2024年11月12日火曜日

3609「マシュー君のメッセージ」2024.11.12

 今回は玄のリモ農園ダイアリーの2024年11月1日の記事を紹介します。


「マシュー君のメッセージ(215)」

 


玄のリモ農園ダイアリー

光対闇の地球での戦いの終わり、ボランティアの役割、恐れの影響、光の勢力、記憶“喪失“、魂の特別な治療・癒し・カルマ


マシューです。この宇宙領域にいるすべての魂から心からのご挨拶をします。宇宙の至高の存在である創造主は、すべての魂に、その愛と光のエネルギーを使って、想像できるものなら何でも共同創造するという自由意志の贈り物を授けました。


畏敬の念を込めて神(God)などと呼ばれるこの宇宙の至高の存在は、その贈り物を自分の領域で用いて、喜びにあふれ、健康で、豊かで、スピリチュアルにも意識レベルにも目覚め、驚くべき天賦のパワーを持つ魂を顕現させました。


一部の強い魂が自由意志を行使して、弱い魂の12本のDNA鎖のうち10本を休眠状態にし、神が彼らに授けた素晴らしい資質や能力をすべて排除するマトリックスの中に、その弱った魂を閉じ込めました。こうして、光の勢力と闇の勢力との宇宙規模の戦いが始まり、以来それは激しさを増しているのです。


このマトリックスを、地球上の活動を映し出す地球の潜在的可能性のエネルギー場の中で固く巻かれた毛糸玉に例えてみましょう。太古の昔から、その糸玉は硬く固定されたままでした。それは、この場での活動が、強力で貪欲で冷酷な人間たちによって次々と文明社会が支配されたことを示しています。


約90年前、莫大な光の流入がその糸玉を緩め、糸玉が解け始めました。その後数十年間、糸玉は解け続け、今日、マトリックスは無数の糸が激しく乱れているにすぎません。その例えは、たとえわずかなものであっても、地球上での宇宙の戦いの終結を表しています。


闇の勢力は分断、欺瞞、腐敗、恐れを使って戦います。光の勢力は愛のパワーだけを使い、コンティニュウム(時空連続体)においてはすでに勝利しているのです。あなたたちが目覚めさせる手助けをした魂たちは今、このことを知っており、真実が明らかになるとき、それは彼らとあなたたちのために大いに役立つでしょう。それがいつになるのか、どのような順序で真実が明らかになるのか、僕たちは正確にはわかりませんが、やがてあなたたちが感情的な混乱の渦の中に身を置くことになるのは間違いありません・・あなたたちの地球での旅の最もダイナミックな段階が近づいているのです。


あなたたちは光のメッセンジャーたちから、地球で・・この宇宙で・・この前例のない時を経験したいと願った何十億もの魂の中で、あなたたちが最も強いから選ばれたのだと聞かされてきました。それはお世辞ではなく、事実です!だからこそ、あなたたちの多くが、ホワイトハット、レッドハット、愛国者グループ、あるいはジャーナリスト、科学者、内部告発者、潜入捜査官といった、いわば前線の塹壕の中にいるのです。そしてあなたたち全員が、すべての善なる活動や行動の根底にある光を放射し、支えているのです。愛する兄弟姉妹たち、あなたたちにはそのパワーがあるのです!


「マシューは、まるで恐れが常にネガティブなものであるかのように、よく「恐れ知らずであれ」と言います。恐れがアドレナリンを分泌させ、自分や他人の命を救うときはどうなのでしょう?」


人命を救うために危険に真っ向から飛び込む原動力となるのは、恐れではなく、恐れを抱かないことです。


恐れは心を麻痺させます。 迅速な行動が必要なときに味方となるのは、明晰な思考と常識です。でも、サバイバルテクニックを知っていることの意義を見過ごしているわけではありません。消防士が燃えているビルに駆け込み、炎に巻き込まれた人を運び出す原動力となるのは恐れではないし、沿岸警備隊員が溺れている人を救助するために極寒の海に飛び込むのも恐れからではありません・・これらの救助隊員は、勇気をもって行動するだけでなく、知識に基づいて適切に行動するのです。


例えば、事故車両に閉じ込められた見知らぬ人や、倒れて立ち上がろうともがく人を助けようとするのは、恐怖心からではありません。彼らは助けが必要であることを理解し、その反応は心(ハート)からのものなのです。


良心、本能、直感は魂の成分であり、自然な反応で す。恐れは後天的な感覚であり、子供たちに教え込まれるか、あるいは観察によって学ぶものです。保護者のみなさんは、模範と指導によって、恐れではなく、安全対策と予防策を子供たちに教えてください!


恐れは最も低い振動数帯の波動エネルギーを持つ、非常に増幅された感情であるだけでなく、伝染します。人が現在の、あるいは差し迫った状況、あるいは「もしも...」という事態を恐れるとき、その強いエネルギーが近くにいる人に流れ、その人もまた恐れの感覚を持つようになります。


そして、恐れは闇の者たちの燃料源であり、おそらく最も効果的な手段なのです。彼らの生存には、低振動数エネルギーの継続的な供給が必要なのです。だから彼らは、人々に広範な恐れを引き起こすような状況を作り出し、その人々の反応によって低振動数エネルギーが供給され、その状況を作り出す者たちを支えているのです。


その悪循環には、宇宙の引き寄せの法則が関わっています。恐れに付着したエネルギーの流れが集合意識に注ぎ込まれ、一致するエネルギーを持つ状況を探し出し、それらを地球に持ち帰ることで、恐れに満ちた状況が長く続くことになるのです。


愛する魂たち、恐れ知らずにいてください!


「アメリカ大統領選の勝者は世界にポジティブな変化をもたらしますか?」


 選挙の勝者やその他の個人が、ポジティブな変化をもたらすというのは正確ではないでしょう。あなたたちの世界をより良く変化させる道筋は、光の勢力・・ボランティア、“ハット”のような他のライトワーカー、地球外特殊部隊のメンバー、神性な生き方をしているすべての人、光を放つはるか遠くから光を送っている宇宙文明社会人・・と、善に基づくすべての活動を後押ししている上昇し続ける波動エネルギーによって切り開かれてきました。


一般大衆は光の勢力について何も知りませんし、ましてや波動エネルギーについて考えるとは思えません。しかし、これらの強力な勢力は、すべての選挙やその他の国政問題、そしてその余波において主要な役割を担っています。世界のどこかで永続性を得るものは、すべて光と調和したものであり、卑しい意図を持つものは、ほんのつかの間か、決して立ち上がることはありません。


「記憶が抜け落ちていくのは明らかで、認知症はもはや議論の余地はありません。マシューに、失われた記憶を回復させるテクノロジーはいつできるのか聞いてください」 


認知症への懸念を和らげるのは話が飛躍してしまうので、まず記憶力の低下について話しましょう。お母さん、このトピックに関する箇所を探して、ここにコピーしてください。


[サミンテンが記憶喪失について語ったのは、マシューブック『新しい時代への輝き』の中の“サミンテン”の章となった、2003年の私たちの長い対話のひとつだった。彼の高度に進化した文明社会は、統一意識が非常に満たされた魂の集合体であり、魂の精神的、感情的な個別化は存在しない。]


あなたたちは、あっという間に過ぎていくように見える時間の喪失を嘆き、もうひとつの喪失は記憶だと嘆くのです。愛する魂たち、3次元の意識のこれらの側面はどちらも失われてはいません。“時間”は、1日24時間、1年12ヶ月など、あなたたちが決めたようなものではありません。それはあなたたちによく役立ってきましたが、もはやそのようなことは起こっていません。エネルギーがより軽い密度のスピードで動いているので、あなたたちの時間構造は崩壊しつつあります。そして光と闇の時間がより速いスピードでやってきています。ですから時間が失われるどころか、むしろスピードアップしているのです。


多くの人が“なくなった”と言う記憶は、実際には消えていません。宇宙のあらゆるものが加速している今、あなたたちの身体の細胞が、より高い生存モードに引き上げられるよう反応しているのは自然なことです。何よりも、これはあなたの脳・・思考と理性のプロセスをオンにするコンピュータ・・に影響を及ぼしており、これは必要なことなのです!光があなたたちの細胞に吸収されることで、あなたたちの脳は、完全な機能を否定してきた物忘れやプログラミングの層を取り除くことができるでしょう。


もしあなたたちが記憶喪失や思考が散漫になる感覚を経験していないなら、あなたたちは地球の状態がそう長くは続かないであろう第3密度の中で身動きがとれなくなっているのです。ですから、日々の現実や環境にあまりしっかりとつながっていないと感じることが望ましいのです。


ありがとう、お母さん。記憶が定かでないことはごく当たり前のことで、サミンテンの説明は多くの人の心をホッとさせることでしょう。


「悪魔の儀式や “気象兵器戦争 ”による死にはカルマが関係しているのでしょうか?」


 最初に言っておきますが、過去数十年間、地球のカルマのメリーゴーランドは減速しており、現在はほとんど動いていません。個人的なアセンションのプロセスの現時点では、数回の生涯の間に段階的にではなく、今生ですべてのカルマの学習を完了することを選んだほとんどすべての人が、多くの場合、思いやりのある魂たちの愛情深い援助を受けながらではありますが、ゴールに近づいており、多くの人がすでに霊界に移行しています。ですから、カルマの学習として、質問された方法による死を選ぶことは、特に若者にとっては極めてまれなことでしょう。


悪魔崇拝や気象兵器戦争による災害によって、いつ、どのように死ぬかを選ばなかった大人たちは、ニルヴァーナのヒーリングセンターで、メディカルアシスタントが常に付き添いながら、その人に合った治療を受けることになります。エーテル体が丈夫になり、精神が癒されると、その人たちは進化のステータス向上を授けられ、ニルヴァーナでより高いレベルへと昇格します。そこでは、居住地、アメニティ、カプセル化された気象エリア、宇宙領域内の移動手段などの選択肢が増えます。


10代前半までの幼い子どもたちも、傷ついた身体と精神のために各々に合った治療を受けます。回復の過程では、一人ひとりが専属の世話人によって愛情深く看護され、訓練を受けたカウンセラーが、その後の転生における細胞記憶の影響を軽減するように設計された特別なエクササイズやアクティビティ、年齢に応じたクラスを行います。


闇がこの宇宙に入って間もなく始まった悪魔崇拝の儀式に使われた乳幼児の治療には、神の恩寵が入ってきます。特別な治療を受けなければ、そのような幼少時の精神的・肉体的外傷は、20回もの転生にわたって細胞の記憶に残る可能性があり、そのような恐怖に悩まされることを進んで選ぶ魂はいません。そのため、はるか昔、悪魔崇拝の最も若い犠牲者のために独自の世界が設立されました。


赤ちゃんや小さな子供たちは、専門医が細胞の記憶を優しく癒す間、人懐っこい動物仲間とともに楽しい部屋で暮らします。そのプロセスが1年であろうと100年であろうと、小さな住人たちは歳をとりません・・歳をとれば細胞は変化し、その影響は環境に 致命的な毒素を放出するようなものだからです。


