2026年6月23日火曜日

4297「青空ひろば」2026.6.23

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


1770 2026.06.06 ~ 1772 2026.06.08

(中学教頭であった時、1年の学年通信に書いた文章です)

元サッカー日本代表監督 岡田武史氏は母校 早稲田大学での講演で、挨拶することの大切さを強調されて、その理由を『挨拶は、その挨拶する相手がこのチームに所属することを認めていますよ。決して存在を否定したり、所属を許していなかったりしていませんよ、という合図だから』と述べています。

つまり、「おはよう!」と呼びかけることは、『君という存在を認めています、尊敬しています』と、相手に宣言し、確認してもらう行為なのです。

もし「おはよう!」と挨拶しても「おはよう!」が返ってこなかった。だから腹を立ててもうその人には挨拶しないというなら、それは挨拶しない人の負けです。『僕は君という人間が僕の世界の中に存在する価値を認め、尊敬していますよ』という宣言が、ほんの些細なことで揺らいでしまうほど薄っぺらで、ウソのものであったことを暴露されてしまうからです。

世界は『因果(原因・結果)の博覧会だ』といった人がいました。挨拶しようとしても、どうしても出来ないという人だっているのです。

朝日新聞に養老孟司さんがエッセイを書いていました。養老さんは、「さよなら」という挨拶が出来なかったのです。だから、友達と別れるときは、何も言わずにそのまま行ってしまうのでした。自分でもそんな奇癖は分かっていて直そうとするのですが、どうしても「さよなら」が言えませんでした。

ある時、その原因が分かりました。養老さんは幼い時に、お父さんを亡くしたのですが、お父さんが亡くなった時、親戚の人にお父さんのところに連れて行かれて、「お父さんに最後の『さよなら』を言いなさい」と言われました。養老さんは、お父さんにもう二度と会えないという現実を認めたくなかった。だから、『さよなら』を言わず、泣きじゃくっていたのでした。そのことを思い出して、亡くなったお父さんに向かって、心の中で『お父さん、さようなら』と言えた時から、『さよなら』と挨拶出来るようになったのだそうです。

様々な原因結果の連鎖をたどってここに現われている無数の事情を持つ人々の群れ、「おはよう!」と呼びかけても、必ずしも返事が返ってくるとは限りません。でも「おはよう!」と呼びかけ続けることは自分の意志と決断で出来ます。『僕は君という人間が存在する価値を認めていますよ』と宣言し続けることは出来るのです。

混沌として、また醜いこともある世界、そんな世界に対して、返事があってもなくても、ひたすら「おはよう!」と言い続けることが出来た人だけが、世界を大きく変革してきたのだ、という事を知っておいて下さい。

校長先生が入学説明会の時でしたか、「明るく、元気よく挨拶出来る少年になって下さい」とおっしゃいましたね。今回はその校長先生の言葉を敷衍(ふえん)して説明してみたのです。(完)


1768 2026.06.04 ~ 1769 2026.06.05

<禅や神道の「しあわせ」引き寄せ法>

(a)神武天皇の想い実現法引き寄せ法「うつし(移し)・いわい(結い)」

天香具山の土を「移して」きて、土器を作り、タカミムスビの神の神前に供えてお祀りした。

目的は、大和の国魂の魂の尾を神武天皇の心身に「いわい(ゆわい)」付けること。

例:甲子園の土

(b)Uターン法

地上世界は、重い世界なので、運命の方向転換が困難。

坐禅して意識上昇させ→高い世界で、念願成就の祈り(意宣)→地上世界に戻る→念願実現。

(例)問題発生→坐禅→「問題なし、差し支えなし」と祈る(意宣)

→現実化(「問題が解決する」または「問題自体がなくなる」)


<まとめ>

① 「ありのままの自分」を許し、愛することが「しあわせ」になる土台です。

② 「しあわせ」とは、自分や人や世界と一体であると感じるときの感情

③ アタマの暴走をストップすれば「しあわせ」になれる。

④ 「思い通り」の人生より「思い及ばぬ」人生のほうが断然面白い(決めつけない)。

⑤ 変化を恐れない。ハラハラ・ドキドキしなければ、ワクワク・イキイキは体験出来ない。(完)


1763 2026.05.29  ~ 1767 2026.06.02 

<しあわせになるには、揺るがない自分軸を持たねばならないのでは>

Q4.『私はこうでなければならない』という強い信念、目標を定めて生きるべきなのではないですか?

