2023年1月30日月曜日

2957「フラクタルな世界」2023.1.30

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月24日の記事を紹介します。


「フラクタルな世界」


レインボーチルドレンのそうた君によれば、地球意識がこの地球を宇宙神から任された時、

地球創造のためのマニュアルを渡されるのだそうです。 

宇宙神がこの宇宙を創成する際に、宇宙をフラクタル(相似象)に作っていますから、 

もちろんこの地球もフラクタル。 

フラクタルとは?

大雑把に言うと、「同じような図形が繰り返し現れる図形」のこと。

例えば、雲や山脈、海岸線など、同じような形が繰り返されているなど・・ 

そして全部が相互に繋がっています。

・人体と宇宙の星々

・人体臓器と宇宙

・人体組織と、DNAで繋がったある特定の祖先

そしてそれは人体だけでなく地政学でも同じです。


ですから地球上のどこかで起きている事件も実際には、その事象が私たちの心に映った時点で、私たちの身近でも、形を変えども本質的には同じ現象が起こっています。 

現在、多くの人々の不安の種は

・モノの値段の大幅な上昇

・コロナの蔓延や、ウクライナのことかもしれません。

それと本質を同じくする出来事が私たちの身近でも必ず起きているはずです。 

・友人知人同士のいさかい

・正義を遵守している私達と、自由気ままで勝手にふるまう人々

・他人の都合を考えず、自分の主義主張だけを押し通す人々

・相手より有利な立場に立ちたいと、人を蹴落としてもお金や権力に走る人々

まさに私たちの身近に起きていること、心の中の風景の拡大版がこの世界のどこかで起きています。 

そして更に突き詰めれば、私たちの心の中に在ることが、私たちの身近で起こり、

そして世界でも起こります。 

全ては繋がっており、スタートは、常に私たち自身の心です。

現在、地球が枝分かれしてしまうような最終的な局面において、どちらへ進むかを決定しているのは、私たちの心に潜む「かすかな憎しみの心」の存在があるかどうかのようです。 

 

憎しみを抱いていてはけっして神様の光は差し込んで来ません。

つまり、憎しみの鎧をまとったままでは本来私たちが持っている心の中の神様の光が現れません。

この結果、私たちに神様の恩寵が届くことはなく幸せにはなれません。 

憎しみの鎧をまず、脱ぐことが必要です。 

私たちは、様々な経験をするために、自ら希望して地球に生まれてきました。 

自らが希望する人生を送れるように、両親を決め、将来で会う方々と配役を打ち合わせ、

神さまの承諾のもと生まれてきました。 

勝手に親が生んだわけでは決してありません。

悩みや、苦しみ、心の中のトゲは誰にでもあることです。 

ブッダにさえ、強力な敵役がいて、いつも悩ませてきました。

悩みや苦しみを通じ、私たちは考え、いろんな行動を起こします。

時には、悲しみ、苦しみの涙を流し、人知れず布団の中でのたうち回るかもしれません。 

ですが、そのような心を削るような経験があるからこそ、私たちは、魂を輝かすことができるようになっています。 

何の悩みの無い、平々凡々の生活からは魂の向上は望めません。 

私たちに、悩みや苦しみをもたらす者、状態

それらは、確実に、私たち本人に対し、まっすぐに向かってきています。

どこかの他人のとばっちりを、たまたま受けているわけではありません。 

その人たち(私たちに、悩みや苦しみをもたらす)でさえ、本来は、心の中に神々の光を宿し、歓喜の魂を持つ人たちです。 

神々に許されて、生を受け、私たちに対し、そのような役割、つまり、悩み苦しみをもたらす存在としての役を負って生まれてくださいました。 

 

その役割を通じ、お互いが約束してきた目的が達成されたなら、 

彼らも、その役割から解放されて本来の神々しい性格に戻れることでしょう。

悪そのものである魂は、神さまから転生を許されていないからです。  

心にまとった鎧を脱ごう。

どんどんどん、そげ落とし、最後に残ったものが、本当の私達の心

もう身を守ろうとする必要もない

自分を高く見せつける必要もない

自分の弱みを見せても構わない

自分に足らない所は人に頼れば良い

寂しさを紛らわすために、無理して友達ごっこをする必要もない

会いたくない人とは会わなければ良い。

誰かの行為に文句を言う必要はない、そっと離れればよい

気分が悪いからと、嫌みを言う必要もない。

昔の恨み事など、もうすっかり忘れよう。

楽しかったことだけを思えておこう、

笑顔だけを覚えておこう。

要らない虚飾を全て落としてしまった私達の心は、 

ピュアで希望に満ち、生まれたての赤ちゃんのように光り輝いているに違いない。

何故なら私たちは、そういった場所から地球にやって来たのだから。 

ただ忘れているだけ。

魂はしっかりと覚えている。

この不自由な「忍耐の星」と言われる地球に適合しようと、知らず知らずに身に付けた鎧たち。

もう脱いでも良い頃かもしれない。

2万6千年も続いた、このカリユガの時代は終わろうとしているのだから。

時代の大きなうねりが、心の鎧を脱ぐのを強力に後押ししてくれている。

ブラフマー、ビシュヌ、シヴァ、それぞれが象徴する、創造、維持、破壊

ブラフマーが活躍するにはシヴァの破壊が必要である、

でもそれは夜明けが近い証拠。

私たちの心は巨大で、宇宙さえも、その中に内包している。 

だからこの世界でどのような破壊が起ころうと、それを乗り越えることはたやすいこと。

地球で宇宙劇を一所懸命演じている最中は解らないけれど、この劇の脚本を書き、演出し、出演しているのは私たち自身。

希望こそが、闇を照らす一筋の光。

どんな闇夜であっても、希望だけはなくさないでいよう。

全ては 大丈夫。

ラストOKなストーリを、自分で書いて生まれて来たのだから。 

 

出口王仁三郎が予言をした通り、 

2010年からの30年、人間の精神性に関する立替え・立直しの時が始まっています。

神々による「人間の精神性の復活」のための破壊(建て替え)は既に終わりました。

今は、人々の「心の復活」 による立て直しの時期です。 

神々の計画通り、私たち人間の心が持つ偉大な力に、気付く人たちが増えてきました。

私たちの幸せは、

・他の人によってもたらされるものではなく、

・不思議な力によって外からもたらされるものではなく、

・何かの物によってもたらされるものではなく、 

私たち自身の心の在り方を変えること、

自分の心によってのみ、得ることができるのだと、気付く人たちが増えてきました。 

それには何か特別な力を必要としません。

誰かに依存し、頼る必要もありません。 

お金も必要ありません。 

ただ私たちの内側に居らっしゃる、神さまの声に耳をすませるだけです。 

心の中の真心を信じるだけです。 

皆様が内なる神さまに気づき、お幸せになられますように。

  

謹んでお勧めしたいブログです。 

ノアさんのブログ  

「ありがとう」の言葉の力を使い、私が思うに、神様の相当近くまで行かれています。 

私たち一般の人の同じ立場で、

・いかにしてそこまで魂を輝かせることができたのか?

