2026年9月8日火曜日

4374「厳しい環境と美しい心」2026.9.8

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年08月21日の記事を紹介します。


「厳しい環境と美しい心」


一つ質問です。

あなたの人生振り返ってみてください

・最も成長した時期は楽な時ですか?

・それとも困難な時ですか?

きっと多くの人は困難な時と答えるでしょう。

さて今日のお話です。 

全ての悩み、苦しみの原因は心が作り出しています。 

幸せも、心が作り出しています。 

素直な感謝の心さえ持てれば、今すぐにでも幸せになれます。 

心の中に憎しみがあっては、幸せに何時まで経っても手が届きません。 

今日も、その心を清め、本来の光り輝く魂を表に出す、お話です。 

このように書くと、何だかお祓いの効果に似ていますね。 

今日のお話は、耳が聞こえない聴覚障がいがあるご両親に育てられた女の子が、

心優しい娘に成長し、そしてお嫁に出て行こうとする時のお話です。

私たち人間は、裕福で、お金の心配もなく、

健康で、家族にも取り立てて問題もなければ、 

普段は、自分の心の状態を振り返ることも、 

心の中にある、嫉妬やねたみ、悪魔的な要素に気づくこともないかもしれません。 

それゆえに、反省なく、心を清めようなどと自ら思うこともなく、 

何時までも魂の成長は望めないかもしれません。 

翻って、貧困や、事故、病気、死別、リストラなど、 

人生の一大事な環境に置かれると、

その環境から抜け出したくて、

あちこちに頭をぶつけたり、苦しみ、もがきます。 

悔し涙を流すかもしれません。

ですが、その逆境こそが、

私たちの魂にとって、研ぎ石の役割を果たし、 

私たちの魂をはるか高みにまで連れて行ってくれることもあります。

<引用開始> 「NTT西日本」コミュニケーション大賞受賞作品より


加奈子ちゃんが近所に引っ越してきたのは、

まだ小学校三年生のときでした。

ときどきわが家に電話を借りに来るのですが、

いつも両親ではなく加奈子ちゃんが来るので、おかしいなと思っていたのですが、 

しばらくしてその訳がわかりました。

加奈子ちゃんのご両親は、耳が聞こえない聴覚障がいがある方で、

お父さんは言葉を発することが出来ません。

親御さんが書いたメモを見ながら、

一生懸命に用件を伝える加奈子ちゃんの姿を見ていると、 

なんだか胸が熱くなる思いでした。

今なら携帯電話のメールがありますが、その時代を生きた聴覚障がいを持つ皆さんは、

さぞ大変だったろうと思います。

加奈子ちゃんの親孝行ぶりに感動して、我が家の電話にファックス機能をつけたのは、

それから間もなくのことでした。

しかし、当初は明るい笑顔の、とてもかわいい少女だったのに、 

ご両親のことで、近所の子供達にいじめられ、次第に黙りっ子になっていきました。

そんな加奈子ちゃんも中学生になる頃、父親の仕事の都合で引っ越していきました。

それから十年余りの歳月が流れ、加奈子ちゃんが加奈子さんになり、

めでたく結婚することになりました。

その加奈子さんが、

「おじさんとの約束を果たすことができました。ありがとうございます」

と頭を下げながら、

わざわざ、招待状を届けに来てくれました。

私は覚えていなかったのですが、

「加奈子ちゃんは、きっといいお嫁さんになれるよ。

だから負けずに頑張ってネ」

と、小学生の加奈子ちゃんを励ましたことがあったらしいのです。

そのとき「ユビキリゲンマン」をしたので

どうしても結婚式に出て欲しいというのです。

「電話でもよかったのに」と私が言うと、

「電話では迷惑ばかりかけましたから」と加奈子さんが微笑みました。

その披露宴でのことです。

新郎の父親の謝辞を、花嫁の加奈子さんが手話で通訳するという、

温かな趣向が凝らされました。

その挨拶と手話は、ゆっくりゆっくり、

お互いの呼吸を合わせながら、心をひとつにして進みました。

「花嫁加奈子さんのご両親は耳が聞こえません。

お父さんは言葉も話せませんが、こんなにすばらしい花嫁さんを育てられました。

障がいをお持ちのご両親が、加奈子さんを産み育てられることは、

並大抵の苦労ではなかったろうと深い感銘を覚えます。

嫁にいただく親として深く感謝しています。

加奈子さんのご両親は、

“私達がこんな身体であることが申し訳なくてすみません”と申されますが、

私は若い二人の親として、今ここに同じ立場に立たせていただくことを、

最高の誇りに思います」

新郎の父親の挨拶は、深く心に沁みる、

感動と感激に満ちたものでした。

その挨拶を、涙も拭かずに手話を続けた加奈子さんの姿こそ、 

ご両親への最高の親孝行だったのではないでしょうか。

花嫁の両親に届けとばかりに鳴り響く、

大きな大きな拍手の波が、

いつまでも披露宴会場に打ち寄せました。

