2021年5月12日水曜日

2329 「希望を与える人」2021.5.12

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年05月07日の記事を紹介します。


「希望を与える人」

私たちは、

・どんな嫌なこと

・めんどくさいこと

・失敗に見えること

・人の非難を浴びること

・人から怒られること

・時間に遅れること

そのようなことが起きようと、本当は全然平気です。


何故なら、マザーテレサが仰るように、ブッダが仰るように、

全ての出来事、起こったことは、私と、その人の間の問題ではなく、、、

本当は、私と神さまの間の出来事だからです。

相手の人は、それを行うお役目を受けて約束通り、私たちに 嫌なこと(に見える)をしただけなんですから。

それは、どんな些細なことであっても、私たちが生まれる前に決めてきた「出来事」です。

なんで、そんなことを・・ と思われるかもしれませんが目的は一つしかありません。

・肉体とか

・生きる死ぬとか

・生きている間とか

そんな小さなスケールのお話ではなく、永遠と続いている私たちの魂としての歴史、その魂を少しでも、成長させて、神様に近づけるためです。

そのための、全部段取り、芝居、舞台設定だからです。

そのいろんな劇を通じ、私たちは激しい喜怒哀楽を感じます。

喜び、悲しみ 笑い、泣き

感情を揺さぶられながら、少しづつ魂は成長していきます。

周りの人の気持ちを理解することができるようになってきます。

いろんな出来事は相手と自分の間の出来事ではなく、私と、神様との間の出来事

魂を揺さぶり、成長させるためのものです。

ですから、どんな出来事も、安心していていいのです。


 ただ、その押し寄せて来る波にのり、色んな感情を味わいながら、恨まず憎まず、不平を言わず「今回は、そう来ましたか」とにこりと笑って、受け入れてしまうだけでよいのです。

後悔することも、焦る必要もありません。全ては、予定通りなのですから。

  

小林正観さんのお話からご紹介します。

私たちは普段、目に入ってくる「星占い」などを見ると、心うきうきしたり、少し落ち込んだりもします。ですが、実際は自分にとって「良いこと」しか受け取らないようにすることで、より運命を好転できるようです。それだけで大分、明るく笑顔で生きられます。 

<転載開始> 転載元

 

ある日、小林正観さんのところに、二人の占い師にまったく正反対のことを言われ、どちらを信じていいのか、悩んでいる女性が相談にきたそうです。

正観さんは「その答えは簡単だ」、といいました。

それは…その占い師の、まわりにいる人たちを見ればいい。まわりにいる人たちが、笑顔で幸せそうで、楽しそうに過ごしているかどうかを、見ればいいのです。

聖なる占い師は、見た目は普通の格好をしています。そして、まわりには、笑顔で、幸せそうな人たちがいっぱいいます。とてもいい仲間に囲まれている。

一方で、当たらない占い師は、どういう人か。過度に荘厳(そうごん)で、重々しく、威厳に満ちた姿、形、格好をしている人が多いのです。

そしてまわりには、笑顔で幸せそうな人はいない。どこか不幸そうで、悲しく、まったく笑顔のない人たちに囲まれているのです。

 


「楽しいことを予言」する占い師さんのまわりには、たくさんの幸せそうな人たちがいる。

なぜかというと、その聖なる占い師さんは、いつも人が「楽しくなるように、幸せになるように」という願いを投げかけているからです。

一方「悪いことを予言」する占い師さんのまわりには、たくさんの不幸そうな人たちがいます。

悪い予言をした瞬間、予言をしたその人は、無意識に相手の身にそれが実現するように期待してしまうのです。そうなってもらわなければ、自分の占いが当たりません。

当たるようにと願って、悪い予言を口にする。当然、投げかけたものは返ってくるので、

その占い師自身も幸せにならないし、まわりにいる人たちも面倒な人生を歩むことになるのです。 

<転載終了>

 

確かに占い師の方も生活がかかっていますから、自分の占った結果が当たり、評判を良くして、お客様に沢山来て欲しいと願うことでしょうね。この占いの結果が、当事者にとって、

良いこと、希望を持てることであれば、みんなが幸せな気持ちになりますから、宇宙にとって、世界にとって喜ばしいことです。

  


その小さな希望さえあれば、、、かすかな希望が見えていれば、、、

その後のどんな苦労も乗り越えられることでしょう。

その先に希望、良きことが待っているのを知っているのですから。 

ですが、逆に当事者にとって、不吉なこと、悪いことを仰る占い師さんも多いようです。

それを言ったとたん、占い師さんは、相手の方の「不幸」が実現するように無意識の内に願います。これは宇宙にとって、世界にとって大変悲しいことです。 

何より、「人を呪えば、穴二つ」の例え話の通り、占い師の方にも不幸が訪れることでしょう。

不吉な予言をされた方は、今まで幸せで笑顔で周りと仲良く暮らしていたのに、将来の不幸を暗示されたことにより、急に不安感に襲われ、笑顔が消え、イライラして、不機嫌な顔となり、周りの人に対しても害悪となることでしょう。

同じ苦しい現象・出来事が起こっても、気持ちが明るくはずんでいる時は、何の苦労もなく乗り越えてしまうでしょう。

ですが、暗い気持ちの時、同じ現象・出来事が起きたら、もっともっと気持ちが沈み、周りに当たり散らし、みんなを不幸にしてしまうかもしれません。 

それだけ、気持ちの持ちようと言うのは大切なことです。ですから、占いに限らず、普段から、自分の口から出る言葉は、良寛さんの愛語のように 

・他人に対しては、「良い言葉」「愛情の在る言葉」しか発しない。

・言葉にしない時は、黙って心中で他人へ「愛情のある言葉」を思う。

・言葉に出来ない時は、黙って「愛情のある行動」を他人に行う。

このようなことを心がけて行きたいものですね。

言葉や考え方、心の在り方が、良いも悪いも私たちの人生の行先を決めるのですから。 

ブッダが仰ったように、苦しみ、悲しみに沈む相手に対し、希望の光を与えるための善意の嘘も同じ役割です。

ブッダの般若心経の教えのように人生の幸せ、不幸せは心の受け取り方によって決まります。熊手で不幸をかき集めていては何時まで経っても幸福は訪れないでしょう。 

どうせなら、どんな環境に置かれていようと、

・嬉しい

・楽しい

・幸せ 

な気持ちでいたいものですね。 

神さまは、置かれたその場所で、花を咲かせなさいと、私たちに、わざわざ、その環境を準備してくださったのですから。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。




2021年5月11日火曜日

2328「愛が無ければ」2021.5.11

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年05月05日「神さまの作った仕組み

と2021年05月06日「愛が無ければ」の記事を紹介します。


「神さまの作った仕組み」

私たち生きている人間にとって、

・美味しいもの食べたり

・高級な洋服着たり

・外車に乗ったり

・大きな家に住んだり

それも楽しいことかもしれません。ですが、その何万倍もの楽しいことがあります。

それは、誰かと一緒に笑いあえること。それと比べたら物質的な喜びなど、たかが知れています。

そして、さらに・・・

・自分が存在することで

・自分の行いで、

・自分の言葉で

誰かが  

・元気付けられ

・喜び

・共に笑ってくれたなら

それは、何ものにも変えることができない宝石のような、至上の喜びとなります。それが人間、生きとし生けるもの、全ての生命体、神々が創造した者たち、全ての本性だからです。

自分の存在が、誰かの喜びとなる。これ以上の喜びはありません。

人はだれでも、

・いじわるをする人も

・陰口をたたく人も

本当は、本当の心はみんな優しい・・・そんな人でも、自分の心の中の良き部分、仏心を見つめられたら、仏心が必ず顔を出します。

きっかけは、感謝の「ありがとう」の言葉。本当は、みんな優しくしたいんです。それが人の本性だから。

これと同じことが宇宙空間や、人体中の小宇宙で起こっています。 

全ての臓器、器官、メッセージ物質、リンパ、神経伝達物質などは自分が自分がと自己主張することなく、全て、周囲のために調和して働き、人体全体を維持します。

私たち個人は、みんなの幸せのために存在しています。みんなで調和して、協力して進化発展しています。これが、神様が作った仕組みの根本です。

大宇宙のマクロの中にも、人体の中のミクロの中にも、同じ仕組みが、働いています。

私たち人間も、素直に、その流れに身を任せれば、宇宙の一員として、宇宙の進化発展に貢献する者となります。



「愛が無ければ」


今日は「愛を込める」ということで、マザーテレサの語った言葉を、渡辺和子さんが、紹介くださっています。

自分の心に愛が無ければ、どんなに立派なことをしようと、無に等しいです。 

自分の心を整えずして(浄化せずして)どんなにお金を払って人に何かをしてもらおうと、

何の役にも立ちません。

感謝の心を持たず、どんなに沢山の神社仏閣を回ろうと神々が振り向くことはないでしょう。

心に、恨み、嫉妬、ねたみの心を抱いたまま人当たりの良い綺麗な言葉を使おうと、

人の心に響くことはないでしょう。

私たちが、誰かのために行った行為や、言葉かけ、思いやり、それらは全て、私たちの内なる神さまに直通で届いています。それらは宇宙を巡り巡って、何倍にもなって、私たちの元に帰ってきます。私たちの未来の姿は、私たちの今の心や、行いにかかっています。 

<転載開始> 転載元

 

マザー・テレサの修道会のお仕事の一つに、貧しい人たちへの炊き出しがあります。日本なら、さしづめ、おにぎりとお味噌汁、外国ならパンとスープを、列を作って並んでいる空腹を抱えた人達に渡してあげるお仕事です。

夕方、仕事を終えて修道院に戻ってくるシスター達をねぎらいながら、マザーはお尋ねになります。

「スープボウルを渡す時に、ほほえみかけ、言葉がけするのを忘れなかったでしょうね。

手にふれて、ぬくもりを伝えましたか」 

この問いかけは、仕事は、ただすればよいのではない。その仕事には愛が伴っていなければいけないことへの忠告でした。

マザーの次の言葉も、それを裏書きしています。 

「私達の仕事は、福祉事業ではありません。私達にとって大切なのは、群衆ではなく、一人ひとりの魂なのです」

朝から何も食べていない一人ひとりは、同時に、朝から誰からも「人間扱い」されていなかった人たちだったのです。仕事は、ロボットでもします。シスター達よりも、むしろ効率的に手早く仕事をするかも知れません。

しかし、ロボットにできないこと、それは、ボウルを受け取る一人ひとりの魂と向き合い、

その魂に潤いを与え、生きていていいのだという確信を与えることでした。 

シスター達のほほえみ、言葉がけ、ぬくもりは、相手がその日受けた、唯一の人間らしい扱いとなったことでしょう。

忙しさは、その字のごとく、人々の心を亡ぼし、慌ただしさは心を荒らす可能性を持っています。ギスギスした社会、イライラした人の心は、渇き切っていて、潤いを求めています。

私達も日々の小さなことに愛をこめることによってお互いの間に潤いをもたらしたいものです。


  <転載終了>

このマザーの問いかけが示すように、マザーの仕事は単なる福祉事業ではなく、愛の行為でした。虐げられた人々に、笑顔と優しさを届け、人間としての尊厳を、思い出させてくれました。神さまに愛されていることを、思い出させてくれました。

シスターたちの配るスープはお役所が福祉の一端として配るスープと、その中身は同じだったかもしれません。でも受けとった人は、そのスープによって体と同時に心も温められたのでした。

頬笑みを添える時、受けとる人はもはや憐れみの対象ではなく、微笑まれるにふさわしい、

尊厳を備えた1人の人間になるのです。

私達は生きている間に何か大きなことをなすことが 大切なのではなく、小さな事に どれだけ愛を込めて「今」 この瞬間を生きるているか? そんなことが 大切なのかもしれませんね。

コリント人への第一の手紙にこう書いてあります。

たとえ私が人の異言や、御使いの異言で話しても、(人目を惹く、霊的な感覚を披露しても・・・)愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとえ私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、

また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、

  

愛がないなら、何の値うちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がないなら、何の役にも立ちません。

愛は寛容であり、愛は親切です。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

どんなに小さく見えることであっても、一つ一つの行いに「愛」を込めたいものですね。

私たちの目の前には様々なものが現れ 消えて行きます。 

・嬉しいこと、楽しいこと

・つらいこと、悲しいこと

・人との出会い、別れ

そして、それらのことに、良いも悪いもないと言われます。 

その事に、 「良いことだ」 とレッテルを張り、喜ぶことも「悪いことだ」 とレッテルを張り、悲しむことも、全部私たちが、私たちの心で決めています。

もし、どんな辛く苦しく見える出来事にも

・良いことが来た

・チャンスが来た

と その出来事を、喜び感謝して受け取るならば、例え「悪いこと」に見える出来事も、

私たちの心が感謝の波動に包まれて、その後、どんな幸運に化けてしまうことでしょう。 

想像もつきません。本当は、それほどワクワクすることなのです。

逆に、どんなに「嬉しいこと」に見える出来事も、私たちの心が、ひねくれ悲観的になっていれば、その後、どんどん、辛く苦しい出来事に変化していくことでしょう。

何故なら、私たちは 物質地球に住んでいますが、全ては、私たちの心が作り出している世界だからです。

私たちの心次第で、私たちの住む世界は、天国にも地獄にも変化します。その事を 2,500年前にインドでブッダが教えてくださいました。

三蔵法師が、インドから持ち帰り般若心経 として私たちに伝えてくださいました。

 


私たちの心こそ、見える世界、見えない世界を包括してしまうほど、偉大で巨大な世界です。

小さなことに愛を込める。このことは、世界に平和と調和をもたらし、私たち自身をも、天国に住む者に変えてくれる行為です。



 



2021年5月10日月曜日

2327「胎児の世界」2021.5.10

 今回はInDeepさんの2021年5月6日の記事を紹介します。

https://indeep.jp/after-gene-vaccine-what-will-happen-to-the-baby-of-the-future/


「遺伝子ワクチン時代後の赤ちゃんたちは……と考えながら調べものをしていたら、胎児の世界…羊水…エクソソームとめぐり最後に遺伝子ドライブ技術につきあたってしまった

これからの世界の赤ちゃんはどうなる?」


最近はどうしてもコロナワクチンのことを書くことが多くなってしまっていますが、昨日、ふと、「人工遺伝子ワクチンの後の世界の赤ちゃんってどうなるんだ?」と思ってしまいました。

というのも、例えば、先日の記事「新型コロナワクチンは人間のすべての免疫能力を破壊し…」では、ゲイツ財団や GAVI アライアンスでワクチン開発をしていた世界でもトップクラスのワクチン開発者であるギアート・バンデン・ボッシュ博士のインタビューを掲載いたしました。

そこで、ボッシュ博士は、何度もこのように述べています。

永続的抗体なんです。

ボッシュ博士によれば、コロナワクチンによっての抗体は、「永久的に体内にいる」ということになると思います。米ファイザー社のワクチンなら RNA、英アストラゼネカ社のワクチンなら DNA ということになるのでしょうが、これらの人工的に改変された遺伝子が「接種した人の体内に永久に残る」と。

あるいは、新潟大学名誉教授の岡田正彦氏の声明をこちらの記事でご紹介していますが、岡田名誉教授もまた、

ファイザー社とモデルナ社のコロナワクチンの RNAは分解されないように改変されています。

と述べており、体内で半永久的に mRNA が残る可能性を示唆しています。

その上、その遺伝子が体内で作り出すものは、ウイルスの「スパイクタンパク質」という表面のトゲのようなパーツで、もちろんウイルスよりさらに小さな微細なものです。このスパイクタンパク質に関して、「コロナのスパイクタンパク質が「人間に長期的な遺伝子発現の変化をもたらす」可能性…」という記事では、

