2026年11月6日金曜日

4433「負けるが勝ち」2026.11.6

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月16日の記事を紹介します。


「負けるが勝ち」


今日は、萩本欽一さんのお話をご紹介します。

「負けるが勝ち」というテーマです。 

欽ちゃんは、いつも易しい言葉で、大切なことを、分かりやすく伝えてくれます。 

私たちが幸せになるための方法です。

<引用開始> 引用元

「負けるが勝ち」

よくこう言いますよね。僕もそう信じています。

でも、なんで負けるほうが勝ちなんだと思いますか?

僕なりの理由はこう。

負けたほうが運がたまるから。

誰も必ず人と意見が衝突することがあるけれど、 

そういうとき「自分のほうが正しい」とか、

「議論に勝ちたい」って、つい思っちゃいますよね。

でも、そう思ったら負け。

勝とうとすると自分の運が減っていくんです。

カッとなって「てめえ、ばか野郎!」なんて相手に言うと、

それだけで運が10ポイントも減点されちゃう。

「てめえ」でマイナス2ポイント、「ばか野郎」で8ポイントの減点。

売り言葉に買い言葉で1時間も相手を罵っていると、

それだけで2000~3000ポイントも運が減ります。

このマイナス分は、なかなか取り戻せないですよ。

だから言い合いになったときは、自分が正しくないかということより、

運を減らさないことを大事に考えたほうがいいの。

相手が「てめえ、ばか野郎!」と言ってきたら、

「あ~あ、あの人、自分の運を減らしちゃったよ、

その分をこっちがもらっちゃおうかな」と心の中で考えるの。

具体的な方法はどうすればいいかというと、謝っちゃうんです。

「そうか、悪かったね」とか、

「ごめん、君の言う通りだよ」って言えばいい。

えっ、そんなの悔しい?

そう、悔しいよね。

自分が謝る場面じゃないのに

「悪かったね」なんて言うと、損したような気がする。

でも、そのときあなたには、

相手が失った10ポイントの運がたまっています。

気持ちで損をするのと、運が10ポイントたまるのと、

どっちをとるかっていったら、運がたまるほうがいいでしょ?

こうやって少しずつ運のポイントをためていれば、

宝くじだって当たるかもしれないしね。

もう一つ大事なのは、

自分が一歩引くことによって、

相手に嫌われるのを避けられるっていうこと。

人に嫌われないっていうことは、すごく運になるの。

それでまた10ポイントついてくる。

人生って結局、運をどれだけためられるかっていう勝負なんです。

だから、そのほかの勝負で勝とうなんて思わなくていいの。

だからバ~ンと言われても、ぐっとこらえて言い返さない。

負けるが勝ち

いや、我慢していい言葉を返していくとポイントが、

次々に加算されるから「負けるが勝ち、勝ち、勝ち」だね。

勝ち、勝ち、勝ちって、火打石がカチッ、カチッ、カチッと鳴って、

火がポッポッポッとつくようで景気もいいでしょ。

今の日本では、運をなくしている人が多いですよね。

これもみんなが怒りっぽくなってることと関係あるんじゃないかな。

これからは相手に一歩譲る人になって、

小さな運を少しずつためていきましょう。 

<引用終了>

さすが欽ちゃん、良いお話ですね。 

・イライラしたり

・モヤモヤしたり

・怒ったり 

そうすることで確実に、自分の運気を減らしているのだそうです。 

もちろん、私たちは、人の中で暮らしていますから、 

時には、イライラしたりするかもしれません。

それは、当たり前のことです。 

ですが、そこにいつまでもしがみつかず、

直ぐに、別の楽しいことに 頭を切り替えて、 

その原因となったものにエネルギーを与えない事。 

ずっと、考え続けなければ、

その出来事、人に、エネルギーを与えることはありません。 

その結果、いつの間にか、記憶のかなたに消え去っていくことでしょう。

心を汚すことを避けることができるでしょう。

また

・楽しいこと

・美しいこと

・優しいこと 

そんなもので心を満つことができるでしょう。

心の状態こそが、全ての現実を作り出します。

負けるが勝ち、、、

幸せな人生のための 王道かもしれませんね。


2026年11月5日木曜日

4432「類は友を呼ぶ」2026.11.5

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月15日の記事を紹介します。


「類は友を呼ぶ」


今日のテーマ「類は友を呼ぶ」です。 

類は友を呼ぶ・・とはどういうことでしょうか? 

