2025年1月21日火曜日

3679「憎しみからの解放」2025.1.21

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月09日の記事を紹介します。


「憎しみからの解放」


今日は「どうしたら憎しみを消すことができるか?」と言うお話です。

心の中から憎しみを消さないかぎり、本当の幸せを手に入れられないからです。

よく、「不平不満・愚痴や悪口などは、

思ったり口にしたりしない方が良い」と言われますが、 

それは取りも直さず、自分の中の神さまと繋がり、

本当の幸せを掴むことが、自分の力でできるようになるからです。

私たち凡人は、なかなか心の内の、「憎しみ」を消せない時があります。

そしてその結果、現実の生活では、様々な艱難苦難に遭遇していきます。

その憎しみの対象は、家族に対してのことがダントツに多いようです。

親や配偶者など。。

ですが空海の仰るように、

心というのは、生きていても、死んでからも同じ、 

憎しみや怒りに執着して凝り固まっていたら、  

天からの光に気づかない。

無意識に拒否する。 

だから、死後も成仏できない。

死後も同じ状態のまま、長い長い地獄のような生活を送らなければならない。 

すべては本人の心の問題。

が真実のようです。

肉体があろうと、亡くなって肉体が無かろうと、心の状態は変わらない。 

死んですぐに仏になるわけではない。。 

ですので、このことが空海が言う、 

生きているうちに「幸せ」を掴まなくてどうする? 

という「即身成仏」の教えに繋がってきます。

空海は生きているうちに仏になれるんだよ・・ 

と教えています。

ここで言う仏とは、心の状態が穏やかで平和で幸せと言うことです。

生きているうちに憎しみ、怒り、執着から離れることで、

天の光に気付き、幸せになることが出来ると言っているわけです。

もし心が、憎しみ、怒りから離れなければ、死んだ後も、同じ状態が続くと仰っています。

でも、そこには仏の慈悲があります。

生きている間には、いろんな人と接することで、 

気付きをもらうことが出来ます。

私達は、今こうして生きています。

それぞれが置かれた環境は異なります。 

楽しさや、苦労の度合いも人さまざまでしょう。

ですが、私達は色んな個性の人達に囲まれ、

・好きな人に囲まれ、

・嫌いな人に囲まれ、

・人を好きになったり、

・嫌いになったり、

・嫌われたり、

様々な経験を積み重ねていくことで、

沢山の気付きを頂くチャンスに恵まれています。

もし、私達が自分の置かれた環境で、その様々な境遇に感謝して、 

明るく前向きに自分の精一杯の生きざまを示すことができたならば、

きっと私達は生きながら 仏の気持ちになれるかもしれません。

生きながら幸せになれるかもしれません。

私達、誰一人も例外なく、その様な恵まれた環境に今置かれています。

例え、苦しく感じる環境であっても、それは実は私達の心にとっては、

神さまが準備してくれた素晴らしい環境であるのかもしれません。

最後に空海のお言葉を紹介します。

 

生きとし生けるもの、すべてに命があり、心がある。

そのことを忘れてはいけないよ。 

すべては、一人一人の命の働きから始まるのだ。

難しく考えることはない。

素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。

さすれば、道は開くであろう。


空海が生きていた当時の日本で、

仏教は朝廷の強力な推薦もあり民衆の間に広まっていました。 

ですが当時の(奈良)仏教は今ではなく、死んだ後の来世の幸せを説くものでした。

ですが空海は、今、生きている今ここで幸せになれると説いたのでした。

そして、その方法こそが、素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。 

だったのです。

魂が喜ぶとは・・

自分の良心、自分の中の神様が喜ぶこと。

良心に従った生き方です、

皆に感謝とは・・

みんなに「ありがとう」と言う事です。

素直に生きて、皆に感謝をすることで、 

今、この生きているうちに

「本当の幸せ」を手に入れることが出来ると、空海は仰っています。

不平、不満、愚痴、悪口も良いでしょう。

・むり、

・どうせ、

・だって  

と言い訳や、後ろ向きの言葉を使うのも良いでしょう。

ですが、もしそれに疲れてしまったら、この空海の言葉を思い出してみて下さい。

きっと空海の仰る通り、

生きている今、幸せになることが出来るかもしれません。


2025年1月20日月曜日

3678「家族になった訳」2025.1.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月08日の記事を紹介します。


「家族になった訳」


世界で一番大切な人なのに・・・

家族って、どうして、こんなにも難しいものなのでしょうか? 

本当のホンネでは、愛し、愛されているのに、

誰よりも家族のことを深く、愛しているのに・・

憎しみ合う人たちも多い・・・

今日はそんなテーマです。

結婚するまでは、他人同志だった二人。

・生活感、

・価値観、

・金銭感覚、

・物事の受け取り方も 

まるで違う者同士。

結婚し、家庭を作り、お互いに同じ方向を見つめ、協力し、助け合い、 

貧しい中でも工夫して、小さな幸せを見つけ、笑いながら幸せに暮らして行きたい。

子供が生まれれば、二人で協力し、慈しんで育てたい。

お互いに歳をとり、白髪になり、元居た世界に帰るまで・・

そう思っていたのに、実際は、家族だから、苦しめ合っている。

そんな現実が、なんと多いことか。

家族だから、期待や要求をぶつけ、干渉し、支配しようとする。

家族だから、罵り、傷つけ、暴力を振るう。

家族だから、残酷さや支配欲、身勝手さをさらけ出す。

ブッダは2500年前に、家族が抱える悩みの中に、業という大きな理由を見つけました。

ブッダが生きていた時代にお弟子さんだった小林正観さんが

家族について次のように仰っています。

<引用開始>

みなさんは、家族は長く一緒にいて、自分の主張をし合うことが仲よしの証拠

だと思っているところがあります。

でも、私はそのように、家族をとらえていません。

家族とは、他人に対して言わなくてすむ、わがままを、目の前の家族という名の

特別な存在に対しても、言わないという訓練の場なのだと考えています。

あることを他人から言われたときに、

その他人に対しては腹を立てたり、怒ったり、怒鳴ったり、いら立ったりしない。

ところが、同じ言葉を夫や妻、子どもから言われたら、ものすごく激昂(げきこう)して、

腹を立てて、怒って、怒鳴りまくってしまうという人はいませんか?

実は結構いるのですが、そういいう性質を幼児性といいます。

つまり、この人には甘えていい、という特別な感情を持っているわけです。

もしここで、踏みとどまることができるなら、

その人は忍耐力というのを持っているわけです。

自分で自分の感情が、制御できているんですね。

それが、ある人との関係では制御できて、コントロールできるのに、

別の人との関係ではコントロールできないというのは、 

制御ができないのではなくて、制御をしないのです。

家族だから、妻だから、夫だからという理由で制御しないのは、

甘えているという意味で、それを幼児性といいます。

結婚というのは、幼児性の克服のための訓練の場なのです。

そこのところに気がつかない限り、

多分、穏やかな家庭生活というのを得ることはできません。

家族というのは、わがままを言い合うために存在するのではなく、

わがままを言えるような人間関係が目の前にあって、

それでもなおかつ、そのわがままを言わないために存在するのです。

言わないということは大人になるということです。

この話をしたらある人がこう言いました。

「それではストレスをどこで発散するんだ」と。

もう一度いいます。

家庭というのは、ストレスを発散する場ではありません。

幼児性でわがままを振りまきたくなる状況設定をされているのが家庭。

そこで自分がいかに、幼児性を振りまかないで、それを克服していくかということ。

これは業(ごう)というものですけれど、

その業の克服のために、家庭というものが存在するのです。

家庭というところは、人間が成長する場所なのですね。

幼児性というものを克服するために、家庭が存在するということがわかってくると、 

子どもとの関係、親と子の関係というものも見えてきます。

実は親が子どもを育てているのではなくて、子どもが親を育てにきている、

ということに気がつきます。

結婚した時に、自分だけのわがままで生きてきた人生から、相手が一人増えるわけです。

妻や夫という名の家族が。

そして、子どもができたときには、もう一人別な存在が、できてきます。 

妻や夫や子どもが、自分の思いどおりにならなかったりすると、感情をかき乱されます。

そのときに、どんなことがあってもいら立たない、ということの訓練の場として、

実は家庭というものが存在する。

ですから、家庭はわがままを言うところではないし、ストレスを発散する場ではないのです。

<引用終了>

日常の生活の中で幼児性を目にする機会は良くあります。

・上司が部下に怒鳴る

・妻に暴言を吐き、暴力を振るう

・年配者が若者に暴言を吐く

・飲食店や小売店で、「お金を払っているから私はお客だ」と威張ったり、

 怒鳴ったり、いら立ったりする

相手がいなくとも、こんな「幼児性」もあります。

・いつも自分だけが我慢している(すれば良い)と思っている、言っている

・ちょっとしたことに不平不満を感じ、ため息をつく、愚痴を言う

・いじける

そういう人には、すべて幼児性があります。

どんなに偉そうなことを言おうと、我慢ができなくて、

わがままで自分さえよければいいという、甘えが抜けない。 

それはまるで幼児と一緒です。

幼児性のある人は、わがままを振りまきたくなる状況設定をされている場、 

つまり家庭では、自己をコントロールすることが難しくなります。

幼児性があるから、ものすごく激昂(げきこう)し、腹を立てて怒ったり、

怒鳴りまくってしまいます。

でも、正観さんが仰るように、その家庭の中でこそ、その幼児性に気付き、そして穏やかな気持ちでいられるよう、自分自身で、コントロールできるようになりたいものです。

家庭だからこそ、その自分の幼児性がデフォルメされて表現されています。

それに早く気付けるように・・

自分の中の、幼児性に気付けるように・・・

そして、お互いに同じ方向を見つめ、協力し助け合い、貧しい中でも工夫して、

小さな幸せを見つけ、笑いながら、みんな、仲良く、幸せに暮らして行きたいですね。

それが、家族と言う単位を作った、神さまの優しい、計らい、目的なのですから。


2025年1月19日日曜日

3677「小さな思いやり」2025.1.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月07日「因果応報-悪口」と2025年01月10日「小さな思いやり」の2つの記事を紹介します。


「因果応報-悪口」


人から悪口や、イヤミを言われた時どうすればよいか?

斎藤一人さんが、非常に簡潔に、優しい言葉で大切なことを仰っていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 

人間関係の問題は、いろいろあるんですけれど、 

「これだけ覚えておけばいいですよ」というものがあるんです。

これだけ覚えておけば、いろいろな問題があるなかの8割は大丈夫。

解決するんです。

この世の中には“嫌なヤツ”っているでしょう?