精神と肉体が癒やされると、魂は感謝のお祝いをします。その後、小さな肉体を非物質化し、最小限の意識しか持たない幼児のための肉体を作ります。新しい魂が死を迎えるのは、安全で大切にされていると感じる、短くて優しい経験です。元の魂の二番目のパーソネージ(人格)は、より多くの意識を持ち、もう少し長く生きます。そして、その後につづく転生における魂は、知性、判断力、成長を経験する度合いを増していきます。徐々に “正常な ”寿命に戻ることで、細胞記憶の影響は減少し、その人の人生に与える影響は 最小限のサブリミナル的なものになります。


邪悪な行為によってそのような苦しみと死を引き起こした者は、第3密度の世界で非常に過酷な生涯を何度か送るか、密度が生涯のエネルギーと一致する極小のオーブに閉じ込められるか、すべての魂が始まりをもつ創造主の元に再吸収されるかのカルマを負うことになります。


さらに付け加えると、ニルヴァーナは地球とともに順次軽いエネルギー領域へとアセンションを続けますが、そのオーブはそうなりません。地球人類がすべて4次元の進化レベルを遂げたとき、オーブの住人は3次元文明の霊界の同じような高密度の前哨基地に移され、オーブのエネルギーは光の注入によって中和された後、宇宙のエネルギープールのひとつに戻されます。


闇の人間たちの非人道的な行為についての真実を明らかにすることは、すべての魂と地球自身が癒され前進することを可能にする、惑星浄化の一部です。愛する地球ファミリー、ただ存在することで、あなたたちは癒しをもたらす愛と光のパワーの源となるのです。


この宇宙のすべての光の存在が、あなたたちの揺るぎないミッション遂行を讃え、無条件の愛であなたたちを支えています。

_________________

愛と平和を

スザンヌ・ワード著

原文:Matthew’s Messages

訳文責:森田玄


2024年11月11日月曜日

3608「負けるが勝ち」2024.11.11

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月31日の記事を紹介します。


「負けるが勝ち」


さて今日は、萩本欽一さんのお話をご紹介します。

「負けるが勝ち」というテーマです。 

欽ちゃんは、いつも易しい言葉で、大切なことを、分かりやすく伝えてくれます。 

私たちが幸せになるための方法です。

<引用開始> 引用元

「負けるが勝ち」

よくこう言いますよね。僕もそう信じています。

でも、なんで負けるほうが勝ちなんだと思いますか?

僕なりの理由はこう。

負けたほうが運がたまるから

誰も必ず人と意見が衝突することがあるけれど、 

そういうとき「自分のほうが正しい」とか

議論に勝ちたい」って、つい思っちゃいますよね。

でも、そう思ったら負け。

勝とうとすると自分の運が減っていくんです。

カッとなって「てめえ、ばか野郎!」なんて相手に言うと、

それだけで運が10ポイントも減点されちゃう。

「てめえ」でマイナス2ポイント、「ばか野郎」で8ポイントの減点。

売り言葉に買い言葉で1時間も相手を罵っていると、

それだけで2000~3000ポイントも運が減ります。

このマイナス分は、なかなか取り戻せないですよ。

だから言い合いになったときは、自分が正しくないかということより、

運を減らさないことを大事に考えたほうがいいの。

相手が「てめえ、ばか野郎!」と言ってきたら、 

「あ~あ、あの人、自分の運を減らしちゃったよ、

その分をこっちがもらっちゃおうかな」と心の中で考えるの。

具体的な方法はどうすればいいかというと、謝っちゃうんです。

「そうか、悪かったね」とか、

「ごめん、君の言う通りだよ」って言えばいい。

えっ、そんなの悔しい?

そう、悔しいよね。

自分が謝る場面じゃないのに

「悪かったね」なんて言うと、損したような気がする。

でも、そのときあなたには、

相手が失った10ポイントの運がたまっています。

気持ちで損をするのと、運が10ポイントたまるのと、

どっちをとるかっていったら、運がたまるほうがいいでしょ?

こうやって少しずつ運のポイントをためていれば、

宝くじだって当たるかもしれないしね。

もう一つ大事なのは、 

自分が一歩引くことによって、

相手に嫌われるのを避けられるっていうこと。

人に嫌われないっていうことは、すごく運になるの。

それでまた10ポイントついてくる。

人生って結局、

運をどれだけためられるかっていう勝負なんです。

だから、そのほかの勝負で勝とうなんて思わなくていいの。

 

だからバ~ンと言われても、ぐっとこらえて言い返さない。

負けるが勝ち

いや、我慢していい言葉を返していくとポイントが

次々に加算されるから「負けるが勝ち、勝ち、勝ち」だね。

勝ち、勝ち、勝ちって、火打石がカチッ、カチッ、カチッと鳴って

火がポッポッポッとつくようで景気もいいでしょ。

今の日本では、運をなくしている人が多いですよね。

これもみんなが怒りっぽくなってることと関係あるんじゃないかな。

これからは相手に一歩譲る人になって、小さな運を少しずつためていきましょう。 

<引用終了>

 

さすが欽ちゃん、良いお話ですね。 

・イライラしたり

・モヤモヤしたり

・怒ったり 

そうすることで確実に、自分の運気を減らしているのだそうです。 

もちろん、私たちは、人の中で暮らしていますから、 

時には、イライラしたりするかもしれません。

それは、当たり前のことです。 

ですが、そこにいつまでもしがみつかず、

直ぐに、別の楽しいことに 頭を切り替えて、

その原因となったものにエネルギーを与えない事。 

ずっと、考え続けなければ、

その出来事、人に、エネルギーを与えることはありません。 

その結果、いつの間にか、記憶のかなたに消え去っていくことでしょう。 

心を汚すことを避けることができるでしょう。 

また

・楽しいこと

・美しいこと

・優しいこと 

そんなもので心を満つことができるでしょう。 

心の状態こそが、全ての現実を作り出します。 

負けるが勝ち、、、

幸せな人生のための 王道かもしれませんね。



2024年11月10日日曜日

3607「第一志望の道」2024.11.10

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月29日の記事を紹介します。


「第一志望の道」


今日は「置かれた場所で咲きなさい」で有名な、渡辺和子さんのお言葉をご紹介します。

テーマは、私たちが望むものが、一番良いものではなく、

神様は私たちの「願ったもの」よりも、

私たちの幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださるというお話です。 

<引用開始> 引用元

・いつもにっこり笑うこと。

・人の身になって思うこと。

・自分の顔を恥じないこと。

この「3 つの化粧品」は、

・お金がいらない、

・使っても減らない、

・使えば使うほど質がよくなる、

・どこへでも持っていける。

・そしてアンチエイジング、

つまり、年をとらないために、とても大事な「化粧品」だと思います。

どんなに忙しくても、いや、むしろ、忙しいからこそ、

一日の中、5分でも、10分でも静かな時間、

一見「無駄な時間」をつくらなくてはいけないのです。

いつまでもおぼえていたら、とても辛いだろうと思ういろいろなことを、 

ありがたいことに私たちは忘れることができる。  

そして、時間というお薬があるんです。 

「自分と仲良く生きる」といい。

好きな自分と四六時中一緒にいる人は、自然と笑顔が多くなり、

言葉から刺がなくなり、相手の言葉をふんわりと

受け止めることができるようになるから不思議です。

今という瞬間は、

・今を先立つわたしの歴史の集大成であると同時に、

・今をどう生きるか、次の自分を決定するということです。

人生は点のつながりとして一つの線であって、遊離した今というものはなく、 

過去とつながり、そして未来とつながっているわけです。

神様は私たちの「願ったもの」よりも、

幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。

それは必ずしも、自分が欲しくないものかもしれません。

しかしすべて必要なものなのだと、感謝して謙虚に受け入れることが大切です。

人生はいつもいつも第一志望ばかりを歩けるものではありません。 

そして必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、 

自分にとって最良と言えないことだってあるのです。 

<引用終了> 

このブログでは、毎回、 

・不思議系のお話

・霊のお話、

・目に見えない世界のお話 

ではなく、心の浄化に重点を置いたテーマで書いています。

大変に地味です。 

月刊ムーに出てくるような不思議な話や、本当にあった怖い話のような話は、 

ワクワクして好奇心をそそるもので、楽しいものですが、

心の洗濯のお話は、地味です。

ですが、「地球の転換期」と言われる今、昔のように平時とは異なり、 

私たち自身の意識的な心の浄化が急務な課題と思われます。

次元降下と次元上昇が、

それぞれの心の状態によって同時に起こっていると言われるからです。 

岡本天明が下した神示、(国之常立神(くにのとこたちのかみ))には、

下記のようなことが書かれているそうです。

・またたきの間に天地引っ繰り返るような大騒動が出来るから、

 くどう気つけて(=警告して)おくぞ。

 さあという時になりてからでは間に合わんぞ。

 用意なされよ。(ひふみ神示・下つ巻第28条)

・大峠となりてからでは、いくら「改心します」と申しても、

 「許してくれ」と申しても、許すことはできん。(ひふみ神示・ウメの巻第6条)

私たちの日々の生活の中で、

起きてくる様々な現象は、全て神様が起こしてくださっています。 

渡辺和子さんが仰るように 

神様は私たちの「願ったもの」よりも、

幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。 

・電車に乗り遅れることも

・リストラに会うことも

・誰かとけんかすることも

・病気になることも

・事故に遭うことも

・誰かと別れることも

全部、私たちの幸せを増すのに「必要なもの」を神様が与えてくださったものです。 

長い目で見たら、後で振り返ってみたら、 

その無駄だと思った出来事、嫌なことだと思った、その出来事が、 

必ず、人生の良き方向へのターニングポイントだったと分かるはずです。

このように神様に対する絶対的な信頼感で、日々の出来事を見てみると 

全ての出来事が感謝の種になってきます。

感謝の心さえ、起こってくれば、

神々の恩寵が、光のように降り注ぐことでしょう。

何故なら、神々の恩寵は「感謝の心」を媒介して起こるからです。


2024年11月9日土曜日

3606「神々の望む生き2024.11.9

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月27日の記事を紹介します。


「神々の望む生き方」


イエスがゴルゴダで亡くなるまで、たった3年間でしたが、民衆に教えを説きました。 

その後、バチカンを中心に教会が作られ宗教が作られましたが、 イエス自身は、クリスチャンでもなかったし、宗教を起こそうとしたわけでは、ありません。 

ただ、民度の低かった人々に、自分たちの内なる神さまの存在を説き、 

どうしたら、みんなが幸せに、笑顔で暮らしていけるか? 

