2026年3月3日火曜日

4185「動物と人間」2026.3.3

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月18日の記事を紹介します。


「動物と人間」


今日は、犬や猫など動物と人間との関わりについてです。

家にも犬2匹、ネコ1匹います。(ネコは生後間もなく保護したねこです)

小学生の神様(山幸彦)トキ君のお話の中でこんなお話がありました。(一部補足含む)


神さまが犬や猫に与えた役割

犬の役割

・人を護るため

・人に愛を与えるため

・心配や不安を抱いて生活していると犬も共感力が強いため、心が苦しくなる・悲しくなる

ネコの役割

・人間の邪気(悪い氣)を吸い取ってしまう

・しっかりとこの仕事をさせてあげると、彼らにとってそれが一番の幸せ

・その結果、すぐに天国に行けたり、すぐに生まれ変われたりする 

犬や猫など人間のそば近くで生きる動物たちは

かなり進化の階段を上っているそうです。 

まだ進化の低い段階の動物たちは、決して人間とは交わることがないのだそうです。 

そして幸運にも人間のそば近くで、生きることのできた動物たちで、 

更に人間から深い愛を受けた生命体は、急激に進化の段階が進むことができるそうです。

最終的には人間として生まれてきます。 

またトキ君のお話にあった、ネコは飼っている人(家族)の邪気を吸い取る・・ 

この言い回しは非常に日本的で、日本古来の縄文の神様の意識です。

(やはり節々にトキ君が日本神界の行為の神様の生まれ変わりであることが伺えます)

つまり大祓祝詞(おおはらいのりと)の中に書いてありますように 

決して邪気・悪を消滅させてしまうのではなく、 

抱き参らせ、浄化し、清いエネルギーに変換・浄化してしまうという、 

美しくも優しい、縄文の精神です。 

家にも犬とネコがいます。

何だか愛おしくなってきますね。 

さて、以前「動物の進化の過程」について記事を書きました。 

以下掲載します。

死についてのお話です。

死と言うと、それは私達肉体がある者から見ると、 

・もの凄く違う世界への旅立ち、

・忌み嫌うべきもの・・ 

と思いがちですが、決してそうではありません。

今世の目的を終わらせ、神様から借りていた肉体をお返しし、

本来の魂の存在に戻り、次の進化の階段を進むだけです。

ですので身近な人の死に対し、 

残された人達が、何時までも何時までも

悲しんで引きずる事は良いことではないと言われます。

その残された者の強い思いは、強力なエネルギーを持ちますので、 

やっと予定通りの肉体での生活を終わらせ、

進化の道を進もうとする魂を引き留め縛り付け、

何時までもここ3次元の世界から離れることが出来ない状態にさせてしまいます。 

それ程人の想いは強いものです。

それがよくわかる例を1つご紹介します。

東洋の叡智であるヨガを西洋に初めて伝えた偉大な伝道師として 

広く世界に知られているヨガナンダのお話です。

ヨガナンダがインドに作った全寮制の学校での出来事です。 

(ヨガとは神との一致を意味する単語です。

一般的な体操のヨガは、神と一致するための技法のひとつです)