米テキサス工科大学の新型コロナウイルスの研究についてご紹介していますが、研究者たちが見出したことは、以下のようなことでした。

研究チームは、低濃度と高濃度の両方の精製スパイクタンパク質に曝露された培養ヒト気道細胞が、細胞が曝露から回復した後も残った遺伝子発現の違いを示すことを発見した。

つまり、

コロナウイルスのスパイクタンパク質が人間の遺伝子に長期的な変化を与える

ということがわかったのでした。

スパイクタンパク質は、遺伝子を変えてしまうようなのです。

そして、コロナワクチンが接種者の体内で作り出すものこそが、このスパイクタンパク質なのですが、先ほどのボッシュ博士や岡田名誉教授の話が正しければ、

「ワクチン接種により体内に入った人工遺伝子によるスパイクタンパク質の産生が半永久的に続くことになる」ということになってしまうはずです。

まあ、接種されたご本人様たちに関しては、そういうことなんですけれど、

「赤ちゃんは?」ということがふと気になったのです。

これは妊娠されている方のワクチン接種の話ではなく、コロナワクチンを接種してからずっと後、数カ月後とか、何年も後に子どもを授かった場合のことです。

そのような場合でも、ボッシュ博士や岡田名誉教授が言われる「永続的抗体」という概念が正しい場合、妊娠された女性にしても、その相手の男性にしても、どちらかが、遺伝子コロナワクチンの接種経験があった場合、体内にはその抗体があるはずです。

そのお母さんなりお父さんなりの遺伝子、あるいは「スパイクタンパク質」は、お腹の赤ちゃんに対してどのような対応となるのか。

「赤ちゃんへの人工遺伝子とスパイクタンパク質の影響は?」ということがものすごく気になってしまったのです。

急にこんなことが気になりましたのは、最近、奥さまの書棚に『胎児の世界 - 人類の生命記憶』という 40年以上前に書かれた本を見出し、このタイトルが気になり、パラパラと読んでいました。三木成夫さんという東大医学部出身の解剖学者の方が書かれたもので、この著作を書いた際には、東京芸術大学の教授でした。1970年代に書かれた本です。

この『胎児の世界』は、基本的には解剖学としての厳密な科学本なのですが、そこに思想や、宇宙と人類の関係などの話が、ときに入りこむ「形而上的な脱線」が非常に面白い本でした。

むしろ科学的な部分は難しいですので、そこは飛ばして読んでいました(失礼だろ)。

ともかく、たとえば、そこにあるひとつの記述などには、妊娠するということは、まさに「母子一体状態が出現する」以外のなにものでもないことが示されています。

短い部分だけを抜粋しても、うまく雰囲気が伝わらないと思いますので、やや長い抜粋となりますが、私が、コロナワクチンからの「赤ちゃんへの影響」をふと思った部分を載せさせていただきます。

文中、現代ではほとんど使われていない漢字が使われている箇所があり、場合によっては読むことができないですので、その部分は一般的な漢字にしています。

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三木成夫『胎児の世界』

故郷への回帰 - いのちの塩 より

わたしたちは母胎のなかで、いわゆる十月十日(とつきとおか)の間、羊水に浸かって過ごす。そこでは、この液体が、胎児であるわたしたちの口のなかはもちろん、鼻のなか、耳のなかなど、およそ外に通じるすべての孔に入りこみ、からだの内外をくまなく潤い尽くす。

胎児は、親指の先ほどの大きさになると、舌の輪郭が定まってくる。それは受胎二か月の半ばのころか。もう神経はできているだろう。だから、そこでは感覚も運動も可能なはずだ。

これが三か月に入ると、一人前に舌なめずりをおこない、舌づつみを打ちはじめるという。身長は四センチで三頭身といったところだが、このころからかれらは、この液体の味見に明け暮れる。というより、そこでは顔も頭も口も鼻もどこもかしこも”羊水漬け”で、それ以上はどうしようもないのだから……。

それだけではない。この小さな胎児は喉を鳴らしてこれを思いきり飲み込む。来る日も来る日も、これを飲み続ける。こうして羊水は、胎児の食道から胃袋までをくまなくひたし、やがてそれは幽門の関所を越えて腸の全長に及び、そこで何がしかが吸収されるのであろう。

この羊水のなかには、当然、たれ流しの胎児尿が含まれているはずだから、ここでは胎児のからだが羊水の毛血管の役目を果たすことにもなる。

まだある。かれらは、なんと、この液体を胸いっぱいに吸い込むのだ。まぎれなくその小さな肺の袋にこの液体は流れ込む。これは感覚的に理解できないことだが、間違いない。

もちろん吸うだけではない。当然、それを吐く。胎児のこの「羊水呼吸」は、それ以後、半年にわたって出産の日までつづけられるという。

ここでは、臍の緒を介して血液のガス交換が営まれるので、どんな呼吸も必要はない。しかし、たとえば母親の物思いによって無呼吸の状態がつづくようなとき、増量した血中の炭酸ガスが臍の緒を通って胎児の延髄に至り、そこの呼吸中枢を刺激するといった事態が起こるという。ここで胎児もまた大きく溜息をつく。母と子の二重唱といったところか。

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ここまでです。

> こうして羊水は、胎児の食道から胃袋までをくまなくひたし、やがてそれは幽門の関所を越えて腸の全長に及びとか

> 胎児のからだが羊水の毛血管の役目を果たすことにもなる。

このような表現にあたると、「胎児は羊水の中で育っている」のではなく、

「胎児はお母さんの内臓そのもの」だということがわかります。

妊娠しているあいだというのは「母と子の違いは何もない」ということになるのではないかと。まさに一体。出産するまでだけ存在する女性の内臓がそこにあるという感じを受けたのです。

こうだと、いかなる物質であろうと「母親が体内に入れた物質は、すべてそのままダイレクトに赤ちゃんに伝わる」……というか、妊娠してからは「赤ちゃんは母親の臓器の一部」となっているのですから、伝わらないわけがない。

あるいは、これは今回の話とは関係ないですけれど、上にあります、

> しかし、たとえば母親の物思いによって無呼吸の状態がつづくようなときには、赤ちゃんは、「大きく溜息をつく」のだそうです。

マスクでお母さんが苦しいと感じている時は、お腹の赤ちゃんも苦しいと。

何しろ、赤ちゃんは大気を吸っているわけではなく、> 臍の緒を介して血液のガス交換で呼吸している のですから、お母さんの血中酸素量が少しでも減少すれば、胎児にも確実に影響が出ていると思われます。まして、それが長期間なら……。

 

しかし、マスクの問題は置いておきまして、ここまでの話を整理しますと、このように、「母と子は完全に一体」であるという状態が「妊娠」ということなのだとした上で、

・遺伝子ワクチンの遺伝子は、基本的に体内で永続的な抗体となる可能性がある

・ということは、母父どちらでも、接種した後、永続的にそれが体内に残る可能性がある

・では、接種後、ずっと後になってからの妊娠での赤ちゃんの状態は?

ということがふと気になったのです。

三木成夫さんの『胎児の世界』のこの部分を読まなければ、こんなことは思わなかったでしょうけれど、先ほどの臨場感のある表現で、それを考えさせられてしまいました。

今後いろいろなことがなければいいのですが……。

このあたりに詳しい方の見解もうかがってみたいです。

なお、先ほど少し書きました三木さんの「脱線」ですが、たとえば、脊椎動物の受胎四日後の肺の発生の状況を科学的に説明していたすぐ後に、唐突に、

「胎児の夢」というセクションにうつり、そこでは、いきなり作家の夢野久作さんの名前が出てきたりしています。おもしろい章ですので、一部抜粋します。

三木成夫『胎児の世界』

胎児の世界 - 胎児の夢 より

昭和の奇筆、夢野久作は、この「胎児の世界」と「夢の世界」のあいだに「細胞記憶」というひとつのかけ橋をわたす。かれはこう述べる。

「いかなる賢人、または偉人といえども、細胞の偉大な霊能のまえには無力同然……太陽の前の星のごとく拝跪しなければならない……人間の形に統一された細胞の大集団の能力は、その何十兆分の一に当る一細胞の能力の、そのまた何十兆分の一にも相当しない……」

夢野久作は、このような細胞記憶の窓から、まず「胎児」の世界をそのように眺める。

「何が胎児をそうさせたのか?」

夢野久作のこの問いかけに答えるもの—それは、卵細胞のもつ地球誌的な生命記憶をおいてほかにない。かれは結論する。—「卵細胞はすべてを知っている」と。

この記憶はつねに秘密の暗号として極地の磁気テープに打ち込まれ、細胞分裂によって倍数にふえていく一つ一つの細胞に完璧なかたちで伝授され、ついには六十兆ともいわれる全身の細胞にあまねく行きわたるのである。

こうして卵細胞はもちろん精細胞も、そしてからだをつくるどの細胞も、ことごとくその「記憶の譜」を、みずからの核の奥深く、超小型のカセットテープにしまい込むことになるという。

細胞たちは、だからみなそれを完璧におぼえている。これが夢野久作の目に映った胎児発生の秘密であった。かれはすでに今日のバイオテクノロジーを予見していたのか。

この後半は別の意味でちょっと考えさせられますね。

> からだをつくるどの細胞も、ことごとくその「記憶の譜」を、みずからの核の奥深く…しまい込む

> かれはすでに今日のバイオテクノロジーを予見していたのか。

今日のバイオテクノロジーといっても、今から 40年以上前のバイオテクジーですが、今はもうもう。

逆にいえば、今のコロナワクチンは、現在のバイオテクノロジーの極地のひとつといえるかもしれないことは、以下の記事の内容などでもわかります。「外部から人の遺伝子を組み換える」ことが(理論上は)可能なものなんて…。

地球は巨大な実験場に : 米スタンフォード大学から発表された「コロナウイルスのRNAは逆転写されヒトゲノムに組み込まれる」ことから思う「mRNAワクチンが遺伝子を改変する可能性」に思うこと 投稿日:2021年1月25日

そういえば、この『胎児の世界』を科学的な部分を飛ばして読んでいたとき(失礼だろ)、ちょうど同じ頃に、ある本が届いたのです。

落谷孝弘さんという方の書かれた「エクソソームについての本」でした。

タイトルこそ『がんは止められる - 指令物質をコントロールする医療革命』というものですが、「がんは止められる」の部分はともかく、エクソソームについてわかりやすく書かれていた本です。その中にも「母乳」についての画期的な発見が記されてました。

落谷孝弘さんは、東京医科大学医学総合研究所・分子細胞治療研究所の教授というお立場の方です。

少しご紹介させていただきます。

 

多種の生物同士でコミュニケーションしているエクソソーム

エクソソームとは、細胞から出される非常に小さな物質で、落谷孝弘さんの本から抜粋しますと、以下のようなものです。この本はとても平易に書かれていて、わかりやすいです。

エクソソームとは、細胞から放出される泡のようなものだとイメージしてください。大きさは、直径 100ナノメートル前後。1ミリの1万分の1ほどのごく小さな小胞です。

泡のような小胞なので、外側に膜があり、なかにはもとの細胞に由来する何種類かの物質が詰め込まれています。つまり、カプセルのようなものです。

この中に何が詰め込まれているのかが重要なのですが、それは後で説明することにしましょう。(指令物質をコントロールする医療革命

> この中に何が詰め込まれているのかが重要

とありますが、こんな小さな細胞から脱落するような微細物質に「なにができるか」と思いがちですが(まあ、同じような大きさのウイルスもいろいろなことをしますが)、この本のタイトルにある「指令物質」というのが、まさにこのエクソソームなのです。

抜粋します。

エクソソームは、細胞から放出され、血流にのって、全身を流れます。放出するときに、細胞はこのカプセルのなかに、”メッセージが書かれたカード”を入れて送り出します。

エクソソームには、このメッセージの宛先が指定されていて、相手はこのメッセージを受け取ることができる。

”メッセージが書かれたカード”の中味には、マイクロ RNA という物質があります。このマイクロ RNA は、相手の遺伝子にはたらきかけて、さまざまな行動を起こします。たとえば、

「代謝を促進せよ」

「血管をつくれ」

というようなことです。

このマイクロ RNA を使って、細胞は、離れた場所にある別の細胞に、こちらの意思を伝え、さまざまな仕事をしてもらっている、というのが、エクソソームによる細胞どうしのコミュニケーションのイメージです。

人間の体の中で、「事象」を起こすのは遺伝子だけではなかったのですね。

細胞から放出されているエクソソームというものが、非常に重要な役割をしていることがわかってきているのです。

それでですね。先ほどの三木成夫さんの『胎児の世界』での「胎内での様子」を思い浮かべながら読むと、非常に感慨深い下りもあるのです。

以下も、『指令物質をコントロールする医療革命』からの抜粋です。


人間は「体液」を通してコミュニケーションをしていた

人間には言語というコミュニケーションツールがあります。さらにジェスチャー、身振り手振りというものも、意思や情報を伝える手段になります。

ところが、こうしたコミュニケーションとは別に、私たち自身が自覚しない形で、コミュニケーションをしている。つまり、体液のなかのエクソソームを交換することでコミュニケーションを図っているらしいということがわかってきました。

たとえば、お母さんが赤ちゃんにあたえる母乳、あるいはお腹のなかにいるときの羊水、また、場合によっては唾液や精液など、個体同士が交換する体液のなかには、エクソソームが含まれています。

そのエクソソームには、マイクロ RNA が含まれていて、そこには何らかのメッセージが書き込まれています。それによって相手の遺伝子に影響を与えている。

さらに驚いたことに、エクソソームを使ったコミュニケーションは、細胞間、臓器間、人と人だけではなく、どうやら人間と、別の種の生き物、つまり人間以外の生物との間にも存在しているらしいのです。

エクソソームは、血液 1ccあたり 50億から 100億個含まれているらしいですので、ものすごい情報量が体内をめぐっていることになります。

なお、この「人間を含めた生物の遺伝物質は、現在知られているよりはるかに多い可能性」については、

遺伝子分子は「100万以上」存在する可能性があり、DNAはその中の1つに過ぎない

ということを、日本やドイツ、そして、アメリカの研究者たちの共同研究で突き止められたことを、以下の 2019年の記事でご紹介していますが、エクソソームもそういうもののひとつである上に、「まだまだ他にたくさんあるかもしれない」ということになります。

地球の生物には「遺伝物質が100万以上存在する可能性」が判明し、DNAはその中のひとつに過ぎないという衝撃的な研究が東京工業大学等による国際研究で示される

投稿日:2019年11月13日

 

まあ……現在の状況の中で、唯一の希望的な部分がここにあるような気がしないでもありません。

自らの遺伝子がワクチンの人工遺伝子に乗っ取られたとしても、スパイクタンパク質が永続的に体内で産生され続けるにしても、

「それを乗り越えられる遺伝物質を人間は持っているかもしれない」

と、こうなってくると、このように考える他は、希望が見えない感じです。

今後、赤ちゃんの状況を含めた甚大な厄災が迫っていることは確かです。

しかし、人間は基本的にはどんなことでも乗り越えられる仕組みを持って誕生してきたと思います。宗教をお持ちの方なら「人間は神が造られたのだから何でもできる」とお考えになってもいいでしょうし、宗教のない私のような人は、人間の本質的な奇跡的な可能性を今でも信じています。

そして、今回書きましたことは、「科学の二面性」もあらわしています。

エクソソームの存在が明らかになったのは、近年になって機器と技術が発達したことによるもので、同時に遺伝子ワクチンが現実化したのも、科学的技術の進歩によるものです。

結局、科学というのは、その発見や進歩そのものの問題ではなく、

「それを用いる人たちの良心の部分と良心ではない部分の問題」だとは感じます。

ここまでバイオテクノロジーが進めば、悪いほうに使えば「人類の絶滅」なんてのも場合によっては可能なことですが、良いほうに進めば、いかなる病気からも、多くの苦痛からも解放することができるものでもあるはずです。

