2026年4月13日月曜日

4226「青空ひろば」2026.4.13

今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。


1708 2026.03.23

手放す「手」が 受け取る「手」

(大敬註)<出せば出すほど入ってくる>というようにこの世界は出来ているのです。逆に<出し惜しみは入り惜しみを呼ぶ>のです。出し惜しみをした人は必ず行き詰まってしまいます。


1707 2026.03.22

思いをこめて掃除すれば やがていのちが宿り、神となる

トイレに神さまがいるのではなく トイレが神さまとなるのだ

そんなトイレなら そこに入るだけで 人は癒され、元気になる

(大敬註)「神が人を生む」ということを知る人は多いのですが、実は「人が神を生む」ということもあるのです。


1706 2026.03.21

もう遅い なんていうことはない。 

思い立ったが吉日で ためらわず その時からスタートすればいい。

たとえ次の日に、死んでしまったとしても、次の生でその続きをやればいい。

一生でやれることなんて、大したことではないけれど、

やったことは、決して無駄にはならない。

(大敬註)先はながいのです。私は35世紀ぐらいで人類の進化過程は修了出来ると見積もっています。それまでに何度転生するでしょう?一生で歩める距離は少ないけれど、あせらなくてもいいのですね。でも一歩でも多く進んでおこうという気持ちも大切ですね。


1705 2026.03.20

時々、大地に帰ろう。裸足(はだし)で歩いて、大地と対話してみよう。

横になって、大地の温(ぬく)もりに、身を委(ゆだ)ねよう。

許すということ、許されるということの、

ありがたさを、しみじみ味わってみよう。

(大敬註)

私が人生のどん底であった時、よく淀川の川べりで坐ったり、海辺の砂浜で坐ったり、寝っ転がったりしていました。そんな時、大地のあたたかさをしみじみ実感することが出来ました。そんな体験が再起するきっかけとなりました。


1704 2026.03.18

一番大切なことは、光をさがし求めることではなく、自分が『光』であったと知ること。

自分が光源で、世界を時空のスクリーンに投影しつつあるんだと知ること。

(大敬註)ヒトは「日尊(ひと)」です。私たちは「日(ひ 太陽神霊)」の分け御魂なのです。分け御魂と言いましたが、太陽神霊の遺伝子の一部を分け与えられているというのではなく、太陽神霊の遺伝子の全体をそっくり授かって地上に生まれてきた存在なのです。これを「神の日執り子(ひとりご)」といいます。また、太陽神霊から天命を授かって降臨した存在なので「日継ぎ(ひつぎ)の御子(みこ)」とも言います。


1703 2026.03.17 

人が持つ「道具」を うらやむより 自分が持っている「道具」を 大切にして

ていねいに手入れし 使いこなす工夫をして

その「道具」の性能を 最大限に発揮できるよう 務めることが大切なんだ

(大敬註)人は「出来ること」と「出来ないこと」の束で、「出来ないこと」を悔やんだり、グズグズ文句を言っていないで、今すぐ使える「武器」を精一杯工夫して使いこなせばいいのです。そうしているうちに、少しずつ、「出来ること」が増えてゆきます。


1702 2026.03.16

数量の大小なんて 本当はありはしない

十円玉を手に入れるのと  一億円を手に入れるのと 同じ手間だ

難しいという「想い」が 一億円がやってくるのを 拒絶しているだけだ

(大敬註)ゼロを何億個足してもゼロです。ゼロから何億個引き算してもゼロです。このゼロを仏教では「空」と言っています。般若心経の「不増不減」は、この「空」を語っています。


1701 2026.03.15 

「時は味方」です。

どんな苦悩の固まりも「時(とき)」がやがて「溶き(とき)」去ってくれるのです。

「時」はあなたを幸せに導いて下さる「温かい味方」なのだということを、忘れないで下さい。

(大敬註)「時」を敵にすれば負け、「時」を味方にすれば勝つことができます。


1700 2026.03.14 

最高の天使は顔に宿ると、スウェーデンボルグは言っている。

経典には仏様は「光顔」でいらっしゃったと、書かれている。

(大敬註)人の魂の高さは「顔の透明な輝き」で判断できるのです。どんなにいいことを語っていても、顔がどんより濁っていたり、鋭く引きつっていたりしている人はニセモノです。


1699 2026.03.12 

私が私であること それは何と素晴らしいことでしょう

あなたがあなたであること それは何と素晴らしいことでしょう

そして世界が世界であること それは何と美しいことでしょう 

(大敬註)ありのままの私を受け入れ、認め、許すことが出来るようになれば、自然と他の人や世界も受け入れ、認め、許すことが出来るようになります。


1698 2026.03.11 

ちょっとでも 私欲が混じれば 人は弱いもの

私欲を捨ててかかる 覚悟さえ決めれば

神さまだって 手玉に取れる 人は本当は強いもの

(大敬註)私は時々神様を「神様それは違うでしょう。こんな風にして下さるべきでしょう」とクレイムをいれます。すると、神様が「ごめん、ごめん。」と謝って望んだことを実現して下さいます。もちろん、私欲が混じった望みは叶いませんけどね。


1697 2026.03.09

思い切って ジャンプしなければ

自分の背中に 翼が生えていたことに

気付かぬまま 一生が終わってしまう

(大敬註)時には自分を追い込んで覚悟を決め、思い切って崖から飛び降りるような気持ちで踏み出すというような経験も必要です。そうすれば、はじめて自分では気づいていなかった、自分の中に潜んでいたすごい能力が働き出すのに気付いて驚かれるでしょう。


