2026年5月17日日曜日

4260「愛された証」2026.5.17

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月04日の記事を紹介します。


「愛された証」


今日は鈴木秀子さんのお話をご紹介します。 

鈴木さんは、聖心女子大学の教授をやっていらっしゃった方です。 

<引用開始> 引用元 

もう随分前のことなので記憶が曖昧ですが、

私がアメリカの愛情をもらったで教鞭を執っていたとき、

同僚の友人から聞いたお話があります。

スラム街で育った少年とその担任の先生のお話です。

その女性の先生は、少年が4年生のときの担任でした。

クラスの中でその少年だけどうしても好きになれませんでした。

なぜならいつも汚い格好をしていて、授業中はいつも居眠りをしていたからです。

何を言っても反応がないし、疲れ果てたような顔をしていたのです。

ある日、「この子さえクラスからいなくなれば」と思いながら過去の学籍簿をめくってみました。1年生のときの学籍簿には「優秀で素直ないい子。この学校の誇りです」と書いてありました。

先生は驚いて、今度は2年生のときの学籍簿を見てみました。

そしたら「お母さんが病気になり毎日が大変らしい。

それでもめげず、よく勉強しています」とありました。

しかし、3年生の学籍簿には「母親死亡。

父親がアルコール中毒になった」と書いてあったんですね。

それを見て先生は、10歳の男の子がどんな毎日を過ごしているか、

その背景など想像もしなかった自分の感受性の足りなさを思い知らされました。

その日は、翌日から長期休暇に入るという日でした。

先生は少年に言いました。

「先生は休みの間、学校に来る日が多いから、

もし家にいるのが大変だったらここに来て勉強する?」と。 

そしたら彼の目がぱっと輝いたというんです。

少年は休みの間中、学校に出てきて、先生の机の横で勉強をしました。

分からないところは先生から教えてもらいました。

あるとき、少年がふと「今日は僕のお誕生日なんだ」と言ったんです。

その子にとって心を開く最初の扉だったと思います。

病気になったお母さんの面倒を一生懸命みていたのに、

お母さんは死んでしまい、お父さんはアルコールに溺れている。

「いじめられるよりも、無視されるほうがつらい」といいますけど、

そんな中で先生が声を掛けてくれて、

少年は自分が先生に受け入れられたと思ったので、そんなことを言ったのでしょうね。

夕方、先生は小さい花束とケーキを持って少年の家を訪ねました。

汚れた暗い部屋に一人ぽつんと座っていた少年は、

先生の姿を見て子どもらしい笑顔を見せました。

しばらくして先生が帰ろうとしたら、少年は部屋の奥から小さいビンを持ってきました。

「これ、先生にあげる」と言って差し出したビンは、

ふちが蝋(ろう)で閉めてありました。 

先生はそれをもらって帰り、蓋を開けてみました。

中は香水でした。お母さんが使っていた香水だったのです。

きっと彼にとって唯一の宝物だったのだと思います。 

先生は香水が逃げないようにまた蝋を垂らし、きちんと蓋をしました。

学校が始まってからも、少年は勉強を続け、成績がどんどん伸びていきました。

そしてその子が6年生になるとき、先生の転勤が決まりました。

しばらくして、先生はその少年に手紙を書きました。

しかし、なかなか返事が来ませんでした。何となく気にはなりながら、

もうその少年とは縁が切れたような気持ちでいました。

そんなとき、一通の手紙が来ました。そこにはこう書かれてありました。

「先生のおかげで高校に入学できました。

奨学金をもらえたから、とてもいい高校に行くことができました」

3年後、今度はカードが届きました。

「父はまだ大変な状態ですが、

父から離れて寄宿舎に入って高校を無事に卒業することができました。 

卒業後は○○大学の医学部に進みます」と書いてありました。

先生は「もうこの子は大丈夫だ」と思いました。

そして、10年近く月日が流れ、少年のことを忘れかけていた頃、

一通のきれいな封書が届きました。それは結婚式の招待状でした。

「先生のおかげで僕は医師になり、

すてきな人と結婚することになりました。ぜひ結婚式に来てください」 

先生は感動して、しばらく手紙を握りしめたまま、その場に立ち尽くしました。 

結婚式の日、先生は大事にしまっていたあのビンを出してきて、

蝋を切って蓋を開け、底のほうに少しだけ残っていた香水をつけました。

式場へ行くと、立派な医師に成長したあの少年がハグをしてくれました。

かつての少年の姿が先生の脳裏によみがえり、

「よくぞここまで頑張ったね」と心の底から祝福の言葉を贈りました。

彼は先生を抱きしめて、嬉しそうにこう言いました。

「あぁ、お母さんのにおいだ」

そして、「お母さんが生きてたら、お母さんに座ってもらう席でした」と言って、

自分の隣の席に先生を座らせたそうです。

私は、本当につらい人とは、 

「自分は愛情をもらえなかった」という思い込みのある人だと思っています。

「人生は5歳までで決まる」という言葉もあります。

どんなに家庭環境が貧しくても、生まれてから5年の間に十分に愛情をもらうと、

「生きるっていいことだな」という感覚を持てるのです。

でも、子どものときにつらい生活やつらい体験をしていると、

「生きることは苦しくてつらいんだな」と思い込んでしまうのです。

それを取り去ることは難しいです。

