2026年7月5日日曜日

4309「現実が変わらぬなら」2026.7.5

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月21日の記事を紹介します。


「現実が変わらぬなら」


今日は、「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な、

渡辺和子さんの言葉をご紹介します。 

<転載開始> 転載元

女子学生たちと五十年以上接していて気がつくことは、この年頃の人たちの多くが、

愛に必要なのは、すばらしい対象に出会うことだと考えていることです。

それも決して間違いではないのですが、 

その対象が「すばらしさ」を失った時(病気やケガ、挫折)にも、 

果たして愛し続けることができるかどうか、 

ここに「愛の本質」が問われています。

・健康だった相手が病気になってしまった時も、

・前途を嘱望(しょくぼう)されていた相手が挫折にあった時にも、 

その人を愛し続けることができるかどうかは、

私たちが自分の中に、「愛する力」を養い育てているかどうかに、 

かかっているのです。

ふだんからピアノの練習もせずに、立派なピアノを見つけさえすれば、

上手に弾けると思ったり、

絵を描く練習もせずに、ひたすら美しい景色を探している人にも似て、 

ふだんから「愛する」練習をしないで、

素敵な人との出会いを待っていては、いけないのです。

愛する力を育てるためには、まず私たちが毎日の生活の中で、 

「当たり前」と考えていることや、人、物を「有り難い」と、 

感謝の気持ちで受けとめることが大切です。

マイナスの価値しかないと思えることや、 

不幸、災難、苦しみにさえも意味を見出して、これまた「有り難い」と感謝できる時、 

私たちは愛すべきものを随所(ずいしょ)に持ち、愛し難い人さえも、

その人の存在そのものの価値を認める、愛深く幸せな人間になれるのです。

<転載終了>

何か素晴らしいものさえ手に入れれば、きっと自分は幸せになれる。 

殆どの人がそう思っています。 

これは安直で、自分では何もせず、おいしい果実だけを得ようとする、 

依存の心です。 

自分ではほとんど何もせず、何も変えようとせず、お医者さまや、薬、ご祈祷、

スピリチュアルリ-ダーに頼れば、幸せになれる。 

これも全く同じです。 

これは、生きていく姿勢そのものに直結しています。

・子供の成績が良ければ、愛する

・子供が不登校になったから、愛さない

・何か手に入れたら、感謝する

・何かしてもらったら、仲良くする 

・運が良くなったら、感謝する

・病気が治ったら、感謝する

全部が、

・自分の思い通りに人が動けば、愛する

・自分の思い通りに動かなければ、嫌う

・先に何かを得たら、何かする

・自分から、親切や優しさを出すと損をする

そのような意識です。

まるで、いつも「クレクレ」と言っている、地獄の亡者のようですね。

そこには、

・自分は礼儀正しく

・言葉きれいで、

・正義の側に立ち

・悪を糾弾しており

・自分は報われるべき存在で

・その権利がある

・大事にされて、あたりまえ

そのような心が底流にあります。

・自分自身が変わるのは怖い、めんどくさい

・他人に何とかして欲しい 

ですがこの地球は、そのようにできてはいません。 

生老病死、四苦八苦。 

まさに思うようにならないのが、この世の中です。 

希望を持って結婚しても、就職しても、子育てをしても、 

「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。 

病気や不運に見舞われる時も、必ずあります。

「何か素晴らしいものさえ手に入れれば、自分は幸せになれる。」 

そのように、他に依存するように考えていた人たちは、 

そこで挫折し、苦しみにとらわれることでしょう。

家族が自分の思う通り動かなければ、自分の理想にそぐわなければ 

愛する家族に対する熱も冷め、

もしかしたら苦痛や憎しみの対象に変わるかもしれません。

これらは、自分では何も動こうとせず、

自分自身の心を顧みようとしない人の特徴かもしれません。 

全ての出来事、自分に降りかかってくる出来事は、他人のせいではありません。 

他人がどうこうできることではありません。 

全ての全てが、

私たちの心の中に、その種があったから、現象として目の前に起こっています。 

身近な方に降りかかってくる災難、苦難も 

(見ている私たちは、可愛そう、何とかしてあげたいと思うのは当たり前ですが・・) 

