2026年7月31日金曜日

4335「冥界からの電話」2026.7.31

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月16日の記事を紹介します。


「冥界からの電話」


今日は生と死、肉体と魂に関して

以前載せた記事ですが、加筆して掲載したいと思います。

最近は、本当に、さっと生まれて来た目的を果たし、 

子供の内に天に戻っていく魂が多いように感じます。 

レインボーの子供たちが増えてきたのも、同じような目的があるのかもしれません。 

佐藤愛子さんの著作「冥界からの電話」に故人 中川昌蔵さんの言葉が載っています。

中川さんは、菩薩界から生まれて来た方です。

中川さんはどんな人にもわかり易く説明されます。 

波動を高めるにはどうすればいいかって? 

ちっとも難かしいことじゃありませんよ。

学問とか知識は必要ありません。

ただね、人は一人では生きられない、生かされているということをよく認識してね、

そのことに対してありがとうという感謝の気持を表せばいいんです。 

感謝することで魂の波動は上ります。

実に簡単なんですよ。

死後の 世界は波動の世界ですからね。

波動の上下によって、地獄界、幽界、霊界、神界と厳格に分けられています。

死ぬとその者の魂は、自分の波動と同じ波動の場所へ自動的に移動します。

やはり、ここでもありがとうという感謝の言葉が出てきます。

上記を踏まえたうえで、重い障害を持って生まれ、

早くに亡くなった娘さんのお話をご覧ください。 

「もう読んだよ」という方は、スルーしてくださいね。 

夭逝した、娘さんご本人の口から、重い障害を持って生まれたわけ、

を語ってくれています。 

景山民夫さんが書いた

「さよならブラックバード」と言う本からのご紹介ですが、

これから述べることは事実であるそうです。 

このお話は、お子さんが、お父さんの魂の向上のため、

敢えて不自由な身体を選び生まれ、そして早すぎる死を通じ、

愛する父の魂を向上させるめに協力したお話です。

景山民夫さんが書いた「さよならブラックバード」という本

その後書きに、こんなお話が載っています。

<転載開始> 転載元

僕はいまから八年程前に、長女を亡くしました。

彼女は生まれたときから重い障害をもった子供で、

18年間の人生の中で

一度も自分の力でベッドから起き上がることが出来ない生活を送り、

そして死にました。

急な死だったために、僕があわてて病院に駆けつけたのは、

死後一時間ほどしてからでした。

娘は既に冷たくなっていて、

18歳にしてはずいぶん小さな体を、

ベッドに横たえていました。

その夜、通夜が営まれ、お棺に入れられて、

祭壇に安置されている娘の遺体を目にしたとき、 

僕はなぜか 

「あ、もう肉体から魂が抜け出してしまっている」 

と感じたのです。

ふと祭壇の上の方を見ると、そこに娘がポコンと浮かんでいました。

それは、生前の肉体の姿ではなく、

白く光る玉のように僕の目には見えました。

無事にお通夜を終え、僕は翌日の葬儀に備える為に、

教会の駐車場にあった車に戻りました。 

車のエンジンをかけたときに、

僕は助手席に死んだ娘がいる事に気がつきました。

さっきと同じ光る球体のようでした。  

「一緒にお家に帰るか」と、僕は娘に声をかけました。

彼女は、「うん、一緒に帰る」と答えました。

不思議なことです。

生きているときは、言葉が喋れないために、一度も会話をしたことがない彼女と、 

死んだ後ではまるで普通の人と同様に、会話ができるのです。

といっても、それは鼓膜を通して伝わってくるものではなく、

直接僕の心に語りかけてくる、テレパシーのような通信手段でしたが、

それでも意思は完全に通じあっていました。

いろいろなことを語り合いながら、車を運転していくと、

途中で雨が降り始めました。 

家に着いたときもまだ雨は降り続いており、 

彼女は「そうかぁ、雨ってこういうものなんだ」と感激していました。 

ずっと室内で暮らしていた彼女は、 

雨というものを実体験したことがなかったのです。

その後、娘は(ヘンな話ですが)自分の葬儀にも出席し、

しばらく我が家に滞在していました。

その間に

「お前は、なんであんな不自由な身体を、選んで生まれてきたの?」 

と尋ねたことがあります。 

娘の答えはこうでした。

「他の理由もあるけど、私が生まれる前のパパの心の状態のままだと、 

パパは弱者に対しての優しさが持てない人になっていたかもしれないの。

それで私は重い障害を持ってパパの娘に生まれたの」

この言葉は僕にとって、目からウロコが落ちるようなものでした。

たしかに、思い返してみれば、

当時の僕にはそういった傾向があったのかもしれません。 

やがて娘は「もう天に帰るから」と言って去っていきました。

痛く、辛く、悲しい人生ではあったと思いますが、 

彼女の一生は無駄でも敗北でもありませんでした。

敢えて、障害を持つ子として生まれて、 

僕に思いやりの大切さを気づかせてくれたのですから。

これはすべて本当の話です。

もう一度言います。 

どんな人生でも、

無駄や敗北はないのです。 

大切なのは、無駄や敗北と見えたことから、何を学び取るか、なのです。

<転載終了>

私も、人の親ですから、子供を早くに亡くす、悲しみ、苦しみ、後悔、

張り裂けそうな胸の内。想像に難くありません。

ですが、もし親が、子供の早すぎる死を

悔み、何時までも、世を憎み、人を憎み、

何時までも、いつまでも運命を呪っていたなら、

この子供たちが、敢えて勇気をもって、

早くに亡くなることを選んで生まれて来た人生の目的は、どうなってしまうか?  