イヤミを言ったり、いばったりする“嫌なヤツ”がどこに行ってもいるんですけれど、

それをやめさせようとしちゃいけないんです。

「復讐するは我にあり」じゃないけれど、復讐は人間がすることではないのです。

悪いことをした人には必ず、

神さま(自分自身の良心)によって、同じように悪い報いがくる。

だから、ことのなりゆきは、天の神さまにお任せするんです。

そして…ここが大事なところですよ、いいですか。

「やられたらやり返せ!」って、その“嫌なヤツ”の悪口を言っていると、 

今度は言った人に悪い報いがきてしまうんです。

自分の畑にピーマンをまいたからピーマンがなる。

自分の畑に、自分で麦をまけば、麦がなる。

そして、自分がまいたものを、自分が刈り取るんです。

隣の人が唐辛子をまいていても、唐辛子を収穫するのは隣の人であって、

あなたではありません。

それと同じで、あなたがイヤミなことを言われた場合 

悪いことが起きるのは、あなたではありません。

あなたにイヤミなことを言った、その人間です。

つまり、放っておいても、勝手に相手は痛い目をみるようになっているのです。

それを、あなたがもし「イヤミを言われて嫌な想いをさせられたんだから、

こっちも、あの人にイヤミをお返ししてやるんだ」という気持ちでいると、

あなたから、“居心地のよくない”ムード(波動)が出てきます。

それではあなたに、人も、運も、お金も、近寄ってきてくれません。

それどころか、自分が望まない、嫌なことを招き寄せてしまうんですよ。

だから、復讐しようとしちゃいけないのです。

復讐はあなたの仕事ではありません。神さまの仕事です。

<転載終了>

よく人の悪口を言う人がいます。

また現在のようにネットが普及してくると、SNSで人の悪口や非難をする人も目にします。

もしかしたら、相手がいないところで、

自分の周りの人に、悪口を吹聴している人もいるかもしれません。

そして、それに対して、反応してしまい、今度は自分が同じようにやり返す方もいます。

ですが、それらの行為は、一人さんが仰るように、やめた方が良いかもしれません。

今度は言った相手ではなく、仕返しをした自分自身が同じ土俵に立ち、

同じような嫌な波動をまとい、自分自身の人生に不幸を引き寄せてしまうからです。

やられたからやり返す。

そうしなければ、自分は正しく生きているのに、何だか負けた気になってくる。 

やられ損にはなりたくない。

それらの心では、必ず相手と同じ波長をまとってしまいます。

私たちの住む世界は、自分の心の状態が現実を作りますから、

その汚れた心と同じ現実が自分の周りに現れてくることでしょう。

ですから例え悪口やイヤミを言われたとしても、

それを心に留めず、受け流し、受け取らなければ良いことです。

もし目の前で言われたのなら、

ニッコリ笑って「ご忠告ありがとうございます。感謝します」と言って、

離れたら、また元のようにご自分の信念に基づき行動すれば良いだけです。

ブッダもこのような時、静かに反論せず、受け取らなければ良い・・ そう仰っています。

人から根拠なき悪口やイヤミ、陰口を言われることは日常茶飯事ですので、 

一人さんの仰っる方法を実践するだけで、かなり楽に生きられるかもしれませんね。


「小さな思いやり」


神様が、神さま自身を知るために、神様に似せて作った人間の本能には 

「人から喜ばれると嬉しい」というものがあるそうです。 

この本能は、人間に与えられた本能であると同時に

神さまの性質でもあります。

ですので、ちょっとしたことに、 

笑顔で喜び、感謝する人は、相当、得な性格です。

誰からも、愛され、みんなが味方になって、助けてあげたくなってしまいます。 

きっと神様も同じ気持ちです。

宇宙の仕組みや、神さまの行動の原則などが分かってくると、 

日々の何気ない生活でさえ、楽しくなってきます。

ありとあらゆるところに、神さまの働きを感じることができるからです。

いつも傍に居ることが分かるからです。

また、偶然が起きた場合も、

「どうせ偶然でしょ」とすまし顔で、冷たくあしらわず、

「まぁ凄い、面白いね」と素直に子供のように喜んでいれば、

神さまは、なおさら沢山の偶然を見せてくださいます。 

神さまの声は、誰かの口を通してくることもよくあります。

また外応と言って

・小川のせせらぎの音や、

・子供たちの笑い声、

・そよ風なども、

神さまが私たちにプレゼントしてくださっているものです。 

そのように繊細な心で、神さまの働きを感じられるようになると、

もう全てのもの、事に感謝しかありません。

神さまの働きに気付き、人が喜び、感謝すればするほど、神さまは私たちの身近で、

良きことを起こしてくださいます。

ひすいこうたろうさんの記事 (喜び上手な人には運がやってくる)に、

こんなことが書いてありました。意訳します。

<引用開始>

もし神様がいるとしたら、 

小さな幸せや、ささいなことでも、喜んでくれる人のために、働こうか、

もっと喜ぶことをしてやろうかと思うのではないでしょうか?

それとは逆に

全てを偶然と片付け、神様が、ちっぽけな自分(や、レベルの低いあなた)のために、

特別なことをしてくださるはずがないではないか。 

そのように、偏った自己卑下(自分を低く低く見ること)や、

他人卑下(他人を・・・)をして

神様が、小さな幸せを見せてくださっても、ブスッとしてる人。 

頑な(かたくな)に、敢えて心を動かそうとしない人 

どちらに神様は微笑むでしょうか? 

<引用終了> 

耳をすませて見て下さい。

注意深く、周りを見渡してみてください。

あちこちに、神様からの贈り物があることに気づくでしょう。

また、いつもと違う 何かに気づいたなら、悪い予兆などとは考えず、 

是非それを  良き予兆と解釈して、よろこび、神様に感謝してみてください。

きっと ますます、恩寵に気付きやすくなると同時に、

幸せが、雪だるまのように、どんどんと膨らんでくることでしょう。 

感謝の種が増えてくることでしょう。 

一見不幸に見える

・死別

・病気

・事故

・貧困

などでさえ、私たちの魂を磨き、

光り輝かせる、研ぎ石の役割として神様が与えてくださったものです。

私たちが、その出来事を 

・どのように受け取るか?

・どのような意味を与えるか? 

その違いだけで、天と地ほどの違いが出てきます。

・小さな親切

・小さな思いやり

・小さな優しさ

を感知できる感受性を持ち、喜び、感謝できる心を持ちたいものですね。 

私たちの周りには、気づかないだけで、

それらが沢山 散らばっています。


2025年1月18日土曜日

3676「何に感謝するのか」2025.1.18

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月05日の記事を紹介します。


「何に感謝するのか」


今日は、私たち人間の持つ全ての悩み苦しみの、共通の解決方法についてです。

神様や自然界、宇宙からのサポートをふんだんに得るためには「感謝」が大切なことなのですが、その具体的な方法をご紹介します。

小林正観さんの著作からご紹介します。

<転載開始> 転載元

講演会が終わって、初めて二次会に来たという方が私の右隣に座りました。

そして「質問していいですか?」と私に声をかけてきました。

「実は、今日のお話のように自分はたくさんの幸せを感じ、とても恵まれていて、悩み・苦しみがないのですが、一つだけどうしても超えられない悩みがあります。」ということでした。

「どんなことですか?」

「実は結婚して十年経つのですけれど、子供ができません。

いろいろなことをしているのですが、どうしても子供ができないのです。 

それだけが悩みで、ずーっと悩んで苦しんでいます。」

というお話でした。

「そうですか。結婚して十年経って、子供がほしいを思っているということは、

ご主人がとてもいい人で、優しい人なんですよね?」

というふうに問いかけました。

「ほんとうにそうです。とても優しくて、いい夫です」と彼女は答えました。

「舅姑との関係が悪くて、頭にきて腹を立てるような日々だったら、

多分、その家の子供が欲しいとは思わないでしょうから、 

舅姑との関係は、いいのでしょうか?」と、私は問いかけました。

「ほんとうにそうなんです。舅さんも姑さんもとてもいい人で、

私は恵まれてほんとうに幸せです」と、彼女は答えました。

「そうですよね」。親戚の人もみんな、いい人なのではありませんか?」

彼女は答えます。

「ほんとうにそうです。

私はほんとうに優しい人たちに囲まれていると思います」という答えでした。

「では、伺いますが、その方たちの一人にでも、手を合わせて感謝をしたことがありますか?自分がどれほど恵まれているかということに、手を合わせて感謝をしたことがありますか?」と聞きました。

「え?」と小さく声を発した彼女は、そこからまた前の例と同じように、どわーっと涙を流し、二十分ほど泣き続けました。

私は、その泣いている彼女の耳にこういう言葉を伝えました。

「もし私が神さまだったならば、あなたのその唯一のお願いごと、

頼みごとを、絶対聞かないと堅く決意したかもしれない。

そして、もし私が神さまの友人であったならば、

神さまがこの人のいうことを聞いてあげようと思ってやってきたときに、

神さまの目の前に立ちふさがって、 

この人のいうことを聞いてはいけないと邪魔をするかもしれません」

というふうに申し上げました。

なぜなら、子供ができないことばかりを挙げ連ねて、実はそれ以外に、

自分がどれほど恵まれているかということに感謝をしていないのではないのですか。

もし、自分がどれほど恵まれているかということに気が付いたならば、

恵まれてないその一点を悩み・苦しみだといって挙げつらうのではなくて、来る日も来る日も、自分が恵まれていることに手を合わせて感謝をしているのではないでしょうか。 

そういうことに全然感謝をしないで、ただひたすら、

「これが足りないから、これをよこせ」

「あれが足りないから、あれをよこせ」

と言い続けている人には、神は微笑まないような気がするのです。

自分の思い通りになったら感謝するけれど、思い通りにならない状態では、感謝をしない、というのは、本当の感謝ではないのかもしれません。

恵まれているもののほうに目を据えて感謝をする。

足りないものだけを挙げつらねて「神さま、これをください」

というのは、ほんとうは、神さまや宇宙に対する冒涜なのかもしれません。

この話にも後日談があります。

一年ぶりに彼女が私の前に現れました。

「相談したときに言われたことはショックでした。

でも、そのショックは「確かにそう・・・」と思え、体中にしみ込みました。

なんと、私は今、妊娠七か月なのです・・・」

みんなの猛烈な拍手。

受け入れて「感謝」することを始めたら、なんと授かった・・・

奇蹟はあちこちで起きるのです。

<転載終了>

ここでもやはりポイントは「置かれた場所で咲きなさい」と同じことです。

何か足りない、何かが無いから不幸だ。

と無いもの、与えられていないものに不平不満を言うのではなく、今与えられているものに感謝すること、自分が置かれた環境に感謝すること。

足るを知ること・・

それが大切なんだよと教えてくださっています。

今の環境に置いて下さったのは神様です。

そしてそれは、私たちが生まれる前に、神様と私たち自身が一緒に決めてきた環境です。

これを摂理と言います。 

苦しくて辛い環境も、決して私たちを苦しめるためだけに

神様が用意して下さったわけではありません。

その辛い環境、悩み多き環境を経験することで、

私たちの魂を引き上げようとしてくださっているからです。

ですので、その悩みは決して永遠に続くものではありません。

破滅への道ではありません。

どうか安心なさってください。

そして、置かれた環境、周りに居てくださる方々に感謝してみてください。

笑顔を向けてみてください。

きっと、それが答えですから。

 

2025年1月17日金曜日

3675「Dream Is Collapsing」2025.1.17

  今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2025年1月12日最新記事を紹介します。

宇宙の中心で愛を叫ぶ


「Dream Is Collapsing」


みなさま、こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。

まめしくてらな。(いかがお過ごしですか)

こちら津軽地方は史上稀にみる災害級の大雪だそうで、八甲田山へ行かずとも雪の回廊が拝めます。

どんだば。

この一言につきるのですよ。

さて、短いですが澤野さんへのインタビューに成功いたしました。

では早速どうぞ!


――澤野さん、こんにちは。

2025年もよろしくお願いいたします。

 

もちろんこちらこそです。

津軽弘前の雪が連日全国生中継されていますね。

その巨大な意味を思うと感慨深さもひとしおです。

しかし年末年始は一瞬で過ぎ去りましたね。

世間が連休している時は、私は大人しくしていますが、今年は「奇跡の9連休」となったので、大人しくしている期間が長かったですね。

でもまあほぼ「灯火管制」状態だと言っていい。


――年末から年始にかけて、

これまた世の中がザワめいていましたよね。

 

「落ちて来るナイフはつかむな」

という相場の格言がありますが、

今は社会そのものがまるで落ちるナイフみたいになっています。

 

――アメリカのロサンゼルスでは大規模な山火事で大きな被害が出ていますが、

澤野さんはどう見ましたか?

