2026年8月15日土曜日

4350「夭逝する子供たち」2026.8.15

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2026年07月29日の記事を紹介します。


「夭逝する子供たち」


私は幼くして天に帰ってきた。

夭逝(早くに亡くなること)する子供にも、それぞれの理由がある。

私の場合は両親となる人たちからの依頼だった。

私は15才、中学校3年生の時、病気で亡くなる運命を持って生まれて来た。 

中学生のころ脊髄小脳変性症という病気にかかり、不自由な生活を送る中、 

家族や友達に助けられ、一生懸命生きていたけれど、

病状は悪化する一方で、結局予定通り、15才で天に帰ってきた。

それまで普通の子と同じように天真爛漫、元気いっぱいだった娘が突然病魔に襲われ、

あっという間に天に召されるという演出が行われた。 

天に暮らしていた時、両親と交わした約束はこうだった。

この物質地球という感情の惑星を舞台に、

魂の大きな方向転換を図る手伝いをして欲しいと言う願いだった。

この地球という惑星では、物質的な肉体を持つがゆえに、魂としての意識、

つまり永遠のイノチを持つ生命体としての記憶を一時消失させ、

まるで演劇を演じているように舞台に没頭し、感情を揺さぶる経験ができるからだ。

愛する子供が、天真爛漫、自分たち未熟な親のことを完璧に信じ切ってくれていた、

その純粋な瞳が、両親の目の前で閉じる時、

これ以上ない「悲しみ」の感情を味わうことになる。

残された両親は、

・悲しさ

・悔しさ

・切なさ

・後悔

を味わうことになる。

自分を許せない。あの時こうしていれば。

もっと愛すればよかった。

心にぽっかりと空いた穴は、どんなものも埋めることはできず、

長い時間、色の無いモノクロの世界をさまようことになる。

でも私たち親子は、天にいた時、そのことを承知して、約束して生まれて来た。

何故なら、この辛く悲しい経験は、両親の魂を最大限に揺さぶるからだ。

魂を揺さぶられた両親は、この後どう変わっていくのか? 

神さまの計らいで、当事者だった私も、目には見えないけれど魂として、

この両親のすぐ傍らで、自分の事として感情を共有しながら、彼らが天に戻り、

この崇高な計画を思い出す時まで、再び天で再会する時まで一緒に居ることになった。

永遠とも思える、空白の時。時間は止まったまま。

心には大きな傷跡が残ったけれど、それゆえに大きな変化も生まれた。

同じ境遇の人々、深い悲しみを心に抱く人々が、同じ波長を有しているがゆえに集まりだした。

彼らの悲しみ、悔しさ、後悔の心が、自分のこととして心から理解できる。

しっかりものとしての自負があり、

人の世話にならず、誰にも迷惑を掛けないで生きてきた

そう思っていた両親にとって、大きな変化である。

人は一人では生きていけない。

お互いに助け合い、励まし合うことで、生きる希望を見いだすことがある。

そんなことも少しずつ理解できるようになった。 

神さまはこの宇宙の全てを、助け、助けられながら生きていくように作られたのだ。

そんな両親の小さな変化、小さな気づきを傍らで見る時、

私の心は喜びの感情で溢れた。愛の心で満たされた。優しさで包まれた。

私たちを見守る神様も微笑んでいらっしゃることが分かる。

この美しい魂の交流は、まだ肉体を持つ両親にも、とめどもなく注がれている。

私と両親の魂の約束。

それは愛する我が子の夭逝と言う深い悲しみを経験することで、

両親の魂を揺さぶり、この神様の愛を経験することだった。

それは両親の魂の進化にとって、大きな推進力ともなるが、

同時に夭逝する役割を引き受けた私自身の魂にも深い喜びをもたらしてくれる。

私たちは、肉体と言う器を通して、感情を経験することができる。

その目的はただ一つしかない。

この地上での演劇を通じ、神様の愛を知ること、分かち合うこと、魂の美しい交流を図ること。

もう何十年かしたら、両親もこちらに戻ってくる。

そしてこの崇高な計画を思い出し、地上で沢山の神様の愛を経験したことを喜び合う日が来ることになる。

お父さん、お母さん。

どうか悲しみに押しつぶされないでください。

神さまから頂いた魂は永遠です。

私たちは、こうなることを約束して生まれてきました。

全ては神様の深い愛を知るためです。

私はいつもそばに居ます。

心を共有しています。

そして、必ずまた再会できます。

どうかその時に笑顔で会うことができるよう、心を開き、愛と優しさで満たしていてください。

笑顔を取り戻してください。

それが夭逝した私たちすべての子供たちの願いです。


2026年8月14日金曜日

4349「生まれて来てくれてありがとう2026.8.14

今回は「いっぷくからのありがとう」の2026年07月28日の記事を紹介します。


「生まれて来てくれてありがとう」


今日は障害を持つ方々と、そのご家族について書きたいと思います。 

魂は永遠に続きます。 

心と心、深く繋がった魂は決して離れ離れになりません。

死をもってしても離すことはできません。 

貧困、障害や事故、死さえも、魂と魂を揺さぶり、

魂の深い絆を創り出す舞台装置にしかすぎません。 

今まで健康で、経済的にも恵まれ、幸せなご家庭で過ごしてきた方には

あまりピンとこないお話かもしれません。

ですが、「禍福は糾える縄の如し」

幸福と不幸は表裏一体で、

かわるがわる来るものだということのたとえのように、 

幸福も不幸もほんの一瞬でひっくり返ります。

永遠に続くものなど、この世に一つとしてありません。

ですので、周りで起きるざまざまな環境の変化に一喜一憂せずに、 

何時も希望を持っていたいものですね。

<転載開始> 転載元 

私は思うのです。 

長男が、もし障害をもっていなければ。

私はもっと、普通の生活を送れていたかもしれないと。

私は、考えてしまうのです。 

長男が、もし障害をもっていなければ。

私たちはもっと楽に暮らしていけたかもしれないと。

長男が、障害をもっていなければ・・と繰り返された言葉。 

障害のある子どもの親である作者は、

「重度障害者は生きていても仕方ないので死んだ方がいい」など、 

障害者を排除する趣旨の発言を植松容疑者(相模原・障害者施設殺傷事件)が

繰り返していたことを受けての文章だそうです。

何度も夢を見ました。

『お父さん、朝だよ、起きてよ』

長男が私を揺り起こしに来るのです。 

『ほら、障害なんてなかったろ。

心配しすぎなんだよ』夢の中で、私は妻に話しかけます。

そして目が覚めると、いつもの通りの朝なのです。

言葉のしゃべれない長男が、騒いでいます。 

何と言っているのか、私には分かりません。

ああ、またこんな夢を見てしまった。

ああ、ごめんね。

この文章を書いたのは、神戸金史記者。 

長男が3歳で自閉症と診断されました。 

家族は長男に妻、次男の4人。

自身の家族を含め、自閉症の問題について、長年、取材してきました。

この文章は、多くの人の共感を呼んでいます。

幼い次男は、『お兄ちゃんはしゃべれないんだよ』と言います。

いずれ『お前の兄ちゃんは馬鹿だ』と言われ、泣くんだろう。

想像すると、私は朝食が喉を通らなくなります。 

そんな朝を何度も過ごして、突然気が付いたのです。

弟よ、お前は人にいじめられるかもしれないが、

人をいじめる人にはならないだろう。 

生まれた時から、障害のある兄ちゃんがいた。

お前の人格は、この兄ちゃんがいた環境で形作られたのだ。

お前は優しい、いい男に育つだろう。

それから、私ははたと気付いたのです。

あなたが生まれたことで、私たち夫婦は悩み考え、

それまでとは違う人生を生きてきた。

親である私たちでさえ、

あなたが生まれなかったら、今の私たちではないのだね。

そして、自閉症の長男から気付かされたこと・・・

ああ、息子よ、誰もが健常で生きることはできない。 

誰かが障害をもって生きていかなければならない。

なぜ、今まで気づかなかったのだろう。

私の周りにだって、生まれる前に息絶えた子が、いたはずだ。 

生まれた時から重い障害のある子がいたはずだ。

・交通事故に遭って、車いすで暮らす小学生が、

・雷に遭って、寝たきりになった中学生が、

・おかしなワクチン注射を受け、普通に暮らせなくなった高校生が、

・嘱望されていたのに突然の病に倒れた大人が、 

実は私の周りには、いたはずだ。

私は運よく生きてきただけだった。

それは誰かが背負ってくれたからだったのだ。

最後は、長男に直接呼びかけます。

息子よ。君は、弟の代わりに、同級生の代わりに、

私の代わりに障害を持って生まれてきた。 

老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。 

事故で、唐突に人生を終わる人もいる。

人生の最後は誰も動けなくなる。

誰もが、次第に障害を負いながら生きていくのだね。

息子よ。あなたが指し示していたのは、私自身のことだった。

息子よ。そのままで、いい。 

それで、うちの子。

それが、うちの子。 

あなたが生まれてきてくれてよかった。

私はそう思っている。父より

<転載終了>

文部科学省により2012年に全国の公立小中学校で

約5万人を対象にした調査結果で、 

”発達障害の可能性のある”とされた児童生徒の割合は、

6.5%だったそうです。

もう少し詳しく見ると・・

・4.5%…学習面で著しい困難

・3.6%…行動面で著しい困難(全体指示が入らない、落ち着きがなく着席が不安定等)

