矢印が向き続けることも、、、

何度も諦めようとしました。投げ出そうとしました。それでも自分を信じて実践し続ける。

そうするうちに不思議と、何だか少しずつ心が変わって、見える世界が変わって、私の中の私が喜んでる!を実感。

楽しい!面白い!に変化。

全ての人(もの、こと、存在)のおかげで、答えは全て自分の中にある。心を整えて行くことの大切さを知ることができました。

私の 誰か、何か探しの旅は終わりました。誰かに 何かに依存、執着から離れることができました。どんなに姿、形を変えて目の前に現れても、自分の心に落とすことができつつあります。いいことも、そうでないことも自分に大切な経験として、経験させてくれてありがとう気づかせてくれてありがとう。

感謝で受け取ることができるようになりつつあります。 

今は、心が弾んでます。ウキウキ、ルンルンしてます。

いっぷくさんのおかげで出会えた人もたくさん。あなたにも出会えました。

出会えて嬉しい。出会ってくれてありがとう。気づきや、学びをありがとう。


2021年5月30日日曜日

2347「善き未来」2021.5.30

 今回は「神人」さんのFacebookから最近の霊媒日記を抜粋して紹介します。

https://m.facebook.com/groups/kamihito1111/?source_id=162128043928578


・〜指導靈との対話/今後の日本〜2021.4.19 神人 拝

神人: 指導靈団の皆様、お教え下さい。

今後の日本について心配されておられる方々が多いと思いますので、どのような未来となるのか?どうすれば良いのか?お教え下さい。

指導靈: あなたはお伝えする御役目をしてゆくということにおきまして変わりません。歌う奏でる作るも同じです。

 今後の日本について、多くの方々が、真相究明に意識が目覚め行動し始めてゆきます。何が真で嘘なのか?個々に調べ洗脳が解けてゆく人たちが増えるでしょう。

 そして市町村から大きな動きが顕れます。国に従う地と従わない地とに分かれてゆきます。国の信用が揺らいで行くこととなるでしょう。日本は誰に従い運営されている国であるのか?人々は理解することとなるでしょう。

神人: 国の役人たちと民衆との間の溝が拡がるのでしょうか?

指導靈: 拡がる地、拡がる人も増えてゆくということです。

神人: メディアにおいては、真相を報道する者は顕れますか?

指導靈: それも同じくひとつの機関(メディア)の中でも二極化してゆきます。そのため真相を表に出す方々も現れます。

神人: 信じるか信じないかは二極化している現在ですが、経験から異常性に気付き、真相究明し真実を理解する人々が増え始め、その結果、より多くの人々の目醒めを促そうとする勢力が高まり、日本の現状がひっくり返る時が来るのですね。

指導靈: はい。何が真実であるのか?ということを学んでいる時期なのです。嘘を真、真を嘘と認識させられている人々が大多数の場合、経験からしか変わることは出来ません。その場合は、犠牲者が現れることで、ようやく疑念が高まり、見直そうとするのです。

 人々には選択する自由が与えられています。善も悪も選択肢の範囲内にあるのです。苦を求めるならば、苦しむことが必要であるということと同じなのです。

 毒を求めるならば毒を与えるしかなくなります。これまでも同様に、知識と欲望は時代に応じて変化してきました。

 今、大きな変化の時代を迎えようとしています。

 支配されることを望むのか?支配を無くすことを望むのか?人々が選択する時なのです。

 わたしたちが必要な言葉を申しても、受け入れなければ、何の効力も生まれません。それは、あなたも経験から学んだはずです。ですから、人々の経験に応じた説き方をし、導き続けるより道はないのです。それぞれの靈性相応の対応が求められます。宇宙銀河の存在たちも、地球人の成長を見守っています。

神人: 分かりました。確かにこれが真実です、と申したところで受け入れてくれる人と受け入れない人とに分かれます。興味すら持たない人、わたしを邪悪な者、不審な者と決めつけ悪く申す人たちもいます。誠意を持って救済したいという善意すら届かないということは重々承知しています。しかし、どうにかして変えたいのです。変わって欲しいのです。その思いは、わたしのエゴ、押しつけとなるのでしょうか?分からなくなる時があります。全て個々に委ねるとすることが求められたとすれば、わたしがしている伝える活動はどこまで必要性があるのでしょうか?個々に経験から学んで頂くことで良いとなるのではないでしょうか?苦しみから真意を得なさい、ならばわたしは何も言わず動向を眺めていれば良いということになりませんか?

指導靈: あなたが申していることは、わたしたちの気持ちと同じくあります。どうにかしてあげたいが、どうすることもできないという苦しみです。個々の成長を見守るしかないのです。必要最小限の手助けしかしてあげられません。成長するための経験の邪魔をしてはならないのです。

神人: 分かりました。では、わたしは自己満足のために生きることにします。伝えることが御役目であるという認識を手放し、これからは伝えたいという己の欲求を満たすために、気が済むまで伝え続けることにします。

指導靈: それで良いのです。あなたがしたいことをすることが、今のあなたに求められているのですから。後はあなたと御縁のある方々があなたを通じて必要だと感じるものを得てゆくこととなります。 

神人: はい、ではわたしはわたしのままに。いいえ、わたしと共にある方々と共に歩んで参ります。そうですね、わたしは指導靈団のひとつの存在ですから、指導靈団のままに歩んでいるのですよね。

 これからも指導靈団の導きのままに喜びと感じる道を歩み続けます。今後とも皆々様どうぞご指導頂きますよう宜しくお願い致します。

指導靈: はい、そのままに。

神人: ありがとうございます。

うれしうれしたのしたのしありがたいありがたいむーうーるーうーおー。

 


・〜支配欲〜 2021.5.4 神人 拝

誰かが誰かを支配したいと思うなら、それは悪であり、虚しい未来を求めることに等しい因果となります。しかし支配欲というものは身近なところに存在します。

あなたは誰かを思いのままにしたい!と考えたことがありませんか?

例えば、好きになった人が、自分のことを好きになって理想的な恋人に変わってくれたら…。

職場の部下たちが、自分の命令に対して一切文句を言わずに快く仕事してくれたら…。

子供が、自分の言うことを素直に聞いてくれたら…。

出会う人たちみんなが、自分の思い描いた夢を叶えるため親切に手伝ってくれたら…。 

人の欲望とは計り知れないものです…。

だからこそ、支配欲という怪物をも生み出し続け、地球人類の歴史に刻まれて来たのでしょう。いつの時代にも、支配欲に取り憑かれ、財力・権力・知力のすべてを懸けて、世界を手に入れようと企て争いを好んできたする人たちが現れ続けました。

それは地球人全体の靈性が低いからなのです。

しかし、靈性が低い要因は、悪しき宇宙人と悪しき異次元存在たちによる支配が根本にあったということを知る地球人は、まだ多くありません。

これからは真実を知る時代となります。過去も現在も未来もすべてを知るのです。

そして理解を深めて、大きく靈性進化してゆく善き機会が与えられています。

理解するためには、自分自身が求めること=真実を知ろうとする意思から始まります。

自身の意思で重要なことは、数ある想念の中から善なる存在=自分チーム(守護靈・指導靈・近親靈たち)の意思を選択する=心の声を聞くということなのです。 

思考や感情は、必ず選択しなければなりません。「本当にそれで良いのか?」と何度も自問自答することです。悪なる存在に操られないようにするために。 

善なる存在の意思を選択し生きるならば、必ず慈愛が大きくなり高次元界からの歓び=無償の愛の波動が心に流れくるようになり、幸福感に包まれ続けます。

是非あなたも善き意思を選択されて下さい。

みなみなうれしうれしたのしたのしかわるかわるありがたいありがたい



・〜靈人との対話/善き未来〜 2021.5.6 神人 拝

神人: お久し振りでした。お話をさせて下さい。

靈: はい。お久し振りでした。

神人: これからのことについて、どのような見解をお持ちでしょうか?

靈: はい。わたしは彼等が負けて良き方向へと向かっている未来が見えています。これからは、次々とアライアンスに寝返る人々が連鎖し、真相が表に出てきます。それからは、あっという間に変わってゆきます。彼等は怖いのです。闇の勢力を見せつけられてきたため、しもべとなって従うことに慣らされてきていたために、中々善なる意志を信じられないで過ごして来ました。しかし、闇が追い詰められ次々に消えてゆく様を観て、ようやく恐れを手放し始めるのです。

神人: 良かったです。わたしも同じ見解です。未来は幾つもの可能性が見えていますので、いずれの未来が顕れるかは確定はしていないため、希望的観測だけでは確信出来ませんでした。ですから、わたしが信用できる方々より意見を伺わせて頂き、統計的に判断したいと考えていました。ジーンさんの見立てと同じで安心しております。

靈: そうでしたか。わたしは、あなたが以前仰ったことで目が醒めました。

 かつては闇の意思の影響下にいたものですから、光の意思に対して迎え入れることが中々出来ず、恐れに支配されていましたから、本来あるべき幸福な世界像を求める視点からの未来予測が出来なくさせられてしまっておりました。

 ですが、今はあなたと同じ世界を見ることができます。とても幸福感に満たされ、善き未来を可能とするための叡智が与えられる地点に存在できております。

 わたしはあなたの心が良く見えます。わたしを親しく受け入れて下さり敬意を表します。

 あなたがすべきことは、我々と共にあり善き未来を建設できるという強い指導者としての地位を据えることです。あなたを慕い、より多くの方々が世界中から支持なされるでしょう。それは、あなたの言葉が真実を示しているということを、理解できる方々が増えてゆくことを意味しています。

 地球人は、急速に目覚め始めています。闇側の者らは、そのことを危惧しているのです。自分たちの指導者たちが、次々に消えてゆく状態の中で、指示されていた計画書に従うことしか許されていないために、彼等は恐れから逃れられないのです。

 しかし、それも徐々に解消されてゆきます。みんな救われたいのです。支配から逃れたいのです。ただ救済されることに対する確信、確約を得たいのです。それだけ恐怖に洗脳され、しもべとして存在することに飼い慣らされてしまっているからです。

 あなたは多くの方々を目醒めさせ導きます。高次元界を筆頭に、宇宙銀河の方々より善き支援を受けておられますから、このまま安心して御役目をなされて下さい。必要なことはすべて得られます。

 神示は目醒めを与える指導書です。世界中で愛読されるようになるでしょう。それが秘密とされてきた大きな鍵でもあります。日本から顕れると申していたことの答えです。

 あなたは隠されてきた御魂であり、過去生からずっと今世での計画を全うするために、長い長い計画の中の隠し御魂でありました。わたしはすべてを見させて頂きました。あなたが何者であるのかという答えを得ました。いよいよ、あなたがこれからすべきことをなさいます。現次元界の闇側は、あなたをまだ知りません。異次元界からの攻撃に対してはすべて守護靈団が解消されていますからご安心下さい。

神人: ありがとうございます。とても安心しました。ジーンさん、色々お教え下さり感謝します。

靈: はい、これからです。これからいよいよ、あなたが現れます。その時が来ます!すべては計画通りなのです。時は訪れます。必要な言葉を思うままにお伝え下さい。それらにはすべて意味があります。闇側を欺き改心させ導く要素も含まれ、まだ目覚められないで右往左往している人々の手引きともなり、高次元界の意志をひとつひとつ手に取らせるように、あなたは導かれるのです。

 人々は神示を読み、心からこの生を受けたこと、自身に与えられた運命を喜びに変えられてゆくことでしょう。

 わたしはあなたを心から嬉しく有り難く感じます。この御縁もまた仕組みの一つであることも理解できます。次元を超えた交流によって編成されている大きなチームであるということを、とても嬉しく素晴らしく感じております。

神人: ありがとうございます。わたしもとても嬉しく思います。今後とも宜しくお願いします。感謝感謝感謝。

 

・〜最後の聖戦なのか?!〜 2021.5.18 神人 拝

 宇宙規模の悪魔のネットワークとの最後の聖戦となるのか?まだ続くのか?は正直分かりませんが…、ひと先ずは節目となるであろうステージの終焉を感じました。

 AM3:00より、わたしのハートチャクラへのレーザー照射攻撃が1時間近くに渡り行われました…。これは確実に、わたしの肉体ではなく靈体を殺しにやって来たものです。

 どうやら彼等の計画では、6月にわたしの処刑を予定していたようなのですが、危機感を感じたらしく急遽早まり、本日となったと彼等の一人に教えられました…。

 実はここ数日間、何度もハートチャクラへのレーザー照射攻撃を受けてきました。彼等はあらゆる媒体を介して、特に無防備状態である深い睡眠時を狙って攻撃してきました。明らかなる計画的な犯行であると感じました。

 今回もあまりにも苦痛が酷く、しかも長く続いたために、高次元存在たちへの救済と共に生の期限の真偽を問いました。

私: わたしはこれで死ぬのですか?わたしの人生は実はここまでだったのですか?

指導靈: いいえ。まだ死にません。大丈夫です。

 半信半疑の中、それならばと思い気持ちを切り替えて、焼けるような激痛から意識を外し、先日同様に思考ウイルスを想像することにしました。

今回も変異種を生み出し、彼等の思考体へと送りました。彼等が繋がっているデバイス全てに対して瞬時に感染し、思考・感情・記憶が減退してゆくという思考ウイルスの変異種を、ひふみ祝詞に乗せて宇宙へと念じ続けました。

そして、今回の変異種に対する救済措置は唯一、神愛のみであるという設定にしたのです。

 暫くするとAM4:00、レーザー照射攻撃が止み彼等が消え、そして地球神から癒しエネルギーが流れてきて、焼きただれたハートチャクラを治療して下さいました。

 AM5:00、まだ治療中ではありますが、ようやく動けるようになったため、記憶があるうちに記録しておこうと思い、当文を記しています。

 どうやらまた奇跡的蘇生が行われました。不思議に思うことは、悪魔の計画には、6月にわたしを処刑するという予定がなされてあったことと、その計画を急遽早め攻撃してきたということ。それでも、わたしは殺されなかったということです…。

 これまでもそのような窮地に立たされ、これが人生の最後か?!と瞬時にして察するような経験は幾度となくありましたが、毎度のように高次元存在からの意思が入り込み、「大丈夫です」と聞かされ救済されています。時間にすれば、1秒間にも満たない感覚の瞬間対話です。

 お陰様で今は夜明けと共に安堵の中におります。

隣で眠る家内に対し、最後の対話をしようか否か…?!瞬時に悩んみましたが、声を掛けず良かったです。こんなことは、今回でいったい何回目となるのでしょう…。

 AM5:30、一先ずは生きていられたことに対して、守護靈さま、指導靈さま方、近親靈さま方、御力添えくださっている方々、わたしを愛して下さっている方々、皆々様方に深く深く感謝申し上げます。本当にどうもありがとうございます。

地の大神さま、靈体を癒して下さり肉体を使わせて下さり感謝申し上げます。どうもありがとうございます。

みなみなうれしうれしたのしたのしかわるかわるありがたいありがたい

むーうーるーうーおーーー



2021年5月29日土曜日

2346「血の繋がりの浄化」2021.5.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年05月24日の記事を紹介します。


「血の繋がりの浄化」


最近、亡くなった方々が、高次の生命体、如来や神々に連れられて、光に帰る事例に頻繁に遭遇しています。また先祖供養に関して、高額な詐欺的な商売に引っかかる方々も増えているようですので、先祖供養について書いてみたいと思います。

※大変に申し訳ないのですが、個人的なご質問、ご相談にはお答えしておりません。

 

日本の形成外科医療の草分け、医学博士、葉室頼昭さん。この方は、春日大社の宮司でもありました。

彼が仰るには、病気をした時は、

・先祖に感謝しているか?

・普段から大切に思っているか?

胸に手を当てて考えてみてください、そう仰っていたそうです。

何故なら、病気やケガをした場合、人間の免疫力や、自己治癒力、ホメオスタシスなど

神々が人間のDNAに組み込んでくださった仕組みによって、自然と治癒するようにできています。

この治癒の過程では、人間の意識は全く関係なく、意識していない潜在意識の部分、つまりDNAの働きで治癒します。 

そして人類が発生してから、数億年。私たちの祖先が、気の遠くなるほどの長い年月をかけて獲得したDNAによってその治癒が行われています。

 


ですから、病気やケガをした場合、 

・先祖に感謝しているか?

・普段から大切に思っているか?

が大事になってくるそうなのです。

私たちの身体の一つ一つの細胞が、それに対応する、どなたかの先祖に繋がっています。 

ですから、先祖に感謝すること、先祖供養することは、先祖のためだけでなく、まさに生きている私たち子孫にとって、とても大切なことです。 

私も、数年前までは、先祖供養なんて、抹香臭くて あまり興味はありませんでしたが、

最近は違います。

以前、東京でAFTを京野さんから受けて私たちのDNAには必ず、先祖のDNAが組み込まれており、身体の、何処のパーツがどの先祖と対応している相関関係がある・・

そんなお話を伺いましたが確かにそれは言えます。

人間のDNAは、99.99%は同じかもしれませんが、残り0.01%の違いによって、それぞれの個性が作られ身体的な特徴が表れてきます。また、肉体は人間の思考にも影響を与えます。

例えば、分りやすい例をあげるとしたら 

男性か女性か?