その翌日、新婚旅行先の加奈子さんから電話が入りました。

「他人様の前で絶対に涙を見せないことが、

我が家の約束ごとでした。 

ですから、両親の涙を見たのは初めてでした」

という加奈子さんの言葉を聞いて、

再び胸がキュンと熱くなりました。

<引用終了>

この花嫁の女の子、幸せになって欲しいです。 

いえ、きっと幸せになった事でしょう。 

幸せとは、自分の心が感じるものだからです。

周りの状況は、関係ありません。

子供の幸せを親ならだれしも望みますが、 

本当の躾とは、うるさく子供を縛ることではなく、 

親の生き様、生きる姿勢を見せることかもしれません。

親の一挙一動、心の動きまでも、 

子供たちは見ていて真似るものですから。 

心の中に憎しみの種はないか? 

心の中に常に感謝の意識が宿っているか?

ご自分の未来の幸せのために、

どうぞ、もう一度点検してみてください。


2026年9月7日月曜日

4373「青空ひろば」2026.9.7

今回は大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


イノチの学校より60 2026.08.17 ~ イノチの学校より61 2026.08.18

チャーリー・ジョーンズさんの著作

「Life is tremendous」の中に、3つの決断というのが出てきます。

〈決断1〉なんのために人生を送るか

『向上するため。人として成長するため。学ぶためにこの地上で生きてゆくんだ』

と決断する。それが生きていく第一歩になるんだと書いておられます。

これだけしっかり持ってたらもう大丈夫やと思いますね、人生。どれだけ苦しいことが出てきても、ここの所で自分は成長できる、成長するんだというのを持っていたら、それで大丈夫です。

〈決断2〉誰と共に人生を送るか

誰と共に生きるかの決断として、典型となるのは夫婦関係ですね。

本の中でも例として夫婦関係について書いておられます。

これは一例ですよね。

これからね、仲間同士でコミュニティが出来ていくと思いますが、そういうコミュニティの中で皆と関わっていく。

そういう生き方も良いですよね。

〈決断3〉何をして人生を送るのか

これは仕事に対する覚悟のお話でもあります。

まずそれぞれの仕事ですよね。

大敬の場合は学校の先生という仕事を果たしていく、そこで成長していけた。

それと同時に道の歩みを果たしていく。

これはね、こうでないといけないというものはなくてそれぞれの人のイノチのバランスがあります。

ある人は学校の仕事を全うする、道の仕事を全うする、学校の仕事と道の仕事両方を全うする。

それぞれの人が誠実に自分の役割を果たしたら良いですね。

ジョーンズさんの仕事に対する言葉を紹介しておきますね。

『それではこっそりお教えしよう。なんであれ「仕事」というものは一種類しかない。

すなわち、細々として、単調で、手間がかかり、厄介で、退屈なもの。これこそが、どんな職業についていようとも、誰もが克服しなければならない課題なのだ』


ジョーンズ氏のもとで働いている社員が彼に言いました。

「辞めるしかないみたいです」。

ジョーンズ氏は理由を尋ねました。

「とても天職とは思えません。何をやってもだめなんですから・・・」。

ジョーンズ氏は言いました。

「何をやってもだめ?まさしく、君のやるべき職についている証拠だな。将来有望じゃないか」自分が今、やっているつまらない、つらい仕事の外に、どこかで天職が待っていると思う人には、いつまでたっても天職はやって来ないものなのですね。

今、ココの、この下らない仕事を天職に出来ないような人に、天職を引き寄せることは出来ないからです。天職は、自分の外にあるものではなく、それにふさわしい人間に成長した時に、その人が生み出すものなのですね。

最後にもう一つだけ、ジョーンズ氏の言葉

『うまくいかないからこそ、うまくやれるようになる。このことが分かれば成長している証拠だろう。神が人の気持をくじくのは、その人に力を付けさせたい時だけだ』

なかなか強い教えなのでね、真面目に考えて、これで挫けてしまわなくて良いですからね。

大敬の話はもう少し柔らかで包容力があって、みなを許していけるようなものですから、

逃げて逃げて逃げまくってもいいですからね。

そういう人は、大敬のお話を聞きにきてみてくださいね。


イノチの学校より59 2026.08.16 

チャーリー・ジョーンズさんの著作

「Life is tremendous」より、7つのルールの4つ目を紹介します。

〈第4のルール〉

『よりよい人生は与える能力から生まれる。

見返りを期待せずに与えようと努めれば、ほんとうに与えることになる。見返りを期待せずに与えれば、与える能力がかならず伸びる。与える能力が伸びていくにつれて、出荷可能な蓄えができ、いつでも与えることができるようになる。

