2026年10月30日金曜日

4426「降り注ぐ神さまの恩寵」2026.10.30

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月09日の記事を紹介します。


「降り注ぐ神さまの恩寵」


今日は布施の精神について書きたいと思います。 

ブッダのお言葉、托鉢、奉仕、お布施のお話です。 

ブッダの教えの中に、「托鉢」があります。

托鉢とは笠をかぶったお坊さんが、家々を回ったり、道路の脇に立ち、

手に鉢をもって、その中にお布施を頂くというものです。

ブッダは、托鉢に向かう弟子たちに、こう言いました。

お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って、托鉢をしてきなさいと。

弟子たちは、驚きました。 

「お金持ちの家から、お布施を頂くのではないのですか?」

ブッダは弟子たちに、こう言ったそうです。

貧しい人たちというのは、今まで、自分が貧しいと思って、

他人に対して、施しをしてこなかった人たちである。

それ故に、貧しさから抜け出すことができずにいる。 

だから私たちが布施をいただきに行くのは、このような貧しい人たちを、 

その貧しさから救ってあげるためなのだから、貧しい人の家を回って来なさい。

托鉢に金額は関係ありません。

宇宙の法則 

与えるものが、受け取るもの

と同じです。

貧しさから抜け出す最初の一歩は、 

まず他人が喜ぶことを

自分から、先にすることなのかもしれません。

だから托鉢は、お坊様たちが自分たちで食べるものを

もらうために行う行為ではありません

「与えるものが受け取るもの」 

この言葉が意味することはひとつ。

全ては、自分が与えることから始まるということ。

人の心に勇気と希望を与えるために、自分から出したとき、

(つまり、自分のところにその分、虚空が発生した時)