趣味や嗜好が似通った者同士は仲良くなりやすい、 

そんな意味ではないようです。 

自分が醸し出す雰囲気、オーラ、つまり心の状態、

自分が今発している振動数が、 

同じパターンの人は、遠く離れていても、引き寄せられ、集められる。 

固まる、徒党を組む。

友人関係になる、 

そんな意味です。  

それは、自分の今のレベルや程度に、ちょうど、お似合いの人が、

近寄って来るということです。 

ということは、自分の周りの人々を見渡してみれば、

今の自分の心の状態が分かります。 

要するに、今自分に近付いてきてる人は、自分の今のレベル・程度に、

ちょうどお似合いの人が近寄って来るということ。 

ここで小林正観さんのお話をご紹介します。 

<引用開始> 転載元 

すべてが、あなたにちょうどいい。

お釈迦(しゃか)さまの言葉に、次のようなものがあります。

すべてが、あなたにちょうどいい。

今のあなたに、今の夫がちょうどいい。

今のあなたに、今の妻がちょうどいい。

今のあなたに、今の親がちょうどいい。

今のあなたに、今の子どもがちょうどいい。

今のあなたに、今の兄弟がちょうどいい。

今のあなたに、今の友人がちょうどいい。

今のあなたに、今の仕事がちょうどいい。

死ぬ日も、あなたにちょうどいい。

すべてが、あなたにちょうどいい。

ビジネスマンの中には、

会社や上司、取引先の「悪口」を言う人がいます。

「上司はこうで、取引先はこうで、どうしようもない。

どうしたら、自分の思いどおりになるのか?」

このような質問を受けたとき、私は、次のような話をします。

「あなたの言っていることは、きっと間違っていないのでしょう。 

ですが、あなたはその会社からお給料をもらい、

その集団の中で生かされているわけです。 

自分の人生を成り立たせてくれる会社、上司、取引先に対して、 

平気で悪口や愚痴を言えるあなたは、 

どうしようもない会社、上司、取引先と、同じレベルの、

『どうしようもない社員』なのではないでしょうか?」

会社や、上司や、取引先が、

仮に批判されてもしかたがない状況だったとしても、 

彼らを批判している「私」も、「同じレベル」であるような気がします。

夫婦関係や親子関係でも、

・うちの夫(妻)は、こんなにつまらない人で……

・うちの親(子ども)は、本当にどうしようもなくて……

と文句や愚痴を言う人がいます。

しかし、愚痴を言うということは、

「自分の価値をさらけ出している」ことと同じです。

「どうしようもない親、子、夫、妻」を持つにふさわしい、

「ちょうどいいあなた」がいるのですから。

人の悪口を言わない人には、

「悪口を言わないあなた」にちょうどいい、

「悪口を言わない仲間」が集まってきます。

「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」と言い続けていると、

「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」仲間が集まってきます。

人の悪口ばかり言っている人には、 

「悪口を言うあなた」にちょうどいい、「悪口を言う仲間」が集まってきます。

すべてが、あなたにちょうどいいのです。

「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言い続けると、そのとおりの人生になる。

私は講演会などで、たびたび、「五戒(ごかい)」について話をします。 

「五戒」とは……、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の5つです。 

「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を、

口にしないように戒(いまし)めようというのが、私の唱える「五戒」です。 

何があっても、「五戒」を言わずに、口から出る言葉がすべて優しく、

周囲の人を元気づけるものであれば、神様や宇宙を味方につけることができます。

たとえば、信号を渡ろうとして横断歩道にさしかかったとき、

ちょうど信号が青に変わる。 

買い物をしてお金を支払うとき、小銭入れの1円玉の数がピッタリだった。

といったことがいつも起きる。 

言い換えれば、「ツキを味方にできる」ようになります。

一方で、いつも「五戒」を口にしていると、神様や宇宙を敵にまわしてしまいます。 

なにげなく天気の不満を口に出している間は、否定的な論評をする癖がついたままです。

どんなに一所懸命生きているつもりでも、神様や宇宙は味方になってくれません。

人間は、「自分の発した言葉」で自分の人生をつくっています。 

「私」の周囲の環境や、自分が立たされた状況は、 

すべて「自分の発した言葉」によって形成されていきます。

ですから、朝から晩まで、 

「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」と言い続けると、この言葉をまた言いたくなる現象や出来事に囲まれます。 

(私は、「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」の7つの言葉を、七福神ならぬ「祝福神(しゅくふくじん)」と呼んでいます)。

反対に、「五戒」を口にしていると、「ツイていない人生」を送ることになります。

以前、午前2時くらいに、私に電話をしてきた方がいます。 

この人は、次のようなことを言いました。

「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言わないでいたのですが、

4ヵ月たっても、思いどおりの人生を送れない」

私は、電話口で、こう答えました。

「そういうのを、不平不満と言うのではありませんか?」

宇宙が自分の味方をしてくれない、自分の思いどおりの人生にならないと、

嘆く人がいます。ですが、 

よく考えてみると、「電車に乗った」「電話をかけた」「お茶を飲んだ」「食事をした」といった日常の行動は、すべて自分の意思でそうしたものです。

だとしたら、多くのことが「思いどおりになっている」ではありませんか。

また、こんな話もあります。 

東京に住む70代の女性が、

50年間、ことあるごとに同じセリフを言い続けてきたそうです。

「20歳のときに会社を興してもダメで、 

40歳のときにボランティアグループをつくろうとしたときも人が集まらなかった。 

何かイベントをしようとしても、全部ダメだった。 

私の人生は、何をするにせよ、思いどおりにならなかった」

この女性は、「私の人生は思いどおりにならなかった」と思い違いをしています。 

「全部、思いどおりになっていた。 

全部、言ったとおりになっていた」ことに気がついていません。

自分の発した言葉が、人生をつくります。 

「思いどおりにならない」と言い続けたからこそ、 

たしかに「思いどおりにならない人生」を送ることになったわけです。

<引用終了>

自分の回りで起こって来ることは、

全て自分の発した言葉から起こって来るのだそうです。

「自分の発する言葉」とは、普段私達が考えていること・・ということです。

つまり、私達の置かれた環境とは、 

私達の意識に丁度良いもので囲まれていると言うことです。

ですから、甲斐性の無い夫も、いつもガミガミと文句を言っている妻も、 

言うことを聞かない反抗的な子供も、怒鳴ってばかりいる上司も、 

全ては、今の自分に丁度良いから、存在していると言うことです。

もし、幸せな、落ち着いた、

思いやりのある環境の中で生きて行きたいなら・・・

「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」と

言い続けていると、 

「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」

仲間が集まってきます。

正観さんは、このような言霊を使うことにより、

自分自身がまとう波動と言うか、オーラというか、雰囲気を変えて行くことで、 

それにふさわしい(丁度良い)未来が作られていくと、仰りたかったのだと思います。

貴方は普段、どのような言葉が多いですか?