1696 2026.03.08 

すべては 自分が引き寄せている。

今の自分の成長に必要だから やって来た課題なのだ。

だから 人や環境のせいにしないで、精一杯取り組んでゆこう。

来る大飛躍の時のために。

(大敬註)あなたが学び、成長するために必要な課題しかやって来ません。イヤイヤ対処したり、目を背けたり、逃げ出したりするのではなく、「ようこそ、ようこそ、ドンとこい!」と思いっきりぶつかってゆきましょう。


1695 2026.03.07

自分や人を、ジャッジしないこと。

いのちの能力への信頼を、しっかり保持すること。

ヒーラーは3年たつと、ヒーリング能力が消えてしまうことがある。

なぜなら、経験をつむと、病気や患者を、ジャッジするようになるから。

(大敬註)ベテランの先生は経験によって、生徒のレベルを判断し、決めつけてしまうので、生徒がその先生の経験値以上に伸びることが出来ません。

それに対して、新米の先生は、経験値がないので、生徒を真っ新な目でみて、善いところばかりが目につくので、生徒が一気に成長して皆がその奇跡に驚がくするということがあるのです。

何年先生をしていても、常に過去を忘れて、今・ココの生徒の善いところだけをしっかり観ることが出来るのが、本当のいい先生なのです。

<観ることは作ること>なのだということを忘れないで!


2026年4月12日日曜日

4225「死を超えて」2026.4.12

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年03月28日の記事を紹介します。


「死を超えて」


今日のテーマは、死についてです。 

近しい方を亡くされて、喪失感の中に、居られる方もいらっしゃるかもしれません。 

もっとこうしてあげればよかった・・ 

そう自分を責めている方も、いるかもしれません。 

自分にできる精一杯やったと、

爽やかな達成感を味わって、いらっしゃる方もいるかもしれません。

今日は、肉体の寿命は尽きて亡くなろうとも、 

・魂は死なない、

・永遠である 

といことをご紹介します。

それを知っているか知らないかで、人生の価値が、まるっきり変わって来るからです。

まずは同名の著書を持つ元東京大学 医学部部長、矢作直樹さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元

死は考え過ぎるといけませんが、

時々、それを思うことで「豊かな生」を手に入れることができます。

それ以前の自分と、それ以降の自分による対話がそこにあります。

長いのか短いのかわかりませんが、いわゆる人生という旅の中において、 

自分のお役目も励みながら、あるいはお役目を探しながら、感謝しつつ日々を全うする。

そのうちにゴールがやって来るという人生で、必要なのは「幸福感」でしょう。

誰もが避けられない、死というイベントを意識することで、

限られた時間の中で、豊かな生に向かって歩こうとする、 

私たちの幸福感は、そんなところから滲(にじ)み出て来ます。

さらにそこで大切なのは、「人は死なない」という事実を知ることです。

今回の生で授かった肉体は滅びますが、

私たちの魂は死ぬことがありません。

まずはそこに気づくこと。

そうでないと唯物論者のように

現世利益にしがみついて、単に死を怖がることになります。

この先もまだ数えきれないほど生まれ変わるというのに、 

今の生の、利益にしがみつくなんて、これほどバカバカしいことはありません。

その仕組みがわかると、滲み出た幸福感の中に

また会える、という感情が生まれ始めます。

他界した、大事な人や、愛しい人とは、あちらの世界で会えるし、 

次回の転生後も(前の生のことは覚えていませんが) 

違う役割で会えるでしょう。

そもそも大事な人や愛しい人は、いつも私たちの、すぐそばにいます。 

私たちが死を迎える日、つまり現世を卒業するその日まで 

彼らは優しい眼差しで、見守ってくれているのです。

その仕組みを踏まえると、残りの人生を、心配する必要がなくなります。

対人関係やお金の問題など、いろいろなストレスを抱えているにせよ、

それも今回の人生において、自分の「課題」がそういう形で出ているだけの話です。

解決できないレベルの課題は、絶対にやって来ません。

必ず解決のための糸口があります。

その糸口を探すことこそ、人生における最上の学びなのです。

臨死体験というテーマでも、この20年くらいの間に実にさまざまな立場の方々が、 

講演や著書でその体験談を発表しています。

脳神経外科の世界的権威である医師

エベン・アレグザンダー(元ハーバード大学メディカルスクール准教授)が 

自らの臨死体験を著書にまとめた本もベストセラーになりました。

(脳神経外科医が見た死後の世界・早川書房刊)。

向こうの世界の様子が、詳細に描かれているのが興味深い点です。

レイモンド・ムーディやエリザベス・キュープラー・ロスなど、

多くの実績を持つ欧米の医師たちが、死後世界の実相を克明に語る向きは、

海の向こうではかなり増えています。

しかし、私たちの住む日本では、そうした情報自体をまだオカルトと、

忌避する風潮が強いのも残念ながら事実です。

なぜ私がそんな突飛なことをここで言うのか?