(註)ギブ&テイクではなく、ギブ&ギブしていれば、ギブする能力が増えてくる。つまり、求めたのではないけれど、どんどん入ってくるようになる(ギブン)。』

だから与えることだけ考えとったらいい。

そしたら、その与えるのに必要なモノとか、人材とか、能力とかが自然に入ってくる。

そういう発想ですね。

だからギブ・アンド・テイクで終わったらそこで終わりやけど、ギブ・アンド・ギブにしといたらさらに大きな自分にね、

成長した器の自分になれる。

なので、何を与えられるのか?をいつも考えておいたら間違いないよという事ですね。


イノチの学校より58 2026.08.15 

チャーリー・ジョーンズさんの著作

「Life is tremendous」より、7つのルールの2つ目を紹介します。

〈第2のルール〉

『(能力は)使わなければ失い、使えば増える。

神はあらゆる人間に特質と才能を与え、「汝の持てるものを使うのなら、増やしてやろう。だが、もし使わないときは、失うことになる」とおっしゃる(現状満足は下り坂のはじまり)。』

筋肉とか身体と同じですね、使ってなかったら衰えていきます。

日々使っていくことが大切ですね。

身体もね、毎日動かしたりしてると、鍛えられていきますよね、同じです。


イノチの学校より56 2026.08.13  ~イノチの学校より57 2026.08.14 

チャーリー・ジョーンズさんの著作

「Life is tremendous」より、7つのルール,3つの決断を紹介します。

タイトルは、直訳すると人生はとてつもないものだ、素晴らしいんだ、というような意味ですね。

どちらかというと成功者の人ですから、

わりと表現には、強い感じがあるかもしれませんね。

僕なんかは教育者やから、もう少し優しい表現をしたいなと思ったりするところもありますけどね。

基本的な所がね、勉強になるので紹介しておきますね。

<第1のルール>

『(今携わっている)仕事にふるいたて(本気になれ)。

ほかでもない自分の仕事に、気持ちをふるい立たせるようにすることだ。

いつかやろうと思っている仕事に対して、ではない。たった今やっている「つまらない」仕事にふるいたて(本気になれ)、と言っているのだ。

つまらない仕事に気持ちをふるい立たせ、喜びを見いだせば、その仕事はすばらしいものになる。』

こんな風に、今やってるつまらない仕事に喜びを見出だせる様になったら、その過程は終了します。

神さまはね、じゃあもうちょっと面白いことやらせてみようかな?と移して下さるから。

そこで奮い立たないと、今やってることで奮い立たないと、次の段階へは行けない、というのがありますね。

谷口雅春先生だったかな?どなたかが紹介されてたエピソードですが、

とある女性が結婚した。旦那さんが、「お前そんなにメシを食うな」とか言ってね、

それに腹立てて離婚した。

でまた時間が立って次の人と結婚した。

そしたら新しい旦那も、ご飯の時に「そんなにいっぱいご飯を食べなくていいよ」と言ってきた。

これで女性は、

あ、これが私の課題なんだ。ここのところを乗り越えないと次の所にはいけないんだ。

と気づいてから、今の家庭で頑張っていくことが出来たそうだと書いてありました。

人生ってそういうものでね、今やってることなんてホントにつまらんかもしれん。

正直ね。ボクも教師なんかやってましたけど、こんなもん!と思うことばっかりでしたよ。

いつもそうですよ?でもそこで逃げ出さないでそこで頑張ったから、またこうして皆さんに話せていますね。

これはとても喜びいっぱいですよね。先生って定年退職したらそれでおわりでしょ?

ボクは終わってからが本番で、楽しみがいっぱいですね。

だからやっぱり、今やってることをしっかりやらないと、次にはいけないよ。ということですね。(完)


2026年9月6日日曜日

4372「自らの足で立つ」2026.9.6

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年08月20日の記事を紹介します。


「自らの足で立つ」


私たちの魂は大本の神様の分け御霊を頂いて、

個別の魂となった後、ある目的を持って進化し続けています。

それは、地球での一生と言った短いスパンではなく、

永遠に続く魂の旅でもあります。

肉体を得ては死に。

また新たな肉体を得ては死に。

その繰り返しをしているのも、

その「ある目的」を達成するため。

その目的とは・・・

魂の進化。

進化して、再び元の神様に近づくため。

そのために、いろいろな惑星間転生をするようですが、

今は、地球での転生で、学びの途中。 

私たち自身の魂を進化させるには、

・心を純化すること

・包身(ツミ)

・氣枯れ(ケガレ)

