2026年11月3日火曜日

4430「地球を救う大和心」2026.11.3

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月13日の記事を紹介します。


「地球を救う大和心」


今 日本を中心に、神様の魂を持った子供たちや、

宇宙から直接地球に転生してきた子供たちが、

沢山生まれていると言われています。 

宇宙意識を持った子供たちは、

地球の、それもなぜかみんな日本を目指して生まれて来ています。 

宇宙人の魂は死ぬと地球惑星系の天国にはいかず、

そのまま故郷の星の肉体に戻るそうで、

人間の一生として生きたその長い時間も、

故郷の星に戻ってみれば、経過している時間はたった8時間ほど。 

まさに寝て起きたようなものだとか。

麻で有名な縄文研究所の中山康直さんは、

中学生時代、池で溺れ13分間意識不明に陥ったそうですが、

その短い時間、プレアデス星団アルシオーネに転生し、1万年生き

麻を研究し、その死後再び、地球の中学生の体に戻ったそうです。 

そのプレアデスでの1万年の人生が、地球ではたった13分間。 

神さまが見える子供たちのお兄さんの方は、

宇宙から直接、地球に転生した魂ですが、 

小学生ながら、その知能ははるかに高く

マルチユニバース(並行宇宙)の知識までありました。

また科学技術のはるかに進んだ宇宙人にとって、

神様は、友達のような存在とのこと。 

レインボーチルドレンの小学生のそうた君も同じことを言っていました。

彼ら知的生命体にとっては、

神さまや魂などは決してスピ的な話ではなく科学そのもの。 

その科学の力で、魂そのものを見て、話しもします。(リーディング) 

また魂に対する科学的な知見を持って、転生さえもコントロールしています。

バシャールのように、科学的な知識で

人間の肉体をサーチして、その過去を見たり、未来を見たりします。

決してそれは迷信的なスピのお話ではありません。

更に、天国や地獄と言った世界の知識も持っています。

この地球文明よりもはるかに進んだ科学的な知識を持つ宇宙人たち。

その彼らが憧れる星が、広い宇宙に2つだけあるそうです。 

その1つが地球。 

そしてその地球の中でもとりわけ日本なのだそうです。 

それは日本が神々によって作られた特殊な国であり、

更にはありがとうと言う言霊があるからなのだそうです。 

美しい心が残っているからなのだとか。 

さて今日の本題です。 

今この時こそ、今まで私たちが、密かに胸の内で期待して、

多少不安ながらも待ち焦がれていた、その時そのものなのですが、 

日々の暮らしの中においては、なかなか

・「何か、起きているな」と・・感じはしても

・「最近身の回りが、騒々しいな」と・・感じはしても

今この時が、その時まっただ中であるとは認識出来ないかもしれません。

世界的にも、そして、数百年規模の歴史の波の中においても、

大変化の時代に突入しています。 

今日の続きが、また同じ明日ではありません。 

既に3次元的な地球上でも、大きな変化が起きています。 

今まで全世界が騙され続けてきた、悪魔の支配が終わろうとしています。 

もうすぐ今起きているその大きな変化の意味を、多くの人が気づくことでしょう。 

もう後戻りはできません。

停滞もできません。

大きな変化の時には、今まで持っていた価値観を、

私たち自身が変える必要があります。  

以前、「予行演習をさせられた日本」の記事でも書きましたが、 

既にこの時のために、そしてショックを和らげるために、

前もって沢山の方々が強制的に価値観を変えました。

・神戸、東北の大震災

・九州の地震 

強制的ではありますが、そして涙と大きな痛みを伴いましたが、 

その時を境に、ご自身の中の価値観が、大きく変わられたことと思います。 

大正時代の日本を見たアインシュタインの感嘆の言葉や、ブッダの予言に在る通り、

世界的な大きな大きな変化、世界中が涙も涸れ果てるほどの諍い(いさかい)の後、

世界の希望は、日本人の心にある大和心(やまとごころ)に託されています。 

私達平凡な一般人には、

・世界の果てまで行き、平和のために戦争に参加したり

・貧困にあえぐ多くの人々を救う 

そんな大きな力はないかもしれません。 

ですが、私たち自身の心を整えることはできます。 

心を整えることで、身近な周りを幸せにすることができます。 

ひいては地域や国、世界を幸せにすることができるかもしれません。 

全ては、私たちの心ひとつから始まります。 

では、言葉遊びではなく、綺麗な言葉を並び立てて終わるのではなく、 

実際に実践・行動できるように

「私たちの心の何」が、大和心なのか?書きたいと思います。 

今この時こそ、私たち日本人の心が試されているからです。 

どうしたらその心を取り戻せるのか? 