その方法を説いたのでした。 


イエスの最後の3年間、聖書を書いた弟子たちが

様々なエピソードを、それぞれの視点から書きました。 

ヨハネなどは、その中でも、できるだけ人々の心の中に、依存心を起こさせないよう、 

他人や、奇跡に頼らないように、極力、奇跡に関する記述を排除しました。 

またイエス自身も、下記のようなことを仰っいました。

 

イエスの語る、

全ての良きこと、そして行った奇跡は 

イエス自身の力ではなく、

全ては神さまから来ているのである

イエス、つまり自分自身は、全く無力であり、

単なる、その通り道、導管にすぎない。 

もし、誰かが、他人に頼ることなく、依存することなく、 

自分の内に居らっしゃる神さまと繋がりができたら、

イエス以上に、奇跡を起こし、良きことをするでしょう。 

そのように、自ら表に出ることなく、謙虚に仰いました。 

イエスの説いた教えの中で「黄金律」と呼ばれるものがあります。 

大変シンプルなものです。

そして、それこそが、 

・イエスが人々に教えたかったこと

・実践して欲しかったことのエッセンスです。 

日々の暮らしの中で、私たちができる最善のことは、

イエスの仰った「黄金律」の中で述べられています。 

イエスは、こう仰いました

 

人にしてもらいたいと思うことを、人にして差し上げなさい。

 

たったこれだけです。 

とてもシンプルです。 

ですが、これがイエスが、最後の3年間に説いたことのエッセンスです。 

人が、何をして欲しいと願っているのか? 

・想像力を働かせる必要があります。

・人の気持ちに寄りそう必要があります。 

もしかしたら、同じ悩み、苦しみを経験してきた人の方が,相手の方の気持ちを理解し、寄りそえるかもしれません。 

いままで成功し続け、身体が健康で、お金の不自由をしたこともない人には

相手の方に寄りそうこともできないかもしれません。 

気持ちを理解することもできないかもしれません。 

それだけでも、今私たちの置かれている 

・悲しみ、

・苦しみ

の苦難の経験は、無駄ではなく,大切な経験であると言えます。 

中間世記憶のある子どもたちが言うように

・両親

・容姿

・病気や健康、

・生きて行く境遇まで、 

生まれる前に神様とともに、自分で計画してきたのですから。。 

またブッダは、生老病死について深く思索し、人間のさまざまな悩み、苦しみの原因について、そして、その解決方法について教えてくださっています。、 

その教えの真髄を、

現在でも、様々な場所で、唱えられる般若心経で教えてくださっています。 

人間が生きて行くなかで,様々な、悲しみや、苦しみが起きる。 

でも、それには一切、色が付いていない。 

色とは、

・良い

・悪い

など、人間が判断し決めつけているものです。 

色が付いていないとは、どんな現象も、良いも、悪いも無いのだよ・・ 

そうブッダは仰いました。

その起こってきた現象に良いとか、悪いとかレッテルを貼り,一喜一憂し、 

悩んだり苦しんだりすることが、色を付け、ジャッジする人間の

悩み苦しみの原因になっているんだよと ,般若心経で教えてくださいました。 

とは言っても、私たちは生身の人間,どうしても、感情が揺さぶられます。 

でも決して、それが悪いことではないのですが、いつまでも引きづり、不平不満、

愚痴の種にしてしまうのが、いけないようです。

産婦人科医 池川明先生の大規模な調査の結果、小さな子供たちの 実に1/3に、生まれる前の記憶、つまり中間世の記憶があるそうです。(段々と薄らいでいくようですが) 

その記憶を持つ子供たちの証言に寄れば

健康な身体、病弱な身体・・ 

それらも生まれる前に神さまと相談して、自分で申告してから生まれてくるそうです。 

つまり、その経験をすることによって魂を進化させるためです。

言いかえれば、感謝の気持ちを理解できるようにするためです。 

私たち人間は健康であったり、豊かであると、どうしても、その状態が、「当たり前」であり、有難いことであるとは、全く思いません。

目の見えない友人(犬)のためにできること・・

ですが、病気になって見れば、健康だった時、どんなに幸せだったか・・ 

空腹で、飢餓状態の時に、一つの塩おにぎりが、どんなにおいしいことか?

貧乏のどん底に落ちた時、100円玉、500円玉が、どんなに有難いか、理解できます。 

今まで、「当たり前」で、「有難いこと」などと思ってもいなかった状態が、どんなに「有難く」、幸せな状態だったかが分かります。 

当たり前の状態に、感謝することができます。 

神道では、神々の恩寵は、誰にでも平等に注いでいるが、それが実際に現れる人、現われない人の差が出るのは、感謝の心が、あるかないか、そこに尽きると 言われます。 

ですから、人生で起こってくる様々な艱難苦難は、長い長いスパンで見れば、私たちに、

・本当の幸せとは何か?

・感謝の気持ちとは何か?

・お互いさまの気持ちとは何か?

・お陰さまの気持ちとは何か? 

そして、そこから湧き起こってくる、周りの人々との、協調、調和、相互理解、助け合い、思いやり、、そんな気持ちまで発展させてくれる、尊いものです。 

最後に、相田みつをさんの「仏の教え」についてご紹介して終わりにします。


「ほとけさまの教えとはなんですか?」

ゆうびん屋さんが困らないようにね 

手紙の宛名を分かりやすく 正確に書くことだよ

「なんだ、そんなあたりまえのことですか」

そうだよ そのあたりまえのことを

こころをこめて 実行してゆくことだよ

イエスの黄金律と全く同じですね。 

私たちは何か

・特別な誰かに頼らなくても

・特別なことをしなくとも、

・特別な場所へ行かなくとも

・特別な能力などなくとも

周りの方々を思いやり、助け合って感謝の心で日々暮らしていくことが 

神々の本当に望んでいる姿のようです。




2024年11月8日金曜日

3605「悪口と噂話」2024.11.8

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月26日の記事を紹介します。


「悪口と噂話」

今日は「悪口と噂話」というお話です。 

悪口や噂話、人を貶めるような話を

ブッダやイエス、空海や良寛さんは口にしていたでしょうか? 

私たちの心は、大変重要です。 

人の心は、見える世界、見えない世界までも包括してしまうほど

大きくて、大切な世界です。 

心の状態が、私たちの生きる現実を作り、そして変えてしまいます。 

今日は、その心を、無意識のうちに真っ黒く、蝕んでしまう 

悪口や告げ口についてです。

まず斎藤一人さんの「悪口」についてご紹介します。

<転載開始> 転載元

 

今日は「悪口と噂話」という話をします。 

こういうことは、最近相談される事が多いんだけど、 

ちょっとこのことを知っておくだけで、自分の気持ちが楽になるという話をします。

別に信じたくない人は信じなくていいからね。では、いきますよ。

言葉というのは、 

たった一言で人に夢と希望を与えることもできるし、

たった一言で人の傷つく言葉をいうこともできます。

地獄言葉や人の悪口をいっている人がいますが、

そういう人は心の中が、愛の人ではなく、 

憎しみの人

憎しみが心にあふれている人なんです。

・社会を憎んでいる…

・周りを憎んでいる…

・親を憎んでいる…

・自分を憎んでいる…

いずれにしろ、心の中が憎しみでいっぱいだと 

ついつい出る言葉が悪口や地獄言葉になってしまいます。

そういう人の特長は

自分の言ってることが悪口や地獄言葉だと、気がつかない事が多いのです。

なぜなら心が憎しみで覆われているとこぼれるように悪口や地獄言葉が出てしまうのです。

悲しいことだけど、そういう人は知らず知らずのうちに自分の運勢を悪くし、

死んでからも地獄に行く人だとひとりさんは思ってます。

そういう人が周りにいたら大人の対応として、スーッと距離を置くようにしたほうがいいですね。

一回は注意してあげても直らないようなら、

いつまでもかまっていると自分の運勢まで悪くなりますから

離れてあげるのが優しさですよ。

またあなたが悪口や噂話の対象にされたら相手にしないのが一番です。

悪口や噂話をいう人は、とめどなく言い続けるものです。

人は悪いことをすれば 悪い報いがあり、良いことをすれば良い報いがある。

聖書の中の有名な言葉で 「復讐は神の仕事」という言葉があります。

あなたが仇をうたなくても、

神様がちゃんとその人にふさわしいことをしてくれます。

私達は愛のある言葉、天国言葉を話すようにしていれば、

全て神様がうまくやってくれると、ひとりさんは信じてます。

くれぐれも悪口に引きづられて、あなたも悪口や噂話に付き合って、

共に地獄に落ちることはやめましょうね。

<転載終了>

 

ブッダも「悪口」を言われたら、受け取らないようにしなさい。

※反応しないこと、反論しないこと。自分の心の中に入れないこと

と仰っています。

そうすれば、「悪口」はそれを言った人のところに戻るだろう。ということです。

面と向かって言う悪口はまだましですが、最近はネット社会ですから、陰に隠れ、自分とは分からないように匿名を使い、人を陥れるような、卑怯なことをする人も目にするようになりました。

また人の悪口を陰で告げに来る人もいます。

また人にはない不思議な能力や、見えない物が見えると自負する方などで、 

・不吉なこと、

・人を恐怖に陥れるようなこと

・心配させること、

・不安に陥れるようなこと 

をあたかも権威を持つ者のごとく、仰る方もいます。

ですが、そのご自分が言った言葉は、良寛さんの優しい愛語のように

・人を勇気づけますか?

・人に希望を与えますか?

・人の心を明るくしますか?

またコソコソと陰に隠れ、人を陥れるような言葉を投げかけた場合

・人を傷つけ、おとしめ

・相手の人格を攻撃し

・社会的に抹殺しようとします。

・周りの聞いている人を「嫌な気分」にさせます、

また、自分が吐いた「悪口」に同調して集まってくる人もいます。 

波長が同じだからです。

同調し集まってきた人も同じく、相手の方を貶め、傷つける言葉を吐き出します。

最初に「悪口」を言った人は、同調者にも「悪口」を言わせる・・

そのような心、行為を誘引したことになりますから、

良心に対する罪をまた重ねることになります。

例え匿名で隠れてこのような行為をした場合でも、

結果的に自分自身の良心に反した行動をしたことになります。

人をけなし、貶める黒い波動は、自分の心の中に澱(おり)のように沈殿し、 

いつかその人の思考、言葉、行動の端々に顔を出してくることでしょう。

そしてその結果こそが、聖書や一人さんの言う「復讐は神の仕事」の世界です。

言葉は刃物である。

言葉は刃物であるから、道具として とても役立つものでもありますが、

人を傷つけるものでもあります。

相手の方の「鬼心」にフォーカスしないで「仏心」だけを見つめていたいですね。

私たち自身も、良いこともすれば悪いこともしてしまいます。

過ちも犯します。

人を時に誤解することもあります。 

それはお互い様です。許し合うことがとっても大切です。

私達は色んな個性が集う世界に生きています。

自分がそうして欲しいように、他人に対しても、その個性を認め、尊重し、

ブッダが言うようにいつも、笑顔で、愛のある思いやりのある言葉を使いたいものですね。

相手の良きところを見て、いつも笑顔でいたいですね。

皆さんがご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、お幸せになれますように。


2024年11月7日木曜日

3604「ウイルス対策としては「何もしない」のが最善」2024.11.7

 今回はIn Deepさんの2024年10月30日の記事を紹介します。

人体は「全身が異物への防御壁として機能するメカニズムを持つ」のだから、ウイルス対策としては「何もしない」のが最善であることの説明 - In Deep


「人体は「全身が異物への防御壁として機能するメカニズムを持つ」のだから、ウイルス対策としては「何もしない」のが最善であることの説明」

 

