2026年2月16日月曜日

4170「愛語」2026.2.16

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月01日の記事を紹介します。


「愛語」


見える世界、見えない世界を含め 

世界のありさまを決めるのは、私たちの心です。 

今日は、その心を美しくするために

簡単にできる、「愛語」について書きたいと思います。

きっと、この愛語の精神でいる限り

宇宙からのサポートがふんだんに降り注ぎ、

私たちの所属する銀河が、今通過している大きな潮流に乗り、 

ご自分も、そしてご家族も幸せになれることでしょう。

<転載開始> 転載元 小林正観さんの記事より

「愛語(あいご)」という言葉は、

良寛和尚が好んで使っていたと言われています。 

良寛和尚の「愛語の心」とは、こういうものだと聞きました。 

「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。 

だからせめて、心をあたたかくするような、

心を安らげるような『言葉』をあげたい。 

それならいくらでもあげることができるから」

良寛さんは、自分の口から出てくる言葉を 

・あたたかい言葉

・やさしい言葉

・思いやりに満ちた言葉

にしたいと思っていたようです。 

日本の神道には「言霊(ことだま)」という概念があります。

「言葉には神が宿っている」という考え方ですが、 

私たちは、普段、使っている言葉のひとつ一つに、

相手に大きな影響を与える力(神)が

宿っていることを、忘れていたのかもしれません。 

京都に、空也上人(くうやしょうにん)の木像があります。 

木像の口から細い板が出ていて、その上に、小さな仏様が何人も立っています。 

説明によると、

「空也上人の口から発せられるひと言ひと言が、

すべての人を救いに導く『仏』であった」というのです。 

私はこれまで、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言うことは、

「悪臭を放つ花の種を蒔(ま)くこと」と同じだと考えていいましたが、 

一歩進んで、自分の口から発せられる言葉をすべて、 

・あたたかいもの

・勇気づけるもの

・安らげるもの

・幸せを感じさせるもの

・喜びを与えるもの 

にできたらと思います。 

そうすれば、「芳香(ほうこう)を放つ花の種を蒔く」ことにもなるでしょう。 

「悪臭」の中で生きるか、それとも「芳香」の中で生きるか… 

芳香の中で生きるほうが、楽しそうです。 

「言葉には『神』が宿っている」という考えは、 

「言葉には『気』が込められている」という考えでもあります。 

だとすれば、人の心を明るくする気を込めたいものです。 

人に対して「愛語」を考えるだけでも、生活が変わってくるような気がします。 

<転載終了>

自分の口から出る言葉に少し気をつけて、

良寛さんのように、

・あたたかい言葉

・やさしい言葉

・思いやりに満ちた言葉 

を口にしたいものですね。

そうすると、その発せられた言葉は、神さまの波動を帯びていますから、 

必ず相手のハートの中の神さまも共鳴します。 

その結果、お互いの間に、目に見えない良き共鳴現象が起き、 

美しいハーモニーを奏で、幸せになることができます。

私たちは、自分の心の中に在るものを、自分を取り巻く外の世界に見ます。 

また、自分の心の中のものが、口から出ます。

ですから、自分の心に取り込むもの(見たり、聞いたりするもの)も 

・美しい心の表現

・信じる心の表現

・優しい心の表現

・思いやり、助けいあいの心の表現

を見て、そして聞きたいものですね。 

そうすれば、同じもので、私たちの心は満たされます。 

逆に、興味本位で(面白いからと) 

・人をけなすもの、おとしいれるもの

・人を疑う、疑心暗鬼のもの

・人を差別するもの、排除するもの

・怒りと憎しみに満ちたもの

からは遠ざかり、心に入れないようにしたいものです。

それらのことを、もし面白いと感じたのなら、静かに心を振り返ってみてください。 

そこに邪悪なものは潜んでいないでしょうか? 

そうすれば私たちの心のバケツは、美しいもので満たされることでしょう。 

美しいもので満たされた心は、それを表現しようとし、

周りを幸せにすることでしょう。 

そしてご自分自身も、世の中に美しい心の世界しか、見なくなることでしょう。 

空海の言った「生きながら天国に住む」とはこのことです。 

幸せは、神様がくれるものでも、

何処かの誰かがくれるものでもありません。 

自分の心が決めるものです。


2026年2月15日日曜日

4169「宇宙からの助け」2026.2.15

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月30日の記事を紹介します。


「宇宙からの助け」


時代が変わろうとしている今、 

夜明け前の漆黒の暗闇の中、

世の中のあちこちで、重苦しい空気が張り詰めています。

・緊張の糸が張り詰めた時

・エネルギーが限界を超えて集まった時、 

必ずそれは爆発することによって

緊張が解かれ、 

次のステージが始まります。  

マスコミや国、その他見えざる権力者による

(恐怖をあおる)情報操作もあるかもしれませんが、 

風評、噂、恐怖感からとはいえ、現実に客足が減り 

経済が回らず、倒産、強制解雇など、

悲惨な境遇に置かれていらっしゃる方もおります。 

こんな時、何にすがったら良いのか?

