2026年2月7日土曜日

4161「運がいい人」2026.2.7

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月23日の記事を紹介します。


「運がいい人」


今日は、斎藤一人さんのお話です。 

「運がいい人になるには」というテーマです。 

<引用開始> 引用元

舛岡はなえさんの「斎藤一人 人生ぜんぶハッピーラッキー」の中から、

ひとつの面白いエピソードをご紹介します。

舛岡さんは、あるとき前から疑問に思っていたことを一人さんに尋ねます。 

それは、「すごくいい人で幸せだった人が、

あるときから、幸せでなくなるのはなぜですか?」ということです。 

一人さんは、

「理由はひとつ、

でも、この話を信じてくれる人は、10000人に1人もいればいいほうなんだよね」

などと言って教えてくれます。 

なんだと思いますか? 

「いい人で幸せだった人が、幸せでなくなるのは、

自分が神様に愛されているって思っていないからなんだ。

本当は、人はみな神様に愛されているのにね・・・」

普通の人は、何か問題があると、 

・あれが悪い、これが悪い、と悲観的になりがちです。

・お前が悪い、あいつが悪い、と誰かを責めてしまいます。

・自分は不幸だなぁ、運が悪いんだと思い込みます。

でも、神様から愛されていると思っている人は、

何か問題があっても、

落ち込むほど悲観的にならないし、

誰かを責めることもまずありません。 

もちろん、その人にも何らかの問題は必ず起こります。 

ただ、それは神様からの試練だと受け止めるんですよね。

それは、

・必ず乗り越えられるし、

・乗り越えれば必ずもっとよくなる。 

神様はそんな試練を与えてくれたんだって思うわけです。 

だって、神様から愛されているんですから・・・ 

神様が自分に嫌がらせをするわけがないんです。  

神様が自分を成長させてくれるために、

試練を与えてくださったのだから、むしろ感謝します。

さて、あなたも何かいま、問題をもっていますか?

問題を持っていない人なんて普通いないと思います。 

ただ、その問題を 

・悪いものだとネガティブに考えているか、

・その問題でよくなれるとポジティブに考えているか 

の違いがあると思います。

繰り返しますが、「自分は神様から愛されている、

だからその与えられた問題を通して、もっとよくなれる」と考える人は、

多少辛いことがあっても、自分は不幸だとか、運が悪いとは考えないんです。 

むしろ、神様から愛されている自分は、

今もこれからもずっと運がいいんだと思っています。

あなたもぜひ、自分は神様から愛されていると感じられる、

10000人に1人の人になって下さい。

次の言葉は一人さんが、舛岡はなえさんに教えた、運が良くなる言葉です。 

何か問題があったときは、この言葉を何度も唱えるといいそうです。 

「これでよくなる。だからよくなる。さらによくなる。」

たったこれだけです。試してみるといいですよ。

<引用終了>

斎藤一人さんは、いつもわかりやすい言葉で真理を伝えてくれています。

私たちが、今この世に生まれてきている以上、 

誰一人、神様の承諾なしに、生まれませんから、

皆が一人残らず神さまに愛され、祝福されています。 

「幸せになるんだよ」と地球に送り出されました。 

天国にいる時、神様と一緒に考えた幸せとは

・大きな家に住むことでも

・大金持ちになることでも

・美しい容姿になることでも

・病気一つしない健康な身体になることでも

ありませんでした。 

かえって、その逆の環境に身を投じ 

・真の心の幸せ、

・美しい心

・人々との、優しさ、思いやりの交流

を手に入れることだったかもしれません。 

なぜなら、艱難、苦難、孤独、逆境こそが、

私たちの魂を磨き、輝かせてくれるからです。 

それらを通じ、「感謝の心」を芽生えさせた時、

私たちは、真の意味で、神様に喜ばれ、天の国に迎え入れられることでしょう。 

無名戦士の詩より、ご紹介します。

大きな事を成し遂げるために、

力を与えてほしいと神に求めたのに

謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった

偉大なことができるように健康を求めたのに、

よりよきことをするようにと、病気をたまわった

幸せになろうと、富を求めたのに、

賢明であるようにと、貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、

得意にならないようにと、失敗を授かった

求めたものはひとつとして、与えられなかったが、

願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわぬものであるにもかかわらず、

心の中の言いあらわせない祈りは、

すべてかなえられた

私はもっとも豊かに祝福されたのだ


2026年2月6日金曜日

4160「冥界との絆」2026.2.6

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月22日の記事を紹介します。


「冥界との絆」


みなさんのご先祖は冥界(黄泉の国、神々の世界)にいらっしゃいますので

ご自分で意識したことが、現実になる世界にいます。 

私たち生きている者が、思い出したり、感謝や優しい気持ちを向けたり、

お供え物をすることで、その意識は冥界で現実化して、先祖の皆さんに届けられます。 

日本古来の古神道では

・神々との繋がり

・祖先との繋がり

これらを

・横のつながり

・縦のつながり

として、大切なこととしています。 

以前、宝徳様の神職の女性が「先祖供養」について話してくださったことがあります。

それは、 私達生きている者と、神さまの間に、ずらっとご先祖がいらっしゃる。 

つまり、神さまと生きている私たちを繋いでくださっているのが、ご先祖 

先祖供養をすることで、私たちまで命を繋いでくださったことに対する感謝を伝え

(どんなにか、苦労を重ね、喜び悲しみを経験し、生き抜いてくださったことでしょう)

そして、神様と私たちの、その道の間にいらっしゃるご先祖、どなたも、神の光の道からそれないように、真っすぐに神様の方向へ進めるように足元を照らすように、お祈りするのが、先祖供養です。

