2026年6月27日土曜日

4301「運がいい人」2026.6.27

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月13日の記事を紹介します。


「運がいい人」


藤一人さんのお話です。 

「運がいい人になるには」というテーマです。  

<引用開始> 引用元

舛岡はなえさんの「斎藤一人 人生ぜんぶハッピーラッキー」の中から、

ひとつの面白いエピソードをご紹介します。

舛岡さんは、あるとき前から疑問に思っていたことを一人さんに尋ねます。

それは、「すごくいい人で幸せだった人が、

あるときから、幸せでなくなるのはなぜですか?」ということです。 

一人さんは、「理由はひとつ、

でも、この話を信じてくれる人は、1万人に1人もいればいいほうなんだよね」

などと言って教えてくれます。

なんだと思いますか?

「いい人で幸せだった人が、幸せでなくなるのは、

自分が神様に愛されているって思っていないからなんだ。

本当は、人はみな神様に愛されているのにね・・・」

普通の人は、何か問題があると、 

・あれが悪い、これが悪い、と悲観的になりがちです。

・お前が悪い、あいつが悪い、と誰かを責めてしまいます。

・自分は不幸だなぁ、運が悪いんだと思い込みます。 

でも、神様から愛されていると思っている人は、

何か問題があっても、落ち込むほど悲観的にならないし、

誰かを責めることもまずありません。 

もちろん、その人にも何らかの問題は必ず起こります。 

ただ、それは神様からの試練だと受け止めるんですよね。 

それは、

・必ず乗り越えられるし、

・乗り越えれば必ずもっとよくなる。 

神様はそんな試練を与えてくれたんだって思うわけです。 

だって、神様から愛されているんですから・・・

神様が自分に嫌がらせをするわけがないんです。

神様が自分を成長させてくれるために

試練を与えてくださったのだから、むしろ感謝します。 

さて、あなたも何かいま、問題をもっていますか? 

問題を持っていない人なんて普通いないと思います。 

ただ、その問題を 

・悪いものだとネガティブに考えているか、

・その問題でよくなれるとポジティブに考えているか

の違いがあると思います。 

繰り返しますが、「自分は神様から愛されている、

だからその与えられた問題を通して、もっとよくなれる」と考える人は、 

多少辛いことがあっても、自分は不幸だとか、運が悪いとは考えないんです。

むしろ、神様から愛されている自分は、

今もこれからもずっと運がいいんだと思っています。

あなたもぜひ、自分は神様から愛されていると感じられる、10000人に1人の人になって下さい。

次の言葉は一人さんが、舛岡はなえさんに教えた、運が良くなる言葉です。 

何か問題があったときは、この言葉を何度も唱えるといいそうです。 

「これでよくなる。だからよくなる。さらによくなる。」 

たったこれだけです。試してみるといいですよ。 

<引用終了>

斎藤一人さんは、いつもわかりやすい言葉で真理を伝えてくれています。 

私たちが、今この世に生まれてきている以上、 

誰一人、神様の承諾なしに、生まれませんから、

皆が一人残らず神さまに愛され、祝福されています。

「幸せになるんだよ」と送り出されました。 

天国にいる時、神様と一緒に考えた幸せとは 

・大きな家に住むことでも

・大金持ちになることでも

・美しい容姿になることでも

・病気一つしない健康な身体になることでも 

ありませんでした。

かえって、その逆の苦しい環境に身を投じ 

・真の心の幸せ、

・美しい心

・人々との、優しさ、思いやりの交流 

を手に入れることかもしれません。 

なぜなら、 

艱難、苦難、孤独、逆境こそが、私たちの魂を磨き、輝かせてくれるからです。 

それらを通じ、「感謝の心」を芽生えさせた時、 

私たちは、真の意味で、神様に喜ばれ、天の国に迎え入れられることでしょう。  

無名戦士の詩より、ご紹介します。

 

