2026年8月27日木曜日

4362「信じて祈ること」2026.8.27

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年08月09日の記事を紹介します。


「信じて祈ること」


わたしたちに、もし子供がいて、 

・その子が苦しんでいるとしたら、

・その子が、苦労の道に進もうとしているとしたら

何が何でも、手を出し、口を出し、その子の意志に関係なく、

その子を、親である私たちの信じて疑わぬ道に、軌道修正しようとすることでしょう。

ですが、ちょっと待ってください。

それは、本当に子どもにとって、子供の魂に取って、良いことなのでしょうか? 

今日はまず、斎藤一人さんの次の言葉をご紹介します。 

<引用開始>

 

もし身近な人が苦しんでいるとしても、 

過剰に心配しなくて大丈夫。

それよりも信じてあげること。

「今、神様の愛によって、全てがうまく行っています」と、祈ってあげると良いですね。

祈りっていうのは愛だから 

<引用終了>

あなたは身近な誰かのために、密かに、一所懸命に、祈った経験はありますか? 

私たちは誰もが、神様の分け御霊を頂いた生命体です。 

全ての生命体には神様の与えてくださった役割として、 

・他の役に立つこと

・他と調和して

・宇宙の生成発展に寄与して、それを維持すること 

と言う役割があります。

その大きな役割の中で、生命の進化の過程で、今人間として生まれて来て、 

動植物含め、全生命体の調和の調整という役割が与えられています。 

そして自らの魂も進化させるために、この3次元地球に肉体を頂いて、今生きています。

その目的を果たすために、いろいろな舞台が用意されています。 

それは、一人一人全部違います。

交わる部分もあります。

深く交わる部分は、家族や恋人、友人などの役回りかもしれません。

ですが、私たちは、他の誰かの人生に決して介入することはできません。 

例え親子、家族であっても・・ 

人それぞれの魂の目的が違いますし、その方法論も違います。

「良かれ」と思っても、決して自分の思い通りに人を動かすことはできません。 

でも心配することはありません。 

全ての人は、それぞれが、神様と約束し、この地上に降りて来ました。 

私たちがそうであるように、その人(身近な誰かも)も、常に神様に守られています。 

人間の情の部分からすれば、 

親なんだから・・・

家族なんだから・・・

と、どうしても、自分の価値観で、口酸っぱくとも、アドバイスしたくなりますし、

思いが伝わらなければ、怒ったりもしたくなります。 

ましては、生死が関わるとなれば、なおさらです。 

ですが、たとえ家族であろうと、

その人の魂の目的や、魂の欲求を無理やり変えることはできません。 

別個の魂だからです。

彼らは彼らなりに、今回の人間の人生をかけて、この方法ではうまくいかない。 

そんな学びを一所懸命、苦しみ、悲しみながら、

命がけで学んでいる最中かもしれません。 

神さまの目から見たら、肉体の生死はあまり関係ないようです。 

永遠の魂の方を見ているからです。 

必要があれば、今回の人生の教訓を、

直ぐに生まれ変わって、次の人生のステップに生かしていくことでしょう。 

その時は、もう私たちに、親子関係などなく、

赤の他人としての人生を歩むかもしれません。 

先ほどご紹介した一人さんの言葉には、このような意味があります。

感情は、生きて肉体を持つ間にしか生まれません。 

私達今生きている人間にとっては

少し薄情(情が足りない)に思えるかもしれませんが、 

きっと、一人さんの仰っていることは真実だと思います。 

情の目で見れば「かわいそう」な出来事かもしれませんが、 

彼らの魂は、その過程を楽しんでいるかもしれません。

過程を通じ、魂が学んでいるのかもしれません。 

何者も、どんなことをしても、魂に傷をつけることはできないのですから。 

一人さんの言うように、それよりも信じてあげること、

「今、神様の愛によって、全てがうまく行っています」と祈ってあげると、 

きっとこちらの方が魂的には本質的で良いことに思います。 

彼らが計画してきた、この地上での苦しい、悲しい経験が、

その目的を達成することで、魂の進化・向上に役に立つのであれば、

周りの親しい人々は、信じて祈ってあげる事。 

彼らの心願が成就すること、」を祈ってあげることが、本当の愛かもしれません。

晴れて彼らの心願が成就した時、その魂の目的は達成されたのですから、

その手段だった、彼らの悲しみ、苦しみも、 

記憶の遥か彼方に消えてなくなってしまうことでしょう。 

その時こそ、生まれて来た時に持っていた、 

本来の魂の輝き、神々の光が現れてくる時です。 

どうか、その子の魂を、その子も守られていることを、 

信じてあげてください。

祈ってあげてください。


2026年8月26日水曜日

4361「神々を動かす感謝の心」2026.8.26

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年08月08日の記事を紹介します。


「神々を動かす感謝の心」


私たちは、神様にお願いし、この地球に肉体を持って生まれてきました。 

その目的は、この物理的で、不自由な地球を楽しみたいということの他に、 

もっと大切な目的があります。 

それは、私たちの魂を輝かせ、神様に近づけ、進化させることです。 

感謝の心は、ブッダの教えの神髄でもあります。 

感謝の心さえ芽生えれば、この地球に生まれて来た目的の、

大半を果たしたことになるほどです。

感謝の心の反対は、「当たり前」 

・自分の思った通りに、環境が整い

・自分の思った通りに、人が動き

・自分の思った通りに、地位や名誉が手に入り

・自分の思った通りに、人に好かれ、尊敬され

・自分の思った通りに、お金が巡る 

ですが、ブッダが仰ったとおり、この世の中は、決して思うとおりに動きません。

ままならないのがこの世です。 

感謝の心がない人は、思い通りに、周りが動かないと、そのたびに不平不満を口にし、 

悪口、呪いの波動となります。 

そして、その悪しき波動を垂れ流し、ますます、自ら地獄に住む者の心となります。 

では、「感謝の心」を持つことを知った人はどうでしょうか? 

