2026年6月21日日曜日

4295「黄泉の国と縁の深い日本」2026.6.21

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月08日の記事を紹介します。


「黄泉の国と縁の深い日本」


自然豊かな日本列島は、神々が何億年もかけて作り上げてきました。 

氷河期の終わりとともに大陸から切り離され、

4大プレートの交わる地で、山や谷ができ、

浄化された水が豊富で、平和な国が形成されました。 

そこでは、物質的なモノよりも、

神々や自然を敬う精神性が重要視されてきました。 

つまり、物質よりも霊、魂、精神が大切であるという

霊主体従の考え方が、深く刻み込まれてきました。 

まさに神々が計画した通りです。 

それゆえに、物質文明が頂点を極め、

物質や、お金至上主義の悪徳の世界が終わりをつげ、 

新たな精神文明が花開こうとする今、

日本人の「心を大切にする」文明が、活躍する時代となりました。 

この時のために、神々が日本列島を作ったと言っても過言ではないかもしれません。 

それでは今日は珍しい切り口で

神の国と、人間の世界について書きたいと思います。

春日大社の元宮司、神道の最上階(浄階)まで行かれた

葉室頼昭さんのお言葉を基にご紹介します。

日本神道では

神さまや先祖の皆さんがいらっしゃる国を、「黄泉の国」(よみのくに)

そして私たちが肉体を持って生きているこの世界を「現世」(うつしよ)

と呼びます。

日本では縄文の昔から人々は

この宇宙は、循環とバランスの上に成り立っていると知っていました。

それは神様がビッグバンを起こしてから150億年もの年月をかけて作り上げた世界です。

循環ですから、

西洋式の考えの、除去、消し去る、取り去る という考え方ではありません。

私たちの魂も、

神々や先祖のいらっしゃる黄泉の国から出てきて

肉体をまとい、一時の間、物質界つまり「うつしよ」で暮らしています。 

そして 死とともに

先祖の居る世界、神々の世界。つまり黄泉の国に戻ります。

私たちは誰でも、黄泉の国から、この世界に生まれてきました。

その世界は神の世界ですから、

誰でもが、清らかな美しい世界から、この世に生まれたことになります。

つまり、

・意地悪をする人も

・心温かな人も

・聖人のような清らかな人も

・罪を犯す罪人も

全ての人が 黄泉の国から来ました。

つまり、どんな人でも 本来の心根は、

清く、美しく、思いやりに富んだ、心の持ち主であるということです。

心の中に恨み、つらみ、憎しみを持ち、

地獄のような囚われの世界に居る人は、

現世には、まだ生まれ変わって来れないということです。

これは裏返してみれば、自分にとって、どんな悪人でも、

それはその人の本質ではなく、何らかの目的を持って、 

その役割を演じているだけ・・と言うことになります。

その目的とは

私たちの魂を 研ぎ石のように研いで、

(苦しみ、悲しみ、悔しさ、恐れ、不安)

魂を輝させるという以外にありません。

その人たちの現世での裏に隠された

・神のような心

・温かな思いやりに満ちた心

を知るのは、お互いが、再び黄泉の国に帰ってからのことになるでしょう。

日本は諸外国と異なり、非常に黄泉の国に近い国です。 

その証拠を昔話の中に見ることができます。

では、葉室頼昭さんのお話を基にご紹介します。

浦島太郎は、助けた亀の背中に乗って竜宮城で歓待を受けます。

そこは見たこともないような美しく綺麗なところで、

天井も床も、まばゆく光り輝き、何処からともなく、良い香りが漂い、

美しい音楽まで響いています。

太郎は時を忘れ、楽しく過ごします。

(玉手箱を開けたら 300年の時が過ぎていました)

