2024年7月27日土曜日

3501「今日という日」2024.7.27

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月22日の記事を紹介します。


「今日という日」


皆さんは今

・ご家族と一緒に暮らしていますか?

・仲良くされていますか?

それとも、

・顔を見るだけで、ため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?

・言うことを聞かない子供、

・自分勝手な旦那さまなど・・

今日は、その方のお顔を思い出して、読んでみてください。

 

あるご家族の娘さん(7歳)が亡くなりました。

子どもを亡くしてから一年経ってもこのご夫婦は 

「娘にもう一度会いたい」と嘆いていました。 

ある日のこと、色の天使がその夫婦の前に突然に現れて言いました。

「今、あなたの持っているすべての財産と引き換えに、 

亡くなったお嬢さんと一緒に過ごせる日を 

一日だけプレゼントできますが、 どうしますか?」 

その夫婦は迷うことなくOKしました。 

そして水色の天使が続けて言いました。 

「しかし、ルールがあります。

あなた方は、プレゼントされた1日が終わるまで、 

今ここで約束したことや、 

お嬢さんと死別したことなどの記憶は消されてしまいます。

それはまるで、過去に戻った一日を自然に過ごす感覚ですよ、

それでもいいですか?」 

その夫婦はお互いに顔を見合わせて

ゆっくりとした口調で

「分かりました。」 と返事をしました。 

その瞬間パッと光が・・・  あっ!まぶしい・・・ 

次の瞬間には、いつも通りの朝になっていました。

ですが、夫婦は、天使と約束したこと、

娘が死んでしまう事など、 

一切の記憶を無くしていました。

そうです、娘が生きていた頃の何気ない一日の始まりでした。 

 

朝から「早く起きなさーい!!」妻の大きな声。

パジャマ姿で機嫌悪そうに起きてきた髪の毛のボサボサな娘。

眠たい目をこすりながら新聞を読む夫。

貴重な貴重な一日が始まりました。 

私たちが生きている今日は、

それは、いつか未来に水色の天使に 

全財産と引き換えに頂いた「今日」なのかもしれませんね。

もう一度、最初の質問をしたいと思います。 

皆さんは今

・ご家族と一緒に暮らしていますか?

・仲良くされていますか?

それとも、

・顔を見るだけで、ため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?

・言うことを聞かない子供、

・自分勝手な旦那さまなど・・

その方が、明日は、いなくなってしまうかもしれません。

もし、胸がきゅんとなったのなら、今の何気ない日々の暮らしの中で、 

周りの身近な方々にどうぞ笑顔で、優しく接してください。

今日のこの日は、永遠に続く日々ではありません。

家族もいつかは離ればなれになってしまいます。

・手のかかる、言うことを聞かない、心配の種の子供も・・

・自分勝手な夫も

・嫌味ばかりを言う親も

明日はいないかもしれません。

いつか、別れの時が来ます。

ともに、この地球の同じ時代に生まれ、そして縁によって結ばれた家族たち

それは、私たちの魂を、磨き合う仲間でもあります。

 

外見の態度や言葉で切り捨ててしまうのではなく、

その心の奥にある、魂を見つめたいものです。

私たちは、生まれる前に、その魂同士で約束してきたのですから。 

それから、今日は、もう一つテーマがあります。 

皆さんの中には、お子さんを早くに無くしてしまった方も居るかと思います。 

病気や事故、もしかしたら自死もあったかもしれません。

医療ミス、過剰な薬物投与。 

自分より先に、かわいいわが子を無くすことほど、苦しく、辛く、悲しいことはありません。 

世の中全部が敵に見えるかもしれません。 

幸福な家庭が憎くなるかもしれません。 

心の中は、

切なさ、後悔、やりきれなさ、憎しみ

で一杯になってしまうかもしれません。 

ですが、ここで、少し考えていただきたいのは、

先に逝ったわが子、愛しいわが子は 

愛する父と母の心が

自分の死によって、そのような黒い心になってしまうことを

望んでいるのか?

ということです。 

 

肉体を去っても、存在が消えたわけではありません。

より自由度を増した、魂の存在として、元の世界に戻っているだけです。 

私たちも肉体を去れば、必ず会えます。

心が通じているのですから。 

その愛しい子供たちが 自分の死によって、父や母の心が黒く変わってしまったら、

悲しむに違いないのです。 

憎しみのあるところ、幸福も、健康もありません。 

愛と許し、感謝のあるところ、神さまの光が照らします。

幸福があります。 

どうか、たとえ、愛しい子供たちが夭逝(ようせい)したとしても、心を黒く汚すことなく、 

悲しみは悲しみとして、しっかり受け止めて

そして次には前を向いて欲しいのです。

笑顔を、周りの方々に向けて欲しいのです。 

きっと、天国の子供たちも、愛する、父や母に、 

そのような神様の道を歩んで欲しいと願っていると思うのです。



2024年7月26日金曜日

3500「青空ひろば」2024.7.26

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の内容を紹介します。


1413 2024.07.10 

法華経の最後の一句は「作礼而去(さらいにこ)」。

これは「礼をなして去る」という意味。

過去の辛い思い出や現在の嫌な人との出会いや出来事、それらに「ありがとう、君たちのおかげで私は成長できました」と感謝できるようになった時、それらワザワイさんたちは使命を終えてサラリッとあなたから離れて去っていってくれるのです。そのことを「作礼而去」は教えて下さっています。

「ありがとう」が「さよなら」なのです


1412 2024.07.09

「花模様」

左へ右へよろけたり ぐるぐるめぐり、あともどり  

ちっとも決まらぬ僕の道

これでいいのと 時々落ちこむ  

そんな時、「それでいい」と 言って下さる方がいる

天から見ると僕のたどった道が 

きれいな花模様になっているそうだ

その方の言葉を信じて 僕は淡々と歩いていこう


1411 2024.07.08 (しあわせな人生を生きるためにやりたい事)

