2025年7月6日日曜日

3945「幸せになるために」2025.7.6

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年06月29日の記事を紹介します。


「幸せになるために」


ブッダは私たちの苦しみの原因を、 

思い通りにならないことを、思い通りにしようとすること。 

そうおっしゃいました。 

私たちの人生には、物事が、思い通りに運ぶ順境の時もあれば、

何をやってもうまくいかず、周りの人も、自分の期待通りには動かず、 

悶々とした逆境の時もあります。 

ですが、そのような逆境の中でも、恨まず、憎まず、文句を言わず、人のせいにせず、

じっと耐え、魂を鍛えてくださる神々の働きに、感謝の気持ちを持ち続け、 

忍耐を手に入れた人には、良き恵がもたらされることでしょう。 

どのような苦しみ、悲しみが降りかかろうと、それはを生まれる前に、

そうなるように設定して来たのは、誰でもなく自分自身です。

今の状況を「あの人のせいで・・」と人のせいにするわけにはいきません。

・今置かれている状況は

・困った出来事は、

・悩みの種は、

真っ直ぐに自分に向かって、起こっています。

誰かのとばっちりで起きた事ではありません。

自分が苦しみに感じるのと、同じだけのパワーで、 

自分に対して、生き方や、考え方の見直しを求めて、起きてくれている「出来事」です。

今、時が熟したことによって、やっと目の前に、その現象が現れてくれました。

それは、私たちの魂が、この人生の歩みで、少しずつ進歩して、 

やっとその問題を感じ、そして解決する時が来たという証でもあります。

その事を斎藤一人さんがお話してくださっているのでご紹介します。

<転載開始> 転載元

生きていると、いろいろなトラブルや問題が出てきます。

そして、問題が出てくると、たいてい、人は悩んだり、苦しんだりします。

でも、問題というものは、自分の魂を成長させるためのものなんです。

人間は、自分に起きた問題を利用して、

魂のステージ、いわゆる「霊格」をあげていきます。

ただ、ほとんどの人は、自分の魂をどうやって成長させるかを知らない。

それどころか、目の前に起きた問題が

自分の魂を一つ上にあげる階段だということも知らない人も多いんです。

だから、苦労したり、悩んだりするのです。

でも、私はなぜか、昔から知っていました。

問題が起きたときこそ、「魂を成長させる方法」というのがあることを。

魂を成長させると同時に、その問題を解決してしまう方法があるということを。

その方法はたった一つです。

たった一つの方法で、全部の問題が解決できます。

それは、感謝です。

なにか問題が起きたとき、

多くの人は「なぜ、こんな問題が起きたんだろう」と考えます。

理詰めで考えると、いろいろな原因が思い当たるでしょう。

でも、魂的な視野からいうと、自分に起きるトラブルや問題は

「自分の感謝のなさ」を教えてくれるものとして出てきています。

だから、上司が自分にいやがらせをするのだとしたら、

いやがらせをしない同僚やなんかに感謝が足りなかったのです。

感謝の反対は「当たり前」。

同僚たちがいやがらせをしないのは当たり前だと思っていた。

ということは、感謝を知らないのです。

だから、病気になったのだとしたら、からだに感謝することを知らなかったんです。

それの「気づき」のために、どこかからだの具合が悪くなる。

それに気づき、他の具合が悪くないところ一つひとつに感謝すればいいのです。

必要な治療を受けながら、感謝すればいい。

そうやって、問題のないところに感謝して、感謝して、

最後に、問題そのものにまで感謝できたとき、その問題は消滅するようになっています。

これはお約束ごとです。

この世は、そういう仕組みになっています。

ということは、問題が起きたとき、

「これは自分が感謝を知らなくて起きたんだ」と思い、

最初から問題そのものに感謝するのが、一番いいんですよね。

でも、最初から問題そのものに感謝する、という流れには行かないものなのです。

だから、最初は問題を起こしていない周りに感謝から始めるのです。 

周りへの感謝から始めると、やがて、その問題にも感謝できるようになります。

そして、魂が上にあがります。

<転載終了>

何か自分の意に沿わないことが起きた時、私たちは不平や、不満、愚痴を口にし、

何とかそこから逃れようとジタバタします。

今までのぬるま湯につかったままでいたいと思います。

ですが、そのトラブルや問題と言うのは、私たちに「感謝の心」を思い出しなさい、  

と言うチャンスの時期が到来したと、伝えているのだそうです。

困ったことに対して、不平や不満、愚痴を口にせずに、 

今まで「当たり前」だと思っていた、周りの方々の優しさや思いやりに

目を向けて、感謝すること・・

そして最後は、その問題自体にも、 

気付かせてくれたキッカケとなってくれたことに感謝すること・・

すると、一人さんの仰るように、もう問題点は消滅してしまいます。

そして同時に私たちの魂は、また一歩進歩していきます。

今感じている、 

・困ったことは何ですか? 

・不安に思うことは何ですか?

・不満に思っていることは何ですか?

以前の記事にも書きましたが、中間世記憶を持つ子供たちの

天国での神さまとの相談の様子からすると、私たちは生まれる前に、

両親を選んで生まれてきました。

そして健康な体になるのか、病気の子供として生まれるのか、

どんな経験をこの人生でするのかを、決めたうえで生まれてくるのだそうです。

そして容姿や性格までも、その人生の目的達成のために、

決めて生まれてくるのだそうです。

性格もです!

これが何を意味するかお分かりですか?

