2021年5月12日水曜日

2329 「希望を与える人」2021.5.12

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年05月07日の記事を紹介します。


「希望を与える人」

私たちは、

・どんな嫌なこと

・めんどくさいこと

・失敗に見えること

・人の非難を浴びること

・人から怒られること

・時間に遅れること

そのようなことが起きようと、本当は全然平気です。


何故なら、マザーテレサが仰るように、ブッダが仰るように、

全ての出来事、起こったことは、私と、その人の間の問題ではなく、、、

本当は、私と神さまの間の出来事だからです。

相手の人は、それを行うお役目を受けて約束通り、私たちに 嫌なこと(に見える)をしただけなんですから。

それは、どんな些細なことであっても、私たちが生まれる前に決めてきた「出来事」です。

なんで、そんなことを・・ と思われるかもしれませんが目的は一つしかありません。

・肉体とか

・生きる死ぬとか

・生きている間とか

そんな小さなスケールのお話ではなく、永遠と続いている私たちの魂としての歴史、その魂を少しでも、成長させて、神様に近づけるためです。

そのための、全部段取り、芝居、舞台設定だからです。

そのいろんな劇を通じ、私たちは激しい喜怒哀楽を感じます。

喜び、悲しみ 笑い、泣き

感情を揺さぶられながら、少しづつ魂は成長していきます。

周りの人の気持ちを理解することができるようになってきます。

いろんな出来事は相手と自分の間の出来事ではなく、私と、神様との間の出来事

魂を揺さぶり、成長させるためのものです。

ですから、どんな出来事も、安心していていいのです。


 ただ、その押し寄せて来る波にのり、色んな感情を味わいながら、恨まず憎まず、不平を言わず「今回は、そう来ましたか」とにこりと笑って、受け入れてしまうだけでよいのです。

後悔することも、焦る必要もありません。全ては、予定通りなのですから。

  

小林正観さんのお話からご紹介します。

私たちは普段、目に入ってくる「星占い」などを見ると、心うきうきしたり、少し落ち込んだりもします。ですが、実際は自分にとって「良いこと」しか受け取らないようにすることで、より運命を好転できるようです。それだけで大分、明るく笑顔で生きられます。 

<転載開始> 転載元

 

ある日、小林正観さんのところに、二人の占い師にまったく正反対のことを言われ、どちらを信じていいのか、悩んでいる女性が相談にきたそうです。

正観さんは「その答えは簡単だ」、といいました。

それは…その占い師の、まわりにいる人たちを見ればいい。まわりにいる人たちが、笑顔で幸せそうで、楽しそうに過ごしているかどうかを、見ればいいのです。

聖なる占い師は、見た目は普通の格好をしています。そして、まわりには、笑顔で、幸せそうな人たちがいっぱいいます。とてもいい仲間に囲まれている。

一方で、当たらない占い師は、どういう人か。過度に荘厳(そうごん)で、重々しく、威厳に満ちた姿、形、格好をしている人が多いのです。

そしてまわりには、笑顔で幸せそうな人はいない。どこか不幸そうで、悲しく、まったく笑顔のない人たちに囲まれているのです。

 


「楽しいことを予言」する占い師さんのまわりには、たくさんの幸せそうな人たちがいる。

なぜかというと、その聖なる占い師さんは、いつも人が「楽しくなるように、幸せになるように」という願いを投げかけているからです。

一方「悪いことを予言」する占い師さんのまわりには、たくさんの不幸そうな人たちがいます。

悪い予言をした瞬間、予言をしたその人は、無意識に相手の身にそれが実現するように期待してしまうのです。そうなってもらわなければ、自分の占いが当たりません。

当たるようにと願って、悪い予言を口にする。当然、投げかけたものは返ってくるので、

その占い師自身も幸せにならないし、まわりにいる人たちも面倒な人生を歩むことになるのです。 

<転載終了>

 

確かに占い師の方も生活がかかっていますから、自分の占った結果が当たり、評判を良くして、お客様に沢山来て欲しいと願うことでしょうね。この占いの結果が、当事者にとって、

良いこと、希望を持てることであれば、みんなが幸せな気持ちになりますから、宇宙にとって、世界にとって喜ばしいことです。

  


その小さな希望さえあれば、、、かすかな希望が見えていれば、、、

その後のどんな苦労も乗り越えられることでしょう。

その先に希望、良きことが待っているのを知っているのですから。 

ですが、逆に当事者にとって、不吉なこと、悪いことを仰る占い師さんも多いようです。

それを言ったとたん、占い師さんは、相手の方の「不幸」が実現するように無意識の内に願います。これは宇宙にとって、世界にとって大変悲しいことです。 

何より、「人を呪えば、穴二つ」の例え話の通り、占い師の方にも不幸が訪れることでしょう。

不吉な予言をされた方は、今まで幸せで笑顔で周りと仲良く暮らしていたのに、将来の不幸を暗示されたことにより、急に不安感に襲われ、笑顔が消え、イライラして、不機嫌な顔となり、周りの人に対しても害悪となることでしょう。

同じ苦しい現象・出来事が起こっても、気持ちが明るくはずんでいる時は、何の苦労もなく乗り越えてしまうでしょう。

ですが、暗い気持ちの時、同じ現象・出来事が起きたら、もっともっと気持ちが沈み、周りに当たり散らし、みんなを不幸にしてしまうかもしれません。 

それだけ、気持ちの持ちようと言うのは大切なことです。ですから、占いに限らず、普段から、自分の口から出る言葉は、良寛さんの愛語のように 

・他人に対しては、「良い言葉」「愛情の在る言葉」しか発しない。

・言葉にしない時は、黙って心中で他人へ「愛情のある言葉」を思う。

・言葉に出来ない時は、黙って「愛情のある行動」を他人に行う。

このようなことを心がけて行きたいものですね。

言葉や考え方、心の在り方が、良いも悪いも私たちの人生の行先を決めるのですから。 

ブッダが仰ったように、苦しみ、悲しみに沈む相手に対し、希望の光を与えるための善意の嘘も同じ役割です。

ブッダの般若心経の教えのように人生の幸せ、不幸せは心の受け取り方によって決まります。熊手で不幸をかき集めていては何時まで経っても幸福は訪れないでしょう。 

どうせなら、どんな環境に置かれていようと、

・嬉しい

・楽しい

・幸せ 

な気持ちでいたいものですね。 

神さまは、置かれたその場所で、花を咲かせなさいと、私たちに、わざわざ、その環境を準備してくださったのですから。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。




2021年5月11日火曜日

2328「愛が無ければ」2021.5.11

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年05月05日「神さまの作った仕組み

と2021年05月06日「愛が無ければ」の記事を紹介します。


「神さまの作った仕組み」

私たち生きている人間にとって、

・美味しいもの食べたり

・高級な洋服着たり

・外車に乗ったり

・大きな家に住んだり

それも楽しいことかもしれません。ですが、その何万倍もの楽しいことがあります。

それは、誰かと一緒に笑いあえること。それと比べたら物質的な喜びなど、たかが知れています。

そして、さらに・・・

・自分が存在することで

・自分の行いで、

・自分の言葉で

誰かが  

・元気付けられ

・喜び

・共に笑ってくれたなら

それは、何ものにも変えることができない宝石のような、至上の喜びとなります。それが人間、生きとし生けるもの、全ての生命体、神々が創造した者たち、全ての本性だからです。

自分の存在が、誰かの喜びとなる。これ以上の喜びはありません。

人はだれでも、

・いじわるをする人も

・陰口をたたく人も

本当は、本当の心はみんな優しい・・・そんな人でも、自分の心の中の良き部分、仏心を見つめられたら、仏心が必ず顔を出します。

きっかけは、感謝の「ありがとう」の言葉。本当は、みんな優しくしたいんです。それが人の本性だから。

これと同じことが宇宙空間や、人体中の小宇宙で起こっています。 

全ての臓器、器官、メッセージ物質、リンパ、神経伝達物質などは自分が自分がと自己主張することなく、全て、周囲のために調和して働き、人体全体を維持します。

私たち個人は、みんなの幸せのために存在しています。みんなで調和して、協力して進化発展しています。これが、神様が作った仕組みの根本です。

大宇宙のマクロの中にも、人体の中のミクロの中にも、同じ仕組みが、働いています。

私たち人間も、素直に、その流れに身を任せれば、宇宙の一員として、宇宙の進化発展に貢献する者となります。



「愛が無ければ」


今日は「愛を込める」ということで、マザーテレサの語った言葉を、渡辺和子さんが、紹介くださっています。

自分の心に愛が無ければ、どんなに立派なことをしようと、無に等しいです。 

自分の心を整えずして(浄化せずして)どんなにお金を払って人に何かをしてもらおうと、

何の役にも立ちません。

感謝の心を持たず、どんなに沢山の神社仏閣を回ろうと神々が振り向くことはないでしょう。

心に、恨み、嫉妬、ねたみの心を抱いたまま人当たりの良い綺麗な言葉を使おうと、

人の心に響くことはないでしょう。

私たちが、誰かのために行った行為や、言葉かけ、思いやり、それらは全て、私たちの内なる神さまに直通で届いています。それらは宇宙を巡り巡って、何倍にもなって、私たちの元に帰ってきます。私たちの未来の姿は、私たちの今の心や、行いにかかっています。 