この竜宮城とは、私たちが元来た所、つまり黄泉の国のことです。

神々が住み、先祖の皆さんが住んでいます。

その美しい世界は、

・時間もなく

・悩み、苦しみ、心配事さえありません。

幸せそのものの世界です。

そして私たちが生まれた時、

無垢の魂は、そのような美しい世界から来たため、

心に罪・穢れのシミ一つありません。

赤ちゃんの無垢の笑顔はそれを表しています。

ですが、私たちは、成長するにつれ、大人になるにつれ、その美しき心を忘れ

・病気

・悩み

・苦しみ

・心配事

ばかりの世界に、いつの間にか生きるようになってしまいます。

それは、私たちの心に潜んでいた、

いえ、いつの間にか神様の氣を包み隠してしまう、

自我(自分さえ良ければ良い)の心が、

真実の神の世界を見えなくしてしまったからです。

※これを祓うのが神道では、祓い。清め となります。

もちろん、私たちの魂は、その自我による苦しみさえも見越したうえで、

この世「うつしよ」に生まれて来ました。

何故なら、その苦しみが、私たちの心を強くすることを知っていたからです。

私たちの心は、

・食べる物にも困らない、

・悩みなど一つもない

・いつも楽しいころばかりの生活

からは磨かれることがありません。

今、私たちが経験している

・悲しみ

・苦しみ

・悔しさ

は全て 苦しいことではあるけれど、

心を輝かせるために、一時だけ、経験していることです。

浦島太郎は、玉手箱をもらって、再びこの世、つまり「うつしよ」に戻ってきました。

これは、黄泉の国と、現世を、

私たちの魂は循環(行き来)していることを象徴しています。

自然と同じく、私たちの魂も 循環を繰り返します。

決して西洋の思想のように、悪だからと、切り取られ、捨てられ、

消滅されることもありません。

自分の生活に邪魔だからと、除去されることもありません。

大祓祝詞が示す通り、例え悪であっても、全てを、黄泉の国を通過させ、

美しき清らかなエネルギーに変えて戻されます。

この大いなる安心感。循環の心、正邪を超えて、

全てを包み込む心を、私たちの祖先は持っていました。

私たちは神々の作ったこの宇宙の仕組み、循環とバランスの上で、

永遠の魂の向上を目指している最中です。

みんな、同じ道を歩む仲間です。

人も、動物も、植物も。そして自然現象でさえも。

積もった雪が、春になって消えたと言うけれど・・

決して消えてなくなったわけではありません。

水になり、地面に吸われ地下水となり、川の水となり、海に注ぎ、

再び雨や雪となって戻ってきます。

私たちの心、魂も同じです。

肉体は脱いでも、黄泉の国(神々の国、先祖の国)に戻り、

姿、形を変えて再び戻ってきます。


2026年6月20日土曜日

4294「死を超えて明かされる秘密」2026.6.20

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月07日の記事を紹介します。


「死を超えて明かされる秘密」


ブッダの前世の物語、ジャータカによれば、 

ブッダは29歳で修行に発ち、35歳で悟りを開きました。 

インドには古くから、命あるものは生まれ変わりを繰り返すという「輪廻」の思想があります。 

仏教を伝えた人々は、ブッダは無限とも言えるような過去から生まれ変わりを繰り返し、

その中で善業を積んできたから、最終的に悟りを開くことができたと考えました。 

このブッダの過去世での善業を伝える物語を集めたのが、「ジャータカ」です。 

ブッダはかつて2つの重要な法則を私たちに教えてくださいました。

・因果の法則

・縁起の法則

因果の法則(カルマの法則)とは、すべての物事には必ず原因と結果があり、

すべてはその原因と結果の連鎖で成り立っているというものです。

これは私たち人間の生活や人生の話だけではなく、

動物や植物といった生命全て、地球そのものが、

この因果の法則によって成り立っていると言われます。

縁起の法則では、私たちの生まれてから死ぬまでに起こってくる全ての出来事は、

生きている私たちの意思や努力で変えられるものではなく、 

既に生まれてくる前に決めたストーリーの通り、決まっている。

そしてこの人生ストーリーは

私たち自身と、神様で相談して決めてくるのだそうです。

この因果の法則は私たちの宇宙では、ブッダの説いたとおり絶対的な法則ですから、 

私たちのこの人生ストーリーも、この法則から外れるものではありません。

神様から私たちの魂が枝分かれして宇宙空間に旅立ってから

今までに生み出した 因(カルマ・・良い意味でも悪い意味でも)によって、

私たちは結果を受け取るわけですから、 

人生ストーリーの中で起こる色々な出来事も、 

この因による結果の出来事が組み込まれることになります。

例えば、

・貧しい人に施しをしたことがあったので、困った時に助けが現れる・・

・困っている人を見て、見て見ぬふりをして逃げてしまったので、

 大切な時に物事の遅延が重なり、なかなかことがうまく運ばない 

など・・(本当はこのように単純には起こりませんが)

この因果の法則は、言いかえると宇宙の法則、

与えたものが、受け取るもの、

と言うことです。

・温かい言葉を投げかければ、温かな言葉をかけられます。

・笑顔を向ければ笑顔が帰ってきます。

・親切にすれば、親切にされます。

・傲慢な態度を取れば、傲慢な態度で返されます。

因果の法則は決して私たちを苦しめるものではありません。

神様が私たちを苦しめる法則など作らないからです。

この人生ストーリーをベストなタイミングを図り

起こしてくださっているのが神様や仏さま。

そしてこの地球において、そのストーリーを展開するために、 

色々な役割を演じてくださっているのが、友人・知人・家族たちとなります。 

様々な役目があります。

・親切な役

・憎まれ役

・味方、敵

・殺し役、殺され役

・運命を回転させる推進役

・親、兄弟、友人、同僚役

全部この因果の法則の「結果」部分の出来事を、

私たちの人生という大舞台で、一緒に演じてくださっています。

ブッダが縁起の法則で言うように、私たちの人生ストーリーは、 

寸分の狂いもなく決まっており、私たちは、その流れに身を任せるだけです。

ブッダの言うように、私たち生きている間の

・意思や努力

・必死なもがき

で変えられることは 0パーセントです。

変えられません。

ましては他人(子供や家族を含め)の人生を、

私たちの自分勝手な価値観で、変えさせようとすることなど不可能です。

因果の法則も、縁起の法則も、神様が決めた法則です。

つまり「慈悲や愛」に根ざしているということです。

神様と私たちが生まれてくる時に決めてきたシナリオは、

私たちの魂の成長を目的に書かれていますから、愛そのものと言えます。

私たち生きている人間は、起こってくる出来事を

「あるがまま、ありのまま」 

に感謝して受取り、下手にもがいたり、変えようとは思わず、 

神様を純粋に信じて生きていれば、それで良いようです。

難しいことはありません。

自然界に生きる、動物や植物たちと同じです。

私たち自身の決断も、行動も結論から言えば、もう決まっていることです。

私たちは神々の「愛」を信じ、「あるがまま、ありのまま」の流れに任せ、 

神々が織りなす愛と善を、自分自身の役割として演じながら、 

味わい、理解するための経験を、この地球でさせていただいているのかもしれません。

因果の法則とは、

盗んだから盗まれる。と言うような単純な反応ではなく、

様々な因が絡まりあって、結果を生むようです。

激しい結果を受け取ることで、

一気に沢山の因の解消を図ることもあるようです。

(そのためには強い魂である必要がありますが)

