今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月28日の記事を紹介します。
「病気・事故・障害の意味」
今年の6月に、病気、事故、障害の意味について記事を書いたのですが、 ここ連日紹介している神様の意識のまま生まれて来た6歳のトキ君が病気、障害について話しています。
少しご紹介します。
この中でトキ君(山幸彦)は、次のように話しています。(少し補足しています)
・病気になるのは、生まれる前に自分で紙に書いてきたから
(=自分で設定してきた。決めてきた)、その通り病気になっただけ
・身体が壊れると、魂が抜ける
身体は、魂の乗り物。身体と、魂は別物。魂は永遠に存在している。
・障害者になっても、全然大丈夫
・例え身体が痛みで苦痛であっても、楽しいことをする・考えることで、痛みを忘れることができる(心と体は別物)。
・ガンと戦う・・このような考え方は間違い
・病気と闘ってはダメ
・病気は神様からのプレゼントだと気づけば大丈夫
・病気や障害は、神様からのプレゼント
・例え、病気や障害になっても、自分の決めてきた寿命までは生き続ける(乗り越えられる)
・物凄く痛みを伴う時は、乗り越えられる障害、寿命である時は、痛みや苦しみを伴わないので区別することができる
・大きな試練が起こる前に、小さな試練が複数起こる
・神さまのプレゼントを受け取れば、運が良くなる
・神さまのプレゼントとは、苦しいこと、辛いこと
・神さまは、このプレゼントを通じ、私たちの「直すべきこと」を教えてくれている
・「直すべきこと」は、多くが神さまの用意してくださった環境に満足せず、頑張って変えようと眉間にシワを寄せる事
・「頑張る」は神様の目から見れば、悪いこと。苦しく、辛いことであっても、「直そう、戦おう」とせず、素直に神様のプレゼントを感謝を持って受け入れること
・病気や障害に感謝すること。受け入れること
・病気は自分で治せる
・神さまが病気を通じ教えてくださった、私たちの「直すべきこと」を知り
(=頑張ることをやめ、自分の今の環境に感謝して受け入れる。(聖なる)諦める)
・このことによって、病気を通じ神様が教えたいと思ったことが成就して、病気は必要なくなり消える
・治らない障害を受けたとしても、神さまにとっては、肉体(乗り物)は障害であっても、心には障害はない
・病気や障害は、頑張って乗り越えるものではなく、「簡単なこと」と思うこと(重大に考えない事)(深刻に考えて、病気や障害にエネルギーを与えないこと)
・普通の人は、自由に肉体が動けるけれど、心が自由でない人が多い
・障害者の人は逆に心が自由(神さまのプレゼントを受け入れ、素直に受け取っているから)
・心が自由だから、何か嫌なことが起こっても楽しめる
・辛い状態の時、「神さま、助けて」と言うのは、心が自由でない証拠
・心が自由な人は、そんな時でも「幸せです。ありがとう」と言える人
・ガンになっても「ありがとう」
・何故なら、病気や障害は、神様からのプレゼントだから
・どんな病気も障害も、「絶対乗り越えられるから大丈夫」
・神さまのプレゼントを受け入れて
それで「楽しく生きるんだ」と自分で決めること、決心すること、神様に感謝すること
・それで病気や障害を乗り越えられる。一番大切な心が自由になる
・心が動けば、自由であれば、何でもできる!
