2021年4月27日火曜日

2314「神さまを味方に」2021.4.27

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年04月20日「神さまを味方に」と2021年04月19日「小欲知足」の記事を紹介します。


神さまを味方に

今日のテーマは「神さまを味方にする」ということで、

小林正観さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 


私たちの人生は、味方を作るためにあるのかもしれない。努力や頑張りは一切しなくてもよいので、出会った人が味方になってくれ、その味方を作っていく作業の中で「あれやってくれ これやってくれ」と言われ、「ハイ分かりました。しょうがないな~」と言ってやる。

そのように、正観さんは空海を模範にしながら、出会った人に、やらされている人生を語りました。実は社会の中で生きるという事は、この事だけかもしれないと思うのです。

出会う人 出会う人に

・惚れられて 

・好かれて 

・頼まれて 

生きていくこと

空海の人生は出会う人 出会う人、人生のターニングポイントに出会う人に

「こうしなさい ああしなさい」そう言われ、その通り 「ハイ分かりました」

その積み重ねの人生でした。

ここを正観さんは、下記のように強調しました。 

人間が 業績を残すとかいうのは、自分が決意する。という必要はないのではないか?

決意をして何かをするって言うのは、凄く安っぽいものかもしれませんよ。

出会う人ごとに「こうしなさい ああしなさい こうしてくれ ああしてくれ」

という事に対して、「ああじゃ、こうじゃ」とつべこべ言わないで「ハイ分かりました」と言って やっていくこと。それで疲れ果てて死んでいく。

人生はこれに尽きるのではないでしょうか。正観さんは、それを文字通り生きた人でした。

「人間関係」はそういうものでしょう。人間の関係は 全て味方つくりの人生です。

ライバル視して、競い合っていく。抜きんでなければという、今迄の学校教育の価値観を、この際なくしてしまうといい。正観さんは、この事を伝えて亡くなりました。

「私たちの人生は 出会う人 出会う人を味方につけていく 作業の積み重ねなんだ」

こう思うと人生は凄く楽しいと。

うつの人は、

・自分にとって楽しいこと何も起きない

・面白いことないか

・毎日面白くない

とよく言います。その方々に言って差し上げたい。

人生は 自分で自分の人生を決める というものではないと そう思ってみたら。どうですかと。

そうすれば、きっと凄く面白い人生になる。人生変わると。言って差し上げたい。

出会う人 出会う人によって、自分の人生が決まっていく。出会う人が何か刺激をくれる。

相手を敵だと思っていると刺激はくれない。敵ではなく、味方だと思って接していると、

「こうしてみたら」や「ああしてみたら」とそれが必ずあります。

なぜなら味方なのですから。

そこで「ハイ分かりました」と素直に信じてやっていくと 面白い人生になります。

人間同士の付き合いを、そのように切り替えてみたらどうでしょうか?

人生は出会いの積み重ねです。その出会いは生まれる前から決まっている。

自分で書いた「出会いのシナリオ」通りです。

昨日までは 人と較べて自分を磨いていって、人より抜きんでなくてはならないと思ってきたが、今日からは全部自分の味方と思って、仲間と思ってやっていく。。。

と人生を切り替えたら、もしかしたら、自分の意思によって、自分の人生を変えたんだ と思うかもしれないですが、 今日から変えるぞと思ったこと自体が、生まれる前から自分で決めてきたシナリオなんです。

今日 この話を聞くこと自体、生まれる前からのシナリオで、聞いて変わるぞと思うことも

シナリオ通り。逆に変わるもんかと思うこともシナリオ通り。出会いはシナリオ通り。

出会った相手を敵にするか、味方にするかで人生変わります。

「味方にする作業こそが人生」と正観さんの最後の伝言でした。

 


私たちが学校で教わってきた、「自分を磨き努力して頑張って、人より上に行かなければならない」という事を今日を限りに捨てる。というのはどうでしょう?

このことも正観さんは、強く何度も仰いました。最後の伝言でした。

<引用終了>


私たちが学校で教わってきた、「自分を磨き努力して頑張って、人より上に行かなければならない」という思い込みを今日を限りに捨てる。これは大変重要な意識の転換です。


 つまり勉強ができるとか、学校で良い成績を取る・・そういうことは人生にあまり関係ない。。

そう仰っているからです。

不登校でも、ODや色々な理由で学校へ行けなくとも、人に好かれる人間になれれば、それだけで、人生大成功です。

私もどちらかと言うと、努力型の人間で、必死に勉強し技術を習得し、仕事をして生きてきました。ですが、今振り返れば、大成する人と言うのは勉強ができるとか、技術が飛びぬけているとか、そんなものではなく、どれだけ人に愛されるキャラクターであるか?