(1)坐禅行→身心のバランスが整い、あなたをふしあわせにする自他を隔てる「囲い」が解けます

(2)布施行→人のために差し出す手・運ぶ足で「自他を隔てる囲い」が破れ、しあわせ感が大きくなります。

(3)随喜行→人も成功や悦びを見て、自分もそれを喜び、賞賛すれば、その人の悦びを自分もまた体験することになります。

(4)薫習行→しあわせな人と親しくなれば、そのしあわせの波動を受けて、自分もしあわせになれます。

(5)無為行→テレビやパソコン、携帯の電源を切り静寂の時間を持とう。

(6)スポーツ行→頭にゆくエネルギーが減り、「囲い」が弱くなります。

(7)読経行→特に「延命十句観音経」を唱えれば、いのちを延ばすことができます(寿命・可能性・束縛からの解放など)。


1410 2024.07.07  ネット記事より

<科学が証明した、すぐしあわせになる16の方法>

〇 すぐにしあわせになれる、ちょっとしたこと5つ

 ①ほほえむ ②背筋を伸ばして大股で歩く ③声をあげて笑う

 ④お茶の時間など、小さな瞬間を楽しむ ⑤ほかの人に親切にする

〇 毎日の習慣になるとしあわせになる6つのこと

①祈る ②動物と遊ぶ ③感謝の日記をつける 

④楽しい音楽を聴きながら共同作業をする ⑤睡眠を十分にとる 

⑥公園に散歩に出かける 

〇 少しがんばるとしあわせにつながる5つのこと

①運動する ②瞑想する ③セックスする ④ボランティア活動に参加する 

⑤旅行に行く


1409 2024.07.06 (黒住宗忠公の話)   

両親亡くなり→悲観の末結核になる→死を覚悟する→「心を暗くしたから病気になった、心を明るくすれば治る」のではないかと気づく→以下の行をはじめる

①感謝行 ②陽気行(面白い事楽しい事を見出す) ③笑顔行 ④しみじみと味わう行

→次第に回復→身を清め、朝日を拝む→太陽神霊が腹に宿る→人の病を治せるようになる


1408 2024.07.05

ある人が、金光教祖に「信心はどうしたらできましょうか」と質問した。

教祖の答え「信心といっても別に難しいことはない。親にものを言うように、朝、起きたらお礼を申し、その日のことが都合よくいくように願い、よそへ行く時には、行って参りますと言ってお届け申し上げよ。そして、帰って来れば、無事で帰りましたとお礼を言い、夜、寝る時はまた、その日のお礼を申して寝るようにすれば、それで信心となる」と説かれた。

また、ある人が「神様の拝み方が分かりません」と質問しました。

「神様を拝むのに、この道では別に決まりはない。形より心だ。実意丁寧正直、真一心(まこと 一心)がかなめだ。

日々この天地に生かしてもらっているお礼を申して、その次に、お互いは凡夫の身であるから、知らず知らずのうちに、この天地にご無礼をしているのが道理だから、それをお断りしおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもってお願いさせてもらうがいい」と教えて下さった。


1407 2024.07.04 (闇の波動に影響されないレベルの波動を維持するには?)

(1)心に蔓延(はびこ)っている雑音を出来るだけ減らして、「空」の状態に近づけること。

(2)自分も人も世界も、共に魂の進化過程にあって、これからますます成長し、いい未来が開けてくるんだと、自分や人や世界の明るい未来を信じること。

(3)自分より、まず人や世界のしあわせを祈ること。


1406 2024.07.03 

シャカもイエスも/蹴っ飛ばし/地位も名誉も/蹴飛ばして

オレはオレだと生きてゆけ

ウジウジするな、前をみよ/胸を張り張り、堂々進め

そうすりゃ不思議/やれ不思議

みんなぞろぞろ付いてくる/「待って、待って」と付いてくる

宇宙全部がゾロゾロと


1405 2024.07.02 

どんな事がやってきても、それは自分の仏性(神性)が、さらなる進化向上のためにどうしても必要だと引き寄せて来たものなのだから、そこから眼を逸らさず、しっかり直面して、本腰で関わってゆくことにすれば、その「覚悟の今」にこそ悟りはあるのだ。


1404 2024.07.01 (坐禅で得られる四つの智慧)

① 「三昧無礙の空ひろく」:三昧(万物一体)、無礙(障害物なし)         

② 「四智圓明の月さえん」

四智とは  

(1)大円鏡智:「いのちはひとつなり」と知る智慧

(2)平等性智:「どのいのちも上下、尊卑がなく平等に尊い存在だ」と知る智慧

(3)妙観察智:平等だけれど一様ではなく、それぞれ異なった特長や使命をもっているのだ」と知る智慧

(4)成所作智:「以上の三つの智慧をその場、その時、その人にあわせて一番適切な行動がとれる」という智慧


1403 2024.06.30(坐禅すれば開けてくる世界)

① 「因果一如の門ひらけ」:そう思えばそうなる(想いがすぐに現実化するようになる)

② 「無二無三の道なほし」:最善・最適の道が歩めるようになる  

③ 「無相の相を相として」:どんな形の器にもぴったり収まる

④ 「行も帰るも餘所ならず」:いつでもどこでも宇宙の中心にいる

⑤ 「無念の念を念として」:カラッポだから次々いい案が浮かぶ

⑥ 「謡ふも舞ふも法の聲」:いつもどこでも「神流楽(かんながら)」    


1402 2024.06.28

(本文)「衆生近きを知らずして/遠く求むるはかなさよ/譬へば水の中に居て/渇を叫ぶが如くなり/長者の家の子となりて/貧里に迷ふに異ならず 

(解説)

「氷」の存在を否定したり、取り去ろうとしないで、存在を受け入れ、認め、許し、愛せるようになれば、いつの間にか「水」の変化している。

→仏とは、ありのままの私を受け入れられるようになった人のこと


1401 2024.06.27 

(白隠禅師坐禅和讃より)

(本文)「衆生本来佛なり/水と氷の如くにて/水を離れて氷なく/衆生の外に佛なし」

(解説)仏は「心が水」,衆生は「心が水+氷」。  

氷とは?:「心に出来た冷たい固まり」

氷の正体:過去からの持ち越し苦労(後悔・憎しみ)、未来への取り越し苦労(恐怖・不安)

「氷」も「水」も同じH2O 温めてやると「氷」はゆるんで「水」になる→「大乗の坐禅」は「温める坐禅」


1400 2024.06.26 

地蔵菩薩真言(地大)

オン カカカ ビサンマエイ ソワカ     

(帰命したてまつる ハハハ(笑い声) 稀有なる尊よ 吉祥)

不動明王真言(火大)

ノウマク サンマンダ バーザラダン センダン マーカロシャーダ 

ソワタヤ ウンタラター カンマン

(金剛部諸尊を礼したてまつる。暴悪なる大忿怒尊よ。破砕したまえ。忿怒したまえ。害障を破砕したまえ。ハーン(大空)。マーン(無我)。)

観音菩薩真言(水大)

オーン アロリキア ソワカ     

(帰命したてまつる 泥土より生じた者(蓮華尊)よ 吉祥)

