今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年04月05日「因果応報」と2021年04月07日「縄文スピリッツ」の記事を紹介します。
「因果応報」
21世紀に入ってから、ずっと日本は「一億総いじめ社会」などと言われ
・不寛容な社会
・殺伐とした社会
・陰湿な社会
が出現していました。
それが、2011年の東日本大震災、そして今現在起きている「コロナウイルス」をきっかけとして、この冷酷な心が、少しづつ溶け始めています。大きな犠牲のもと、神々がそう仕向けたのです。
このいじめ社会の中では、自分以外の他人の言葉や、行動に寛容さが足りず、すぐに歪んだ正義感を振りかざし、その雰囲気に付和雷同した人々とともに相手をとことんまで、貶めて、再起不能にさせます。
非難する側は必ず「正義」を振りかざします。正義感を隠れ蓑に他人を傷つけて、楽しむ心理があるのかもしれません。
今日は、人から悪口や、イヤミを言われた時どうすればよいか?
斎藤一人さんが非常に簡潔に、優しい言葉で大切なことを仰っていますのでご紹介します。
<転載開始> 転載元
人間関係の問題は、いろいろあるんですけれど、「これだけ覚えておけばいいですよ」というものがあるんです。これだけ覚えておけば、いろいろな問題があるなかの8割は大丈夫。
解決するんです。
この世の中には“嫌なヤツ”っているでしょう?イヤミを言ったり、いばったりする
“嫌なヤツ”がどこに行ってもいるんですけれど、それをやめさせようとしちゃいけないんです。「復讐するは我にあり」じゃないけれど、復讐は人間がすることではないのです。
悪いことをした人には必ず、神さま(自分自身の良心)によって、同じように悪い報いがくる。だから、ことのなりゆきは、天の神さまにお任せするんです。
そして…ここが大事なところですよ、いいですか。
「やられたらやり返せ!」って、その“嫌なヤツ”の悪口を言っていると、今度は言った人に、悪い報いがきてしまうんです。
自分の畑にピーマンをまいたからピーマンがなる。自分の畑に、自分で麦をまけば、麦がなる。そして、自分がまいたものを、自分が刈り取るんです。隣の人が唐辛子をまいていても、唐辛子を収穫するのは隣の人であって、あなたではありません。
それと同じで、あなたがイヤミなことを言われた場合、悪いことが起きるのは、あなたではありません。あなたにイヤミなことを言った、その人間です。つまり、放っておいても、
勝手に相手は痛い目をみるようになっているのです。
それを、あなたがもし「イヤミを言われて嫌な想いをさせられたんだから、こっちも、あの人にイヤミをお返ししてやるんだ」という気持ちでいると、あなたから、“居心地のよくない”ムード(波動)が出てきます。それではあなたに、人も、運も、お金も、近寄ってきてくれません。それどころか、自分が望まない、嫌なことを招き寄せてしまうんですよ。
だから、復讐しようとしちゃいけないのです。復讐はあなたの仕事ではありません。
神さまの仕事です。
<転載終了>
よく人の悪口を言う人がいます。また現在のようにネットが普及してくると、SNSで人の悪口や非難をする人も目にします。もしかしたら、相手がいないところで、自分の周りの人に、悪口を吹聴している人もいるかもしれません。
そして、それに対して、反応してしまい、今度は自分が同じようにやり返す方もいます。
ですが、それらの行為は、一人さんが仰るように、やめた方が良いかもしれません。
今度は言った相手ではなく、仕返しをした自分自身が同じ土俵に立ち、同じような嫌な波動をまとい、自分自身の人生に不幸を引き寄せてしまうからです。
やられたからやり返す。そうしなければ、自分は正しく生きているのに、何だか負けた気になってくる。やられ損にはなりたくない。
それらの心では、必ず相手と同じ波長をまとってしまいます。
私たちの住む世界は、自分の心の状態が現実を作りますから、その汚れた心と同じ現実が
自分の周りに現れてくることでしょう。
ですから例え悪口やイヤミを言われたとしても、それを心に留めず、受け流し、受け取らなければ良いことです。
もし目の前で言われたのなら、ニッコリ笑って「ご忠告ありがとうございます。感謝します」と言って、離れたら、また元のようにご自分の信念に基づき行動すれば良いだけです。
ブッダもこのような時、静かに反論せず、受け取らなければ良い・・ そう仰っています。
人から根拠なき悪口やイヤミ、陰口を言われることは日常茶飯事ですので、一人さんの仰っる方法を実践するだけで、かなり楽に生きられるかもしれませんね。
さて、みなさん、世界中に巻き起こっているパンデミックの嵐の中心をざわつかせていらっしゃる方も多いかと思います。
この言葉ご存知ですか?「断じて行えば、鬼神も之を避く」 断固とした態度で行えば、鬼神でさえ、その勢いに気(け)おされて避けて行く。と言うことです。
私は、これを「ありがとう」の言葉を常に口にして、感謝の心で生きている人のことだと思います。
「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にする人に対して、 どんな人が、
・蔑み(さげすみ)、
・陥れ(おとしいれ)
・危害を加え
・足を引っ張る
ことができるでしょうか?