 

デイヴィッド・リンチ監督の

映画 『マルホランド・ドライブ』 ってあるでしょ。

まさにその世界だと思いました。

これ以外に形容のしようがないですよね。

奇妙で異質で不可思議な世界。

まるで異界というか、見てはいけない世界。

洗練と頽廃が同居する世界。

足を踏み入れてはいけない世界。


――「BLUE BLOOD」の世界ですよね?

 

そのとおり。

赤い血を青い血に入れ替えた世界。

その新しい血は、体内で新たなシンフォニーを奏でる。

そう信じて彼らはそうする。

どうしても諦めることのできない、自分の中の奥底に秘めてある、

誰にも言わない秘密の成就。

たとえ他者を犠牲にしたとしても、実現しなければならない自分の、

奥底に潜む強固な欲望の実現。

だって私は「世界で一つだけの花」なんだから。

そう信じて彼らはそうした。

そのために「青い血」が必要だった。

 

――じつに恐ろしい世界ですね。

 

その血は、限りなく透明に近い色をしている。

これは彼らの秘密だからね。


――まさにハリウッドですね。

 

オータニさんちも近いですよね。

いろいろあって手放しちゃったのかな?

 

――世界屈指のセレブの街ですよね。

 

その「セレブ」(celebrity)は

何をもって「祝福」され「名声」を得たかかわかりますか?

ここが重要です。

交渉の末、無事に「契約」が成立したから祝福されたのです。

ある時、その者には声が聞こえるんだよ。


――声!?ですか?

 

サンタモニカから「来て来て」と、風の言葉が聞こえてくるんだよ。


――ひやぁぁ!

 

その「風の言葉」は、山からの強い風に吹かれて、

そして、その風はマリブの人たちを包み込むのさ。

 

――時代は変るわけですね。

 

そう「変る」。

「変わる」ではなくて「変る」。

 

――そうやって世界中から

ハリウッドに集まって来るのですね。

 

集まってきたら、ホテルを探さなきゃいけない。

そのホテルに泊まる客たちは、人生を駆け抜けるし、駆け抜けたのよ。

でもそのホテルは一度、チェックインしたら、

二度とチェックアウトできない世界ですから。

誰よりもポジティブに、誰よりも早起きして、誰よりも目標を明確に立てて来た。

秘密のノートに成功スケジュールを書き込んで来た。

他の誰よりも、人生という名の高速道路のファスト・レーンを

アクセル全開で突っ走って来た。

そして何もかも実現させた今、

今日もまた、マルホランド・ドライブを駆け抜ける。

でも、こうなってしまった。

かりそめの幻想ホログラムは、一夜にして崩壊する。

まるで転げ落ちる石のように。

彼らは天国への階段を上るとき、神にこう訊ねられる。


How does it feel ?


近松門左衛門の「人形浄瑠璃」の世界、それはいわば「夢の世界」。

そんな「夢の世界」は現在、崩壊中なんですよ。

ひとまずここで、短いかもしれないけど

示唆に富んだ深い内容になりましたよね?

 

――2025年初頭の御挨拶ですから。

 

ありがとうございます。

小野さん、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

おいといください(澤野大樹)

 

――こちらこそよろしくお願いいたします。


※この後も澤野さんのインタビューは

かなり長く続きました。


この続きはまた次回にお届けいたします。 

画像出展:Mulholland Dr

  

改めまして新春のお慶びを申し上げます。

 

巳年初のインタビューはいかがだったでしょうか。

過去に講演会で出されたキーワードが満載に組み込まれており、

眼前に映し出されたスクリーンの画像を眺める感覚で、思わず息をのみました。

いつになくシリアス。ホログラムではありながらもリアルと重なる気がしてなりません。

過去から連綿と紡ぎ出された

『Dream Is Collapsing』という視点には

じつに胸に迫るものがありました。

 

青森講演会も目前に迫って参りました。

みなさま暖かくしてお出掛けください。 

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

澤野大樹氏青森講演会主催

小野 裕美子


2025年1月16日木曜日

3674「世代間連鎖の終わり」2025.1.16

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月04日の記事を紹介します。


「世代間連鎖の終わり」


私たちの肉体では、先祖から受け継いだ、DNAの連鎖が起きています。 

DNAの特殊性による、家系に代々現れる病気、精神疾患だけでなく、見えないDNAとも呼ぶべき、家系の中で連鎖する、特殊なパターンも確かに存在しています。 

その最たる例が、

・虐待を繰り返す家系

・離婚ばかりする家系

・早死にする人が多い家系

・女系家族

・DNAが原因ではない、特定精神疾患、身体疾患の多発する家系 

など、少し考えただけでも沢山思い浮かびます。 

これらは物質的なDNAに異常が見られない以上、また特定の家系にだけ連鎖している以上は、肉体の、ある部分の特殊性、アンバランスによって、生まれた後に発生する、

・魂のクセ

・トラウマとなった精神的状況の引き継ぎ 

がそうさせるのではないかと考えられます。 

中間世記憶を持つ子供たち(生まれる前の記憶を持つ子供たち)の中には、 

生まれて来た目的を、この世代間連鎖を、自分の代で断ち切るため・・ 

そう答えるお子さんもいらっしゃるそうです。 

それは、相当勇気のある魂、気高い魂であると考えられます。 

そして人間の思いの力は、物質の組成まで変えることができる、

ガンさえも消滅させることができる・・

そのような事実から考えれば、例えDNA由来の「不幸な世代間連鎖」や

DNAに由来しない、魂のクセによる「不幸な世代間連鎖」 さえも、

私たち人間の精神は、解決できると思うのです。 

私たちの先祖も、今肉体を持たないだけで、精神は生きています。永遠です。 

自分たちの子供や孫、子孫が不幸になることを望む祖先が居るでしょうか? 

自分が助かりたいからと、子孫を不幸にしてまで、

取り縋ろう(とりすがろう)とする人が、果たしてどれだけ居るでしょうか?

殆どの先祖の方々が、自分の肉体的な繋がりのある子供たちの、

幸せを願っているのではないでしょうか? 

さてここで、春日大社元宮司、医学博士、葉室頼昭さんの書いたものをご紹介します。

もしかしたら、代々家系に続く、悪しき世代間連鎖を断ち切るヒントになるかもしれません。

<転載開始> 転載元

人間は「徳」を持って、はじめて人間と言えるのではないでしょうか。

神さまや祖先に感謝する。

親を敬い大切にする。

自分以外の人や、世間の幸せを、考えて努力する。

自然の素晴らしさに感動する。

神さまが人間にだけ与えられた、

いわゆる「徳」というものを積まないと人間にはなりません。

神さまはもともと人間には、徳というものを与えておつくりになった。

人生のいろいろな経験で、それを磨くことによって人間の真実の徳が現れ、

本当の神さまの目的である、神に近づく。

いかにして徳を磨いて現すかというのが人間というものだと思うのです。

陰徳とは

陰徳というものは、それが時空を超えて、現在の私のところにきているのです。

感謝や見返りを一切求めない。

人の悦ぶことをすることが、一番いいのです。

こういうことの積み重ねが陰徳になり、やがて子々孫々にまでその余徳が及んでいくのです。

この陰徳というのは、大きな努力をして、小さな結果を求めなさいということです。

自分の努力に見合うような結果は得られないかもしれません。

しかしそれが陰徳となって、子供や孫や子孫に伝わって、子孫が繁栄するのだと思います。

もともと日本人は、徳を積むということが人生そのものであり、子供の教育でもあったわけです。

徳を積む

徳を積まないと、人間の「いのち」は続きません。

神に感謝し、祖先に感謝し、祖先を祀る。

そういう徳を積み、自分を磨かなければ、人間のいのちは伝わっていかないのです。

『徳』、すなわち人間のいのちです。

人の幸せのために生きるとか、世の中を幸せにしていく。それが徳です。

そういうことによって、人間が本来持っている、徳というものが磨かれて出てくるのです。 

<転載終了>

・人の喜ぶことをする

・人が笑顔になることをする

・人が勇気を出すことをする

・人の心が優しくなることをする 

そのような徳を積むことで、その功徳は、時空を超えるのだそうです。 

自分の子孫はもちろん、先祖さえも幸せにすることができます。 

私たちが、神さまの道を歩み、心を洗い、何かモノに依存したり、

誰か人に依存・執着したりせず、

自分の足で立ち、真心を、周りの人に配ったら、 

それだけで、徳を積み、 

私たちの過去(先祖)も、未来(子孫)も幸せにすることができます。 

神さまの道を歩んでいるのですから、怖いものはありません。 

悪しき世代間連鎖 

家系の中に延々と続いていた 悪しき慣習は 

全て、融けて無くなって行くことでしょう。 

そうなった時、大きな二つの柱 

・血の繋がり、肉体的な繋がり

・魂の繋がり 

の内の血の繋がりは浄化され、 

それに連なる、何百万もの人々が幸せになることができることでしょう。 

私たちは、心の世界から、この地球に来ました。 

私たちの魂の元は、大神様から頂いたものです。

尊いものです。 

だから誰の心の中にも「仏心」が存在しています。 

その心が、徳の積み重ねによって、清浄となり、光り輝けば、

全ての不幸の連鎖は終焉を迎え、私たちに連なる全ての人々の、

幸せへと繋がって行くことでしょう。 

全ての始まりは、

私たち一人一人の決心と、行動の一歩から始まります。


2025年1月15日水曜日

3673「最強の言葉」2025.1.15

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月03日の記事を紹介します。


「最強の言葉」


皆さん、この言葉ご存知ですか?

「断じて行えば、鬼神も之を避く」 

断固とした態度で行えば、鬼神でさえ、その勢いに気(け)おされて避けて行く。 

と言うことだそうです。 

私は、これを 

「ありがとう」の言葉を常に口にして、 

感謝の心で生きている人のことだと思います。

「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にする人に対して、 

どんな人が、

・蔑み(さげすみ)、

・陥れ(おとしいれ)

・危害を加え

・足を引っ張る 

ことができるでしょうか?