そう教えていただいたことがあります。 

さて、斎藤一人さんも、先祖供養について、

いろいろ教えてくださっていますのでご紹介します。 

<引用開始> 引用元

先祖供養の本当の意味は、子孫であるその人のことを、

「いてくれてよかった」って言う人が何人いるかなんだよ。

大きな仏壇を買うことが先祖供養じゃないの。

それは仏壇屋さんや宗教をやってる人が言うこと。 

さらにいえば、それって商売なの。

仏壇に入っているのは仏様なんです。

それで30分も1時間も先祖供養のために

念仏を唱えるっていうんだけど、お経って仏様の教えなの。 

仏様が教えたことを仏様に向かって30分も1時間も話すって変だよね。 

きっと仏様も、「それ、俺が言ったんだよ。

だからわかってるから、外に行って実践しな」って言うと思うよ。

お経をあげるのがいけないって言ってるんじゃないの。

あげてるあいだは無心になれるし、

そのあいだ、人の悪口とか言わないからそういう意味ではいいの。 

でも、どうせだったら、意味も知ってたほうがいいよね。 

さらに言えば、それを実践できるようにしたほうがいいよねってことなの。 

だから先祖供養でいちばんいいのは、

「あなたがいてよかった」(あなたが生まれてきてくれて良かった)って言ってもらうことなの。

あなたが生まれてきたのは、ご両親がいて、そのまたご両親がいたからなの。 

先祖が誰一人として欠けても、あなたはこの世に生まれてこなかったんだよね。

子供をほめられたら親ってうれしいの。

だから、あなたがほめられることが、最高の先祖供養になるんだよ。 

<引用終了> 

確かにそうかもしれませんね。 

私たちも、子供たちが、世間の皆さんに喜ばれる存在であれば

自分が褒められる以上に、とっても嬉しいと思います。 

私たちが、周りの方々に示す

・優しさ

・思いやり

・助け合い

・お互い様、おかげ様

の心は、自分たちだけでなく、ご先祖様を含めて幸せにしてくれるようです。

また私たちが、ご先祖や大切な方々を思い浮かべ、感謝の気持ちを持つことは、

その瞬間、時空を超えて、冥界で神様に向かって歩いている方々の、

足元を神さまの光で照らすことになるようです。 

ご先祖だけでなく、大切な方も同じことです。

これこそ人に依存しない、理想的な形の先祖供養かもしれません。 

また、「親孝行」について、小林正観さんが以下のように仰っています。 

<引用開始> 引用元

親孝行とは、親が生きている間にしてあげるものではありません。

本当の親孝行とは、親が亡くなったときから始まります。

親が亡くなり、あちらの世界に行って、こちらを見ているときに、

ほら見てください。あれが私の子供です。 

あんなに人に喜ばれながら、楽しそうに生きているのが、私の子供です。

と自慢できるような生き方をすることが、最大の親孝行ですよ。

親や祖父母、近親者が亡くなって

何もしてあげれなかったと思っている人も多いようですが、

本当の孝行って今これからなんですね。

・人に喜ばれていますか?

・今を楽しんでいますか?

ご先祖様が、私たち子孫の自慢話を、話題にできるような、生き方ができているか?

見つめ直してみましょう。 

<引用終了> 


ご先祖も、両親も、そして今の家族も、みんなを幸せにするのは、 

みんなに幸せを感じていただくためには、全て、今の私たちの生き方、

心ひとつにかかっているのですね。 

みんなが幸せに、笑顔で生きていけるよう、命を繋いでくださった先祖も、

神さまのもとに、真っすぐに歩みを進めて行けるように、心を整えていきたいものです。

私たちの心は、本当は 

・見えている世界

・見えない世界 

さえも包括する、偉大で尊く、巨大なものです。 

みんな、心の鎧を脱ぎ捨ててしまえば、

純粋で、優しく、愛に溢れた光り輝く魂を持っています。 

まずは、自分の半径3m

身近な人たちに笑顔と優しさを分けて差し上げることからスタートしてみましょう。


2026年2月5日木曜日

4159「おかげ様の人生」2026.2.5

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月21日の記事を紹介します。


「おかげ様の人生」


私たちは同時に3つの世界を生きています。

・見えている世界。今の現実と思っている世界

・見えない世界。不思議の世界(黄泉の国、霊的な世界)

・心の世界 

この3つです。 

そして今まで一番ないがしろにされてきたのが「心の世界」ですが、

実は一番重要で、見える世界、見えない世界を、変えてしまうほどの力があります。 

見えない世界は、一見、神秘的で不思議で、ワクワクさせてくれます。

見えない世界の、神様や龍、精霊、宇宙人など、

何だか頼れば、大きな力をくれそうな気もします。 

ですが、私たちの心が変わらなければ、それも一時のこと。 

心を清浄にすること、ピュアにすること、感謝の気持ちで満たすこと、

このことの方が、何千倍、何万倍、何億倍も価値があり、

永続的な幸せの世界、神々の世界へ私たちを連れて行ってくれます。 

見えない世界の力をいくら手に入れようと、ご自分の心の世界の変化にはかないません。

ご自分の心を鏡に映したとき、その姿を、まっすぐに見つめることはできますか?