大きな事を成し遂げるために、

力を与えてほしいと神に求めたのに

謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった


偉大なことができるように健康を求めたのに、

よりよきことをするようにと、病気をたまわった


幸せになろうと、富を求めたのに、

賢明であるようにと、貧困を授かった


世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、

得意にならないようにと、失敗を授かった


求めたものはひとつとして、与えられなかったが、

願いはすべて聞きとどけられた


神の意にそわぬものであるにもかかわらず、

心の中の言いあらわせない祈りは、

すべてかなえられた

私はもっとも豊かに祝福されたのだ 


2026年6月26日金曜日

4300「信仰心」2026.6.26

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月12日の記事を紹介します。


「信仰心」


信仰心を持たない人に神様の恩寵は、

決して現れはしないでしょう。

神様やご先祖が助けてくださったことに対し、

それを神様のおかげ、ご先祖様のおかげと信じ、感謝できない人、

そのような人に、神様の恩寵は現れはしないでしょう。

例え最初にそれが現れたとしても、

もしそれを受け取った人がそれを単なる偶然とか、

自分がツイていただけなどと思っていたのでは、

もう次から神様は手を差し伸べて下さらないでしょう。

逆にしっかりとした信仰心を持ち、

神様やご先祖を信じている方々は、

神様の恩寵に気づき、そしてそれに感謝することができるでしょう。

何故ならそのような時、私たちと神さま・ご先祖の間に共鳴が起こり、

現象が起こりやすくなるからです。

竹之高地不動社で起きる様々な神さまの奇跡について書いた本に書いたのですが、

以前不動社で、埼玉県から大先達がいつもいらしてくださり「神迎え」のご神事が行われる時期がありました。

そこで神様・お不動様が、直接様々な身体的なアドバイスや、

その症状に効く薬草などをアドバイスをしてくださっていたことがあります。

そこでやはり、アドバイスを受けた方のその後の人生にも、

大きな枝分かれがあります。

神様の言ったことを信じ、感謝して受け取り、

実行し続ける方には、非常に大きな効果が現れました。

一般的に直らないと言われる病が癒されたのです。

逆にそれを信じることなく、

一顧だにしない人にとっては、何の価値もありませんでした。

心身が癒されることもなかったのです。

「信じるものは救われる」

この言葉をこのような時にも使えるのかもしれません。

神様やご先祖を信じること。

その存在を信じ、その方々の活躍を信じるということ。

それは黄泉の国のことではありますが、

そういったことを信じて初めて信仰心が芽生えます。

神様やご先祖のことを信じていない人たちは

・全ての出来事は偶然

・死んだら全て終わり

・私たちは自分の力だけで生きている

・誰の世話にもなっていない

・見えない世界の力など借りてはいない

そう思っているのかもしれません。

そのような人たちは神様や先祖にまで繋がった、

深い深い絆を持っていないために、

精神的には根無し草のような生活を送るのかもしれません。

それは非常に孤独でそして傲慢な生き方です。

世界中で一番長く続き、ユートピアを実現していた

日本の縄文時代では、

様々な場所で祭祀場の跡が見つかってます。

つまり彼らは、神様や亡くなった先祖の霊を信じ生きており、

自分たちと深く繋がり合って生きているのだということを実感して生きていました。

それが当たり前だったのです。

その結果世界にもまれな、

一万四千年も続いたユートピアの世界、

縄文時代、つまり神々の国をここ日本で形作ったのです。

生きてる私たちが神々やご先祖の人たち、

つまり黄泉の国の方々と断絶してしまっては、

正しく生きることができませんし、

その場限りの人生になってしまうことでしょう。

その人生は、神々の助けやご先祖の助けもなく、

孤独で生まれ生きて死んでいくだけです。

神々やご先祖の存在を信じ、敬い、

その働きに感謝すること。

その信仰心は、

今まさに変わろうとしている地球を生きようとする者にとって、

一番重要なカギになってくると思われます。


2026年6月25日木曜日

4299「時代の転換点」2026.6.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月11日の記事を紹介します。