これも神様と相談して人生ストーリーに組み込まれます。

そしてもう一つ大切なことがあります。


既に因果の法則の「因」を燃やしつくした方も、居らっしゃるということです。

その場合、因果の法則の因に縛られることがありませんから、行動の自由度も増しますが、多くの場合は、既に高貴な魂となっていますから、

自己犠牲的な、人類の成長に貢献するような出来事を

人生ストーリーに組み込んで来られる方がいらっしゃると言うことです。

3.11の東日本大震災では、多くの犠牲がありましたが、

その方々の貴重な生命の犠牲をキッカケとして、日本の集合意識は大きく目覚めました。

神々の計画であった、精神性の復活の時代が始まりました。

生きている人間からすると、 

「死」と言うものは永遠の別れ、悲しいもの、忌み嫌うべきものと捉えがちですが、 

大きな永遠の生命の流れの視点から見れば、一つの通過点という意味になります。 

悲しいことではありません。

また逢えるのですから。

ですがその分、生きている人々に大きなインパクトを与える出来事になります。

悲しい、苦しそうな、辛そうな死を迎えた人も

そこには大きな意味があったということです。

決して偶然に、運悪く、バチが当たって死んだわけではありません。

それをきっかけに世の中の流れが変わったのかもしれません。

周りの人の心に何か変化が起こったかもしれません。

自然界を見れば、この自己犠牲的な死を選ぶ動物や植物は沢山います。

それは、その動物たちの集合意識が、個の生命よりも集合体としての

全体の存続を選んだ時です。

決して自分が死に役になったからと、不平・不満を言う者はいません。

人間も同じです。本当はそんな純粋な心を持っています。

人間の肉体の生体反応では、頻繁にこのことが行われています。

ある細胞が犠牲になることで、他を生かすようなことが沢山あります。

たとえ私たち残された者たちの顕在意識が、疑問、不満を持ったとしても、 

本当は潜在意識、次元の上のレベルの私たちの意識では納得しています。

それが最後の別れではないと知っているからです。

その出来事を通過することで、 

全体の調和と進化が測れることが分かっているのですから。

死別は大きな出来事です。

その隠された秘められた大切な、壮大な意味は神様しか分かりません。

ですが、神様は私たちを見捨てません。 

裏切りません。愛そのものです。

残された私たちは、今 目の前の人、事を大切に、誠実に生きることで、 

亡くなった大切な人たちと、死を乗り越えて、また笑顔で会えることでしょう。

そして秘められた秘密は、死を超えて、その再会の時に 

きっと明らかにされることでしょう。


2026年6月19日金曜日

4293「肉体の属性、魂の属性」2026.6.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月04日の記事を紹介します。


「肉体の属性、魂の属性」


例えば素晴らしい住職さんがいらっしゃって、

その方が多くの檀家の方々や、

近所の方々を助けていたとします。

その方が亡くなった後を継いだ子供たちが、

前の住職と同じようなことができるかと言ったら全くそういうことはありません。

親子と言えど魂の本質が違うからです。

たとえ姿形が似ていようと、

考え方やその人間性においては全く異なる道を歩んでいます。 

遺伝に関して言えば、才能や人間性のうち、

才能は肉体に付随する部分も少しあるので、

遺伝する部分もあるかもしれません。

ですが人間性は全く別です。

人間性は人間の肉体に付随しない性質だからです。

人間性は肉体ではなく、

その魂に付随するものだからです。

生死を超えた永遠に存在し続ける、

私たちの魂に属するものだからです。 

ですので、たとえ素晴らしい人物であっても、

果たして子供にまでその素晴らしさが伝わるかと言ったら、

そうではありません。

芸術的才能、その他の才能は少しは伝わるかもしれません。

それが肉体に付随する、条件反射、

肉体の構成から来る癖や思考方法など

肉体そのものに属するものであれば、

それは遺伝する可能性もあります。

ですが、

・人間性・・

・道徳的感

・倫理感

・人を思いやる心

・愛の深い心

それらは、遺伝で伝わるものではありません。

魂とは永遠不滅のものであり、

たとえ親子であろうと全く別物だからです。

それぞれが神さまから頂いた魂があり、

神様の許しを得て親子と関係として地上で今暮らしています。

ですが魂の属性は 一人一人の人間で全く異なります。

親子間で全く感性や意見が異なり、

相入れない時も、

夫婦がまるで敵同士のような時も

人間の魂は全く別物なので、

そんな関係性になる時もあります。

ですがそれにも意味があり、

神さまの許しがあったから家族になったわけです。

感情の星、地球では、

感情を利用して魂の進化・向上が図られます。

この方法は非常に有効に機能します。

まさに大神様が地球と言う星を作った理由です。

私達家族は、時にぶつかり、時に深くわかり合い、

様々な感情を揺さぶられながら、

お互いに魂の進化を図っています。


2026年6月18日木曜日

4292「青空ひろば」2026.6.18

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


1761 2026.05.27 ~ 1762 2026.05.28

<人生を面白くする方法は?>

(ああ、アタマの暴走が始まったなあと気づいたら)

