2026年2月28日土曜日

4182「生きる道」2026.2.28

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月14日の記事を紹介します。


「生きる道」


今日は「努力しない生き方」というお話です。

この生き方は、現在の大きな時代の節目のただなかに生きる私たちにとって、

生きる道の方向を指し示してくれています。

私たちは子供のころから「努力しなければならない」そう教わってきました。 

しかし、例えば、子供が不登校になったり、病気したりすると、

途端に不安に陥り、右往左往してしまいます。

それはまるで

・競う

・争う

・比べる

の修羅の世界ですね。

それに対して、 

・競わない、

・比べない、

・争わない

生き方と言うのもあります。

今日は小林正観さんのお嬢様、慶子ちゃんのお話をご紹介します。

慶子ちゃんは知的障害で生まれてきました。

<引用開始> 引用元

ニッコリ笑っていてくれるだけで、まわりを温かくし、光を発している知的障害の長女。

ここに人間の価値がある。

結婚して三年目にやっとできた長女は知的障害児で、努力やがんばることができません。

二十七になりますが、知能でいうと七歳くらいです。

日常生活にはなんの問題もありませんが、自分の名前を漢字で書いたり、

足し算、引き算をしたりなどはできません。

しかし、この子は、自分より立場の弱い人、怪我をしている人を見れば、 

駆け寄って『大丈夫?』と手を貸すような子どもで、

教えられることがたくさんありました。

小学校四年生までは運動会の徒競走が五十メートル、五年生と六年生は百メートルでした。

長女は小学校五年生まで、徒競走はずっとビリでした。

染色体の異状により、脳細胞や体の筋肉が、普通の人の三分の一くらいしか発達しないため、ものを持ったり、走ったり、歩いたりなど、なにかをする能力は三分の一くらいしかありません。

そのため、走るというより速歩きという感じです。

小学校六年生のとき、運動会に行く前、なぜか妻がとても楽しそうでした。

『今日はいつもより楽しそうだね』と言うと、

妻は『初めて徒競走でビリじゃない姿が見られるかもしれない』という返事。

どういうことなのかと尋ねたところ、次のような話しでした。

同級生の女の子が、運動会の一週間前に捻挫をして、

包帯ぐるぐる巻いている状態だったそうです。

誰もが徒競走に出ないだろうと思っていたところ、 

『どうしても走りたい』と言い、困った先生は、最終組で長女と走らせることに。

健常児六人+捻挫した子と長女の合計八人で走ることになりました。

捻挫して、包帯を巻いている子と走ることになり、

『長女が生まれて初めてビリではない姿を見られるかもしれない』と言い、 

ニコニコ笑いながら朝、二人で手をつないで出かけて行きました。

夕方、ニコニコして帰ってきたので、 『どうだった?』と尋ねると、

満面の笑みで、『それがまたビリだったのよね』という答え。

すいぶん楽しそうな顔だったので、経緯を教えてもらいました。

健常児六人が五十メートルくらいのところを走っているとき、 

長女は十五メートルくらいの場所を走っていた。

捻挫をした子は十メートルくらいの地点を走っていたそうです。

長女は、後ろを振り返り、気にしながら前を走っていたところ、

捻挫をした子が『キャッ』と言って転んでしまいました。

それを見た長女は『大丈夫?』と言って逆走し、 

その子を助け上げ、肩を支えながら、一緒にトコトコと走ります。

ゴールする、前に捻挫をした子の肩をポンと押し、

その子が先にゴールしたと、妻は言いました。

九十メートルくらいのところで、

係のお子さんがゴールテープを取り直して張ったそうです。

父兄が二千五百人くらい来ていたそうですが、みんな立ち上がり、

九十メートルあたりからは拍手をして応援してくて、感動的な光景だったと。

長女は捻挫した子を助けながら走ったにもかかわらず

最後のところで、自分は先に行かず、彼女を先にゴールさせたということです。

妻が『それでまたビリだったのよねぇ。そういう子どもだもんねぇ』と笑顔で言うのを、

私は苦笑いして聴いていました。

しかし、その苦笑いしていた顔が、だんだん真顔に。

私は、父親から『努力しないやつはバカだ、クズだ』と何十万回と言われ続けて育ちました。

『どうもそうじゃないみたいだ』と思いながら生きてきたものの、

長女の生き方が父親から教わったこととはまったく違い、衝撃を受けました。

私にとって人生観を根底から覆すような出来事だった。

そのため、一週間考えました。

一週間考えて出た結論は『長女の生き方が正しい』というものでした。

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ただ、私の魂がどちらの生き方を喜んでいるかと考えたときに、

長女の生き方が本質だと思い、喜んでいる自分がいることに気がつきました。

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私たちは、 小・中・高・大学・大学院、会社、社会、家庭というすべてのところで、