その出来事(実際は人生劇)も、その人自身の魂(本体)が許しているから、

計画して生まれて来たから起こっている出来事です。 

その経験を通して、魂の成長を図るために、神様とともに決めてきたことです。

その方(身近な方)にも神様が付いていらっしゃいます。

縁の深いご先祖が守っていらっしゃいます。 

私たち生きている人間には、その深い深い、縁の流れ、神仕組みが見えません。 

ただ見守り、信じてあげる事だけです。

その方の生まれて来た目的が成就することを一緒に祈ってあげる事だけです。 

渡辺和子さんは仰います。 

「こんなはずじゃなかった」と思うこと(不幸)が、次から次に出てきても、 

そんな時にも、その状況の中で 「咲く」努力をして欲しいのです。

どうしても咲けない時もあります。

雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。

その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。

次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。

いい出会いにするためには、自分が出会いを大切にして育てなければなりません。

思い通りにならないことを経験した時、心にポッカリ開いた穴から、 

これまで見えなかったものが見えてくることがあります。

希望には叶わないものもありますが、大切なのは心に希望を持ち続けること。

相手を信頼するのは98%にし、

あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておくこと。

「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練に感謝すること。

私たちは、神さまが置いて下さったこの場所で、 

たとえ辛く苦しくとも、幸せを見つけることが出来ます。 

神さまは、「その場所で幸せを見つけるのですよ」と、

私たちを、今の場所に置いて下さいました。

辛い日々は、必ず笑える日につながっています。 

目の前の現実は変えられません。

ですが、その起きている現象には、本当は「良い」も「悪い」もないのです。 

全てニュートラルの形で現象は起こっています。 

そこに「良いこと」とか「悪いこと」と色を付けるのは、私たちの心の捉え方だけです。

そして実際は起きている現象全て、私たちの魂の成長のために、 

目の前に現れてくれています。 

私たちが、それに気付き感謝して受け入れた途端、

その現象は、もはや役割を終えたわけですから、 

目の前から消え、記憶のかなたに忘れ去られてしまうでしょう。 

私たちの人生はその事の繰り返しです。 

ですから、どんなことが目の前に起きても、心配せず、しっかり受け入れて、

感謝しニコニコ笑っていれば、それで良いのです。

それがブッダが教えてくださった「般若心経」の真髄です。  

ご縁のある方に届きますように。


2026年7月4日土曜日

4308「縄文回帰」2026.7.4

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月19日の記事を紹介します。


「縄文回帰」


日本に古く、縄文時代から存在した「神道」の考え方。 

これは、教祖も教義を持たず、よって宗教とは言えません。 

古くから日本人が持つ、心のよりどころのようなものです。 

そこで説かれることは、 

・神々の恩寵は、人間の感謝の心を媒介として現れる

・神職など、職業的な立場の人を媒介とするのではなく

 人間が心を清め、神々と直接的に繋がることが大切

など。 

これらは、私たち一般人の、今までの常識とは、少し異なっていることかもしれません。

ですが、このことは古代から存在している由緒ある神社仏閣では、 

常識とされていた物のようです。 

私がこのことを、はっきりと知ったのは、

春日大社の元宮司、さらに日本の形成外科医の草分け的な存在であった、

葉室頼昭さんの「神道のこころ」という本からです。 

巫女や神職など、人々と、神々の間に入り、

仲介することを、職業として行い始めたのは、多分、日本では大和朝廷設立 直前、

つまり大陸からの好戦的な民族が 、日本全国を制圧し始める直前の邪馬台国の時代、

卑弥呼やその後継、トヨなどの時代からと思われます。 

それ以前の日本は平和で、神々と人々が直接繋がり、 

世界一、平和で豊かな時代と言われる縄文の時代でした。 

約1万5千年続いたと言われています。 

大陸から好戦的な民族、弥生族が来るまでは、争いもなく、所有の意識もなく、

上下の違いもなく、人々、一人一人が純粋な心を持ち、

それゆえに、みんなが、直接的に、神々と繋がれた時代でした。 

もし、日本古来の神道というものがあるとするならば、

それは縄文時代に一般的だった 

・物の見方、

・考え方、

・生き方 

そのものです。

そして、それはムー時代の生き方でもありました。

私たち日本人は、縄文の古来より、ムーの生き方を、

大切に守ってきた民族と言われています。 

そして、その精神と伝統は今でも息づいています。

文明の大転換点である今、西洋で始まった産業革命に端を発した、

利益追求主義、行きすぎた資本主義 

骨までしゃぶり尽くす金融資本主義は、終わろうとしています。 

この終焉を迎えようとしている現在の文明では、

人々は、ずっと真実から遠ざけられ、常に不安の中に置かれ、

自立した魂の働きが封印されて来ました。 

常にお金や権力に頼ろうとし、常に力ある者、能力あるものに頼ろうとする、

依存、執着の状態に置かれたのです。 

それは、彼らが軽蔑の意味で使う、ゴエム(奴隷)と言われる状態です。 

この時代、その仕組みを お手本に 

・大小様々な、依存・執着と

・それと一体となった支配 

が、私たちを身近で取り巻いて来ました。 

この精神構造は宗教でもそうでした。 

イエスの生きた時代、イエスは、宗教など作りませんでした。 

イエスの死後、国王をもしのぐ、強大な権力を握ろうとした者たちにより、 

教会が作られ、戒律が制定され、宗教と言う組織が出来上がりました。 

それは、人間の持つ、ピュアな信仰心とは、全くの別物であり、 

まさに人々を権威と恐怖で縛りつけ、

他者(教会)に対する、依存・執着状態に置き、

自分たちを、その対極となる、支配する立場に置いたのです。

それが、今まで私たちが置かれていた精神構造でした。

本来は、イエスやブッダのように、自立した自由闊達な魂の状態で、 

神仏に対するピュアな信仰心、先祖を大切に思う敬心、

そして、生きている人々に対する、 

・お互いさま

・お陰さま 

相手の個性、尊厳を大切に思う、温かな心、優しい心であったはずでした。 

ですが、この宇宙の大神様が作ってくださった、

人間の精神が、萎縮させられて来たのです。 

「縄文回帰」が様々な所で叫ばれています。 

縄文回帰とは、この、依存と執着、

そして支配の構造から、人間の精神を解放させ、

縄文の時代のように、人々が、一人一人、直接的に神々と繋がる時代を、

思い出そうと言う、大きな運動(ムーブメント)です。 

これは、ブッダグループが、

1,200年単位で、人類に対するアプローチをしている中で、

現在、実際に行っているアプローチ方法です。 

このブログで何度もご紹介しています通り、

ダライ・ラマ、そしてマザーテレサも、同じことを仰っていますので、

ブッダ・グループの計画を、知り、そして協力なさっているのでしょう。 

そして、その人類へのアプローチが目指すものは、

一人一人の人間の 本当の幸せです。 

私たち人間は、しっかりと自分の足で、大地に立ち、 

例え、貧しくとも、例え、病にあっても、

清らかな心で、天を仰ぎ、神々に感謝し、そして微笑む時、 

本当の幸せをかみしめることができるのかも、しれません。


2026年7月3日金曜日

4307「青空ひろば」2026.7.3

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新記事を紹介します。


1783 2026.06.18 

私は、現在の高度資本主義体制は、社会主義体制が信じられないくらいあっけなく崩壊したように、早晩崩れ去ると思っています。なぜなら、このシステムが存続すれば、人を害し、自然を害し、動植物を害し続けることになってしまうからです。