でも小さいときに愛情をもらわなかった人は

一生そうかと言うと、絶対そんなことはないんですね。

自分が小さいときに思い込んだことを引きずっているだけなのです。

あなたが大人になったという事実は、十分愛情をもらっていた証なのです。 

それがたとえ母親でなくても、どこかで誰かが愛情を与えてくれたから、 

大人になることができたのです。 

<引用終了>


その人の今の見た目。

何故、そうなったのか背景を感じることのできない感受性の無さ。

私たちは、みんながそうかもしれません。 

目の前の状況だけを見て、決してその背景にまで、考えをめぐらすことはありません。 

ですから、すぐさま、好き嫌いでジャッジし、レッテルを張ってしまいます。 

ですが、その態度は、

もしかしたら、生まれて来た目的遂行のために 

無意識のうちに敢えて、憎まれても、その役を演じているからかもしれません。 

また、その時、たまたま体調が悪く

そのようなぶっきらぼうな態度をとってしまったのかもしれません。 

鈴木さんは仰います。 

あなたが大人になったという事実は、十分愛情をもらっていた証なのです。 

私たちは、とかく、「無いもの」ばかりに目が行き、

「今あるもの」は目に入らないようです。

私たちは、

九つまで満ち足りていて、 十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、 

まずその不満を真っ先に口からだし、 文句をいいつづけるものなのかもしれません。

人も、人と関わる動物も、植物も、愛情なしでは長く生きられません。 

今迄、一度も優しくしてもらったことなどなかった 

そう思える人生でも、振り返ってみれば、どこかで、誰かに

必ず、気にされ、優しくしてもらったことがあるはずです。 

覚えていないだけかもしれません。

もしかしたら、それは見えない存在かもしれません。

そして何より、どんなに絶望的に見える人生であっても

必ず、神様は常にともにいらっしゃり、見守ってくださっています。

また神様は、どこかに必ず優しく見守る存在を準備してくださっています。

どんな人にでも、神様は希望の灯を用意してくださっています。 

感謝の心さえ失わなければ、必ず神々の恩寵が現れることでしょう。


2026年5月16日土曜日

4259「おかげさま」2026.5.16

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月03日の記事を紹介します。


「おかげさま」


心のお話です。

私たちの心は強力で、広大です。

見える世界、見えない世界を包み込んでいます。

例え、神様・仏様、能力のあるとされる方が、

一瞬にして私たちの境遇を引き上げたとしても、私たちの心が変わらなければ、

またすぐに同じ世界に戻ってしまうことでしょう。 

それに引き換え、心の中に感謝の気持ちを持つことができれば

私たちの境遇は一瞬にして変わってしまうことでしょう。 

空海が仰るように生きながら天国に住むものとなります。 

さて今日は、お陰様に付いてご紹介します。

謙虚で優しい気持ちです。

前ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの言葉です。

<引用開始>

小さなお子さんの手を引いて、

一人のお母さまが水道工事の現場の傍(そば)を通りかかりました。

暑い夏の昼下がりのことでした。

お母さまは坊やに向かって、 

「おじさんたちが、汗を流して働いてくださるから、

坊やは、おいしいお水が飲めるのよ。

ありがとうと言いましょうね」

と話してやりました。

やがてもう一人、同じように幼い子の手を引いて、別の母親が通りかかりました。

「坊や、坊やもいまから一生懸命にお勉強しないと、

こういうお仕事をするようになりますよ」 

と言ったというのです。

同じ仕事に対して、こうも違った考えがもてるものでしょうか。

最初の母親は、この日、子どもの心に、 

労働に対しての、尊敬と感謝の気持ちを育てました。


二番目の母親は、

(手をよごす仕事、汗まみれの労働)に対しての、恐ろしいまでに誤った差別観念を、

我が子に植えつけたことになります。

私たちがいま、子どもと一緒にこの場にいたとしたら、

どんな会話を交わすことでしょうか。

会話以上に大切なのは、どんな思いを抱いて、

働いている人たちの傍を通るかということなのです。

人は、自分がもっていないものを、相手に与えることは出来ません。

感謝の気持ちを子どもたちの心の中に育てたいならば、

まず親がふだんから「ありがとう」という言葉を

生活の中で発していることが大切なのです。

近頃の学生たちで気になることの一つは、

いわゆる〈枕詞(まくらことば)〉のようなものを習ってきていないということです。

例えば、「お元気ですか」と尋ねると、

「はい、元気です」という答えは返ってきても、 

「おかげさまで元気です」という返事のできる学生が、

以前と比べて少なくなりました。

遅刻して教室に入ってきた学生が、 

授業の後で、「遅刻しました」と、名前を届けにはきても、

「すみません、遅刻しました」という枕詞がつかないのです。

「お話し中、すませんが」とか、

「夜分(やぶん)、失礼します」という挨拶のできる学生も少なくなりました。

いずれにしても、言葉が貧しくなっています。

そして、それは取りも直さず、心が貧しくなっている証拠なのです。