・努力しないやつはバカだ、クズだ

・競いあい、比べあい、人より抜きん出ることが立派な人間である

・負けてはいけない

・成功しなければならない 

と教えこまれてきました。

しかし、『人間の価値は、それらとは違うところにある』

この新しい価値観を長女が教えてくれたのです。

長女は、いつもニコニコしていて、私が家に帰ると、眠い目をこすりながら

『お帰り』と言って玄関先で迎えてくれます。

いつもニコニコしていて、楽しそうに、幸せそいうに暮らしています。

『努力しないやつはバカだ、クズだ』という価値観とはまったく違い、

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ただそこにいるだけで、

まわりの人に幸せを感じさせてくれる存在です。

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この子が笑顔でニコニコしているだけで、まわりをとても温かくし、和やかな空気にします。

小学校を卒業するとき、校長先生が次のようなコメントを書いてくれました。

『慶子さんの、笑顔とありがとうという言葉は、学校の中で最高のものでした。 

これほど笑顔とありがとうの言葉が似合う子どもはいなかった』と。

私は父親から

・がんばらないヤツはバカだ、クズだ 

と何十万回と言われて育ってきました。 

長女が生まれてこなければ、ずっとその価値観で過ごしていたでしょう。

しかし、わが家に知的障害児の子どもが生まれてくれたおかげで、 

人間の価値は、努力すること、がんばることではない、と教えられました。

長女は、ニッコリ笑っていてくれているだけで、 

まわりをとても温かくし、光を発しています。

ここに人間の価値があると教えに来てくれたのです。

<引用終了>

2つの道のお話でした。

良い悪い、正しい、間違いと言うことは無いと思うのです。

人それぞれの人生ですから、ある方は、必死に努力し勝ち抜いて、 

人より地位や名誉、お金を得る道が好きかもしれません。

ですが、いつも心が追い詰められ、

・もっともっと努力しなければ

・努力をやめたらおしまいだ

・一回失敗したら「負け犬だ」

などと思ってしまったら、きっと神さまから頂いた純粋な魂が濁ってしまいますね。

人と競わずとも、いつも精神的に追い詰められて「もっと上へ」と、馬車馬のごとく

精神的にゆとりのない生き方でなくとも、神さまは私たち全ての人に 

生きる道を準備してくださっています。

それは私たちが生まれる前に、神さまと一緒に決めてきた道です。

私たちは小鳥たちのように、運命の流れに身を任せ、全てに「ありがとう」と、

感謝して生きていれば、上手に生きられるようになっています。

・お金持ちだから、

・地位や名誉があるから、

・大きな外車に乗っているから、

・広い家に住んでいるから、

・偏差値の高い学校を出たから・・ 

幸せなのではないと思うのです。

私たちの本当の幸せは、ブッダが説いた般若心経の教えのように

全ての自分に起こってくるコト。 

良いことも悪いことも、肯定して受け入れ

そして感謝することで、得られるのかもしれませんね。

自分に起こってくる全てのコトは、私たちが生まれる前に、神さまと一緒に、

私たちの魂の成長のために、一番必要なものとして、人生の必要な時期に起こるように。

自分で人生に組み込んで、この地球に生まれてきたのですから。


2026年2月27日金曜日

4181「2026年、世界の舞台は日本になる」2026.2.27

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2026年2月23日の記事を紹介します。


「2026年、世界の舞台は日本になる」


こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。

 

さて、みなさまご存じのとおり、今年の青森(津軽)の積雪は尋常ではなく

半ば強制的に自宅待機を強いられ、まさに灯火管制が敷かれている様相

そのものでございました。

また突然の衆議院解散選挙といい、交通や生活体系が、

麻痺してしまう程の異常気象といい、一体何がどうなっているのやら、

いまだに狐にでもつままれたような、そんな奇妙な感覚が続いております。 

お陰様で大雪の峠は越えましたが、世の中はまだ予断を許さない不安定な情勢が

続いているような、そんな気がしております。 

澤野さんからも一言いただきました。

  