不平・不満・愚痴・悪口・陰口・恨み・ねたみ・そねみ などの言葉ですか?

それとも、

嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる などの言葉ですか?

その貴方の発した言葉は、 

・回りを元気にしますか、

・勇気づけますか、

・笑顔にしますか?

それとも、その言葉を聞いた、周りの人は、 

・暗く、重苦しい気持ちになりますか?


2026年11月4日水曜日

4431「地球の旅」2026.11.4

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月14日の記事を紹介します。


「地球の旅」


クラリオン星から転生してきた

レインボーチルドレンの久松奏拓(ひさまつ・そうた)君。 

彼は、生まれる前の記憶や、

故郷の星クラリオン星のこと、神様のことなどを、

明確に覚えたまま、ここ地球に転生してきました。 

地球人の意識レベルを一気に上げるために、

最近はこういった星の子供たちが増えてきたようです。 

生まれる前の記憶を持つ、沢山の子供たちと同様に、

彼もこう言います。

・他の人にはできない学びが一杯ある

・障害を持って生まれてくる。将来の障害を計画して生まれてくること

・それは凄い幸運なこと、喜ばしいこと

・障害を持って生まれてくる確率の方が大分低い

・障害という大変な経験をすることで、物事をいろんな角度から見れるようになったり

・わざわざ、その苦労を分かって、それを魂的に楽しむために生まれて来た 

この今世で経験すること、会う人、別れる人、

出来事は全て神様と生まれる前に計画してきたことなのだそうです。

そしてこうも言います。

生まれる前に立ててきた計画は、

生まれた後に、変えることはできない。

これがどういうことかと言えば、

例え自分で経験がしてみたくて立てた計画 

・病気、貧困

・裏切り

・窃盗、殺人

・成功、失敗

・出会い、別れ、死別 

このような経験が、辛くて、苦しくて、

やっぱり計画を変更したい・・

そう思っても途中で変更することはできない。

投げ出すことはできない。 

そういった意味になります。 

肉体ではなく、私たちの魂は、

永遠に存在する生命体であります。 

この魂にとっては、 

・生きるも、死ぬも

・殺すも、殺されるも

人間が思うほど、大きな出来事ではないようです。 

魂にとって死はないのですから、

一つの経験にしか過ぎないということです。

そのことによって、魂が曇ることもないし、

傷つくこともない。 

だから、魂は、いろんな体験をしてみたいと思うようです。 

その行為を神様も、 

良いとか悪いとか、決してジャッジしません。 

このことは、今生まれてきている沢山の、

高い意識を持ったまま生まれて来ている子供たち共通の認識のようです。 

魂にとっては、時間と言う概念さえもありませんから、

長い期間とか、短い期間と言うことさえありません。 

源信が『往生要集』の中で紹介した地獄のありさまも、

魂にとっては、肉体があった時の延長の一つであり、 

意識がまだ肉体に縛られたまま、信念体系領域に縛られている間に

死後、経験する一時の出来事であるのでしょう。

魂が肉体を脱ぐことで、だんだんと肉体に付随していた、

感情や、信念となってしまった意識が薄れるに従って、 

徐々に魂としての本来の状態に戻り、

どんな出来事も、どんな大きな感情の波も、

魂を傷つけることはできない。

単に魂にとって、未知の領域を経験しただけ。 

そう気づいてくるのでしょう。 

私たちが、今経験している出来事は、 

色んな感情を伴い、

私たちに、まるで襲い掛かってくるかのようです。 

それは、苦しかったり、辛かったり、悲しかったりするかもしれません。 

ですが、生きている間は逃げることはできません。

自分自身の魂の計画を変更することはできません。

今感じている感情こそ、 

私たちの本来の姿、魂が、経験して見たくて、

その出来事を、自分の人生のタイムラインに埋め込んできた出来事です。 

そこには、良いこととか、悪いこととかの区別はありません。 

ただ辛く苦しい経験からは、より大きな果実が実ります。 

魂の飛躍的な向上が見込まれます。 

何も辛く苦しいことの起こらない。

単に平和で、楽しいだけの人生からは、

魂にとっては、あまり身になる経験は得ることができません。 

ある程度、進化した魂にしか、辛く苦しい経験は与えられません。 

今苦しい経験をなさっている方も、どうぞ勇気を持ってください。 

神さまに見込まれたのですから。 

そしてその辛く苦しい経験こそが、

私たちの魂を高みに連れて行ってくれるものです。

泣いたり笑ったり、苦しんだり楽しんだりしながら、 

この宇宙で、唯一感情を味わうことのできる、 