「人類の絶滅」なんて大げさに響くかもしれないですが、2019年に以下の記事でご紹介しました「遺伝子ドライブ」技術を用いれば、不可能ではないです。

科学の進歩か新たな生物兵器の誕生か : 「ひとつの生物種全体を抹殺できる」可能性のある遺伝子ドライブ技術が史上はじめて哺乳類で試験され、成功した

投稿日:2019年1月31日

そこでご紹介したロシアの記事の内容から抜粋しますと、遺伝子ドライブでは以下のように「ある種全体」を絶滅に導きます。

このロシアの報道は、アメリカの遺伝子ドライブ実験を強く非難している記事です。

遺伝子ドライブは、通常は引き継がれない突然変異を遺伝させていく可能性を最大 100パーセント高めることができる。

改変された遺伝子が、ある染色体から別の染色体へと単純にコピーされ、その結果、さらに多くの生殖細胞が子孫に突然変異を受け継ぐ準備が整う。

時間が経つにつれて、ほぼすべてが変更された DNA を運ぶことができる個体となり、その結果、種の 100パーセントが突然変異体となる可能性があるのだ。

このテクノロジーが成功するかどうかは、汎血統の程度や遺伝子変換の頻度など、さまざまな要因に左右されるが、それでも、約 90パーセントはそうなるはずだ。

遺伝子ドライブは、有害な突然変異でさえ、その突然変異が受け継がれていくことを促進する可能性がある(通常は、有害な突然変異は遺伝していかない)。( In Deep)

何だか、流れで適当にこの過去記事に辿りついたのですが、ここに、

> 時間が経つにつれて、ほぼすべてが変更された DNA を運ぶことができる個体となり、その結果、種の 100パーセントが突然変異体となる可能性がある

という下りを読んでいて、なぜかゾクッときたのですが……まさかね。

mRNA ワクチンはこんなのと関係しないよね……と思い、この記事を読み直すと、米マサチューセッツ工科大学のリリース記事も翻訳されていて、そこには、

> マラリアの根絶を願う億万長者のビル・ゲイツ氏は、マラリアを媒介する蚊を絶滅できる可能性がある遺伝子ドライブ技術に「精力的に」取り組んでいる。

> ゲイツ氏は遺伝子ドライブを「飛躍的な進歩」と呼んでいる。

あー、世界最大の慈善家が絡んでたか……。

コロナワクチンがこういうものと関係なければいいですね。

ともかく、これから子どもがほしいと考えてらっしゃる女性の方々には、ご自分の体を徹底的に守って生きてほしいなと思います。


  この写真は、四半世紀ほど前に私がおこなった公演のパンフレットです。表紙に胎児の写真を使ったものでしたので、何となく掲載しました。

赤ちゃんの時に遺伝子実験され、その後に廃棄されたと思われていた子どもたちが生きていた話です(結局みんな絶望して自死に向かってしまいますが)。

ふと見れば「game(ゲーム)」という公演タイトルだったのですが、これ、amをenにすれば、「gene (遺伝子)」ですね。26年も経って初めて気づいて、ジーンときました。



2021年5月9日日曜日

2326「光の連鎖」2021.5.9

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年05月04日の記事を紹介します。


「光の連鎖」

最近は不思議な能力を持つ子供たちと、出会う機会が多くなって来ました。

地球が変わろうとしている歴史的な瞬間を、手助けするように、沢山の魂たちが生まれているようです。 

レインボーたちの情報では

・宇宙神

・惑星意識(地球の意識)

・地球の神々

・地域の神々

というヒエラルキーがあるようですから、そのうちの惑星意識に呼応しているのかもしれません。 

さて今日は「恩送り」のお話をご紹介します。

宇宙のお話や神々のお話、次元のお話色々ありますが、肉体をまとい3次元の地球を経験している私たちにとって一番大切なのは、そう言った自分以外の不思議に頼ることではなく、

やはり自らの心を磨くことが、第一に必要なことだからです。

 

光の連鎖 すべてはその一言から始まりました。

ある日、小さな女の子がおつかいに行き、そこで野菜を買いました。女の子は、レジのおばさんに笑顔で「ありがとう」と言いました。おばさんは、何だかちょっと嬉しくなりました。

そして、次の男のお客さんに思わず「そのネクタイ似合っていますね」と声をかけました。

男性は少し恥ずかしそうに「ありがとう」と言いました。

ネクタイを褒めてもらった男性は何だか嬉しくなって、そのネクタイをくれた奥さんにお花を買って帰ることにしました。

男性は家へ帰ると「いつもありがとう」と言って、奥さんにお花をプレゼントしました。

「わぁ、どうもありがとう」そう言って奥さんは、とっても喜んでくれました。

嬉しくなった奥さんは、子供におこづかいをあげることにしました。

「わぁい、お母さんありがとう」そう言って、子供は大喜びしました。

おこづかいをもらった子供は、嬉しくなって、飼っている犬においしいエサを買ってあげることにしました。

「わん、わん」そう言って犬は、大喜びでしっぽを振りました。そのしっぽの揺れで、飛んできたたんぽぽの種が大空高く舞い上がりました。

そしてそのたんぽぽは遠く離れたある画家の家の庭に落ちました。春が来て、たんぽぽはきれいに咲きました。

「わあ、きれいだなあ、そうだこのたんぽぽの絵を描こう」そう言って、画家はたんぽぽの絵を描きました。


 すると、何とその絵が大きなコンクールで優勝したのです。画家は沢山の賞金を手にしました。そして、その賞金を全て寄付しました。その寄付されたお金は、貧しい国に学校を建設する費用に使われました。

その学校をある貧しい少年が卒業しました。少年は、とても勉強ができたので、そのまま進学してお医者様になりました。 

お医者さんになったかつての少年は、ある日、難病の老人に出会います。その病気はまだ原因がわからず、沢山の人が死んでいました。

「何としてでも、このおじいさんを助けたい!」そう思ったお医者さんは、特効薬の研究をはじめました。そして、とうとうその薬が完成したのです。

おじいさんは、その薬のおかげで無事助かりました。「ありがとう、本当にありがとう」そう言っておじいさんは、涙を流しながらお医者さんにお礼を言いました。

すべてはあの日、少女が「ありがとう」と言ったことからはじまりました。

ほんの些細な一言が、後々に、多くの人々に喜びを与えることがあります。

どうか目の前の人に、小さな喜びを伝えてください。それはいつか、誰かの命を救うことになるかもしれないのですから。

※この文章はお笑いのぐるぐるさんの元ネタを若干修正して掲載しています

以上です。

 

ここに神さまのやり方が顕著に示されています。神さまの、私たち人間に対するアプローチ方法です。神さまは、誰もが驚くサーカスのように奇跡的な、大きな出来事で、人間を幸せに導くのではありません。神さまは、誰の心の中にもいらっしゃいます。 

神さまは、人間の心の中で、

・活性化され

・光を放ち、

人と人との絆、思いやりの連鎖を通じ私たちに幸せをもたらします。神さま自身は、決して表に出ようとしません。あくまで、誰にも気づかれないように、人々の心をちょっとだけ変化させていくことで、その連鎖、有機的な繋がりによって世の中に変化をもたらします。 

誰にも気づかれず、自然な形で、私たちの心の中で変化を起こします。

・お互いさま

・お陰さま 

その優しさと、思いやりの中で相手の立場、個性、やり方を受容し、認め、それが、私たちの行動として現れ、愛の連鎖を起こすのです。 

それは、あたかも、その本人達の自発的な行動と、思われがちですが、全ては、私たちの内に居らっしゃる神さまの働きです。

このような、美しい人と人との営みを目にした時、常に神さまを意識し、神さまの気持ちに寄り添って生きようとしている人は必ず、必ず氣づくことでしょう。

「あっ、神さまを見た」と、、

私たち、普通の人、心弱き人は、神社仏閣に、お願い事をしに行きます。優しい神様は、それらの事情を全てわかった上で、そして個人的な願い事など清濁併せ飲んだ上で・・・

叶えて良い願い事、それは、私たちの因果律を乱さず、私たちの魂の進化に対して、悪影響を及ぼさない場合のみ、そして、更にそれを叶えることによって、神さまの意図した、心の変化が見込める場合のみ、願いを聞いてくださり、それをきっかけとして、神様の方を向いていただく。そして、その後に神々に対する信仰心を養い、謙虚な心、お陰さまの心を 養い、同胞である、同じ人間同士で、お互いさまの気持ちを起こし、結果として、私たちの心を、清浄にして神様と繋がりやすくする。

そして、その先では、 

・どこかの外に存在する神さま、

・願い事を叶えてくださる神さまではなく、

私たち自身の心の内に、いつも居らっしゃり、私たちを見守り、共に歩んでくださっている

内なる神さま(良心)と繋がって欲しい・・

内なる神さまと、繋がり、日々、神さまを意識して生きて行くことで、本当の、本当の幸せを掴んでほしい

・誰かに与えられる幸せではなく、

・誰かに依存して生きるのではなく、 

自分の足でしっかりと大地に立ち、内なる神さまと繋がり、幸せになって欲しい。。

それが、神々のなさり方ではないかと思います。

 

今、時代が変わろうとしています。もう、その大きなエネルギーの回転は誰にも止められません。全ては、神々の計画通り、人間の精神性の復活の方向に向かっています。心の時代です。

何かを見たり、聞いたりすることで、

・悪しきもの

・醜い心

・嫉妬

・揚げ足取り

・誤ったプライド、優越感

・疑心暗鬼

・マウンティングしようとする心

などを、心に取り込まず、心を

・美しいもの

・優しいもの

・思いやりのあるもの

・愛のあるもの 

に集中したいものですね。

心にあるものは、必ず、何時か現象として現実化しますから。目の前に現れてきます。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。それが自分の身を助けることに繋がります。



2021年5月8日土曜日

2325「優しい世界へ」 2021.5.8

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年05月02日「優しさは真実(正義)に勝る」と2021年05月03日「優しい世界へ」の2つの記事を紹介します。


「優しさは真実(正義)に勝る」

私たち人間は弱いものです。

・正しくありたい

・優しくしたい

・笑顔でいたい

・人の役に立ちたい

そう願っていても、何時も弱い心が頭をもたげます。 

また逆に、

・自分は正しい

・自分の言う通りに動け・・ 

と、無意識のうちにマウンティングしてしまい、自分勝手な正義感を振り回し、

・人を批判し

・糾弾し

・追い詰め 

そして、

・自分勝手な価値観に沿って、家族を含め、他人を動かそうとします。 

そして、人がそれに従わないと 

・猛烈に批判を浴びせ

・憎み

・足を引っ張り

・仕返しをしようとします

また、心弱い私たちは、何が正しいか、分ってはいても,なかなか一歩踏み出せないでいます。生きている間は、ずっとその葛藤かもしれません。

でも諦めないでください。みんながそうなんです。そこが出発点なんです。

ブッダがこう仰いました。

・嘘をつけないような人になっては いけない

・優しさは真実に勝る

ブッダの仰りたかったことは、相手を思いやる優しさや、調和の為の嘘は、真実よりも尊い・・ と言う事を仰ったのでした。 

また、こうも仰りました。

捨戒の法

ブッダが仰るには、仏教徒が戒律を破るとき、いま仏教を捨てます、と天に向かって言います。そして、酒を飲んだり、戒律を破る。その後、また仏門に帰依します、と言って戻れば、それで良いのだよ。

ブッダは人間の弱さを知っていました。そして温かい目で人間を見ていました。

過ちを見て、人を切り捨てるようなことはなさいませんでした。人を追い詰めることはなさいませんでした。ブッダは戒律重視ではなく、優しさ(慈悲)を教えていたからです。


次に良寛さんのエピソードをご紹介します。

良寛さんの甥に、馬之助という放蕩息子がいました。良寛の弟の由之は息子の放蕩に困り果てて、兄の良寛さんに説教を依頼します。良寛さんは故郷の由之の家に出向き、馬之助の前に座らせられましたが、酒を飲んでばかりで、いつまでたっても説教しませんでした。

とうとう三日目の朝「わしはもう帰る」と言って良寛さんは家を出ようとしました。

そのとき馬之助の母は馬之助に、良寛の草鞋の紐を結んであげるように言いつけました。

馬之助は言われるまま草鞋の紐を結び始めますが、それでも良寛さんは黙ったまま。と、そのとき馬之助は、自分の首に何かが、落ちてくるのを感じました。見上げると、そこには目に一杯涙をためた良寛さんの顔がありました。

それをきっかけに、たったこれだけの出来事をきっかけに馬之助の放蕩は、すっかりやんだということです。

良寛さんは、馬之助の心の

・苦しさや

・悲しさや

・それを放蕩で紛らわさずをえない苛立ち

をただじっと見ていました。

煩悩だと知りつつも、煩悩に引きずり回されるのが私たち心弱い人間です。人間の悲しさ、苦しみは、いつでもそこから生まれてきます。悲しみを持った人に、自分勝手な価値観を押し付けたり、くどくどと説教したり、良寛さんは、そのような事はしませんでした。

ただ馬之助とともに、じっと悲しみ続けるだけでした。馬之助の父親の由之や母親は、息子の表面的な損得や、世間体から心配したかもしれません。

ですが、馬之助の心と、じっと一緒にいてあげたのは、良寛さんでした。

いくら正しい道を示されても、「こうであるべきだ」と正論を教えていただいても、なかなかそう簡単に行きません。でも本当はそうしたいのです。心では分かっていますから。

そして、それが自分には簡単にはできないとわかると、結局あきらめてしまい、また元の苦難の日々に埋もれてしまいます。正しい道を示されても何の役にも立ちません。 

ですが、良寛さんのように心を理解し、心に寄り添い、「今のままでも、良いんだよ」と、見守ってくださる人がそばに居れば、私たちは徐々に、光の方向に進んでいけるかもしれません。


  心弱い私たちは、煩悩で、あちこち頭をぶつけながら、人に迷惑かけながら、お世話になりながら、だんだんと、あちこち角が取れて、おかげ様の心が芽生えてくるでしょう。

そして、 

・おかげ様

・お互い様 

の感謝の心が芽生えた時、その辛く、苦しい経験をしたがゆえに、同じような苦しみ、悲しみの中にある人の心の内を理解して、良寛さんのように寄り添えるのかもしれませんね。 

決して今の、悲しみ、苦しみは、無駄にはなりません。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。

 

 

「優しい世界へ」


今日は「愛語」について実際にあったお話をご紹介します。

愛語と言うのはブッダの言葉です。ブッダは、私たちが幸せな人生を歩む6つの道(善)を教えられています。それは六度万行(ろくどまんぎょう)といわれます。

この6つの善いことのうち、どれか一つでも徹底して実行すれば、幸せになれる、と説かれているのです。そして六度万行の一番目に挙げられているのが『布施』です。

その布施行の一つに

『和言愛語(わげんあいご)』があります。

和言愛語とは、和やかな笑顔【和顔】と優しい言葉【愛語】とを施すことです。さて、それでは実際にあったお話です。

曹洞宗長徳寺の住職 酒井大岳山さんのお話です。

<引用開始> 引用元


ある書道の時間のことです。教壇から見ていると、筆の持ち方がおかしい女子生徒がいました。傍に寄って「その持ち方は違うよ」と言おうとした私は、咄嗟にその言葉を呑み込みました。彼女の右手は義手だったのです。

「大変だろうけど頑張ってね」と自然に言葉を変えた私に「はい、ありがどうございます」と明るく爽やかな答えを返してくれました。

彼女は湯島今日子(仮名)といいます。ハンディがあることを感じさせないくらい勉強もスポーツも掃除も見事にこなす子でした。もちろん、書道の腕前もなかなかのものでした。

三年生の時の運動会で、彼女は皆と一緒にダンスに出場していました。

1mほどの青い布を、左右の手に巧みに持ち替えながら、音楽に合わせて踊る姿に感動を抑えられなかった私は、彼女に手紙を書きました。

「きょうのダンスは一際見事だった。校長先生もいたく感動していた。私たちが知らないところでどんな苦労があったのか、あの布捌きの秘密を私たちに教えてほしい」という内容です。

四日後、彼女から便箋十七枚にも及ぶ手紙が届きました。 

ダンスの布については義手の親指と人差し指の間に両面テープを張って持ち替えていたとのことで、「先生のところまでは届かなかったかもしれませんが、テープから布が離れる時、

ジュッという音がしていました。

その音は私にしか聞こえない寂しい音です」と書かれてありました。「寂しい音」。

この言葉に私は、心の奥に秘めた人に言えない彼女の苦しみを見た思いがしました。

十七枚の便箋に書かれてあったのはそれだけではありません。そこには生まれてから今日まで彼女が生きてきた道が、綿々と綴られていました。

彼女が右手を失ったのは三歳の時でした。家族が目を離した隙に囲炉裏に落ちて、手が焼けてしまったのです。切断手術をする度に腕が短くなり、最後に肘と肩の中間の位置くらいから義手を取り付けなくてはならなくなりました。

