2021年4月9日金曜日

2296「雪絵ちゃん」2021.4.9

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年03月31日の記事を紹介します。


全部決めて生まれて来た

今日は病気で苦しい、どうして病気になったの?というテーマで書きたいと思います。

私の知人の中にも、

・お子さんを早くに亡くされたり、

・病気に苦しんだり

・不登校に苦しんだり

そうした親御さんもいらっしゃると同時に、その苦しみ、悲しみを、神様のように美しい精神にまで高められた方々もいます。 

今日のお話が

・お子さんを早くに亡くされた方

・お子さんの状況に苦しんでいらっしゃる方

・そして、苦しみの中にいらっしゃる全ての方に

少しでもお役にたてれば幸いです。

お話の中に登場する「雪絵ちゃん」は、MSという難病をもって、この世に生まれてきました。そして、精いっぱい生を全うし、天に帰っていきました。 

お話の中に出てきますが、雪絵ちゃんは、あえて難病になるように自ら決めて、この世に生を受けました。自分で難病を選んだのです。

この事実はきっと多くの方に勇気と希望を与えてくれることでしょう。

肉体は無くなろうと、私たちの魂は死にません。何時か、生死を超えたところで、思い合う魂たちは、再び出会うことになるでしょう。 

山元加津子さんという元養護学校の先生と、今はもう亡くなられてしまった雪絵ちゃんという生徒さんのお話をご紹介します。雪絵ちゃんは、天使のような女の子でした。

<転載開始> 山元加津子(かっこちゃん)さんHP

 

今日は私の大切な友達でもある雪絵ちゃんという女の子のお話をします。

 


雪絵ちゃん

雪絵ちゃんとは、重い病気を抱え地域の学校に通うのが困難な子どもたちが学ぶ病弱養護学校で出会いました。彼女が抱える病気はMS(多発性硬化症)というもので、脳の障害により、発熱すると目が見えにくくなったり、手足が動きにくくなります。 

発熱が治まれば病状は緩和されるのですが、私はまたいつ再発するかと、いつも不安でした。

しかし雪絵ちゃんはどんなにつらい時でも自分の力で立ち直ることのできる強いお子さんでした。

そして「MSになって良かった」というのが口癖で「車椅子の生活をしているからこそ気付けたことや、多くの人々との出会いがあった」と前向きに生きていました。 

私はそんな風に思えるなんて素敵だなと思っていました。

そんな雪絵ちゃんとの日々が続いていたある年末の日、悲しい知らせが届きました。

雪絵ちゃんが、亡くなったということでした。 

私は、雪絵ちゃんの容態がどんなに悪化してもまさか亡くなることは無いだろうと

思い込んでいたのでしばらくつらい思いでいっぱいでした。

数日後、私のもとに彼女からの一通の手紙が届きました。

その一部を紹介します。

 

「誕生日」

私、今日生まれたの。一分一秒のくるいもなく、今日、誕生しました。

少しでもずれていたら、今頃 健康だったかもしれない。

今の人生をおくるには、一分一秒のくるいもなく生まれてこなければいけなかったの。

けっこう、これってむずかしいんだよ。

12月の28日、私の大好きで大切で幸せな日、今日生まれてきて大成功。

Snow(※雪絵ちゃんのペンネーム)に生まれてきて、これまた大成功。


「ありがとう」  雪絵ちゃんの作った詩

ありがとう、私、決めていることがあるの。

この目が物をうつさなくなったら、目にそしてこの足が動かなくなったら、

足に「ありがとう」って言おうって決めているの。

今まで見えにくい目が一生懸命見よう、見ようとしてくれて、私を喜ばせてくれたんだもん。

いっぱいいろんな物素敵な物見せてくれた。夜の道も暗いのに、がんばってくれた。

足もそう。私のために、信じられないほど歩いてくれた。

一緒にいっぱい、いろんなところへ行った。

私を一日でも長く、喜ばせようとして目も足もがんばってくれた。

なのに、見えなくなったり、歩けなくなったとき「なんでよー」なんて言っては、あんまりだと思う。

今まで弱い弱い目、足がどれだけ私を強く強くしてくれたか。

だからちゃんと「ありがとう」って言うの。

大好きな目、足だからこんなに弱いけど大好きだから「ありがとう。もういいよ。

休もうね」って言ってあげるの。

たぶんだれよりもうーんと疲れていると思うから。


<転載終了>

 

雪絵ちゃんの詩から分るように、彼女は、敢えて MSという難病に生まれてくるために、

生まれる日、時刻を正確に設定して来ました。 (星の配置・影響があるからです)

そして、それは成功し、彼女は、生まれる前の決意の通り、難病で生まれ、難病で生き、

そして、難病のために帰って行きました。

  


雪絵ちゃん 重い病気だったのに 「私は私に生まれて大正解」 そう言った、少女  

・辛くは、なかったの?

・苦しくは、なかったの?

・悔しくは、なかったの?

きっと雪絵ちゃんの答えは 全部 「いいえ」でしょう。

   


彼女は、難病で生まれてくることを決心して生まれて来たことで体は不自由で、身体的には きつかったことでしょう。

寿命も、人よりは短かったことでしょう。親御さんに、沢山の心配もかけたことでしょう。 

ですが、それでも彼女が病気の身体を選んだのには訳があります。

人間として生まれるにあたって、意味もなく、目的もなく生まれることなど、神さまが

許して下さらないからです。 

きっと、彼女は病気を通じ、沢山の人と出会い、人々の温かさ、思いやり、優しさ、愛

また逆に偏見、冷たさにも出会ったことでしょう。 

そして彼女は、病気の内にあってさえ、 

持っていないもの・・・

・健康ではないこと、

・身体が不自由であることに、

不平不満を言うのではなく、わずかでも、自分の持っているもの 

・見える目

・動く足

に感謝する心が芽生えました。

普通に生まれ、普通に生きている人ならもしかしたら、芽生えなかったかもしれない 

「感謝の心」です。 

私たちは、当たり前に普通に生きていると、「感謝の心」に一度も出会わずに亡くなってしまう人生を過ごしてしまうかもしれません。 

感謝の心とは、神々と近づく、触れ合う大切な大切な心です。

私たちは、この心を 感謝の心を味わうために、生まれて来た・・

そう言っても過言ではありません。 

そのためであれば、

例え、

・寿命が短くとも

・身体が弱くとも

・貧困であっても

・偏見にさらされようと

それで、生き、

そして元居た光の世界に帰って行くことも本望なのかもしれませんね。 

最後に、美しい詩を一編、ご紹介します。

 

<引用開始>

 

大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと、神に求めたのに、 

謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった

偉大なことができるように健康を求めたのに、

より良きことをするようにと、病気をたまわった

幸せになろうと、富を求めたのに、

賢明であるようにと、貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、

得意にならないようにと、失敗を授かった

人生を享受しようとしてあらゆるものを求めたのに、 

あらゆることを喜べるようにと、命を授かった

求めたものはひとつとして、与えられなかったが、

願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、

心の中の言い表せない祈りは、すべて叶えられた 

私はもっとも豊かに祝福されたのだ

 

<引用終了>

  


病気で、苦しんでいらっしゃる皆さんもどうか、希望を失わないでください。

もしかしたら、その御病気も人間として一番大切な感謝の心を手に入れるために御自分自身で選んで生まれて来た道かもしれないのですから。