理由は簡単です。

人間は知らないことへの対処が、この世で一番怖いからです。

・知らないこと、

・知らない人、

・知らない世界、

・知らない作法、

・知らない手続き、

・知らない知識…

私たちが常に怖がり、不信感を持つのは「未知のもの」です。

逆にそれらがわかると心の中にある恐怖心は消え去るのです。

<引用終了

今回の生で授かった肉体は滅びますが、

私たちの魂は死ぬことがありません。

と矢作さんは仰います。

また、矢作さんは、 

「寿命とは、この世で魂を磨く期間」と言っています。

我々がこの世に生を受けた目的は、

魂を磨き、少しでも多くのお役目を果たして、あの世に行くこと。

・人の役に立ち、

・人から必要とされる人となること。

・人に喜ばれる人になること。

(病気や寝たきりになって人のお世話になることも、

相手の方に「人の世話をする」という体験の、機会を与えている 立派な役割です。)

だから、 

・辛いこと、

・困難なこと、

・嫌なこと、

・面倒なことは、

この人生において、自分の魂を磨くための、大事な砥石(といし)。

多くの人は、沢山の悩みや悲しみ、苦しみの中で人生を送られていることだと思います。

でもそれは、それらの環境が、私達の魂を、強くしてくれるからです。

そして、それは、乗り越えられない試練は決して与えられない。  

と言うことと、肉体の死を持って、終わる。

と言う意味でもあります。

それはどういうことかと言えば、今の苦しい環境も、せいぜい死ぬまでの事。

そしてそれは、自分の魂を磨くためにあると言うこと。

時に、もう投げ出したくなるような、人間関係、家族関係、経済的な貧困、人々の差別、中傷、ねたみ にさらされるかもしれません。

ですが、それは永遠に続くものではありません。

私達は、あと何年、何十年生きているか解りませんが、それで終わりになります。

決して、その環境を投げ出さず、自分の精一杯の誠意と愛と思いやりを持って、

過ごして生きたいものです。

先に亡くなった方々は、今頃どうしているでしょうか? 

このブログでも、沢山の臨死体験例をご紹介してきましたが、

肉体という 振動数の低い状態から、魂という、振動数の高い状態に移行すると、 

そこには、時間の概念も、空間の概念も無くなるのだそうです。  

拘束の多い、物理的な地球と異なり、一瞬にして、意識した時代へ行け、

意識した場所へ移動できるのだそうです。

そして、その状態こそが、私たちが肉体を持ち、暮らしている時間より、 

はるかに長い時を過ごす場所であり、実在界とも呼ばれます。

また、類は友を呼ぶ。 

つまり「波長の法則」と呼ばれるものが、より鮮明に機能するため、

波長の異なる者同士は、交わることができません。 

亡くなった方々は、同種の波長を持つ、ソウルメイト達に囲まれ、 

ねぎらいの言葉をかけられていることでしょう。

また、この地球上で経験したこと、

・思ったこと、

・感じたこと、

・感情の爆発など

全ては貴重な体験とされ、ソウルグループに共有され、宝となるのだそうです。 

それは、私たちが、 

・良きこと

・悪しきこと 

と、常に区別しますが、一切のジャッジ抜きで、全ての経験が、

大切な宝になるのだそうです。 

だから、あちらに戻った時に、経験したこと、つまり

「既知」 (いろんな未知のことを経験して知った)

というお土産を持ってきたが故に、大歓迎で迎えられます。 

きっと、お父さん、お母さん、先に亡くなった子供たち、友人や、

かわいがっていたペット達も、笑顔で 迎えてくれることでしょう。

そして、再び霊的な生活に、フォーカスされた暮らしが始まります。

ですから、死とは決して悲しいものではなく、通過点でしかありません。 

生きていた今よりも、もっと幸せになるために、帰って行きます。 

死は、この地球で経験した、豊かな宝を、仲間たちの元へと持ち帰る、最後の扉です。 

そして、その扉の向こうには、隠し事など一切できない、

心と心、波長の同じ、親しい仲間たちが待っています。

残された私たちは、 

戻られた方々が、後ろ髪引かれることの無いように 

自分たち自身の、生きる目的をにこにこ笑いながら、 

経験して行きたいものですね。 

そして、私たちも、向こうに戻った時、笑顔で、ご挨拶したいものですね。 

地球では、お世話になりました。 

泣いたり笑ったり、沢山の経験をさせていただきました。 

ありがとうございました って。



2026年4月11日土曜日

4224「大峠を越えるために」2026.4.11

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年03月27日の記事を紹介します。


「大峠を越えるために」


江戸後期から明治にかけて一斉に日本で起こった霊的な磁場、鼓動。

そこでは人類にとっての大峠、時代がぐれんとひっくり返る、

など近未来に対して様々な予言が語られていました。 

それはもちろん神の国、言い換えればアセンション後の地球、

などの到来を意味していますが、

その前に、夜明け前の一番暗い時代のことも語られています。 

その辛く、苦しい時代を乗り越えられるのは、改心(洗心)した魂なのだとか。。 

そのために強く私たちに「改心」(心をきれいにすること)を迫っています。 

改心した人とは、要するに心の罪、穢れを祓い、ピュアな心の持ち主のことです。 

決して、どこかの誰かが行動してくれることで、

私たちの幸せが訪れるわけではありません。

そのような他人依存的な姿勢は、昔ながらの、宗教的な依存心を増大させるだけで、

魂の退化に繋がります。 

さて今日も、心の洗濯。 

美しき心を取り戻すために書きたいと思います。

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」に、こんなことが書いてあります。

神様がお植えになったところで咲きなさい。

咲くということは仕方がないとあきらめるのではなく、

笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです。

あなたは、 

・体調が悪いから

・思ったように物事が進まないから

・ムシャクシャするから 

と、仏頂面で人に相対していませんか? 