宇宙は、同じエネルギーの質を持ったもので、

見えない世界からエネルギーの充填を図ろうとするのです。 

その時、出したものの何倍ものエネルギーが発生(エネルギーの移動)します。

これが、お金が移動する際の真理です、 

また同じく空海は、こう言いました。 

私たち悩み多き者たちが、失う苦しみから逃れる為に、 

次のように「施 (ほどこ)しの行」を説かれました。

むさぼり、惜(お)しむ心に勝てず、

人のために財(ざい)を使うことがなければ、

いつも餓(う)える心に苦しむ。

少しの食物も分かちて、甘(あま)さを割(さ)き与えるものは、

この苦しみから脱(のが) れることができる。

自分が持つ、お金などの財産に執着する人は、

常に失うことを恐れ、心が休まる時がありません。

要するに、生きながら常に心は、

戦々恐々とし、地獄に住む者のごとしです。

空海はその地獄から逃れるためには、 

まず先に、その財を

人のために、人が喜ぶことに使いなさいとおっしゃっています。 

これも宇宙の法則にのっとった言葉ですね。

「与えたものが受け取るもの」

まず、自分から出すのが先です。

それは財産に限らず、 

笑顔や、優しさ、思いやり、温かな言葉かけなど、みんな同じです。

まず、先に自分から人に、施します。

そうすると、宇宙はきっちりと、

巡り巡って同じものを倍返しで、自分に戻してくれるそうです。 

また健康や、幸せもそうです。 

・健康でない時

・いじめにあっている時

・家族で病気の方がいる時

・経済的に苦しい時 

人は、自分が幸せではないと思って、

他人に対して、笑顔や、やさしさ、思いやりを、

施してこなかったかもしれません。

小学生の神様トキ君の言葉は、もっと単純明快です。 

人から沢山の「ありがとう」を言ってもらうと、お金持ちになる。  です。 

つまり他人に施した 

・優しさ

・いたわり

・愛

・笑顔

・勇気の出る言葉 

それらは、全て自分から出て、他人の心に「神さまの火」を灯し、 

心を震わせ、「ありがとう」という言葉で自分に帰ってきます。 

そのエネルギーこそが、

豊かさ(言い換えれば人間界のお金)の源泉であるということです。 

これを機会に、是非 

・不平不満、愚痴、悪口を口にせず

・人の幸福を喜び

・人の悲しみに、ともに涙し 

・日々の糧を与えてくださる神々に感謝し

・苦しみや、悲しみの出来事を起こし、魂を磨こうとしてくださる神々に感謝し

ともに、笑い、泣いてくれる家族や友に感謝し、

一日を過ごしてみませんか。 

きっと良き運命が始まる、スタートの日になるかもしれません。


2026年10月29日木曜日

4425「第一志望の道」2026.10.29

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月08日の記事を紹介します。


「第一志望の道」


今日は「置かれた場所で咲きなさい」で有名な、

渡辺和子さんのお言葉をご紹介します。 

テーマは、私たちが望むものが、一番良いものではなく、 

神様は私たちの「願ったもの」よりも、 

私たちの幸せを増すのに

「必要なもの」を与えてくださるというお話です。 

<引用開始> 引用元

・いつもにっこり笑うこと。

・人の身になって思うこと。

・自分の顔を恥じないこと。

この「3 つの化粧品」は、

・お金がいらない、

・使っても減らない、

・使えば使うほど質がよくなる、

・どこへでも持っていける。

・そしてアンチエイジング、

つまり、年をとらないために、

とても大事な「化粧品」だと思います。

どんなに忙しくても、いや、むしろ、忙しいからこそ、

一日の中、5分でも、10分でも静かな時間、

一見「無駄な時間」をつくらなくてはいけないのです。

いつまでもおぼえていたら、とても辛いだろうと思ういろいろなことを、 

ありがたいことに私たちは忘れることができる。  

そして、時間というお薬があるんです。

「自分と仲良く生きる」といい。

好きな自分と四六時中一緒にいる人は、自然と笑顔が多くなり、

言葉から刺がなくなり、相手の言葉をふんわりと

受け止めることができるようになるから不思議です。

今という瞬間は、

・今を先立つわたしの歴史の集大成であると同時に、

・今をどう生きるか、次の自分を決定するということです。

人生は点のつながりとして一つの線であって、

遊離した今というものはなく、

過去とつながり、

そして未来とつながっているわけです。

神様は私たちの「願ったもの」よりも、

幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。 

それは必ずしも、自分が欲しくないものかもしれません。

しかしすべて必要なものなのだと、

感謝して謙虚に受け入れることが大切です。

人生はいつもいつも第一志望ばかりを歩けるものではありません。  

そして必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、 

自分にとって最良と言えないことだってあるのです。 

<引用終了> 

このブログでは、毎回、 

・不思議系のお話

・霊のお話、

・目に見えない世界のお話 

ではなく、

心の浄化に重点を置いたテーマで書いています。 

大変に地味です。 

月刊ムーに出てくるような不思議な話や、

本当にあった怖い話のような話は、 

ワクワクして好奇心をそそるもので、楽しいものですが、

心の洗濯のお話は、地味です。 

ですが、「地球の転換期」と言われる今、

昔のように平時とは異なり、 

私たち自身の意識的な心の浄化が急務な課題と思われます。

次元降下と次元上昇が、

それぞれの心の状態によって同時に起こっていると言われるからです。 

岡本天明が下した神示、(国之常立神(くにのとこたちのかみ))には、

下記のようなことが書かれているそうです。

・またたきの間に天地引っ繰り返るような大騒動が出来るから、

 くどう気つけて(=警告して)おくぞ。

 さあという時になりてからでは間に合わんぞ。

 用意なされよ。(ひふみ神示・下つ巻第28条)

・大峠となりてからでは、いくら「改心します」と申しても、

 「許してくれ」と申しても、許すことはできん。(ひふみ神示・ウメの巻第6条) 