ウイルスとバクテリアへの恐怖症候群

前回、子どもの免疫を発達させるには、「泥や土で汚れるのが最も効果的」だという医学記事をご紹介しました。

現代社会に広く巣くっている「過度な衛生観念」に関しての問題点は、過去(ほぼコロナ前)に何度もご紹介させていただいています。

2010年にピューリッツァー賞を受賞しているニューヨークタイムズの記者の「私たちの環境は衛生的すぎる」という長編記事を 2019年4月のこちらの記事で紹介しています。その記者は、さまざまなインタビューや過去のデータから記事を書き上げていましたが、その中に出てくるアメリカの医師は以下のようなことまで言っています。

デンバーの皮膚科の医師であるメグ・レモン博士は、以下のように述べている。

「床に食べ物を落としたなら、それを拾って食べてください」

「抗菌作用のある石鹸をご家庭から排除して下さい。子どもたちに予防接種を受けさせるのは問題ありません。ただし、その場合、子どもたちは汚いものを口に入れる生活習慣をしている必要があります」

より良い免疫システムを獲得するのためのレモン博士の処方はこれだけでは終わらない。

「鼻はほじるだけでなく、ほじったものを食べるべきです」とレモン博士は言うのだ。

indeep.jp

アメリカでは 1900年代初頭から「消毒ライフ」が定着していったようですが、消毒の拡大と共に、いかにアレルギーが拡大していったかなども記しています。

この中にあるギャラップ社の世論調査によると、これは 1998年の調査ですが、アメリカ人たちは以下のように考えていたとあります。

1998年のギャラップ社の世論調査より

1998年のギャラップ世論調査によると、アメリカの成人の 66%がウイルスや細菌を心配していると答え、40%が「これらの微生物が蔓延していると考えている」と述べた。 26%が、身体と皮膚をウイルスや細菌から保護することが必要だと考えていた。

これが最近なら、もっと高い比率だと思われますが、こういう土壌があったからこそ、パンデミック中の過剰な衛生行動も比較的すみやかに広がったのだと思われます。

日本人も、このウイルスや細菌への過剰反応指数は相当な率だと思われますけれど、これらの行動は「結果として、特に子どもたちの免疫力を落としている」ことは、前回の記事で書いた通りです。

また、米シカゴ大学の微生物生態系の科学者であるジャック・ギルバート教授という人の主張について、こちらの記事で書いていますが、ギルバート教授は、明確に以下のように述べています。

質問:親たちの考えや行動で間違っていることは何ですか?

ギルバート教授:間違ったことのひとつは、住んでいる環境を過度に消毒、滅菌してしまうことです。これによって、子どもたちは病原菌で汚れてしまうことができなくなってしまうのです。

また、裏庭で外遊びをして泥がついた時に、すぐに汚れを洗い流し、殺菌して、顔からも手からも汚れを排除してしまうことがありますが、それも同じように良くはありません。

質問:手の消毒剤はどうですか?

ギルバート教授:通常は良くありません。殺菌作用のない石鹸水は大丈夫です。普通の石鹸なら、子どもの健康に与えるダメージはそれほど大きくはありません。

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indeep.jp

これは今から 7年前の記事で、その後、コロナの渦中でもギルバート教授が同じ発言をしていたかどうかは不明ですが、どんなことであっても「基本は同じ」はずです。

特に子どもは、あらゆるウイルスや細菌に暴露され続けていなければ、免疫の発達がなされないわけですけれど、

「そもそも、人体には強力な異物へのバリアが備わっている」

という驚異的なシステムを、現代の人たちはあまり重視しません。ただボーッとしているだけでも、私たちの体は、ウイルスや細菌を相当防いでいるのです。

そのことを私たちは「忘れさせられてしまっている」ように思います。

それについて少し書かせていただきます。


全身に抗菌メカニズムを持つ人類という存在

コロナ時代でいえば、たとえば「マスク」というのは常に議論の対象になってきましたが、ちょっと前の記事のフタル酸エステルとマスクについての関係など「有害性」のことはともかくとして、マスクは、

「人体構造から見て、感染症対策として間違っている」

のです。

たとえば、マスクで覆われるのは、主に「口」と「鼻」だと思います。まあ、かつては、目のあたりまでマスクで塞いでいる人たちもいましたが、口と鼻に、どんな殺菌効果があるかご存じでしょうか。

 

口の殺菌・抗菌作用

これはその大部分が「唾液」に集約されます。

以下は、米メリーランド大学の研究者たちによる 2019年の「唾液の力:抗菌作用とその先」という論文からです。

論文「唾液の力」より

重要なのは、唾液には過酸化水素、ラクトフェリン、リゾチームなどの抗菌化合物が豊富に含まれているため、微生物種に対する防御に不可欠であるということだ。

その結果、味覚、咀嚼、嚥下への影響に加えて、唾液分泌の乱れは口腔カンジダ症、歯周病、虫歯、呼吸器感染症などの口腔疾患の頻度を増加させる。

…したがって、唾液には、特に口腔内の微生物、常在菌、病原体に対する防御において、有益な保護特性と治癒特性が無限に蓄積されていることが明らかになっている。

PMC

口に関しては「唾液が最初の抗菌バリア」なのです。

この概要に出てくる、唾液に含まれるという過酸化水素、ラクトフェリン、リゾチームはそれぞれ以下のようなものです。

唾液に含まれるもの

過酸化水素

過酸化水素は、化学式 H2O2 で表される化合物。主に水溶液で扱われる。対象により強力な酸化剤にも還元剤にもなり、殺菌剤、漂白剤として利用される。wikipedia.org

ラクトフェリン

ラクトフェリンは、母乳、涙液、唾液、血液、粘液等の分泌液や好中球に分布する鉄結合性糖タン白質で、感染防御に必要な成分です。ヒトの初乳に特に多く含まれ、乳児におけるウイルスや細菌などの感染を防ぐ重要な成分です。 orthomolecular.jp

リゾチーム

リゾチームは細菌の細胞壁を構成するムコ多糖類を加水分解する酵素(タンパク質)であり、各種の細菌に対し溶菌作用を示します。自然界に広く分布し、卵を始め動物の体液・組織(涙、唾液、鼻汁、血液等)や植物に至るまで広範囲に存在する生体防御物質です。kewpie.co.jp

唾液には「三重のバリア」が築き上げられているわけです。

リゾチームの説明のところに、「涙、唾液、鼻汁、血液等」とありますが、つまり涙や鼻水も「ウイルス等への防御のメカニズム」を内包させていることになります。

大塚製薬のサイトには、「涙の役割」の中のひとつとして以下が書かれています。

感染を防ぐ

目に入った異物は涙によって洗い流されます。また、涙にはリゾチームという殺菌作用をもった物質が含まれており、微生物の侵入や感染を予防する働きをします。otsuka.co.jp

「涙は女の化粧水」という瀬川瑛子さんの歌がありましたが、そんな役割だけではないのです。

ともかく、口では唾液、鼻では鼻水、目では涙、これらすべてが抗菌の作用を常に持っているわけです。そう考えますと、「寒くて乾燥してくると、鼻水や涙が出やすくなる」というのも理にかなった生体の働きだと思います。そういう時期に風邪などが流行しますから。

何より鼻には「鼻毛」があります。

> 鼻毛でウイルスや大きめのほこりはブロックされます。また、粘膜からはネバネバした粘液が出てチリや細菌、ウイルスを絡めとります。 (大阪府豊能町の保健福祉センターのウェブサイトより)

そして、何より重要な「大きなバリア」は「鼻の奥」にあります。

 

強い抗菌作用を持つ一酸化窒素を生産する副鼻腔

これは、2020年11月の「鼻呼吸の不足による「一酸化窒素の消えた人体」の将来」という記事の「鼻呼吸をしないことが極めて人体に悪いメカニズム」というセクションで取り上げていますが、人間は基本的に「鼻呼吸をするのが望ましい」のです。鼻呼吸を主体にしないと、感染症に弱くなるのです。

大人の場合、マスクをしていても鼻呼吸はできるかもしれないですが、小さな子どもでは、マスクをつけての鼻呼吸は事実上無理です。

これも、大阪府豊能町の保健福祉センターのウェブサイトで知ったことですが、アクセスしますと、今はページが存在していませんでしたが、当時は以下のように書かれていました。

殺菌効果:副鼻腔

副鼻腔では常時、一酸化窒素が産生されています。一酸化窒素は殺菌作用があるため、気道を清浄に保ち、病原菌などから体を守ってくれます。さらに、一酸化窒素が肺に運ばれることで、肺と心臓の血液循環の一助にもなります。

一酸化窒素は非常に優れた抗菌作用を持ちます。

本来なら、鼻から息を吸うことで、一酸化窒素を体内に常時取り込み、ウイルスなどの病原体を殺すということになるわけなのですけれど、マスク等による口呼吸が優位になることで、この両方の作用がなくなってしまうわけです。

 

というか、2022年の米ハーバード大学の研究は、もっとストレートで、

「人間は、ただ呼吸するだけでウイルスを殺すメカニズムを持つ」

ことを突き止めています。

こちらの記事に翻訳があります。

> 呼吸の行為が侵入する病原体を殺す免疫応答を生成することを明らかにした

というもので、その効果も著しく、以下のような数字があげられています。

> 呼吸運動にさらされた肺胞チップは、静的チップと比較して、肺胞チャネルのウイルス mRNA が 50%少なく、炎症性サイトカインレベルが大幅に低下していた。

人間は普通に呼吸しているだけで「ウイルスを殺している」のです。

さらには、全身を覆っている皮膚も、全身で抗菌バリアとして機能しています。

以下は、2018年1月18日のプレジデント誌に掲載されていた医学博士の故藤田紘一郎さんのインタビューからです。

2018年1月18日のプレジデントより藤田紘一郎さんの言葉

人間の皮膚には、表皮ブドウ球菌や黄色ブドウ球菌をはじめとする約10種類以上の「皮膚常在菌」という細菌がいて、私たちの皮膚を守ってくれています。

彼らは私たちの健康において、非常に重要な役目を担っています。皮膚常在菌は皮膚から出る脂肪をエサにして、脂肪酸の皮脂膜をつくり出してくれているのです。

この皮脂膜は、弱酸性です。病原体のほとんどは、酸性の場所で生きることができません。つまり、常在菌がつくり出す弱酸性の脂肪酸は、病原体が付着するのを防ぐバリアとして働いているのです。