大和心は、江戸時代の本居宣長の下記の短歌に端的に表されています。

敷島の やまと心を 人とはば

朝日に匂ふ 山さくら花 

現代語訳は・・・ 

日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、

その麗しさに感動する、そのような心です。 

そして西洋の異人の人々でさえ、日本の山に咲く、山桜を見たら、

大和心に目覚めるであろう・・・ 

そう言っています。 

このような心をはぐくむために、

神々は、4つのプレートが重なる地域に日本列島を作り、 

そのプレートのせめぎあいで山や谷を作り、

その高低差で川が流れ、美しい自然をはぐくんできました。 

そして日本は島国であるがゆえに、外敵にさらされることなく、

・自然と共生する心

・自然を愛でる心

・自然や万物に感謝する心

・自然や万物、そして相手の中に神を見る心

を創られてきました。 

全部神々が計画した、いわゆる 共生と順応の美しき心です。

これに対し、厳しい自然環境の中で生きていかねばならない諸外国では、 

自分の力で苦難を乗り越えねばならず、征服というキーワードで生きてきました。 

・自然を征服する

・病気の原因を細かく分類分けし、征服する。除去する。 

全てが対立という考え方からスタートします。 

日本では環境に立ち向かうことなく、受け入れ、環境とともに生きてしまう。 

そして順応し、自分を変えることで、

自分が進化することで、環境の変化を乗り越えてきました。

日本人は、縄文の時代から、ずっとそれをやってきました。 

ですから柳の木のように、しなやかで折れにくい強い心を持っています。 

この強さを恐れ、破壊するために、根絶やしにするために、

戦後の統治政策が行われました。 

日本人の底力、神と共にある力を恐れたからです。 

アインシュタインが言った 

科学の発達によって、外国はみんな武器を争って作って、お互いに戦争をやるだろう。

そして、最後に疲れ果てるだろう。

その時に本当の人生に目覚めるときが来るだろう。

それをするのが日本人である。

日本人の生き方というのは、人間の本当の生き方である。 

そのような地球の未来が託された、私たち日本人の大和心、 

これを取り戻すには、日々の平凡な暮らしの中で、

身近な周りの人々と

・その違いを認め

・笑顔で助け合い

・おかげ様、お互い様の気持ちで 

・憎しみの心

・不平不満の心

・嫉妬の心を捨て 

感謝の心で過ごしていくだけです。 

大それたこと、無理してくださいと言うことでは決してありません。 

自分の心を整えるだけです。 

その積み重ねが、私たちの魂の中に眠っている大和心を揺り動かし、 

深い悲しみの後の世界に、平和と笑顔を広めてくれることでしょう。

この日本人の優れた特質について、

今からちょうど100年前の1922年、芥川龍之介が、

「神々の微笑み」で書いています。 

あらすじをご紹介し、本日は終わりたいと思います。 

<引用開始> 引用元

十六世紀頃の戦国時代、キリシタン布教の全盛期。

ある春の夕暮れ、京都の南蛮寺の庭で、宣教師オルガンティーノは言い知れぬ不安に襲われていた。

風景は美しく、気候も温和で、人もまあ親しみやすく、布教も進んでいる。

しかしこの国のいたるところに、不安をあおる何かが満ちている。

オルガンティーノは夕の祈祷にて、日本の神霊と戦うための加護をデウスに祈る。

が、彼の目の前には日本神話の天岩戸の場面が幻想として現れる。

オルガンティーノはそのあまりの衝撃に気絶してしまう。

深夜、意識を回復したオルガンティーノは「この国の霊と戦うのは困難らしい」と呟く。

すると「負けですよ!」と姿なき声が聞こえる。

翌日の夕も南蛮寺の庭を歩いていたオルガンティーノは、

幾分か昨日の憂鬱を払しょくしているようだった。

数名の新たな入信者があったからだ。

しかし、そんな彼の前に、首に勾玉を下げた老人が現れる。

老人は日本太古の神の一人だと名乗り、オルガンティーノに語り始める。

この国にはデウスだけでなく、

孔子、孟子、荘子などいろいろな考え方、物や文字が渡来してきたが、

我々を征服することはできなかった。

たとえば、漢字はひらがなやカタカナに造り変えられ、

逆に我々が征服しているともいえる。

我々の力とは破壊するものではなく、まさにこの造り変える力。

デウスもまたこの国に取り込まれるかもしれない。

お気をつけなさい。

デウスが勝つか天照が勝つか、

いまは容易に断定できず、それは現在、そして未来の日本人の肩にかかっている。 

<引用終了>

 

※当時、産業革命をいち早く終えた西洋諸国による世界の植民地支配に先立ち、

宣教師たちが先遣隊として、世界に派遣されていました。


2026年11月2日月曜日

4429「青空ひろば」2026.11.2

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


イノチの学校より99 2026.09.29 ~ イノチの学校より110 2026.10.11


親鸞聖人語録〈嘆異抄(たんにしょう)〉の中から紹介していきますね、一部をね。

嘆異抄は昔からけっこう有名な本で、大敬が大学生の時には友だちと読書会を開いた事があります。

それで議論したりしてたんですけど、ちなみにその友だちはお家が金光教の信徒さんだったんです。

そこで金光教について知るキッカケを貰いました。

で、ストライキが始まってね。

大学紛争の時だったから、それで読書会は終わっちゃったんです。

その友だちは北九州の人だったんだけど、地元に帰っちゃって、そこからは皆バラバラになって。

そこから大敬は道を求めて一人で旅をし始めました。

色んな所へ行って、道場に入ったり、東京の方へ行ってみたり。

和田重正先の一心寮を訪ねてしばらく居たこともありますね。

そういう意味ではストライキ、大学紛争も良かったんじゃないかなと思えますね、僕にとってはね。

色々な所を巡りましたからね。


では、嘆異抄(たんにしょう)について話していきましょう。

鎌倉時代後期に、親鸞さんの弟子とされた唯円(ゆいえん)という人が、

師亡き後の教えの混乱を憂いて

「異なるを嘆く」で、〈嘆異抄〉を書き記された。

親鸞さんが亡くなったあと、独自の見解で教えを語り出す人達が出てきたんですね。それが間違っているので、その間違いを嘆いて、正しい教えを伝えようと書かれたわけですね。

親鸞さんの実際に言われた言葉を中心に、語録を集められた。

代表的なものをピックアップします。

<しみじみダメな自分だと悲しむ時が、それでも救おうと抱きしめて下さる光のお方に気付く時>

光のお方と書いてるのは、阿弥陀仏ですね。無量光仏、無量の光と呼ばれているので光のお方と表現している。

親鸞聖人はおっしゃいました。「阿弥陀さまの誓願(48願)の不思議に救われて往生をとげることが出来るのだと信じて、念仏を称えようと思い立った時、摂取不捨(救い取って、決して捨てない)という御利益を頂くのである。阿弥陀さまの本願はすべての人に及んで、老少善悪を選ばない。」