私たちの日々の生活の中で、

起きてくる様々な現象は、全て神様が起こしてくださっています。 

渡辺和子さんが仰るように、 

神様は私たちの「願ったもの」よりも、

幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。 

・電車に乗り遅れることも

・リストラに会うことも

・誰かとけんかすることも

・病気になることも

・事故に遭うことも

・誰かと別れることも 

全部、私たちの幸せを増すのに「必要なもの」を

神様が与えてくださったものです。 

長い目で見たら、後で振り返ってみたら、 

その無駄だと思った出来事

嫌なことだと思った、その出来事が、 

必ず、人生の良き方向への

ターニングポイントだったと分かるはずです。 

このように神様に対する絶対的な信頼感で、

日々の出来事を見てみると、

全ての出来事が感謝の種になってきます。 

感謝の心さえ、起こってくれば、

神々の恩寵が、光のように降り注ぐことでしょう。 

何故なら、神々の恩寵は「感謝の心」を媒介して起こるからです。


2026年10月28日水曜日

4424「青空ひろば」2026.10.28

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


イノチの学校より88 2026.09.16 ~イノチの学校より98 2026.09.27


親鸞さんは、夢のメッセージによって導かれたという、不思議な歩みをされたそうです。

その歩みを見ていきましょう。

まず親鸞さんが生まれる前のこと、親鸞さんのお母さんが夢を観られました。

その時に如意輪観音さんが夢に出てきて、「五葉の松」をお母さんに授けられた。

そして親鸞聖人の出生を予告しました。

これから貴方が妊娠する、その赤ちゃんは私(如意輪観音さん)の思いを叶えてくれる人であり、貴方(お母さん)の思いを叶えてくれる人である。

そう告げた。

夢で渡された「五葉の松」これ面白いですよね。

これは「御用の待つ」、御用を待っていますということ。

貴方の息子は神さま仏さまの御用を叶える人なのですよ、御用が叶う時代を待っていますよというメッセージです。


「五葉の松」は「御用の待つ」というメッセージですねとお話しましたが、

五井先生も似た体験を、自叙伝に面白いことを書いておられます。

神さまと出会って、その神さまが五枚の葉っぱを次々と渡してくれたと。

これを五井先生は意味をわかって書いておられたのか、自叙伝には特に書かれていません。

そういう体験があったと記されています。

これも五枚の葉、つまり「五葉」は「御用」ですね。

神さまの御用を果たしてくださいね

というメッセージ。

さて、親鸞さんは承安三年に京都の日野、伏見区で生まれます。

ちなみに道元さんも伏見区でした。

4歳で父と別れ、8歳で母と別れて9歳で出家、比叡山で天台宗の僧となられた。

そして19歳の時に、聖徳太子廟に参籠された。籠もられたのですね。

これは大阪の太子町にある叡福寺(えいふくじ)という所です。

その時に夢の御告げがあったと記録されています。

「第二夜の14日、四更(午前2時)ごろ、自ら石の戸を開いて聖徳太子が現れ、廟窟の中はあかあかと光明に輝いて驚いた。」

その時、親鸞聖人に告げられた聖徳太子のお言葉

『我が三尊(弥陀、観音、勢至?)は塵沙(じんしゃ)の界を化す、日域は大乗相応の地なり、諦に聴け諦に聴け、我が教令を。汝が命根は応に十余歳なるべし、命終りて速やかに清浄土に入らん。善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩を』

その時の記録として、親鸞さんはこう記されています。

「時に、建久二年九月十五日、午時初刻、前の夜(十四日)の告令を記し終わった。 仏弟子 範宴(得度名、親鸞さんのこと。)」

『我が三尊』っていうのは定説では阿弥陀さん、観音さん、勢至さんですが、わからないですね。

この時は浄土の教えが確立していた訳ではないので、三尊の意味は違ったかもしれません。

で、『塵沙の界を化す』は世界中を救うという事。

『日域』は日本のこと。聖徳太子の時代って意外と国際的でね、世界中の宗教が日本に入ってきていました。

大乗仏教もそうだし、小乗仏教も、キリスト教もゾロアスター教も…

そういう色んな教えが入ってきていた。

聖徳太子さんはそれを全て勉強して、日本は何をもとにして繁栄していったらいいか?とお考えになって、大乗仏教が相応しいとされた。

それが『日域は大乗相応の地なり』という事。


『諦に聴け諦に聴け、我が教令を。』

私のこれから伝えようとしている事を、よく聴きなさい。

『汝が命根は応に十余歳なるべし、』

君の寿命はあと十年余りですよ。

『命終りて速やかに清浄土に入らん。

善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩を』

命が終わったら清浄土(清らかな世界)に入る事ができる。

本当の菩薩をよくよく信じなさい。

という事で、貴方の寿命はあと十年ですよと告げられた。

なかなか厳しいですね?19歳の時に言われたらね。

それがずっと親鸞さんの心のなかに残っておられたのでしょうね。

夢で言われた事が心に残っていたのでしょうね、親鸞さん28歳のこと。

19歳から数えてもうすぐ十年になるというので、寿命だと夢告された歳になってきました。

比叡山の南にある、大乗院というお寺に籠もられました。

その時に新たな夢告を受けます。

「参籠の満願にあたる12月30日の四更(午前2時)、如意輪観音が現れて、親鸞聖人に夢告。」

『善いかな、善いかな。汝が願、まさに満足せんとす。善いかな、善いかな。我が願、満足す』

汝(親鸞さん)は、寿命を延ばしたいと祈願し参籠した。その願いは満足される(叶う)。

そうして寿命が延びたら、そこからは生まれ変わることになります。

そこからは、私(如意輪観音)の仕事をしてください。役割を果たしてください。(我が願、満足す)

私(如意輪観音)の御用を、菩薩となって果たしてくださいね。

と伝えられて、ここから新たな寿命、天命を親鸞さんは授かったのですね。

ここからは菩薩としての働きの寿命になります。


29歳で比叡山をくだる。

天台僧として出世していくことは、如意輪観音さんの願いとは違ったのですね。

庶民として地上におりて、皆と一緒に生活し、共に生きて皆を救っていく。

それが如意輪観音さんの願いなのです。

そうして山をおりて、京都頂法寺六角堂に参籠。

「女犯の夢告」(「救世観音の夢告」)を受ける。

これはおそらく、親鸞さんは性的な事柄をどう考えるのか、悩んでおられた。

重いものを抱えておられたのかなと思います。

出家はそもそも女性と接したらいけないと、決められていますからね。

そんな中このような御告げを、聖徳太子(救世観音)から夢で告げられた。

行者宿報設女犯 (行者宿報にて、たとい女犯すとも)

我成玉女身被犯 (我玉女の身となりて犯せられん)

一生之間能荘厳 (一生の間 能(よ)く荘厳して)

臨終引導生極楽(臨終に引導して極楽に生ぜしむ)

現代語訳しますね。

女性と関係を結ぶような事があったとしても、私は玉女の身となって貴方に犯されましょう。

一生の間、よく貴方の道の歩みをサポートします。

貴方がお亡くなりになれば、極楽浄土へと連れていきましょう。

この様に伝えられた。今までは罪の意識ばっかりだったのが、女性と共に添い遂げる自由を得た。その覚悟が決まったのですね。


29歳 かつての兄弟子 聖覚法印(せいかくほういん)に導かれ、生涯の師・法然上人に出会い入門。

ちなみに、法然上人は語録でこんな事も仰っておられますね。

「出家した方がお念仏を唱えやすいなら、出家しなさい。在家でいた方がお念仏を唱えやすいなら、在家でいなさい。」

在家って一般の家庭で、ふつうに生活しながら信仰することですね。

そういう風に大切なのは形式ではないよと。

お念仏を根本にすえて、どういう風に人生を生きたら唱えやすいのか?