つまり、

・目の前のどうしようもない人、

・自分の思い通りにならない、夫や子供、

・性格の悪い上司

それらは全て、その役割を全うするために、今世において、その性格になることを

嫌われるのを覚悟で、あえて選んで生まれて来たということです。

元々、その方は、陰険な意地悪な性格の魂だったわけではありません。

今世において、あなたとの関わりにおいて、

そのような決められた役回りをする必要に駆られ、

その性格を選んで生まれてきたと言うことです。

私たちの身近にいる人と言うのは、一番ご縁が深く、大切にしなければならない人です。

自分が嫌だと感じる一面だけを見て判断するのではなく、

感謝の気持ちで、優しさと思いやりでお付き合いしたいものですね。

その方たちは、私たちに「感謝の心」の大切さを教えるために、

あえて悪役を演じてくださっている魂たちだからです。

最後に作家の三浦綾子さんのお話をご紹介します。 

三浦さんは学校の先生だったのですが、

24歳の時に突然の高熱で入院。

その入院が13年にも及びます。

結核自体が、当時不治の病だったのですが、脊椎カリエスを併発。

動かせるのは首だけで、寝返りを打つことも、

排泄物を自分で処理することも出来ない毎日。

それが4年も続きました。

その後も、ご本人が「病気のデパート」と呼んでいるぐらい、

ありとあらゆる病魔が襲ってきました。

紫斑病、喉頭がん、三大痛い病といわれる帯状疱疹が顔に発症、鼻が潰れる。

「お岩さんみたい」と三浦さんが言うと、

お手伝いの女性が「そんなこと言うと、お岩さんに失礼ですよ」と言ったという話を

ご本の中で書いていらっしゃいました。

そして大腸がん、パーキンソン病と続きます。

普通の人間だったら、絶望のふちに追いやられるのに、

三浦さんはいつも明るく、ユーモアに溢(あふ)れていたそうです。

「神様が何か思(おぼ)し召しが会って、私を病気にしたんだと思います。

神様にひいきにされていると思うこともあります。

特別に目をかけられ、特別に任務を与えられたと・・・。

いい気なもんですねぇ(笑)」

人間の精神は、どこまでも闇に行ってしまうこともあるけれど、 

何かきっかけさえあれば、反転し、どこまでも高みに行くこともできるのですね。 

皆さんがご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、お幸せになれますように。


2025年7月5日土曜日

3944「祈り」2025.7.5

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年06月28日の記事を紹介します。


「祈り」


今日は、渡辺和子さんのお話を通して、 

神さまは、どうやって人間の祈りに答えてくださるのか、、

考えてみたいと思います。 

<引用開始> 引用元

・もし私が祈ったことが全部叶えられたら、どうなるのだろう

・神様のお役目というものは、

 人間の願いを全部叶えることなのだろうか

・いくら祈っても、所詮(しょせん)神はご自分の好きなようになさるのだとしたら、

 祈っても、祈らなくても同じではないか

その上で渡辺さんはイエスの言葉を紹介します。

・求めなさい。そうすれば、与えられる。

・探しなさい。そうすれば、見つかる。

・門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

だれでも、 

・求める者は受けとり、

・探す者は見つけ、

・門をたたく者には開かれる

そして渡辺さんは続けます。

でも、この言葉には 

・求めたもの、そのものが与えられると約束されていませんし、

・探したそのものが見つかるとも約束されていません。

むしろその後には

あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、

魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。

卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょうか。

してみると、あなたがたも悪い者ではあっても、

自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。

とすれば、なおのこと、天の父が求める人たちに、

どうして聖霊を下さらないことがありましょうか。

と続く言葉があって、求めたものの「代わりに」

何かを下さる可能性があることを示唆されています。

祈ることは大切なことです。

しかし、人々が願う前から、その必要とするものを知っておられる天の父は、

人間が願ったことをそのまま叶えることをもってして、

ご自分の、その人に対する愛の証、とはなさらないのです。

なぜならば、私たちはいつも、「欲しいもの」を願っているからであり、

それに対し、神様が私たちに叶えてくださるのは

私たちの魂にとって「必要なもの」だからです。 

<引用終了>

神さまは、私たち自身より、私たちのそば近くにおり、 

例え口に出さずとも、私たち以上に、私たちの望むものを知っておられます。 

そして、私たちの望み、願いを全て聞いてくださっています。 

私たちの人生が、平和で順風で 

・友達や家族の笑顔に恵まれ

・健康で金銭的な憂いが全くなく

・将来の不安など、みじんもない 

そんな時にはきっと 

・神さまに祈ることも、

・全てを用意してくださった神様に感謝することも

・人々の優しさに気づくことも 

あまりないかもしれません。 

神さまの恩寵は2段階で現れると言います。 

・まずは、不幸に見える出来事 

これを通じ、私たちは、悲しみ、苦しみのどん底に落とされます。 

嘆き、悲しみ、涙を流し、不平不満を口にして、

世の中、全てを呪うかもしれません。

自分の力ではどうしようもないと諦めかけた時、

神さまを思い出すかもしれません。 

人知を超えた力にすがろうとするかもしれません。 

そして「祈り」始めます。 

この時、

神さまは、全ての全てを見ており、

私たちの心の中まで、把握しています。 

なぜなら、「不幸に見える出来事」を持ってきてくださったのは

神さま自身だからです。

私たちは、早く苦しい状況から抜け出したくて、

具体的に神様に「祈り」ます。 

神さまは、その「祈り」をじっと聞いておられます。 

私たちは、苦しみ、悲しみの中で、神さまに祈ることを通じ、 

心、魂が、どんどん、どんどん成熟していきます。 

・周りの人々の小さな優しさに気づきだします。

・健康だったことが、どれだけ、ありがたいことだったかに気づきます。

・同じ苦しみを持つ人の、心の叫びが聞こえるようになります。 

その時です。 

私たちの心に気づきが起こります。 

どうして神様が、私たちに「悲しみ、苦しみ」を運んできてくださったのか? 

