2026年4月17日金曜日

4230「良き人、悪しき人」2026.4.17

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年04月02日の記事を紹介します。


「良き人、悪しき人」


今日は、野口嘉則さんのお話をご紹介します。

性善説、性悪説のお話です。 

私たちが、どちらに意識を向けるかで、人間関係が劇的に変化することがあります。 

今、皆さんが悩んでいる、目の前の苦しい人間関係も一変させる力があります。

苦しんでいらっしゃる方、じっくりお読みください。

<転載開始> 転載元

中学生の女の子の話です。(仮にあきちゃんという名にします)

あきちゃんが小さいころにお母さんが亡くなり、

まもなくお父さんが再婚して、新しいお母さんがやってきました。

そして、その新しいお母さんは、あきちゃんにイジワルをしてくるようになったのです。

そのお母さんは、あきちゃんが話しかけても聞こえないふりをしたり、

あきちゃんのおやつを横取りして食べたり、

あきちゃんに向かって「あなたなんか可愛くない」と言ってきたり・・・

そんな生活が続き、あきちゃんは中学生になりました。

あいかわらず、お母さんからのイジワルは続いたそうです。

そしてあきちゃんには、悩みが一つありました。

それは、中学生になってもおねしょが治らないことです。

ある日、あきちゃんの友だちが家に遊びに来ました。

すると、友だちに向かってお母さんが、こう言ったのです。 

「あきちゃんったら、中学生にもなって、おねしょをするんですよ。」

あきちゃんは顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしました。

あきちゃんは心の中で叫びました。 

「あの継母(ままはは)のせいで、私の人生はメチャクチャだ。

本当のお母さん、どうして死んでしまったの?」

ところが、その後あきちゃんは、本を読み、考え方が変わり始めました。

自分のことを“被害者”だと思い込んでいることに気づいたのです。

「私はいつも、『あの継母のせいで、自分の人生はメチャクチャだ』と心の中でつぶやくばかりで、継母との関係をよくするための行動を何もしていなかった!」

そう思ったのです。

読んだ本の中に、次のような言葉が書いてあったそうです。 

「よい人間関係を築くには、感謝の言葉を伝えよう。

相手からの見返りをいっさい期待せず、ひたすら感謝を行動で表そう」

そこで、継母に感謝できることを探したら、たくさん出てきたそうです。

・毎日、ご飯を作ってくれている

・おねしょした布団を干していてくれる

・病気になったときは病院に付き添って行ってくれた 

などなど

「私は、継母のイジワルなところばかりに固執していたけど、

私がここまで育ってこれたのは、継母のおかげだ。

私は、継母が家に来たころから、

亡くなった母親と比べて、継母の悪い点ばかり数えていた。

私こそ、最初から継母を『お母さん』として認めていなかった。

よし、まずは感謝の気持ちを表そう!」

あきちゃんは、そう決意しました。

仕事の関係でお父さんの帰りが遅いので、

夕食はいつも、お母さんと二人きりで食べていました。

その日の夕食を終えると、

「お母さん、おいしいご飯をありがとう。いつもありがとう。」と言って、母親の背に回りました。

肩こり症のお母さんの肩をもんであげようとしたのです。

するとお母さんが、「何するの、気持ち悪い。あなたに触られたら、よけい肩がこるよ。」と言って、あきちゃんの手を振り払ったのです。

あきちゃんは、次の日も夕食後に、「お母さん、ありがとう。」と言って肩をももうとしました。

すると今度は、お母さんの肘でっぽうが飛んできました。

あきちゃんは、3日目も夕食後に「いつもありがとう」と言って、お母さんの背に回りました。

「何の魂胆があるの?気持ち悪いからやめなさい」と、やはり肘でっぽうが飛んでました。

あきちゃんは4日目も、5日目も、6日目も続けました。

毎回、肘でっぽうで拒否されました。

「相手からの見返りを期待せず、

ひたすら感謝を行動で表そう」という言葉が、あきちゃんの支えでした。

そして7日目。いつものように夕食後、

「お母さん、いつもありがとう」と言ってお母さんの背に回ったら、

その日はお母さんがじっとしていました。

そこで心を込めて肩をもんでいたら、

しばらくして、お母さんの肩が小きざみに震え始めたのです。

どうしたんだろう?と思って、お母さんの顔をのぞきこんでみたら、

お母さんの目から大粒の涙がポタポタと落ち始めました。

まもなくお母さんは「ウワーッ」と泣きながらあきちゃんに向かって、

こう言ったのです。

「ごめんなさい!お母さんが悪かった!ほんとにごめんなさい!」

お母さんは、しばらく泣き続けた後、

あきちゃんのことをギュッと抱きしめてくれたそうです。 

その日から、お母さんはイジワルをしなくなりました。 

優しいお母さんに変わったのです。

そしてその日から、あきちゃんがおねしょをすることもなくなりました。

以上です。

イジワルに見えるお母さんの奥には、愛に満ちた優しいお母さんがいたのですね。

このあきちゃんさんのように、肘でっぽうを喰らっても感謝の行動を取り続けるためには、

「人間は本来、愛に満ちた素晴らしい存在だ!」という“ものの見方”が必要です。

いわゆる“性善説”ですね。

「今はイジワルをするお母さんでも、

お母さんの本質は、愛に満ちているんだ!」という信念を持って接し続ければ、 

いずれはお母さんの“愛”を引き出すことができるのですね。

逆に、「このお母さんは、心底イジワルだ。どうしようもない。」

という信念をもって接すればどうでしょうか?