それを見た人、そばに居る人は 

そのイライラした波長が伝わるため、ドンと気分が落ち込んでしまいます。

自分の都合で、周りを不幸にして良い権利は、誰にもありません。 

渡辺さんは、36歳で図らずもノートルダム清心学園の学長を任され、

右も左もわからず、不平不満ばかり口にしていた時に、

宣教師の方から頂いた言葉だそうです。

渡辺和子さんと言えば、今では「置かれた場所で咲きなさい」で、大変有名な方ですが、

そのような天使のような人でさえ、

若い頃は、私達と同じく不平不満の塊だったのですね。

そして更に50代でうつ病を発症しますから、

彼女が今知られているように天使のような心になるまでにはまだ時が必要でした。

いくら修道院で修行してきたからとて、

まだ若く経験が無ければ仕方のなかったことかもしれません。

当時は、慣れない仕事や、周りのやっかみもあり、置かれた場所に不平不満だらけ。

他人の出方(態度)で、幸せになったり、不幸せになったりと、 

環境の奴隷だったそうです。

私達もよくやりますね。

誰かが、仏頂面してた 

→ 私に何か文句があるの? 

→ 私も 仏頂面してやれ、無視してやれ

誰かが、挨拶しても返してくれない 

→ 私が嫌いなの? 

→ フン。私も嫌い。悪口流してやる。

笑顔、あいさつ、仏頂面は伝染します。

でも、もしかしたら、相手の人は、体調が悪かっただけかもしれません。

朝出かける時に、たまたま家族とケンカしたのかもしれません。

また逆に どなたかが、笑顔で話しかけて来てくれると、 

一遍で好きになって味方になってしまいます。

まさに渡辺さんが言うように「環境の奴隷」です。

人間として生まれたからには、 どんな場所に神様が置いて下さろうと、

環境の主人となり、自分の花を咲かせたいものですね。

咲くということは、この宣教師の方が言うように、仕方がないとあきらめるのではなく、

笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのですね。 

私たちは、よく口にします。

・お金が貯まってから

・時間が出来てから

また次のようなこともよく言います。

・あの人のように、お金持ちの家に生まれていたら

・あの人のように、美しかったら

・あの人のように、健康だったら

・あの人のように、能力があったら

そして、最後は、必ず、どうせ私なんか。。。

私たちの神様は、うっかりミスをして、

私をこんな環境に、生まれ付かせたのでしょうか?

それともシスターが言うように、いまの環境に私が生きているのは、

自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、

神さまが、あなたをここにお植えになったのは

間違いでなかったと、証明するためでしょうか?

花の使命は咲くことにあります。

他の花と比べて、優劣を競うことでもなければ、どこに置かれるか、でもなく、 

自分しか咲かせられない花を、一番美しく咲かせることにあります。 

誰かと比べる必要もありません。 

人は、それぞれ生まれて来た目的があります。

それは、生まれる前に決めて来たことです。 

その目的に従って

・経済状態

・健康状態

・家族状況

・容姿

・性格

全てを神さまと共に、カスタマイズして、生まれてきました。

だから、全ての人が、全部違う環境に置かれています。 

自分にとって自分の魂を輝かせるために、今の環境は最適なものだからです。

嬉しいこと、楽しいこともそうですが、

それよりも辛さ、悲しさ、苦しさ、そんなものが、私たちの心の砥石となり、

もともとダイヤモンドのように輝いていた私たちの美しい魂を、

再び見せてくれるものだからです。 

私たちの心が全て決めます。

心が変わらない限り、現実は変わりません。 

心にこそ、全ての初動のエネルギーがあるからです。

心と意識が、私たちの生きる現実を作っているからです。

・温かな優しい心

・周りの方々を慈しむ心、

・出しゃばらず、そっと見守る愛の心

・助け合い、調和していこうとする「お陰さまの心」 

今まで生かし、育ててくださった人々、友人への感謝の心でお過ごしください。 

皆さんが、ご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、

お幸せになれますように。


2026年4月10日金曜日

4223「苦の後に楽が来る」2026.4.10

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年03月26日の記事を紹介します。


「苦の後に楽が来る」


人は誰でも 

・不幸や苦労

・貧困や病気 

を厭います。 

毎日毎日が幸せで、

嬉しいこと、楽しいことしか起きないことを望みます。 

ですが、私たちの永遠に続く魂は、 

本当にこの短い人生 

やっと手に入れた人間としての人生を

そのように送ることとを望んでいるのでしょうか?