それを考えて生涯を歩んでいきなさい、そのように教えられています。

親鸞さんにはそうした教えの心が、ピタッときたのでしょうね。


35歳、権力者や聖道諸宗の攻撃を受け、法然一門は解散。

法然、親鸞両聖人が流刑。親鸞さんは越後国直江津(新潟)へ追放されます。

39歳の時に放免されます。

法然さんも親鸞さんも放免、つまりは許されたのですが、法然さんは四国へ追放されていて、親鸞さんは新潟へ追放されていました。

親鸞さんは法然さんに会いたいと強く望んでいたそうですが、新潟は豪雪地帯で、新潟で家族をもっていた親鸞さんはすぐに会いに行くことができませんでした。

罪を許されたのは11月頃だったそうなので、激しい雪の時ですね。

そして、親鸞さんが40歳になる頃には法然さんは亡くなられます。

法然さんは罪を許されて、京都に帰って2ヶ月程で亡くなられたそうです。

当時80歳ですからね。長旅や体力的な消耗があったとも言われています。

親鸞さんはそこから関東へ移住して、

52歳で 「教行信証」を著す。主著ですね。

60歳ごろ京へ帰る、76歳以降、著書の多くを著す。

そして、85歳 で「夢告讃」というのがありました。


親鸞さん最晩年、85歳の時に受けた夢の御告げを受けて詠まれた「夢告讃」。

正像末和讃(しょうぞうまつわさん)という詩歌の冒頭にこう記しておられます。

「康元二年二月九日の夜寅の時(午前4時)、夢のお告げにいわれるには」

弥陀の本願信ずべし

本願信ずる人はみな

摂取不捨の利益にて

無上覚をばさとるなり

「阿弥陀如来が法蔵(ほうぞう)菩薩という菩薩であった時に、48の誓願を立てた。

その願(約束)によって、念仏を唱えたものは必ず極楽浄土へ迎え取る。

そういう願いが達成されたのだから、

それを信じなさい。(すでに願いは達成されている。)

それを信じる人は皆救い取る。(決して見捨てる事はない)

その御利益によって、必ず仏になれるのです。」

晩年に記した書物の冒頭に、この夢告讃を置かれたのですね。

そして90歳で入滅された。

その時代としては随分長生きですよね、道元さんは亡くなったの54歳ですからね。

文章みても感じますね、道元さんはキラッキラッキラッとね、ボンボンボーンと飛んでいきますから。

ついていくのが大変ですけど。

親鸞さんはウネ、ウネ、ウネ、という感じでね。

どこに切れ目があるかわからないような、そういう文体を見てもわかりますね。

長生きされる人の粘りとか、道元さんのようなスパッとした感じでね、その生き方が伝わってきますね。(完)


2026年10月27日火曜日

4423「悪口と噂話」2026.10.27

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月07日の記事を紹介します。


「悪口と噂話」


今日は「悪口と噂話」というお話です。 

悪口や噂話、人を貶めるような話を、

ブッダやイエス、空海や良寛さんは口にしていたでしょうか? 