彼女は、小学校入学までの三年間、事故や病気で体が不自由になった子供たちの施設に預けられることになりました。「友達と仲良くするんだよ」と言って去った両親の後ろ姿をニコニコと笑顔で見送った後、施設の中で三日間、泣き通したといいます。

しかし、それ以降は一度も泣くことなく、仲間とともに三年間を過ごすのです。

そして、いよいよ施設を出る時、庭の隅にある大きな銀杏の木にぽっかり空いた洞の中で、

園長先生が彼女を膝に乗せてこのような話をされました。

 


「今日子ちゃんが、ここに来てからもう三年になるね。明日家に帰るけれども、帰って少しすると今度は小学に入学する。でも今日子ちゃんは三年もここに来ていたから、知らないお友達ばかりだと思うの。そうするとね、同じ年の子供たちが周りに集まってきて、今日子ちゃんの手は一つしかないの?なにその手?と不思議がるかもしれない。だけどその時に怒ったり、泣いたり、隠れたりしては駄目。その時は辛いだろうけど笑顔でお手々を見せてあげてちょうだい。そして『小さい時に火傷してしまったの。お父ちゃんは私を抱っこしてねんねする時、この短い手を丸ちゃん可愛い、丸ちゃん可愛いとなでてくれるの』と話しなさい。いい?」

彼女が「はい」と元気な明るい返事をすると、園長先生は彼女をぎゅっと抱きしめて、声をころして泣きました。彼女も園長先生の大きな懐に飛び込んで三年ぶりに、声を限りに泣いたそうです。

故郷に帰って小学校に入った彼女を待っていたのは案の定「その手、気持ち悪い」という子供たちの反応でした。しかし、彼女は園長先生との約束どおり、腕を見せては「これは丸ちゃんという名前なの」と明るく笑いました。すると皆うつむき、それから誰もいじめる子はいなくなったといいます。

私が教室で愛語について話した時、彼女は酒井先生は愛語という言葉があると黒板に書いて教えてくれたけど、園長先生が私にしてくれたお話がまさに愛語だったのだと思います

と感想を語ってくれました。 

彼女はその後、大学を出て「辛い思いをしている子供たちのために一生を捧げたい」と

千葉県にある肢体不自由児の施設に就職。いまでも時々、写真や手紙などを送ってくれています。

<引用終了>


私達の周りには色んな人が居ます。いろんな個性の人もいます。身体の強い人、弱い人もいます。そして時々人は、他の人が、自分と違う。何か違和感があると言うだけで、

・差別し、

・排除し、

・時にはいじめまですることもあります。

これは悲しいことですが、厳然たる事実です。

その結果、傷つき、涙を流している人もいます。そして、それを行った本人も、実は同じだけ傷ついています。ご自分の良心に反する事をしたのですから、自分自身の神様の心が、それを良しとしないのです。

ですので、それを繰り返すと、自分自身の心がすさみ、結局、自分が不幸な道を歩むことになります。

そして、その不幸な道と言うのは自分だけでなく、身近な人にまで影響を及ぼします。

ですから、良心に反する行為と言うのは、あまり軽く考えていると、大きな落とし穴にはまってしまいます。

もちろん、それに気付いた時に、反省し、方向転換すれば、いつでも許され、元に戻れるでしょう。神様は裁きませんし、愛そのものだからです。

私達は色んな個性が居る世界に生きています。自分がそうして欲しいように、他人に対しても、その個性を認め、ブッダが言うようにいつも、笑顔で、愛のある、思いやりのある言葉を使いたいものですね。

みんなが そのままの、ありのままの自分でも、生きていていいんだよって そう思える、

優しい社会にしたいものですね。 

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。それが自分の身を助けることに繋がります。


 

2021年5月7日金曜日

2324 「世の中の仕組み」2021.5.7

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年04月30日「世の中の仕組み」

と2021年05月01日「神々の厳しさと優しさ」の2つの記事を紹介します。


「世の中の仕組み」

今日は「世の中の仕組み」ということで斎藤一人さんのお話をご紹介します。 

 

<転載開始> 転載元

 

不幸な人って、「私にはあれがない」とか「これができない」とか、“自分にないもの”に焦点を当てようとするんです。


 そうではなくて、「私にはあれがある」「これもできる」とか、“自分にあるもの”に焦点を当てたとき、人は幸せになるんですね。

人間には“業(ごう)”ってものがあるの。それは神様が与えてくれたものなんです。

だから、その神様の与えてくれたもので、幸せになるの。

顔なしは欲望のままに次々と欲しがり、飲み込み、どんどん巨大化していきました

ポーカーでも、配られたカードにいちいち文句を言ってると勝てないんです。

配られた手でどうやって勝とうか、って考えないと勝負には勝てません。

何かハンデを持って生まれてくる人がいるんだけど、そういう人は魂的に優秀な人が多いんです。それで実際、まわりの人は「困るでしょう?」って言うけど、それほど困らない。

「私、足が遅いんです」って言う人がいるけど、車の運転ができてポルシェにでも乗れば、

その人は時速200キロだって出せるんだよね。

だから人はそれぞれ、得意なことを一生懸命やればいいの。それで苦手なことは必ず誰かが助けてくれるから。人はそうやって助け合い、補い合って生きていくものなんだよね。

それを不得意なことを無くそうとかってやっていると、大切な人生の時間があっという間になくなっちゃう。それより、得意なことで、みんなのお役に立てればいいんだよ。

<転載終了>

  

神さまは、私たちに、いつ、どこで、何が必要なのか、全てを知っていらっしゃいます。

ですから、何時でも、私たちに必要なものは、既に周りに準備されています。

一人さんは、子供のころより、この神さまの存在を身近に感じていました。 

一人さんは、こうも仰っています。

 

神さまが与えてくれないものは、いらないものなんです。それがわかっていないから、

三倍も五倍も努力してもできなくて、ダメ人間だと自分に烙印を押してしまう。

神さまは、既にあるもの、与えられた環境で、自分にしか咲かせられない、個性的な花を咲かせてごらん。 

そう仰って、私たちを今の立場に置いて下さいました。私たちが今置かれている環境こそが、

その場所で、私たちが光り輝ける場所です。

この世は本当は、裏返しの構造である・・ と言われます。 

人間の考える、幸せ、不幸せ というのは、神さまや仏からはまったく逆さになって見える、ということです。

  

私たちが、

・これが無いからできない。

・これが手に入ったら、行動を起こす 

そう言って、無いものをねだり続ければ、結局は、何もしないまま、人生は終わりを迎えることでしょう。そして、亡くなる時にきっと後悔することでしょう。  


またもう一度、同じ目標を掲げ、この地球に戻って来なければならないかもしれません。 

私たちが、神さまが用意してくださった、今の環境、立場でみんなに感謝し、「ありがとう」の言霊を使い続ければ、きっと、沢山の「感謝の波動」を持った仲間が集まってくることでしょう。そして、私たちと協力し、神のみわざを成すことでしょう。

 

私たちは、類は友を呼ぶ の法則通り、同じ波長の人としか交わることができないからです。

そして同じ波長を持つ者は、共鳴し、必ず惹かれあいます。

逆に不平・不満・愚痴や悪口ばかり言っていれば、それと同じ波長を持つ人たちが、周りに集まってくることでしょう。  


そして天に帰った時そこは心の世界ですから、生きている間以上に、同じ波長の仲間が集まり、共に暮らしていくことになるでしょう。どこかで、波長の転換が無い限り、それは続きます。 

できれば、感謝の気持ちを持ち、何時も笑顔で、前向きで、お互いさま、お陰さまの気持ちで優しく温かく、助け合っている人たちに囲まれて、生きて行きたいものですね。

それには、私たちが、そのような心持になる必要があります。 

出口王仁三郎やブッダが予言したとおり、2010年以降、世界は、精神性復活の時代に入りました。 私たちの心次第で、行き先が完全に分かれて行きます。私たちの住む世界は、私たちの心が決めているからです。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。それが自分の身を助けることに繋がります。



「神々の厳しさと優しさ」


先日、神々に降りて来ていただき、会話をする秘儀に参加させていただきました。 

この降神は、日本では古くは「手乞い」と呼ばれ巫女さんに神様が来られた時の徴(審神者)として使われたようです。古事記(国譲り)にも記載されています。

また相撲のルーツとされ、日本相撲協会のHPでも紹介されています。 

今回の秘儀は、神様に入っていただく方(中座と呼びます)と、神様に質問される審神者的な役割の方(前座と呼びます)の2名の先達で行われました。 

翌日、中座つまり神様に入っていただいた大先達に詳しいお話を伺ってきました。

まず神事の前に、禊(水垢離)をするのですがその時に、真言の効力で、冷たい水をお湯に変えます。 

このご神事は、相当なエネルギーを消耗します。今風に言えば、HPを大量消費します。

ですので、長時間は行えません。体力と、気力を奪います。 

ですので、質問される方も、

・ただの興味本位

・思い付き

・気軽な依存的な心 

であってはならないのだそうです。厳しいです。

そんな内容に、神様は興味がありません。


 本来は、前座の役の方が質問者の、質問を承って、仲介役として、中座の神様に質問します。

ですので、中座の方は、質問者の質問を一旦ここでフィルターにかけて本当に神様に質問させていただいてよいものかどうかを取捨選択する必要があるのだそうです。 

・あれしてくれ、これしてくれ

・どちらの道を選べばよい?

・病気は治るか?

・いつ死ぬか?

などは、本来は神々に質問することではないようです。

そして、神々は優しいです。そして全てを知っています。質問者の、全ての過去世と、現状と未来世までも。 ですので、将来起こりうること全てを分かっていますが、質問者が気に入るようなお答えはしません。 また、質問者を絶望させるようなお答えもしません。 

神々のお答えは、それこそ良寛さんの愛語のようなものです。 

・人を温かくする言葉、

・明るくする言葉、

・優しい気持ちにする言葉、

・励まし続ける言葉…

このようなことしかお答えにならないのだそうです。

質問者の未来に、どんな状況が待っていようともそれが人間的には「悪い出来事」であっても神々にとっては、その出来事を乗り越えてこそ、その先に幸せがあることが分かっていらっしゃいますから、絶望させるようなことは仰いません。

全て、その方の心に勇気の火を灯す言葉だけをお答えくださいます。

優しいです。何者をも包み込む、絶対的な愛です。

ですから本当は、わざわざ神々の前に来て相談する必要もないくらいです。

神々は言わなくとも、全てを知っており常に、私たちとともに居り私たちの幸せのために働いてくださっているからです。それでも、私達、一般の凡人は日々起こる、いろいろな出来事に一喜一憂し、取り越し苦労をして悩み、苦しみます。 

誰かにすがりたい神様にすがりたい気持ちを持つのも当然のことです。ですが、本当は質問する前から、神様の答えは決まっているのです。私たちが判断して決めたほうで良いのです。

どんな状況が私達の身に降りかかろうとそれは、神々が、そうなることを許された出来事です。その苦難を経験することで私たちの魂は鍛えられ、輝きを増すことができます。

その先には、大きな幸せと喜びが待っています。その苦難の中で、神々や関わってくださっている方々に感謝すること、嫌な役を引き受けてくださっている方に感謝すること。

「ありがとう」の言霊を何万回繰り返すのでも構いません。

 人の嫌がる仕事を率先して引き受けることでも構いません。

 そうこうしているうちに、苦難は過ぎ去っていきます。穏やかな心に戻れるときが、絶対に来ます。 

あの悔しかったこと 悲しかったこと 寂しかったこと 全てが、自分の心を深く、豊かにしてくれたことに気づきます。

どうか勇気と希望を失わないでください。必ず、夜は明けますから。 

今回、この秘儀に参加させていただいたことは、非常に幸運でした。

そして神々のお気持ちを伺うことが出来、また今までこのブログで書いてきた内容に間違いがなかったことを確認できた経験でした。ご教示くださった神々に感謝申し上げます。



2021年5月6日木曜日

2323「現象化する言葉」2021.5.6

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年04月28日「現象化する言葉」

2021年04月29日「言葉の贈り物」の2つの記事を紹介します。


「現象化する言葉」

今日のテーマは「現象化する言葉」ということで、小林正観さんのお話を紹介します。

<引用開始> 引用元


「言葉が現象化する」と言うと、多くの場合、誤解されている部分があるようです。

「こうなりたい。ああなりたいと口に出して言うと、それが実現する」という誤解です。

「言葉が現象化する」というのは、たとえば、神社仏閣に行って、良縁祈願というものをお願いしたとします。

・いい人と出会わせてください。

・いい人と結婚したいのです。

・素敵な人と出会わせてください

と100回お願いをしたとします。

そうすると、その言葉をまた言いたくなるように現象化します。

つまり、いい人や素敵な人にはいつまでたってもなかなか出会わない、という現象が起きるのです。

同じように「商売繁盛をお願いします」と千回行ったとします。千回それを言ったことによって、また同じ言葉を千回言いたくなるように現象がセットされます。

言ったとおりの言葉をまた言いたくなるように、言った数と同じ数だけまた言いたくなるように、宇宙では現象化が始まる・・・というものです。

聖書の中にこんな言葉があります。

「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なりき」

「言葉は現象化する」という宇宙の大法則を述べたもののような気がします。

これも、その言葉を言ったらその言葉が実現する、というものではないと思います。  

「言葉が現象化する」というのは、「その言葉をまた言いたくなるように、現象がセットされる」というふうに、私の認識の中ではとらえられました。

これは神社仏閣に行ってお願いごとをする、そういうことを要求するということが、ほとんど意味をなしていないということにもつながっています。

では「言葉が現象化する」、つまり「その言った言葉をまた言いたくなるように現象がセットされる」のであれば、最も効率の良い言葉は何でしょう。

たとえば「うれしい」という言葉を一年間に千回言ったとします。そうすると、その「うれしい」という言葉をまた千回言いたくなるように、来年は現象がセットされます。

「楽しい」という言葉を二千回言ったとします。その「楽しい」という言葉をまた二千回言いたくなるように現象がセットされます。 

「幸せ」という言葉を年間三千回言ったとします。その「幸せ」という言葉を年間三千回言いたくなるように現象がセットされます。

一番効率の良い言葉は、

・ありがとう

・ありがとうございますです。

「ありがとう」「ありがとうございます」という言葉を年間一万回言ったとします。

そうすると来年

・ありがとう

・ありがとうございます

という言葉を、また一万回言いたくなるような現象がセットされ、次々に降ってくるのです。

・うれしい

・楽しい

・幸せ

・ありがとう

という言葉を、何千回何万回と宇宙に向かって言ったとすると、その言葉を同じ数だけ言いたくなるように宇宙の現象がセットされます。

そして、

・うれしい

・楽しい

・幸せ

・ありがとう

と言いたくなるような現象が降ってくるのですが、それがどんなことであるのかは、わかりません。

だから楽しいのです。おもしろいのです。そして、ワクワクします。ドキドキします。

このワクワク感、ドキドキ感というのは、何にも代えがたいおもしろさであり、楽しさです。

<引用終了>


これはまさに「波動の法則」そのものです。自分の今、全宇宙に発振している、周波数(波)が、どこかの誰かに必ず共振現象を起こし、その波長にふさわしい現象や人を引き寄せる・・

そういうことです。

「何々してください」という祈り、願いは飢餓感、欠乏状況の波動を発信していることになります。飢餓感、欠乏感のある人に受信され増幅され、ますます、その状況が拡大して自分に戻ってくることでしょう。

ですから、「ありがとう」という感謝の心はどんな時も、重要な役割を果たします。

「ありがとう」と感謝の心を持つ人には感謝の心を持つ人が呼応しあたたかな人、現象

救援、救助の手が差し伸べられることでしょう。

それに対し、

・良い人と出会い、結婚さえできれば

・お金さえあれば、お金ができてから・・

・時間さえあれば

・病気さえ治れば

そのような、他人や、物に依存する心を持つ人現状に不平不満を持つ人には、同じ波長の人が、その波をキャッチして周りに集まってくることでしょう。ますます、同じ波長、現象が強化され、固定化してしまいます。