以下に1分間の短い動画ですが、

「ありがとう」の強力な威力を示す動画をご紹介します。

それでは、歴史研究家の 河合敦さんのエッセイをご紹介します。

<引用開始> 引用元

赴任先は知的障がいを持った生徒が通う養護学校で、

僕が初めて受け持った子供たちとの出来事です。

その日、子供たち10人、担当の先生3人で、小田原に遠足に行きました。

お昼になり、昼食を食べるお店を探したのですが、どこも13人の団体は入れず、

ようやくあるお店お蕎麦屋さんに入ることができました。

2階の座敷に通され、女性の店員さんが注文を取りに来ました。

ところがメニューに写真がありません。

子供達は言葉が喋れなかったり、

字が読めなかったりするので、僕が一つひとつ説明していたら、

その店員さんは忙しかったんでしょうね、プイと下へ降りちゃったんです。

僕はその態度にすごく腹が立ちました。

ようやく注文が決まり、別の店員さんに頼みました。

待っている間、僕たちは畳の座敷にそのまま座らされていたので、

座布団はないかなと押し入れを開けたら、ありました。 

僕はそれを出して配り始めました。

そしたら最初の店員さんが血相を変えてやってきて、「これは使わないでください!」と私からひったくり、

別の場所から持ってきた座布団を投げつけるような乱暴さで生徒たちに配り始めたのです。

さすがに僕はブチ切れて、一言、言ってやろうと口を開きかけたその時、

座布団を受け取った勇太(仮名)が「おばさん、ありがとう」と言ったんです。

そしたらほかの子供たちもみんな「ありがとう」「ありがとう」と言い始め、 

言葉が出ない子は手を合わせて頭を下げたのです。

その光景を見た時、僕はもうグッときてしまいました。 

すると、その店員さんは人が変わったように急に優しくなったんです。

それまで忙しくて心に余裕がなかったんでしょうね。

13年後、勇太が亡くなったことを知らせるお母さんからの手紙が来ました。

その中に、葬式に参列された方のコラムが同封されていました。

その方は、13年前に僕が書いたエッセーのことに触れた後、こう綴っていました。

『・・・勇太が発した「ありがとう」の一言で、食堂の店員も河合先生も、 

その場にいた皆が、とても和やかな気分になったという。感動した。

そうか、勇太はそんなこともしたのか、と。

そこに知的障がい者たちの素晴らしさを見た。

白木の棺の横に大書きしてあった「ありがとう」の意味もよくわかった。

息を引き取る直前、何か言いたそうだったので、

お母さんが「ありがとう、なの?」と聞いたら、勇太は頷いたそうだ。

勇太は心から「ありがとう」と言える若者だったのだ」

それを読んで僕は涙が止まりませんでした。

僕の書いたエッセーがずっと彼の家族の支えになっていたんです。

彼は30年という短い生涯を終えたわけですが、

「ありがとう」という言葉は、これからも彼の家族を支えていくと思います。

<引用終了>

どんなに敵意むき出しの人であろうと、自分に向けた「ありがとう」という言葉に

心を動かされない人はありません。 

神さまは、人間の本能の中に 

・ありがとうと言われると(感謝されると)、嬉しい 

という仕組みを入れてくださっているからです。 

感謝の心、「ありがとう」の言葉は、自分の心も安定させ、不安を払しょくしてくれます。 

安心感をもたらしてくれます。 

何故なら、その言霊の生み出す、波動空間に自分自身が包まれ、無意識の内に 

神さまと 

・仲良くなった

・融合した(一体化した)

・神さまに愛されている

・宇宙が味方してくれている 

そう気付くからです。 

皆様が、内なる神さまに気づき、お幸せになりますように。

2025年1月14日火曜日

3672「新春に当たって」2025.1.14

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月02日の記事を紹介します。


「新春に当たって」


神さまの意識を持ったまま生まれた、小学生のトキ君たちの情報では、 

良き情報として今後は、日本に沢山の神様が生まれてくるそうです。 

その結果、神仕組みを実現しやすくなるのだそうです。

世の中が、神様の計画通り、大きく動き出すのだそうです。

また今後は、ますます神様を信じる人の数が増えそうということです。

私も、人間が神さまと直接的に繋がることで幸せになれると思っています。

ですので、私なりではありますが、神様の情報をお伝えし、

一人でも縁のある方々が、神様と繋がってくださるよう努めていきたいと思います。

それがひいては日本人の精神性の復活(縄文回帰)に繋がり、

世界や地球の平和、人々の幸せに繋がると思われるからです。

今日は難しいお話ではなく、誰でもが、簡単にできることで、癖にしてしまうことで、

着実に心の罪(包身 つみ)、穢れ(氣枯れ けがれ)を祓い、

何者にも動じない真の幸せを手に入れる方法を書きたいと思います。 

即効性の効果が万人に現れやすい方法です。

私もスタートはここからでした。

簡単すぎて、単純すぎて、あほらしいと思われる方は、どうぞスルーされてください。

この方法は科学では証明できませんし、バカみたいな方法なのですが、

本当に今の生活に疲れ、苦しみ、

泣いていらっしゃる方にとっては、きっと救いの方法になると思います。

信じてくださる方は是非、諦めず、ずっと実践を続けてみてください。

最初は、1週間。そして1ケ月。

そうこうするうちに、不思議なことが起こり始めます。

そして3ケ月、1年もすれば

はっきりと、自分の心がすっかりと変わったことに気づくことでしょう。

そしていつの間にか自分の周りには、

・良いことしか起きなく

・良い人しかいない

ことに気づくことでしょう。

そして不安は無くなり、決して依存的な心からではなく、神様を信じることが出来、

感謝と希望に満ちた日々を送ることができることでしょう。

では、その方法を書きたいと思います。

小林正観さんと言う、かつてブッダや空海の弟子だった過去を持つ方です。

プレアデスから来られた方が教えてくださいました。 

また最近では小学生の神様トキ君も同じことを言っています。

<引用開始> 引用元 

【「ありがとう」を言うと、奇跡が起こるらしい】

「ありがとう」を言った数がある一定数を超えたとき、

奇跡としか言いようのない現象となって、その人に降り注ぐことがあります。

しかも「ありがとう」を言うときに、「心は込めなくてもいい」というのが私の考えです。

心を込めなくても大きな効果が得られるのが、「ありがとう」の凄いところだと思います。

「ありがとう」を、ただひたすら3日間「心を込めない」

で言い続けた人から、このような話を聞きました。

1日目と2日目は何事もなかったそうです。

ところが、3日目の朝、夫を送り出したあとに「ありがとう」を1000回ほど言っていたら、突然、お腹の底から熱いものが込みあげてきたそうです。

熱いものはそのまま口を通り過ぎて上に上がり、

やがて、目から「滝のような涙」が流れ始めたといいます。

そして、涙が出てからは、心の底から「ありがとう」と思えるようになって、

それどころか、コーヒーカップやお皿など、

身の回りにあるものが「ありがとう」と自分に話しかけてくるような気がしたそうです。

彼女は「お礼を言うのは自分のほうだ。こちらこそ、感謝だ」という気持ちになりました。

身の回りにある、一つひとつのものに「こちらこそ、ありがとう」

「こちらこそ、ありがとう」と感謝を伝えました。

なぜ、身の回りのものが「ありがとう」を言い返しているような気がしたのでしょうか?

彼女が「ありがとう」を言い続けていたことで、

「モノ」の中に入っていた魂が目を覚ましたのかもしれません。

この女性から「ありがとう」を言われ続けた結果、

椅子、机、時計、黒板、サインペン、シャツ、ベルト、コーヒーカップ、

お皿といった「モノ」の中に「ありがとう」のエネルギーが溜まっていって、

「ありがとう」のエネルギーがある時点で臨界点に達してあふれ出し、

「ありがとう」と言われていると感じたのかもしれません。

「モノ」たちはニュートラルな状態で存在していたのに、

女性が口にした「ありがとう」のエネルギーを溜め込み、

やがてエネルギーが臨界点を超えて、あふれ出したように感じたと考えるでしょう。

では、「モノ」に言っている「ありがとう」を人間に言ったらどうなるでしょう。

「モノ」ですら言い出すとしたら、人間の魂なら、なおさら「ありがとう」を言い出すことでしょう。

すごく不機嫌な人、投げやりな人、非常に否定的な人、攻撃的な人がいたら、

その人に向かって「ありがとう」を言ってみる。

すると、この人たちの不機嫌さが治ってしまうことがあるようです。

スーパーマーケットでお金を払い終わったときに「ありがとう」と言って帰る。

喫茶店でお金を払ったときに、「ありがとう」と言って帰る。

片っ端から「ありがとう、ありがとう」と言っていったら、世の中はものすごく変わると思います。

もし、世の中のすべての会話が「ありがとう」で成り立ったら、

戦争、争い、憎しみはすべてなくなるかもしれません。

何かをしてもらったときに「ありがとう」を言うのではなくて、

してあげたときにも「自分にさせていただいて、ありがとう」と言うようにすると、

世の中は、よい方向に変わっていくのではないでしょうか。

最後に、こう言わせてください。

「こういう話をさせていただいて、ありがとうございます」

<引用終了>

如何でしょうか? 

あまりに簡単すぎてバカバカしいでしょうか? 

今回書いた方法は単純です。

難しいことは一つもありません。 

ですが、神様に近づくための第一歩にきっとなる方法です。

・暇な時も

・寝ている時も

口癖のように「ありがとう」と言い続けてみてください。 

必ず何かが変わります。 

1年後、今年の年末にその結果を教えてください。 

私の予想では、途中で投げ出さず、続けられた方は、 

同じ空間に居ても、きっと幸せな別次元を生きていらっしゃると思います。

但し、この期間に、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言うと 

せっかくの「ありがとう」の蓄積が

リセットされて0になってしまうので注意が必要です。 

ですが、もし、不平不満・愚痴・悪口・泣き言・文句を言ってしまっても 

言って10秒以内に「今のはナシ」と言ってしまえば大丈夫だそうです。

安心してください。

では、2025年、皆さま幸せな良き年をお迎えください。



2025年1月13日月曜日

3671「私たちの本当の力」2025.1.13

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月01日の記事を紹介します。


「私たちの本当の力」


2025年、新年明けましておめでとうございます。 

ここ数年、

・コロナウイルス、

・ウクライナとロシアの戦争(世界覇権の移動)