・1.6%…学習面・行動面の両面で著しい困難

なのだそうです。

また子供だけでなく、大人になってからも、心身に障害を発症する方もおられますから、

私たちの周りには沢山のハンディキャップを持った人がいらっしゃいます。

私たちは、家族の中に障害を持つ人がいると聞けば、

「かわいそうに」とか、どうしても少し色眼鏡で見がちです。 

ですが、生まれ変わりを繰り返し、魂の成長を目指し、 

長い長い永遠の時を過ごしている、私たちの本体である魂にとって、 

そのたった一瞬の人生の姿は、 

本当に「かわいそうなこと」なのでしょうか。

きっと違います。

いえ絶対に違います。

障害を持つと言うことは、この一時の地球での生活、

せいぜい80年の期間で見たら、確かに、

・経済的に苦しく

・学業や職業などできることも限られ

・差別されるかもしれず

・偏見の目で見られるかもしれず

非常い苦しい生活を強いられるかもしれません。

悔しい思いもするでしょう。 

ご家族も同じです。

ですが、それは「かわいそうなこと」ではなく、 

彼らは自らその環境を選んで生まれ、挑戦している人生です。

高貴な魂にしか許されない挑戦です。

そしてそれを迎え入れたご家族も同じです。

そのような方々を差別し、蔑み排除する人の心こそ、

小さな小さな心であるが故に、むしろ「かわいそう」なのかもしれません。

このような試練に立ち向かおうとする時、

神さまからも同じだけの大きな愛と援助が向けられます。

神さまや、周りを取り巻く心の温かな人々から、

勇気と、忍耐力、そして希望を与えられます。

それがあるからこそ、そのチャレンジには大きな大きな意味があるのです。

人々を巻き込んだ大きなドラマです。

何の不自由もなく、健康で経済的に恵まれ、

苦労も悲しみも味わうことのない人生からは、 

信じることのできないほどのダイナミックな愛と、

祝福に囲まれた人生を送ることができます。

例え、表面的には辛く苦しい人生を送っているかのように見えても・・

本当に大切なものは目には見えません。

それは、チャレンジの人生を終えて、天に帰った時に、

はっきりとわかることでしょう。

私たちは目的を持ってここに生まれ、この人生を過ごし、

そしてまた来たところへと帰って行きます。

必ず戻る時が来ます。

その時に、悔いの残らないような生き方をしたいものですね。

多くの皆様の勇気となることができますように、祈りを込めて・・


2026年8月13日木曜日

4348「青空ひろば」2026.8.13

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


イノチの学校より32 2026.07.20 ~イノチの学校より33 2026.07.21 

論語より

大敬意訳

師(孔子さん)がおっしゃった。

「…学びが本物であれば、学ぶほど頑固さがとれて、謙虚になり、柔軟になってくるものだ。…間違いに気がつけば、我を張っていないで、自らの過ちを素直に認めて、すぐに訂正することが出来るようになるものだ」

これ面白いですね、大敬の勤めていた学校は超エリートが集まっていて、僕より頭のいい子がいっぱいいました。

塾でも一番だった子とかが集まってきてね、最初はすんごく自惚れています。

天狗なんですね笑

どうしようもない状態でね、中学に入ってきた一年生が威張り散らしていたり。

僕やったらバシッと最初に一喝入れてやろうかと思ったりしますけど笑。

そこに勤めている先生方は特に何もしないんですね、そうした生徒をほったらかしにしている。

けしからんな、こんなん性根を鍛えなおしてやらないと世の中に出たらエライことになるぞ、なんて思いそうになりますけどね。

実際に卒業生には、能力は高いけれど皆さんが名前をよく聞くような実業家や、世を騒がせている人もいますよね。

そういう子ばっかりなんですよ最初は。

それがね面白いのは、うちの学校はエスカレーター式で6年間、中高一貫なんですね。

同じ生徒を6年間みることになるので、

始めは苗字で呼んでた生徒を最後は名前で呼んでますね。

おーいタカシ!みたいにね。

そういう関係になるんだけど、ずっとそうしてみてるとね

不思議なのが、高校2年になると突然謙虚になります。

あれビックリするほど変身しますね。

最初はバシッと言ってやらないとエライことなるんちゃうか、と思っていたわけですよね。

でもそうせずにずっと見守っていると、突然謙虚になる。

傲慢なところがね、天狗の鼻がボキッと折られたんでしょうね。

色んなテスト受けたりなんかしていくと、

自分は一番じゃなかったんだ、という事がわかってくるんじゃないかなと思いますね。

先生の言うことなんか!と思ってた生徒が、やっぱり先生の言うことも大切だな、と気づいたらそういう態度になっている。

高校2年で突然変身するんですよね。

で謙虚になって話をよく聞くようになるし、挨拶もするようになる。

変わる。

それでね、変わらないままの子は大学受験を通らなかったりするんです。

変われた子は行きたい大学に行ってる。

で、たまに無茶苦茶頭いい子がいて、もう傲慢なままで大学に合格する子がいる。

変身しない。

そんな子は後みてたら全然出世してないです。

どこかでまた挫折してる。

そんな傲慢な、自分が一番だという態度で、世の中渡っていけませんね。

だからどこかで必ず壁にぶつかっていく。

そういうことを見てきたので、不思議だなあと思いますし

孔子さんの語られた事は本当だなと実感しますね。


イノチの学校より28 2026.07.16 ~イノチの学校より31 2026.07.19 

正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)という本から、道元さんの言葉を紹介します。

この本は道元さんが、公式に禅道場で語られた内容ではありません。

道元さんの部屋に弟子の何人かが集まってね、夜に御茶でも飲みながら語られた言葉を、懐奘(えじょう)という弟子が記録した文章です。

その中の言葉ですね。

「徳が顕れるには三段階がある。まずその人がその道を修していると知られるようになってくる。

次に、その道を慕う人が出てくる。

最後に、その道を私も一緒に学ぼう、一緒に修してゆこうという人が集まってくる。

これを<道の徳が顕れる>というのである」

これは道の仲間や、仲間の会を開催している人などにも、心得として欲しいですね。

人知らずしていからず、また君子ならずや

の心ですね。

道の志を立てて、なにか活動をしたとする。

1人も話を聞きに来てくれないかもしれませんね。

それでもそこで、自分は黙々と何年も淡々とやっていくと、

その活動が天の道にかなっている、お日さまの心にかなっている活動であれば、

すこしずつ伝わっていく、気づかれていく。

大敬ならみんなで坐禅会というのをしていますが、

あそこで坐禅会というのをやっているらしいぞ、と気がつく人が出てきて、1回行ってみようかな?という人が出てきて、

やってる内に段々と、一緒にやりたいですという人が出てきて…

というふうに進んでいく。

それは別にこの一生だけで上手くやろうとしなくてもいいんですよ、次の生でやってもいいんです。

それぐらいの粘り強さ、というかね

永い目でみてね、大きな視点で進んでいくことが肝要です。

道元さんの言葉(正法眼蔵随聞記より)

「誰でも<道>を得ることは、一緒に学ぶ仲間たちとのご縁によるのだ。

一人、一人、皆もともと道を究める能力を持っているのだが(万人「神のひとり子」)、道を歩めるのは一緒に学び修する仲間の力(「場」の力)による。

だから、今は皆が心を一つにして<道>に参じ、尋ね求めるべきである。

玉は磨くことによって立派な器となる。人は鍛えることによって仁ある人(思いやりの心を備えた人物)となれる。

はじめから光っている宝石があるだろうか。

初心のときから優れている人がいるであろうか。自ら卑下して、『私には道を得ることなんて、どうせ出来ないんだ』などと、学びをあきらめてはいけない。」

お釈迦さまの弟子でも、記録を見ると変わった人が沢山いますよね。

これはちょっと癖が強いな、変わってるなあという人。

そういう個性の強い人でも、お釈迦さまの元にいて学び、仲間のみんなや友人と共に修行していくことによって、聖人になっていかれたという道のりが記録されています。

だから決して『私には無理だ』などということはないのですね。(道の仲間は時間空間を越えて助け合っているので、決して1人ではないのです。


イノチの学校より26 2026.07.14 ~イノチの学校より27 2026.07.15 

論語の冒頭の一節を現代語訳して、意訳しておきますね。

よく教科書なんかにも出てきますね。

原文は

孔子(し)曰(のたま)はく、学んで時(ここ)に習ふ、また説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)遠きよりならび来たる、また楽しからずや。人知らずしていからず、また君子ならずや。

これを現代語訳してみました。

大敬意訳

師(孔子)がおっしゃった「ものを教わる。そして後からおさらいして、また機会があれば、実践によって教わったことが本当か確かめてみる。そうすれば、理解が一層深まってくる。そのような学びと実践検証作業は、何と楽しいことではないだろうか。

志しを共にする友たちが、遠くからやって来てくれる。そして、気づいたことを語り合う。何と嬉しいことではないだろうか。

他の人が自分を認めてくれなくても気にかけないで、今やるべきことを黙々と、淡々と実践してゆく。何と奥ゆかしい、尊い人物ではないだろうか。

僕は、論語はこの冒頭に全部語られている様に思いますね。

やっぱり大敬も、一生懸命学んで、そうして思いついた事を実践で確かめてみる。

そこで体験した事を踏まえてもう一つ深める、考えていく。

これが一番嬉しい。最大の喜びですね。

そしてこの様に皆さんがやってきてくれて、一緒に気づきを語り合う事が出来る。

これは最高の喜びではないですか?

で、こういう事をやっていても世の中の殆どの人には、理解されないかもしれないですよね。

でも、自分は黙々と、自分が正しいと思うことを実践していく。

その歩みを実践していく人のなんと素晴らしい事だろう、自分もそうありたい。

という事ですよね。

ここには論語のすべてが語られている様に思いますね。


2026年8月12日水曜日

4347「祓い清め」2026.8.12

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月27日の記事を紹介します。


「祓い清め」


今日は、「祓い清め」に関する記事です。 

感謝の心を持つことこそ、生きている今、幸せになる方法です。 

今の状況を何とかしたいのに・・・ 

もし、それがどういうことか分からず、何をすれば分からないようでしたら、 

日本と言う国だけに存在する

「ありがとう」という言葉、言霊を、何度も何度も 

毎日毎日

朝から晩まで、寝ていても、心の中で結構ですので、唱えてみてください。 

今日の本題です。

私たちは神社に行くとよくお祓いやご祈祷をしていただきます。 

この祓い、清めることについて 

日本の形成外科の草分け的存在である

医師であり、かつ元春日大社宮司、 故人 葉室頼昭さんが

以下のように説明してくださっています。 

<一部引用開始> 引用元

特に申し上げたいのが、 

日本人は、人間は自分で生きているのではなく、

すべて

・神さまの恵みと、

・祖先の恩

によって生かされている 

という感謝の生活を送ってきたということです。

 