今日は美輪明宏さんのお話です。

尚、文章の中で「修業」など、美輪さん一流の言葉使いをされています。

ですが、それは文章中でも述べられていますが、人間はその美しい姿、完全なる人格、

つまり神と同じ純粋エネルギーに近づくために

生まれてきている・・ という意味で使われています。

ですので言葉尻だけを捉え、

艱難苦難の修業と、誤解なされないようにお願いいたします。

文章表現の細かいところではなく、

美輪さんが仰りたい大意・真意をご理解下されば幸いです。

<引用開始> 引用元 

美しい生き方というのは、たとえば死後にも、

ものすごく影響することだと思うのです。

楽あれば苦あり。

すごく悪いことがあった後に、ものすごくいいことが起きるようになっている。 

この地球という星はそういう場所なのです。

そして私たちの開発途中の魂は、 

・あらゆる人種、職業、容姿、性格と、

・あらゆるパターンの人間の人生を、

心を、体験し、修業しなければならないのです。

あるときは

・黒人になったり、

・白人になったり、あるいは

・黄色人種になったり。

・男になったり、

・女になったり、

私のように真ん中になってみたり(笑)。

いろいろなタイプの人生を何千何万回と生まれ変わり、死に変わり、

輪廻転生を繰り返して体験して生きていかなくちゃいけないのです。

そしてそこで苦労して勉強していく。 

「私はどうしてこんなに孤独で、ひどい人生を歩まなくてはいけないのかしら」と思っても、実は、生まれる前に、あの世で自分でプログラミングして

それを選んで生まれてきたのだから、 

その人はその人生を体験しなきゃいけない義務を持っている。

この地球に修業しにきているのだから。

だから文句はいえないわけ。

よく人生に疲れたからといって自殺する人がいるけれども、

これは言ってみれば、人生の職場放棄で人生の中途退学なのです。

ですから次に生まれ変わっても、また一からやりなおさなければいけない。

辛い思いをして死んだとしても、

結局、また同じコースを生まれかわってきて同じことを繰り返さないといけない。

だから自殺で死ぬのは痛いし苦しい目にあっただけ骨折り損のくたびれ儲け。

だからどんなに苦しくても辛くても、人生は自然死までがんばった方がいいということです。

反対に苦労が多い人生でも、前向きにすべてクリアして経験していくと、

優しくて厳しくて温かい思いやりある、自信にあふれた人格へ成長していく。

人間はその美しい姿、完全なる人格、

つまり神と同じ、純粋エネルギーに近づくために生まれてきているのです。

あの世ではこの世の権力や地位、肩書なんて何の役にも立ちません。

本当に平等なのです。

魂が純粋で、美しければ美しいほど、それに準じ比例した高いところにいける。

真っ黒で汚くて、恨みつらみ憎しみで想念が固まり、

ストップしたまま、あの世で暮らすなんて嫌でしょう。

だからこそ、私は現世で、ウォーミングアップとして

まず心の優しさ温かさ美しさを、といつも呼びかけているのです。

そう、未来永劫(みらいえいごう)、

この世でも、あの世でも平和で安らかで、美しく生きていくために…。

<引用終了>

・輪廻転生(生まれ変わり)がある。

・自分の人生は、生まれる前にあの世で、自分自身で設計して生まれてきた。

・人間はその美しい姿、完全なる人格、つまり神と同じ純粋エネルギーに近づくために生まれてきている

・自分の生前の考え方、癖(不平不満、愚痴)が死後の行き先さえ変えてしまう。

これらは全て、中間世記憶を持つ子供たちが、思い出した天の記憶と同じです。

また、ここで頻繁に紹介している小林正観さんの考えと同じです。

私も、それが真実であろうと思います。

そしてそれが真実であるならば、

・今、例え不幸のどん底でも、それは自分で計画してきたこと

・従って、自分を破滅に追いやるためでなく、自分の魂を輝かせるための苦労である。

ということですね。

そして何倍もの高い倍率をかいくぐり、地球に生まれてきた幸運な魂たちは、 

皆それぞれの、魂磨きの環境を選んで生まれて来ているわけですから、 

見た目で人を判断したり、バカにしたりしてはいけないと言うことになります。

生きている私たちには、その見えない深い理由など分からないのですから。

縁があって、

・同じ時代、

・同じ地域 

に生まれてきているのですから、 

お互いの長所も短所もひっくるめて「個性」を尊重し、 

相手の尊厳を尊び、助け合って生きていきたいものですね。

それがひいては自分の生きている宇宙全体を、幸せにしてくれますから。


2026年4月9日木曜日

4222「地球にさよならする時まで」2026.4.9

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年03月25日の記事を紹介します。


「地球にさよならする時まで」


私たち、地球に住んでいる人間で、ネイティブな地球人は、誰もいません。

起源をたどれば、その魂は全員、他の星や宇宙から地球にやってきました。 

そして必要な経験が終われば、みんな、故郷の星に帰ります。 

家族といえど、親友といえど、出身星が違えば、皆バラバラになります。 

悲しいことに聞こえますが、仕方のないことです。 

だからこそ、今、目の前にいる人を、慈しみ、大切にしたいものです。

もしかしたら、 

もう、永遠に会えないかもしれないからです。 

そう、愛する家族でさえも・・・ 

楽しい日々、悲しい日々、何もない穏やかな午後

出会い、そして別れ、

争い、病気、老い、愛する人との死別、

笑顔、感動、涙、怒り、

様々な感情の波と、

沢山の経験

どうして生まれてきたのか?

そして生きることの意味を、問いかけるたび、

胸をよぎるのは、愛しい人々の笑顔と温かさ。 

この星、地球の片隅で巡り合えたことの、

奇跡

それは、どんな宝石よりも大切な宝物

悩み、苦しんで泣きたい日もあった

絶望に打ちのめされた日もあった 

でも、そんな時、

傍らに寄り添ってくれた家族、仲間たち

故郷の夕焼けの優しいぬくもり

本当に大切なものは   隠れて見えないのかもしれない

ささやかに過ぎていく日々の中にこそ、

本当に大切な、かけがえない喜びがある。

いつかは誰でも 、この星にさよならをする時が来る。 

けれど、この命はずっとずっと、この地球で誰かに受け継がれてゆく

・生まれてきたこと 

・育ててもらえたこと 

・出会ったこと 

・笑ったこと 

そのすべてが大切な思い出、経験。

ありがとう 

この命にありがとう   参考元

これは、「いのちの歌」、竹内まりやさんが作詞した詩を元に脚色したものです。

竹内まりやさんは、私たち人間が宇宙のどこかの星から、 

一時の間「地球という星」を訪れて、沢山の経験をして、

そしてまた元の星に帰って行くことを、知っていたのですね。

いのちの詩 Wikiより引用


三倉茉奈、三倉佳奈らによる連続テレビ小説『だんだん』劇中の音楽ユニット「シジミジル」が作った唯一のオリジナルソングという設定で、2009年1月24日に放送された第96回で初めて登場した曲。