・イスラエルでの戦争

と様々な困難に人類は直面しました。

一見絶望的に見える状況の中でも、神仕組みは着実に進行し、

もう人類は長い長い、そして暗いトンネルを超えるところまで来ました。 

でも、その新生地球の住民になるためには私たち一人一人が、心を洗濯し、

他人に依存することなく、自らの足でしっかりと、地面に立たなければなりません。

自分では何もせず、放っておいても、どこかの誰かが何かをやってくれて、

勝手に幸福になるわけではありません。 

むしろ、その依存の心は、足かせとなり、心を弱らせ、氣枯れ状態を作り、新生地球どころか、その心にふさわしい、時空間に誘われてしまうことでしょう。 

世界は、もう後戻りできないほどの変化を遂げました。 

今は戦争、汚職、失業、倒産、医療崩壊など、負の側面がクローズアップされていますが、 

その背後では、様々なことが神仕組みによって動いています。 

全てが、2010年を境に始まった

神々による「建て替え」

人々による「立て直し」

つまり「精神性の復活」の方向へと繋がっています。  

また、今まで隠されていた巨大で邪悪なものも

あぶりだされ、人々の目に触れるようになってきました。 

また同時に、私たちの隠されてきた本当の力に気づく人も増えてくるでしょう。

それとは逆に、変化を拒み、今までの惰性のままに

支配と依存の関係性にしがみつこうとする人もいらっしゃることでしょう。 

どちらの道も、本人の自由意志が尊重された

同じ波長を持つ地球へといざなってくれることでしょう。 

では今日は、私たち人間が持っている、本来の力について書こうと思います。 

その本当の力を知ることにより、その本当の力を使いこなし、

目の前の辛く、苦しく見える経験を、勇気と笑顔で、乗り越えて行って頂きたいからです。 

返って、その逆境を自分の魂の糧として、幸せへの、飛躍のバネとして頂きたいからです。 

この力については、ある邪悪な意図を持って、昔から私たち人類に隠されて来ました。

それは、私たちを無知と恐怖に縛り付けていた方が、彼らにとって都合が良いからです。 

さて、マザーテレサは、毎日何百回も、彼女の内なる神さまに対し、

下記の祈りを繰り返していたそうです。

私の心の中におられるイエスよ、

あなたの優しい愛を信じます。

あなたを愛しています。

マザーも、自分の心の中の神さまを信じていたのですね。

何時も祈りを通じ、内なる神さまとお話していたのですね。

私たち人間は、本来、神さまと同じ能力を持つと言われています。

今はこの地球という時間・空間に縛られていますが、

本来の私たちの意識は途方もない能力を持っています。

私たちはあえて、この制約の星と言われる「3次元の地球」に来ていますが、

それは、ここでしか味わえない濃密な経験をするためです。  

それは喜び、悲しみ、楽しみ、苦しみなど様々な経験です。

本来私たちは、「上にあるが如く、下にかくある」と言われるように、 

元居た上の世界のように、、意識によってあらゆるものを作り出し、

変えて行く能力を持っています。 

意識の力により、対象となるものにパワー(エネルギー)を与えることもできます。

そして、私たちが意識を向けない限り、つまりパワーを与えない状態が続くと、

そのものの力は衰え、いつしか消滅してしまいます。

逆のことを言えば、意識する限り、その意識の強さ、そして回数が多いほど、 

対象に対し、大きなパワーを与えていることになります。

これが神社仏閣や、神さまゆかりの地のパワーの源泉でもあります。

もともとの神さまの神聖なパワーと、私たち生きている人間たちの、継続的な祈りのパワーによって、その場の力が維持され、強力になっていきます。

ですから、マザーが毎日何百回も、内なる神さまに対して語りかけていたということは、

それだけ、内なる神さまに、大きな愛のパワーを、人間側である、

マザーが与えていたということになります。

その結果、マザーの中の神さまは、大きな愛の力を持つに至りました。

そしてもう内側だけでは収まりきらず、

多くの愛の光を、マザーの肉体を通して放射していたことでしょう。

その見えない愛の光を感知した多くの人たちが、見えない糸により引き寄せられ、

より大きな愛のパワーが生まれてきました。

このように私たちの意識には大きな力があります。

私たちは見た目だけの、ちっぽけな肉体だけの存在ではありません。

神さまに愛されて、神さまの能力を分けて頂き、この世に生まれてきました。 

そして全ては繋がっています。

マザーはこうも仰っています。

あなたの身体中の一個一個の細胞に、

世界中を照らし出すほどのパワーが潜んでいるのです。

神様はあなたが生まれた日に、そのパワーをそこに吹き込んでくれました。

そして、あなたが考えうる限りの愛の思いが、さんさんと光を発し、この世界を照らし出し、

そしてこの地球を、よりよい場所に変えていくのです。

それだけあなたはパワフルなんです。

それほどに、あなたは愛に満ちているのです。

私たちは、自分自身を卑下することなく、嫌うことなく、内なる神さまと、

生まれる時に神さまから頂いた、その息吹を信じて生きていきたいですね。

どんな人にも内側に神さまがいらっしゃいます。

その神さまは、私たちが意識を向けるたび、

話しかけるたびにパワーを増していきます。

そして、周りの人たちの内に居らっしゃる神さまと同調する力も大きくなります。

動物、植物、鉱物、構築物、機械、自然現象の中に

居らっしゃる神さまと同調する力も強くなります。

それこそが、サポートオブネーチャー(自然界の協力)と言われる、

全宇宙が味方になってくれる瞬間です。

まずは、自分の内なる神さまを信じること、愛すること、話しかけてみること・・

そこから始まります。

皆様もどうぞ、内に居らっしゃる神さまに、話しかけてみてください。 

必ず答えは返ってきます。

それは直截的な言葉の閃きであったり、後に人の口を介して語られたり、 

もしくは笑い声、川の流れ、風などの外応として示されるかもしれません。 

愛すれば愛するほど、答えてくださいます。 

皆様の2025年が、喜びと感謝に満ちた佳き年でありますように。


2025年1月12日日曜日

3670「医療宗教国家を見ながら過ごす年末」2025.1.12

 今回はInDeepさんの2024年12月29日の記事を紹介します。


「医療宗教国家を見ながら過ごす年末」

 医療宗教国家を見ながら過ごす年末 - In Deep


医療カルトが常に待ち構える世

記事というより雑談ですが、年末、インフルエンザが流行しているという話はいいとして、こういう時には、必ず医療サイドからの「マスク推奨」の話が出てきます。

最近もいくつも見ましたけれど、見るたびに、

「あのよお、兄ちゃん…」

というヤクザ的な反応が出てしまうのですけれど(いくつだよ、お前は)、まあまあ、私の年齢のことはともかく、コロナのときのような、4年とかにわたるマスク禍というような異常な状況も含めて、「感染症 - マスク」とすぐにストレートに結びつくのは何なん? と本当に思います。

それらの個別のマスク推奨記事をリンクする気にもならないですが、しかし、「何に対しての効果をこの人たちは言っているのだろう」とは常に思います。

たとえば、インフルエンザウイルスは、飛沫などではなく、

「呼気そのものにより伝播する」

ことは、以前の研究で明確に示されています。エアロゾルによる伝播ですが、実質的に空気感染ってことですね。

以下は、米メリーランド州などの研究者が 2018年1月に米国 科学アカデミー紀要(PNAS)に発表した論文の概要からです。

ウイルスRNAは、上気道症状と正の相関があり、年齢と負の相関があったが、微細エアロゾルまたは粗いエアロゾルのウイルスRNAまたはその予測因子とは有意な相関はなかった。くしゃみと咳は感染性エアロゾルの生成に必要ではなかった。

pnas.org

この研究では、インフルエンザ患者は、かなりの量のインフルエンザ・ウイルスを呼気から吐き出していることがわかったのですが、これらを外部に伝達するためには、「咳やくしゃみは必要がない」ことがわかったのでした。

「伝播は単に呼気だけ」

で行われていることがわかったのです。

呼気からのエアロゾルの排出をマスクで止める?(苦笑)

無理です。

ほぼすべてのウイルスの伝播が「単に呼気」で行われているのなら、完全に伝播を止める方法はひとつしかないのです。

それは、「完全に呼吸を止める」ということです。もちろん短時間ではいけません。インフルエンザの罹患期間が 1週間なら、1週間「完全に呼吸を止める」ということです。

これで伝播や感染は予防できるはずです。

1週間も呼吸を止めていて生きていることかできるのか? そんなことは知りません。単に科学的に「完全にウイルスの伝播を止める方法」はこれしかないという話です。

 

ほら。 

どちらに転んでもバカバカしい話でしょ。

1億2000万人のすべて日本人の息の根を止めれば、インフルエンザの流行は止まるかもしれませんが、「感染の予防」という話は、どの方向から見ても、最終的にはこんな馬鹿げた話となっていくわけです。

最も合理的な話は、

「感染予防などという医学を捨て去る」

ことしかないのですが、それはおそらく今後もなされない。

インフルエンザワクチンにしても、アメリカで過去最大級の季節性インフルエンザの大流行が起きた 2019/2020年シーズンには、どんなことが背景にあったかご存じでしょうか。

「その年に、過去最大のインフルエンザワクチンの供給がなされた」

のです。

2008年から 2019/2020のシーズンまでの米国でのインフルエンザワクチンの供給量は以下のようになっていました。

米国のインフルエンザワクチンの供給量の推移

・2008-2009年 1億1090万回分

・2009-2010年 1億1400万回分

・2010-2011年 1億5510万回分

・2011-2012年 1億3200万回分

・2012-2013年 1億3490万回分

・2013-2014年 1億3450万回分

・2014-2015年 1億4780万回分

・2015-2016年 1億4640万回分

・2016-2017年 1億4590万回分

・2017-2018年 1億5530万回分

・2018-2019年 1億6910万回分

・2019-2020年 1億7330万回分(このシーズンに過去最悪のインフルエンザの流行)

CDC

予報医学の威力がこれですよ。

現在の日本のインフルエンザの大流行にも、こういう部分があるようには思いますが、日本のワクチン供給量などの正確な数値を知りませんので、それらにはふれません。

ちなみに、米国では、インフルエンザワクチンの供給量は、1980年代から 10倍近くになっていて、そして、「毎年毎年、インフルエンザ報告数は悪化し続けて」います。

何もしなければ、そんなことは起きなかったんです。

日本も同じでしょう。

先ほどのメリーランド州の研究者たちの論文にあるように「エアロゾルに乗って空気中をインフルエンザウイルスが漂う」というなら、接種した人が増えれば増えるほど、大気中のそれらは増えていくわけですので、ウイルスに暴露する人が増えるのは当然です。

そして、今のようにインフルエンザ患者数が多くなったとして、多くの人々が病院にかけつける。

 

病院に行く方にお伺いしたいのですが、

「インフルエンザで病院に行って、何か治療があると?」ということです。 

長い時間、寒い中で診療待ちをしているくらいなら(特に子どもなどは)家で暖かくして寝ているほうがいいに決まっています。

長い時間待って、それでようやく診療を受けて、「はい、解熱剤どうぞ、はい、咳止めどうぞ」です。

治療とは何ですか? という話です。

 

もっとも、私は、医師のほうの態度を問題としているわけではありません。

多くの医師は、一生医療洗脳から抜け出すことはできません。

医学部や研修時代に「教義」として習った宗教的信仰を捨てることなどできないからです。

問題は、「なぜ私たち医療とは関係ない一般人まで、そんな宗教カルトに傾倒する必要があるのか」という話です。

 

誰もかれも行き過ぎなんです、病院に。

その中で、ついには、先日書きましたけれど、インフルエンザ脳症などの「子どもの犠牲者」まで出してしまう。

38℃の熱で病院に行くということが「どれだけ異常な宗教か」ということに気づいてほしいです。

人々の免疫力の弱体化の問題もあり、来年はさらにいろいろな感染症が流行すると思われます。その度に、マスクだなんだと社会生活を医療者から壊される繰り返しはやめなければいけないと思うんです。

それには医療とはまったく関係のない私たち一般の人の意志と自覚が必要なんですけれど、しかし、どうなりますかね。


2025年1月11日土曜日

3669「新年の初動のエネルギー」2025.1.11

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月31日の記事を紹介します。


「新年の初動のエネルギー」

今年もあと残すところ今日1日となりました。 

残酷な戦争をはじめ、誰にもはっきりとわかる形での激動の年も終わります。 

年の終わりの締めくくりにイエスの述べた「愛と感謝」について書こうと思います。

イエスは「山上の垂訓」の冒頭で このように言われました。


心の貧しい人々は幸いである。

天の国はその人たちのものである


この心の貧しい者とは

・虐げられ、

・病に伏し、

・投獄され、

・殺され、

・神の前に無であるような人々のこと。

心身ともに「貧しく」、それゆえに、神にすがる以外の道がなく、神の前にへりくだる人々。

そういう人々のことを「(霊において)貧しい人々」と言い、

彼らこそ、神の国に入る「光の子ら」と言いました。

天国に行くには、

人生の中で、善悪の積み重ねで、善が上回ったら天国に行ける・・ 

と言うものではありません。

いくら善人として一生を過ごしても、 

死ぬ間際に誰かに裏切られ、恨みと憎しみの心のまま死んだとしたら、天国には入れません。


地獄のような心境で亡くなれば、

その心境にふさわしい世界を自分で創ってそこに囚われます。

(囚われ領域、信念体系領域とも呼びます)