コロナ騒動が、新しい時代を切り開く突破口となるのかも知れません。

日本は世界の「気」がすべて集まっては出てゆくという特別な場で、「世界のひな型」なのですから、お互いに人や政治を非難しあってばかりいないで、みんなで智慧や労力や協力の手を出し合い、痛みも分かち合って「ひとつ」になり、無事にこの困難を収めることが出来れば、それが「世界のひな型」となり、その「日本モデル」が元になって、新しい時代の「人にやさしい、自然にやさしい、動植物にやさしいシステム」が誕生するのではないでしょうか。 

こんな時だからこそ、次のステップのために、しっかり学び、坐禅しましょう。「自分が自分に落ち着くことが出来れば、世界が世界に落ち着ける」のですからね。


1782 2026.06.17 

コロナウイルスで大変なことになりましたね(2021年の原稿です)。

長らく皆さんにお会いできないのがとてもつらいです。私のような高齢になると、1年というものがとても貴重なのです。志を継いでくれる弟子を何とか仕上げて地上を去りたいとあせる気持が出てくるのですね。

神様が『弟子をはやく悟らせよ、育てよ』と、せっつかれるようになったのが不思議だったのですが、こういう事態になって指導のブランクが生じることをあらかじめ見越しておられたのですね。

しかし、私の修行時代を思い返してみると、師は東京にお住まいで、月に一度だけ大阪においで頂いて指導を受けていたのですが、師が色んな事情で何ヶ月も大阪においで頂けなかった時期こそが、私が最も進歩出来た期間でした。

私の場合がそうであったように、皆さんにお会いできなくなってから、「心境が進みました、こういう悟りを得ました」という報告が多くの弟子から届き始めました。驚くとともに、『なんだ、みんな結構やるじゃないか』と喜んでいます。もう大丈夫なんですね。もう自立して自分の足で歩んでゆけるまで育ってきていたのですね。それが一気に見える形で現われ始めたようです。

悟りとは、「自分がありのままの自分に落ち着けるようになる」ことなのですから、師に頼る気持が少しでもある間は本当の悟りにはならないのかも知れません。だから、アナンのように、師の釈迦がお亡くなりになってから悟りを開いたという方が多いのでしょうね。

ですから、こんな時こそ、自己のイノチを充実させ、高める貴重な期間としてください。


1781 2026.06.16 

21世紀は『融合の世紀』です。人と人をつなぐ方向の仕事は上手くいきますが、人と人を離反させるような仕事は、いったんは上手くいくように見えても、きっと行き詰まることになるでしょう。


1780 2026.06.15

『もうだめだ。絶望だ!』と、自暴自棄になるのはあなたの思いこみ、間違いです。

あなただけの力で仕事をしているのではなく、「オーナー神さま」の従業員として、あなたは働いているのだから、困ったときは「神(オーナー)頼み」でいいのです。困った事態の報告を済ませたあとは、神様の責任で、事態を収拾して下さるでしょう。それを信じて、目の前の仕事を精一杯しながら、静かに待っていればいいのです。


1779 2026.06.15

仕事が忙しくて、家族が顔を合わせたり、話しあったり、遊んだりする時間がなく、家庭が冷え切っているなどというのは本末転倒ですね。

父親鳥が一生懸命えさを運ぶ(仕事に精出す)のは、家族を養うため、えさを運び、家族を養うのが喜びなんです。それが、仕事の本来の意義ですね。

それなのに、仕事が大変で夫婦別れをするなんていうのは、いのちの本能に違反する行為です。

そんなお父さんは思いきって仕事をカットして、家族と一緒の時間を増やしてみて下さい。

そうすると、グンといのちの重心がしっかり取れるようになって、そうすると、短時間で効率的な仕事が出来るようになるのです。家族とのいのちの一体感が仕事を後押ししてくれるようになるのです。


1778 2026.06.14 

たっぷり時間をかけたから、沢山仕事をしたということにはなりません。成果は仕事をした時間に比例しないのです。

一生懸命努力しているつもりでも、心が燃え尽きてしまっていては、ちっとも効率があがりません。

私の場合は、『ああ、燃え尽きてきたなあ』と気がついたら、仕事を中断して(こういう時ほど仕事をストップすることが難しいものなんですよね。惰性でズルズル仕事を続けてしまうものです)思い切って坐禅します。

坐禅といっても、力んでするものでなく、坐禅という姿勢(の有効性)を信じてただ坐る『養いの坐禅』です。

そうすると、自然といのちが充電されてきます。たっぷり充電して、『さあ、これでよし!』となったら、再び、戦場(仕事場)へと跳び出してゆくのです。このように、充電しては戦い、イノチを養っては働くという循環サイクルが確立していれば、もう大丈夫です。