・日常の生活の中で何に気をつけていらっしゃるのか? 

きっと幸せになるための参考になると思います。



2023年1月29日日曜日

2956「諦めないで、理不尽な時」2023.1.29

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月23日の記事を紹介します。


「諦めないで、理不尽な時」


今日は「理不尽」のお話です。

もしかしたら、そんな時は、大きな大きなチャンスが訪れの時かもしれません。

特に、心が清められ、準備ができた人に起こりやすいことです。


皆さんの中には、今現在、回りから、ひどい仕打ちを受けたり、理不尽なことをされていらっしゃる方は居られませんか? 

また運命に翻弄されている方もおられるかもしれません。 

そう言う時と言うのは、集中して、厄介なこと、嫌なことが続くものです。

もしかしたら、そういう時期は、「リセット」の時期かもしれません。

一旦、今までの人生の方向性について立ち止まり、向きを変えるための思索の時間(考えをめぐらす時間)を持つために、神さまから強制的にリセットがかかっているのかも知れません。 

そのことに気づいて欲しくて「理不尽の炎」の中に投げ込まれているのでしょう。

自分の今まで持っていた価値観の大転換を図るため強制的なリセットです。

こういう時、その(理不尽に見えて)起きて来る沢山の現象は、自分ではどうしようも無い事、つまり、人間側の問題ではなく、「神様の領域」のことです。 

ですので、その事に対して不平、不満、愚痴、ねたみ、そねみ、うらみ、後悔、嫉妬

などしないことにこしたことはありません。 

ですが、生きている本人にとっては、あまりに辛く、神様に「どうにかして」と思うかもしれませんね。 

人間ですもの・・・

そういう時は、もう言霊で乗り切るしかありません。

ただひたすら、最強の言霊、「ありがとう」を言い続ける・・ 

そうすると不思議と、朝に苦しかった理不尽なことが、夕方には解決しています。 

全く気にならなくなるのです。

こういう時期は、誰にも訪れるものです。 

そして、しばらくは続くものです。

また翌日には、次の別な理不尽なことが起きてきます。

その繰り返し。

私も経験がありますので良く分かります。


そんな最中に読んだ小林正観さんの本の一節をご紹介します。

<引用開始>

「理不尽」とは、神様から見込まれたということ。

そして「自分が成長しているという証明」。

「理不尽」とは、こちらの側に落ち度がないのに、一方的にひどいことを言われた、されたこと。

「だんだんと理不尽度が増していき、それでも文句を言わずにいると、神様は「合格」と判を押してくれるのだそうです。

理不尽度10で文句を言わずにいると、理不尽度20の現象が起き、だんだんと増していって、最後は理不尽度100%の現象が起こります。」

五戒(不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句)を言っているあいだは理不尽なことは起こりません。

(まだ、神さまに、成長の時期ではないと思われているからです)

最後の理不尽度100%の現象の時も五戒を言わずに受け入れていくと、神様から合格の判をいただけて、人生がラクに楽しくなってくるのだそうです。

理不尽度の高い現象が起きたときは、大きなステップアップが約束されているらしいのです。 

ですので、その時に

・文句や愚痴を言わないこと、

・戦わないこと、

・争わないことが 

大切らしいのです。

<引用終了>

 

そう正観さんは仰っています。

正観さんの言う神さまに見込まれた人というのは、きっと五戒(不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句)を思わない、言わない人という意味です。

ですので、多くの人が「神さまに見込まれた人」になります。 

私の周りにも五戒を守っている人は沢山いらっしゃいます。

そして皆さん、お幸せです。

さて理不尽なことが起きると、その人にどのような事が起きるのでしょうか?

まず、一番大きな事は、

・自分の力ではどうする事も出来ないという

「あきらめ」(諦観-あきらめ、悟って超然とすること。)

・その結果、鼻っ柱の強かった人のお鼻はポキンと折られます。

・目に見えない大いなる何かの存在を、意識するようになります。

これだけでも大きな魂の成長。

意味があることです。

時に人は、自分自身の力を過信し、

・人に迷惑をかけないように生きていきたい

・人の役に立つ人間になりたい

と思います。

ですが、病気をしたり、挫折の苦しみを味わうと、 

「助け合い」

「お互い様」

こそが本来の人間の生きる道ではないのかと思えてくるのです。

誰一人として、他人の世話なしに生きることはできません。

農家の方が作った野菜を、運送業者の方々が運んで下さり、お店の人が販売してくれる。

それらを頂き、それらの生命を頂いて、私たちは生きていくことが出来ます。

他の人の世話にならずに、誰一人生きていけません。

 