そう考えてしまいます。 

子供たちが、親のその姿を天国から見てどう思うのか? 

何時までも、私のことを忘れずに、大切に思い、

それゆえに憎み苦しんでくれてありがとう。

そう思うのでしょうか? 

中川さんの仰るように、心の波動の上下によって、

地獄界、幽界、霊界、神界と厳格に分けられてしまい、

その悲しみ、苦しみ、後悔、運命を呪う波長のゆえに、

親が自動的に、その世界に引き込まれていくことを、 

この高貴な魂の子供たちは、喜ぶでしょうか?

中川さんは仰いました。

死ぬとその者の魂は、自分の波動と同じ波動の場所へ自動的に移動します。

この子供達の魂は、中川さんの仰る魂の法則、類は友を呼ぶを十分知った上で、

生きている私たち お父さん、お母さんを見ています。

大切な大切な子供たち、その子供たちの喜ぶ笑顔が見たいですね。 

子供たちは何のために、生まれて早くに亡くなったのか? 

一番影響を受ける親に何を伝えたかったのか? 

親にどう変化して欲しかったのか?

それに気づき、お子さんたちが望んだ変化を

私達親が、人を社会を恨むことなく成し遂げることができたら、 

子供たちは天国で本当に幸せを感じることでしょう。


2026年7月30日木曜日

4334「苦しみの原因」2026.7.30

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月15日の記事を紹介します。


「苦しみの原因」


今日は今現在、悩みや苦しみの渦中にある方向けに書きます。


私たちは魂を純粋にし、神様により近づくために

この地球に様々な体験をしにやってきました。

ですから生きていると様々な喜び、悲しみ苦しみに出会い、

不安や恐怖、心配をはじめとした

様々な感情を味わうことになります。 

ですがその感情が、もし喜びだけであったら

私たちの魂は決して成長することなどできないでしょう。

何故なら喜びしかなかったら、

私たちは決して自分の心を見つめ直したり

神様のことを考えたり、

そういうことをすることがないからです。 

私たちが遭遇している

喜び苦しみ悲しみやは、

必ずそれを通じて魂を成長するために

神様と私たちが生まれる前に設定してきたことです。

ですので今現在、そのような状況に置かれていたとしても

決して 悲観することも悲しむこともありません。

計画通りなのですから・・

そういったときは

心を見つめ直し、その原因を自分の心の中に探し求めることです。

何故なら自分の心の中にしか、

その現象の種はないからです。

決して現象の原因が、

他人や家族の誰かにあるわけではありません。

必ず原因は自分の心の中にあります。

・不平不満、愚痴ばかり口にしていないか

・いつも眉毛にしわを寄せてばかりしていないか

・家族を含め自分以外の他人に優しく接しているか、思いやりを持っているか

・周りに感謝しているか、ありがとうという言葉をちゃんと使っているか

このようなことを自分で振り返ったり考えたりすることなく

人やもの、神様にすぐ頼ってしまったりしていないか?

つまり 他人依存になっていたりしないか

・先祖の皆さんに感謝の心を持っているか

・日々の暮らしを丁寧に生きているか

このようなことを、自分の心を顧みて考えてみてください。 

私達の身に起こってくる様々な現象は

原因が必ず、私たちの心のどこかにあります。

それに気づき

少しづつ修正していくことで、

現象の種が心から消えて、

その現象に存在する理由がなくなった時

現象は消え、記憶のかなたに行ってしまいます。

もしくは、魂のレベルが上がるために

今まで困ったことだと思っていたことが全く気にならず

本来そうであったように、喜びの中で

生活していくことができるようになります。

感謝の心とは何かいいことが起きた時にだけするものではありません。

先に神様やご先祖様に感謝すること

感謝する心があるところに神様やご先祖からの奇跡や助けがあります。


2026年7月29日水曜日

4333「青空ひろば」2026.7.29

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。


1783 2026.06.18 

私は、現在の高度資本主義体制は、社会主義体制が信じられないくらいあっけなく崩壊したように、早晩崩れ去ると思っています。なぜなら、このシステムが存続すれば、人を害し、自然を害し、動植物を害し続けることになってしまうからです。