<転載開始> 転載元

 

マザー・テレサの修道会のお仕事の一つに、貧しい人たちへの炊き出しがあります。日本なら、さしづめ、おにぎりとお味噌汁、外国ならパンとスープを、列を作って並んでいる空腹を抱えた人達に渡してあげるお仕事です。

夕方、仕事を終えて修道院に戻ってくるシスター達をねぎらいながら、マザーはお尋ねになります。

「スープボウルを渡す時に、ほほえみかけ、言葉がけするのを忘れなかったでしょうね。

手にふれて、ぬくもりを伝えましたか」 

この問いかけは、仕事は、ただすればよいのではない。その仕事には愛が伴っていなければいけないことへの忠告でした。

マザーの次の言葉も、それを裏書きしています。 

「私達の仕事は、福祉事業ではありません。私達にとって大切なのは、群衆ではなく、一人ひとりの魂なのです」

朝から何も食べていない一人ひとりは、同時に、朝から誰からも「人間扱い」されていなかった人たちだったのです。仕事は、ロボットでもします。シスター達よりも、むしろ効率的に手早く仕事をするかも知れません。

しかし、ロボットにできないこと、それは、ボウルを受け取る一人ひとりの魂と向き合い、

その魂に潤いを与え、生きていていいのだという確信を与えることでした。 

シスター達のほほえみ、言葉がけ、ぬくもりは、相手がその日受けた、唯一の人間らしい扱いとなったことでしょう。

忙しさは、その字のごとく、人々の心を亡ぼし、慌ただしさは心を荒らす可能性を持っています。ギスギスした社会、イライラした人の心は、渇き切っていて、潤いを求めています。

私達も日々の小さなことに愛をこめることによってお互いの間に潤いをもたらしたいものです。


  <転載終了>

このマザーの問いかけが示すように、マザーの仕事は単なる福祉事業ではなく、愛の行為でした。虐げられた人々に、笑顔と優しさを届け、人間としての尊厳を、思い出させてくれました。神さまに愛されていることを、思い出させてくれました。

シスターたちの配るスープはお役所が福祉の一端として配るスープと、その中身は同じだったかもしれません。でも受けとった人は、そのスープによって体と同時に心も温められたのでした。

頬笑みを添える時、受けとる人はもはや憐れみの対象ではなく、微笑まれるにふさわしい、

尊厳を備えた1人の人間になるのです。

私達は生きている間に何か大きなことをなすことが 大切なのではなく、小さな事に どれだけ愛を込めて「今」 この瞬間を生きるているか? そんなことが 大切なのかもしれませんね。

コリント人への第一の手紙にこう書いてあります。

たとえ私が人の異言や、御使いの異言で話しても、(人目を惹く、霊的な感覚を披露しても・・・)愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとえ私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、

また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、

  

愛がないなら、何の値うちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がないなら、何の役にも立ちません。

愛は寛容であり、愛は親切です。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

どんなに小さく見えることであっても、一つ一つの行いに「愛」を込めたいものですね。

私たちの目の前には様々なものが現れ 消えて行きます。 

・嬉しいこと、楽しいこと

・つらいこと、悲しいこと

・人との出会い、別れ

そして、それらのことに、良いも悪いもないと言われます。 

その事に、 「良いことだ」 とレッテルを張り、喜ぶことも「悪いことだ」 とレッテルを張り、悲しむことも、全部私たちが、私たちの心で決めています。

もし、どんな辛く苦しく見える出来事にも

・良いことが来た

・チャンスが来た

と その出来事を、喜び感謝して受け取るならば、例え「悪いこと」に見える出来事も、

私たちの心が感謝の波動に包まれて、その後、どんな幸運に化けてしまうことでしょう。 

想像もつきません。本当は、それほどワクワクすることなのです。

逆に、どんなに「嬉しいこと」に見える出来事も、私たちの心が、ひねくれ悲観的になっていれば、その後、どんどん、辛く苦しい出来事に変化していくことでしょう。

何故なら、私たちは 物質地球に住んでいますが、全ては、私たちの心が作り出している世界だからです。

私たちの心次第で、私たちの住む世界は、天国にも地獄にも変化します。その事を 2,500年前にインドでブッダが教えてくださいました。

三蔵法師が、インドから持ち帰り般若心経 として私たちに伝えてくださいました。

 


私たちの心こそ、見える世界、見えない世界を包括してしまうほど、偉大で巨大な世界です。

小さなことに愛を込める。このことは、世界に平和と調和をもたらし、私たち自身をも、天国に住む者に変えてくれる行為です。



 



2021年5月10日月曜日

2327「胎児の世界」2021.5.10

 今回はInDeepさんの2021年5月6日の記事を紹介します。

https://indeep.jp/after-gene-vaccine-what-will-happen-to-the-baby-of-the-future/


「遺伝子ワクチン時代後の赤ちゃんたちは……と考えながら調べものをしていたら、胎児の世界…羊水…エクソソームとめぐり最後に遺伝子ドライブ技術につきあたってしまった

これからの世界の赤ちゃんはどうなる?」


最近はどうしてもコロナワクチンのことを書くことが多くなってしまっていますが、昨日、ふと、「人工遺伝子ワクチンの後の世界の赤ちゃんってどうなるんだ?」と思ってしまいました。

というのも、例えば、先日の記事「新型コロナワクチンは人間のすべての免疫能力を破壊し…」では、ゲイツ財団や GAVI アライアンスでワクチン開発をしていた世界でもトップクラスのワクチン開発者であるギアート・バンデン・ボッシュ博士のインタビューを掲載いたしました。

そこで、ボッシュ博士は、何度もこのように述べています。

永続的抗体なんです。

ボッシュ博士によれば、コロナワクチンによっての抗体は、「永久的に体内にいる」ということになると思います。米ファイザー社のワクチンなら RNA、英アストラゼネカ社のワクチンなら DNA ということになるのでしょうが、これらの人工的に改変された遺伝子が「接種した人の体内に永久に残る」と。

あるいは、新潟大学名誉教授の岡田正彦氏の声明をこちらの記事でご紹介していますが、岡田名誉教授もまた、

ファイザー社とモデルナ社のコロナワクチンの RNAは分解されないように改変されています。

と述べており、体内で半永久的に mRNA が残る可能性を示唆しています。

その上、その遺伝子が体内で作り出すものは、ウイルスの「スパイクタンパク質」という表面のトゲのようなパーツで、もちろんウイルスよりさらに小さな微細なものです。このスパイクタンパク質に関して、「コロナのスパイクタンパク質が「人間に長期的な遺伝子発現の変化をもたらす」可能性…」という記事では、

米テキサス工科大学の新型コロナウイルスの研究についてご紹介していますが、研究者たちが見出したことは、以下のようなことでした。

研究チームは、低濃度と高濃度の両方の精製スパイクタンパク質に曝露された培養ヒト気道細胞が、細胞が曝露から回復した後も残った遺伝子発現の違いを示すことを発見した。

つまり、

コロナウイルスのスパイクタンパク質が人間の遺伝子に長期的な変化を与える

ということがわかったのでした。

スパイクタンパク質は、遺伝子を変えてしまうようなのです。

そして、コロナワクチンが接種者の体内で作り出すものこそが、このスパイクタンパク質なのですが、先ほどのボッシュ博士や岡田名誉教授の話が正しければ、

「ワクチン接種により体内に入った人工遺伝子によるスパイクタンパク質の産生が半永久的に続くことになる」ということになってしまうはずです。

まあ、接種されたご本人様たちに関しては、そういうことなんですけれど、

「赤ちゃんは?」ということがふと気になったのです。

これは妊娠されている方のワクチン接種の話ではなく、コロナワクチンを接種してからずっと後、数カ月後とか、何年も後に子どもを授かった場合のことです。

そのような場合でも、ボッシュ博士や岡田名誉教授が言われる「永続的抗体」という概念が正しい場合、妊娠された女性にしても、その相手の男性にしても、どちらかが、遺伝子コロナワクチンの接種経験があった場合、体内にはその抗体があるはずです。

