今回は立花大敬の大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新記事を紹介します。
1502 2024.10.14 ~ 1504 2024.10.16
<アレックス・タナウスについて>
『超能力大全』今村光一(徳間書店)より
「私は、『心』が持っていると普通に考えられている能力の範囲をはるかに超える能力が、自分の『心』の内側に隠れていることを発見し続けてきた。誰もが超個的な力を持っていて、誰もがそれを開発できる。人間の『ウィルパワー』は核のエネルギーより大きいものだ」
タナウス氏によると、1960年以降に誕生した、特に日本人は右脳が発達している。
<右脳のはたらき>
長所:直観力、創造力、共感力、一体感
欠点:論理性・計画性の欠如、全体の雰囲気に流されて行動してしまう(目標を与えないと漂う)
タナウス氏が、来日して永平寺を訪れた際、道元禅師の霊と対話された。道元禅師に「意志の力」を大切にせよと日本人に伝えてくれるように依頼された。(完)
1505 2024.10.17 ~ 1510 2024.10.23
<ファン・マトゥスに学ぶ人生の歩み方>
『呪師になる』カルロス・カスタネダ(二見書房)より
(1)履歴を捨てる
・自分の履歴(過去)が自分の未来を縛る
・人に履歴を知られると、人の偏見があなたの現在や未来を縛ってしまう
・本当は、刻々死んで、刻々新生している(刹那消滅→過去はない)
・一本足打法で生きよう(「今・ココ」にイノチの重心を据えて生きると、次の瞬間に必要な一歩が自ずと踏み出せる)
(本文)「なにもかも不確実だったら、永久につま先で立っているように、いつも油断せずにいるさ。わしらは何でも知っているというようにふるまうよりは、どのヤブにウサギが隠れているか知らないほうがずっと素晴らしいさ」
(2)型にはまらない生活をする
・生活のパターン(ルーチィンワーク)を少し変えてみる
(本文)「おまえの連続性は、お前を幸福にも力強くもしない」
(3)自尊心を捨てる
・自分だけが特別だと思えば、世界や他人と切り離されたちっぽけな自分でしか生きられない。
(本文)「おまえが、自分は世界中で一番大事なものだなどと思っとるかぎり、まわりの世界を本当に理解することは出来ない。おまえは目隠しされた馬みたいなもんだ。あらゆるものから切り離された自分しか見えんのだ」
・植物に話しかける訓練(それが好きだという気持ちとそれが自分と平等なんだという気持ちで会話する)
(4)死は我らの永遠の仲間だ
・死はいつもわしらの左側、腕を伸ばせば届くところにいる
・死にアドバイスを求める
(本文)「それが自分の最後の戦いだと知っとるときの行為は力強い。自分がしとることが、地上での最後の戦いになるかも知れないと充分承知してやると、そこには焼き尽くすほどの幸福感が届く」
(5)近づきがたくなる
・世界と控えめに付き合う
(本文)「まわりの世界に控えめに触れるということだ。おまえは五羽のウズラを食いはしない。食うのは一羽だ。ただバーベキュー・ピットを作るためだけで、枝を折ることもしない。必要がなければ、風の力(龍的な力)に自分をさらすこともしない。それに人々、特に愛する人々を、何のためでもないのにねじ曲がるまで利用したり、強制したりしない、そういうことさ」
・人の手の届くところにいない
(本文)「『人の手の届くところにいない』ということは、自分自身や他人を消耗させることを慎重に避けることなんだ。『近づきがたくなる』というのは、隠れたり、秘密的になったりすることじゃない。『近づきがたくなったら』人々とうまくやれないということでもないぞ。狩人はな、物の世界だろうが、植物の世界だろうが、人の世界だろうが、力の世界だろうが、そんなことには関係なく<世界を控えめに、丁寧に使うんだ>」
