2021年12月10日金曜日

2542「心の中の神様」2021.12.10

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月04日「心の中の神様」と2021年12月05日「がんじがらめの子供達」の2つの記事を紹介します。


「心の中の神様」


ここでよく、「私たちの内にいらっしゃる神さま」と書いています。

そして、その神さまと一人一人が繋がることで幸せになることができると書いてきました。

同時に、自分以外の他人の中にも神様がいらっしゃり、古くからの縄文時代から私達日本人は自分を大切にして欲しいのと同じく、他人の中にいらっしゃる神さまも尊重してきました。

その結果、大陸からの影響で、弥生時代が始まるまで、この日本では1万5千年にも及ぶ長きに渡り、争いの無いユートピアを実現してきました。

私たちの内に、神様がいらっしゃる。 

このことを6歳の神様、トキ君も神さまからの通信として話しています。 

2分頃からこの中で、神様(トキ君=山幸彦)は、こう言っています。 

人間が生まれる時

・肉体と

・その肉体に私たちの魂が宿り

・これから生まれる一生のうちに行うことを紙に書き、神様に承認していただき

・更に神様の分け御霊をアンパンマンのように頂いて生まれてくる

・また神さまの御霊(氣)が入らないと肉体は動かない

・ひらめきは、神さまからのプレゼント

・全てひらめき・直感通り、つまり神様の操縦に従っていれば上手く生きられる

6歳の男の子、トキ君が神さまからのお知らせとして、上記を語っています。

私たちの内にはどなたも神様がいらっしゃいます。 

人間だけでなく、生きとし生けるもの、無機物、気象などの現象にさえ神様がいらっしゃいます。


ただ人間は直接的に神様を体現するために生まれて来ましたから、その分け御霊の濃度が、他と比べはるかに高いと思われます。 

私たちの内には神様が居り、神さまが私たちを動かし、様々な経験をさせてくださる。 

心を動かし、魂を震わす喜怒哀楽の出来事 

・良きことも

・悪く見えることも 

そして内なる神様の働きを阻害する要因もあります。それが、自分さえ良ければの我欲です。

内なる神さま、心を曇らせその輝きを奪い取ります。神さまの操縦が効かなくなります。

そのため、このブログでは、 

・心を洗うこと、

・純粋にすること 

を中心に書いています。 

決して、自分以外の何者かに頼りなさいとは言いません。 依存する心も、内なる神々の力をそいでしまうからです。 

また日本に古来から伝わるお祓いも有効な手段です。神々に対する深い信仰と自分の心を清めたいという 自発的な信念が大切です。私達一人一人の中に神様が居らっしゃいます。

ですから、

・私達の思いも、

・過去の歴史も、

・将来起こることも、

・行動も

全て見ていらっしゃいます。 

そして色んな出来事や、人との出会いや別れを用意したり、豊な時や、貧乏のどん底の時を演出して下さり、私たちの魂を磨き、輝かせ私達を神様の所に、連れて行って下さっています。

そう、しっかりと信じることが出来れば、 

私達は、どんなに安心して幸せを感じながら、生きて行くことが出来るでしょうか?

良い出来事、悪い出来事に見えても、それら全部が、神様からのギフトなのですね。 

時代の大きな変化が加速している今、皆様の心が、ご自身の内なる神さまに向かい、 

共鳴する、全ての生きとし生けるものとの愛と調和の世界に住むことができますように。



「がんじがらめの子供達」


今日も木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の子供、6歳の神様、トキ君のお話を基に書きたいと思います。私のブログでずっと書いてきたことと同じことを話しています。下の映像の中で、山幸彦が人間に伝えたいこととして、子供の育て方について話をしています。

トキ君はこんなことを言っています。(一部補足)

私たち親は

・勝手に子供の先回りをして

・勝手に心配をして

・勝手に期待して

・勝手に親のエゴを押し付けてきました

きっと、そんな親に子供たちの魂はどんなに悲しんでいることでしょう。

何故なら、地球への誕生をワクワクと目を輝かせて、期待に胸を膨らませて生まれてきた子供たちの人生ストーリーは、

・決して親のエゴやミエのため、

・親の思い通りの人間になるため

の人生とは全然違っているかもしれないからです。

子供たちの魂は、きっとこう言っていることでしょう。

お願いです。神さまと約束してきた花をここで咲かせてもいいですか?