つまり平等なんですね、だから浄土真宗は平座。高い段に上がって説法することはしないんです。

同じ畳の上に座って皆とお話をする、これを平座、平等の精神ですね。

だからお坊さんが偉い訳ではないんです。

妙好人ってね、信者さんであんまり勉強なんかしてない人でも素晴らしい悟りを開いた人が出てきたりする。

浄土真宗の素晴らしい所ですね。


親鸞さんの言葉の続き

「ただ阿弥陀仏とその誓願への信心と念仏を要件(必要条件)として極楽浄土に往生出来るのである。

そのゆえは、特に罪 悪 深 重(罪が深く、重い)、煩 悩 熾 盛(心の穢れ、乱れが激しい)の衆生を救おうと、お立てになった願なのであるから。

だから阿弥陀さまの本願さえ信じていれば、善行の一つも行えない罪深い私だ、こんな私では極楽往生出来るはずがないなどと憂い、悲しむ必要はないのだ。念仏にまさる善はないのだから。

犯した罪が深く、重いものだから地獄行きは決まっている、などと恐れる必要もないのだ。阿弥陀さまの本願を妨げるほどの悪はないのだから」

だから坐禅でもね、こんな坐禅では駄目、アンタみたいな坐禅は悟れません。

とか、煩悩ばっかり妄想ばっかりで良い坐禅ではない。

とか人に言うたらアカンですね。坐禅というカタチがもうそれで救われてる姿なのです。

坐禅というカタチをとれば必ずそれで最終的な悟りの境地まで運ばれていくんだから、それを信じて。

こんな坐禅してても私なんか、これは駄目な坐禅だ、とか自分で思い込むのも間違いですね。

ただ坐ったらいい。同じお話ですね。

坐禅が上手だから悟るわけではないですよね、ただ坐れば良い。

もう一つ大切なのはある方が言われたエピソード。

全身が左に傾いて坐禅してた人が居ました、「そんな傾いた坐禅は駄目だよ貴方」と言われてショックを受けて坐禅しなくなったと。

これはそんなことないですよね、傾いていても真っ直ぐだということがあるんですよ。

坐禅しててね、スッとこう入っていける時なんか中々ないですよねあんまりね。

どこかなにかしら違和感があるんですけど、その違和感を、こんな坐禅では駄目とやめるんじゃなくてね。

その違和感がありながら、それも許されてるね、とただ坐禅というカタチに落ち着けばいい。

そうすれば次第に違和感がほどけてくる時もあるし、違和感がなくならなくてもいいんですよ。

そのまま続けていってOKなんです。


坐禅していて、自然に身体が動き出す時もありますね。

それはそういう身体の勝手に、しばらく任せても良いですね。

そうしたらね、10分間ずっと揺れとったりしてもいいんですよ、全部許されてる。

それで、いつかスッと坐れる時が来るんですね。

でもそれが最終ではないんですよ?スッと坐れて、あ、悟った。とそういう時もある。

でもまた駄目になる時もある。そういうことの繰り返しなんだけど、どれでも自分は受け入れていくという練習なんですね。

これここまで坐禅で話しましたけど、親鸞さんが話されたお念仏のお話と同じですよね。


<ただ念仏を信じて称える。その結果がどうなるか、知ったこっちゃない。後は光のお方次第>

親鸞聖人はおっしゃいました。

「おのおの十余ヶ国の境を越えて(常陸国、茨城県水戸市から上洛、唯円もその一員とされる)、身命を顧みずして訪ね来られたわけは、ただ往生極楽の道を問い、聞こうとなさったがためでありましょう。

しかるに、〈念仏を称える〉ということのほかに、親鸞が密かに保持して、特別の人にだけ伝授している法門がきっとあるだろう。それを何としても伝授してもらおうと思って、この地(京都)においでになったのならば、それはとんでもない誤りです。」

大敬達でいえば、〈坐禅する〉ということのほかに、ですね。

密かな、特別なことがあると思っているなら、それは誤りですと言っておられる訳です。


親鸞さんの言葉の続き

「そのような秘密の法門があるに違いないと思われるならば、南都北嶺(奈良や比叡山)にもすぐれた学匠たちがたくさんいらっしゃいますから、そのような方々にお会いになって往生の肝要をよくよくお聞きになればいいのです。

親鸞はただ、よき人(法然上人)が〈念仏して弥陀のおたすけをこうむって往生しなさい〉とおっしゃったのを信じて念仏を称えるだけで、その他に何も隠し持っている法門などないのです。」

これも大敬も一緒ですよね、ただ坐禅してほしいと思います。

坐禅以外に特別な法門なんて、大敬にはないです、カラッポ。

カラッポのこの身をどうぞ見てください、どこにも何も隠してませんよ。


親鸞さんの言葉の続き

「念仏は、本当に浄土に生まれる種となるのか、あるいは地獄に堕ちる業となるのか、そんなことは私には分かりません。たとえ法然聖人にダマされて、念仏して地獄に堕ちたとしても、私は後悔しません。」

私にはわかりません、って突き放しているでしょう?それでいて私は後悔しませんって言い切っている。これが他力の心意気ですね。


親鸞さんの言葉の続き

「なぜならば、念仏以外の行を励んでいれば仏になれたはずだったのに、念仏を申していたので地獄に堕ちてしまったというのであればダマされたという後悔もあるでしょう。

しかし、私は自力修行のどのような行も、とてもやり遂げることが出来そうにない、意志が弱く、体も弱く、業も深い身なのですから、どうひいき目にみても、死んだら地獄に牽かれて行ってしまうということは決まりきったことなのです。