1777 2026.06.13 

<sport>という単語は、<dis>+<port>だそうで、<dis>は『離れて』という意味、<port>は『運ばれて』という意味です。

つまり、スポーツとは、日常、現実から離れること、別の世界に運ばれることなのです。坐禅だって、結局『現実世界を離れて、別の次元に運ばれる体験』、そうしてイノチをレフレッシュし、再充電するものなのですから、スポーツの一種といえそうですね。


1776 2026.06.12

『大力量の人、風が吹けばコテンと倒れる(原文:大力量底の人、風吹けば倒る)』という禅語がありますが、風に逆らって踏ん張り続けるのがいいのではなくて、風が吹いてきたら、素直にすっ転んで、風が止むまで、あったかい大地に身を委ねましょうという勇気も必要ですね。何年も吹き続ける風なんてありませんからね。


1775 2026.06.11 

(中学教頭であった時、1年の学年通信に書いた文章です。タイトルは『儚(はかな)さと懐かしさ』です)

冬休みには夏休みや秋休みと違った、独特の雰囲気があります。

年末の大掃除、お正月準備の買い出し、鏡餅やしめ縄を飾り、そして大晦日の紅白歌合戦、年越しそば・・・、年が明けると、初日の出を拝みに出かけ、神社やお寺に初詣、楽しいお年玉など、民族の伝統行事の目白押しです。

私は中学生の頃には、そんな伝統行事を毎年繰り返すことの意味がよく分かりませんでした。おそらくみなさんもそうなのではないでしょうか。

しかし、結婚して子供も生まれると、自分がはるかに遠い過去の祖先から始まって、先輩たちが必死の思いでバトンタッチして繋げてきた、いのちのチェーンの一つの環として、自分も加わったんだなあとハッキリ実感出来るようになりました。

そして、そのいのちのチェーンの最先端の位置にいる者として、先祖の方々や、民族の先輩たちが苦闘努力の末に、それでもやり残してしまったさまざまな課題を、その一部でもいいからなんとか解決して、次の世代にいのちのバトンタッチをしていかなければならない。そのためにこそ私たちはこの現代に生きているんだと理解できるようになりました。

年末、年始の伝統行事に参加することによって、民族の一員であることを再確認し、祖(おや)たちが果たせなかった悲願の達成を誓うのです。 

お正月というと、家族全員が集まって、こたつのなかで、トランプで遊んだり、百人一首に興じたりした、そんな懐かしくも暖かい思い出がすぐ浮かんできます。

しかし私の場合、今や父母も地上を去り、兄弟姉妹も各地に散らばって、もう二度とこういう光景は帰ってきません。

あれはフラッシュライトに一瞬照らし出された、奇跡のような、貴重な体験だったんだなあと、今にしてしみじみ思うのです。

ですから、皆さんにも、二度とない人生のこの時(「一期一会」:いちごいちえ)の家族全員と過ごす貴重な一時を大切にして欲しいと思います。

お父さん、お母さんの手伝いをしたり、思いっきり甘えてみたり、兄弟姉妹たちと仲良く遊んだり、暖かい思い出をいっぱい作りましょう。


1773 2026.06.09 ~ 1774 2026.06.10

<性能がよい心>

心さんは、あなたの人生の夢と現実を結んでくれる存在です。

その中間者(媒介者)としての性質を、私は「ゴムひも」や「乗り物」やスクリーンに映像を映し出す、夢の原画が描かれた「フィルム」などでよく喩えて説明します。

ところが、夢を描いても、なかなか実現しない人もいれば、どんなデッカイ夢でもスイスイ現実化してゆく人もいます。これは、努力の多い、少ないによるのでなく、心さんの性能の良し悪しによるのです。

では、性能の良い心さんとは、どんな心さんなのでしょうか。

ここでは、二つだけポイントをあげておきましょう。

ひとつ目は、「サバサバ心さん」が、性能の良い心さんです。

心さんをタクシーで喩えてみましょう。

運転手さんに行き先を告げます。

その時、ズバリと、何のためらいもなく行き先を告げられますか。行き先を再三再四変更するようなことはしていませんか。これでは、運転手さんは、あなたが本当はどこに行きたいのは分からず、困ってしまいます。せっかくの高性能マシーンが、宝の持ち腐れです。

それから、いったん行き先を心さんに告げたら、あとはお任せです。居眠りしていてもいいのです。「果報は寝て待て」と言うではありませんか。

心さんは全知全能です。宇宙中の町並みや道路を、心さんはことごとく知り尽くしています。だから、あなたが夢のゴールを告げたら、心さんはあなたにとって最適の道筋を選んで、必ずあなたをゴールへと運んでくれます。

ですから、途中の道筋についてあなたが心配したり、注文をつけたりしてはいけません。いったん行き先を告げたら、あとはいっさい口出ししない、そんな男らしい「サバサバ心さん」が性能の良い心さんなのです。明日は二つ目のポイントを説明します。(続く)

ふたつ目は、「ヒロビロ心さん」が、性能の良い心です。

心の広さは、ガソリンタンクの容量です。広い心さんは、いっぱいガソリンが入ります。狭い心さんには、ちょっとしか燃料が入りません。

いっぱいガソリンの入った心さんは、どんなに遠い夢のゴールにでも、楽々あなたを運んでくれます。しかし、心が狭いと現実を脱出して夢を実現するには、エネルギーが不足です。