その肉体的な違いにより、考え方、視点が、全く異なり、それぞれの性による特徴が出てきます。 

陰陽五行では、以下のように説明されています。内臓の状態と感情の5タイプとは古来の中国では、内臓と感情を含む全ての物事を、分かりやすく5つに分類しています。これを、五行と言います。


  この図は、感情と内臓の関係をあらわす「五行の相関図」です。

これでみると、 

怒り=肝臓、

喜び=心(臓)、

思い悩む=脾(臓)、

悲しみ=肺、

恐れる=腎(臓)であることがわかります。 

つまり、長年、怒りの感情ばかりを持ち続けていると、肝臓に不調があらわれやすく、逆に、肝臓にトラブルがあると、怒りっぽくなってしまうというわけです。 

つまり、肉体的な特性(DNA)が、感情に影響を与えると言うことです。、

感情に影響を与えれば、どうしても、同じような 考え方、同じような行動をしがちになります。これが、家系に連なる因縁の正体です。


  確かに私たちの肉体は、先祖から受け継ぎ、DNAの連鎖が起きています。また、DNAの特殊性による、家系に代々現れる病気、精神疾患だけでなく、見えないDNAとも呼ぶべき、家系の中で連鎖する、特殊なパターンも確かに存在しています。 

その最たる例が、

・虐待を繰り返す家系

・離婚ばかりする家系

・早死にする人が多い家系

・女系家族

・DNAが原因ではない、特定精神疾患、身体疾患の多発する家系 

など、少し考えただけでも沢山思い浮かびます。 

これらは物質的なDNAに異常が見られない以上、また特定の家系にだけ連鎖している以上は、肉体(DNA)の、ある部分の特殊性、アンバランスによって、生まれた後に発生する、

・魂のクセ

・トラウマとなった精神的状況の引き継ぎ 

がそうさせるのではないかと考えられます。DNAスイッチが入ったと言えるのかもしれません。 

中間世記憶を持つ子供たち(生まれる前の記憶を持つ子供たち)の中には、生まれて来た目的を、この悪しき世代間連鎖を、自分の代で断ち切るため・・ 

そう答えるお子さんもいらっしゃるそうです。 

それは、相当勇気のある魂、気高い魂であると考えられます。そして人間の思いの力は、

物質の組成まで変えることができる、ガンさえも消滅させることができる・・

(体内中の常温核融合) 

そのような事実から考えれば、例えDNA由来の「不幸な世代間連鎖」やDNAに由来しない、

魂のクセによる「不幸な世代間連鎖」 さえも、私たち人間の精神は、解決できると思うのです。 

私たちの亡くなった先祖も、今、肉体を持たないだけで、精神は生きています。魂は永遠だからです。自分たちの子供や孫、子孫が不幸になることを望む祖先がどこに居るでしょうか?

自分が、自分だけが助かりたいからと、子孫を不幸にしてまで、取り縋ろう(とりすがろう)とする人が、果たして いるでしょうか?

殆どの先祖の方々が、自分の肉体的な繋がりのある子供たちの、幸せを願っているのではないでしょうか? 

さてここで、春日大社元宮司、医学博士、葉室頼昭さんの書いたものをご紹介します。

もしかしたら、代々家系に続く、悪しき世代間連鎖を断ち切るヒントになるかもしれません。

 <転載開始> 転載元

 

人間は「徳」を持って、はじめて人間と言えるのではないでしょうか。

神さまや祖先に感謝する。

親を敬い大切にする。

自分以外の人や、世間の幸せを、考えて努力する。

自然の素晴らしさに感動する。

神さまが人間にだけ与えられた、いわゆる「徳」というものを積まないと人間にはなりません。


 神さまはもともと人間には、徳というものを与えておつくりになった。人生のいろいろな経験で、それを磨くことによって人間の真実の徳が現れ、本当の神さまの目的である、神に近づく。いかにして徳を磨いて現すかというのが人間というものだと思うのです。

陰徳とは

陰徳というものは、それが時空を超えて、現在の私のところにきているのです。

感謝や見返りを一切求めない。人の悦ぶことをすることが、一番いいのです。こういうことの積み重ねが陰徳になり、やがて子々孫々にまでその余徳が及んでいくのです。

この陰徳というのは、大きな努力をして、小さな結果を求めなさいということです。

自分の努力に見合うような結果は得られないかもしれません。

しかしそれが陰徳となって、子供や孫や子孫に伝わって、子孫が繁栄するのだと思います。

もともと日本人は、徳を積むということが人生そのものであり、子供の教育でもあったわけです。

徳を積む

徳を積まないと、人間の「いのち」は続きません。神に感謝し、祖先に感謝し、祖先を祀る。

そういう徳を積み、自分を磨かなければ、人間のいのちは伝わっていかないのです。

『徳』、すなわち人間のいのちです。

人の幸せのために生きるとか、世の中を幸せにしていく。それが徳です。

そういうことによって、人間が本来持っている、徳というものが磨かれて出てくるのです。

<転載終了>

 

・人の喜ぶことをする

・人が笑顔になることをする

・人が勇気を出すことをする

・人の心が優しくなることをする 

そのような徳を積むことで、その功徳は、時空を超えるのだそうです。

自分の子孫はもちろん、先祖さえも、幸せにすることができます。 

私たちが、神さまの道を歩み、 心を洗い、何かモノに依存したり、誰か人に依存・執着したりせず、自分の足で、しっかりと大地に立ち、真心を、周りの人に配ったら、それだけで、徳を積み、私たちの過去(先祖)も、未来(子孫)も幸せにすることができます。

神さまの道を歩んでいるのですから、怖いものはありません。 

悪しき世代間連鎖、家系の中に延々と続いていた 悪しき慣習は全て、融けて無くなって行くことでしょう。 

そうなった時、大きな二つの柱

・血の繋がり、肉体的な繋がり

・魂の繋がり 

の内の 血の繋がりは浄化され、それに連なる、何百万もの人々、既に亡くなられた祖先も

未来の子孫も、みんなが幸せになることができることでしょう。

私たちは、心の世界から、この地球に来ました。

私たちの魂の元は、神様から頂いたものです。 

光り輝く尊いものです。

だから誰の心の中にも「仏心」が存在しています。 

その心が、徳の積み重ねによって清浄となり、光り輝けば、全ての不幸の連鎖は終りを迎え、

私たちに連なる全ての人々の、幸せへと繋がって行くことでしょう。

全ての始まりは、いまを生きる私たち一人一人の決心と、行動の一歩から始まります。

皆さんが、「光の道」を進むと決心され、周りのご縁のある方々も含め、お幸せな人生を歩むことができますように。




2021年5月28日金曜日

2345「味方を増やす」 2021.5.28

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年05月22日「味方を増やす」

2021年05月23日「神々が望むもの」の2つの記事を紹介します。

 

「味方を増やす」


今日は、「天空農園」で、みんなで少しですがサツマイモの苗を植えてきました。

ご寄付くださった皆様、ありがとうございます。 明日は、300本の苗を植えます。このサツマイモ、収穫後は、子ども食堂やフードバンクを通じ、ひとり親世帯にご寄付されます。


さて、よく聞く言葉があります。 

・何処に行くかではなく、誰と行くのか?

・何を食べるかではなく、誰と食べるのか?

本当にそうだと思います。 

どんなに風光明媚なところへ行くよりも、ゴージャスな旅よりも、近くて、全然有名でないところでも気心知れた、同じ波長の人、同じ方向を見つめる人と行くところ楽しい旅となります。

豪華なコース料理を頂くよりも例え、町の食堂や、回転すしでも気心知れた仲間との食事ほど、おいしいものはありません。

それは、つまり私たち人間は物、形あるものよりも形はなくとも、見えない物であっても 

心が喜ぶことの方を選んでいるということです。

美輪明宏さんは仰います。「お金は、形のないもののために使いなさい」

気心知れた、同じ方向を見つめる仲間というのは自分と同じ波長を発している人のことです。

類は友を呼ぶ・・この言葉が示す通り、 

・優しく、思いやりのある人の周りには、同じような心安らかな人が集まり

・人を常に疑い、冷たく、恐怖感をばらまく人には、同じく心冷たい人が集まるでしょう。

さて今日は、小林正観さんのお話を紹介します。

「味方を増やしていくことこそ大切」というお話です。

 <引用開始> 引用元 


お釈迦様も玄奘も空海も坂本龍馬も、一度会ったら好きにならずにいられない魅力のある人物だったらしい。

そして、その魅力によって出会う人をみな味方につけていった。4人とも、人と競ったり、争ったり、無理に説得したりということを、いっさいしませんでした。

私たちが学ぶべき人どうしの付き合い方の結論が、そこから導き出されます。

それは、次のようなことです。

人生とは、

・人と比べたり、

・競ったり、

・がんばったり、

・目標を達成したり

することではなく、出会う人をみんな味方につけていくこと。その積み重ねである。

このことがわかると、「人間関係」というものがすべてわかってきます。

そして、人生はまったく違うものになってくる。

これまでみなさんは、仕事で競ったり比べたりしていたかもしれません。

家庭でも争ったり教え込んだり、いばったりしていたかもしれない。

しかし、そういう人生はむなしいだけ。

なぜなら、それは宇宙の法則に合っていないからです。

私たちは喜ばれるために、この世に生まれてきました。

それは、人間だけでなく、鉱物から動物、植物にいたるまで、世の中の形あるもの。全てにあてはまることです。

全ての人は敵でもライバルでもなく、みな友人であり、仲間である。

そのように味方を増やしていくことこそが人生なのだと、心を切り替えてみる。

そして、出会った人をみな味方につけていく。そういう生き方をしはじめたら、人生の大転換が起こります。

そして、

・何かをなそう、

・事をなしとげよう

などと思わなくても、自分がするべき何かに、自然と導かれていきます。

そして、日常生活がとてつもなくおもしろくなってくる。

すばらしく豊かな人生が広がっていくのです。

<引用終了>


確かに、その通りだと思います。どれだけ、身近な周りの人たちに

・優しさ

・思いやり

・愛

・勇気づける言葉がけ

・相手の個性の受容

・笑顔

・お互い様、おかげ様

・助け合い

の気持ちで接しているかで、味方や、良き仲間ができてきます。

このような味方、良き仲間は数は少なくとも、この地球での短い滞在期間に美しい色どりを添えてくれます。

・頑張って頑張って

・ムリをして

・人より抜きんでようとし、

・努力に努力を重ね 

常に、眉間にしわを寄せ

・危機感

・飢餓感

・疑心暗鬼

・取越し苦労

の心でいるよりも、 今、自分にあるものだけで満足し 足る心を知り

・神様を信じ

・友を信じ

・自然界を信じ 

・伸びやかな心で、

・流れに任せ

暮らすことの方が、どれだけ神々が作った人間の本性に近いことでしょうか? 

良き仲間、味方を得るにはまず、自分から、その波長を発する必要があります。

心が、変われば、発振する波長も変わります。そして、その波長は時間・空間を超え、必ず、どこかの誰か同じ波長をもつ人と共鳴し、引き寄せます。

どうぞ、お幸せになってくださいね。



「神々が望むもの」


昨日、今日と、神の山、天空農園にてサツマイモの苗340本を植えてきました。

ご寄付くださった皆様、ありがとうございます。

ここの山には、金の龍、そして銀の龍がいらっしゃいます。つい先日は、木花咲耶姫の父上が現れてくださいました。 ここからできたサツマイモは、昨年同様フードバンクを通じ子ども食堂、食にお困りのひとり親世帯にお配りされます。 

でっかいカタツムリ 生長するとナメクジになるんだよって、参加してくれた小学女子に嘘をついてしまいました。



 さて古事記によれば、宇宙で一番はじめに現れる神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。ですが、すぐにお隠れになりました。

その後まもなく高御産巣日神(たかみむすひのかみ)が現れ、続けて、神産巣日神(かみむすひのかみ)が現れましたが、やはり同じようにすぐに姿を隠してしまいました。

この3柱の神を造化三神(ぞうけさんしん)と呼びます。 

ちなみに斎藤一人さんについていらっしゃるのは天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)だそうです。天照大神や月読の尊、スサノオなどは、もう少し時代を下ってから生まれます。

 これら宇宙規模の大本の神々は何を望んでいるでしょうか? 

神道では、願い事は、神々を喜ばすのが先。喜んで頂けば、自然と願いをかなえてくださる。

そのような考え方をします。

今はやりのパワースポット巡りのように

・あれをしてくれ

・これをしてくれ

・お金を儲けさせてくれ

・病気を治してくれ 

などの自分の欲が先・・という考え方とは正反対です。


   この喜んでいただくとは・・・

・お酒を奉納することなのか?

・卵を奉納することなのか?

・美味しい肴を奉納することなのか?

もちろん、そういった形あるもので表現することも大切なことでしょう。

ですが、神々の系譜の先頭の大本の神々(宇宙神)は、

・龍神だから卵を持ってこい

・お酒を持ってこい、但し辛口が良いぞ

・不思議な現象を見せてやるぞ

・どんな願いもかなえてやるぞ

そんなことは決して言わないし、望んでもいないと思うのです。

神さまが望むことは、私たち人間たちが 

・素直な心で

・互いを思いやり、助けいあい、

・お互いさま、お陰さまの気持ちで

仲良く笑顔で暮らしていく  そんなことではないかと思うのです。

一番望んでいらっしゃる心ではないかと思うのです。

だからこそ、宇宙神は、私たちの心の浄化を一番の喜びとされるのではないかと思います。

私たちの心の霧が晴れ、神々しい光が差し込んだ時、宇宙神は、小躍りして喜んでくださると思うのです。 

そして、その心こそが、神々のエネルギーの源泉であり、

神さまと人間たちが、共に幸せになる道だと思うのです。

・神さまから一方的に何かを頂いたり、

・不思議な現象を見せて頂き、好奇心を満たしたり、

・それを自慢し、人に羨ましがられたり、尊敬されたいと言う欲を満たしたり

・私は神さまと繋がっている特別な人と、周りの人を支配しようとしたり

神さまは決して、そのようなことを良しとなさる方とは思えないのです。  

神社に行くと必ず、神殿の中に鏡が置いてあります。 

鏡は、私たち自身の ありのままの姿を映し出すものです。神道の本質は「鏡」にあるとも言われています。神社の社殿の鏡は、参拝する人自身の姿を映し出すとともに、その人の自分の中にある神さま、つまり、自分の本質、本当の姿を思い出し、自覚する場所でもあるからです。鏡に映るのは、自分の中に居らっしゃる神さまの姿です。 

この鏡の前に座り、敬虔な気持ちで手を合わせ、祈る時神さまと私たちは繋がります。 

そして、神さまの前に素直になった心そのもので自分の周りに居てくれた人たち、家族、友人、同僚、そんな人たちに感謝と祈りにも似た気持ちで接することができれば、神々は喜び、今度はそこで、その場において、私たちと神々のエネルギー交換がなされることでしょう。

 

その時、私たちはきっと気付くはずです。 

・私が好きな人も

・私が嫌いな人も 

・私を好きな人も

・私を嫌いな人も 

みんな、みんな大切な人だったと。かけがえのない人だったと。溢れる感謝の気持ちと共に。

私たちは、人の 嫉妬、やっかみ、悪意には鈍感でも構いません。

ですが、人の優しさ、温かさ、思いやり、愛情には敏感でありたいものです。なぜなら、そこには神さまがいらっしゃるからです。 

心の浄化が始まった時、神々の喜びとともに、大いなる幸せも続々と現れることでしょう。

何故なら、人の心の浄化こそが神々のなさる最大の奇跡だからです。




2021年5月27日木曜日

2344「何時までも一緒にいたい」 2021.5.27

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年05月21日の記事を紹介します。


「何時までも一緒にいたい」


今日は「腹六分」についてです。

みなさん、過ぎたるは及ばざるが如しって言葉聞いたことありますか?