・不思議な能力を持っていると、自ら吹聴する どこかの他人か?

・国や権力か?

・神仏か? 

何かに頼りたい気持ちは、人間なら誰しもあります。 

ですが、こんな状況の中でも、

宇宙の法則は、きっちりと正確に働いています。

それは、

(自分が)

与えたものが、受け取るもの

という法則です。

投げかけたものが返ってくる

投げかけないものは返ってこない。

・愛すれば 愛される。

・愛さなければ 愛されない。


・嫌えば 嫌われる。

・嫌わなければ 嫌われない。


・裁くものは裁かれる

・裁かないものは 裁かれない。


・意地悪をすれば、意地悪をされ


・蔑(さげす)めば、蔑まされ

・罵(ののし)れば、ののしられ


・強い言葉を吐き出せば、強い言葉を返される

 

・許すものは 許される。

・許さないものは 許されない。


・施せば 施される


・優しくすれば 優しくされる

・笑顔を向ければ、笑顔が帰る


・助ければ、助けられる

・励ませば、励まされる


・勇気を与えれば、勇気づけられる

・感謝すれば、感謝される

 

ですから、もし普段から

・人を愛し

・人を許し

・人に施し

・人に優しくし

・人に笑顔を向け

・人を助け

・人を励まし

・人に勇気を与え

・人に感謝していれば

宇宙の法則が正確に働き、 

自分が

・困っているとき

・絶望の淵にある時

・失業してしまった時

・病気になった時

・一人ぼっちになってしまった時 

何らかの助けが巡ってくることでしょう。 

それは、本当に不思議なめぐりあわせで起こります。 

想いもよらない方法で訪れます。 

ですがそれは、決して偶然ではなく、

棚からぼた餅でもなく 

自分がしてきたことが、宇宙を巡り巡って

自分にとって、最適な時に帰ってきただけです。 

そしてそれは必ず人が運んできます。 

思いもよらぬ人から助けが入ります。

それは神々だけが知る、有機的な人間のネットワークを介して

神々が、ほんのちょっと、関係する人たちの心に、

一瞬のヒラメキのような働きかけを与えることによって動き出します。 

関係する人々は、それが神々から来たことには気づきません。 

意識することもありません。 

何故自分がそのように動いているのかさえ、考えません。

ですが結果として、それらがうまくネットワークとして結合して繋がり 

私たちのもとに「与えたものが受け取るもの」という果報を運んできます。 

ですから、私たちは普段から、 

・人に優しく接していれば・・・

・その人、一人一人の心を大切にしていれば、 

必ず、どんな状況からも助け出されることでしょう。

どうぞ安心し、普段から笑顔でお過ごしください。

それが神々が作ってくださった宇宙の法則なのですから。


2026年2月14日土曜日

4168「恵を頂く方法」2026.2.14

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月29日の記事を紹介します。


「恵を頂く方法」


不幸の後には、必ず幸運が訪れる・・ 

これは、宇宙がバランスを取ろうとするからです。 

また美輪 明宏(みわ あきひろ)さんなどは、

このことを「正負の法則」などと呼んだりしていられます。  

ですが、このことをなかなか実感できない方も大勢居られるようです。

今日は、神々の仕組みの面から

日本の形成外科医の草分け的なお医者様であり、また有名な春日大社の元宮司、葉室頼昭さんの「神道のこころ」という本から、それがどうして起こるのか、ご紹介します。

この内容以前も書きましたので、既にお読みになった方は、スルーされてください。  

神さまから恵みを頂くための、神道的なアプローチです。

<引用開始> 引用元

神のお恵みはみんな平等にいただいている。

でも、ある人は不幸になり、ある人は幸せになる。

なぜか、感謝ですよ。

神の波動は、感謝しなければ、お恵みとなって出てこないんです。

だから宇宙の仕組みが科学でわかったら、宗教がわかると説明している。

お陽さまは、明るくて暖かいとみんな思っているでしょ、これが間違いです。 

太陽の光は、暖かくもなければ、明るくもない。

それが証拠に太陽がここにあって、地球があって、

太陽の光が地球まできているわけでしょう。

太陽の光が明るくて暖かいんだったら、

太陽と地球の間の宇宙空間は明るくて暖かいはずです。

ところが、ここは真っ暗で、冷たい。 

なぜかということです。

地球の周りに空気があるからです。

空気で反射すると、光と熱が出てくる。

反射しなければ、光も熱も出てこない。

空気がなかったら、明るくも何ともない、

これと感謝は同じことですよと言っているんです。

