2022年6月29日水曜日

2742「七夕のお願い」2022.6.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月21日「負けるが勝ち」と

2022年06月22日「七夕のお願い」の2つの記事を紹介します。


負けるが勝ち


さて今日は、萩本欽一さんのお話をご紹介します。

「負けるが勝ち」というテーマです。 

欽ちゃんは、いつも易しい言葉で、大切なことを、分かりやすく伝えてくれます。 

私たちが幸せになるための方法です。

<引用開始> 引用元

 

「負けるが勝ち」よくこう言いますよね。僕もそう信じています。

でも、なんで負けるほうが勝ちなんだと思いますか?

僕なりの理由はこう。

負けたほうが運がたまるから

誰も必ず人と意見が衝突することがあるけれど、そういうとき「自分のほうが正しい」とか「議論に勝ちたい」って、つい思っちゃいますよね。

でも、そう思ったら負け。

勝とうとすると自分の運が減っていくんです。

カッとなって「てめえ、ばか野郎!」なんて相手に言うと、

それだけで運が10ポイントも減点されちゃう。


「てめえ」でマイナス2ポイント、「ばか野郎」で8ポイントの減点。

売り言葉に買い言葉で1時間も相手を罵っていると、

それだけで2000~3000ポイントも運が減ります。

このマイナス分は、なかなか取り戻せないですよ。

だから言い合いになったときは、自分が正しくないかということより、

運を減らさないことを大事に考えたほうがいいの。

相手が「てめえ、ばか野郎!」と言ってきたら、

「あ~あ、あの人、自分の運を減らしちゃったよ、

その分をこっちがもらっちゃおうかな」と心の中で考えるの。

具体的な方法はどうすればいいかというと、謝っちゃうんです。

「そうか、悪かったね」とか、「ごめん、君の言う通りだよ」って言えばいい。

えっ、そんなの悔しい?

そう、悔しいよね。

自分が謝る場面じゃないのに「悪かったね」なんて言うと、損したような気がする。

でも、そのときあなたには、相手が失った10ポイントの運がたまっています。

気持ちで損をするのと、運が10ポイントたまるのと、

どっちをとるかっていったら、運がたまるほうがいいでしょ?

こうやって少しずつ運のポイントをためていれば、宝くじだって当たるかもしれないしね。

もう一つ大事なのは、自分が一歩引くことによって、相手に嫌われるのを避けられるっていうこと。

人に嫌われないっていうことは、すごく運になるの。

それでまた10ポイントついてくる。

人生って結局、運をどれだけためられるかっていう勝負なんです。

だから、そのほかの勝負で勝とうなんて思わなくていいの。

だからバ~ンと言われても、ぐっとこらえて言い返さない。

負けるが勝ち。

いや、我慢していい言葉を返していくとポイントが

次々に加算されるから「負けるが勝ち、勝ち、勝ち」だね。

勝ち、勝ち、勝ちって、火打石がカチッ、カチッ、カチッと鳴って

火がポッポッポッとつくようで景気もいいでしょ。

今の日本では、運をなくしている人が多いですよね。

これもみんなが怒りっぽくなってることと関係あるんじゃないかな。

これからは相手に一歩譲る人になって、小さな運を少しずつためていきましょう。 

<引用終了>

 

さすが欽ちゃん、良いお話ですね。 

・イライラしたり

・モヤモヤしたり

・怒ったり

そうすることで確実に、自分の運気を減らしているのだそうです。

もちろん、私たちは、人の中で暮らしていますから、時には、

イライラしたりするかもしれません。

それは、当たり前のことです。 

ですが、そこにいつまでもしがみつかず、直ぐに、別の楽しいことに 頭を切り替えて、

その原因となったものにエネルギーを与えない事。

ずっと、考え続けなければ、その出来事、人に、エネルギーを与えることはありません。

その結果、いつの間にか、記憶のかなたに消え去っていくことでしょう。 

心を汚すことを避けることができるでしょう。 

また

・楽しいこと

・美しいこと

・優しいこと 

そんなもので心を満つことができるでしょう。 

心の状態こそが、全ての現実を作り出します。

負けるが勝ち、、、幸せな人生のための 王道かもしれませんね。

 


七夕のお願い」


毎年この季節に掲載している記事をご紹介します。 

もうすぐ七夕。

今日は子供たちの美しい心のお話です。

美しいものを見たり、聞いたり、触れたりした時に、私達の心のどこかで共鳴が起こります。

そして同じように、醜いものを見たり、聞いたり、考えたりと心に入れてしまうと、その逆もあります。

人間の心は 何処までも、高みに登る事も出来れば、何処までも、闇に沈むこともできます。

出来れば、私達の心の波長を真 善 美に合わせておきたいものですね。

   

それが、一番自然であり、苦しまなくて済みます。 

幸せになる一番の近道だからです。。

でも、落ち込んでも大丈夫です。 

それも結局は、予定調和に至る道ですから・・ 

私たちの内に居らっしゃる神様は、決して見捨てたりしません。 

何時も傍らにおられます。

さて、始めます、知的障害の兄を持つ小学1年生の男子児童のお話。

入学式の日、その児童の席のとなりに、

小児麻痺で左腕が不自由な同級生の男子児童が座りました。

最初の体育のときでした。 

手が不自由な小児麻痺の児童は、着替えるのに30分もかかってしまいました。

時間がかかっても、先生は、何も言わずこの子を放っておくことにしました。

でも、二度目の体育の時間には、この子も他の子といっしょにきちんと並んで待っていました。 

「どうしてだろう?」不思議に思った先生は、次の体育の前の休み時間に、そっと教室の外から見ていました。

すると、隣の児童が、一生懸命に手の不自由な子が着替えるのを手伝ってあげていたのです。

そして、その子が着替え終わると、二人で校庭に元気よく駆け出していったのです。

先生は、やはり何も言わずに見守ることにしました。 

七夕の日のことです。 

ちょうど授業参観日でした。

 