これは、人間の生きる、素晴らしい真実の道です。

この世の中にはいろいろな、悩みや苦しみ、病気などがありますが、

それらすべては、生かされているという感謝の気持ちを忘れ、 

自分の力だけで生きているという

「我」の心が原因で現れてきます。

いろいろな悩みが現れるのは、

神さまからいただいた、清浄で健康な素晴らしい姿を、

覆って包んでしまう、罪(包身 つみ)や、 

私たちを生かしてくださる神さまの尊い気を、

枯らしてしまうような穢(けが)れ(気枯れ)が、

身についたためだということを、

昔の日本人は直感で知っていました。 

ですから、これらの罪穢れを祓(はら)い除けば、

もとの健康で幸せな姿が現れるとして、 

古来より祓いということを行ってきたのです。

これは、世界に誇るべきことであると私は思います。

今の医学では、病気は存在するものであり、

それを撲滅するのが治療だと思われています。

しかし私は、この日本人の、 

罪穢れを祓えば、もとの健康が現れる 

という考え方のほうが、真実の医学ではないかと思うのです。

その他にも、素晴らしい特質を挙げていくと、きりがありません。

日本人は古来より 

素晴らしい真実の生活を続けてきた、世界でも珍しい民族でありますから、 

これらをひとりでも多くの人が自覚し、日本人の誇りをもって、 

胸を張って生きてほしいと願っているのです。 

<引用終了>

私たち人間は、生まれた時には

神さまからいただいた、清浄で美しい心をしていました。 

生まれる前に、誰もが、神さまから

人生の目的や、人生で起こること全て 、これらを承認していただいて、 

生まれることを許され、「行っておいで」と、

祝福されて、地球に生まれてきたからです。

ですが、この世に生まれてきた後、 

制約の多いこの地球で、

いろいろな、しがらみ、悪意、陰謀の波にさらされ、 

何時しか、自我(自分の意志や考え方を言い張って、わがまままこと)に翻弄され、

罪、氣枯れで、魂が覆われてしまいます。 

神社などでの、お祓いや、祝詞は、 これらを祓い清め、 

魂の本来の輝きを取り戻すために行われます。 

祓われるのは、悪しきことだけではありません。 

良きことも、祓い清められ、 

「無」つまり、ニュートラルな状態にしてくれるのだそうです。 

一旦、無の状態になることで、

内なる神聖が輝きだし、本来の道(生まれてきた目的)に立ち返り、

物事が、スムーズに運ぶようになるのだそうです。 

スムーズに運ぶ。。。とは、 

「安楽な道」だけではありません。 

例えば、自分の生まれてきた目的が、

あえて、困難、苦難な状況に身を置くことで、

その中で、

・投げ出さず

・希望を捨てず

・不平、不満、愚痴、悪口、呪いの言葉を言わず

・感謝の心を忘れず

・笑顔を絶やさず 

そのような魂を輝かせるための

訓練の場を、自ら設定して、生まれてくる人もいるからです。 

人それぞれ、 

・生まれてきた目的も

・その達成するための道のりも

・必要な時間も 

全て違います。 

自分のことは、おぼろげにわかるかもしれませんが、

ましては、他人のことは、分かりません。 

分からないのに、他人の一面だけの姿を切り取って見て、 

勝手に解釈し、自分のフィルター越しに見て、

批判、中傷していては、 

自分自身の心を曇らせ、闇に置き、

一気に運気をどん底にまで引き落としてしまいます。 

であれば、 

人を批判・非難することなく、 

そして自分の身に降りかかる運命も、

抵抗せず、感謝をもって素直に受け入れ、 

周りの人に対しては、 

・寛容な心

・優しい心

・あたたかな心

で接して行きたいものですね。

そのような、暖かく、美しい心こそ、 

自分の人生を、暖かく、美しいものにしてくれるからです。


2026年8月11日火曜日

4346「地獄について」2026.8.11

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月26日の記事を紹介します。


「地獄について」


今日は地獄について書きたいと思います。

魂の巨人、出口王仁三郎が表した「霊界物語」からご紹介します。

出口王仁三郎の説く地獄は、魂の浄化と成長のための場として描かれ、

仏教や神道の地獄観を基盤にしつつ、

独自の楽観的で包括的な解釈が加えられています。

地獄は暗闇や試練の場として恐ろしい側面を持ちながらも、

魂が悔い改めを通じて最終的に救済される可能性が強調されており、

単なる罰の場ではなく、霊的進化の一段階として位置づけられています。

絶望ではなく、必ず最後には誰でもが魂が浄化されて救われるという

希望が描かれています。

■地獄の具体例とエピソード

・暗黒の世界:

 罪深い魂が送られる暗闇の地獄では、光が一切届かず、

 孤独と恐怖に苛まれる様子が描かれます。


・試練の場:特定の罪(例えば強欲や暴力)に対応した地獄では、

 魂がその罪を象徴する試練を受ける。

 例えば、強欲な者は果てしない欲望の追求を強いられ、満たされない苦しみを味わう。


・指導者の存在:地獄には、魂を導く霊的な存在や神々が登場し、

 苦しむ魂に悔い改めや成長の機会を与える場面も見られます。


■地獄の描写

地獄は、物質界とは異なる霊的な次元に存在し、そこで魂は自身の行いを振り返り、

苦しみを通じて浄化されるプロセスを経験します。

具体的な描写としては、

・暗闇に閉ざされた世界、

・極端な寒さや暑さ、

・精神的な苦痛を与える幻影や試練

・血の池

・針山 

出口王仁三郎は、地獄を単なる恐怖の場ではなく、

魂が自らの誤りを認識し、成長するための場として捉えています。

そのため、地獄での苦しみは一時的であり、永遠に続くものではないとされています。

以上が、王仁三郎が見てきた地獄の姿です。

神様は優しく、慈悲深い方ですから、神様が地獄を創ったり、

死後私たちをそこに落とすわけではありません。

私たちの心の中には良心があります。

それは私たちの心の中にいらっしゃる神様と言い換えても同じことです。

分け御霊(わけみたま)とも言います。

神様は私たちに自由意志を与えられていらっしゃいますので、

私たちが何を考え、何をしようとを止めるようなことはなさいません。 

しかし私たちの良心も、

神様の性質である、愛や平和、調和。

そこから発生する、思いやり助け合い、お互い様、お陰様などの感謝の心などは、

もちろん持っていますので、

・私たちが何かした時

・何か言ったり行動したりした時

心の中の良心に照らし、もしそれがすれているのであれば、

心の中に葛藤が生じ、痛みが生じます。

もし、両親とかけ離れた言動をすれば、自分自身を許せない・・

そのような感情が起こってきます。

そのような自分の良心に反するような言動をした時に起こる心の中の葛藤は、

私たちが気づかないうちに、

どんどんどんどん私たちを苦しめてきます。

その結果、生きているうちに幸せでない状態、つまりいつも不安だったり、

自分自身を許せないなどのような地獄のような心持ちになり、

その結果、自分の周りにもそのようなひどい現象が出てきます。

空海がおっしゃるように、即身成仏 、つまり生きている間に私たちは成仏、

天国にも地獄にも行くことができますので、

生きているうちに

心の状態により

・天国に住むもの

・地獄に住むもの

と別れてしまいます。 

良心に反する言動した場合には、

もう生きている間から地獄に住むものとなってしまいます。

その結果、死後肉体を脱いだ後、私たちは心つまり魂だけの状態となりますが、

そうなった時 私たちの心の状態が、そのまま周りに現実化してきます。

もし私たちが生きながらもうすでに地獄に住んでいたならば、

亡くなったらすぐに、もっともっとリアルで現実的で苦しく、暗い、

地獄の世界に直行してしまうでしょう。

それは神様が罰として私たちに与えることではなく、

私たち自身が自らの心の状態にマッチした世界に、自ら進んで行きます。

そしてその世界は私たち自身の心が作り出した世界です。

ご自分の心を振り返ってみてください。

あなたの今の心の状態はどうでしょうか?

・今現在地獄に住んでいますか?

・それでも天国に住んでいますか?

地獄に住むとは、自分の良心つまり私たちの中にいらっしゃる、

神様の心と離れてしまっている言動をしていることによって、

・自分自身が許せなくなり

・良心との乖離が生まれ

・自分自身が許せなくなり

・常に不安で

・心の呵責に悩まされ

今まさに地獄に住んでいるということです。

生きている間に このようにブッダ達が教えてくださった、

真理、真実に触れる機会もなかった、縁の無い方々もいらっしゃるでしょう。

これ読んでくださってる方々の中にも、 

心当たりがある方もいらっしゃる かもしれません。

人は誰でも年を取ったり、

病気や事故かあれば、肉体を離れ、黄泉の世界に移行します。

肉体を脱いだ後、私たちが行く世界を決めているのは

今の私たちの心の状態です。

もし万が一、地獄の方に進んでしまったなら、思い出してみてください。

慈悲深いブッダはそこから抜け出す方法も教えてくださっています。

それは感謝の心を持つことです。

ありがとうという感謝の心を持った瞬間に天から光が差し込みます。

周りの地獄の景色がだんだんと薄れていきます。

ありがとうの心が進んでくれば、

だんだんだんだんと周りの霧が晴れ

そして天から手を差し伸べてくださる誰かの姿が見えてくるでしょう。

地獄の経験も、決して私たちを破滅の淵に追いやるものではなく、

魂の浄化のために、神様の承諾の元、物事は進んでいきます。

感謝の心は、こんな所でも、大きな力を発揮してくれます。


2026年8月10日月曜日

4345「因果を超えて」2026.8.10

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月25日の記事を紹介します。


「因果を超えて」

イエスもブッダも空海も、過去の沢山の偉人達も、 

そして最近では神仕組みの元、

・宇宙から直接来た魂や

・神々の意識のまま生まれて来た子供たちも

その全ての方々が、霊的な不思議な現象のことではなく、 

地味ですが、心の持ち方について語っています。 

人々の心を整えることで、

そこから地球を良き星にしようとしています。 

全てのことが、私たち自身の心から始まります。 

決して、どこかの誰かが、

何かをしてくれることにより、

自分の運命が好転するわけではありません。 

依存する心は、返って魂の退化を招きます。 

そして最近はますます思考が現実化するのが早くなったようです。 

これは心の状態が、現実に目の前に具現化されるのが早くなったと同じ意味です。 

自分が意識するしないに関わらず、心の中の情報が、現実化します。 

ですから、テレビや本、最近ではSNSなど、

自分がどのような好みで、それらの情報に触れているかによって、

否応なく、それが現実の世界で具現化して出てきます。

ですから自分が触れる情報にも、よく注意が必要です。 

逆に言えば、 

自分の心に無いことは、

現象として発生しない・・・ と言うことになります。 

愛や、優しさや、思いやりも。 

また心の状態は、単純ではなく、

今世に置いて、自分で意識できることだけではなく、 

魂は永遠ですから、

過去の色んな人生を経てきて、染みついた魂のクセ、 

神我(しんが)を包み隠している、 

・包身(ツミ)-本来の光り輝く神様と同じ姿の自分自身を隠してしまうもの

・氣枯(ケガレ)-神様のご神気の枯渇

によって、その種子が、いつ芽を出そうかと潜んでいます。

何か自分のやったことに対して、自分の思ったことに対して、

直ぐに、しっぺ返しや、反応が現れるということは、 

それだけ、

・現在の地球自体の波動レベルが上がり

・体主霊従から霊主体従の 魂重視の時代に変わりつつあること

・自分自身の、魂の成長が進み、因果律による反応を受け止めても、

 今の自分であれば大丈夫、 それを研ぎ石として更に、魂を輝かすことができると 

 神さまが判断して、現象を起こしてくださったからです。

自分の魂の進化が進まないうちは、

その反応や現象、出来事に耐えられないし、 

耐えられたとしても、そこから、

・何故そうなったのか?