を払い、本来の神様の輝きに戻すこと。

このために、物質界の地球では様々な出来事に遭遇して行きます。

喜び、悲しみ

愛、憎しみ

おもいやり、ねたみ

それらの体験には 良い、悪いはありません。

その体験を通じ、魂は学びを深め、進化していきます。

このような感情を揺さぶる深い経験は、

肉体を持つ時にしかできません。

ましては、他人が自分に代わって経験してくれるものでもありません。

何処かの誰かが、

・何かをしてくれたから、

・何かをしたから

魂が進化するわけではありません。 

そのような他人依存では、

魂の進化どころか、退化になってしまいます。

悪魔の喜ぶ状況です。

目を覆うような残酷なことや、

戦争を引き起こすのだけが悪魔の仕業ではありません。

巧妙に私たちの魂を堕落させ、

神様から離してしまうのも悪魔の常とう手段です。

私たちの生きる目的

長い長い魂の旅の目的

魂の進化は

自らの意思と行動によってなされていくものです。 

安直にどこかの誰かにお金を出してお願いしたり、

どこかの神社仏閣にお参りに行ったからといって、

自分の魂が進化するわけではありません。

そのことの大切さを、

いにしえの聖者たちは教えてくださっていました。

ブッダもイエスも空海も、

どこかの誰かに頼りなさいなどとは一言も言ってはいませんでした。

目に見えない不思議な力に頼りなさいなどと、言ってはいませんでした。

神様は、私たちに決して命令などしません。

「何々せよ」などとは仰いません。

辛抱強く、私達自らの意思で、

魂を浄化し、洗心することを望んでいらっしゃいます。

長い長い時間のスパンの中で、私たちを見守ってくださっています。

自らの意思で

・魂を浄化しよう

・心をきれいにしよう

・より神様に近づこう

と決めること・決心することは、なかなかできないこともかもしれません。

めんどくさいですし、どこかの誰かに頼っていた方が楽ちんだからです。

ましてや それを日々の生活の中で、

行動に移し込むことなどめんどくさいですし、

できればやりたくないことかもしれません。

今まで通り 惰性の中で生きていく方が楽です。

誰かに頼ってきていた方が楽です。

ですがこの地球ではそのような態度のままでいたら、

決して物事は進展しませんしよくなりません。

それが神様が作ってくださった 地球の仕組み だからです。 

そのことに気づき、 

面倒でも腰を上げて、

行動に移して行った方がどんどんと 、

本当の幸せを手に入れています。

このブログでもその神様の仕組みの本質を、

色々な角度から、そして噛み砕いて書いています。

時々行うツアーやプレゼント企画、その他のイベントにおいては、 

より深く皆さんと接触しますのでそのことを詳しくお伝えしています。

それをちゃんと信じて実行してくださった方々からは、

いまだにその後もたくさんのお礼のメッセージ、コメントを頂いています

・今までと生き方が変わった

・より神様と近しい関係になれた

・神様やご先祖様からのご加護や 援助を感じられるようになった

・自分だけでなく 家族も明るく過ごせるようになった

など、本当にこの地球上で生活していく上で、

大切な幸せを掴むことができた方が増えて来ました。 

是非皆さんも、一度心を見直して

・他人に頼り、依存していないか?

・自らの意思で変わろうとしているか?

振り返ってみてください。

その心の方向性こそが、

この地球上で、今、一番大切なことだからです。


2026年9月5日土曜日

4371「病気を手放さない人」2026.9.5

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年08月19日の記事を紹介します。


「病気を手放さない人」


今日は「病気を手放さない人」ということで、

元春日大社宮司で、形成外科医だった葉室頼昭さんのお話をご紹介します。 

全ての病気がそうだとは申しません。 

敢えて病気を選んで生まれ、

魂の目的を達成しようとする方もいらっしゃるからです。

ですが、お医者様である、葉室さんの仰ることに、

当てはまる方も多いのではないかと思い、ご紹介します。 

<引用開始> 引用元

私はいつも、患者さんの気持ちを神様に対する感謝に向けるようにしています。

それによって、自分の病気のことから、神さまの方に心を向けられ、 

やがては、病気が良くなっていることに気付くようになるからです。

神社では、神様に「健康にしてください」とご祈祷においでになる方が多いようですが、

しかしこんな方は、なかなか神さまのお恵みを受けることができません。

なぜなら、「健康にしてください」ということは、

自分が病気だと思っている現れだからです。

 <中略>

「神さま、健康にして頂いたありがとうございます」と 

感謝をするのが、本当のことなのです。

心を放てば神さまのお恵みがいただけます。

いつも心に病気をつかんでいる人は、病気になりやすく、 

逆に

すべてを良い方向に考え、感謝をしている人は病気になりにくいのです。

<引用終了> 


また、病気と感謝の心について、こうも仰っています。 

<引用開始> 引用元

人間がいちばん嬉しいのは、人に認めてもらうことです。

反対に、一生懸命やっても誰にも認められないというのは悲しいものです。

これはなぜでしょうか?