先生は子どもたちに願い事を書かせて、それを教室の笹に下げておきました。

お母さんたちが集まったところで、先生は、一枚一枚、短冊を読んできました。

一年生ですから、 

「あのおもちゃかってちょうだい」

「おこずかいちょうだい」

「まんが本がほしい」 

というようなことが書いてありました。 

その中に一枚だけ、こう書かれていました。

「かみさま、ぼくのとなりの子のうでをなおしてあげてください」

あの世話をしていた、児童が書いたものでした。 

先生は、この一途な祈りを読むともう我慢できなくなって、あの体育の時間のことを、

お母さんたちに話しました。

小児麻痺の子のお母さんは、

「子どもがどんなに教室で、不自由しているのだろう」

「迷惑をかけているのだろう」

「申し訳ないことをしてしまった」 

と悩みながらと教室に入れずに廊下からじっと様子を見ていました。 

が、先生の話を聞いたとき、突然、廊下から飛び込んできました。

教室に入るなり、ぺったりを床に座り、この児童の首にしがみついて絶叫しました。

「坊や、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。ありがとう、ありがとう、ありがとう。・・・・」 

その声がいつまでも教室に響き渡ったそうです。

人を思いやる気持ちって、本当に美しいですね。

 


 

2022年6月28日火曜日

2741「青空ひろば」2022.6.28

今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。


704 2022.06.25 

たとえば、台風をイメージして下さい。 

反時計まわりに気流が渦巻いて、中心の「台風の目」と呼ばれるところがアリますね。 

今、アルといいましたが、よく見ると台風の中心はカラッポで何もナイですね。何もナイのだけれど、その中心のまわりを気流全体がまわっているというのも本当です。 

この「台風の目」にあたるところが「本当の自分(真我)」です。 

でも、その真我は本当はなくて(これが無我)、ナイけれども、全世界の必要が、この渦をつくり出し、台風の目であるあなたという存在を創り出しているわけで、全世界の要請によって、大宇宙全体にバックアップされ、後ろ盾されて、ここにこうして生きている「我」なのですから、宇宙いっぱいの「我」でもあるわけですね。 


703 2022.06.24

ありがたいと 気づいたとき 

ありがたい人生が 開けてきます 

うれしいと 気づいたとき 

うれしい人生が 開けてきます 


700 2022.06.21 ~702 2022.06.23 

秀才と天才の違いを考えてみましょう。 

秀才とは、その人が秀でた能力を持っていて、その持ち前の自分の力量で仕事が出来るという人のことです。 

それに対して天才とは、自分を無くす(無心・無我)ことによって天とつながり、天から必要な能力なり、パワーなりが降りてきて、それらの力を自らの肉体を通して現し出してゆける人のことです。 

秀才は自分の能力で仕事をする人ですから、いつの日か限界に達してそれ以上の仕事が出来なくなりますが、天才は自分の力で仕事をするわけではなく、自分はいつもカラッポで、カラッポだからこそ、必要な時に必要な能力やモノ、人などがいくらでも流れ込んでくるのだから、ガンジス川の河原の砂粒の数を数えつくして尽きるとも、その才能は尽きることがないのです。それで禅の方では『無一物中無尽蔵(むいちもつちゅう むじんぞう)』などという言葉があるわけです。

秀才の道というのは、持って生まれた自分の筋肉、頭脳、性格などの能力で仕事をするわけですから、万人に可能なことではありません。

しかし、天才の道は、自分がやってやろうというわけではなく、その自分というものに愛想が尽きて、自分をやめてしまった時に、天から流れ込んできて、その人の個性にあわせた形で発揮される才能ですから、誰でも使うことができる才能です。

それぞれの人にふさわしい独自の才能が天に用意されていて、自分に頼る生き方さえ止めれば、すぐ天才が降りてくるのです。


696 2022.06.16~699 2022.06.19 

迷いの中に悟りを持ち込もうとする人が、一番始末におえない人です。

いったんチラッと悟りの世界をのぞいたんですね。そして、今、迷いの世界にいるのです。ただそれだけのことなんですが、悟りの境地になれば、もう迷いはないと錯覚していたんですね。 

もともと、「いのち」は流れなんで、括り付けに出来るものはひとつもないのです。 

「悟り」だってそうですね。悟りは何の仕切りもないから「悟り(差取り)」なんで、悟りはカラッポで、どこにも取っ手はありませんから、括り付けには出来ません。 

悟った人でも、もちろん迷います。悟り、迷い、それらを一歩、一歩として、イノチは前進成長してゆくのですから。 

ところが、いったん悟りの世界をのぞいて、今、迷っている人は、『こんなはずじゃない』と思うのです。『ああ、あれが本来の私の姿なんだから、あんな状態に戻らなくちゃ』と足掻くのです。このように、迷いの中に悟りを持ち込もうとするからつらいのです。

『悟りを開いた人が、迷う時はどうですか?』という禅の質問があります。

その答えは、『鏡が砕け散って再び照らさない。花が散ったら、もう枝に戻ることはない』です。

悟りの時は、何だか世界を一目で見る鏡になったような気がしますが、迷いの時は、何事もちっとも見通せません。

鏡が砕け散って照らさなくなりましたが、迷いの時に悟りを持ち込もうとする態度は、またもとの鏡に戻そうと、みみっちく破片をくっつけようとするような態度です。

本当の悟り(大悟)の人は、鏡に未練を残さず、ものの見事に砕け散ってやろうというという心意気、気合いで迷いの時に立ち向かいます。

悟りの時は次々成果が上がって、我が人生に花が咲く時節です。でも、そんな時もやがて去り、花はしなびて落ちてゆきます。そんな時、またあの枝に戻りたいと醜い悪あがきをせずに、思い切って散るに任せる心意気です。それが出来る方が「大悟」の人です。


694 2022.06.14 ~695 2022.06.15

本当に悟った時は、『オレは悟っている』という意識を残しません。 

ちょっとでも悟ったという覚えが残っている間は、まだ本当の悟りではありません。 

こんな例で考えることもできるでしょう。 

目の前に餅があります。この餅は悟りのたとえです。 

目の前に餅がチラチラしている間は、その餅はまだ我がモノとはいえません。 

目の前の餅が見えなくなりました。部屋中すみずみまで捜しても餅は見つかりません。 

『はて、どこに行ってしまったのか』 

ふと気づいたことには、『あっ、そうか。僕が食べちゃったんだっけ』 

目の前に餅がチラチラしなくなって、はじめて餅は我がモノとなったのです。 

そうなったら、もう世界中捜してもどこにも餅はないのですが、餅は私の手や足や、頭の働きやらに姿を変えてはたらき出すことになるのです。 


693 2022.06.13 

私たちは『ウロウロ・オロオロ』、迷いに迷いを重ねてギクシャクとした人生を生きています。 

でも、そういう人生がダメだというわけではありません。それは今のあなたに必要だ、あなたが一層成長するためにはどうしても必要だからと、大宇宙が配慮して、あなたにそのような人生が提供されているのです。ですから、自分を否定したり、卑下したりしてはいけません。堂々と、今出会っている、大宇宙から与えられた課題に取り組んでゆきましょう。 