神々の恩寵は、人間の「感謝の心」を媒介にして現象化するといわれます。どんな状況かであろうと「ありがとう」と感謝の心を持つ人は同じ現実の中にあっても、神さまの光に包まれ、幸せな人生を送っていることでしょう。

それが、空海が教えてくだ会った「即身成仏」つまり、生きている間に

・天国に住む

・地獄に住む

ということです。

生きながら地獄に住む人とは常に心に

・不平不満

・愚痴

・悪口

・疑心暗鬼

の心を持つ人です。

生きている間に「地獄」に住んでいらっしゃる方は亡くなったからと言って、天国に行くわけではありません。

心の状態そのものが、肉体亡き後に自分の周りに現象化するからです。

逆に、同じ環境に置かれていようと、「ありがとう」の感謝の心を持つ人は、亡くなった後、直接天国に直行しあたたかな心の人たちに囲まれ、幸せな境遇に暮らすことでしょう。

それほど、心の在り方、、というのは大切なことです。

どんな時も、どんな境遇に置かれても

・うれしい

・楽しい

・幸せ

・ありがとう

の心でいたいものですね。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。 周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。それが自分の身を助けることに繋がります。



「言葉の贈り物」

今日は、「言葉の贈り物」ということでお金が無くとも、いつでも、どこでも、簡単にできて自分も、人も一瞬で幸せにしてしまう方法をご紹介します。

小林正観さんのお話からどうぞ、

<引用開始> 引用元

 

自分の口から出てくる言葉が、 

・温かい言葉、

・人を優しくする言葉、

・明るくする言葉

でしかないように、自分の口から出てくる言葉を彩(いろど)りたい、って考えた人がいます。良寛和尚(りょうかんおしょう)という人です。

良寛さん。この人は幕末の人で1831年に74歳で死んだんですね。

非常に貧しい乞食坊主だって自分で言ってまして、自分は人に対して物やお金を贈り物として与えることが全然できない。でも、いつも人に対して何かを贈りたいと思っている。

では、自分に贈れるものは何か。それは「言葉」である、っていうふうに言っていた人なんですね。

自分の口から出てくるすべての言葉が、人を温かくする言葉、そういうものでありたいって

心に決めて生きてきた人だったんですが、この思想を「愛語(あいご)」と言います。

私は、それを聞いてハッとしまして、それまで「“不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句”を言わないようにしましょう」と言っていたんですけど、良寛さんのこの話を聞いたときに、

それらを言わないだけではなく、それをゼロにするだけではなくて、私の口から出てくる言葉は、はっきりとした自覚をもって、 

・人を温かくする言葉、

・明るくする言葉、

・優しい気持ちにする言葉、

・励まし続ける言葉… 

そういうものしか、もう自分の口から出てこないようにしようって決めたんです。

で、それを続けていくと、これまでも私は友人・知人にすごく恵まれてきましたが、その人間関係の厚みがもっと増した気がしてるんです。

そういうものだけで自分の言葉を彩るって今日から決意をすると、人間関係が多分変わってきます。

自分の口から出てくる言葉全部が、人を温かくするものとする・・そう決めて、その言葉を贈り物とする人は、豊かな人っていうんですね。

お金や物っていうのは、あげてしまうと自分のところからは無くなります。でも、言葉というのはいくら出してあげても、無尽蔵に存在するものなんです。と同時に、それを外に出さない限りは持ってないのと同じなんです。言葉は、出せば出すだけ贈り物になる。

出して初めて存在が確認されるんです。だから、心の中でいくら思っていても、それは出さなければ絶対、贈り物にはならないんです。

「今日はそのネクタイ似合ってますね」って思ったら言ってあげる。

「今日はそのスーツ素敵ですね」って思ったら言ってあげる。

それが、その人を励ましたり、勇気づけたり、元気づけたりする言葉であるならば、全部それが贈り物になるってことです。

で、そういう言葉を贈り物にできる人が、実は本当に豊かな人になるんですね。いくら出しても無尽蔵に存在するものを私たちはたくさん持っているんですから、独り占めはしないでくださいね。あなたの出す温かい言葉は、すべて贈り物なんですよ。たくさんの贈り物を届けてあげませんか。

<引用終了>

 

どうですか?なんだか簡単そうすね。普段から「愛語」を心がけていると近寄ってくる人が、みんな温かで親切な笑顔でよって来てくれます。みんな善意の心で、味方になってくれる人です。 

それは、自分が発した心、同じ波長の人が引き寄せられたからです。そんな笑顔の人達に囲まれているともう幸せと、感謝しか感じられなくなります。

どうぞ、実験してみてください。本当のことですから。私は、もうやって見ました。

この宇宙では、何事も、そうなのですが、棚から牡丹餅は、ありません。待っていて、突然幸せが向こうから歩いてくることもありません。全ては、自分が出すことが先です。

自分が、外に発信したもの

・笑顔

・お金、寄付、喜捨

・優しさ

・愛

・思いやり

・援助

全て、先に自分が出すことで空いたエネルギー空間を埋めるため無(宇宙)からエネルギーがやってきます。それは、自分が出したものと同質のエネルギーです。

そして、それは倍になって自分に帰ってきます。まず、自分からアクションを起こすこと

これがミソです。 

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。それが自分の身を助けることに繋がります。


 

2021年5月5日水曜日

2322「徳を積む意味」2021.5.5

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年04月27日「徳を積む意味」と2021年04月26日「心を洗う挨拶」の2つの記事を紹介します。


「徳を積む意味」

このブログでも何度も角度を変えて、徳を積むこと、それも、陰徳を積むこと。

そして宇宙の法則である、与えたものが、受け取るものというお話をしていますが、今日は、浜松医科大学名誉教授の高田明和(あきかず)さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 


何か他人に尽くし、それがその人に感謝されなくても、私たちの業に貯金されますから、そこから褒美が返ってくるのです。運がよくなり、評判がよくなるのです。これは、他人に嫌なことをした場合も同じです。

私も他人の悪口をいったことがあります。不思議なことにそれが回り回って、自分の耳に返ってくるのです。まるで一周回ったかのようです。そしてその悪口が本人に聞こえたかのような結果になりました。

その人と私の関係が悪くなったのです。それが「悪因悪果(あくいんあっか)」です。このように、人の行い、人の言葉というのは、因縁の渦の中で回り、最終的にはすべて自分に還ってくるのです。

偶然助かったとか、あれが起こったら大変なことになったのに起こらなかった、などと胸をなで下ろした経験はないでしょうか。一方、その大変なことは別の人には起こっているのです。だから、自分にそのことが起こらなかったと安堵するのです。じつはこれは、私たちがなした徳の結果がこのように表れたのだと思っています。 

何か他人に尽くした時に、すぐにお礼をいわれ感謝されるのと、万一の偶然に、奇跡的に助かるのとどちらがよいでしょうか。もちろん後者でしょう。

このように考えると、自分が他人にしたことが、他人にはあまり理解されず、感謝もされないけれども、徳を積んだおかげで、自分や家族に不運が来ない方がはるかに恵まれていると考えないわけにはいきません。

ですから、「恩を仇で返された」などと怒ることはないのです。恩を与えたその人などはたいしたことはないのです。もっと重要なことで幸運に恵まれた方が どのくらいよいかわかりません。

何かをする時に相手に感謝を求めるよりも、それが自分の幸せになると考えるべきです。

<引用終了>

  


 宇宙の法則 

投げかけたものが返ってくる。投げかけないものは返ってこない。

愛すれば 愛される。愛さなければ 愛されない。

嫌えば 嫌われる。嫌わなければ 嫌われない。

裁くものは裁かれる。裁かないものは 裁かれない。

意地悪をすれば、意地悪をされ、蔑(さげす)めば、蔑まされ、

罵(ののし)れば、ののしられ、強い言葉を吐き出せば、強い言葉を返される。

許すものは 許される。許さないものは 許されない。

施せば 施される。優しくすれば 優しくされる。笑顔を向ければ、笑顔が帰る。

助ければ、助けられる。励ませば、励まされる。

勇気を与えれば、勇気づけられる。感謝すれば、感謝される。

誰かに何かして欲しいことはありますか?

・優しい言葉をかけて欲しいですか? それなら誰かに優しい言葉をかけてください

・笑顔を見せて欲しいですか? それなら誰かに笑顔を見せてください

イエスの語った言葉で一番大切な言葉。。「イエスの黄金律」と言うものがあります。

そこにはこう書かれています。

「自分がしてもらいたいことを、他の人にも、同じようにして あげなさい。」

これは何も独りよがりの善意の押しつけをしなさいと言っているのではありません。

自分の目の前にいる人が、今何を必要としているか、想像力を働かせて察しなさい。

そして、その通りにしてあげなさい。

そう、仰っているのです。この中で、何か、ご自分でもできそうなことがありましたか?

ただ、自分がして欲しいことを、周りの人にして差し上げるだけなんです。

自分がして差し上げる相手は、身近に居る、誰でも構いません。

巡り巡って必ず自分に帰ってくるようになっていますから。

投げかけたものが返ってくる投げかけないものは返ってこない。

 


夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。 

それまで命を繋いでください。周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。

 


「心を洗う挨拶」

今日は小林正観さんのお話をご紹介します。

相手の反応に左右されず、自分の心を律し、あいさつをすることは、とても良い心の訓練であり、心を清浄化し、徳を積むことにつながるというお話です。 

・世の中がどのように変わろうと、

・神々による、建て替えが起ころうと

・天変地異が起ころうと

・次元が変わろうと、

最後は、平凡な一般の私たちにとって、

心が浄化されているかどうか?

それだけが問われるからです。

それは、今生きている間の幸せも肉体を脱いで天に帰った後の幸せも、全てがそこにかかっているからです。

<引用開始> 引用元 


『中陰の花』で芥川賞を受賞された玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんは、臨済宗のお寺の僧侶でもあります。その宗久さんが、天竜寺で修行をしていたときの話です。

毎朝宗久さんが廊下の拭き掃除をしていると、庭先から「おはようございます」と、にこやかな笑顔で挨拶をされる作務衣(さむえ)姿の方がおられました。

宗久さんは、当初はこの方がいったい何者なのかわからず、ただ、毎朝爽やかな笑顔で挨拶されるので、とても感じのいい人だとは思っていたそうです。

後でわかったのですが、この方が天竜寺の貫長(かんちょう・最高位の方)でした。この貫長さんは、毎朝決まった時間に天竜寺近くを散歩されていたそうです。

そのときに毎日出会う人がいました。その人に対して、貫長さんは毎日同じように「おはようございます」と挨拶をして会釈をなさいました。

しかし、声をかけられた人は、無視をして一切返事をすることがなかったといいます。

しかし貫長さんは、相手の笑顔や挨拶が返って来ようが来るまいが関係なく、毎朝笑顔で「おはようございます」と言い続けたのだそうです。

三年経ったある日のこと。いつものように「おはようございます」と笑顔で挨拶した貫長さんに対して、その人はついに「おはようございます」と声を発しました。

  


そして、言い終わった後に、「ごめんなさいっ」と、がばっとひれ伏したというのです。

この人の心の中に何があったのか推測するすべはありません。推測することも無意味なことでしょう。


何があったのかということは大した問題ではなく、大切なのは、かたくなに挨拶を拒み続け、

視線を交わすことさえしなかった人に対して、一ヵ月や二ヵ月ではなく、三年もの間、笑顔で「おはようございます」と言い続けた人が世の中にいる、という事実です。

その結果として、そのかたくなに人を拒み続けた人が、ついに心を開き、涙ながらに「ごめんなさい」と謝ったというのです。

貫長さんは、返事をしなかったことを責めていたわけではありません。ただ自らの生き方として、相手がどういう態度であろうと関係なく「おはようございます」と言い続けた、ということに徹した、ということだと思います。

「これほど自分が挨拶をしているのに、返事をしないとは何事だ」と言うのは簡単でしょうし、一般的な反応かもしれません。しかし、それは挨拶している意味がありません。

挨拶をすることで結局ケンカを売っているのでは、何にもならないでしょう。

その人に「おはようございます」と声をかけることは、貫長さんの側からすると「自分の勝手」ということであったのかもしれません。

自分が行として、ただそのように毎日を送り、そういうことに徹し、相手がどのような反応であろうと関係なくそのように生きる、という姿であったのでしょう。

宗久さんが語る貫長さんの姿は、とても爽やかで、清々しいものでした。

<引用終了>


私たちは、相手から善意を受ければ、無意識に善意を返す・・ という「好意の返報性」を持っています。それと同じく、全く反対に相手から、悪意や無視といった態度をとられると

無意識に、同じものを返してしまいます。 

ですが、この天竜寺の貫長(かんちょう・最高位の方)さんは、違っていました。

相手から例え、何年も何年も、無視され悪意を返されようと、自分の心にまで、悪を入れず、

心を汚すことなく、ぶれることなく、毎日毎日、善意を施しました。 

これは、相当難しいことです。

・自分の心を律する必要があります。

・相手の態度に左右されないという強い心が必要です。

そしてどんな時も、相手に、自分の中の最上のもの

・愛

・優しさ

・いたわり

・思いやり

・深い共感

・笑顔 

を向け続けるという訓練になります。

このように、私たちは、日々の暮らしの中において、神様が置いてくださったこの環境の中において、心を、清め、神様のような心になる訓練をすることができます。 

自分の身近な周りの方々に、いつも、笑顔と優しさを伝えていきたいものですね。




2021年5月4日火曜日

2321「五輪とコロナと幻想ホログラム後編」2021.5.4

 前回2320の続き「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2021年4月24日記事を紹介します。


五輪とコロナと幻想ホログラム(後編

澤野大樹氏へのインタビュー『五輪とコロナと幻想ホログラム(前編)』からの続きです。

https://ameblo.jp/riyanmichaki/page-2.html

 

――因縁の解消ですか?


彼らは「ひとつ」であるヤハウェから自ら離脱した歴史があるわけ。ヤハウェを裏切った歴史だね。そしてさらに、洗礼者ヨハネを利用した上で、葬り去りましたね。そして、あろうことか、この世に別次元の宇宙、低層四次元領域から「別の神」を入れちゃったわけでしょ。

それがゆえ、彼らはヤハウェに呪われた民族として、日陰を歩かされ、国の地下で蠢くしかなかった。彼らはそんな状況を解消したい。

 

――どのように解消するというのですか?


つまり、彼らはヤハウェに謝罪するのではなく、ヤハウェを抹殺するという選択をしたわけ。

 

――うわあ。


つまり、この世自体を低層四次元化させてしまおうとしてる。で、ヤハウェの方を外様として、傍系に追いやろうとしているわけです。これ、つまりヤハウェに対して憑依しようとしているってことです。

 

――その完成が2021年だった……


彼らは日本侵略完了だけではなく、世界支配完了までも欲した。それはまさに「ソロモン王南ユダ2部族バビロン捕囚 オカルト神秘主義カバール弥生徐福秦氏 ナチュラルスピリチュアル低層四次元 大本系グローバリスト八紘一宇満州 関東軍ISISウイグル清和会日本会議」として、あらゆる出自、血筋を偽装して、この日本に深く蔓延った者たちによって

完成されようとしていた。

 

――ウイグルもですか!?


ウイグルはイスラム教徒でしょ。イスラム教徒、パレスチナ派を教化し、世界共産革命分子として育て上げたのは誰よ?

 

――「○○○○!」(ピー音)


だから彼女を支援した彼が、カバール皇帝の祖父なのよ。だから長州の服屋さんはスーピマコットンを生産するわけですよ。

 

――無印良品は?