科学で証明されないものや、目で見えないものは信じないなどと言う人がよくいますが、

この宇宙には、絶対に、永久に見ることができないものがひとつあります。

それは何かというと、自分自身です。

自分という人間は永久に見ることができません。

鏡や写真などに映して見てはいますが、あれはあくまでも影を見ているわけです。

自分はどんな顔をしているのかも分かりません。

自分自身を知ろうと思えば、他人から見てもらうしかないのです。

もしあなたが女性であれば、

「きれいですね」「若いですね」と言われれば嬉しいでしょう。

それは、自分では自分のことが分からないからです。

男性は、「素晴らしい」「立派だ」といわれると、

ああそうなのかという気がして嬉しくなるでしょう。

生き生きした気持ちになると思います。

これと同じで、人間の身体の細胞一つ一つもみんな生きています。

ですから、認めてあげることで、やはり非常に生き生きとしてくるのです。

この体は、生まれてからずっとこの何十年一秒の休みもなく働いてくれています。

この体に生かされているのに、

ご主人さまが一向に褒(ほ)めてくれないとなると、細胞も怒ります。

もう力が出なくなってしまうのです。 

ですから、一つ一つの細胞を、

「素晴らしいね」と認めてあげて、感謝してあげる。

これが健康の本当の基本です。

私は、健康のために、感謝の心を込めて毎日、頭から足の先までをなでています。

私は医者で体全体の構造を知っていますから、頭をなでながら、

毛髪、皮膚、頭蓋骨、脳と次々に「ありがとう」と感謝していきます。

五十肩という病気があります。

なかなかなおらないので不平をこぼす人がいますが、

そんな人に「あなた、肩に感謝したことがありますか」と尋ねると、びっくりするのです。

長い間、ものを持ったり、支えてくれたり、いろいろと働いていてくれているのに、

ご主人さまがちっとも感謝してくれないので、肩の細胞が怒っているのです。

それが五十肩です。 

それで、「まず肩に感謝しましょう」といっているのです。

感謝するとなおってきます。

これは本当の話です。 

<引用終了> 

これと同じことを、斎藤一人さんや、

昭和の魂の巨人、中村天風さんも仰っています。

要するに「病気という意識を手放す」ということなのですが、 

でも、「言うは易く行うは難し」かもしれませんね。

簡単に言うと

・病気であることを忘れてしまう

・好きなことに没頭する

などで、病気にフォ-カスしないこと、意識を向けないことです。 

意識を向けないことで、病気にエネルギーを与えないようにします。

エネルギーが与えられないもの、つまり誰からも意識されないものは、 

病気に限らず、存在することができなくなるからです。 

マザーの言葉を思い出します。

「愛の反対は、無関心」

人も、神様も同じ。 

皆様が内なる神さまに気づき、お幸せになられますように。

 


2026年9月4日金曜日

4370「許し」2026.9.4

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年08月17日の記事を紹介します。


「許し」


あなたはもしかしたら、 

・子供や家族、

・会社の同僚、

・友人

・すれ違った人々 

の誰かを、許せないと思ったことはありませんか? 

自分の思い通り(期待していた通り)に、動いてくれないとか、 

自分のひとりよがりの価値観で判断し、 

相手の言動を許せず、憎んだり、

不平を言ったり、イライラしていませんか? 

自分は正義の道を歩んでいるのに、 

相手は割り込みしたり、ぐうたらしたり、

自分勝手な行動をして・・と、怒ってはいませんか? 