今日は、春日大社元宮司、医師、葉室頼昭さんのお話をご紹介します。 

感謝の心の重要性についてです。 

神さまから恵みを頂くための、神道的なアプローチのお話です。

葉室頼昭さんはもうお亡くなりになりましたが、神さまに相当近い方でした。

葉室家はもともと朝廷の宗教的なことを受け持つ、藤原家の公家の家柄だといいます。

葉室さんは藤原氏子孫の公家の代表として、

毎年春日大社のお祭りに、装束を着て参加していました。 

そのころたまたま神職の資格を取る通信教育の学校があることを聞き、

神主の作法を学びたくて願書を取り寄せて勉強したのだそうです。

努力家の葉室さんは、日本の形成外科の草分けの医師の仕事のかたわら、

院長室に神道の分厚い教科書を持ち込んだのだそうです。

家でも必死で勉強し、

異例のスピードで神職の最高位、明階(めいかい)の検定試験に受かってしまいました。

そしてそのとたん神社庁から呼び出され、

病院を辞めて、大阪の枚岡神社の宮司になってほしいという話がきたのだそうです。

その後最終的には春日大社の宮司になりました。

さて、この本の中に、心に響くこんな一節があります。

<引用開始> 引用元

神のお恵みはみんな平等にいただいている。

でも、ある人は不幸になり、ある人は幸せになる。

なぜか、感謝ですよ。

神の波動は感謝しなければ、お恵みとなって出てこないんです。

だから宇宙の仕組みが科学でわかったら、神道がわかると説明している。

お陽さまは明るくて暖かいとみんな思っているでしょ、これが間違いです。 

太陽の光は暖かくもなければ、明るくもない。

それが証拠に太陽がここにあって、地球があって、

太陽の光が地球まできているわけでしょう。

太陽の光が明るくて暖かいんだったら、

太陽と地球の間の宇宙空間は明るくて暖かいはずです。

ところが、ここは真っ暗で、冷たい。なぜかということです。

地球の周りに空気があるからです。

空気で反射すると光と熱が出てくる。

反射しなければ光も熱も出てこない。

空気がなかったら明るくも何ともない、

これと感謝は同じことですよと言っているんです。

反射したら光と熱が出るということがわかったら、 

感謝したら神のお恵みが出てくる、 ということがわかるわけでしょう。

これは本当のことだから、だから、人間も感謝しなさいと言うことです。

そうしたら神からいただいているエネルギーが出てきますよ。

<引用終了>

神さまの光は、みんなに平等に降り注いでいるけれど、

幸、不幸の違いが出てくるのは、 

「感謝の心」を持っているかどうかの違いなのだそうです。

そして感謝に関しては、こうも仰っています。

<引用開始> 引用元


感謝もいまは間違っています。

神さまにお願いして、お恵みがいただけたら感謝する。 

これは感謝とは違う。

これは取引です。 

これだけお賽銭をあげるから、

その代わり神さま、子どもを入学させてくださいという取引ですね。 

入学したらありがとうございますという。

これは感謝でもなんでもないんですね。 

感謝には理屈はいらない。 

神さまありがとうございますといって、

神さまと波長を合わせたら子どもが入学するということなんです。

入学したから感謝するのではないんです。

感謝したら入学するということなんです。 

世の中は逆さをやっているんですね。

太陽の光は空気によって反射して初めて光と熱が出るわけでしょう。

反射しなかったら光も熱も出ない。 

感謝しなかったら全然神さまは出てこられないんです。 

だから反射と感謝とは同じだと言っているんです。

入学させてもらったら感謝しようかと。 

そんなふうに宇宙の仕組みはなっていない。 

反射しなければ出ないんですよ。 

感謝しなければ出ない。だから感謝しなさいと。

そうすると何に感謝するんですか? と言う人がいるんですね。 

何にと言うときにはもう感謝ではない。それは取引です。

理屈なしにありがとうございますと言えたときが本当の感謝です。 

そうすると神のお恵みが現れてくる。 

これが本当のことです。 

だからよく健康に感謝する。 

健康でありがとうございました。 

それは結構なんですよ。 

でも、そういう人に限って病気になったら感謝しない。

たとえばお祈りで、自分の病気を 神さま、治してくださいと。

ところがお祈りしてもさっぱりよくなりませんという人がいます。

それは治らないですよ。 

私を健康にしてくださいということは、私は病気ですと言っているようなものです。

自分は病気だから健康にしてくださいと言うわけでしょう。

神さまに私は病気ですと言っているんだから、