それでは、今日も心をピュアにするためのお話です。

ブッダが悟りを開いたとき、最初に気づいた宇宙の法則があります。

それが、「縁起(えんぎ)の法則」です。  

縁(よ)りて起こる

この意味は、自分の人生は、

・自分以外の、すべてのおかげ、

・神仏や、まわりのおかげで成り立っている。

自分の思いで成り立っているものは、何ひとつない。

人は、自分の思い、力、能力で未来を切り拓(ひら)き、

人生が変わっていくと思っているので苦悩する。

人間の苦悩の本質は、「縁起」を認めないために起こっている。

この「悟り」を言い換えて言うと、あなたの努力や才能によって、

人生が組み立てられていることは一つもない。 

あなた以外のすべてが、あなたの人生を決めている。

ということです。 

それでは、ここで、正法寺住職の青山俊董さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

京都駅で拾ったタクシーの運転手さんが語りかけてきました。

「ご出家さんですね。お話をさせていただいてもよろしゅうございますか」と。

「どうぞ」と私は答えました。

「私は高校三年生の三学期に両親を亡くしました。

町会で河豚(ふぐ)を食べに行き、その毒にあたって一晩で亡くなりました。

いつもなら母親が早く起きてお弁当を作ってくださるはずなのに、

いつまで経っても音一つしないので、

“おかしいなあ?”と思って、両親の部屋の戸を開けてみました。

二人ともさんざん苦しんだ後、息が絶えておりました。

驚いて電話に走り、親戚の者が駆けつけて葬式は出してくれました。

借金はありませんでしたが、一銭の貯えもありませんでした。

私の下に五歳の妹がおりました。

父が出征しておりましたから、年はなれて妹ができた訳です。

高校三年の私と五歳の妹では

家賃がとりたてられないであろうというので、家主が追い出した。

私は五歳の妹を連れ、最小限度の荷物を持ち、安い六畳一部屋を借りて出ました。

両親に代わって妹を育てなきゃならないと思って、私は夢中になって働きました。

朝は新聞配達、昼は勤め、夜はアルバイトとメチャクチャ働いて、

二十二、三歳のときには、安いアパートを買うほどの金は作りました。

その間、私は働くことしか考えていませんでしたから、

洗濯も炊事も掃除も何もしませんでした。

五歳の妹がしたことになります。

妹に勉強机の一つも買ってやりたかったのですが、

六畳一部屋に食卓と勉強机と二つおくと寝るところがなくなるから、

妹はかわいそうだけれど食卓を勉強机に兼ねてもらいました。

狭い家で育ったから妹は整理の名人になり、

今、大きな家にご縁をいただいておりますが、きれいに整頓されております。

考えてみましたら私なんか、もし両親が元気でいてくれたら、

今ごろ暴走族か突っ張り族か、ろくな人間にしかなっていなかったと思います。

もし両親が死んでくれても、金を残してくれたら今の私はなく、

また妹がいなかったら、淋しくてぐれていたでしょう。

両親はいない、金はない、幼い妹がいる。

私は本気にならざるを得ませんでした。

私を本気にしてくれ、一人前の大人にしてくれ、

男にしてくれたのは、

・両親が死んでくれたお陰、

・金を残してくれなかったお陰、

・家主が追い出してくれたお陰、

・幼い妹をつけてくれたお陰

と思い、毎日両親の位牌(いはい)に感謝の線香をあげております。

何もかも私を一人前の大人にするための、おはからいと感謝しております。

ただ一つ、妹がよいご縁をいただいて、花嫁衣裳を着たときは泣けました。

両親に見せたかった。

わずか三十分ほどの間の話でしたが、

どんな立派な方の話よりもすばらしい話を聞くことができ、

心から「ありがとう」といって車を降りました。

お釈迦さまは、この世の中には四種類の人がある、と説かれました。

・闇から闇へゆく人、

・闇から光へゆく人、

・光から闇へゆく人、

・光から光へゆく人と。

人生の幸、不幸を、光とか闇という言葉で表現することができるでしょう。 

一般的にいって闇としか思えないことを、

・両親が死んでくれたお陰、

・金を残してくれなかったお陰、

・家主が追い出してくれたお陰、

・幼い妹をつけてくれたお陰で、

本気になれた、一人前の大人になれたと 

全部「幸い」と受けとめ、光へと転じているよい例といえましょう。

<引用終了>

私たちは、誰一人、他の誰かのお世話にならず、迷惑もかけず、

生きていける人はいません。

必ず、どこかの誰かのお世話になり、周りに迷惑を掛けながら生かされています。 

今の私があるのも、家族をはじめ、友人、職場の仲間 

・私を好きな人

・私が好きな人

・私を嫌いな人

・私が嫌いな人

全てのお陰様で、今の私たちが形成され、ここまでの道のりを連れてこられてきました。

辛く苦しい環境、辛く当たる人たちでさえ、 

今の私になるために、欠かすことができなかったのです。

そのすべてのバランスと、タイミングを見計らい

人を連れてきて、その出来事を起こしてくださったのは、

私たちの魂の成長のために、常に心を砕いてくださっている神様です。 

私たちは、出会った人すべての人によって、今の私たちが形成されています。

たとえ嫌いな人でも、人生に現れた人達は、全て私たちに経験をくれた人。

一人でも欠けていたら、今の私はありません。 

・私が嫌いな人

・私を嫌いな人 

そんな嫌われ役を、わざわざ引き受けて生まれてくださった方々です。

私たちに、苦い経験をさせてくれるために、

敢えて苦しい立場を引き受けてくださいました。

クラリオン星から転生してきた小学生の

久松奏拓(ひさまつ・そうた)君も言っていました。 

嫌いな人や苦手な人を無理に 好きになろうとしなくていい。

良いとか悪いというジャッジもしない事。 

それは単に波長が違うだけなのだから。

私たちは、そんな風に思えたら、好きにならなくとも、感謝はできるかもしれませんね。

 感謝のあるところ、いえ、感謝のあるところにしか、

神々の恩寵は現れることができません。


2026年2月4日水曜日

4158「たった一つの宝物」2026.2.4

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月20日の記事を紹介します。


「たった一つの宝物」


今日は 

・病気のお子様を持つ親御さん

・早くに子供を亡くされた親御さん 

に、書きたいと思います。 

以前書いた記事ですが、加筆して再掲いたします。

子供が、どんな状態であろうと、生きて、そこに居てくれるだけで、

どんなに幸せで、有難いことか? 