弥陀の本願がまことならば、釈尊の説法はウソではないでしょう。釈尊の説法がマコトならば、それを引き継いだ善導(中国浄土宗の僧。〈称名念仏〉を中心とする浄土思想を確立した)の念仏もウソではないはずです。

善導の念仏がマコトならば、法然聖人の仰せも、ウソであるはずがありません。法然聖人の仰せがマコトならば、只今皆さんに語っている私の念仏信心も、きっと虚しいウソゴトであるはずがないではありませんか。」


親鸞さんの言葉の続き

「詮ずるところ、私の信心のあり様は以上のようです。

さあ、このようにお聞きになったうえは、念仏をとって信じて称えてゆくのか、あるいは、ガッカリして捨ててしまわれるのか、それはあなたたちの判断次第なのです」

すごく突き放してますよね?こういうのが他力の悟りの潔さですね。

決してウジウジしてないのですね。(完)


2026年11月1日日曜日

4428「当たり前の中の幸せ」2026.11.1

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月12日の記事を紹介します。


「当たり前の中の幸せ」


今日は「当たり前の中の幸せ」と言うことで、前ノートルダム清心女子大学の学長だった

渡辺和子さんの、卒業式でのお話をご紹介します。 

あれも欲しい、これも欲しい。

あれがないと幸せになれない・・・と

足ることを知らなければ、どんなに恵まれた環境に置かれようと、 

感謝の心をはぐくむことはできないでしょう。

<引用開始> 引用元 

今日は、今から数年前、同じこの日、 

同じこの記念館を巣立っていった、一人の卒業生の言葉を、

皆さんへのはなむけの言葉にしたいと思います。

その人は、在学中、健康そのものの人でした。

それが卒業後まもなく、病気になって入院し、

非常に苦しみ悩んだのですけれども、

やがて快方に向かった折に、一通の手紙を書いてくれました。

その中に、こう書いてあったのです。

「ようやく外出許可がいただけました。

久しぶりに地面を踏んだ時は感激でした。

今の私には、当たり前が輝いてみえます」

この手紙を読んで、私は、病気がよくなったことが嬉しかったとともに、

病気という十字架が、この人を、ここまで成長させて、

この言葉を書かせたことを、たいへん嬉しく思いました。

当たり前が輝いてみえる、そして、この人から、

幸せの秘訣を教えてもらったように思ったのです。

私たち一人ひとりは、幸せになりたいと願っています。

今日、ここに集まってくださった方たちは、あなた方一人ひとりが、

一生の間、幸せに生きてほしいと、願っていてくださいます。

幸せの条件には、いろいろあって、人それぞれに違うかも知れません。

ですけれども、共通して言えることは、

自分が愛するもの、価値あるものに取り囲まれて、

心が満たされている状態といっていいでしょう。

ですから、幸せを願う人たちは、

・たやすく愛せる人を探し、

・やりがいのある仕事を求め、

・そして、すてきなもの、

・すばらしいもので、

自分のまわりを囲みたいと願っています。

今日の日本は、この種の幸せをあおるかのように、

そして、それを満たすに十分な、物質的な豊かさと、

過激といっていいほどの、刺激と情報に溢れています。

お金さえ出せば、欲しい物がほとんどすべて、手に入る世の中です。

では、それらを手に入れた人たちが、みんな幸せなのかというと、

必ずしもそうではありません。

なぜでしょう。

星の王子さまが答えを出しています。

「地球上のみんなは、特急列車に乗り込むけど、

いまではもう、なにを探しているのか、わからなくなっている。

だからみんなは そわそわしたり、

どうどうめぐりなんかしてるんだよ…」

「おなじ一つの庭で、

バラの花を五千もつくっているけど、

自分たちがなにが欲しいのか、

わらからずにいるんだ」。


そして続けていうんです。

「だけど、探しているものは、

たった一つのバラの花のなかにだって、

少しの水にだって、あるんだがなあ…」

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。

かんじんなことは、目に見えないんだよ」

 

今から約千三百年まえにつくられた

日本の一番古い歌集『万葉集』の中に、一つの歌が収められています。


信濃(しなの)なる千曲(ちくま)の川のさざれ石も

君し踏みてば玉と拾はむ 

たぶん、うら若い一人の乙女が、自分の愛する人、夫、恋人を送り出した後、

“その人が踏んだ石だと思えば、私には玉と思えるのです”と

うたった一首です。

なにが、この当たり前の、どこにでもある石を、輝く玉に変えたのか、

それはこの乙女の心に宿る愛する心、

いとおしむ気持ちだったろうと思います。

この人は何カラットかするダイヤモンドでなくても、

愛する人が踏みしめたその石を、玉と抱いて幸せな人です。

そして、私たちは、幸せの原点というものを、

ここに見ることができます。

<引用終了>


今日の日本は、

・物質的で、派手な物

・目立つ物

・過激な物 

を、如何にも魅力的なものと錯覚させ、

お金さえあれば手にすることができる。 

・お金を稼げ

・お金が全て

・お金さえあれば、何でもできる

・人がうらやんでくれる 

そんなことを、煽っているように見えます。

その宣伝、戦略に多くの人が乗せられ、それが本当の幸せと錯覚し、

・今だけ

・金だけ

・自分だけ 

そんな心になってしまっているのかもしれません。

お金が無ければ不安になり、執着し、何かに必死に頼ろうとします。 

でも、執着すればするほど、

追い求めれば、求めるほど、 

それは、どんどん遠ざかって行きます。 

そして心は疲れ、

諦めと、厭世観(えんせいかん)にさいなまされ、 

いつかは、純粋だった心を、曇らせてしまうことでしょう。 

元々、私たちの幸せとは、何処にあったのでしょうか? 