私たちが相手に対して、どんなものの見方をするかということは、 

相手との関係に大きな影響を与えるのです。

相手の中の「愛」や「優しさ」や「本質」を信じ続けることができたら、

つまり、“性善説”で相手を見ることをし続けたら、

相手の愛や優しさを引き出すことができるのです。

さて、このあきちゃんさんの話には、もう一つ大事なポイントがあると思います。

それは、「相手からの見返りを期待せずに、感謝を行動で表す」ということです。

もしあきちゃんさんが、お母さんからの見返りを期待していたら、

肘でっぽうをしてくるお母さんを受け入れることはできなかったと思います。

相手からの見返りを目的にするのではなく、 

・相手を喜ばせること

・相手に感謝の気持ちを伝えること 

を目的にしてこそ、行動し続けることができ、

ついには、相手の愛を引き出すことができるのです。

ここで大切なのは、善悪の判断をしないことです。

「私は、『感謝の言葉を伝える』という“善いこと”をしているのに、

相手は肘でっぽうを返してくるなんて! 

どう考えても相手が悪い!」などと、善悪の判断をし始めると、

常に相手を裁くようになってしまいます。 

「善いか悪いか」「正しいか間違っているか」の二元論で物事を考え始めると、

自分が正しくて相手が間違っているように思えてきます。 

そして、人の判断基準はそれぞれに違いますから、 

皆が「自分が正しい」と信じるようになり、

「正しさ」と「正しさ」の戦いが始まるのです。

ですから、善悪二元論という“ものの見方”をしていることに、

まず気づく必要があります。

エデンの楽園に住んでいたアダムとイブが、

なぜ楽園にいることができなくなったか、ご存知でしょう。

蛇にそそのかされ「善悪の知識の木」の実を食べてしまったからですね。

以前、「鏡の法則」を読んだ友人から、次のような質問をされたことがあります。

「人生が、自分の心を映し出した鏡だというのはわかる。

だけど、すごく心が清く正しいのに、ツキのない人生を歩んでいる人がいるのはなぜ?

清く正しい心の持ち主なら、もっと豊かな素晴らしい人生を送ってもいいと思うんだけど。」

清く正しい心の持ち主にもいろいろなタイプがあるとは思いますが、 

「自分が清く正しいがゆえに、人の悪が許せない」というタイプの人がいますね。

正義感が強すぎて、悪を憎み、悪に対して怒っている人です。

心の底で人を裁いていると、自分が裁かれるような人生になってしまうんですね。

私たちは、「善悪の知識の木」の実を、一度吐き出す必要がありそうです。

・善いか悪いか

・白か黒か

という二元論ではなく、多様性を受け入れるだけの“ファジーさ(曖昧さ)”が大切です。

さて、もう一つあきちゃんさんに関連して、おねしょの話です。

おねしょの原因もいろいろあるとは思いますが、 

悲しみを我慢していることが、おねしょの原因になることがあります。

本来、悲しい時は、思いっきり泣くのが一番です。 

涙がかれるまで泣くと、少し楽になることが多いはずです。

しかし、あきちゃんさんのように中学生になると、泣くのを我慢するようになります。

あるいはあきちゃんさんは、小さいころから泣くのを我慢していたのかもしれません。

すると、涙で悲しみを洗い流す代わりに、おねしょとなって流れ出ることがあるのです。

つまり、おねしょによって悲しみを流そうとしているのですね。

ですから、子どもが心の底から安心できたり、子どもの悲しみが癒されたりしたことで、

その子のおねしょが治ったという例は、枚挙にいとまがありません。

<転載終了>

家族の間で、憎しみ合うことは、非常に多いそうです。 

親子や家族の間なら、甘えが許されると勘違いし、

相手に対し、自分の未熟な幼児性を振りかざすからです。 

ですが、家族というのは、神様が私たちの魂を輝かせるために準備してくださった

一番身近で、最小の単位です。 

家族を通じ、魂を磨き、輝かすことができます。 

近すぎる関係ゆえに、時には憎しみ合うこともあるかもしれません。 

ですが、憎しみの心が、私たちの中にある限り、自分を含め、誰も幸せにできません。 

・憎しみ合うのはやめましょう

・好きになりましょう 

そう言っても無理かもしれません。 

ですが、あきちゃんがやったように、

感謝の種を見つけることならできるかもしれません。 

・毎日、ご飯を作ってくれている

・おねしょした布団を干していてくれる

・病気になったときは病院に付き添って行ってくれた

私たちは、「感謝の心」さえ、芽生えれば、幸せになれます。

神さまの恩寵が、これでもかと降り注がれます。

幸せになるには、今置かれた環境の中で、 

小さな小さな「感謝の種」を見つけることがスタートとなるかもしれません。 

もし、目の前に、自分に対して嫌なことをしてくる人がいるなら、 

まず、何でも良いですから、小さな「ありがとうの種」を見つけてください。 

・注意してくださってありがとう

・気づかせてくれてありがとう

・機にかけてくださってありがとう 

この「ありがとう」の言葉を使っていれば、

どんなに頑なな心の人も、必ずとけだします。

感謝の気持ちを持つ人には、鬼人さえも避けて通ります。 

是非実践なさってみてくださいね。


2026年4月16日木曜日

4229「病気・事故・障害の意味」2026.4.16

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年04月01日の記事を紹介します。


「病気・事故・障害の意味」


この地球の3次元で、私達が暮らす現実は、全て私たちの心が作り出しています。

ですから、

・幸せになること

・神様に近づくこと 

そうするためには、自らの心を浄化しなければなりません。

自分の心の浄化は、

・どこかの能力者や

・どこそこの神様

・パワーを持つと自称する人

このように自分以外の他者の力でなされることは決してありません。 

一瞬はよくなったと見えても、自分の心が変わらなければ、

再び心が、前と同じ状況を創り出してしまいます。

それでは、今日は病気と心の切り口で書きたいと思います。 

神様の意識のまま生まれて来た小学生のトキ君が

病気、障害について話しています。少しご紹介します。 

トキ君(山幸彦の魂)は、次のように話しています。(少し補足しています)

・病気になるのは、生まれる前に自分で紙に書いてきたから

(=自分で設定してきた。決めてきた)、その通り病気になっただけ

・身体が壊れると、魂が抜ける

 身体は、魂の乗り物。身体と、魂は別物。魂は永遠に存在している。

・障害者になっても、全然大丈夫

・例え身体が痛みで苦痛であっても、

 楽しいことをする・考えることで、痛みを忘れることができる(心と体は別物)