逆に、どんな極悪人であっても

死ぬ間際に、自分の人生を反省し、悪かったと、心からお詫びし、 

愛と奉仕の心で生きようと決意していれば、 

その心にあった世界、つまり天国に旅立ちます。

このことはインドの聖典「マハーバーラタ」の中で、クリシュナ神も同じことを述べています。

また一見、人格者、良き人、正しき人、指導者のように見える方でも、 

最後の最後まで残る「怒り」や「憎しみ」の心というものがあるようです。

それは、その方の持つ「正義感」と「使命感」が逆に作用をしてしまうことが多いからです。

正義と使命を自分の中だけで背負うのは良いのですが、

それを全ての人にとって同じく正しい価値観だと誤解してしまい、

自分の「正義感」と「使命感」を周りに振りかざし、押しつけ

それがなかなかうまくいかないと分ると、

結局、自分の中に怒りと憎しみの心を育ててしまうからです。

もしかしたら、それは 

・周りに苦しんでいる人がいるとき、

 それを自分が解決してあげなければいけない、なんとかしてあげなければ、と思うこと。

・自分はちゃんと生きているのに、

 周りの人は同じように、ちゃんと生きていないではないか。 

・自分はちゃんと働いているのに、

 周りの人は同じようには働いていないではないか、という怒り。

からくるのかもしれません。

自分は、、、自分が、、と自己主張ばっかりですね。  

若々しく元気な人が、身障者用の駐車スペースに

我が物顔で駐車しようと、そんなものは放っておけば良いのです。 

怒り狂って、正義を振りかざし、自分の心をまっ黒にする必要は、ありません。 

・自分のまいた種は刈り取らねばならない

・自業自得

・因果応報

・与えたものが、受け取るもの

が示す通り、全ては神さまの采配で、自然と巡り巡って行きます。

このことを、「復讐するは我に在り」と言います。 

我、つまりは神さま。 

全ては、その後に神さまが行ってくださいます。 

私たちが自分自身の手で、他人を裁く必要など一切ないのです。

イエスはこう仰いました。

・弱き者は幸いなり

・病める者は幸いなり

・貧しき者は幸いなり

天国は彼らのものである


今まさに、逆境に置かれ、悩み苦しみ、そして涙して、それでも前を向いて歩こうとする

「心貧しきもの」である皆さん。

どうか勇気と希望をお持ち下さい。

天国の門、幸せへの門は大きく開けられています。

プライドが高く、「自分は善人である」という高慢な心よりも、

例え貧しく、弱く、何も持たなくとも、神の前にへりくだり、

今のまま、与えられた環境の中で、 

精一杯人生を楽しみ、生きて行こうという心を神さまは祝福するからです。 

今置かれている逆境が、研ぎ石となって自分の心を養い、

そして天国への道を作ってくれるものだからです。 

ですから、その逆境にこそ、感謝すべきもの、なのかもしれません。

神さまの愛から出ているものだからです。 

今日は、いよいよ大晦日(みそか)。

もう既に、来年2025年を動かす大きなエネルギーが、すぐ近くまで来ています。 

それは、今はまだ 無色透明です。

良き色

(楽しいこと、笑顔と感謝の日々、助けいあい、人々と調和しあう日々)も、 

そして 

悪い色

(憎しみ、悲しみ、苦しみ、疑心暗鬼、奪い合い、不平不満、悪口の世界) 

をつけるのも、全てが自分の心次第です。

※物事の受け止め方や、考える方向性 

私たちの心が全て決めます。

心が変わらない限り、現実は変わりません。 

心にこそ、全ての初動のエネルギーがあるからです。 

何処かの誰かの凄い力で変えていただくわけではないのです。 

心と意識が、私たちの生きる現実を作っているからです。 

どうぞ、今日一日、心穏やかに過ごし,未だ無の中に存在している,

来年に向けての、見えない大きなエネルギーをお正月の静寂の中で熟成させ、 

その初動のエネルギーを良き年が来ることに、お使いください。

それが可能だからです!! 

今日、温かな優しい心、周りの方々を慈しむ心、

出しゃばらず、そっと見守る「愛の心」 

助け合い、調和していこうとする「お陰さまの心」 

今まで生かし、育ててくださった人々、

友人への「感謝の心」でお過ごしください。 

来年は、今年の惰性でも延長でもありません。

私たちの、今の心が決めることです。

皆さんがご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、お幸せになれますように。 

本年もありがとうございました。 

良いお年をお迎えください。

  

2025年1月10日金曜日

3668「お陰さまの心」2025.1.10

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月29日の記事を紹介します。


「お陰さまの心」


今日のテーマはお陰さまの心です。 

本当に、本当に大切なことです。 

人間の一生の幸、不幸を左右するほどの力があります。  

この「お陰さま」の心は、日本人固有の意識のようで、

英語に正しく翻訳することができないのだそうです。 

敢えて言うなら

・Luckily 「ラッキーなことに」

・Fortunately 「幸運なことに」

しかないそうです。 

でも、私たちがこの言葉を使う時、そんな薄っぺらい意味では使っていません。

もっと、温かで、敬虔な、見えない物、神さま、先祖、周りの方がたに

深い感謝の気持ちを含んでいます。 

ここで、上所重助さんの詩をご紹介します。 

<引用開始> 引用元

夏が来ると「冬がいい」と言う

冬が来ると「夏がいい」と言う

太ると「痩せたい」と言い

痩せると「太りたい」と言う

忙しいと「暇になりたい」と言い

暇になると「忙しい方がいい」と言う

自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い

自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う

借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる

金を持てば 古びた女房が邪魔になる

所帯を持てば 親さえも邪魔になる

衣食住は昔に比べりゃ天国だが

上を見て不平不満の明け暮れ

隣を見て愚痴ばかり

どうして自分を見つめないのか

静かに考えてみるがよい

一体自分とは何なのか

親のおかげ

先生のおかげ

世間様のおかげの固まりが自分ではないか

つまらぬ自我妄執を捨てて

得手勝手を慎んだら

世の中はきっと明るくなるだろう

「俺が」、「俺が」を捨てて

「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい 

<引用終了> 

神社にて御祈願をする時、ふと迷うことがあります。 

・開運福寿

にしようか? 

・厄災難除

にするか? 

皆さんなら、どちらにしますか? 

・ちょっとぐらい災難に見舞われても、ツキがどんどん入ってくる人生が良いか?

・大きな幸運が来なくとも、平凡な日々でも、平穏無事で暮らせる人生が良いか? 

私は、何もなくとも、平穏無事な方を選びました。

病気や事故。

経験したことのある方ならお分かりなように、健康だった時、

何気なく過ごしていた毎日がどれだけ幸せだったか気づく人もいることでしょう。

また、どれだけ私たちの肉体が、沢山の細胞やその他の調和・バランスの上に

維持されていたのかに気づく人もいるでしょう。

何かが少し欠けただけで、不調になっただけで、

肉体の健康を維持することができなくなります。

全ての細胞たちが、自分の役割を全うし、調和して働いているが故に、 

私たちは、何気ない日々を送ることができるのです。

その調和を維持しているのは誰ですか?

その設計図を書いたのは誰ですか?  

ダーウィンですか?

勝手に肉体が動いているから、そうなっているのですか?

違います。

全ては神さまが設計し、そしてそれを一瞬一瞬、維持してくださっているからです。

病気で入院などすると、それに気付くことができます。

そして、そこには感謝しかありません。

そういう意味では、病気も事故も意味のあることです。

それを、私たちが生まれる前に人生のシナリオの中に、組み込んでくるのも分かります。

そういった「お陰さまの力」を何も知らず、気付かず、おのれ一人の力で生きているという

傲慢なまま人生を終えて、何の価値があるでしょうか。

宇宙の仕組み、神さまの存在、お互いさまで生きていることに気づくこと。

助け合うこと、互いを尊重すること、傲慢にならないこと。

全ての全てに 真心をこめて、優しく接すること。。

このこと以上に、私たちが生まれてきた意味において、大切なことは無いのかもしれません。


2025年1月9日木曜日

3667「幼き天使」2025.1.9

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月27日の記事を紹介します。


「幼き天使」


素直で謙虚な心で周りを見渡してみれば、神々はどこにでもいらっしゃいます。 

・人の心の中

・目立たなくても精一杯、今を喜び花を咲かせる植物たち

・人間を信じ切った瞳で見つめてくれる動物たち

・さえずる小鳥たち

・元気を出してというかのように周りを飛んでくれる蝶々、トンボ

・いろんな表情を見せてくれる大空の雲 

決して目立ったり、自分を誇ったりしているわけではありません。 

でも、彼らの中には確実に神々がいらっしゃり

私たちに慰みを与え、勇気と希望の光をくださいます。 

私たちも同じように、身近な誰かの小さな心の灯になれたら幸せですね。 

さて以前、白血病について、記事を書いたことがあるのですが、

今日は加筆してご紹介します。

 

世界の中心で愛を叫ぶ 

植木亜紀子という11歳で亡くなった小さな女の子が居ました。

1971年11月17日生。

1975年7月急性白血病と診断され入院。

1983年1月九回目の入院。

1983年3月12日死去

今日は、亜紀子ちゃんが残した9冊の日記を出版したお父様

(植木誠さん)のお話をご紹介します。

<引用開始>

22年前、11歳だった娘の亜紀子は

「ママ、ごめんね……」という言葉と9冊の日記帳を残し、この世を去りました。

3歳で白血病を発病し、人生の大半を闘病生活に費やした彼女の最期は、

穏やかで安らかなものでした。

しかし私の胸の中に去来したのは、

罪悪感以外の何ものでもありませんでした。

当時私は中学校の国語の教師をしていましたが、22年前といえば日本中の中学が荒れに荒れ、私の赴任先も例外ではありませんでした。

昼間、学校で生徒指導に奔走し、ヘトヘトになって帰宅すると、娘が一晩中、強い薬の副作用で嘔吐を繰り返す。

あるいは妻から「きょうは亜紀子が苦しそうで大変だった」と入院先での容態を聞かされる。

「俺はもうクタクタだ。一息つかせてくれ」と心の中で叫んでいました。

そしてある日、妻にこう言ったのです。

「治療はおまえに任せる。俺は学校で一所懸命仕事をする。 

経済的に負担をかけないようにするから、任せておけ」

もっともらしく聞こえるでしょう。 

しかし本心は「逃げ」でした。

彼女を失い、初めて治療に関して「見ざる・聞かざる」の態度を取り続けたことへの罪の意識が重く重く圧し掛かってきました。

なぜ、もっと一緒に病気と闘ってやらなかったのだろう。 

俺は罪人だ……。

もういまさら遅いけれども、彼女の8年の闘病生活と向き合いたい。

その思いから、娘が残した9冊の日記帳に手を伸ばしたのでした。

「十二月二日(木)

 今度の入院からはいろいろなことを学んだ気がします。

 今までやったことのない検査もいろいろありました。

 でも、つらかったけど全部そのことを乗りこえてやってきたこと、

 やってこれたことに感謝いたします。

 これはほんとうに、神様が私にくれた一生なんだな、と思いました。

 きっと本当にそうだなと思います。

 もし、そうだとしたら、私は幸せだと思います」


「二月十日(木)