<引用開始>

ランチ(ヨガナンダが20代前半にインドに設立した学校)には、

われわれの自由に使用できる10ヘクタールほどの肥沃な土地があった。 

われわれはそこに、果物や野菜を栽培し、また、そこで戸外の作業を楽しんだ。 

動物もたくさん飼っていたが、

中でも一匹の子鹿は、生徒たちからたいそうかわいがられていた。 

私もこの子鹿が好きで、夜は自分の部屋に寝かせたくらいだった。 

明け方の光が射し込んで来ると、

この子鹿は、ちょこちょこと私のベットに歩み寄って来て、朝の愛撫を求めた。

ある日、私は用事で町へ出かけた。 

そのため、私はいつもよりも早めに子鹿に餌をやって、

子供たちには、私が帰るまでは子鹿に何もやってはいけないと言い付けておいた。

ところが、生徒の一人が私の言い付けを忘れて、ミルクをしこたま飲ませてしまった。

夕方私が帰ると、生徒たちが悲しい知らせを持って駆け寄って来た。

『子鹿が、ミルクを飲みすぎて死にそうなんです!』

死んだようにぐったりした子鹿をひざの上にのせて、私は涙とともに、 

神に子鹿の命を助けたまえと祈った。

2、3時間すると、子鹿は目を開いて立ち上がり、

力なく歩きはじめた。学校じゅうの者が歓声をあげた。

しかしその夜、私は忘れることのできない深い教訓を与えられた。 

私は夜中の2時ごろまで子鹿のそばに起きていたが、

そのうちにうとうとと眠ってしまった。

すると夢まくらに子鹿が現れて、私にこう言った。

『あなたが引き止めるので、私は行くに行けません。

お願いですから、どうか私を行かせてください』

『よし、よし』私は夢の中で答えた。

私はすぐに目をさまして叫んだ。

『おい、みんな、子鹿が死んでしまうよ!』

子供たちは私のそばに走って来た。

私は、部屋のすみの子鹿のところに駆け寄った。

子鹿は最後の力を振りしぼって、つまずきながら私の方に歩み寄ると、

ついに力尽きて、私の足もとに倒れて息が絶えた。

この子鹿は、動物たちを支配するカルマによって、今ちょうど鹿としての生涯を終えて、

より高等な動物に進化する時期に来ていたのである。

ところが、私の愛着(これは利己的なものであったと、

あとで気づいたのであるが)と、熱心な祈りのために、 

子鹿は今の状態から離れることができず、その魂が解放を求めてあがいていたのである。

子鹿の魂は、私の理解ある許しを得ずに私のもとを去ることができなかったので、

夢まくらに現れて嘆願した。 

そして、私の承諾を得るとすぐに旅立って行ったのである。

悲しみは消えた。神は、その子らであるわれわれが、

万物を、神ご自身の一部として愛することを欲しておられるが、

 また、死によってすべてが終わってしまうわけではないことを、

理解するように望んでおられる、ということを私はあらためて悟った。

無知な人は、死を、

自分と愛する人々を永久に隔ててしまう越えることのできない壁、とのみ思っている。 

しかし、万物を神の現われとして愛することを知っている執着のない人たちは、

死とは、その愛するものが再び喜びに満ちた最高のいこいの場所である、

神のふところに戻るだけだ、ということを理解しているのである。

<引用終了>

生まれて来た以上、どんな人も動物も、命あるものは死を迎えます。

それは遅かれ早かれ時間の問題です。

ですが、その死(別れ)は神様が許したこと、

本人の潜在意識が生まれる前に計画してきたことです。

愛する人の死は本当に辛いものです。

死と言う肉体との別れが来た時、その悲しみを味わったら、

最後はありがとうと感謝で送ってあげるのが良いですね。

その人は既に死と言う境界を通過して、

大きな進化の階段をのぼろうとしているのですから。

肉体をまとう期間は短く、そして有限ですが、魂は永遠で、そして不滅です。

私達、人間、動物、植物、全てのものは霊的な魂を持ち、

常に神様へ向かう進化の道程の中に居ます。

死は、その一瞬の通過点にしかすぎません。


2026年3月2日月曜日

4184「日常の中の幸せ」2026.3.2

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月16日の記事を紹介します。


「日常の中の幸せ」


地球の波動がどんどん上がり、

・思ったことが実現するのに、それほど時間がかからなくなったり、

・波長が異なる者同士は、いつの間にか疎遠になったり

・神様が自然に「人払い」するようなことが起きたり、

・隠されていた闇が白日の下にさらされたり、 

色んな現象が起こっているようです。 

ますます私たちの心の状態により、

引き寄せられる世界が明確に分離していくのでしょう。

今日のテーマは「日常の中の幸せ」ですが、それに入る前に

斎藤一人さんの、簡単な言葉を掲載します。

一人さんは、子供のころから、アメノミナカヌシ神と交流されていた方です。

アメノミナカヌシは、150億年前の、この宇宙創生の時の最初の神様です。

その直後に高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、神皇産霊神(かみむすひのかみ) 