このように、夢を次々実現して、楽しくて、達成感、充実感のある人生を送るために、サバサバ心、ヒロビロ心を保つトレーニングが必要です。 

般若心経は、サバサバ心さん養成のマニュアルで、法華経は、ヒロビロ心さん養成のマニュアルです。

般若心経については、『劇的に運が良くなるお経』(カドカワ)をお読みください。おかげさまで何度も重版するベストセラーになっています。

法華経については、しあわせ通信第八集『法華経講義-湧喜をもって踏み出すために-』(本心庵)や『くじけない力』(カドカワ)をお読みください。(完)


2026年7月2日木曜日

4306「執着を離れる」2026.7.2

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月18日の記事を紹介します。


「執着を離れる」


私たちは、この地球に来て、何度も生と死を繰り返してきました。

時には

・性別を変え

・国を変え

・貧富の状況を変え

・健康、病弱の状態を変え

・性格を変え 

生まれ変わりを繰り返してきました。 

生と死の間には扉があるために、 

生まれる時に永遠に続く過去の記憶を一旦消してきます。 

また逆に、死に際しては全ての執着を捨てない限りは、

魂は次のステップへ進めません。 

この執着とは、私たちが生きていくうえで、

悩み苦しみの一番大きな原因となるものです。 

・お金に対する執着

・物に対する執着

・今までの生活レベルに対する執着

・仕事に対する執着

・健康に対する執着 

そして家族に対する執着は大変大きなものです。

死の扉を開けようとするのを引き留めます。

・愛する家族と別れたくない

・私が先に亡くなったら、この子は生きて行けるのだろうか? 