 早く左手の血管が治りますようにお祈りいたします。

 そして日記も長続きして、元気に食よくが出ますように。

 また、いつも自分のことしか考えている子にしないで下さい」


点滴点滴の毎日で左手の血管が潰れ、文字は乱れていました。

それでも一所懸命書いたこの一文に11年間の彼女の人生が象徴されているようで、

私にはとても印象に残りました。

あれは彼女が亡くなる数日前のことでした。

朝、妻に頼みごとをして仕事へ行きましたが、その日は検査や治療で忙しかったらしく、

夕方私が病院に着いた時、まだ手つかずのまま残っていました。

「きょうは忙しくてできなかった」

と妻に言われ、一瞬ムッとした顔をしましたが、娘はそれを見て、

「ママやってあげて。私のことはいいから」と言ったのです。

命が尽きるその時まで

自分のことだけを考えている子ではありませんでした。

すべて読み終えた時、私は胸を打たれました。

普通に学校にも通いたかったでしょう。

こんなに苦しい闘病生活を送らなければならない運命を恨みたくもなったでしょう。

しかし日記には 

・同じ病室の子どもたちを思いやる言葉や、

・苦しい治療に耐える強さをくださいという祈りの言葉、

・明日への希望の言葉、

そんな強く美しい言葉ばかりが記されているのです。

広い世の中から見れば、一人の少女の死に過ぎませんが、この日記から得る感動は

親の贔屓目ではなく、誰もが同じ気持ちを抱くだろうと思いました。

私は彼女へ対する懺悔の気持ちと相まって、

「娘の日記を世に送り出したい」と思い至りました。

そうして教職を辞して出版社を設立、娘が残した日記をまとめ出版したのです。

各マスメディアが取り上げてくださったおかげで反響を呼び、映画化もされました。

たくさんの激励のお手紙をいただき、それを励みに今日まで毎年一冊ずつ

彼女が残した日記を出版し続けることができました。

もちろん、行き詰まりそうになったことはたくさんあります。

人は私のことをただの「親ばか」だと思うかもしれません。

しかしこの22年間、私は娘の日記によって生かされてきました。

読者の方や講演先とのご縁をいただき、 

さらに

・感動した

・これからもあっ子ちゃんのことを伝えてください 

という励ましの言葉をいただける。

それがいまの私の支えです。

娘の亜紀子は短くとも最期まで前向きに、他の人を思いやって生き抜きました。

本当はもっと生きたかったはずですが、それは叶わなかった。

そんな女の子がいたことを、出版や講演を通して世に伝えることで、

あたかも人間の命が弄ばれているかのような現代社会に対し、

命の尊さを訴えたいと思っています。

先日、私の講演もついに100回目を迎えましたが、

その会場は偶然にも娘が亡くなるまで通った小学校でした。

遥か後輩にあたる子どもたちが、「一日一日を大切に生きたい」という感想をくれました。

私の活動は世の一隅を照らすことしかできませんが、

どんなことがあっても続けていかなければならないという気持ちを新たにしました。

<引用終了>

子供達が難病や、がんと闘っている姿は時に、

大人が恥ずかしくなるほど立派であることがあります。 

思いやり豊かに、忍耐や希望を抱き、まだ人生経験が浅いのに、肉体的な苦痛を強いられる。 

あっ子ちゃんは、3歳の時に急性白血病を患い、

11歳で『ごめんね。』という最期の言葉を遺して天国に昇っていきました。 

マルクという骨髄検査は、大人でも悲鳴を上げるほどの痛さだと言います。

また、ルンバールという脊髄注射も何度も射されるそうです。

抗がん剤点滴の注射は、回を重ねるごとに血管が細くなり、

一度ではなかなか針がささらなくなってくることもあります。

その度に身体がよじれるくらい痛いそうです。

それでも、あっ子ちゃんは、祈りながら痛みに耐えました。 

腕で入らなければ手や足の甲。

これは腕の痛みの非ではないそうです。 

それを彼女は、9回の入院で幾度となく経験させられました。

あっ子ちゃんは、まるで幼い子を勇気付け、

優しい心で周りの者と接していくことが自分の使命であるかのように生きました。

その日々の様を反省をしながら日記に綴っています。 

人に強いられたのでもなく、背伸びをしているでもなく、自分の病気を通し、

自分より幼い子ども達を励ましていました。 

時には、親がたまたま傍にいなかった赤ちゃんが急に泣き出した場面では、

自分も抗がん剤点滴で苦しいにも関わらず、その赤ちゃんをあやしに行きました。

あやされた病気の赤ちゃんは、ピタリと泣き止んだそうです。 

看護師やお医者様や友達、担任の教師たちにも、

もしかしたら、あっ子ちゃんは大きな気付きを与えたのかもしれません。

彼女の人生は周りからは苦しいだけの人生のように見られるかもしれませんが、

決してそうではありませんでした。 

・たまらなく楽しい・・

・もう笑いがとまらないという感じ・・

・私は幸せだと思います

随所にそんな人生の輝きをみることが出来ます。 

本の表紙の裏には、こんな言葉が綴られてあるそうです。 

<引用開始>

3歳で急性白血病とわかり、苦しい病とのたたかいの中でも、笑顔を忘れず、

・同じ病気のチイちゃんを励まし、

・一郎君を元気づけ、

・多くの人に喜びの種をまき、 

短い一生を美しく閉じた、あっ子ちゃんの日記。 

そこには、多くの人の心に、愛のメッセージを語り続け、

励ましを与えている。 

・友情とはどんなことか、

・思いやるとはどうすればよいか、

・生きるとは何とすばらしいことかを、 

読む人に、深く感じさせないではおれない。

<引用終了>

さて、あっ子ちゃんは白血病で幼くして亡くなるという道を選びました。

この少女の生き方を見て私達は何を感じるでしょうか?

彼女は何の為に、この厳しい道を選んで生まれて来たのでしょうか?

そして、お父さんは、何を伝えたかったのでしょうか?

お一人、お一人胸に響くものは異なることでしょう。

もしかしたら、、、、かわいそうだったね。頑張ったね。と涙し、そして顔を起こした途端、

いつもの 

・不平不満、

・愚痴 

が頭をもたげて来るかもしれません。

彼女は11歳と言う幼い少女でしたが、

あっ子ちゃんの魂は、高貴な天使だったかもしれないですね。

どうして神様が、このような幼い天使達を使わして下さるのか?

あっ子ちゃんの人生に少し思いをはせ、自分の心を見つめ直して見たいと思います。 

もしかしたら、神様は私たちに、心を振り返って欲しくて

彼女をこの地上に遣わしてくれたのかもしれないですね。


2025年1月8日水曜日

3666「一面しか見ない私達」2025.1.8

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月25日の記事を紹介します。


「一面しか見ない私達」


以前書いた記事ですが、大きな自戒も込めて、加筆して掲載します。 

もう読んだよ、と言う方は、どうぞスルーなさってください。 

私たちはよく、

・パワハラ

・モラハラ

・セクハラ

・いじめ

・差別

・誹謗中傷

・人格の否定 

などを日常的な光景として目にします。

そして、自分でも、してしまいがちです。 

きっと、それは、そうする人たちが、相手の方の、瞬間の一面しか見ていないから・・・・

なのかもしれません。 

また

・自分の欲望や、

・愛されたい、

・注目されたい、

・一目置かれたいという

・自尊心を満足させるために、 

身勝手なフィルター越しに、相手の方を見ているからかもしれません。 

私たちは、

・人から嫌なことをされたり、

・人の身勝手な言動を見たりすると、

どうしても、心の中に「もやもや」が発生し、

・怒りの感情や

・仕返ししなくては

・ギャフンと言わせなくては

・正義を通さなければ 

と思いがちです。  

その結果、大切な大切な自分の心が 

・イライラして

・冷静さを失い

・曇ってしまいます。 

嫉妬の心もそうですね。 

・何時も明るく、楽しそうに輝いている人や

・沢山の友人に囲まれている人

などを見ると嫉妬の心が芽生え、「貶めてやろう」そんな風に思う方もいるようです。  

ですが、それは、相手の方の、ほんの一面、

一瞬の姿、形、行動を切り取って、自分で勝手に解釈し、想像し、妄想し

勝手に嫉妬したり、勝手に憤りを感じているだけではないでしょうか? 

もしかしたら、その人には、私たちには見えていなくても、

沢山の物語や、理由があって、今の言動を、たまたま

してしまっただけなのかもしれません。 

私は、もうずっとずっと以前から心に決めていることがあります。

それは、次のようなことです。

人と、会う時、その人の後ろに、その人を愛し育ててくれた

・ご両親や、

・その人のご家族 

・おじいちゃん、

・おばあちゃん、

・旦那さま、

・奥様、

・子どもたち

・その人の親しい友人たちの姿を、

思い浮かべるようにしよう。

なぜなら、そのような沢山の人達の愛に包まれて、 

今のその人があるのだから。

どうしてこんなことを思ったかというと、

もうずいぶん前ですが、社会人になったばかりの頃、 

コンピュータープログラマーとしてうまくいき、得意の絶頂にあった時、

会社の同僚が自殺してしまったことがありました。 

私はそれ程、親しくはなかったのですが、

私が見ていたのは彼の単なる会社人間としての顔だけでした。

そして仕事ができるとか、できないとか。

そんな表面的な価値観でしか彼を見ていませんでした。 

彼が亡くなり、お葬式に参列した時、もの凄い衝撃を受けたのです。

多くの友人たちが参列する中、若い息子を無くしたお父さん、お母さんが涙をこらえ、

参列者にお礼を述べていられました。

でも本当に最後の出棺の時、堰を切ったような慟哭があがりました。

それは、ご家族の悲しみの叫びでした。

親より先に亡くなるって、こう言う事なんですね。。

私が今まで見ていたのは、会社人間としての彼のほんの一面だけでした。

でも彼にはこんなにも多くの友人たちと、

そして愛いっぱいに育ててくださったご両親がいたんです。

得意の絶頂だった私は、仕事が出来るとか、できないとか、

優秀か、優秀でないか、そんな表面ばかり見て人を判断していました。 

でも、もしかしたら、その方は

・親孝行の息子さんかもしれません。

・おじいちゃん、おばあちゃんの背中で、愛情いっぱいに育てられた人かもしれません。

・子供の頃に病気をして、お母さんが寝ずに看病して下さったかもしれません。

・思春期の頃には、淡い恋をしていた少女だったかもしれません。

もしかしたら、その人は

・ご家庭では、良きお父さん、お母さんかもしれません。

・お休みの日には、子供たちと一所懸命、遊んであげている人かもしれません。

そして、仕事の要領が悪かったのは、たまたま、その分野の仕事が

苦手だっただけかもしれません。

ただ、ちょっとおっちょこちょいだけだったかもしれません。

私達は、どうしても、目に見えている一面だけで、人を判断しがちです。 

そして現代のような、

・経済至上主義、

・極端な合理主義、

・成果主義の世間 

では、なおさら人をその一面だけで判断しがちです。

見えている一面だけで全人格を判断しがちです。

一瞬だけの態度が気にくわないからといじめてしまうかもしれません。 

何か心配事があって、上の空で返事をしなかっただけかもしれません。

ですが、目の前の人にも、沢山の歴史がありました。

苦悩や涙のドラマがありました。

その人を愛する人達が、周りに沢山いたのです。

その人の一面だけを勝手に切り取って、その人の全人格を否定するとは、 

そういったご両親や友人達の愛や真心までも否定することです。

その方の内に居らっしゃる、神様も否定することです。。

そう気付きました。

天狗の鼻は折られました。

目の前にいる人を、一面だけで、判断してはいけない。

そう、その時 決心しました。 

自戒を込めて・・・・・ 

あなたが気軽な気持ちで、または自分の欲望に負けて、 

・パワハラ

・モラハラ

・セクハラ

・いじめ

・差別

・誹謗中傷

・人格の否定 

しようとする人には、 

・お父さん、お母さんはいませんか?

・おじいちゃん、おばあちゃんはいませんでしたか?

・お子さんはいませんか?

・友人はいませんか? 

その人には、生まれてから、この方、

いったい、どんなドラマがあったのか想像できますか? 