せめて、「おかげさまで」という言葉と心を、生活の中に復活させましょう。

理屈っぽい人は、

「何のおかげですか」と言うかも知れません。

何のおかげでも良いのです。

この表現は、私たちが実は、一人では生きられないこと、

たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れなのです。

見えないものへの感謝なのです。

ところで、本当にありがたいこと、

何でもない時に「おかげさまで」と言うのは比較的に易しいのですが、 

不幸や災難に遭った時はどうしましょう。

そんな時にも、「おかげさまで」と言える自分でありたいと思っています。

ごまかすのではなく、不幸、災難、苦しみをしっかりと受け止めながら、 

「いつか、きっとこの苦しみの〈おかげさまで〉と言える自分になりたい、

ならせてください」と祈る気持ちをもっていたいのです。

<引用終了>

子どもは親や教師の「いう通り」にはならないが、

「する通り」になる。

そう渡辺さんは仰います。

このたとえ話では、

親の価値観が、子どもの価値観を作る・・ 

ということが良く描かれています。

私たちの日々の何気ない一言、

行動を子どもたちは本当によく見ています。

そして、ものすごい早さで吸収していきます。

親だからといって、

100%完璧な人間になることは不可能ですが、

「お手本」になるために、

少しだけ意識してみることはできるかもしれませんね。


2026年5月15日金曜日

4258「子供の人生は子供のもの」2026.5.15

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月02日の記事を紹介します。


「子供の人生は子供のもの」


もし自分が親であれば、子供たちは、 

・親が守ってあげるべき

・親が正しい方向に指導すべき

・何もわからない子供に代わって、将来を見据えた道を進ませるべき 

そうしなければ 

・壊れてしまうかもしれない

・悪い道に進んでしまうかもしれない

・遊んでばかりいて勉強しないかもしれない

・生涯、貧乏暮らしかもしれない

・ケガをするかもしれない 

などと思うかもしれません。 

ですが、

・障害を持って生まれるのも、

・病気になるのも、ケガをするのも、

・第一志望を落ちて、第三志望に進むのも

・勉強嫌いだけれど、人懐っこい性格も 

みんな、自分たちで、その経験がしたくて

生まれる前に、神様と相談して、そのような人生を決めてきました。

・病気になってかわいそう

・勉強ができなくてかわいそう

・早くに亡くなってかわいそう

それは、もしかしたら親の目から見た、親だけの、

独りよがりの価値観の押し付けかもしれません。 

子供たちは、その経験がしたくて生まれてきました。 

もしかしたら、たとえ体は小さくとも、

親の私たちよりも、遥かに進化した魂かもしれません。 

もし、そうであるなら、親の私たちの近視眼的な価値観の押し付けで、 

子供たちは、生まれて来た目的から、はるか遠くに離され、息苦しく、生きづらく、

魂は泣いているかもしれません。

手塚治虫さんの例をご紹介します。

小学校時代、マンガを授業中にノートに書いていた手塚さん。

母親は呼び出しを受け、先生に注意されます。

その後、母は息子のマンガを読んで、

「おもしろい第一号のファンになりました」と言って褒めてあげたそうです。

また手塚さんが医者を続けるか、漫画家になるか悩んだ時、 

母は、「あなたが選んだ方を応援します」と言って励ましてくれたそうです。

母親から、「いつも肯定されている子ども」は、自分の関心事を否定されないので、

自分の才能をスムーズに開花させることができます。

母親が「あなたは、そのままでいいのよ」と受け入れていくと、

子どもは個性的に、伸び伸びと育ちます。 

次に生まれる前の記憶(中間世記憶)を持つ りお君のお話を紹介します。 

<引用開始> 引用元 

りお君は心臓病と喘息があり、入退院を繰り返している5歳のお子さんです。

お母さんが

「どうして心臓病を持って生まれてきたの」と聞いたところ、

「そのほうが面白いと思ったから」という唖然とする返事。

「喘息になったのはどうして?」という問いかけには

「だって、治すのが面白いから」だったそうです。 

すなわち病気は自分で選んで、それを治すのが面白いから、というのです。

<引用終了>

 

りお君のお母さんは、こう仰っています。 

「先天性の病気ということで、私は辛い気持ちを引きずっていました。

けれど、りおにそう言ってもらって、気が楽になりました。

それに、喘息も治せるはずだって、明るい気持ちになりました。

りおが病気で生まれたため、本当に大変でした。

けれど家族の支えがあったから乗り越えられましたし、

沢山の経験を積ませてもらいました。

りおのおかげで出会った、病気と共に生きる子どもたちのことを、

私は決して忘れないでしょう。

りおは、生きていること自体が奇跡なのだということ、

そして家族の大切さを、気づかせてくれました。 

私たち親は、自分が苦労した道を、子供たちには歩ませたくないと

・楽な道

・人よりも優秀であること

・人よりも稼げる道

・健康であること

を良しとして、苦労させまいとします。 

ですが、何も苦労の無い人生を、親の都合で無理やり過ごさせて・・ 

果たして、天国に帰った時、子供たちは、

幸せを感じることができるでしょうか? 