反射したら、光と熱が出るということがわかったら、 

感謝したら神のお恵みが出てくる、ということがわかるわけでしょう。

これは本当のことだから、だから人間も感謝しなさいと言うことです。

そうしたら神からいただいている、エネルギーが出てきますよ。

<引用終了>

神さまの光は、みんなに平等に降り注いでいるけれど、

幸、不幸の違いが出てくるのは、「感謝の心」を持っているか、どうか、

の違いなのだそうです。

そして感謝に関しては、こうも仰っています。

<引用開始> 引用元

感謝もいまは間違っています。 

神さまにお願いして、お恵みがいただけたら感謝する。

これは感謝とは違う。

これは取引です。 

これだけお賽銭をあげるから、その代わり神さま、 

子どもを入学させてくださいという取引ですね。 

入学したらありがとうございますという。

これは感謝でもなんでもないんですね。

感謝には理屈はいらない。 

神さま、ありがとうございますといって、神さまと波長を合わせたら、

子どもが入学するということなんです。

入学したから感謝するのではないんです。 

感謝したら、入学するということなんです。 

世の中は逆さ、をやっているんですね。

太陽の光は空気によって反射して、初めて光と熱が出るわけでしょう。

反射しなかったら光も熱も出ない。

感謝しなかったら、全然神さまは、出てこられないんです。

だから反射と感謝とは、同じだと言っているんです。

入学させてもらったら、感謝しようかと。

そんなふうに宇宙の仕組みはなっていない。 

反射しなければ出ないんですよ。 

感謝しなければ出ない。

だから感謝しなさいと。

そうすると何に感謝するんですか、と言う人がいるんですね。 

何にと言うときには、もう感謝ではない。 

それは取引です。

理屈なしに、ありがとうございますと、言えたときが本当の感謝です。

そうすると神のお恵みが現れてくる。 

これが本当のことです。

だからよく健康に感謝する。 

健康でありがとうございました。

それは結構なんですよ。 

でも、そういう人に限って、病気になったら感謝しない。

たとえばお祈りで自分の病気を、神さま、治してくださいと。

ところがお祈りしても、さっぱりよくなりませんという人がいます。

それは治らないですよ。 

私を健康にしてくださいということは、私は病気ですと、言っているようなものです。

自分は病気だから、健康にしてくださいと言うわけでしょう。

神さまに、私は病気ですと言っているんだから、

そうかと、そのとおりに病気になってしまう。

だからどんなに病気でも、健康でありがとうございますと、言いなさいというんです。

そうしたら健康が来る。

病気を治してくださいということは、私は病気ですと

神さまに訴えていることですからね。

<引用終了>

葉室頼昭さんは、死の淵に会った時に、生き方を変えるような、

神さまによる、不思議な経験がありました。

それは、浪人時代の過酷な受験勉強がたたり、肺結核になった時のことです。

ある日、大量の喀血をし担当の医師から死の宣告を受け、

両親の待つ東京に帰ることになりました。

まだ寝台車というものがなく、席を四つとってそこに戸板を敷き、

寝かされて東京まで帰りました。 

「僕はそのとき、すべての我欲というものが消えていたんです。

医者になりたいだとか、生きたいという思いもまったくありませんでした」

そのとき、ある人が退屈しのぎにと、一冊の本を葉室さんに手渡しました。

この本が葉室さんに、神秘体験をもたらすキッカケとなりました。

「そこには『人は生かされて生きている』ということが

えんえんと書いてあったんです」 

死を目の前にして無我になっていた葉室さんは、

その本を読んで、感激のあまり泣いて泣いて涙が止まらなかったそうです。

そうして汽車の中でずっと泣き続け、東京駅に着いたときには、

立ち上がる体力もまったくないはずなのに、ホームに一人で立ち上がっていました。

その後十日間ほど、その本の中に紹介してあった本を全部購入し、

無我夢中で読んみました。

すると不思議なことに、葉室さんの体力がみるみる回復し、

奇跡のように重度の結核が、全て消えうせてしまったのだそうです。

「そのとき僕は神を見たというか、神の存在を身をもって感じたんです」 

死ぬとばかり思っていたところを、神さまに救われた葉室さんは医学部にもどり、

何か人様のお役に立ちたいと思ったのだそうです。

当時は結核で亡くなる方が沢山いました。

結核にかかると隔離されたり、サナトリウムと言うところに入れられました。

美智子皇后さまの親友だった、ハンセン病医師の神谷美恵子さんも、

結核で隔離されている時に、神さまの光体験を授かっています。

神さまに対する真摯な心、そして感謝の真心。