作詞はドラマの主題歌「縁の糸」及び劇中のナレーションを担当した竹内まりや。

「シジミジル」が作った唯一のオリジナルソングという設定のため、竹内による作詞である事実は伏せられ、Miyabiのペンネームにより詞を提供した。


以前書いた記事ですが、

女優の加賀まりこさんも同じことを仰っていました。 


あなたは

・どこの星から地球に来ましたか?

・そして誰と出会い、何を経験しましたか?

・それは嬉しいことでしたか? 辛く、悲しいことでしたか?

永遠に地球に居ることはできません。

いつか大切な人と離れ、

故郷の星に帰る時がやってきます。

今経験していることは、

喜びも悲しみも、とっても貴重な体験です。

全ての経験を故郷の星に持って帰ります。

本当に大切なものは、隠れて見えない。

ささやかに過ぎていく日々の中に、かけがえない喜びがある。

どうぞ、些細なことにとらわれず、

身近な周りの方々に、笑顔と優しさを届けてください。

今日という日は、もう二度と来ないかもしれないのですから。 

故郷の星に戻る時。

それは自然な形で、訪れます。 

周りの関係する方々全てにとって、まさにベストなタイミングで訪れます。 

ですから、その最後の瞬間まで、泣いたり、笑ったりしながら、

この地球を楽しんでください。

この地球で受けたイノチは、

それに値する、大きな大きな価値のあるものだからです。


2026年4月8日水曜日

4221「青空ひろば」2026.4.8

今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。


1694 2026.03.06

<あの時へ>

みんな<ひとつ>だった すべて<ひとり>だった

<ひとつ>の魂であり <ひとり>の人であったのに

その<ひとつ>がちりぢりになり その<ひとり>がばらばらになってしまった

個(こ)となり 孤(こ)となり 粉(こ)となって

気ままに吹く世間の風に 右に左に翻弄され 散らされてゆく

みんな孤独で淋しい道を歩いている

そんな<ひとり>、<ひとり>が みんな私と霊(ち)を分けた兄弟 みんな分身

そうと分かった今 もう道ははっきりしている

みんなで手を取りあって あの時にもどる ひとり、ひとつだったあの時

融けあって、あったかい光に満ちていた なつかしいあの時へ

(大敬註)人は「ひとり」しかいないし、モノは「ひとつ」しかないのです。今は進化の過程でバラバラに分かれて、それぞれの学びをしていますが、これからは、再び「ひとり」、「ひとつ」に戻るための段階がスタートします。私たちはその「ひとり・ひとつ」に戻るステージで役割を果たすグループの一員なのです。


1693 2026.03.05 

一生のうちに 何かを完成せねば というのはウソ

一生を何とか 生き切ったと いうだけで 尊い値打ちがある

(大敬註)成功とか、失敗とかは人が勝手に言っているだけで、神様はあなただけにしか歩めない、あなただけが歩める道を精一杯歩み切って欲しいと望んでおられるだけなのです。何の日の目も見ない、華々しいところなんて少しもなかったというような人生であっても、最後の日までがんばって生き切ったら、神様が「よく歩み切ってくれた。有難う」と心からほめて下さり、光の天使たちに導かれて明るい光の王国に入ることになるのです。そんな人生もあるし、逆に地上世界では成功者として賞賛され、聖者として崇められたような人生をたどった人であっても、神様がプイッと顔を背けられて、たちまち暗闇の世界に落ちてゆかねばならないという人もいます。


1692 2026.03.03

敲(たた)かれて 打たれて

メッキがはがれたら 本物のあなたが 輝き出すのです

(大敬註)

『断碑(だんぴ)、古路(ころ)に横(よこ)たう』という禅語があります。

古びた、苔むした石碑の断片が路傍に横たわっているのです。

すっかり破壊されて破片化してしまっているし、苔むしてもいるので、もう文字は読めないんですね。だから、まったく値打ちがないようにみえます。

しかし、そのように見るのは、それは表面的な『アタマの見方』なんですね。

永遠無限からの見方、奥ゆかしい『いのちの見方』はまた別なのです。

苔むして、文字が読めなくなればなるほど、侘び寂びてしみじみと美しいということがありますね。

なぜそんなものが美しいのかというと、断片となり、摩滅すればするほど、作品の全体像が判然せず、刻まれた文章も読めないので、そうであればこそ、『石』という本体だけが、現象のあれこれの姿、文字に誤魔化されることなく、はっきりと見えてくるということがあるからです。


1691 2026.03.02

毎朝、鏡に向って 笑顔で笑う練習をしましょう

そして、笑顔の自分を しっかり心に刻印しましょう

そうすれば必ず その笑顔イメージが 現実化して

笑顔が絶えない人生が 始まります  

(大敬註)

ガンダーラ美術の仏像の「ほほえみ」を理想としましょう。それから私はゼノさん(カトリックの神父さん)の笑顔が大好きで、部屋に写真を飾っています。インターネットで検索してみてください。


1690 2026.03.01 

よくなるように できているのだから 大丈夫!