そうかと、そのとおりに病気になってしまう。

だからどんなに病気でも、健康でありがとうございますと言いなさいというんです。

そうしたら健康が来る。 

病気を治してくださいということは、

私は病気ですと神さまに訴えていることですからね。

<引用終了>

葉室頼昭さんは、死の淵に会った時に、

生き方を変える、神さまによる不思議な経験がありました。

それは、浪人時代の過酷な受験勉強がたたり肺結核になった時のことです。

ある日、大量の喀血をし担当の医師から死の宣告を受け、

両親の待つ東京に帰ることになりました。

まだ寝台車というものがなく、

席を四つとってそこに戸板を敷き、寝かされて東京まで帰りました。 

「僕はそのとき、すべての我欲というものが消えていたんです。 

医者になりたいだとか、生きたいという思いもまったくありませんでした」

そのとき、ある人が退屈しのぎにと一冊の本を葉室さんに手渡しました。

この本が葉室さんに神秘体験をもたらすキッカケとなりました。

「そこには『人は生かされて生きている』ということがえんえんと書いてあったんです」

死を目の前にして無我になっていた葉室さんは、 

その本を読んで感激のあまり泣いて泣いて涙が止まらなかったそうです。

そうして汽車の中でずっと泣き続け、 

東京駅に着いたときには立ち上がる体力もまったくないはずなのに 

ホームに一人で立ち上がっていました。

その後十日間ほど、その本の中に紹介してあった本を全部購入し、無我夢中で読みました。

すると不思議なことに葉室さんの体力がみるみる回復し、 

奇跡のように重度の結核が全て消えうせてしまったのだそうです。

「そのとき僕は神を見たというか、神の存在を身をもって感じたんです」 

死ぬとばかり思っていたところを神さまに救われた葉室さんは医学部にもどり、

何か人様のお役に立ちたいと思ったのだそうです。

当時は結核で亡くなる方が沢山いました。

結核にかかると隔離されたりサナトリウムと言うところに入れられました。

美智子さまの親友だったハンセン病医師の神谷美恵子さんも、

結核で隔離されている時に神さまの光体験を授かっています。

神さまに対する真摯な心、そして感謝の真心、葉室さんは、死の淵でそれに気付き、

泣いて泣いて涙が止まらなかったそうです。

本当に心の底から生かされている命に、「感謝の心」が芽生えたのですね。


これができた時、私たちは神さまの恵みを、ふんだんに受けて幸せになれるのですね。

そして健康で幸せな時だけでなく、病気であったり、不幸に見える環境の中でさえも、 

「感謝」の心を忘れないようにしたいものです。

私たちは一人で生きているのではなく、 

様々な人や物、神々の「お陰」で生かされていると気付き、感謝できた時、

その時こそ、神さまの奇跡が訪れるのかもしれません。

いつも、どんな時も、嬉しい時も、悲しい時も、辛い時も、 

ありがとうの気持ち、忘れないようにしたいものですね。


2026年8月25日火曜日

4360「苦しい時こそ予祝」2026.8.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年08月07日の記事を紹介します。


「苦しい時こそ予祝」


私たち一人一人が、現在置かれている状況は、

全ての全て、過去の私たちの心の状態が生み出したものです。 

全ての現象・出来事や、物質的な環境も、

全て、私たちの心の中にその種があったから 

目に見える形で、今目の前で展開されています。 

それほど、私たちの心は大きな力を持っているのですが、 

それを使わせない、知らせないようにして、

私たちが自分で考えることをやめ、「流される人間」を創り出すために、 

様々な悪魔的な勢力も動いてきました。 

約100年ほど前、アメリカのヒル博士が対話した悪魔的な存在は、

当時として「流される人間」は98%に達したと断言しています。 

ヒル博士は、1920年代の大恐慌時代に、 

荒廃した人々に、この私たちが持つ「心の力」を公開し、

何千万人もの人の心に灯をともし、勇気を与えました。 

令和の時代の現代はどうかと言えば、レインボーチルドレンのそうた君が言うように、 

もう愛の星、地球としての復活は難しい・・

という所まで来ているそうです。 

ですが、私たちは縁あって、この地球に、この時代をあえて選んで生まれてきました。 

この地球、愛の星の未来を諦めるわけにはいきません。 

この「流される人間」から脱却するには・・ 

自分の心を見つめ、自ら考え、

自らの足でしっかりと大地に立つにはどうしたら良いのでしょうか?