葉室さんは、死の淵でそれに気付き、泣いて泣いて涙が止まらなかったそうです。

本当に心の底から生かされている命に、「感謝の心」が芽生えたのですね。

これができた時、私たちは神さまの恵みを、ふんだんに受けて、幸せになれるのですね。

そして健康で幸せな時だけでなく、病気であったり、不幸に見える環境の中でさえも、

「感謝」の心を忘れないようにしたいものです。

私たちは一人で生きているのではなく、

様々な人や物、神々の「お陰」で生かされていると気付き、感謝できた時、

その時こそ、神さまの奇跡が訪れるのかもしれません。

いつも、どんな時も、嬉しい時も、悲しい時も、辛い時も、ありがとうの気持ち、

を忘れないようにしたいものですね。 

自分の置かれた環境に対して、不平・不満・愚痴・悪口ばかりを言い、

心がひねくれ、ささくれだっていては、せっかく、これから良きことが、

宇宙の法則の通り、起ころうとしても、それは、決して起こらないでしょう。 

自分自身の心が、無意識のうちに拒絶しているからです。


2026年2月13日金曜日

4167「青空ひろば」2026.2.13

 今回は立花大敬さんのから大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


1647 2026.01.07

<この一歩が世界を変える(道元禅師「現成公案」より)>

(公案)

麻浴山宝徹禅師が扇で涼をとっていた。

そこに僧が来て質問した。「風性常住、無処不周(風性はいつでも存在し<永遠・無限>であり、何処にでも存在する<偏在する>)ではないですか。なのになぜ和尚は扇なんかでチマチマした風(有限の道具で有限の風)を取り出そうとしておられるのですか」

 師はおっしゃった「君は風性常住(永遠・無限)に気づいたとはいえ、まだ無処不周(偏在、何処にでも存在する)の悟りは得ていないんだよ」

 僧は質問した。「では、無処不周とはどんなものなのでしょうか?」

 師はただ扇を使うのみであった。

  僧は礼拝した(無処不周(何処にでも存在する)の悟りを得た)。

(道元禅師の結論(現代語訳))

仏法(人生の歩み)の正しいあり方というのは、以上の公案でハッキリ示されている。

風性は永遠・無限であり、偏在するものだから扇なんかを使う必要はないんだ。使わなくてもちゃんと風は存在しているんだから、などというのは、まだ永遠・無限・偏在が本当に分かっていないのだ。

風性は永遠・無限・偏在だからこそ、今・ココの我が一動一作で、「仏家の風」を取り出して、我を扇ぎ、人を扇ぎ、世界万物を扇いで涼をとらせることが出来るのだ。

では、我々は「仏家の風」(菩薩の風)を今・ココに招きだして何を目指しているのであろうか。

それは、その扇ぎによって豊かな大地を育み、黄金の実りを現成させ、万民の腹を満たし、心を安らげ、憩わせることを目指すのだ。

また、長河の水を扇いで、その水を蘇酪(美味で滋養がある乳製品、お釈迦様にスジャータが捧げたのも蘇酪)に変じ、万民に分かち与えて、彼らを養い、育て、さらに元気よく前進進化を続けるようにと促し、導くことを目指しているのだ。


1646 2026.01.06

<人生は表現の場(道元禅師「現成公案」より)>

(鳥魚のたとえ(現代語訳))

鳥(個生命)が空(永遠・無限)を行く。空はどこまでも広がっていてココまでという仕切りはない。鳥がどれだけ進んだとしても、その進みは有限のものにすぎず、<無限・永遠>である空と比べれば、その進みは無に等しい。

だからといって、何をしてもムダだと鳥は進むことを止めたりしない。

小さい鳥は小さいなりに、大きい鳥は大きいなりに、自分の力量を精一杯を使って、必要な分量の空を使いこなしてゆく。

鳥は、次々やってくる今・ココでやるべき課題にイノチの全部を使って取り組んで飛んでゆく。そうすると、その一瞬、一瞬、その場、その場における鳥の有限なもの、小さなものにすぎない一動一作に<無限が宿り、永遠が映る>ようになるのだ。

この時、鳥や魚は、空という<無限・永遠>を我がイノチとして、今・ココに見事に表現出来ているのだ。

また、鳥という制限と制約をたくさん抱えこんだ個生命に、イノチの重心をしっかり据えて行動して、その個性を最大限に発揮して生きることが出来ているのだ。

また、空という<無限・永遠のもの>が、飛んでいる鳥の姿にスッポリ全量おさまって行動出来ているのだ。

だからこそ、飛ぶ鳥の姿は絶妙に美しいし、その一瞬の輝きは宇宙全体に届き、過去・現在・未来の全時間に光を放っているのだ。

そんな素晴らしい生き方(無限・永遠を今・ココに表現して生きる)が出来るのに、<無限・永遠>をまず悟らねば意味が無い。だから、まず<無限・永遠>である空の本質を悟ってから飛び立とうとしている鳥がいたとしたら、それは何と滑稽なことであろう。