要するに結びの力(中間子、弱い力と言われるもの)が現れ、

原子、分子など物質世界が形成されます。

一人さんのお話では・・・ 

身近な人が苦しんでいても、過剰に心配する必要はないよ。 

ただ信じてあげるの。 

人って、それぞれ学ぶべきことを決めて生まれてくるんだよ。 

だから、上手くいかなくても、「うまくいかない」ってことを学んでいるだけ。

さて今日のテーマ、平凡な日々の中にある幸せについてのお話です。

鈴木秀子さんのお話です。

鈴木さんは、聖心女子大学教授で、 

「死にゆく者からの言葉」

「子どもを傷つける親癒す親」

「あなたは、あなたのままでいてください。」

「死にゆく者との対話」

「臨死体験生命の響き」 

などの多数の著作者として知られています。 

クリスチャンでシスターでもあります。

そして臨死体験者であり、神様との直接的な接触、光体験をされた方です。

<引用開始>

物やお金にしがみついて、その繁栄だけを求めると、ちょうど切り花を飾ったようで、

目に見える世界はきれいになるし、いかにも幸せそうだけれども、 

そういうものだけで満たされると、心の空しさが起こってくるんですね。

あるとき、講演でこういう話をしたら、講演が終わったあと、一人の紳士が 

「コーヒーを御一緒する時間はありますか」と言うので、ご一緒したことがあるんです。

その方は精神科のお医者さんだったのですが、おっしゃっるには、

人間のエネルギーには縦と横の線があって、

例えば

・横線を お金や物や地位のエネルギーだとすると、

・縦線は 見えない世界だというんです。

もし人が10のエネルギーを持っているとすると、 

物欲が広がれば広がるだけ、縦のエネルギーはなくなるわけです。

ところが、その人がある日、ガンの宣告を受ける。

あるいは会社が倒産したとか、

社長にしようと思っていた息子が死んだりしたというような場合、 

突然頼りにするものがなくなるわけですから、どんでん返しがきますね。

がんといわれて入院してしまったら、どんな大きな会社を持っていようと

何の役にも立たない。 

そこで初めて、自分の頼りになるものは、何だろうかと考えるんですが、 

そのときに、いかに縦の線を短く生きてきたことかということを、

しみじみと感じるというのです。

それまでは8ぐらいあった横のエネルギーが、1か2になってしまうわけですから、 

その分を2しかなかった縦の線に、振り替えていかなければならない。 

そういう人を何人も診てきたけれども、

その振り替えがいかに大変かというお話しでした。

私はほとんど寿命が尽きて、いつ亡くなるかわからないような人を病院に訪ねて、

「何かしたいことがありますか」と訊いているんですが、

だれかと諍いを起こしたような人がいれば、まず「仲直りをしたい」というんです。

やはり人間には愛が一番大切だから、それに背くような行為があったら、 

修正して愛でつながりたいという願いが一番強いんですね。

その次に言うのは、「家に帰りたい」ということ。

それから、皆チューブでつながっていますから、「自分の口で食べたい」と言う。

「自分の足で立って、歩いてお手洗いにいきたい」と言う。

ほとんどの人がこういうことをいうんです。

それを聞いて私がいつも思うことは、私がいま会っている人で、 

自分の家に帰れられないような人はいないし、食べ物も自分で自分の口で味わえる。

私たちにとっては、自分の足で歩いて家に帰るなどということは、当たり前のことで、

死んでいく人のように、切実に思う人なんて、いないということなんです。

ところが、それがどれほどの恵みであるか、そういうことには気が付かない。

だから、私は死んでいこうとしている人たちが、一様に望むことというのは、 

生きている人たちへの遺言だと思うんです。

「当たり前のことこそ恵みで、死を間近にして、そのことに気が付くのでなく、 

いま気付きなさい」

ということを伝えているんだと思うんですね。

何かをすれば幸せになるのではなくて、いまが、幸せなのだということに 

気付くことだと思います。

<引用終了>

横線である、見えるもの(お金、地位、名誉、財産、学歴)だけでなく、 

縦線である、見えないもの

(優しさ、愛、友情、いたわり、思いやり、信じる心)も本当に大切ですね。 

そして私たちは死が近づくほど、これら見えるものを、段々とそぎ落とし、

見えないものの、大切さがわかってきます。 

死に際しては、見えないものしか持っていけないのですから・・

・貴方には今、帰る家がありますか?

・待っててくれる人がいますか?

・話を聞いてくれる友達はいますか?

・目は見えますか?

・耳は聞こえますか?

・歩けますか?

・自分で食事はできますか?

これら、普段は当たり前だと思っていること全てが、

本当は、奇跡で、有難いことなのです。

私達も死の淵まで行かなくと、病気になったり入院したりした時、

同じように思うこともあります。 

そんな時は、周りの人の何気ない優しさが、どんなに嬉しく感じることか?

逆に、周りの人のちょっとしたトゲのある言葉に、どんなに傷つくことか?