私たちの心は、大変重要です。

人の心は、見える世界、見えない世界までも包括してしまうほど、

大きくて、大切な世界です。 

心の状態が、私たちの生きる現実を作り、そして変えてしまいます。 

今日は、その心を、

無意識のうちに真っ黒く、蝕んでしまう、 

悪口や告げ口についてです。

まず斎藤一人さんの「悪口」についてご紹介します。

<転載開始> 転載元

今日は「悪口と噂話」という話をします。 

こういうことは、最近相談される事が多いんだけど 

ちょっとこのことを知っておくだけで、

自分の気持ちが楽になるという話をします。

別に信じたくない人は信じなくていいからね。では、いきますよ。

言葉というのは、 

たった一言で人に夢と希望を与えることもできるし、

たった一言で人の傷つく言葉をいうこともできます。

地獄言葉や人の悪口をいっている人がいますが、

そういう人は心の中が、愛の人ではなく、 

憎しみの人、憎しみが心にあふれている人なんです。

・社会を憎んでいる…

・周りを憎んでいる…

・親を憎んでいる…

・自分を憎んでいる…

いずれにしろ、心の中が憎しみでいっぱいだと、

ついつい出る言葉が悪口や地獄言葉になってしまいます。

そういう人の特長は、自分の言ってることが悪口や地獄言葉だと、

気がつかない事が多いのです。

なぜなら心が憎しみで覆われていると、

こぼれるように悪口や地獄言葉が出てしまうのです。

悲しいことだけど、

そういう人は知らず知らずのうちに、自分の運勢を悪くし、

死んでからも地獄に行く人だとひとりさんは思ってます。

そういう人が周りにいたら大人の対応として、

スーッと距離を置くようにしたほうがいいですね。 

一回は注意してあげても直らないようなら、

いつまでもかまっていると自分の運勢まで悪くなりますから、

離れてあげるのが優しさですよ。

またあなたが悪口や噂話の対象にされたら、

相手にしないのが一番です。

悪口や噂話をいう人は、とめどなく言い続けるものです。

人は悪いことをすれば 悪い報いがあり、

良いことをすれば良い報いがある。

聖書の中の有名な言葉で 「復讐は神の仕事」という言葉があります。

あなたが仇をうたなくても、

神様がちゃんとその人にふさわしいことをしてくれます。

私達は愛のある言葉、天国言葉を話すようにしていれば、

全て神様がうまくやってくれると、ひとりさんは信じてます。

くれぐれも悪口に引きづられて、あなたも悪口や噂話に付き合って、

共に地獄に落ちることはやめましょうね。

<転載終了>

ブッダも「悪口」を言われたら、受け取らないようにしなさい。

※反応しないこと、反論しないこと。自分の心の中に入れないこと、

と仰っています。

そうすれば、「悪口」はそれを言った人のところに戻るだろう。ということです。

面と向かって言う悪口はまだましですが、 

最近はネット社会ですから、陰に隠れ、自分とは分からないように匿名を使い、

人を陥れるような、卑怯なことをする人も目にするようになりました。

また人の悪口を陰で告げに来る人もいます。 

また人にはない不思議な能力や、見えない物が見えると自負する方などで、

・不吉なこと、

・人を恐怖に陥れるようなこと

・心配させること、

・不安に陥れるようなこと

をあたかも権威を持つ者のごとく、仰る方もいます。

ですが、そのご自分が言った言葉は、 

良寛さんの優しい愛語のように、

・人を勇気づけますか?

・人に希望を与えますか?

・人の心を明るくしますか?

またコソコソと陰に隠れ、人を陥れるような言葉を投げかけた場合、

・人を傷つけ、おとしめ

・相手の人格を攻撃し

・社会的に抹殺しようとします。

・周りの聞いている人を「嫌な気分」にさせます、

また、自分が吐いた「悪口」に同調して集まってくる人もいます。 

波長が同じだからです。

同調し集まってきた人も同じく、

相手の方を貶め、傷つける言葉を吐き出します。

最初に「悪口」を言った人は、同調者にも「悪口」を言わせる・・

そのような心、行為を誘引したことになりますから、

良心に対する罪をまた重ねることになります。

例え匿名で隠れてこのような行為をした場合でも、

結果的に自分自身の良心に反した行動をしたことになります。

人をけなし、貶める黒い波動は、 

自分の心の中に澱(おり)のように沈殿し、 

いつかその人の思考、言葉、行動の端々に顔を出してくることでしょう。

そしてその結果こそが、聖書や一人さんの言う「復讐は神の仕事」の世界です。

言葉は刃物である。

言葉は刃物であるから、

道具として とても役立つものでもありますが、

人を傷つけるものでもあります。

相手の方の「鬼心」にフォーカスしないで、

「仏心」だけを見つめていたいですね。

私たち自身も、良いこともすれば悪いこともしてしまいます。

過ちも犯します。

人を時に誤解することもあります。 

それはお互い様です。許し合うことがとっても大切です。

私達は色んな個性が集う世界に生きています。

自分がそうして欲しいように、他人に対しても、その個性を認め、尊重し、

ブッダが言うように、いつも、笑顔で、

愛のある思いやりのある言葉を使いたいものですね。

相手の良きところを見て、いつも笑顔でいたいですね。


2026年10月26日月曜日

4422「神さまを味方に」2026.10.26

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月06日の記事を紹介します。


「神さまを味方に」


今日のテーマは「神さまを味方にする」ということで、

小林正観さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

私たちの人生は、味方を作るためにあるのかもしれない。

努力や頑張りは一切しなくてもよいので、

出会った人が味方になってくれ、 

その味方を作っていく作業の中で、 

「あれやってくれ これやってくれ」 と言われ、

「ハイ分かりました。しょうがないな~」 と言ってやる。

そのように、正観さんは空海を模範にしながら、

出会った人に、やらされている人生を語りました。

実は社会の中で生きるという事は、 

この事だけかもしれないと思うのです。

出会う人 出会う人に 

・惚れられて 

・好かれて 

・頼まれて 

生きていくこと、

空海の人生は、 

出会う人 出会う人、

人生のターニングポイントに出会う人に、 

「こうしなさい ああしなさい」 

そう言われ、その通り  

「ハイ分かりました」 

その積み重ねの人生でした。

ここを正観さんは、下記のように強調しました。 

人間が 業績を残すとかいうのは、自分が決意する。 

という必要はないのではないか?