ですので、「人に迷惑をかけないように生きていきたい。」というのは、少し傲慢な考え方かもしれませんね。

この染みついた考え方を矯正する為に、今世では病気になったり事故に会ったりと、色々な苦しい事象が自分のタイムラインに埋め込まれることでしょう。

理不尽な出来事。

自分ではどうしようもない、大きな辛く悲しい出来事にも、きっとそんな意味があるのかもしれません。

何故なら神様は無駄なことは一切なさいませんし、常に私達の真の幸せを考えて下さっているのですから。

外にあるもの、見えるものは、すべて自分の心の世界を映し出す鏡。

人は理不尽な体験をすると、他人を責めたり、周囲の環境に不満を抱いたりしがち。

でもそれらは皆、私達の心の反映にすぎず、不満の矛先を他人や環境に向けることは

見当違いかもしれません。

きっとそんな時は、自分の心を顧みる丁度良い時が訪れたのですね。

神様に感謝する時です。

その後に、大きな大きなギフトが用意されているからです。

たったひとつのたからもの


2023年1月28日土曜日

2955「私は生きると決めた」2023.1.28

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月21日の記事を紹介します。


「私は生きると決めた」


・レインボーチルドレンの子供たち、

・高度に進化した星から直接転生してきた子供たち、

・中間世記憶(天国や神様の記憶)を持つ子供たち、

・そして宇宙存在、バシャールなどの言うことに、

一つの共通点があります。 

それは、この世の中の出来事には、良いも悪いもない 

全ては、自分の計画した通りの出来事が起きてるだけ、

自分自身で、OKを出した出来事しか起こらない・・ と言うことです。 

つまり、 

・重い心身の病気の運命を持って生まれてくる子供も

・陰湿な意地悪をする友人も

・極端な場合、殺されるような人生も

全ては計画通りの出来事、全ての目的は、その経験をしてみたかったから、

その経験を通じ、魂を磨きたかったから・・ 

なのだそうです。

返って、「悪いこと」とみなされるようなことを担ってくれる人、そのような役を引き受けてくれる人こそ、魂的には、本当は偉大で、光り輝く存在のようです。  

さて、そのような大前提のもと 

今日は、シスター鈴木秀子さんの「死にゆく者からの言葉」よりご紹介します。

この中に、障害を持ったお子さんのお話があります。

<転載開始> 転載元 



一人の女性が泣いているのが目につきました。

私はそのとき、壇上にいて、「命の大切さ」という市民大学の講演を行っていました。

その女性は、身なりも顔立ちも派手な印象でした。

しかし、だれ一人として泣いてなどいないなか、彼女はハンカチひとつ使おうとせず、

涙をあとからあとからこぼしつづけています。

そして私の顔をジーッと見つめたまま、身動きもせず、話に聞き入っています。

前から三番目に座っている彼女の姿は、否が応でも目に入ってきます。

「きっと思い当たることもあるのだろう」私は、そう思いながらも講演をつづけました。

(中略)

今日の話を聞けてほんとうによかった、と彼女はつづけました。

そして涙がこぼれたわけを、こう語りました。

「実を申しますと、私の体のなかは洞窟も同じなのです。

これまで八回、大手術をしました。

子宮ガンから始まり、胃ガン、腸ガン・・・・・、

転移して次々と大手術を繰り返したのです。

こんなカラッポの体でね、どうして生きているのか

お医者様からも不思議でたまらないと言われています。

ともかく体のなかには何もないんですから。

ではなぜ、私がこうして元気で生きていられるかと申しますと、 

実は私には精神障害の息子がいるからなんです」

彼女は、その子が生まれてまもなく夫と離婚したのです。

寝たきりのその息子は現在二十歳ですが、幼児程度の会話しかできません。

彼女を必要としている息子のため、彼女は一度目の手術以来、医師にも周囲からも見放されながらも、手術しては生き返り、また次の手術をしては生き返り、ついには働けるまでになりました。

 

「勤めを終えて家に帰りますとね、息子は布団のなかからじっと私を見つめ、子供のように顔をほころばせて、それは嬉しそうに手足をバタバタさせて喜ぶんです。

私も元気とはいうものの、大手術を重ねましたから、お天気が悪かったり、重いものを持ったりすると体が動かなくなることもあります。

でも息子の、ほんとうに喜びを満面にした顔をみると、一日の苦労が吹っ飛ぶんです。

これまで死ぬほどの重病にとりつかれましたけど、

『この子を残しては死ねない』この一心で生きつづけてきました。

そして、『あの子が家で待っている、私を待っている。 

私が生きていなければ、あの子は生きていかれないんだ』って、それだけしか考えませんでした。

病気のことを考えている暇なんかなかったんです。

そして絶対に生きる。病気がどんなであろうと、お医者様が死ぬと言おうと、私は『生きる』と決めたんです。

子供が生きている限り、私は生きるんだって。

これが、病気になっても、病気とは関係なく生きつづけられる原因なんです」

いつでもニコニコと迎えてくれる子供の顔を見るたび彼女は、 

「生きていてほんとうによかった」と思うのだと言います。

   

そして、「お話を聞いていて、幸・不幸というものは、

世間一般に考えられているようなことではないんじゃないかと改めて思いました。

このような息子を持つ、ボロボロの体の私でも、こうして幸せを感じることができるんですから」

私は講演のなかで、幸・不幸というものは

客観的にはかり知ることはできないのだ、

また、苦しみの極みを積極的に受けとめ、生きぬくとき、苦しみは、

生きる深いよろこびをもたらしてくれる、と話したのでした。

私の知人の家では、五人の子供に恵まれたものの、五番目の息子は身体障害者でした。

しかも、知能の遅れもともなっています。 

世間的にみればさぞかし大変であろうと思われがちなのですが、真一君というその子のおかげで、家族中が大変な仲良しでした。 

というのも彼らは、「ただいま」の次に必ず、「真ちゃんどうしてる?」と声をかけ、そしてその部屋に入るなり、「今日ね、こんないい話があったんだよ」と報告するのを日課としていたのでした。

ちょうど花束を持って帰るように、家族の一人ひとりが、いい話を必ず一個ずつ持ち寄ったのです。

その子は残念ながら、それらの話を十分には理解できません。

しかしわからないながらもニコニコと、まるですべてを理解しているかのようにほほえんで聞いていました。

そのためその子の父親も母親もきょうだいたちも、今日はあの子に何を話そうかと、

まるで花を摘むようにいい話を探さずにはいられないのです。

そうすると厭なことに気を取られなくなり、長年のうちにそれぞれが、日常の平凡なことのなかから、毎日毎日宝物を探すようにいい話を探す習慣を身につけていきました。

家族中がその子を喜ばすことで結束し、仲のよい暮らしの中からいいものを見いだす目が育てられてきたのです。

「あの子はわが家の宝物。宝の花をひきつける存在です」

それは知人の自信にあふれる声でした。

中年の女性は、自分の家もまさにそういうことであったのだと語りました。

「私の息子もほんとうに、そのお子さんのような存在です。

そのお子さんが宝の花をひきつけるのなら、息子は命を湧きあがらせてくれる存在なのです。

ですから本来ならばとっくになくなっているはずの私の命も、 

息子の喜ぶ顔を思い出すたびに、私の中で生命が湧きあがってくるのです」

息子は、生まれてすぐ、三年生きられればいいだろうと宣告されたのでした。

それがその年の一月十五日に二十歳を迎えることができました。

 