私達が亡くなる時。 

それはもしかしたら、そう遠くない日かもしれません。

本当の幸せがわかっていなかった。

命が何万年もあるみたいに思い込んでいた。

そんな後悔をしないためにも、ちょっと立ちどまり、家族の顔を見るとか、 

友達のこと、親切にしてくれる人のことを、少しでも思ってみることができれば、

生きているうちに、幸せを噛みしめることが、できるかもしれませんね。


2026年3月1日日曜日

4183「心のシミを取る」2026.3.1

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月15日の記事を紹介します。


「心のシミを取る」


もう何年も前から「トイレ掃除」を心がけています。 

出ていくときは、入った時よりもキレイにして出る。

たったそれだけです。

それには、見えない大きな効果があるようです。

大きな幸福をもたらす効果があるようです。

トイレの神様が、それを見ていてご褒美を下さる・・

そんなこともあるようです。

ビートたけしさんが、トイレ掃除について語っています。

<引用開始> 引用元

自分は、くだらない番組をやっていても、

どういうわけか視聴率が上がる。

自分が書いた小説は、なぜか売れていく。

描いた絵が美術館に飾られたりもする。

映画も、自分の楽しみとして作ったら、グランプリに選ばれもした。

自分としては、好き勝手にやっているだけで、

人よりも才能があるとは思えない。

でも、何をやっても全部高く評価されてしまう。

おかしい。いくら考えてみても、

自分の才能で、それらがやれるわけがない。

ただ、心当たりは、たった一つだけある。

それは、若い頃に、師匠に

「トイレをキレイに掃除しろ」と言われてから、

30年以上ずっとトイレ掃除をやり続けてきたこと。

ロケに行ったときなどは、公園のトイレがグチャグチャでも、

自分が使ったあとは、必ずキレイにする。

時には、隣のトイレまでキレイにして出てくることもある。 

もちろん、掃除道具を持って歩いているわけではないので、

トイレットペーパーを使ってとか、ないときは、素手でもやる。

そういうことを30年以上もずっとやり続けてきた。

自分には才能があるとは思わないのに、なぜかもてはやされるのは、

もしかしてトイレ掃除の効果かもしれない。 

<引用終了>

私もたけしさんと同じく、良いことが起き続けているのですが、 

それは本人だけでなく、本人に係る人間関係においても起き続けています。 

それは、なぜだか考えたとき、気づいたことがあります。 

それは、トイレの汚れを一つきれいにするたびに

心の中の 

・見えない汚れ

・頑固な汚れ

・古い古い汚れが 

一つ一つ綺麗になっていくのではないかということ・・ 

心の中に

・うらみ

・つらみ

・不平

・不満

・愚痴

・呪い

・嫉妬

・ねたみ

・後悔

などがあると、それが種になり、いつか現実の世界で実を結んでしまいます。

なぜなら、この世界では、

心の中にあることが現実化することになっているからです。

これら見えない心の中のシミがあると、

それは様々な形で、私たちに災いをもたらします。

私たちはその真理がわかりませんから 

その出来事は単なる偶然とか、、運が悪かったとか・・

で片づけてしまい、また悶々とした生活を続けてしまいます。 

心を浄化させること・・

それは、ご自分の幸せに直結するだけでなく、ご家族も幸せにします。 

そしてご先祖や、未来の子孫たちにも功徳を及ぼします。

トイレ掃除は、習慣化してしまえば、

本当に簡単なことです。 

そしてその効果は、確実に現実化します。 

皆さんも試してみることをお勧めします。



2026年2月28日土曜日

4182「生きる道」2026.2.28

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月14日の記事を紹介します。


「生きる道」


今日は「努力しない生き方」というお話です。

この生き方は、現在の大きな時代の節目のただなかに生きる私たちにとって、

生きる道の方向を指し示してくれています。

私たちは子供のころから「努力しなければならない」そう教わってきました。 

しかし、例えば、子供が不登校になったり、病気したりすると、

途端に不安に陥り、右往左往してしまいます。

それはまるで

・競う

・争う

・比べる

の修羅の世界ですね。

それに対して、 

・競わない、

・比べない、

・争わない

生き方と言うのもあります。

今日は小林正観さんのお嬢様、慶子ちゃんのお話をご紹介します。

慶子ちゃんは知的障害で生まれてきました。

<引用開始> 引用元

ニッコリ笑っていてくれるだけで、まわりを温かくし、光を発している知的障害の長女。

ここに人間の価値がある。

結婚して三年目にやっとできた長女は知的障害児で、努力やがんばることができません。

二十七になりますが、知能でいうと七歳くらいです。

日常生活にはなんの問題もありませんが、自分の名前を漢字で書いたり、

足し算、引き算をしたりなどはできません。

しかし、この子は、自分より立場の弱い人、怪我をしている人を見れば、 

駆け寄って『大丈夫?』と手を貸すような子どもで、

教えられることがたくさんありました。

小学校四年生までは運動会の徒競走が五十メートル、五年生と六年生は百メートルでした。

長女は小学校五年生まで、徒競走はずっとビリでした。

染色体の異状により、脳細胞や体の筋肉が、普通の人の三分の一くらいしか発達しないため、ものを持ったり、走ったり、歩いたりなど、なにかをする能力は三分の一くらいしかありません。