・自分の心のどの部分が、その現象を起こしたのか?

理解することもできないし、そこから教訓を得ることもできないので、 

現象や反応は、まだ先延ばしにされます。 

心の状態が現実化する。 

これはブッダの説いた因果律、

まいた種は刈り取らねばならない・・ と同じことですが、 

このことは、バチでも何でもありません。

全ては神様の私たち人間に対する深い愛から発生しています。 

現象が現れた、

例えそれが、自分にとっては、逃げ出したく、

できれば避けて通りたい出来事であったとしても 

神様が、それを起こるのを「善し」としたから起きた出来事です。 

私たちは、そこから逃げない限り、

また一つ、ツミ(包身)を一枚、心から剥がし、 

光り輝く、もともとの神様の輝きを取り戻すことができます。 

しかし、せっかく、神様が、心の状態を現象として見せてくださっても、

目をそらし、逃げたり、他人のせいにしたり、見なかったことにする、

そうなると、その現象は無駄になってしまいますから、 

再び、宇宙を巡り、さらに強力になり、 

再び、機が熟した時に、神様が私たちに運んできてくださることでしょう。

自分にとって嫌な現象が現れた時は、実は大きなチャンスの時です。 

神様が、「今こそ、それに気づいて解消しなさい」

そんな時だからです。 

逃げないで、正面から受け止め、受け入れれば、

一気に、嫌なことではなく、

魂を輝かせてくれる素敵な出来事に変わることでしょう。 

最初の一歩、 

受け止める、受け入れると決心することは、

「よし、変わろう」と決心することは、 

大きな勇気がいるかもしれません。 

今迄、魂にとって、そこが弱点だったから、現象が起きているのですから。 

ですが、その時、私たちが決断することができれば、

一気に神々の喜びとともに、問題は解決してしまうことでしょう。 

神々を含め自然界から最高のサポートを得られることでしょう。

この見える世界も、見えない世界も全て

私たちの心が作り出しています。 

その心が、本来の神様と同じ輝きを取り戻せることであるのなら、 

神々は、どんなことをしても、 

その大きな私たちの勇気ある決断を、

後押ししてくださることでしょう。

そして、その決断をした瞬間に

私たちの魂の、輝きがまた一段と増します。 


2026年8月9日日曜日

4344「新しい地球へ」2026.8.9

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月24日記事を紹介します。


「新しい地球へ」


今、本当に世界が混とんとしています。

正しい情報が隠され、プロパガンダが幅を利かせていますから

真実を見極めるのは困難な時代です。 

今までの古い価値観に生きてきた勢力と、 

新しい時代を担う勢力との大きな世代交代の時です。 

それは戦争のように目に見える形だけでなく、目に見えない形、神経戦でもあります。 

・正義の名のもとに他者を非難し攻撃したり

・肌触りの良いワードを使い、人心の分断を図ったり 

恐怖と怒りのエネルギーを増幅させようとします。

そして人々だけでなく、地球も・・・ 

地球が変わろう! 変わろう!

としています。 

もう少し時がたてば、

それが何であったのか、誰の目にも明らかになることでしょう。 

私たちが生きている、この地球には、隠されている、重大な事実があります。 

それは

私たちの意識が、現実を作る。 

と言うことです。 

これは、神さまが人間を作った時、

はじめから、私たちに与えてくださった能力ですが、 

その能力は、

人々を支配し、利用しようとする邪悪な意思によって、隠されて来ました。 

隠す方法は簡単です。 

・私たちに不安と恐怖を植えつけ、

・伸びやかな魂の活動を、阻害するだけです。 

ですが、神々の計画により、 

今、時の流れが変わり 

霊主体従(れいしゅ、たいじゅう)の世界

心や魂の在り方が重視され、お金や物や、肩書などは、その次に置かれる、

そんな時代になろうとしています。 

国常立尊(クニノトコタチノミコト)がけん引すると言われる霊主体従(れいしゅ、たいじゅう)の世界。

地球の創生期には龍蛇族が深く関わったとされますが国常立尊も龍神です。

日本書紀では天地開闢の際、最初に現れた神様とされています。 

そして同時に変わりたくない人々は、

新しい世界を拒否して、旧態依然(きゅうたい-いぜん)として、

昔ながらの、

・お金

・地位、名誉、権力

・資産(物、土地、車、家など)

に執着し、恐怖と不安を煽られ、

常に戦々恐々とした世界にしがみつこうとする人もいます。 

それが彼らのエネルギー源だからです。

「いやだ、いやだ」と言いながらも、

結局は、その世界が、性に合っており、心地よいからです。

魂は永遠です。

そして波長の異なる者は、同じ時間・空間を共有することができません。

ですので、それぞれの波長に合った、地球が準備されているそうです。

あの霊的な巨人、出口王仁三郎によれば、 

30年周期で行われる建て替え・立て直しで、今回、神々が目指している変化は、

人間の精神性の復活、

なのだそうです。 

恐怖や不安で、心を縛られるのではなく、 

安心して、伸び伸びと、助け合い、お互いさまで生きて行ける世界。 

全ては繋がっている、そう理解される世界。

そのような世が来れば、私たちは魂の持つ本来の創造性を発揮し、 

必要な時に、必要なものを創造し、利用できる社会になることでしょう。

それが、本来、私たちが持っている力だからです。

ただ、今はまだ隠されているだけです。 

私は知っています。 

無意識のうちに、もうその世界を、生きていらっしゃる方もいらっしゃいます。

その方々は、

・神さまの前に 真摯な態度です

・まわりの人に 優しくしています

・全ての行動の基準が、人が喜ぶことをする・・になっています 

そういった人々は、神さまを信じていますから、不安や取り越し苦労がありません。 

自分を取り巻く状況の変化も、あるがまま、来るがままに任せ、 

それに抵抗したり、悲しんだり、過去を悔んだりしません。 

その状況を呪うこともありません。 

淡々と、自分の置かれた状況を受け入れて、生きています。 

何か人より能力が飛びぬけている必要もありません。

神々の姿が見える必要もありません。 

声も聞こえる必要はありません。

神さまの前に平等である私たち人間にとって、そのような能力は、必要ないからです。 

なぜなら、霊的な現象は、一般大衆にとって驚き以外の何ものでもなく、 

人々はそれを引き起こす人を、

無条件に恐れ、崇(あが)める傾向を強く持っているからです。 

(教祖を頂く、新興宗教のパターンです)

ですが、その関係性こそが、依存と執着であり、今、地球という惑星が求めている、

伸びやかな魂、自立した魂とは正反対のものだからです。 

私たちが、神さまを感じるとは周りの、普通の人々の、行動や言葉の中に、 

見えない神さまを感じる感受性を持つことこそ、

本当に「神を見る」ということに他ならないからです。 

家族や、友人や、同僚の、言葉やしぐさ、行動の中に・・ 

優しさや、思いやり、愛情を感じられたのなら・・ 

その時こそ、そこに、神さまを見た時です。 

神さまは、どこか、遠くの空の彼方に居らっしゃるのではありません。 

何気ない日々の暮らしの中にこそ、神さまは現われ、

私たちに宇宙の奥義、調和された、世界の美しさを、示してくださっています。

神さまは、一部の選ばれた人にだけ、現われるのではありません。 

生きている私たちは全員、神さまの前に平等に愛されています。 

私たち全員の中に神さまはいらっしゃいます。

私たちが身近に接する、 

・病気の人

・年老いた人

・子供たち

・苦悩の涙にくれている人

・罪びと

・貧困の人 

全ての人の中に居らっしゃいます。

アイヌの伝承に現れる、UFOに乗った神がみ、それらの人の 口、そして行動で、

私たちに、神さまの存在を示してくださっています。

もし、周りの方々の中に、神々の姿を見つけることが難しいのなら、、 

まずは、ご自分の心の中を、「ありがとう」の感謝の心で満たしてみてください。 

類は友を呼ぶ、波長の法則の通り、同じ波長の人が周りに集まってくることでしょう。 

もし、感謝の気持ちを持つことも、難しいのでしたら、言霊を使ってみてください。 

それは、ありがとう という言葉です。 

感情を込める必要はありません。 

ただ呪文のように唱え続けてください。 

それは、いつか実を結ぶ時が来ます。 

涙ひとつ流れる時が来ます。 

その時こそ、感謝の心を持つ時が来たことを教えてくれます。 

私たちの意識が、現実を作る、この真実を、ご自分の身体を使って、

実験してみてください。 

この思い通りにならない地球で、その真実を、身を持って経験すること以上に

大切なことは無いからです。 

私たちは平等です。 

自分たちの置かれた場所で、今、身近な周りに居らっしゃる方々に、

自分のできる範囲で、優しさと、思いやり、そして笑顔を向けること、

たったこれだけですが、神々は、きっと私たちにそうして欲しい、

お互いさま、お陰さまで、助け合って、仲良く生きて欲しいと、

願っていると思うのです。 


2026年8月8日土曜日

4343「青空ひろば」2026.8.8

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


イノチの学校より23 2026.07.11 ~イノチの学校より25 2026.07.13

白隠さんのお話の時に、

北方を守る、北の方角を大切にするというエピソードをお話しましたね。

それで、ここからは別のお話ですが、地球の気の流れは北から南に向けて流れているんだという説があるそうです。

だから、北向きに頭を向けて北枕で寝ると、新しい気が頭から入ってきて、そして古い気が足の方から出ていくので、自然のリズムに則して気が流れる。

とてもよいイノチの充電法になるようです。

だから北枕は良いことなんだというのですね。

それで、面白いのはね、犬。

犬ってうんちとかおしっこするときグルグルグルグル回って、ウロウロして位置を決めてね、それでうんちやおしっこをしますよね。

それを研究した人がいてね、面白いこと調べるなあと思うけど。

いっぱい調べた統計の結果、北向きに頭を向けて、南にオシリを向けてうんちやおしっこする犬が一番多かったそうです。

確率を調べたらそうなっていた。

これもなんか意味があるんじゃないかな?