地球の旅を楽しみたいものですね。 


2026年11月3日火曜日

4430「地球を救う大和心」2026.11.3

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月13日の記事を紹介します。


「地球を救う大和心」


今 日本を中心に、神様の魂を持った子供たちや、

宇宙から直接地球に転生してきた子供たちが、

沢山生まれていると言われています。 

宇宙意識を持った子供たちは、

地球の、それもなぜかみんな日本を目指して生まれて来ています。 

宇宙人の魂は死ぬと地球惑星系の天国にはいかず、

そのまま故郷の星の肉体に戻るそうで、

人間の一生として生きたその長い時間も、

故郷の星に戻ってみれば、経過している時間はたった8時間ほど。 

まさに寝て起きたようなものだとか。

麻で有名な縄文研究所の中山康直さんは、

中学生時代、池で溺れ13分間意識不明に陥ったそうですが、

その短い時間、プレアデス星団アルシオーネに転生し、1万年生き

麻を研究し、その死後再び、地球の中学生の体に戻ったそうです。 

そのプレアデスでの1万年の人生が、地球ではたった13分間。 

神さまが見える子供たちのお兄さんの方は、

宇宙から直接、地球に転生した魂ですが、 

小学生ながら、その知能ははるかに高く

マルチユニバース(並行宇宙)の知識までありました。

また科学技術のはるかに進んだ宇宙人にとって、

神様は、友達のような存在とのこと。 

レインボーチルドレンの小学生のそうた君も同じことを言っていました。

彼ら知的生命体にとっては、

神さまや魂などは決してスピ的な話ではなく科学そのもの。 

その科学の力で、魂そのものを見て、話しもします。(リーディング) 

また魂に対する科学的な知見を持って、転生さえもコントロールしています。

バシャールのように、科学的な知識で

人間の肉体をサーチして、その過去を見たり、未来を見たりします。

決してそれは迷信的なスピのお話ではありません。

更に、天国や地獄と言った世界の知識も持っています。

この地球文明よりもはるかに進んだ科学的な知識を持つ宇宙人たち。

その彼らが憧れる星が、広い宇宙に2つだけあるそうです。 

その1つが地球。 

そしてその地球の中でもとりわけ日本なのだそうです。 

それは日本が神々によって作られた特殊な国であり、

更にはありがとうと言う言霊があるからなのだそうです。 

美しい心が残っているからなのだとか。 

さて今日の本題です。 

今この時こそ、今まで私たちが、密かに胸の内で期待して、

多少不安ながらも待ち焦がれていた、その時そのものなのですが、 

日々の暮らしの中においては、なかなか

・「何か、起きているな」と・・感じはしても

・「最近身の回りが、騒々しいな」と・・感じはしても

今この時が、その時まっただ中であるとは認識出来ないかもしれません。

世界的にも、そして、数百年規模の歴史の波の中においても、

大変化の時代に突入しています。 

今日の続きが、また同じ明日ではありません。 

既に3次元的な地球上でも、大きな変化が起きています。 

今まで全世界が騙され続けてきた、悪魔の支配が終わろうとしています。 

もうすぐ今起きているその大きな変化の意味を、多くの人が気づくことでしょう。 

もう後戻りはできません。

停滞もできません。

大きな変化の時には、今まで持っていた価値観を、

私たち自身が変える必要があります。  

以前、「予行演習をさせられた日本」の記事でも書きましたが、 

既にこの時のために、そしてショックを和らげるために、

前もって沢山の方々が強制的に価値観を変えました。

・神戸、東北の大震災

・九州の地震 

強制的ではありますが、そして涙と大きな痛みを伴いましたが、 

その時を境に、ご自身の中の価値観が、大きく変わられたことと思います。 

大正時代の日本を見たアインシュタインの感嘆の言葉や、ブッダの予言に在る通り、

世界的な大きな大きな変化、世界中が涙も涸れ果てるほどの諍い(いさかい)の後、

世界の希望は、日本人の心にある大和心(やまとごころ)に託されています。 

私達平凡な一般人には、

・世界の果てまで行き、平和のために戦争に参加したり

・貧困にあえぐ多くの人々を救う 

そんな大きな力はないかもしれません。 

ですが、私たち自身の心を整えることはできます。 

心を整えることで、身近な周りを幸せにすることができます。 

ひいては地域や国、世界を幸せにすることができるかもしれません。 

全ては、私たちの心ひとつから始まります。 

では、言葉遊びではなく、綺麗な言葉を並び立てて終わるのではなく、 

実際に実践・行動できるように

「私たちの心の何」が、大和心なのか?書きたいと思います。 

今この時こそ、私たち日本人の心が試されているからです。 

どうしたらその心を取り戻せるのか? 