一見苦労に見えること、避けて通りたい経験から逃げてばかりいて、 

魂は幸せを感じられるでしょうか? 

苦労の末に気づいた 

・何気ない日常の大切さ

・人々の優しさ、思いやり

・一緒に苦労を共に乗り越えた人々との友情

・別れの悲しさ、寂しさ

・恋した時の高揚感

・沢山の喜び悲しみを経験して培った家族の絆

・病気になったから理解できた、同じ立場の人々の心

そんなことを経験したくて、子供たちは、自分の人生のドラマの中に 

沢山の、

・一見苦労に見えること、

・回り道に見えること 

そんなことを仕込んできているかもしれません。 

可憐なタンポポであるお子さんに、 

「さぁ、バラに成りなさい」と言って、無理強いしても、 

子供の心を傷つけ、萎縮させ、枯れさせてしまうだけです。

私達親にとって出来ることは唯一、成長は本人に任せ、

笑顔で、お水をあげたり、日に当ててあげることだけかもしれません。

子供の人生は、子供のもの。 

私たち親は、子供たちを信じてあげたら、

干渉せずに、もうご自分の趣味や、楽しみに没頭し、

その楽しそうな後ろ姿を、子供に見せてあげることが大切なのかもしれません。


2026年5月14日木曜日

4257「心の方向性」2026.5.14

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月01日の記事を紹介します。


「心の方向性」


この宇宙は協調・共栄・調和でできています。

誰かが自分のために、自分は誰かのために

と皆助け合って、ともに永遠に変化し続けています。

進化し続けています。

私たちの身体の中で各細胞たちも

「自分が、自分が」と自分本位の自我丸出しではなく

自分自身の務めを渡し、務めを果たすことによって他の助けとなって、

調和して動いています。

振り返って、私たちが神社仏閣に行って

・神様お願いします

・これをしてください

・あれをしてください

そういった欲望丸出しのお願いをしていたら

祈られた方の神様はどんな気持ちでしょうか?

憐れんだ神様は手を差し伸べてくださるでしょうか?

その状況から一瞬で救い出してくださるでしょうか?

たとえ、神様が憐みから、救い上げてくださっても

その直後は幸せを感じるかもしれません。

ですが、本人の心は何も変わってはいないのです。

その苦しみ悲しみを引き寄せた状況

つまり自分の心の状態が何も変わってはいないのです。

そのような状況で、たとえ一瞬救い出されたとしても

時が経てばまた同じような状況、

苦しみ悲しみが訪れてしまいます。

なぜなら私たちは神様に似せて作られ、神様と同じ能力、

つまり心に思ったことを全て自分の目の前に創造・実現してしまうからです。

せっかく神様が救ってくださっても、

私たちの心が変わらなければ、

再び同じ苦しみに囚われてしまうことを、

神様はもちろんご存じです。

私たち自身の心が変わらない限り、たとえ神様といえども、

手の出しようがないということです。

これと同じことが先祖供養にも言えます。

自分が苦しいからと、

ご先祖に対し無理難題の欲望をぶつけたら、

ご先祖はどんな気持ちでしょうか?

ましては、神様の道から外れてしまい、

暗く、地獄のような世界にいらっしゃるご先祖なら、どう思うでしょうか?