自分の心を

・愛

・おもいやり

・助けい合い

・おかげ様、お互い様

・夢

・希望

・感謝 

の心で満たしていくしかありません。 

イエスの教えてくれた黄金律、そしてブッダの教えてくれた感謝の心の重要性は、

今の時代でさえ、決して変わることがありません。 

自分の心を整えていく作業は、誰も助けてくれません。

自らの足で一歩を進めなければなりません。 

そのために、今日のお話を始めます。 

私たちの心の状態が、全てを決めます。 

ですので普段から、まわりやTVなどから接する情報も、できるだけ

・清らかなもの

・優しく温かなもの

・思いやりのあるもの

・人に勇気を出させるもの 

などにして、 

好奇心をくすぐる目的の、下品な物や面白おかしくデフォルメされた・・・

・ゴシップ

・人をだましたり

・嫉妬したり

・恨んだり

・貶めたり

・陰口を言ったり聞いたり

そのような物を見たり聞いたりして、心に入れないようにしたいものです。

何故なら、心に在るものが、何時か現実化されるからです。 

無意識に心に入れたものが、現実化してしまう可能性が高いからです。 

もし今の現実を変えたいならば、幸せになりたいのなら、

心癒される環境に身を置きたいのなら、人や周りを変えようとするのではなく、 

自分の心をきれいに洗濯をしてみることをお勧めします。 

そのためには、感謝の気持ちが大切です。 

思ったこと、心の中のことが現実化するとは、

私たちが神さまと同じように作られたからです。 

神々と同じ、創造する力を私たちは与えられているからです。 

さて、ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』で有名な故渡辺和子さんは、 

36歳の若さでノートルダム清心女子大学の学長となりましたが、

若さゆえに沢山の苦労をなさいました。

<引用開始> 引用元 

思いがけず学長という立場につけていただきまして、やはり苦労がございました。

私はいわゆる

「くれない族」

というものになりました。

・お辞儀をしてくれない。

・あいさつをしてくれない。

・こんなに苦労しているのに労ってくれない。

そういう「くれない族」。

私は「もっと人様に仕える仕事をさせていただくために入ったのに」

と私を修道院に推薦してくださったアメリカ人の神父様のところにまいりまして、

縷々(るる)不平不満を述べました。

すると神父様は、

「あなたが変わらなければ、どこへ行っても何をしても同じだよ」

とおっしゃいました。

目からうろこが落ちました。

他人が変わることばかり求め、幸せを他人まかせにしていた、

自分に気づかされました。

私が変わらなければと思い、私の方からあいさつをする人間に、

変わる決心をいたしました。

そうすると、周りの方が変わってくださったんですね。

明るくなりました。

それまでは、環境さえ変われば、みんなさえ私を理解してくれれば、

と思っていました。

神父様の一言で、大切なのは、人に頼ることじゃないんだ、と気づきました。

「環境が悪い」

「人が悪い」ではなくて、

悪い環境ならよくしよう。

よくするためには、まず私が一番先に変わらなければいけない。

発想の転換と申しましょうか、そういう気持ちになりました。

私は傷つきやすいところがございますけれども、そのおかげで、

人様にこういうことをしたら、この言葉を申し上げたら

傷つくんじゃないかということが、わかる人間になったと思います。

弱さ、傷つきやすさを逆手にとって、相手の気持ちがわかる人間になる。

だから傷つくことのありがたさを、忘れてはいけないのです。

時間の使い方は、命の使い方。

この世の中に、無駄なものは一つもございません。

嫌なことや傷つけられたことさえも、私たちは、いいことに変えられるのです。

<引用終了>

渡辺さんは学長として、働き盛りだった五十歳の時、

うつ病となり、死を考えた経験があるのだそうです。

そして、周りの方々、取り巻く神々に助けられ、克服しました。

渡辺さんの醸し出す、静謐の中の深い優しさは、

そんなところから来ているのかもしれません。

ご自分で苦しみを味わったからこそ、同じように苦しむ人々の心の内が分かり、

そして、寄りそい、温かな言葉をかけられるのでしょう。

そう考えたら、ご本人の仰るように、病気さえも無駄ではなかったことになります。

返って神々の恩寵となったのです。

神様のやり方は、何時も同じです。

神様は私たちの「願ったもの」ではなく、

幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。

それは必ずしも私たちが欲しくないものかもしれません。

でも、全てが肉体ではなく、魂の成長にとって必要なものなのだと、

感謝して謙虚に受け入れることができれば、人の魂は、どんなに光り輝くことでしょう。

周りの人たちの心を照らし出すことができるでしょう。

お腹が空いた時のひもじさが分かるから、素朴な美味しさを感じることができます。

私たち生きている人間は、物事の表面しか見ることができません。

その、ほんの一面だけを見て

・良い、悪い

・幸、不幸。

を判断することはできません。

有頂天になったり、落ち込むことには意味がありません。

どんな人も、必ず、時が経って振り返れば、究極的には、肉体が亡くなって

天に返る時には、今の状況に至るためには、その出来事が必要なことであった。

そう気付くことでしょう。

神さまは、幸運を与える前に、必ず、まず、不幸に見える出来事をくださいます。

そして、その出来事に、不平や不満、愚痴を言わず、やり過ごすことができた時、

幸運がやってきます。

それは、必ずセットになっています。

更に、神さまのなさり方が理解できたのなら、きっと前半部分の、

不幸に見える出来事がやって来た時、感謝の気持ちで受け取ることができるでしょう。

また、もっと確実にする方法があります。

それは日本人が古来からやってきた方法、予祝(よしゅく)です。

祝福をあらかじめ予定するのです。

いわば前祝い。

たとえ、どんなに今が苦しく、辛くとも、先に喜び、先に祝うことで、

(※ふりでも構いません。神様を信じ切る事で) 