「その日、お赤飯を炊きましてね、ささやかでしたけど祝ってあげたんです。

そうしましたら息子が、私の顔をじっと見つめて、『お母さん、ありがとう』 って言ってくれたんです。

息子はただ、祝ってくれてありがとうっていうつもりだったんでしょうけど、私にはまるで、自分を成人まで育ててくれて、ほんとうにありがとうって言っていたように聞こえてなりませんでした」

彼女はしみじみつぶやきました。

「お礼を言うのは自分の方です。

本来なら死んでいるはずの自分を、あの子は無垢な笑顔を向けてくれることによって、

生命を湧きあがらせてくれます。

ほんとうにありがたいことです」

彼女は最後にしみじみとそう言いました。

その女性から便りが届いたのは、それからしばらくしてからのことでした。

あの息子さんが、亡くなったという知らせでした。 

しかし、文面には、「私は幸せなことに、こうしてまだ生かされております。

あの子の笑顔が、しあわせに生きてゆくようにと呼びかけているのです」と書かれてありました。

私たちは、辛いこととか、いやなことが何ひとつなく、物事が自分の思い通りにいきさえすれば幸福であると考えがちです。

しかしもっと深い幸福があると思うのです。

辛いことや思い通りにいかないこと、そういった状況のなかにこそ、見る目がある人にとっては、通常ではみられない幸せというものが存在しているのではないかという気がします。

こういう話を聞く時や、医学的には考えられないのに、重い病状にもかかわらず元気で明るく生きている人達に接する時に、私は、ムスターカスの次の言葉を思い出します。

「もし悲しみがその人自身のものとして受け入れられ、

その人の存在の中核で感じとられるならば、

そのとき苦しみは他の人間や、

すべての生きるものへの情けへと成長する。

苦しみによって心が開かれ、

悲しみの中から

陽気さと歓喜の新しい感情が起こってくる」

<転載終了>

深い深い愛ですね。

一般の人から見たら一見不幸に見える状態であっても、その環境から磨かれる魂の輝きは、

計り知れないものがあります。

皆さんには、お子様はいらっしゃいますか?

いない方は、ご両親はご健在ですか?

私たち親は自分に子供が生まれた時、生まれたこの子が、幸せに生きられますように、

そう願いました。

 

そしてきっと、自分が先に天国に帰るときも、残されたこの子が、幸せに生きられますように、そう願うのだと思います。

親と子、深い愛の絆で結ばれていますね。

そして、そして、あなたの嫌いな誰かさんにも、このように思ってくださって親御さんが必ずいるはずです。

皆さんも、例え苦悩の中にあろうと、その中に神さまの光を見つけることができますように。


2023年1月27日金曜日

2954「解放」することの大切さ」2023.1.27

 今回は木の花ファミリーのジイジからのメッセージ「ジイジのブログ」の2023年1月20日の記事を紹介します。

『散骨式~自然に還すセレモニー』より ~「解放」することの大切さ」

ジイジのブログ (jiiji-konohanafamily.org)


木の花ファミリーを基盤として様々な社会貢献活動を行うNPO法人ぐりーんぐらすでは、毎年大晦日に、その年に亡くなった縁ある方々のご遺骨を人の手で丁寧に砕く粉骨式を行っています。そして年が明けると、『散骨式〜自然に還すセレモニー』を開催し、粉骨されて小さな粒子となったご遺骨を、富士山麓の自然の中へとお還しします。

『散骨式〜自然に還すセレモニー』にて 斎主による散骨式祝詞の奏上散骨を希望する一人ひとりの手に、粉状になった遺骨を渡していきます参加者は、思い思いの場所に遺骨を撒き、自然へ還します

2023年は、6人の方々のご遺骨を散骨しました。まるで春先のように暖かく澄み渡った空の下、生前には互いに見ず知らずの存在であった方々の遺骨を共に自然へお還しし、歌と舞の奉納が行われた後、ジイジは以下のように挨拶をしました。

ナイジェリアの研修生から送られた民族衣装で挨拶をするジイジ

 


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今日は、いつもながら天候に恵まれ、とても良い散骨式を執り行うことができました。

昨年、私たちとご縁のある6人の方が旅立たれ、今日はその方々のご遺骨を散骨させて頂きました。6人の方の中には、生前に私たちと関係の近かった方もいれば、遠かった方もいらっしゃいます。普通であればお互いに他人同士であった方々のご遺骨を、みんなで一緒に、自然へとお還ししました。この散骨式については、意味深いところがあり、そのことについて少しお話をさせて頂きます。

私たちの暮らす地球上には、命というものが溢れています。人間も、その中の一部です。命は必ず死を迎えますから、私たちもいずれ死を迎える時が来ます。しかし、命には、突然に死だけが訪れるわけではありません。死の前に、生まれるということがあるから、死を迎えることになるのです。

私たちは生まれると、その生まれた場所で頂いた縁を紡いでいきます。まず最初に、親を頂きます。いろんな事情の親を頂くわけですね。この世界に生まれてくる時に、差別ではないかというくらい、それぞれに個性的な縁を頂いて、いろいろな人生を歩み出します。しかしそれは、人間世界の話です。その前に、そもそも生命とはどういうものなのか、ということを考えてみたいと思います。

『太陽の導き』の奉納

今日、この散骨式で、『太陽の導き』という歌を、舞と共に披露させて頂きました。私たちはそもそも何ものなのかというと、太陽から来るエネルギーが転換して、私たちの命になっています。そして、地球上に地水火風空という自然の現象が寄り添い、命の循環が生まれます。その循環の中で、動物も、植物も、目には見えない微生物までもが育まれており、私たち人間も、その循環の中にあって生かされているはずなのです。

なぜこのような話をするのかというと、人間以外のものは、その循環の中で、自分の与えられた立場、そして自分の与えられた生き方の枠を守って生きています。現在もそうです。時代は21世紀になり、人間の社会ではどんどん進化・発展して豊かになることを追求していますが、人間以外の生き物は、地球上で何も変わらず生きているということです。そこで今、そういった命の原点を考えると、今の人間たちが地球上でしていることは何なのでしょうか。