A.強い信念や凝り固まった信条は、人を縛り上げて不幸にする場合が多いのです。

(人を不幸にする誤った信念)

・「絶対に」とか「完全に」とか「すべての」とか、「常に」がくっついている信念は人を不幸にする。

・「べき」とか「ねばならない」とか「当然」がくっついている信念は人を不幸にする。


「思い通り」の人生を生きるより、「思い及ばぬ」人生のほうが断然面白いですよ。

「セレンディピティ(ハッピー・ハプニング)」は、こうでなけりゃならないと思い込んで自分の人生の道を狭めている人には訪れません。

大切なのは、「決めつけない心」、「遊び心」、「試し心」です。

成功者の人生態度:「ただ目の前の現れた課題に全力で取り組んでいたら、いつの間にかこの位置にたどり着いていたんだよ」

「今・ココ」にイノチの重心をしっかり置いて、過去や未来や、損得の計算などを度外視して、懸命に全力で生きてゆこう。→「今・ココ」の上に、必ず「天(神)」がいらっしゃる。必要な才能も出会いもお金も物資もそろえてくださる。

 ① 根拠のない自信、根拠のない楽観を持とう→神さまがあなたという存在の根拠なのだから。

② 信条や目標に固執して、自分の進路を狭くしないようにしよう→神さまがあなたにふさわしい道に誘導してくださる。お任せ。

③ 天命を受け入れる柔軟性を持とう。

Q5.なぜ私はマンネリ化した、感動の少ない灰色の生活をおくっているのでしょうか。

A.世界は「刹那生滅(せつなしようめつ)」。お釈迦様は、常に新生宇宙に住んでおられる。日々、刻々がワクワク・ドキドキ、新発見の連続。

変わることへの「恐怖心」が、あなたの人生をマンネリ化させているのです。

(ポイント)

マンネリ化した生活、ルーチンワークになってしまった生活を、ほんのちょっとでもいいので、日々変えてみましょう。

① デジタル情報をしばらくストップしてみよう。

② 日常の行動ルーチンを少し変えてみる(道を変える、順序を変える、時間を変えるなど)。

③ 「新発見日記」を書いてみよう。

④ 変化する勇気を持とう(新しい分野に挑戦する、転職する、離婚する、旅に出る)。

「ハラハラ・ドキドキ」しなければ、「ワクワク・イキイキ」は得られません。(完)


2026年6月22日月曜日

4296「因果応報」2026.6.22

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月09日の記事を紹介します。


「因果応報」


21世紀に入ってから、ずっと日本は「一億総いじめ社会」などと言われ

・不寛容な社会

・殺伐とした社会

・陰湿な社会 

が出現していました。

それが、2011年の東日本大震災、 

そして「コロナウイルス」をきっかけとして、 

この冷酷な心が、少しづつ溶け始めています。 

大きな犠牲のもと、神々がそう仕向けたのです。 

このいじめ社会の中では、 自分以外の他人の言葉や、行動に、

寛容さが足りず、すぐに歪んだ正義感を振りかざし、

その雰囲気に付和雷同した人々とともに、

相手をとことんまで、貶めて、再起不能にさせます。  

非難する側は必ず「正義」を振りかざします。 

正義感を隠れ蓑に、

他人を傷つけて、楽しむ心理があるのかもしれません。

今日は、

人から悪口や、イヤミを言われた時どうすればよいか? 

斎藤一人さんが非常に簡潔に、

優しい言葉で大切なことを仰っていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 

人間関係の問題は、いろいろあるんですけれど、

「これだけ覚えておけばいいですよ」というものがあるんです。

これだけ覚えておけば、いろいろな問題があるなかの8割は大丈夫。

解決するんです。

この世の中には“嫌なヤツ”っているでしょう?