コロナ騒動が、新しい時代を切り開く突破口となるのかも知れません。

日本は世界の「気」がすべて集まっては出てゆくという特別な場で、「世界のひな型」なのですから、お互いに人や政治を非難しあってばかりいないで、みんなで智慧や労力や協力の手を出し合い、痛みも分かち合って「ひとつ」になり、無事にこの困難を収めることが出来れば、それが「世界のひな型」となり、その「日本モデル」が元になって、新しい時代の「人にやさしい、自然にやさしい、動植物にやさしいシステム」が誕生するのではないでしょうか。 

こんな時だからこそ、次のステップのために、しっかり学び、坐禅しましょう。「自分が自分に落ち着くことが出来れば、世界が世界に落ち着ける」のですからね。


1782 2026.06.17 

コロナウイルスで大変なことになりましたね(2021年の原稿です)。

長らく皆さんにお会いできないのがとてもつらいです。私のような高齢になると、1年というものがとても貴重なのです。志を継いでくれる弟子を何とか仕上げて地上を去りたいとあせる気持が出てくるのですね。

神様が『弟子をはやく悟らせよ、育てよ』と、せっつかれるようになったのが不思議だったのですが、こういう事態になって指導のブランクが生じることをあらかじめ見越しておられたのですね。

しかし、私の修行時代を思い返してみると、師は東京にお住まいで、月に一度だけ大阪においで頂いて指導を受けていたのですが、師が色んな事情で何ヶ月も大阪においで頂けなかった時期こそが、私が最も進歩出来た期間でした。

私の場合がそうであったように、皆さんにお会いできなくなってから、「心境が進みました、こういう悟りを得ました」という報告が多くの弟子から届き始めました。驚くとともに、『なんだ、みんな結構やるじゃないか』と喜んでいます。もう大丈夫なんですね。もう自立して自分の足で歩んでゆけるまで育ってきていたのですね。それが一気に見える形で現われ始めたようです。

悟りとは、「自分がありのままの自分に落ち着けるようになる」ことなのですから、師に頼る気持が少しでもある間は本当の悟りにはならないのかも知れません。だから、アナンのように、師の釈迦がお亡くなりになってから悟りを開いたという方が多いのでしょうね。

ですから、こんな時こそ、自己のイノチを充実させ、高める貴重な期間としてください。

1781 2026.06.16 

21世紀は『融合の世紀』です。人と人をつなぐ方向の仕事は上手くいきますが、人と人を離反させるような仕事は、いったんは上手くいくように見えても、きっと行き詰まることになるでしょう。


1780 2026.06.15

『もうだめだ。絶望だ!』と、自暴自棄になるのはあなたの思いこみ、間違いです。

あなただけの力で仕事をしているのではなく、「オーナー神さま」の従業員として、あなたは働いているのだから、困ったときは「神(オーナー)頼み」でいいのです。困った事態の報告を済ませたあとは、神様の責任で、事態を収拾して下さるでしょう。それを信じて、目の前の仕事を精一杯しながら、静かに待っていればいいのです。


1779 2026.06.15

仕事が忙しくて、家族が顔を合わせたり、話しあったり、遊んだりする時間がなく、家庭が冷え切っているなどというのは本末転倒ですね。

父親鳥が一生懸命えさを運ぶ(仕事に精出す)のは、家族を養うため、えさを運び、家族を養うのが喜びなんです。それが、仕事の本来の意義ですね。

それなのに、仕事が大変で夫婦別れをするなんていうのは、いのちの本能に違反する行為です。

そんなお父さんは思いきって仕事をカットして、家族と一緒の時間を増やしてみて下さい。

そうすると、グンといのちの重心がしっかり取れるようになって、そうすると、短時間で効率的な仕事が出来るようになるのです。家族とのいのちの一体感が仕事を後押ししてくれるようになるのです。


1778 2026.06.14 

たっぷり時間をかけたから、沢山仕事をしたということにはなりません。成果は仕事をした時間に比例しないのです。

一生懸命努力しているつもりでも、心が燃え尽きてしまっていては、ちっとも効率があがりません。

私の場合は、『ああ、燃え尽きてきたなあ』と気がついたら、仕事を中断して(こういう時ほど仕事をストップすることが難しいものなんですよね。惰性でズルズル仕事を続けてしまうものです)思い切って坐禅します。

坐禅といっても、力んでするものでなく、坐禅という姿勢(の有効性)を信じてただ坐る『養いの坐禅』です。

そうすると、自然といのちが充電されてきます。たっぷり充電して、『さあ、これでよし!』となったら、再び、戦場(仕事場)へと跳び出してゆくのです。このように、充電しては戦い、イノチを養っては働くという循環サイクルが確立していれば、もう大丈夫です。


1777 2026.06.13 

<sport>という単語は、<dis>+<port>だそうで、<dis>は『離れて』という意味、<port>は『運ばれて』という意味です。

つまり、スポーツとは、日常、現実から離れること、別の世界に運ばれることなのです。坐禅だって、結局『現実世界を離れて、別の次元に運ばれる体験』、そうしてイノチをレフレッシュし、再充電するものなのですから、スポーツの一種といえそうですね。