今回、第37回青森講演会は、残念ながら中止という判断になりました。

私はどんなことがあっても大体辿り着けるのですが、

来場されます皆様の安全を考慮いたしますと、

無理をして開催をすることは賢明な選択であるとはいえません。 

このようなアクシデントはその瞬間だけを見るならば、

非常に残念なことではありますが、

同時に、長期的視点で見ることができるのなら、

それは往々にして最適な結果となることが予想されます。

困難なアクシデントは、得てして想像もしない成長をもたらします。

でもそれがどのようなものかはまだわかりません。

私は自分自身の人生を振り返ってすべてそうでしたから。 

もう一度それをやれと言われたら到底無理なことも、

無我夢中で走り抜けている時にはできていた。 

毎回、何の問題も障害も無く、無風でできたことなど一度もありません。

毎回、何かしらあるものです。

みなさんも同じでしょう。

今回の中止という決定は衝撃的なものでありましたが、

それに比肩する、あるいはそれ以上の大きな直観の横溢がありました。

ですので、すべてはパーフェクトなのだということ。

すべては私の与り知らぬ領域で、調整がなされているのだと思います。

私は「適切な結果」を設定しているだけです。

途中のルートはいかようにも再設定なり、微調整が加わるでしょう。

それが楽しみでなりません。

本州東北最奥の地である青森。

666の中枢を担う弘前、そしてヤハウェを纏う八戸。 

そして津軽は大和朝廷の坂上田村麻呂と、最後まで神通力で抵抗し戦った、

縄文蝦夷の女酋長「目六面長」(メルクオモナガ)の地。 

今回のあの豪雪も、見方を変えればいよいよこの列島の秘密が、

詳らかにされていく大きなきっかけかもしれない。 

それはかまびすしい号砲などではなく、ただ静かにしんしんと積もることによる、

静謐な空間、己との向き合いの時。

そこからもたらされる直観、それが合図となる。 

青森講演会主催の小野裕美子さんも、この厳しい冬を乗り越え、

その神通力をより確かなものとしたことでしょう。 

となれば、次回の青森講演会は、なお一層、楽しみだということになる。

3月にまたみなさんにお会いできることを楽しみにしています! 

澤野大樹 2026年2月23日

 

澤野さん、ありがとうございました。

3月もよろしくお願いいたします。 

 

『日の丸』は蝦夷の旗印


この度の中止に伴う一連の出来事では、参加者様のあたたかい寛容なるご対応に

助けられました。

本当に感謝しております。

お陰様で、当地方もようやく春の兆しが見えて参りました。

堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで、厳しい冬を乗り越えた感で一杯です。

まことに感無量。思わず涙が出そうになりました。

そして今回、

まさか、講演会中止に踏み込む事になろうとは、予想だにしておりませんでしたが、

中止となった事で、次回の講演会に繋がる、あさっての方向からやってきた驚愕の内容が

澤野さんによって執筆され、計り知れない大いなる奇跡に、

また目頭が熱くなっていたところでございます。

 

第1回青森講演会から、少しも取りこぼすことなく

脈々と繋がっている大スペクタクル快進撃!

過去と現在と未来が同時進行する、

いまだかつて誰も見たことのない、聞いたこともない

ものすごい歴史ドラマが始まっておりますよ。

3月は心機一転、清々しい春とともにお迎えいたしたいと思います。

ご来場を心よりお待ちしております。

 

澤野大樹氏青森講演会主催

小野 裕美子


2026年2月26日木曜日

4180「優しさは真実(正義)に勝る」2026.2.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月13日の記事を紹介します。