そんな態度の鳥は、自分のイノチの落ち着き場所も、自分のイノチの進むべき方向もいつまでたっても知ることができないだろう。

そうではなくて、まず君の直面している<今・ココの課題>から顔を背けたり、拒否して逃げ出したりしないで、そこにドンと腰を据えて、その時、その場で全力で取り組んでゆくのだ。

そうすれば、そのソコに必ず<無限と永遠>が宿り、ココこそが私の落ち着き処だったんだと気が付くだろう。また、君という個性が生かされる最適の方向に、自ずと導かれて進んでゆくことが出来るようになるであろう。

その時、その処に、このようにして<無限と永遠>が盛り込まれるようになれば、その時、その処は相対比較を超えた絶対であり、現れだした表現に大小、軽重、上下、尊卑などの差はどこにもありはしないのだ。

その鳥の喩えのように、人が人生を歩むという場合の心構えとしては、得一法(とくいっぽう)、通一法(つういっぽう)だ。遇一行(ぐういちぎょう)、修一行(しゅういちぎょう)だ。つまり、やってきた今・ココの課題に全力で取り組んでゆくのだ。

「どんな課題が今・ココにやって来ても、不平を言わず、不満を持たず、顔を背けず、逃げ出さず、そのソコにイノチの重心をしっかり据えて生きる生き方ができれば、その<今・ココ・この身>に<無限と永遠>をしっかり宿して生きてゆけるのだよとおっしゃいますが、そう努めているつもりですが、私には本当にそうであるという自覚がサッパリないのですが」と問う者もいるであろう。

それはなぜかというと、君の有限のアタマでは、<無限のもの・永遠のもの>は決して捉えることは出来ないからなんだ。

自分が獲得したもの、表現出来たものすべてを、君のアタマがことごとく把握出来る、自覚出来るなどと思ってはならない。

今・ココにイノチの重心をしっかり据えて行動できれば、そこに<無限・永遠>が宿るのであるが、それは君のアタマに全貌が知られるということはない。君にとってそれは永遠に疑問符のままなのであるのだが、不思議なことには、君のイノチ全体によって、<無限と永遠>が見事に、その場、その時に盛り込まれて表現してゆかれつつある、世界にとって、他の存在にとって、君にとって、最善最適のワザが実現しつつあるのだ


1645 2026.01.05

変化を怖れてはならない。変化しなければじり貧になってゆくだけである。

イノチの可能性を広げるために、より高く成長するために、最終的には、すべての生きとし生けるものと融合一体化するために生まれてきたということを忘れないように。

目先の不利益に動揺せず、目標を高く掲げて、喜びを持って、勇気を出して歩み出せ。

 

1644 2026.01.04

<禅の公案 無門関第4則「胡子無鬚(こすむしゅ)」>

(本文)

或庵(わくあん)禅師が弟子たちに問題を出された。「達磨大師にはどうして鬚(ひげ)がないのか?」

(大敬のコメント)どうして鬚がないのかと聞かれると、ますます鬚を意識してしまって、鬚を存続させてしまう→そういう「引っかけ問題」を或庵禅師は弟子たちに提出している。「百丈野狐の公案」と同じ、「青い象のことは考えないで」、「ハート出るな」も同じ

(否定形を含んだコトバはイメージがしにくいので逆効果になることが多いので注意!)→じゃあ、どうしたら鬚がない達磨さんに会える?

(詩1)

達磨さんに鬚なんてない/地位も名誉も投げうって/歳も忘れて、体も忘れ/単身インドを飛び出した

そんな達磨さんに、鬚なんてあろうか/命なんてあろうか/計算なんてあろうか/失敗や成功なんて気にかけようか

どんな衣装もかなぐり捨てて/ハダカになって躍り出た/そんな達磨さんこそ輝いている

手もない、足もない、鬚もない/そんな裸の達磨さんこそがキラキラ輝く

(詩2)

達磨さんに卑下(ひげ)なんてありはしない/すっ転んでも、倒されても/オレはオレさと起き上がる/スタスタ、捨て捨て歩み出す

「おーい、達磨さん今どこにいる?」/「お呼びですか」と前に出よ

「覚悟を決めて取り組もう」

逃げるから課題が消えない。自分の成長のために、自らが引き寄せた課題なのだから思い切ってぶつかってゆこう。ウジウジしていないでとびこんでゆこう。頭をトコトン下げてわびてもいいし、戦うんだったら命をかけて戦ってもいい。成功しても、失敗しても、それが全部成長につながるのだからそれでいいのだ。