どこか遠くにあったのでしょうか? 

お金や、物、地位や名誉にあったのでしょうか? 

それを手に入れたら、幸せになれるのでしょうか? 

もしかしたら、私たちの幸せは、 

元々、私たちの心の中にあって、それに私たちが気付いてくれるのを、

ずっと待っていたのかもしれないですね。 

大切な物は、見えない・・ 

それが、本当のことかもしれません。


2026年10月31日土曜日

4427「大事なものは見えない」2026.10.31

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月11日の記事を紹介します。


「大事なものは見えない」


今日は「大事なものは見えない」ということで、

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」からご紹介します。

相手を立場や経済力などの外面だけで判断せずに、

大切な一人の人間として認め合い、

助け合って生きていきましょうというお話です。

私たちは、この地球に、 

働きに来た訳でもなく、

お金をもうけに来た訳でもなく

地位や名誉を得て、威張るために来たのでもなく

大きな家に住み、大きな車に乗って自慢するためでもありません。

人と人、

人と動植物、

自分以外のありとあらゆるものと、

心の交流をするために、地球に来ました。

時にはぶつかり合うことも、

罵り合うこともあるでしょう。

思いやりや、愛、笑顔によって、

心の豊かさを知る時もあるかもしれません。

それらは人生に起こる、様々なドラマによってもたらされます。

泣いたり、笑ったり、

愛し合ったり、憎しみ合ったり、

日々の生活の中で、

すれ違う人々でさえ、

大切なご縁のある方です。

<引用開始> 引用元

私の出身校である東京の武蔵野の私立の小学校には、

当時の日本のトップリーダーの子女も多く通っていました。 

入学してすぐ担任から言われたことの一つは、

「校門を通る時、男の子は 

必ず帽子を取って守衛さんに、先生にするのと同じ態度で挨拶しなさい」ということでした。 

6年間、これを続けている間に、いつしか習慣になり、

これが一つのリーダー学であることに気付いたのは、社会を出てからでした。 


土の中の水道管 

高いビルの下の下水

大事なものは表に出ない


    ・・・・相田みつを 

私が、今も職場で、特に目立たない働きをしている人たちに、

あいさつするのは、たぶん、小学校で身についたことなのです。

学生たちにも、

「お掃除や草取りしていてくださる人たちに

ごあいさつするのですよ」といっています。 

「給料を払っているのに、

挨拶したり、ありがとうという必要はないでしょう」

という若い教師も、いないではありません。

それは大きな考え違いです。 

あいさつは、身分や立場とは無関係なのです。

特にあいさつしてもらうことの少ない人たちに、

あいさつは、「あなたは、大切な人なのですよ」と伝える、

最良の手段であり、

お互いが、お互いのおかげで生きていることを自覚し合う、

かけがえのない機会なのです。 

<引用終了>

目立たない仕事をしている人へのあいさつは、大切なことですね。

私たちはお互いに

「おかげさま」で生きているのですから。


花を支える枝

枝を支える幹

幹を支える根

根は見えねんだなあ

     ・・・・相田みつを 


私たちは、つい目立つ綺麗な花だけを見てしまい、

それを支えている、根のことを忘れてしまいがちです。

ですが、最後の結果である、その美しい花を咲かせるために、

見えないところでどんなに大切な働きがあったことか。。

葉があり、茎があり、

そして大切な根も頑張って働いています。

一世代前には、花を咲かせ種をつけ、

朽ち果ててくれたからこその、今の命です。

人間も同じですね。

どんなにお金をかけて、飾り立てようと、

どんなにその場だけ取り繕おうと、

どうしても見えない人間性というものが染み出てしまいます。

人間にとって根っことなるのは、

・相手を思いやる気持ち

・笑顔

・感謝の気持ち

・お陰さまの気持ち

・助けいあいの気持ち

これらで、日々どれだけ生きていたか・・

に寄るのかもしれません。

どんなに地位や名誉、お金を得ようとも、おごり高ぶらずに、

目立たない人や、弱者に対する共感は大切なことです。

ちゃんと相手を認め、相手を尊重し、

差別せず、

大切な一人の人間として

接する心を持ちたいものですね。


2026年10月30日金曜日

4426「降り注ぐ神さまの恩寵」2026.10.30

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月09日の記事を紹介します。


「降り注ぐ神さまの恩寵」


今日は布施の精神について書きたいと思います。 

ブッダのお言葉、托鉢、奉仕、お布施のお話です。 

ブッダの教えの中に、「托鉢」があります。

托鉢とは笠をかぶったお坊さんが、家々を回ったり、道路の脇に立ち、

手に鉢をもって、その中にお布施を頂くというものです。

ブッダは、托鉢に向かう弟子たちに、こう言いました。

お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って、托鉢をしてきなさいと。

弟子たちは、驚きました。 

「お金持ちの家から、お布施を頂くのではないのですか?」

ブッダは弟子たちに、こう言ったそうです。

貧しい人たちというのは、今まで、自分が貧しいと思って、

他人に対して、施しをしてこなかった人たちである。

それ故に、貧しさから抜け出すことができずにいる。 

だから私たちが布施をいただきに行くのは、このような貧しい人たちを、 

その貧しさから救ってあげるためなのだから、貧しい人の家を回って来なさい。

托鉢に金額は関係ありません。

宇宙の法則 

与えるものが、受け取るもの

と同じです。

貧しさから抜け出す最初の一歩は、 

まず他人が喜ぶことを

自分から、先にすることなのかもしれません。

だから托鉢は、お坊様たちが自分たちで食べるものを

もらうために行う行為ではありません

「与えるものが受け取るもの」 

この言葉が意味することはひとつ。

全ては、自分が与えることから始まるということ。

人の心に勇気と希望を与えるために、自分から出したとき、

(つまり、自分のところにその分、虚空が発生した時)