特に、

・自分の嫌いな方

・自分を嫌っている方

のお顔を、思い浮かべ想像してみることをお勧めします。


2025年1月7日火曜日

3665「マシュー君のメッセージ」2025.1.7

 今回は「玄のリモ農園ダイアリー」の2025年1月3日の記事を紹介します。


「マシュー君のメッセージ(217)」2025年1月3日

玄のリモ農園ダイアリー

 

神の挨拶、“謎のドローン”、やってくる変化、動物たち、ボランティア、物質界と霊界の違い


マシューです。この宇宙領域のすべての魂から心からのご挨拶をします。神をお迎えできることを大変うれしく思います。

神:親愛なる子供たち、今、あなたたちの世界には多くの光があり、多くの善意があり、そしてまったく新しい次元の興奮がある!地球の人生は、すべての人にとって楽しく、健康で、豊かであるように意図されています、そしてそうなるでしょう・・あなたたちはそれを確実にする手助けをしているのです!

あなたたちの新しい年は、ガイアの長い変動の歴史の中で、これまでにないものとなるでしょう。この混乱から、極めて必要とされる変化がもたらされ、1年の終わりまでには、あなたたちの光がもたらした改革の豊かさに驚かされることでしょう。宇宙全体があなたたちに感謝しています!

かけがえのない魂たちよ、これからも輝き続け、私があなたたちを愛しているように、自分自身とお互いを愛し合ってください。

マシュー、ありがとう。

スージー、ありがとう。

マシュー:神、心強い言葉をありがとうございます。

さて、多くの質問やコメントが寄せられている “謎のドローン ”について取り上げましょう。地球外のアドバイザーと仕事をしているあなたたちの指導者たちは、それらがまったく謎めいたものではなく、すべてがドローンではないことを知っています。

イルミナティもこのことを知っています。最初に目撃された物体は、彼らが大規模なホログラフィックによる侵略のための、いわば物差しとして大衆の反応を得るために送り込んだ無人の秘密宇宙船でした。そのため、光の勢力の艦隊司令官は、クロークをかけた偵察船の乗組員数名に姿を見せるように指示し、あなたたちの空で起きている現象に面白みを加えるために、あなたたちの最も高性能な無人偵察機の未来世代ともいえる情報収集機が数機、母船から放たれました。司令官はまた、当局に対し、いかなる光の勢力部隊の機体にも攻撃しないよう強く注意を促しました。

その当局であるイルミナティは、彼らの邪悪な惑星間宇宙プロジェクトと地球外生命体の存在そのものに蓋をしようとしているので、彼らのスポークスマンは、その物体が何なのか、なぜ来たのか、どこから来たのかはわからないが、地球に危険をもたらすことはないと言うしかありません。国民がパニックに陥ったとしても、その感覚は、弱々しい公式声明に対する苛立ちに転じています。

人々の関心が季節の準備や祝祭に戻るにつれ、一般的に言われるのは、あの謎めいた物体が何であれ、私たちに害を及ぼすことは何もないのだから、食べて、飲んで、陽気に過ごそう、ということでした。


これまでのメッセージで、すべてが見かけ通りではないと述べてきました。今は、ほとんど何もかもが見かけ通りではないと言ってもおかしくありません。ニュースで報道される重要なことが実際の出来事と一致することはまれであり、亡くなった人や安全のために人目につかない場所にいる人のふりをする替え玉やAIのクローンが増えています。

本当は、この惑星に浸透している愛と光のパワーが、既成概念を打ち壊し、新しく目覚めた社会に役立つ新しい構造やシステムに道を開いています。政府は改革され、あるいは取って代わられつつあり、新たな地理上の境界線が議論されていますが、これは影響を受ける市民にとって恩恵をもたらすでしょう。また、近い将来、陰謀論というレッテルを貼ることで隠蔽されてきた真実が明らかになり、真犯人が暴かれるでしょう。


より先の未来には、すべての人々に奉仕する新しい世界経済と、すべての魂が地球の資源を公平に分け合う世界になるでしょう。戦争で荒廃した地域は復興され、家を失った住民が故郷に戻れるようになるでしょう。人々がスピリチュアルレベルと意識レベルの成長を遂げるにつれて、宗教の教義や虚偽は廃れていくでしょう。文化は最も優れた伝統を守り、深い第3密度で生まれた伝統は捨てられるでしょう。相互尊重が偏見に取って代わり、統合意識が高まるにつれて分断が終わり、生命は再び自然と調和するようになるでしょう。それが、地球の黄金時代の入り口にあるあなたたちの世界です!


今のこの瞬間に話を戻すと、”ただ存在すること“以外に、地球のために今何ができるのかと、多くの人から問われています。あなたたちの世界における動物たちの窮状と、その重要性は、もっと広く知られる必要があります。動物たちは魂であり、あなたたちや僕たちと同じように神の分身であり、多くの種が無条件の愛、忠誠心、支え合いの先導者なのです。文明社会がすべての動物をどのように扱うかによって、その文明社会の進化の地位が決まります。この点で、地球の人々はより成長し、より良い行動をとる必要があります。

愛する魂たち、僕たちがあなたたちの光がもたらした影響を見過ごしているとは思わないでください・・献身的な保護グループの数が増えていること、保護施設のペットを引き取った家族が何千、何万といること、自然の生息地で動物を保護することに重点が置かれていること。この点に関するあなたたちの努力と、動物たちの意識と感謝からの光は、この惑星の高い波動エネルギーの一部になっています!

しかし、それ以外の状況、特に食料を提供する種が生かされ、死んでいく非人道的な状況や、地球上で最も進化した魂であるクジラやイルカを傷つけるソナー実験には、非常に心が痛みます。家族から引き離され、動物園やサーカス、プールに閉じ込められた動物たちは、悲しく、孤独で、絶望的です。このような虐待が蔓延し、ペット工場が存在し、体の一部のために動物が殺され、不必要な医療や製品のテストに動物が使われるのを放置している文明社会は、第4密度に移行する準備ができていないでしょう。


それに関わる状況として、海を膨大な量のゴミで汚していることが挙げられます。ガイアの体に対する恐るべき冒涜は、ガイアの海洋生物にも被害を与えるもので、石油流出、海洋生物の動きを封じる網、有毒下水、ケムトレイルの散布などが挙げられます。

愛するファミリー、前述したような状況も、その他すべての終わらせるべき状況も、終わらせることができます!あなたたちや前の世代のボランティアたちは光を放ち、地球の一部の人々が、自分たちの世界で間違っていることを変える力があること、そしてすべての間違いの根源は闇であることに気づくことを可能にしました。ホワイトハットとは、闇の勢力の捕虜を直接受け入れた光の勢力の戦士たちの最近の呼び名であり、あなたたちは、いわばハットのサイレントパートナーなのです。このチームワークの愛と光のパワーが、地球の強大な敵を見事に打ち倒しているのです!

この宇宙のどこかで起こることは、他のあらゆる場所に影響を及ぼします。だからこそ、すべての光の存在たちが、神の言葉に呼応しているのです: 宇宙全体があなたたちに感謝しています!


「5次元に存在することと死後の世界に存在することの違いがあるとすれば、それは何ですか?私には、どちらも同じように思えます」

文明社会の霊界は、慣れ親しんできたものの最も優れたものを提供するように設計されているので、第5密度の世界とその死後の世界は、自然の美しさ、個人的な興味、活動、快適さ、便利さにおいて類似していますが、大きな違いもあります。

物質的な世界が異なると、その霊界も異なります。ここでは、僕たちが知っている多くの世界での生活と、宇宙では普遍的ではないニルヴァーナ(地球の霊界)の特徴について話します。しかし、どの霊界にも当てはまることから始めます。 それらは肉体を持たず、住人はエーテル体を持っています。第三密度の視覚ではまったく何も感知できませんが、住人たちには互いの存在と、その領域にある他のすべてのものがはっきりと見えます。そして、霊界の魂がテレパシーで受信者に映像を送ると、その魂と周囲のすべてのものがはっきりと見えるのです。

エーテル体は、物質世界の濃密な肉体とは多くの点で異なっています。肉体化した魂は性的関係を持つことができ、女性は妊娠し出産することができます。霊界では赤ちゃんは生まれません。その体は性的関係や生殖のために作られていません。

物質世界の人々は、生きるために食べなければなりません。霊界の住人は液体を飲むことができますが、それは皮膚から水蒸気として排出されます。彼らの身体には、高密度の肉体のような消化器官も排泄器官もないため、食べ物のエッセンスだけを吸収するのです。

肉体を持つ文明社会の人たちは、長く過酷な労働をした後、身体が疲れ果て、痛みを感じることがあります。エーテル体は決して疲れませんし、不快感もまったくありません。最適な健康状態を維持するために、肉体は毎日睡眠をとる必要がありますが、エーテル体は眠る必要がありません。


ニルヴァーナに到着した魂が35歳より若く、あるいは、より歳をとっていると、肉体を持った最盛期の歳まで急速に歳をとり、あるいは若返り、霊体の生涯を通じてその段階にとどまります。それはすべての文明社会の死後の世界に言えるわけではありません。

ペットとその家族は多くの霊界で再会します。ニルヴァーナでは、ジャングルや森や草原に住んでいた動物たちは飼いならされ、他の住民とともに暮らします。すべての動物と人間はテレパシーでコミュニケーションをとりますが、これは後に地球と呼ばれるようになる惑星テラでの始まりの時のままの姿です。

惑星世界は球体であり、その多くは季節で変化する気候を伴っています。霊界は形が定まっておらず、大半は全体的に温暖な気候になっています。ニルヴァーナの特色は、ウィンタースポーツを楽しみたい居住者が、その領域の穏やかな気候の中に雪と氷の広大なエリアを囲い込むことができることで、そのエリアは外の人からは見えなくなっています。

地球のような物質世界では、光と闇の長さは季節や地理的な場所によって異なります。ほとんどの霊界では、真昼の晴天や 暗い夜はありません。光は昼間はやわらかく輝き、夕方にはいくらか暗くなります。そして、住人は自分の家にどんな光でも望むように現すことができます。


第5密度の物質世界はコンティニュウム(時空連続体)の中にありますが、人々は予定を立てるために時計やカレンダーを使うことがあります。霊界には直線的(リニアル)な時間は存在しません。

物質世界での服装は、気候、季節、文化、現在のファッションのように大きく異なることがあります。ニルヴァーナの住人は通常、サンダルを履き、白やゴールド、パステルカラーの帯や紐のついた薄手の白衣を着ています。霊界では、そのような服装や他の快適なカジュアルスタイルが一般的です。


物質世界での愛は、親の愛から、強い性的魅力や、場合によっては失恋、不倫、失望を伴う“恋している”状態までさまざまです。霊界の愛は一様に純粋で、条件やぶれなどなく、愛の高い波動エネルギーがそれらの領域に浸透しています。他の転生からの愛の絆は、直近の過去世における法的なパートナーシップよりも優先されます。

物質的な世界では、人々は生涯の間に使用するための知識を得たり、才能や能力を磨いたりすることに集中します。霊界にいる多くの人々も勉強するのが好きですが、彼らは新たに得た情報を、他の転生で得た経験や知識と共に活用して、次の転生を計画します。


愛する兄弟姉妹たち、5次元の物質的および霊的な世界での暮らしは栄光に満ちています!もしそのような環境で生きる自分を思い描くのが楽しいのであれば、ぜひそうしてください。しかし、今の人生を毎日最大限に生きてください!何千年もの闇から文明社会を解放するという、宇宙でも前例のない多次元的な取り組みに参加すること以上に意味深く、充実し、ユニークな経験を想像できますか?僕たちにはできません!

光が地球に満ち溢れています。あなたたちのミッションへの揺るぎない心がその一部です。この宇宙のすべての光の存在が、地球の旅の間中、あなたたちを讃え、支えています。

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愛と平和を

スザンヌ・ワード著

原文:Matthew’s Messages 訳文責:森田玄