① 気分転換法 遠くをながめる 小さなものを見つめて話しかけたり、微笑んだりする。喫茶 編み物 調理 散歩 趣味。

② 息吹放ち法→モヤモヤをフッと強い息を吐いて吹き飛ばすイメージ法。

③ 身体復帰法 カラダを軽く叩く、その場でジャンプする→アタマは暴走するが、カラダは<今・ココ>にしか居れないので、カラダに意識を集めると<今・ココ>に復帰出来る。

Q3.気分を変えても、しばらくしたらまたアタマの暴走が始まるので、ムダなんではありませんか?

A.人生は、<今・ココ>、<今・ココ>・・・です。今やれることを精一杯やればいいのです。先のことに「第二人」を作ってはいけません。(完)


1758 2026.05.24  ~ 1760 2026.05.26 

<「幸せ」とは何でしょう?>

Q1.日本人はどんな時に「しあわせ」を感じてきたのでしょう?

A.

「さち(幸)」の語源:獲物をとらえる霊的威力ある道具。その収穫物→これは日本人の「しあわせ」ではない。

「しあわせ」という日本語の語源:「為・合わせ」

① 今やっている行為(仕事・対象となっているモノや人)と一体となれている時に湧いてくる感情

② 目的を共有する仲間と一体(連帯・団結)となって行動できている時に湧いてくる感情


「直下(じきげ)に第二人(だいににん)なきことを知るべし」(道元禅師の言葉「弁道話」)

「直下(じきげ)」:<今・ココ>

「第二人」:<今・ココ>に存在する本当の私(第一人)、<今・ココ>をお留守にしてアタマが暴走して作り出している二番目の私

「第二人」が出来てしまうと、「しあわせ感」は消えてしまう。


Q2:なぜ、「第二人」が出来てしまうのでしょうか?

A.アタマが、過去や未来や他の場所へと暴走するから。

(ポイント)アタマの暴走を止めれば(無心に近づくほど)、人は「しあわせ」になれる。(完)


1756 2026.05.21  ~ 1757 2026.05.23 

<なぜ「あなたはあなたであることが尊いこと」なのか?>

(ポイント)

・人類の魂の成長のためにはどうしても必要だからと、神は「あなた」という存在を生み出した→「あなた」が存在しているのは「神の要請」。

・「あなた」の位置に根付いて成長してゆけるのは「あなた」だけ→「あなた」の代わりが出来る人はいない、「存在の独尊」。

・人類の魂の進化過程ゴールインは「あなた」の成長にかかっている→「あなた」が「あなた」をそのように生きていることが人類全体に対する、大きな「貢献」なんだ。


「数歌祝詞(かずうた のりと)」を称えましょう。

一二三四(ひふみよ) 日踏み(ひふみ) 日の行進(ひのこうしん)

五六七八(いむなや) 嫌むな(いむな) 日の肥やし(ひのこやし)

九十だよ(ここのたりだよ) 個々の足り(ここのたり)

今・ココ・我を(いま・ココ・われを) 受け入れて(うけいれて)

許し(ゆるし)、愛して(あいして) 踏み出せば(ふみだせば)

百千萬(ももちよろうず) 百力結集(ひやくりき けつしゆう)

神の力が(かみのちからが) 我が身にはたらく(わがみにはたらく)

自分を超えた(じぶんをこえた) 力がみなぎる(ちからがみなぎる)

湧喜 湧喜(ゆうき ゆうき) 湧輝 湧輝(ゆうき ゆうき)

日満子の光進(ひみこの こうしん)

さあ、日出る時(ひ いずるとき) 踏み出しの今!(ふみだし の いま!)

(完)


1754 2026.05.19  ~ 1755 2026.05.20

<禅は「君はそのままの君でOKなんだよ」と教えてくれる>

趙州禅師にある僧が質問しました。「イヌにも仏性(仏となる可能性)が有りますか、無いのですか?」

趙州さんは、「無(ない)」と答えました。

どうしてイヌには「仏性」がないのでしょうか?

どうして大敬には「仏性」がないのでしょうか?


どうしてイヌや大敬に「仏性」がないのか?