自分が助けて欲しいのに、子孫が自分勝手な、

自分だけの欲望丸出しのことをお願いしてきたら、

自分の方こそ、助けてほしいと、へそを曲げるかもしれません。

私たちは神社仏閣で、

・祈るときも

・先祖を思う時も

不平、不満、愚痴をぶつけるのではなく、

感謝の気持ちをお伝えしたいものです。

神様や、先祖をを思いやること。

この姿勢は本当に何事においても大切なことです。

感謝の心を持つ時、私たちの心は神様の光で満たされます。

それによって、私たちの運命が少しずつ、少しずつ好転していきます。

不平、不満、愚痴、自分の欲望ばかりを口にしていては、

心は暗く真っ黒くなるばかりです。

決してその状況が改善することはないでしょう。

欲望をぶつけられた神様も、

ご先祖も暗い気持ちになることでしょう。

全ての運命・出来事は、この心の方向性によって変わってきます。

普段の生活の中で、この心の方向性を意識するだけで、

ずいぶんと運命が開けてくるはずです。 

それは自ら自分自身を救うように、

自分の足で立ち、自分の意志で心を決め、

そのように行動したからです。

ぜひ静かなところで、

今の自分の心の中を少しのぞいてみてください。 



2026年5月13日水曜日

4256「これからの日本での生き方を考えてみる」2026.5.13

今回はIn Deepさんの2026年5月3日の記事を紹介します。

「これからの崩壊がどんな様相を呈するのかは不明ながら、ソビエト連邦崩壊時の状況から、これからの日本での生き方を考えてみる」

 これからの崩壊がどんな様相を呈するのかは不明ながら、ソビエト連邦崩壊時の状況から、これからの日本での生き方を考えてみる - In Deep


ソ連崩壊時の体験談から考える今後

日本が今どういう方向に進んでいて、現在どういう状況にあるのかは、実際のところはわかりにくいのですが、「何らかの崩壊」という方向に進んでいることは確かなような気はします。

全面的な崩壊ではなく、「何らかの」です。

それが食糧危機的なものになるのか、それとも、プラスチック文明全体に亀裂が入るような根本的な事態となるのか、あるいは燃料・エネルギー危機がさらに大きくなるのかどうか、など、それぞれが「そうなってみないとわからない」面はあります。

私がふだん読んでいるようなウェブサイトはアメリカやヨーロッパのものが多く、そこでは、「食料危機」や「エネルギー危機」などの方についてはよく語られますが、「プラスチックの枯渇」の話題が出ることはないです。

これらの国々では、日本ほど根幹的な(ナフサも重油も足りていないというような)危機感は実感としてないようで、そのあたり、日本は特別な崩壊傾向の渦中にあるという気もしないでもないです。

化学産業

徐々にとはいえ、プリンやゼリーや豆腐の容器や、納豆や缶詰やパンの袋まで不足しつつあるというような、少なくとも私の人生では過去に例を見たことがないような状態が現実として現れています。

「こういう崩壊は…」

と考えますと、

「ソ連の崩壊と似ているのかなあ」

などと思いまして、ソ連崩壊の際に現場にいて、その時の経験を 2009年に講演で語った、ドミトリー・オルロフさんという方が述べたことを少しご紹介したいと思います。公演の内容は今も残っています。以下にあります。

社会崩壊への最善策

Social Collapse Best Practices

Dmitry Orlov 2009/02/13

ここからいくつかの概要を抜粋したいと思います。これは最初は、今から 17年前の 2009年3月17日のヤスの備忘録の記事で知ったものです。

ドミトリー・オルロフさんのこの講演の内容は、

「アメリカがソ連と同じような崩壊に至った場合」

のことを想定して述べていますが、まず、国家の機能が維持できなくなると、

「物流が消えていく」

という事態が始まります。少なくとも、ソ連ではそこから始まりました。

これは、現状の燃料の不足、燃料高騰の中でも起こり得ることですが、ソ連の場合は、その後このようになっていったようです。 

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2009年のドミトリー・オルロフ氏の講演の概要より


国家の機能が維持できなくなると、通貨の価値の大幅な低下となって現れる。つまり、ドルの紙くず化である。(ソ連の場合は、ルーブルが紙くず化した)

アメリカは原油の大半を輸入に頼っている。ドルの大幅な減価は、原油価格の極端な高騰となって現れることは間違いない。これがソビエト崩壊時のルーブル下落で起こった現象だ。

原油価格の急騰はガソリンが手に入らなくなることを意味する。これを安易に考えてはならない。

ソビエトではこのため、トラックによる国内の物流システムがほとんど停止してしまったため、モノ不足が深刻化した。

スーパーや店頭からものが消えるのである。アメリカでも同様の現象が起こることは間違いない。

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まずは、ここまでです。

> スーパーや店頭からものが消えるのである。

は、今の日本でも少しずつであるとはいえ、起きています。建築資材から食品関係、医療用品に至るまで、それは起きつつありますが、現在の日本の場合は「まず物流が崩壊して」起きたことではなく、

「特定の原材料が高騰、不足して起きた」

という部分がソ連崩壊のときとは、やや違うかもしれません。

特定の原材料とは、ナフサ、石油由来のさまざまな材料や、重油などの燃料そのものの不足、枯渇の両方を含みます。今はアルミも足りていないですね。

化学産業

しかし、何らかの理由で「スーパーや店頭からものが消えた」としても、流通環境が元に戻れば、また店頭にものは復活してくることにもなりますが、今回はどうなんだろうと。

作家であり投機家のダグ・ケーシー氏は、現在が「第三次世界大戦の渦中であるならば」と仮定して、以下のように述べています。

ダグ・ケイシー氏のインタビューより

大きな問題は、私たちが今、第三次世界大戦に突入しているかどうかだ。私は突入していると思っている。米国は軍事予算を 50%増額し、欧州諸国にも軍事費を倍増するよう圧力をかけている。ウクライナでの戦争は続いており、欧州諸国はそれをさらに拡大しようとしている。

