2021年5月27日木曜日

2344「何時までも一緒にいたい」 2021.5.27

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年05月21日の記事を紹介します。


「何時までも一緒にいたい」


今日は「腹六分」についてです。

みなさん、過ぎたるは及ばざるが如しって言葉聞いたことありますか?

何事も程ほどが肝心で、やり過ぎることはやり足りないことと同じように良いこととは言えない。良いと言われることでも、やり過ぎは害になるということ。

だそうです。

特に人とのお付き合いにおいては、大切なことです。

人との付き合い方に対して、美輪明宏さんは、こんなことを仰っています。

朝日新聞朝刊「悩みのるつぼ」、悩み相談に対する美輪明宏の回答より。


人間の付き合いというのは、「腹六分」がちょうどいい。

いつまでも付き合える人は一生に何人も出てこない。 

親友なんて1人できればいい方で、助けが必要な時にはいつでも助けてあげて、

普段は当たり障りのない距離で見守っている人のことでしょう。

「水臭いじゃないの」と何から何まで悩みも聞き、金も貸してくれる、そんな便利な人はいるはずがない。

離れていく人は、ニセ者だから惜しむ必要はありません。

本物は離れません。


昔、三島由紀夫さんが切腹事件を起こす直前のことです。 

私の楽屋を訪ねてきました。

はっきりは言いませんでしたが、「最後のあいさつ」に来たことがそれとなくわかりましたから、「何で私たちは、18年も付き合えたんでしょうね」と聞いたのです。

すると三島さんは、

「ひざの上に乗るからなでてやったら、図に乗って、肩まで上ってくるやつがいる。 

しまいには頭に上って、顔までなめるやつがいる。

キミにはそういうところが一切なかったからな」と言ったのです。

暮れと年始のあいさつに、彼の家に行ったことがありましたが、彼が私の家に来たのは18年で2回だけ。

横尾忠則さんや瀬戸内寂聴さんなど、今も親しくさせて頂いている方たちもみんなそうです。

仲良しだけれども、つかず離れず、それが大人の関係というものでしょう。


 さて、エネルギーは常に流動しています。

ですので時に、あるグループにエネルギーが集中し、皆が急激に親しくなり強烈な仲間意識が芽生えることがあります。

何をやるにも一緒、そしてその時は、全員が同じ方向を向いています。気持ちが良いのです。

大好きなので、意識が高揚します。でも見えない所では、エネルギーの集中が刻々と極限にまで達しようとしています。

(本人達は全くエネルギーの流れについては、意識していません。ただ心許せる親しい友が出来て 嬉しいだけなのです)

ですが、この状態はブッダの言う中庸の状態ではありません。

ですので、いつしかムりが来ます。そしてエネルギーのひずみが発生します。

物理的な宇宙の法則の一つですが、宇宙は、ひずみが発生すると、それを是正しようという逆のチカラを発揮してきます。 

要するにバランスを取ろうとするのです。(これがフリーエネルギーの基本理論になります)

その結果、ムリが来ていた部分(エネルギーが集中していた所)のエネルギーは離散していくことになります。 

それはまるで風船がはじけるように一瞬で破裂・爆発してしまう事になります。

そして、その爆発によってエネルギーの過度な集中は終わりを告げます。

人と人とに発生していたエネルギーであれば、それをきっかけに、集まっていた人達は

バラバラに離れて行きます。

そして、その離れた理由は、エネルギーの観点からみれば、どうでもよい事。 

つまり後付けで理由付けされます。人それぞれの理由が作られます。

ですが、それも大きな意味はありません。

しばらくすれば、また別のエネルギーの流れが、発生しますから、その様なことがあった事は意識から段々と薄れて行きます。

何故なら、大切なのは、そこで味わう様々な感情だからです。

このようなことが、私達の生活の中で、日々刻々と行われています。

(3年前にはあんなに親しく、いつも一緒だったのに、今はどうしているのかしら?・・ 

なんてことありませんか?)

そういうエネルギーの流れによって、集中の時は、嬉しい・楽しい。

離散・爆発の時は、その逆の感情を味わうことになります。

もし今、急激に親しくなりつつある人達がいるのであれば、それはそれで、良いこと、

素晴らしいことです。楽しいし、日々の笑顔や活力が生まれますから。

でも、もし、それを長続きさせたいのであれば、急激な形ではなく、美輪さんの仰るように

人間の付き合いというのは、「腹六分」がちょうどいい。が理想ではないかと思います。

長続きする一生涯の良き関係を築くことが出来るからです。

エネルギーの集中と離散これは自然なことです。

何も、誰も悪くありません。世の中は 諸行無常 ですから。常に変化しています。

人それぞれ、学ぶべきことも、 学ぶ順序も、スピードも異なります。

神様が、そこにエネルギーの集中を、どうして起こしたかと言うと、その時に、そのグループでの、学びの体験が必要だからです。それが終われば、神様は エネルギーの離散(破壊)を起こし、それぞれを別の道に誘います。

もしここで悪いことと言えば、唯一 

・そこに執着し、

・しがみ付き、 

・昔は良かった。。

・どうしてあの人は?

となるのが悪いくらいだと思います。それが神様のやり方ですから。