何事も程ほどが肝心で、やり過ぎることはやり足りないことと同じように良いこととは言えない。良いと言われることでも、やり過ぎは害になるということ。

だそうです。

特に人とのお付き合いにおいては、大切なことです。

人との付き合い方に対して、美輪明宏さんは、こんなことを仰っています。

朝日新聞朝刊「悩みのるつぼ」、悩み相談に対する美輪明宏の回答より。


人間の付き合いというのは、「腹六分」がちょうどいい。

いつまでも付き合える人は一生に何人も出てこない。 

親友なんて1人できればいい方で、助けが必要な時にはいつでも助けてあげて、

普段は当たり障りのない距離で見守っている人のことでしょう。

「水臭いじゃないの」と何から何まで悩みも聞き、金も貸してくれる、そんな便利な人はいるはずがない。

離れていく人は、ニセ者だから惜しむ必要はありません。

本物は離れません。


昔、三島由紀夫さんが切腹事件を起こす直前のことです。 

私の楽屋を訪ねてきました。

はっきりは言いませんでしたが、「最後のあいさつ」に来たことがそれとなくわかりましたから、「何で私たちは、18年も付き合えたんでしょうね」と聞いたのです。

すると三島さんは、

「ひざの上に乗るからなでてやったら、図に乗って、肩まで上ってくるやつがいる。 

しまいには頭に上って、顔までなめるやつがいる。

キミにはそういうところが一切なかったからな」と言ったのです。

暮れと年始のあいさつに、彼の家に行ったことがありましたが、彼が私の家に来たのは18年で2回だけ。

横尾忠則さんや瀬戸内寂聴さんなど、今も親しくさせて頂いている方たちもみんなそうです。

仲良しだけれども、つかず離れず、それが大人の関係というものでしょう。


 さて、エネルギーは常に流動しています。

ですので時に、あるグループにエネルギーが集中し、皆が急激に親しくなり強烈な仲間意識が芽生えることがあります。

何をやるにも一緒、そしてその時は、全員が同じ方向を向いています。気持ちが良いのです。

大好きなので、意識が高揚します。でも見えない所では、エネルギーの集中が刻々と極限にまで達しようとしています。

(本人達は全くエネルギーの流れについては、意識していません。ただ心許せる親しい友が出来て 嬉しいだけなのです)

ですが、この状態はブッダの言う中庸の状態ではありません。

ですので、いつしかムりが来ます。そしてエネルギーのひずみが発生します。

物理的な宇宙の法則の一つですが、宇宙は、ひずみが発生すると、それを是正しようという逆のチカラを発揮してきます。 

要するにバランスを取ろうとするのです。(これがフリーエネルギーの基本理論になります)

その結果、ムリが来ていた部分(エネルギーが集中していた所)のエネルギーは離散していくことになります。 

それはまるで風船がはじけるように一瞬で破裂・爆発してしまう事になります。

そして、その爆発によってエネルギーの過度な集中は終わりを告げます。

人と人とに発生していたエネルギーであれば、それをきっかけに、集まっていた人達は

バラバラに離れて行きます。

そして、その離れた理由は、エネルギーの観点からみれば、どうでもよい事。 

つまり後付けで理由付けされます。人それぞれの理由が作られます。

ですが、それも大きな意味はありません。

しばらくすれば、また別のエネルギーの流れが、発生しますから、その様なことがあった事は意識から段々と薄れて行きます。

何故なら、大切なのは、そこで味わう様々な感情だからです。

このようなことが、私達の生活の中で、日々刻々と行われています。

(3年前にはあんなに親しく、いつも一緒だったのに、今はどうしているのかしら?・・ 

なんてことありませんか?)

そういうエネルギーの流れによって、集中の時は、嬉しい・楽しい。

離散・爆発の時は、その逆の感情を味わうことになります。

もし今、急激に親しくなりつつある人達がいるのであれば、それはそれで、良いこと、

素晴らしいことです。楽しいし、日々の笑顔や活力が生まれますから。

でも、もし、それを長続きさせたいのであれば、急激な形ではなく、美輪さんの仰るように

人間の付き合いというのは、「腹六分」がちょうどいい。が理想ではないかと思います。

長続きする一生涯の良き関係を築くことが出来るからです。

エネルギーの集中と離散これは自然なことです。

何も、誰も悪くありません。世の中は 諸行無常 ですから。常に変化しています。

人それぞれ、学ぶべきことも、 学ぶ順序も、スピードも異なります。

神様が、そこにエネルギーの集中を、どうして起こしたかと言うと、その時に、そのグループでの、学びの体験が必要だからです。それが終われば、神様は エネルギーの離散(破壊)を起こし、それぞれを別の道に誘います。

もしここで悪いことと言えば、唯一 

・そこに執着し、

・しがみ付き、 

・昔は良かった。。

・どうしてあの人は?

となるのが悪いくらいだと思います。それが神様のやり方ですから。



 

2021年5月26日水曜日

2343「脱いだ靴を揃える」2021.5.26

 今回は木の花ファミリーのいさどん「ジイジのブログ」の2021年5月21日の記事を紹介します。


「温暖化対策は、脱いだ靴を揃えることから」

https://jiiji-konohanafamily.org/


先日木の花ファミリーでは、持続可能な未来を模索するNHKスペシャル「2030未来への分岐点」(3回シリーズ)を、子どもたちと一緒に観ました。

第1回目のテーマは地球温暖化。IPCCによると、2030年に地球の気温が産業革命前に比べて1.5度上昇することが予測されており、多くの科学者たちが、気温上昇に伴う巨大台風の増加や豪雨、干ばつ、海面上昇、生態系の崩壊や食糧難を最小限に食い止めるためには、今後10年間に人類がどれだけライフスタイルを転換できるかが勝負であると警告しています。

番組を観た後、ジイジは以下のように話し始めました。

*NHKスペシャル「2030未来への分岐点(1) 暴走する温暖化 “脱炭素”への挑戦」

________________________________________

 

国はようやくお尻に火がついて、慌てて温暖化対策に取り組み始めようとしています。

しかし、それはまるでお尻に火がついて、急いで水の入ったバケツにお尻を入れて「ああ火が消えてよかった」と言って、また元へ戻る、ということと同じです。

どれだけか温暖化対策をして、そこから先はどうするのか?その一連の行動は、仕組みだけを変えているということです。しかし、大切なのは仕組みを変えることではなくて、『人間』を変えること。そこが難しい。


自分は現状のまま変わらない生活を維持して、かつ温暖化の問題も無いという世界を思い描いているとしたら、どこかで地球に負荷をかけすぎてきたことを認識しなければなりません。そしてそれは、地球に対する人間の姿勢が間違っていたのだから、いよいよやめなければいけない時が来た、ということではないでしょうか。


温暖化の一番の原因は、エネルギー問題です。それを生み出すのは、石油や石炭などの化石燃料で、原子力発電も様々な問題があります。これらの代替エネルギーとして風力や太陽光が良いというけれど、そもそも風力や太陽光も、まず設備を生産しないといけないから、そのためのエネルギーもかかるし、消費したら壊れもするから、万能ではありません。結局、世界に矛盾を生み出す人工の世界であることは同じです。


人間はどのように生きていけばよいのかを考えるならば、まずは人間の在り方を問わなければなりません。なぜなら、人間は生命として地球に生まれてきたのに、生命の在り方が何であるかを忘れ、人工の世界を拡大してきたからです。その姿勢は、人間以外の生き物とは全く違います。ここまで人工の世界を拡大する道を歩んできて、まだ同じやり方で問題を解決しようとしています。だからこそ今、人間の生命としての本質が問われているのです。過去に沢山の生命が絶滅してきましたが、人間も、異常で過剰な人工の世界をこのまま進めていけば、やがて絶滅することになるでしょう。そこで「誰が問題を作り出したのか」と言ったら、それはみんなでやってきたことなのです。


若者が街に出て「温暖化対策をしろ」と叫び始めました。その行動を無駄とは言いませんが、考え方の合わない者を批判することよりも、そもそも人間の歴史を振り返ってみれば、その批判している対象の延長線上に、現在を生きる自分たちが存在しているのですから、彼らの歴史は自分たちの歴史でもあることに気付くべきなのです。

そこで過去を冷静に振り返り、なぜ地球上にこの様な異常をもたらす生命が発生したのかというところから、振り返ってみる必要があります。人間以外の生命には、その種の存在が原因となって、このような矛盾を地球上にもたらすものはいないのです。だから、現在の地球の状況は人類という種全体に原因があり、誰もその責任から逃れることはできないということを認める必要があります。


だって、今の地球の問題は、みんなでつくってきたことだから。だから、もっとよく考えなければいけません。それは、単に仕組みを変えて解決すれば良いという話ではないのです。

これから、温暖化が進むと、さらに暮らしにくくなります。そうすると、生きることの見通しが立たず、自らの命を絶つ様な人も増えるでしょう。でも、暗い気分になってはいけないね。それは人間の価値を見直す機会をもらっていると捉え、大事な振り返りをいただいているのだと思って、受け取っていきましょう。


今、世界中の国が取り組んでいる物理的な解決策の他に、今の生き方や考え方を生み出す人間の心の解決を探っていかなければ、根本的な解決につながることはないでしょう。だから、みんなで力を合わせて生きていくことは、大切なことです。それは、地球の元々の成り立ちに還ることです。そして、智恵を出し合うことです。そうやって力を合わせれば、頑張らなくても良いことにつながります。

だから、自分の考えを出しなさい。みんなで出し合い、その多様性を束ねていけば、必ず突破口は開かれます。出さないから、突破口が開かれないのです。


私たち一人一人は、温暖化対策として、何ができるのか?

それにはまず、自分の脱いだ履き物を揃えることです。履き物を揃えることは、温暖化対策だよ。どうしてだかわかるかな?

ジイジは幅が広いから、どんなことからでも地球を良くすることに結びつけます。自分が脱いだ履き物がどうなっているのに注目することは、その日一日を自分がどのように過ごしたのかを振り返ることと同じです。脱ぎっぱなしでは美しくないでしょう?脱いだ履き物を見ることで、自分がどんな姿勢で、どんな行動をしたのかを振り返り、その行動で良かったのかを考える。そしてその都度履き物を揃えることで、その自分を修正していくのです。履き物を脱ぎっぱなしにすることは、自分の行動を振り返らずに地球の環境を汚したり、人と考えが合わないからと言って対立することと同じです。それは無駄なエネルギーをたくさん使うことになります。


現代には、無駄なエネルギーを使うことがたくさんあります。例えばゲーム中毒になることや、アルコール中毒やスマホ中毒もそうです。現代には中毒がたくさんあります。そしてそういった中毒がビジネスチャンスとなって経済効果をもたらし、企業は大儲けをしてきました。そのような自然とは全く相容れない人工の世界が地球上に広がった分だけ、地球は今、問題ごとで溢れています。それを繋げて見てみれば、経済発展が温暖化を進めていることがわかります。そしてそうなったのは、一人一人が自分の行動をよく振り返って、規律を持って生きていないからです。


自分の姿勢を履き物に観て、振り返られる人は、客観的に自分のどこが悪いのかに気づくようになります。これは良い、これはダメ、ここまでは良いけどここからはやめよう、と、物の分別がつく様になります。だから、まず目の前の一歩として、履き物を揃えること。挨拶をすること。そうやって、一つ一つのケジメをつけていく。それが人の心を良くし、社会を良くして、問題ごとを解決するきっかけになっていくと思いませんか?


人間は、自分の内から際限なく湧き出る欲望を叶えることが豊かさだと思い、歪んだ豊かさを追求してきましたが、そろそろ自らの外の側、つまり、他の生命や、地球や、宇宙の側から物事を観て、そこに自らが何をもたらしているかを理解する者にならなければいけません。自分の内側からの一方的な目線で、良いことをやっているつもりでも、それが全体のバランスを壊していくようでは、尊い者とは言えないのです。

自分の存在が他の存在に歓迎されるような者であることを、我々人間は、これから目指していく時が来ています。他のものに迷惑をかけ、自らの価値を落としてまでも得る豊かさとは何なのか、よく考える必要があるでしょう。




2021年5月25日火曜日

2342「小さな家の小さなドラマ」 2021.5.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年05月18日の記事を紹介します。


「小さな家の小さなドラマ」


小さな家にまつわる小さなドラマです。ほぼ実話です。

まず、その文章を見て頂いたうえで、斎藤一人さんの言葉をご紹介します。

私は見ていました。ずっと見ていました。

若い夫婦が貧しいながらも、分相応の小さな小さな家を建て、そこで暮らし始めたのを。

そして可愛い女の子が生まれました。

二人はとても喜んで、その2人の家で、大切に育てました。

父となった男の人は、家族を守るために一所懸命に働きました。

母である女の人も、子供を可愛いがり、家計を助けるために働きました。

いつしか時が経ち、娘は嫁に行きました。

残された夫婦は少し寂しかったのですが、二人で助け合って仲良く暮らしていました。

そしてまた時が経ちました。

二人は年を取り、小さな家も大分古くなりました。

父はついに介護が必要な身となり、毎日施設から迎えが来ます。

母も年を取り、あちこち身体も言う事を聞かなくなりましたが、夫を施設に送り出すと家の仕事を少しはすることが出来ました。

嫁に行った娘は、年に1回は帰って来てくれます。

そしてとうとう、父は先に逝ってしまいました。母は一人ぼっちです。

それでも、母は二人で建てた、少しあちこち痛んできた小さな家で暮らしていました。

若く幸せだった日々、子供を育てるために2人で夢中で働いた日々は昔のことです。

そして、とうとう一人で暮らしていた母にも迎えが来ました。

その古い家で、ひっそりと亡くなっているのが見つかりました。

娘が戻ってきました。子供の頃暮らした、その小さな小さな家を取り壊すためです。

そして、そこは何もなかったように、すっかりと更地になってしまいました。

でも、そこには幸せだった人々の営みが、しっかりとあったのです。

私達が普段気にもかけない人達にも、このように一人一人の大切なドラマがあります。

とかく私達は、今、目の前に見えている、その表面的な姿だけで判断し、 

・自分と違うから、

・生理的に嫌いだからと、 

その人の背景にある、沢山の温かいドラマまで否定し、拒絶し、嫌うこと・・をしてしまいがちです。

でも、果たしてそれは良いことなのでしょうか? 

彼のドラマに登場する人達は、きっと悲しいと思います。

追伸

最近、その更地だった場所に、また小さな家が建ちました。

越してきたのは、若いご夫婦。

小さなお子さんが2人、いらっしゃいます。

さて、それでは、一人さんの言葉です。

<転載開始> 転載元


お金がないときでも、人にはできることがいくらでもある。まず、笑顔でいようよ。

お金はなくても心は出せるんだからね。

たとえば、知らない人に呼びかけるときに、おばさんかな? お姉さんかな?と思ったら、迷わず「お姉さん」と呼ぶの。

 

お店で食事をしたら、笑顔で「ごちそうさま」って言う。

「お金がないから、やれることがない」わけじゃなくて、「あなたがやらないだけ」なんだ。

よく、「一人さんは、どんなお店で食事をしても、『まずい』って文句を言いませんね」って言われるんだよね。

でもね、自分が期待した味と違っていたとしても、その店のお父さんやお母さんは、その料理を出しながら、一生懸命、子育てしてきたのかもしれないんだよ。

たとえ、「おいしくない」って、お客さんに言われちゃうような料理だとしても、その味で稼いで、子どもを大学にまでやっているかもしれないよね。

どんなお店にだって、目に見える料理だけじゃない「ドラマ」があるんだ。

人には、1人ひとりに神様がつけてくれた壮大なドラマがある。

あなたにも、あの人にもだよ。

ほら、そう考えると、コンビニやスーパーのレジの人にも、笑顔で「ありがとう」って言いたくなってくるだろう?

世の中って、本当はすごく単純なの。 

それを立派なこと言いすぎるから、おかしくなっちゃうの。

私のモットーは、「明るく元気」。

40度の熱があっても元気だよ。悪いのは体で、心じゃないからね。

あのね、弱気な言葉を出すと、脳が負けちゃうの。

「女房が怖い」「部長が怖い」と言わずに、「女房なんか怖くない」「部長なんか目じゃないですよ」って言ってごらん。ウソでもいいから。そしたら周囲が安心するよ。

みんなが「ツラい」「大変だ」と言ってるときに、「全然平気ですよ」と言ってごらん。

そうしたら黒板に1点、白い点が輝くんだよ。

仕事が大変なのは当然なの。人と同じこと言ってちゃダメだよ。

関東大震災のあとだって、「もうダメだ」と言ってる人が復興させたんじゃないよ。

「大丈夫。まだ負けない」と思っている人が復興させた。

「目じゃない」と言葉にしたとき、「目じゃない知恵」が出るんだよ。

コロンブスはアメリカ大陸を発見しようとして発見したんじゃないの。

世界一周の途中で発見したんだよ。一周するぐらいの覚悟がいるんだよ。

弱気になったら負け、魅力がないもん。

<転載終了>

 人には誰でも、他人には見えないドラマがあります。自分のことを憎んでいる、あの方にも沢山のドラマがあることでしょう。

家では優しいお母さんかもしれません。

病気の義母の世話を一所懸命している女性かもしれません。

子供のころは初孫で、おじいさん、おばあさんに愛された娘だったかもしれません。

中学の時憧れの先輩に、胸ときめかせていた少女だったかもしれません。

私が大嫌いな、あの上司にも、沢山のドラマがあることでしょう。

私たちには他人のドラマが見えません。

同じく他人には私たちのドラマが見えません。

それでも、私たちは同じ地球で、一緒に暮らしていかねばなりません。

 自分から見える、ほんの小さな部分だけで、他人を批判、比較、測ることはやめた方がよさそうですね。

自分がしたことは、必ず自分に返ってきます。

私たちは他人に大切に扱われたいのですから、私たちも他人のことを大切に扱い優しい言葉、笑顔を向けるのが・・良いかもしれませんね。



2021年5月24日月曜日

2341「生かされている命」2021.5.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年05月20日の記事を紹介します。


「生かされている命」

レインボーの子供たちは、神様に近い所から地球に転生してきています。

現在大量に、神々の意思によって、地球に生まれているそうです。

レインボーのまりなちゃんのお話ですが、2,500年前にブッダが悟った「縁起の法則」と同じことを語っています。

今日も、胎内記憶研究の第一人者、産婦人科医の池川明先生との対談から少しご紹介します。

・宇宙では良いも悪いもない(ジャッジしない)

・ただそうなだけ

・地球に来た途端、良い悪いがあって 

・神々はそれは必要ない・・そう相談し判断して

・良い悪いの判断をしない、覚醒した子供たちを大量に地球に送り出した

・好き、嫌いがあるのはもちろんOKだけれど、

・それは良い、悪いという概念ではない

・ただ自分と波長が合わないだけ 

・生きて学ぶことで魂に磨きがかかる

・そのために地球に生まれて来た

・また、ただ単に地球に遊びに来ている人もいる 

・人を殺すこと、殺されること

・そうすることで魂が曇ることはない

・生まれる前に、その状況を経験したいために

・自分自身で選んで生まれて来たのだから

・それは、ただの体験に過ぎない

・殺し、殺される人。二人は合意のもとに生まれて来た

・そこに良い悪いはない

・人を殺す、という体験も、魂を磨くための一つの経験に過ぎない

・それが学びだから

つまり、この地球上での経験は、

 

・どんなに嬉しいこと

・どんなに悲しいこと

・どんなに辛いこと

・どんなに悲惨に見える病気、出来事、境遇 

であっても、全ては、単なる経験に過ぎない。 

今、辛いこと、悩み事はありませんか?