失敗しても、成功しても、それはどっちでもいいのです。大宇宙があなたに望んでいるのは、逃げ出さず、顔をそむけず、真摯に対応し、立ち向かってゆこうとする姿勢だけです。 

ものの見事にズデンとひっくり返っても、そのソコはあったかい仏様の手の平の上なのです。 


692 2022.06.12 

人間は自由でなければなりません。涙を流したり、笑ったり、腹を立てたり、病気になったり、失敗したり…、そんな自由がなければなりません。 

そうなってはじめて、自分の人生のあらゆる局面を受け入れ、認め、許し、自分が自分であることを、過去から未来まで含めて全面的に肯定できるようになるのです。 

自分を認め、許し、受容できるようになってはじめて他の人を、認め、許し、抱擁できるようになる。そうなってはじめて仏様です。 



悟っている人(悟りにしがみついている人)には迷う自由がありません。

あるところに、悟りを開いた聖者だと自他共に認めている人がいて、その人が病気になったのです。

ところが、悟った人は病気にならないということになっているそうで、それで困ってしまって、こっそり医者に来てもらって治療しているということを聞きました。なんとも窮屈なことですね。病気する自由もないなんてね。


690 2022.06.09

仏様とはどんな方でしょうか? 

仏様は、一度は悟ったのですが、世界中の人が迷いの世界で右往左往しているのに、自分一人超然と悟りの世界で安らいでいるという、そんな独善の態度の誤りに気づいて、そんな悟りを放棄して、悟りの山を下って、ドロンコの迷いの世界の真っ只中に飛び込んでゆく。そんな<あやまち>を再び犯そうと決心出来た人こそが仏様なのです。 



2022年6月27日月曜日

2740「たった一つの宝物」2022.6.27

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月19日の記事を紹介します。


「たった一つの宝物」


今日は 

・病気のお子様を持つ親御さん

・早くに子供を亡くされた親御さん

に、書きたいと思います。 

以前書いた記事ですが、最近読者の皆さんの数が増え、

中には早くにお子さんを亡くされた方々も多いため、加筆して再掲いたします。 

子供が、どんな状態であろうと、生きて、そこに居てくれるだけで、どんなに幸せで、有難いことか? 

私たち、親の人生を、どんなに豊かにしてくれることか。

そして、例え、親より先に逝ってしまったとしても、

彼らの生きた証は、私たちの心に永遠に刻まれ、私たちの魂を、

どんなに豊かに輝かせてくれることか。 

いつかは、そのことに気付く時が来るはずです。

今日は、明治安田生命「たったひとつのたからもの」で有名になったダウン症と合併症で夭逝した加藤秋雪くんのお話をご紹介します。 

<転載開始> 転載元

 

笑ったり、ベソかいたり、そんな姿が 私たちの元気の源でした。

秋雪が生まれたのは、1992年の10月。

生まれた季節が秋だったのと、夫が大好きな「雪」から名前をとりました。

「ダウン症の疑いがあるので、一度検査を受けたほうがいい」

そう言われたのは、生後一週間目のこと。

病院で検査した結果、ダウン症であることが判明。

さらにダウン症の合併症として、重い心臓障害をかかえていることもわかりました。

医師からは「生後半年のあいだに絶対に風邪をひかせてはいけない、ひいたらそれで終わりです。生きられたとしても一歳の誕生日を迎えるのは難しいでしょう」 

そう宣告されました。

頭の中が真っ白になるほどの衝撃でした。

たったの一年。まだ生まれて一カ月だというのに、なぜ、命の長さを宣告されなければならないの。

なぜ、そんな運命を背負って生まれてきたの……。 

あまりのショックで、何も感じることができませんでした。

秋雪を守ろう、

そう決意しても、残酷な現実に、何度も心が壊れそうになりました。

そんな私を、ぎりぎりのところで支えてくれたのは、秋雪の存在そのものでした。

暖かなぬくもりのある体。 

笑ったり、ベソかいたり、楽しそうに手足を動かしたり。

そんな秋雪の姿が、私の元気の源になりました。 

ともに過ごす一分一秒を愛おしみつつ撮り続けた6年2ヵ月。 

死を覚悟してからは、「生きていられるだけで、ごほうび」という気持ちに。

そんなふうに切り替えてからは、秋雪といられる一日、一分、一秒を愛おしく感じつつ、

一瞬も逃さずに大切にしたいと思いました。

思い出を少しでも多く残したくて、どんな所へもカメラを持っていき、6年2カ月の間、本当にたくさんの写真を撮りました。

朝、目覚めたとき、秋雪のおだやかな寝息に、上下する胸の動きにほっとする。

今日も秋雪に会えた…… 

・ごはんを食べる、

・トイレに行く、

・おこる、

・泣く、

・笑う、

・眠る

その、砂の数、星の数ほどの幸せのかけらを、秋雪がいつも握っていました。

この写真を撮ったのは、98年の8月。秋雪にとって生涯最後の海です。

帰る間際の駐車場で、今まであまり見せたことのない、おだやかな表情を浮かべていた秋雪を、お父さんが抱きしめた瞬間でした。

秋雪を亡くして1年後、偶然知ったコンテストに応募するとき「たったひとつのたからもの」と題名をつけました。

秋雪は私たちに、抱えきれないくらいのたくさんの幸せを残してくれました。

それは、私たちのこれからの人生を支えてくれるほどの、大きな大きな幸せでした。

「ぼくは生きているよ」と、全身で表現していた秋雪。 

いつも全力疾走していた秋雪の命が、私たちに精一杯生きることを教えてくれました。

<転載終了>

 

私たちは、命の長さよりも、生きている瞬間、触れ合っている瞬間

どんな気持ちで、その瞬間瞬間を過ごしているのか?感じているのか?