気の流れに則した方角を向いて、大地に向かって出す。

風水の基本ってね入り口を綺麗にして、出口を綺麗にすること。

そしたら気の流れがよくなる。

家でいえば入り口が玄関で、出口がトイレですね。

その二つをまず大切にするのが家のね、風水の基本って言われる。

地球の気の流れで考えると、北から入ってきて、南へ出ていくという流れがある。

それを知っておくと良い気がしますね。

渡り鳥とか伝書鳩ってね、帰ってきますよね?あれはどうして帰る事が出来るかと言うと、身体の中に磁気に感応する細胞がちゃんと存在しているんです。

地磁気を感じ取って、どちらが北なのかがわかる。そして体内時計というのもあるから、太陽の位置を見てね、自分が行くべき方向と今いる場所が合っているのかズレているのか?がわかるらしいんです。

だからその、磁気に感応してそして太陽の位置を調べて、自分の巣はどっちの方向にあるかを判断して鳩は帰ってくる。

僕は鳩飼ってたからよくわかります、

伝書鳩って段々と遠くまで行って帰ってこれる様に訓練するんですけどね。

渡り鳥もそう。

鳥は磁気に反応する細胞もってるし犬も多分ね、南北方向にちゃんと向くいうのはそういう感覚器官があるはずですね。

だから人間も絶対持ってるはず。北と南がわかるはず。

だからそういう感覚を磨くといいですね、

そうすればイノチをよりよく充電できるかもしれませんね。


イノチの学校より21 2026.07.09  ~ イノチの学校より22 2026.07.10

法華経の安楽行品(あんらくぎょうほん)には、このように書かれている所があります。

・ひとついのちの真理(そして真理を説く者)は、権力者の反発を受ける場合がある。

これは何故か?

これはね、権力者というのは囲いを作って、その内側の自分の物とか。内側に入ってきてくれた人々を守ろうとする。

そういう既得権益を守ろうとする性質が権力者にはあるんです。

〈囲いを作る人〉が権力者です。

囲いを作るという発想をするのが権力者なのですね。

じゃあ、ひとついのちの真理を説く人や僕らは何を言ってるかというと、

囲いが必要ありませんよ、囲いを外してもちゃんと生きられるんですよ。

囲いがあるから入ってこないんですよ、

囲いがあるから、出さないから入ってこないんですよ。

だから囲いを作るのではなくて、囲いを外せばお互いに自由にやり取りできる様になってちゃんと生きられるんです。

世界はそういう風にちゃんと出来てるんですよ。

その自然な状態に戻りましょうねって言ってるのが僕らや、ひとついのちの真理の考え方です。法華経もそうですね。

だからそれに対して、権力者はそういう考え方は、自分の利益に反するので反発する訳です。

そういう事があるからね、と安楽行品(あんらくぎょうほん)には書いてあるのですね。


イノチの学校より15 2026.07.03 ~イノチの学校より17 2026.07.05

幼少期の白隠さんに、休心坊(きゅうしんぼう)さんという旅の念仏行者が伝えた言葉

幼い7歳の白隠さんに、休心坊さんが伝えた生き方の極意はこの様なものだといわれています。

「お前は時(じ)ぎり場(ば)ぎりの生き方をしなさい。」

時ぎりって時(とき)のぎり、それから場って場所のぎり。

どういうことかというと今ココにキチッと自分のイノチをおいて、そこに生きる。

後先の事を考えずに生きる。

その時かぎり、その場かぎり、今ココに生きなさいという事ですね。

それで、面白いですね。

時ぎり場ぎりで、今ココに腰を据えて生きる様にすると。

後先が無視されている様に見えるかもしれんけど、そこに腰を据えて座ると後先が生きてくるっていう。

それを道元さんは、

現成公案という言葉で説明されたのでしたね。

現在に成り切っていく、現成。

これが時ぎり場ぎりですね。

そうすると、そういう風に時ぎり場ぎりで生きていくとその歩みは「公」となります。

現成公案の公ですね。

公とは神のことです。囲いのない存在ってことですね。

だから、自分のイノチが神(公)に届いて、神から「案」、一番適切な生き方ができる様な、アイデアを授けられる。

時ぎり場ぎりで囲いを外して生きたら、

神さまから自然にそうして、一番適切な生き方を授けられるよ。

というのが現成公案ですね。


イノチの学校より18 2026.07.06 ~イノチの学校より20 2026.07.08 

戦後の日本人について語られた、岡潔先生晩年の言葉を紹介しますね。

『短く区切って見ると、日本民族は失敗に次ぐ失敗をもってしているように見える。しかし、長い目で見れば、少しも無駄をしていないのではないかと思う。』

そういう境地に晩年はなられたんですね。

『ところで武士道の最大の欠点は、自分(小我)の幸福を心から喜べないことである。』

岡先生が親から教えられた、我を後にし人を先にせよというのは、武士道のような道徳観から来ているのですね。しかし、それだけでは自分の幸福を心から喜べないと言っておられる訳です。

『神代調(神話のお話)にこれもまた必要であることは、先きのすさのをの尊の歌を見ればわかるだろう。

だから日本はいまそこだけを取り出して練習しているのであろう。戦後だけ見ると、ただ利己主義だけが目について、畜生道とも餓鬼道とも見えようが、ながい目で見れば、そういう意味があるのではないかと思う。

目に見える日本民族は、目に見えない日本民族の心に絶えず操られているのだから、この民族の将来は心配がいらないと思える。』

岡潔先生晩年の境地ですね。

武士道の美徳だけでは、自分の幸せを心から喜ぶ事が出来ない。そこが武士道には欠けているのではないかと仰っている訳です。

自分の幸せを心から喜べること、自分を大切にすることも必要なのだ。それは日本の神話を読めば、スサノオさんの歌を見ればわかるだろうとそう言われているのです。

だから、戦後の日本は利己主義で、餓鬼道や畜生道のように悪くなってしまった様に見えるかもしれないけれど、

長い目でみれば、日本の美徳に不足していた自分のことも大切にできるようになる練習を今はしているんですよ。

だから日本民族は大丈夫なんですよ、と話されているのですね。

目に見えるところだけを見ていたらとてもそう思えないかもしれないけれど、日本民族の心に私たちは導かれているんだと。

日本民族の心とはお日さまの心、ひとついのちの生き方ですね。

目に見えない大きな神さまの心に導かれているんだということです。

そうした大きな心の在り方とはどんなものなのか?

道元さんの布施論をお話しておきますね。

道元さんは布施というのは、

囲いを取り去って必要な時に必要なものが流れ込むことなのだと言われました。

自分が低い土地にいれば、高い土地から自然と自分の所に必要なものが流れ込んでくることも布施。

与える手だけでなくて、受け取る手も布施なのですね。

受け取る手が与える手でもあるのです。

大きなイノチの在り方として、自分が高い土地にいれば自然に低い土地へ必要なものは流れていきます。

自分が低い土地にいれば、高い土地から自然と必要なものが流れてきます。

自分だけ後にして、人を先にしなければならないとは言われませんでした。

そういうことは間違っているよと道元さんは言ってくれている。

そういう風にね、必要とあれば自分のためや自分の家族のためにお金やモノをもらってくるということも大切なこと。

それもOKなんだよ、というもっと大きな、

おおらかなところを布施論で示して下さっています。


2026年8月7日金曜日

4342「地上の星」2026.8.7

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月23日の記事を紹介します。


「地上の星」


日本中あちこちに神社があります。 

そして、その一つ一つは光を放ち、かつては、地上の星となっていました。 

小さな村々では、神聖な場所、氣の良い所に、 

神社が立てられ、 

村人たちの心のよりどころとなってきました。

何かあれば、みんなで神社に集まり、お祭りしたり、盆踊りをしたり、 

神社(産土様)を中心に、村人の心は繋がっていました。

その村のコミュニティの結束のために、神社は心のよりどころとなっていました。 

また宇宙を起源とする「神々」と称される知的生命体も、古の時代から、地球を訪れ、 

石や岩、または山全体などをヨリシロとして、その神輝を放っていたと思われます。 

つまり、地上の星となって輝いていました。

これは夢物語ではなく、かつて、アポロ14号の宇宙飛行士エドガー・ミッチェル氏が

宇宙から地球を眺めたときに「1か所ものすごく光って見える場所があった」と言って 

その緯度・経度を計測してみたそうです。

その場所は御岩神社(茨木県日立市)だったそうです。

御岩神社

神様のパワーは、人々の敬虔な祈り、神様と関わりあおうとする人間の氣によって、 

維持され、増幅されていきます。

神様だけのパワーで、神社の光が維持されているわけではありません。

必ず人間側からの関わりが必要です。 

ですから、人間側から、神様へ 

・意識を向けること

・真心を尽くすこと

・感謝の気持ちを表すこと 

それは、とっても大切なことです。 

ですが神々も、人間に忘れ去られた時、誰も見向きもしなくなった時、

かつて光を放っていた神社であっても光を失い、

そこに居らっしゃった神様の氣も、枯れて消滅してしまいます。 

数年前、弥彦神社のご妻神、熟穂屋姫命から、そのお話を伺ったことがあります。 

弥彦神社の神さまの奥様を祀る妻戸神社

神々からのアプローチは、どなたにも等しく、平等に降り注いでいます。 

それは、ご自分で、見ようとしなければ見えないし、聞こうとしなければ聞こえません。

神さまと、触れ合おうとしなければ、決して感じることができない繊細なものです。 

神社や仏閣に行った時

・風

・水の流れ、せせらぎ

・雲

・お日様

・人々の笑い声

・虫

・動物

・花、植物、木々のざわめき

・虹 

に神経を集中させてみてください。  

神さまは、お優しい方ですから、

何らかの気付きを与えてくださると思います。

・それを無視するか、

・偶然であると片づけるか

・バカバカしいと思うのか? 