次に来るであろう、喜びの現実を引き寄せる。

これは、日本人が古来からやっていた夢の叶え方だそうです。

お酒を飲みながら、お米がたわわに実ることを想像し、

仲間とワイワイ先に喜んでしまう、前祝い。

それが夢の引き寄せであり、お花見の由来だったのだそうです。 

何故なら心がワクワク楽しいことで満たされていたら、例え今は不幸でも、 

必ずそれと同じ波長のことが現実化されるからです。

どのような現実が、起ころうと、私たちの運命は、

全て結果オーライになるように組まれています。

そうであれば、常に感謝の気持ち、笑顔で生きて行きたいものですね。 


2026年8月24日月曜日

4359「うつと霊」2026.8.24

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年08月06日の記事を紹介します。「


「うつと霊」


今日はうつ病や、その他の病気について書きたいと思います。

記事の中に霊体のお話も出てきますので

ご興味のない方は遠慮なくスルーされてくださいませ。

小林正観さんの うつからの脱出の方法についてご紹介します。

<引用開始> 


『それはうつ病の特徴でもありますが、

私自身も若い頃に二度、そういう経験があったのでよくわかりますし、

ひとごとではありません。』

小林正観さん自身のウツ症状について書いてある一文です。

ウツ病というのは、それを持ち込んでくる霊体があり、

それが憑くと発病、離れれば治る。

笑顔や明るい言葉が、ウツの霊体は嫌い。

楽しくなくても【祝福神】(以下の7つの言葉を正観さんはそう名付けた)

・うれしい

・たのしい 

・幸せ

・愛してる

・大好き 

・ありがとう 

・ついてる

を言う。笑顔を作る。

一週間に3000回以上も言い続け、ウツ病が治ったという報告があった。

『宇宙を解説百言葉』より

<引用終了>


この病気には、ずいぶん多くの方が悩まされています。

それだけ世の中がすさんできている証拠だと思います。

ご本人はもちろん、ご家族の方も、本当にお辛いですね・・

小林正観さんは、人生好転の方法として、

よく言霊を教えていらっしゃいます。 斎藤ひとりさんもそうですね。

それはきっと、「南無阿弥陀仏」 のように 

一般の私達にとって、簡単でとっつきやすく、そして継続がしやすいからだと思います。

そしてそれらの言葉の秘められた力ももちろんあります。

幸せになる方法を理屈でどうこう説明されても、

なかなかそれを正しく理解して実践する事は難しいですので、 

この言霊の方法は、本当に素晴らしいと思います。

正観さんも若い頃、うつ病だったのだそうです。

「置かれた場所で咲きなさい」の

渡辺和子さんも、50代でうつ病を発症しました。

ですから、今、この病気にかかって苦しんでいる沢山の皆さん。

決してあきらめる必要はありません。

勇気を持って下さい。 絶対に治りますから。大丈夫です。

正観さんの教えてくれた方法は単純です。

・うれしい

・たのしい 

・幸せ

・愛してる

・大好き 

・ありがとう 

・ついてる

を何度も何度も、繰り返し言うことだけです。

(声に出さなくても結構です。気持ちがこもっていなくても結構です)

宇宙の法則に、似合わないことは起こらないと言うものがあります。

似合わないことは起きない!

だから「うつ」や「パニック障害」が似合わない人になることが、

この病気から脱出する近道なのです。

斎藤ひとりさんはこんなことを言っています。(姿かたちから入るやり方です)