大和心は、江戸時代の本居宣長の下記の短歌に端的に表されています。

敷島の やまと心を 人とはば

朝日に匂ふ 山さくら花 

現代語訳は・・・ 

日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、

その麗しさに感動する、そのような心です。 

そして西洋の異人の人々でさえ、日本の山に咲く、山桜を見たら、

大和心に目覚めるであろう・・・ 

そう言っています。 

このような心をはぐくむために、

神々は、4つのプレートが重なる地域に日本列島を作り、 

そのプレートのせめぎあいで山や谷を作り、

その高低差で川が流れ、美しい自然をはぐくんできました。 

そして日本は島国であるがゆえに、外敵にさらされることなく、

・自然と共生する心

・自然を愛でる心

・自然や万物に感謝する心

・自然や万物、そして相手の中に神を見る心

を創られてきました。 

全部神々が計画した、いわゆる 共生と順応の美しき心です。

これに対し、厳しい自然環境の中で生きていかねばならない諸外国では、 

自分の力で苦難を乗り越えねばならず、征服というキーワードで生きてきました。 

・自然を征服する

・病気の原因を細かく分類分けし、征服する。除去する。 

全てが対立という考え方からスタートします。 

日本では環境に立ち向かうことなく、受け入れ、環境とともに生きてしまう。 

そして順応し、自分を変えることで、

自分が進化することで、環境の変化を乗り越えてきました。

日本人は、縄文の時代から、ずっとそれをやってきました。 

ですから柳の木のように、しなやかで折れにくい強い心を持っています。 

この強さを恐れ、破壊するために、根絶やしにするために、

戦後の統治政策が行われました。 

日本人の底力、神と共にある力を恐れたからです。 

アインシュタインが言った 

科学の発達によって、外国はみんな武器を争って作って、お互いに戦争をやるだろう。

そして、最後に疲れ果てるだろう。

その時に本当の人生に目覚めるときが来るだろう。

それをするのが日本人である。

日本人の生き方というのは、人間の本当の生き方である。 

そのような地球の未来が託された、私たち日本人の大和心、 

これを取り戻すには、日々の平凡な暮らしの中で、

身近な周りの人々と

・その違いを認め

・笑顔で助け合い

・おかげ様、お互い様の気持ちで 

・憎しみの心

・不平不満の心

・嫉妬の心を捨て 

感謝の心で過ごしていくだけです。 

大それたこと、無理してくださいと言うことでは決してありません。 

自分の心を整えるだけです。 

その積み重ねが、私たちの魂の中に眠っている大和心を揺り動かし、 

深い悲しみの後の世界に、平和と笑顔を広めてくれることでしょう。

この日本人の優れた特質について、

今からちょうど100年前の1922年、芥川龍之介が、

「神々の微笑み」で書いています。 

あらすじをご紹介し、本日は終わりたいと思います。 

<引用開始> 引用元

十六世紀頃の戦国時代、キリシタン布教の全盛期。

ある春の夕暮れ、京都の南蛮寺の庭で、宣教師オルガンティーノは言い知れぬ不安に襲われていた。

風景は美しく、気候も温和で、人もまあ親しみやすく、布教も進んでいる。

しかしこの国のいたるところに、不安をあおる何かが満ちている。

オルガンティーノは夕の祈祷にて、日本の神霊と戦うための加護をデウスに祈る。

が、彼の目の前には日本神話の天岩戸の場面が幻想として現れる。

オルガンティーノはそのあまりの衝撃に気絶してしまう。

深夜、意識を回復したオルガンティーノは「この国の霊と戦うのは困難らしい」と呟く。

すると「負けですよ!」と姿なき声が聞こえる。

翌日の夕も南蛮寺の庭を歩いていたオルガンティーノは、

幾分か昨日の憂鬱を払しょくしているようだった。

数名の新たな入信者があったからだ。

しかし、そんな彼の前に、首に勾玉を下げた老人が現れる。

老人は日本太古の神の一人だと名乗り、オルガンティーノに語り始める。

この国にはデウスだけでなく、

孔子、孟子、荘子などいろいろな考え方、物や文字が渡来してきたが、

我々を征服することはできなかった。

たとえば、漢字はひらがなやカタカナに造り変えられ、

逆に我々が征服しているともいえる。

我々の力とは破壊するものではなく、まさにこの造り変える力。

デウスもまたこの国に取り込まれるかもしれない。

お気をつけなさい。

デウスが勝つか天照が勝つか、

いまは容易に断定できず、それは現在、そして未来の日本人の肩にかかっている。 

<引用終了>

 

※当時、産業革命をいち早く終えた西洋諸国による世界の植民地支配に先立ち、

宣教師たちが先遣隊として、世界に派遣されていました。


2026年11月2日月曜日

4429「青空ひろば」2026.11.2

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


イノチの学校より99 2026.09.29 ~ イノチの学校より110 2026.10.11


親鸞聖人語録〈嘆異抄(たんにしょう)〉の中から紹介していきますね、一部をね。

嘆異抄は昔からけっこう有名な本で、大敬が大学生の時には友だちと読書会を開いた事があります。

それで議論したりしてたんですけど、ちなみにその友だちはお家が金光教の信徒さんだったんです。

そこで金光教について知るキッカケを貰いました。

で、ストライキが始まってね。

大学紛争の時だったから、それで読書会は終わっちゃったんです。

その友だちは北九州の人だったんだけど、地元に帰っちゃって、そこからは皆バラバラになって。

そこから大敬は道を求めて一人で旅をし始めました。

色んな所へ行って、道場に入ったり、東京の方へ行ってみたり。

和田重正先の一心寮を訪ねてしばらく居たこともありますね。

そういう意味ではストライキ、大学紛争も良かったんじゃないかなと思えますね、僕にとってはね。

色々な所を巡りましたからね。


では、嘆異抄(たんにしょう)について話していきましょう。

鎌倉時代後期に、親鸞さんの弟子とされた唯円(ゆいえん)という人が、

師亡き後の教えの混乱を憂いて

「異なるを嘆く」で、〈嘆異抄〉を書き記された。

親鸞さんが亡くなったあと、独自の見解で教えを語り出す人達が出てきたんですね。それが間違っているので、その間違いを嘆いて、正しい教えを伝えようと書かれたわけですね。