イヤミを言ったり、いばったりする

“嫌なヤツ”がどこに行ってもいるんですけれど、 

それをやめさせようとしちゃいけないんです。

「復讐するは我にあり」じゃないけれど、復讐は人間がすることではないのです。 

悪いことをした人には必ず、神さま(自分自身の良心)によって、

同じように悪い報いがくる。

だから、ことのなりゆきは、天の神さまにお任せするんです。

そして…ここが大事なところですよ、いいですか。

「やられたらやり返せ!」って、その“嫌なヤツ”の悪口を言っていると、 

今度は言った人に、悪い報いがきてしまうんです。

自分の畑にピーマンをまいたからピーマンがなる。

自分の畑に、自分で麦をまけば、麦がなる。

そして、自分がまいたものを、自分が刈り取るんです。

隣の人が唐辛子をまいていても、唐辛子を収穫するのは隣の人であって、 

あなたではありません。

それと同じで、あなたがイヤミなことを言われた場合、

悪いことが起きるのは、あなたではありません。

あなたにイヤミなことを言った、その人間です。

つまり、放っておいても、

勝手に相手は痛い目をみるようになっているのです。

それを、あなたがもし「イヤミを言われて嫌な想いをさせられたんだから、 

こっちも、あの人にイヤミをお返ししてやるんだ」という気持ちでいると、 

あなたから、“居心地のよくない”ムード(波動)が出てきます。

それではあなたに、人も、運も、お金も、近寄ってきてくれません。 

それどころか、自分が望まない、嫌なことを招き寄せてしまうんですよ。

だから、復讐しようとしちゃいけないのです。

復讐はあなたの仕事ではありません。

神さまの仕事です。

<転載終了>

よく人の悪口を言う人がいます。

また現在のようにネットが普及してくると、

SNSで人の悪口や非難をする人も目にします。

もしかしたら、相手がいないところで、

自分の周りの人に、悪口を吹聴している人もいるかもしれません。

そして、それに対して、反応してしまい、

今度は自分が同じようにやり返す方もいます。

ですが、それらの行為は、一人さんが仰るように、やめた方が良いかもしれません。

今度は言った相手ではなく、仕返しをした自分自身が、同じ土俵に立ち、 

同じような嫌な波動をまとい、自分自身の人生に不幸を引き寄せてしまうからです。

やられたからやり返す。

そうしなければ、自分は正しく生きているのに、何だか負けた気になってくる。

やられ損にはなりたくない。

それらの心では、必ず相手と同じ波長をまとってしまいます。

私たちの住む世界は、自分の心の状態が現実を作りますから、

その汚れた心と同じ現実が、自分の周りに現れてくることでしょう。

ですから例え悪口やイヤミを言われたとしても、

それを心に留めず、受け流し、受け取らなければ良いことです。

もし目の前で言われたのなら、 

ニッコリ笑って「ご忠告ありがとうございます。感謝します」と言って、 

離れたら、また元のように、ご自分の信念に基づき行動すれば良いだけです。

ブッダもこのような時、静かに反論せず、

受け取らなければ良い・・ そう仰っています。

人から根拠なき悪口やイヤミ、

陰口を言われることは日常茶飯事ですので、 

一人さんの仰っる方法を実践するだけで、

かなり楽に生きられるかもしれませんね。 

みなさんは、この言葉ご存知ですか? 

「断じて行えば、鬼神も之を避く」 

断固とした態度で行えば、

鬼神でさえ、その勢いに気(け)おされて避けて行く。 

と言うことです。 

私は、これを

「ありがとう」の言葉を常に口にして、 

感謝の心で生きている人のことだと思います。 

「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にする人に対して、 

どんな人が、 

・蔑み(さげすみ)、

・陥れ(おとしいれ)

・危害を加え

・足を引っ張る 

ことができるでしょうか? 

また、神々が破滅の運命にひきづりこもうとするでしょうか?

これから先に、何が起こるのか、誰もが不安ですが、 

感謝の気持ちでいる限り、どのような運命に置かれようと、

必ず助けが来ることでしょう。

神々がなさることに安心して身をゆだね、 

身近な周りの方々と

笑顔と思いやり、お互い様の気持ちで生きていきたいものですね。



2026年6月21日日曜日

4295「黄泉の国と縁の深い日本」2026.6.21

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月08日の記事を紹介します。


「黄泉の国と縁の深い日本」


自然豊かな日本列島は、神々が何億年もかけて作り上げてきました。 

氷河期の終わりとともに大陸から切り離され、

4大プレートの交わる地で、山や谷ができ、

浄化された水が豊富で、平和な国が形成されました。 

そこでは、物質的なモノよりも、

神々や自然を敬う精神性が重要視されてきました。 

つまり、物質よりも霊、魂、精神が大切であるという

霊主体従の考え方が、深く刻み込まれてきました。 

まさに神々が計画した通りです。 

それゆえに、物質文明が頂点を極め、

物質や、お金至上主義の悪徳の世界が終わりをつげ、 

新たな精神文明が花開こうとする今、

日本人の「心を大切にする」文明が、活躍する時代となりました。 

この時のために、神々が日本列島を作ったと言っても過言ではないかもしれません。 

それでは今日は珍しい切り口で

神の国と、人間の世界について書きたいと思います。

春日大社の元宮司、神道の最上階(浄階)まで行かれた

葉室頼昭さんのお言葉を基にご紹介します。

日本神道では

神さまや先祖の皆さんがいらっしゃる国を、「黄泉の国」(よみのくに)

そして私たちが肉体を持って生きているこの世界を「現世」(うつしよ)