物理的な状況は、全く変わらないかもしれません。 

ですが、その時、 

目に見えない、私たちの魂は、美しく純粋に生まれ変わりました。 

祈りを通じ、 

神様が私たちの魂を洗い、

本当に私たちの永遠の生命にとって

大切なものを、くだされた瞬間です。

祈りは、必ず聞き届けられます。


2025年7月4日金曜日

3943「涙、心の浄化」2025.7.4

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年06月26日の記事を紹介します。


「涙、心の浄化」


イエスもブッダも空海も、聖人と言われる人たちは、 

奇跡を起こしたかもしれませんが、その教えの最重要なことは、 

私たち自身の心の浄化でした。 

奇跡や不思議な現象に釣られて、沢山の人が近づいてきましたが、 

重要なのは心の浄化であると教えてくださいました。 

また既に始まっている火の洗礼、 

これはノアの箱舟の水の洗礼に続くものですが、

今回の洗礼は、

心の浄化がどれほど進んでいるかによって選別が行われるようです。 

・見えない世界

・不思議な世界

・霊の世界

・スピの世界 

が好きな人は、心の浄化などよりも

そこに現れる不思議な現象の方に興味があるようです。

趣味や嗜好の範囲であればよいのですが、それが全て。心の浄化など興味が無い。

となると、火(霊)の洗礼では、もしかしたら少し差し障りがあるかもしれません。 

では、今日も心の浄化に関するお話です。 

私たちの心が現実を創り出します。

類は友を呼ぶように、私たちの心の状態に見合った人が、私たちの周りに集まります。 

この地球、物質世界に住む人々の営みの中に 

・優しい心

・美しい心

・思いやりの心 

を見た時、 

自然と涙が流れ、手を合わせてしまうことがあります。 

それは、その人々の言葉や、行為の中に、神々の姿を見たからです。 

1508年、友情と感謝の心がこもった「祈りの手」 アルブレヒト・デューラー

 

神々の起こす奇跡は、サーカスのように派手で、人目を惹くことではありません。

一瞬のうちに、物事を変えてしまうことでもありません。 

神々のなさる奇跡は、隠れて見えません。 

かえって神仕組みは、私たちの気づかぬうちに、私達や、取り巻く人々の、

心にちょっとした変化(方向付けのきっかけ)を起こすことで、

それがスイッチとなり起こされます。 

それはあたかも私たち自身が、自分で考え、行動したように見えて 

実は神様の介入により、

様々な有機的つながりの出来事をドミノのように起こしていきます。 

まさに神仕組みです。 

その積み重ね、私たちがその流れに乗ることで、いつの間にか気づかぬうちに

私たちが生まれる前に計画してきた方向へ進んでいきます。 

身近な周りの方々の心の中に 

・温かな優しさ

・思いやり 

そんな神様の心を見つけた時、自然と涙が流れた時、私たちの心に浄化が起こります。 

今まで硬く閉ざされていた、心の扉が開かれた時です。  

人々の中に神々を感じ取った自分、 

それは同時に、自分の中の神様に気づき、繋がった瞬間でもあります。

相手の中の神々と同調、共鳴し 、真の自分と繋がった時です。 

その時、神々は、私たちの心に奇跡が起きた・・ 

そうお思いになることでしょう。

微笑んでくださることでしょう。 

人々の耳目を集める 

・どんな凄いことをしようと

・どんな技や知識を身に着けようと

・どんなに地位や名声を手に入れようと

・どんなに経済的に成功しようとも

人々の心、そして自分の心の中に  

神々を見つける奇跡には かないません。 

神様は、私たちの魂を輝かせるために 

「そこで自分なりの花を咲かせるのですよ」 

そう言って、今の状況に私たちを置いてくださいました。  

今、どんなに辛く、苦しい状況に置かれていようとも

私たちの内なる神々は、常に私たちと一緒です。 

苦しい環境こそが、

かえって私たちの魂を削り、

磨き、輝きを取り戻してくれます。

苦しい環境であるからこそ、

心を振り返るきっかけともなります。 

飢餓の中、空腹の中、

一個のおにぎりが、どんなに美味しいことか。 

渇きの中で、

コップ一杯の水が、どんなに美味しいことか。 

苦しみの中に在って、ちょっとして 人々の笑顔、優しさ、声掛けが 

どんなに、心を励ましてくれることか。 

身近な周りの方々の心の中に 

・温かな優しさ

・思いやり 

そんな神様の心を見つけた時、

自然と涙が流れた時、 

私たちの心に浄化が起こります。

今まで硬く閉ざされていた、心の扉が開かれた時です。 

自分の中の神々と繋がった時です。 

それは、内なる神々が、ずっと待ち望んでいた瞬間でもあります。


2025年7月3日木曜日

3942「欲張りな人間」2025.7.3

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年06月25日の記事を紹介します。


「欲張りな人間」


人間は弱いので、何か困ったことが起きたり、苦境に立たされれば

・神様仏様に頼ったり

・高額な詐欺に付け込まれたり

・お金に糸目もつけず、「力があるぞ」と宣伝する人に頼ったり 

とにかく

・自分ではなく

・自分の内にいらっしゃる神さまではなく 

自分以外の外にある、他人や、物に頼り、願いや欲望を満たそうとします。 

でもそれは仕方のないことです。 

しかし、その欲には限りがなく、いつの間にか頼った相手に心理的に依存し、 

また頼られた相手は無意識の内に支配しようとします。 

支配-依存の 関係が生まれます。 

この両者は、全く別物に見えますが、自分の発している波長が同じであるために同調して

、いつの間にか引き寄せられていきます。 

両者は、波長が同じで、波長の山であるか? 谷であるかの違いだけです。 

この関係が長く続き、強化されてくると、

ますます心の中に広がる黒い闇に気づけません。 

ご利益を求め、殺到する参拝者、頼られたものに・・ 

集まり、うなるお金、 

何時しか、自らも神様に対する崇敬の念を忘れ、自我の心が、極端にまで拡大し 

神の力を、己の力と誤解する人々。

神々は、そんな人間臭いドラマを、どのようにご覧になっていらっしゃるのでしょうか?