「時代の転換点」


私たち生きている人間は、この地球上で肉体を持って生活している時は、

自分の本体である、魂・霊とある種の切り離し状態であるために

物事の本質が見えず、

何故それが起きているのか分からず、

また、実際は神様やご先祖がすぐそばで、

見守り、一緒に同じ体験をしてくださっていることに気づかず

一人ぼっちで、その巨大な難題と向き合っていると錯覚しています。 

・何か自分の身に起きた時、

・または愛する家族に何か起きた時

それが良いことであれ、悪いことであれ、

偶然に突発的にそれが起きたと勘違いします。

ですので、その偶然の出来事に対しては

自分自身ではどうすることもできない事・・・

そう思いますので、

何とかしてその苦しみの経験を回避したくて

・お金を払って、能力あると自慢する人に頼ったり

・神社仏閣に行って、神さま・仏様に頼み込んだり

そのような全てを他人任せにする傾向があります。

それも、肉体を持って生きている以上

感情に支配され、

更には、霊的な本質が見えないですから仕方のないことかもしれません。

ですが、そのような時代も変わろうとしています。

黄泉の国、神々の国の霊的な本質から離れ、

数千年の時を経て地球の物質文明は高度に発展してきましたが、

時は移り、人々の精神(心)が一番大切なことと、

そう世の中の多くの人々が認識する世界に変わろうとしています。

このように人間の魂・霊・心が最重要となる世界では、

今まで隠されてきた霊的な真実も徐々に明らかにされ、

それを伝える人々が、今あちこちに現れ始めました。

それらは私たちと同じく、平凡に見える市民の中から現れています。

隠されてきた霊的な真実とは・・・

私たちが心に描くことが、この世界に現実として現れてくるということです。

私たちの心の中に、

今身の回りで現れている現象と本質を同じくする 種があるということです。

また私たちの本体(魂)が望んだものしか現実化しません。

ですからこの世では一見、

・可愛そう

・苦しそう

・つらそう

に見える現実も、それを経験している魂・心(人)にとっては、

必要な経験であり、

その経験を積むことで学び、魂の向上を図り、神さまへの道を歩んでいます。

それぞれの人のペースで歩んでいます。

その経験によって、魂は決して傷つきませんし、悲しんでもいません。

順調に計画したとおり、人間として生まれて来た目的・経験を積んでいるな・・と思うだけです。

ですが、身近な周りにいる私達も感情がありますから

同じように悲しみ・苦しみ・涙を一緒に経験します。

それさえも計画してきた通りです。

霊的な真実から見れば、

そのような時、心配するのは当たり前のことですが、

・自分の感情に溺れることなく

・心配するあまり、相手の言動を縛ることなく

ただ側で見守り、その方の「生まれて来た目的」が成就(叶う)ことを祈ることだけです。

ありのままの状態や姿を受け入れ、愛の心を注ぐだけです。

心の中にある種が、自分の現実に現れてくるという真実からすれば、

私たちは、今までの地球のルールのように、

偶然に物事が降りかかってくるのだから、他人に依存するしかない・・

という心から、、

これからは、自分自身の心の中から、自ら積極的に、

・不純な物

・愛ではない物

を少しづつ除去していき、

気づいた時に、一つ一つ改めていくこと。

そして心に

・醜いもの

・汚いもの

・心を貶める者

・嫉妬、ねたみを煽るもの

・欲望を煽るもの

・射幸心をあおるもの

などを近づけないこと。

今は情報過多の時代ですから、テレビやインターネットを通じ、

私たちの心は、「苦しみの種」になるものにさらされ続けています。 

出来れば、

・真実であるもの

・善きもの

・美しいもの

に多く触れていたいものです。

そうすることで、美しいもの(真善美)が、醜いものを少しづつ駆逐し、

だんだんと、心が洗い清められ、

その結果、心を反映した現実が目の前に広がっていきます。 

それも、自らの意志と、決断、行動によってです。 

自らの足で大地に立つことです。

まさに、他人依存の世界から、

自らの意志と行動で、幸せになる時代が来ようとしています。

是非、日々の暮らしの中で取り入れてみてください。

愛と感謝の心には

愛と感謝の世界、そして肉体亡き後も、同じ世界に向かうことでしょう。 


2026年6月24日水曜日

4298「宇宙に遍満する神様の氣」2026.6.24

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月10日の記事を紹介します。


「宇宙に遍満する神様の氣」


龍や、自然の霊(妖精)、もしくは昔の日本の言い方からすると妖怪・化け物、

それらに守られている人々も実際に居ます。

どうしてそのような存在に守ってもらえるのか?

ここではそれについて書いてみたいと思います。

古事記によれば宇宙で一番はじめに現れた神は、

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。

ですが、すぐにお隠れになりました。

その後まもなく現れたのが

・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)

・神産巣日神(かみむすひのかみ)