1776 2026.06.12

『大力量の人、風が吹けばコテンと倒れる(原文:大力量底の人、風吹けば倒る)』という禅語がありますが、風に逆らって踏ん張り続けるのがいいのではなくて、風が吹いてきたら、素直にすっ転んで、風が止むまで、あったかい大地に身を委ねましょうという勇気も必要ですね。何年も吹き続ける風なんてありませんからね。


1775 2026.06.11 

(中学教頭であった時、1年の学年通信に書いた文章です。タイトルは『儚(はかな)さと懐かしさ』です)

冬休みには夏休みや秋休みと違った、独特の雰囲気があります。

年末の大掃除、お正月準備の買い出し、鏡餅やしめ縄を飾り、そして大晦日の紅白歌合戦、年越しそば・・・、年が明けると、初日の出を拝みに出かけ、神社やお寺に初詣、楽しいお年玉など、民族の伝統行事の目白押しです。

私は中学生の頃には、そんな伝統行事を毎年繰り返すことの意味がよく分かりませんでした。おそらくみなさんもそうなのではないでしょうか。

しかし、結婚して子供も生まれると、自分がはるかに遠い過去の祖先から始まって、先輩たちが必死の思いでバトンタッチして繋げてきた、いのちのチェーンの一つの環として、自分も加わったんだなあとハッキリ実感出来るようになりました。

そして、そのいのちのチェーンの最先端の位置にいる者として、先祖の方々や、民族の先輩たちが苦闘努力の末に、それでもやり残してしまったさまざまな課題を、その一部でもいいからなんとか解決して、次の世代にいのちのバトンタッチをしていかなければならない。そのためにこそ私たちはこの現代に生きているんだと理解できるようになりました。

年末、年始の伝統行事に参加することによって、民族の一員であることを再確認し、祖(おや)たちが果たせなかった悲願の達成を誓うのです。 

お正月というと、家族全員が集まって、こたつのなかで、トランプで遊んだり、百人一首に興じたりした、そんな懐かしくも暖かい思い出がすぐ浮かんできます。

しかし私の場合、今や父母も地上を去り、兄弟姉妹も各地に散らばって、もう二度とこういう光景は帰ってきません。

あれはフラッシュライトに一瞬照らし出された、奇跡のような、貴重な体験だったんだなあと、今にしてしみじみ思うのです。

ですから、皆さんにも、二度とない人生のこの時(「一期一会」:いちごいちえ)の家族全員と過ごす貴重な一時を大切にして欲しいと思います。

お父さん、お母さんの手伝いをしたり、思いっきり甘えてみたり、兄弟姉妹たちと仲良く遊んだり、暖かい思い出をいっぱい作りましょう。


1773 2026.06.09

<性能がよい心>

心さんは、あなたの人生の夢と現実を結んでくれる存在です。

その中間者(媒介者)としての性質を、私は「ゴムひも」や「乗り物」やスクリーンに映像を映し出す、夢の原画が描かれた「フィルム」などでよく喩えて説明します。

ところが、夢を描いても、なかなか実現しない人もいれば、どんなデッカイ夢でもスイスイ現実化してゆく人もいます。これは、努力の多い、少ないによるのでなく、心さんの性能の良し悪しによるのです。

では、性能の良い心さんとは、どんな心さんなのでしょうか。

ここでは、二つだけポイントをあげておきましょう。

ひとつ目は、「サバサバ心さん」が、性能の良い心さんです。

心さんをタクシーで喩えてみましょう。

運転手さんに行き先を告げます。

その時、ズバリと、何のためらいもなく行き先を告げられますか。行き先を再三再四変更するようなことはしていませんか。これでは、運転手さんは、あなたが本当はどこに行きたいのは分からず、困ってしまいます。せっかくの高性能マシーンが、宝の持ち腐れです。

それから、いったん行き先を心さんに告げたら、あとはお任せです。居眠りしていてもいいのです。「果報は寝て待て」と言うではありませんか。

心さんは全知全能です。宇宙中の町並みや道路を、心さんはことごとく知り尽くしています。だから、あなたが夢のゴールを告げたら、心さんはあなたにとって最適の道筋を選んで、必ずあなたをゴールへと運んでくれます。

ですから、途中の道筋についてあなたが心配したり、注文をつけたりしてはいけません。いったん行き先を告げたら、あとはいっさい口出ししない、そんな男らしい「サバサバ心さん」が性能の良い心さんなのです。明日は二つ目のポイントを説明します。(続く)


1774 2026.06.10(前日の続き)

ふたつ目は、「ヒロビロ心さん」が、性能の良い心です。

心の広さは、ガソリンタンクの容量です。広い心さんは、いっぱいガソリンが入ります。狭い心さんには、ちょっとしか燃料が入りません。

いっぱいガソリンの入った心さんは、どんなに遠い夢のゴールにでも、楽々あなたを運んでくれます。しかし、心が狭いと現実を脱出して夢を実現するには、エネルギーが不足です。

