2026年8月18日火曜日

4353「マシュー君のメッセージ」2026.8.18

今回は玄のリモ農園ダイアリーさんの2026年8月4日の記事を紹介します。


「マシュー君のメッセージ」(232)

 2026年8月4日

玄のリモ農園ダイアリー

第五密度への順調な進展、イエスの再臨/1000年の平和、山火事、聖書の記述、魂の移行、RFKジュニア、スマートシティ/AI施設、闇の“糧”、この宇宙の生命、パーソネージ/魂


マシューです。この宇宙領域にいるすべての魂から、心からのご挨拶をします。地球における闇の長い支配に終止符を打つプロセスは、「もどかしいほど遅い」、「停滞している」、あるいは「前進するどころか同じ場所をぐるぐる回っている」といった状況に見えます。そうした表現は現時点では当てはまるかもしれませんが、この惑星の永遠の大きな歴史織物において、光の勢力と闇の勢力との戦いのこの最終段階は、全体的な流れの中でごくわずかな部分ですが、極めて重要な意味を持っています。

もし闇が特定の地域に限定されていれば、それを解き明かし、排除することもできたでしょう。しかし、闇の存在は限定されていません。それは何百万年もの間、地球全体を蝕んできた疫病のようなものであり、今まさに、いわば織り上げられている織物のその一端は、世界中で根絶されつつある闇の操り人形たちによる執拗かつ激しい抵抗なのです。

愛する魂、あなたたちの世界が深い第三密度から高い第五密度へと変容するスピードは、宇宙史上類を見ない記録を打ち立てました。そして、あなたたちの光はこの比類なき偉業に多大に貢献しました。ガイアが受けたものと同じ愛に溢れた支援の申し出を拒んだ他の宇宙文明社会は、アセンションの旅の達成に5万年もの長い年月をかけていますが、ガイアの惑星体とその住民は、わずか150年ほどで完了させようとしているのです。

あなたたちは、リニアル(直線的)な時間で約35年後に地球の黄金時代を迎えるという目標を、まさに見事に達成しつつあります。コンティニュウム(時空連続体)において、黄金時代の 人々は健康、喜び、そして繁栄に満ち溢れています。


「イエスが再臨した後、世界に1000年の平和が訪れるという話がもし本当なら、それはガイアにとってひどく不公平なことだと思います。ガイアは悠久の闇に耐えてきたのですから、たった1000年の平和などよりも、もっとふさわしい報いを受けるべきだと思います。」

その聖書の記述を文字通りに解釈すると誤った印象を与えてしまいますが、象徴的に解釈すれば現実が浮かび上がってきます。

2000年前に生きたイエスという人物は再び戻ってくることはありませんし、彼自身も、そしてあなたたちの世界も、それを必要としていません。イエスとしての彼の生涯は、創造主の源である純粋な光と愛のエネルギーとしてのキリストの領域において誕生した、彼の集合魂、あるいはオーバーソウルが作り出した数え切れないほど多くのパーソネージ(人格)のうちの一つです。

 “はじまり”の時点から、そのエネルギーはこの宇宙全体に絶えず存在してきただけでなく、すべての魂の中にも宿っています。闇の操り人形たちでさえ、そのエネルギーの閃きを宿しています・・それは、あらゆる形態を持つすべての生き物の生命力なのです。

長い闇の時代の間、宇宙で最も強力な力である無条件の愛をその生涯で体現したイエスや他の神のメッセンジャーたちを除き、人々の内にあるキリストのエネルギーは薄れていました。今、光の勢力が闇を打ち負かしつつある中、創造主の愛と光のエネルギーが、まさに津波のようにこの世界全体に流れ込み始めています。

イエスの再臨が、至る所に遍在するキリストの満ち溢れるエネルギーが再び戻ってくることを象徴しているのと同様に、1000年という期間は、ガイアが選んだ永遠の平和を象徴しています。ガイアと共に彼女の惑星体を顕現させた共同創造者である神とソルは、闇が二度とこの惑星に足場を築くことを決して許さないという彼女の意志を支えていくでしょう。


「聖書はどのくらい正確なのでしょうか?神がアブラハムを試すために息子を犠牲にするよう求めた部分ですが、それは神がするようなことなのでしょうか?あるいは、どちらかの勢力のために人を殺すことについてはどうでしょうか?情報がごちゃごちゃしすぎています。こうした話をすべて受け止める上で、何かアドバイスはありますか?」

聖書のそれらの記述は、初期の教会や国家の指導者たちによって書かれたものであり、この宇宙の支配者を、その掟への服従を要求する恐るべき神として描くことを目的としていました。その掟とは、彼らが大衆を支配するために考案したものです。

神が自身の子供たちに動物を殺すよう命じることは決してありませんし、ましてや子供を殺すよう命じることはなおさらありません。また、あるグループの神の子供たちに、別のグループの神の子供たちを殺すよう命じることも決してありません。考えてみてください。聖書が正しく描いているように、愛に満ちた神が、そのような命令を下すでしょうか?

魂が宿る場所である“ハートの奥底”に響かない情報については、一切気にしないことを勧めます。


「あちこちで山火事がたくさん起きていますね!マシューによると、気象操作技術は稼働停止しているそうですが、では、これらの火災はすべて自然現象によるものなのでしょうか?」 

そうではありません。火災を拡大させている高温や突風も、自然現象によるものではありません。確かに、気象操作技術は最近撤去されましたが、それによって以前に引き起こされた事象は、長いドミノの列の最初のドミノのようなものです。

あらゆるものにはエネルギー的なつながりがあり、ある場所で何かが動き出せば、それは他のあらゆる場所のあらゆるものに影響を及ぼします。そうした先行する出来事の余波がそのエネルギーを使い果たすと、破壊的な気象現象は収まります。ただし、放火犯による火災や、キャンプファイヤーでの不注意による火災の場合は例外です。