皮膚を覆う弱酸性のバリアは、感染症から体を守る第一の砦です。

president.jp

ですので、「手を洗いすぎたり消毒しぎたりすると、これらの常在菌の保護作用がなくなる」わけです。すなわち、手の消毒を徹底すればするほど、感染症に対して脆弱になってしまう。

ちなみに、このプレジデントの記事のタイトルは「"手を洗いすぎる"と風邪を引きやすくなる」というものでした。

なお、藤田紘一郎さんが勧める手の洗い方は、

「両手を軽くこすりながら、流水で10秒間流す」

です。

もちろん、石けんは使いません(それをやると元の木阿弥)。

 

このような感じで、人体は全身が抗菌バリアで包まれているのです。

これが、免疫の状態が普通であれば、「何もしない」のが最も望ましいウイルス対策だといえる根拠です。

今は免疫が普通の状態ではない人が多いかもしれませんので、何もしない方法でも何らかの感染症にかかってしまう場合も多いかとも思いますが、社会の免疫状態が「普通」だった頃なら、何にもしないのがベストだったはずです。

しかし、まだ免疫の崩壊に苛まれていない子どもたちの場合は、今後の生活環境で、強い免疫と抗菌防御を獲得できるチャンスはまだまだあると思っています。

・過度な衛生観念からの脱却

・人体の本来の防御機能を損なうことをしない

ということを行うだけでも、強い免疫と防御能力を獲得する子どもたちがたくさん出てくると考えています。

すでに、関東などもずいぶんと寒くなってきまして、これから冬になるにつれて、感染症の流行はますます大きくなっていくと思いますが、「どんな感染症でも対応方法は基本として同じ」はずです。

そして、体内には、さまざまな免疫細胞と共に、V(D)J組換えと言われる驚異のウイルス防御システムも私たち人間は持ちます。

人間にはこれだけ多くの、そして優れた防御壁がそろっているのですから、その素晴らしいメカニズムを信じて、「普通に生活する」ことが大事だと思います。その中でも、風邪を引いたりすることもあるかもしれないですが、それはそれです。

どんなことにしても、外部的な防御ではなく、人間がもともと持つ生体防御のメカニズムを私たち自身がもっと理解して、それを信じるべきだと強く思います。


2024年11月6日水曜日

3603「類は友を呼ぶ」2024.11.6

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月25日の記事を紹介します。


「類は友を呼ぶ」


今日のテーマ「類は友を呼ぶ」です。 

類は友を呼ぶ・・とはどういうことでしょうか? 

趣味や嗜好が似通った者同士は仲良くなりやすい 

そんな意味ではないようです。 

自分が醸し出す雰囲気、オーラ、つまり心の状態、自分が今発している振動数が、 

同じパターンの人は、遠く離れていても、引き寄せられ、集められる。 

固まる、徒党を組む。

友人関係になる。 

そんな意味です。 

それは、自分の今のレベルや程度にちょうど、お似合いの人が近寄って来るということです。

ということは、自分の周りの人々を見渡してみれば、今の自分の心の状態が分かります。 

要するに、今自分に近付いてきてる人は、自分の今のレベル・程度にちょうどお似合いの人が近寄って来るということ。 

ここで小林正観さんのお話をご紹介します。 

<引用開始> 転載元 


すべてが、あなたにちょうどいい

お釈迦(しゃか)さまの言葉に、次のようなものがあります。

すべてが、あなたにちょうどいい。

今のあなたに、今の夫がちょうどいい。

今のあなたに、今の妻がちょうどいい。

今のあなたに、今の親がちょうどいい。

今のあなたに、今の子どもがちょうどいい。

今のあなたに、今の兄弟がちょうどいい。

今のあなたに、今の友人がちょうどいい。

今のあなたに、今の仕事がちょうどいい。

死ぬ日も、あなたにちょうどいい。

すべてが、あなたにちょうどいい。

ビジネスマンの中には、会社や上司、取引先の「悪口」を言う人がいます。

「上司はこうで、取引先はこうで、どうしようもない。

どうしたら、自分の思いどおりになるのか?」

このような質問を受けたとき、私は、次のような話をします。

「あなたの言っていることは、きっと間違っていないのでしょう。 

ですが、あなたはその会社からお給料をもらい、その集団の中で生かされているわけです。 

自分の人生を成り立たせてくれる会社、上司、取引先に対して、平気で悪口や愚痴を言えるあなたは、どうしようもない会社、上司、取引先と同じレベルの『どうしようもない社員』なのではないでしょうか?」

会社や、上司や、取引先が、仮に批判されてもしかたがない状況だったとしても、 

彼らを批判している「私」も、「同じレベル」であるような気がします。

夫婦関係や親子関係でも、 

・うちの夫(妻)は、こんなにつまらない人で……

・うちの親(子ども)は、本当にどうしようもなくて…… 

と文句や愚痴を言う人がいます。

しかし、愚痴を言うということは、「自分の価値をさらけ出している」ことと同じです。 

「どうしようもない親、子、夫、妻」を持つにふさわしい、

「ちょうどいいあなた」がいるのですから。

人の悪口を言わない人には、「悪口を言わないあなた」にちょうどいい 

「悪口を言わない仲間」が集まってきます。

「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」と言い続けていると、 

「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」仲間が集まってきます。

人の悪口ばかり言っている人には、 

「悪口を言うあなた」にちょうどいい、「悪口を言う仲間」が集まってきます。

すべてが、あなたにちょうどいいのです。

「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言い続けると、そのとおりの人生になる

私は講演会などで、たびたび「五戒(ごかい)」について話をします。 

「五戒」とは……、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の5つです。 

「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を口にしないように戒(いまし)めようというのが、私の唱える「五戒」です。

何があっても、「五戒」を言わずに、口から出る言葉がすべて優しく、 

周囲の人を元気づけるものであれば、神様や宇宙を味方につけることができます。

たとえば、信号を渡ろうとして横断歩道にさしかかったとき、ちょうど信号が青に変わる。

買い物をしてお金を支払うとき、小銭入れの1円玉の数がピッタリだった。 

といったことがいつも起きる。

言い換えれば、「ツキを味方にできる」ようになります。

一方で、いつも「五戒」を口にしていると、神様や宇宙を敵にまわしてしまいます。

なにげなく天気の不満を口に出している間は、否定的な論評をする癖がついたままです。

どんなに一所懸命生きているつもりでも、神様や宇宙は味方になってくれません。

人間は、「自分の発した言葉」で自分の人生をつくっています。

「私」の周囲の環境や、自分が立たされた状況は、すべて「自分の発した言葉」によって形成されていきます。

ですから、朝から晩まで、 

「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」と言い続けると、

この言葉をまた言いたくなる現象や出来事に囲まれます。

(私は、「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」の7つの言葉を、七福神ならぬ「祝福神(しゅくふくじん)」と呼んでいます)。

反対に、「五戒」を口にしていると、「ツイていない人生」を送ることになります。

以前、午前2時くらいに、私に電話をしてきた方がいます。

この人は、次のようなことを言いました。

「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言わないでいたのですが、4ヵ月たっても、思いどおりの人生を送れない」

私は、電話口で、こう答えました。

「そういうのを、不平不満と言うのではありませんか?」

宇宙が自分の味方をしてくれない、自分の思いどおりの人生にならないと、嘆く人がいます。ですが、よく考えてみると、「電車に乗った」「電話をかけた」「お茶を飲んだ」「食事をした」といった日常の行動は、すべて自分の意思でそうしたものです。

だとしたら、多くのことが「思いどおりになっている」ではありませんか。

また、こんな話もあります。 

東京に住む70代の女性が、50年間、ことあるごとに同じセリフを言い続けてきたそうです。

「20歳のときに会社を興してもダメで、40歳のときにボランティアグループをつくろうとしたときも人が集まらなかった。 

何かイベントをしようとしても、全部ダメだった。 

私の人生は、何をするにせよ、思いどおりにならなかった」

この女性は、「私の人生は思いどおりにならなかった」と思い違いをしています。 

「全部、思いどおりになっていた。 

全部、言ったとおりになっていた」ことに気がついていません。

自分の発した言葉が、人生をつくります。 

「思いどおりにならない」と言い続けたからこそ、たしかに「思いどおりにならない人生」を送ることになったわけです。

<引用終了>

自分の回りで起こって来ることは、全て自分の発した言葉から起こって来るのだそうです。

「自分の発する言葉」とは、普段私達が考えていること・・ということです。

つまり、私達の置かれた環境とは、私達の意識に丁度良いもので囲まれていると言うことです。

ですから、甲斐性の無い夫も、いつもガミガミと文句を言っている妻も、 

言うことを聞かない反抗的な子供も、怒鳴ってばかりいる上司も、全ては、今の自分に丁度良いから、存在していると言うことです。

もし、幸せな、落ち着いた、思いやりのある環境の中で生きて行きたいなら・・・

「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」と言い続けていると、「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」仲間が集まってきます。

正観さんは、このような言霊を使うことにより、

自分自身がまとう波動と言うか、オーラというか、雰囲気を変えて行くことで、 

それにふさわしい(丁度良い)未来が作られていくと、仰りたかったのだと思います。

貴方は普段、どのような言葉が多いですか?

不平・不満・愚痴・悪口・陰口・恨み・ねたみ・そねみ などの言葉ですか?

それとも、

嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる などの言葉ですか?

その貴方の発した言葉は、 

・回りを元気にしますか、

・勇気づけますか、

・笑顔にしますか?

それとも、その言葉を聞いた、周りの人は、 

・暗く、重苦しい気持ちになりますか?