と呼びます。

日本では縄文の昔から人々は

この宇宙は、循環とバランスの上に成り立っていると知っていました。

それは神様がビッグバンを起こしてから150億年もの年月をかけて作り上げた世界です。

循環ですから、

西洋式の考えの、除去、消し去る、取り去る という考え方ではありません。

私たちの魂も、

神々や先祖のいらっしゃる黄泉の国から出てきて

肉体をまとい、一時の間、物質界つまり「うつしよ」で暮らしています。 

そして 死とともに

先祖の居る世界、神々の世界。つまり黄泉の国に戻ります。

私たちは誰でも、黄泉の国から、この世界に生まれてきました。

その世界は神の世界ですから、

誰でもが、清らかな美しい世界から、この世に生まれたことになります。

つまり、

・意地悪をする人も

・心温かな人も

・聖人のような清らかな人も

・罪を犯す罪人も

全ての人が 黄泉の国から来ました。

つまり、どんな人でも 本来の心根は、

清く、美しく、思いやりに富んだ、心の持ち主であるということです。

心の中に恨み、つらみ、憎しみを持ち、

地獄のような囚われの世界に居る人は、

現世には、まだ生まれ変わって来れないということです。

これは裏返してみれば、自分にとって、どんな悪人でも、

それはその人の本質ではなく、何らかの目的を持って、 

その役割を演じているだけ・・と言うことになります。

その目的とは

私たちの魂を 研ぎ石のように研いで、

(苦しみ、悲しみ、悔しさ、恐れ、不安)

魂を輝させるという以外にありません。

その人たちの現世での裏に隠された

・神のような心

・温かな思いやりに満ちた心

を知るのは、お互いが、再び黄泉の国に帰ってからのことになるでしょう。

日本は諸外国と異なり、非常に黄泉の国に近い国です。 

その証拠を昔話の中に見ることができます。

では、葉室頼昭さんのお話を基にご紹介します。

浦島太郎は、助けた亀の背中に乗って竜宮城で歓待を受けます。

そこは見たこともないような美しく綺麗なところで、

天井も床も、まばゆく光り輝き、何処からともなく、良い香りが漂い、

美しい音楽まで響いています。

太郎は時を忘れ、楽しく過ごします。

(玉手箱を開けたら 300年の時が過ぎていました)