・願い事が叶います

・商売が繁盛します

・病気が治ります

・学校に受かります

そう喧伝されれば、藁にもすがりたい私たちは、いっぺんに飛びつくことでしょう。 

もしかしたら、見えない何者かの力によって

一時は、願いがかなったかに思える時期もあるかもしれません。 

ですが、それも長続きはしないでしょう。 

しばらくすれば、また同じ苦しみを味わうことでしょう。 

他人に頼り、自分自身の心を変えようとしないからです。 

ですが、私たちのそのような状況でさえ、

私たちが生まれてくる前に、自分で設定してきた状況であり、 

人のせいではありません。 

何故、そのようなことをあえて人生に仕込んできたかと言えば 

・その悩み苦しむ時期と、

・外の力に頼る時期と

・結局はそれがうまくいかない

ことを経験することで、

・私たちの魂が学習し、磨かれ、

・より一層 輝きを増し

・神々に近づけるからです。

それなのに、その貴重な経験を、苦しいから嫌だからと、 

お金をかけ、人に頼り、すっとばし、一瞬だけ状況を変えてもらっても、

私たちの心はちっとも変わらず輝きもせず、かえって依存の心が、闇のように広がり、 

氣枯れたもの(神さまの純粋な気が覆われてしまったもの)に魂が覆われてしまうことでしょう。 

それは、魂の視点、神々の視点から見て、道を外れているからです。

神様は、私たちの魂を輝かせるために 

「その場所で自分なりの花を咲かせるのですよ」

そう言って、今の状況に私たちを置いてくださいました。 

神々のなさる奇跡とは、華々しいサーカスのように

人々を驚かせ、一瞬のうちに私たちを救い出してくれる・・・ 

そういった安直なものではないと思うのです。

奇跡とは、私たちが、例え苦しい環境に置かれていようと、 

自分の置かれた立場で、一所懸命前向きに、周りの方々や神々に感謝しながら、 

笑顔で、しっかりと生きていくこと。 

そして日々の平凡な生活のうちに、自分や、身近な周りの方々の心の中に

・温かな優しさ

・思いやり 

そんな神様の心を見つけた時 、そして、それを感じ取った自分、 

自分の中の神様に気づいた時、神々は、私たちの心に奇跡が起きた・・ 

そうお思いお喜びになるのかもしれません。 

人々の耳目を集める 

・どんな凄いことをしようと

・どんな技や知識を身に着けようと

・どんなに地位や名声を手に入れようと

・どんなに経済的に成功しようとも 

自分の心の中に 神々を見つける奇跡には敵いません。  

神様は、私たちの魂を輝かせるために 

「その場所で自分なりの花を咲かせるのですよ」 

そう言って、今の苦しく見える状況に、私たちを置いてくださいました。 

私達の魂の誕生の時に頂いた神様の心。

・その心を清らかにしておくこと

・自らの足で立とうとすること。。 

それ以上に、この人生に奇跡を起こす術はありません。

2025年7月2日水曜日

3941「ジャパンショック」2025.7.2

今回はIn Deepさんの2025年6月24日の記事を紹介します。


「ジャパンショック」:日本が米国と世界の市場を麻痺させるメカニズム

またも停戦という空想の夢舞台

ジャパンショック:日本が米国と世界の市場を麻痺させるメカニズム - In Deep


[追記 6/24 午後5時1分]この記事を書いた後、停戦が合意された 1時間後に、イランはイスラエルを弾道ミサイルで攻撃しました。1時間の儚い停戦だったようです。イスラエルもすぐに「激しい報復をおこなう」と報復宣言を行ったようです。

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今朝、イランとイスラエルの「停戦」について、なぜかアメリカ大統領から発表されていましたが、今日の午後 1時過ぎ頃に、「イスラエルとイランの停戦が正式に発効した」と速報されていました。

停戦が発効したとされる後も双方は攻撃を続けていて、停戦とは何かという形而上的な話にもなっています。

しかし、一方で、

> イラン外相は「イスラエルが攻撃を停止すれば応戦しない」と述べていますが、「公式な停戦合意はない」とする発表もあり…

という部分もあり、不透明です。

以下は、アメリカ大統領が発表した「停戦時間の後」のイスラエルメディアの速報です。

イランがイスラエルにミサイル一斉発射、5人が死亡、少なくとも20人負傷


イランは、ドナルド・トランプ米大統領が発表した停戦が発効する予定だった現地時間午前 7時を過ぎても、イスラエルへのミサイル発射を続けた。

イランからのミサイル発射により、イスラエル全土で 1時間以上にわたり少なくとも 6回サイレンが鳴り響き、ベエルシェバでは 5人が死亡、少なくとも 20人が負傷した。

jpost.com 2025/06/24

その後、停戦について合意したのかどうかは不明ですが、以下のように報じられています。何だかわかりにくい話です。

CBSニュースに語った当局者によると、本日早朝、トランプ米大統領が発表した停戦合意に基づき、イランに対する停戦は東部時間午前 12時に発効し、イスラエルは、同日午後 12時に停戦が発効するまで 12時間以内にイランを攻撃する権利があり、その12時間後にはイランとイスラエルの双方によって戦争は「終わった」とみなされる。 OSINTdefender

なお、ここまで敵対している国同士において、「停戦」という意味は、

「単に軍備を立て直すための時間稼ぎにしかならない」

だけであり、少なくとも、これらの国においての停戦は和平とはまるで関係ないものです。これは「ウクライナ停戦という空想の夢舞台」という記事にも書いていますが、仮に停戦したとしても、いつか、さらに大きな軍事力によって、また争いが始まる。今回にしても、最初にイランを攻撃したのはイスラエルなのですから。