無印良品は元々西友のPBとしてセゾングループ堤清二氏が立ち上げたもの。セゾングループといえば伊藤忠ファミリーマート、伊藤忠といえば、シベリア抑留満州関東軍瀬島龍三でしょ。幾つもの山や河を越えて来た人だね。堤清二氏は堤康次郎の次男。堤康次郎氏といえば「プリンスホテル」。プリンスホテルといえば、旧赤坂プリンスホテルの「旧李家王家邸」ね。そして、戦後の自民党清和会本部は、この旧李家王家邸の中に置かれていたわけでしょ。

じゃあ「西友」って何よって話でしょ?「西の友」ですよ。日本の西側にある友達っていう意味でしょ。じゃあ「プリンス」って誰のことよって話でしょ?死んだはずの王子は生きていたってことでしょ。つまり、長州の服屋さんも、無印も、計算上は「ウイグル側」に分類されるということです。つまり、カバールDS江沢民側だということ。だからネトウヨたちは、ウイグルを弾圧する習近平が許せないというわけ。

 

――これは初めて聞きました。


誰も言っていないだろうからね。

 

――ということは、


カバールDS江沢民氏とは何者なのですか?日中戦争時代に上海(江蘇省)では抗日テロが多発していました。これを何とかしようと、大日本帝国軍は、上海に工作機関を設立しました。それが特務工作機関「ジェスフィールド76号」です。このジェスフィールド76号に育てられたのが江世俊という人物で、この江世俊の息子が江沢民ですよ。

 

――スーチーさんと同じような図式ですかね?


これは別に特ダネ裏情報などではなく、普通に公開情報ですよ。江沢民は大日本帝国軍の対重慶特務工作員の大日本帝国軍側の工作員で、父の意思を引き継いでいます。つまり、江沢民とは、大日本帝国派だということ。

 

――ということはいろいろ捉え方が違ってきますよね。


その江沢民は今や、中国カバールDSの代表と言われているわけでしょ。じゃあ、その江沢民を生み出した元の元はどこの誰よ?って話になるでしょ?

 

――そういうことになりますよね。


そうそう。だから江沢民氏は、日本語ペラペラなんでしょ。そんな江沢民勢力と戦っているのが習近平氏だということです。そして習近平と協働しているのがトランプ氏なのだということでしょ。ということは、トランプ氏と習氏は、誰と戦っているのか?ってことでしょ?江沢民氏の背後にいる、「あの勢力」と戦っているということです。

 

――それが「カバールDS」の正体、といいますか、でもこれって、誰も言っていないですよね?


「日本は最後の最後」だということの、本当の意味が、こうしてわかってくるというものです。今、ネットや動画サイトでも、カバールDSを扱ったものは非常に多いですが、カバールDSの「本質」については、ほぼ誰も触れていないのではないですか?

 

――外国のDSについてはたくさん情報はありますが、日本のDS情報については、なんかはぐらかされているような感じがします。


それは当然ですよ。日本でカバールDS情報や、トランプ応援団をやっている人たちの多くは、日本のDS側ですからね。でもその人たちはじつに「声が大きい」のです。

 

――やはりそうなのですね。


突然としてたくさん湧いて来ましたからその不自然さに違和感を覚えていました。2000年に当時の経世会小渕首相が「突然の病」に倒れ、その後を継ぐように首相に就任したのが、森喜朗氏だったわけです。この森首相就任は、清和会にとっては福田赳夫氏以来22年ぶりということで、森氏はまさに清和会の最大の功労者となった。その森氏が東京五輪の会長だった。

 

――東京五輪には、私たちの知らない「別の意味」が込められているのですね?


森氏首相就任の翌年2001年には、ニューヨークで「911テロ」という神風特攻事件が起き、その直後には二度にわたって、ニューヨーク、フロリダ、ボストンにある、マスメディアや上院議員に炭疽菌の入った封筒が送りつけられました。

 

――毒物、薬物、テロの専門家がこの時期から急速に台頭してきたのですね。


そうです。ということは、さあ、世界は誰と戦うことになったのか?という話ですよね。

戦後、米軍は日本からある「実験データ」を取り上げ、フォートデトリック研究所や、ダグウェイ実験場にそれを移しましたね。では、その「原点」はどこにあったのか?ということです。

 

――「よろずの州(クニ)」ですよね?


そうそう。戦後の日本、日本人、日本国民の多くが、見なかったことにして、目を瞑ってきて、臭いものに蓋として、知らんぷりしてきたものが炙り出され、そして掃討されていくことでしょう。

 

――だって誰も言いませんものね。


多くの人たちが、いろいろな情報を集めて、「これがカバールDSだ」と思ってきたものと、本当のカバールDSというものが、だいぶ違うということがわかってきます。多くの人が、

「えっ!?そんなの聞いてないよ」というものが可視化されてくるでしょう。

その本物のカバールDSというものが、戦後の世界において、水面下できわめて大きな影響力をもって存在してきたのだということのあらましやメカニズムといったものが初めて表に浮上してくると思います。

 

――だから澤野さんは、「日本は最後の最後」だといって、警戒していたのですね。


そのとおりです。トランプ氏によるカバールDS掃討作戦は、少なくとも、この2001年の段階で、すでに余裕で動き始めていたと私は見ています。また、ダイアナ妃が「亡くなった」とされたのが、1997年8月31日ですから、時期的にもこのあたりから本格化したのだなとなんとなくわかります。私は「亡くなったもの」だと思っていましたが、まさか生きたまま転送されていただなんて想像だにしませんでした。

 

――ずいぶん昔から動いていたのですね。


カバールDSによって世界共産暴力革命が起こされ、世界が「統一」されていくという計画と、それは絶対に許さないという、トランプ氏たちの反カバールの動きが拮抗しながらギリギリのラインでずっと戦われていたということだと思います。

 

――通常の人類には内緒にされたまま、掃討作戦は水面下で行われていて、その大部分はすでに完了したため、これまでの経緯を再現VTRで見せているわけですね。


そして、その最終仕上げは、なんと「生中継リアルタイム」だということ。それがなんと、この日本が舞台になるのだということです。

 

――どうなっていくのでしょうか?


彼らは純粋な東北縄文蝦夷北イスラエルを侵略し、乗っ取った。「征夷大将軍」「大和朝廷」という名で。そして近年では、「明治新政府」という名前でね。

こうしてソロモン王以来、3000年に亘って、彼らはこの世界に幻想を張り巡らせ、人々を「罪人」と貶め、暴利を貪ってきたのです。しかし、そんな3000年に亘る幻想世界が、

それを上書きする形で提供されたトランプ氏による臨時代替幻想世界によって、すべて終わるのだということです。これはまさに、ロード・オブ・ザ・リングで言えば、「指輪」が捨てられたということだよね。

 

――そしてその最終舞台が、この日本なのだということですね。


はい、そうです。トランプ氏による世界カバールDS掃討作戦の本当の目的とは、この「日本」なのだということですよ。だから日本は「最後の最後」なのです。

でもまだ日本では「手付かず」のままの部分が非常に多いわけです。つまり「これから」起こる。しかも、世界中の衆人環視の中、満を持してそれは起こっていく。

 

――具体的にはいつ起きますか?


小池知事は、

4月25日から5月11日までの緊急事態宣言において、「20時以降は街頭の看板やネオン、

イルミネーションなども停止していただくようお願いする」と言いましたよね。まさに戦時の「灯火管制」です。つまり、このゴールデン・ウィーク期間は、「戦時中」だということです。

一般の人には、これはコロナ感染から身を守るための、緊急事態宣言だと発表されていますが、実際は、戒厳令を敷き、すべての住民に自宅待機、そして街の灯りをすべて消し、戦時なので酒を自粛させ、マスクをして静かに待機せよ。ということなのだと思います。

だから「コロナ」が必要だったのだということ。つまり、コロナ騒動そのものが、トランプ氏によるカバールDS掃討作戦の一環なのだということ。だから「マスク」にも重大な意味があるのだということが理解されてきます。これぞまさに、「10Days Darkness」なのではないかと思っています。つまり、「10日間の暗闇」とは、この日本で起こることだったのではないかと私は思えてならないのです。だから「最後の最後」だと。

 

――そのための「コロナ」だったということですか?


まさにそうです。「コロナ騒動」というものが、二重、三重の意味を纏っていて、すべての暗部を白日の下に晒し、本来の「均衡」を取り戻すためにアラハバキそのものなのですよ、

と私は言ってきました。

 

――つまり、コロナという騒動が起こることが第一目的であり、その真偽には特に意味はないということですか?


まさにそのとおり。大切なこととは、「コロナ騒動」というものが、全世界的に起こって、

それによって何が起きたか?その本質をきちんと見ることです。

 

――「コロナ」とは何なのでしょうか?


「コロナ」は「567」で「ミロク」ですから、それは「666」なのです。つまり、バチカン、ローマカトリックにとって、もっとも都合の悪い数字ですね。つまり、カバールDSにとって、もっとも都合の悪い数字が「666」です。バビロン系カバールにとって、もっとも都合の悪い存在とは何ですか?

 

――「ヤハウェ」の存在ですね!


まさにそのとおり!つまり「666」とは「ヤハウェ」のこと。つまり、今回のこの、新型コロナウイルス騒動という「現象」そのものが、「666」の降臨であり、「ヤハウェ」の降臨ということになります。

 

――じゃあ、コロナを悪く言ったらいけませんよね?


もちろんです。「666」は「ヤハウェ」でありながら、同時に、「人を指す」わけですから、

じつは「コロナ」とは、なんと「私たち自身」だということです。

 

――活字版「⑧」のラストの内容にここで繋がってくるのですね!


そう。衝撃的な結論になりますね。これには私もひっくり返ったわけです。

 

――これは本当に「衝撃」です。


多くの人は、これを受け容れないでしょう。これまで思ってきたこととほとんど真逆の内容ですから。

 

――これまでずっと澤野さんの講演会や文章を読んで来られたみなさんでしたらきっとわかっていただけると思いますよ。


そうですね。先ほど、「これから起こる」と言いましたけど、厳密に言えば、もう「起こった」のですが、その起こった中での登場人物に、実際に出演してもらって、事の顛末を説明する再現VTRがまさにリアルな「幻想」として、展開されていくのだと思います。

たとえば、24時間テレビで、番組の最後の最後に、きちんとタイミングを計算された中で、

感動的なマラソンのゴールになるようなそんな感じですね。すべてが計算された幻想なのですが、走った人はきちんとクタクタに疲れ切っているわけですよ。だからその完走の涙は本物なのね。でもそれも含めてすべて計算だということなのです。

それをわかった上で、トランプ氏による、カバールDS掃討作戦の「最終ランナー」は、富ヶ谷の「皇帝」なのです。この「皇帝」が追われた後、全世界の「本物の王」たちが帰還を始めることでしょう。かつての大日本帝国が、満州国に実現させようとした王道楽土は、

「五族協和」を標榜していました。 

その五色とは、「赤」「青」「黄」「白」「黒」の五色です。これはいわゆる「五色人」のことですね。地球全人類の根源とされる人の種類だと言われています。この「五色人」が、五輪の五つの輪とその色に掛け合わされているわけです。(※五輪は赤、青、黄、緑、黒)

だから今回の東京五輪は、彼らにとって、3000年の歴史を経た先に実現させる、王道楽土グローバル国の建国記念日の祝賀会なのです。今回の東京五輪というものが、表向きの意味とはまったく違う別の意味として、この国のカバールたちの間で、特別視されていることがわかると思います。

東京五輪には大きく4つの意味があります。まず第一は表向きの「大規模商業運動会」としての意味。次は、清和会最大の功労者である森氏を顕彰し、政治家としての有終の美を飾る舞台とすること。続いて、カバールDS世界共産革命の成功を祝い、王子の皇帝への就任を祝う式典として。そして、日本を「新しいエルサレム」として、バビロン系南ユダの末裔たちによる、大東亜共栄圏五族協和というカバールDSグローバリストが支配する国家として生まれ変わる大祝賀記念式典としての意味。

一般的には、第一の意味しか触れられないわけです。あとは、「金儲けしたいから中止にできない」「莫大な違約金を請求されるから中止にできない」とか言われていますが、彼らがお金儲けのために五輪を決行したいと考えていることは、第一階層の表面的な部分でのことであり、それは本質ではありません。

彼らは「狂信的な信仰」に基づいて、3000年来の悲願を達成させたいのです。それは金儲けとかいうレベルではない。ヤハウェを駆逐し、ヤハウェを上書きすること。それによって、

自らが犯した「罪」に対する原告を抹消すること。ここなのです。

つまり、トランプ大統領によるカバールDS掃討作戦と、それに含まれる「新型コロナウイルス」による世界的大惨事の演出は、すべてこの東京五輪というものの阻止をターゲットにしたものだったのだ、というまさかのシナリオに気づくことが大切だと思います。

  


――だから日本にはワクチンも来ないのですね。


そうそう。東京五輪がカバールDSの祝賀会ならば、日本にこそどこよりも早くワクチンを

送り届けなければならないはずでしょ。でもそうはなってない。これがわかると、じゃあワクチンは「悪」なのか?という根源的な問いに自問自答することになるのよ。すべてに意味があるのだということです。

 

――でも世の中はワクチンは危険だ!一色です。


みんなが言い始めたということは、いわゆる平均的知能の範囲内において、多数の理解が進んだということでしょ。つまり、その「真実」というものは、大衆向けに大幅にデチューンされたものだということ。誰にでもわかるように「調整」されたものだということ。誰もが「はっ!」とわかるわかりやすい「敵」とは、緻密に用意されたものです。

 

――ではワクチンにはどう対応したら良いのですか?


私はもう以前から「BCG」のことを言っています。BCGとはつまり「666の刻印」なのだよ、

と、何度も何度も言っています。で、コロナワクチンはそのBCGの刻印をキャンセルします。

 

――ではコロナワクチンは打たない方がいいのですよね?


そうそう。ただし、その「理由」が違うのです。すべては幻想としてトランプ氏からもたらされているものです。すべてには意味があるのです。「コロナに感染したら危険だ!」という人と、「コロナは嘘だぞ!」という人と、「ワクチンは危険だから打つな!」という人は、

根底ではみな同じなのです。

「コロナは危険だ」と言えば、幻想としての感染者数を増大させることができます。

また、「コロナは嘘だ!」と言えば、「そんなこと言っているから感染者が増えただろ」となって、幻想を強化することができます。

さらに、「ワクチンは危険だから打つな!」と言えば、これもまた、「だから言ったこっちゃない」というように、それに起因する感染者数の激増という幻想の演出を補強することになります。

どれほどの善意をもって、善かれと思って人々をリードしたとしても、それは「どこかの知らない誰かの夢」を補佐するエキストラ以上にはなれないのだということです。

 

――では私たちはどうすれば良いのですか?


その「幻想」の伝播にはまだ私たちが到底気づいていないような、まだ知らない深い意味があるのだということを知ることです。そして、今日申し上げたように、カバールDSの本当の正体というものが少しずつわかってきたのであれば、このコロナ騒動というものが、どこの、誰のために起こされているのか、ということの本質がわかってくるはずです。

でも、ほとんどの人たちは、カバールDSの本質をまだ理解していませんよね。その本質とは、「最後の最後は日本」と共に、明らかにされていくことだと思いますが、こうして先行的に理解できてきた人であるならば、なぜこの日本で、これほどまでに新型コロナウイルス騒動が拗(こじ)れ、世論を分かつほどの喧々囂々となっていることが理解できると思います。 

新型コロナウイルスによる、世界同時恐怖騒動の「目的」とは、この日本、そして、さらに「東京五輪」に関わるものだったのだということです。そして、その最終仕上げが、このゴールデン・ウィークにこの日本を舞台に行われる可能性がきわめて高いのだということを、

私は申し上げたいのです。

 

――3回目の緊急事態宣言ですからね。


「三度目の正直」となりますかどうか?多くの日本人が、ずっと目を瞑ってきたこと、無視してきたこと、見なかったことにしてきたことがたくさんあるのです。それらの多くはすでに「怨霊化」しています。それらを見なかったこととして、臭いものに蓋をしてきましたが、

それももはや限界に達しようとしています。ずっと燻り続けてきたこれら懸案を知らんぷりしたままで、覚醒だとか目覚めだとか気づきだとかはあり得ないのです。

 

――「覚醒」とひと言に言っても、そんなに甘いものじゃないということですね。


今回の「コロナ騒動」は、じつは、付け焼刃の「覚醒」を体験して、声高に叫び始めるノイジー・マイノリティを炙り出すための「幻想」なのだということ。

今、世間では、「コロナは危険だからマスクをしなさい!」派と、「コロナは嘘だからマスクなんかいらない派」が言い合いをしています。この二者だと思われています。

でも、私たちがまだ気づいていない、「もうひとつの選択肢」があるのだということ。

 

――もうひとつの選択肢ですか?