この竜宮城とは、私たちが元来た所、つまり黄泉の国のことです。

神々が住み、先祖の皆さんが住んでいます。

その美しい世界は、

・時間もなく

・悩み、苦しみ、心配事さえありません。

幸せそのものの世界です。

そして私たちが生まれた時、

無垢の魂は、そのような美しい世界から来たため、

心に罪・穢れのシミ一つありません。

赤ちゃんの無垢の笑顔はそれを表しています。

ですが、私たちは、成長するにつれ、大人になるにつれ、その美しき心を忘れ

・病気

・悩み

・苦しみ

・心配事

ばかりの世界に、いつの間にか生きるようになってしまいます。

それは、私たちの心に潜んでいた、

いえ、いつの間にか神様の氣を包み隠してしまう、

自我(自分さえ良ければ良い)の心が、

真実の神の世界を見えなくしてしまったからです。

※これを祓うのが神道では、祓い。清め となります。

もちろん、私たちの魂は、その自我による苦しみさえも見越したうえで、

この世「うつしよ」に生まれて来ました。

何故なら、その苦しみが、私たちの心を強くすることを知っていたからです。

私たちの心は、

・食べる物にも困らない、

・悩みなど一つもない

・いつも楽しいころばかりの生活

からは磨かれることがありません。

今、私たちが経験している

・悲しみ

・苦しみ

・悔しさ

は全て 苦しいことではあるけれど、

心を輝かせるために、一時だけ、経験していることです。

浦島太郎は、玉手箱をもらって、再びこの世、つまり「うつしよ」に戻ってきました。

これは、黄泉の国と、現世を、

私たちの魂は循環(行き来)していることを象徴しています。

自然と同じく、私たちの魂も 循環を繰り返します。

決して西洋の思想のように、悪だからと、切り取られ、捨てられ、

消滅されることもありません。

自分の生活に邪魔だからと、除去されることもありません。

大祓祝詞が示す通り、例え悪であっても、全てを、黄泉の国を通過させ、

美しき清らかなエネルギーに変えて戻されます。

この大いなる安心感。循環の心、正邪を超えて、

全てを包み込む心を、私たちの祖先は持っていました。

私たちは神々の作ったこの宇宙の仕組み、循環とバランスの上で、

永遠の魂の向上を目指している最中です。

みんな、同じ道を歩む仲間です。

人も、動物も、植物も。そして自然現象でさえも。

積もった雪が、春になって消えたと言うけれど・・

決して消えてなくなったわけではありません。

水になり、地面に吸われ地下水となり、川の水となり、海に注ぎ、

再び雨や雪となって戻ってきます。

私たちの心、魂も同じです。

肉体は脱いでも、黄泉の国(神々の国、先祖の国)に戻り、

姿、形を変えて再び戻ってきます。


2026年6月20日土曜日

4294「死を超えて明かされる秘密」2026.6.20

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月07日の記事を紹介します。


「死を超えて明かされる秘密」


ブッダの前世の物語、ジャータカによれば、 

ブッダは29歳で修行に発ち、35歳で悟りを開きました。 

インドには古くから、命あるものは生まれ変わりを繰り返すという「輪廻」の思想があります。 

仏教を伝えた人々は、ブッダは無限とも言えるような過去から生まれ変わりを繰り返し、

その中で善業を積んできたから、最終的に悟りを開くことができたと考えました。 

このブッダの過去世での善業を伝える物語を集めたのが、「ジャータカ」です。 

ブッダはかつて2つの重要な法則を私たちに教えてくださいました。

・因果の法則

・縁起の法則

因果の法則(カルマの法則)とは、すべての物事には必ず原因と結果があり、

すべてはその原因と結果の連鎖で成り立っているというものです。

これは私たち人間の生活や人生の話だけではなく、

動物や植物といった生命全て、地球そのものが、

この因果の法則によって成り立っていると言われます。

縁起の法則では、私たちの生まれてから死ぬまでに起こってくる全ての出来事は、

生きている私たちの意思や努力で変えられるものではなく、 

既に生まれてくる前に決めたストーリーの通り、決まっている。

そしてこの人生ストーリーは

私たち自身と、神様で相談して決めてくるのだそうです。

この因果の法則は私たちの宇宙では、ブッダの説いたとおり絶対的な法則ですから、 

私たちのこの人生ストーリーも、この法則から外れるものではありません。

神様から私たちの魂が枝分かれして宇宙空間に旅立ってから

今までに生み出した 因(カルマ・・良い意味でも悪い意味でも)によって、

私たちは結果を受け取るわけですから、 

人生ストーリーの中で起こる色々な出来事も、 

この因による結果の出来事が組み込まれることになります。

例えば、

・貧しい人に施しをしたことがあったので、困った時に助けが現れる・・

・困っている人を見て、見て見ぬふりをして逃げてしまったので、

 大切な時に物事の遅延が重なり、なかなかことがうまく運ばない 

など・・(本当はこのように単純には起こりませんが)

この因果の法則は、言いかえると宇宙の法則、

与えたものが、受け取るもの、

と言うことです。

・温かい言葉を投げかければ、温かな言葉をかけられます。

・笑顔を向ければ笑顔が帰ってきます。

・親切にすれば、親切にされます。

・傲慢な態度を取れば、傲慢な態度で返されます。

因果の法則は決して私たちを苦しめるものではありません。

神様が私たちを苦しめる法則など作らないからです。

この人生ストーリーをベストなタイミングを図り

起こしてくださっているのが神様や仏さま。

そしてこの地球において、そのストーリーを展開するために、 

色々な役割を演じてくださっているのが、友人・知人・家族たちとなります。 

様々な役目があります。

・親切な役

・憎まれ役

・味方、敵

・殺し役、殺され役

・運命を回転させる推進役

・親、兄弟、友人、同僚役

全部この因果の法則の「結果」部分の出来事を、

私たちの人生という大舞台で、一緒に演じてくださっています。

ブッダが縁起の法則で言うように、私たちの人生ストーリーは、 

寸分の狂いもなく決まっており、私たちは、その流れに身を任せるだけです。

ブッダの言うように、私たち生きている間の

・意思や努力

・必死なもがき

で変えられることは 0パーセントです。

変えられません。

ましては他人(子供や家族を含め)の人生を、

私たちの自分勝手な価値観で、変えさせようとすることなど不可能です。

因果の法則も、縁起の法則も、神様が決めた法則です。

つまり「慈悲や愛」に根ざしているということです。

神様と私たちが生まれてくる時に決めてきたシナリオは、

私たちの魂の成長を目的に書かれていますから、愛そのものと言えます。

私たち生きている人間は、起こってくる出来事を

「あるがまま、ありのまま」 

に感謝して受取り、下手にもがいたり、変えようとは思わず、 

神様を純粋に信じて生きていれば、それで良いようです。

難しいことはありません。

自然界に生きる、動物や植物たちと同じです。

私たち自身の決断も、行動も結論から言えば、もう決まっていることです。

私たちは神々の「愛」を信じ、「あるがまま、ありのまま」の流れに任せ、 

神々が織りなす愛と善を、自分自身の役割として演じながら、 

味わい、理解するための経験を、この地球でさせていただいているのかもしれません。

因果の法則とは、

盗んだから盗まれる。と言うような単純な反応ではなく、

様々な因が絡まりあって、結果を生むようです。

激しい結果を受け取ることで、

一気に沢山の因の解消を図ることもあるようです。

(そのためには強い魂である必要がありますが)