そのため、走るというより速歩きという感じです。

小学校六年生のとき、運動会に行く前、なぜか妻がとても楽しそうでした。

『今日はいつもより楽しそうだね』と言うと、

妻は『初めて徒競走でビリじゃない姿が見られるかもしれない』という返事。

どういうことなのかと尋ねたところ、次のような話しでした。

同級生の女の子が、運動会の一週間前に捻挫をして、

包帯ぐるぐる巻いている状態だったそうです。

誰もが徒競走に出ないだろうと思っていたところ、 

『どうしても走りたい』と言い、困った先生は、最終組で長女と走らせることに。

健常児六人+捻挫した子と長女の合計八人で走ることになりました。

捻挫して、包帯を巻いている子と走ることになり、

『長女が生まれて初めてビリではない姿を見られるかもしれない』と言い、 

ニコニコ笑いながら朝、二人で手をつないで出かけて行きました。

夕方、ニコニコして帰ってきたので、 『どうだった?』と尋ねると、

満面の笑みで、『それがまたビリだったのよね』という答え。

すいぶん楽しそうな顔だったので、経緯を教えてもらいました。

健常児六人が五十メートルくらいのところを走っているとき、 

長女は十五メートルくらいの場所を走っていた。

捻挫をした子は十メートルくらいの地点を走っていたそうです。

長女は、後ろを振り返り、気にしながら前を走っていたところ、

捻挫をした子が『キャッ』と言って転んでしまいました。

それを見た長女は『大丈夫?』と言って逆走し、 

その子を助け上げ、肩を支えながら、一緒にトコトコと走ります。

ゴールする、前に捻挫をした子の肩をポンと押し、

その子が先にゴールしたと、妻は言いました。

九十メートルくらいのところで、

係のお子さんがゴールテープを取り直して張ったそうです。

父兄が二千五百人くらい来ていたそうですが、みんな立ち上がり、

九十メートルあたりからは拍手をして応援してくて、感動的な光景だったと。

長女は捻挫した子を助けながら走ったにもかかわらず

最後のところで、自分は先に行かず、彼女を先にゴールさせたということです。

妻が『それでまたビリだったのよねぇ。そういう子どもだもんねぇ』と笑顔で言うのを、

私は苦笑いして聴いていました。

しかし、その苦笑いしていた顔が、だんだん真顔に。

私は、父親から『努力しないやつはバカだ、クズだ』と何十万回と言われ続けて育ちました。

『どうもそうじゃないみたいだ』と思いながら生きてきたものの、

長女の生き方が父親から教わったこととはまったく違い、衝撃を受けました。

私にとって人生観を根底から覆すような出来事だった。

そのため、一週間考えました。

一週間考えて出た結論は『長女の生き方が正しい』というものでした。

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ただ、私の魂がどちらの生き方を喜んでいるかと考えたときに、

長女の生き方が本質だと思い、喜んでいる自分がいることに気がつきました。

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私たちは、 小・中・高・大学・大学院、会社、社会、家庭というすべてのところで、

・努力しないやつはバカだ、クズだ

・競いあい、比べあい、人より抜きん出ることが立派な人間である

・負けてはいけない

・成功しなければならない 

と教えこまれてきました。

しかし、『人間の価値は、それらとは違うところにある』

この新しい価値観を長女が教えてくれたのです。

長女は、いつもニコニコしていて、私が家に帰ると、眠い目をこすりながら

『お帰り』と言って玄関先で迎えてくれます。

いつもニコニコしていて、楽しそうに、幸せそいうに暮らしています。

『努力しないやつはバカだ、クズだ』という価値観とはまったく違い、

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ただそこにいるだけで、

まわりの人に幸せを感じさせてくれる存在です。

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この子が笑顔でニコニコしているだけで、まわりをとても温かくし、和やかな空気にします。