「すべてを理解した上で、マスクをして静かに待つ」ということです。これ、誰も言っていないことでしょ。まさにこれから戦時になるのです。「大きな声を出すな」ということ。

私たちは、まだ「マスク」の本質を知らない。これを前提にして、謙虚に事象を観察していくことが大切です。

そして、これから起こる「王の帰還」のこと。そしてその後に展開されていくであろう、

「666の時代」についての驚天動地の内容は、活字版原稿「⑧」にてご説明申し上げました。

今回のインタビュー内容は、「⑧」の補足的な意味も込めてお答えいたしました。 

またみなさんと共に学び、成長できますことを願っています。ありがとうございました!

 

――澤野さん、ありがとうございました!

 

実際の講演会も、前半からじわじわと、さらにさらに後半にかけてまさかの展開へと進み、怒涛のクライマックスを迎え、あっという間の5時間講義が終了してしまうという澤野式特有の様式美をご体感いただく構成となっております。

さて、今回のインタビュー記事は、いかがだったでしょうか。ゴールデンウィーク緊急事態宣言。これは、ただのコロナ対策などではなく、『10Days Darkness』戦時の灯火管制。 

戦後、75年が過ぎましたが、この世界を構成してきた既存の社会形態、常識という基盤が、

いよいよアラハバカれ、私たちは否応なしに大きな変革を迫られることになりましょう。 

世界史に確実に刻み込まれるであろう激変期において、いかなる事態に直面しようとも

『無知の知』を視野に入れた大局観を持って「見る」ということの重要性を受け取っていただけたら幸いです。



2021年5月3日月曜日

2320「五輪とコロナと幻想ホログラム前編」2021.5.3

 今回は「地球の中心で愛を叫ぶ」さんの2021年4月24日記事を紹介します。

 https://ameblo.jp/riyanmichaki/


「五輪とコロナと幻想ホログラム(前編)」


みなさん、こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。

早速、本題に入らせていただきますが、今回は、実際の講演会を体感してもらうべく、講演会ばりのインタビュー記事を更新いたします。

これは、澤野氏のご厚意によるもの。実際に、長年継続して受講してくださっている全国のみなさま、青森活字版原稿を購読してくださっている全国のみなさま、そしてブログ読者さまへの感謝の気持ちを込めてお届けいたします。

澤野氏にも、多次元講演会開催をご快諾いただき、心からの感謝を申し上げます。

では早速始めさせていただきます。

澤野さん、今回もインタビュー、どうぞよろしくお願いします。

 

――さて、大阪でコロナ感染者数が激増して、首都圏でもまた緊急事態宣言がどうのとか

言われておりますが、いかがでしょうか?

 

たとえ幻想や虚構であったとしても、それにはさしたる意味はなく、実際にリアルに「コロナ騒動」という現象が起こった以上、その現象は「ある」ということです。

 

――新型コロナウイルスが「ある」とか「ない」とかが問題なのではなく、現象として実際に世間を席巻しているというリアルの部分に意味があるということですか?

 

そうです。トランプ氏によるカバールDS掃討作戦が、果たしてどの時点から始まっているのか?ということを考えていきますと、それはずいぶんと時を遡らなきゃならない。

コロナの蔓延はもちろんのこと、コロナワクチンもトランプ氏側が用意した幻想であると考えなきゃスジが通らない。

 

――でも世の中はワクチンの是非について、大変な議論になっていますよね。

 

それはそのとおりですよ。だって、トランプ氏によるカバールDS掃討作戦は、それまでのカバールDSたちがやろうとしてきたコンテンツそのものを、そっくりそのまま利用する形で、「主導者」を入れ替えてカバールDS計画がそのまま進んで、実現しているかのように見せながら再演されているわけですから、当然ワクチンの話も出てきますよ。

 

――主導者が入れ替えられたとは?

 

便宜上、便宜上ね、多くの人類が演じさせられているどこか知らない誰かが思い描いた

「夢」のエキストラの世界を統轄する主導者を変更して、地球人類全体を、これまでのカバール側のエキストラから、ヤハウェ側のエキストラに変更したんだよね。

 

――私たちが生きるこの三次元世界というホログラムの幻想空間を独善的に牛耳ってきた勢力が取り払われて、本来の「元の世界」へと戻されたということですか?

 

そうそう。メロビンジアンがいたのよ。私たちがずっと当たり前だと思ってきたこの世界において、みんなそれぞれ己による確固たる選択だと思って疑わなかったあらゆる行動が、

無意識層において制御がかけられ、その幻想空間からは絶対に抜け出すことができなくされてきた。

 

――メロビンジアンはそれを制御してきたわけですね。

 

そうそう。どこかの知らない誰かが思い描いた夢の世界で生かされているのに、そんな誰かの夢のエキストラをやらされているのに、そのことに気づかず、その檻の中で「引き寄せの法則」だの、「成功法則」だのを唱えさせられてきた。

 

――すべては徒労だったと?

 

いや、純粋に正統に、因果の法則に則っていれば、叶うは叶うのだけれども、かなり希釈されたものにされてきた。しかもその希釈された成功を、正統なる成功であると思わされてきた。

 

――正真正銘の「本物」という境地を体得しにくい世界、成功を味わいにくい、達成しにくい世界に、レートが低く設定されていたということですね?

 

そういうことになりますね。でも、そういう世界がもう終わったのだということですよ。

それによって一般の人々は、この世の中に流れるあらゆる情報の中に「間違い」を発見する。

 

――ヤハウェ側のエキストラに変更されたことで何か違いはわかりますか?

 

ヤハウェは己自身なのだから、ヤハウェ側のエキストラになったということは、己が自由に思い描いた夢の世界で、己が主人公になれるということですよ。これが最大の違い。

 

――すると、それまでの古い幻想の世界はどうなりますか?

 

古い幻想の世界の上に、今回の新たな幻想は上書きされましたので、私たちの目からは、

古い幻想はまるで冗談かギャグのように、その綻(ほころ)びが見えてきます。

世の中のところどころに「あれ!?」という「間違い」が散見されてきます。

その「間違い」は、平均的な知能を持っている人であれば、誰でも気づくことのできるレベルにまで調整されているわけ。

 

――調整されているのですか?

 

そう。いきなりの移行は衝撃が大きいから、徐々に慣れさせていくという意味でも、これまでの強固な幻想を、コミカルに破壊していきます。しかしそれでも、多くの人はその「綻び」を見たとたん、「真実を知った」と勘違いしてしまいます。

 

――本当にシビアなのですよね。

 

その「綻び」や「間違い」は、手段であって、目的じゃないのね。でも、その勘違いというものも、じつは意図的に制御され、そうなるようにされているわけですよ。ホワイトハウスの壁紙とまったく同じことです。わざと気づくように加工されている。

そうして、多くの人々は、一時的な「全能感」というものを得る。その「全能感」は確かに

「私こそがこの世界の主人公である」というかりそめの「独立」をもたらすんだよ。

 

――その全能感からの「独立」は、プラスに働くのですか?それともマイナスに働くのですか?

 

これがじつは非常に大事なことで、トランプさんたちはそれを望み、そして想定した上で、

地球人類に壮大な「間違い探し」を提供したということ。トランプさんは人類にプラスにならないことをわざわざ提供したりしませんから、これは断然プラスに働くことを想定してのことだと思います。

 

――それなら良かったです。

 

そのかりそめの「独立」は、とても大きな効果を生み出すわけ。それまで人々は、まったく知らない誰かの「夢」の実現に無意識のうちに加担してそれをサポートしてしまうという

ボランティアのエキストラとして生かされてきました。

 

――はい。

 

だから、多次元世界の存在や、その圧倒的な桁違いの凄さを隠蔽され、

封印されてきたわけでしょ。

 

――私も最近やっとそれがわかってきました。

 

そして、現人神スーパースターという「偶像」を拝むことが本当の信仰であり、宇宙と繋がる秘訣であると信じ込まされてきた。そのことで、本来の「ひとつ」であるヤハウェとの

接続を遮断されてしまっていた。

 

――確かに世の中の多くが、形を変えた偶像崇拝だったんだということがわかってきました。

 

それは、「ヤハウェと私は関係ない」という、宇宙、神への冒涜を日常生活の中に自然に溶け込ませました。人類の多くが、無意識のうちに、善かれと思ってついうっかり、ヤハウェ、宇宙への冒涜を行ってきたのですよ。

 

――かなり限界だった、というか、ギリギリの状態だったのでしょうか?

 

ギリギリもギリギリよ。今回トランプ氏が全世界に見せている「幻想」というものは、これまで私たちが無意識に信じ込んできたそういった多次元的呪縛から解放するためのものです。それはカバールによる幻想ではもはやない。これまでカバールが張り巡らせた幻想に、

そっくりそのまま主導者を入れ替えたんだよ。そして、その幻想の行く末、つまり「目的地」を、180度別の、いや逆の方向へ入れ替えた。

 

――その主導者とは?

 

だから「間違い探し」をさせているのです。知らないどこかの人の夢のエキストラではなく、

この世界は己自身が創造しているのだ、そういうふうに捉えられるような世界に組み替えたということです。

つまり、主導者を入れ替えたということは、己自身が主導者に就任したということ。

 

――それはとてもおめでたいことですね!しかし、そこで勘違いしてしまう人も当然現れてくるということですね?

 

たとえ「かりそめの全能感」であったとしても、その「私が主人公だ」という意識はじつは本物であって、その意識は、これまで全人類が行ってきた、「誰かの夢のエキストラ」から

解放させるための、きわめて簡易的な「きっかけ」となり得るものなのです。

 

――言葉で言うのは簡単ですが、とてもデリケートなことなのですね。

 

そうです。一歩間違えただけで、正反対の方向に一瞬で堕ちてしまいます。今回、トランプさんは、これまでのカバールDSによる「幻想世界」の代替品として、全人類に対して、それを上回る「幻想」を提供した。それは鎖に繋ぐための幻想ではなく、鎖から解放されるための幻想です。

 

――そもそもこの三次元現実世界というものが、幻想でありホログラムであるならば、鎖から解放されるポジティブな幻想の方が遥かに良いですもんね。

 

これが「ポップコーン」の本質だよね

 

――そこでようやくポップコーンに繋がるのですね!

 

ただし、ポップコーンを食べて、眺めていることは、その幻想であり虚構世界のあらましを

冷静に見抜いた人にだけに許されること。

 

――どういうことですか?

 

つまり、「いち抜け」なんだよね。

 

――「いち抜け」ですか!?

 

新型コロナウイルスが世界で猛威を振るっているというのは、カバールDSが苦し紛れに撒いたものではなく、不正郵便投票を正当化するために撒いたのでもなく、カバールDSたちのこれまでのすべての計画を、全人類に可視化するために、再現VTRとして、じつはトランプ氏側が仕掛けた「幻想」なのだということ。

 

――そうなっちゃいますよね。

 

つまり、ワクチンもまったく同じだということだよ。

 

――ワクチンも!?

 

そうです。ということは、新型コロナウイルスも、ワクチンも、すべて「間違い探し」のために用意されたものだということになります。

そもそもコロナワクチンを推奨したのはトランプさんですよ。ということは、トランプさんがこれまでの幻想に上書きするために提供した幻想のシナリオの中に、最初からワクチン騒動のことも書かれていたということですよね。しかもトランプさんはコロナワクチンを自ら接種しました。そして、そのシナリオは、これまでのカバールDSによって敷かれてきた「幻想世界」をアラハバくためのものです。

ということは、このワクチン騒動にも、まだ私たちがまったく与り知らない別の意味や、

まだ表に出てはいない「秘密」が隠されている可能性があるのだということです。

 

――ということは、知った気になって早合点するにはまだ早いということでしょうか?

 

「私はまだ何も知らないのだということを知る」。「無知の知」が大事です。

カバールDSの人たちは、マスク着用を重んじていますよね。これは彼ら自身による意思じゃないということ。トランプ氏による新たな幻想世界にリアリティを持たせるために、カバールDSたちが「やらされている」ということだね。

ということは、マスクを着用するということは、トランプ氏側による幻想の演出だということ。しかし、そのマスクには、私たちの与り知らない深い意味がじつは込められているのだということです。

 

――ウイルスとかそういうものとは関係ないところでマスクの意味があるのかもしれないということですね。

 

そういうことです。マスクには「しゃべるな」、「食べるな」という意味があります。これはカバールDSに向けた言葉です。その一方で、このマスクには、私たち一般市民に向けられた意味もあるのです。

マスクを「覆面」という意味で考えるならば、『その姿はかりそめのものだ。本当の君じゃない。君が住むその世界は「建前の世界」だ。つまりそれは幻想の世界だ。本気になっちゃいけない。そこで本気になっても、どこかの誰かの夢のエキストラにさせられるだけだ。

この世界は君が主人公の世界じゃない。うかつに声を出せば、それはすべて彼らの夢の実現のためのエッセンスとして利用されてしまうだろう。ならばマスクをしてこの知らない誰かの幻想世界の中で、己は決して誰かのエキストラなんかじゃないということをマスクをもって示しなさい。そしてこれから本当の世界というものを発見していこう。本物の世界を見せてあげよう!』

となるわけなんですよね。活字版「⑧」には、さらに深いマスクの意味を書きました。

 

――「マスク」の多次元的な意味ですね!ポジティブな意味もあってよかったです!

 

すべてのことは基本的にポジティブなのですよ。ただ、三次元現実世界第一階層的な表層をなぞる視点で見た場合、多くのものやことが、ネガティブに見えているケースが多くあるのだということです。

これまでの世界とは、カバールDSたちが伝播した幻想の世界だったのだよ、ということを示すために、トランプ氏側が、まったく別の幻想世界を、便宜上、知らしめ、広めただけなのに、その世界のエキストラになってしまったら、本末転倒になってしまいます。 

でも、そのような存在も想定されていたでしょう。表向きはトランプ氏を応援しているように見えて、じつは自らの全能感に絆(ほだ)されて、どこかの誰かの幻想世界のエキストラになってしまうことをそれが「主人公」であると勘違いしてしまう存在がかなり多く発生することも想定されていただろうと思います。

 

――ちょっとでも気を抜けば、あっという間に勘違いしてしまいそうですね。

 

「ほだされる」というのは「絆される」と書くわけですよね。知らないどこかの誰かが思い描いた夢の世界で、エキストラにされてしまっているのに、それに気づかないまま、

しかし自分がその世界の主人公であるなどと思い込んで、その世界で一生を終えるということは、無意識のうちに「絆されている」ということ。つまり、意識を誰かに束縛され拘束されているということです。 

「絆」(きずな)という言葉には、「ひとつ」のヤハウェから分離し接続を遮断された三次元の幻想の中のエキストラたちが、かりそめの「ひとつ」を味わうための言葉です。でも、彼らは決して本物の「ひとつ」を味わうことも体感することもできません。この場合の「絆」とは、じつは偶像崇拝だからです。

 

――物理的な「ひとつ」では、寂しさは増すばかりで、何も解決しないのに、それこそが唯一の解決法だとされてしまっていますね。

 

その決して癒されることの無い「寂しさ」を生み出すことによって、この三次元幻想世界では「ビジネス」が生まれ、提供されてきたということですね。人々が本当に「ひとつ」であれば、人を「癒す」だなんて存在し得ないビジネスです。

しかし存在しますよね。「人を癒す」とは誰もが反論することすらできない「良い行い」だと思われています。しかし、その思いこそが、「幻想」なのだよということです。

 

――本来、人は最初から「ひとつ」だったのですから。

 

それがわかれば、「人を癒す」ことをビジネスとするということが、何を隠蔽し、何に加担してきたのか、そういったことがジワジワと身に沁みてくるはずです。

人を癒すビジネスを行うためには、まず人をヤハウェから分離させなきゃならない。「ひとつ」から切り離さなきゃならない。

 

――マッチポンプですね。

 

彼らがいかに「ひとつ」を隠蔽してきたかということです。これこそが、バビロン系スピリチュアルがずっとやってきたことです。その「原点」(インセプション)を秘密にさえすれば、彼らはすべて上手くいくわけですよ。

 

――本来の「ひとつ」「ヤハウェ」を隠蔽するということは、つまり、「本物」を隠蔽するということですよね?