私たち、親の人生を、どんなに豊かにしてくれることか。 

そして、例え、親より先に逝ってしまったとしても、彼らの生きた証は、

私たちの心に永遠に刻まれ、私たちの魂を、どんなに豊かに、輝かせてくれることか。 

いつかは、そのことに気付く時が来るはずです。

今日は、明治安田生命「たったひとつのたからもの」で有名になった 

ダウン症と合併症で夭逝した加藤秋雪くんのお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元

笑ったり、ベソかいたり、 そんな姿が 私たちの元気の源でした。

秋雪が生まれたのは、1992年の10月。

生まれた季節が秋だったのと、夫が大好きな「雪」から名前をとりました。

「ダウン症の疑いがあるので、一度検査を受けたほうがいい」 

そう言われたのは、生後一週間目のこと。

病院で検査した結果、ダウン症であることが判明。 

さらにダウン症の合併症として

重い心臓障害をかかえていることもわかりました。

医師からは 

「生後半年のあいだに絶対に風邪をひかせてはいけない、ひいたらそれで終わりです。

生きられたとしても一歳の誕生日を迎えるのは難しいでしょう」

そう宣告されました。

頭の中が真っ白になるほどの衝撃でした。

たったの一年。まだ生まれて一カ月だというのに、

なぜ、命の長さを宣告されなければならないの。

なぜ、そんな運命を背負って生まれてきたの……。 

あまりのショックで、何も感じることができませんでした。

秋雪を守ろう、そう決意しても、残酷な現実に、何度も心が壊れそうになりました。

そんな私を、ぎりぎりのところで支えてくれたのは、秋雪の存在そのものでした。

暖かなぬくもりのある体。

笑ったり、ベソかいたり、楽しそうに手足を動かしたり。

そんな秋雪の姿が、私の元気の源になりました。 

ともに過ごす、一分一秒を愛おしみつつ撮り続けた6年2ヵ月。 

死を覚悟してからは、「生きていられるだけで、ごほうび」という気持ちに。

そんなふうに切り替えてからは、

秋雪といられる一日、一分、一秒を愛おしく感じつつ、

一瞬も逃さずに大切にしたいと思いました。

思い出を少しでも多く残したくて、どんな所へもカメラを持っていき、

6年2カ月の間、本当にたくさんの写真を撮りました。

朝、目覚めたとき、秋雪のおだやかな寝息に、上下する胸の動きにほっとする。

今日も秋雪に会えた……

・ごはんを食べる、

・トイレに行く、

・おこる、

・泣く、

・笑う、

・眠る

その、砂の数、星の数ほどの幸せのかけらを、秋雪がいつも握っていました。

この写真を撮ったのは、98年の8月。秋雪にとって生涯最後の海です。

帰る間際の駐車場で、今まであまり見せたことのない、

おだやかな表情を浮かべていた秋雪を、お父さんが抱きしめた瞬間でした。

秋雪を亡くして1年後、偶然知ったコンテストに応募するとき 

「たったひとつのたからもの」と題名をつけました。

秋雪は私たちに、抱えきれないくらいのたくさんの、幸せを残してくれました。

それは、私たちのこれからの人生を支えてくれるほどの、 

大きな大きな幸せでした。

「ぼくは生きているよ」と、全身で表現していた秋雪。 

いつも全力疾走していた秋雪の命が、私たちに、精一杯生きることを教えてくれました。

<転載終了>

私たちは、命の長さよりも、生きている瞬間、触れ合っている瞬間、

どんな気持ちで、その瞬間瞬間を過ごしているのか? 

感じているのか? 

そんなことが、大切なのかもしれません。 

ここで、一つの物語をご紹介します。

あるご家族の娘さん(7歳)が亡くなりました。

子どもを亡くしてから一年経ってもこのご夫婦は

「娘にもう一度会いたい」と嘆いていました。 

ある日のこと、水色の天使がその夫婦の前に突然に現れて言いました。

「今、あなたの持っているすべての財産と引き換えに、亡くなったお嬢さんと、 

一緒に過ごせる日を 一日だけプレゼントできますが、 どうしますか?」 

その夫婦は迷うことなく OKしました。 

そして水色の天使が続けて言いました。 

「しかし、ルールがあります。

あなた方は、プレゼントされた1日が終わるまで、今ここで約束したことや、 

お嬢さんと死別したことなどの記憶は消されてしまいます。それはまるで、

過去に戻った一日を、自然に過ごす感覚ですよ、それでもいいですか?」 

その夫婦はお互いに顔を見合わせて 

ゆっくりとした口調で「分かりました。」 と返事をしました。 

その瞬間パッと光が・・・  あっ!まぶしい・・・ 

次の瞬間には、いつも通りの朝になっていました。

ですが、夫婦は、天使と約束したこと、

娘が死んでしまう事など、一切の記憶を無くしていました。

そうです、娘が生きていた頃の何気ない一日の始まりでした。 

朝から「早く起きなさーい!!」妻の大きな声。

パジャマ姿で機嫌悪そうに起きてきた髪の毛のボサボサな娘。

眠たい目をこすりながら新聞を読む夫。

貴重な貴重な一日が始まりました。 

私たちが生きている今日は、それは、いつか未来に水色の天使に 

全財産と引き換えに頂いた「今日」なのかもしれませんね。

皆さんは、ご家族と一緒に暮らしていますか? 

ご家族が居らっしゃらない方は、お父さん、お母さん、同僚やご友人。

そんな皆さんと、仲良くされていますか?

それとも、顔を見るだけで、ため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?