親鸞さんの実際に言われた言葉を中心に、語録を集められた。

代表的なものをピックアップします。

<しみじみダメな自分だと悲しむ時が、それでも救おうと抱きしめて下さる光のお方に気付く時>

光のお方と書いてるのは、阿弥陀仏ですね。無量光仏、無量の光と呼ばれているので光のお方と表現している。

親鸞聖人はおっしゃいました。「阿弥陀さまの誓願(48願)の不思議に救われて往生をとげることが出来るのだと信じて、念仏を称えようと思い立った時、摂取不捨(救い取って、決して捨てない)という御利益を頂くのである。阿弥陀さまの本願はすべての人に及んで、老少善悪を選ばない。」

つまり平等なんですね、だから浄土真宗は平座。高い段に上がって説法することはしないんです。

同じ畳の上に座って皆とお話をする、これを平座、平等の精神ですね。

だからお坊さんが偉い訳ではないんです。

妙好人ってね、信者さんであんまり勉強なんかしてない人でも素晴らしい悟りを開いた人が出てきたりする。

浄土真宗の素晴らしい所ですね。


親鸞さんの言葉の続き

「ただ阿弥陀仏とその誓願への信心と念仏を要件(必要条件)として極楽浄土に往生出来るのである。

そのゆえは、特に罪 悪 深 重(罪が深く、重い)、煩 悩 熾 盛(心の穢れ、乱れが激しい)の衆生を救おうと、お立てになった願なのであるから。

だから阿弥陀さまの本願さえ信じていれば、善行の一つも行えない罪深い私だ、こんな私では極楽往生出来るはずがないなどと憂い、悲しむ必要はないのだ。念仏にまさる善はないのだから。

犯した罪が深く、重いものだから地獄行きは決まっている、などと恐れる必要もないのだ。阿弥陀さまの本願を妨げるほどの悪はないのだから」

だから坐禅でもね、こんな坐禅では駄目、アンタみたいな坐禅は悟れません。

とか、煩悩ばっかり妄想ばっかりで良い坐禅ではない。

とか人に言うたらアカンですね。坐禅というカタチがもうそれで救われてる姿なのです。

坐禅というカタチをとれば必ずそれで最終的な悟りの境地まで運ばれていくんだから、それを信じて。

こんな坐禅してても私なんか、これは駄目な坐禅だ、とか自分で思い込むのも間違いですね。

ただ坐ったらいい。同じお話ですね。

坐禅が上手だから悟るわけではないですよね、ただ坐れば良い。

もう一つ大切なのはある方が言われたエピソード。

全身が左に傾いて坐禅してた人が居ました、「そんな傾いた坐禅は駄目だよ貴方」と言われてショックを受けて坐禅しなくなったと。

これはそんなことないですよね、傾いていても真っ直ぐだということがあるんですよ。

坐禅しててね、スッとこう入っていける時なんか中々ないですよねあんまりね。

どこかなにかしら違和感があるんですけど、その違和感を、こんな坐禅では駄目とやめるんじゃなくてね。

その違和感がありながら、それも許されてるね、とただ坐禅というカタチに落ち着けばいい。

そうすれば次第に違和感がほどけてくる時もあるし、違和感がなくならなくてもいいんですよ。

そのまま続けていってOKなんです。


坐禅していて、自然に身体が動き出す時もありますね。

それはそういう身体の勝手に、しばらく任せても良いですね。

そうしたらね、10分間ずっと揺れとったりしてもいいんですよ、全部許されてる。

それで、いつかスッと坐れる時が来るんですね。

でもそれが最終ではないんですよ?スッと坐れて、あ、悟った。とそういう時もある。

でもまた駄目になる時もある。そういうことの繰り返しなんだけど、どれでも自分は受け入れていくという練習なんですね。

これここまで坐禅で話しましたけど、親鸞さんが話されたお念仏のお話と同じですよね。


<ただ念仏を信じて称える。その結果がどうなるか、知ったこっちゃない。後は光のお方次第>

親鸞聖人はおっしゃいました。

「おのおの十余ヶ国の境を越えて(常陸国、茨城県水戸市から上洛、唯円もその一員とされる)、身命を顧みずして訪ね来られたわけは、ただ往生極楽の道を問い、聞こうとなさったがためでありましょう。

しかるに、〈念仏を称える〉ということのほかに、親鸞が密かに保持して、特別の人にだけ伝授している法門がきっとあるだろう。それを何としても伝授してもらおうと思って、この地(京都)においでになったのならば、それはとんでもない誤りです。」

大敬達でいえば、〈坐禅する〉ということのほかに、ですね。

密かな、特別なことがあると思っているなら、それは誤りですと言っておられる訳です。


親鸞さんの言葉の続き

「そのような秘密の法門があるに違いないと思われるならば、南都北嶺(奈良や比叡山)にもすぐれた学匠たちがたくさんいらっしゃいますから、そのような方々にお会いになって往生の肝要をよくよくお聞きになればいいのです。

親鸞はただ、よき人(法然上人)が〈念仏して弥陀のおたすけをこうむって往生しなさい〉とおっしゃったのを信じて念仏を称えるだけで、その他に何も隠し持っている法門などないのです。」

