今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年05月12日の記事を紹介します。
「死を超えて」
今日のテーマは、死についてです。
近しい方を亡くされて、喪失感の中に、居られる方もいらっしゃるかもしれません。
もっとこうしてあげればよかった・・ そう自分を責めている方も、いるかもしれません。
自分にできる精一杯やったと、爽やかな達成感を味わって、いらっしゃる方もいるかもしれません。
今日は、肉体の寿命は尽きて亡くなろうとも、
・魂は死なない、
・永遠である
といことをご紹介します。
それを知っているか知らないかで、人生の価値が、まるっきり変わって来るからです。
まずは同名の著書を持つ元東京大学 医学部部長、矢作直樹さんのお話をご紹介します。
<引用開始> 引用元
死は考え過ぎるといけませんが、時々、それを思うことで「豊かな生」を手に入れることができます。
それ以前の自分と、それ以降の自分による対話がそこにあります。
長いのか短いのかわかりませんが、いわゆる人生という旅の中において、
自分のお役目も励みながら、あるいはお役目を探しながら、感謝しつつ日々を全うする。
そのうちにゴールがやって来るという人生で、必要なのは「幸福感」でしょう。
誰もが避けられない、死というイベントを意識することで、限られた時間の中で、豊かな生に向かって歩こうとする、私たちの幸福感は、そんなところから滲(にじ)み出て来ます。
さらにそこで大切なのは、「人は死なない」という事実を知ることです。
今回の生で授かった肉体は滅びますが、
私たちの魂は死ぬことがありません。
まずはそこに気づくこと。
そうでないと唯物論者のように現世利益にしがみついて、単に死を怖がることになります。
この先も、まだ数えきれないほど生まれ変わるというのに、今の生の、利益にしがみつくなんて、これほどバカバカしいことはありません。
その仕組みがわかると、滲み出た幸福感の中にまた会える、という感情が生まれ始めます。
他界した、大事な人や、愛しい人とはあちらの世界で会えるし、次回の転生後も(前の生のことは覚えていませんが)違う役割で会えるでしょう。
そもそも大事な人や愛しい人は、いつも私たちの、すぐそばにいます。
私たちが死を迎える日、つまり現世を卒業するその日まで、彼らは優しい眼差しで、見守ってくれているのです。
その仕組みを踏まえると、残りの人生を、心配する必要がなくなります。
対人関係やお金の問題など、いろいろなストレスを抱えているにせよ、それも今回の人生において、自分の「課題」がそういう形で出ているだけの話です。
解決できないレベルの課題は絶対にやって来ません。
必ず解決のための糸口があります。
その糸口を探すことこそ、人生における最上の学びなのです。
臨死体験というテーマでも、この20年くらいの間に実にさまざまな立場の方々が、
講演や著書でその体験談を発表しています。
脳神経外科の世界的権威である医師エベン・アレグザンダー(元ハーバード大学メディカルスクール准教授)が自らの臨死体験を著書にまとめた本もベストセラーになりました(脳神経外科医が見た死後の世界・早川書房刊)。
向こうの世界の様子が、詳細に描かれているのが興味深い点です。
レイモンド・ムーディやエリザベス・キュープラー・ロスなど、多くの実績を持つ欧米の医師たちが、死後世界の実相を克明に語る向きは、海の向こうではかなり増えています。
しかし、私たちの住む日本では、そうした情報自体をまだオカルトと忌避する風潮が強いのも残念ながら事実です。
なぜ私がそんな突飛なことをここで言うのか?