そんなことが、大切なのかもしれません。 

ここで、一つの物語をご紹介します。

あるご家族の娘さん(7歳)が亡くなりました。

子どもを亡くしてから一年経ってもこのご夫婦は「娘にもう一度会いたい」と嘆いていました。ある日のこと、水色の天使がその夫婦の前に突然に現れて言いました。

「今、あなたの持っているすべての財産と引き換えに、亡くなったお嬢さんと 一緒に過ごせる日を一日だけプレゼントできますが、 どうしますか?」 

その夫婦は迷うことなく OKしました。 

そして水色の天使が続けて言いました。

「しかし、ルールがあります。あなた方は、プレゼントされた1日が終わるまで、 

今ここで約束したことや、お嬢さんと死別したことなどの記憶は消されてしまいます。

それはまるで、過去に戻った一日を自然に過ごす感覚ですよ、それでもいいですか?」 

その夫婦はお互いに顔を見合わせてゆっくりとした口調で「分かりました。」 と返事をしました。 

その瞬間パッと光が・・・  あっ!まぶしい・・・ 

次の瞬間には、いつも通りの朝になっていました。

ですが、夫婦は、天使と約束したこと、娘が死んでしまう事など、一切の記憶を無くしていました。

そうです、娘が生きていた頃の何気ない一日の始まりでした。 

朝から「早く起きなさーい!!」妻の大きな声。

パジャマ姿で機嫌悪そうに起きてきた髪の毛のボサボサな娘。

眠たい目をこすりながら新聞を読む夫。

貴重な貴重な一日が始まりました。 

私たちが生きている今日は、それは、いつか未来に水色の天使に全財産と引き換えに頂いた「今日」なのかもしれませんね。

皆さんはご家族と一緒に暮らしていますか?

ご家族が居らっしゃらない方は、お父さん、お母さん、同僚やご友人。

そんな皆さんと、仲良くされていますか?

それとも、顔を見るだけでため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?

言うことを聞かない子供、旦那さまなど・・

その方が、明日は、いなくなってしまうかもしれません。

もし、胸がきゅんとなったのなら、何気ない日々の暮らしの中で、どうぞ笑顔で、優しく接してください。

今日のこの日は、永遠に続く日々ではありません。

家族も いつかは離ればなれになってしまいます。

手のかかる、言うことを聞かない、心配の種の子供も・・

自分勝手な夫も、嫌味ばかりを言う親も、明日は いないかもしれません。

いつか、別れの時が来ます。

ともに、この地球の同じ時代に生まれ、そして縁によって結ばれた家族たち 

それは、私たちの魂を磨き合う仲間でもあります。

外見の態度や言葉で 切り捨ててしまうのではなく、その心の奥にある、魂を見つめたいですね。大切に大切に したいですね。私たちは、生まれる前に、お互いの魂同士で約束してきたのですから。 

「家族になろうね」って




 

2022年6月26日日曜日

2739「神々の恩寵」2022.6.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月17日「神々の恩寵」と2022年06月20日「否定の言葉」の2つの記事を紹介します。


「神々の恩寵」


お金や物質など、目に見える物のみを信じ、

それを手に入れるために人の心や命までも奪おうとする勢力と、

物の後ろに隠れている、目に見えない神様の心を大切にしようとする勢力が 、

今最後の大きな戦いの最中です。 

時代は確実に変わろうとしています。


新しい「心の時代」に入るためには、

私たち自身の心も、同じような波動にしておく必要があります。

神々を信じ、人の心を、自分と同じように大切に扱うこと。 

では、今日も新しい時代を明るい心で迎えられるように心のお話を掲載します。 

「ありがとう」 そう私たちが言う時、感謝の念と共に、この言葉を口にします。 

また小林正観さんが仰るように、全く感情(感謝の念)を込めなくとも、

ただ言葉を発するだけでも良いと言われています。

感情を込める、込めないに関わらず、いつの間にか、自然と、無意識に、

涙のこぼれる時が、訪れるそうです。 

春日大社の元宮司、葉室頼昭さんの仰るように 

神々の恩寵は、いたるところに、平等に注がれているのに、 

それを受け取れる人、受け取れない人がいる。

その違いは、「感謝の心」を持つかどうか? 

感謝の心を持つことで、その心を媒介として

神々の祝福が、現実化されると仰っています。

日本には、縄文の古くの時代から、日本人特有の生きざまがありました。 

フランシスコ・ザビエルなどの時代。 

世界の中で、日本が発見(再認識)された時、 

進んだ西洋文明の人々が、驚異と畏敬の念で、日本人の中に発見した生きざまです。

それは、

・自然を敬い、

・和をを尊び、

・足ることを知り、

・平和を愛し、

・助けあい、

・お互いさま、お陰さまの気持ちで生きる、

まさに 日本の 

古神道と言われる生き方です。

  

まさに日本人の生き方そのものが神道であると言われています。 

ですから、私たちの心を縛るものは一切ありません。 

支配し、コントロールしようとする者もありません。

私たちの心は、本来の無垢の姿を失わず、伸びやかに、躍動的で、

神々の創造の世界を生きることができます。

私たち日本人は、古くから自然や天候、山、川、動物、植物の中に神々を見出し、 

・生かされていることに、

・そして命の恵みを頂くことに

感謝の思いで日々を生きてきました。 

・これが無い、あれが無い

・人に認められたい、愛されたい

・あれも欲しい、これも欲しい

・人より上に立ちたい

・尊敬されたい、一目おかれたい

そんな意識はこれっぽっちも持ちませんでした。 

ですが、時が下るにつれ、ものが溢れ、物質文明が発達し

持てる者、持たざるものが生まれ、嫉妬の心が生まれました。 

欲しいものが手に入らなければ、幼児のように、駄々をこね拗ねて(すねて)、

不平不満、愚痴を外に吐き出します。

嫉妬します。 

 

口から吐き出された不平・不満・愚痴、そして、嫉妬と疑心暗鬼の心は、

 漆黒の渦のエネルギーとなり、ご自分だけでなく、

身近な人まで巻き込んで不幸の種となることでしょう。 

これらのエネルギーは時空を超えて滞留し、悪しき出来事の温床となります。

逆に感謝の心、ありがとうの言葉を口にして、助け合い、認め合い、

足るを知る心を持ち、笑顔で日々暮らしていくならば、

神々のエネルギーで満たされ、物は無くとも、健康ではなくとも、

そこには笑顔が絶えず、幸せなエネルギーで満たされることでしょう。 

ありがとうの言霊、この言霊は、その深い意味を知らずとも、

それを発する者の周りをこのような神々のエネルギーで満たす力があります。 

不平、不満、愚痴を言う前に、もし嫉妬の心に駆られてしまったら、

黒いエネルギーを吐き出す代わりに、

まず、感謝の言霊、「ありがとう」を口に出してみてください。 

最初は、苦痛かもしれません。 

「あ」という言葉も言えないかもしれません。 

ですが、小林正観さんが仰るように 、

念仏のような、呪文のような言い方でも最初は構いません。試してみてください。

きっと、あきらめさえしなければ、いつかは黒い霧は晴れ、

気付けば、爽やかな日が差し込み、神々の恩寵が現われてくることでしょう。 

ご自分も、ご家族も、笑顔で、お幸せになれるでしょう。

  