要するに、不幸や苦労が似合わない格好すると、

そういうこと(不幸や苦労)は起こらない。

「もっと、しあわせ」になれるよ、ということです。

不幸や苦労が似合わない格好とは何かというと、

まず明るい色の洋服を着ること。

キラキラ光るアクセサリーを身につけること。

髪にもつやを出し、靴はきちんと磨いたピカピカのものを履くこと。

こういうふうに明るくて華やかで輝きのある恰好をして、

顔がつやつやの人は、どう見ても「しあわせそうだなぁ」としか思えません。

苦労や不幸はまったく似合わないのです。

似合わないことは起きないのですから、幸せな人に変わってきます。

また失恋して落ち込み、死にたいと相談に来た人がいるとします。

そう言う時は、まずは「腹ごしらえをしよう」と餃子の王将に連れて行きます。

そこで、どんどん餃子を頼み、食べさせます。

すると、死にそうな人が、油ギトギトな餃子をほおばる姿は似合いませんから、

その人から「死にたい」という意識は消えていきます。

正観さんの教えてくれた方法

・うれしい

・たのしい 

・幸せ

・愛してる

・大好き 

・ありがとう 

・ついてる

を最初言うのは辛いかもしれません。

ですが、頑張って続けていけばクセになります。 

そうするといつの間にか病気から脱出している。。 ということです。

苦しんでいる皆さんが、どうか、お幸せになりますように・・・


2026年8月23日日曜日

4358「青空ひろば」2026.8.23

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


イノチの学校より40 2026.07.28 

気を逸らせること、手放すこと

禅の方でも気を逸らせた時、手放した時に心が解放された例は沢山あります。

例えば霊雲禅師という人は、

30年も激しい修行、命がけの修行をしてもなかなか悟ることがなかったそうです。

そしてある時、山すそで休息している時に、フッと満開の桃の花が咲き誇っているのを見上げた。

その瞬間に忽然と悟った。

それから香厳禅師という人は、庭掃除の最中に跳ねた小石が、竹にカーンと当たった音で悟ったそうです。

気がフッと逸れたんやね。

無門慧開禅師は、太鼓がドーン!と鳴る音を聞いて悟った。

そして阿南尊者は、悟ろう悟ろうと必死に坐禅したりね、修行したけど悟れなかった。

そうして、ボクは悟れないんだなと諦めて、横になって寝そべった瞬間に悟った。

手放したんですね。

悟ろう悟ろうとしてた、それを手放した瞬間ですね。


イノチの学校より38 2026.07.26 ~ イノチの学校より39 2026.07.27

放行(手放すこと)について

放行っていうのは手放すことですね。

まずその前に

疑問とかね、コレというもの(目標や課題や問題や…)を、

心の中で握りしめて握りしめてあるところまで握りしめていくと、心の中央に、イノチを持った疑問ができるんです。

疑問にイノチが宿るんですね。

そうなると、寝ていても何していてもずっと疑問が持続されるようになる。

そこまでいったらもう、握ったらアカンのです。今度は。

イノチを持ったんですから、後は手放してあげたら疑問は、勝手に答えの方に飛んでいきます。

それが放行の過程ですね。まず握りしめて、手放す。

握りしめる過程を把住(はじゅう)、手放す過程を放行。

把住については別の機会に詳しく話したので、今回は割愛しておきますね。

把住して放行、把住して放行。

握りしめて手放す、これを活用するのに

大敬の場合は、始めはこれ、3年かかりましたね。

禅の公案(禅の修行者が取り組む、師匠から与えられる問題)というのに取り組んでいた時、

最初は3年間問題について握りしめて、そうして放行してハッと答えが出てきました。

でも段々とね、面白いもので把住のコツが掴めたら、把住そのものが段々と要らんようになってくる。

スッと握ってパッと放す、スッと握ってパッと放す。

握ってからフッと放してあげる、それで終わる。

だから師匠に問題を貰ったら、それを受け取ってね、貰った時には把住が終わっている。

あとはその瞬間にフッと手放したら答えが出るようになっている。

ここまで行ったらね、優劣とか上下とか、師匠とか弟子とかそういうのを越えたなと思いましたね。

アタマを通さない心の働きですからね。

でも先輩とかは認めてくれなかったりしますね、「そんな事で答えはでないよ」と思い込んでるから。

把住して放行するには、しっかり何年も握りしめてね、そうして手放さないと駄目なんだって思い込んでるから。

そんなことはないんですよと言いたいですね、初めから放行してあげたら答えが出るように、イノチは出来ているんですからね。


イノチの学校より37 2026.07.25 

論語より

大敬意訳

師(孔子さん)がおっしゃった

「私は十五歳で学びをスタートし、三十歳で志を立て、四十歳で迷いがなくなり、五十歳で天命を知ることが出来た。

そして、六十歳で人の意見や自然界や神の無言の言葉が、そのまま素直に耳に入り、順えるようになった。そして、七十歳で、おのが心が欲するままに行動して、それがそのまま神が望んでおられるご意志に沿ったふるまいになるということになったのである」

70歳で…って72歳で亡くなっているからやっぱり時間がかかるんですね。

最後に本当の意味で、自分の思ってる事が神の思ってる事になったというのが。

70歳になってからなんですね。

で、その前に、六十にして耳順う(ろくじゅうにしてみみしたがう)  

で自然界とか、植物が言ってることや、天から届く言葉とか人の意見とかが素直に耳に入る様になったと。

そういう境地があったという事ですね。

なかなかやっぱり時間がかかるということですね。

論語は我々の日常と関わるような事をしっかり仰って下さっていますね、

杓子定規な規則や戒律じゃなくてね。

だから孔子さんの人格というか人物像を学んでいくと参考になりますね。

学びの人、仲間を大切にする人、人に評価されなくても黙々と自分の信じる事をやれる人。


イノチの学校より36 2026.07.24 

論語より

大敬意訳

 師(孔子さん)がおっしゃった

「政治を行うのに<徳>をもって行えば、たとえば、北極星がじっと不動で、衆星が北極星をめぐってまわるように、徳ある人が、言葉に出さなくても、周囲の人たちが徳ある人の意を汲み取って率先して行動してくれ、すべてがうまく整ってゆくものである」