「優しさは真実(正義)に勝る」


今日は、以前掲載した記事ですが、必要な方がいらっしゃるようなので、

少し加筆・修正して掲載いたします。

私たち人間は弱いものです。

・正しくありたい

・優しくしたい

・笑顔でいたい

・人の役に立ちたい

そう願っていても、何時も弱い心が頭をもたげます。 

また逆に、

・私は正しい

・私の言う通りに動いて・・ 

と、無意識のうちにマウンティングしてしまい、

自分勝手な正義感を振り回し、

・人を批判し

・糾弾し

・追い詰め 

または、感情を外には出さなくとも、心モヤモヤしたり。 

そして、

・自分勝手な価値観に沿って、家族を含め、他人を動かそうとします。 

そして、人がそれに従わないと

・猛烈に批判を浴びせ

・憎み

・足を引っ張り

・仕返しをしようとします 

または第三者に告げ口し、自分は正しい、相手は間違っているという

お墨付きを得て、モヤモヤを解消させようとしたりします。 

また、心弱い私たちは、 

何が正しいか、分ってはいても,

なかなか一歩踏み出せないでいます。

生きている間は、ずっとその葛藤かもしれません。

でも諦めないでください。

みんながそうなんです。 

そこが出発点なんです。

ブッダがこう仰いました。

・嘘をつけないような人になっては いけない

・優しさは真実に勝る

ブッダの仰りたかったことは、

相手を思いやる優しさや、調和の為の嘘は、

真実(正義)よりも尊い・・ と言う事を仰ったのでした。 

また、こうも仰りました。

捨戒の法

ブッダが仰るには、仏教徒が戒律を破るとき、 

いま仏教を捨てます、と天に向かって言います。

そして、酒を飲んだり、戒律を破る。

その後、また仏門に帰依します、と言って戻れば、それで良いのだよ。

ブッダは人間の弱さを知っていました。

そして温かい目で人間を見ていました。

過ちを見て、人を切り捨てるようなことはなさいませんでした。

人を追い詰めることはなさいませんでした。

ブッダは戒律重視ではなく、優しさ(慈悲)を教えていたからです。 

次に良寛さんのエピソードをご紹介します。

良寛さんの甥に、馬之助という放蕩息子がいました。

良寛の弟の由之は息子の放蕩に困り果てて、兄の良寛さんに説教を依頼します。

良寛さんは故郷の由之の家に出向き、馬之助の前に座らせられましたが、

酒を飲んでばかりで、いつまでたっても説教しませんでした。

とうとう三日目の朝「わしはもう帰る」と言って良寛さんは家を出ようとしました。

そのとき馬之助の母は馬之助に、

良寛の草鞋の紐を結んであげるように言いつけました。

馬之助は言われるまま草鞋の紐を結び始めますが、 

それでも良寛さんは黙ったまま。

と、そのとき馬之助は、自分の首に何かが、落ちてくるのを感じました。

見上げると、そこには目に一杯涙をためた良寛さんの顔がありました。

それをきっかけに、たったこれだけの出来事をきっかけに 

馬之助の放蕩は、すっかりやんだということです。

良寛さんは、馬之助の心の

・苦しさや

・悲しさや

・それを放蕩で紛らわせざるをえない 苛立ち

をただじっと見ていました。

煩悩だと知りつつも、煩悩に引きずり回されるのが私たち心弱い人間です。

人間の悲しさ、苦しみは、いつでもそこから生まれてきます。

悲しみを持った人に、

自分勝手な価値観を押し付けたり、くどくどと説教したり、

良寛さんは、そのような事はしませんでした。

ただ馬之助とともに、じっと悲しみ続けるだけでした。

馬之助の父親の由之や母親は、息子の表面的な損得や、

世間体から心配したかもしれません。

ですが、

馬之助の心と、じっと一緒にいてあげたのは、良寛さんでした。 

人は弱いものです。

いくら正しい道を示されても、

「こうであるべきだ」と正論を教えていただいても、

なかなかそう簡単に行きません。

でも本当はそうしたいのです。心では分かっていますから。

そして、それが自分には簡単にはできないとわかると、

結局あきらめてしまい、また元の苦難の日々に埋もれてしまいます。

正しい道を示されても何の役にも立ちません。 

ですが、良寛さんのように心を理解し、心に寄り添い、

「今のままでも、良いんだよ」と、見守ってくださる人がそばに居れば、 

私たちは徐々に、光の方向に進んでいけるかもしれません。 

心弱い私たちは、煩悩で、あちこち頭をぶつけながら、

人に迷惑かけながら、お世話になりながら、

だんだんと、あちこち角が取れて、おかげ様の心が芽生えてくるでしょう。 

そして、

・おかげ様

・お互い様 

の感謝の心が芽生えた時、その辛く、苦しい経験をしたがゆえに、

同じような苦しみ、悲しみの中にある人の

心の内を理解して、良寛さんのように寄り添えるのかもしれませんね。


2026年2月25日水曜日

4179「心暖かな者」2026.2.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月12日の記事を紹介します。