「狩人は自分の世界と親しくやってゆくさ。しかも、その同じ世界にとって、そいつは近づき難いのだ。そいつが近づき難いのは、自分の世界が調子が狂うほど無理強いせんからだ。それに軽くふれ、必要なだけ留まり、やがて気づくことも出来ぬ速さで去ってゆくのさ」
(6)しないこと
・すること→世界を固定化する
・しないこと→世界をほどく(解体する)
(本文)「あそこにあるあの岩が岩であるのは、<する>からだ。あの岩を岩にし、あのかん木をかん木にするのが<する>ということだ。おまえをおまえにし、わしをわしにするのが、<する>ってことなのさ」
「たとえば、知者たちは、岩が岩なのは<すること>のためだってことを知っとるから、岩に岩であってほしくないときには、ただ<しなければ>いいのさ」
「世界を止めるには、<すること>をやめにゃならん」
・しないこと→世界がほどける→見る→新しい世界が生まれる
(完)
1498 2024.10.10 ~ 1501 2024.10.13
<ユリ・ゲラーのスプーン曲げ>
『ユリ・ゲラーの反撃』秋山真人訳(騎虎書房)より
「ゲラーは、競争心旺盛な「努力型」人間である。スプーン曲げの一連の過程を調べると、「努力型」から「非努力型」への切替えの過程がわかる。
(註)思いの実現のプロセスは、「把住過程(集中)」から「放行過程(忘れる、思いの手放し)」に移行出来た時に、思いが叶う(現実化する)。
彼(ユリ・ゲラー)は、初めのうち努力を集中してスプーンをこすり、ある時点でリラックスする。その時スプーンは曲がるのであり、手を放した後も曲がり続けることがある。
本人(ユリ・ゲラー)が精神の集中をストップした後になってしばしば念力の効果が現れるという事実に、エルドン・バード(アメリカ海軍省の科学者)は気がつき、彼はそれを「分断効果」と呼んでいる。
彼の説明によると、「集中して、集中して、それでも何も事が起こらず、とうとう諦めると、事が起こる」
(註)だから、意志の力で曲げるわけではなく、意志を手放した時に発動する「心の力」が曲げるのだ。
「人は皆、ユリ・ゲラーなのである」。しかし、通常一番難しいのは、「自分はそれが出来る」ということを信じることである。(完)
1497 2024.10.09
「もし菩薩が自らの決断で、清浄の境地を放棄して、苦悩と罪に満ちた迷いの世界に入って行き、そこを最後の日まで生き抜くなら、それこそ大乗菩薩の悟りに到達したのである」
1496 2024.10.08
人に座を与える人が、座を与えられる
1495 2024.10.07
「病気する自由」、「悩み、涙を流す自由」を持とう。
あなたが「病気」であるのは、世界人類に対する愛であり、祈りなんだ
1491 2024.10.03 ~ 1494 2024.10.06
道元禅師に嗣法された懐奘(えじょう)禅師の『光明蔵三昧(こうみょうぞう さんまい)』より
「華厳経にこうある。『燃燈如来(ねんとうにょらい)の大光明は、さまざまの吉祥の中で最上のものだ。この仏は、かつてこの「御殿(私たちが組む坐禅のこと)」に入られた。この故にこの処が最も吉祥なのである』と」
「この燃燈如来(ねんとうにょらい)の大光明は、宇宙に遍満していて、凡聖の区別がないのだから、かつてあなたの「御殿(坐禅)」にも大光明がそそがれるはずではないか。
そのように一聞(ひとたび聞いて)してそう信じることが出来たら、それがもう、あなたの「御殿(坐禅)」も光明に包まれて、祝福されているいうことなんだ。
だから、お釈迦さまは燃燈如来から、授記(君は必ず仏になれるという保証のコトバ)を得られた時、「無所得(むしょとく)」とおっしゃったのだ。
