今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。
1694 2026.03.06
<あの時へ>
みんな<ひとつ>だった すべて<ひとり>だった
<ひとつ>の魂であり <ひとり>の人であったのに
その<ひとつ>がちりぢりになり その<ひとり>がばらばらになってしまった
個(こ)となり 孤(こ)となり 粉(こ)となって
気ままに吹く世間の風に 右に左に翻弄され 散らされてゆく
みんな孤独で淋しい道を歩いている
そんな<ひとり>、<ひとり>が みんな私と霊(ち)を分けた兄弟 みんな分身
そうと分かった今 もう道ははっきりしている
みんなで手を取りあって あの時にもどる ひとり、ひとつだったあの時
融けあって、あったかい光に満ちていた なつかしいあの時へ
(大敬註)人は「ひとり」しかいないし、モノは「ひとつ」しかないのです。今は進化の過程でバラバラに分かれて、それぞれの学びをしていますが、これからは、再び「ひとり」、「ひとつ」に戻るための段階がスタートします。私たちはその「ひとり・ひとつ」に戻るステージで役割を果たすグループの一員なのです。
1693 2026.03.05
一生のうちに 何かを完成せねば というのはウソ
一生を何とか 生き切ったと いうだけで 尊い値打ちがある
(大敬註)成功とか、失敗とかは人が勝手に言っているだけで、神様はあなただけにしか歩めない、あなただけが歩める道を精一杯歩み切って欲しいと望んでおられるだけなのです。何の日の目も見ない、華々しいところなんて少しもなかったというような人生であっても、最後の日までがんばって生き切ったら、神様が「よく歩み切ってくれた。有難う」と心からほめて下さり、光の天使たちに導かれて明るい光の王国に入ることになるのです。そんな人生もあるし、逆に地上世界では成功者として賞賛され、聖者として崇められたような人生をたどった人であっても、神様がプイッと顔を背けられて、たちまち暗闇の世界に落ちてゆかねばならないという人もいます。
1692 2026.03.03
敲(たた)かれて 打たれて
メッキがはがれたら 本物のあなたが 輝き出すのです
(大敬註)
『断碑(だんぴ)、古路(ころ)に横(よこ)たう』という禅語があります。
古びた、苔むした石碑の断片が路傍に横たわっているのです。
すっかり破壊されて破片化してしまっているし、苔むしてもいるので、もう文字は読めないんですね。だから、まったく値打ちがないようにみえます。
しかし、そのように見るのは、それは表面的な『アタマの見方』なんですね。
永遠無限からの見方、奥ゆかしい『いのちの見方』はまた別なのです。
苔むして、文字が読めなくなればなるほど、侘び寂びてしみじみと美しいということがありますね。
なぜそんなものが美しいのかというと、断片となり、摩滅すればするほど、作品の全体像が判然せず、刻まれた文章も読めないので、そうであればこそ、『石』という本体だけが、現象のあれこれの姿、文字に誤魔化されることなく、はっきりと見えてくるということがあるからです。
1691 2026.03.02
毎朝、鏡に向って 笑顔で笑う練習をしましょう
そして、笑顔の自分を しっかり心に刻印しましょう
そうすれば必ず その笑顔イメージが 現実化して
笑顔が絶えない人生が 始まります
(大敬註)
ガンダーラ美術の仏像の「ほほえみ」を理想としましょう。それから私はゼノさん(カトリックの神父さん)の笑顔が大好きで、部屋に写真を飾っています。インターネットで検索してみてください。
1690 2026.03.01
よくなるように できているのだから 大丈夫!
あせらず あわてず あなたはあなたに おちついて いなさい
(大敬註)あなたが焦って<あなた>から離れようとするほど、ツラいことに遭遇するようになります。あなたが<あなた>に落ち着けたら、あなたの前に進むべき道が自然に開かれてゆきます。その道をゆけば大丈夫なのです。あせるな、あせるな。時は味方です。
1689 2026.02.28
あなたの「身」は輝身(かみ、神)
危険な方向や 成功のチャンスを 察知する本能が 自然に「身」に付いている
あなたの「思い」が「重い」ので 身軽に働けないだけ
「思い」を切ったら 輝身(かみ)発動!
(大敬註)あなたの「身」は「かみむすび」という神様です。時々、「身」をなでさすって、『働いて下さってありがとうございます』と感謝してください。
そうすれば、吉凶を「身の知らせ」で教えてくださるようになります。
1688 2026.02.27
ドアが開(ひら)けば 入ればいいけれど
無理矢理こじ開(あ)けて 入ってはいけない
空席があれば 座ればいいけれど 人を押しのけて 座ってはいけない
心静かに 時を待つこと 時は味方です
(大敬註)次の詩もあわせて味わってください。私の教え子は以下の詩を読んで心がスッキリし、とてもダメだと先生に言われていた難関大学に無事合格出来ましたと嬉しい報告をしてくれました。
行きたければ行けばいい ドアが開けば入ればいい
席が空いたら座ればいい 仕事がくれば受ければいい
思い立つのはやれるから ドアが開くのは入れということ
席が空くのは座れということ 仕事が来るのはやれるから
何と簡単、単純なこと イノチの智慧は頭を超える イノチの力は個人を超える
1687 2026.02.26
ちょっとヌケているから 人がホッと楽になるのです
ちょっとカケてるから 人が手伝ってあげようと 思うのです
(大敬註)大敬はいっぱい、失敗をして、出来ないことがたくさんあるので、見ていられないと手を差し伸べてくださり、足を運んで下さる方が次々現れて、何とかここまで生きて、道の学びを仲間と一緒に深めてゆくことができました。出来ない自分を隠そうとしないで、堂々とさらけ出して楽に生きましょう。
1686 2026.02.25
山から 空から 樹木から 透明な 光の風がふいて
あなたに聖なる力が やどりますように
(大敬註)風に身を任せる、肌でしっかり風を受け止め、感じるというトレーニングをしましょう。そうすれば、「光の風」があなたの頭や胸や身体全体を吹き抜けて、あなたを浄めて下さっているということに気づかれるでしょう。
1685 2026.02.24
どっちへ どう転んでも 下は あったかい 大地
(大敬註)道元禅師はお悟りになった時の心境を「身心脱落(しんしん だつらく)」と表現されました。これはどういう意味かというと、「身も心も落ちてしまった」という意味です。そこで、カラッポになった、つまり空の境地になられたのだと考える人がほとんどです。
しかしこれは、そういう意味ではなくて、「地球の引力の方向に素直に従えるようになった」という意味なのです。身や心の筋肉が重力の方向に逆らって、無駄な緊張をしなくなったという意味です。
一気に一切の筋肉に無駄な緊張がなくなって、顔なんか顔中の筋肉がすべてダラッと下に引っ張られるような感じになります。日頃ずいぶん緊張してつり上げていたんだなあと、あらためて感じ驚きます。大地が私を支え、温め、養って、育てて下さっていたのだなあとシミジミ実感します。
そして、そうなったらこの「楽さ加減」をみんなに伝えて体験してもらいたくなります。そうすると、身体が勝手に立ち上がり、足が勝手に一歩踏み出します。緊張をほどいたまま、重力に素直に従ったまま、世界に向けて動き始めるのです。これが「脱落身心(だつらく しんしん)」です。何でこの向きに進んでいるのか、何のためにこれをやっているのか、人間の頭にはサッパリ分かりませんが、重力に従って、無理な緊張がない方向に動いているという実感で、その道が、神の思し召しに従った正しい道があるということが実感できるのです。