弁財天真言(風・水大)

オン ソラソバ テイエイ ソワカ

(帰命したてまつる サラスバティ女神に 吉祥)

虚空蔵菩薩真言(空大)

ノーボー アキャシャー ギャラバヤ オンアリキャー マリボリ ソワカ

(虚空蔵尊に帰命したてまつる。おお、怨敵を撃ち滅ぼす尊よ。吉祥)

大日如来真言(地・水・火・風・空大→識大)

オーン アビラウンケン ソワカ

(帰命したてまつる。ア(地)ビィ(水)ラ(火)フーン(風)カーン(空)吉祥)


1339 2024.06.25

「かーん」のことだまの詩

人生なんて/ カーンタン/アカンも/スカンも/あるもんか

スッカラカーンの/覚悟決め/アケラカーンと/進むだけ

人に頼らず/車を借らず/ヘタはヘタなり/一歩ずつ

エッチラ オッチラ/歩むだけ

人の評価は/どうであれ/自分の心に鳴り響く

キンコンカンコン/キンコンカンコン

歓喜の鐘だ/勝利の鐘だ


1338 2024.06.24

「どの人も…」

どの人も/精一杯の人生を/おくっています

どの人も/その人にしか歩めぬ人生を/歩んでいます

どの人も/宇宙でたった一人の/貴重な存在なのです

どの人も/本当はひとつに/結ばれているのです

どの人も/きっと「ひとついのち」に/帰り着くのです    

「君は君すればいい」

AさんもB君も/実は君なんだから/Aさんにできることは

Aさんに任せ/B君にできることは/B君に任せて

君は心置きなく/「君」していればいいんだよ


2024年7月25日木曜日

3499「無明の闇」2024.7.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月20日の記事を紹介します。


「無明の闇」


まだ無明の中(自分の中の神様と繋がらない)に生きていると、 

何処かの誰かのために、「させていただく」ということを 

何だか損をした、と考える人もいるかもしれません。 

物質的なことしか見ていなければ

・誰かのためにお金を出すだけで損をした

・自分のためではないのに労力かけて、時間をかけて損をした

そう思うかもしれません。 



 

ですが、 

・時が至り

・機が熟し 

無明の闇が晴れた世界に足を踏み入れた人にとって

全ての生命体は、繋がって一つであり 

他人のためにしたことは

自分のためにしたこと 

一見、他人にために

損をしたように見えることであっても 

時と場所を変え、

必ず自分に帰ってくること 

それも何倍にもなって帰ってくること 

それは、 

・良いことも

・悪いことも(いじわる、悪口、不平不満、裏切り) 

同じように 自分に帰ってくること

神々が全て見ていらっしゃること

その神々は、私たちの内にいらっしゃること 

  

人知れず

良きことをすれば、 

神々が喜び

内なる自分自身も喜ぶこと 

心が喜びと平安に包まれること 

その幸せは、自分だけでなく

家族や、子供たち、子孫 

そして既に亡くなった祖先にまで影響すること 

宇宙にこだますること 

無明の闇の中から抜け出すことができた人にとって 

このことは当たり前のことであり、 

その法則の中で生きています。 

全ての生命体は、繋がっており

本当は一つであること 

これは、ブッダの時代から言われています。 

仏教が日本に入ってきた時から

高僧たちや、親鸞や空海などを通じ

述べられてきた真実です。 

  

いま、世界は「精神性の復活」の時代を迎え

 

神仕組みにより、

私たちのエネルギーは再び、内側

つまり自分自身の心に向けられる時代になってきました。 

多くの方々の無明が取り払われようとしています。 

 

 

何処かの誰かのために

「させていただく」精神は 

身近に、そして簡単に

私たちの心を、神々に近づけてくれます。 

損をするどころか

何倍もの幸福を連れて

私たちのところに戻ってきます。 

皆様が、

ご自分の心の内にいらっしゃる神さまに気づかれて 

お幸せになれますように

 


2024年7月24日水曜日

3498「因果を超えて」2024.7.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月18日の記事を紹介します。


「因果を超えて」


イエスもブッダも空海も、過去の沢山の偉人達も、 

そして最近では神仕組みの元、 

・宇宙から直接来た魂や

・神々の意識のまま生まれて来た子供たちも 

その全ての方々が、

霊的な不思議な現象のことではなく、 

地味ですが、心の持ち方について語っています。 

人々の心を整えることで、

そこから地球を良き星にしようとしています。 

全てのことが、私たち自身の心から始まります。 

決して、どこかの誰かが、 

何かをしてくれることにより

自分の運命が好転するわけではありません。 

依存する心は、返って魂の退化を招きます。

  

そして最近はますます思考が現実化するのが早くなったようです。 

これは心の状態が、現実に目の前に具現化されるのが早くなったと同じ意味です。

自分が意識するしないに関わらず、

心の中の情報が、現実化します。

ですから、テレビや本、最近ではSNSなど

自分がどのような好みで、それらの情報に触れているかによって 

否応なく

それが現実の世界で具現化して出てきます。 

ですから自分が触れる情報にも

よく注意が必要です。 

逆に言えば

自分の心に無いことは、

現象として発生しない・・・ と言うことになります。 

愛や、優しさや、思いやりも。 

また心の状態は、単純ではなく、

今世に置いて、自分で意識できることだけではなく、 

魂は永遠ですから、

過去の色んな人生を経てきて、染みついた魂のクセ 

神我(しんが)を包み隠している、 

・包身(ツミ)-本来の光り輝く神様と同じ姿の自分自身を隠してしまうもの

・氣枯(ケガレ)-神様のご神気の枯渇 

によって、その種子が、いつ芽を出そうかと潜んでいます。 

何か自分のやったことに対して、自分の思ったことに対して

直ぐに、しっぺ返しや、反応が現れるということは、 

それだけ、

・現在の地球自体の波動レベルが上がり

・体主霊従から霊主体従の 魂重視の時代に変わりつつあること

・自分自身の、魂の成長が進み、因果律による反応を受け止めても、

 今の自分であれば大丈夫、 それを研ぎ石として更に、魂を輝かすことができると 

 神さまが判断して、現象を起こしてくださったからです。 

  

自分の魂の進化が進まないうちは、

その反応や現象、出来事に耐えられないし、 

耐えられたとしても、そこから 

・何故そうなったのか?

・自分の心のどの部分が、その現象を起こしたのか? 