ご自分の自由です。

ですが、神さまの働きは、自分で、触れ合おう、感じようとしなければ、

決して感じることができないものです。 

妻戸神社で聞きなれない言葉を聞いたことがあります。

「人々の信仰、記憶が続く限り、神々は存在する」

※これはエネルギー的な存在の事を言っています。

人々の記憶が無くなり、信仰するものが誰もいなくなったらどうなるのか?

「その時 消滅する」

エネルギー不変の法則と言うものがあります。

それとどのように整合性が取れるのかは解りません。

ただ、最近の研究ではエネルギーは無から生じ、そして無に帰ると言われています、

その無に帰ると言う事かも知れません。

その真の意味は元々の大神様のいらっしゃる世界に戻ることかもしれません。

また、出口王仁三郎の霊界物語では、この逆パターンが描かれています。

つまり、八岐大蛇や金毛九尾の狐などと言った悪役の魂は、 

元々は、人々の、不平不満悪口、恐怖、怒り、

などその様なエネルギーが段々と凝り固まって発生し、力を得て来たと。。

その反対に、人々の熱い信仰と真心、神様に通じる思いが、

こう言った神々に大きなエネルギーを与えて行ったのかもしれません。

そして、そのエネルギーの源泉が無くなった時のことを

「消滅」と言う言葉であらわしたのかもしれません。

その時「消滅」という言葉がでたので、

ちょっとショックで、人間についてお聞きしました。

私達、人間の場合はどうなるのでしょうか?

それは消滅ではなく、集合意識、もともと私達がいくつも枝分かれしてきた魂の元に合流し、その個性を失う事のようです。

決して消滅するわけでは無いようです。

それが、良いことか、悪いことかは判断できません。

魂の大本、トータルセルフと一体になることは、そう悪いことでは無いと思います。

元々私達の魂は巨大で、幾度も、分離、そして吸収、知恵や経験の攪拌をl繰り返し、

より優れたものへと進化しているからです。 

この個性は、全てそこから派生したものだからです。。

元々の地球や、宇宙を作った大神、そして私達生命を持つもの、

そして、人々の思い(生命を持つもの)から発生、進化していった生命体、

それぞれが、この宇宙には存在しています。

私たち生きている人間は、自分の力などちっぽけな物、

そう考えて、 

・神々に頼ろうとするかもしれません。

・霊的に力があると吹聴する人に頼ろうとするかもしれません。

ですが、私たち一人一人の人間の精神の力は、

神々へもパワーを供給するほどの力があります。

私たちの純朴な

・優しさ

・思いやり

・助けい合いの心

・お互い様の心

そういう美しい真心こそが、神々のエネルギーの源泉となり、

何時までも地上の星として輝き続け、私たちの幸せに手を貸してくださることでしょう。

その思いやりの循環こそが、私たちが地上に来た目的であり、

地上の星となってくださった神々の願いでもあります。


2026年8月6日木曜日

4341「縄文スピリッツ」2026.8.6

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月22日の記事を紹介します。


「縄文スピリッツ」


今世界を見渡せば、最終戦争のような様相を呈しています。 

地球の進化にそぐわないものがあぶり出され、

まさに魂の振り分けが行われているような状況です。 

そのような中で、ますます希望の光となるのが、 

神々が地政学的に何万年もかけて育て

日本人のDNAの中にしっかりと根付いた「縄文スピリッツ」かもしれません。

物理的な戦力やパワーはなくとも、 

その真の日本人の精神性は、例えば羽生選手の例のように、

世界中の人々の胸を打つものがあります。 

戦後この力を恐れた占領軍の敗戦処理によって、

日本人の精神性は一見、切断されたかのように見えますが、

1万年以上の文化に培われたそのDNAは、そう簡単に破壊することはできません。 

文化は異なっても、同じ神様からの神聖火花を頂いている人類同士、

高い倫理観と、神々とともに生きてきた、その生きざまは、

世界中の魂の共鳴を起こすのでしょう。 

今日はそんな日本人の心に眠る「縄文スピリッツ」のお話です。 

日本人には、はるか縄文の時代から、

1万年以上も続く、ものの考え方の基本があります。 

自然を敬い、全ての物にスピリッツ、魂を感じ、

大切にするという、いわゆる古神道の考え方です。 

そこでは、神々はもちろん、死者でさえ敬い、

その幸せを願い、喜んでいただくことこそが、 

生きている私たちの幸せに繋がると信じられてきました。 

このような考え方、生き方こそ、私たち日本人のDNAに息づく尊いものであり、 

まさにそのことにより、日本は世界のひな型と言われるようになりました。 

2011年には、神々に近い魂として、破壊の時代の予行演習がなされました。

今の時代はまさに、

私たちのDNAの中に眠る、

縄文のスピリッツの遺伝子をONにする時代が訪れています。

私たちの祖先の縄文の時代は、

1万5千年間も日本で続いた平和な時代でした。 

その時代には、争いの形跡が一切見つかっていません。 

争い、いさかい、過度の所有意識が始まったのは弥生時代からです。 

つまり弥生族が大陸から、日本に渡って来てからのことになります。 

どうして縄文人は争いをしなかったのかというと、 

その理由は、縄文人は外に「神」を作らなかったからでした。

「神」は人それぞれの「自分の中にある」と信じて、

お互いの「神」を尊重しあったからです。

自分の中の「神」が尊重されるには、

相手の中の「神」を尊重しないといけません。

このように、すべての対象のうちにある「神」を尊重しつつ、 

自分のうちにある「神」に感謝した時代が縄文時代であり、 

古神道の基本的な考え方でした。 

これは、まさに、ブッダグループが、人類の精神性の進化のために、

時を超え、今の時代に、取っている方法論と全く同じです。 

まさに縄文回帰、「縄文の心を取り戻せ」のスピリット。 

これこそが、私たちが、私たち一人一人の心の中にこそ、

神さまを見出し、お互いを尊重し認め、 

助け合い、お互いさまの気持ちで生きて行く、 

精神的な支柱となります。

今の時代に言われている「国常立尊の復権」とは、

そう言う意味を持っています。

地上の変化は、まず目に見えない世界で起こります。

上なる如く、下もまた然り・・です。 

そして神々は、人間の精神性の復活を通じ、この地球を変えて行きますが、

その変化は、多くの人が期待するような、

・派手で、

・ドラマチックな、

・天変地異のような

やり方ではないと思われます。 

大事な物は見えない・・・

いつの世でも、やり方は同じです。 

単なる好奇心を満たすような、人目を極端に引く、

サーカスを見せるような方法は取りません。 

地味ですが、着実な方法です。 

私たちのハートの中には 

・先祖を大切に思う敬心

・死者の幸せさえも願う優しさ 

そして、生きている人々に対する、 

・お互いさま

・お陰さまの心

相手の個性、尊厳を大切に思う、温かな心、優しい心でありました。 

ただ、明治の文明開化、戦後の敗戦処理によって、

その大切な心が強制的に、忘却させられていただけです。  

その美しい神のような心を取り戻せば、

きっと、 

気付いたら、

いつの間にかミロクの世が始まっていた・・ 

そのようになっていることでしょう。 

今は、建て替え、つまり破壊の時を過ごしていますが、 

これを耐え忍べば、いよいよ美しき世界への建て直しの時期です。 

希望を持ち、周りの人々と助け合いながら、

笑顔と感謝の気持ちで暮らしていれば

きっと、その美しき世で暮らすことができるでしょう。


2026年8月5日水曜日

4340「闇の中」2026.8.5

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月21日の記事を紹介します。


「闇の中」


前ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの言葉に

「置かれた場所で咲きなさい」と言う言葉があります。

では、苦しく辛い闇の中に置かれた人はどうでしょうか?

時に神様は私達を闇の中に置き去りにしてしまわれたのか?

と思うような厳しい環境の中に置かれることもあるでしょう。

一度も闇の中に入ったことのない人、

それは幸せと言えば幸せかもしれません。

でもその幸せは、

暗闇の中から一条の光を見つけた時の喜びとは比較にならないものです。

私達の内に居らっしゃる神さまは、私達にかけがえのない大切なもの

「おかげさま」の気持ち、

それを忘れないように、思い出すように、

時に私達を闇の中に置かれます。

渡辺和子さんの言葉にこんなものがあります。

<引用開始>

闇の中に置かれたがゆえに、

それまで知らなかった様々な、

“明るさ”のありがたさがわかるのです。 

それこそ「当たり前が輝いて」見えてくるのです。

私は、苦しい時には、しっかり苦しんだらいいと思っています。

「この苦しみも、神様の思し召し、

愛されている証拠」などと、

一直線にありがたがってしまうと、 

せっかくの苦しみがもったいないように思うのです。

「あかりをつけたら、闇がもったいない」というのと同じです。

闇には闇の価値があるのだということ。

明るいところにしかいたことのない人に、

真の闇の暗さはわからないし、

したがって明るさのありがたさもわかりません。

闇の中に置かれたがゆえに、

それまで知らなかった様々な“明るさ”のありがたさがわかるのです。

それこそ「当たり前が輝いて」見えてくるのです。

<引用終了>

病気やケガもそうですが、

苦しみの最中は、心臓も凍結しそうなほど、

息をするのも苦しいかもしれません。

布団をかぶり、声を殺して泣く日々もあるでしょう。

周りの全てが敵に見えるかもしれません。

ですが、そういった闇の経験こそが、

・私達自身を養うための時間、

・心を練るための時間であったと

気付く日がきっと来るでしょう。

明けない夜など絶対にないからです。

闇を経験したことのない人、

孤独を味わったことのない人。

いつもケラケラとふざけて笑い、

美味しいものを好きなだけ食べ、

わがままを言い、欲しいものは何時でも手に入る豊な人生。

もしかしたら、そういう人生にあこがれるかもしれません。

ですが、果たしてそこから、

私達の一番大切な魂は、何かを得ることが出来るでしょうか?