答えは,ズバリ単純です。「あなたや大敬さんが<仏!>だからです」

「可能性がある、伸びしろがある」なんて言われて喜んでいちゃあダメなんです。

「このままのワンちゃんや大敬君が仏なんだ。文句あるか」と躍り出してゆかねばならないのです。

「禅」という漢字は、神事を表す「しめすへん」に「単」です。あなたがこれからどこかに向かうのではなく、あなたが「あなた」に無事に戻れたところが「禅の悟り」なのです。(完)


1752 2026.05.17 ~ 1753 2026.05.18 


<しあわせのなるための土台>

若き日の大敬は、自分が「嫌い」でしょうがなかった→自分が「嫌い」→その「嫌い」の影を人に投影して、嫌いな人・敵の人を作ってしまう。

自己否定すると→自己を罰する世界を投影して生み出してしまう(これを「自己処罰」・「自傷行為」と言う)

「自己肯定」出来るようになると→その「肯定感」を周囲に投影して、「肯定」の世界を作り、「しあわせ」な環境に囲まれて生きられるようになる

(ポイント) 自分を許し愛せるようになることが「しあわせ」になるための土台です。(完)

 

2026年6月17日水曜日

4291「神さまの贈り物「ありがとう」」2026.6.17

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月03日の記事を紹介します。


「神さまの贈り物「ありがとう」」


さて本日のテーマ「ありがとう」と言う言葉は日本語にしかない言葉ですが、

この言葉の持つ言霊は、この地球において相当大きな役割、

つまりキーワードのようです。

私のブログのタイトルも「いっぷくからのありがとう」です。 

さて小学生の神様トキ君が、最高位の造化三神の一柱

高御産巣日(タカミムスヒ)の教えとして

(ありがとうについて)伝えてくれています。

・「ありがとう」を1万回唱えることで、願いが絶対にかなう

・運気が上がる

・悪魔的な存在に対してバリヤーの役割を果たす。弾き飛ばされてしまう

その他には

・愛を沢山周りの人に与え続ける事

・そうすると、もう幸せなことしか起きなくなる

・お金がどんどん入ってくる

少し補足します。

神様が3次元地球(現世)に「お金」を作った目的は、

それを使って、みんなに幸せな気持ち、心になって欲しいから。

「愛」の心から作りました。

だから

宇宙の法則の通り、「愛」を他人に与えれば、自分に「愛」が返ってくる。

心の豊かさ、楽しさ、幸福だけでなく

物質的な「愛」の表現である「お金」もめぐり巡って、自分の所に入ってくる。

そのような理屈です。

ですから私たちがお金を使う時、

・物を手に入れる

・美味しいものを食べる

など物質的な目的ではなく

「お金」を使うことで、関係するみんなが 

・喜ぶ

・笑顔になる

・心が豊かになる

・心が綺麗になる

・勇気が出る

・安心する

などのために使うことで、

結局は「お金」を「愛」のため、

人々の心、魂のために使うことになり、

自らを意思を持つ、神さまの作った「お金」も喜んで

仲間を連れて私たちのもとに来ることになります。

また高御産巣日(タカミムスヒ)さまが、

人類に気を付けて欲しいこととして

・人を憎まない事(にくしみ)

・人を恨まない事(うらみ)

これらは神様が一番嫌がること。

・怒ること(いかり)は、一瞬の感情の動きなので、

それを引きずらなければ許される

・怒りの後、笑顔にすぐ変えること

このような直接的な神様のお話を伺うと、やはり神様が見ていらっしゃるのは、

私たちの心。

その心が

・清いか

・明るいか

・自分のやりたいことを自由にやっているか

・心がワクワクしているか

・思いやりがあるか

・愛があるか

全て心の問題だけを見ています。

とかく私たちは神様仏様に

・お金持ちになりたい

・病気を治したい

・良い配偶者に巡り合いたい

・良い学校に入りたい

・良い会社に入りたい

など物質的なことを望みがちです。

また

・霊的なこと

・不思議なこと

・ワクワクすること

・怖面白いこと

などを望みがちです。

ですが神様の視点はそこにはありません。

現実の生活の中での、私たちの心の在り方だけを見ています。

そこを間違えず、神さまの望まれる道、人生を歩けば

私たちは必死に歯を食いしばって努力せずとも

幸せな人生を全うできるようです。

きっと、この日本にかつてあったユートピア

縄文時代は、そんな神様と人間が一体となった時代だったと思います。



2026年6月16日火曜日

4290「生まれて来てくれてありがとう」2026.6.16

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年06月01日の記事を紹介します。


「生まれて来てくれてありがとう」


今日も竹之高地不動社の本を書くための取材に行ってきました。

今日取材した内容は宇宙系です。 

私たちの住む天の川銀河の外に在る、マクラガワ銀河から来ている宇宙船が、

常に上空に待機している方のお話です。

この方も、竹之高地不動社で関係する方と繋がりました。

その方を中心に、8月に「UFO」を呼ぶ会をやろうかtごいう話も出てきました。

お陰様で本の執筆も佳境に入ってきました。 

さて今日のテーマです。 

今時代は変わろうとしています。

精神性の復活の時代、「心の時代」が到来しています。

天国と同じ価値観で、優しく温かな心の持ち主が、

人々から尊敬され、重きを置かれる世の中です。

ですが、もしかしたら、その「優しく温かな心」の持ち主の皆さんは 

過去、沢山の悔し涙、悲しみの涙を流し、

それを乗り越えて来た方かもしれません。 

悲しみ、苦しみは、心を輝かせてくれる研ぎ石だからです。 

人類の歴史が始まって以来、人々の平等化や既成権力からの解放は、 

それを許さない(国常立尊はじめ)神々による

力強い衝撃の出来事で始まりました。 

要するに、神々による建て替え(破壊)です。 

今の時代では、2010年を境に始まりました。 

建て替えの方法は4つです。 

・大量動員戦争

・変革的革命

・国家の破綻

・致死的伝染病の大流行

これらは、「平等化の四騎士」と呼ばれます。 

過去のペスト、コレラ、結核なども、

大きな犠牲のもとに、人々の知恵と行動によって(立て直し) 