「否定の言葉」


今日は、斎藤一人さんのお話です。 

斎藤一人さんは、もう何度も納税日本一になった人で、現実のビジネスシーンでも成功しているひとです。

一人さんは、小さなころから、この神さまに教えられてきたそうです。 

そんなビジネスの第一線に在りながらブッダや神さまのお話を分かりやすい言葉で、

丁寧に教えてくださっています。

今日のお話も「否定することで、あなたは何か、良いことがあるんですか?」 

というお話ですが、 

簡単なようで、できていない人が沢山いらっしゃるように思います。

ですが、一人さんが仰るように、態度をちょっと変えてみるだけで

幸せな人生に変えることができます。 

それでは、ご紹介します。 

<引用開始> 引用元

 

誰かと話しているとね、必ず否定論を入れたがる人がいるの。

“妄想してもいいことが起きません” 

“妄想すると、人から変な人だとか言われますよね?”とか。

あのね、どうして物事を否定的に言うの?って。

物事は、どこからでも否定することができるんだよね。

だけど、否定することで、あなたは、何か良いことが あるんですか?って話なの。

否定的な角度から話をされると、その場にいるみんなが面白くなくなるんだよね。

で、俺にやるくらいだから、よそでもやってるよねって。 

だから、人生うまくいかないんだよ。

人生うまくいかない人って、楽しいシャボン玉みたいなのが飛んでくると、

パッと針を刺して壊しちゃうんだよ。

しかも、そうやって場のムードを壊してるってことに気づいてない。

みんな幸せになろうって、ピラミッドを一段ずつ積み上げているの。

楽しいことを積み重ねているんだよね。

それなのに、脇からそれを壊したらダメだよね。

あなたはまともなことを言っているように思うかもしれないけど、 

ムードを壊しちゃってるんだよ。

そういう人に、魅力がありますかってことなの。

俺たちのグループは妄想を楽しむ会であって、妄想を否定する会ではないの(笑)。

だから、質問するんだったら“こういうときはどういう妄想をしたらいいですか?”とか、妄想する気があることを前提とした内容にしたほうがいいよね。

うまくいかないときは、うまくいくまでやればいいんだよ。

逆上がりでもなんでも同じ。そういうことがわかる人が、魅力のある人なんだよ。

<引用終了>

 

人と話す時、必ず、否定語から入る人がいます。

・だって・・・

・いや・・・

・でも・・・

人が、前向きに、希望をもって・・・

目をキラキラさせて夢や、希望、未来を話して、喜びを共有し・・ 

共に幸せになろうとしているのに・・・

このような否定から入られると 、もう、そこで話は終わってしまいますし、

せっかく、共に喜びあおうとしていた人の心まで暗く、重苦しいものにしてしまいます。

そんな経験をした人は、もうその人の前では夢も希望も語らないことでしょう。

喜びを分かち合おうとは、しないでしょう。 

ますます、その人の周りには眉間にしわを寄せた、重苦しい雰囲気の人しか集まらなくなることでしょう。

ですが、もし、否定ではなく受容、つまり、肯定して認め、一緒に希望や夢を、笑顔で語り合ってくれたなら、 話した人も、百倍も元気になって、本当に夢も叶ってしまうかもしれません 

神さまは、笑顔や希望、明るさ助け合い、受容、許し、そのような雰囲気が大好きですから、神さまからも強力なバックアップがあることでしょう。

  

そして、共に喜びあった二人にはお互いの心の中に、大切な大切な何かが生まれることでしょう。 

その何かは私たちが死んだ後も、天国に持って帰ることができる。 

そして、地球に生まれたがっている全ての生命体が欲しいと願っている物・・

愛を手に入れることができるでしょう。 

一人さんが仰っているように、ちょっと、方向性を変えるだけ、否定から同意、肯定、受容や許し、共感、笑顔に変えてみるだけで、一気に幸せになることができます。


2022年6月25日土曜日

2738「苦しい時こそ予祝」2022.6.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月16日の記事を紹介します。


「苦しい時こそ予祝」


今私たちが置かれている状況は、私たちの心の状態が生み出したものです。

ですので普段から、まわりやTVなどから接する情報も、できるだけ

・清らかなもの

・優しく温かなもの

・思いやりのあるもの

・人に勇気を出させるもの

などにして、好奇心をくすぐる、面白おかしくデフォルメされた・・・ 

・ゴシップ

・人をだましたりa

・嫉妬したり

・恨んだり

・貶めたり

・陰口を言ったり聞いたり

そのような物を見たり聞いたりして、心に入れないようにしたいものです。 

無意識に心に入れたものが、現実化してしまう可能性が高いからです。

もし今の現実を変えたいならば、人や周りを変えようとするのではなく、 

自分の心をきれいに洗濯をしてみることをお勧めします。 

そのためには、感謝の気持ちが大切です。

思ったこと、心の中のことが現実化するとは、

私たちが神さまと同じように作られたからです。 

神々と同じ、創造する力を私たちは与えられているからです。

さて、ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』で有名な故渡辺和子さんは、 

36歳の若さでノートルダム清心女子大学の学長となりましたが、

若さゆえに沢山の苦労をなさいました。

<引用開始> 引用元 

 