家族や友人、会社のことで心配なこと、困っていることはありませんか?

それらは全て、そうなること、前提で生まれてきているのだそうです。

それを経験してみたかったから、その経験を地球でしてみたくて、地球に生まれる前に、当事者同士、その役回りをお願いして、神さまの了解も得て生まれて来た。

例えそれが、殺す、殺されるという、極端な経験であっても。 

仲の悪い家族、非常に自分本位な極端な性格、そんな状態も同じです。単にその状況を経験したかっただけ。

 

では、どれだけまりなちゃんのお話が、ブッダの「縁起の法則」と同じであるか、ブッダのお話をします。 

ブッダが初めて悟りを開いたとき、悟った宇宙の真理が縁起の法則だそうです。 

縁起の法則では、私たちの生まれてから、死ぬまでに起こってくる全ての出来事は、生きている私たちの意思や努力で変えられるものではなく、既に生まれてくる前に決めたストーリーの通り、決まっている。 

そしてこの人生ストーリーは私たち自身と、神様で相談して決めてくるのだそうです。

生命ある物、全ては、生きているのではなく、生かされているのだと言います。


宇宙を司る原理、(大日如来、憤怒相である不動明王)神さまによって生かされています。 

私たち、一人一人の心の中にも神さまはいらっしゃいます。語りかければ、答えてくださいます。自分の中に神様を認めることができた時、初めて、周りの全ての中に存在する神様に気づきます。 

私たちは、勝手に生きているわけではないので

・生まれる時期、場所、家族も神さまが準備してくれました。

・死ぬ時もそうです。神さまが「そろそろ、戻っておいで」と言うまでは死ぬに死ねません。

・人との出会いもそうです。 いつ、誰と、何処で出会うか?何時分かれるか? 

みんな前世の因縁なども加味されて神さまが段取りを組んで下さいました。 

・特に「運命は人が運んでくる」そう言われるように、人との出会いは重要です。

 どんな人であろうと・・・ 

・病気や事故もそうです。私たちがある時期、自分自身を見つめ直す必要があり、お陰さま、お互いさまの心を知るために神さまは頃あいを見て、病気や事故を授けてくださいます。

・貧乏な時期、経済的に困窮する時もそうです。

 心を強くするために

 お金のより良い使い方を理解するために

 何もないところに、愛や思いやりを見つけるために

 物では無く、心に、幸せを感じられるように

 神さまは、貧乏の時期を与えてくれました。 

今まで生きて来た人生を振り返って見ればいくつも思い当たる節が、あると思います。

あの出会いがあって、今の私の人生の方向性が変わった

あの時、別れがあったから、新たな出会いが訪れた

あの病気をしたお陰で、人の心の温かさが身に染みた

何気ない毎日の幸せが、理解できた 

これらは、全部 神さまが計画した、順番通り、計画した時間、場所に寸分の狂いもなく起こされたことです。

また、この働きは、宇宙空間の中でも、私たちの体の中でも、同じように起こっています。

寸分の狂いもなく、体内の様々な、微生物、細胞、血液、リンパなどが調和して働いています。こんな壮大で、有機的に調和された働きを神さま以外の誰ができるでしょうか?

生きているではなく、生かされている。その事実に気付いた時、私たちは、どんなに安心し、幸せを感じることができるでしょうか?

私たちは、神さまのOKが無ければ、病気にもならないし、事故にも会わないし死にもしません。

神さまのOKが無ければ、リストラにも会わないし、ハラスメントにも会いません。 

神さまのOKが無ければ、あの人と出会わなかったし、あの人との別れもありませんでした。

神さまのOKが無ければ、今の私たち自身の、人格は形成されていませんでした。

全てを、お陰さまと、受け入れた時・・・

同じく、全ての人が平等に神さまに愛され、許されていると知った時、

私たちも、神さまと同じように周りの方々を受入、許し

愛することができるのかもしれませんね。 

病気も事故も、いじわるする人も、心ない言葉をかける人も、嫉妬してくる人も、全部が全部、神さまのOKを頂いて、そうしています。 

神さまが関知していないことは一つもありません。

仲の悪い親子関係も重い病気も貧困も、全て神様の承諾があるから起こります。


  木の葉一枚散ることさえ、神さまはご存知です。自分にとって都合の悪く見えること、できれば、逃げ出したいこと、そんなことも、神さまは、私たちが耐えられる時期を選び、私たちの前に、表してくれました。 

その全ての目的は、たったの一つしかありません。その出来事が、砥石の役割をして、私たちの魂を、ますます輝かせるためです。

私たちの心が、まだそれに耐えられない時は、神さまは、その出来事を、決して私たちに与えません。 


 私たちの心の準備ができた時、機が熟した時、それが与えられます。大きな試練が与えられる人は、それだけ、強く、気高い魂をお持ちなのでしょう。ですから、どうぞ、ご自分の中の神さまを信じてみてください。どんどん、話しかけてみてください。

神様なら、どんな判断をされるかな? と考えてみてください。 

もう、昔とは違います。今は、誰もが、ご自分の中の神さまと、自分自身で、しっかりと繋がる時代です。自分の中に、神さまを見つける時代です。

時代は変わりました。憎しみではなく、感謝の心がある所、神さまの恩寵がふんだんに降り注ぎます。



2021年5月23日日曜日

2340 「私は生きると決めた」2021.5.23

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年05月19日の記事を紹介します。


「私は生きると決めた」

レインボーチルドレンの子供たち、中間世記憶(天国の記憶)を持つ子供たち、そして宇宙存在、バシャールなどの言うことに、一つの共通点があります。

それは、この世の中の出来事には、良いも悪いもない、全ては、自分の計画した通りの出来事が起きてるだけ、自分自身で、OKを出した出来事しか起こらない・・ と言うことです。

つまり、重い心身の病気の運命を持って生まれてくる子供も、陰湿な意地悪をする友人も、

極端な場合、殺されるような人生も、全ては計画通りの出来事、全ての目的は、その経験をしてみたかったから、その経験を通じ、魂を磨きたかったから・・ 

なのだそうです。 

返って、「悪いこと」とみなされるようなことを担ってくれる人、そのような役を引き受けてくれる人こそ魂的には、本当は偉大で、光り輝く存在のようです。 

さて、そのような大前提のもと今日は、シスター鈴木秀子さんの「死にゆく者からの言葉」よりご紹介します。この中に、障害を持ったお子さんのお話があります。

<転載開始> 転載元 


一人の女性が泣いているのが目につきました。私はそのとき、壇上にいて、「命の大切さ」という市民大学の講演を行っていました。

その女性は、身なりも顔立ちも派手な印象でした。しかし、だれ一人として泣いてなどいないなか、彼女はハンカチひとつ使おうとせず、涙をあとからあとからこぼしつづけています。

そして私の顔をジーッと見つめたまま、身動きもせず、話に聞き入っています。

前から三番目に座っている彼女の姿は、否が応でも目に入ってきます。

「きっと思い当たることもあるのだろう」私は、そう思いながらも講演をつづけました。

(中略)

今日の話を聞けてほんとうによかった、と彼女はつづけました。そして涙がこぼれたわけを、こう語りました。

「実を申しますと、私の体のなかは洞窟も同じなのです。これまで八回、大手術をしました。

子宮ガンから始まり、胃ガン、腸ガン・・・・、転移して次々と大手術を繰り返したのです。こんなカラッポの体でね、どうして生きているのかお医者様からも不思議でたまらないと言われています。ともかく体のなかには何もないんですから。

ではなぜ、私がこうして元気で生きていられるかと申しますと、実は私には精神障害の息子がいるからなんです」

彼女は、その子が生まれてまもなく夫と離婚したのです。

寝たきりのその息子は現在二十歳ですが、幼児程度の会話しかできません。

彼女を必要としている息子のため、彼女は一度目の手術以来、医師にも周囲からも見放されながらも、手術しては生き返り、また次の手術をしては生き返り、ついには働けるまでになりました。

「勤めを終えて家に帰りますとね、息子は布団のなかからじっと私を見つめ、子供のように顔をほころばせて、それは嬉しそうに手足をバタバタさせて喜ぶんです。

私も元気とはいうものの、大手術を重ねましたから、お天気が悪かったり、重いものを持ったりすると体が動かなくなることもあります。

でも息子の、ほんとうに喜びを満面にした顔をみると、一日の苦労が吹っ飛ぶんです。

これまで死ぬほどの重病にとりつかれましたけど、『この子を残しては死ねない』この一心で生きつづけてきました。

そして、『あの子が家で待っている、私を待っている。 

私が生きていなければ、あの子は生きていかれないんだ』って、それだけしか考えませんでした。病気のことを考えている暇なんかなかったんです。

そして絶対に生きる。病気がどんなであろうと、お医者様が死ぬと言おうと、私は『生きる』と決めたんです。子供が生きている限り、私は生きるんだって。これが、病気になっても、

病気とは関係なく生きつづけられる原因なんです」

いつでもニコニコと迎えてくれる子供の顔を見るたび彼女は、「生きていてほんとうによかった」と思うのだと言います。

そして、「お話を聞いていて、幸・不幸というものは、世間一般に考えられているようなことではないんじゃないかと改めて思いました。このような息子を持つ、ボロボロの体の私でも、こうして幸せを感じることができるんですから」

私は講演のなかで、幸・不幸というものは客観的にはかり知ることはできないのだ、また、苦しみの極みを積極的に受けとめ、生きぬくとき、苦しみは、生きる深いよろこびをもたらしてくれる、と話したのでした。

私の知人の家では、五人の子供に恵まれたものの、五番目の息子は身体障害者でした。しかも、知能の遅れもともなっています。世間的にみればさぞかし大変であろうと思われがちなのですが、真一君というその子のおかげで、家族中が大変な仲良しでした。 

というのも彼らは、「ただいま」の次に必ず、「真ちゃんどうしてる?」と声をかけ、そしてその部屋に入るなり、「今日ね、こんないい話があったんだよ」と報告するのを日課としていたのでした。


 ちょうど花束を持って帰るように、家族の一人ひとりが、いい話を必ず一個ずつ持ち寄ったのです。その子は残念ながら、それらの話を十分には理解できません。しかしわからないながらもニコニコと、まるですべてを理解しているかのようにほほえんで聞いていました。

そのためその子の父親も母親もきょうだいたちも、今日はあの子に何を話そうかと、まるで花を摘むようにいい話を探さずにはいられないのです。

そうすると厭なことに気を取られなくなり、長年のうちにそれぞれが、日常の平凡なことのなかから、毎日毎日宝物を探すようにいい話を探す習慣を身につけていきました。

家族中がその子を喜ばすことで結束し、仲のよい暮らしの中からいいものを見いだす目が育てられてきたのです。

「あの子はわが家の宝物。宝の花をひきつける存在です」

それは知人の自信にあふれる声でした。

中年の女性は、自分の家もまさにそういうことであったのだと語りました。

「私の息子もほんとうに、そのお子さんのような存在です。そのお子さんが宝の花をひきつけるのなら、息子は命を湧きあがらせてくれる存在なのです。

ですから本来ならばとっくになくなっているはずの私の命も、息子の喜ぶ顔を思い出すたびに、私の中で生命が湧きあがってくるのです」

息子は、生まれてすぐ、三年生きられればいいだろうと宣告されたのでした。

それがその年の一月十五日に二十歳を迎えることができました。

ささやかでしたけど祝ってあげたんです。そうしましたら息子が、私の顔をじっと見つめて、

『お母さん、ありがとう』って言ってくれたんです。

息子はただ、祝ってくれてありがとうっていうつもりだったんでしょうけど、私にはまるで、自分を成人まで育ててくれて、ほんとうにありがとうって言っていたように聞こえてなりませんでした」

彼女はしみじみつぶやきました。

「お礼を言うのは自分の方です。本来なら死んでいるはずの自分を、あの子は無垢な笑顔を向けてくれることによって、生命を湧きあがらせてくれます。ほんとうにありがたいことです」

彼女は最後にしみじみとそう言いました。

その女性から便りが届いたのは、それからしばらくしてからのことでした。

あの息子さんが、亡くなったという知らせでした。

しかし、文面には、「私は幸せなことに、こうしてまだ生かされております。あの子の笑顔が、しあわせに生きてゆくようにと呼びかけているのです」と書かれてありました。

私たちは、辛いこととか、いやなことが何ひとつなく、物事が自分の思い通りにいきさえすれば幸福であると考えがちです。

しかしもっと深い幸福があると思うのです。

辛いことや思い通りにいかないこと、そういった状況のなかにこそ、見る目がある人にとっては、通常ではみられない幸せというものが存在しているのではないかという気がします。

こういう話を聞く時や、医学的には考えられないのに、重い病状にもかかわらず元気で明るく生きている人達に接する時に、私は、ムスターカスの次の言葉を思い出します。


「もし悲しみがその人自身のものとして受け入れられ、その人の存在の中核で感じとられるならば、そのとき苦しみは他の人間や、すべての生きるものへの情けへと成長する。

苦しみによって心が開かれ、悲しみの中から陽気さと歓喜の新しい感情が起こってくる」


<転載終了>


深い深い愛ですね。一般の人から見たら一見不幸に見える状態であっても、その環境から磨かれる魂の輝きは計り知れないものがあります。

皆さんには、お子様はいらっしゃいますか?

いない方は、ご両親はご健在ですか?

私たち親は自分に子供が生まれた時、幸せに生きられますようにそう願いました。

そしてきっと、自分が先に天国に帰るときも、残されたこの子が、幸せに生きられますようにそう願うのだと思います。親と子、深い愛の絆で結ばれていますね。

皆さんも、例え苦悩の中にあろうと、その中に神さまの光を見つけることができますように。




2021年5月22日土曜日

2339「 神さまと繋がる人」2021.5.22

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年05月17日の記事を紹介します。


「神さまと繋がる人」

毎日ブログを書いていますが、主に

・悩んでいる方、

・苦しんでいる方、

・泣いている方

向けの記事が多いです。 

記事を通じ苦しんでいらっしゃる方々が自分の内に居らっしゃる神さまとの結びつきを強化し、本当のお幸せになってくれることを願って書いています。 

それは、一番の大本、つまり内なる神さまと繋がることが一番効果的で、かつ永続性があると思うからです。

根本のことですから。 

私たち存在する者は、目に見えるもの、見えないもの、これら全てが、元は源の神さまから発生しています。ですから、生まれる前の記憶(中間世記憶)がある子どもたちが言うように、私たちが生まれてきた目的の一つに、魂の進化と言うのが、必ずあげられているのです。

魂の進化とは、要するに、最終的に源の神さまと一体化すると言うことです。

私たちが出て来た魂の大本へ戻ると言うことです。 

これをチベットやヒマラヤの聖者の方々は、「キリストのヨーガ」と呼んでいます。ですから、自分の中の神さまを信じると言うことは、その目的のための大きな一歩となります。

またもう一つ重要視しているのが・・・ブッダとその僧団(サンガ)達の時空を越えた壮大な計画を、ブッダを信じる小さき者として、ハチドリのひとしずくかもしれませんが、何か協力できることはないかと思っているからです。 

2,500年前にブッダが生まれ、人類の精神性は目覚ましく進歩しましたが、どうもブッダのグループは、生まれ変わりの最小公倍数である1.200年ごとに集まり、同時に地球に転生し、それぞれ別の切り口で人類を教化していらっしゃるようなのです。 

ブッダの生きた時代は、八正道を方法論にした自力、つまり自灯明・法灯明(じとうみょう、ほうとうみょう)でした。この意味は人や神様に頼らず、自力で人生を切り開いて行くこと。

ブッダの教えてくれた法を頼りにすること。

これはブッダが亡くなる直前、従者アーナンダが人間、ブッダに縋りつく姿を見ての最後の教えでした。

ブッダや、神に頼らず、今まで長い年月掛けた「教え」そのもの。「法」そのものを頼りに進め!! と言う事です。

そして、それから1200年後の空海の時代、ブッダを中心に再び集まったブッダ僧団の方法論は、今度は宇宙の根本法則である大日如来(神さま)の存在を人々に教えることでした。

そして、それから1200年。丁度今の時代です。それは、空海時代のように偉大なる存在を自分の外に見つけることでなく、また再びブッダの時代と同じく、自力でありながらも、

偉大なる(神のような絶対的な宇宙の根本法則である神さまの)存在を、自分の内に見い出しなさいという、ブッダ、そして空海。2つの時代の融合し、発展させたものではないかということです。

これが2500年の時の流れの中で、人間の魂を進化させるための、ブッダ達グループの壮大な計画ではないかと思うからです。

「神さまを信じる人は幸せになれる」と良く言われています。神さまを信じる・・と言っても、何か宗教組織、団体に入信し、厳粛で宗教的な生活を送らなくても良いと思うのです。