決意をして何かをするって言うのは、

凄く安っぽいものかもしれませんよ。

出会う人ごとに 

「こうしなさい ああしなさい。こうしてくれ ああしてくれ」 

という事に対して、

「ああじゃ、こうじゃ」 

とつべこべ言わないで 

「ハイ分かりました」と言って やっていくこと。

それで疲れ果てて死んでいく。

人生はこれに尽きるのではないでしょうか。

正観さんは、それを文字通り生きた人でした。

「人間関係」はそういうものでしょう。

人間の関係は 全て味方つくりの人生です。

ライバル視して、競い合っていく。 

抜きんでなければという、

今迄の学校教育の価値観を、この際なくしてしまうといい。

正観さんは、この事を伝えて亡くなりました。

「私たちの人生は 出会う人  

出会う人を味方につけていく  

作業の積み重ねなんだ」 

こう思うと人生は凄く楽しいと。

うつの人は、

・自分にとって楽しいことが何も起きない

・面白いことがないか

・毎日が面白くない 

とよく言います。

その方々に言って差し上げたい。

人生は 自分で自分の人生を決める 

というものではないと 

そう思ってみたら。どうですかと。

そうすれば、きっと凄く面白い人生になる。

人生変わると。言って差し上げたい。

出会う人 出会う人によって、自分の人生が決まっていく。

出会う人が何か刺激をくれる。

相手を敵だと思っていると刺激はくれない。

敵ではなく、味方だと思って接していると、 

「こうしてみたら」や「ああしてみたら」 

とそれが必ずあります。

なぜなら味方なのですから。

そこで「ハイ分かりました」と素直に信じてやっていくと、 

面白い人生になります。

人間同士の付き合いを、そのように切り替えてみたらどうでしょうか?

人生は出会いの積み重ねです。

その出会いは生まれる前から決まっている。 

自分で書いた「出会いのシナリオ」通りです。

昨日までは 人と較べて自分を磨いていって、 

人より抜きんでなくてはならないと思ってきたが、 

今日からは全部自分の味方と思って、仲間と思ってやっていく。

と人生を切り替えたら、もしかしたら、自分の意思によって、

自分の人生を変えたんだ と思うかもしれないですが、 

今日から変えるぞと思ったこと自体が、

生まれる前から自分で決めてきたシナリオなんです。

今日 この話を聞くこと自体、生まれる前からのシナリオで、

聞いて変わるぞと思うことも、シナリオ通り。

逆に変わるもんかと思うこともシナリオ通り。

出会いはシナリオ通り。

出会った相手を敵にするか、味方にするかで人生変わります。

「味方にする作業こそが人生」と正観さんの最後の伝言でした。

私たちが学校で教わってきた、

「自分を磨き努力して頑張って、人より上に行かなければならない」 

という事を今日を限りに捨てる。

というのはどうでしょう?

このことも正観さんは、強く何度も仰いました。最後の伝言でした。

<引用終了>

私たちが学校で教わってきた、

「自分を磨き努力して頑張って、人より上に行かなければならない」

という思い込みを今日を限りに捨てる。

これは大変重要な意識の転換です。

つまり勉強ができるとか、学校で良い成績を取る・・ 

そういうことは人生にあまり関係ない。。 

そう仰っているからです。

不登校でも、ODや色々な理由で学校へ行けなくとも、 

人に好かれる人間になれれば、それだけで、人生大成功です。

私もどちらかと言うと、努力型の人間で、

必死に勉強し技術を習得し、仕事をして生きてきました。

ですが、今振り返れば、大成する人と言うのは勉強ができるとか、 

技術が飛びぬけているとか、そんなものではなく、 

どれだけ人に愛されるキャラクターであるか?

そちらの方が何百倍、何千倍も大切であると実感しています。 

愛される人とは

・いつも笑顔でいる人

・ありがとうと言える人

・おかげ様、感謝の心を常に持っている人

お子さんのことでお悩みのお父さん、お母さん、

命があるだけでも良しと思ってください。 

そして学校に行かないから駄目だとか、

家でダラダラしているから駄目だとか、 

どうか思わないでお子様を信じて差し上げて下さい。

長い人生の中で、今ほんのひと時、 

一休みしている時期かもしれません。

大人になるために 、英気を養っている時期かもしれません。

お子さんのことは心配でしょうが、少し放っておいて、

お父さん、お母さんは、

ご自分の好きなこと、楽しめることをして、笑顔でいてください。

自分を信じて、お母さんが笑顔でいてくれる。

それこそが子供たちにとっての、救いではないかと思います。

どちらに、どう転ぼうと、それは、子供自身が生まれる前に、 

描いてきたシナリオ通りなのですから。


2026年10月25日日曜日

4421「何に感謝するのか」2026.10.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月05日の記事を紹介します。


