2023年10月14日土曜日

3214「神々の厳しさと優しさ」2023.10.14

今回はいっぷくからのありがとうさんの2023年09月30日「神々の厳しさと優しさ」と2023年10月01日「母の涙」の2つの記事を紹介します。


「神々の厳しさと優しさ」

日本では古くから降神の儀式がありました。 

この降神は、日本では古くは「手乞い」と呼ばれ

巫女さんに神様が来られた時の徴(審神者)として使われたようです。 

古事記(国譲り)にも記載されています。

また相撲のルーツとされ、日本相撲協会のHPでも紹介されています。 

・神様に入っていただく方(中座と呼びます)と、

・神様に質問される審神者的な役割の方(前座と呼びます) 

の2名で行われることが多いようです。 

このご神事は、相当なエネルギーを消耗します。

今風に言えば、 HPを大量消費します。 

ですので、長時間は行えません。

体力と、気力を奪います。 

ですので、質問される方も、

・ただの興味本位

・思い付き

・気軽な依存的な心

であってはならないのだそうです。厳しいです。

そんな内容に、神様は興味がありません。

霊性の国、日本

本来は、前座の役の方が質問者の、質問を承って、仲介役として、中座の神様に質問します。 

ですので、中座の方は、質問者の質問を一旦ここでフィルターにかけて

本当に神様に質問させていただいてよいものかどうかを、取捨選択する必要があるのだそうです。 

・あれしてくれ、これしてくれ

・どちらの道を選べばよい?

・病気は治るか?

・いつ死ぬか?

などは、本来は神々に質問することではないようです。 

そして、神々は優しいです。

そして私たちの小さな悩みまで全てを知っています。

質問者の、全ての過去世と、現状と未来世までも

ですので、将来起こりうること全てを分かっていますが、

質問者が気に入るようなお答えはしません。 

また、質問者を絶望させるようなお答えもしません。 

常に神々のお答えは、それこそ良寛さんの愛語のようなものです。 

・人を温かくする言葉、

・明るくする言葉、

・優しい気持ちにする言葉、

・励まし続ける言葉…

このようなことしかお答えにならないのだそうです。 

質問者の未来に、どんな状況が待っていようとも、それが人間的には「悪い出来事」であっても、神々にとっては、その出来事を乗り越えてこそ、その先に幸せがあることが分かっていらっしゃいますから、絶望させるようなことは仰いません。 

全て、その方の心に勇気の火を灯す言葉だけをお答えくださいます。 

優しいです。

何者をも包み込む、絶対的な愛です。 

  

ですから本当は、わざわざ神々の前に来て、相談する必要もないくらいです。 

神々は言わなくとも、全てを知っており常に、私たちとともに居り、私たちの幸せのために働いてくださっているからです。

それでも、私達、一般の凡人は、日々起こる、いろいろな出来事に、一喜一憂し、取り越し苦労をして悩み、苦しみます。 

誰かにすがりたい、神様にすがりたい気持ちを持つのも当然のことです。 

ですが、本当は質問する前から、神様の答えは決まっているのです。

私たちが判断して決めた方で良いのです。 

どんな状況が私達の身に降りかかろうと、それは、神々が、そうなることを許された出来事です。 

その苦難を経験することで、私たちの魂は鍛えられ、輝きを増すことができます。 

その先には、大きな幸せと喜びが待っています。 

その苦難の中で、

・神々や関わってくださっている方々に感謝すること

・嫌な役を引き受けてくださっている方に感謝すること

・「ありがとう」の言霊を何万回繰り返すのでも構いません。

・人の嫌がる仕事を率先して引き受けることでも構いません。 

そうこうしているうちに、苦難は過ぎ去っていきます。 

穏やかな心に戻れるときが、絶対に来ます。 

その時に振り返ってみれば、

あの悔しかったこと

悲しかったこと

寂しかったこと 

全てが、自分の心を深く、豊かにしてくれたことに気づきます。

どうか勇気と希望を失わないでください。 

必ず、夜は明けますから。

  