このように、夢を次々実現して、楽しくて、達成感、充実感のある人生を送るために、サバサバ心、ヒロビロ心を保つトレーニングが必要です。 

般若心経は、サバサバ心さん養成のマニュアルで、法華経は、ヒロビロ心さん養成のマニュアルです。

般若心経については、『劇的に運が良くなるお経』(カドカワ)をお読みください。おかげさまで何度も重版するベストセラーになっています。

法華経については、しあわせ通信第八集『法華経講義-湧喜をもって踏み出すために-』(本心庵)や『くじけない力』(カドカワ)をお読みください。(完)


2026年7月28日火曜日

4332「母の涙」2026.7.28

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月14日の記事を紹介します。


「母の涙」


今日は、お子さんを持つお母さんに書きたいと思います。

心のお話です。 

・能力ある人に頼って、助けていただくよりも

・お金をかけて沢山のセミナーに参加するよりも

・あちこちの沢山の神社仏閣を回るよりも、 

まずは、ご自分の心を祓い清め、

本来の魂の輝きを取り戻すことの方が、 

何万倍も大切なことだと思うからです。 

本当に素朴で純真な詩をご紹介します。

サトウハチローさんの、「お母さんの詩」です。

おかあさんはわたしを生んだの 

それから

わたしをそだてたの 

それから

わたしをたのしみにしてたの 

それから

わたしのために泣いたの 

それから

それからあとはいえないの


サトウハチローさんは、佐藤愛子さんのお兄さんです。

ハチローさんについて、愛子さんはこう書いています。


兄は「とんでもない不良で、本当にどうしようもない男です」、と。

なんとなく納得がゆく。

「有名な『おかあさんのうた』で

善良な人たちを騙しましてね」とまで言い切る。

「けれども、彼が作った詩の中で一つだけ、

ああ、この詩はいいなあと私が思った詩があるんです。 

不良少年で父や母を苦しめた男の、こういう短い詩です」。

それが、この「おかあさんはわたしを生んだの」という一編です。

サトウハチローのお母さん、ハルは、

彼がまだ子供の頃に、父・紅緑に離縁されました。

そして若くして世を去ったのでした。

酒好き、女好きで、放蕩の青春を送った中で 

「母よゆるしたまへ/ゆるしたまへ」と・・・。 

「おかあさん」の詩を最も多く書いたと言われる詩人サトウハチロー。

彼の素朴でやさしい詩には、ファンが多いそうです。

一見堕落したような生活を送った人ですが、 

その心の中では、 

早くに亡くなった母の後姿を 

いつまでもいつまでも

追いかけていたのかもしれません。 

今日は、もうひとつ、お母さんのお話をご紹介して終わります。 

同居生活の疲れからか、

いつも、ご主人やお姑さん、そして子供、 更にはママ友など、  

他人の悪口ばかり口にしていたご婦人がいました。

いつものように台所に立っていると、

三歳になる娘さんが寄ってきて、

「ねえねえ、おかあさん」 と、

エプロンにしがみついてきました。

まあ、いつものことですので、台所仕事を続けたまま 

「何よ」と聞くと、 

「あたしねえ、いま、あること思ったの。」と言います。

またか、と思い、 

「セーラームーンのおもちゃは、

この間買ってあげたでしょ。もうだめよ。」とか 

「おやつの時間はまだでしょう?」とか、

適当に答えていました。 

すると娘は「そんなんじゃないのよ。

あたし、あることを思ったの。

当ててよ。」と、  

得意そうに言います。 

「当ててよ」は、最近娘の十八番なので、少々うんざりして

適当にあしらおうとしたんですけど、あんまりしつこいので、

とうとう根負けして、腰を屈めて娘の目の高さになって、聞いてあげました。

「なに思ったのよ。」 

「あること、思ったの。」

「何思ったの?おかあさん、降参。」

「じゃあ、教えてあげる。あたしね、こう思った。」

「何?」

「おかあさんのこと好き、って思ったの。」

「へー・・・」

「何回、思ったかわかる?」

「え?一回じゃないの?」

「ううん、もっと。」

「じゃあ、三回。」

「ううん、もっと。」

「じゃあ、五回。」

「ううん、十回。

あたし、お母さんのこと好きって、十回、思ったの。」

その日、その娘の上の5歳になる娘のあとでお風呂に入ったら、

湯気で湿った鏡に、ハートが書いてあって、 

その中に、「おかあさん、だいすき」と書かれていました。

その後、そのお母さんが、どうなったか解りますか?