でも、その人も、その人なりに・・・ 

一生懸命に、生きているのかもしれないのです。

私達の見えないところに、その人にもご家族もいて、

歯を食いしばって、一生懸命に生きている人かもしれないのです。

今日のテーマは「許し」です。 

許すこと、

人は、

・許されること、

・そして信頼されること 

そのことで、どんなに心が救われることでしょう。

許してくれた人から、受け取った大きな愛を、 

自分の周りの人々にまた、

どんどん広めていくことができるでしょう。

私たちの内に、そして、

全員の胸に居らっしゃる神さまは、

決して罰しません。 

根気強く私たちを見守り、そして許し続けています。

それはまるで、放蕩息子の帰りを、全力で喜び迎えた父、 

神の気持ちと同じです。

私たちは、共に許し、許され、 そして、愛し愛されて、 生きていく仲間同士です。 

私たちは、常に振動しています。

私たちだけではありません。 

存在するもの全てに振動があります。 

波動を発しています。

これを固有振動数と言います。 

バシャールなどの知的生命体の情報では、私たち人間は、

平均値で1秒間に7万6000回、 

波長の高い方(意識レベルの高い方)で18万回、 

肉体を脱いでしまえば、

束縛するものが減りますので、

1秒間に33万3000回位なのだそうです。 

日ごろの意識状態によって、これは常に変化しています。 

変化していくことで、波長の法則の通り、 

繋がってくる世界も無限に変化します。 

・見える物質的な世界

・一般的な神々の世界、霊的な世界

・心の世界 

私たちを取り巻く世界は、全て自分の心が映す世界・・

ですので、心の波長が、

見える世界、取り巻く世界を変えてしまいます。 

龍の姿を見て、 

お酒や、生卵などの物質的なモノを要求していると、

感じる方がいるかもしれません。 

その同じ龍を、高貴な魂の龍と認識する人もいるかもしれません。 

同じものを見ているようで、

心の波長により、繋がる世界、認識できる世界は様々と異なります。

私たち人間は、基本的に神々と同じに作られています。 

ですから、神々が全ての次元に存在するように、

人間も、無限の波長領域に存在できます。 

また、神々が全ての空間に存在するように、

人間も全ての空間に、遍満して存在しています。 

生きている私たちの現在の波長と、フォーカスしている場所によって、

接触できる神々の波長(高貴さ)も決まってきます。

自分自身の信念体系に縛られた時空に生きている人は、

地獄的な低い振動数で、同じ神さまを見ても、

自由度の低い、束縛する神々と繋がることでしょう。 

他人を支配しようとする神々と繋がることでしょう。 

あなたの神さまは 

・祟りをもたらす神さまですか?

・お金や、物を要求する神さまですか?

・些細なことで、お怒りになる神さまですか?

・無知ゆえの失礼を、許してくれない神様ですか? 

人の数だけ、波長の違いがあります。 

人の数だけ、信じる神様の姿、性格が異なります。 

自分が正しく、あなたのは、誤り・・ 

そんなことを断言する資格は、、、

誰にもないのかもしれません。 

私たちの内に居らっしゃる神さまは、許しの神さまです。

イエスは

「何度許せばいいのか?」と質問された時、

「7の70倍」と答えています。 

私も、そんな許しの、愛の神さまと、

いつも、繋がっていたいと思います。 

あなたは、どんな神さまと繋がっていたいですか?

その神さまは、ご自分の心のありさまの通り、

ご自分と同じ波長の神様であることでしょう。


2026年9月3日木曜日

4369「幸せになりたい」2026.9.3

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年08月16日の記事を紹介します。


「幸せになりたい」


今日は、幸せになりたいと願っていても

「いつまでも幸せになれない人」の心の持ち方を書きたいと思います。

この世の中は、全て心が運命を決定しているからです。 

なかなか自分の心を、

自分で見つめてみる作業を、普段は行わないものなので

自分で心のクセを見つけるのは難しいのですが、

例えば

・大きな障害(離婚、失業など)にぶつかった時

・大きな病気、事故に遭った時 

このような困難に会うと、

私たちは

・まずは社会や会社などの周りを呪い、人のせいにして

・何とかそこから抜け出そうと、人や物に頼り

・神仏にすがり

・それでもだめなら、諦め無気力となります。 

ですが、そのような時こそ、

本当は自分の心と素直に向き合う絶好のチャンスです。

神々が与えてくださったラッキーなチャンスです。 

なぜなら、自分の心と向き合い、「感謝の心」の足りなさに気づけたら、 

そしてそれを反省し、改善しようと決心したら、

その途端に運命は大きく開けるからです。 

行動にまで移すまでもなく

決心しただけで変わります。 

では、そんな心のクセの一つを、

小林正観さんが分かりやすい例で教えてくださっていますのでご紹介します。 

正観さんは前世では、ブッダや空海の弟子であったことや、

出身星がプレアデスであったことなどを思い出していました。

<引用開始> 引用元

・交通事故で追突された。どういう意味があるのでしょう? 

・病気で一週間仕事を休んだ。どういう意味があるのでしょう?

・友人にお金を貸したけれど返ってこない。どういう意味があるのでしょう? 

ありとあらゆることに

・どういう意味があるのでしょう?

・何か私に教えようとしているのでしょうか?