なぜなら、この光明は「一段」のもので、時間的にも空間的にも仕切りというものがない。
限りない光明なのであるから、もしこの時点から光明を獲得したというようなことがあれば、光明が二段になってしまうだろう。
この人は光明を得た、この人はまだだというようなことがあっても、「一段光明」に仕切りが出来てしまうだろう」
「わたしたちの坐禅は、燃燈如来や釈迦仏から受け継いできたものなのだ。それは、ただ坐禅印を組んで坐るというだけで光明に包まれるというもので、その光明は「凡聖不二(凡も聖も区別なし)」、「古今一乗(今も過去も未来も坐禅すれば仏の光明に運ばれて、必ず自分も仏となれるのだ)」のものなのだ。
だから、自分にはその資格がない、勝れた人だけが獲得できる境地なんだなどと、自己卑下の妄想に縛られてはいけない。
その大光明は、どんなに優秀であると自負している人であっても「取ることが出来ず」、自分には能力がないと思い込んでいる人であっても「捨てることが出来ない」光明なのだから。
だから、坐禅の時は、アレコレ頭で分別せず、ただ坐ればいいし、仕事の時は坐禅のひびきがココにも届いている、今も大光明に包まれていると信じて、ただ働いていればいいのだ。
そうすれば、その仕事が、あなたにとっても、宇宙全体、人類全体にとっても最善・最適のものになってくるのだ」(完)
1489 2024.10.01 ~ 1490 2024.10.02
道元禅師が著された、禅道場の食事係である典座(てんぞ)の心構えを説かれた『典座教訓(てんぞ きょうくん)』より
<仕事の手順>
昼食修了後(昔は一日二食、夕食はない)、
① 翌日に使える食材の在庫をチェック(人や虫、動物に食べられないように大切に保管する)。
② 各部署の長(五名)が集まり、翌日の食事の打ち合わせを行う。
(チェック事項)道場の人数の把握(禅道場では修行僧の出入りが頻繁)、行事・作務(さむ、肉体労働)の予定(肉体労働があるときは、塩分を増やすなど)、修行者の健康状態(病室にいる人数、別メニューの用意)、気候など。少しでも疑問があれば担当者に面倒がらずに質問する。
③ メニューの決定
④ 不足な食材があれば買出し
⑤ 翌日のメニューを書き出して掲示する→アレルギーなどを持った修行僧が申し出られるようにする→その僧には別メニューを用意する。
⑥ 昼食の最終検討(夜十二時まで)
⑦ 翌朝の粥(朝食)の支度を始める(夜十二時以降)
<食事調理の心得>
① 六味・三徳が備わること
六味:苦(にがい)、酸(すっぱい)、甘(あまい)、辛(からい)、鹹(しおからい)、淡(うすあじ)
三徳:軽輭(柔らかく、口当たりがよい)、浄潔(せいけつ)、如法(食材の本来のよさを消さない調理)
② 什器類の確認、整理整頓
「高処高平、低処低平」→重い食器や調理器具は低いところに置き、軽いものは高いところに置く。頻繁に使う器具が手近に置く。
「軽手に取放」→ガチャンと荒々しく扱わない
③「竟日通夜(ひねもす よもすがら)、物来たりて心にあり、心帰して物に在らしめ、一等に他と精勤弁道す」→仕事に専念して、フラフラ気を散らして、うっかりミスを犯さないように気をつける
④ 各料理の仕上がりのタイミングをそろえること。
⑤ 分量に気配り(余らないように、足らなくないように)。
⑥ 食材の文句はいわない、また喜ばない。「たとえ三銭の食材であっても、きっとそれで、王家で出されるような、おいしいご馳走をつくってみせるぞという気概と工夫で調理すること。
⑦ 典座(食事係)が持つべき三心「喜心」・「老心」・「大心」
「喜心(きしん)」→喜んで仕事に取り組む心。
「老心(ろうしん)」→モノ(食べる人や食材)をいたわる心
「大心(だいしん)」→偏りや差別のない心