やはり同じようにすぐに姿を隠してしまいました。

この3柱の神を造化三神(ぞうけさんしん)と呼びます。

姿を隠したということは、隠身になったということで、

隠れ身になったということは、

宇宙中の全ての空間、そして全ての次元に広がり遍満したということです。

言い換えると、この宇宙すべての空間と、

全ての次元、私たちの住むこの3次元の世界、

神々や黄泉の国と言われる4次元以上の世界

全ての次元においても、この道化三神は存在し、

全てを把握して、コントロールしているということです。

この考え方は日本に古くからある八百万の神の概念と同じです。

日本人は自然現象をはじめ、

動物、植物、鉱物含め全ての中に神々を見出してきました。

それゆえに、全てのものを大切にし、敬ってきました。

周りの相手の人の心の中にさえ、神様を見出していました。

だからこそ相手を大切にし、敬う気持ちを

私たち日本人は縄文の古くから持っていたのです。

このような考え方は持っていたのは、世界中見渡しても日本しかありません。

日本の縄文時代の遺跡の中には

武器というものが発見されることはありませんでした。

つまり その時代には争いというものがなかったのです。

さてこのどこにでも、どの次元にでも存在する尊い神様ですが

そこには神様の意識、精神がくまなくあるということですが、

ですが、それには濃淡があります。

神様の精神が一番多く分布しているのが人間です。

肉体として神様の精神・エネルギーを常に取り込んでいるのが

人間の細胞ひとつひとつになります。

細胞は渦を巻きながら神様の精神を取り込んでいます。

それゆえに人間は神さまに一番近い存在ともいえます。

また森や林など、自然の多いところには神様の精神・氣が多く分布しています。

ですからそのようなところには、

古くから妖精や 化け物、妖怪などのお話がたくさんあるわけです。

この世界には動物、植物人間以外にも、

目には見えないけれど、妖精や鬼など様々な生命体が存在しています。

それらは全て神様の精神・氣、エネルギーによって生かされています。

またその精神は、結集したり、分割したりします。 

自然霊が集まって、より高度な意識体に成長したり一個の人間の精神が分割し、

生霊かしたり、また深い深い悲しみの心を、

無意識のうちに分離させてどこかに置いてきたりします。

その分離した精神が明るく優しく清らかなものでは良いのですが、

憎しみ悲しみなどの負の精神を置いてくることが大部分です。

それらは土地に執着し、地縛霊になったりして、他の生命体に悪影響を及ぼします。

また、そのような悪の精神が、多数結集(凝固まる)し、悪霊化、悪魔化したりします。

林や深い森に住んでる精霊たち、それにも神様の精神が宿っていますから、

神様の精神の多いものほど進化し発達し、時には、その土地の神様になったりします。

(一度も人間として命を預かったことのない神様、眷属)

またそれぞれ精神・心がありますから、好き嫌いもあります。

山や林に入った人間の心を、

その妖精たちが好きになれば彼らのところについてきたりします。

そして彼らの願いを叶えようとします。

彼らを支えようとします。

まだ神様の精神自体が多くない場合、

彼らに神様的な良い悪いの判断はできませんから、

好きになった人間たちの望むものが良いことであれ悪いことであれ、

それを叶えようとしてしまいます。

昨年本の中に書いた内容では、自然霊に常に守ってもらっているものがあります。

自然霊は目には見えません。

けれども やはり神様の精神の塊ですから 力は持っています。

※龍などもこの中に入ります。

これらの精神体が守ってくださるということは、

守られている人間がその者たちに好かれているか、

もしくは深いご縁があるからに違いありません。

もしかしたらその方のご先祖たちと深いご縁があったのかもしれません。

そのご先祖たちが大変に心清らかな人で、好かれていたのかもしれません。

縁がなければ彼らが守るはずがないからです。

本に書いた例もやはり、

その方は非常に信仰心厚く、神様を信じ、感謝の心を持っている方です。

またご先祖の方々も深い信仰心を持っていた方だとおっしゃっていました。

ですからきっとそのような素養が

自然霊や妖精などに好かれる要因だったのかもしれません。

その人間が大きな危機に見舞われても、やはり守られていると違いが出てきます。


竹之高地不動社のある竹之高地地区は山あいの地域です。

昔からその裏手の山では神々がよく現れたようです。

つまり、この地域には神々の氣が、相当濃い分布をしており、

様々な神々、妖精、自然霊などが住んでいるのでしょう。

心清らかな方であれば、そのような自然霊と、ご縁を結べるかもしれません。

ちなみに私は、その神さまのお山の天空農園で

畑を借りて、自然栽培の農業を少しやっています。

 

2026年6月23日火曜日

4297「青空ひろば」2026.6.23

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


1770 2026.06.06 ~ 1772 2026.06.08

(中学教頭であった時、1年の学年通信に書いた文章です)

元サッカー日本代表監督 岡田武史氏は母校 早稲田大学での講演で、挨拶することの大切さを強調されて、その理由を『挨拶は、その挨拶する相手がこのチームに所属することを認めていますよ。決して存在を否定したり、所属を許していなかったりしていませんよ、という合図だから』と述べています。