あせらず あわてず あなたはあなたに おちついて いなさい

(大敬註)あなたが焦って<あなた>から離れようとするほど、ツラいことに遭遇するようになります。あなたが<あなた>に落ち着けたら、あなたの前に進むべき道が自然に開かれてゆきます。その道をゆけば大丈夫なのです。あせるな、あせるな。時は味方です。


1689 2026.02.28 

あなたの「身」は輝身(かみ、神) 

危険な方向や 成功のチャンスを 察知する本能が 自然に「身」に付いている

あなたの「思い」が「重い」ので 身軽に働けないだけ

「思い」を切ったら 輝身(かみ)発動!

(大敬註)あなたの「身」は「かみむすび」という神様です。時々、「身」をなでさすって、『働いて下さってありがとうございます』と感謝してください。

そうすれば、吉凶を「身の知らせ」で教えてくださるようになります。


1688 2026.02.27 

ドアが開(ひら)けば 入ればいいけれど 

無理矢理こじ開(あ)けて 入ってはいけない

空席があれば 座ればいいけれど 人を押しのけて 座ってはいけない

心静かに 時を待つこと 時は味方です

(大敬註)次の詩もあわせて味わってください。私の教え子は以下の詩を読んで心がスッキリし、とてもダメだと先生に言われていた難関大学に無事合格出来ましたと嬉しい報告をしてくれました。

行きたければ行けばいい ドアが開けば入ればいい

席が空いたら座ればいい 仕事がくれば受ければいい

思い立つのはやれるから ドアが開くのは入れということ

席が空くのは座れということ 仕事が来るのはやれるから

何と簡単、単純なこと イノチの智慧は頭を超える イノチの力は個人を超える


1687 2026.02.26 

ちょっとヌケているから 人がホッと楽になるのです

ちょっとカケてるから 人が手伝ってあげようと 思うのです

(大敬註)大敬はいっぱい、失敗をして、出来ないことがたくさんあるので、見ていられないと手を差し伸べてくださり、足を運んで下さる方が次々現れて、何とかここまで生きて、道の学びを仲間と一緒に深めてゆくことができました。出来ない自分を隠そうとしないで、堂々とさらけ出して楽に生きましょう。


1686 2026.02.25

山から 空から 樹木から 透明な 光の風がふいて

あなたに聖なる力が やどりますように

(大敬註)風に身を任せる、肌でしっかり風を受け止め、感じるというトレーニングをしましょう。そうすれば、「光の風」があなたの頭や胸や身体全体を吹き抜けて、あなたを浄めて下さっているということに気づかれるでしょう。


1685 2026.02.24 

どっちへ どう転んでも 下は あったかい 大地

(大敬註)道元禅師はお悟りになった時の心境を「身心脱落(しんしん だつらく)」と表現されました。これはどういう意味かというと、「身も心も落ちてしまった」という意味です。そこで、カラッポになった、つまり空の境地になられたのだと考える人がほとんどです。

しかしこれは、そういう意味ではなくて、「地球の引力の方向に素直に従えるようになった」という意味なのです。身や心の筋肉が重力の方向に逆らって、無駄な緊張をしなくなったという意味です。

一気に一切の筋肉に無駄な緊張がなくなって、顔なんか顔中の筋肉がすべてダラッと下に引っ張られるような感じになります。日頃ずいぶん緊張してつり上げていたんだなあと、あらためて感じ驚きます。大地が私を支え、温め、養って、育てて下さっていたのだなあとシミジミ実感します。

そして、そうなったらこの「楽さ加減」をみんなに伝えて体験してもらいたくなります。そうすると、身体が勝手に立ち上がり、足が勝手に一歩踏み出します。緊張をほどいたまま、重力に素直に従ったまま、世界に向けて動き始めるのです。これが「脱落身心(だつらく しんしん)」です。何でこの向きに進んでいるのか、何のためにこれをやっているのか、人間の頭にはサッパリ分かりませんが、重力に従って、無理な緊張がない方向に動いているという実感で、その道が、神の思し召しに従った正しい道があるということが実感できるのです。


2026年4月7日火曜日

4220「神さまのお仕事」2026.4.7

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年03月24日の記事を紹介します。


「神さまのお仕事」


今日は「神さまのお仕事」と言うお話です。 

産婦人科医、医学博士の 池川明医師の子供達への大規模な調査により 

子供達の実に、1/3 に生まれる前の天国(あちらの世界、元の世界)での記憶があり

その中で、生まれる準備をしている沢山の子供たちと共に

神さまと一緒にいた、という証言が沢山出てきます。  

神さまの姿は、色々報告されていますが、 

明確に 〇〇神と分かっていることもあれば、

大仏の姿と認識されることもあるようです。 

またこれとは別系統として、

プレアデスやシリウスなど、別の星団から

今回、直接地球に転生してきている場合には 

天界の神々の記憶よりも、

出身星の記憶を強く保持している場合もあるようです。  

彼らの証言によれば、

生まれる前に、自分の今までの、膨大な過去の人生の課題を吟味して 

・起こる出来事

・人との出会い、別れ

・その際の役割

・容姿

・性格

・身体の作り(健康体、病弱、障害)