場合によっては、停戦の時間稼ぎの間に、イランが「核弾頭」を手にするかもしれない。

ロシアの元大統領メドヴェージェフ氏は 6月22日の X への投稿で、

「多くの国が自国の核弾頭をイランに直接供給する用意がある」

と述べています。こちらに翻訳したものがあります。

「多くの国」がどこを指すのかは不明ですが、核保有国の中で、核拡散防止条約に加入していない国は、北朝鮮、インド、パキスタンなどですので、そのあたりのどれかなのでしょうか。

いずれにしても、これもまた「停戦という空想の夢舞台」という話になる可能性も高そうです。

 

そんなわけで、今回はこれとは全然関係のない話ですが、国際金融アナリストのラウ・ヴェジス氏という人が、

「ジャパンショック:世界最大の債権国である日本が米国市場を麻痺させる可能性」

というタイトルの記事を寄稿していました。

昨年の…ああ、ちょうど今日ですね。やはり、日本から始まる金融危機の可能性について、以下の記事を書いたことがあります。

「カナリアが日本の炭鉱の中で中性子爆弾を踏んだ」:日本が導く終末的な金融危機

In Deep 2024年6月24日

ラウ・ヴェジス氏は、昨年 8月5日の日本の株式市場の大暴落のことも取り上げていますが、あれは 1日で 5000円以上も下げた日でした。

その日の In Deep の記事は、話自体はそれとは関係のないものですが、少しふれています。

私個人としては、今年の夏までに、どの分野にしても社会的に非常に重大なことが次々と起きるのではないかと思っていまして(特に合理的な背景があるわけではないです)、戦争に関しては、もう起きているのですけれど、経済や市場にも起きるのではないかなあと考えています。

ブラックスワン的なことですね。

そこで、今回の記事を見ましたので、ご紹介させていただこうと思いました。

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ジャパンショック:世界最大の債権国が米国市場を麻痺させる可能性

The Japan Shock: How the World’s Biggest Creditor Could Cripple US Markets

Lau Vegys

米国政府の地球上で最大の債権者である日本に何か悪いことが起こっており、それがあなたのポートフォリオに非常に深刻な影響を及ぼす可能性があると言ったらどう思われるだろうか。

数週間前にこの話が目に留まり、ずっと書こうと思っていたが、当時は手が回らず、ずっと後回しにしていた。しかし、もうこれ以上無視するにはあまりにも重要な話になってしまったようだ。

何が起こっているのか?

先月、日本の内閣府は最新の経済統計を発表したが、結果は芳しくなかった。日本経済は 1年ぶりに縮小し、0.7%のマイナス成長となった。

これは悪いニュースだ。特に、これが、トランプ大統領の関税措置の大部分が発効する前の出来事だったこともある。日本の経済が今四半期も縮小を続けることはほぼ確実であり、そうなれば日本はテクニカルな景気後退に陥ることになるだろう。

日本の経済について、皆さんはあまり考えていないだろう。ほとんどの(アメリカ)人は考えていない。日本は地球の反対側にあり、アメリカや中国のようにニュースの見出しを飾ることもない。

しかし、日本はただの国ではない。地球上で最大の債権国の一つなのだ。

日本は 3兆ドル (約 436兆円)以上の対外純資産を保有しており、米国債の保有額は 2025年時点で 1兆ドル (145兆円)を超え、世界最大の保有国だ。以下のグラフをご覧いただきたい。

 


債券だけではない。日本の機関投資家は、米国株、社債、不動産に数十億ドルもの資金を投じている。

しかし、日本が突然その資金を本国に呼び戻す必要が生じたらどうなるだろうか?

それは世界市場に衝撃波を走らせ、金利を上昇させ、誰にとっても借り入れコストを大幅に引き上げることになるだろう。そして、日本は多くの分野に関与しているため、ウォール街を動揺させるだけでなく、次の世界的景気後退の導火線に火をつける可能性もある。

 

日本の多くの問題

なぜ日本が世界市場を実際に崩壊させられるのかを理解するためには、日本が置かれている不安定な状況を理解する必要がある。そして、それはマイナス成長が 1四半期をはるかに超える状況だ。

日本は深刻な人口危機に直面している。結婚や出産の減少により、日本の人口は 15年連続で減少している。

これ自体は主要国では珍しいことではない。多くの先進国が出生率の低下に取り組んでいる。

しかし、すべての先進国が世界で 3番目に低い出生率(日本のこと)を記録しているわけではない。日本は最近、1.15という過去最低の出生率を記録した。これは前年の 1.2から低下しており、1947年に統計が開始されて以来の最低値となる。

安定した人口を維持するには、出生率が約 2.1 必要であることに留意してほしい。

さらに悪いことに、日本は世界で最も高齢化が進んでいる国でもある。人口の約 30%が 65歳以上だ。

これらの要因を合わせると、2050年までに日本は約 2000万人、現在の人口の約 16%を失うと予測されている。そして今世紀末には、日本は人口の半分以上を失うと予想されている。これは、今ならフロリダ州全体が消滅し、将来的にはアメリカ東海岸の大部分が消滅するのと同じような状況だ。

この危機は老人ホームや病院にとどまらず、経済全体に打撃を与えている。

労働者の減少は成長の鈍化を意味する。退職者の増加は政府支出の増加を意味する。人口置換水準を下回る国は皆、こうした問題に直面しているが、出生率が 1に迫り、人口が地球上で最も高齢化している日本は、まったく新たなレベルの危機に直面していると言えるだろう。

システムを維持するための政府の解決策はあるのか?