また、神々が破滅の運命にひきづりこもうとするでしょうか?
これから先に、何が起こるのか誰もが不安ですが、感謝の気持ちでいる限り、どのような運命に置かれようと、必ず助けが来ることでしょう。
神々がなさることに安心して身をゆだね、身近な周りの方々と笑顔と思いやり、お互い様の気持ちで生きていきたいものですね。
14世紀、今で言うところの「最初のグローバル化」と呼ばれる時代、シルクロードを旅する商人たちが、中国からもたらしたペストは、最初イタリアとフランスを襲い、続いてイギリスに到達して、全ヨーロッパに広がりました。
ヨーロッパの人口の半分がその過程で死亡していますが、感染症の深刻な流行がもたらした予想外の結果として、社会が激変し、ルネサンスが起こりました。
特に西ヨーロッパでは、ペストによる労働力不足が、封建秩序を強制終了させました。
この大災害を乗り越えた後、世界は今までとは全く違う景色を見るのかもしれません。
「縄文スピリッツ」
日本人には、はるか縄文の時代から、1万年以上も続く、ものの考え方の基本があります。
自然を敬い、全ての物にスピリット、魂を感じ大切にするという、いわゆる古神道の考え方です。そこでは、神々はもちろん、死者でさえ敬い、その幸せを願い、喜んでいただくことこそが、生きている私たちの幸せに繋がると信じられてきました。
このような考え方、生き方こそ、私たち日本人のDNAに息づく尊いものであり、まさに、そのことにより日本は世界のひな型と言われるようになりました。
今回、神々に近い魂として、破壊の時代の予行演習がなされました。今の時代はまさに、私たちのDNAの中に眠る縄文のスピリッツの遺伝子をONにする時代が訪れています。
私たちの祖先の縄文の時代は、1万5千年間も日本で続いた平和な時代でした。その時代には、争いの形跡が一切見つかっていません。争い、いさかい、過度の所有意識が始まったのは弥生時代からです。つまり弥生族が大陸から日本に渡って来てからのことになります。
どうして縄文人は争いをしなかったのかというと、その理由は、縄文人は外に「神」を作らなかったからでした。「神」は人それぞれの「自分の中にある」と信じて、お互いの「神」を尊重しあったからです。
自分の中の「神」が尊重されるには、相手の中の「神」を尊重しないといけません。
このように、すべての対象のうちにある「神」を尊重しつつ、自分のうちにある「神」に感謝した時代が縄文時代であり、古神道の基本的な考え方でした。
これは、まさにブッダグループが、人類の精神性の進化のために時を超え、今の時代に、取っている方法論と全く同じです。
まさに縄文回帰、「縄文の心を取り戻せ」のスピリット。 これこそが、私たちが、私たち一人一人の心の中にこそ神さまを見出し、お互いを尊重し認め助け合い、お互いさまの気持ちで生きて行く精神的な支柱となります。
今の時代に言われている「国常立尊の復権」とはそう言う意味を持っています。
地上の変化は、まず目に見えない世界で起こります。上なる如く、下もまた然り・・です。
そして神々は、人間の精神性の復活を通じ、この地球を変えて行きますが、その変化は、多くの人が期待するような
・派手で、
・ドラマチックな、
・天変地異のような
やり方ではないと思われます。大事な物は見えない・・・いつの世でも、やり方は同じです。
単なる好奇心を満たすような、人目を極端に引くサーカスを見せるような方法は取りません。地味ですが、着実な方法です。
私たちのハートの中には
・先祖を大切に思う敬心
・死者の幸せさえも願う優しさ
そして、生きている人々に対する、
・お互いさま
・お陰さまの心
相手の個性、尊厳を大切に思う温かな心、優しい心でありました。ただ、明治の文明開化、戦後の敗戦処理によってその大切な心が強制的に、忘却させられていただけです。
その美しい神のような心を取り戻せば、きっと、気付いたら、いつの間にかミロクの世が始まっていた・・ そのようになっていることでしょう。
今は、建て替え、つまり破壊の時を過ごしていますが、これを耐え忍べば、いよいよ美しき世界への建て直しの時期です。希望を持ち、周りの人々と助け合いながら、笑顔と感謝の気持ちで暮らしていればきっと、その美しき世で暮らすことができるでしょう。