「何に感謝するのか」


私たちは黄泉の国から来て、 

この現世(うつしよ)での計画や、目的が達成されれば、 

再び黄泉の国へと帰っていきます。 

神々の世界は黄泉の国。 

黄泉の国は主に国津神が統括しています。 

黄泉の国と現世と、循環しながら行き来を繰り返します。 

ですから、私たち人間から見た「死」は、

決して悲しいものではなく、循環の過程でしかありません。 

私たちの魂は永遠に存在すると同時に、

黄泉の国、そして現世にも存在しますから、

愛で結ばれた魂にとって、永遠の別れはありません。

必ず再び出会います。 

それでは今日は「何に感謝するのか」というお話です。 

斎藤一人さんもくどいほど仰っていますが、 

魂的な視野からいうと、自分に起きるトラブルや問題は、

「自分の感謝のなさ」を教えてくれるものとして出てきています。 

そうおっしゃっています。 

また神道的には、私たちは「感謝の心」を学ぶために生まれたのだとも言われます。

何故かと言えば、私たちは魂を、進化させ輝かせ、神々に近づこうと、

進化の旅を永遠に続けていますが、

そのために、人生のタイムラインに沢山の仕掛け、イベントを置いておきます。 

それらは、喜怒哀楽、激しく感情を揺さぶりますが、 

結局は「感謝の心」を学ぶための仕組みです。 

逆のことを言えば、

「感謝の心」を得てしまえば、目的は達成されたのですから、 

人生の中に、艱難苦難の起こる必要性は、もうなくなります。 

従ってそれらは起きないことでしょう。 

神様は無駄なことをしないからです。

では、そのような観点から、私たち人間の、全ての悩み苦しみに対応できる、

共通の解決方法についてのお話です。

神様や自然界、宇宙からのサポートを、ふんだんに得るためには 

「感謝」が大切なことなのですが、その具体的な方法を、別の角度からご紹介します。

小林正観さんの著作からです。

<転載開始> 転載元

講演会が終わって、初めて二次会に来たという方が私の右隣に座りました。

そして「質問していいですか?」と私に声をかけてきました。

「実は、今日のお話のように、自分はたくさんの幸せを感じ、とても恵まれていて、 

悩み・苦しみがないのですが、一つだけどうしても超えられない悩みがあります。」 

ということでした。

「どんなことですか?」

「実は結婚して十年経つのですけれど、子供ができません。

いろいろなことをしているのですが、どうしても子供ができないのです。 

それだけが悩みで、ずーっと悩んで苦しんでいます。

というお話でした。

「そうですか。結婚して十年経って、 

子供がほしいを思っているということは、 

ご主人がとてもいい人で、優しい人なんですよね?」 

というふうに問いかけました。

「ほんとうにそうです。

とても優しくて、いい夫です」と彼女は答えました。

「舅姑との関係が悪くて、頭にきて腹を立てるような日々だったら、 

多分、その家の子供が欲しいとは思わないでしょうから、 

舅姑との関係のいいのでしょうか?」と、私は問いかけました。

「ほんとうにそうなんです。 

舅さんも姑さんもとてもいい人で、私は恵まれてほんとうに幸せです」と、

彼女は答えました。

「そうですよね」。 

親戚の人もみんな、いい人なのではありませんか?」

彼女は答えます。

「ほんとうにそうです。

私はほんとうに優しい人たちに囲まれていると思います」という答えでした。

「では、伺いますが、その方たちの一人にでも、 

手を合わせて感謝をしたことがありますか?