お金を借りる。たくさん。日本は何十年もの間、明日はないかのように借金を続けてきたため、現在では先進国の中で最も高い債務対 GDP 比となり、260%を超え、さらに上昇し続けている。

それはいつものやり方だった。金利をゼロに維持し、中央銀行に紙幣を印刷させて国債を購入させるのだ。

日本は何年もの間、それで逃れてきた。

そして現実がやってきた。

 

計算が通用しなくなったとき

2024年8月5日月曜日のことを覚えている方もいるかもしれない (昨年 8月の株価の暴落)。このことは、市場にとって最悪の日だったと言うだけでは、到底言い表せない。日本の指標である日経平均株価は 12.40%急落し、1987年のブラックマンデー以来の最悪の下落率となった。

売りは日本で始まり、すぐにアジア、ヨーロッパ、そして最後に米国へと広がり、合計すると、たった 1日で世界の時価総額 5兆ドル (約 720兆円)以上が消失した。

株価だけではない。原油、その他の商品、ビットコインなど、あらゆるものが打撃を受けた。

しかし、損失よりも衝撃的だったのは、そのスピードだった。事態はあまりにも急速に悪化し、経験豊富な市場のプロでさえ不意を突かれた。

世界的金融崩壊の引き金となったのは、円キャリートレードとして知られる金融の火薬庫だった。

その仕組みは以下のとおりだ。

円キャリートレードでは、大手金融機関が超低金利で日本円を借り入れ、その安い資金をドルに換え、特に米国など、より利回りの高い海外資産に投資する。

為替レートが 1ドル 100円の時に 1000万円を借り入れたトレーダーを想定してみる。つまり、10万ドルを自由に使えることになる。この資金を利回り 4%の米国債に投資する。1年後には 4000ドルの利息を手にしていることになる。

さらに良いことに、円が 1ドル 105円まで下落すれば、借入金の返済に必要な金額はわずか 9万5238ドルになる。金利差だけでなく、為替変動からも利益を得られるのだ。

実質的には無料の資金だ。ブルームバーグの推定によると、ピーク時には世界中で円キャリー取引の規模が数千億ドル(数十兆円)に達した。トレーダーたちは何十年もの間、このドル箱を搾り取っていた。これを「グローバル・マネー・グリッチ(世界的な資金の不具合)」と呼ぶ人もいた。

しかし、そこには(予想通りの)落とし穴がある。

この戦略は、日本の金利が低く、円安が続く限り有効だ。

どちらかが間違った方向に進んだ場合、取引は破綻するのだ。

2024年にまさにそれが起こった。20年近くも金利をゼロ近辺に維持してきた日本銀行は、ついに政策金利をマイナスから 0.25%に引き上げた。これだけで、円は数週間のうちに 10%も急騰した。

突然、計算が逆転した。トレーダーは円建てローンの返済に、借り入れた金額よりも多くのドルを必要とした。これが激しいポジションの解消を引き起こし、世界中の資産の連鎖的な売りを招いた。

その後は歴史が語っている。

 

あれはただの予告編

さて、日本銀行は善意から金利を引き上げなかった。8兆5000億ドル( GDP の 260%以上)の債務を抱える日本にとって、わずかな金利上昇でさえも非常に大きな負担となる。

彼らはそうせざるを得なかった。

債券投資家はより高い利回りを求め始め、日本の国債入札は失敗に終わり始めた。すでに国債市場の 50%を保有していた日銀は、単独で国債を購入せざるを得なくなった。国内外の投資家は、国債から逃げ出すか、インフレと為替リスクを相殺するためにより高い金利を要求した。

そこで日銀は屈服した。

そして、2025年の日本の問題は 2024年よりも悪化する見込みであり、好むと好まざるとにかかわらず、金利はおそらく上昇し続けるだろう。

代替案は、債務売却がさらに困難になるだけでなく、円の暴落によって輸入品が破滅的な高価格に陥るという事態を招く。日本は食料の 60%と化石燃料のほぼすべてを輸入しているため、破滅的な高価格になるのは言うまでもない。

しかし、日本の金利上昇は米国にとって問題となる。

日本は 1兆ドル以上の米国債を保有しており、これは他のどの国よりも高い。日本の金利が上昇し、円高が進むにつれて、海外に資金を預ける魅力は大幅に低下する。その資金は、アメリカの借金漬けの資金ではなく、国内に留まるだろう。

日本の財務大臣は最近、米国債保有が貿易交渉における「交渉材料」になり得るとの考えを示唆した。後に撤回したが、そのメッセージは明確だった。困難な時期には、いかなる手段も選択肢の一つとしてあり得るのだ。(※ ) これについては 5月の「日本の財務大臣が米国債を交渉のカードに使うことをほのめかす」という記事をご参照ください。

アメリカ最大の債権国を失うことは、アメリカの世界的な信用力を著しく損ない、ドルを暴落させ、借入コストを全面的に上昇させるだろう。それは消費者にとっての金利上昇、経済の麻痺、そして市場の壊滅的な崩壊につながるだろう。

2024年8月5日が到来した時、私は米国市場が日本の出来事にいかに激しく反応したかに衝撃を受けた。その売りのスピードと規模は、2020年3月の新型コロナのパンデミックによる暴落を除けば前例のないものだった。