理解することもできないし、

そこから教訓を得ることもできないので、

現象や反応は、まだ先延ばしにされます。 

心の状態が現実化する。

これはブッダの説いた因果律、

まいた種は刈り取らねばならない・・ と同じことですが、 

このことは、バチでも何でもありません。

全ては神様の私たち人間に対する深い愛から発生しています。 

現象が現れた

例えそれが、自分にとっては、逃げ出したく、

できれば避けて通りたい出来事であったとしても 

神様が、それを起こるのを「善し」としたから起きた出来事です。 

私たちは、そこから逃げない限り、 

また一つ、ツミ(包身)を一枚、心から剥がし、 

光り輝く、もともとの神様の輝きを取り戻すことができます。 

しかし、せっかく、神様が、心の状態を現象として見せてくださっても

目をそらし、逃げたり、他人のせいにしたり、見なかったことにする、、

そうなると、

その現象は無駄になってしまいますから、 

再び、宇宙を巡り、さらに強力になり、

再び、機が熟した時に、神様が私たちに運んできてくださることでしょう。 

  

自分にとって嫌な現象が現れた時は、

実は大きなチャンスの時です。 

神様が、「今こそ、それに気づいて解消しなさい」

そんな時だからです。 

逃げないで、正面から受け止め、受け入れれば、 

一気に、嫌なことではなく、

魂を輝かせてくれる素敵な出来事に変わることでしょう。 

最初の一歩、 

受け止める、受け入れると決心することは、

「よし、変わろう」と決心することは、

大きな勇気がいるかもしれません。

今迄、魂にとって、そこが弱点だったから、現象が起きているのですから。

ですが、その時、私たちが決断することができれば、

一気に神々の喜びとともに、問題は解決してしまうことでしょう。 

神々を含め自然界から最高のサポートを得られることでしょう。 

この見える世界も、見えない世界も全て

私たちの心が作り出しています。 

その心が、本来の神様と同じ輝きを取り戻せることであるのなら、 

神々は、どんなことをしても、 

その大きな私たちの勇気ある決断を

後押ししてくださることでしょう。 

そして、その決断をした瞬間に

私たちの魂の、輝きがまた一段と増します。 


2024年7月23日火曜日

3497「素直になれたら」2024.7.23

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの 2024年07月17日の記事を紹介します。


「素直になれたら 」


さて、今日のお話は、

元伊勢道場長、中山靖雄三のお話をご紹介します。

障害のある弟さんを持った、お兄さんのお話です。

障害を持って生まれてくることも、全て生まれる前に、 

・ある目的を立て

・その目的を達成するために計画を立て

・この世に出てから関係することになる人たちの承諾を得て

・神様にその計画を承認していただき

・生まれる瞬間の星の影響などを考慮して

生まれて来るようです。 

綿密な計画です。 

特に障害を引き受けて生まれてくることは、

進化の進んだ魂にしかできません。 

そして本人だけでなく、周りにも大きな波紋を投げかけます。 

ですが、その波紋は、魂の輝きを増すための

大きな大きな試練の波紋です。 

当人たちが、天に帰った時、

その大きな意味が明かされることでしょう。 

では、今日のお話を始めます。

<引用開始> 引用元 

 

修養団で三泊四日の研修を終えられた最後の日に、

「帰ったら弟にごめんなさいって、お詫びをしたいと思います」

と言ってくださった方がおられました。

「私の弟は耳が聞こえません。

そしてしゃべることができません。

その弟と、おふくろと私と三人暮らしなんです。

親父が早く死んで、私が父親代わりで今まできました。

おふくろや弟を大事にしてやらなきゃいけないってことは、

いやというほどわかっていましたが、なかなかできませんでした。

今はおふくろに、

『母ちゃんは弟のことが心配なんだろう?

俺に安心して任せておきなさい』って言いたい気持ちがしています。

だけど、家に帰っておふくろの顔を見たら、

照れくさくてとうていそんなことは言えないような気がします。

ただ今日は家に帰って、弟を一回抱きしめて、

言っても聞こえませんが、

今までごめんって、お詫びをしたいと思います」

そう言われたのです。

それを聞いて、

「明日の朝、電話を入れるから話を聞かせてね。

絶対嘘つきにならんといてね」と言って別れました。

翌日、電話を入れると、私からの電話を待っていてくださったようでした。

「先生、やれました」そうおっしゃいました。

「ただいま」と帰ったら、弟が部屋にいた。

「謝ろう」と思ったのに、なんとなく体が動かない。

お兄ちゃんがいない間は、鬼のいぬ間でのびのびしていた弟も、

お兄ちゃんが帰って来たら、また「やられる」と思ったのでしょう。

気配を察して、弟が慌てて遊び道具を片付けて、

外に遊びに出かけようとしたのだそうです。

その時、弟の後ろ姿にだったから言えたのかもしれないけど、

「今までゴメンだったね」と言えたというのです。

今まで弟のせいで、自分がいじめられることもあり、

心の底では悪いなと思いながらも、

やり場のない思いを幼い弟にぶつけてしまっていた。

言葉で抵抗できない、

ものを言えない弟をいじめていたのだ、というのです。

それをお母さんはずっと見ていて、

知ってはいても、

お母さんもお兄ちゃんのつらい気持ちを思うと叱ることもできず、

そんな兄を見守るしかなかったという家庭だったといいます。

弟に申し訳なかったと思っている今の気持ちを、

なんとかわからせたいと思い、

外へ飛び出した弟を追いかけた。

すると、弟が必死に走って逃げだすのです。

「逃げんでもいいぞ」と言っても、弟には聞こえない。

いくつめかの信号でやっと襟首を捕まえたのですが、

逃げようとして七転八倒します。

なんとか、今の気持ちをわからせたいと思うけど、どうにもならない。

しかたがないから、襟首をぐっと引きずり寄せて、

回れ右させてて、自分の体に押さえつけるように抱き寄せながら、

「ごめんね、ごめんね」って、体をさすってみたのだそうです。

もがいていた弟も、 

いつもならボカボカってやられるのに変だな、

と思ったのか、ほっと顔を上げたのだそうです。

その弟のなんとも言えない恐々とした表情を見た瞬間、

あふれる涙を止めることができなかったといいます。

その流れだす涙が弟の顔にもポトリポトリと当たって、

弟にも何かが伝わった。

「先生、あいつが、何をやってくれたと思う?