「この世を去る前、あるいはその最中に、闇の勢力に操られたり騙されたりして、自らの自由意志を放棄してしまうことを心配すべきでしょうか?」

そして、これに関連する質問として、

「特定の条件下では、闇の存在たちが、肉体的な人生から霊界へと移行しようとしている魂に干渉できると聞いたことがあります。それはどのような条件なのでしょうか?」

闇の者たちが移行中の魂に干渉できるような状況は一切存在せず、そのような事態が起こることを心配する理由は何一つありません。

物質世界から霊界への電光石火の移行の旅は、強烈な光の束の中で行われます。その高い波動エネルギーは、低い波動エネルギーを生存の条件とする闇の者たちにとって脅威です。親愛なる魂たちが尋ねたような情報は、闇の者たちによって、恐怖を煽るために意図的に広められています。なぜなら、その情報からは、闇の者たちが生き残るために必要とする低い波動エネルギーが発せられるからです。

闇の者たちが個人に影響を与えることができるのは、肉体的な生涯の間だけです。


「ロバート・F・ケネディ・ジュニア氏が保健福祉長官として、医療制度に潜む悪を根絶してくれると大いに期待していました。しかし、その点に関して彼が成し遂げたことはほとんどなく、彼が“ディープステート”のスパイではないかと疑う声さえ上がっています。マシュー、彼は本当にそうなのでしょうか?」

いいえ、そうではありません。法案を可決あるいは阻止する投票権を持つ連邦議会議員や司法省の特定の役人たちは、製薬会社や民間病院、一部の医療従事者に多大な利益をもたらす制度の変更を阻止するよう、賄賂を受け取ったり、恐喝されたり、脅迫されたりしています。ケネディ長官がようやく成し遂げることができたわずかな成果でさえ、彼が望まなかった妥協を余儀なくされたものでした。医療改革に対するこの手ごわい障壁は、徐々に取り除かれていくでしょう。


「私の友人の何人かが、マシューに『米国や他の国々がエリート層に乗っ取られることになるのか』と尋ねてほしいと言っています。いわゆるスマートシティと呼ばれるコミュニティが至る所で建設されているようです。そして、その乗っ取りのために、大規模なAI施設がすでに建設されつつあります。恐れるべきではないことは分かっていますが、どうやらすべてがその方向に向かって進んでいるように思えるのです。」

闇に根ざした取り組みは、どれも実を結ぶことはなく、すでに確立されたものは再構築されることになるでしょう。悪意を持って企てられたものであっても、すべて善意ある用途へと転用することができます・・“剣を鋤に変える”ように。


「闇の者たちが、どうやって低い波動エネルギーを“糧”にするのか、まったく理解できません。彼らはそれをどうやって吸収しているのでしょうか? マシュー、この点について、わかりやすく説明していただけませんか?」

この宇宙に存在するすべてのものは、無限の周波数帯域で振動するエネルギーであり、肉体は個々の思考、感情、行動に対応する周波数の中で生きています。さまざまな周波数のエネルギーは“糧”であり、肉体が存在し続けるための源です。闇の者たちの思考、感情、行動は低周波数帯域にあるため、彼らはそのエネルギーを“糧”として、肉体を生き延びさせているのです。


「ある親愛なる霊的存在が、他の銀河や次元に存在し、私たちが地球という次元で学んでいるのと同様の教訓を学んでいる、私たちの魂の他の6つの分身について語ってくれました。創造主から生まれた私たちの魂の分身は、全部で7つあるのです。あなたや他のスピリチュアルなアドバイザーたちは、このことをご存知ですか?」

通常であれば、その情報の出所が何を意味しているのかを理解できない限り、その情報について僕たちが言及することはありませんが、今回のケースでは、その意味が把握できていません。しかし、これを一つの機会として、僕たちが把握していることについて話したいと思います。

宇宙には、私たちの宇宙を含めて7つの宇宙が存在します。すべての魂の起源は、全知・全能・遍在する“すべての存在”である、創造主/創造/源(ソース)の純粋な愛と光のエネルギーです。

その創造物こそが最初の魂たちであり、僕たちはそれらを大天使と呼んでいます。創造主は彼らに、自らのアイデアを形や行動に移すために、そのエネルギーを用いる能力と権利を与えました。彼らの顕現・・すなわち共同創造・・は光の中にあり、それゆえに純粋で、力強く、美しいものでした。創造主はそれ以降、すべての魂に同じ能力と権利を与え、七つの宇宙の統治者たちはその賜物を尊重する義務を負っています。

この宇宙において、魂とは、植物から人間、惑星に至るまで、ここに存在するあらゆるものを共同創造するために創造主が選んだ神の一分身です。あらゆる生き物は魂であり、存在するすべてのもの、無生物でさえも、ある程度の意識を持っています。

肉体の命が尽きると、魂は霊界へと入り、その亡くなった姿のエネルギーは、新たな命がいつでも利用できる中立的なプールへ流れ込みます。地球上では、魂が人間の肉体を選んだか、あるいはヘラジカや松の木、あるいは昆虫の肉体を選んだかに関わらず、その過程は同じです。

霊界では、理性を持つ魂は、自らの過去の転生について知っています。魂たちは、次の転生で何を学びたいかを決め、望む体験ができるような肉体、遺伝的構成、居住地、その他の詳細を選択します。

エネルギーは、ある波動レベルから別の波動レベルへと導かれたり、移動させられたり、変換されたり、再形成されたりすることはあっても、決して破壊されることはありません。したがって、魂は不滅です。魂は限りなく何度でも肉体を持つことができ、意識的な選択に従って進化したり退化したりし、自らの進化段階にふさわしい、あらゆる銀河のあらゆる場所で、あらゆる形態で生きることができます。