2024年11月5日火曜日

3602「何に感謝するのか」2024.11.5

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月24日の記事を紹介します。


「何に感謝するのか」


私たちは黄泉の国から来て、この現世(うつしよ)での計画や目的が達成されれば 

再び黄泉の国へと帰っていきます。

神々の世界は黄泉の国。 

黄泉の国は主に国津神が統括しています。

黄泉の国と現世と、循環しながら行き来を繰り返します。 

ですから、私たち人間から見た「死」は、

決して悲しいものではなく、循環の過程でしかありません。

私たちの魂は永遠に存在すると同時に、黄泉の国、そして現世にも存在しますから、 

愛で結ばれた魂にとって、永遠の別れはありません。

必ず再び出会います。 

それでは今日は「何に感謝するのか」というお話です。 

斎藤一人さんもくどいほど仰っていますが、魂的な視野からいうと、

自分に起きるトラブルや問題は

「自分の感謝のなさ」を教えてくれるものとして出てきています。。。 

そうおっしゃっています。 

また神道的には、私たちは「感謝の心」を学ぶために生まれたのだとも言われます。 

何故かと言えば、私たちは魂を、進化させ輝かせ、神々に近づこうと、進化の旅を永遠に続けていますが、そのために、人生のタイムラインに沢山の仕掛けイベントを置いておきます。

それらは、喜怒哀楽、激しく感情を揺さぶりますが、結局は「感謝の心」を学ぶための仕組みです。 

逆のことを言えば、「感謝の心」を得てしまえば、目的は達成されたのですから、

人生の中に、艱難苦難の起こる必要性は、もうなくなります。

従ってそれらは起きないことでしょう。 

神様は無駄なことをしないからです。 

では、そのような観点から、私たち人間の、全ての悩み苦しみに対応できる、

共通の解決方法についてのお話です。

神様や自然界、宇宙からのサポートをふんだんに得るためには 

「感謝」が大切なことなのですが、 

その具体的な方法を、別の角度からご紹介します。

小林正観さんの著作からです。

<転載開始> 転載元

講演会が終わって、初めて二次会に来たという方が私の右隣に座りました。

そして「質問していいですか?」と私に声をかけてきました。

「実は、今日のお話のように、自分はたくさんの幸せを感じ、とても恵まれていて、 

悩み・苦しみがないのですが、一つだけどうしても超えられない悩みがあります。」 

ということでした。

「どんなことですか?」

「実は結婚して十年経つのですけれど、子供ができません。

いろいろなことをしているのですが、どうしても子供ができないのです。

それだけが悩みで、ずーっと悩んで苦しんでいます。

というお話でした。

「そうですか。結婚して十年経って、子供がほしいを思っているということは、 

ご主人がとてもいい人で、優しい人なんですよね?」 

というふうに問いかけました。

「ほんとうにそうです。 

とても優しくて、いい夫です」と彼女は答えました。

「舅姑との関係が悪くて、頭にきて腹を立てるような日々だったら、 

多分、その家の子供が欲しいとは思わないでしょうから、 

舅姑との関係のいいのでしょうか?」と、

私は問いかけました。

「ほんとうにそうなんです。

舅さんも姑さんもとてもいい人で、私は恵まれてほんとうに幸せです」と、

彼女は答えました。

「そうですよね」。

親戚の人もみんな、いい人なのではありませんか?」

彼女は答えます。

「ほんとうにそうです。

私はほんとうに優しい人たちに囲まれていると思います」という答えでした。

「では、伺いますが、その方たちの一人にでも、手を合わせて感謝をしたことがありますか?

自分がどれほど恵まれているかということに、手を合わせて感謝をしたことがありますか?」と聞きました。

「え?」

と小さく声を発した彼女は、わーっと涙を流し、二十分ほど泣き続けました。

私は、その泣いている彼女の耳にこういう言葉を伝えました。

「もし私が神さまだったならば、あなたのその唯一のお願いごと、頼みごとを、

絶対聞かないと堅く決意したかもしれない。

そして、もし私が神さまの友人であったならば、神さまがこの人のいうことを

聞いてあげようと思ってやってきたときに、神さまの目の前に立ちふさがって、 

この人のいうことを聞いてはいけないと邪魔をするかもしれません」

というふうに申し上げました。

なぜなら、子供ができないことばかりを挙げ連ねて、実はそれ以外に、自分がどれほど恵まれているかということに、感謝をしていないのではないのですか。

もし、自分がどれほど恵まれているか、ということに気が付いたならば、恵まれてない

その一点を悩み・苦しみだといって挙げつらうのではなくて、来る日も来る日も、

自分が恵まれていることに、手を合わせて感謝をしているのではないでしょうか。

そういうことに全然感謝をしないで、ただひたすら、

「これが足りないから、これをよこせ」

「あれが足りないから、あれをよこせ」

と言い続けている人には、神は微笑まないような気がするのです。

自分の思い通りになったら感謝するけれど、思い通りにならない状態では、感謝をしない、

というのはほんとうの感謝ではないのかもしれません。

恵まれているもののほうに、目を据えて感謝をする。

足りないものだけを挙げつらねて 「神さま、これをください」というのは、ほんとうは、神さまや宇宙に対する冒涜なのかもしれません。

この話にも後日談があります。

一年ぶりに彼女が私の前に現れました。

「相談したときに言われたことはショックでした。

でも、そのショックは「確かにそう・・・」と思え、体中にしみ込みました。

なんと、私は今、妊娠七か月なのです・・・」

みんなの猛烈な拍手。

受け入れて「感謝」することを始めたら、なんと授かった・・・

奇蹟はあちこちで起きるのです。

<転載終了>

ここでもやはりポイントは「置かれた場所で咲きなさい」と同じことです。 

何か足りない、何かが無いから不幸だ。

と無いもの、与えられていないものに不平不満を言うのではなく、今与えられているものに感謝すること、自分が置かれた環境に感謝すること。

足るを知ること・・それが大切なんだよと教えてくださっています。

私たちを、今の環境に置いて下さったのは神様です。 

そしてそれは、私たちが生まれる前に、神様と私たち自身が一緒に決めてきた環境です。

これを摂理と言います。 

苦しくて辛い環境も、決して私たちを苦しめるために、神様が用意して下さったわけではありません。

その辛い環境、悩み多き環境を経験することで、私たちの魂を引き上げようと、してくださっているからです。

ですので、その悩みは決して永遠に続くものではありません。 

破滅への道ではありません。

どうか安心なさってください。

そして、置かれた環境、周りに居てくださる方々に感謝してみてください。

笑顔を向けてみてください。  

きっと、それが幸せになるための答えですから。



2024年11月4日月曜日

3601「美しい人」2024.11.4

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月23日の記事を紹介します。


「美しい人」


大航海時代から始まった植民地主義

その後に起こった行き過ぎた資本主義

コロナの喧騒 

東ヨーロッパでのグローバリズムと、ナショナリズムの戦争。 

それらすべてが終わった後、 

やっと私達一人一人の心が大切にされる社会が訪れそうです。 

今日はその心の美しさについてのお話です。

思いやりや、助け合いの心

相手の個性を尊重し、お互い様の心で生きていく社会 

そんな美しい社会が、この大混乱の後、出現しそうです。 

それでは、ノートルダム清心学園前理事長、渡辺和子さんの言葉を紹介します。

心の美しさについてのお話です。

心の美しさとは、意識しなければ、自然と手に入るものではありません。 

ですが、心こそ、亡くなった後も、生まれてくる前に居たところに戻っても、 

決して変わらず、持って帰ることのできる唯一のものです。  

お金や、大きな家や、大きな車

健康や、友達の数

高い地位、周りがうらやむ名誉 

そのような、目に見えるものよりも 目に見えない「心の美しさ」は、

はるかに大切なものです。

私たちがこうして生きている時でさえ、心の反映が、人や物を引き寄せ、

生きていく環境を形作ります。 

心が美しければ、それに呼応して、宇宙のサポートが協調して、ダイレクトに働きます。 

決して、棚からぼた餅で、

何処かの偉い人や、能力者が救ってくれるわけではありません。

私たちが何度も何度も、生き死にを繰り返し、輪廻を経験し、 

宇宙中の様々な星々や次元に生まれ変わっているのも、

目的は美しき心を思い出すためです。

それでは、お話をご紹介します。

<引用開始>

お化粧に余念のない学生たちに言うことがあります。

「きれいになるのも結構。 

きれいになるためには、化粧品にしてもエステに通うにしてもお金が必要。 

皆さんは、きれいさとともに、美しさを育ててゆく人であって欲しい」

美しくなるためには、お金は不要。

それは、心の輝きであり、痛みを伴う自己管理、自己抑制が必要なのです。

かくて私は、学生たちに 「面倒だからしよう」と教えています。

「しようか、どうしようか」と迷う時には、してごらんなさい。

きっと、その積み重ねが、あたなたがたを 美しくしてくれるから と話しています。

「泥かぶら」という劇があります。

これは、真山美保さんという人が作られた、

古い時代を舞台とした「泥かぶら」というタイトルの劇用のお話です。

ある村に「泥かぶら」という顔の醜い少女がいました。

「泥かぶら」は、顔が醜いために村の人から馬鹿にされ、

子どもからは石を投げられたり、唾を吐きかけられたりしました。

そして、それを悔しがって怒り狂う

「泥かぶら」の心はますます荒れ、顔は醜くなる一方でした。

ところがある日、村を一人の旅の老人が通りかかりました。

竹の棒を振り回して暴れている「泥かぶら」に話しかけました。 

次にいう「三つのこと」を守れば

「あなたは村一番の美しい人になれる」と教えて立ち去っていきました。

旅の老人が「泥かぶら」に教えた三つのこととは、

一つ・・・いつもにっこり笑うこと

二つ・・・自分の醜さを、恥ずかしいことと思わないこと

三つ・・・他人の身になって、考えること、思うこと

「泥かぶら」の心は激しく揺れ動きましたが、美しくなりたい一心で、

その日から血のにじむような努力を続けます。

決心は何度も中断され、たびたびあきらめようとしますが、

そのたびに気を取り直し、努力を続けました。

その甲斐あって、「泥かぶら」の顔からは、

いつしか憎しみが去り、心も穏やかになっていきました。 

やがて、明るく気持ちの良い子に生まれ変わった「泥かぶら」は、 

村の人気者になり、子守やお使いを頼まれるようになりました。

そんなある日のことです。

自分と同じ年頃の娘が人買いに買われていくのを知った「泥かぶら」は、 

自分から進んでその娘の身代わりとなり、連れられていきます。 

しかし、道々楽しそうに村の様子を話し、 

自分がかわいがって世話した村の赤ちゃんについて語る「泥かぶら」の話は、 

いつしか悪い人買いの心を動かし始めます。

そして、その人買いは今まで自分がやってきた過ちを恥ずかしいことと思い、 

置手紙をして立ち去っていきます。 

その置手紙には、「ありがとう。仏のように美しい子よ」と書かれていました。

その手紙を読んだ「泥かぶら」は、

旅の老人が話してくれた「村一番の美しい人になれる」という言葉の 

本当の意味を理解することができました。

心の美しさは、内面の輝きを増し、人の容貌さえも変えてしまいます。

そして周りの人も幸せにします。

美しい心を持った本当の「美しい人」になることは、

どんなに時代が変わろうとも、大切なことかもしれません。 

<引用終了>

相田みつをさんの、「現代版禅問答」にこんなくだりがあります。

「ほとけさまの教えとはなんですか?」

郵便屋さんが困らないようにね、手紙の宛名を わかりやすく正確に書くことだよ

「なんだ、そんな当たり前のことですか」

そうだよ。その当たり前のことを、心を込めて実行してゆくことだよ。

「面倒だから、しよう」とは、相手の立場に立って、

 面倒がらずに、些細(ささい)な良きことを心を込めてやること。

当たり前のことを心を込めてするには、そこに、「ありがとう」の

感謝の気持ちが必要です。

・笑顔、

・思いやり、

・そして今のままの自分を許し、認めること

私達一人一人がこの「泥かぶら」のように、

このことをいつも心に留めておきたいものですね。

そして、心の美しい人になりたいものですね。

永遠の宝になるのですから。

自分だけでなく、ご家族はじめ、周りを幸せにするのですから。 

神々の恩寵は、感謝の人、心美しき人に降り注ぎます。

・目に見えるものだけに、大いなる価値を置き、人と比べ、見下し、優越感に浸る者と、・・・

・例え貧しく、弱く、何も持たなくとも、神の前にへりくだり、

与えられた環境の中で、精一杯、人生を生きて行こうという者 

神々は、どちらに微笑むでしょうか? 