俺の首ったまに、パッとぶら下がって、

『あ~っ』って、声にならん声を一生懸命搾(しぼ)り出そうとするんだ。

もし、ものが言えたら 

『にいちゃん、こんな嬉しいことはないよ、ありがとう』

と言いたいんだろうなって思ったら、

もうたまらなくて、みんながいる往来で

『ごめんな、ごめんな』の繰り返しでした」とおっしゃいました。 

 

それから一緒に家に帰って、お風呂に入って、

ご飯食べて、お母さんが布団を並べて敷いてくれたそうです。

いつもは必ず、布団を離して隅に持っていこうとする弟が、

その日は並んだ布団にすぽっと入って、すやすやと寝ている。

「言うても聞こえんし、寝てるし、わからんと思ったけど、

布団の上から『今までゴメンだったね、ゴメンだったね』って、

もう一度、お詫びをさせてもらいました。

こんな思いが、いつまで続くかわからんけど、 

精一杯大事にしてやりたいなぁ。

そんな気持ちでいっぱいなんです」とおっしゃいました。

みなさん、いろんな条件があるでしょう。

それぞれの条件の中で、今を喜びに変えながら生きていくこと。

それが、世界を清めていくのです。 

  

発達障害のピアニスト 野田あすかさんがいらっしゃいます。

22歳で発達障害とわかるまで、両親は自分たちを責め続けたそうです。

彼女が22歳の時、障害のパニックから自宅の2階から飛び降りて右足を粉砕骨折してしまいました。

その後遺症のため、現在でも杖がなければ歩くことができず、日常生活では車椅子が必要です。 

想像してみて下さい。 

その時の彼女の心

ご両親のお気持ち 

話を戻します。

 

このお兄さん。

さまざまな条件の中、素直になれなかったその方も、

初めてその人本来の本性(ほんせい)に立ち戻ったのですね。

そこに気づかなかったら、勝手な思いのままの性(しょう)でいってしまいます。

しかし、どんな人も、 

出来事を良し悪しにせず、

その条件の中で喜びに出会うご縁をいただいているのだと

気がつきさえすれば、

本性に立ちかえることができるのです。

人の本性はみな優しいのですから。

本性に立ちかえると、自分の心が安らげます。

大きな祈りの中で過ごせるものを、

みんな生まれながらにして持っているのです。

<引用終了>

  

みなさん、置かれた場所は異なります。 

何の悩みも苦しみも葛藤もない環境の人も

悲しみ苦しみの中にいらっしゃる方も 

そして、いろんな条件の中で、 

今あるもの、与えられているものを見い出し、

感謝して、花を咲かせようとする人もいます。 

不平不満、呪いの言葉を口にする人もいます。

生きているうちに 

・地獄に住む人

・天国に住む人と

分かれてしまいます。 

ですが、きっと

神さまは、私たちが生まれてくる時に 

どんな環境の中でも

喜びを見出し、みんな仲良く、感謝の心で過ごしてくるのですよ。。 

そう言って、送り出してくださったのだと思います。 

もうしばらくして、

私たちが、再び天に戻った時、 

神さまの、悲しむお顔は、見たくないですね。

笑顔でお会いしたいですね。


2024年7月22日月曜日

3496「封印された情報をアラハバく「REDEEMER」!2」2024.7.22

前編の続きです。

 

――「楽器」自身ですら気がつかなかったような

「弾かれ方」が存在するということ。

そしてそれがじつは画期的な「情報」だということなのですね。

 

一般的に語られる「情報」とは懸け離れていますけどね。

その楽器から「画期的な弾かれ方」を引き出しているかいないか。 

残酷な言い方かもしれませんが、それが無いのならそれは「情報」じゃない。

それは情報「のようなもの」。

 

――両者は似て非なるものですね。

 

情報「のようなもの」を基準として、物事を判断するならば、

それはおそらくほぼ確実に「間違える」わけです。

でもね、その決定的な「間違い」や「過ち」も、何十年も経ってから振り返ると、

不思議と全部「それで合ってもいた」となるのよ。 

いや、その当時は完全に確実に間違えていたのよ。

でも後々振り返るとまた違う解釈が生まれる。 

あの過ちがあったから今があると思えるようになる。

「今振り返れば全部あれでよかったんだ」と。

「もちろん間違っていたんだけど、それでもよかった」と。

それが「量子意識」というものです。 

世の中、無意味だったことなどひとつもなかった。

いや、「無意味と思ったけど、よく考えたら意味もあった」となる。

それでも私はだから生きて行くし行ける。

 

――まさに「ルックバック」ですね!

 

まったくの「未知」なる物事に対する「解答」を得たいと思ったとしても、

己の潜在意識は最初からすでに、すべてを知っているわけですから。 

ならその解答を得るための工程というものは

自分の外側のどこかを探し回ることじゃない。

じつは最初から自分の中にあった、

しかし失われていた叡智を「取り戻す」ことですよね。 

この働きというのは、私がよく申し上げている

「不当に奪われた地位名誉財産を

元の所有者の下に戻す働き」ということですよね。

これってつまり「贖(あがな)い主」のことであり、

「Redeemer」(リディーマー)のことですよね。 

換言すれば「アラハバキ」だね。

つまり、高度な情報を顕現させるための作業というのは、

己自身が「贖い主(Redeemer)」そのものであるという

姿勢、態度、認識のことなのですよ。

 

――そこで繋がって来るのですね。

 

価値の高い情報っていうのは、素性のわからないどこか未知の突拍子もない彼方から

人脈を駆使したりとかして、引っ張って来るものでは必ずしもない。

解答という「情報」を己の外部に求めさせようとしたのが、バビロン系南ユダ勢力ですよね。

大いなるひとつ「ヤハウェ」から自ら分離し独立した者たち。 

だから彼らはRedeemerの存在を血眼になって探してる。

自分たちを元に戻してくれる存在をずっと探し続けているわけですよ。

 

――彼らはそれを決して表に出さずに

有史以来の悲願として行動してきたんですよね。

 

人智では「覆水盆に返らず」ですからね。

人の手じゃ戻せないのよ。

彼らをヤハウェに「還す」ことのできる、プログラムはたったひとつしかないから。 

潜在意識の中にすでに最初からあったものの中から

お久しぶりに「顕現」させるもの。

それが「情報」というものの究極です。 

でもみんなそれを抜きにして、ネット上の一番目立つところに落っこちている

「結論」「結末」、あるいは「真実」に

無批判のままフリーライドしようとします。 

純粋な動機を持ってさらに追究するという作業というのは

じつは「コストをかける」ことに近い。 

フリーライドするということは、一番大事な「コストをかける」ということを

無意識に的避ける習慣をつけてしまう。

でも人は得てしてその行為を隠すでしょ。 

それはやはり本質への純粋な希求というよりも、ただみな自分だけは助かりたいという

すでに明白に前景化してしまっている、

「欲」というものに後ろめたさを持っているからでしょう。 

私たちは本当は背景を見なきゃいけない。

その背景っていうのは

「本音」であり

「潜在意識」の領域のことです。 

この幻想ホログラムとしての肉体なり、すべてのこの「世界」を描写し存在せしめている

「バックグラウンド」とは何か?