「心暖かな者」


私たちはよく、誰かにこう動いて欲しいとか、、 

自分の都合の良いように、相手が動いてくれることを望みます。 

そして、そうならないと、失敗したのは、うまくいかなかったのは、 

あの人のせいだと、相手を恨んだり、憎んだりします。 

ですが、私たちは決して

相手を自分の都合よく動かすことなどできません。

たとえ家族であっても。 

今日は、小林正観さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

「もっと言うことを聞く子になって欲しい」とか、

「もっと理解のある親になって欲しい」と言う人、たくさんいると思います。

しかし、相手に変わってもらいたいと言っている間はダメでしょう、

自分が変わらない限りは。

自分が、相手に対して、

・気に入らない

・おまえは間違っている

・ああしなさい、こうしなさい

と言っていたなら、人間関係はどんどん悪くなります。

絶対に話など聞いてはくれません。

人間関係が悪い状態で、あれをこうしろ、

これを解決しろと言っても、ダメなのです。

まず、人間関係を作ることでしょう。

親だから偉い、と思うのではなくて、

相手から信頼され、慕われるという関係になったほうが良いと思います。

皆さんが学校で教わってきた解決方法は、自分の考えを、

・いかに論理的に組み立てるかとか、

・いかに説得力を持たせるか

ということだったと思います。

論理と説得力で相手を説き伏せるやり方です。

それで解決できているのならそれでも良いのですが、

もしも行き詰っているとしたなら、解決方法が一つあるのです。

それは、「やわらかな、あたたかい人間関係を作ること」

そして、その第一歩は、心がこもっていなくてもいいから、

「ありがとう」を言ってしまうこと。

ずーっと「ありがとう」を言って、感謝をし続けていく。

そうすると、人間関係が変わります。

「ありがとう」というのは、その人の

「在るがまま」を全部認めてあげるということです。

あなたが人間関係を作りたいと思っている人のことを考えてみてください。

その人が、こっちの方にきたら「ありがとう」と言えるけど、

こっちではなく、向こうへ行ってしまうのなら

「ありがとうとは言えない」ならば、人間関係は作れません。

その人が持っている性格や行動のすべてを含めて、

あなたが、ありがとうと言えるようになれるかどうかです。

人間関係ができてしまうと、個々の問題は問題ではなくなります。

それができていないから、多くのトラブルや問題の解決は、皆、

・どちらが正しいか

・どちらが論理的であるか

・どちらに説得力があるか

という方向に話がいってしまいます。

・正しいことを言えばわかってもらえるとか、

・正義はいつか必ず勝つのだとか、

私たちはそう教えられてきました。

正しいものが強いのではなく、

「心優しく温かな方が強い」のです。

人間関係があたたかいものでできていれば、

問題がどんどんクリアされていきます。

しかし、人間関係が作られていなければ、

いくら正しいことをこちらが主張しても問題は解決しません。 

<引用終了>

正しい者ではなく、心優しく温かな者の方が強い! 

理屈や理論の正しさではなく、

温かな気持ちを持つ者が強い・・ 

温かな気持ちとは、どんな気持ちでしょうか? 

・優しい思いやりの気持ち

・許し合うお互い様の気持ち

・おかげ様の感謝の気持ち  

誰かに笑顔で、「ありがとう」と言われれば、

心の共鳴現象が起きて、

きっと、心が温かくなり、味方になってしまいますね。 

些細なことは気にならなくなり、相手の立場に立って

協調して行こうという気持ちも芽生えてきますね。 

敵だった者が、一瞬で味方に変わります。 

これから地球が向かおうとする、高度に進化した宇宙文明は、

神々の世界のように、このような温かな心の人たちが生み出す

調和した世界なのでしょう。 

地球が精神性を重視する世界に舵を切った今、 

私たちは、個々ひとりひとり、自分の心の赴くままに、 

自分の心の波長に同調する世界に、進んでいくことでしょう。 

あなたは

どちらの世界に進みたいですか? 


2026年2月24日火曜日

4178「ほんとの愛」2026.2.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月11日の記事を紹介します。


「ほんとの愛」


今日は、私たち人間が、誤解しがちな「愛」についてです。

私たちは、

「愛」と、

「執着」、「依存」をごっちゃにしがちです。 

ですが、それは全く違うものです。 

一方は、 (愛)

魂を自由にし、軽くしてくれますが、 

もう一方は、(執着、依存)