ですが、たとえ家族であろうと別個の魂です。

永遠の生において、全く別の道を歩んで来ました。 

また、それぞれが生まれる前に目的を計画し、神さまの許しを得て生まれてきました。

私たちが先に亡くなろうと、彼らは彼らの道を、神様とともに歩んでいきます。

彼らにも目的があり、親との死別も織り込み済みだからです。 

私たちは死とともに、家族に対する、心配・執着を手放し、

神様にゆだねなければなりません。  

縁があれば再び家族となるでしょうし、 

今回の生で学びが終わったなら、死を超えた後、

バラバラになりそれぞれの道を歩むことでしょう。 

私たちが肉体を離れる時、家族への心配・執着を捨てなければなりません。 

そして最後の執着が、自分自身の肉体です。 

生きている間、私たちには生存本能がありますので、生に執着します。 

また、死の先に何があるか分からないために恐れます。

ですが、それさえも、最後の最後手放さなければなりません。 

では、鈴木秀子さんの著書より、死を恐れる人のための言葉をご紹介します。 

少し非物質的なお話になりますので、興味のない方はスルーされてください。

鈴木秀子さんは、クリスチャンでシスターでもあります。

そして臨死体験者であり、神様との直接的な接触、

光体験(神さまとの直接的な邂逅)をされた方です。 

臨死体験をされた有名人も沢山いらっしゃいます。

・ビートたけしさん

・ドリフの加藤茶さん

・GACKTさん

など・・ 

また市川海老蔵さんなどは、NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、

生まれる前の記憶、つまり中間世記憶があると、番組で語っています。 

では、鈴木秀子さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 


臨死体験をした多くの人が、 

「あの世は至福の喜びに満ちた世界である」と言います。

それは死んだあとのことを心配するより、今生かされている自分を大切にして、 

死を恐れるより素晴らしい世界に行くんだと、喜んで待ち望んでいるほうが、

よほど幸せに生きられる。

不安と恐れで今、この与えれらている命を汚染するというのは

無意味なことです。 

<引用終了>

鈴木秀子さんの臨死体験とは以下のような感じでした。

<引用開始> 引用元 


◆光との出会い◆

それは人格を持つ命そのものの光であり、深い部分で、自分とつながり、 

交流している生きた光なのでした。

これが至福なのだ、完全に自由なのだ、と私は感じていました。

この命そのものの光の主に、私はすべてを知りつくされ、

理解され、受けいれられ、許され、完全に愛しぬかれている。

しかもその満たされた光の世界には、時がないのです。 

あっ、これが永遠なんだと私は思いました。  

この光が生命であること、光の生命であることに、

多少なりとも疑いを抱く人は、一人もいない。

この光は単に人格を備えた生命であるばかりでなく、

極めて明確な個性を持っている。

死へ接近している人に対して、この生命から発散される愛と恩情は、

ことばで到底説明しきれないものであり、 

彼らはこの光の生命に完全に包みこまれ、保護されていると感じとり、 

すっかりくつろぎ、この生命の存在を受け入れる。 

彼らは、この光に抗し難い磁力を感じ、吸い寄せられるように引きつけられる。


◆「悟り」体験◆

稲や土、光や風、自然界のありとあらゆるもの、

大宇宙のさまざまなものがすベて、素晴らしい秩序の中にあって、 

それぞれが一つひとつの役割を果たして調和している、そうして燃えている。   

それは閃きに似た強烈な感動でした。 

大宇宙との一体感を、頭ではなく、からだ全体で、

魂の深みで悟ったような感じでした。

<引用終了>

確かに鈴木秀子さんが仰るように、この臨死体験からは、 

「あの世は至福の喜びに満ちた世界である」と言えますね。

そうであれば、もう死など恐れる必要はなくなります。

そして今の生活に集中することができます。

「不平」「不満」「愚痴」「泣き言」「悪口」「文句」を言わない。

感謝と笑顔で日々生活する。

お互いさま、お陰さまの気持ちで、周りの人々と調和して過ごす。など

私たちが死んだ後、上記の臨死体験のような至福の世界に戻り、 

そして再びまた戻ってきます。

命、魂は永遠ですから、死んだら全てが無くなる・・ 

と恐怖心を持つ必要もありません。

どうせ、行先は至福の世界ですから、私たちの永遠の生命体が、

肉体をまとっている一瞬の間は、あがいたり、もがいたり、するかもしれないけれど、 

精一杯、生を全うしたいものですね。 

私たちの魂は永遠に存在するものであり、 

死ぬことは、魂が、元居た場所へ戻ることです。 

元居た場所とは、いつも神さまを、そば近くに感じることができる 

至福の場所、つまり天国です。 

今、いっときだけ、魂を磨き、光り輝かせるために 

敢えて  自分から、苦労や、困難、悲しみ、苦しみの中に

身を投じているだけです。 

何故なら、その中でこそ、私たちの魂は

本物の輝きを手に入れることができるからです。 


2026年7月1日水曜日

4305「陰徳と悪徳」2026.7.1

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月17日の記事を紹介します。


「陰徳と悪徳」


今日は、春日大社宮司であった葉室頼昭さんの

「神道 いきいきと生きる」より

「陰徳を積む」というお話をご紹介します。

 <引用開始> 引用元

生物のいのちが続くというのは、 

・伝え、

・順応し、

・待つ。 

この三つで生物は進化を続け、

いのちを伝えています。

この伝統を伝えるということ、

そしていろいろな厳しい環境に順応し、

去っていくのを耐えて待つことが必要なのです。 

しかし人間はそれだけではありません。

人間が何のためにこの地球上に生まれたのかということが重要なのです。

人間は他の生物とはまったく違った目的で誕生したのだと思います。

つまりそれは神の世界を見て、 

こんなに素晴らしい美の世界だということを表現するために、

神様は人間というものを産み出されたのだと私は考えています。

それは人間だけが優れ、

他の動物が下等というのではありません。

ただ人間は、

この目的のために進化を続けているということです。

そして人間の場合、ただ進化しただけでは、

いのちは伝わっていかないのです。

そこに「徳」というものが必要だと私は思っています。

とくに日本人はこの徳を積まないと、

いのちが子孫に伝わっていかない民族だと思うのです。

しかも陰徳という徳です。

この陰徳を積んできた家が今続いているのであって、 

陰徳を積んでいない家は、

いのちというものが続いていないように見受けられるのです。

私は小さい頃よりおふくろから、

「陰徳、陰徳」と耳にたこが出来るくらい聞かされて育ちました。

友だちのために一生懸命にやって、

友だちが何も感謝してくれないこともありました。

その話をすると、「それでいい。それが陰徳です。それが子供に伝わっていくから、

それはそれでいい。むしろ感謝されないほうがいい」と言われ、

わけもわからず、そんなものなのかなと聞いてきました。

その意味がいまこの年になってようやく分かってきたのです。

普通、人はこれだけ尽くし世話をしたのだから、

感謝してほしいと思うことがよくあります。

しかしそうすると、もうそれは陰徳ではなくなってしまうのです。

感謝や見返りをいっさい求めない。

人の喜ぶことをしていれば、それが一番いいのです。

そういうことの積み重ねが陰徳になり、

やがて子々孫々にまでその余徳が及んでいくのです。

この陰徳と関連して、大きな努力と小さな結果ということも大切なことです。

大きな努力をして小さな結果を望みなさい。

この逆をやって小さな努力で大きな結果ばかりをもらっていると、いずれ滅びてしまいます。

例えば、百万円を儲けるために、Aという努力をして百万円儲かるんだったら、

その何十倍も大きなBという努力をして、そして百万円を得るようにしなさい。

そうしたら陰徳で栄える。こういうことなんですね。

それは努力のわりに儲けが少ない。

しかし、そうしたらその分、徳を積んで、続いていくのです。

この世の中というのは、栄えるというのではなく、

続くということが一番大切なことなのです。

会社がどんなに儲かっていても、潰れてしまっては元も子もありません。

何ごとも、いかにしたら続くか、ということを第一に考えるべきなのです。

<引用終了>

自分で積んだ徳は、何倍にもなって、

自分だけではなく、子供や、孫などの子孫、 

そして時間をさかのぼって、先祖までにも良い影響を及ぼすといわれています。 

人の心は、 

・時間

・空間(距離)

・次元 

を全て包括するだけでなく

・見えている世界

・見えない世界 

までをも内包する偉大な世界だからです。 

これとは逆の悪徳、 

これは自分さえよければ、他人はどうなろうと構わない 

そういった

・今だけ

・金だけ

・自分だけ 

の心であり、 

俺が俺が・・・

私が私が・・・ 

と感謝や見返りを求め、

自分だけが特別扱いされたい意識です。 

これは陰徳とは全く逆の方向性を持っていますから、 

自分や子供、孫、子孫、先祖に跳ね返ってくるものも、

逆の効果を生み出します。 

明治までの日本人は、自然体として、この陰徳の心が根付いていたそうです。 

ですが、文明開化と称し、西洋の物質文明、白か黒か? 