ここに心を傾けるということ、つまり眼差しを送るということ。

バビロン系南ユダ勢は、

この「バックグラウンド」をとうの昔に失ったの。 

自分たちを描写するプログラムデータが失われているのね。 

だからこのホログラム世界の中では、流浪の民を余儀なくされてしまって、

祖国すら描かれないという状況がもう数千年続いているわけ。

 

――だから日本が「宿主」にされて

しまっているのですよね?

 

その通りです。

だから彼らからすれば、この列島の本当の「主」が甦って

本当の霊性が復活してしまうことを危惧してる。

だって「宿主」として使えなくなっちゃうから。 

「満州」という「宿主」ももう存在していませんし。 

だから彼らのその「最終戦争」が今起こっています。

これが「日本が最後」の本質です。 

だから彼らはもはや形振り構わず、ネットで催眠術をかけてきます。 

でも彼らが発信するその「情報」には

「バックグラウンド」が無いのだということね。

だって自らの意志で分離し勝手に独立しちゃったのだから。

これがこの世でもっとも重要なことのひとつ。 

つまり、ネットの世界で、目の前に落っこちていた

その「情報」に記されている「結論」「結末」、あるいは「真実」は、

そのどれを取ってもなんと「ニセ預言者」によるものだった

ということが、こうして

自動的に導かれていくわけです。 

つまりそれは「Redeemer」(贖い主)であるはずがないんだよ、ってことです。

 

――本当に自然に自動的に

導かれたことがわかります。

 

「特殊なサングラス」をかけなくても私たちは「本質」を見抜くことが

できるようになったのです。

 

――「肉眼」で彼らを

確認することができるということですね?

 

そうそうできる。

こうして私たち人類はこれまで不当に奪われ、封印されてきた

「新しい哲学」というものを

「取り戻して」いくのです。 

ならば、今私がこうやって話していること。

つまりこのエスカレーターは

おそらく「合ってる」だろうということも自動的にわかってくる。

これこそが「情報」というものではないですか。

 

――これまで一度も見たことも

聞いたこともないお話しですね。

私たちは「情報」というものを軽んじて来たかもしれません。

それはこれまで本物の情報というものが

不当に奪われ、封印されてきたからなのですね。

 

そうです。

だから閉じちゃダメなの。

有史以来、バビロン系カバール空海らによってこれまで散々、閉じられ、封印され、

隠され続けて来たわけでしょ。

だからこれからはそれらを徹底的に「解放」していくことが

何よりも重要な作業となってくるわけです。

この作業を行うこと、あるいは者のことを

「Redeemer」というのです。

そしてその「Redeemer」の「復活」は明らかに異彩を放つ

桁違いの「情報」がすぐ横を、ぴったりと並走しながら顕現するはずです。

 

――壮大なドラマの、

しかもクライマックスが近いということですか?

 

シンプルに言えばそういうことです。

しかもそれらは「小」「中」「大」と、フラクタルに波及し展開しますから、

この「日本」の「鏡の度合い」を目撃する

当該ホログラム史上初の体験となると思います。

 

――まさに「どんだんず~?」ですね。

 

ホントそうですね。

これを「至上の愉悦」とするか、それとも「最悪の地獄」とするかは

まさに「人それぞれ」です。 

これはメカニズムのうちのごく狭い一局面の提示なのですよ。

そこに個人的な「感情」は一切無いわけです。

 

――澤野さん、紙幅の関係で

そろそろお時間となってしまいます。

この続きはまた次回のお楽しみということで

よろしいでしょうか?

 

もうそんなになりますか。

本来ならば久しぶりのインタビューですし、

直近の都知事選についてお話ししようと思っていましたが、

毎度のことながらかなり脱線してしまいましたね。

 

でも、頭の片隅に5%くらい都知事選のことは置いてありましたので、

じつは今日の内容は都知事選へのコメントも「兼ねて」いるんじゃないですか?

 

――全編に亘ってメタファーとして

成立していたとなるとそれは只事ではありませんね。

 

「名目」と「実質」ってやつですね。

 

――でも振り返ってみれば

たしかにそうだったかもしれません! 

でも今日の内容をお話しできてよかったです。

通常の私だったらこういう内容はなかなか出て来ませんから。

だから小野さんに本当に感謝です。

 

――なんもなんも。

今回も桁違いのお話しでびっくりしました。

 

いがったいがったイガメンツィ。 

私たちは今、過去の残滓をどう捉え、どう解釈し、どう受容し、

どう処理してくのかが、水面下でじつは問われています。 

目の前に起こるあらゆる「現実」には、

「バックグラウンド」が重なって、もつれていることがわかってきました。

これはQCがわざと見せている「この世の綻(ほころ)び」です。 

この両者を同時に重ねて、しかもその両者を混ぜることなく

同時に並行して意識できるようになること。

これが「量子意識」です。 

「白と黒」でも「光と闇」でもいい。

「過去と未来」でもいい。 

それは「中庸」を取ることではないですよ。

両極端を同時並行で意識すること。

「真ん中」とは全然違う。 

私の言う「新しい哲学」とは、

これまで封印され閉じられてきた潜在意識領域から

浮き彫りとされるものなのです。 

つまり、

「最も古い哲学」であり、

「最も新しい哲学」でもあるということ。 

これが「量子意識」ね。

 

――ありそうでなかった哲学であり、

なさそうであった哲学でもあるわけですね。

 

いいですねそれ!

あ、毎度のことではありますが、青森活字版「20番原稿」ができました。 

 

――今回はかなり熟成されましたよね。

 

いやなんだかよくわからないけれど、この時期にまでなってしまった。

自分でもわからないのですが「やっと出せた」という気分です。

 

――タイトルは決まりましたか?

 

『憑依する帝国』です。

前号「19番」の続きになります。

よろしくお願いいたします。

 

――ついに青森20作目となりましたね。

 

小野さんのおかげ以外の何ものでもありません。

私ひとりでは何ひとつできませんから。

本当にありがとうございます。

(澤野大樹)

 

――澤野さん、こちらこそありがとうございました!


 


5か月ぶりとなりました今回のインタビューでしたが

みなさん、いかがだったでしょうか?