魂を縛り、どんどん活力を奪ってしまいます。 

地球が霊的に分裂しようとする今  

この違いは決定的です。

ですが、もちろん、個人の好みによって、

ご自分の行きたい道を選べばよいだけです。

良い悪いはありません。

自分が幸せになるのは、他の人次第・・ 

その意味は、 

・子供であったり

・妻であったり

・夫であったり

・何かのリーダーであったり 

常に、自分の内面(内に居らっしゃる神さま)ではなく、

他人の方にフォーカスしている状態。 

あの人が、、あの人が、、あの人が。。

の他人への依存の状態 

例えば、子供が対象であれば

・子供が元気で

・成績がよく

・運動能力があって

・優しく、親切で

・友達に囲まれていれば・・

私は、幸せ・・   子供を愛している。

そうでない状態の時には 

私は、悲しく、幸せにはなれない。

子供は、悩みの種。うっとおしい存在 

でも、それは、本当の愛ではないし

依存と執着の対象でしかありません。 

何物にも依存せず、執着せず、自分で考え、判断し、

自分の道を、自分で歩み出そうとする人。 

逆に、何事も、執着する人の視点に置き換え、

そこから見た景色、フィルターを通し、

判断を委ね、手放し、依存し、執着する人。 

この魂の方向性の違いは決定的です。 

自分以外の他人は、決して本当の意味で、私たちを救ってはくれません。 

魂は永遠です。 

そして「愛」は

宇宙で一番、高いエネルギーを持っています。

この魂の向かう方向性の違いは、波長の違いを生みます。 

波長の違うものは、混じり合うことがありません。

ですから、今の時代、地球が分裂し、

それぞれの人々が住むにふさわしい

地球が用意されていると言われています。 

ブッダやイエス、空海など、

人間の進化に寄与してきた進化した魂たちは、 

長い時を経ながら、様々に人類にアプローチしてきました。 

その目的は、人類の精神性の向上です。 

決して見えない世界うんぬん 

の話はしませんでした。 

精神、つまり魂の波長を繊細にすることです。

私たちを神々の波長に近付けるためです。 

私たちは、誕生と死を繰り返し、

様々な経験を積み、

様々な感情を味わってきました。 

それは、全て精神性の向上のためです。  

そのために、縁ある魂達に頼み、

様々な役割を演じてもらっています。 

・病気がちの子供

・意地悪、パワハラ、モラハラをする上司

・モラルの破たんした配偶者

そのような境遇を通じ、

私たちは、段々と、魂の自由を勝ち取ってきました。 

魂は、本来、神さまと同じく自由闊達で、

活き活きとして、創造性に富み、幸せで、

自分の周りの状況に左右されません。 

人生は夢幻のごとく・・

とは、そのような意味です。 

祓い清めるとは、魂の本来の状態を、表すことです。 

全ては、見える世界も、見えない世界も、

私たちの、心が作り出す世界だからです。

私たちの中には、どなたにも神さまがいらっしゃいます。 

神さまと、普段から会話することは大切なことです。 

ご自分の中の神さまを信じ、

自分の足で、しっかりと大地を踏みしめ立ち上がり 

周りに居る人に、優しさや、思いやり、

笑顔を向けて差し上げたいですね。


2026年2月23日月曜日

4177「青空ひろば」2026.2.23

 今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


1675 2026.02.12 

<大敬の自己制約突破法> 

① 自分の腕、能力を信じない。

② 大自然は善意で出来ていて、私を養おう、育てよう、導こうとしてくださっていると信じる。

③ 捨て身で跳び出す。きっと大自然が身を支えて運んでくださると信じて。


1674 2026.02.11 

<自己限定・自己制約の心の分類>

① 時間にこだわる限定 ② 空間・距離にこだわる限定 ③ 大小にこだわる限定 ④ 数量にこだわる限定 ⑤ 上下・尊卑にこだわる限定

⑥ 有無にこだわる限定 ⑦ 生死にこだわる限定 ⑧ 自他にこだわる限定

<自己限定・制約の心を突破するための禅の公案>

① 時間にこだわる限定を突破する公案

『三千年前の釈迦と今・ココで、握手してみよ』

② 空間・距離にこだわる限定を突破する公案

『<伊勢の海 千尋(ちひろ)の底の細石(さざれいし) 袖(そで)ぬらさずに 取るよしもがな>さて、その石を袖もぬらさないで取って来い』

③ 大小にこだわる限定を突破する公案

『ドアの鍵穴を通って来い』

④ 数量にこだわる限定を突破する公案

『空には星がいくつある』

⑤ 上下・尊卑にこだわる限定を突破する公案

『釈迦も達磨もアイツの召使い。アイツとは誰のことか』

⑥ 有無にこだわる限定を突破する公案

『どうして達磨には鬚がない』

⑦ 生死にこだわる限定を突破する公案

『お父さん・お母さんが生まれる以前の君はどんな顔だったのか。その顔をここで出してみよ』

⑧ 自他にこだわる限定を突破する公案 

『富士山を歩かせてみよ』


1673 2026.02.10 

黒住宗忠公「ひとくちに申せば、<常祓(じょうばらい)>という事をお忘れなく、これを生かしてお使いになるより外に道はないと思います。寝ても覚めても御心のはらい一筋です」

(註)心にくもり(自己限定の心)が生じたら、その瞬間に息をフッと強くふきだして、そのひと吹きで心のくもりを吹き払ってしまう方法。


1672 2026.02.09

<『運を味方にする達人』中谷彰宏(メディア・ファクトリー)より>

「その道一筋にやっている人より「はずみ」でやってるやつのエネルギーのほうが凄いことがある。何の計算も、意識もないのが「はずみ」だ。だから強いのだ。

「はずみ」は勢いを持っている。「はずみ」は、こつこつした地味な積み重ねを、一気に飛び越える。「はずみ」はジャンプ力だ。早く夢を実現するには、「はずみ」の力をいかに利用するかだ。うまくはずむには、体の余計な力を抜いて、思い切り人生のいたずらに身をゆだねてみることだ」


1671 2026.02.08 

<大敬がこれまで抱え込んでいた自己限定>

・45歳という年齢(この歳じゃどこも雇ってくれるはずがない)→イノチには年齢なんてないんだぞ!

・過去の重苦しいみじめな経歴(定職に就いていたのはわずかな期間のみ)→イノチはいつも真っ新、経歴なんてないんだぞ! 

・物理という科目を教えたことがない→イノチには積み重ねるものはナイ。必要な時に必要なモノや才能も必ずやってくるように出来ているんだぞ!

・アタマの善し悪し(なんせ九州一の進学校だから、僕の能力で教えられるだろうか)→能力の才富は二重底、三重底。切りがない、必要に応じて発動することになっているんだぞ!