去年、戦争が始まりましたね。あの戦争は仕掛けた側が悪いのかというと、それは私たち人間が創った社会の中で起きたわけです。その社会の一員である日本の現状はどうですか。日本は平和だと言いますが、現実にはたくさんの格差があり、学校に行けない子供や、引きこもりになって自殺する人たちまでいます。小中学校の先生の中にも、精神的な病気が原因で休暇を取る人が1万5千人を超えたそうです。学校だけでもうつ病の人がそれだけいるということは、うつ病になる予備軍は日本中にもっといるのです。これが豊かな国である日本の現状です。日本だけではありません。アメリカでは、つい3日ほど前に、6歳の男の子が口論をして先生をピストルで撃ったというニュースがありました。それが、人々が求めてきた豊かさの結果です。今の時代は、歪み乱れた世界が究極を迎えていると思うのです。現代の地球上に、そういった問題ごとを見付けることは、難しいことではなくなっています。

そこで改めて、この散骨式の意味について考えたいと思います。私たちがこの世界に生を受けたのは、お父さんとお母さんがいたからですが、その始まりには、何もありませんでした。その何もなかった存在がどこから来たのかということを、考えてみましょう。

まず、形として現れた。その時に、何かしらの定めを、既にそこで頂いているわけです。そして自然の仕組みの中で、太陽のエネルギーを頂き、地水火風空の循環の中で食べ物を頂いて、成長していきます。成長するとは、そのエネルギーを体に取り込むということです。そして取り込むだけでなく、排泄もします。排泄したものはどこへ行くのでしょう。それも自然に還っていきます。それを繰り返しながら成長し、やがて寿命を迎え、死に至ります。この循環から外れて生きることは、誰もできません。太陽が要らないとか、空気が要らないとか、水が要らないとか、そんな人はいないでしょう?大地のお世話になっていない人はいないでしょう?しかし、人間たちは、そのことを忘れてしまっているのが現状です。

今の時代を生きる人々は、お金をたくさん稼ぎ、好きなものを食べ、好きなことを何でもやれるのが豊かさであり、成功者であるとしていますが、それがいっぱいに広がっている世界は、自然から離れた世界です。大都会でこそそういった豊かさを享受できることになっていますが、生命としての原点を考えたら、それは本来の在り方とは真逆の世界です。このような価値観が人々に求められるようになったのは、産業革命以降のたった260年ほどのことですが、その僅かな期間の人間の行いによって、地球温暖化や様々な問題が起きています。すべて私たちがやったことです。それが何を意味するのかというと、人間は他の生き物とは違う行動をするようになった ——— つまり、「自分が」「自分の」と、自分というものを特定し、その自分に執着するようになったのです。

自分とは、一人ひとり個性的で、とても大切なものです。しかし、この自分という個性を自分のためだけに、或いは自分の身内のためだけに使うようになった結果、それが大きくなって、自分の国のためだけに、と、戦争にもなっていくのです。これが今の世の中を混乱させている根本原因であり、このまま進めば、いずれ人類を滅亡に導くかもしれません。

今日散骨させて頂いた遺骨に対しても、その人が生きている間はもちろんのこと、亡くなって骨になってからも、これが私のお父さんだ、お母さんだ、私の大切な人だ、と骨を見ます。そしてそれを、お墓や骨壺のように特定の器の中に閉じ込めます。それは、死というものを固定しているからです。固定したイメージを作り、器の中に閉じ込めているから、死は避けるもの、恐ろしいものだと思っている。それは絶対に通過するものであるはずなのに、そのような概念を作って閉じ込めている。しかし、お墓を持つとか、仏壇を持つという風習は、歴史的にはそんなに古い話ではないのです。

人間以外の命はすべて、自然の循環の中へ還っていきます。それは、自然から頂いた肉体的生命を循環の中で紡いでゆき、終わりを迎えたらまたお還しする、ということです。私たち人間も、同じです。では、魂はどこへ行くのでしょうか。それは、一人ひとりの心の位置に相応しい場所へ行きます。ですから、一律にどこへ行くということは言えません。しかし明らかに、魂の精神性は高い位置と低い位置があります。それはどのような違いがあるのかというと、日頃自分のことだけを考えている人は、自我の枠の中に心の位置があるわけです。自分のことばかりで枠が狭いですから、それだけ毎日枠の狭い命を表現していることになります。

枠が狭いと、循環から外れます。そうでしょう?すべてが繋がり、支え合って循環している中で、自分のことばかりになっているのですから。循環の中にいれば、それは流れの中にいるということですから、物事がスムーズに流れて順調に進みます。しかし、「自分だけ」という考えで一生懸命生きていると、一生懸命の分だけさらに流れが悪くなり、滞るのです。それは、自分にとって都合の良いご利益を求めてどこかへ拝んでも、良くなるものではありません。

この大いなる循環とはどのくらいのスケールなのかと言ったら、私たちは今、地球の循環の中に在ります。地球の循環と言いますが、実は地球が運営されているのは、太陽系があるから運営されています。太陽系が運営されるのは、銀河があるから運営されています。銀河が運営されるのは、銀河群があるからです。さらに、人間にはまだ分からない、銀河群よりさらに大きな宇宙の仕組みが、全体を運営しているのです。

その大いなる循環の中で、今日散骨した皆さんの遺骨も自然に還り、いずれ草木に吸われ、生き物に吸われ、炭素循環、窒素循環、いろいろな循環の中で、空気や土に還っていきます。そのように心を大きく広げていくと、今月のお給料がどれだけだったとか、自分の欲しいものが手に入ったとかいうことは、微々たることです。そんなことよりも、もっと大切な枠によってこの世界は動いているのです。

人間は社会を築き、それぞれにいろいろな人生をもらっていますが、それは修行ですね。何の修行かと言うと、自分の枠を取り払うために生きているということです。なぜなら、もともと「自分」という枠はなく、他のものが存在するから、その循環の中で生かされているのです。それなのに、人間はいつしか自らの枠を所有し、そこから離れられないようになっています。これが現代の、本当にどこを切っても問題だらけという社会を創っている一番の原因ですが、現代の人々の中で能力が高いとされる人ほど、そのことがわからないのです。