彼女の心を覆っていた硬い鎧に、ヒビが入りました。 

この幼い子供の愛によって。

「愛」って偉大ですね。


2026年7月27日月曜日

4331「さよならのあとに」2026.7.27

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月13日の記事を紹介します。


「さよならのあとに」


今日は、事故で両腕を無くしてしまったけれど、

そのことをきっかけに、 

大切な、人の優しさに気づくことができた。

そんなお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元

十月二十四日、熊本県の大野勝彦さんが、

星野富弘さんに会う為に大間々へお越しになりました。

星野富弘さんは、中学校の体育の先生でしたが、

クラブ活動の指導中の墜落事故で頸髄を損傷、

手足の自由を失ってしまいます。

その後に奮起なさり、口に筆をくわえて文や絵を書き始め、

作品展を開いたり、雑誌や新聞に詩画作品やエッセイを連載していらっしゃる方です。

熊本の大野さんは、

五町歩の田畑にハウスの野菜を栽培していましたが、

平成元年、農作業のトラクターに手を挟まれ両手を切断してしまいました。

何の前ぶれもなく始まった手無しの生活に

幸せが音をたてて崩れてゆくのを感じたそうです。

その時、大野さんが一番こころを痛めたのは三人の子供達のことでした。

大野さんは奥さんと相談して

「子供達が病室に来たら、楽しい話だけをしよう」と決めました。

子供達が来ると部屋の中は笑い声でいっぱいになりました。

子供達が帰り、病室に元の静けさが戻ると

「子供達は、俺の両手切断のことでショックを受けていないようだ」と安心したそうです。

でも、お見舞いに来た近所のおばさんが

「勝彦さんの長男の隆君は、毎日夕方になると玄関の前に座って頭を抱え込んで、

暗くなっても何時間も動かない。意地らしくてかわいそう」

と涙声で教えてくれました。

子供達は病院に行く道すがら

「お父さんのところへ行ったら、楽しい話だけをしよう」と話し合っていたのです。

大野さんはその時、家族の優しさに胸いっぱいの幸せを感じたそうです。


星野富弘さんの


わたしは傷をもっている 

でもその傷のところから、

あなたの優しさがしみてくる


という詩画に深く感動した大野さんは今、

義手で筆を持ち、素敵な絵や詩を書いて

多くの人に生きる勇気と優しさを与えてくれています。

大野さんの名刺の裏には

しあわせは気づいたときから始まる。

本当はしあわせなんだけど

さよならのあとで気づくの

と書いてありました。

<引用終了>

私たちは、みんな生まれる時に 

今世では、何をしよう・・・

と、目的を持って生まれてくるそうです。

その目的のために、ご縁のある方と、

いつ、どのようなシチュエーションで、出会うか、分かれるか・・など 

細かなところまで、固く約束してくるそうです。 

その目的のためなら、 

・病気

・事故

・貧困

・別離・死別

など、一般的につらく悲しい出来事も

全く苦にならないのだそうです。 

もちろん肉体を持つ身としては、当たり前に、苦しいのですが、

永遠の魂のレベル、

つまり、生きている私たちのすぐそばで見守っている、

高次の意識の私たちは、その乗り越えた先、

目的を果たした先にある、永遠の魂の喜びを知っていますから 

一時の三次元での苦痛よりも、目的遂行を喜んでいます。 

高い意識レベルにある魂は、

時に、自分の人生を犠牲にして、他の方の

魂の覚醒に協力することもあるそうです。 

・病気

・事故

・子供たちの早すぎる死 

などは、このような目的であることが多いようです。 

今回ご紹介した大野さんは両手の切断という、辛く苦しい経験をしました。 

未来への希望も失ったかもしれません。 

でも、それをきっかけに、

今まで気づかなかった、家族の優しさや愛を、

身をもって経験することができました。 

お子様たちもきっとつらい経験を乗り越え、

人の気持ちのわかる、優しい大人に育つことでしょう。 

父の代わりにと・・責任感の強い大人に育つでしょう。 

きっと、そのお父さんの事故をきっかけに、

普通の人では経験できなかったことを経験し、 

回りから頼られ、愛される人間に育っていくことでしょう。 

そうなった時、お父さんの辛く悲しい事故も、

決して無駄なものではなかったことになります。

悲しい事故を人生に予定して組み込んで、

生まれて来た甲斐があるというものです。


2026年7月26日日曜日

4330「まるごと受け入れる」2026.7.26

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月12日の記事を紹介します。


「まるごと受け入れる」


このブログでは、元気で悩みも無く、

明るく暮らしていらっしゃる方へと言うよりも、 

どちらかというと、日々の暮らしに疲れ、悩み苦しみ、

涙を流していらっしゃる方に向けて書くことが多いです。

できれば悩みや苦しみから解放されて、心から笑って頂きたいからです。 

そのヒントとなればと、今日もブッダのお話からご紹介します。

ブッダは2500年前に、人間の生というものは「苦」に満ちていると悟りました。

ブッダが悟った「苦」とは、 

世の中は自分の思いどおりにならない。 

という意味でした。 

災難の中に居ることが「苦」ではありません。

「この世は『苦』に満ちている」という言葉の本当の意味は、

結局は自分だけの問題だということになります。 

何故なら、どなたも自分の思い通りにならない現実に対して、