言うことを聞かない子供、旦那さまなど・・

その方が、明日は、いなくなってしまうかもしれません。

もし、胸がきゅんとなったのなら、何気ない日々の暮らしの中で、

どうぞ笑顔で、優しく接してください。

今日のこの日は、永遠に続く日々ではありません。

家族も いつかは離ればなれになってしまいます。

手のかかる、言うことを聞かない、心配の種の子供も・・

自分勝手な夫も、嫌味ばかりを言う親も、明日は いないかもしれません。

いつか、別れの時が来ます。

ともに、この地球の同じ時代に生まれ、そして縁によって結ばれた家族たち 

それは、私たちの魂を磨き合う仲間でもあります。

外見の態度や言葉で 切り捨ててしまうのではなく、

その心の奥にある、魂を見つめたいですね。 

大切に大切に したいですね。

私たちは、生まれる前に、お互いの魂同士で約束してきたのですから。

「家族になろうね」って


2026年2月3日火曜日

4157「青空ひろば」2026.2.3

 今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


1643 2026.01.01 

<年頭挨拶>

明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。

重い病気を患って、もう神様から託された役目が果たせなくなるのかと思っていました。

しかし、新たな仲間もどんどん集まりつつあり、さらにメンバーが増える機運もひしひしと感じられるのです。

それで神様に『もしまだ地上でやるべき仕事があるのでしたら、元気にお役目を果たせるようにして下さい』と祈ったところ、いい先生に出会い、いいお薬にも出会うことが出来ました。

それにお仲間の皆さんも健康になってくださいと神仏にお参りして下さったり、お経を称えて下さったり、しっかりサポートして下さったこともあるのでしょう。お医者さんもびっくりされるほど、順調に回復にむかっています。

神様が『まだ、地上にやり残したことがあるので、その役目をしっかり果たしなさい』と後押しして下さっているように感じています。

歳が歳なので無理は出来ませんが、もうしばらくは皆さんと一緒に道を歩めそうでとても嬉しいです。

振り返れば45歳の時、伊勢の内宮さまへの参拝で天命を授かり、以来77歳の現在まで、主に<コトバの御用>を努めてきました。その御用の主要テーマは<日の理念を世に出す>ということだったんだなあということが、今にして分かります。

このお勤めは、ほぼ完成に近づいていて(未だに新しい発見が次々ありますが)、<日の理念>の基本構造はハッキリしてきました。

この後は、後継の皆さんが、その<日の理念>を「身(実)」にするという役割を引き継ぐことになります。私の役割を継ぐ仲間の皆さんは、<身の時代>を生きて、それぞれの役割を果たすことになるのです。

<日の理念>をおおざっぱにまとめておきましょう。これらの理念を皆さんは具体的な形にしてゆかねばならないのです。大変な役割ですが、身を入れ、身を尽くせば尽くすほど、実り豊かな人生が展開するということは保証します。

(A)すべての存在の平等性。

すべての存在が「ひと」なのです。

<日の理念>が降臨して個々の存在となりました。ですから、すべての存在が「日尊(ひと)」なのです。

どの人も動植物も、自然界の山や川や空気なども、すべて「日の理念」を3次元の世界に、<その存在でしか出来ない「日」の一面の輝き>を見事に表現しているので「日尊(ひと)」なのです。

「日の遺伝子」が、すべての存在に宿されていて(日入子=ひるこ)、それは「欠けら(部分)」として内蔵しているのではなく、「日の遺伝子」のそっくり全体がそのまま各存在にそれぞれ映されて(移されて)いるのです。ですから、すべての存在は平等に尊いのです。どれが上で貴い、どれが下で卑しいというようなことはありません。

(B)すべての存在の一体性。

「ひと」は、実は「ひとり」しかいません。また全体で「ひとつ」のイノチなのです。

自他の別があるかのように見えるのは、実は進化途上で必要だからと神様から与えられた錯覚なのです。

しかし、進化過程も進んできたので、そろそろそのような「錯覚メガネ」を外して、イノチの一体性を「直視」出来るようにならねばなりません。

(C)イノチの分業性。

一体のイノチですが、ごた混ぜではなくて、それぞれの全体のイノチ(日尊)のなかでの役割はハッキリ分かれています。

たとえば、人体というイノチには心臓もあり、肺臓もあり、胃や腸や頭脳や皮膚や筋肉や感覚器官などの役割もあって、その人が生きて学び、成長してゆけるように互いに協力しあって働いていますね。また、一つの臓器がダメージを受けた時は、全身の他の器官が総動員されて、その臓器を癒やそうとします。このような<分業と協調>が「一体のイノチ」の真の姿なのです。

地上世界のすべての存在が、それぞれが担当する役割を果たし、全体のイノチのために貢献しているのです。どのワンピースが欠けてもイノチは順調に育たなくなります。だから、どの存在が上で重い、どれが下で軽いなどということはないのです。

また、イノチの一体性が自覚出来るようになると、自分は自分に託された人生を精一杯生きればいいのであって、人と自分を比較する必要なんてないのだということがよく分かります。

<釈迦もイエスもみんな私>

AさんもB君も、実は君なんだから、AさんにできることはAさんに任せ、

B君にできることはB君に任せて、君は心置きなく『君』していればいいのだよ

(D)イノチの進化性。

イノチがその中心に宿しているのは、<どこまでも大きくなろう、高く伸びよう>という<成長本能>です。

この<成長本能>が発動して地球に降臨し、分離(多)の時代を経て、融合(一)の時代に進み、最後はまたもとの「一体のイノチ」に復帰するのです。スタートした時に比べればはるかに大きなイノチとなって…。

このイノチの進化の方向性を知って、その方向の流れに沿って行動すると、とても楽に、充実感をもって人生を歩んでゆくことができます(神流楽=かんながら)。

また、どんなことがあっても、最後は必ず「一体のイノチ」にゴールイン出来るのだと分かっていれば、寄り道したり、逆戻りしたように思えるときでも、あせることがなくなります。

要約すると、<日の理念>の構造は以上となります。

さて、この理念がどのような「身」に結実してゆくのか、仲間の皆さんがそれぞれどのような役割を果たしてゆくことになるのか、先がとても楽しみです。

まあ、あせらず、ぼちぼち進みましょう。かならずゴールイン出来るということは分かっているのですから。何年かかっても、何生かかっても問題はありません。<一生1ミリ前進>というぐらいでいいのです。