だから徳さえあれば、周りの人は言わなくても自然に、意向を察知して協力してくれたりする。

だからそこは大切なんだよ、徳を持つことの大切さですね。


イノチの学校より35 2026.07.23

論語より

大敬意訳

師(孔子さん)がおっしゃった。

「父が存命中なら、なさっている事の意味をよく観察して学ぶ。

父が亡くなられたなら、なさった行動の正否をよく顧みる。

そして、亡くなられてから三年経ってはじめて父が定められた方式の内に、今の時代と場所と人にふさわしくないものがあれば、改善に着手するのである」

この言葉に従って行動した訳ではないですが、大敬も突然仕事で、管理職の役職を与えられた時にそうしました。

前任の方に一つ一つお伺いを立てて、これで良いでしょうか?と聞いて、

ここはこうした方がいいよと助言を頂いたらそのようにしました。

三年はそうしました。

なんかおかしいな?と思うこともいっぱいありますね、あるけど言われたままに行動する。

三年経った時に前任の方が退職されたので、自分でおかしいなと思っていた所は部分的に改良して、部署の皆さんに改良することを説明して、それを実行していきました。

だから三年目くらいで初めて自分の意見をカタチにしました。

こんな風にね、これぐらいでいいんですね。若い時は革新的なことをしたいし、

悪いとこが沢山目につくと思うけど、わかっていても最初は周りの言う通りにやっていく。

謙虚にそうしてやっていくと、みんなから信頼されてきますね。

そうして信頼されてくると、自分の意見を言ってみたら受け入れて貰えるようになっていますね。

いきなり無理をせずに、始めはちゃんと従っていくことも大切ですね。


イノチの学校より34 2026.07.22 

論語より

大敬意訳

師(孔子さん)がおっしゃった。

「帝王の心得に<虚心でなければ忠言を入れることは出来ない>というものがある。

その意味は、我見に固執しないで、忠臣の言葉を謙虚に聞き取って、ソレが正しいと判断出来れば、直ちに方針を変えて、その忠臣の意見に従って為政してゆけというのである。

私たちの学道のあり方もそのようでなければならない。

若し自分の意見にいつまでも固執していたら、師の教えが耳に入らない。

師の言葉が心に届かなければ、いつまでも師の法を得ることが出来ないのである。これが学ぶ者の第一の用心である」

謙虚さについて、孔子さんはこのように語られました。


2026年8月22日土曜日

4357「優しい世界」2026.8.22

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年08月05日の記事を紹介します。


「優しい世界」


今日は荒木忠夫さんの「こころの風景」より、

ご紹介します。

<引用終了> 引用元

家族にはいろんな風景がある。

そして、それぞれの風景は、

家族ひとりひとりの、心の風景でもある。

会社勤めの18年間、私はずっと人事部に所属していた。

人事部は一見、華やかそうに見えるが、

実は最もつらい職場なのである。 

社員のサラリーマンとしての悲しさを見るのが、

人事部の仕事みたいなものである。

会社勤務の頃、5年に1回行われる会社の大運動会の会場で、

私はある社員の家族の風景を見て、とても感動した。

その大運動会は、会社が大きな遊園地を一日貸切って、

家族ぐるみで行われる大規模なものであった。

その遊園地の大観覧車の下で、

ある社員の家族が楽しそうに弁当を広げていたのである。

両親と小学生の女の子と、幼稚園の女の子の一家四人が、

楽しそうに話しながら弁当を食べていた。

実は、この父親は会社では、能力的にあまり評価されていない人だったのである。

毎年、配置転換の対象となり、

人事部の私は、職場の上司に頼まれて、

その人の受け入れ先を探し回ったが、 

なかなか受け入れてくれる職場が見つからないのであった。

とても真面目な人なのだが、

仕事のスピートが遅いのであった。

その父親を囲んで、

一家四人が楽しそうに弁当を食べていた。

父親はそんな子供達を見ながら、

満足そうにうなずいていた。

父親が会社でどんな評価を受けていようと、

そんなことは、この女の子達にとっては全く関係ないのである。

そして、この子供達にとってはかけがえのない父親なのである。

私は思わす目頭が熱くなった。

その時、小学生の女の子が言った。

「お父さん、今日は楽しいね。いい会社に入ってよかったね」

すると母親が言ったのである。 

「そうよ、お父さんのおかげよ」

私はまた、目頭を押さえていた。

そして、その場をそっと離れたのであった。

<引用終了>

皆さんの周りには、こんな方は、いらっしゃいませんか? 

もしかしたら、馬鹿にしたり、低く見たり

マウンティングしたりしていませんか? 

ですが、どんな人にも家族があります。

奥様や、お子様 

そして大切に大切に、生み、育ててくれた

ご両親がいらっしゃいます。 

私たちは、人の表面にあらわれた

ほんの一面しか見ることができません。 

会社組織は、

エリートだけのできる集団になると

何時しか自壊してしまうそうです。 

どんな時も、愛すべき

潤滑油のような人が必要なのだそうです。

色んな人の、いろんな個性を認め

みんなで助け合い、励まし合い 

優しい社会を作っていきたいですね。 

もう、そこには、孤独で

一人涙を流す人はいなくなることでしょう。


2026年8月21日金曜日

4356「神さまからのメッセージ」2026.8.21

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年08月04日の記事を紹介します。


「神さまからのメッセージ」


国津神と言えば、出雲、大国主命、スサノオノミコト・・ 

以前ご紹介しました、2,160年ごとの周期で時代が変わるお話。 

2,160年前に丑寅の方角にお隠れになった、この地球をお創りになった、

国常立尊(クニトコタチノミコト)が復権されるのではないか? 

そのために様々な動きが天界と、この地上に急激な速度で起きているのではないか? 