・亡くなる時期

・取り巻く環境(経済的環境、家庭環境、友人環境、職場環境) 

などを、神さまと一緒に決め、承諾を得てから、生まれてくるそうです。 

たかゆきくん(6歳) は、こんな証言をしています。 

<引用開始>

「子どもたちは雲の上で、ずっと列みたいに並んでいる。

遊んではいないけれど、普通に歩いていたりする。

・病気の子で生まれるか、

・元気な子で生まれるかを、 

絶対に決めなくちゃ、生まれられないから。

元気で生まれるか、病気で生まれるかを決めるのは、自分。

自分でお母さんを決めて、 

元気な子で生まれるって決めたら、元気な子に生まれるし、

病気の子に生まれるってなったら、病気で生まれる。

神さまは、雲の上の、また上の教会にいて、

元気に生まれるか生まれないかを子どもたちに聞いたり、

生まれた後の人(=死んで雲の上に戻ってきた人)には、

良いことをしたか、悪いことをしたか聞いたりする。

悪いことをしたら、

そこでまた生まれて、良いことをしなくちゃいけないけれど、

良いことをした人は褒めてもらって、

ちょっとの間、行きたい所に行かせてもらえる。」

<引用終了>

そうしますと、こういうことになります。

約束してきた人とは、必ず一番良いタイミングで出会う。

決められた出来事が、決められた時期に起こるように

・必要な登場人物

・必要な、物、お金が

・必要な時期に、

引き寄せられて、自然と集まってくる。 

それらのコーディネイトは、一体だれが行っているのでしょうか? 

偶然に、

たまたま、そのような現象が起こっているのでしょうか? 

私たちは、生きていると、いろんな楽しいこと、嬉しいこともありますが、 

沢山の、出口の全く見えない、苦労や、悲しみ、苦しみもあります。 

ですが、その嵐の時が過ぎ、時が経って、振り返って見た時、

あの出来事が、私をここまで連れて来てくれた 

そう感じることは無いでしょうか?

その悲しみ、苦しみが、私たちの魂を、

強くしてくれたのでは、なかったでしょうか? 

そして、それを行ってくれたのは、誰でしょうか? 

それは、もしかしたら生まれる前に 

一緒に相談して、人生の段取りを決めてくれた、神さまかもしれません。

日々の暮らし、人生が、自分にとって嬉しいことや、楽しいこと、

思った通りのことしか起きなければ、

きっと生きているうちに、自分の人生や、神様について考えることもなく、

私たちの本体である魂にとっては、つまらない平凡な日々が過ぎていくのみ。

それに対し、深い悲しみや苦しみの人生の中で

泣き、わめき、呪い、すがり、

そして最後に行きついた先、神さまと対話する中で、

自然と身に付いた深い洞察力で、

神様の道を歩むこともないのかもしれません。 

神さまの計らいは、本当に凄いですね。 

寸分の間違いもなく、一瞬の時間の狂いもなく、予定された事項を起こします。 

そして、一人の人生だけでなく、 

登場人物 全ての状況が把握され、調和されて動きます。 

まるで人体の中の細胞同士、60兆個にも及ぶ細胞同士の、通信・会話、調和のようです。

宇宙空間の無限に存在する、銀河や星ぼしの、調和された運航のようです。

全てが有機的に連携しています。 

そして、もし神さまの計らいを、

妨害するものがあるとしたら、それは何でしょうか? 

もちろん、それらも含め、生まれる前に決定しているわけですが、 

その計画さえも遅延させるものは何でしょうか。 

この世界は、心の現れですから、心の問題です。 

きっとそれは、 

・感謝を忘れた心

・不平不満を持つ心

・身勝手な心

・傲慢な心

・自分さえ良ければという心

・無意識のうちに人を陥れようという心 

かもしれません。

愛を忘れた心かもしれないですね。 

ですが、私たち全てのものは繋がっています。 

全ては繋がり、あの人も、この人も、この犬も、猫も、花も木も

お日様も雲も、風も雨も・・ 

全ては、私たちと同じ意識を共有している、私たちは切り離せない、一つのもの。

目の前に現れた人に対して、私たちは、他人事ではなく、

分け隔てなく、愛と思いやりの心を注ぎたいものです。 

愛の欠如こそ、この殺伐とした世界を作り、神々の計画を遅らせるものだからです。 

私たちの心は、見える世界、見えない世界、全てを変容させる力があるからです。 

今、地球が大きく変わろうとしている時期に差し掛かっていますが、

・宇宙時代の記憶や

・天界での記憶

・神様と約束してきたこと

・一緒に生まれようと約束してきたこと 

など、全ての記憶を消去して地球に生きている、 

平凡な一般の私たちにできることは、

そのような力、能力、知識へのあこがれや、

不思議な特殊能力や、優れた前世を持つと自慢する人々への依存心。 

そんなものではなく、神様が私たちに望んでいらっしゃるのは、

平凡な日々の暮らしの中で、身近な家族や周りの人々と、

今与えられているもので、満足し、感謝し、笑顔で、思いやり、助けい合い、

お互い様の気持ちで暮らしていくことではないでしょうか? 

神様が「今、自分に無い物を望め」と仰るでしょうか?  

自分に無いもの、力、他人、知識への依存の心のままでは 

せっかく地球が変わろうとしている今、

素晴らしき世界へ移行しつつある地球の振動数と

大きな乖離が起こってくるのではないかと思います。