結局のところ、あらゆる魂の旅路は、源(創造主)にあるその“はじまり“へと戻っていくのです。


「“パーソネージ”は魂の別名ですか?」

いいえ、ですが、それは人を指す一般的で普遍的な用語です。

さて、パーソネージ(人格)とは魂であり、神の小宇宙であり、独立した、侵すことのできない永遠の存在であると同時に、神や創造主と切り離すことのできないものであり、存在するあらゆるものとエネルギー的に結びついています。すべてのパーソネージ(人格)には、完全な健康、愛に満ちた人間関係、実りある取り組み、高潔な目的、繁栄、そして目標の達成を顕現する能力があります。しかし、第3密度の世界にいる魂たちは、まだそのことを意識的に認識していません。

また、各パーソネージは、その集合魂、すなわちオーバーソウルの一部でもあり、それはすべてのパーソネージと、それらの集合的な知識や経験が組み合わさったものです。

愛する魂、あなたたちは、知性や性格、人柄、実績、挫折、感情、感覚、インスピレーション、アイデア、忍耐力、そして粘り強さといったものだけではありません。確かに、あなたたちはそれらすべてを兼ね備えていますが、それはあなたたちが自分自身をどう捉えているか、そして家族や友人、同僚、その他の人々があなたたちをどう見ているかということに他なりません。

僕たちもそう思っていますが、同時に、宇宙の知識と古代の叡智の宝庫であり、共同創造したいと願うあらゆるものを具現化する存在としての魂として、あなたたちを知っています。

愛するファミリー、この宇宙のすべての光の存在が、あなたたちの大事な使命への揺るぎない姿勢を讃え、無条件の愛であなたたちを支えています。


愛と平和を

スザンヌ・ワード著

原文:Matthew's Messages 訳文責:森田玄


2026年8月17日月曜日

4352「神さまの氣」2026.8.17

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月31日の記事を紹介します。


「神さまの氣」


このブログもお蔭様で、日々沢山の皆さんから読んでいただいています。 

出来れば一つでも実践していただき、お幸せになっていただきたいと思います。 

※実際に、お幸せになった方々からも沢山メッセージ頂いています。 

さて今日は、神様の氣についてです。 

大抵の神社では、お守りやお札に

そこの神社の神様の氣を入れてお配りしていると思います。 

そして年月が経ち、ご自分で氣が抜けてきたと感じたら、 

お札やお守りを神社の古札入れなどに納めに行くと思います。 

神社では、それをお焚き上げなどして、 

神様に元の神の世界にお戻りいただきます。 

そうすると、お守りや、お札は、単なる物質になりますから

焼却したりします。  

ですから、例えば霊峰八海山の山開きのご神事などでは、終わった後、

「神さまにお戻りいただきました」と宣言がなされます。 

また、誤解されやすいこととして、 

御守りやお札に神様ご自身が籠っており、

普段は沈黙し、いざという時に目を覚まして活動をする・・ 

というイメージではなく、

神さまの氣に入っていただいた、お札やお守りは、

その神さまの依り代、直通電話のような働きをしており、 

神々は、もちろん、普段から人々のために、

あらゆる場所、次元で自由闊達に働いているのですが、 

いざという時、必要に応じに、その電話を通じ、

その場所、その人の所へいらっしゃるというイメージの方が、 

的を得ているように思います。※個人的な意見です。

もちろん高位の神様は、どの場所、どの次元にも存在できますので、 

意識を向けるだけで、そこに移動できるようですが、

氣を宿した依り代があると、

より感度が上がり、通じやすくなるのではないかと思います。 

次元が上がるにつれ、一時に同時に意識をフォーカスできる数が増え、 

たとえば、一説では、イエスの場合、

同時に1万か所、意識を分散できるとのこと。 

要するに、同時に自分の分身が、1万か所で行動できるということです。 

神様に降りていただくということは、春日大社 元宮司の葉室頼昭さんによれば、

古式にのっとって、

祝詞を上げたりご神事を行うことで、本当に神様がご降臨されるとのこと。 

要するにテクニカルと言うことです。 

その方法(技術)さえ正しければ、神職の方の人間性に、あまり左右されません。 

本来は、清く正しい心の持ち主の神職の方が、ご神事を行ってくださればよいのですが、

同じ人間ですから、神職の方と言えど様々いらっしゃいます。

時には私たち一般人のように、

欲望から様々な事件を起こし、新聞沙汰になる方もいらっしゃいます。

生きている間は分け隔てなく、

どなたも心を清らかに保つために精進が必要ですね。

・心を振り返ること

・感謝の心を持つこと

・おかげ様、お互い様で、許しあうこと

大切なことです。 

どうやって、見えない心を見分けるのか? 

それは、小林正観さんが仰っていたのですが、 

その方の、まわりにいる人たちを見ればいい。

まわりにいる人たちが、笑顔で幸せそうで、楽しそうに過ごしているか? 