いずれ、このことを理解しないと社会が行き詰まる時代を迎えます。2012年12月21日に、私たちの世界は25800年ぶりの銀河の冬至を迎え、昨年2022年12月22日の冬至を以って10年が経ちました。それは、人間たちが自我を膨らませることにとても熱心だった時代が終焉を迎え、次の時代が始まったということです。ですから、2012年12月21日以降、地球上での人間の振る舞いはうまくいかないようになりました。そこからさらに10年が経ったわけですから、さらにそれが明快になり、今、2023年を迎えているわけです。

今日は、普通であれば互いにご縁のなかった方々を、一緒に散骨して自然へお還ししました。自然に還すということは、何もなくなってしまうわけではないのですよ。自然という、ひとつの命の循環の中に還すのですから、今まで別々だったものが、ひとつに還るのです。つまり、まったく縁のなかったものたちが、本来の自分自身となってひとつになっていくのです。

太陽が自分自身だという人はいますか?太陽があるから自分がいるのでしょう?土もそうです。空気もそうです。空気が無かったら生きていけないでしょう?そのように考えたら、この世界は自分自身です。この世界が自分自身であるならば、自分はそこで何をするのかと言うと、生きて、この世界をひとつにするためのお返しをするのです。この世界が健全になるために。

今日は6人の方々の散骨をさせて頂きました。いずれ私たちが旅立つ時も、やはりひとつのところへ還るでしょう。私たちがこのような散骨式を行うのは、世界はひとつであり、みんなが助け合ってこの世界が成り立っていることを、理解しているからです。

今、人間たちはそのことを忘れてしまいました。自分の自我を表現し過ぎて、自我を叶えることが良いことだと錯覚してしまっているのです。しかし、生きることは、自我を手放すために生きているのです。それは、今までも、今も、そしてこれからも、ずっとそうです。自我を手放した状態で生きることは、世界に貢献します。そこで、「自分」という狭い枠に貢献しても、欲深い心が育つだけなのです。

そこで今朝、今年のテーマが降りてきました。それは「解放」です。何から解放されるのかと言うと、一番かわいくて、一番捨てられずに大事にしている「自分」からです。それから解放することが、自分を楽にさせます。そして、価値あるものにします。その自分は、欲深い心で争ってばかりいるこの世の中を良いものにしていきます。

地球はひとつです。ひとつの地球の中で、なぜいがみ合わなければならないのですか。みんな太陽の子どもですよ。みんな大地の子どもですよ。それなのに、どうして争うのですか。人間は今、自然の循環の中の弱肉強食とは違う、互いを貶め、つながりを断ち切ることで、自らの価値を落としているのです。

たったこれだけの規模の散骨式ですが、それは人類にとってとても大きな意味を持っています。特定の墓や骨壺に閉じ込めず、亡くなった人を解放してあげることが、魂にとってどれほど大切なことか。私たちはもっと大きな循環の中にいずれ還っていくのだということを、認識してください。

私たちは一人ひとり個性を与えられていますが、それを自我の枠の中で自分のためだけに使ってはいけません。この世界に命をもらったということは、生きて、この世界を健全にする役割をもらったということです。そしていつか役割を終えたら、「ありがとうございました」と言って、物理的なものはすべてお還しする。そうすると地上に未練がなくなりますから、魂は軽くなって上へ昇っていきます。いろんなものを抱え、未練を残せば残すほど、魂は重くなってなかなか上へ上がれないのです。これが生命の道理です。

来年もまた、こういった散骨式でご縁のある方々を送ることになるかと思いますが、この活動を世の中に広げていくことが、世の中を良くすることにつながっていくのです。

今日はとても良い日で、太陽がこのように暖かい陽を注いでくれているのも、「これをやりなさい」と恵まれたのだと思います。どうか、そういった大切な輪を広げていきましょう。本日は、ご縁のあった皆さまと散骨式を無事に執り行えたことを本当に感謝いたします。

ありがとうございました。


2023年1月26日木曜日

2953「天に帰ろうとしている方へ」2023.1.26

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月21日の記事を紹介します。


「天に帰ろうとしている方へ」


今まさに天に帰られようとしていらっしゃる方々にも、 

普段このブログで言っている、「感謝」や「ありがとう」が通用するのか?  

綺麗事では無いのか? について書きたいと思います。


アメリカの著名な心理学者、

レイモンド・ムーディー博士が臨死体験者150人の証言をもとに、 

「臨死状態に陥るとどんな感覚になるのか」をまとめあげたものがあります。 

それによると、蘇生にいたるまで計14の過程があると言います。

私達は過去、何百回も死を経験し生まれ変わっていますが、

今生きている間は、それらの記憶が封印されていますから、 

あちらでの生活や、その移行過程(生まれる、死ぬ)の記憶はありません。

ですので、この臨死体験者の経験が何か役立つかもしれません。

臨死体験者は、臨死状態から生還にいたるまでまで次の14の過程を踏むのだと言います。

1、自分の死の宣告が聞こえる

2、これまで経験したことがないような穏やかで愉快な感覚に包まれる

3、不思議な声が聞こえる。中には美しいメロディーという人も

4、突然暗いトンネルの中に引っ張られる

5、魂が肉体から離脱し、外部から自分の身体を観察する

6、懸命に自らの苦境を他人に訴えるが、誰にも聞こえない

7、時間の感覚がなくなる

8、視覚や聴覚が非常に敏感になる

9、強烈な孤独感に襲われる

10、周囲に様々な“人”が現れる

11、「光の存在」と出会う

12、自分の一生が走馬灯のように映し出される

13、先に進むことを遮られる

14、蘇生する

臨死ではなく、実際に向こうから戻らない場合には、上記の13と14が無いことになります。

 

また肉体が死を迎える時、脳から大量のドーパミン(快感物質)が

分泌されることが解っていますので、痛みはありません。

これから、元の世界に戻ろうとされる方は、

意識の中で光が見えたら、そちらの方向へ進んで下さい。

瞬間的に亡くなるのではなく、 

一般的には、肺の機能が低下し、血中酸素濃度が減り、

脳の機能停止が起こると言われています。

ですので、私達一般人が「死ぬ時って痛いんじゃない?」という心配は要りません。

肉体が機能停止した時、光が現れるので、そちらに入って行く・・ 

と言う事さえ間違わなければ大丈夫らしいです。

どうか元の世界に、帰られる皆さん、安心して下さい。

遅い早いの違いはあれ、みんなが通る道です。

また私達は、もうすでに、何百回も輪廻を繰り返していますので、生と死は怖いものではありません。

さて、これで死と言う境界を通過する際の心配は無くなりました。

 

後は、死ぬ瞬間まで どう生きるか?  