そのお母さんなりお父さんなりの遺伝子、あるいは「スパイクタンパク質」は、お腹の赤ちゃんに対してどのような対応となるのか。

「赤ちゃんへの人工遺伝子とスパイクタンパク質の影響は?」ということがものすごく気になってしまったのです。

急にこんなことが気になりましたのは、最近、奥さまの書棚に『胎児の世界 - 人類の生命記憶』という 40年以上前に書かれた本を見出し、このタイトルが気になり、パラパラと読んでいました。三木成夫さんという東大医学部出身の解剖学者の方が書かれたもので、この著作を書いた際には、東京芸術大学の教授でした。1970年代に書かれた本です。

この『胎児の世界』は、基本的には解剖学としての厳密な科学本なのですが、そこに思想や、宇宙と人類の関係などの話が、ときに入りこむ「形而上的な脱線」が非常に面白い本でした。

むしろ科学的な部分は難しいですので、そこは飛ばして読んでいました(失礼だろ)。

ともかく、たとえば、そこにあるひとつの記述などには、妊娠するということは、まさに「母子一体状態が出現する」以外のなにものでもないことが示されています。

短い部分だけを抜粋しても、うまく雰囲気が伝わらないと思いますので、やや長い抜粋となりますが、私が、コロナワクチンからの「赤ちゃんへの影響」をふと思った部分を載せさせていただきます。

文中、現代ではほとんど使われていない漢字が使われている箇所があり、場合によっては読むことができないですので、その部分は一般的な漢字にしています。

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三木成夫『胎児の世界』

故郷への回帰 - いのちの塩 より

わたしたちは母胎のなかで、いわゆる十月十日(とつきとおか)の間、羊水に浸かって過ごす。そこでは、この液体が、胎児であるわたしたちの口のなかはもちろん、鼻のなか、耳のなかなど、およそ外に通じるすべての孔に入りこみ、からだの内外をくまなく潤い尽くす。

胎児は、親指の先ほどの大きさになると、舌の輪郭が定まってくる。それは受胎二か月の半ばのころか。もう神経はできているだろう。だから、そこでは感覚も運動も可能なはずだ。

これが三か月に入ると、一人前に舌なめずりをおこない、舌づつみを打ちはじめるという。身長は四センチで三頭身といったところだが、このころからかれらは、この液体の味見に明け暮れる。というより、そこでは顔も頭も口も鼻もどこもかしこも”羊水漬け”で、それ以上はどうしようもないのだから……。

それだけではない。この小さな胎児は喉を鳴らしてこれを思いきり飲み込む。来る日も来る日も、これを飲み続ける。こうして羊水は、胎児の食道から胃袋までをくまなくひたし、やがてそれは幽門の関所を越えて腸の全長に及び、そこで何がしかが吸収されるのであろう。

この羊水のなかには、当然、たれ流しの胎児尿が含まれているはずだから、ここでは胎児のからだが羊水の毛血管の役目を果たすことにもなる。

まだある。かれらは、なんと、この液体を胸いっぱいに吸い込むのだ。まぎれなくその小さな肺の袋にこの液体は流れ込む。これは感覚的に理解できないことだが、間違いない。

もちろん吸うだけではない。当然、それを吐く。胎児のこの「羊水呼吸」は、それ以後、半年にわたって出産の日までつづけられるという。

ここでは、臍の緒を介して血液のガス交換が営まれるので、どんな呼吸も必要はない。しかし、たとえば母親の物思いによって無呼吸の状態がつづくようなとき、増量した血中の炭酸ガスが臍の緒を通って胎児の延髄に至り、そこの呼吸中枢を刺激するといった事態が起こるという。ここで胎児もまた大きく溜息をつく。母と子の二重唱といったところか。

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ここまでです。

> こうして羊水は、胎児の食道から胃袋までをくまなくひたし、やがてそれは幽門の関所を越えて腸の全長に及びとか

> 胎児のからだが羊水の毛血管の役目を果たすことにもなる。

このような表現にあたると、「胎児は羊水の中で育っている」のではなく、

「胎児はお母さんの内臓そのもの」だということがわかります。

妊娠しているあいだというのは「母と子の違いは何もない」ということになるのではないかと。まさに一体。出産するまでだけ存在する女性の内臓がそこにあるという感じを受けたのです。

こうだと、いかなる物質であろうと「母親が体内に入れた物質は、すべてそのままダイレクトに赤ちゃんに伝わる」……というか、妊娠してからは「赤ちゃんは母親の臓器の一部」となっているのですから、伝わらないわけがない。

あるいは、これは今回の話とは関係ないですけれど、上にあります、

> しかし、たとえば母親の物思いによって無呼吸の状態がつづくようなときには、赤ちゃんは、「大きく溜息をつく」のだそうです。

マスクでお母さんが苦しいと感じている時は、お腹の赤ちゃんも苦しいと。

何しろ、赤ちゃんは大気を吸っているわけではなく、> 臍の緒を介して血液のガス交換で呼吸している のですから、お母さんの血中酸素量が少しでも減少すれば、胎児にも確実に影響が出ていると思われます。まして、それが長期間なら……。

 

しかし、マスクの問題は置いておきまして、ここまでの話を整理しますと、このように、「母と子は完全に一体」であるという状態が「妊娠」ということなのだとした上で、

・遺伝子ワクチンの遺伝子は、基本的に体内で永続的な抗体となる可能性がある

・ということは、母父どちらでも、接種した後、永続的にそれが体内に残る可能性がある

・では、接種後、ずっと後になってからの妊娠での赤ちゃんの状態は?

ということがふと気になったのです。

三木成夫さんの『胎児の世界』のこの部分を読まなければ、こんなことは思わなかったでしょうけれど、先ほどの臨場感のある表現で、それを考えさせられてしまいました。

今後いろいろなことがなければいいのですが……。

このあたりに詳しい方の見解もうかがってみたいです。

なお、先ほど少し書きました三木さんの「脱線」ですが、たとえば、脊椎動物の受胎四日後の肺の発生の状況を科学的に説明していたすぐ後に、唐突に、

「胎児の夢」というセクションにうつり、そこでは、いきなり作家の夢野久作さんの名前が出てきたりしています。おもしろい章ですので、一部抜粋します。

三木成夫『胎児の世界』

胎児の世界 - 胎児の夢 より

昭和の奇筆、夢野久作は、この「胎児の世界」と「夢の世界」のあいだに「細胞記憶」というひとつのかけ橋をわたす。かれはこう述べる。

「いかなる賢人、または偉人といえども、細胞の偉大な霊能のまえには無力同然……太陽の前の星のごとく拝跪しなければならない……人間の形に統一された細胞の大集団の能力は、その何十兆分の一に当る一細胞の能力の、そのまた何十兆分の一にも相当しない……」

夢野久作は、このような細胞記憶の窓から、まず「胎児」の世界をそのように眺める。

「何が胎児をそうさせたのか?」

夢野久作のこの問いかけに答えるもの—それは、卵細胞のもつ地球誌的な生命記憶をおいてほかにない。かれは結論する。—「卵細胞はすべてを知っている」と。

この記憶はつねに秘密の暗号として極地の磁気テープに打ち込まれ、細胞分裂によって倍数にふえていく一つ一つの細胞に完璧なかたちで伝授され、ついには六十兆ともいわれる全身の細胞にあまねく行きわたるのである。

こうして卵細胞はもちろん精細胞も、そしてからだをつくるどの細胞も、ことごとくその「記憶の譜」を、みずからの核の奥深く、超小型のカセットテープにしまい込むことになるという。

細胞たちは、だからみなそれを完璧におぼえている。これが夢野久作の目に映った胎児発生の秘密であった。かれはすでに今日のバイオテクノロジーを予見していたのか。

この後半は別の意味でちょっと考えさせられますね。

> からだをつくるどの細胞も、ことごとくその「記憶の譜」を、みずからの核の奥深く…しまい込む

> かれはすでに今日のバイオテクノロジーを予見していたのか。

今日のバイオテクノロジーといっても、今から 40年以上前のバイオテクジーですが、今はもうもう。

逆にいえば、今のコロナワクチンは、現在のバイオテクノロジーの極地のひとつといえるかもしれないことは、以下の記事の内容などでもわかります。「外部から人の遺伝子を組み換える」ことが(理論上は)可能なものなんて…。

地球は巨大な実験場に : 米スタンフォード大学から発表された「コロナウイルスのRNAは逆転写されヒトゲノムに組み込まれる」ことから思う「mRNAワクチンが遺伝子を改変する可能性」に思うこと 投稿日:2021年1月25日

そういえば、この『胎児の世界』を科学的な部分を飛ばして読んでいたとき(失礼だろ)、ちょうど同じ頃に、ある本が届いたのです。

落谷孝弘さんという方の書かれた「エクソソームについての本」でした。

タイトルこそ『がんは止められる - 指令物質をコントロールする医療革命』というものですが、「がんは止められる」の部分はともかく、エクソソームについてわかりやすく書かれていた本です。その中にも「母乳」についての画期的な発見が記されてました。

落谷孝弘さんは、東京医科大学医学総合研究所・分子細胞治療研究所の教授というお立場の方です。

少しご紹介させていただきます。

 