これも大敬も一緒ですよね、ただ坐禅してほしいと思います。

坐禅以外に特別な法門なんて、大敬にはないです、カラッポ。

カラッポのこの身をどうぞ見てください、どこにも何も隠してませんよ。


親鸞さんの言葉の続き

「念仏は、本当に浄土に生まれる種となるのか、あるいは地獄に堕ちる業となるのか、そんなことは私には分かりません。たとえ法然聖人にダマされて、念仏して地獄に堕ちたとしても、私は後悔しません。」

私にはわかりません、って突き放しているでしょう?それでいて私は後悔しませんって言い切っている。これが他力の心意気ですね。


親鸞さんの言葉の続き

「なぜならば、念仏以外の行を励んでいれば仏になれたはずだったのに、念仏を申していたので地獄に堕ちてしまったというのであればダマされたという後悔もあるでしょう。

しかし、私は自力修行のどのような行も、とてもやり遂げることが出来そうにない、意志が弱く、体も弱く、業も深い身なのですから、どうひいき目にみても、死んだら地獄に牽かれて行ってしまうということは決まりきったことなのです。

弥陀の本願がまことならば、釈尊の説法はウソではないでしょう。釈尊の説法がマコトならば、それを引き継いだ善導(中国浄土宗の僧。〈称名念仏〉を中心とする浄土思想を確立した)の念仏もウソではないはずです。

善導の念仏がマコトならば、法然聖人の仰せも、ウソであるはずがありません。法然聖人の仰せがマコトならば、只今皆さんに語っている私の念仏信心も、きっと虚しいウソゴトであるはずがないではありませんか。」


親鸞さんの言葉の続き

「詮ずるところ、私の信心のあり様は以上のようです。

さあ、このようにお聞きになったうえは、念仏をとって信じて称えてゆくのか、あるいは、ガッカリして捨ててしまわれるのか、それはあなたたちの判断次第なのです」

すごく突き放してますよね?こういうのが他力の悟りの潔さですね。

決してウジウジしてないのですね。(完)


2026年11月1日日曜日

4428「当たり前の中の幸せ」2026.11.1

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月12日の記事を紹介します。


「当たり前の中の幸せ」


今日は「当たり前の中の幸せ」と言うことで、前ノートルダム清心女子大学の学長だった

渡辺和子さんの、卒業式でのお話をご紹介します。 

あれも欲しい、これも欲しい。

あれがないと幸せになれない・・・と

足ることを知らなければ、どんなに恵まれた環境に置かれようと、 

感謝の心をはぐくむことはできないでしょう。

<引用開始> 引用元 

今日は、今から数年前、同じこの日、 

同じこの記念館を巣立っていった、一人の卒業生の言葉を、

皆さんへのはなむけの言葉にしたいと思います。

その人は、在学中、健康そのものの人でした。

それが卒業後まもなく、病気になって入院し、

非常に苦しみ悩んだのですけれども、

やがて快方に向かった折に、一通の手紙を書いてくれました。

その中に、こう書いてあったのです。

「ようやく外出許可がいただけました。

久しぶりに地面を踏んだ時は感激でした。

今の私には、当たり前が輝いてみえます」

この手紙を読んで、私は、病気がよくなったことが嬉しかったとともに、

病気という十字架が、この人を、ここまで成長させて、

この言葉を書かせたことを、たいへん嬉しく思いました。

当たり前が輝いてみえる、そして、この人から、

幸せの秘訣を教えてもらったように思ったのです。

私たち一人ひとりは、幸せになりたいと願っています。

今日、ここに集まってくださった方たちは、あなた方一人ひとりが、

一生の間、幸せに生きてほしいと、願っていてくださいます。

幸せの条件には、いろいろあって、人それぞれに違うかも知れません。

ですけれども、共通して言えることは、

自分が愛するもの、価値あるものに取り囲まれて、

心が満たされている状態といっていいでしょう。

ですから、幸せを願う人たちは、

・たやすく愛せる人を探し、

・やりがいのある仕事を求め、

・そして、すてきなもの、

・すばらしいもので、

自分のまわりを囲みたいと願っています。

今日の日本は、この種の幸せをあおるかのように、

そして、それを満たすに十分な、物質的な豊かさと、

過激といっていいほどの、刺激と情報に溢れています。

お金さえ出せば、欲しい物がほとんどすべて、手に入る世の中です。

では、それらを手に入れた人たちが、みんな幸せなのかというと、

必ずしもそうではありません。

なぜでしょう。

星の王子さまが答えを出しています。

「地球上のみんなは、特急列車に乗り込むけど、

いまではもう、なにを探しているのか、わからなくなっている。

だからみんなは そわそわしたり、

どうどうめぐりなんかしてるんだよ…」

「おなじ一つの庭で、

バラの花を五千もつくっているけど、

自分たちがなにが欲しいのか、

わらからずにいるんだ」。


そして続けていうんです。

「だけど、探しているものは、

たった一つのバラの花のなかにだって、

少しの水にだって、あるんだがなあ…」

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。

かんじんなことは、目に見えないんだよ」

 