小学校を卒業するとき、校長先生が次のようなコメントを書いてくれました。

『慶子さんの、笑顔とありがとうという言葉は、学校の中で最高のものでした。 

これほど笑顔とありがとうの言葉が似合う子どもはいなかった』と。

私は父親から

・がんばらないヤツはバカだ、クズだ 

と何十万回と言われて育ってきました。 

長女が生まれてこなければ、ずっとその価値観で過ごしていたでしょう。

しかし、わが家に知的障害児の子どもが生まれてくれたおかげで、 

人間の価値は、努力すること、がんばることではない、と教えられました。

長女は、ニッコリ笑っていてくれているだけで、 

まわりをとても温かくし、光を発しています。

ここに人間の価値があると教えに来てくれたのです。

<引用終了>

2つの道のお話でした。

良い悪い、正しい、間違いと言うことは無いと思うのです。

人それぞれの人生ですから、ある方は、必死に努力し勝ち抜いて、 

人より地位や名誉、お金を得る道が好きかもしれません。

ですが、いつも心が追い詰められ、

・もっともっと努力しなければ

・努力をやめたらおしまいだ

・一回失敗したら「負け犬だ」

などと思ってしまったら、きっと神さまから頂いた純粋な魂が濁ってしまいますね。

人と競わずとも、いつも精神的に追い詰められて「もっと上へ」と、馬車馬のごとく

精神的にゆとりのない生き方でなくとも、神さまは私たち全ての人に 

生きる道を準備してくださっています。

それは私たちが生まれる前に、神さまと一緒に決めてきた道です。

私たちは小鳥たちのように、運命の流れに身を任せ、全てに「ありがとう」と、

感謝して生きていれば、上手に生きられるようになっています。

・お金持ちだから、

・地位や名誉があるから、

・大きな外車に乗っているから、

・広い家に住んでいるから、

・偏差値の高い学校を出たから・・ 

幸せなのではないと思うのです。

私たちの本当の幸せは、ブッダが説いた般若心経の教えのように

全ての自分に起こってくるコト。 

良いことも悪いことも、肯定して受け入れ

そして感謝することで、得られるのかもしれませんね。

自分に起こってくる全てのコトは、私たちが生まれる前に、神さまと一緒に、

私たちの魂の成長のために、一番必要なものとして、人生の必要な時期に起こるように。

自分で人生に組み込んで、この地球に生まれてきたのですから。


2026年2月27日金曜日

4181「2026年、世界の舞台は日本になる」2026.2.27

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2026年2月23日の記事を紹介します。


「2026年、世界の舞台は日本になる」


こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。

 

さて、みなさまご存じのとおり、今年の青森(津軽)の積雪は尋常ではなく

半ば強制的に自宅待機を強いられ、まさに灯火管制が敷かれている様相

そのものでございました。

また突然の衆議院解散選挙といい、交通や生活体系が、

麻痺してしまう程の異常気象といい、一体何がどうなっているのやら、

いまだに狐にでもつままれたような、そんな奇妙な感覚が続いております。 

お陰様で大雪の峠は越えましたが、世の中はまだ予断を許さない不安定な情勢が

続いているような、そんな気がしております。 

澤野さんからも一言いただきました。

  

今回、第37回青森講演会は、残念ながら中止という判断になりました。

私はどんなことがあっても大体辿り着けるのですが、

来場されます皆様の安全を考慮いたしますと、

無理をして開催をすることは賢明な選択であるとはいえません。 

このようなアクシデントはその瞬間だけを見るならば、

非常に残念なことではありますが、

同時に、長期的視点で見ることができるのなら、

それは往々にして最適な結果となることが予想されます。

困難なアクシデントは、得てして想像もしない成長をもたらします。

でもそれがどのようなものかはまだわかりません。

私は自分自身の人生を振り返ってすべてそうでしたから。 

もう一度それをやれと言われたら到底無理なことも、

無我夢中で走り抜けている時にはできていた。 

毎回、何の問題も障害も無く、無風でできたことなど一度もありません。

毎回、何かしらあるものです。

みなさんも同じでしょう。

今回の中止という決定は衝撃的なものでありましたが、

それに比肩する、あるいはそれ以上の大きな直観の横溢がありました。

ですので、すべてはパーフェクトなのだということ。

すべては私の与り知らぬ領域で、調整がなされているのだと思います。

私は「適切な結果」を設定しているだけです。

途中のルートはいかようにも再設定なり、微調整が加わるでしょう。

それが楽しみでなりません。

本州東北最奥の地である青森。

666の中枢を担う弘前、そしてヤハウェを纏う八戸。 

そして津軽は大和朝廷の坂上田村麻呂と、最後まで神通力で抵抗し戦った、

縄文蝦夷の女酋長「目六面長」(メルクオモナガ)の地。 

今回のあの豪雪も、見方を変えればいよいよこの列島の秘密が、

詳らかにされていく大きなきっかけかもしれない。 

それはかまびすしい号砲などではなく、ただ静かにしんしんと積もることによる、

静謐な空間、己との向き合いの時。

そこからもたらされる直観、それが合図となる。 

青森講演会主催の小野裕美子さんも、この厳しい冬を乗り越え、

その神通力をより確かなものとしたことでしょう。 

となれば、次回の青森講演会は、なお一層、楽しみだということになる。

3月にまたみなさんにお会いできることを楽しみにしています! 

澤野大樹 2026年2月23日

 

澤野さん、ありがとうございました。

3月もよろしくお願いいたします。 

 

『日の丸』は蝦夷の旗印


この度の中止に伴う一連の出来事では、参加者様のあたたかい寛容なるご対応に

助けられました。

本当に感謝しております。

お陰様で、当地方もようやく春の兆しが見えて参りました。

堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで、厳しい冬を乗り越えた感で一杯です。

まことに感無量。思わず涙が出そうになりました。

そして今回、

まさか、講演会中止に踏み込む事になろうとは、予想だにしておりませんでしたが、

中止となった事で、次回の講演会に繋がる、あさっての方向からやってきた驚愕の内容が

澤野さんによって執筆され、計り知れない大いなる奇跡に、

また目頭が熱くなっていたところでございます。

 

第1回青森講演会から、少しも取りこぼすことなく

脈々と繋がっている大スペクタクル快進撃!