1643 2026.01.03 

<禅の公案 無門関第3則 俱胝竪指(ぐていじゅし)>

(本文)

俱胝(ぐてい)和尚は誰が何を質問しても、ただ一指を立てた。

俱胝和尚は、その臨終にあたって、「わしは<天龍一指頭の禅>を得て、一生涯これを使ったが、使い尽くせなかった」といって遷化(せんげ)された。

(大敬のコメント)

・どの指?

・指でなければダメ?

・今・ココに全意識、全身心を結集して「一動作」できれば、あなたのアレコレ(制約・制限など)を断って→私は私として立ち→私が私として生き生き輝ける道に向かって発つことが出来る。

(詩)

指が立ったら、世界が断った/旧い世界が無くなって/重い世界も断ち消えた

指が立ったら、私が立った/旧い私がどこかに消えて/イキイキ私が、オギャーと生まれた

ピカピカ世界も建ち現れて/「こっちへおいで」と私を呼んだ/呼ばれた私は喜んで、真っ新世界に発ったのさ/めでたし、めでたし、有難し/遠い昔の今のこと、昔の人の君のこと

(応用)

得意の「リセット動作」を自家薬籠中の物(特効薬)にしておくこと。

① イメージ:(例)観音さま、海、寺社、山など

② コトバ(呪文):(例)「現成公案」、「十句観音経」、各種真言など

③ 皮膚感覚:(例)風に身をさらす、裸足で歩く、体を摩擦する、体をたたくなど

④ 身体動作:指を立てる、チョキ・グー・パー、合掌、息吹、拍手、坐禅、言霊、旋律など


2026年2月12日木曜日

4166「宇宙エネルギーの流れ」2026.2.12

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月28日の記事を紹介します。


「宇宙エネルギーの流れ」


今日のテーマは、「宇宙エネルギーの流れ」です。

まず小林正観さんの、短い文章をご紹介します。 

<引用開始> 『心に響いた珠玉の言葉』より


ある営業マンは、がんばってトップをとったのですが、

有頂天になってそのうち怠けていたら、

一気にトップから後退してしまいました。 

それから挽回しようとがんばりましたが、なかなかうまくいきません。

がんばっても成績があがらない営業マン。 

会社から「このままの成績なら、あと2ヶ月でやめてもらう」と通告を受けます。 

そこでその営業マンは、

「どうせクビになるのなら、自分の成績を上げるという考え方はやめて、

仲間のために力を尽くそう」と考えました。 

それからは、忙しく外回りをする同僚へ

電話の要件をメモして机上に置いておいてあげたりなど、 

2か月間は徹底してサポートに回りました。 

そうしたら、新規顧客の大口案件が舞い込んできたりなど、

奇跡的なことが次々と起こり、 

結局2か月後にはまたトップに返り咲いたのだそうです。 

<引用終了> 

この結果、

この方は、今までサポートされていたのは、自分の方だと気づきました。 

周りを潤わせ、利を与えること。 

その結果として、自分に戻ってきたのでした。

これはブッダが教えてくださった四摂事(ししょうじ)、 

衆生(一般大衆)を救う4つの徳の中の一つ、「利行」のことです。 

「まずは相手を潤わすこと」

これが結果的に、巡り巡って自分によい形になって返ってくる。

これは、お布施も同じですね。

まず、喜捨すること、自分から出すことで

巡り巡って自分に帰ってくるという、宇宙の法則です。 

断捨離も同じです。 

まず、古くなった不要なエネルギーを手放すことで、 

空いた時空間に宇宙のエネルギーが流れ込みます。 

与えることで、自分の中に空いた時空が生まれます。 

また、ここには、もうひとつ大切な意味が込められています。

何か大きなことを成したり、実績を残すことが 、 

私たちの生まれてきた目的ではない・・ということです。 

私たちが生まれたのは、 

・人々と調和

・愛

・優しさ

・思いやり 

・助け合いの心 

これらを共有すること、分かち合うこと、

魂の震える経験をすること

そのために生まれてきました。 

決して、

・物質的に豊かになったり

・地位や名誉を得ることではありません。 

そのようなものは、天に帰る時、持って帰れません。 

魂が震える経験

人々と、喜びを分かち合えた時、生まれて来た目的が達成されます。

この目的さえ達成されれば、それを味わうための舞台装置であった、 

・喜び

・悲しみ

・苦労、苦難

・豊かさ

・貧困

・嫉妬

・憎しみ 

それらを味わう経験は、もう必要なくなります。

人生において、全ての流れが調和してスムーズに運び始めます。  

この宇宙の真実に気づいている人は、  

・何かを得ようと

・大きなことを成し遂げようと

必死に努力するのではなく 

最初から

・周りの人々に喜ばれる道

・助けいあい、調和する道

それらを第一に考えて、そのための利他行を行います。

最後に、美しい詩を一編、ご紹介します。 

<引用開始>

大きなことを成し遂げるために、

力を与えてほしいと、神に求めたのに、 

謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった 

偉大なことができるように

健康を求めたのに、 

より良きことをするようにと、病気をたまわった

幸せになろうと、富を求めたのに、 

賢明であるようにと、貧困を授かった 

世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、 

得意にならないようにと、失敗を授かった 

人生を享受しようとして、あらゆるものを求めたのに、 

あらゆることを喜べるようにと、命を授かった、 

求めたものはひとつとして、

与えられなかったが、 

願いはすべて聞きとどけられた 

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、 

心の中の言い表せない祈りは、 

すべて叶えられた 

私はもっとも

豊かに祝福されたのだ

<引用終了> 


2026年2月11日水曜日

4165「否定の言葉」2026.2.11

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月27日の記事を紹介します。


「否定の言葉」


今日は、斎藤一人さんのお話です。

斎藤一人さんは、もう何度も納税日本一になった人で、

現実のビジネスシーンでも成功しているひとです。

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

一人さんは、小さなころから、この神さまに教えられてきたそうです。

そんなビジネスの第一線に在りながら、ブッダや神さまのお話を、

分かりやすい言葉で、丁寧に教えてくださっています。 

今日のお話も

「否定することで、あなたは何か、良いことがあるんですか?」 

というお話ですが、簡単なようで、

できていない人が沢山いらっしゃるように思います。 

ですが、一人さんが仰るように、 

態度をちょっと変えてみるだけで、幸せな人生に変えることができます。 

それでは、ご紹介します。 

<引用開始> 引用元

誰かと話しているとね、必ず否定論を入れたがる人がいるの。

“妄想してもいいことが起きません” 