今では、あれは単なる予告編だったと私は強く確信している。


2025年7月1日火曜日

3940「神様のなさり方」2025.7.1

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年06月24日の記事を紹介します


「神様のなさり方」


私たちの本体は魂です。

神様とともに永遠の命があります。

その私たちはこの地球に、

様々な経験をし魂の経験値を上げようとして来ています。

そのためこの地球上に生きて生活していく間は

神様から肉体という入れ物をお借りしています。

この地球上では

・全ての魂の記憶が消されている

・様々な星々から色々な個性の魂がここに転生してきている

そのような環境にあるため、密度の濃い経験をすることができます。

生まれる前に予定していた経験値が得られれば、

予定していた通り、肉体を脱いでまた魂の姿へ戻るか、

または元居た星星へ戻ることになります。

この地球の仕組みは、

全て神様が魂の経験値を得るために準備してくださったシステムです。

まず、大本になる魂があり、それが一時、肉体と言う入れ物をお借りします。

つまり、魂が主であって、肉体が従となります。

このことを霊主体従(れいしゅたいじゅう)と呼びます。

私たちの地球での

・悲しみ

・苦しみ

はほとんど全て、肉体に付随するものです。

物理的な肉体で生きているため、衣食住がなければ生きていけません。

従ってこの衣 食 住 の一つでも欠けそうだったりすれば、

苦しみ、悲しみの種になります。

また病気や事故による怪我など、これらも全て肉体に付随するものです。

肉体が無ければ、魂の状態であれば、これらのことは起こりえないからです。

これら衣食住の欠如は、魂にとっては何も関係ないものです。

地球上では、衣食住の欠如は、苦しみ、悲しみの種になりますから

地球上における経験値を増やすための舞台装置となります。

親しい人や家族との死別や別れなども、肉体的な物理的な別れということですから、

これも肉体があるからこそ、経験できることです。

魂にとっては死別や別れと言うものはありません。

魂は元々、一人一人自主独立の存在ですし、

魂の状態では、思えばすぐにその相手と会うことさえ可能です。

死そのものが無いですし別れもありません。

必要な人、合いたい人には、思った瞬間に、意識が引き合い会うことが可能です。

このようなことから、地球上で私たちが経験する、

喜び、悲しみ、苦しみ、それらは全てこの地球上で肉体をまとうことで可能な、

魂の経験を豊に彩るための舞台装置であるということです

つまり、生きていく途中に出会う様々な

・嫌なこと

・苦しいこと

・悲しいこと

・悔しいこと

などは、魂の経験値を上げるために

仕組まれた、敢えて設定されたハードルであるということです。

神様が私たちに恵みを下さる時、必ず順番があります。

それは、最初に

・嫌なこと

・苦しいこと

・悲しいこと

・悔しいこと

これらのことを私たちに下さるということです。

神様は私たちに恵みをもたらそうと、

・心を変えようとする時

・心を進化させようとする時

・心を神様に近づけようとする時

最初に私たちを、苦しく悲しく、そんな環境においてくださいます。

何故なら、私たちは、そんな環境に置かれてみて初めて自分の心と対話を始めるからです。

自分の心を見つめ直そうとするからです。

宇宙最高の心理まで到達したブッダの教えは

・自分自身の置かれた環境を受け入れる事

・そして、周りに感謝すること

と言われています。 

何事もなく、思った通りの人生を生き、友達や家族にも恵まれ、

健康で、金銭的に豊かな環境に置かれたら、

人は、自分の心を見つめ直そうとするでしょうか?