・ガンと戦う・・このような考え方は間違い

・病気と闘ってはダメ

・病気は神様からのプレゼントだと気づけば大丈夫

・病気や障害は、神様からのプレゼント

・例え、病気や障害になっても、自分の決めてきた寿命までは生き続ける(乗り越えられる)

・物凄く痛みを伴う時は、乗り越えられる障害

 寿命である時は、痛みや苦しみを伴わないので区別することができる

・大きな試練が起こる前に、小さな試練が複数起こる

・神さまのプレゼントを受け取れば、運が良くなる

・神さまのプレゼントとは、苦しいこと、辛いこと

・神さまは、このプレゼントを通じ、私たちの「直すべきこと」を教えてくれている

・「直すべきこと」は、多くが神さまの用意してくださった環境に満足せず、

頑張って変えようと眉間にシワを寄せる事

・「頑張る」は神様の目から見れば、悪いこと

 苦しく、辛いことであっても、「直そう、戦おう」とせず、

 素直に神様のプレゼントを感謝を持って受け入れること

・病気や障害に感謝すること。受け入れること

・病気は自分で治せる

・神さまが病気を通じ教えてくださった、私たちの「直すべきこと」を知り

(=頑張ることをやめ、自分の今の環境に感謝して受け入れる。(聖なる)諦める)

・このことによって、病気を通じ神様が教えたいと思ったことが成就して、病気は必要なくなり消える

・治らない障害を受けたとしても

 神さまにとっては、肉体(乗り物)は障害であっても、心には障害はない

・病気や障害は、頑張って乗り越えるものではなく、「簡単なこと」と思うこと(重大に考えない事)

(深刻に考えて、病気や障害にエネルギーを与えないこと)

・普通の人は、自由に肉体が動けるけれど、心が自由でない人が多い

・障害者の人は逆に心が自由(神さまのプレゼントを受け入れ、素直に受け取っているから)

・心が自由だから、何か嫌なことが起こっても楽しめる

・辛い状態の時、「神さま、助けて」と言うのは、心が自由でない証拠

・心が自由な人は、そんな時でも「幸せです。ありがとう」と言える人

・ガンになっても「ありがとう」

・何故なら、病気や障害は、神様からのプレゼントだから

・どんな病気も障害も、「絶対乗り越えられるから大丈夫」

・神さまのプレゼントを受け入れて

 それで「楽しく生きるんだ」と自分で決めること、決心すること、神様に感謝すること

・それで病気や障害を乗り越えられる。一番大切な心が自由になる

・心が動けば、自由であれば、何でもできる!

・心が自由であること、楽しく生きること

・これが神さまが教えてくださった病気や障害を乗り越える方法

・病気や障害になったら「幸せです。ありがとう」

・心が何物にも縛られず自由なら、幸せになれる。 

今度は以前「病気・事故」について書いた記事を御紹介します。

私たちは肉体的な制約のない「意識」だけの世界(神の国、黄泉の国)から

この地球の3次元の世界に生まれてきました。 

生まれてくる際には、永遠の魂の持っている記憶を全て、

いったん白紙にされ、忘れさせられて生まれてきます。

そして一生のうちに経験する全てのことを、あらかじめ決めてから生まれて来ます。

この不自由な物理的な世界で

肉体があるがゆえに、霊的な生命体の時には無かった「感情」を味わい

様々な縁ある人々とも、まるで「初めまして」と、一から関係を構築していきます。

そして、地球での生活の中には、様々な、イベントが埋め込まれています。

楽しいことだけではありません 

・別れや死別

・裏切り、意地悪

・憎しみ、嫉妬

・悲しみ、苦しみ 

様々な人々の、様々な感情の中で、翻弄されながらも、

自分なりの花を咲かせようと、私たちは懸命に生きていきます。

何故なら、そのような経験は、この地球の3次元の世界、

短い一生の間にしか味わえない、貴重な 魂を磨く機会だからです。

でも、これらは全て自分で決めてきたことです。 

私たちは 

・この置かれた世界で、

・この置かれた立場で、 

どう生きていくか?

それが、問われています。 

送り出してくださった神様、そして、多くの故郷の星の同胞たちが見守っています。

ですが、そうであるにも関わらず、あまりにも見えない世界、霊の世界

下世話な言葉で言えば「お化けの世界」のみを重要視し過ぎて、

実際の目に見える日々の生活、そして身近な周りの人々との、

優しさや、思いやりの愛の交換を忘れてしまっては、 

本末転倒になってしまうかもしれません。 

何のために、ここ物質地球に来たのかわかりません。 

ここは物質次元の地球です。 

今日のテーマ 「病気と事故」

生まれてくる前に、自分で決めてきたシナリオ通り、人生が進むのであれば、 

私たちを苦しめる、貧困や病気、事故の意味とは何でしょうか? 

世の中に一つも無駄なことはないと言われます。

神さまは決して私たちを

苦しめ、悲しませるためだけに、物事を起こすわけではありません。 

全ての自分に降りかかる出来事は「空」、すなわちニュートラルである。

そこに良い、悪い。 幸、不幸の色を付けるのは、自分の心である。。 

そうブッダは般若心経の中で教えてくださいました。 

一般的にいう「不幸」の代表として病気と事故があります。 

そして、病気をした人は、「より優しく」なり、

事故に遭った人は、 「より謙虚に」なります。

「どうして、自分だけが不幸な目に遭わなくちゃならないんだ」と言う人もいれば、

病気や事故のおかげで、心が清められたと、感謝する人もいます。 

私たちの日常生活の中の、幸せ、不幸せは、 

こういうもののとらえ方の違いによって成り立っています。

目の前の現象は、もともとニュートラル(中立)で、なんの意味づけもされていないのに、

私たちが勝手に評価・論評を加えているということです。 

すべては自分の私たちの心が決めています。

今自分の目の前に起きている、悩み、苦しみ、偏見、貧困、差別、病気、ケガは、

自分にとって何をもたらそうとしているのか? 