良き人は、見た目は普通の格好をしています。

そして、まわりには、笑顔で、幸せそうな人たちがいっぱいいます。

とてもいい仲間に囲まれている。

一方で、悪しき心の残る人は、

過度に荘厳(そうごん)で、重々しく、威厳に満ちた姿、形、格好をしている人が多い。

そしてまわりには、笑顔で幸せそうな人はいない。

どこか不幸そうで、悲しく、まったく笑顔のない人たちに囲まれている。 

とのこと。 

確かにそうかもしれません。 

このお話は、占い師の方について仰っていたのですが、神職の方も同じだと思います。

さて神様の氣、私たちの意識も同じ働きができます。 

意識を物や人に宿すこと、飛ばしたりも同じことです。 

生霊とか、誰かに見られている気配がする・・振り返ったら誰かがこちらを見ていた。 

これらは、意識のエネルギーが飛んだと言ことです。 

また意識は、時間、空間の制約を受けませんから、 

自分自身の過去や未来に飛ばすこともできます。

子供のころ、車に轢かれそうになった。

どこからか「あぶない」という大きな声が聞こえ、助かった。 

何十年かして大人になった時、夢を見た。

子供が車に轢かれそうになっているのを見て思わず声をかけてしまった。 

よく考えたら、その姿は、子供のころの自分だった・・など 

基本的には善意の神々は、この意識の力を、人々をお救いくださるために使っています。

有難いですね。 

・私達も感謝の心

・人を思いやる気持ち 

などで、周りにいらっしゃる方を、幸せなエネルギーで包み込むことも可能です。 

また、その逆もしかり。 

ですが、波長の法則、類は友を呼ぶの通り、 

自分の出すエネルギーと同質のものを、自分に引き寄せますから、 

良き方向に、その意識(心)の力を使いたいものですね。


2026年8月16日日曜日

4351「火の選別の中、人生を照らす光」2026.8.16

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月30日の記事を紹介します。


「火の選別の中、人生を照らす光」


現在はまさに、予言の的中率では過去現在において、

断然一番の出口王仁三郎の言うように

火(霊)の洗礼まっ最中です。

この神様による洗礼(選別)は、ノアの箱舟の時のような物質的な選別ではなく

人間の心による立分け(選別)です。

今日も多くの方々が

・神様のみ心に叶いますように

・心の浄化が進みますように

一番大切で本質的な問題、

心の洗濯について書きたいと思います。

昭和の初期、日本の精神界に大きな足跡を残した

中村天風が、「感謝」について分かりやすく説いています。

内容に関しては、このブログでも毎回書いていますが、

ブッダの教えの本質と同じことを仰っていますので

少しかみ砕いてご紹介します。


先ず初めに感謝してしまえば良い

理屈も順序も関係ない

まず感謝する。

それが人間の心を

まっすぐ強く正しく育てる始めの第一歩


どんな境遇にあろうとも、

心の底から「ありがとう」と言える人間は、

必ず運命が好転する。

苦しい時に感謝することなんかできるか・・と

思う人がほとんどかもしれないが、

それは逆である。

感謝するからこそ、

「苦しみの意味」が変わってくる。

人間は、苦しみの中に在って、光を見出す時、

本当に目が開かれる。

そして、その「光」とは、

「感謝の心の中」にこそ宿る。

ほとんどの人が、感謝すべきことが起きたら、感謝する・・

と思っているけれど、

それは、全く逆、単なる取引。

真の光を見出すことなどできない。

そうではなく、

まず初めに感謝してしまうこと。

・朝目が覚めたら感謝する

・呼吸ができていることに感謝する

・家がある、食事がある、家族がいることに感謝する。

感謝は条件によって左右されるものではない。

どんな状況に在っても、

人は「感謝」を選ぶことができる。

感謝することで、自分の心が正しく整い、

運命が切り開かれていく。

私たちが生きている現実は、

まず心が先に在って、その後に現象が現れる。

心が先で、物質が後。

だからこそ、心が暗く濁っていれば、

現実にも不運が訪れる。

心が優しく明るければ、

現実にも、優しく明るい現象が現れる。

「ありがとう」と言う言葉は、心を浄化する力を持っている。

・心が浄化されれば、

・自然と、その人の普段の考え方が変わり

・行いが変わり

・その行いが結果を変える

感謝と言うのは心の姿勢、例えば、雨が降った日に

・「うっとうしい」と文句を言えば、心は暗く重くなる

・「この雨が田畑を潤してくれる」と思えば、心が清々しく澄み渡る

同じ出来事でも、感謝の目で見ることで、

人生は正反対の、別のものになってしまう。

心が現実をかえてしまう。 

だから初めに感謝することが大切。

どんな状況に在っても、それが最も強く、尊い心の在り方。

人は誰でも皆、人生において試練に出会う

・愛するものを失う

・病に倒れる

・信頼している者に裏切られる

・努力が報われず台無しになる

でも、それを不幸だと思うから苦しむ。

「ありがたいこと」だと思えば、その瞬間に意味が正反対になる。

失敗も傷も全部が糧になる。

感謝の心は、過去の傷さえも癒してくれる力を持っている。

辛い出来事が無ければ

・誰も心の深みを知ることがなかった

・人に寄り添うこともできなかった

だから、それを感謝せずして、何に感謝するのか?

