今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年05月08日「観音様の涙」と2021年05月09日「地球にさよならする時まで」の2つの記事を紹介します。
「観音様の涙」
今日の天空農園から望む風景です。ヤッホーと言えば、やまびこが返ってきそうです。
ここに大量のサツマイモを植えて、昨年と同じく、子ども食堂や、ひとり親世帯など食に困っている方々へお届けする予定です。目標 1,000本のサツマイモ
さて、今日は、苦しみの淵で涙されている方のために書きます。
元気いっぱいで、ご興味のない方はスルーなさってくださいね。重いですから(笑)
今日は「観音さま」のお話です。「哀切かんのん」のお話です。
哀切かんのん
人生に三十三の難所があるとか だれでも苦悩の路を通る
哀しい事だけれど 人となるための定めなのか
泣いて叫んで救いを求めると 哀切の声で「ここまで早くおいで」と
涯(がけ)の上から身をのり出して 白い両手をさしのべられる
けれど恐れてその手を信じない ふれたら突き離されるかと 信じる事を失った習性
観世音のあなたは 唯、哀しき瞳もて立ち給う
観音さまは、苦しむ私達に「ここまで早くおいで。私の言葉をお聞き、私の顔をみなさい。
私はこうしてあなたを助けようと語りかけているのですよ」と言って両手を差しのべていても、そんな観音さまが信じられない といって、苦しみのなかでもがいているのが私達。
(本当は信じたいのです。縋りたいのです。でもそれが出来ないのです)
そんな私達の様子を観音さまがご覧になって、哀しい瞳で私たちを見つめていらっしゃるという、そんな詩です。こんな優しい心で私たちを見ていらっしゃるのが、観音さまの心です。観音さまがせっかく手を差し伸べてくださるのに、その手を握り、救われるか、握らないかの最終判断をするのは私たち自身です。
悩みや苦しみがある間は、人を信じることができないかもしれません。
また自分は動かず、何もしなくても、ある日、さっと自分を救い上げてくれる何者かが来るのを待っているのかもしれませんね。
病気になった時でも、助けてくれるのはお医者様ではありません。
自分は何もせず他人に依存して、全てを任せておけば、お医者様が勝手に直してくれるのではありません。
まず、そこから私たちは、自分の意識を改めなければならないのかもしれません。
自分の人生です。誰かが代わって生きてくれるわけではありません。代わりに苦しんでくれるわけではありません。面倒くさいからと、自分のことなのに、他人や神様に丸投げして、依存し続け、自分は何もしなければ、誰も助けてくれません。
「哀切かんのん」でさえできないのです。
病気だったら、せっかく身体が(生き方の方向性が違うと)教えてくれているのですから、
「どうして病気になったのか?」と自分の生き方を振り返り、見直してみなければなりません。苦しみ、悲しみを助けて欲しいのであれば、まずは、その苦しみ・悲しみに執着することから離れなければなりません。
執着などしていない!! と仰るかもしれませんが、そこから、逃れたい、楽になりたいと、
いつまでも、その「苦しみ、悲しみ」の現象ばかり考えていては、べったりと執着していることと同じです。
「苦しみ、悲しみ」に執着している心を、そこから一旦離さなければ、観音様といえど救えません。せっかく手を差し出してくださっても、私たちの執着の心がそれを拒否するからです。そんな、私たちの執着の心を見て、「哀切かんのん」は「哀しき瞳もて立ち給う」と涙したのですね。
誰にでも、苦しみや悲しみ、悩みはありますが、そこから一旦、執着した心を離さなければ、
どんな救いも手にすることができません。
心を離すとは・・どうしたらよいのでしょうか?
どうしたら執着から離れ、救いを手にすることができるのでしょうか?
それはブッダが「般若心経」の中で教えてくださいました。
どんな出来事も、自分の周りに起こって来ることに無駄、不要なものはありません。
苦しみも悲しみさえも・・
それらは全てが自分にとって必要であり、必然的にベストなタイミングで起こってきます。
その目的は、私たちの魂を成長させるためです。
ですから、その出来事が、どんなに辛く見えようと、目の前に起きている現象に対して
・感謝ができ、
・喜びを見出すことができ、
・そこに幸せを感じられるようになると、
自分自身がラクで楽しくなる、ということです。
そして更に、地球と宇宙が味方になってくれると言うことです。そう「般若心経」の中に書かれています。
「ありがとう」という言葉を使うこと、感謝すること、そして不平不満、愚痴、悪口を言わないこと・・それこそが、「哀切かんのん」の差し伸べた手を、自ら力強く握る方法ではないかと思います。
まずは、辛くとも毎日「ありがとう」と口に出してみることから始めてみませんか?
夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。
周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。
それが自分の身を助けることに繋がります。
「地球にさよならする時まで」
今日の記事は、できれば、一人で静かな環境の中でお読みください。
私たち地球に住んでいる人間で、ネイティブな地球人は、誰もいません。
起源をたどれば、その魂は全員、他の星や宇宙から地球にやってきました。
そして必要な経験が終わればみんな、故郷の星に帰ります。
家族といえど、親友といえど出身星が違えば、皆バラバラになります。
悲しいことに聞こえますが、仕方のないことです。
だからこそ、今、目の前にいる人を、慈しみ、大切にしたいものです。
もしかしたら、もう、永遠に会えないかもしれないからです。
楽しい日々、悲しい日々、何もない穏やかな午後
出会い、そして別れ
争い、病気、老い、愛する人との死別
笑顔、感動、涙、怒り
様々な感情の波と、沢山の経験
どうして生まれてきたのか?
そして生きることの意味を、問いかけるたび、胸をよぎるのは愛しい人々の笑顔と温かさ
この星、地球の片隅で巡り合えたことの、奇跡
それは、どんな宝石よりも大切な宝物
悩み、苦しんで泣きたい日もあった
絶望に打ちのめされた日もあった
でも、そんな時、傍らに寄り添ってくれた家族、仲間たち
故郷の夕焼けの優しいぬくもり
本当に大切なものは 隠れて見えないのかもしれない
ささやかに過ぎていく日々の中にこそ、本当に大切な、かけがえない喜びがある
いつかは誰でも この星にさよならをする時が来る
けれど、この命はずっとずっと、この地球で誰かに受け継がれてゆく
・生まれてきたこと
・育ててもらえたこと
・出会ったこと
・笑ったこと
そのすべてが大切な思い出、経験。
ありがとう この命にありがとう 参考元
これは、「いのちの歌」、竹内まりやさんが作詞した詩を元に脚色したものです。
竹内まりやさんは、私たち人間が宇宙のどこかの星から、一時の間「地球という星」を訪れて、沢山の経験をしてそしてまた元の星に帰って行くことを知っていたのですね。
いのちの詩 Wikiより引用
三倉茉奈、三倉佳奈らによる連続テレビ小説『だんだん』劇中の音楽ユニット「シジミジル」が作った唯一のオリジナルソングという設定で、2009年1月24日に放送された第96回で初めて登場した曲。
作詞はドラマの主題歌「縁の糸」及び劇中のナレーションを担当した竹内まりや。「シジミジル」が作った唯一のオリジナルソングという設定のため、竹内による作詞である事実は伏せられ、Miyabiのペンネームにより詞を提供した。
以前書いた記事ですが、女優の加賀まりこさんも同じことを仰っていました。
あなたは
・どこの星から地球に来ましたか?
・そして誰と出会い、何を経験しましたか?
・それは嬉しいことでしたか? 辛く、悲しいことでしたか?
永遠に地球に居ることはできません。
いつか大切な人と離れ、故郷の星に帰る時がやってきます。
今経験していることは、喜びも悲しみも、とっても貴重な体験です。
全ての経験を故郷の星に持って帰ります。当に大切なものは、隠れて見えない。
ささやかに過ぎていく日々の中に、かけがえない喜びがある。
どうぞ、些細なことにとらわれず、身近な周りの方々に、笑顔と優しさを届けてください。
今日という日は、もう二度と来ないかもしれないのですから。
そして、故郷の星に戻る時。それは自然な形で、訪れます。
周りの関係する方々全てにとって、まさにベストなタイミングで訪れます。
ですから、その最後の瞬間まで、泣いたり、笑ったりしながら、の地球を楽しんでください。
この地球で受けたイノチは、それに値する、大きな大きな価値のあるものだからです。
夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。
周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。
それが自分の身を助けることに繋がります。