思いがけず学長という立場につけていただきまして、やはり苦労がございました。

私はいわゆる「くれない族」というものになりました。

・お辞儀をしてくれない。

・あいさつをしてくれない。

・こんなに苦労しているのに労ってくれない。

そういう「くれない族」。

私は「もっと人様に仕える仕事をさせていただくために入ったのに」

と私を修道院に推薦してくださったアメリカ人の神父様のところにまいりまして、

縷々(るる)不平不満を述べました。

すると神父様は、「あなたが変わらなければ、どこへ行っても何をしても同じだよ」

とおっしゃいました。目からうろこが落ちました。

他人が変わることばかり求め、幸せを他人まかせにしていた自分に気づかされました。

私が変わらなければと思い、私の方からあいさつをする人間に変わる決心をいたしました。

そうすると、周りの方が変わってくださったんですね。明るくなりました。

それまでは、環境さえ変われば、みんなさえ私を理解してくれれば、と思っていました。

神父様の一言で、大切なのは人に頼ることじゃないんだ、と気づきました。

「環境が悪い」「人が悪い」ではなくて、悪い環境ならよくしよう。

よくするためにはまず私が一番先に変わらなければいけない。

発想の転換と申しましょうか、そういう気持ちになりました。

私は傷つきやすいところがございますけれども、そのおかげで、

人様にこういうことをしたら、この言葉を申し上げたら傷つくんじゃないかということがわかる人間になったと思います。

弱さ、傷つきやすさを逆手にとって、相手の気持ちがわかる人間になる。

だから傷つくことのありがたさを忘れてはいけないのです。

時間の使い方は命の使い方。

この世の中に無駄なものは一つもございません。

嫌なことや傷つけられたことさえも私たちは、いいことに変えられるのです。

<引用終了>


渡辺さんは学長として、働き盛りだった五十歳の時、うつ病となり、死を考えた経験があるのだそうです。

そして、周りの方々、取り巻く神々に助けられ、克服しました。

渡辺さんの醸し出す、静謐の中の深い優しさは、そんなところから来ているのかもしれません。

ご自分で苦しみを味わったからこそ、同じように苦しむ人々の心の内が分かり、そして、寄りそい、温かな言葉をかけられるのでしょう。

そう考えたら、ご本人の仰るように病気さえも無駄ではなかったことになります。

返って神々の恩寵となったのです。

神様のやり方は、何時も同じです。

神様は私たちの「願ったもの」ではなく、幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。

それは必ずしも私たちが欲しくないものかもしれません。

でも、全てが必要なものなのだと、感謝して謙虚に受け入れることができれば、人の魂はどんなに光り輝くことでしょう。周りの人たちの心を照らし出すことができるでしょう。

 

お腹が空いた時のひもじさが分かるから、素朴な美味しさを感じることができます。

私たち生きている人間は物事の表面しか見ることができません。

その、ほんの一面だけを見て

・良い、悪い

・幸、不幸。

を判断することはできません。

有頂天になったり、落ち込むことには意味がありません。

どんな人も必ず、時が経って振り返れば、究極的には肉体が亡くなって天に返る時には、今の状況に至るためにはその出来事が必要なことであった、そう気付くことでしょう。

神さまは、幸運を与える前に、必ず、まず、不幸に見える出来事をくださいます。

そして、その出来事に不平や不満、愚痴を言わず、やり過ごすことができた時、幸運がやってきます。それは、必ずセットになっています。

更に、神さまのなさり方が理解できたのなら、きっと前半部分の不幸に見える出来事がやって来た時、感謝の気持ちで受け取ることができるでしょう。

 

また、もっと確実にする方法があります。

それは日本人が古来からやってきた方法、予祝(よしゅく)です。

祝福をあらかじめ予定するのです。いわば前祝い。

先に喜び、先に祝うことで、次に来るであろう、喜びの現実を引き寄せる。

これは、日本人が古来からやっていた夢の叶え方だそうです。

お酒を飲みながら、お米がたわわに実ることを想像し、仲間とワイワイ先に喜んでしまう、前祝い。

それが夢の引き寄せであり、お花見の由来だったのだそうです。

どのような現実が、起ころうと、私たちの運命は、全て結果オーライになるように組まれています。

そうであれば、常に感謝の気持ち、笑顔で生きて行きたいものですね。



 

2022年6月24日金曜日

2737「美しい魂」2022.6.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月15日「美しい魂」と2022年06月18日「お陰さま」の2つの記事を紹介します。


「美しい魂」


諸行無常という言葉があります。

時は刻々と変化し、この地上にあるものは、

一時も同じ状態にあるものはなく、変化を続けています。

変化の力こそが、この宇宙の進化の推進力となるからです。

唯一変化しないもの。それは神様の真理だけです。

人間である私たちも、同じ場所に立ち止まってばかりいるわけにはいきません。

取り巻く環境も変化をするし、家族、友人を含め、人とのつながりも変化していきます。

出会いがあり、別れが繰り返されます。

時には死によって強制的な別れがもたらされることもあります。

数年前まであんなに仲良く一緒にいた人たちが

今ではほとんど接触がなかったり疎遠になったり。


逆に、昨年まで見ず知らずの人たちが新しい友人として、存在したり。

毎週毎週、親しくお付き合いしているかもしれません。

永遠に続くと思われた家族との幸せ。

もしかしたら、それも突然の死によって、終わりを告げるかもしれません。

私たち人間は、深い悲しみやショックを受けると時が止まり、

その状態から抜け出せなくなります。

ひどいときには自分の魂が分割してしまい、

その一部を、その時間と空間に置いてきてしまうことさえあります。

生霊と同じ原理です。

魂を分裂させた場合、

本来のエネルギー100%の状態から、グンと生命エネルギーが減少します。

そのままの状態では、私たちの魂の属するグループ全体は、

進化の道を行くことができませんから、必ずいつかどこかでどこかの時間で、

私たち自身が分断された魂を集めなおし統合するしかありません。

深い悲しい出来事は、私たちの魂にショックを与え、生まれて来た目的を

一旦ストップさせ、長く続く悲しみの中で、

まるで明けることのない暗闇の中に放り込まれたような感情を味わうかもしれません。

そのショックが起きた時と、空間に魂の一部を置いてきてしまうかもしれません。

ですが、その「深い悲しい出来事」も、

本当は、私たちが生まれてくる前に計画してきたことです。

「深い悲しい出来事」を与えてくださった方々も、

私たちの今世の計画に協力するために、

その計画を手伝い、「深い悲しい出来事」を起こしてくださいました。

全ては、私たちに「悲しみ」という強い感情を味合わせ、

それを契機として、魂の進む方向性を変えるためです。

そのために、嫌な役回りを引き受けてくださいました。

もし私たちが、その「深い悲しい出来事」のために魂の進化の停滞を起こし、

何時までもいつまでも明けることのない深い暗闇の中の住人でいたとしたら、

その嫌な役を敢えて引き受けてくださった方々はどう思うでしょうか?