自分の心が苦痛を感じているからです。

外からやってくる不幸や悲劇は存在しません。

それらには良いこと・悪いことという色が全くついていません。

全てが内側、つまり自分の心・思い、受け取り方の問題だったとブッダは気付きました。

ブッダは思いどおりにしたいという「執着」を持たなければ、

人間は全ての「苦」から解放されることに気づいたのでした。

そしてブッダは全ての煩悩から自由になり、悟りを開きました。

私たちの悩みの多くは、実は自分自身のことではなくて、

他人が自分の思う通りに振る舞わないことから発生していると言われます。

多くの人は自分の価値観の中に、相手を連れてこようとして苦しみます。

でも、その人の良いところも悪いところも全部踏まえた上で、

そのまま全て、まるごと受け入れてしまえば何の問題・悩みも無くなります。

自分の価値観を、人にまで押しつけようとした時に、 

実は自分自身が一番苦しみます。

人や物事・起こっている現実を

自分の思う通りに変えようとせず

・お金と仕事の問題は、「掃除」をしていれば無くなってしまう。

・体と健康の問題は、「笑って」いればいい。

・人間関係は、感謝、「ありがとう」を言っていればいい。

それだけで私たちは幸せに暮らしていけるように神さまが、この世の中を作ってくださっています。

神さまが好む人間の行為ベスト3は、

・掃除

・笑い

・感謝

の3つなのだそうです。

神さまは掃除をする人が好き、笑顔や笑い声が好き、感謝する人が好きらしいのです。

「掃除」と「感謝」は、いわゆる善行。

ここに「笑い」が入ってくるのは、実は「笑い」は「肯定」を意味しているからです。

「笑い」とは、目の前に起きている現象に対する肯定であり、受け入れることです。

それは目の前の現象(嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと)を起こしてくださっている地球や宇宙や神さまに対し、

「ありがとう」と肯定したという意味になります。

神さまにとって「肯定された」ということは、

自分のしたことを「喜ばれた」ということになります。

小林正観さんが仰るには、 

神さまは喜ばれると嬉しくてやる気になって、

応援支援をしようと思うみたいなので、

肯定的な人には、どんどん味方をしてくれるようになるそうです。

私たちは子供のころから、

「手に入っていないもの」を挙げ、

「それを手に入れることが幸せ」という風に教えこまれて来ました。

またビジネス社会でもそうですね。

売り上げ目標を高く掲げ、ムダを極力省き全てのエネルギーをそこに注ぎ込みます。

また「努力しなければダメ」「頑張らないとクズ」と教えられても来ました。

一方、 

・既に沢山のものをいただいている

・既に充分恵まれている

との考え方に至った人たちもいます。

これは現状(嬉しいことも、苦しいことも、悲しいことも)を肯定して、

「喜びながら」「幸せを感じながら」「感謝しながら」生きるという生き方です。 

神さまや宇宙に、今既に十分与えられていると言う「小欲知足」の生き方です。  

強く願えば叶う、努力すれば必ず現実を変えられる。 

宣伝や営業努力の結果でものが売れる・・  

そのような方法論はもう古いのかもしれません。

神さまの意思や働きを否定した傲慢な考え方かもしれません。 

神々の計画では、21世紀は「精神性の復活の時代」、「心の時代」になって来ています。 

21世紀は、いかに宇宙を味方にするか? 周りと調和していくのか?

そう考える方が時代の潮流のようです。

・人に喜ばれるように生きていくこと。

・「頼まれごと」をひたすら実直な、愚直な、誠実な心で行っていくこと。

・目の前の現象をまるごと感謝して受け入れること。 

・自分が社会的に成功するとか、

・お金持ちになるとか、

・商品が売れるとか、広まるとかということは、 

ブッダが言うように、全て本人の力ではありません。

すべて神さまや、宇宙、そして周囲の人・ご縁のおかげです。 →縁起の法則と言います。 

ブッダは般若心経でそう教えてくださいました。 

自分の努力や力ではなく、全てが目に見えない神さまや、

宇宙、人様のご縁のおかげということがわかったら、 

あとはただ感謝、「ありがとう」と言うだけですね。 

何故なら、その現象は、

私たちの魂を磨き、美しく輝かせるために起きていることだからです。 

それが、ブッダは2500年前に悟った人間の生というものは「苦」に満ちている・・

その苦しみの世界において、真の幸せを掴む道なのかもしれません。 

泥の中から咲くハスの花ように、私たちも、この世界において、 

置かれた場所で、美しい花を咲かすことが、

きっと誰にでもできるのです。


2026年7月25日土曜日

4329「心を受け取る」2026.7.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月11日の記事を紹介します。


「心を受け取る」


見えない世界に精通し、不思議な力を持っている。 

そのように吹聴するどこかの誰かの力に頼ることよりも

自分自身の心の浄化、純化が、どれほど大切なことか。

そちらの方が、遥かに永続的で、真の力を発揮することか。  

自らの心を清める事、感謝の心で過ごすことが、

どれだけ宇宙神を喜ばせ、大きな助けを引き出すことができるのか。 

様々な情報を、どのような角度から見ても、結論はそうなります。 

力あると吹聴する他人に依存するのではなく、自らの心を洗うこと・・・

では、今日も王道であり、その最強の方法である、心の浄化についてのお話です。 

 