ただ、神仏に対して、敬虔に敬う信仰心を持つだけでも大丈夫です。

この宇宙は見えている世界だけでなく、その何万倍もの見えない世界があり、成り立っていると言われています。現に人間の見える光の波長も、ほんの小さな範囲でしかありません。

動物や昆虫は、もっと広い範囲を見ています。音も同じです。人間は小さな可聴範囲の音しか聞こえません。

また私達人間は、個々それぞれ別の肉体を持ち、その境界は皮膚によって、外界と区別されている。そう思っていますが、実際、私たちの右脳が認識しているのは、この肉体をはみ出して外側の世界と全部繋がっている現実を認識しています。

(先日、TEDでアメリカの女性脳科学者の、実際に左脳の脳梗塞状態で、このことを実体験として講演されました) 

私たちが認識している世界よりもはるか巨大な世界が存在し、それら全てと私たちは繋がっています。

もし神さまの存在を信じていなければ、 生きて行く上で遭遇する色んな出来事 例えば

・生まれる

・人との出会い・別れ

・結婚、子供、家族・不仲・登校拒否・いじめ

・就職、会社でのいじめ、嫌がらせ、パワハラ、セクハラ

・ケガ・病気・事故

・貧乏な時期、裕福な時期

・幸せな時期、苦汁をなめる時期

・ケンカする時、仲良くする時

・怒る、イライラするキッカケ、タイミング

・死ぬ時

などが全て偶然に発生しており、これらに全部自分一人の力や知恵だけで対処しなければならない・・ そういった非常に困難で、孤独な立場に置かれます。

その結果、未来に対する不安でいっぱいとなり、うつ状態となってしまいます。

そして、そうならないために、それを打ち消すために、常に何かに追われるように必死に努力し、 

・人より上の立場に立とう、

・お金を儲けよう、

・損することは絶対にしない、

それを家族にも強制する・・など非常に精神的に不安定で殺伐としており、生きていても楽しくもないし、追い込まれた、あせりの状態に置かれてしまいます。

これが年間自殺者10万人を超えると言われる日本の現実です。15~39歳の死因で、自殺がガンや事故などを上回り、死因の1位となっている現実を生みだしています。

さてここで、小林正観さんの「なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?」からご紹介します。

<引用開始> 引用元 


「正観さんのお話を聞いて、1週間ぐらいは調子がいいんですが、すぐ忘れてしまいます。

ずっと忘れないようにするには、どうしたらいいでしょうか」 

という質問がよくあるのですが、忘れないためには、どうすればいいか。 

それは《実践をし続ける》ことなのですね。 

「いい話だったなあー」で終わってしまうと、3日後ぐらいには忘れていますけど、毎日、「ありがとう」を言い続けたり、トイレ掃除をし続けたりすることで、目の前にいろいろな奇跡や思いがけない嬉しい現象が起きてきます。 

自分も元気になるし、仕事も人間関係もスムーズに流れ出しますので、実践するのが楽しくなるのですね。 

話の内容を忘れないためには「忘れないぞ」と気合を入れるのではなく、実践をし続けることですね。 

すると、面白い現象があまりに頻繁に出てくるので、引き続きやりたくてしょうがなくなります。 

私の中には「やらなければならない」というのはまったくなくて、「ありがとう」を言うのも、トイレ掃除をするのも全部損得勘定ですから。 損得勘定でやると続くのです。 どんなに下心があって、野心があったとしても、実際にそれをやった人を《実践者》と言います。 

例えば、電車に乗っていて、おばあさんが乗ってきた。 ある男は、おばあさんに席を譲ってあげたいと思った。 自分の中では、人によく思われたいとか、評価されたいとかはまったくないけれど、人の目が気になって、席を譲ると恥ずかしい気がして譲らなかった。 

それに対して、もう一人の男は、おばあさんが乗ってきたとき、目の前にきれいな女の人がいたので、この女性によく思われたいと思って、邪心と野心の塊で席を譲ったとしましょう。 

さて、邪心の塊で席を譲った男と、すごく美しい心で席を立てなかった男と、どちらを神さまが喜んでいるだろうか。 多分、席を立った男のほうに微笑(ほほえ)みかけているのではないかと思うのです。 

動機はどうであれ、席を譲った瞬間に、宇宙に一つ《喜ばれること》が生まれたのですから。 

邪心や下心が全く無い人というのは、神の領域ですから、肉体を与えらえてはいません。 

人間としては卒業してしまっている。 肉体を持っているということは、人間としての様々な体験をまだしたいということですから、損得勘定でやっていくことは、とても自然なことだと思います。 

100%美しい心でやっていこうと考えなくてもいいですから「究極の損得勘定ができる人、究極の欲深い人になってください」と伝えています。 

宇宙構造を40年研究してきて、損得勘定でないものは、どうもないようです。 

どのような分野でも、人に喜ばれるような生き方というのは、すべて自分にとっての損得勘定で言えば“得”になっています。 人に喜ばれることをして、自分が圧倒的に損だ、ということはないのです。 さらに言えば、みんながいやがってしたくないようなことは、一単位あたりの“得”の密度が高いみたいです。 

トイレ掃除は、その最たるものです。そういうことを実践している人が何かを始めようとすると、あっという間に支援がきます。  

それは、その人が望みを実現させようとか、目標に到達しようとがんばっているわけではなくて、ただ毎日“徳”を積んでいるだけなのです。 

まさに、人徳の“徳”とは、損得の“得”なのです。心の中で、どんなに善きことを考えていたとしても、それが実行に移されなかったら、それはないのと同じ。 

「ありがとう」という感謝の言葉も、「笑顔」も、「気くばり」も、「優しい言葉」も、「席をゆずること」も、心で思っているだけなら、ただの絵に描いたモチにすぎない。どんなに強烈に願おうと、深く想おうと、それは同じこと。 

たとえば、喫茶店で注文するとき、どんなに強く心の中で「紅茶が飲みたい」と願ったとしても、「コーヒーください」とひとこと言ったらコーヒーが出てくる。 

神さまも同じで、心の中がどうであれ、現象として現れた「言葉」なり「行動」を評価するという。よき実践者をめざしたい。 

<引用終了>

神さまを信じるとは、宗教組織に入ることではありません。ただ私達の心の中に居らっしゃる神さまを信じるだけです。

神様の存在を信じて、考えたり行動すると、正観さんの仰るように、精神が安定するだけでなく、自然界からの応援が得られて、活き活きとした人生を送れます。そして家族も幸せになることが出来るのではないかと思います。

また神さまを信じれる人は、中間世の記憶を持って生まれて来た子供たちが言うように、

私たちは生まれる前に、神さまと一緒に、どのような人生を送るか計画を立て、

・人の役に立つため

・魂の進化をするため

にこの地球に生まれて来たことを信じることができるでしょう。私たちは神さまと共に、生まれる前に、生きている間に起こる全ての出来事を決めてきました。ですから、何が起ころうと、神さまの名のもとに、絶対に大丈夫なようにできています。

私たちが人生において選択する全てのことは、私たちが、そのどちらを選ぼうと、結果的に生まれる前に決めて来た通りを選択するようになっています。ですから、どちらを選ぼうと、どちらに転んでも大丈夫なようにできています。

これほどの救いの事実があるでしょうか?

この真実は神さまを信じる方が得ることのできる、大きな安心と、生きて行くための躍動感、優しさ、愛のエネルギー源となります。

私たちは、自分の期待していた状況と、現実が異なってくれば、「あぁ、もうだめだ」「あの時、あんな選択をしなければよかった」そう思いがちですが、神さまは、その苦労の先に、

私たちを生かしてくれる道を既に準備してくださっていたのです。

皆様が内に居らっしゃる神さまと繋がり、お幸せになられますように。



 

2021年5月21日金曜日

2338「縄文スピリット降臨は人を弥生から解放する」 2021.5.21

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2021年5月15日の記事を紹介します。


「縄文スピリット降臨は人を弥生から解放する」2021-05-15

https://ameblo.jp/riyanmichaki/


みなさんこんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。お忙しいところなのは承知なのですが、早速インタビューをさせていただきます。

 

さて、

――澤野大樹さん、GWも終わり、ひと段落と思いきや、緊急事態宣言は延長され、さらに全国で蔓延防止が拡大していますが、そのあたりからお願いいたします。

 

「マスクをして大声を出さず、群れを作らず、街の灯りを消し、特に夜は静かに自宅で待機せよ」というのが、トランプ大統領側から出されたメッセージです。これはまさに今がまさに戦中であり戦時下ということを表しています。じつにシリアスで大切なことですね。

このトランプ大統領側から発信された「これまでの幻想を上書きするための幻想」のコンセプトを理解することができれば、今、私たちはどう立ち居振舞うべきかがわかってきます。

この三次元現実世界で、徒党を組んで群れて声高に叫ぶということは、この幻想世界の「現実性」を強化してしまうだけでなく、不本意にもその幻想世界に加担してしまうことになります。

この、「マスクをして大声を出さず、群れを作らず、街の灯りを消し、特に夜は静かに自宅で待機せよ」っていう行動様式は、一般的に、「ソーシャル・ディスタンス」と表現されていますよね。

 

――はい。


このソーシャル・ディスタンスというものを一瞥(いちべつ)しただけでスルーしてはいけないのです。そもそもこのソーシャル・ディスタンス自体にも多次元的に深い意味が込められていたのです。じつは、ソーシャル・ディスタンスとは「縄文スピリット」そのものなのです。

 

――といいますと?


縄文時代の縄文人たちは、1万年以上の長きに亘って、戦争をせず、現在の私たちからは

想像もできないレベルでそれこそ「平和」を実現していたわけです。

 

――確かにそうでした。


その「平和」とは、縄文人たちにとってはあまりにも当たり前のことであって、彼らはその「平和」のことを意識したことすらなかったでしょう。それはたとえば、私たちがオギャーと生まれて日本語を覚えていった中で、「今日本語を勉強してる」だなんて考えたこともなかったでしょ。それと同じ。それくらい縄文人にとって「平和」というものは意識したことすらない当たり前のことだった。

 

――はい。


彼らは「戦争」を知らなかった。ということは、すなわち、「平和」も当然知らなかったということでしょ。これ、きわめて大事なことです。

 

――そういうことになりますね。


そんな縄文人が無意識で行っていた行動様式というもの、つまりその「立ち居振る舞い」

というものがあります。それについて私は勝手に「縄文スピリット」と呼んでいます。

 

――それはどのようなものですか?


縄文スピリットにはいくつかの特徴があります。

●群れない

●徒党を組まない

●主体性なく付和雷同しない

●組織を構築しない

●「所有」という概念がない

●土地の境界が無いだけでなく、精神(心)の境界も存在しない

●上下関係がない(適度な距離感と礼儀はあります)

●主従関係がない

●人懐っこい、お人好し

●まつろわない(服従しない)

●まつろわせない(服従させない)

●相手の立場を尊重する

●もっとも弱き者の心に寄り添う

●「ひとつ」である「宇宙」「ヤハウェ」と「ひとつ」であるという「ひとつ」を無意識かつ自然に体現する

●偶像を崇拝しない

●求められてもいないのに、他者に干渉しない

●求めてもいない他者からの干渉を受けない

●「ハラ」(原=大自然)のしきたりに身を任せ、他者と適度な距離を保つ

●侵略をしない

●恩着せがましい余計なお世話や、ありがた迷惑な行動をしない

●異能を誇らない

●本能に忠実に生きる

●宇宙(己)の流れに沿う

これが「縄文スピリット」です。まあ他にもまだあると思いますが、ザッと挙げてみました。

 

――現代的に推奨される生き方とはかなり違いますよね。


そうです。いわば「真逆」と言ってもいいですね。この縄文スピリットの真逆が「弥生スピリット」ですからね。そして、この現代社会は「弥生社会」ですからね。こうやって見てみますと、縄文人というのは、現代的な価値観で考えるならば、なんとも弱い存在にも思えますよね。現在の弥生社会においては、このような縄文スピリットの実践者はイジメや排斥の対象となるでしょう。

 

――とても生き辛いと思います。


だって、明治維新以降の日本は、この「弥生」によって完全支配されたのですからね。でもじつは、この縄文スピリットが本当は一番強いのです。「強い」といいますか、「圧倒的」なのです。縄文人、あるいは縄文スピリットを持つ者は、誰にもまつろわないし、誰もまつろわせない。すごく純粋だし素直だし、宇宙に対して謙虚だった。そして何よりも「正直」だったのです。

 

――正直に生きる、って、単なる言葉として言うのは簡単ですが、なかなか難しいことですよね。


はい。イギリスのことわざといいますか、言い伝えのようなものがありますね。

 

一日だけ幸せでいたいなら、床屋に行け

一週間だけ幸せでいたいなら、車を買え

一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚しろ

一年だけ幸せでいたいなら、家を買え

一生幸せでいたいなら、正直でいることだ

 

イギリスの言い伝えですから、皮肉が利いていて最高に面白いですよね。でもこれはすごく大事なことを言っています。なんだかんだ言って、最高の幸せというものは、「正直でいること」なのだと言っているところです。正直に生きることには一銭もかかりませんよね。

みんな、財産や資産を形成すれば、幸せになれると信じています。株価が上がったり、ビットコインが値上がりすれば、自分の幸せもそれに比例してどんどん幸福になっていくと信じています。

でもそれは「幻想」なのです。人の幸せとは、ここでいう「正直に生きること」はもちろんのこと、当然、個人差はあるでしょうけどもうひとつ決定的なのが、「健康」です。健康であるから、わがままも言えるのだということです。

つまり、人生最大の幸福とは、健康であり、正直に生きること。もしくは、それに立脚して

展開されるということです。これだけなのですよね。

 

――正直に生きるとは、どういうことなのでしょうか?


正直に生きるということは本源的な意味においては「本能」に忠実に生きるということです。

その本能の発露を、顕在意識である「理性」によって御しながらもいかに実現させていくか?そしてそれを確かなものとしていかに獲得していくか。そのために理性というものはあるのだ、ということ。

強烈な化け物でもある「本能」というものの特性を知り、その矛先を、理性で制御しつつも、さらにそれをきちんと合法的に実現させていくという作業。まさに、人生とは「エヴァンゲリオン」そのものなのだといえます。

これが出来たときに、人は成熟したオトナとなり、「本能」と「理性」が均衡した状態となるでしょう。

「本能」とは、自律神経であり潜在意識であり多次元領域です。

「理性」とは、「アタマ」で思考する「自我」であり、エゴであり、「私」が「私」だと思い込むその顕在意識のことです。顕在意識とは、三次元の肉の「私」のことです。

それはすなわち、一個の「人」として人格を涵養し、成熟したオトナを確立することができていなければ、いかなる「引き寄せの法則」もじつは機能しないのだということ。そんな人、その辺にいないでしょう。

 

――正直に生きるということは想像以上に難しいことなのですね。


その通りです。現代において、多くの人は「正直」さを封印して生きていますでしょ。それは諸般の事情から封印せざるを得ないからです。誰も悪くなんかないのです。これがあらゆる病気の原因の本質であるし、幸福になることができないことの根本的な理由なのです。

 

――縄文時代の人は、そのような「縄文スピリット」、そして「正直に生きる」ということを無意識にやっていたのですね?


そうそう。だから、縄文人は野蛮人なんかじゃない。野蛮だってことは、弥生が嫉妬からそう言ったわけ。「縄文人」は、きわめて精妙な霊性を持った繊細で高解像度の意識を持った人たちだった。

 

――そのような人たちが伸び伸びと、一切のストレスとは無縁で暮らせた時代が縄文時代だったのですね!夢がふくらみますね!!


そんな縄文時代は、1万6000年も続いたと言われています。でも、通称「弥生」と呼ばれる侵略者が入ってきて、その平和が脅かされました。それが紀元前210年頃かな?つまり縄文時代晩期ですね。秦の始皇帝の遣いとして、この列島に(当時は日本という国名はない)

入ってきた「徐福」たちによって破壊されていった。じつはこの「徐福」らによる「入植」は、「第一次黒船」だったと私には思えてならないですね。

 

――まさに「開国」を迫られたようなものですね。


そうそう。縄文人たちは、「戦争」も知らなければ、「平和」も知らなかった。だから、

徐福たちに対してもウェルカムしちゃった。「みんなうちにおいでよ!」ってやっちゃった。

 

――時代の大きな岐路となった瞬間ですね。


そうそう。この列島が、「縄文時代」から「弥生時代」へと移り変わった瞬間だね。でも縄文人たちはだんたん気づいていった。だから、逃げに逃げた。もう手遅れだったけど。逃げたというのは稲作から逃げたのです。そして、最後の最後まで稲作を拒絶して残ったのが、

長野県の諏訪でしょ。

 

――稲作って何なのでしょうか?


稲作っていうのは「弥生」の象徴であり、バビロンで開発された、農耕大量生産のための「道具」(鉄器など)とセットとなった「侵略セット」なのね。弥生人というのは、いわば、「野菜農耕稲作ナチュラルカバール」というバビロンからの流れだから。

 

――でも、日本のスピリチュアルのほとんどはナチュラル系ですよ?


野菜と穀物(コメ)を日常的に食べるということは、イギリス産業革命による蒸気機関の発明によるグローバル貿易システムの確立がセットになっているのよ。私たちが毎日普通にパンを食べることができるのは、イギリス産業革命による蒸気機関の発明と、脱穀の機械化によるもの。縄文人はそんなものは食べてなかった。

 

――「ナチュラル」という概念も視点ひとつで、大きく変わっていきますね。


そのとおりです。「ナチュラル」というのは大自然――、つまり「ハラ」(原)のことです。

「ハラ」とは「ムラ」(村)の対義語です。ということは、人間においても「ハラ」はあるの。人間にとっての「ハラ」とは、本能が欲する基本に忠実に生きるということなのよ。

 

――人類は草食ですか?肉食ですか?