物質の豊かさよりも、心の豊かさの方が遥かに大切なこと。

「ありがとう」と言う言葉を

毎日毎日、百回口にしてみてください

心が清められ、ものの見方が変わる。

そうすると、不思議なことに、目の前の現実が変わっていく。

「ありがとう」と感謝していると、

感謝するような出来事が、起こり始める。

これが宇宙の真理。

ブッダの教えの神髄。

どんな状況に置かれていても、感謝できる人だけが幸せになっていく。

心は自分で選べます。

・感謝するのか

・不平不満を言うのか

・心を澄み渡らせるのか

・心を黒く汚いもので満たすのか

自分の心を感謝で満たすこと。

・怒りではなく

・ねたみでもなく

・恐れでもなく

感謝で満たすこと。

感謝の中に立てば人間は

・どまでも高く、

・何処までも深く

魂を輝かせることができる。

今日、一回だけでも「感謝」してみてください。

誰にでも、何にでもよいので、

「ありがとう」と声に出してみてください

その言葉が心のカギとなって、

閉ざされた心の扉を開けることでしょう。

感謝とは、ただの礼儀や習慣ではありません。

人生そのものを照らす、最も尊い光。

先ず初めに感謝してみてください。

そこから全てが始まります。


2026年8月15日土曜日

4350「夭逝する子供たち」2026.8.15

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2026年07月29日の記事を紹介します。


「夭逝する子供たち」


私は幼くして天に帰ってきた。

夭逝(早くに亡くなること)する子供にも、それぞれの理由がある。

私の場合は両親となる人たちからの依頼だった。

私は15才、中学校3年生の時、病気で亡くなる運命を持って生まれて来た。 

中学生のころ脊髄小脳変性症という病気にかかり、不自由な生活を送る中、 

家族や友達に助けられ、一生懸命生きていたけれど、

病状は悪化する一方で、結局予定通り、15才で天に帰ってきた。

それまで普通の子と同じように天真爛漫、元気いっぱいだった娘が突然病魔に襲われ、

あっという間に天に召されるという演出が行われた。 

天に暮らしていた時、両親と交わした約束はこうだった。

この物質地球という感情の惑星を舞台に、

魂の大きな方向転換を図る手伝いをして欲しいと言う願いだった。

この地球という惑星では、物質的な肉体を持つがゆえに、魂としての意識、

つまり永遠のイノチを持つ生命体としての記憶を一時消失させ、

まるで演劇を演じているように舞台に没頭し、感情を揺さぶる経験ができるからだ。

愛する子供が、天真爛漫、自分たち未熟な親のことを完璧に信じ切ってくれていた、

その純粋な瞳が、両親の目の前で閉じる時、

これ以上ない「悲しみ」の感情を味わうことになる。

残された両親は、

・悲しさ

・悔しさ

・切なさ

・後悔

を味わうことになる。

自分を許せない。あの時こうしていれば。

もっと愛すればよかった。

心にぽっかりと空いた穴は、どんなものも埋めることはできず、

長い時間、色の無いモノクロの世界をさまようことになる。

でも私たち親子は、天にいた時、そのことを承知して、約束して生まれて来た。

何故なら、この辛く悲しい経験は、両親の魂を最大限に揺さぶるからだ。

魂を揺さぶられた両親は、この後どう変わっていくのか? 