前を行くもの、後方(しりえ) のものも、みんなOK、みんなよし

先はながいぞ、あせるでないぞ、あせれば血が出る、迷子も出るぞ

あれもOK,これもよし、めでたい、めでたい、とうとい、とうとい

さあさ、みんなで手を取り合(お)うて連れもって行こか

ボチボチ行こか

以上は遠い未来を見据えてのお話しでしたが、今年はどんな年で、私たちがどのような点に気を付けてこの年を歩めばいいのかという近場のお話しも大切ですね。

第13話では、易の神様にお伺いを立てて2026年はどんな年で、どのような点に注意して歩んでゆけばいいのか、皆さんにお話しします。

また、第14話では、これまであまり取り上げなかった白隠禅師の生涯や『夜船閑話』という著作の解説などをお話ししておきたいと思います。


1642 2025.12.31

<法華経に説かれている未来の地球>

① 三千世界の仕切り(国境)が取り払われて一仏土(ひとついのち)になる。

② 平ら(平等の象徴)で温かい大地(すべての存在が許され、温かく抱かれる)。

③ 天界と娑婆世界は接近して(娑婆世界が進化して、天界と波動の差がほぼなくなった)、天人と人が互いに見合ったり、会話したりすることが容易になる。

④ 性別はなくなり、一切の生ある者は「化生(けきょう、突然空中に出現する)」という形で生まれる。

⑤ 体から光明を放ち、空中を飛ぶことも自在。

⑥ 他の命を断って食物とするということはなくなる。2種類の食事がある。

<法喜食(ほうきじき)>:優れた存在の教えを聞き、その繊細で、高次元な波動を食事とする。

<禅悦食(ぜんえつじき)>:禅定(坐禅)の喜びを食事とする。


1641 2025.12.29

 <坐禅会運動について>

こんにちは、大敬です。

坐禅会運動に申請して下さる方が全国的な広がりをみせ、とても嬉しく思っています。有り難うございます。

このようにして誕生した各地の坐禅会が、次の時代に平和で、平等で、豊かな創造性に満ちた日本を築く堅固な土台(地上基地)に育ってゆくと思います。

コロナや戦争など、世界規模で様々な混乱が発生していますが、それはすべて旧体制の崩壊の過程で(混乱はこれでお終いにはなりません)、それに巻き込まれて一緒に大騒ぎしていてはいけません。

私たちの使命は、旧システムの<デストロイヤー(壊し役)>ではなく(そういう役割の人も必要なのですから、彼らが順調にその役割を果たすことが出来るように祈ってあげましょう)、次の時代にふさわしいシステムを構築してゆく<カーペンターズ(日の寄進役)>なのですから、私たちの出番がやってくるまで(破壊の後に建設が始まります)、イノチの実力をしっかり養うことに専念するべきなのです。

坐禅会運動は、新しい時代建設の大工さん養成のための運動です。

この運動によって、経済や芸術や教育や身心医療や宗教など、いろいろな分野ですぐれた技量を持った大工さんがたくさん輩出して来ると、まず日本が調和と平和、創造性に満ちた、繁栄発展の国に変貌してくるでしょう。そんな日本をお手本にして、世界も一気に変貌することになるでしょう。

私には、なぜかそんな先が見えるのです。

ですから、あせらず、くさらず、成果を求めず、ただ黙々と、淡々と坐禅を続けていってください。

人知れず、黙々と坐っているうちに、一人、二人と、一緒に坐りたいという人が現れ、やがてその地にしっかり根付いた坐禅会に育ってゆくでしょう。

根本精神は、「お日さまの仲間たち」の信条の4箇条です。

(1)明るくて、温かくて、潤いがある「安心できる場」を作ろう

(2)リーダーシップより「メンバーシップ」を大切にしよう

(3)「あなたがあなたであること」以上に尊いことはない、ということを知ろう

(4)菩薩としての自覚を持って、分に応じて「ダーナ行」を粘り強く実践してゆこう。他のために生きることの喜びを体験しよう。

これらの4箇条を忘れずに坐禅会を運営していって下さい


2026年2月2日月曜日

4156「青空ひろば」2026.2.2

 今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


1635 2025.12.22  ~ 1640 2025.12.28

<「小さなコトバ集」より>

「私たち表現者にマイナスは一つもないんだよ」(大林宣彦監督の言葉)

人や世界を変えようとするのではなく、まず、ありのままの自分(病弱であったり欠点があったりする自分)を認めてあげ、受け入れてあげ、許してあげ、抱きしめて、愛してあげることです。

それだけなのです。そのように自分と和解することができたら、まわりの人々や世界とも和解でき、しあわせな世界に住めるようになります。

大きいことは神にゆだね、自分で出来ることは自分の力で精一杯努めよう。自分にやれることに全力で取り組まねば神様は決して出動して下さらない。役割分担を間違わないように。

世の中で一番尊い、すごいことは、あなたがあなたという、誰にもマネ出来ない、独自の個性を持ったいのちとして存在しているという事実です。サイババさんもイエスさまも、おシャカさまでさえも、そのあなたがあなたであるという絶対的な尊さの前では頭を下げ、礼拝せざるを得ないのです。

あなたが自分という存在を認め、許し、とことん愛しぬいてゆくと決め、人がなんといおうが、人のものまねはしない。自分は自分を信じて、どこまでも自分の足で歩いてゆくんだと覚悟が決まった時、欠点と思い込んでいたものから、いくらでも宝物がとび出してきて、こんなはずじゃあなかったのにと驚きの声をあげられるでしょう。