2024年11月3日日曜日

3600「脚本家、役者、観客」2024.11.3

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月22日の記事を紹介します。


「脚本家、役者、観客」


今日はレインボーチルドレンのまりなちゃんのお話を紹介します。

今現在、人生の岐路に立ったり

苦しんだり、悲しんだりしていらっしゃる、

そんな方々にお届けしたいと思います。

まりなちゃんは今高校生になりましたが、数年前に最愛のお母さんを亡くしています。

もうその当時から、生まれる前の記憶、神様の記憶がありましたが、

その悲しみを幼いながらに乗り越えて今があります。

ではご紹介します。

 

内容のエキスをかいつまんでご紹介します。

・人生は全部映画

・生まれる前に自分の人生のシナリオを書いている時は「映画監督」

・生まれて来て、この3次元の生活を楽しんでいる(苦しんでいる)時は「役者」

・そして、その自分で演じている人生ドラマを俯瞰して見ている自分は「観客(映画を見ている人)」

・本当は、全部が全部楽しいこと!!

・まりなちゃんは今高校生ですが、3年前にお母さんを亡くしました。

・それも、全部自分で決めてきたこと 

亡くなったお母さんと

・その人生ドラマの映画を見ている人にとって、その出来事は「悲しいね」って思うけれど、自分の事ではないので、それほど深くは感情移入しない。

・つまり、その立場からこの人生ドラマの喜怒哀楽(嬉しい・悲しい)を見るかによって、全く違う見方になる。

・でも、本当は「監督」、「役者」、「観客」全てが自分自身

・今目の前が「映画」だと分かれば、それほど感情移入せず、執着しなくても済む

・逆に「映画」だから、苦しみ・悲しみの感情も「楽しんでしまえ」となってくる

・人それぞれ、演じたい役、経験したい役が異なる。それぞれが別々バラバラにその脚本を書き、地上で演じている

・人生ドラマに入りきっている時、例え苦しくて悲しくとも

・「観客」の立場になって見れば、人生山あり谷ありの人生は見ていて楽しいはず

・(演じている「役者」にとってみれば、完全に感情移入しているから大変だけれど)

・なので、あまりに深く落ち込んだ時は、「観客」側の視点に立って見てみる事

・そのシナリオを書いてきたのも自分自身だし。

・でも「悲しまない」ことばかりが良いことではない

・地球に生まれてくるとは、「役者」になりきって「感情」を経験して楽しむため・・

・でも、いつもいつも「観客」視点であってはつまらない

・「役者」になって感情にどっぷりと浸かったり、

 「観客」目線に戻って、その浮き沈みを楽しんだりのバランスが大切

・辛い時は「観客」側になればいい。

・そうでない時は、しっかりと「役者」をして、喜怒哀楽の感情を楽しむ(地球でしかできない経験だから)

・辛く悲しい時は、シナリオを書いた自分、「監督」としての自分の気持ちを推し量ってみると良い

・何故、自分はその設定をして、「役者」である自分にその感情を味合わせたかったのか?

・それを経験することで、何を学ばせたかったのか?

以上です。 

  

どんなに辛く、悲しい出来事も、 

・自分が「監督・脚本家」になって作ってきたシナリオ

・そして主人公になり切り、思いっきり感情の波に飲み込まれながら演じているのが「役者」の自分

・そして本来の自分(トータルセルフ)は「観客」となって、その人生ドラマを眺め楽しんでいる 

これが現実のようです。 

となれば、人よりも深い悲しみの経験を脚本に書いて来ている方は 

普通の人が耐えられそうもない、

深い山と谷を経験できるだけの大きな魂を持った方々なのでしょう。 

そして、それを一緒に演じてくれている家族や仲間も、 

その劇の最中は、感情に翻弄されるわけですから

同じく大きな器を持つ魂たちなのでしょう。 

・その真実の意味

・シナリオの目的、

・劇を演じることで、何をしたかったのか? 

などは、肉体を脱いだ時に全て明らかにされることでしょう。 

そのような激しい経験をなさっている方々は、亡くなる時、

「あぁ~難しい役を演じ切った。楽しかった」と感じることでしょう。 

どんな地上での出来事も、死や別れ、病気、事故も、 

魂まで傷つけることはできません。

どんな出来事も、本人の魂としての承諾なしには起こりません。 

どうぞ、今深い悲しみ、苦しみの中にある方も、勇気をもって生き抜いてください。 

その経験をするにふさわしい魂の持ち主なのですから。


2024年11月2日土曜日

3599「青空ひろば」2024.11.2

 今回は立花大敬の大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新記事を紹介します。


1502 2024.10.14 ~ 1504 2024.10.16

<アレックス・タナウスについて>

『超能力大全』今村光一(徳間書店)より

「私は、『心』が持っていると普通に考えられている能力の範囲をはるかに超える能力が、自分の『心』の内側に隠れていることを発見し続けてきた。誰もが超個的な力を持っていて、誰もがそれを開発できる。人間の『ウィルパワー』は核のエネルギーより大きいものだ」

タナウス氏によると、1960年以降に誕生した、特に日本人は右脳が発達している。

<右脳のはたらき>

長所:直観力、創造力、共感力、一体感

欠点:論理性・計画性の欠如、全体の雰囲気に流されて行動してしまう(目標を与えないと漂う)

タナウス氏が、来日して永平寺を訪れた際、道元禅師の霊と対話された。道元禅師に「意志の力」を大切にせよと日本人に伝えてくれるように依頼された。(完)

 

1505 2024.10.17 ~ 1510 2024.10.23 

<ファン・マトゥスに学ぶ人生の歩み方>

『呪師になる』カルロス・カスタネダ(二見書房)より

(1)履歴を捨てる

・自分の履歴(過去)が自分の未来を縛る

・人に履歴を知られると、人の偏見があなたの現在や未来を縛ってしまう

・本当は、刻々死んで、刻々新生している(刹那消滅→過去はない)

・一本足打法で生きよう(「今・ココ」にイノチの重心を据えて生きると、次の瞬間に必要な一歩が自ずと踏み出せる)

(本文)「なにもかも不確実だったら、永久につま先で立っているように、いつも油断せずにいるさ。わしらは何でも知っているというようにふるまうよりは、どのヤブにウサギが隠れているか知らないほうがずっと素晴らしいさ」

(2)型にはまらない生活をする

・生活のパターン(ルーチィンワーク)を少し変えてみる

(本文)「おまえの連続性は、お前を幸福にも力強くもしない」

(3)自尊心を捨てる

・自分だけが特別だと思えば、世界や他人と切り離されたちっぽけな自分でしか生きられない。

(本文)「おまえが、自分は世界中で一番大事なものだなどと思っとるかぎり、まわりの世界を本当に理解することは出来ない。おまえは目隠しされた馬みたいなもんだ。あらゆるものから切り離された自分しか見えんのだ」

・植物に話しかける訓練(それが好きだという気持ちとそれが自分と平等なんだという気持ちで会話する)

(4)死は我らの永遠の仲間だ

・死はいつもわしらの左側、腕を伸ばせば届くところにいる

・死にアドバイスを求める

(本文)「それが自分の最後の戦いだと知っとるときの行為は力強い。自分がしとることが、地上での最後の戦いになるかも知れないと充分承知してやると、そこには焼き尽くすほどの幸福感が届く」

(5)近づきがたくなる

・世界と控えめに付き合う

(本文)「まわりの世界に控えめに触れるということだ。おまえは五羽のウズラを食いはしない。食うのは一羽だ。ただバーベキュー・ピットを作るためだけで、枝を折ることもしない。必要がなければ、風の力(龍的な力)に自分をさらすこともしない。それに人々、特に愛する人々を、何のためでもないのにねじ曲がるまで利用したり、強制したりしない、そういうことさ」

・人の手の届くところにいない

(本文)「『人の手の届くところにいない』ということは、自分自身や他人を消耗させることを慎重に避けることなんだ。『近づきがたくなる』というのは、隠れたり、秘密的になったりすることじゃない。『近づきがたくなったら』人々とうまくやれないということでもないぞ。狩人はな、物の世界だろうが、植物の世界だろうが、人の世界だろうが、力の世界だろうが、そんなことには関係なく<世界を控えめに、丁寧に使うんだ>」

「狩人は自分の世界と親しくやってゆくさ。しかも、その同じ世界にとって、そいつは近づき難いのだ。そいつが近づき難いのは、自分の世界が調子が狂うほど無理強いせんからだ。それに軽くふれ、必要なだけ留まり、やがて気づくことも出来ぬ速さで去ってゆくのさ」

(6)しないこと

・すること→世界を固定化する

・しないこと→世界をほどく(解体する)

(本文)「あそこにあるあの岩が岩であるのは、<する>からだ。あの岩を岩にし、あのかん木をかん木にするのが<する>ということだ。おまえをおまえにし、わしをわしにするのが、<する>ってことなのさ」

「たとえば、知者たちは、岩が岩なのは<すること>のためだってことを知っとるから、岩に岩であってほしくないときには、ただ<しなければ>いいのさ」

「世界を止めるには、<すること>をやめにゃならん」

・しないこと→世界がほどける→見る→新しい世界が生まれる

(完)


1498 2024.10.10  ~ 1501 2024.10.13 

<ユリ・ゲラーのスプーン曲げ>

『ユリ・ゲラーの反撃』秋山真人訳(騎虎書房)より

「ゲラーは、競争心旺盛な「努力型」人間である。スプーン曲げの一連の過程を調べると、「努力型」から「非努力型」への切替えの過程がわかる。

(註)思いの実現のプロセスは、「把住過程(集中)」から「放行過程(忘れる、思いの手放し)」に移行出来た時に、思いが叶う(現実化する)。

彼(ユリ・ゲラー)は、初めのうち努力を集中してスプーンをこすり、ある時点でリラックスする。その時スプーンは曲がるのであり、手を放した後も曲がり続けることがある。

本人(ユリ・ゲラー)が精神の集中をストップした後になってしばしば念力の効果が現れるという事実に、エルドン・バード(アメリカ海軍省の科学者)は気がつき、彼はそれを「分断効果」と呼んでいる。

彼の説明によると、「集中して、集中して、それでも何も事が起こらず、とうとう諦めると、事が起こる」

(註)だから、意志の力で曲げるわけではなく、意志を手放した時に発動する「心の力」が曲げるのだ。

「人は皆、ユリ・ゲラーなのである」。しかし、通常一番難しいのは、「自分はそれが出来る」ということを信じることである。(完)


1497 2024.10.09 

「もし菩薩が自らの決断で、清浄の境地を放棄して、苦悩と罪に満ちた迷いの世界に入って行き、そこを最後の日まで生き抜くなら、それこそ大乗菩薩の悟りに到達したのである」