宇宙は、同じエネルギーの質を持ったもので、

見えない世界からエネルギーの充填を図ろうとするのです。 

その時、出したものの何倍ものエネルギーが発生(エネルギーの移動)します。

これが、お金が移動する際の真理です、 

また同じく空海は、こう言いました。 

私たち悩み多き者たちが、失う苦しみから逃れる為に、 

次のように「施 (ほどこ)しの行」を説かれました。

むさぼり、惜(お)しむ心に勝てず、

人のために財(ざい)を使うことがなければ、

いつも餓(う)える心に苦しむ。

少しの食物も分かちて、甘(あま)さを割(さ)き与えるものは、

この苦しみから脱(のが) れることができる。

自分が持つ、お金などの財産に執着する人は、

常に失うことを恐れ、心が休まる時がありません。

要するに、生きながら常に心は、

戦々恐々とし、地獄に住む者のごとしです。

空海はその地獄から逃れるためには、 

まず先に、その財を

人のために、人が喜ぶことに使いなさいとおっしゃっています。 

これも宇宙の法則にのっとった言葉ですね。

「与えたものが受け取るもの」

まず、自分から出すのが先です。

それは財産に限らず、 

笑顔や、優しさ、思いやり、温かな言葉かけなど、みんな同じです。

まず、先に自分から人に、施します。

そうすると、宇宙はきっちりと、

巡り巡って同じものを倍返しで、自分に戻してくれるそうです。 

また健康や、幸せもそうです。 

・健康でない時

・いじめにあっている時

・家族で病気の方がいる時

・経済的に苦しい時 

人は、自分が幸せではないと思って、

他人に対して、笑顔や、やさしさ、思いやりを、

施してこなかったかもしれません。

小学生の神様トキ君の言葉は、もっと単純明快です。 

人から沢山の「ありがとう」を言ってもらうと、お金持ちになる。  です。 

つまり他人に施した 

・優しさ

・いたわり

・愛

・笑顔

・勇気の出る言葉 

それらは、全て自分から出て、他人の心に「神さまの火」を灯し、 

心を震わせ、「ありがとう」という言葉で自分に帰ってきます。 

そのエネルギーこそが、

豊かさ(言い換えれば人間界のお金)の源泉であるということです。 

これを機会に、是非 

・不平不満、愚痴、悪口を口にせず

・人の幸福を喜び

・人の悲しみに、ともに涙し 

・日々の糧を与えてくださる神々に感謝し

・苦しみや、悲しみの出来事を起こし、魂を磨こうとしてくださる神々に感謝し

ともに、笑い、泣いてくれる家族や友に感謝し、

一日を過ごしてみませんか。 

きっと良き運命が始まる、スタートの日になるかもしれません。


2026年10月29日木曜日

4425「第一志望の道」2026.10.29

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月08日の記事を紹介します。


「第一志望の道」


今日は「置かれた場所で咲きなさい」で有名な、

渡辺和子さんのお言葉をご紹介します。 

テーマは、私たちが望むものが、一番良いものではなく、 

神様は私たちの「願ったもの」よりも、 

私たちの幸せを増すのに

「必要なもの」を与えてくださるというお話です。 

<引用開始> 引用元

・いつもにっこり笑うこと。

・人の身になって思うこと。

・自分の顔を恥じないこと。

この「3 つの化粧品」は、

・お金がいらない、

・使っても減らない、

・使えば使うほど質がよくなる、

・どこへでも持っていける。

・そしてアンチエイジング、

つまり、年をとらないために、

とても大事な「化粧品」だと思います。

どんなに忙しくても、いや、むしろ、忙しいからこそ、

一日の中、5分でも、10分でも静かな時間、

一見「無駄な時間」をつくらなくてはいけないのです。

いつまでもおぼえていたら、とても辛いだろうと思ういろいろなことを、 

ありがたいことに私たちは忘れることができる。  

そして、時間というお薬があるんです。

「自分と仲良く生きる」といい。

好きな自分と四六時中一緒にいる人は、自然と笑顔が多くなり、

言葉から刺がなくなり、相手の言葉をふんわりと

受け止めることができるようになるから不思議です。

今という瞬間は、

・今を先立つわたしの歴史の集大成であると同時に、

・今をどう生きるか、次の自分を決定するということです。

人生は点のつながりとして一つの線であって、

遊離した今というものはなく、

過去とつながり、

そして未来とつながっているわけです。

神様は私たちの「願ったもの」よりも、

幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。 

それは必ずしも、自分が欲しくないものかもしれません。

しかしすべて必要なものなのだと、

感謝して謙虚に受け入れることが大切です。

人生はいつもいつも第一志望ばかりを歩けるものではありません。  

そして必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、 

自分にとって最良と言えないことだってあるのです。 

<引用終了> 

このブログでは、毎回、 

・不思議系のお話

・霊のお話、

・目に見えない世界のお話 

ではなく、

心の浄化に重点を置いたテーマで書いています。 

大変に地味です。 

月刊ムーに出てくるような不思議な話や、

本当にあった怖い話のような話は、 

ワクワクして好奇心をそそるもので、楽しいものですが、

心の洗濯のお話は、地味です。 

ですが、「地球の転換期」と言われる今、

昔のように平時とは異なり、 

私たち自身の意識的な心の浄化が急務な課題と思われます。

次元降下と次元上昇が、

それぞれの心の状態によって同時に起こっていると言われるからです。 

岡本天明が下した神示、(国之常立神(くにのとこたちのかみ))には、

下記のようなことが書かれているそうです。

・またたきの間に天地引っ繰り返るような大騒動が出来るから、

 くどう気つけて(=警告して)おくぞ。

 さあという時になりてからでは間に合わんぞ。

 用意なされよ。(ひふみ神示・下つ巻第28条)