神さまの計らいで、当事者だった私も、目には見えないけれど魂として、

この両親のすぐ傍らで、自分の事として感情を共有しながら、彼らが天に戻り、

この崇高な計画を思い出す時まで、再び天で再会する時まで一緒に居ることになった。

永遠とも思える、空白の時。時間は止まったまま。

心には大きな傷跡が残ったけれど、それゆえに大きな変化も生まれた。

同じ境遇の人々、深い悲しみを心に抱く人々が、同じ波長を有しているがゆえに集まりだした。

彼らの悲しみ、悔しさ、後悔の心が、自分のこととして心から理解できる。

しっかりものとしての自負があり、

人の世話にならず、誰にも迷惑を掛けないで生きてきた

そう思っていた両親にとって、大きな変化である。

人は一人では生きていけない。

お互いに助け合い、励まし合うことで、生きる希望を見いだすことがある。

そんなことも少しずつ理解できるようになった。 

神さまはこの宇宙の全てを、助け、助けられながら生きていくように作られたのだ。

そんな両親の小さな変化、小さな気づきを傍らで見る時、

私の心は喜びの感情で溢れた。愛の心で満たされた。優しさで包まれた。

私たちを見守る神様も微笑んでいらっしゃることが分かる。

この美しい魂の交流は、まだ肉体を持つ両親にも、とめどもなく注がれている。

私と両親の魂の約束。

それは愛する我が子の夭逝と言う深い悲しみを経験することで、

両親の魂を揺さぶり、この神様の愛を経験することだった。

それは両親の魂の進化にとって、大きな推進力ともなるが、

同時に夭逝する役割を引き受けた私自身の魂にも深い喜びをもたらしてくれる。

私たちは、肉体と言う器を通して、感情を経験することができる。

その目的はただ一つしかない。

この地上での演劇を通じ、神様の愛を知ること、分かち合うこと、魂の美しい交流を図ること。

もう何十年かしたら、両親もこちらに戻ってくる。

そしてこの崇高な計画を思い出し、地上で沢山の神様の愛を経験したことを喜び合う日が来ることになる。

お父さん、お母さん。

どうか悲しみに押しつぶされないでください。

神さまから頂いた魂は永遠です。

私たちは、こうなることを約束して生まれてきました。

全ては神様の深い愛を知るためです。

私はいつもそばに居ます。

心を共有しています。

そして、必ずまた再会できます。

どうかその時に笑顔で会うことができるよう、心を開き、愛と優しさで満たしていてください。

笑顔を取り戻してください。

それが夭逝した私たちすべての子供たちの願いです。


2026年8月14日金曜日

4349「生まれて来てくれてありがとう2026.8.14

今回は「いっぷくからのありがとう」の2026年07月28日の記事を紹介します。


「生まれて来てくれてありがとう」


今日は障害を持つ方々と、そのご家族について書きたいと思います。 

魂は永遠に続きます。 

心と心、深く繋がった魂は決して離れ離れになりません。

死をもってしても離すことはできません。 

貧困、障害や事故、死さえも、魂と魂を揺さぶり、

魂の深い絆を創り出す舞台装置にしかすぎません。 

今まで健康で、経済的にも恵まれ、幸せなご家庭で過ごしてきた方には

あまりピンとこないお話かもしれません。

ですが、「禍福は糾える縄の如し」

幸福と不幸は表裏一体で、

かわるがわる来るものだということのたとえのように、 

幸福も不幸もほんの一瞬でひっくり返ります。

永遠に続くものなど、この世に一つとしてありません。

ですので、周りで起きるざまざまな環境の変化に一喜一憂せずに、 

何時も希望を持っていたいものですね。

<転載開始> 転載元 

私は思うのです。 

長男が、もし障害をもっていなければ。

私はもっと、普通の生活を送れていたかもしれないと。

私は、考えてしまうのです。 

長男が、もし障害をもっていなければ。

私たちはもっと楽に暮らしていけたかもしれないと。

長男が、障害をもっていなければ・・と繰り返された言葉。 

障害のある子どもの親である作者は、

「重度障害者は生きていても仕方ないので死んだ方がいい」など、 

障害者を排除する趣旨の発言を植松容疑者(相模原・障害者施設殺傷事件)が

繰り返していたことを受けての文章だそうです。

何度も夢を見ました。

『お父さん、朝だよ、起きてよ』

長男が私を揺り起こしに来るのです。 

『ほら、障害なんてなかったろ。

心配しすぎなんだよ』夢の中で、私は妻に話しかけます。

そして目が覚めると、いつもの通りの朝なのです。

言葉のしゃべれない長男が、騒いでいます。 

何と言っているのか、私には分かりません。

ああ、またこんな夢を見てしまった。

ああ、ごめんね。

この文章を書いたのは、神戸金史記者。 

長男が3歳で自閉症と診断されました。 

家族は長男に妻、次男の4人。

自身の家族を含め、自閉症の問題について、長年、取材してきました。

この文章は、多くの人の共感を呼んでいます。

幼い次男は、『お兄ちゃんはしゃべれないんだよ』と言います。

いずれ『お前の兄ちゃんは馬鹿だ』と言われ、泣くんだろう。

想像すると、私は朝食が喉を通らなくなります。 

そんな朝を何度も過ごして、突然気が付いたのです。

弟よ、お前は人にいじめられるかもしれないが、

人をいじめる人にはならないだろう。 

生まれた時から、障害のある兄ちゃんがいた。

お前の人格は、この兄ちゃんがいた環境で形作られたのだ。

お前は優しい、いい男に育つだろう。

それから、私ははたと気付いたのです。

あなたが生まれたことで、私たち夫婦は悩み考え、

それまでとは違う人生を生きてきた。

親である私たちでさえ、

あなたが生まれなかったら、今の私たちではないのだね。

そして、自閉症の長男から気付かされたこと・・・

ああ、息子よ、誰もが健常で生きることはできない。 

誰かが障害をもって生きていかなければならない。

なぜ、今まで気づかなかったのだろう。

私の周りにだって、生まれる前に息絶えた子が、いたはずだ。 

生まれた時から重い障害のある子がいたはずだ。

・交通事故に遭って、車いすで暮らす小学生が、

・雷に遭って、寝たきりになった中学生が、

・おかしなワクチン注射を受け、普通に暮らせなくなった高校生が、

・嘱望されていたのに突然の病に倒れた大人が、 

実は私の周りには、いたはずだ。

私は運よく生きてきただけだった。

それは誰かが背負ってくれたからだったのだ。

最後は、長男に直接呼びかけます。

息子よ。君は、弟の代わりに、同級生の代わりに、

私の代わりに障害を持って生まれてきた。 

老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。 

事故で、唐突に人生を終わる人もいる。

人生の最後は誰も動けなくなる。

誰もが、次第に障害を負いながら生きていくのだね。

息子よ。あなたが指し示していたのは、私自身のことだった。

息子よ。そのままで、いい。 

それで、うちの子。

それが、うちの子。 

あなたが生まれてきてくれてよかった。

私はそう思っている。父より

<転載終了>

文部科学省により2012年に全国の公立小中学校で

約5万人を対象にした調査結果で、 

”発達障害の可能性のある”とされた児童生徒の割合は、

6.5%だったそうです。

もう少し詳しく見ると・・

・4.5%…学習面で著しい困難

・3.6%…行動面で著しい困難(全体指示が入らない、落ち着きがなく着席が不安定等)

・1.6%…学習面・行動面の両面で著しい困難

なのだそうです。

また子供だけでなく、大人になってからも、心身に障害を発症する方もおられますから、

私たちの周りには沢山のハンディキャップを持った人がいらっしゃいます。

私たちは、家族の中に障害を持つ人がいると聞けば、

「かわいそうに」とか、どうしても少し色眼鏡で見がちです。 

ですが、生まれ変わりを繰り返し、魂の成長を目指し、 

長い長い永遠の時を過ごしている、私たちの本体である魂にとって、 

そのたった一瞬の人生の姿は、 

本当に「かわいそうなこと」なのでしょうか。

きっと違います。

いえ絶対に違います。

障害を持つと言うことは、この一時の地球での生活、

せいぜい80年の期間で見たら、確かに、

・経済的に苦しく

・学業や職業などできることも限られ

・差別されるかもしれず

・偏見の目で見られるかもしれず

非常い苦しい生活を強いられるかもしれません。

悔しい思いもするでしょう。 

ご家族も同じです。

ですが、それは「かわいそうなこと」ではなく、 

彼らは自らその環境を選んで生まれ、挑戦している人生です。

高貴な魂にしか許されない挑戦です。

そしてそれを迎え入れたご家族も同じです。

そのような方々を差別し、蔑み排除する人の心こそ、

小さな小さな心であるが故に、むしろ「かわいそう」なのかもしれません。

このような試練に立ち向かおうとする時、

神さまからも同じだけの大きな愛と援助が向けられます。

神さまや、周りを取り巻く心の温かな人々から、

勇気と、忍耐力、そして希望を与えられます。

それがあるからこそ、そのチャレンジには大きな大きな意味があるのです。

人々を巻き込んだ大きなドラマです。

何の不自由もなく、健康で経済的に恵まれ、

苦労も悲しみも味わうことのない人生からは、 

信じることのできないほどのダイナミックな愛と、

祝福に囲まれた人生を送ることができます。

例え、表面的には辛く苦しい人生を送っているかのように見えても・・

本当に大切なものは目には見えません。

それは、チャレンジの人生を終えて、天に帰った時に、

はっきりとわかることでしょう。

私たちは目的を持ってここに生まれ、この人生を過ごし、

そしてまた来たところへと帰って行きます。

必ず戻る時が来ます。

その時に、悔いの残らないような生き方をしたいものですね。

多くの皆様の勇気となることができますように、祈りを込めて・・


2026年8月13日木曜日

4348「青空ひろば」2026.8.13

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


イノチの学校より32 2026.07.20 ~イノチの学校より33 2026.07.21 

論語より

大敬意訳

師(孔子さん)がおっしゃった。

「…学びが本物であれば、学ぶほど頑固さがとれて、謙虚になり、柔軟になってくるものだ。…間違いに気がつけば、我を張っていないで、自らの過ちを素直に認めて、すぐに訂正することが出来るようになるものだ」