また、現在皆の注目を集めている米国・イスラエルとイランの間の戦争も、すぐに終わるとは思えない。何ヶ月、あるいは何年も続くだろう。

そして、米国やイスラエルがイランをあまりにも追い詰めた場合(その可能性は高い)、イランは地域へのドローンやミサイル攻撃だけでなく、全面的なサイバー戦争で報復する可能性がある。世界はコンピューターで動いているため、それは核戦争と同じくらい壊滅的なものになりかねないのだ。

現時点では、この戦争は中東のエネルギー供給を破壊または阻害することに集中している。しかし、このままでは終わらないだろう。

なぜなら、世界の人口の3分の2を占めるアジアは、ペルシャ湾からの石油化学製品に完全に依存しているからだ。彼らは、戦争によって経済が破壊されるのを傍観しているわけにはいかないのだ。

私たちは深刻なエネルギー不足に備えるべきだ。

Doug Casey

ダグ・ケイシーさんは、現在のエネルギー価格の上昇やエネルギー危機は「一時的な混乱ではない」と見ていて、世界全体の混乱は長く続くだろうとしています。

そして、アメリカも当然大きな影響を受けるにしても、現在の石油危機あるいは天然ガス危機を圧倒的に受けているのはアジアであり、その中でも中東依存度の高い日本は最も影響を受ける構造になっています。

 

それにしても、これは先々週あたりのメルマガにも書いたのですが、

「なんだか日本は仕組まれたんじゃないかなあ」

みたいなことを思わなくもないのですが、これは、矢作俊彦氏原作/大友克洋氏作画の『気分はもう戦争』(1982年)という 40年以上前の漫画の内容を思い出したものでもあります。

『気分はもう戦争』では、中国とソ連の間で戦争が勃発するのですが、終戦後、最も経済的にダメージを受けたのは日本だったということになっています (1ドル 400円以上となり、GDP は世界 20位程度に)。

まあ、それはともかく、話をソ連時代に戻しましょう。


崩壊時の都市部と地方のそれぞれの弱点

経済や国家体制の崩壊時に住む場所として、一般的には「都市部は良くない」と言われることがあります。地方や田舎に住んで、できれば、自給自足を目指すべきだと。

しかし、完全な自給自足ができている場合はともかくとして、それができていない場合、地方では問題が起きる可能性もあり得ます。少なくとも、ソ連の崩壊時はそうでした。

先ほどのドミトリー・オルロフさんの講演からです。

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2009年のドミトリー・オルロフ氏の講演の概要より

第二次世界大戦中のソ連での家庭菜園運動

sciencedirect.com

…そのような状態(国家の機能が停止した状態)でも最後まで稼働しているのが都市の公共交通機関だった。

したがって、ものは不足しているものの、都市にいる限り移動の手段には困らなかった。

また、都市では電気、ガス、水道などのライフラインも最後まで供給は止まらなかった。生活の基盤となるインフラが維持されているので、生活はなんとかなった。

一方、郊外の一軒家など移動の手段が自家用車しかない地域で生活している人達はたちまち孤立することになる。(ガソリンが手に入らないため)

完全な自給自足の体制ができていない限り、郊外や田舎の生活は勧められない。こうした地域には自治体のライフラインも早いうちに供給停止になるため、生活の維持は本当に難しくなる。

危機に際しては、ソビエト国民はアメリカ国民よりもはるかに有利な立場にいたように思う。まず、狭く窮屈な環境ではあったが、全国民に団地のようなアパートが提供されていた。

そしてアパートの住民たちは、通例家庭菜園をもっており、それはアパートのすぐ近くにあった。そこから採れる野菜を食べることが日常の楽しみでもあった。

このようなライフスタイルのため、ソビエトが崩壊してもホームレスは存在せず、また餓死者もほとんど出ることはなかった。

また、アパートは自立した共同体としての特性をもっていたため、住民同士で助け合い、苦しいときをしのいだ。

しかし現在のアメリカは、かなりの数の国民が郊外の一軒家に住んでいる。こうした住宅街では、家庭菜園どころか、食料をはじめほとんどすべてのものをスーパーやファーストフードのチェーン店に依存している。

物流のシステムが停止すると、こうした地域の住民はすぐに飢えるので、都市への人口の大移動が起こるだろう。

Dmitry Orlov

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ここまでです。

少なくとも、ソ連の崩壊時には、都市部ではインフラが維持されていた一方で、地方ではライフラインが早い段階で止められたため、なかなか厳しい状況だったようです。

もちろん、これはソ連の話であり、一般に当てはめられるものではありませんし、やはり地方での自給自足は強いものだと思います。ただ、食料生産手段を持たないままで、「何となく地方に行く」のはやめたほうがいいと。