本編に収録することができなかった部分もたくさんあります。

かなり長時間に亘るインタビューとなりましたので、続きはまた次回ということにいたします。

2024年は想像を超える猛暑となり、都知事選があって、そして9月の自民党総裁選挙が控え、、そして11月5日には米国大統領選があり、そして衆議院解散総選挙はどうなるか?

2024年の後半は何が起こるかわからないという、これまで経験したことのないような

緊迫した半年間になりそうな気配です。

そんな中、

澤野さんは様々な角度から驚天動地の論説を常に発信されています。

ザワザワ、ハカハカしっ放しの三次元ホログラム世界です。 

気が付けば世の中も様変わりしてきました。

カオス化しているように見えながら整ってきているのだと思います。

これからも決して没入することなく、楽しんでいきたいと思います。

今回もありがとうございました。

 

澤野大樹氏青森講演会主催

小野裕美子


2024年7月21日日曜日

3495「封印された情報をアラハバく「REDEEMER」!1」2024.7.21

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2024年7月14日の記事を2回に分けて紹介します。


「封印された情報をアラハバく「REDEEMER」!」

宇宙の中心で愛を叫ぶ (ameblo.jp)


こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催 小野裕美子です。

 

今回も本当に久しぶりのブログ更新となります。

前回の澤野大樹さんのインタビューは2月17日でしたから、5か月ぶりとなります。

この5か月の間、澤野さんは10回の講演会を行いながらも、深い思索の領域を旅していたのだそうです。 

そんな多忙な澤野さんの一段落した瞬間をキャッチし、インタビューをすることができました。 

さあ幕あいの時間は終わりました。

では始まりますよ。

5秒前___

4,

3,

2,

1,

それではどうぞ!

 

――澤野さん、こんにちは。

またまた久しぶりのインタビューとなりますが、よろしくお願いいたします。

 

いやあ、またもやお久しぶりですよね。

こちらこそどうもどうも。

 

――この5か月の間、

以前にも増して活動的に見えましたが、ご自身で振り返ってみてどうですか?

 

たしかにそのとおりです。

平凡な言い方かもしれませんが、ホントに頑張ったなあって思います。

わかってくださって嬉しいです。

 

――膨大な執筆量でしたよね。

 

そうそう。

猛烈に執筆しました。

活字版の20番と21番をほぼ同時並行で執筆していますから、頭の中こんがらがってましたよ。

 

――原稿が完成したと思いきや、

そこからかなりストップしたりしていましたよね。

 

熟成とポリッシュが入るからです。

でもそれらは総じて私の意志じゃない。

自分でもなんで止まっているかわからない。

普通に1か月とか止まるから。

再び書き始めるのも自分の意志じゃない。

大きな動きはエスカレーターみたいに、最初っからずっと動いているの。

私はそれに足を乗せるだけ。

だけどそこに足を乗せるのに1か月とかかかる。

 

――不思議ですね。

無理にやろうとはしないということですか?

 

抗ったらダメ。

本当に不思議と自然に、ぴったり当てはまるものが、きちんとしっかりと明確に現れてくれる。

そのためには時間と心の余裕がなきゃいけない。

急ぐと絶対にうまくいかない。

 

――ただでさえ今の世の中は

なんでもかんでも急ぎますよね。

 

コスパ、タイパを最優先とする風潮がありますけど

それはうまくいかない人を量産するためのもの。

じゃあうまく行くためにはどうしたらいい?

 

――時間とコストをきちんとかけるということですか。

 

たったそれだけよ。

コストと時間を十分にかけて創作された

工業製品でも芸術作品でも同じことで、

そうやって完成されたものは、必然的に結果として、もっとも合理的な仕上がりになるのよ。

だからコストとか時間とか、ホントは気にする必要なんかそもそもないわけ。

ここでいう「コスト」とは金銭的なこともあるでしょうけれど、

製品や作品そのものに心を傾けるという、労力とか眼差しの度合いも多く含まれます。

でも労力とか眼差しって定量的じゃないから人気はありませんよね。

 

――心を傾けたからといって

良い作品ができるとは限らないし、心の傾け度合いは数値化できないですよね。

 

そのとおり。

「ひらめき」とか「直観」というものがありますよね。

それって己のレベルに相応したものしか来ないのよ。

初心者には初心者ならではのひらめきや直観が降ろされる。

さらに言うと「心を傾ける」と言っても、それは「我」のことではないのね。

意味わからないでしょ。

それは気合いとも違うし、根性でもない。

ごく自然な働き。

それがどれだけ「自分の作品」に注がれたか。

でも自分ではコントロールできない。

だからエスカレーターに乗るタイミングは自分ではわからないのです。

 

――その「ごく自然な働き」が注がれるためには

どうしたらいいですか?

 

自分自身が「鏡」そのものだと認識できればいい。

QCの二次元プログラムデータを次元変換し

三次元物質ホログラム世界に「受肉」させるための

自我を超越した「鏡」であると認識すること。

 

――「認識すること」と言いましても

そのメカニズム全体を、理解しなければならないでしょうから、それは大変な作業になりますね。

それともうひとつ、「受肉」とはどういう意味ですか?

 

己のオリジナルで創造された製品なり作品は、出来る限り「現物」に落とし込むことが必要です。

あるいは現物を伴わせるということ。

このことを私は「受肉」と言っています。

QCのデータをホログラム化させることを意味します。

「己」という鏡を通過させたという証明が

いわば「現物」という形で示されているのです。

 

――「受肉」させるといっても、そのレベルがありますよね。

初心者の頃は拙く未熟であっても、練習を重ねることで上達していきますよね。

 

その通り。

受肉レベルを決めるのは、その人の下積みの量、反復継続の量に比例します。

天才的なピアノの才能がある子供でも、練習を重ねなければ花は開きませんから。

 

――下積みというのはとても地味で

目立たない作業の繰り返しですよね。

 

そう。

だからほとんどの人はやりたがらない。

「やりたいことだけをやりたい」って普通は逃げます。

才能はないけど注目はされたいっていう無いものねだり。

「やりたい」か「やりたくない」かを決めるのはまだ早い。

 

――下積みは承認欲求とは真逆にありますね。

 

誰にも認められない毎日が何年も続きますからね。

常人が到底やらないようなレベルにまで、到達した人の中から花開く人が現れる。

無限とも思える反復継続。

傍から見たらただの「意味不明な作業」。

 