“妄想すると、人から変な人だとか言われますよね?”とか。

あのね、どうして物事を否定的に言うの?って。

物事は、どこからでも否定することができるんだよね。

だけど、否定することで、

あなたは、何か良いことが あるんですか?って話なの。

否定的な角度から話をされると、その場にいるみんなが、面白くなくなるんだよね。

で、俺にやるくらいだから、よそでもやってるよねって。 

だから、人生うまくいかないんだよ。

人生うまくいかない人って、

楽しいシャボン玉みたいなのが飛んでくると、パッと針を刺して壊しちゃうんだよ。

しかも、そうやって場のムードを壊してるってことに、気づいてない。

みんな幸せになろうって、ピラミッドを一段ずつ積み上げているの。

楽しいことを積み重ねているんだよね。

それなのに、脇からそれを壊したらダメだよね。

あなたはまともなことを言っているように、思うかもしれないけど、

ムードを壊しちゃってるんだよ。

そういう人に、魅力がありますかってことなの。

俺たちのグループは妄想を楽しむ会であって、妄想を否定する会ではないの(笑)。

だから、質問するんだったら 

“こういうときは、どういう妄想をしたらいいですか?”とか、 

妄想する気があることを前提とした、内容にしたほうがいいよね。

うまくいかないときは、うまくいくまでやればいいんだよ。

逆上がりでもなんでも同じ。

そういうことがわかる人が、魅力のある人なんだよ。

<引用終了> 

人と話す時、必ず、否定語から入る人がいます。 

・だって・・・

・いや・・・

・でも・・・ 

人が、前向きに、希望をもって・・・ 

目をキラキラさせて、夢や、希望、未来を話して、喜びを共有し・・ 

共に幸せになろうとしているのに・・・ 

このような否定から入られると、 もう、そこで話は終わってしまいますし、

せっかく、共に喜びあおうとしていた人の心まで、 

暗く、重苦しいものにしてしまいます。 

そんな経験をした人は、もうその人の前では、

夢も希望も語らないことでしょう。 

喜びを分かち合おうとは、しないでしょう。

ますます、その人の周りには、眉間にしわを寄せた、

重苦しい雰囲気の人しか、集まらなくなることでしょう。

ですが、もし、否定ではなく 、受容、 

つまり、肯定して認め、一緒に希望や夢を、笑顔で語り合ってくれたなら、 

話した人も、百倍も元気になって、 

本当に夢も叶ってしまうかもしれません。 

神さまは、笑顔や、希望、明るさ、助け合い、受容、許し、

そのような雰囲気が大好きですから、

神さまからも強力なバックアップがあることでしょう。

そして、共に喜びあった二人には、お互いの心の中に、

大切な大切な、何かが生まれることでしょう。 

その何かは、私たちが死んだ後も、天国に持って帰ることができる、

そして、地球に生まれたがっている全ての生命体が

欲しいと願っている物・・

愛、を手に入れることができるでしょう。 

一人さんが仰っているように 

ちょっと、方向性を変えるだけ、否定から、 

同意、肯定、受容や許し、共感、笑顔に変えてみるだけで、

一気に幸せになることができます。


2026年2月10日火曜日

4164「バランスを取ろうとする宇宙」2026.2.10

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月25日の記事を紹介します。


「バランスを取ろうとする宇宙」


神々の大いなる計画の中、長く続いた暗闇を超え、 

やっと地球にも朝日の兆しが見えてきました。

強欲な金融資本主義が終焉を迎え、時代が変わろうとしています。