イライラしている時は、「遠くのもの」を見よう。空や海や星や…。

くよくよしている時は、「小さなモノ」と対話しよう。花とか、ペットとか、蟻とか、小石とか…。


しあわせになろうと思うなら、まず「自分がいかに恵まれてしあわせであることか」ということに気づいて感謝することだ。不平不満からしあわせは決してやってこない。

歩く時は、大地と対話する気持ちで…。チャンスがあれば大地(芝生や砂浜)に横たわって、そのぬくもりに身を委ねよう。大地はお母さん、天はお父さん。

毎日10分間でも坐禅するという習慣を付けて欲しい。歳をとるほど、「ああ、坐禅を身に付けておいてよかったなあ」としみじみ有難く実感することになるから。

誇りがましいことをすると必ず運が尽きる。目立たぬように、こっそり人のために尽くしてあげよう。

行き詰まった時は、窓を開けて風を入れればいい。また、外に出て強い風に身をさらせばいい。思い込みがほどけて妙案が思い浮かぶ。

まあ、たいしたことではない。何とかなるものだ。


負けてあげなさい。最後に勝てばいいのだから。

ひたすら一道を貫くという生き方は尊いことではあるけれど、人は二つの顔を持つことによって、モノゴトを客観的にみたり、大きな、あるいは高い視点から考えたりできるゆとりを持つことが出来るということもあります。

中村雅俊さんの話。

雅俊さんがドラマでセリフをとちったとき、「おれは、ミュージシャンだからなー」と言いました。

「じゃあ、歌手として上手く歌えなかったらなんていうの?」と人が聞くと、「おれは、役者だから」と答えたそうです。そばにいるスタッフは大笑いだったそうです。

大敬も教師と道の御用の二つの顔を持って進んでこられたので、うまくいのちのバランスをとって、暴走せずに歩んでこられたと思います。

「カーン」の言霊の詩

人生なんてカーンタン/アカンもスカンもあるもんか

スッカラカーンの覚悟決め/アッケラカーンと進むだけ

人の頼らず、車を借らず/ヘタはヘタなり一歩ずつ

エッチラ オッチラ 歩むだけ

人の評価はどうであれ/自分の心に鳴り響け

キンコンカンコン 歓喜の鐘だ

キンコンカンコン 勝利の鐘だ

「すべての人や動植物や自然の一切を『あなたは仏さまです』とひたすら礼拝し続けたから、私は「仏」となれたのだよ」とお釈迦様は法華経でおっしゃっている。

本気で、大声で「お早うございます」と声かけする努力をするだけで、世界が広くなり、運命が改善する。「挨拶」が最高の呪文、真言なのだということを忘れないで。

身心がつらくなってきたら、森林浴をしよう。植物は周囲に傷ついた生物が入ってくると、本能的にその生物を癒やそうとする。

植物はまだ自他を分かつ意識が発達していないので、自分の身体を癒やすのと同様にあなたの身心も癒やしてくれるのだ。

「木々さん、癒やしてくださいね」

「木々さん、癒やしてくださって有難う」

と感謝することを忘れないで…。


「難有り、有難し」、ピンチは思いをひっくり返せばチャンスだ。

夜明け前の闇が一番深く思えるものだ。夜明けは近いぞ!

自分の力の限界を正直に認めた時、あなたを通して神力が発動する。「非力(ひりき)」は「日力(ひりき)」なのだ。

今日の呪文「日日是好日(にちにち これ こうにち)」、意味は「今日もいい日!」これは願いではなく宣言だ。僕がそう決めるのだ。どんな日も「今日もいい日だ」と生きてゆく覚悟だ。つらい時も、腹が立つ時も、「日日是好日」、「日日是好日」と称えよう。ちなみに、これは雲門禅師の言葉だ。

今日の呪文「現成公案(げんじょう こうあん)」、これは「今自分が体験している出来事は、大宇宙(神仏)にとって、また自分にとっても、こうでしかあり得ない最善・最適の出来事なのだ」という意味。イライラした時、思い通りに物事が運ばない時、「現成公案」、「現成公案」と繰り返し称えてみよう。ちなみに、これは道元禅師の言葉だ。

ヘレン・ケラーの『私の信条』

○ 私は神を信じ、人を信じる。また精神(心)の力を信じる。

○ 私は、自己および他人を鼓舞激励すること、神が創られた世界に対し、不幸という言葉を発しないことを神聖な義務であると信じている。

○ なぜならば、神が善く創り、多くの人が善くしようと望んで努力してきたこの宇宙について、いかなる人間であれ、嘆息する権利を持たないからである。

○ 私は、いかなる人間にも、他人の疾苦艱難を座視して、自分ひとりが安楽な生を貪ることのない、幸福な時代に近づけようと活動すべき責務があると信じている。

○ 私が信条とする光明主義とは、善を信じ、輝かしい未来の到来を確信し、明日を今日より美しいものにするための努力を重ねる生き方なのである。

明日(あす)は今日(きょう)より美しい。

明後日(あさって)は明日よりさらに美しい。

「光明主義者」はそのように信じている。


へたくそでも自分の足で歩こうね。

これから運気が上がってゆく人は、次第に謙虚になってゆくものです。

好運に恵まれていても、傲慢な振る舞いが目につくようになってくると、

『ハハア、もうすぐ没落だなあ』と分かります。

心が陰気になれば運が開けることは難しいです。なにとぞ「春の気」になられて生活なさってください。(黒住宗忠公)

「どの人も」の詩

どの人も 精一杯の人生をおくっています

どの人も その人にしか歩めぬ人生を 歩んでいます

どの人も 宇宙でたった一人の 貴重な存在なのです

どの人も 本当はひとつに 結ばれているのです

どの人も きっと「ひとついのち」に 帰り着くのです

どっちにどう転んでも、あったかい大地の上。孫悟空でさえ、あったかいお釈迦様の手のひらから飛び出せなかった。

一生で成長できるのは、わずか1ミリほど。

それなのに、人より0.1ミリ遅い、人より0.2ミリ早い

などといって一喜一憂するなんて、つまらないこと。

今生だけですべてが決まるわけではない。今・ココで

自分にできる歩みを精一杯続けてゆけばいい。

人のことはどうであれ、自分は生まれ変わり死に変わり、

自分に与えられた道を、粘り強く歩み続けようと覚悟を

決めること。


世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない。

新たな時代は、世界が「一」の意識になり、生物となる方向にある。

(宮沢賢治)

自分の顔は自分では見られない

でも、その顔を自由自在に使いこなすことはできる。

それでいいでしょう?