なお、ソ連の崩壊時あるいは崩壊後、

「最も役に立った人々と、最も役に立たなかった人々」

について、ドミトリー・オルロフさんは以下のように述べています。

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2009年のドミトリー・オルロフ氏の講演の概要より

theguardian.com

家庭菜園など、自給できる状態を高く維持することは当然大切だ。

また、家族や隣近所の人々とコミュニティーを作り、今から、いざというときに備えるべきだろう。

ソビエトの崩壊時でもっとも邪魔になったのは、社会的地位の高い 50代の男性たちだった。

仕事を失い、高い社会的地位を追われた彼らは、自我を傷つけられ、国家がどうの、社会がどうの、システムがどうのと悪態をついて飲んだくれ、粗大ゴミ化する。

まったく役に立たないどころか、生活をなんとか維持しようと頑張っている人々の足を引っ張る。こうした人々とは関わりにならない方が無難だ。

反対に、新しい環境にもっともよく順応し、食糧生産などに労を惜しまないのが主婦を中心とした女性たちだった。

彼女らは、かつての社会的地位が高かろうが低かろうが、作業着に着替え、労働に精を出した。

Dmitry Orlov

________________________________________

 

ここまでです。

社会の崩壊時には、もうかつての社会的地位とかは関係ないのです。淡々とサバイバルをしていくしかないのでしょう。

そのためには、無理をしない程度の準備は必要だと思われます。

日本の崩壊がソ連的なものになるかどうかはわからないですが、ソ連はソ連で、その後見事に復活、発展したわけであり、いつかはまた日本も復活していけるのだと思います。

おそらくは。


2026年5月12日火曜日

4255「神様との約束」2026.5.12

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年04月30日の記事を紹介します。


「神様との約束」


あなたは今、歩くことが出来ますか?

あなたは今、しゃべることが出来ますか?

「おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい」と

悲しい言葉を、誰かが言わなくても良い世界を作りたいものです。

これは40年前のおはなしです。

<引用開始> 

 山田康文くんとお母さん

「おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい」

ごめんなさいね おかあさん

ごめんなさいね おかあさん

ぼくが生まれて ごめんなさい

ぼくを背負う かあさんの

細いうなじに ぼくは言う

ぼくさえ 生まれてなかったら

かあさんの しらがもなかったろうね

大きくなった このぼくを

背負って歩く 悲しさも

「かたわの子だね」とふりかえる

つめたい視線に 泣くことも

ぼくさえ 生まれなかったら


この詩の作者は山田康文くん。

生まれた時から全身が不自由で書くことも話すことも出来ない。

養護学校の向野先生が、康文くんを抱きしめ投げかける言葉が、

康文くんのいいたい言葉の場合はウインクでイエス、 

ノーの時は康文くんが舌を出す。

出だしの「ごめんなさいね おかあさん」だけで1ヶ月かかったという。

気の遠くなるような作業を経て、この詩は生まれました。

この母を思いやる切ないまでの美しい心に対して、

母親の信子さんも、彼のために詩を作りました。


わたしの息子よ ゆるしてね

わたしの息子よ ゆるしてね

このかあさんを ゆるしておくれ

お前が脳性マヒと知ったとき

ああごめんなさいと 泣きました

いっぱい いっぱい 泣きました

いつまでたっても 歩けない

お前を背負って 歩くとき

肩にくいこむ重さより

「歩きたかろうね」と 母心

"重くはない?“   と聞いている


あなたの心が せつなくて

わたしの息子よ ありがとう

ありがとう 息子よ

あなたのすがたを 見守って

お母さんは 生きていく

悲しいまでの がんばりと

人をいたわる ほほえみの

その笑顔で 生きている

脳性マヒの わが息子

そこに あなたがいるかぎり

このお母さんの心を受け止めるようにして、

康文君は、先に作った詩に続く詩をまた作りました。


ありがとう おかあさん

ありがとう おかあさん

おかあさんが いるかぎり

ぼくは 生きていくのです

脳性マヒを 生きていく

やさしさこそが、大切で

悲しさこそが 美しい

そんな 人の生き方を

教えてくれた おかあさん

おかあさん

あなたがそこに いるかぎり

康文くんは重度の脳性マヒで8歳の時、奈良の明日香養護学校に入学しました。

不自由児のための特殊学校で、康文くんも母子入学でした。

康文くんは明るい子でクラスの人気者になりました。

1975年4月には体の不自由な子供達が集う

「タンポポの会」が「わたぼうしコンサート」を開き、

康文くんの詩が披露されました。 

このコンサートはテレビ、ラジオでも取上げられ

森昌子さんが康文くんの詩を歌いました。 

このコンサートのあと、康文くんは突然天国に行ってしまいました。

窒息死でした。

横になって寝ていたとき、枕が顔を覆ってしまったのです。

15歳の誕生日を迎えた直後だったそうです。

康文くんの先生で、この本の著者の向野幾代さんは復刊にあたって

「あの子の詩は 

障害者が

『ごめんなさいね』なんて、言わなくてもすむような世の中であってほしい、というメッセージ。

今もこうして皆さんの心に、呼びかけているんですね。

いま、障害者の問題は、高齢者の方たちの問題でもあります。  

『老いる』というのは、障害が先送りされているということ。

歳をとると、足腰が不自由になって車椅子が必要になったり、

知的障害になったり・・・

健常者の方も、たいていはいつか障害者になるんですよ。

だから康文くんたちは私たちの先輩。

世の中をより良くするよう切り開いてきた、パイオニアなんです」と・・・

向野幾世著 『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』より

<引用終了>

山田康文くんは、生まれた時から、全身が不自由、口も利けない状態でした。

通称やっちゃん。そのやっちゃんを、

養護学校の先生であった向野さんが抱きしめ、彼の言葉を全身で聞く。 

向野さんが言う言葉が、やっちゃんの言いたい言葉だったら、

やっちゃんがウインクでイエスのサイン。

ノーの時は舌を出す。

気の遠くなるような作業を経て、この詩は生まれました。

そしてその二ヵ月後、彼はは亡くなりました。

自分を生み育ててくれた母親に報いたい。 

その思いがこの少年の人生のテーマだったといえるかもしれません。

短い生涯ながら少年は、見事にそのテーマを生ききり、

それを一篇の詩に結晶させて、逝きました。

生前、ひと言の言葉も発し得なかった少年が

生涯を懸けてうたいあげた命の絶唱かもしれません。

この詩が私たちに突き付けてくるものは大変に重いです。

人は皆、神様との約束を胸に宿して、この世に生まれてくるといいます。

その約束を深く掘り下げ、高め、そして仕上げていくことこそ、

私たちが果たすべき人生のテーマといえるのかもしれないですね。

あなたは、もう、神様との約束を思い出しましたか?

神様との約束って、もしかしたら、

家族や身近な周りの人と、例え苦労の中にあったとしても、

仲良く、思いやり、助け合って、生きていきます・・

 そんな約束だったかもしれませんね。


2026年5月11日月曜日

4254「人生の転機の時」2026.5.11

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年04月29日の記事を紹介します。


「人生の転機の時」


今日は、「人生の転機の時」に、

どのような兆候や、前兆があるのか書きたいと思います。

誰でも、人生において、何回かの大変革の時=大変な時が訪れます。

その理由は、

私たちが、この世に生まれてきた目的が、魂の成長のため、だからです。

どうして、魂の成長のために、

苦痛ともいえる、大きな出来事が必要なのでしょうか?

それは、当たり障りのない、幸せだけの人生では、

魂はほとんど成長することができないからです。

・苦労なんて嫌だ、

・いつも笑顔で、幸せだけの楽な人生でありたい

そう思っていても、

・苦しみや、

・悲しみ、

・自分ではどうにもならない出来事

などを通じ、魂が磨かれることを、

ほとんどの方は、もう気づいていらっしゃると思います。

その大きな目的である「魂の成長」を促すために、

一番ベストなタイミングで、

周りの役者が揃えられて、環境も整って、

「人生の転機」が起きて来ます。

そして、その前兆である現象も、実は起きています。

人生で忘れられないような大きな事件や事故が起きる時、

その出来事は、

その後の人生の大きな転機の為に「軌道修正」をするために起こされます。

・病気や事故、怪我による入院

・結婚

・離婚

・リストラ

・子供や配偶者などとの死別

・会社の倒産

などが、例としてあげられます。

転機の時には、こういったことがよく起きるようです。

いわゆるショック療法です。

では、いったい誰が、

私たちの人生に軌道修正を起こすようなカタチで、

「転機」を起こしてくれるかと言えば、

常に、私たちを見守り、一緒に居てくださっている神さまです。

目の前のことしか見えない私たちの知恵を、

はるかに超えた、英知の塊であり、

とてつもなく大きな存在が、私たちの人生を正しい方向へ向かわせるために、

私たちに転機となる事件。

出来事をもたらしてくれています。 

そして、大切なことは私たちの身に、

・何か辛いこと

・何か苦しいこと

・何か悲しいこと

が起きたとしても、

それは決して「罰、バチ」ではないということです。

昔からよく「バチが当たる」なんて言いますが、

神様は、愛する私たちに、バチなど与えません。

また、過去の私たちの犯した

・判断、決断の誤り

・誤った考え、行動

これらによって、不幸が引き寄せられることもありません。

皆さんの中で、もし物凄く辛い出来事を、

今まさに経験している方がいましたら、

まずは、その事柄を悲観せず、

「これはきっと自分の近い将来を

 より良くする為の軌道修正が行われたのだ」と

解釈して見てください。

人によっては、人生のどん底と思われるような、

辛い出来事が起きるかもしれません。

ですが、神様は、必ず、一見、悪いことに見える出来事の後に、

幸福を準備してくださっているからです。

その出来事はまさに、

神様が幸運を下さるための前準備、

人生の大きな方向転換を図るための吉兆なのですから。

・喜んで、

・笑顔で

・感謝して

受け取ってください。

すぐそこまで幸運が来ている証拠ですから。

私たちは「幸せ」になるためにこの世に生まれてきました。

周りの人々と、おかげ様、お互い様と、

助け合い、笑顔で美しい愛を紡ぐために生まれてきました。