人類は完全に100%「肉食」です。人類の本当の食事とは、動物の「骨髄液」です。つまり現代で言えば、トンコツスープであり、テールスープのことです。あるいは、鶏白湯ラーメンの「麺抜き」であり水炊きです。または、「アクアパッツァ」であり「トリッパ」であり、「ベイビーバックリブ」です。まあ無数にありますよ。いわゆる「マタギ料理」ですよ。私はこの料理のことを「マタギの気まぐれ野営汁」って呼んでます。

これが人類の本来の本能に立脚した本当の「食事」です。人類の本能に基づいた本当の食事が、本当の本能の覚醒に呼応するのだということです。

 

――でも現代スピリチュアルでは肉食を禁忌としますよね?


そのような通念を醸成させ惹起(じゃっき)させ伝播したのがバビロン系サタニズムの系譜である『日月神示』ですよ。これはバビロンのカバールから受け継がれた「魔伝」なのですよ。つまり、人類のその本源的な本能に対して抗(あらが)った「己」というもの(ヤハウェに対する反逆)を前景化させたままいかなる「自己実現」も「引き寄せ」も、あってはならないし、いや、私が言わずとも、そもそもあり得ない話なのだということです。

 

――あ、澤野さん、それはまたアメブロじゃ無理なヤツですよね?


あ、はい。そうそう。無理無理。つい言い過ぎちゃう。では話題を元に戻しましょう。

縄文人は、狩猟採集ですよ。まさに「ハンター」です。今日、獲物がとれなければ、明日は飢え確定ですね。そして、いつイノシシに突撃されて死ぬかもわからない。常に死と隣り合わせ。生きるか死ぬかの瞬間瞬間が一か八かの勝負。それが毎日。生と死の瀬戸際を生きた。

だからこそ、「生」の尊さを理解していた。だから目は輝き、意識は鋭敏に研ぎ澄まされていた。だからゆえ、「異界」である山に、剥き出しの自分のまま、入っていけるだけの

霊力を持っていたわけね。

 

――すごいことですね!


つまり、縄文人たちというのは、本能と理性が、きちんと均衡していた。今を生きる私たちなんかより遥かに高い霊性を持っていた。

 

――たしかに、縄文土器の中でも特に凄い「火焔土器」を見れば、そのパッションは感じ取れます。


縄文土器っていうのは「食器」じゃないのよね。あれは「芸術品」、アートなの。燃え上がり湧き立つ本能の咆哮なの。機能性とか合理性とか、収納性とかコスパとかそんな弥生の製品基準なんかにまったく関与されていない純粋な情熱なのですよ。

 

――現代は「コストパフォーマンス」がモノを言う時代ですから、そういった縄文土器の凄さというものはなかなか理解されにくくなっているかもしれませんね。


本当にそう思いますよ。たとえば、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城なんかも、コスト計算なんかしてたら絶対に建っていなかったですよね。最初から採算度外視。コストパフォーマンスで物事を判断する世の中では、本当に高品質のものはできないのです。

 

――かつての音楽にしても絵画にしても彫刻にしても、コストを考慮して創作された名作なんてないですもんね。


潤沢な資金と、ふんだんな時間と、それを自由自在に生かすことの出来る「天才」が存在して、さらにそれを心の底から認めてサポートする人がいて初めて「名作」というものは生まれるわけ。でもその条件が整ったからといって、必ずしも名作が生まれるわけじゃない。それら名作が生まれたのは、すべて、本当に「奇跡」です。

 

――様々な芸術的な縄文土器が生まれたのも奇跡だったのですね。


そうそう。でもね。弥生たちが続々と侵略してきて、その芸術性は失われてしまった。縄文人たちは弥生に侵略されて、ただの「食器」としての無機質な単なる「モノ」を作ることを強制されてしまった。

 

――縄文人たちの声なき声が聞こえてきそうですね。


しかし、そんな縄文人の命を脅かすような存在が現れたのであれば、彼らは、

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ 以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

として、全生命を懸けて抵抗し、戦ったのです。これは「教育勅語」の一節ですけどね。

教育勅語が良いと言っているわけじゃありませんよ。縄文人が生命を懸けて尽くしたのは、

偶像崇拝、現人神に対してではありません。それは、「天壤無窮ノ皇運」(てんじょうむきゅうのこううん)のためではありません。

「ひとつ」である「宇宙」とは「ひとつ」である「己自身」なのだから「己」が戦う時というのは、宇宙の存亡に関わる時なのだ、ということですよ。

宇宙が破壊されるということは、己が破壊されてしまうということ。だから、縄文人が

戦わなきゃならない時とは、もう、よほどの危機であり、よほどの喫緊の事態だったのだ

ということです。そして、その壮絶な侵略の上に、現在の私たちのこの社会というものが存在しているのだということ。 

だから、私たちは、かつてこの東北縄文日高見蝦夷の大地を守るために侵略者である大和朝廷、坂上田村麻呂軍と戦い、命を落とした本当の戦士、本当の国士がいたことを忘れちゃダメよ。彼らは、本当にこの列島、この故郷のために全生命を懸けて戦った。

この列島のこの大地には、かつて命を懸けて戦った縄文の戦士たちのその赤い血が今でも

染みて流れているのだということを、忘れちゃいけないんだよね。

それを無自覚にスルーして、「先祖供養」とかいって、身近なお墓参りだけして形式だけやって満足してもじつはダメなんだよね。

 

――澤野さん、ありがとうございました。ありがとうございます。最後に大事なことをひとつだけ。今回のコロナ騒動で現れた「ソーシャル・ディスタンス」によってもたらされた

「新しい生活様式」のこの社会を、みなさんはどう感じますか?ということです。

 

「非常に窮屈で辛くストレス」「こんな強制された社会ふざけるな!」と感じますか?

それとも、「最高に快適」と感じますか?

これ、めちゃくちゃ巨大なことを炙り出しているのですよ。「コロナ」は、これまでずっと人々を雁字搦めにしてきた弥生スピリットからじつは解放したのですよ。

 

――うわあ!これはちょっと、まさに椅子から転げ落ちる話です。


わかりますよね?

 

――わかりますわかります!


鳥肌が立って、さらに背筋がゾーッてなりますでしょ。まさに「戦慄を覚える」とは

このことだと思います。そして、その戦慄こそが、新しい「スタートライン」となります。

 

――これまでの自分の人生に戦慄を覚えるほどの衝撃を感じて、ようやくうっすらと見えてくる「向こう側」があるのですね。


そうです。そしてこれが「五次元チェス」なのですよ。その全貌は常人では到底理解できないし計り知れない。しかしそれを常人の思考範囲によって解釈していこうとする私たちのその「思い上がった心」がこの「コロナ」という現象によってアラハバかれようとしているのです。

つまり、「カバールDS掃討作戦」は、じつはまったく他人事ではない。世界最終戦争は、

私たちの心の中で起きているのです。私たちの心を侵略し、憑依してきたものの存在に私たち自身が気づき、そしてそれをアラハバくのです。

これからさらに楽しい人生になっていきますね!ありがとうございました。(澤野大樹)

 

――そうですね!改めてありがとうございました!

  

出典:国宝・火焔型土器はアートか?~縄文文化を探る旅

『縄文スピリット』とはソーシャルディスタンスそのもの。私たちは元々、『縄文スピリット』としてありたいと願い本来ならば普段から意識してきたはず。

本音で生きる、も 正直に生きる、も 自分勝手に生きる、ということではありません。

「ねっぱぐな」「よげしゃべるな」「いづだかんだばやめぐな」「わんつかおぢづげ」

このソーシャルディスタンス津軽弁は、縄文スピリットそのものを表現しているといえます。『マスクをして静かに待機』ですよ。ちなみに「うっせーわ!」は「しゃすね!」と訳します。 

世の中は、新型コロナによって、変革を余儀なくされるレベルにきています。

さて、次回仙台講演会は第36章。まさに666章ですね。

★2021年5月16日(日) 仙台天命塾 講演会 第36章★

【タイトル】『上書きされる幻想』 

【序文】

さあ記念すべき「第36章」(666)となります。日本政府は新型コロナの「実数」と「本質」を知っています。しかし出せない、言えない。このコロナによって各地に緊急事態宣言を出し、その幻想のホログラムの中ででも、“彼ら”は己の悲願である東京五輪2020を開催したい。どうしても開催したい。しかしそれは許されない。

本当のことは言ってはならないのだから。「今までこれまであなたたちはその幻想でその社会を150年間維持してきたのでしょ?ならば、これも幻想ではないですか。

幻想を駆使してきた者が幻想を拒否するとはどういうことですか?

己がやってきたことで、己のフィナーレを飾る。とても素晴らしいことではないですか?」

――というわけで、

5月16日(日)の仙台天命塾「第36章」は、まさにドンピシャなタイミングとなります。

もう「満席」となっておりますが、ぜひお楽しみに!(澤野大樹)



 

2021年5月20日木曜日

2337「神様の力の通り道」 2021.5.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年05月16日の記事を紹介します。


神様の力の通り道


神社や仏閣。私達一般の人間は、願いを聞いて欲しくてよく参拝します。

霊験あらたか、ご利益があると聞けば全国あちこちに出かけます。願いが良く叶うそういった神社・仏閣には、もしかしたら力のある神さまや、仏様がいらっしゃるのかもしれません。

噂が噂を呼び、ますます人が押しかけ

・病気を治して欲しい

・お金に困らないようにして欲しい

・家内が穏やかで円満であって欲しい

・良縁に恵まれ、幸せになりたい

そのような人間の欲望が渦巻くのかもしれません。 

ですが、神様の存在とは、私達人間の、願いや欲を叶えるためにいらっしゃるのでしょうか?人が集まり、人気が出ればそこに関係する神職や職員の環境も変わりそれによって、本人の心にとって非常に危うい状況が起こりやすくなります。

身近な例で例えるなら、車。 排気量の大きな、かっこ良い高級な車に乗った途端、車ではなく、まるで自分という人間が強くなったと勘違いし、尊大で傍若無人な運転を繰り返す・・

神社、仏閣の場合なら、そのお力は神様や仏様の御業であり、そこに関係する人間の力ではありません。

また、ヒーラーや、施術師の方。効果が高く、有名になり、人気が出てきた方は、もしかしたら、それは、「自分の力」である。そう思われるかもしれません。

ですが、そのように自己過信が強ければ強いほど多くの治療をすると、自分が疲れてくるのだそうです。

小林正観さんが言われるには、人より抜きんでた能力を、自分の、自分だけの力と誤解しているとエネルギーに限界があるが、その力は、自分ではなく、天の力。自分自身は、単にそれを媒介しているに過ぎない。。そのような謙虚な心の持ち主は、決して疲れることがなく、ますます人々に幸福をもたらすのだそうです。 

いくら他にはない、ご利益や、治癒効果があろうと・・それが、自分の力「俺が俺が」、、の心でいては、何時しかその尊い神々の力も、色あせてしまうことでしょう。

そのことを2千年前に、イエスは仰っていました。

ご紹介します。

イエスは数多くの転生と、経験と試練を重ね、私達の内にいらっしゃる神様と一体となりました。イエスが生まれたその時代は、まだ人類の波動は低く、多くの人々は肉体だけの意識。

生殖、物欲、自己が生き残ること・・・などの肉体的な感覚に囚われていた(フォーカスしていた)時代でした。

ブッダが悟った時と同様に、イエスも悟りを開くと同時に肉体を離れ魂(霊)として人類を助け導くことも可能でしたが、幻想に囚われ、自分を傷つけ、敵味方でも傷つけ合う人々を、

この物質次元の地球に於いて助けることを選択しました。


 その方法は、愛を、愛だけが全てであることを説き、神様とは愛であることを伝え、どんな困難な時にも、ただ ご自分の生き方を通して、愛を示して歩きました。

イエスがこの地上で行った数々の奇跡。その奇跡の目的とメッセージは全て・・・、

あなたが目覚めれば私と同じこと(奇跡)ができる。私(イエス)よりも、もっと偉大なこと(奇跡)が出来る。ということでした。

つまりイエスだけでなく、私たちも等しく神の子、神そのものであると 教えてくれたのでした。

また、私自身(イエスのこと)は無力である。全ての奇跡は、神が行うものである。

と仰ったのです。

つまり、イエス自身は無力であるが、 

・全ての良きこと、

・美しきこと、

・真理の実現、

・奇跡

・思いやり

・優しさ

・愛

・癒し

は、全て神様の力によって起こっている。そう謙虚に仰ったのです。

これは、今のような世の中にとっては、強烈なアンチテーゼになるかもしれません。

・私が、○○してあげる。

・私が、○○した。

・私が、○○しよう。 

そのように、その方々は確かに力がある人かもしれませんが、その力の源泉は、私、自分、個人の能力であると、過信して吹聴してしまっては、イエスの取った謙虚な態度と正反対です。

とかく人は

・成功している時、

・人気がある時、

・お金がある時

全部、自分の力で勝ち取ったと誤解しがちです。有頂天になりがちです。それが神々の力から来ているとは認めません。

ですが、イエスは

・自分が人に行う優しさ、親切も

・創造性あふれる仕事も

・奇跡も

全ての良きことは、神様の御技が現れたもの。自分自身の力ではない。単に自分は、神様の力の通り道になっただけ。そう仰ったのです。それが本当の真実だからです。

そのように自覚していれば、

・天狗になって人を見下したり、

・人と比べたり、

・自分の知識をひけらかしたり

・人を支配したり

・力や能力を自慢したり 

する必要は無いかもしれませんね。

人生の晴れ(ハレ)の時も、嵐の時も、奢らず悲観せず、全てに感謝し、笑顔で、周りの人々と仲良くして行けば、きっとそれだけで、いいのですね。

私達人間は・・・全て、神様が私達の魂が成長するようにと、細かなところまで取り計らってくれますから。大丈夫です。

俺が俺が、私が、私が・・・そのような高慢な心こそ、神さまの眼前においては、穢れかもしれません。

今や、嘘が付けない時代になりました。

ミロクの世、精神性の復活の時代の始まりとともに、 

・今だけ

・金だけ

・自分だけ

の考え方で行動している人々は、どんどん、あぶりだされ、多くの人に、その思想、行動が知れることとなりました。

たとえウソを並び立て、詭弁を弄し、責任を人に なすり付け 逃げようとしても、力の源泉である内なる神々は見ています。

その醜い姿を

・自分の愛する子供たち、自分を信頼してくれる子供たち

・産んでくださったお母さん

・慈しみ育ててくれた家族

・故郷の友人たち

この人たちに、胸を張って見せられるでしょうか? 

・あなたたちの父である私の姿、

・生んでくださり、慈しみ育てていただいた、あなたの息子である私の姿 

を、どうぞ見てください。

しっかりと目を見つめ、そのように言うことはできるでしょうか?