人それぞれが選んできた人生。 

時には、何の不自由や心配のない

「休息の人生」を選択して生まれて来る人もいらっしゃるようです。

ですので、どれが良い、悪いと決めつけることはできません。

ですが もし今、闇の中に置かれた方がいらしたら、

少し考えていただきたいのです。

もしかしたら、神さまが苦しみ、悲しみの闇を、

私達の今まで知らなかった様々な“明るさ”のありがたさに気付いて欲しいと、

用意して下さったものかもしれないのです。

神様は、無駄なことは決してなさいません。

決して、私達を困らせよう、

破滅させようなどとは思っていません。

全ては私達の魂の喜びの為に用意なさって下さっているからです。

温かな、愛溢れた方だからです。

その神様がどなたの心の中にもいらっしゃいます。

勇気を思い出してください。

私たちは、生まれる前に、そうなることを神さまと選び、

そして必ず乗り越えて、 

魂の深みを手に入れてみせると約束して地球に生まれてきたのですから。

神さまは、どんな時も私たちの傍らから離れることは無いのですから。


2026年8月4日火曜日

4339「先祖供養、親孝行」2026.8.4

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月20日の記事を紹介します。


「先祖供養、親孝行」


先祖供養のお話です。 

来月はお盆ですね。

皆さんは、お墓参りをされますか? 

以前、宝徳様の神職の女性が「先祖供養」について話してくださったことがあります。 

それは、 

自分と、神さまの間に、ずらっとご先祖がいらっしゃる。

つまり、神さまと生きている私たちを繋いでくださっているのが、ご先祖 

先祖供養をすることで、 

私たちまで命を繋いでくださったことに対する感謝、

(どんなにか、苦労を重ね、喜び悲しみを経験し、生き抜いてくださったことでしょう)

そして、神様と私たちの、その道筋の間の、どなたも、神の光の道からそれないように、

真っすぐに神様の方向へ進めるように足元を照らすように

お祈りするのが、先祖供養です。

そう教えていただいたことがあります。 

さて、斎藤一人さんも、先祖供養について、

いろいろ教えてくださっていますのでご紹介します。 

<引用開始> 引用元

先祖供養の本当の意味は、子孫であるその人のことを、

「いてくれてよかった」って言う人が何人いるかなんだよ。

大きな仏壇を買うことが先祖供養じゃないの。

それは仏壇屋さんや宗教をやってる人が言うこと。 

さらにいえば、それって商売なの。 

仏壇に入っているのは仏様なんです。

それで30分も1時間も先祖供養のために

念仏を唱えるっていうんだけど、お経って仏様の教えなの。 

仏様が教えたことを仏様に向かって30分も1時間も話すって変だよね。 

きっと仏様も、「それ、俺が言ったんだよ。

だからわかってるから、外に行って実践しな」って言うと思うよ。

お経をあげるのがいけないって言ってるんじゃないの。

あげてるあいだは無心になれるし、

そのあいだ、人の悪口とか言わないからそういう意味ではいいの。 

でも、どうせだったら、意味も知ってたほうがいいよね。 

さらに言えば、それを実践できるようにしたほうがいいよねってことなの。 

だから先祖供養でいちばんいいのは、

「あなたがいてよかった」(あなたが生まれてきてくれて良かった)って言ってもらうことなの。

あなたが生まれてきたのは

ご両親がいて、そのまたご両親がいたからなの。 

先祖が誰一人として欠けても、

あなたはこの世に生まれてこなかったんだよね。 

子供をほめられたら親ってうれしいの。

だから、あなたがほめられることが、 

最高の先祖供養になるんだよ。 

<引用終了> 

確かにそうかもしれませんね。 

私たちも、子供たちが、世間の皆さんに喜ばれる存在であれば

自分が褒められる以上に、とっても嬉しいと思います。 

私たちが、周りの方々に示す 

・優しさ

・思いやり

・助け合い

・お互い様、おかげ様 

の心は、自分たちだけでなく、ご先祖様を含めて

幸せにしてくれるようです。 

人に依存しない、

理想的な形の先祖供養かもしれません。 

また、「親孝行」について、小林正観さんが以下のように仰っています。 

<引用開始> 引用元

親孝行とは、親が生きている間に、してあげるものではありません。

本当の親孝行とは、親が亡くなったときから始まります。

親が亡くなり、あちらの世界に行って、こちらを見ているときに、

ほら見てください。あれが私の子供です。

あんなに人に喜ばれながら、楽しそうに生きているのが、私の子供です。

と自慢できるような生き方をすることが、最大の親孝行ですよ。

親や祖父母、近親者が亡くなって

何もしてあげれなかったと思っている人も多いようですが、

本当の孝行って今これからなんですね。

・人に喜ばれていますか?

・今を楽しんでいますか?

ご先祖様が、私たち子孫の自慢話を

話題にできるような、生き方ができているか?

見つめ直してみましょう。 

<引用終了> 

ご先祖も、両親も、そして今の家族も、みんなを幸せにするのは、

みんなに幸せを感じていただくためには、 

全て、今の私たちの生き方、心ひとつにかかっているのですね。

みんなが幸せに、笑顔で生きていけるよう、

命を繋いでくださった先祖も、

神さまのもとに、真っすぐに歩みを進めて行けるように、

 

心を整えていきたいものですね。 

私たちの心は、本当は 

・見えている世界

・見えない世界 

さえも包括する、偉大で尊く、巨大なものです。 

みんな、心の鎧を脱ぎ捨ててしまえば、

純粋で、優しく、愛に溢れた光り輝く魂を持っています。

まずは、自分の半径3m

身近な人たちからスタートですね。


2026年8月3日月曜日

4338「青空ひろば」2026.8.3

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


イノチの学校より14 2026.07.02

日本は世界の気が集まってくる龍穴というお話をしましたが、日本人のDNAを調べると出アフリカの遺伝子が三系統全てあるというんですね。

世界のほとんどの地域では出アフリカの遺伝子は2系統までしか見出せないのに、

日本人の遺伝子にはアフリカ起源の遺伝子が三系統全てあるというんです。

三系統全てが入ってるということは、これまでも世界中から様々な人種が日本にやってきていたということの証拠ですね。

人がやってきたということは神さまや言葉や文化も届いているということですね。

そこの所がおもしろいですよね、

日本に世界中の神さまがお祀りされているということにもなりますね。

だから世界は治まっているんですよ。

色んな神社に神さまがお祀りされていますけど、それは世界のそれぞれの地域の神さまが日本に流入してきてお祀りされていますね。

そうして調和することによって世界が、今のような状態でまだなんとか治まっています。

日本人はそういうことをしなければならない使命があるということですね。


イノチの学校より13 2026.07.01

日本は世界の気が集まってくる龍穴だとお話しましたが、それを金光教組はこのように言われました。

『世界の国々と日本を比べると、日本は落ちくぼんだところで、このくぼんだ所に水がたまるように、世界中の問題が日本に集まってくる。』

大本教の出口王仁三郎さんはこのように言われていますね、

『日本は世界の雛形であり、そのため両者の地形は互いに照応する。また、世界で起こることは日本でも起こり、日本で起こることが世界でも起こる』

で、王仁三郎さんのいろは神歌というのがあって、

『日出(いづ)る国の日の本は、全く世界の雛形(ひながた)ぞ。

(中略)

我九州は亜弗利加(アフリカ)に、北海道は北米に。台湾嶋は南米に、四国の島は濠州(オーストラリア)に、我本州は広くして、欧亜(おうあ)大陸(ユーラシア大陸)其儘(そのまま)の、地形を止むるも千早振、神代の古き昔より、深き神誓(ちか)いの在(いま)すなり。』

ってね、照応関係にあると歌われています。

ユーラシア大陸は本州にあたる、北海道は北アメリカにあたる、四国はオーストラリアにある、九州はアフリカにあたる。

だからこれを考えていくと、これからの時代の色んな問題やイベント事の舞台はアフリカになりますね。


イノチの学校より12 2026.06.30

日本は地球全体の気が集まるツボである。

だからそういう世界の全てが集まってくる、日本にはあらゆる国の料理が集まってきていますけど、それを日本人は上手いこと加工して、皆が日常で食べられる様に加工したりしていますね。

あれが日本人の特徴なので、そういう形で世界中のものをね、調和できる形に作り上げて、今度はそれを世界に発信していく。

そういうことが日本人は出来るような気がします。そういう時代が来ていますね。


イノチの学校より11 2026.06.29 

今の時代には海外から人々が流入してきていて、それがアチコチで問題として取り上げられたりしていますね。

でもね、日本っていうのはそういう風に全てが集まる場所。世界中のすべてのものが流れ込んでくる龍穴になっているんです。

だから民族もどんどん集まってきますね、自然なことです。それを拒絶して、今までの自分達だけの安らかさだけを保とうとしたり、鎖国の様なことをするなら、それは間違いだと思う。

「日本民族」という枠から「世界人類」という枠に発展させなければならない時代がきたんですね。

天武天皇も時代もそうでしたが、今の時代は、またもう1回そうした色んな遺伝子を持った人達が集まって、そこでもう1回ルールを作り直す。

そういうことをやっていく時なのですね。


大敬イノチの学校より9 2026.06.27

岡潔先生の晩年の境地について

岡先生は、「このままでは日本は滅びて、世界も滅びる!」という危機感を持って、色んな講演に呼ばれたり本を書いたりしていたそうです。必死で活動してたんだけど、その本を読んだ人たち、或いは講演を聴いた人たちから「心が洗われる様な気がします。先生のお話を聴いているとホッとしています。」と言われて、岡先生はガッカリしてしまった。

一生懸命警鐘を鳴らして滅亡を止めさせようとしているのに、講演を聴いて、言葉を読んでホッとしました楽になりましたという人ばっかり。こんなんでいいのだろうかと苦悩されたそうです。(続く)


大敬イノチの学校より10 2026.06.28 (前回の続き)

で、最晩年になってちょっと変わられるんですね。そういう危機感から脱却された様です。

その時の言葉を紹介します。

 『日本民族の中核の人々は、心(真我)を自分だと思っている。五尺のからだ(小我)を自分だなどと思ってやしない。

肉体は二つよせても一つにならないが、心を二つよせると合わさって一つになってしまう。だから日本民族の中核は一つの心である。これを日本民族の心と呼ぼう。

日本民族の中核の人たちは、自分は日本民族の心の中から生まれてきて、またそこに帰って行くひとひらの心だと思っている。私もそう思っている。

だから死を視ること帰するが如く、即ちふるさとへ帰るように死ぬことができるのである。』

これは人類の魂から個々のイノチが出てきてまたそこに帰っていくんだよ、ということを現しているんだけど。

岡先生の時代の限界は、それが日本民族のお話なんですね。でも僕らの時代はそれが世界人類じゃないと駄目なので、日本民族という狭い領域での話とする必要はないですね。(完)


イノチの学校より8 2026.06.26

岡潔先生晩年の不思議な体験についての話題。

岡先生は若い頃はそういう、不思議な体験を話されてなかった様ですけど、晩年の著書で自分の不思議体験も書かれるようになったんですね。

面白いですね、大敬は岡先生とは逆です。

岡先生は手に取るように正法眼蔵(難解な哲学書としても有名な、道元禅師の著書)がわかるようになったそうです。大敬は何もわからない。正法眼蔵何もわからないけど、必要な時だけ、それがどういう意味かわかって書ける。言葉にして書ける。

岡先生は言葉には言えない、言葉にはできないと書かれている。

大敬は言葉には出るけど、自分が本当にわかってるか?というと自分は知りません、

私の責任ではありません。ほっといてください!という様なのが笑

大敬の持ってる何か、悟りのようなものですね。


イノチの学校より7 2026.06.25 

心不可得(しんふかとく)についての話題

アタマでなにもかもグゥーっと握りしめようとするのではなくて、心不可得。心とは手に取れないものですよ、ということに安心できる様になる。イノチはアタマではコントロールできないということがわかるということ。


イノチの学校より6 2026.06.24

「アタマ」の働きというのは目指す方向を指示することはできるけど、働きは「カラダ」がやる。

そこのところを忘れないでね。その時々で、切り替えを上手いことしないといい行動にはならないですね。


イノチの学校より5 2026.06.23

(イノチの本能についての質問への回答)

「そうなんですよ、イノチの自然として弱いものは全体によって守られ、余力あるものは必要なものを援護することになるのです。それがイノチの理なのです。」


イノチの学校より4 2026.06.22

現成公案(げんじょうこうあん)の「現成」とは?