多種の生物同士でコミュニケーションしているエクソソーム

エクソソームとは、細胞から出される非常に小さな物質で、落谷孝弘さんの本から抜粋しますと、以下のようなものです。この本はとても平易に書かれていて、わかりやすいです。

エクソソームとは、細胞から放出される泡のようなものだとイメージしてください。大きさは、直径 100ナノメートル前後。1ミリの1万分の1ほどのごく小さな小胞です。

泡のような小胞なので、外側に膜があり、なかにはもとの細胞に由来する何種類かの物質が詰め込まれています。つまり、カプセルのようなものです。

この中に何が詰め込まれているのかが重要なのですが、それは後で説明することにしましょう。(指令物質をコントロールする医療革命

> この中に何が詰め込まれているのかが重要

とありますが、こんな小さな細胞から脱落するような微細物質に「なにができるか」と思いがちですが(まあ、同じような大きさのウイルスもいろいろなことをしますが)、この本のタイトルにある「指令物質」というのが、まさにこのエクソソームなのです。

抜粋します。

エクソソームは、細胞から放出され、血流にのって、全身を流れます。放出するときに、細胞はこのカプセルのなかに、”メッセージが書かれたカード”を入れて送り出します。

エクソソームには、このメッセージの宛先が指定されていて、相手はこのメッセージを受け取ることができる。

”メッセージが書かれたカード”の中味には、マイクロ RNA という物質があります。このマイクロ RNA は、相手の遺伝子にはたらきかけて、さまざまな行動を起こします。たとえば、

「代謝を促進せよ」

「血管をつくれ」

というようなことです。

このマイクロ RNA を使って、細胞は、離れた場所にある別の細胞に、こちらの意思を伝え、さまざまな仕事をしてもらっている、というのが、エクソソームによる細胞どうしのコミュニケーションのイメージです。

人間の体の中で、「事象」を起こすのは遺伝子だけではなかったのですね。

細胞から放出されているエクソソームというものが、非常に重要な役割をしていることがわかってきているのです。

それでですね。先ほどの三木成夫さんの『胎児の世界』での「胎内での様子」を思い浮かべながら読むと、非常に感慨深い下りもあるのです。

以下も、『指令物質をコントロールする医療革命』からの抜粋です。


人間は「体液」を通してコミュニケーションをしていた

人間には言語というコミュニケーションツールがあります。さらにジェスチャー、身振り手振りというものも、意思や情報を伝える手段になります。

ところが、こうしたコミュニケーションとは別に、私たち自身が自覚しない形で、コミュニケーションをしている。つまり、体液のなかのエクソソームを交換することでコミュニケーションを図っているらしいということがわかってきました。

たとえば、お母さんが赤ちゃんにあたえる母乳、あるいはお腹のなかにいるときの羊水、また、場合によっては唾液や精液など、個体同士が交換する体液のなかには、エクソソームが含まれています。

そのエクソソームには、マイクロ RNA が含まれていて、そこには何らかのメッセージが書き込まれています。それによって相手の遺伝子に影響を与えている。

さらに驚いたことに、エクソソームを使ったコミュニケーションは、細胞間、臓器間、人と人だけではなく、どうやら人間と、別の種の生き物、つまり人間以外の生物との間にも存在しているらしいのです。

エクソソームは、血液 1ccあたり 50億から 100億個含まれているらしいですので、ものすごい情報量が体内をめぐっていることになります。

なお、この「人間を含めた生物の遺伝物質は、現在知られているよりはるかに多い可能性」については、

遺伝子分子は「100万以上」存在する可能性があり、DNAはその中の1つに過ぎない

ということを、日本やドイツ、そして、アメリカの研究者たちの共同研究で突き止められたことを、以下の 2019年の記事でご紹介していますが、エクソソームもそういうもののひとつである上に、「まだまだ他にたくさんあるかもしれない」ということになります。

地球の生物には「遺伝物質が100万以上存在する可能性」が判明し、DNAはその中のひとつに過ぎないという衝撃的な研究が東京工業大学等による国際研究で示される

投稿日:2019年11月13日

 

まあ……現在の状況の中で、唯一の希望的な部分がここにあるような気がしないでもありません。

自らの遺伝子がワクチンの人工遺伝子に乗っ取られたとしても、スパイクタンパク質が永続的に体内で産生され続けるにしても、

「それを乗り越えられる遺伝物質を人間は持っているかもしれない」

と、こうなってくると、このように考える他は、希望が見えない感じです。

今後、赤ちゃんの状況を含めた甚大な厄災が迫っていることは確かです。

しかし、人間は基本的にはどんなことでも乗り越えられる仕組みを持って誕生してきたと思います。宗教をお持ちの方なら「人間は神が造られたのだから何でもできる」とお考えになってもいいでしょうし、宗教のない私のような人は、人間の本質的な奇跡的な可能性を今でも信じています。

そして、今回書きましたことは、「科学の二面性」もあらわしています。

エクソソームの存在が明らかになったのは、近年になって機器と技術が発達したことによるもので、同時に遺伝子ワクチンが現実化したのも、科学的技術の進歩によるものです。

結局、科学というのは、その発見や進歩そのものの問題ではなく、

「それを用いる人たちの良心の部分と良心ではない部分の問題」だとは感じます。

ここまでバイオテクノロジーが進めば、悪いほうに使えば「人類の絶滅」なんてのも場合によっては可能なことですが、良いほうに進めば、いかなる病気からも、多くの苦痛からも解放することができるものでもあるはずです。

「人類の絶滅」なんて大げさに響くかもしれないですが、2019年に以下の記事でご紹介しました「遺伝子ドライブ」技術を用いれば、不可能ではないです。

科学の進歩か新たな生物兵器の誕生か : 「ひとつの生物種全体を抹殺できる」可能性のある遺伝子ドライブ技術が史上はじめて哺乳類で試験され、成功した

投稿日:2019年1月31日

そこでご紹介したロシアの記事の内容から抜粋しますと、遺伝子ドライブでは以下のように「ある種全体」を絶滅に導きます。

このロシアの報道は、アメリカの遺伝子ドライブ実験を強く非難している記事です。

遺伝子ドライブは、通常は引き継がれない突然変異を遺伝させていく可能性を最大 100パーセント高めることができる。

改変された遺伝子が、ある染色体から別の染色体へと単純にコピーされ、その結果、さらに多くの生殖細胞が子孫に突然変異を受け継ぐ準備が整う。

時間が経つにつれて、ほぼすべてが変更された DNA を運ぶことができる個体となり、その結果、種の 100パーセントが突然変異体となる可能性があるのだ。

このテクノロジーが成功するかどうかは、汎血統の程度や遺伝子変換の頻度など、さまざまな要因に左右されるが、それでも、約 90パーセントはそうなるはずだ。

遺伝子ドライブは、有害な突然変異でさえ、その突然変異が受け継がれていくことを促進する可能性がある(通常は、有害な突然変異は遺伝していかない)。( In Deep)

何だか、流れで適当にこの過去記事に辿りついたのですが、ここに、

> 時間が経つにつれて、ほぼすべてが変更された DNA を運ぶことができる個体となり、その結果、種の 100パーセントが突然変異体となる可能性がある

という下りを読んでいて、なぜかゾクッときたのですが……まさかね。

mRNA ワクチンはこんなのと関係しないよね……と思い、この記事を読み直すと、米マサチューセッツ工科大学のリリース記事も翻訳されていて、そこには、

> マラリアの根絶を願う億万長者のビル・ゲイツ氏は、マラリアを媒介する蚊を絶滅できる可能性がある遺伝子ドライブ技術に「精力的に」取り組んでいる。

> ゲイツ氏は遺伝子ドライブを「飛躍的な進歩」と呼んでいる。

あー、世界最大の慈善家が絡んでたか……。

コロナワクチンがこういうものと関係なければいいですね。

ともかく、これから子どもがほしいと考えてらっしゃる女性の方々には、ご自分の体を徹底的に守って生きてほしいなと思います。


  この写真は、四半世紀ほど前に私がおこなった公演のパンフレットです。表紙に胎児の写真を使ったものでしたので、何となく掲載しました。

赤ちゃんの時に遺伝子実験され、その後に廃棄されたと思われていた子どもたちが生きていた話です(結局みんな絶望して自死に向かってしまいますが)。

ふと見れば「game(ゲーム)」という公演タイトルだったのですが、これ、amをenにすれば、「gene (遺伝子)」ですね。26年も経って初めて気づいて、ジーンときました。



2021年5月9日日曜日

2326「光の連鎖」2021.5.9

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年05月04日の記事を紹介します。


「光の連鎖」

最近は不思議な能力を持つ子供たちと、出会う機会が多くなって来ました。

地球が変わろうとしている歴史的な瞬間を、手助けするように、沢山の魂たちが生まれているようです。 

レインボーたちの情報では

・宇宙神

・惑星意識(地球の意識)