それを経験することで、私たちの魂は、何を得ることができるのか? 

それは、その現象の表面だけの辛さを見て、不平不満、愚痴、悪口を言っている間は、

決して気づくことがないでしょう。

そこに隠された神様の意図を、感じ取れた時、

その現象は、役割を終えて、いつの間にか消滅し、

記憶のかなたに消えていくことでしょう。  

皆様が内にいらっしゃる神さまに気づき、お幸せになられますように。


2026年4月15日水曜日

4228「言葉の贈り物」2026.4.15

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年03月31日の記事を紹介します。


「言葉の贈り物」


今、地球が変わるために様々なことが起こっていますが、 

自分の外部でどのようなことが起ころうと、私たちの心が、浄化され、

愛で満たされていれば、何も恐れることはありません。 

神さまが下さった心(魂)こそが、一番大切で、私たちを導いてくれるものですから。 

さて今日も、神々に近づくために、心の洗濯のお話です。 

今日は、「言葉の贈り物」ということで

お金が無くとも、いつでも、どこでも、簡単にできて

自分も、人も、一瞬で幸せにしてしまう方法を、ご紹介します。 

小林正観さんのお話からどうぞ、 

<引用開始> 引用元

自分の口から出てくる言葉が、 

・温かい言葉、

・人を優しくする言葉、

・明るくする言葉 

でしかないように、自分の口から出てくる言葉を、

彩(いろど)りたい、って考えた人がいます。

良寛和尚(りょうかんおしょう)という人です。

良寛さん。

この人は幕末の人で1831年に74歳で死んだんですね。

非常に貧しい乞食坊主だって自分で言ってまして、 自分は人に対して、

物やお金を贈り物として与えることが全然できない。

でも、いつも人に対して、何かを贈りたいと思っている。

では、自分に贈れるものは何か。

それは「言葉」である、って、いうふうに言っていた人なんですね。

自分の口から出てくるすべての言葉が、人を温かくする言葉、 

そういうものでありたいって、心に決めて生きてきた人だったんですが、

この思想を「愛語(あいご)」と言います。

私は、それを聞いてハッとしまして、 

それまで「“不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句”を

言わないようにしましょう」と言っていたんですけど、 

良寛さんのこの話を聞いたときに、それらを言わないだけではなく、

それをゼロにするだけではなくて、私の口から出てくる言葉は、 

はっきりとした自覚をもって、 

・人を温かくする言葉、

・明るくする言葉、

・優しい気持ちにする言葉、

・励まし続ける言葉… 

そういうものしか、もう自分の口から出てこないようにしようって決めたんです。

で、それを続けていくと、これまでも私は、友人・知人にすごく恵まれてきましたが、

その人間関係の厚みが、もっと増した気がしてるんです。

そういうものだけで、自分の言葉を彩るって今日から決意をすると、

人間関係が多分変わってきます。

自分の口から出てくる言葉全部が、人を温かくするものとする・・そう決めて、 

その言葉を贈り物とする人は、豊かな人っていうんですね。

お金や物っていうのは、あげてしまうと自分のところからは無くなります。

でも、言葉というのは、いくら出してあげても、無尽蔵に存在するものなんです。

と同時に、それを外に出さない限りは、持ってないのと同じなんです。

言葉は、出せば出すだけ贈り物になる。

出して初めて存在が確認されるんです。

だから、心の中でいくら思っていても、それは出さなければ絶対、

贈り物にはならないんです。

「今日はそのネクタイ似合ってますね」って思ったら言ってあげる。

「今日はそのスーツ素敵ですね」って思ったら言ってあげる。

それが、その人を励ましたり、勇気づけたり、元気づけたりする言葉であるならば、 

全部それが贈り物になるってことです。

で、そういう言葉を贈り物にできる人が、実は本当に豊かな人になるんですね。

いくら出しても無尽蔵に存在するものを、私たちはたくさん持っているんですから、

独り占めはしないでくださいね。

あなたの出す温かい言葉は、すべて贈り物なんですよ。

たくさんの贈り物を届けてあげませんか。

<引用終了>

どうですか? 

なんだか簡単そうすね。

普段から「愛語」を心がけていると、近寄ってくる人が、みんな、

温かで親切な笑顔でよって来てくれます。 

みんな善意の心で、味方になってくれる人です。 

それは、自分が発した心、同じ波長の人が引き寄せられたからです。 

そんな笑顔の人達に囲まれていると、もう幸せと、感謝しか感じられなくなります。 

どうぞ、実験してみてください。 

本当のことですから。 

私は、もうやって見ました。 

この宇宙では、何事も、そうなのですが、棚から牡丹餅は、 ありません。 

待っていて、突然幸せが、向こうから歩いてくることもありません。

全ては、 まずは、自分が出すことが先です。 

自分が、外に発信したもの

・笑顔

・お金、寄付、喜捨

・優しさ

・愛

・思いやり

・援助

全て、先に自分が出すことで 、空いたエネルギー空間を埋めるため、

無(宇宙)からエネルギーがやってきます。 

それは、自分が出したものと、同質のエネルギーです。 

そして、それは倍になって自分に帰ってきます。

まず、自分からアクションを起こすこと、これがミソです。 

逆に日ごろから社会や、周りの人々に、

フツフツとした怒りや憎しみを抱き続けていれば、 

気づけば、同じように、心に憎しみを持つ人々に囲まれていることでしょう。 

例えそれが「正義の義憤」であったとしても 

怒りの炎は、同質の魂を引き寄せ、

同じ波長の現実を次から次へと自分のもとへ手繰り寄せてしまいます。


2026年4月14日火曜日

4227「氣枯れ-ケガレ」2026.4.14

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年03月30日の記事を紹介します。


「氣枯れ-ケガレ」


人間の魂とは、人間に宿る神様の意識、

生命体としての根源

現代の人間は、魂がなくなってきています。

(薄まっている、弱体化している、神々との繋がりがなくなっている)

魂とは、その人を動かす核となるエネルギーです。

みんなフラフラし軸が定まらず、魂が抜けて行ってしまいました。

生命エネルギー、つまり神様の氣が枯れている状態

(氣枯れ--ケガレ) 

人間が生まれる時は、

肉体に魂が宿り、私たちはこの世界に誕生してきます。

そして魂はこの肉体を動かそうとする根本的な力、動力となります。

この「動力」を使っているうちに心が生まれて来ます。

ですから心と魂は正確には別物です。

魂がなくなってくると、

生きる気力がなくなってきます。

生命力が極度に低下します。

現在多くの人は頭でっかちの人間であり

意識が頭の方にしか向かっていません(左脳に支配された世界)

逆に魂を持つ人の意識は丹田(おへその下)に集中しています。

ではどうしたら、魂を取り戻すことができるのか?