現成って現在に成り切ること。

現在に成り切ることって、アタマで打算して考えないでワッと、スッとやるべきことをやっていく潔さ。そしたら必ずその行動はピタッとね。その場所、場所の一番ピタッと適切な行動になっていく。


イノチの学校より3 2026.06.21 

現成公案(げんじょうこうあん)の「案」とは?

案というのはその時その時でいちばん相応しい、アタマで考えた訳ではない、計算した訳ではないんやけど、思い切って身を投げ出して行動したら、これが一番ピッタリの行動になっている。

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イノチの学校より1

2026.06.19 

これはなにか日本的霊性の特徴ですけど、

必ず火の試練水の試練、そして最後に土の成就というのがあります。

ヤマトタケルも火の試練にあって、海が荒れてという水の試練を経て、自分の使命を成就するという。日本的霊性は3つセットで出てきますね。(続く)


イノチの学校より2 2026.06.20 

(前回の続き)

それはキリスト教でもありましたね。

イエスさまもそうです、火の試練と水の試練と、地の成就という順番。

なにかそういう大きなパターンがあるのですね。


2026年8月2日日曜日

4337「八百万の神」2026.8.2

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月19日の記事を紹介します。


「八百万の神」


日本では古くから、八百万の神と言って、

全ての人、生物、植物、無機物、そして自然現象まで、

全ての中に神が宿っているとしてきました

そのような神様のことを八百万の神と言います。

もちろん、神様が宿っているとは確かなことで、

宇宙創成の神、例えば

・天之御中主神(アメノミナカヌシ)

・高皇産霊神(タカミムスビノカミ)

・神産巣日神(カミムスビノカミ)

の神々は造化三神と呼ばれ、

天地万物の生成化育を司るとされています。

そして宇宙に現れた途端、隠り身(消える)になり、

宇宙全ての領域、

時空に遍満されていると言われています。

つまりこの宇宙中に、

神々の精神(意識・心)が存在しているということです。

時に人間においては、

この神々の精神(意識)が濃厚に宿っていますから、

神々に近い存在となっています。

また動物や、植物の中にも、神々の精神が、集まって宿っています。

精霊や微精霊の場合には、

神々の氣が集まっていますが、

まだその密度は希薄で、

意識の進化は人間ほどには進んでいません。

精霊や微精霊は、

進化したり、集合(合体)をすることで、

より進化することもできます。

これが進化して行って神様になることもあります。

このような場合、「一度も人間を経験していない神様」と言うことになります。

ですから八百万の神と言っても

神様までの進化具合は様々であるため、

時に呪い神になって人間に害やいたずらを与えることもあります。

例えば自分の守っていた地域や土地が

人間の無知であったり身勝手な行動によって犯されたりすると、

その人間を呪ったり、苦しめたりすることもあるわけです。

聞いたことがありませんか?

古い土地を更地にして家を建てる時、

古い井戸だったところには、

少しだけ管を通し空気の通り道を作っておくように・・など

そうしないと、そこに居た八百万の神々のどなたかが

害を及ぼす・・など。

ですが、普通の人間である私たちには、

見えない世界だし、

そのあたりの事情を知ることもできない。

いつ何時、自分の不注意がうっかりそういったことで

そこに住むまだ進化の度合いの進んでいない神々を怒らせてしまうかもしれません。

では、そんな私たちはどうしたらよいでしょう?

それは縄文の時代の私たちの祖先のように

全てのものや 現象などに神様が宿っていると思い

丁寧に感謝を持って接すること。

縄文の人々は相手の心の中にさえ

神様が宿っていると知っていましたから

常にどんな人であろうと

相手を敬い尊敬し、

尊厳を踏みにじるようなことはありませんでした。

ですから、そこに宿る八百万の神に失礼なこともしないし、

更に相手の心の中にも、神々が居ることを知っていましたから、

争いごとが起こらなかったのです。

縄文時代は1万5千年もの間、

平和でユートピアのような時代でした。

戦争などで争った痕跡も無いそうです。

世界に類を見ないことです。

日々の暮らしを、そのように丁寧に過ごしていくことで、

私たちは、多くの神々に愛され、

どんどん幸せになっていくことでしょう。


2026年8月1日土曜日

4336「今日という日」2026.8.1

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年07月17日の記事を紹介します。


「今日という日」


皆さんは今 

・ご家族と一緒に暮らしていますか?

・仲良くされていますか?

それとも、

・顔を見るだけで、ため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?

・言うことを聞かない子供、

・自分勝手な旦那さまなど・・

今日は、その方のお顔を思い出して、読んでみてください。

あるご家族の娘さん(7歳)が亡くなりました。

子どもを亡くしてから一年経ってもこのご夫婦は 

「娘にもう一度会いたい」と嘆いていました。 

ある日のこと、

水色の天使がその夫婦の前に突然に現れて言いました。

「今、あなたの持っているすべての財産と引き換えに、 

亡くなったお嬢さんと一緒に過ごせる日を、 

一日だけプレゼントできますが、 どうしますか?」 

その夫婦は迷うことなくOKしました。 

そして水色の天使が続けて言いました。 

「しかし、ルールがあります。

あなた方は、プレゼントされた1日が終わるまで、 

今ここで約束したことや、 

お嬢さんと死別したことなどの記憶は消されてしまいます。

それはまるで、過去に戻った一日を自然に過ごす感覚ですよ、

それでもいいですか?」 

その夫婦はお互いに顔を見合わせて、ゆっくりとした口調で、 

「分かりました。」 と返事をしました。 

その瞬間パッと光が・・・  あっ!まぶしい・・・ 

次の瞬間には、いつも通りの朝になっていました。

ですが、夫婦は、天使と約束したこと、娘が死んでしまう事など、

一切の記憶を無くしていました。

そうです、娘が生きていた頃の、何気ない一日の始まりでした。 

朝から「早く起きなさーい!!」妻の大きな声。

パジャマ姿で機嫌悪そうに起きてきた髪の毛のボサボサな娘。

眠たい目をこすりながら新聞を読む夫。

貴重な貴重な一日が始まりました。 

私たちが生きている今日は、それは、いつか未来に水色の天使に 

全財産と引き換えに頂いた「今日」なのかもしれませんね。

もう一度、最初の質問をしたいと思います。 

皆さんは今 

・ご家族と一緒に暮らしていますか?

・仲良くされていますか?

それとも、 

・顔を見るだけで、ため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?

・言うことを聞かない子供、

・自分勝手な旦那さまなど・・ 

その方が、明日は、いなくなってしまうかもしれません。

もし、胸がきゅんとなったのなら、今の何気ない日々の暮らしの中で、

周りの身近な方々に、どうぞ笑顔で、優しく接してください。

今日のこの日は、永遠に続く日々ではありません。

家族もいつかは、離ればなれになってしまいます。

・手のかかる、言うことを聞かない、心配の種の子供も・・

・自分勝手な夫も

・嫌味ばかりを言う親も

明日はいないかもしれません。

いつか、別れの時が来ます。

ともに、この地球の同じ時代に生まれ、そして縁によって結ばれた家族たち、

それは、私たちの魂を、磨き合う仲間でもあります。

外見の態度や言葉で切り捨ててしまうのではなく、

その心の奥にある、魂を見つめたいものです。

私たちは、生まれる前に、その魂同士で約束してきたのですから。 

それから、今日は、もう一つテーマがあります。 

皆さんの中には、お子さんを早くに無くしてしまった方も居るかと思います。 

病気や事故、もしかしたら自死もあったかもしれません。

医療ミス、過剰な薬物投与。 

自分より先に、かわいいわが子を無くすことほど、

苦しく、辛く、悲しいことはありません。

世の中全部が敵に見えるかもしれません。 

幸福な家庭が憎くなるかもしれません。 

心の中は、切なさ、後悔、やりきれなさ、憎しみ、

で一杯になってしまうかもしれません。 

ですが、ここで、少し考えていただきたいのは、先に逝ったわが子、愛しいわが子は、

愛する父と母の心が、自分の死によって、そのような黒い心になってしまうことを、

望んでいるのか? 

ということです。

肉体を去っても、存在が消えたわけではありません。

より自由度を増した、魂の存在として、元の世界に戻っているだけです。

私たちも肉体を去れば、必ず会えます。

心が通じているのですから。

その愛しい子供たちが自分の死によって、父や母の心が黒く変わってしまったら、 

悲しむに違いないのです。 

憎しみのあるところ、幸福も、健康もありません。 

愛と許し、感謝のあるところ、神さまの光が照らします。

幸福があります。 

どうか、たとえ、愛しい子供たちが夭逝(ようせい)したとしても、

心を黒く汚すことなく、悲しみは悲しみとして、しっかり受け止めて、 

そして次には、前を向いて欲しいのです。

笑顔を、周りの方々に向けて欲しいのです。 

きっと、天国の子供たちも、愛する、父や母に、 

そのような神様の道を歩んで欲しいと、願っていると思うのです。