・地球の神々

・地域の神々

というヒエラルキーがあるようですから、そのうちの惑星意識に呼応しているのかもしれません。 

さて今日は「恩送り」のお話をご紹介します。

宇宙のお話や神々のお話、次元のお話色々ありますが、肉体をまとい3次元の地球を経験している私たちにとって一番大切なのは、そう言った自分以外の不思議に頼ることではなく、

やはり自らの心を磨くことが、第一に必要なことだからです。

 

光の連鎖 すべてはその一言から始まりました。

ある日、小さな女の子がおつかいに行き、そこで野菜を買いました。女の子は、レジのおばさんに笑顔で「ありがとう」と言いました。おばさんは、何だかちょっと嬉しくなりました。

そして、次の男のお客さんに思わず「そのネクタイ似合っていますね」と声をかけました。

男性は少し恥ずかしそうに「ありがとう」と言いました。

ネクタイを褒めてもらった男性は何だか嬉しくなって、そのネクタイをくれた奥さんにお花を買って帰ることにしました。

男性は家へ帰ると「いつもありがとう」と言って、奥さんにお花をプレゼントしました。

「わぁ、どうもありがとう」そう言って奥さんは、とっても喜んでくれました。

嬉しくなった奥さんは、子供におこづかいをあげることにしました。

「わぁい、お母さんありがとう」そう言って、子供は大喜びしました。

おこづかいをもらった子供は、嬉しくなって、飼っている犬においしいエサを買ってあげることにしました。

「わん、わん」そう言って犬は、大喜びでしっぽを振りました。そのしっぽの揺れで、飛んできたたんぽぽの種が大空高く舞い上がりました。

そしてそのたんぽぽは遠く離れたある画家の家の庭に落ちました。春が来て、たんぽぽはきれいに咲きました。

「わあ、きれいだなあ、そうだこのたんぽぽの絵を描こう」そう言って、画家はたんぽぽの絵を描きました。


 すると、何とその絵が大きなコンクールで優勝したのです。画家は沢山の賞金を手にしました。そして、その賞金を全て寄付しました。その寄付されたお金は、貧しい国に学校を建設する費用に使われました。

その学校をある貧しい少年が卒業しました。少年は、とても勉強ができたので、そのまま進学してお医者様になりました。 

お医者さんになったかつての少年は、ある日、難病の老人に出会います。その病気はまだ原因がわからず、沢山の人が死んでいました。

「何としてでも、このおじいさんを助けたい!」そう思ったお医者さんは、特効薬の研究をはじめました。そして、とうとうその薬が完成したのです。

おじいさんは、その薬のおかげで無事助かりました。「ありがとう、本当にありがとう」そう言っておじいさんは、涙を流しながらお医者さんにお礼を言いました。

すべてはあの日、少女が「ありがとう」と言ったことからはじまりました。

ほんの些細な一言が、後々に、多くの人々に喜びを与えることがあります。

どうか目の前の人に、小さな喜びを伝えてください。それはいつか、誰かの命を救うことになるかもしれないのですから。

※この文章はお笑いのぐるぐるさんの元ネタを若干修正して掲載しています

以上です。

 

ここに神さまのやり方が顕著に示されています。神さまの、私たち人間に対するアプローチ方法です。神さまは、誰もが驚くサーカスのように奇跡的な、大きな出来事で、人間を幸せに導くのではありません。神さまは、誰の心の中にもいらっしゃいます。 

神さまは、人間の心の中で、

・活性化され

・光を放ち、

人と人との絆、思いやりの連鎖を通じ私たちに幸せをもたらします。神さま自身は、決して表に出ようとしません。あくまで、誰にも気づかれないように、人々の心をちょっとだけ変化させていくことで、その連鎖、有機的な繋がりによって世の中に変化をもたらします。 

誰にも気づかれず、自然な形で、私たちの心の中で変化を起こします。

・お互いさま

・お陰さま 

その優しさと、思いやりの中で相手の立場、個性、やり方を受容し、認め、それが、私たちの行動として現れ、愛の連鎖を起こすのです。 

それは、あたかも、その本人達の自発的な行動と、思われがちですが、全ては、私たちの内に居らっしゃる神さまの働きです。

このような、美しい人と人との営みを目にした時、常に神さまを意識し、神さまの気持ちに寄り添って生きようとしている人は必ず、必ず氣づくことでしょう。

「あっ、神さまを見た」と、、

私たち、普通の人、心弱き人は、神社仏閣に、お願い事をしに行きます。優しい神様は、それらの事情を全てわかった上で、そして個人的な願い事など清濁併せ飲んだ上で・・・

叶えて良い願い事、それは、私たちの因果律を乱さず、私たちの魂の進化に対して、悪影響を及ぼさない場合のみ、そして、更にそれを叶えることによって、神さまの意図した、心の変化が見込める場合のみ、願いを聞いてくださり、それをきっかけとして、神様の方を向いていただく。そして、その後に神々に対する信仰心を養い、謙虚な心、お陰さまの心を 養い、同胞である、同じ人間同士で、お互いさまの気持ちを起こし、結果として、私たちの心を、清浄にして神様と繋がりやすくする。

そして、その先では、 

・どこかの外に存在する神さま、

・願い事を叶えてくださる神さまではなく、

私たち自身の心の内に、いつも居らっしゃり、私たちを見守り、共に歩んでくださっている

内なる神さま(良心)と繋がって欲しい・・

内なる神さまと、繋がり、日々、神さまを意識して生きて行くことで、本当の、本当の幸せを掴んでほしい

・誰かに与えられる幸せではなく、

・誰かに依存して生きるのではなく、 

自分の足でしっかりと大地に立ち、内なる神さまと繋がり、幸せになって欲しい。。

それが、神々のなさり方ではないかと思います。

 

今、時代が変わろうとしています。もう、その大きなエネルギーの回転は誰にも止められません。全ては、神々の計画通り、人間の精神性の復活の方向に向かっています。心の時代です。

何かを見たり、聞いたりすることで、

・悪しきもの

・醜い心

・嫉妬

・揚げ足取り

・誤ったプライド、優越感

・疑心暗鬼

・マウンティングしようとする心

などを、心に取り込まず、心を

・美しいもの

・優しいもの

・思いやりのあるもの

・愛のあるもの 

に集中したいものですね。

心にあるものは、必ず、何時か現象として現実化しますから。目の前に現れてきます。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。それが自分の身を助けることに繋がります。



2021年5月8日土曜日

2325「優しい世界へ」 2021.5.8

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年05月02日「優しさは真実(正義)に勝る」と2021年05月03日「優しい世界へ」の2つの記事を紹介します。


「優しさは真実(正義)に勝る」

私たち人間は弱いものです。

・正しくありたい

・優しくしたい

・笑顔でいたい

・人の役に立ちたい

そう願っていても、何時も弱い心が頭をもたげます。 

また逆に、

・自分は正しい

・自分の言う通りに動け・・ 

と、無意識のうちにマウンティングしてしまい、自分勝手な正義感を振り回し、

・人を批判し

・糾弾し

・追い詰め 

そして、

・自分勝手な価値観に沿って、家族を含め、他人を動かそうとします。 

そして、人がそれに従わないと 

・猛烈に批判を浴びせ

・憎み

・足を引っ張り

・仕返しをしようとします

また、心弱い私たちは、何が正しいか、分ってはいても,なかなか一歩踏み出せないでいます。生きている間は、ずっとその葛藤かもしれません。

でも諦めないでください。みんながそうなんです。そこが出発点なんです。

ブッダがこう仰いました。

・嘘をつけないような人になっては いけない

・優しさは真実に勝る

ブッダの仰りたかったことは、相手を思いやる優しさや、調和の為の嘘は、真実よりも尊い・・ と言う事を仰ったのでした。 

また、こうも仰りました。

捨戒の法

ブッダが仰るには、仏教徒が戒律を破るとき、いま仏教を捨てます、と天に向かって言います。そして、酒を飲んだり、戒律を破る。その後、また仏門に帰依します、と言って戻れば、それで良いのだよ。

ブッダは人間の弱さを知っていました。そして温かい目で人間を見ていました。

過ちを見て、人を切り捨てるようなことはなさいませんでした。人を追い詰めることはなさいませんでした。ブッダは戒律重視ではなく、優しさ(慈悲)を教えていたからです。


次に良寛さんのエピソードをご紹介します。

良寛さんの甥に、馬之助という放蕩息子がいました。良寛の弟の由之は息子の放蕩に困り果てて、兄の良寛さんに説教を依頼します。良寛さんは故郷の由之の家に出向き、馬之助の前に座らせられましたが、酒を飲んでばかりで、いつまでたっても説教しませんでした。