そちらの方が何百倍、何千倍も大切であると実感しています。

お子さんのことでお悩みのお父さん、お母さん、命があるだけでも良しと思ってください。 

そして学校に行かないから駄目だとか、家でダラダラしているから駄目だとか、どうか思わないでお子様を信じて差し上げて下さい。

長い人生の中で、今ほんのひと時、一休みしている時期かもしれません。

大人になるために英気を養っている時期かもしれません。

お子さんのことは心配でしょうが、少し放っておいて、お父さん、お母さんは、ご自分の好きなこと、楽しめることをして、笑顔でいてください。

自分を信じて、お母さんが笑顔でいてくれる。それこそが子供たちにとっての救いではないかと思います。どちらに、どう転ぼうと、それは、子供自身が生まれる前に描いてきたシナリオ通りなのですから。



小欲知足

今日のお話は「小欲知足」ということで、九州のお寺さんのお話をご紹介します。

これから始まる新しい世の中、そしてそこまで行くまでの間の、変化の波の中で、一番大切な心かもしれません。

「小欲知足」とは、欲が少なく、わずかなもので満足すること。 そんな意味です。

一番大切なことは、幸せや満たされた日々の暮らしが当たり前のことではないと言うことです。

<転載開始> 転載元

 

不平というのは不足の心から生まれます。不足の心を持つと心が貧乏になっていきます。

「あれもない、これもない」

「ああしてもらいたかった、こうしてもらいたかった」と。

「小欲知足」という言葉があります。

 小さな欲で足りていることを知ったら、私たちは毎日楽しく生きられると思います。

「あれもない、これもない」と思って生きるのと、

「これだけあれば充分。これだけあればいいじゃないか」と思って生きるのとは、

どちらが楽しい人生か、容易に想像がつくでしょう。

昨年、茨城県に住んでいるTさんという31歳の男性から、「お寺で1日修行をさせてほしい」と電話が掛かってきました。

私の寺は九州ですから、いつもだったら「わざわざ九州まで来なくても、お近くのお寺で修行をしたらどうですか」と言っていたと思います。

でもなぜかその時は、「いいですよ。いらっしゃい」と言ってしまったんですね。

よほど居心地が良かったのか、Tさんは1カ月間も修行されていかれました。

そして朝から晩まで働く中でこんな話をしてくれました。

Tさんは以前、100日かけてお遍路を回ったことがあったそうです。

その道中で、会った人たちから、おまんじゅうや果物、おにぎりをよくもらうようになりました。

宿がなくて困っている時に、「よかったらうちに泊まってください」と言ってもらえたり、

お風呂を貸してもらえたり、本当にありがたいことをたくさんしてもらったそうです。

ある日、Tさんが寺を訪れるとすでに閉門していました。

これではお参りができません。仕方ないので明日の朝一番にお参りしようと思い、Tさんはそのお寺の軒下に寝袋を広げました。 

しばらくするとその寺のご住職が出てこられて、彼に向かってこう言いました。

「いい若者がこんなところで何をしているんだ!

おまえたちのような若者がいるから日本はちっともよくならないんだ。

人の情にすがらずに生きていけ!」

叱られてTさんはそこを立ち退きました。悔しくて涙が出てきました。

「何もあんなに言わなくても」と思ったそうです。

でも彼はふと立ち止まって考え直しました。

「あれはお不動様が教えてくださったのではないか」と。

自分は人の親切がいつの間にか当たり前になっていた。

人から物をもらう時、初めは「ありがたい、ありがたい」と思っていた。

でもいつの間にか、もらえないと「どうしてくれないのか」と思うようになった。

宿に泊めさせてもらえる時も、最初はとても嬉しかった。

でもいつの間にか、寝袋で寝なくてはいけない日は、「どうして今日は野宿なのだろう」と不足の気持ちが出るようになった。

門が閉まっていると、「もうちょっと開けてくれてたらよかったのに」と思うようになった。

そんな私の不平の心を、お不動様がご住職の口を借りて教えてくれたのではないか。

Tさんは次の日の朝、そのお寺にお参りし、ご住職に「ありがとうございました」とお礼を言って帰られたそうです。

何か自分に嫌な事を言う人がいたら、「あぁ、言ってくれてありがとうございます」と思える自分でありたいものですね。 

<転載終了>

 

私たちは、日々の暮らしの中で

・家族がいてくれること

・暮らしを支える仕事があること

・病気でないこと

・目が見えること、音が聞こえること、食べることができること、歩けること

このようなことが当たり前のことと、思いがちです。 

ですが病気をしたり、失業したり、家族を失った時、その当たり前だった暮らしが、どんなに奇跡の連続で保たれ、有難いことであったかを思い知らされます。 

日々の何気ない暮らしは、有難いこと・・その連続で保たれています。

それをしてくださっているのは、私たちの内に居らっしゃる神さまです。

日々の暮らしの中で、小さな小さな「幸せ」探しをしてみませんか?

小さな幸せは、あちこちに沢山あります。

そしてそれに気付けたら、感謝の気持ちが自然に起こってきます。

その感謝の気持ちこそが、私たちが幸せになるための一番大きな秘訣です。 

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。