と言う事が問題となります。

瀬戸内寂聴さんは、死ぬ瞬間に付いてこう仰っています。

どんな辛い病気をしても、死ぬ瞬間まで、努力して下さい。

人の命は、そうするに値するものなのですから。

何に努力するのでしょうか?  

寂聴さんは、私達の知っている「努力」と少し違った意味でこの言葉を使っています。

それは、この世に生まれてくる時に自分で決心したことを、やり遂げることです。

それは、もしかしたら、ブッダが2500年前に説いた般若心経の真髄のことかもしれませんね。

 

この般若心経はブッダが一番後世に伝えたかったことなのだそうです。 

日本には三蔵法師を介してもたらされました。

そしてこの般若心経の真髄こそが、

日々の生活の中での「ありがとう」、「感謝の心」なのでした。

・全ての人、

・動物、

・植物、

・自然現象に

感謝すること、ありがとうと言うこと。

そして感謝の真心を込めて日々を過ごすこと。。

 

私たちには、元の世界に帰るまで、時間はあまり残されていないかもしれません。

健康な人でさえ、明日、帰らなくてはならないかもしれません。

どうか後悔せぬように、最後の一息を吐き終わるまで、感謝の日々をお過ごしください。

この最後の意識状態こそが、次の生へと大きく影響すると言われているからです。

 


 

2023年1月25日水曜日

2952「優しさは真実(正義)に勝る」2023.1.25

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月20日の記事を紹介します。


「優しさは真実(正義)に勝る」


私たち人間は弱いものです。

・正しくありたい

・優しくしたい

・笑顔でいたい

・人の役に立ちたい

そう願っていても、何時も弱い心が頭をもたげます。 

また逆に、 

・自分は正しい

・自分の言う通りに動け・・ 

と、無意識のうちにマウンティングしてしまい、自分勝手な正義感を振り回し、 

・人を批判し

・糾弾し

・追い詰め 

または、感情を外には出さなくとも、心モヤモヤしたり。 

そして、

・自分勝手な価値観に沿って、家族を含め、他人を動かそうとします。 

そして、人がそれに従わないと 

・猛烈に批判を浴びせ

・憎み

・足を引っ張り

・仕返しをしようとします

または第三者に告げ口し、自分は正しい、相手は間違っているという

お墨付きを得て、モヤモヤを解消させようとしたりします。 


また、心弱い私たちは、 

何が正しいか、分ってはいても,なかなか一歩踏み出せないでいます。

生きている間は、ずっとその葛藤かもしれません。

でも諦めないでください。

みんながそうなんです。 

そこが出発点なんです。

ブッダがこう仰いました。

・嘘をつけないような人になっては いけない

・優しさは真実に勝る

ブッダの仰りたかったことは、 

相手を思いやる優しさや、調和の為の嘘は、

真実(正義)よりも尊い・・ と言う事を仰ったのでした。 

また、こうも仰りました。

捨戒の法

ブッダが仰るには、仏教徒が戒律を破るとき、 

いま仏教を捨てます、と天に向かって言います。

そして、酒を飲んだり、戒律を破る。

その後、また仏門に帰依します、と言って戻れば、それで良いのだよ。

ブッダは人間の弱さを知っていました。

そして温かい目で人間を見ていました。

過ちを見て、人を切り捨てるようなことはなさいませんでした。

人を追い詰めることはなさいませんでした。

ブッダは戒律重視ではなく、優しさ(慈悲)を教えていたからです。

  

次に良寛さんのエピソードをご紹介します。 

良寛さんの甥に、馬之助という放蕩息子がいました。

良寛の弟の由之は息子の放蕩に困り果てて、兄の良寛さんに説教を依頼します。

良寛さんは故郷の由之の家に出向き、馬之助の前に座らせられましたが、

酒を飲んでばかりで、いつまでたっても説教しませんでした。

 

とうとう三日目の朝「わしはもう帰る」と言って良寛さんは家を出ようとしました。

そのとき馬之助の母は馬之助に、

良寛の草鞋の紐を結んであげるように言いつけました。

馬之助は言われるまま草鞋の紐を結び始めますが、それでも良寛さんは黙ったまま。

と、そのとき馬之助は、自分の首に何かが、落ちてくるのを感じました。

見上げると、そこには目に一杯涙をためた良寛さんの顔がありました。

それをきっかけに、たったこれだけの出来事をきっかけに 

馬之助の放蕩は、すっかりやんだということです。

良寛さんは、馬之助の心の

・苦しさや

・悲しさや

・それを放蕩で紛らわさずをえない苛立ち

をただじっと見ていました。

煩悩だと知りつつも、煩悩に引きずり回されるのが

私たち心弱い人間です。

人間の悲しさ、苦しみは、いつでもそこから生まれてきます。

悲しみを持った人に、自分勝手な価値観を押し付けたり、くどくどと説教したり、

良寛さんは、そのような事はしませんでした。

ただ馬之助とともに、じっと悲しみ続けるだけでした。

馬之助の父親の由之や母親は、息子の表面的な損得や、世間体から心配したかもしれません。

ですが、馬之助の心と、じっと一緒にいてあげたのは、良寛さんでした。

 

人は弱いものです。

いくら正しい道を示されても、

「こうであるべきだ」と正論を教えていただいても、なかなかそう簡単に行きません。

でも本当はそうしたいのです。心では分かっていますから。

そして、それが自分には簡単にはできないとわかると、 

結局あきらめてしまい、また元の苦難の日々に埋もれてしまいます。

正しい道を示されても何の役にも立ちません。 

ですが、良寛さんのように 

心を理解し、心に寄り添い、

「今のままでも、良いんだよ」と、見守ってくださる人がそばに居れば、 

私たちは徐々に、光の方向に進んでいけるかもしれません。 

心弱い私たちは、煩悩で、あちこち頭をぶつけながら、人に迷惑かけながら、お世話になりながら、だんだんと、あちこち角が取れて、おかげ様の心が芽生えてくるでしょう。 

そして、

・おかげ様

・お互い様 

の感謝の心が芽生えた時、

その辛く、苦しい経験をしたがゆえに、 

同じような苦しみ、悲しみの中にある人の

心の内を理解して、良寛さんのように寄り添えるのかもしれませんね。

 

