2026年8月13日木曜日

4348「青空ひろば」2026.8.13

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


イノチの学校より32 2026.07.20 ~イノチの学校より33 2026.07.21 

論語より

大敬意訳

師(孔子さん)がおっしゃった。

「…学びが本物であれば、学ぶほど頑固さがとれて、謙虚になり、柔軟になってくるものだ。…間違いに気がつけば、我を張っていないで、自らの過ちを素直に認めて、すぐに訂正することが出来るようになるものだ」

これ面白いですね、大敬の勤めていた学校は超エリートが集まっていて、僕より頭のいい子がいっぱいいました。

塾でも一番だった子とかが集まってきてね、最初はすんごく自惚れています。

天狗なんですね笑

どうしようもない状態でね、中学に入ってきた一年生が威張り散らしていたり。

僕やったらバシッと最初に一喝入れてやろうかと思ったりしますけど笑。

そこに勤めている先生方は特に何もしないんですね、そうした生徒をほったらかしにしている。

けしからんな、こんなん性根を鍛えなおしてやらないと世の中に出たらエライことになるぞ、なんて思いそうになりますけどね。

実際に卒業生には、能力は高いけれど皆さんが名前をよく聞くような実業家や、世を騒がせている人もいますよね。

そういう子ばっかりなんですよ最初は。

それがね面白いのは、うちの学校はエスカレーター式で6年間、中高一貫なんですね。

同じ生徒を6年間みることになるので、

始めは苗字で呼んでた生徒を最後は名前で呼んでますね。

おーいタカシ!みたいにね。

そういう関係になるんだけど、ずっとそうしてみてるとね

不思議なのが、高校2年になると突然謙虚になります。

あれビックリするほど変身しますね。

最初はバシッと言ってやらないとエライことなるんちゃうか、と思っていたわけですよね。

でもそうせずにずっと見守っていると、突然謙虚になる。

傲慢なところがね、天狗の鼻がボキッと折られたんでしょうね。

色んなテスト受けたりなんかしていくと、

自分は一番じゃなかったんだ、という事がわかってくるんじゃないかなと思いますね。

先生の言うことなんか!と思ってた生徒が、やっぱり先生の言うことも大切だな、と気づいたらそういう態度になっている。

高校2年で突然変身するんですよね。

で謙虚になって話をよく聞くようになるし、挨拶もするようになる。

変わる。

それでね、変わらないままの子は大学受験を通らなかったりするんです。

変われた子は行きたい大学に行ってる。

で、たまに無茶苦茶頭いい子がいて、もう傲慢なままで大学に合格する子がいる。

変身しない。

そんな子は後みてたら全然出世してないです。

どこかでまた挫折してる。

そんな傲慢な、自分が一番だという態度で、世の中渡っていけませんね。

だからどこかで必ず壁にぶつかっていく。

そういうことを見てきたので、不思議だなあと思いますし

孔子さんの語られた事は本当だなと実感しますね。


イノチの学校より28 2026.07.16 ~イノチの学校より31 2026.07.19 

正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)という本から、道元さんの言葉を紹介します。

この本は道元さんが、公式に禅道場で語られた内容ではありません。

道元さんの部屋に弟子の何人かが集まってね、夜に御茶でも飲みながら語られた言葉を、懐奘(えじょう)という弟子が記録した文章です。

その中の言葉ですね。

「徳が顕れるには三段階がある。まずその人がその道を修していると知られるようになってくる。

次に、その道を慕う人が出てくる。

最後に、その道を私も一緒に学ぼう、一緒に修してゆこうという人が集まってくる。

これを<道の徳が顕れる>というのである」

これは道の仲間や、仲間の会を開催している人などにも、心得として欲しいですね。

人知らずしていからず、また君子ならずや

の心ですね。

道の志を立てて、なにか活動をしたとする。

1人も話を聞きに来てくれないかもしれませんね。

それでもそこで、自分は黙々と何年も淡々とやっていくと、

その活動が天の道にかなっている、お日さまの心にかなっている活動であれば、

すこしずつ伝わっていく、気づかれていく。

大敬ならみんなで坐禅会というのをしていますが、

あそこで坐禅会というのをやっているらしいぞ、と気がつく人が出てきて、1回行ってみようかな?という人が出てきて、

やってる内に段々と、一緒にやりたいですという人が出てきて…

というふうに進んでいく。

それは別にこの一生だけで上手くやろうとしなくてもいいんですよ、次の生でやってもいいんです。

それぐらいの粘り強さ、というかね

永い目でみてね、大きな視点で進んでいくことが肝要です。

道元さんの言葉(正法眼蔵随聞記より)

「誰でも<道>を得ることは、一緒に学ぶ仲間たちとのご縁によるのだ。

一人、一人、皆もともと道を究める能力を持っているのだが(万人「神のひとり子」)、道を歩めるのは一緒に学び修する仲間の力(「場」の力)による。

だから、今は皆が心を一つにして<道>に参じ、尋ね求めるべきである。

玉は磨くことによって立派な器となる。人は鍛えることによって仁ある人(思いやりの心を備えた人物)となれる。

はじめから光っている宝石があるだろうか。

初心のときから優れている人がいるであろうか。自ら卑下して、『私には道を得ることなんて、どうせ出来ないんだ』などと、学びをあきらめてはいけない。」

お釈迦さまの弟子でも、記録を見ると変わった人が沢山いますよね。

これはちょっと癖が強いな、変わってるなあという人。

そういう個性の強い人でも、お釈迦さまの元にいて学び、仲間のみんなや友人と共に修行していくことによって、聖人になっていかれたという道のりが記録されています。

だから決して『私には無理だ』などということはないのですね。(道の仲間は時間空間を越えて助け合っているので、決して1人ではないのです。


イノチの学校より26 2026.07.14 ~イノチの学校より27 2026.07.15 

論語の冒頭の一節を現代語訳して、意訳しておきますね。

よく教科書なんかにも出てきますね。

原文は

孔子(し)曰(のたま)はく、学んで時(ここ)に習ふ、また説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)遠きよりならび来たる、また楽しからずや。人知らずしていからず、また君子ならずや。

これを現代語訳してみました。

大敬意訳

師(孔子)がおっしゃった「ものを教わる。そして後からおさらいして、また機会があれば、実践によって教わったことが本当か確かめてみる。そうすれば、理解が一層深まってくる。そのような学びと実践検証作業は、何と楽しいことではないだろうか。

志しを共にする友たちが、遠くからやって来てくれる。そして、気づいたことを語り合う。何と嬉しいことではないだろうか。

他の人が自分を認めてくれなくても気にかけないで、今やるべきことを黙々と、淡々と実践してゆく。何と奥ゆかしい、尊い人物ではないだろうか。

僕は、論語はこの冒頭に全部語られている様に思いますね。

やっぱり大敬も、一生懸命学んで、そうして思いついた事を実践で確かめてみる。

そこで体験した事を踏まえてもう一つ深める、考えていく。

これが一番嬉しい。最大の喜びですね。

そしてこの様に皆さんがやってきてくれて、一緒に気づきを語り合う事が出来る。

これは最高の喜びではないですか?

で、こういう事をやっていても世の中の殆どの人には、理解されないかもしれないですよね。

でも、自分は黙々と、自分が正しいと思うことを実践していく。

その歩みを実践していく人のなんと素晴らしい事だろう、自分もそうありたい。

という事ですよね。

ここには論語のすべてが語られている様に思いますね。