つまり、「おはよう!」と呼びかけることは、『君という存在を認めています、尊敬しています』と、相手に宣言し、確認してもらう行為なのです。

もし「おはよう!」と挨拶しても「おはよう!」が返ってこなかった。だから腹を立ててもうその人には挨拶しないというなら、それは挨拶しない人の負けです。『僕は君という人間が僕の世界の中に存在する価値を認め、尊敬していますよ』という宣言が、ほんの些細なことで揺らいでしまうほど薄っぺらで、ウソのものであったことを暴露されてしまうからです。

世界は『因果(原因・結果)の博覧会だ』といった人がいました。挨拶しようとしても、どうしても出来ないという人だっているのです。

朝日新聞に養老孟司さんがエッセイを書いていました。養老さんは、「さよなら」という挨拶が出来なかったのです。だから、友達と別れるときは、何も言わずにそのまま行ってしまうのでした。自分でもそんな奇癖は分かっていて直そうとするのですが、どうしても「さよなら」が言えませんでした。

ある時、その原因が分かりました。養老さんは幼い時に、お父さんを亡くしたのですが、お父さんが亡くなった時、親戚の人にお父さんのところに連れて行かれて、「お父さんに最後の『さよなら』を言いなさい」と言われました。養老さんは、お父さんにもう二度と会えないという現実を認めたくなかった。だから、『さよなら』を言わず、泣きじゃくっていたのでした。そのことを思い出して、亡くなったお父さんに向かって、心の中で『お父さん、さようなら』と言えた時から、『さよなら』と挨拶出来るようになったのだそうです。

様々な原因結果の連鎖をたどってここに現われている無数の事情を持つ人々の群れ、「おはよう!」と呼びかけても、必ずしも返事が返ってくるとは限りません。でも「おはよう!」と呼びかけ続けることは自分の意志と決断で出来ます。『僕は君という人間が存在する価値を認めていますよ』と宣言し続けることは出来るのです。

混沌として、また醜いこともある世界、そんな世界に対して、返事があってもなくても、ひたすら「おはよう!」と言い続けることが出来た人だけが、世界を大きく変革してきたのだ、という事を知っておいて下さい。

校長先生が入学説明会の時でしたか、「明るく、元気よく挨拶出来る少年になって下さい」とおっしゃいましたね。今回はその校長先生の言葉を敷衍(ふえん)して説明してみたのです。(完)


1768 2026.06.04 ~ 1769 2026.06.05

<禅や神道の「しあわせ」引き寄せ法>

(a)神武天皇の想い実現法引き寄せ法「うつし(移し)・いわい(結い)」

天香具山の土を「移して」きて、土器を作り、タカミムスビの神の神前に供えてお祀りした。

目的は、大和の国魂の魂の尾を神武天皇の心身に「いわい(ゆわい)」付けること。

例:甲子園の土

(b)Uターン法

地上世界は、重い世界なので、運命の方向転換が困難。

坐禅して意識上昇させ→高い世界で、念願成就の祈り(意宣)→地上世界に戻る→念願実現。

(例)問題発生→坐禅→「問題なし、差し支えなし」と祈る(意宣)

→現実化(「問題が解決する」または「問題自体がなくなる」)


<まとめ>

① 「ありのままの自分」を許し、愛することが「しあわせ」になる土台です。

② 「しあわせ」とは、自分や人や世界と一体であると感じるときの感情

③ アタマの暴走をストップすれば「しあわせ」になれる。

④ 「思い通り」の人生より「思い及ばぬ」人生のほうが断然面白い(決めつけない)。

⑤ 変化を恐れない。ハラハラ・ドキドキしなければ、ワクワク・イキイキは体験出来ない。(完)


1763 2026.05.29  ~ 1767 2026.06.02 

<しあわせになるには、揺るがない自分軸を持たねばならないのでは>

Q4.『私はこうでなければならない』という強い信念、目標を定めて生きるべきなのではないですか?

A.強い信念や凝り固まった信条は、人を縛り上げて不幸にする場合が多いのです。

(人を不幸にする誤った信念)

・「絶対に」とか「完全に」とか「すべての」とか、「常に」がくっついている信念は人を不幸にする。

・「べき」とか「ねばならない」とか「当然」がくっついている信念は人を不幸にする。


「思い通り」の人生を生きるより、「思い及ばぬ」人生のほうが断然面白いですよ。

「セレンディピティ(ハッピー・ハプニング)」は、こうでなけりゃならないと思い込んで自分の人生の道を狭めている人には訪れません。

大切なのは、「決めつけない心」、「遊び心」、「試し心」です。

成功者の人生態度:「ただ目の前の現れた課題に全力で取り組んでいたら、いつの間にかこの位置にたどり着いていたんだよ」

「今・ココ」にイノチの重心をしっかり置いて、過去や未来や、損得の計算などを度外視して、懸命に全力で生きてゆこう。→「今・ココ」の上に、必ず「天(神)」がいらっしゃる。必要な才能も出会いもお金も物資もそろえてくださる。

