2024年3月7日木曜日

3359「おかげ様の人生」2024.3.7

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年02月28日の記事を紹介します。


「おかげ様の人生」


私たちは同時に3つの世界を生きています。

・見えている世界。今の現実と思っている世界

・見えない世界。不思議の世界(黄泉の国、霊的な世界)

・心の世界

この3つです。 

そして今まで一番ないがしろにされてきたのが「心の世界」ですが、 

実は一番重要で、見える世界、見えない世界を変えてしまうほどの力があります。 

見えない世界は、一見、神秘的で不思議で、ワクワクさせてくれます。

見えない世界の、神様や龍、精霊、宇宙人など、何だか頼れば、

大きな力をくれそうな気もします。 

ですが、私たちの心が変わらなければそれも一時のこと。 

心を清浄にすること、ピュアにすること、感謝の気持ちで満たすこと、

このことの方が、何千倍、何万倍、何億倍も価値があり、

永続的な幸せの世界、神々の世界へ私たちを連れて行ってくれます。 

見えない世界の力をいくら手に入れようと、ご自分の心の世界の変化にはかないません。 

ご自分の心を鏡に映したとき、その姿を、まっすぐに見つめることはできますか? 

それでは、今日も心をピュアにするためのお話です。 

ブッダが悟りを開いたとき、最初に気づいた宇宙の法則があります。

それが、「縁起(えんぎ)の法則」です。 

「縁(よ)りて起こる」

この意味は、自分の人生は、

・自分以外の、すべてのおかげ、

・神仏や、まわりのおかげで成り立っている。

自分の思いで成り立っているものは、何ひとつない。

人は、自分の思い、力、能力で未来を切り拓(ひら)き、

人生が変わっていくと思っているので苦悩する。

人間の苦悩の本質は「縁起」を認めないために起こっている。

この「悟り」を言い換えて言うと、あなたの努力や才能によって、

人生が組み立てられていることは一つもない

あなた以外のすべてが、あなたの人生を決めている

ということです。 

それでは、ここで、正法寺住職の青山俊董さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

 


京都駅で拾ったタクシーの運転手さんが語りかけてきました。

「ご出家さんですね。お話をさせていただいてもよろしゅうございますか」と。

「どうぞ」と私は答えました。

「私は高校三年生の三学期に両親を亡くしました。

町会で河豚(ふぐ)を食べに行き、その毒にあたって一晩で亡くなりました。

いつもなら母親が早く起きてお弁当を作ってくださるはずなのに、

いつまで経っても音一つしないので、

“おかしいなあ?”と思って、両親の部屋の戸を開けてみました。

二人ともさんざん苦しんだ後、息が絶えておりました。

驚いて電話に走り、親戚の者が駆けつけて葬式は出してくれました。

借金はありませんでしたが、一銭の貯えもありませんでした。

私の下に五歳の妹がおりました。

父が出征しておりましたから、年はなれて妹ができた訳です。

高校三年の私と五歳の妹では

家賃がとりたてられないであろうというので、家主が追い出した。

私は五歳の妹を連れ、最小限度の荷物を持ち、安い六畳一部屋を借りて出ました。

両親に代わって妹を育てなきゃならないと思って、私は夢中になって働きました。

朝は新聞配達、昼は勤め、夜はアルバイトとメチャクチャ働いて、

二十二、三歳のときには、安いアパートを買うほどの金は作りました。

その間、私は働くことしか考えていませんでしたから、洗濯も炊事も掃除も何もしませんでした。

五歳の妹がしたことになります。

妹に勉強机の一つも買ってやりたかったのですが、

六畳一部屋に食卓と勉強机と二つおくと寝るところがなくなるから、

妹はかわいそうだけれど食卓を勉強机に兼ねてもらいました。

狭い家で育ったから妹は整理の名人になり、今、大きな家にご縁をいただいておりますが、

きれいに整頓されております。

考えてみましたら私なんか、もし両親が元気でいてくれたら、今ごろ暴走族か突っ張り族か、

ろくな人間にしかなっていなかったと思います。

もし両親が死んでくれても、金を残してくれたら今の私はなく、また妹がいなかったら淋しくでぐれていたでしょう。

両親はいない、金はない、幼い妹がいる。

私は本気にならざるを得ませんでした。 

 

私を本気にしてくれ、一人前の大人にしてくれ、男にしてくれたのは、

・両親が死んでくれたお陰、

・金を残してくれなかったお陰、

・家主が追い出してくれたお陰、

・幼い妹をつけてくれたお陰

と思い、毎日両親の位牌(いはい)に感謝の線香をあげております。

何もかも私を一人前の大人にするためのおはからいと感謝しております。

ただ一つ、妹がよいご縁をいただいて、花嫁衣裳を着たときは泣けました。

両親に見せたかった。

わずか三十分ほどの間の話でしたが、どんな立派な方の話よりもすばらしい話を聞くことができ、心から「ありがとう」といって車を降りました。

お釈迦さまは、この世の中には四種類の人がある、と説かれました。

・闇から闇へゆく人、

・闇から光へゆく人、

・光から闇へゆく人、

・光から光へゆく人と。

人生の幸、不幸を、光とか闇という言葉で表現することができるでしょう。

一般的にいって闇としか思えないことを、

・両親が死んでくれたお陰、

・金を残してくれなかったお陰、

・家主が追い出してくれたお陰、

・幼い妹をつけてくれたお陰で、

本気になれた、一人前の大人になれたと 

全部「幸い」と受けとめ、光へと転じているよい例といえましょう。

<引用終了>

 

 

私たちは、誰一人、他の誰かのお世話にならず、迷惑もかけず、 生きていける人はいません。

必ず、どこかの誰かのお世話になり、周りに迷惑を掛けながら生かされています。 

今の私があるのも、家族をはじめ、友人、職場の仲間 

・私を好きな人

・私が好きな人

・私を嫌いな人

・私が嫌いな人 

全てのお陰様で、今の私たちが形成され、ここまでの道のりを連れてこられてきました。 

辛く苦しい環境、辛く当たる人たちでさえ、今の私になるために、欠かすことができなかったのです。 

そのすべてのバランスと、タイミングを見計らい

人を連れてきて、その出来事を起こしてくださったのは、

私たちの魂の成長のために、常に心を砕いてくださっている神様です。 

私たちは、出会った人すべての人によって、今の私たちが形成されています。 

たとえ嫌いな人でも、人生に現れた人達は、全て私たちに経験をくれた人。

一人でも欠けていたら、今の私はありません。 

・私が嫌いな人

・私を嫌いな人 

そんな嫌われ役を、わざわざ引き受けて生まれてくださった方々です。

私たちに、苦い経験をさせてくれるために、敢えて苦しい立場を引き受けてくださいました。

クラリオン星から転生してきた小学生の久松奏拓(ひさまつ・そうた)君も言っていました。

嫌いな人や苦手な人を無理に 好きになろうとしなくていい。

良いとか悪いというジャッジもしない事。 

それは単に波長が違うだけなのだから。

私たちは、そんな風に思えたら、好きにならなくとも、感謝はできるかもしれませんね。 

感謝のあるところ、 

いえ 

感謝のあるところにしか、神々の恩寵は現れることができません。