ただ、その丁度変わり目の節目の今は

隠されてきた様々な悪癖が表に現れ、大きな混乱の世相に見えますが、 

確かに良き方向に動きつつあります。 

まだその過渡期にあります。  

ですが、幸運なことは、その渦中においては、無我夢中で

大変な波を乗り越えようとしていることさえ、気づかないために、

がむしゃらに生きている間に、 

何時のまにか、大波を超えてしまい、

大難(たいなん)が去ったことに気づくことでしょう。

この大きな波が静まった時、 

満を持して準備してきた多くの魂たちが、

次の役割を担うために世に出てくることでしょう。

第二次大戦前の

約500年間も続いたアジアやアフリカ国家や国民に対する

奴隷的な扱い、植民地時代を再び繰り返すわけにはいきません。 

私たち人類の精神は少しづつ向上を続け

やっと今、2010年を境に精神性復活の時代が到来しているからです。

では、今日のテーマは「バランスを取ろうとする宇宙」ということで、 

宇宙の摂理について書いてみます。 

私たちの精神が再び退化することがありませんように。 

全ての人々、

それぞれの個性が、認められ、生存を許され

大切に優しく扱われますように。。。

人種差別

かつて、インディアンを皆殺しにして、土地や資源を奪ったように、

奴隷として、様々な苦役をさせるために、

足を鎖で繋ぎ、アフリカから現地の人を運んで来たように

劣等人種だからと、アジア(ベトナム)で戦争を起こし、利益を得ようとしたり

人が人を差別し、蔑んで良いのでしょうか。

人が動物達、

生命のあるものを虐待しても良いのでしょうか?

私達は知っています。

私達が過去 転生の中で

五色の人に、次々と生まれて来たことを

宮崎県の旧蘇陽町にある幣立神宮所蔵の五色人面。五色人の代表が、

日本(霊の元つ国)にあつまり、神に祈りを捧げていたとされています。

黄人  アジア(日本、中国、朝鮮、モンゴル)

赤人  アメリカインディアン、ユダヤ、アラビア、エジプト

青人  北欧、スラブ

白人  ヨーロッパ全般

黒人  アフリカ、インド、アボリジニ(オーストラリア)

私たちが最も愛する父や母、息子や娘も 

同じように、色々な人種を経験してきたことを。

石や、岩、植物や動物、そして風や波などに生まれ、

生命のダイナミズムを経験したことがあったことを。

たまたま、今、白人で生まれ、

自分達だけが優生民族であると勘違いし、

残酷な方法で、他の民族の生命や自由を奪ってしまう事は、 

なんと大きな罪でしょうか?

宇宙には法則があります。 

それは、バランスをとること。

その為、自分が与えたものは、

必ず自分で受け取ることになります。

良いことも、悪いことも。。 

肌の色で人々を苦しめた人は、

肌の色で苦しめられることでしょう。

それは、誰が行うのでもなく、神様が行うのでもなく、 

宇宙の法則通り、自分自身でバランスを取るためにそうします。

人は、その様な愚かなことを、何度も何度も繰り返して、

そのたびに、少しずつ賢くなっていくのでしょうか?

宇宙の摂理

それは何処を見ても確認できます。

全ては調和し助け合い、

自分の役割を果たしています。

そこには、人の立場を羨んだり、

バカにしたり、自分だけが。。 という気持ちは微塵もありません。

人間も、本来その様な高貴な心を持つ、

生命体では無かったでしょうか?

私達が出来ること・・

それは、動植物を含め、家族や、本当に身近な所で、 

笑顔や優しさを、広めていくことから始まるのかもしれません。

今日も身近な周りの方々に、優しさと笑顔で接したいものですね。