 ① 根拠のない自信、根拠のない楽観を持とう→神さまがあなたという存在の根拠なのだから。

② 信条や目標に固執して、自分の進路を狭くしないようにしよう→神さまがあなたにふさわしい道に誘導してくださる。お任せ。

③ 天命を受け入れる柔軟性を持とう。

Q5.なぜ私はマンネリ化した、感動の少ない灰色の生活をおくっているのでしょうか。

A.世界は「刹那生滅(せつなしようめつ)」。お釈迦様は、常に新生宇宙に住んでおられる。日々、刻々がワクワク・ドキドキ、新発見の連続。

変わることへの「恐怖心」が、あなたの人生をマンネリ化させているのです。

(ポイント)

マンネリ化した生活、ルーチンワークになってしまった生活を、ほんのちょっとでもいいので、日々変えてみましょう。

① デジタル情報をしばらくストップしてみよう。

② 日常の行動ルーチンを少し変えてみる(道を変える、順序を変える、時間を変えるなど)。

③ 「新発見日記」を書いてみよう。

④ 変化する勇気を持とう(新しい分野に挑戦する、転職する、離婚する、旅に出る)。

「ハラハラ・ドキドキ」しなければ、「ワクワク・イキイキ」は得られません。(完)


2026年6月22日月曜日

4296「因果応報」2026.6.22

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月09日の記事を紹介します。


「因果応報」


21世紀に入ってから、ずっと日本は「一億総いじめ社会」などと言われ

・不寛容な社会

・殺伐とした社会

・陰湿な社会 

が出現していました。

それが、2011年の東日本大震災、 

そして「コロナウイルス」をきっかけとして、 

この冷酷な心が、少しづつ溶け始めています。 

大きな犠牲のもと、神々がそう仕向けたのです。 

このいじめ社会の中では、 自分以外の他人の言葉や、行動に、

寛容さが足りず、すぐに歪んだ正義感を振りかざし、

その雰囲気に付和雷同した人々とともに、

相手をとことんまで、貶めて、再起不能にさせます。  

非難する側は必ず「正義」を振りかざします。 

正義感を隠れ蓑に、

他人を傷つけて、楽しむ心理があるのかもしれません。

今日は、

人から悪口や、イヤミを言われた時どうすればよいか? 

斎藤一人さんが非常に簡潔に、

優しい言葉で大切なことを仰っていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 

人間関係の問題は、いろいろあるんですけれど、

「これだけ覚えておけばいいですよ」というものがあるんです。

これだけ覚えておけば、いろいろな問題があるなかの8割は大丈夫。

解決するんです。

この世の中には“嫌なヤツ”っているでしょう?