それは、

・早くに亡くなる子供かもしれません。

・とことん意地悪をしてくる同僚かもしれません。

本当は、そのような人たちも光り輝く魂の持ち主でした。

今世に置いて、約束した役割を果たすために、その輝く魂を一旦封印しているだけです。

もし、そのお相手の方が、まだ生きていらっしゃるなら、

その約束してきた役割が全うされた暁には、本来の光り輝く、美しい魂の輝きを、

思う存分に、生きてるうちに現してくださることでしょう。

もし今、嫌な方が周りに居られるのなら、

感謝の気持ちで、今世の役目が早くに全うされるのを祈ることが良いかもしれません。

役割さえ果たされれば、本来の美しい魂に、そして二人の間にあった

本来の美しい友情関係に戻れるからです。



「お陰さま」


今日も、ご縁のある皆さんに、生きている今の物質の世界、また見えない非物質の世界(黄泉の国)を、幸せに生きる秘訣、心をテーマに書きたいと思います。 

私が神社に行って、いつも唱える言葉の1つに、 

生きとし生けるもの、みんなが、お陰さまの気持ちで、生きられますように・・

というのがあります。

これには沢山の願いが込められているのですが、生きとし生けるものが 

・お陰さまの、謙虚な気持ちで生きて行けますように

・助け合って生きて行けますように

・他人の個性、尊厳を認め、尊重して行けますように

・心が尊大になりませぬように

・他人を見下すことがありませんように

・おごり高ぶることがありませんように 

など様々な意味を込めて、お祈りしています。 

私たち、みんなが、この「お陰さまの気持ち」を持って謙虚に生きられたら、

他人を思いやる優しい気持ちで生きられたら、この世の中からギスギスした雰囲気が消え、春の日差しのように、心地よい、温かな光に包まれることでしょう。

   

そこに住む、みんなの顔が、笑顔で溢れ、笑い合って暮らしていけることでしょう。

そんな、願いを込めて、お祈りしています。

さて、このお陰さまに関して、とっても良い詩があります。 

上所重助さんと言う方が書いた「おかげさま」という詩です。 

以前も掲載したことがあったのですが、ご紹介します。 

<引用開始> 引用元

 

夏が来ると「冬がいい」と言う 冬が来ると「夏がいい」と言う

太ると「痩せたい」と言い 痩せると「太りたい」と言う

忙しいと「暇になりたい」と言い 暇になると「忙しい方がいい」と言う

自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い 自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う 

借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる 金を持てば 古びた女房が邪魔になる

所帯を持てば 親さえも邪魔になる 

衣食住は昔に比べりゃ天国だが 上を見て不平不満の明け暮れ 隣を見て愚痴ばかり 

どうして自分を見つめないのか 静かに考えてみるがよい

一体自分とは何なのか

親のおかげ 先生のおかげ 世間様のおかげの固まりが自分ではないか

つまらぬ自我妄執を捨てて 得手勝手を慎んだら 世の中はきっと明るくなるだろう 

「俺が」、「俺が」を捨てて 「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい

 

<引用終了>

  

本当にその通りですね。私たち人間は結構、我がままです。 

その我がまま(我欲)が本来の魂の輝きを隠し、罪、穢れとして付着してしまい。 

運命を暗く、苦しいものにしてしまいます。

人生が順調の時は、どうしても、「お陰さま」の気持ちを忘れがちで、尊大な心になることもあります。 

そんな時は、もしかしたら他人に対する優しさを忘れてしまっているかもしれません。 

自分の思い通りにならなければイライラしてしまうかもしれません。 

感受性が鈍り、すぐそばに居る人の、瞳の奥に隠れた 

・寂しさ

・悔しさ

・不安

・恐怖

・ひもじさ 

などを見過ごしてしまうかもしれません。

もしかしたら、病気やケガ、急なリストラ、貧困、離別などは、 神さまが、私たちに 

大切な「お陰さま」の気持ちを思い出させるために起こしていることかもしれませんね。 

   

もし、私たちの心がお陰さまの感受性を持つならば、自然と感謝の気持ちに溢れ、 

「ありがとう」の言葉が、口から出てくることでしょう。 

そして、既に、その時は生きながら、天国を実現している状況です。 

まさに空海の仰った言葉の通りの状態です。 

空海は仰いました・・・ 

生きとし生けるもの、すべてに命があり、心がある。

そのことを忘れてはいけないよ。

すべては、一人一人の命の働きから始まるのだ。

難しく考えることはない。

素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。

さすれば、道は開くであろう。空海は、そう仰ったのでした。 

生きながら天国に住む、仏の心になる。 

これが、空海の説いた即身成仏の意味です。 

皆で協力し、助け合い、お互いさま、お陰さまの 謙虚な気持ち、 

温かな気持ちで仲良く暮らしていきたいものですね。

この「お蔭様」の感受性を持つことで、きっと幸せに暮らしていけると思います。

2022年6月23日木曜日

2736「生きる道」2022.6.23

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月14日の記事を紹介します。


「生きる道」


今日は「努力しない生き方」というお話です。 

この生き方は、現在の大きな時代の節目のただなかに生きる私たちにとって

生きる道の方向を指し示してくれています。

私たちは子供のころから「努力しなければならない」そう教わってきました。 

しかし、例えば、子供が不登校になったり、病気したりすると、 

途端に不安に陥り、右往左往してしまいます。

それはまるで

・競う

・争う

・比べる

の修羅の世界ですね。

それに対して、

・競わない、

・比べない、

・争わない 

生き方と言うのもあります。

今日は小林正観さんのお嬢様、慶子ちゃんのお話をご紹介します。

慶子ちゃんは知的障害で生まれてきました。

<引用開始> 引用元


ニッコリ笑っていてくれるだけで、まわりを温かくし、光を発している知的障害の長女。

ここに人間の価値がある。

結婚して三年目にやっとできた長女は知的障害児で、努力やがんばることができません。

二十七になりますが、知能でいうと七歳くらいです。

日常生活にはなんの問題もありませんが、自分の名前を漢字で書いたり、

足し算、引き算をしたりなどはできません。

しかし、この子は、自分より立場の弱い人、怪我をしている人を見れば、 駆け寄って『大丈夫?』と手を貸すような子どもで、教えられることがたくさんありました。

小学校四年生までは運動会の徒競走が五十メートル、五年生と六年生は百メートルでした。

長女は小学校五年生まで、徒競走はずっとビリでした。

染色体の異状により、脳細胞や体の筋肉が普通の人の三分の一くらいしか発達しないため、ものを持ったり、走ったり、歩いたりなど、なにかをする能力は三分の一くらいしかありません。