過去と現在と未来が同時進行する、

いまだかつて誰も見たことのない、聞いたこともない

ものすごい歴史ドラマが始まっておりますよ。

3月は心機一転、清々しい春とともにお迎えいたしたいと思います。

ご来場を心よりお待ちしております。

 

澤野大樹氏青森講演会主催

小野 裕美子


2026年2月26日木曜日

4180「優しさは真実(正義)に勝る」2026.2.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月13日の記事を紹介します。


「優しさは真実(正義)に勝る」


今日は、以前掲載した記事ですが、必要な方がいらっしゃるようなので、

少し加筆・修正して掲載いたします。

私たち人間は弱いものです。

・正しくありたい

・優しくしたい

・笑顔でいたい

・人の役に立ちたい

そう願っていても、何時も弱い心が頭をもたげます。 

また逆に、

・私は正しい

・私の言う通りに動いて・・ 

と、無意識のうちにマウンティングしてしまい、

自分勝手な正義感を振り回し、

・人を批判し

・糾弾し

・追い詰め 

または、感情を外には出さなくとも、心モヤモヤしたり。 

そして、

・自分勝手な価値観に沿って、家族を含め、他人を動かそうとします。 

そして、人がそれに従わないと

・猛烈に批判を浴びせ

・憎み

・足を引っ張り

・仕返しをしようとします 

または第三者に告げ口し、自分は正しい、相手は間違っているという

お墨付きを得て、モヤモヤを解消させようとしたりします。 

また、心弱い私たちは、 

何が正しいか、分ってはいても,

なかなか一歩踏み出せないでいます。

生きている間は、ずっとその葛藤かもしれません。

でも諦めないでください。

みんながそうなんです。 

そこが出発点なんです。

ブッダがこう仰いました。

・嘘をつけないような人になっては いけない

・優しさは真実に勝る

ブッダの仰りたかったことは、

相手を思いやる優しさや、調和の為の嘘は、

真実(正義)よりも尊い・・ と言う事を仰ったのでした。 

また、こうも仰りました。

捨戒の法

ブッダが仰るには、仏教徒が戒律を破るとき、 

いま仏教を捨てます、と天に向かって言います。

そして、酒を飲んだり、戒律を破る。

その後、また仏門に帰依します、と言って戻れば、それで良いのだよ。

ブッダは人間の弱さを知っていました。

そして温かい目で人間を見ていました。

過ちを見て、人を切り捨てるようなことはなさいませんでした。

人を追い詰めることはなさいませんでした。

ブッダは戒律重視ではなく、優しさ(慈悲)を教えていたからです。 

次に良寛さんのエピソードをご紹介します。

良寛さんの甥に、馬之助という放蕩息子がいました。

良寛の弟の由之は息子の放蕩に困り果てて、兄の良寛さんに説教を依頼します。

良寛さんは故郷の由之の家に出向き、馬之助の前に座らせられましたが、

酒を飲んでばかりで、いつまでたっても説教しませんでした。

とうとう三日目の朝「わしはもう帰る」と言って良寛さんは家を出ようとしました。

そのとき馬之助の母は馬之助に、

良寛の草鞋の紐を結んであげるように言いつけました。

馬之助は言われるまま草鞋の紐を結び始めますが、 

それでも良寛さんは黙ったまま。

と、そのとき馬之助は、自分の首に何かが、落ちてくるのを感じました。

見上げると、そこには目に一杯涙をためた良寛さんの顔がありました。

それをきっかけに、たったこれだけの出来事をきっかけに 

馬之助の放蕩は、すっかりやんだということです。

良寛さんは、馬之助の心の

・苦しさや

・悲しさや

・それを放蕩で紛らわせざるをえない 苛立ち

をただじっと見ていました。

煩悩だと知りつつも、煩悩に引きずり回されるのが私たち心弱い人間です。

人間の悲しさ、苦しみは、いつでもそこから生まれてきます。

悲しみを持った人に、

自分勝手な価値観を押し付けたり、くどくどと説教したり、

良寛さんは、そのような事はしませんでした。

ただ馬之助とともに、じっと悲しみ続けるだけでした。

馬之助の父親の由之や母親は、息子の表面的な損得や、

世間体から心配したかもしれません。

ですが、

馬之助の心と、じっと一緒にいてあげたのは、良寛さんでした。 

人は弱いものです。

いくら正しい道を示されても、

「こうであるべきだ」と正論を教えていただいても、

なかなかそう簡単に行きません。

でも本当はそうしたいのです。心では分かっていますから。

そして、それが自分には簡単にはできないとわかると、

結局あきらめてしまい、また元の苦難の日々に埋もれてしまいます。

正しい道を示されても何の役にも立ちません。 

ですが、良寛さんのように心を理解し、心に寄り添い、

「今のままでも、良いんだよ」と、見守ってくださる人がそばに居れば、 