神々による建て替え、人々による建て直し、

今行われている進化の方向性は、

一人一人の精神性が大切にされる世界への移行。 

それは、

・誰か悟った人によって起こされるのではなく

・霊的な力がある人によって起こされるのではなく

・有名な前世を持つ人によって起こされるのではなく 

私達一人一人の心の変化によってなされます。 

私達の心が、今までまとっていた

・罪(包身)

・穢れ(氣枯れ)

を祓い落し、 

本来の輝きを取り戻し、他人や物に依存することなく

自分の力で、しっかりと大地に根を張り、身近な周りの人たちと、 

認め合い、笑い合い、助けい合い、生きていくことで、実現される社会です。 

大本の神様からいただいた心・魂にはその力が宿っています。 

今日のお話は「心を受け取る」ということで、 ある方の思い出話をご紹介します。 

貧乏で田舎者の父と、息子の大学卒業にあたってのお話です。 

お父様は田舎者で、また裕福ではありませんでしたが、

まじめで、実直で、子供を心から愛しておられた方でした。

<引用開始> 引用元

三月は卒業式のシーズンである。

卒業式といえば、私には忘れられない父との思い出がある。

私の大学の卒業式に出席するため、

それまで天草をほとんど離なれたことのなかった田舎者の父が、

一人で博多までやってきたのである。

私は驚いた。 

父は下宿の私の部屋に泊まった。

卒業式の朝、父は大学の門の前で立ち止まり、

じっと門を見つめたまま、しばらく動こうとはしなかった。

学部ごとの謝恩会の席で、父と私は一箱の折り詰め弁当を分け合って食べた。

そして、一合ビンの日本酒を、交互につぎ合って飲んだ。 

父は実に嬉しそうであった。

私はその時の父の嬉しそうな顔を、今でも忘れることができない。

卒業式のあとで、私達は親友二人と共に、大濠公園に行った。

親友達とも、その日でお別れであった。

私は公園のベンチに座って、その親友達との別れを惜しんだのであった。

父は少し離れてなぜか寂しそうに、私達を眺めていた。

翌日、父は黙って天草に帰って行った。

しかし、その時の父のなぜか寂しそうな姿が、

長い間ずっと、私の心の中から離れなかった。

その父が四年前に亡くなった。

亡くなる一年ほど前に、入院して寝たきりになった父が、

ベッドの中で、私の手をしっかりと握って言ったのである。

「お前の卒業式の日あの公園での悔しさは、今でも忘れん。

金がなくて皆にジュースを買って、飲ませることもできんかった。

本当にすまんかったな。

おれは悔しくて、帰りの汽車の中で、涙が止まらんかった」

父は三十数年もの間、その時のことを、悔やみ続けていたのである。

私はその時、八十八歳の父の心の風景をはっきりと見た。

そして、卒業式の日の大濠公園での、あの父の寂しそうな姿を、

三十六年たって、初めて理解できたのであった。

私は仏壇にかざった父の写真を、しみじみと見ながら

「気にするなよ、おやじ」とあらためて呼びかけている。

<引用終了>

お父さんは、息子さんが大学に入学し、とても嬉しかったのでしょうね。 

自慢の息子さんですね。 

そして「卒業式」 

お父さんは、どんなに晴れやかな気持ち、誇らしい気持ちで

上京なさったことでしょう。 

貧しい農村の暮らしでは、大学に行かせるのに

どれだけ苦労したことか、想像に難くありません。 

そのお父様が、36年間、ずっと引きづっていた気持ち、晴れやかな門出の日に、

息子が友人たちと別れを惜しんでいるとき、 

親として1本のジュースも買ってあげられなかった。。 

・その悔しい気持ち、

・情けない気持ち

・息子や、友人たちに、すまない気持ち 

胸が締め付けられます。

ですが、ここで、もし状況が異なり、

家庭が裕福で、何の苦労も無く、息子さんを大学に通わせることができ、 

友人たちの別れの際には、惜しげもなく、

高価な飲み物を渡したとしたらどうでしょうか? 

きっと、このような、胸を打つ経験はできなかったことでしょう。 

このように強い愛情を感じることもなかったでしょう。 

息子さんは、深い深い父の愛に、気づくことも

感謝する気持ちも起きなかったことでしょう。 

魂に刻み付けられる心と心の交流、地上でしか味わえない、

魂の震えを感じることもできなかったことでしょう。 

このように、私たち人間は、周りの方々と、日々織りなす経験を通じ、

時には喜び、時には涙を流しながら、深い深い経験を積んでいます。 

もし、何の苦しみも、悲しみも無ければ、

地上を離れる時に、薄っぺらな、心の片隅にも残らない、

つまらない人生でしかなくなることでしょう。 

きっと、楽な人生ではあったけれど、深く後悔することでしょう。 

私たちは、神様に似せて創られました。 

この地上で、 

・物ではなく、

・幸福だけを選り好みするのではなく、 

相手を思いやる美しい温かな心を、受け取るために、 

その温かなものを、周りの人々と、循環させるために、

ここ地球に生まれてきました。