今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年08月26日の記事を紹介します。
「生きる!」
「置かれた場所で咲きなさい」で有名な、渡辺和子さんは
その著作や、お仕事(大学の学長)、講演会を通じ、
沢山の方々に生きる勇気を与え、光の道を示してくださいました。
ですが、彼女も働き盛りの時に、うつ病で苦しみました。
数多くある、幼子とマリアの絵画の中で、私は上の絵が一番好きです。
人間の瞳の輝きは、生まれ変わりを超えて、決して変わることがないと言われます。
この絵の中のマリアの瞳は、神の子を身ごもったという感情だけでなく、
数々の、苦しみ、悲しみ、後悔、悔しさ、理不尽を見てきた瞳をしているからです。
その瞳の深みに、深く引き付けられます。
ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』で有名な故渡辺和子さんは、
36歳の若さでノートルダム清心女子大学の学長となりましたが、
若さゆえに沢山の苦労をなさいました。
<引用開始> 引用元
思いがけず学長という立場につけていただきまして、やはり苦労がございました。
私はいわゆる「くれない族」というものになりました。
・お辞儀をしてくれない。
・あいさつをしてくれない。
・こんなに苦労しているのに労ってくれない。
そういう「くれない族」。
私は「もっと人様に仕える仕事をさせていただくために入ったのに」
と私を修道院に推薦してくださったアメリカ人の神父様のところにまいりまして、
縷々(るる)不平不満を述べました。
すると神父様は、「あなたが変わらなければ、どこへ行っても何をしても同じだよ」
とおっしゃいました。
目からうろこが落ちました。
他人が変わることばかり求め、幸せを他人まかせにしていた自分に気づかされました。
私が変わらなければと思い、私の方からあいさつをする人間に変わる決心をいたしました。
そうすると、周りの方が変わってくださったんですね。
明るくなりました。
それまでは、環境さえ変われば、みんなさえ私を理解してくれれば、と思っていました。
神父様の一言で、大切なのは人に頼ることじゃないんだ、と気づきました。
「環境が悪い」「人が悪い」ではなくて、悪い環境ならよくしよう。
よくするためにはまず私が一番先に、変わらなければいけない。
発想の転換と申しましょうか、そういう気持ちになりました。
私は傷つきやすいところがございますけれども、そのおかげで、
人様にこういうことをしたら、この言葉を申し上げたら
傷つくんじゃないかということがわかる人間になったと思います。
弱さ、傷つきやすさを逆手にとって、相手の気持ちがわかる人間になる。
だから傷つくことの ありがたさを忘れてはいけないのです。
時間の使い方は命の使い方。
この世の中に無駄なものは一つもございません。
嫌なことや、傷つけられたことさえも私たちは、いいことに 変えられるのです。
<引用終了>
渡辺さんは学長として、働き盛りだった五十歳の時、うつ病となり、死を考えた経験があるのだそうです。
そして、周りの方々、取り巻く神々に助けられ、克服しました。
渡辺さんの醸し出す、静謐(せいひつ)の中の深い優しさは
そんなところから来ているのかもしれません。
ご自分で苦しみを味わったからこそ、同じように苦しむ人々の心の内が分かり
そして、寄りそい、温かな言葉をかけられるのでしょう。
そう考えたら、ご本人の仰るように、病気さえも無駄ではなかったことになります。
返って神々の、大きな大きな恩寵となったのです。
神様のやり方は、何時も同じです。
神様は私たちの「願ったもの」ではなく、
幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。
それは必ずしも私たちが、欲しくないものかもしれません。
でも、全てが必要なものなのだと、感謝して謙虚に受け入れることができれば、
人の魂は、どんなに光り輝くことでしょう。
周りの人たちの心を、照らし出すことができるでしょう。
お腹が空いた時のひもじさが分かるから、素朴な美味しさを感じることができます。
私たち生きている人間は物事の表面しか見ることができません。
その、ほんの一面だけを見て
・良い、悪い
・幸、不幸
を判断することはできません。
有頂天になったり、落ち込むことには意味がありません。
どんな人も、必ず、時が経って振り返れば、
究極的には、肉体が亡くなって天に返る時、
今の状況に至るためには、その出来事が必要なことであった、
そう気付くことでしょう。
神さまは、幸運を与える前に、必ず、まず、不幸に見える出来事をくださいます。
そして、その出来事に不平や不満、愚痴を言わず、やり過ごすことができた時、
幸運がやってきます。
それは、必ずセットになっています。
更に、神さまのなさり方が理解できたのなら、きっと前半部分の不幸に見える出来事がやって来た時、感謝の気持ちで受け取ることができるでしょう。
以前、作った詩です。
辛さとは 耐え忍ぶものではなく、楽しむもの
苦しいことを ただ苦しんでいるだけでは、苦しみは消えない
苦しんでいる自分から一歩退いて、後ろから眺め、見て苦しみ。
その経験を心から楽しもうとすれば、苦しみはおのずと消えて行く
苦も楽も
善も悪も
生も死も
一瞬も永遠も
光も闇も
ほんとは同じ一つのもの
苦しみ辛さの最中、ほんとは大切な経験をしている。
苦しいという経験
辛いという経験
助けて欲しいという経験
それは、自分だけでなく、周りを巻き込んで、
魂を揺さぶる壮大な人生ドラマの山場
次なる展開への引き金
二元性のこの地球において、二元性を超えてゆくことは
並大抵のことではないけれど、
長い長い輪廻の時が満ち、今チャンスが訪れている。
試練とはハードルではなく、生まれた時から人生に組み込まれたオプション
だから無理に乗り越えようとせず
その試練を、吹き抜ける風のように感じてみればいい
どんなに辛い苦難や、厳しい試練もいつか過ぎ去っていく、
嵐のように永遠に続くものなど、何一つないのだから
逆らわず、あるがままの自分で、じっと持ちこたえて
心が痛んでも、身体が傷つけられても
魂は、決して傷つくことはないのだから
心も、身体も、魂も強く ひたむきに 逞しく 前向きに 潔く したたかに生きる
神様は私たちの味方しかしません。
新しい環境に置かれると不安になりがちですが、
その変化は、神様が起こしてくださった変化
私達を成長させるための変化
神様は私達を困らせたり、泣かせたりすることをなさいません。
私たちの魂が喜ぶことをなさいます。
変化の時を迎えている方どうぞ安心して、
明るく笑って新たな環境に踏み出して見てください。
不安の向こうには、必ず幸せが待っています。