今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年09月04日の記事を紹介します。
「喜びの世界への帰還」
死とは、私たち平凡な人々にとって一大事なことです。
身近な人であれば、
悲しみ、時によっては、「ああしてあげればよかった」と、
一生後悔を背負って生きていくかもしれません。
ですが、臨死体験を経験された方のお話や、生まれる前の記憶を持つ子供たちの話を聞けば、死とは、それほど深刻なことではなく、元居た場所に、また帰るだけ。
肉体がある時よりも、はるかに長い時を過ごしている本来の場所に戻るだけ・・・のようです。
ですので、あまり深刻なお話にはなりません。
また他の星団から直接地球に転生し、その記憶を持ったまま生まれて来た
レインボーチルドレンのお話では、 どうしても疑問があって、分からない時には、
元居た星団に残している自分自身の本体と通信し、その答えを得ることもあるとのこと・・
これの意味するところは、私たちの魂は、物理的などこの地点(宇宙)
及び、多次元に同時に存在できるということです。
また、光よりも早く通信できるということ。
量子力学の電子の蓋然性と同じです。
本人が意識をフォーカスさせているところに強く出ます。
つまり、肉体を持つ時は、強く肉体に意識を向けているために、
自分自身が神々と同じく多次元的な存在だとは気づかないけれど
本来、魂は、肉体を超えて生き、存在する・と言うことだと思います。
そういった観点から、今日は、聖心女子大学教授、シスターの
鈴木秀子さんのお話をご紹介します。
鈴木さんの臨死体験にまつわるお話で、亡くなった方のために「喜ぶ」という内容です。
<引用開始> 引用元
≪臨死体験で変わったこと≫
司会者―臨死体験をした後、何か変わったことは?
誰かがなくなったときに、家族は泣いてますよね、 亡くなったときに、あの人はあの素晴らしい世界へ行ったんだから、その人のために喜ぶ。
家族は悲しいから家族のためには祈りますけれども、
亡くなった人のためには喜びを感じるようになりました。
それがとても大きなことですね。
司会者――あちらの世界が素晴らしい世界だから、
(患者が)病気で苦しんでいらして、厳しい状態の時にも、
「安心なさってください」という言葉が説得力を持つんでしょうか?
(死がまじかに迫っている人たちに)私は手を当てたまま、本当に神様の愛が伝わって
私を通ってその方に伝わり、神様の愛が循環しているような、
臨死体験で味わった無条件の愛の中にいる安らぎというか、
安心感というか、そういうものをもう一度、再現している幸せを感じます。
司会者――なぜ臨死体験の幸福感が再現されるのですか?
つらい人とか、もう死が控えている苦しい苦しい人は
もう見栄とか、体面をつくろうことができない。
いのちのギリギリまで迫られているから、
その人の“ありのまま”をさらけ出しているわけです。
だから私はその人たちから刺激を受けて、自分も飾ることなく、
その人たちから自分の“ありのまま”を引き出されて、
そうすると、お互いに一体感が浮かんでくるんですね。
もう死ぬ前の人間が一番望むのは“愛”だけですよ。
だから自分も愛を溢れさせるし、愛を受け止める。
だから病人をお見舞いに伺うのは大きな喜びであり、恵みであり、
癒しを与えてもらう瞬間でもあるんですね。
司会者――最後に、これからの目標は?
一つ大きな目標があるんです。
年を取るにつれて全部、どんどん、昨日までできたことが、
今日はできなくなる。失われてゆく。
じゃあ、自分が最後の最後まですることは何だろうかと考えたときに、
気づいたことは、息を吸うことと吐くことじゃありません?
だから、息を吸うことと吐くことは死の瞬間までするから、
これを使わない方法はないと思ったんです。
・吸うときに感謝を込めて吸い、
・吐く息に神を讃美する。
感謝、讃美という思いを込めて、
吸ったり吐いたりする特訓を自分にしているんです。
<引用終了>
鈴木秀子さんは臨死体験をしてから後不思議な力に突き動かされて
病院などに、死に行く人々を訪ね歩く活動をされています。
そこでは、ただ
・同調
・肯定
・息を合わせる
・寄り添うこと
それしか行われませんが、2人の間に神聖な結びつきが生まれ、
神々のエネルギーが循環するのだそうです。
その結果、死を待つ人々の心は愛に満たされ、穏やかな気持ちで
神さまに抱かれて行くのだそうです。
派手さはありませんが、それこそが、まさに神々のやり方です。
愛の交流を通じ、心を救って行くのです。
イエスも同じことをなさいました。