これも神様と相談して人生ストーリーに組み込まれます。

そしてもう一つ大切なことがあります。


既に因果の法則の「因」を燃やしつくした方も、居らっしゃるということです。

その場合、因果の法則の因に縛られることがありませんから、行動の自由度も増しますが、多くの場合は、既に高貴な魂となっていますから、

自己犠牲的な、人類の成長に貢献するような出来事を

人生ストーリーに組み込んで来られる方がいらっしゃると言うことです。

3.11の東日本大震災では、多くの犠牲がありましたが、

その方々の貴重な生命の犠牲をキッカケとして、日本の集合意識は大きく目覚めました。

神々の計画であった、精神性の復活の時代が始まりました。

生きている人間からすると、 

「死」と言うものは永遠の別れ、悲しいもの、忌み嫌うべきものと捉えがちですが、 

大きな永遠の生命の流れの視点から見れば、一つの通過点という意味になります。 

悲しいことではありません。

また逢えるのですから。

ですがその分、生きている人々に大きなインパクトを与える出来事になります。

悲しい、苦しそうな、辛そうな死を迎えた人も

そこには大きな意味があったということです。

決して偶然に、運悪く、バチが当たって死んだわけではありません。

それをきっかけに世の中の流れが変わったのかもしれません。

周りの人の心に何か変化が起こったかもしれません。

自然界を見れば、この自己犠牲的な死を選ぶ動物や植物は沢山います。

それは、その動物たちの集合意識が、個の生命よりも集合体としての

全体の存続を選んだ時です。

決して自分が死に役になったからと、不平・不満を言う者はいません。

人間も同じです。本当はそんな純粋な心を持っています。

人間の肉体の生体反応では、頻繁にこのことが行われています。

ある細胞が犠牲になることで、他を生かすようなことが沢山あります。

たとえ私たち残された者たちの顕在意識が、疑問、不満を持ったとしても、 

本当は潜在意識、次元の上のレベルの私たちの意識では納得しています。

それが最後の別れではないと知っているからです。

その出来事を通過することで、 

全体の調和と進化が測れることが分かっているのですから。

死別は大きな出来事です。

その隠された秘められた大切な、壮大な意味は神様しか分かりません。

ですが、神様は私たちを見捨てません。 

裏切りません。愛そのものです。

残された私たちは、今 目の前の人、事を大切に、誠実に生きることで、 

亡くなった大切な人たちと、死を乗り越えて、また笑顔で会えることでしょう。

そして秘められた秘密は、死を超えて、その再会の時に 

きっと明らかにされることでしょう。


2026年6月19日金曜日

4293「肉体の属性、魂の属性」2026.6.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月04日の記事を紹介します。