これ面白いですね、大敬の勤めていた学校は超エリートが集まっていて、僕より頭のいい子がいっぱいいました。

塾でも一番だった子とかが集まってきてね、最初はすんごく自惚れています。

天狗なんですね笑

どうしようもない状態でね、中学に入ってきた一年生が威張り散らしていたり。

僕やったらバシッと最初に一喝入れてやろうかと思ったりしますけど笑。

そこに勤めている先生方は特に何もしないんですね、そうした生徒をほったらかしにしている。

けしからんな、こんなん性根を鍛えなおしてやらないと世の中に出たらエライことになるぞ、なんて思いそうになりますけどね。

実際に卒業生には、能力は高いけれど皆さんが名前をよく聞くような実業家や、世を騒がせている人もいますよね。

そういう子ばっかりなんですよ最初は。

それがね面白いのは、うちの学校はエスカレーター式で6年間、中高一貫なんですね。

同じ生徒を6年間みることになるので、

始めは苗字で呼んでた生徒を最後は名前で呼んでますね。

おーいタカシ!みたいにね。

そういう関係になるんだけど、ずっとそうしてみてるとね

不思議なのが、高校2年になると突然謙虚になります。

あれビックリするほど変身しますね。

最初はバシッと言ってやらないとエライことなるんちゃうか、と思っていたわけですよね。

でもそうせずにずっと見守っていると、突然謙虚になる。

傲慢なところがね、天狗の鼻がボキッと折られたんでしょうね。

色んなテスト受けたりなんかしていくと、

自分は一番じゃなかったんだ、という事がわかってくるんじゃないかなと思いますね。

先生の言うことなんか!と思ってた生徒が、やっぱり先生の言うことも大切だな、と気づいたらそういう態度になっている。

高校2年で突然変身するんですよね。

で謙虚になって話をよく聞くようになるし、挨拶もするようになる。

変わる。

それでね、変わらないままの子は大学受験を通らなかったりするんです。

変われた子は行きたい大学に行ってる。

で、たまに無茶苦茶頭いい子がいて、もう傲慢なままで大学に合格する子がいる。

変身しない。

そんな子は後みてたら全然出世してないです。

どこかでまた挫折してる。

そんな傲慢な、自分が一番だという態度で、世の中渡っていけませんね。

だからどこかで必ず壁にぶつかっていく。

そういうことを見てきたので、不思議だなあと思いますし

孔子さんの語られた事は本当だなと実感しますね。


イノチの学校より28 2026.07.16 ~イノチの学校より31 2026.07.19 

正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)という本から、道元さんの言葉を紹介します。

この本は道元さんが、公式に禅道場で語られた内容ではありません。

道元さんの部屋に弟子の何人かが集まってね、夜に御茶でも飲みながら語られた言葉を、懐奘(えじょう)という弟子が記録した文章です。

その中の言葉ですね。

「徳が顕れるには三段階がある。まずその人がその道を修していると知られるようになってくる。

次に、その道を慕う人が出てくる。

最後に、その道を私も一緒に学ぼう、一緒に修してゆこうという人が集まってくる。

これを<道の徳が顕れる>というのである」

これは道の仲間や、仲間の会を開催している人などにも、心得として欲しいですね。

人知らずしていからず、また君子ならずや

の心ですね。

道の志を立てて、なにか活動をしたとする。

1人も話を聞きに来てくれないかもしれませんね。

それでもそこで、自分は黙々と何年も淡々とやっていくと、

その活動が天の道にかなっている、お日さまの心にかなっている活動であれば、

すこしずつ伝わっていく、気づかれていく。

大敬ならみんなで坐禅会というのをしていますが、

あそこで坐禅会というのをやっているらしいぞ、と気がつく人が出てきて、1回行ってみようかな?という人が出てきて、

やってる内に段々と、一緒にやりたいですという人が出てきて…

というふうに進んでいく。

それは別にこの一生だけで上手くやろうとしなくてもいいんですよ、次の生でやってもいいんです。

それぐらいの粘り強さ、というかね

永い目でみてね、大きな視点で進んでいくことが肝要です。

道元さんの言葉(正法眼蔵随聞記より)

「誰でも<道>を得ることは、一緒に学ぶ仲間たちとのご縁によるのだ。

一人、一人、皆もともと道を究める能力を持っているのだが(万人「神のひとり子」)、道を歩めるのは一緒に学び修する仲間の力(「場」の力)による。

だから、今は皆が心を一つにして<道>に参じ、尋ね求めるべきである。

玉は磨くことによって立派な器となる。人は鍛えることによって仁ある人(思いやりの心を備えた人物)となれる。

はじめから光っている宝石があるだろうか。

初心のときから優れている人がいるであろうか。自ら卑下して、『私には道を得ることなんて、どうせ出来ないんだ』などと、学びをあきらめてはいけない。」

お釈迦さまの弟子でも、記録を見ると変わった人が沢山いますよね。

これはちょっと癖が強いな、変わってるなあという人。

そういう個性の強い人でも、お釈迦さまの元にいて学び、仲間のみんなや友人と共に修行していくことによって、聖人になっていかれたという道のりが記録されています。

だから決して『私には無理だ』などということはないのですね。(道の仲間は時間空間を越えて助け合っているので、決して1人ではないのです。


イノチの学校より26 2026.07.14 ~イノチの学校より27 2026.07.15 

論語の冒頭の一節を現代語訳して、意訳しておきますね。

よく教科書なんかにも出てきますね。

原文は

孔子(し)曰(のたま)はく、学んで時(ここ)に習ふ、また説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)遠きよりならび来たる、また楽しからずや。人知らずしていからず、また君子ならずや。

これを現代語訳してみました。

大敬意訳

師(孔子)がおっしゃった「ものを教わる。そして後からおさらいして、また機会があれば、実践によって教わったことが本当か確かめてみる。そうすれば、理解が一層深まってくる。そのような学びと実践検証作業は、何と楽しいことではないだろうか。

志しを共にする友たちが、遠くからやって来てくれる。そして、気づいたことを語り合う。何と嬉しいことではないだろうか。

他の人が自分を認めてくれなくても気にかけないで、今やるべきことを黙々と、淡々と実践してゆく。何と奥ゆかしい、尊い人物ではないだろうか。

僕は、論語はこの冒頭に全部語られている様に思いますね。

やっぱり大敬も、一生懸命学んで、そうして思いついた事を実践で確かめてみる。

そこで体験した事を踏まえてもう一つ深める、考えていく。

これが一番嬉しい。最大の喜びですね。

そしてこの様に皆さんがやってきてくれて、一緒に気づきを語り合う事が出来る。

これは最高の喜びではないですか?

