2022年1月10日月曜日

2573「一番大切な人」2022.1.10

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月05日の記事を紹介します。


「一番大切な人」


今日は「今、目の前にいる人、目の前にあることが一番重要」ということで、小林正観さんのお話をご紹介します。 

私たちはこの世界に降りてくる時に

・魂の永遠の記憶も

・神様との交わりも

・人生の目的も

・自分で計画してきた人生のシナリオも 

全て一旦リセットして忘れてこの地球に来ました。

  

それはまるでシナリオの見えない劇の主人公を演じているかのようです。

ですが、その進行役を神様がやってくださり必要なタイミングで人との出会いや別れ、事件を起こしてくださいます。

全てを見通す力を一時的に失っている私たちにできることは、ただ、今目の前にいる家族や人々、動物や植物たちに丁寧に誠意を持って、愛を込めてお付き合いしていくだけです。

<転載開始> 転載元


私たちの周りで起きているすべての現象、人生のあらゆる出来事に、

・重要なこと、重要でないこと

・大きいこと、小さなこと

の区別は、実はありません。

というのは「小さいこと」の定義を言ってくださいと言われても、誰も答えられないからです。

何らかの現象について、そのときは、小さいこと、些細なことと思っていても、それがなければ、今の自分はなかった、ということを考えたら、(大きいこと・小さいこと)の区別は、つきません。

このことを、実際にあった状況を取り上げて説明しましょう。

 

私が出た高校の同級生の一人が、大学にも行かず、就職もしないで、とりあえずアルバイ トとして晴海のイベント会場でコーラの販売をしていました。

そのとき、コーラ売り場の前をアメリカ人の夫婦が通りかかり、70歳ぐらいの歳のご主人が足を滑らせて倒れてしまいました。

彼は自分の売り場の前ですから、走り寄って助け起こし、ケガの手当てをしたりとか、いろいろ世話してあげたそうです。

そしたら、「あなたのような親切な人に、初めて会った」と、その夫婦は大変感激し、

「実は、私たちは結婚して40年も経ちますが、子どもがいないのです。あなたさえよければ、 私たちの養子になりませんか」と言われました。

彼としては、別にほかにすることもなかったから「わかりました。いいですよ」ということで、アメリカに渡り、その夫婦の養子になりました。

彼はそこで英語を覚え、大学にも行かせてもらい、卒業してからは企業買収の専門家になりました。

今は日本に戻り、その分野で大手の外資系企業の社長をやっています。

コーラの販売をしていた、その前で人が滑った、その人を助けてあげた、 

これらはすべて小さいことのように見えますが、結果としては小さいことではありません。

因果関係がわかったときには、一つひとつがものすごく重要で、大変な出来事だったと、気 がつくでしょう。

優先順位とか、出来事の大きい小さい、とかの区別がないことを、さらにわかりやすく説明します。

 

人生はドミノ倒しだと思ってください。

ドミノ倒しの如く、人は連続した瞬間を生き、最後の一個がパタッと倒れて、人生を終えます。

これらのドミノは、すべて同じ材質で、同じ厚さで、同じ形状です。

大きい小さいは ありません。重さも全部一緒。

それが一個ずつ、ただ淡々と倒れていくだけです。

自分の目の前に現れる人が、小学生であろうが、中学生であろうが、大人であろうが、大会社の社長であろうが、出会う人は全部一緒です。

 

それを一緒だと思えるかどうかに、その人の人間性が表れます。

社会的な地位や権力といったものを背負ってるかいないかで人を見るのは、まだ自分の中で本質的なものが形成されていないからです。

出会うすべての人、どんなに些細に見える行為も、人生を成り立たせるうえでは、どれも 必要不可欠なことであり、ドミノの一個一個が同じ価値だということに気がつくと、何も怖くなくなります。

人生で最も大事なのは、今、目の前にいる人です。

一人ひとりをきちんと受けとめていくことで、その後の人生を組み立てていける、ということです。

この一個一個のドミノ、それ自体が結果であり、次のドミノを倒す原因になっています。

倒れた「私」が、また次のドミノを倒していく。

今、目の前にいる人を大事にすることが、私の未来をつくっていくのです。

人生は、その繰り返しのように思えます。

<転載終了>

 

仕事などだと、よく優先順位を付けて、仕事をテキパキこなすのが優秀なビジネスマンなどと言われ、もてはやされたりします。 

ビジネス書なども飛ぶように売れているようです。 

また、私たちはよく人を

・身なり

・地位、肩書

・所有している資産(お金、家、車)

・健康か病弱か

・頭の回転が速いか遅いか

・器量が良いか悪いか

など、見た目だけで判断して、態度を変えがちです。

  

ですが正観さんが仰るには、

どんなに些細に見えることであっても、自分の身に起こってきたことは、大きい,、小さいの区別は存在せず、必ず次のステップへの礎(いしずえ)となってくれるものだと言うことです。 

優先順位が無いのですから、来た順番に対処していくことになります。 

また今、目の前の人が一番大事なのですから、誰彼と区別せず、 

例え子供であっても、丁寧に誠意を持って、愛を込めてお付き合いしたいものです。

結局、その時の私たちの取った態度が、次のステップが来る時に、 

・良きものか、悪しきものか

・楽しいものか、苦しいものか

・心を明るくするものか、暗くするものか 

を決めるからです。

   

ですから私たちは、将来のことを心配したりせず、過去をクヨクヨと、いつまでも悩んでいず、何か判断を間違えて、不幸な人生を選んでしまうのではないかと、取り越し苦労などせずに。

今、目の間に居る人やコトだけに集中し、良心に恥ずかしくない行動さえしているだけで、

ずいぶんと楽に、そして楽しい人生を送れるようです。

後は、神さまが良きにはからって下さいます。