自分がどれほど恵まれているかということに、 

手を合わせて感謝をしたことがありますか?」

と聞きました。

「え?」と小さく声を発した彼女は、わーっと涙を流し、二十分ほど泣き続けました。

私は、その泣いている彼女の耳にこういう言葉を伝えました。

「もし私が神さまだったならば、あなたのその唯一のお願いごと、 

頼みごとを、絶対聞かないと、堅く決意したかもしれない。

そして、もし私が神さまの友人であったならば、 

神さまがこの人のいうことを、聞いてあげようと思ってやってきたときに、 

神さまの目の前に立ちふさがって、この人のいうことを聞いてはいけないと、 

邪魔をするかもしれません」

というふうに申し上げました。

なぜなら、子供ができないことばかりを挙げ連ねて、 

実はそれ以外に、自分がどれほど恵まれているか、 

ということに、感謝をしていないのではないのですか。

もし、自分がどれほど恵まれているか

ということに気が付いたならば、 

恵まれてない、その一点を、 

悩み・苦しみだといって挙げつらうのではなくて、 

来る日も来る日も、自分が恵まれていることに、

手を合わせて感謝をしているのではないでしょうか。

そういうことに全然感謝をしないで、ただひたすら、

「これが足りないから、これをよこせ」

「あれが足りないから、あれをよこせ」

と言い続けている人には、神は微笑まないような気がするのです。

自分の思い通りになったら感謝するけれど、 

思い通りにならない状態では、感謝をしない、 

というのはほんとうの、感謝ではないのかもしれません。

恵まれているもののほうに、目を据えて感謝をする。

足りないものだけを挙げつらねて、

「神さま、これをください」というのは、ほんとうは、

神さまや宇宙に対する、冒涜なのかもしれません。

この話にも後日談があります。

一年ぶりに彼女が私の前に現れました。

「相談したときに言われたことはショックでした。 

でも、そのショックは「確かにそう・・・」と思え、体中にしみ込みました。

なんと、私は今、妊娠七か月なのです・・・」

みんなの猛烈な拍手。

受け入れて「感謝」することを始めたら、

なんと授かった・・・

奇蹟はあちこちで起きるのです。

<転載終了>

ここでもやはりポイントは

「置かれた場所で咲きなさい」と同じことです。 

何か足りない、何かが無いから不幸だ。

と無いもの、与えられていないものに、不平不満を言うのではなく、 

今与えられているものに感謝すること、自分が置かれた環境に感謝すること。

足るを知ること・・

それが大切なんだよと教えてくださっています。 

私たちを、今の環境に置いて下さったのは、神様です。 

そしてそれは、私たちが生まれる前に、

神様と私たち自身が、一緒に決めてきた環境です。

これを摂理と言います。 

苦しくて辛い環境も、決して私たちを苦しめるために、 

神様が用意して下さったわけではありません。

その辛い環境、悩み多き環境を経験することで、私たちの魂を引き上げようと、

してくださっているからです。

ですので、その悩みは、決して永遠に続くものではありません。 

破滅への道ではありません。

どうか安心なさってください。

そして、置かれた環境、周りに居てくださる方々に、

感謝してみてください。

笑顔を向けてみてください。  

きっと、それが幸せになるための答えですから。


2026年10月24日土曜日

4420「霊障について」2026.10.24

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月03日の記事を紹介します。


「霊障について」


今日は霊障について書きたいと思います。 

昨年執筆した本の中にも「霊障」に関する話題はいくつか書いています。

霊障と一口に言っても生きている私達には、

・見えないし

・聞こえないし

ただ何となく、

・そう感じる

・そう思う

・不思議なことが連続して起こる

・不幸な出来事が連続する

など、ただ感覚として感じることしかできません。

従って、その現象の原因が見えない世界のものであっても

私達にはなかなか打つ手がないのが現状です。

打つ手がないまま、悩みや苦しみ、不幸がだらだらと続くことになります。

ではどうしたらよいのか?

何か止めるための方法はないのか?

・神社仏閣に出向き、お祓いをしてもらう

・霊能者と自称する人にお金を払って祓ってもらう

それぐらいしかないかもしれません。

ですが、よく考えてみてください。

そのような自分以外の何かに頼って、現実を変えようとすることは、

結局は自分では何もせず、他人に任せてしまう依存でしかありません。

そのような依存の心を神様は「善し」となさるでしょうか?

祓われた現象はもう二度と現れないでしょうか?

そんなことは決して無いと思います。

他人に依存して、お任せして、丸投げしただけで

自分では何もせず、

・生活態度も

・心の浄化も

変えることなく、今までと同じ態度のまま生活を続けていれば

すぐさま同じ波長を持った現象が復活してくるでしょう。

同じ波長を持った、悪意ある霊が近づいてくることでしょう。

では、  霊の世界の感度が無い私達に、何ができるでしょうか?

私達今を生きる現世の人間と、

黄泉の国(神さまの国、霊の国)の橋渡しをしてくださっているのは

普段私たちを霊的の意サポートしてくださっている

・ご先祖の方

・ガイド

・守護霊

など言い方は様々ですが、

神様が仕組みとして橋渡ししてくださる方を、側に付けてくださっています。

ですので見えない世界の「霊障」は、この方々のお力に頼るしかありません。

簡単な障りであれば、この方々が

・近づけないようにしてくださる

か、もし手におえなければ

・より力のある「祓い」のある神さまに取り次いでくださる

のどちらかでしょう。

これらは、

私達人間に、黄泉の世界の感知能力を神様は与えていませんから、

このような黄泉の世界側からの問題は、

私たち人間には直接的に解決できず、

普段側近くにいらっしゃる方々の管轄内の問題と考えられます。

では、私たち人間側に何かできることがあるかと言えば、

もちろん重要なことがあります。

むしろ、その重要なことを介して、私たち自身が変わるように、促すために、

このような現象が現れることを、神様は許されているのですから・・・

では、私たちにできることについて説明します。 

■第1に・・・・

そのような現象が起こっていることは一旦全部忘れ

 →意識を向けない現象にはエネルギーが供給されませんから、

  しばらくすれば自然消滅します

何もなかったように明るく振る舞い、

・ありがとうと

・笑顔を

すぐ側のご家族や周りの方々に、ふりまかれることをお勧めします。

 →この世界は波動の世界ですから、似合わないことは起こりません。

  明るい雰囲気の場所には暗くて陰湿な現象は似合いません。

  波長が合いません。波長が合わない者は、一緒に居ることができません

■第2に・・・・

また、こういった見えない世界のことは身近なところでは

ご先祖が、その役割を担ってくださいます。

先祖供養の神髄に関しては本にもわざわざ1章設けて書きましたが

このブログでも、何度も何度も説明しています。

是非その通りされることをお勧めします。

 →先祖供養の神髄は、日々の先祖に対する「ありがとう」の感謝の心です

このことを通じ、そば近くで見守ってくださる守護のご先祖が働きやすく

また私たちを護りやすくする狙いがあります。

また私たちの感謝の心は、私たちの心を愛の温かな光で満たし、

そのような悪意ある、暗くジメジメした悪霊とは波長が全く合わず

もう、離れていくしかありません

この第1、第2の方法は、私たち自身が変わるための方法です

従って

・自分では何もせず、

・何も変わろうとしないで、

・他人に丸投げの

・他人依存(依存心)ではありません。

これには永続性があります。

他人に丸投げの場合、すぐにまた同じ現象が現れてきますが、

自分が変われば、もう怖いものなしです。

以上のことが、私たち人間側にできることです。

この自分自身が変わる・・・

と言うことが、この現象が現れるのを、神様が許した唯一の理由です。何か、霊的な障りを感じていらっしゃる方が居れば

是非試してみてください。