・大峠となりてからでは、いくら「改心します」と申しても、

 「許してくれ」と申しても、許すことはできん。(ひふみ神示・ウメの巻第6条) 

私たちの日々の生活の中で、

起きてくる様々な現象は、全て神様が起こしてくださっています。 

渡辺和子さんが仰るように、 

神様は私たちの「願ったもの」よりも、

幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。 

・電車に乗り遅れることも

・リストラに会うことも

・誰かとけんかすることも

・病気になることも

・事故に遭うことも

・誰かと別れることも 

全部、私たちの幸せを増すのに「必要なもの」を

神様が与えてくださったものです。 

長い目で見たら、後で振り返ってみたら、 

その無駄だと思った出来事

嫌なことだと思った、その出来事が、 

必ず、人生の良き方向への

ターニングポイントだったと分かるはずです。 

このように神様に対する絶対的な信頼感で、

日々の出来事を見てみると、

全ての出来事が感謝の種になってきます。 

感謝の心さえ、起こってくれば、

神々の恩寵が、光のように降り注ぐことでしょう。 

何故なら、神々の恩寵は「感謝の心」を媒介して起こるからです。


2026年10月28日水曜日

4424「青空ひろば」2026.10.28

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


イノチの学校より88 2026.09.16 ~イノチの学校より98 2026.09.27


親鸞さんは、夢のメッセージによって導かれたという、不思議な歩みをされたそうです。

その歩みを見ていきましょう。

まず親鸞さんが生まれる前のこと、親鸞さんのお母さんが夢を観られました。

その時に如意輪観音さんが夢に出てきて、「五葉の松」をお母さんに授けられた。

そして親鸞聖人の出生を予告しました。

これから貴方が妊娠する、その赤ちゃんは私(如意輪観音さん)の思いを叶えてくれる人であり、貴方(お母さん)の思いを叶えてくれる人である。

そう告げた。

夢で渡された「五葉の松」これ面白いですよね。

これは「御用の待つ」、御用を待っていますということ。

貴方の息子は神さま仏さまの御用を叶える人なのですよ、御用が叶う時代を待っていますよというメッセージです。


「五葉の松」は「御用の待つ」というメッセージですねとお話しましたが、

五井先生も似た体験を、自叙伝に面白いことを書いておられます。

神さまと出会って、その神さまが五枚の葉っぱを次々と渡してくれたと。

これを五井先生は意味をわかって書いておられたのか、自叙伝には特に書かれていません。

そういう体験があったと記されています。

これも五枚の葉、つまり「五葉」は「御用」ですね。

神さまの御用を果たしてくださいね

というメッセージ。

さて、親鸞さんは承安三年に京都の日野、伏見区で生まれます。

ちなみに道元さんも伏見区でした。

4歳で父と別れ、8歳で母と別れて9歳で出家、比叡山で天台宗の僧となられた。

そして19歳の時に、聖徳太子廟に参籠された。籠もられたのですね。

これは大阪の太子町にある叡福寺(えいふくじ)という所です。

その時に夢の御告げがあったと記録されています。

「第二夜の14日、四更(午前2時)ごろ、自ら石の戸を開いて聖徳太子が現れ、廟窟の中はあかあかと光明に輝いて驚いた。」

その時、親鸞聖人に告げられた聖徳太子のお言葉

『我が三尊(弥陀、観音、勢至?)は塵沙(じんしゃ)の界を化す、日域は大乗相応の地なり、諦に聴け諦に聴け、我が教令を。汝が命根は応に十余歳なるべし、命終りて速やかに清浄土に入らん。善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩を』

その時の記録として、親鸞さんはこう記されています。

「時に、建久二年九月十五日、午時初刻、前の夜(十四日)の告令を記し終わった。 仏弟子 範宴(得度名、親鸞さんのこと。)」

『我が三尊』っていうのは定説では阿弥陀さん、観音さん、勢至さんですが、わからないですね。

この時は浄土の教えが確立していた訳ではないので、三尊の意味は違ったかもしれません。

で、『塵沙の界を化す』は世界中を救うという事。

『日域』は日本のこと。聖徳太子の時代って意外と国際的でね、世界中の宗教が日本に入ってきていました。

大乗仏教もそうだし、小乗仏教も、キリスト教もゾロアスター教も…

そういう色んな教えが入ってきていた。

聖徳太子さんはそれを全て勉強して、日本は何をもとにして繁栄していったらいいか?とお考えになって、大乗仏教が相応しいとされた。

それが『日域は大乗相応の地なり』という事。


『諦に聴け諦に聴け、我が教令を。』

私のこれから伝えようとしている事を、よく聴きなさい。

『汝が命根は応に十余歳なるべし、』

君の寿命はあと十年余りですよ。

『命終りて速やかに清浄土に入らん。

善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩を』

命が終わったら清浄土(清らかな世界)に入る事ができる。

本当の菩薩をよくよく信じなさい。

という事で、貴方の寿命はあと十年ですよと告げられた。

なかなか厳しいですね?19歳の時に言われたらね。

それがずっと親鸞さんの心のなかに残っておられたのでしょうね。

夢で言われた事が心に残っていたのでしょうね、親鸞さん28歳のこと。

19歳から数えてもうすぐ十年になるというので、寿命だと夢告された歳になってきました。

比叡山の南にある、大乗院というお寺に籠もられました。

その時に新たな夢告を受けます。

「参籠の満願にあたる12月30日の四更(午前2時)、如意輪観音が現れて、親鸞聖人に夢告。」

『善いかな、善いかな。汝が願、まさに満足せんとす。善いかな、善いかな。我が願、満足す』

汝(親鸞さん)は、寿命を延ばしたいと祈願し参籠した。その願いは満足される(叶う)。

そうして寿命が延びたら、そこからは生まれ変わることになります。

そこからは、私(如意輪観音)の仕事をしてください。役割を果たしてください。(我が願、満足す)