限りないいのちの全部を把握する

それはアタマにはできないこと

でも、そのいのちの全体を、

今・ココに盛り込んで発動させることは出来る

それでいいでしょう?

幕開けのことば

私は私を許します/私はあなたを許します/私は世界を許します

私は私を認めます/私はあなたを認めます/私は世界を認めます

私は私を愛しています/私はあなたを愛しています/私は世界を愛しています

私は私を抱擁します/私はあなたを抱擁します/私は世界を抱擁します

私は私でOKです/あなたもあなたでOKです/世界も世界でOKです

私が私であること、それは何と素晴らしいことでしょう

あなたがあなたであること、それは何と喜ばしいことでしょう

そして世界が世界であること、それは何と美しいことでしょう

私はしあわせになります/あなたもしあわせになります/そしてしあわせな世界の幕が開く(あく)のです

「ゆ」の言霊の詩

ゆっくり ゆったり 湯につかり

たゆとう お湯に 身をゆだね

心も身をも ゆるくして

じぶんをゆるし ひとゆるし

われ ひと ともに 癒ゆる道 

NHKのメーク師であった岡村宏さんの『一流の顔』(幻冬舎文庫)より

岡村さんはジャンヌ・モローに会われた時、はじめはガッカリされたそうです。スクリーン上での若い頃の彼女のイメージがくずれて、初老のシワの多い顔のジャンヌ・モローがそこにいたからです。

しかし、時間がたつにつれてその彼女がとても魅力的に見えてきました。そのシワの光った顔には相手を包み込むような温かさがあったのです。岡村さんは次のように描いています。「自分の目標を達成した人の顔にシワはよく似合う。シワはその人の生きてきた年輪だ。失われていく若さと引き換えに、シワは人を柔らかく説得する力を与える。…シワに価値をもたせられるかどうかはその人の生き方一つなのである」

ハッピーエンジェルさんたちが「さあ、これをどうぞ」と次々プレゼントを差し出して下さっているのに、「私は忙しいのよ、それどころじゃない、あんた邪魔よ!」と、ハッピーエンジェルさんが差し出して下さっている愛の手を払いのけている人が多い。(完)


2026年2月1日日曜日

4155「宇宙の共通言語は 愛」2026.2.1

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月19日の記事を紹介します。 


「宇宙の共通言語は 愛」


私たちの体の中には腸を中心に、何十兆個もの微生物が住んでいるのだそうです。

また人間の細胞の総数は約37兆個と推定されているそうです。

そして、それら一つ一つに意識があり、

目的や役割をもって、生命を謳歌しているそうです。

意識を持つということは、まさに彼らの中にも神様の意識、精神が宿っているということです。

最近では、様々な能力を持った子供たちが、

様々な星から地球の進化の手助けに生まれてきていますが、

彼らの中には、そういった、微生物や細胞と話す能力を持って生まれてくる子供もいます。

その子供たちの言うことには、微生物や細胞は、人間と違い、

・欲

・我欲

・嫉妬

・妬み

・恨み

などの意識は微塵もなく、純粋に神様の意識のまま、愛の意識のまま、

与えられた役割を喜びとともに果たし

共動、協力して、全体の調和に寄与しているのだそうです。

そのような見えない、そして気づかない働きがあるからこそ

私たち人間は生きていくことができます。

そして生命の躍動を感じながら、生まれてきた目的を果たすことができます。

それらすべては、神様の意識の根本である「愛」から流れ出し

調和、ハーモニーを奏でながら、ともに進化していきます。

また別の視点から、

今、様々な星々、それも科学や文明のはるかに高度に発展した星々から

美しい魂を持った子供たちがたくさん生まれてきていますが、

彼らの意識の根本は、やはり愛なのだそうです。

どんなに文明や科学が発展しようと、

やはり、生命の根源には、神様の第一の属性、「愛」があるのですね。

私たち人間も、本当は同じ原動力「愛」で生きています。

・何か美しいものに感動したり

・人々の優しさや思いやりに触れて感動したり

そういった時、私たちの心の中に愛が感応し、魂が震えます。

神様の「愛」に触れたからです。

自分の中の神様の意識、「愛」に共鳴したからです。

愛の共鳴は、物理的離れていても伝わります。

あえて言えば、時間の制約も受けません。

つまり、心が愛に震えたとき、

その喜びの波動は、私たちの過去・未来へも伝わり

喜びをもたらし、神々と共鳴し、良き現象を引き寄せます。

つまり過去を変えた・・ということです。

未来を変えたということです。

もし皆さんの中で、今の現状に不満だったり不安だったり 

恐れがある方々が少し立ち止まって考えてみてください。

あなたの意識の中に愛はありますか?

人間に対してだけでなく

動物 植物 いろんな 周りのものに対する優しさや思いやりはありますか?

それとも自分の目の前の苦しさに目が奪われてしまって

本当はそこにあるはずの「愛」が見えなくなっていますか?

・自分さえよければいい

・自分だけでも助かりたい

そのような意識、わがままな意識で生きていませんか?

周りに対する、愛や思いやりを忘れてはいませんか?

その意識こそが、今私たちを苦しめている本当の原因です。