大きいことは良いことだ、自然を征服して幸せを手に入れる・・ 

このような思想が入ってきました。 

この時代、江戸末期から明治にかけて、

古くからの日本の神々は、日本人の精神に危機感を抱きました。

ですので、この時期に沢山の神々の動きがありました。

天理教、金光教、黒住教、大本教、生長の家など、 

明治になって150年、日本は令和の時代を迎えました。 

陰徳の心を自然の心として持っていた日本人の精神は、

もしかしたら、時代の潮流を変えられるかもしれません。

今は隠れていても、私たちの身体には祖先のDNAが、しっかり組み込まれています。 

心を祓い清め、神々に連なる精神を復興していきたいものですね。

そして生きとし生けるもの、皆が笑顔で幸せになりたいものですね。


2026年6月30日火曜日

4304「空海の優しさ」2026.6.30

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月16日の記事を紹介します。


「空海の優しさ」


人間は、この地球に、魂の仲間たちと、劇を演じに来ているのだそうです。 

生と死を、何度も繰り返し、役割を変えながら、

何度も何度も、地球に転生してきます。

さらに、今の私たちの姿は、今演じている劇中での役割にしかすぎません。 

それが、私たちの全てではありません。 

別の劇が始まれば、一瞬にして、

性格も、個性も、身体の状況(健康、病気、障害、容姿)、資産の状況も変わります。 

これは多重人格の人の姿を見てもわかります。 

人格が入れ替わった途端、 

・言葉

・体つき

・顔つき

・病気/健康、ケガの治癒

・障害

・興味の対象

・性格 

全てが一瞬で変わります。 

同じ身体であるにも関わらずです。

ということは、自分の意識次第(考え方、物のとらえ方)で、 

意識が変わることで、物理的な事項も含め、

全てを一瞬で変えることができるということです。 

以前記事にもしましたが、大竹しのぶさん 

あまりに全身全霊の演技派女優であるがゆえに、憑依型女優ともいわれています。

演じる時に、まさに、その人物になりきって演技するからです。 

ある日彼女が、少年の役をした日、整体に行ったそうです。 

その時、女性整体師さんに

「股間に異物がある」と言われたそうです。 

つまり、完全に役になりきった故に、少年の身体になったのです。 

つまり、私たちは、意識(思い)を切り替えることで、 

一瞬で別の人格になることができるのです。 

人格が変われば、それに伴って、周りの環境も、がらっと変わります。 

今の性格、身体は、私たちが演じている役割の姿、

そして、それが永遠に続くものと思っています。 

昨日も、今日も、明日も、、 

それが幸せな境遇なら、まだしも、もし、人を憎み不幸であるならば、

意識(思い)を変えることです。 

自分は 

・優しくて、

・思いやりがあり

・愛にあふれ

・健康で

・周りの方々に感謝しており

・お互い様

・おかげ様で

・助け合って生きている 

昔も今も、実はそんな人間だった。 

と意識(思い)を変えるだけで、役割を自分で変えるだけで、

その瞬間から、新たな人格を生きることができます。

そして、心が、自然に現実を作っていってくれます。 

それは、まさに、神様が、私たち人間に、

神様と同じ能力を与えてくださったからです。 

ただ、その真実が隠され、秘密にされてきたので、 

多くの人が、自分の能力に、気づかなかっただけです。 

空海は、このように仰っています。

「即身成仏」についてです。

私たち人間は、その心次第で、生きているうちに、

極楽に住むことができるんだよ・・

この即身成仏について、作家の佳川奈未さんの意訳をご紹介します。

<転載開始> 転載元 

人は着の身 着のまま、ありのままの自分でいても、

愛と慈悲を差し出すことで、即 仏になることができる。

仏性は つねに 人の中にあるからこそ、探し回る必要もなく、

遠くに求めに行くこともない。

ただ、あなたが優しさがなんなのかを知っており、

それを 目の前の人に、そっと 差し出すならば、

あなたが人の痛みを知っており、

それを目の前の人を癒すものとして、

あたたかい言葉をかけるなら、

それこそが仏の姿の現れだからです。

愛と慈悲 すなわち 仏性は 

頭で 理屈として 理解するときではなく

わが身をもって 実践するとき

花ひらきます

<転載終了>


やはり、空海自身も私たちの内には、

神さま(仏性)がいらっしゃると仰っています。

具体的に空海が言った仏性とは、内なる大日如来のことです。

そして空海が仰るには、

・人の痛みを知っていること

・優しさがなんなのかを知っていること

だそうです。

すなわち、私たち自身が、その痛み、苦しみ、辛さの中に、

一回身をおいて経験してみなければ、本当に理解できない心です。 

私たちは、とかく人生の 

・悩み、

・苦しみ、

・辛さ 

などを、避けて通ろうと、もがき苦しみます。

ですが、その経験をするからこそ、人の痛みが理解でき、

人の優しさも、感じることができるのですね。

皆さんもぜひ、空海の教えてくださった 

「幸せになる秘密」、生きているうちに、 

「極楽に住む方法」を実践なさって見てください。 

目の前の方に、微笑みかけ、 

優しさと慈しみの心を、差し上げて下さいませ。 

私たちは、どんな人も、 

・誰に頼らずとも、

・神仏の奇跡や不思議に頼らずとも、

私たちの心は、もう神さまと繋がっています。 

自立しています。

どうぞ、内なる神さまのこと、

ちょっとだけ思い出してみてください。

幸せへと繋がりますから。


2026年6月29日月曜日

4303「子供たちの巣立ち」2026.6.29

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月15日の記事を紹介します。