理由は簡単です。
人間は知らないことへの対処がこの世で一番怖いからです。
・知らないこと、
・知らない人、
・知らない世界、
・知らない作法、
・知らない手続き、
・知らない知識…
私たちが常に怖がり、不信感を持つのは「未知のもの」です。
逆にそれらがわかると心の中にある恐怖心は消え去るのです。
<引用終了>
今回の生で授かった肉体は滅びますが、私たちの魂は死ぬことがありません。
と矢作さんは仰います。
また、矢作さんは、 「寿命とは、この世で魂を磨く期間」と言っています。
我々がこの世に生を受けた目的は、魂を磨き、少しでも多くのお役目を果たして、
あの世に行くこと。
・人の役に立ち、
・人から必要とされる人となること。
・人に喜ばれる人になること。
(病気や寝たきりになって人のお世話になることも、相手の方に「人の世話をする」という体験の機会を与えている 立派な役割です。)
だから、
・辛いこと、
・困難なこと、
・嫌なこと、
・面倒なことは、
この人生において、自分の魂を磨くための、大事な砥石(といし)。
多くの人は、沢山の悩みや悲しみ、苦しみの中で人生を送られていることだと思います。
でもそれは、それらの環境が私達の魂を、強くしてくれるからです。
そして、それは乗り越えられない試練は決して与えられない。
と言うことと、肉体の死を持って、終わる、と言う意味でもあります。
それはどういうことかと言えば、今の苦しい環境も、せいぜい死ぬまでの事。
そしてそれは、自分の魂を磨くためにあると言うこと。
時に、もう投げ出したくなるような、人間関係、家族関係、経済的な貧困、人々の差別、
中傷、ねたみ にさらされるかもしれません。
ですが、それは永遠に続くものではありません。
私達は、あと何年、何十年生きているか解りませんが、それで終わりになります。
決して、その環境を投げ出さず、自分の精一杯の誠意と愛と思いやりを持って、
過ごして生きたいものです。
先に亡くなった方々は、今頃どうしているでしょうか?
このブログでも、沢山の臨死体験例をご紹介してきましたが、肉体という 振動数の低い状態から、魂という、振動数の高い状態に移行すると、そこには、時間の概念も、空間の概念も無くなるのだそうです。
拘束の多い、物理的な地球と異なり、一瞬にして、意識した時代へ行け、意識した場所へ移動できるのだそうです。
そして、その状態こそが、私たちが肉体を持ち、暮らしている時間より、はるかに長い時を過ごす場所であり、実在界とも呼ばれます。
また、類は友を呼ぶ。。
つまり「波長の法則」と呼ばれるものが、より鮮明に機能するため、波長の異なる者同士は、交わることができません。
亡くなった方々は、同種の波長を持つソウルメイト達に囲まれ、ねぎらいの言葉をかけられていることでしょう。
また、この地球上で経験したこと、
・思ったこと、
・感じたこと、
・感情の爆発など
全ては貴重な体験とされ、ソウルグループに共有され、宝となるのだそうです。
それは、私たちが、
・良きこと
・悪しきこと
と、常に区別しますが、一切のジャッジ抜きで、全ての経験が大切な宝になるのだそうです。
だから、あちらに戻った時に、経験したこと、つまり「既知」(いろんな未知のことを経験して知った)というお土産を持ってきたが故に、大歓迎で迎えられます。
きっと、お父さん、お母さん、先に亡くなった子供たち、友人や、かわいがっていたペット達も、笑顔で 迎えてくれることでしょう。
そして、再び霊的な生活に、フォーカスされた暮らしが始まります。
ですから、死とは決して悲しいものではなく、通過点でしかありません。
生きていた今よりも、もっと幸せになるために、帰って行きます。
死は、この地球で経験した、豊かな宝を仲間たちの元へと持ち帰る最後の扉です。
そして、その扉の向こうには、隠し事など一切できない、心と心、波長の同じ、親しい仲間たちが待っています。
残された私たちは、戻られた方々が、後ろ髪引かれることの無いように
自分たち自身の、生きる目的をにこにこ笑いながら、経験して行きたいものですね。
そして、私たちも、向こうに戻った時、笑顔で、ご挨拶したいものですね。
地球では、お世話になりました。
泣いたり笑ったり沢山の経験をさせていただきました。
ありがとうございました って。