今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月07日の記事を紹介します。
「今日という日」
元旦に書いた記事は人気が高く「実践始めました」・・・と言う人が沢山いらっしゃいます。
是非、無理せず続けられて
今年の終わりには、
・良いことしか起きなく
・良い人しかいない
そんな神様の道にお進みください。
さて皆さんは今
・ご家族と一緒に暮らしていますか?
・仲良くされていますか?
それとも、
・顔を見るだけで、ため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?
・言うことを聞かない子供、
・自分勝手な旦那さまなど・・
今日は、その方のお顔を思い出して、読んでみてください。
あるご家族の娘さん(7歳)が亡くなりました。
子どもを亡くしてから一年経ってもこのご夫婦は「娘にもう一度会いたい」と嘆いていました。
ある日のこと、水色の天使がその夫婦の前に突然に現れて言いました。
「今、あなたの持っているすべての財産と引き換えに、亡くなったお嬢さんと一緒に過ごせる日を一日だけプレゼントできますが、 どうしますか?」
その夫婦は迷うことなくOKしました。
そして水色の天使が続けて言いました。
「しかし、ルールがあります。あなた方は、プレゼントされた1日が終わるまで、
今ここで約束したことや、お嬢さんと死別したことなどの記憶は消されてしまいます。
それはまるで、過去に戻った一日を自然に過ごす感覚ですよ、それでもいいですか?」
その夫婦はお互いに顔を見合わせてゆっくりとした口調で「分かりました。」 と返事をしました。
その瞬間パッと光が・・・ あっ!まぶしい・・・
次の瞬間には、いつも通りの朝になっていました。
ですが、夫婦は、天使と約束したこと、娘が死んでしまう事など、一切の記憶を無くしていました。
そうです、娘が生きていた頃の何気ない一日の始まりでした。
朝から「早く起きなさーい!!」妻の大きな声。
パジャマ姿で機嫌悪そうに起きてきた髪の毛のボサボサな娘。
眠たい目をこすりながら新聞を読む夫。貴重な貴重な一日が始まりました。
私たちが生きている今日は、それは、いつか未来に水色の天使に全財産と引き換えに頂いた「今日」なのかもしれませんね。
もう一度、最初の質問をしたいと思います。
皆さんは今
・ご家族と一緒に暮らしていますか?
・仲良くされていますか?
それとも、
・顔を見るだけで、ため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?
・言うことを聞かない子供、
・自分勝手な旦那さまなど・・
その方が、明日は、いなくなってしまうかもしれません。
もし、胸がきゅんとなったのなら、今の何気ない日々の暮らしの中で、周りの身近な方々に
どうぞ笑顔で、優しく接してください。
今日のこの日は、永遠に続く日々ではありません。
家族もいつかは離ればなれになってしまいます。
・手のかかる、言うことを聞かない、心配の種の子供も・・
・自分勝手な夫も
・嫌味ばかりを言う親も
明日はいないかもしれません。いつか、別れの時が来ます。
ともに、この地球の同じ時代に生まれ、そして縁によって結ばれた家族たち
それは、私たちの魂を、磨き合う仲間でもあります。
外見の態度や言葉で切り捨ててしまうのではなく、その心の奥にある、魂を見つめたいものです。
私たちは、生まれる前に、その魂同士で約束してきたのですから。
それから、今日は、もう一つテーマがあります。
皆さんの中には、お子さんを早くに無くしてしまった方も居るかと思います。
病気や事故、もしかしたら自死もあったかもしれません。医療ミス、過剰な薬物投与。
自分より先に、かわいいわが子を無くすことほど、苦しく、辛く、悲しいことはありません。
世の中全部が敵に見えるかもしれません。
幸福な家庭が憎くなるかもしれません。
心の中は、切なさ、後悔、やりきれなさ、憎しみで一杯になってしまうかもしれません。
ですが、ここで、少し考えていただきたいのは、先に逝ったわが子、愛しいわが子は、愛する父と母の心が、自分の死によって、そのような黒い心になってしまうことを望んでいるのかということです。
肉体を去っても、存在が消えたわけではありません。
より自由度を増した、魂の存在として、元の世界に戻っているだけです。
私たちも肉体を去れば、必ず会えます。心が通じているのですから。
その愛しい子供たちが自分の死によって、父や母の心が黒く変わってしまったら、悲しむに違いないのです。
憎しみのあるところ、幸福も、健康もありません。
愛と許し、感謝のあるところ神さまの光が照らします。幸福があります。
どうか、たとえ、愛しい子供たちが夭逝したとしても、心を黒く汚すことなく、悲しみは悲しみとして、しっかり受け止めて、そして次には前を向いて欲しいのです。
笑顔を、周りの方々に向けて欲しいのです。
きっと、天国の子供たちも、愛する、父や母に、そのような神様の道を歩んで欲しいと
願っていると思うのです。