2022年9月6日火曜日

2811「この世は劇団」2022.9.6

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年09月02日の記事を紹介します。


「この世は劇団」


今日は、小林正観さんの『22世紀への伝言』より、

「生まれ変わりは劇団のようなもの」というお話をご紹介します。 

<転載開始> 転載元

 

初対面の人には「やっと会えましたね」

ある僧侶の話では、“縁”のある人とは必ずどこかの人生で一緒なのだそうで、

・親子は今生だけのつきあい、

・夫婦は二世のつきあい、

・上司と部下は三世のつきあい

・師匠と弟子のつきあいは七世に及ぶ

のだとか。

  

多くの“超能力者”が「この世は劇団のようなもの。

生まれかわるたびに“舞台”がかわるだけで、演じている役者は同じ。 

同じ役者同志が、演目のたびに、役名を変えて演じているだけだ」

と言います。

人間は生まれる前に、この世で会う人全てと、約束をして出てきたらしいのです。

だから、初対面の「はじめまして」は本当は「お久し振りでした」が正しい。

「やっと会えましたね」でもいい。

20年来の友人も、今日会った人も、そういう約束のゆえ。

この世で出会うのが早いか遅いかだけで、自分にとっては全て等距離、全て大事な人です。

 

家族も、古い友人も、新しく知りあう人も、皆同じ。

・明日はどんな人が待っているのか、

・明日はどんな人と会えるのか、

・明日はどんな約束をしていたのか、 

と考えると、ワクワクすることでしょう。 

会う人が全て約束の結果である、ということに気が付くと、 

「じゃあ、人生はほとんど決まっているのか」 

ということになります。

信じられないし、信じたくもないかもしれませんが、

いつどこでどんな事件が起こるかも、だいたい決まっているようです。

自分の頭に予定表が入っていて、そのとおりのことが起こる。

 

では、そういう人生の設計図を描いたのは、誰か。

答えは簡単。

自分です。

自分をいちばん大事に思っている自分が、設計図を描いたのです。

生まれる前に自分で設計図を描き、その了承印を“神さま”から貰ったらしい。

ですから、出会う人、出会う人、全てが、自分の意志によって配置されていた人。

自分が嫌だと思う人でさえ、自分がお願いして「居ていただいた」のです。

・嫌がらせをしたり、

・邪魔をしたり、

・ひどい言葉を投げかけたりする人も、

自分の意志で配置したのか、と質問されることが少なくありません。

答えは イエス。

なぜか、を、お話しましょう。


仮に、人生で出会う全ての人100%が 

・あなたはえらい。好きなようにやりなさい

・あなたは全て正しい 

と言ったとしたら、どんな人もいい気になり、うぬぼれて傲慢になり、 

自分を見失い、ダメな人間になるでしょう。

逆に、出会う人全て100%が

・あんたは駄目だ

・それじゃあいけない

・間違っている

・何とかしろ

と言い続けたとしましょう。

言われたほうは委縮し、自信を失い、やる気も失ってやはり駄目になることでしょう。

では、最も確実に人を成長、向上させるのは…。

 

そうです。

温かい言葉や環境50%、冷たい言葉や環境50%、それが最も人間を向上させる。

ですから、人生は常に、温かい側の人50%、冷たい側の人50%です。

そのように自分で設計し、それぞれの人にお願いし、居てもらったのです。 

若いとき(幼いとき)、成績が良いなどで親や先生にかわいがられ、

挫折感に耐えるという体験的訓練が少なかった人は、 

長じて多くの挫折感を味わい、我慢することになります。

大人になってから人一倍“不幸”が襲ってきているわけではないのです。

ただ、普通の人には何でもないことが、

自分にだけは辛いということが少なくない。

若いころ成績が良くなかった人は、

自分の上に優秀な人が居ることが当たり前。

だから社会人になって、自分より早く出世する人が居ても、傷つかない。

青春時代、しょっちゅう(女性に)振られていた人は、

大人になって振られても「まあ、こんなもんだ」と耐えられる。

  

ところが、振られることがなかった、挫折することが少なかった、傷つくことが少なかった人は、普通の人には当たり前のことでも、我々が想像できないほど傷つきます。

・耐える

・我慢する

ことに小さいころから慣れてきた人間は“強い”のです。

大人になっても傷つきにくい。

逆に、小さいころ「訓練」が少なかった人は、大人になって傷つきやすい。

どちらの場合も、人生のなかで「傷つく」総量は変わりません。

「傷つきやすい」のが早いか遅いかの違いだけ。 

<転載終了>


ブッダの言葉にも、「対面同席五百生」というのがあり、

「対面」とは面と向かうこと。

「同席」とは、席を同じくすること。

このような関係になるということは、

その人とは既に500回以上、過去世でなんらかの形で出会っているのだそうです。 

この言葉を通じ、ブッダが言いたかったのは

誰しも、良くも悪くも、繰り返し会う人がいる。

その出会う誰もが特別な人。 

どんな些細なご縁も大切にしなさい。

と言う事かも知れません。

私たちにも、親や兄弟などのご家族、夫や妻、子供などの家族。

そして気心の知れた仲間がいます。

また、これから出会う予定のご縁もあることでしょう。

それらの人達とは、前世、どこかでご一緒させていただいた深い縁があります。 

そしてそのご縁には 重いも軽いもありません。

全てのご縁、大切にしたいものですね。 

またそのご縁が、延々と来世にまで繋がって行くのですから。