氣枯れの状態から抜け出せるのか?

思い出してみてください

・心がワクワクした時

・心が震える瞬間

そういった時は、私たちの意識が、祖先とつながった時です。

祖先の意識や、祖先がずっとやってきたことと繋がった瞬間

私たちの魂は喜びで震えます。

そんな経験をしたことはありませんか?

祖先をきちんと祀ることは、

私たち生きている人間の魂を活性化してくれます。

日本人は昔から、山や川、空、海 

果てはかまどから生活の道具にまで

そこに宿るスピリット、魂(神様)を感じて生きてきました。

日本人は、縄文の昔から祖先を大切に意識してきた民族だからです。

見えない世界との繋がりを大切にしてきたからです。

祖先とは、父母、祖父、祖母だけでなく、

そこに繋がる、ずっとずっと前からの先祖のことです。

自分にまで続く代々のグレートスピリッツ(大いなる魂)のことです。

このグレートスピリッツは、自然界のスピリッツとも呼応し

とてつもなく巨大な意識、知見を持っています。

神様が何十億年もかけて、生命体をそのように進化させてくれました。

現在の最終形態が人間です。

祖先を大切に祀ることにより、

この巨大な意識体である先祖のスピリッツに繋がります。

祖先のスピリッツとつながることで、DNAを会し

何百、何千世代、何万、何十万の祖先たちが獲得してきた

知見、神の意識とつながります。

私たちの細胞一つ一つには、

何千、何万年と生き抜いてきた祖先たちのすべての知見が

もうすでに存在しています。 

祖先を祀ることで、私たちの魂は、祖先の巨大なグレートスピリッツの知見、

つまり神の意識とつながることができます。

現代の社会の中には「免疫攻撃系」の病が非常に多くなっています。

・全身性エリテマトーデス(SLE): 皮膚、腎臓、関節、肺など全身の臓器

・関節リウマチ: 関節の滑膜を攻撃し、痛みや変形を引き起こす

・1型糖尿病: 膵臓のインスリン分泌細胞を破壊

・バセドウ病・橋本病: 甲状腺を攻撃し、ホルモン異常を引き起こす

・潰瘍性大腸炎・クローン病: 腸管の粘膜を攻撃

・多発性硬化症: 脳や脊髄の神経を攻撃 

など。

免疫とは、代々その家や、その土地の中で獲得され受け継がれてきたものです。

一人ひとり異なります。

同じ家系は、似た感じになります。

土地柄も影響します。

その免疫が自分自身の身体を攻撃するというのは、

先祖の祀りを今まで全くやってきていなかったからです。

ひいては自分自身を大切にしていないから爆発的に発生しています。

それほど「祖先の祀り」というのは大切なことであり、

生きている私たちの魂を取り戻し、真の幸せを得るためのカギとなっています。

今年は丙午(ひのえうま)、強いエネルギーが吹き荒れる年になるようです。



2026年4月13日月曜日

4226「青空ひろば」2026.4.13

今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。


1708 2026.03.23

手放す「手」が 受け取る「手」

(大敬註)<出せば出すほど入ってくる>というようにこの世界は出来ているのです。逆に<出し惜しみは入り惜しみを呼ぶ>のです。出し惜しみをした人は必ず行き詰まってしまいます。


1707 2026.03.22

思いをこめて掃除すれば やがていのちが宿り、神となる

トイレに神さまがいるのではなく トイレが神さまとなるのだ

そんなトイレなら そこに入るだけで 人は癒され、元気になる

(大敬註)「神が人を生む」ということを知る人は多いのですが、実は「人が神を生む」ということもあるのです。


1706 2026.03.21

もう遅い なんていうことはない。 

思い立ったが吉日で ためらわず その時からスタートすればいい。

たとえ次の日に、死んでしまったとしても、次の生でその続きをやればいい。

一生でやれることなんて、大したことではないけれど、

やったことは、決して無駄にはならない。

(大敬註)先はながいのです。私は35世紀ぐらいで人類の進化過程は修了出来ると見積もっています。それまでに何度転生するでしょう?一生で歩める距離は少ないけれど、あせらなくてもいいのですね。でも一歩でも多く進んでおこうという気持ちも大切ですね。


1705 2026.03.20

時々、大地に帰ろう。裸足(はだし)で歩いて、大地と対話してみよう。

横になって、大地の温(ぬく)もりに、身を委(ゆだ)ねよう。

許すということ、許されるということの、

ありがたさを、しみじみ味わってみよう。

(大敬註)

私が人生のどん底であった時、よく淀川の川べりで坐ったり、海辺の砂浜で坐ったり、寝っ転がったりしていました。そんな時、大地のあたたかさをしみじみ実感することが出来ました。そんな体験が再起するきっかけとなりました。


1704 2026.03.18

一番大切なことは、光をさがし求めることではなく、自分が『光』であったと知ること。

自分が光源で、世界を時空のスクリーンに投影しつつあるんだと知ること。

(大敬註)ヒトは「日尊(ひと)」です。私たちは「日(ひ 太陽神霊)」の分け御魂なのです。分け御魂と言いましたが、太陽神霊の遺伝子の一部を分け与えられているというのではなく、太陽神霊の遺伝子の全体をそっくり授かって地上に生まれてきた存在なのです。これを「神の日執り子(ひとりご)」といいます。また、太陽神霊から天命を授かって降臨した存在なので「日継ぎ(ひつぎ)の御子(みこ)」とも言います。