――そのような大変な作業なんて

コスパ悪いし、タイパ最悪だとして

手っ取り早く「結論」や「結末」を求める風潮がありますよね。

映画を倍速で見たり、物語のネタバレを先に読んだり、

いわゆる「雑巾がけ」を避ける雰囲気はたしかにあります。 

めんどくさいもんね。

でもそれを避けてしまう流れが支配的になったがゆえに

とてつもない傑物が生まれ難くなってる。

先人の背中を見て学んでいくということが

かっこ悪く非合理的だと忌避されてしまっています。

せっかく水面下に才能が横溢しているのに。

 

――圧倒的に「敵わない」であろう先人の存在を

それでも追うということですね。

 

でもね、そんな風潮の中でも、しっかりと修行を積んでる若い人たちも

じつはたくさんいるんだろうなと私は思っています。

ちゃんとした人はきっとたくさんいる。

表だって見えはしないだけで。

この「失われた30年」を経たこの日本からでも、想像だにしないような

若きクリエイターが生まれて来ると思います。

すべてはパーフェクトですから。

 

――映画『ルックバック』を観てひっくり返りましたよ。

 

ホントそうですよね。

私も思わず受け身をとろうと、後ろを振り返りましたよ。

アニメ界にまさに革命が起きたわけですからね。

もうただただ放心状態になるしかない。

ルックバック「以前」と「以後」に

分かれてしまうくらいの衝撃度ですよね。

 

――途轍もない作品が登場してしまいました。

 

そうですね。

多くの作家が嫉妬に狂いましたが、

賞賛する以外に方法はありませんでしたから、

混沌とした異様な空気になりましたね笑

 

――時代や世を変え得るものというものが

どれほどのインパクトを与えるのかがよくわかりました。

 

しかしそれは音もたてずにやって来るよね。

そう、それはまるで「夜中に来る盗っ人のように」ね。

 

――それは下馬評とは違い、

センセーショナルとも違う登場の仕方なのですね。

 

その「存在」をきちんと気が付けるか?が大事。

そのためには人の機微についてとか、物事のあらましや構造についてだとかに

繊細で敏感でなければならない。

その繊細さや敏感さが、精妙な「ひらめき」や「直観」を生むのだから。

 

――精度の高い「ひらめき」や「直観」を得るためには

長年にわたる不断の修練が必要なんですね。

 

このホログラム世界には、ひらめきや直観が無限に溢れているわけです。

でもその中からみんな自分に見合ったものだけを、

そして自分で理解できる範囲内のものだけを

無意識的に選択して

さらにそれが最上のものだと錯誤しているわけ。

 

――たちどころに得ることができる

「覚醒体験」というものがいかに危険か、ということでもありますね。

 

若い時分ってのは反射神経は鋭いけれども、洞察力や判断力が未熟なのよ。

だから交通事故件数だって若い世代が圧倒的に多い。 

ということは、若い時分になんかの拍子に思わず興奮して

「これだ!」と判断し小躍りしたことのほとんどは

なんと「間違っている」可能性がきわめて高いということ。 

人生とはその錯誤の繰り返しなわけなのだけれども、

錯誤のレベルってものは成長できるわけよ。

でも最初にそれを最上って決めちゃったら

もうその先の成長は見込めないってなっちゃう。

 

――「ネットde真実」みたいなのは危険ですね。

 

完成された「結論」「結末」に飛びつくのはあまりに危険ですよね。

その多くが加工され絶妙に調整されて、そこに置かれてる。 

そう、あなたは釣り堀のクチボソとして

これから釣られる立場として狙われているのです。

 

――特に最近はネット世界もそのようなもので

溢れ返っているように見受けられます。

 

みんなが思わず喜ぶような、画期的な「結論」「結末」、

あるいはとびっきりの「知られざる真実」が

どういうわけかなぜかそこに落ちてるわけですよ。

なんでだかわかる?

でも多くの人がそれを嬉々として拾ってしまう。 

情報を高度に取り扱う者であるならば、目の前にキラキラ光り輝く

「結論」「結末」が落ちていたとしても、絶対に拾わないでしょう。

それって「罠」だよねって。

基本だよねって。

そんなこと明々白々ですよね。 

多くの人が初見で感動し、パッと見で「この人だ!」とか

「これだ!」とか思ったとしたら、それって調整され制御され計算され

演出されてますよね。

基本ですよね。

 

――澤野さんの考える「情報」とは

どのようなものでしょうか?

 

「情報」っていうのは調理するものです。

早朝から市場に出向いて、断片であるいろいろな食材を厳選して仕入れ、

それらを組み合わせた上で、己の技術とセンスで調理するわけです。

そして仕上がった状態を「料理」というでしょ。

 

――自分の力で作り上げるものなのですか?

 

いいえ、違います。

どんな料理が完成するかは本人もわからない。

 

――「すごいものを作ってやろう」とか考えたら

ダメなんでしょうね。

 

「情報」っていうのは、己の力量の度合いによって

「顕現なさる」ものであり、

「顕現される」ものなのですよ。

無地のキャンバスに突然フワっと浮かび上がって来るものなのです。

これが「オシント」(OSINT)

 (Open Source Intelligence)の根幹ね。

 

――表に出たがっている情報も

きっとたくさんあるのでしょうね。

 

ギターでもバイオリンでも同じですよ。

楽器自身が衝撃を受けるような、

楽器自身が知らなかった弾かれ方が顕現する。 

「私ってこんな弾かれ方できたんだ?」

「私ってこんな音が出たの?」って。

楽器が驚くのよ。 

楽器を磨いていい子いい子してる演奏家は「普通の演奏家」なのね。

平凡な演奏家は楽器にこだわる。

楽器にこだわっても超一流にはなれない。 

ごくひと握りの世界トップクラスの演奏家は、

楽器の方から「ボクを弾いてください」って懇願されるの。

つまり楽器を「従えて」いるのね。

だから壊していいの。

平凡な演奏家は壊しちゃダメですよ。

毎日朝から晩まで楽器をピカピカに磨いて、保険をかけておかなきゃダメ。

エドワード・ヴァン・ヘイレンの

あの伝説の名器「ザ・フランケンシュタイン」は

パーツショップで50ドルで投げ売りされていた

B級品のボディを元に自作されたものです。 

それは言ってみれば「がらくた」の寄せ集めなんですよ。

でも、そうやって自作されたギターは「驚いて」るんですよ。 

「楽器」が重要なんじゃないのです。

「誰が弾くか」が重要なのです。

これ今「楽器」でお話ししてますけれども

あらゆる分野にこれは当てはまることですよ。


後編に続く