2023年1月24日火曜日

2951「苦しい時こそ予祝」2023.1.24

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月19日の記事を紹介します。


「苦しい時こそ予祝」


今私たちが置かれている状況は、全ての全て、過去の私たちの心の状態が生み出したものです。 

ですので普段から、まわりやTVなどから接する情報も、できるだけ 

・清らかなもの

・優しく温かなもの

・思いやりのあるもの

・人に勇気を出させるもの

などにして、好奇心をくすぐる目的で、下品な物や面白おかしくデフォルメされた・・・ 

・ゴシップ

・人をだましたり

・嫉妬したり

・恨んだり

・貶めたり

・陰口を言ったり聞いたり 

そのような物を見たり聞いたりして、心に入れないようにしたいものです。 


何故なら、心に在るものが、何時か現実化されるからです。 

無意識に心に入れたものが、現実化してしまう可能性が高いからです。 

もし今の現実を変えたいならば、幸せになりたいのなら、心癒される環境に身を置きたいのなら、人や周りを変えようとするのではなく、自分の心をきれいに洗濯をしてみることをお勧めします。 

そのためには、感謝の気持ちが大切です。 

思ったこと、心の中のことが現実化するとは、私たちが神さまと同じように作られたからです。 

神々と同じ、創造する力を私たちは与えられているからです。 

さて、ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』で有名な故渡辺和子さんは、 

36歳の若さでノートルダム清心女子大学の学長となりましたが、若さゆえに沢山の苦労をなさいました。

<引用開始> 引用元 

 

思いがけず学長という立場につけていただきまして、やはり苦労がございました。

私はいわゆる「くれない族」というものになりました。

・お辞儀をしてくれない。

・あいさつをしてくれない。

・こんなに苦労しているのに労ってくれない。

そういう「くれない族」。

私は「もっと人様に仕える仕事をさせていただくために入ったのに」

と私を修道院に推薦してくださったアメリカ人の神父様のところにまいりまして、

縷々(るる)不平不満を述べました。

すると神父様は、「あなたが変わらなければ、どこへ行っても何をしても同じだよ」

とおっしゃいました。

目からうろこが落ちました。

他人が変わることばかり求め、幸せを他人まかせにしていた自分に気づかされました。

私が変わらなければと思い、私の方からあいさつをする人間に変わる決心をいたしました。

そうすると、周りの方が変わってくださったんですね。

明るくなりました。

それまでは、環境さえ変われば、みんなさえ私を理解してくれれば、と思っていました。

神父様の一言で、大切なのは人に頼ることじゃないんだ、と気づきました。

「環境が悪い」「人が悪い」ではなくて、悪い環境ならよくしよう。

よくするためにはまず私が一番先に変わらなければいけない。

発想の転換と申しましょうか、

そういう気持ちになりました。

私は傷つきやすいところがございますけれども、そのおかげで、人様にこういうことをしたら、この言葉を申し上げたら傷つくんじゃないかということがわかる人間になったと思います。

弱さ、傷つきやすさを逆手にとって、相手の気持ちがわかる人間になる。

だから傷つくことのありがたさを忘れてはいけないのです。

時間の使い方は命の使い方。

この世の中に無駄なものは一つもございません。

嫌なことや傷つけられたことさえも私たちは、いいことに変えられるのです。

<引用終了>

 

渡辺さんは学長として、働き盛りだった五十歳の時、うつ病となり、死を考えた経験があるのだそうです。

そして、周りの方々、取り巻く神々に助けられ、克服しました。

渡辺さんの醸し出す、静謐の中の深い優しさは、そんなところから来ているのかもしれません。

ご自分で苦しみを味わったからこそ、同じように苦しむ人々の心の内が分かり、そして、寄りそい、温かな言葉をかけられるのでしょう。

そう考えたら、ご本人の仰るように、病気さえも無駄ではなかったことになります

返って神々の恩寵となったのです。

神様のやり方は、何時も同じです。

神様は私たちの「願ったもの」ではなく、幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。

それは必ずしも私たちが欲しくないものかもしれません。

でも、全てが肉体ではなく、魂の成長にとって必要なものなのだと、感謝して謙虚に受け入れることができれば、人の魂は、どんなに光り輝くことでしょう。

周りの人たちの心を照らし出すことができるでしょう。

お腹が空いた時のひもじさが分かるから、素朴な美味しさを感じることができます。

私たち生きている人間は物事の表面しか見ることができません。

その、ほんの一面だけを見て

・良い、悪い

・幸、不幸。

を判断することはできません。

 

有頂天になったり、落ち込むことには意味がありません。

どんな人も、必ず、時が経って振り返れば、究極的には、肉体が亡くなって天に返る時には、

今の状況に至るためにはその出来事が必要なことであった、そう気付くことでしょう。

神さまは、幸運を与える前に、必ず、まず、不幸に見える出来事をくださいます。

そして、その出来事に、不平や不満、愚痴を言わず、やり過ごすことができた時、

幸運がやってきます。

それは、必ずセットになっています。

更に、神さまのなさり方が理解できたのなら、きっと前半部分の不幸に見える出来事がやって来た時、感謝の気持ちで受け取ることができるでしょう。

また、もっと確実にする方法があります。

それは日本人が古来からやってきた方法、予祝(よしゅく)です。

 

祝福をあらかじめ予定するのです。

いわば前祝い。

先に喜び、先に祝うことで、次に来るであろう、喜びの現実を引き寄せる

これは、日本人が古来からやっていた夢の叶え方だそうです。

お酒を飲みながら、お米がたわわに実ることを想像し、仲間とワイワイ先に喜んでしまう、前祝い。

それが夢の引き寄せであり、お花見の由来だったのだそうです。 

何故なら心がワクワク楽しいことで満たされていたら、例え今は不幸でも、 必ずそれと同じ波長のことが現実化されるからです。

どのような現実が、起ころうと、私たちの運命は、全て結果オーライになるように組まれています。

そうであれば、常に感謝の気持ち笑顔で生きて行きたいものですね。