2021年5月19日水曜日

2336「頼まれごとの人生」2021.5.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年05月14日「頼まれごとの人生」

2021年05月15日「神々も認める「ありがとう」の波動」の2つの記事を紹介します


「頼まれごとの人生」


私たちは「誰かに喜ばれる存在として生きる」ために生れてきました。

喜ばれる存在として生きるとは、自分が達成目標を掲げて、必死に努力し、ひとを蹴落とし、人より抜きん出たりすることではありません。 

小林正観さんは、「喜ばれる存在」 とは、「頼まれやすい人」であるとおっしゃっています。

では、小林正観さんの著作よりご紹介します。

<引用開始> 引用元

 

まわりに喜ばれる喜びは、自分が喜ぶのとは、比べられない大きさです。

人は、人の間に生きていることから「人間」と言います。人間として生きるということは、

自分のためではなく、他に存在するもののために生きるということです。

体の中に目を向けてみても、肺や心臓、肝臓、腸など自分のために存在する臓器は何ひとつありません。

みな、体内の他の臓器や細胞を生かすために働いているのです。ひとつの宇宙が、人間の体にまとまっている、ともいえるかもしれません。ですから、人は、この世に生れたからには

自分がいかに目標に向かって歩み、達成するかということではなく、いかにまわりに喜ばれる存在になるか、ということに尽きます。 

たとえば頼まれごとをやってあげて、相手がにっこり笑って「ありがとう」と言ってくれたとき、本当の「存在の喜び」が湧いてきます。

喜ばれることが、人間の最も根源的な幸せなのです。人に喜ばれることをしてみましょう。 

いちばん楽しくて、幸せなのは実は私なのではないか、と思えるに違いありません。 

<引用終了>

 

人間の本能に、人から喜ばれるとうれしい。そういうものが備わっているそうです。 

これは、どんな人も、例外なくそうです。ですから、周りの人に対して、短所をあげつらったり不平不満、愚痴や、嫉妬をぶつけたりせずに、笑顔で、「ありがとうございます」と言ったとき。言われた人は、心の底からの喜びを感じることができます。

そうなると、言ってくださった人のために、なんでもして差し上げたくなり一辺に、強力な味方になってくださいます。 

小林正観さんは、こうも言っています。 

・自分にできないことは頼まれません。

・頼みやすい人は喜ばれる存在です。

・頼まれごととは、自分が汗をかいてその人の頼みごとに応えることを言います。

・頼まれたらどんどん引き受けていきましょう。

なぜなら、私たちが生まれてきた目的は「いかに喜ばれる存在になるか」ということだからです。 それはつまり、「いかに頼まれやすい人になるか」ということです。 

・頼まれやすい人は、頼まれやすい顔をしています。

 いつも笑顔で機嫌よく、 愛のある言葉を使い、相手をほめ、ほっこりさせてくれます。

・頼まれにくい人は、いつも不機嫌で、不平不満をいい、色々なことの。あら捜しばかりしています。 

また、先日記事に書いた、「林先生が驚く初耳学!」でもまったく同じ結論に達していたのですが、頼まれごとではなく、自分の意思で、自分のやりたいことをやった場合にはあまり良い結果は出ないけれど、人から頼まれたことを、精いっぱいやっていると非常に物事がスムーズに運び、うまくいくというのがありました。 

このことを小林正観さんは、次の例で説明しています。

<転載開始> 転載元


・モーツァルトの曲が残っている。

・ショパンの曲が残っている。

・ベートーベンやリスト、シューベルトの曲が残っている。

この人たちの曲は、ほとんど「宮廷音楽」です。

王国貴族からの「頼まれごと」で、作曲した曲が今も残っています。

ヴァン・ダイク、ルーベンス、ミケランジェロの絵画が残っている。

これらの絵画もみな「頼まれごと」で描かれたものでした。そして、ルノワールも。

後世に残るような仕事は、「頼まれごと」ばかり。

自分の意思で「何かを成し遂げよう」とした作品(自分の思いが強い作品)の中で、歴史的に意味のあるポジションを占めている作品はありません。

<転載終了>

 

頼まれごとというのは、私たちが生まれる前に決めてきた人生のストーリーをその方向に推進するために、神様が、他人の動作、言葉を介して私たちの方向を変えるときに使う手段のようです。

逆に頼まれごとではなく、自分の好みや知識でこれをやってやる・・ そう決心して努力してもあまりうまくはいかないようです。

欽ちゃんも、自己主張するのではなく、頼まれごとをこなしていくことの大切さを説いています。もちろん、全ての頼まれごとを何の考えもなしに引き受けるわけではありません。

正観さんは、以下の場合には、断っても良いとおっしゃっています。

・「お金」「借金」の問題

・ 頭数を合わせたいだけ

・ 完全にできないこと


  確かに、この宇宙も、身体の中のすべての動きも全部が、お互い様、助けいあいで動いています。何一つ、自己主張し俺が俺が、というものはありません。人間関係もやっぱりそうですね。 

みんなが自分の好きなこと、得意な分野、自分にできることで、周りに貢献していけば、 

そこには、自然と、助け合い、お互い様、おかげ様の精神がはぐくまれ、いつの間にか平和で、美しい世界に変わっていくのでしょう。

無理をしなくても、神様は、全ての人に居場所を準備してくれています。 

その世界では、全てが自然に流れますから、悩み苦しみさえも、ないのでしょう。

動物たちと暮らしている方は、お分かりかもしれません。彼らは、決して過度の自己主張することもなく、未来に対する不安もなく、自然に任せ生きています。 

病気になるときはなる、死ぬときには死ぬ。これはまさに良寛さんの言った良き生き方そのものです。

災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候 死ぬる時節には、死ぬがよく候

是はこれ災難をのがるる妙法にて候 

かしこ

 


「神々も認める「ありがとう」の波動」


今日は天空農園(竹之高地不動社のある山のてっぺんの農園)のサツマイモ畑の畝立てに行って来ました。

 



今週は晴天続きだったため、月曜から今日まで、連日6日仕事前の 朝5時半から8時まで、クワ一本で力仕事です。昨年同様、この畑で取れる大量のサツマイモを子ども食堂や、生活が大変なひとり親世帯にお配りする予定です。看板も立てました。

大収穫を期待しています(笑)

 

さて今日はレインボーチルドレンである、まりなちゃんのお話をご紹介します。 

レインボーチルドレンは、現在、宇宙の神々の意思を受けて、大量に地球に生まれてきている、愛と調和に満ち溢れた子供たちです。彼らは、生まれる前の向こうの記憶や、胎内記憶を持ち続け宇宙神の意図をしっかりと把握しています。

そんな彼らは、非常に強い感受性を持ち、鋭い直観力を持っています。また周囲のネガティブな空間やエネルギーを、無条件の愛でポジティブに変える特殊能力を持っているといわれます。それゆえに、神さまの一番近いところからやってきたと言われています。

どうして神々が、このような神様に近い存在である子供たちを地球に大量に送り込んでいるかといえば、地球以外の宇宙の摂理では、本来良いとか、悪いとか、ジャジがありません

宇宙では、どのような出来事にも、良いも悪いもない。ただそうであるだけ。まさにブッダが般若心経の中で述べられていることと同じです。どんな出来事にも色が付いていない。

それを人間は、勝手に良いこと、悪いことと判断し、一喜一憂し心を揺れ動かしているだけ・・このブッダの仰ったことは、全宇宙の真実です。

この地球だけが、起こってきた出来事をジャッジし、心を揺れさせ、曇らせ悲しみの淵に自ら飛び込んでいるのです。

このような時代が長く続いたため、神々は、相談し、宇宙の真理を知っている魂たち(レインボーチルドレン)を大量に地球に送り込んでいるのだそうです。

まりなちゃんが言うには、 

・宇宙神の意識は、人間の魂を成長させたいと思っている

・生まれ変わるために待っている魂、日本は世界で一番長い待ち行列になっている

・日本は凄く良い国だから

・日本人として生まれるのを望むのは・・・

・日本語に「ありがとう」という言葉があるから

・英語のサンキューは意味は同じだけれど、言葉の持つ周波数が断然違う

・「ありがとう」というだけで、その人の持つ周波数が一気に上がる

・日本語の持つ波動が高い

・波動が高いことは、良い悪いという問題ではなく、皆が心地よく感じるかどうか。

・心地よく、平和に暮らしたい人が日本を選んでいる

なのだそうです。

 

やはり日本、凄いですね。「ありがとう」の言霊は凄いですね。ありがとうと、口に出した途端、自分はもちろん、聞いている人の心にも神々の共鳴現象が起こります。 

その結果、お互いの波動が一気に上がります。

そして、愛と思いやりの環境が、無意識のうちに形成されてしまいます。

神々の恩寵は「感謝の心」があるところだけに現れます。

憎しみの心を手放し、まずは、身近な周りの人たちに「ありがとう」、そう口にしてみてください。その瞬間から運命が変わりだしますから。。。

 

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。



 

2021年5月18日火曜日

2335「大敬メッセージ」2021.5.18

 今回は立花大敬さんの最近のワンデイメッセージから抜粋して紹介します。


316 2021.05.01

「法華経には、「行動の極意」は、『上・中・下の法を行わない』ことだと説かれています。

つまり、人や仕事にランク付けをして、「上のランクのもの」に対しては真剣に、力を入れて取り組むが、「下のランクのもの」は、いい加減に、粗雑に扱う。そういう態度が『上・中・下の法を行う』です。

そういう態度で行動していると、やがて自分も「下のもの」として、軽蔑されたり、邪険にあしらわれる時が必ずやってくるのです。

仕事でも、人に対してでも、上も下もなく、軽重もなく対処してゆくのです。

過去からの何らかの深い因縁で、今・ココでこうして出会った課題(人、仕事)なのだから、ただ誠実に、手を抜かず、でも成果を期待せず、計算せず、淡々と、しかし一生懸命にやってゆくのです。これが法華経が説く「行動の極意」です。」


317 2021.05.02 

「あなたのせっかくの善意を理解しようとせず、あなたを非難したり、かげにまわって悪口を言ったりするような人がいたら、次のように考えよう。

誠意を認めてもらえず、こんなに人から非難されるのは、私にまだ「イノチの実力(徳)」がないからなんだ。

また、私を非難する人たちも、私の善意を素直に受け取る心の広さや、豊かさがないのだ。

私もこの人たちも、この世では、こんな低いイノチのレベルにいるけれど、私は決してあきらめない。

生まれ変わり、死に変わって、すこしずつ、すこしずつ、イノチを進化させてゆき、いつの世でかきっと「ひとついのちの悟り」を開いてみせる。

そして、かならずこの人たちを「イノチの実力で」引き寄せて、この人たちもまた「ひとついのちの悟り」を開くように促してみせる。

どうか、仏様、菩薩様、天の神々さま、この私の誓いを受け取ってくださって、私の道行きを護り、必要な時に、必要な力を足して下さいますように。」


319 2021.05.04 

「人生では、今のあなたにふさわしくない『空席』は、決してやって来ませんし、今のあなたにふさわしくない『仕事』も絶対やってきません。

グズグズ言ってないで、思い切って、サッと席に着き、サッと働き出せば、必要な能力も、必要な智慧も、続々と、限りなく、湧き出してくるものです。」


318 2021.05.03 

「何事も素直に受け取ろう。

『あの人はこう言っているが、実はこういう意味なのだろうか』などと複雑に考えない。

「邪推」は驚くほどイノチのエネルギーを消耗します。

そして、あなたの人生を不幸にしてしまいます。」


320 2021.05.05

「<心が先、形は後>なのですから、病気という“形”のほうばかり見て、それに対して心をクヨクヨさせたり、イライラしたり、ビクビクしていたら、心に病気のことばかり映っているのですから、ますますスクリーン(現象世界)には病気が映り続けてしまいます。

ですから、ひとまず“形”のことは打ち捨てておいて、心を安らかにし、心に神様を宿し、光でいっぱいに、喜びでいっぱいにしてやれば、ただちに形の世界にも“健康”が現れてくるのです。」


321 2021.05.06

「子供は弱いように見えて、本当は一番強いものです。

なぜなら、子供には生活能力なんてありません。知力も才覚も体力もありません。

それでも、ちゃんとご飯を頂いて、面倒をみてもらって、すくすく成長してゆきますね。

これは、いのちに強烈な強さがあって、必要なご飯も、服も、絵本も、どんどん引き寄せてしまうからです。

そういう子供のいのちの“気の強さ”を、あなたのいのちに移し込むにはどうすればいいのでしょうか?

それは、子供に接すればいいのです。一緒に遊べばいいのです。そうすれば、子供のいのちの“強力な気”が自然と、あなたの心に映ってきて定着するのです。

心に定着したものが、形となりますから、身体も若返り、新鮮な、日々新しい発見がある生き方ができるようになります。」


322 2021.05.07

「黒住宗忠公は若い頃、すごく真面目な方だったのですが、陰気な方だったのです。

そして、両親が突然続いて亡くなられたのに気を落として、ついに結核になられ、医師もさじを投げられて、いよいよとなられたのです。

その時、ふと気づかれたことがあるのです。

それは『私は心が陰気になったせいで大病となってしまった。そうすると、心を陽気にすれば治るのではないだろうか』。

そこで実験をしてみようと、もう病気のことや行く末のことは思わず、ただ楽しいこと、面白いこと、有難いことのみを思い、また、笑う修行をされたのです。一時はついに気が狂ったと世間のうわさになるくらい、絶え間なくお笑いになったそうです。

こうして、ついに不治の病を治してしまわれたのです。

要は、心に“春の気”を呼び込めばいいのですね。心さえ春になれば、形の世界に次々花が咲くのですから。」


324 2021.05.10

「人は、人生において、心の範囲内にあるエネルギーが使えるのです。

心が狭い人は、その狭い範囲の中の少ないエネルギーしか人生で使えませんから、すぐエネルギーが枯渇してしまい、想い通りの人生を送れなくなります。

心が広い人、自分のことはもちろん、他の人のことも、“わが身”、“わが事”と思えるほど心が広い人は、<自分>の範囲がとても広い、つまり<心>がとても広いのですから、その広い範囲内のエネルギーすべてを、“わがもの”として使えるのです。だから想うことがどんどん実現するのです。」


323 2021.05.09 

「心を広くすれば 宇宙のパワーがあつまる

心を豊かにすれば 美しいものに囲まれる

心をスッキリすれば 想うことがすぐ実現する」


326 2021.05.12 

「私という存在、これは私がつくったわけではありません。

私という自意識が生まれた時、つまり物心がついた時、それ以前から私はすでに生きていました。

ですから、イノチが先で、私はあとなのです。

先のものであるイノチが、私を生み出したのです。

ある本に、『私が生きているんではなく、イノチが私しているんだ』とありました。うまい表現だと思います。

では、イノチはなぜ「私という存在」を生み出したのでしょうか。

それは、イノチにとって、どうしても「私という存在」が必要だったからです。

「私という存在」を作り出して、その私にいろんな人生体験をさせ、私を通してイノチの可能性を証明するような“表現”をさせたかったのです。」


327 2021.05.13

「私、またあなたという存在は、大地に根づき、大地から芽生えて生長しつつある樹木にたとえることができます。

私もあなたも、「ひとついのち」という大地から芽生え、存在を立ち上がらせているのです。

あなたは、あなたの地点に根付いて、あなたの人生の幹、枝、葉を茂らせています。私もまた私にふさわしい地点からイノチの樹を生長させています。

私が根ざしている地点は、私だけのポイントであって、あなたがそこに根を張ることはできません。世界中の、宇宙中の、どんな存在であっても、私の時点に存在を生やすことはできないのです。

この空間の、この時に、この肉体を持ち、この個性を持って、イノチの可能性の“表現”をする。それは“私”にしかできないことなのです。この表現が出来るのは、宇宙広しといえども、“私”だけなのです。私の自信はここからやってきます。」


325 2021.05.11 

「私は、日本は何よりも“美”の国だと思っています。

ロバート・モンローさんという体外離脱の達人が三十何世紀でしたかの未来に出かけた時、日本が世界の公園のような“美の楽園”になっていたと報告しておられますが、きっとそうなるだろうと思います。

なぜというに、日本人は、何気ない人生の一瞬にも、美を、深い味わいを、見いだしてゆける“美の達人”だからです。秋の虫の音に“美”を感じるのは日本人だけだそうです。

そういう豊かな心を持った日本人は、形(風土)の上でも“美”でつつまれることになります。ですから、おのずと美しい、庭園のような国土に住まうことになるのです。

日本人は、真・善・美の三徳のうち、おもに「美」を担当する役割を果たすことになるのだと思います。持ち前の美的感覚をさらに磨いてゆきましょう。」


 

2021年5月17日月曜日

2334「地球に生まれること」2021.5.17

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年05月13日の記事を紹介します。


「地球に生まれること」


私たちの生命(魂)は、大本の宇宙神から別れ、様々な星ぼしを旅し、沢山の経験を積み、

未知なるものだったものを、既知のものとしながら、今は地球に生まれています。

地球は「制約の星」と言われ、思ったことが直ぐには実現しないし、

・肉体的な制約、

・空間的な制約、

・時間的な制約 

など様々な制約に囲まれていますが、その分、他の星では経験できないような、濃密な経験をすることができるのだそうです。

何より肉体をまとうことで、感情を味わうことができます。魂だけの状態では「感情」の概念さえありません。 

そしてもう一つ大きな特徴が、地球には多種多様な銀河から様々な生命体が集まって来ているのだそうです。まさに玉石混合状態ですから、価値観も様々です。

私たちは、とかく、少しでも自分と異なる価値観を持った人に対し、無意識の内に苦手意識が生じ、心にバリアを張ってしまいます。

まだ魂の経験が少ない場合には、

・無視し

・悪口、陰口を言い

・攻撃してしまいます。

それも無意識の内に行われます。 悪気はないのです。

ですが、「地球とは、そのような環境である」と知った上で、神さまから肉体を授けて頂き、経験を積んでいるのですから、仲良くとまではいかなくとも、せめて、無視せずに、相手の価値観、物の考え方も許し、「そのままでも、いいんだよ」と、心の中で言って差し上げたいものですね。

宇宙では、良いも悪いもないし、全ては受け入れられています。ただ自分と波長が合うか、合わないか。。 その違いしかありません。

  


さて、地球のそのような環境を知った上で、私たちは、ある目的を持って生まれてきました。

その目的は、人 様々です。そして生きている間は、その目的を知ることができません。

日々の暮らしの中で、起こってくる様々な出来事、人との出会いと、別れ・・

そのような人生のうねりと流れの中で、自然と、生まれて来た目的の方向に流されて、

あえて言うならば、「やらされる羽目」になったことが、自分の生まれて来た目的に、

自然となっていることが、ほとんどであるようです。

常に見守ってくださる存在が、私たちの人生のタイムラインの要所要所に次へとつながる出来事を置いてくださっているからです。 

ですが、その流れを強力に阻害するものがあります。

それは、自分の魂の意思と、自分の肉体に付随する意思が一致しない時です。それは、「自分で、自分が嫌い」な時によく起こります。

ここで小林正観さんのお話をご紹介します。 

<転載開始> 転載元

 

昔は人生相談をたくさん受けていました。その中には「毎日がむなしい」という方がいました。

仕事で言うと、

・毎日がむなしい

・同じことの繰り返しで楽しくない

・やめようと思う

との内容が多いのですが、私はそういうとき、この質問をしてきました。

「あなたは 自分で自分のこと が好きですか」多くの人は、まずびっくりします。

そして考えます。多くの場合、「私は私が嫌いです」との答えです。

「どうしたら自分で自分を好きになるんでしょう」

実はそこにこそ、日常生活のなかのむなしさと縁を切る方法があるのです。 

結論的には、馬鹿なことをたくさんすること。

「馬鹿なこと」というのは(金銭的・経済的に)全く、あるいはほとんどプラスにならないこと、です。たとえば、会社に30分早く行く。そのときに自分のお金でバラを1本買って飾る。