イヤミを言ったり、いばったりする

“嫌なヤツ”がどこに行ってもいるんですけれど、 

それをやめさせようとしちゃいけないんです。

「復讐するは我にあり」じゃないけれど、復讐は人間がすることではないのです。 

悪いことをした人には必ず、神さま(自分自身の良心)によって、

同じように悪い報いがくる。

だから、ことのなりゆきは、天の神さまにお任せするんです。

そして…ここが大事なところですよ、いいですか。

「やられたらやり返せ!」って、その“嫌なヤツ”の悪口を言っていると、 

今度は言った人に、悪い報いがきてしまうんです。

自分の畑にピーマンをまいたからピーマンがなる。

自分の畑に、自分で麦をまけば、麦がなる。

そして、自分がまいたものを、自分が刈り取るんです。

隣の人が唐辛子をまいていても、唐辛子を収穫するのは隣の人であって、 

あなたではありません。

それと同じで、あなたがイヤミなことを言われた場合、

悪いことが起きるのは、あなたではありません。

あなたにイヤミなことを言った、その人間です。

つまり、放っておいても、

勝手に相手は痛い目をみるようになっているのです。

それを、あなたがもし「イヤミを言われて嫌な想いをさせられたんだから、 

こっちも、あの人にイヤミをお返ししてやるんだ」という気持ちでいると、 

あなたから、“居心地のよくない”ムード(波動)が出てきます。

それではあなたに、人も、運も、お金も、近寄ってきてくれません。 

それどころか、自分が望まない、嫌なことを招き寄せてしまうんですよ。

だから、復讐しようとしちゃいけないのです。

復讐はあなたの仕事ではありません。

神さまの仕事です。

<転載終了>

よく人の悪口を言う人がいます。

また現在のようにネットが普及してくると、

SNSで人の悪口や非難をする人も目にします。

もしかしたら、相手がいないところで、

自分の周りの人に、悪口を吹聴している人もいるかもしれません。

そして、それに対して、反応してしまい、

今度は自分が同じようにやり返す方もいます。

ですが、それらの行為は、一人さんが仰るように、やめた方が良いかもしれません。

今度は言った相手ではなく、仕返しをした自分自身が、同じ土俵に立ち、 

同じような嫌な波動をまとい、自分自身の人生に不幸を引き寄せてしまうからです。

やられたからやり返す。

そうしなければ、自分は正しく生きているのに、何だか負けた気になってくる。

やられ損にはなりたくない。

それらの心では、必ず相手と同じ波長をまとってしまいます。

私たちの住む世界は、自分の心の状態が現実を作りますから、

その汚れた心と同じ現実が、自分の周りに現れてくることでしょう。

ですから例え悪口やイヤミを言われたとしても、

それを心に留めず、受け流し、受け取らなければ良いことです。

もし目の前で言われたのなら、 

ニッコリ笑って「ご忠告ありがとうございます。感謝します」と言って、 

離れたら、また元のように、ご自分の信念に基づき行動すれば良いだけです。

ブッダもこのような時、静かに反論せず、

受け取らなければ良い・・ そう仰っています。

人から根拠なき悪口やイヤミ、

陰口を言われることは日常茶飯事ですので、 

一人さんの仰っる方法を実践するだけで、

かなり楽に生きられるかもしれませんね。 

みなさんは、この言葉ご存知ですか? 

「断じて行えば、鬼神も之を避く」 

断固とした態度で行えば、

鬼神でさえ、その勢いに気(け)おされて避けて行く。 

と言うことです。 

私は、これを

「ありがとう」の言葉を常に口にして、 

感謝の心で生きている人のことだと思います。 

「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にする人に対して、 

どんな人が、 

・蔑み(さげすみ)、

・陥れ(おとしいれ)

・危害を加え

・足を引っ張る 

ことができるでしょうか? 

また、神々が破滅の運命にひきづりこもうとするでしょうか?

これから先に、何が起こるのか、誰もが不安ですが、 

感謝の気持ちでいる限り、どのような運命に置かれようと、

必ず助けが来ることでしょう。

神々がなさることに安心して身をゆだね、 

身近な周りの方々と

笑顔と思いやり、お互い様の気持ちで生きていきたいものですね。



2026年6月21日日曜日

4295「黄泉の国と縁の深い日本」2026.6.21

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月08日の記事を紹介します。


「黄泉の国と縁の深い日本」


自然豊かな日本列島は、神々が何億年もかけて作り上げてきました。 

氷河期の終わりとともに大陸から切り離され、

4大プレートの交わる地で、山や谷ができ、

浄化された水が豊富で、平和な国が形成されました。 

そこでは、物質的なモノよりも、

神々や自然を敬う精神性が重要視されてきました。 

つまり、物質よりも霊、魂、精神が大切であるという

霊主体従の考え方が、深く刻み込まれてきました。 

まさに神々が計画した通りです。 

それゆえに、物質文明が頂点を極め、

物質や、お金至上主義の悪徳の世界が終わりをつげ、 

新たな精神文明が花開こうとする今、

日本人の「心を大切にする」文明が、活躍する時代となりました。 

この時のために、神々が日本列島を作ったと言っても過言ではないかもしれません。 

それでは今日は珍しい切り口で

神の国と、人間の世界について書きたいと思います。

春日大社の元宮司、神道の最上階(浄階)まで行かれた

葉室頼昭さんのお言葉を基にご紹介します。

日本神道では

神さまや先祖の皆さんがいらっしゃる国を、「黄泉の国」(よみのくに)

そして私たちが肉体を持って生きているこの世界を「現世」(うつしよ)