「母の涙」


今日は、お子さんを持つお母さんに書きたいと思います。

心のお話です。 

・能力ある人に頼って、助けていただくよりも

・お金をかけて沢山のセミナーに参加するよりも

・あちこちの沢山の神社仏閣を回るよりも、 

まずは、ご自分の心を祓い清め、本来の魂の輝きを取り戻すことの方が、 

何万倍も大切なことだと思うからです。 

本当に素朴で純真な詩をご紹介します。 

サトウハチローさんの、「お母さんの詩」です。

おかあさんはわたしを生んだの 

それから

わたしをそだてたの 

それから

わたしをたのしみにしてたの

それから

わたしのために泣いたの 

それから

それからあとはいえないの


サトウハチローさんは、佐藤愛子さんのお兄さんです。

ハチローさんについて、愛子さんはこう書いています。

兄は「とんでもない不良で、本当にどうしようもない男です」、と。

なんとなく納得がゆく。 

「有名な『おかあさんのうた』で善良な人たちを騙しましてね」とまで言い切る。

「けれども、彼が作った詩の中で一つだけ、ああ、この詩はいいなあと私が思った詩があるんです。 

不良少年で父や母を苦しめた男の、こういう短い詩です」。

それが、この「おかあさんはわたしを生んだの」という一編です。

サトウハチローのお母さん、ハルは、彼がまだ子供の頃に,父・紅緑に離縁されました。

そして若くして世を去ったのでした。

酒好き、女好きで、放蕩の青春を送った中で 

「母よゆるしたまへ/ゆるしたまへ」と・・・。 

「おかあさん」の詩を最も多く書いたと言われる詩人サトウハチロー。 

彼の素朴でやさしい詩には、ファンが多いそうです。 

一見堕落したような生活を送った人ですが、その心の中では、

早くに亡くなった母の後姿を、いつまでもいつまでも追いかけていたのかもしれません。 

  

今日は、もうひとつ、お母さんのお話をご紹介して終わります。

同居生活の疲れからか、いつも、ご主人やお姑さん、そして子供、 更にはママ友など、 

他人の悪口ばかり口にしていたご婦人がいました。

いつものように台所に立っていると、三歳になる娘さんが寄ってきて、 

「ねえねえ、おかあさん」 と、エプロンにしがみついてきました。

まあ、いつものことですので、台所仕事を続けたまま 

「何よ」と聞くと、 「あたしねえ、いま、あること思ったの。」と言います。

またか、と思い、 

「セーラームーンのおもちゃは、この間買ってあげたでしょ。もうだめよ。」とか 

「おやつの時間はまだでしょう?」とか、適当に答えていました。

すると娘は「そんなんじゃないのよ。あたし、あることを思ったの。当ててよ。」と、  

得意そうに言います。 

「当ててよ」は、最近娘の十八番なので、少々うんざりして、適当にあしらおうとしたんですけど、あんまりしつこいので、とうとう根負けして、腰を屈めて娘の目の高さになって

聞いてあげました。

 

「なに思ったのよ。」

「あること、思ったの。」

「何思ったの?おかあさん、降参。」

「じゃあ、教えてあげる。あたしね、こう思った。」

「何?」

「おかあさんのこと好き、って思ったの。」

「へー・・・」

「何回、思ったかわかる?」

「え?一回じゃないの?」

「ううん、もっと。」

「じゃあ、三回。」

「ううん、もっと。」

「じゃあ、五回。」 

「ううん、十回。あたし、お母さんのこと好きって、十回、思ったの。」

その日、その娘の上の5歳になる娘のあとでお風呂に入ったら、湯気で湿った鏡に、ハートが書いてあって、その中に、「おかあさん、だいすき」と書かれていました。

その後、そのお母さんがどうなったか解りますか?

彼女の心を覆っていた硬い鎧にヒビが入りました。  

この幼い子供の愛によって。

「愛」って偉大ですね。