日頃はウジウジ、クヨクヨしていても、いざという時に、アタマを外して、とっさに本来のイノチに戻って、即行動に移せるようになったのです。


1670 2026.02.07

シッダールタは、一生懸命、眼を吊り上げて、夜も横にならず、食事もろくに取らず、肋骨がハッキリ見えるほどガリガリになって猛修行していました。でもちっとも成果が上がらず、いつまでたっても悟りが現われなかったのです。そんな不甲斐ない自分を責める毎日でした。

そして、ついにもうダメだと絶望し、修行を断念して、バタンと大地に横たわってしまいました。自分の無力さを受け入れざるを得なかったのです。

数日間、このまま死んでしまいたいと、何もしないでジッと横になっていました。

そうすると、自分を支えてくれている「大地」のぬくもりに気付くようになりました。

『生きなさい』とささやく、励ましの声が、どこからか聞こえてきました。天から大地から、生かそう、生かそうとする霊的なエネルギーが注ぎ込まれてくるのを実感できました。そうすると、生きるために必要な食料や衣類などを提供してくれる人も現われ出しました。

そして、次のような声が聞こえてきました。

『君に、今現に起こっていること(悟れない、仏になれないでいるという現状)は、宇宙全体(神仏)が、世界や君の進化向上にとって、今・ココで、このような状態(悟れない、仏になれない)でいることが、最善最適なものなんだと配慮し、手配して下さった、愛のプレゼントなのだということを、素直に認め、受け入れなさい。

そのように、今の状態をそのまま受け入れることが出来た、そのそこからが本当の修行のスタートなんだよ。

これまでは、君は自分の努力で修行しているんだと思っていたんだろう。君が自力で悟ろうとしていたんだろう。それが間違いなんだよ。 

君が修行するんじゃないんだよ。天や大地や山や空や海や、みんなが寄ってたかって、君を前に前にと歩ませるのだよ。後押しし、手を引いて一緒に歩んでくださっているのだよ』

そうなのでした。自分が修行しているのではありませんでした。また、悟るために、仏となるために修行しているのでもありませんでした。

大宇宙の促しのまま、イノチの催しのまま、ただ感謝して、結果を求めず、ただ坐禅していったらいいのでした。

悟りが開けなくても、仏になれなくても、今・ココでこのように坐禅させて頂いている。その天地からの奇跡的な恩恵に感謝して、結果を求めず、ただ坐ることが出来るようになったのです。

このようにして、シッダールタは、再び歩みはじめました。その歩みの一歩、一歩から宇宙全体に光が放たれるようになり、その光を見て、宇宙中の天人たちが集まってきて、シッダールタの尊い修行を祝福し、讃美したのです。

シッダールタの歩みは、ただ一歩、一歩にイノチの重心を据えた歩みで、先を思わず、後を振り返らず、わき見をせず、一歩、一歩にしっかり体重を乗せて歩けるようになったのです。

ところが、もう悟りたいなんていう目標は、とうに忘れ去っていたのに、気付いてみればいつの間にかゴールインして釈迦牟尼仏になっていたということです。


1669 2026.02.06 

<舞い>

天上の光輝の中で/私の闇は消えてしまい/天上の慈しみの中で/私の悲しみは融けてしまい/天上の広がりのなかで/私のエゴはくだけてしまい/天上の調べの中で/私はただよう/ただよう、ただよう/流れのままに/まあるく、まあるく/円をえがく/とぎれることのない/決してとぎれることのない/天上の舞いを…


1668 2026.02.05 

<大地の春>

人間を相手にするな/経典を相手にするな/大地の上に直(じか)に坐せよ/大地のぬくもりに直に融けこめ/萌え出(い)ずる生命(いのち)の息吹(いぶき)を/さざめく大気の喜びを/体いっぱいに吸いこめ


1667 2026.02.04 

<「能力の才富(さいふ)」の多層構造>

→「自我の囲い」が、薄くなったり、拡大することによって、才富の底が破れて、下の層までアクセス出来るようになる。

第1層の才富:生まれつきの能力、現世の努力で獲得した能力

第2層の才富:過去世で獲得した能力

第3層の才富:類(グループ)魂や民族魂、人類魂が獲得してきた能力

第4層の才富:「アカシックレコード」(世界記憶)


2026年2月22日日曜日

4176「心の感度」2026.2.22

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月09日の記事を紹介します。


「心の感度」


私たちは、3つの世界の中で同時に生きています。

・見える世界(物理的な次元)

・見えない世界(黄泉の国)