とうとう三日目の朝「わしはもう帰る」と言って良寛さんは家を出ようとしました。

そのとき馬之助の母は馬之助に、良寛の草鞋の紐を結んであげるように言いつけました。

馬之助は言われるまま草鞋の紐を結び始めますが、それでも良寛さんは黙ったまま。と、そのとき馬之助は、自分の首に何かが、落ちてくるのを感じました。見上げると、そこには目に一杯涙をためた良寛さんの顔がありました。

それをきっかけに、たったこれだけの出来事をきっかけに馬之助の放蕩は、すっかりやんだということです。

良寛さんは、馬之助の心の

・苦しさや

・悲しさや

・それを放蕩で紛らわさずをえない苛立ち

をただじっと見ていました。

煩悩だと知りつつも、煩悩に引きずり回されるのが私たち心弱い人間です。人間の悲しさ、苦しみは、いつでもそこから生まれてきます。悲しみを持った人に、自分勝手な価値観を押し付けたり、くどくどと説教したり、良寛さんは、そのような事はしませんでした。

ただ馬之助とともに、じっと悲しみ続けるだけでした。馬之助の父親の由之や母親は、息子の表面的な損得や、世間体から心配したかもしれません。

ですが、馬之助の心と、じっと一緒にいてあげたのは、良寛さんでした。

いくら正しい道を示されても、「こうであるべきだ」と正論を教えていただいても、なかなかそう簡単に行きません。でも本当はそうしたいのです。心では分かっていますから。

そして、それが自分には簡単にはできないとわかると、結局あきらめてしまい、また元の苦難の日々に埋もれてしまいます。正しい道を示されても何の役にも立ちません。 

ですが、良寛さんのように心を理解し、心に寄り添い、「今のままでも、良いんだよ」と、見守ってくださる人がそばに居れば、私たちは徐々に、光の方向に進んでいけるかもしれません。


  心弱い私たちは、煩悩で、あちこち頭をぶつけながら、人に迷惑かけながら、お世話になりながら、だんだんと、あちこち角が取れて、おかげ様の心が芽生えてくるでしょう。

そして、 

・おかげ様

・お互い様 

の感謝の心が芽生えた時、その辛く、苦しい経験をしたがゆえに、同じような苦しみ、悲しみの中にある人の心の内を理解して、良寛さんのように寄り添えるのかもしれませんね。 

決して今の、悲しみ、苦しみは、無駄にはなりません。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。

 

 

「優しい世界へ」


今日は「愛語」について実際にあったお話をご紹介します。

愛語と言うのはブッダの言葉です。ブッダは、私たちが幸せな人生を歩む6つの道(善)を教えられています。それは六度万行(ろくどまんぎょう)といわれます。

この6つの善いことのうち、どれか一つでも徹底して実行すれば、幸せになれる、と説かれているのです。そして六度万行の一番目に挙げられているのが『布施』です。

その布施行の一つに

『和言愛語(わげんあいご)』があります。

和言愛語とは、和やかな笑顔【和顔】と優しい言葉【愛語】とを施すことです。さて、それでは実際にあったお話です。

曹洞宗長徳寺の住職 酒井大岳山さんのお話です。

<引用開始> 引用元


ある書道の時間のことです。教壇から見ていると、筆の持ち方がおかしい女子生徒がいました。傍に寄って「その持ち方は違うよ」と言おうとした私は、咄嗟にその言葉を呑み込みました。彼女の右手は義手だったのです。

「大変だろうけど頑張ってね」と自然に言葉を変えた私に「はい、ありがどうございます」と明るく爽やかな答えを返してくれました。

彼女は湯島今日子(仮名)といいます。ハンディがあることを感じさせないくらい勉強もスポーツも掃除も見事にこなす子でした。もちろん、書道の腕前もなかなかのものでした。

三年生の時の運動会で、彼女は皆と一緒にダンスに出場していました。

1mほどの青い布を、左右の手に巧みに持ち替えながら、音楽に合わせて踊る姿に感動を抑えられなかった私は、彼女に手紙を書きました。

「きょうのダンスは一際見事だった。校長先生もいたく感動していた。私たちが知らないところでどんな苦労があったのか、あの布捌きの秘密を私たちに教えてほしい」という内容です。

四日後、彼女から便箋十七枚にも及ぶ手紙が届きました。 

ダンスの布については義手の親指と人差し指の間に両面テープを張って持ち替えていたとのことで、「先生のところまでは届かなかったかもしれませんが、テープから布が離れる時、

ジュッという音がしていました。

その音は私にしか聞こえない寂しい音です」と書かれてありました。「寂しい音」。

この言葉に私は、心の奥に秘めた人に言えない彼女の苦しみを見た思いがしました。

十七枚の便箋に書かれてあったのはそれだけではありません。そこには生まれてから今日まで彼女が生きてきた道が、綿々と綴られていました。

彼女が右手を失ったのは三歳の時でした。家族が目を離した隙に囲炉裏に落ちて、手が焼けてしまったのです。切断手術をする度に腕が短くなり、最後に肘と肩の中間の位置くらいから義手を取り付けなくてはならなくなりました。

彼女は、小学校入学までの三年間、事故や病気で体が不自由になった子供たちの施設に預けられることになりました。「友達と仲良くするんだよ」と言って去った両親の後ろ姿をニコニコと笑顔で見送った後、施設の中で三日間、泣き通したといいます。

しかし、それ以降は一度も泣くことなく、仲間とともに三年間を過ごすのです。

そして、いよいよ施設を出る時、庭の隅にある大きな銀杏の木にぽっかり空いた洞の中で、

園長先生が彼女を膝に乗せてこのような話をされました。

 


「今日子ちゃんが、ここに来てからもう三年になるね。明日家に帰るけれども、帰って少しすると今度は小学に入学する。でも今日子ちゃんは三年もここに来ていたから、知らないお友達ばかりだと思うの。そうするとね、同じ年の子供たちが周りに集まってきて、今日子ちゃんの手は一つしかないの?なにその手?と不思議がるかもしれない。だけどその時に怒ったり、泣いたり、隠れたりしては駄目。その時は辛いだろうけど笑顔でお手々を見せてあげてちょうだい。そして『小さい時に火傷してしまったの。お父ちゃんは私を抱っこしてねんねする時、この短い手を丸ちゃん可愛い、丸ちゃん可愛いとなでてくれるの』と話しなさい。いい?」

彼女が「はい」と元気な明るい返事をすると、園長先生は彼女をぎゅっと抱きしめて、声をころして泣きました。彼女も園長先生の大きな懐に飛び込んで三年ぶりに、声を限りに泣いたそうです。

故郷に帰って小学校に入った彼女を待っていたのは案の定「その手、気持ち悪い」という子供たちの反応でした。しかし、彼女は園長先生との約束どおり、腕を見せては「これは丸ちゃんという名前なの」と明るく笑いました。すると皆うつむき、それから誰もいじめる子はいなくなったといいます。

私が教室で愛語について話した時、彼女は酒井先生は愛語という言葉があると黒板に書いて教えてくれたけど、園長先生が私にしてくれたお話がまさに愛語だったのだと思います

と感想を語ってくれました。 

彼女はその後、大学を出て「辛い思いをしている子供たちのために一生を捧げたい」と

千葉県にある肢体不自由児の施設に就職。いまでも時々、写真や手紙などを送ってくれています。

<引用終了>


私達の周りには色んな人が居ます。いろんな個性の人もいます。身体の強い人、弱い人もいます。そして時々人は、他の人が、自分と違う。何か違和感があると言うだけで、

・差別し、

・排除し、

・時にはいじめまですることもあります。

これは悲しいことですが、厳然たる事実です。

その結果、傷つき、涙を流している人もいます。そして、それを行った本人も、実は同じだけ傷ついています。ご自分の良心に反する事をしたのですから、自分自身の神様の心が、それを良しとしないのです。

ですので、それを繰り返すと、自分自身の心がすさみ、結局、自分が不幸な道を歩むことになります。

そして、その不幸な道と言うのは自分だけでなく、身近な人にまで影響を及ぼします。

ですから、良心に反する行為と言うのは、あまり軽く考えていると、大きな落とし穴にはまってしまいます。

もちろん、それに気付いた時に、反省し、方向転換すれば、いつでも許され、元に戻れるでしょう。神様は裁きませんし、愛そのものだからです。

私達は色んな個性が居る世界に生きています。自分がそうして欲しいように、他人に対しても、その個性を認め、ブッダが言うようにいつも、笑顔で、愛のある、思いやりのある言葉を使いたいものですね。

みんなが そのままの、ありのままの自分でも、生きていていいんだよって そう思える、

優しい社会にしたいものですね。 

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。それが自分の身を助けることに繋がります。


 