そのため、走るというより速歩きという感じです。

小学校六年生のとき、運動会に行く前、なぜか妻がとても楽しそうでした。

『今日はいつもより楽しそうだね』と言うと、

 妻は『初めて徒競走でビリじゃない姿が見られるかもしれない』という返事。

どういうことなのかと尋ねたところ、次のような話しでした。

同級生の女の子が、運動会の一週間前に捻挫をして、包帯ぐるぐる巻いている状態だったそうです。

誰もが徒競走に出ないだろうと思っていたところ、 

『どうしても走りたい』と言い、困った先生は、最終組で長女と走らせることに。

健常児六人+捻挫した子と長女の合計八人で走ることになりました。

捻挫して、包帯を巻いている子と走ることになり、 

『長女が生まれて初めてビリではない姿を見られるかもしれない』と言い、 

ニコニコ笑いながら朝、二人で手をつないで出かけて行きました。

夕方、ニコニコして帰ってきたので、『どうだった?』と尋ねると、 

満面の笑みで、『それがまたビリだったのよね』という答え。

すいぶん楽しそうな顔だったので、経緯を教えてもらいました。

健常児六人が五十メートルくらいのところを走っているとき、

長女は十五メートルくらいの場所を走っていた。

捻挫をした子は十メートルくらいの地点を走っていたそうです。

長女は、後ろを振り返り、気にしながら前を走っていたところ、

捻挫をした子が『キャッ』と言って転んでしまいました。

それを見た長女は『大丈夫?』と言って逆走し、その子を助け上げ、肩を支えながら、

一緒にトコトコと走ります。

ゴールする前に、捻挫をした子の肩をポンと押し、その子が先にゴールしたと、妻は言いました。

九十メートルくらいのところで、係のお子さんがゴールテープを取り直して張ったそうです。

父兄が二千五百人くらい来ていたそうですが、みんな立ち上がり、九十メートルあたりからは拍手をして応援してくて、感動的な光景だったと。

長女は捻挫した子を助けながら走ったにもかかわらず、最後のところで、自分は先に行かず、彼女を先にゴールさせたということです。

妻が『それでまたビリだったのよねぇ。そういう子どもだもんねぇ』と笑顔で言うのを、

私は苦笑いして聴いていました。

しかし、その苦笑いしていた顔が、だんだん真顔に。

私は、父親から 『努力しないやつはバカだ、クズだ』と何十万回と言われ続けて育ちました。

『どうもそうじゃないみたいだ』と思いながら生きてきたものの、長女の生き方が

父親から教わったこととはまったく違い、衝撃を受けました。

私にとって人生観を根底から覆すような出来事だった。

そのため、一週間考えました。

一週間考えて出た結論は『長女の生き方が正しい』というものでした。

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ただ、私の魂がどちらの生き方を喜んでいるかと考えたときに、長女の生き方が本質だと思い、喜んでいる自分がいることに気がつきました。

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私たちは、小・中・高・大学・大学院、会社、社会、家庭というすべてのところで、 

・努力しないやつはバカだ、クズだ

・競いあい、比べあい、人より抜きん出ることが立派な人間である

・負けてはいけない

・成功しなければならない

と教えこまれてきました。

 


しかし、『人間の価値は、それらとは違うところにある』

この新しい価値観を長女が教えてくれたのです。

長女は、いつもニコニコしていて、私が家に帰ると、眠い目をこすりながら

『お帰り』と言って玄関先で迎えてくれます。

いつもニコニコしていて、楽しそうに、幸せそうに暮らしています。

『努力しないやつはバカだ、クズだ』という価値観とはまったく違い、

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ただそこにいるだけで、まわりの人に幸せを感じさせてくれる存在です。

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この子が笑顔でニコニコしているだけで、まわりをとても温かくし、和やかな空気にします。

小学校を卒業するとき、校長先生が次のようなコメントを書いてくれました。

『慶子さんの、笑顔とありがとうという言葉は、学校の中で最高のものでした。 

これほど笑顔とありがとうの言葉が似合う子どもはいなかった』と。

私は父親から 

・がんばらないヤツはバカだ、クズだ

 と何十万回と言われて育ってきました。 

長女が生まれてこなければ、ずっとその価値観で過ごしていたでしょう。

 

しかし、わが家に知的障害児の子どもが生まれてくれたおかげで、

人間の価値は、努力すること、がんばることではないと教えられました。

長女は、ニッコリ笑っていてくれているだけで、まわりをとて温かくし、光を発しています。

ここに人間の価値があると教えに来てくれたのです。

<引用終了>


2つの道のお話でした。

良い悪い、正しい、間違いと言うことは無いと思うのです。

人それぞれの人生ですから、ある方は、必死に努力し勝ち抜いて、人より地位や名誉、

お金を得る道が好きかもしれません。

ですが、いつも心が追い詰められ、

・もっともっと努力しなければ

・努力をやめたらおしまいだ

・一回失敗したら「負け犬だ」

などと思ってしまったら、きっと神さまから頂いた純粋な魂が濁ってしまいますね。

人と競わずとも、いつも精神的に追い詰められて「もっと上へ」と馬車馬のごとく

精神的にゆとりのない生き方でなくとも、

神さまは私たち全ての人に生きる道を準備してくださっています。

それは私たちが生まれる前に、神さまと一緒に決めてきた道です。

私たちは小鳥たちのように、運命の流れに身を任せ、全てに「ありがとう」と感謝して生きていれば、上手に生きられるようになっています。

・お金持ちだから、

・地位や名誉があるから、

・大きな外車に乗っているから、

・広い家に住んでいるから、

・偏差値の高い学校を出たから・・

幸せなのではないと思うのです。

私たちの本当の幸せは、ブッダが説いた般若心経の教えのように全ての自分に起こってくるコト。 

良いことも悪いことも、肯定して受け入れそして感謝することで、得られるのかもしれませんね。

自分に起こってくる全てのコトは、私たちが生まれる前に神さまと一緒に、私たちの魂の成長のために、一番、必要なものとして、人生の必要な時期に起こるように、自分で人生に組み込んで、この地球に生まれてきたのですから。