と呼びます。

日本では縄文の昔から人々は

この宇宙は、循環とバランスの上に成り立っていると知っていました。

それは神様がビッグバンを起こしてから150億年もの年月をかけて作り上げた世界です。

循環ですから、

西洋式の考えの、除去、消し去る、取り去る という考え方ではありません。

私たちの魂も、

神々や先祖のいらっしゃる黄泉の国から出てきて

肉体をまとい、一時の間、物質界つまり「うつしよ」で暮らしています。 

そして 死とともに

先祖の居る世界、神々の世界。つまり黄泉の国に戻ります。

私たちは誰でも、黄泉の国から、この世界に生まれてきました。

その世界は神の世界ですから、

誰でもが、清らかな美しい世界から、この世に生まれたことになります。

つまり、

・意地悪をする人も

・心温かな人も

・聖人のような清らかな人も

・罪を犯す罪人も

全ての人が 黄泉の国から来ました。

つまり、どんな人でも 本来の心根は、

清く、美しく、思いやりに富んだ、心の持ち主であるということです。

心の中に恨み、つらみ、憎しみを持ち、

地獄のような囚われの世界に居る人は、

現世には、まだ生まれ変わって来れないということです。

これは裏返してみれば、自分にとって、どんな悪人でも、

それはその人の本質ではなく、何らかの目的を持って、 

その役割を演じているだけ・・と言うことになります。

その目的とは

私たちの魂を 研ぎ石のように研いで、

(苦しみ、悲しみ、悔しさ、恐れ、不安)

魂を輝させるという以外にありません。

その人たちの現世での裏に隠された

・神のような心

・温かな思いやりに満ちた心

を知るのは、お互いが、再び黄泉の国に帰ってからのことになるでしょう。

日本は諸外国と異なり、非常に黄泉の国に近い国です。 

その証拠を昔話の中に見ることができます。

では、葉室頼昭さんのお話を基にご紹介します。

浦島太郎は、助けた亀の背中に乗って竜宮城で歓待を受けます。

そこは見たこともないような美しく綺麗なところで、

天井も床も、まばゆく光り輝き、何処からともなく、良い香りが漂い、

美しい音楽まで響いています。

太郎は時を忘れ、楽しく過ごします。

(玉手箱を開けたら 300年の時が過ぎていました)

この竜宮城とは、私たちが元来た所、つまり黄泉の国のことです。

神々が住み、先祖の皆さんが住んでいます。

その美しい世界は、

・時間もなく

・悩み、苦しみ、心配事さえありません。

幸せそのものの世界です。

そして私たちが生まれた時、

無垢の魂は、そのような美しい世界から来たため、

心に罪・穢れのシミ一つありません。

赤ちゃんの無垢の笑顔はそれを表しています。

ですが、私たちは、成長するにつれ、大人になるにつれ、その美しき心を忘れ

・病気

・悩み

・苦しみ

・心配事

ばかりの世界に、いつの間にか生きるようになってしまいます。

それは、私たちの心に潜んでいた、

いえ、いつの間にか神様の氣を包み隠してしまう、

自我(自分さえ良ければ良い)の心が、

真実の神の世界を見えなくしてしまったからです。

※これを祓うのが神道では、祓い。清め となります。

もちろん、私たちの魂は、その自我による苦しみさえも見越したうえで、

この世「うつしよ」に生まれて来ました。

何故なら、その苦しみが、私たちの心を強くすることを知っていたからです。

私たちの心は、

・食べる物にも困らない、

・悩みなど一つもない

・いつも楽しいころばかりの生活

からは磨かれることがありません。

今、私たちが経験している

・悲しみ

・苦しみ

・悔しさ

は全て 苦しいことではあるけれど、

心を輝かせるために、一時だけ、経験していることです。

浦島太郎は、玉手箱をもらって、再びこの世、つまり「うつしよ」に戻ってきました。

これは、黄泉の国と、現世を、

私たちの魂は循環(行き来)していることを象徴しています。

自然と同じく、私たちの魂も 循環を繰り返します。

決して西洋の思想のように、悪だからと、切り取られ、捨てられ、

消滅されることもありません。

自分の生活に邪魔だからと、除去されることもありません。

大祓祝詞が示す通り、例え悪であっても、全てを、黄泉の国を通過させ、

美しき清らかなエネルギーに変えて戻されます。

この大いなる安心感。循環の心、正邪を超えて、

全てを包み込む心を、私たちの祖先は持っていました。

私たちは神々の作ったこの宇宙の仕組み、循環とバランスの上で、

永遠の魂の向上を目指している最中です。

みんな、同じ道を歩む仲間です。

人も、動物も、植物も。そして自然現象でさえも。

積もった雪が、春になって消えたと言うけれど・・

決して消えてなくなったわけではありません。

水になり、地面に吸われ地下水となり、川の水となり、海に注ぎ、

再び雨や雪となって戻ってきます。

私たちの心、魂も同じです。

肉体は脱いでも、黄泉の国(神々の国、先祖の国)に戻り、

姿、形を変えて再び戻ってきます。