 

・子供たちは自分の力で生きていく力を、予め神様から頂いて生まれて来ている

・親が自分のエゴやミエで心配し、先走りし、レールを引いて教えてしまうと、自分で考えることができず、計画してきた経験もできず、魂の糧にもならない。考える力、感じる力が身に付かない。教えれば教えるほど、これからの長い人生航路を渡っていく力がそがれてしまう。

・自分で経験するからこそ、魂の糧となり、教訓を身に着けることができる

・そのために、生まれる前に、その経験を人生に計画してきた

・親は、子供を信じ、子供のやりたいことを、周りで愛を持って見守るだけ

・親は親で自分の人生を笑顔で楽しむこと

・親が自分勝手な考えで子供を誘導しなくとも、計画してきた時期になれば、子供は気づき、行動を始める時が必ず来る。

・親が先回りしてしまうと、それが出来なくなってしまう。弱い魂になってしまう。 

では、同じテーマで以前書いた記事を掲載します。

 

東京家庭教育研究所を創設した小林謙策氏(故人)という方の手記があります。

小林さんが、家庭における子どもの教育がいかに大切かを、身にしみて感じたのは 

昭和30年6月ただ一人の娘に突然、自殺された時からだそうです。小林さんは長野で中学校の校長をしていました。人さまの大切な子どもをあずかって教育しなければならないという立場の者が、自分の娘の教育さえ満足にできなかったのはなぜか。 

19年間の娘に対する教育のどこが間違っていたのか。平和で楽しかったはずの家庭に突然襲った悲しみ、苦しみが厳しく、小林さんは自問自答しました。

「私は家庭における子どもの育て方に 大変な間違いを犯しておりました」

と小林さんは言います。

自身が、勝気で負けず嫌いだったので、娘に対しても、小さい時から「えらくなれ」といって育ててきました。

大きくなると、さらにその上に「人よりえらくなれ」と言いました。

「娘は小学校、中学校、高等学校までは、自分の思い通りに伸びていったが、東京の大学に行ってからは、そうはいきませんでした。あらゆる努力をしても、自分よりすぐれているものが幾多あることを知ったとき、もはやわが人生はこれまでと、生きる望みを失い、新宿発小田原行の急行電車に投身自殺をしてしまったのです」

遺された手紙には

「両親の期待に沿うことができなくなりました。人生を逃避することは卑怯ですが、いまの私にはこれよりほかに道はありません」

と書かれ、さらに、

「お母さん、ほんとうにお世話さまでした。いま私はお母さんに一目会いたい。

お母さんの胸に飛びつきたい。お母さん、さようなら」

と書いてありました。

「それを読んだ妻は気も狂わんばかりに子どもの名前を呼び続け、たとえ1時間でもよい、

この手で看病してやりたかった と泣きわめくのでした」

小林さんは言います。

考えてみれば、子どもは順調に成長してゆけば、誰でも「先に進みたい」と思うもの。

這えば立ちたくなり、立てば歩きたくなり、歩けば飛びたくなる。

これが子どもの自然の姿。子どもは無限の可能性を持って伸びよう伸びようとしている。

 

「それなのに自分は愚かにも娘に『人よりえらくなれ』といい続けてきた。

『自分の最善をつくしなさい』だけで、娘は十分伸びることができたはず。

私は娘の死によって、家庭教育の重要性を痛感しました」

以後の人生を小林さんは家庭教育の探究と普及に捧げる人生を生きられ、平成元年に亡くなられました。

自分に出来ることでいい、自分の最善をつくせば、それでいい

坂村真民さんという詩人の詩があります。


「小さい花でいいのだ

 人に褒められるような大きな美しい花ではなく、

誰からも足をとめて見られなくてもいい

本当の自分自身の花を咲かせたらいいのだ

それを神さま仏さまに見てもらえればいいのだ」 


・勉強しなさい

・あれはダメ、これもダメ

・あれをしなさい、これをしなさい

・貴方にはムりだから止めときなさい

お子さんに、そんな言葉、掛けていませんか? 

その1/3もの子供たちが、中間世記憶を持つことが分かりました。

彼らが 教えてくれた生まれて来た目的とは・・・ 

ほとんどのお子さんが、こう答えたそうです。・お母さんを助けるため

・人の役に立つため

・魂を磨くため

そんな優しい心を持って生まれて来てくれた子供たち

彼らに、

・詰め込みの教育

・本人の希望や適性を無視した親の引いたレール

・人をけ落としてでも、競争に勝ち抜いて生きろ

は必要でしょうか? そんなことを言えるでしょうか?

勉強が出来ない子供は不幸でしょうか? 学校はそれほど大切な所でしょうか?

人と同じでいる必要はあるのでしょうか?

子供たちには一人一人個性があります。得意分野も異なるでしょう。 

興味や志向も異なることでしょう。親の一方的な思い。教師たちの一律的な対応そんなものは、もしかしたらこの優しい子供たちには糞くらへかもしれないですね。

彼らは、

・お母さんを助けるため

・人の役に立つため

・魂を磨くため

この世に生まれてきました。

姿かたちが子供だからと言って、魂までも子供ではありません。 

私達大人たちよりもはるかに愛に溢れた存在かもしれません。

お母さんを助けるために生まれてきました。

決して、お父さんや、お母さんの思い通りに生きるために生まれて来たわけではありません。

それでも、子供を自分の思い通りにしたいと思う親御さん。

お子様の心や体がボロボロになって、自分の元に戻って来た時、きっと気付きます。

生きていてくれてるだけで良かった。 

そのままで愛しているよ。 私の元に生まれて来てくれてありがとうって・・・

  

子供が、美しい「スミレの花」を咲かせようと、この世に生まれて来たのに、

華やかな「バラの花」になれと、無理強いはしていませんか?

子供の心を、生きながら殺してはいませんか?