2025年1月19日日曜日

3677「小さな思いやり」2025.1.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月07日「因果応報-悪口」と2025年01月10日「小さな思いやり」の2つの記事を紹介します。


「因果応報-悪口」


人から悪口や、イヤミを言われた時どうすればよいか?

斎藤一人さんが、非常に簡潔に、優しい言葉で大切なことを仰っていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 

人間関係の問題は、いろいろあるんですけれど、 

「これだけ覚えておけばいいですよ」というものがあるんです。

これだけ覚えておけば、いろいろな問題があるなかの8割は大丈夫。

解決するんです。

この世の中には“嫌なヤツ”っているでしょう?

イヤミを言ったり、いばったりする“嫌なヤツ”がどこに行ってもいるんですけれど、

それをやめさせようとしちゃいけないんです。

「復讐するは我にあり」じゃないけれど、復讐は人間がすることではないのです。

悪いことをした人には必ず、

神さま(自分自身の良心)によって、同じように悪い報いがくる。

だから、ことのなりゆきは、天の神さまにお任せするんです。

そして…ここが大事なところですよ、いいですか。

「やられたらやり返せ!」って、その“嫌なヤツ”の悪口を言っていると、 

今度は言った人に悪い報いがきてしまうんです。

自分の畑にピーマンをまいたからピーマンがなる。

自分の畑に、自分で麦をまけば、麦がなる。

そして、自分がまいたものを、自分が刈り取るんです。

隣の人が唐辛子をまいていても、唐辛子を収穫するのは隣の人であって、

あなたではありません。

それと同じで、あなたがイヤミなことを言われた場合 

悪いことが起きるのは、あなたではありません。

あなたにイヤミなことを言った、その人間です。

つまり、放っておいても、勝手に相手は痛い目をみるようになっているのです。

それを、あなたがもし「イヤミを言われて嫌な想いをさせられたんだから、

こっちも、あの人にイヤミをお返ししてやるんだ」という気持ちでいると、

あなたから、“居心地のよくない”ムード(波動)が出てきます。

それではあなたに、人も、運も、お金も、近寄ってきてくれません。

それどころか、自分が望まない、嫌なことを招き寄せてしまうんですよ。

だから、復讐しようとしちゃいけないのです。

復讐はあなたの仕事ではありません。神さまの仕事です。

<転載終了>

よく人の悪口を言う人がいます。

また現在のようにネットが普及してくると、SNSで人の悪口や非難をする人も目にします。

もしかしたら、相手がいないところで、

自分の周りの人に、悪口を吹聴している人もいるかもしれません。

そして、それに対して、反応してしまい、今度は自分が同じようにやり返す方もいます。

ですが、それらの行為は、一人さんが仰るように、やめた方が良いかもしれません。

今度は言った相手ではなく、仕返しをした自分自身が同じ土俵に立ち、

同じような嫌な波動をまとい、自分自身の人生に不幸を引き寄せてしまうからです。

やられたからやり返す。

そうしなければ、自分は正しく生きているのに、何だか負けた気になってくる。 

やられ損にはなりたくない。

それらの心では、必ず相手と同じ波長をまとってしまいます。

私たちの住む世界は、自分の心の状態が現実を作りますから、

その汚れた心と同じ現実が自分の周りに現れてくることでしょう。

ですから例え悪口やイヤミを言われたとしても、

それを心に留めず、受け流し、受け取らなければ良いことです。

もし目の前で言われたのなら、

ニッコリ笑って「ご忠告ありがとうございます。感謝します」と言って、

離れたら、また元のようにご自分の信念に基づき行動すれば良いだけです。

ブッダもこのような時、静かに反論せず、受け取らなければ良い・・ そう仰っています。

人から根拠なき悪口やイヤミ、陰口を言われることは日常茶飯事ですので、 

一人さんの仰っる方法を実践するだけで、かなり楽に生きられるかもしれませんね。


「小さな思いやり」


神様が、神さま自身を知るために、神様に似せて作った人間の本能には 

「人から喜ばれると嬉しい」というものがあるそうです。 

この本能は、人間に与えられた本能であると同時に

神さまの性質でもあります。

ですので、ちょっとしたことに、 

笑顔で喜び、感謝する人は、相当、得な性格です。

誰からも、愛され、みんなが味方になって、助けてあげたくなってしまいます。 

きっと神様も同じ気持ちです。

宇宙の仕組みや、神さまの行動の原則などが分かってくると、 

日々の何気ない生活でさえ、楽しくなってきます。

ありとあらゆるところに、神さまの働きを感じることができるからです。

いつも傍に居ることが分かるからです。

また、偶然が起きた場合も、

「どうせ偶然でしょ」とすまし顔で、冷たくあしらわず、

「まぁ凄い、面白いね」と素直に子供のように喜んでいれば、

神さまは、なおさら沢山の偶然を見せてくださいます。 

神さまの声は、誰かの口を通してくることもよくあります。

また外応と言って

・小川のせせらぎの音や、

・子供たちの笑い声、

・そよ風なども、

神さまが私たちにプレゼントしてくださっているものです。 

そのように繊細な心で、神さまの働きを感じられるようになると、

もう全てのもの、事に感謝しかありません。

神さまの働きに気付き、人が喜び、感謝すればするほど、神さまは私たちの身近で、

良きことを起こしてくださいます。

ひすいこうたろうさんの記事 (喜び上手な人には運がやってくる)に、

こんなことが書いてありました。意訳します。

<引用開始>

もし神様がいるとしたら、 

小さな幸せや、ささいなことでも、喜んでくれる人のために、働こうか、

もっと喜ぶことをしてやろうかと思うのではないでしょうか?

それとは逆に

全てを偶然と片付け、神様が、ちっぽけな自分(や、レベルの低いあなた)のために、

特別なことをしてくださるはずがないではないか。 

そのように、偏った自己卑下(自分を低く低く見ること)や、

他人卑下(他人を・・・)をして

神様が、小さな幸せを見せてくださっても、ブスッとしてる人。 

頑な(かたくな)に、敢えて心を動かそうとしない人 

どちらに神様は微笑むでしょうか? 

<引用終了> 

耳をすませて見て下さい。

注意深く、周りを見渡してみてください。

あちこちに、神様からの贈り物があることに気づくでしょう。

また、いつもと違う 何かに気づいたなら、悪い予兆などとは考えず、 

是非それを  良き予兆と解釈して、よろこび、神様に感謝してみてください。

きっと ますます、恩寵に気付きやすくなると同時に、

幸せが、雪だるまのように、どんどんと膨らんでくることでしょう。 

感謝の種が増えてくることでしょう。 

一見不幸に見える

・死別

・病気

・事故

・貧困

などでさえ、私たちの魂を磨き、

光り輝かせる、研ぎ石の役割として神様が与えてくださったものです。

私たちが、その出来事を 

・どのように受け取るか?

・どのような意味を与えるか? 

その違いだけで、天と地ほどの違いが出てきます。

・小さな親切

・小さな思いやり

・小さな優しさ

を感知できる感受性を持ち、喜び、感謝できる心を持ちたいものですね。 

私たちの周りには、気づかないだけで、

それらが沢山 散らばっています。