とつねにそうやって問いかけてくる人がいます。 

それは質問というかたちをとって、

自分が気に入らないことを言っているだけに過ぎません。

・これが気に入らない

・あれが気に入らない

・これが思うようになっていない

と愚痴や泣き言を言っているだけ。

本人は質問のかたちをとっているのですが、

「どういう意味があるのか」と問うこと自体が現象を否定している。 

だから、そんなことにいちいち関心を持たなくてもいい。

ただ淡々とやっていけばいい、とずっと言い続けています。 

その人たちは、質問というかたちをとって問いかけてくるのですが、

要するに、 「私が気に入るように、正観さん話してください」と言っているのです。

「そこから先は神の領域」という思想があると、

いつも心穏やかに生きていくことができます。

私はつねにそういう概念があるので、すごくラク。

ストレスの少ない生活をしています。

夢や希望に満ちあふれているというのは、

・あれが足りない

・これが足りない

・あれ欲しい

・これ欲しい

と言っていること。

結局ストレスになって思いどおりにならない。

思いどおりにならないのは、「思い」があるからです。 

「思い」をなくして、自分が頼まれてやるはめになったことについては、

何も考えないで、「はい、わかりました」と言いながらやっていけばいい。 

そう思っている人は、ストレスがたまらない。

ストレスがたまらない状態だと、

自分が一番ラクに生きることができます。

<引用終了> 

自分の周りで起きる出来事が 

・気に入らない

・自分の思い通りに運ばない 

そのように口に出さなくとも、不平、不満、愚痴を心に抱けば、

それはいつしか心に巣食う憎しみに変わり、 

一番大切な「感謝の心」とは正反対の状態になってしまいます。 

感謝の心が無ければ、神々の恩寵は届きません。 

神々の光が届かなければ、幸せにはなれません。 

斎藤一人さんは、色々な問題や障害が起こってくるのは、

自分の心に「感謝の心」が足りないよって・・ 

知らせるために起こっているんだよ。 

そう教えてくださいました。 

私たちの心とはそのように、

その状態を全て周りにと投影して見せてくれます。

それほどに神様から頂いた、この心とは大切なものです。


2026年9月2日水曜日

4368「青空ひろば」2026.9.2

今回は大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


イノチの学校より54 2026.08.11 ~ イノチの学校55 2026.08.12

禅の公案解答集より抜粋

<「路逢達道」(無門関 第36則)>

五祖法演禅師が弟子たちに問われた。

「道で達道の人に出会ったら、言葉で応対してもダメだし、沈黙で応対してもダメだ。さて、どのように応対すればいいのか答えよ」

達道の人とは悟りきった人ですね、人生の歩み方をマスターした人のこと。

そういう人に出会ったらどのように応対しますか?

先に人物紹介をしておきます、五祖法演禅師この方は凄い人だと思いますね。

中国宋の時代の人で、公案禅を大成した人。白隠さんの大師匠にあたりますね。

素晴らしいお話を沢山残しておられます。

師として優れ、弟子に公案集『碧巌録(へきがんろく)』の編者である圜悟克勤(えんごこくごん)さんがいます。

ここからの法系が日本臨済宗に繋がっているので、白隠さんにも繋がっているのですね。

公案の解答にいきましょう。

(   )は「二つ」を作る

高・低、上・下、軽・重、大・小、尊・卑、損・得,悟り・迷い

これは(アタマ)ですね。

アタマは二つを作る、頭の働きは「分別識」と呼ばれています、仏教ではね。

分は分ける、別も別れる、そういう分別の働きをするのがアタマですね。

イノチはそんな二つ以前のものですね、分けられ別れる前のものがイノチ。

その時その場でイノチから何が飛び出すのか?自分の知ったこっちゃありませんね。

知らんよ!何が出てくるかわからんよ!

道で悟りを開いた人と出会った時に何が出てくるか?

そんなもんアタマで決める必要なんかない。その時にその人がやってきた時に自然に、その人の悟りに触発されて出てくる何かがあるだろう。それに任せるだけだ!

というのが大敬の解答ですね。

思い切って飛び出してゆく、言い放ってゆくことにしよう

その時、その場、その人にとって一番適切な行動や言葉が飛び出して驚くはず。

だからその、イノチには二つ、ニというものがない。いつも「一」や!というのがこの公案ですね。(完)


イノチの学校より53 2026.08.10

長沙禅師の言葉:

「尽十方界、沙門の家常語」

聞いただけではよくわかりませんね、沙門というは語源はシャーマンです。

シャーマニズムという言葉があったりしますね、沙門の語源はそこから来ていて、お坊さんのことです。

意味は、

「日常生活の何気ない言葉のやりとりで、君の心は宇宙いっぱいに広がるんだよ」

ということ。

常不軽菩薩(お釈迦様の前世と言われている)がしたように、出会う人出会う人に

「貴方は仏さまです」と礼拝する。

挨拶は同じことなんです、出会う全てに

こんにちは!こんにちは!こんにちは!って挨拶していくことによって、自分の心を世界大に広げていく。

囲いを外していくことが出来る。

それを言っておられるんですね。


イノチの学校より47 2026.08.04 ~ イノチの学校より52 2026.08.09

挨拶とはどういうことか?