2021年5月7日金曜日

2324 「世の中の仕組み」2021.5.7

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年04月30日「世の中の仕組み」

と2021年05月01日「神々の厳しさと優しさ」の2つの記事を紹介します。


「世の中の仕組み」

今日は「世の中の仕組み」ということで斎藤一人さんのお話をご紹介します。 

 

<転載開始> 転載元

 

不幸な人って、「私にはあれがない」とか「これができない」とか、“自分にないもの”に焦点を当てようとするんです。


 そうではなくて、「私にはあれがある」「これもできる」とか、“自分にあるもの”に焦点を当てたとき、人は幸せになるんですね。

人間には“業(ごう)”ってものがあるの。それは神様が与えてくれたものなんです。

だから、その神様の与えてくれたもので、幸せになるの。

顔なしは欲望のままに次々と欲しがり、飲み込み、どんどん巨大化していきました

ポーカーでも、配られたカードにいちいち文句を言ってると勝てないんです。

配られた手でどうやって勝とうか、って考えないと勝負には勝てません。

何かハンデを持って生まれてくる人がいるんだけど、そういう人は魂的に優秀な人が多いんです。それで実際、まわりの人は「困るでしょう?」って言うけど、それほど困らない。

「私、足が遅いんです」って言う人がいるけど、車の運転ができてポルシェにでも乗れば、

その人は時速200キロだって出せるんだよね。

だから人はそれぞれ、得意なことを一生懸命やればいいの。それで苦手なことは必ず誰かが助けてくれるから。人はそうやって助け合い、補い合って生きていくものなんだよね。

それを不得意なことを無くそうとかってやっていると、大切な人生の時間があっという間になくなっちゃう。それより、得意なことで、みんなのお役に立てればいいんだよ。

<転載終了>

  

神さまは、私たちに、いつ、どこで、何が必要なのか、全てを知っていらっしゃいます。

ですから、何時でも、私たちに必要なものは、既に周りに準備されています。

一人さんは、子供のころより、この神さまの存在を身近に感じていました。 

一人さんは、こうも仰っています。

 

神さまが与えてくれないものは、いらないものなんです。それがわかっていないから、

三倍も五倍も努力してもできなくて、ダメ人間だと自分に烙印を押してしまう。

神さまは、既にあるもの、与えられた環境で、自分にしか咲かせられない、個性的な花を咲かせてごらん。 

そう仰って、私たちを今の立場に置いて下さいました。私たちが今置かれている環境こそが、

その場所で、私たちが光り輝ける場所です。

この世は本当は、裏返しの構造である・・ と言われます。 

人間の考える、幸せ、不幸せ というのは、神さまや仏からはまったく逆さになって見える、ということです。

  

私たちが、

・これが無いからできない。

・これが手に入ったら、行動を起こす 

そう言って、無いものをねだり続ければ、結局は、何もしないまま、人生は終わりを迎えることでしょう。そして、亡くなる時にきっと後悔することでしょう。  


またもう一度、同じ目標を掲げ、この地球に戻って来なければならないかもしれません。 

私たちが、神さまが用意してくださった、今の環境、立場でみんなに感謝し、「ありがとう」の言霊を使い続ければ、きっと、沢山の「感謝の波動」を持った仲間が集まってくることでしょう。そして、私たちと協力し、神のみわざを成すことでしょう。

 

私たちは、類は友を呼ぶ の法則通り、同じ波長の人としか交わることができないからです。

そして同じ波長を持つ者は、共鳴し、必ず惹かれあいます。

逆に不平・不満・愚痴や悪口ばかり言っていれば、それと同じ波長を持つ人たちが、周りに集まってくることでしょう。  


そして天に帰った時そこは心の世界ですから、生きている間以上に、同じ波長の仲間が集まり、共に暮らしていくことになるでしょう。どこかで、波長の転換が無い限り、それは続きます。 

できれば、感謝の気持ちを持ち、何時も笑顔で、前向きで、お互いさま、お陰さまの気持ちで優しく温かく、助け合っている人たちに囲まれて、生きて行きたいものですね。

それには、私たちが、そのような心持になる必要があります。 

出口王仁三郎やブッダが予言したとおり、2010年以降、世界は、精神性復活の時代に入りました。 私たちの心次第で、行き先が完全に分かれて行きます。私たちの住む世界は、私たちの心が決めているからです。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。それが自分の身を助けることに繋がります。



「神々の厳しさと優しさ」


先日、神々に降りて来ていただき、会話をする秘儀に参加させていただきました。 

この降神は、日本では古くは「手乞い」と呼ばれ巫女さんに神様が来られた時の徴(審神者)として使われたようです。古事記(国譲り)にも記載されています。

また相撲のルーツとされ、日本相撲協会のHPでも紹介されています。 

今回の秘儀は、神様に入っていただく方(中座と呼びます)と、神様に質問される審神者的な役割の方(前座と呼びます)の2名の先達で行われました。 

翌日、中座つまり神様に入っていただいた大先達に詳しいお話を伺ってきました。

まず神事の前に、禊(水垢離)をするのですがその時に、真言の効力で、冷たい水をお湯に変えます。 

このご神事は、相当なエネルギーを消耗します。今風に言えば、HPを大量消費します。

ですので、長時間は行えません。体力と、気力を奪います。 

ですので、質問される方も、

・ただの興味本位

・思い付き

・気軽な依存的な心 

であってはならないのだそうです。厳しいです。

そんな内容に、神様は興味がありません。


 本来は、前座の役の方が質問者の、質問を承って、仲介役として、中座の神様に質問します。

ですので、中座の方は、質問者の質問を一旦ここでフィルターにかけて本当に神様に質問させていただいてよいものかどうかを取捨選択する必要があるのだそうです。 

・あれしてくれ、これしてくれ

・どちらの道を選べばよい?

・病気は治るか?

・いつ死ぬか?

などは、本来は神々に質問することではないようです。

そして、神々は優しいです。そして全てを知っています。質問者の、全ての過去世と、現状と未来世までも。 ですので、将来起こりうること全てを分かっていますが、質問者が気に入るようなお答えはしません。 また、質問者を絶望させるようなお答えもしません。 

神々のお答えは、それこそ良寛さんの愛語のようなものです。 

・人を温かくする言葉、

・明るくする言葉、

・優しい気持ちにする言葉、

・励まし続ける言葉…

このようなことしかお答えにならないのだそうです。

質問者の未来に、どんな状況が待っていようともそれが人間的には「悪い出来事」であっても神々にとっては、その出来事を乗り越えてこそ、その先に幸せがあることが分かっていらっしゃいますから、絶望させるようなことは仰いません。

全て、その方の心に勇気の火を灯す言葉だけをお答えくださいます。

優しいです。何者をも包み込む、絶対的な愛です。

ですから本当は、わざわざ神々の前に来て相談する必要もないくらいです。

神々は言わなくとも、全てを知っており常に、私たちとともに居り私たちの幸せのために働いてくださっているからです。それでも、私達、一般の凡人は日々起こる、いろいろな出来事に一喜一憂し、取り越し苦労をして悩み、苦しみます。 

誰かにすがりたい神様にすがりたい気持ちを持つのも当然のことです。ですが、本当は質問する前から、神様の答えは決まっているのです。私たちが判断して決めたほうで良いのです。