今から約千三百年まえにつくられた

日本の一番古い歌集『万葉集』の中に、一つの歌が収められています。


信濃(しなの)なる千曲(ちくま)の川のさざれ石も

君し踏みてば玉と拾はむ 

たぶん、うら若い一人の乙女が、自分の愛する人、夫、恋人を送り出した後、

“その人が踏んだ石だと思えば、私には玉と思えるのです”と

うたった一首です。

なにが、この当たり前の、どこにでもある石を、輝く玉に変えたのか、

それはこの乙女の心に宿る愛する心、

いとおしむ気持ちだったろうと思います。

この人は何カラットかするダイヤモンドでなくても、

愛する人が踏みしめたその石を、玉と抱いて幸せな人です。

そして、私たちは、幸せの原点というものを、

ここに見ることができます。

<引用終了>


今日の日本は、

・物質的で、派手な物

・目立つ物

・過激な物 

を、如何にも魅力的なものと錯覚させ、

お金さえあれば手にすることができる。 

・お金を稼げ

・お金が全て

・お金さえあれば、何でもできる

・人がうらやんでくれる 

そんなことを、煽っているように見えます。

その宣伝、戦略に多くの人が乗せられ、それが本当の幸せと錯覚し、

・今だけ

・金だけ

・自分だけ 

そんな心になってしまっているのかもしれません。

お金が無ければ不安になり、執着し、何かに必死に頼ろうとします。 

でも、執着すればするほど、

追い求めれば、求めるほど、 

それは、どんどん遠ざかって行きます。 

そして心は疲れ、

諦めと、厭世観(えんせいかん)にさいなまされ、 

いつかは、純粋だった心を、曇らせてしまうことでしょう。 

元々、私たちの幸せとは、何処にあったのでしょうか? 

どこか遠くにあったのでしょうか? 

お金や、物、地位や名誉にあったのでしょうか? 

それを手に入れたら、幸せになれるのでしょうか? 

もしかしたら、私たちの幸せは、 

元々、私たちの心の中にあって、それに私たちが気付いてくれるのを、

ずっと待っていたのかもしれないですね。 

大切な物は、見えない・・ 

それが、本当のことかもしれません。


2026年10月31日土曜日

4427「大事なものは見えない」2026.10.31

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月11日の記事を紹介します。


「大事なものは見えない」


今日は「大事なものは見えない」ということで、

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」からご紹介します。

相手を立場や経済力などの外面だけで判断せずに、

大切な一人の人間として認め合い、

助け合って生きていきましょうというお話です。

私たちは、この地球に、 

働きに来た訳でもなく、

お金をもうけに来た訳でもなく

地位や名誉を得て、威張るために来たのでもなく

大きな家に住み、大きな車に乗って自慢するためでもありません。

人と人、

人と動植物、

自分以外のありとあらゆるものと、

心の交流をするために、地球に来ました。

時にはぶつかり合うことも、

罵り合うこともあるでしょう。

思いやりや、愛、笑顔によって、

心の豊かさを知る時もあるかもしれません。

それらは人生に起こる、様々なドラマによってもたらされます。

泣いたり、笑ったり、

愛し合ったり、憎しみ合ったり、

日々の生活の中で、

すれ違う人々でさえ、

大切なご縁のある方です。

<引用開始> 引用元

私の出身校である東京の武蔵野の私立の小学校には、

当時の日本のトップリーダーの子女も多く通っていました。 

入学してすぐ担任から言われたことの一つは、

「校門を通る時、男の子は 

必ず帽子を取って守衛さんに、先生にするのと同じ態度で挨拶しなさい」ということでした。 

6年間、これを続けている間に、いつしか習慣になり、

これが一つのリーダー学であることに気付いたのは、社会を出てからでした。 


土の中の水道管 

高いビルの下の下水

大事なものは表に出ない


    ・・・・相田みつを 

私が、今も職場で、特に目立たない働きをしている人たちに、

あいさつするのは、たぶん、小学校で身についたことなのです。

学生たちにも、

「お掃除や草取りしていてくださる人たちに

ごあいさつするのですよ」といっています。 

「給料を払っているのに、

挨拶したり、ありがとうという必要はないでしょう」

という若い教師も、いないではありません。

それは大きな考え違いです。 

あいさつは、身分や立場とは無関係なのです。

特にあいさつしてもらうことの少ない人たちに、

あいさつは、「あなたは、大切な人なのですよ」と伝える、

最良の手段であり、

お互いが、お互いのおかげで生きていることを自覚し合う、

かけがえのない機会なのです。 

<引用終了>

目立たない仕事をしている人へのあいさつは、大切なことですね。

私たちはお互いに

「おかげさま」で生きているのですから。


花を支える枝

枝を支える幹

幹を支える根

根は見えねんだなあ

     ・・・・相田みつを 


私たちは、つい目立つ綺麗な花だけを見てしまい、

それを支えている、根のことを忘れてしまいがちです。

ですが、最後の結果である、その美しい花を咲かせるために、

見えないところでどんなに大切な働きがあったことか。。

葉があり、茎があり、

そして大切な根も頑張って働いています。

一世代前には、花を咲かせ種をつけ、

朽ち果ててくれたからこその、今の命です。

人間も同じですね。

どんなにお金をかけて、飾り立てようと、

どんなにその場だけ取り繕おうと、

どうしても見えない人間性というものが染み出てしまいます。

人間にとって根っことなるのは、

・相手を思いやる気持ち

・笑顔

・感謝の気持ち

・お陰さまの気持ち

・助けいあいの気持ち

これらで、日々どれだけ生きていたか・・

に寄るのかもしれません。

どんなに地位や名誉、お金を得ようとも、おごり高ぶらずに、

目立たない人や、弱者に対する共感は大切なことです。

ちゃんと相手を認め、相手を尊重し、

差別せず、

大切な一人の人間として

接する心を持ちたいものですね。