1703 2026.03.17 

人が持つ「道具」を うらやむより 自分が持っている「道具」を 大切にして

ていねいに手入れし 使いこなす工夫をして

その「道具」の性能を 最大限に発揮できるよう 務めることが大切なんだ

(大敬註)人は「出来ること」と「出来ないこと」の束で、「出来ないこと」を悔やんだり、グズグズ文句を言っていないで、今すぐ使える「武器」を精一杯工夫して使いこなせばいいのです。そうしているうちに、少しずつ、「出来ること」が増えてゆきます。


1702 2026.03.16

数量の大小なんて 本当はありはしない

十円玉を手に入れるのと  一億円を手に入れるのと 同じ手間だ

難しいという「想い」が 一億円がやってくるのを 拒絶しているだけだ

(大敬註)ゼロを何億個足してもゼロです。ゼロから何億個引き算してもゼロです。このゼロを仏教では「空」と言っています。般若心経の「不増不減」は、この「空」を語っています。


1701 2026.03.15 

「時は味方」です。

どんな苦悩の固まりも「時(とき)」がやがて「溶き(とき)」去ってくれるのです。

「時」はあなたを幸せに導いて下さる「温かい味方」なのだということを、忘れないで下さい。

(大敬註)「時」を敵にすれば負け、「時」を味方にすれば勝つことができます。


1700 2026.03.14 

最高の天使は顔に宿ると、スウェーデンボルグは言っている。

経典には仏様は「光顔」でいらっしゃったと、書かれている。

(大敬註)人の魂の高さは「顔の透明な輝き」で判断できるのです。どんなにいいことを語っていても、顔がどんより濁っていたり、鋭く引きつっていたりしている人はニセモノです。


1699 2026.03.12 

私が私であること それは何と素晴らしいことでしょう

あなたがあなたであること それは何と素晴らしいことでしょう

そして世界が世界であること それは何と美しいことでしょう 

(大敬註)ありのままの私を受け入れ、認め、許すことが出来るようになれば、自然と他の人や世界も受け入れ、認め、許すことが出来るようになります。


1698 2026.03.11 

ちょっとでも 私欲が混じれば 人は弱いもの

私欲を捨ててかかる 覚悟さえ決めれば

神さまだって 手玉に取れる 人は本当は強いもの

(大敬註)私は時々神様を「神様それは違うでしょう。こんな風にして下さるべきでしょう」とクレイムをいれます。すると、神様が「ごめん、ごめん。」と謝って望んだことを実現して下さいます。もちろん、私欲が混じった望みは叶いませんけどね。


1697 2026.03.09

思い切って ジャンプしなければ

自分の背中に 翼が生えていたことに

気付かぬまま 一生が終わってしまう

(大敬註)時には自分を追い込んで覚悟を決め、思い切って崖から飛び降りるような気持ちで踏み出すというような経験も必要です。そうすれば、はじめて自分では気づいていなかった、自分の中に潜んでいたすごい能力が働き出すのに気付いて驚かれるでしょう。


1696 2026.03.08 

すべては 自分が引き寄せている。

今の自分の成長に必要だから やって来た課題なのだ。

だから 人や環境のせいにしないで、精一杯取り組んでゆこう。

来る大飛躍の時のために。

(大敬註)あなたが学び、成長するために必要な課題しかやって来ません。イヤイヤ対処したり、目を背けたり、逃げ出したりするのではなく、「ようこそ、ようこそ、ドンとこい!」と思いっきりぶつかってゆきましょう。


1695 2026.03.07

自分や人を、ジャッジしないこと。

いのちの能力への信頼を、しっかり保持すること。

ヒーラーは3年たつと、ヒーリング能力が消えてしまうことがある。

なぜなら、経験をつむと、病気や患者を、ジャッジするようになるから。

(大敬註)ベテランの先生は経験によって、生徒のレベルを判断し、決めつけてしまうので、生徒がその先生の経験値以上に伸びることが出来ません。

それに対して、新米の先生は、経験値がないので、生徒を真っ新な目でみて、善いところばかりが目につくので、生徒が一気に成長して皆がその奇跡に驚がくするということがあるのです。

何年先生をしていても、常に過去を忘れて、今・ココの生徒の善いところだけをしっかり観ることが出来るのが、本当のいい先生なのです。

<観ることは作ること>なのだということを忘れないで!


2026年4月12日日曜日

4225「死を超えて」2026.4.12

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年03月28日の記事を紹介します。


「死を超えて」


今日のテーマは、死についてです。 

近しい方を亡くされて、喪失感の中に、居られる方もいらっしゃるかもしれません。 

もっとこうしてあげればよかった・・ 

そう自分を責めている方も、いるかもしれません。 

自分にできる精一杯やったと、

爽やかな達成感を味わって、いらっしゃる方もいるかもしれません。

今日は、肉体の寿命は尽きて亡くなろうとも、 

・魂は死なない、

・永遠である 

といことをご紹介します。

それを知っているか知らないかで、人生の価値が、まるっきり変わって来るからです。

まずは同名の著書を持つ元東京大学 医学部部長、矢作直樹さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元