人類の平等化が、飛躍的に推進されました。

今は、まさに強制的な平等化が進展中です。

そして、その方向性が心の純化です。

精神の豊かさ、おかげ様、お互い様の優しい心を目指す方々にとっては、

希望の年の始まりです。 

遅すぎることはありません。

過去の遺物のように

・力の強い者

・お金のある者

・不思議な能力があると自負する者

・神々の力を利用できると豪語する者

に依存して、頼り切るのではなく、ご自身の心の洗濯を、お勧めします。 

さて今日は子供たちのお話です。 

幼少期の、親の虐待、ネグレクトは、子供の心に、様々な傷跡を残します。 

以前地元の養護施設に行って伺ったところ、施設長が仰るには、

半数以上の子供が 「発達障害」なのだそうです。 

悲しいことです。 

ですが、子供の涙と共に、虐待を行う、親御さんの心からも、声にならない声、 

助けて! 

そんな声が、聞こえてきそうです。 

今日は、以前ご紹介した記事ですが、

子供と親の、関わりについて書いた記事です。 

加筆して、ご紹介します。

また、転載する記事は、「死産」について書かれた内容ですので 

ご興味のない方、その他の方は、どうぞ、スルーなさってください。 

子供たちは、生まれる前に母親を選び、

母親を助けたいという目的を持って生まれてくるそうです。 

今日はお子さんとの間で、悩んでいらっしゃるお母さん向けの内容です。 

助産師として33年、2,600人以上の赤ちゃんの出産に立ち会ってきた

内田美智子さんのお話です。 

<転載開始> 転載元

赤ちゃんの夜泣きに感謝しないさい。 

自分の目の前に子どもがいるという状況を、

当たり前だと思わないでほしいんです。 

自分が子どもを授かったこと、

子どもが「ママ、大好き」と言って、まとわりついてくることは、 

奇跡と奇跡が重なり合って、そこに存在するのだと知ってほしいと思うんですね。

そのことを知らせるために、私は死産をした一人のお母さんの話をするんです。 

そのお母さんは、出産予定日の前日に、胎動がないというので来院されました。 

急いでエコーで調べたら、すでに赤ちゃんの心臓は止まっていました。 

胎内で亡くなった赤ちゃんは、異物に変わります。

早く出さないと、お母さんの体に異常が起こってきます。 

でも、産んでもなんの喜びもない赤ちゃんを、産むのは大変なことなんです。 

普段なら私たち助産師は、陣痛が5時間でも10時間でも、

ずっと付き合ってお母さんの腰をさすって、 

「頑張りぃ。元気な赤ちゃんに会えるから頑張りぃ」と励ましますが、 

死産をするお母さんにはかける言葉がありません。 

赤ちゃんが元気に生まれてきた時の分娩室は賑やかですが、

死産のときは本当に静かです。 

しーんとした中に、お母さんの泣く声だけが響くんですよ。 

そのお母さんは分娩室で胸に抱いた後、 

「一晩抱っこして寝ていいですか」と言いました。 

明日には、お葬式をしないといけない。 

せめて今晩一晩だけでも抱っこしていたいというのです。 

私たちは「いいですよ」と言って、

赤ちゃんにきれいな服を着せて、お母さんの部屋に連れていきました。 

その日の夜、看護師が様子を見に行くと、お母さんは月明かりに照らされて、

ベッドの上に座り、子どもを抱いていました。 

「大丈夫ですか」と声をかけると、 

「いまね、この子におっぱいあげていたんですよ」と答えました。 

よく見ると、お母さんはじわっと零れてくるお乳を指で掬って、

赤ちゃんの口元まで運んでいたのです。 

死産であっても、胎盤が外れた瞬間に、ホルモンの働きでお乳が出始めます。 

死産したお母さんの場合、お乳が張らないような薬を飲ませて止めますが、

すぐには止まりません。 

そのお母さんも、赤ちゃんを抱いていたら、じわっとお乳が滲んできたので、

それを飲ませようとしていたのです。

飲ませてあげたかったのでしょうね・・・ 

死産の子であっても、お母さんにとって子どもは宝物なんです。 

生きている子ならなおさらです。

一晩中泣きやまなかったりすると「ああ、うるさいな」と思うかもしれませんが、 

それこそ母親にとって、最高に幸せなことなんですよ。 

母親学級で、こういう話をすると、涙を流すお母さんがたくさんいます。 

でも、その涙は浄化の涙で、自分に授かった命を、慈しもうという気持ちに変わります。

「そんな辛い思いをしながら 子どもを産む人がいるのなら私も頑張ろう」 

「お乳を飲ませるのは幸せなことなんだな」と

前向きになって、母性のスイッチが入るんですね。 

<転載終了>

私は男なので、母性本能はありませんが、子供たちを慈しむ気持ちはよくわかります。 

・どれだけ大変で苦労しようと

・どれだけ心配をかけられようと

・どれだけ、心をざわつかせられようと 

やっぱり、時がたち、振り返ってみれば、

人生にとって、かけがえのない、宝石のような時間です。 

「私たちに、こんな未熟な私たちに・・親のまねごとをさせてくれて、ありがとう」 

そんな感謝の気持ちが沸き起こります。 

思い出は尽きません。

でも、私たちは子供たちが、学校に上がるようになり、大きくなれば、反抗期も始まり、

そんな慈しんで大切に育てた記憶も、忘れ去ってしまいます。 