 

そのとおりです。彼らは「本物」が邪魔だった。たったひとりの本物がいるだけで、自分たちの商売は成立しない。ならば、そのたったひとりの本物を消せばいい。そうすれば、残りの偽者たちによる幻想世界はあっという間に完成する。 

 

――「本物」を隠蔽した人たちが、かつて縄文を隠蔽し、日高見国を隠蔽したのですよね?

 

そんな彼らは紀元前にこの列島に侵入し、縄文を侵略していった。東北縄文北イスラエル10部族を執拗に侵略し、侵略記念モニュメントとして、全国の縄文の聖地の上に「神社」を建て封印していった。日高見国から「日の丸」を強奪し、アテルイ、モレを殺し、日高見国を滅ぼし、明治維新で日本の権力者となった。

そして、ソロモン王南ユダ王国2部族バビロン系カバールの末裔たちは、この「日本」を、新しいエルサレムとして、グレートリセットを経た後に、世界支配の拠点として、盛大に祝う計画だったわけです。その新しいエルサレムには、「東北縄文北イスラエル」は含まれていないのです。

 

――その世界支配の完成を祝う式典が東京五輪だったのですよね?

 

そう。その大祝賀計画の総仕上げが「東京五輪」だった。表向きは世界運動会。しかし、本当は、世界皇帝の就任式。

 

――だから何が何でも開催しようとしているのですね?

 

そう。ただの運動会なら普通に中止でいいじゃん。

 

――違約金とか利権とか言われています。

 

一般的には当然そう言われますよ。彼らは「お金」が目的じゃない。3000年前からの因縁の解消が目的です。(澤野大樹)

 

※前編はここまで




2021年5月2日日曜日

2319 「生まれて来てくれてありがとう」2021.5.2

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年04月23日の記事を紹介します。


「生まれて来てくれてありがとう」

今日は障害を持つ方々と、そのご家族について書きたいと思います。

魂は永遠に続きます。心と心、深く繋がった魂は決して離れ離れになりません。

死をもってしても離すことはできません。

貧困、障害や事故、死さえも、魂と魂を揺さぶり、魂の深い絆を創り出す舞台装置にしかすぎません。 

※記事の最後の方で、お子さんを早くに亡くされた親御さんに

嬉しいご報告をシェアしたいと思います。


今まで健康で、経済的にも恵まれ、幸せなご家庭で過ごしてきた方にはあまりピンとこないお話かもしれません。ですが、「禍福は糾える縄の如し」幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだということのたとえのように幸福も不幸もほんの一瞬でひっくり返ります。永遠に続くものなど、この世に一つとしてありません。

ですので、周りで起きるざまざまな環境の変化に一喜一憂せずに、何時も希望を持っていたいものですね。

<転載開始> 転載元 


私は思うのです。長男が、もし障害をもっていなければ。

私はもっと、普通の生活を送れていたかもしれないと。

私は、考えてしまうのです。長男が、もし障害をもっていなければ。

私たちはもっと楽に暮らしていけたかもしれないと。

長男が、障害をもっていなければ・・と繰り返された言葉。

障害のある子どもの親である作者は、「重度障害者は生きていても仕方ないので死んだ方がいい」など、障害者を排除する趣旨の発言を植松容疑者(相模原・障害者施設殺傷事件)が

繰り返していたことを受けての文章だそうです。

何度も夢を見ました。『お父さん、朝だよ、起きてよ』長男が私を揺り起こしに来るのです。 

『ほら、障害なんてなかったろ。心配しすぎなんだよ』夢の中で、私は妻に話しかけます。

そして目が覚めると、いつもの通りの朝なのです。言葉のしゃべれない長男が、騒いでいます。何と言っているのか、私には分かりません。

ああ。またこんな夢を見てしまった。ああ。ごめんね。


この文章を書いたのは、神戸金史記者。長男が3歳で自閉症と診断されました。

自身の家族を含め、自閉症の問題について、長年、取材してきました。

この文章は、多くの人の共感を呼んでいます。

幼い次男は、『お兄ちゃんはしゃべれないんだよ』と言います。いずれ『お前の兄ちゃんは馬鹿だ』と言われ、泣くんだろう。想像すると、私は朝食が喉を通らなくなります。

そんな朝を何度も過ごして、突然気が付いたのです。弟よ、お前は人にいじめられるかもしれないが、人をいじめる人にはならないだろう。

生まれた時から、障害のある兄ちゃんがいた。お前の人格は、この兄ちゃんがいた環境で形作られたのだ。お前は優しい、いい男に育つだろう。

それから、私ははたと気付いたのです。 

あなたが生まれたことで、私たち夫婦は悩み考え、それまでとは違う人生を生きてきた。

親である私たちでさえ、あなたが生まれなかったら、今の私たちではないのだね。

そして、自閉症の長男から気付かされたこと・・・

ああ、息子よ、誰もが健常で生きることはできない。

誰かが障害をもって生きていかなければならない。

なぜ、今まで気づかなかったのだろう。

 


私の周りにだって、生まれる前に息絶えた子が、いたはずだ。

生まれた時から重い障害のある子がいたはずだ。

・交通事故に遭って、車いすで暮らす小学生が、

・雷に遭って、寝たきりになった中学生が、

・おかしなワクチン注射を受け、普通に暮らせなくなった高校生が、

・嘱望されていたのに突然の病に倒れた大人が、

実は私の周りには、いたはずだ。

私は運よく生きてきただけだった。それは誰かが背負ってくれたからだったのだ。

最後は、長男に直接呼びかけます。

息子よ。君は、弟の代わりに、同級生の代わりに、私の代わりに障害を持って生まれてきた。

老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。事故で、唐突に人生を終わる人もいる。


人生の最後は誰も動けなくなる。誰もが、次第に障害を負いながら生きていくのだね。

息子よ。あなたが指し示していたのは、私自身のことだった。息子よ。そのままで、いい。

それで、うちの子。それが、うちの子。あなたが生まれてきてくれてよかった。

私はそう思っている。父より

<転載終了>


文部科学省により2012年に全国の公立小中学校で約5万人を対象にした調査結果で、

”発達障害の可能性のある”とされた児童生徒の割合は、6.5%だったそうです。

もう少し詳しく見ると・・

・4.5%…学習面で著しい困難

・3.6%…行動面で著しい困難(全体指示が入らない、落ち着きがなく着席が不安定等)

・1.6%…学習面・行動面の両面で著しい困難

なのだそうです。

また子供だけでなく、大人になってからも、心身に障害を発症する方もおられますから、

私たちの周りには沢山のハンディキャップを持った人がいらっしゃいます。

私たちは、家族の中に障害を持つ人がいると聞けば、「かわいそうに」とか、どうしても少し色眼鏡で見がちです。ですが、生まれ変わりを繰り返し、魂の成長を目指し、長い長い永遠の時を過ごしている私たちの本体である魂にとって、そのたった一瞬の人生の姿は、本当に「かわいそうなこと」なのでしょうか。きっと違います。いえ絶対に違います。

障害を持つと言うことは、この一時の地球での生活、せいぜい80年の期間で見たら、確かに、

・経済的に苦しく

・学業や職業などできることも限られ

・差別されるかもしれず

・偏見の目で見られるかもしれず

非常い苦しい生活を強いられるかもしれません。悔しい思いもするでしょう。 

ご家族も同じです。

ですが、それは「かわいそうなこと」ではなく、彼らは自らその環境を選んで生まれ、挑戦している人生です。高貴な魂にしか許されない挑戦です。そしてそれを迎え入れたご家族も同じです。そのような方々を差別し、蔑み排除する人の心こそ、小さな小さな心であるが故に、むしろ「かわいそう」なのかもしれません。

 


このような試練に立ち向かおうとする時、神さまからも同じだけの大きな愛と援助が向けられます。神さまや、周りを取り巻く心の温かな人々から、勇気と、忍耐力、そして希望を与えられます。それがあるからこそ、そのチャレンジには大きな大きな意味があるのです。

人々を巻き込んだ大きなドラマです。

何の不自由もなく、健康で経済的に恵まれ、苦労も悲しみも味わうことのない人生からは、

信じることのできないほどのダイナミックな愛と祝福に囲まれた人生を送ることができます。例え、表面的には辛く苦しい人生を送っているかのように見えても・・

本当に大切なものは目には見えません。それは、チャレンジの人生を終えて、天に帰った時に、はっきりとわかることでしょう。

私たちは目的を持ってここに生まれ、この人生を過ごし、そしてまた来たところへと帰って行きます。必ず戻る時が来ます。その時に、悔いの残らないような生き方をしたいものですね。

 

最後に、お子さんを早くに亡くされた親御さんに嬉しいご報告をシェアしたいと思います。

昨年ご紹介したのですが、自ら天国に戻ったお嬢さんのお話 →夭逝した娘の気持ち 

お母様から、先日ご報告いただきました。

 

娘が生まれ変わって戻ってきた・・お母様が念願だったパピーウォーカーとなり、丁度お母様のお誕生日に、子犬が家にやってきました。

※パピーウォーカー

盲導犬候補の子犬を約10ヵ月間、家族の一員として迎えるボランティア。この時期、子犬の「社会化」が重要なポイントとなるために、人間の愛情を沢山注いであげます。 

この子犬こそが、先に亡くなった娘さんだったのです。

(※詳細は申し訳ありません、省かせていただきます)

そして人間だった頃に叶えられなかった夢。

人の役に立ちたい。誰かの役に立ちたいという夢を、盲導犬の卵になって、叶えたいと。 

お母様のもとに戻ってきたのだそうです。

ボランティアとして一緒に過ごせる時間は短いかもしれませんが魂は永遠です。

娘さんの魂の希望が叶えられますように。。。


・魂の深遠さ、

・神々の慈悲

・人々の愛

・魂の成長

・生死を超えた絆 

神仕組みの神秘に感動させられたお話でした。

愛で繋がった魂は、決して離れ離れになりません。

お子様を早くに亡くした親御さんたちにも希望を持って、今を生きていただきたいと思います。天に帰った時、神々からその深淵なる計画の意図が明かされることでしょう。

今ほど、記事を読んだお母様が連絡くださいました。今日の空にはひこうき雲が沢山出ていました。まるで娘が喜んでいるかのよう・・・ 

多くの皆様の勇気となることができますように、祈りを込めて・・




2021年5月1日土曜日

2318「美しい人」2021.5.1

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年04月25日の記事を紹介します。


「美しい人」

コロナ後の世界は、一人一人の心が大切にされる社会になりそうです。今日はその心の美しさについてのお話です。

思いやりや、助け合いの心相手の個性を尊重し、お互い様の心で生きていく社会 そんな美しい社会が、この大混乱の後、出現しそうです。

それでは、ノートルダム清心学園前理事長、渡辺和子さんの言葉を紹介します。

心の美しさについてのお話です。

 


心の美しさとは、意識しなければ、自然と手に入るものではありません。ですが、心こそ、亡くなった後も生まれてくる前にいたところに戻っても決して変わらず、持って帰ることのできる唯一のものです。

お金や、大きな家や、大きな車 健康や、友達の数 高い地位、周りがうらやむ名誉 そのような、目に見えるものよりも目に見えない「心の美しさ」は、はるかに大切なものです。 

私たちがこうして生きている時でさえ、心の反映が、人や物を引き寄せ、生きていく環境を形作ります。心が美しければ、それに呼応して、宇宙のサポートが協調して、ダイレクトに働きます。

私たちが何度も何度も生き死にを繰り返し、輪廻を経験し、宇宙中の様々な星々や次元に生まれ変わっているのも、目的は美しき心を思い出すためです。

それでは、お話をご紹介します。

<引用開始>


お化粧に余念のない学生たちに言うことがあります。

「きれいになるのも結構。きれいになるためには、化粧品にしてもエステに通うにしてもお金が必要。皆さんは、きれいさとともに、美しさを育ててゆく人であって欲しい」

美しくなるためには、お金は不要。それは、心の輝きであり、痛みを伴う自己管理、自己抑制が必要なのです。

かくて私は、学生たちに「面倒だからしよう」と教えています。「しようか、どうしようか」と迷う時には、してごらんなさい。きっと、その積み重ねが、あたなたがたを 美しくしてくれるから と話しています。

「泥かぶら」という劇があります。

これは,真山美保さんという人が作られた,古い時代を舞台とした「泥かぶら」というタイトルの劇用のお話です。

ある村に「泥かぶら」という顔の醜い少女がいました。「泥かぶら」は,顔が醜いために村の人から馬鹿にされ,子どもからは石を投げられたり,唾を吐きかけられたりしました。

そして,それを悔しがって怒り狂う「泥かぶら」の心はますます荒れ,顔は醜くなる一方でした。

ところがある日,村を一人の旅の老人が通りかかりました。竹の棒を振り回して暴れている「泥かぶら」に話しかけました。

次にいう「三つのこと」を守れば「あなたは村一番の美しい人になれる」と教えて立ち去っていきました。

旅の老人が「泥かぶら」に教えた三つのこととは,

一つ・・・いつもにっこり笑うこと

二つ・・・自分の醜さを、恥ずかしいことと思わないこと

三つ・・・他人の身になって、考えること、思うこと

「泥かぶら」の心は激しく揺れ動きましたが,美しくなりたい一心で,その日から血のにじむような努力を続けます。決心は何度も中断され,たびたびあきらめようとしますが,そのたびに気を取り直し、努力を続けました。

 


その甲斐あって,「泥かぶら」の顔からは,いつしか憎しみが去り,心も穏やかになっていきました。やがて,明るく気持ちの良い子に生まれ変わった「泥かぶら」は,村の人気者になり、子守やお使いを頼まれるようになりました。

そんなある日のことです。自分と同じ年頃の娘が人買いに買われていくのを知った「泥かぶら」は,自分から進んでその娘の身代わりとなり,連れられていきます。 

しかし,道々楽しそうに村の様子を話し,自分がかわいがって世話した村の赤ちゃんについて語る「泥かぶら」の話は,いつしか悪い人買いの心を動かし始めます。

そして,その人買いは今まで自分がやってきた過ちを恥ずかしいことと思い,置手紙をして立ち去っていきます。

その置手紙には,「ありがとう。仏のように美しい子よ」と書かれていました。

その手紙を読んだ「泥かぶら」は,旅の老人が話してくれた「村一番の美しい人になれる」という言葉の本当の意味を理解することができました。

心の美しさは,内面の輝きを増し、人の容貌さえも変えてしまいます。そして周りの人も幸せにします。美しい心を持った本当の「美しい人」になることは、どんなに時代が変わろうとも、大切なことかもしれません。 

<引用終了>

相田みつをさんの、「現代版禅問答」にこんなくだりがあります。

「ほとけさまの教えとはなんですか?」郵便屋さんが困らないようにね、手紙の宛名を わかりやすく正確に書くことだよ「なんだ、そんな当たり前のことですか」

そうだよ。その当たり前のことを、心を込めて実行してゆくことだよ。

「面倒だから、しよう」とは、相手の立場に立って、面倒がらずに、些細(ささい)な良きことを心を込めてやること。

当たり前のことを心を込めてするには、そこに感謝の気持ちが必要です。

・笑顔、

・思いやり、

・そして今のままの自分を許し、認めること

私達一人一人がこの「泥かぶら」のように、このことをいつも心に留めておきたいものですね。そして、心の美しい人になりたいものですね。永遠の宝になるのですから。

自分だけでなく、ご家族はじめ、周りを幸せにするのですから。

神々の恩寵は、感謝の人、心美しき人に降り注ぎます。

目に見えるものだけに、大いなる価値を置き、人と比べ、見下し、優越感に浸る者と、・・・

例え貧しく、弱く、何も持たなくとも、神の前にへりくだり、与えられた環境の中で、

精一杯、人生を生きて行こうという者 神々は、どちらに微笑むでしょうか? 

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。