死は考え過ぎるといけませんが、

時々、それを思うことで「豊かな生」を手に入れることができます。

それ以前の自分と、それ以降の自分による対話がそこにあります。

長いのか短いのかわかりませんが、いわゆる人生という旅の中において、 

自分のお役目も励みながら、あるいはお役目を探しながら、感謝しつつ日々を全うする。

そのうちにゴールがやって来るという人生で、必要なのは「幸福感」でしょう。

誰もが避けられない、死というイベントを意識することで、

限られた時間の中で、豊かな生に向かって歩こうとする、 

私たちの幸福感は、そんなところから滲(にじ)み出て来ます。

さらにそこで大切なのは、「人は死なない」という事実を知ることです。

今回の生で授かった肉体は滅びますが、

私たちの魂は死ぬことがありません。

まずはそこに気づくこと。

そうでないと唯物論者のように

現世利益にしがみついて、単に死を怖がることになります。

この先もまだ数えきれないほど生まれ変わるというのに、 

今の生の、利益にしがみつくなんて、これほどバカバカしいことはありません。

その仕組みがわかると、滲み出た幸福感の中に

また会える、という感情が生まれ始めます。

他界した、大事な人や、愛しい人とは、あちらの世界で会えるし、 

次回の転生後も(前の生のことは覚えていませんが) 

違う役割で会えるでしょう。

そもそも大事な人や愛しい人は、いつも私たちの、すぐそばにいます。 

私たちが死を迎える日、つまり現世を卒業するその日まで 

彼らは優しい眼差しで、見守ってくれているのです。

その仕組みを踏まえると、残りの人生を、心配する必要がなくなります。

対人関係やお金の問題など、いろいろなストレスを抱えているにせよ、

それも今回の人生において、自分の「課題」がそういう形で出ているだけの話です。

解決できないレベルの課題は、絶対にやって来ません。

必ず解決のための糸口があります。

その糸口を探すことこそ、人生における最上の学びなのです。

臨死体験というテーマでも、この20年くらいの間に実にさまざまな立場の方々が、 

講演や著書でその体験談を発表しています。

脳神経外科の世界的権威である医師

エベン・アレグザンダー(元ハーバード大学メディカルスクール准教授)が 

自らの臨死体験を著書にまとめた本もベストセラーになりました。

(脳神経外科医が見た死後の世界・早川書房刊)。

向こうの世界の様子が、詳細に描かれているのが興味深い点です。

レイモンド・ムーディやエリザベス・キュープラー・ロスなど、

多くの実績を持つ欧米の医師たちが、死後世界の実相を克明に語る向きは、

海の向こうではかなり増えています。

しかし、私たちの住む日本では、そうした情報自体をまだオカルトと、

忌避する風潮が強いのも残念ながら事実です。

なぜ私がそんな突飛なことをここで言うのか?

理由は簡単です。

人間は知らないことへの対処が、この世で一番怖いからです。

・知らないこと、

・知らない人、

・知らない世界、

・知らない作法、

・知らない手続き、

・知らない知識…

私たちが常に怖がり、不信感を持つのは「未知のもの」です。

逆にそれらがわかると心の中にある恐怖心は消え去るのです。

<引用終了

今回の生で授かった肉体は滅びますが、

私たちの魂は死ぬことがありません。

と矢作さんは仰います。

また、矢作さんは、 

「寿命とは、この世で魂を磨く期間」と言っています。

我々がこの世に生を受けた目的は、

魂を磨き、少しでも多くのお役目を果たして、あの世に行くこと。

・人の役に立ち、

・人から必要とされる人となること。

・人に喜ばれる人になること。

(病気や寝たきりになって人のお世話になることも、

相手の方に「人の世話をする」という体験の、機会を与えている 立派な役割です。)

だから、 

・辛いこと、

・困難なこと、

・嫌なこと、

・面倒なことは、

この人生において、自分の魂を磨くための、大事な砥石(といし)。

多くの人は、沢山の悩みや悲しみ、苦しみの中で人生を送られていることだと思います。

でもそれは、それらの環境が、私達の魂を、強くしてくれるからです。

そして、それは、乗り越えられない試練は決して与えられない。  

と言うことと、肉体の死を持って、終わる。

と言う意味でもあります。

それはどういうことかと言えば、今の苦しい環境も、せいぜい死ぬまでの事。

そしてそれは、自分の魂を磨くためにあると言うこと。

時に、もう投げ出したくなるような、人間関係、家族関係、経済的な貧困、人々の差別、中傷、ねたみ にさらされるかもしれません。

ですが、それは永遠に続くものではありません。

私達は、あと何年、何十年生きているか解りませんが、それで終わりになります。

決して、その環境を投げ出さず、自分の精一杯の誠意と愛と思いやりを持って、

過ごして生きたいものです。

先に亡くなった方々は、今頃どうしているでしょうか? 

このブログでも、沢山の臨死体験例をご紹介してきましたが、

肉体という 振動数の低い状態から、魂という、振動数の高い状態に移行すると、 

そこには、時間の概念も、空間の概念も無くなるのだそうです。  

拘束の多い、物理的な地球と異なり、一瞬にして、意識した時代へ行け、

意識した場所へ移動できるのだそうです。

そして、その状態こそが、私たちが肉体を持ち、暮らしている時間より、 

はるかに長い時を過ごす場所であり、実在界とも呼ばれます。

また、類は友を呼ぶ。 

つまり「波長の法則」と呼ばれるものが、より鮮明に機能するため、

波長の異なる者同士は、交わることができません。 

亡くなった方々は、同種の波長を持つ、ソウルメイト達に囲まれ、 

ねぎらいの言葉をかけられていることでしょう。

また、この地球上で経験したこと、

・思ったこと、

・感じたこと、

・感情の爆発など

全ては貴重な体験とされ、ソウルグループに共有され、宝となるのだそうです。 

それは、私たちが、 

・良きこと

・悪しきこと 

と、常に区別しますが、一切のジャッジ抜きで、全ての経験が、

大切な宝になるのだそうです。 

だから、あちらに戻った時に、経験したこと、つまり

「既知」 (いろんな未知のことを経験して知った)