・心の世界 

一番大きくて、全てを包括し、大事なのが心の世界です。

心の世界こそが、見える世界、見えない世界を包括した世界の現実を作り出します。

ですので、ご自分の心の浄化こそが、全ての根本であり、

永遠に続く幸福を作り出すことができます。

決してどこかの誰かが、やってくれることではありません。

目に見える、物に執着したり、

目に見えない霊的な物ばかりに心をフォーカスさせるよりも、 

まずは、自分の心の洗濯こそが、重要だと思います。 

私たち人間は「考える葦である」などと言われます。

ただ、毎日を、食べて寝て、暮らしているわけではありません。

生活するため、生きるためだけに、働いているわけではありません。 

生きている間に、様々な事件が起こります。

様々な人との出会いと別れがあります。 

誰かと友達になります。

長く続く友達もいれば、あっという間に分かれる人もいます。 

愛や友情を交わし合う人もいれば、憎しみ、罵り合う人もいます。 

それは全て、この世で、いろんな経験をして、いろんな感情を味わうためです。 

子供たちに対する、大規模なアンケート調査でも明らかなように、 

これらの出来事は全て生まれる前に、もう決めてから出てきます。

ですので、乗り越えられない試練や苦難は、絶対に設定してきません。 

全ての目的が、その経験を通じ、魂の豊さを経験するためです。

心の感度を上げるためです。

さて、今日は。そのような観点から

「卒業式」にまつわるお話をご紹介します。

子どもたちの”いじめ”が深刻な社会問題になり、国会でも取り上げられる昨今、 

心温まるお話しです。

<引用開始>

小松まり子さんというお母さんがおられて、

その方のお子さんの足が不自由で、小学校の六年間、車椅子で通っていたんです。

六年間・・車椅子の後押しをしたのは、近所の子どもたちでした。  

毎日当番を決めて、登下校の後押しをしたのです。  

来年から中学・・

みんなと同じ中学に行けると思ったら・・ 

教育委員会から

「お宅のお子さんは体が不自由だから、設備の整った肢体不自由児の中学校に、

転校してください」って言われたのです。

ご両親は納得されたのですが、友達は納得しませんでした。 

六年間一緒に通ったんだから、中学も一緒でいたい・・ 

署名運動までして嘆願した。

「エレベーターが無くても、トイレに1人で入れなくても、僕らがいます・・  

車椅子を担いででもやります」って言うんです。  

そんな約束までして・・

また三年間、一緒に中学に通ったのです。

三年生の最後の日・・卒業式の日に、一緒に卒業したかったのですが、

 身体不自由なうえに弱かったものですから  

風邪を引いて卒業式に出られなくなったのです。

いつものように迎えに来た友達に、 

ベランダから「九年間ありがとう!」とお礼を言った。 

『じゃ・・お前の卒業証書貰ってきてやるよ』と、友達は登校していった。

お父さんも「今日は早く帰るから・・一緒に卒業を祝おう」と言って出かけた。

お昼にチャイムが鳴ったので、お母さんがドアを開けたら・・

お父さんではなかったんですね。

卒業式を終えられた校長先生が、 

卒業証書を、わざわさ息子さんのために持ってこられ・・

各学年で担任をされた先生方も・・  

小学校からズ~と車椅子を押してくれた生徒たちも・・

一緒に来てくれたのです。

校長先生は

『お子さんのお部屋で、卒業式をやらせてください・・』 とおっゃった。  

みんな部屋に集まった・・

お子さんを前に、校長先生が卒業証書を読んでくれた。 

先生方は「よく頑張ったね!」と握手し、友達は、周りを囲んで校歌を歌ってくれた。

お子さんは、車椅子に座って証書を握りしめ、泣いていました。 

お父さんもお母さんも、涙が溢れて止まりませんでした。  

お父さんは、部屋のみんなに、喉を詰まらせながら、お礼を言いました。

『息子は・・

皆さんの心温まる援助のお蔭で、無事小学校と中学校の両方を卒業できました・・

何を学んだかは 本人に聞かないと分かりませんが・・

人から受ける優しさほど、人の心を豊かにしてくれるものはない・・  

ということを学んでくれたら、それだけで十分です』

NHKふれあいトークより

<引用終了>

家の実家は、もう何十年も前に衰退してしまいましたが、着物の町でした。

亡くなった父も小さいながらも、着物の染め物工場をやっていました。

私が中学卒業する頃、私と同級だった特別支援学級に通っていた男の子が、

卒業と同時に家の染め物工場で働くことになりました。

彼の障害は身体の方ではなく、勉強が少し人より遅れると言う障害でした。

(でも、やっぱり心は凄く純粋!!)

父は、その同級生を雇って仕事を教えることになりました。

私はというと、まだ働くどころか、親の脛かじりの高校生です。

今となっては、父がどういう気持ちだったのかは解りません。 

そんな父を尊敬しています。

九年間、車椅子を押し続けてもらった少年。

少年のお父様が言うように、 

何事にも変えられないほどの素晴らしい体験を通して、それまで以上に

優しく思いやりある、人生に変わられたと思います。

ですが、もしかしたら 

それ以上に「心の豊かさ」を手にいれたのは、九年間車椅子を押し続けた、

 同級生たちかもしれないですね。。 

お互い様、お陰様。 

有難いことですね。

こんな仕組み、こんな経験をさせて下さる、 

全てをディレクションしてくださった神様に感謝です。 

私たちは、こんな風に、色んな出来事、いろんな人との、出会い、別れを通じ 

魂を震わせ、良いことも悪いことも、様々な経験を通じ、

人を思いやる心の感度を上げて、魂を輝かせているのかもしれませんね。