・心が自由であること、楽しく生きること
・これが神さまが教えてくださった病気や障害を乗り越える方法
・病気や障害になったら「幸せです。ありがとう」
・心が何物にも縛られず自由なら、幸せになれる。
それでは、今年の6月に「病気・事故」について書いた記事を御紹介します。
私たちは肉体的な制約のない「意識」だけの世界(神の国、黄泉の国)からこの地球の3次元の世界に生まれてきました。
生まれてくる際には、永遠の魂の持っている記憶を全て、いったん白紙にされ、忘れさせられて生まれてきます。
そして一生のうちに経験する全てのことを、あらかじめ決めてから生まれて来ます。
この不自由な物理的な世界で肉体があるがゆえに、霊的な生命体の時には無かった「感情」を味わい、様々な縁ある人々とも、まるで「初めまして」と一から関係を構築していきます。
そして、地球での生活の中には様々な、イベントが埋め込まれています。
楽しいことだけではありません
・別れや死別
・裏切り、意地悪
・憎しみ、嫉妬
・悲しみ、苦しみ
様々な人々の、様々な感情の中で翻弄されながらも自分なりの花を咲かせようと、私たちは懸命に生きていきます。
何故なら、そのような経験はこの地球の3次元の世界、短い一生の間にしか味わえない貴重な 魂を磨く機会だからです。 でも、これらは全て自分で決めてきたことです。
私たちは
・この置かれた世界で、
・この置かれた立場で、
どう生きていくか?それが、問われています。
送り出してくださった神様、そして、多くの故郷の星の同胞たちが見守っています。
ですが、そうであるにも関わらず、あまりにも見えない世界、霊の世界、下世話な言葉で言えば「お化けの世界」のみを重要視し過ぎて、実際の目に見える日々の生活、そして身近な周りの人々との優しさや、思いやりの愛の交換を忘れてしまっては、本末転倒になってしまうかもしれません。
何のために、ここ物質地球に来たのかわかりません。ここは物質次元の地球です。
さて今日のテーマ 「病気と事故」
生まれてくる前に、自分で決めてきたシナリオ通り、人生が進むのであれば、私たちを苦しめる、貧困や病気、事故の意味とは何でしょうか?
世の中に一つも無駄なことはないと言われます。
神さまは決して私たちを苦しめ、悲しませるためだけに、物事を起こすわけではありません。
全ての自分に降りかかる出来事は「空」、すなわちニュートラルである。
そこに良い、悪い。幸、不幸の色を付けるのは、自分の心である。
そうブッダは般若心経の中で教えてくださいました。
一般的にいう「不幸」の代表として病気と事故があります。
そして、病気をした人は、「より優しく」なり、事故に遭った人は、「より謙虚に」なります。
「どうして、自分だけが不幸な目に遭わなくちゃならないんだ」と言う人もいれば、病気や事故のおかげで、心が清められたと、感謝する人もいます。
私たちの日常生活の中の、幸せ、不幸せは、こういうもののとらえ方の違いによって成り立っています。
目の前の現象は、もともとニュートラル(中立)で、なんの意味づけもされていないのに、
私たちが勝手に評価・論評を加えているということです。
すべては自分の私たちの心が決めています。
それでは、ここで小林正観さんのお話をご紹介します。
<引用開始> 引用元
私たちは、20世紀的な価値観から、そろそろ抜け出してよい時期に来ているのではないでしょうか。
20世紀的な価値観とは
・競うこと
・比べること
・争うこと
を基礎とする価値観。
そうではなく、21世紀は、
・競わないこと
・比べないこと
・争わないこと
を基礎とする価値観。そうできないものでしょうか。
それは、戦うことではなく、自分が楽しいと思えるような(この瞬間だけでなく、未来にわたって継続できるような、楽しい) 生き方をするということにほかなりません。
自分の生活の中で
・他人と比べない
・世間と比べない
ということが身についたら、生きることが、どれほど楽になるかわかりません。
今まで、相対評価というのが、人の価値観をずっと形成してきて、それにまったく疑問をはさまないで私たちは生きてきました。
・競争すること、
・比べること、
・争うこと
を教えられてきましたから、「優しさ」をたくさん持っている人ほど、心の奥底で「何かが違う」と叫んでいるわけです。
その心の叫びとは裏腹に、表面の部分では、猛烈に争って、戦って、いい成績を収めたという、その乖離が激しい人ほど、往々にして病気を招くという例が多いように思います。
それは、その人自身が優しいがゆえに、自らが元の姿に戻るためのシナリオを、生まれる前に書いてきているのでしょう。
「自分の力ですべてやってきたんだ」という驕り、高ぶりが強くなったとき、病気という形をとって、本来の謙虚さに立ち戻るシナリオが働くのではないでしょうか。
人は、病気や事故によって、より優しく、より謙虚になり、その結果、競争原理というものを捨て、これまで体験した すべてのことに「ありがとう」と言えるようになるようです。
<引用終了>
今自分の目の前に起きている悩み、苦しみ、偏見、貧困、差別、病気、ケガは、自分にとって何をもたらそうとしているのか?
それを経験することで、私たちの魂は、何を得ることができるのか?
それは、その現象の表面だけの辛さを見て不平不満、愚痴、悪口を言っている間は、決して気づくことがないでしょう。
そこに隠された神様の意図を、感じ取れた時、その現象は、役割を終えて、いつの間にか消滅し、記憶のかなたに消えていくことでしょう。
皆様が内なる神さまに気づき、お幸せになられますように。