どんな状況が私達の身に降りかかろうとそれは、神々が、そうなることを許された出来事です。その苦難を経験することで私たちの魂は鍛えられ、輝きを増すことができます。

その先には、大きな幸せと喜びが待っています。その苦難の中で、神々や関わってくださっている方々に感謝すること、嫌な役を引き受けてくださっている方に感謝すること。

「ありがとう」の言霊を何万回繰り返すのでも構いません。

 人の嫌がる仕事を率先して引き受けることでも構いません。

 そうこうしているうちに、苦難は過ぎ去っていきます。穏やかな心に戻れるときが、絶対に来ます。 

あの悔しかったこと 悲しかったこと 寂しかったこと 全てが、自分の心を深く、豊かにしてくれたことに気づきます。

どうか勇気と希望を失わないでください。必ず、夜は明けますから。 

今回、この秘儀に参加させていただいたことは、非常に幸運でした。

そして神々のお気持ちを伺うことが出来、また今までこのブログで書いてきた内容に間違いがなかったことを確認できた経験でした。ご教示くださった神々に感謝申し上げます。



2021年5月6日木曜日

2323「現象化する言葉」2021.5.6

 今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年04月28日「現象化する言葉」

2021年04月29日「言葉の贈り物」の2つの記事を紹介します。


「現象化する言葉」

今日のテーマは「現象化する言葉」ということで、小林正観さんのお話を紹介します。

<引用開始> 引用元


「言葉が現象化する」と言うと、多くの場合、誤解されている部分があるようです。

「こうなりたい。ああなりたいと口に出して言うと、それが実現する」という誤解です。

「言葉が現象化する」というのは、たとえば、神社仏閣に行って、良縁祈願というものをお願いしたとします。

・いい人と出会わせてください。

・いい人と結婚したいのです。

・素敵な人と出会わせてください

と100回お願いをしたとします。

そうすると、その言葉をまた言いたくなるように現象化します。

つまり、いい人や素敵な人にはいつまでたってもなかなか出会わない、という現象が起きるのです。

同じように「商売繁盛をお願いします」と千回行ったとします。千回それを言ったことによって、また同じ言葉を千回言いたくなるように現象がセットされます。

言ったとおりの言葉をまた言いたくなるように、言った数と同じ数だけまた言いたくなるように、宇宙では現象化が始まる・・・というものです。

聖書の中にこんな言葉があります。

「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なりき」

「言葉は現象化する」という宇宙の大法則を述べたもののような気がします。

これも、その言葉を言ったらその言葉が実現する、というものではないと思います。  

「言葉が現象化する」というのは、「その言葉をまた言いたくなるように、現象がセットされる」というふうに、私の認識の中ではとらえられました。

これは神社仏閣に行ってお願いごとをする、そういうことを要求するということが、ほとんど意味をなしていないということにもつながっています。

では「言葉が現象化する」、つまり「その言った言葉をまた言いたくなるように現象がセットされる」のであれば、最も効率の良い言葉は何でしょう。

たとえば「うれしい」という言葉を一年間に千回言ったとします。そうすると、その「うれしい」という言葉をまた千回言いたくなるように、来年は現象がセットされます。

「楽しい」という言葉を二千回言ったとします。その「楽しい」という言葉をまた二千回言いたくなるように現象がセットされます。 

「幸せ」という言葉を年間三千回言ったとします。その「幸せ」という言葉を年間三千回言いたくなるように現象がセットされます。

一番効率の良い言葉は、

・ありがとう

・ありがとうございますです。

「ありがとう」「ありがとうございます」という言葉を年間一万回言ったとします。

そうすると来年

・ありがとう

・ありがとうございます

という言葉を、また一万回言いたくなるような現象がセットされ、次々に降ってくるのです。

・うれしい

・楽しい

・幸せ

・ありがとう

という言葉を、何千回何万回と宇宙に向かって言ったとすると、その言葉を同じ数だけ言いたくなるように宇宙の現象がセットされます。

そして、

・うれしい

・楽しい

・幸せ

・ありがとう

と言いたくなるような現象が降ってくるのですが、それがどんなことであるのかは、わかりません。

だから楽しいのです。おもしろいのです。そして、ワクワクします。ドキドキします。

このワクワク感、ドキドキ感というのは、何にも代えがたいおもしろさであり、楽しさです。

<引用終了>


これはまさに「波動の法則」そのものです。自分の今、全宇宙に発振している、周波数(波)が、どこかの誰かに必ず共振現象を起こし、その波長にふさわしい現象や人を引き寄せる・・

そういうことです。

「何々してください」という祈り、願いは飢餓感、欠乏状況の波動を発信していることになります。飢餓感、欠乏感のある人に受信され増幅され、ますます、その状況が拡大して自分に戻ってくることでしょう。

ですから、「ありがとう」という感謝の心はどんな時も、重要な役割を果たします。

「ありがとう」と感謝の心を持つ人には感謝の心を持つ人が呼応しあたたかな人、現象

救援、救助の手が差し伸べられることでしょう。

それに対し、

・良い人と出会い、結婚さえできれば

・お金さえあれば、お金ができてから・・

・時間さえあれば

・病気さえ治れば

そのような、他人や、物に依存する心を持つ人現状に不平不満を持つ人には、同じ波長の人が、その波をキャッチして周りに集まってくることでしょう。ますます、同じ波長、現象が強化され、固定化してしまいます。

神々の恩寵は、人間の「感謝の心」を媒介にして現象化するといわれます。どんな状況かであろうと「ありがとう」と感謝の心を持つ人は同じ現実の中にあっても、神さまの光に包まれ、幸せな人生を送っていることでしょう。

それが、空海が教えてくだ会った「即身成仏」つまり、生きている間に

・天国に住む

・地獄に住む

ということです。

生きながら地獄に住む人とは常に心に

・不平不満

・愚痴

・悪口

・疑心暗鬼

の心を持つ人です。

生きている間に「地獄」に住んでいらっしゃる方は亡くなったからと言って、天国に行くわけではありません。

心の状態そのものが、肉体亡き後に自分の周りに現象化するからです。

逆に、同じ環境に置かれていようと、「ありがとう」の感謝の心を持つ人は、亡くなった後、直接天国に直行しあたたかな心の人たちに囲まれ、幸せな境遇に暮らすことでしょう。

それほど、心の在り方、、というのは大切なことです。

どんな時も、どんな境遇に置かれても

・うれしい

・楽しい

・幸せ

・ありがとう

の心でいたいものですね。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。 周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。それが自分の身を助けることに繋がります。



「言葉の贈り物」

今日は、「言葉の贈り物」ということでお金が無くとも、いつでも、どこでも、簡単にできて自分も、人も一瞬で幸せにしてしまう方法をご紹介します。

小林正観さんのお話からどうぞ、

<引用開始> 引用元

 

自分の口から出てくる言葉が、 

・温かい言葉、

・人を優しくする言葉、

・明るくする言葉

でしかないように、自分の口から出てくる言葉を彩(いろど)りたい、って考えた人がいます。良寛和尚(りょうかんおしょう)という人です。

良寛さん。この人は幕末の人で1831年に74歳で死んだんですね。

非常に貧しい乞食坊主だって自分で言ってまして、自分は人に対して物やお金を贈り物として与えることが全然できない。でも、いつも人に対して何かを贈りたいと思っている。

では、自分に贈れるものは何か。それは「言葉」である、っていうふうに言っていた人なんですね。

自分の口から出てくるすべての言葉が、人を温かくする言葉、そういうものでありたいって

心に決めて生きてきた人だったんですが、この思想を「愛語(あいご)」と言います。

私は、それを聞いてハッとしまして、それまで「“不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句”を言わないようにしましょう」と言っていたんですけど、良寛さんのこの話を聞いたときに、

それらを言わないだけではなく、それをゼロにするだけではなくて、私の口から出てくる言葉は、はっきりとした自覚をもって、 

・人を温かくする言葉、

・明るくする言葉、

・優しい気持ちにする言葉、

・励まし続ける言葉… 

そういうものしか、もう自分の口から出てこないようにしようって決めたんです。

で、それを続けていくと、これまでも私は友人・知人にすごく恵まれてきましたが、その人間関係の厚みがもっと増した気がしてるんです。

そういうものだけで自分の言葉を彩るって今日から決意をすると、人間関係が多分変わってきます。

自分の口から出てくる言葉全部が、人を温かくするものとする・・そう決めて、その言葉を贈り物とする人は、豊かな人っていうんですね。

お金や物っていうのは、あげてしまうと自分のところからは無くなります。でも、言葉というのはいくら出してあげても、無尽蔵に存在するものなんです。と同時に、それを外に出さない限りは持ってないのと同じなんです。言葉は、出せば出すだけ贈り物になる。

出して初めて存在が確認されるんです。だから、心の中でいくら思っていても、それは出さなければ絶対、贈り物にはならないんです。

「今日はそのネクタイ似合ってますね」って思ったら言ってあげる。

「今日はそのスーツ素敵ですね」って思ったら言ってあげる。

それが、その人を励ましたり、勇気づけたり、元気づけたりする言葉であるならば、全部それが贈り物になるってことです。

で、そういう言葉を贈り物にできる人が、実は本当に豊かな人になるんですね。いくら出しても無尽蔵に存在するものを私たちはたくさん持っているんですから、独り占めはしないでくださいね。あなたの出す温かい言葉は、すべて贈り物なんですよ。たくさんの贈り物を届けてあげませんか。

<引用終了>

 

どうですか?なんだか簡単そうすね。普段から「愛語」を心がけていると近寄ってくる人が、みんな温かで親切な笑顔でよって来てくれます。みんな善意の心で、味方になってくれる人です。 

それは、自分が発した心、同じ波長の人が引き寄せられたからです。そんな笑顔の人達に囲まれているともう幸せと、感謝しか感じられなくなります。

どうぞ、実験してみてください。本当のことですから。私は、もうやって見ました。

この宇宙では、何事も、そうなのですが、棚から牡丹餅は、ありません。待っていて、突然幸せが向こうから歩いてくることもありません。全ては、自分が出すことが先です。

自分が、外に発信したもの

・笑顔

・お金、寄付、喜捨

・優しさ

・愛

・思いやり

・援助

全て、先に自分が出すことで空いたエネルギー空間を埋めるため無(宇宙)からエネルギーがやってきます。それは、自分が出したものと同質のエネルギーです。

そして、それは倍になって自分に帰ってきます。まず、自分からアクションを起こすこと

これがミソです。 

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。それが自分の身を助けることに繋がります。