私(如意輪観音)の御用を、菩薩となって果たしてくださいね。

と伝えられて、ここから新たな寿命、天命を親鸞さんは授かったのですね。

ここからは菩薩としての働きの寿命になります。


29歳で比叡山をくだる。

天台僧として出世していくことは、如意輪観音さんの願いとは違ったのですね。

庶民として地上におりて、皆と一緒に生活し、共に生きて皆を救っていく。

それが如意輪観音さんの願いなのです。

そうして山をおりて、京都頂法寺六角堂に参籠。

「女犯の夢告」(「救世観音の夢告」)を受ける。

これはおそらく、親鸞さんは性的な事柄をどう考えるのか、悩んでおられた。

重いものを抱えておられたのかなと思います。

出家はそもそも女性と接したらいけないと、決められていますからね。

そんな中このような御告げを、聖徳太子(救世観音)から夢で告げられた。

行者宿報設女犯 (行者宿報にて、たとい女犯すとも)

我成玉女身被犯 (我玉女の身となりて犯せられん)

一生之間能荘厳 (一生の間 能(よ)く荘厳して)

臨終引導生極楽(臨終に引導して極楽に生ぜしむ)

現代語訳しますね。

女性と関係を結ぶような事があったとしても、私は玉女の身となって貴方に犯されましょう。

一生の間、よく貴方の道の歩みをサポートします。

貴方がお亡くなりになれば、極楽浄土へと連れていきましょう。

この様に伝えられた。今までは罪の意識ばっかりだったのが、女性と共に添い遂げる自由を得た。その覚悟が決まったのですね。


29歳 かつての兄弟子 聖覚法印(せいかくほういん)に導かれ、生涯の師・法然上人に出会い入門。

ちなみに、法然上人は語録でこんな事も仰っておられますね。

「出家した方がお念仏を唱えやすいなら、出家しなさい。在家でいた方がお念仏を唱えやすいなら、在家でいなさい。」

在家って一般の家庭で、ふつうに生活しながら信仰することですね。

そういう風に大切なのは形式ではないよと。

お念仏を根本にすえて、どういう風に人生を生きたら唱えやすいのか?

それを考えて生涯を歩んでいきなさい、そのように教えられています。

親鸞さんにはそうした教えの心が、ピタッときたのでしょうね。


35歳、権力者や聖道諸宗の攻撃を受け、法然一門は解散。

法然、親鸞両聖人が流刑。親鸞さんは越後国直江津(新潟)へ追放されます。

39歳の時に放免されます。

法然さんも親鸞さんも放免、つまりは許されたのですが、法然さんは四国へ追放されていて、親鸞さんは新潟へ追放されていました。

親鸞さんは法然さんに会いたいと強く望んでいたそうですが、新潟は豪雪地帯で、新潟で家族をもっていた親鸞さんはすぐに会いに行くことができませんでした。

罪を許されたのは11月頃だったそうなので、激しい雪の時ですね。

そして、親鸞さんが40歳になる頃には法然さんは亡くなられます。

法然さんは罪を許されて、京都に帰って2ヶ月程で亡くなられたそうです。

当時80歳ですからね。長旅や体力的な消耗があったとも言われています。

親鸞さんはそこから関東へ移住して、

52歳で 「教行信証」を著す。主著ですね。

60歳ごろ京へ帰る、76歳以降、著書の多くを著す。

そして、85歳 で「夢告讃」というのがありました。


親鸞さん最晩年、85歳の時に受けた夢の御告げを受けて詠まれた「夢告讃」。

正像末和讃(しょうぞうまつわさん)という詩歌の冒頭にこう記しておられます。

「康元二年二月九日の夜寅の時(午前4時)、夢のお告げにいわれるには」

弥陀の本願信ずべし

本願信ずる人はみな

摂取不捨の利益にて

無上覚をばさとるなり

「阿弥陀如来が法蔵(ほうぞう)菩薩という菩薩であった時に、48の誓願を立てた。

その願(約束)によって、念仏を唱えたものは必ず極楽浄土へ迎え取る。

そういう願いが達成されたのだから、

それを信じなさい。(すでに願いは達成されている。)

それを信じる人は皆救い取る。(決して見捨てる事はない)

その御利益によって、必ず仏になれるのです。」

晩年に記した書物の冒頭に、この夢告讃を置かれたのですね。

そして90歳で入滅された。

その時代としては随分長生きですよね、道元さんは亡くなったの54歳ですからね。

文章みても感じますね、道元さんはキラッキラッキラッとね、ボンボンボーンと飛んでいきますから。

ついていくのが大変ですけど。

親鸞さんはウネ、ウネ、ウネ、という感じでね。

どこに切れ目があるかわからないような、そういう文体を見てもわかりますね。

長生きされる人の粘りとか、道元さんのようなスパッとした感じでね、その生き方が伝わってきますね。(完)