で、こういう事をやっていても世の中の殆どの人には、理解されないかもしれないですよね。

でも、自分は黙々と、自分が正しいと思うことを実践していく。

その歩みを実践していく人のなんと素晴らしい事だろう、自分もそうありたい。

という事ですよね。

ここには論語のすべてが語られている様に思いますね。


2026年8月12日水曜日

4347「祓い清め」2026.8.12

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月27日の記事を紹介します。


「祓い清め」


今日は、「祓い清め」に関する記事です。 

感謝の心を持つことこそ、生きている今、幸せになる方法です。 

今の状況を何とかしたいのに・・・ 

もし、それがどういうことか分からず、何をすれば分からないようでしたら、 

日本と言う国だけに存在する

「ありがとう」という言葉、言霊を、何度も何度も 

毎日毎日

朝から晩まで、寝ていても、心の中で結構ですので、唱えてみてください。 

今日の本題です。

私たちは神社に行くとよくお祓いやご祈祷をしていただきます。 

この祓い、清めることについて 

日本の形成外科の草分け的存在である

医師であり、かつ元春日大社宮司、 故人 葉室頼昭さんが

以下のように説明してくださっています。 

<一部引用開始> 引用元

特に申し上げたいのが、 

日本人は、人間は自分で生きているのではなく、

すべて

・神さまの恵みと、

・祖先の恩

によって生かされている 

という感謝の生活を送ってきたということです。

 

これは、人間の生きる、素晴らしい真実の道です。

この世の中にはいろいろな、悩みや苦しみ、病気などがありますが、

それらすべては、生かされているという感謝の気持ちを忘れ、 

自分の力だけで生きているという

「我」の心が原因で現れてきます。

いろいろな悩みが現れるのは、

神さまからいただいた、清浄で健康な素晴らしい姿を、

覆って包んでしまう、罪(包身 つみ)や、 

私たちを生かしてくださる神さまの尊い気を、

枯らしてしまうような穢(けが)れ(気枯れ)が、

身についたためだということを、

昔の日本人は直感で知っていました。 

ですから、これらの罪穢れを祓(はら)い除けば、

もとの健康で幸せな姿が現れるとして、 

古来より祓いということを行ってきたのです。

これは、世界に誇るべきことであると私は思います。

今の医学では、病気は存在するものであり、

それを撲滅するのが治療だと思われています。

しかし私は、この日本人の、 

罪穢れを祓えば、もとの健康が現れる 

という考え方のほうが、真実の医学ではないかと思うのです。

その他にも、素晴らしい特質を挙げていくと、きりがありません。

日本人は古来より 

素晴らしい真実の生活を続けてきた、世界でも珍しい民族でありますから、 

これらをひとりでも多くの人が自覚し、日本人の誇りをもって、 

胸を張って生きてほしいと願っているのです。 

<引用終了>

私たち人間は、生まれた時には

神さまからいただいた、清浄で美しい心をしていました。 

生まれる前に、誰もが、神さまから

人生の目的や、人生で起こること全て 、これらを承認していただいて、 

生まれることを許され、「行っておいで」と、

祝福されて、地球に生まれてきたからです。

ですが、この世に生まれてきた後、 

制約の多いこの地球で、

いろいろな、しがらみ、悪意、陰謀の波にさらされ、 

何時しか、自我(自分の意志や考え方を言い張って、わがまままこと)に翻弄され、

罪、氣枯れで、魂が覆われてしまいます。 

神社などでの、お祓いや、祝詞は、 これらを祓い清め、 

魂の本来の輝きを取り戻すために行われます。 

祓われるのは、悪しきことだけではありません。 

良きことも、祓い清められ、 

「無」つまり、ニュートラルな状態にしてくれるのだそうです。 

一旦、無の状態になることで、

内なる神聖が輝きだし、本来の道(生まれてきた目的)に立ち返り、

物事が、スムーズに運ぶようになるのだそうです。 

スムーズに運ぶ。。。とは、 

「安楽な道」だけではありません。 

例えば、自分の生まれてきた目的が、

あえて、困難、苦難な状況に身を置くことで、

その中で、

・投げ出さず

・希望を捨てず

・不平、不満、愚痴、悪口、呪いの言葉を言わず

・感謝の心を忘れず

・笑顔を絶やさず 

そのような魂を輝かせるための

訓練の場を、自ら設定して、生まれてくる人もいるからです。 

人それぞれ、 

・生まれてきた目的も

・その達成するための道のりも

・必要な時間も 

全て違います。 

自分のことは、おぼろげにわかるかもしれませんが、

ましては、他人のことは、分かりません。 

分からないのに、他人の一面だけの姿を切り取って見て、 

勝手に解釈し、自分のフィルター越しに見て、

批判、中傷していては、 

自分自身の心を曇らせ、闇に置き、

一気に運気をどん底にまで引き落としてしまいます。 

であれば、 

人を批判・非難することなく、 

そして自分の身に降りかかる運命も、

抵抗せず、感謝をもって素直に受け入れ、 

周りの人に対しては、 

・寛容な心

・優しい心

・あたたかな心

で接して行きたいものですね。

そのような、暖かく、美しい心こそ、 

自分の人生を、暖かく、美しいものにしてくれるからです。