目の前の、反抗や、問題ばかりが気になり、自分の思い通りに、子供がならないことに、

悩み苦しんだりもします。 

不登校にでもなれば、もう目の前が真っ暗になります。 

病気になってもそうですね。 

どうして うちだけ? 

ですが、子供たちが生まれて来た時のことを、少し、思い出してみてください。 

お母さんは、命がけで子供を産みます。 

初めて赤ちゃんを抱っこした時の、お気持ちを覚えていらっしゃいますか? 

赤ちゃんに、おっぱいを上げた時の、気持ちは、いかがだったでしょうか? 

本当は、今がどんな形(病気だとか 反抗的とか 不登校とか)であろうと、 

生きていてくれるだけで感謝ですね。 

私たちの生きて行く道には、沢山の出来事が用意されて、置かれています。 

その一つ一つは、決して楽しいだけのものではありません。 

ましては家族の間には、感情を伴う、様々な出来事が準備されています。 

私たちは、ひとつひとつ、笑ったり泣いたり、怒ったり、

喧嘩したりしながら乗り越えて行きます。

その経験の積み重ね、その歴史こそが、本当の家族を作ってくれます。

家族一人一人を、大切にしたいものです。 

憎たらしくなったら、生まれて来てくれた時のこと、その時の喜びと幸福感を、

思い出してみてください。 

もし、その子が亡くなってしまったら・・・、想像してみてください。

きっと「生きていてくれるだけで幸せ」って、思えるかもしれませんね。


2026年6月15日月曜日

4289「愛とは何ですか?」2026.6.15

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月30日の記事を紹介します。


「愛とは何ですか?」


今日の記事は、毎年1回は載せようと思っている記事です。

この内容は、まさに神々のなさり方を教えてくれるからです。

私たちの心を、神さまの方に向けることができるからです。 

その結果、ご自分が幸せになるだけでなく

身近な周りの方々も真の幸せ、笑顔を手にできるからです。 

もう読んだよって方は、どうぞ、遠慮せずスルーされてください。 

私たちはきっと、漠然とですが、

神々の奇跡について

以下のようなイメージを持っているかもしれません。

・目を見張るような、ビックリするようなこと

・目に見えない、魔法のような不思議な力

・一瞬で世の中が変わってしまうようなこと

・今のつまらない人生が一瞬で変わり、幸せになれるようなこと

ですが、きっと神さまは

そのような安直なことは なさらないと思うのです。

またパワースポットなどを巡り、神様に頼り切り、

高いお布施を払ってご祈祷さえしてもらえば、幸せにしてもらえる。 

そのような物ではないと思うのです。 

神さまは、主に人間の中の、心の動きとして現れます。 

そして御心のままに、人を動かし、世の中を動かしていきます。

それは、注意してみなければ気付かない、本当に些細な変化から始まります。 

ですが、その変化は、まさに神様のミワザです。 

着実に変化を起こし、長い目で後ろを振り返った時、 

その時の変化が、きっかけで、今の状況に至った・・ 

そんな変化のターニングポイントになっています。 

それほどまでに 神さまのミワザ、やり方は、計り知れない力を持っています。 

そして、人々に気付かれないように、なさります。 

まさに知らずに、人々の心に入り込み、

ご自分の仕業と、気付かせないようにヒラメキを与え、 

・心を動かし、

・言葉を発しさせ、

・身体を動かします。 

それが、必要な様々な人を介し、有機的に繋がり、変化を起こしていきます。 

それでは、神さまの流儀、やり方を書きたいと思います。

「1本のホウキが生んだ奇跡」のお話です。

<転載開始> 転載元 

何も見えず、何も聞こえず、何も話せない。完全な闇・・・

三重苦という重障害をもちながら、アニー・サリバンという最高の教師の力を得て、 

目覚め、成長し、世界中の福祉に貢献した、誰もが知る偉人。

彼女の名は ヘレンケラー

彼女の存在が、どれほど世界中の人に、愛の力をおよぼしたか、

どれほど多くの人々を救ったか、

ですが、このお話は、そのヘレンケラーのことではなく、 

ニュー・イングランドにある精神病院で働く名も知れぬ、

普通のお掃除のおばさんのお話なのです。

彼女の働く病院の地下室には、「緊張型精神分裂病」と診断された 

10歳の少女の患者がいました。

何に対しても、反応を示さず、ただ暗い地下室のベットに、うずくまっているだけ。

少女は、もう回復の見込みはないと考えられていました。

世界から見放され、一言も話すことなく、胎児のように、丸まったまま、

決して動こうとはしなかったのです。

以前はとても可愛らしい少女だったのですが、いまや、日々やせ衰えていくばかり。

彼女は、そんな少女の個室のまわりを、毎日掃除をしに、やってきました。

そして、ドアの下のすきまから、食事をホウキの柄で、中に押し込みます。

彼女にも同じくらいの歳の娘がいたせいか、少女を不憫に思いますが・・

そこはただの掃除婦、何もしてあげることはできません。

そこで彼女は、せめてそこを去る前に、うずくまる少女の肩をホウキの先で、

そっとつついてあげることにしました。

「ねえ、あなたは一人じゃないんだよ! 