私たちは徐々に、光の方向に進んでいけるかもしれません。 

心弱い私たちは、煩悩で、あちこち頭をぶつけながら、

人に迷惑かけながら、お世話になりながら、

だんだんと、あちこち角が取れて、おかげ様の心が芽生えてくるでしょう。 

そして、

・おかげ様

・お互い様 

の感謝の心が芽生えた時、その辛く、苦しい経験をしたがゆえに、

同じような苦しみ、悲しみの中にある人の

心の内を理解して、良寛さんのように寄り添えるのかもしれませんね。


2026年2月25日水曜日

4179「心暖かな者」2026.2.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月12日の記事を紹介します。


「心暖かな者」


私たちはよく、誰かにこう動いて欲しいとか、、 

自分の都合の良いように、相手が動いてくれることを望みます。 

そして、そうならないと、失敗したのは、うまくいかなかったのは、 

あの人のせいだと、相手を恨んだり、憎んだりします。 

ですが、私たちは決して

相手を自分の都合よく動かすことなどできません。

たとえ家族であっても。 

今日は、小林正観さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

「もっと言うことを聞く子になって欲しい」とか、

「もっと理解のある親になって欲しい」と言う人、たくさんいると思います。

しかし、相手に変わってもらいたいと言っている間はダメでしょう、

自分が変わらない限りは。

自分が、相手に対して、

・気に入らない

・おまえは間違っている

・ああしなさい、こうしなさい

と言っていたなら、人間関係はどんどん悪くなります。

絶対に話など聞いてはくれません。

人間関係が悪い状態で、あれをこうしろ、

これを解決しろと言っても、ダメなのです。

まず、人間関係を作ることでしょう。

親だから偉い、と思うのではなくて、

相手から信頼され、慕われるという関係になったほうが良いと思います。

皆さんが学校で教わってきた解決方法は、自分の考えを、

・いかに論理的に組み立てるかとか、

・いかに説得力を持たせるか

ということだったと思います。

論理と説得力で相手を説き伏せるやり方です。

それで解決できているのならそれでも良いのですが、

もしも行き詰っているとしたなら、解決方法が一つあるのです。

それは、「やわらかな、あたたかい人間関係を作ること」

そして、その第一歩は、心がこもっていなくてもいいから、

「ありがとう」を言ってしまうこと。

ずーっと「ありがとう」を言って、感謝をし続けていく。

そうすると、人間関係が変わります。

「ありがとう」というのは、その人の

「在るがまま」を全部認めてあげるということです。

あなたが人間関係を作りたいと思っている人のことを考えてみてください。

その人が、こっちの方にきたら「ありがとう」と言えるけど、

こっちではなく、向こうへ行ってしまうのなら

「ありがとうとは言えない」ならば、人間関係は作れません。

その人が持っている性格や行動のすべてを含めて、

あなたが、ありがとうと言えるようになれるかどうかです。

人間関係ができてしまうと、個々の問題は問題ではなくなります。

それができていないから、多くのトラブルや問題の解決は、皆、

・どちらが正しいか

・どちらが論理的であるか

・どちらに説得力があるか

という方向に話がいってしまいます。

・正しいことを言えばわかってもらえるとか、

・正義はいつか必ず勝つのだとか、

私たちはそう教えられてきました。

正しいものが強いのではなく、

「心優しく温かな方が強い」のです。

人間関係があたたかいものでできていれば、

問題がどんどんクリアされていきます。

しかし、人間関係が作られていなければ、

いくら正しいことをこちらが主張しても問題は解決しません。 

<引用終了>

正しい者ではなく、心優しく温かな者の方が強い! 

理屈や理論の正しさではなく、

温かな気持ちを持つ者が強い・・ 

温かな気持ちとは、どんな気持ちでしょうか? 

・優しい思いやりの気持ち

・許し合うお互い様の気持ち

・おかげ様の感謝の気持ち  

誰かに笑顔で、「ありがとう」と言われれば、

心の共鳴現象が起きて、

きっと、心が温かくなり、味方になってしまいますね。 

些細なことは気にならなくなり、相手の立場に立って

協調して行こうという気持ちも芽生えてきますね。 

敵だった者が、一瞬で味方に変わります。 

これから地球が向かおうとする、高度に進化した宇宙文明は、

神々の世界のように、このような温かな心の人たちが生み出す

調和した世界なのでしょう。 

地球が精神性を重視する世界に舵を切った今、 

私たちは、個々ひとりひとり、自分の心の赴くままに、 

自分の心の波長に同調する世界に、進んでいくことでしょう。 

あなたは

どちらの世界に進みたいですか?