「肉体の属性、魂の属性」


例えば素晴らしい住職さんがいらっしゃって、

その方が多くの檀家の方々や、

近所の方々を助けていたとします。

その方が亡くなった後を継いだ子供たちが、

前の住職と同じようなことができるかと言ったら全くそういうことはありません。

親子と言えど魂の本質が違うからです。

たとえ姿形が似ていようと、

考え方やその人間性においては全く異なる道を歩んでいます。 

遺伝に関して言えば、才能や人間性のうち、

才能は肉体に付随する部分も少しあるので、

遺伝する部分もあるかもしれません。

ですが人間性は全く別です。

人間性は人間の肉体に付随しない性質だからです。

人間性は肉体ではなく、

その魂に付随するものだからです。

生死を超えた永遠に存在し続ける、

私たちの魂に属するものだからです。 

ですので、たとえ素晴らしい人物であっても、

果たして子供にまでその素晴らしさが伝わるかと言ったら、

そうではありません。

芸術的才能、その他の才能は少しは伝わるかもしれません。

それが肉体に付随する、条件反射、

肉体の構成から来る癖や思考方法など

肉体そのものに属するものであれば、

それは遺伝する可能性もあります。

ですが、

・人間性・・

・道徳的感

・倫理感

・人を思いやる心

・愛の深い心

それらは、遺伝で伝わるものではありません。

魂とは永遠不滅のものであり、

たとえ親子であろうと全く別物だからです。

それぞれが神さまから頂いた魂があり、

神様の許しを得て親子と関係として地上で今暮らしています。

ですが魂の属性は 一人一人の人間で全く異なります。

親子間で全く感性や意見が異なり、

相入れない時も、

夫婦がまるで敵同士のような時も

人間の魂は全く別物なので、

そんな関係性になる時もあります。

ですがそれにも意味があり、

神さまの許しがあったから家族になったわけです。

感情の星、地球では、

感情を利用して魂の進化・向上が図られます。

この方法は非常に有効に機能します。

まさに大神様が地球と言う星を作った理由です。

私達家族は、時にぶつかり、時に深くわかり合い、

様々な感情を揺さぶられながら、

お互いに魂の進化を図っています。


2026年6月18日木曜日

4292「青空ひろば」2026.6.18

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


1761 2026.05.27 ~ 1762 2026.05.28

<人生を面白くする方法は?>

(ああ、アタマの暴走が始まったなあと気づいたら)

① 気分転換法 遠くをながめる 小さなものを見つめて話しかけたり、微笑んだりする。喫茶 編み物 調理 散歩 趣味。

② 息吹放ち法→モヤモヤをフッと強い息を吐いて吹き飛ばすイメージ法。

③ 身体復帰法 カラダを軽く叩く、その場でジャンプする→アタマは暴走するが、カラダは<今・ココ>にしか居れないので、カラダに意識を集めると<今・ココ>に復帰出来る。

Q3.気分を変えても、しばらくしたらまたアタマの暴走が始まるので、ムダなんではありませんか?

A.人生は、<今・ココ>、<今・ココ>・・・です。今やれることを精一杯やればいいのです。先のことに「第二人」を作ってはいけません。(完)


1758 2026.05.24  ~ 1760 2026.05.26 

<「幸せ」とは何でしょう?>

Q1.日本人はどんな時に「しあわせ」を感じてきたのでしょう?

A.

「さち(幸)」の語源:獲物をとらえる霊的威力ある道具。その収穫物→これは日本人の「しあわせ」ではない。

「しあわせ」という日本語の語源:「為・合わせ」

① 今やっている行為(仕事・対象となっているモノや人)と一体となれている時に湧いてくる感情

② 目的を共有する仲間と一体(連帯・団結)となって行動できている時に湧いてくる感情


「直下(じきげ)に第二人(だいににん)なきことを知るべし」(道元禅師の言葉「弁道話」)

「直下(じきげ)」:<今・ココ>

「第二人」:<今・ココ>に存在する本当の私(第一人)、<今・ココ>をお留守にしてアタマが暴走して作り出している二番目の私

「第二人」が出来てしまうと、「しあわせ感」は消えてしまう。


Q2:なぜ、「第二人」が出来てしまうのでしょうか?

A.アタマが、過去や未来や他の場所へと暴走するから。

(ポイント)アタマの暴走を止めれば(無心に近づくほど)、人は「しあわせ」になれる。(完)


1756 2026.05.21  ~ 1757 2026.05.23 

<なぜ「あなたはあなたであることが尊いこと」なのか?>

(ポイント)

・人類の魂の成長のためにはどうしても必要だからと、神は「あなた」という存在を生み出した→「あなた」が存在しているのは「神の要請」。

・「あなた」の位置に根付いて成長してゆけるのは「あなた」だけ→「あなた」の代わりが出来る人はいない、「存在の独尊」。

・人類の魂の進化過程ゴールインは「あなた」の成長にかかっている→「あなた」が「あなた」をそのように生きていることが人類全体に対する、大きな「貢献」なんだ。


「数歌祝詞(かずうた のりと)」を称えましょう。

一二三四(ひふみよ) 日踏み(ひふみ) 日の行進(ひのこうしん)

五六七八(いむなや) 嫌むな(いむな) 日の肥やし(ひのこやし)

九十だよ(ここのたりだよ) 個々の足り(ここのたり)

今・ココ・我を(いま・ココ・われを) 受け入れて(うけいれて)

許し(ゆるし)、愛して(あいして) 踏み出せば(ふみだせば)

百千萬(ももちよろうず) 百力結集(ひやくりき けつしゆう)

神の力が(かみのちからが) 我が身にはたらく(わがみにはたらく)

自分を超えた(じぶんをこえた) 力がみなぎる(ちからがみなぎる)

湧喜 湧喜(ゆうき ゆうき) 湧輝 湧輝(ゆうき ゆうき)

日満子の光進(ひみこの こうしん)

さあ、日出る時(ひ いずるとき) 踏み出しの今!(ふみだし の いま!)

(完)


1754 2026.05.19  ~ 1755 2026.05.20

<禅は「君はそのままの君でOKなんだよ」と教えてくれる>

趙州禅師にある僧が質問しました。「イヌにも仏性(仏となる可能性)が有りますか、無いのですか?」

趙州さんは、「無(ない)」と答えました。

どうしてイヌには「仏性」がないのでしょうか?