1496 2024.10.08

人に座を与える人が、座を与えられる


1495 2024.10.07 

「病気する自由」、「悩み、涙を流す自由」を持とう。

あなたが「病気」であるのは、世界人類に対する愛であり、祈りなんだ


1491 2024.10.03  ~ 1494 2024.10.06

道元禅師に嗣法された懐奘(えじょう)禅師の『光明蔵三昧(こうみょうぞう さんまい)』より

「華厳経にこうある。『燃燈如来(ねんとうにょらい)の大光明は、さまざまの吉祥の中で最上のものだ。この仏は、かつてこの「御殿(私たちが組む坐禅のこと)」に入られた。この故にこの処が最も吉祥なのである』と」

「この燃燈如来(ねんとうにょらい)の大光明は、宇宙に遍満していて、凡聖の区別がないのだから、かつてあなたの「御殿(坐禅)」にも大光明がそそがれるはずではないか。 

そのように一聞(ひとたび聞いて)してそう信じることが出来たら、それがもう、あなたの「御殿(坐禅)」も光明に包まれて、祝福されているいうことなんだ。

だから、お釈迦さまは燃燈如来から、授記(君は必ず仏になれるという保証のコトバ)を得られた時、「無所得(むしょとく)」とおっしゃったのだ。

なぜなら、この光明は「一段」のもので、時間的にも空間的にも仕切りというものがない。

限りない光明なのであるから、もしこの時点から光明を獲得したというようなことがあれば、光明が二段になってしまうだろう。

この人は光明を得た、この人はまだだというようなことがあっても、「一段光明」に仕切りが出来てしまうだろう」

「わたしたちの坐禅は、燃燈如来や釈迦仏から受け継いできたものなのだ。それは、ただ坐禅印を組んで坐るというだけで光明に包まれるというもので、その光明は「凡聖不二(凡も聖も区別なし)」、「古今一乗(今も過去も未来も坐禅すれば仏の光明に運ばれて、必ず自分も仏となれるのだ)」のものなのだ。

だから、自分にはその資格がない、勝れた人だけが獲得できる境地なんだなどと、自己卑下の妄想に縛られてはいけない。

その大光明は、どんなに優秀であると自負している人であっても「取ることが出来ず」、自分には能力がないと思い込んでいる人であっても「捨てることが出来ない」光明なのだから。

だから、坐禅の時は、アレコレ頭で分別せず、ただ坐ればいいし、仕事の時は坐禅のひびきがココにも届いている、今も大光明に包まれていると信じて、ただ働いていればいいのだ。

そうすれば、その仕事が、あなたにとっても、宇宙全体、人類全体にとっても最善・最適のものになってくるのだ」(完)


1489 2024.10.01 ~ 1490 2024.10.02

道元禅師が著された、禅道場の食事係である典座(てんぞ)の心構えを説かれた『典座教訓(てんぞ きょうくん)』より

<仕事の手順>

昼食修了後(昔は一日二食、夕食はない)、

① 翌日に使える食材の在庫をチェック(人や虫、動物に食べられないように大切に保管する)。

② 各部署の長(五名)が集まり、翌日の食事の打ち合わせを行う。

(チェック事項)道場の人数の把握(禅道場では修行僧の出入りが頻繁)、行事・作務(さむ、肉体労働)の予定(肉体労働があるときは、塩分を増やすなど)、修行者の健康状態(病室にいる人数、別メニューの用意)、気候など。少しでも疑問があれば担当者に面倒がらずに質問する。

③ メニューの決定

④ 不足な食材があれば買出し

⑤ 翌日のメニューを書き出して掲示する→アレルギーなどを持った修行僧が申し出られるようにする→その僧には別メニューを用意する。

⑥ 昼食の最終検討(夜十二時まで)

⑦ 翌朝の粥(朝食)の支度を始める(夜十二時以降)

<食事調理の心得>

① 六味・三徳が備わること  

六味:苦(にがい)、酸(すっぱい)、甘(あまい)、辛(からい)、鹹(しおからい)、淡(うすあじ)

三徳:軽輭(柔らかく、口当たりがよい)、浄潔(せいけつ)、如法(食材の本来のよさを消さない調理)

② 什器類の確認、整理整頓 

「高処高平、低処低平」→重い食器や調理器具は低いところに置き、軽いものは高いところに置く。頻繁に使う器具が手近に置く。

「軽手に取放」→ガチャンと荒々しく扱わない

③「竟日通夜(ひねもす よもすがら)、物来たりて心にあり、心帰して物に在らしめ、一等に他と精勤弁道す」→仕事に専念して、フラフラ気を散らして、うっかりミスを犯さないように気をつける

④ 各料理の仕上がりのタイミングをそろえること。

⑤ 分量に気配り(余らないように、足らなくないように)。

⑥ 食材の文句はいわない、また喜ばない。「たとえ三銭の食材であっても、きっとそれで、王家で出されるような、おいしいご馳走をつくってみせるぞという気概と工夫で調理すること。

⑦ 典座(食事係)が持つべき三心「喜心」・「老心」・「大心」

「喜心(きしん)」→喜んで仕事に取り組む心。

「老心(ろうしん)」→モノ(食べる人や食材)をいたわる心

「大心(だいしん)」→偏りや差別のない心


2024年11月1日金曜日

3598「神さまを味方に」2024.11.1

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月18日の記事を紹介します。


「神さまを味方に」


今日のテーマは「神さまを味方にする」ということで、

小林正観さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

私たちの人生は、 

味方を作るためにあるのかもしれない

努力や頑張りは一切しなくてもよいので、 

出会った人が味方になってくれ、 

その味方を作っていく作業の中で

「あれやってくれ これやってくれ」 と言われ、

「ハイ分かりました。しょうがないな~」 と言ってやる。

そのように、正観さんは空海を模範にしながら、

出会った人に、やらされている人生を語りました。

実は社会の中で生きるという事は、

この事だけかもしれないと思うのです。

出会う人 出会う人に

・惚れられて 

・好かれて 

・頼まれて

生きていくこと

空海の人生は 

出会う人 出会う人、

人生のターニングポイントに出会う人に 

「こうしなさい ああしなさい」

 そう言われ、その通り  

「ハイ分かりました」 

その積み重ねの人生でした。

ここを正観さんは、下記のように強調しました。

 

人間が 業績を残すとかいうのは、自分が決意する。 

という必要はないのではないか? 

決意をして何かをするって言うのは、凄く安っぽいものかもしれませんよ。

出会う人ごとに 

「こうしなさい ああしなさい。こうしてくれ ああしてくれ」 

という事に対して、 

「ああじゃ、こうじゃ」 

とつべこべ言わないで 

「ハイ分かりました」と言って やっていくこと。。

それで疲れ果てて死んでいく。

人生はこれに尽きるのではないでしょうか。

正観さんは、それを文字通り生きた人でした。

「人間関係」はそういうものでしょう。

人間の関係は 全て味方つくりの人生です。

ライバル視して、競い合っていく。

抜きんでなければという、

今迄の学校教育の価値観を、この際なくしてしまうといい。

正観さんは、この事を伝えて亡くなりました。

「私たちの人生は 出会う人 出会う人を味方につけていく、作業の積み重ねなんだ」 

こう思うと人生は凄く楽しいと。

うつの人は、

・自分にとって楽しいことが何も起きない

・面白いことがないか

・毎日が面白くない 

とよく言います。

その方々に言って差し上げたい。

人生は 自分で自分の人生を決める というものではないと 

そう思ってみたら。どうですかと。

そうすれば、きっと凄く面白い人生になる。

人生変わると。言って差し上げたい。

出会う人 出会う人によって、自分の人生が決まっていく。

出会う人が何か刺激をくれる。

相手を敵だと思っていると刺激はくれない。

敵ではなく、味方だと思って接していると、 

「こうしてみたら」や「ああしてみたら」

とそれが必ずあります。

なぜなら味方なのですから。

そこで「ハイ分かりました」と素直に信じてやっていくと、面白い人生になります。

人間同士の付き合いを、そのように切り替えてみたらどうでしょうか?

人生は出会いの積み重ねです。

その出会いは生まれる前から決まっている。 

自分で書いた「出会いのシナリオ」通りです。

昨日までは 人と較べて自分を磨いていって、

人より抜きんでなくてはならないと思ってきたが、 

今日からは全部自分の味方と思って、仲間と思ってやっていく。。。 

と人生を切り替えたら、もしかしたら、自分の意思によって、

自分の人生を変えたんだ と思うかもしれないですが、 

今日から変えるぞと思ったこと自体が、

生まれる前から自分で決めてきたシナリオなんです。

今日 この話を聞くこと自体、生まれる前からのシナリオで、

聞いて変わるぞと思うこともシナリオ通り。

逆に変わるもんかと思うこともシナリオ通り。

出会いはシナリオ通り。

出会った相手を敵にするか、味方にするかで人生変わります。

「味方にする作業こそが人生」と正観さんの最後の伝言でした。

私たちが学校で教わってきた、 

「自分を磨き努力して頑張って、人より上に行かなければならない」 

という事を今日を限りに捨てる。

というのはどうでしょう?

このことも正観さんは、強く何度も仰いました。最後の伝言でした。

<引用終了>

私たちが学校で教わってきた、 

「自分を磨き努力して頑張って、人より上に行かなければならない」 

という思い込みを今日を限りに捨てる。

これは大変重要な意識の転換です。

つまり勉強ができるとか、学校で良い成績を取る・・ 

そういうことは人生にあまり関係ない。。 

そう仰っているからです。

不登校でも、ODや色々な理由で学校へ行けなくとも、 

人に好かれる人間になれれば、それだけで、人生大成功です。

私もどちらかと言うと、努力型の人間で、

必死に勉強し技術を習得し、仕事をして生きてきました。

ですが、今振り返れば、大成する人と言うのは勉強ができるとか、

技術が飛びぬけているとか、そんなものではなく、 

どれだけ人に愛されるキャラクターであるか?

そちらの方が何百倍、何千倍も大切であると実感しています。 

愛される人とは

・いつも笑顔でいる人

・ありがとうと言える人

・おかげ様、感謝の心を常に持っている人

お子さんのことでお悩みのお父さん、お母さん

命があるだけでも良しと思ってください。 

そして学校に行かないから駄目だとか、家でダラダラしているから駄目だとか、 

どうか思わないでお子様を信じて差し上げて下さい。

長い人生の中で、今ほんのひと時、一休みしている時期かもしれません。 

大人になるために、英気を養っている時期かもしれません。

お子さんのことは心配でしょうが、少し放っておいて、 

お父さん、お母さんは、ご自分の好きなこと、楽しめることをして、笑顔でいてください。

自分を信じて、お母さんが笑顔でいてくれる。

それこそが、子供たちにとっての救いではないかと思います。

どちらに、どう転ぼうと、それは、子供自身が生まれる前に 

描いてきたシナリオ通りなのですから。