「子供たちの巣立ち」


私も含め、たいていの親は、何時まで経っても子供を心配します。 

なまじ長く生きているがゆえに 

・ああしたほうが良い

・こうしなさい 

と、何とか子供たちが失敗しないように、

より楽な道を歩めるように、

心を隅々まで砕いていらっしゃる親御さんも多いことでしょう。 

つい心配で、色々な細かなアドバイスと言う名の、

余計なおせっかいをしてしまうかもしれません。 

ですが、それは私たち親とは別の魂を持ち、

別の目的を持って地球に生まれた子供たちの魂の成長にとって、

非常に大きな障害となってしまうかもしれません。 

もしかしたら、子供の人生を台無しにしてしまうかもしれないほど、

大きな過ちかもしれません。

では、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の子供、

小学生の神様、トキ君のお話を基に書きたいと思います。

私のブログでずっと書いてきたことと同じことを話しています。

このお話は以前も載せたのですが、

この時期に必要と感じましたので、追記して再掲します。 

子供について書いていますが、

子供だけでなく、身近な人たちに対しても、同じことです。

※下記の文章の「子供」を、その身近な人の名前に置き換えてお読みください。

下の映像の中で、山幸彦が人間に伝えたいこととして、

子供の育て方について話をしています。

トキ君はこんなことを言っています。(一部補足)


私たち親は

・勝手に子供の先回りをして

・勝手に心配をして

・勝手に期待して

・勝手に親のエゴを押し付けてきました

きっと、そんな親に子供たちの魂(本体)は

どんなに悲しんでいることでしょう。

何故なら、地球への誕生をワクワクと目を輝かせて

期待に胸を膨らませて生まれてきた子供たちの人生ストーリーは、

・親のエゴやミエのため、

・親の思い通りの人間になるための人生とは全然違っているかもしれないからです。

子供たちの魂は、きっとこう言っていることでしょう。

お願いです。

神さまと約束してきた花を、ここで咲かせてもいいですか?

・子供たちは自分の力で生きていく力を、予め神様から頂いて生まれて来ている

・親が自分のエゴやミエで心配し、先走りし、レールを引いて教えてしまうと、

 自分で考えることができず、計画してきた経験もできず、

 魂の糧にもならい。

 考える力、感じる力が身に付かない

 教えれば教えるほど、これからの長い人生航路を渡っていく力がそがれてしまう

・自分で経験するからこそ、魂の糧となり、教訓を身に着けることができる

・そのために、生まれる前に、その経験(一見、誤りに見える道)を人生に計画してきた

・親は、子供を信じ、子供のやりたいことを、周りで愛を持って見守るだけ

・親は親で自分の人生を笑顔で楽しむこと

・親が自分勝手な考えで子供を誘導しなくとも

 計画してきた時期になれば、子供は気づき、行動を始める時が必ず来る

・親が先回りしてしまうと、それが出来なくなってしまう。弱い魂になってしまう。 

また別の動画では、「親の心配」についてこうも言っています。 

<以下抜粋>

心配は愛ではなく、心を縛ること、鎖につなぐこと

(トキ君にとっては、犬の首輪・鎖のように見える)

心配ばかりしていると、それが本当に現実化してしまう

なぜなら私たちの想いは、思い続ければ、叶ってしまうものだから。

だから心配することは「愛」ではない。

お金のこと、病気のこと。これを心配するのも「愛」ではない

・お金のことを心配し過ぎるから、お金が来ない

・病気などの心配し過ぎは、お金と逆でそれを引き寄せてしまう

・病気のことを心配すればするほど、仲間の病気を連れてやって来る

理屈ばかりを言い立て、怒ることは「愛」ではない

何時までも、昔のことを水に流さず、繰り返しネチネチ怒る人にも「愛」はない

「愛」とは相手を信じ切ること

人間は思ったことが、無意識に願いとなり、叶ってしまう 

<抜粋終わり>

私たち親は、肉体を持っていますから、目に見える姿かたちに囚われ・・

子供たちの魂がどのような目的を持って生まれて来ているかを知りません。 

私たちは、情を持っていますから、

なんとしてでも(どんな手を使ってでも)子供たちに幸せになって欲しくて 

手を出し、口を出してしまいます。 

ですが、それは子供の魂にとっては恐ろしく有害です。 

・例え心配であっても、

・子供たちを信じ、

・あれこれ口を挟まず

・子供たちの自由に任せ 

そっと回りで見守ってあげるのが一番良いことかもしれません。 

これは子供だけでなく、周りの方に対しても同じです。

・そのまま行ったら失敗する

・不幸になる 

そう思っても、もしかしたら、その魂は

失敗から学ぶために、

その道を選んでいるのかもしれません。 

また、魂にとっては方向を変える時期と言うものが存在します。 

気運が満ちなければ、周りが何を言っても、通じません。反発を買うだけです。 

依存性を増すだけかもしれません。 

私たちができることは、自分のことだけです。 

例え家族であっても、親しい友人であっても、

情を持ってして、変えることはできません。 

それであれば、私たちができることはただ一つ。 

私たち自身が、自分の心を洗い、

身近な周りの人々と、笑顔で助け合って生きていくことだけです。 

私たちが感謝の清らかな心に満たされて

・例え生活は苦しくとも

・厳しい人間関係の中に置かれていようとも

笑って過ごしていれば、神さまの道を進んでいくこととなり、 

その美しい波動は宇宙中に広がって

同じ心の人たちに囲まれて生きていることに気づくことでしょう。

私たち自身の心こそが、私たちの住む 

・見える世界

・見えない世界 

までも決定し、作り出しているからです。 

決して

・どこかの神様や

・自分には不思議な力があると自慢する人 

が助けてくれるわけではありません。