それはなかなかできません。

つまりは、魂にとっては、全く進化の余地のない、つまらない人生であると言うことです。

しかし逆に、人が厳しく辛い環境に置かれた時、心にどういった変化が起こるかと言えば

1. 否認 

「まさか自分が・・」というような、事実を認めようとしない段階。

現実を受け入れられない状態となります。

2. 怒り

なぜ自分がこのような状況に置かれなければならないのか、という怒りや不満を感じる段階。

周囲の人や社会、そして自分自身に対して、不平不満、怒りが向けられます。

3. 取引

何とか状況を改善しようと、神仏に祈ったり、条件付きで何かを約束したりするなど、

その環境から抜け出すために取引を試みる段階。

4. 抑うつ

その辛く苦しく、悲しい現実が避けられないと強く認識し、深い悲しみや絶望感に襲われる段階。

5. 受容

その現実を最終的なものとして受け入れ、穏やかな気持ちで現実に向き合えるようになる段階です。

心はこのような段階を経て、神仏に近づいたり、そして最終的に現実を受け入れます。

ブッダの教えの

・自分自身の置かれた環境を受け入れる事

に無意識のうちに到達できます。

最初に書きましたが、

本当は、この厳しく辛い環境と言うものは、肉体がある時だけ感じられる感情です。

そしてそれは、魂を進化させるための舞台装置だったのです。

神様は、このように私たちを

物質的に、健康で経済的に豊かで、仲間や家族に囲まれ、

幸せな人生を遅らせるためではなく、心を見ています。

魂的に、心が豊かで、優しく、自律的で愛に溢れた、心に進化させるために、

本当の意味での幸せにしてくださるために、

まず、私たちを、苦しく、悲しく、辛い環境に置いて下さり、

そこから私たちの魂を救い上げて下さろうとします。

どうか今、辛い環境に置かれている皆さん、決して希望を見失わず、

かえってその環境は、神様が私たちに恵みを下さる第一段階であることを認識し、

感謝を持って日々お過ごしください。


2025年6月30日月曜日

3939「現実が変わらぬなら」2025.6.30

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年06月23日の記事を紹介します。


「現実が変わらぬなら」


今日は、「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な、渡辺和子さんの言葉をご紹介します。 

<転載開始> 転載元

女子学生たちと五十年以上接していて気がつくことは、この年頃の人たちの多くが、 

愛に必要なのは、すばらしい対象に出会うことだと考えていることです。

それも決して間違いではないのですが、

その対象が「すばらしさ」を失った時(病気やケガ、挫折)にも、 

果たして愛し続けることができるかどうか、 

ここに「愛の本質」が問われています。

・健康だった相手が病気になってしまった時も、

・前途を嘱望(しょくぼう)されていた相手が挫折にあった時にも、 

その人を愛し続けることができるかどうかは、

私たちが自分の中に、「愛する力」を養い育てているかどうかに、かかっているのです。

ふだんからピアノの練習もせずに、立派なピアノを見つけさえすれば、

上手に弾けると思ったり、

絵を描く練習もせずに、ひたすら美しい景色を探している人にも似て、 

ふだんから「愛する」練習をしないで、素敵な人との出会いを待っていては、

いけないのです。

愛する力を育てるためには、まず私たちが毎日の生活の中で 

「当たり前」と考えていることや、人、物を「有り難い」と、 

感謝の気持ちで受けとめることが大切です。

マイナスの価値しかないと思えることや、 

不幸、災難、苦しみにさえも意味を見出して、これまた「有り難い」と感謝できる時、

私たちは愛すべきものを随所(ずいしょ)に持ち、愛し難い人さえも、 

その人の存在そのものの価値を認める、愛深く幸せな人間になれるのです。

<転載終了>

何か素晴らしいものさえ手に入れれば、きっと自分は幸せになれる。

殆どの人がそう思っています。

これは安直で、自分では何もせず、おいしい果実だけを得ようとする、依存の心です。 

自分ではほとんど何もせず、何も変えようとせず、

お医者さまや、薬、ご祈祷、スピリチュアルリ-ダーに頼れば、幸せになれる。 

これも全く同じです。 

これは、生きていく姿勢そのものに直結しています。

・子供の成績が良ければ、愛する

・子供が不登校になったから、愛さない

・何か手に入れたら、感謝する

・何かしてもらったら、仲良くする 

・運が良くなったら、感謝する

・病気が治ったら、感謝する

全部が、

・自分の思い通りに人が動けば、愛する

・自分の思い通りに動かなければ、嫌う

・先に何かを得たら、何かする

・自分から、親切や優しさを出すと損をする

そのような意識です。

まるで、いつも「クレクレ」と言っている、地獄の亡者のようですね。

そこには、

・自分は礼儀正しく

・言葉きれいで、

・正義の側に立ち

・悪を糾弾しており

・自分は報われるべき存在で

・その権利がある

・大事にされて、あたりまえ

そのような心が底流にあります。

・自分自身が変わるのは怖い、めんどくさい

・他人に何とかして欲しい 

ですがこの地球は、そのようにできてはいません。

生老病死、四苦八苦。 

まさに思うようにならないのが、この世の中です。 

希望を持って結婚しても、就職しても、子育てをしても、 

「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。 

病気や不運に見舞われる時も、必ずあります。

「何か素晴らしいものさえ手に入れれば、自分は幸せになれる。」 

そのように、他に依存するように考えていた人たちは、

そこで挫折し、苦しみにとらわれることでしょう。 

家族が自分の思う通り動かなければ、自分の理想にそぐわなければ、

愛する家族に対する熱も冷め、

もしかしたら苦痛や憎しみの対象に変わるかもしれません。 

これらは、自分では何も動こうとせず、

自分自身の心を顧みようとしない人の特徴かもしれません。 

全ての出来事、自分に降りかかってくる出来事は、他人のせいではありません。 

他人がどうこうできることではありません。

全ての全てが、

私たちの心の中に、その種があったから、現象として目の前に起こっています。 

身近な方に降りかかってくる災難、苦難も 

(見ている私たちは、可愛そう、何とかしてあげたいと思うのは当たり前ですが・・) 

その出来事(実際は人生劇)も、その人自身の魂(本体)が許しているから、

計画して生まれて来たから起こっている出来事です。 

その経験を通して、魂の成長を図るために、神様とともに決めてきたことです。 

その方(身近な方)にも神様が付いていらっしゃいます。

縁の深いご先祖が守っていらっしゃいます。 

私たち生きている人間には、その深い深い、縁の流れ、神仕組みが見えません。 

ただ見守り、信じてあげる事だけです。

その方の生まれて来た目的が成就することを一緒に祈ってあげる事だけです。

渡辺和子さんは仰います。 

「こんなはずじゃなかった」と思うこと(不幸)が、次から次に出てきても、

そんな時にも、その状況の中、「咲く」努力をして欲しいのです。

どうしても咲けない時もあります。

雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。

その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。

次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。

いい出会いにするためには、自分が出会いを大切にして育てなければなりません。

思い通りにならないことを経験した時、心にポッカリ開いた穴から、 

これまで見えなかったものが見えてくることがあります。

希望には叶わないものもありますが、大切なのは心に希望を持ち続けること。

相手を信頼するのは98%にし、

あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておくこと。

「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練に感謝すること。

私たちは、神さまが置いて下さったこの場所で、 

たとえ辛く苦しくとも、幸せを見つけることが出来ます。

神さまは、「その場所で幸せを見つけるのですよ」と、

私たちを、今の場所に置いて下さいました。

辛い日々は、必ず笑える日につながっています。 

目の前の現実は変えられません。 

ですが、その起きている現象には、本当は「良い」も「悪い」もないのです。 

全てニュートラルの形で現象は起こっています。

そこに「良いこと」とか「悪いこと」と色を付けるのは、私たちの心の捉え方だけです。

そして実際は起きている現象全て、私たちの魂の成長のために、目の前に現れてくれています。  

私たちが、それに気付き感謝して受け入れた途端、

その現象は、もはや役割を終えたわけですから、 

目の前から消え、記憶のかなたに忘れ去られてしまうでしょう。 

私たちの人生はその事の繰り返しです。 

ですから、どんなことが目の前に起きても、心配せず、しっかり受け入れて、

感謝しニコニコ笑っていれば、それで良いのです。 

それがブッダが教えてくださった「般若心経」の真髄です。

ご縁のある方に届きますように。 

ご縁のある方に届きますように。