少なくとも、ここにあなたを気にかけている人間がいるんだよ」 

そういう思いを、伝えたかったのです。

掃除のおばさんには、この程度のことしかできませんでした。

ほんの小さな愛の実践です。

ホウキの先ほどの・・・そんなことしかできませんでした。

でも、その程度のことしかできなくても、ただただ、伝えたかったのです。

だから、くる日もくる日も、彼女はホウキの先で、

その少女を、優しくつつき続けました。

そして、何週間か経ったある日のこと、小さな変化が起こりました。

ただ死を待つばかりだった少女が、

なんと自分の手で食事を受け取るようになったのです。

さらに時が経つにつれ、少女は座ることもできるようになり、

掃除婦のおばさんと話をすることまで、できるようになったのです!

こんなことって、ありえるのでしょうか?

偉いお医者たちでも、完全にお手上げだったのに?

こうして少女は、やがて奇蹟ともいえる回復をとげることができたのです。

それから何年か経った、あるうららかな春の日。

その精神病院の院長は、アラバマ州のひとりの紳士から、ある依頼を受けました。

その紳士のお子さんが重度の障害児で、世話をしてくれる人を探しているというのです。

その頃、あの奇跡的な回復をとげた少女は、20歳を過ぎていました。

院長は、自信をもって、その彼女を、紳士に紹介しました。

彼女の名は、アニー・サリバン。

そう、ヘレン・ケラーの偉業を生みだした教師です!

地下室で、ただ死を待つしかなかった、あの少女です。 

それは 小さな種だけど、小さきものが、種となりて、

多くの豊かな愛の花を咲かせている。

その有名な人の、その元の元になるお方が、名も無きお人が、きっといる。 

ヘレン・ケラーを世に出さしめたアニー・サリバン女史。

そのアニーサリバン女史を世に送ったのは、なんと一本のほうきで愛を伝えた、 

掃除のおばさんでした。 

<転載終了>

今あなたは、目の前の人に関心を持って接していますか?

「ねえ、あなたは一人じゃないんだよ! 

少なくとも、ここに、あなたを気にかけている人間がいるんだよ」

そんな思いを伝えていますか?

ほんの小さなことでも、自分の出来る愛を尽くしていらっしゃいますか?

三重苦を克服したヘレンケラーは、世界中の人に、愛の力を及ぼしました。

そして、苦しみの中に泣いている多くの人を救いました。

そして、そのヘレンケラーにつきっきりで愛を注いだ人が、サリバン先生でした。

サリバン先生の大きな愛により、ヘレンは、症状は改善することがなくとも、

人生に希望を見出し、自分の中に、神様を見つけたのでした。

そして、そのサリバン先生が、「緊張型精神分裂病」という病気で、

暗い地下室で一人隔離されていた時に、

愛を届けてくれたのが、一人の掃除のおばさんだったのです。

まさに、これが神様のやり方です。

小さな小さな身近な思いやり、愛が繋がって、大きな大きな愛に育ちました。

その結果、沢山の方が光に包まれました。

神様に触れることができました。

もちろんヘレンやサリバン先生の、強い精神の力もあったことでしょう。

ですが彼女たちは、一時は見捨てられ、絶望の淵、死の間際に居たのです。

そこに神様の息吹を吹き込んだのは、1本のホウキによる、小さな、小さな愛でした。

私たちは、自分が当事者で、苦労の渦中にあると、

どうしても自分のことしか見えません。

その苦しい現象しか見えません。

ですが「ピンチはチャンス」と言う通り、神様は、その苦労の後ろにこそ、 

大きな大きなプレゼントを用意して待っています。

それは苦しい環境に対する、不平、不満、愚痴、呪いの言葉ではありません。

そのような状況下であっても、 他人に対する、

優しさ、思いやり、感謝の気持ち、 「ありがとう」の気持ちです。

それに気付いた時、苦労が大きかった分、 

きっと大きな大きな、愛と幸せに包まれることでしょう。

それが神様のなさり方です。

<エピローグ>

サリバン先生が幼いヘレン・ケラ-をひざの上に乗せて、 

「愛とは何ですか?」 と質問しました。

三重苦の彼女にとって、抽象的な概念を理解するのは難しいことでしたが、 

その時ヘレンはこう答えたそうです。

「サリバン先生が初めて私の家に来てくださった時、

私の頭の上に何か温かいものが流れ落ちました。 

それが愛です。」

サリバン先生が、ヘレンの上に流した涙は、

石のように頑なになっていたヘレンの心を砕き、 

氷のように冷え切っていた、彼女の心をとかしたのです。

どんな力や権威でも、また、どんな知識や能力、医学や技術でも、

どうすることもできなかった、ヘレンの心の戸を開いたのは愛でした。