どうして大敬には「仏性」がないのでしょうか?


どうしてイヌや大敬に「仏性」がないのか?

答えは,ズバリ単純です。「あなたや大敬さんが<仏!>だからです」

「可能性がある、伸びしろがある」なんて言われて喜んでいちゃあダメなんです。

「このままのワンちゃんや大敬君が仏なんだ。文句あるか」と躍り出してゆかねばならないのです。

「禅」という漢字は、神事を表す「しめすへん」に「単」です。あなたがこれからどこかに向かうのではなく、あなたが「あなた」に無事に戻れたところが「禅の悟り」なのです。(完)


1752 2026.05.17 ~ 1753 2026.05.18 


<しあわせのなるための土台>

若き日の大敬は、自分が「嫌い」でしょうがなかった→自分が「嫌い」→その「嫌い」の影を人に投影して、嫌いな人・敵の人を作ってしまう。

自己否定すると→自己を罰する世界を投影して生み出してしまう(これを「自己処罰」・「自傷行為」と言う)

「自己肯定」出来るようになると→その「肯定感」を周囲に投影して、「肯定」の世界を作り、「しあわせ」な環境に囲まれて生きられるようになる

(ポイント) 自分を許し愛せるようになることが「しあわせ」になるための土台です。(完)

 

2026年6月17日水曜日

4291「神さまの贈り物「ありがとう」」2026.6.17

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月03日の記事を紹介します。


「神さまの贈り物「ありがとう」」


さて本日のテーマ「ありがとう」と言う言葉は日本語にしかない言葉ですが、

この言葉の持つ言霊は、この地球において相当大きな役割、

つまりキーワードのようです。

私のブログのタイトルも「いっぷくからのありがとう」です。 

さて小学生の神様トキ君が、最高位の造化三神の一柱

高御産巣日(タカミムスヒ)の教えとして

(ありがとうについて)伝えてくれています。

・「ありがとう」を1万回唱えることで、願いが絶対にかなう

・運気が上がる

・悪魔的な存在に対してバリヤーの役割を果たす。弾き飛ばされてしまう

その他には

・愛を沢山周りの人に与え続ける事

・そうすると、もう幸せなことしか起きなくなる

・お金がどんどん入ってくる

少し補足します。

神様が3次元地球(現世)に「お金」を作った目的は、

それを使って、みんなに幸せな気持ち、心になって欲しいから。

「愛」の心から作りました。

だから

宇宙の法則の通り、「愛」を他人に与えれば、自分に「愛」が返ってくる。

心の豊かさ、楽しさ、幸福だけでなく

物質的な「愛」の表現である「お金」もめぐり巡って、自分の所に入ってくる。

そのような理屈です。

ですから私たちがお金を使う時、

・物を手に入れる

・美味しいものを食べる

など物質的な目的ではなく

「お金」を使うことで、関係するみんなが 

・喜ぶ

・笑顔になる

・心が豊かになる

・心が綺麗になる

・勇気が出る

・安心する

などのために使うことで、

結局は「お金」を「愛」のため、

人々の心、魂のために使うことになり、

自らを意思を持つ、神さまの作った「お金」も喜んで

仲間を連れて私たちのもとに来ることになります。

また高御産巣日(タカミムスヒ)さまが、

人類に気を付けて欲しいこととして

・人を憎まない事(にくしみ)

・人を恨まない事(うらみ)

これらは神様が一番嫌がること。

・怒ること(いかり)は、一瞬の感情の動きなので、

それを引きずらなければ許される

・怒りの後、笑顔にすぐ変えること

このような直接的な神様のお話を伺うと、やはり神様が見ていらっしゃるのは、

私たちの心。

その心が

・清いか

・明るいか

・自分のやりたいことを自由にやっているか

・心がワクワクしているか

・思いやりがあるか

・愛があるか

全て心の問題だけを見ています。

とかく私たちは神様仏様に

・お金持ちになりたい

・病気を治したい

・良い配偶者に巡り合いたい

・良い学校に入りたい

・良い会社に入りたい

など物質的なことを望みがちです。

また

・霊的なこと

・不思議なこと

・ワクワクすること

・怖面白いこと

などを望みがちです。

ですが神様の視点はそこにはありません。

現実の生活の中での、私たちの心の在り方だけを見ています。

そこを間違えず、神さまの望まれる道、人生を歩けば

私たちは必死に歯を食いしばって努力せずとも

幸せな人生を全うできるようです。

きっと、この日本にかつてあったユートピア

縄文時代は、そんな神様と人間が一体となった時代だったと思います。