サッカーの岡田武史さんはこのように言っておられます。

『挨拶とは、僕は君という人間が僕の<心(世界)>に存在することを認めますよ、受け入れますよ、許しますよ。という相手に対する合図。』

挨拶はそういうものだよ、

こんにちは!と挨拶するということは

君(挨拶された方)が、僕の世界に存在することを僕は認めていますよ。OKですよ。ということだと岡田武史さんは捉えておられるんですね。

Aという人がBという人に挨拶したとします。

A→B。 挨拶が返ってこないとしますね。

そうするとA君は、B君が自分の心の中に居ることを認めているけれど、

B君は、A君が自分の心の中にいることを認めていない(拒絶)。そういう事になります。

それで、こういう事を繰り返していけばA君は、次第にB君に挨拶しなくなりますね。

そうなると、A君の心の中からB君の存在は排除されます。

心の中に存在することを認めなくなり、許さなくなっていくのですね。

では、これが学校のお話だとしますね。

B君がクラスの全員に挨拶しないとします。

B君はクラスの全員からその存在が認められなくなり、いない者と見なされる(無視される)ようになっていく。

B君としてはそうですね。

ではここで考えてみましょう。A君は自分から挨拶をしていた、そして挨拶が返ってこないから無視する様になった。

これで問題はないでしょうか?

A君のB君に対する態度の問題点を考えてみましょう。

A君がB君に挨拶しても返事が返ってこない→A君は次第にB君に挨拶をしなくなる→A君の「心」からB君の存在が消えて行く。

そうすると、A君の「心」はそれだけ狭くなり、A君の「徳(心のエネルギー)」は減少します。

元々はB君に届くくらい心は広かったのですね、それが狭くなる。

心の広さと、心のエネルギーは比例するので狭くなれば心のエネルギーも減少しています。

それでは徳とはなんでしょうか?

サンスクリット語でグナ、「使用可能な心のエネルギー」のことを言います。

心のエネルギーが多いと、こうありたいという想いがよく、早く、順調に叶うようになります。心は「タクシー+運転手」、徳は「燃料」。

心さんは目的地まで運んでくれるタクシーであり運転手さんなのですね。徳はその燃料なので、燃料がないと走れませんね。

心のエネルギーは心の広さに比例し、潤いと温かさにも比例する。広い心の人は、徳エネルギーが高く、狭い心の人は徳エネルギーが少ない。

高徳の人、薄徳の人なんて言ったりもしますね。

高徳の人:心のエネルギーが高いレベルにある人で、人も世界も、この人の言うまま、思うままに、なぜか素直に動いてくれる。

舜帝は南を向いて座っているだけで、自然に世界が治まっていった。という逸話はこれをあらわしていますね、高徳な人。

座っているだけで国が、世界が治まったというんですから、凄い人ですね。

薄徳の人:その人が目指すものがどんなに正しくても、人や世界はその人が提案する通りになかなか動いてくれない。

そして不徳な人というのもいますね。

不徳な人:「心のエネルギー」がマイナス状態なので、その人が提案する意見がどんなに正しくても、なぜか人々や世界に反発を誘い、攻撃されてしまう。

おりますよね、意見が正しくても皆から反対されてしまうという人。

挨拶のお話を続けますね。

曹洞宗という宗派の家風にこの様なものがあります。

「書を馳せて家に到らず」

手紙を書きます、出します、返事が返ってきません。

ああ返事返ってこないから書かないでおこう、じゃなくてまた手紙書きます、出します、返事が返ってきません。

それでも書きます、出します、返ってきません。それでもひたすら書き続ける、書を馳せて到らず、これが曹洞宗の尊い生き方としている。

だからA君の挨拶でいうと、

こんにちは!って挨拶してもB君に無視されたら、もうアカン、無視するからB君には挨拶せん。

というのじゃなくてまた次の日も気分を変えてひたすらこんにちは!と言ったら、

もしかしたらB君も、ひょっとしたらある日気分がよくてこんにちは!って返してくれるかもしれない。

ならないかもしれないよ、ならないかもしれないけれどなるかもしれないから。

ひたすらそうして働きかけていくという態度が、曹洞宗の家風。

尊さとしているものですね、そういう在り方もあるんですね。

臨済宗は颯爽としたところがあるけど、曹洞宗はコツコツとやっていく良さがありますね。

面白いのは曹洞宗のお寺の数が一番多いんですよ、浄土宗や浄土真宗じゃないんです。

なんでかいうとどんな山の中でも、曹洞宗のお坊さんはなんとか切り開いてコツコツやっていくんですね。そういう心の姿勢なのですね。

では挨拶について最後にまとめておきましょう。

挨拶はgive & give!:挨拶は見返りを求めて行うものなんだろうか?

 give & take.?

いや、give & give !

すべての存在に挨拶出来るようになれば→すべての存在が僕の「心」に存在することを許せる、受け入れられる、というようになったということ

「心」が世界大に広くなった→つまり、「徳(心のエネルギー)」が増大した

想いがすぐに叶うようになり、人が自分の意見に耳を傾け、受け入れて協力してくれるようになる。

全てのものにこんにちは!といえたら、心の領域はそれだけ広がっているんですね。

世界いっぱいに挨拶できるなら、世界いっぱいに心は広がって、かよい合っているんです。

世界全部が心の中にすっぽりおさまるんですね。

挨拶ひとつでそれはかなうことなのです。

(完)