悪魔的な動きも加速するとともに、沢山の神々も活動を活発化されている。 

天と地の役割が入れ替わろうとしており、ますます、国津神系の力が目立ってきている。

そんな時代に大切なことは

・私たちの魂は肉体が滅びようと死なないこと

・神さまが確かに存在していることを信じること 

ではないかと確信しています。

さて今日は、どんな方にも神様は、

ちゃんとメッセージを下さっているんだよと言うことで、

ひとつの例をご紹介します。

どんな方にも、心の内に神様がいらっしゃいます。

そして常に神様は、私たちとともに歩み、喜び悲しみを、共に分かち合ってくださっています。 

<転載開始> 転載元

作家の佳川奈未さんは作家デビューする前、離婚して3人の子供を育てていくために、 

雑誌ライターのほか、3つの仕事を掛け持ちしながら、朝から晩まで働いていた。

そんなハードな生活が数ヶ月過ぎたある日、 

身体と心のバランスを保っていたネジが、ポンと音を立ててはじけ飛び、 

生きることをどうしても続けられなくなってしまい、死を選ぶことを決心する。

ひとり死ぬために、まだ日の昇る前の早朝の海へと向かう。

ところが死ぬことができない。

怖いわけではなく、誰よりも早くいったつもりが、

自分よりも早く来ている人が、その日に限っていて邪魔をするからだ。

「神様はこんなに生きづらくしておきながら、

成功するチャンスどころか、死ぬチャンスも与えてくれないのか」と

佳川さんは悲観にくれる。

海では死ねないので、佳川さんは電車に飛び込んで死ぬことにして、

海辺から駅へと歩いて向かう。

駅にたどり着くと、駅前には大きな本屋があった。

「自分はとうとう作家になる夢も叶わないまま、

死んでいくんだなぁ」と,心でつぶやきながら、

なぜか、死ぬ前にもう一度、自分の一番好きな場所だった、

本屋に立ち寄りたいと思い、中に入っていく。   

ぼーっとしながら、一番近くの棚のそばに立ち、

そこに並ぶ本になにげなく目を向けると、一冊の本から

『ぜったい守ってあげるから!』

というタイトルの文字が、バーンと佳川さんの目に飛び込んできた。

その文字を見て、佳川さんは呆然とする。

なぜなら、自分が守ってあげたいと思うものを守れず、

そして自分自身も誰にも、守ってもらえずひとりもがき苦しんでいた。

そして死を覚悟した。  

『ぜったい守ってあげるから!』なんて、

優しく温かなこんな言葉を、誰からも言われたことなどなかったからだ。

なのに、その本がそうやって訴えかけている。 

そのことが衝撃だった。

佳川さんは、すぐにその本を手に取り、

開き、読んで、その中にあるメッセージに、

涙がボロボロ流れてきて、止まらなかったそうだ。

そして、 

“私もこんなふうに誰かを救えるものを書きたい!

やっぱり書きたい!”と 

死のうとして冷え切った佳川さんの心に、熱い思いが込み上げてきた。

結局、それがきっかけとなり、死ぬことを踏みとどまった佳川さんは、

出版社に書いたものを持ち込み、デビュー作が生まれる。

佳川さん自身、もう一度生まれ変わったのである。

死を覚悟してなにげなく書店に立ち寄った時、 

目の前にあった本のタイトルという形に姿を変えた、

「天からのメッセージ」を佳川さんは受け取ることができた。

メッセージはそれ以前にもたえず投げかけられていたのだと思う。

でも、佳川さんにとってはその日、

その時が受け取る“時”だったのかもしれない。

佳川さんは「いま思えば、

その言葉は、その本からのメッセージでもあるのですが、 

まぎれもなく、天が私を守ってくれているという

尊いメッセージでもあったのです」と述べている。

<転載終了>

神様からのメッセージは、実はいたるところにあります。

それに気付くかどうか。

偶然として片づけてしまうかどうか。

特に今回ご紹介した佳川さんのように、

生死にかかわる時には、強いメッセージがもたらされます。

神様からのメッセージというと、とかく頭の中に厳粛な声で響いてくるもの。

と思っている人が多いかもしれませんが、

神様はあまり、あからさまな方法を、取らないことが多いようです。

人を通して語られる言葉とか、偶然目にした本のページとか。

心の内なる神様を信じ、心を研ぎ澄ませていれば、必ず気付くと思います。

佳川奈未さんは「感性」とは、ある印象を受け入れる力だといいます。

感じたものを育む能力が、実は良いものを引き寄せるためには必要なのです。

感性が鈍いと、今自分に必要なものを見つけられないのです。

と仰っています。

皆さんにも、同じように、

神様は、何時もメッセージを下さっています。

例外はありません。 

ですが、普段から不平、不満、愚痴が多く、

人や、世の中に文句ばかり言っている方は、

受け取りにくいかもしれません。 

ご自分の心が、そのような黒いもので一杯で、

神様の恩寵が入ってくる隙間がないからです。 

素直に吸収する余地がないからです。 

私たちは、亡くなるときの心の状態が、死後の行先を決めてしまいます。 

厳然とした波長の法則、

つまり、類は友を呼ぶ の法則が働くからです。 

不平不満、悪口で人生を閉じる人は、

眉間にしわを寄せ、鬼のような顔をしているかもしれません。 

死後は、同じような人が、待ち受けるところに行くことでしょう。

人々に感謝し、笑顔でありがとうと言っていた人のお顔は、

きっと仏様のようなお顔で、行くことになるでしょう。 

その先には、同じような、優しく、心暖かな人が、

待っていてくださることでしょう。

奈良で生まれ、比叡山で修行した源信が、

「往生要集」で、その様子を描いています。 

神様の声、恩寵は、差別なく、万人に届いています。 

皆さんもぜひ、内なる神様の声に

耳を澄まして聴いてみてくださいね。