というお土産を持ってきたが故に、大歓迎で迎えられます。 

きっと、お父さん、お母さん、先に亡くなった子供たち、友人や、

かわいがっていたペット達も、笑顔で 迎えてくれることでしょう。

そして、再び霊的な生活に、フォーカスされた暮らしが始まります。

ですから、死とは決して悲しいものではなく、通過点でしかありません。 

生きていた今よりも、もっと幸せになるために、帰って行きます。 

死は、この地球で経験した、豊かな宝を、仲間たちの元へと持ち帰る、最後の扉です。 

そして、その扉の向こうには、隠し事など一切できない、

心と心、波長の同じ、親しい仲間たちが待っています。

残された私たちは、 

戻られた方々が、後ろ髪引かれることの無いように 

自分たち自身の、生きる目的をにこにこ笑いながら、 

経験して行きたいものですね。 

そして、私たちも、向こうに戻った時、笑顔で、ご挨拶したいものですね。 

地球では、お世話になりました。 

泣いたり笑ったり、沢山の経験をさせていただきました。 

ありがとうございました って。



2026年4月11日土曜日

4224「大峠を越えるために」2026.4.11

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年03月27日の記事を紹介します。


「大峠を越えるために」


江戸後期から明治にかけて一斉に日本で起こった霊的な磁場、鼓動。

そこでは人類にとっての大峠、時代がぐれんとひっくり返る、

など近未来に対して様々な予言が語られていました。 

それはもちろん神の国、言い換えればアセンション後の地球、

などの到来を意味していますが、

その前に、夜明け前の一番暗い時代のことも語られています。 

その辛く、苦しい時代を乗り越えられるのは、改心(洗心)した魂なのだとか。。 

そのために強く私たちに「改心」(心をきれいにすること)を迫っています。 

改心した人とは、要するに心の罪、穢れを祓い、ピュアな心の持ち主のことです。 

決して、どこかの誰かが行動してくれることで、

私たちの幸せが訪れるわけではありません。

そのような他人依存的な姿勢は、昔ながらの、宗教的な依存心を増大させるだけで、

魂の退化に繋がります。 

さて今日も、心の洗濯。 

美しき心を取り戻すために書きたいと思います。

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」に、こんなことが書いてあります。

神様がお植えになったところで咲きなさい。

咲くということは仕方がないとあきらめるのではなく、

笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです。

あなたは、 

・体調が悪いから

・思ったように物事が進まないから

・ムシャクシャするから 

と、仏頂面で人に相対していませんか? 

それを見た人、そばに居る人は 

そのイライラした波長が伝わるため、ドンと気分が落ち込んでしまいます。

自分の都合で、周りを不幸にして良い権利は、誰にもありません。 

渡辺さんは、36歳で図らずもノートルダム清心学園の学長を任され、

右も左もわからず、不平不満ばかり口にしていた時に、

宣教師の方から頂いた言葉だそうです。

渡辺和子さんと言えば、今では「置かれた場所で咲きなさい」で、大変有名な方ですが、

そのような天使のような人でさえ、

若い頃は、私達と同じく不平不満の塊だったのですね。

そして更に50代でうつ病を発症しますから、

彼女が今知られているように天使のような心になるまでにはまだ時が必要でした。

いくら修道院で修行してきたからとて、

まだ若く経験が無ければ仕方のなかったことかもしれません。

当時は、慣れない仕事や、周りのやっかみもあり、置かれた場所に不平不満だらけ。

他人の出方(態度)で、幸せになったり、不幸せになったりと、 

環境の奴隷だったそうです。

私達もよくやりますね。

誰かが、仏頂面してた 

→ 私に何か文句があるの? 

→ 私も 仏頂面してやれ、無視してやれ

誰かが、挨拶しても返してくれない 

→ 私が嫌いなの? 

→ フン。私も嫌い。悪口流してやる。

笑顔、あいさつ、仏頂面は伝染します。

でも、もしかしたら、相手の人は、体調が悪かっただけかもしれません。

朝出かける時に、たまたま家族とケンカしたのかもしれません。

また逆に どなたかが、笑顔で話しかけて来てくれると、 

一遍で好きになって味方になってしまいます。

まさに渡辺さんが言うように「環境の奴隷」です。

人間として生まれたからには、 どんな場所に神様が置いて下さろうと、

環境の主人となり、自分の花を咲かせたいものですね。

咲くということは、この宣教師の方が言うように、仕方がないとあきらめるのではなく、

笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのですね。 

私たちは、よく口にします。

・お金が貯まってから

・時間が出来てから

また次のようなこともよく言います。

・あの人のように、お金持ちの家に生まれていたら

・あの人のように、美しかったら

・あの人のように、健康だったら

・あの人のように、能力があったら

そして、最後は、必ず、どうせ私なんか。。。

私たちの神様は、うっかりミスをして、

私をこんな環境に、生まれ付かせたのでしょうか?

それともシスターが言うように、いまの環境に私が生きているのは、

自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、

神さまが、あなたをここにお植えになったのは

間違いでなかったと、証明するためでしょうか?

花の使命は咲くことにあります。

他の花と比べて、優劣を競うことでもなければ、どこに置かれるか、でもなく、 

自分しか咲かせられない花を、一番美しく咲かせることにあります。 

誰かと比べる必要もありません。 

人は、それぞれ生まれて来た目的があります。

それは、生まれる前に決めて来たことです。 

その目的に従って

・経済状態

・健康状態

・家族状況

・容姿

・性格

全てを神さまと共に、カスタマイズして、生まれてきました。

だから、全ての人が、全部違う環境に置かれています。 

自分にとって自分の魂を輝かせるために、今の環境は最適なものだからです。

嬉しいこと、楽しいこともそうですが、

それよりも辛さ、悲しさ、苦しさ、そんなものが、私たちの心の砥石となり、

もともとダイヤモンドのように輝いていた私たちの美しい魂を、

再び見せてくれるものだからです。 

私たちの心が全て決めます。

心が変わらない限り、現実は変わりません。 

心にこそ、全ての初動のエネルギーがあるからです。

心と意識が、私たちの生きる現実を作っているからです。

・温かな優しい心

・周りの方々を慈しむ心、

・出しゃばらず、そっと見守る愛の心

・助け合い、調和していこうとする「お陰さまの心」 

今まで生かし、育ててくださった人々、友人への感謝の心でお過ごしください。 

皆さんが、ご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、

お幸せになれますように。