  


人の机でなく、自分の机でいいのです。自分のために自分のお金で机に花を飾るわけ。

あるいは、廊下に落ちている紙くずを、歩くついでに拾い、近くのくずかごまで持っていって捨てる。トイレ掃除も有効です。

こういう提案をすると、必ずこういう言葉が帰ってきます。

「花は会社の費用で買うことになっており、私が買っていかなくてもちゃんと飾られてます」

「廊下やトイレの掃除は掃除のおばさんがやることになっています」 

その答えをしているうちは自分で自分を好きになることはまずないでしょう。

「一銭にもならないことをどれだけできるか、するか」が、自分で自分を好きになるポイント。馬鹿なこと、一銭にもならないこと、誰からも評価されないことを一生懸命やってみてください。

そいう馬鹿なことをしている自分が、いつの間にかとてもかわいらしく、いとおしく、思えてきます。「自分で自分を好き」になってきます。 

「馬鹿な奴だ」と思いながら、でも自分の心に温かいものを感じるはず。

 「自分で自分を嫌い」なら、それは「仕事」の問題ではなく、あなたの生き方の問題です。 

「嫌い」な自分をどこに連れていっても、どこに勤めさせても、どんな職業を選んでも、「むなしい」だけです。仕事の内容や待遇の問題ではありません。

一銭にもならないことや馬鹿なことをたくさんするのはいいのですが、「自己満足」の心も50%は必要です。

自分の生活を犠牲にしてまで「人のために尽くす」のは勧められません。 

・人のためにする

・人に喜んでもらう

50%、

・それで自分も楽しく嬉しい

50%というのが、最も健康で、長続きするような気がします。

70対30だと辛くて自己嫌悪ですし、30対70だと自分中心のエゴイストに思えて、またまた自己嫌悪です。 

もちろん、自分の心のありようが変わると、人が「どうしてあんなに人のために自分を犠牲にするんだろう」と思っても、自分は満足で楽しく、幸せに思いつつ生きることができます。

「人のために」しているのではなく、

・自分が楽しいから

・幸せだから

・嬉しいから

したい、と思えるようになるのです。

<転載終了>

 

自分で自分のことが好きになること。その事が、自分の魂に正直になり、魂と精神と、肉体を一直線に整列させてくれる、非常に有効な方法です。

私も、昔は自分のことがあまり好きではありませんでした。でも、肉体的なハンデを背負ったり、経済的に追い詰められたり、様々な試練、逆境、理不尽とも思える環境にさらされて 

・神々の意思、

・人間の魂、

・お陰さま、

・お互いさまの心

・人々の中の自分

・生かされている命

そのようなことに考えが、少しだけ及ぶようになりました。

そうしたらですね、社会的な成功者とは程遠いし、地位や名誉もないのに・・自分のことが許せて、少し好きになってきました。皆さんも、ご自分を許し、好きになれるとよいですね。

そう なれるようにお祈りしています。




2021年5月16日日曜日

2333「神さまと感謝の心」2021.5.16

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年05月11日「神さまと感謝の心」

2021年05月12日「天に帰ろうとしている方へ」の2つの記事を紹介します。


「神さまと感謝の心」

ここでも、何度も書いていますが、神様の恩寵は感謝を媒体に現れます。

ですから、感謝し続けていれば、自分にとって悪い出来事は起こりようがありません。

逆に、憎しみの心がある限り、真の幸せは手に入りません。

憎しみを手放さない限り、周りに毒をまき散らし、ついには自分自身の精神と肉体を病ませてしまうことでしょう。全ての出来事は、神々の許し、OKが出て初めて起こります。

その目的は、その出来事を通じ、私たちの魂を磨きそして輝かせ、光を発しさせるためです。

憎しみの心を手放し、まずは、身近な周りの人たちに「ありがとう」、そう口にしてみてください。その瞬間から運命が変わりだしますから。。。

私たち人間は、誰もかれも、みな平等に、神さまの愛と、恩寵を受けています。

ですが、それが実際に現れるか、現われないかの違いはその本人に感謝の気持ちがあるかどうか・・なのだそうです。

感謝がある所、それを媒介として神さまの奇跡が現れることができます。 

今日はクリスチャンの立場から

・感謝

・ありがとう

について述べられている記事をご紹介します。

書いた方は、「置かれた場所で咲きなさい」で有名な、渡辺和子さんです。

ではご紹介します。

<転載開始> 転載元


「感謝なんて、とんでもない」としか思えない出来事があるものです。

 私が50歳でうつ病にかかり、「神さま、なぜ、どうして」と詰め寄りたくなった時も、そうでした。

何も出来ない。死んだ方が良い」とさえ考えた私を、病院の一人部屋に置いておけないと考えたシスター達は、修道院に連れ戻してくれました。

「今まで人一倍働いたのだから、少しお休みなさい」と言ってくれました。

大学の学長と修道会の管区長の両方を兼ねていた私への優しいいたわりの言葉でした。

修道院に見舞いに来てくれた1人の精神科の医師は、

「この病気は信仰と関係ありません。きっと快くなります」と慰めてくれ、他の医師からも、

「運命は冷たいけれども、摂理は温かいものです」と言われて、うつ病になったのも、

神の摂理だと考えるように、自分に言いきかせたものです。

※注 摂理とは・・

生まれてくる前に、私たちが神様と一緒に、これから生まれる自分の人生で、起こる出来事、

交わる人々、別れる時期など細かく決めてきた内容のことです。


もとの自分に戻るのに、2年かかりました。今でもストレスが溜まると、うつ気味になることがあります。

マザーが来日した時に通訳を務めたのが渡辺さんです。

そんな私が、それでも感謝できるのは、病気をしたおかげで、他人に厳しかった私が、少し優しくなれたことでした。

さらに「摂理」だったと思うのは、うつになり易い学生たちに、「私も、うつ病になったのよ。きっと快くなるから、辛くても我慢しましょうね」と、きれいごととしてでなく、言えるようになったことです。

「シスターもですか」と驚きながらも、安心した顔になる学生の顔を見て、「やっぱり感謝」と言えるようになりました。

神さまに、「あの時は、お恨みしてごめんなさい」とお詫びする私になりました。

すべては恵みの呼吸なのです。どんな不幸を吸っても、はく息は感謝であるよう心掛けたいと思います。

<転載終了>


渡辺さんは50歳を過ぎてから「うつ病」を発症しました。それがあったからこそ、人々の苦しみ悲しみを理解することができ、感謝の心を学んだのだそうです。

そう考えれば、渡辺さんのうつ病も「あらかじめ決められた出来事」つまり摂理であったのでしょう。

その苦難の最中は、苦しくて苦しくて、神をのろい、死んでしまいたかったことでしょう、

ですがその苦しみが、心の糧となり、深い深い愛の心の持ち主となったのかもしれません

私たちも、もし今、悩みのふちにあり、神や世間を呪っていたとしても、きっとそれが

晴れる時が来ることでしょう。 

諸行無常、良きことも、悪きことも、全ては、刻々と変化して流れているのですから・・・

そしてその悩み苦しみも、神様とともに生まれる前、自分で決めてきた摂理なのですから。

 

つい愚痴が出てしまう気持ちもよくわかります。生身の人間ですから。

ですが、どのような苦しみ、悲しみの中にいようと私たちが、たった一人で、孤独に置かれることは一秒たりともありません。

私たちが、気付こうと、気付くまいと私たちの神さまは、必ず、傍らにいらっしゃいます。

今日の渡辺さんの記事、そのエッセンスは、私たちは温かな摂理のもとに生かされている

そのような環境に置いてくださった、神様に感謝し、私の人生に関わってくださった周りの人々に感謝して、ありがとう・・ と敵にも、味方にも・・そう、言うことかもしれません。

自分の心が感謝で、溶けた時、神々の恩寵が、怒涛のごとく押し寄せることになります。

 

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。



「天に帰ろうとしている方へ」


今まさに天に帰られようとしていらっしゃる方々にも、普段このブログで言っている、

「感謝」や「ありがとう」が通用するのか? 綺麗事では無いのか? について書きたいと思います。

アメリカの著名な心理学者、レイモンド・ムーディー博士が臨死体験者150人の証言をもとに、「臨死状態に陥るとどんな感覚になるのか」をまとめあげたものがあります。

それによると、蘇生にいたるまで計14の過程があると言います。

私達は過去、何百回も死を経験し生まれ変わっていますが、今生きている間は、それらの記憶が封印されていますから、あちらでの生活や、その移行過程(生まれる、死ぬ)の記憶はありません。ですので、この臨死体験者の経験が何か役立つかもしれません。

臨死体験者は、臨死状態から生還にいたるまでまで次の14の過程を踏むのだと言います。

1、自分の死の宣告が聞こえる

2、これまで経験したことがないような穏やかで愉快な感覚に包まれる

3、不思議な声が聞こえる。中には美しいメロディーという人も

4、突然暗いトンネルの中に引っ張られる

5、魂が肉体から離脱し、外部から自分の身体を観察する

6、懸命に自らの苦境を他人に訴えるが、誰にも聞こえない

7、時間の感覚がなくなる

8、視覚や聴覚が非常に敏感になる

9、強烈な孤独感に襲われる

10、周囲に様々な“人”が現れる

11、「光の存在」と出会う

12、自分の一生が走馬灯のように映し出される

13、先に進むことを遮られる

14、蘇生する

臨死ではなく、実際に向こうから戻らない場合には、

上記の13と14が無いことになります。

また肉体が死を迎える時、脳から大量のドーパミン(快感物質)が分泌されることが解っていますので、痛みはありません。

これから、元の世界に戻ろうとされる方は、意識の中で光が見えたら、そちらの方向へ進んで下さい。

瞬間的に亡くなるのではなく一般的には、肺の機能が低下し、血中酸素濃度が減り、脳の機能停止が起こると言われています。

ですので、私達一般人が 

「死ぬ時って痛いんじゃない?」という心配は要りません。肉体が機能停止した時、 光が現れるので、そちらに入って行く・・ と言う事さえ間違わなければ大丈夫らしいです。

どうか元の世界に、帰られる皆さん、安心して下さい。遅い早いの違いはあれ、みんなが通る道です。また私達は、もうすでに、何百回も輪廻を繰り返していますので、生と死は怖いものではありません。

さて、これで死と言う境界を通過する際の心配は無くなりました

後は、死ぬ瞬間まで どう生きるか? と言う事が問題となります。

瀬戸内寂聴さんは、死ぬ瞬間に付いてこう仰っています。

どんな辛い病気をしても、死ぬ瞬間まで、努力して下さい。人の命は、そうするに値するものなのですから。

何に努力するのでしょうか? 

寂聴さんは、私達の知っている「努力」と少し違った意味でこの言葉を使っています。

それは、この世に生まれてくる時に自分で決心したことを、やり遂げることです。

それは、もしかしたら、ブッダが2500年前に説いた般若心経の真髄のことかもしれませんね。この般若心経はブッダが一番後世に伝えたかったことなのだそうです。 

日本には三蔵法師を介してもたらされました。

そしてこの般若心経の真髄こそが、日々の生活の中での「ありがとう」、「感謝の心」なのでした。

・動物、

・植物、

・自然現象に

感謝すること、ありがとうと言うこと。そして感謝の真心を込めて日々を過ごすこと。


私たちには、元の世界に帰るまで、時間はあまり残されていないかもしれません。

健康な人でさえ、明日、帰らなくてはならないかもしれません。どうか後悔せぬように、

最後の一息を吐き終わるまで、感謝の日々をお過ごしください。

この最後の意識状態こそが、次の生へと大きく影響すると言われているからです。

 

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。それが自分の身を助けることに繋がります。

2021年5月15日土曜日

2332「使命」2021.5.15

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年05月10日の記事を紹介します。


「この世に使命をもって生まれてきた」

今日は不思議系のお話です。眉に唾を付けてお読みください。しかし、私の信頼する聖心女子大学教授で、シスターの鈴木秀子さんのお話ですので、真実のお話だと信じています。

 

<引用開始> 引用元 

 

鈴木秀子教授はご自身が翻訳された「死んで私が体験したこと」の著書に、ネイティブ・アメリカンの母とアイルランド系の父の間に生まれたベティー・イーディーという女性の体験を挙げられています。

ベティー・イーディーは31歳のとき子宮摘出の手術を受ける。

      ↓

術後に大量の出血をして、一度死を経験する。数時間だれもその状況に気づいていなかった。

担当医はベティーは間違いなく死んでいたことを認めている。

        ↓

死んだベティーは、自分の身体から抜け出るという「幽体離脱」をし、自分の肉体を高いところから眺めていた。

      ↓

その後、生前7人の子どもと夫を残して死ねないと思っていたので、家族のいる自分の家に行くと、夫も子どもたちも快適そうに過ごしているのを見る。

その姿を見ているベティーの心の中に、それぞれの家族の将来の予告編が映し出された。

そして・・・自分がいなくても、みな自分なりの、価値ある人生を歩んでいくことを知り、

気がかりだった家族のことが心配ないと確認したベティーは、ほっとして、この世から旅立つ。

      ↓

ベティーは真っ暗のトンネルを超高速で進んでいく。

      ↓

そのうち、とてつもなくまばゆい光が近づいてきた。

      ↓

そして、愛の光を放つキリストを見た。(これは、あの世の計らいであることが、江原啓之氏、飯田史彦教授、坂本政道氏などの書籍で説明されています。

日本人がよく見る三途の川やお花畑も同じ現象で、「死してあの世に戻って来た魂」を安らがせるため)

      ↓

ベティーは「ここが、私の本当の故郷なんだ」と確信した。 

そこで、あの世で教えてもらったこととして・・・

・この世に生まれようとする魂が、自分で一生のプランを立て、使命を負い、受胎した胎児の中に宿るということ 

・幼くして死ぬというプランもある

・障害をもって生まれてくるというプランもある

・辛い人生を歩むというプランもある

このような一見不遇そうに見えるプランが自分と周囲の人を成長させるために必要だと判断するからこそ、そのようなプランを立てて生まれてくる。

この世界へ来て問われることは「愛をもって生きてきたか?」だけである。

そこ(トンネルを通過するとき、あるいは光に包まれるとき)では、人生の場面が映画のシーンのように映し出される。(この経験をする人が多いのも臨死体験の特徴) 

それぞれのシーンでは、自分の気持ちだけでなく、そのシーンにいる他の人々の気持ちも、

自分の気持ちのようによく分かる。

  


※これも、福島大学 飯田史彦教授「生きがいの創造」でも語られています。

この人を悲しませた →後悔の念を抱く

この人は私を心から大切に思ってくれていたのだ →感謝の念を抱く など

そしていずれの場面でも、「愛の大切さ」を強く認識すると鈴木秀子教授は述べられています。

そして・・・このことから、鈴木秀子教授は、 

「この世に生を享けたものはすべて、それぞれのすばらしい使命をもつ存在」であると述べられています。たとえ凶悪な犯罪者でさえ、この世に使命をもって生まれてきた存在なのですとも述べています。

      ↓

ベティーは、まだこの世での使命を果たしていないという理由で再びこの世に送り返されます。 

本人は「もうあんな不完全で、労苦と不安に満ちた世界(この世)へは帰りたくない」と必死に抵抗しますが、泣く泣くこの世に帰ってきたそうです。

鈴木秀子教授は「わたしは自ら臨死体験をした経験から、たぶんベティー・イーディーが体験し、さまざまなものを見聞きしたのは、死後の世界だったのだろうと思っています。」と述べられています。

<引用終了>

 

臨死体験したベティは、子供たちのことが心配で、意識を子供たちに向けた途端、子供たちの傍にいました。

そして自分がいなくても、みな自分なりの価値ある人生を歩んでいくことを知ります。

つまり、例え親子であろうと子供には、子供の人生があり、親が早くに亡くなることも、

それによって人生が変わり、本来の予定していた道に進むことも決まっていたことです。

ですので、子供であろうと、まったく別個の魂であり、親であろうと、その子の人生に介入することはできません。それぞれが、自分の内なる神様に守られて人生を進んで行きます。 

またベティが、あちらの世界で教えてもらったこと・・・自分で一生のプランを立て、使命を負い、受胎した胎児の中に宿るとは、まるっきり、出生前記憶、中間世記憶を持つ子供たちが語ったことと同じです。 

このように、思いもしない、いろんな所から今、真実であろうことが私たちに突きつけられています。

勇気を持って、自分の知っていること、自分の経験したことを語る人も増えてきました。

その真実であろうと思われる中には 

・私たちが生まれて来た目的

・人生で起こる様々な出来事の意味

・人と人との繋がり

・人と宇宙の繋がり

・人と神様との繋がり

など、様々なことが含まれています。


  これらは、全て敗戦後に、二度と歯向かえないように日本人の精神的支柱を破壊するために取られた

・教育政策、

・3Sに見られる愚民化政策

によって否定されてきたことです。

ですが、戦後70年経ち真実に気付き始めた人々が、少しずつ現われてきました。

 


 いにしえの日本人が持っていたDNA

・古き良き心

・全てのものに神さまを見出す謙虚さ

・全てを敬い、大切にする心

思い出していきたいものですね。 

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。